中学生アニメ映画ランキング 34

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早速見ていきましょう!

72.9 1 中学生アニメランキング1位
かがみの孤城(アニメ映画)

2022年12月23日
★★★★☆ 3.7 (111)
325人が棚に入れました
学校での居場所をなくし部屋に閉じこもっていた中学生・こころ。

ある日突然部屋の鏡が光り出し、

吸い込まれるように中に入ると、そこにはおとぎ話に出てくるようなお城と見ず知らずの中学生6人が。

さらに「オオカミさま」と呼ばれる狼のお面をかぶった女の子が現れ、

「城に隠された鍵を見つければ、どんな願いでも叶えてやろう」と告げる。

期限は約1年間。

戸惑いつつも鍵を探しながら共に過ごすうち、7人には一つの共通点があることがわかる。

互いの抱える事情が少しずつ明らかになり、次第に心を通わせていくこころたち。

そしてお城が7人にとって特別な居場所に変わり始めた頃、ある出来事が彼らを襲う――――

果たして鍵は見つかるのか?なぜこの7人が集められたのか?

それぞれが胸に秘めた〈人に言えない願い〉とは?
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

大人はわかってくれない。

むかし、絶対音感のあるアメリカのジャズメンと飲んでいて、
  ワタシ、日本のブンカは尊重してるんですが、
  カラオケにはまず行きません。
  音酔いというか、
  機械のオンテイが不安定なので気持ち悪くなってしまうんですよ。
  いまは世界中どこにでもカラオケがあって困ったものです。
なんてグチっぽい話を聞かせてもらいました。

拙にはゼッタイオンカンなんて大層なものはなく、
そういうご苦労ははかりかねるのですが、
そいじゃま次は女の子のいる店にしましょうかと言うと、えらく喜んでいました。
(おかげで死ぬほど払わされましたが)

もちろんプロミュージシャンにもカラオケ好きはいますし、
そこんところは人それぞれかと。

ただ、むかしザ・バンドとボブ・ディランがセッションしてた時、
ディランのギターがあまりにも気に障るので、
アンプからプラグをロビー・ロバートソンが引っこ抜いた、
なんて話もありましたよね。
気になる方はやっぱどうしようもなく気になるようであります。

なんでこんなこと書いているかというと、
僕はオンガクに関してはけっこう許容できるんですが、
お芝居に関してはダメだからなのであります。

  ただ『それっぽく』演っているだけのお芝居
  ジブンだったらと考え『役ではなく自分』で演ってるお芝居
  気持ちばかり先行して『技術が追いついていない』お芝居

そういう『予選も通らない演劇部』レベルのお芝居って、
学園祭なんかだと微笑ましく見ていられるんですが、
商業作品になるとマジでダメで、ココロがささくれ立ってしまうんです。


で、本作『かがみの孤城』は、
辻村深月さんの同名小説を原作とした長編劇場アニメですね。
原作は未読なんですが脚本がかなりよく、
すぐれた脚本をつたない芝居でブチ壊している『よくある作品』のひとつです。
(少なくとも僕の耳にはそう聞こえます)

制作はみんな大好きA-1ピクチャーズ。
2022年12月の公開で、
興行収入10億円を突破していますから、
日本語でいうところの『スマッシュヒット』作にあたるのかしら。
{netabare}
  ちなみに『スマッシュヒット』というのが、
  いわゆる『そこそこのヒット』を意味するのはニッポンだけですね。
  英語の『smash hit』は『大ヒット』という意味になります。
  そこそこのヒットは『moderate hit』。
  いわゆる『マンション』と『mansion』の違いみたいなものであります。
{/netabare}
お話は、明確なメッセージ性のあるファンタジーかと。
さまざまな理由で不登校になっている(ひとり違うけど)7人の中学生が、
鏡の向こうにある孤城に集められ、
なんでも願いをかなえてくれる『願いの鍵』を探すという物語です。

少年少女たちは現実世界と鏡の世界をいったりきたりしながら、
ちょっとずつ、お互いに心を通わせていきます。
けっこうリアルで残酷なそれぞれの事情が少しずつ語られ、
無慈悲で理不尽な現実世界に対峙するための『心や勇気』みたいなものが、
そうした交流を通じて芽生えていく。
そんな感じの組み立てが大きな流れになっております。

そう書いてしまうとなにやらセッキョ-くさい作品っぽいですが、
エンタメらしいギミックがあちこちに施されており、
山あり谷ありで飽きさせないまま、ラストまで突っ走っていきます。

  丸尾みほさんによる脚本は、
  原作の良さ(しつこいですが未読です)もあるのだろうけれど、
  秀逸そのもの。

  不登校になった原因の『いじめ』の書き方もそうなのですが、
  そのことによってトラウマを植えつけられてしまった少年少女たちの、
   ・正論を絵空事にしか感じられなくなっている心の歪み
   ・自責・他責にすっぱり線を引けない未成熟さ
   ・自己憐憫と自己批判が渦巻き、極端に狭くなっている視野
  みたいなものが飾らない言葉で切々と描かれています。

  そこがきちんと描けているからこそ、
  彼らの抱えている問題が
    こういうファンタジーが存在しないと解決できなかった
  ということに得心できるわけでありまして。
  (もちろんそれ自体が
   いまの社会に対する強烈なメッセージになっております)

このあたり、さすが辻村深月さんがOK出した脚本だなあ、と。
ほんとこの方から承認とるのは大変なんですが、
それは本筋と外れてくるのでネタバレで。
{netabare}

辻村さんって、NHKから損害賠償の提訴をされたことがあるんですよね。

ことの経緯はこうです。
彼女の『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』という長編をドラマ化しようという話になり、
講談社がNHKに対して2011年11月、制作許諾をしました。
ところが、あがってきた脚本に辻村さんからNGが出ちゃったんですよね。
修正協議を繰り返したのですが、
NHKの『部分修正』案と辻村さんが望む『抜本的な検討』が折り合わず、
ついに2012年2月、撮影開始直前に許諾を取り消すことになったのです。

撮影直前ということでNHKは、
役者の手配はもとより美術制作まで終わっちゃっていたわけで、
キャンセル料だの実費だので大損がでました。
で「いくらなんでもきついっスよ」ということで、
NHKが損害賠償請求をしたわけです。その額、なんと約5980万円。

結論は辻村さん(講談社)側の勝訴。
というか、東京地裁でNHKの訴えが棄却されました。

  これ、拙が何度か言ってる著作権のおハナシ、
  『映像化の許諾』と『お話に手を加えることの許諾』はべつのもの、
  ということの典型事例ですよね。
  いくら「映画化してもいいですよ」と言っていたとしても、
  脚本や映像に著作権者からの承認がおりなければ公開できないんです。

  そういうのって版権ビジネスのイロハの『イ』でありまして、
  はっきり言って、NHKの大チョンボかと。
  この損失補填はコクミンから徴収した視聴料で賄われております。
  
でもまあ、法的に担保されている権利とはいえ、
天下のNHK相手に作家ダマシイを貫き通した辻村さんがリッパかと。
なんせこのときは直木賞もとっておらず、
メフィスト賞と吉川の新人賞を取っていただけ、
文壇では『期待の若手作家のひとり』に過ぎなかったわけなんですもの。
(だから「押し切れる」とNHKも思ったんでしょうね)
{/netabare}

というわけで、この『かがみの孤城』は辻村さんのお墨付き、
ふつうに作っていたらたぶん『名作』になっていた作品だと思います。

ところが、ぜんぜん『ふつう』に作ってないんです。
キャスティングがめっちゃくちゃ。
学芸会とまではいいませんが、そのへんの市民劇団レベルではあるまいかと。

実はこの原作、先にオーディオブックが発売されているんですが、
そこからのキャラ替えがハンパありません。
メインどころでいうと、以下みたいな感じですね。
(『声優』という言葉好きくないんですが、あえて使ってます)

 こころ 元:花守ゆみりさん 声優歴9年。主演アニメ30本以上。
        ↓
     當真あみさん。女優。
     (16歳。演劇経験なし。金ドラでちょい出演しただけ)

 アキ  元:伊藤かな恵さん 声優歴16年。主演アニメ30本以上。
        ↓
     吉柳咲良さん。女優。
     (18歳。子役出身。アニメは『天気の子』ヒロインの弟役だけ)

 スバル 元:西山宏太朗さん 声優歴10年。主演アニメ20本以上。
        ↓
     板垣李光人さん。
     (20歳。俳優・モデル。子役出身。アニメ・吹替経験なし)

 マサムネ 元:小林裕介さん 声優歴9年。主演アニメ40本以上。
        ↓
     ◎高山みなみさん。
     (59歳。いわずもがな、アニメ界の大御所)

 フウカ 元:大和田仁美さん 声優歴9年。主演アニメ10本以上。
        ↓
     横溝菜帆さん。
     (14歳。女優・モデル。子役出身。アニメ経験3本)

 リオン 元:島﨑信長さん 声優歴13年。主演アニメ60本以上。
        ↓
     北村匠海さん。
     (25歳。俳優・歌手・モデル。子役出身。ドラマ出演多数。アニメ経験3本)

 ウレシノ 元:堀江瞬さん 声優歴7年。主演アニメ20本以上。
        ↓
     ◎梶裕貴さん。
     (37歳。声優歴16年。主演アニメ90本以上)

 オオカミ 元:東山奈央さん 声優歴12年。主演アニメ60本以上。
        ↓
     芦田愛菜さん。
     (18歳。女優・歌手。子役出身。ドラマ出演多数。アニメ・吹替経験そこそこ)

 東条萌元:千本木彩花さん 声優歴9年。主演アニメ20本以上。
        ↓
     池端杏慈さん。
     (15歳。モデル。演劇経験なし。テレビドラマに一回出ただけ)


高山みなみさん、梶裕貴さんというスゲー方もまじってますが、
基本的には『経験豊富なプロフェッショナル』から、
10代中心で経験値の乏しいキャスティングへと変更されてるんですね。

もちろん『若いから』『経験がないから』ダメというわけではありません。

瀬戸麻沙美さんが『ちはやふる』を演ったのは高校生のときですし、
楠木ともりさんが『GGO』演ったのも18歳。
天才・沢城みゆきさんに至っては、
14歳・演劇経験ほぼゼロで新人オ-ディションに登場し、
僕の知り合いの音監が「いまだに当時のテープを聴いたら鳥肌が立つ」
というぐらい、全ての年代を完璧に演じわけてみせました。

ましてやほとんどのキャストさんが『子役出身』ということで、
花澤香菜さんや悠木碧さんを連想する方も多いかと。

  ただ、子役や舞台・実写演劇に求められる表現技術スキルと
  アフレコのそれは『似てるようでチガウ』んですよね。
  バスケットボールとハンドボールぐらい違う。
  球技大会ぐらいなら無双できても、
  インタ-ハイレベルになるとごまかせなくなっちゃうんです。
  (ここんとこ、一番うしろで『オマケ解説』しておきます)

  そこをアジャストするには、
  やっぱり『相当真剣な練習』をするしかありません。
  基礎があるので習熟は早いですが、
  そこんところもやっぱり人それぞれ違いが出てきます。

  舞台・実写俳優さんで『アジャストするのがうまい』方はおられます。
  アフレコ専業役者さんに遜色ないぐらい仕上げちゃう。
  そういう『おそろしく耳・アタマ・心がまえがいい』方ってほんと尊敬いたします。

で、本作の演技品質の話に戻りますが、
正直言って『学生さんが演劇部に頼んでアフレコした自主制作アニメ』
ぐらいの評価が妥当なところかと思います。

決して棒読みではなく、
それなりに『痛みやつらみ』的なものも伝わってきますから、
あの『竜とそばかすの姫』よりは数段マシです。

オンガクで言うなら『カラオケ上手さんの歌』ぐらいのレベルでして、
こだわりのない方ならば、
  いちいち目くじら立てなくてもよくなくない?
ぐらいに聴こえると思うんですよね。

  ただ……拙にはちょっとキビしかったです。
  元の役者さんが演っていたらどういうお芝居・音源になるのか、
  おおむねイメージできちゃうんですよね。

    そこ違う。もっとはって、背中まで鳴るように大きく。
    いまのセリフ、語尾はもっと消え入るように。
    長いセリフは『立てる』言葉、もっとはっきりメリハリつけて。

  なんてことを視聴中ずっと考えてしまっていて、
  モノガタリに集中しきれなく。
  ああ、脚本がすごくいいのにスゲーもったいない、
  大御所に「真実はいつも一つ」なんて言わせてる場合じゃね~だろこら、
  なんてぷんすか怒りながら視聴していました。

  なんでこんなキャスティングするかなあ。
  オトナってやだわ。


作品としてのおすすめ度は、それでもB+。
声優と音楽、いわゆる『音響系』の評価がひくいので平均点が3.4なんですが、
見る価値のある映画ではあるまいかと。

見る角度や足の置き場によって感じ方が変わってくる作品なんですが、
脚本にしっかりした背骨がとおっているので、
どんな方でもココロに石を投げ込まれるような気持ちになると思います。

  もちろん『いじめ』だの『大人の無理解』だのに、
  明確な解決策なんかあるはずがありません。

  あるはずがないからこそ、
  たまにこういう作品を見ることによって、
  一人一人が一歩ずつでも足を前にはこぶことがダイジなんじゃないかな。

  そんなことを拙は拙なりに愚考いたしました次第です(←日本語おかしい)。


映像は、まあ、きれいかなぐらい。
A-1ピクチャーズだからといって何でもかんでもスゲーわけではありません。
カット割りやアングルは、けっこう実写よりですね。
いいカットは間違いなくいいんだけれど、
クライマックス、言っちゃ悪いけれど、演出がふるくさいかもです。


音楽は、劇伴うるさいです。
かと思えは無伴のシ-ンもけっこうあって、バランス悪すぎ。
ちなみに、
エンディングのクレジットにすら音響監督が明記されてないんだけど、
キャスティング改悪の件といい、なんかあったのかしら?

  あと、エンディング主題歌、狙い過ぎて逆にあざといかも。
  しっかりしろ、アニプレ。


というわけで、音響系はアイタタなんですが、
何度も言うように物語・脚本がすごくよく練られているので、
作品としての価値はけっこうあるんじゃないかと愚考いたします。

ラスト、人によっては『予定調和』みたく感じるかもですが、
すでに述べたように『ファンタジー』だからこそ、
それなりの調和にもちこめたんですよね。

  じゃあ、このファンタジーがなかったら彼らはどうなっていたのか、
  それこそがこの作品のウラ主題みたいなものでありまして、
  政府だのキョーイク機関だのに押しつけてシャンシャンなテ-マじゃないわけであります。

ただまあ、アニメに『いやし』や『もえ』を求める方には不向きな作品ですし、
人によっては虎馬えぐられるかもです。
ココロに余裕があるときに、チャレンジしてみておくんなまし。

  なお、拙と同じくキャスティングにモンダイを感じる方には、
  オーディオブックという選択肢もございます。
  ただ……全部で19時間越えちゃってるんですよね、マジで。

  拙は時間もおカネも集中力もないので、
  すっごく興味あるんですが、サンプルのみ試聴しております。
  評判そのものはイイので、よろしかったら、ぜひど~ぞ♪


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ここからは純然たる『オマケ』です。

拙がおのれを顧みずエラそうに言っている
  『実写』『舞台』『アフレコ』
のお芝居は、具体的にどう違うのか、というおハナシですね。

本編にはほとんど関係ないので、
いつもどおりまるっとネタバレで隠しておきます。
ご興味のある方だけ、どうぞ。
(はっきり言って、スゲー『長い』です。心して読んでね♪)
{netabare}

[設定]
男子Aと女子Bは、文芸部に所属する高校二年生。
わりとなんでも言い合える仲だけれど、付き合ってはいない。
男子Aは草食系、女子Bはやや勝ち気ではっきりモノをいうタイプ。

部活の買い出しで制服のまま商店街にいってベンチで休んでいたとき、
まえを横切った女子大生風のふたりが以下のような会話をしているのが耳に入った。
 「あたし、またムネおおきくなっちゃってさ~。Cだときっついんだよね」
 「わかる~。あたしもこないだDにしたし」
それを聞いて、なにげなく女子Bの胸元に目をやる男子A。
その視線に気づいた女子Bが次のセリフを言う。

「そうよ、Aカップよ。笑えば? あたしが代わりに笑ってあげようか?
 あは、あはあはあは」

[解説]
このセリフ、特に難しいお芝居ではありませんが、
ウケをとるためには『実写』『舞台』『アフレコ』それぞれで、
ハイリョすべきポイントが変わってきます。

まず『実写』ですが、
これは(たいてい)カメラがバストアップ以上に寄ってくるので、
おおむね『顔芸』がダイジになってきます。

  露骨にいかりを顔に出して目をむくのか、
  いわゆる『ジト目』で、冷ややかに言い放つのか、
  自虐・やけくそ気味に、視線を外し正面を向いて言うのか。

セリフそのものは、自分が選んだ芝居に合致していればよし、です。
感情が自然と言葉に乗るので、
発声自体に特別な技術をほどこす必要はキホン的にありません。
(感情の乗っていない『口だけ芝居』は論外です)


次に『舞台』ですが、
これは観客との距離が遠くて細かな『顔芸』が伝わりにくいため、
カラダ全体を使って感情を表現する必要があります。
いくつかパターンをご紹介いたしますと、

  ・自分の胸に手を当てる(役者によっては立ち上がる)。
  ・セリフのまえに、ドン、と足を踏み鳴らす。
  ・「あは、あはあはあは」に合わせて肩や首をリズミカルに動かす。
  ・笑い終わったあと、ストップモーションみたく相手をにらみつける。

こういうお芝居って、
実写で演ると『オ-バ-アクション』に見えることが多いですよね。
セリフの発声には『いきおい』がダイジになってきます。
早口にならないようテンポに気をつけがら、大きく、元気よく、そして強く。
(*同じ発声を実写で演ると『うるさい』です)


最後に『アフレコ』ですが、
これは役者が顔やカラダで関与できる余地がないため、
言葉の立て方や発声に細心の注意をはらいます。

  コトバの立て方というのは、以下のような感じですね。
   「『そうよ』、Aカップよ。笑えば?」
   「そうよ、『Aカップ』よ。笑えば?」
   「そうよ、Aカップよ。『笑えば?』」
  これ、どこにセリフの『山』をもってくるかで印象がガラっと変わります。
  最初のは『ふつう』、二番目は『コミカル』、最後のは『ケンカ腰』。

  続く「あたしが代わりに笑ってあげようか?」でも、
    さいごの「か」の『a音』をはっきりと発声するかしないか、
    語尾を『スパッときる』のか『尻をあげる』のか、
    全体を『フラットにいう』のか『嚙んで含めるように』いうのか、
  そんなところで耳に届く印象がガラリと変わってきます。

  そして最後の「あは、あはあはあは」が個性の出しどころです。
    a.発声練習みたく、腹筋だけで、何の感情もこめない。
    b.「あは、アハあはAHA」みたく『音をバラけさせる』。
    c.最初かわいく、だんだん怒気をふくめる。
  もちろん『発声のスピード』によっても印象が変わりますし、
  役者さんによっては、
  最初の「あは」に小さな「っ」をつけ、間を多くとったりもします。
  
    動画などで役者(声優)さんの台本が映されたとき、
    独自のマークなどが色ペンなどでびっしり書き込まれている、
    というのを見たことがある方がおられると思います。
    それは、そういう自分で考えた指示(実際はもっと細かい)を、
    楽譜みたいに書き込んでいるからなんです。


総じて『役を読み解き、気持ちをつくる』というまでのプロセスは、
実写も舞台もアフレコも、大きく違いません。
ただ『作った気持ちを表現する』ときの力点が違うんですよね。

じゃあ、アフレコ役者さんの芝居が一番いいのか、というと、
それは一概に言えません。
アフレコ役者さんのお芝居をそのまんま実写にあてはめてしまうと、
どこかしら『作った』感じになっちゃうんですよね。
舞台のお芝居を実写でやるみたく『オ-バ-アクト』に聴こえてしまうんです。

  それってやっぱり『視覚効果』の問題なんですよね。

  舞台では、すでに述べたように、
  リアルではありえないような『大きな動きや声』の方が、しっくりきます。
  生身の人間が演じていますから、
  まあ『リアル』っちゃリアルなんですが、
  視覚・聴覚的には『セミリアル』なお芝居が求められることになるんです。
  (逆に、舞台で実写ふうにやると『芝居が小さい』と怒られます)

  これに対し、アニメは視覚的に『リアル』なものじゃないんですよね。

    顔の四分の一とか三分の一が目なんて人間はいませんし、
    ピンクとか緑色の髪の毛なんて、コスプレ以外の何なんだというハナシです。
    背景が闇になったりカミナリが走ったりするエフェクトも独自のもの。
    キャラの顔に斜線入ったり、いきなりポンチ画になったり、
    とにかく『アニメ独自の表現手法』というものがカクリツしているんです。

  そういう『非リアルな映像』だからこそ、
  アフレコ役者さん独特のお芝居が生きるというのがあります。
  ディ〇ニーランドの中を歩いていると、
  おなかの出たおじさんが大きなミミつけて歩いてても違和感ないですよね。
  あれ、区役所のカウンターに座ってたらタイヘンじゃないですか。


それじゃあ、アニメの演出やキャラデを限りなく実写に寄せたらどうなの、
というと、やっぱり『大丈夫』じゃないんですよね。
なぜかというと、
多くの人は『視覚体験』と『聴覚体験』がアタマの中で結びついている、
いわば『パブロフのわんこ』みたいな状態にあるからです。

  たとえば、グランドピアノそっくりのシンセサイザーを作ったとして、
  それでパイプオルガンの音色で演奏したら、
  見ていてめっちゃ違和感を覚える人が少なくないと思うんです。

  それって『グランドピアノ』という視覚から想起される音色が、
  体験的にアタマの中にインプットされているからなんですよね。

  同じように『実写』でアニメ声・お芝居というのも、
  または『アニメ』で実写の声・お芝居というのも、
  視覚と聴覚のギャップに違和感を覚えてしまう現象が生じてしまうんです。


つまるところ結論としては、
実写・舞台・アニメそれぞれ『求められるお芝居』が違っているため、
そこにアジャストしていく必要がある、ということになります。

もちろん作品によってその『求められ方』は違いますし、
実写の『演出』として舞台風・アニメ風のお芝居を取り入れることもあります。
僕が述べていることは、あくまでも『原則・基本論』にすぎません。

ですが『セイユウの芝居は作った感じがする』なんていって、
アニメに実写系の俳優を起用するぐらいなら、
最初っから実写で撮れよ、というおハナシにはなると思います。
視覚情報がコンポン的に違うんだもの。


  テレビ俳優さんも舞台俳優さんもアテレコ役者さんも、
  みんなお芝居の『プロ』に違いありません。
  それぞれが、それぞれのフィールドで、
  視聴・観劇者に『届ける・伝える』ためのお芝居というものを、
  日々、身を削るような精進を繰り返して追及しています。

  まず、そこにリスペクトがないと、おハナシになりません。

  少なくとも『話題作り・マーケティングのため』などと称して、
    Jリーグの選手をプロ野球の公式戦に出したり、
    アイドル歌手をまともなオペラの舞台に上げたり、
    小説家に連載マンガ描かせたり、
  そんなおバカなこと、ふつうはしないじゃないですか。

  それを『鉄火場』であるべき制作現場で実際にやっている、
  バラエティやスポットじゃなく主演級にキャスティングしてるのって、
  ほんとアニメだけなんですよね。


  こういうのって『いじめ』と同じようなもので、
  正論はなんぼでも言えるんですが、
  すべてが丸く収まる解決策なんてファンタジーでしかありえません。

    キホン『大人はわかってくれない』ので、
    いっぽいっぽ、
    地道に声をあげていくしかないんですよね。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

「テーマ」も「謎」とてもいいですが、なぜオオカミ?なぜルール?

 2回目を見られたので少し感想を整理します。以前のものもそのまま残しています。原作は既読です。

 まずこの作品の特徴として、映画館とパソコンで印象がかなり違います。映画館で見たときはかなり物語世界に入り込めました。が、パソコンで見た方がサラリとしたストーリーの印象でした。ですので、映画組とパソコン組だと評価が分かれるかなあ、という気がします。

 それともう1つ。自分が過去、この問題についてどれくらい関心があって、関連書籍を読んでいたか、考えたか、自分・身の回りで類似例があるか、で印象が変わる気がします。

 もちろん、アニメ作品ですからこんな単純な切り分け以外の評価の要素はあるでしょうが、この2点は実生活に近いテーマなだけに視聴環境による集中度合と、視聴サイドの蓄積で変わる映画=万人向けではない気がします。

 ですので、感想や評価が合わない人がいても、それがこの映画の特徴かなという気がしました。なお、2回目みて、1回目よりも理解が少し進んだ気がしたので、ちょっと評価点をあげています。3.9→4.2です。

 
で、内容です。

 いじめ、不登校というテーマをそれこそ真正面から取り扱ったのはとてもいいと思います。この点では、本当に優れていたと思います。

 決して頭がいいとも思われないグループの理屈で教室が支配される。その中心的な少女の教師への媚びと、面倒をさけクラスの自治を、カーストのトップグループに任せてしまう教師の事なかれ主義、エゴ。
 親の学校に行かないのは「おかしい」という思い込み。仮病ではく本当にどこかが痛くなる少年少女の身体と精神の密接な関係。そして、陰湿ないじめの実態。

 その一方で、どうやってその状況と向かい合うか、打破するかと言う提示もありました。特にまず子供の話を聞くということ、学校がすべてではないということ、学校の他のコミュニティーが十分に子どものコミュニケーションの場になること。

 全体としてこういうことが非常に丁寧に取り扱われており、個々の少年少女の状況も、いじめだけでなく、毒親、性的な虐待、仲間外れもリアルでした。



 やはり引っかかるのが、なぜかがみの孤城なのか?おおかみの意味は?その黒幕の思惑は?ルールはなぜ存在する?というところです。

 まあ、牽強付会なところはありますが、ちょっと考えたところです。ネタバレしないと語れないので隠します。

{netabare} 少年少女の救済の物語と、「狼と七ひきの子ヤギ」の内容です。「オオカミ」=「大人」に「騙されて食べられた子ヤギ」=「社会の犠牲になった子供」でしょうか。
「お母さんが帰って来て、狼から助けてくれる」=「カウンセラー、モノが分かっている大人、あるいは直接お母さん」

 ただ、この図式だと救済者はやはり大人だけになってしまいます。やはり自力救済としての、かがみの孤城の意味が必要になるのでしょう。

 そしてひっかかり、理解に苦しむのが、オオカミそれ自体は、本来は敵になる存在です。そしてルールの存在。

 ルールからはみ出した子供たちを、更にルールで縛ることの意味です。オオカミに食べられるという恐怖は必要か?なにより連帯責任だと不登校の子供にマイナスにならないか?そして、このルールと恐怖はかなり物語のおおきなポイントとなります。

 物語としてのルールの意味は病院の規則でそこしか面倒が見れないような意味があったり、学校に行っている時間と合わせている、という意味はありそうです。あるいは弟が日本の中学生と会える時間に設定したとよめなくはないです。

 が、そもそも病気の少女の弟が学校に行ってほしいという願いが、かがみの孤城を作ったとして、少女自身がおおかみに扮する意味がわかりません。まあ、ヒントが自分自身だよ、というオチことかもしれません。

 ですが、やはり、ルール+城主の少女と子供たちの救済の関係がよくわからないし、この童話の意味性が物語上のアイテムになっている気がします。
 まあ、普通ならそこはよく考えた話だね、でいいのかもしれませんが、そういうレベルの内容ではないので、すべてに意味性が付与されるべきだと思います。


 次に、かがみの意味です。鏡というのは、自分を映すもの。外部からの視点なのか、鏡に入る=内面に入るのか、あるいは両方の象徴なのか。

 孤城は子供だけの閉じたコミュニティは逃げ場である、ということでフリースクールとつながってくる感じです。そこに集まる子供たちはなぜ集められたのか、という意味においては納得なんですけど、孤城です。
 物語的な意味は、ある人物の関係者にまつわる話で、それは分かります。ですけど、少年少女の救済の場としての孤城ですね。


 この城内に自分の生活上で一番関心がありそうなことが設置された個室が与えられます。やはり自分自身という感じはします。自分のやりたいことを見付ける…なら、かがみと合わさって意味性はでてきます。

 ゲームにしても、恋愛マニアにしても、皆かなえたい願いを持っているということもあって、も、まあ、キャラ付けにはなっていますし、彼ららしさではあるんですけど…だったら、鏡というのはそれを見付ける話の方がふさわしい気もします。

 かがみ、そして、孤城。こちらは、物語の舞台としての、雰囲気作りはあるでしょうが、社会から孤立した場所で自分と他の同じ苦しみを背負っている人たちと話し合う場=フリースクールの意味なんだろうなあ、と思います。

 逆に言えば、あのフリースクールは「かがみの孤城でした」という事かもしれません。

 子供が自分のやりたい事、コミュニティが学校だけでない事を理解する、場所が「かがみの孤城」、大人は原因でもあり、助けてくれるパートナーでもある。それが「かがみの孤城」+「狼と七匹の子ヤギ」という意味性はおぼろげながら見えてくる気がします。

 映画館で見た第一印象でもそうでしたが、結局城主ヒロインのオオカミの仮面の意味、病気で死ぬという物語。かがみの孤城という場を提供した理由が弟を救う。そして、狼と七ひきの子ヤギのモチーフがが孤城の仕掛けになっている点で、テーマと物語が綺麗にかさなってこないなあ、という印象は残ります。
{/netabare}

 それと大学教授の娘。あの子の使い方はもったいなかった。結局重大なヒントもくれるし、救済にもなりますが、どちらも物語を回すだけの薄い存在になった気がします。


 で、総評ですが、面白いです。ダレもなく本当に面白い。テーマも深い。謎も面白い。キャラ造形も素晴らしい。作画もいいです。

 ただ、やっぱり、なんで城主は狼でルールがあのルール?そして、かがみの孤城の秘密が〇〇と重なるの?という違和感が邪魔をしてしまいます。

 言葉を変えると、この作品でモチーフ・アナロジーになっている童話は、このテーマを描くのに最適だらか?あるいはテーマやキャラ達の物語を深めるための作品だったか?
 このモチーフの童話は正直万人が知っているとも思えません。集められた子供たちの素性とも関係ないです。よって、仕掛けとしての機能の方が強い気がしました。別に邪魔になっているわけでもないんですけど、やはり城主とルールだけはちょっとノイズだった気がします。
 



以下 一回目のレビューです。


 本作は原作の辻村深月さんはミステリ出身ということもあり、内容に謎とき要素はあります。ファンタジー要素もありますが上手く使ってストーリーを構成していますし画面も良かったです。そして、さすが直木賞を取っただけあって文学的な雰囲気もあります。

 この作品がアニメとして作られたことは非常に頼もしいと思います。2016年の「君の名は」「聲の形」は決して文学的ではないですが、しかしこの両作品の存在がアニメでこういう文学的作品が作られる下地を作ったのでしょう。
 「ジョゼと虎と魚たち」「漁港の肉子ちゃん」を初め文学的なアニメ作品の流れで、本作が作成されたのはアニメファンとしては喜ばしい限りです。

 話自体もとても面白く、2時間はあっという間でした。ですが、正直言えば全体的に消化不良というか映画で描きたかったものが曖昧になっている気がします。

 本作で失敗があるとすれば、謎ときのストーリーとテーマ性が上手く融合していなかったことです。

 イジメというか不登校、親、学校の関係がリアルで、ストーリ-への落とこみやキャラ設定は良くできており、テーマ・メッセージとしては優れています。
 イジメというのは不条理で勝手です。そして教師はイジメのトップに立っている子…特に女の子の組織力を使ってクラスの自治をしようとします。いう事聞く子供がいい子だと思い込みます。
 相手の親と話しても無駄です。そのイジメの張本人と同じ考え方だからです。学校に行かなくれもいい。親が子供の言い分をまずは聞いてあげる。そして担任ではなく校長などと話す。最終的に解決しなければ逃げてもいい。好きな事をやっていればいい。学校など3年…あるいはクラスなど1年で終わる。そういう部分はちゃんと描いていました。

 その一方で、推理・謎解きというか仕掛けの部分については、考察しようと思えば半分くらいで謎が大体わかってくるし、フーダニットやホワイダニットの部分がカタルシスにもなります。そこに至る伏線も流れも設定も悪くはないです。

 ただこの2つの優れた要素である「テーマ」と「謎解き」が上手く融合していない気がしました。謎解きがテーマを補完するような関係ならいいのですが、テーマと謎解きのが上手く融合していないような、バラバラ感がありました。
 
 オオカミさんの正体と意味合いですね。肝心なそこの部分について悪く言えば感動ポルノどまりに感じられる気がするからです。要するにオオカミと7人の子どものアナロジーが、謎の設定とか仕掛け止まりになっていて、テーマを補完するものではない感じです。

 お城のルールの意味わからないですよね。特にルール違反の罰則が意味不明です。そのルールを守ることが7人の子供たちの救済の意味として何だったのかが不明です。 {netabare}不登校たちが集まれるようにという配慮はわかりますが、なぜ食べられる?
 あるいは守らないことが前提なんでしょうか?鍵は1人以外が食べられないと見つからない感じに描かれていました。{/netabare}オオカミさんにとってそのルールを設定する意味や大切さって何だったんでしょう?あるいは不登校の子たちにとってルールを守る意味など。要するにテーマである不登校とお城の謎の設定に乖離がある気がします。

 そしてそれに気が付いたきっかけの近所の女の子。彼女は逆にテーマ的な意味はわかりますが、{netabare} その彼女の家に飾ってあった絵が {/netabare}謎に絡んでくる意味です。そこのご都合主義展開が読み取れなくてポカーンとしてしまいます。

 そうなってくると、むしろオオカミさんの謎がノイズになって、不登校やいじめ問題のテーマ部分とどう重ねればいいのかがわからず、ちょっと頭が思考的になってしまい、文学として「考えるな感じろ」が無くなってしまいました。そしてテーマがある社会派の謎解きとしても、テーマと設定の分離があり、全体的に要素がバラバラな気がしました。

 画面はお城の床の反射のエフェクトがかなりすごいので、それは見どころです。逆にそれ以外はあんまり見どころはない感じです。色彩がどんどんカラフルになって行く気がしたのは、何かの演出家もしれません。
演出も良かったです。暗い部屋で食べる鳥そぼろと鮭と炒り卵の三色弁当を出すセンス。自分の気持、親の気持、少し幸せな時間から孤独な時間。いろんな感情が錯綜する感じが素晴らしかったです。

 総評すると、テーマとそのリアルさ、謎解きの面白さ、キャラ造形の水準の高さ、など非常に良くできた部分は沢山あり2時間退屈しませんでした。ただ「テーマ」「謎とき」が上手く絡んでおらず、要するに頭でっかちで「感じる」部分の文学性が不足して、下手をすればラストの方が感動ポルノに見えなくは無いです。特にエンドロールとおまけですね。ただ、キャラには感情的に乗れるのでカタルシスはありますけど。

 途中であまり盛り上がりはないです。作品の性質上それでいいと思いますが、そういうアニメが好きな人はつまらなく感じるかもしれません。

 ということで、もう1度見ようか原作読もうか迷いって、結局映画の帰りに原作買ってしまいました。読んで思うところあれば追記します。




追記 原作読み終わりました。

 映画化は良くできていた、という結論です。途中若干説明の細かさや構成の違いはありましたがほぼ映像化できていると言っていいでしょう。文字と画面の違いを考慮してうまくアニメ化できていたと思います。と言うか話の内容からいって、映像の方が見やすいしキャラが良く描けていたのでどちらかといえば映画がお勧めです。

 やはり初見レビューで上げた謎とテーマ・メッセージが合っていない感覚は、原作でも同じでした。舞台設定というか「鏡」「オオカミさまの正体の謎」「絵本」などのフレームが機能していない気がしました。

以下 映画の内容なので見る予定の方は気を付けてください。
{netabare} やはり色んな部分が「設定」というか「道具建て」でしかない印象でした。本来アナロジーやテーマ性、関連性などで物語を分厚くする部分が機能していないと思います。ということは推理小説の手法が裏目に出た感じが強いです。
「鏡」が何を表していたか?「オオカミと7匹のひつじ」を作品の舞台にした意味合いは?東条萌とミオ=オオカミ様のつながりは?ミオの学校に行きたいという気持ちがなぜイジメで学校にいけない子たちの救済になったのか?ルールを守ると食べられる意味は?

 特にやるべきだった話として、東条萌の考え方「自分は自分」というか「学校なんて大したことない」という考えが「オオカミと7匹のひつじ」の絵本を通してミオと共有されるべきだったと思います。
 また、喜多島=アキがミオという子のどんな気持ちを通じてイジメ・不登校の救済に立ち上がらせたのかが「病気」軸ではなく他の描き方は無かったのか。病気と不登校の意味はまったく違うのに無理にそこを重ねた感じです。
 そして、ルール破りが「記憶をなくす」という作用の為だけになっている気がします。

 つまり、東条萌、喜多島=アキ、ミオ=オオカミさまを大きく関連付けるものが「鏡」「オオカミと7匹のひつじ」というフレームになっている。そしてミオの悲劇が病気ではなくイジメ・不登校を乗り越える何かになっているという描き方ができれば、本当に説得力がある話になったと思います。{/netabare}

 テーマとメッセージの重さは受け取りました。こころちゃんの救済の物語は素晴らしかったです。ただ、重要キャラ3人が肝心なのにうまく機能していなかったと思います。
 若干評価下げます。ただ、映画として見た場合の満足度はまあまああると思います。

 なお、原作は分厚くて2分冊ですが、文字が大きくて文字数がそうでもないのでそんなに時間はかかりませんでした。つまり今回批判した部分は、本が読める小学生、中学生、読書の習慣がない高校生程度でも読める配慮で複雑にしなかった可能性があります。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

心に疵がある少年少女たち ~1人じゃないよ大丈夫~

キービジュアルで前々から気になって居た作品です。
私は物語って好きで、私がアニメを見始めた原点は多分そこにあるのだと思います。

その好きな物語の中に御伽噺がありまして、第1印象では御伽噺のイメージが強く湧きました。
「鏡の国」「別世界」「オオカミの被り物の少女」辺りが私の作品への興味です。

被り物の少女……昔になるんですが「Doubt」と言う漫画があって、まぁ、シリーズは「JUDGE」とか色々続くデスゲームで、犯人達が動物の被り物をしてて、そのイメージが強く少しグロいイメージもあるのですがw

さて、物語はやはり御伽噺ベースでした。
題材がオオカミであり「赤ずきん」と「七ひきのこやぎ」ですね。

そして、登場キャラクターの共通点は「心に疵を抱えた少年少女達」です。
キャラが中学生の1~3年生と言う事もあり中学生らしい心境やら悩みを表してる作品でしたね。

7人の少年少女が鏡の孤城に呼ばれ、願いか叶う小さな部屋の鍵を探し出すのが目的。
だだし、願いが叶うのは1人だけ……
日本時間17時以降に城に残ればオオカミに食われる。
1人でも残れば連帯責任でその日、城に居た人間全てがオオカミに食べられる。
願いを叶えた場合は全員が城での出来事を忘れる。

願いが叶う。
願いか……皆さんなら何を叶えますか?
彼女達の願いの多くは{netabare} 「誰かを消して欲しい」 {/netabare}
中学生なんてさ、思春期だし悩みも多い年頃よ。
好きな人と上手く行かない、友達と喧嘩した、虐め……中でも作中は{netabare}虐めや嫌がらせ {/netabare}が目立ちました。

主人公のココロは{netabare} 虐め {/netabare}で学校に行けなくなりました。
多分、恋愛の縺れかな?
上手くいかなくなって、元彼が昔好きだった女の子のココロに八つ当たりしたのが始まりかな?

先生が当人同士の話し合いをさせようとしたけど、先生って大半がこれじゃない?「当人同士の話し合い」私はこの当人同士の話し合いって何の意味があるのか、ずっと疑問です。

確かに「話す」事は大事だけど、それは当人同士じゃないでしょう?
当人同士なんて上辺だけですぐに問題が再発します。
「当人同士」とか「先生が注意した」とかさ、あんなの何にも解決しないよ!
そもそも大人達がそんなんだから誰にも相談出来ない子供達がいるんじゃないのでしょうか。

ココロの{netabare} 虐め{/netabare}は酷いですね。
{netabare}大群で家に虐めっ子が押しかけてくるのは怖いよ……
家に籠るココロを卑怯だと言うけどさ、明らかに集団の中から人を傷つけ数の暴力を振りかざすお前が卑怯だろ! {/netabare}と私は思いましたね。

でも、だから、{netabare} 「虐めっ子の主犯が居なくなればいい」って考えるのも解るんだよ。{/netabare}
「{netabare}「ソイツが居なくなれば」{/netabare}全て上手く行く気がするけど……それは多分違う……

{netabare} ソイツが居なくなったら、第2のソイツが生まれてまた新たな悩みが生まれるだけだったりする気はするけど、最終的な願いは私は素敵な願いだと思います。 {/netabare}

でも、私は主人公ココロは本当に勇気のある女の子だと思います。

1つは相談出来る勇気です。
{netabare} 「虐められてる」って一言を言葉にするのは凄く勇気が必要だと思います。
助けをもとめても拒絶されたらどうしよう。
自分が虐められてるなんて言い出せない。
もし相談しても、もっと酷い事になるかも。{/netabare}

理由は様々で私はこの3つがパッと思いつきますが、多分相談出来ない子はもっともっと不安があると思います。
私がココロの立場だと相談出来ない気がする。
だから、勇気を出してお母さんに相談出来て良かったです。
お母さんも力になってくれてたし、彼女が踏み出した勇気の結果です。

お母さんと戦う決断をした事も立ち向かう勇気が素敵ですよね。

2つ目は{netabare} マサムネがリアル世界で皆と学校で会いたいと言って、結果会えないけど、皆が学校へ向かった事です。
きっと、それぞれが簡単に決意出来る事じゃなかった。
きっと悩んだと思う。
嫌な奴に鉢合わせしたら?とか考えたら怖いけど、友達……でいいんだよね?
友達の為に皆が学校に行く、別に行かなくてもいいとは思う。 {/netabare}

でも、友達の為に行動出来る彼らの強さには関心させられました。


3つ目はリオンです。
{netabare} オオカミに食べられそうな時に、普通ならきっと……いゃ、私なら「助けて」って自分の事をお願いしたと思う。
でも、リオンは自分が食べられる直前に「アキを助けてやってくれ」って他人を優先出来る選択肢に強さとカッコ良さを感じました。 {/netabare}


ココロが{netabare} 救った人達が将来的に彼女の味方で居てくれる。{/netabare}
凄く頼もしいですよね。

{netabare} ココロとリオンの再会のシーンは記憶がないココロは誰?状態だけどさ。
大丈夫だよね。リオンがいれば、きっと仲良くなれて学校にも通えるよね。{/netabare}
彼女の未来に少し希望を感じました。

さて、作中に出てくるキャラは全て重要なキャラ達でキャラの配役には無駄がありません。
伏線もかなり良かったです。
オオカミ少女の正体や先生の正体もあきらかになります。

オオカミ少女については、うん、あれだ深くは語らない方がいいかな。
ただ、少し我が強くて私としては余り好きになれない性格でキャラのイメージと声は合わない感じだったりしました。
けど、敢えて伏せるけど○想いな女の子です。
最後まで優しかった。
大嘘つきで○想いで優しい彼の○さん
もしかしたら、{netabare} 火のオオカミ {/netabare}の正体って……

北多嶋先生は……
彼女を私は最初はあまり信用してませんでした。
けど、作中で、こころ、ウレシノ、マサムネが良い先生だと言います。
{netabare} 彼女は何故傷ついた子供に寄り添えるのか、それは最後まで見たら、関係性が解るのですが、それだけではなく、彼女の心が疵ついた事があるからです。{/netabare}

傷ついた事がない人でも勿論優しくは出来ると思う。
でも、傷ついついた事があるから傷ついた人が、どうして欲しいのか、寄り添える。
他人である以上本人の以外はその傷……心の疵を理解出来る事はないのだと思う。

何故ならその痛みも苦しみも体験した本人が1番苦しくて辛いから……だから誰しも心の疵は完璧には理解出来ない……けど誰しもが必ず寄り添う事は出来る可能性を秘めてる。

彼女がこの道を選んだのも同じ様に心の疵に寄り添いたいと思ったからかな?と思いました。

残念だけど、こうした問題は無くならない……多分人類が永遠に抱え続ける課題なんだと思います。

「人を思いやる事」は素敵な長所に入ると思うんですが、個人的に私はその長所が当たり前になって欲しいと思うんです。
誰もが「人を思いやる心をもって欲しい」それが当たり前の世界に、でも現実問題、人を傷つけたり心を疵つける人は世の中に居て、一生、人の痛みや苦しみが解らない人も居て、多分そうした人はきっと解らないままなんだろうなぁ〜って……

けど、そうした事を伝えていく事は大切で、少しでも傷つく人が少なくなればいいと思います。
無くなる事はない問題ですが、周りにそうした人が居れば手を差し伸べたりする事で心に疵を抱える人を減らす事はできるのではないかな?と私は思いました。


この作品は少し暗い部分もありますが、そうしたメッセージ性。
学校には味方が居なくても家には味方がいるんだよ?
周りに味方が居なくても世の中には味方になってくれる人がいるんだよ?
1人じゃないんだよ。抱え込まなくていいんだよ。ってそうしたメッセージ性を作品から感じ取りました。

物語は理解しやすくメッセージは深い作品だと思います。
物語は悪く言えば単調ですがメッセージ性が深いだけに面白さもしっかりあります。
一人一人が結構考えさせられる、考えるきっかけになる?作品ではないでしょうか?

