親子でファンタジーなアニメ映画ランキング 8

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の親子でファンタジーな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2025年01月04日の時点で一番の親子でファンタジーなアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

70.7 1 親子でファンタジーなアニメランキング1位
ONE PIECE FILM RED(アニメ映画)

2022年8月6日
★★★★☆ 3.8 (112)
416人が棚に入れました
世界で最も愛されている歌手、ウタ。素性を隠したまま発信するその歌声は“別次元”と評されていた。そんな彼女が初めて公の前に姿を現すライブが開催される。色めき立つ海賊たち、目を光らせる海軍、そして何も知らずにただ彼女の歌声を楽しみにきたルフィ率いる麦わらの一味、ありとあらゆるウタファンが会場を埋め尽くす中、今まさに全世界待望の歌声が響き渡ろうとしていた。物語は、彼女が“シャンクスの娘”という衝撃の事実から動き出す。「世界を歌で幸せにしたい」とただ願い、ステージに立つウタ。ウタの過去を知る謎の人物・ゴードン、そして垣間見えるシャンクスの影。音楽の島・エレジアで再会したルフィとウタの出会いは12年前のフーシャ村へと遡る。
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

父として娘として

賛否両論ある劇場版ですね。

ワンピースのアニメって結構引き伸ばしが多いのです。
原作の1ページや数コマを30分で引き伸ばしたりなど、そうした点を見ると劇場版はそうしたのがなくサクサク進むのでワンピースの劇場版って結構好きです。

因みに、この劇場版は……現在のワンピースがワノ国編を最後に最終章に入ります。
その切り替え時期であり、原作でも謎が多いシャンクスがピックアップされてる事で物語の伏線になっているかもしれないって意見も多く重要な劇場版との噂ですね。

さて、今回の映画は……前回のスタンピードに比べると勢いや戦闘シーンや出演キャラに劣る今作では、海軍の3大将にビッグマム海賊団にCP0、ローやバルトロメオやコビーなども登場します。

アドの歌が話題を呼んでいる作品ですが、歌は個人的にはあまり……これは正直、ファンの方やこうした演出が好きな方には受けるかもしれません。

でも、私は普段アニソンを聴くか、サムネを見て貰えたら解る通りナナニジの曲とか聞いていているだけなんで、私には曲は刺さらなかったですね。
ファンの方、ごめんなさい(><)*。

ライブシーンもよくは動いてました。
しかし、これも好みで普通にアイドルアニメのライブの方が好きかな?

後、今回はワンピースに何を求めるかで評価事態が大きく左右する気がします。
全体的な印象としてはワンピースらしくはない気がします。

しかし、今回は考えさせられた部分や感動する部分もあり感情移入をしてしまう。
物語は凄く刺さりました。
ワンピースらしくはないけど、親子がテーマの1つであり私には新鮮でした。

劇場版のキーキャラのシャンクスの娘のウタ
彼女のポジションに驚いたのです。
{netabare} まさかのルフィ達に対立する立場として出て来ます。 {/netabare}

{netabare} 今作には敵と言うのが明確に存在しません。まっ、敵と言うなら魔王?
ウタも敵のような演出なんですが、中々憎めないキャラでした。{/netabare}

海賊に居場所や家族を奪われたり、海軍にも助けて貰えない民間人達が幸せを感じられるのがウタの歌です。
彼女の歌に心を救われた民間人達は、やがて彼女に依存してしまう。

{netabare} そんな彼女が沢山の人の救いに答えようと取った手段が彼女の能力世界に自分の歌を聞いてくれる人達を閉じ込めて何不自由ない平和な夢世界で幸せに生きてもらうと言う選択肢でした。

民間人が平和な世界を望んだから!
仕事や勉強をしないで生きれる世界を望んだから!
何不自由ない世界を望んだから!
彼女の歌をずっと聞いていたいと望んだから!{/netabare}

彼女は……気持ちに答えたかった。
でも、それを知った民間人は「帰りたい」と言う……あれだけ嫌がって居た現実世界に!

ウタはまた悩んでしまう。
{netabare} だから何も考えないでいいように更に楽しくなればと!
民間人を夢世界でお菓子や人形に変えてしまう。{/netabare}

私も思います。
自分達が望んで後から現実世界に帰りたいなんて勝手過ぎるって…
皆が望んだから力になってあげたかったのに……

でも、違う……
確かに平和な世界で争いもなくて病気もしない世界で一生遊んで暮らせるのは素敵だし幸せの1つだと思う。

けど、{netabare} ウタがした事はただの幸せの押し付けです。
自分の思う幸せに沢山の人を閉じ込めて守ってあげるよって幸せを押し付けて…… {/netabare}
もぅ……それは幸せじゃないよ。
{netabare} 幸せは押し付けたり押し付けられたりするもんじゃないもの…… {/netabare}

{netabare} 現実世界のウタが眠ってしまうと能力がリセットされ夢世界から民間人が現実世界に戻ってしまう。
皆の幸せを守る為に、現実世界のウタはネズキノコと言う眠れなくなるキノコを1人で食べるだけの日々を送ってました。{/netabare}

睡眠をしない彼女は近々死んでしまう……
{netabare} でも、彼女は死んでもいいと考えてます。
何故なら彼女が死んだら夢世界は永遠にキープされ全員が夢世界で一生暮らせるから。{/netabare}

私には彼女が{netabare} 死を覚悟してまでも誰かの幸せを守ろうと1人寂しそうにキノコを食べる姿に心が締め付けられました。{/netabare}
こんなにいい子なのに道を間違えてしまった……きっと彼女は優し過ぎたのだ……
だから、私はウタに同情してしまいました。
きっとこの子も被害者なんだ……

彼女はシャンクスに捨てられた過去がありました。
その理由はシャンクスが親だから選んだ選択肢でした。
大人は子供に事情を知らせないで勝手な事をする。
子供の為に例え恨まれようが、嫌われようが……

子供の頃は私にはそれが解らなかった。
多分、子供の私が見たら大人は勝手だ!何も説明しないで子供の為だとか言う言葉で蓋をして!
子供だって真実を知りたいし理解したいし納得したいんだって……力になりたいって。

でも、少し大人になった私には解る。
子供の気持ちは解る。
大人だって昔は子供だから……
それがわかった上でも知らなくていいんだ。
子供に悩んで欲しくないし心配かけたくないんだ。
不安も心配も悩みも抱えなくていいんだよ。
そんなものは成長すと嫌でも悩んでしまう日がくるから、その時までは、元気に楽しく遊んで欲しいって思う。
その方が楽しいでしょう?って

だから、シャンクスも{netabare} ウタに事実を隠して自分が憎まれ役になりながら元気に歌っていて欲しい。
いつか海の上で元気な彼女の歌声を聞くのを楽しみにして選んだ選択肢なんだと思いました。{/netabare}
親だから大切な子供だから別れたのだと。

ルフィはウタの友達で幼なじみ。
{netabare} でも、ルフィは最後までウタを攻撃する事はしませんでした。
「戦う理由がねぇ」彼のセリフですが、ルフィは解っていたのでしょうね。
ウタが間違えた方向に進んでいる理由も彼女が誰よりも優しい人間だと言う事を。{/netabare}

そして、ついにウタの前現れたシャンクス。
{netabare} でも、彼はシャンクスや赤髪海賊団はウタを攻撃しません。
ウタは現実世界の民間人の身体を使い赤髪海賊団に攻撃させますが、シャンクス達は何もしません。
攻撃も防御もせずにひたすら殴られ続ける。

多分、それは痛くないからです。
シャンクス達のした事って大人としては正しいと思います。 {/netabare}

しかし、親としては間違えだと思います。

{netabare} 例え子供の為でも、そこにどれだけ正当な理由があろうと、ウタを子供を置いていくなんてやってはいけない事です。
そうする事で本当に傷ついたのはウタでした。
ウタの心の傷に比べたらどれだけ痛くないか……彼女の心の傷は……痛みや悲しみや寂しさや辛さの方がどれだけ痛いだろうか?{/netabare}

多分、シャンクス達はそれが解るから親として当然の報いである思っているのかもしれません。
ウタも1年後にはシャンクス達の秘密に気づいていたみたいですが、それでもシャンクス達を許せなかったのでしょうね。
だから、シャンクス達は少しでも気が済めばと考えたのかもです。

{netabare} そんな中、海軍が一般人に発砲します。
ウタは夢世界では最強ですが、現実世界では血が流れすぎない様に泣きながら両手で止血するしか出来なくて……
夢世界でも発砲シーンはありましたが、それは直ぐに直せてたけど {/netabare}
やっぱりウタの現実世界の姿を見たら、この子は本当に優しい子なんだと感じました。

赤髪海賊団の{netabare} 「大事な娘の大切な人達を奪わせない」 {/netabare}ってカッコイイ理由だなぁ〜と思いました。

そうして、ウタの歌声によりトットムジカ……
{netabare} 魔王が降臨。
魔王はかなり巨大でしたね。
デザインはなんか……変な人形みたいな感じで魔王感はありませんねww {/netabare}

しかし、この巨体に総力戦で当たります。
巨体だとアニメだとスリラーバークのオーズ以来かな?
あれよりもかなり迫力ありましたね。

アニメでは過去にない連携ですね。
作戦組んで指示通りに攻撃はなんかワンピースの戦闘の中では新鮮味がある気がしました。

今回はシャンクスとウタの親子の絆もそうでしたが、もぅ1組…… {netabare} ウソップとヤソップですね。
この親子共演は初ではないでしょうか?
最初は指示出しがウソップが若干遅れ気味でしたが、段々とタイミングが重なり始めるのに親子の力を感じました。 {/netabare}

最後のルフィの攻撃とシャンクスの攻撃。
シャンクスは父として、ルフィは友達として……
私はこの作品を見るまで、もしも誰かが道を謝れば止めるものだと思っていました。

だから、最初はルフィもウタを止めるために説得していたしシャンクスも娘を止める為に来たのだと思っていました。

しかし、止める、では50点です。
{netabare} 「娘を救いに来た」{/netabare}とシャンクスが言ってました。

間違えた時に止めるだけでは意味がない。
{netabare} 救う事に意味があるのだと。{/netabare}
止めると間違えた道は進まなくなるけどそれだけ……

{netabare}救う事が出来るなら別の道へシフトさせてあげられる。
苦しんで悲しんで選んだ道ならそうした事から救い出すのが、家族であり友達ではないでしょうか?{/netabare}

だから、ルフィは{netabare} 友を救うために{/netabare}
シャンクスは{netabare} 娘を救う{/netabare}為に
一撃を放つ。

シャンクスはウタに薬を渡す。
{netabare} それを飲めば眠りにつきウタは死ななくてすむ。夢世界の皆も帰ってこられる……でも、夢世界に心が囚われているとウタが寝ても能力がリセットされずに皆が出られなくなります。
{/netabare}

シャンクスは多分…… {netabare} それでも薬を飲んで生きて居て欲しかったと思います。
やっぱり血の繋がりはなくても父親であり娘だから生きて欲しいって…… {/netabare}

でも、ウタは歌いたいと言う

皆を現実に呼び戻す歌を……
{netabare} 自分の命よりも皆を優先してあげられる。
夢世界が皆の幸せだと勘違いした彼女の姿はどこにもなくて…… {/netabare}

争いばかりで平和な世界じゃなくても、悩みながら苦しみながら時には道を踏み外して、泣きたくても泣けない事もあれば、泣くしか出来ない様な、今日もどこかで泣いたり命を落としたりする様な救いようのない世界にも、幸せはあって……
そんな世界だから幸せを強く感じたり出来るのかもしれませんね。

だから、彼女は歌う。
{netabare} その決意にシャンクスは何も言わない。
娘の決意を尊重する姿も親として姿を感じる事が出来ました。{/netabare}

歌の後に海軍がウタの引渡しを要求してくる。
{netabare} シャンクスは娘を守る為に覇気で海軍大将以外を気絶させるし、黄猿や藤虎もビビるらせるレベルでした。
戦わずして勝つ!とはまさにこの事ですね。{/netabare}

ウタは争いを嫌うから…… {netabare} シャンクス達からは仕掛けないけど、ウタを連れていくなら容赦はしない。{/netabare}
シャンクスらしい決意ではないでしょうか?

最後は……多分、ウタは…………

EDは止め絵でしたが{netabare} 懐かしい場所やキャラが沢山出ていたし、ウタの歌がどれだけの世界の人に聞かれて居るのかが良く伝わるEDで{/netabare}よかったですね。

最後まで見ると誰も本当は悪い人なんていなくて……
守りたい者の為にそれぞれが戦ったのだと感じました。

今回のテーマは「親子」「幸せ」ではないでしょうか?
親子の絆の強さや形、誰かにとっての幸せとは?など沢山沢山考えた作品でした。

ワンピースは人気作品で感動の名シーンも多いと聞きます。
でも、私はワンピースで良い話だなぁ〜くらいの感じは経験ありますが、感情移入や泣きそうになる事はありませんでした。
多分、ファンの方がキレてしまう発言でしょうね。(このレビュー1つで私色々なファン層の方に怒られそう……ごめんなさい)

しかし、私はそれくらいに今作は感動するものがあったと思います。
正直、最初はあまり期待してませんでした。
スタンピード程の人気キャラのオールスターでもないし注目はシャンクスくらいでキャラが全体的に弱いと思ってましたので、しかし見終わってここまでの物語に仕上げて来たのかと関心でビックリしてしまいましたw

また、見たくなる様な話でしたね。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 10
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

海賊アニメとしても音楽アニメとしても異色

【まえがき】
ひとり語り多めの長文なので折りたたみw
{netabare}『ONE PIECE』は私にとってはハマる要素が多いはずなのに何故か入り込めない不思議なコンテンツ。
原作未読。劇場版鑑賞は本作が初めて。TVアニメも10年以上観ていないはず。

私は『パイレーツ・オブ・カリビアン』全作観る程度には海賊好きですし、
昔、観たエピソードも弱きを助け強きを挫く王道で、感動的だとも思いました。
が、キャラデザが合わないのか、
にしても涙腺脆すぎでしょ?啼泣だけが泣きじゃない。との感性の違いなのか。
観てはハマり切れずを繰り返す内に、自分は『ワンピ』とは縁が無いのだろうと距離を取っていた感じ。

だから私も最初はAdoさんが歌唱した本作の主題歌を耳にしても「うっせぇわ」って感じで聞き流していたのですが、
聞いている内に段々とウタに洗脳され、この歌かっこいいな♪となり、
脳内でヘビロテする中毒症状が現れたので、
Dolby Atmosでこじらせてみようと劇場に飛び込んだ次第。

尚、一部で、ウタの歌ばっかしで物語がおざなり。
タイトルや事前情報から、シャンクスが掘り下げられると期待したのに裏切られた。
といった雑音も耳に入った上で、ウタのライブに行くつもりで挑めばいいんでしょ?
と天邪鬼に天邪鬼で返す、捻くれた姿勢での鑑賞となっているのでご容赦下さいw{/netabare}


【物語 3.5点】
監督には谷口 悟朗氏を三顧の礼で迎える。

海賊作品としては異色。
原作者の「伝説のジジィ描くのに疲れちゃった」との意向を汲み(←おいおいw)
ヒロインおよび敵役でルフィの幼なじみの歌姫少女が「ルフィ、海賊やめなよ」と、
“大海賊時代”を否定する“新時代”の理想を語ってくる異例のシナリオが展開。

ベクトルの違うウタの能力には、
作品世界の序列やセオリーをリセットするシナリオ効果があり、
従来の能力インフレ下では出番無さそうなキャラにもワンチャンあり。
オールスター企画との相性は良好だった印象。


音楽アニメとしても異色。
通常、音楽で押す作品を観たら、やっぱり音楽っていいな~♪となる単純な私ですが、本作の場合は
{netabare}大海賊時代で疲弊した一般市民の想いを代弁したウタが、歌の力により、
ライブで感じる幸せが永久に続く、ウタウタの精神世界に人々を連れ去ろうとする攻防。{/netabare}
というプロット。
私もライブ会場からの帰り道、これ終わったら現実に戻るのか……と抱いた寂しさを思い出してみたり。
近年、動画配信等で、面倒なリアル社会との関わりを飛ばしてアーティストが才能をダイレクトに世界に広める良い時代になったなぁ~と思っていましたが、それも度が過ぎると考え物だなと思い直してみたり。
こんな苦い余韻が残る音楽アニメはチョット記憶にありませんw


構成は冒頭いきなりウタのライブ→寸劇→ライブと続く。確かに歌の猛攻w
ただライブばかりで物語が削られているというのは少し感覚が違うと思いました。
ウタの歌はウタウタの実の能力であり、ライブシーンは言わば戦闘エフェクト。
アクションアニメで技が飛び交うのは自然な成り行き。
『マクロス』でも視聴する感じで挑めば折り合えると思われます。

とは言え、キャラめっちゃ多いな~と思ったのも事実(苦笑)
どちらかと言えば、ウタも含めたキャラたちの能力描写に物語の尺が食われる、
お祭り作品あるあるな感覚の方がシックリくるかと。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・東映アニメーション

ライブ空間を再現した劇場体験には臨場感があり、
鑑賞者もウタウタの世界へと誘う引力があります。

それ以上に、本作は現実とウタウタ双方の世界にまたがるファイナルバトルの作画は、360°法則無視。
諸々の境界が溶けて行くようなフリーダムな作風。
これなら、{netabare}ルフィがシャンクスに再会したら麦わら帽子を返してシリーズが完結してしまう
というジレンマも越えて“共闘”も可能ですw{/netabare}


【キャラ 3.5点】
今回はシャンクスより“娘”のウタの話と開き直るのは良いのですが、
ウタの物語として見ても、シャンクスの掘り下げ不足と感じます。

(※核心的ネタバレ){netabare}ウタを傷付けないために真実を隠し罪を被ったという点。
ゴードンは真実を告げる勇気がなかった大人の弱さとしても、{/netabare}
シャンクスはそこまで弱い海賊なのかな?という疑問が残りました。
この辺りについてはルフィの幼馴染としてのウタより、
“シャンクスの娘”としてのウタの描写により力を入れることで、
シャンクスの“父性”の詳述から、彼の言動の真意を理解することで、納得したかったです。
具体的には20歳のシャンクスおよび赤髪海賊団にウタが愛されていく過程がもっと欲しかったです。


【声優 4.0点】
ヒロイン・ウタ役は名塚 佳織/Adoの演者と歌い手の分担。
クセのある歌い手にいたずらっぽい声質で合わせる名塚さんの対応力が光る。
ルフィに対する「でたぁ、負け惜しみ~」には、
幼少期から外の世界と隔絶されて育ったウタの変わらぬ無邪気さと狂気性が混在しており印象深いです。

ウタの育ての親・ゴードン役には津田 健次郎さんを据え盤石。
脇に置くべきゲストタレントを重要キャラに起用する間違いは犯しません。


ルフィ役・田中 真弓さん、シャンクス役の池田 秀一さんなど、
他作品では、失礼ながら流石に往年のパワーはない?と感じることもあるベテラン声優陣ですが、
『ワンピ』だと元気いっぱいですね♪
大御所だからとスタッフが遠慮しないこと。作品自体にパワーがあること。
ベテランを活かす秘訣です。


【音楽 4.0点】
劇伴担当は中田 ヤスタカ氏。同氏はウタが歌う主題歌「新時代」も提供。
ウタの振り付けにはPerfumeでも組んでいるMIKIKO氏を起用し、
タッグでウタのライブシーンの“攻撃力”を磨き上げる。

ウタ歌唱担当にAdoさんと聞いた時は毒キツ過ぎない?と懸念しましたが、
鑑賞後は、天使の歌声から{netabare}魔王の召喚{/netabare}まで振れ幅の大きさをカバーするには彼女の表現力が不可欠だったと納得。
低音域の唸り声には“パンチ力”がありました。

その他、ウタの歌は、
海賊を流儀ごとねじ伏せるMrs. GREEN APPLE提供の「私は最強」
澤野 弘之氏提供の闇落ちソング「Tot Musica」などの挿入歌群。
EDは秦 基博さん提供の「風のゆくえ」で締める全7曲の豪華絢爛な“作曲村”方式。

興収狙うならフェス感があって上策なのでしょうが、
作曲村はテーマの一貫性が保てないと感じ私は正直苦手です。
(自分が中田氏が全部担当したらどうなるか聞きたいだけという説もありw)


【付記】
次『ワンピ』を観るのは何時になるかは分かりませんが、
今度はキャラを絞って伝説のじじぃに挑む無難な海賊バトル作品をチョイスしたいですw

投稿 : 2025/01/04
♥ : 13
ネタバレ

ソース さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

谷口悟朗とAdoを求めて...

