ネガティブで鬱展開なおすすめアニメランキング 3

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのネガティブで鬱展開な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月08日の時点で一番のネガティブで鬱展開なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

83.9 1 ネガティブで鬱展開なアニメランキング1位
新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に(アニメ映画)

1997年7月19日
★★★★☆ 4.0 (1446)
8426人が棚に入れました
最後の使徒は倒された。しかしながら現実に対処できないシンジは固く心を閉ざしてしまう。そして約束の時が訪れる。ゼーレは自らの手による人類の補完を目指し、戦略自衛隊による攻撃をNERV(ネルフ)本部に仕掛けてきた。戦闘のプロに抗う術もなく血の海に倒れていく職員達。その絶望的状況下でミサトは、シンジは、アスカは、レイは、生き残ることができるのか?そして人類補完計画とは?人類の存亡をかけた最後の戦いが、今始まろうとしている。

声優・キャラクター
緒方恵美、三石琴乃、林原めぐみ、宮村優子、石田彰、山口由里子、立木文彦、清川元夢、山寺宏一、関智一、岩永哲哉、優希比呂、長沢美樹、子安武人
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

(後編)クソウナギは許さない!

 テレビ版の第25・26話のリメイクに該当するのがこの旧劇場版ですね。
 「補完」を主人公シンジの内面から描いたのがテレビ版で、世界から描いたのが旧劇場版になっています。旧劇場版には最後の最後に追加シーンがありますが、テーマ的には一緒と言い切って良いと思います。分かりやすさではテレビ版で、エンタメ要素では旧劇場版でしょうかね。テレビ版が前提とも言えますけど。

 このレビューは(後編)となっています。『シト新生』に書いたレビューが、第24話までの内容を記載した(前編)です。読まなくても大勢には影響はないと思いますが、「三度目の挫折」のところだけは、(前編)の内容を前提しているということだけは考慮に入れておいてください。(前編)を読んでいない方は、エンディング以降だけを読む方が良いかもしれません。
 リンクは貼らないので、直接行くか、私のレビュー歴からお願いしますね。

 それでは、(後編)スタートです。


三度目の挫折:{netabare}
 二度目の挫折後のシンジのヘタレっぷりを旧劇場版で確認し、そのままその後の展開まで話を進めます。
 エレベーター前、ミサトとの別れのシーンから。シンジのセリフ。
「僕はダメなんですよ。人を傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格はないんだ。僕はエヴァに乗るしかないと思ってた。でもそんなの誤魔化しだ。何も分かってない僕にはエヴァに乗る価値もない。(中略)僕には人を傷つけることしか出来ないんだ。だったら何もしない方が良い!」

 プロットの「自信→成長→挫折」を集約したところですね。「野球しかないと思っていた」けど「もう野球をしたくない」って言っています。これが「ツールの否定」ですね。同時に「自分は野球をする価値もない」と「自己否定」をし、「何もしない方が良い」と「存在意義の喪失」もしています。大きな挫折がきちんとセリフに表れています。
 間違えてはいけないのは、この段階では「死にたい」ではなく、「何もしたくない」ってことです。何もしない結果としての「死」は許容していますが、積極的に「死にたい」のではありませんよね。その主体性すら持たないのです。

 「他人のクセに。何も分かってないクセに!」と続けるシンジに対して、ミサトは「他人だからどうだってのよ!」と前置きした上で、自身の体験を語り、こう伝えます。
「もう一度エヴァに乗ってケリを付けなさい。エヴァに乗っていた自分に。何のためにここに来たのか、何のためにここにいるのか。今の自分の答えを見つけなさい。」

 エヴァに乗る道を選べとは言っていませんよね。あくまでも「自分にケリを付けるために」「手段として」もう一度エヴァに乗れって言っています。「もう一度野球をやってみて、情熱が戻らないのなら辞めればいい。野球以外の道を選択してもいい。答えが出ればいい。でも野球から逃避してしまうのだけはダメだ」ってことです。「ツールの否定」はしてもいいけど、逃避という「自己否定」はダメなんです。それは「喪失感」をもたらしてしまいます。
 チャレンジした後に「やるやらない」を決めたのならば、それは「あなたが自分一人で決めたこと」だから「価値のあること」なんです。その価値を認め、「自己否定」を払拭することが、「喪失感の回復」と「自己肯定」につながるんです。ミサトはシンジをその決断ができる一人の大人に成長させようとしています。だからこその「大人のキス」ですよね。

 それでもなおシンジが主体的になれなかったのは、二度目の挫折の後だからです。一度目の挫折の後にこのシーンがあったのならば、シンジは能動的にエヴァに乗っていたと思います。なぜならば、このアドバイスは、一度目の挫折のときの「自分で決めろ」というカジのものと同じだからです。ミサトはシンジの心情を汲めてないんじゃありませんよね。何度挫折を繰り返そうとも、「逃避をせずに決断すること」以外に解決策はないんだ、と伝えようとしているんです。
 この後、シンジはエヴァ(母親)の導きでエヴァに乗ります。そんなシンジを待ち受けていたのは、逃避していたために救出できなかったという事実、三度目の挫折「アスカ」です。

 『エヴァ』におけるシンジの「自我崩壊」っていうのは、限りなく「死」に近いものですよね。旧劇場版だけを見てしまうと分かりづらいかもしれませんが、ここに直接到達したわけではありません。自分の存在意義を失ってしまったという大きな挫折がもたらす「喪失感」。そして、その「喪失感」が二回続いたときの「絶望感」。さらに三回目の挫折が到来したときの「絶望感のその先」が極論としての「自我崩壊」や「死」になっているんです。
 三度目の挫折の後に初めてシンジは「死んじゃえ」と言いますよね。「絶望感」としての「何もしたくない」の先は、「死にたい」や「死のう」ではなく、「死んじゃえ」だと説明されています。「絶望感」から来る主体性の無さを引きずりながら、死を求めるようになる。きちんと変化を付けて、ここに到達していますよね。

 同じ挫折を三回も描いてここまで極論にまで振れることができたのは、「謎が解かれない謎解きロボットもの」という過剰なフィクションだからです。これと同じ内容を野球マンガや恋愛ものでやっていたら、非難轟々阿鼻叫喚になっていたと思います。「謎が解かれない謎解きロボットもの」というツールがもたらした成果の側面ですね。
{/netabare}

エンディング(シンジの救済):{netabare}
 テレビ版第1話からの単純化したプロット「自信→成長→挫折→再起」を、少し砕いた上で再度確認します。
 「自信→成長→挫折(トウジ)→再起(カジ)→挫折(カヲル)→再起(ミサト)→挫折(アスカ)→再起(ユイ)」ですね。ちょっと長いけど、挫折と再起の繰り返しだと分かれば大丈夫です。

 最後のユイのところは、正しくはユイを結論とした総力戦です。みんなでシンジに語りかけます。
 きっかけはカヲルの登場からです。その後はミサトとレイが「もうやめてもいいのよ」とLCL化を許容します。でもアスカだけはシンジとのLCL化は「死んでもイヤ」。そして、シンジが、虚構への逃避であり他人を存在させない「僕一人のユメ」を語り出します。それに対して、レイは「それは夢じゃない、現実の埋め合わせ」だと言い、「夢は現実の続き、現実は夢の終わり」だと説きます。

 夢と現実の関係は分かりづらいかもしれませんが、書き起こせば単純そのもの。「現実→夢→現実→…」のループです。これは、プロットの「挫折→再起→挫折→…」を言い換えたものですね。夢破れて現実に直面したとしても、そこに死があるわけではないよ、新たな夢を持てばいいじゃないか、という「希望」の話が『エヴァ』なんです。これは(前編)を掲載した総集編のタイトルにもなっていますよね。『シト新生』は、ツールとしては『使徒新生』ですが、テーマとしては『死と新生』になります。死んでも新生すればいいじゃない、という極めてポジティブな結論ですね。

 で、この最後の「再起」は『エヴァ』という作品の特殊性に挙げられるところです。作品にはジャンルという枠がありますよね。このしがらみからは普通は抜けられないんです。野球マンガでは、野球で挫折しても野球で再起するんです。ワンピースのルフィは、挫折しても海賊をやめられないですよね。しがらみを取り払うことは敗北に等しいんです。
 でも、『エヴァ』は違うんです。ツールは所詮ツールだとしか見ていませんから、「謎が解かれない謎解きロボットもの」を続けることにすらこだわってないんです。もうエヴァから下りちゃえよって結論を出せるし、それを許容しようともするんです。だから、作品自体を壊す「メタフィクション(実写)」ができる。シンジの「僕一人のユメ」という虚構を壊すために、チルドレンに本当の夢を見せるために、「アニメの世界」という虚構を壊すことができるんです。

 そして、シンジは再起へと向かいます。
シンジ「きっと逃げ出しても良かったんだ。でも、逃げたところにもいいことはなかった。僕がいないのと同じだもの。」
 これは「僕」のいない「逃避」はダメだけど、「僕」がいれば「逃げ」てもいいんだという話ですよね。そこに主体性や決断があるかどうかが大事なんです。「自分にケリを付けさえすれば、その先で出した答えには価値がある」というミサトのアドバイスに対するシンジからの返答に該当します。

シンジ「僕の心の中にいる君たちは何?」
レイ「希望なのよ。人は互いに分かり合えるかもしれない、ということの。」
 「僕」がいればそこには「希望」があるんだ。これは人間関係にも適用されます。アスカへの返答ですね。他者への依存ではなく、自立した個人同士の共存を目指せるはずだってことです。

ユイ「全ての生命には復元しようとする力がある。生きていこうとする力がある。生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ。だって生きているんですもの。」
 レイの言葉を借りれば、夢の終わりは「死」ではなく、現実としての「生」です。この「生」こそが生命が持つ復元の力、すなわち再起の力のなんだと言っています。生命それ自体が根源的に「希望」の力を持っているのです。
 そしてユイは、人の心とともに、エヴァと無限に生きることを選択します。人が持つ「希望」の力が尽きないように。