投稿 : 2024/05/04
♥ : 18

64.2 2 中学生アニメランキング2位
カラフル-Colorful(アニメ映画)

2010年8月21日
★★★★☆ 3.5 (412)
1771人が棚に入れました
死んだはずの“ぼく”は、プラプラという天使らしき少年から“おめでとうございます。あなたは抽選に当たりました”と話しかけられる。大きな過ちを犯して死んだ魂のため輪廻のサイクルから外れてしまうはずだったが、再挑戦のチャンスが与えられたというのだ。そして、自殺したばかりの中学生“小林真”の体を借りて、自分の犯した罪を思い出すため下界で修行することに。ところが、父は偽善者で、母は不倫中、そして自分をバカにする兄とは絶縁状態という最悪の家庭環境。おまけに学校でも、友だちがひとりもいない上に、秘かに想いを寄せる後輩ひろかが援助交際をしていた事実を知ってしまうなど、まるで救いのない日々だった。そんな中、真の体に収まった“ぼく”は、真っぽくない振る舞いで周囲を困惑させてしまうのだが…。
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

今立っている位置から見えるものとそうでないもの

「おめでとうございます!あなたは選ばれました!」
「あなたはもう一度人生をやり直せるのです。」

ひとつの人生を終えた魂が今まさに輪廻の輪から外れようとしているときにそう言われた。
なんでもその魂は生きているときに「過ち」を犯したらしい。
その償いだとかなんとかでまあいわば全く知らない家族の中でホームステイをするわけだ。半年ほど。
その魂が入る身体の主はもうすぐ死ぬらしくその交代で入るだとか。
「小林真」その身体を示す名前だった。
小林家の家族構成はこう。
4人家族で人がいいだけが取り柄の父、家庭に不満を抱え、さらにちょっと前まで浮気をしていた母、
大学受験真っ最中で弟とは疎遠な兄、そして自殺した中学3年生の弟小林真。
これから6か月間、その魂はこの家族と一緒に生活し自分の「過ち」を見直さなければならない。
もちろん彼自身もよりにもよってこんな家なのかと辟易した。
学校生活も同じようなものだ。
小林真が自殺を図ったのだから当然白い目でみられてしまう。
居場所は美術部の部屋の特等席だけだった。
そこには話す相手もいた。小林真の恋憧れるあの人も。
小林真が描いた絵を自分の目の前に置き、それを眺めながら思った。
「これから何をすればいいのだろう。」

自分ではない「自分」を生きること。
魂が小林真の身体に入ることで何が見えるのでしょうか。果たしてちゃんと意味があったのでしょうか。


個人的に好きな作品です。
設定が面白いですね。死んだ人間が他人の身体に入ってほんの少し人生をやり直す。
顔も体も声もその存在も他人ですから仮面の心理みたいなもので一種の「自由」が生まれます。
自分じゃないから周囲の人にどう思われてもいいや、みたいな。
個人の生活を俯瞰的に見つめることができるんです。確かに「見直す」にはすごく良い設定です。

作画も綺麗でした。
人は線を少なく、背景は細部まで描き込まれ、そして丁寧に。
不足はなく、過剰な部分もないその作画は、限りなく実写に近づけることで、物語をより現実的に語るためのすべとして良い働きをしていました。

この作品が投げかけてくることは直接的ではありました。
けれど、どこをどう拾い、どう感じるのかは人それぞれであるのが周知の事実。
おそらくこの作品はそれが顕著に表れるのではないかと思います。
魂が入った小林真が「答え」に行き着くまでの過程で描かれる内容は、
シリアスでいて、もっとも「ありそうなこと」なのでいろんな場面で様々なことを想うのではないでしょうか。
そんな気がします。


現実的効用のある映画でした。稀にみる良いアニメ作品です。
自分を見つめ直すということに一つ力を貸してくれると思います。


{netabare}

ひろかが可愛かったです。
たれ目でおっとり系。流行りのゆるふわ女子ですねw
でも真のたったあの一言で本当に救われたのでしょうか?
一度知ってしまった性の快楽と自分を高価なモノで着飾る高揚感と優越感は血肉を貪る強欲と化します。
拭っても取れないあざのようなしみは呪いのようで、その者の心を深くまで浸食し、
そしてそれは決して尽きることはなく、常に渇きに飢え、迷うことなく肉体と精神の破滅へ堕ちていきます。
ひろかが自分の「正しい」道を見つけるまでにはまだまだ時間がかかりそう。
抑えきれない内なる欲望とどう向き合うかなんて中学生にはいささか重き十字架です。
強すぎる性欲と物欲。その度合についてはかつて性欲に親鸞がそうであったようにコントロールできません。
しかし行動する前にそれらとどう向き合いこれから過ごしていくのかを考えること、
また危険な道を歩むというのならそのリスクをちゃんと知った上で行うべきです。
これらを考えることをすっ飛ばした行動を無鉄砲と言い、必ずどこかで馬鹿をみる羽目になります。
真は幸いにも自分で気づくことができたけど、せめてひろかにはひとり導き手がいても良かったのかもしれません。
本作では完全に更生とまではいきませんでしたが、なにかしら掴めたのなら彼女の救いにはなったのかも。
僕個人としては少し、ひろかに関しては解決はせず見放した感が否めませんでした。


ラストに向けて、目標に向かう真の姿は見事でした。
真がどんどん自分自身を掴んでいく姿を観たらそうあって欲しいとも思わずにいられませんでした。
せっかく自分が自分でいられる場所ができて友達もできて目標もあったのだから。


家族の描写は重いものでした。
親の苦しみ、子の苦しみ。
その両方がよく描けていたのではないでしょうか。
必ずしも全ての親が子を愛するわけではないですしその逆もまた然りです。
親や兄弟が自ら骨を折るようなことをしてくれるというのは愛の表れです。
だから結果的には、家族のことを大切に思えた小林一家は幸せだったのだと思います。
ただ彼ら自身も小林真の死を教訓としていますから今までのわだかまりがどちらが悪いというものではありません。
全て解決に向かったのはプラプラのおかげでした。「死」あっての、やっとの理解でした。
解けるべくして解かれたわけではないけれど、教訓として描かれた物語としてとても良い作品であったとは強く思います。

それと、いくつかのレビューでお見受けしましたが母親の浮気ごときで自殺はおかしいという意見。
これを平気で言える人は、人の気持ちを考えられない、想像力の欠けた人間だと僕は思います。
自殺それ自体を否定するなら話は別です。それは本作でも語られた。
ですが人の思い悩むことを自分のものさしだけで測り、蔑視するのはいかがなものだろう。
所詮、これはアニメの話ですし何を言っても差支えなんてものはありませんが、それによってあなたの人となりは伺えます。
小林真はギスギスとしたという一言には収まらないあまりにも複雑で問題を抱えた家族の中にいて、
学校には悩みを打ち明けられる人もただの1人もいず、美術部では隅に追いやられている始末でした。
状況を鑑みても何がその引き金になろうと決しておかしくはありません。
それに親の失態というのは子どもには、それがたとえ小さなことでもあまりにも大きく響くものです。
人はそれぞれに、それぞれの悩みを抱えます。年齢によっては悩むことが似て、すでに過ぎた者からすれば馬鹿馬鹿しい限りかもしれません。
ですが、当の本人の立場に立って、その苦しみを一生懸命に理解しようと努力し、
ものごとを考えようとしなければ、他人のことなんて絶対分かりっこないし人に優しくなんてできません。
人の弱い部分に寄り添うことができず、ましてやそれを上から目線で、自己中心的な考えで、
一般論を、または偏狭な自論を一方的にかざすようにはなってはいけない。
僕はそう思います。

あと観るポイントとしては設定の器用さではなく(僕は上手いと思ったけれど)、小林真がこれからどうするかだと思います。


{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 31
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

お、重たい・・・

 初見でした。2時間の社会風刺もの。
 社会風刺と少年の成長を扱った作品としては、比較的良い作品だと思います。

 とはいえ、残念な部分も多いですけどね。一部の声優さんとBGMは今一つでしたし、テーマをセリフでしゃべり過ぎていたような気もしました。脚本に関しては分かりやすさを重視していたのかもしれませんけどね。
 あと、アニメっぽさが希薄なのも気になりました。実写で作っても同じものが作れてしまいそうな感じはあります。アニメ映画ではありますが、日常を切り出したもの、という印象が強かったです。

 どこかで見たことがある作風だなぁ、と思ったら「河童のクゥと夏休み」と同じ監督でした。クレヨンしんちゃんシリーズも手掛けているようです。
 どちらも社会風刺の作品ですが、「河童のクゥ」が子供向けであったのに対し、こちらは中高生向け。少年の成長譚という共通点はありますが、世代にあったテーマを的確に取り入れているので、キチンと棲み分けはできていると感じました。

 この作品に限らず、社会風刺もの全般に言える少しの疑問があります。
 「河童のクゥ」は、人間と自然の対比を大枠として、友人関係における問題を踏まえながら「生」について考える、という小学生向けの作品です。
 一方、「カラフル」は、親子を中心とした家族観を大枠として、友人関係における問題を踏まえながら「生」について考える、という中高生向けの作品です。
 この二つの作品に関わらず、子供から思春期へと作品の対象を変えると、「世界」の描き方がスケールダウンしてしまうように思います。思春期に考えるべきことは、「自然」のような概念的な事柄よりも「コミュニティ」のような具体的な事柄の方が望ましい、ということなのでしょうかね。コミュニティにおける「自己」があやふやなっているときには、「自然」がどうのというよりも、まず「自己実現」すべきだ、ということでしょうか。

 そりゃそうだという思いがありつつも、大人向けの風刺作品も基本的には「自然」に触れずに「自分」を考える、というものが多いですから、一体どこで全体的指向から個人的指向へと転換されるのかな、と少し疑問に思った次第です。世代の問題ではなく、「自然」について考える作品の方が珍しい、という単純な答えなのでしょうかね。

 この作品の社会風刺部分は、非常に重たく感じました。明るくポップな作品でも見ようと思っていたときに、タイトルのみでレンタルしたせいもあるのですが、見ている最中は非常に陰鬱な精神状態で、期待とのギャップもあり少し参ってしまいました。


風刺内容(ネタバレ注意):{netabare}
 いじめを受けていた。好きな子が援助交際していた。お母さんが不倫していた。自殺した。

 環境への嫌悪が生への嫌悪となって、自殺をしてしまった男の子が主人公です。もちろん自殺エンドではなくて、そこからスタートして立ち直るまでが描かれていますので、救いがないわけではありません。
 で、その立ち直り方なんですけど、唯一の友達を見つけて同じ目標に向けて頑張る、というものです。その視野の広がりが、周囲への許容をもたらして「自分の生をがんばろう」になる。

 常々思うのですが、友達ができない、または、できにくい環境にいる子に対して、「友達ができれば大丈夫」というのは解決策として成立しているんですかね? 環境から拒絶されている子に対して、「自発的に目標(受け入れられる環境)を見つければ大丈夫」というのも解決策なんでしょうか? 外部から救いの手を差し伸べることは難しくて、やはり本人の意識に頼らざるを得ないのでしょうか?

 この作品で提示されている解決策に関しては、「理想的な解決策」であって「現実的な解決策」ではないのではないかと思ってしまいました。上手く言えませんが「思春期の子が見たい、見るべき作品」というよりは、「親や教師が見せたい作品」であるように思えました。

 ただ、これをこの作品についての悪い点として挙げる気にはなりません。おそらくこの作品を見た方は、その方の経験をベースに独自の批判を展開し、独自の感想を述べるのだと思います。結局載せないことにしましたが、私もいろいろと考えさせられました。
 つまり、見た人に検討を促している時点で、社会風刺作品としては成功しているんだと思います。こういう問題に普遍的な解決策を提示することは、なかなか難しいですからね。これで良いんだと思います。
{/netabare}

食事と絵画:{netabare}
 この作品における象徴物です。
 特に難しい描き方はされていませんので、やや意識的に見ればいい、程度のものです。
 どちらかといえば、食事の方が登場回数も多く、メリハリがあったかな。
{/netabare}

プラプラ:{netabare}
 主人公の案内人のような役割です。あまり好きにはなれないキャラクターでした。
 視聴している最中は、主人公が内的に生み出した「イマジナリーフレンド」のようなものかと思っていたのであまり気にしていませんでしたが、エンディングではそれとは別物であることが明かされていました。
 過去に主人公と似た境遇にあったと言う割には、主人公への態度や物言いが理解しがたかったです。
{/netabare}

対象年齢等:
 中高生向けです。
 中高生向けなんですが、その割には少し表現が子供っぽ過ぎるような気もしました。難しい表現はほとんどなく、中高生を子ども扱いしすぎているようにも思えました。個人的には、中高生をあまり子ども扱いせずに、少し背伸びさせるくらいの方が良いと思っています。そこは少し残念かな。

 大人が見る必要性は薄いのかもしれませんが、やはりいろいろと考えさせられるとは思いますよ。そういう意味では、必ずしも中高生向けではないのかもしれません。少なくとも私は見てよかったと思いました。

 正面から社会風刺に取り組んだ作品はあまり多くないですから、まずは「河童のクゥ」か「カラフル」に手を出すのが良いのではないでしょうか。批判的な事柄も書きましたが、見るべき作品だとは思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4
ネタバレ

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

世界があまりにもカラフルだからこそ、僕が僕であるために。

 パッピーエンドです、と最初にそう言ってしまう意味があり…。

生前の罪により、輪廻のサイクルから外されたぼくの魂。だが天使業界の抽選にあたり、再挑戦のチャンスを得た。自殺を図った少年、小林真の体にホームステイし、自分の罪を思い出さなくてはならないのだ。真は絵画きが得意で美術部に所属し、中一で虐めを受け、自分の世界に籠り、友達はいない。やがてぼくは、真が父親を軽蔑し、兄に軽蔑されていて、母の不倫を目撃し、想いを寄せる後輩のひろかの援助交際を目撃したことが自殺の原因だとわかる。どうせ真の人生だし、好きで下界へ来たわけじゃないし、と軽く見ていたぼくは、やがて真を取り巻く人たちの欠点や美点が見えてくるようになって、人の様々な彩色の真実へと、またぼくと真の真実に気づいてゆく…。

 ストーリー序盤で、或いはあらすじで大凡の終幕展開を察する人がいるだろう。しかし私は、この作品を察して結構な物語なのではないのかと思っている。それは、自殺という題材が重くのしかかった先の、生前で罪を犯した〈ぼく〉が、或いは自殺を犯した〈真〉が「ぼくは生きてます」と言うまでの主人公の心の変化を、希望を持つ瞬間を期待させるからだ。そして「それ(ぼくが犯した罪を認識すること)」だけが本作の全てではないと確信している。察する通りなら一辺倒だな、という予測は幕切れ方では的中かもしれないが、別の意味合いで見事に裏切ってくれる。
 「おめでとうございます、抽選に当たりました!まさにラッキーソウルです!」軽薄な天使の言葉から始まる本作の日常活写には、小林真が浮動する思春期の世界が発見できる。絵描きが得意で、中一で虐めを受け、自分の世界に籠り、鬱的に嘔吐を繰り返し、美術室と家族が拠り所の中で、母親と想いを寄せていた後輩の酷な真実に遭遇し、無念もないまま自然な心持ちで睡眠薬を多重服用した。生きることなんかよりも、死ぬほうがずっと楽で魅力的に思えた。 ぼくは生前に犯した罪を解釈する為に自殺した小林真の体のホームステイし、(例えてドラえもんのもしもボックスのように)真がもし死んでいなかったらの世界を、そこでは飽くまで真の代役として体験する。そして、真が自殺を図ったという事実がもたらす出来事と、当の本人にぼくという別の人格が入ることから、変貌していく真の・周囲の人の心の、”色”。変化することで物事の角度が変わり、またそこから明かされる色の違う真実。自殺志願者へのメッセージなどではなくて、カラフルという名の日常を、飾らずに伝える。ここにあると思う。

 人生とは、気づいていそうで気づいていないことが、案外たくさんあるものだ。その気づいていない場所で、自分が誰かを救ったり傷つけたりしていることもまた、思っているよりもちょっぴり多めにあるものだ。小林真の数少ない周囲の人の、そんなことが、自殺したという事実と別人格の真(ぼく)という出来事から明るみに出る。そんなことに、ボクが気づいたとき、ぼくから涙が溢れると、プラプラが現れる。「泣いてるのか?」なぜ小林真が聞くべき言葉を(真実を)僕が聞いているんだろう。「ぼくじゃない。真の涙だ」そうして、ボクのなかにあった小林家のイメージの色合いが最初は黒一色だったのが、よく見るといろんな色が含まれていた。黒もあれば白もあり、赤も青も黄色もあって、角度を変えれば青と黄色から緑が生まれたり、明度も変わり、綺麗な色から醜い色まで、どんな色だって見えるようになる。
 感受性の鋭い少年少女を知る平凡さに悩む親世代(母親という存在)も、良心を抱くが故に察しが鈍く心情を捉えにくい陳腐な大人(父親)も、思索もせずにその機械的な学習能力で下方を見下す学生(兄)も、精神の脆さから心の移り変わりがめまぐるしい多彩な思春期の少女(ひろか)も、他人の持つ世界に憧れを持ち自分の世界を見出そうとする若人(唱子)も、非凡の孤独を身に憶えもどかしくも平凡を求める人(ぼく)も、誰もが人並みに変わっていて、傷もので、それが普通なのだ。私は普通でもいいんだと、誰もが自分の色を持っていて、誰もがその自分の彩りを表現している。だからこそ世界は限りなくカラフルで、人混みに惑わされて本当の色を自分の色が分からなくなることも時々ある。
 著者の森絵都さんや、監督の原恵一さんからのメッセージはここらへんにあったのだ。この多彩な世界。あまりにもカラフルすぎて、自分がわからなくなる世界。僕が僕であるために、私の色であるために、色に塗られて生きてゆこう。例えそれが何のためだか分からなくとも、カラフルが何より綺麗なのだ。

 小説の最終頁から先に文字がないのをみとめた時、映画館の退場ゲートを通った時、抱えているもどかしい様々な不安が和らいで解消に向かっていることを理解出来た。
 本作のイメージソングが、尾崎豊「僕が僕であるために」(カバーはmiwa)であることが、少しハマりすぎていると思うのは私だけだろうか。

映画に対する著者のコメントが好印象に載っていたので記載。
《 原監督は魔法のように〈ふとした瞬間〉を掬いとる。
友達同士のじゃれあい。他愛の無い冗談。
気になる誰かの笑顔。なにげない約束。
振り向くといつもそこにある眼差し。
この映画を観た人は、
私たちの日常がそんな〈ふとしたものたち〉に支えられ、
カラフルに彩られていることに気づくだろう。 》


以下、評価に対するメモ。
{netabare}
・BGMが盛り上げない場面で盛り上げる。
・佐野唱子役の声優・宮崎蒼さんが上手。
・キャラが背景にとけこめないシーンあり。
・声優のブレは後々良くなるところあり。{/netabare}


あらすじ、原作小説の紹介文、参考、加筆。
2013.8.4「「世界は君が思っているよりもずっとcolorfulだよ」という「意見」であると感じる」投稿。
2014.3.28「世界があまりにもカラフルだからこそ、僕が僕であるために。」更新。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 26

72.9 3 中学生アニメランキング3位
アリスとテレスのまぼろし工場(アニメ映画)

2023年9月15日
★★★★☆ 3.9 (64)
178人が棚に入れました
変化を禁じられた町で暮らす少年少女の恋する衝動が世界を壊す様を描いた長編アニメーション。原作となる同名小説を、監督を務める『さよならの朝に約束の花をかざろう』の岡田麿里が書き下ろし、「進撃の巨人」のMAPPAとタッグを組んだ。主人公の正宗を「呪術廻戦」の榎木淳弥、謎めく同級生の睦実を「鬼滅の刃」の上田麗奈、謎の少女、五実を「サマータイムレンダ」の久野美咲が担当する。
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

停滞のむきだし

1991年冬。製鉄所の爆発以来、外界から隔絶され、時の流れが止まった見伏(みふせ)市。
何年も中学3年生を繰り返している少年少女らの間で巻き起こる思春期の恋の衝動が、
停止した街の秩序を揺るがしていく劇場アニメ作品。

【物語 3.5点】
監督・脚本・岡田 麿里氏。
同氏の未完の小説『狼少女のアリスとテレス』を本作向けに再編し映像化。

見伏市は時間が停滞していることで安定しているが、最近は空にヒビ割れが多発。
製鉄所の煙から生成される“神機狼”で修復する頻度も高くなって来ている。
ヒビ割れを作り閉鎖世界の崩壊を招くのは人々の心の変化。
町は“自分確認票”などの掟により人々の異変を厳重に監視規制している。


本作もまた斜陽に向かう日本社会の停滞感を描き、次代に未来を託す、
近年トレンドの作品群の中では後発のタイミングでの公開。
が、既視感を上書きする勢いで、岡田麿里氏ならではのオブラートに包まない描写が鮮烈な印象を残す野心作。

大人たちの停滞を押し付ける同調圧力が、子供たちの心を蝕む。
(※核心的ネタバレ){netabare} 見伏の住民はまぼろし故に、{/netabare} 痛みを感じなくなった少年たちは生の実感を得るために危険な遊びに興じる。
時間の止まった町で成長し続ける異端の“狼少女”五実から香る生の匂い。
主人公・菊入 正宗と佐上 睦実、五実との間に吹き荒れる痛切な恋の衝動こそが生の実感を与え、世界を壊す暴力となる。

展開も概ね予想の範ちゅうで、シナリオ自体の衝撃で驚かせると言うより、
エッジの効いた表現で、鑑賞者の心にも傷痕を刻む感じ。

ただその傷痕はトラウマにはならず、むしろ停滞した社会の中でも価値を見出す希望や、
痛みを伴ってでも未来へ進む勇気といった、ポジティブな痛みとなって残る。
事前PVが醸す危険な印象や、作中私が喰らったダメージを思えば、やはりガード必須な岡田麿里作品ですが、
鑑賞後の後遺症は意外と残らない前向きな作品となっています。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・MAPPA

背景美術にも積極的に作画を入れて登場人物の心情を反映する世界の潮流。
この最先端を走る海外アニメ映画などを観ていると、日本アニメはちょっと敵わないのではないか?と悲観してしまいますが、
本作の少年少女の恋心の痛みなどに呼応して裂ける空などを眺めていると、
MAPPAや『さよ朝』チームならばJAPANもまだまだ食らいついていけるのでは?と希望がわいて来ます。

“狼少女”五実の{netabare} おまる洗浄シーン{/netabare} など匂いを意識させる作画もまたオブラートに包まず、
痛覚と並ぶ生の実感を体現。

その他、冬と夏を活用した心情表現。
(※核心的ネタバレ){netabare} ずっと冬が続く見伏市のまぼろしは、裂け目から覗く現実世界の夏の盆祭りに魂を呼ばれるように霧散して行く。{/netabare}
(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と睦実のキスシーンの熱を表すように、裂け目から降り注ぐ夕立が雪を溶かす天候描写がエモ過ぎます。{/netabare}

正宗が描き続けている作中イラストの上達ぶりは、
停滞した町でも、人間は成長できる好例としてテーマ深化のスパイスとなる。


90年代で止まった街ということで、小物デザインも花柄ティノポットなどが当時を再現。
もっとも私は萌えアニメキャラの装備品たるブルマとは異なる、
リアルに存在した女子中学生の生々しいブルマの揺れ動きの再現カットに、
作中の中学生男子共と一緒に鼻の下を伸ばしていたわけですがw


【キャラ 4.0点】
主人公少年・菊入正宗と同級生・佐上睦実。身体は思春期、心を凍りつかせたままで大人になっていく同級生。
二人の間に心は幼気で無邪気なまま身体が成長していく奔放な五実が入っていくことで、
震源のトライアングルが活発化していくメインキャラ相関。
(※核心的ネタバレ){netabare} 外の現実世界では夫婦になる正宗と陸実の娘が五実。{/netabare}
五実は正宗と陸実にとって諦めていた未来を垣間見せる存在でもある。

停滞を強いる大人の同調圧力に対し、イラストを書き、自分確認票提出をサボって抵抗する正宗。
それでも停滞は少年の心を確実に蝕んで行く。
その苛立ちを自分確認票をペンで書き破ってぶつける描写が痛切でした。


心の変化を禁じている見伏市ですが、街を回すためのスキル習得には意外と寛容。
正宗たち中学生も運転免許を取得して老祖父の送迎などに車を活用。
終盤“合法的”な中学生によるカーアクションも実現し盛り上げに一役買う。
(これなら二次元世界でも学生の違法行為の取り締まりを叫ぶ真面目なネット警察諸君も、ぐぅの音も出まいw)
運転スキル習得のキャラ設定もまた停滞していても人間は成長できる一例を示す。


【声優 4.5点】
主人公・正宗役の榎木 淳弥さん。
陽気なボイスが特徴的な声優さんですが、本作では少年の葛藤をぶつける鬱モード。

ヒロイン・陸実役の上田 麗奈さん。
妖艶なボイスで、えのじゅんを挑発し、“謎の同級生”を構築。

そして“狼少女”五実役には、痛みにのたうつロリボイスに定評がある久野 美咲を指名。
“暴力的にピュアにして欲しい”との監督のディレクションに応える。

メインキャスト3人は実際にトライアングルを囲んで収録を行う異例の体制で、
コロナ禍で広がった分散収録の流れに一石を投じる。

この成果が一番出たのがやはり(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と陸実の濃厚キス現場を五実が目撃し心に激痛が走るシーン。{/netabare}
分散収録か否かなど聞いても分からない私ですが、
あのシーンからは同時収録ならではの生々しい三角関係が確かに伝わって来ました。
何より上田 麗奈さんの妙演がたまらなくエロティックでした。


正宗の失踪中の父・昭宗役に瀬戸 康史さん。
残された母・美里を見守ると称して恋心を打ち明けられない叔父・時宗役に林 遣都さん。
中堅俳優に年輪を刻んだ煮え切らない大人のトライアングルを託す。
俳優タレントの劇場アニメ起用への文句も多い私ですが、
このポジションへの俳優キャスティングには納得感がありました。

見伏市の体制側にカルト要素を注入した神官・佐上 衛役の佐藤 せつじさんも、
映画吹替経験も生かした明快な狂人ヒールぶりで機能していました。


【音楽 4.5点】
劇伴担当は横山 克氏。
音響彫刻シデロイホスの神秘的な金属音によるヒビ割れる空の演出強化。
退廃のバックグラウンドに響く高校生コーラスによる思春期の絶望表現。
未来の希望を象徴する海羽さんの歌声。
私は本作を横山氏が新機軸で、さらにもう一つ殻を突き破った作品としても記憶に留めたいです。

ED主題歌は中島 みゆきさんの「心音」
起用の一報を耳にした時は、歌手の世界観が強烈過ぎるのでは?との懸念もありましたが杞憂でした。
歌詞世界と作品のシンクロ率では本年のアニソンの中でも屈指だと思います。



【余談】長いひとり語りになるので読まなくても結構ですw

見伏市が停止した1991年は奇しくもバブル崩壊による不景気が始まった時期。
私にとって本作は“失われた30年”の日本社会の停滞から若者が受けた影響を否応なしに想起させられる。
作品そのものから感じる痛みより、私の内面に封印していた古傷が疼いてのたうち回った劇場鑑賞でもありました。

この30年変革も多々ありましたが、基本的にバブル後に日本が取った施策は変わらないことによる安定確保。
こうして停滞した社会というのは、極度に変化や異物を恐れる。
過剰なまでの無菌無臭の追求。公園の砂場にまで除菌した砂を敷き詰める狂気。
地毛の茶髪まで黒に染めさせる校則というのは今にして思えば事なかれ主義をこじらせた、とんでもない差別行為でした。

ゼロ年代。ロスジェネの若者たちの間で、布団を日向で干した匂いがするアロマがちょっとしたブームになった事も。
同時期に社会問題になったリストカット。理由は個々人により様々でしょうが、
本作みたいに停滞の中で、生の実感を渇望し痛みを求める少年たちを抽象化された物を直に喰らうと、
停滞は人の心を確実に殺すことを痛感します。


私の中学時代はブルマがハーフパンツに切り替わった時期。
同時に体育での水泳復活も協議されましたが、ここも事なかれの校長の強硬な反対により廃案に。
私にとって中学生のスクール水着女子というのは完全に二次元世界の幻想に過ぎません。

高校時代には修学旅行にて女子生徒たちが共同浴場を使用せず客室シャワーで入浴を済ませるという事案が問題視。
教師が裸の付き合いをする意義を説教したわけですが、
私は、中学時代に水泳など同性同士の着替えやボディーラインを見る機会すら徹底排除しておいて、
何を今更と呆れて聞いていました。

かと思えば恋愛禁止論をぶち上げて受験戦争に立ち向かうよう発破をかける先生方もおられて。


そんなこんなで大人になった我々の世代は、今の若者は草食系などと揶揄されたわけですが、
殺菌消毒された草ばかり食わせておいてそりゃないよ~と恨めしく思ったわけです。


本作は岡田麿里作品の中ではマイルドな部類かもしれませんが、
私の抱えた諸々のイタい思い出がむき出しにされてしまう辺り、やはり劇物に指定される作品なのだと思いますw

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

追記 なぜ岡田麿里監督の話は面白さに欠けるのか?

変化を望め、人を愛せ、1991年を引きずるな、でしょうか。

 何日かかけて考察しましたが、話の構造としての仕掛けを全部読み解くのは無理だったのでわかったことをメモしておきます。テーマは「すずめの戸締り」と同様に、過ぎ去った時代を早く葬ってあげて変化して行こうよ、という話だったと思います。ただ、個人的な内面から湧き上がる変化したいという衝動を殺さないで、というメッセージは明確にあったと思います。

 そこが「アリストテレス」の意味で、哲学的な話というより「変化」を象徴しているのが「エネルゲイア」ということでしょう。

考察メモですが、ほどほどです。

{netabare} 現実世界では工場は爆発したが、幻の世界だと健在だった(祖父の見解。ボケた老人は真実を語るの法則)。つまり、最後の工場が普通に閉鎖された世界線と五美が帰った世界は違う世界である。

 睦実が最後に痛みを感じたことと、工場にあった絵は正宗が閉じ込められた結果上手くなった絵なので、最後の場面は幻の世界が現実になることが読み取れる。
 ただ、五美が帰った世界と幻の世界が連続つながって、幻の世界の未来が現実の世界になった…という読み取り方はできるが、それは多分設定上無理がある気がする。

 アリストテレスの哲学の内「エネルゲイア」がマンガの必殺ワザとして語られる。資料の形相を実現していないのがディミナスで実現したのがエネルゲイア(作中にでていました)である。形相が「変化を望むことで」資料=モノが本質へと生まれ変わる。
 また、イデア界=理想の世界というのはない、というのがアリストテレスなので、その点も暗示されている。

 ただ、変化を望みいなくなった人間はどうなったのかは不明だが、ひょっとしたら五美が帰ったあとの幻の世界にいるのかもしれないがそこは全くわからない。
 五美のインナースペースだったとするには、2005年から1991年に戻ったことに無理があるかも。神の存在を肯定するのはアリストテレス的ではないがそれを前提としないと、幻世界の存在そのものがよくわからない。

 睦実がなぜ五美を好きになりたくないと思ったかは読み取りずらい。いろいろ解釈できるが確定は出来ない。ただ、睦実の生い立ちが親で苦労したこと、ヤキモチ焼きであることが描かれるので愛情に関しての障害がありそう。わざわざ睦実をそう描いたのは元の世界の睦実が同じ性格だからだとは思います。

 罪が1つ減って五美のところは、考えれば何かあるかもしれませんが今のところ保留します。7つの大罪からの引用だとは思う。

 痛み、匂い、味などの五感はつまり生きている実感であり、現代のアナロジーでもある気がします。

 正宗の親たちの昔話が正宗のアナロジーだとすると、現実世界で何もせずに見伏に残った正宗は睦実と結婚して五美を生む。が、父親同様に心が死んでいる状態になっていたのかもしれない。
 つまり現実の世界では工場が爆発することで工場勤務の人は本来的な意味で死に、街の人の心は死んでいる状態だったという事かもしれません。
{/netabare}

 というような感じでした。

 で、テーマとしては変化しようとするのが人間である。1991年のバブル崩壊で止まってしまった時間を日本人は動かさないといけない、でしょう。消えた人たちがどうなったのかと、神の描かれ方がアリストテレスと矛盾するので、ちょっと読み取れませんでした。
 そして、陰のテーマとして母と子の愛着障害的なものが描かれていると思います。


 映画としての評価は、エンタメ性とテーマの深さがちょっと物足りないかも。ただ、考察は楽しませてもらったのでストーリーは当初2と思いましたが、3.5にします。SFというよりファンタジー的なスタイルなので理論展開云々はいいんですけど、物語としての組み立てが分かりずらい気がします。そのおかげで1回目の視聴では、最後の30分くらいがかなり退屈でした。

 作画は奇麗でしたが、もう見飽きた作画のスタイルなので3.5とします。




追記 なぜ岡田麿里監督の話は面白さに欠けるのか?

「さよならの朝…」「空の青さ…」と本作に共通するのは壮大さが無い事、キャラのバックグラウンドの説明不足な気がします。

 本作に関して壮大さを感じない理由は「工場」が理解できるとっかかりがないことです。一応神が云々などの説明はありますがよくわかりません。別に設定としてどういう理由で発生したとかそういうのが分からなくてもいいんです。何を意図しているのかがまるで分かりません。
 なので畏怖も理解も無くただそこにあるだけです。そういう存在として置いたのかもしれませんが、作品理解、テーマ性において効果を発揮できていない気がします。

 例えば新海誠氏であればの3部作を初め、巨大な塔、宇宙人のようなものは正体はわからなくても意図は分かります。だから、メッセージ性が浮き立ってきます。
「フリクリ」の工場の様な象徴としての工場はありますけど、その割には本作の工場には機能があります。

 一方で、バブル期の少年少女としては随分地味な感じでした。もちろんその後閉じ込められた結果気力を失くしたのだとは思います。計算上は20年近くになるのでしょうか?2005年に五美が来たみたいで、5歳として14歳までそだてば2013年。1991年から2013年で22年間でしょうか。

 で、彼らのバブル期の思惑が語られない、どんなマインドでいたのが閉じ込められてどう変わったかという描写がないので、彼らがまるで現代人の少年少女に見えてしまいます。それを狙ったのかもしれませんが、変化が出来ないのは彼らの責任ではないと思われます。もちろん少年少女が変化を望まなくなったのは、社会の責任だという意味だとは思います。その彼らが20年以上たって、なぜ急に恋愛を始めたのか。そこが五美と正宗の出会いということ?

 そう…キャラのバックボーンや性格が理解できるヒントが少ないので言動に心が動かされないというのもあるかもしれません。特に睦実は最後語ってましたが彼女の何に乗っかればいいのか。
 そもそも正宗が主役だったのに結末の主役がねじれてしまっていました。

 こうやって分解して行くと自分の「勝手な解釈」はできるのですが、これが行間なのか妄想なのかが全く理解できません。つまり映画から伝わってこないので、見ているときにポカーンとなってしまいます。

 なんでしょう。大きなことを描いているようで「パーソナル」な「現在」の問題にしか焦点が当たらないので、仕掛けとストーリーが遊離してしまっている感じです。メッセージを語るための必然性を世界観から感じないと言えばいいでしょうか。そのせいで「裏」「過去」を世界観やキャラから感じないから広がりも深みもないということでしょうか。

「さよならの…」「空の青さ…」本作の共通する不満点がこれですね。例えば「さよならの…」でイオルフの過去や未来に想いを馳せられたでしょうか?あの舞台になった国の歴史が妄想できたでしょうか?本作はそれと同じですね。
 文学というには意味がありすぎますし、その割に語り切れていないのか受け取り切れていないもどかしさを感じます。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13

みのるし さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

実際にそおゆうことありますからですね、まあそおゆうこともあるかなと。

10月の連休に見に行ってきたっすよ。娘と2人で。
いやこれはもうめちゃくちゃ面白かったですよ。
娘(30歳)もいやおもしろかったぜ~とゆうとりました。

前評判では賛否・評価が分かれるとか聞いてましたけど、ボクの印象ではそうかぁ~??です。誰が見てもおもしろいのでは??と思いましたですわ。

ハナシの感想を述べるといきなりネタバレになってしまうのでそもそもレビューを書くことはばかられるわけですが、とにかく映像表現が素晴らしかったですわ。

なるほどこうなるとぐずぐずとした説明みたいなんはない方がええなと思いますな。

なんかそおゆう見た人それぞれが感じ取ったアレでああこれはこおゆう話なんだなと思えばええのではないでしょうかね。

まあ読み解けばアリストテレスやユングやフロイトの言説に触れてああでもないこうでもないと考えを巡らせるのももちろん楽しいでしょうし。


そーはゆうてもそもそもアリスもテレスも出てこんし。
男の子は菊入政宗とかゆう名前だしなるほど菊正宗が好きなのか。そしたら友達に黄桜河童とか出てくるのかと思ったら出てこんし。

設定とかがなんつーかこう作者の心に刺さった棘みたいな断片的なかけらで構成されてる感じがあって、どことなし取り止めがない感じしましたけど、それはそおゆうハナシなのでその取り止めの無い不安定な感じがこのハナシ全体的に靄のようにかかっており、おそらくはそれがまたこの作品の魅力となっておるような気もするわけですよ。


とにかく工場が爆発してその町の人どうにかなっちゃうわけなんですが、その年が1991年(平成3年)なんですと。

これがまた1991年て実際にいろいろあった年であそうか岡田マリ的にもその年は刺さってるんだなと。

ロシアの崩壊とか湾岸戦争。ピナツボ火山の噴火もこの年ですわ。


さて主役の男の子女の子はその1991年では14歳ってことになってますが体はそのまんまで10年ぐらい経っちゃってるとゆうですね。なので中身はいい大人なわけですよ。それがブルマはいて体育やったりパンツ見せたりしたらそらもうおかしくなるってば(笑)。

そのほかぺろぺろもぶちゅーもありますんでそおゆうところはエロいちゃあエロかったかもですね。ま、たいしたことないですけど。

まあとにかくそおゆう設定なんで工場が爆発して町の人らがどうなったのかってことはなんとなーし気がついちゃうわけですけども、こっち側の世界とあっち側の世界の見せ方とゆうか表現の仕方が素晴らしく激しく唸りました。


こっち側とあっち側の境目の話って実際大事故があったりしたら耳にするやないすか。どう考えてもこの世のものではない力が働いたのではないかと思うような出来事をですね。

例えば1985年の日航機墜落事故。500人以上が犠牲になりましたが4人だけ生きてはりましたよね。

あと2012年の中央道笹子トンネル天井版落下事故。友人5人で乗っていたワゴン車で車はぺしゃんこになったけど女の人一人だけどおゆうわけか助かったとか。

実際にそおゆうことありますからですね、まあそおゆうこともあるかなと。


まあその辺は実はこのハナシの本筋からはズレるような感じもありますが、なんかまあラストシーン見てそんな風に思いました。


とりあえずネタバレなしでのレビューを心がけましたので実に取り留めのないレビューになりましたが、取り留めのないレビューを書くのはいつものこととゆうことでございます。


いやホントにおもしろかったんでみなさん是非見に行ってください。
ちなみにボクのレビューはあまり参考にはなりませんのよ。おほほほほ。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

81.4 4 中学生アニメランキング4位
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(アニメ映画)

2007年9月1日
★★★★★ 4.1 (1757)
10497人が棚に入れました
かつて地球を襲った大災害・セカンドインパクトにより、人類はその半分が死に至った。幾ばくかの年月が流れ、その大惨事より復興しつつあった人類に、突如として使徒と呼称される謎の生命体が攻撃を仕掛けてきた。
国連の下部組織である特務機関NERV(ネルフ)は、極秘に開発されていた汎用ヒト型兵器人造人間エヴァンゲリオンによって襲来する使徒を迎え撃つ作戦を開始する。NERVの司令官である碇ゲンドウは、14歳の息子「碇シンジ」にエヴァンゲリオン初号機のパイロットになることを強いる。

声優・キャラクター
緒方恵美、林原めぐみ、三石琴乃、山口由里子、立木文彦、清川元夢

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

自分は誰?どこにいる?何すればいいの?時代の気分を見事に描きました。

 TVシリーズ視聴が前提でしょう。一応筋は通りますが言葉足らずです。ただ、本シリーズほどのメジャー作ですから別に気になりません。

 時間が短い分、なぜエヴァがこれほど人の心をつかんだのか、が良く分かる作品だと改めて思いました。

 シンジは14歳という親離れが始まる年齢です。でも、母はおらず父から離れて暮らしているのでその前提条件が整っていません。
 これは、親が不在になった、つまり家族の分断の気分に非常にマッチしています。ウォークマン(携帯用のカセットテープの音楽再生用機器)が何か象徴していた気がします。そして、留守番電話です。家庭に留守番がいない。帰っても人がいない家。
「知らない天井」は、自分がどこにいるかわからない。あるいはどこにいても一緒だということ。

 これが、エヴァのTVシリーズが経済的な豊かさによって、家族の消失が始まった1995年の気分にものすごくマッチしていたのではないでしょうか。

 そして、エヴァに乗れ=進学校に入れ…普段はコミュニケーションとらないくせに、いきなりそう言われた、みたいな無茶ぶりにも見えます。家出したい気分。でも行動範囲は限れれていて、大人の手の平の上。

 テストの点を取る=使途に勝利しても文句を言われる。もちろん、ミサト側にも言いたい事はあるのはわかりますが、理屈のすれ違いが感じられます。大人と言葉が通じない。じゃあ、一体何をすればいいの、と叫びたい気分です。

 思春期の性的な興味の部分はまだ序のパートではあまりクローズアップされていません。

 本作の締めくくりのレイへの言葉。「ほかになにも無いって言うなよ、さよならなんていうなよ」は、自分と同じものを見出したのではないかなあと思います。だからレイに惹かれるのでしょう。

 このシンジの描かれ方が、とにかく当時の自分の空虚さ、身の置き所のなさをモロに表現していました。ロボットに乗るのは、アニメの主人公はヒーローじゃなきゃいけない、ではなくて、ヒーローも等身大の人間だ、逃げ出すし、泣くし、どうでも良くなるというのを描けていたからだと思います。
 ただ、恐ろしいことにエヴァ人気が続いています。この気分に私たちは結末がついていないのかもしれません。


 序におけるもう1人のメインキャラはミサトだと思いますが、彼女のシンジに対する接し方は、大人としてシンジを導く、育てる、包容力で包み込む、明るい家にしなくちゃ、という役割に押しつぶされそうな「無理」を感じます。

 母として、教師としての役割。大人を代表しなければともがくミサト。核家族化から更に進んだ家族の分断で、どうやって子供と接したらいいかわからない大人でもありました。

 この論点はあまり見ない気がしますが、本作ではそこをクローズアップしようという意図が見られます。


 エヴァのアニメとしてのガワの部分は、オタクの夢でしょう。SF的な表現の究極のモノを作りたい、究極美少女を描きたい、カッコイイセリフを言わせたい、カット割りや演出の外連味を凝りたい。過去作をオマージュしたい、などなど。
 その点では95年作品でかなりの水準でしたが、序はその更に上を行きます。


 そして、シンエヴァによって、エヴァのメッセージは、オタクよ2Dから3Dに帰れ、的な結末だと言われています。メッセージとしてはそれは正しいと思います。

 思いますが、何かエヴァの評価として中途半端というか偏った見方な気がします。
 エヴァがなぜ社会現象になったかは、バブルが崩壊して、家族も分断しした、優しさとか思いやりとかそういうのがどうでも良くて、金だけと言われてたのに…という時代。その時一人で放り出された感じが、思春期の少年少女どころかもっと広い範囲の人間の共感を呼んだのではないでしょうか。

 新劇場版の序。「自分が誰なのか、どこにいるのか、何をすればいいのか」そして「子供に向かい合う大人の辛さ」が非常に良く読み取れました。
 新劇場版シリーズになって、メッセージ性がもっと伝わるように庵野監督は作り替えたのか。あるいは、TVより時間が短い分密度が濃くなって表に出てきたのかわかりません。

 この序は「なぜエヴァだったのか?」が良く分かる作品だと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

「帰ってきたウルトラマンって知っていますか?コレは帰ってきたウルトラマンの6話までなんですよ」

当時、公開直前のインタビューでそう発言したのはあの大月Pでした
まず庵野監督が熱烈な『帰ってきたウルトラマン』ファンであることとは別にし、『帰ってきたウルトラマン』という作品に対して少し・・・


『帰ってきた~』という作品の前章となった『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』といったシリーズは子供向け番組とは思えないほど本格的なSFドラマだったんですね
『社会風刺や想定科学などテーマ性をハッキリさせたお話』と『冒険心をくすぐるミステリアスな雰囲気の演出』でどちらかと言えば『大人のおとぎ話』的なイメージが強かったんです
ところが『帰ってきた~』では主人公の心理描写や周辺人物を絡めたドラマ性にスポットを当てた作品に路線変更したんです
主人公の挫折や苦悩を乗り越える様、力を持つことへの慢心や仲間との軋轢、ヒーローとしての隙の無い人物像よりもプライベートでの素顔などが中心に描かれたのです


その面たる様子が顕著なのが第6話までなのです
「初代ウルトラマンで培われた『ヒーローは無敵』というイメージをあっさり破り、いきなりウルトラマンが怪獣に敗北↓
そこからスポ根モノばりに主人公の努力と葛藤の日々、そして仲間との友情によってウルトラマンが復活↓
見事怪獣を撃破する」
ここまでで『帰ってきた~』全体のパターンが、ある程度確立されるんです
ソレ以降はほとんど予定調和の繰り返しで、大袈裟に言うと第6話までで『帰ってきた~』の半分以上は完結した。と言っても良いです


さて、もし『エヴァ序』をご視聴済みの方でこのレビューを読んで頂いてる方がいらっしゃったらもうお解りいただけたかと思います
『帰ってきた~』の第6話まで、とはまんま『エヴァ序』の内容なんですよね


主人公、碇シンジの苦悩と挫折からの葛藤、そして復活、勝利
それこそ、旧シリーズ序盤のエンターティメント性を最大限に盛り上げて解き放った「娯楽作品」としてのリビルドでした


そうそう、新劇場版制作に当たってのキャッチコピーであるこの「リビルド」と言う言葉
リメイクでもリバイバルでもないこの「リビルド」とはすなわち「再構築」の意
古くなった物を直して新品同様にするという意味合いで用いられるのですが、これを新劇場版の代名詞とする理由には
【古くなってしまった作品を現代の技術と価値観で蘇らせる】
という意味を込めたのだとオイラは思っています


あにこれのレビューなんかでもチラホラと年齢層の低めな方からの投稿で「旧シリーズは難解で何処が面白かったのかよくわからない」というものを目にします
いや、もちろん旧シリーズ当時からそういう話題は絶えなかったんですね
オイラも放映当時は小学校低学年で意味サッパリでしたしw


エヴァブームも全盛期からすればだいぶ沈静化してきていて、特にあにこれユーザーのような第1線で戦う優秀なアニヲタの皆様には『過去の偉大な名作だけど正直そんなの聞き飽きた』って方も多々いらっしゃることでしょう
そういったマーケットニーズの変化に対応すべく、『エヴァ序』は【現代の大衆娯楽へリビルドされた】のだとオイラは思いました


そしてこれはオイラが旧シリーズ時代のファンであることを踏まえた上での結論ですが・・・
「『エヴァ序』を旧エヴァと比較することは出来ないです」


一本の娯楽映画として大変優れた作品であると同時に、旧テレビシリーズの持っていたキャラクター一人ひとりのセンシティブな心情の描写が薄っぺらくなり、セリフの一つひとつもオイラには軽々しく聞こえてしまいました
旧シリーズ当時のエヴァという作品が醸し出していたあの心のダークサイドを描かんとする姿勢、それまでのメインストリームを外しながらも人々の心を掴むという他に類を見ない様な特別性
これらが格段に弱くなっていて『素晴らしい出来栄えだがありがちな感じのする一本』という印象です


だから旧エヴァと新劇場版を同じ作品、同じエヴァとして見ることはとてもじゃないですがオイラには【不可能】だと感じました
だから「エヴァとは違う、なんか別のアニメだよ」と自分に言い聞かせながらも今後Q以降の展開に期待をしたい、と今は思っています

投稿 : 2024/05/04
♥ : 22

せもぽぬめ(^^* さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

σ(・・*)アタシ的エヴァ補完計画発令!!

■(≧∇≦)ъ ナイスリメイクです!!
かなり作画が綺麗になって細かいところまで描かれている印象ですね♪
出来ることならば、TVアニメ版を未視聴な場合はTVアニメ版を視聴した上でご覧になられることをお薦めしたいですね!!
もちろん、「序」だけでも十分エヴァの魅力は感じられますよ♪
ただ、ストーリー的にはTV版を凝縮して微調整してこの「序」が制作されているのです。
その「微調整」こそが新劇場版の魅力の部分だと思っていますので、新劇場版とTV版の両方を視聴するとより一層エヴァの世界観を満喫できるはずですよ♪
 
 
■「微調整」の魅力って(*゚・゚)ンッ?
まずは、CGを使った細部までこだわって描かれている第3新東京市のギミックの描写なと必見です!
もちろん戦闘シーンの描写にも反映されていますね。
もともと他のロボットアニメとは違ってスピード感あふれる戦闘シーンは無く、戦闘時の緊迫感、恐怖感、息使い、表情など、搭乗者の心理状況をうまく描いている息を飲むような戦闘シーンがエヴァの良さなのですけど、エヴァや使徒の動きがスムーズになった事で、特に第5使徒ラミエルとの戦闘はシーン圧巻でした♪
ラミエルの生体意識がかなりレベルアップされていて、攻守において最適な形に変形するさまは観ている人に恐怖感と絶望感を与えてくれました!
 
