海アニメ映画ランキング 5

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の海成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月10日の時点で一番の海アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

64.8 1 海アニメランキング1位
崖の上のポニョ(アニメ映画)

2008年7月19日
★★★★☆ 3.5 (648)
3079人が棚に入れました
海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳児の少年・宗介の物語である。
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

擁護派です!(既視聴向け)

 3回目かな。100分くらい。
 私にとってはかなり好きな作品なんですが、一般的には酷評されているようですね。ちょっと悲しい…。擁護派の立場から、「ポニョ」のストーリーをまとめていきたいと思います。
 想定外に長くなってしまったので、お暇なときにでもどうぞ。


なんで分かりづらい?:{netabare}
 「ポニョ」は子供向けというイメージが先行しすぎて、「トトロ」と同じカテゴリーに置いている人も多いと思うんですが、それはあくまでも視聴年齢という枠組みにおいてだけ成立するものだと思います。
 「ポニョ」は、表向きは「魚が人間になる話」なんですけど、後半のほとんどの時間は「魔法による世界の変革」に費やされていますよね。つまり、世界の変革に触れる作品、というのが本質なんだと思います。この視点で見ると、「トトロ」よりも「ナウシカ」や「もののけ姫」の系譜に連なるものだと思います(詳細は後述)。

 子供は表向きの話を見ていればいいのですが、それ以外の人は当然世界に何が起こっているのかを探ります。ですが、ここの分かりづらさに「ポニョ」が酷評される原因の一端があるように思えます。具体的には、世界の変革に対する主人公たちの振る舞いです。

 ナウシカやアシタカは、その世界の変革に際して、自身の立ち位置を明確にしていますよね。ナウシカは命を賛美し、アシタカは曇りなき眼を標榜します。これが世界の変革と呼応して物語が展開していきます。つまり、主人公たちの行動と世界の動きが連動するので、話が分かりやすい。

 ですが、ポニョやソウスケは、ナウシカやアシタカと異なり、その変革に対するスタンスを明らかにしません。二人の目的は、「会いたい」「守りたい」と局所的なのです。ポニョの無自覚な魔法により世界が混乱しているにも係らず、彼らは傍観者にすらならないんです。世界の変革に多くの時間を割きながら、主人公たちを見ていても、変革の方向性は一向に分からない。
 「ポニョ」において、その行く末を思案しているのは大人たちです。フジモトやグランマンマーレやリサですね。ですが、彼らの不安や確信は、その中身までは明らかにされません。つまり、大人たちを追っても世界の行く末を察することは出来ないんです。挙句に、その行く末をポニョやソウスケに託してしまうから、ますます分からなくなってしまう。

 結局のところ、登場人物たちは何も語ってはくれないんです。セリフに映像を併せて考えるしか解決策がない。セリフに気を取られて映像解釈をおろそかにすると、「ポニョ」の話は分からん、となってしまうんだと思います。

 ちなみに、世界の変革に対して主人公のスタンスが明らかにされない作品が、「ポニョ」以外にもう一つあります。それは「ポニョ」の次作である「風立ちぬ」。戦争という変革に際して、二郎は世界がどうなるかなんて気にもしません。ただただ美しいものを愛でていたいだけ。世界の行く末を思案する大人たちの存在すら希薄になっています。
 「風立ちぬ」は、世界の変革よりも人物描写が主題になっているんですが、人物描写自体が映像描写の中に隠れてしまいます。「ポニョ」と同じくセリフばかりを追っていると、分からん、となってしまう作品でした。

 ちなみに、映像的な描写自体は過去作からずっとあったものです。ただ、主人公と連動しないために、見過ごすと分からないレベルになってしまったのが、この「ポニョ」と「風立ちぬ」なんだと思います。どちらも分かりづらいために賛否両論になってしまいました。
 このような主人公の特殊なスタンスは、この2作品独自のものだと思います。一歩引いた主人公が二作連続で作られていますので、宮崎駿監督のスタンス自体が変わっていったと考えるのが良さそうですね。
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ポニョ(金魚?人面魚?):{netabare}
 ポニョは明らかに金魚には見えないのですが、金魚であると言われ続けます。で、こちらが金魚であることをしぶしぶ受け入れると、途端に「人面魚!」と言われてしまいます。あまりの衝撃に「ファンタジーじゃないの!?」と思ってしまうのではないでしょうか。

 ただ、ここはあまり深く考えなくてもいいのです。ファンタジー要素を受け入れる側と受け入れない側が、作中にも存在することを描いていただけです。簡単に言うと、魔女宅の魔法と同じです。田舎では受け入れられて、都会では受け入れられない。このギャップが、地理的な部分に属するのではなく、個人に属しているのが「ポニョ」の世界です。

 ポニョが金魚であることを受け入れた人々は、グランマンマーレをも受け入れています。受け入れなかったトキは、グランマンマーレをも受け入れません。これらの対比が存在することが伝われば、とりあえずは問題のないところです。トキの特殊性が伝わればなお良し、くらいのものです。
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ポニョの世界観(三段階の構造):{netabare}
 この作品は、セオリー通りに世界観の説明から始まっています。
 先入観としては、海と陸で対比があるのかな、と考えると思います。海のシーンはCMでもお馴染みでしたし、タイトルは「崖の上」のポニョですからね。海(特に夜の海)というのは、彼岸というか死の世界というか、ここではない世界の象徴にも使われますから、海と陸の対比という先入観を持ってしまう。これ自体の否定はされていないんですが、若干の修正がオープニングで行われます。

 オープニングで描かれているのは、次の構造です。
 ポニョたちの領域である深海、ゴミのある浅瀬、人の領域である陸地。
 陸地の先にある崖の上まで含めると四段階の構造なんですが、とりあえずは三段階で話を進めます。浅瀬は海の側に入れたくもなりますが、ゴミにまみれた人に浸食された部分ですから、中間的な領域としてどちらにも含めないのが正しいように思います。
 で、この構造というのは、他の宮崎駿作品で既に使われているものです。それは「ナウシカ」。
 自然の領域である腐海の深層、毒のある腐海の表層、人の領域である陸地。

 「ポニョ」と「ナウシカ」のどちらも、深層は人の住まわぬ浄化された領域で、陸地が人の領域、中間層は両者がせめぎ合う領域です。海か森かの違いはありますけど、基本的な構造の部分は酷似しているのが分かると思います。両者とも非人間側の氾濫ともいうべき、大海嘯が起こることまで一致していますよね。

 で、この三段階の構造を、作中で一番表現しているのがポニョです。
 魚と半魚人と人間。どれか一つの形態にとらわれずに、コロコロと姿かたちを変えていました。半魚人の形態は、足が出てから手が出るとか、目が離れて口が大きくなる感じとかが、カエルのように見えます。デボン紀というは、両生類が出現した時期ですし、両生類には水陸両用のイメージがあります。魚と人間の中間である半魚人の形態は、海と陸の中間という部分が強調されていたのだと思います。
 もう一つ挙げておきます。ポニョは海の深層出身で、浅瀬を経由してソウスケのもとにやって来ます。そして、水道水に入れられます。海の生き物で、しかも海がすぐ近くにあるのにも係らず、あんなにジャブジャブと水道水を掛けられるので少し驚きますよね。これも三段階の構造を説明するための描写のように感じました。海の深層の水を出て、浅瀬の水を経て、人工の水に触れた、ということですね。
{/netabare}

ポニョの魔法:{netabare}
 ポニョは人間になりたいと願います。この願いは魔法の力に頼らねば達成できないものでした。ポニョは、魔法の力を使って人間になります。ですが、期せずして、世界のバランスまでもが壊れてしまいました。魚が人間になる方法は、世界のバランスを壊す魔法でしか達成できなかったのでしょう。リサの言う「変えられない運命」を変えるものです。
 ただ、ポニョに世界のバランスを壊す意図があったわけではありません。人間になろうとして世界のバランスを壊すことを選んだのではなく、人間になったらたまたま世界のバランスが壊れてしまった、というだけです。
 世界のバランスが崩されたことにより、月と地球が接近してしまいます。月が接近してくると海面が上昇します。満潮と同じの原理ですね。そして、空に月が、地表に海がある世界が誕生します。

 この月と海の世界について考えてみます。
 海は分かりやすいですね。フジモトの集めた「命の力」が海に放たれたわけですから、生命の海・原初の海が誕生したということです。これはカンブリア紀という言葉につながります。海の世界であるカンブリア紀は、カンブリア大爆発という生命の爆発があった時期です。実際には力が足りず、デボン紀までしか戻りませんでした。

 月については、公式HPに「昔から、女性の象徴であるといわれています」と書いてあります。これは、太陽を男性とみて、月を女性と見る(やや西洋的な?)考え方ですね。moonの語源とか、月の女神アルテミスを述べたものだと思います。グランマンマーレもその初登場時に、海面に写る月へと融合していきます。
 これにより、「海に母性、空に母性」で母性に包まれた世界が誕生します。この世界の創造の原因となったポニョがソウスケとキスをすることで、魔法の力の喪失、父性の獲得、そして世界の再生となるのだと思います。

 ちなみに、月は男性となることもあります。日本では太陽神アマテラスが女性で、月の神ツクヨミが男性ですからね。個人的には、太陽は、強さの象徴である男性よりも、命の象徴である女性の方がしっくりきます。それもあってか、私は「海に母性、空に父性で、再生準備完了」と整理していました。これがポニョとソウスケに投影されて、男女のキスで再生スタートという流れですね。まぁ間違ってましたけど…。
{/netabare}

大津波後の世界(四段階の構造):{netabare}
 大津波後の世界について考えていきたいのですが、まずは過去作の整理をしておきます。

 漫画版「ナウシカ」のエンディングは、自然や命をないがしろにした人類は滅んじゃうかもよ、というものでした。確たる希望に薄く、滅びの色が濃いのが特徴です。

 これが「もののけ姫」では少し変化しています。
 サンは「アシタカは好きだ。でも人間を許すことは出来ない」と言っていましたよね。人類という種族自体は許されませんでしたが、ごくわずかな個人に近いレベルだけは自然側が受け入れてくれました。その上で、「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」という擬制的な共生が結論になりました。そして、この結論を出したアシタカをエボシが受け入れます。双方が譲歩することで、自然の世界を五分五分で分け合うのではなく、ちょっと間借りする形で人類の居場所が許されました。

