青龍 さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
何か表現活動をしている人には是非観て欲しい作品
本作は、『BLACK LAGOON』の広江礼威の原作およびキャラクター原案によるオリジナルテレビアニメ(全22話。2017年)。
監督は『アルドノア・ゼロ』、『Fate/Zero』、『オーバーテイク!』などのあおきえい。制作は『やがて君になる』、『アイドリッシュセブン』シリーズなどのTROYCA。
(2024.4.10投稿、4.16一部推敲)
【“Re”の2つの意味】
返信メールの冒頭につく“Re”には2つの意味があるようで、語源的には“regarding”(~に関して)なのだけれど、使われるうちに“reply”(返信)の意味が付与されたとか。
そうすると、「Re:CREATORS」とは、「キャラクターからクリエイターへの返信」、または、「クリエイターに関して」ということになりそうです。
【「キャラクターからクリエイターへの返信」】
さて、本作は、前者の意味である、物語世界から出てきたキャラクターたちがその創造主であるクリエイターたちに会って、今まで言えなかった文句を直接言ってやろうというところから物語が動き出します。
確かに、物語の主人公が今まで自分が過酷な世界で死ぬ思いをしてきた理由を「我々の娯楽のため」と聞かされたなら、この世界に対する敵意や自分を生み出したクリエイターへの殺意すら芽生えるでしょうね…。
そのうえで、物語世界から飛び出たキャラクターたちは、最初は与えられた設定(運命)に忠実に、しかし、与えられた設定(運命)から解き放たれたがゆえに、次第に自ら考え自ら選択して行動しはじめる。
それは、さながらクリエイターが与えた設定を超えてキャラクターたちが物語の中で躍動しはじめる、クリエイターがよく使う表現でもある「キャラクターたちが勝手に動く」を具現化したようにも思えました。
本作の魅力の1つは、人気キャラクター全員集合的な様々なジャンルのキャラクターたちを戦闘シミュレートさせているところも含めて({netabare}さすがに「魔法少女」と「巨大ロボット」の対戦はないですが…{/netabare})、こういったシミュレーション的な面白さにあると思います。
【「クリエイターに関して」】
本作の後半は、「軍服の姫君」という謎のキャラクターを中心とした、この世界の消滅計画に対して、クリエイターたちが創作の力で立ち向かうという流れに。
その過程で、「クリエイターに関する」リアルな本音が描かれている。もっとも、これは、「Re:CREATORS」というタイトルで、クリエイターが自分のキャラクターの文句に対してメールを返信した場合の文面とみることもできるかもしれません。
その内容は、単純にいえば、少なくとも私たちクリエイターは嘘の話をなんなら人生をかけて大真面目に書いている。
ただ、それは、自己満足だけじゃなく、人の心を動かしてやろう、楽しませてやろうという欲求から生まれてくる衝動でもある。だから、ずさんな設定「そんな付け焼刃で人の心を揺さぶれるはずがない」(水篠颯太:CV.山下大輝)とも思っている。
そして、もしも多くの人に感動を与えることができたのなら、クリエイターの想定を超えた意味や広がりを社会にもたらすことになる。それはきっと素敵なことだろう。だから、クリエイターは、より多くの人により多くの感動を与えようとして自分の物語に思いつく限りの工夫を凝らそうとする。
もっとも、その一方で、自己完結せず他人と関わろうとすることは、自分の内面を曝け出すことになり、それが社会から拒否される恐さをともなうことにもなる。
このあたりの表現したい気持ちという根源的な欲求と他者からそれを否定される恐怖との葛藤について、率直に向き合った内容であることもまた本作の魅力の1つでしょうか。
本作は、人気キャラクター全員集合的な人をワクワクさせる装いをしながら、その内に込められたメッセージは決して軽いものではないので、そのメッセージを受け止めるかどうかも含めて、人を選ぶ作品かもしれません。
ただ、我々のようなレビュアーも含めて、何か表現活動をしている人には、是非観て欲しい作品でもあります。
【主人公・水篠颯太について(※以下、ネタバレ有りの感想)】
{netabare}本作の主人公は、とにかく人気がない(笑)。
その理由を考えるとすると、本作は人気キャラクター全員集合的な話なので、普通の高校生という感情移入しやすい颯太という存在は、固定した視点から視聴者が物語を俯瞰できるよう便宜的に用意された「狂言回し」だった。だから、特に前半は、キャラクターのシミレーション要素が強く、颯太の狂言回しとしての役割が強いので、物語に積極的に介入してこなかった。
しかし、後半になってクリエイターのリアルな本音が語られ始めると、積極的に物語に介入してくるようになる。これは、本作が颯太というごくごく普通の高校生がクリエイターとして成長する物語でもあるという部分が前面に出てきたからなのでしょう。また、そこには将来クリエイターを目指しているであろう今は普通の若者たちを後押ししようというメッセージも感じられる(例えば、颯太と鹿屋がギガスマキナに乗るシーンで、鹿屋:(この世界の人は)「自分自身のお話を自分だけのために書けるんだ。僕らは世界を救う力をもっているけれど、でも世界を救う以外の能はない。」、颯太:「それだけあれば十分じゃないの?」、鹿屋:「世界を救うやつは救われるべき世界があるからいられるんだよ。その世界は誰が作るのさ。」)。