それと、もう一つ注目は登場人物の性格や状況が微妙に違ってきています。
シンジもちょっとだけ積極的になっているように感じます。
父ゲンドウに対する気持ちをクローズアップしている発言もありまたね!
ミサトさんの立ち位置もちょこっと変化があるので、そんなところに注目してみてもらっても面白いと思いますよ♪
 
 
■総評
ストーリーに新しい展開が見え隠れするのが「序」の魅力ではないでしょうか?
ただのTV版のダイジェスト版ではなく、まったく新しいエヴァの始まりこそが「序」だと私は思っているのです♪
リリスやカヲルの描写からもそれは感じられますね!
それと、コミカルな部分が大幅カットされていますけど、ミサトさんの( ̄▽ ̄)=3 プハァー がまた見れたのは個人的に嬉しかったです♪
 
新劇場版は「破」までしか公開されていませんけど、「Q」⇒「FINAL?」とどんな結末になるのかとっても気になりますし楽しみでしょうがないです((o(^-^)o))ワクワク♪
σ(・・*)アタシのエヴァ補完計画はここから始まりました♪
 
 
2011.08.21・第一の手記

投稿 : 2024/05/04
♥ : 32

80.0 5 中学生アニメランキング5位
火垂るの墓(アニメ映画)

1988年4月16日
★★★★☆ 3.8 (840)
5518人が棚に入れました
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。当初は共同生活はうまくいっていたが、戦争が進むにつれて諍いが絶えなくなる。そのため2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。

声優・キャラクター
辰巳努、白石綾乃、志乃原良子、山口朱美
ネタバレ

◎TARGET さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

戦争の悲しみを疑似体験できる映画

❏高畑勲と宮崎駿

高畑勲監督は宮崎駿監督と違って説教臭くて理屈っぽい
映画が多く、他の作品はそれほど好きじゃないのだが、
この作品は説教や理屈という感じは全くない。

宮崎氏はアニメ監督だけあって、脚本やセリフだけに頼らず
絵(映像)で伝えようという意気込みと熱意がどの作品も
ひしひしと伝わってくるのだが、高畑氏の作品はどうしても
絵よりもセリフや言葉で伝えようとする感じを受けてしまう。
しかし、この「火垂るの墓」は絵でも伝わってくるものがあった。


❏総評

戦時下の理不尽な運命に翻弄された2人の不幸な兄弟の
生き様が、切々と描かれており、視聴者はそれをただただ
受け入れるしかない映画。それはまるで戦時下の不幸な
感情を疑似体験してるかのような非常につらいものである。
(人生経験、年齢、世代によって人それぞれだと思うが…)

昔見たときはあまり感情移入できずに、
「辛気臭くて悲しい映画だなぁ」でオシマイだったが、
今見たら色々想うところがあり涙が止まらなかった。


❏ネタバレレビュー

以下、ネタバレレビュー
{netabare}
清太と親戚の叔母さんの関係がギクシャクしだしたのが
不幸の始まりだが、私的にはどちらも責められない。

清太はお兄さんに見えてまだ14歳だし、親しくない叔母さんに
あれだけ嫌味を言われたら、出てくしかなかったんだと思う。
妹と自分の命を最優先に考え、プライドを捨てて叔母さんに
ゴマを擦りながら、うまくやってくような処世術は14歳の子には
まだまだ難しいのではないだろうか。むしろ思春期で自我が出始める
時期なので自分一人で全部しょいこんでしまって
裏目に出ちゃったのでしょう。

親戚の叔母さんに関しては言い方が少々キツメだったが、
言ってることは全て正論だ。運良く、叔母さんの性格が
穏やかで懐が深い人間性だったら清太をやさしく導いていく
ことも可能だったのかもしれないが、戦時中の余裕が無い中で
そこまで悠長な事ができるような人は、そう居ないのではないだろうか。

だからこれは誰が悪いとかっていうよりも
戦争は人間をこのように不幸にする理不尽なものなのだ
というのが私の感想。

節子はまだ4歳で、色々とわがままを言いたい盛りだろうし、
お母さんにもまだまだ甘えたかったはずなのに、作中では
わがままも言わずに、健気にお兄ちゃんと2人で生きてる様が
描かれていて泣かずにはいられなかった。

フィクションなのはわかっているが、
節子が死ぬのはどうにもやりきれない。

人生は時に理不尽なものだが、
幼い子がこのように死んでいくのは正直きつい。(泣)

(無理だけど)作品の世界に入っていってご飯を食べさせて
医者につれてってあげたい気持ちでいっぱいだった。
{/netabare}


❏戦争と飢餓

原作は事実を元に脚色したフィクションだが、
実際このような話や、もっと悲惨で壮絶な話は
当時いくらでもあったのではないかと思う。
だとすれば、なんか心が痛む。
(靖国神社にお参りに行こうかな。)

ちなみに我々日本人にとっては随分昔の話だが
世界中では現在進行形で同じような目に会ってる子が
たくさんいるんだよね。

イスラエル周辺、中東、ロシア国境沿い、アフリカ等
戦争や内戦で多くの子供達が死んでいってるし、
第三世界では戦争に関係なく飢餓で多くの子供が死んでいる。

でも今すぐ自分でどうにもならないし、どうにもできないけどね。
日本を含む先進国は幸せだね。ただ今の平和を満喫したい。とそう思う。

一個人で戦争は避けることはできないけど、
いざ戦争や災害になった時に、彼らのような子供達を
助ける事ができるような力を持った人間になりたい。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 3
ネタバレ

oneandonly さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

暗く救われない物語

世界観:5
ストーリー:5
リアリティ:9
キャラクター:4
情感:6
合計:29

終戦間近の神戸に突然B29の大編隊が襲いかかった。清太と節子の兄妹は空襲の混乱の中、母親を亡くし、家を焼け出される。路頭に迷った兄妹はやむなく小母の家へ身を寄せることにするが、そこでも生活が苦しくなるに従って小母とのいさかいが絶えなくなり、清太は家を出る決心をする。荷物をリヤカーに積み込み、横穴壕でままごとのような二人の新しい生活が始まるが、やがて食糧も尽き…。
(Amazonより)

先の戦争を市民の視点から描いたアニメ映画として「この世界の片隅で」と比較されていたり、外国人のLive Reactionでもいくつか見たことと、ちょうど8月ということもあり、この機会に視聴してみました。

冒頭から、{netabare}主人公兄妹(清太と節子)が死んでしまうことがわかり、開始早々、戦争末期の本土空襲を受けて母親が死亡。父親は出征中という状況でしたが、その後、艦隊とともに沈んでしまった模様。兄妹はおばの家に世話になりますが、生活が苦しくなるにつれ、ぞんざいな扱いを受けることとなり、兄弟は他にあてもなくその家を出て防空壕で自活を始め、栄養失調による病気で亡くなるという、何とも暗く救われない話です。{/netabare}

しかしながら、敵国に関するエピソードはほとんどなく、直接の反戦的表現はありません。淡々と、苦しい生活を営む人間を描いています(この点、リアリティが高く感じられます)。

外国人のLive Reactionで泣いたり絶賛している人を見て、感動する前提の心持ちで視聴したのがいけなかったのかもしれませんが、終わりまで大きな感動の波は訪れなかったです。

{netabare}冷たい視点かもしれませんが、私はこの兄妹の年で家を出て自然の中で生活することの難しさを痛感しました。おばの態度は確かに悪いものですが、おばの理性に基づく言動の範囲であり、清太は自分のプライドのために、節子(結局自分も)を犠牲にしてしまったのではないか、と。おばの家の仕事の手伝いをするとか、何か食べ物を探してくるとか、家計の足しになる努力はできなかったのでしょうか。住まわせてもらえることの感謝を、伝えなかったのでしょうか。清太も小さいので、そこまで考えが及ばないというのもリアルと受け取れますが、節子のために、おばとうまくやってほしかった(作品としては、そこまでやって駄目だったというシーンを入れてほしかった)と、思ってしまうのでした。

清太らは何も悪いこともしていないのに理不尽な環境に陥り、やるせない気持ちになったと思います。そういう状況で、腐らない気持ちを持つことができるか、自分に置き換えると自信はないのですが、自分のプライドを守ろうとした結果、他人の畑を荒らし、捕まれば妹の病気のせいにする、弱く醜い人間となってしまい、結末も完全なバッドエンドとなってしまったのは非常に重いですね。

他者への隣人愛は、衣食住の環境が整ってはじめて与えることができるものであり、自分が生きるのに精一杯という場合にはなかなか難しい、ゆえに、人々の基本的生活を窮地に陥れる戦争はいけないものだというメッセージでしょうか。言外に教訓が盛り込まれた作品だと思いました。{/netabare}

無論、希望があり、主人公らに親しみを持てる「この世界の片隅に」のほうが好きですね。

北朝鮮と米国の緊張関係が続いており、いつ、私たちもこのような事態に巻き込まれるかわかりませんが、どんな状況に追い込まれようとも、死ぬまで精神を腐らせずに生きたいと願うばかりです。

(参考評価:3.6)
(2017.8視聴)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

四文字屋 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

一度は見ておきたいと思わせる名作アニメだが、普通ならば二度目を見る必要はないし、見たいと思うことになる筈もないだろうと思われる作品で、

ひとことで言えば、高畑勲氏の、世間的に最も知られた、という意味での名作にして、最大の失敗作。

私自身が原作の野坂昭如氏の著作のファンであったこともあり、
こういう形で映像化されたことが悔しくてならない。
野坂氏は、はじめ映像化を拒んでいたが、
鈴木プロデューサーから、おそらくは近藤喜文氏の手になる、戦時中の野菜畑になる胡瓜の花のデッサンを見せられて、
そのあまりの見事さに涙が止まらなくなり、結局、映画化を了承したと、自身のエッセーでつづっていたが、
このような主観要素で充ちた作品になるとは思ってもいなかっただろうし、
自身の体験に基づいた小説の映像化作品であるならば、これを否定することは野坂氏本人には出来ないだろう。

が、一読者としては、
同じエピソードではあっても、
野坂氏独特の、饒舌で濃密にして洒脱な関西弁の文章があってこそ、
そして {netabare}兄妹二人それぞれの死という悲劇さえもさらりとした戯作に化けさせてしまう語り口の上手さがあってこそ、読んで面白い、成功した小説であったので、
野坂氏の弾むような文体を失ったうえに、亡霊と化した清太と節子を再三再四に亘って登場させては、まったく異質な作品になってしまったと、残念だがそう断じるほか、ない。{/netabare}

これは反戦思想のプロパガンダと被害者意識の押し付けであり、見ていて嫌悪感しか感じられない。
つまるところ高畑氏は、自らの思想を観客に押し付けることしかできていない。

最終盤のワンカット、 {netabare}繁栄する神戸の街並みが一瞬うつるが、勿論この映画のつくられたほんの7年後、神戸は大震災によって壊滅的な打撃を受けることになる。
結果論に過ぎないが、悲劇は人災だけではないという厳然たる事実を、無視したからこそ作れた、人の営みに対する攻撃精神に満ちた作品なのだ。{/netabare}


物語について言うと、
一般に、叔母の家を出奔する清太の選択肢を非難する意見が、映画公開当時から多かったが、
{netabare}私が、見ていていちばん嫌だったのが節子の、幼児特有の身勝手さ加減。

実は原作では、叔母の厭らしさを上手に笑い話めいて書いていて、
兄妹で出奔し、二人で横穴暮らしをすることを選ぶとき、
この兄妹の気持ちは、それまでの、叔母からの嫌味やしがらみから逃れることに成功した、解放感・至福感に満ちていた。
映画ではその部分も含めて、楽しい、とか、嬉しい、とかの描き方が弱いから、観客は、清太にも節子にも感情移入が出来ない。

辛い苦しい暑い痒い痛い腹が減った居心地が悪い、の連綿たる繰り返し。

おまけに節子を救われるすべなき、最大の被害者として描くから余計に気持ちが悪い。{/netabare}

これは脚本の非力以外の何物でもない。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 23

80.6 6 中学生アニメランキング6位
蛍火の杜へ(アニメ映画)

2011年9月17日
★★★★☆ 4.0 (1070)
5192人が棚に入れました
祖父の家へ遊びに来ていた6歳の少女・竹川蛍は、妖怪が住むという山神の森に迷い込み、人の姿をしたこの森に住む者・ギンと出会う。人に触れられると消えてしまうというギンに助けられ、森を出ることができた蛍は、それから毎年夏ごとにギンの元を訪れるようになる。

声優・キャラクター
内山昂輝、佐倉綾音
ネタバレ

★mana★ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

10年分の想いを、今ここに・・(ギン視点で観てみました)

ねえ、蛍。
俺はずっとここに居るよ?
何年、何十年たとうとも。
たとえ、君の瞳に写らない
そんな存在だとしても。

俺が過ごした、途方もない時間。
そんな中で、蛍と過ごした時間は ほんの一瞬だった。
でもね、俺にとってはその一瞬が大切で愛おしくて、仕方がなかった。

蛍は俺に、優しくて、温かい感情をたくさんくれたね。
でも、それは、切なくて、苦しくもあったんだよ?
蛍は気付いてないかもしれないけれど・・
まるで夏の夜に光る、ホタルのヒカリのような、
そんな儚くて脆い、だけど、強くて、美しい。
そんな日々だったね。

蛍は俺に「忘れないで」と言ったよね?
忘れる訳がない。忘れたくない。
でもね、蛍は忘れてしまってもいいんだよ?・・


蛍に出会ったのは、蛍がまだ小さい時だった。

{netabare}

~蝉の詩、笑い声・・~
鳥達の囀り、木々の揺れる音・・
そんな森達の雑談と共に聞こえた、泣き声。
それが蛍だった。
蛍は、俺を見ても少しもこわがらなかったよね。
むしろ、楽しそうに俺に触れようとして来た。
まだ小さい蛍には「消える」という意味さえ理解出来なかったんだろう。
でも、俺には それが素直に嬉しかったよ。
1人の存在として認められているようで。

~夕やけの茜色、帰り道、遠回り~
「何かデートみたいデスネー」「色気のないデートデスネー」
そんな他愛ない会話を繰り返したね。
手をひいてあげる事は出来なかったけれど、
その先から伝わるこの想いは、一体何なんだろう?
何だか、胸の奥が温かくなるような・・

別れる時、蛍は俺の名前を聞いた。
俺の名前は・・無言・・疑問と不安。
そんな時、風が俺の背中を押した気がした。

~約束は「また明日」~
明日も来ると走って行った、蛍。

「ギンだ」

翌日 本当に蛍はやって来た。
そして、約束の場所で、待っていた俺が居た。

~夏はただ、咲き誇り~
冷たい小川に、暑い夏の日差しが差し、キラキラしてる。
全てが美しく、夏が輝いていた。
それは、蛍が側に居るからなんだよ?
蛍と見る全てが、今までとはまるで、違って見えた。

~その命輝かせ~
俺はただ、生かされて、ただそこに存在しているだけだった。
何も意味をもたない、あやふやなモノ。
だけどね、今まで感じた事のない、自分の存在。
俺は自分というものをこんなにも感じる事が出来るんだ。
夏が待ち遠しい、蛍に会える事が、素直に嬉しい。
そう思えた。
そんな夏が何度も何度も訪れた。

ある夏の事だった。
蛍は俺を驚かせようとして、見事に木から落ちて来た。
俺は、そんな蛍を受け止める事が出来なかった。
自分の存在が無くなってしまう事を恐れたのか・・?
そんな気持ちとは裏腹に、蛍は安堵の顔を見せた・・
そして、大粒の涙を流した。
何故泣いてるのかは、分かってた。
涙は止め処なく流れ続ける。
でも、俺は その涙を拭ってあげる事も出来ず、ただ、その泣き顔を見続けた。

出会わなければ、こんな想いをさせなかった?・・
出会わなければ、こんな想いはしなかった?・・

~終わらない、お話のその先に気付いて~
蛍は毎年、会う度に、成長していく。
それは、普通の人間の子なら当たり前の事なのは分かっていた、、つもりだった。
少しづつ、目線が近くなって来る。
それを複雑に感じつつ、俺の感情に違う何かが芽生えはじめた。
いつか感じた想いとは、全く別物。

蛍に・・会いたい。
蛍に・・触れたい。

この胸を締め付ける感覚は・・

~カラス達遠ざかり、どこかへと飛んでゆく~
離れてる時間がこんなにも長く、辛く感じるなんて・・
今まで考えた事も無かったよ。
蛍は今何をして、何を見て、何を考えてる?
いつからか、俺の中は蛍でいっぱになっていた。
いつか、こんな気持ちが届く日が来るのだろうか?

真っ白な雪の上に散る椿が一際紅く見えた。
俺の心の中のように。
真っ白な心の中に、真っ赤に燃える感情が一つ・・
蛍がくれた温もりで、いつもの冬より、身体も心も温かかった。

~夏はただ駆け抜ける、宝物、しまうように~
ある夏、蛍は言った。
春も、秋も、冬も、俺の事を考えていた、
そして、もっと一緒に居たいと。
俺は、自分という存在の全てを打ち明けた。
打ち明けなければならないと思った。
俺は、蛍を幸せにはしてあげられないから、永久に・・
こんな俺の為に犠牲になる事なんてない、もうここには来なくていいよ?
俺はずっとこうして、だだ存在しているだけで、何も変わらない。
“決して忘れられない、かけがえのないモノが一つ増えた事以外は”
だけど、蛍から返って来た言葉は優しく、心が苦しくなった。
そして思った。もう、こんな夏を続けていてはいけないと・・

~いつまでもなつかしい、あの頃は黄金色~
いつか蛍と行きたいと思った、 「妖怪達の夏祭り」。
誘うのは、ちょっと照れ臭かったけど
蛍は喜んで、行きたい!っと言ってくれた。
そして、少し不安な言葉を口にする。
不安な事はないよ、だって蛍は、俺が守るよ?
そう言うと蛍は、少し頬を紅くして
「そういう事を言われると、飛びつきたくなってしまう」と言った。
・・「飛びつけばいい、本望だ」
もし、それで俺が消えても何の後悔もない、今なら全て受け止める事が出来る。

~何気ない毎日の片隅を照らしてる~
手を伸ばせば、届く距離。
一番近くに居るのに、一番遠い存在。
俺は、蛍を抱きしめたかった。
そして、その手に、その髪に、頬に、
一瞬でいい・・その温もりに触れたい。
もう、気持ちが抑えきれなくなっていた。

~夏はまた、やってくる約束を守るように~
祭はいつもの夏と同じようにやって来た。
でも、今年は隣に蛍が居る。
毎年思い描いていた光景。
「デートみたいデスネー」「デートなんデスネー」
10年前、初めて会った日に交わした会話。
10年越しの、始めてのデート。
やはり、あの日のように手はひいてあげられない。
でも、振りなら許されるよね?

息を吹きかけると回る風車。
金魚すくいをする子供は、尻尾を隠しきれてなくて。
偽物の綿あめが空に浮かび上がり、その空に花火が咲き誇る。
蛍はそんな光景に、ずっと笑顔だったね。
その笑顔を見て俺も笑った。

このまま時間が止まってしまえばいい・・。
そんな、叶わぬ願いをそっと胸にしまい込んだ。

楽しい時間は一瞬だった。
蛍と過ごした10年分の夏がそうだったように。
そして、俺は帰り道に全ての想いを蛍に伝えた。
こんな事を言っても困らせてしまう事は分かっていた。
だって2人は決して交わる事はないのだから。
そして、お面越しにくちづけをした。
これが蛍に触れられる精一杯。
蛍に捧げる、精一杯の気持ち。

蛍は今どんな顔をしてる・・?

そんな時、小さな子供が飛び出して転びそうになった。
俺は咄嗟にその腕をつかんだ。

・・刹那、指先から光を放つように消え始めた。
「あの子は、人の子だったのか・・」

もう、何もこわくはなかった。
ただ、願いは一つ。

「来い、蛍!やっとお前に触れられる」


ねぇ?蛍、覚えてる?
初めて会った日の事を。
笑いあった夏の日々を。
俺は忘れた事なんてなかったよ。
春も、秋も、冬も、会えない日々
ずっと蛍の事を考えていた。
蛍としたい事でいっぱいだった。
蛍とみたい物でいっぱいだった。
蛍と感じたい事でいっぱいだった。

でも、もうさよならなんだね。

蛍、こんな俺に気付いてくれてありがとう。
こんな俺を受け入れてくれてありがとう。

蛍の温もりを感じながら、最後に伝えたい事があった。




「好きだよ」



~夏はただ咲き誇り、その命輝かせ・・~






※~〇〇~
ED・おおたか静流『夏を見ていた』

{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 58
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

切なく儚い夏の物語

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。


 初見でした。自業自得ですが、短編と知らずに見てしまったため、少々の後悔が残ってしまいました。短編と気付いたのは終盤になってからです。短編と知っていれば、見方も少し変わったと思うのですが、残念です。作風はゆっくりしているのですが、テンポは速く感じました。賛否はあるかもしれませんが、もう少しキレを悪くした方が余韻が残ったかも、とも思います。シナリオ自体はかなり良いものです。セリフ回しに感情の機微が表れてますので、逃さないようにしましょう。短編ですので時間がないときでも見やすいです。


ジャンル:
 ジャンルは、妖怪との恋愛ものです。
テーマ:{netabare}
 テーマとして、子供時代との決別を描いていると思われます。主人公の蛍は、中学生で凧揚げ、高校生で釣りと、およそ年齢に相応しくない遊びをしています。ギンの近くにいるためには、子供でなければならなかったのです。蛍が大人に近づき、ギンとの間で愛情が生まれると同時に、ギンとの生活も終わりを迎えます。蛍の子供時代は遅まきながらも終わりを迎え、大人として歩んでいくことになります。 {/netabare}


エンディングへのフラグ:{netabare}
 この作品は、エンディングに至るために、特殊なフラグ管理を行っています。
 エンディングへのフラグは、大きく分けて二つ立てられます。一つ目は、ギンが蛍を助けるために触れてしまう、というものです。これを補完する水辺のシーンが複数あります。二つ目は、時間が二人を分かつまで一緒にいようという蛍の願い、つまり、蛍が死ぬまで一緒にいるというものです。蛍は作中で、卒業後にギンのいる街で就職すると述べています。触れたいと願いながらもこの二つ目のフラグを期待していました。ですが、いずれのフラグもエンディングとは異なるものでした。
 エンディングは、つまづいた少年を助けるためにギンが少年に触れてしまうというものでした。突然の事故であり、それもかなり小さいものです。視聴者をかなり驚かせます。
 作品におけるどんでん返しとは、構造自体を変えてしまうことが普通です。Aだと思っていたものが、実はBだったという手法です。例は控えますが、多くの作品に使われています。
 しかし、この作品では、構造自体がフラグになっているのです。転んだ少年は、お面の少女を追っています。いずれも年のころは幼少期の蛍に重なります。これは、男女を逆転させてはいますが、お面を受け取る前の蛍とギンの関係性と同じです。転んだ少年は蛍を象徴するキャラクターであり、ギンは蛍に触れたに等しいのです。つまり、蛍とギンという構造自体がフラグとしてエンディングを導いているのです。
 ギンも蛍に触れたいと願います。死別というフラグの否定です。しかし、触れる選択肢はありませんでした。触れるという結末は、ギンのせい・蛍のせい・合意の3種類が考えられますが、いずれにしても蛍が大きく傷付くことをギンは理解していました。だから、蛍との離別を選んだのです。実際には上述の事故が発生し、蛍を模した第三者(蛍のせいではない)をきっかけとして触れ合うことで、蛍の傷は小さいもので済みました。

 ちなみに、蛍が心に傷を負っていたことは確実です。物語の冒頭、蛍はおじいちゃんの家へ「毎年行っていた」と言っています。「毎年行っている」という継続表現ではないことから、1年以上の間が空いていることは明らかです。履歴書をもって出かけていることから、時系列としては、「ギンと分かれた高1の夏」「行けなかった高2・3の夏」「就活のために行く卒業後の夏」となっているのではないでしょうか。
{/netabare}

手つなぎ、木の棒、布:{netabare}
 エンディングと並ぶ見どころの一つです。
 ギンと初めて会ったシーンでは、木の棒を二人で「握り」ます。木の棒越しに伝わるギンをよっぽど気に入ったのでしょう、蛍は山を下りる際に木の枝で草を撫でながら鼻歌まじりに歩き、ギンの存在を手に反芻します。そしておじいちゃんと手をつなぎます。
 二日目には、ギンは木の棒を携えて登場しますが、その木の棒は持っていきません。代わりに蛍からアイスを受け取っています。もう木の棒は必要なくなりました。
 蛍が中学生になると、学友と手をつなぐシーンがあります。しかし、蛍には思春期特有のドキドキ感がありません。ただ「引っ張ってもらっている」だけという描写になっています。
 夏祭りでは布で蛍とギンの手首を「つなぎ」ます。重要なのは、布を「握っている」のではなく、手首で「つながっている」ことです。赤い糸も「握っている」とは言わず「つながっている」といいます。二人の思いが通じ合っていることが表現されています。子供が間を駆け抜けてもほどけることはありませんでした。もう手を「つなぐ」必要はなくなりました。
 その後、ギンに「来い」と言われ、蛍は飛び込むようにギンに抱き付きます。抱き合うのではなく、抱き付くという描写も、初対面の時に繰り返しチャレンジした願望を成就させたものです。
 なお、紐ではなく布であったのは、蛍が送ったマフラーへのギンなりの返答だからでしょう。
{/netabare}

蝶とホタル、天井:{netabare}
 蝶はギンを、ホタルは蛍を象徴していたようですが、使われ方は少し雑に感じました。要所で、すなわち心情が動くシーンで出ていたようですが、その前後であったりと統一感に欠けていたように思われます。理由付けをすることは出来ますが、ややごり押し感があるためここで述べるのは控えます。エンディングでは、蛍の周りがホタルから蝶へと変わり、乗り越えた感は感じられます。
 一方で、3回出てくる天井は分かりやすい表現となっていました。蛍が山に行けなかっただけでなく、おじいちゃんの家にも行けなかったのは、天井の木目にギンを見てしまうからでしょう。就職が決まったら、ギンのいるあの部屋で生活するのかもしれません。
{/netabare}

 短編ですが、エッセンスは十分に盛り込まれていたと思います。唐突に来るエンディングも、切なさと儚さを上手く演出していました。対象年齢としては思春期以上が望ましいでしょう。特に女性に好まれる作品ではないでしょうか。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

半兵衛♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

【ネタバレ有】『最後に残る最高の“余韻”―。 一つの“掟”に縛られた、切なさ全開の恋物語―。』

 
   
 原作の“緑川ゆき”に加え、“大森貴弘(おおもりたかひろ)”監督をはじめとする「夏目友人帳」のスタッフが製作を手がけた劇場版アニメ作品―。

 上映時間40分余りの、いわゆる“中編作品”なのだが―、そこら辺にある凡百の中編作品とは桁違いの魅力が、この作品には詰まっている―。

 一目見ただけでそれと分かる、「夏目」らしさを感じる“優しい空気感や世界観”―。彼女たちにしか描けないその“澄んだ雰囲気”と“心温まるストーリー”は、「夏目友人帳」ファンなら(いやそうでなくても)必見の一作である―。



 (簡単なあらすじとしては―)、妖怪が住むという“山神(やまがみ)の森”に迷い込んだ人間の少女“蛍(ほたる)”が―、「人に触れられると消えてしまう」という、この森に住む妖怪の青年(正確には人間でも妖怪でもない)“ギン”に助けられ―、それから毎年夏の間だけ、ギンの住むこの森を訪れるようになる…という物語―。


 物語の最初に、最も重要な「人に触れられると消える」というテーマを見せる事で、この作品の“(悲しい)終着点”が垣間見え―、同時に、そこに至るまでの二人の会話ややり取りの中に、(そのテーマが)終始、“触れられないもどかしさ”となって付きまとう―。


 蛍が出逢ったのは6歳で、最後の場面では18歳―。

 40分余りの上映時間であるが故に、粗雑(そざつ)にも感じる作中の時間経過(の早さ)が―、逆に、二人の間には、互いが一緒に過ごせる“夏の一時(ひととき)”しか無い事を余計に感じさせ―、だからこそ、かけがえの無いその時間を楽しそうに過ごす二人の姿が、観ていて余計に切なくなる―。



 たとえどんなに心が通じ合っていても、二人の間には、決して看過出来ない“時の流れ”が存在する―。だからこそギンは、自分の気持ちに向き合い、全てを投げ打つ“覚悟”を持って、蛍を夏祭りに誘ったのだろう―。

 そうして迎える最後の場面―。

 ―― (蛍) 「デートみたいですね~」――

 ――(ギン)「デートなんですね~」――

 出逢った日の事を連想させる蛍のセリフ―。けれども、返ってきたのは以前と“真逆”のギンの言葉―。あの時は、子供をあやすかのような反応だったからこそ、全く同じ軽い調子で、全く逆の事を言うあのシーンには、ギンの、蛍への想いや…覚悟や…寂しさが…全て込められていて―、余計に涙腺を刺激する―。


 いつもと違うギンの態度が、ずっとお互いの事を考えて過ごして来た蛍には、口にしなくても伝わり―、(本当はずっと一緒にいたくても)、彼の覚悟を何も言わずに受け入れる―。

 ギンの気持ちを察し、蛍自身も覚悟したからこそ―、夏祭りの帰り道、偶然、人の子に触れて消えゆく事になったギンとの“突然の別れ”にも、その瞬間、ただ真っ直ぐに、“お互いの本当の気持ちを伝えることだけ”を考える事が出来たのだと思う―。

 ――(ギン)「来い、蛍―。やっとお前に触れられる―」――

 最後の瞬間になるはずなのに、二人は“最高の笑顔”をしていた―。それは、二人が本当にしたかった事はこれだったから…。その後の別れの不安など消え去るほどに、ずっとずっと二人はお互いに触れたかった…。あの一瞬の抱擁で、きっとギンは人間の…“蛍の温かさ”を感じることが出来ただろう―。



 (その後の妖怪たちの優しいセリフも良かったが…)、とにかく終始、涙が止まらず、何度見ても泣いてしまう…。「人に触れられると消えてしまう―」。たった一つのそのテーマで、ここまで心に響かせられる―。

 最後の最高の“切なさ”が来る瞬間を徐々に感じながら、その“一瞬の儚さ”を感じて観終わり―、そうして“圧倒的な余韻”だけが最後に残る―。


 時折、「時間が少し短過ぎる」とか「せめてEDの後にもう少し何かが欲しかった」などという感想を目にするが―、もしもこの作品が、2時間の長編映画だったなら、本作に感じた淡さや儚さは“色褪(あ)せる”だろうし、(最高レベルの)あの余韻を感じる事も無かっただろう―。

 お互いの気持ちやその後の出来事など、描く必要は全くない―。観終わった人達それぞれが、各々で感じる“余地”を残すことで―、この作品の“淡さ”や“儚さ”を、“余韻”として感じられるのである―。


 最近観た劇場版作品の中では、最も感動し泣けた、切なさ全開の“傑作”であった―。



 最後に―、山神さま…もう少し“緩い”掟でも良かったんじゃないですか…(涙)。


  (終)

 

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

80.9 7 中学生アニメランキング7位
劇場版 のんのんびより ばけーしょん(アニメ映画)

2018年8月25日
★★★★☆ 4.0 (394)
1786人が棚に入れました
旭丘分校」の生徒はたった5人。学年も性格も違うけれど、いつも一緒に春夏秋冬の変わりゆく田舎生活を楽しんでいます。ある日、デパートの福引で特賞の沖縄への旅行券を当てた「旭丘分校」の面々。夏休みを利用して、皆で沖縄に行く事になるのですが……。

声優・キャラクター
小岩井ことり、村川梨衣、佐倉綾音、阿澄佳奈、名塚佳織、佐藤利奈、福圓美里、新谷良子
ネタバレ

はあつ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

残暑お見舞いなのん~

テレビアニメ「のんのんびより」のファンムービーとしては期待を遥かに上回る出来映え!
美しい自然と可愛く楽しい女子キャラたちによる極上の和みと癒し。
ストーリー性も充分あり、70分という、映画としては短めの尺ながら満腹度は100分以上の長編並みに感じる密度の濃さがありました。
作品の魅力が存分に表され、テレビ版を未視聴の方でも、日常癒し系アニメの人気作たる所以に納得し楽しめるのではないでしょうか。

《ストーリー》

旭丘分校の生徒たちをはじめとする田舎の村民9人の沖縄旅行顛末記。
ユーモラスなキャラたちの個性に沿った小ネタ満載の展開にニヤニヤと和むことしきり♪
そんな中にしっかり描かれる、脚本・吉田玲子さんお得意の、ちょっぴり切なくも心温まるハートウォーミングなエピソード。
のんのんらしい優しさもたっぷり伝わり大満足です!

《作画&演出》

テレビ版と同じく手書きの自然風景は美しく、キャラ画との親和性も高くて目の保養になります。(特に夜のワンシーンにうっとり!)

本作のシリーズを通して川面真也監督の演出面でつくづく感服するのは、シーン毎の間尺の取り方。
今回の映画でも、静止したキャラを見せられる度に笑い声や涙をこらえるのに必死になり、長回しで映る自然風景や建物などの器物を見てるだけでうっとりと癒されたり感慨に襲われてしまう。
しっかり情感を汲み取れる時間を充分とりながらも、決して間延びを感じさせないのは卓越した手腕ですね。

《音楽》

テレビドラマと同じくnano.RIPEさんによるOP。
nanoさんは作品に合わせた曲作りが上手く、海をイメージさせるサウンドでバカンスへの出発気分を盛り上げてくれました。
そしてこれまた同じくキャラ4人によるEDは、バックで場面を振り返りながら名残惜しい余韻に浸れました。

また、劇場ならではの音響システムで、水しぶきや波の音、無数の虫の音に包まれながら美しい景色を眺めてると、マイナスイオンのシャワーを浴びながらキャラ達と共に大自然の中に居るような幸せな気分になれました。

《キャラ》

今作では、なっつんこと夏海が一番活躍?
メンバーそれぞれの個性で笑わせてくれる中、いつもはからかい上手の彼女にキュンとさせられます!

あと個人的に一番楽しめたのは宮内三姉妹。
末っ子れんちょんの才能と感受性の豊かさは要所に描かれ、ホント、将来が楽しみな小学1年生。
長女かず姉には、意外な一面に驚きつつ楽しめました。
そして、キャラたちのお笑いの中でも突出してたのが次女ひかげ。
可愛い一面も見せ、今作のR-1グランプリ受賞でしょう♪

《声優さんの舞台挨拶初見学記》

今回、映画上映後にれんちょん役の小岩井ことりさんとほたるん役の村川梨衣さんの舞台挨拶を見る事が出来ました。

幅広い年代の250人程度の観客のほとんどは男性で平均年齢35歳といったところ。
小岩井さんの生「にゃんぱす~!」で始まるおふたりのトークは、村川さんの盛り上げ方も上手で、アニメ関連イベント初参加で変に緊張してた私も和やかな気分で楽しめました。

村川さんの地声は、ほたるんより「ヒナまつり」のアンズっぽく聞こえ、個人的に好きなキャラ声を生で聞けるのはテンション上がる~!
作品の架空の田舎の事をキャストみんなで「(仮)のんのん村」と呼んでるそうで、制作現場の楽しい雰囲気が伝わりました♪

小岩井さんのトークで、 {netabare} れんちょんがスケッチをプレゼントした夏海への気遣いについて、「テレビ版のひらたいらさんのエピソードで、夏海が機転を利かせてれんちょんを元気づけた事に繋がってる」と言われ、 {/netabare}私の感想も深まると共に、小岩井さんの作品への思い入れを強く感じました。


観光地の旅行先がメイン舞台なので、田舎の「のんびりさ」だけが成分不足ですが、それを補う「強壮バカンス成分」がてんこ盛り。
この夏の暑さを和らげるくつろぎと癒しの清涼剤をぜひご一服どうぞ~♪

投稿 : 2024/05/04
♥ : 34
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

上映館が倍以上に増えるようです!

初日の舞台挨拶は抽選漏れしたため
翌日にあにこれ面子と一回目
今週の舞台挨拶には当選したので
舞台挨拶付きで2回目を観てきました

そんなかんじで初めて観た日は
アニサマ全通の3日目に
会場に行く前に新宿まで寄り道して観たのもあって
かなり疲弊した状況での鑑賞となりました

しかし、この最上級の癒しアニメのおかげで
だいぶ活力を取り戻して3日目へと向かえたように思います

ふだんののどかな田園風景とは舞台は違えど
やっていることはいつも通りの
ゆったり日常アニメ
ゲストキャラクターのあおいちゃんとの
ハートフルな交流もあったりと
とにかく沖縄の情景がとてもきれいに描かれていて
なんだかキャラクター達と一緒に
沖縄旅行を楽しんでいるような気分になりました

あとはサブキャラクターのくせに
{netabare}ジャンピング土下座にはじまり
難聴ネタ
ふとん
リバース
天然記念物
泣いてねーし!{/netabare}
と要所要所でギャグ要員として出動し
美味しいところを全部持っていくひかげに
今回はかなりやられましたw
ほんといいキャラしてる

そしてあまり間を置かずに2回目を見に行ったわけですが
舞台挨拶は置いておいても
2度目の鑑賞でも1回目と変わらず癒されたし
楽しく見れました

そして今は久々にTVシリーズを見返したい思いに駆られています
1期2期ともにdアニメにあるので
今期のアニメをいくつか切れば見れるけどどうしよう?

閑話休題

この映画かなり見れる劇場が少なく
基本的に都会の映画館でしかやっていない感じでした

隣の芝は青いと言いますか
田舎の人は都会にあこがれ
都会の人は田舎にあこがれるものです

のどかな田園風景とゆったりしたスローライフに
まるで異世界ファンタジーでも見るような感覚で
憧憬の念を抱くのは基本的に都会の生活に摩耗しきった層なので
都会に絞っての公開は戦略的に正しかったと思います

この戦略が吉と出たのかどうかは定かではありませんが
館数からするとかなり好調な収益を上げているようで
今回の舞台挨拶にて上映館が27scrから71scrへと
大幅拡大されることが発表されました

特に東北と九州は仙台と福岡で1館づつの上映だったものが
各県で1~2か所みられるようになり
だいぶ見やすくはなってるんじゃないでしょうか?

もし今まで観たいけど近くでやってないからと敬遠していた方がいれば
ぜひもう一度上映館情報を確認しなおすことをお勧めします

この後全国でさらにヒットすれば
劇場版をもう一作
あるいは3期の制作なんて話になるかもしれません
応援のためにもみんなでぜひ観に行きましょうw

おまけ(舞台挨拶内容・ネタバレ含)

{netabare}今回はれんちょん役の小岩井ことりと
なっつん役の佐倉綾音が登壇
映画に関してのちょっとした裏話などをしてくれました

あやねるの話で面白かったのは
夏海とあおいの関係について

あのど田舎の生活では
同い年の子供がまったくいなかったので
夏海にとってあおいは初めての同い年の友達
そして初めて仲良くなった同い年の子と
出会って数日で別れなくちゃいけない
「ほんと切ないよねー」
と、こっこちゃんと頷き合ってました

こっこちゃんは演じる際に考えていたことを
いくつか話してくれましたが
中でもハッとさせられたのは

TV版ではひらたいらさんとの別れを悲しむれんげを
夏海がなかなかにニクい形で元気づけていました
今回の映画であおいとの別れを悲しむ夏海を
れんげが慰めるシーンは
れんげが夏海に教わったことを
夏海にお返しするシーンだと思っているというお話
言われてみるとなるほどという感じで目からうろこでした

りえしょんみたいに難しいことは何も考えてなくて
それでいて感覚的に何でも器用に演じれてしまう人もいれば
こっこちゃんみたいに一つ一つのセリフの意味を
自分なりにあれこれ考え抜いた上で演じてる人もいる
っていうのが面白いですねw{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 33

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

みんなでもっと遊ぶのん!

テレビで2期が放送されてからもう3年…
この作品の大好きな方は、この劇場版を待ちわびていたのではないでしょうか。
かくいう私もその一人です。

テレビアニメ本編は基本的に1話完結型…
そのため劇場版から視聴しても話は通ると思います。
でも作り手の愛情が目一杯注がれたこの作品を隅々まで堪能するなら、是非前期からの視聴をお勧めします。

続編の放送をテレビにするか、それとも劇場にするかは議論の分かれるところだと思います。
個人的にはその作品に合っているなら、どちらでも良いと思っています。
劇場版には尺に限りがあるので、内容を詰め込み過ぎては物語が発散してしまいますし、テレビで放送する場合も尺が合わず中だるみした作品だって無い訳ではありません。

それではこの「のんのんびより」はどうだったか…
個人的には劇場版で正解だったと思います。
物語の構成から劇場版を選択しても尺の長さに違和感が無いこと…
そして繊細かつ緻密な背景のクオリティが半端無く、作り手の徹底的なこだわりが窺えること…
何よりそこまで手がかけられるのが劇場版の醍醐味だと思うんです。

鮮やかな空の青…
新緑に彩られた森の木々…
普段なら何気なく過ぎてしまう背景の一場面にも細やかな配慮が散りばめられているんです。
作り手の皆さんがこの作品を愛してやまない何よりの証拠なのではないでしょうか。
だから視聴にも気合いが入りますし、作り手の頑張りが感じられる作品は見ているだけで幸せな気持ちになれる気がします。

物語は夏休みもあと少しの時期…
いつもの4人組は今日も一緒に遊んでいました。
いつもと少しだけ違ったのは、駄菓子屋とかず姉が車で出掛ける姿を4人に目撃されたこと…
この僅かな差が、このあとの超展開へと発展する訳ですが…
その立役者は、存在は認識されているものの、殆ど出番がなく空気みたいな人…
と言えば、もしかしたらピンと来る方がいらっしゃるかもしれませんね。
こうして「いつもの日常」を大きく逸脱しながら物語が動いていきます。

途中まで視聴して気付いたこと…
それは物語の「間」をとても大切にしている点です。
思考が巡り、次の展開を思わず期待してしまうような「間」だったり、掌を帰すようにツッコミは秒殺だったり…

それもこれも、この作品に登場するキャラが愛されているからだと思います。
しっかりキャラの特徴が定着しているので見ていて安心感が半端ないんですよね。
でもそれだけじゃありません…
4人は多感な時期であると共に、成長期でもあるんです。
そんな彼女たちが時折見せるギャップがグッと胸に響くんですよね。

誰かのために何かをしてあげたいという純粋な気持ち…
そんな気持ちと優しさは伝染する…
この作品の優しさは心底温かいんですよね。
そして、いつもと違う日常をみんなは満喫していくのですが…
緻密で繊細な作画がキャラの躍動感と魅力に拍車をかけてくれているのが分かります。
この作品のキャラと背景…最強の組み合わせだったのではないでしょうか。

どうして楽しい時間ってあっという間に過ぎてしまうのでしょうね。
勿論時間は有限だから一秒たりとも無駄になんてできないし、決してしなかった…
だからこそ…なんでしょうね。
終盤の夏海の言動…私の涙腺は耐えられませんでした。
だって、私も夏海と同じこと考えていましたから…
こうして物語は「いつもの日常」に戻っていきます。

オープニングテーマは、nano.RIPEさんの「あおのらくがき」
エンディングテーマは、4人による「おもいで」
nano.RIPEさんのオープニングは鉄板ですね。
今回も抜群の楽曲を提供してくれています。
エンディングは「4人らしさ」が感じられる曲でした。

上映時間1時間強の作品です。
相変わらず笑いと癒しのバランスが秀逸な作品ですね。
万人にお勧めできる作品だと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 26

69.0 8 中学生アニメランキング8位
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(アニメ映画)

2017年8月18日
★★★★☆ 3.3 (462)
1772人が棚に入れました
物語の舞台は、夏休みのある一日。花火大会をまえに「花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」の答えを求め、町の灯台から花火を見ようと計画する少年たち。一方、クラスのアイドル的存在・なずなに想い寄せる典道は、時間が巻き戻る不思議な体験のなかで、なずなから「かけおち」に誘われることに……。何度も繰り返す一日のなか、なずなと典道を待ち受ける運命は? そして、果たして花火は下から見ても、横から見ても丸いのか?

声優・キャラクター
広瀬すず、菅田将暉、宮野真守、松たか子、花澤香菜、浅沼晋太郎、豊永利行、梶裕貴
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

視聴者をタイムリープさせる映画

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
中学生の恋愛をテーマにしている。青春アニメって感じ。

原作は、1993年にフジテレビで放送されたドラマで、その後1995年に実写映画化。そして本作は、2017年にシャフトによってアニメ映画化。米津玄師さんの作った歌が、かなり耳に残ります。

シャフトらしさは残しながら、一般受けするように演出は控えめにしている印象。作画は流石の劇場版クオリティ。

私は本作の評価を☆3(普通)にしましたが、☆3の中でもやや低評価です。良さもある作品だと思うので、レビューでは、その両面に触れたいと思います。

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
つまり、「可能性はたくさんあり、自分の行動、言葉選び、そういう選択によって変化する可能性があるのが、未来」であることと、「それでもどうしようのないこと、変えられないことはあって、その現実の中でどんなかたちであって前に進んでいくこと」を表現したかったのだろう。

それは、相反することではあるけれど、人生というものは、そういう矛盾を孕んでいる。

それを、少年少女が実感し、体得するための装置が、あの丸い球。

人が、なぜこれほどまでに花火を愛するかというと、花火には華やかさと儚さがあるから。パッと咲いてサッと散る。その美しさが心の中に残るから、また観たい、また感じたいと思う。求める。

でもそれは、完全なかたちでは叶わない。

同じ様な花火はまた見られるけれど、全く同じ花火はもう二度と見られない。それは、青春時代(思春期)にも似ている。

美しくて、儚くて、もどかしい。「あの時ああしていれば、ああしなければ、今、どうなっていただろう」というある種の後悔はつきものである。丸い球が砕け散ったとき、様々な「あったかもしれない未来」を見ることで、ようやく一歩を踏み出した少年少女。ある者は長年伝えられなかった愛を叫び、ある者は海の中でキスをして別れを伝える。

アニメという美しい世界の中で、そんな眩しい青春時代を擬似的に追体験できるのは楽しい。

でも、どんなに美しい花火も、常夜灯のようにそのまま一年中夜空に開きっぱなしなら、逆にウザくなってくる。クソ、眩しいんだよ、と。だから多分、実際は思春期なんて、大人が回顧するほど美しいものではないのだろう。アニメで懐かしむくらいでちょうど良い。

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という印象的なタイトルは、「恋」の捉え方なのだろうか。

美しい「花火」=「恋愛」を、「下から見る(見上げる)」のは、「恋に恋する」状態を指す。ようは、1周目の状態。好きだけど、素直に言えない。好きだ好きだと言いながら、いざ実際に付き合うことになると、ビビって逃げてしまう。駆け落ちとか無謀なことを言う。「横から見る」は、恋を自分の現実として受け止めている状態。最後はみんなこの状態になった。うまくいかないことも含めて、相手との付き合い方を考えられる。

少年少女達は、下から見上げるだけではその正体を掴めなかった花火を、高い位置から見る(自分が成長する)ことで、その全貌を掴んだのだ。

シャフトの幻想的な演出、美しい映像、米津玄師の印象的な歌によって、こういう切なさを表現したかったのだろう。それは、ある程度は成功していて、挑戦的だ。

と、ここまであえて、詩的で難しい言葉を連発しながらも、あまり中身のない、「この作品のような」誉め言葉レビューを書いてみたが、要約すると、「綺麗だけどつまらない」(苦笑)

クオリティ的には悪くなかったが、作品全体を俯瞰すると、やはり失敗している部分が目立つ。

まず第一に、この物語には「ドラマ」がない。

シャフトの演出を抜き、タイムリープという装置を取っ払うと、ただ単に、「好きな人が転校しちゃう」というだけの話だ。中身が空っぽなのを、どれだけ華美に装おうと、かえって虚しく見えてしまうものだ。

中身、というのは例えば、二人がお互いを好きになる過程や理由だ。二人は小学生からの付き合いのようなので、まあ、きっとなんか色々あったのだろう。でも、映画の中だけで分かることは、典道はナズナの「顔」が好きだということくらい(まあ男子中学生なんてそんなものだが)。ナズナに関していえば、典道のどこをそんなに好きなのかが全く分からない。他の男友達に比べ、典道が何か特出しているわけでもないし。あれだと、「母親への反抗」の為に、「好きでもないのに好きになった」感じすらする。(実際は純愛なのだろうが)そう感じさせてしまうこと、視聴者が典道を好きになれないことが、この作品の「無理矢理盛り上げてます感」に繋がっているように感じる。

てか、両思いで、ただ転校するだけなら、LINEでもテレビ電話でも、毎日繋がれる。90年代の中学生なら、転校なんて「永久の別れ」に近いものを感じたかもしれないが、今時の学生なら、「そんなにおおごとか?」と思うのではないだろうか。

また、映画のターゲットが誰なのかも不明。

主役の2人に、旬の若手俳優を使う時点で、我々のようなアニメ好きに照準を合わしたわけではなく、一般受けを狙ったのだろうが、だとしたら世界観が複雑で、演出も(シャフトにしてはシンプルだとしてもまだ)クドすぎる。あれなら、小学生には理解できず、中高生なら中身の空っぽさに気付く。親子で見るにしては、ちょいエロもあって、気まずい。

ちなみに主役の2人は、俳優の中ではマシな方で、特に広瀬すずさんは頑張ってた(菅田将暉さんは微妙)と思うが、当然、プロの声優には及ばない。普通に、花澤香菜さんと宮野真守さん(か、梶 裕貴さん)がやってれば、これだけアニメ好きに叩かれはしなかっただろう。

あと、走って電車に追い付く中学生集団には噴飯し、ちょっと絡まれたくらいでよく知らない中学生に顔面パンチし放置して帰る、ナズナの義父と、それを咎めない母親にはドン引きした。あんなクソ親の下で過ごすなら、そりゃナズナも家出したくなるわな。むしろ、あのクズ義父と暮らすナズナの身を案じてしまう。

本作、私は正直、3回寝落ちして、その都度巻き戻した。もしこれが「視聴者をタイムリープさせる演出」だとしたら、脱帽する(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 26
ネタバレ

YwJje43950 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

打ち上げ花火 ”もしも玉”

{netabare}”もしも玉”というものが時系列的に一番最初に確認されたのは、なずなの、死んだ父が海で手に持っていたところだったと思うんです。
取り敢えず1回観ただけなんだけど、この”もしも玉”とは何だったのか、というのが掴めない。メタファー的な意味でね。
それがあると、最後の方の、歪んだ、されど理想的なあの空間と、その崩壊・消失に意味を持たせられる気がするんだけれど。
頭良い人に何かしら、良い感じのをこじつけて貰いたいところだ。皮肉じゃないよ。
より良い解釈を示して欲しいという、頭の良い他人の頭で感動したいという、楽したいという気持ちです。いちから解釈するには、少々難解な部分の多い作品だからね。

岩井俊二が脚本の会議段階で提案した”もしも玉”というアイデアは、元々のオムニバステレビドラマにおいて前提とされた『If もしも』という、物語の基礎の説明という役割を担わせるという目的があったようだ。
パンフレット内の”もしも玉”に関しての言及といえば
『いろんな人たちの”もしも”っていう思いが凝縮された何かなんだろうっていうところに固まっていって、玉ということで花火と対極としてひとつのシンボルにもなる...』
というものと、他には劇中のあらゆるキーワードの紹介をしているページ。
私としては、最終的に2人が行き着いた閉鎖されている感のある例の歪んだ世界では、まるで”もしも玉”の中にいるかのようではなかったか?と思ってたんですけど、その【キーワード集】を読むと、制作側もやはり、なずなと典道の行き着いた歪んだ空間のデザインは、”もしも玉”の中に居るようなイメージでコンテを描いたとのことだ。
ただ、『(そうすると)きれいかなと思って、...』という、文脈なんですけど。
花火と対極的な玉の形をもって、”もしも”という思いが凝縮された、”もしも玉”。
なずなの父は、生前使っていたのかな。
それとも、父の思念的なものが生んだのかな。
劇中、これに関してヒントはあったのだろうか。
ここまで書いておいてなんだけど、1回観て分かるほど私は頭よくないよ?


