アウトローで相棒なおすすめアニメランキング 4

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83.3 1 アウトローで相棒なアニメランキング1位
ゴールデンカムイ(TVアニメ動画)

2018年春アニメ
★★★★☆ 3.8 (691)
3205人が棚に入れました
明治時代後期。「不死身の杉元」の異名を持つ日露戦争の英雄・杉元佐一は、ある目的のために大金を手に入れるべく北海道にいた。
そこにアイヌから奪われた莫大な埋蔵金という、一攫千金のチャンスが舞い込む。
埋蔵金は網走監獄に収監中の男によって隠匿され、24人の脱獄囚の身体に刻まれた刺青がその在り処を示す手がかりだという。
そんな折、ヒグマの襲撃を受けた杉元を、ひとりのアイヌの少女が救う。
名をアシリパというその少女は、埋蔵金を奪った男に父親を殺されていた。
さらに杉元の動きに呼応するように、かねてより埋蔵金を狙って暗躍していた北の最強部隊・第七師団や刺青を背負う脱獄囚たちの動きも顕在化。
果たして、雄大な北の大地を舞台に巻き起こった一攫千金サバイバルの行方は……!?

声優・キャラクター
小林親弘、白石晴香、伊藤健太郎、大塚芳忠、津田健次郎、細谷佳正、中田譲治、乃村健次、菅生隆之
ネタバレ

東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

お昼の鰊蕎麦はヒンナヒンナ♪酒の肴チタタプもヒンナヒンナ♪オソマ2(つ)。。【第1部】

☆制作スタッフ
▼原作:週刊ヤングジャンプ(集英社)
▼原作者:野田サトル
▼アニメーション制作:ジェノスタジオ
▼話数:全12話{netabare}
▼監督:難波日登志
・実績
(監督)
『いつだって僕らの恋は10センチだった。』(総監督)
▼シリーズ構成:高木登
・実績
(シリーズ構成)
『恋風』『バッカーノ!』『デュラララ!!シリーズ』『将国のアルタイル』他
▼音楽関係
OP曲:「Winding Road」(MAN WITH A MISSION)
ED曲:「Hibana」(THE SIXTH LIE)
▼主要CAST
杉元佐一:小林親弘
アシㇼパ:白石晴香
白石由竹:伊藤健太郎
土方歳三:中田譲治
牛山辰馬:乃村健次
鶴見中尉:大塚芳忠
尾形百之助:津田健次郎
谷垣源次郎:細谷佳正
インカㇻマッ:能登麻美子
アシㇼパの祖母:一城みゆ希(アイヌ語)
他{/netabare}

原作一部既読 通読中(1期相当は既読済み)

☆エピローグ
やれやれ、また北海道か。
ともあれ、原作は多くの賞を受賞しており、それなりに有名だが、アニメとなると話が変わってくる。
原作を読まれた方は分かるだろうが、アニメ化には相当ハードルが高い作品だ。
実際、原作者も過去にアニメ化など毛頭意識して描いていないと何かの対談でコメントをしていたし、事実、内容からして漫画原作ではあるが『物語シリーズ』並みにアニメ化し難い作品でもあるが、多岐に及ぶ設定の副次的効果で5割程度の理解でも十分に見応えはある。
{netabare}
その根拠としてだが、この物語のコンセプトは歴史、アクションアドベンチャーにように見えるのだが、コメディ、ギャグ、スパイサスペンス、陰謀、グルメ、旅行記、グロ、猟奇、サバイバル、エコロジー、ミリタリー、殺陣、アイヌ文化風俗etcと本筋とは必ずしも因果しない挿話も相当数あり『STEINS;GATE』を上回る設定の煩雑さをストレージしつつ、原作のストーリーポリシーを破綻なく構成が出来るか否かがアニメ化成否の鍵だろうし、エッセンスが多いため視聴者の五感に響く間口が広い。

しかし、アイヌ関係はどうしても地雷でもあり、制作スタッフの独断によりポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)を外した描き方をすると大変なことになる可能性もあるし、反面、ポリコレに拘ると開拓の現実を知っている視聴層には臭い芝居に映ることからも、相反する真実の因果をどう解決するか、そのスタビライザーを求めることが演出の手腕であろう。

時代通念に反して「杉元」がアイヌを受け容れているのは単にポリコレ設定ではなく、「杉元」のアイデンティティーも大きく作用してのことだから、矛盾なく峻別する巧みな演出も求められる。
もともと、本作の原作者は史学的手法を駆使してアイヌ文化風俗をはじめ、北海道近代史を精密に紐解いた上で作品を描いているし、素人が下手に弄ることは出来ない。
あらゆることが積み木細工のような職人芸の如きに緻密であり、意図を履き違えた構成を組めば、つまらない作品なりかねず、綱渡り的なコンテを余儀なくされるだろう。

上記のような構成上の難題を考えると、扱うのはとても難しい作品なのであるが、シリーズ構成の高木氏は、ある意味とんでもない作品をよく引き受けたものだと、その勇気にまずは敬意を表したい。

アニメが原作に忠実である限り、本作のアイヌ関係考証は正確であり「アシㇼパ」の解説でアイヌを知る良い機会となるであろう。

※本作のレビューを書いたのだが、もの凄い長文となったので、数回に分けて掲載することとした。
【本作品の背景考察】のうち「Ⅰ」の全文と「Ⅱ《北海道開拓とアイヌ、現在に至るマイノリティと物語の背景にあるもの》」の「(1)北海道における民族問題」、「(4)日本人を「地球上から抹殺することのみを目的とした狂人極左の思想」をまず掲載することした。」
「(2)アイヌ文化における宗教的価値観とその広がり」と「(3)アイヌと北方領土、樺太問題」は2期のネタばれもあるので、次回2期へ。
「(5)韓国左翼層に反日の論理的根拠を与えた【反日亡国論】」は後日、許容文字数から章立てを再構成してこのレビューへ掲載する。
タイトルの第1部とは、考察の初回掲載であり、「Ⅱの(5)」掲載は第2部となる。{/netabare}

【本作品の背景考察】
Ⅰ《北海道あるあるジビエと山菜、自然の恵み》
{netabare}(1)冬の自然環境
冬の北海道で「杉元」や「アシㇼパ」がやっているような「ゆるキャン」は出来ない。
下手すれば「ゆるカン(棺)」になる。
冬期は最高気温が氷点下の日が多く、道北、道東では最低気温がマイナス30度以下となる地域もある。
本作はあくまでフィクションであり、実際やるなら凍死覚悟か冬山登山並みの防寒装備が必要だ。
凍死に至らなくても四肢の切断を伴う重度の凍傷も有り得るので、無謀なことしないこと。
また、沢地は雪崩も多く巻き込まれたり、雪で急斜面が隠れ、知らずに踏み抜き滑落するケースも多くある。
方向感覚を失うブリザードは雪に慣れていない本州の方にとっては。恐怖以外の何ものでもない。
地元民でもブリザードに巻き込まれたら観念せざるを得ないし、凍死するケースも多い。
八甲田山の悲劇もブリザードによるものだ。

(2)ジビエ、山菜、熊と仲良くなるには
本作に登場するジビエ、野草、茸にも注意が必要である。
毒茸は勿論、野草類にも毒野草があるので知識を持って採取し、怪しいと感じたら専門機関で鑑定してもらうことだ。
北海道で起きる毒野草死亡事故で多いのは、ギョウジャニンニクとイヌサフラン(毒草)を誤って食した事故。
また、北海道にはトリカブトが多く自生しており注意が必要だ。
その他、大麻自生区域では私服警官や麻薬取締官が巡回しているので、不審な行為をしないこと。
なお、「ギョウジャニンニク」については北海道では「アイヌネギ」の方が通用するのだが、Ⅱの(1)に記述した経緯もあり、公的文書やスーパーなどの公の場では用いられていない。

また、山菜についても地権者の同意を得ず勝手に採取した場合は処罰の対象となるが、北海道の山野の多くは、国、道有林の管理地域であるので、悪質なことをしない限りは個人採取で問題となることは少ないようだが、山菜採取禁止の看板をみかけたら、何らかの権利関係がある可能性があるので止めた方がよい。
私有林地は周囲に立ち入り禁止の看板があるので、見分けが出来る。

毒草ではないが、山に入る場合はウルシかぶれにも万全の対策が必要であり、何より北海道は熊との遭遇確率が高い。
本作はフィクションであるが、熊との遭遇のような笑えないノンフィクションも描いているのだ。
気安めではあるが、熊との遭遇確率を下げる意味で熊対策グッズの装備も忘れてはいけない。
万が一、熊と遭遇したらこれと言って助かる決め手はない。
死んだフリは迷信であり意味はなく、開き直って熊と格闘をしても絶対に勝てないどころか餌になるだけであり、熊に見逃してもらうよう運を天に任せるしかないのだ。
生還したら必ず地元の役場や警察に熊出没状況を報告してもらいたい。

ジビエには高確率で寄生虫のリスクがあり、ジビエ肉の目利きが出来る専門料理店以外で食するのは大変危険だ。
特に本州の方は北海道でジビエを食した後、地元で献血することは止めた方がよい。
ジビエを食べる機会が多い北海道内では献血された血液の寄生虫検査を行うが、本州ではその限りではないそうだ。
実際、本州で北海道でシカ肉を食べた献血者由来による輸血事故が起きているので、ジビエを食したら寄生虫検査を行った方が良いであろう。

個人的な経験だが、トド肉は絶対に食しないのがよい。
食べているときはそうでもないが、その後に酷い胸焼けと吐き気を催す。
トドの脂肪はすぐ酸化するので胃が受けつけないのだ。
熊のルイベでは知人がE型肝炎になり、生死の境を彷徨ったことも記しておく。

本作を真似て野生動物や鳥類を捕獲したり罠を張ると「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」違反で逮捕されることもあるので御注意を。{/netabare}

Ⅱ《北海道開拓とアイヌ、現在に至るマイノリティと物語の背景にあるもの》
{netabare}(1)北海道における民族問題
多くの方々は北海道の自然や日本離れをした風景に好感を抱いているようだが、北海道の近代史とはイコール流刑地として囚人(政治犯)の過酷な強制労働による開拓と、アイヌ弾圧の血塗られた歴史でもある。

道内の基幹国道の下には、現在でもなお強制労働で北辺も荒涼たる大地で無念に斃れた囚人の骨が埋葬をされず数多く眠っている。
R5、R12、R36など二桁以下の国道は例外なく、月形町の樺戸集治監跡の沿線にあたるR275は、月形市街地を札幌方面へ通り越したところに囚人墓地があり、街灯も暗く交通量も少ないので深夜の通行はかなり不気味である。

三笠市にあった空知集治監の囚人が建設動員されたR234も白骨街道であり、国道と並行して走る室蘭本線の鉄道敷設も囚人労働である。
また、この国道沿線には心霊スポットも多く、岩見沢市栗沢には髪が伸びることで有名な「お菊人形」栗山町には「泣く木」の伝説がある。
それにしても、北海道で交通事故が多のはもしかして…

なお、北海道開拓を強制労働で担った囚人の殆どは凶悪犯罪者などではなく、維新政府に抗い戦った幕府側武士や西南の役、自由民権運動に関わった、所謂政治犯だ。
本作を理解する上でもここは押さえてもらいたいところであり、メタフィクションとしての「土方歳三」を設定した背景動機でもある。

道内の小中学校ではアイヌ文化や風俗をささやかにでも教えてはいるが、「場所請負」や「共有地強制収用」にみられる弾圧の黒歴史には触れていない。
更に、教科書でもアイヌ文化はもとより、松前藩、北海道開拓使、続く旧内務省北海道庁が行った弾圧や文化侵略の事実に一切触れていない。
例示をすれば、1669年に起きたアイヌの一斉蜂起である「寛文蝦夷蜂起」を記述した教科書は全くないが、その30年ほど前に起きた「島原の乱」は全ての教科書に記述されている。
これが、政府のアイヌに対する認識でもあるし、全国的視野で俯瞰をすれば北海道のローカル問題のような認識となるのだろう。