 いずれにも共通するのは、この世界が本来は自然のものだということです。<自然=生>を基本とし、人間が自然に敵対してしまうことから<人間=死>となります。これが「ナウシカ」での人間滅べというメッセージです。ただ、人間が自然の一部であることを思い出せば、<人間=死>の中に「生」が許されます。これが「もののけ姫」の結論ですね。つまり、三段階の構造の先には四段階目があるのです。

 これは「ポニョ」の世界でも確認できます。それが陸地の先にある高台です。ソウスケたちの住む崖の上の家は、電気・水道・ガスというインフラが、他から独立していることが説明されています。つまり、低地に頼らずとも生きていける場所です。それゆえに、みんなの希望の光を放つ家となります。
 作中では描かれていませんが、大津波によって多くの人が亡くなっている可能性は高いです。ですが、それで人間を全滅させようとしていたのではなく、一部の人々を救うための高台がきちんと用意されているのです。町を水没させることで人間の領域と中間層を自然の側にし、<人間=死>の上に四段階目の「生」を浮かび上がらせたのです。

 まとめるとこんな感じです。
 「ナウシカ」:三段階のせめぎ合い→大海嘯による中間・人間領域の自然化→人類滅亡?。
 「もののけ姫」:三段階のせめぎ合い→シシ神様の花咲による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生。
 「ポニョ」:三段階のせめぎ合い→大津波による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生→????。
 「ポニョ」では、「ナウシカ」と「もののけ姫」の中心(バトルと自然化)ががっつり省略されているのです。四段階目のその先をどうするのか、ってのが「ポニョ」の主題なのです。
{/netabare}

トンネルの先の世界:{netabare}
 他のサイトの考察には、「大津波で人間は全滅した。トンネルの先は死後の世界だ。ソウスケたちは死んでいる」というものが散見されます。この考察は、この世界を生の世界と捉えて、トンネルを異世界の入り口とし、トンネルの先を死の世界と考えているのでしょう。人間を主体として、その生死で世界を見るような作品においては、この考え方はおおむね正しいものです。

 ですが、いつでも正しいわけではありませんよね。宮崎駿監督が自然と人間を描くときには、この世界に生を異世界に死を見るのではなく、この世界を自然と人間に分けて、生と死のせめぎ合いとして見ています。トンネルの前後に生と死を置くのではなく、トンネルの前に、既に生と死が存在しているのです。「ポニョ」の大津波や「ナウシカ」の大海嘯は人間を滅ぼし得るものですが、自然にとっては再生の儀式なんです。人間だけが主体ではないですよね。

 宮崎駿監督は、水没後の船に乗っている人々は生きている、と明言していました。船には、波が高まった時にリサカーの通過を阻止しようとする、ドックの作業員の二人が乗っています。彼らについて、「彼らのように頑張っている人間が生きていることを、子供にも分かるようにしなくてはいけない。子供はそれを敏感に感じ取るから」と語り、彼らを船に乗せました。四段階目に属するアシタカやソウスケのような人物は、他にもまだいるってことです。

 トンネルが異世界の入り口だというのは正しいと思います。トンネルだけではなく、大穴や井戸など、先の見えない暗く長い通路は、異世界の入り口という意味を持つことが多いです。そこを越えた先が異世界です。路地裏とその行き止まりの扉も同じ効果を持ちます。ポニョとソウスケは、トンネルの向こう側へと到達しました。

 では、生と死が既に描かれている「ポニョ」において、トンネルの先とは何だったのでしょうか。
 それは、生と死を超越した世界、グランマンマーレの支配する世界です。グランマンマーレについて、宮崎駿監督は「海の神」だと言っていました。また、「どれくらい生きているのか分からないが、ちょっとやそっと死んだくらいでは気にもしない」みたいなことも言っていました。長い年月を通じて、多くの生と死に触れて来たからこそ、局所的な死など気にならないのでしょう。「もののけ姫」のシシ神様と同じですね。個々の死など些末なことなのです。人がたくさん死んだとしても、「素敵な海」の一言で終えてしまうのです。抱えているスケール自体が違うのです。

 ポニョの魔法の力は無尽蔵ではありません。使うたびに半魚人に戻ったり、眠くなったりしてしまうのです。トンネルに近づくと、魔法の力を使わなくとも眠たくなってしまいます。
 ポニョはトンネルに至って「ここ嫌い」と言っています。トンネルの先には、ポニョの魔法が通用しないグランマンマーレがいるからです。ポニョは人間でありたいために、魔法の力を失いたくありません。それゆえにトンネルを嫌うのです。事実、トンネルの通過中に半魚人に戻り、トンネルを抜けると魚に戻ってしまいました。

 なお、この作品に死のモチーフが多いというのは同感です。ただ、死んでいるから死のモチーフを置いているというのは違うと思いますけどね。影を描くためには光が必要だ、正義を描くためには悪が必要だ、というのと同じように、キラキラした生を描くためには、色濃い死を描かねばならないのです。
{/netabare}

エンディングと世界の行く末:{netabare}
 ポニョの魔法により、世界は大混乱してしまいました。そして、子供たちの尻拭いをするのは大人たちの役割です。

 フジモトは、強制的にポニョを魚に戻し、魔法の力を奪うことで世界に安定をもたらそうとしました。しかし、ポニョに不自由な生を続けさせることを否定し、子供たちに世界の行く末を託そうとしたのがグランマンマーレです。
 人間になるか、泡となって死んでしまうか。人間になれば魔法の力がなくなると説明されていますので、泡になってしまうと魔法が解除されなず、人間は破滅へと向かってしまうのでしょう。生死にこだわらないグランマンマーレだからこそ出せる解決策です。
 おそらく、グランマンマーレとリサの間で交わされていたのは、この合意だと思います。世界の行く末を託せるほどに自分の子供を信用しているかどうか、といったところでしょうね。フジモトやグランマンマーレの力で世界をもとに戻すのではなく、未来に向かう子供たちの力に大人たちは賭けたのです。そして、結果は大団円でした。

 私はこのエンディングを見たとき、宮崎駿監督の思想がまた変化した!と驚きました。前述の通り、今までは「ナウシカ」のほぼ人類滅亡エンド、「もののけ姫」のごく一部許容エンドだったんです。子供の可能性を見せる作品はたくさんありましたが、自然と人間の対比の中では、可能性を持つ子供を主役に置きませんでした。

 そしてこの「ポニョ」です。世界が滅ぶかどうか、人類の行く末は子供たちに委ねてしまおうじゃないか、となったんです。子供のように異種族を素直に受け入れられる気持ちがあるのなら、未来はきっとあるんだよ、です。子供を介して人類への許容が広がりました。宮崎駿監督が本来求めていたのは、人間のいない自然に満ちた世界、フジモトの目指した海だけの世界です。これを脇に追いやってしまいました。
 これってすごい変化ですよね。老齢に至って、過去に固執せずに、さらにその先を見せるというのはすごいことだと思います。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…。

 私は、宮崎駿監督ほど悲観論者ではありません。未来?なんとかなるなる!と言ってしまうタイプです。宮崎駿監督の天才性は絶賛しているんですけど、思想の部分では相容れないところも多いんです。
 私がポニョが好きな理由は、この譲歩が見られたことも少なからずあるのかもしれませんね。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…(2度目)。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 もし「ポニョ」を見る機会があれば、ポニョやソウスケが大事なものを手放すタイミングにも注目してみてください。

 ソウスケにとっての大事なものとは、船と帽子です。これはポニョやリサを守るという覚悟や決意の象徴です。これを手放すのが、いつで、なぜなのか、見逃さないようにしましょう。

 ポニョの大事なものはバケツですね。これが必要なくなるのは1回だけのはずです。
 これ以外にもポニョのお気に入りはたくさんあります。そして、気に入ったものは抱えてしまい、手放そうとはしないのがポニョなんです。そんなポニョが、誰かのために自分の物を渡してあげるシーンがあります。ポニョの成長が見れる貴重なシーンです。
 点灯したライトもお気に入りなんですが、これはおそらく金色だからだと思います。金色は魔法の色、命の色、人間になれる色だからでしょう。ライトを手放すのはハチミツのためでした。ハチミツも金色です。
{/netabare}

 私は「ポニョ」を見たときに集大成だと感じました。宮崎駿監督の人生の集大成は「風立ちぬ」だと思いますが、「ナウシカ」から始まった自然と人間の物語は、この「ポニョ」が集大成なんだと思います。子供のウォーキングを眺めるだけの作品なんかじゃありませんよね。
 作品の魅力を伝えられたかは分かりませんが、この作品を気に入ってくれる方が少しでも増えると嬉しいです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11
ネタバレ

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

ポニョの世界、宮崎駿の世界

しばし「素直な気持ちで視聴すれば」ということを耳にすることがある。
しかし、どうもこれは「細かいことを論うような視聴をしないで」
という意味合いが強いようにも思えます。
これのどこが「素直」なのだろうか?
作品内のディテールや整合性におかしな点があれば気になるものですし、
矛盾点があれば「何故?」と思うのは私にとっては当然のことであり、
それらを敢えて度外視するような観方は極めて不自然な視聴姿勢だと思っています。

「子供のような素直な気持ちで」なんて言われた日にはいよいよ以って胡散臭く聞こえます。
大人はこれまでの経験則や理屈から「何でそうなる?」と問い掛けるに対して、
子供はその好奇心から容赦なく「何で?何で?」と問い掛けるではありませんか。
それで返答に困った大人はこんな逃げ口上を言うのです。
「大人になれば分かるよ」と。