ところで、あの歪んだ空間は、まるで”もしも玉”の中であるかのようだったけど、あの町を囲うドーム状の歪んだ壁は、典道の空想・妄想の限界なのではなかろうか。
言い換えれば、典道の”もしも”の限界だったのではなかろうか。
町の外の事を、子供の彼らはまだ何も知らないからね。
そういうふうに意味付けるとどうだろう。
出来事の順番を忘れたけど、どこかのタイミングでドーム状の歪んだ壁は消失した。
彼は、周りより一歩先に大人に近づいたという事かな?
だから最後のシーン、クラスに典道は居なかったのかもしれない。
追記:海中のシーンで、2人の顔が大人になってるというツイートを見まして、確かめたい気持ちが強まりますよ〜。
あと、コレうろ覚えだったもんで書かなかったんですけど、劇中、電車に乗って、海の上を走って、結果何処へ行きましたっけ?
何処にも行けずに戻ってきたと記憶しているのですけれども...。
これってやはり、上で書いた”もしも”の限界によるものではないかなと思うのです。
”もしも玉”が砕けて、彼らに降り注ぐのは外へ飛び出していった彼らの可能性。
やっぱりあの夜って、彼らが大人になる劇的な瞬間だったのでは?
あぁ、記憶力よ。もどかしい。
追記2:”打ち上げ花火”と同じくシャフトの作品である、”まどかマギカ”の、劇場版、”叛逆の物語”ってあるでしょう?
{netabare}劇中の、ほむらの生んだ魔女空間と、”もしも玉”の空間とは似てるっていうレビューを読んで、正直、あまりピンときてなかったんですけどね、コレの意味が遅ればせながらようやく分かりました。
そういえばアレも、バスに乗って街の外へ行こうと試みて、行けなかったんですよねぇ。
何故なら、ほむらはその行き先の街並みを知らないから、再現のしようもないという。
たしかに、”もしも玉”空間とそこは同じですよね。
{/netabare}

打ち上がった”もしも玉”が花火のように破裂して、その欠片に、選択によってはあり得た”もしも”の世界が映り込む。
その一欠片を手にした事で生じるのは何だったか。
海の中での一連の出来事の意味は?
今作品の最初のほうのシーンで、なずなが玉を拾ったのと、歪んだ空間内のラストとが同じ場所であることは何を意味するか。
あの脱ぎ捨てた服だって、思い返すと最初のほうに伏線があった気がするぞ?
いやぁ、うろ覚えだ!1回観て語れるようなものではないわ!

追記:あにこれのレビューを改めて読んでいたら、ストライクさんの、今作のラスト、典道がクラスに居ない事についての解釈、良いなぁなんて思いました。
”男の典道は、願望の世界に浸るロマンチストなのかもしれない。”
でも、それだとハッピーエンドでは無いよなぁ...
典道のほうはその夏の恋に囚われちゃうって事でしょう?
"秒速5cm"的な関係でしょう?言いたいこと分かります?
やはり私としては、”もしも玉”空間の壁が砕けて外の世界へ飛び出していった彼らの可能性が降り注ぐあの演出を思い出すと...
でもね、いずれにせよ私の中で正直、未だに完全に納得いく解釈は得られてないんですよね〜。
まぁ、このよく分からない感じも好きですけどね、夢見心地で。

グダグダと書きましたが、この作品について簡単な感想としては、
シャフトには向かない題材ではないか、という事。
これは正直観る前から思っていた。
だからある程度、滑る覚悟はしていたりもした。
実際、賞賛するようなものでは、たしかに無かったと思う。
話が難しい以前に、例えば不自然なCG。冒頭の自転車等の動きなんか気になってしまった。
元の作品の人気、アニメとしての粗もところどころ見えてたし、また、分かりやすい感動!の物語を求めていた、脳の動かない人の多さも、大衆に向けた広告があっては仕方なく。
批判の多さも妥当かと思う。
でもね、ネット上のこの作品に対する批判はどうも(この作品に限らないけど)誠実でないものが多い。
後半の展開が原作と違うという点がお気に召さず、ただ叩きたいだけの価値のない批判をしてるブログが、少なくとも今、私がこの文を書いている時は検索上位にあったりして、嘆かわしい限り。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

蠱惑の球面

元ネタである岩井俊二監督のスペシャルテレビドラマは視聴済み。

球とは実に不思議な形をしています。
どの角度から見ても見える形は同じですが、
見えてる面は視点によって全部違う。

その上、光の加減まで考慮すると球はさらに神秘的。
特に例えばガラス玉のような透過性の高い球体ともなれば、
光の屈折まで加味されて見る視点によって輝き方が目まぐるしく変わる……。
そして、その透き通った球体は、あらゆる光を集めると共に、
球の境界を隔てた人々の視線や思念、願望をも惹き付け誘惑するのだ……。


本作は原作にもあった花火の見え方のウンチクによる好奇心刺激に加え、
シャフト作画によって全編に散りばめられた円柱、球形への違和感、興味。
それらが心を浮つかせる夏の空気、ヒロイン少女の魅惑的な美しさ等により加速され、
常識や倫理の壁をも超越して行く、真夏の青春アニメ映画。

主人公少年らと共に気持ちよくジャンプするには、
映像全体が醸すムードに憑かれることが必須で、ハードルはやや高めですが、
私としては夏に劇場鑑賞チャレンジした甲斐があった作品でした。



本作は単純に興味を持って観る。のとは別に色々な動機での鑑賞があり得る作品ですが、
以下、それぞれの立場からの見え方を想定してみると……。


①岩井俊二監督作のリメイクを期待して本作を観る。

……これは正直かなり失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}私が思うに原作ドラマは脚本、シナリオ等により賞賛されているだけでなく、
90年代当時の子供の世界。その再現性によるノスタルジーにより、
年々、思い出としても美化され続けている作品。

(例えば{netabare}本アニメ映画だと少年宅でプレイされるゲームは『キラキラスターナイトDX』という
2016年発売のファミコン用新作レトロゲームという恐ろしく懐古狙いなマニアックぶりですがw
原作ドラマではスーパーファミコンの『スーパーマリオワールド』という大衆向け定番作 {/netabare})

それら当時の流行も取り込みつつ、しょーもない冗談や下ネタを言い合うw
ガキの会話あるあるな掛け合いが醸す、子供の世界にリアリティや説得力があります。
こうした子供の世界に背伸びしてる感を纏わせつつ、
大人の都合と対峙させることにより、物語の推進力と共感度をアップ。
さらに当時15歳の美少女だったヒロイン役・奥菜恵さんを画面に閉じ込めた希少性と相まって、
今なおタイムカプセルのような輝きを放ち続けている原作ドラマだと思います。

対して本作は後世、思い出となり得るような同時代性の強調は控えめ。
(例えば{netabare} スマホが出て来ない時点でタイムカプセルにはなり辛いですし、
松田聖子さんだの観月ありささんだの叫んでいる時点で
原作の時代に対するオマージュの方が勝っています{/netabare})

むしろ本作は花火の見え方というSFファンタジー世界展開の着火点により注目し、
そこからオリジナル要素も広げていくシャフト作品。

加えて本作では何故か主人公少年らを原作ドラマの小6から中1に設定変更していますが、
原作の掛け合いの流れも引きずっているためでしょうか?
少年少女たちの言動が今風でない感じがするだけでなく、
微妙に小学校卒業してない感じが、
原作ドラマ視聴後だと目につきやすく、それらがストレス要素になりかねません。{/netabare}

いずれにせよ、リメイク期待組とのキャッチボールは波乱含みのようです。

もしも原作ドラマ未見で、ドラマ観てから本作観に行こうと検討されている方がおられたら、
私としては是非、そのまま、よそ見をせずに映画館に直行することをオススメします。


②『君の名は。』川村元気氏のプロデュース作として、前年の感動再現を期待して観る。

……これも大分、失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}特に『君の名は。』を気軽なエンタメ作品として楽しんだ方は、
それを期待して本作を観ると事故る可能性がいっそう高まると思われます。

『君の名は。』は何となく観ていても状況は説明してくれるライトな作品でありつつも、
深読みしても得るものがあるコアな作品でもあった、
間口の広いヒット作だったと私は考えていますが、

本作の場合は作画や表情、ちょっとした台詞の違いなどを深読みしに行かないと、
状況すらも把握し難く、物語の迷宮入りと共に、失意の途中下車に追い込まれかねません。

逆に些細な違和感から考察を巡らすことができる方なら価値を見出せると思います。{/netabare}


③シャフト、新房昭之監督のファンとして本作を観る。

……これはまだ割と期待できそうです。

{netabare} そもそも背景絵等が醸すムードが作品を牽引する構造である以上、
まず本作でも相変わらず癖がある作画、構図等に興味を持って鑑賞し続けることが、
作品と折り合うための必須条件。

何じゃ!?このワケわからん絵は~~wとなるか、
あっこれやっぱりシャフトだ(笑)イヌカレーだ(笑)とニヤニヤできるかは、
本作でも満足度を左右する重要な分岐点になると思われます。

但し作画レベルは背景画等については良好ですが、
人物描写、特にキャラ造形の安定度等については標準レベルなので、
至高の劇場版作画を求める等の過度なハードル上げはオススメできないと思います。{/netabare}



以上、色んな角度から長々と書いてしまいましたがw

簡潔にまとめると本作は普段あまりアニメを観ない層にはあまりオススメできませんが、
コアなアニメファンや、あにこれユーザ等には、
合う合わない、好き嫌いも含めて、是非、感想、考察を聞いてみたい作品だと思います。

例えば核心部分について、私見を述べると……

{netabare}あの夏、最後、典道は平行世界に飛翔したまま戻って来なくなった。
なずなは元の世界に戻って転校し、典道を待ち続けている……。
というのが私の解釈と言うより願望?ですが、如何でしょうか?

典道も平行世界から一応、戻っては来たけど……という見解が多そうかつ、
妥当性も高そうなラストではあったのですが……。
「もしも玉」と平行世界の妖しさに取り憑かれた私としては、
あっさり元の世界に戻って来るのは何か勿体ない感じもするんですよね……。{/netabare}

みなさんの評価、感想……お待ちしております♪

投稿 : 2024/05/04
♥ : 41

64.0 9 中学生アニメランキング9位
ねらわれた学園(アニメ映画)

2012年11月10日
★★★★☆ 3.7 (297)
1477人が棚に入れました
本作は眉村卓の同名小説を、監督の中村亮介自ら脚本を執筆。(※内藤裕子との共著)
時代を現代の中学校に置き換え、新しい解釈によるアニメ映画化が実現。
制作はサンライズ第8スタジオ(「境界線上のホライゾン」「アクセル・ワールド」)が担当し、思春期の心象風景を淡くも鮮烈に描き出す話題作。
キャストにはナツキ役にAKB48の渡辺麻友が劇場版アニメ映画で初主演声優を務める。ナツキの幼なじみで相手役となる関(せき)ケンジ役を、 『SUPER8』(11)、「エウレカセブンAO」(12)の主役を演じた声優・本城雄太郎。ナツキ・ケンジが通う中学に”転校生“として現れる京極に、 『涼宮ハルヒの憂鬱』の古泉一樹、『黒執事』のセバスチャン・ミカエリスなど数々のアニメで主役を演じる小野大輔。ナツキ・ケンジの同級生のカホリ役に 「海月姫」の倉下月海役や、「こばと。」の花戸小鳩役などで主役を演じ、歌手としても人気の花澤香菜、と人気・実力ともに豪華なキャスティングが実現。
主題歌「サヨナラの橋」はナツキの声を演じる渡辺麻友が担当し、作品に彩りを加え、オープニングテーマ「銀色飛行船」はアニメファンにも定評の高いsupercellが担当。こちらも豪華な顔ぶれで本作を盛り上げる。

声優・キャラクター
渡辺麻友、本城雄太郎、小野大輔、花澤香菜
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

時をかける少年

[文量→特盛り・内容→考察系]

【総括】
アニメ映画です。ジャンルは、SF・恋愛。

1973年に書かれた小説を原作に、1981年に公開された、実写映画が有名な作品。薬師丸ひろ子さんが主演だそうですが、、、私、生まれてませんね(笑)

実写映画では、SF・サスペンス色が濃いらしいのですが、アニメでは、思春期の少年、少女の恋愛・友情が主なテーマになっています。

かなり考えさせられる作品。手描きの良さにこだわって作ったという作画も良い感じです。

古い作品ですが、しっかりと腰を据えて観て欲しい作品です。私のレビューは、かなり時間をかけて、頑張って考察しました(笑) あにこれ参加初期に書いたやつなんで、気合いが空回りしていますが、良ければ読んで下さい♪

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
「携帯」「月の光(ドビュッシー)」「夏の夜の夢(シェイクスピア)」と、あからさまにモチーフになりそうなものが、序盤からたくさん出てきましたね。

携帯電話のくだりは、基本として賛成。「サイせん」の言う「携帯がないと不便なんじゃくて、携帯がないと不安なだけ」だというのは、完全に共感。

作家の江國香織さんは、「一緒にいることで不安になる友人をたくさん作るより、一人でいても不安にならない何かを見つける方が大切だと思う」と述べていますが、ホントにその通りで、小中学生(あるいはこの作品で、携帯に躍起になる登場人物達に)に知ってもらいたい言葉です。

ケンジがナツキの部屋にドングリを飛ばすシーンでは、純和風のケンジの家と西洋風のナツキの家との対比が見られます。

これは、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の有名な窓辺のシーン(身分違いの恋=叶わぬ恋)を暗示したものでしょうか?(また、作品後半でカホリを家まで送り届けるシーンも別れ際はベランダであり、カホリの家はボロいアパートでした。ここにも対比が)

ナツキとケンジの微妙な関係性を表すのに、ブランコは上手い比喩だと思います。隣り合う二つのブランコは、いつも側にいて、共に楽しむことはできるけど、二つのブランコの距離は、縮まることも離れることもない。そして、揺れ方だって微妙にずれていく。秀逸な比喩です。

ナツキとカホリの橋の上のシーンの「好きになるのに理屈なんてないじゃん」というナツキの言葉。

「月の光」を作曲したドビュッシーは、「印象派」と呼ばれ、「理屈」よりも「感覚」や「感情」を優先し、響きの美しさにこだわりました。そんなドビュッシーの音楽と重なるところも。

そういえば、同時期に活躍した画家で、同じく「印象派」と呼ばれたモネ(睡蓮などか有名)の絵画を思わせるような作画も多くありましたね。(モネは光の画家とも言われますが、確かに光の描写を大切にしている作品だと思います。これは、こじつけくさいけどw)

もっとも、「月の光」は、確かドビュッシーが初恋相手(人妻w )に贈るために作曲したものだったので、「人妻=報われぬ恋?」を隠喩したかったのかもしれませんね。

ところで、リョウイチの狙いは、ニュータイプの革新とか人類補完計画とか、そういうこと(笑)? 

たまたま「Gのレコンギスタ」を観た直後の視聴だから、不思議な既視感を覚えましまw まあそこは、サンライズが作ってるんだから、許しましょう(笑)  リョウイチはニュータイプの革新を、完全に「善」ととらえてましたから、未来の月では上手くいっているってことかな?

ただ、ゆりこ達、新たに「超能力者」になった生徒が満足している姿に違和感を覚えました。「ココロコネクト」では、テレパシーのリアルがとても上手く描かれていましたが、思ったことが全部伝わると、やはり人間関係壊れちゃうと思います。もっとも、生まれた時から全員がテレパシーもちの社会なら、それが普通なのだから、うまくいくのかもしれませんが。

というか、リョウイチのやりたいことがよくわかりません。「超能力」を増やすことが、なぜ世界改編につながるのか。人類は多分、大規模な戦争かなにかで地球を破壊するのでしょう。だから、(学園を皮切りにねずみ算式に超能力者を増やしていって)テレパシーが使えれば人は分かりあえるから争い事はなくなる、という、リョウイチの考え自体はわかります。でも、作品の最後でカホリに対し、「僕(リョウイチ)が未来へ帰れば全て忘れる」と述べ、実際に未来へ帰った後、ナツキとカホリの様子を観ている限り、ゆりこ達に超能力が残っているようには見えません。

じゃあ、何のためにリョウイチは超能力者を増やしたのでしょうか? リョウイチが、消えれば、「いた間のことが無になる」のか、「いた間のことも人々の中にはなんらかの形で残る」のか、という矛盾が、どうしても分かりませんでした。いっそ、第2案の「連れ帰る」だけにしぼっても良かったような。

ナツキとケンジのキスシーンは、「俺修羅」を思い出しました。やはり、元気幼馴染みは最強ですね! 幼馴染みは報われることは少ないので、本作のラストには満足満足♪

リョウイチが、「自分のようだ」と言った、「夏の夜の夢」のパックとは、「妖精パック」のことで、惚れ薬を使って、愛する恋人同士に仲違いさせる役割を担っています。ちなみに、「夏の夜の夢」の終幕の台詞はパックだったはず。

「さあ皆さん、夢から覚めて下さい」。

そんな感じ。てことは、リョウイチがパックというより、ケンジがパックでは?

この作品には、様々な哲学的要素もありましたね。

例えば、【存在】
「認知されなければ存在できないか」は、有名な哲学テーマのひとつ(素朴独我論や素朴実在論)ですが、認知(知覚)できなくとも存在できる、というのが一般論でしょうね。もっとも、最終的に、ケンジはリョウイチの手を握り、存在を知覚したことで彼を救いました。正直、「シンフォギアかい」って思いましたがw

また、【言葉】
日本の哲学者の 故 池田晶子さんは、「言葉の力」の中で、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神だった」という聖書の一節を引用しながら、「人間が言葉を話しているのではない。言葉が人間によって話されているのだ」「言葉を信じていない人は自分も信じていない」などとおっしゃっています(詳しくは全文を。このへん(言葉のもつ力)、作品と被る部分もありました。

前述した江國さんは、「だって、人を好きになるというシンプルな感情を分類して、不倫とか遊びとか本気とか、いちいち名前を付けるなんていうこと、どうしたってナンセンスでしょう?」という言葉は、この作品を観る上でキーになると思います。

色々書いてきましたが、様々なモチーフを出しながら、多分その一つ一つがそこまで大事なのではなく、

「どうしようもなく人を好きになる気持ちは、時空を越える」

という辺りを、シンプルに描きたかったのではないでしょうか。(携帯、月の光、夏の夜の夢に共通するのは、恋や本心だから)

ただ、終盤はあまりに説明不足で、よくわからんままに無理矢理まとめた感が出てました。いわゆる、投げっぱなしエンド。

特に、作品の核たる恋愛模様の部分で、ナツキ→ケンジ、ケンジ→ナツキ、ケンジ→カホリ、カホリ→リョウイチ を好きな気持ちは丁寧に描写されていましたが、リョウイチ→ナツキを好き気持ちはほとんど描写がなく、海辺の別れのシーンで「ん?いつの間にそんな(リョウイチがカホリに惚れてる)ことに?」と違和感を覚えました。そこが残念。

リョウイチは魅力的な人物です。カホリも魅力的な人物です。なのに、ナツキとケンジに力を入れすぎ、この二人が少しないがしろにされてた感も。

例えば、カホリの家庭環境に深くつっこみ、リョウイチが自分の家庭環境に重ねてシンパシーを覚えるとか、カホリの告白をもう少し前にもってくるとかして、もっとリョウイチの「使命と恋心」に揺れる気持ちが描ければ、ラストは更に盛り上がったかも。実際のラストは、「使命と友情(ケンジとの)」に流れてしまい、恋愛要素の強い作品には合わなかったように思います。

もっとも、どうやら作品自体が原作の後日談らしく、原作を読むと色々補完できるようです。が、やはり映画なのだから、それはそれで一つの作品として確立させてほしかった(その辺は、「時をかける少女」の方が優秀)。

まあ、映像は綺麗だったし、ナツキは魅力的だった(AKBも、そこまで完全に捨てたもんではないかもしれないw)し、全体を通して、良いアニメ映画だったと思いますよ。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 18
ネタバレ

るぅるぅ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

曖昧とも持ち味とも解釈できるSF要素と恋愛。

監督:中村亮介
ブランド:サンライズ
ジャンル:SF恋愛/本編:106分
テーマ:コミュニケーション。
誰かに伝えたい・知りたいと想う忘れてはいけない気持ち。

簡単な粗筋
春の訪れ江ノ島の中学校に転校生してきた京極リョウイチと関ケンジ、鈴浦ナツキ、春河カホリが過ごすひと夏の甘酸っぱい青春恋模様。とある事件で携帯禁止となった環境で新たな事件に巻き込まれてゆく人の心にあるものとは何か。

テーマを恋模様として描き分かりやすいですが、SF要素のバランスが悪く最低限の説明描写で自己解釈に委ねている所が大きく一捻り欲しかったです。

キャラ設定は、幼馴染・一目惚れと片想い関係と王道です。特筆して個性が強い訳ではなく、行動面で植え付けている印象付けです。心情描写は上辺の関係ではない掘り下げた部分もありますが、少し物足りなかったです。{netabare} 京極がカホリに好意を抱いていると所々でわかりますが、告白を受け入れる行動が後付ではないが希薄に感じた。もう少し2人の日常シーンを挟むべきです。 未来人と打ち明けるシーンだけでは過程が物足りないです。{/netabare}

SF要素を含んだ世界観は、携帯電話・ネットで繋がる集団と個人において消失する人の孤独・安らぎとさえなっている社会の心理をあてはめています。そこに片想い関係を主軸に人が失ってはいけない気持ちを表現していますがSF描写が不足しています。端的な説明が目立ちます。

作画は、江ノ島が舞台だけあって他のアニメを彷彿させましたが全体的に綺麗です。街並・江ノ電・海・太陽の陽射と、どれも力が注がれています。また、幻想的な絵は手間が掛かっていると素人ながら感じました。特にキャラ表情の目元が細かく好きです。

声優はAKB48渡辺麻友の起用が疑問でしたが、差ほど作風のイメージを壊す違和感は無かったです。
それよりも個人的に主題歌「サヨナラの橋」をラストシーンに挿入歌として流されてはクライマックスの余韻が一瞬で消えます。懐メロをアレンジした曲調で大人の事情だと解釈していますw 

ねらわれた学園は過去にも何作か制作されておりアニメは初とのことです。私はアニメしか観ていないので作品本来のコンセプトが何かはわかりません。
過去作品を知っている人には、また評価が左右されるのではないかと想います。

SF要素を深く考えず恋愛作品として観ると楽しめるかもです。

個人的な解釈etc{netabare}
冒頭ケンジのナレーション「僕が京極と出会った日2つの事件が起こった」より観終わった後に過去の出来事であり、ナツキの夢を過去とも解釈できる演出によりパラレルワールドが含まれていると仮定する。また、京極・父の視点からでは、地球によって滅ぶ抗えないタイムパラドックスとしての一面もある。

■2つの事件について。
1つ目は山際ゆりこが周りから阻害された、もしくは虐められた事件によって携帯禁止となる。親を安心させる処置をとり一段落している。京極によって彼女が自殺に追い込まれた心情として、皆の心の中がわからない怯え不安に病んでいたと察することができる。知りたいという強い想いが欲求に負け嘘のない世界に導かれ、心の共有としてテレパシー能力を持つ人材であった。後は石へ吸収された心を使い利用される。

2つ目は京極事件の目的
京極リョウイチは未来人であって使い魔を連れ過去にジャンプして来た。その目的は、京極の父によるとケンジの力を使わせ未来を変える災悪を避けることであるが、無理なケースとしてテレパシー能力を持つ人の思念を持ち帰ることだった。父は、過去の記録には意味が無い大事なのは未来だけという豪語する心情は、母を過去に帰すことが出来なかった自分への苛立ちによるものと解釈できる。

■京極・父と耕児の関係。
京極・父は元々テレパシー能力者で耕児も元々反テレパシー能力者(ケンジと同じ能力)であると仮定して進める。2人は古くから知り合いで、京極・母(以下Aと記す)を奪い合った仲だったのではと考える。 ケンジ等のキャラ設定が片想いと描かれている点を考慮し、また耕児はAに憧れていたと話す素振りより。

ケンジと同じ能力を持つ耕児が地球を滅ぼすと仮定でき、そのまま一隻の宇宙船に乗っていた京極・父だけ助かったが耕児・Aは月へ来る前に死んだ(いつかは不明)。それを嘆いた父は過去に戻りAを救う為にジャンプする。そしてAを身体ごと未来へ連れて帰りイチャイチャしてリョウイチを産む。
この時に耕児を殺せば地球の安定・Aも全て手に入れていたのかもしれない。後味悪いけどね; だが、タイムパラドックスとして耕児の存在が地球が滅びる因果論によって、逃げる形で未来へ戻ったとする方が自然。リョウイチが言葉にしていた「復讐」も納得できる。
Aは信念が強い女性であった為、テレパシーは発現せず孤独に死んだ(リョウイチの言葉より推測)。
そして父は、Aを過去へ戻すことができないことも理解していた。(1回の移動が心臓に負担をかける制約より)この設定説明は不足である。

父はジャンプできない為にリョウイチに託すことになった。その建前として、少しでも未来で生きる望みを託し1000年単位で地球が住める時まで何とかしてやりたいと息子の為でもあったのかもしれないと感じる。

そして地球の滅びを回避する耕治への復讐だったが、京極・父の時代から少し時間軸が進んだ世界であった。これは耕児がAと結ばれ既に死んだ世界(墓石はリョウイチの母であり、母の存在を知っていたので花を添えた耕児はリョウイチの顔を観て驚いた)。 京極・父がAを未来へ連れて帰らなかった時間軸とも解釈できる。

耕児は能力を犬に施しケンジに与え時間軸を一定に保つようにしている。その為、京極・父の思惑とズレが生じたがケンジを凌げばいいという考えになっている。 ラストシーンを除き、どこまで京極・父は把握できていたのか分からないw また、耕児も年老いて仕方なく携帯を持つ習慣からケンジに託すしかなかったと解釈できる。

■ナツキ
ナツキの夢は別の世界の出来事でナツキ自身は理解していない過去。ケンジの死ぬ間際を助けるが、これはナツキの能力でケンジが生き返った世界であって、最後に幼いナツキと手を取り合うケンジの心が繋がった想いとして別の側面から描いたのではないだろうか。そして石に止められていた時間が綻状し2人を繋いでいた糸電話が振って来た。

■カホリ
カホリは父が死んだ海で想いを寄せるが、別の世界で既に使われていたのかもしれない。情報が少なすぎるw だが、ラストシーンでケンジが戻って来て使い魔を観て驚いていた姿はリョウイチを思い出したと私は解釈する。
携帯電話はナツキだけに記憶が戻る作用としかなっていない為、ケンジを観て驚くのはおかしい。

■ケンジ
生まれつきの能力者。耕児と同じで卓越した力を持っている。言葉が無くとも伝わるナツキとの幼馴染との関係はわかりやすく、恋は穏やかに結ばれることはないとも象徴している。ケンジとナツキ視点が多くもう少しカホリとの本音が聞きたかった所もあるがリョウイチと描く友情関係は巧かった。

■京極リョウイチ
キーパーソンとなる主人公とも呼べる立ち回り。
カホリの告白にも正面から答え、母と同じように孤独させたくないと真っ直ぐな優しさ。半分この時代の血を引き生きれる可能性よりも母の想いを育み生まれた時代で生きる幸せと決断する気持ちとテレパシーが無くても心を届ける術を無意識に理解していたのではないと気まぐれな性格と行動のズレが持ち味になっていた。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

恋愛に着目すると面白い。SFとテーマは味付け。追記 原作読みました。

 この作品、多分昔駄作認定をした記憶があるのですが、今見たら面白かったです。
 なお、原作も何かの実写も見ている気がしますが、記憶にほとんど残っていません。本作よりももっと敵味方がはっきりしてた気もします。

 以前見たときに、何が悪かったかというと、SF的な事がよくわからないとか、キャラの過剰な演技がウザいとか、そんなことばかり目についた気がします。

 また、テーマとして恋愛、携帯、演劇の話そして超能力と、気持ちを伝えるとは?というテーマでくくられていることに気が付きます。サブの中では主要なユリコという少女のケータイにまつわる事件から話が展開して行きます。
 そして、生徒会を巻き込んでこのケータイが話の中心になります。なので、テーマ的にコミュニケーションが重要なファクターになるの?と思いきや、あれ???となります。
 途中から生徒会どこいったの?とポッカーンですね。この点語っている割に肩透かしでした。超能力者増やす理由はどこへ?


 ただ、今回再視聴して印象に残ったのが、ケンジのカオリへの憧れを見せられた後に、カオリが京極にメス顔をします。このメス顔がなんだかすごくエロいというか、もう完全に堕ちている顔でした。このNTR感というかBSS感が凄かったです。
 本作は、初めにケンジに焦点が当たって話が始まるので、ケンジに自動的に感情移入しています。このカオリの京極へのメス顔が完全にNTRで、好きな娘がイケメンにあんな表情していたらショックで立ち直れなくなるでしょう。ものすごく胸に来ました。で、自然と視点が恋愛関係に誘導されるわけです。

 で、幼馴染(ナツキ)→主人公(ケンジ)→共通の女の子の友人(カホリ)→色男(京極)という関係性がたまらないですね。この傷つきやすい関係性の構図が話の中心になっていました。
 微エロというかなんかちょっとエッチなラッキースケベ的な演出が多いのも、多分思春期の少年のマインドになれる感じでした。

 そうして、人物に注目していると不思議と以前ややこしかったSF部分も見えてきました。SF的な意味は、なぜ、ジジイと赤んぼがかなり過剰にクローズアップされるかを考えればわかると思います。

 ただ、不思議なのはそこまで未来で何が起こっていたのかを、説明しないで暗示でとどめとく意味あったのかなあ?やっぱり、なんらかのSF的仕掛けもやりたかったんでしょうか。
{netabare}  それと京極が最後自分が消滅しようとしたと考えると一応生徒会云々は父親=あのペットみたいなやつに対する偽装だったのかなあという気はしました。{/netabare}ただ、SF的な説明をはっきりしないので京極の覚悟は頭を使って考えなくてはならず、しかも正解と言う確信が持てないので、感動と言う点では詳細を隠したことが裏目だったかな、と思います。しかも、映画館でこれを初見でみたら、ちょっと見ている方は理解が出来ない人が多かったのでは?
 原作どうでしたっけ?部屋のどこかに原作が転がっていたら、読んでみたい気もします。

 つまり、この作品の面白さはSFに注目するとよくわからないまま終わってしまいますので、結果的には4人の一方通行の恋愛がどう整理されるか、に着目した方が素直に楽しめる気がします。

 背景美術は非常に綺麗です。「君の名は。」以前のアニメでもやはり10年代にはいって、美術的な技術は上がっていたのがわかります。空と雲に頼らない美しさは、かえって今では新鮮です。
 アニメの作画・美術は前半の方が丁寧だった気がします。後半の方がちょっと簡素な感じがしました。ただ、エフェクトと色彩が過剰なアニメですので、実は後半の方が見やすかった気もします。
 

 ということで、ストーリーは恋愛部分が良かったですが、深さもSF要素も物足りないので、3.5。キャラは良かったです。4.5。作画は4、音楽3.5ですね。声優さんは演技が過剰ですがそれほど悪くないので、4とします。

 評価点よりは、主観的にはかなり面白く感じました。76点/100点くらいかな?



追記 原作読みました。

 原作よみましたが、{netabare} 一応続き物という形態をとったんですね。孫の世代という設定でしょうか。ただ、それにも関わらず不思議なことに話の内容そのものは、原作にかなり近いです…結末の方以外は。{/netabare}

 原作は1976年で共産化つまり安保闘争についての総括のような話でした。ただ、共産だけかというとファシズム化の要素も入っています。要するに思想の統制問題です。
 ジュブナイルということで話に重層性はない単純な話ですが、結末を曖昧にして社会のシステム…多数決主義などに対する問いかけになっていたのは素晴らしかったです。
 思想の部分に反共産的な偏りがあるにせよ、しっかりと中学生程度の少年少女に対するメッセージになっていました。

 としたときに、本作の結末がなんとなく物足りなくなってしまいました。少なくとも人類補完計画もシリアルエクスペリメントレインもあるわけで、もうちょっとアップデートした問題提起はできなかったのか?主人公の能力が何を象徴しているのか?などの作り込みは欲しかった気がします。
 アニメ映画の「時をかける少女」のようなタイムリープに対するアンチテーゼのような新しい提案は無かったです。なら原作通りでいいんじゃね?と思います。

 そういうことで、これがジュブナイル…うーん、文章そのものは今のラノベの方が大人でも読めますが、内容はやっぱり70年代の方が大人だったんですねえ…。

 ちょっと評価点を落とします。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

64.4 10 中学生アニメランキング10位
ももへの手紙(アニメ映画)

2012年4月1日
★★★★☆ 3.7 (277)
1309人が棚に入れました
「お父さん、ほんとうはなんて書きたかったの?」 いちばんそばにある愛が、いちばん見えにくい愛かもしれない。父が遺した書きかけの手紙。そこには、ただ、「ももへ」という一言があるだけだった。「何を伝えたかったんだろう」 心ない言葉をぶつけ、仲直りしないまま父を亡くしたももは、11歳の夏、その想いを抱えたまま、母と、瀬戸内の島に移り住む。そこで待っていたのは、おかしくも、不思議な出会いだった。豊かな自然と、やさしい人々が生きる小さな島を舞台に、いま、いちばん大切にしたい、家族の愛の物語が生まれる。

声優・キャラクター
美山加恋、優香、西田敏行、坂口芳貞、谷育子、山寺宏一、チョー
ネタバレ

ユニバーサルスタイル さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

今、生きている人へ。

亡くなったお父さんの遺した手紙。そこには「ももへ」の一文しか書かれていませんでした。
父亡き後、お母さんの実家の島へ引っ越ししてきたももちゃん。
お父さんの言いたかった言葉を考えながら、島での不思議な生活が始まります・・・。


島に着いたばかりの頃は無愛想で笑顔も見せないももちゃん。
能面みたいなその顔に最初は怖ささえ覚えました。
でも、仕方ないですよね。お父さんが亡くなった直後に家を離れて田舎暮らしなんて、心の整理が追い付かないと思います。

一方のお母さんは元気いっぱいで「さあ働くぞー!」と張り切っていました。
まだまだ健在に見えますが、笑った時の皺とか時折苦しそうに咳をするところなんかを見て少し悲しくなったり。

お父さんはあんまり出ないけどやっぱり家族を支える柱ですよね。一番存在感が強いのはお父さんだと思いました。



雰囲気としては子供向けアニメらしく、陽気で軽快な感じで動いていくので子供は楽しく見られるでしょう。
子供に今人気な妖怪も出てきますし(笑) 可愛くてほのぼのします。


でも親御さんくらいの年齢の方が見るとまた違った見え方があるんじゃないかな、と思います。
冒頭からお父さんの死が描かれる辺りから、身近な生き死にを意識させられます。
残された家族の想い、これからの暮らし・・・。失った分、より強く支え合って生きていかなきゃならない。
ファンタジーな世界に包まれているけど、このアニメが見せているのは極めて現実的なテーマでした。


正直見ていてちょっと苦しかったんですよね。こんなに可愛い絵なのに、生々しすぎて。

ようやく最後まで見て、「手紙」で伝えたかった意味を理解したときやっと楽になれました。
ああ、厳しい現実を突きつけるだけじゃなくて、そういうことが言いたかったのか、って思いました。


子供向け、って親御さんも一緒に見て考えて、お互いにそれを思い出に残すことに意味があるんじゃないかって思います。
「ただ子供に見せるだけじゃなくてお母さんなりお父さんなり、隣に座って一緒に見て下さい!」って言葉が聞こえてくるような映画でした。
主題歌もとっても元気がもらえる曲だと思うので是非聴いてください。



ここからはネタバレありの、感想です。
{netabare}
見終わって最初は、「お父さんはなんでお母さんにも手紙を残してあげなかったんだろう?」と思いました。
幼いももちゃんより、長年付き添ってきた妻の方が深く悲しみを背負っていることはお父さんも分かっていたはずなのに。
お母さんが見返している思い出のアルバムも、お父さんと付き合っている頃の写真から結婚式の写真。二人の思い出がいっぱいです。
大人だから大丈夫、なんて有り得ません。だって子供が生まれる前から一緒にいるんですもの。どれほど辛いことか。
所詮ももちゃんが主人公だから、お母さんはどうでもいいのかな・・・。なんて思ったりもしました。

でも、違ったんですよね。お父さんは誰よりも妻が悲しんでいるだろうことは分かっていた。だからお母さんを支える役目をももちゃんに託したんです。
ももちゃんへの手紙は、ももちゃんを元気づけることが目的じゃなくてこれからはお前がお母さんを支えていってくれよ、というメッセージだった。
亡くなってしまえば、死者が生者にしてあげられることなんて何もありません。生きている人間だけで支え合っていかなくてはならない。
でも幼いももちゃんにはまだそれが理解できなかった。
お母さんの危機に際して全力で頑張って、お父さんからの手紙を読んで。やっと、私が頑張らなきゃいけないんだ。って思えるようになったんだと思います。

これは生と死を軽々しく扱った作品では決してないと思います。
むしろ生きている人間への愛に満ちている。頑張れ!って言われた気がします。
特に年齢こそ違えど僕も同じような環境なので、より一層胸に突き刺さりました。
家族は、支え合って生きていかなきゃいけませんね。
{/netabare}



蛇足です。
{netabare}
そういえば、ももちゃんがお父さんが死ぬ前にキツい言葉を浴びせてしまったことを後悔する描写がありました。
ももちゃんはツーンとして部屋から出ていき、お父さんは悲しそうな顔をして……そんな回想でした。

あそこはももちゃんとお父さん、両方の立場に共感してしまったんです。
ちょっと自分語り入っちゃいますが勘弁してください。

小さい頃、自分の思い通りにならないと駄々をこねたり怒ったりしました。
あの頃は本当に自分のことしか考えられずに、親が何を思ってるかなんて全く意識になかったんです。
言いたい放題言って、その時に母や父が浮かべる愛想笑いもただの誤魔化しなんだって憤慨して。
「親なんだから、私との約束くらい守ってよ!」みたいな、いつでも自分を最優先するのが当然ってな感覚ですよね。
大事な子供との約束なら、そりゃ親だって一番に優先したい。けど、どうしても守れないときもある。
そんなとき、子供も悲しいけど親も同じくらい悲しいですよね。
ももちゃんはお父さんが死んだ後そこまで気付けたのでしょうか……だったら凄いと思います。


死んでから親の有り難みが分かるなんて言いますが、本当にその通りです。
自分のためにどれだけ愛情を注いでくれていたか、亡くなってからでないと当たり前すぎて気付けないことです。
今思うと、あの時の言動や行動はそういう意図があったのか。なんて思い返したりします。(ある日突然濡れ場のある成人漫画を買ってきてくれた父の考え、当時は理解できませんでしたが今ならそうだったのかと分かります。本屋で真剣に悩む父の姿を想像して自分の親ながら少し萌えました。)

本当はね、普段から「ありがとう」とか「愛してる」とか想いを表した方がいいと思うんですよね。アメリカ人みたいに。
ただやっぱり毎日顔を合わせる相手にそういうことをするのはどこか恥ずかしいみたいな所はありました。僕の父もそうだったようです。
ももちゃんもお父さんのことは大好きなのに、言葉にできない・素直になれない感じがあって、それはお父さんも同じ。

ももちゃんのお父さんの場合は思春期の娘だからもっと大変だったんじゃないかなって思います。
近すぎるとウザいと言われ、距離を取ると愛されてないと言われ、年頃の女の子ってかなり複雑ではないですか。
そんな中でお父さんなりに、頑張って接しようとしてるんですよね。
短いやり取りしかありませんでしたが、そんなお父さんの想いがひしひしと感じられました。

ももちゃんみたいにお父さんの死後言葉を伝えることができたら……なんて、ちょっと考えちゃいます。
現実では死んだ後じゃ遅い。生きてる人間にしか言葉は届きませんから。
このアニメ、10~20代の人は見ないだろうなあ。そういう年頃の人にこそ、見てほしいもんですよ。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

気がつけば、私、ひとりじゃなかった。

この作品は、まだ、あにこれのチャット部屋が賑わっていた頃、キャッチしている方からお勧めされた作品でした。
中々視聴する機会がありませんでしたが、この度ようやく視聴することができました。


”ももへ”とだけ書かれた手紙を遺し、お父さんは天国に旅立ってしまった。
「ほんとうはなんて書きたかったの?」

心ない言葉をぶつけ、仲直りしないまま父を亡くしたももは、その想いを抱えたまま、
母いく子と瀬戸内の島に移り住む。

慣れない生活に戸惑うももだったが、不思議な妖怪”見守り組”のイワ、カワ、マメと出会う。
食いしん坊でわがまま、でも愛嬌たっぷりの彼らには、実は大切な使命があった・・・・・・。
もものために明るく振舞いながら忙しくする母いく子。

そんな中、ちょっとのすれ違いからももといく子はケンカをしてしまい、さらにいく子は病に倒れてしまう。
母が自分の為に無理をしていたこと、母の想いに気づいたももは、
”大切な想いを伝える”奇跡を起こしていく――。


公式HPのSTORYを引用させて頂きました。

2012年に公開された作品なので、もう8年以上前になりますが、公式サイトが残っていてくれるのは、本編とは違った角度から見ることができるのでありがたい限りです。

物語の舞台は、「汐島」という瀬戸内海に浮かぶ小島で、広島県呉市の大崎下島がモデルになっているのだそうです(wikiより)。
島の景色、街並みや佇まいが物語のあちこちに散りばめられているので、聖地感が半端ないんです。
今はコロナ禍なので遠出はできませんが、フラっと訪ねてみるのも悪くないかも…
気の向くまま、足の向くままの散策…山の頂上からの景色は格別らしいので。

例え道に迷ったとしても大丈夫…
「道に迷ったら海を目指せ」
この島の外周は道路が一周しているのだそうです。
だから外周の道路に出られれば、方向を見誤ることはありません。
こんな風に思えるのも、作品の中でこの島の美しさが謳われているからなんでしょうけど…

作風にはちょっぴりジブリ感を感じましたが、その理由も公式サイトのINTRODUCTIONをみて納得。
アニメーション制作のProduction I.Gさんに加え、「もののけ姫「「千と千尋の神隠し」を手掛けられたスタッフが集結していたそうなんです。

声優陣は、声優業に特化した方が少ない印象でした。
主人公のもも役を演じたのは美山加恋さん。
アニメより女優としての活躍の方が幅広の方で、アニメもプリキュアやアイカツシリーズなどの出演が多いので、個人的には馴染みが薄いのですが、最近では「ハイキュー!! TO THE TOP」にも出演しているとか…
他には優香さん、西田敏行さん、山寺宏一さん、チョーさんなどなど…

一方、物語は「家族の在り方」がテーマになっていました。
勢いに任せて口にしてしまった一言が取り消せなくなってしまった…
相手はどう思っているかは分からないけど、少なくても自分の心にはトゲとして残り続け、時折思い出してはチクチクと胸が痛む…
きっと誰にでもこういう経験はあると思います。

本当はこんな展開なんてこれっぽっちも望んでいなかった…
ただサプライズをあげたかっただけなのに…
良かれと思ってやった筈なのに優しさが空回り…
それが子供ならなおのこと心の持ちようが分からないと思います。

加えて東京の都会から瀬戸内海の離島という天地ほど環境差のある場所も、色々と受け入れられない原因の一つだったのではないでしょうか。

そんな四面楚歌のももに起こる奇跡とは…!?
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

主題歌は原由子さんの「ウルワシマホロバ 〜美しき場所〜」
メロディが綺麗…さすが原さんと納得できる楽曲だったと思います。

上映時間2時間の作品でした。
私にとって涙なしでは見れない作品でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13

しゅりー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

不思議な清涼感に包まれたひと夏の物語

2012年4月公開。Production I.G制作。
沖浦啓之監督が家族の愛をテーマに描く劇場公開作品です。

父、カズオと交わした約束が果たせずに喧嘩になってしまった少女、もも。
仲直りを出来ないままに亡くなってしまった父の部屋には
「ももへ」とだけ書かれた手紙が残されていました。
父の死を受け入れられないままのももが、母のいく子が小さい頃に
住んでいた瀬戸内海のある島へ母とともに移り住むところから物語が始まります。


イワ、カワ、マメという3人?の愛嬌ある妖怪が登場することから
何だか妙なイメージを視聴前は持っていまいしたが、フタを開けてみると
とても夏らしい清涼感のある人間ドラマになっていました。

ももが島に移り住んだのは夏休み中とのことで、学校の存在は
あまり示唆されず、舞台は島の人々が暮らす風景の中に限定されています。
夏の太陽光の強さ、写真から切り取ったような懐かしさのある路地や
山の蜜柑畑の清々しさ、静かな温かみのある町の港など島の風景が
とても印象的に描かれているように感じます。

そんな風景も良いですが、本作は登場人物の表情や仕草に独特な魅力があり、
それが作品の雰囲気作りに最も役立っているように感じます。
登場人物の驚く表情や呆れた表情などで出てくるシワからは何とも言えない
愛嬌を感じますし、畳の上に仰向けに寝転がりながら足を使って
ズイズイ動いたりするももの仕草に等身大の少女らしさが見て取れたりします。
(この動作、文字で表現しづらいですが、肩に当たる畳の感触が気持ちよさそうです。)

あと、これは個人的な実感なのですが、ももという少女の描かれ方を見ていると
多少はっきりしない受け答えと少し遅れがちな反応が気になる部分が大きいです。
アニメやドラマのキャラクターはけっこう模範的というか型にハマった
感情表現を求められることが多いと感じているのですが、普通に生活している
人間がそんなにドラマチックな受け答えを出来ることは少ない訳で…。
そうしたところで、本作のもものちょっと戸惑ったり、事態を把握するのに
時間を使ってから何かしらリアクションをするような様は返って自然に感じました。

他にも島の少年、陽太の思春期らしい反応や郵便屋の幸市おじさんが
状況について行けずに表す戸惑いなど、登場人物の様々な反応に
ちょっと他のアニメでは感じないような親近感が湧くことがありました。
ただ、そこにいくとイワ、カワ、マメのコミカルな反応は他のキャラクターと
対照的に非常にアニメらしく見えて、変なところで妖怪らしさを感じます。
上記の印象は子供達の声優さんの素気ない素朴さを感じる演技と
妖怪役の声優さんの情感たっぷりな演技によるところもあるかもしれないです。

劇中のBGMはカレイドスターなどで音楽を手掛けられた窪田ミナさんとのことです。
原由子さんのEDテーマ「ウルワシマホロバ ~美しき場所~」と合わせて
舞台の穏やかなイメージに沿った音楽だったように思います。


物語の顛末については映画本編を観ていただくしかないですが、
終始、手紙の存在感を意識させられるということは言っておきます。

誰かに手紙を書くという事は、口に出して伝えるよりもよっぽど難しい。
書く側は想いをどう書き起こしても、その想いの何割も文字で表現出来ないし、
読む側だって書かれた内容から書き手の意図とは別の想いを抱くかもしれない。
そんな人の不器用さにジレンマを感じながらも、伝えたい想いの純粋さに
心を解きほぐされるような、そんな不思議な印象のあるアニメでした。

清涼感があると言うと裏返せばさっぱりしすぎているともとれますし、
お話の好みなどもあるかと思いますが、もしお時間が許すなら
観てみてはいかがでしょうか、とオススメします。

投稿 : 2024/05/04
♥ :

63.4 11 中学生アニメランキング11位
劇場版 デート・ア・ライブ 万由里ジャッジメント(アニメ映画)

2015年8月22日
★★★★☆ 3.7 (187)
1189人が棚に入れました
戦争(ルビ:デート)、再開。さあ――私たちと最高の戦争(ルビ:デート)を始めましょうシリーズ累計400万部突破!大人気アニメ「デート・ア・ライブ」の完全新作劇場版が早くもパッケージ化!異界より来たりて甚大なる力を行使せんとする《精霊》――彼女たちを無力化する方法は……デートして、デレさせること!?シリーズ累計400万部突破! 更に2度のTVアニメ化も経た最強のボーイ・ミーツ・ガール『デート・ア・ライブ』、完全新作の劇場版アニメがパッケージとなって顕現!