もっとも、気の弱い普通の高校生が、プロの現場に、なんなら世界を破滅から救うという重要な局面になって積極的に関わろうとすることには違和感もあるわけです。
このあたりで、視聴者の「承認力」を得られなかったのが不人気の原因でしょうか。
ただ、私は、この前半と後半の違和感を埋めるための仕掛けが、颯太のセツナに対する罪の告白であり、「嘘を本当にする」という「まがね」の存在理由だったと思っています(普通の高校生の「強い動機」と「実力」を補う仕掛け)。{/netabare}
【築城院真鍳(ちくじょういん まがね:CV.坂本真綾)について】
{netabare}そうすると、まがねが颯太に協力する動機に後付け感があるとまずい(一般的に都合の悪い部分の説明は長くなるものなので、この辺は、まがねが長尺でしゃべっているところから考えても、結構厳しいと思っていたのでしょう。)
それが偽物の金としての価値しか持たない金属である「フールズゴールドの話」だった。
この話は、アニメが現実ではない偽物のフィクションであって、我々の現実に直接影響のある政治・経済の話をしているならまだしも、我々の現実に直接影響のない架空の話に一喜一憂している視聴者への強烈な皮肉でもあります。
例えば、魔法という架空の設定を物知り顔で語ったところで、現実の世界では何の役にも立ちませんし、あのキャラの性格が嫌いといってみたところで、そのキャラは実在しません。
でも、人は、そんな現実には役に立たない知識を熱く語ったり、架空の人物を実在するかのように語ることができる。そんな一見滑稽とも思えることをするのが人というものであって、まがねはそういう人が好きだと。だから、まがねは、この世界を滅ぼさずに、もっと見続けることを選択した。
確かに、アニメといった物語は、我々を物質的に豊かにするものではなく(むしろ散財の原因(笑))、精神的に豊かにするものなので、それこそが他の生物とは違う「人の人らしい営み」だといわれれば、そうかもしれません。
そして、我々もそういった営みが好きで、アニメを観ているのでしょうから。
ちなみに、彼女は、その能力である「言葉無限欺」によって、そのまま生存していると思われます(なぜなら、{netabare}スタジアムでのまがねと颯太の会話シーン後のアイキャッチで「Re:CREATORS」の文字が裏返っている。{/netabare}{/netabare})。
【結末について】
{netabare}今まで見てきたように、本作は、クリエイターとキャラクターとの本音のコミュニケーションを通して、創作活動そのものを掘り下げているといってもいいと思っています。なので、本作の物語の中心には、颯太ではなく、クリエイターとそのキャラクターの関係にあって事の発端でもある「セツナとアルタイル」がいた。
そのセツナとアルタイルとの結末については、何でもありのチート能力である「森羅万象(ホロプシコン)」で彼女たちが一緒にいられる世界を作り出したようですが、正直にいえば、それで彼女たちが本当の意味で救われたとは思えません。
何ら失うものもなくこの世界に恨みしかない「無敵の人」と化したアルタイルは、セツナの呪われた忌み子ではなく、セツナが好きだった颯太に見せるために望まれて生まれてきたといわれたので、少なくともアルタイルは救われた。でも、それでセツナが救われるわけではない。
ただ、アルタイルがチート過ぎて物理的に消滅させられないなら、最終的にアルタイルの存在を積極的な意味で肯定してアルタイルだけでも救済(無害化)するしかなかったとは思います。
というわけで、賛否ある結末だとは思いますが、創作活動に対する問題提起はされていると思うので、私はクリエイターが自分たちのことについて描くという難しいテーマに敢えて挑んだことを評価したいと思いました。{/netabare}
【キャラクターたちが戦う理由】
{netabare}最後に、キャラクターのシミュレーションの話で追加。日本の多くのアニメは戦っているわけですが、戦うには理由が必要なわけです。
本作のような人気キャラクター全員集合的な話で、それぞれがそれぞれの正義を頑なに主張した場合は、戦闘になるということが本作ではうまくシミュレートされていたと思います。
特にアリステリアのような善悪二元論的な世界に多い脳筋主人公は、自分の正義を疑ってもいないので、他の正義とぶつかったときには戦闘以外の選択肢を選べない。
もっとも、アリステリアは、その後、成長して自分を見つめ直すことができるようになりましたが。
それにしても、原作の広江さんは魔法少女が嫌いなんでしょうか(笑)。
序盤でセレジアがまみかに「正義を力でなすのならきれいな夢なんかみないで最後まで力で押しなさい。覚悟を決めて。」とか、「力尽くで正義を説いても誰もあなたの夢見がちなシナリオなんかに沿わない。納得なんか絶対にしない。」と言わせたり、まがねには「きれいな話には責任感がない」とまで言わせている。
そして、まみかが一番最初に物語から退場することになる…
このあたりは、博愛主義を掲げながら、最終的にぶん殴って言うことをきかせるような、仮に子供向けであっても戦う理由を深く突き詰めず安易に相手をぶちのめすことに対する広江さんなりの皮肉なのかもしれませんね。{/netabare}