コミュ障アニメ映画ランキング 7

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のコミュ障成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月02日の時点で一番のコミュ障アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

85.7 1 コミュ障アニメランキング1位
リズと青い鳥(アニメ映画)

2018年4月21日
★★★★★ 4.1 (555)
2307人が棚に入れました
北宇治高等学校吹奏楽部でオーボエを担当している鎧塚みぞれと、フルートを担当している傘木希美。

高校三年生、二人の最後のコンクール。
その自由曲に選ばれた「リズと青い鳥」にはオーボエとフルートが掛け合うソロがあった。

「なんだかこの曲、わたしたちみたい」

屈託もなくそう言ってソロを嬉しそうに吹く希美と、希美と過ごす日々に幸せを感じつつも終わりが近づくことを恐れるみぞれ。

親友のはずの二人。
しかしオーボエとフルートのソロは上手くかみ合わず、距離を感じさせるものだった。

声優・キャラクター
種﨑敦美、東山奈央、藤村鼓乃美、山岡ゆり、杉浦しおり、黒沢ともよ、朝井彩加、豊田萌絵、安済知佳、桑島法子、中村悠一、櫻井孝宏
ネタバレ

キャポックちゃん さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

優しく繊細に描かれた人生のアイロニー

(末尾に【追記】を加えました)

【総合評価:☆☆☆☆☆】
 高校の吹奏楽部で、それぞれオーボエとフルートを担当するみぞれと希美。ふたりは(一見)とても仲が良い。しかし、コンクールで演奏する自由曲「リズと青い鳥」での掛け合いが、どうもしっくりしない。その原因はどこにあるのか…?
 アニメ『リズと青い鳥』は、青春期の戸惑いや心の揺らぎを、優しく繊細に描き出す。声高な主張はない。わずかな仕草や言い淀んだ沈黙を通じて少しずつ明かされる真実は、切なくやるせなく、人生は見かけ通りではないというアイロニーを感じさせる。

【みぞれと希美】
 みぞれはひどく内向的で他者とのかかわりを避け、めったに感情を表さない。一方の希美は外向的でいつも取り巻きに囲まれ、感情豊かに会話する。表面だけ見ると、人付き合いが苦手で立場の弱いみぞれが、希美に庇護されているようでもある。しかし、制作した京都アニメーションのアニメーターたちは、そんな単純な関係でないことを画面にきちんと描き込んでいる。
 作品冒頭、みぞれと希美が校門から部室へと向かうシーン。石段の上で青い羽根を見つけた希美は、太陽にかざして「わっ何これ。めっちゃ青い。きれい!」と声を上げ、「あげるよ」とみぞれに差し出す。みぞれは、ぼおっとした表情のまま「ありがと」と微かに語尾を上げて受け取り、「なんで疑問形?」と突っ込まれる。二人の関係性が凝縮され、見ているだけで切なくなる名シーンである。
 そのまま先に立ってずんずんと進み、軽くターンしてから一段飛ばしで階段を上る希美は、常にどう見られているかを意識し自分を演出する。一方、希美の行為をなぞりながら数メートル後ろを付いて行くみぞれの姿は、外界との距離感を確認しつつ慎重に立ち位置を見定めているようだ。希美にとってのみぞれは、自分の演技を見つめる観客の一人。みぞれにとっての希美は、外界とのつながり方を示す唯一の指標で、それ故に強い思慕の対象でもある。相手への思いに、「親友未満」と「親友以上」という格差がある。
 もっとも、みぞれが頼りないのは外面だけ。{netabare}そのことを示すのが、中盤でみぞれが独りオーボエを練習する場面から始まる(私好みの)シークエンス。オーボエ担当の後輩が「ダブルリードの会(吹奏楽部に4人しかいないダブルリード楽器担当者の茶話会)」に誘っても、「わたしが行っても楽しくないから」とすげない返事。確かに、みぞれが希美のように「朝ご飯に何を食べるか」といったテーマで会話を弾ませる姿は、想像もつかない。ところが、同じ後輩がリードを自作するみぞれに「あたしにもできますかね~」と擦り寄ると、すぐに「今度教える」と答えて、後輩を感激のあまり泣かせる(後輩が何か言うのだが、涙声で聞き取れない…)。
 みぞれは、社会のさまざまな側面に対して適切に対応する柔軟性を欠き、そのせいでいかにも頼りない。しかし、自分には何ができるかをはっきり自覚しており、役割を果たせるとわかれば能動的に行動する。
 これに対して、希美は多くの後輩に慕われ楽しげに振る舞うものの、明確な上下関係が生み出す雰囲気を好んでいるだけで、その言動はあまり主体性を感じさせない。みぞれとの付き合いも、そうした上下関係の一つと捉えているようだ。みぞれをプールに連れて行こうとしたとき、「ほかの子も誘っていい?」と予想外の返答をされ、心底驚いた表情を隠せなかった(映像では、人が前を横切った瞬間に取り繕う)。他の同期生とは対等な会話を避けており、みぞれとの件で部長に責められたときには、まともに返答できない。{/netabare}精神の内奥においては、みぞれの方が希美よりも遙かに勁(つよ)い。
 {netabare}希美の弱さが表に現れるのは、木管楽器の指導者がみぞれだけに音大のパンフレットを渡したと知ってから。音大進学を表明したものの強い決意があったわけではなく、周囲にふと「あたしさぁ、本当に音大行きたいのかな」と問わず語りに口にする。主役のつもりで演じていたのに、スポットライトが傍らを通り過ぎただけと気が付いた---そんな役者を思わせる情けなさそうな表情で。何度見ても、私はこのシーンで泣いてしまう。泣かせるシーンではないのに。{/netabare}

【人生のアイロニー】
 物語が進むにつれて、みぞれと希美の間のひずみはしだいに大きくなる。一見、とても仲が良さそうなのに、相手に対する思いのベクトルは微妙にすれ違う。社交的な希美が孤立したみぞれを庇護しているようで、精神の強靱さも気遣ってくれる友人の数も、希美よりみぞれの方がずっと上である。こうした外見と内実の乖離が前提となって、クライマックスの演奏シーンが強烈なエモーションを生み出す。
 この作品は、人生のアイロニーを強く感じさせる。アイロニーとは、表面的な意味と隠された内実が相反することを表す用語で、主に物語芸術に関して、登場人物の認識と現実の状況が食い違う場合に使われる。例えば、ギリシャ悲劇『オイディプス王』では、己を正義だと信じるオイディプスが前王殺害の真相を追究するうちに、真犯人が誰で自分は誰と結婚したのかという恐るべき事実を突きつけられる。まさに悲劇的アイロニーの極北である。『リズと青い鳥』も、これに似たアイロニカルな状況を描いた作品である。ただし、ギリシャ悲劇のように深刻なカタストロフはない。現実の人生でごくふつうに起こり得る、ささやかなアイロニーである。そんな事態を前にして、人は寂しそうに笑うしかない。

 ところで、この物語の後、みぞれと希美はどうなるのだろうか?{netabare}アニメのラストはハッピーエンドと呼んで良いものだが、二人の性格と置かれた状況を考えると、幸せな状態がいつまでも続くとは思えない。みぞれが「ハッピー・アイスクリーム!」と声を上げたときも、希美はそれがゲームだと気づかない。親友同士のように振る舞いながら、互いに相手のことをよく理解していない状況は、大して変わっていないのである。想像するに、それぞれ別の大学に進学して疎遠になり、その後の人生ラインが交わることは、もはやないだろう。もっとも、それは必ずしも悲しむべきことではない。人生の一時期に、生涯の宝となる貴重な体験をしたという事実は揺るがないのだから。{/netabare}

【アニメにおける人間描写】
 『リズと青い鳥』は、みぞれと希美の内面を深くえぐった心理劇である。アニメは、小説や演劇に比べて心理描写に向かないメディアだと見なす人もいるが、そんなことはない。むしろ、言語による抽象的な観念に束縛される小説や、生身の俳優が持ち込む身体性を排除できない演劇に比べて、純粋に心理だけを描き出せるメディアである。
 アニメの強みは、個人が創作する小説などと異なり、人間が持つさまざまな側面を、各分野の専門的なクリエーターが磨き上げられる点にある。私は、プルーストやヴァージニア・ウルフの心理描写が好きだが、それでもこんなアニメを見せつけられると、言語表現の限界にいやでも気づかされる。クライマックスの演奏後にみぞれと希美が行う対話を使って説明しよう。
 台詞は、言語に対して鋭い感性を持つ脚本家が彫琢する。{netabare}希美は、妙に冷めた見方でこれまでの経緯を振り返り、「違う」「希美」と言葉を挟むみぞれを無視して話を続けるが、途中でみぞれが強い語調で「聞いて!」と遮り、思いの丈を語り始める。「希美の笑い声が好き、希美の話し方が好き、希美の足音が好き、希美の髪が好き、希美の…希美の全部」。希美がそれに応えるように「みぞれのオーボエが好き」。{/netabare}
 声優は、台本だけではわからないニュアンスを言葉に付け加える。過去を振り返る際の、冷静さを装いながら端々に心のざわめきが現れる希美の口調。一方のみぞれは、口数が少なく自分の内面を説明しないが、かすれそうでかすれない口吻は、意外と粘り強い性格を感じさせる。
 劇伴となる音楽も、心理描写に欠かせない。対話シーンでは、当初、バックで音楽が鳴っていることにほとんど気づけないほどかすかな音の連なりが続くが、少しずつ明瞭になり、ほんのわずかな期間、明るく心躍るメロディを奏でたかと思うと、次の瞬間にはスッと消える。まるで、いつも揺らいでいる少女の心のように。
 何よりも素晴らしいのが、表情や仕草に魂を込めた作画。それまで意図的にこしらえた微笑ばかり見せていた希美なのに、ここでは視線が定まらない。一方のみぞれは、まっすぐに希美を見つめる。{netabare}「大好きのハグ」をするときの、二人の手の位置、体の傾げ方、そして、感極まったようなみぞれとどこか曖昧な表情を浮かべる希美の対比。そのすべてが、二人の心の内を照らし出す。{/netabare}
 『リズと青い鳥』は、静謐なアニメだ。長広舌よりも途切れた言葉、目的を持った行動よりもちょっとした仕草の表現が素晴らしい。例えば、希美にもらった青い羽根を、みぞれが両手で包み込んで口元に寄せるシーンのような。シャープペンの持ち方、髪のいじり方、地面を蹴るときの足の動き---そんな些細な描写にも、アニメーターの思いが籠もる。
 アニメとは、間違いなく、日常の奥深さを描けるメディアである。

【監督・山田尚子】
 当然のことながら、アニメの人間描写が優れたものになるには、スタッフの意思が統一されていなければならない。そのために重要なのは、中心的なリーダーの存在である。アニメの場合、通常は監督がリーダーとなり、スタッフと綿密な打ち合わせをすることで、作品世界を明確に設定し、人物像に一貫性を与える。こうしたリーダーの役割は、制作現場の状況を伝える断片的な報告に示される(例えば、イアン・コンドリー著「細田守、絵コンテ、アニメの魂」では細田守、『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』DVDの特典映像では神山健治、第6回文化庁メディア芸術祭における『クレヨンしんちゃん アッパレ!戦国大合戦』上映前のトークショーでは原恵一が、それぞれスタッフとどんな議論をして作品世界を作り上げたかが紹介された)。
 『リズと青い鳥』がどのような状況で制作されたかはわからないが、監督・山田尚子のインタビュー(『リズと青い鳥』公式サイト liz-bluebird.com に掲載)を読んだ限りでは、テレビアニメの制作を通じてスタッフが原作に馴染んでおり、作品の方向性が自然と一致したようだ。インタビューから引用すると、「「少女たちの溜め息」のようなそっとした、ほんのささやかなものを逃すことなく描きたい」とのこと。
 山田尚子は、監督に抜擢されたテレビアニメ『けいおん!』(2009)で人気作家の座を獲得した。この作品はギャグ中心の4コマ漫画をアニメ化したものだが、アニメでは、話数が進むにつれて、ギャグが薄まる一方で物語の流れが滑らかさを増しており、監督の技量がストーリー重視の方向に成長したことを伺わせる。『けいおん!』の第2期と劇場版、テレビアニメ『たまこまーけっと』とその劇場版も評判を呼んだ。ただし、私の見る限り、話を淀みなくまとめるのはうまいものの、心理描写はそれほど深くない。クリエーターと言うよりは職人に近いという印象だった。
 (私の個人的な)評価が変わるのは、劇場用アニメ『映画 聲の形』(2016)から。聴覚障害者を主人公に人間のつながりを描いたものだが、イメージショットを多用し、流れよりも観客に何かを考えさせることを重んじる。アニメ作家として一皮剥けた感があった。
 続く作品が『リズと青い鳥』で、これまでのところ山田の最高傑作である(一般的な評価とは少し違うが)。『けいおん!』以来、多くの作品で協力関係にあった名脚本家・吉田玲子と、トップクラスの職能集団である京アニ・アニメーター陣の力が大きいとはいえ、山田が着実に成長を続けていることを示す。今後の動向に注目したい。

【『響け! ユーフォニアム』との関係】
 ここで、本作とテレビアニメ『響け! ユーフォニアム』の関係についてコメントしておこう。一言で言えば、まったく別の作品である。
 京アニは、武田綾乃のライトノベル『響け! ユーフォニアム』シリーズを継続的にアニメ化しており、2015年と16年にテレビアニメ第1、2期が放送(いずれも放送翌年に総集編が劇場版として公開)された。これらは高校吹奏楽部の人間模様を描く群像劇で、まじめに作られたウェルメイドな作品である(ただし、私好みではなく退屈した)。さらに、2017年のトークイベントで、石原立也監督による「2年生になった久美子(シリーズの実質的主役)たちの物語」(2019年公開)と、山田尚子監督によるの「みぞれと希美の物語」(2018年公開の本作)という完全新作映画2本の制作が発表された。この2本は、いずれも、トークイベントのすぐ後に刊行されたシリーズ第4長編『北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』を原作とする。
 京アニは、決して大きな会社ではない。同じ原作の(したがってファンがかぶる)劇場用アニメを並行して2本制作するというのは、かなり無謀な企画である。なぜそんな決定をしたのか、私のような部外者は憶測に頼るしかない。おそらく、2016年に、興行収入250億円という超特大ヒットアニメ『君の名は。』が出たほか、興収50億以上のアニメが3本、京アニ制作の娯楽性の乏しいアニメ『映画 聲の形』も興収23億(興収額は日本映画製作者連盟発表のデータによる)に上ったことから、経営陣が劇場用アニメ制作に前のめりになったのだろう。
 原作小説『波乱の第二楽章』は前後編2分冊で、1本の映画にするには少し長すぎるため、2本に分割したと考えられる。ただし、前後編に分けるのではない。1本は、テレビアニメで登場人物の成長を描いてきた石原立也が担当し、久美子らが2年に進級してからコンクールに出場するまでを経時的に描いた。不思議なのは、もう1本が、かなり地味なみぞれと希美のエピソードを取り上げた作品になったことである。
 山田尚子は、『聲の形』に先立つ『映画けいおん!』でも、それまでの京アニ記録だった『涼宮ハルヒの消失』の2倍以上となる興収19億円を達成しており、京アニ最大のヒットメーカーである。経営陣が彼女に大いなる期待を寄せ、その希望を最大限に受け入れたことは想像に難くない。こうして、山田が原作にとらわれず、自分の思うままに作ったのが『リズと青い鳥』なのである。
 近所の図書館にあった原作の一部を読んでみたところ、控えめに言って、本アニメとはかなり趣が異なる(…って言うか、「全然ちゃうやん」というレベル)。原作の北宇治高校は男女共学なのに、アニメでは男子生徒の姿が見えず、完全に“女の園”になっている。目を凝らすと、全体練習の際にちらほら男子が映っているのだが、後方でぼかされた姿に。廊下や下駄箱周りにもモブのように現れるものの、巧みに別の箇所へと視線誘導される。おそらく、本アニメだけを見た人の大部分が、女子校の話と思ったはずだ。敢えて「男子はいない」と錯覚させるような演出がなされている。
 原作には、部員たちの(擬似)恋愛の描写が過剰気味に現れるが、これもほとんどが省略された。それほど、みぞれと希美の関係に集中したかったのだろう。まるで、アンリ・ヴェルヌイユやエリック・ロメールら名匠の手になるフランス映画のように、二人の心理をじっくり描き出す。
 石原立也が監督した『響け! ユーフォニアム』は、原作にかなり忠実なようだが、『リズと青い鳥』は、登場人物が共通するだけで、作品全体の方向性が全く異なる別作品だと思った方が良い。それぞれのキャラも、かなり大きく変更された。部長の優子は、頭の大きなリボンがいかにも不釣り合いな、真面目で他人思いのリーダーとして描かれる。
 ただし、山田には原作から離れているという意識がなかったらしい。公式サイトに掲載された山田のインタビューでは、「原作の持つ、透明な、作り物ではない空気感を映像にしてみたいと思いました」「原作から受けたこの二人の物語の印象をそのままフィルムに落とし込んでみたいというのがまずありました」とある。原作に没入するうちに、行間を深読みしイメージが勝手に膨らんでいったのだろう。脚本の吉田玲子とも見解の相違はなかったようで、「あまり窮屈に打ち合わせるような感じではなかった」と語っている。
 本人に「原作とは違うものを」という気負いがなく、思うがままに作ったため、壊れやすい少女の内面を丹念に描いた、アニメ史上に残る傑作が誕生したと言える。もっとも、山田の感性は『ユーフォ』ファンと少しずれがあったようで、興行的には惨敗に終わった。

【おまけ---オーボエという楽器】
 本アニメでフィーチャーされるオーボエは、2枚のリードを向かい合わせに固定し、その間に息を吹き込むことで音を出す楽器。高音成分が多く震えるような切ない音色が特徴で、それに心惹かれる人も多い。ただし、本格的な演奏をしたければ毎回リードを自作せねばならず、やたらに手間がかかるのに、フルートのような華麗さに欠ける。希美がフルート、みぞれがオーボエを担当するのは、それぞれのキャラに見事にマッチする。
 オーボエの名曲と言えば、モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスの作品が有名だが、私は、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのオーボエ・ソナタ ト短調が好きだ。派手さはないが心に沁みる曲で、みぞれのテーマとして使えそう。

【も一つおまけ】
 作中でアニメ内アニメとして描かれるのが、コンクール曲のベースにもなった童話「リズと青い鳥」。大写しになった本の表紙に「ヴェロスラフ・ヒチル著」と明記されていたので、実在する童話かとおもって検索したが見つからない。ネットの情報によると、映画監督のヴェラ・ヒティロヴァをもじって、武本康弘(京アニ所属の監督で放火事件で亡くなった)が考案した名前らしい。ヒティロヴァには『ひなぎく』というぶっとんだ快作があり、私は30年ほど前、これ見たさに唯一の上映館がある吉祥寺まで遠征した。武本監督とは、そんな趣味も一致していたのか---ちょっと涙。

