ラ ム ネ さんの感想・評価
3.7
急行「北極号」
クリスマスにサンタクロースがトナカイのソリでプレゼントを私たちの家まで届けに来ることを、信じなくなったのはいつでしょうか。親に最初から「そんなものはいない」と言われその日に一万円の紙切れ(子どもにとっては物が欲しいのに)を手渡された人や、「家が仏教なのになぜノエルなんぞ」と言われ何も貰えなかった人もいるでしょうけど。ベッドで徹夜してしまった人や、小学校で「サンタはいる」と言った奴がからかわれたり、そんなことで私たちはサンタを信じなくなっていきます。日本人の親の殆どは子どもに物を買う日、としかあまり思ってないところがあるでしょう。
私は小学生の時でした。私の場合はおそらくとても一般的なものでしょう。いつの間にか、サンタよりも贈り物を欲しがっていたのですから。
「良い子にしていれば、サンタが贈り物を持ってきてくれる」
なんだこれは。大人がこじつけているだけじゃないか、とやがて子どもは気づきます。
サンタの存在を信じなくなった(しかし、どこかで信じていたい)少年。それが「ポーラー・エクスプレス」の主人公です。「ポーラー・エクスプレス」とは、サンタを信じる子ども達が北極にいるというサンタに逢うために乗車する蒸気機関車のこと。あるとき少年は、家の前に車輪の轟音を聞いて雪の積もる外へ出た。そこに停車していた急行・北極号。いつのまにかポケットに入っていた乗車券を車掌に手渡し、少年は汽車に乗った。汽車が走り出すと、家の庭にいる雪だるまの枝の腕が手を振っていた。少年と乗り合わせた子ども達の一夜の冒険が始まった。
原作は絵本。日本語訳で題名はそのまま「急行、北極号」。幼い時に読んだ記憶がありました。汽車好きだったので、よく読んだものです。トム・ハンクスが車掌の声優をして(トム・ハンクス好きなんです)3DCGアニメーション化したというので、本作の公開されていた当時に劇場まで赴いたのだ。
はっきり言ってしまえば、人物のデザインは3DCGなので気持は悪い。
逆に、蒸気機関車の臨場ぶりは惹かれるところだ。
個人的に車掌のキャラが好きである。好感を持ちやすい人物像だ。
吹き替え字幕無しでも、英語字幕有りでも、声が悪い意味合いで気になることはない。
元々サンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国及び小アジアのミラ(古代都市)の司教である教父聖ニコラオスの伝説を起源として誕生した。
「ある日、ニコラオスは、貧しさのあまり三人の娘を嫁がせることのできない家の存在を知った。ニコラオスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という話だ。ニコラオスをオランダ語でシンタクラースと呼び、アメリカに植民した際にオランダ人がサンタクロースと伝えたらしい。
まさかサンタの語源は異国人の発音違いからだったなんて、といつかの日に惚けていました。
特に、キリスト圏でなく、宗教をどこか遠ざける無宗教感の漂うこの国で、クリスマスを祝う意義はありませんし、必要ないでしょう。
(オウム真理教などの新興宗教から来た「宗教は変」という固定観念からでしょうか。日本における仏教も、大陸から輸入されて日本的に改造されたものですし((愛を脱し、見返りを求める価値観に変容))、宗教に依って現代社会が成り立って来たのですけれど((民主主義ももとを辿れば旧約聖書っぽいです))、歴史に疎いまさに日本人的ということでしょうか)
親が子へ贈り物をする機会は、クリスマスのように「皆やっているから」生まれるのでしょうか。
無条件のプレゼントなら、子どもの記念日にするべきだと私は考えます。例えば、子どもが何かを達成した日、克服した日、とかに。それが慣習化すれば子どもの方も「みんな貰ってるから僕も!」なんて言わないし、自立性が養われていく事に繋がるのだと思います。けれど、「この目標を達成したらコレコレあげます」も可笑しい。それでは子どもが「物を欲しがる為に努力する」ことになります。「子どもは自分の為に何かを努力する」のであり、物の為に努力していては自発性に欠ける要因のひとつです。親の理想も押し付けてはなりません。子どもの課題だからです。ですから、「プレゼントあげるから良い子にしててね」は、子どもと対面しない親の明確な愚行です。
サンタ物語は世間に広がってしまっています。けれど、「プレゼントが貰えないからサンタを信じない」なんて、何て見返りを求めている言動でしょうか。それでは自立できません。サンタはフィクションであるべきです。子どもの頃からそう教えるべきでしょう。信じる信じないの問題ではないのです。
子どもの頃の記憶を彷彿とさせて、今ここで怒っています笑
けれど、やっぱり子どもの頃、サンタをどこかで信じたいという望みがあった。そうすることで身の回りが広域化するような気がするからだ。
残念ながらサンタはいない。空を橇が翔けてはくれない。「いい子にしていなさい」の逸話でしかないのだ。
けれど、そんな逸話を踏まえて北極号は語られる。
少年が汽車に揺られてサンタに会いにいくという物語に、浸ってみようではないか。トム・ハンクスもいることだし、汽車は雪煙の中を北極までいくことだし、鈴の音は鮮明に少年の耳元で鳴り続けるのだから。
2014.5.4書込。
2015/1/27投稿