自分は「ワンピース」に関して、造詣が深くない。知識は東の海編,映画数本を見たレベルである。しかし、今作が興行収入を伸ばし話題作であるという点,監督が谷口悟朗さんであるという点やAdoさんを起用しているという点など惹かれる部分が多かった為、視聴した。

結論から言うととても面白かった。自分の知識が浅いため、存じ上げないキャラも居たがさほど問題はなかった。



物語序盤はウタがめちゃくちゃ歌うので「あれ?これAdoさんのライブの映画だっけ?」と一瞬思ってしまった。自分は楽しめたが、人によってはもうここら辺で嫌になっている場合もあるのかな〜と感じる。


中盤、 {netabare} ウタの能力が判明するが、この能力がいわゆる「セカイ系」を彷彿とさせる能力であることが分かる。 {/netabare} 正直この展開には驚かされた。ワンピースでこれをやりますか〜という感じ。

自分はVery Good!!と思ったが、ワンピースガチ勢の皆さんの中にはここら辺でう〜ん...という感じになる人がいるのだろうか。

また {netabare} ウタの能力や思想が判明したときに、エヴァンゲリオンや谷口悟朗監督作品で言う所の「ガン×ソード」のカギ爪の男,「コードギアス」のラグナレクの接続 {/netabare} などが脳裏をよぎった。「監督が谷口悟朗さんだから...」と釣られて今作を見た側面がある自分からしたらニヤニヤといったところであった。

00年代に名作を多く作った谷口悟朗監督だからこそ、この展開が出来たのかしら?


そして終盤
{netabare}
・ウタとシャンクスの別れの真実
・胸熱過ぎる、現実世界とウタワールドでのシャンクス達,ルフィ達の共闘
・まどマギを彷彿とさせるトットムジカのキャラデザ(意識してたと予想する)
・「ウタは俺の娘だ。」 by シャンクス
・ウタのラストの歌唱
etc.
{/netabare}

終始激熱で、さらに思わず涙が出てしまう展開もあり...ちょっと舐めてたなと感じた。多少詰め込み気味に感じる部分もあるが、大変満足出来る作品であった。



どうやら賛否両論あるようだが、個人的には今作に何を求めているかで評価がだいぶ変わるよな気がする。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 6

87.7 2 親子でファンタジーなアニメランキング2位
千と千尋の神隠し(アニメ映画)

2001年7月20日
★★★★☆ 4.0 (1805)
12247人が棚に入れました
10歳の少女、荻野千尋(おぎの ちひろ)はごく普通の女の子。夏のある日、両親と千尋は引越し先の町に向かう途中で森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネルを見つける。嫌な予感がした千尋は両親に「帰ろう」と縋るが、両親は好奇心からトンネルの中へと足を進めてしまう。仕方なく後を追いかける千尋。

出口の先に広がっていたのは、広大な草原の丘だった。地平線の向こうには冷たい青空が広がり、地面には古い家が埋まっていて瓦屋根が並んでいる。先へ進むと、誰もいないひっそりとした町があり、そこには食欲をそそる匂いが漂っていた。匂いをたどった両親は店を見つけ、断りもなしに勝手にそこに並ぶ見たこともない料理を食べ始めてしまう。それらの料理は神々の食物であったために両親は呪いを掛けられ、豚になってしまう。一人残された千尋はこの世界で出会った謎の少年ハクの助けで、両親を助けようと決心する。

声優・キャラクター
柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、上條恒彦、小野武彦、我修院達也、はやし・こば、神木隆之介、菅原文太、玉井夕海、大泉洋
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

【リバイバル上映】千と千尋の神隠し レビュー

レビュー、最近書いてないなあ…
なんて思いながら、Youtubeをずっと見てたり、有名な最新ゲームタイトルをプレイしてみたりで過ごしていました。

幸い私の住んでいる地区は外出自粛要請も出ていないため、四連休の思い出作りに入ったショッピングモールの映画館で、6月26日からジブリのリバイバル上映がたまたまやっている事を知り、30分ほど時間を潰して入場。ここ1クール程度のアニメ作品に関してまるでレビューを書いていなかったため、インパクトのある作品で意欲を高めようという気持ちがありました。

客層は20代後半から30代あたりが多いように見えましたね。カップル率も高く、最新の映画を見るよりは懐かしいハズレでないとわかる作品を見たかったのでしょうか?
最近映画館に足を運んでいなかったので知らなかったのですが、この状況下という事もあり、予約では席は一席ずつ間隔を開けて空席にしているような状況でした。そのため、両隣には人がいないため、かなり快適な視聴でしたね。

開始1分前にもなると、二時間弱の時間を使って別の事をしながら視聴もできない映画館での視聴にノリで入っちゃったけど、途中で飽きないかなあ…なんて思っていましたが。

全然そんなことありませんでした。めっちゃ面白かった。

過去の自分のレビューも思い出しながら視聴し、雰囲気が記憶に残るなんて書いちゃったけど、どこまで論理的に詰めているんだろうなあとちょっとハラハラしながら見ていたんですが、新たに新解釈を得るところもあったし、今作品の裏話的情報を得ていたためにすることのできた新しい目線での楽しみ方。そういった事もあり一度も眠気が来ることなく脳が7、8割回転する状態でラストまで見終えられました。

まず、事前に得ていた情報で、本作品に出てくる油屋(千尋が働く場所)に特定のモデルはないという事を知っていたのですが、本作では油屋がどれだけ日本的なのか?という所に視点がいきました。
登場する神々や油屋の従業員達の身なりは、実に日本的です。例外なのは湯婆婆であり、彼女は魔女という、非常に西洋的な要素を含んでおり、最上階の湯婆婆のフロアは、西洋的な造りになっています。
なぜ日本的な要素で油屋を統一せずに湯婆婆という西洋的要素とミックスさせたのか?は気になるところではありますね。
最上階について先に触れてしまいましたが、油屋の至る所にある西洋的要素について、見ていきます。
まず、エレベーター。あれだけの構造物を階段で登るのは無理ですよね。リンの口からも、エレベーターという言葉は出ています。
次に、電車。油屋の中を通っているわけではないですが、この神々の世界でも科学の発展はしているようです。ただ、利用者な少なく、行ったきり帰りの便がない電車らしいですが。いや、一方通行の電車ってどんな構造になっているんだろう。

こういった西洋化、もしくは機械化した要素を見るに、油屋が神々の世界の日常の風景というわけではなく、神々の世界の中でも日本的な要素を感じられる娯楽施設、テーマパーク的な場所であるように見えましたね。

さて、次の新しい視点は千尋というヒロインがキャバクラで働く女の子から着想を得たという情報からの視点。
この情報は、鈴木敏夫『仕事道楽 新版』等に綴られています。
油屋という厳しい仕事場に、人との付き合いが苦手な千尋が投げ込まれ、千尋が自ら変わっていく物語として見ていくと、千尋の変化を感じれるかと思います。
千尋の状態が大きく変わったのは、刑務所…ではなく豚小屋に入れられた親の姿を見た後、ハクからもらったまじないを掛けたおにぎりを食べた際ですね。
このシーンから先は、変った千尋の元気な姿を描いていきますね。

カオナシについても、今回新しい人物像が浮かび上がりました。
カオナシは千尋に油屋に入れてもらった礼をしようと、必要以上の薬湯の札であったり、砂金をあげたりします。
カオナシは、価値のあるものをあげれば喜んで貰えるという考えで千尋にプレゼントしますが、千尋は喜ぶどころか受け取ってもくれない。
これは、外面を繕い砂金をもらう油屋の従業員と違って、油屋に染まっていない千尋だからこそ、カオナシにとって必要な対話を行えたのだと思います。外面を繕った人との対話によって物をあげれば誰でも喜ぶんだというカオナシの間違った考え方を、千尋が意図せず正したという物語に見えましたね。極論、金で交換すればなんでも手に入るんだという考え方を批判する形に見えて、個人的にもすこし刺さるシーンでしたね。
千尋と対峙しカオナシは、千尋に生まれや出身の事を聞かれ、「ヤメロ」「寂しい」といったルーツに対する拒否感を示しています。
ここで気になったのは、カオナシの人物像です。「寂しい」という感情のセリフであったりとか、対話能力の低さから、孤独で人と話さず、喋るのはコンビニの店員くらいの存在なんだろうと思いました。油屋という繕った人達に騙される世界で、カオナシが狂ったように欲望を吐き出してしまう構図になっています。また、「私が欲しいものはあなた(カオナシ)にはだせない」という千の言葉から、カオナシという存在に千は個人を見出す純粋さを持ちながらも、カオナシの期待には応えないという純粋さゆえの個人の否定をしており、仮初の存在価値を否定されたカオナシは怒ってしまいます。
そんなカオナシに対して、銭婆の住む沼の底に行こうとする千尋は、センに対してこのような言葉を残しています「あの人はここ(油屋)にいないほうが良いんだよ」。
これは、カオナシという純粋で人との対話方法を知らない存在が、油屋の笑顔を繕った人々と対話して、金でなんでも手に入るという間違った対話方法を身に着けてしまうという事を千尋は感じているのかもしれないですね。


さて、ここからは終盤の物語について。銭婆婆の家での出来事。
ここで、物語として必要なのか大きな疑問が湧くイベントがあります。
なぜ銭婆は時間を割いてまで魔法を使わず髪留めを作ったか?
銭婆の作った髪留めには坊やカラス、カオナシが頑張って作った糸が編み込まれています。
銭婆は、魔法で作っても意味がないという言葉を残していますね。
これはみんなで頑張って作ったから思い入れのある物になる、という意味でしょうか?それは一面的には肯定で、カオナシにとっては、今まで人にプレゼントするものが、盗んだものであったりとかまがい物の砂金であったりとか、自身の背丈以上の物を贈ろうとしていました。しかし、今回に関しては時間に限りのある中、自身が労働し、そしてそれで作った物をプレゼントすることで、千からはありがとうという感謝の言葉を受けています。カオナシにとってのいい方向での成功体験であり、カオナシの物語としてはここで完結かなと考えました。
しかしこれでは、カオナシの為に作ったように聞こえます。手作業で作った理由としてもまだまだ弱い。

ここからは推測がかなり混じります。
{netabare}
髪留めを手作業で作った理由について。
魔法という物を考えたとき、髪留めは魔法で作ったら大変なことになっていた可能性があるかもしれないという疑念が思い浮かびました。
八百万の世界を抜けたら、魔法が解けるのではないか?
千尋がハクに別れを告げ、後ろを振り返らず、帰り道を辿る感動的なラストシーン。
決して振り返ってはいけないよ、とハクに念を押されていたため、千尋は振り返りませんでした。
でも待ってください、もし帰る途中で髪留めが切れてしまったら?振り返っちゃいますよね。
そんなタイミングで偶然髪留めが切れることないと思うでしょう。でも、魔法が現実の世界に戻る時に切れるとしたら?
では、油屋の世界の魔法が現実の世界に行くと切れるという証拠あるんでしょうか?
まず一つ目。序盤の千尋が透明化すること。現実の世界の物は、油屋のある世界(八百万の世界)では存在できないんですよね。
つまり、この現象から行くと逆の現象、八百万の世界から現実の世界に行く際には魔法などの現象が消えてしまうのではないでしょうか。
二つ目。湯婆婆の部屋でセンが契約したとき、散らかった部屋でテーブルライトスタンドの傾きだけ湯婆婆は魔法ではなく手で直しています。
これは、魔法が干渉できない物を暗示しているのではないでしょうか。その上で千尋が入ったトンネルが魔法が干渉できないものだとすると、そこで髪留めの魔法が切れてしまう恐れがあった。

三つ目。呪い(まじない)あるいは魔法について。本作品の呪いはなにか?
本作品で呪いをかけられている者たちは複数名います。千尋は名前を奪われて支配されるという呪いをかけられています。このまじないを解く方法はなにか。真実を見抜くことです。
豚の中から親を見つけるシーン。あれは親の呪いを解くのではなく、千尋の呪いを解くシーンです。事実、彼女が真実を見抜いたとき、千尋の契約書が破棄されます。
そしてこのシーンで湯婆婆の言った「この世界の理」は4つ目の理由によって明らかにされます。

4つ目。まじないは解かねば帰れない。これはハクの呪いから考えられます。ハクは、千尋が帰る前に私はそちら側(川の向こう)には行けない、だが湯婆婆と話をして弟子を辞めたらそちらに行くと言っています。つまり、まじないを解かねば帰れないというルールが八百万の神々の世界にはあった。ハクも、名前は取り戻したが、湯婆婆との子弟の契約が残っているから帰れないということだと考えられます。
とすると、提唱した説とは別の説で、魔法(まじない)がかかっていたら帰れないことを銭婆は知っていたため、髪留めを手作業で作ったことが考えられます。



何故髪留めをお守りとして送ったか…については、論理的理由ではなく、感情的な理由であってほしいですね。

この作品でいう名前の意味について。簡単に書きます。
名前を忘れると、帰り方を忘れる。つまり、自分が何者であるか忘れるという事です。自分が何者か忘れたのがハクです。
そして、真名をしっかりと覚えていた千尋は自分が何者か覚えていたため、自分のルーツである親が豚の中にいるか見破れたという説もあるかもしれません。


{/netabare}

さて、私は映像面についてもしっかり触れていきたいと思うのですが、すこし感性が枯れたせいか、少なめになりそうです。
まず、久しぶりにジブリをスクリーンで見た感想について。
自宅では用意できない様な大きな画面で見ると、やはり小さな仕掛けについても気付くことが出来ますね。千尋が木の階段が壊れて走り落ちる序盤のシーン、壊れた木の板の釘が抜けかかっている事に気付くことが出来ました。
一番大きいメリットは、やはり水彩画の背景における微妙な色合いの表現を、細かく観察できることですね。雨が降った後、油屋から見る海の風景は、日中から日没まで、美しさが変わっていきます。テレビでは味わえない風景を広さと色合いの繊細さを感じることが出来ると思います。


小ネタとしてどうしても言いたいシーンがあります。エレベーターで一緒になった大根の神様。かの御方は船で神々が油屋に到着するシーンから最後の豚を見分けるシーンまでいるのですが、この方、実はめっちゃ紳士ですよね。

エレベーターで千尋と一緒になった時、彼は目的の階に到着しても降りるのをやめて、一旦最上階まで千尋と一緒に上がってるんですね。
これはもし千尋が従業員等に見つかってしまいそうになった時に、自分を壁にして逃がしてあげようという配慮ではないでしょうか?
こういった心遣いを気付けるようになったのは、個人的にはちょっと嬉しかったですね。

さて、今回の視聴のまとめです。
感想としてはかなり物語を掘り下げる形になってしまったんですが、やはり映像の凄さがなければこれほど深く入り込めることはないと思います。かといって、美しさを追求しているのではなく、ジブリは五感を呼び起こす映像づくりが凄いと感じましたね。それは、風のうなりであったり、ガラス窓の振動であったり、風に吹かれる髪のうっとおしさであったりなど。よく言われるのは飯が美味しそうという事ですが、やはり、匂いや味を感じさせるような絵作りがうまいと感じます。
個人的に今回とびきり好きだったのは、海になった地上の夜景をセンと千尋が風を感じながら眺めるシーンですね。月明かりの暖かさ、遠い町への期待のようなものも感じられてとても良かったです。
リバイバル上映、いつまでやっているかはわかりませんが、ナウシカやトトロもやっているそうなので、近日また行きたいですね。


金曜ロードショーで視聴した際の感想はこちら↓

映画館で見たときは、一つ一つのシーンの雰囲気にのまれたんですが、どうも、テレビで見るとあれっ?あんまり入り込めないな、という感じでした。

今回の視聴では、初視聴時に感じた「雰囲気」に対する感情を思い出しながら、「懐かしいな」と思いながら視聴。
{netabare}
まず、親が飯を食べ出すシーンですが、千尋は親の言葉を聞かずに食べない。自分も、知らない土地や知らない店に親に連れられて行った時に、強い恐怖感や拒否感を感じました。子供特有の知らないものに対する拒否感は皆感じているのでしょうか。

次、夕暮れから町並みに明かりが灯り、河原まで走るシーン。豚姿の親の気持ち悪さで恐怖感や孤独感がましていき、影のような人に気味の悪い物を覚えます。あの川原でうずくまっているとき、恐ろしいけど明るい町と、そこから逃げるように来た静かな川原から、動きたくないような、帰りたいような、そんな気持ちにさせてくれます。

中盤についても少し。顔ナシの印象。最初はその笑顔のお面で佇む姿に気味の悪さを感じます。千尋に気に入られようと湯の札(札という面白い設定にも引き込まれます)を一杯持ってきたり、カエルをひと飲みするその姿にどんどん恐怖が募っていきます。最初は大人しそうなのに、どんどん凶暴になっていくその姿に、気味の悪さと恐ろしさを感じる、見ているひとを物語に引き込んでいく魅力を持っているキャラクターですね。

とまあ、好きなシーンやキャラクターは色々あるのですが、一番のシーンは、電車から見える風景のシーン。浅い海の遠くに見える街には何があるんだろうという期待感、海にポツンとあるあの家に何故か心惹かれる感覚、やがて夕暮れになって明かりのついた家々を遠くにみたときの心の騒ぎ。じっと電車の中で座っている千尋たちをよそに、影の人たちは荷物をおろし、電車を降りていく。あのときの取り残されたような孤独感と静寂がなにか心地いい。

最初と最後に出てくるトンネルの前のベンチがおいてあるあの建物の時が止まったような静けさが大好きです。
{/netabare}

【総評】
物語性よりも、圧倒的世界観、雰囲気を感じることで、この作品が凄いと思えるのではないでしょうか。
序盤は雰囲気による恐怖感に飲まれ、中盤は華やかさによる楽しさがあり、後半は喧騒の後の静寂が心地良い。

ストーリーはあまり気にならなかったのですが、圧倒的な雰囲気が記憶に残った作品でした。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 47
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

思い出の作品ではないけれど、思い入れのある作品

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2時間くらい。3回か4回くらいは見ていると思います。

 先日トトロを視聴して、その流れでポニョも見て、で、ポニョのレビューを書こうと思っていたのですが、上手くまとまらなかったのでこちらに逃げてきました。千と千尋は有名な作品ですから、重箱の隅をつつくようなレビューを書くつもりはありません。むしろ書きたいのは重箱について、ですかね。

 千と千尋は少女の冒険譚ですから、魔女宅に近い作品と言えます。魔女宅は、魔女という異質な少女が普通の都会へ行く話。千と千尋は、普通の少女が異質な世界へ行く話。アプローチは逆で、テーマは同じというやつですね。


異世界のモチーフ:{netabare}
 千と千尋では異世界が描かれていますが、ここまで露骨に描かれているジブリ作品は珍しい気がします。

 千尋は「トンネル」を通って異世界に行き、「川」を渡って物語の舞台へと到達します。で、帰りも「トンネル」を通って帰ってくる。その帰り際に、ハクから「振り向いちゃいけないよ」と言われます。