【追記】
 上のレビューを執筆した時点では、原作となる『北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編/後編』のうち、近所の図書館にあった前編しか読んでいなかったが、その後、別の図書館から後編を借りて読むことができた(文庫本くらい買えって言わないで!金欠なんだから)。
 アニメが小説と趣を異にすることは前編と同じだったが、それが心理描写の深化にとどまらず、原作における客観的記述ともかなり食い違っていることに、少々驚いた。出来事の時系列や希美を諫める人物を変更したほか、みぞれと久美子の会話や、みぞれがオーボエソロで名演を示した後の指導者の対応など、ストーリーの上でかなり重要な部分をバッサリ切り捨てている。その一方で、原作では触れられない童話「リズと青い鳥」の細かな内容を、本編とは異なる技法を用いた映像によってたっぷりと見せる。ここまでくると、山田尚子がかなり確信犯的に原作を変更したのではないかと思えてくる。おそらく、原作(前後編)のプロローグ部分に記された希美とみぞれの関係に心打たれ、その部分をどこまでも拡大してアニメ化したのだろう。
 そう考えると、本作が『響け! ユーフォニアム』シリーズの一編として制作発表されながら、公開時にそのことを示す副題がなかった理由も見えてくる。京アニの経営陣は、完成間近になって、原作や(原作に忠実な)テレビアニメとかなり異なると知って驚いたのではないか。「響け! ユーフォニアム」と冠すると、これまでの路線を大きく逸脱したことに対して、ファンの批判が高まりかねない。そこで、独立した作品としても楽しめるという言い訳をしながら、スピンオフ作品として扱わない方針を固めたと推測される。結果的には、それが大爆死と言える興業成績につながったようだが。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
ネタバレ

フィリップ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

山田尚子監督が目指していたものをやり切った、実写的表現の到達点

アニメーション制作:京都アニメーション、
監督:山田尚子、脚本:吉田玲子、
作画監督・キャラクターデザイン:西屋太志、
音楽:牛尾憲輔、美術監督:篠原睦雄、
色彩設計:石田奈央美、原作:武田綾乃。

揺れるポニーテール、廊下を歩く足、瞬く瞳。
静かな劇伴が流れるなかのふたりの情景。
絵柄は滲んだブルーを基調とし、透明感のある色彩。
響く足音、キャップを開ける音、楽器を組み立てる音。
様々な生活音を拾い上げていく。
細部まで徹底的なこだわりを感じさせる。
思わず息を詰めて観てしまうような静謐感が作品全体に流れている。

私は冒頭のシーンを観たときに、この感覚はどこかで味わったような気がすると、
鑑賞中にずっと考えていたのだが、
それは岩井俊二監督の『花とアリス』だった。
岩井俊二監督のなかでいちばん好きな作品だが、
それを初めて観たときのような鮮烈な印象を受けた。
眩いばかりの透明感を重視した絵作りだ。

『リズと青い鳥』は『響け!ユーフォニアム』シリーズの続編に位置づけられる。
田中あすかや小笠原晴香たち3年生が引退した後の
春から夏にかけての一部分を切り取った物語。
しかし、シリーズ名がタイトルに入っておらず、
単体で観られることも意識して制作されている。
私は原作を全巻既読で、TVアニメも映画も過去作品は
全て鑑賞済みなので断言はできないが、
初見の人でも十分に楽しめるのではないかと感じた。
人間関係は観ていれば、ほとんど理解できると思うし、
基本的には鎧塚みぞれと傘木希美の関係性についてのストーリーのため、
それほど分かりにくくはないと思う。
ただ、もしかするとみぞれと希美の依存といえる関係性が理解できず、
物語に入り込めない人がいるかもしれないが、
そんな友人同士の繋がりもあると考えてもらうしかない。
これは、いびつな形ですれ違い続ける愛と嫉妬の物語だ。

アニメ的な手法よりも実写的なカメラワークを
意識しているシーンが多く見られる。
足の動きや手の動き、会話の「間」などで、心情を表現している。
また、感情を表すような目元のアップシーンが多い。
アニメではなく、実写ではよく使われる手法だが、
この作品では重視されている。
そして、被写界深度を意識した絵作り、
つまりカメラの焦点とボケを意識している点はシリーズと同様だ。
物語にはそれほど大きな起伏がないため、
好き嫌いが分かれるタイプの作風だが、
映画としての完成度はかなり高い。

{netabare} 特に素晴らしいと感じたのは冒頭のシーン。
何かの始まりを予感させる童話の世界から現代の世界へ。
まだ人があまりいない早い時間の学校に鎧塚みぞれが到着して、
階段に座り、誰かを待っている。自分の足を見る。不安げな瞳。
誰かがやってくる。
視線を向けるが、期待した人ではない。
そして、待ち人がやってくる。いかにも楽しそうで快活な表情、
軽快なテンポの歩様、揺れるポニーテール。
それに合わせて流れる明るいメロディ。
フルートのパートリーダーである傘木希美だ。
鎧塚みぞれは、それとは逆に表情が乏しく、口数も少ない。
彼女なりに喜びを表現して希美と一緒に音楽室へと向かう。
途中で綺麗な青い羽根を拾った希美は、それをみぞれへと渡す。
戸惑いながらも希美からもらったものを嬉しく感じるみぞれ。
この青い羽が、閉じられた世界の始まりを予感させる。

校舎に入り、靴箱から上履きを取り出すときのふたりの対比。
廊下に彼女たちの足音が響くが、その音のテンポは全く合わない。
完全な不協和音。ふたりの関係性が垣間見える。
みぞれは少し距離を置いて、希美の後に付いていく。
階段の途中の死角から希美が顔を覗かせてみぞれを見る。
希美は少し驚いたように、目を何度か少しだけ動かす。
教室に着いて鍵を開け、椅子と譜面台の並んだ誰もいない室内に
2人だけが入っていく。
吹奏楽コンクールの自由曲は、「リズと青い鳥」。
この曲を希美は好きだという。
そして、ふたりで曲を合わせてみるところで、
タイトルが映し出される。

この一連のシーンだけで気持ちを持っていかれるだけのインパクトがある。
とても丁寧で実写的で挑戦的な作風だと感じ、
私は思わず映画館でニヤついてしまった。

物語はみぞれと希美のすれ違いを中心にしながら、
それに劇中曲である「リズと青い鳥」の物語がリンクしていく。
童話のほうの声優にちょっと違和感がある。
ジブリ作品を見ているような感覚だ。
みぞれがリズ、希美が青い鳥の関係性として観客は見ているが、
最後にふたりの立場が逆になる。
みぞれの才能が周りをなぎ倒すようにして解放され、
美しいメロディを奏でる。
同じように音楽に真摯に取り組んでいたみぞれと希美の差が
明らかになる瞬間だ。

二羽の鳥がつかず離れずに飛んでいくシーンが映る。
左右対称となるデカルコマニーの表現。
そして、ふたりの色は青と赤。
心があまり動かずしんとした雰囲気のみぞれが青、
情熱的で人の中心になれる希美が赤だろうか。
このふたつの色が分離せずに混ざり合っていく。

みぞれが水槽に入ったふぐを見つめるシーンが度々出てくる。
おそらくみぞれは、水槽のなかのふぐを羨ましいと思っている。
仲間だけでいられる閉じられた世界。
そこが幸せで、ほかは必要ないと考えている。

この作品は意図してラストシーン以外での
学校外のシーンを排除している。
鳥籠=学校という閉じられた空間を強調しているのだ。
閉じられた学校という世界のなかにあって、
さらに閉じられた水槽内にいるふぐ。
それをみぞれが気に入っているというのは、
みぞれの心情を示している表現だろう。

たくさんある印象的な場面でいちばん好きなのは、
向かいの校舎にいる希美がみぞれに気づいて手を振り、
みぞれも小さく手を振って応えるシーン。
そのとき、希美のフルートが太陽に反射して、
みぞれのセーラー服に光を映す。
それを見てふたりがお互いに笑う。
言葉はないが、優しく穏やかな音楽が流れるなかで、
(サントラに入っている「reflexion, allegretto, you」
という曲で、1分20秒と短いがとても美しい)
何気ない日常の幸せをいとおしく感じさせる。

ラストシーン。歩く足のアップ。
一方は左へ、一方は右へと進んでいく。
希美は一般の大学受験の準備ために図書室で勉強を、
みぞれはいつものように音楽室へと向かう。
帰りに待ち合わせたふたりが歩く。
足音が響く。
ふたりの足音のリズムは、時おり合っているように聞こえる。
お互いに別の道を歩くことを決め、そこでようやく何かが重なり始めたのだ。
ふたりの関係がこれからどうなるかは分からない。
しかし、最後に「dis」の文字を消したところに、
いつまでも関係がつながっていて欲しいという作り手の願いがこめられている。{/netabare}
(2018年4月初投稿・2020年5月5日修正)

大好きのハグから続くラストシーンについて
(2018年5月11日追記・2019年3月15日修正)

{netabare}みぞれは希美の笑い方やリーダーシップなど、
希美自身のことを好きだと告白するが、
それに対して希美は「みぞれのオーボエが好き」だと言い放つ。
このやり取りは一見、ふたりの想いのすれ違いだけを
表現しているように感じるが、実はそれだけではない。

友人として以上に希美のことが大好きなみぞれにとって、
とても厳しく感じる言葉だが、これは希美自身にとってもキツイ言葉。
みぞれの才能を見せつけられて、ショックを受けているときだから尚更だ。
それなのに、敢えて言ったのはなぜか。
この言葉には、自分は音大には行けないが、
みぞれには、音大に行ってオーボエを続けて欲しいという
願いがこめられているのだ。
「みぞれのオーボエが好き」という希美の言葉がみぞれに対して
どれだけ大きな影響を及ぼすのかを希美自身は自覚している。
単に希美が自分の想いを吐露しただけではない。
「みぞれのオーボエが好き」は童話における、
一方的とも思えるリズから青い鳥への
「広い空へと飛び立って欲しい」と言った想いと同じ意味を持っている。

それは、帰り道に希美が「コンクールでみぞれのオーボエを支える」と
言ったことからも分かるし、それに対して、
みぞれが「私もオーボエを続ける」と宣言をしていることからも明らかだ。
しかし、このやりとりはどう考えても違和感がある。
つまり、希美はコンクールの話をしているのに、
みぞれは、コンクール後のことについて語っているからだ。
会話がすれ違っているように聞こえる。
ところが、そうではない。
つまり、ここでは希美が音大に行かず、
フルートを続けなかったとしても、
みぞれは音大に行く決意をしていることを示している。
これは希美の「みぞれのオーボエが好き」に対して
みぞれの出した答えなのだ。

実は原作では、音大を受験するかどうかの話を
みぞれが希美に問い詰めるシーンがあるのだが、
映画では、完全にカットしている。
その代わりに、左右に分かれていく足の方向と
図書館での本の借り出し、楽譜への書き込み、
最後の会話によって表現している。
「みぞれのオーボエが好き」という言葉が
みぞれの背中を押したという、別の意味を持たせているのだ。
そのあとの「ハッピーアイスクリーム」で
ふたりの感覚が足音のリズムとともに、ようやく一致したことを描いている。
また、みぞれが校門を出るときに希美の前を歩いたり、横に並んだりする。
切なさはあるが、やはりこれはハッピーエンドといえるのではないだろうか。

音楽については、フルートが反射する「reflexion, allegretto, you」と
ラストシーンで流れる静かだが心地良いリズム感の「wind,glass,girl」、
そして、字幕の時の「girls.dance,staircase」、
「リズと青い鳥」、Homecomingの「Songbirds」が印象的だ。{/netabare}

コメンタリーを視聴して(2019年2月14日追記)

{netabare}昨年発売された脚本付きBDを購入して、
本編とインタビューは手に入れてすぐに観たのだが、
脚本やコメンタリーは後回しになってしまっていた。
脚本を読んでみると、「リアルな速度の目パチ」など、
とても細かい指示がなされていて驚いた。
目を閉じ切らないまばたきも指示されている。
また、作画については「ガラスの底を覗いたような世界観」という
指南書が配られていたという。
映像では山田尚子監督の意図を確実に実現している。

そしてこの作品には3つの世界観が表現されている。
学校、絵本、そしてみぞれ(希美)の心象風景だ。
絵本は古き良きアニメを再現させるよう
線がとぎれる処理を行っている。
心象風景は、よりイメージ感の強い絵作りを意識したという。
希美が走る水彩画のようなタッチ。
左右対称の滲んだ色の青い鳥など。
これら3つの世界観が上手く活かされていて、
物語に彩りを与えている。

それに加えて、BDで解説を聞かないと気付けないのが、
生物学室のみぞれと希美のシーン。
最初から何段階かに分けて色合いを変化させている。
夕方の時間の経過とともに初めは緑っぽかった室内から
オレンジ系に少しずつ色を変えるのと、
カットごとに順光、逆光でも変化させている。
確かに言われてみて確認すると、
生物学室での色合いはとても繊細だ。

髪を触る仕種については山田尚子監督自らの発案。
曰く、みぞれがそうやりたいと言っていたから。
キャラが監督に下りてきていたそうだ。
また、「ダブル・ルー・リード」も監督のアイデア。
これは映画館で観ていたときから、
洋楽好きな監督が考えたことだろうと予想していたので、
インタビューを観たときは、あまりにもそのままで可笑しかった。
印象に残ったのが、スタッフのいわば暴露話で、
内面を描くよりも映像(ビジュアル)で見せたいと
昔に語っていたことがあったそうだ。
監督は昔の話だと恥ずかしがっていたが、
まさにこの作品はその方向性を貫いたといえるだろう。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 122
ネタバレ

藍緒りん さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

ふたりということにまつわる衝撃的な傑作。

今までで観た映画のなかで一番か二番か、くらい凄かったです。
少なくとも五本の指には入ります。凄まじかったです。
ほんとうに、見終えてからどんどんもどかしさが膨らんでいくというか、
映画の意味が分かっていくというか、本当に切ないんですよ。

あまり劇場には見に行かないのですが、
山田監督の「たまこラブストーリー」が良かったことと、
本編ユーフォニアムが良かったことから、見に行くことにしました。
予想していたとおりですが、ユーフォニアム感はまったくなかったです。

精神的な意味での甘酸っぱい「青春もの」を求めている方にはぜひお勧めしたいものでした。
というよりも、ほろ苦い、のほうが近かったかな。
ジブリで喩えるならば、
同監督の「映画けいおん」や「たまこラブストーリー」を、宮崎駿っぽい作品だと喩えるならば、
本作は高畑勲っぽい作品だなと思いました。
人間の心の機微やずれなどのテーマを丁寧に描いている作品で、
エンターテインメント映画の性質は弱いと感じました。

以下猛烈にネタバレですので本編をご覧になった方だけ。

{netabare}

 劇場を出てから電車の中で、なんて悲しい終わり方だ、って思いました。
 希美にとって、みぞれは謎だったんですね、何を考えているのか分からない。
 劇中で、希美はふっとみぞれに距離を置いてしまうのに、
 自分が距離を置かれているという感じ方になってしまう。
 相手のことが分からないとき、自分のこともわからなくなってしまう、
 そういう混乱みたいなものがすごく生々しかったです。

 みぞれにとって希美は唯一無二の親友だったわけです。
 でも、希美からしてみればそこまで思われる根拠がない。
 なんとなく気になって、吹奏楽部に誘ってみて、友だちになった。
 するとみるみる上手くなって、置き去りにされちゃった、という感じ。
 分からない存在ではあっても、大親友という感情ではないんですよね。
 後輩に仲良いですよね、って聞かれたときも、
 「たぶん、そうだと思う」としかいえない。
 このときも自分がみぞれのことをちゃんと友達として思っているかさえも、
 曖昧になってしまっている、謎へ向かう時の混乱を感じます。

 関係的にはふたりとも相手のことがわからないんです。
 みぞれからしてみれば、なんで希美ほどの人が自分と仲良くなってくれるのかわからない。
 希美からしてみれば、なんでみぞれは自分のことをそんなに大切に思っているのか、
 それでいて、どうしてあまり感情を出してくれないのか、謎になってしまっている。
 みぞれからしてみれば、向こう側から来てくれた希美に、自分を出すのはすごく怖いんですよ。
 それでも希美はみぞれの謎のなかに、嫉妬が絡まってすごくややこしい感情を抱いている。
 嫌いなところなんてないのに、でもなんとなく遠ざけたい気持ちになる、
 それが「みぞれは私のことを遠ざけてるんじゃないか」っていう違和感になる。
 ほんとうは、自分が遠ざけてるんですけどね。その理由がわからないから相手が遠ざけてるから、っていう理由に逸れてしまう。

 それでも、関係のなかでの自分の立ち位置はちゃんと分かってるんです。
 みぞれは「私は希美にとって友達のうちの一人でしかない」
 希美は「私はみぞれが思っているような人間じゃない」
 それは的確なんですね。それぞれ相手に別の意味で過剰な感情をいだきすぎている。
 それが結局ずれたまま終わるということが、すごく切ないな、と思ったんです。

 でも映画を観てから一晩寝て、やっぱりこの映画はハッピーエンドなんじゃないか、って思い直したんですよ。
 結局この二人はまだ関係の途上にすぎなくて、作中ではけして平行線を辿っていたわけじゃなくて、
 ずれたままとはいえやっぱり距離は縮まっている。
 希美はみぞれに「大好き」っていう明らかな感情をぶつけてもらった。
 みぞれは希美に自分の感情を曲がりなりにも受け入れてもらえたわけです。

 どうして二人があんなにずれてしまっていたのか、自分に精一杯だったんですよね。
 ふたりとも進路提出表を白紙のままで出していましたが、
 関係に詰まっているのより先に、人生に行き詰まっているような状況の中にいた。
 優子や夏紀はそういう点で根本的に安定感があるんですよ。
 だから関係も「ずれ」の中でも、割合すんなり過ごしていくことが出来て、
 優子は人の感情にすごく敏感で、ちゃんと気にかけることができるし、
 夏紀なんか適当なこといって希美を慰めてみたり、
 そういう二人のようにはすんなりいけない素質が、関係以前に希美とみぞれにはあって、
 それがずれていることをひどく残酷なものにしていたような。
 その意味合いで、アニメ版ではなんで優子が部長?って思っていたんですが、
 映画版ではもう完全に部長の器でしたね。

 自分に精一杯だと、関係の中での問題も、全部自分の問題になってしまう。
 希美はみぞれが何を考えているのか、ってことを考える余裕がなくて、
 みぞれは希美が何を考えているのか、って考える余裕がない。

 それでもみぞれは新山先生との「リズと青い鳥」についての対話の中で、
 逆の立場だったらどう思うって聞かれてふっと視線が変わるわけです。
 物語と現実の関係もずれていて、そのまま適用できるようなものではない。
 どちらもリズでも青い鳥でもなくて、ただ相手のことを見る余裕の違いがあると思うんです。
 リズはずっと自己完結ですよね。相手のことを見る余裕はない。
 相手のことを思ってはいるけど、でも自分で勝手に決めて勝手にさよならしちゃう。
 青い鳥にはすごく余裕があるんです。別れるのは嫌なのに、リズがそう決めたなら、って
 ちゃんと受け入れて飛び立って行くんですね。
 みぞれはリズの立場だったら絶対離さないぞってところで演奏に身を入れられなかったけれど、
 青い鳥の立場から、希美が言うんだったら別れだって肯定できるよ、っていうすごい大きな愛を羽ばたかせてあのオーボエの演奏を披露するわけです。
 それでも希美の立場からはいままでは手を抜いたんだ、っていうだけのことになる。
 それでガツンとやられてひとりはぐれてしまうわけです。もう希美とは無理だというような追い詰められかたをする。
 物語の構図を使うならば希美は別れを告げられたのに受け入れられなかった青い鳥なんですよ。
 みぞれは自分こそ青い鳥だという自覚で吹いていたけれど、
 希美の立場からみれば別れを突きつけられてしまったんです。
 そこで何も解けないまま理科室へはぐれてしまう。