声優・キャラクター
島﨑信長、井上麻里奈、富樫美鈴、竹達彩奈、野水伊織、真田アサミ、内田真礼、ブリドカットセーラ恵美、茅原実里、雨宮天

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

さあ…私たちと最高の戦争(デート)を始めましょう

この作品が2度のTVアニメ化を経て劇場で公開されたのが2015年8月…
もう3年半も前になるんですね。

現在、3期目のTVアニメが放送されていますが、この作品を未視聴だったことに気付き早速視聴した次第です。
物語に繋がりがあるかと思っていましたが、完全新作アニメだったので現在の3期の視聴に影響を及ぼすことはありませんでした。

でも、流石劇場版…とにかく作画というか、キャラデザが綺麗…
この作品は美少女がたくさん登場するので、キャラデザの完成度はこの作品の根幹を支えていると言っても過言ではないと思いますが、そこは文句なしの合格点…

そしてデートアライブと言えば、日常のデートのみでなく激しい戦闘シーンもこの作品の魅力だと思いますが、その迫力も半端ありません。

何故、もっと早く視聴しなかったんだろう…
この手の作品は嫌いじゃないのに…というか、どちらかと言えば寧ろ好きなんですけどね。

そしてこの劇場版ならではの朗報がもう一つ…
本作品は完全新作アニメとして、新キャラが登場するんです。
そしてその新キャラのCVは、何と天ちゃんなんですよ。
視聴の気合いスイッチがONになるってもんです…

この物語の主人公は、五河 士道。
キスによって精霊の霊力を吸収・封印し、その霊力を自分のものとして行使することもできるという特殊な体質を持っていたのは少し忘れかけていましたけれど…

ある日、彼は他の誰にも見えない、自分にしか見えない存在が空中に浮遊しているのに気付きます。
勿論、その物体は精霊にだって見る事はできません。
調べてみると、その物体からは微かにですが精霊の霊力が感じられたんです。
その物体を見極め、適正な処置を施すことが決まり…物語が動いていきます。

適正な処置…と書きましたが、私たちのすべきは士道と精霊のデートを指を咥えて見ることなんですけどね。
しかし、士道の周囲を取り巻く精霊の数は半端ありませんね…
然るべき手順を踏んで増えてきたのは認識しているつもりなのですが、改めて見るとその数の多さに驚きを隠せません。

夜刀神 十香(CV:井上麻里奈さん)
五河 琴里(CV:あやち)
四糸乃(CV:野水伊織さん)
八舞 耶倶矢(CV:まややん)
八舞 夕弦(CV:ブリドカットセーラ恵美さん)
誘宵 美九(CV:茅原実里さん)

他にも「時崎 狂三」や精霊ではありませんが「鳶一 折紙」というお馴染みのキャラもちゃんと登場するので懐かしさを感じちゃったり…

デレっとした士道を見つつ物語が展開されていくのですが、そんな簡単に終わる筈のないのがこの作品のお約束…

天ちゃん演じる新キャラが物語にどう刺さり込んでくるのか、それに作品のタイトルにもなっている「万由里」と謎は深まるばかり…

どこまでも物語は熱くて…
存在自体が危ういにも関わらず、気持ちをどうすることもできなくて…
だって最初から燃えているんですから…生まれた時から燃え上がっているのですから…
最初から選択する道は決まっている筈なのに、心はそんな簡単に割り切れる訳も無く、突風に煽られた木の葉の様に舞い散る思いの先に何が待っているのか…
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

主題歌は、sweet ARMSさんの「Invisible Date」

上映時間72分の作品でした。
完走して振り返ってみると、この作品の原点が感じられる地に足の着いた作品だったのではないでしょうか。
これで3期の視聴に際して思い残すことは無くなったので、視聴にも弾みの付きそうな気がします。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 10
ネタバレ

邪神 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

満足!最高!

とても楽しみにしていたデートアライブの映画を見ることができました。
実はいつも利用している映画館では上映していなかったので、
あきらめかけていたのです。
ですが調べてみたところ、
         「伏見でやってるじゃんっ!」
というわけで行くことを決心し、ついでに特典も確認し、
個人的に欲しかった特典小説の開始日に行くとこにし、9/12に
行ってきました。
本当は友達と行く予定でしたが友達の予定が合わずキャンセルに!
というわけで初の一人電車and一人伏見でした。

さてさて感想に移るとしますか・・・

{netabare} 映画の感想としては
今までのデアラを一気に凝縮した感じでしたね。
主にミクのライブやプール、デートの場所などなど。
今回はだれか一人ではなく全員と一人1日のデートでした。
だからデートの時間が長い!映画の2/3以上がデート、デート、デート
「羨ましいな オイ!」 
最後のほうに戦闘がありましたがメインはデートでしたね。
この感想ではあえて戦闘については触れません。
       (だってデートしている時の精霊の方がが可愛いんだもん)
精霊たちは可愛いっ!しかし今回の精霊たちはデートの恰好が違い
可愛さが10倍増しです。(特に八舞姉妹の可愛さがすごかった。)
夕弦が鷲一にデートプランについて教えてもらもらっていましたが、
そのチョイスが「鷲一らしい」お店でした。(当然夕弦が変更)
各精霊とのデートもその精霊らしいデートで見ていて
こちらも楽しくなってくるようなデートでした。(途中で士織が登場)
万由里との別れは切なかったですがかなり楽しめたので良かったです。
映画では万由里とのデートはありませんでしたが、
そこは小説で補充しました。
あとミクが歌っていたGo☆サマーガールにはまってしまいました。
早くCDでないかな~
{/netabare}
できればアニメも3期をやってほしいものです。
やはり映画の視聴日は間違っていなかった!

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

【デートムービーかよ!?】→【デートムービーでしたーwww】

2013年春期、2014年春期と2期にわたってテレビアニメ化された『デート・ア・ライブ』の最新作
たぶんこれが最後のアニメ化と思われます


橘公司先生監修の下、オリジナルキャラクターの万由里を絡めた完全オリジナルストーリーの新作です


精霊達と士道との平和な日常に釘を刺すが如く天宮市の上空に現れた巨大な見えない球体
精霊達の波長を持つその球体は士道にしか認知することが出来なかったが、ラタトスクは精霊達のストレスが原因ではないか?という推測を立てる
そこで士道に精霊達のストレスを取り除くため一人ずつデートするように勧める
かくして、六人の精霊と士道の一対一の戦争<デート>が始まったのだった・・・


えー、この映画凄いですw
90分のうち60分くらい掛けて【デート】してますw
そんな中には美九のライブがあったり、水着シーンがあったり、例の士織さんが出たり(笑)と詰めに詰め込んだイチャラブコメディが繰り広げられます
ん?精霊とのデートってことは折紙さんは出番無し?
ご安心下さい、ちゃんと美味しいところを持っていってくれますb


で、逆にデートばっかでむしろ戦わんのか、と思いきやラストで待ち構える第三新東京市に襲い来る巨大な使徒・・・じゃwなかった;
3DCGで描かれる天使との迫力の一戦も見所
美味しいタイミングで劇中歌として掛かるsweet ARMSの「デート・ア・ライブ」には思わず鳥肌
しかしまあ、「天宮の空」だけにCVが「雨宮天」だったのはワザとなのか?w(お


はい、肝心の新キャラはこれまでのアニメに特にソレらしい伏線が無かったので、正直言うとパンチが弱かったです
ですからそれほど大層な作品では無いのですが、シリーズの最新作としてはまずまず楽しめる1本に仕上がっています
何より笑わせてもらえましたので満足です^^

投稿 : 2024/05/04
♥ : 9

65.5 12 中学生アニメランキング12位
未来のミライ(アニメ映画)

2018年7月20日
★★★★☆ 3.2 (228)
862人が棚に入れました
とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、甘えん坊のくんちゃん(4歳)に生まれたばかりの妹がやってきます。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんが出会ったのは、未来からやってきた妹、ミライちゃんでした。このちょっと変わったきょうだいが織りなす物語。それは、誰も観たことのない、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした―

声優・キャラクター
上白石萌歌、黒木華、星野源、麻生久美子、吉原光夫、宮崎美子、役所広司、福山雅治
ネタバレ

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

ちょっとした奇跡がつながってつながって、今の私達がいる。

『バケモノの子』に続く、
細田守監督の長編作品。

細田監督の作品の中では、
『時をかける少女』が一番好きです。

8月ごろに劇場で見てきました。
(レビューは書いていたのに、投稿が遅くなりました^^;)

大きくない会場でしたが、満員でした。

少し遅めの時間帯だったからかもしれませんが、
大人しかいませんでした。(年齢層はバラバラ。)

もっと子どもが多いかと予想していましたけれど。
でも内容は確かに子ども向けではないかな。笑

100分ほどの作品です。


● ストーリー
4歳のくんちゃん(♂)に妹ができた。

妹・未来(みらい)の世話に追われる両親に対し、
くんちゃんは寂しさを感じる。

むしゃくしゃする気持ちから、
わがままを言ったり、未来に意地悪をしたり。

そんな気持ちで中庭を通ると、
不思議な世界と不思議な人たちに出会った。


細田監督の作品には
現実世界に溶け込んだファンタジー設定が多い気がします。

今回もそうですね。

くんちゃんは中庭を通して、
家族の未来や過去に触れます。

そんなこと、
現実世界ではありえないファンタジーですが、

出会った人たちから教わったことを自分の行動に活かしていく様子は、
ただの4歳児にも見えます。成長だねえ。

ただ、これまでの作品で感じた
“どうなるかわからないドキドキ”という点からは
遠かったように思います。

むしろ、刺激を期待せず、
日常系作品だと捉えたほうがいいぐらいですw

育児に奔走する両親と、
両親の愛が欲しいくんちゃんの、

ちょっと慌ただしいけれど、
振り返ってみると、幸せと奇跡が詰まった日常。

そんな中に、少しのファンタジーを織り交ぜて…
という物語でした。


≪ 脚本ではなく、絵で魅せようとしていた? ≫

だけどごめんなさい、
私には物足りませんでした。

それはドキドキな冒険を期待していたから、
というのもあると思うのですが…。

くんちゃんは不思議な体験を、
日を置いて何度も体験するので、
短編集のようにも受け取れる作品です。

ひな人形のエピソードは、
嫌いではないのですが、
やたらと時間がかけられていたような。

飽きてきたなーと思い始めたところに、
{netabare} 無駄に緊張感を持たせた、だるまさんが転んだのような、スローモーション。 {/netabare}

それほど重要でも見せ場となるシーンでもないのに、

「私達は大きなスクリーンで何を見せられているの?」と
なんだかあきれてしまいました^^;


しかし、作画はきれいだったしこだわりも感じられたし、
全体的に力が入れられているのが、よく伝わってきました。

キャラの表情も豊かというか、顔芸というかw

今回の作品では、脚本よりも、
こうした絵で魅せようとしていたのかな?

描きたかったシーンやキャラの表情を、
楽しんで描く。

それがこの作品の源なのだとして、
こちらもそれをわかった上での鑑賞であれば、
もうちょっと楽しめたかも。笑


● キャラクター
甘えん坊の4歳児、くんちゃん。
いやーこの年頃の男の子はかわいいですね(*´Д`)ハァハァ

だけど、わがまま全開、駄々っ子全開。笑

愛するには、
難しいキャラですw

お母さんもお父さんもたくさん出番がありますが、
よくある両親キャラだし…。

未来ちゃんはかわいかったですが、
かわいいというだけで、特別なインパクトもないし…。

キャラで評価できるのは、
ひいじいちゃんぐらいかしら?

馬もバイクも乗りこなすひいじいちゃん、かっこよかったわー!
彼の起こした奇跡も素敵♪

cv.福山雅治なのは、気付きませんでした。
エンドロールで驚いたw


● 音楽
【 OP「ミライのテーマ」/ 山下達郎 】
【 主題歌「うたのきしゃ」/ 山下達郎 】

どちらも、なんだか懐かしさを感じるメロディ。

穏やかな2曲で、
この作品にも合っていたと思います♪

私は主題歌の方が好みかな^^


● まとめ
つまらなさや怒りを感じるほどではないですが、
全体的に平和なストーリーでした。

少なくとも、
「よし、観るぞ!」と意気込んで見るタイプの作品ではありません。

この作品を観終わった頃には、
子どもの成長を大らかに受け止められる気がする…そんな作品でした^^

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

不愉快です。クズ夫婦にイライラします。ネグレクトは虐待です。

 マイナス100点。最悪の映画です。

 子育てに大事なのは願いではありません。子供は勝手に育ちます。親の願いで育つことはありません。親ができることは危機回避と背中を見せることだけです。親が子供に願いだすと、それが暗黙でも言葉や表情、行動に現れます。絶対にやってはいけません。元気で健康に育ちますようにですら、病気が見つかったら、障碍者になったら失敗になります。子供のすべてを受け入れなければいけません。
 それで子供が逃げ出したり歪んだりする小説やアニメなんて沢山見てきたでしょう。このアニメは何を考えているのでしょうか。

 子育てに大事なのはスキンシップです。クリエーターで子育てものを作るなら心理学くらい確認しろ、と言いたいです。4歳くらいの男児ならネグレクト(放置)も虐待です。ましてあそこまできつく当たるのって何なんでしょう。陰でいくら愛してるといっても、子供に伝わらなければ意味がありません。何よりスキンシップ、特に母親との肌のふれあいが無い子供は不安定になります。

 母としてなぜあそこまで子供に冷淡になれたのでしょう。嫉妬で新生児に電車を振り上げても自制できる子供が、あそこまで傷ついているのです。我が子を追い込んだ自分を省みることができない、ということは仕事のレベルも推して知るべしです。しかも外に飛び出した子を追いかけもしないで。

 平等に愛情を注ぐように気を付けていてもどうしても妹に手がかかってしまう、という感じが全くありません。完全邪魔者扱いです。何かに気がついたり心配するそぶりも見せません。1場面くらい反省らしきことを言っていますが事の重大さも認識していないし、真剣に悩んでいる風にも見えません。
 入れ替わりで産休に入る人がいたって、子供が大切ならそんなのは会社の責任で何とかすればいいし、在宅だってできるでしょう。自分が全部正解みたいなツラで仕切るな、と言いたいです。

 今の時代ですから、仕事に出るなとはいいません。いや、推奨すべきなのでしょう。が、仕事をやっている奴がそんなに偉いのか?夫の批判をしているけど、お互い様という考え方はできないのか?と思います。
 本当に子育てに優先することが、仕事にはあるんでしょうか。食わなければいけないのはわかりますが、折り合いがつけられないのでしょうか。
 
 夫は夫で、自転車で補助輪を外して頑張っている我が子を放っておいて、あれはないでしょう。母親もフォローもしないし。犬に対しても同じだったということは、そういう性格なのでしょう。生活を考えない使い辛い家を作ったり。

 これって、庭の木が見るに見かねて助けてくれたってことでしょう。父親らしさも母親らしさも皆無です。若夫婦の奮闘記にしても、レベルが低すぎます。そもそも若くなさそうだし。35歳、精神年齢10歳にしか見えません。設定は良く知りませんが。

 まったく感動も感情移入もできませんでした。というか不愉快でした。



22年8月 評価見直し中。極端な評価や感情的な部分を補正。初回見たときの印象と改めて旧作と比較したときの点数の補正など。

 冷静に考えるとあのバイクの爺さんだけはキャラが良かったのでキャラとストーリーにちょっとずつ点数入れます…が、やっぱり良い感情がもてない映画なことに変わりありません。

 なぜかと言えば、夫婦が変わらないで、子供が木の力を借りて自分自身の旅で救済を得たからです。夫婦側でも旅があり何かを悟って間違いに気が付くならいいんですけど。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7
ネタバレ

ヲリノコトリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

ハートフル子供向け教育アニメ

 周囲の評価が相当悪かった気がしましたが、見てみたら割と良かったです。

 家族をテーマにすることが多い細田監督の作品の中でも、最も対象年齢が低く、ポニョとかクレヨンしんちゃんとかと同じで、小学生くらいに向けられた作品だと思われます。登場人物を反面教師として、子供の成長を促進したり夫婦関係を改善する効能がありそうです。

 だからまあ、細かいツッコミは野暮というか。別に3人で1本の笏とりに行ってもいいですよね。顔が面白かったら。「笏とるのに尺取り過ぎ」とかいうツッコミが思いついても飲み込めますよ、うん。

 そのほかも大体がノリと構図を重視したものでそこまで深く追及されることを考慮してなさそうなので別にいいとして。


 1つだけめちゃくちゃ深いと思ったシーンがありまして。
{netabare}
 駅員さんに「自分自身を定義しろ」的なことを言われて「お母さんの子供…」的なことしか答えられなくて……という場面(さっき見たばかりなのにふわふわな記憶)。

 劇中では最終的に、くんちゃんは「みらいちゃんのお兄さん」ということになって、親をめぐっての敵対関係が終わり、くんちゃんとみらいちゃんの関係が良好になる、というハッピーっぽいエンド。
 でも「自分自身の定義」って人生すべてでいえば、ここで終わらないですよね。「未来のくんちゃん」にはまた別の定義があるはずで、「親になったくんちゃん」にもまた別の定義がある。

 で、この質問に対して自分なりに答えが出ている状態がいわゆる「自我同一性の確立」ってやつなのかな、と思いました。つまり「自我同一性」とは「自分自身に不変の称号を与えること」なのかな、と。

 そんな風にこの作品は考えれば考えるほど深い……わけではないです。将来子供ができたら一回見せてみようかな、ってくらいのほのぼのアニメです。
{/netabare}


 あと他の人も書きまくってますが
{netabare}  くんちゃんの声よ。
 もう若い女性の声以外の何物でもない(笑)
 そう考えると幼稚園児の声ってあんなにツヤツヤしてないですよね。もうちょっとキンキンというか。 {/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 22

67.4 13 中学生アニメランキング13位
ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-(アニメ映画)

2015年12月5日
★★★★☆ 4.0 (127)
777人が棚に入れました
水とふれあい、水を感じることに特別な思いを持つ七瀬遙。小学生時代最後に出場した大会でのメドレーリレーで、橘真琴、葉月渚、松岡凛とともに、遙は「見たことのない景色」にたどり着いた―――。そして桜が満開の春。遙は真琴とともに岩鳶中学校へ進学。新たな生活が始まろうとしていた。水泳部に入部することになった遙と真琴は、椎名旭、桐嶋郁弥と4人でメドレーリレーのチームを組んで試合を目指すことになってしまう。考え方も目的もバラバラな4人。そして彼らにはそれぞれに抱えた悩みがあった。そんな中でリレーの練習を重ねるも、上手くいかないままで……。「チーム」となるために必要なこととは何か。過去のメドレーリレーに心が囚われたままの遙が新たな場所で何を思うのか―――。

声優・キャラクター
島﨑信長、鈴木達央
ネタバレ

かさい さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

女性向けアニメ

京アニファンでもなく、アニメファンでもなくこれはFreeのファンのためのフィルムなのかと振り返ってみて気づく。

Free,FreeES共に視聴済み

【物語】4.6
【構成】4.7
ストーリーは単純にそこまで面白くなかった。Freeと似たような展開。
構成は110分で結構まとまっていて、最後の締めも良かった。見方、見せ方にもよるけど、このカットいるか?と思えるカットも幾つかあった。
テンポはよかったのかな。過程と言うより遠回りが多かった気がする。
たとえば
{netabare}旭がフリーが泳げなくなる過程とその原因と、泳げそうになる過程を描いておきながら、フリーを実際に泳いでいる姿は描かないという。結果的にこの過程は単なる遠回りであって、旭には別の過程が必要だった気がしてならない。実際に、フリーを泳ぐ機会も場面的になかったわけだけど。その中で遥が人間だったという事実だけが明確になっただけ。{/netabare}

【作画】5.0
水の表現。感情表現。身体に関しては内海監督の拘りと比べれば落ち着いたと思えたのと、キャラが中学生だという事もある。誰が見ても凄いと思える水の表現。撮影と手描きエフェクトのバランスが良すぎる。泳ぎも凄かった。表情も素晴らしい。
特に細かい泡や水のエフェクトの物量と質は凄かった。バスケ作画もカッコ良かった。石立さんぽい気もする。
今作ではあまり頰ブラシを使わずに、色トレスしてた印象。境界の彼方とはまた違った感じ。
京アニ色での表現に特化しているし自分もかなり京アニの色に関して好きだけど、今回色は残念だった。夕景や夜に関してはもっといい感じの色を期待していたし、いい色だなと思えたのもアバンの水面の光の反射だけかな。中盤色が全体的に変わるけど、色で攻めてる京アニって感じではなかった。米田さん。


【美術】4.8
背景スゲェなとは思えなかった。基準はユーフォ。美術でいうと、境界の彼方やたまラブの方が質感も空気感も良かった。コースロープのCGとか、桜の花びらとかは安定の凄さ。今作では色はそこまで意識出来なかったかな。

【声優】4.5
これは今作では一つの問題だと思う。
何故声変わり一歩手前の中学1年の役を高校生役を演じたキャストが選ばれるのかと。それの裏を考えると、1期2期でヒットして得たファン層には勿論キャスト中心に追いかけているファンもいるわけで。そのファンを離さないためなのかなとか。そんな事が頭をよぎる。
鈴木さんとそのファンの方には申し訳ないけど、真琴はもはやキモいレベルだった。
細谷さんも中学1年生は無理あるだろ。逆に佐藤さんも可愛すぎて小学6年生気持ち悪い。内山くんもいまいちなりきれてない。どのキャストも高校生役で活躍しているのにも関わらず。さすがに無理を感じた。

【音楽】4.7
加藤さん。加藤さんの音楽は相変わらずいいのだけれど、Freeの劇伴の方がかっこ良かった気がする。キツめにつけて4.7。

【演出】4.8
テンポの良いギャグタッチな演出とか、ユーフォ7話みたいな色は結構武本監督なのかなと。背景を意図的にボケで潰したり。ブレとPANのとこは小川さんっぽい。アオリや俯瞰、影のつけ方が特徴的になったあたりは石立さんかな。京アニ補正付いてるけど、今作でダイレクトな演出を感じることは出来なかった気も…。
中学生らしい感情表現、感情の揺れとかを丁寧に描写しているとは思う。一般客には必要ない描写も多数ある。

【op&ed】4.6
OLDCODEXがそもそも好きではないので。たまラブみたいな素晴らしいedがあったではないし。
評価は難しいですね。

【世界観】4.6
{netabare}練習試合で散々な結果に終わったのに、皆で団結してから相手を寄せ付けない強さになった。
これは正直変化を極端にしすぎだと思う。ここまで極端にするぐらいなら練習風景をもっと描写して欲しかった。確かに元々の実力はあったのだろうけど…。{/netabare}
リアル準拠で、登場してくる中学生キャラは大抵いそうな感じのキャラでそこは面白かった。

【キャラ】4.6
中学生思春期としてのキャラはいいけど、アニメキャラとしては受け入れ難いキャラも。特に真琴はESから少しキモさはあったけど、今回は極まってた。おせっかい?表現が優しいですよそれ。女性向けであって男性向けではないとしみじみと感じてしまった。
{netabare} 尚先輩が旭を抱きしめるシーンや、真琴と遥の夜の水泳も女性向けである事を象徴するかのような演出だった。{/netabare}

どのキャラもホモ臭く、女性キャラなんて親以外出てこなかったのでは?その点Freeでは、百太郎や江ちゃんはいい感じにバランスをとっていたんだと思う。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

人気シリーズを原作へ回帰させるという難題への挑戦「可愛い」そう思えたのならこの映画は大勝利

2013年夏期の『Free!』と2014年夏期の『Free!-EtenalSummer-』の原案である『ハイ☆スピード!』の第2巻に当たる部分を映画化した作品


他媒体原作から離れたオリジナル展開に走るアニメは沢山ありますが、ほぼ独り立ちしてしまったテレビアニメシリーズから原作準拠へと話を戻すというのはなかなか無理難題だとあらすじを聞いたときから感じてました
しかも「高校生の肉体美を描く!」ということに注力していた肝心の重要人物、内海紘子監督が今作には【一切として関わっていません】
このことから、京アニ内でも相当混乱した状況下での制作となったことが予想されました
監督は『消失』以来の映画作品となる武本康弘、脚本は西岡麻衣子、上映時間は110分
珍しく石原立也さんはどこにもクレジットされていません


舞台は『Free!』の4年前に遡ります
中学校に入学したての七瀬遙と橘真琴は水泳部入部志望の椎名旭から執拗に一緒に入部しようと勧誘を受ける
しかし小学生校時代の遙、真琴、凛、渚の4人はまさに最高のチームだった、と喪失感に浸っていた遙は水泳部入部を頑なに拒否し、遙の意向に従っていた真琴も難色を示す
また、同学年で孤高を気取っていた桐嶋郁弥もまた、自身が水泳部部長の弟であるというコンプレックスを拭えず、水泳部から距離を置いていた
(彼は自己主張が強いこのシリーズのキャラの中では珍しく内に籠るタイプでしたね)
一悶着あったのち水泳部に入部した4人
で、あったが個々の得意分野が上手いことバラけてる、という理由でリレーのチームを組まされる
各々の実力は高かったがリレーとなると全く息が噛み合わない4人
そんな中、真琴は何かを思い詰めるように無茶な練習に没頭し、旭は突然フリーが泳げなくなり、郁弥は兄との溝をさらに深めてしまう・・・


まず『Free!』ファンに誤解を招きかねない内容なので説明させていただくと、舞台は中学校なので当然ながら当時小学生であった渚と怜の出番はほとんど無い
逆にこのとき既に留学中だった凛の代弁者として宗介が、のちのち同級生であったことが語られた貴澄(キスミー)が遙たちと初対面をしています
ちゅーことで一部のキャラのファンにとっては少し残念な作品なのかもしれません
純粋な目で新キャラの旭と郁弥を含めた4人の少年たちの部活青春モノとしてご堪能いただきたい


さてテレビシリーズより4年も前の話ってことで遙を演じる島崎信長、真琴を演じる鈴木達央は意識的に少年っぽさを醸し出す演技をしており、各々のキャラの描写もどこか可愛げのあるものになっているのが流石
水飛沫のエフェクト、水中に差し込む波紋で歪んだ光、少し濡れた感じの髪と肌など、丁寧な作り込みを感じる部分も沢山
また小学生の渚を佐藤聡美が演じてますが、テレビシリーズでのヨナガッパの演技を間近に観ていたおかげなのか、はたまた元々の実力なのか、まさに‟小さいヨナガッパ”という好演が観受けられ「ホント、プロ声優って素晴らしい」と感じさせてくれます


その一方で男子中学生が4人(キスミーも含めれば5人)も揃えばお馬鹿な会話が弾むモノ、ってことで男子中学生の愉快な日常風景としても楽しめる作品になっております
お泊りのくだりはみどころ


ただ山場の一つである遙と真琴が月夜に着衣水泳するシーンは・・・アレはファンタジーってことにしときましょう;
リアリティを感じる作品の中で着衣で、水中で、背面で、アイコンタクトってのはいくらなんでも無理やw
おまえらはイルカか(笑)
そうかー、これって美少女動物園に対抗した美男子水族館だったのか(自己完結)


結論として今更原作に引っ張り戻そうとか虫が良すぎると思います;
未だ『ハイ☆スピード!』と『Free!』の間には‟空白の4年間”がありそのミッシングリンクにもなっていませんし
ですが『Free!』とは無関係に1本の映画として纏まった作品になっております
ので、『Free!』をよく知らない方にも観てもらいたい作品ではありました

投稿 : 2024/05/04
♥ : 9

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

仲間と泳いだ、もう一つのチームの物語

アニメ「Free!」の劇場版であり、
遥(はるか)と真琴(まこと)の中学生時代のお話です。

このシリーズの原案となった小説のアニメ化ですね。
私は読んでいないのですが^^;

高校生版でメインキャラとなる5人+2期で活躍した宗介(そうすけ)は、
何らかの形で登場していました。

時系列的にはこの作品が一番最初の物語ですが、
見るのは2期の後がいいかな。

110分ほどの作品です。


● ストーリー
中学校に進学した七瀬遥(ななせ はるか)と橘真琴(たちばな まこと)。

部活を何にしようか迷っているところで水泳部に勧誘され、
流れで入部することに。

1年生は、遥と真琴、
そして椎名旭(しいな あさひ)と桐嶋郁弥(きりしま いくや)の4人。

この4人でリレーのチームを組まされるが、
それぞれの悩みが邪魔をして、なかなかうまく息が合わない。


スイミングクラブに通っていた経歴があり、
泳ぎには自信がある4人ですが、新しい環境に戸惑います。

それぞれが悩みにぶつかって、もやもやを抱えて、
それが邪魔をしていい泳ぎができない。

思うようにいかないから、
余計もやもやする。

中盤まではなかなか苦しい展開でした。
遥と真琴がすれ違う様なんて見たくないよー(´;ω;`)

遥は小学生でのリレーが楽しくて最高で、
あれ以上のものはできるはずがないという寂しさから、

真琴は自分は水泳が好きではなく、
遥といたいから泳いでいるのか?という悩みから、

旭は今まで泳げていたフリーが
急に泳げなくなった恐怖から、

郁弥は兄に突き放された寂しさから。

でもそれを互いの存在で打ち破ることができた時、
4人は最高のチームに…という、終盤への勢いが止まらない物語でした。

いいメンバーだと思うけど、
本編の岩鳶(いわとび)高校水泳部のメンバーに比べると、
やはり劣ってしまう気がしました。

高校時代の方が、
遥も真琴も生き生きしていたような。笑

1期や2期で中学時代の話が少しも出てこなかったのは、
その後3年間どうだったの?と、不安にもなりましたw


≪ 笑いは少なめ、な雰囲気 ≫

中学生が悩みにもがいている場面が多く、
本編のようなふわふわした楽しさは少なかったです。

メインのキャラが数人変わるだけで、
作品の雰囲気も変わるものだなあと感じました。

個人的には本編の方が楽しかったなあ。
怜と渚の2人(特に渚)と凜の存在が恋しくなりましたw


● キャラクター
遥たちと一緒にチームを組む旭&郁弥は、
それぞれにちゃんと魅力を持っていたと思います。

“バカ旭”の呼び方がこれほど似合う人はいないだろうと思うほど、
単純でムードメーカーな旭と、

素直じゃないけれど、
だからこそたまに素直にデレた時の破壊力がすさまじい郁弥。笑

でも私は二人以上に、
先輩である尚(なお)&夏也(なつや)が印象に残りました。

先輩として、後輩の葛藤を見守り、成長に喜ぶ。
こうして見守る存在って、温かくていいなあと思います。


● 音楽
【 主題歌「Aching Horns」/ OLDCODEX 】

1期と2期でOPを担当していたOLDCODEXが主題歌担当です。

OLDCODEXの曲はこの作品のイメージの一部だから、
今回も違和感はまったくありませんでした。

エンドロールによく合っていました^^


● まとめ
タイトルが「ハイ☆スピード」と、
これまでとは異なる名前になっていることからも、

こちらはアニメのサブストーリーとして楽しむのが
ちょうどいいかもしれません。

特別版の映画や3期にこの中学時代のキャラたちが登場するので、
続編を観ようと思っているならば、見逃せない作品なのは確かです。

高校時代よりもちょっと幼くて、まだ筋肉も未熟な遥たちの、
少し青い物語に甘酸っぱくなりました(*´ω`)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

65.1 14 中学生アニメランキング14位
魔女っこ姉妹のヨヨとネネ(アニメ映画)

2013年12月28日
★★★★☆ 3.8 (116)
737人が棚に入れました
その時代その国には、魔法や呪いをかけたり解いたりすることを生業とする 人々がいました。その時代の魔の国。樹老長さんの森で、のろい屋を営む魔女の姉妹がいました。のろい屋では、姉のヨヨさんと妹のネネちゃんが、魔法や呪いに関する人々の悩みの依頼を日々解決していました。そんなある日、森に突然異形の大樹が生えてきました。よく見ると、大樹は見たこともない建物に絡みついています。それは、22 人が住む魔の国にはないはずの、現代的な高層マンションだったのです!さっそく調査にあたるヨヨさん。建物内で見慣れない人影を見つけて追いかけると、今度は足元に謎の魔法陣が浮かび上がり、不思議な光に包まれて……。ヨヨさんが飛ばされた先は、見知らぬ異世界。そこでヨヨさんは、孝洋と亜紀という二人の子供に出会います。孝洋たちは突然目の前に現れたヨヨさんに戸惑い、自宅へ逃げ帰りますが、孝洋の自宅で待っていたのは……何と“化物”になってしまった両親の姿でした!目の前の出来事が信じられない孝洋たち。そんな様子を見てヨヨさんは呟きます。「これは……呪い!!」異世界に迷い込んでしまったヨヨさんは、まずは孝洋たちの両親を化物に変えた魔力の元をたどることにしました。一方、魔の国に残されたネネちゃんは、魔の国と異世界で起こっていることには何か関連があるのではと考え始めました。魔の国と異世界に一体何が起こったのでしょうか!!かくして、2つの世界をまたいだヨヨさんとネネちゃんの不思議な冒険が始まるのです!!!!

声優・キャラクター
諸星すみれ、加隈亜衣、沢城みゆき、櫻井孝宏、佐々木りお、子安武人、中川翔子、長克巳、本田貴子、氷上恭子
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

ほいっ!

 あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。100分くらいの子供向けの魔女っこファンタジー。
 生と死を軸として信じる心を問う作品、ってところですかね。あまり有名ではない作品のような気がしますが、もっと評価されていい作品だと思います。大人でも感動できる秀作に仕上がっていました。


もう少し子供への配慮を:{netabare}
 魔法の触媒の影響で魔の国に異変が起こる、というオープニングテーマ直後のシーンなんですけど、こんな感じで描かれていました。「触媒をまじまじと見る」→「触媒を目の前に置く」→「触媒が光る」→「会話」→「異変が起きる」
 この流れがちょっと不親切に感じました。触媒が光ったことが原因で異変が起きるんですけど、会話の当事者の誰もが触媒の光に気付かないんです。会話に気を取られたとはいえ、目の前に置いた触媒は露骨に光りますからね。何で誰も気付かないの?と違和感を感じてしまいました。

 普通こういうシーンでは、触媒を少し離れたところに置くとか全員が触媒から目をそらすカットを入れるとか、「登場人物は触媒を見ていないから、その光に気付いていませんよ」っていう説明をきっちり入れると思います。これによって「登場人物は知らないけど、視聴者は手掛かりを持ってるよ」という両者の情報ギャップが生まれます。

 この情報ギャップって、この作品に限らずかなり大事なものだと思います。視聴者は物語の概観が分かりませんから、どこを手掛かりにストーリーを追えばいいのかも分かりません。そこで、視聴者と登場人物の間に情報ギャップを生じさせることで、視聴者に「登場人物がいつそれに気付くのか?」という指針を与え、ストーリーの展開を予測させるのです。
 第一話が見終わっても、この作品は何をしたいの?なんて疑問が生まれてしまう作品は往々にしてありますが、その多くはこの「視聴者に予測させる」って視点が欠けているからなんだと思います。

 こういう情報ギャップって、ごく普通に使われているためにほとんど意識することはないと思います。例えば、名探偵コナンなら「犯人側の動きを見せる」だし、エヴァなら「ゼーレの会話を入れる」だし、戦争ものなら「敵国の動きを見せる」って感じですね。たったこれだけで「主人公たちは知らないけど、私たちは知っている」情報が生まれます。私たちが知っている情報に対して主人公がどう向かっていくのか、すなわち、どのように情報ギャップが埋まるのかっていうのがストーリーの理解に役立っているってことですね。

 で、この作品では出来てないって話ではありません。仕事の依頼人の顔が視聴者にはしばらく分からないんですけど、これも情報ギャップとして機能しています。「登場人物たちは知っているけど、私たちは知らない」っていう前掲の逆パターンで、「私たちがいつ知ることが出来るのか?」をフラグとして機能させるものです。つまり、私が言いたいのは「出来てない」ではなくて、「子供向けとしては不親切だ」って話です。
 触媒が光った後に会話のシーンがあるので、会話に気を取られて触媒を見ていなかったんだな、という理解は可能なんですけど、理解に労力を使ってしまうせいで予測が不十分になってしまいます。もちろん大人は理解した上で予測も出来ると思いますが、子供には理解するのが精いっぱいかも知れないな、とも感じました。子供に順序良く説明するって姿勢がやや欠けている気がしたってことです。子供向けの映画を作るのなら「大人が分かる」レベルではなくて、「子供にも分かりやすく」って意識の方が重要だと思います。
 これは単なる一例に過ぎませんが、信じる心が大事っていうメインテーマもちょっと分かりづらかった気がしました。
{/netabare}

話の進め方はかなり上手い:{netabare}
 上記の話っていうのは、正直言っていちゃもんレベルです。平たく言うと「触媒を目の前に置く」→「触媒が光る」の間にある「目をそらす」っていうのをもっと子供に分かりやすくしろってだけの話ですからね。大人向けの作品ならあの描き方で十分ですし、あのシーンのみをもって作品の質がどうこうって話でもありません。
 ただ、平尾隆之監督の作品を見るのはこれが初めてでしたので、こちらとしてはどんな監督なのか探ろうと細部まで目を凝らしますし、子供向け作品に必要な子供への配慮のところは優先的な確認事項になりますからね。


 じゃあ、この監督の話の作り方がヘタなのかって言うと、そんなことはありません。大きな流れも小さな流れも、話の進め方自体は非常に上手い監督だなと思いました。

 魔の国からこっちの世界に飛んで来て、「違う世界に来ちゃった!」と気付くシーンがあります。
 多くの作品では、飛んで来た直後にパノラマで別世界の景色を見せて「違う!」とやってしまう気がします。飛んで来たタイミングと気付くタイミングを一致させるのです。

 この作品ではちょっと凝ってて、「子供たちを追ってこっちの世界にやってくる」→「消火器を魔法のホウキ代わりにして追いかける」→「追いついた後に家の中で会話する」→「消火器に掛けてた魔法が解けて、部屋中に煙が充満する」→「『窓開けろ!』から外の景色を見て『違う世界に来てる!』」てな感じになっています。
 ここでの「子供たち」っていうのが主人公ではない主要人物なんですけど、主人公と主要人物の出会いのシーンと異世界に来たことに気付くシーンが、ぶつ切りにされずに綺麗につなげられています。オープニングではこれでもかとホウキで空を飛ぶシーンが描かれていますし、そこからもつながりを感じられます。
 また、このシーンからは、主人公の性格も分かりますよね。状況確認を優先する冷静沈着型ではなくて、考えるよりまず行動するタイプだったのが伝わってきます。話をスムーズにつなぐだけでなく性格付けまでしているわけですから、素直に話を作るのが上手い監督だなぁと思えました。

 小さな話の流れだけじゃなくて、大きな話の流れも上手かったですね。魔の国の死生観とこっちの世界の死生観が違うっていうのが、テーマ的にもストーリー的にも重要な要素になっているんですけど、ここも段階を踏んで綺麗に作られていました。
 主人公のヨヨが交通事故から小さな子を助けた後に、そのお母さんから感謝されるシーンがあって、このときヨヨは「なんで感謝されるのか分からない」と言っていました。こっちとしては感謝して当然の場面ですから、そんな感想を持ってしまうヨヨの方が分からない、というしこりが残ります。
 この後の魔の国のシーンで、いとも簡単に死者蘇生がなされます。そのため、「魔の国では死が重たくないんだ」という解答を得ることができて、件のしこりが解消されることになります。この後の展開は、こっちの世界での死に触れて、生に触れて、そして…って感じに流れますが、ネタバレが過ぎるのでここまでにしておきます。
 まず疑問を持たせて、次にそれを解消して、疑問が溶けているのに「この後どうなっていくの?」と感じさせるこの展開の仕方はお見事でした。
{/netabare}

山場がちょっと弱い:{netabare}
 これ100分くらいの作品なんですけど、最終局面に入ってからが40分くらいあります。感動を作るスローテンポな部分も含まれていて、それ自体は非常に良いんですけど、全体としては冗長な感じを受けました。
 子供向け作品には終盤のアクション要素って大事だと思います。子供の集中力ってそんなに長くは続かないですから、子供に気を引かせるための派手なアクションは欠かせません。大人ですら冗長な感じを受けたのなら、子供には尚のこと退屈だったかもしれません。

 で、この作品のアクションは序盤から空を飛びまくっているのもあって、結構派手で楽しいです。でも、ずっと同じ派手さではメリハリが無くなって息切れしてしまうっていうのもありますよね。しかも、終盤のアクションはビルをよじ登るっていう地味なシーンに尺が取られていますし、感動シーンはスローテンポだっていうのもあってかなり失速してしまったような気がします。

 個人的には、あのロボットにもっと活躍してもらうか、歌のシーンを入れて欲しかったです。
 ロボットの活躍はちょっと地味でしたよね。もっと街を破壊してもいいのではないでしょうか。子供向け作品とはいっても遠慮はいらないと思います。ポケモンでもドラえもんでも、人的被害の無い破壊シーンは結構派手にやってますからね。
 それか歌ですね。序盤の歌のシーンは、かわいくて楽しくてすごく良かったです。魔女っこもので序盤に歌を入れたのなら、最後の締めも歌で盛り上げちゃえばいいんじゃないの?と思いました。あれだけ楽しませられるのに序盤だけってのももったいないですからね。
{/netabare}

雑記:{netabare}
 平尾隆之監督って本作が監督デビューではなくて、「空の境界 矛盾螺旋」っていう作品を撮っているみたいですね。私は見ていないので分かりませんが、タイトルから察するに子供向け作品ではないと思います。平尾隆之監督が今後も子供向け作品を続けるかどうかは分かりませんが、小学生以下の子供をターゲットにした作品を撮るつもりなら、もっと分かりやすさを意識して欲しいかなぁなんて思います。

 なんか文句ばっかり書いているように思われるかもしれませんけど、決して文句が言いたいわけではありません。冒頭でも述べましたが、作品全体は良いものに仕上がっていますし、私は結構楽しめました。子供向け作品にはそれなりの気の使い方をすべきだっていう私の個人的な思いを述べているだけですからね。大人向け作品は相当良いものが作れそうだな、と思ったのは事実なので、次は続き物じゃない大人向け映画を見せて欲しいかな。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

最高!最高!!最高!!!老若男女問わずして、この映画の魔法にかかって存分に癒されて下さい!\(^ω^)/ホイ!(^人^)

原作はイラストレーターの「ひらりん」がCOMICリュウに連載していた漫画『のろい屋しまい』
漫画自体は割りと殺伐とした絵柄と内容なのですが、この『のろい屋シリーズ』は連載終了後も派生作品が作り続けられ、【絵本や児童文学】といった非常に多岐に渡る展開を見せており、コアな漫画ファンのみぞが知るところならぬ多くの世代から支持される作品なのです










この物語の主人公は幼い姿をしながらも絵本級大魔法使いと謳われ、底なしの魔力を持ち、33歳で世界を征服するであろうといわれる“ヨヨさん”
そしてヨヨさんが好きで好きで堪らない努力家の最優秀お手本級魔法使いの“ネネちゃん”
二人は姉妹で「かけます ときます のろい屋」をキャッチコピーに魔法や呪いが現実に存在する『魔の国』で『のろい屋』と呼ばれる職業を営んでいます


ある日のこと、魔の国に突如として高層マンションを抱え込んだ大木が姿を現し、それを調査していたヨヨさんはエレベーターに閉じ込められ、そのまま現代社会の日本、横浜へと転移させられてしまいます
ヨヨさんが現代社会で最初に出会った少年“孝洋”と幼い女の子“亜紀”の家族に起こった呪いと思われる不思議な事件を解決すべく、ヨヨさんはのろい屋として仕事を引き受けます
一方のネネちゃんはなぜ魔の国に現代社会の建造物が現れたのか?ヨヨさんが元の世界に戻る方法はあるのか?、を魔の国の側から調べていきます
二つの世界に裂かれた姉妹の絆、やがて明かされていく事件の真相のスケール感
老若男女ヒトを選ばない魅力は“いま最もジブリに近い作品”と言えるでしょう
前半は笑いが、後半は涙が止まらない、そして最後は癒される、一大エンターティメント作となっています^^b










まず魅力的な原作をあえてスルーし、本当の意味で子供も大人も関係なく楽しめるように練りこまれたオリジナルストーリーが素晴らしい
特にサムネイルを拝見していただくとわかるよう、異世界に渡ってしまったヨヨさんの体を彼女の精神年齢を具現化したような中学生ぐらいに設定したことはナイスです


また、始めは異世界の出来事に興味を示さなかったヨヨさんの心境変化の描き方
クライマックスで絶体絶命の危機に立ち向かうヨヨさんのひた向きな姿勢もアツいみどころです


ヨヨさんを心配するネネちゃんとの姉妹の絆は涙を誘う場面でありますが、この辺りは原作を読んでいるとネネちゃんがヨヨさんを溺愛するワケなんかも解って感動倍増しますよ



監督には『矛盾螺旋』『ギョ。』『桜の温度』の平尾隆之
これまでの監督の作品は画面のほとんどが一色の色で統一されていました
矛盾螺旋では小川マンションの電灯の色で“オレンジ”
桜の温度では廃屋に振る月明かりで“ブルー”といった具合です
対して今作では森林の木々一つとってもピンクやライトブルーを豊かに織り交ぜた色彩で魔の国の姿を描いているのが興味深いところ
尚且つこれが“温かみのある色”で目にドぎつい感じにはなっていないのがイイ!