 これと同じ構造の物語があります。ギリシャ神話のオルフェウスの話です。千と千尋とオルフェウスの類似性に関しては、あまり異論のないところだと思われます。
 オルフェウスは、亡くなってしまった妻を取り戻しに冥界へと赴きます。「洞窟」を通って、「三途の川」を渡り、冥王ハーデスの元へたどり着きます。そこでハーデスから妻を連れ帰ることを許されますが、その際に元の世界へ帰るまでは「振り返ってはいけない」と言われます。そしてまた、「洞窟」を通って元の世界を目指します。

 異世界の往路と復路に加え、禁止のルールまでが一緒です。経緯は違いますが、連れ帰るという目的も一緒。日本神話のイザナギの話も同じような流れを持っていますが、「川」の存在を踏まえるとギリシャ神話の方が近そうですね。トンネルを抜け川を越えた先は、冥界に等しいものだったと言えます。

 なお、宮崎駿作品でギリシャ神話の引用がされるのはこれが初めてではありません。漫画版ナウシカの第1巻で、「ナウシカは、ギリシヤの叙事詩オデュッセイアに登場するパイアキアの王女の名前である」と監督自身が述べています。ナウシカもギリシャ神話の出身でした。
{/netabare}

神隠し:{netabare}
 千尋は、冥界、実質的には死の世界に行っていたことになります。千尋は死んじゃったの?という問いについての回答がこのレビューの主題なんですが、それについては後々述べることとして、まずは死の世界と現世の距離感について確認しておきます。

 宗教的には、死生観を含めて、死を考えることが非常に重要な要素になります。そのため、死の世界を現世とは隔離されたものとみるのが一般的です。私たちが死の世界と言うときは、このような隔離された世界の感覚で話していることが多いのではないでしょうか。

 ただ、神話の世界においては、死の世界はもっと近くにあるものです。オルフェウスやイザナギのように、洞窟を通れば冥界や黄泉の国へ行けてしまう。さすがに「ちょっとそこまで」という気分で行けるものではないのでしょうが、隔離された世界ではなく、つながった世界なんです。死の世界なんて言うよりも「あっちの世界」くらいが丁度いい。

 すぐそこにある世界、でもこことは異なる世界。そんな微妙な距離感を持つ「あっちの世界」での冒険を、宮崎駿監督は「神隠し」と表現したんだと思います。
{/netabare}

特別ルール:{netabare}
 こんなに近い「あっちの世界」。「こっちの世界」と一体どこが違うのか。それが特別ルールですね。

 最も重要なのが禁忌(タブー)です。「振り返ってはならない」と言われたオルフェウス、「見てはいけない」と言われたイザナギ、浦島太郎を「あっちの世界」の話とするなら「開けてはならない」になります。千と千尋では、前述の通りに、唐突な「振り向いちゃいけないよ」がありました。理由の不要なルールなんです。

 千と千尋には、他にもたくさんのルールがありました。ハクやリン、カマジイ辺りはいろいろと千尋に教えてくれていました。千尋が両親と帰るためにも、ルールに従う必要がありましたし、こればかりはユバーバでもどうにもなりませんでした。ユバーバは「こんな誓いを立てるんじゃなかった」と言ってましたから、ユバーバが誓いを立てる先、上位の存在がいることも窺えます。
{/netabare}

食事①:{netabare}
 次に重要そうなのは食べ物に関するルールでしょうか。「あっちの世界」の食べ物を食べると「あっちの世界」の住人になってしまいます。ギリシャ神話ならザクロの実ですね。

 千尋が食事をするシーンは全部で3回あります。ハクからもらった赤い何かと、ハクからもらったおにぎりと、リンから分けられた大きな饅頭のようなものです。千尋は「あっちの世界」の住人になってしまったのか、という仔細を述べる前に、引用元のギリシャ神話を確認しておきます。
 
 ギリシャ神話でザクロの実を食べたのはペルセポネという女神様です。彼女は冥界に連れ去られてしまいました。そこで、ハーデスに差し出されたザクロの実の中身12粒のうち、4粒を食べてしまうんですね。そのせいで1年(12ヶ月)のうちの4ヶ月を冥界で過ごさなければならなくなってしまいました。残りの8ヶ月は「こっちの世界」に帰って来れていますけどね。

 ちなみに、これに激怒したのがペルセポネのお母さんであるデメテル。豊穣の女神様なんですけど、ペルセポネのいない4カ月の間は地上に実りをもたらすのを止めました。これが冬の起源。ペルセポネが帰ってくると春が始まるわけですから、ペルセポネは春の女神様です。冥王ハーデスの妻なのに春の女神様。私にはすごく違和感があるのですが、やはり神話においては「あっちの世界」は近いもののようです。
{/netabare}

食事②:{netabare}
 千尋は「あっちの世界」の食べ物を食べて、「あっちの世界」の住人になってしまったのでしょうか。帰って来るのはペルセポネと同様に問題なさそうですけどね。では、千尋が食べた3つの食べ物を確認してみます。

 まずは、ハクからもらった赤い何か。これがいきなりの大問題です。
 この赤い何かが何であるのかは明らかにされていませんが、おそらくザクロの実の中身を暗示したものだと思います。気になる方は作中の赤い何かとザクロの実の中身を比べて、その類似性を確認してみるといいかもしれません。すごく良く似ています。ハクは、千尋が消えかけているときにこれを食べさせています。千尋が消えてしまわないように、つまり、「あっちの世界」に馴染むために食べさせていますから、千尋は「あっちの世界」の食べ物を口にしてしまったのです。

 神話を前提にするなら、ザクロの実の中身を1粒食べた千尋は、毎年1ヶ月は「あっちの世界」ツアーに行かなければならなくなってしまいます。さすがにこれは大問題ですから、何かしらこれを解決する方法が採られていたはずです。
 おそらく、「12粒のうちの1粒」ではなく、「ただの1粒」だったから問題なかったのではないかと思われます。ここが神話と違うところですし、これなら毎年ではなく、1回だけ「あっちの世界」に1ヶ月間滞在すれば問題なし、という結論でも許されそうですね。
 千尋がどのくらいの期間「あっちの世界」に居たかは明らかにされていませんが、作中の月の満ち欠け(※)が一巡してそうなので、少なくとも1ヶ月はいたようです。もちろん「こっちの世界」の時間は別問題。

(※)千と千尋の月の描写
 月は作中で3回出てきます。①オクサレ様が帰る時の満月、②沼の底駅の上限の月、③ハクに乗って帰る時の大きめの上限の月。②から③は満月に向かっています。①のもう少し前から物語が始まるので、満月手前から満月を経由して満月手前までが滞在期間。これで1ヶ月ですね。

 次に、ハクから貰ったおにぎり。
 おにぎりは、事情を知っているハクが「まじないをかけた」ものだと言っています。「あっちの世界」の住人にならないためのまじないでしょうから、おそらく問題ないのでしょう。赤い何かにもまじないがかけられていたと考えたくもなるのですが、その可能性はないでしょうね。千尋が消えてしまいますから。

 最後に、リンから貰った大きな饅頭のようなもの。
 リンは事情をある程度は知っているものの、まじないの類は使えそうにないので際どい感じがあります。ただ、千尋は直前に苦団子を口に含んでいました。苦団子の効果は吐き出させるというものでしたから、実質的には食べていなかったといったところでしょう。こちらも問題はなさそうです。

 お父さんとお母さんの食事が原因でもありますし、千尋の食事のシーンにはかなり気を使っていたのが窺えます。
{/netabare}

死んだ??:{netabare}
 では、千尋は死んでいたのかについて。
 「あっちの世界」が描かれると、条件反射のように「死んだ!」と考えたくなってしまうのですが、もちろん死んでいません。以上で述べてきたように、日本っぽさのあふれる千と千尋の世界は、ギリシャ神話が大きく影響しているのが分かると思います。どちらも神様がたくさんいますから、その関連性の高さに目を付けたのかもしれません。で、千尋の生死もこれらの影響を受けていると見ていいはずです。

 オルフェウスは、生きたまま冥府に辿りつき、生きたまま帰ってきます。千尋も生きたまま行って、生きたまま帰ってきた。これで良いんだと思います。死の世界を描くことと、実際に死ぬことは、やっぱり違うんです。
{/netabare}

エンディング:{netabare}
 千尋が無事に生きていたことが分かったところで、この物語のトンネルを抜けた後について言及しておきます。

 オルフェウスは「振り返ってはいけない」と言われたのに振り返ってしまった。禁忌を犯した彼は、無事に「こっちの世界」に帰って来れたものの、妻を連れて帰ることは出来ませんでした。禁忌を犯すと何かを失ってしまうのです。

 千尋は成長できたのか、というと、残念ながら出来ませんでした。正確に言うのなら、「あっちの世界」では成長できたものの、「こっちの世界」への影響はなかったんです。行きと帰りの両方で描かれるお母さんにすがる様とお母さんの同じセリフは、千尋が成長できなかったことを描いていていました。
 ですが、千尋は無事に禁忌を犯すことなく、帰ってくることが出来ました。つまり、オルフェウスと違って何かを得ることが出来たのです。それが最後に光るゼニーバからもらった髪留め。

 ゼニーバは「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」と言っていました。これはハクの名前を思い出せることを述べたものですが、それだけではなく、この千と千尋の世界全体に係る言葉、テーマを象徴する言葉だったんだと思います。千尋にも思い出せなくとも忘れない何かが残ったのでしょうね。
 子供は忘れてしまうかもしれないけど、思い出作りは大切だよってメッセージですかね。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 おまけその①。ハクに対して「八つ裂き」という言葉がぶつけられます。これもギリシャ神話がらみだと思います。オルフェウスの末路が八つ裂きですから。
 とはいえ、ハクの末路が八つ裂きだとは思いませんけどね。件のセリフは、覚悟を問うたものであるというのが理由の一つ。もう一つの理由は、千と千尋がオルフェウスのifストーリーだからです。千尋が神話を覆したのと同様に、ハクも覆す側だったという方がしっくり来ます。そもそもオルフェウス役は千尋ですしね。

 おまけその②。今度は風俗がらみの話。
 千尋の腹痛が描かれていますよね。これは生理を象徴したものだと思います。千尋は腹痛の後に、オクサレ様のお世話をしています。床掃除をしていた見習いの千尋が、腹痛を契機として一人前になったということです。
 「宮崎駿監督は、性を隠し過ぎる!」なんて指摘もありますよね。まぁ、おっしゃる通りで(笑)
{/netabare}

 神話の引用が多かったし、外観にしか触れなかったため、文章量の割には薄っぺらな内容になってしまいましたね。千と千尋のレビューでは全く違う内容を書こうと思っていたんですが、以前トトロのレビューで書いた「死を描くことと実際に死ぬことは違う」ってことの具体化で使ってしまった、というオチです。ご勘弁を。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 19
ネタバレ

ぺし さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

トンネルの向こうは、不思議の街でした。

たぶん見たことない人の方が少ないと思うので、あらすじはあにこれのをご覧下さい♪

ジブリの中では3番目に好きな作品です。ただ好き嫌いを除いて評価すれば、手書きのアニメーションに置ける最高傑作だと思います。粗が見当たらない。日本興行収入第1位の作品というのも納得がいきます。


中途半端で物語に入り込めないという方も居ますが、そもそもジブリ作品というのはあまり説明をしないので、見る側に多分に解釈の余地が与えられています。
なので完全な答えを求める方には向かないかもしれません。あと、説教臭くてジブリアニメは嫌いだって人もいますね。(自分は好きですが…。)

ジブリ作品と言えば風刺って言う人も多いです。特にこの作品にはそれが顕著に表されてる気がします。そこで、個人的にここ風刺だなぁと思った所を書いていきたいと思います。

{netabare}
・千尋のお母さんの冷たさ
見ててこの人なんか千尋に冷たいなぁと思ったことありませんか? これは現代社会(2001年当時ではあるが…)の一種の母親像だと思う。共働きで独立心が強く、「子供だから」という理由で何でも許されるのを嫌い、子供にも自立心を求める。また、千尋のお母さんは、化粧や出で立ちが割りと派手。「母親」というよりも「女」というイメージが先行する。←これは母親になるという覚悟が足りないままに子供を産んだ結果、虐待や育児放棄をしてしまう事への風刺に見える。

・父親の自分勝手さ
これはたぶん見てれば分かるんですけど、家族の安全も考えずに興味本位で舗装されていない道を突き進む所なんかは凄く自分勝手ですよね(-_-;)
これも家族とはどうあるべきかっていう風刺に思えます。…だからこの2人ブタにされちゃいましたよね(゜ロ゜;

・湯婆婆の坊への接し方
周囲の事は全く意に介さず、自分の子供だけを特別に扱う。これでもかと甘やかして束縛する。←過保護や過干渉への風刺。これだけ大事にしているのに、湯婆婆は姿を変えられた坊に気づけませんでした。子供の何を見ていたのでしょうか? 「千尋と坊」「千尋の親と湯婆婆」そんな対比にも見えます。時には厳しく、時には優しく…厳しさと優しさのバランスを上手く取れると悲しい事件も減るのかも(*_*)

・オクサレ神
最初出てきた時は、カエルが気絶し、リンの持っていたご飯が一瞬で腐るほど、汚い神様として出てきました。ですがその正体は水の神様。←これは水質汚染への風刺だと思いました。
{/netabare}

見る人によって色んな解釈がある今作。ここからは私個人の解釈を書きたいと思います。
{netabare}
・千尋が湯婆婆に渡された契約書に名前を書くシーン
気付いている人も沢山いると思います。実はこの時千尋は自分の字を間違えて書くんです。「荻野千尋」の「荻」の 火を犬と書いてしまいます。←これは自分の名前を忘れると支配されるこの世界において既に初期症状が出ていたんじゃないかなぁと思います。

・千尋の靴
これはあんまり他に言う人がいないので、自分の勘違いかもしれません。釜爺の所に居るススワタリ(まっくろくろすけみたいなヤツ)が、千尋の靴に群がったり、靴を運んだりするシーン。←これは、千尋が川(ハクの現実世界の姿)に靴を落としたって話した時の伏線だったんじゃないかと思いました。何気無いシーンなのに意外と長く映っていた気がします。

・カオナシとは何か
これは良く言われているけど、人間のお金に対する欲望そのものという解釈。
その証拠にお金の欲望に負けた人間は皆カオナシに喰われてしまった。千尋にも砂金を渡そうとするけど断られる。←これは千尋を試したんじゃないかと思いました。

・列車
銭婆の家に向かう為に千尋達が乗った列車。死者をあの世へ送り届けるための乗り物だという説があります。それが理由なのかこの列車には行きしかありません。

また、途中にある駅に寂しそうに佇む少女の姿があります。これは死んだ兄の帰りを待つ節子なんではないか?と思いました。そう考えるとこの列車が死者を運んでいるという事に説得力が出てきますね。

さらに列車の中にいる人はほとんどが黒く透けていました。これは自殺してしまった人なんじゃないかなと思いました。明日への希望を見出だせず死んでしまったから黒く透けている。←こじつけかもしれないですけど(-_-;)
〈追記〉釜爺が「昔は帰りの電車もあったのじゃが…」的な事を言っていたらしいので、また違う解釈があるのかもしれません♪

・トンネルの色
行きは真っ赤な色をしていたのですが、帰りは普通のトンネルになっています。この時、車の回りの草木も行きの時と比べて不自然に生い茂っているように見えます。←これはたぶんですけど、帰りの景色が本来の姿だったんだと思います。最初にここに来た時点で向こうの世界に引き寄せられていたから、赤いトンネルに見えたのかなと。

・銭婆の一言
千尋達が銭婆の家に来た時。「私達は2人で1つなのにねぇ…どうにも気が合わなくて」みたいな事を言っています(記憶が曖昧ですが)。ここで自分が思った事は、湯婆婆と銭婆は元々1人だったんじゃないかと。←だってただの双子がそんなこと言うのかなぁと。そもそもこの2人の争点になっているのが、この世界のルールを決めるための印鑑です。

湯婆婆は本当は元の1人に戻りたい。その方がこの世界における自分の力が強くなるから。けどもし1人に戻った時、自分の自我が消えてしまうかもしれない。その為にあの印鑑を欲した。けれど、銭婆はせっかく2人に別れたのだから1人には戻りたくない。だから印鑑を渡したくなかった。

この解釈は自分の妄想に近いです(笑) 他の部分に比べて説得力も薄いので、深読みし過ぎな感じもします(--;)
{/netabare}


個人的に気になった点
{netabare}
千尋のいる部屋に龍の姿になったハクが逃げ込み、千尋が閉める戸に無数の式神が突き刺さるシーン。←これ、ハリーポッター賢者の石に出てくる鍵鳥が、無数に扉に突き刺さるシーンに凄く似ている。あまりにも似ているので、どちらかが影響を受けたんじゃないか?と勘ぐっちゃいました(笑)

あと、銭婆と湯婆婆の名前を合わせると、銭湯になります。やっぱ元は1人だったんじゃないかな(^-^;
{/netabare}


ここまで色々書いてきましたけど、あくまで推測、空想の域を出ないので、見る人によって感じ方は沢山あると思います。でも、製作側の意図した事を少しでも汲み取れたていたら良いなぁと感じています(*^^*)

レビューを書くに至って、色々調べたんですが、なるべく自分の言葉で書いたつもりです。ここ違うだろ、自分はこう思うなって、メッセージくれたりすると嬉しいですね(*^^*)

長文、乱文失礼しました\(__)
最後まで見てくれた方は本当にありがとうごさいました!!