また、本州の方々は知らないと思うが、北海道では今でも小規模ながら摩擦がある。
特に揉めるのはサケにおける「内水面漁業調整規則違反事件」つまり「密漁」である。
川を遡上するサケ(ホッチャレ)はアイヌの食料として開拓以前から重用されていた。
サケはアイヌ語で「カムイチェプ」と呼ばれ神の魚を意味し、サケは食料であると同時に特別な存在でもあるのだ。

しかし、漁業権者の許可を受けず漁をすれば法律上は「密漁」となる。
9月下旬に道東でこの問題が発生し警察が出動する騒ぎとなったが、アイヌ側は「和人が勝手に決めた規則に従う必要がない。」という主張である。
さて、日頃、著作権法違反がっー!とか人権侵害がっー!といきり立つ法実証主義者の皆様はやはり「違反は違反」の二元論で割り切ることが出来るだろうか。

私はそういう立場に立つことは出来ない。
なぜなら、彼等のテリトリー「アイヌモシリ」を犯した側である和人の子孫である私が、法秩序のみでこの問題の顛末を語れば、チベットを侵略しウイグルを弾圧して一つの中国であると居直っているシナと同類になるからである。

国内におけるマイノリティ問題は種々存在するが、政府は現実から逃げず本腰を上げて彼等の失われた権利と法秩序を調和させるべく「事後立法」と「慣習」の関係を明確すべきであり、「伝統・慣習」から「法律の誤謬」を発見し修正することこそが真の【法の支配】である。

我が国の法秩序は明治期に主にドイツ法学から規範を求めた「大陸法(ローマ法体系)」であり制定法(法律)こそが内容や理由の如何を問わず正しいとする「法実証主義」準則であり、このような硬直した考え方で法文の記述や運用がされた結果「優生保護法」や「らい予防法」のような取り返しがつかない悲劇を生んだと認識をすべきである。

帝国憲法以前の我が国の法体系は「武家諸法度」や「禁教令」のような「成分法」と「皇位の男系継承」の統治原理や「小作、入会の権利」など庶民の権利関係に至る「不文慣習法」が入り混じったゲルマン法に極めて酷似した形態であった。
特に人の権利や契約、財産権、家督(家族、相続)など定めた「民法典」はその殆どが「不文慣習法」であり、江戸時代はそれで大きな混乱もなく通用していたのである。
我が国は世界でも屈指である2600余年の伝統を誇るのだから、近代法制の法律に馴染まない権利関係には、伝統から知恵を求める「不文慣習法」を取り入れるなど、柔軟な思考が必要に思う。
そして、これは共産主義(国共内戦、大躍進、文化大革命)で全ての伝統を破壊したシナには絶対に真似が出来ないことでもあるから、彼の国はマイノリティを強権で弾圧するしか打つ手がないのである。

本来立憲主義とは統治権行使は有限(制限される)であることを言うのだが、問題があるのは、我が国のシステムでは憲法が最高法規であり、憲法そのものは立法審査の対象外となっていることである。
米国を例に取れば、憲法には修正第○条と表記され、改正は必要の都度行われている。
こういった柔軟な対応が可能なのは、「法(不文成文慣習法、判例法)[ノモス]」>「法律(人為的成文制定法)[テシス]」という構造を暗黙の了解としている英米法の特色があるからだ。
「法」から見れば憲法も「テシス」であり審査の対象と出来る尺度(ノモス)が存在するから【先人の知恵の結晶である伝統を蔑ろにした驕り高ぶった人間の理性】の過ちも発見出来るのだ。
不文ノモスを成文ノモスに可視化する際に「衡平法」という概念があるが、これも我が国の法秩序には存在しない。
例えれば『STEINS;GATE0』のレビューで「量子力学」の説明をしたが、ノモスを観測不可な「波動」テシスを観測可能な「粒子」とすると「衡平法」は、波動の存在を定義する「波動関数」や「マトリック力学」の立ち位置と似ている。

共産主義や全体主義を経済の集産化や社会の計画化から考察し論理的に葬ったハイエク(ノーベル経済学受賞)による左翼や全体主義批判は「テシス」とそれにより成立した共同体「タクシス」を尊び
(これを「理性万能主義」といい、制定形態を問わずテシスを正しいと信じて疑わない立場を「法実証主義」という)
「ノモス」やノモスが支配する共同体「コスモス」を否定するイデオロギーを「設計主義」とし、「設計主義」がコスモスを浸食する態様を【設計主義的合理主義】として「全体主義」に至る道として批判をしている。
参考(『隷属への道』1944『致命的な思いあがり』1988 F.ハイエク)
関連参考(『開かれた社会とその敵(1)(2)』1945 SK.ポパー)(『自由論』1971 A.バーリン)(『ザ・フェデラリスト』1788 A.ハミルトン他)(『英国法提要(全4巻)』1644 E.コーク)他

また、英米法の本家、英国に至っては成文憲法すら存在しない。
「慣習法」や「判例法」の集合体である「コモン・ロー」が英国の憲法典なのである。
【法の支配】は英国が発祥地であり、その真の意味は【ノモスはテシスに優越する】であり、けっして、法律である日本国憲法が一般の法律(権力行使)に上位する、または「法律」が個人の自由を制限するが如き「狭義の法治」を定義したものではないし、かつ「人治」の対義語でもない。

興味のある方は「法の支配」を確立した「英米法(ゲルマン法体系)」を勉強してみて頂きたい。

因みに、ワイマール憲法下のドイツ(ナチス時代を含む)、旧共産圏の法体系(現在のシナを含む)は全てテシスの誤謬を前提としない「法実証主義」である。
なお、現在のドイツは法実証主義がヒトラー政権(全体主義)を生み言論や表現の自由を認めない「狭義の法治」に至り恐怖政治が罷り通り、民族抹消のような常軌を逸脱した政策が実行された反省から、西ドイツ時代に英米法の考え方を大きく取り入れ「成文制定法(テシス)」の上に倫理(ノモス)を優越させ「法の支配」を確立した経緯がある。

なお、「不文慣習法」を認めている米国では、エスキモー、アリュート、インディアンなどの先住民権を認めている。
この経緯も、米国建国以来、先人民族に対する様々な弾圧や迫害の過ちを繰り返し乍らも、何が正義で何が間違いなのかをノモスを通して問い続けてきた成果でもある。
例えば、アラスカで米国市民が勝手にホッキョクグマ猟を行えば罪に問われるが、ホッキョクグマを生活の糧としてきたエスキモーは罪に問われないのだ。

マイノリティはそれを抱えるどの国でも頭を悩ましている問題だが、知恵と工夫を凝らして共存共栄を図っているのだ。
我が国の法秩序である「大陸法」は本来、我が国の伝統には馴染まない異質なものであり、よって、伝統と現実の狭間では歪みも生じ易いのだ。
しかし、だからといって抜本的対策を先延ばしにし「臭いモノに蓋」はいつまでも通じるものではないのだ。

更に、マイノリティに対する政府の無策や「法実証主義」の弊害により、過去にとんでもない事件が起きている。
これは項を改めて説明するが、私が後年、政治哲学を学んだとき「マルクス」と「エンゲルス」の悪辣な思想をこの世から葬り去ると固く誓った出来事でもある。

なお「マメ」だが北海道を旅行した際に「ウタリ」の文言を見かけることがあると思う。
北海道舊土人保護法時代「アイヌ」は差別用語であるとして、公式文書でアイヌを示す場合は「ウタリ(同胞)」を用いていた名残であり、ウタリは慣用的にアイヌと同義である。
(法律の「土人」という表現も現代では考えれないほど酷い…)

和人支配の象徴として批判の対象とされた本法律は、制定から約100年後の1997年にようやく廃止されたが、実に1世紀もの永きに亘りアイヌ民族のアイデンティティーを否定し、迫害し続けたのである。
「アシㇼパ」が生きていた時代とは、松前藩の時代に開始され明治政府が引き継いだアイヌの和人との同化政策により明治4年の戸籍法制定に伴い日本語使用、和名強要、北海道地所規則によりアイヌの財産の没収や各種アイヌ風俗の規制が始まり更に狩猟規制と、和人による支配体制の強化により、アイヌ民族に餓死者が出るまでに至る。
それをきっかけに、北海道舊土人保護法の制定でアイヌの生活を狩猟から農耕主体に切り替えさせるなど、アメとムチでアイヌ民族の存在が確実に否定されていった時代でもあり、これらの諸施策はアイヌの立場は一切考慮せず、我々和人の一方的な都合であったと認識する必要がある。

(4)日本人を地球上から抹殺することのみを目的とした狂人極左の思想
「(1)」で少し触れたが、アイヌ問題と切っても切り離せない問題である。
どういうことか。

それは、無差別殺人の極左テロ集団【東アジア反日武装戦線】と【反日亡国論】である。
なお「東アジア反日武装戦線」についてwikiに記述されていることは、関係者が編集したのか事実をねじ曲げ生温くなっているので、参考にはならない。
最も本音に近かったのは「東アジア反日武装戦線」の関連サイトに、数年前まで「東アジア反日武装戦線」のリーダー格大道寺将司元死刑囚が直接述べた「反日亡国論」の考え方だが、相当ヤバイ内容であったからか大道寺死亡後は閲覧不能となっている。

その要旨は、
帝国主義戦争に反対する立場から自国の敗戦と革命を目指す「革命的祖国敗北主義」ではなく、また単に「明治以降の日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく
【歴史をはるかに遡って日本の建国や日本民族による歴史そのものを否定し、その絶滅を主張した】
ものである。
「東アジア反日武装戦線」では、これを「日帝本国人(大和民族)の血債(血で償う贖罪)」と称している。
そして、これは朝鮮人やシナ人が考えたことではなく、同じ日本人が考えたものであるのだ。
さて、このレビューを閲覧した皆様はおそらく初めて知る戦慄かつ狂気に満ちた極左思想にショックを受けたことだろうと思う。

しかも、これは脳内妄想などではなく実際に実行に移され、日本を滅ぼす前段として、三菱重工をはじめ大東亜戦争協力企業を標的に定めた連続企業爆破事件、さらには昭和天皇暗殺未遂をも引き起こした。
また、おそらく知っていると方もいると思うが、爆弾製造マニュアル『腹腹時計』は東アジア反日武装戦線のメンバーが著したものである。
なお、大道寺ら「東アジア反日武装戦線」の基地外思想はその著書『反日革命宣言』でも確認出来るが、左翼独特の言い回しであり左翼に対する一定の知識を要する。

さて、本論はこれからだ。
大道寺将司をwikiで検索してみて欲しい。
そこに、以下の記述がある。
「・・多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。」
解るだろうか。
釧路市出身の大道寺はアイヌ差別の現実から、トロツキー主義(連続共産革命主義)の太田竜が提唱した「窮民革命論」に強い感銘を受け、そのような社会になったのは元を辿れば日本人の帝国主義意識に起因し、全ての日本人は革命で解放する価値などなく贖罪のため滅びるべきであるとした【反日亡国論】を完成させたのである。
しかし、当時のアイヌの困窮は失政が招いた側面が強く確かに体制の被害者として同情すべきことではあるが、それを全日本人の抹殺まで考えを飛躍させてしまうのが、マルクス主義の真の姿であり恐ろしさであることを強く念押しする。

大道寺一人なら狂人の戯言で済むであろうが「東アジア反日武装戦線」という複数の人間が所属する集団を狂わすのが「思想」という魔物の恐ろしさでもあるのだ。
なお「東アジア反日武装戦線」が対象とした「窮民」とは、アイヌの他、琉球人、在日朝鮮人、被差別部落、マルクスが称したところのプロレタリア未満の下層階級「ルンペン(所謂、東京の山谷や今の大阪市あいりん地区の日雇い労働者や生活困窮者を対象としている。)」である。
北海道庁爆破事件、北海道警察本部爆破事件、山谷暴動、釜ヶ崎暴動(現在のあいりん地区)は「窮民革命論」を用いて「東アジア反日武装戦線」の煽動や実行によって引き起こされたものである。

