スタジオジブリで変身なアニメ映画ランキング 3

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のスタジオジブリで変身な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月09日の時点で一番のスタジオジブリで変身なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

87.7 1 スタジオジブリで変身なアニメランキング1位
千と千尋の神隠し(アニメ映画)

2001年7月20日
★★★★☆ 4.0 (1804)
12232人が棚に入れました
10歳の少女、荻野千尋(おぎの ちひろ)はごく普通の女の子。夏のある日、両親と千尋は引越し先の町に向かう途中で森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネルを見つける。嫌な予感がした千尋は両親に「帰ろう」と縋るが、両親は好奇心からトンネルの中へと足を進めてしまう。仕方なく後を追いかける千尋。

出口の先に広がっていたのは、広大な草原の丘だった。地平線の向こうには冷たい青空が広がり、地面には古い家が埋まっていて瓦屋根が並んでいる。先へ進むと、誰もいないひっそりとした町があり、そこには食欲をそそる匂いが漂っていた。匂いをたどった両親は店を見つけ、断りもなしに勝手にそこに並ぶ見たこともない料理を食べ始めてしまう。それらの料理は神々の食物であったために両親は呪いを掛けられ、豚になってしまう。一人残された千尋はこの世界で出会った謎の少年ハクの助けで、両親を助けようと決心する。

声優・キャラクター
柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、上條恒彦、小野武彦、我修院達也、はやし・こば、神木隆之介、菅原文太、玉井夕海、大泉洋
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

日本だからこそ!

ジブリ作品。

小学5年生の少女、千尋(ちひろ)と、その両親は、神々の住まう土地に迷い込む。
そこで両親のとった行動により神々の怒りを買ってしまう。
千尋は名前を奪われ、両親を人質に「油屋」という旅館で働かされることになる。
そんな千尋の成長物語。


正直言うと、ジブリの中ではあまり好きなアニメではありません。
{netabare}
すべてを奪われてしまった千尋が、自分の力で元の自分を取り戻し、さらに成長する。
それを追うように数々の主要キャラが再び走り出す。
{/netabare}
再出発への意識。
逆境から抜け出す力強さ。

そんなテーマ性は感じるものの、ちょっと物足りないんです。
また、ノスタルジーを感じるには年齢層が合わない気がしました。
少女の冒険記として見るには初期のジブリ作品のほうがはっきりしています。
どのように見ても中途半端な印象を受けちゃったんですよね。

しかし、ここまでは、個人的に合うか合わないかという問題です。


このアニメを見て、強く感じたことがひとつあります。
それは「舞台が日本だからこそ違和感も持たずに見られること」です。

西洋が舞台ならドラゴンやエルフが出てきても違和感がないように、日本では八百万の神々に違和感をいだきません。
数々の奇妙なキャラクターが出てきますが、自然に受け入れられます。

特にきわ立っていたのは、
{netabare}
ハクが名前を取り戻す場面。
千尋は「琥珀川(こはくがわ)」としか言ってないんですよね。
それなのに、ハクは自分の名前である「ニギハヤミコハクヌシ」という名前を取り戻しています。
その間には、おぼれたときのわずかな回想が入るだけです(→パッケージイラスト)。
{/netabare}
たったそれだけで「自然が人格を持っている」と視聴者は判断します。
そして、すんなり受け入れてしまいます。

日本人のアニミズムに対する意識は、こうも自然に根付いているモノなのかと、再認識させられるアニメでした。

投稿 : 2024/11/09
♥ : 95
ネタバレ

Yulily さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

いいなあ、愛の力だなぁ...

いまでも思い出す...夏の日のあの不思議な出来事...

それは目に見えない不思議な何かに導かれたように思えた...
トンネルの出口の光を目指してまっすぐ進む...
その先は眩さに包まれていて...
緑の草に覆われたどこまでも広がる草原だった...

「トンネルの向こうは、不思議の街でした」

このキャッチコピーに、まだ足を踏み入れたことがない向こう、遠い世界への憧れ、言葉では言い表せないワクワクする気持ちを思い起こします...

不思議の街へと足を踏み入れた千尋と両親。そこは異世界なのに、どこかひどく懐かしい雰囲気を感じる街並み。日本の和を強調させた独特の世界観に心惹かれます...

