仮想世界アニメ映画ランキング 5

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の仮想世界成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月10日の時点で一番の仮想世界アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

88.1 1 仮想世界アニメランキング1位
サマーウォーズ(アニメ映画)

2009年8月1日
★★★★☆ 4.0 (4182)
21257人が棚に入れました
世界中の人々が集うインターネット上の仮想世界、OZ(オズ)。そのメンテナンスのアルバイトをしている高校生の健二は、憧れの夏希先輩から田舎に行くというアルバイトを頼まれる。気楽に応じた健二だったが、実は夏希の本家とは武家の血筋を受け継ぐ旧家、陣内家であり、曾祖母である烈女・栄のために夏希のフィアンセのふりをするというアルバイトだったのだ。さいわい栄は健二を認め、芝居は平穏のうちに終わるかに見えたが、その夜健二はケータイに届いた謎の数式を、数学の問題と考えて解いてしまう。しかしそれは、OZ世界を崩壊させ、現実世界をも混乱させる大事件の幕開けだった。

声優・キャラクター
神木隆之介、桜庭ななみ、谷村美月、仲里依紗、斎藤歩、富司純子
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

単純明快なテーマをドミノのように繋げた作品

全世界のインフラとして使われている、ネットワークシステム「OZ(オズ)」。
主人公の健二(けんじ)は、バイトとして陣内(じんのうち)家と呼ばれる大所帯の家族の元へ向かうことになります。
そこで、謎の暗号メールを受け取ったところから話は動き出します。
OZの謎の暴走と「ラブマシーン」と呼ばれる敵対者の存在、そこから始まる一夏の「戦争」。


見所は、最新鋭のグローバルネットワークであるOZの世界と、歴史を感じさせる陣内家の対比。
本来ならわかりにくいネットワークの世界を「アバター」と呼ばれるキャラクターを通じ、色鮮やかで視覚的な世界として表現しています。
中でも、何億というアバターの存在感をアピールした「ラブマシーン」の演出は圧巻です。
現実世界の陣内家も多種多様な人々が揃っており、小規模な「世界」といってもいいような構成になっています。

そのような「仮想世界vs現実世界」がメインストーリーとなります。

また、画面の切り換え方にも特徴があります。
「野球中継」を間に挟むことで、現在の状況を的確に表現しながら別のシーンへと繋いでいきます。
これで話がぶつ切りになることなく、スムーズに新しい展開へと進むことに成功しています。


テーマは「人と人とのつながりの大切さ」。
きっかけはささいでも、一度動き出せば止まらない。
そこから始まるドミノ倒しのようなメッセージ展開。
ストーリーを通じて本流は何度も枝分かれし、どこかで競争が起こり、どこかで和解が起こり、どこかで恋が生まれ、再び合流し……一つ一つのテーマは単純ながら、いろいろな場所で花開いていきます。

ただ、たくさんの要素を詰め込んだせいか、本流以外のメッセージ性が弱いです。
適当に見ていれば「ネットばかりに頼ってないで、人同士のつながりを大事にしましょう」という、懐古主義にも捉えられかねません。

しかし、よくよく見ると、
{netabare}
・一元化の危険性
・情報弱者と情報強者の格差
・平和ボケした人々への警鐘
・見えるものしか信じない、そういう考えの持ち主に対する皮肉
・諦めないことの大切さ
・知的好奇心を大いに刺激するのは「遊び心」
{/netabare}
など、さまざまな主張がこめられています。

なお、支流のメッセージ性の弱さに加えて、ご都合主義な展開が目立ちました。
おそらく「距離感と量」が弊害になっているのだと思います。
OZの世界は、アニメの中のアニメというイメージが色濃く、アバターの印象が弱いです。
さらに、現実世界のキャラクターもかなり多いため、一見しただけでは、感情移入が難しいです。
{netabare}
また、陣内家の人脈があまりに強すぎます。
せっかく片田舎の一家が、ワールドワイドなOZとの対比になっているのに、「これだけいれば何でもできるでしょ」と言いたくなるような圧倒的なコネクション。
公務員がメインのため、ある意味「支配者vs民衆」ではなく「権力者vs権力者」という構図になってしまっています。

そして最後の花札のシーン。
レートを上げることができたのは確かに人々の力。
しかし、勝敗を決したのは「運」です。
そこで大事なテーマが止まってしまっているのが残念でした。
{/netabare}

しかし、映像は綺麗で、躍動感があり、人々の表情も豊か。
なおかつ、とても分かりやすい話です。
制作に力が入っているのが伝わってきます。

私のように変に探りをいれず、エンターテイメントとして、気軽に観るのがいいのではないでしょうか。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 76

♪せもぽぬめ♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

お願いしまぁ~す!!o(⌒∇)=━━━━━━━━━━━━━━━○★)゚O゚)/

~あらすじ~
とりあえず見てW

誰もは一回は見たことあるとおもいます(見たこと無かったらすみません)

サマーウォーズは、主人公の特徴や仲間の個性を上手く使った
とても考えられた作品です。

メインはネットの世界ですが、ネットの世界に片寄らず、
普通の世界とネットの世界を上手く合わせている作品です。

最初は特徴も微妙でダサイ主人公だと思っていましたが、
最後も鼻水を垂らしてダサかったけど、
必死に頑張ってるところを見てると、格好良く思えてきて、
勇気を貰いました。

見たこと無い人がいたら是非見てくださいm(._.)m おねがい

投稿 : 2024/06/08
♥ : 62

Key’s さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

夏の終わる前に観てきました

夏に先輩の家にバイトで行くことになり
そのバイトの内容が彼氏のフリをするというもの
その後主人公が事件に巻き込まれて
それを先輩の家族と一緒に立ち向かって
解決するというのがあらすじです

最初の印象としては
田舎でなんかほのぼのとしたやつなのかな?
とか思っていましたが
良い意味で裏切られましたねw

OZという巨大な様々なことを
管理するものが乗っ取られて
それを取り返そうと家族で頑張るのが良かった

キャラは家族も含めみんな個性的で良かったな
でも家族多すぎてどういう繋がりなのかは
覚えられなかったなw

個人的には主人公とお婆ちゃんとカズマ君が
めっちゃ好きだったな~
悪いけどなんかヒロインが好きにはなれなかった
後半はまだしも前半の主人公に対する態度がな~

自分で彼氏のフリさせといて好きな人出てきたら
その人に構ってばかりとか主人公が可哀想だった・・・
でも基本的に好きなキャラが多かった♪
婆ちゃんとカズマ君もかっこよかったしな~

ストーリーも上手く2時間でまとめられてると思うし
声優が少し気にはなったが充分楽しめた

最後に主人公が覚醒?するのは
良かったな一番好きやった
盛り上がって楽しめたし感動できるところもあり
家族で見ても楽しめる良い作品だったと思います

子供から大人まで楽しめる
おすすめできるアニメ映画のひとつでした♪

投稿 : 2024/06/08
♥ : 62

76.2 2 仮想世界アニメランキング2位
楽園追放 -Expelled from Paradise-(アニメ映画)