 これでシンジは現実へと復帰を果たします。「挫折と再起」「絶望と希望」「死と生」「虚構と現実」という作品のテーマがこのエンディングに集約されていました。辛い挫折を乗り越えたシンジの「心の補完」の達成です。
{/netabare}

エンディング(シンジとアスカ):{netabare}
 アスカの立ち位置って超特殊ですよね。だって、シンジのコピーですよ。エヴァを自分の存在意義と定め、エヴァで複数回の挫折を経験し、自己喪失に陥る。同じどころか先んじてすらいますよね。一般的には、成長譚では主人公の成長を強調するために、主人公と同じテーマを抱えたキャラって置けないんですよ。でも、この特殊性がこのエンディングを導いてるとも言えるんです。アスカは、シンジより先に再起を達成していますよね。サードインパクトが始まる前に、シンジと同様に、母親の手を借りて再起をします。

 アスカの再起の過程は、大量の「生きなさい」というポジティブと、少量の「一緒に死んで」というネガティブで構成されています。「絶望」は少なく、「希望」は多い。シンジの再起の過程と同じです。アスカは、これを踏まえた上で、ATフィールドの意味を理解し、「傷つけ合うもの」ではなく、「自分を守ってくれるもの」だと結論付けています。ポジティブとネガティブの両面を持つ母親の手を借りて、シンジより先にポジティブな結論に到達した。LCLに溶けたアスカが戻って来れたのは、どんな挫折があっても「ATFが守ってくれる」という「希望」を持っていたからに他ならないと思います。ATFは「傷つけるもの」なのかもしれませんが、「守ってくれるもの」でもあるんです。

 そして、新たな世界には、「希望」を持った少年少女が残りました。
 ATFを「傷つけるもの」と考え、他者と自分が傷つくことを恐れていたシンジは、初めて主体的に他者を傷つけようとします。自分が傷つくことを覚悟して。他者と本当に分かり合うために。「シンジにまたがるレイ」と同じ形を再現する。
 ATFを「守ってくれるもの」だと考えるアスカは、これに抵抗しません。
 シンジが歩み寄り、アスカがそれを許容する。繰り返されてきた傷つけ合いの螺旋に、終止符が打たれました。
 「まごころを、君に」、そして「I need you」です。

 というのが表読みです。お次は裏読み。

 この最後の首絞めの意義は上記の通りですが、あった方がいいのは当然ですけど、いらないっちゃいらないですよね。旧劇場版は、三度目の挫折というプロットが追加されているだけで、やっていることはテレビ版と何も変わりません。テレビ版のラストの「おめでとう」は、シンジの現実への復帰で再現されていますよね。「全てのチルドレンにおめでとう」だとしても、チルドレンであるシンジとアスカの二人を写せば充足できてしまうんですよ。でも、わざわざ首絞めを追加した。こういう露骨な追加っていうのは、監督からのアンサーだって相場は決まっているんですよ。

 庵野監督は『エヴァ』の中で、非常にポジティブなメッセージを送っていましたよね。「挫折したっていいじゃない。死ぬなんて言うくらいならやめちゃってもいいんだよ。自分を見失わなければいいんだよ。今見えてる世界以外にもたくさんの希望があるんだから。」って。「虚構から出ていけ」と「現実には希望があるよ」は、コインの裏表であって、結論としては「希望」を見せようとしている。だから「全てのチルドレンにおめでとう」って言ったんですよね。

 でも、大量の称賛の裏では、ノイジーマイノリティが騒いでしまったわけですよ。テーマではなく、ツールのところで。「俺は楽しんで見てたんだぞ!なのに何も解決しないで終えやがった!裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったんだ!」
 「父さんと同じに裏切ったんだ!」とまで言ったかどうかは分かりませんが、これは第24話でシンジに代弁させることで終わってますよね。その上で、第25話と第26話があって、庵野監督はメタフィクションを通して「エヴァだって所詮ツールだよ。虚構の一部だよ。気にしないで現実に帰ってポジティブに頑張ろうぜ!」と言ってたわけです。
 それなのにいつまで経ってもノイズは止まない。だから「お前らいい加減にしとけよ!」と首を絞めたんだと思います。


 え?違うの?? まぁよく分からないけどそんなところで私は解釈してます。
 でも、庵野監督には更なる誤算が待っていたんですよ。結局解決しないからノイズは止まないし、今度は私みたいな人が結論を棚に上げて騒ぎ立てるわけです。「私のアスカに何してんだコラ!」「アスカいじめるのも大概にしとけよ!」と。
 蛇足ですけど、新劇場版は大団円に近いハッピーエンドだと思いますよ。「首絞めエンドはやりすぎた、ゴメン」ていう庵野監督の贖罪エンドになってるはずだから。旧劇場版では、視聴者のリアクションに対して悲観した姿勢を見せてたけど、新劇場版ではそれを乗り越えたエンディングを作っているんだと思います。庵野監督の成長譚としてね。ハッピーエンドになってたら、裏読みの妥当性が証明されると思っています。
 違ったらあれだね。ノイズがんばるよ。テーマを汲んでも、アスカが笑顔で終わるまで反省なんかしない!
{/netabare}

おまけ&雑記:{netabare}
 前編後編合わせると、相当長くなってしまいました…。お時間を取らせて本当に申し訳ないです。何とか短くしようと結構削ったんですけど…ダメでした。テレビ版レビューに誘導できなかったのは(前編)に書いた通り、全然違うことに使っちゃったからです。無計画が祟ってしまいました。長くなってしまったので、全体の構成を一応まとめておきます。

(前編)
テーマとツールは別物だよね。テーマが分からなくなっちゃうなら、ツールを無視しちゃえばいいんだよ。
具体化と一般化をすれば、シンジが抱えてるテーマが見えてくるよね。
大きな挫折は一度でもキツイよ。二度目なんて絶望です。 
シンジはヘタレ過ぎじゃないよ。妥当なヘタレだよ。14歳なら尚更ね。
(後編)
三度目の挫折とかもう無理よ。そりゃ「死んじゃえ」になっちゃうよ。
あれ? エンディングを書かないと、ほとんどテレビ版の話になって…orz

 つまり、エンディング以外のところがメインね。内容的には、エンディングとそれ以外で分割したかったんですけど、「三度目の挫折」が旧劇場版の内容だから仕方なく現在の分割案となりました。
 こんなに長くなってしまったのは、説明のためのツールに具体化と一般化なんてものを採用したからですね。これで分かったように、大体いつもツールのせいなんですよ。だから私は悪くな(自重)。

 ちなみに、私はこのレビューで『エヴァ』って作品の結論を出したかったわけじゃないよ。こう整理したらこう読めましたってだけ。もちろん適当なことを書いてるつもりはないけど、私の意見に迎合する必要なんてないからね。


 もうあきらめてるから以降はダラダラ書くよ。新劇場版の話も含むから未視聴の方はここでお別れです。長文に付き合って下さいましてありがとうございました。既視聴で、お暇な方だけもう少しお付き合いください。
{netabare}
 テレビ版レビューでも書いたけど、「①自信→②成長→③挫折→④再起」のプロットって新劇場版でも同じだよね。序はヤシマ作戦までだし、破は大成功で終わって、Qは居場所の喪失とエヴァの放棄が描かれた。あともう一作でしょ。起承転結でちょうど四部作になってる。ツールや演出がどうなるかは分かんないけど、もう結論は見えてるよね。

 挫折と再起の繰り返しのプロットのところだけど、組み替えると別の側面が見えるよ。挫折の原因は<トウジ・カヲル・アスカ>だよね。で、再起は<カジ・ミサト・ユイ>になってる。子供たちのトラブルを大人たちが導いてあげるって構造になってるよね。アスカの救済もお母さんだし。
 Qで冬月がシンジと将棋を指していたのは、ここに理由がありそう。かなり長い時間を使ってたから、庵野監督が強調したいところなんだろうね。四作目を見る前に確認しといたほうが良さそうだよ。

 ちなみに、カヲルは第24話では友達(子供)で、旧劇エンディングでは父性なんだろうね。レイも同様。二人の魂はアダムとリリスなんだよね。レイはゲンドウからアダムを奪ってリリスと融合する。そして、カヲルとレイに分離する。父性を奪って父性と母性へ分岐したんだろうね。 レイは「碇くんが呼んでる」からリリスに戻っていった。子供を救うために大人になる。父性と母性がチルドレンを救済する。子供を救うのは大人の役割なんだってことだろうね。
 テーマが読めるとツールも読めてくるよね。まぁ『エヴァ』の設定に関しての知識は全然ないから、頓珍漢なこと言ってるかもしれないけどね。
 本文でも触れたけど、アスカの対比先はシンジだよ。シンジを読むためにはアスカが必要だし、アスカを深めるためにはシンジを理解しないといけない。アスカを主人公にしても、シンジと同じ話が作れるからね。
 で、この二人の対比としてレイがいるんだよ。「エヴァしかない」のは三人とも一緒だけど、レイは異常だよね。シンジからは「そんなこと言うな」アスカからは「人形じゃない」と否定されるほどの異常さ。だけど、レイにユイを投影させてるから、母性につながるよね。丁寧にレイを描いたからこそ、カヲルに「君は僕と同じだね」って言わせたんだよ。だからカヲルが父性を担えるようになるってことね。
 シンジとアスカは、父性と母性の投影がないから救済される子供側(チルドレン)なんだろうね。


 別にエヴァが嫌いな人にを好きになれとは全然思わないけど、良さが分からないのはもったいないと思うよね。エヴァのテレビ版が1995年でしょ。そのあとエヴァと同じポジションに来れたのって2011年のマドマギくらいかな? 15年周期なら人生であと数本巡り合うだけだもんね。そのうちの一本が欠けるのはやっぱりもったいない。