 理科室で再会しても希美からしてみれば、みぞれから試練を突きつけられているだけなんですよ。
 わたしは本気を出せばこれだけ吹けるんだよ、と。そこでついて行けないことの罪悪感と恨みとが心の中を巡るわけです。
 それでもみぞれからしてみればあれは「愛の告白」なんですよね。そこが決定的にずれている。
 ずれているけれど、希美が自分で精一杯だってことを受け入れるだけの余裕がみぞれには生まれていたんです。
 大好きのハグ、なんて希美からすれば唐突で、すごくびっくりしていましたよね。
 あれはいままで受動的だったみぞれが希美に対して始めて能動的になるシーンであるとも言えます。
 希美はみぞれが積極的になったことの中にあのオーボエソロの凄まじさも含めて考えることができて、少しみぞれのことが分かったはずだと思うんです。
 それでも根本的には愛の告白は唐突に感じられたでしょうね。
 今まで自分をどう思っているのか分からなかったみぞれから、感情を明らかにしてもらって、それは紛れもなく嬉しかったと思います。
 それでも希美の頭の中にはやっぱり「みぞれのオーボエ」が残り続けていた。
 「みぞれのオーボエが好き」って漏らしたのは、作中では「希美のフルートが好き」って言ってもらうための呼び水として漏らしたわけですが、
 どちらにしろあのシーンでの希美の返答はそれしか考えられない。みぞれのオーボエの演奏が凄いという事実を受け入れることだけが、希美にとっては愛の告白でありえたんですから。
 その意味でみぞれは希美の愛の告白に応えなかったわけですよね。そこで散々ずれていたお互いの関係が一致したところで決まった、つまり両方があのシーンで「失恋した」ってことだと思うんです。

 ラストシーンではみぞれが「ハッピーアイスクリーム」なんて言って、今まででは考えられなかった積極性を見せるわけですよね。
 それでも希美は「アイスクリーム食べたいの?」なんて誤解をしている。
 普通「ハッピーアイスクリーム」なんて言われたら「え?なにそれ?」ってなりますよね。
 まだ理科室での唐突な告白も希美にとって謎の中にあるし、希美にとってみぞれは未だ「不思議」な存在のままなんです。
 それでもみぞれは笑ってみせる。はじめて観たときは、その笑いが二人の誤解を象徴しているものだとおもって残酷だとおもったんですが、
 それはみぞれが希美の誤解を受け入れている、分かっていることの笑いだと思うようになりました。
 それならやっぱり二人はこれから仲良くなれるんじゃないかという希望の描写だと思うんですよね。
 というのが大まかなこのストーリーの自分の解釈で、大まかには捉えられてるつもりです。
 それでもインタビューで述べられているような「互いに素」であるような決定的なずれというよりも、
 自分に必死であることが生んだずれで、もしそういう必死さがなくなったところであれば、
 ふたりはもう少し一致できるような気がします。
 
 リズと青い鳥のことを希美は結末はハッピーエンドだと思うと言って、
 そのことをみぞれはすごく気にするんですが、
 希美は子供の頃読んだ童話のひとつとして、そこまで切実に考えていないんですよね。
 他にもたとえば希美は「一緒に音大行こう」なんて言ってないのに、
 優子に「音大行こうって言っといて辞めるって何!?」と責められる。
 そして希美もそれを否定しない、そういう過去が曖昧なものになっていく感じとか、
 そういうずれの描き方が、格段にすごいと思いました。
 上にも書きましたが、自分で相手を避けておいて、
 相手が自分を避けてるんじゃないかって思う感覚とか、
 人のせいにするってわけじゃないけど、自分の感情も曖昧になってくるんですよね。
 そういうことの描き方の濃度が異常なほど高いと思いました。

 さりげない描写でかつ印象深いシーンが多いのがアニメシリーズもそうでしたが、特徴だと思います。
 フルートが照り返す光に気がついて笑ったりするシーン、
 ああいうシーン描かれるとそれがあまりにさりげなすぎて泣けますよ。
 あのシーンだけでももう大傑作ですよ。
 あらすじじゃもはや語れないんですよね。細部が充ちているという感じがすごいです。

 もうひとつだけ、黄前久美子ちゃんと高坂麗奈ちゃん、ほとんど出てこなかったですが、
 二人でセッションしているあのシーンはほんとやばかったですね。最高だったです。
 ほんとうにあの二人はかわいい。自分たちの世界を作り上げている。
 普通に考えて先輩がうまくいかないパートを堂々と部室の裏で吹くなんてあてつけ、
 あまりに性格悪いですよ。
 みぞれと希美もやっぱりちょっとむっとしてますし。
 でも許されるようなところがある。
 あの二人はつんけんしているところもあるけど、基本的に人間が好きなんですよ。
 その愛情が感じられるからこそ、多少きついことを言っても受け入れられる、
 つまり周囲から信頼されている、その感じがたまらなく可愛いし、羨ましいですよ。
 キャラクターとして最高です。ほんと。

 終わります。

{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23

71.1 2 コミュ障アニメランキング2位
サイダーのように言葉が湧き上がる(アニメ映画)

2021年7月22日
★★★★☆ 3.7 (74)
271人が棚に入れました
17回目の夏、地方都市⸺。コミュニケーションが苦手で、人から話しかけられないよう、いつもヘッドホンを着用している少年・チェリー。彼は口に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた。矯正中の大きな前歯を隠すため、いつもマスクをしている少女・スマイル。人気動画主の彼女は、“カワイイ"を見つけては動画を配信していた。俳句以外では思ったことをなかなか口に出せないチェリーと、見た目のコンプレックスをどうしても克服できないスマイルが、ショッピングモールで出会い、やがてSNSを通じて少しずつ言葉を交わしていく。ある日ふたりは、バイト先で出会った老人・フジヤマが失くしてしまった想い出のレコードを探しまわる理由にふれる。ふたりはそれを自分たちで見つけようと決意。フジヤマの願いを叶えるため一緒にレコードを探すうちに、チェリーとスマイルの距離は急速に縮まっていく。だが、ある出来事をきっかけに、ふたりの想いはすれ違って⸺。物語のクライマックス、チェリーのまっすぐで爆発的なメッセージは心の奥深くまで届き、あざやかな閃光となってひと夏の想い出に記憶される。

声優・キャラクター
市川染五郎、杉咲花、潘めぐみ、花江夏樹、梅原裕一郎、中島愛、諸星すみれ、神谷浩史、坂本真綾、山寺宏一、井上喜久子

テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

沢山の大切なもの

この作品は、自分の言葉を伝える事が苦手なチェリー君と自分の出っ歯にコンプレックスをもつスマイルちゃんのひと夏の物語。

まず、アクションシーン?
ビーバーのデパートでの逃走劇は躍動感が凄く本当に飛んで跳ねてって言葉がまさにその映像に出ていましたね。
動きが面白く楽しく見えましたが、流石にリアルであんな逃走劇すると大問題ですねww

チェリー君の母が腰を痛めて、パート先の施設に休みの間に息子のチェリー君が代打でお手伝いするのですが、その施設に居るお爺さんはレコードの空箱?ケース?を持っているのですが、肝心の中身がないのです。

そのレコードは、お爺さんにとって、特別な忘れたくないけ忘れてしまいそうな物で、そのレコードを探していたのです。

それは、死別した妻の歌った曲だったのです。
これは探しちゃうよね。
だってさ、大切な人が居なくなってしまうと10年、20年、30年、と経つと、その人が存在した事は覚えてるけど、その人の仕草や声や笑顔が少しづつ記憶から失われてく……

でも、その人が残した物があるのなら?
それは、きっとその人の掛け替えないのない宝物になる。
それが今回はレコードだった。

チェリー君もスマイルちゃんも、そんな気持ちが解るから必至にネットで探して、ヒントになりそうな場所を走り回り探し回る。
そして、2人はそのレコードを見つけだす!
でも、そのレコードを聞く前に、レコードが波打っていて直そうとスマイルちゃんが、パリンッ!って割っちゃった‪(͒ ⸝⸝•̥𖥦•̥⸝⸝)‬

多分、それでも皆は多分許してくれた。
何故なら、スマイルちゃんが、大変な中、探してくれたのを知ってるから……
だから、きっとお爺さんも。

でも、そうじゃないんです。
大切な人の大切な想いを、知ってるスマイルちゃんは、それでもレコードを接着剤で何度も何度も修復しようとしますが、全然くっつかなくて……なんか凄く解る……

やっとの思いで探し出したレコードを自分が割ったとなれば、どれだけ自分を追い込むか、周りが許してくれても自分が自分を許せない……
だから、中々直らないレコードに涙して、お爺さんにも謝るしかなくて……謝っても罪悪は消えないしレコードも戻らなくても謝るしかなくて……
でも、形だけはスマイルちゃんは直します。
凄く頑張ってたんだなぁ〜と凄く感じたシーンでした。

でも、実は、いかにも灯台もと暗しって言葉が似合う場所に2枚目のレコードを発見www
私も、スマイルちゃんが割ったシーンの次の施設の場面でレコードの裏面と同じものを発見!
ある!ある!あるじゃん!ってなりましたw
だれよwレコードをあんな改造した人w
結局、お爺さんは自分が改造した事を忘れてたのねww


さて、スマイルちゃんはコンプレックスを抱えています。
誰でも多分コンプレックスって抱えてるものだと思います。
スマイルちゃんは、そのコンプレックスが嫌いで人前でマスクを付けたり、口元をかくしてご飯を食べたり、時にはダイエットと言って皆と食べなかったり。

でも、チェリー君は、そんな彼女のコンプレックスを好きだと言ってくれます。
コンプレックスって多分簡単に受け入れられないからコンプレックスなんだと思います。
多分、これはチェリー君だから彼女は最後にそれを素直に喜べたのかな?って。

好きな人が、自分の嫌いな物を好きだと言ってくれたら、それは自信に繋がるのかもしれません。
例え、見知らぬ誰かに受け入れられなくても……例え、自分では中々受け入れなくても、きっと好きな人のその一言なら、そんなコンプレックスな自分と向き合える力になる。



チェリー君は言葉の表現が苦手な男の子
そんな彼は、唄?俳句?を書くのが好きでSNSや俳句?唄?の教室みたいな場所で唄を作っています。
それは文字で自分の気持ちが伝えやすいから。
ですが、唄の先生がチェリー君に自分の創った唄を人前で詠ませるシーンがあります。

この唄の先生はこの時だけの登場ですが、結構好きになれたキャラです。
チェリー君からすれば先生は苦手な事をやらせただけに感じるでしょう。

やらされた側からすれば、放っておいてよ、ウザイなぁ、余計なお世話!と思うでしょう。
私も昔は本当にそれ思いました。
苦手な事を押し付けられて、やりたくない事やら習い事なら、やらされてきました。
当時は嫌いな事をするから苦でよくサボったり逃げたりしました。

ですけど、大人になる事に時間が過ぎ去る事に、それは克服しなければならない事でした。
チェリー君もそうです。
自分の気持ちを素直に伝えるのは難しい事です。
でも、伝えなければいけない事は山ほどあります。

チェリー君はどうして文字で伝わる唄をわざわざ声にだして言わなければいけないのかと、先生に文句を言います。
先生は「声に出して伝わる事もあるでしょう」
と言います。
誰かに、伝えて知ってもらうって大切な事で、黙っていても伝わる事なんて中々ないし、伝わっても伝えたい事の半分も伝わらずに終わることもあります。

優しさは一定値を超えると甘さに変わります。
嫌な事を無理矢理させる事はよくありません。
でも、苦手な事を遠ざけるばかりでは、その人の為にはなりません。
その人を想うなら、苦手な事にチャレンジするチャンスってのを与えてあげる事も優しさだと思います。
だから、先生はそのチャンスを作ってくれたのかな?と。

そして、先生は唄の先生です。
先生はチェリー君の唄にチェリー君の感じた気持ちが凄くピュアに表現されている事に感動したのかな?って思いました。
そう言うのは、第三者じゃなくて本人が読む事でより強く綺麗に伝わるから、人前で読ませたのかな?ってww
唄を聞いて皆さんが拍手をくれました。
それは声に出して伝えたからでしょう。

そして、チェリー君は引越しをするのですが、引越しの前日まで、スマイルちゃんに引越しの事を話してなかった…………(*꒪꒫꒪)

あぁ〜……ダメダメだよ‪(͒ ⸝⸝•̥𖥦•̥⸝⸝)‬
しかも、スマイルちゃんはいきなりの事で、それをチェリー君の母から聞くオチがつく……
確かに、言い出せないのも解るよ。

でも、相手側に立ったらさ、別れの日がわかっていれば、もっと沢山の時間を共有したりさ、思い出作りしたりさ、その別れの時間までの時間をもっと大切に使えたのにって思っちゃう。

お別れパーティしたりさ、行きたいところに一緒に沢山行ったり、自分の気持ちも伝えられたかもしれないのに……

でも、伝えられないのだ。
チェリー君は言葉で伝える事が苦手だから……
お別れ……言葉にしないと伝わらない事の1つ。


そして、引越しの日に彼のスマホにスマイルちゃんのお祭りのライブ配信が流れる。
それは、2人で一緒に花火を見ようと約束していたお祭り。

そして、スマイルちゃんは彼に沢山の気持ちを伝えようと皆に協力してもらう。
チェリー君もそのメッセージを見て車から降りて走り出す!

彼は祭り会場に行くもスマイルちゃんを見つけられない……そこで、ヤグラに登り身体全体に恥ずかしさMaxで真っ赤かで、マイクをとる!


ステージで何かをした事はありますか?
トークでも歌でもいい何かをした事はありますか?
あの瞬間って緊張と恥ずかしさで心と喉が凄く震えて今自分が凄く震えている事を痛感しませんか?
それを、言葉を伝える事が苦手なチェリー君が必至に伝える!
自分の作った唄をひたすら大きな声で伝える。

それは、周りの人には意味不に聞こえるかもしれない……興味なんて示して貰えないかもしれない……花火が始まると皆、チェリー君を無視して花火をみる。
ただ、1人以外は……

それでいい!
チェリー君の愛の告白は……
チェリー君の気持ちは……
勇気を出して伝えたい言葉は……

たった1人だけのもの。
他者になんて理解されなくても、伝えたい人に伝われば、それだけでいい!
それだけで、苦手な事にチャレンジした意味になる!
それ以上のものは必要ない。

この作品を見て感じたのは。
自分のコンプレックスに悩んだとして好きになれなくて、嫌気がしても世の中生きていれば、いつかは、そのコンプレックスを好きになってくれたり理解してくれる人が現れて、いつかは克服出来るかもしれない。

苦手な事に立ち向かうのは嫌だし怖いけど勇気を振り絞った先にあるのは幸せかもしれない。
自分の苦手を逃げる理由にしないで立ち向かう事で、チャレンジして良かった、頑張って良かったって思えるかもしれない。

そんなメッセージがあった気がします。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 14
ネタバレ

merolin08 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

「分かりやすさ」と「作画」◎

【はじめに大まかな感想】
・全体的に分かりやすい
・作画いい
・劇中歌が素敵

 キービジュアルに一目惚れして遅ればせながら視聴しました。コミュニケーションが苦手で俳句でしか自分の思いを表現できない主人公「チェリー」と、出っ歯がコンプレックスでマスクが手放せないネットアイドル(?)「スマイル」との一夏の思い出。結論から言うと雰囲気で楽しめない人は評価が下がっちゃうかもという印象です。

 まずはストーリー。俳句という取っつきづらいテーマですが、劇中に出てくる俳句はあえて一般の人にもわかりやすいように作ってるっぽいですね。同様に、起承転結の「転」の部分は重要なポイントをガッツリ見せてくれるのでキャラの心情変化なども追いやすく、かなり見やすい構成になっています。考察たくさん系もいいですが、個人的にはこうやって見る人を意識して作られた作品には好感を持っちゃいますね。テンポもよく、ほのぼのした雰囲気がとても好みでした。
 逆に展開の目新しさという点では少し薄いかな、という印象です。個人的にアニメはエンタメ全振りで見るタイプなのでメッセージ性とかはあまり気にしないのですが、アニメ映画はそこを重要視する人も少なくないと思うので、そういう層にはあまり向かない作品かもしれないです。
 ストーリーで気になった部分を一つだけ、個人的には「ラストがちょっとなぁ…」という印象でした。 {netabare}チェリーが「君が好き」と、はっきり言ってしまったところ。ど素人ながら、俳句の良さって間接的な表現っていうのも一つあるんじゃないかと思うんですよねぇ。"I love you"=「月がきれいですね」と似た感じといいますか。「やまざくら~」の俳句で思いは伝わっているのに、そこ直接的な表現する必要あったかな(しかも公衆の面前で)。このラストシーンで俳句の趣が損なわれたというか、俳句好きのキャラ設定と整合性が取れていないように感じてしまいました。あとスマイルのコンプレックスに対する意識は本筋中の本筋だったので、もう少ししっかり描いてほしかった気はします。{/netabare} とかグチグチ言ってますが、ラストの細かい部分に目を瞑れば全体的なストーリーは綺麗にまとまっていると感じましたし満足してます。

 次にこの作品の一番の褒めどころ「作画」。冒頭でも触れましたがキービジュアルが好き、と感じた方は映像だけで見る価値ありです。キャラデザが可愛いのはもちろんのこと、建物などオブジェクトのビビットな色使いや、影の境界に主線を入れる画法など、特殊な作画が随所にちりばめられていて目が楽しいです。あと、スマイルの洋服に結構力が入ってるんじゃないかなと感じました。何種類も出てきたし、どれもユニークで可愛かった!安定感も含めて文句なしの作画だったと思います。

 あとは細かいところですが、劇中歌がとっても素敵だったので注目です。キャストは原作映画お決まりの主要キャラゲスト声優パターン。これについては永遠に賛否両論なテーマだと思いますが、個人的には全然気にならなかったですね。特に杉咲花さんやっぱ上手だなぁ、蒼井優さんと同じ匂いを感じるぞ…!主人公の市川染五郎さんについても、最早なんとなく本業じゃない感じが「アニメ映画見てる!」って感じがしてよくないですか?(笑) 映画のゲスト声優文化意外と嫌いじゃないんですよねぇ(というか見てるうちにそういう体になった笑)。

 まとめの前に小言なんですが、主人公のニックネームね。冒頭でがっつり「チェリーボーイ!」って呼ばれるけど、最後まで童貞がどうのってシーンはないんかい!下ネタ0だったしファミリー層への意識はあったんだろうけど、主人公の性格のメタファーならやんわりでも触れて欲しかったし、結局視聴者の注意を散らしただけだったような。どんな意図だったんだろう(´σ `)?
 という感じで、要所に気になるところはありつつも全体を通したら「観てよかったな」と感じられる作品でした。特に作画が気になる紳士淑女の皆さんにオススメです!