2014年11月15日
★★★★☆ 4.0 (888)
4649人が棚に入れました
われわれはどこから来たのか われわれは何者か

われわれはどこへ行くのか――。

地球はナノハザードにより廃墟と化した。

その後の西暦2400年、大半の人類は知能だけの電脳世界ディーヴァに生きていた。

電脳世界に住む捜査官アンジェラは、

闘力を誇るスーツ・アーハンを身につけ地上に初めて降り立った。

そして地上調査員ディンゴと共に地上のサバイバルな世界に旅立った。
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

重力では好奇心には勝てない

オーソドックスな王道SF作品。

人口爆発と資源問題、
地上はナノハザードにより廃墟と化した。
地上を捨てた大半の人類は、
電脳空間ディーヴァに移行し、
恒久の平和を手に入れる。
{netabare}そのディーヴァに地上からの不正アクセス。
目的正体不明のフロンティアセッター。
不安に駆られるサイバースペースの住人。{/netabare}
捜査官アンジェラは地上に降り立ち、
世界の謎に迫ろうとしている。

世界観の作り込みとシナリオが、
上手にまとまっていて好感が持てる。
大切なのは物語なのでしょう。

相反する2つの価値観、
{netabare}進化の次のステージに進むこと。
肉体の檻の中で生きていくこと。{/netabare}
管理され制限された精神世界と、
空腹に疲弊し、病気になる地上の重たい肉体。

そう言えば草薙少佐も、人が人足り得るのは、
好奇心あってこそだと言っていましたね。

銀河の果てまで、旅立とう。
勇敢なるその一歩が新しい歴史を作るのだ。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 66

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

3DCGの進化と可能性・・・でも結局はアンジェラタンの尻!

2014年11月公開のアニメ映画。
監督は水島精二氏、脚本は虚淵玄氏、
劇場用フル3DCGアニメーション。

もし、あなたがアニメ評論家ならば
本作は絶対に視聴しなければならない作品でしょうw
というのも「3DCGの進化と可能性」というのは
現在必ずと言ってもいい程アニメ評論の俎上に乗せられるホットトピックだからです。
従って3DCGアニメーションの「蒼き鋼のアルペジオ」や「シドニアの騎士」の
視聴もマストですw いや、アニメ評論家ならではですけどねw

2014年現在今まさにアニメ業界は大きな変革期を迎えており、
私たち視聴者はその渦中を目の当たりにしている最中なのかもしれません。
それだけ3DCGの進化は著しいということなのでしょう。

もし本作のあるべきレビューなるものが存在するならば、
本作に照らし合わせて3DCGの技術論を語っていくというものなのでしょうが、
無論私にそのような知識はございませんw
なので、ここでは水島精二監督の言葉を引用したいと思います。

「いままでの現場だと、リスク回避のため2Dのアニメーターが
レイアウトとラフモーションを作り、
それを元に3DCGアニメーターが作業をするという手法を取っていた。
しかし、それだと3DCGアニメーターの実力も分からないので、2Dアニメーターを介さず、
直接3DCGアニメーターに画づくりをしてもらうことを提案した」

また、水島精二監督は本作の制作を通して確かな手応えを感じたのか
このような言葉も残しています。

「キャラクターの表情や表現も向上していて、
 今回の制作を通じて、3DCGで萌えアニメが作れる確信を得た」

新時代の到来を期待せずにはいられないお言葉です。

これは3DCGが2Dを駆逐するということではなく、
水島精二監督も相補的な関係を望まれているようです。
両者が相互に刺激を与え合うことによって、
作業の効率化、優秀な人材の確保、
そしてより質の高い作品の提供という循環が理想的なのでしょうね。

さて、このような予備知識を得てしまうと視聴前のハードルというのは
かなり高めに設定されてしまいますが、製作陣もそれは望む所なのかもしれません。

というわけで簡単なあらすじを(知っている方は飛ばしてください)。

西暦2400年、地上は荒廃化している中、
人類の98%は肉体を捨て自らをデータ化し、
電脳世界「ディーヴァ」で豊かな生活を謳歌していた。
ある時「ディーヴァ」へ地上からハッキングを受けるという事件が起こり、
ディーヴァ捜査官アンジェラ(CV:釘宮理恵)は
生身の体(マテリアルボディ)を纏い地上へと降り立つ。
地上調査員ディンゴ(CV:三木眞一郎)と共に地上のどこかに身を潜めている
ハッカー「フロンティア・セッター」を追っていくという話です。

で、感想なんですけど、あらすじを読んでもらえば分かるように
どこかで聞いたことがあるような話ですし、
最後まで観ても特段語るようなことはございませんw 
飽きずに最後まで楽しめましたけど「まぁおもしろかったです」で感想は終了ですw

ストーリー自体は凡庸かもしれませんけど見所は結構あります。

ディンゴ役の三木眞一郎さんは物語シリーズで貝木泥舟役を演じておられますが、
非常に人間味溢れるところなんかは貝木泥舟に通じるものがありますw
そんなディンゴとアンジェラ(くぎゅうううううう)のやり取りなんて
ニヤニヤしながら観てましたw
「か、勘違いしないでよね。別にあんたのことを認めた訳じゃないんだからね!(赤面)」
こんな台詞は多分なかったような気がしますが、まぁくぎゅってましたねw

人間味溢れると言えば自我を持った人口知能(CV:神谷浩史)なんてのも居て、
この辺りは「翠星のガルガンティア」を彷彿とさせます。
テーマも似通ったところがありますね。

利便性を享受するも実質的には電脳世界の運営に支配されながら生きていくのと
不便性を伴いながらも自らの生き方を自分で決めることができる地上での生活とでは
どちらが真に豊かなのか?
あるいは合理性、効率性のみを追求する人間と
遊びの心を持ち合わせている人口知能とではどちらが人らしいのか?
とかそんなテーマを投げかけてはきますが、
私感としてはあくまでエンタメの範囲内です。
特に哲学的な重厚な作品という印象は受けませんでした。
製作陣もライトなSFということは意識されていたようですけど、
その通りの作りになっていると思います。気軽に観れると思いますよ。

そしてやはり本作の注目ポイントはセルルックのフル3DCGアニメーション映画ということで、
キャラの表情などがどれだけ自然な出来なのかということになりますが、
これはかなり高いレベルで仕上がっていると思います。
前知識なしで視聴すればもしかしたら3DCGということに気付かないレベル
・・・というのは流石に言い過ぎかもですが、私がブヒるには十分でしたw
それでも気になる箇所というのは存在しましたし、
激情だったり鬼気迫る表情ということで言えば線がちょっと軽いですね。
「キルラキル」なんかは情念のこもったGペンタッチの線で迫力満点だったのですが、
まぁそれは極端な例とはいえ、あっさりし過ぎて迫力不足な点は否めませんでした。

戦闘シーンも爆発だったり構図やアングルはさすがに3DCGという出来なのですが、
建物が若干ジオラマっぽいなとか細かい所を観ていけば
まだまだ課題は残っているのかもしれませんね。

しかし、一番の見所はアンジェラタンの揺れる乳に、尻!尻!尻!尻!(尻の4カード)ですw
真面目なテーマを扱っているだけにこういう露骨なサービスカットが
必要なのかどうかは疑問符がつくところなんですが、
これも技術の進化を示す為には必要なことなのかもしれませんw

