lll1 さんの感想・評価
4.0
金が絡んだら、友人関係は成立しない。家族もまた例外ではない。
傑作でしょう。「新感染ファイナルエクスプレス」をヨン・サンホが本当に撮りたかったのかすら、疑問に思う。
「ソウル・ステーション パンデミック」もそうだけど、ヨン・サンホの本領は、あんな娯楽の映画じゃない。
日本は無宗教の人が多いけど、長崎の方ではキリスト教徒の方は多くいるし、世界中の人々が何かを信仰している。
キリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教。だけど、日本人にはあまり馴染みがない。
清水富美加が幸福の科学に出家すると話題になったとき「なんだそんな胡散臭いものは」と思った人は多くいる。甲子園常連の天理高校は、天理教信者の人たちだ。天理教があっての天理市で、天理高校。
エホバやオウムなどの冗談抜きでヤバいやつや、KKK等の秘密結社はおいておいて、意外と身近にあるものが私は"マルチ企業"だと思う。
あれも一種の""信仰""だと思う。あえて洗脳とは言わない。
とあるきっかけで、(というか騙された)マルチのセミナーに参加したことがある。率直な感想としては、気持ち悪かった。講師のクソつまんないボケで会場の人たちが皆笑う。数年前からニュースになっていることなのに、講師の人がそれを話すと、会場の人たちは「へー、面白い」といった初めて知るような反応を見せる。
会場に行けば、あの居心地の悪さと違和感が、気持ち悪くてしょうがないことが分かるけど、その会場にいる人たちはいたって普通の人たち。服装も普通、何かしらが統一されている訳でもない、年齢層も幅広く、20歳から70歳近い人までいた。街を歩いていたらすれ違っているかも、映画館で隣に座った人かも。こういった人たちが身近に居るんだなと実感したとき、少し怖かった。
セミナーの内容は、「仕事で困っている人たち」や、「夢を追いたい、けど…」というような迷っている人を助けたいといった様な内容だった。「これから世界はこう動く」、「こんな生き方がある」「こんな働き方がある」「こういう考え方がある」とか言っていたけれど、そこに具体性は一切なかった。違和感や疑問を持たれる前に次の内容に移行していた。
要するに、迷っている人たちが、このセミナーに来ているはずなのに、より惑わせるような内容だった。
セミナーが終わったあと、周りの人と少し喋った。そこで出たのが「難しかったね」や「頭がパンクする」といった感想だった。思うつぼじゃん。
私は講師はそれが狙いだろうと思った。理由はこのセミナーが"有料"だったから。しかも、質疑応答は存在しない。帰りには是非DVDを買って行ってくれと言い、本当がどうかも分からないものへの募金もあった。
来ている人に答えを見つけられては困るから。このセミナーに来てくれなくなるから。講師の人の収入源が減ってしまうから。だからわざと、困らせる、迷わせる、惑わせる。
講師の人は頭がいいよ。こんな金の稼ぎ方を思いついちまうんだもん。この講師の人は世界遺産をまわるのが趣味らしい。お金を稼ぐってことは、誰かがお金を払ってる。
マルチは、迷っている人を見つけ誘い、バカに育て、そのバカを使って儲けるクソだ。
この映画「我は神なり」はキリスト教を使っているけれど、そうじゃなくても良いと思う。私の場合はマルチに置き換えたし、人によってはまた違うものかも。
ここまで鋭く、突いた映画はなかなかない。登場人物はクズばかりだし、残酷な描写もあるし、観終わって良い気分にはならないと思う。だけど、眼を背けず観るべき映画。このサイトで書くようなことじゃないことを、長々と書いてしまったけど、本当に衝撃を受けた。考えさせられた。本当はこの映画で学んだことが活かされないのが、一番良いのかも知れない。
私が気付いたときには、その人は想像のつかないところまで来ていた。あんなモノは仲が悪くなるだけだ、喧嘩するだけだ。元の友人を無くし、新たな友人関係が生まれることはない。そして、家族もまた例外ではない。