夜の訪れとともに赤い提灯(ちょうちん)が連なり、見る者を夢幻的世界に誘(いざな)うようです。
ノスタルジックな風景の中に在る赤は存在感が際立っています。赤い光に満ちた提灯が揺らぎ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
映像の美しさのみではジブリ作品で首位だと思う程に素晴らしいです。

千尋から千(せん)へ...
親を失い、恐怖に脅え泣く千尋が数々の困難に立ち向かい、出会いや経験を重ねる度に強くなっていくのです。
この不思議な街で涙する度に大人の表情に変わっていく。そんな千尋が愛おしいですね。
{netabare}
ラスト直前で空に舞う千尋の涙があふれるシーン
他人を心から思いやって流した涙もあったね、けれど最後の千尋の涙は、自身の幸せがあふれた笑顔の涙。その表情と共に、どこまでもあたたかいんです...
{/netabare}
爽快さと感動に満ち、心からやさしい気持ちになれました...
素敵な作品でした。

「千と千尋の神隠し」以降、ジブリを熱く語れる作品に未だ出会えていません。
また、出会いたいですね・・

 {netabare}最後にタイトルですが「愛」というワードを発する釜爺の名言!愛をよく分かっているんですよね♡「わからんか。愛だ、愛」「いいなあ、愛の力だなあ..」 {/netabare}

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけど
その向こうできっと あなたに会える...

投稿 : 2024/11/09
♥ : 69

suggest@休止 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

不思議な世界に迷い込んだ少女の話!

車で引っ越しの途中に山のなかに行き着いた千尋たち。千尋の両親が山のトンネルへと足を進めると千尋も恐れながらついていくがここから千尋は大変な世界に迷い込んでいく...

千尋の小さな胸の中に秘められた強い気持ちがよく見えていて良かった。
千尋が周りの人たちに好かれていく理由がしっかりとあり、旅館の人たちも最後はいい人ばかりになってくれて感動でした!

活気ある街とその裏側で起きている黒い部分との差がこの作品の見どころですが、出てくるキャラたちが人間臭くてこの設定がより活きているように感じました(^^)

物語の不思議な雰囲気やキャラの心理状況、料理の美味しそうに見える感じがとてもジブリらしく思えました(^∇^)

投稿 : 2024/11/09
♥ : 65

58.8 2 スタジオジブリで変身なアニメランキング2位
ゲド戦記(アニメ映画)

2006年7月29日
★★★★☆ 3.2 (516)
2614人が棚に入れました
多島海世界のアースシーでは、聖なる生物の竜が共食いを始め、農民は田畑を捨て、職人は技を忘れていくなどさまざまな異変が起こり始めていた。やがて人々が魔法を信じることができなくなったとき、大賢人ゲドは世界のバランスを崩す者の正体を突き止めるための旅に出て、国を捨てた王子アレンと出会う。
(シネマトゥデイより引用)

声優・キャラクター
岡田准一、手嶌葵、田中裕子、香川照之、風吹ジュン、内藤剛志、倍賞美津子、夏川結衣、小林薫、菅原文太
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

ジブリ史上最高クラスの主題歌(しか記憶に残ってないw) テルーの歌の歌詞のレビューですm(__)m

[文量→大盛り・内容→雑談系]

【総括】
ストーリー1、歌が5で、合わせて3です(笑) 意外と酷評ではないです。だって、ゲド戦記以外の角度からのレビューですもん(笑)

今回は、ゲド戦記のテーマソング「テルーの歌」の詩の解釈をメインにします。

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
結論→テルーの歌は、萩原朔太郎のこころのパクりとは言えないのではないか。というレビューです。

この「テルーの歌」ですが、ネット等でも話題になりましたが、(100年程前に活躍した詩人)萩原朔太郎の「こころ」が元ネタになっています(監督&作詞の宮崎吾朗さんも公式に認めてますね)。

ゲド戦記公開当時は大学生で、たまたまゼミで朔太郎をやっていたので、これでレポート書いた記憶があるので、載せてみます(笑)

※ここからは、テルーの歌を「」で、朔太郎のこころを『』で書きます。

テルーの歌もこころも、ともに3つの連から成る詩です。テルーの歌の第1連の「夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる鷹」は、雲の上、というのがミソです。つまり、地上の人々からは見えないということ。「音も途絶えた風の中 空を掴んだその翼 休めることはできなくて」……だって、休むと落ちちゃうもんね(笑) この部分は、こころの第2連『こころはまた夕闇の園生のふきあげ』に対応しています。夕方の公園の噴水って、(昼間は子供達に人気だったのに)回りに誰もいなくなって、それでも休むことなく水を吐き出し続けています。吾朗さんは、その噴水の様子を鷹に置き換えた訳ですね。と、いうことで、第1連のテーマは両作とも「孤高」だと思います。