長々とした文章になってしまいましたが、
私が本作で最も印象に残っているのは結局「アンジェラタンの尻」ですw

とはいえ、「3DCGの進化と可能性」という観点で言えば
後々まで語られるであろうエポックメーキングな作品ということになるでしょう。
もしかしたら本作を劇場で観たという歴史の証人になれるチャンスかもしれませんよw

投稿 : 2024/06/08
♥ : 64

ワタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

極上の娯楽映画。

結論から言うと、今年放送されたどの作品よりも、これが一番面白かった。

ジャンルはSFだが、廃墟と化した地球・電脳世界・人工知能などといった、もはや手垢のついた設定ばかり。
ストーリー的にもこれといった深みも捻りもなく、ましてや大きな仕掛けやどんでん返しがあるはずもない。
でもそんなことはスタッフも重々承知の上で「それがどうした?面白ければそれでいいじゃないか!」
と言わんばかりの、萌えエロとメカアクションに溢れた上質な王道娯楽活劇に仕上がっている。

時間の制約上、アンジェラ・ディンゴ・フロンティアセッターの3人のみに焦点を絞ったのも好判断。
立場が異なる各々の主張が、テーマ語りだけでなくキャラ立てとしてもしっかり機能している。

終盤の戦闘シーンは圧巻の一言。
ここ最近のCGメカアクションでは、マジェプリ・シドニア・亡国のアキトが特に凄いと思ったが
本作はセルルック(3Dを2Dのように表現する手法)という意味で、方向性が若干異なる。
3Dならではの高速戦闘でありながら、2Dの手描き感も味わえるとは・・・!
本作はフルCGアニメだが「2Dこそが至高」と思ってる人に一度観て欲しいと思った。

アンジェラの顔芸一歩手前の鬼気迫る表情や、ワンカットだけあった完全デフォルメ顔なんかも印象的で、
これは専用の表情モーフィングツールを使っているとのこと。手描きと思ったけどホント技術凄いな・・・

一応不満点を挙げると、電脳世界側の描写が薄いところか。
劇中で電脳世界の在り方が肯定されたり否定されたりするが、いまいちピンと来ない。
あとディンゴが完璧超人すぎるかな(歌がアレなのは中の人の問題)。
アンジェラとの掛け合いは面白いけど、アンジェラが一方的に論破されてるだけに見えるのがね・・・w

※※※

作品に斬新さや深みがあるという「だけ」で褒め称えられ、
それらがない作品は特段価値のないものとして格下に位置付けられるという風潮は間違いなくあると思う。
個人的には創作作品である以上、まずエンタメ優先であって欲しいという思いがある。
斬新さや深みに拘り過ぎるあまり、娯楽性が疎かにされるような作品はあまり好きではない。
作者の妙な哲学のせいでストーリーがグダグダになり、キャラがブレまくるなんて本末転倒だろう。

虚淵玄という脚本家には色々思うところがあるが、
その本質はエンターテイナーだということを本作を観て勝手に確信した次第。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 60

65.2 3 仮想世界アニメランキング3位
ガラスの花と壊す世界(アニメ映画)

2016年1月9日
★★★★☆ 3.6 (204)
1032人が棚に入れました
原案は、新進気鋭の創作ユニット「Physics Point(フィジクスポイント)」によるシナリオ&イラストレーション作品『D.backup(ディー・ドット・バックアップ) 』。2013年に募集された「アニメ化大賞 powered by ポニーキャニオン」の大賞作品。

声優・キャラクター
花守ゆみり、種田梨沙、佐倉綾音

伝説のししとう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

なぜ1時間にしたのか…

主要キャラクター
デュアル-cv.種田梨沙
ドロシー-cv.佐倉綾音
リモ-cv.花守ゆみり
スミレ-cv.茅野愛衣

感想
なんの予備知識もなしに視聴したのですが、とりあえず一言……難しい!
何も考えずに視聴できるタイプの作品だと思っていたので、開始5分でついていけなくなりました 笑
題材としてはITを扱っているので、プログラマーなどパソコン関係に詳しい方は、1回の視聴で理解できるのかもしれませんが、私含むそうでない方は完全に理解するには最低3回は視聴する必要があると感じました。
そもそもITなんてほとんどの人が興味ないのになぜこれを選んだのかが疑問ですね。

ぶっちゃけ私のように1回しか観に行かないよというような方は、ストーリーは理解できないものだと割り切って、高水準の作画やドロシーのハミ乳を楽しんだ方が良いと思います。日常パートもあったのでそこは満足してます。後半話が進むにつれて、服がエロくなっていくのはあざといのでマイナス。
声優さんの演技はとても良かったです。花守さんは初見でしたが、特に下手だとは感じませんでした。後はドロシーがごちうさのココアにしか見えない…あやねる最高!

総評
1回観ただけで理解できるような作りにして欲しかったですね。1時間という尺では厳しかったのだろうか。まあ本命はガルパンでしたから、どんな出来であろうと特に思い入れもないのでノーダメージなんですけどね。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 31
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

擬人化美少女プログラムもの・・・という新たな萌えジャンルを創出?

今年1月の公開映画で、未だ上映中の劇場もあるのに、早くもバンチャで販売されていたので視聴してみました。
(本作は正味67分。TV放送アニメの3話分の長さしかなくサクっと視聴できました)

◆総評

設定はなかなか凝っていて興味深かったのですが、ストーリーは今ひとつ盛り上がりに欠けてしまった印象。
それでも、あれこれ考察しながら結局3回も見てしまったので、個人的には好きな部類の作品だったのでしょう。

※これから視聴する方への提言

何も考えずに1回目視聴

公式サイトのIntroductionのページの人物相関図とChronology(年代記)を確認する(※必須)。

2回目視聴

wikipediaその他の説明サイトや考察サイトを色々チェックしてみる。

3回目視聴

※これが一番楽しめる視聴方法かも。


◆考察

(1)本作終盤で、{netabare}以下の3世代の女性の姿をしたプログラムたちが、謎空間で会話していることに注意

①スミレ(祖母) ← O/SのViOSは、スミレの少女時代の姿で擬人化
②ダイアナ(母) ← 主要APP(アプリケーション・プログラム)だったmother.exeは、ダイアナの姿で擬人化
③リモーヌ(娘) ← mother.exeのバックアップ・プログラムのリモは、リモーヌの姿で擬人化{/netabare}


(2)終盤の謎会話シーンの考察

{netabare}※ウィルス駆除プログラムの片割れ(デュアル)が、終盤に何度も「スミレ」と呼びかけてるのは、実はスミレに擬人化されたViOSというプログラムに話しかけている、ということ。

※デュアルは、「自分たちアンチウィルス・プログラムは決められたアルゴリズム(論理演算手続き)に従うだけの存在であり、自由意志を持たない」とずっと思っていたが、スミレ(=ViOSの擬人化)から「貴方も自分で決められる」ことを教えられ、mother.exeに書き換えられる以前のオリジナルの姿に戻ることを選択する。