 このレビューでは散々ツールは関係ないって言っちゃったけど、ツールのとこも楽しいよね。よく分からないけど派手で楽しい。私がエヴァを好きになった原点はここだから、分からないまま終わっても構わないよ。
 Qも楽しかったよね。派手な演出も同じプロットを繰り返すところも「エヴァだなぁ」って思って見てた。しかも、視聴者にもシンジと同じ居場所の喪失感を突きつけたでしょ? もうエヴァには自分の居場所がないなって思わせた。視聴者をシンジと同じポジションに落とし込んだ。ぶっ飛んでるなと笑ったよ。映画一本丸々使ってやることじゃないよね。作品の中の整合性より、現実の中で整合性を取ろうとしてる。叩かれるのは想定済みだったろうね。叩かれるまでが既定路線なんて頭おかしい。すごいよ。謎解きなんて消し飛んだよ。私は四作目がどんな終わり方でも満足できると思ってるよ。
 あ、やっぱりウソ。みんなで野球やって終わるのはイヤです(笑){/netabare}{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 3
ネタバレ

しんばくん さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

もう一つの結末 最後の使徒襲来

ジャンル        :SF
原作          :GAINAX、庵野秀明
アニメーション製作 :Production I.G、GAINAX
総監督         :庵野秀明
監督          :鶴巻 和哉(#25)、庵野 秀明(#26)
脚本          :庵野秀明
キャラデザイン    :貞本義行
メカニックデザイン :山下いくと、庵野秀明
音楽          :鷺巣詩郎
主人公声優      :緒方恵美
ED(#25)        :「THANATOS-IF I CAN'T BE YOURS」作詞 - MASH / 作曲 - Shiro SAGISU
              / 歌 - LOREN & MASH
ED(#26)        :BMV147「心と口と行いと生活で」より「主よ、人の望みの喜びよ」
              作詞・作曲 - ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

参照元        :Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」

【あらすじ】
 TV放送版未視聴の場合ネタバレするため、割愛。

【特徴】
①TV放送版24話の続き(TV放送版25話、26話とは別)
②濃密

【特徴の説明】
①本編の26話(TV放送版最終話)まで視聴し終えてからでも問題ありませんが、24話(TV放送版)→25話(旧劇場版「Air」)→26話(旧劇場版「まごころを、君に」)の順が本来のストーリー。因みにTV放送版25、26話は旧劇場版(本作)とは繋がらない。 
②一通り用語と設定を頭に入れておいた方が分かりやすいです。物語の結末の部分にあたり、2話で一気に畳みます。

【総括】
 TV放送版とは別の結末を描いた物語。しかし、多くの伏線を残した状態でTV放送版は終わるため、わだかまりが残ると思われます。もし、そのような問題が起こったとき本作を観る事で解消できます。なので、個人的な意見ですがTV放送版と本作はセットで視聴するべきだと思いました。



【蛇足1:視聴結果】

以前に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観ていたのですが
そこに至るまでの過程を観ていなかったのです。
なので今回は『Air / まごころを、君に』を視聴。


ですが
失敗してしまいました。
結局始めからの内容を覚えていない状態だったので
良く分かりませんでした。


うーん。間抜けとしか言いようがない;


私は失敗してしまいましたが
私と同じくおぼろげにしか覚えていないという方に朗報があります。
それは
『DEATH (TRUE)^2 / Air / まごころを、君に』で
TV放送での内容を簡潔に振り返ることが出来るそうなのです。
また
サラッと観たい、時間が無い、忙しい
という方はこちらを視聴したほうが良いのかもしれません。
160分。


因みにこのタイトルは
一部同じことを上でも書きましたが
「Air」が25話
「まごころを、君に」が26話
そして
「DEATH (TRUE)^2」が1話~24話の要約+α
という内容になります。


私は下調べが足りず
こちらを選べばよかったと少々後悔。


【蛇足2:思い出とか】

取り留めの無い話です。

{netabare}本放送終了から数年経った私が中学生だった頃。
今では疎遠となった友人の思い出。
当時彼はエヴァにどハマりしていた訳ですが
並々ならぬ程のマハり方だったのです。


大抵
口を開いて三言目にはエヴァの話。
そして同級生、先生
ちょっとからかい甲斐のある人物はナンバリングされ
「第○使徒襲来。デン・デン・デン ドンドン デン・デン・デンry」
こんな具合でネタにされてしまうのです。
更には彼がテスト中
「逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ」と突然呟き始める始末。
恐らく解けない問題に追い詰められてヒートアップしてしまったのでしょう。


当時の私は彼のことを「五月蝿いヤツ」とか「変なヤツ」とは思っていませんでしたが
正直「面倒臭いヤツ」とだけは思っていました。
今になって思い返すと
彼は中二病を発症していたのかもしれないと
そう思いました。
そして当時何故そんなに嵌ったのか
最近になって想像がつくようになりました。


エヴァの存在を知らず
其れ自体は中二病の彼から教えられたのですが
作品の良さ自体を彼の口から語られることはありませんでした。
もしかすると彼にとって作品の良さは漠然としていたのかもしれません。
ですがその代わり「エヴァ初号機」「綾波レイ」のキーホルダーを得意げに見せびらかし
特に綾波レイのことを何やら熱心に語っていたような気がします。


描かれる映像は過剰なまでの演出と過激な描写
そしてピッチリとしたボディースーツを着たちょっぴり艶かしいキャラクター。
年頃の少年が一度観てしまったら最後
目が離せなくなるに決まっています。
(大分失礼な想像ですが)


そしてそんな彼を思い出してふと思いました。
これだけエヴァンゲリオンが息の長い作品である訳は
私と同年代の方々が過去を懐かしむ為
改めて見直してみると各々のシーンに込められた意図が分かり
奥深い作品だったという事に気づかされるといった寸法なのだと思いました。


実際その辺どうなのでしょう。
私みたく今一度理解を深めようとリピートする人も居そうなので
それも息の長い作品にしているような気もします。
しかも先のストーリーを書ける余地を残していますしね。


以上
思い出と雑感でした。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 7
ネタバレ

テロメア さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

エヴァとは何だったのか

TV版でシンジの精神世界を表現し、一度幕をおろした「新世紀エヴァンゲリオン」。それを今度は現実世界から、終演までを追って行くという今作。

たくさんの謎があり、わかりにくく形容されて理解しにくい展開をずっとたどってきたテレビ版に対しエヴァとは?ネルフとは?補完計画とは?シンジ、アスカ、ミサト、リツコ、ゲンドウ・・・彼らは何を思い、何に生きたのか、何を望んでいたのか?
その答えの一端を掴み取ることができる作品に仕上がっています。

また、戦闘シーンではアニメ史に残るであろう名戦闘が繰り広げられ(Air)、虚構の中のリアルが見事に描かれていました。素晴らしい演出です。
作画、音響、演出、脚本。Airは本当に凄まじい出来であります。
まごころを、君に はシンジの心境の変化が徐々に移り変わって行く様が見事な演出で展開されてます。



それにしても

{netabare}とにかく、演出がすごい{/netabare}


奇抜で度肝を抜かれる、呆気にとられるような演出が多く、ただただ圧倒されるというか、魅入ってしまうというか。そして演出に負けないぐらい音響や声優の気合の入った演技が琴線に触れて思わず鳥肌が立ちました。
なるほど、これがエヴァンゲリオンか と。

{netabare}
作中の見所といえばなんと言ってもAirのアスカ無双です。
TV22話で精神を病んで以降、ネルフやシンジ、さらには視聴者からも「終わった」と思われ見放さていたアスカ。それでも母だけはずっと一緒にいたという真実に気づき覚醒するシーンは作中屈指の名シーンです。「ずっと一緒だったのね!ママ!」暗黒の世界に光がさしこむ。

{netabare} (特殊な戦い方を強いられた従来の使徒にくらべ格闘戦の様相を呈した量産機戦で善戦できたのはアスカのシングルコンバットの実力が高いからこそ。シンジやレイではこうはいかないんじゃないかな。アスカは決して弱い訳じゃないから、だからこそ、才能が認められないのは辛かったはず。余談ですが監督は無類の特撮好き。監督の趣味がそのまま映像化されたようにも思えます。) {/netabare}


他にはヒロインの一人、葛城ミサト。
ミサトのセリフはどれもすごくいい。特にシンジと会話するシーンは一言一言に、人として、母として、責任者として、姉として、そして女の一面が見え隠れします。(立ちなさい!と叱責するシーンは母ちゃんか!とつっこみを入れたくなります笑)

シンジをどこかで自分と重ねながらする対話は心を打ちました。
それに対しシンジは本当、思春期の少年だなと改めて認識させられます。
チルドレンって本当に未熟で子供なんだなぁと。{netabare}(あのシーン、エレベータがR-20なんですよ。大人になった、またそうあれとの意なのかな・・・はい、考えすぎですね。){/netabare}



心理描写が濃い。今までのテレビ版ではATフィールド、壁を作り隠していた本音、心がみんなむき出しになっているかのようにひしひしと感じられました。これを見てからテレビ版を見直すと、潔癖で綺麗な彼らに落胆し、そうでなくても何か不自然な点を感ぜざるを得ないでしょう。それぐらいむき出しになっています。



あと、クライマックスのあの補完シーン。
しびれますね、妙に明るい曲に悲鳴のコーラス。圧倒的惨劇なのにどこか感動してしまいそうになる演出で騙されてしまいそうになります。ストーリーと音楽のミスマッチが与える影響を改めて思い知らされました。ミスマッチは新劇でも使われている演出ですね。
{/netabare}



よく鬱になるとか言われますが、ストーリーとしてはむしろハッピーエンドです。煮え切らないラストではありますが、その分いろいろと考えさせられます。


新世紀エヴァンゲリオンの良さが本作に集約されてます。
苦しみ、憂いの多い鬱屈したストーリーではありますが、最後にはきっと救いがある。

僕は、ここにいていいんだ。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 8

66.1 2 ネガティブで鬱展開なアニメランキング2位
くまみこ(TVアニメ動画)

2016年春アニメ
★★★★☆ 3.3 (799)
3294人が棚に入れました
ほんの少し昔のおはなし。あるところに小さな巫女さんのまちと、言葉を喋るクマのナツが一緒に暮らしていました。
二人はいつも仲良し、今日も一緒に外で遊んでいるとふわりふわりと雪が舞い始めました。
いつもより少し早い冬の訪れを感じ、家に帰るとそこでは村の大人たちがナツの冬眠の相談をしていました。
ヒグマであるナツを、本格的に吹雪になる前に冬眠させようとしているのです。
それを聞いていたまちは、冬の間ナツと一緒に過ごせる方法は無いかと考えるのですが・・・。

声優・キャラクター
日岡なつみ、安元洋貴、興津和幸、喜多村英梨
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

ギャグものと割り切る!