音楽には『ゴッドイーター』の以降の平尾作品の常連、椎名豪
今作では電子音、クルマのエンジン音、時計の音など効果音を楽曲の中に組み込む実験的な挑戦をしつつ
ディズニーよろしくミュージカル風に歌い出すヨヨさんが楽しげに歌う挿入歌から
そして物語後半を盛り上げる厚みのあるオーケストラやスピリチュアル風のコーラスまで
いや、盛り上げるというよりかヨヨさんの悲しみや憤りのスケール感を演出するのに一役買ってるんですよね、凄いんですよ
よく聞けば挿入歌こそが今作のメインテーマであり、BGMのほぼ全てのメロディラインが挿入歌に集約されてることに気付きます


キャストの熱演も素晴らしく、みゆきち、しょこたん、本田貴子さんは言うに及ばず、特にヨヨさん役の諸星すみれちゃんが目(耳)を引きます
この近年成長が著しい“天才”の起用は実にナイスセンスでしたb
2013年はシュガーラッシュといいコレといい、個人的にはすみれちゃんイヤーでしたわぁ・・・


兎にも角にもこの作品の全部を諸手を挙げて絶賛したいんです!\(^ω^)/
監督も大人向けに作ったつもりは無かったというものの、“アニメの面白さ”や“魔法への憧れ”といった原初的体験を思い起こさせる今作は、それらを忘れてしまったオトナの心にも響くんだと感じましたよ!
2013年における【ベスト映画】でした!間違いねー!

投稿 : 2024/05/04
♥ : 40

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

かけます! ときます! のろい屋しまい!

この作品の原作は未読ですが、完全オリジナルストーリーだったみたいですね。
すみれちゃん、くまちゃん、みゆきちが出演されているのを知り、視聴が楽しみになった作品です。


その時代その国には…
魔法や呪いをかけたり解いたりすることを
生業とする人々がいました。

その時代の魔の国。
樹老長さんの森で、のろい屋を営む魔女の姉妹がいました。

のろい屋では、姉のヨヨさんと妹のネネちゃんが、
魔法や呪いに関する人々の悩みの依頼を
日々解決していました。

そんなある日、森に突然異形の大樹が生えてきました。
よく見ると、大樹は見たこともない建物に絡みついています…
それは、2人が住む魔の国にはないはずの、
現代的な高層マンションだったのです!

早速調査にあたるヨヨさん。
建物内で見慣れない人影を見つけて追いかけると、
今度は足元に謎の魔法陣が浮かび上がり、
不思議な光に包まれて…。

ヨヨさんが飛ばされた先は、見知らぬ異世界。
そこでヨヨさんは、孝洋と亜紀という二人の子供に出会います。
孝洋たちは突然目の前に現れたヨヨさんに戸惑い、
自宅に逃げ帰りますが、孝洋の自宅で待っていたのは…
何と"化物"になってしまった両親の姿でした。
目の前の出来事が信じられない孝洋たち。
そんな様子を見てヨヨさんは呟きます。
「これは……呪い!?」

異世界に迷い込んでしまったヨヨさんは、
まずは孝洋たちの両親を化物に変えた魔力の元をたどることにしました。
一方、魔の国に残されたネネちゃんは、魔の国と異世界で
起こっていることには何か関連があるのではと考え始めました。
魔の国と異世界に一体何が起こったのでしょうか!?
かくして、2つの世界をまたいだヨヨさんとネネちゃんの
不思議な冒険が始まるのです!!


公式HPのSTORYを引用させて頂きました。

少しボリュームのあるSTORYですが、この作品のポイントを的確にとらえていると思います。
主人公のネネちゃんは、元気いっぱいの女の子…すみれちゃんの声質も生き生きとしたキャラに彩りを与えています。。
何でも絵本級の大魔法使いなんだとか…

くまちゃん演じる妹のネネちゃんは、最優秀お手本級魔法使い…
姉のヨヨは無尽蔵な魔力の持ち主ですが、ネネちゃんは生まれつき魔力は多くありませんでした。
でも、努力家で魔法中学校を首席で卒業する頑張り屋さんなんです。

ネネとヨヨはとっても仲良しで、お互い思い合っているのが手に取るように分かるところも心地よかったですし高評価です。

ヨヨが飛ばされた異世界は、現代の日本みたいな感じ…
だから魔の国とは見た目からして大きく違うのですが、違いは見た目だけじゃなかったんです。
それは魔法使いの根幹にも関わる禁則事項…

全年齢対象の骨太ファンタジーなので、勧善懲悪的な展開は微塵もありません。
そう、最初は良かれと思って…それが人の役に立つから…幸せをおすそ分けしたいから…
きっとこれ以上の純粋な気持ちなんて無いくらいの場所がスタート地点なんです。
だけど、際限無い人間強欲が純粋な気持ちを汚していくんです。
そしてそれは気持ちから形へと姿を変え、きっちり本人に還元される…
所謂、この世の理というヤツでしょうか。
でもそれを不条理だと感じる人間を守るため全力で抗うのがヨヨさん…なんですよね。

一方、ヨヨだって万能ではありません。
それが在り方から異なる異世界ならなおのこと…
だからヨヨにとって今回の冒険は、貴重な体験になったことと思います。
命の尊さ…温かな心遣い…自分より他人を優先する心…
どれも魔の国じゃ体験できなかったことなのではないでしょうか。

アニメーション制作はufotableさん…
作画もしっかりうごいていましたし、本作品でも良い仕事してくれていますよ。

上映時間約100分程度の物語でした。
掛け値なしに面白い作品だと思います。
あにこれでの人気は決して高くはありませんが、もう少し評価されても良い作品なんじゃないかと思いました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 14

68.2 15 中学生アニメランキング15位
きんいろモザイク Pretty Days(アニメ映画)

2016年11月12日
★★★★☆ 3.9 (155)
684人が棚に入れました
イギリスからやってきた高校生、アリス・カータレット! 大親友・大宮忍の家にホームステイしています。アリスに忍、凸凹コンビの小路綾と猪熊陽子、アリスを追いかけてきたもう一人のイギリス人留学生・九条カレンたち仲良し5人組は高校2年生の秋を迎えます! アリスと忍、二人一緒に玄関をくぐれば朝日に照れされてキラキラ輝く通学路。通い慣れた道を小走りに駆けていって、いつもの駅前でいつものメンバーと待ち合わせて。綾に陽子、そしてカレンが笑顔でアリスたちを迎えます。どこにでもあるようで、世界に一つしかない彼女たちだけの大切な日常――プリティ*デイズ! 二度目の学校祭が近づいてきたこの頃、忍の様子がちょっとおかしい!? 「このところ、なんだか朝が眠くて……」いつものんびりしている忍ですが、クラスの演劇で脚本&衣装リーダーを任され、頑張りすぎているみたいです。違うクラスのアリスと陽子も、その様子は気にかけているけれど……果たして忍たちの劇は無事成功するのか、どうなる学校祭当日!?

声優・キャラクター
西明日香、田中真奈美、種田梨沙、内山夕実、東山奈央

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

世界に一つしかない彼女たちだけの大切な日常…プリティ・デイズ!

この作品は2013年の夏アニメ、2015年の春アニメとしてテレビで2期分放送されている上、この劇場版は2016年の11月に封切りしています。
これまでテレビ放送はリアルタイムで視聴してきましたが、劇場版まで手が回らず封切りから2年…ようやく今回視聴することができました。

自分の視聴履歴を振り返ってみると、テレビ放送の視聴が主体になっています。
最近、テレビ放送の続編がは劇場で…のパターンが決して少なくないなか、この作品を含めて結構視聴できていない作品が多い事に気付きました。

現在の視聴スタイルは今後も維持したいと思っていますが、時間を作って劇場版の視聴も進めなきゃと本作を見て痛感しました。

この作品では、大きく2つの時間軸における物語が描かれています。
一つは現在進行形でテレビ放送後の一幕…
そしてもう一つは、5人組になったいきさつ…アリスとカレンは高校からの留学生である事は周知の事実なのですが、これまであまり触れられなかった「しの、あや、陽子」が親友になったきっかけが描かれているんです。
そしてこれが…テレビ版視聴済の方にとっては堪らない作品に仕上がっていたんです。

監督は天衝監督…アニメーション制作もStudio五組とテレビ版のスタッフが踏襲されており、クオリティは折り紙付きです。

となると、気になるのは物語の展開…になる訳ですが、個人的には「しの、あや、陽子」が親友になったきっかけの物語が胸に響きました。

この物語の視点…種ちゃん演じるあや目線で描かれているんです。
5人の中で一番真面目な性格の持ち主である彼女は、普段みんなから一歩引いた場所が彼女の立ち位置…
5人の輪の中における立ち位置は、自然に…だけど全員納得の上で決まっているとばかり思っていました。
けれど、性格が真面目な上、少し引っ込み思案だけどツンデレ成分を含んだ彼女は、仲間の中で一歩踏み出すタイミングが遅かったり機を逸したり…
もちろん、仲間思いの優しい良い子なんですけどね…

でも…「しの、あや、陽子」は初めから3人組では無かったんです。
しのと陽子は小学校からの幼馴染で、二人の通う中学にあやが転校してきて接点が生まれたんです。

大切なのは一緒に過ごした時間の長さじゃない…
どれだけ濃密な時間を一緒に過ごしたか、の方が時として大切なこともあるんです。
年を重ねて振り返ってみると、その当時頑張っていたことが今では良い思い出になっていますから…

3人には目標がありました。
目標は別々…だけど必ず通らなければいけない通過点です。
「どの様にクリアするか」と「どれだけ本気で取り組んだか」の2点が大切なこの通過点…
「しの、あや、陽子」はどの様な軌跡を描いたのでしょうか。
感じられるのは成就させたい願いに込められた努力と沢山の優しさ…
やっぱりこの作品はあったかいなぁ…と心の底から思いました。

そして物語は現在進行形と結び付きながら怒涛のフィナーレを迎える事になるのですが、何ともこの作品らしい展開が待ってくれています。
こんなに面白いならもっと早くに見ておくべきだった…と本気で思えた作品でした。

オープニングテーマは、「Happy★Pretty★Clover」
エンディングテーマは、「Shining Star」と「Shining Star」
3曲ともRhodanthe*の皆さんが歌っています。

上映時間50分の作品です。
私の様にテレビ視聴済みで劇場版未読の方には、是非お勧めしたい作品です。
5人組のみんながこれまで以上に輝いて見えると思うので…

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

受験生の皆さんにこのトーテムポールの歌を贈りたい。

原作コミックは五巻まで購読中。

短編アニメ映画一本のために、
わざわざ映画館に遠出するのもどうか?とも思いましたが、
冬の寒さが厳しくなっていく、ここ北陸でも、
一月遅れで映画館で難民向けに期間限定で金髪パワー配給が実施される
ということで行ってきました♪


短さ以上に、日常系だから、ふわふわしているだけで
上映時間が終わってしまうのではw
との懸念もありましたが、
それなりにストーリーもあって難民として
一定の満腹感はありました。


本作の実質的な主役は{netabare}小路綾でしょうか。

要は些細なことで仲間内での自らの存在意義を見失い、
クヨクヨしてしまう、あややの十八番(苦笑)
……あややが悩み出したら、映画一本くらい軽くできますねw


本作はそこから中学時代のあややとシノ、陽子、
三人の進路、高校受験のエピソードから、
あややの存在意義の再確認が行われる壮大な?展開にw

ある意味、『きんモザ』最大の?ミステリーである、
学力壊滅なシノと陽子が、偏差値に大差があると思われるあややと
何故、同じ高校に通っているのか?
という謎も解き明かされます。


この受験奮闘記を鑑賞していて、
ふと、受験と友情についての回顧から、
受験に友情は必要か?という問答が私の頭で回り出しました。

私の現役時代、教師の中には、
勉強は自分一人でやるもの。受験は孤独。進路は自己都合。
みんなでお勉強会なんて馴れ合い。
とお説教なさる方がいらっしゃいました。

確かに、一人で集中して学力を高め、合格を勝ち取ることができるなら理想的です。

ただ世の中、それを貫ける人は少数。
孤独に負けそうになったり、自分だけの視野狭窄に陥り空回りする人の方が多いと思います。

そういう時、進路や勉強について相談できる仲間がいれば心強い。
私も情報交換の中で勉学についても、ふと気付かされた視点が多々ありました。

自分一人で集中する時間も、仲間との情報交換も、
両方あって初めて受験を乗り切れたと私は思います。

だから、もうすぐ受験という大戦に挑む方の中で、
もし一人で煮詰まっている人がいらっしゃったら、
是非、周りとコミュニケーションを図って欲しいと思います。

残された時間はそう多くはありませんが、
アプローチの転換ひとつで一変するのが若者のポテンシャル。

恥を捨てて、周りやあややにしがみつけば、
トーテムポールみたいにニョキニョキ!っと
合格ラインまで偏差値が伸びるかもしれませんよ。{/netabare}


……とゆるふわ日常系で、無駄に熱弁してしまいましたがw
本作はTVアニメ1期の第一話くらいのストーリー内容はある作品。
難民の方なら、一見する価値がある作品だと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 23
ネタバレ

ジャスティン さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

綾視点で送るいつもの日常物語

[きっかけ]
AT_Xで放送はされていたものの、きんモザについては2期を視聴してからが良かったので、少し遅れていましたが、期待しながら視聴を致しました。
[感想]
{netabare}
今回まさかのキャラクターの視点というのがあり、
指定されたのが私が一番大好きな綾ちゃんでした。

これは俺得すぎるんだけど、
綾ちゃんばかり出てきてくれるから素晴らしいかった。

綾ちゃんは、軽いスランプというか悩みを抱えてしまったけど、
私にとっては綾ちゃんがいないと陽子が大変になるから
絶対に必要なメンバーなんだよ。と伝えたい。

今回の話は過去編が中心でみんなが疑問に思っていた忍がどうやってもえぎ高校(忍たちが通っている学校)に入れたのか?
という疑問からストーリーが中心に始まって行きます。

というかもえぎ高校と言うんですね。(WIKIによればここで学校名が決定されたのこと)。

忍は確かにアニメの中でも断念で赤点ラインっぽい描写が多くあり、本当にどうやって受かったのか不思議な点でした。

学校見学はしっかりとやっていたんですね。
烏丸先生は相変わらずぶれない先生ですね。

忍がここまで行きたい学校というか見学を初めてしてからここにしたいと思ったのでしょうか?

雰囲気が良いというのも分かるけど、実際に行きたい高校がなかったから好印象に思ったのかな?と思っていました。

勉強会が開始。綾ちゃんはまさか違う学校を選んでいたなんて...でももえぎ高校に入っているということは、やっぱりその第1志望の高校に落ちたからここに来たのかな?

何故だろうと思いながら続けていくと受験当日。
まずは綾ちゃんからなんと合格。お嬢様学校に入れるなんて綾ちゃん入っていたら確かにそんな気がするような感じはする。

絶対に不合格になると思っていた。なんか落ちそうな予感しかしてなかった。

忍たちの受験当日はなんと綾も一緒に受験することに。ここも受験していたのはまさに日常系のいいところ。

そしてみんな合格したけど、綾だけが...離れることになるのか?
と思った...
入学式当日忍たちが学校に来ると、なんと綾ちゃんまでこっちに来ていた展開に。

まさか選んでここに来たという神展開(もう知ってたことなんだけど)でも、こうしなかったら陽子との関係も悪化していたかもしれないから
これで正解だよ綾ちゃん。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

72.5 16 中学生アニメランキング16位
泣きたい私は猫をかぶる(アニメ映画)

2020年6月5日
★★★★☆ 3.7 (135)
647人が棚に入れました
見つけた、君に会える魔法――自由奔放、ちょっと変わった中学2年生、笹木美代(ささき・みよ)。クラスメイトから「ムゲ(無限大謎人間)」というあだ名で呼ばれ、学校でも家でもいつも明るく元気いっぱい。ムゲ熱烈に想いを寄せるクラスメイトの日之出賢人(ひので・けんと)に毎日果敢にアタックを続けるが全く相手にされない。めげずにアピールし続ける彼女には誰にも言えないとっておきの秘密があった・・・。大好きな日之出のそばにいられる唯一の方法、それは猫になって会いにいくこと。≪人間≫のときには距離を取られてしまうが、≪猫≫のときには日之出に近づける日々。猫として長く過ごすほど、いつしか猫と自分の境界があいまいになっていく。このままずっと、彼のそばにいたい。でも、《私》に戻ることができなくなる――「猫」の世界を通して繰り広げられる、私をみつける青春ファンタジー。

声優・キャラクター
志田未来、花江夏樹、寿美菜子、小野賢章、千葉進歩、川澄綾子、大原さやか、浪川大輔、小木博明、山寺宏一
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

猫になりたいし人間になりたい!でも、やっぱり……本当は

主人公、笹木美代ことムゲはネコに変身出来る女の子。
ネコの国のお面屋と言う仮面売りのネコから貰った仮面でネコになる。

彼女は家庭環境が少し複雑
{netabare} と小学生の頃に母が出て行ってしまい学校で虐められてしまう。
家庭では父と再婚した母である薫に気を使いながら生活する日々に嫌気が刺していた。{/netabare}

しかし、そんな日常を支える存在が居ました。
恋をしていた同級生の日之出君。
しかし、彼女のアタックはストレートで行き過ぎた愛情表現。
日之出君にはウザがられてしまう。

居るよね……こう言う冗談か本気か解らない愛情表現してくる人……
本気かジョークか解らないから適当にあしらったら傷ついたとか言う人ww
まっ、私は愛情表現とか苦手なので正直凄いとは思いました。

しかし、彼女の本気が伝わるシーンが…
{netabare} 日之出の悪口を聞いた時に校舎の三階くらいから飛び降りて悪口を言う男子に向かっていく所ですね。
誰かの為に怒られる事は本当にその人を理解して大切に思っているからです。 {/netabare}

しかし、私は一方で心配にもなりました。
{netabare} その悪口の中にムゲの悪口もありましたが自分の悪口は「どうでもいい」そうです。

多分、その理由は……
気にしないとか、ウザイから相手にしないのとか、そうした事ならいいのですが……

ムゲの場合は他人に関心がなくなってる。
理由としては傷つき過ぎているのではないでしょうか?
多分、小学生の頃から母の件で虐められて……心無い言葉を言われてきたのです。

解りやすく言えば、傷つき慣れてる。
でも、痛み、悲しみ、苦しみ、辛さ、これらの事に慣れるなんて事は絶対に有りません。
何千何万と繰り返そうと慣れはしません。
それでも、慣れたように振る舞えるのは、自分の幸せを諦めてしまっているから……何も感じないし悪意を流せるのは傷ついている事に気づかないくらい傷ついてしまっている。

だから、私は傷つき慣れてるって言葉は少し違う気がしています。
傷つき過ぎてるのです……だから、どうでもよくなっている……自分も他人も全て……諦めている。
人間として生きる事に…… {/netabare}

彼女はネコになります!
ネコは可愛いです。
私はネコの身体能力が欲しいです。

自分よりも何倍もある壁をひとっ飛び!
屋根から屋根へ飛び移る!
高いところから飛び降りても平気!

きっと、あんなに自由自在に身体を動かしたら気持ちいいですよꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ
それにきっと私がネコになれば可愛いのでチヤホヤもされます(*^^*)

え?誰ですか?お前がネコになったら山奥の廃村に捨てられそうと思った人は?(*꒪꒫꒪)

さて、話を戻して。

ネコになったムゲは日之出に可愛いがられます(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)
人間としてアピールしても冷たい日之出もムゲネコにはデレデレ(///ω///)

人としては周りに必要とされてないと感じたムゲはネコだと必要に思ってくれる人がいる。
しかも、想い人です。

{netabare} そんな中、家庭で揉めてしまいます。
義母の薫さん。
父の再婚相手で、ムゲを娘の様に接してくれるし気にかけてくれる優しい人……

でも、ムゲの立場だと中々受け入れられません。
薫さんの立場からしたら早く仲良くなりたいとか、お母さんって呼んで欲しいし、自分の母だと思って我儘を言って欲しいし甘えて欲しいと思います。{/netabare}

でも、ムゲからすれば……やっぱり心の準備が必要です。
{netabare} 思春期だし、仲良く出来る人もいるけど、やっぱり中々認められなくて、気遣いや優しさがウザかったり……自分の居場所がなくなるんじゃないかな?とか考えてしまうかも知れません……

だから、ムゲは気持ちを吐き出して家を飛び出した。
ムゲの言葉にはビックリしたと思う。{/netabare}
けど、私は薫さんは嬉しかったのかな?とも思いました。

確かに言葉は酷かった……普段の態度から薄々は気づいていたと思うけど……
{netabare} でも、初めて向き合ってくれた気がしたんです。
ムゲは薫さんの話しの質問を無視しなかったけど返事は適当だったり弄れたり……
でも、この時は向き合って気持ちを伝えてくれた。
それが嬉しかったんじゃないかな?って思う。
自分の気持ちを伝えてくれるってやっぱり最初の1歩だと思うので。

ムゲは家出します。
もぅ、人間なんていやだ……そんな気持ちが……彼女の顔から……人の仮面が剥がれ落とさせた。
仮面屋が言うには、人間を嫌になったら人の仮面が剥がれ時間が立てば完全にネコになるそうなんですが、この仮面屋に人の仮面を奪われてしまいます…… {/netabare}


一方、ネコも人間になりたいと思っています。
薫さんの飼い猫……キナコ

キナコは薫さんが子供の頃から大切にしているネコです。
彼女は言います。
{netabare} ネコと人は寿命が違う……
でも、人になれば薫さんと一緒にずっと長く暮らしていける。
だから、人間になりたい!

そうして、キナコはムゲの仮面を手に入れてムゲに成り代わり人間ムゲとして暮らし始めます………… {/netabare}

話を戻して……
{netabare} ムゲが家出した後に父と薫さんや友達の皆が必至にムゲを探してくれます。
ムゲは日之出君に好かれたい、他の人はどうでもいい、そう考えていたけど……実は居たんです。
ムゲを必要としてくれる人達がこんなにも居たんです。

そうして、ネコムゲは日之出君に自分の気持ちを伝えたいと思います。
だから、人間に戻るために……伝える為に身体を取り戻す為に動き出す。{/netabare}


キナコはムゲにすり変わり薫さんの傍にいるけど……
{netabare} 薫さんはキナコを捜してます。
張り紙をしてドアを開けて餌を置いて、晴れの日も雨の日も探しています。
キナコはムゲの身体で気持ちを伝えますが、伝わりません。
ムゲの姿の言葉はムゲでしかなくキナコだとは気づいて貰えないからです。

人間になれば一緒に居る時間過ごせると思った。
けど、薫さんにはネコのキナコも大切でキナコの捜索で中々一緒にいられないし、心配そうな顔をしてるし……
キナコもネコとして大切にされていた事に気づく。 {/netabare}

1人と1匹を見て感じたのは。

世の中には、自分なんて必要ない、居なくなりたい、誰かに何かになりたい、とか考えてる人も少なくないと思うんです。

生きてると楽しい事なんて毎日はないし大変な事ばかりだったりする世の中です。
お仕事や学校、日常生活に人付き合い……色々な悩みを抱えてる人が殆どかな?

でも、人1人にしてもネコ1匹にしても必要ない者とかはなくて……
やっぱり周りには心配してくれる人や居なくなると悲しんでくれる人も絶対にいるわけで……
それは多分、頑張って必至に生きてるうちは見えずらい存在かもしれない。
ムゲもキナコも自分が居なくなって気づいた訳ですし。

例え、見えなくても、気づけなくても、実は自分にはそうした人達が居てくれている。
それは救いであり希望ではないでしょうか?

{netabare} ムゲとキナコが身体を取り戻した後に、ムゲは人と向き合う事を頑張る事にしたみたいです。
自身を1度失う事で、そう思い直せるくらい成長したんだなぁ〜と思いました。 {/netabare}

この作品を見て……

1番感じたのは「他人を思いやる事」と同じくらい「自分を思いやる事」の大切さを感じた気がします。

{netabare} ムゲは自分よりネコに……キナコは自分より人間になりたかった。
だから、自分を捨てたし、捨ててしまった。

けど、ムゲはムゲだから日之出君はネコ世界まで助けにきてくれたし最後は告白してくれた。

キナコはキナコだから薫さんが必至探してくれた。 {/netabare}

他人が実はこんなに思ってくれてる訳です。
それなら、やっぱり自分自身が自分を大切にしないと、誰かを悲しませちゃうかもしれませんし、何より頑張っているのだから自分自身も自分の味方であってあげて欲しいなぁ〜と思いました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
ネタバレ

waon.n さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

タイトルが良かったって話

「マヤ、仮面をかぶるのよ」とはドラマにもなるほど有名な原作は少女漫画のガラス仮面に出てくる名台詞です。
猫をかぶるとはちょっと違ったニュアンスですが、自分を演じるという意味では同じかなと。
さて今回はネタバレ割とある感じ何で全体的に隠しちゃいます。
{netabare}
そう、最初は私は猫をかぶるってこういう意味だと思っていました。
ところが、始まって数分もすれば、ああ、なんだ違ったのかなんて少し残念になりつつも主人公ムゲを見守るわけです。
話が進むにつれ、ムゲの正体が明かされていき中盤になったころには猫をかぶるというタイトルの意味も理解できるようになってくる。別に何となくそうだと思ってたんだからね! などと言いたくなるほど、分かりやすいストーリー展開だ。猫をかぶらず正直に言うと、外連味がない。
猫ネタは使い古されているし、過去のトラウマや高校生の惚れた腫れたはこういったものの常套句。
猫ネタが出たあたりからストーリー展開は何となく想像できてしまって、いい意味で裏切ってくれることを期待して見ていたのにそうでもなかった。あくまでも分かりやすく物語は展開されていく。
それゆえだろうか、ムゲの感情の揺れを感じ、同じく揺さぶられるおじさん一匹が画面の前。あろうことか涙を流す。感動したわけじゃない、思わず同情してしまったんだ。これに関してはやはり岡田磨里の脚本だなって感じになる。自分の中に閉じ込めてしまっている思いをキャラに語らせたら右に出るものはいないんじゃないか? ストーリ展開というより内面を見せて感動させる系のアニメになっている。そしてそれに見合った力を持った絵だった。
やっぱり母親同士が喧嘩するシーンなんかは彼女の脚本らしいななんてスタッフロールをみて思い返したりする。それでもやっぱりちょっと猫ネタは使い古されていて差別化に失敗している感は拭えず、物語全体としては今までの彼女の作品群からすると物足りない。ファンだけに!

この作品の最大の魅力は絵です。
背景はメチャクチャ良い。自然で美しい。そして不思議な使い方をしている場面がチラホラあった。何だこの演出の仕方は! と通してみた後に見返したりして。奥を固定して手前を動かしている?なんか立体的に見えるような不思議な感覚は新しかった。
何と言っても猫の絵がスゴイ! メッチャ可愛いし、動きもなかなか良い。こういった動物の動きや造形ってリアルにすればするほど気持ち悪く見えたりするので、どれくらいアニメの絵として見せるのかがカギだと思います。猫にも表情を与える事に挑戦しているので人間の表情の動きを合わせてしまうとこれが本当に気持ち悪く見えるんですが、これが上手く書かれている。原画の人超絶猫好きなのでは?

音楽がなんか挿入歌というより、PVみたいになってる。これは「君の名は」現象と言っても良いかもしれませんが、正直効果的になっておりません。なんか流行りに乗っかっただけなのでは?
歌が主張しすぎていて、物語の超絶大事な場面で内容を希薄にしてしまっている。ヨルシカさんは個人的に好きなアーティストだったので期待していたし、期待した通り良い歌なんですが、今回は残念ながら悪い方に効果が生じていると思われます。悲しい。
そのほかのBGM場面の雰囲気を上手に演出していたんじゃないだろうか。特に気にならなかったし。

志田未来、いやぁ懐かしいなこの名前。
あまりTVを見なくなってしまったのでこの方はどういう活躍をしているのか近況が分からないですが、女王の教室は好きだった。全体的には良かったんだけれど、端々に少し違和感があったりもするけれど、一人二役みたいな感じになってるのでそのの使い分け自体は上手いななんて思う。対話は良いんだけどそれ以外で言葉の始めが弱めに入る時があるんだけど、ドラマとかではきっと自然なんだけれど、アニメのように意識的に作りこまれているものに対してだと少しズレて感じるんだよね。だからといって舞台のように発声を一言目から大きくしすぎてもそれはそれで違和感出るだろうし。
自然ん演技はそれで良いんだけれど、アニメは自然ではないからそこのギャップを埋めるのは一朝一夕では難しいのかもね。それも上手くできるアクターの人達も一定数いるから才能ってやつなのかもしれないけれど。
決して志田未来がダメという訳じゃなくて、アニメとドラマの違いについての考察なんで独り言みたいなものだという事で許されたい。

他にはちょい役で出た三木眞一郎さんの声がやっぱり好きで演技も好きだ。それとこれはウィキで知ったんですが、おぎやはぎの小木が出てたらしい。気づかなかったぜ。まだ見てないでここまで読んだ方は見つけてみてもらいたい。見たうえで読んだ方は思い出してもらってどれだったか当ててみてほしい。{/netabare}

おススメできるラインを超えているかちょっと微妙だけれど、岡田磨里好きなら良いだろうし、猫好きなら見ても良い。
何かしら琴線に触れるものがあるならって感じかな。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

言葉通り猫を被る

常滑市が舞台

中学2年の笹木美代は、その奔放な行動・言動で周囲から「無限大謎人間」略して「ムゲ」と呼ばれていた。美代は好意を抱いているクラスメイトの日之出賢人に連日話しかけていたが、素っ気ない反応しかなく、親友の深瀬頼子に心配されるほどだった。だが、美代には秘密があった。夏祭りの夜に言葉を話す猫の妖怪(猫店主)からもらった「猫になれる仮面」で、白猫になり、その姿で賢人の元に出向いて、私生活を見聞していたのだ。その白猫を賢人は「太郎」と名付けてかわいがり、美代はそこで見知った賢人の姿にさらに恋慕を募らせていた。というあらすじ。


志田未来演じる美代は思春期も相まって主に家庭環境に対して泣きたいほど辛いけど、弱音を吐けない性格で猫を被った生活を送る。あえて空気が読めない性格を装っているんだ。無理していてそら、きついなと。
自分の思春期近辺のことを思い出して面倒くさかったなあ恥ずかしいなあと思い出して共感するやら恥ずかしいやら複雑な感情が…。
そして、文字通り猫も被って猫になる。猫になれば楽だけど人間をやめれば想いを伝えることができなくなってしまう。

賢人は賢人で女の子を泣かすなんて酷いこと言うもんだ。
寿美菜子演じる小学生時代からの美代の親友である深瀬頼子が両親の離婚が原因で美代がいじめられていたときも寄り添ったのは中々のファインプレー。
最後は猫さんにたちに助けられて無事解決で良かったんでない?

賢人の姉がしれっと可愛い。
川澄綾子演じる水谷薫と大原さやか演じる実母の斎藤美紀がキャットファイトは見ていて面白かった。実母が悪そうにしか見えんな。


主題歌
花に亡霊
挿入歌
夜行
ED
嘘月
いずれもヨルシカ。流れるような楽曲たちだった。違和感なさすぎであんまり印象に残っていない。泣


備忘録・ストーリーの流れ
以下は完全なネタバレ
{netabare}
母は美代の小学生時代に離婚して家を離れ、父と暮らす自宅には家事の手伝いとして薫という女性が住む。再婚ではないところがなんか複雑。再婚で妹か弟がいたらより複雑になったのだろうか??自宅に居場所がないと感じる美代は、賢人と一緒になって家を出たいと考えていた。
ある日、賢人を悪く言う同級生の坂内に、美代は食ってかかり、弁当を落としてしまう。見かねた賢人から手作り弁当を分けてもらう。賢人の笑顔をもっと見たいと、美代は放課後に猫になって賢人の家に赴くが、陶芸職人である賢人の祖父が陶芸工房を閉めることになると会話が交わされて賢人は落ち込んでいた。帰宅してからもう一度猫の姿で賢人に会う。そのとき賢人は「(美代のように)思っていることをはっきり言えればいいのに」と。美代は、賢人の力になりたいと、家に戻って手紙を書く。

翌日、手紙を坂内が奪って勝手に読み上げる。手紙は賢人が取り返すが、「俺とおまえは違う。それにそういうの押しつけてくる奴は嫌いなんだ」と手紙を握り潰す。美代は落ち込んで帰宅する。そこに薫から同居していることへの感想を聞かれ、美代は「気にしていない」と愛想笑いで返すも、いつもそうした態度を示すことに疑問を呈されて、「大人は勝手すぎる」と両親や薫への憤懣をぶちまけた。

家を飛び出し、猫になって賢人の家で夜を明かし、翌朝「猫なら学校に行かなくてもいい」「もう美代はいいや」と思ったとき、人間の仮面が転がり落ち、猫店主が出現。完全に猫になる前に人間の仮面を付ければ元に戻れると言いながら、人間の仮面を持って消えてしまう。

美代が失踪して、美代の父と薫は学校に相談に行く。そこに賢人と頼子も呼ばれ、美代が消えたことを知る。賢人は帰宅後に美代を探しに出かけ、猫の美代もそれに同行した。その場で賢人は美代のことを何も知らなかった、謝らないととつぶやくが美代にはその声が切れ切れに聞こえた。完全な猫になりつつあると美代は気づく。

ところが美代が猫になったままの間に、学校に美代が登校する。行動や言動が以前の美代とは違うと周囲は訝る。偽物の正体は薫の飼い猫であるきなこだった。きなこは、薫への恩返しとして長く一緒にいるために仮面を手に入れて人間になったと美代に話し、美代の寿命を猫店主と自分で折半することになっているのだと言う。ようやく見つけた猫店主から次の夏祭りに美代が完全な猫になると聞かされ、その後を追って空の上にある、猫だけにしか見えない「猫島」に美代は足を進めた。

次の夏祭りの日、きなこは「猫のきなこ」を案じる薫を見て人間のままよりも猫に戻ったほうが良いことを悟る。きなこは賢人の家に出向いて自分の正体を明かし、本物の美代がどうなっているのかも話した。きなこは誰からも愛されていないと感じている美代を助けられるのは賢人だけだと話す。賢人はきなことともに「猫島」に向かう。

たくさんの猫に助けられ、一旦は失敗したが、人間に戻ることができて最後は手繋ぎハッピーエンド。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11

63.0 17 中学生アニメランキング17位
花とアリス 殺人事件(アニメ映画)

2015年2月1日
★★★★☆ 3.6 (142)
537人が棚に入れました
2004年に岩井俊二自身が原作・脚本・監督を務めた、ふたりの少女を描いた映画『花とアリス』の新たなストーリーをアニメで描くことになる。

『花とアリス』の前日譚となり、史上最強の転校生のアリスと史上最強のひきこもり 花が出逢ったとき、世界で一番小さな殺人事件が起こった、とのストーリーになるという。ふたりの出会いの物語だ。

アニメ映画では、鈴木杏と蒼井優を彷彿させるデザインのキャラクターが登場し、さらにふたりがこの声を演じることで10年ぶりに競演するのもみどころだ。

ちなみに映画は先に声を録音するプレスコを採用している。

声優・キャラクター
蒼井優、鈴木杏、勝地涼、黒木華、木村多江、平泉成、相田翔子、鈴木蘭々、郭智博、キムラ緑子

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

【今作があればもう日本には“アニメも邦画もイラネ”ってなる!!!】「いやぁ~どぉだろぉかぁ~σ(^^;)」【第3の映画誕生の瞬間を目にした!!!】

『Love Letter』や『スワロウテイル』で有名な天才邦画監督、岩井俊二が初めてアニメ長編に挑んだ意欲作
『サイコパス』の本広克行など、最近有名映画監督がアニメに乗り込んできたことをオイラの友人は「アニメが売れると分かってシャシャり出てきてる」と批判しました
ソイツの気持ちもワカランでも無いですが、今作に関しちゃ技術的にも物語的にも完成度的にもとても素晴らしい歴史的傑作に仕上がったと思っています
どうか【食わず嫌いだけはしないで欲しい】という気持ちで今作を応援させていただきたい


事の始まりは2003年にネスレKitKat(キットカット)のホームページ上で配信された連続webドラマ
所謂「続きはwebで」と銘打ったCMドラマです
蒼井優が演じる天真爛漫な元気娘“アリス”
鈴木杏が演じるアリスに振り回されがちな内気で惚れっぽい“花”
この二人を軸に描かれる受験生応援&青春恋愛ドラマでした


webドラマが思いのほか人気だったので2004年には続編となる長編映画が公開
映画の1年後には今作のプロットが出来ていたらしいですがお蔵入りになってしまい10年の月日が経った・・・そしてまさかの10年越しの復活、それもアニメで、という斜め上に意表を突いたのが今作なんですね


さて、なんでよりにもよってアニメ?
となるところですが、コレ物語が中学3年生の花とアリスの“出会い”が描かれるという前作の前日譚になってるんです
つまり10年越しに【鈴木杏と蒼井優】を10代の【花とアリス】に若返らせる為に「残された手段はアニメしかねー!」ってワケでオリジナルキャストを尊重した結果の決断なんですね


だから演出方法は基本的に実写と同じで、実写では普通に出来るカメラワークを純粋にアニメへ落とし込むためには・・・って努力がアニメ初挑戦の岩井監督ながらとにかく凄い
3本柱となる技術がロトスコープ、トゥーンシェード、背景をパーツ化してのモーフィング


監督自らデジタルコミック作成ツールを使って絵コンテを起こす

蒼井優ら前作オリジナルキャストが集結しプレスコ録音

実写ロケハン&ロトスコ撮影専門キャストで演技撮影

撮影した実写を元にロトスコープ作画&トゥーンシェード3DCGによるアニメート
(ロトスコとCGはカットごとに使い分けてます)


すんげぇ手間が掛かってるんですよ
2013年の『悪の華』が全編ロトスコだったり、最近でもトゥーンシェードのアニメが注目を浴びたりしてますが、今作は現代映像技術で出来ること全てを投入した結果といえる
魅せる動きのカットはスーパースローで、という演出の再現は基本中の基本
すごいのがアニメではまずやらない、ってか出来ない“フォローパン”を背景の立体化も含めた技術で完全にアニメートしてること
この背景自体も美監が滝口比呂志でコミックスウェーブフィルムも関わっていたりとあの『言の葉の庭』のスタッフが集結し“超美麗”っす
つまりあの『言の葉の庭』の美麗背景がシームレスに動いてるんですよ!?
その映像はまさに目からウロコ


もちろんこの作品を手放しで賞賛する気はオイラにも無く、まだ課題が残ってたりもします
『悪の華』では実写キャストにとにかく似せよう、というスーパーリアル調なキャラデザが賛否両論となりましたが、今作の場合は岩井監督の“ヘタウマ”な絵コンテが全てのベースになっている為、表情の描き込み等が乏しいのがタマにキズ
この岩井監督の絵を、「可愛い」と取るか「単に下手」と取るかで賛否は真っ二つでしょう
目が単なる棒線になってしまっているカットとか(こんな感じの→ |0| )、みんな同じ顔してるモブキャラとか、端的に粗末でもっと作り込めたな・・・ってカットが多々あったのは残念ですかね
もっと作画監督とか立てても良かったのでは?と


さてここまでは技術の話ばっかでしたが、物語的にもホント素晴らしい


転校生のアリスはクラスメートから何もしてないのになぜか無視をされ続けている
どうも1年前に同じ教室で“ユダ”なる人物が殺され、ユダの呪いが封印された座席に転校してきたアリスが座って封印を破ってしまったらしい
アリスは謎だらけのユダ殺人事件の詳細を唯一知る人物で、1年前から不登校を続ける花に接触を図る・・・


ユダとか殺人とか謎だらけのキーワードが物語を力強く引っ張り、コージーミステリとしてとてもよく出来ています
さらに中盤からユダの謎が徐々に解け、やがて思春期特有の淡い感情が生んだ小さな事件であることが明かされる・・・


プレスコによって伸び伸びとした演技が出来たキャスト陣が個性溢れる濃ゅいキャラクター達をより生き生きとさせており、小気味良いマシンガントークのさながら撃ち合いがテンポよくお話を進める
よく「非声優をアニメに出すな下手だから」とかいう人がいますが、それはアテレコの話であってプレスコの今作はむしろ本領発揮なワケです
そういった意味でも安心して楽しめると思います


とにかくずっと笑っていられる、そんな生暖かい目で観れる青春ミステリー傑作と呼べるでしょう
『氷菓』とか好きな人は絶対観るべきです、素晴らしかった


何気に作画協力に磯光雄が携わっていて“磯さんの生存が確認出来た(笑)”ことも個人的には面白かった


今作で用いられた技法は決して安易に作品を量産出来るものではありません
しかしながらこの技法の確立によってアニメでも実写でもない【第3の映画】が生まれたんじゃないか、とオイラ思ってます
岩井俊二ってだけでアニヲタドン退き、アニメってだけで大衆ドン退き、ってことで今作はイマイチ注目度が低いようです
けみかけは『花とアリス殺人事件』を全力で応援していきます

投稿 : 2024/05/04
♥ : 39

ostrich さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

折り合い

実写映画「花とアリス」は、岩井俊二作品を熱心に観ていたころに何度か鑑賞している。結構、好きな作品だ。

もっとも、一時期の岩井俊二作品は全部好きなのだが、思い返せば、「花とアリス」で私の岩井俊二ブームは終わった気がする。それは、たぶん、彼のせいでも「花とアリス」のせいでもない。私が必要としなくなったというか、岩井俊二的な気分ではいられなくなったということだと思う。
もしかしたら、時代の影響もいくらかあるのかもしれないが、よくわからない。ただ、「日常の中のファンタジーを描く」という作風が、良くも悪くも2000年代後半から現在の世の空気と折り合いが悪かったような気はする。

本作は、実写作品の前日譚を10年以上の歳月を経て、ロトスコープアニメーションで描いたわけだが、率直な私の感想は「懐かしい」だった。ああ、岩井俊二は今も岩井俊二なのだな、という。ただ、この感想もまた、良くも悪くも、ではある。

本作は岩井俊二作品にまったく触れたことがない方には、結構、オススメしたい。非常に彼らしい作品だし、彼の作品群は好き嫌いはさておき、一生に一度くらいは触れておいたほうがいいと思うからだ。
ただし、私と同じように一度、岩井俊二作品と距離を置いた人には、若干、皮肉混じりに「いつものアレだよ」と言ってしまうかもしれない。

この「アレ」の中身はいろいろあるのだが、一言で言うなら、前述した「ファンタジー」ということだ。「ファンタジー」と言えば聞こえはいいが、「こんなヤツいねえよ」ということでもある。
ただ、岩井俊二のすごいところは、「こんなヤツ」を、そこそこ現実感を持たせて描いてしまうところで、本作もそういうところを目指してはいる。

だが、ロトスコープアニメーションになったことで、違和感の方が際立ってしまった感は否めない。
なんとも逆説的なことだが、実写は演劇的な要素が入ることで、「リアルな世界の中のファンタジー」として成立するのかもしれない。そして、テレビドラマ出身の岩井俊二は、このあたりには自覚的で、それを活かした演出が抜群にうまかったということなのだろう。
ところが、アニメーションはそもそも形態からしてファンタジーなのだ。そこに現実と隣接したファンタジーを持ち込むと、嘘くささの方が際立ってしまう。

たとえば、作品冒頭にアリスが二階から落ちるシーンがある。
あれが実写なら「面白いウソ」になるところだろう。あるいは普通のアニメーションなら「よくあるウソ」として、アニメのリテラシーと合致しているから違和感はない。
ところが本作の場合は「ありえねー」となってしまう。アリスの体重がいくつかはわからないが、おそらく、40-50キロ前後のものが二階から落ちてきて、その下に別の人間がいたら、ああいう動きにはならないだろう。もちろん、フィクションなのだから、それでもいいのだが、なまじ他の動きにリアリティがあるので、嘘くささが際立ってしまうのだ。

10年以上の歳月を経てもなお、同じキャストでやりたかった結果として、ロトスコープアニメーションを選んだのだと思うが、こういう折り合いの悪さは随所で見られた。それは、動きだけではなく、会話やエピソードにも散見された。

そして、このことが岩井俊二という作家の現在の立ち位置を象徴しているように思えてならなかった。もう、ずいぶんと彼の新作を観ていないが、観ていない理由がわかってしまった気がする。
古参の岩井俊二ファンとしては、ちょっと苦い思いもある作品だった。

■シナリオについて

たぶん、私はシナリオライターとしての岩井俊二がとても好きなのだと思う。
本作の随所に折り合いの悪さを感じてもなお、本作のシナリオはやはり嫌いにはなれない。いや、「おじさんのエピソードは必要か?」とか、いろいろあるけれども、そこが岩井俊二的でもあるのだから、仕方がない。

また、本作に限って言えば、後半の構成がずるい。
「恋人たちの距離(ディスタンス)」だもの。

「恋人たちの距離」について語ると、本作のネタバレになってしまうので詳述はしないが、この構成は岩井俊二の作家性ととても親和性があると思った。

あ、「恋人たちの距離」を知っている人にはネタバレになるのか。
でも、知っている人はむしろ、本作に関心を持つと思うので気にしないことにする。
そもそも、本作はネタバレがどうのという作品でもない。

岩井俊二も「恋人たちの距離」も知っているなら、本作は間違いなく楽しめる。逆に、本作を気に入った方は、岩井俊二作品も「恋人たちの距離」も気に入るはずだ。

■想起した作品

「この街のこども」

前述した「恋人たちの距離」と同様の構成の作品(つまり、本作後半とも同様の構成)。もともとNHKで放映されたテレビドラマだが、劇場版もあり、そちらのほうが視聴しやすいと思う。

本レビューでは本作の「折り合いの悪さ」を指摘してきたわけだが、「この街のこども」は時代とも手法とも完全に折り合っている。本作を好きな方が気に入るのかわからないが、今の日本に生きるなら観ておいた方がいい作品だと私は思う。
岩井俊二が観たなら(おそらく観ていると思うが)、地団太を踏んで悔しがるんじゃないだろうか。
ちなみに、脚本を担当しているのは岩井俊二の弟子筋にあたる渡辺あや。

一応、「この街のこども」は本作よりも先に発表されているので、本作に影響を与えている可能性も否定できない。しかし、構成(と構成によって必然的に語られるテーマ)が同じなだけで、類似したエピソードがあるわけではないことは岩井俊二の名誉のために付け加えておく。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

N0TT0N さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

実写とアニメ殺人事件

まず情報として言っておきたいのが、この作品は『花とアリス』(岩井俊二監督)(2004)という実写映画の前日譚ということです。
だけど、それはあまり気にしなくていいかもしれません。
本作品だけで十分成立しているので、気に入ったら実写版を‥という見方もOKだし、制作順に実写版→アニメ版の順番で視ても楽しめます。

そしてこの作品、実写をベースにしたアニメーションという特徴があるので、万人に受け入れられる作品ではないかもしれません。
かく言う私も過去の経験から実写ベースのアニメは危険!という認識があったので、半信半疑で視聴したんですが、結果、全くの杞憂に終わりました。