そういう意味で言えば、臭いものには蓋をしてなんてことをしない子供というのは、
作り手たちにとっては、大人よりも遥かに怖いお客さんなのかもしれません。
そして、宮崎駿監督はその怖さを誰よりも知っている監督なのだと思います。

私は本作「崖の上のポニョ」をそれこそ「素直な気持ちで視聴すれば」の
元来の意味であろう「あるがままに受け止める」という視聴姿勢を取りました。
良い所は良い、駄目な所は駄目と言い、
分からない箇所や矛盾点には容赦なく「何で?何で?」と問い掛ける。
というか、これはいつも通りの私の視聴スタイルです。

そのようにして本作を観終えたわけですが、
本作の感想をどう表現していいのか非常に悩ましいものがありました。
「良い話だったと思う・・・しかし・・・」
素直におもしろかったと言わせてくれない
喉に刺さった小骨のような違和感が残りました。

このレビューでは、
本作の長編ドキュメンタリー「ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~」
での宮崎駿監督の言葉を拝借しながら
私が感じた違和感の正体、
そしてポニョとはどのような作品なのか、
さらには宮崎駿監督の人物像に迫っていきたいと思います。
ここからはネタバレありです。


{netabare} 「そもそもポニョって何なのさ?」

海を泳ぐ金魚のような姿をした妖精?
最初はなんとなくそう捉えていましたが、ポニョを拾った宗介は「金魚」と言い切っている。
母親のリサもそのことについて特に気に留める様子もなく、受容しているように見える。
人間には金魚に見えるということ?
ところが、どこかひねくれた性格のトキさんはポニョを見て
「人面魚だ」と視聴者の声を代弁してしまいますw
もうこうなるとポニョをどういうスタンスから捉えていいのか訳が分からなくなってきますw
本作では他にもいくつもの不可思議なポイントがありますが、
このシーンが、私が本作に対して違和感を感じることになるトリガーとなるシーンでした。

あと、カルキ(塩素)抜きしてない水道水に金魚を入れてはいけませんw
本作の影響で一体何人の子供がバケツの中の水道水に縁日でとってきた金魚を放おって、
一体何匹の金魚が犠牲になってしまったのか考えてはいけないのかもしれませんが、
リサ「宗介~水道水に金魚を入れたらダメだからね~」
宗介「ポニョは特別だから大丈夫だよ」ってやり取りを挿れた方がよかったと思います。
金魚さんたちの為にも!!w


「違和感を感じるのはシーンだけでなくストーリー構造そのものも」

本作のクライマックスシーンはどこかと言えば、ポニョが宗介の元へやってくるシーンでしょう。
アニメーション本来の魅力である動きで魅せるということをとことん追求した
まるで生き物のようにうねりを上げる波の描写はもう圧巻でした。
リサの乱暴な運転もそうですが、疾走感というのを序盤から意識していたように思えます。
何故に危険を顧みずわざわざ自宅まで戻ったのかというのはこの際不問にしますw

さて、ポニョ到来がクライマックスシーンならば、
その後の話は些か蛇足だったという意見もあると思いますが、
宮崎駿監督は劈頭から掉尾までの話をきっちりと決めてストーリーを作るというやり方をしていません。
宮崎駿監督曰く
「人物を配置し、まるで方程式に当てはめていくかのような話の作り方は
脳みその表層面で作ったもの。 
混沌とした領域(脳みその中)の中身が出てくる。 それが才能のひらめき」

「最初のプランが瓦解した時に映画作りが始まる。
予定(最初のプラン)は脳みその表側で作るもの。だから浅はか」

時代によって変化するものですが、売れる為のロジックというのはあるもので、
現在ではそれをそのまま当てはめたような作品が蔓延っています。
俗に言うテンプレアニメなんてものがそうなのでしょうが、
宮崎駿監督はおそらくそれを嫌うでしょう。
でもそんなことを言えるのは数々の成功を収めてきた宮崎駿監督だからでしょ?
と思うかもしれませんが、そうではないでしょう。
成功を収めてきた者はその成功例をトレースしたくなるものですが、宮崎駿監督はそれを拒否します。
宮崎駿監督曰く
「前やったものと同じことをやるんだったらそれを見ててくれればいいんですよね。
それはできないんですよ。やりたくもないし。
そうするとやっぱり今までやってなかったことに踏み込んでいかざるを得ない」

これまで数々の名作を残してきたことは今の自分を支えてはくれない。
飽くなき探究心と挑戦精神こそが宮崎駿イズムだと感じずにはいられませんでした。

宮崎駿監督曰く
「いっぱい見すぎてるからね 今のお客さんは。
だからすぐにああ、あれだなとかそういうゲームのように当てるのが好きな奴がいるんですよ。
こうなると思ったとかさ。
すぐそういうことを得意気に言う人がいるでしょ。それ悔しいじゃんね。
そういう連中が自分の予想が当たらなくなるとブツブツ言うんだよ。 分かんないとかさ」

ひたすら消費されていく作品、
そしてレビューなぞ書いて得意気にすべてを理解したような気になっている視聴者。
私ですw 本当にごめんなさい。

このような風潮に対するアンチテーゼとして作られた側面もあるのではないか?
それも考えられなくはないですが、一方で宮崎駿監督はこうも言います。
「分からないけど面白いっていうのが一番いいなと思って。
分からないからつまらないを作っちゃうとこれはヤバいなって。
子供たちは分かるんです。 論理で生きてないから。
珍しいことやっているんじゃなくて面白くなきゃダメなんです。
手間がかかったからっていいわけじゃないんだ」

ただのアンチテーゼでは商売にならない。面白くなければ意味がない。
宮崎駿監督の苦悩、そして矜持がその言葉の中に詰まっています。
紋切り型のストーリーテリングに囚われない野放図な作り方、
故に理屈で読み解こうとしてもどこか違和感が残るのは当然といえば当然なのかもしれません。
「良い話だったと思う・・・しかし・・・」
この初見時の私の感想は宮崎駿監督からすればまさに想定の範囲内ということなのでしょう。


「宮崎駿監督の自然観」

これはもう宮崎駿監督の作品を語る上で外せないポイントです。
代表作が「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」でしょう。
年を経るごとに宮崎駿監督の自然観というのも若干変化していってますが、
その作品では、学術的にどのような立脚点なのかを探るというのも有意義な考察だと思います。

さて、本作における宮崎駿監督の自然観とはどのようなものなのでしょう。
宮崎駿監督はこう語ります。
「これはさ、大人の世界で言うと大災害なんだけど子供たちにとっては大冒険なんだよね。
僕は大冒険のほうで作りたいの。
地震があったとか大水が出たとかって時に、
津波があったとか どうやったらそれが防げたのかとか
そういう論調だけで語っているけど
どうもこの地球っていうのは人間が考えている以上のスケールで動いているんだよ。
動いている時期にあたるとね そういうこと起こるんだよ。
それに対する哲学を持っていた方がいい。
別にそれで悲惨さが薄まるとかそういうことでなくてね。
何かそういうスタンスのものがあるんだよ。
自分たちがあまりにも人工的に何とかなるんじゃないかって
いうことばかりを20世紀になって思うようになったんだろうけどね。
どうにもならんものはどうにもならんのにね」

言うまでもなく、本作は2011年の東日本大震災以前に制作されたものです。
震災を経た今では宮崎駿監督の言葉は非常に考えさせられるものがあります。
そして、私が目を引いたのは
「大人の世界で言うと大災害なんだけど子供たちにとっては大冒険」というくだりです。
大災害とまでは言わずとも、
積雪や台風といった自然現象でも大人にとっては基本的に百害あって一利なしなんですよね。
通勤電車のダイアの乱れで済むならまだしも、
下手をしたら住居や車の損壊で
諭吉が泡のように消えていく修繕費用とろくなことがありません。
でもそんなこととは無関係な子供にとってはワクワクするような非日常なのかもしれません。
さすがに大災害に直面した時にそんなことを感じる余裕はないでしょうけどね。
少し話が逸れましたが、
本作においては水が溢れてしまった世界を災害というネガティブな捉え方をするのではなく、
人々は逞しく順応し、水の中には古代生物もいて生命で満ち満ちているというような
非常にポジティブな捉え方がなされ描かれています。
そして、宗介とポニョにとっては格好の冒険舞台ということになります。
この水が溢れた世界をポジティブに捉えるというのが従来の常識を打ち破る
宮崎駿監督の挑戦精神なのです。
これを不謹慎だと言い切ってしまうのはあまりに安易です。
絶対的なマイナスのレッテルを貼られている題材に対して違う捉え方をするというのは
新しい世界を切り開こうとする創作活動では必要になってくることがあるわけです。
それが不謹慎かどうかの判断は表面上だけを掬うのでなく、
製作者の意図を汲み取ることが求められるのではないでしょうか。


「トンネルの向こう側の世界」

本作で最も分かりにくいのがこの終盤のシーンだと思います。
クラゲドームに覆われた世界はグランマンマーレの世界です。
これはドキュメンタリーで宮崎駿監督も言及しています。
グランマンマーレの強い魔力が及んでいる世界なので
ポニョの魔力は急速に減退し、眠くなってしまうというわけです。
そしてひまわりの家の老人たちは車椅子を捨て元気に走り回っています。
まさに摩訶不思議な世界ですね。
本作には、このクラゲドームに覆われた世界=死後の世界という有名な説が存在します。
確かにトンネルの入り口のお地蔵様など
そういったことを臭わすような描写や演出は至るところで散見されるのですが、
それはこれからポニョが人間として生きていくこと、
すなわち「生」との対比であり、「生」を強調する為の装置だと私は捉えています。

宮崎駿監督曰く
「二人だけで完結するのではなく、周りの人たちが二人を応援する形で大団円を迎える。
5歳の子どもたちが自分たちだけで解決する必要はない。
大人がちゃんと賢くなきゃ駄目だ」

