ハウトゥーバトル さんの感想・評価
2.8
物語 : 1.5
作画 : 5.0
声優 : 1.5
音楽 : 4.5
キャラ : 1.5
状態:観終わった
戸を開き、戸を閉める
新海誠監督作品
結論を言いますが、新海誠作品の中で(今まで私が見てきた中で)3番目くらいに面白くない作品でした。(まぁ新海誠作品は2桁ないので、めちゃくちゃ酷い、という訳では無いのですけど。)
ちなみに天気の子よりは面白かったです
さて最近の新海誠といえば圧倒的な映像美と青春溢れるラブストーリーを展開していく、というワンパターンになりつつありますが、今回もどうせそれです。青春溢れるラブストーリーが嫌いな方は控えてください。
私は新海誠作品の中だったら即答で「雲の向こう、約束の場所」が好きですが、その面影もなく、最近は分かりやすく先が読みやすい一般受けの良い作品ばかりで、少し残念ですが、言い換えればひねくれた感性を持っていなければ楽しめるかもしれない、ということです。作品としては完璧とはいえなくとも、それが人気にならない理由にはならないですからね。視聴者ウケが良い作品であることは別にマイナスでは無いので、そこは評価していきたいです。
が、やはり内容が微妙。なんなら君の名はよりも微妙。新海誠が何を考えて制作しているのか分かりませんが、昔は面白いテーマを扱っており、深く考えさせられたり、新たな着眼点を発見したり、と面白かったのですが、天気の子あたりから雲行きが怪しくなってきました。天気の子は(カンタンに言えば)全容が知れない不可抗力に対しての振る舞い、というのがテーマっちゃテーマでしたが、本作はなんでしょう。テーマと呼べるテーマが無い。少女漫画みたいなノリと勢いで、女子高生にウケそうな内容。漫画や配信サービス、SNSの普及により、最近は学生(バリバリの陽キャラと呼ばれる方たちも含めて)もアニメを見るようになってきているため、ターゲット層を意識すれば必然的な結果となるでしょうが、あからさまに若者(それも女中心)向けと言える内容です。とても良い雰囲気と言えば聞こえは良いですが、悪く言うなれば雰囲気で誤魔化しているともとれます。主人公の性別が女というのも若者向けと言えるかもしれません。
まぁ今までのが男性向けだったとか老人向けだったとかでは決してないため、「急に視聴者に媚びを売るようになった!」とか「この監督は面白いのが書けない!」とかではなく、戦略のひとつとして「雰囲気でなんとか誤魔化して客受けを狙う」というのは特段珍しいことではない、とは分かってはいるつもりです。ただ、この新海誠という監督は本気を出せば誰も答えが出ない深いテーマを捻り出せるだろうに、それをしないことを深く私は残念に思っています
とはいえ、最近世代(Z世代)は(よくは分かっていないのですが)作品に対して一歩手前で考えるのを放棄する習性があるらしく、あんなにもわかりやすい天気の子でさえ「あれってどういうこと?」と疑問を浮かべる人が居たと聞きます。そういうのも考えると、雰囲気だけで映画を読み取れる本作はそういった人たちも楽しめる、優秀な作品と言えるのかもしれません
テーマはほぼないため、何も考えずみても構いません。これから見る方はなーんにも考えず、ただただ目の前に映る事象を順繰り順繰り雰囲気で感じ取れば本作の98パーセントは理解できます。
ストーリー
{netabare}
主人公(すずめ)は謎の男(ソータ)と出会い、なんやかんやで要石(ダイジン)を抜き裏世界のミミズ(通称)を引き出してしまう。ダイジンによってイスへと変えられたソータと共に、ミミズによる大地震を防ぐために、宮崎から東京まで行く。途中色んな人に助けられ色んな優しさを見て色んな「扉」を閉じてきたすずめは、自ら要石となったソータを助けるために東北に行き扉に入りソータを救出。ダイジンが要石に戻り平和に解決。
へぇ。
人の想いを中心に物語が動いており、感情論が大体の行動理由であることから親しみやすい内容となっていますが、やはり内容が薄い。要は贖罪の意識から恋心に変わっただけでやってることは全国横断して大地震を防いで惚れた相手と再会した、という話。
まぁでも今回ではっきりと新海誠の傲慢さが露呈しましたね。前作(天気の子)もそうでしたので、恐らく意図しているのでしょう。(なんなら君の名はから傾向があったと今では思います。)前作ではさほど感じませんでしたが、本作で確信しました。君の名はから三作を合わせて、アニメ歴史に刻まれるような気がします
本作と前作の共通点。自然的要素を人間と伝統の業に堕とし込むことで、自然と科学を否定しているのです。敢えて歴史という時間的奥行と感情という非理論的産物を用い出すことで、エントロピーの象徴であった自然と理解の根本たる科学を否定する。誇張気味に言えばニーチェのまねごと、と言えます。しかし誰も地震の要因はミミズだとは思っていません。かと言って(作品の中ではとはいえ)否定された科学を今まで通り信仰される訳でもないでしょう(科学を否定するというより別の可能性に期待する、という方が適切な表現かもしれません)。地震が起きた時頭の片隅ではほんの少しだけ「実はミミズかも」と思うかもしれません。では何に対してより信仰が向けられるか。
私はこの信仰は本作、「すずめの戸締まり」ひいては物語全般なのではないかと思っています。作品を上に上げることで物語のイメージを(以前よりかは)、創作物に消極的になった現代人のイメージを改善する効果があると思っています。単に「フィクションとして面白かった」だけではなく、「この物語があったら」という現実との融合(想像の中とはいえ)を為し、物語の優位性の存続・引き上げを測ったのでは無いか。これは作家の傲慢の代表的なひとつです。新海誠が本当に何も考えずウケ狙いで書いていたとしても、結果(存続・引き上げされていること)は変わらないため、割と最近のアニメ歴史の中で重要な立場になっているのではないかと思います
話としては全く面白くはないですがね!
作家の傲慢を書くんだったら自己アイデンティティの消失と感情の相対的価値なんかを書いてもらった方が多分光ると思います
{/netabare}