投稿 : 2025/01/04
♥ : 53

85.0 3 親子でファンタジーなアニメランキング3位
おおかみこどもの雨と雪(アニメ映画)

2012年7月1日
★★★★☆ 3.9 (1832)
9993人が棚に入れました
いまや全世界が待望する、細田守監督の最新作は「母と子の物語」。おとぎ話のような不思議な恋をした女性・花は、おおかみこどもの姉弟、"雪"と"雨"を育てることになる。「親と子」という普遍的なテーマを、人間とおおかみの二つの顔をもつ ≪おおかみこども≫ というファンタジックなモチーフで描く。いまだかつて誰も見たことがない傑作が誕生する。

声優・キャラクター
宮﨑あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、大野百花、加部亜門、林原めぐみ、中村正、大木民夫、片岡富枝、平岡拓真、染谷将太、谷村美月、麻生久美子、菅原文太
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

細田監督の良さがふんだんに!(補足追記)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2回目でした。2時間くらいの現代ファンタジー。
 1回目は、ながら見だったせいもあってか、あまりよくない印象を持っていたと記憶しています。今回きちんと見て、この作品の魅力にやっと気付けました。好きかどうかは意見が分かれる可能性がありますが、表現が非常に細かく、圧倒的な情報量が込められた傑作だと思います。私は非常に楽しめました。(補足を追記しました)


伝聞形式:{netabare}
 この作品は、オープニングでもエンディングでも、語っていたのはユキでしたよね。つまり、この物語は、語り手のユキの視点で描かれたものだったと言えます。この作品を、第三者の視点で描かれた家族の「ドキュメンタリー」として見てはいけませんでした。あくまでも、ハナから伝え聞いた話にユキ自身の体験を盛り込んだ、ユキの「思い出」のストーリーとして見る必要がありました。
 この辺を誤解するとやや説明不足に感じるかもしれませんね。この作品の世界が、ユキの中で再構成されたものであることを理解した上で視聴する必要がありました。

 オオカミ男がどのような生活をしていたのか、なぜ受講していたのか、なぜ死んでしまったのか。これらが不明なのは、第三者による俯瞰の視点がないからです。
 アメについてももちろん同様です。アメの単独シーンではセリフがありませんでした。すぐ話せるところにハナやユキがいないとアメのセリフは分からない、ということです。
 ニラサキのおじいさんの隠された思いも、嵐の日になぜユキとソウヘイだけが置いて行かれたのかも、ハナやユキがいないから不明である、というだけでした。

 ユキとハナの二人が知らない事柄や、ユキがハナから聞いていない事柄は、ユキの「思い出」の中では語りようもなかった、ということですね。説明に不足しているのではなく、伝聞形式を採用しているために説明ができなかったのです。
{/netabare}

ハナとユキの母親像:{netabare}
 まず、ハナにとっての母親とは何なのかを探ってみます。
 ハナが父親と写っている写真が出てきますが、その写真にハナの母親は写っていませんよね。写真のハナはかなり幼いですから、物心がつく前に母親を亡くしている(又は離婚している)可能性が高いです。社会から隔離されたオオカミ男と両親を失った孤独なハナが恋に落ち、家族(子供)を求めたのは何ら不思議なことではありませんでした。
 ハナはオオカミの育て方について「知らない」と言っていますが、母親による人間の子供の育て方も把握していなかったのです。親はみんな子育ての素人だという概念以前の問題で、母親という存在を知らないんです。

 では、ユキにとっての母親像とは何なのか。
 ハナは「辛い時でも笑っていれば乗り越えられる」を信条としています。また、ユキの誕生に際して「辛い思いをしないで元気に育ってほしい」と願っています。
 このことから、ハナはユキに対して、自分の辛さを一切伝えずに、笑顔であったことを伝え続けたのだと思われます。これがユキにとっての母親像を「強く優しい笑顔の母」に固定化しているというのは否定できないところでしょう。ただ、それが悪い方へ傾いているのではなく、ハナとユキの間にある愛情についての表現だったと言えます。ユキがそこに疑いを持たないために、あたかも理想像のように見えるのです。

 母親を知らないハナと母親を理想的に見るユキですから、この作品には現実的な母親と言うのは事実上存在しないことが分かります。そして、私たちはユキの「思い出」に影響され、ハナに対しては「強く優しい笑顔の母」というイメージを持ってしまいます。ただし、実際にハナがそのように描かれているかというと必ずしもそうでもありませんよね。

 例えば、子育て中のアパートでは、部屋は汚れ、ポストは郵便物であふれています。本に頼る姿も頻繁に出てきますが、結局のところ、ハナを救っていたのは本ではなく、周りの人々です。子供の親離れにも気付いていませんでした。ハナのイメージは「強く優しい笑顔の母」なのですが、周辺の描写を踏まえると一般的な母親と同様に弱さを見せていました。
 子育てに苦労するシーンでは、ツバメやクマが子連れで登場しています。動物との対比でも苦労を垣間見ることができました。本に頼る描写は後半ではありませんし、理想像のように見えるハナ自身も成長していたのです。

 ちなみに、花はハナの精神状態のバロメーターでもあったようです。分かりやすいのは花瓶で、オオカミ男が亡くなった直後やアパートでの育児中は、部屋に飾る花瓶の花は減っていました。花壇が充実している描写もかなり後半にならないと出てきません。
 笑顔以外のハナを知るには、周囲の描写に注視する必要がありました。
{/netabare}

ユキと二面性:{netabare}
 ユキとアメは、人間とオオカミの選択という作品のメインテーマを背負っています。家の前の分かれ道も、小児科と動物病院も、左が人間で右がオオカミとして描かれていました。ユキとアメが並んで立つシーンも、ハナによる手書きのユキとアメも、左がユキで右がアメと統一されていたようです。常に左側が人間で右側がオオカミだという、方向性の統一が描かれ続けていました。

 ユキを知るためには、この左右の選択に、鏡を加えなければなりません。どこかのレビューで書いたのですが、鏡や水面などの姿が写るものは、二面性の象徴として使われます。

 ソウヘイとのトラブルの前、鏡の前で口論が行われます。
 この時のユキは、現実のユキと鏡に写ったユキの両方が描かれています。そして、左側の階段を下りて、一旦右に振れるも、すぐさま左にはけて行きます。人間とオオカミ(左と右)に揺れているユキが、人間(左)側に行きたいという描写です。二面性を象徴する鏡と、左右のどちらからでも降りられる階段という舞台、そしてハナから聞いた人間でいるためのおまじないを使って、人間とオオカミに揺れるユキの心情と人間側への希望を強く描いていました。
 その時のソウヘイは階段の右側を下りますが、下りきることはありません。その後に「一匹狼」を自称するとしても、下りきれないのは当然のことです。

 一方で、嵐の夜の鏡の前では、ユキは鏡に映った姿しか描かれていません。アメとのケンカに負けた後ですし、それ以外でオオカミの姿にはなっていませんので、鏡の前だとしても二面性を描く必要がなくなっていたのです。人間であることへの強い意志を感じ取ることができます。
 このときのユキのセリフは「大人になりたい」です。このセリフは思春期に入った子供の特典のようなものです。オオカミの成長スピードならこの段階で大人になることも考えられますが、人間であることが確定したユキがこの段階で大人になることはあり得ませんので、あくまでも人間の思春期の真っ只中として描かれていました。なお、思春期への入りの描写は「匂い」(※)でした。

 なお、最後に二面性が描かれる人物は、ユキでもアメでもなく、ハナでした。アメを見送った後の水たまりに写る二人のハナです。かなりくっきりと写っています。人間とオオカミを独り立ちさせたというハナだけのエンディングです。最後に「大丈夫」と言われるのも、ユキやアメではなく、ハナでした。
{/netabare}

 上記以外にも、重要なシーンに合わせるような瞳の揺らぎや光の描写、動物の姿など画面の隅までまで見どころがたくさんありました。家の修繕を進めていくうちに、細部の美しさに気付いていく描写は、家の柱を介して子育てにリンクされるなど、素敵な表現だったと思います。時をかける少女やサマーウォーズと同様に、人間を肯定的に捉える細田監督の特徴は出ていたと思います。

対象年齢等:
 10代くらいから見ても大丈夫だと思います。性に関する描写も10代なら問題ない程度のものです。宮崎駿作品のように、見るたびに理解を深めていける作品だと思いますので、長い期間を通じて楽しんでいきたいですね。


(※)「匂い」の補足{netabare}
 ソウヘイはユキに「獣臭い」と言っています。なぜこの「匂い」がユキの思春期入りの描写になるのかについて、補足を入れておきます。

 このセリフは、表面的には「オオカミ臭い」という意味を持っています。これがユキの受け止め方であり、その後のストーリー展開に直接的な影響を及ぼします。ただ、描写的には、全く別の意味を持つことが分かるようになっていました。

 単に「オオカミ臭い」ことを表現するのならば、この「匂い」は、オオカミが気付かずに人間が気付くものでなければなりません。すなわち、ユキ以外の生徒たち全員が気付く「種族の匂い」のはずです。しかし、ソウヘイ以外の女子生徒たちは、その「獣臭い」には気付いておらず、気付いていたのはソウヘイだけでした。

 つまり、実際の「獣臭い」は、人間かオオカミかを判別する「種族の匂い」ではなかったということです。女子生徒が気付かずにソウヘイだけが気付くという、女性と男性を判別する「性別の匂い」だったのです。端的に言うと、「生理の匂い」「血の匂い」という意味でした。これをソウヘイは「獣臭い」と表現していたのです。

 初見時には、ソウヘイの臭覚や感性が他の人より鋭くて、「種族の匂い」に気付けたのでは?と思ってしまったのですが、そう言い切ることはできませんよね。ソウヘイに関して、そのような描写・エピソードは用意されていませんから。その結論を出してしまうと、先入観や思い込みで解釈をしていることになってしまいます。
 このシーンでは、ユキに女子生徒と男子生徒を絡ませることで、<オオカミのユキ⇔人間の女子生徒&ソウヘイ>という対比に基づいた「種族の匂い」ではなく、<女性のユキ&女子生徒⇔男性のソウヘイ>という対比に基づいた「性別の匂い」を演出していたということしか見えてきませんでした。

 したがって、このときのユキは、ユニセックスな子供時代を終え、男性が意識する女性へと変わっていたということになります。それゆえに、「匂い」でユキの思春期入りが描かれていた、と言えるのです。ユキの内面からではなく、他者の視点からこれを見せていました。ユキは、オオカミの血にコンプレックスを持っていますから、過敏に反応し過ぎて誤解をしてしまった、とも言えますね。ユキの内面的な思春期は、そのあとの描写で描かれていました。
{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21
ネタバレ

ギータ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

短い時間でたくさんのことを考えさせられた映画

見どころが半端ないくらい多いです。

{netabare}
子育ての大変さ、我が子への母親の愛とそれによる頑張り、近所の人の助け、子どもの成長による心境の変化、親への感謝、人生の自己決定、我が子と離れる寂しさ、子育てに終わりはない
{/netabare}

正直、挙げだすとキリがないですが、これだけのことを2時間くらいの映画で取り上げるのは本当にすごいです。
子どもが成長していくだけでも構成はかなり難しいのに、伝えたいこともしっかり入っていて、言いすぎかもしれませんが、clannadを2時間にまとめたレベルの作品だと思います。

パンフレットに書いてあった細田監督のインタビューで「おおかみ子どもは私たち自身である」また、脚本の奥寺さんの「セリフがないところが名場面になる」という言葉があまりにもこの映画をとらえているため、読んでいて鳥肌がたちました。


「おおかみこどもは私たち自身である」
{netabare}
作中では、雨がおおかみとして、雪が人間としてそれぞれが自分で生き方を決め、歩んでいきます。でも、それは人間である私たちも同じことで、自分の生きる道は自分で選んでいかなければいけません。後悔しないようにかつ、責任を持った選択を迫られます。映画の最後で雨が別れるシーン、雨はすごい、言葉に表せないような心境だったと思います。これまで母親にべったりで、すごくお世話になって、母親から「まだ何もしてあげられてない」なんて言葉をかけられて。自分がそんなことを言われたら絶対泣いてしまうし、雨も心はかなり揺れ動いていたと思います。それでも雨は別れておおかみとして生きていくことを決意したのです。感謝の気持ち、寂しさ、すべての感情を背負って別れることにした雨の選択は本当にすばらしいものであり、自分もそんな選択ができる強い人になりたいと感じました。
人の生き方には無限の選択肢があると思います。でも、その選択には大きな決断が伴うこともあるのです。それは今回の映画のようにおおかみとして生きるか、人間として生きるかということと同じであり、「おおかみこどもは私たち自身である」という言葉は、そんな思いから発せられた言葉なのでしょう。
{/netabare}

「セリフがないところが名場面になる」
脚本の奥寺さんは「この映画は映像でなければ伝わらないところもある」というようにおっしゃっています。
{netabare}
まずは映画中盤、雪の中で遊ぶシーン。あのシーンはセリフなしで、音楽とアニメーションの二つによって、自然の雄大さ、花たち家族の楽しさ、疾走感が伝わってくる場面です。記憶が正しければ、笑い声すらなかったように思います。しかし、すごい伝わってくるものがあるのです。思わずすごいと思ってしまうシーンであり、短い映画の中でも、毎日楽しく過ごしてきたんだなと、映画の中の時間に入りこんだ気持ちになりました。
そして、映画終盤、またも雨の別れのシーン。やはりたくさんの見どころはあるものの、このシーンの力の入れ具合から、一番伝えたいのはこの場面なのかなと思います。このシーン、雨は何も話しません。そして、花もいくつかセリフを言った後、しばらく何もセリフがないシーンになります。雨が何も言わないのはおおかみとして生きていく覚悟の表れかなと思います。セリフがないこのシーンは、私はいろんなことを考えました。花の気持ちや雨の気持ち、そしてこの人に考えさせるのがねらいなのかなとも思いました。単に受け身として映画をみるのではなく、自分で想像を働かせ、今花たちは何を思っているのかなと考えさせるなど。あえてセリフをつけないことによって、より感情移入させようとしているのかなとも思いました。だからこそ、その後の雨の遠吠えにより感動を覚えたのかなとも思います。
→追記で
雨の別れのシーンは思ったよりもセリフなしのシーン短かったですね。それでも雨が何も話さないものの表情で揺れ動いていると分かる描写はとても印象的でした。

{/netabare}

奥寺さんの言い分とは少し違うかもしれませんが、想像力を働かせるというのは、小説などの文字媒体に比べ、受け身になりやすいアニメや漫画にとって大切なことだと思います。それに関連して私の中で印象に残っているものが2つあります。
違う作品の紹介になるのであえて隠します。読みたい人だけ開いてください
{netabare}
1つはスラムダンクのラスト1プレー、もう1つはもののけ姫のエンディングです。
スラムダンクは、漫画でありながら、そのラストシーンは全くセリフがありません。しかしそのシーンは、私が読んだ漫画のシーンで№1だと思います。もののけ姫のエンディングは主題歌と音楽を流し、画面は真っ黒のスタッフロールのみです。しかし、私はこのエンディングこそ今まで見てきたどのエンディングよりもすばらしいと思うのです。この2つはここでは言及しませんが、言いたいことは、このおおかみこどもの考察とだいたい同じようなことです。もののけ姫は、また少し違うのですが。
{/netabare}
BDの発売が待ち遠しいです。早く見たいし、みなさんも見てない人は一度、見た人ももう一度視聴されることをおすすめします。


追記:BD届きました!
間違いなく一回目より二回目の方が来るものがあります。次にどんな場面になるか、どんなセリフが来るか分かっている方がつらいものがあったり、泣きそうになるものがあります。
改めてみても、本当に見どころ伝えたいこと満載で、二回目も感動しました。
一つだけ追加の考察を

前から思っていましたがジブリ作品と共通するところがあると思います。私がジブリ作品に魅力を感じたのは、小さい頃に見た時と高校、大学で見た時、同じ作品を見ているのに違う感想を抱いたこと、つまり自分の成長と考えの変化を実感できたことが挙げられます。
おおかみこどももおそらくこのような感想を抱くような作品であると思います。まぁ去年の映画であるため、本当にそうなるかはあと何年かたってからでなければ証明はできませんが。
この考察をさらに続けるとこの作品にはジブリと違う点があり、そしてそれがジブリを越えるものではないかと思うのです。
ジブリ映画は視点がほぼ主人公かヒロインです。私たちはその主人公の成長や感情の動きを感じ取り、そしてそれは見る年齢によって感想が違ったりしています。
おおかみこどもの視点は花と雪と雨の三人であり、しかもそれぞれ年齢が違い、子ども、親というように全く違う視点から見ることができます。さらに付け加えると、作中でみんな歳をとり、成長しているため、もっと多くの視点で見ることとなります。
私も子どもの頃は雪や雨のようなやんちゃな時があったり、分からなくて悩んだときがあったり、あのときこんな感じだったなぁと懐かしみ、二人の行動、そして過去の自分を受け入れました。もしかしたら、私が小学生でこの作品を見たらそうは思わなかったかもしれません。
それ故に花の行動はすごいと思っても、自分はそういう行動をとれるのかなと疑問を感じさえしてしまうのです。これは大人に、そして親になった時に今より分かるようになるかなと思います。
以上から、この作品は自分の年齢、立場から感想がかなり違うものになると私は思います。そして、歳を重ねればジブリよりも直接的に違うことを感じる作品にこれからなっていくと思います。
願わくは、小さいころからこの作品を見る人が増え、成長していくたびにこの作品からいろんなことを感じ取り、より感動出来ればなと思います。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 20
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nico81 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

劣等感と自己肯定の物語

考察を繰り返した結果、断言しても良い。
これは子育て奮闘記でもなければ母子の絆の話でもない。
細田守監督自身のコンプレックスの投影と自己肯定という、極めて個人的な内容だ。

さも母が中心かのような広告を打ったのは、そのほうが売れると踏んだからかもしれない。
しかし、母の物語だとすると各要素の必然性が全くなく、あまりにもお粗末な作りだ。
子育てや生活そのものについての批判が多くあり実際その通りだが、おそらくそれらはすべて見当違いだ。

この物語の主軸はあくまでもタイトルにある通り「雨と雪」という2人の子供たちであり、彼らが自分たちの運命(異形であること=劣等感の具現化)と対峙し葛藤することである。
母の存在は物語上の手段として必要だっただけに過ぎない。第一にはコンプレックスの象徴としての狼人間をこの世に産み出すために。第二にコンプレックスを抱えた子供らと監督自身を「(異形のものと承知で)産み、育て、愛し、許す」=「肯定する」ための"聖母"のような役割として。彼女の言動やとりまく環境や出来事は全て聖母として存在させるためであり、そのための宮﨑あおいである。つまり制作側の意図以外には何もない。
そう考えると色々合点がいく。矛盾があろうがなかろうがどっちだって良いのだ。


そして、聖母の救済を必要としたのは {netabare} 弟の雨だ。
彼こそが監督の自己投影の対象だろう。
―母の理想にはなれなかった。母のもとにも居られない。それでもそんな自分をあるがまま受け止め、認めてほしい。それで良いのだと背中を押してもらいたい―
そんな深層心理の表れだと考えるのは深読みのしすぎだろうか?
人でもなく狼でもない中途半端な存在としての劣等感。周囲となじめずに深まる孤独感。母の求める理想に近づけない後ろめたさ。そうして殻に閉じこもり、アイデンティティを求めてもがきさまよう。
やがて、母の属す社会の外側に居場所を見つけてひとり旅立つ。そんな彼を母は泣き笑いで受け入れる。そのままで良いのだと、無言のうちに肯定してやるのだ。彼は希望と許しを同時に手にして、自由へと駆け出していく。
鏡のように対比された姉の選択によって別の可能性も示されるが、彼女もやはり他者からの許し(秘密の共有)を必要とする。

一見、彼らの自己肯定と再出発は成功したかに見える。
しかし、姉の決意には諦念が見え隠れするし、弟は傍目には逃避という言わば後ろ向きの選択だ。しかも全て強引な自己完結で、アイデンティティを獲得したのではなく捨てたようにしか見えない。根本的解決をしていないにも関わらず、それを他者に認めさせることで得た自己肯定は独りよがりに映る。
もっと言えば、そもそも聖母であるべき母こそが狼人間という異形(=劣等感)を生み出すというパラドックスに陥っているわけで、実はこの時点で監督の自己肯定は既に失敗している。
{/netabare}


どこまでが意識的なのか無意識なのかは分からないが、各エピソードの生々しさは高木正勝の聞き心地良いミニマルミュージックによってオブラートに包み、アン・サリーの歌で母性を強調し、姉の独白で視点をずらし、狼人間の姿形を借りて非現実を可視化することで何とかファンタジーの形態を保っているような……つまり計算づくで、ちょっとあざとい。

引き画の多用についても監督は「客観性を保つため」と語っているが、対象が曖昧にぼかされて主題も散漫になっている印象のほうが強い。第一、どうしたって感動系にしかならないプロットにわざわざ客観性を組みこむ必要があったのか。実際、ここ引き画にしちゃったら観客は感情移入しにくいんじゃないかと思う場面が多々ある。劣等感にフォーカスされて物語が過剰にセンチメンタルに転ぶことを嫌ったからでは? もしくは自分の隠された本心を暴かれることを恐れているのでは? などと斜めな見方もできる。

いずれにしても、この「ひどく個人的な心理を覆い隠して普遍的テーマの体裁を取り繕った感じ」にどうしても違和感が拭えず共感も感動もできない。(がしかし、私の同族嫌悪も多分に含んでいる)


サマーウォーズも面白かったけど何かもやもやと違和感があって、それもこの考え方でいけば納得できる。体裁だけはファンタジーなのにどうしても舞台やエピソードが現実的なのは、監督自身が生きる場所であって解決すべき問題ともがきがそこにある(しかも解決していない)から。
だとすると、この人にジブリのような異世界での冒険譚は多分描けない。

しかし、このままではいくつ作品を作っても形を変えて繰り返すだけじゃないのかなぁ…
他者に依存し続ける限り他者を言い訳に使うことも可能で、いつか行き詰る。他者の助けは必要だけど、本当の意味で「自分という人間を受け入れ、自分の人生を請け負う」覚悟をするとき、許しを与えるのは自分自身以外にないのだから。


※だいぶ以前にUP済みだったが、推敲と加筆・訂正を繰り返していまに至る。ここまでの考察は滅多にしないし長文も避けているのだが、どうしても無視できずに自分のために書いた。
自分と似通った業を抱える監督への歯がゆさと、ここまでしてもその業から解放されていない様への苛立ちと落胆を覚えている。きっと「バケモノの子」でも繰り返しているだろうと容易に想像できるのだが、いずれ見届けなければなぁとぼんやり考えている。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 14

70.4 4 親子でファンタジーなアニメランキング4位
バケモノの子(アニメ映画)

2015年7月11日
★★★★☆ 3.8 (639)
4227人が棚に入れました
原作・脚本 細田守監督。


舞台となるのは、人間界のほか、動物のようなバケモノが住む「渋天街」が存在する世界。

人間界「渋谷」から「渋天街」に迷い込んだ一人ぼっちの少年が、強いけれど身勝手なために孤独だったクマのようなバケモノの剣士・熊徹と出会うことで物語が展開する。

少年は熊徹の弟子になり、九太という名前を与えられ、彼と共に修行や冒険の日々を送ることになる。


声優・キャラクター
役所広司、宮﨑あおい、染谷将太、広瀬すず、山路和弘、宮野真守、山口勝平、長塚圭史、麻生久美子、黒木華、諸星すみれ、大野百花、津川雅彦、リリー・フランキー、大泉洋
ネタバレ

れんげ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

【ネタバレ無し】熊徹と共に吠えろ!!