特に、アイヌ解放を出汁に引き起こした北海道庁爆破事件では80名近い死者重軽傷者を出している。
そして、最も重要なことは「窮民革命論」も「反日亡国論」もそのベースとなったのは「マルクス=エンゲルス」による「唯物弁証法」と「史的唯物論」であることだ。
政府のマイノリティ政策の無策が、サイコパス極左に利用され多くの方々が犠牲となったのとともに「史的唯物論」などマルクス思想は究極の自虐とも言える「日本は滅亡しか選択出来ない」などの妄想を編み出し「東アジア反日武装戦線」のようなテロや大量殺人を正当化する狂気のロジックをも構築するのである。

連続企業爆破事件では、当時東京に単身赴任をしていた私の幼馴染みの父親が犠牲となっている。

記憶に新しいことから、無差別テロを引き起こした「オウム真理教」について少々。
これは、現在論議されていることもあり、またオウムの松本(麻原)が一切手記的なものを残さなかっことや、NO2の村井が暗殺されたことで「東アジア反日武装戦線」のような証言記録からの分析は厳しい。
そのなかで諸説各論はあるものの、一部の社会学者は「オウム真理教」の「終末思想」と「史的唯物論」の関係性を指摘しているが、オウムに関してはまだ私の頭でマルクスとの関係性が整理出来ていないので、そうした指摘もあるということだけ記述をしておく。
なお、当時私は都内で仕事をしており、路線が少し違えばサリンを吸っていたかもしれなかったのだ。

しかし、全日本人の抹殺を企てた「東アジア反日武装戦線」の狂気は日本赤軍やオウムの比にならず、忘却することは絶対に出来ない。
左翼の適当な本質が明確に現れているのは、自分達の保身の為にオウム批判は盛んに行うも、マルクスが絡んだ「東アジア反日武装戦線」批判は同族擁護のように物凄く歯切れが悪く、ほとぼりが冷めたら口にもしないのだ。

この事実はもっと広く社会に周知をすべきであり、自虐史観は謂うに及ばず、ラジカルフェミニズムや絶対平等主義をはじめ多くの方々が、これの源泉であるマルクス=エンゲルス思想とは知らずに感化され、大量殺人を実行した「東アジア反日武装戦線」同様マルクスやエンゲルスの罠に嵌まっていることは断じて見過ごせないのである。
ただ、実行犯である大道寺や大森を糾弾するだけでは、また誰かが同じ過ちを繰り返すだけだ。
連中の考え方の根本である「思想」に影響を与えた源泉から根絶することが重要なのである。

地球から葬り去るべきは「反日亡国論」だけではなく、世界中に狂気を撒き散らし多数の人命を奪った源泉であるマルクス=エンゲルス思想そのものである。

過去、このような極左連中によるアイヌの社会的立場を利用した自己陶酔的な極左思想による非人道極まるテロがあったことからも、マイノリティを巡る諸事情は、サケ問題一つを取っても今もなおデリケートであり慎重になるのは御理解頂けるかと思うし、したがってポリコン抜きにしても、本作のレビューでは抑制的に行うこととする。{/netabare}

【作品総論】
{netabare}1期物語には大きく三つの流れがあり、それぞれエピソード平行または交差し展開される。
目的はアイヌの金塊探しという共通項があるが、この三群の動機や思惑はそれぞれ異なる。
①「杉元」「アシㇼパ」のグループ。
②「土方歳三」のグループ。
③「鶴見中尉」をリーダーとした第七師団の叛乱部隊歩兵第27聯隊のグループ。
④?(2期で明らかになる)
本作では「杉元」「アシㇼパ」の出会いと互いの信頼関係の熟成に多くの尺が割かれており、したがって、コタンの風景と生活、口周りの入れ墨や食事や服装などのアイヌ風俗、極め付けはアニメ史上初めての「アイヌ語」のセリフだが、アイヌ文化の登場シーンが多い。
また、合間合間で明治後期の小樽の様子、鰊番屋、草競馬など北海道の和人文化も紹介するなど、シリアスとギャグのシーン転換も合わせて、見せ場をしっかり考慮した巧いプロットである。

本作は見どころが多くてセレクトに困るが、7話は他のアニメに比しても「神回」と謂っても過言ではない。
エゾオオカミの「レタㇻ」と「アシㇼパ」の出会いと別れには、感極まって涙腺が緩んだ。原作とはまるで違う感動感が溢れ出たことにアニメの力(ちから)を感じずにはいられなかったのだ。
そして、何気ない振りをして最初から「レタㇻ」の伏線を張っていたのである。
原作の名作部分を、物語の基軸を外さずにしっかりとアニメで表現したことは評価に値しよう。
さらに7話では「二瓶鉄造」と「レタㇻ」の息詰まる死闘という冷徹なシリアスも同時に進む。
「二瓶鉄造」の「勃起」の裏に隠された猟師としての「美学」に思わず驚愕せずにはいられなかった。
生きることが当然になっている現代社会に「生存すること」の意義を再確認させた明治男の壮絶な美学が現代を生きる私の心に強烈に焼きついたのである。
私は「レタㇻ」がもし殺されるのならば、同じ覚悟で臨んでいる二瓶にこそ、その権利があると思うのだ。
「レタㇻ」の物語には、私達が忘れてしまっている自然と共生していた太古の時間が無意識下から湧き出るカタルシスを生じるのである。
そして、この壮絶かつ感動のドラマを話数を使って入念に伏線を張りつつ、7話で最高潮のテンションに仕上げた制作スタッフに最高の謝意を述べたい。
本作ではこのような超弩級の感動シーンもあり、他のアニメ作品とは何もかもスケールが異なるのだ。
また「二瓶」と行動を供にしたマタギの「谷垣源次郎」も興味深いキャラだ。
マタギとアイヌの関係は【本作品の背景考察】のうち「Ⅱ《北海道開拓とアイヌ、現在に至るマイノリティと物語の背景にあるもの》」の「(2)アイヌ文化における宗教的価値観とその広がり」で触れる。

物語はまだまだ続くので、1期での物語の評価は差し控えたい。

キャラ設定で面白いのは第一師団の元兵卒「杉元」と第七師団の兵卒は旅順の二〇三高地の戦いで知見があるとの設定だ。
あえて「杉元」を第七師団としなかったところに、軍全体を巻き込み物語の展開を拡大する意図があるのが分かると思う。
「白石」や他の濃いキャラについても触れたかったのだが、2期も始まったし機会を改めよう。

キャラも各群のトリックスターが明確となる2期で評価しよう。
1期で分かったのは①の「白石」であるのは皆様御承知のとおり。
2期では現在放送までで③のトリックスターが明らかになった。

作画に関してはアイヌの民族模様や重要な場面は緻密に描いていたり、モーションに気を遣っているが、良いときと悪いときの差が大きく全体的に不安定であり『刻刻』で懸念をしていたジュノススタジオの悪い癖が出ている。
更に背景だが、本作の背景屋はロケハンをしていないことがバレバレである。
なぜならば「アシㇼパ」のコタンは小樽の山林だが、背景は針葉樹だらけの「亜寒帯」で描写されておりデタラメである。
小樽近郊の道央は広葉樹も混雑する「冷温帯」であり、このことだけでも北海道のイメージで適当に背景を仕上げてあることが分かる。
広い北海道は地域によって植生がそれぞれ違うのだ。

私が『アンゴルモア』で本作をNAZにお願いしたいとした動機は、対馬の自然を正確かつ繊細に描写したことを評価したからだ。
また、『ゆるキャン△』でも述べたが、本作も大自然の描写が多く背景が問われる作品の一つだが、北海道の大自然はダイナミックに描かないと「絵」にならないが、本作はダイナミック感にも欠けている。
つまり、北海道を表現出来ていないのだ。

また、原作ではしっかりと表現されていた2話「杉元」と「白石」の凍死寸前のシーンに迫力が感じられないし「アシㇼパ」の変顔も恐る恐る描いている印象だ。
話数が進むにつれて原作の味が出てきたが、まだまだである。
総合的に考えると「3」が妥当だろう。

声優に関してだが、CVのことなど、どうでもよくなるのが先にも述べたアイヌ語の再現だ。
この言語は「消滅危機言語」つまり地球上から消える危機がある極めて貴重な「無形文化財」なのだ。
現在、北海道ではアイヌ語を喋ることが出来るのは10名程度で何れも高齢だ。
今般、千葉大学の中川裕教授他、北海道大学を始め多くの言語学者が監修し再現したもので、アニメ以上にアイヌ語の学術的見地からも、永久保存すべきほどの価値を有する。
この事実をもってしても満点以外の評価は考えられない。

音楽だが、OP曲は本作の壮大な世界観を予見させる曲で良い出来だが、ED曲はもっとOP曲との差別化を図り、一話終わるごとのカタルシスを奏でるスローテンポな曲の方が良い。
その点『アンゴルモア』のバランスはよかった。
次に、劇伴だが、せっかくアイヌ語を再現したのであれば、アイヌの伝統音楽を採用するなど側面支援すべきであった。
「オソマ」のテーマソングのみとはなんとも寂しい限り。
公式のインタビューは力量不足を認めた「言い訳」にしか聞こえない。
評価は「3.5」といったところだろう。{/netabare}

(★は一個0.5点)
物語★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価は2期に繰越)
作画★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価点)
声優★★★★★★★★★★5.0(評価点)
音楽★★★★★★★☆☆☆3.5(評価点)
キャラ★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価は2期に繰越)

2018/10/28初稿

投稿 : 2024/06/01
♥ : 56
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

生命の輝きに別角度から光をあててみました

2018.07.01記


原作未読

2018年春期の1クールものでは個人的にNo.1でした。
10月に2期放映が決定してるとのことも納得の面白さです。

日露戦争あとの北海道が舞台。ありそうでなかった場面設定が興味を引きます。それになんか骨太そうな印象も私好み。
第一話、熊との格闘シーンで先制パンチを食らい、帰還兵の悲しみを描いたハードボイルド路線か?と見せかけて、コメディありグルメあり。しかも物語の邪魔をしてなかったりする。なんじゃこりゃ、詰め込み過ぎでしょ?といい意味で。

戦友との約束を果たすためにまとまった金が必要な杉元がアイヌ埋蔵金を求めて奮闘する話。アイヌの娘アシりパさんと行動を共にする中で、アイヌの慣習やものの考え方など作品を通じて知ることができます。
その埋蔵金を狙っているのは杉元だけではなく、帝国陸軍の軍人たちだったり、函館戦争の生き残りだったり、複数勢力が絡みます。


【命のやりとり】


冒険、グロ、エロ、メシ、歴史、アイヌの文化、サバイバル、奇怪な登場人物たち、このアニメを構成する要素はいろいろあってエンタ-テインメント性の高い作品です。これら複数要素を含有し空中分解しないでまとまっているのは、演出の巧みさと合わせて、根っこの部分では生々しくてゲップが出るほど“生命のほとばしり”を感じられるという点で一致しているからです。
「生きろ」とか「命どぅ宝」とか「生命万歳」とか命は大事と言うのを悪く言うつもりはありませんが、そういったものにときおり感じるうさんくささみたいなものをこの作品からは感じません。
そのへん詳しくは後述するとして、ありきたりのヒューマニズムには寄らないアニメと思って観ると面白いと思います。
{netabare}2期ありき(最終回にて3か月後に続きやる!と発表)で、最終話が中途半端に切れちゃったのは残念です。今後の期待もありますが、物語の評価を下げております。{/netabare}