水が溢れてしまった世界というのは、もはやバランスを保てなくなった現代社会、
いや、もっと広義の意味で現在我々が生きている世界と捉えた場合、
破滅の世界に取り残されたアダムとイヴでは駄目なんです。
本作のモチーフは「誰も不幸にならない人魚姫」ということですが、
ポニョが人間になってめでたしめでたしというだけでは駄目なんです。
大人たちに見守られ、
大人たちが二人を応援する形での大団円こそが真のハッピーエンドなのだという
宮崎駿監督の強い想いを感じました。
これからの世界(未来)を宗介とポニョ(子供たち)に託したということなのかもしれません。


さて、長々と語ってきましたが最後に。
引退作となる次作「風立ちぬ」が宮崎駿監督「自身」の集大成だとしたら、
本作はこれまで連綿と続いてきた宮崎駿監督「ジブリ作品」の集大成だと私は思いました。
あの大団円がそれを物語っています。

本作が賛否両論なのも知っています。
「宮崎駿監督は衰えた」なんて言われていることもです。
作業量という点ではそうなのかもしれませんが、
この人の脳の中にあるビジュアルイメージ、発想力、
あらゆることに興味を示す好奇心、観察眼、
1人だけでもアニメ制作をできるのではないかいう技術力、
これまでの経験や知識など、どれをとっても今でも規格外だと思います。
はっきり言ってしまうと、「スタジオジブリ」は宮崎駿監督がいなければ
成り立たないのではと思ってしまいますね。
実際に宮崎駿監督引退後に映画制作部門を解体というニュースが報じられましたが、
それも当然の流れなのかもしれません。
ただ、宮崎駿監督は長編映画からは引退されていますが、ジブリ美術館用に
短編「毛虫のボロ」を3DCGで製作中とのことです。
これは非常に明るいニュースだと思います。
齢70を超え、今なお新しいことに取り組む飽くなき探究心と挑戦精神こそが
宮崎駿監督の何よりも優れている才能なのかもしれませんね。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 46

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

子どもの領分

ここまで子どもの領分に全振りした作品を、私は寡聞にして知らない。
宗介とポニョの領分。
それは二人の眼差しにだけ映る心象風景。
たがいに共感しあい、共有をかさねた世界観が、ふんだんに描かれている。

それは、大人のもつ世界観とは全く違うもの。
鑑賞するなら、博識も青二才も、むしろ邪魔にさえ思える。
宮崎駿氏は、千と千尋の世代をさらに遡って、幼児期の子どものために作ったのだと思う。

もしも、私が宗介の時代に戻ることができたら「目にはたしかにあんなふうに見えていた。それを疑うなんてことは1ミリもなかった。いつまでも永遠に続くものと思っていた。」と、あらためて驚く。
何が驚くって、寡聞少見にて、知見がちっとも広がっていないままであることと、私自身の想像力が、段ちにおめでたく窄まってしまっていることにだ。

だいたいのことは、ポンコツ頭で切り分けてしまうのがいつもの悪い癖になっている。
もちろん、大人ぶった振る舞いで収まるうちなら、子どもじみたトラブルは起きないはずである。

しかしどうなんだろう。
本作を見るたびに、私は真逆のことを感じてしまう。
目の前のリアルな世界のなんと寂しげなことだろうかと。

実は、ポニョの世界観に登場しないものがある。
それは "貨幣への価値観" だ。
通常、モノの価値は貨幣に置き換えられるし、想像力は硬貨と札束へと押し込められる。
ということは、彼らはそれに拘束されない自由な発想を "まだ持ち合わせている" ことにあらためて気付かされる。

宗介とポニョは、やがて社会での苛烈な競争や、労働の中身と貨幣の価値を知ることになるだろう。
だけれど、そのほんの一歩手前で、世界はそもそも多様性に満ち満ちていること、共生する目的も手段も、話し合いで整えられることを、主体者として身をもって覚えるのだ。

それを導くのが、リサであり、グランマンマーレである。
本作の特徴は、子どもにとっての身近な決まりごとが、男性性ではなく女性性に決定権を持つ者として描かれていることだ。

グランマンマーレと宗介との会話に、印象的な部分がある。
彼女が宗介に問うた主旨は「ポニョは、魚で、半魚人でもある。それでもいいの?」だったと思う。

宗介は「いいよ!」と即答するのだが、一見すると、宗介のポニョへの認識が、カタチとして同じ人間であるからという言葉であろう。
しかし、このやりとりは、人類が、数億年の変遷をどう受け止め、多様性をどのように認めるかという普遍的な期待を描いているとも言える。

幼児へのこの問いかけは、そのまま大人の自己認識の深層に向かっていく。
例えば、半魚人の奇妙に見える造形は、謂わば生命がたどって来た道すじの一過を演出するものでもあるのだから、好き嫌いに判断するものでもない。

本作への批判に少なからず見られるそうした反応は、言うなら生命進化への不明、系統発生への浅慮とも言えよう。

翻って、宗介もポニョも、日常に占める父の存在はとても小さく描かれる。
宗介には、わざわざセーラー帽を被って大人ぶるお作法を演出し、電磁波という利器にて遠方の父とようやくつながるシマツである。

ポニョに至っては、日々を狭い水槽に閉じ込め、彼女のやんちゃをあやしげな魔法術式で抑え込んでいる。
これなど、日本の子育てに置かれている男性性への自嘲なのか憐れみのようにも見える。

そうは言っても、男性性のストレングスが、今の世界をリードし、創造し、弱者を支配しているのは事実である。
そのなかでも最も顕著な特性は、何あろう "核による大量殺戮兵器の存在" がそれを証明している。

宇宙に二つとないこの青い惑星を、何十回、何百回と死に追いやるボタンを握っているのは、他ならぬ男性性の意識にあることは疑いようがない。

普段は "ミテミヌフリ" をして浮上してこないこの事実が、宗介とポニョの物語の背景を読み解くカギになる。
二人の視点から、現実への評価をどのように見やれば良いかが分かろうものだし、そろそろ判らなければならない。

デボン紀の魚たちと、老人のデイサービスとが同居する世界を、2人の視点が示している。
そこには、核兵器の御守りは要らないし、作意的な亡霊たちの絵本も必要ないはずだ。

私たちは、かりそめにも平和と思い込み、自己満足に完結させているこの時代を認めあって生きているけれど、宗介やポニョの世界観とはほど遠い。
しかしながら、この刹那から受ける多様な圧迫は、実はたかだか1万年の歴史に過ぎないことも事実と知っておこう。

人の精神性は、知らなければ、知ろうとしなければ、知らずと人生を浪費してしまう日常に慣れきっている。
それは本当の賢さと言えることなのか、それともヤバめの愚かさと言えなくもないことなのか。

ポニョが、崖の上まで登ったのは、宗介の "知ろうとする当意即妙と臨機応変" にあった。
二人の邂逅によって開かれたのは、多様性や共存性への入り口としてであり、同時に、作品が知ろしめす人類知としてのベクトルでもある。

本作の持つ感受性への振り幅の大きさは、そこから得られる解釈もまたそれぞれに落ち着くという楽しみ方もある。
その切り取り方は、上下左右に広くあり、奥行きも浅く深くあるだろう。
そして、時代を動かしてきた宮崎駿氏のメッセージを感じとれるなら、なお素晴らしいと思い入っている。


キービジュアルに見せているポニョのあどけない表情とその仕草は、地上人類への浮き立つような期待と不安、人間世界への揺るがぬ信頼と選択を重ねてあわせて、宗助に向けている。

それは、どちらかというと、今までの大人の心を揺さぶってきた物語ではなく、無垢なる子どもたちのための、しかも、地球生命への深い愛着と強い責任感とを託しておきたいとする、宮崎氏の祈りの目線でもある。

そう私は捉えているのです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 10

67.5 2 海アニメランキング2位
劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕(アニメ映画)

1999年7月17日
★★★★☆ 3.6 (192)
1285人が棚に入れました
サトシ達一行は女船長のみっちゃんの船に乗せてもらい、オレンジ諸島を巡っていた。しかし嵐に見舞われ、オレンジ諸島の海の果て「アーシア島」にたどり着く。島は年に1度の祭りの日であり、サトシ達は島民から歓迎を受ける。時を同じくして、世界中の珍しい物を集めているコレクターのジラルダンが自らの飛行宮を使い、炎の神であるファイヤーを捕らえる。それを察知した雷の神サンダーと氷の神フリーザーが現れるが、ジラルダンの真の目的は海の神「ルギア」を捕獲し、自分のコレクションに加えることであった。
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

暗闇はまた眼をとじる

ポケモン映画第二弾です。

ジラルダンという男がルギア欲しさにムチャクチャをします。
まず別々の島に住むファイヤー、サンダー、フリーザーを叩き出し、ルギアを誘い出して捕獲をしようとします。
しかしあまりの彼の勝手なせいで今まで均衡を保ち、地球の循環に重要な深層海流を生み出していた3匹のバランスが崩れ、
世界の気候がまでもが狂い、破滅が音を立てて近づいてきました。
さあ、サトシ。あとは君しかいないよ。君が世界を救うんだ。

迫力のあるシーンもたくさんあり、なかなか面白い映画だと思います。
伝説の四体のバトルシーンもただ口から氷や炎を吐くだけでなく、びゅんびゅんと動く見事な空中戦を見せてくれます。
今回はロケット団は味方になって協力してくれます。なんともかっこわるいのにかっこいい!
世界の危機を感じたポケモンたちが大移動をするシーンがあるのですが
事の重大さを示すにも役割としていい働きをしまいしたし、単にそれだけを観てもけっこうすごい。

カスミの恋敵的なのも出てきます。
フルーラという名の流行にふらーっと流されやすそうなかるーい女の子。けど芯は強い。やることも大胆。
初対面でサトシにいきなりキス。この行動で一緒にいたカスミをけしかけます。
フルーラはサトシ達が初めに到着する村の巫女で、彼女の舞は美しく、奏でる笛の音もすごく良い。
風を操って船で陸をガーッと進んでいくシーンなんかはとてもかっこいいです。このシーン好きです。
フルーラは好きです。ビジュアルも声も性格もいいし、なによりかわいいですw
カスミはサトシのことをどう思っているのか。いまだに興味津々ですw