2015年7月より劇場公開
本編119分


【前置き】

細田守監督の長編映画第4弾。
(ONE PIECEの映画を除くと。)
「時をかける少女」の頃は、原作を上手くアレンジし名作に仕上げた監督の手腕が高く評価されておりましたが、「サマーウォーズ」以降、その評判は一般層をも巻き込むカタチで大きくなり、今やポスト宮崎駿とすら呼ばれるまでとなり、その観客動員数も他のオリジナルアニメとは一線を画すレベルとなりました。
それに従い、批評する側の目線も高くなったり、偏った意見も多くなっていった印象を受けました。

私的には、監督の作品はどれも大好きです。
大手を振って褒められるかどうかはともかくとして。
なので、評判が上がるのは勿論嬉しいのですが、批評の中には闇雲な感情論による悪態でなくしっかり的を得ている意見も多くあり、色んな意見から新たな視点を得る機会に恵まれたことに楽しさも覚えました。


前置きが長くなりましたが、そんな監督の第4作目。
普段はあまり映画館へは足を運ばないのですが、知名度の高い細田監督の作品だけは評判が出尽くす前に見ておきたいと思い、前作品らと同様に出向いて来ました。



【あらすじ】

人間界「渋谷」とバケモノ界「渋天街(じゅうてんがい)」という、通常交わることのない二つの世界。
ある日、とある事情から渋谷で途方にくれていた少年「蓮(れん)」は、渋天街の熊のような風貌のバケモノ「熊徹(くまてつ)」と出会います。

蓮は、熊徹から強くなるため弟子になるよう説得され、渋天街で「九太(きゅうた)」という名を貰い、日々修行に明け暮れるのでした。

8年後、成長した九太は偶然渋谷へ戻ってしまうのですが、そこで高校生の「楓(かえで)」から新しい世界や価値観を吸収することで、自身の生きるべき世界を模索するようになります。

そんな中、両世界を巻き込む事件が起こるのです…………。



【(劇場公開中なのでネタバレ無しで)語ってみる】

監督の他作品と比べて、本作はどこが優れていたか。
それは、この少年漫画的なシナリオからくる『熱さ』にあると、私は思いました。
サマーウォーズでもあった、「キングカズマVS人工知能ラブマシーン」の徒手空拳の格闘シーンが好きな人なら、本作でもまず燃えられるでしょう。
徒手空拳の格闘技だけでなく、本作はバケモノ達(と言っても怪獣ではなく熊男や猪男のような人型)による格闘技で、非常に力任せであり泥臭いところもあるのですが、迫力は満点でした。
作画は前作同様、映画であることを差し引いてもしっかり描ききれており、そこから上記のような魅せるシーンの更なる力の入れようは視聴者を大いに湧かせてくれます。
約2時間とアニメ映画としては少々長い部類ですが、私は一度も退屈させられるようなことはありませんでした。


ただ、映画のテーマとしては少々監督の引き出しが少ないと感じてしまったのも正直な話。
本作は、異種間を含めた「親子の絆」を描いた作品。
それこそ、前作「おおかみこどもの雨と雪」でもそうでしたし、広く家族と捉えれば「サマーウォーズ」でもそうでした。
細かく分ければ「おおかみこども」は完全に親の視点である為、本作とはまた少しテイストも対象となる年齢層も違うのですが、端から見れば一緒である時点で、多くの視聴者に既視感を与えてしまう点は残念です。
加えて、「熊男」「狼男」というのもまた、ニアミスしてると言わざるをえません。
舞台設定こそ監督の作品の中では新しい「渋天街」も、それこそ他作品で言えば見慣れた世界観であり、新鮮味には欠けてしまいましたね。


キャラクターに関しても、主人公の「九太」は、幼少時代は横着な熊徹のもとで子供なりに必死に学ぼうとする(加えてコミカルな)様に心打たれ愛着を持てたのですが、8年後のスマートになった青年「九太」は少々魅力に欠けました。
なんと言うか、見た目も含めて格好良過ぎたんですよね。
これは、前作でも主演声優を務めた「宮崎あおいさん(幼少期の九太)」と「染谷将太さん(青年期の九太)」とのキャリアの差も大きかったのかもしれませんが。
彼の見せ場のシーンも、そこに至るまでの過程や肝心の敵が少々腑に落ちなくて、首を傾げながらということもありましたしね。

何より、九太の師匠である『熊徹』が非常にキャラ立ちしている為、主人公の九太の活躍が、どうしても霞んでしまうんですよね。
私的には、青年九太が頑張るどのシーンよりも、熊徹が無骨に挑みかかる格闘シーンのほうに目を奪われてしまいました。

まず「役所広司さん」の演技が抜群に良いんです。
声をヘンに作っているわけではなく、でも役所広司さんの地声とも少し違う、まさに「熊徹」というキャラクターを自身で作り上げて演じ切った感じでした。
横柄で、人の話を聞かず、短気で、ぶっきらぼう。
そして、たった一人で自身を鍛え抜いて、自分の力で強くなった…、…強くなってしまった熊徹。
そんな男が、世界の違う人間の子供に目をかけ、なんだかんだで必死に育て上げていく様。
泣くには至りませんでしたが、やっぱり心に訴えるものがありましたよ。

この作品の評価は、この熊徹が好きになれるかどうかが大きな分かれ目となると思いますね。
私は、こういう男臭くて人情的なヤツ大好きなんです。
弟子になりたいかと言われれば、それはまた別の話なんですけどね……(笑)

勿論、魅力的なバケモノは熊徹だけでありません。
やはり見た目もインパクトのあるバケモノ達が中心となるのですが、中でもその熊徹の元で九太に目をかける豚顔の僧侶『百秋坊(ひゃくしゅうぼう)』は魅力的でした。
度々の彼の諭しがあってこそ、九太も…そして熊徹も、道を違えず成長出来たんでしょうね。
視聴後に声優さんが「リリー・フランキーさん」だと知りましたが、とても落ち着いて演じられていて、あの声だからこそここまで好感を持てるキャラになったんだと感じました。


主題歌であるMr.Childrenの『Starting Over』も非常に作品に合っている名曲でした。
いつぞや、ONE PIECEの主題歌を担当された時の曲は個人的に好きではなかったのですが、今回は自分にとっても大当たりでした。
このレビューも、この曲を何度もリピートしながら作りました。
聴くと自然と作品の良いシーンがフラッシュバックする、そんな1曲でしたね。



【総評】

映画館で見る価値があったかと言われれば、私的には十分ありました。
ただ、やはり初見且つ映画館というインパクトも含めて、評価が上乗せされた感はあるので、そういう意味では少し抑え気味な評価となるかもしれません。
まだ前評判の無かった「サマーウォーズ」を公開初日に映画館で見た時のインパクトと比べると、視聴後のテンションはかなり違いましたし。

ですが、やはりシナリオからも分かる通り王道ながらしっかり見せ場のある熱い作品なので、ファミリー層を中心にまた興行収入としては成功の作品となるでしょう。
勿論、変に偏り過ぎでなければ大人も十分楽しめる内容ですので。
私は同じ作品を映画館で二度見ることはまずないので、また足を運ぶことはないでしょうけど、早くBlu-rayでもう一度見直したいです。


ただ、やはり次回作以降の引き出しには不安を感じさせるものであったことは確かです。
アニオタ界隈では「ショタ好き」「ケモナー」等の名誉?なレッテルを貼られている細田監督。
そこが真実かどうかはさておき…この監督は、しっかりと面白いところが分かっていて且つ視聴者の目線にも立てる、そして「ショタ」等の偏った需要を上手く一般層向けに紛れさせ商業作品へと仕上げるセンスを持つ、数少ない実力のある監督だと私は思っています。

と言うわけで、次回作は
『ブッキラボウな男+そんな彼を慕うロリ少女』
という私の大好きな設定を是非、一般層にも受けるような作品へと昇華させ仕上げていただきたい。

……最後の一文は忘れて下さい。

読んでいただきありがとうございました。

◆一番好きなキャラクター◆
『熊徹(くまてつ)』声 - 役所広司さん


◇一番可愛いキャラクター◇
『チコ』声 - 諸星すみれさん



以下、声優を務めた「広瀬すずさん」について。
(低俗な文章を含みますので、〆ます。)
{netabare}
本作のヒロイン「楓」を務めたのは、女子高校生ながら話題の女優『広瀬すずさん』。

とある番組での、悪質に切り取られたかのような彼女の言動が世間の反感を買い、謝罪騒ぎにまで発展したのをご存じの方もいるでしょう。

そう言えば以前にも彼女は、「明星一平ちゃん夜店の焼きそば」のCMで、一部言動が誤解を招くとして差し替えとなる騒ぎも起こりましたね。
これも謝罪騒動同様、私的には少々解せなかったんですよね。

全く………、


『ぶっちゅ~~~~~~~~~~、全部出たと?』


という言動の、一体どこに誤解を招く要素があったと言うのでしょうか。

しっかり口をすぼめ(ソースを)絞り出す様の、一体どこに何の誤解が生じていたのでしょうか。

広瀬すずさんには、これからも逆境に負けず作中の「楓」と同様に、自身の信ずる道を邁進していって欲しいものです。




………………………………ふぅ。

シュッシュ、フキフキ
{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 27
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

“新冒険活劇”の意味は分からずじまいでしたが・・・

2018.08.11記


「時をかける少女」に続き「未来のミライ」公開記念で地上波で放送していたのを鑑賞。
細田監督作品は「おおかみこどもの雨と雪」「時をかける少女」に続き3作目の鑑賞となります。


今日も渋谷駅周辺は外国人で溢れ、きょろきょろしながら歩いたり、めいめい写真を撮ったりして楽しんでますね。これだけ多くの作品で取り扱われる街ですからなんの聖地巡礼かはさっぱりわかりません。ハチ公前交差点は都会の雰囲気を描写できる上、空間を広めにとれるため引きのカットをいろんなアングルから撮れることが作り手にとって魅力なんじゃないかと勝手に思ってます。

で、その渋谷の街とその渋谷に隣接する異世界「渋天街」が舞台のお話です。
お約束のハチ公交差点前もしっかり出てきますので、渋谷ファンは要チェックです。


家族関係で闇落ちしている少年“蓮”の視点から物語は始まります。夜の渋谷を走り回ったりするのですが、この時の背景しかり通行人の描写、防犯カメラを使った数枚のカットなどの工夫はさすが劇場版といえる作画です。ひょうんなことから迷い込んだ渋天街もプチ千と○尋の幻想的な作りだったりと導入はバッチリでした。ただプチ神隠し感が出たことで、否が応でもポスト宮○駿を無駄に意識させちゃったかもしれないのは余計だったかも。

物語は、作品タイトルやポスターの絵柄からバケモノ(熊徹)と蓮(または九太)の親子関係または師弟関係を軸とした展開が予想され、実質その通り進んでいきます。ただそこに焦点を絞り過ぎると中盤以降の追加要素に混乱してしまうかもしれません。《詰め込み過ぎだよん》という評はしかりで、父子愛というメインテーマを補足するための追加要素がわかりづらいです。父子関係に加え蓮の成長も描こうとしてますので尺を考えればギリギリ、劇場版の宿命とはいえ、多くを観客の解釈に委ねてます。


じゃあ自分はどうだったかというと、、、普通におもしろかったです。
ただもうちょい脚本はわかりやすく出来なかったかと注文はあります。
テーマは普遍的なものを扱ってますので、その一点突破で感動するかもしれない佳作と良作の中間と言っていいでしょう。


熊徹はいい味出してました。大正生まれか昭和一桁世代の佇まいです。イメージは星一徹(大正)か銭形のとっつぁん(昭和一桁)あたりでしょうか。頑固親父かと思いきや猪王山から子供のようと指摘されてる通り、がきんちょのようでもあります。このへんのイメージはLEONっぽい気もします。子供(っぽい大人)と子供の組み合わせもなんとなくLEON。


なにかと評判の悪いリアル俳優が声優を務める劇場作品の例に漏れず、本作もそうなのですが、全く違和感のない方がお一人いたと思います。
うさぎの宗師さま役津川雅彦さんです。 
{netabare}「お前という奴は迷いなど微塵もない眼をしおってぇ」{/netabare}
合掌…


細田作品のおおかみこどもの雨と雪では母子の愛を、本作では父子の愛ということになるんでしょうが、なかなか難しいのかもしれませんね。母と子の組み合わせが物語を作りやすいのかもしれません。であれば父と子の関係を扱った本作は意欲作ということでいいんだと思います。

{netabare}「君は俺と同じだよ。バケモノに育てられたバケモノの子だ」{/netabare}
蓮が初めて言葉にして父親と認めた瞬間、親父冥利に尽きるなと感じた瞬間でした。目の前で言われるかいなくなってから言われるか、男にとってはどうでもいいことかも。
多少のご都合展開は目を瞑って親父の自分が自己投影できたので評価が甘くなったことは認めよう(笑)


ちょっと気になったところはネタバレで隠します。

■白鯨の処理
{netabare}蓮と楓を繋いだメルヴィル著の『白鯨』。たしか船長さんが船もろとも鯨と運命を共にした話だったことは覚えていて、本編では一郎太が鯨に化けたあたりから嫌な予感しかしなかったのですが。。。
{/netabare}

以下ほぼ私見かつ妄想です。

■楓の役割って
{netabare}主人公と同年代の女の子だからといってヒロインではありません。九太が蓮に、彼が人間界に戻るための触媒と思えばたぶんすっきりします。
序盤、多々良と百秋坊が触媒となって蓮と熊徹を結びます。楓はもともと蓮が持っていた好奇心を現実世界に落とし込む存在として役割を果たします。
途中から出てきたのもあって恋愛要素を前面に出すと話がぼやけるため、あのくらいの按配で良かったことでしょう。{/netabare}

■女よ、GOMEN
{netabare}虎徹への弟子入り直後、剣士としての成長きっかけとなったのは母の幻影「なりきる。なったつもりで」の一言。宗師さま巡りを経て『大事なことは自分で見つける』と気づきがありました。これまで他人のせい、自分の殻に閉じこもっていた蓮が一皮むけるために母は必要でした。
楓もそう。8年ぶりに人間界に戻ってきた蓮は楓がいなければ路頭に迷って野垂れ死にしてたかもしれません。一郎太とのバトルでも早まって差し違えて終わってたかも。
父子愛がテーマの作品で、といいつつも結局女がいなければ何もできないのが男だったりするような。こうゆうこと言うのは女性に言わせれば男の甘えだそうです。{/netabare}



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2019.01.19追記
《配点を修正》


「おおかみこどもの雨と雪」で母子の愛、本作は父子の愛。
私は昭和の人間なので、父と子ってペラペラ話し合う印象が薄く、その延長線上、エンタメとして成立しづらいのでは?と邪推。
「クレイマークレイマー」のようなのも良いが、頑固一徹親父とその息子の物語をこの時代にこそ観たいとぞ思う。そういう意味で本作は及第点です。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 40
ネタバレ

ろき夫 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

ぼくはケモノもオッサンもすきなので熊鉄のこと可愛いとおもいました(まる)

月曜メンズデーの夜に行きましたが客の少なさにビビりました。
3週連続細田作品地上波放送で、宣伝にも力入ってるのに……。
先が不安になりましたが、平日の夜だし、単に山形がアニメ過疎地ということ、なんですかね。

ケモナー細田の真骨頂!!
バケモノの造形が可愛らしく、現代的です。
どっちかというと人間に近い。もののけ姫のそれとは大違いです。
まさしくケモナーが好む、ケモナーのための映画といっていいでしょう。

本作を見て一番に感じることは、広い意味で男の子が好きそうな映画だな、ということ。
(話と関係ないのですが、「おとこのこ」を変換したら普通に「男の娘」というワードが真っ先に出てきたw 打ったの初めてなのに。なんという時代……)

主人公の男の子が、熊鉄というバケモノに出会うところからはじまり、ともに成長していくお話で、子供の目線、子を育てる男親の目線、どちらからも楽しめるんじゃないかと思います。
今までの細田作品では珍しいくらい激しいアクションシーンが多いのもポイントです。
個人的には、どっちの目線にも共感できたなと思います。
熊鉄の乱暴でぶっきらぼうな接し方が、自分の父親と似ているせいかもしれません。
だんだん、顔まで父親に似て見えるもんだから不思議。バケモノにもかかわらず、です。
でも、それくらいリアリティのあるキャラクターだったと思います。
熊鉄を演じた役所公司さんの演技が素晴らしかった、というのも大きいですね。
違和感なさ過ぎてエンドロールまで気が付きませんでした。
「ああ、俺の父親もこんな感じだったよな……」なんて、少し懐かし気持ちに。

先週「おおかみこども」が放送していましたが、それと比較するのも面白いですね。
熊鉄と花のキャラクター性の違いは、父親と母親の子どもへの接し方のスタンスの違い、とも言えそうです。
本作パンフレットの細田監督インタビューでは、
「最近、うちに男の子が生まれまして。父親として何ができるかなって、考えたんです。」
と、綴られており、作品には男親としての理想がやはり込められているんだな、と感じました。
確かに、父親だったら男の子が生まれたら、一緒に体を鍛えたり男としての強さを教えてあげたいって気持ちになるかもw

前作に比べると、キャラクターのセリフでメッセージ性となる部分をはっきり伝えるから分かりやすい。
その分かりやすさに徹しているぶん、想像の余地が少なく、物足りなさを若干感じるところが欠点。
なので、ふわふわした映画の余韻を好む人には不満があるかもしれません。説明不足の部分もあります。
が、それでも完成度は高く、この作品の評価はほぼ好みの問題になるんじゃないかと感じています。
お涙頂戴なくカラッとしていて、後味爽やかで笑いがある作品は個人的には大好きです。