第3話のエロシーンと第4話の暴力シーンには結構ビックリしましたね。
それをそうやっちゃうのか!というビックリ感。

このビックリ感て、ミスマッチから来るものだと思います。
第1話と第2話の流れって、まったり癒し系っぽく見えるんですけど、
第3話と第4話の流れってのは、ギャグものなんですよね。
まったり癒し系かな?って心構えで見ているときに、ギャグものをやられちゃうからビックリしちゃう。


第4話の暴力シーンの話:{netabare}
暴力シーンをギャグとしてやるときって、描き方にお約束ってのがありますよね。
暴力が悲惨で痛々しく見えないようにするために、どう演出しようかってお約束。
作品やジャンルにもよりますが、基本的には過剰演出かデフォルメ絵の二択だと思います。

くまみこの第4話に、頭を柱に打ち付けたり髪の毛を引っ張ったりっていうシーンがありました。
これを過剰演出で描くなら、例えば高橋留美子が参考になると思います。
高橋留美子がこういうシーンを描くときって、
頭を電柱に打ち付けるときには電柱をボキッと折ったり、壁に打ち付けるときには壁に大きなヒビを入れたり、
髪の毛を引っ張るときには、思いっきり頭をそらせて首に「グキ」って吹き出しを入れたりしていますよね。
暴力を遠慮するんじゃなくて、あえて過剰にすることで痛々しさを消してしまうんです。
過剰演出によって暴力の現実感が無くなるから、ギャグとして笑えるようになる。
高橋留美子だけじゃなくて、同様の演出方法を用いる漫画家はたくさんいます。

デフォルメ絵で暴力をギャグにしちゃう漫画家もいっぱいいますよね。
ベルセルクの三浦建太郎やのだめカンタービレの二ノ宮知子なんかです。
ベルセルクのギャグ要員であるパックを例にするなら、
ストーリー用の写実絵パックとギャグ用のデフォルメ絵パックで描き分けていますよね。
通常パートの絵柄だと現実感が出ちゃうかもしれないから、絵柄自体を変えてギャグに見せる。
デフォルメ絵と過剰演出を併用する、鋼の錬金術師の荒川弘みたいな漫画家もいます。


で、大事なのは、過剰演出やデフォルメ絵をどう採用するのかってことじゃなくて、
暴力シーンを痛々しい「暴力」に見せないために、どうやって現実感をなくすのかってことなんだと思います。
純然たるギャグ漫画では過剰演出もデフォルメ絵も使われていないことが多いですけど、
これは「全部がギャグだよね」っていう作者と読者の共通認識が出来上がっているからですよね。
だからこそ、ギャグ漫画ではすべての暴力がギャグに置き換えられる。
ギャグ漫画以外では、現実感をなくすための何らかの演出は必要だと思います。

でも、くまみこ第4話の件のシーンでは、こういう演出があまり見られないんですね。
暴力を過剰にしているようには見えないし、絵柄自体の変化も乏しい。
私は原作を読んでいないのではっきりしたことは言えませんけど、
おそらく原作者はくまみこを、過剰演出やデフォルメ絵の不要なギャグ漫画だと捉えているんだと思います。

原作の方ではギャグ漫画として成立していて、暴力シーンが痛々しく見えないのならそれはそれでいいんです。
ただ、アニメ版は、第1話と第2話からは暴力と無縁のまったり癒し系っぽく見えますから、
暴力シーンから現実感を消し去るためには、いつも以上に強めのギャグ演出が必要だと思うんです。
強めのギャグ演出がないせいで、ちょっと生々しい際どさが残っている。
この表現だと、ギャグとして受け入れられる人もいれば、やり過ぎに見えて嫌う人もいると思います。

原作者がギャグ漫画としての共通認識を原作内でちゃんと作れていたかどうか。
アニメが原作者の意図通りにギャグものとして演出できていたのかどうか。
原作側の問題なのか、アニメ側の問題なのか。
気になるところはありますけど、少なくともみんなが笑って「ギャグだよね」って言えるような、
そういう演出をもうちょっと頑張って欲しかったなと思いました。
{/netabare}

第3話のエロシーンの話:{netabare}
第3話で感じたのは、女性作家っぽさですね。
絵柄を見ただけでも名前を見ただけでも性別が分からない漫画家は多いですけど、
くまみこの原作者はまず間違いなく女性だと思います。
女性作家特有の、女性キャラへの遠慮の無さをめちゃくちゃ感じます。

男性作家ってあまり踏み込めないんですよね。女性キャラへの性描写や暴力描写が遠慮がち。
顕著に出ちゃうのは暴力描写もそうですけど、生理や出産などの「女性にしか分からない」性描写ですね。
まぁもともとマンガ業界は男性作家のが多いですから、この遠慮がちなのが基本でもあり一般論でもあるとは思います。
でも、女性作家はしばしばこの遠慮を踏み越えちゃうんですよ。
一般論で作られたボーダーを無視して、自分の中にある「ここまでなら平気!」で女性キャラを描いちゃう。
これは、女性作家の利点でもあるし、欠点でもあると私は思っています。


私は、第3話のよしおのエロシーンについては比較的理解を示しています。
私の姉と妹の年齢差が10歳くらいなんですけど、よしおとまちの年齢差と同じくらいですよね。
姉が妹のおむつを換えたり食事をさせたりっていうのを間近で見てきたから分かるんですけど、
10歳差っていうのは、姉妹って感覚に加えて親子って感覚も多分に入ってくるんです。

よしおとまちが従兄妹だとはいえ家族同然に育ってきたんだとしたら、
兄妹っていうのももちろんありますけど、親子っぽさも介在している気がします。
少なくとも性別が違うからといって、性的な視点があるとはあまり思えないんです。
だから、このエロシーンは分からなくはない。
でも、あくまでも私の個人的な経験に基づく「分からなくはない」止まりです。

10歳差の兄弟姉妹っていうのはあまりいないですから、一般的にはちょっと特殊ですよね。
くまみこではこの特殊さに加えて、女性キャラへの遠慮の無さというボーダー越えがあるわけですね。
しかも、前項で述べたように過剰演出もデフォルメ絵も弱いですから、ギャグっぽさが希薄なんです。
これもうカオスですよ。みんながみんなこのシーンをすんなり許容できるとはあまり思えない。
暴力シーンと同じように、ギャグとして受け入れられる人もいれば、やり過ぎに見えて嫌う人もいると思います。

髪の毛を引っ張るシーンだって、女性作家特有の遠慮の無さのあらわれですよね。
原作者の中にある「ここまでなら平気!」が、ギャグのノリで出てしまっているんだと思います。
はっきりと白黒つけられるような強い演出がなされていないために、
女性作家の欠点の部分の方が少し目立ってしまったように感じました。
{/netabare}

第3話をやり過ぎって指摘している方もいらっしゃるようですね。
私も配慮が十分だったとは感じなかったので、そういう意見が出てくるのも当然だとは思います。
第3話のエロシーンと第4話の暴力シーン、ここへの許容が視聴継続の分水嶺になりそうです。

私はもう少し継続するつもりではいますけどね。
ギャグものと割り切っちゃえば、今後ビックリすることもないでしょうし、
むしろ、配慮の無さがぶっ飛び過ぎてて面白いです。

批判ぽく見えたかもしれませんけど、批判をしたかったわけではありませんからね。
視聴が終わるころには、個性として受け入れられていればいいなと思っています。
ひびきちゃんも悪い子じゃなさそうな気はしています。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

amnmnt さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

どこまでも主人公「まち」が面白可愛いブヒりアニメ

原作未読、アニメ1話~12話すべて観終わりました。
いやー、可愛い。まち。可愛くてたまらないw

結論、1話~8話までは凄く楽しく面白い、ギャグアニメです。9話10話は正直失速した感が否めませんがまあ、全然観れます。で、11話12話は観なくていいです。要注意。どうしても11話12話を観るのでしたら糞前提で心して観てください。

▼▼▼▼▼【追記】▼▼▼▼▼
世間で言われているラストの問題について、まだ観ていない方の為に注意を記しておきます。既に最終話についての悪評を見てしまった方が多いかもしれませんが、インターネット上に書いてあっただけの話題をそのまんま信じないでください。観るなら色眼鏡をかけず、あなた自身の目で確かめて欲しいと思います。
若干のネタバレを折り畳みにて。
{netabare}
キーワードは「サイコパス」「幼児退行」ですね。これ、言いすぎです。まとめサイトをはじめ、皆「話題性」を欲しがるが為にそういう単語を使いたがっているだけ。また、「近年稀に見る」だの「前代未聞かもしれない」だの、そう結論付けて更なる話題性を生みたいだけ。よしおが「まちには村の為に生贄になって貰う」という旨の発言をした、と書いてありますが、あれ、違います。全然違います。歪め過ぎ。

実際は、「娘を生贄として差し出していた昔話は、現代におきかえると巫女が皆の先頭に立って頑張る(皆をひっぱる)という事なんじゃないか」という旨の発言です。これは「だから巫女は無理やりにでも村の為に働かねばならない」という趣旨やその思想に基づいてこれまでよしおが動いてきたという事ではなく、単に現状と照らし合わせて導き出された、「あ、今のこの状況って、こういう事なんじゃない?」という、その場で発生した意見に過ぎません。分かり難くも何ともない。