珍しくwikiの記述を見てみたらそこには
「他者との共生」と「大人たちの行き過ぎた個人主義の功罪」と書かれていました。
難しいです。
「共生」は確かに頷けはします。
例えば人がポケモンを、またはポケモン同士も(例としてはサンダー、ファイヤー、フリーザー)互いに過度な干渉はお互いを滅ぼしてしまうことを示唆しているかもしれないです。
でもそんなに言うほど語っていなかったと僕は思います。

後者はまああってるんじゃないかな。
個人主義の功罪。
「功」はジラルダンの乗っていた飛空宮のようなものまで作れるようになった
第二次産業と科学技術の発展による、現在僕たちが生きている文明そのものです。
パソコンも電車も車も、今となっては生活に必要なものは皮肉にもこのシステムのおかげなのです。
「罪」に関してはジラルダンがこの映画で体現しています。
世界に混沌をもたらした人間の代表である、ジラルダンの強欲。あの飛行宮の大きさはそれを表わしています。
でも僕は最後のジラルダンのシーンはとても好きですよ。
墜落した飛空宮をバックに遠くを望む。どんな気持ちだったんだろう。根っからの悪ではなかった気がします。

まあそんな難しいことを考えるよりは、この映画の迫力と彼らの闘志に飲まれた方が面白いです。

{netabare}


ラストのシーンでサトシのママがサトシに言ったことは不思議でした。
「あなたがいるから世界があるの。あなたがいなくなったら世界はもうないの。」
「あなたはこの世界で何がしたかったの?無茶せずにそれを目指しなさい。」
ママさんはこのことからサトシをすごく遠ざけたかったようにも思えます。
さらにルギアは去り際に「私が幻である方が幸せだろう」と言いました。
ミュウツーは記憶を消しました。
セレビィでは思い出はオーキド博士のスケッチブックの中へ閉ざされました。
ラティ兄妹の舞台となったアルトマーレはイタリア語で直訳すると「遠い海」「遥か彼方の海」、意訳すると「永遠なる海」。(wikiより)
ジラーチは千年に一度、デオキシスは人の手の届かぬ宇宙の果てへ、マナフィは海へ沈んでいきました。
様々な方法で本編に影響を残さないようにしていて今回のこれらの発言もそのひとつであると取れなくはありません。
しかし、少し暗示的というか、いまいちはっきりとしないところです。
ママさんがわざわざ”世界”という言葉を用いてまで言いたいことはなんだったんだろう。
世界解釈の違いだろうか。主観、観測している自分の「世界」が世界ではなく、サトシあっての「世界」であり世界である。
サトシの「世界」はサトシだけのものではなく、もちろん彼にとってはそれが全てであるが、同時にそれはママの「世界」の一部でもある。
「他者との共生」を広げることで、それは個々の独立した「世界」であると同時に共有しているという事実があると言える。
例え直接危害を及ぼさずとも(消失、喪失など)多大なる影響を与えることが可能なのだ。
またはこういうこともかもしれない。
世界=the earthよりもサトシの生きる世界が大事だったということ。
つまり、世界の危機なんかよりもあんたが生きてる方がなによりであるという愛の表現だったのではないか。
なにぶん僕の浅い解釈なので疑問は残ります。ですが、ちょっと意味深な気がしたので書いてみました。
ルギアが残した言葉も聞いたときはびっくりした。だってよく分からないから。
でもおそらくで申し上げるならば、存在が事実であることが知られれば、伝説も事実であり、ルギアが怒りを示したことになります。
それはやっぱり恐い。さらに人間のせいと知られればあれだけの大移動で自らの意志を表わしたポケモン達です。何をしてもおかしくはありません。
それとも単純に伝説は伝説として神格化され続けていた方が良いというだけかもしれません。
うーん、よくわからない。なんでママさんもルギアもあんな曖昧な言葉を使っていたんだろ。
考えすぎですかね。すみません。

余談

ヤドキングの声を担当した浜田さん。ガキのトークで松本さんが触れてるいるのを観たのですが浜田さんは特になんも言わずでした。
そんでHey Hey?のトークで主題歌を歌った安室さんを交えてのトークも観たけれど
まあ特には内容に触れずでした。どちらも腹抱えて笑いましたけど。

僕らが子どものころに好きで観たものに
声でも歌でも出演した人たちが好印象を持っていないというのは僕としてはちょっと傷つきますw
まあ浜田さんの出演理由は金と子ども人気かなw なんてねw
この映画の主題歌は当時から好きでずーっと聴いていたのですが時が経ち、安室さんと知ったときにはちょっとへこみました。
あまり好印象を持っていないもので。まあその歌だけはいいから今でも聴いています。歌に罪はありませんから。

まあそんなところで、読んで頂きありがとうございます。

{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

ぱるうらら さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

謎のポケモンX

今さらポケモンのしかも2作目!?と思う方もいるでしょうけど、最近ポケモンの映画にはまりました♪
タイトルに書いてある謎のポケモンXとは表紙のルギアの文字の後ろにある×印から思い出しました。 まだルギア爆誕が上映される以前、ルギアの名称は伏せてあったために後ろが×印=謎のポケモンXとされていたのです。

もともとテレビというものを見なかった私が、生まれて始めてみたアニメは、戦隊モノやヒーローモノ(アンパンマン)、ディズニー系ではなくポケモンでした。
この映画も小さい頃の私の思い出の一部です♪


さてさて、この映画は公開日が1999年であるにも拘らず、物凄いハイクオリティな作画です。 特にジラルダンが乗っていた飛行宮です。よくあの当時であそこまで壮大な作画であるなぁと。 あの飛行宮は当時の子供たちの心をつかんだでありましょう。まぁあの円柱形飛行物体が飛んでいるのは異常ですけど・・・。

この作品は、前作のように小難しいことはほとんどなく、迫力のあるアクションシーンが多い、どちらかといえば子供受けする映画であったでしょう。
この頃のポケモンの映画には、社会的命題が含まれていたそうです。ちなみに本作ではどういった社会的命題が提示されていたのかと言うと、「他者の共生」「大人たちの行き過ぎた個人主義の功罪」だそうです。
そう言われて思い返してみると確かにそれらのことが言えます。ただ単に、カッコい良さや、ちょっとした乙女心を表したモノではなかったのです。

ルギアが目覚めた原因はジラルダンによってサンダー・ファイアー・フリーザーが捕縛され、争わせ、世界のバランスが崩れたことがきっかけ。ジラルダンの目的はあの3匹ではなく、ルギアを捕獲することであり、世界の崩壊なんてどーでもよかったのでしょう。流石は生粋のコレクターです。
あの3匹が暴走することによって世界のバランスが崩れるとは、随分と壮大な設定です。ポケモンの世界ではサンダー・ファイアー・フリーザーをそれぞれ雷の神・火の神・氷の神と称するくらいですから、本当にポケモンなのですね。 ちなみにルギアは海の神。海の神が一番強いそうです。ギリシア神話のポセイドン様様です♪
ポケモンの動向で世界に影響を与えるとは、伝説のポケモンは天災と考えても間違いじゃないかもしれません。今回ではジラルダンがあのポケモンたちに余計なことをしたために天災発生。これは現代で人間が自然を破壊・化学物質の自然界への放出による天災と同じことが言えます。 『触らぬ神に祟りなし』ということです。

この映画において、サトシは大きく成長します。そして無謀度も大幅上昇しますw カスミはデレます。ツンデレ度が増してます。 ケンジはいつも通り。 ロケット団は今回良い人たちです。どこだかで聞いた、『いつもはいじめっこ(悪役)でも、映画で良い事をするといっそう良く見える、ジャイアンの法則』がここでも言えます。

あと、ヤドキングの声は浜田雅功さんがピッタリでした。
この間、5作目である『水の都の護神 ラティアスとラティオス』を見ていて、最後の方において、とある雑誌の写真にジラルダンが載っているのを見て少しビックリ。 まさか再び出てくるとは・・・。 ただのポッと出の敵役ではなかったのです。


まさかこの年になってポケモンを再び見だすとは・・・。まぁ全年齢対象だそうですから。

ポケモンのレビューであるのに、随分と長々とした文章になってしまいました。ここまで見てくださってありがとうございます。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「世界を救いに行くぜ!」「ピッピカチュー!」

ポケモンの映画の感動傑作といえばやはり「ミュウツーの逆襲」
いやはやしかし、その辺は皆さんご承知のところと思いますので、いまさらオイラが何か書くこともないでしょうね


では娯楽としての観点からポケモン映画を見ると・・・この「ルギア爆誕」こそがポケモンエンターティメントの頂点ではないかと?


とにかくお話のスケールがデカイ、圧巻のバトルシーンもたっぷりで申し分ない出来栄え


さてさて、肝心のお話ですがまずポケモンの世界観において世界に一匹ずつしかいないという伝説のポケモンである、ファイヤー、サンダー、フリーザーという三匹の怪鳥が登場します(劇中では神様扱い)
しかしこの世界に一匹ずつしかいるはずのない三種のポケモンが、今回の物語の舞台となるアーシア島においては全く別の固体が存在している、という設定で原作をハデにぶち壊してくれます
これはかえって潔い
ソレをいいことに伝説の三匹が一同に会してしまう、という子供たちの憧れ的シチュエーションをやってのけ、子供心をくすぐります


そして当時全く未発表だった新種のポケモンであるルギアの登場
さらにこのルギアが伝説の三匹をねじ伏せてしまう、というポケモンバトルファンにはたまらないカタルシスが展開されちまうのです


やがてルギアと伝説の三匹の争いが世界全体の生態系を歪めてしまいセカンドインパクト的事態に発展
主人公サトシと相棒ピカチューは世界の危機を救うべく奮闘する、、、







前作ミュウツーが子供向けにしては少し難しい内容だったことへの反省として、今作はとにかく派手に、強いポケモンが大暴れし、サトシがカッコイイこと言っちゃたり、カスミやロケット団にまで見せ場がある


今作で黒幕となるジラルダン(cv鹿賀丈史)の空中要塞なども当時にしては迫力のあるCGで描かれていたり見所は沢山


そしてなによりフローラちゃんが可愛いw
サトシをめぐってカスミとの絡みもあったりと、ゲストキャラとしての存在感は歴代でもトップクラスではないかと?