見ているだけで高揚感を得られる、しっかりと作られた王道ファンタジー映画は本当に久しぶりです。
宮崎駿が引退したらしたで次世代の監督が良い作品を作ってくれる……。素晴らしいですね。
会社は違えどバトンは受け渡されていくものなのかな、と感慨深くさえあります。
この幸福な循環がずっと続くといいですね。


P.S. バケモノの子展行きたいです。一郎彦の帽子欲しいです(大人サイズ)。2015/7/17

【追記】
{netabare}
ひとつ気になったのは、ケモノらしさについてです。
作中、「ニオイ」に触れられませんでした。ケモノ臭いだとか、人間臭いだとか。バケモノとは言っても、獣人なんできっとケモノ臭がすると思うんです。

バケモノの子を見て後、もののけ姫が無性に見たくなって見てみると、その部分において明らかに違います。
バケモノの子に出てくるケモノたちは臭いも無ければ、見た目以外ほとんど人間と違いが無い。
文明も発達しており、異国風と思わせといて玉かけご飯を普通に食うくらい、生活にも違いが無い。
もしかしたら、生活型が日本人と同じで無臭になってしまった・・・という裏設定が(!)
なんて妄想したりw
熊とか、体臭すごいですし、ニオイの演出も加わるとより面白くなってたんじゃないかと感じました。
九太が人間界に戻ったときに、九太に染みついたケモノ臭さに楓が鼻をつまむシーンとか見たかったんですけどね(笑)
でもニオイに突っ込むと、一郎彦の正体がすぐばれてしまい話がややこしくなるから、なんて事情が見え隠れするのであえて入れなかったのかなー、なんて勘ぐったりしてw

仮に、ニオイがあったら熊鉄のオヤジらしさに、より一層リアルさがあったのかもしれない。
一方で、ニオイなど生臭い要素をなくしたことが、マスコット的な愛らしいオヤジキャラの演出に一役買っているんだろうなとも思うので、結局この作品には「無臭」のバケモノが正解だったんでしょうね。
熊鉄のことを「可愛い」と感じる背景に、実はニオイも深く関係してるんじゃないかと、一人納得しましたw
{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 9

66.0 5 親子でファンタジーなアニメランキング5位
借りぐらしのアリエッティ(アニメ映画)

2010年7月17日
★★★★☆ 3.6 (663)
3154人が棚に入れました
とある郊外に荒れた庭のある広大な古い屋敷があった。その床下で、もうすぐ14歳になる小人の少女・アリエッティは、父ポッドと母ホミリーと3人でひっそりと静かに暮らしていた。アリエッティの一家は、屋敷の床上に住むふたりの老婦人、女主人の貞子とお手伝いのハルに気づかれないように、少しずつ、石けんやクッキーやお砂糖、電気やガスなど、自分たちの暮らしに必要なモノを、必要な分だけ借りて来て暮らしていた。借りぐらしの小人たち。そんなある夏の日、その屋敷に、病気療養のために12歳の少年・翔がやって来た。人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。それが床下の小人たちの掟だった。そんなある日、アリエッティは翔に姿を見られてしまう・・。

声優・キャラクター
志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、藤原竜也、三浦友和、樹木希林
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

我が家においでませ

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2回目です。95分くらいの現代ファンタジー。
 「傑作か」と聞かれると「まぁまぁで」と言いたくなるのですが、好き嫌いで言うと結構好きな作品です(悪いところはレビューの下の方にまとめています)。

 スケール感はとても綺麗に表現されていると思います。軒下とその周辺というアリエッティの世界が、家と庭へと拡大して、その先へというストーリー展開に合わせた世界の作り方もいいですよね。小人のいないシーンでも時折不意に入るローアングルが、私たちの知らない世界を見せてくれて、ドキッとさせてくれます。

 甥っ子と遊んだりすると、彼らの住む「膝丈の世界」に驚いてしまいます。腰丈のテーブルの下を走り回り、腰掛けるソファによじ登り。そんな彼らの目線に合わせると、自分たちのスケールで作られた世界のなんと不便なことか。でも、彼らにとってはもともと「そういう風に作られた世界」であって、そんな世界にいることに何の疑問も持ってはいないんです。アリエッティたちも同じですね。
 私たちも以前は確かに「膝丈の世界」に住んでいたんですが、成長とともに気が付くとギャップが埋まっていて、いつの間にか「当たり前の世界」に住んでいる。でも、最後までこのギャップが埋まらないのが、アリエッティたちのいる「小人の世界」です。


ギャップ:{netabare}
 問題はスケールのギャップではなくて、認識のギャップ。

 アリエッティたちは「借りぐらし」をしています。でもハルは彼女たちを「泥棒の小人」と言っていました。
 例え少量でも、返すあてのない無断の借り物は泥棒です。「借りている」と主張する側と「盗まれた」と主張する側の認識の乖離は埋められず、事実は「盗まれている」のです。正に借りパクですね。小人と人間の間には、「取る側」と「取られる側」というギャップが拭えないのです。

 アリエッティたちも同族からは「借り」ないはずです。同族だと罪になるけど、他種族なら「借りる」という言葉を使って「盗む」ことを正当化してしまうのです。
 これは私たちも同じです。私たちも生きるために「殺し食べる」必要がありますが、同族に対しては罪になります。他種族に対しては「いただきます」という感謝の言葉を使って、「殺し食べる」という事実を正当化するのです。
 「借りる」も「いただきます」も罪の意識を軽減するための言い訳の言葉と捉えることができます。善悪の問題ではなく、それぞれがそういう「当たり前の世界」を作り上げているのです。生きるための行動に罪を感じてしまっては、生きること自体が辛くなってしまいます。
 それぞれの異なった「当たり前の世界」が存在していることが、この作品の根底にあります。

 小人に理解を示すショウ。彼ですら二つの「当たり前の世界」を壊し、一つにすることはできませんでした。
 彼は盗まれたものを「わすれもの」とすることで、小人の正当化を幇助しました。でも、これは上から目線のほどこしであって、「共生」ではありません。「取る側」と「取られる側」という一方通行の構図自体は変わらないのです。彼のほどこしを受けることは、アリエッティたちにとっては、自助努力を無くした単なるペット化に等しいものです。プライドのあるアリエッティは受け取りませんでした。

 相容れない二つの世界が出会ってしまったら、ハルのように破壊するか、ショウのように懐柔するか、このいずれかであって、共生は困難なのだとこの作品では語られています。アリエッティパパの言うとおり、「見つかってしまたら離れる」ことが生への道なのです。もののけ姫の結論に非常によく似ています。

 もし、巨人というのがいて、私に餌付けをしてきたらカチンと来ますよ。私はペットになる気はありません。自力で「借りる」ことを選択するでしょう。例えそれが巨人にとっての「盗む」だとしても、です。「悪者なら殴っていい」とまで理論を展開するつもりはありませんが、環境の変化に合わせて、自分を正当化する新しい「当たり前の世界」を作り出してしまうことでしょう。
 もし、我が家にアリエッティが来たら、餌付けしたくなっちゃうけど…見て見ぬふりをしなければいけませんね。餌付けはエゴですものね。ビデオで撮ってこっそり愛でることにします。
{/netabare}

アリエッティの髪型:{netabare}
 アリエッティは髪を上げたり下ろしたりと結構忙しいですよね。

 最初は、初めての屋内探索の日に行っています。日取りが事前に決まっていたこと、衣装替え、髪を上げる、腰のベルトなどからすると裳着(成人の儀式)のアレンジみたいに思えます。14歳ですから妥当な年齢です。裳着は結婚適齢期に入ったという意味も持ちます。アリエッティママが、アリエッティにスピラーとコミュニケーションを取らせようとしていることからも伺えます。

 最後の髪下げはエンディングで、こちらは二つの意味を持ちそうです。
 一つ目は、ショウ(人間)との別離。角砂糖を受け取ること自体は「和解」とか「共感」だとは思います。そして、ヘアクリップをプレゼントするのですが、「あげる」というよりは、「借り物を返した」だけですからね。「盗む」にはならなかったけれど、最後まで真の意味での与える側にはなれなかった、という埋まらないギャップを感じます。「共感」までが限界で「共生」はできませんでした。

 二つ目は、女性化ですね。髪が伸びるとか髪を下ろすというのは、やっぱり女性を感じます。成人の儀式があって、女性化が描かれているので、やっぱり結婚は近そうです。相手は、スピラー…なの? 少なくとも選べるほどは候補がいなそうですけどね。まぁ、選ぶなんて言っているのも私たちの価値観のもとで成立することであって、彼女たちにとっては選べないことが「当たり前の世界」なんでしょうけどね。

 ちょっと話はズレますが、エンディングテーマ中に、スピラーがアリエッティに木イチゴを渡すシーンがあります。この木イチゴの大きさは、ちょうど角砂糖と同じくらいです。角砂糖はカバンにしまいますが、木イチゴはその場で口に含むんでいますよね。こういうのを見るとやっぱりアリエッティは小人側なんだな、と思います。
 スピラーはコオロギの足ではなくて、木イチゴに変えていて、渡す仕草からも思春期っぽさが出ていましたね。
{/netabare}

小人と人間:{netabare}
 冒頭の軒下を駆けるアリエッティには、高い身体能力を感じますよね。で、そんなアリエッティが拍手喝采を送るのがアリエッティパパなんですけど、そんなパパを優に超えていくのがスピラーです。身体能力以上の生命力みたいなものを感じます。
 一方のショウ。心臓の手術に備えて、安静にするためにこの屋敷に来たわけですけど、どんどん弱っていく。顔色が変わらないので分かりづらいですが、胸を押さえるシーンが増えますよね。

 「滅亡する種族」と「繁栄する種族」という大局の対比があるのですが、その中身を見ると少し違う。
 「滅亡する種族」の家庭には逞しいお父さんと活発な子供達がいるんですが、「繁栄する種族」の家庭には、二人の老婆と心臓を病んだ少年しかいないんです。種族という大きな枠で見ると滅亡する側と繁栄する側なんですけど、家庭という局所でみると、滅亡と繁栄が逆転されています。「生きて行く滅亡する種族」と「死に行く繁栄する種族」という構造になっています。
{/netabare}

エンディング:{netabare}
 ショウとの別れのあとで描かれるのは、「生きて行く滅亡する種族」が川を下る姿だけです。
 ヤカンの上で描かれるのはアリエッティとスピラーの思春期です。これはやはり「生きて行く」姿だと思うのです。そして、ヤカンは障害物にも引っかからずに川に沿って下って行きます。この流れに沿う感じとその淀みのなさに、小人という種族の行き着く先の必然性みたいなものを感じてしまいます。やっぱり運命には抗えない「滅亡する種族」なのだろうと実感してしまうです。結局、エンディングテーマ中で描かれているのは、思春期という清々しさを隠れ蓑にした「生きて行く滅亡する種族」の姿なんだと思うわけです。

 エンディングでは、ショウについては何も描かれていません。ショウには不吉なフラグが立っているんですが、そのフラグを壊すところも行き着く先も描かれません。この描かないところがなんとも嫌な予感を受けます。
 「生きて行く滅亡する種族」が「生きて行く滅亡する種族」として説明されている以上、「死に行く繁栄する種族」も「死に行く繁栄する種族」なのではないだろうか、と予測せざる負えません。

 ただ、この予測に対しては二つの反証があります。
 一つ目は「君は僕の心臓の一部」というショウのセリフ。このセリフは、心を奪っていった的なものではないと思います。奪ったのではなく、その逆。補完しただと思います。
 ショウの心臓は、そもそも病んだ心臓・欠けた心臓です。生きることに後ろ向きでした。ここの欠けた部分に、アリエッティのために頑張るという思考が加わって、生きることに前向きになった、というのがショウの持っているストーリーです。アリエッティがショウの生を補完してくれたのです。ショウは生きたいのです。
 二つ目は、オープニングの「僕はあの夏…一週間だけ過ごした」という語り。二日後の手術前に「あの夏」という振り返りはないでしょうから、もう少し先の未来からの語りでしょうね。ショウは生きているんです。

 二つ目の反証はショウの生存を確定的なものにしますが、一つ目の反証は期待できるという程度のもので、反証とは言い切れません。オープニングだけでしか生存を明言しないために、最後の最後でモヤモヤしてしまうのですが、個人的には明言しなくて良かったと思います。最後に言い切ってしまうと、積み上げてきた「生きて行く滅亡する種族」と「死に行く繁栄する種族」という構造を壊す、ご都合主義エンドになっちゃいますからね。
 まぁ語りの時点での生存が確定していたとしても、「死に行く繁栄する種族」の枠から抜け出せなければ、どれほど元気かはわかりませんけどね。個人的には元気でいて欲しいです。
{/netabare}

 何やらこの作品には賛否があるようですが、決して悪い作品ではないと思います。
 テーマが分かりづらいなんて意見もあるようですが、構造をシンプルにしている分、むしろ分かりやすいのではないでしょうか。「(別々のところで)共に生きよう」という擬制的な共生は、もののけ姫が持つテーマと変わりません。一緒にいることに価値を見出しているのではなく、別々のところであっても生きていることに価値があるってことです。「生きろ、そなたは美しい」の精神です。

 で、悪いところがないのか、と言われると残念ながらあります。結構あります。
 以下、文句。{netabare}
 軒下、家、野外と舞台が展開していくにも関わらず、後半になると世界のダイナミズムみたいなものが、むしろ失われていきます。これはホントにダメ。

 私たちの天敵(?)のゴキブリが、小人にとっては天敵足りえないというのは百歩譲って許しましょう。でも、カエルとかネズミとか「外にいる怖いもの」のエピソードに不足しているのはどうなんですかね?チラ見せだけにせずに、外の怖さを感じるエピソードも欲しかった。結局外に出るんだし。

 ディティールへのこだわりが強いのは分かるのですが、なんにも効果を持たずに、綺麗なものの列挙で終わっちゃうのもいただけませんね。例えば、アリエッティ一家の三人が使っているマグカップのデザインは、ハートダイヤクラブなんですけど、スペードはありません。スペードをショウかスピラーに担わせておけば、とかね。描いたものを活かそうという視点には欠けています。

 あと人物描写。感情にもうちょっと溜めが欲しい。唐突な感情爆発が結構多いです。感情爆発自体は構いませんが、そこに至る過程があまり良くありません。人物の掘り下げもちょっと足りない。
 最後にアリエッティ。あんなに楽しそうだったアリエッティが、罪の意識に苛まれて後半はほとんどふさいだ顔。最後の最後はハツラツとしたアリエッティが見たかった。
{/netabare}

 酷評してもおかしくないんですが、脚本が宮崎駿だけあって、骨子自体は悪くないと思います。アニメ作品としての表現の部分が今ひとつなだけで。ただ、観察眼は良いと思いましたし、水関係の描き方はホントに素晴らしい。なによりアリエッティがかわいい!全てを許しましょう!


対象年齢等:
 私が一番重視しているのって対象年齢なんですけど、この作品はちょっと厳しい。
 言葉の選び方やキャラクター(昆虫とか悪役)の使い方は子供向けっぽいんですよね。でも、「借り」の概念を伝えるエピソードに乏しくて、子供への説明は足りてないように思えます。大人向け、というのも粗が目立って難しい。
 子供が見ても分かるように説明するか、後半のエンタメ要素を増すかのテコ入れは必要でしょうね。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 6
ネタバレ

セレナーデ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」の不自然さ

「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」
自分としては、冒頭5,6分にアリエッティママが放ったこのセリフで全てが決したといっていい。この一言で本作への期待値がスゥーっと下がり、その後の展開も期待値に背反することなくエンディングを迎えたのである。引きの強さを感じた場面も少しはあったのだが、総じて言うと、予感した通りの低空飛行シナリオであった。
それくらい、ママの一言はある意味象徴的といえるものだった。

◆「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ。」の不自然さ

このセリフ、一言で言うと説明くさいんである。

そのセリフが発せられたのは、アリエッティが外界から帰宅した直後。まだ外界の危険性を熟知していないアリエッティの活動的な行動を、アリエッティママが心配し、諭すシーン。

そのシーンでは、「外界の生物が小人にとって脅威となることは、小人の世界での社会通念である」という情報を発信している。つまり、人間にとっては特別注意を払う必要のないカエルや猫のような小動物も、小人にとっては命を脅かす存在であり、そのことは小人の世界では常識だ、という世界観を、アリエッティとママとの会話で「表現」しようとしていたわけである。

・・・・・・であるのだが、カエルや猫が脅威的な存在である世界観において、心配の言葉をかけるなら「カエルや猫だっているのよ?」とかそういう親身な言い回しが自然と思う。

そこのとこ「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」という一言は、作品が持つ「小人にとって外界の生物(小動物)は脅威である」という世界観を「描写」するのではなく、視聴者に「説明」しようとしてるようなマインドが感じられる。

シナリオの文脈ではさも「自然に発せられた咄嗟の一言」のような口跡だったけれど、視聴者を意識しすぎてる香りがして、観てるこちらとしては、ナチュラルな一言には感じない。

しいて例えるなら、免許とり立てでいざこれからドライブにいかんとしてる息子に注意を促すとき、本来なら「気をつけて走りなよ」とか「右折には気をつけるんだよ」と目線を合わせた物言いをするところを、いきなり「車社会には危険がいっぱいあるのよ」という大上段な諭し方をされたような、ぎこちなさ。

ママのセリフにはそのような、表現として生硬な印象を受けてしまう。視聴者に対し、小人の生活を「見せる」ためではなく、小人の生活を「教える」ために見繕われたような不自然さ、それは、作品世界への陶酔の妨げに他ならないんである。

で、

しいては「そんなセリフがまかり通った脚本」に、後の展開にも一抹の不安を覚えてしまったわけで、個人的な感想の範囲として、その不安は奇しくも的中した形となった。
楽しめれたのは、小人が人間の家宅を探検するときはこうやってるんですよ的な描写くらいで、基本的には予感したとおりの味気なさ。病に苦しみ死を案じていたショウくんのドラマのカタルシスの薄弱さ、樹木希林が小人の捕獲に執念を燃やす唐突さと動機の不明瞭さ、住まいを放棄しざるを得ない宿命を背負ったアリエッティ一家の結末の投げやり感。あと、なんだ、あれとか、これとか、それとか。ともかく、面白くねえなこれ、の連続で。

脚本至上主義者の自分としては、「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ。」には、その面白くねぇなの連続を予感してしまったのでしたとさ。

以下、ネタバレじゃないけど、独り言で。

◆「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ。」は子供向け

{netabare}「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」に対しての考えをもうちょっと言わせてもらうと、こういう説明じみた表現自体は、全然あってよいと思います。

ただ、本作にはやって欲しくなかったな、というだけで。

このママのセリフは、低年齢層向きな手法なわけです。表現としてはかなり直接的で、「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」という言葉と、「小人にとって外界の生物は脅威である」という情報とのリーチを短く表現している。

なんで直接的な表現が子供向きかというと、単純に分かりやすいから。
というより、そうでないと子供に分かってもらえないかもしれないから。

大人は「直接的な表現」でも、対する「間接的な表現」でも対応が可能なわけです。怒った表情で「怒った」と言いながら勢いよくドアを閉めて退室される、柔らかい笑顔で「怒ってない」と言いながら勢いよくドアを閉めて退室される、どちらも”怒り”の表現であると理解できる。

むしろ後者の「間接的な表現」のほうが、残る印象は強いんじゃないかと勝手に推測してます。少々の計算というか、「空気を読む」という作業を通過したほうが、大人は真に迫る説得力を感じられるんじゃないかと思う。

しかし、子供の場合、皆が皆「空気を読むスキル」を有しているとは限らない。人生経験が不十分であるがゆえ、「『怒ってない』と言ってたから怒ってないのだろう」と認識してしまう子がいても不思議ではない。

仮にママのセリフが本当に「カエルや猫だっているのよ?」であったとした場合も同じで、子供によっては、「外にはカエルや猫がいると説く」+「心配する声のトーンや表情、前後の会話の内容など」で、
≒「小人にとって外界の生物は脅威である」と答えを導き出す計算が働かず、「外にカエルや猫がいることをママは教えただけだ」と、そのままの意味で捉えてしまうかもしれない。

つまり、「行間を読む」とか「文脈から察する」と言った高度なリテラシーを要求する間接的な表現方法は、低年齢層のオーディエンスをおいてけぼりにしてしまう危険性がある。

そんなリスクを背負う表現をするくらいなら、素直に「直接的な表現」をした方がいい。怒ったなら「怒った」、悲しいなら「悲しい」、許せなかったら「許さないぞバイ*ンマン!」、外の世界が危険だったら「外には危険がいっぱい」とキャラに言わせたり、叫ばせたり、説明させたりすれば、子供に情報が正確に伝達する可能性はぐんと高くなる。低年齢層向けコンテンツであれば、その手法は極めて真っ当な手段であり、大正解だと思う。

ただ、個人的には『借りぐらしのアリエッティ』が、ターゲットを低年齢層に特化させた作品だとは、ちょっと思えない。低年齢層寄りではあるかもだけど、アダルト層の集客を見込んだシナリオや演出を目指してる姿勢も、なんとなく感じるわけで、本作が劇場版の『ドラえもん』や『アンパンマン』や『プリキュア』と同じ敷居かと訊かれると、感覚的にはやっぱNOなのです。

だからこそ「外には危険な生き物がいっぱいいるのよ」という、お子様向きである純度の高い直接的説明的なセリフには、少々落胆してしまいました。もうちょっと気の利いたセリフにならんかったのかと、そんな気分になりました。{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 9

hiroshi5 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

ここに宣言しよう、「小人姫アリエッティー」の方が絶対良かった!