これまでチャラチャラして何も考えていないように見えたよしおでしたが、実は村おこしへの気持ちはどこまでも真剣である事がよく分かり、また、最終的に自分で「やる」と言い出し、周りの人々を巻き込んで動いている大切な企画にも関わらず土壇場で逃げ出した「まち」の身勝手さを視聴者にも考えて欲しい、そういうシーンです。事実、よしおは「まち」に明確に辞めてもいいと一度手を差し伸べています。しかもその時、自らの行いも詫びています。それを引っくり返して「やる」と言ったにも関わらず逃げた「まち」なんです。よしおは何も間違っていません。皆さんにもちゃんと観てちゃんと考えて欲しいところです。

で、幼児退行とやら。これも面白おかしく書かれすぎ。どんだけその言葉使いたいのだ…。ネットに踊らされないでください。ごく普通に当初からの機械オンチネタであり、先によしおが「サイコパス」であると結論付けた後だからこそ更に盛り上げる為のこじつけでしかない。

12話「だけ」切り取った場合は、そこそこ成立してしまっているのです。原作ファンがどれだけ原作を改変されてしまい悲しんでいるのかは知りませんが、怒りに任せて事実を歪めて尾ひれまで付けて他者に伝える事はやめて欲しい。

ただ、この件はなんかおかしい気がします。原作がどれだけ売れていたか知りませんが、今回のこれ、そもそもステルスマーケティングや炎上商法である可能性が否めない気がします。ある意味、最終話問題の「お陰で」あらためてくまみこが話題になっていますからね。作者がブログに苦言を書いたがすぐ消しただの、脚本家がツイアカ消して逃亡しただの、どうもトントン拍子過ぎる。いい大人が、ですよ。絵に描いたようなんです。流れが。そしてネット上で好まれそうな話題性やキーワードが含まれまくっている。まとめサイトだって実態がよく分かりませんし。真実はどうなんでしょう。
{/netabare}
まあ、「くまみこ」として11話12話が糞である事に変わりはありませんがねw 曲解だけはしないで欲しいなと。
▲▲▲▲▲【追記】▲▲▲▲▲

物語とおしてのギャグ内容は主に、まち“いじり”といったところですかね。田舎ネタをベースに主に「まち」の都会憧れやコミュ障と絡めたもの。決してサディスティックなものではなく誰でも馴染める程度です。そのへん上手に作られていますので、泣いたり嫌がったり落ち込んだりする「まち」が最終的に「可愛い」という感想に至ります。ブヒり方としては侵略イカ娘のイカちゃんが近いかも。

ひたすらに主人公「まち」が可愛いわけなのですが、ただ可愛いだけではなく、どこか尖っているところがあったり怠慢な性格を持っていたり、重度のホンマモンのコミュ障だったりと様々な顔を見せてくれます。声優さんの声と演技もたまりません。最高にマッチしている。感情の振れ幅が大きく、喜怒哀楽が見ていて気持ちいい、大変人間味溢れる至高のキャラ。いつまでも眺めていたい。

あと作画。キャラデザ。これがまたやたらめったら可愛いんです。いかに「まち」を可愛く演出するか、そこに重点をおいてかなり気合いいれて描かれていると思われます。いや数多のアニメキャラだって可愛いのですが、「まち」は妙に可愛いというか。頭ひとつとび抜けた可愛さだと思います。

主要キャラもかなり少なく、まち、なつ、よしお、ひびき、この4人だけといっても過言ではありませんのですぐ覚えられ、大変分かり易い。様々な属性が主人公「まち」に集約されているだけですので、物足りなさを感じるという事も全くありませんのでご安心を。

さて、11話と12話ですが…。

結論、最初にも書きましたが観なくていいです。必要ない。作品の「色」そのものがもう完全に変わっちゃっています。これまでギャグで通してきたのに、急にシリアスをやってしまうんです。

ギャグという衣で面白く着飾ってみんな笑ってハッピーだったのに、せっかく着飾ったそれをあろうことか人ごみの公衆の面前で全てビリビリに破いて全裸に剥き地に叩きつけ、ただ辱めただけ、とでもいうか。それはもうただの陵辱であり、全然面白くない。楽しくない。可愛くない。わかってない。断じて違う。くまみこはそうじゃない。

ですので、くまみこは10話まで。なんとも中途半端な終わりになって気持ち悪いですが、11話12話を観るよりはマシかと思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11
ネタバレ

アレク さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

がっこうぐらし以来の衝撃

限界集落で暮らす中学生の女の子雨宿まちとなぜか人間の言葉を話せる熊(ここ重要)クマ井ナツ
1人と1匹を中心とした生活を描く日常系に分類されるアニメになるのかな
最後にちょっと考えさせられることもあったし共感できることも多かったし
何よりまちがかわいいし春クールで見たアニメの中でなかなか印象に残ったアニメでした。

{netabare}
まず最初に目につくのはまちがかわいい!
今住んでる村が嫌で都会の学校に行きたいと言い出すまちになつが都会っ子クイズと称して
いろんな試練を課して都会暮らしの下準備というか訓練的なことをしたり役所勤めでいとこの良夫の
村おこしのイベントになかば強引に駆り出されたり村人たちとの交流だったりが各話の骨子になるのかな
まちの時代遅れというか今時珍しい機械音痴っぷりや最新機器などを目の前にした時の喜びっぷりは
初々しくてかわいかったしなつや良夫など身内に対してはちょっと内弁慶気質で少し外の世界に触れたり
未知の事態に遭遇するととたんに怯える、誤解を恐れずに言いますとそんなまちの奮闘を見るにつけ
なんだか嗜虐心と庇護欲、2つの感情がないまぜになって何とも不思議な気持ちでございました。

そんなまち目当てにブヒブヒ見ていた自分なのですがここで1つ問題があり、まちと一緒に遊んだり
戯れているなつの存在、これが血縁関係も何もないただのおっさんだったら画面の前の紳士諸君も
さすがに倫理的というか道義的にまずいと思ってしまうと思いますがこの作品に限ればそれは問題なし!
なんせ相手はクマなんだから、道義的気まずさを最初から感じさせないよう先回りし
紳士たちの需要に合わせた作品造り、資本主義万歳ですな。


それに魅力もそこだけではなくたぶん自分だけじゃなく地方、特に東北ないしかつて東北に住んでいた人にとっても
共感できるようなエピソードは多かったんじゃないかな
しまむらがなぜか充実していたり、村人たちの人間関係や
水かけご飯の回で出てきた身内がこさえる謎調味料だったり大都会仙台やオシャレな店いざ入ろうとすると
逆に気後れしてしまうお上りさんというか椋鳥的視点だったり思わず共感し苦笑してしまうような
エピソードが各話にちりばめられていて、最近は日常アニメの数が増えてきてるように感じますが
それと共に田舎をクローズアップしたアニメもちらほら見かけますがそういうのを見てると
癒されるのは間違いないんですがなんというか都会人にとってのサプリメントとして位置づけられた
田舎アニメなんじゃないかと感じないでもなく全部が全部嘘っぱちだとは思いませんが
都会暮らしには都会暮らしの大変さがあるように田舎も田舎で大変なんだよと声を大にして言いたい
(雇用も少ないし、最低賃金も安いし、人間関係も濃いし、つーか同じ人としか会わんし)
話はそれましたがそんな残念さ、それも特に地の生活の部分に焦点を当て毒を含んだ形でも
うまく物語に落とし込み笑い飛ばしてしまう、地方の悲哀から目を背けたり美化するのではなく
笑いに変えるようなスタンスは非常に好みでした。

特に気に入ってるエピソードは村おこしCMを作る回で見栄えしない名産品(他意はありません)で
村人たちが集まり低クオリティーなCMを作る、皆一生懸命に取り組むがにじみ出てしまう
垢抜けなさがツボでしたし最後のスポンサーに関するオチも毒が利いてる感じで
そんな田舎の闇を笑いに変えるこの作品特有の観点は見ていて痛快でした。

そんなことも思いながらまちのかわいいさも愛でつつ最終回を見てたんです、
見てたんですがねぇ・・・
{/netabare}


↓以下最終回ネタバレ
{netabare}
自分はまとめサイトを斜め読みしてたらネタバレくらったくちで心の準備はできてましたが
それでも衝撃的でした、あらすじは省きますが都会に出るという夢敗れたまちが幼児退行endという・・・
一応11話を見た時点で自分の何となくの予想では今までの都会っ子クイズを思い出し
無事神楽をやり遂げた後都会に出るか村に残るかまちが決断するのかなーと
実際はそんな予想の斜め上でしたが。

初めに断っておきますが自分は良夫の生贄云々は物の例えだと思うし
この最終回で全てが台無しになったとかそういうことは思ってないです。
(自分のような日常アニメのつもりで見ていた人たちにとっては晴天の霹靂でやらしい話
需要には応えられなかったと思いますが)
むしろあの最終回を見終えた後だとミステリー小説を読んでいて予想外の結末すぎて
もう一度最初から見返し伏線を確認したくなる衝動に似た思いといいますか
全てが裏返って見えてしまうんですよね。
(そこにはおおらかで寛容といえば聞こえはいいが
そのじつあまりまちに関心がない村人、
なつの心の奥底でくすぶっていたまちに対する独占欲に加えて
良夫の村おこしの名をもとに無理難題を押し付けられるまちの姿が・・・)
今までそういうグレーな部分も美化せずギャグ調に描写していくスタンスだっただけに余計に・・・

いやほんと幼児退行したまちと考えなくていいんだよという台詞とともになつと戯れながら
EDが流れてるシーンはちょっとしたホラーですよ、アメリカのアニメとかでたまにお目にかかる
ナチュラルな狂気というか。