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

最高にエモくて面白いラブストーリー。ただ2つの見過ごせない点あり。

 夏ですし、今テレビ番組で一番好きなのがプレバトの俳句コーナーということでこの作品再視聴ですね。

 この作品見始めは色調がビビッドすぎるのと、動きが多すぎ、騒がしい演技と効果音で、なんじゃこりゃ?となります。

 が、キャラデザと構図と動きがいいのと、田舎のショッピングモールという、地方においてそこがすべての人が集まる場所という舞台設定が秀逸です。地方社会のコミュニティーとしての機能が言外できちんとでていました。当然文化の発信地でもあります。そういう部分を感じるのが心地よかったです。だから出会いもあったわけで。

 そして、特に2人が一緒にショッピングモールから帰る夕方の風景が、なにか胸に刺さります。同じ道を何度も2人で通る描写がイコール2人の時間の積み重ねにもなっていました。

 また、キャラ造形が比較的スムースに物語の中で説明されるので、いつのまにか面白くなってゆきます。

 色彩の変化には注目すべきでしょう。どんどん淡く彩度が落ちて行くのがとても良かったです。音も静かになって行きます。

 俳句と動画配信者の組み合わせ、人前で話すことと容姿のコンプレックスの対比、老若男女の組み合わせに、声がでかいレコードを探す老人を組み合わせることで、昔と変わらない恋心を見事に描き出していました。

 と、時をこえた2つのラブストーリーに関しては非常に良かったです。最近「耳をすませば」に深く感動しましたが、本作もそれに劣らず感動しました。それとショッピングモールとスマホ、SNSという題材だけに、より身近な物語だったのも良かったと思います。

 で、2点気になるところがありました。これはちょっと物語や作画の良さではカバーできませんでした。一つは俳句と物語の結びつきといいますか「サイダーの様に」だったかです。

 ヒロインスマイルが感動するショッピングモールの帰り道の俳句とか、キーとなる山桜の俳句などとても良かったし、エピソードとも絡んで上手かったと思います。

 ただ「サイダー」というのは俳句がどんどん湧き上がってくる様子だと思うのですがラストの主人公の{netabare} 告白はサイダーの様に…だったかですね。なんか真っ赤になって一生懸命俳句を詠む姿は、もう少し別のものだった気がします。俳句は文字だ、という主人公の主張とあいまって、 {/netabare}本当にいいラストなのは間違いありません。
 言葉を変えると、夏のイメージの重ね方が強引な気がすると言った方がいいかもしれません。

 それと大貫妙子さんの歌です。もちろんシュガーベイブ時代からみんなの歌まで皆好きなんですけど、さすがにもっと若々しい声の歌い手さんじゃないとなあ。あの初々しい少女に合ってましたか?
 ここも容姿と恋愛は関係ない、可愛らしさとは人それぞれだというメッセージが、{netabare}主人公の俳句を読み上げるという告白と重なって、ヒロインがマスクを取って笑うカタルシス {/netabare}になっているので最高でした。ですが、大貫妙子さんでは声がベテランすぎです。


 評価です。作画はいいです。最高です。キャラも同じく性格から内面、感情の動きまで丁寧に描けていました。が、音楽はまあ減点ですねえ。4までかなあ。それとストーリーの「サイダーのように」がやはり見えませんでした。これは大きすぎる部分なので4にしておきます。

 が、主観的には物語にはかなり感動しました。キャラは主人公2人含めて皆良かったです。そして、アニメーションの良さは「ああアニメ映画を見たなあ」という充実感になりました。90点!という感じでしょうか。

 それと劇中、画面に出てくる俳句は、全部拾いきれてないのであとで見返すかもしれません。発見があれば追記をします。

 なお、 ラストは{netabare}引っ越しはするので、一旦は離れ離れですよね?その後はご想像にお任せしますでいいのかな? ただ、SNSでいっぱい俳句を投稿することでしょう{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10

78.2 3 コミュ障アニメランキング3位
心が叫びたがってるんだ。(アニメ映画)

2015年9月19日
★★★★☆ 4.0 (1198)
6266人が棚に入れました
監督 長井龍雪
脚本 岡田麿里
キャラクターデザイン 田中将賀
制作 A-1 Pictures
青春群像劇 第2弾 劇場版完全新作オリジナルアニメーション 

幼い頃、何気なく発した言葉によって、家族がバラバラになってしまった少女・成瀬順。
そして突然現れた“玉子の妖精”に、二度と人を傷つけないようお喋りを封印され、言葉を発するとお腹が痛くなるという呪いをかけられる。それ以来トラウマを抱え、心も閉ざし、唯一のコミュニケーション手段は、携帯メールのみとなってしまった。高校2年生になった順はある日、担任から「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命される。一緒に任命されたのは、全く接点のない3人のクラスメイト。本音を言わない、やる気のない少年・坂上拓実、甲子園を期待されながらヒジの故障で挫折した元エース・田崎大樹、恋に悩むチアリーダー部の優等生・仁藤菜月。彼らもそれぞれ心に傷を持っていた。

声優・キャラクター
水瀬いのり、内山昂輝、雨宮天、細谷佳正、藤原啓治、吉田羊
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

始まりの言葉

言葉は誰かを傷つける。

このフレーズによって
すでに私たちは作品の世界に引き込まれている。

純粋で、ストレートであるがゆえに
傷つきやすい思春期の心の
その傷や痛みさえも美しく見せるものが青春だとすれば
青春という特権的な時間の中にのみ現れる
尖鋭化された、純粋な言葉へと
すでに定位はなされている。
言語一般に解消するのは誤りであると思う。

この作品で言葉は、テーマというよりはむしろ
もっと具体的な、マクロ的な機能を担って現れているようだ。
特に注目したいのは、ストーリーの展開の軸となる次の二つ、
「傷つける言葉」と「本当の言葉」。
これらを物語の展開に即して辿っていきたい。
そこには当然、この作品の主題も絡んでくるはずである。



{netabare}
「傷つける言葉」が現れるのは、物語の発端。
それが、ヒロインの成瀬順と田崎大樹とを結ぶ接点となる。

この二人は、反転させた相似図形のように
順は、メンタルな傷によるフィジカルな痛みを
田崎は、フィジカルな傷によるメンタルな痛みを抱えて
自分の殻に閉じこもって周囲から孤立している。

田崎は無神経かつ暴力的な言葉で順を傷つける。
その彼が、後輩の言葉で逆に傷つけられた時
「言葉は人を傷つける」ことを順が言語化する。
田崎にとってそれは、世界が一変するほどの衝撃だった。

田崎の「謝罪」から物語は動き出す。
彼の変化は、「傷つける言葉」を経験して
他者というものの存在を初めて意識したことによる。
はじめは拓実の苗字さえ知らなかった彼が
クラスの一人一人の個性に共感を示せるほど
今では周囲との関係の中に融和しているのである。

言葉を前景として展開されていく
この作品の中心主題とは、「関係の危機と回復」
そう捉えてよいのではないだろうか。
関係の危機に際して二人がとった対照的な態度が
このあとの展開の鍵となっているように思う。

順の場合、原因となった言葉を封印することで
不幸を回避しようとして、結果的に関係を遠ざける。
このネガティブな論法を、田崎はポジティブな行動で打ち破る。
彼は、言葉による関係の回復を証明してみせた。
それが彼の「謝罪」の意味である。

最初に田崎が殻を破り、関係の世界に踏み出した。
だから、本番直前に失踪という形でクラスの仲間を裏切り
順がふたたび関係の危機に陥った時、彼女のために
再起へのチャンスを懇願し、的確に方向性を示して
クラスの空気を一瞬で変えることができた。
田崎は先に進み、順が自分に追いつくのを待っている。



「本当の言葉」が現れるのは、物語の最終盤
順と坂上拓実との間に交わされる対話の中である。

拓実が失踪した順を探し当てた場所は
「すべての事のはじまり」の場所である
今は廃墟となった、山の上のお城(ラブホテル)だった。
不幸が繰り返された結果、原点に回帰して
すべての根源を断ち切りたいという無意識の願望が
おそらく順をここに誘ったのだろう。

二人の間に交わされる対話は、物語の最重要場面だが
短い時間の中に内面の動きが極度に凝縮されているため
観る側の解釈による補足がどうしても必要になる。
例えば、関係という補助線を引きつつ
二人の言葉を糸口に、経過を注視していくと
順と拓実との間で「本当の言葉」が交わされ、連鎖的に
二人の心に劇的な変化が生じてゆく過程が見えてくる。


まず、順から拓実へ。

無残な廃墟と化したホテルの部屋は
順の心の内部を象徴するものだろう。
童話風なステンドグラスの窓は、はじめは薄暗く
対話が進行するにつれて、徐々に明るい光が差し込んでくる。
宗教的な空間を想起させるこの場所で
彼女の魂の再生が行われることを暗示している。

絶望に駆られ、すべてを呪詛する順に
拓実は、「本当の言葉」を聞かせてくれ、とせまる。
順が怒りに任せて叩きつけた罵倒の言葉は
確かに「本当の言葉」だったかも知れないが
あっという間に種切れになった。
物語の少女とは違い、現実の彼女は
言葉で誰かを傷つけたことは一度もなかったからだ。

自分のおしゃべりが原因で家族が崩壊したという
あまりにも不幸な体験が再現しないよう
痛みを伴う強烈な自己暗示をかけて言葉を封印した。
その際、誰かを傷つけてしまうから、という
単純化した論理を用いて自分を戒めてきたのだろう。

その順を「傷つける言葉」へ誘導することで
意図せずして拓実が行ったことは
対話によって患者をトラウマの根源に導いていく
精神分析の治療法を想起させるものだ。
ただし、治癒は一方的なものではなく、相互的に進行する。
先に変化が生じたのは、拓実の方だった。


拓実から順へ。

順は、拓実の名前を繰り返して三度、呼んだ。
その時、思いがけず拓実の目から涙がこぼれ落ちた。
この呼びかけが、彼の心の一番奥深くにまで届いたのは
それが順の「本当の言葉」だったからだろう。

彼が順に打ち明けたのは、心に澱んだ虚しさだった。
自分には誰かに伝えたいことが失われてしまっている。
伝えたいことがない、という空虚感は
裏返せば、他者との関係の希薄さを意味している。
つまり、彼もまた順と同じように
心の殻に閉じこもってしまっていた。

伝えたいことで満ちあふれる順の心の躍動に触れ
何より、関係を諦めない順を通して
自分が渇望していたものを知ることができた。
本当の言葉を伝えることとは、言葉を介して相手を受け入れ
自らも相手に受け入れられようとする、関係への願いである。

いま、それが実現していた。
猛烈な勢いで罵倒されてもうれしかった。
名前を呼ばれた時には
空虚だった自分の存在が満たされる気がした。
そして彼の中に、伝えるべき本当の言葉が生まれた。
お前に会えてよかった、という感謝。
これが、ようやく拓実が伝えられた「本当の言葉」だった。


ふたたび、順から拓実へ。

拓実のストレートな心情の吐露が
すべての原点にまで遡って、順の中の固定観念を
転倒させることに成功する。

私のおかげ? 私のせいじゃなくて?

この時、順のトラウマの原因が、父親の言い放った
「お前のせいだ」という言葉だったことが明らかになり
自らにかけてきた、卵の呪縛から解き放たれる。
殻が破れた瞬間に見えてきたものはやはり
これまで育んできた仲間たちとの関係だった。
だから、彼女の中に感謝と後悔が自然に湧いてくる。
「みんな」が待っている場所へ行く。その決意とともに
物語は一気にフィナーレへと加速する。

その前にあと一つ、伝えなければならない
「本当の言葉」が順には残されていた。
それを伝え終えたあとの表情には、傷心よりもむしろ
自分に対して一つの決着をつけられた清々しさが勝っていて
順が生まれ変わったことを強く印象づける。
失恋は終わりではなく始まりとなった。
彼女は新しい世界へ踏み出していく。



フィナーレでは「言葉」は前景から退き
代わって「歌」が、順が踏み出した新しい「世界」の
メッセージを高らかに歌い上げる。

ここに、雀犬氏のレビューから一文を引用させて頂こう。

「この映画で最後に見せたかったものは
 自分の殻を破り外の世界に飛び出した成瀬順に対する
「新しい世界からの祝福」だと思われる。」

これは、ラストの田崎の告白に関してのご指摘だが
この卓見はフィナーレの全体にまで敷衍することができる。


思い返せば、ミュージカルの発端にあったものは
順がケータイで紡いだ物語と、拓実のピアノとの二つ。
そのいずれもが、閉ざされた内部に封印されてきた想いを
外の世界へ向けて解き放とうとするものだった。
それが周囲の多種多様な心を取り込んで、膨れ上がり
一つの作品にまで結晶する。

ラストの全員合唱のシーンにオーバーラップする
日常の片隅の、さりげない情景の数々。
日々繰り返される、何気ない
そしてかけがえのない「日常」の愛おしさ。
彼らの過ごしてきた日々が集約されている
誰もいない教室を写した一カットにはいつも胸を打たれる。

明らかにここには、「世界」の意味するものが
具体的なイメージとして重ねられている。それは
一人一人の内面の「小さな世界」を包みながら
同心円状に、クラス、学園、地域へと広がっていく
コミュニティと呼ばれる、古くて新しい私たちの「世界」だ。

集団のエネルギーの総和である、ミュージカル。
無数の関係の集積として成立する、コミュニティ。
アナロジーで結ばれたその二つの場が向かい合い
同一の空間を形成するのが、この作品のクライマックスである。
そして、物語の最大の焦点であった順と母の和解は
二人がそれぞれ、一方の場所からお互いを見出し
言葉を介さずに理解しあうという、象徴的な描き方がなされている。

個々人の葛藤が、共同性の中に止揚されるこの図式は
祝祭というものの本質的な機能に即している。したがってそれは
個と集団との対立のない、調和的な世界であって
甘さとして指摘できる部分だが、こうした批評的な掘り下げは
本作にはあまり似つかわしくないようにも思う。
「あの花」とは異なる、これがこの作品の独自性なのである。

青春のリアルな感触を伴った本作の魅力は
逆説的だが、一種のユートピア性にあるのではないだろうか。
同じ印象をかつて自分は、「耳をすませば」から受けた。
私たちの日常と隣り合った、いわば親密なユートピア。
アニメーションはこれを志向し、私たちもそれを憧憬する。
アニメがもたらす幸福感の源の一つが、確かにここにはある。
{/netabare}



言葉は誰かを傷つける。

そのことにまた傷つき、立ち止まり、それでもなお
「本当の言葉」を交わしあいながら、彼らは前へ進んでいく。

危機に瀕した関係を回復する「謝罪」も
相手を肯定し、関係を深化させる「感謝」も
新たな関係への願いである「告白」も
彼らの言葉は、ありったけの真情をこめた叫びのように
未知の可能性に向かって発せられる。

だから、青春の言葉はいつでも
「始まりの言葉」なのだ。


(初投稿 : 2020/08/02)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

音楽を題材にしたアニメにはずれ無し!

初日舞台挨拶付上映を観てきました
それほど期待していなかったのですが
素晴らしい映画でした!

あの花スタッフが贈るなんたらかんたら~
みたいな宣伝をひたすら続けていたので
あの花がそこまで好きになれなかった身としては
「あの花スタッフが贈る」はキャッチコピーとしてむしろマイナス

『あの花』は後頭部を鈍器で殴って「ほら、目から涙が出ただろう?」みたいなやり方をしていた
というのはつい先日のインタビューで長井監督自身の発言ですが
まさに言い得て妙だと思いました

あの花は{netabare}1話がピークだったというか
女装のあたりで物語から振り落とされて
それ以降登場人物にほとんど感情移入できずに
テンションはどんどん下がっていって
最後は醒めきったまま作業的に消化
そして興奮して盛り上がっている方々に
「これで泣けない奴は人間として終わってる」とまで言われ
疎外感をたっぷり感じながら
遠巻きに眺めている感じでした{/netabare}

しかしこの映画は自ら鈍器で殴られに劇場に来ていた人たちには
若干火力が足りなかったかもしれません
4人の主人公たちがそれぞれに抱える悩みを
じっくり掘り下げて書いているので
青春映画特有の古傷をチクチクと針でつつかれるような痛みなら
ぎっしりと詰まっているのですが
こういう青春映画の良さって
現役バリバリで青春真っただ中の人には
あんまりピンとこないかもしれません

そもそも4人の抱えている問題は
{netabare}過去に起こしてしまった取り返しがつかない過ちに起因します
田崎の問題だけは他の部員との軋轢という意味では現在進行形ですが
怪我で大会を棒に振るという変えられない過去に端を発している点では彼も同じようなもの
年月がたっていなかった分最も早くそれと向き合うことができたともいえましょう
他の3人は古傷が心の中にしこりになって残っていたものを
すこしずつ吐き出して前に進んでいく物語なわけです
そうなるとどうしても古傷をたくさん抱えている大人の方が
こういった作品と向き合った時に
心の奥底まで物語が浸透しやすいんじゃないでしょうか{/netabare}

私が作中で一番印象に残ったシーンは
{netabare}廃墟で二人が対峙するシーン
あのシーンの拓実は本当に格好良かったですね
ミュージカルと平行して進む会話の中で
順の告白はきっぱり断りつつ絶望の淵から救い出す
その二つはなかなか両立できたもんじゃないですよ

それまでの拓実がしていたように
相手を傷つけない言葉だけを選んで会話するのは
一切の会話ができない順に比べて生活に支障が少ないだけで
本質的なところはたいして変わりません
たしかに言葉は人を傷つける
でも言葉は人を傷つけるだけではない
逆に言葉にしないことが人を傷つけることもある
たとえ相手を傷つけることになったとしても
自分の本当の気持ちを相手にぶつける勇気
その覚悟と誠意のこもった言葉が
順の殻を破り刺さったのでしょうね

そこからラストまでのヒロインダブルキャストのミュージカルがはじまり
悲愴のメロディにのった「心が叫びだす」と
OverTheRainbowを基調とした「あなたの名前叫ぶよ」のクロス・メロディまで
本当に完璧な仕上がりでした{/netabare}

物語を満点からわずかに減点したのは
最後のシーンがあまりに唐突過ぎたからです
あの締め方自体は決して嫌いじゃないというか
すごく良い終り方だと思いますが
ちょっとそこまでの描写が足りていませんでした

{netabare}思い返してみれば
最初は順のことを小馬鹿にしていた田崎が
徐々に順のことをリスペクトしていく描写は
ところどころに有ったのは分かります
たしかにそういう伏線めいたものは感じられましたが
それ以上に初期に仁藤に言い寄る田崎の印象が強くて
それが消えていくような描写が見当たらなかったのが問題かな
穿った見方をすれば、坂上たちが付き合い始めて脈なしになったから
代用品として順を選んだようにも見えてしまいます
そしてその節操の無さが妻子持ちながらお城に通う順の父とかぶるというか・・・

ここからは憶測ですが
たぶんこれは演出家の考えが足りないわけではありません
むしろそこでサプライズを起こしたいから
敢えてミスリードを残し、そこに繋がる描写を最小限にしてあるのです
どうしてそう思うのか?簡単なことです

それがマリーの常套手段だから

全体のバランスとか細かい整合性よりも
唐突に吹き出す感情のインパクトを重視するのが彼女の流儀
それがぴたりと噛み合うと傑作が生まれるわけですが
空回りしていることのほうがずっと多い印象
だから私は彼女の実力はある程度評価していますけど
はっきり言ってあんまり好きな脚本家じゃないですね
今回みたいな完全オリジナルならまだ許せるけど
続編ものとか原作付とか他の人が積み上げてきた土俵で
何もかもぶち壊すのは本当にヤメテ!{/netabare}

音楽に関してはミュージカルが題材なだけに
当然かなり力が入っています

ミュージカル部分の担当はクラムボンのミト
ショウバイロッカーにとってはラボムンクのミトミトンですねw
日本人になじみの深いミュージカル曲を選出し
それを劇中劇としてまとめ上げました

もう一人の劇伴作家は横山克
最近だと君嘘の音楽を担当されていた方で
私はあれでファンになったのですが
今回の作品でも物語をカラフルに彩る
心地よい音楽に仕上がっています