二回見ました、この作品。
まぁ酷評の人が多いと思います。なんせ終わり方が、というか話全体が設定と共に縮小してしまって薄い内容になっていましたからね。

では、なぜこの作品は設定と共に縮小してしまったか、それから結末を回避することは可能だったのかを吟味していきましょう。

この作品で一番面白かったのは初めの30分でしたw
小人という設定、小さい人間から見た世界観、小人の生活スタイルなど斬新なものばかりで興味津々で見入ってしまいました。特に作画。家具など本当にリアルに描かれている部分もあれば、水(水滴)みたいなものは独特な最近のジブリらしいタッチで素晴らしいデキだったと思います。
問題はアリエッティーが子供に見つかってから。ここから小人ワールドから人間を含めた世界を描き始めます。

一つここで疑問。人間の子供を出す必要があったのか。
この作品は人間と小人が共存または敵対する世界を描いています。もしこの作品に人間を登場させなかったらどうなっていたでしょう。全体的なスケールは小さくても、その枠内で壮大な話を展開出来たのではないでしょうか。
例えば、人間を完全に敵と設定することで、もういないと思われていた別の小人たちと小人たち内だけの冒険を始める。スケールは小さくなりますが、ストーリーとしては独特の世界観を維持しながらファンタジー物語を展開することが出来ます。勿論映画としてのメッセージは完璧に変わりますが、視聴者にはこちらの方が受けたのではないでしょうか。

話を戻します。
本編が始まったのは主人公であるアリエッティーが人間の子供と接触してから。ここから映画としての方向性が見えてきて、世界観も一気にファミリアーになります。
さて、今作品での最大の問題は世界観を最終的にどっちつかずにしてしまったことです。
人間の観点から見るのか、小人の観点からこの作品を描くのか。
人間の観点になると、病で元気をなくしている男の子が小さいけど頑張っている小人から勇気を得る、生きる意味を知るといったテーマになります。
小人視点になると、人間に存在がばれてしまった事から新しい居住地を探す羽目になる。その過程で別の小人たちと出会い、生きていける可能性を見出だす、
といったものになるでしょう。
この二つをごっちゃにするから中途半端な作品になってしまい、結末も曖昧なものになってしまうのです。

では、選ぶとしたらどちらが良かったのか。それは明らかに後者でしょうね。前述したように、世界観はジブリの技によって良く描けているのだから、それを利用する以外はないでしょう。それに病の男の子が誰から生きる勇気を得る、といったパターンはありきたりで斬新さに欠ける。

私がもしこの設定で話しを進めるとしたら、もうちょっと尺を長くして、さらに特殊な能力、「脳内で意思伝達できるテレパシー」なる設定でも追加して、話を一気に世界規模にします。
そうですね、タイトルは「小人姫アリエッティー」でw
初めの20分は小人独特の世界観を描いて、その後すぐ現在の居住地を人間に見つかり新たな開拓地を目指す。その旅路に新たな小人民族と出会い、そこから人間に対抗すべく長年計画を練っていた馬鹿げたシュール小人民族たちの存在を知る(まぁ勿論反乱なんか出来るわけがないんですが)。しかし、主人公の秘められたそのテレパシー能力が開花し、それにより世界中に住んでいる小人たちを集合させ・・・・
この後は想像にお任せしますw反乱するのも良し、友好関係を築くのも良し。劇的最後を迎えるのもありですねw

まぁ要は世界観は良く描けているんだからそれをベースに話を展開させた方が良かったのでは?といったことです。

ここからは二つ目の問題。人間と小人の世界観を合わせた上でのストーリー展開で、あの最後以外の最終を迎えられたのか、というよりあの最後より良いオチは無かったのかということですけど、う~ん多分難しい。
よくよく考えれば、あの終わり方はあの尺と設定にしては良く出来ていると感じてしまう。一応、二人のオチは付いている訳だし(だって後半から突然アリエッティーの旅だけを描くわけにはいかないから。なんせタイトル「借り暮らし」ですからw)、あそこからの発展は不可能。それに人間たちが全面的に協力して新しい居住地を探す旅に出るってのも無理がある終わり方。
だったら、もうあのオチで良いじゃん!ってことになる。

結論、人間と小人の世界観をごっちゃにしたのが全ての間違いだった。

うん。なんかすいません、製作者の皆さん><ホント勝手なことばっか書いて・・・汗

投稿 : 2025/01/04
♥ : 17

65.5 6 親子でファンタジーなアニメランキング6位
未来のミライ(アニメ映画)

2018年7月20日
★★★★☆ 3.2 (230)
873人が棚に入れました
とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、甘えん坊のくんちゃん(4歳)に生まれたばかりの妹がやってきます。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんが出会ったのは、未来からやってきた妹、ミライちゃんでした。このちょっと変わったきょうだいが織りなす物語。それは、誰も観たことのない、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした―

声優・キャラクター
上白石萌歌、黒木華、星野源、麻生久美子、吉原光夫、宮崎美子、役所広司、福山雅治
ネタバレ

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

ちょっとした奇跡がつながってつながって、今の私達がいる。

『バケモノの子』に続く、
細田守監督の長編作品。

細田監督の作品の中では、
『時をかける少女』が一番好きです。

8月ごろに劇場で見てきました。
(レビューは書いていたのに、投稿が遅くなりました^^;)

大きくない会場でしたが、満員でした。

少し遅めの時間帯だったからかもしれませんが、
大人しかいませんでした。(年齢層はバラバラ。)

もっと子どもが多いかと予想していましたけれど。
でも内容は確かに子ども向けではないかな。笑

100分ほどの作品です。


● ストーリー
4歳のくんちゃん(♂)に妹ができた。

妹・未来(みらい)の世話に追われる両親に対し、
くんちゃんは寂しさを感じる。

むしゃくしゃする気持ちから、
わがままを言ったり、未来に意地悪をしたり。

そんな気持ちで中庭を通ると、
不思議な世界と不思議な人たちに出会った。


細田監督の作品には
現実世界に溶け込んだファンタジー設定が多い気がします。

今回もそうですね。

くんちゃんは中庭を通して、
家族の未来や過去に触れます。

そんなこと、
現実世界ではありえないファンタジーですが、

出会った人たちから教わったことを自分の行動に活かしていく様子は、
ただの4歳児にも見えます。成長だねえ。

ただ、これまでの作品で感じた
“どうなるかわからないドキドキ”という点からは
遠かったように思います。

むしろ、刺激を期待せず、
日常系作品だと捉えたほうがいいぐらいですw

育児に奔走する両親と、
両親の愛が欲しいくんちゃんの、

ちょっと慌ただしいけれど、
振り返ってみると、幸せと奇跡が詰まった日常。

そんな中に、少しのファンタジーを織り交ぜて…
という物語でした。


≪ 脚本ではなく、絵で魅せようとしていた? ≫

だけどごめんなさい、
私には物足りませんでした。

それはドキドキな冒険を期待していたから、
というのもあると思うのですが…。

くんちゃんは不思議な体験を、
日を置いて何度も体験するので、
短編集のようにも受け取れる作品です。

ひな人形のエピソードは、
嫌いではないのですが、
やたらと時間がかけられていたような。

飽きてきたなーと思い始めたところに、
{netabare} 無駄に緊張感を持たせた、だるまさんが転んだのような、スローモーション。 {/netabare}

それほど重要でも見せ場となるシーンでもないのに、

「私達は大きなスクリーンで何を見せられているの?」と
なんだかあきれてしまいました^^;


しかし、作画はきれいだったしこだわりも感じられたし、
全体的に力が入れられているのが、よく伝わってきました。

キャラの表情も豊かというか、顔芸というかw

今回の作品では、脚本よりも、
こうした絵で魅せようとしていたのかな?

描きたかったシーンやキャラの表情を、
楽しんで描く。

それがこの作品の源なのだとして、
こちらもそれをわかった上での鑑賞であれば、
もうちょっと楽しめたかも。笑


● キャラクター
甘えん坊の4歳児、くんちゃん。
いやーこの年頃の男の子はかわいいですね(*´Д`)ハァハァ

だけど、わがまま全開、駄々っ子全開。笑

愛するには、
難しいキャラですw

お母さんもお父さんもたくさん出番がありますが、
よくある両親キャラだし…。

未来ちゃんはかわいかったですが、
かわいいというだけで、特別なインパクトもないし…。

キャラで評価できるのは、
ひいじいちゃんぐらいかしら?

馬もバイクも乗りこなすひいじいちゃん、かっこよかったわー!
彼の起こした奇跡も素敵♪

cv.福山雅治なのは、気付きませんでした。
エンドロールで驚いたw


● 音楽
【 OP「ミライのテーマ」/ 山下達郎 】
【 主題歌「うたのきしゃ」/ 山下達郎 】

どちらも、なんだか懐かしさを感じるメロディ。

穏やかな2曲で、
この作品にも合っていたと思います♪

私は主題歌の方が好みかな^^


● まとめ
つまらなさや怒りを感じるほどではないですが、
全体的に平和なストーリーでした。

少なくとも、
「よし、観るぞ!」と意気込んで見るタイプの作品ではありません。

この作品を観終わった頃には、
子どもの成長を大らかに受け止められる気がする…そんな作品でした^^

投稿 : 2025/01/04
♥ : 27

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

不愉快です。クズ夫婦にイライラします。ネグレクトは虐待です。

 マイナス100点。最悪の映画です。

 子育てに大事なのは願いではありません。子供は勝手に育ちます。親の願いで育つことはありません。親ができることは危機回避と背中を見せることだけです。親が子供に願いだすと、それが暗黙でも言葉や表情、行動に現れます。絶対にやってはいけません。元気で健康に育ちますようにですら、病気が見つかったら、障碍者になったら失敗になります。子供のすべてを受け入れなければいけません。
 それで子供が逃げ出したり歪んだりする小説やアニメなんて沢山見てきたでしょう。このアニメは何を考えているのでしょうか。

 子育てに大事なのはスキンシップです。クリエーターで子育てものを作るなら心理学くらい確認しろ、と言いたいです。4歳くらいの男児ならネグレクト(放置)も虐待です。ましてあそこまできつく当たるのって何なんでしょう。陰でいくら愛してるといっても、子供に伝わらなければ意味がありません。何よりスキンシップ、特に母親との肌のふれあいが無い子供は不安定になります。

 母としてなぜあそこまで子供に冷淡になれたのでしょう。嫉妬で新生児に電車を振り上げても自制できる子供が、あそこまで傷ついているのです。我が子を追い込んだ自分を省みることができない、ということは仕事のレベルも推して知るべしです。しかも外に飛び出した子を追いかけもしないで。

 平等に愛情を注ぐように気を付けていてもどうしても妹に手がかかってしまう、という感じが全くありません。完全邪魔者扱いです。何かに気がついたり心配するそぶりも見せません。1場面くらい反省らしきことを言っていますが事の重大さも認識していないし、真剣に悩んでいる風にも見えません。
 入れ替わりで産休に入る人がいたって、子供が大切ならそんなのは会社の責任で何とかすればいいし、在宅だってできるでしょう。自分が全部正解みたいなツラで仕切るな、と言いたいです。

 今の時代ですから、仕事に出るなとはいいません。いや、推奨すべきなのでしょう。が、仕事をやっている奴がそんなに偉いのか?夫の批判をしているけど、お互い様という考え方はできないのか?と思います。
 本当に子育てに優先することが、仕事にはあるんでしょうか。食わなければいけないのはわかりますが、折り合いがつけられないのでしょうか。
 
 夫は夫で、自転車で補助輪を外して頑張っている我が子を放っておいて、あれはないでしょう。母親もフォローもしないし。犬に対しても同じだったということは、そういう性格なのでしょう。生活を考えない使い辛い家を作ったり。

 これって、庭の木が見るに見かねて助けてくれたってことでしょう。父親らしさも母親らしさも皆無です。若夫婦の奮闘記にしても、レベルが低すぎます。そもそも若くなさそうだし。35歳、精神年齢10歳にしか見えません。設定は良く知りませんが。

 まったく感動も感情移入もできませんでした。というか不愉快でした。



22年8月 評価見直し中。極端な評価や感情的な部分を補正。初回見たときの印象と改めて旧作と比較したときの点数の補正など。

 冷静に考えるとあのバイクの爺さんだけはキャラが良かったのでキャラとストーリーにちょっとずつ点数入れます…が、やっぱり良い感情がもてない映画なことに変わりありません。

 なぜかと言えば、夫婦が変わらないで、子供が木の力を借りて自分自身の旅で救済を得たからです。夫婦側でも旅があり何かを悟って間違いに気が付くならいいんですけど。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 7

二足歩行したくない さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

くんちゃん、すきくないの

主人公は4歳の男の子「くんちゃん」。
くん付けで呼ぶと"くんくん"になってしまう危うい名前をつけられた彼の元に、ある日、妹「ミライちゃん」が現れる。
新しく家に来た赤ちゃんに両親はかかりきになってしまい、嫉妬感でイライラが募ってしまったくんちゃんは、妹に癇癪を起こしてしまいこっぴどく叱られる。
誰にも相手してもらえず、わかってもらえない状況に疎外感を感じたくんちゃんは、一人庭に出たところ、自分を飼い犬の「ゆっこ」だと名乗る男が現れる。

幼稚園生の男の子からの目線である一般家庭の情景描写をしながら、新しい家族のあり方と子供の世界の広がりを描いたアニメーション作品。
幼き日の妄想のような異世界が登場し、そこで犬のゆっこや、成長したミライちゃんを名乗る女性と冒険をするストーリーとなっています。
監督は『おおかみこどもの雨と雪』や『バケモノの子』でおなじみの細田守氏で、カンヌ国際映画祭での受賞作品ですね。

ただ、内容は海外においても賛否があります。
子供の目線で家族のあり方を描写し、不思議な冒険に、と書くとシンプルに映るのですが、その実は結構な意欲作となっています。
構成は複雑で、結局言いたかったことは何かがファジーで分かりづらく、かなり哲学的な内容と言わざるを得ないです。
ストーリーが進むとくんちゃんは、両親の子供の頃や自分のルーツ、曽祖父の決意を目の当たりにして子供ながらに"お兄ちゃん"としての自覚を持ってきます。
ただ、過去の辛い時代を知って今は恵まれていると知るというシンプルな話ではなく、やはり最終的には、私にはよくわからない話でした。
興行収入は奮ったものの、世間の評価も今ひとつのようです。

また、その年令の男の子という設定なのでかくあるべきという話ではあるのですが、とにかく、くんちゃんがわがままです。
それは狙いだったのかもしれないのですが、主人公に魅力がなく、多分、多くの人は見ていてイラつくと思います。
一方で、赤ん坊のはずのミライちゃんは、なぜか超絶大人しく、こっちはとてもファンタジーを感じました。
赤ん坊なんて在宅で仕事しているお父さん一人でなんとかなる存在じゃないだろうに、なぜか泣くシーンが殆ど無いです。
ミライちゃん以上にくんちゃんがわがままを言い、仕事中の父の邪魔をして、癇癪を起こして部屋を散らかすので、終始、くんちゃんへのフラストが溜まる作品だったと思います。
反面教材として親が子供に見せるといいのかもしれないですが、やっぱり子供が見てもドン引きするんじゃないかなあと思います。

ラストも結局どうなったのかよくわからない終わり方でした。
一方で、過去作と比較して良かった点として、やっぱり声優で芸能人を起因しているのですが、今回はそれほど違和感を感じなかったですね。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 2

67.2 7 親子でファンタジーなアニメランキング7位
ひるね姫 ~知らないワタシの物語~(アニメ映画)

2017年3月18日
★★★★☆ 3.5 (155)
579人が棚に入れました
2020年の東京オリンピックを目前にした岡山が舞台になっている。

声優・キャラクター
高畑充希、満島真之介、古田新太、高木渉、前野朋哉、高橋英樹、江口洋介、釘宮理恵
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

夢と現実、未来と過去、ソフトウェアとハードウェア、個人と社会、様々な境目で成り立つ不思議な映画

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
最初にタイトルとPVを観たときには、心温まる分かりやすいファミリー向けのアニメ映画なのかな?と思っていましたが、結果、(良くも悪くも)分かりにくいファミリー向けのアニメ映画でしたね。

この辺は、「深みがある」と捉えるか、「どっち付かず」と捉えるかで評価は別れそうですね。

私は後者です。社会実験的なアニメだとしたなら、同監督の「攻殻機動隊」くらい振りきってほしかったし、ファミリー向けなら、「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」の劇場版くらい、それこそ観ている大人が少し気恥ずかしくなるくらい、ガッツリファンタジーを貫いてほしかったかな。

なんとなく、監督が創りたかったモノと、出資者のリクエストが解離してたのかな? と思ったり。

とはいえ、クオリティが高いアニメであることは間違いないと思います。特に作画は良いです。風景とか綺麗。声優陣も、俳優さん中心の中ではハマっていた印象。そんな(声優若葉マーク陣の)中で、圧倒的に上手かった釘宮さんに、なぜかほっこりしましたw

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
やや、酷評です。良い映画なのに勿体なかったな~と。

テーマとしては「家族愛」「(目標としての意義の)夢」「自動運転技術(技術革新)」「日本社会の在り方」などでしょうか?

邪推ですが、前者の2つが出資者からのリクエストで、後者の2つが監督の描きたかったことなのかな? と思いました。せっかく、アニメ映画作成の話が来たから、それに乗っかって、かなり濃い味付けにした感じがしたのは私だけでしょうか? それがどこか、「ショートケーキとステーキを同時に食べているような」食い合わせの悪さを感じました。

夢と現実がリンクし、夢の合間に同時進行で現実が進んでいく展開は面白かったです。特に、夢を観ている(バイクで空を飛んでいる)間に、自動運転技術で大阪に着いているのは、本作のアイディアとストーリーが上手く噛み合っている良シーンだったと思います。

ただ、ラストの展開で、ココネが宙吊りになっているのには、?。会長と会った後、どのタイミングで寝るの? 寝ている最中に、どうなったらあんな状況になるのかが分かりませんでした。ナルコレプシー&夢遊病でもない限り、あんな状況にはならないのでは?