以下、思いついたことを徒然に。。。※ネタバレ含みます
{netabare}
■弱い奴は食われる
アシりパさん初対面でこれですからね。日露戦争の死線をくぐりぬけ「戦争で学んだのは殺されないことだ」と語る杉元ですから、根っこの部分で似た者同士だったのでしょう。豊富な知識を持つアシりパと戦闘に長けた杉元のコンビはバランスが良いし、二人とも勘が鋭いというかよく人間を観ている。これだけでも二人がぬるい人生を歩んでいないということがよくわかります。

■死に場所を無くした元新選組の面々
男が泣く理由として「死ぬべき時に死ねなかった」というのは充分なものです。100年生きると土方は嘯いてましたが、2期でどういう死に方をするのかは楽しみの一つです。死なんかもしれないけど。

■狩猟して食べるということ
クマ、シカ、リス、ウサギ、ウマ、あとなんか魚。狩猟して解体して調理するところまで見せる演出は新鮮でしたね。
ウチの親は解体を目の当たりにして牛とウナギが駄目になってたし、嫁は魚を三枚に下ろせない。生命をいただいている実感が乏しい時代にこのアプローチは素晴らしい。
だからこそ、感謝する意「ヒンナヒンナ」が活きた言葉となってきます。
{/netabare}


■軍人目線で観た時の杉元佐一
{netabare}※不死身の杉元って
まるで船坂弘軍曹だなと思ってたら同じこと考えてた人がいたみたい。
不死身の生命力と敢闘精神が語り継がれている昭和の軍人さんです。渋谷センター街入口にある大盛堂書店の創業者としても有名。本買う時はだいたいここで購入してます。
杉元以外でも史実をモデルとした人物が多数いる模様です。

※杉元の切り替えの見事さって
ギャグってたりほっこりしている中でも危機を察知したら一瞬で目つきが変わり戦闘モードに切り替わる描写が多用されています。これってもともとの日本の軍人さんの凄みなんです。温厚で優しく良く笑い平時はおおらかに構えていて、いざ有事となればスイッチが完全に切り替わる。史実本にはそのようなエピソードが多く書かれています。ゴールデンカムイでは旅順攻略に従軍した帰還兵が数多く登場しますが、軍人さんのイメージギャップが少ないことも魅力の一つとなってます。{/netabare}


エッセンスの部分は原作を踏襲しているでしょうし、原作既読組が物足りなく感じるというくらいなので、原作マンガも期待できますね。
この手の作品がウケるというのは日本もまだまだ捨てたものではないなと思う次第。最終的な物語の評価としては2期待ちとなりますが、導入部分としての1期も面白い、オススメの作品です。


以下、オマケ
注)これより以降の記載内容について、人によっては不快に思われるかもしれない政治・軍事的な内容を含んでおります。ネタバレ開く時はこれら承知の上で開帳してくださいね。



■切り替えについてもう一言(本編とは関係ないので暇な人向け)
{netabare}北海道繋がりということで占守島の戦いに触れておきます。
ポツダム宣言を受け入れると発表してからの昭和20年8月17日深夜、樺太最北端の占守島に突如ソ連軍が上陸を開始し武装解除済みだった日本軍と交戦した事案。敗走すればそのまま北海道が分割されていただろう局面で日本軍の奮戦により有利な条件で停戦合意に至ったという重要な戦いです。かって司馬遼太郎の上官でもあった戦車隊の池田末男大佐の猛烈な戦いっぷりや杉原千畝より多くのユダヤ人を救ったとされる樋口李一郎中将の戦闘継続の判断だったり、取り上げるべき人物も複数登場します。
長くなってしまうのでご興味あればご自身で調べていただければと思います。
その日は武装を解除しての残念会が催された日、つまりどんちゃん騒ぎしてしこたま酒をくらい、意識も戦闘終結後に内地へ復員してさて何やろうかなとでも考えてたりしながら就寝したタイミングでの敵襲来です。普通まともに戦えませんし、戦闘するという判断を下すのも難しい。しかし、満州でソ連軍がどういったものだったか現地も司令官も知っています。また戦闘意思なく降伏すればどうなるかも知っています。
短時間で武装を整え作戦を遂行し、結果として足止めに成功しました。闘う時は闘う。避けてなんとかなると言い切れない場合はリスク要因を徹底排除する。
この時点で白旗を揚げて降伏していれば?
日本人にとってはけっして面白い結末が用意されてなかったでしょう。

アニメに戻って…
杉元が殺気を見せて対峙しなければ?
同様の面白くない結末に至ってたでしょうね。{/netabare}

■アイヌの現在とやら(本編とは関係ないので暇な人向け)
{netabare}アイヌや琉球については日本人と区分けして分断を図ろうとする勢力が跋扈しており、現在のアイヌ協会は差別利権、補助金食いつぶし団体に。
DNA配列ないし森羅万象生きとし生けるものを神(カムイ)と捉える宗教観は日本人に属するものであり、一見独特に見える文化風習・言語も土台が同じところからその地域の風土により独自発展したものに過ぎないと私は考えてます。
私の物言いも解釈の一つ。独自の先住民か広義の日本人であるかの論争はあってしかるべき。
しかしながら協会に多数の外国人が入り込んでおり、アイヌの定義も不明確なまま、協会がアイヌと認定したらあなたはアイヌそして補助金みたいな出鱈目は正されるべきでしょう。彼らにとっては差別は未来永劫あって欲しいものなのです。
そういえば北海道に侵攻したソ連軍はこうも言ってました。
「アイヌを開放するよん」
占領(したい)地の統治政策、植民地政策の基本は『分断して統治せよ』、わかりやす過ぎます。{/netabare}



視聴時期:2018年4月~6月 リアタイ視聴

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2018.12.08追記

区切りの最終話の収まりがよければもっと高い点数をつけていたと思います。

命のやりとりを杓子定規にシリアスにしなければならないというのに以前から私自身は違和感があって、そこに、もともと生死は表裏一体、喜怒哀楽すべてを含んであっけらかんとした描写が本作で描かれていたことが新鮮でした。

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2021.10.16追記/配点修正 +0.2

うーん、、、なんだかんだ言わんこっちゃない展開↓
・2019年:「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」施行
・2020年7月12日:ウポポイ開業
・2020年:アイヌ団体、サケの漁業権求めて提訴



2018.07.01 初稿
2018.12.08 追記
2020.12.04 修正
2021.10.16 追記/配点修正

投稿 : 2024/06/01
♥ : 75

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

アイヌ文化についてよく分かる

囚人の皮膚をはいで宝の地図探しといったところ
そこに陸軍の思惑が重なって不死身の杉本とアシリパさんが巻き込まれてしまう。

個性的な元囚人だったり、陸軍との戦いだったり、北海道特有の野生動物との戦い、アイヌの伝統文化など様々。

裏切り裏切られの人間交差点的な作品でもある。
1期は律速段階といった感じ。

白石晴香さんのアシリパ声良いですね。
以前コクリコ坂からで声優されていたようだ。


OP
Winding Road MAN WITH A MISSION
ED
Hibana THE SIXTH LIE


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
明治時代後期。「不死身の杉元」の異名を持つ日露戦争の英雄・杉元佐一は、ある目的のために大金を手に入れるべく北海道にいた。そこにアイヌから奪われた莫大な埋蔵金という、一攫千金のチャンスが舞い込む。埋蔵金は網走監獄に収監中の男によって隠匿され、24人の脱獄囚の身体に刻まれた刺青がその在り処を示す手がかりだという。そんな折、ヒグマの襲撃を受けた杉元を、アイヌの少女アシ(リ)パが救う。アシ(リ)パは、埋蔵金を奪った男に父親を殺されていた。さらに杉元の動きに呼応するように、かねてより埋蔵金を狙って暗躍していた北の最強部隊・第七師団や刺青を背負う脱獄囚たちの動きも顕在化。果たして、雄大な北の大地を舞台に巻き起こった一攫千金サバイバルの行方は…!?


1. ウェンカムイ
「不死身の杉元」と呼ばれた日露戦争の英雄・杉元佐一は、除隊後、一攫千金を狙って北海道で砂金採りに明け暮れていた。そんな折、杉元は現地で出会った中年男に、アイヌから奪われた埋蔵金の話を聞かされる。埋蔵金を奪った人物は網走監獄に収監中で、同房になった脱獄囚たちに埋蔵金の在り処を示す刺青を施したというのだ。当初はホラ話と思っていた杉元だが、その後の出来事によって話はにわかに真実味を帯びはじめる…。

2. のっぺら坊
杉元とアシ(リ)パは埋蔵金の手がかりを求め、北海道一の商業都市である小樽の街へと出向く。あまり有益な情報は得られなかったが、帰り道に後をつけてきた脱獄囚のひとりを罠で捕えることに成功。その男を尋問し、脱獄囚たちは殺し合いの末に散り散りとなり、刺青を彫った男が「のっぺら坊」と呼ばれていたことを聞き出す。そんな中、男が何者かによる遠方からの射撃で殺される事態が発生し、杉元とアシ(リ)パに緊張が走るッ…!

3. カムイモシ(リ)
森の中を進む杉元とアシ(リ)パは、ヒグマが冬眠に使う横穴を発見。穴の前でアシ(リ)パが語るヒグマの知識に感心しきりの杉元だったが、そのときアシ(リ)パが自分たちに向けられた双眼鏡の光に気づく。時を同じくして、彼らに向かって移動を始める陸軍第七師団の追っ手たち。二人は急いでその場を離れるが、スキーで移動する相手との距離はどんどん縮まっていくッ! 杉元は二手に分かれてアシ(リ)パだけでも逃がそうとするのだが…。

4. 死神
アシ(リ)パの生まれ育った村に招かれた杉元は、住民たちに快く迎え入れられる。アイヌ料理に舌鼓を打ち、村の子供たちと遊ぶなどして和やかな時間を過ごす杉元。そんな中、杉元はアシ(リ)パの叔父から、埋蔵金やアシ(リ)パの過去について話を聞く。アシ(リ)パは大人びてはいるが、寂しがり屋でまだいたいけな子供--叔父の言葉に、杉元の心にひとつの決意が宿る。その夜、杉元は寝ているアシ(リ)パを残したままひとりで村を後にする…。

5. 駆ける
杉元は二階堂兄弟に自ら食ってかかることで、身に迫った危機を回避する。その頃、杉元を追って小樽の街を訪れたアシ(リ)パは、レタ(ラ)の導きで白石と予期せぬ再会を果たし、彼の情報から鶴見たちの根城に行き着いていた。埋蔵金の分け前を得ることを条件に、杉元を救う手助けを買って出る白石。しかし、白石が建物への侵入に成功したのも束の間、レタ(ラ)の匂いに気づいた馬が騒ぎ出し、さらに二階堂兄弟の魔の手が杉元に迫るッ!

6. 猟師の魂
過日、小樽の山中でアシ(リ)パを追い詰め、狼のレタ(ラ)に重傷を負わされた谷垣は生きていた。彼を助けたのは、足を踏み入れた山の熊を全滅させてしまうと言われる凄腕の猟師・二瓶鉄造。二人は絶滅したとされる狼の存在に猟師の血を刺激され、レタ(ラ)との勝負を渇望していた。そんな中、二瓶の猟犬・リュウがいつもと違った行動を見せる。熊を恐れないアイヌ犬の怯えた姿に、ひとつの確信を得る二瓶--我々は狼の縄張りにいるッ!

7. 錯綜
雪山の中で死闘を繰り広げる杉元と二瓶。だが、谷垣にアシ(リ)パを人質に取られた杉元は、白石とともに動きを封じられてしまう。白石の縄抜けで拘束状態から抜け出したものの、アシ(リ)パと離れ離れになる二人。一方、狩猟用の罠で重傷を負った谷垣を置き去りにした二瓶は、アシ(リ)パを使ってレタ(ラ)をおびき寄せようと画策。狙い通りにアシ(リ)パの危機を察知したレタ(ラ)が姿を現し、銃を手に待ち構える二瓶に雷光のごとく迫るッ!