ちなみに脚本はミュウツーと同じく首藤剛志さん
首藤さんが亡くなられていたことを今し方知ったこともありご冥福を祈りつつ、このレビューを書かせていただきました

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11

66.6 3 海アニメランキング3位
ドラえもん のび太の海底鬼岩城(アニメ映画)

1983年3月12日
★★★★☆ 3.6 (97)
548人が棚に入れました
春休み。ドラえもんやのび太、スネ夫、ジャイアン、しずかたちは太平洋海底でキャンプをすることにした。一行は楽しい第一日目を過ごすが、翌日から五人は謎の世界に引き込まれていく。
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

好きなドラえもんランク、2位

[文量→中盛り・内容→感想系]

【総括】
「大長編ドラえもん」シリーズの第4作。ムー大陸、アトランティス大陸の両者を冷戦時の2大超大国に見立てた物語に、バミューダトライアングルの要素や日本海溝、マリアナ海溝など海底に関する情報が盛り込まれた作品(Wiki参照)。

映画ドラえもんの中でも、かなりダークでシリアスな作品。ドラ泣き必至です。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
ムー大陸やバミューダトライアングルといった、ゴシップ的な話題から、海底人エルとの出会い。友情。そこから、核戦争をモチーフにした、キナ臭い話が展開する。最終的には、またゴシップ系に流し、夢ある話で閉じる。

このあたりの構成の上手さは、勿論、素晴らしい。

ただ、本作一番の魅力は、間違いなく「バギー」ちゃんにあって。

彼(ゲストキャラ)がほぼ主役になり、ヒロインが静ちゃんという珍しい構図。ドラえもんやのび太達の影は若干薄くなったが、所々で彼ららし、、、。

いや、ごたくを並べるのはやめましょう。

単純にね、泣いたんですよ、珍しく、本当に。

幼い頃だったけど、好きになった女の子のために命をかけ、最後にネジ1本になってしまったバギーちゃんを見た時にね。シンプルに感動しました。

視聴から20年以上経ち、一度も再視聴してないけど、あのシーンがありありと浮かぶ。

そんなアニメ、そうそうないです。今や、前クールの最終回すら、怪しいのに(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11
ネタバレ

ノリノリメガネ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

愛の特攻

シリーズ4作目。
{netabare}
夏休みに2泊3日のキャンプを計画する一同、皆が海か山かで言い争う中、どちらも楽しめるという理由で海底を提案するドラえもん。
海底にてドキドキキャンプライフを楽しむのび太たちではあったが、その道中で海底人と出会い、地球を救う戦いに身を投じていくという展開。

設定が結構凝っていて、バミューダトライアングルやアトランティス、ムー大陸など、いわゆる都市伝説的な設定を絡めつつ、壮大なスケールを持たせた海底人の歴史が作品に緊張感とワクワクを与えている。

そして今回は何と言っても冒頭から登場する、人工知能を搭載したバギーちゃんの魅力にあふれてた作品だった。
何故か臆病で口が悪く、ドラえもんからも嫌われるしまいだが、心優しいしずかちゃんとの絆が描かれている。

今回は敵が強大で、スリルも大きく、見せ場も多い。
カメレオン帽子によるバリアすり抜けや、しずかちゃん決死の囮作戦、そして全員が捕まり絶体絶命からのバギーちゃん特攻は語り継ぐべき名シーンだ。しずかちゃんの涙にこたえて自ら四次元ポケットから出ていくバギーちゃんの勇姿に感動必至である。

初期作品の中ではかなりクオリティが高い作品だと思う。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 1

めたぼん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

風刺のきいた作品

僕がまだ小さい頃はバミューダトライアングルという言葉は割と世界の七不思議みたいな感じで有名だったんですが今はどうなんでしょう?

結果的にこの作品は東西冷戦と核抑止力論に対する痛烈な批判になっていると思います。でもそれはあくまで結果であってそんな背景を全く考えなくてもエンターテイメントとして十分楽しめます。(当然ですが、僕も子供のころはそんなこと考えていませんでしたから。笑)

ただ全体的に暗い雰囲気であることから公開当時は子供たちにあまり人気が出ず、興行的には振るわなかったようです。

主題歌を岩渕まことさんが担当した最後の回です。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 1

70.8 4 海アニメランキング4位
きみと、波にのれたら(アニメ映画)

2019年6月21日
★★★★☆ 3.6 (101)
381人が棚に入れました
小さな港町へ越してきたひな子は、サーフィンが大好きで、波の上では怖いものなしだが自分の未来については自信を持てずにいた。ある火事騒動をきっかけに、消防士の港(みなと)と偶然出会い、恋に落ちる。お互いがなくてはならない存在となった二人だが、港は溺れた人を助けようとして、海で命を落としてしまう。大好きな海が見られなくなるほど憔悴するひな子。そんなある日、ひな子が二人の思い出の歌を口ずさむと、水の中に港が現れる。「ずっとひな子のこと助けるって約束したろ?」死んだはずの港と再び会えたことを喜ぶひな子だが…。奇跡がもたらした二人の恋の行方は?そして、港が再び姿を見せた本当の目的とは?

声優・キャラクター
片寄涼太、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎
ネタバレ

元毛玉 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

恋愛とオムライスを食べたくなる良作

別の作品を見に劇場に足を運んだら
そっちが完売していて
仕方なく空いてたこちらを見ました。

結論から言うと見て良かったです!
かなり楽しめました~♪

タイトルからも予測がつくように海が舞台のアニメです。
消防士のヒーローと、もう一人のヒーローが出会い
触れ合って、愛し合って、
そして波に乗って旅立つラブストーリーです。

正直な話、序盤は「もうお前ら爆発しろ!」しか思いませんでしたw
まぁ花火は爆発しまくっててなんていうか
{netabare}こんな輩がいるなら花火なんて無くていい{/netabare}
と思った次第っす…なんていうかウェーイ系にしてもあれは酷い…

ただ、二人は{netabare}花火で出会い、花火で別れる{/netabare}ので
二人には必要だったのかも知れません。

絵柄は凄く優しくてストーリーに良く合ってます。すごく好きです。
波の表現も優しいタッチで、海に行きたくなります。
音楽はテーマ曲がしつこいぐらいに繰り返しですw
ただ二人で歌っている時はすごく幸せそうで、
時折、笑いながら歌う感じがとても自然で
ほんとうに素敵なカップルだなと思いました(早く爆発しろって思いましたw)
ミュージカル的な要素なのかな?港はあまり歌うまくない設定なのかも
声優も凄くよかったです。特にひなこ。
(あと妹も{netabare}引き籠り{/netabare}っぽい感じが良く出てて良かったです。)
歌が紡いでた。ずっと前から二人を紡いでた。すごく良い歌と歌声でした。

とにかくx100 オムライスが食べたくて仕方がなくなりました(え?)
コーヒーも飲みたくなったなぁ…久しぶりに旨いコーヒーでも飲みに行こうかなー

ただ、{netabare}フラグ乱立{/netabare}しすぎたんですよね…
物語は急展開を迎えます。いきなりのファンタジー要素追加ですw
(いきなりすてーきなファンタジー要素)
このファンタジー要素、結構好感もって見れました。
色々な苦悩と、逃避と、お互いの想いと…
だけど最後には立ち止まっているヒーローを波に乗せるためそっと背中を押す。
いきなりだったけど素敵なファンタジー要素です♪

確かに、恋しないなんて馬鹿のする事だなって思ったので
皆さん素敵な恋をしようじゃありませんか!



で、こっからはネタバレ全開なので、まだ見てない人はブラウザバック
{netabare}
まぁ序盤はほんとに爆発しろって思ってたんですけど、
港があんな事になって、「爆発しなくて良いから返して」って思いました。
それは港じゃなくて、ひなこを返してって思いました。
陽気でざっくばらんで天真爛漫で明るくてとても魅力的な女の子
それがあんなになっちゃうなんて…泣きそうでしたっす
だって{netabare}便器に向かって話しかけちゃう{/netabare}ようなのって
自分がはたから見てたら「大丈夫かこの子?」って思っちゃいますよ。

皆ひなこの事を心配していて、友達もバカップルとか言ってたのを謝ってた…
友達の異名が気になる所ですがそこは触れないでおいてあげましょうw

しかし、なんであんなにフラグ乱立するかなー
おいら鈍感な方だけど、あそこまで乱立されたら流石に分かるよ。
{netabare}「あ、これこっから急降下して鬱展開なるやつだ…」{/netabare}って

・自分の苗字になったらどうすんだよ
・ヒーローになった動機の説明
・じゃあ同棲でもする?
・おばあさんになってもずっと守るよ

うん。回避不能なぐらい立てまくったね。このフラグを折るのは難しいw
だけど、そっからファンタジー要素入れて
鬱な展開になりすぎないようにした構成は素晴らしかったです。

オムライスは終始うまそうだった。なんか無性に食いたくなった。皆逃げてー飯テロよー
最初の段ボールの所でずっとヒヤヒヤしてたけど、
結局おっぱいの下敷きになって「そうなると思った」って思いましたw
ライフセーバー合格で結局お祝いはオムライス
そして、妹の渾身の掌返しw セリフが逆になったのは本当に良い演出でした♪
でもまぁ、するのもバカだと思いますよーw 妹も立派なバカップルw

そして1年越しのメッセージ…さすがに泣きそうになったっす
狙ってるんだろうからってのと劇場だから必死に堪えました。
ひなこが歌おうとして、さらに追い打ちかけてくるんだもん。正直危なかったw
願わくばひなこに良い出会いと素敵な恋が待ってますように…
{/netabare}
次はきっといい波が来るはずです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27