※リモは、mother.exeのバックアップ・プログラムだが、少女時代の姿の祖母スミレ(=ViOSの擬人化)のアドヴァイスを受けて、母ダイアナ(=mother.exeの擬人化)の「デュアルやドロシーがエラーを返したら(=mother.exeの命令に反する行動を起こしたら)、“知恵の箱”という仮想空間を強制フォーマット(初期化)する」という命令が完全に遂行される前に自らが消滅する、という選択をする。{/netabare}

投稿 : 2024/06/08
♥ : 30

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

美少女ウイルス駆除ソフトが駆け抜ける美しき世界

2016年公開の劇場版アニメ 67分

原案 Physics Point 監督 石浜真史 脚本 志茂文彦 音楽 横山克
制作 A-1 Pictures

仮想空間内でコンピューターウイルスと戦うソフトを擬人化した物語。

一般人が感動したアニメベストなんとかで見つけて視聴してみました。

人類滅亡後であるとか、知識の箱として人類文化をコンピューター内に保存しているとか、
恐ろしくありがちな設定で去年公開としてはSF性よりレトロ感覚が強いです。
科学的発想としては80年代レベルですが。

そのコンピューターソフトに人格が与えられ、ウイルスと戦うのですが、
はっきり言って「美少女アニメ」にしか見えませんでした。

リモ CV花守ゆみり 魔法少女育成計画のねむりん 鷲尾須美は勇者であるの三ノ輪銀
デュアル CV種田梨沙 新世界よりの渡辺早季 四月は君の噓の宮園かをり
ドロシー CV佐倉綾音 サイコパスの霜月美佳 ごちうさのココア

なかなかマニア受けする声優陣で好みなんですが、単なる美少女役に徹してるだけのような気もします。

仮想現実はいくつかの層に分かれていて、サイバーバンク系や不思議の国のアリス系、
またはゼーガペイン系などありますが、物語に対しては効果的ではないような気がします。
ひねりがないところが一般人向けなのでしょうか?

ともかく、美少女アニメとしては一級品で作画も素晴らしい。
なんとなく流すにはこれ以上ない可愛い雰囲気アニメでした。

泣ける? えっ!
 

投稿 : 2024/06/08
♥ : 24

69.7 4 仮想世界アニメランキング4位
竜とそばかすの姫(アニメ映画)

2021年7月10日
★★★★☆ 3.6 (218)
619人が棚に入れました
高知の自然豊かな村に住む17歳の女子高生・すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずはその死をきっかけに歌うことができなくなっていた。いつの間にか父との関係にも溝が生まれ現実の世界に心を閉ざすようになっていく。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日偶然にも、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というキャラクターで参加することになる。もうひとりの自分。もうひとつの現実。もう、世界はひとりひとつじゃない。<U>では自然と歌うことができたすず(ベル)は自ら作った歌を披露し続けていく内にあっという間に世界中の人気者になっていく。そんな驚きも束の間突如轟音とともにベルの前に現れたのは竜の姿をした謎の存在だった―。
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

内にある迷いと弱さ

細田守監督作品。

50億人がすれ違う仮想世界「U」、
ベルの歌声は、孤独な誰かに届くのか!?

自然豊かな田舎に住む平凡な女子高生鈴は、
とある事故がきっかけで歌うことが出来ない。
ある時、友人から紹介されたUへの招待から、
{netabare}現実では厳しくとも、Uでなら歌えると、
まだ可能性が残されている仮想世界で、
彼女は後に話題となる、歌姫ベルとなり、{/netabare}
自己再生の物語を始めようとしている。

美女と野獣をオマージュした演出と、
サマーウォーズを想起させる仮想空間、
娯楽性に富んだ世界観ではありますが、
ネット文化に対する啓発的な印象を受け、
物語は思いの外、娯楽性一辺倒ではない。
その点をどう感じるかで印象も変わる。

{netabare}家族との絆、臆病な私、竜の存在意義、{/netabare}
あまり多くを語るのも難しいものですね。
それぞれが薄くなった印象を受けます。

物語の文脈を読み解くことそれ以上に、
歌と映像美をただ体験することに於いては、
満足度の高い作品ではないでしょうか。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 35
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

いのちの歌

日常の中に浸透した仮想空間を物語の中心に設定する点で、本作はまず
2009年のヒット作『サマーウォーズ』への顕著な回帰が認められる。
ただし今回は、リアルとヴァーチャルとの関係性が明瞭に主題化されており、
構成とテーマの双方で、「二重性」がキー・コンセプトとなっている。
細田監督いわく、「インターネットというものは現実と虚構の部分を併せ持つ
二重性があり、『美女と野獣』もまた二重性を持った作品である」。

この着想に基づいた固有の問題意識が観客に向けて提示されるわけだが、
不幸にもそれが伝わらずに、共感の回路が閉じられていた場合、
本作のストーリーはきわめてつまらないものに感じられるだろう。
臆病な少女がネットで少年と知り合い、勇気を出して彼の窮地を救う。
煎じ詰めればこれだけの話である。陳腐な美談に月並な社会批評を足し加えた
大衆迎合型の商業映画、などといった酷評もやむを得ないところだ。

しかしながら、問題共有の回路は確かに開かれているのである。
本作の秘密は、二重性の下にもう一つの二重性が潜んでいることにある。
ヒロインの日常と仮想世界が連続する、平面的・並列的な二重性とともに、
竜とベルのストーリーに託されて、すずの心の再生のプロセスが進行する
内在的・重層的なもう一つの二重性が構造として認められるのだ。
いわば、表層面と深層面にそれぞれの二重性が存在しているのである。

例えば、仮想空間〈U〉をそっくり、すずの深層心理の世界と捉えてみると、
作品全体の構造がシンプルに一本化されて見通せるようになる。
作品への共感の回路が開かれる場所はまさにそこなのであって、
すずの物語が私たちの時代の問題と重なり合う、本作の核心部なのである。
匿名性の限界を突破する行動と、自らのトラウマを乗り越える勇気。
重層するストーリーから透視的に浮かび上がる一点に照準を合わせて見ていきたい。


Ⅰ 竜とベルの物語
{netabare}
リアルでは不可能な願望を実現できる "もう一つの現実"― 仮想空間〈U〉。
母の死以来、歌えなくなっていたすずはそこで、ふたたび歌えるようになる。
ついに歌姫の座にまで上り詰めた彼女は、竜と出会い、彼のあとを追い始める。
その動機について、作中では十分な説明がなされていないようだ。
なぜベルは、危険を冒してまで竜に接近し、彼と関わろうとするのか?