8. 殺人鬼の目
牛山に追われる白石は、鉢合わせた第七師団の兵士たちを巻き込むことでピンチを脱する。そんな中、町の建物が土方の一味に次々と爆破される事態が発生。騒動を尻目に銀行へと侵入した土方は、貸金庫から愛刀・和泉守兼定を奪取する。そこに爆破が陽動だと気づいた鶴見中尉が駆けつけ、撤退しようとする土方と火花を散らすッ! 一方、転んでもただでは起きない白石は、騒動後に土方の居場所につながる手がかりの入手に成功する。

9. 煌めく
辺見に誘われ、ニシン番屋で馳走に預かる杉元とアシ(リ)パ。そんな中、アシ(リ)パに隠した死体を発見されそうになった辺見は、杉元を外へと連れ出す。そこに第七師団の兵士が現れたことで、二人はニシン場の親方が住む豪邸に身を隠すことに。しかし、建物内にいた鶴見中尉らと遭遇し、戦闘状態となってしまう。負傷した辺見と建物を脱出した杉元は舟で逃げようと浜辺を走るが、背後から殺人衝動に突き動かされた辺見の凶刃が迫るッ!

10. 道連れ
世話になったアシ(リ)パの村を後にした谷垣は、二瓶の村田銃を手に尾形と二階堂との戦いを決意する。だが、残された弾は1発しかなく、足のケガもまだ完治していない谷垣にとって状況は圧倒的に不利。そんな中、ヒグマが食いかけた鹿の死体を発見した谷垣は、相手をそこにおびき寄せる作戦に出る。鹿の死体を調べる二階堂をヒグマが襲い、これを精密射撃で退ける尾形。その瞬間、尾形の居場所を察知した谷垣の銃口が火を噴くッ! 谷垣の一撃を食らいながらも、運良く致命傷を免れた尾形。そこに鶴見中尉らが駆けつけたため、尾形は逃亡し、一部始終を見届けた谷垣もその場から姿を消す。

11. 殺人ホテルだよ全員集合!!
札幌で武器を調達後、宿に泊まることにした杉元たち。一行は宿泊先に札幌世界ホテルを選ぶが、時を同じくして土方一味の牛山も同じホテルを訪れていた。女将の家永を気に入り、いきなり口説きにかかる牛山。だが、家永の正体は女装した老人男性で、しかも刺青を持つ脱獄囚のひとりだった。体の悪い部分を同じ部位を食べて治す考えを実践し、客を次々と餌食にしてきた家永は、新たな標的として牛山とアシ(リ)パに狙いを定める!

12. 誑かす狐
札幌を発った杉元たちは、長沼にあるアシ(リ)パの親戚の村を訪れる。村には占いが得意なインカ(ラ)マッという女性が滞在しており、彼女のよく当たる占いに村人は浮き足立っていた。杉元たちに会うなり、アシ(リ)パが父親を探していると言い当てるインカ(ラ)マッ。アシ(リ)パは驚きながらも、占いなどに惑わされまいと警戒を強める。一方、高い的中率に目を付けた白石はインカ(ラ)マッを競馬場に連れていき、占いで馬券を当てようとする…。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

71.4 2 アウトローで相棒なアニメランキング2位
天晴爛漫!(TVアニメ動画)

2020年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (263)
864人が棚に入れました
19世紀が終わりを告げ、20世紀の幕が上がろうとしている時代・・・天才だが社交性0のエンジニア『空乃天晴』と、凄腕だが臆病な侍『一色小雨』はある事故で日本からアメリカに漂流してしまう。無一文の二人が日本へ帰るために選んだ方法は、「アメリカ大陸横断レース」に参加すること。スタートは西海岸ロサンゼルス、ゴールはニューヨーク。自作の蒸気自動車で荒野を駆け抜け、クレイジーなライバルと競い合い、アウトローや大自然から身を守り・・・果たして二人は過酷なレースに優勝し、賞金を手に入れ故郷へ帰ることができるのか!?

声優・キャラクター
花江夏樹、山下誠一郎、悠木碧、雨宮天、斉藤壮馬、折笠富美子、櫻井孝宏、杉田智和、興津和幸
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

自由への挽歌

【微々修正】


自動車黎明期の破天荒なアメリカ横断レース。

作中に、現代の自動車技術や運転テクニックが当たり前に混入しているように、もちろん現実の自動車史をなぞっているわけではない。
時代劇でも、たとえば『天下御免』や『幕末太陽族』などのように、時代考証を無視してエンターテインメントすることは当たり前なので、エンターテインメントのために技術史や産業史と食い違いが出ることなど気にする必要はない。

ただ、本作が創り出そうとしている時代の空気感は、「自動車の黎明期」というよりも、自動車「産業」の黎明期であるようだ。



「必要は発明の母」とよく言われるが、歴史家や技術史家の研究によると、生活や社会制度を一変させるような画期的な発明は、まず「発明」が先行し、後から「使い道」が模索されて定着することが、実態としては圧倒的に多いらしい。
錦の御旗のように、二言目には「顧客のニーズ」を自慢げに振りかざす企業人はありふれているが、「ニーズ」を先行して発想するようでは、真に革新的な発明など出てきようがないのだろう。

ようするに、顧客の「ニーズに応え」て生み出したと称するものは、何であれ些末で大したものではないと告白しているに等しい。
アニメ作品に対しても、「需要」がある/ない、と賢しげに語りたがる人は多いが、「需要」を念頭に置く作品が真に新しいものを語り得るかは、言うまでもないだろう。
主人公が一般人から理解されない「発明家」である設定は、暗合めいて興味深い。

確かに、若者のクルマ離れと言われて久しい現代では、クルマをモチーフとしたアニメに「需要」があるのかは、大いに怪しい。

が、本作が主題とするクルマもまた、最初期には、「使い道」などないまま、長く金持ちの遊び道具であったことはよく知られている。
クルマの歴史は、この「遊び」=「レース」の道具が、移動や輸送の手段という「使い道」=需要を見出されたことで、「社会的な道具」化する=産業化する方向へと舵を切った。

おそらくは偶然だろうが、「需要」の怪しい「クルマのアニメ」が、自動車「産業」黎明期のレースとして描かれることは、不思議な整合感があって、素直に視聴に引き込まれる。



{netabare}若者には関心を持たれないらしいクルマは、ある年齢以上のオッサンやオバサンには、無条件で好意的にみられる傾向がある。

最近はどうだか知らないが、昭和のポップスでは、ドライブをモチーフとしたり、クルマでデートする情景を歌ったヒット曲がいくつもあった。
特別なクルマ好きの「エンスージアスト」でなくとも、広くクルマに対する好感が共有されていた証拠だろう。

過去に、オートバイやクルマをモチーフとした他アニメの感想で、クルマやオートバイの魅力の核心は、運転者に「力」を与える=自由を拡大する「力」を身に着ける感覚であると、何度か記したことがある。
レースなどの高速走行で、クルマやオートバイを「自在に操る」ことは、クルマの「力」と一体化してこれを取り込む=自己の自由の拡大の欲望として、多くの読者や視聴者に共感されて受け入れられていた。

この欲望が、ドライバーやライダーのみならず、運転をしない少年少女までを含めて広く共有されていたからこそ、これらの作品群やポップ歌謡がヒットしたのだろう。
或る年代の男女にとっては、クルマは単なる実利的な利便性を越えて、力=自由の欲望を表象するエロス的なアウラをまとっていた、と言ってもいいかもしれない。

個性豊かな多数のキャラクターが、それぞれの想い=それぞれの「自由」を求めてレースを戦う本作の物語も、やはりこの「欲望」の表象化に連なっている。

が、自動車「産業」黎明期、という舞台設定が、そこはかとない哀愁感をも呼び込んでいるようだ。


クルマが「産業」化するとは、遊びの道具=「個人」の自由をどこまでも拡大する「力」を与えるモノが、「社会」」化するという事だ。
社会的なネットワークに不可欠の「用材」として組み込まれる「道具」においては、個人の「個人的な」自由の拡大は、相互に制限を設けられざるを得ない。
「社会的」な道具には、無制限の「自由」は許されない。

作中の「レース」で繰り広げられる破天荒な「運転」は、やがて「交通ルール」の名のもとに禁止され、排斥されてゆくだろう。

それを象徴するのが、作中に幾人も登場する「西部劇」的アウトローのキャラクターたちだ。
彼ら「アウトロー」のキャラクターたちは、時代の変化に取り残され=翻弄される存在として描かれる。
あがきつつ、それでも「前進」しようとする彼らの姿は、オッサンの目にはアニメ視聴者好みの「成長」には見えない。

「力」が支配する野放図なウィルダネス=「西部劇」的世界が消滅してゆく時代性が、個人の「力」がどこまでも拡大する「自由」を許さない。
クルマの「自由」が「交通ルール」に馴致されてゆくように、個人を有無を言わせず「社会」化する時代的必然が、これまた(意図しているかどうかは不明だが)自動車「産業」黎明期という舞台設定とシンクロして、奇妙な統一感を感じさせる。

大陸横断レースが、「西部劇」的世界を終焉させる「進歩」のように見えながら、当のクルマの「力」を抑圧する「産業」化の象徴でもあるという逆説。

「西部」開拓=西部劇的世界 の消滅を象徴するような「レース」が、「西」海岸から「東」海岸へと進むものである設定は、これも妙に整合的だ。



既に「交通ルール」に縛られているクルマやオートバイに、かつての少年少女であるオッサンやオバサンが「自由」=「力」のアウラを見ることができたのは、それでもクルマは「自分の思い通りに動かせる」という一点に根拠付けられている。
が、クルマの「社会化」は、運転者の意思にどこまでも従う個人の「自由」を許容できない地点まで進んだようだ。

電子制御化された現代のクルマは、横滑り防止機能や誤発進防止機能が常識となっている。
「運転の補助」と称してはいるが、言い換えると、クルマの許容する範囲でしか運転者の操作を受け付けない、という事でもある。

ペダルの踏み間違いによる誤発進の衝突防止機能を持ったクルマでは、あの印象的な『ルパン三世』第一話の「ガラスを突き破ってクルマが躍り出る」オープニングのような運転は不可能だ。
機関車の暴走を止める本作のクライマックスも、現代のクルマであれば実行不能だ。


別にアニメの真似をするのが目的でなくとも、気象災害が増えつつある現代で、どんな緊急事態で目の前の障害物を蹴散らす緊急避難運転が必要になるか知れたものではない。
もちろん防止機能は一定の手順で解除できるが、解除手続きをとる必要があること自体が、運転者の意思=「自由」をクルマに「許可してもら」わねばならない事を意味する。

そうした「クルマが許可してくれる」範囲でのドライバーの「自由」の先にあるのは、完全自動運転だろう。
移動の為の「社会的」な「用材」としては不足はないかもしれないが、それはパーソナライズされた鉄道のようなものでしかない。
「時刻表」がパーソナライズされたとしても、システム化された「装置」に「運ばれ」ることに「力」を得る実感はあるだろうか。

その時、クルマのエロス的アウラは決定的に喪失するに違いない。{/netabare}


{netabare}若者はクルマに関心が薄いと耳にすることは多いが、クルマが「生活必需品」である地方では相応に関心は持たれている。
が、それは必要な「用材」としてであって、移動の必要を満たせるなら、それこそ自動運転車の方が便利だと言い出すことだろう。

関心がないのは、移動手段=社会的「用材」としての自動車ではなく、個人的な「力」の拡大にまつわるクルマの「アウラ」の方だ。

むしろ、個人の「力」=個人の自由が拡大することそのものに、関心や欲望を抱いていないのではないか。
だとすれば、クルマ好きのオッサンのいう「最近のクルマは魅力がないから若者が関心を持たない」の「クルマの魅力」が「操る」楽しさ=「個人の自由拡大の欲望のアウラ」である限り、若者にとってクルマが魅力的になることはあり得ない。