この二人の仕事は非の打ち所がありません
それでも音楽に満点をつけられなかったのは
エンディングの存在が原因

のぎさかなんとかはあんまりよく知らないので何とも言えませんが
秋元康って日本を代表するヒットメーカーなんですよね?
詩の内容は多少映画の内容を意識してはいるんですが
むしろそれが却ってマイナスです
それまでスクリーンに映し出されていた濃厚な人間ドラマと
そこに内容をがっちりリンクさせたミュージカル
それらすべてを引き継いで締めるにはあまりにも薄っぺらく
取ってつけたような物語とのリンクは蛇足の一言に尽きます
これならばまだ方向性を変えて
真っ向勝負を避けたほうまだマシだったでしょう

例えるならリレー競技で
全員一丸となって必死に走ってきたのに
トップでバトンを受けたアンカーが
余裕こいて軽く流してたら
なんか最後抜かちゃいれました
みたいなものすごい興醒め感です

声優に関しては全く文句ありませんでした
特に水瀬さんの声にならないうめき声と
はまり役すぎるほどの内山君が素晴らしかった
それから順の母親役の吉田羊さん
話題作りのためにTVや映画で活躍する有名人をキャスティングして
散々な出来だった作品をいくつも観てきました
乃木坂同様不協和音にならなければいいと心配していましたが
こちらは全くの杞憂に終わりました
やはり一流の女優さんは声だけの演技であっても
その実力がはっきり見て取れるものなんですね

作画も全体的にすごく良かったと思います
特に言葉を発することができない順の心情を
水瀬さんのうめき声とともに見事に表現していた表情芸は素晴らしかったし
途中の携帯を使ったLineっぽい演出も面白かったです

ついでに言っておくとこのアニメも西武線アニメなので
西武線の電車がちょいちょい出てくるのは想定内だったのですが
なんと今回は西武バスも出てきます!
地元民以外からすればなんのこっちゃ?って話なんですが
毎日家のすぐ前を通ってるのと同系のバスが出てくると
なんか無意味にテンションあがりますねw

音楽を題材にしたアニメ作品で
過去のトラウマを乗り越えて成長していく青春群像劇
A-1Pictuers制作でプロデューサーはアニプレ斉藤P
劇伴には横山克、要所で流れるベートーベン
そしてやけに主張の激しい小道具として使われる西武線(笑)
水瀬いのりも瀬戸小春役ででてましたし
このアニメ実はかなり君嘘と共通項が多いです
ひょっとするとあの花ファンだけじゃなくて
君嘘ファンにもおすすめしていい作品かもしれません

全体としてはかなりレベルの高いところでまとまっていたと思います
時間を見つけてもう一回見に行きたいですね

おまけ

舞台挨拶でキャストの方々が
是非サントラを買って帰ってください!
何て言うもんだから買って帰ろうとしたら売り切れ・・・
まぁそりゃあんな風に言われりゃみんな買おうとするし
私らの回は挨拶付上映2回目だから1回目の客が買って帰って終わりだわな

仕方なく家に帰ってから通販で購入したのですが
アニプレの通販特典でセルフライナーノーツがついてきました
映画パンフにあったミトさんの話をさらに膨らませた感じの内容で
版権の問題で没になった曲なども含む
ミュージカル選曲案(第一稿)もついてました
これは、会場で買わないで通販にして良かったかもしれないw

投稿 : 2024/06/01
♥ : 37
ネタバレ

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

Shout at the Devil

あれは確か私が中学2年の時、
放課後にクラス全員で校内行事の合唱コンクールの練習をしていた時の話だ。
やる気もあまり感じられず、どことなく気怠い空気が蔓延していた。
そんな中、ある女子生徒の一声が教室中に響き渡った。
「みんな、もっとちゃんとやろうよ!! コンクールまでもう時間ないんだよ!!
私はこのクラスのみんなと一緒に精一杯やりたいよ!!」
女子生徒はその場で泣き崩れてしまう。
それを目の当たりにした野球部の男子生徒が
「そうだよ!みんなもっと声出るだろ!!本気でやろうぜ!!」と
女子生徒の訴えに呼応するように叫びだした。
その後クラス中で嗚咽をもらすという空気になっていったわけだが、
そんな中、私は
「おいおい、こいつら青春ドラマの見過ぎだろ・・何の茶番劇だよ・・」と
一人その場を冷静に観察していたというまさに外道!!w(リアル中二病とも言う)
そんな私が「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(あの花)
を観て感動などできるはずもなく、
クライマックスシーンは、はっきり言ってドン引きしていました。
ええ、そうです。私はそういう人なんです!!

本作は「あの花」のメインスタッフが再び集結して作られた作品です。
そうと分かっていながら何故視聴した?という話なんですけど、
評判も上々でしたし、
制作側も「あの花はちょっと露骨過ぎた」的なことを発信していたようなので、
それならばと思って視聴してみました。

では、ここからはネタバレありで本作を語っていきます。


{netabare}まず、結論から言うと、
王道の学園青春アニメ(映画)としての出来はかなりよかったと思います。
「あの花」よりもこちらの方が断然好みでしたし、
感動して泣いてしまったというのもよく分かります。
私もぐっときたシーンはいくつもありました。

けど・・・けれどもなんですよ!
まぁそれは一先ず置いておきましょう。

幼年期あれだけおしゃべりだった主人公成瀬順が、
高校生になるとろくに声も発しず、携帯等の文字のやり取りしかできないような状態に・・
そこまで変わるものなのかとも一瞬思いましたが、
そうなるには充分な説得力(トラウマ)があったと思います。

成瀬順から言葉を奪ったのが「玉子(の妖精)」なら、
再び声を取り戻すきっかけとなるのが「王子」。
「玉子」と「王子」・・・似て非なるもの、表裏一体、アンビバレントな、
というのは意識して作られていたのかもしれませんね。
言葉というのは毒にも薬にもなり得るものですし、
「せい」でなく「おかげ」なんてことも本作中で語られていましたしね。
本作のミュージカル中には、
マッシュアップ(2つ以上の曲から片方はボーカルトラック、もう片方は伴奏トラックを取り出して
それらをもともとあった曲のようにミックスし重ねて一つにした音楽の手法)
が取り上げられていましたけど、これもそこら辺に掛かっているのかな?
まぁ小難しい考察は他の方に任せますw
あとは、ベタだけど玉子の殻を破ってとか、玉子を様々なメタファーとして用いていましたね。

まぁ、とどのつまり本作は、主人公成瀬順が再び声を取り戻す再生の物語なんですけど、
普段接点のない者達が集まって、一つの目標に向かっていくというのは、
やっぱりキュンキュンときめいてしまいますねw
その距離感と緊張感の演出は本当に素晴らしかったと思います。

はい、ではここからは、けど・・・けれどもの部分の話をしますよ。

声を失った少女、そしてミュージカルと
私は本作の中盤くらいからクライマックスシーンをある程度もう想定していました。
それはどんなものかというと、ミュージカルの劇中、
成瀬順の母親も見ている中で成瀬順が唐突に叫び出すんです。
そう、それこそ私の中二時代の合唱コンクールの練習時のあの女子生徒のように。
舞台裏のクラスメイトが「ねぇ、こんな台詞あったっけ?」なんて狼狽する中で、
少女はこれまで溜めに溜めてきた鬱屈した心情を魂の咆哮によって吐き出すのです。
「私が言葉を発してしまったせいで多くの人を不幸にしてしまったから・・・
だから・・・私は自分なんて存在しない方がいいって思っていたけど・・・
けれども私は、私はここにいる!ここにいるよ!!」
そして、拓実を一瞥した後に、
「あなたが、あなたが教えてくれた!想いは声にしないと伝わらないって!
あなたは私の王子様じゃないかもしれないけど・・・
けど・・それでも私はあなたが好き!!」
こんな展開なら私はおそらく号泣してましたw

ベタだけど、こっちは泣く準備ができていたからそういうのを期待していたのに、
それなのに・・・なんだあれ?
すべての始まりである今は潰れたお城(ラブホ)という舞台にあまり文句はないですけど、
(まったくないわけではない)
脇が臭いだの、ピアノが弾けるからってモテると思うなよとか、
それとあの女も同罪だ!ああいうのが一番たちが悪い!とかさぁ・・
マリーさん脚本得意の女子特有のドロドロの本音ってやつなのでしょうか?
その後の拓実への告白シーンはよかったですけど、
その告白の前の生々しい心の叫びというのは絶対必要なんですよ。
自分のおしゃべりによって家庭を壊してしまった後悔、これまで抑圧してきた感情、辛い想い、
成瀬順にはもっともっと叫ぶことがあるだろ。
それなのに、成瀬順の心の叫びを、
恋の嫉妬からくる罵詈雑言に矮小化してしまっているような・・
あれがしゃべれなくなってしまう程のトラウマを抱えた成瀬順の本当の魂の咆哮なのか?
とかなりの物足りなさを感じました。
それに、拓実のリアクション。「うん、、うん、、、」
とひたすら頷いている(成瀬順を肯定している)のにも「なんだかなー」という気持ちに。
これまでは成瀬順が言葉を発することによって不幸が訪れる、
つまり、人間関係が壊れてしまい、成瀬順は否定されてしまっていた訳ですけど、
拓実はひたすら肯定してくれます。そういう対比の場面だと思いますが、
でも、拓実もかなり複雑な家庭環境でしたよね?
だったら、「自分ばかりが特別だと思い込んでるんじゃねーよ!」くらい言って欲しかった。
お互いが本音を言い合い、それでもその関係は壊れない(肯定される)。
それが成瀬順の救いとなり、過去のトラウマからの解放、本当に声を取り戻す。
その流れで告白っていうのを期待していたんですけどね。
これは本作を視聴中に常に頭の中によぎっていたことなんですけど、
皆が皆、成瀬順を甘やかせ過ぎのように思えました。
劇中のキャラってことだけじゃなく、そもそもシナリオレベルでね。
最後の田崎が成瀬順に告白って場面でもそれは思いましたよ。
これは救済的な措置かな?なんてね。
ご都合主義とかじゃなく、やっぱり甘やかせ過ぎっていうのがしっくりくるかな。

私としては、ミュージカルの本番前にトラウマの発端となった舞台(ラブホ)で
拓実とのやり取りがあり、
ここでのやり取りは劇中のような罵詈雑言をぶつける、いや、ぶつけ合ってほしかったですけど、
とにかく、そこで成瀬順は声を取り戻す。
そして、ミュージカル本番に見に来ている母親の前で、拓実の前で、
成瀬順が本当に叫びたがってることを、熱い魂の咆哮をって展開の方がよかったかなと。
ミュージカルの劇と成瀬順と拓実のやり取りをリンクさせる見せ方は上手いとは思いますけど、
流れとしてね。

若かりし頃というのは、満たされないことが多いでしょう。
私も年中欲求不満で、エネルギーを持て余していましたw
私の場合、カラオケで発散していたんですけど、
2~3人で行って、ほぼ毎日6時間超えは当たり前、パンツ一丁で浴びるように酒を飲み、
ひたすら叫びまくるという、まさにクレイジーそのものw
でもそうでもしなきゃさ、
自分だけが不幸なんじゃないかって、他人が羨ましくてしょうがないって、
いろいろやってらんねーぜ!って心境だったんですw
今思えば己の卑屈さや器の小ささに忸怩たる思いを禁じ得ないのですが、
でも、成瀬順よ、お前は違うんだろ? 
あの程度の心の叫びなら、それこそカラオケでも行って発散すればいい。
ただ、そんなものは俺の心には響かない。
心が叫びたがってるんだったら、もっと本気でかかってこいやぁぁぁ!!!{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 54

66.9 4 コミュ障アニメランキング4位
思い出のマーニー(アニメ映画)

2014年7月19日
★★★★☆ 3.8 (339)
1777人が棚に入れました
この世には目に見えない魔法の輪がある。

海辺の村の誰も住んでいない湿っ地(しめっち)屋敷。
心を閉ざした少女・杏奈の前に現れたのは、
青い窓に閉じ込められた金髪の少女・マーニーだった。

「わたしたちのことは秘密よ、永久に。」

杏奈の身に次々と起こる不思議な出来事。
時を越えた舞踏会。告白の森。崖の上のサイロの夜。
ふたりの少女のひと夏の思い出が結ばれるとき、
杏奈は思いがけない“まるごとの愛”に包まれていく。

あの入江で、
わたしはあなたを待っている。
永久に―。

あなたのことが大すき。

声優・キャラクター
高月彩良、有村架純、松嶋菜々子、寺島進、根岸季衣、森山良子、吉行和子、黒木瞳
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

心配性?放任主義? どっちも愛情だ!(既視聴向け)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。100分くらい。現代ファンタジー(?)とミステリー。
 ファンタジーに(?)が付く理由は後述するとして、まずは総評から。

 かなりいい作品でした。傑作には手が掛かりませんが、良作よりは確実に上です。秀作の上位ってところですね。私は、米林監督の前作『借りぐらしのアリエッティ』を良作と位置付けていますから、ワンランクのアップです。好き嫌いでいうとどちらも同じくらい好きですが、作品としては『思い出のマーニー』の方が圧倒的に上だと思います。特に、エンディングの映像と調和した美しさには、強く心を打たれました。
 傑作にしなかった理由は、最後に記載します。


テーマと大まかなストーリーの流れ:{netabare}
 この作品の目的は、主人公アンナが「自分嫌い」と「他人嫌い」を克服することです。ストーリーの流れを簡略化すると、
「オープニング」→「ダンスシーンを含む前半」→「サイロシーンを含む後半」→「謎解き」→「エンディング」です。

 オープニングでは、アンナが抱えている問題、すなわちアンナの「自分嫌い」と「他人嫌い」が描かれます。
 前半では、マーニーとの触れ合いを通して、「自分嫌い」を克服する様子が描かれます。
 後半では、同じくマーニーとの触れ合いを通して、「他人嫌い」を克服する様子が描かれます。
 そして、謎解きと、全てを踏まえたエンディングとなります。

 個々の内容を語る前に、最も重要な事柄を片付けてしまいます。それは、アンナの問題解決をサポートしてくれる人物であり、本作のキーパーソンでもある「マーニーについて」です。
{/netabare}

マーニーとは?:{netabare}
 10歳前後の子供が見る際には、「マーニーおばあちゃんがおばけとなって出て来てくれて、孫のアンナを助けてくれた」という程度で良いと思います。作品内でもセツの夫が繰り返しおばけの話をしていますし、ここに一定の合理性を持たせようとしているのが感じられます。
 つまり、マーニーは「おばけ」だということ。

 この作品のメインターゲットである思春期の子が見るのなら、きちんと読み解けるでしょう。
 初めてマーニーを見たアンナは、「あなた本当に人間?」と聞き、「夢の中に出てきた子にそっくり」だと言っています。そしてその後、サヤカに対して「(マーニーは)私が作り上げた空想の中の女の子」だとネタ晴らしをしています。
 つまり、マーニーは「空想上の友達」だということ。ここが思春期の子が着地すべきところです。


 ただ、ですね。この「空想上の友達」というのが大問題なのです。これは、心理学や精神医学で用いられる用語「イマジナリーフレンド」を直訳したものです。詳しくは、ウィキペディアの「解離性同一性障害(以下、DID)」とその中にある「イマジナリーフレンド(以下、IF)」の項を併読してもらうとして、ここでは便宜上、私のにわか知識を断片的にまとめます。

 IFというのは、主に幼児期の子供が見る「空想上の友達」のことです。幼児が、居もしない友達と遊んでいるとか、壁に向かって話しかけているとかが、おばけ的な話で語られることがあります。ですが、あれはIFとコミュニケーションを取っているに過ぎません。IFは、会話ができたり、視界に写ったり、場合によっては、手をつなげたりもしてしまうそうです。空想の存在であるにもかかわらず、現実感を持ってしまうことがあるのです。
 これは、コミュニケーションを取る機会の少ない一人っ子や第一子に多く見られる現象です。幼児にIFがいること自体は決して悪いことではなく、むしろ、想像力の発達した子供である証でもあります。異常ではなく、正常の範囲内の事柄です。
 多くの場合、この現象は、現実の人間関係を重視していく中で7・8歳くらいまでには消滅します。ですが、ごくまれに思春期や青年期まで続いてしまうことがあります。また、IFの人数も増えてくる。こうなってくるとやや異常性が増してきます。DIDを疑わなければいけなくなってしまいます。


 アンナは「悩んでいた」のではないですよね。実際はその程度に留まらず、「病んでいた」んです。空想の中の存在を、現実感をもって捉えてしまうくらいに、DIDの一歩手前くらいに、「病んでいた」んです。アンナは、ジブリ史上初の「病んでる系主人公」だったということですね。
 マーニーが本当にIFなのかを確認する前に、アンナの病みっぷりを見ておきます。
{/netabare}

アンナのこと:{netabare}
 オープニング開始前の状況をまとめます。
 祖母マーニーに育てられていた赤ちゃん時代は幸せでした。その後、祖母マーニーが亡くなり、引き取り手が見つからない中で「自分はいらない子なんだ」だというトラウマが生まれます。養父母に引き取られた後は笑顔を取り戻しますが、補助金の一件で「やはり自分はいらない子なんだ」だと思うようになってしまい、笑顔を失います。

 写生会のエピソードで、アンナは「透明な輪に入れない」と言っていました。「どうやって輪に入ろうか」と試行錯誤する悩みの時代は終え、「入れない」ことが前提になっているんです。だからこそ、「私は私が嫌い」とも言えてしまう。

 一方で、アンナの「他人嫌い」は、セリフとしては出てきません。初めてこれが分かるのは、大岩家への引っ越し直後のシーンです。
 セツは帽子とカバンをアンナから外すのですが、その時のアンナはビクッと身体を縮こませ硬直し、目をつぶっていました。他人の手が急に自分に近づいてきたら、ビクッとなってしまうことはあるかもしれませんが、ギュッと目をつぶるほどではないと思います。複雑な生い立ちが原因で、アンナが他人自体を恐怖している、と描写されているのです。
 その後の郵便局前でノブコから逃げるシーンでもアンナの「他人嫌い」は分かります。ですが、身体的接触を拒むほどに他人を恐怖しているのが分かるのは、このシーンだけです。

 このように、アンナは「自分嫌い」と「他人嫌い」を併発してしまいました。アンナ自身の存在がアンナの中で極めて希薄になってしまったこと、これがアンナの抱えていた問題です。
{/netabare}

マーニーのこと:{netabare}
 では、マーニーが本当にIFなのかを確認します。

 まずは、そもそも論から。なぜ空想の存在であるマーニーが、金髪長髪の姿だったのか?
 マーニーはアンナの同世代の少女として登場しますが、アンナは祖母マーニーの少女期の姿を知り得ません。劇中では一度も少女期の写真は出てきませんし、「絵を描いてもらったのは初めて」だと言わせています。それにもかかわらず、アンナはマーニーを金髪長髪の姿で再現しました。
 この答えは単純そのものです。幼女期のアンナが抱えていた金髪長髪の人形が、マーニーのモデルだからです。家族を失い、孤独であったアンナを救ってくれた唯一の友達、大好きな人形の姿を自分の友達としてイメージしたのです。

 次に、なぜマーニーは青眼だったのか?
 作品内では、一度も人形の顔は写りませんでした。つまり、人形自体が青眼かどうかは分かりません。ですが、人形の目が黒であれ青であれ、マーニーは青眼になっていたはずです。なぜなら、アンナの友達は、アンナと同じ異質な存在でなければならなかったからです。これは、次に書く誕生経緯から分かります。