テルーの歌第2連の「雨のそぼ降る岩陰にいつも小さく咲いている花」は、こころの第1連『こころはあぢさゐの花』に、対応しています。朔太郎は、アジサイという、寂しげで多彩な花で、こころの移ろいやすさや儚さを表現しています。が、テルーの歌ではそのような主題は排され、「愛でてくれる手もない」と、やはり「孤高」を表現するにとどめています。

第3連は、詩的には、テルーの歌で一番上手いところだと思ってます。「人影絶えた野の道を 私と共に歩んでる」は、「人影絶えた」「私と共に」と思いっきり矛盾した表現です。この矛盾を解消できる答えは、「私の影」ということになります。

映画ゲド戦記は、小説ゲド戦記シリーズの第3巻を元ネタにしていますが、小説ゲド戦記の第1巻は、「影との戦い」というタイトルです。さらに、テルーの歌では「あなたもきっと寂しかろう」と続けています。「も」ですから、私と私の影は対等の価値をもっていると考えられ、つまり、「影の受容」です。これは、ゲド戦記の大きなテーマですね。

こころの第3連は、『こころはまた二人の旅人』と、はっきり二人と書いてます。そして『されどみちづれの絶えて物言ふことなければ わがこころはいつも かくさびしきなり』から、『出会ったがゆえの別れ』『幸せを知ったからこそ感じる不幸せ』などがテーマになり、テルーの歌とは大分違います。なので、ここの部分は、作詞した宮崎吾朗さんのアレンジの上手さが光っていると言えますね。

総じて、テルーの歌は、こころ→孤高 という主題が強く、朔太郎は、こころ→多彩で感傷的なもの という 主題が強いです。

私は、テルーの歌は、こころのパクりとは言えないと思っています。主題が全く違うので。確かに下敷きにはしているのでしょうが、両方の詩をしっかり読解せず、字面だけ見てパクりというのは、ちょっと、吾朗さん、可哀想^_^; そもそも、ジブリ自体が、完全オリジナルは少ないわけですし。

以上。書きながら、あにこれのレビューか? と、自分でも思いましたm(__)m 吾朗さん、頑張れ♪
{/netabare}

投稿 : 2024/11/09
♥ : 29
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oneandonly さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6

偉大な原作をなぜ脚色したのか

世界観:4
ストーリー:3
リアリティ:5
キャラクター:4
情感:3
合計:19

原作のゲド戦記は昔から好きな児童文学です。
最初は幻想的な暗闇が舞台となる2巻が好きでしたが、自分と向き合うようになった頃に1巻が好きになり、社会人になってから見直したら3巻が好きになりました(あまり話さない印象のゲドが喋る喋る)。何度読み返しても、新たな発見のある物語で、そういう創作物があることを強く印象付けられた思い出の作品です。

という結構なゲド戦記ファンなので、このタイトルを付けられた上では評価が厳しくなってしまっているかもしれません。

「人は自分の行きつくところをできるものなら知りたいと思う。だが、一度は振り返り、向きなおって、源までさかのぼり、そこを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。」(byオジオン師匠)

言葉だけを見るとちょっと説教臭いところもあったりしますが、これは1巻のゲドの行動を通してその意味が描かれているので、後で読んで深さを理解できるのです。

{netabare}が、映画版は原作のどこのストーリーを描くでもなく(一応、3巻部分をメインにしていますが、5巻まで含まれています)、アレンが父親を殺すという原作には全くない所から始まり、「真の名」や「均衡」などの概念を言葉だけで語らせ、最後にはラスボスを倒してグッドエンディングみたいな。

ジブリなので作画は綺麗ですし、テルーの歌がはまっていますので原作を知らない方はあるいは気に入るかもしれませんが、アレンの父親殺しやテルーが竜になること等にも説明がなく、表現が足りないという問題があり、その上で原作が非常に大事にしている(本当の意味での)均衡の世界観が欠落しています。