竜の正体をめぐって無数の人々が声を上げる、― 竜は何者? 彼は誰?
匿名性の空間が内包する地熱のような好奇心は際限なく広がってゆくが、
単に欲望を満たすためだけに情報が求められ、真実はただ消費されて終わる
バーチャル空間の空虚で危うい本質が、この人々の竜探しに露呈している。
その中にあってベルは異質な、孤独な存在である。

薄雪草さんが本作に書かれたレビューから、一節をここに引用させて頂く。

 本作は、すずの心情を捉えることが重要です。
 特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」
「あなたに、逢いたい。」

 どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。

あなたは、誰? あなたに、逢いたい。―
ベルの発する問いは、興味本位の詮索とは全く異なる、切実なものだ。
その言葉には、一個の人格と関わろうとする真剣な意志がこめられている。
彼女の心の真実に少しでも近づくために、補助線を引いてみる感覚で自分は
〈U〉の世界をすずの深層心理と捉える解釈を踏まえて、こんな推論をしてみたい。
竜を探し求めるプロセスは、彼女の深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。

「〈U〉のボディシェアリング技術は
 その人の隠された能力を無理やり引っ張り出す。」

つまり〈U〉にはその人のポテンシャル、いわば内部現実が投影されている。
さらに、抑圧された状況が能力を強化した結果が、ベルの歌であり、竜の強さだった。
ならばもし、その抑圧がさらにもう一つの能力をすずから引きだしたのだとすれば?
歌姫ベルを賞賛する何億もの人々の前で自らをアンベイルし、素顔を曝すシーン。
この自殺行為にも等しい行動を促したものは一体何だったのだろうか?
それこそが、すずの本質に秘められた能力の発現だったのではないか?

薄雪草さんが以前、使っておられて強く印象に残った言葉がある。
「当事者性」。― この言葉で、自分はすずのその能力を言い表せると考える。
恣意的な解釈にならぬよう注意しながら、このキーワードに即して
すずの行動の軌跡をたどり、彼女の内面への接近を試みたい。

まずそれは、他者の痛みへの共感として具体的に現れる。
幾度も拒絶されながら、ベルは竜に近づこうとする。
「來るな!」「見るな!」―竜がベルに言い放つ拒絶の言葉に注意が必要だ。
竜の正体である恵、彼を傷つけたものは父親の暴力だけではなかった。
世間の大人たちの無理解と見せかけの善意。そして何よりも、好奇の視線。
― あんたも人の秘密を覗き見して笑いたい人?

一方で、すずには彼の拒絶の意味を理解することができるのだ。
すず自身がかつて、母の行為をめぐって匿名の人々が無責任に投げつける
心ない非難によって、深く傷つけられた経験を持っているからだ。
だからベルは竜に語りかける、― 本当に傷ついてるのは、ここ、ね?
つまり、ベルが決断したアンベイルの本当の目的とは
痛みをともに分かち合う決意を相手に対して示すことだったのではないか?

彼の傷ついた心に近づくためには、自分もまた致命傷を負う覚悟で
今度は「当事者」として、不特定多数の人々の前に自分を曝さなくてはならない。
・・・「素顔をかくしたままで何が伝わるってゆうの?」
忍のこの言葉には本作のテーマの一つが要約されている。
匿名の安全地帯で傍観したまま、好き放題を言うことは卑怯であるばかりか、
そこには他者の現実に関わるアクションは一切、生まれることはないのだ。

あなたに、逢いたい。―このただ一つの願いを伝えるためには
絶対にベルではなく、素顔のままのすずが歌わなくてはならなかった。
そして彼女は叫ぶ、「光を放て! わたしにその光を放て!」
突き付けられた「おまえ、誰だ?」という問いに対して応えるため、
本当の関わりを求めている「当事者」であることを証しするために―。

  逢いたい もう一度 胸の奥 ふるえてる
  ここにいるよ 届いて はなればなれの 君へ

アンベイル、それは現実が仮想現実を内部から食い破る瞬間である。
そこに生じたすずの "変容" には、やはり二重の意味合いが認められる。
単に表層の "現実" が表れたのみならず、内部に隠れた "真実" が顕在化したのだ。
それは、理想化された自分から元のみすぼらしい自分に戻ることではなく、
虚像に縋る自分の弱さを、真実の自分へと乗り越えていく決定的な変化を意味している。
すなわち、彼女の本質である当事者性が顕現した瞬間なのである。


・・・本稿の推論の出発点はこういう仮定だった、
ベルが竜を探し求めるプロセスは、すずの深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。
そして彼女は求めていた真実の自分に出会う。それが「ベルと竜の物語」の帰結である。
だがおそらく、そのさらなる深部にはもう一つの、さらに痛切な願いがあった。

歌い終えたすずは、地平線から昇りはじめる三日月を凝視している。
その横顔に驚きの表情があらわれ、次第に大きなものになってゆく。
不意にすずは、自分がいま当事者として行動していることをはっきり意識したのだ。
そして、自分がいま立っているこの場所が、あの日母が立っていた同じ場所であることを。
理解できずに苦しみぬいた母の心を知る、決定的な"気づき"の瞬間である。

それこそがすずの心の奥に秘められていた、最大の願いだったのではないか。
自分を探し求める「ベルと竜の物語」の水面下で、彼女は無自覚に母を探していた。
本作の真の二重性は、アンベイルの場面に集約的に予示されているが、
その全容は、急転回の先にあるもう一つのクライマックスによって開示される。
すずの再生のストーリー、「すずと母の物語」がそこで完結するのである。
{/netabare}


Ⅱ すずと母の物語
{netabare}
仮想世界〈U〉で展開される「竜とベルの物語」は、
すずの当事者性の発現をとおして母の心に到達するプロセスとして、
深層部分で進行する「すずと母の物語」に最終的に統合される。
それは、母の死によるトラウマを克服し、世界とのつながりを回復する
ヒロインすずの"再生"の物語であり、そこに本作の核心がある。


すずのトラウマは、歌おうとして嘔吐してしまう痛ましいシーンに集約されている。
母との幸せな思い出につながる「歌」は、喪失の苦痛を再帰させるために拒絶される。
だが、拒絶されているものは本当に歌だけなのだろうか?
あるいはそこには、母に対するすずの心情もまた内包されているのではないか?
母を求めながら同時に、受け容れることを拒んでいるアンビバレンツな心理が
彼女の心の奥底にわだかまっているように思われるのだ。

すずの内面を丁寧に説き明かされた、薄雪草さんの一節を引用させて頂く。

「すずの心的世界は、10年以上にわたって、
 ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。
 どうして私は独りぼっちなのか。」
 お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。
 すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。」

母に「独り」にされたすず。決して答えの見つからない「なぜ?」の呪縛。
ここでふたたび補助線を引いて、孤立するすずの心にさらに接近を試みたい。
おそらく、すずを苛んでいたはずの、もう一つの「なぜ?」があるはずだ。
その心の中にはこんな想いが潜んでいたのではないか―

― お母さんは死んでしまった。もういない。それなのに、
なぜ今も、その女の子だけが生きているのか。・・・なぜ?

すずの孤立の根底にはいわば"いのち"への不信感があったのではないだろうか。
母が救った赤の他人のいのちと、代わりに失われた母のいのちと。
この二つの命の重さがすずにとって、果たして同等であり得るだろうか?
いのちの重さはすべて等しいとする建前論は、当事者にとっては不条理でしかない。
これは、"いのち"の価値をめぐる根源的なアポリアである。
同時に、こうした感情を自分が抱くことに優しいすずは罪悪感を覚えずにいないはずだ。
この心理が無自覚に、彼女を世界から遠ざけていたのではないだろうか?