 最後に、どのような経緯でマーニーは誕生したのか?
 一番初めにマーニーが誕生したのは、引っ越し初日のアンナの夢の中です。
 引っ越し後、アンナは「他人の家の匂いがする」と言っています。「匂い」というのは、過去の記憶を呼び覚ますものです(プルースト効果)。アンナは、過去の「孤独の匂い」を思い出してしまったのです。そして、手紙を出す際にノブコから逃げてしまいました。この日の夜に、夢の中でマーニーが誕生します。
 このときのマーニーは髪を梳かれているのみで、顔は写りません。アンナの中で、まだ目の色は確定していないのです。

 初めてマーニーが現実に出てきたのは、七夕祭りの日です。七夕祭りで、ノブコに「青い目」という異質な自分を指摘されてしまいました。その後、水辺で「私は私の通り(=見えている通りに異質)」だと言い、二度目の「私は私が嫌い」発言があります。マーニーはこの後に現実の中で初登場します。
 自分の友達であるマーニーの目の色というのは、自分と同じ異質な色、すなわち青眼でなければならなかったのです。


 前述したとおり、アンナは「自分嫌い」と「他人嫌い」を併発し、自分自身の存在を希薄化してしまいました。アンナは極めて孤独な存在になってしまったのです。この精神的に追い詰められた状況が、アンナの病みっぷりを進行させ、孤独な自分を救うための救済者が必要になりました。この救済者というのが、IFとしてのマーニーだったのです。
 そして、マーニーは、アンナを救うための姿を採っていたのです。湿地屋敷に住んでいた人の情報としてアンナが持っていたのは、セツが言った「外国の人」だけです。それ以外の情報は、全て自分の空想の中で都合よく作り上げてしまいました。
 マーニーはIF以外あり得ない、ということですね。
{/netabare}

おまけ①(アンナの動物表現):{netabare}
 ちょっと話題を変えて、アンナの動物表現について。
 アンナは一部の人を動物に例えていますが、これは物語序盤の非常に病んでいるときだけのことです。いくらアンナが病んでるからと言って、動物表現を「悪い意味で使っている」と取るのはミスリードだと思います。

 アンナに動物表現を使われたのは三人だけです。「メェメェうるさいヤギみたい」と言われた頼子、「クマ、いやトドかな」と言われたトイチ、「太っちょブタ」と言われたノブコ。
 この三人は、アンナが強い孤独を感じているときに手を差し伸べてくれた人、という点で共通しています。アンナは、この三人に少なからず感謝しているのだと思います。だから、自分の嫌いな人間ではなく、動物で例えていたのでしょう。歪んだアンナの歪んだ愛情表現なんだと思います。まぁ「太っちょブタ」は言い過ぎですけどね。
 もし、悪い意味で動物表現を使っていたのなら、ノブコママに使わないのは変ですからね。
 また、大岩夫妻に動物表現を使っていないのは、手を差し伸べてくれたわけではないからです。大岩夫妻が向けるアンナへの愛情は、徹底した放任主義です。信頼しているからこそ、何の心配もしてくれませんでした。
{/netabare}

マーニーによる救済:{netabare}
 では、話を戻して、アンナの「自分嫌い」と「他人嫌い」が回復していく過程を見ていきます。

 このために必要なことが、二つあります。
 一つ目は、「今、愛されていることを知ること」です。補助金の一件で「今の愛」に疑問を持ってしまったことが、アンナが塞ぎ込んでしまった直接的な原因になっています。これを払拭するには、「今の頼子の愛」を知る必要があります。「今、愛されていることを知ること」が「今の自分を好きになること」につながります。

 二つ目は、「過去、愛されていたことを知ること」です。「今の愛」に疑問を持ってしまった根本的な原因は、「過去に引き取り手がいなかった」という経験がもたらす「自分は不必要な人間だ」というトラウマです。これを払拭するには、過去に愛されていた事実、すなわち「過去の祖母マーニーの愛」を知る必要があります。「今の愛」と併せて、「他人は愛してくれるんだ」と思えるようになることが、アンナの「他人嫌い」を解消させるのです。


 で、この二つの問題解決を手伝ってくれるのがIFマーニーです。
 厳密に言うと、「自分嫌い」を克服してくれる「前半マーニー(ダンス)」と、「他人嫌い」を克服してくれる「後半マーニー(サイロ)」は、別物として考えなければなりません。

 「前半マーニー」というのは、アンナの心の中からだけで生まれました。アンナは、初めて会った同世代の子からは逃げていたにもかかわらず、「前半マーニー」からは逃げません。そして、秘密の共有をも約束します。また、他人とはしたがらない身体的接触を繰り返します。
 「前半マーニー」は、アンナの心の中からだけで生まれているために、自分の味方であることに疑いがないのです。だから逃げないし、秘密を明かすことをためらわないし、接触できるのです。IFである「前半マーニー」は、他人の側にいるのではなく、自分の側にいるのです。
 アンナは、「前半マーニー」との対話の中で、大岩夫妻から愛されていることを実感します。そして、セツとの会話の中で、「今の頼子の愛」を知ることとなりました。一つ目の問題はとりあえずの解決を迎え、アンナは笑顔を取り戻します。
 問題が解決されたため、「前半マーニー」は消滅します。「一週間出て来ない」時期のことです。


 アンナの「自分嫌い」が解消されたあとに、二つ目の問題を解決するために登場するのが「後半マーニー」です。「後半マーニー」は、アンナのイメージにサヤカから見せられた「祖母マーニーの過去(日記)」が融合されることで形成されました。
 つまり、「前半マーニー」をアンナの夢想の中から生まれた「自分のマーニー」だとするなら、「後半マーニー」は他人の日記の中から生まれた「他人のマーニー」だということです。

 「後半マーニー」は、サイロの一件で、アンナを置いていってしまいました。
 アンナは「どうして私を置いて行ってしまったの?」「どうして私を裏切ったの?」と責めます。これは、実父母や祖母マーニーに対して、「勝手に死ぬなんて許さない」と言っていたことと対応しています。
 それに対して、「後半マーニー」は「自分の少女期にアンナはいなかったのだから」と答えます。今更過去の出来事(日記の内容)は変えようがないのです。マーニーの「勝手にいなくなったことを許して」というのは、「先に死んでしまったことを許して」ということと同義です。アンナはその謝罪を受け入れ、「あなたが好きよ、マーニー」と返します。他人を受け入れることで、アンナは、過去の愛や過去の死を受け入れられるようになったのです。
 そして、過去のトラウマが払拭され、全ての問題が解決されることとなりました。アンナは笑顔だけでなく、そのはつらつとした姿を取り戻します。これにてエンディングとなります。
{/netabare}

おまけ②(マーニーの服装):{netabare}
 「前半マーニー」と「後半マーニー」が別物であることは、服装からも分かります。

 「前半マーニー」は、服装をコロコロと変えています。これは、モデルである人形の影響を強く受けているからです。着替えを繰り返すことは、アンナが人形遊びをしているのと変わりません。「前半マーニー」は「自分のマーニー」であり、アンナの自由になる人形であるから、服装もどんどん変わっていくのです。

 一方で、「後半マーニー」は、着替えをせずに青いドレスで固定されています。この青いドレスというのは、葬儀の日の人形の姿そのものです。「後半マーニー」は、アンナの救済すべき過去の一点に縛られているということです。また、「他人のマーニー」であるため、自由に着せ替えることができないということでもあります。

 つまり、祖母マーニーを含めた三人のマーニーがアンナを救済してくれていたのです。
{/netabare}

アンナの変化あれこれ:{netabare}
 アンナの心理上の変化はいろいろ描かれています。特に重要なのが、絵画の変化です。

 写生会での絵画は、たくさんの子供がいるにもかかわらず、ごく少数の子供しか描いていません。しかもその子供の表情を描けていません。自室に戻った時に同じ絵画が出てきますが、このときには子供自体を消してしまい、単なる風景画になってしまいます。他人と向き合えなくなったということです。
 大岩家への引っ越し後は、絵すら描けなくなります。文字だけのはがきを頼子に送っています。

 「前半マーニー」との接触後は、マーニーの人物画を描けるほどに回復します。頼子の愛を知ることで、人と向き合えるようになりました。アンナの顔にも笑顔が戻ります。
 「後半マーニー」との接触後は、アンナの絵に色が付くようになります。色付きの風景画を頼子に送っています。過去を受け入れることで、頼子が以前くれた色鉛筆を使えるようになったのです。

 エンディングでの絵は、マーニーの人物画に色がついています。人と向き合えるようになったことと、過去を受け入れられるようになったことの両方が現れています。アンナのハッピーエンドが集約されていましたね。


 これ以外にも変化はいろいろと起こっています。
 マーニーの出現場所もその一つです。アンナの病みっぷりが進行するにつれ、夢で登場していたものが、現実で登場するようになります。回復する過程ではその逆で、現実で登場していたものから消え、最後に夢の中でお別れしていました。
 これ以外にも、アンナの髪型の変化や、天候の変化なども描かれていました。
{/netabare}

おまけ③(日記を破いたのは誰?):{netabare}
 ストーリーで補足しておきたいのは、日記のことですね。誰があの日記を破いたのか?
 私は、アンナだと思います。湿地屋敷を初めて探索した日に、日記を見つけて読んだ。読んでいくうちに、孤独なマーニーにシンパシーを感じてしまい、友達にしようと決めたんだと思います。ですが、日記の後半に至って、マーニーを孤独から救ってくれるカズヒコが登場します。日記の中のマーニーは、自分の知らないところで勝手に救われていた。せっかく見つけた孤独仲間のマーニーをカズヒコに取られることを嫌い、後半の部分だけを破いて隠したんだと思います。そして、その内容を忘れることにした。
 このときのアンナは相当病んでいますから、この流れが妥当だと思います。事前に日記を読んでいたから、日記の内容とマーニーとのエピソードが完全に一致しているんだと思います(日記の内容は一時停止で読めます)。祖母マーニーから日記の内容を全て聞いていたとか、それを全て覚えていたとかいうのは、さすがに無理があると思います。二歳児でしたからね。
{/netabare}

傑作にしなかった理由:{netabare}
 本当は、傑作にしてもいいのですが、そうしなかった理由を二つだけ挙げます。
 一つ目は、終盤のミステリー解説の仕方ですね。終盤に盛り上がりを作って一気に収束させたいのは分かりますが、伏線の張り方や謎解きに明かし方に、もう少し工夫の余地があったように思われます。アンナが成長していく過程はとても丁寧に描写されていたのですが、その分解説の仕方が「第三者の語りだけ」というのが雑に感じられてしまいした。
 二つ目は、中盤の山場が弱すぎることですね。ダンスのシーンやサイロのシーンは絵的なインパクトはありましたが、山場と言えるほどの盛り上がりは感じませんでした。心情的な山場は対話のシーンですから、絵的には大人しい。絵的にも心情的にも盛り上がれるような、中盤の強い山場には不足していたと思います。
 かなり好きな作品ですが、評価としては落とさざるを得ませんでした。
 ただ、減点するほどでもないのかなと思い、物語評価は満点としました。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
ネタバレ

ユニバーサルスタイル さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

思春期を過ごす10代へおすすめしたい映画

あらすじは他の方が非常に上手くまとめてくださっているのでそちらをご覧ください。

それから、wikipediaのあらすじの項目はくれぐれも見ないようにしてください!丸々展開が分かってしまうので、映画を鑑賞する前に見てしまうと面白みが半減してしまいます。

※誤字修正
×安奈 → ○杏奈


まず、レビュータイトルの説明から。
{netabare}
スタジオジブリは今までファミリー層(ある程度齢を重ねた大人と年端もいかない子供の両方)に支持される映画が多かったと思います。

しかし見たところこの映画の対象年齢はその中間、マーニーや杏奈の年齢位の人へ向けて作られています。

監督の米林さんは公開前のコメントで
‘子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい’
‘この映画を見に来てくれる「杏奈」や「マーニー」の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています。’
(映画『思い出のマーニー』公式サイト 企画意図 http://marnie.jp/message/index.html)
と答えています。


後者の発言を見るとやはり中高生ぐらいをターゲットにしているのだろうと思います。


本編を見ていてもその意識は感じられます。

一つに物語がかなり複雑な構成になっていること。

過去と現在、現実と幻想、ごっちゃになった時系列と世界の様相は幼い子供が理解するには難しいと思います。

見たまま楽しめるような単純な娯楽映画ではありません。まあ親御さんなら普通に理解できるでしょう。ここまでなら単に子供向けではないだろうな、ぐらいのものです。


二つ目は杏奈という少女の描かれ方。

彼女は今までの、宮崎駿監督が描くような皆に好かれる理想の女の子という感じではありません。

いかにも現実にありそうな生々しい不安や悩みを抱える少女で、このキャラクターに誰もが共感をもてるとは考えにくいです。お子さんはもちろん親御さんが見ても賛同は得られにくいはずです。

しかしこの欠点だらけのヒロインは、ちょうど同年代の少年少女から見ると途端に身近で親近感のある存在になります。

自分が「特別」であること、または「普通」であることに悩み葛藤する。思春期なら誰しも一度は経験するのではないかと思います。

幼すぎると分からない、老いすぎると忘れてしまう。そんな感覚を呼び起させるからこそ、同世代の方には杏奈は眩しく映ります。


三つ目は物語の方向性。

従来の少年少女が主人公のジブリ映画では、色々な障害を乗り越えて成長していく姿を中心とする物語が多くまさしく万人受けする内容です。

しかし最近の「コクリコ坂から」を例に挙げても、単なる成長物語ではなくより広い視野の範囲や心の動きが描かれていて、やや複雑ともいえる作品があります。

今回のマーニーも、杏奈の成長だけでなく今までの生い立ちや思ったこと考えたことまで事細かに描かれ、改めて新しい作風だと感じました。

こうすると、感情移入しやすい物語の方がぐっと若者の心を掴むはずだと思います。



何故今回はこのような作品にしたのだろうと考えました。

おそらくはスタジオジブリのプロデューサーの意向があるのでしょう。


ここからは完全に想像ですが、子供と大人の中間層の支持を高めたい狙いがあるのだと思います。

実際中高生の中で欠かさず劇場までスタジオジブリの映画を見に行く人がどれだけいるでしょうか。

今やどんな年齢層であれアニメを見ること自体は珍しくなくなったけれど、依然としてジブリ・アンパンマン・ドラえもん・クレヨンしんちゃん等の映画を劇場まで見に行く若者はそう多くないでしょう。

アニメに疎いファミリー層とアニメに詳しいアニメファンの二極化が進んでいく中で、どこかジブリの敷居が高くなっているように感じます。

そうした「ジブリ映画は~が見るものだ」という既成概念を壊そうとする試みがこの映画からは感じられました。

親子連れのお子さんよりも、親と見に来るのを嫌がるようになった年齢の人へ向けられた作品という印象です。
{/netabare}



前置きが長すぎました・・・。
本編でのテーマですが、「思い出の中に忘れていた愛情」。こんな感じでしょう。


反抗期のときなど特に、周りのことが分からなくなってしまいがちです。
でもそんなとき、ふと昔を思い起こしてみると大切にしていた思い出がよみがえって、我に返ることができる。「思い出のマーニー」・・・良いタイトルです。


あまり書くとネタバレになってしまうので書きませんが、事前に噂になっていた百合とかレズとか、ある意味では間違いないです。

そこから見える真実の移り変わりが今作で最も楽しい部分だと思います。


《感想》

多少の共感はしたものの深く感動するまでは至らなかったというのが正直な感想です。

100分弱で二つの物語を見せられて十分に余韻に浸る心の余裕がなかったのかもしれません。

ここから先はネタバレでも良いという方のみご覧ください。
{netabare}
二つの物語とは‘杏奈とマーニーの交流’と‘杏奈とマーニーの過去’、それぞれ前半後半の流れを指すものです。

途中でぱったりと少女のマーニーがいなくなってしまったので少し物足りなさを感じてしまいました。


しかしマーニーはこの作品に於いて一登場人物というよりは、心象風景の一部であったように感じられます。(実在はしますが)

杏奈が自分を想う気持ち、またマーニーの残した未練が見せた幻のような存在であったと、そう思います。

一応真っ当な解釈としては、故郷に帰ったことで幼い頃の祖母の記憶や祖母に聞いた話が頭に蘇ってきて、それがあのマーニーを形作るに至ったと考えられます。

でもそれ以外にこんなことを考えました。

マーニーが杏奈に向けて繰り返し「大好き、大好き」と言い続けるのは、単にマーニーが生前杏奈を愛していた証であるだけじゃなく、杏奈が自分自身を嫌悪しながらも本当は大好きだと思いたい念の表れだったのでは。

マーニーの残した未練、それは恵まれた少女時代を送れず不幸な生活を強いられていたこと。
マーニー自身が思い描いていた、外で自由に羽を伸ばして遊ぶ夢を叶えるためああして現れたような気もします。



間違いなく二人の物語ではあるんだけども、同時に杏奈一人の心の葛藤でもありました。

すっかり荒んでしまった杏奈の心情は、冒頭のスケッチの場面でも分かります。

彼女は幼稚園の背景は描けても子供の顔が描けずにいます。それは人の表情が読めない、心が理解できないということに変わりありません。

療養先でも、夏祭りにて現地の女の子(名前は失念)の気遣いを思い違ってトラブルを起こしてました。

そうした中でマーニーと出会い、徐々に心を開いていき癒されていく杏奈。

杏奈のわだかまりが消えたことで役目を果たしたようにマーニーは見えなくなったのだと思います。

冒頭のスケッチのシーンを活かして、最後は子供の笑顔を描けるようになった杏奈を見せてほしかったです。


タイトルを見るとマーニーの方に注目してしまいますよね。

実際は完全に杏奈が主人公だったわけで、だからマーニーという存在に期待していた自分としては、期待外れのような気分になってしまいました。


あとやはり杏奈の出生やマーニーの謎を解く後半、杏奈+さやか+久子編の唐突さと展開の速さはけっこう付いていくのが辛かったです。

ラストは見ていてとてもスッキリするものだったので、そこまで気にならなかったのですけど。

少女同士の同性愛かと思われる関係を、そのまま孫と祖母の親子愛につなげていく斬新さには感心しました。

親友としてのマーニーと祖母としてのマーニー。その両方に逢えたことで杏奈は苦悩から脱することができ、義母とも和解できました。
{/netabare}

それともう少し目を見張るような演出が欲しかったです。インパクトが弱く、退屈に感じてしまう。

でもハッピーエンドで綺麗に終わっているし、一度は見ても損しない心温まるお話です。



《評価》

物語について、やや難解で冗長な部分もあり満点にはなりませんでした。でも後半の盛り上がりはかなりのものだったので高得点です。


声優について、自分としてはマーニーの有村架純さんはどうもイメージと合いませんでした。金髪碧眼の美少女を演じるのって凄い難しいことだと思うんですよね。
ウフフフって笑い方は可愛くてそこは好きだったんですけど、喋りに違和感があって終始落ち着きませんでした。

逆に杏奈の高月彩良さん、叔父・清正の寺島進さん、久子の黒木瞳さん辺りは素晴らしかったです。


キャラについて、杏奈は今までのジブリヒロインで一番好きですね。正直ジブリからこんなヒロインが生まれるなんて思ってませんでした。


作画はもう文句ないくらい綺麗ですが、その中でさらに特筆したいのは杏奈やマーニーの瞳の強さというんでしょうか・・・瞳の奥から感じる生命力が素晴らしかった。
見てもらえれば分かると思います。杏奈の瞳はただ美しいだけじゃなくて強さがあります。目から芯の強さが伝わるのは凄いです。


音楽、冒頭タイトルが表示される間流れるBGMがとても美しかった記憶があります。杏奈とマーニーが戯れる間のBGMも優雅で綺麗でした。主題歌もマーニーの雰囲気に合っていて聴き惚れました。




思春期のピュアな悩みに共感できる映画で、普段深夜アニメに慣れ親しんでいる方ほどハマるような気がします。

「さくら荘のペットな彼女」「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」「花咲くいろは」等々・・・青春系のアニメが好きな方はきっと琴線に触れるものがあると思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 25
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

話も作画も悪くないのに、面白くする要素を欠いました。追記します。

 やりたい事はわかります。ですけど、なぜでしょう。まったく面白くありません。
 プロット…つまりあらすじは良いと思います。童話かなにかの原作付きなのでストーリーの幹はしっかりしているのでしょう。

{netabare} マーニーが杏奈を孤独にさせないために現れた屋敷についた亡霊なのか、時間が繋がったのかわかりません。最後のおばあちゃん=マーニーが赤んぼの杏奈に語りかけている内容からいって杏奈の夢の可能性もあります。 {/netabare}
 どれであってもマーニーが杏奈の救済になったということいいと思います。

 マーニーとの友情が不自然でしたが、ここは血のつながりというか、子供のころの記憶で引っ掛かりがあったのかもしれません。ここは演出的なことを入れたほうが伏線としては面白いですが、まあ、最後の種明かしで気にするほどでもないでしょう。

 一方で、養育費的なものを自治体からもらっていたことになぜ反発するのか、おばちゃんが杏奈に対してすまなく思うのかがわかりません。もともと養育の目的が金銭みたいなところってありましたっけ?親の愛情に疑う余地がないと思いましたが。喘息で療養って理解してるのにやっかい払いって?