本作には、「悪」の権化として西部劇的アウトローのなれの果てが登場し、黒幕的な陰謀によって物語のもう一方の側面を駆動する。
何処までも他者を踏みにじり、自分の欲望を追及することに躊躇を覚えない「悪」もまた、「自由」の負の側面ともいえる。
運転者の「自由」を追及する運転が、時に「交通ルール」や「安全」と対立する「負の側面」を持つように、ここでもまたモチーフや舞台設定との整合性が垣間見える。

注目してしまうのは、この「悪」もまた、「個人」の「力」への欲望として描かれることだ。
本作中では、「悪」の人格化として、名前のある「個人」が、この「悪」を引き受ける。


「自分の欲望のためには、他者をどれほど踏みにじってもいい」
「力を持つ自分にはそれが許される」
「力で劣るものに自分を止める資格はない」
などなど

「個人」の口から出る「悪」の論理は、しかし現代では、クルマの運転者が「社会」化された交通システムの匿名の歯車の一つとして「自由」に運転する「個人」性を剥奪されていったように、「悪人」の「個性」という個人性を離れて、社会思想化=システム化されて匿名化して拡散されている。

アウトローの語る「悪」の言葉は、この数年で政治権力の振る舞いとして、はっきりと可視化された。

国民の共有物である税金を、権力者のほしいままに特定のオトモダチや広告代理店に好き勝手に分配し、現に目の前にいる被災者や困窮者を顧みない。

単に「権力者」が「悪人」だというだけではない。
思想化=システム化した「悪」だから、個人としての権力者が交代したところで、「悪」が滅びるわけではない。

思想化=権威主義が定着した結果、「悪」を批判する言葉が上がる度に、「権力者は力があるのだから何をしてもいい」「権力を持たないものに権力者を批判する資格はない」「権力者は現に権力を持っているから正当な権力者だ」という権力擁護の罵言が、現に踏みにじられ利用されている者たちから浴びせられる。

上述した作中の「悪人」の言葉そのものの「擁護」を、「被害者」たちが内面化して疑問を持たずに口にする事態は、「個人」的な「力」としての「悪」が、社会化して匿名化=拡散化した現れだろう。
終幕で、「悪」を倒した「アウトロー」が、「個人」的な意思である「復讐」を放棄し、司法という社会システムに裁きをゆだねる決着が、「悪」が個人性を離れて社会化してゆく必然を象徴する。

「悪」もまた個人性を奪われて非・個人化して拡散するのであれば、そうした中で、「個人」の「力」の拡張に「価値」を見出したり「欲望」したりすることがないのも当然かもしれない。
あるいは「個人」が「力」を持つこと自体が想像外であるのか。

そうであるなら、自動車メーカーがどれほど「魅力的」なクルマを造ろうが、若者の「需要」を捉えることはあり得ない。



こうしてみると、レーサーたちは言うまでもなく、「悪人」すらも「個人」の「自由」と「欲望」に駆動される本作が、ノスタルジックな味わいを感じさせるのも無理はない。

正にこうした「過去」が決定的に転換する、自動車「産業」黎明期に舞台設定したことが、この印象を喚起する。

ラストで、主人公が目指す航空機も月面到達も、現代の視聴者にとっては、振り返る「過去」の出来事だ。

「個人」の「自由」の拡大にまつわる物語が、ことごとく「過去」を指し示しているのが、楽しい活劇の向こうに、ほろ苦さを感じさせる。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5
ネタバレ

食前酒 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

P.A.WORKSのアニメです

【第十三話】(総評も含みます)
{netabare}最終話です。面白かったですね。AパートはVSギル。前から気にはなってたけど小雨もギルもTJもみんな普通にピストルの弾真正面からよけてるのはどうなんだと思いますが、ギルはディランとTJによって普通にボコられて倒されました。ギルの強さは最後どうやって収めるんだろうと思ってたけどやっぱりあっさり倒されて終わりでしたね。一方、裏では天晴たちが爆弾入りの暴走列車を車で止めるという破格展開で、物理的に可能なのかどうかはさておき、迫力も画力もあってなかなか面白かったです。無事列車も止めてソフィアも救出、ギルも警察に突き出して万事解決。一か月後にレースが再開されみんなお待ちかねのレースシーン。天晴号の急加速からの急カーブ。そのまま全部ごぼう抜きしてなんと一位は天晴号。私はウマ娘みたいに全員同着にするかなと思っていましたが最後にはみんなしっかり順位が付いてましたね。レース後天晴と小雨は引き続きアメリカに残り飛行機作りをすることに。この収めどころもよかったと思います。さて、作品全体的に見るとやはりレースシーンが少ないことは気になったし、SNSの評判もそこが論点になってたのが多かったようですね。でも最後まで見た方なら察してると思いますが、このアニメはレースだけをとり得にはしてないですよ。十一話、十二話あたりの感想でも書きましたが天晴や小雨の生き方だったり他人との向き合い方などある意味人間ドラマチックに変化を感じさせてくれたと思います。あくまでレース事態はそれらを見せるための要素であり、ギルの圧倒的なまでの悪役ぶりもそうです。もちろんホトトやシャーレン、TJ、ディランにもしっかり物語がありました。それらにプラス、レースやアクションシーンのアニメーションや背景の作画のリアルさももちろん抜かりない。私が思っているPA制作の良いところが今作もしっかり感じられました。なので初めからレースアニメだ!と思ってみていた方やそれを期待していた方はイマイチだったかもしれませんね。これから見るという方は是非こんな視点で見てみてください。私は十分楽しめました。{/netabare}

【第一話】
天晴のからくりオタク感、それに翻弄される小雨の今後の展開に期待せざるを得ないですね。
【第二話】
一話から変わらす背景すみずみまで丁寧でした。ほかにもPAらしさは随所に感じましたが何よりエンドロールがかっこよかった!
【第三話】
私が思うPAの良いところはいくつかありますが、そのうちの一つキャラ一人一人の「設定」に手を抜かないところがこの作品にも感じます。今のこの3~5話あたりの振りがこの後うまいこと効いてくるんでしょう。役者がそろってきて今後のレースが楽しみです。
【第四話】
4月コロナ事情で延期から再開。女性レーサーのお話で良くも悪くも普通な展開だと思いました。はやく本番の大陸横断レースがみたいですが、キャラクターも出揃って無いようですし、天晴もマイカー鋭意製作中なのでまだまだ仕込みの段階が続きそうです。
【第五話】
{netabare}途中のドレスコードいざこざやポールポジション争奪戦やら終始このアニメ独特の雰囲気出してます。次回からようやく本格的なレースが楽しめそうです。第1話でスタートシーンを描写することで5回分積み重ねられてきた分、今回の5話で見る同じシーンでもキャラ関係の深みが増します。PAの気合の入った構成作りを感じますね。{/netabare}
【第六話】
{netabare}序盤から熱いレース展開でした。荒野を走る電車に道を阻まれ他のレーサーたちは止まっている中、天晴は追いつきながら猛スピードで脳内計算。(ドクストの千空みたいですごかった(笑))からの通過する電車に車をかすらせて速攻方向転換!結果的に中間地点ではいい順位ではなかったものの天晴のレース展開は見てて飽きません。スピードもパワーも勝る敵レーサーと張り合っていくうえで、天晴のもつ知識でいかにして相手を打ち負かすかがカギ。天晴号もまだまだ変形していくようなのでそこも併せて楽しみです。{/netabare}
【第七話】
天晴のような絶対合理主義者が自分ないし他人の非合理的な考えに理解できないというあるいみ典型的な流れ。しかし、過酷なレース場面でみんなでキャンプをやったり夜空の星を見ながら語らうところもあり且つここまで作画も安定していて普通にいいアニメになってる。あとは今回の落ちからこの後のストーリーをどう作っていくのかがアニオリとして見どころだと思う。
【第八話】
{netabare}今回は小雨回。良かったところもあったけど惜しい感じがした。Bパートの小雨はかっこよかったしホトトとの兼ね合いもまぁ良し。で気になったのは脚本面かな。まずAパートで先頭集団が何者かに襲われ車も壊されレーサーたちも惨死。そこにで運よく生き延びたとか言ってる津田さんボイスの男。あの時点で100:0でこいつが犯人ってわかったし小雨の母親の殺され方も適当に感じた。そりゃ時代が違えば命の落とし方は違うだろうけど突然家から出てきた覆面男に切られてそして小雨だけ何故か生き残ったってちょっと説明不足では。どれもそこまで大きな汚点ではないけど、思ったより浅いシナリオになりそうでちょっと期待は下がった。まぁこの後のレース展開も白熱してくるでしょうからそこは楽しみにしてます。{/netabare}
【第九話】
{netabare}う~ん面白い!レースしてなくてもこれだけ面白い。今回はPAらしさの詰まった私好みの回でしたね。いったんレースは中断され残るレーサーたちでとある村に滞在するんですが今までほぼ関わり合いのなかったキャラクターたちが交わって一人一人個性が良い感じに出てました。シャーレンと小雨、ホトトとチェイスとトリスタン兄弟など。特に面白かったのはアルとTJの酒飲み対決とディランが髪切ってるところ(笑)。アルとTJの飲み対決は一杯で倒れたアルの代わりにソフィアが飲みまくって勝ちました。ディランの知人に髪の毛切ってるところをバレないように隠れる気持ちも良くわかる(笑)。そうしてみんなわいわいしてる間にも天晴は村中を歩きながら車の開発研究。ディランの散髪中にも乱入しました。そして最後は出ましたPAのお風呂シーン!レーサーみんな大集合してカットが変わるたびに皆変なことしてました(笑)。キャラクター一人一人にしっかり焦点を当ててアニメ映えのためだけにキャラクターを量産するのではなくこのアニメのストーリー展開において誰一人欠かせない存在にする。PAの好きなところです。でも今回の内容でだいたい今後の展開もわかるし最終回の落ちもなんとなく予想できてしまうのでそこは…。相変わらギルの動きもわかりやすすぎるし(笑)。{/netabare}
【第十話】
{netabare}予想以上に衝撃的な話。いよいよレース再開のAパート。天晴号はハイブリットエンジンを導入してさてさてどんなレース展開になるかと思いきやギルが動きます。というかこのギルが思った以上にたちが悪かった。覚醒したギルは命令に従わない奴はバンバン撃ち殺して、あっという間に列車をハイジャック。レースも中断されてここでようやくギルの正体が分かったレーサーたちも動揺。このギルがめちゃくちゃつおいし性格もまさにアウトロー中のアウトロー。ディランもTJも倒されて挙句の果てにレーサーの車まで破壊。天晴号にも火を放たれて激昂の天晴。次の瞬間乾いた銃声とともに目の前で倒れる小雨の姿が…。なんだろう予想以上に残酷なシーンもあってレース関係ないところで過酷だなと思った。{/netabare}
【第十一話】
{netabare}良く言えばPAらしいキャラクター一人一人に焦点を当てた丁寧な作り込み。悪く言えば展開が王道過ぎて唆られない。天晴の落ち込みからの復活具合とかアルの動揺っぷりなんか絵に描いたようなもの。小雨も危険な状態から無事生還。復活した小雨が輸血に例えて話していた場面はギルという人類の進歩をさげすむ存在と天晴という人類の先端を行くものの存在が対極で表されてていいと思ったけど今回強いて良かったところを挙げるならそこだけだったので残念。{/netabare}
【第十二話】
{netabare}今回もレースシーンは微塵もありませんが面白かったです。ギルにさらわれたソフィアを救うべく復活した小雨や大会進行役の男もつれて総勢十人で適地に乗り込みます。戦闘アクションや作画はとても良かったです。背景作画ももちろんですがアクションでは特に小雨の必殺技やシャーレンの戦闘シーンはかなり動いてたので引き込まれました。他方でいいなと思ったのは天晴。最近また序盤の話を見直してきましたが天晴はここまでの12話で変わりましたね。見た目は変わってないですが中身は見違えるぐら変わってます。一話のあのムスッとしたからくりオタの天晴が人助けをするなんて考えられない。二言目には「合理的じゃない」って突っぱねますから(笑)。それが今回のOP前の10秒セリフではソフィアを助けるみたいなことも言ってたし、仲間とも進んで協力する。そしてなにより人にありがとうを言えるようになったこと。人として当たり前のことなんですが天晴のこの人間性の変化は私は成長だと思っているので良い話だなと思いました。私もレースシーンが見たいのはそうなんですがやっぱりそこはPA作品ということで今回の天晴のようなキャラクターの関わり合いや成長物語を楽しむべきとも思います。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 8