母の行動は常識的な理解の及ばない、"いのち"の絶対的な地平にある。
その場所に立たない限り、母の行動をすずは永遠に理解できない。
だが、それは現実には不可能であり、彼女の心もまた受け容れることを拒んでいる。
「なぜ?」という問いは深淵のように、母とすずとを隔てつづけるだろう。
現実でも、さらには内面においても、すずは二重に母を喪失しているのである。


この絶望的な断絶を乗り越えて、すずが再び母に出会うためのプロセス。
それが〈U〉のストーリーの本質だと言ってよいだろう。
したがって、アンベイルの意味をこの文脈でもう一度、捉える必要がある。

地平線上に昇りはじめる三日月を凝視したまま、立ち尽くしているすず。
その瞬間、彼女にはいったい何が見えていたのだろうか?
おそらくその時、すずは"いのち"の意味を感得したのではないだろうか?
濁流に飛び込んでいったあの時の母と同じ衝動がいま、自分を突き動かしている。
自分自身が当事者となって、危機に瀕した"いのち"と向き合っているこの瞬間、
すずはあの日、母が立っていた絶対的な"いのち"の領域へと踏み入ったのだ。

「何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、
 視線の先に輝いている三日月なのです。」

自分本位の感情に囚われていたすずが、母の心を経験的に理解する。
それは、母の立っていた"いのち"の地平への「転回」と言ってもよい。
そのとき、すずを苦しめてきた不条理はもはや存在しない。
いま彼女は、救われたその子が生きている現実を受け容れることができる。
なぜならそれこそが、母が命に代えて願ったことの成就に他ならないからだ。
それはそのまま、母の想いが今も現前し、生き続けていることを意味する。
そこに示された母の"いのち"の在り方をすずは受け容れ、自分の中に定着する。
そして、すずの中で再び母が生きはじめる。・・・

アンベイルとはこのような、すずの"再生"の瞬間だったといえる。
自らの行動によって母の行動を理解し、肯定し、受け容れることで
「独り」であることの果てしない苦悶から彼女はようやく解放されたのだ。

「"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。」

本当の"気づき"だけが、救いをもたらす。三日月はこの救済の象徴となる。
あるいはそれはまた、不断に再生する"いのち"の象徴なのかも知れない。


クライマックスに達した物語はその直後、予期せぬ急展開に突入する。
虐待を受けている兄弟のもとに単身で駆けつけたすずが彼らと対面し、
二人を庇って父親と対決する、もう一つのクライマックスとも言うべきシーン。
リアリティーも含め、とりわけ批判にさらされているのが、この唐突過ぎる超展開なのだが、
仮想空間と現実世界を貫く"いのち"の物語の最終的な帰結と捉えることによって、
充分な整合性と必然性が認められると自分は考える。

まず、DVの問題をストーリーに絡めた点については、
脈絡の欠如から、社会派を気取ろうと無理に取ってつけたようにも言われるが、
物語の一貫したベクトルに即してみれば、必ずしも不自然なものとは思われない。
なぜなら、「暴力」とは原理的に「いのち」の対極にある事象だからだ。
そのシェマティックな対立の構図をとおして"いのち"の輝きを示すために、
ヴァーチャル空間のベルも、現実世界のすずも、全力でそれと対決する。

さらにすずの行動が、感情に任せた衝動にしか見えない点。
確かに、彼女の動機の説明となる自然な流れが欠落しているようにも感じられる。
だがここで、〈U〉のパートにさかのぼって想起したいのは、
竜の城にベルが再び潜入するくだりで描かれている、弟が育てた「秘密のバラ」を
竜とベルが分かち合う象徴的な儀式についてだ。

この「バラ」のシンボリズムは明快である。
城の広間に飾られた、顔の部分を損傷した女性の肖像画。彼女が誰なのかは
同じ画像がケイのひび割れたスマホに保存されていることからも明らかだ。
すずが使い続けている欠けたマグカップとも呼応しながら、
彼らの傷ついた心と、"喪われた母"へのひそやかな思慕がほのめかされる。
反復されるイメージをアナロジーによって連結するこのメタファーの技法で
三人の絆を示しつつ、その中で母親としての存在がすずに託される。
それを暗示するのが、肖像画の母と同じ、胸元に飾られるバラの花であり、
最終盤のシーンを予示する、"秘密の"布石となっていると解釈できる。

つまり、たった一人で兄弟のいる場所に向かおうとする、すずの無謀な行動は
一般常識ではなく、作品に内在する非言語的なロジックに裏打ちされているのだ。
母が自分に指し示してくれた"いのち"へ向かうベクトルをひたすら辿ること、
すずの心の中にはそれ以外のどんな顧慮も介在していない。

すずの"再生"の本質はおそらくここに読み取ることができる。
身を挺して彼らを守り、そして、恐れる彼らを優しく抱擁する、
その姿には"いのち"を慈しむ「母なるもの」の原像が鮮やかに結像している。
それは、十年にもわたって抑圧されてきた、母への渇望の極みについに成就した、
母との合一、一体化による、トラウマの超克だった。

怒り狂う相手を無言で見つめるすずの顔には恐れも怒りもない。
その静謐な表情には、ただ一つの揺るぎない信念だけが認められるようだ、
一人の少女の心の極限が定着されたこのシーンに自分は圧倒され、息を呑んだ。
細田守が渾身の力を込めたこのカットを言葉で言い表す必要はないかも知れない。
だが、ここまで掘り起こしてきた文脈に即して、敢えて言いたい思いにも駆られる。
そこに具現しているもの、それはおそらく、"いのちの尊厳"といわれるもの、
そして、"いのち"の価値への無限の信頼なのではないだろうか。・・・
{/netabare}



細田守作品は一貫して、人と人との関係の在り方を問い続けている。
Ⅰ章で「当事者性」、Ⅱ章では「いのち」というモチーフを仮設的に措定し、
複層的な構造に対応するアクチュアルなテーマ性と普遍的なそれとを並置してみた。
最終的にはそれらを「関係性」という固有の枠組みの中に落とし込むことで、
本作のテーマとメッセージは完全に開示されるように思われる。

一言でいえば、それは"人格的なもの"への固有の志向性である。
喩えるなら、ベルが竜に向けた"あなた"という呼びかけの中に響いていたもの。
また、他者の"いのち"に向かう姿勢にはその契機が必然的に内在している。
愛情にもとづく関係は、生物的な自然に根差すがゆえに歪められるがちだが、
それを人格的なものに高める努力によって、関係は真実なものになる。
すずの再生には一面、こうした心の成長が重ねられていると見ることもできる。

Ⅰ章を5月に投稿してから、今回の投稿までに実に3ヶ月を要した。
それにも拘らず、作品内部の脈絡を掘り返す迂遠な作業にのみ終始して
やっとテーマの入口に辿り着いたところで切り上げるのは、何とも間抜けな話だが、
本作を語るべき最適任者が他におられるがゆえの、これは戦略的撤退なのである。
その方は拙稿への引用を快諾して下さった上に、作品の真の理解にまで導いて下さった。
末筆となってしまったが、衷心よりの感謝をここに記すことをお許し願いたい。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 22
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

良いパーツとキャラはあった。ポンポさん理論を実践したら面白くなったかも。

 一番初め本作は若干盛り込みすぎという情報だけはありましたが、ほぼ前情報なしで見ました。
 通しは、多分3回目…いや4回目くらいです。ただ、音楽はユーチューブでかなりの回数聞いてます。