はあつ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

マーメイドヒーロー

世界中の恋に焦がれる女性とリア充カップルに、この夏、絶賛オススメのファンタジック・ラブストーリー。

《物語》

海岸沿いの町に越して来たサーフィンの大好きな女子大生「向水ひな子」。
冒頭、彼女を遠目に眺めながら
「あのコ、僕のヒーローなんだ」
と語るイケメン消防士「雛罌粟港(ひなげしみなと)」。
彼が狙ったかの様な展開で二人は恋仲になります。
前半30分ほどは二人の仲睦まじくなるさまを見せつけられるんですが、二人の描写は嫌味がなくキラキラした爽快感にキュンキュンできます。
(注!女性と二人でカラオケに行ったことのない男性にはイラッとくるかもしれません~)
中盤、港に起こる悲劇から物語は一転します。
ここからがハートフルな脚本を書かせたらハズレ無し、吉田玲子さんの真骨頂。
悲しみにくれるひな子を、ファンタジーな仕掛けを使って優しさと可笑しみで包み込み、観客の心まで温めてくれます。
冒頭の港の言葉に隠されたひな子への想いが、彼女へは勇気を、観客には感動を与えてくれます。
ラスト、いつまでも変わらない愛にホロリとしながらジンワリと心地よい余韻に浸れることでしょう。

《作画&演出》

湯浅政明監督と言えば、私が観た過去作「ピンポン」「デビルマン・クライベイビー」などから、シンプルなキャラクターデザインを伸縮自在に操るアニメーションらしい大胆な演出が印象的なのですが、今作ではキャラのデフォルメは抑え気味。
その分、二人を繋ぐ「水」に魂を吹き込むかのような演出が巧妙になされています。
様々な形で描かれる水の表現は、時にコミカルに時に繊細にキャラの心情を盛り上げ、ここぞのシーンではダイナミックな動きでキャラのハイテンションぶりを際立たせます。
クライマックスのタイトルにちなんだアクションシーンは圧巻です!

また、背景作画は80年代のオールカラー漫画「ハートカクテル」を思い出す鮮やかさで、ラブストーリーに華やぎを添えてました。

《キャラクター》

主役二人は文句の付けようのないベストカップルでこれ以上言うことなし。
残る主要登場人物、港の後輩消防士「川村山葵(わさび)」、港の妹「雛罌粟洋子(ようこ)」も良キャラです。
山葵の頼りないながらも実直なところがどんどん好感が持てるし、なんと言っても洋子のツンデレっぷりが可愛い♪
彼女だけは、この非オタ向け作品の中で萌えブタ心を満たしてくれました(^^;

《声の演技》

主要登場人物は全員俳優さんが演じていて、このあたりも非オタ向けアニメ作品ではありますが、女性二人は本職声優さんと比べても遜色のない演技をされてたと思います。
特に松本穂花さんのツンデレハスキーボイスは好みでした♪
男性の主演お二人はイケボなんですが声質が被るのがまず残念。演技も平板に感じ、同じ俳優でも同監督の「夜は短し歩けよ乙女」の星野源さんは上手かったな~と改めて感じました。

《音楽》

水と共に二人を繋ぐ曲「Brand New Story」
爽やかな曲調の中に切ないトーンが混ざり、歌詞も作品にピッタリ!
元AKBでもあるひなこ役・川栄李奈さんが何度も口ずさむ冒頭のフレーズは、様々な感情が込められてて、クドくても飽きません。
声の演技では申し訳ないコメントをしましたが、EXILE系ユニットのボーカルを務める港役・片寄涼太さんの歌声も素晴らしくエンディングは聞き惚れました。

《最後に》

本作は私のように「君に届け」や「アオハライド」などの王道少女漫画もいけるクチなら男性でも大いに満足できるのですが、オッサン独りでは気恥ずかしくも・・
アニオタ男性の皆さまは、非オタ女性を誘ってのデートに本映画鑑賞を組み込み、アニメの伝導と貴殿のポイントアップにお役立てください~(^^

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21

二足歩行したくない さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

転生したらこういうステータスMAXのイケメンに生まれ変わりたい

湯浅政明監督のオリジナルアニメ作品。
サーファーの女子大生と彼女が住む街の消防士の、ファンタジー要素のある恋愛物語です。

主人公の二人はそれぞれ、EXILE (正しくは、GENERATIOS) と元AKBが声優を務めていて、準主役の2人もプロのアニメ声優が演じていないです。
声優の声になれてしまっているためか、本作のキャラクターボイスには若干の違和感を感じました。
ただ、作中には『陰キャに夢中なたくさんの美少女の内の一人』とか、『語尾に奇怪な言葉をつけて話す褐色幼女』なんていうファンタジーな存在はおらず、アクターに近い場所にいるリアルが充実した面々が主役なので、本作において言えば、私的にはそれほど強い違和感は感じませんでした。
正直なところ、このストーリーで、アニメ声優をアサインした方が逆に違和感が出る可能性もあるので、そういう意味でははまり役なのかもしれないと思います。

EXILEとAKBの声がハマるキャラクターが主役なので、作品自体はいくつか海外の有名な映画賞を受賞していますが、普段からアニメ鑑賞を趣味にしている方にはおすすめできる内容ではないと思います。
サーフィン好きの「向水ひな子」は、大学進学を気に、幼い時期過ごした海の近くの街で一人暮らしを始め、文字通り、水を得た魚のように毎日波に乗る生活を送るのですが、ある日、近くの廃ビルで大勢のやからが無許可で花火をぶっ放し、その火の粉が引火して、彼女の部屋が火事になってしまいます。
マンション火災に逃げ遅れて屋上に出たひな子は、そこではしご車に乗った消防士「雛罌粟港」に助けられます。
それがきっかけで二人はステディーな関係になるのですが、それがもう見ていて毛髪が抜け落ちそうになるくらいのイチャイチャっぷりです。
ただ、港は消防士やっているだけあって細いけどムキムキなんですね。
料理も上手で、彼女に対して何気ない気遣いもでき、清潔感漂うイケメン。おまけに声がEXILEという。
私なんぞがサーフィンやってるビキニギャルに「いいなみのってんねー」と声かけたとして、即ストーカー規制法でお縄になるので、不思議と視聴時羨ましいという気持ちにはならなかったです。
もはや異世界の出来事というか、異世界転生したらこういうステータスMAXのイケメンに生まれ変わりたいですね。

内容はイチャイチャするだけの90分というわけではなく、物語途中ある不幸が二人に降りかかります。
そこまではショッキングではあるけれど、展開としては王道で、見ていると途中で読めてくるくらいなのですが、その後からファンタジーな展開になります。
楽しくみれましたが、港の妹がけっこうプッツンで、正直好きなキャラではなかったです。
また、全体的に線が細く、クビが長く描かれたデザインになっていて、絵で嫌厭する方はいるかなと思います。
それほど長尺ではないのと、アニメーションがよく動いて最初から最後まで見ていて飽きることはなかったので、たまにはこういうのも、という意味で見てみるのはありかと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

70.8 5 海アニメランキング5位
モアナと伝説の海(アニメ映画)

2017年3月10日
★★★★☆ 3.9 (43)
276人が棚に入れました
世界中で愛されるディズニー・アニメーションの魅力のひとつであるヒロインの歌声も今作も健在だ。数々の伝説が残る島で生まれ育ち、幼い頃の「ある体験」がきっかけで海と運命的な絆で結ばれ、「海に愛される」という特別な力を持つようになった16 歳の美しい少女、モアナの物語。

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

ラプンツェル、アナ雪を正当に受け継ぐミュージカルでありつつレッドタートルからのマッドマックス+ウォーターワールドがロードオブザリングなもののけ姫!?

ディズニーによる長篇3DCG映画
『リトルマーメイド』『アラジン』『プリンセスと魔法のキス』を手掛けたロン・クレメンツ&ジョン・マスカーの黄金コンビが挑む初のCG映画でありつつ、『ラプンツェル』や『アナ雪』の流れを正当に受け継ぐミュージカル映画
今回オイラは字幕で観ました
今のところ日本では2Dのみの公開ですが後出しで3Dも公開されるようです


舞台はオセアニアをモデルとした無数の島が点在する南国
伝説では女神テ・フィティが命を作り出すとされていた世界で、半神半人の勇者マウイはある日「テ・フィティの心」とされる翡翠色の石を盗み出した
しかし「テ・フィティの心」を狙う火の神テ・カァとの争いで「心」とマウイにもたらされた変身能力の源である「神の釣り針」が失われてしまう
この伝説を祖母から聞かされた村長の娘、モアナ
彼女は「海に選ばれた者」として島を出て、珊瑚礁を越え、海の向こうのどこかにあるというテ・フィティの島へ「心」を返すという運命が待ち構えていた
海の向こうの世界に興味をそそられるモアナだったが村長である彼女の父は頑なにモアナが海に出ることに反対し、次代の村長となるため島に留まるよう言い付けるのであった
しかしテ・フィティの心が失われたことで広がっているとされる「闇」がモアナの住んでいる島にも迫り、椰子の木は枯れ、魚は消えていった
モアナの祖母は自身の死期が迫る中でモアナに「選ばれた者」としての使命とかつて先祖達は島を渡り行く船旅人だった証である船を彼女に残す
モアナは大海原にたった独り、「心」を返す冒険に出る事を決意するのであった・・・


『アナ雪』の大ヒットも記憶に新しいところではありますが、『ベイマックス』『ズートピア』とディズニーではミュージカル以外の映画が続いていたので今回は『アナ雪』以来となるディズニーらしい王道ミュージカル映画となっています
序盤は世界観や心情を表す歌が絶え間なく流れ続け、まさに『アナ雪』のディズニーが帰ってきた!感が伝わってきます


これだけで往年のディズニー映画好きにはたまらないところではありますが、中盤から登場する勇者マウイ
彼の体には、彼のこれまでの生き様を示したタトゥーが自動生成されアニメーションする、という魔法がかかっているのです
このタトゥーのアニメ自体は昔ながらの2D、つまりセルアニメの手法で描かれるのでこれには往年のディズニーファンはきっと心をくすぐられる想いでしょう