それから、バイクが風船に跳び乗ってココネを助けるのはいかがなものかな? モリオが「家に帰れ」とインプットしたのが、「家=ココネの元」と機械が勘違いした?のはまだギリで良いとして、その後は、? そもそも、バイクの中に落ちるより、風船に直接落ちた方がココネが受けるダメージが少なそうだけど(汗)

機械へのプログラミングを「魔法」と解釈するのはとても素敵だな~と思いました。でも、それが、本当の「魔法」になってしまうと、なぜか安っぽくなってしまうのが不思議でした。

他にも、夢の中で襲ってくる「鬼」は、多分、(自動運転技術に対して反対する、不安を抱く)「世論」の比喩だと思います。その「鬼(世論)」を「倒せる(説得できる)」のは、「エッシェン(イクミ)」の「魔法(プログラミング)」だけだというのも、夢と現実が上手くリンクしていて、素晴らしかったです。でも、ベワンが「炎上しろ」と言ったことで興醒め。ハートランド(自動車の国)の火災と、SNSの炎上とをかけていることを分かりやすくするヒントでしょうが、そこはハッキリ言わない部分に面白さがあるのでは?

そういう意味では、映画冒頭のハートランドの「説明」シーン(エッシェンの語り)も蛇足だったと思いました。ハートランドを本作の舞台(ファンタジー映画)だと思わせ、実はココネの夢の世界だったというミスリードは、(私も騙されましたし)凄く良い構成でした。でも、ハートランドは、ブラック企業感が凄まじく、明らかに「現実(もしくは過去、高度経済成長期)の日本社会」の負の一面を意識していて、それを否定的に捉える構成です。そのこと自体は悪くないけど、それを「描写」で「感じさせる」のが「アニメ」であって、「言葉」で「説明」されると、「説教」くさく感じてしまいます。そもそも、「ファミリー向けの映画」で、冒頭に、あんな「世知辛い世界」を見せる意味があるのかな? 子供の頭には?が浮かび、大人の心はズーンと沈む、誰得?な冒頭シーンだと思いました。

そもそも、機械技術を肯定したいのか否定したいのかが分かりにくかったです。

他にも、ソフトウェアとハードウェアのこととか、夢と希望と無茶に溢れていた旧東京オリンピックの時の日本と、どこか覚めた目でオリンピックをひかえる(話題になるのは、お金の嫌な話ばかりの)現在の日本との対比とか、書きたいことはあるけど、いい加減、長くなってきたのでやめておきます。

端的に言うと、「この作品に家族愛という主題は必要ない」「家族愛をテーマにしたいなら社会的な問題提起は必要ない」と思います。例えばラストシーンの「3世代軒下西瓜」は良いシーンだけど、なんか作品から浮いていた気がしました。取って付けたような感じがしました。

いずれにせよ、「もっと神山監督に自由に作ってほしかったかな~」と思いました。上記の「分かりやすい台詞」にしても、何処かの偉い人から「ファミリー向けのアニメにしては分かりにくい」とのクレームが入り、付け足したのではないかと邪推してしまいます。もしくは、視聴者に気を使いすぎた(信じてない)か。

まあ、映画を観ている大半は、私たちのようにアニメを数百とか観ているダメな大人ではないと思うので(笑)、絶対数的には、これで良いのかもしれません。そもそも、映画館に行かず、レンタルDVDで観ている分際で文句つけるなと怒られてしまいそうです(自戒)w
{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21
ネタバレ

四文字屋 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

パクリ批判も何のその。心羽ちゃんは、自分でも制御不能な絶妙のタイミングで夢の世界に行ってしまうから、そのたびに観ているこちらはドキドキさせられるんで、

夢を効果的に使った作品が、またひとつ、佳作として劇場映画に名をつらねた。と思う。

例によって事前情報はなるべく入れずに劇場鑑賞。


鑑賞前は複雑に入り組んだサイエンス・ファンタジーを予想していたのだが、
鑑賞してみての印象は思ってたのと違って、もっといい意味で単純で、
話のころがりがいい感じに流れていくんで退屈しない。
この物語のキーポイントとなる「眠り=夢の世界」が、
妙な感じに現実社会とリンクしていて、
主人公・心羽(ココネ)は前ぶれ無く眠ってしまう癖があって、
そうすると、この夢の世界に、唐突に行ってしまうので、
ここが都度つど、ハラハラしたりワクワクしたり、突っ込み入れたくなったりで、面白かった。
{netabare}たとえば夢の中で、サイドカーで空を飛ぶ素敵なシーンがあるのだが、このあいだに現実ではココネと幼馴染みのモリオが四国から大阪までたどり着いてしまっていて、
この作品のキーファクターである自動運転技術が綺麗に描かれて楽しいエピソードになっていた。

そんな感じで、ココネが眠っているときに、
現実世界とリンクする異世界の夢を見るのだが、
このリンクが現実世界での事件が夢をなぞるように進行していくのが構成上のお楽しみになっている。

で、演出上のポイントとしては、
冒頭のシーンで、ハートランドを本作の舞台とするファンタジーだと思わせるミスリードが、上手い(これ他のレビュアーさんからの指摘が既にあり)。
また、ハートランドがディストピア風に描かれているのが、志島自動車を去った母親の、その心象を表していたと最後の方で解るようになってるのもいい構成。{/netabare}

映像も流麗だし、ロードムービーとしても、夢と現実がない混ぜになった、一風変わったものとして、楽しかった。

鑑賞後、他のレビューサイト見てみたら、あまり評判がよろしくないようで、
大雑把に言って、
話のテーマが盛り込みすぎ、またはピンボケで絞り込めていないっていう意見と、
神山監督作品にしては大人の鑑賞に堪えないという意見と、
主に「君の名は。」と「サマーウォーズ」からのパクリだという意見が多く見られた。

で、私はというと、面白く鑑賞出来ましたよ。

描きたかったのは、結局は父から、祖父から、亡くなった母からの家族愛。
この辺、たしかにどうも、子供向けにはややっこしいと批判の対象になってはいるんだが。
わたしゃ子供じゃないからいいんだ。

そして余計なはなしだが、
どうも勘違いしているとしか思えないパクリ批判が横溢しているようで、
いわく、PC、タブレット、パスワード等の使い方が「サマーウォーズ」のパクリだとか、
眠っている最中に夢と現実がリンクして世界が動く演出が「君の名は。」のパクリとか。

なんか批判自体のピントがずれている感じ。

PCの使い方やパスワードの演出は、サマーウォーズではなく、
TV版エヴァの第7話のジェットアローンへのオマージュであることは、
夢の世界に登場する、人の造りしものであるロボット=エンジンヘッドのデザインや、
姫=ココネが腕力で挿入して戻した、稼働停止のために排出された制御棒のシーンから見てとれるし、
パスワードの件やタブレットの件も、同様。

眠りの演出に対する批判については、偶然「君の名は。」から数ヶ月遅れで公開されたせいだと思うが、
本作では眠ることをトリガーにして物語を動かしてはいるが、眠りの効果の設定が全く違うし、
公開時期が近すぎてネタとして取り入れる、というかパクるには時間的余裕がなくて無理だろうし、
夢と現実が交錯する話なんて幾らでもあるんで、こういう批判は、
タイムリープを描いた作品に、時かけのパクリだといちいち文句つけるのと同類だと思う。

さらに言うと、{netabare}この作品では、夢を、世界が自分に有利な方向に導かれる道具として活用しているのが妙味なんで、
目覚めたばかりのココネに、モリオから「あまえ、今すぐ早く寝ろ!」と言われたりしてるのが面白いし、
上述した「自動運転技術」と上手くつながっているのも、面白い。
さらには、ココネが、ウェットないしは反感を抱く可能性のある、おじいちゃんとの初対面のシーンで、
唐突に眠りに落ちてしまい、夢の中で話を進めちゃったりするところなど、
思わず笑っちゃってから焦らせてくれる面白い趣向だったし、
目が覚めるまでに厄介ごとを夢の中で処理しちゃうってのが、可笑しくてたまらなかった。

父親を追うこと、祖父と出会うこと、母親を知ることすべてが重要なテーマなのに、これを全部夢の中でやってしまうんだから、大した演出度胸だ。{/netabare}


それから、そんなに他のレビューを見なかったから、
たまたまこれを指摘している人を見かけなかっただけかもだが、
冒頭の夢のシーンは明らかにカリ城へのオマージュだと見て判る。
姫を幽閉する塔のシーンと、その塔の屋根瓦と、窓から伝って出入りする、あれね。

カリ城で、北の塔への行き来に使われる可動式橋梁設備を、
昔、鑑賞した当時から「これ構造力学的に無理だよな」と思っていたら、
橋梁を可動式にするなら、こういう構造なら行けるでしょ。と絵解きしてくれてたのが個人的にはツボだった。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 14

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

先端技術の魔法、大企業病という鬼、そして母と家族愛。

 夏になると見たくなる…というよりは、ココネの夏服とこの映画の印象が夏という感じですね。23年7月再視聴しました。

 この話世間の評価は悪いですけど、私はものすごく楽しめたので1回目のレビューは「ココネの活躍を楽しむ。大人も楽しめる児童書」という評価をしていました。
 ファンタジー的な映像や、2つのバイク、ココネ可愛いなど、結構ワクワクするような冒険譚だと思って見ていました。


 ただ、見返して、ああ、そういう話かと得心がいきました。もっと全然いい話だし、深い話だと思います。母の想いが胸に刺さりました。ココネの物語ではありますが、どちらかといえばココネの母の物語です。

 夢の中のエンシエント姫はイコール母で、魔法とはエンシエント姫が開発した技術です。そして鬼とは、人の心に巣食う嫉妬、功名心、出世欲等々の醜い心、怠惰、停滞、保身、相手を蹴落とすことで自分がのし上がる、です。

 つまり、母が開発した自動運転プログラムを容認できない経営陣が、母を追い出したという話です。経営陣=鬼つまり、老害、大企業病の象徴でした。
 ここで会長のジジイは何かといえば、対立軸が違う気がします。彼は自動車を愛して運転するよろこびを奪ってはいけないという視点でした。そして、母もその点は同意していますが、時代遅れだと評価していました。

 この母を追い出した会社のゴタゴタこそ、ココネが聞かされた物語の元型です。また、ピーチ=エンシェントつまりモモタロウと母の馴れ初めでもあります。
 なんでこんなにねむくなるのか。それはモモタロウに危機が迫っているという予感、あるいは少しファンタジー的に考えるなら母からのメッセージでしょうね。そう思われる場面もありますし。

 つまり、タブレット=母の作ったプログラムというのは、対立しているかに見えた会長のジジイを助けることにもなります。奪われれば、母を追い出した経営陣の手柄になってしまい、これは許せません。

 ココネがなぜこんなに馬鹿か。あえてそれを強調していました。それは母の苦しみと同じ目に合わせたくないモモタロウと母の合意ではないでしょうか。

 夢の中の世界と現実が交錯することによって、モモタロウを守り母の夢を守る。そして会長のジジイも助ける物語です。空飛ぶバイク=自動運転バイクでココネは見事家族を助けました。

「心根ひとつで人は空も飛べる」という社是。
 1文字変えた方がいいという母の言葉。ここまで来ればどこをどう変えるかは自明でしょう。この作品を理解しているかどうかですね。


 で、もう1点。ちょっと関係ないように見えるかもしれませんが、この話、舞台がどうしてもトヨタ市とトヨタ(自動車)に見えるんですよね。そうなると、立場は逆ですがレース命の豊田章男氏となんとなくいろんな事が重なります。
 トヨタは一時大企業病で、自動車会社の本質を忘れていたそうです。そして、経営陣から干された男が、2015年WRCレース向けの「ヤリス」など本格的なライトウエイトのレーシングカーでトヨタブランドを復活させる話があります。結構ドキュメンタリーで見た記憶があるので有名な話ではないかと思います。

 この作品が2017年ですから、どうしても関連を考えてしまいます。ひょっとしたらエンドロールに何らかの形でトヨタがクレジットされるかなと思いましたが、見つけられませんでした。

 そしてEDの高畑充希さんの歌う「デイドリーム・ビリーバー」最高です。アニメ映画の挿入歌NO1にあげたいくらい素晴らしい歌です。故忌野清志郎氏が亡き義母を偲んで日本語詞をつけました。非常にこの映画に合っている選曲です。
 
 21年6月の以前のレビューはちょっと頓珍漢で恥ずかしいので消します。要するに単純な一直線の話をファンタジーと現実の両面から楽しもうぜ的なレビューでした。

 非常に面白いし、家族愛、企業の旧弊などのテーマが感じられる素晴らしい作品でした。恋愛をきっぱりカットして、夫婦にクローズアップしたのも英断だと思います。
 現状4.6ですが、物語とキャラは満点にします。ちょっとだけ高すぎる気もしますが、3回目みたらもっと発見がありそうなので、4.8でいいでしょう。いや、やっぱり満点にします。

 今回は母の愛が染みわたりました。
 

投稿 : 2025/01/04
♥ : 5

67.9 8 親子でファンタジーなアニメランキング8位
パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻(アニメ映画)

1973年3月17日
★★★★☆ 3.8 (45)
258人が棚に入れました
高畑勲・宮崎駿コンビがおくる、シリーズ第2作目。ミミ子とパンちゃん、パパンダ親子は毎日、幸せに楽しく暮らしていた。ところがある日、家に泥棒が侵入! ミミ子は泥棒に会うのは初めてと喜ぶが、肝心の泥棒のほうは驚いて一目散に逃げていってしまった。ところが、パンちゃんのベッドには、さらにびっくりするようなお客様が! なんとトラの子どもがスヤスヤとお休み中だったのだ。トラのドラちゃんはママと一緒にサーカス団で暮らしていたのだが、はぐれてミミ子の家に迷い込んでしまったらしい。ミミ子たちはサーカスに遊びに行き、ドラちゃんのママともお友だちになる。ところが、その夜、大雨が降って…。

声優・キャラクター
杉山佳寿子、熊倉一雄、太田淑子、丸山裕子、瀬能礼子、山田康雄、和田文雄
ネタバレ

前田定満 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

人生に一度はこんな洪水を見てみたい!

制作スタッフ
 原案(イメージボード):宮崎 駿
 演出(監督):高畑 勲
 キャラクターデザイン:小田部 羊一
 絵コンテ(脚本):高畑勲、宮崎 駿
 画面設定(レイアウト):宮崎 駿
 作画監督:大塚 康生、小田部 羊一
 美術監督:小林 七郎
 音楽:佐藤 允彦
 制作進行:真田芳房、熊崎哲男
 制作:東京ムービー
キャスト
 ミミ子(主人公):杉山 佳寿子
 パパンダ:熊倉 一雄
 パン:丸山 裕子
 トラちゃん:太田 淑子
 サーカス団長:和田 文夫
 サーカス団員:山田 康雄
 ナナ:弥永 和子
 カヨ:松金 よね子
 おまわりさん:安原 義人
主題歌
 オープニング、エンディング
  水森 亜土「ミミちゃんとパンダ・コパンダ」
公開日:1973年3月17日
上映時間:38分

 パンダコパンダの2作目です。キャラクターの設定や主題歌なども1作目から引き継がれます。1作目同様に終始穏やかな作品です。

1.あらすじ
{netabare} サーカスの虎の子供トラちゃんがミミコたちの家に迷い混み、仲良くなります。特にパンちゃんとは親友になります。サーカスの会場でトラちゃんのお母さんとも仲良くなったその夜から、大雨が何日も続きます。家のなかは浸水していき2階まで追い詰められます。
 そしてようやく晴れた朝、窓を開けると家の周りは一面水に囲まれ、まるで海のようになっていました。本当の洪水なら汚いはずですが、この話の洪水は透明で大変きれいです。そこにトラちゃんから「助けて」と知らせが来ます。サーカスの会場は水に沈んでいたのです。急いでミミコたちはベッドを船にして助けにいきます。{/netabare}


2.第2作最大の「非日常」とは?
{netabare} 1作目のレビューで「日常の中に非日常が流れ込んできたら、どう感じるか」というのがこのパンダコパンダのテーマであると書きました。もちろん2作目もこのテーマは変わりません。1作目の「非日常」は「日常に喋るパンダ」でした。しかしながらこれは2作目に引き継がれると、すでに日常として扱われています。もうパパンダとパンちゃんはミミコと家族です。トラちゃんという「喋る虎」が2作目で初登場しますが、これも1作目のパンダが虎になっただけで、それほど大きな「非日常」ではないです。
 2作目の最大の「非日常」は「綺麗な洪水」です。地面のそこまで見える透明な水。私は子供の頃、このアニメの洪水を観て羨ましいと思っていました。実際の大洪水のニュースを見る前です。大洪水は綺麗だと思っていた私は現実をつけられ、ショックを受けることになります。{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 9

とまときんぎょ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

明朗爽快ワクワクな日常

前作本作とも脚本・宮崎駿、監督(演出)・高畑勲、作画監督・大塚康夫など

みみ子のおうちにパンダの親子がやってきて、「とくに 竹やぶが いい」の名台詞を言いながら、おままごとのように面白おかしく暮らし始める前作「パンダコパンダ」の続編。

サーカス団から抜け出した虎を探しに来た人がみみ子のおうちを覗くと…小さな歯ブラシ、中ぐらいの歯ブラシ、大きな歯ブラシ。小さな椅子、中ぐらいの椅子、大きな椅子。
童話「3びきのくま」をなぞらえた始まりになっていますね。

みみ子は虎の親子と親子対決(?)をしたり、洪水の後で動物たちを助けて、機関車に乗ってファンタジックな旅をしたり。
幼稚園くらいから観ても集中して観られるようなシンプルな楽しい作りで、安全安心無添加(ホントか?)な夢あふれるアニメです。

ザックリした線が明朗で、アニメならではの楽しい旺盛な動きたくさんです。ちょっとした日常の動作が「そんなことしてどうなるの?」て興味を引きながら、面白おかしく。
宮崎アニメの、登場人物が嬉しいと転げ回って逆立ちする性分がここでも健在。全身で表現するのびのびさが爽快。


パパンダがトトロの原型と聞いて物心ついてから観ましたが、大人向けに堪える作品とは別に、こういうものもずっと残って欲しいです。
みみ子はハイジっぽいですが、「長くつしたのピッピ」のアニメ化を計画したけどポシャってそのニュアンスな子らしいです。


パンダブームの時代の作品。
実際のパンダって目のクマを取ると小さなツリ目( *`ω´)で、ワルそうよね。ウン千万から億で取り引きされるだけありまっせ。

パンダコパンダコパンダ ♪ ティルールールー ♪パンダコパンダコパンダ ♪ って耳に残ります。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 22

Kuzuryujin さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

ルパンより愛を込めて

1973年3月17日公開
『パンダコパンダ』の続編で劇場用中編アニメーション38分
前作から3か月後といういう短期間で公開。

これを観る前に前作観るべき。
DVDならパッケージングされてるので
2本合わせて72分でサクッと観れます。

『ルパン三世 1st series』第21話「ジャジャ馬娘を助けだせ!」を
ほうふつする蒸気機関車での逃走シーンの演出がたまりません。

ルパンの山田康雄さんは前作に引き続きおまわりさん役で再登場。

ヒロインのミミ子演じるは
前作に引き続きハイジでお馴染みの杉山佳寿子さん。

初代ひみつのアッコちゃん役でお馴染み太田淑子さんは、
前回はパンちゃん役だったのに今回はなぜかトラさん役。

前回ナナちゃん役だった丸山裕子さんが今回はミミ子ちゃん。

パパンダも熊倉一雄さんから無名な声優さんに代わってますが
スケジュール合わなかったのかな?

やっぱり熊倉一雄がいい、です。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 4
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