キャポックちゃん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

マイノリティへの優しい眼差し

【総合評価☆☆☆☆】
 ここ数年、不出来な脚本のせいで残念アニメの多かったP.A.Worksが久々に放った快作。開拓者精神の残る資本主義黎明期のアメリカを舞台に、さまざまな思いを胸に大陸横断自動車レースに参加する人々の姿を描き出す。
 何よりも、この時代のアメリカが持つパワーと危うさを的確に表現した点が素晴らしい。経済が過激なまでに急成長するさなか、文字通り何でもありの状況。一昔前の中国を思い出させるが、国家が強権的でない分、よりカオティックである。
 金儲けのためなら違法行為にも手を染める強欲資本家、ヨーロッパに対する文化的ひがみを隠せない上級市民、経済発展から取り残され爪弾きされるアウトロー、そして、弱肉強食の社会で迫害されるマイノリティ。そうした人々が織りなすゴッタ煮的な情勢を背景に、銃と刀と拳が交錯するアクションにスチームパンクの味わいが絡み、濃密な人間ドラマが繰り広げられる。

【マイノリティへの視線】
 私が特に注目するのが、マイノリティに投げかけられる優しい眼差しである。
 最も好きなキャラはジン・シャーレン。レースに参加する紅一点の中国人女性である。近年のアニメにしばしば登場する、胸だけ大きな幼女体型のヒロインとは異なり、腕や胴回りが太く、華奢な天晴よりも遥かに立派ながたいの持ち主だ。これは、中国人で女性という二重の弱みを跳ね返すために、強い意志をもって体を鍛え技術を磨いた結果だろう。
 この時代には、清朝末期の混乱から逃れようと、大量の中国人移民がアメリカに渡っていた。彼らは、拉致されてきた黒人よりも前向きに社会に入り込み、過酷な労働を低賃金で引き受けた。アメリカでは、どんな田舎町にもなぜか中華料理店があり、チャプスイなる謎メニューが提供されているが、これは、調理経験のないド素人にもアメリカ産素材を使って作れる「なんちゃって中華料理」として考案されたものらしい。シャーレンは、中国人である故に、また、女性でありながらカーレーサーに憧れる故に、厳しい差別にさらされながら、なお希望を失わずに前進していく。
 インディアン(*)の少年・ホトトも興味深い。白人に父親を殺された恨みを抱いても、復讐の対象を無差別に拡大せず、手がかりを元に犯人を追求する。その理性的な態度に感心させられる。気候や動植物に詳しく、子供でありながら、レースでは的確なアドバイザーとしての役割を果たす。
 (*)「インディアン」は、北米中緯度地域の先住民を指す一般的な呼称(本アニメでは使用されない)。これは蔑称だとして「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」と言い換える人もいる。ただし、インディアン自身は必ずしも否定的ではなく、彼らを対象としたアンケートでは、「ネイティブ・アメリカン」よりも「インディアン」を支持する割合が高いそうだ。
 メキシコ系とおぼしきアウトローのバッド兄弟は、いかつい外見とは裏腹に決して悪人ではない。こうしたメキシコ系アウトローは、国家間の領土争いに翻弄された住民の子孫かもしれない。19世紀半ば、アメリカは政情が不安定なメキシコに戦争を仕掛け、南カリフォルニアなどの領土を強奪した(米墨戦争)。アメリカ人は黒歴史として封印しているが、領土の3割を失ったメキシコの人々は忘れていない。

【最先端技術としてのガソリン自動車】
 本作のメインプロットとなるのがアメリカ大陸横断自動車レースで、多くの史実を織り込んでいる。
 1894年にフランスのパリ-ルーアン間で開催された世界初の自動車レースで1着になったのは蒸気自動車だったが、ガソリン自動車を売り込みたいメーカーの企みが奏功したのか失格にされた。翌95年のレースでは、ガソリン、蒸気、電気を利用する自動車が参加し、結果的には、完走した車両の大半がガソリン車だった。1900年前後、町中ではまだ蒸気自動車が多く走っていたものの、レースではガソリン自動車の優位が確実になったという(もっとも、当時の最高速度はせいぜい時速20~30キロ程度だったが)。
 アメリカでは、95年に初の自動車レースが開催され、フォードモーターズが設立された1903年頃から自動車産業が飛躍的に発展した。アニメで描かれたのは、この頃の状況である。アメリカから(グレートモーターズを略した)GMやアイアンモーターズが、ヨーロッパから(BMWならぬ)BNWがレースに参加し、大手自動車メーカーの威信をかけて争った。
 時代遅れになりつつある蒸気自動車で参戦するのが、日本の天才技術者・天晴だという設定にも心惹かれる。時代の波に乗って突っ走ろうとするアメリカを、旧式の技術を最高度に磨き上げることで日本が追い上げる。欧米の後追いに終始した過去百年の軌道を修正し、職人芸を重んじる本来の日本らしさを取り戻そうとする心意気が、時代設定を超越して見る者の心に訴えかける。
 天晴が設計・製造した天晴号は、いかにも無骨でスマートさはないが、ジュール・ヴェルヌの天真爛漫な技術賛歌を感じさせて楽しい。堂々たるスチームパンクの美学だ。『屍者の帝国』や『甲鉄城のカバネリ』などのメカと比較してみたくなる。ちなみに、作中で示される天晴の愛読書は、ヴェルヌの『月世界旅行』。
 天晴号が豊かな想像力の産物なのに対して、エンジニアたちによる整備のシーンでは、自負心に貫かれた内面がきちんと描写される。第3話でシャーレンがレーサーへの夢をかけて勝負を挑んだエピソードのラスト、彼らが示したエンジニア魂に胸が熱くなった。

【主役コンビのキャラクター】
 主人公の天晴は、いつも技術のことで頭がいっぱいで、人付き合いは壊滅的に下手。難問を解く際に数式のイメージが現れるところは、福山雅治が主役を演じたテレビドラマ『ガリレオ』を思い出させる。天才性を象徴する顔の隈取りや背中の綱は、キャラクター原案を担当したアントンシクのアイデアだそうで、見事に効いている。
 一方、明治の世になっても侍の気概を失わない小雨は、外見に似合わず気配りできる常識人だが、時に異常なまでのひたむきさを見せる。天晴と小雨のような天才と常識人の組み合わせは、ホームズとワトソンをはじめ、さまざまなドラマを彩ってきた最高のコンビであり、二人の友情は、恋愛模様がほとんど描かれない本作にあって、数少ない華となる(BLではありません。念のため)。

【企画の変遷】
 ほとんど信じがたいことだが、橋本昌和(監督・シリーズ構成・ストーリー原案)によると、当初の企画では「近未来の大陸横断ゴルフ大会」という実につまらなさそうな話だったとか(dアニメストア 「橋本昌和 監督 dアニメストア独占インタビュー」より)。アニメでゴルフを取り上げても、人間によるショットと最終的にボールが停止する状況を、明瞭な因果関係で結びつけて描き出すことができない。結果的に、視聴者のエモーションを掻き立てることのない、平板な映像になってしまう。幸い、ストーリーを詰める段階でスタッフを集めてゴルフの打ちっぱなしに行ったとき、「この楽しさをアニメで伝えられるだろうか?」と感じプロットを変更したそうだ。ただし、「アメリカ大陸を横断する競技」という設定を残すことで、多民族が混在するワイルドで広大なアメリカのイメージが巧みに生かされた。
 このインタビューでは触れられていないが、おそらく、初期の自動車レースで蒸気自動車が活躍したという話をどこかで耳にし、作品のベースとして取り入れたのだろう。
 こうしたアニメを見ると、作品を成功させる鍵が、中心的な作家のイマジネーションにあることが明らかになる。橋本昌和によって「アメリカ+自動車+天才と常識人」という明確なラインが示され、スタッフ全員が同じ方向を目指して前向きに作業している。アニメとは共同作業を通じて作り上げる芸術であり、それだけに中心線がきっちりと示されることが重要なのである。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7

71.0 3 アウトローで相棒なアニメランキング3位
スペースコブラ(TVアニメ動画)

1982年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (156)
655人が棚に入れました
戦いの記憶を消し、平凡なサラリーマンに身をやつしていたコブラだったが、アクシデントに巻き込まれたことをきっかけに再び冒険のスリルを求めて宇宙へと旅立つ。折りしも悪の組織ギルドが謎のイレズミを背負った三姉妹捜しに躍起になっていた頃、コブラはそのひとりジェーンと知り合う…。

声優・キャラクター
野沢那智、榊原良子、藤田淑子、小林清志、高島雅羅、加藤精三、内海賢二

kororin さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

「漢」のカッコイイ魅力が詰まった奴。その名は「コブラ」

天地人さんのメッセで思い出したので二言・三言。

スペースアドベンチャーでスペースファンタジーでスペースオペラ。
人生に退屈していたしがないサラリーマン「ジョンソン」。口と態度の悪いメイドロボット「ベン」の勧めで、好きな夢が見られる流行りのアミューズメント「トリップムービー(所謂トータル・リコール)」へ行ったところ大脳神経が刺激され、実は自分は宇宙海賊ギルドの追撃を逃れる為、顔を整形・記憶を消した一匹狼のアウトロー「コブラ」であった事を思い出す。
常に身の危険が伴う生活から逃れる為に普通の人生を歩んでいたはずなのに、心のどこかでスリルを求めていた自分に気付くコブラ。こうして再びコブラの伝説が始まる・・・

正統派宇宙海賊コブラ。記憶を消す前は端整な顔立ちで、ロン毛は常に顔半分を隠しており松本零士先生の海賊とチョット被ってたりする。
復活してからは整形したままのモジャモジャ金髪(天パー?)に団子鼻と三枚目風(顔のモデルはフランスの俳優ジャン=ポール・ベルモンド)、ガッシリした体格に豊かすぎる表情と体全体で表現するオーバーリアクション・常に軽い口調で喋っている様は正に「アメリカンヤンキー」。
銀河パトロールトヤリあったり、極悪非道な海賊ギルドの誘いを断った為に追われたり、銀河の美女とロマンスがあったり、気に入ったものは強奪したりと、某「三世」とかなり似たところがありますね。原作者の寺沢武一先生もイメージはクリント・イーストウッドと言われておられたそうです。
ですのでキャスティングも当然、故・山田康雄さんがされると当時誰もが思ってたはずでしたが皆さん周知の諸事情により故・野沢那智さんがコブラ役に。(流暢なしゃべくり声優としてコレはコレで良かったです)
PCゲーム版では山田さんがコブラをされてたそうですが、本放送時のCMでコブラの液晶ゲームでもされておられたのは、あまり知られていないのかな?