 1回目のレビューは映画見ながらその場で感想を打ち込んだんですけど、あまりに長くて文書も見苦しいのでカットしました。追記も多いので要約しています。で、今回23年7月にまとめました。悪口はかなりマイルドにしました。前回見た印象よりは良かった気がしたので。

 本作はまあ「ポンポさん」理論を実践していれば、というポテンシャルは感じました。
 最高に面白くするために90分に抑えろ。「必要な部分」を残すために倒れるまで編集しろ…そのまま言いたいですね。
 それとこれもポンポさんであったと思いますが、キャラの作り込みですね。その人の人生を全部考えるくらいキャラ造形を作りこめと言いたいです。ヒロイン以外が甘すぎます。
 美少女は…まあ、出してほしい気もしますが、本作はどうかなあ?そばかす姫を劣等感の表れとして…あの子…美少女の方が、最後のカタルシスにはなったのかも。


で、レビューです。

 1回目は結構面白く感じました。というのは、ヒロインすずのキャラ造形がとても良くて、母を失った音楽を愛する独りぼっちの少女という描写が出来ていたと思います。キャラデザがちゃんと普通っぽいそばかす少女なのも非常に良かったです。
 今回再視聴したら設定は、リアル「ぼっち・ざ・ろっく」という気がしなくもないです。

 冬の川辺で泣いてしまうシーンとか心情が良かったです。可哀想でしたけど。

{netabare}  もちろん歌とその映像は最高でした。幼馴染との関係もいいし、るかの恋愛話は最高でした、と結構中盤まではいいんですけど…

 やっぱり「美女と野獣」オマージュからは「ん?」となりましたし、モブたちが急にご都合主義の様に活躍しだすのは「え?ストーリ-になってる?」だし、結末も「何それ?」感はありました。
 が、すずは頑張ったということで、視聴後感はそんなに悪くなかったです。


 ただ、2回目見たとき、やっぱり恋愛っぽい幼馴染の話と、ケイの話が錯綜して、時間ばかり長い映画になってしまいました。幼馴染は「お母さんみたい」なら出番はそんなになくても良かったんじゃね?と思います。
 それとすずが音楽、歌に惹かれてゆくプロセスの描かれかたが不十分だったかなあ。

 むしろ、なぜ竜がコンサート会場に飛び込んできたのか?に歌ならケイに何かが届くという展開があってよかったのでは?竜を守る子たちがいるのかもよくわからないし。つまり、一番肝心の心を惹かれて行くシーンがほぼ無いも同然でした。孤独同士だから…というより竜が孤独だから一方的にすずが惹かれた?
 竜の強さは闇墜ちだから?孤独のダークエネルギーかな?あの独自警察の意味もちょっと…スポンサーがいっぱいいるから運営よりも強いってことかな?よくわかりませんでした。

 アイデンティティを隠す問題と、カミングアウト=勇気というのはいいと思うんですけど、竜とすずの心のつながりに説得力がないので、最後の救出にカタルシスがありませんでした。
 で、物理的に助けに行くのもいいんですけど、まあ、無理がありますよね。話的には。

 重要なことですが、おそらくここで母の死が生きてくるんでしょう。これも初回はよく考えたなあと感心した部分です。「知らない子を命がけで助ける」という部分です。母の様子を見ているとそういう孤独に苦しんだ性格じゃない風にも見えますけど。
 要するにそれを描きたいなら、そういう話にしてほしいです。すずの覚悟に重なってこない気がしました。
 母親のキャラの背景があいまい過ぎるでしょう。父は何のためにいるの?それを語らせる(かならずしも説明しなくていいけど背中で語って欲しい)必要があるでしょ?と思います。


{/netabare}


 要するにヒロインのキャラ造形は非常に良かったです。そばかす姫というキャラ設定にマッチしていました。まあ、これは上でもいいましたが、コンプレックスなら普通は美少女ですよね。なにかに配慮しちゃったのかなあ?

 しかし、竜に説得力がなかったです。そう、ほぼすべてと言っていいでしょう。
 それと、実社会における協力とか犯人捜しみたいなあの辺はもっと省略していいかなあ。

 Uを一番初めにもってきたのはどうかなあ、盛り上がりがないなあ…と思ったり、演出というかキャラの演技がディズニーそのままだし、全体的に構成・演出等々にまあ嫌いな言葉なんですけど「意識高い系」を感じました。

 そして、幼馴染は全く機能してなかったです。細田作品全体に言えますけど、代理店の要望か知りませんが俳優の声優を増やすための案件臭キャラが多すぎです。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 22

65.7 5 仮想世界アニメランキング5位
ゼーガペイン ADP(アニメ映画)

2016年10月15日
★★★★☆ 3.7 (32)
160人が棚に入れました
千葉県の舞浜南高校に通う「ソゴル・キョウ」は、幼なじみのGF「カミナギ・リョーコ」やケンカ仲間の悪友たちに囲まれて、たったひとりの水泳部を再興する為に奮闘していた。日々の生活に小さな不思議がいくつも重なり、やがてキョウは世界の秘密に気付いてゆく。くり返される日常――――それはまさにループする世界だった。

実験場として世界を改変しようとするガルズオルムと、永遠の夏に閉じ込められた人類の戦いはたったひとつの希望、光の鎧ゼーガペインと「ミサキ・シズノ」の微笑みによって大きく変化してゆく。

声優・キャラクター
浅沼晋太郎、花澤香菜、川澄綾子、朴璐美、牧野由依、渡辺明乃、坪井智浩、柿原徹也、戸松遥、甲斐田裕子、久野美咲

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

総集編を観に行ったはずが!完全新作だった?何を言ってるかわからねぇと思うがとりまもう一回『ゼーガ』観ような!?っていう強烈な強要

2006年春~夏にかけて放送されたサンライズによるテレ東夕方2クール枠のロボットアニメ『ゼーガペイン』
その10周年に併せてシリーズ全26話の映像素材とパチスロ版用カット、さらに新作カットで作られた2時間作品
2週間の限定劇場上映と劇場限定BDの販売、配信の同時開始
11/25には通常版BDを販売予定


千葉県舞浜で暮らす高校生1年生のソゴル・キョウはある日世界の異変に気付く
自分達が暮らす世界が量子コンピューターによって再現された仮想空間であること
世界人類は既に息絶えて滅びていること
自分達はデータでしかない実体を持たない存在であること
彼と仲間達は光装甲を持つロボット兵器、ホロニックアーマー「ゼーガペイン」に乗り込み人類を仮想世界に拘束し続けようとする敵との戦いに身を投じる・・・


総集編と聞かされていたのでてっきりテレビシリーズの美味しいところを掻い摘む作品なのだとばかり思っていました
が、冒頭からオイラの知ってる『ゼーガ』とは何か違う???
もしかして『マクロス愛おぼ』や『エウレカポケ虹』のようなifストーリーの映画なのか???
そうこうしてるうちにも話は進み、ラストカットでやっと理解しました
そうか、これはテレビシリーズを補完する作品なのだと(笑)