{/netabare}これはゲド戦記ではない何かですので、原作を読まれることを強くおすすめします。

<2019.1追記>
家の本棚から久しぶりにゲド戦記を取り出してみると、ページの外側にいつの間にか年季が入った日焼け色がついてしまっていました。

この映画は3巻が舞台との設定だったはずですが、3巻の終わり、{netabare}黄泉の国でのクモとの戦い、魔法の力を使い果たして岩の扉を閉じたゲドをアレンが庇いながら帰還し、最古参の竜カレシンの背に乗ってロークに戻る{/netabare}シーンを読み直し、死と対峙することの重さ、躍動とリアリティに満ちた、これらのシーンが原作通りに描かれなかったことの無念を感じました。
落ち着いた時に、原作をまた読むとします。

投稿 : 2024/11/09
♥ : 27
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.3

退廃的な雰囲気と行先のない描写

父親を殺した1人の少年のお話。
国を治め、民のことを第一に考える理想の王のようだった父親を少年は殺した。
彼が1人になったその瞬間を狙って背後から迫り短剣で一突きお見舞いしてやった。
簡単なことだった。その後すぐに父の腰に差してあった刀を奪いその場を去った。

少年は肉親を殺したことや人の死に触れたこと、罪の意識に囚われることはなかった。
ただひたすら"それ"を恐れた。
道徳観と倫理観は真っ白に燃え尽きた炭のように死に、徹底的にスポイルされた少年の目はどこも見てはいなかった。
やる気も気力も削がれ生きていく意志さえ持てなかった。生きた屍そのものだ。
道中でゲドに逢い、手を引かれる。ゲドは何も聞かず、何も求めなかった。

世界は大きく変わりつつあった。ちょうどその過渡期だった。
スピリチュアルなものの地位は衰退した。魔法もそしてモラルもその価値は失われ、有形物に対する物欲だけが膨らんでいた。
そんな人間の浅ましさはなにを喜ばせることもなく、鬱屈とした空気だけが漂っていた。龍も彼らを見放した。
この世の終末が実際に目の前にあった。

崩壊の最中にある世界で少年はこれからどうするのだろう。
殺人を犯し逃げてきたはいいけれどするべきことも特別なにかしたいことも見つからなかった。

ただ"それ"を恐れた。自分の中に眠る抑えきれない、望むはずのない欲望を。
普段"それ"は目に見えない。暗闇の中でおとなしく死んだように眠っている。
"それ"が目を覚ますのに周期もきっかけも条件もない。
ただ突然、自分の中でバタバタと激しく悶える。絶対不可避の生理現象に近い。
心の闇は、闇の中にある"なにか"は醜い。しかし、惹く。
殺人の動機なんてものは持ち合わせていなかった。ただ殺した。それだけだった。

闇に救いはなかった。導き手もいなかった。そもそもそれがいてどうこうなる問題ではないのだ。
魂の冷たくなった彼は砂嵐を避けながらどこまでも歩き続ける。目に映る景色は色彩を失い、すべてはすべてを失った。
ただ"それ"からは逃げた。それも死にもの狂いで。

他に僕にやるべきことはあるのだろうか。ゆっくりと空を見上げる。―ああ、なにもないのだ。


この映画は殺人を犯した少年が「その後どうするのか」を物語るものである。


「面白くない」と評判の『ゲド戦記』。
僕も初めて観たときは「ホントつまんねーな」と思いました。
でもストーリーが示唆するものを完全には受け切れず、いつまでも腑に落ちないまま頭の片隅でひっかかっていました。
そして2年の時を経てもう一度観てみました。

ストーリーは平易に見えて分かりにくい。演出は平凡。声優はダメと、まああまりパッとしないアニメ映画です。
工夫しようとして苦心した形跡は認められてもそれが良い方向に転ぶことはありませんでした。
たびたびかかる「壮大な」音楽は耳障りで、いかにも「アニメ」的な引きや場面展開、さらに同様のオチには飽き飽きしてしまいます。
あまりにも「普通」なアニメ映画でした。みんながみんなして観るような作品ではありませんでした。
村上春樹がスコット・フィッツ・ジェラルドのいくつかの短編を訳した『マイ・ロスト・シティー』の冒頭に書いたエッセイでこう言っていました。
「トルーマン・カポーティ―について言えば、彼はまさに100%の作家である。その作品は完璧であり、魅惑的であり、そこには読者のつけこむ隙は殆んどない。具体的に言うなら、他の作家にも『無頭の鷹』のような小説を書くことはできるかもしれないが、誰にも『無頭の鷹』を書くことはできない、そういうことだ。」
本作も、もっと言えば他の宮崎駿臭のする作品も同じことで、
宮崎駿監督作品のようなものは作ることができるかもしれないが、宮崎駿監督作品を作ることはできないということ。
真似はできてもそれは必ず本元に準ずるものでほとんど何も成しません。せめて自分のためになったということくらいでしょうか。