あとはマーニーの親と杏奈の親がクズだった問題ですね。これが唐突というかなんというか。杏奈も喘息もちが理由か逆なのかわかりませんが決して、思いやりのあるいい子ではないです。むしろ、マーニーだけが特殊だったということ?この4代にわたるこの一族のクズっぷりの遺伝子はなんなんでしょう?何が描きたいかよくわかりません。前提条件ということ?でも、そこを描かないと、マーニー杏奈のつながりに意味が出ません。

 それと、友達との関係性とかがまったくストーリーに活きていなかったかなあ。マーニーのおかげで友達付き合いができるようになるとか、お互いが救済になるような感じがありません。結果的に彩香とであい、富子と和解したので何かあるのかもしれませんが読み取れませんでした。

 あとは杏奈がマーニーの救済になっているような感じが見えなかったですね。晩年のマーニーがもっと杏奈の幸せを信じて、短い時間だったけどものすごく充実していたような場面があってもよかったかなあ。この部分が弱いので本作のオチが{netabare} 杏奈の夢オチ{/netabare}になると明言しているようなものです。

 本作のつまらない原因は、まあ、そういったキャラと時間の無駄使いもある気がしますが、だからといってそんなにつまらないストーリーではない気がします。マーニーという血縁の時を超えた救済と、血のつながらない親の愛ということで、プロットは良いと思います。

 つまらないのは、キャラがジブリ的すぎてどうしても劣化宮崎駿に見えるという欠点を結局打開できませんでしたね。
 そしてキャデザ以上に原画というか動きですね。歩き方走り方、手の握り方体重の乗せ方。演技、演出、構図、色使い。それがすべてジブリです。声優さんのしゃべり方まで、ジブリ演技ですね。これが非常にノイズになりました。

 声優さんのレベルが低いと言っているのではありません。間と言うか演技が本当にいつものジブリでした。
 過去の舞台もマーニーも、自然なアニメ演出が出来ないなら無理に外国人設定いれなくても…と思いました。

 ジブリだからジブリなのは当たりまえですけど、ジブリはブランドです。ブランドとは約束です。数多い映画作品の中からジブリと言う名前を信じて作品を見ます。ですから相当高い品質を要求されることを覚悟すべきです。
 ブランドである以上、最低宮崎駿監督の「風立ちぬ」のアニメーション技術レベルでなければ満足はできません。その覚悟がないならジブリブランドを冠して作品を作らないでほしいと思います。

 それに加えて、ジブリ的な作品作りが全体のバランスを崩して、かえって非常に悪い方向に退屈になってしまっています。劣化した模倣は、そこそこのオリジナルに負けるということでしょう。

 多分普通に作ってたらもっと評価していたと思います。

 また、全体のストーリーとプロットはいいんですけど、盛り上げ方です。マーニーとの出会いは劇的じゃないし、友情の育み方、そして別れのきっかけとなった場面。盛り上がりませんでした。

 なによりも最後の久子の語りですね。これは何とかならないのでしょうか。セリフで全部説明されてもなあ。語らないで、考えると分かる仕掛けにするなど、ストーリーの中に織り込めなかったのでしょうか。青い目というところで察しはつきますけど、実の両親の痕跡とか、マーニー祖母バージョンのフラッシュバックとか、小物を使うとか。

 総評すると、ストーリーは大筋悪くない。ジブリと言うことで作画はまあまあ高水準。なのにアニメの面白い部分を創り出す要素が、欠落している気がしました。

 テーマ性やキャラへの感情移入という点で、個々のキャラ造形とパートパートのエピソードが不自然で弱すぎました。何を焦点にしてみればいいかが、最後にセリフで説明されても…

 また、子供向けとして見ようと思うとすると、対象年齢がわかりません。子供が見て楽しいところってどこだったんでしょう?子供騙しと子供向けと寓話は違います。そして本作はそのどれでもないような気がしました。
 いっそのこと時を超えたファンタジーで、理屈抜きの出会いにした方が、深い話になったと思います。

 ということでここの評価システムだと点数を引きようがないのですが、映画…アニメ映画の出来としては、主観採点で40点くらいかなあ。



追記 この映画がなぜ面白くないのか言語化できました。理由は杏奈が自分で執念をもってマーニーを追わないからです。
 どうしてもマーニーと会いたい→昔の人だと知る→マーニーはなぜ私のところに?どういう人だったの?→思いが時を超えるファンタジー→友達に心を開く→おばの愛情の再発見→マーニーのすべてを理解する。

 というプロセスが無かったです。別に違ってもいいんですけど、こういう結末に向けての「展開」が弱くて視聴後感は悪かったです。逆に前四分の三はある意味まあ高水準だったかもしれません。

 点数は物語とキャラは3は無いかなあ。作画で調整して3をちょっと割るくらいがいいかも。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 4

72.6 5 コミュ障アニメランキング5位
HELLO WORLD(アニメ映画)

2019年9月20日
★★★★☆ 3.7 (222)
1013人が棚に入れました
京都に暮らす内気な男子高校生・直実(北村匠海)の前に、10年後の未来から来た自分を名乗る青年・ナオミ(松坂桃李)が突然現れる。ナオミによれば、同級生の瑠璃(浜辺美波)は直実と結ばれるが、その後事故によって命を落としてしまうと言う。「頼む、力を貸してくれ。」彼女を救う為、大人になった自分自身を「先生」と呼ぶ、奇妙なバディが誕生する。「頼む、力を貸してくれ。」彼女を救う為、大人になった自分自身を「先生」と呼ぶ、奇妙なバディが誕生する。

声優・キャラクター
北村匠海、松坂桃李、浜辺美波、福原遥、寿美菜子、釘宮理恵、子安武人
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

この世界はラスト1秒でひっくり返る

まぁこういうキャッチコピーがついた作品には
いつも痛い目に遭ってばかりなので
相当身構えた状態で観に行きました

そもそも原作・脚本が野崎まど
という時点で大どんでん返しがあるのはわかりきってるわけで
ただそれが「正解するカド」の時のように
悪い方向にひっくり返る可能性も少なくない
というのが事前の予想

野崎まどはデビュー作【映】の頃から注目していたアーティストではありますが
もともとホームランか三振かみたいな作家さんです
それがアニメという一人では作れないプラットホームにやってきて
他のスタッフの仕事を生かすも殺すも彼次第になり
いわば満塁ホームランかトリプルプレーかみたいな
よりリスキーな状態になったという認識
そして第一打席であった「正解するカド」は
味方の援護も微妙なところだったので
ランナー無しからの空振り三振といったところ

続く第二打席がこの作品
キャラクターデザインに堀口由紀子
監督はSAOの伊藤智彦
人気の高いクリエーターと組んで失敗に終われば
これはもう野崎まどが戦犯だと言われても
擁護のしようがないでしょう

そこにきてこのキャッチコピーです
ラストのどんでん返しが売り
というよりも他に見どころがない
そんな印象を受けるキャッチコピーです
これは四分六で併殺コースかなぁと
なかばあきらめモードで観に行きました

結論から言うと
ラストの部分を除いても
骨太のSF作品としてきっちり成立していた上
ラスト1秒・・・は言い過ぎにしても
ラスト1シーンで世界は見事にひっくり返りました

この鮮やかなラストは
野崎まどの本領発揮
最後の最後で見事な逆転劇
まさに逆転サヨナラ満塁ホームランといったところ

ただし、SF作品としてのストーリーの秀逸さは文句なしですが
それを一本の映画作品に収める際の尺のバランスに関しては
冗長な部分と駆け足の部分両方が存在したので
そのあたりを加味してストーリーは4.5としました

ストーリー以外の部分として
タレントキャストの男性陣は悪くなかったと思います
メインヒロインがだいぶ棒気味ですが
彼女自身の設定が若干コミュ障気味なので
あれはあれで悪くない気がしました
演技力の低いタレントキャストでも
使いようによってはどうにでもなるということですね

もっとも一流のプロ声優にかかれば
ほとんど言葉をしゃべれないようなキャラでさえ
非常に魅力的に演じられるということを
ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝で
悠木碧が見事に証明してくれたのに比べると
あくまでタレントキャストのダメージを軽減することに成功しただけで
決してプラス評価できるような演技ではありませんね

映像面は堀口キャラの愛くるしさはとてもよく表現できていたと思います
ときどき挟まれるコミカルなデフォルメ顔も嫌いじゃないです
アクションシーンの迫力もまぁ及第点かなというくらいではあったのですが
中盤以降警戒色の昆虫みたいな色合いのキャラというかエフェクトが増えて
非常に目が疲れるアニメーションだったのは
ちょっとマイナスポイントでした

音楽は全体的に悪くないですが
作品の雰囲気に合ってるか?
というのが若干微妙な気がしなくもないです

作品全体としては全てが完璧とは言い難いですが
緻密なSF考証とあっと驚く展開が売りの野崎まど作品が
アニメ作品として十分に魅力的なものにできることが証明された
ということが非常にうれしいですね
今後もきっと素晴らしいSFアニメとトンデモ落ちの怪作を作ってくれるだろうと期待しています

ちなみにスピンオフのANOTHERWORLD
というWebアニメ(全3話)が
HPで有料公開されており
ひかりTVかdTVに加入で観れるようです
dTVじゃなくてdアニメにしてくれよ!
といいたいところですが
逆にdTVの無料お試しに温存の価値はあまり感じないのであれば
無料お試し期間を使って観るのもありかもしれません
ただし視聴可能期間が結構短いので注意してください

おまけ(SF考証)ネタバレあり
{netabare}
今回の作品のもとになったネタは一昔前に少し流行った哲学論争
野崎まどは頻繁にこの手のものをネタに作品を書いています

「猿がタイプライターの鍵盤をランダムに叩きつづければ
いつかはウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」
という無限の猿理論をモチーフに
AIによる小説作成に切り込んでいった
「小説家の作り方」
なんかは元ネタがわかりやすいですねw

さて本作の主人公である堅書直実は
量子コンピュータによって過去の京都を再現した
シミュレーターの中のデータです
そしてその外から来た「先生」によって
自分が仮想世界の中のデータであることを知らされ
クラスメイトの一行瑠璃を救うために共闘します
そしてその「先生」のいた世界もまたシミュレーターで
シミュレーターを使って一行さんを助けようしていた「先生」は
シミュレーターを使って一行さんに助けられる側だった
というオチで終わりました

このシミュレーテッド・リアリティの中のシミュレーテッドリアリティ
という発想はシミュレーション仮説を意識してると考えて間違いないでしょう
シミュレーション仮説は哲学者ニック・ボストロムの提唱した一種の思考実験です

今から何百年後何千年後あるいは何億何兆年後
科学技術が発達していけばいつかは本物と見分けのつかないような
「世界」そのもののシミュレーターを作ることができるようになるのではないか?

そのシミュレーターの中では
人々が自分の世界は現実だと疑わずに生活している
そしてその仮想世界の住人達もいつかは
「世界シミュレーター」を作り出す
シミュレーターの中のシミュレーターもまた世界シミュレーターを作り出し・・・
という具合に無数の「世界」が生み出されていくことになるのではないか?

ここから導き出される結論は次のどちらかです

A人類は世界シミュレーターを生み出せるだけの科学力を手に入れる前に滅亡する

B人類は世界シミュレーターを作り出し、その中に無数の仮想「世界」が作り出される
無数にある仮想「世界」の中にオリジナルの世界はたった一つ
我々の生きている世界がオリジナルである可能性は限りなく低く
我々はほぼ確実にシミュレーターのデータに過ぎない

これは物語の中の話ではありません
今これを読んでいるあなた自身が
シミュレーターのデータである可能性を示唆しているのです

Bが正しい場合
私たちの世界がシミュレーターであるはずがないと信じるのは
きわめて分の悪い賭けであり
自分たちがオリジナルである根拠はまったくありません

Aが正しい場合
実はこれですら自分たちがシミュレーションデータでないことが確約されるかというと
そうとも言い切れない部分があります

例えばこの宇宙が宇宙の外にいる人知を超越した何かが作り出したシミュレーターであるという可能性
そしてその発想を膨らませて作られた作品が「正解するカド」だった
と考えるといろいろ納得がいくのではないでしょうか?

あるいはちょうどこの話が流行った頃に作られた映画「マトリックス」では
コンピューターの反乱によって人類は眠らされ
仮想世界の中で偽りの人生を送っていた主人公ネオが
外の世界からのメッセージを受信し
自分が仮想世界の中にいることに気が付き目覚めるところから始まります

人類以外の存在が仮想世界を作り出し
その中に人類が生きているという構造は
仮想世界の中の人類が世界シミュレーターを作れなくとも
そこが仮想世界である可能性は否定できないという反証になります

さて実際のところ我々のいる世界はシミュレーターなのでしょうか?
シミュレーターという概念自体はとても現代的ですが
似たようなことを考えた哲学者は古代にもいました

今からおよそ2000年前荘子は次のように残しています

以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。
喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。
荘周であることは全く念頭になかった。
はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、
自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、
いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。
しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。

シミュレーション仮説は
自分は現実の人間だ!シミュレーターのデータであるはずがない!
という先入観から来る根拠のない思い込みを打ち砕くものですが
この考え方が議論を呼んだ背景には
自分がただのデータに過ぎないという可能性に
本能的に抵抗感を抱く人が多かったことがあげられます

シミュレーション仮説に強く抵抗する人は
もしも自分がただのシミュレーションデータに過ぎないならば
そんな偽りの人生に価値はないと考えるようです

しかし、映画マトリックスでネオと一緒に仮想世界から目覚めた男は
人類がすでに滅亡しかけているという事実を知らされ
「こんなことなら起こさないでくれればよかった」
と嘆きます

「先生」に直実は自分がシミュレーターのデータであると知らされますが
それをほとんど驚くこともなく受け入れています
これは彼がSF好きであるということから
「先生」に出会う前に既にシミュレーション仮説に触れたことがあり
自分自身がデータである可能性を自分なりに消化していたのでしょう

荘子もまた自分が本当は蝶であり
今ちょうど人になる夢を見ているのかもしれない
という可能性を否定しませんでした
あるがままを無為自然に受け入れるというのは
荘子の思想の中心となる考え方です

もしかしたら我々の住む世界は本当にシミュレーターのデータなのかもしれません
しかし、直実やネオのように外の世界の干渉を受ける可能性はほぼ0で
ここが現実世界なのかシミュレーターの中なのか
一生わからないまま生を終えることになるでしょう

たとえこの世界がシミュレーションだったとしても
その世界から出ないで生きていく限り
現実であろうとシミュレーションであろうと
何一つ変わりはないわけです
荘子の言葉を借りれば
主体としての自分に変わりはないのです

となれば本当に大切なのはこの世界がシミュレーターなのかどうかではなく
そこで幸せに生きているかどうかではないでしょうか?
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 15

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

仮想世界に魂の洗練を託す……挑戦的な3DCG映画

【物語 4.0点】
青春ボーイミーツガール、時間差を盛り込んだSF設定、ヤマ場でMV風演出……。

同時期、乱立したアニメ映画企画群の中でも、
本作はSFとして情報量多し。

現実に匹敵する仮想世界を観察するこの世界もまた仮想世界で……。
という入れ子構造を生かしたシナリオはSFとして刺激的。

俳優や音楽目当ての一般層よりも、
歯ごたえのあるSF設定も楽しみたいマニア向け。


『SAO-オーディナルスケール-』までの監督・伊藤 智彦氏が
引き続きVRMMO物をやりたいと始めた企画なので
『SAO』をテーマを咀嚼して体験したような方なら付いていける。

他にもSF関連や、
プログラム入門者が最初に紹介される例題から借りたというタイトル名、
PCゲーム『平安京エイリアン』みたいな惨状(笑)とか、ネタ多し。


これを既視感と断じるのは簡単だが、
私の場合、既視のSF設定等を当てにしないと理解仕切れなかったのも事実(苦笑)

なのでここはオマージュとして好評します。


脚本は野崎 まど氏。“脚本テロ”による奈落突き落とし等を警戒される方もいると思いますがw
むしろ昨年、私が劇場鑑賞したアニメ映画の中でも、本作の余韻の良さは屈指でした。


一方で解釈しきれない謎も残される。

本作にはBD特別盤同梱or一部配信サイト限定で、
大人・ナオミ視点で綴られた短編アナザーストーリー『ANOTHER WORLD』もありますが、
それで補完し切れない点もあり、鑑賞者の想像に委ねられる。


【作画 4.5点】
果敢なセル画寄りの3DCG作画。

群衆やアクションに長があるCGの力をしっかり濫用する一方、
意外に日常ラブコメシーンも多い本作。

CGが不得手な萌えやコミカルも提供しようと、
制作に「フェイシャル・スーパーバイザー」なる顔面チェック担当のポジションを設置。
さらに勝負所ではキャラクターデザインの堀口 悠紀子氏自らが原画を担当するなど、
人物の表情に不自然さが生じないよう尽力。
成果は赤面するヒロイン等に確実に現われている。

ただ、それでも私はラブコメは手描きの方が好きですがw
けれど本作の挑戦は評価したいです。


日本有数の計画都市である京都。
碁盤状の古都に近未来の仮想世界が重なり、現実をひっくり返す描写はダイナミック。

私のツボ:見下し視点で描かれた、
区画ごとマス目を動かしてピンチ脱出を図る想像力爆発シーン。


【キャラ 4.0点】
ヒロインの一行さん。感情希薄な図書委員。ツンデレ成分配合。
彼女に萌えるかどうかが特に前半日常パートを楽しめるか退屈するかの分かれ目。

萌えキャラとしては標準的な属性の一行さんだが、
文化系でも意外と強気で頑固な性格がツンとして消費されるだけに終わらず、
濃厚なSFシナリオの中でしっかりと回収されるのが評価ポイント。

私の中で、一行さんは萌えキャラでもあり、ある種の燃えキャラでもあるのです。
さあ、「やってやりましょう」


多分に生き方を問われるシナリオ構成の中で、
主人公少年・直実と外部世界から来た大人・ナオミが、
世界との関わり方を通じたキャラ立ちにより、
テーマを深化させているのも〇。


【声優 3.5点】
直実 CV.北村 匠海さん。ナオミ CV.松坂 桃李さん。ヒロイン CV.浜辺 美波さん。

実力も人気もあり、かつアニメへの理解もある若手俳優陣でメインを固める。


ただ、この役者さんたちの演技力を引き出したかと言うと、
私はもっとやってやれた感じもします。

映像にしても状況理解に想像力が求められる本作にて、
アフレコ(映像に合わせて収録)ではなくプレスコ(声を収録してから映像)で、
台本だけで、SF設定が絡む場面を思い浮かべながら声を提供する
というのは俳優陣にとってはかなりハードルが高かったのかもしれません。


大人・ナオミ役も声は合っていましたが、
一方で、上記の『ANOTHER WORLD』では声優・松岡 禎丞さんが大学時代を演じていて、
正直、本編も松岡さんで良かったじゃんと言う気持ちが抑えられませんw


脇を固めた声優陣はプレスコでも盤石。



【音楽 4.0点】
気鋭。

OKAMOTO`Sらが若手アーティストらを束ねたチーム「2027Sound」が、
多彩な劇伴&楽曲を提供。
Official髭男dism「イエスタデイ」、OKAMOTO`S「新世界」といった主題歌は、
キャッチーなメロディがBGMとしても再三アレンジされ、堅いSFの大衆化を試みる。

……の割には興収……伸びなかったな……(遠い目)


【感想】
仮想現実がリアルに追い付き追い越した時、何が起こるのか?