作画が合う合わないは予告編で十分確認できると思うので、迷っている人は動画サイトの予告編をチェックしてみてもいいかと思います。

いやぁぁ。。

しかし素晴らしい作品でした♪

まず、物語についてですが、
ほんとに小さな物語でした。そしてテンポがよく、結構笑えたw

多くの作品で「物語の主題に合わせてキャラクターが動く。」ということが起こるけど、この作品のキャラクター達は、それぞれのキャラクターの意志に従って行動している感がありました。
物語のゴールに向かって行動しているのではなく、今やりたいことをやっている。
ものすごく無駄に行動したり、不細工に笑ったり、同じ事を何度も繰り返したり、相手との距離感を計りそこなったり。。
この自然さをよく脚本にしたり、演出したりできたと思う。
このあたりは岩井監督の得意分野でもあるけど、流石としか言いようがないです。
要は説明的じゃないということかもしれません。
例えば「疑問に思うけど今は聞かない」みたいな状況ってありますよね?
そういうときって「疑問に思うけど聞かない顔」を演出として挿入したり、少し長めの間をとったりして「疑問に思ってる」の説明をするものだけど、
実際はそんな顔はしないし、変な間も作らないw
99%相手に悟られないような演技を誰しも行っている。
こういう些細な部分の演出がほんと素晴らしいです。

物語の構成もサスペンス調の演出と、脱力系の演出が噛み合って楽しさと緊張感を絶妙な配合でブレンドできていたんじゃないかと思います。



作画について。
正直、実写をトレースしたような作画で100分の視聴に耐えられる作品を過去に視たことがありませんでした。
画風で独特の効果を出して異彩を放っているような、例えば「惡の華」みたいな作品はありましたが、本作は異彩を放つ作品ではなく、むしろ王道、ポップでシニカルなエンタメ作品と言っていいと思います。

で、実際この作品の作画はどうだったかというと、線の少なさプラス背景の鮮やかな色使い。これが絶妙でした。
トレースする線の少なさは平面的になりがちで、背景の鮮やかな色使いはファンタジーが強く出過ぎるというデメリット(本作の場合)があると思うのですが、まさか‥この両方を組み合わせることによってそのデメリットが打ち消されるなんて!
ほんと、ビックリです。驚愕です。マーベラスです。

もう一つ付け加えるなら、人物を鮮やかに描かなかったことも良かったと思います。
その代わり、人物の"動きの表情"をよく捉えてました。
動きの表情。
これは結構この作品のキモではないかと思います。


キャラクターの話。
アニメ的な表現方法と比較すると、「属性がない」「記号的じゃない」と言っていいかと思います。
アニメでは通常、キャラクターをある程度固定概念で認識することが暗黙の了解みたいになっていると思うし、そのキャラ設定を軸に物語を見ていく。みたいな流れって(冒頭のキャラ紹介等)あると思うんだけど、本作の登場人物はもっと自由で、固定された設定もなくて‥でも確実にキャラクターとして存在している。みたいな。。
これ、言葉でうまく説明できないんだけど、実写ベースという表現方法が可能にしていると思うんです。
例えばジブリ(宮崎)作品なんて、動きに命が吹き込まれている感がありますよね?
あれと全く逆の方法で、動きに命が吹き込まれている感じがあるんです。

モーションキャプチャーは画像を貼らなくても、ドットだけで生々しい動きをしますよね?
たぶんあの感じだと思うんだけど、その効果を使って上手くアニメート出来ていたんじゃないかと思います。

あくまで個人的な印象だけど、実写より、通常のアニメよりそれを強く感じました。

という訳でこの作品大好きです。

いろんな方に視ていただきたい。




因みに実写版視たので、解らなくはないんだけど‥

お父さん平泉成はウケたw

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16

71.0 18 中学生アニメランキング18位
海獣の子供(アニメ映画)

2019年6月7日
★★★★☆ 3.7 (128)
528人が棚に入れました
光を放ちながら、地球の隅々から集う海の生物たち。巨大なザトウクジラは“ソング"を奏でながら海底へと消えていく。 <本番>に向けて、海のすべてが移動を始めた―――。 自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、夏休み初日に部活でチームメイトと問題を起こしてしまう。母親と距離を置いていた彼女は、長い夏の間、学校でも家でも自らの居場所を失うことに。そんな琉花が、父が働いている水族館へと足を運び、両親との思い出の詰まった大水槽に佇んでいた時、目の前で魚たちと一緒に泳ぐ不思議な少年“海"とその兄“空"と出会う。 琉花の父は言った――「彼等は、ジュゴンに育てられたんだ。」 明るく純真無垢な“海"と何もかも見透かしたような怖さを秘めた“空"。琉花は彼らに導かれるように、それまで見たことのなかった不思議な世界に触れていく。三人の出会いをきっかけに、地球上では様々な現象が起こり始める。夜空から光り輝く流星が海へと堕ちた後、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めた。そして、巨大なザトウクジラまでもが現れ、“ソング"とともに海の生き物たちに「祭りの<本番>が近い」ことを伝え始める。 “海と空"が超常現象と関係していると知り、彼等を利用しようとする者。そんな二人を守る海洋学者のジムやアングラード。それぞれの思惑が交錯する人間たちは、生命の謎を解き明かすことができるのか。 “海と空"はどこから来たのか、<本番>とは何か。 これは、琉花が触れた生命(いのち)の物語。

声優・キャラクター
芦田愛菜、石橋陽彩、窪塚愛流、稲垣吾郎、蒼井優、渡辺徹、富司純子
ネタバレ

雀犬 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

私たちはどこから来て どこへ行くのか

 劇場アニメ「海獣の子供」公式サイトに一人の生物学者がコメントを寄せている。

 「これはまったく新しい「生命創造神話」である。
 生命の輪廻転生を描くとともに、生命は宇宙から来たことも暗示する、
 地球と宇宙と生命の「大いなるつながり」の物語なのだ。」
 (長沼毅「海獣の子供」公式サイトより)

 「海獣の子供」という漫画の最大の魅力は五十嵐大介の圧倒的な画力にあるし、劇場版「海獣の子供」の魅力もまた、STDIO 4℃が作り上げた圧倒的な映像を「浴びるように」味わうことだと思う。幽玄なる海の世界の描写は素晴らしく、僕は劇場で鑑賞しその迫力に圧倒された。激戦だった2019年の劇場アニメの中でもNo.1の映像だったのではないだろうか。

 一方でストーリーについては観念的かつ難解で「よく分からなかった」という声をよく聞く。果たしてあの夏、劇場で琉花と目撃した「誕生祭」とは一体何だったのだろうか。その謎を解く鍵は実は科学だと僕は思っている。主人公の少女の名前の由来は、あらゆる生物の共通祖先とされる単細胞生物「LUCA」に違いない。生物学、特にアストロバイオロジーと言われる、宇宙を舞台として生物の起源や進化を議論する学問がこの作品のベースになっているように感じた。このレビューも科学の話を中心に進める。

■宇宙と海と生命
{netabare}
 「海獣の子供」はマクロなテーマとミクロなテーマを内包している作品である。少し長い話になるが、まずはマクロなテーマから語りたい。「海獣の子供」のメインテーマは「生命とは何か?」という根源的な問いに他ならない。物心ついたころ、誰もが一度は考えてみたことがあるのではないだろうか。おそらくは「自分もいつかは死んでしまう」ということを自覚したとき、この疑問に行き当たる。僕たちは何のために産まれ、生きているのだろうと。

 「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
 
 画家ゴーギャンが1898年にタヒチで描き上げた絵のタイトルである。この言葉をデデも口にし、「海獣の子供」原作3巻でも引用されている。生命の起源と生命の目的。神話の時代から続くこの問いかけに、多くの科学者達が挑み続けてきた。しかしこれだけ科学が発展した現代でも分からないことだらけだという。地球の生命がどのようにして生まれたのか、確固たる答えはまだない。

 ご存知の通り、私たちが暮らす地球は46億年前に誕生したといわれる。原初の地球はマグマで満ちた高温の世界で、生物の棲めるような環境ではなかった。そこからいつ生命が誕生したのかに関しては、生命の基盤となる元素、炭素を元に40~38億年前ではないかと推測されている。つまり8億年程度の時を経て、生命が誕生する条件が満たされたということになる。地球はゆっくりと冷え始め、やがて海が出来上がる。そこから微生物が誕生したのち、進化を繰り返し、おおよそ10億年前に動物や植物の祖先となる多細胞生物が生まれたことは分かっている。

 最大の謎は最初の生命体が一体どのように生まれたかであろう。物質と生命の間には途轍もない隔たりがあり、生命の素材を揃えたところで、人類はいまだ単細胞生物すら作ることができない。生命の起源について、僕が学生の頃はオパーリンが唱えた化学進化説が有力とされていた。アミノ酸、核酸、糖など生物の原料を含んだ太古の海で、化学反応を繰り返すうちに遺伝子が作り出され、やがて生命が誕生したという説だ。もちろん化学進化説は今も有力な仮説である。しかし、劇中に登場する「星のうた」に象徴されるように、「海獣の子供」では宇宙起源説をベースにしている。

 「星の 星々の 海は産み親 人は乳房 天は遊び場」

 生命は宇宙に広く多く存在し、他の天体で発生した微生物が彗星によって運び込まれたという仮説はスウェーデンの物理アレニウスによって提唱され、パンスペルミア説と言われる。「生命が宇宙から飛来した」と聞くとやや荒唐無稽な話にも感じるが、実は100年以上前に提唱された説でありながら現在でも支持する人が多い。

 1953年、有名なミラーの実験により、原始の地球を再現した試験管環境で有機化合物が生まれることは裏付けられた。しかし、その先のタンパク質の合成については現在に至るまで世界中の誰も成功していない。もちろんタンパク質は生命活動を支える最も重要な物質である。

 タンパク質はアミノ酸が連結したものである。タンパク質を作るには、最小でも50個のアミノ酸を正しい順番につなげる必要があるのだが、様々な検証の結果それは数億年という時をかけても実現困難だとみられている。天文学者のフレッド・ホイルは、最も単純な単細胞生物がランダムな過程で発生する確率は「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」のと同じくらいだと皮肉を言った。

そこで宇宙起源説が再浮上する。パンスペルミア説は生命誕生の可能性の範囲を引き伸ばすことができるため、確率論的にはずっと有り得るという理屈になる。ただしパンスペルミア説も宇宙の生命がどのようにして誕生したのかについては答えを 持たないし、他にも疑問が多い。

 まず思いつく反論として、「宇宙を移動している間に生物は宇宙線で死滅するのではないか」と考えるだろう。しかし、地球から打ち上げる宇宙船や探索機に付着している微生物も、殺菌の過程を経ても生き残ったものは数年後に回収しても一部生き残っていて地球上で増殖を始めるという。大気圏突入の過熱や衝撃にも微生物は耐えうることが明らかになっている。なぜ微生物に地球ではありえない環境に対してこれほどの耐久力があるのかは謎である。

 また、木星の第2衛星エウロパの表面は氷に覆われているが、内部には液体の海が存在する可能性が高まっており、地球外生命体が存在するのではないかと期待されている。宇宙のどこかに生命体が存在していて、それが隕石で旅をして地球にやってくるというのは根拠のない空想ではなく現実的な話になっているのである。
{/netabare}

■生命と渦、そしてエントロピー
{netabare}
 さて次の話題に移ろう。ジュゴンに育てられた謎の双子、空と海について、自称「海のなんでも屋」の老婆デデは「多くのものを巻き込んで成長する巨大な渦の中心」だと語った。その言葉の通り、祭りで隕石を飲み込んだ海は世界中の魚やイルカ、クジラなどの生き物の渦の中心となり、やがて海と一体化して消えていく。これは果たしてこれは何を意味しているのだろうか。生物学者の長沼毅が生命と渦について興味深い言及しているので、本項ではそれを紹介したい。

 生物と非生物の決定的な違いは何か。生命の定義を考える上で、生命だけがもつ特徴として、「細胞膜」「自己増殖」「代謝」の3つが挙げられる。(これに「進化」を含める人もいる)その中でも「代謝」は生命の本質と大きく関わる性質である。生物は外から内部に物質を取り入れ、エネルギー変換をし、外に不要な物質を排出する「代謝」という能力をもつ。動物が食事をすること、植物が光合成を行うことが代謝にあたる。

 生物は古い細胞を定期的に新しい細胞に入れ替えながら元の形を維持しているが、同じようにして物質を入れ替えながら構造を保つものに渦がある。水の量や流れの速さが一定ならば、それによって生じる渦の構造は変化しない。しかし、その渦を形成している水は絶えず入れ替わっている。水の出入りがなくなると渦が消失するように、生命もまたエネルギーの循環を終えた時に死を迎える。生命と渦には不思議な類似点がある。

 さらに一歩進めて物理学の視点で考えてみよう。皆さんは「シュレディンガーの猫」という言葉を聞いたことがあると思う。シュレディンガーは量子力学で多大な功績を残した物理学者であるが、彼は1994年に「生命とは何か」という本を執筆している。この本の中で、彼は代謝について「生命はエネルギーや物質ではなく、負のエントロピーを絶えず摂取している」と表現した。これはどういうことだろうか。

 「エントロピー」という言葉は某魔法少女アニメでも登場したが、これは「物質の状態の乱雑さ」を示す量である。物質の基本的な運動は全て、大局的にはエントロピーが増大することが知られている。水に砂糖を溶かすと元の水と砂糖の状態には戻らないし、カップに熱い紅茶を注いだまま放置するとエネルギーは拡散しやがて周囲と一様な状態(=室温)になる。万物は秩序ある状態から無秩序へと向かう。それは宇宙とて例外ではなく、エントロピー増大の法則はこの宇宙を支配する最強の法則とも言われている。

 エントロピーは低い状態から高い状態へと一方向にしか進まない。秩序あるものは必ず崩壊する。その一方で生命が物質的なまとまりを保っていられるのは、代謝によってエネルギー(シュレディガーが言うところの負のエントロピー)を絶えず注入しているからである。エネルギーを加えることによって、秩序のある状態を維持することができる。したがって、生命はエントロピー増大の法則に逆らっているようにみえる。

 しかしエネルギーには保存則というものがある。エネルギーを使い、失われたところではエントロピーは増大する。個々の生物は代謝によってエネルギーを取り込むことで自らの崩壊を食い止めてはいるが、全体として観ればエントロピーの増大をかえって加速させていることが分かっている。水の入ったペットボトルを逆さにすれば水が出ていくが、このときペットボトルを回転させて渦を作ればより早くペットボトルは空になる。渦という構造を作ることでやはりエントロピーは増大しやすくなる。以上を踏まえると、生命はエントロピーの増大を加速させる渦のようなものだといえる。

 宇宙のエントロピーは増大し続けている。宇宙の終わりには様々な説があるが、宇宙のエントロピーが極限まで高まった時、熱的死を迎えるという説がある。仮に宇宙が熱的死に達した場合、あらゆる生命が死滅すると考えられる。長沼毅はこのように語っている。「生命とは宇宙のターミネーター、終わらせるもの」だと。人もクジラも鳥も魚も微生物も、すべての生命はエントロピー増大に寄与するという使命を背負っていると考えられるのだ。そして人間は、エントロピーの増大に地球上でもっとも貢献している生物なのである。

 そろそろまとめよう。本作では、生命の宇宙起源説をベースとして隕石を精子に見立てている。対して海は生命の産みの母であり、子宮にたとえられている。隕石が地球にたどり着き、宇宙から運ばれた生命はエントロピーに逆らうようにして、海の中で進化していく。そして生命はエントロピーの増大を加速させる大きな渦を作り上げていく。これを表現したものが「祭り」なのではないだろうか。

 海は自ら渦の中心となり、消えていった。まるで自分から死を選んでいったようにも思える。しかし生命とは本来そういうものなのだ。私たちは絶えず自らの細胞を壊しては作り変えている。単細胞生物に寿命という概念はない。生命は多細胞生物になったときから死を獲得したのである。なぜ多細胞生物には寿命があるのか。それがエントロピー増大の法則に抗い、秩序を保つための唯一の手段だったからという説を、僕は支持したい。
{/netabare}

■自意識の芽生え
{netabare}
 ここまでマクロなテーマについて考えてきたところだが、ミクロなテーマについても少しふれてレビューを終わろう。ようやく話は映画の冒頭に戻る。

 主人公・琉花は、ハンドボール部に所属する14歳の少女である。彼女は夏休みの初日、試合で活躍をするが同級生をケガをさせ職員室に呼び出される。どうも琉花はラフプレーの常習犯らしい。琉花は「先に仕掛けたのは相手だし」と素直に謝ることができず、部活動禁止の処分を言い渡される。

 子供はとても小さな世界で生きているものだ。彼女はまだ自分の視点でしか物事を考えられず、友達付き合いもうまくいかない。

 そんな琉花の小さな世界は「生誕祭」なる出来事を目の当たりにして吹き飛ばされる。私たちは宇宙の一部であり、全ての生き物はつながっている。そんなハイパーマクロな視点を体験することで、自分の見えているものだけが世界の全てだった、これまでの自分の小ささを知る。そうして彼女は自己を対象化できるようになった。

 夏休みの終わり。学校へ続く坂道を歩いていると、ボールが転がってくる。その先には夏休みの初日に足を引っかけた同級生がいる。自分の感情に任せるなら気に食わない奴の落としたボールを拾う必要なんてない。でもボールを無視したら相手はどう思うだろう。逆にボールを返してあげたら、相手に自分はどう見える?彼女はボールを拾いあげ、笑顔で投げ返す。

 他人の視線、他人の評価を意識して自己を修正する力。この夏の不思議な体験を経て、琉花が体得したものを「自意識」と呼ぶ。一般に女性は男性よりも自意識が強く、容姿や服装に気をつかうのもその現れである。琉花はこの時、少女から女性へと歩み始めたのかもしれない。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

劇場じゃなければ10%くらいしか伝わらない(劇場体験と物語評と映像評と)。

都内のTOHOシネマズのレイトショーで観てきましたが、
席は9割くらい埋まっていました。
客層は比較的若い人が多く、女性がかなり多いって印象ですかね。
音楽面だけで言っても、久石譲に米津玄師ですからねw
これだけでも客呼べるでしょうw

私は上映後の空気感というのが非常に好きですw
客のテンションをダイレクトに感じることができるからです。

さて、本作の場合はどうだったのかというと、
戸惑いとか、ため息とか、そんな感じでしたw
さらに聞き耳を立てていると、
久石譲が~、米津玄師が~、芦田愛菜の演技が~とか、
話題のほとんどがスタッフ・キャスト関連。
さらに、カップルで観に来ていた女性が、(どこか相手を気遣いながら)
「なんか、よく分からなかったけど、思っていた以上に壮大な話だったね」
なんて言ったかと思えば、
友人同士で観に来ていたであろう女性が、
「原作を映画にするとここまでコケるか~」なんて暴言を発していましたw

この体験だけでも劇場に足を運んだかいがあったってものですw
お前ら面白すぎるだろ!!w
私の聞いていた限りだと「おもしろかった」と発した人は一人も
いませんでした いませんでした いませんでした

上映後の空気がこのようなものになるであろうというのは、すべて想定内です。
何故かと言えば、実際に観に行った知り合いや、
あにこれ仲間たちに事前にリサーチしていたからです。

{netabare}「劣化版エヴァ」
「(原作の話をすれば)畳み切れていない」
「映像は今年一だけど、劇場でなく家で見ても、『意味がよく分からない』で終わりそう」{/netabare}

ここまで言われれば、もうお察し!でしょ。
だから、私は絵画鑑賞のつもりで行くと決めていました。
故に、ある意味館内で本作を一番楽しめたのは私だったのかもしれませんねw

ただ、館内の戸惑いだったり、ため息というのは当然の反応なのかもしれません。
何故ならば、本作は映画としてはあまり評価できるものとは思っていません。

さて、今回は物語評、映像評、2つに分けて語ります。


「物語評(ネタバレあり)」


{netabare}映画のストーリーにおける原始的なフォーマットというのは、
未成熟な主人公→映画的な体験→その体験を経て成長した主人公
というものです。
ハンドボール部でチームメイトに怪我を負わせてしまう琉花。
「先にやられたからやり返しただけ・・私は悪くない・・・」
実に未成熟です!w
琉花は母親ともギクシャクしています。
この未成熟な少女が、如何なる体験を経て、最後に成長した姿を見せるのか?
そういう意味で言うと、映画のフォーマットに忠実な作りと言えるでしょう。

それでは、話のコアとなる映画的な体験というのは何かと言えば、
海獣ジュゴンに育てられた「海」と「空」という二人の少年との出会い。
そして、海で起こる「生誕祭」です。

そしてその生誕祭は物語ではなく映像で語られます。
(映像を楽しんでいる中で)若干ノイズとなる解説もしてくれています。

以前にタモさんが生命の誕生かなんかのビデオを見たらしく、
如何に新たな生命が誕生するのが奇跡的なことなのか
番組で熱弁していたことがあったのですが、
本作における主張というのはそれに近いのかもしれませんね。

この世界は未知で溢れています。
我々観測者は世界のほとんどを認識していません。
たとえば、宇宙におけるダークマター(暗黒物質)なんかがそうです。
宇宙の物質の大半を、我々は観測することができないのです。

海のある星は子宮。隕石は精子。
海と宇宙は似ている。そして星の誕生は、まるで生命の誕生のようだ。
このような奇跡を前にして言語は無意味。
言語を介さない対話。これもまた奇跡。

これらを劇中で散々「言葉」で解説してくれるので、
何を言わんとしているのかは分かります。
SFでよく使われる題材なので、馴染みもありますからね。

しかし、このような既視感すら覚える主題を訴えられても
「それで?」と言いたくなりますし、
このような奇跡体験を経た琉花は成長したのでしょうけど、
その体験があまりに奇跡的過ぎで強引なんですよね。
これだと、映画的な体験前のする前の未成熟な主人公が
どのような問題を抱えていようとも、否が応でも成長してしまいます。 
つまり、何が言いたいのかというと、
「あんな体験をしたら成長するのは当然だよね」ってくらい
話作りが乱暴。

「考えるより感じろ」というのは別に構いませんけど、
これまで散々取り扱われてきた主題を、映像任せで訴えられても
話としてはあまり評価できません。話作りをぞんざいにし過ぎでしょう。
ディズニー映画なんかは、圧倒的な映像美と話作りは共存している訳ですから、
分かる人には分かるというのは、言い訳の理由にはならんでしょう。{/netabare}


「映像評」


物語評でかなり辛辣な評価をしましたが、
端っからそこの部分は期待していませんでした。
冒頭でも述べたように、私は絵画鑑賞のつもりで劇場に足を運んだのです。
伏線は?メタファーは?主題は?
極論、そんなものどうでもいいのです。圧倒的な映像体験、これが目的です。
海の描写がとか言う前に、そもそも日常描写の書き込みが半端ないです。
線の密度が半端ない。 制作期間が5年とか、6年とか。さもありなんです。
正直映像に関しては、言葉にするのが難しいですね。
四次元の水族館とプラネタリウムを合わせたようなアトラクションですかね。
閃光が走る海原を泳いでいるんですよ。
「やばっ!息継ぎしなきゃ」って感じるくらいの波がスクリーンから迫ってきました。
なんだか第六感まで刺激されるような圧倒的な映像でした。
観賞でなくて、体験ですね、もうここまでくると。

そして、私はこの体験を是非劇場でしてもらいたいと思います。
家で見ても、10%くらいしか伝わらないでしょうから。

賛否両論だし、行くか迷ってるというそこのあなた!
映像だけ見に行くと割り切っても絶対に損はしませんよ!
むしろ、そっちの方が楽しめるまである。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 33
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

空と海と風と

「私は…空を飛べる」

護岸の堤防を駆ける少女はまるで風のようである。名は“琉花(ルカ)”。
そんな彼女とジュゴンに育てられたとされる少年二名が織り成すファンタジー。
少年らの名は“海(ウミ)”と“空(ソラ)”という。


映画館で観たかった!ってその通りなんですけどちっこいモニターはモニターで味がある…かもしれません。ほぼ負け惜しみですが。
画面に引き込まれる感覚はそれほど大差ないでしょう。映画館を想像するに時計やスピーカーが目に入らなくなって、袖の幕すら気にならなくなるような感覚。できれば劇場の大画面と言わずプラネタリウムで観てみたいな、と無理難題が思いつく。そんな映画でした。


 映像凄いよー


2019年は劇場作品が元気で、そのやり取りの中で他のレビュアーさんからのご推薦があった作品です。
この際、地上波で見かけなくなったゴローちゃん目的でも、某『永遠の○』ヤーさん役の凄みで全俺の涙をさらった田中泯さんが目的でも構わないっす。劇場オリジナル作品の中でもなにかしら爪痕を残してくれそうなおとぎ話。

で、不肖このわたくし。さっぱりとまでは言わないまでもよく分かってません。
ただ母なる海とでもいうのでしょうか。生命の神秘みたいなのを感じるのであります。


 青 蒼 藍 碧


作品全編通して画面を支配する色。光の加減で顔を変える海の色彩。月明りに照らされることで漆黒の闇から開放された海岸。まるで東山魁夷の絵画のような色使いです。
そしてなにせジュゴンに育てられた少年らです。海と一体化したかのようなシーンはてんこ盛りでした。まるで『グラン・ブルー』のジャックマイヨールみたい。


そうまさに海に抱かれてα波出てるんじゃないかしら?な中盤まで。作品タイトルやキービジュアルから期待しちゃいそうなところは期待しちゃって良いと思いますよ。


一転して中盤からのイメージはときおり差し込む赤。

{netabare}「海が赤く見えるのは夕空のせいだけではない」
「夜になればわかる」

夕焼けで赤く染まる海を指してルカに何か嘯くソラくんです。海オンリーから宇宙にまで舞台が拡がっていくに従って重要な色合いとなってきました。{/netabare}

少しばかりスクラップ&ビルドな概念が思い浮かんで、ハイビスカスの花の色から、隕石衝突だったり、原初の炎だったり、闇を照らす火だったり、はたまたビッグバンのようなものを想像してしまう私。

なんか生命の神秘とかビッグバンとか何言っちゃってるんでしょうね?私。未見でこの感想読んでる方は「お薬増やしておきましたからねー」とつい言いたくなっちゃうんじゃないでしょうか。


 母なる海から宇宙まで


2時間くらいでこれらを提示するってこと自体すごいことなんだろうと今は納得しております。

壊して作って。斃れて起ち上がって。死んで生まれて。繋がって断ち切って。

α波出てると油断してたらいつのまにやら宇宙の神秘に両足突っ込んで戻ってこれない傑作です。



※余談中の余談

■これはどうでもよいのよ

『空と海と風と』
Wikiにも載ってないフュージョンバンド。ツアーのサポートメンバーや収録など縁の下の力持ちとしての歴のほうが長いかなぁ。
本作の主役名から真っ先に浮かんできたこのバンド。もしご存知でしたらある意味すごいです!

{netabare}そんな彼らとけっこうコラボしてたのが『SING LIKE TALKING』

本作のポイントとなる鯨の“うた”とは“語り”でもありました。
祭の始まりを告げる号砲は語りかけるように歌うその声です、というシンクロニティ。{/netabare}

{netabare}「私は…空を飛べる」
風のような少女は、終盤では植物の種子を遠くへと運ぶ風の役割をも担ってました。
作品は次第に母なる海から母なる地球を舞台へとスケールアップしていきます。少女はその象徴。
それと連なるように青味のあった世界に取って変わらんとする鮮烈な赤色。地球の風と炎です。

まさに『アースウィンド&ファイヤー』!!って悪ノリが止まりません。好きな人ごめんなさいね。
だって終盤の美術が『黙示録(邦題)』のジャケ絵みたいなんだもん。{/netabare}



視聴時期:2020年3月

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2020.05.14 初稿
2020.12.06 修正

投稿 : 2024/05/04
♥ : 45

69.5 19 中学生アニメランキング19位
劇場版美少女戦士セーラームーンR(アニメ映画)

1993年12月5日
★★★★☆ 4.0 (70)
520人が棚に入れました
 講談社の雑誌『なかよし』で連載されていた「セーラームーン」の初の劇場映画。月野うさぎとその恋人・地場衛の前に現れた異星人のフィオレ。衛と知り合いだったフィオレはふたりの友情のために花を持ってきたというが、彼の狙いは衛――タキシード仮面を利用しようとすることだった。実はフィオレの正体は宇宙の侵略者・キセニアンの手下だったのだ。セーラームーンをかばって傷を負い、フィオレに連れ去られてしまった衛を救うため、セーラー戦士たちはキセニアンのいる小惑星へと向かう。

声優・キャラクター
三石琴乃、富沢美智恵、久川綾、篠原恵美、深見梨加、荒木香恵、潘恵子、高戸靖広、古谷徹、緒方恵美、緑川光、丸尾和子、冬馬由美、山崎和佳奈、西川宏美
ネタバレ

ユニバーサルスタイル さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

見る者すべてを魅了する本当の愛

本当はTVシリーズの方から書きたかったけれどひとまずこちらから書くことにします。

TVシリーズ(無印、R)の設定を知らないと十分に楽しめないと思うので、この映画を見る際は是非そちらからお願いします。
かなり長いエピソードですが、その労力に見合った感動を与えてくれます。
全く知らなくても凄さは伝わるかも?

あらすじ
{netabare}
バスに乗って遠くの花園まで遊びに来ていたうさぎ、レイ、亜美、まこと、美奈子、衛、ちびうさ達七人。

温室を見て回ってから外にある広大な花園へ出ると、突然風が吹き荒れ謎の青年が現れた。
彼はフィオレと名乗り、衛とは昔からの知り合いであり約束を果たしに来たと明かす。
また風が吹き荒れるとフィオレの姿は無かった。

謎の青年フィオレの目的、衛との関係は何なのか。そしてうさぎ達の直面する危機とは。
{/netabare}


この映画は本当に先の展開を読ませません。次から次へと台詞や描写の欠片を紡いで驚きを見せてくれます。


TVシリーズのRはおそらくReturnsの意味でしょう。そしてこの映画のRはRevenge。ある壮大な復讐劇が裏で糸を引いています。

激しい憎悪をぶつけてくる相手に対してどう向き合うか。そこにセーラームーンが答えを見せてくれる。全力で応えてくれる映画です。


セーラー戦士は皆それぞれ違う変身ポーズ・変身BGMで華麗な変身を遂げますが、その中でも別格の美しさを誇るのがセーラームーン。

主人公が主人公らしく輝き、期待に応える活躍をしてくれるのがなにより素晴らしいと思います。やっぱり主人公は一番じゃないといけません。

マーズ、マーキュリー、ジュピター、ヴィーナス各々がセーラームーンを信頼して彼女を援護し、ちびうさ、ルナ、アルテミスも彼女を見守り、そしてエンディミオンが最も近くで彼女を支える柱になる。

全ての仲間がセーラームーンを味方し、彼女の力の糧となっていく。アニメ至上最もセーラームーンの魅力が集約された瞬間です。

闘うことはあっても、最後はやはり分かり合うことでしか終わらない。そのためにセーラームーンが与える愛の深さは胸を打ちます。

「愛」や「感動」って言葉はあまりに氾濫しすぎています。どんな歌にも映画にもあるようなありふれた表現。そう思っている私達にも今一度新鮮なものを与えてくれるのがセーラームーンだと思ってます。


敵となるフィオレは過去に囚われ、そのせいで衛に執着しています。

しかし過去に囚われているのは皆一緒。実はレイも亜美もまことも美奈子も衛も辛い過去があったのです。

特にフィオレと衛は対となる存在として描写されています。同じ過去を共有する二人。辛い過去があった二人。その二人を現在分かつのは何か。

それは{netabare}
自分の事を愛し支えてくれる存在。また逆に愛したい、支えたいと思える存在(=うさぎ)の有無。
他の皆もそれは一緒で、うさぎが居てくれたから辛くても挫けなかった。そうした愛の有無が二人を分かつもの{/netabare}
であったのです。

セーラームーンが如何に皆から愛されているか、如何に皆を愛しているか、強く伝わりました。



劇中歌・主題歌の『Moon Revenge』が素晴らしいです。

まずこの曲の美しくも激しい歌詞、リズム。
単なる復讐ではなく、その裏にある激しい愛情を見事に表現しています。

それから劇中歌として用いられるタイミング。これはあらゆるアニメにおいて教科書的存在となるべきほど的確です。

視聴者の熱気が最高潮になる、まさにその瞬間で流れ出す興奮。これぐらい挿入が優れているのはドラえもんの宇宙開拓史位しか知りません。

裏表の意味を持つこの曲を、その使用する瞬間によってはっきりと主張させる。凄いと思います。



セーラームーンは、【愛とは?正義とは?和解とは?】そういった難しい壁に立ち向かっていきます。

強ければいい、相手を倒せばいい、敵が居なくなればいい。それだけじゃダメだ!と悩み苦しみ、自身の力を最大限使って全てと分かり合おうとする姿は戦士ではなく女神の振る舞い。

女神が見せてくれる大きな愛の結晶、それがこの映画だと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

ガンダム、うる星やつら、ルパン三世、と並ぶビッグタイトル 若いうちに観たい作品

1993年公開の劇場版セーラームーンR

原作 竹内直子 監督 幾原邦彦 脚本 富田祐弘

セーラームーンは長期テレビアニメシリーズで、ほとんど観ていなかったので、
まずは劇場版が見やすいかなと思ったのですが、正しい選択では無かったようです。
初心者であればとりあえずは佐藤順一監督のテレビ版「セーラームーン」からが基本でした。

と言っても、この劇場作品はエヴァンゲリオンのネタ元ともいわれるアニメ史の重要作品。
必見であることは間違いないです。

まず目を引くのはセーラー戦士のコスチュームの自然な美しさでしょう。
上半身はフィットしたセーラー上着、スカートは柔らかそうな超ミニ。
元ネタであるゴレンジャーのように色分けされて決してエロではない優しい美しさに目を奪われます。

月野うさぎ セーラームーン CV三石琴乃
火野レイ セーラーマーズ CV富沢美智恵
水野亜美 セーラーマーキュリー CV久川綾
木野まこと セーラージュピター CV篠原恵美
愛野美奈子 セーラーヴィーナス CV深見梨加

以上 5人の愛の戦士 懐かしい顔ぶれに震えが来ます。
なんだか、観出したらはまって止まらなくなりそうな予感。

Rですからちびうさもメインキャラです。

長期作品だけあって様々な登場人物、設定も変わって楽しみは尽きなそうですが、
踏み出すのが怖いですね。

この劇場版Rに関してはテレビ版一期とRの途中まで視聴が必要なようで、
日常部分やセーラー戦士の描写は少なく即、戦闘という感じで、
物語は楽しめません。
しかし、安定した作画で見るセーラー戦士の華麗なお姿に夢中になることは間違いなしです。

ゴールデンタイムアニメとして世界的社会現象を巻き起こしたビッグタイトル。
アニメファンとしては神棚に飾っておくだけでは許されない作品だと再認識できました。
キャラ及びコスチュームの美しさでは現代でさえ追随を許さない奇跡の作品です。
いつかは、テレビ版も全部見て観たいですねえ。怖いけど。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

「Moon Revenge」

『美少女戦士セーラームーン』の劇場版第一弾。

単体で観たら変哲のないヒロインアニメだと思います。

世界を救うだけじゃダメ。全員無事に帰るんだ。
と言う典型的な欲張りヒロイズム。

けれど、本作のセーラー戦士たちはここに至るまで、
時空を超越して多くの因果と宿命を背負って来ている。

さらに、因果を重ねる中で、彼女たちは
超人的な能力を獲得する一方で、その魂は人間社会から乖離し、
現世で宿命を受け継いだ戦士たちは各々癒やし難い孤独を味わっている……。

これらの宿業の一端を、TVアニメで共有してきた視聴者にとっては、
「もう誰も一人にしない」などの決意が、心の琴線に触れる。
60分の中にセーラームーンエキスがギッシリ詰まったセラムン映画。

『~セーラームーンR』のR……。Remake、Rebirth、Revival……。
色々想定できますが、加えて無印における戦士たちの運命を知る視聴者にとっては
Revengeでもあると思います。

そんな戦士たち、ファンたちの抱く気持ちを巧みに斟酌、刺激しつつ、
クライマックスにて、セーラー戦士5人のキャストによる挿入歌「Moon Revenge」と共に、
心が一つになりセラムン愛が昇華する展開、構成はお見事。

永遠にも等しい時間、戦い続けて来た彼女たちの魂が、
少しだけ救済されたような。
万感胸に迫る最高のファン向け映画です。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 15

68.7 20 中学生アニメランキング20位
夜明け告げるルーのうた(アニメ映画)

2017年5月19日
★★★★☆ 3.7 (119)
447人が棚に入れました
寂れた漁港の町・日無町(ひなしちょう)に住む中学生の少年・カイは、父親と日傘職人の祖父との3人で暮らしている。もともとは東京に住んでいたが、両親の離婚によって父と母の故郷である日無町に居を移したのだ。父や母に対する複雑な想いを口にできず、鬱屈した気持ちを抱えたまま学校生活にも後ろ向きのカイ。唯一の心の拠り所は、自ら作曲した音楽をネットにアップすることだった。

ある日、クラスメイトの国男と遊歩に、彼らが組んでいるバンド「セイレーン」に入らないかと誘われる。しぶしぶ練習場所である人魚島に行くと、人魚の少女・ルーが3人の前に現れた。楽しそうに歌い、無邪気に踊るルー。カイは、そんなルーと日々行動を共にすることで、少しずつ自分の気持ちを口に出せるようになっていく。

しかし、古来より日無町では、人魚は災いをもたらす存在。ふとしたことから、ルーと町の住人たちとの間に大きな溝が生まれてしまう。そして訪れる町の危機。カイは心からの叫びで町を救うことができるのだろうか?

声優・キャラクター
谷花音、下田翔大、篠原信一、柄本明、斉藤壮馬、寿美菜子、大悟、ノブ

因果 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

ほとばしる感性

2017年制作のアニメの中では暫定トップ。普段は一度見た作品は基本見返さないタイプの私だが、今回ばかりは何度も劇場に足を運んでしまった。

話の展開自体はいたって単純。進学を控え、思春期特有の悩みを抱えた主人公「カイ」が、人魚の女の子「ルー」と出会い、様々な出来事に触れていくことで次第に葛藤を乗り越えていくというもの。もはや青春モノと経由されうる作品の大抵がこのプロットを踏まえていると言っても過言ではないだろう。

しかしこれだけで終わらないのが湯浅政明という男である。

彼は言うなれば感性主義的なクリエイターで、「動きの総体としての"作画"」を誰よりも理解している。それが一番顕著に表れているのが2004年制作の彼の劇場初監督作品である『マインドゲーム』だ。この作品ほど言語による評価に困る作品はそうそうない。無理やり説明するなら、湯浅の頭の中に広大無辺に広がるイマジネーションの結晶を、「セリフ」や「物理法則に則った作画ルール」といったフィルターを通すことなくそのまま映像にしたようなドラッグムービー、といったところだろうか。

彼ほどに「感性」を「感性」のまま表現できるクリエイターを私は知らない。その精神性は『ルー』の中でも褪せることなく光り輝いている。

基本的にアニメという媒体は「感情の機微の表現」という点において大きくディスアドバンテージを抱えている。漫画ならば、コマとコマの間に我々の想像力が介入することによって、映画ならば演者の演技力によって、これは解決されうるのだが、アニメではそうはいかない。

アニメでは、漫画のコマ割りのように話をぶつ切りすることはできないし、映画に出てくる本物の人間の演者の演技ほど細やかな動きは表現できないのだ。(作画に割くリソースを最大化し、実写と見紛うほど精緻な映像を作ることができる可能性がある以上、「表現できない」と言い切ることには若干の抵抗があるが、もっとも、そうして極限までリアリズムを追求した作品が果たして「アニメ」と呼べるのかという話だが。)

SNSなどでウンザリするほど目にする「原作は面白いのにアニメはつまらなかった」という感想も、きっとこの点に関しての不満の表出なんだろう。

この致命的なディスアドバンテージも、湯浅(と愉快なアニメーターたち)の手にかかればなんということはない。彼は、「アニメは映画に及ばない」というパラダイムを脱却するため、「映画に近づく」のではなく、なんと「映画から離れる」ことを選択し、これを乗り越えた。

「映画に近づく」というのはつまり、実写映画の持ちうる特性をアニメ内にできる限り反映させることで、最近のアニメ映画では『君の名は。』がその代表格として挙げられるだろう。ここまでアニメアニメしていないアニメ作品というのも珍しい。背景美術の荘厳さは言わずもがな、あまつさえ「ジュブナイル×SF」というややアナクロなジャンルを現代風に再構築し、誰もが楽しめる一大エンターテイメント作品に仕上げた新海誠の手腕にはこれからも大きな期待がかかるだろう。

だがしかし、これは本当に「アニメ」と呼べるのだろうか?「作画」という手段を用いただけの単なる「邦画」の一作品に過ぎないのではないか?「アニメでしかできないこと」というものが欠落してはいないか?

これに対し、「映画から離れる」というのは、上述したように、「アニメでしかできないこと」をやることである。

ここで活きるのが湯浅の感性主義だ。頭の中に立ち現れる生きたままの感性を、現実性というフィルターを介さずそのまま絵にする。迸る感性の潮流を、少したりとも堰き止めることなく、そのまま溢れ出させる。これによって彼は、映画内の登場人物の感情を、ハッキリと、言ってしまえば実写映画以上に表現することを可能にせしめた。殊更、『ルー』は10代の若者の感情変化を綴ったセンシティブな作品であるがゆえに、彼のこの制作スタンスがピッタリ合致した。「カイ」たちのビビットな感情が、銀幕の中でキラキラと輝いているのが見えた。

感性の直接表現って例えば何だよと思う方もいらっしゃるだろうので、ここでは彼お得意の「パース崩し」を紹介しておこう。これは読んで字の如く、わざとパースを崩すことによって、普通の作画以上にダイナミズムに溢れた動きを表現する技法である。『劇場版クレヨンしんちゃん(初期)』や『風人物語』あたりを想像してもらえば分かりやすいだろう。

こういったわざと現実の物理法則を無視した動きを取り入れることでかえって登場人物の心情がありありと伝わる。そういえば初期ディズニー映画やポパイやトムとジェリーあたりなんかもこの手法をよく使っていた。

『ルー』の中では、慰霊祭でのダンスシーンやルーのパパが街を爆走するシーンなどがとりわけ印象的だった。まさに「生きた作画」だな、と改めてそう思った。作画班見たら案の定伊東伸高、うつのみや理、末吉裕一郎あたりのドラッグ作画得意マンばっかでビビった。美味しすぎる。

ほとんど作画の話になってしまったが、作品のテーマにもしっかり着目してほしい。

本音と建前、地方志向と都会志向、動と静、現在、と過去といった様々な二項対立が、それぞれどう絡み合い、どんなカタルシスを生み出してくれるのか、そんなことを考えながら見てみると面白いかもしれない。

この映画のテーマソングである『歌うたいのバラッド』も作品内で本当にいい味を出しているのでよーく聴くべし。特に終盤でこれのイントロが流れ始めたらすぐさまハンカチの用意が必須である。

"嗚呼、唄うことは、難しいことじゃない”

現在私はこの映画のBlu-rayを買おうか真剣に悩んでいる。金欠大学生をここまで悩ませるほどの超傑作なのだ。ぜひ見て欲しい。

ぜひ見て、泣いて、映画が終わったら、朝焼けに向かって『歌うたいのバラッド』を口ずさんで欲しい。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

「崖の上のゴニョゴニョ」風味(笑) ~才能と才能のぶつかり合いに、是非を問う~

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
アニメ映画。テーマは、「友情」「自立」。

内容、世界観ともに、まるでジブリのようなアニメです。でも、監督の部分でジブリとの違いは出ていたと思います。

監督の「湯浅政明」さんは、「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」など、独特の映像表現で知られ、受賞歴多数のアニメ界の巨匠。先日放送した「映像研には手を出すな!」で興味を持った人も多いと思いますので、そういう人は視聴してみても良いのではないでしょうか?


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
まず、映像が素晴らしい。エンターテイメントとして上質です。

音楽も美しい。劇伴も良かったし、「歌うたいのバラッド」の持つ力も感じました。流石、名曲。

そして、脚本も素晴らしい。大まかなストーリーという意味合いではなく、しっかりと絞った言葉選びが効果的でした。

と絶賛しながらも☆は3で、しかも要素を3つに分けたのは、「映像」と「音楽」と「脚本」が、それぞれに自己主張をし、独立して動いていた印象を受けたからです。

監督は「湯浅政明」さん。「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」など、独特の映像表現で知られ、受賞歴多数のアニメ界の巨匠。先日放送したの「映像研には手を出すな!」で興味を持った人も多いと思います(私もその一人)。

音楽を担当したのは、ドラマや実写映画だけでなく、アニメでは、「思い出のマーニー」「メアリと魔女の花」など、大作を手掛けている、こちらも一流の方。

脚本は、「吉田玲子」さん。私たちにとっては、「けいおん!」や「たまこまーけっと」、「聲の形」など、京アニ作品での印象が強いけど、脚本を手掛けた作品としては、「猫の恩返し」。シリーズ構成としては、「のんのんびより」など、優しい作品を得意にしている印象です。

この3つの要素のうち、映像と音楽はまずまず噛み合っていたものの、脚本と映像はミスマッチでした。

大まかなストーリーとしては、非常に王道で、異種族の温かな交流と、少年の成長を描いたものです。

とにかくアクの強い湯浅さんの作品のアクを、吉田さんの脚本が上手く中和して、1つの物語としての体裁を保っていたと思います。

この辺、原作組の私でも振り落とされそうになった、「夜は短し歩けよ乙女」に比べれば、ぐっと観やすくなっています。メインターゲットであるだろう子供でも、ちゃんとストーリーを理解できます。

一方で、その「分かりやすさ」が、湯浅さんにとっては、ちょっと窮屈で、個性が爆発しきれていないようにも感じました。この辺をどっちで捉えるかが、評価の分かれ目でしょうか。

私は、「高評価して」「いました」。

映画序盤の静かな展開、それこそ、初めてルーとセイレーンのセッションをしたあたりまでは、☆4の評価にしようかと思っていました。

閉ざされた田舎の、鬱々した感じや、若者の不満みたいなものを、台詞によって説明するのではなく、「言葉」と「映像」と「音」で、感じさせる手腕には脱帽しました。地味ながらも、名作の気配を感じてはいました。

が、海辺でのファーストライブあたりから、徐々に「湯浅さんらしさ」が溢れだしてきて、最後には、アニメの内容同様に、決壊(笑) もう、脚本もクソも関係なく、大暴れしてましたね(笑)

怒濤の映像表現に圧倒される一方、何よりストーリーを重視する私にとっては退屈さを感じ、少し、寝落ちしてしまいました。

本作のラストシーンは、また穏やかな海に戻ってきたよう。映画冒頭と同じ風景を、同じような構図で描きながらも、光が差し込んだことにより、明るい街に変わっていた。全てに無気力で、この田舎街をバカにしていたカイの成長も見られた。

このような明るさは、「お陰岩」が崩れたことによります。しかし、「お陰岩」がなくなり、これまで実は人間を守ってきた人魚達がいなくなってしまいました。では、「お陰岩」は、日無町にとって必要だったのか、不要だったのか。

おそらく、これまで日無町は、「お陰岩」や人魚達に「知らぬ間に」守られていて、それは「親の愛情」に似ている。故郷ってのも、そんなもんでしょう。しかし、いつかは一人立ちしなければならない。

「カイ」は最後、ずっと無視し続けてきた父親に、感謝の言葉を述べました。そして、未来に向かって歩き始めた。そういう比喩としては、よく出来ていたと思います。

ちょっと引っ掛かった点としては、ルーが幼女の設定で、本当に良かったのかな? というところ。内容的には、カイと同じ高校生くらいでもいけるし、崖の上のゴニョゴニョのパクりって言われなくて済んだかもしれないしさ(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

ヲリノコトリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

やっぱポニョじゃねえかw

【あらすじ】
「お陰岩」によって日の光を遮られる町、日無町。日の光を怖がる人魚の伝説があるその町で人々は暮らしている。これからも、この先も。

【成分表】
笑い★☆☆☆☆ ゆる★★★★☆
恋愛★★☆☆☆ 感動★★★★☆
頭脳★☆☆☆☆ 深い★★☆☆☆

【ジャンル】
感動系、中学生、進路、ポニョ、君の名、震災

【こういう人におすすめ】
私。

【あにこれ評価(おおよそ)】
65.0点。ポニョかポニョじゃないかという議論。注目度は非常に低い。

【個人的評価】
ポニョだけじゃなくいろいろな「素材」を感じる作品だが、重要なのは私が、「元の素材」より「このアニメのほうが好き」だということ。
『自分のお気に入り』

【他なんか書きたかったこと】
{netabare}
 「やっぱポニョじゃねえかw」と何回か画面に向かってツッコみましたが、「じゃあ駄作か」と言われると全然そんなことはなく最後まで楽しくみれました。……てかごめん好きだわ。お気に入りだわ。
 これが噂のタイトル詐欺ってやつです!すんません!