つまり今作、『ゼーガペイン』という作品の設定を十分に理解した上で視聴することを前提とし、さらにテレビシリーズへと橋を繋いでるんです
総集編なのにw
確かに映像素材はテレビシリーズの流用がのほど
なのにお話は完全新作なんです
テレビシリーズの名場面が劇場で拝めると期待していたのになんだこれはw
なんなんだこれはw


最初の違和感の正体は新キャラクターがちょいちょい存在していること
あまり話しに絡むキャラではないが、よくよく考えるとテレビシリーズでは名前だけが語られていたキャラだったり、パチスロ版の為に新造されたキャラだったり
結果的にパチスロ版を含むシリーズ全てを補完しているのが今作なのだと気付かされます


作中では今作がテレビシリーズと明白に繋がっていることを示唆する描写が随所に発見することが出来るも、具体的な説明は無いに等しい
ですからテレビシリーズを観て今作の世界観や設定を十分に理解してる人にしか視聴が薦められませんw
一見さん完全シャットアウトです(爆


ゼーガといえばやはり声優抜きには語れません
昨今も活躍が目まぐるしい浅沼晋太郎と花澤香菜の二人を発掘したのが何を隠そう『ゼーガ』だったからです
声優としてほぼ経験の無かった二人の初々しい演技が逆に高校生らしさを醸し出していると評価を上げる一因になっていました
今作収録に当たり、二人の芝居が見事に10年前のイメージに戻ってるのには拍手
声優って本当に凄いですね、高校卒業から10年経っても高校生に戻れるんですよ?
面白いのが新キャラのキャストに戸松遥や久野美咲といった『ゼーガ』放送時にはデビューしてなかったメンツがさらっといること
映像は2006年当時とのギャップを埋める為か、今風に描かれたり無理にクオリティを上げたりしてない
要は画は古いんだがキャストは新しいというなんとも不思議な感覚に襲われます


全体的に説明に尺を割いていない、時系列の前後が繰り返される、唐突な回想やモノローグやカットインといった情報量の多さ、肝心のゼーガペインがなかなか出てこない(笑)、その反面に現実と仮想空間に差異が無く判別しづらい、カミナギが未来の記憶を持っている理由が不明、といったように映画としての完成度はあまり褒められたものではありません
オイラ自身は『ゼーガ』の魅力とは“非人間達の群像劇”という要素にあるのだと思っているのですが、それも控えめでほぼ主人公一人に焦点を絞ってきています
しかし『ゼーガ』という作品の世界観、そして当時の映像素材でここまで話を膨らませることが出来るというのには感服いたしました
これは新しい映画のアプローチといっていいでしょう


ああ、ですがミナトちゃんを鬱展開の数少ない救いとして機能させるとこだけは以前と同じでしたねw

投稿 : 2024/06/08
♥ : 6

しゅりー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

セレブラント(ゼーガペインファン)に向けられた痛みの記憶

2006年に2クールでTV放送されたサンライズのSFロボットアニメ、ゼーガペイン。
TVアニメ放送時はDVDの売り上げが低調で多少物議を醸したようですが
放送終了後もスタッフとセレブラントを名乗るコアなファンに愛され続けているアニメです。
その10周年企画として2週間限定で2016年10月15日よりイベント劇場公開されたのが本作。
公開と同時に劇場でBD販売、データ配信も開始というガンダムUC型の商業展開がされています。

簡単なあらすじとしては・・・
千葉県の舞浜に暮らす男子高校生ソゴル・キョウは自分のいる世界が
既に生物としては滅んでしまった人類のデータを集めた量子コンピューターの中であることに気付く。
人類を滅ぼし世界を実験に都合の良い環境に改変しようとする敵:ガルズオルムと戦うために、
人類側の抵抗組織:セレブラントが開発した機動兵器:ゼーガペインに搭乗して戦うというもの。


今回タイトルについた「adaptation」という単語から前評判は
TVアニメを元にして多少脚色した総集編のような地味なイメージだったと思います。
私も新キャラクターが出た分のストーリーが少し追加されるくらいかと予想していました。
ところがふたを開けてみると世界観はともかくストーリーはTVアニメとは別物になっていました。

映像はTVアニメとパチンコ展開時の既存映像を元に本作用の新規カットを加えた物ですが
台詞やシーンの繋ぎ合わせを大幅に変更されているのが本作の特色です。
似たような作品が以前にあったとは思いますが私の知識が浅く何とは言いにくいです。

台詞については全編新録とのことで、同じ声優さんでも10年の時間でだいぶ
演技が変わっていると感じる方がいらっしゃいました。
世間的には花澤香菜さんの演じるカミナギ・リョーコの演技が注目されていたと思います。
10年前は棒読みを揶揄されたキャラクターですが、印象をそのままに棒読みのない好演をされています。
個人的にはゆかなさんと井上麻里奈さんの演技が少女らしく聴きごたえがありました。
あとはシマ司令役の坪井智浩さんの台詞で語尾が若いころの若本規夫さんみたいな
響きに感じるところがあり、ドキドキしていたことがありました(笑)

物語については色々と込み入った設定が多いアニメなのでなかなか忙しなく、評価が分かれる印象です。
そもそも26話使って描かれた世界観を2時間ちょっとで描いている作品です。
本作のみでは何のことやらなところが多いため、1回はTVアニメの視聴をオススメします。
事前知識があればある程度おもしろく観ることができるのではと思いますが、
TVアニメと比べて設定や人物描写に矛盾を感じてしまうところがあるかもしれません。
基本的にそういった矛盾が粗として見えてしまうとマイナスイメージが大きいですが、
矛盾も故意に散りばめられているのではと勘ぐれるアニメになっています。

このアニメでは記憶が重要なキーワードになり、各キャラが忘れてしまうことの痛みに苦しみ、
知ってしまった知識の重さに苛まれる姿が描かれます。
さらに記憶は時間が経って事実からかけ離れた印象になることが多くあります。
作中の設定からそういった記憶の変化が発生しやすいために、回想やモノローグどころか
現在進行で描かれるシーンすら本当のことか怪しく思えてしまうくらいです。

また、主人公であるキョウが哲学や量子力学などの話をしており、
観測者などの用語も出てくるためもしかしたらTVアニメ、本作のどちらにしても
複数の観測者がいてシーンごとに別々の印象で物事が描かれているかもしれないと感じてしまいます。
本作についてはそのような不安定な印象の世界に存在するキョウが
世界や周囲の人々とどう関わり、どのように心を動かしていくのかが話のキモになっていると思います。


視聴して、こうして拙いながらレビューまで書いてみると
この映画のみで言えばそこまで高評価にはならないとは思います。
しかし、ゼーガペインで映画を作るなら…という考えでは正解の映画だと信じています。
あまり多くの人には薦められないですが、TVアニメのゼーガペインに良い印象をお持ちの方には
是非とも観ていただきたいし、この後の展開も期待したい作品でした。





2016/10/16投稿
2016/10/17改訂

投稿 : 2024/06/08
♥ : 4

Aurum さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

花澤香奈ぁ~

花澤香奈が本格デビュー作を再演、当時の初々しさの再現に挑んでます。
かなりイケてると思います。(浅沼新太郎も同様です。)

TV版を観てた人は楽しめると思います。

投稿 : 2024/06/08
♥ : 2
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