このような最終回を叩きつけられた後は村の闇の部分が嫌でも思い出されちゃうんですよね
「結城友奈は勇者である」の製作に携わったプロデューサーの1人はそのアニメを少女たちが
苦難に遭うことで日常の大切さを逆説的に教えてくれる「新日常系アニメ」だとインタビューで
答えたそうですが「くまみこ」の場合はそれと少し違くて日常の中に潜んでる闇を教えてくれる
「亜新日常系アニメ」だと自分は思います。
人はそう簡単に変われないという痛切なスパイスを含んだメッセージが内包されてるかもしれませんね
製作陣の意図は知る由もありませんが。

と、いうわけでこの日常系アニメに対する強烈なアンチテーゼを含んでるかもしれないアニメ
「くまみこ」オススメです!(血涙)
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 45

64.5 3 ネガティブで鬱展開なアニメランキング3位
22/7(TVアニメ動画)

2020年冬アニメ
★★★★☆ 3.2 (168)
515人が棚に入れました
22/7、 はじまりの物語――2016年12月の結成以降、常に新しい挑戦を続けている「22/7」(ナナブンノニジュウニ)は、 秋元康プロデュース、複数のトップクリエイターがデザインしたキャラクターと、 応募総数10,325人から選ばれた少女たちによるデジタル声優アイドルプロジェクトです。 楽曲リリース&ライブ開催、 YouTuber企画、バラエティ番組出演など、様々な分野での活動を経て、 デビュー3周年目となる2020年1月、待望のテレビアニメーションが放送を開始!グループ結成の秘話やそこに至るまでの経緯が、メンバーそれぞれの視点を通して赤裸々に描かれます。大切なこと、それは自分を信じて一歩踏み出すこと――個性あふれる少女たちが彩る、もどかしくてちょっぴり切ない青春劇を、キュートな歌声とともにお届けします!

声優・キャラクター
西條和、天城サリー、倉岡水巴、帆風千春、海乃るり、白沢かなえ、宮瀬玲奈、花川芽衣
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

時折ある、新人声優連動型のアイドルアニメ

[文量→中盛り・内容→感想系]

【総括】
アニメ単体として純粋に評価するなら、あまりクオリティは高くないと思います。

が、現実の声優アイドルライブやゲームなんかを併せて楽しめる方だったら良いのかもしれません。

また、「未熟だからこそ、応援したい」という層にもウケるかもしれません。

1話視聴段階では酷評しまくりながらも、一応完走&☆3評価なので、終わってみれば、そこそこの見処はあったアニメかなって思います。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
本作の目指しているのは、分かりやすい。「成長」を「実感(応援)」できるアニメ、なんでしょうね。

まず、主人公の「滝川みう」のキャラ設定自体が、「成長」を前提にしたものだし。新人(アイドル)声優を大量に起用しているのもそう。

要は、「地下アイドル」商法ですね。「未熟」さは「身近」さに置き換えられ、「応援」が「楽しみ」になる。

(感覚違うかもだけど)私も、道場の子供に教える時、下手な子供を教える楽しさがあることも分かるので、共感できるような、できないような(笑)

ということで、このアニメの評価は、「1話から最終話までの伸び」次第でしょう。

さて、新人声優さん達の演技を1話段階で見ると、

滝川みう(内気)→×
斎藤ニコル(キツい性格)→×
戸田ジュン(子供)→×
立川絢香(セクシー)→△
佐藤麗華(年上)→△
丸山あかね(メガネ)→△
河野都(関西弁)→○
藤間桜(金髪)→○

って感じかな。主人公と思われる滝川みうがあれだと、評価としては下げざるをえない。しかも、母親役がベテランの久川綾さん(セーラーマーキュリー)で、妹役が15歳ながらキャリア8年で主役もこなしてる天野心愛さん(URAHARA 丸野みさ)ってのもね。誰の耳にも差が如実で、少し可哀想だったな。

仕方がないのかもしれないけど、アニオリなんだし、もっとシナリオでどうにかなんなかったの? 彼女の独白から1話目はじめなけりゃいけなかったの? 8人のシナリオ少しずつ見せるとかさ、やりようあったとおもうけど。

あと、音楽(OP.ED)もね。正直微妙。普通の地下アイドルか、それ以下って感じ。

と、決して高い評価はつけられなかった、スタートライン。

ただ、アイドルアニメって結局、個人個人のキャラ掘り下げ回を通して、「推せる」キャラが出来るかどうかなわけで。

そういう意味では、まずまず良かったアイドルアニメとも言える。

個人的に好きだったのが、戸田ジュンと河野都。

ジュンは、明るく前向きに頑張っている理由が分かってからは、応援したい気持ちになった。都は最初からお姉さんキャラで、良い子で、一番好きかな。「ガーリッシュナンバー」の京を思い出す。

ストーリーの面では、「最初はバラバラのメンバー」が、「次第に絆を深め」、「終盤のシリアスを乗り越える」という、アイドルアニメのド定番。よって、良いも悪いもないんだけど、最終話はなんか嫌でしたね。

「壁を乗り越え、自分の意思でアイドルをやること=成長」という構成は、壁が出てきた時点で想像ついたけど、壁から繋がる道を歩き、壁の指示で用意された会場にたどり着きライブを行うというのは、「じゃあ結局、壁の思い通りじゃん」と。

なんか、「自力(自立)に見せかけて、結局は俺様(壁、秋元さん)の掌の上で踊っていたのさ」て、「お前はどこのお釈迦様(西遊記)だよ」と思った(苦笑)

まあ、この辺の気持ち悪さに関しては、余談にたっぷりネチネチと(笑)

ということで、「成長」がテーマであろう本作の、「成長」がどうだったか? と問われれば、「そこそこ成長した」かな。

まず声優さんですが、滝川みうと斎藤ニコル以外は、そこそこ聞けるようになりました、、、が、やはり一番の棒が、メインの二人というのがね。「センター」と「エース」なのに。

まあ、滝川みうの中の人も、ちゃんと成長してると思うんですが、スタートラインがね、かなりね、うん(苦笑) 「そういうキャラ設定」というのも分かるけどね。

あと、斎藤ニコルの中の人も、元々は違う方がやっていて、その方が昨年末に脱退したため、2019年12月24日加入らしいので、ちょっと同情はしますね。

アニメ全体としては、よくまとまっていて、かなり「成長」したかと。それでもまあ、☆3ですけどね。
{/netabare}


【余談~ 本作は、秋元康さんプロデュース ~】
{netabare}
私は、秋元康さんは一種の天才だと思っています。この人は、「何がお金を生むか」を的確に捉えているんですよね。

AKB商法は、お金を生むことに関しては、実に良くできたシステムです。「モノ消費からコト消費に移り変わる」「SNS等を使い、個人が情報を発信できる時代」への過渡期を狙った、ほぼ完璧な作戦。

昔は、「良い音楽を作る」ことが絶対的な正義であり、そうすれば必然的にCDが売れ、利益に繋がりました。しかし、DLなどで音楽が手軽に聞けるようになり、付加価値をつけなければ音楽がお金を生まなくなります。そこで、「会いにいけるアイドル」として、「ライブを多数展開し」「CDに握手券をつける」という発明をします。

ここで上手いのが、「CDにつけた」ということ。当然、CDの売り上げが伸び、オリコン上位に。すると、メディアがそれを取り上げ、あたかも「日本を代表する歌手」のように報道する。それによって、それまでAKBに興味が無かった一般大衆も興味を持つようになる。

少数(オタク)をハマらせ、多数(一般人)を扇動する戦略。

秋元さんは、実は「音楽」ではなく「CD」がお金を生んでいたことに気づき、「ライブが」ではなく「ライブで」お金を生むという概念を持っていたのでしょう。

と、誉める?のはこのくらいにしておきます(笑)

という具合に、「凄い」ことは多くの人が認めていると思いますが、「好き」かは別問題。

私は、この人が、なんか「嫌い」です(笑)

この人のやり方は、既成概念を壊すことでお金を生むけど、概念どころかコンテンツ自体をぶっこわし、壊した後のことには興味がなく、草1本残さず去っていく。そんな気がするんですよね。

個人的には、そういう人に、自分が好きなアニメの世界には入ってきてほしくないんすよね。

AKBだってパッケージで売っているだけで、AKBの子達を技術的に成長させようという感じを受けないんですよね。実際、秋元さん自身、「K-POPをプロ野球とするなら、AKBは甲子園」と言っています。つまり、「プロとしての技術」ではなく、「アマチュアならではの未熟さやひたむきさ」を価値にして商品化しているわけで。

ああちなみに、私は結構AKBの曲は好きで聴くんですよ。AKBのアイドルの子達も全然嫌いじゃないです。嫌いなのは秋元さんのやり方だけです(笑)

さて、本作でもその姿勢ははっきり出ていて、そこら辺はレビューに書いていますが、本作は、「声優がアイドルをやる」のではなく、「声優をやるためのアイドルを育成する」ことが目新しく、アニメを放送する前に、アイドルとして活動したり番組を放送したりしています。

結局、今のアニメ業界でお金を生むのは、「アニメ」よりも「アニメ関連」という、先程のCDや音楽、ライブなんかの話に近いと思います。

でも、この方法が上手くいったとしても、そしてそれがもし主流になったとしたら、、、容姿が端麗じゃない実力派俳優は絶滅しちゃいますね(まあ、現時点でもかなり追い詰められていますが)。それに、「低クオリティに価値を認める」のはまだ良いけど、「低クオリティこそ価値がある」となればマズイしね。

やっぱり、1アニメファンとしては、アニメのクオリティを高めてほしいし、そこをハナから軽視している人には、あんまり入ってきてほしくないんすよね~。

まあそれは、「アニメのクオリティが、必ずしも利益に繋がるとは限らない」、今のアニメ業界の形態に問題があるということなんでしょうが。

にしても、本作の「壁」の存在は気持ち悪かったな~。ブラック企業の比喩なのか、アイドル業界の比喩なのか分からんが、それを、「秋元さんがやる」というのが気持ち悪かったです。

ご本人が、「恋愛禁止という非人道的なルール」「握手券などの過剰なCD販売戦略(に伴う、過酷な握手会の強制)」「人気投票による、アイドルへのサービスの強要」という発明家でありながら(自分はアイドルに手を出すし)、「壁ってヒドイよね~」「乗り越えて自立してね~」みたいな演出が出来ることが、うすら怖いなと(苦笑)。
{/netabare}

【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目 ☆2
まず、冒頭の独白からして、厳しいよね、声優のスキルが。あと、歌も微妙だし。妹と母親が普通に上手いというのも、また(苦笑) この手のアニメのわりには、作画は悪くない、、、ような場合に気はする。

全体的に上手くないけど、中でも、斎藤ニコル、滝川みう、の二人は抜けて厳しいな~。河野都の人はまあ良いかな。次いで、藤間桜の人。なのに、下手な二人、メインっぽくない?