 ポニョだけじゃなくて、君の名とか震災とか、『元ネタ』と呼べるものを挙げるときりがないくらい様々な要素にインスパイアされています。しかしあれかね。新海さんの「星を追う子ども」といい、これといい、新進気鋭のアニメ監督は一回ジブリに喧嘩売っとくルールでもあるのかね。

 でもごめん。ポニョより君の名より好きだった。

 ストーリー展開も好きな感じで、見てて飽きなかったし、むしろ最初は「微妙かなあ」と思いながら見てたのにどんどん引き込まれて行って、終盤には「うおおおお」ってなりました。
 序盤に猛威を振るっていた「バンド」っていう要素を惜しげもなく使い捨てる感じや、メインメンバーの男女比、主人公がヒロイン以外になびかない感じ、あそこで猫じゃなくて犬を出してくるセンス(私は猫派ですが、最近各メディアの猫推しがウザい)、そしてストーリーとともに心に募ったモヤモヤがストーリーとともに温かいものを残して消えていく感じ。
 全部私の好みドストライクでした。

 今までは湯浅監督の良さは「原作選び」と「原作への理解の深さ」だと思ってたんですが、ちょっと違ったようです。湯浅監督は「素材を一度かみ砕いて、より"私"が好きな形にしてアウトプットする」人のようです。便利です。
 まあ逆に言えばやっぱ「素材」は感じちゃいましたね。次は本当に湯浅監督の中だけで育ったものをみてみたいなあ。誰も見たことがないようなものが潜んでる気がするんだけどなあ。


・作画と音楽について雑感
{netabare}  作画は最高ですね。キャラとか表情とかも好き。まあ、ヒロインはポニョでしたが。
 絵だけで泣ける新海監督、心が躍りだす石田監督、変化球の湯浅監督。作画に関して、アニメ映画の監督がイイ感じのバランスになってきましたね。細田監督は絵は普通だけど、今挙げた人たちと比べるとストーリーのオリジナル性は一歩抜きん出てるかな。頑張れスタジオ六花。
 いやあ、アニメ映画のカンブリア爆発を感じますねえ。

 音楽について。「デビルマン」と「夜は短し」でもちょっと思ったけど、湯浅監督って結構"音楽"好きなんですかね。「好き」っていうよりは、「音楽のチカラを信じてる」って感じかなあ。
 そういえば四畳半のOPとEDはアジカンとやくしまるえつこだし、ピンポンもOPとED良かったなあ。そしてこの映画のテーマ曲である「歌うたいのバラッド/斉藤和義」も良かった。1997年の曲なのか。かっこいいし全然古い感じしないですねー。これは一回斎藤さん全部聴いとかんとあかんなあ。 {/netabare}


 このままだと次の湯浅監督の作品もべた褒めしちゃいそうなので、一応言っときますけど、より厳しい目でみていきますよ私は!
 私が贔屓するのは世の中で人気ないものであって(それもあかんわ)、湯浅監督なんて今までもこれからも評価されまくるんだから私が贔屓する必要などないのです(笑)
 あ、そういえば「ケモノヅメ」は結構前に見てみたけど意味わかんなくて2話くらいで中断しましたわ!そういえばあれは湯浅監督がストーリー作ってるわ!やっぱやっぱ湯浅監督「素材」ないとダメじゃん!
 ……「ケモノヅメ」気になってきた……。もう一回ちゃんと見てみようかな……。 {/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 30

64.4 21 中学生アニメランキング21位
好きになるその瞬間を。~告白実行委員会~(アニメ映画)

2016年12月7日
★★★★☆ 3.6 (97)
443人が棚に入れました
雛は中学の先輩恋雪にひかれ 同じ高校に進学を決意して猛勉強。
幼なじみの虎太朗と桜丘高校に入学する。
冴えなかった恋雪は片思いの相手の為に、休み明けにイメチェンしてモテ始める。
そんな状況に雛は「告白」を決意するけれど――!?

声優・キャラクター
麻倉もも、花江夏樹、代永翼、細谷佳正、松岡禎丞、東山奈央、神谷浩史、戸松遥、梶裕貴、阿澄佳奈、鈴村健一、豊崎愛生、雨宮天、Gero
ネタバレ

プクミン さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

一途な女の子の物語

告白実行委員会~恋愛シリーズ~というのがあるらしく、
第一弾:ずっと前から好きでした ← 高校3年生が主体
第二弾:好きになるその瞬間を ←本作品はこれ
第三弾:いつだって僕らの恋は10センチだった ←テレビアニメ全6話

本作品は、第一弾の主役だったキャラの妹を中心とした物語というか視点。

という事で、キャラ紹介、内容、感想です。

{netabare}
・キャラ
[瀬戸口 雛]
物語の中心となる高校1年生の女の子。優の妹で、恋雪が好き。兄の事も好き。
[榎本 虎太朗]
雛と幼馴染で同学年の男の子。夏樹の弟で、雛が好き。
[綾瀬 恋雪]
第一弾でも出ていたあの男。夏樹の事が好き。
[高見沢 アリサ]
雛とは中学からの友人?で、高校もクラスも同じな女の子。

基本的には、高見沢はおまけで、この3人を中心とした物語。
視点も雛を中心としているので、前作よりは分かりやすいです。
というか、前作を知っていたから分かりやすかったのかも知れません。

・内容と感想+気持ち
雛が恋雪と知り合うシーンから始まり、それがきっかけで初恋が芽生えどうのこうの。
本当にそれだけの物語。
ただキャラを絞っただけあって、キャラの気持ちは分かりやすかったです。

開始1分ちょっとで、雛と恋雪が初めて会ったところから始まる。
この時恋雪は転んで雛に怒られるんだけど、その位置と角度からだとパンツは見えないだろ!!
しかもそこから追って行って、雛の壁ドン。
ちょっと狙い過ぎだなぁ~と。

その後、夏樹のクラスメイトと知ると同時に、必然的に恋雪が先輩である事を知るんだけど、そこでなぜ好きになるのだっ!?
心の声「やめとけやめとけ、その男だけはやめとけ」
とか思っていると、高見沢という女が、二人の間に割り込みまくって邪魔をしてくれるんだけど、これはこれでうざい!!

途中、虎太朗が雛の気持ちに気付いてか、
虎太朗「あんな奴のどこがいいんだよっ!」
心の声「全くだよっ!!」

話は進んで行き、雛が恋雪へラブレターを書く。その内容は100点!!その手紙欲しい!!

更に話は進んで行き、優と夏樹が結ばれたところを盗み聞きしていた恋雪は失恋という形になり、ひとり下校をしようとしてたところ、雛が待っていて、
雛「先輩の事が好きですっ!!」
心の声「ぐはっ!!5000ダメージ!!」

ま、ま、ま、まさか…このまま雛は恋雪と付き合うBADENDになるんじゃないかとハラハラドキドキ!!
でも、そうはならず取り合えずホッとしました。
その後、何事もなく終わります。
…虎太朗ENDにならないの?
{/netabare}

恋愛がテーマなのは分かるけど、印象に残るようなところも特になく、特にこれといった感動も無く、普通でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

今好きになる。

「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」「いつだって僕らの恋は10センチだった。」の2作の視聴を経て、ようやくこの作品に辿り着きました。


出会いは最低だったのに
いつの間にか雛の胸は高鳴っていく。

雛は中学の先輩・恋雪に惹かれ
同じ高校に進学を決意して猛勉強。
幼なじみの虎太郎と桜丘高校に入学する。

さえなかった恋雪は片思いの相手の為に、
休み明けにイメチェンしてモテ始める。

そんな状況に雛は「告白」を決意するけれど…!?


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

好きな人と同じ高校に行くため猛勉強…
これってリアルで実際有り得ることなんでしょうか。
だって進学って自分の人生が懸かってるんですよ。
頑張る動機にはなると思いますけど、決定打にはならないような…

今回の場合、たまたま自分の学力を上げなきゃ入れない高校だったから結果オーライかもしれませんけど、もし逆だったらそれを受け入れるだろうか…
まぁ、ここでこんなこと言っても仕方ありませんけれど^^;

今度の主人公は、もちょ演じる瀬戸口 雛…
前作「ずっと前から好きでした。」の主人公だったハルカス演じる榎本夏樹の想い人である瀬戸口優を兄に持つ女の子です。

そして榎本夏樹に瀬戸口優という幼なじみがいるように、雛にも榎本虎太朗という幼なじみがいるのですが、この2人の立ち位置は兄・姉とは違い、惹かれているのは片方だけ…

お互いが同じ方向を向いているんです。
一見良いことの様に思えますが、同じ方向を向いているということは、決して向かい合えないのと同義なんです。
だから今回の恋物語は前作よりずっと切ない展開だったと思います。

その気持ちを助長してくれたのが、もちょの演技にほかなりません。
恥ずかしながらCharlotteの乙坂歩未を演じていた時、正直もちょに魅力に気付けませんでした。
それから幾つかの作品を経て、彼女の魅力の予感が確認に変わったのが、「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」で環いろはを演じた時です。
もちょの声質って、心地良さと耳障りが最高なんですよね~
本作品でも彼女の魅力が目一杯堪能できるので、気になる方は要チェックです^^

気になると言えば、このシリーズでアニメ化されたのが劇場版2本と、全6話のTVアニメ版でしたが、wikiをチラ見したところ、登場人物の物語が結構進展しているようなんです。
しかも知らない登場人物が紹介されていたり…
もうこれ以上、アニメでは彼女たちの顛末は描かれないのでしょうか。

前作の劇場版でも触れましたが、対象を中高生のみにしておくのは勿体無い作品だと改めて思いました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 10
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

片思いと空振り

 「ずっと前から好きでした!告白実行委員会」と並行のお話のアニメだったです。この手のアニメについて何かということが多いのだが、相変わらず容姿端麗なキャラが織りなす世界観ですねです。わたモテどの太った芹沼さんみたいのが、主人公だと面白くなるような気がするが・・・。

 話は、主人公の 瀬戸口 雛 の中学生のころから始まり前作にも出てきた 綾瀬 恋雪 に壁ドンから一目ぼれすることから展開するです。恋雪の卒業には号泣し、幼馴染の 榎本 虎太郎 と同じ高校に2年後入学するのだが・・・。この虎太郎は、雛に思いを寄せているというありがち三角展開かなぁ?です。

 そこに長髪ツインテール、チャラ男、メガネ男子も絡んでくるですねぇです。前作に出てきたキャラもちょっと登場ななぁです。優、夏樹は、兄妹、姉弟主演というのですかねです。この2人は、終盤重要な展開にからむけど・・・。

 非常に雛の片思いの妄想なのか?思い込み?自分の世界にひたる場面が、多いなぁです。物語が進み、遂に告白の手紙を作って、待ち伏せするのだが・・・・。恋雪もあれだけ雛にあっているのに「気づけバ~カ」と思うこともあるし、雛も虎太郎に「気づけバ~カ」と思ってしまうです。

 夏樹と優が、前作でおめでたになる瞬間を目のあたりにしていた恋雪・・・。その直後、雛上手くいくのかなぁ??{netabare}だったです。虎太郎も熱くなるけど、誰かさんの一言にかわされるのも見どころだけどです。

 一番最後、誰かさんに絶望の淵があっても忘れて少しは、雛や夏樹に日が当たるといいなぁだったと思ったです。恋雪はどこへ・・・?。何でもかんでも上手くいくばかりが、多い{/netabare}恋愛アニメにもこういうのもアリですかねです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6

79.3 22 中学生アニメランキング22位
スパイダーマン:スパイダーバース(アニメ映画)

2019年3月8日
★★★★★ 4.3 (88)
441人が棚に入れました
ニューヨーク、ブルックリン。マイルス・モラレスは、頭脳明晰で名門私立校に通う中学生。彼はスパイダーマンだ。
しかし、その力を未だ上手くコントロール出来ずにいた。そんなある日、何者かにより時空が歪められる大事故が起こる。
その天地を揺るがす激しい衝撃により、歪められた時空から集められたのは、
全く異なる次元=ユニバースで活躍する様々なスパイダーマンたちだった――。

声優・キャラクター
《日本語吹替版》小野賢章、宮野真守、悠木碧、大塚明夫、吉野裕行、高橋李依、玄田哲章
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

【辛口コメント】多様だね。で、何がしたいの?→続編の解答に期待大♪

原作アメコミは未読。映画鑑賞はサム・ライミ監督の3作くらい。

【物語 3.5点】
NYブルックリン。
黒人少年・マイルス・モラレスが、スパイダーマンことピーター・パーカーの遺志を継承し、新たなスパイダーマンとして覚醒するまでの物語。

多元宇宙(マルチバース)間の転移により過去を取り戻したい黒幕。
それに伴い各宇宙から迷い込んだ、様々な形態のスパイダーマンたちと共に野望の阻止と、各々の世界への帰還を目指す。


別次元のスパイダーマンこと、くたびれたメタボおっさんのピーター・B・パーカーと主人公少年との先輩後輩関係。
その他のスパイダーマンたちと、正体を明かせない孤独なヒーロー同士、
腹を割って語り合うことで、ヒーローの宿命の描写を深化。
多様なスパイダーマンを生かしたテーマ提示には成功している。


ただ、私は納得しきることはできませんでした。
本作は2019年の第91回アカデミー賞・長編アニメ映画賞受賞作。
前年のアカデミー賞では“#Me Too”運動の一環として俳優たちが黒ドレスでセクハラ問題に抗議。
同賞も、年々、政治色、社会問題提起への傾倒を強めていく中での受賞。

もはや映画その物の出来よりも、差別問題など、リベラルが掲げる政治・社会課題解決に寄与するか否かで評価される風潮になってはいまいか?
本作は私のポリコレアレルギーが急速に強まっていった時期の作品。
(因みに『グリーンブック』や『パラサイト』などこの頃のアカデミー賞・作品賞は映画としてはとても素晴らしい作品だとは思っています。)

よって私は本作に対しても、黒人少年のスパイダーマンを主役にした意義。
スパイダーマンに多様性は必要なのか。
どうしても手厳しく追求してしまいます。

結果、マイルスもスパイダーマンやって、たった2日では主役として私を納得させるだけの信念までは見えてこない。
色んなスパイダーマンわらわら出して来たけど、それで「誰でもマスクをかぶれる。」と結論付けられても、
結局ヒーローになるには身近な幸せが犠牲になるのを諦観しなきゃならないんでしょ?
誰でもマスクはかぶれるのだろうけど、俺はかぶりたくないね。
などと捻くれてしまう自分がいたのです。


このままだと私の中で記憶に残らない作品で終わってしまうこの『スパイダーマン』ですが、風向きが変わったのは続編PV。
来月公開の『~アクロス・ザ・スパイダーバース』、来年予定の『~ビヨンド・ザ・スパイダーバース』の2作。

高校生スパイダーマンを続けるマイルスが「愛する一人を救うか?世界を救うか?」との問いに対して「俺だけは全員救ってやるよ」と力強く宣誓。
捻くれた私を修正するだけの信念を持ったヒーロー像確立の予感。
スパイダーマンも幸せになっていいのか?俺もマスクかぶれるかも?
続編2作と合わせた三部作の序章『~イントゥー・ザ・スパイダーバース』としての本作の存在感も増している所です。


【作画 4.5点】
CG映画の中に画面分割によるコミックレイアウト表現、吹き出し風のレタリングなどアメコミ要素が落とし込まれ見ていて楽しい。
手描き感を損なわずに成立させたCG映像としては今なお世界最高峰。

その上で、日本の二次元ロボアニメも感じさせるペニー・パーカーのアニメ調。
戦前アメリカを思わせるスパイダー・ノワールの白黒フィルム調。
児童向け動物キャラ世界の豚、スパイダー・ハムのカートゥーン調。
多彩な表現が混在しても破綻しない統率力は見事。

クライマックス、背景にも惜しげもなく作画を入れ構築したマルチバースの混沌。
そこをかいくぐるスパイダーマンの立体アクションも圧巻。

色彩では黒より白の眩しさが鮮烈。
光の強さが、スパイダーマンのマスクの白い目にこもった意志とリンクする演出がグッと来ます。
是非コントラストの表示幅の広い環境で鑑賞したい映像美です。

ただ、それでも満点まで突き抜けないのは、まだ完全に確立されていないマイルスのスパイダーマン像ゆえ。
凄い映像技術で色々表現したのには感心したけど、
結局マイルスはこのマルチバースで何を成したいのか。
信念と映像が一体となった瞬間が、私が作画5点を付ける時なのだと思います。


【キャラ 3.5点】
主人公マイルスが出会う少女・スパイダーグウェン。
一応のヒロインポジションだが、たった2日のボーイミーツガールでは萌えもデレも不完全燃焼。
その無念を晴らすのも私が続編鑑賞したい主要な目的の一つ。
その他のスパイダーマンたちも軽く半生を紹介した程度に終わっており、今後の解像度アップに期待したいです。

時にスクリーンの過半を埋め尽くす黒い肩幅(笑)が特徴の黒幕・キングピン。
悪を貫く最中に失われた幸福奪還への執念が次元に穴を穿つ。
ヴィラン(敵役)だが彼もまた幸せになれないアメコミキャラの悲哀を体現。
あと私もキングピンの肩幅に{netabare} 「HEY~!」とショルダータッチ{/netabare} したいですw

{netabare} パトカーで送った学校入り口で「愛してる」と言わせるw{/netabare} 過保護、過干渉な父を煙たがったマイルスが懐くのはアーロンおじさん。
グラフィティや{netabare} ショルダータッチによる女の子の口説き方{/netabare} でアンダーグラウンドな文化の洗礼を与え、
(※核心的ネタバレ){netabare} ヴィランとしてマイルスと対峙し、スパイダーマンの悲哀の洗礼も浴びせる。{/netabare}
今後、マイルスが世界の敵になってでも愛する人も救うのかと葛藤する際、
ダークサイドの発端として回顧されそうなキャラです。


【声優 4.0点】
日本語吹替版を配信視聴。

メインキャストはアニメ声優陣を中心に固める。
ひと昔前まではアニメ中心の声優が映画吹替となると、
リップシンクの取り方も独特な中で、吹き替え声優と比べて、もうひとつ声が張れない場面も散見されましたが、
近年はアニメ声優も健闘されてますね。
アニメ声優の芸域拡大と、役者としての進歩を実感します。


なりたてヒーローの戸惑いを演じるマイルス役の小野 賢章さんを、
色々すり減ったピーター・B・パーカー役の宮野 真守さんが励ます構図。

グウェン役の悠木 碧さん。マイルスと好ムードになるもまだまだ勝ち気なツンボイス中心のヒロイン。
変幻自在な声質による真価発揮はまだ先の話か。
なので本作ではジャパニメーション的ロリ成分を供給するペニー・パーカー役の高橋 李依さんで萌えを代替w


【音楽 4.0点】
黒人主人公ということもあり、HIPHOP中心の楽曲群が壮大なオーケストラとも融合しムードを演出。
ポスト・マローン&スウェイ・リーの主題歌「サンフラワー」はビルボードチャートでも首位を奪取したメガヒット曲。
私が印象に残ったのはマイルスが再起する際に挿入されたブラック・キャビア「ホワッツ・アップ・デンジャー」

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13

lll1 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

こりゃアカデミー賞とるわ

 今作を観る前までは、『犬ヶ島』が長編アニメーション賞を取るだろうと思っていました。
 『犬ヶ島』も非常に新しく、挑戦的なことをした映画でしたが、今作も今まで観た事もないようなアニメーションを作ってきた。
 

 もう"圧巻"でした。ここまで完成された映画を観たのは久しぶりのような気もします。

 物語に感動したとかではなく、「なんて素晴らしい映画なんだ」と思い、観賞中涙ぐんでしまいました。

 
 以下の3点が高評価に繋がった点です。

 〈カメラワークがイカつい〉
 〈全く新しいアニメーション〉
 〈緊張と緩和〉


 〈カメラワーク〉
 スパイダーマンといえば、スパイダーウェブ(クモの糸)を使用しビル群を滑空するというイメージを持たれる方が多いと思います。今作はこれの魅せ方が抜群に上手い。

 言ってしまえば非常にマンガ的なんです。マンガは要所要所の大切な部分を描きますが、今作もその要所を印象的に描きながらも匠に繋げている。一瞬何が起きたのか分からなかった、ただただ圧倒された。
 
 アクションシーンや逃げ惑うシーンのカメラワークも素晴らしいんですけど、それ以外のシーンも凝りに凝ってます。
マイルスの父がパトカーから降り、路地裏に行くシーン。ここのカメラワークといい、彼の不安さ等を実に上手いこと表現できていて、思わずため息がこぼれました。


 〈アニメーション〉
 以前サンジゲン代表取締役の松浦裕暁著「アニメを3Dに!」という本を読みました。
 その中でかれは、サンジゲンのアニメーションを3DCGでありながら、セル画の様にも見える"セルルック"というアニメーションを目指しているといった記述をされてました。


 『スパイダーマン:スパイダーバース』は3DCGでありながらマンガ調のアニメーションの原点でありながら完成形であると言える。

 映像では省きたくなってしまう、マンガ的表現をマンガ調のアニメーションにしたことにより、何の違和感もなくそれを実現させている。
 
 今作は3DCG、マンガ的、この2点を完璧に実現させた全く新しいアニメーション映画。
 松浦裕暁はこれを"コミックルック"とも呼んでいる。(Twitterより参照)。便利なのでこの先も"コミックルック"と呼ばせて頂きます。
 観賞中に私は松浦裕暁は「やられた!」と思ってるんじゃないかと思ってしまった。

 
 NETFLIXで配信されている『ラブ、デス&ロボット』の第3話「目撃者」はコミックルック的な表現を使用した、大人向けアニメーションになっていますので、興味のある方はそちらも是非。
 (『ラブ、デス&ロボット』のレビューも書く予定です。)


 〈緊張と緩和〉
 アニメを観ているときに多くの人が、緊張感はあまり持たないと思う。全年齢向けともなればなおさら。「どうせ勝つ」といった安心感があり、緊張することはなかなかない。

 予告編でも公開されているので書きますが、スパイダーマンが序盤で死にます。緊張感を生む要因として、ここもとても重要なんだけど、その後の敵に追われるシーンなどに緊張感がちゃんとある。映像や色味のバランス、明るいシーンとの対比により実現させている。

 敵と対峙しているシーンでも、安心感はもちろんあるんだけど、アメコミ好きの私からすると、"これぞ待っていたモノ"だった。緊張感と安心感と求めていたモノの融合。「あぁ~、これだよ、これを求めてたんだよ」と。

 作戦がどうせ成功することは分かっている、逃げ切れることも。だけど、このコミックルックのアニメーションであったことで、そこから違和感や雑念が無くなる。本当に奇跡の作品だと思う。

 その緊張と緩和を生み出しているのは、ラップやヒップホップ音楽の使用であったり、キャラクターが支えているところもある。キャラクターについて書くのは、長くなるので割愛します。

 そして、言っておきたいのが、やはりこれは実写では出来なかった。アニメならでは、マンガならではの表現といい、ラップやヒップホップ音楽及びグラフィックアートやステッカーボムなどのヒップホップカルチャーの挿入。実写でこの表現は無理だった。

 
 これからソニーがこのコミックルックのアニメーションをどれだけ生み出すかは分からない。他会社が真似るかもしれない。

 NETFLIXは日本でのオリジナルアニメは3DCGを主としているし、3DCGの未来は明るい。
 ポリゴンピクチュアズはエミー賞を受賞しているので、いずれアニメ映画にも参入しアカデミー賞を狙ってもらいたい。サンジゲンはアカデミー賞を最終的な目標にしている。

 

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6

ワドルディ隊員 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

スパイダーマンファンは必見のCGアニメ映画

この作品は、マーベル・コミックの中でも知名度が高いヒーローもの
スパイダーマンを原作としたCGアニメ映画である。スパイダーマン
の映画としては初となるアニメ作品であり、主人公が従来の
ピーター・パーカーではなく黒人のマイルス・モラレスと
なっているのが大きな特徴だ。また、複数のスパイダーマンが
登場するという設定も付与されている。

全体を通した感想だが、沢山の受賞・ノミネートを獲得するのも
納得の出来だった。特にアニメーションの出来が凄く、スタッフ
からスパイダーマン愛を心の芯から深く感じられた。誠に感服した。
但し、全てが良いとも言い切れなかったように感じたので、
それも踏まえたうえで書いていきたいと思う。

主人公にきちんと焦点を当てており、変にだれることはなかった
ように思う。従来のスパイダーマンと同じような展開では
あるものの、必要な要素の一つだと確信していたため
私はそこまで気にならなかった。

また、比較的テンポもいいので、途中で眠くなるようなことは
起きなかった。映像も目を見張るものがある。色だけに留まらず、
演出や音といった部分まで徹底されているのは素晴らしい。

個人的なお気に入りは、夜の街並みをスパイダーウェブ
で操作しながら、駆け巡るシーンだ。臨場感に溢れた光景を
劇場で見られて本当に良かったと思っている。

今作も、他のマーベル作品と同じようにスタン・リーがゲスト
として登場する。細かい部分は省略するが、違和感を感じること
なくうまい事登場させる場面は毎度毎度感心させられる。

ちなみに、キャプテンマーベルだとオープニングロゴが全部
スタン・リーVerに刺し変わっているため、そういう意味でも
違った楽しみ方ができるかと思う。

主人公である、マイルス・モラレスやピーター・パーカーには
きちんと焦点を当てられているが、彼ら以外のスパイダーマン
への掘り下げは足りなかったように思う。ただ、
スパイダーウーマンに関してはマイルスとのやりとりが事前
にあったのでまだ納得できるが。

問題は残りの3人。戦闘シーンや紹介以外でのピックアップは
全くと言っていいほどされてない。モブキャラと化
してしまっているのだ。まあ、マイルスの引き立て役として
作品に大いに貢献したと考えれば、問題はないか。

敵キャラに魅力を感じられなかったのは致命的だ。プラウラー
を登場させたことに異論はないが、なぜ悪の道に進んだのか
という動機が不十分だった。キーパーソンとして重要なキャラ
であったのは明確に書かれていたので、彼についてもっと
掘り下げるべきだった。非常に勿体ない。

勘がいい人なら物の数分で正体に気づいてしまう恐れが
あるが、そこは伏線回収に繋がるという理由で自らを
納得させることにした。

キングピンに関しては言わずもがな。ぶっちゃけ、只の
でくの坊と化している。動機の説明はされているのが
唯一の救い。もういっそのこと、ドクター・
オクトパスでいいんじゃないかなと思ったのは私だけではないはずだ。

書いていて思ったのだが、アベンジャーズを意識した作り
にしたかったのではないかと考えるようになった。

なんせ、今年の4月末にはアベンジャーズ:エンドゲーム
が公開されるのだ。詳細は省くが、アベンジャーズの
4作目という位置付けになっている作品だ。

前作の戦いから、ヒーローたちが再集結し、サノスに
再度戦いを挑むというシナリオになっている。心の底から
待ちわびているといっても過言ではない程
私が楽しみにしている映画だ。恐らく、劇場での視聴になるだろう。
どのような出来になるか気になって仕方ない。

また、夏にはスパイダーマン:ファー・フロム・ホームの
公開も予定されている。但し、これに関しても言い出すとキリが
ないので、wikiを参照してもらいたい。(許して)

スパイダーマン好きの人向けに制作されているのも相まって、
スパイダーマン入門作品としては適さないのは間違いない。
スパイダーマンシリーズが好きな方、あるいはマーベル作品が
好きな方ならば見る価値はある。
個人的には間違いなく良作だと思う。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16

65.4 23 中学生アニメランキング23位
弱虫ペダル SPARE BIKE(アニメ映画)

2016年9月9日
★★★★☆ 3.8 (31)
250人が棚に入れました
弱虫ペダル」の現3年生の過去の物語を描くスピンオフシリーズ「弱虫ペダル SPARE BIKE(スペアバイク)」のアニメ映像化

声優・キャラクター
森久保祥太郎、諏訪部順一、安元洋貴、伊藤健太郎、山下大輝、鳥海浩輔、福島潤、諏訪彩花、柿原徹也、前野智昭、吉野裕行、日野聡、阿部敦、代永翼、阪口大助
ネタバレ

さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

スペアバイク

予告通り巻島と藤堂の過去メインのお話です。
前回の熊本レースは弱虫ペダルにしては真面目なお祭りアニメでしたが、今回のスペアバイクはいつもの、テレビアニメのノリの、いつもよりも少しだけレアな物語をご覧頂けるでしょう。
劇場の雰囲気も適度に緩くて想像していた以上の満足感が得られました。

ここからネタバレです
{netabare}
本編は全3話とアラキタくんミニストーリー+アラキタくんアイキャッチの構成になっています。
過去の話は3話とも現在の登場人物との日常会話から、過去を振り返るという形をとっております。現在の時にお馴染みのキャラも登場しますが、基本的には過去のキャラメインなので、巻島と藤堂以外の人気キャラの登場は期待しないでください。
ちなみに、ポスターに描かれた謎の人物は登場していません。

1話
巻島が入学後、隠れて特殊なダンシング走行を練習する、本編でも触れられた話を深く突っ込んだ話になります。
ショっ端から巻島節全開の「春ショ〜うららショ〜ショショショショショ♩」で快く静かに笑わせて頂きました。
神崎兄は既に車乗りでしたので、結構早い段階で自転車に乗るのを止めてしまったようですね。

2話
藤堂が自転車レースに出るきっかけとなった中学の出来事になります。
過去の話の中で登場する主な人物は藤堂君と、その友達の糸川君と、当時の箱学の女子マネさんの三人のみ。
糸川君の声(阪口大助さん)が尽八くんと呼ぶ声が、新八と被って不思議な気持ちになりました。
現在パートでは安定の泉田君アブが輝いていました。
結局糸川君は今何をしているのかな?気になりますね。

3話
激しい乗り方で愛車を壊してしまった巻島が立ち直るまでの話です。
隠れて練習して、自分の走りを認めさせた巻島さんですが、最大の壁は以外にも違うところにあったんですね。

それいけアラキタくん
リーゼント時代の荒北くんが猫と触れ合うシリーズです。
なかなか懐かない猫に対し、リーゼントの事を尻尾だ!人間の尻尾は頭についているんだ!と力説する姿が何とも可愛らしいです。


尽八くんと巻島さんの絡みは残念ながらありませんでしたが、いつも通りキャラ出し全開のギャグ+レース展開で凄く面白かったです。{/netabare}
2週間と短い上映期間ですが、弱ペダファン、特に巻島&藤堂が好きな人にはとっておきのストーリーとなっています。おすすめです!

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

文葉 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

今日の9月9日から23日まで二週間限定上映。ペダルファンは急げ・・!

弱虫ペダル SPARE BIKE
上映時間が60分と短め。スピンオフです。

巻島裕介先輩の壁の穴の理由とあの独特な”登り”をキメるまでと、
東堂尽八先輩のおしゃれファッションとカチューシャの秘密についての2本立て。
”それいけアラキタくん”の荒北先輩の(なんてことない)日常が拝めます。

昨日、ネットで「最近のアニメのコラボカフェないかな~」と検索したところ、
「カフェ&バー キャラクロ feat.弱虫ペダル」が秋葉原にオープンしていたそうで、説明箇所を見ると横に「SPARE BIKE」と書いてあり、なんだそれは・・と思い、調べるとスピンオフの上映があると知り、
普段OVAや番外編はレンタル待つことが多いですが、あにこれのページを見ると
誰も棚に入れていない、レビューもタグもない状態だったので、これは見たいな~!と、仕事帰りの午後休に行ってきました。

上映時間が60分と短いので、特別料金。
私のよく行く劇場では1800円のところ1500円でした。
客層は女性7;男性3の割合。お友達同士やカップルもそこそこいて、
初日なのか、調べると一回目の上映からほぼ満席。平日の朝から皆何やってるんだ・・(笑)と、思いました。

入場者プレゼントで缶バッチ貰えると知らず、期待せずに早速開けてみると、
なんと中は・・私のお気に入りキャラの・・地味ながら御堂筋くんを支える京伏の石垣くん!!!(推しキャラについて誰も聞いてないって?そんなの良いんだよ・・←)受付のお姉さま、本当にありがとう・・泣\(^^)/

席は女性に挟まれたほぼ真ん中の席で見やすく、映画版だから作画もクリア・・っ
特に石垣くんを大スクリーンで(ほんの一瞬だったけどw)観れて満足です。

内容は、弱虫ペダル第一期と二期観た方は十分楽しめる番外編でした。
作中で少し触れた部分を回想たっぷりに観ることができて、巻島先輩と東堂先輩の魅力がたっぷり伝わりました。
中には思わず吹き出しそうになるシーンもありまして(特に東堂偏)、私の席の両サイドはじめ一列がこらえきれず、ふふっ・・としていました。

まだ未見の方には厳しい内容かもしれません。
劇場まで行くの面倒な方や、惰性で観ていた方はオススメしませんが、
アニメ1期2期共に夢中で観てた方や、巻島、東堂先輩の今に至るまでの昔の話が観たい方にはオススメします。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19

亜盗 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

サンネンセイ

3年生の過去を描いた作品。
決して、TVアニメ版の切り取りではない。スピンオフとしては申し分ないと思いますが、もっとボリュームあっても良かったと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 0

53.3 24 中学生アニメランキング24位
鬼神伝(アニメ映画)

2011年4月29日
★★★☆☆ 3.0 (61)
224人が棚に入れました
京都に住む中学生の天童純はある日、謎の魔物に追いかけられ、僧侶の源雲に助けられる。そして、そのまま時空を超えて1200年前の平安時代にタイムスリップさせられてしまう。彼はそこで、貴族から“鬼”と呼ばれる者たちの話を聞く。彼らは妖術を使い、人々の生活を脅かしていた。そして純こそが、封印された幻のオロチを目覚めさせ、戦いを終結させることのできる“救いの御子”だというのだった。ところが、鬼族の少女・水葉と出会った純は、彼女が語る衝撃の事実に、果たして貴族の側に正義があるのか分からなくなってしまう。 高田崇史の同名ノベルスを「劇場版 NARUTO-ナルト- 大激突!幻の地底遺跡だってばよ」の川崎博嗣監督で長編アニメ化した伝奇ファンタジー・アクション。ひょんなことから平安時代にタイムスリップした中学生の少年が、そこで繰り広げられる鬼と人との対立に巻き込まれていく中で、歴史の裏に秘められた意外な真実を目の当たりにしていく姿を描く。

声優・キャラクター
小野賢章、石原さとみ、中村獅童、近藤隆、森久保祥太郎、伊藤健太郎、加瀬康之、小森創介、咲野俊介、東條加那子、相ヶ瀬龍史、野島昭生、塚田正昭

横浜ゆう さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

そんなに昔のアニメじゃなかったのね~

初めは80年代くらいの作品化と思いきや・・・
2011年の劇場版だったですね~

作品は平安時代へタイムスリップした主人公。
そこは鬼と人が戦う時代だった。

主人公は鬼と戦うよう僧侶源雲に言われるが
鬼と戦うことに疑問を持ち始める主人公純は葛藤する。

キャラデザや映像等が古臭く感じたので数年前とはつゆ知らずwww
キャラデザは攻機とかNARUTOの人ね~
髪の毛の表現とかそれっぽいでしょ?www

出来は悪くなかったですよ。設定とかも悪くない。
レンタルしてまで見るかと言われれば悩むなぁ~
再放送してたら録画して暇なとき見てもいいんじゃね?的なwww

荒削りだけど不思議に引き込む作品でしたね~

投稿 : 2024/05/04
♥ : 0

シワーる さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

うーん

背景は美しいし、よく作りこんである印象です。しかし、不満足な点が上回りました。
声優:棒読みに聞こえます。
音楽:最初の和太鼓を基調とした劇中曲は良かったのですが、以降の曲はエレキが入ったりで統一感がなく、しかも盛り上がりに欠ける。
物語:不完全燃焼な気がしました。勇気の大切さを伝えたいのはわかるのですが、なんとも説明的な会話。
作画:綺麗なのですが、躍動感の感じられないこともしばしば。
設定は面白かったんです。大和朝廷と広い意味での「えみし」の対立を表現していたのだろうと理解しました。期待して見始めて、それがだんだんとしぼんでく。そんな感じでした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 0

そあら さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

なんかすごい

う~ん世界観は僕好みで大好きなんですが残念なところが多々あります。
まず物語は駆け足過ぎていまいちわからないまま淡々と進んでいくところが残念ですね、二倍くらいの時間があれば丁寧に描ける気がします。

次に声優がたぶん俳優さんを何人か起用してると思うのですが気にならないと言ったらウソになってしまいますね(・_・;)
駆け足の物語と声優のことが気になって世界観に浸れないのが痛いところです。


説明不足や掘り下げがないのでなんかわからんがすげーというのが正直な感想です。世界観が好みなだけにおしいです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 3

68.9 25 中学生アニメランキング25位
どうにかなる日々(アニメ映画)

2020年10月23日
★★★★☆ 3.5 (41)
200人が棚に入れました
誰かを想う日常は、ときに甘くて、ときに痛い。そんな、なるようにしかならない日々も、きっと、いつか。青春群像劇の名手・志村貴子(「放浪息子」「青い花」)による、様々な恋模様を淡く繊細に描いたオムニバス漫画「どうにかなる日々」を、詩的な映像・音楽演出に定評のある佐藤卓哉監督(「あさがおと加瀬さん。」)がアニメ化。元恋人の結婚式、男子校の先生と生徒、心と身体の変化を迎える思春期の幼馴染。誰が相手でも、どんな形でも、全ての恋と生き方には同等の価値がある。そして、不器用に誰かを想った日々は、きっといつか愛しい思い出になる。そんな“誰かの恋"を優しく見守り、温かく描くオムニバスショートストーリー集。

声優・キャラクター
花澤香菜、小松未可子、櫻井孝宏、山下誠一郎、木戸衣吹、石原夏織、ファイルーズあい、早見沙織、島﨑信長、田村睦心、天﨑滉平、白石涼子
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

丹念な描写で風変わりな想いを日常に息づかせるオムニバス映画

単純な男女間とは限らない、ちょっぴり変わった人間関係やキモチを描いた
同名ショートストーリー集コミック(未読)の映画化作品。

【物語 3.5点】
構成はオムニバス形式。

{netabare}大人女性×大人女性(共通の"彼女”あり)

男性教師×男子高校生

小学生男子×小学生女子+AV出演歴がある男子の従姉
→中学生男子×中学生女子に成長した二人のその後

の三本立て(或いは三本目を二本と捉えれば実質四本立て){/netabare}

題材自体は禁断だが、刺激的な要素を強調するより、
日常の何気ないやり取りに多くの尺を割くことで、
そこにある関係や想いが鑑賞者と同一地平線上にあると伝え、
緩やかに共感を醸し出していく構成。

PG12指定要因はセクシャル表現であると思われるが、
そこも非日常感より普通の社会生活との連続性を重視し、
奇異に衆目を集めるより、繊細な心情に着目させる。


【作画 4.0点】
アニメーション制作・ライデンフィルム京都スタジオ

佐藤 卓哉監督がジブリ出身の演出担当・有冨 興二氏と目指したのは、
高畑 勲監督の『おもひでぽろぽろ』

ややイラスト風味の背景美術、キャラデザ&人物作画共に、
温かいタッチの色彩で主張しすぎず、自然体の生活空間を彩る。

想いがフンワリと盛り上がるシーンでは、
背景もさらにほんのりと淡く、幻想的にホワイトアウトしたりして、
心情描写を下支え。


終始、浸りたくなる心地良い空間でした。


【キャラ 4.0点】
どの登場人物も、映画的な決め台詞より凡庸な日常会話をこぼし、
我々と同じ日常世界に確固たる存在感をゆる~く示す。

例えば、この部屋散らかってるなーとか、今の声でっけーなーとか、
華やかな映画の中のヒーローは気にも留めない瑣末事だけど、
鑑賞者は心の中で思ってしまいがちなしょーもない感想を、
登場人物が先回りして言ってしまう痒い所に手が届く感w


私の推し?は{netabare}小学生→中学生男子のしんちゃん。
従姉のAVという妙な角度からエロを受容してしまい、
変容していく幼馴染みとの関係に困惑してしまう心の動揺が、
不器用なパンツ手洗い(笑)に滲み出た共感度の高い思春期少年でしたw{/netabare}


あとは某生徒の影響で、
首筋の綺麗さを観察するフェチズムが目覚めつつありますw


【声優 4.0点】
一週目・花澤 香菜さん×小松 未可子さん
二週目・櫻井 孝宏さん×山下 誠一郎さん
三週目・木戸 衣吹さん×石原 夏織さん×ファイルーズあいさん

本編前にキャスト対談が上映されるのが貴重な本作(私は一週目を鑑賞)

ナチュラルな演技に注力する方針表明は、
日常重視の作品世界没入の一助にもなる好企画で、
鑑賞者との齟齬を防ぐためにも、秘かに広まって欲しいと思いました。


ただ、如何に日常がメインと言えども、
上記のキャストのあんな性癖やこんな気恥ずかしいセリフには、
やはり、そそられる物がありますw
{netabare}みかこしが「はい。バンザーイ♪」と、ざーさんを脱がしに絡んでいく痴態。
ゆる~くてプレミアムですw{/netabare}


【音楽 4.0点】
冒頭。街の環境音と人々の会話が交錯して始まり、
同様に雑踏の音で終わる本作の音響。
これから語る人間関係を何としても日常に固着させるとの
意志を強く感じる音響方針。

劇伴担当はクリープハイプ。
人気バンドの起用となれば、バンドを前面に押し出して、
シーンMV化で集客を!……とプロデュースしがちな昨今ですが、
クリープパイプの尾崎 世界観氏は上記の繊細な日常空間の演出方針を汲んで、
切れ端みたいな短尺の素材作成も厭わない献身ぶりで、
あくまでもバックグラウンドで作品を好アシスト。

ミュージシャンとして語りたいことは、
ED主題歌のクリープパイプ「モノマネ」だけで語る。

この姿勢。私はとても好きです。


【感想】
前年、劇場鑑賞した同じ佐藤 卓哉監督のOVA作品『フラグタイム』の次作
ということ以外は、ほぼ情報をシャットアウトし、
鑑賞前、原作が志村 貴子氏で、『マンガ・エロティックス・エフ』連載コミック
であることすら知らないまま、無謀にも劇場に突撃した私w

マニアックなエロスの提供に、みかちゃんの如く、
固まってしまった場面もありましたがw
想いを大切にする優しい日常空間という救済措置により?
無事、生還することができました。


『フラグタイム』原作は7年前のコミック。
本作の原作に至っては実に15年前のコミックの再発掘。

性的マイノリティがまだセンセーショナルだった頃に
世間一般から色物と敬遠された作品群の中には、
繊細な心情描写が光る、今の時代なら一般にも冷静に受け止めてもらえる。
そんな好素材がまだまだ埋まっているのかもしれません。

佐藤監督が次にどんな金鉱脈を掘り当てるのか。
今後も成果発表に注目して行きたいと思いました♪


尚、冒頭10分がYouTubeで公開されているので、
私みたいに固まりたくない方は、
作品空間との相性を確認してから挑むのも良いかもしれません。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 13

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

今だから言うけどさ…

視聴前 どうせ青春系なんだろうなぁ

視聴後 おぅ…

この話はとある結婚式で合った二人の話
ジャンルは青春
まぁタイトル、というかサムネというかでなんとなく「青春系だろうなぁ」という予想はしてました。実際青春系でした。しかし見終わった後に調べたところ「マンガ・エロティクス・エフ」という月刊漫画雑誌で掲載されていたそうです。うん。察してください。
具体的にそういうシーンは描かれていませんでしたが、それっぽいシーンは或ることにはありましたね。
いわゆるティーンズラブと呼ばれるものですが、ティーンズじゃない私でもストーリーは理解できるので偏見はよくないな、と実感しました。

基本的にというか四部構成になっています。まぁ3と4はつながっているので、実質3部構成と言ってもいいでしょう。
そして各部でジャンルが違います。レズゲイおねショタ中学生、と聴いてる分には過激そうな内容ですが、至って普通の恋愛ものとかわらない(はず)です。原作だと直接的な表現が多々見受けられるそうですが、本アニメではそこまででしたね。

結構軽い気持ちで見に行きましたけど、そこまで頭を使うほどでもなかったので帰宅途中にフラッと寄って正解でしたね。
どの作品も序破急がめちゃくちゃで非常にくだけた話でした。故にストーリーがあったもんじゃありませんが、逆にそこがリアルさを引き立て、まるで日常の青春の一ページを覗き込んでいるかのような一種の恥ずかしさに似た共感性を感じ取ることが出来ました。恋愛経験に疎い私ですら共感じみたことを行えるのでおそらく大半の方が共感できると思います。まぁその際には恋人と見ないことをオススメします。

キャラは好印象です。先程も言ったとおりリアルさを感じるくだけた展開と相まってとても穏やかな心でキャラたちを見ることが出来ます。共感してるはずなのにどこか他人視点のように感じる。まさしく「誰かの青春を覗き込んでいる」ような感覚に襲われます。あの感覚はすごいですね。珍しい体験だっと思います

皆様も暇があれば青春を覗き込んでみてください

原作は志村貴子さん。
監督は佐藤卓哉さん。朝顔と加瀬さんやフラグタイムなどの監督をされた方ですね
シリーズ構成は佐藤卓哉さんと井出安軌さんと冨田頼子さん。
キャラデザは佐川遥さん。
劇伴はクリープハイプさん。
アニメ制作はライデンフィルムさん。ロクでなしやあすかなどの制作をしたところですね

作画は普通でした。
主題歌はクリープハイプさんの「モノマネ」

総合評価 まぁ暇があれば

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

サブカル系マンガ文学のアニメ化は難しい。原作をお勧めします。

 太田出版でしかも志村貴子さんですからサブカルですね。つまり、マンガ文学ということです。
 志村貴子さんの作品は一番初めにこれを読みました。2巻にわたって読み切り短編集のような、連作のような感じの作品です。

 短編の良いところは1話1話で言いたい事を表現しきっているので、無理無駄がなく文学性を帯びるところでしょう。「青い花」が連載のせいで、よくわからないことになったのと対照的です。
 志村貴子さんの作品の中では、私はこの原作が一番面白いと思っています。

 原作は、ちょっと変わった状況なんだけど、一方で日常を切り取ったような場面で、どこにでも転がっている「性」を描いている感じです。
 作品の一部をほぼ原作をそのままアニメ化してはいますが、原作にあった露骨な性表現の場面がある話を無くしています。とくに原作の1話目がないので、性がテーマの連作だというのが分かりづらいのかもしれません。

 本作は、エンタメにも近く、一番マイルドで甘酸っぱいような作品をチョイスしています。また、原作の登場人物の中には複数回出てくる人物がいるので、本作だけだと分からない部分があります。その辺が伝わりづらいですね。

 話は、女女、男男、男女(思春期前)、男女(思春期後)とバランスはとっていましたね。作品の内容から言って対象は高校生くらいに見て欲しい作品なのかもしれません。あるいは高校時代を生々しく思い出せる20代前半くらい?みんな高校時代が絡んだ作品ばかりです。

 サブカル系のマンガ文学的な原作のアニメですから、当然盛り上がりはありません。このサブカル系マンガの作法を知らないと評価は低くなるでしょう。感性、感情で見るのか、行間を読むのか、テーマ性・思想性をくみ取るのかは視聴者に委ねられます。
 
 アニメとしての本作はちょっと中途半端ですね。少なくとも高校教師のお姉さん関連の話は入れた方が良かったと思います。
 志村貴子さんはキャラの描き分けがあまり上手じゃないので、そこが分かりやすかったのが良かったですけど。あと声優さんもゴージャスで良かったですね。

 ということで私は原作を知ってますので、アニメ作品というより原作の補完として楽しめました。が、アニメ作品としての本作の評価はあまり高くはできないですね。原作が素晴らしいので、そちらがお勧めです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5
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