『SAO』や他のSF関連でも再三問われて来たテーマに改めて挑んだ本作。
これらの作品群に通底するのは、
魂の虚実が問題なのではない。リアルでもバーチャルでも邪悪な意志はある。
バーチャルを見下し悪用しようとする人間もいる。
そんな中でも、善き魂が残り、新しい世界の道しるべになって欲しい。
こうした近未来に向けた願いなのだと思います。

この春にラストシーズンを迎える
『SAO』のテーマを受け止めるためのお供にもオススメしたい、
良作SF映画です♪

※初回投稿4/10

【追記】
……と思っていたら、『SAO』も新型コロナの影響で放送延期に……。
厳しい春ですね……。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 34
ネタバレ

きつねりす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

SF・考察好きにはおススメの一本。

かなり前から自分の中で期待度の高い作品だったので無事に劇場で見られたことで満足、しかしそれ以上に話を理解するのに時間がかかった・・・というのが率直な感想です。結構頭を使う作品だと思います。
こういった作品は原作を読めば結構すんなりと理解できることが多いのですが、敢えてそれを映画という媒体だけで考えてみるのも面白い。そして答え合わせとして原作を読んで・・・という風にメディアミックスの沼に落ちるのもまた一興かと。

以下ネタバレ。

{netabare}

端的に言うと「大切な人のために過去を改変する話」なんですが、この話の時間軸が色々とズレているせいでなかなか理解が難しくなっているように感じました。

事故が原因で脳死状態になった恋人を目覚めさせるために、その事件が起きないよう過去へ戻って過去の自分と共にやり直す主人公、過去の自分が事故を防いだのを見届けるや未来の世界へと恋人の存在を連れ帰り、現実世界で脳死状態から目を覚ます恋人。

しかしその現実と思っている「恋人が目覚めた世界」も本当の現実ではなく「記録された世界」だった・・・という二重構造が話をややこしくしていると思います。

「結局のところ脳死しているのは主人公であり、その眠りから目覚めさせたのは本来主人公が救おうとしていた恋人である」というラストを迎えるのが本当に作品の残り1分くらいなので、エンドロールを見ながらポカーンと見ているばかりになってしまいましたが、後々つじつまを考えると先に挙げたような頭の整理ができるようになりました。

このからくりに気付く一番のヒントは「改変した過去を正史へと修復させる」狐面の存在があることではないかと思います。現実には干渉してこないはずの狐面が一行さんを無いものにしようとすることで主人公が「これもまた過去である」ということに気付く、それを見て見ている側もここが現実世界ではないと気付くという仕掛け、見事だと思います。言葉にするとややこしいですけど。
後は最後のシーンで他の星(おそらく月?)から地球を望むようなカットが入ること。ここで「地球での生活は終わり、他の星での生活が主となった」、つまりストーリーの大半で現実のように扱われている「地球生活を営む2037年」よりも「主人公が目覚めた世界」が未来の話であるということが
推測できました。

身体という「器」に「宿るべき精神」が到達したときに目覚めるという現象に持っていくため、主人公を過去へ行くように差し向け、記憶の世界で成長させ、「新しい世界への到達」=「健全な精神の完成」に至ったことで精神と器が合わさり目覚める。
・・・この三重になった世界がなかなか理解できなかったですが、分かると気持ちいい!
というわけでかなり見終わった後の満足感はあります!

ストーリー理解でかなりカロリーを割いたので他のアプローチについては端的に。

作画:3Dをメインとしていましたが、印象的なシーンは手書きの細かさが見られて完成度も高かったです。特にラストは手書きで描かれていて、CGメインの虚構と手書きの現実という文字通りの描き分けがされていて後から「ストーリーとリンクしていて凄い!」と感心しました。

声優:浜辺美波さん、声だけの出演だと少し物足りなく感じました。やはり見た目も含めた演技あっての人だな、と。でも目が覚めた時の演技は抜群に良かった!

音楽:凄く音楽を売りにしていたわりに後ろ目な印象。髭男の挿入歌も随分と切り取られていたし・・・サントラとしては完成度高いけど、「もっと聞きたい!」ってなるかというとそうでもないような気がします。

キャラ:ほぼ3人で回している、そんな中やはり目立つ描かれ方をしている勘解由小路さんの存在は大きい!でもそこはスピンオフで描かれるだけで映画本編では描かれないので・・・残念。小説はとりあえずチェックしようと思います。

{/netabare}

もう少し人気出ても良かったな~と思いますが、説明したりするのが難しいので若干広がりにくいかな、とも思いました。その複雑さも含めて、考察好きには是非見てほしい一本だと思いました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7

71.3 6 コミュ障アニメランキング6位
特別版 Free!-Take Your Marks-(アニメ映画)

2017年10月28日
★★★★☆ 3.9 (37)
246人が棚に入れました
 大学進学で上京が決まり、部屋探しをする七瀬遙。不動産屋に入った彼は、思わぬ人物と出会う(『運命のチョイス!』)。卒業する松岡凛らを驚かせるプレゼントがしたいと考える似鳥愛一郎と御子柴百太郎。ある日、百太郎が福引で当たりを引く(『秘湯のクーリングダウン!』)。4月から葉月渚、竜ヶ崎怜、松岡江だけになる岩鳶高校水泳部。そこで彼らは新入部員獲得のためのプロモーション映像の制作に乗り出すが……(『結束のバタフライ!』)。オーストラリアに旅立つ凛のために、水泳部の面々はパーティーの準備を進める(『旅立ちのエターナルブルー!』)。

公式サイト http://iwatobi-sc.com/

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

新しい旅立ちの前の、羽ばたく準備。心はこれまでより、ずっと強くつながっている。

「Free!」特別編映画。
2期と3期の間を描く短編4話で構成されています。

この4話を見ていないと、
3期で「こんな話あったっけ?」「誰?」と戸惑う場面が出てきます。

この作品を観る前に、テレビシリーズの2期までと
映画「ハイ☆スピード」を見ておく必要があります。

「ハイ☆スピード」は中学生編ですが、
そこで登場したキャラも登場しますので。

にぎやかな彼らにまた会える♪
100分ほどの作品です。


● ストーリー
春休み。

高校を卒業した3年生の遥(はるか)たちは新しい生活への準備を、
2年生の渚(なぎさ)たちは新入部員勧誘を準備を。

それぞれが新しい舞台に向けて動き出していた。


2期を終えて、
遥たち岩鳶(いわとび)高校組と、
凜(りん)たち鮫柄(さめづか)高校組がメインキャラとなりましたね。

今回は、
1話→遥と真琴(まこと)の東京での家探し
2話→鮫柄高校水泳部4人の温泉旅行
3話→岩鳶高校水泳部の新入部員歓迎ビデオ撮影
4話→オーストラリアへ旅立つ凜へのサプライズパーティー計画

キャラの活躍具合もバランスよく考えられていて、
どのキャラのファンでも楽しめると思います。

水泳要素は普段よりだいぶ少なめですが。

筋肉を期待している人が物足りなさを感じないように、
脱ぐシーンは自然と取り入れられていますので、そこはご安心をw

それでも普段よりは少なかったと思いますが。笑

普段のゆるいやり取りがメインなので、
全体的にゆるゆると楽しめました。

キャラの素の魅力を味わうには、
よかったですけどね♪

一番楽しめたのは4話かしら。

勘違いが暴走して、
伝言ゲームのように言葉がズレていって、大騒ぎww
おもしろくて、笑いましたww

勘違いを大真面目に受け取る様を客観的に見ているのって、
こんなにおもしろいものなのですね。笑

キャラも総出演だし、水泳シーンもあるし、
うまい脚本だと思いました^^


● キャラクター
今回は凜ちゃん推しな場面が多かった気がする…。
泣き虫なヒロイン凜ちゃん、かわいかったw

相変わらずみんな凜のこと大好きだね^^

そして今まではっきりと描かれていなかったけれど、
凜は妹の江(ごう)ちゃんのこと、大好きなのね^^

シスコンという新たな一面も見られて、よかった♪笑


そして百太郎(ももたろう)がうるせえww

自由奔放に子どもらしく振舞う百ちゃんは、
この作品のムードメーカーでしたね^^

“日本海のラッコ”という異名がなんかかわいいしw

登場するたびに全力大騒ぎで、
うるさかったことは印象強いですw


「ハイ☆スピード」で登場したキャラたちも、ちらっと登場し、
中学卒業後に彼らがどんな道を進んでいたのか、少しだけ見えてきます。

3期の登場にもつながりますので、
見逃せませんよ!


● 音楽
今回はEDがあまり印象に残らず。
キャラの台詞は楽しかったのだけど。

OPがよかった♪

しかし、4話構成だからと毎回OPとEDは必要だったのか?

1つの劇場版なのだし、
一気に見たい気持ちもありました。

まあ、OPもEDも4回聴けたのは、
曲が好きなら嬉しい構成かしら。

早送り派の人は、
とてももどかしかったと思うけど。笑

EDも毎回チョイスする部分や映像が
ちょっとずつ違っていたしね。

でもEDの映像のプチキャラは
あまりかわいいと思えませんでした^^;


【 OP「FREE-STYLE SPIRIT」/ STYLE FIVE 】

1期からのメインキャラである5人が歌っています。

いつものSTYLE FIVEらしく、
砂浜をかけて海に飛び込みたくなるような、
明るい曲ですね♪

ほんと、STYLE FIVEの曲はどれも爽やかでハズレがない♪


【 挿入歌「RISING FREE」/ STYLE FIVE 】

この曲に合わせて、
それぞれが新しい道を踏み出した映像が流れるの、最高だった。

離れてしまっても、
心はつながっている。

だってそれぞれが、
同じ気持ちと思い出を持って未来へ踏み出したから。

そこに迷いはない。

胸が高鳴る曲だわー!


● まとめ
遥や凜が車を運転していたり、
みんなが少しずつ未来に進んでいることが感じられるシーンもたくさん。

今までの思い出をたくさん胸に抱き、
新しい世界へ飛び出す準備をしているのが感じられる劇場版でした。

次の3期は、いよいよ遥たちが大学生となります。
新しい世界のスタート、楽しみです♪

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

視聴がもはや義務になりつつある自分はFree!ではないかもしれない

1.2.3期と劇場版-Free! Starting Days-は視聴済


「2期と3期がうまく繋がりますよ」と交流あるレビュアーさんから。てっきり-Starting Days-(※SD)で充分じゃん、と思っており油断してました。
3期は遥たちが東京の大学に進学してからの新生活を描いています。そこで展開される物語の土台が劇場版SDで描かれていることからこちらはマストに近いと思うのです。
対して本作-Take Your Marks-(※TYM)は時系列的には2期のちょい後、高校卒業を控えた日々を描いた話となってます。これはファンなら必見、そして3期前の事前準備としてはベターな位置づけになるかと思います。

他にも、劇場版はこんなのがあって、
・劇場版 Free!-Timeless Medley- 絆 …アニメの総集編を主人公視点で描いた話
・劇場版 Free!-Timeless Medley- 約束 …アニメの総集編をライバル視点で描いた話
自分はそこまで視聴のモチベーションは高くありませんが、こちらも2期までの内容解釈の幅を広げられそうですし、頭の片隅に入れとこうかと思います。


さてこちら -Take Your Marks-
意味はご存じ、「位置について」「よーい」「ドン」の「位置について」にあたるやつ。オリンピックとか世界水泳でもお馴染みです。
新生活を前にした事前準備。ちなみに私なんか高校3年生の1~3月なんて受験でてんやわんやしつつ、高校生活も終わりだと感傷に浸ってたかで、「位置について」というより「ロスタイム」の意識が勝ってた時期でした。
でもそこはさすがFree!と言ってよいと思います。タイトルからして前向きなんですよね。そして、3期の-Dive to the Future-(意:未来へ飛び込め)へと繋がります。

映画は4つの短編で構成されており、時間にして105分。ざっくりふんわり言うと、

 1.家を探す話
 2.鮫塚高校での話
 3.岩鳶高校での話
 4.外国行っちゃう人への話

いずれも送る人、送られる人、残る者、旅立つ者それぞれの立場での各々の思いに寄りそった心温まるエピソードが多かったかな。
Free!シリーズの中でも物語としては一番好きかもしれません。お別れを前にして、みんな次を見据えているこのポジティブさ加減が、ダレずに観れた理由でもあるし、きちんと軽めのエピソードから入って徐々に盛り上げていく構成もお見事でした。それにあまりそっち系の匂いもしなかったし。。。、

3.{netabare}あの1期ED映像。なんで行商人?すげーな!との戸惑いへの回答が用意されてます。まさかの伏線回収でした(笑){/netabare}
4.{netabare}短編で良かったと思えるテンポのいいコメディが秀逸。これクールでやるとダレてたかもしれません。{/netabare}


ただし、ちょっと苦言を呈すると、固定客向けのコンテンツになってるのが難ですね。
3期を観る前にマストの劇場版SD、そしてベターの本作劇場版TYMの視聴が条件になってました。発表順に時系列で追っている人には問題ありませんが、新規客はつらいかも。
続編はありそうなシリーズですので、例えば4期(仮)放送前に1.2.3期のさらに劇場版2本が必須でっせ!となるとだいぶ敷居は高くなっちゃうでしょう。
オリンピック年に続編をぶつける想定で、うっかり水泳熱が高まってたりする場合も充分考えられます。せっかくですので続編では既存顧客を逃さず新規を囲い込む難しい舵取りにチャレンジしてほしいなと思います。


競技人口(みんな泳げるでしょ?)のわりに水泳を題材にしたアニメって希少ですから。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 14

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

さばマヨネーズ、メカいくら、PKH東って・・・・・・・・。

 TV放送や劇場版の続きとなるお話だったです。これまでのような熱い青春展開の多かったFree!とは違うです。
 キャラそれぞれの日常があり、アットホームみたいだったり、高校生らしくワイワイしたり、ゲーマーズみたいな勘違い思い込み展開があったりと、また新しいFreeの世界観が見れて面白かったです。

 遙らだけでなく、今までの劇場版同様、ハイ☆スピードに出てきたキャラも登場したりしているのも見所です。最後には、新キャラも出てくるです。
 この伏線は、この話以降にどうかかわるのか?気になるです。

 キャラの個性を皆うまく引き出した、今までと一味違う楽しい展開は、総集編にないサプライズの連続で、こういうののほうがいいなぁと見てて思ったです。

 似鳥や特に百太郎がはじけてて面白いです。江も面白いです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5

71.7 7 コミュ障アニメランキング7位
えいがのおそ松さん(アニメ映画)

2019年3月15日
★★★★☆ 3.8 (46)
244人が棚に入れました
二十歳を過ぎてもクズでニートで童貞の松野家6兄弟。ある日訪れた、高校の同窓会で再開した同級生たちは、社会人として生活する、ちゃんとした大人になっていた。ごまかしきれず、冴えない自分たちの現状を曝されてしまった6つ子たちは、そっと家路に着く。すっかりやさぐれて酒をあおり、眠ってしまったおそ松たち。翌朝、目覚めた彼らが目にした光景とは・・・

声優・キャラクター
櫻井孝宏、中村悠一、神谷浩史、福山潤、小野大輔、入野自由、遠藤綾、鈴村健一、國立幸、上田燿司、飛田展男、斎藤桃子

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

まぁ、おそ松さんは、これでいいのかな!

 TVでは、他アニメのパクリの多い第一話や私には見るに耐えないシーンがあったことや、おそ松くんのイメージを崩されたことで、断念したです。これも見ようか?迷ったけど見てきたです。

 おそ松くんと言うと6つ子が脇役で、それ以外のキャラであるイヤミ、チビ太、デカパン、ハタ坊、松造、松代などが、目立っていた印象があるです。『おそ松さん』は、完全に6つ子が、主人公な感じです。それぞれ、個性的です。

 イメージの違いやほんの一部、放送禁止用語???みたいな言葉はあったけど、私にはTVより見れたです。6つ子の設定に、「おそ松くん」とのギャップは私には、大きかったけどです。

 起きたら、後悔を残した過去の世界、その頃の青春が、かなり伝わった展開だったと思うです。

 終盤の現実離れした光景の連続だったけど、なんとか目的を達成できたシーンや、序盤から出てきた猫は何だったのかが、やっとのことで判明する演出は、悪くなかったです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 2

Acacia さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

テレビスペシャルとかで良かったかも。

仕事帰りに観てきました。
感想としては、タイトル通りテレビで良かったかなぁと。

作画も特に突出している訳ではない。
※自分はテレビ放映と劇場上映で画創りに対する
 評価が切り替わります。

キャラクターに依存する作風なので
ネタも結局1期から変わっていない。

1期を話題に釣られて配信サイトで観た時は
素直に素晴らしいと思いましたが、
2期を毎週視聴で違和感を感じた口です。

今作はどちらかと言うとまだ1期寄りではある。
…とは思いますが、
飽きが来てしまった感もある。

正直、おまけ程度の謎も余り考察する気にもならない。
作り手側がお気楽に観ようが、推測しようが
どちらでも楽しんでくださいと言っている様にも見える。

かなり辛口にレビューしてしまいましたが、
今でも「おそ松さん」というコンテンツを愛している方なら、
間違いない1本になっているのでは?と、思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 6

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

「婦女子」の回顧録

観るにはTVシリーズのおそ松さんが好きでないと、映画としてはあまり面白くありません。ファンサービス的なモノが色濃く、声優が好きとか、BL好きの人がイケメンに飽きて少しのんびりしたい時に見る感じのソフトな印象です。

よほど「おそ松さん」に入れ込んでる人向けです。

そう思うのは、この映画がこういった「男性アイドル声優」や「乙女ゲー」が好きな人。特にオタクで地味で学校でも日陰の存在であると自覚している人にとってとても救いになる映画であり、オタクであり続けたり、「腐女子」で有り続けたりすることへの「肯定」の話だからです。

そういう意味では、映画としては非常に「深み」がありますが、あくまで「ファン」に対しての「深み」なので、もう少し「万人」に対しての映画として作って欲しいです。

しかし、非常に感動的で「映画的」なアニメではありました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 2
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