題材は、本当はラディカルなものであったけれど、そのほとんどはあまりにも後ろ向きなものを扱ったために、
さらにその結末も未熟で、本質の追及とはほど遠いものとなったために、あまり良い反響は得られませんでした。
それにぽかんとしてしまうストーリーに観る人は驚きを隠せません。なんだったのだろうという悪い感触だけが肌に残ります。

さらに詳しくはタグの中へ→{netabare}

それは人の心に潜む闇でした。
その圧倒的な強さを描く一方で、逃避を計る人の怠惰な面も表出しました。
前者については考えたことのない人にとってとても理解しがたいものであると思いますし、とてもこの映画だけでは分かりません。
本作では伝えるのではなく、描くことだけしかしませんでしたから。
僕は村上春樹の『1Q84』や『海辺のカフカ』でこれに似たものについて触れたことがあるのでなんとなくは分かります。
でも説明しろと言われても正直、その100%を理解してもらうまで上手く説明することはできません。
自分の中にその存在をはっきりと認めることはできても言葉にするの至難の業です。
でも少しならできるかもしれません。やってみましょうw
男性なら中高生のときに何の脈絡もなく「今、目の前のこいつをぶん殴ったらどうなるんだろう」とかものすごく腹立つ奴をこうやって痛めつけてやりたいなんて考えながら体の内側が熱く、血沸く感覚がありませんでしたか?実際にそんなことはしないのだけれど、想像してしまうすごく暴力的な自分。本作で語られたものはこれよりももっと闇の奥にあり、それは無差別でなによりも暴力的な暴力。純粋なそれです。おそらくアレンはストレスの捌け口が見つからなくなってこういう状況に陥ったのではなく、もっと根本的な部分で病んでいて殺人でしか自分を救えなかったのでしょう。僕らは日常生活の中でそれを色んな形で発散させています。それができなくなっていくと次第に心を病み、さらに沈めばアレンのようになる可能性を秘めていることは言わずもがなです。つまり、"それ"は僕たちから遠くにあるように見えてますが、おそろしく近いところで影を潜めている、どんなにもがいても抗えぬ闇です。これは決して他人事ではなく、限りなく自分自身のことについて語られていたように思えます。
 そうは言っても、前者の方はピンと来ずとも、とりあえずそういうものとしてどこかに置いておけばいい話で、どちらかというと後者がこの作品をどう感じるかを大きく左右するのではないかと僕は思います。なぜならその大半が意志を欠き、人として決定的になにかを失ったアレンの姿を中心に描いているから、観る人はその退廃的な空気を上手く自分の中に取り込むことができないと、それはただ本当に退屈なだけだからです。なんとか音楽や「アニメ」的な引きで物語を進めているように見せてはいたけれど多くの人が不満を口にしたことから、その努力はあまり実らなかったように思えます。そのせいもあってかアレンがテヌーによって救われるまでの岡田准一さんのぼそぼそとしゃべる演技には悪態をつきたくなっても不思議ではありません。
 
 ある作品で描かれる負の面というのものは少なからず人の共感を呼ぶのが常です。それが特にアニメーションであれば、全体は喜劇的に描かれ、大方その結末はハッピーエンドで結ばれ、その回復をもって幕を閉じます。そして、それを観た視聴者には感動と、苦難をくぐり抜けた登場人物と共にした仮体験による気持ち良さが後に残ります。
 しかし本作で描かれたアレンの姿はズタズタにモラルを引き裂かれ、行き場のない死体そのものでした。もっと言えば死を求めていた彼にはこの世界は本当に無価値であり、何も存在しない永遠と続く浅瀬だけが広がる海のように映ったはずです。絶望を通り越した完全な喪失でした。その質は明らかに異形なモノで僕らが簡単に触れられるものではありませんし、またコミットするにはあまりに危険を孕んだモノです。それに堕ちるところまで堕ちた彼にどうやって世の中の多くの人がこぞって共感できるというのでしょうか。まず無理な話です。