赤い半袖のピッタリスーツに赤のブーツ。常に葉巻を咥え、ストックはブーツの裏に。スタイルに拘るせいか小型爆弾・携帯酸素ボンベ・小型ライト等はみんな「葉巻型」というのはちょっとしたスパイグッズ。
美人と見るや、すぐナンパしようとする軽い奴と思いきや身体能力は高く、握力500㎏に100mを5秒フラットで走破、「俺がオリンピックに出たら金メダルでオセロができちまうぜ」と豪語。
そして何よりも打たれ強いタフさ。どんなに殴られようが、死んでしまう程ボコられようが立ち上がり「へへ、今のがあんたの本気だってのかい?俺はまたカワイコちゃんにキスされたと思ったぜ」と顔面傷痍で強がる余裕。不死身と噂される所以がコレ。
トレードマークとも言える左腕のサイコガン。コブラの精神エネルギーを熱線変換して撃つのでカートリッジが要らないのが便利。しかも相手の気配を察知して当てるらしく弾道が曲がる曲がる。普段は義手カバーに収まっているのですが「どんな原理で指が動くんだ?」とつまらない考えをよくしたものです。
(下卑た話になりますが、サイコガンをバンバン撃ちまくるコブラ。尽きる事ない精神力。精神…精し…せい…コブラは「絶倫か」!、と勝手に妄想して羨ましく思ったこともありました)
手塚治虫先生を師と仰ぐ寺沢先生。コブラのサイコガンは手塚先生の「どろろ」の「百鬼丸(両腕の仕込み刀)」が元ネタかもしれませんね。

浮世に縛られないアウトローでニヤけたお調子者と思いきや義理と友情を重んじ(そのせいか仲間は多く顔は広い)、敵対すれば女性といえど容赦なく撃ち倒し、子供は好きではないけれど関わってしまえば守ろうとする優しさがあったり、
強く逞しく、サイコガン以外に骨董品並の実弾銃パイソン77マグナムを使いこないし、寺沢先生独特の「半ケツ」美女との関わりが絶対あったり、未知の世界の冒険や海賊ギルドとに狙われる緊張とスリル。いつも余裕のジョークを言ってたりと、もう男の憧れがテンコ盛り。

犯罪シンジケート・海賊ギルドの「ギルド」という語源。今やオンラインRPGでよく使われますが、中高生のお利口さんならご存知の通り、中世欧州の商工業者の独占的、排他的な同業者組合のこと。
「海賊で組合って・・・」なんて思って失笑したりもしてたなぁ。

アニメは「宝島」「あしたのジョー2」で注目されてた故・出崎統(演出・絵コンテ)&杉野昭夫(作画・キャラデザ)コンビ。
後の劇画ドラマ風「ブラックジャック」もイイ感じでした。
粗い線なのにダイナミックな動きの動画。スローなのにスピード感のある演出。30分の放送枠でテンポが速くて心地いい展開。
2000年代にOVA・TVシリーズが出ましたが、絵は丁寧でキレイなんですけど迫力がチョット欠けるので好みとしてはこの1982・3年TV版が好きです。
故・前野曜子さんのOP・EDも雰囲気良かったです。OPはハードボイルドっぽいようなアドベンチャーっぽいような。EDは一息ついたくつろぎ感が。

あれ、二言・三言のつもりが結構長くなっちゃった。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

「ひろ。」 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

このカッコよさは唯一無二!。

ぴあ様発売のCOMPLETE DVD BOOK・計3巻で数十年?ぶりに再視聴しました。
DVDなので画質心配してましたが、あしたのジョーの同シリーズ同様
素晴らしい画質で視聴中は全く気にならず、夢中で最後まで視聴できました^^。


この時代の出崎さんが関わられた作品群の作画
とくに人物作画、突出して素晴らしすぎますね!!!。

スペースコブラ、あしたのジョー、エースをねらえ!。
どれもキャラデザインや作画等が一貫して共通しているように思えるのですが
どなたが手掛けられているのでしょうか?。
勉強不足で無知なのですが、気になって仕方ありません^^。

すごく骨太な作画。
でもどのキャラも目から生気、色気、信念みたいなものまで感じられる。

原作マンガ(未見)も少し覗いてみましたが
アニメ化にあたってのブラッシュアップが素晴らしいですね!!。


そして担当された豪華声優陣様方^^。

野沢那智さんの圧倒的な存在感!!。
遊びゴコロ、余裕、いい意味でのいい加減さ、色気。
とにかくカッコよすぎます!!!。

さらに脇を固める榊原さん、小林さん他、
特定話数だけのゲスト出演声優様方も
当時はまったくわからなかったけど
今回の再視聴ではココロが震えました^^。


TVシリーズでは、特に序盤の爆発力がすさまじかったですね!!。
3姉妹とクリスタルボーイで一気に惹きつけられ
○○兵器のところなんか、他の作品だったら最終回でしょw。あんなの。
惜しげもなく序盤にあんな話ブっ込んでくれるの最高でした!。
○○兵器を当時視聴したときの強烈なインパクトが、今現在も胸に刻まれたままですw。


振り返って再度見てみると
いろんな洋画作品等のテイストなんかがふんだんに盛り込まれてますね。
スターウォーズやインディージョーンズ等
かと思えばルパンのようなテイストも感じる。


コブラというキャラクターは
その存在感、行動、性格、男くささ、声の演技等
どれをとっても
今後、そうそう出てくることはない
唯一無二の存在だと思えます!。

音楽も最高に素晴らしかったです♪。
 
 

投稿 : 2024/06/01
♥ : 9

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

いわゆる「アメコミ」

少年ジャンプにおける銀魂やシティーハンター、北斗の拳などのいわゆる劇画路線の開祖である。その前にもいろいろ劇画はあるが「アメコミ」や「バンドデシネ」を意識した画面作りは「コブラ」のヒットから始まっている。

バンドデシネ作家のエンキビラル、メビウスやアメコミ,SF作家のフランクフラゼッタ、ボリス・ヴァレホなどの絵と酷似している。。。。だけでなく、ヘビーメタルやロックに詳しい人なら知っていると思うが、70年代から80年代にかけてのバンド系のレコードの表紙は必ずと言っていいほどSFやファンタジーのオタク的なイラストがそのまま使われている。

と、言うのも。。。だいたい有名どころのロックシンガーは実はかなりのSF、ファンタジーファンであり小説やらパルプ雑誌を読みふけりながら葉っぱと酒と女にラリっているというとんでもない人が多い。リア充なんだかオタクなんだかわけわからないが、海外のファンは日本と違ってオープンであり、ギークやナードはどちらかといえば小心者を指す言葉になっている。

そういったカウンターカルチャーと呼ばれる文化は日本にも波及し、80年代を席巻した。音楽にしろ、漫画にしろこの頃の作品はやたらとアメコミ調で、世界は荒廃しており、男は皆モヒカンで世紀末な格好で、女はビキニアーマーを着ている半裸のねーちゃんなのである。

寺沢武一先生は、これに関して「私はバーバレラ(フランスの60年代エロティックSF漫画及び映画)から影響を受けた」と言ってたらしいが、確かにそれは出発点ではあるものの、全体的には当時のフランスSF漫画雑誌メタルユルラン(英題:ヘビーメタル)調であり影響受けてないはずがないのである。北条司や荒木飛呂彦、三浦建太郎、原哲夫。。。挙げたらキリがなくなるくらい影響を受けている。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

58.8 4 アウトローで相棒なアニメランキング4位
コヨーテ ラグタイムショー(TVアニメ動画)

2006年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (64)
307人が棚に入れました
人類が外宇宙にまで進出し、己の運と腕だけで一攫千金を夢見るコヨーテと呼ばれる無法者達がしのぎを削る、宇宙開拓の時代。銀河統合政府と植民地解放軍の間で戦争が続く惑星グレイスランドには、伝説の海賊王ブルースが遺した100億宇宙ドルが眠っていると噂されていた。コヨーテならばその名を知らぬ者はいないと言われている、通称ミスターとその仲間達は、ブルースの娘である少女フランカと共にブルースの遺産の回収に挑んだ。犯罪集団クリミナルギルドのマルチアーノ率いる殺し屋集団も、ブルースの遺産を狙って動き出す。しかし、統合政府は戦争を終結させる為、グレイスランドに光子爆弾を投下すると宣言。

声優・キャラクター
大塚明夫、広橋涼、堀内賢雄、関智一、湯屋敦子、下屋則子、沢海陽子

rurube さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

アニメ史上屈指のシーンがある。

アニメ作品において数字が付く組織・異名は多い。
1 ゴルゴ13    一人の軍隊
2 パトレイバー   特車2科
3 機動戦士ガンダム 黒い三連星
4 セーラームーン  外部太陽系四戦士
5 北斗の拳     南斗五車星
6 マシンロボ    デビルサターン6
7 銀河英雄伝説   獅子の泉の七元師
8 エイトマン    エイトマン
9 甲殻機動隊    公安9課
10ジャイアントロボ 十傑衆
11ガオガイガーFINAL  ソール11遊星主
12コヨーテラグタイムショー マルチアーノ12姉妹

マルチアーノ12姉妹の登場シーンはアニメ史屈指の名シーンだと個人的には思っている。しかも一話目なのもポイントが高い。
全体としてむかつくキャラ達のどうでも良い会話から刑務所の上空から12姉妹が円になって降下してくるシーン。音楽もカメラワークも12姉妹の動きも全て神がかっている。円になって降下してきていたはずの12姉妹が次のシーンでは横一列になって胸に手を置いて祈っている。普通に考えたらありえないはずなんだけどこれぞアニメ。圧倒されるから小さい事はどうでも良いと思わせる程のスタイルッシュさ。
どこか良いシーンがあるとそこまで悪く言わないのが個人的なスタンスなのと実際にこのシーンはまず観て損は無い。
実際に全体的に面白い作品より何処かで燃え尽きている作品の方が評価高いべきだと個人的には思っている。ただ面白い作品て記憶に残らないから。
観た事ない人はこのシーン20秒ぐらいだから是非観て欲しい。
1話目の後半2分目位から。ついでにニコニコ動画には登場シーンだけの動画がある。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 8

ネロラッシュ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

ufotable版カウボーイビバップ

このアニメは簡単に言えばufotable版カウボーイビバップでしょう。

ufotable代表近藤光氏がプロデュース、構成、脚本、作詞ともう自分の好きな事をこれでもか!と盛り込んでいるのが伝わってくるというか。

コヨーテと呼ばれるならず者集団のベースは特攻野郎Aチーム。
主役のミスターはハンニバルのまんま。
ビショップとカタナはなんとなく白バイ野郎ジョン&パンチの雰囲気もある。
ブルースの最初の子分のスワンプはブルース・ブラザースで牧師役だったジェームズ・ブラウンだろう。

キャラデザは平井久司氏風でCV広橋涼ちゃんのフランカはめちゃくちゃかわいい。

1話のインパクトは特にすごくて、俺たちは天使じゃないも醸し出しつつ、ナウシカのオームかよ!?
マルチアーノ12姉妹なる殺し屋集団の登場場面は、フタコイオルタナティブのOPだよな(笑)
女性捜査官アンジェリカの補佐役のチェルシィのちょっと間が抜けた感じはR.O.D 大英図書館のウェンディだよ(笑)

銀河統合政府と植民地解放軍の間で戦争が続く惑星に隠された遺産を巡っての三つ巴の追跡劇は、途中ちょい緩い回もあったけどそれほど気にならなかったし、ミスターとアンジェリカの追いつ、追われつだけではなく、カリ城のクラリス状態。やつはとんでもない物を盗んでいった。貴方の…
自分好みの内容だったので文句無しです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 1

2010sw さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

大塚明夫ショー

自分の車のナビは、こんな風にナビる。
”おい! グズグズしてると敵に発見されるぞ!!”
大塚明夫の声だ。
高まるキンチョー感とアドレナリン。
一体誰と戦っているんだ??
どこなんだここは!?

ほどなく認識する。
大塚明夫ワールドじゃないか!!。
同じ感覚である。

この作品は、コヨーテラグタイムショーと銘打っているが、
正しい読み方は オオツカアキオショー だろう。
まさに一部の隙も、そう敵に発見されることも無く
嵌りに嵌ったアキオdeショー。

ファンの人は当然ご存じと思うが
大塚明夫に興味を持った人は、一見おススメ。
そうだよな、ブルース。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 0
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