そんな秘密基地、ナイナイ(笑) いくら儲ければ、設備投資を回収できんだよ(笑) 超ゲーム仕様(苦笑)

雪かきて、雪国出身にしか伝わらんやんw

2話目 ☆2
しかし、あまり演技の上手くない人二人を、メインに据えるのがな。「成長を描く」というのは、良いのかも。斎藤ニコルは、確かに他のメンバーより良かったけど、「圧倒的」かと言われれば、う~ん。中の上くらいじゃないかな? と。

母からすれば、アヤシイバイトしてるのかと思っちゃうよな(笑)

3話目 ☆4
みう回のラスト? ニコル回? デビューライブでこの集客は凄いな(苦笑) こういうライブって行ったことないからワカランが、どんだけ大々的に告知すれば、素人軍団にこれだけ客が集まるんだろ? しかし、主人公、棒なんのに、このセリフ量、制作はドSなのかな(苦笑)? いきなりピアノでって、天才かな?

ED、キャラソンにしたの? 私、アイドルにはメチャクチャ疎いんですが、昨日、襷坂のセンター、平手さん?が脱退しましたよね。平手さんは、かなりプロ意識強い方みたいなんで、滝川みゆ とは違いますが、キャラデザとか雰囲気は、参考にしているのかな?とか思ったり。いや、襷坂と乃木坂とAKBを並べられて、まったく見分けがつかない剣道部の戯言なんですがね(笑)

4話目 ☆3
桜&桜回。最後、綺麗な風景だったな。でも、ただの良い話だと、そこまでキャラは深まらない。

5話目 ☆4
都&お好み焼き回。ゴリラ型ロボットて(笑) ポンコツリーダー(笑) ×4を爽やかて(笑) キャベツ切る作画、当然知ってるだろうから、上手すぎても下手すぎても話題になるし、大変だな(笑) お好み焼き、タネに肉入れるか? 的はずれの親子愛。すてきやな。

6話目 ☆3
霊華&水着回。プロ意識といえばそうだし、ブラック企業の説得方法といえばそうだし、微妙なところ。

7話目 ☆4
食中毒、1回なったことあるけど、人生で一番キツかったよ、マジで(苦笑) 明るさの裏にある、陰。やたら芸達者だな。いやあ、CMは代役無理だろ。まあ、死ぬわな、展開的に。安易&ありきたりだけど、これは、ジュンが人気でそうなエピソード。ギャップ萌えだな。

8話目 ☆2
あかね回。いやいや、そこをゴシップする週刊紙は流石にない、、、が、父親が芸術家なら、ありえるのかな? キャラの壁を壊せた、とは思えないかな。

9話目 ☆3
温泉&絢香回。好きな相手がフラれたら、チャンス、ありがとうって思わないんかね。あかね、キャラ立ったか? 掴みにくいキャラではあるよな、リアルっちゃあリアルだけど。誰か一人脱退させろ、とかじゃなく、解散か。

10話目 ☆3
ファンはついていて知名度もあるんだから、「大人の事情で」って言って、一旦解散し、違う会社で全員揃って再結成すれば? 言いなりアイドルからの卒業ってこと? 「この支配からの~卒業」みたいな感じかな。へ~、元同級生ね~って、気づけや(笑) 本名だし、10年たってないだろうが。

11話目 ☆3
齊藤ニコル回。いや、先生ダメ過ぎるだろ。リンゴなんて、エアーでやれば良いだけ。滝川みう、なるほどそんな過去が、、、って、流石に覚えてるだろ、名前も変わってないのに(苦笑)

12話目 ☆2
う~ん。ラスト、このオチか。結局、壁の思い通りじゃん。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 26
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

【辛口コメント】「壁」の掌の上でどこまで踊ることができるのか

秋元 康氏プロデュースのデジタル声優アイドルグループ
「22/7(ナナブンノニジュウニ)」(ナナニジ)
メディアミックス展開の一翼を担うアニメ化作品。

【物語 3.5点】
センター及びグループの始動・覚醒→(8人のメンバーの個別回)→グループの危機

アイドル物としては無難なシリーズ構成で骨組みは安定。

ただ本作はアイドルのキラキラ感や萌えよりも、
秋元系アイドルに投げ掛けられる種々の疑問に対して、
運営等に矛盾はあるかもしれないが、
個々のメンバーの人生に寄与した側面もある。
という弁明が繰り返されるAKBグループのドキュメンタリー
の如きパターンが組み込まれるため、
そこに折り合えるかどうかがポイントになる。


【作画 3.5点】
各メンバーごとに人気絵師、アニメーター等を当てる豪華なキャラデザ陣。

これらを統括するメインキャラクターデザインは堀口 悠紀子氏。
京都アニメーションとも関わりが深い氏のデザインが再現されたライブシーンでは、
京アニのキャラがCG化して踊っているという感想を抱くかも。

3DCGは適宜、各モデルの動きを散らす等、不気味にならない工夫は見受けられるが、
ライブは手描き勢を沈黙させるほどではない。


私のベストシーンも{netabare}雨中の桜並木にて撮影されたグラビア{/netabare}で手描きの場面。
(単に推しが藤間桜なだけという説もありw)


【キャラ 4.0点】
ナナニジの現在のメンバー数は8人ではなく11人(経緯は公式等参照)
本作放送前年の4thシングル「何もしてあげられない」からは
歌唱もアニメMVも“11人”揃って行われている。

声優11人+キャラ11人=22人。思い入れもあったはずだが、
アニメでは敢えて8人のナナニジで通して、
1クールで個別回も全消化し、キャラを掘り下げた決断を評価。
但し、{netabare}残りの3人も最後に顔を出しますが。{/netabare}


【声優 3.0点】
ナナニジメンバー声優の熟練度、成長度はまちまち……。

終始、順調だったのは他作品でアフレコ経験もあった
藤間桜役の天城 サリーさんくらい。

特に初回、声を上手く当てられないメンバーが多く、掛け合いもぎこちない。


特に感情希薄系を中心に苦しい演技があった印象ですが、
センター・滝川 みう役の西條 和さんは、
演技力云々より根暗な性格を表現したクセのあるボイスに
視聴者が馴染むか否かという慣れの問題だと思います。

私が苦しいなと感じたのは斎藤 ニコル役の河瀬 詩さん。
メンバーで一番経験豊富な出来るアイドルという設定の割に……と傷口が広がった感じ。
ただ彼女は放送直前に卒業した前メンバー声優の後任であり高望みをするのは酷でしょうか。

但し彼女もニコル回では{netabare}吃音{/netabare}を演じる等、可能性は感じさせてくれました。


【音楽 4.0点】
劇伴はピアノやストリングスが場面を彩る上品な楽曲構成。
過去のナナニジの楽曲のシーンに合わせたアレンジ挿入も〇。

OPはナナニジ8人歌唱の5thシングル「ムズい」
ポエトリーも交えて、大人の支配下に置かれ喪失しかけている
自己の存在意義を模索する、アイドルアニメOPらしからぬ
苦~い青春ソング。ムズいよ。

EDは個別キャラ回がメンバー各々のキャラソン。
5thカップリング「空のエメラルド」もED起用された佳境にマッチした良バラード。

その他、過去のシングル曲も挿入。


私のお気に入りは3rdシングル「理解者」


【感想】
初回、懸念したよりは、無難に個別キャラ回で話数消化し、
変な方向には行かなかった印象。

ただ「壁」の指令=秋元 康氏の鶴の一声。
という見方をどうしてもしてしまう私にとっては、
日頃、秋元系アイドルに対して抱いている疑念も再燃し、
苦しさも感じるアニメ視聴となりました。

「壁に質問することは許されない」などと疑問も持たず従う事務所スタッフたち……。
チョット怖いです。

例えば、{netabare} 第三話にて、「壁」が機材トラブルが起きやすい会場を選んだ?
ことを、これも「壁」の意志なのか?とスタッフたちが感想を漏らす件とか。

第七話で、「壁」が食中りする差し入れを提供?→残された一人の超ハードワークとか。{/netabare}

「壁」が人間だったら、軽くハラスメントや犯罪なのでは?と私は感じてしまいました。

最後の、{netabare} 引退指令→反発→再始動の流れも結局、「壁」の思惑通りで、
終始、「壁」の掌の上で踊らされていたと私は解釈します。{/netabare}

業界に問題は色々あるけど、試練を乗り越えてこそ得られる物もある。
という筋書きは私の好物であるはずですが、
本作みたいに「壁」の指令として露骨に表現されると、
別にそれアイドルじゃなくても得られますよね?
だからと言ってアイドル業界の諸問題を放置していい訳じゃない。
などと天邪鬼が発動してしまいます。