その一方で、3DCGとしたことで表情を変えていく波の表現や「海」そのものがキャラクターとして物語に絡んでくる様、さらにはオセアニアの彫りの深い人々の表情など2Dには難しい部分の表現を豊かにしています


そしてこの映画、一番驚かされるのが一見いつものディズニープリンセスものとして始まっておきながら、中盤以降は『ベイマックス』や『アーロと少年』をも上回るアクション大作となっているところでしょうw


あまり詳しく書けないのがもどかしいですが、それこそ『マッドマックス』+『ウォーターワールド』な戦闘シークエンスや『ロードオブザリング』や『もののけ姫』を思わせるクライマックス、そして最近ではヴィランズらしいヴィランズを描かなくなったディズニーでは久々に痛快なまでの【悪】として登場する蟹の怪物タマトアの攻防など
縦横無尽に展開する手に汗握る大冒険は全ディズニー映画の中でも随一と呼べる出来だったでしょう


普通にアクション映画が好きな人も観て損は無いと思います


個人的に惜しい、と思うのはストーリー面やアクション面ではなくオリジナルのモアナ役のアウリイ・クラヴァーリョ、吹替版の屋比久知奈、日米共にモアナの声優がイマイチだったことですね
もちろん歌は上手かったのですが、声優としてはまだまだかな、と
それにオリジナルのマウイ役で「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンが役への入り込みも歌も上手いってことで完全に美味しいところを持っていってしまっているのも気になりましたね
もう彼で一本映画作ってしまえよ、と


それと先述のとおり「海」という立派なマスコットキャラがいて、コイツが『アラジン』の魔法のじゅうたん的なサイレントマスコットとして機能してるにも関わらず、コレとは別にニワトリとブタのマスコットが出てくるのはちょっと余計でした


また、音楽もオイラとしては南国が舞台なのだからハワイアンやガムランやタスマニアミュージックがガンガン流れるのかと勝手に思ってましたが、そこはやはりアラビアンナイトにポップソングを流してしまうディズニー
良くも悪くもディズニーミュージカルなのです
実際は南国音楽2割、カントリー2割、レゲエ2割、エピック4割って感じでしたね
細かいことですがオイラは『ソング・オブ・ザ・シー』のケルト音楽の様に舞台となった世界観を象徴する音楽がバンバン流れてくる方が好きですね

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11
ネタバレ

四畳半愛好家 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

ディズニーのCG技術の集大成!?生命力溢れる海や自然の美しさ!!

 「CG技術もここまで綺麗になったのか!」と思わせてくれる作品。

 海に選ばれた族長の娘モアナが、自然を生き返ら出るべく大海原へと冒険に繰り出す~

 「アナ雪」「ベイマックス」「ズートピア」と「ディズニーアニメーション作品」(←ディズニー・ピクサーとの差異が未だによく分からない)は、続けてヒットしていますが、今作もその流れに乗れるか否か…。少し話題性が薄い気がします…。
 (ちなみに個人的には「アナ雪」の前の「シュガーラッシュ」の方が最近のヒット作より面白いと思います…。オススメ。)

 自分は公開前に飛行機にて、「ズートピア」と併せて、日本語吹き替え版で鑑賞しました!
 洋画は、吹き替え版より字幕派ですが、ディズニー系作品は、吹き替え版で楽しむのがしっくりきます。たぶん子供の頃から日本語版で観てたので…。ディズニーキャラは日本語を話してほしい気がします。
 しかし日本での公開前に飛行機で日本語版を観れるって…大丈夫なのか?

 さて、個人的な総評としましては、「まずまず」といったところでした。

 かなりシンプルな物語で、自然の広大さと生命力を感じるような力強く、美しい作品だったと思います。
 「勇気を持って飛び出そう」って感じの映画で、「環境問題に物申す」っていう堅苦しい映画ではありませんでした。
 現実の環境問題は、こんな単純に解決できませんしね…。

 ディズニーファンなら当然観ると思いますが、ディズニーに対して興味ないなら特別観なくてもいい作品かもしれません。
 CG技術の映像美という美術的な面だけでも、十分に観る価値はあると思いますけどね。
 
以下ネタバレ付き項目別感想
{netabare}
♦物語:
 最近のディズニー作品の中でも際立って『シンプル』な印象の作品です。
 目的に向かって一直線に広大な海を冒険する、冒険ファンタジー作品。凝った話だったり、意外性を期待する方には物足りない作品になるかもしれません。ギャグも少なめだった気がします。
 ただ、この単純さが個人的には結構好き。
 気楽に観やすい作品となっております。

♦声優:
 主人公モアナ役を大きなオーディションで選ばれたミュージカル系の屋比久知奈さんが演じていますが、やはり歌声が良いです。
 冒険の相棒である半神マウイは、歌舞伎俳優でミュージカル系でもある、尾上松也が演じていますが…キャラが面白いだけに少し残念。アラジンのジニーを思わせるような破天荒なキャラなんですが…山寺さんみたいな面白さは出せず。歌声は好きでしたが!
 おばあちゃん役の夏木マリは流石でした。

♦キャラ:
 非常にシンプルな作品であり、登場キャラはディズニー作品屈指の少なさ。さらに言えば、本作はヴィラン(悪役)がいません。強いて言えば、キュートな見た目の海賊軍団カカモラとか、ザリガニのやつかな?

 好きなキャラは好奇心旺盛なモアナと破天荒なマウイ、そして優しい変わり者のおばあちゃんかな?←主なメインキャラ3人ですが…。
 あと、豚が可愛かった。それだけに冒険に連れて行ってあげてほしかったなぁ…。

♦作画:
 本当に海がきれいですし、緑も鮮やか。表情も本当に豊か。
 ディズニーのCG技術は確固たるものになってきたように思います。
 しかし、「ジャパニメーションのアニメ絵」はCGとして動かすと違和感だらけ。その為、日本のアニメは将来的にも全面的なCG化はしないだろうし、してはいけないと思います。
 完全に別文化。個人的には、ジブリのような作画の方が綺麗で、素敵だと思っていますので、作画に満点はあげれません。
 逆にジブリよりディズニーCGの方が好きな方も沢山いると思いますし、それだけ魅力的な作画ではあると思います。映画館で観たらもっと凄かっただろうなぁ。

♦音楽:
 個人的にかなり好き!特にモアナが歌う主題歌「どこまでも~How Far I’ll Go~」。ミュージカル系の配役がはまっていて…。航海に限らず、何かを挑戦したくなるような歌でした。
 他の歌も聴き心地のいい曲ばかりで、ミュージカル臭は「アナ雪」に似てるかも知れません。
併せて観た「ズートピア」より歌が印象的だった気がします。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

モトゥヌイのモアナ

 モアナ初日、吹替版と字幕版見たです。劇場CNでモアナ役の日本人と外人の声優さんがちょっと歌ったのを見て、是非両方見たいと思っていたです。

 このCGアニメは、キャラが個性的だし、海と自然の背景映像が見事でその点においてなど、ディズニーアニメの質がまた上ったと思えたです。

 最大の見どころは、映像もそうだけれどもモアナを始め、登場キャラによるミュージカル演出が良かったです。モアナの歌とか良かったです。私、何か好きだなぁです。

 モアナのお婆ちゃんの昔ばなしから始まるです。女神の島テ・フィティがあったです。{netabare}テ・フィティの心をマウイとかいう力士だかレスラー体格の男に奪われるです。テ・フィティは崩れ始め、大地と炎の悪魔テ・カァが現れる。テ・カァもテ・フィティの心を追い求め、マウイ、テフィティの心ともども海に叩き落される。それから{/netabare}1000年経った今もテ・カァと海の悪魔達が、テ・フィティの心を探し、島から島へと命を飲み干しているというです。

 幼児だったモアナが、歌に合わせて村長のお父さんがだきかえて、座らせると成長していったりと踊りまくる村人たちも含めて不思議な光景だったです。モアナのお婆ちゃんの踊りが、かなりリズムカルで様になっているです。海に入り、エイを従えて踊っている姿がどこか神秘的だったです。

 唐突な展開になり{netabare}村の作物が荒れ、魚が島に近寄らなくなったり不吉なことが続くです。お婆ちゃんがモアナを秘密の場所に案内し、村の先祖の過去を見せるところから話は、進むわけです。その時にお婆ちゃんが、「お前は海に選れたんだよ!」と言うと海の水が生き物のように動くです。お婆ちゃんがテ・フィティの心を持っていて、モアナに託すのだけれどなぜ持っているのか?不思議だなぁ?と思ったです。
 その後、元気だったのに突如危篤状態になったりするのが、不自然だった気がしたです。でもこういうことがなければ話にならないです。1000前のお話が本当にだったということで、これらは悪魔達の仕業にされている事になる訳です。{/netabare}マウイを見つけ、テ・フィティの心を返しに行く冒険の始まりです。

 モアナの乗った船には、鶏のヘイヘイも乗り込んでいたり、後々活躍するです。海の導きにより、マウイの島にたどり着くけど、1000年経っても姿変わらず元気一杯なのは、半神半人の英雄だからなのだろうか?です。マウイのタトゥーも生きていて、マウイの意思に反応して動くところも見物です。

 海賊に襲われたり蟹に襲われたり、インディー・ジョーンズ顔負けの活躍をするモアナ。マウイと助け合ったり、終盤のテ・カァとの戦いのさなか喧嘩したりするけれども、冒険を通して二人の友情を見せてくれたと思ったです。所々絡んでくる海の存在も欠かせなかったです。

 にしても、大地と炎の悪魔テ・カァには、非常に驚かされたです。最後のモアナとテ・カァの対峙は、このアニメ最大の山場だったです。ここでモアナが、海に選ばれたという証拠を見た気がしたです。
 テ・フィティ登場その後が、非常に感動的だったのは、忘れられないです。島に戻ったモアナとご両親、村人たちの姿とこれからに「これでいいのだ!」でしたです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7
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