{/netabare}


これから観るのであればぜひ、
「みんなが嫌うものを観てなんとか1つでも良いところを見つけ出してやろう」くらいの気概を持って観て欲しいです。
僕はいつもこうして観てます。若さゆえの反骨心です。悪く言えば捻くれ者です。
「ジブリ」に感動を委託して、頼ってしまうのではなく、自ら探して欲しいです。残念ながらそうでもしない限り楽しんで観ることは叶いません。
実際には欠点はたくさんあっても、悪いところばかりではないというのが本作です。

僕は、今回の2度目の視聴では本作をほんの少しは楽しめたと思います。
この退廃的な雰囲気は好きだし、主人公に共感できます。
ただやはりところどころ描写が不十分であったり、的外れであったために一作品として成立しているとは言い難いです。
そのため受け取ることができたのも、書くに値しないほど本当にごくわずかでした。
どう観るか、何に注目して観るか、自分のスタンスはどこか、何を許容し、どう解釈するか。
別に作品が伝えたいことを受け取るだけが観ることの意味ではないと思います。また義務でもないと思います。
拾えるところだけ拾って、また拾いたいところだけ拾って「E.T」がガラクタを集めて作った間に合わせの通信機のような、不完全の塊みたいな解釈だけでも自分の中に持てればそれでいいのではないでしょうか。
だから面白くなければそれで良い。わざわざフォローする必要もない。1つの作品なんてそんなもんだと僕は思います。

投稿 : 2024/11/09
♥ : 19

57.1 3 スタジオジブリで変身なアニメランキング3位
レッドタートル(アニメ映画)

2016年9月17日
★★★★☆ 3.1 (31)
116人が棚に入れました
どこから来たのか、どこへ行くのか、いのちは?嵐の中、荒れ狂う海に放りだされた男が、九死に一生を得て、ある無人島にたどり着いた。必死に島からの脱出を試みるが、見えない力によって何度も島に引き戻される。絶望的な状況に置かれた男の前に、ある日、一人の女が現れた―。

褐色の猪 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

日本・フランス・ベルギー合作のアニメーション映画作品

「レッドタートル・ある島の物語」
原題:The Red Turtle

監督・脚本・原作:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
脚本:パスカル・フェラン
アーティスティックプロデューサー:高畑勲

音響はあるが台詞無しでの81分作品

2000年に公開されたマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督作品「岸辺のふたり」を観て気に入ったジブリのプロデューサーがマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督に接触したのがこのアニメーション作品制作のきっかけの模様

悪い作品ではないと思いますが煮詰め足らない印象、
ちょっと助言をとかじゃなく監督:高畑勲氏にてガッツリ作成してれば…

ゴタゴタした「ニモ」の再来を感じました。

投稿 : 2024/11/09
♥ : 7
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.1

その生涯に一遍の悔いないの?

 海に一人遭難して、無人島に漂流した青年の一生を描いているアニメだったです。

 声優さんが存在せず、オペラみたいな何だかわからない雄叫びだか歌と曲が、このアニメを進行させていたです。後半の成長した子供の雄叫びだけが、唯一の声だったです。

{netabare} いかだを作って脱出するにも失敗の繰り返しや、大きな赤い亀が出てきたり、仰向けに死んだと思ったら、人間の女性なって甲羅をまとって倒れたりしたです。生きているようで屋根を作ってあげたり、気が付くといなくなっていて海で泳いでいたりでしたです。

 で、海に潜って何か語っているのか?次になると小さな子供が一緒にいる。幸せな家庭みたいだったです。その子供が成長すると、島が津波に襲われたりなんやかんやです。
 子供が、3匹の亀と共に旅立つ。年を取った青年が、その後一生を終え女性が手を握っていると赤い亀に戻って海に去る。{/netabare}

 これだけの展開を映画に・・・・。小学校の視聴覚室ででも教材として、子供に鑑賞させると良いかもしれないです。何だかの映画賞を受賞と劇場CM見ていたけど、この音楽と青年の一生無人島生活が、芸術的とでもいうのかなぁ?と考えてしまうです。今までのジブリに見えないアニメだったです。う~~~んです

投稿 : 2024/11/09
♥ : 4

ここあ*†† さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

無声と自然

好みが分かれる作品だと思います。
個人的にはセリフのない絵本を読んでいるみたいで、静かな気持ちになりながら最後まで楽しめました♪
特に風景の描き方と色の使い方が印象的で綺麗でした。
主人公の悲劇的な展開で始まる少し不思議で切ない生涯の物語**

投稿 : 2024/11/09
♥ : 3
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