そんなこんなでゾワゾワした感覚も抱いた本作ですが、
私にとっては妙に気になるアイドルアニメではありました。



【1話感想※毒舌注意】秋元グループのある種の悪趣味にとことん付き合える方だけ観て下さい。

長~い愚痴なので折りたたみw

{netabare}
ファンの方には申し訳ありませんが、
秋元系アイドルには、まだ技術的な裏付けが十分じゃない、
自己のアイデンティティ確立すらままならず、自信もない状態の少女たちを
いきなりスポットライトが当たる場所に放り込んで、
それを必死だ、青春だ、感動だと美談に仕立て上げる。
さらには、それすらも、それに対する批判や付随するスキャンダルすらも、
NHKや映画でドキュメンタリーとして切り売りする。
ある種の悪趣味があるように私には思えてなりません。


本作の導入からもAKBや坂道シリーズのドキュメンタリーと同種の不穏さを感じました。
それでも、私が視聴してしまうのは、
私自身がこうした不穏な描写に刺さる物を感じて引き寄せられてしまう悪趣味な大人だからです。


視聴中、私の中で、秋元系アイドルの半生が走馬灯のように流れました。

塞ぎがちで自己肯定感に乏しい自分を変えたくてアイドルの世界に飛び込んだ西野七瀬さん(乃木坂46卒業生)
貧困の中、弟の学費のために、病弱で何度も倒れながらも、アイドルで生計!を全うした橋本奈々未さん(乃木坂46卒業生)
ハードスケジュールの中、大人たちへの反発をぶつけた歌詞世界にシンクロし過ぎて、
しばしばぶっ壊れる平手友梨奈さん(欅坂46)

本作には今後、大人たちの理不尽な指令で、
上記のようなエピソードが再現されかねない不穏な空気で満ちています。


「ナナニジ」推しのアニメ誌『Newtype』2020年2月号の特集も拝見しましたが、
メンバーは「とにかくまじめでびっくりするくらい自分に自信がない、が第一印象」
「第1話では演者たちが役ではなく素でこんなに泣く現場を初めて経験しました」
という音響監督の証言。このコンテンツ……2.5次元世界も何だか不穏です。

だからアニメ映画のゲストタレントのアフレコ以上、プロ声優未満の棒読みくらいで、
どうか余り袋叩きにしてやらんで欲しいです。壊れますから。


これから、メンバー間衝突など、ますます不快指数が上昇する展開も予想される本作。

そもそも一部の深夜アニメや2.5次元アイドルファンにとって
前回のAKBアニメ化が文永の役としたら、今回はさしずめ弘安の役。
秋元系=“侵略者”という認識の壁がまずあって、
それらを乗り越えて視聴継続したとしても、
そこに萌えはなく、むしろ鬱展開が待っているかもしれない……。
光が差すとしても、修羅場を幾つか経た後になるのではと私は予想します。

いや……現時点では、私には、
とことん付き合える方だけ視聴続けましょうとしか言いようがないです。


それでも、付いていく!という方にオススメしたいアイドルは藤間 桜。
キャラも帰国子女、CV.天城 サリーさんもLA出身の帰国子女という陽属性。
メンバー中でいち早く"バーチャルYouTuber"活動を始め、他のアニメ作品出演歴もあるなど、
比較的、経験や技術的な裏付けもあると思われます。

推すというよりは、今後、鬱やらマズイ演出やらが襲って来た時、
キャラ面でも中の人の面でも彼女を当てにして、
どうにか完走したいというのが今の私の率直な心境です。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 39

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

未来は私たちの手の中にある 【'20.4.4修正】

私は4月から本作品の2期が放送されると記載しましたが、4月から放送されるのは「22/7 計算中」のシーズン2なんだそうです。
「22/7 計算中」はアイドルバラエティー番組で、22/7のキャラがスタジオでのトーク&ロケに挑戦する新感覚バラエティー番組なんだとか…

大変失礼しました_(._.)_
レビューの2期放送に関する部分を訂正させて頂きます

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
秋元康さんプロデュースで、デジタルアイドルグループが結成されることは知っていましたが、正直そういう事実を知っているだけで、グループ名や何人で構成されているのか、ましてやどんなキャラが存在するかなどは微塵も知りませんでした。

そしてアニメ化されることを知り、アニメを完走して今に至る訳ですが、振り返ってみると私にとって衝撃的な作品になりました。


22/7、はじまりの物語 ――
2016年12月の結成以降、常に新しい挑戦を続けている「22/7」(ナナブンノニジュウニ)は、
秋元康プロデュース、複数のトップクリエイターがデザインしたキャラクターと、
応募総数10,325人から選ばれた少女たちによるデジタル声優アイドルプロジェクトです。
楽曲リリース&ライブ開催、YouTuber企画、バラエティ番組出演など、様々な分野での活動を経て、
デビュー3周年目となる2020年1月、待望のテレビアニメーションが放送を開始!

グループ結成の秘話やそこに至るまでの経緯が、メンバーそれぞれの視点を通して赤裸々に描かれます。
大切なこと、それは自分を信じて一歩踏み出すこと――
個性あふれる少女たちが彩る、もどかしくてちょっぴり切ない青春劇を、キュートな歌声とともにお届けします!


こちらが公式HPに掲載されているINTRODUCTIONです。


滝川みうに突然届いた1通の手紙。新プロジェクトのメンバーとして選ばれたという。
半信半疑で手紙に書かれた場所へ行くと、そこには同様に集められた7人の少女たちが。
彼女たちが目にした巨大な極秘施設。途方に暮れる中、こう告げられる。
『あなた方にはアイドルユニットとしてメジャーデビューしていただきます』
未だかつてない新しいアイドルが、ここに誕生する――


こちらが公式HPに掲載されているPROLOGUEになります。

何故私にとって衝撃的な作品となったか…
まず、私は声優さんの演技が超が付くほど大好きです。
いま声優志望の方が増えていて、作品に出演するのは狭き門を突破しなければなりません。
それでも自分の夢を叶えるため声優の卵の方々は日々必死になって努力しています。

そうやって努力を重ね掛けしてようやく掴み取った役だから大切だと思いますし、きっと演技にも熱が入るんだと思います。
この様に愚直に努力を積み上げてきた人を差し置いて、例えば芸能人の方々が「声優初挑戦」などと急に抜擢されることが往々にしてあります。
もちろん、配役にピッタリの方もいらっしゃいますが、正直全部が成功しているとは思っていません。
「あぁ、これなら声優さんが演技した方が良かったのに…」と思うことが度々あります。

それはアニメに関しても然りです。
「声優至上主義」と言うと大袈裟かもしれませんが、声優さんってやっぱりプロだから上手なんですよね。
だから特にアニメに関しては声優さんに演技して貰いたいのが本音です。
この考えはこれまで微塵も揺らぐことはありませんでしたし、今もそう思っています。

ですが、22/7は…22/7だけは何か違うと思えたんです。
普通の高校生が突然呼び出されて、突然アイドルになれと言われた人が、いきなりプロ顔負けのパフォーマンスなんてできる筈が無いんです。
だからたどたどしくて当たり前…
きっと、この作品はリアリズムをとことん追求した結果、こんな形になったんだと思います。
この様な思考でこの作品を見ると、私の中で「有り」がどんどん膨らんでいきましたから…

きっかけは第3話のお披露目ライブ…
桜ちゃんのライブ中に送ったウィンクから全てが始まったと言っても過言ではありません。
突然のアクシデント…でも一番アイドルをやりたくないと言っていた滝川みうのパフォーマンスには正直感動すら覚えましたよ。

そして第4話では桜ちゃんの本気と彼女らしさが輝いていたと思います。
千本桜の前でみんなで撮った写真…本当に素敵でした。

このアニメにドップリ浸かっていると自覚したのは、ちょうどこの頃です。

ほぼまるっと1話を使ってキャラ一人ひとりを深掘りしていく構成は常套ですが分かりやすかったと思います。
何より、作画やキャラデザのクオリティの高さは尋常じゃありませんでしたね。
流石A-1 Picturesさん、ホント良い仕事していますよ♪

個人的な推しは、やっぱり滝川みうちゃんかな^^;
Twitterで見つけたのでフォローしたのは良いんですけれど、プロフィールに「最も無口なVTuver、22/7の滝川みうです」とありますが、「無口」と「VTuver」が頭の中で繋がらないのは私だけでしょうか^^;?

全般的にキャラの甲乙は付け難いのですが、藤間桜ちゃんについても一言…
キャラとしての彼女も好きなのですが、キャラデザが私のどストライクなんです。
と思ってググってみたら、桜ちゃんのキャラデザはカントクさんだったんですね。
好きな理由も腑に落ちましたよ^^;

最初はバラバラだったメンバーが少しずつ結束を強めてきて、「さぁこれから」という時に、まさかの第10話の仕打ち回。
全然予想していなかったので、メンバーと同じリアクションでした。
TwitterでG.I.Pから「大切なお知らせ」が発信されたのもリアリズムの追求の現れなんでしょうね。
メンバーの今後が不安で堪りませんでしたよ。

思えば第11話を見て滝川みうちゃんを推したいという気持ちになったんだと思います。
そして22/7部屋でのみんなのやり取りは涙腺に響きましたよ…

でも、最終回…やってくれましたね!
秋元康マジックに完全に踊らされた気分ですが、このシーンが見られるならそれも悪くありません。
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングテーマは、「ムズイ」
エンディングテーマは、「空のエメラルド」
この他3話のお披露目ライブで使用された「シャンプーの匂いがした」と「僕は存在していなかった」もお気に入りの楽曲です。

1クール全12話の物語でした。
この作品を視聴して良かったと本気で思います。

何気なくTwitterを見ていたら見つけてしまいました^^;
アニプレックスより「滝川みう」1/7フィギュア限定予約開始!
ふっ…思わずポチってしまいましたよ(*ノωノ)

べ、別に購入特典の「直筆サイン会参加券」に目が眩んだ訳じゃないんだからねっ!
ふ、ふーん、キャスト参加イベントの抽選応募券も特典としてプレゼントされるんだ…
イベントの日程は21年の初春…それまでにコロナが沈静化してくれていると良いんだけどな…

投稿 : 2024/11/02
♥ : 20
ページの先頭へ