歌手アニメ映画ランキング 4

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の歌手成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月02日の時点で一番の歌手アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

79.6 1 歌手アニメランキング1位
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(アニメ映画)

1984年7月21日
★★★★☆ 4.0 (459)
2095人が棚に入れました
50万周期にわたり大宇宙で抗争を続ける巨人族の二大勢力、男のゼントラーディ軍と女のメルトランディ軍。西暦2009年、その戦火は地球にも及び、ゼントラーディ軍の奇襲をうけた地球統合軍の巨大宇宙戦艦SDF-1マクロスは、脱出時の動力不調から太陽系外周部へ飛び出すこととなる。追撃をうけながら地球への自力帰還をめざす航海の5か月目、土星の衛星タイタン宙域から物語は始まる。地球を離れる際避難した5万8千人の民間人は、広大な艦内に市街地を建設し生活を営んでいた。バルキリー隊パイロット一条輝はアイドル歌手リン・ミンメイや、上官早瀬未沙と近しい関係になっていく。そんなありふれた日常風景が、接触した巨人族たちの規律に思わぬ混乱を招くことになる。

声優・キャラクター
飯島真理、長谷有洋、土井美加、羽佐間道夫、小原乃梨子、神谷明
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

マクロスシリーズ一括評価

ちょうど今、dアニメストアで、3月末までの限定ながら、本作および『劇場版マクロスF』(前・後編の2本)『劇場版マクロス7』の劇場版作品4本が配信されているので、マクロスシリーズ未視聴の方はチャンスです。
(※なお、TVシリーズ『超時空要塞マクロス』『マクロス7』『マクロスF』『マクロスΔ』は期間限定なしで配信中)


◆マクロスシリーズ一覧&評価 ※全10シリーズ18作品
(※作中にある架空の西暦年代の順です。制作順ではありません)

★が多いほど個人的に高評価した作品(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた作品
×は脚本に余り納得できなかった疑問作
●は未視聴
※人名は監督、(総)は総監督、SDはシリーズディレクター、SCはシリーズ構成

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 【1】 マクロス ゼロ (西暦2008年の世界) ※冒頭で1999年7月の災厄が語られる
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№1 《OVA》 「マクロス ゼロ」 (河森正治/全5話/2002-04) ★ 4.0

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 【2】 超時空要塞マクロス (西暦2009-10年の世界)
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№2 《テレビ》 「超時空要塞マクロス」 (石黒昇(SD)・松崎健一(SC)/全36話/1982–83) ★ 4.3
№3 《劇改作》 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 (石黒昇・河森正治/1984) ☆ 3.7

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 【3】 超時空要塞マクロス Flash Back 2012 (西暦2012年の世界)
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●№4 《OVA》 「超時空要塞マクロス Flash Back 2012」 (河森正治/1987) ※30分

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 【4】 マクロスプラス (西暦2040年の世界)
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№5 《OVA》 「マクロスプラス」 (河森正治(総)・渡辺信一郎/全4話/1994-95年) ☆ 3.8
№6 《劇改作》 「マクロスプラス MOVIE EDITION」 (河森正治(総)・渡辺信一郎/1995年) ※115分 ★ 4.1

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 【5】 マクロス7 (西暦2045-46年の世界)
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№7 《テレビ》 「マクロス7」 (河森正治(原作)・アミノテツロー/全52話/1994-95年) ☆ 3.7
№8 《劇新作》 「マクロス7 銀河がオレを呼んでいる!」 (アミノテツロー/1995年) ※33分 ☆ 3.7

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 【6】 マクロス ダイナマイト7 (西暦2047年の世界)
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№9 《OVA》 「マクロス ダイナマイト7」 (アミノテツロー/全4話/1997年) ☆ 3.5

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 【7】 マクロスF (西暦2059年の世界)
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№10 《テレビ》 「マクロスF」 (河森正治(総)・菊地康仁/全25話/2008年) ★ 4.3
№11 《劇改作》 「マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜」 (河森正治/2009年) ★★ 4.5
№12 《劇改作》 「マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜」 (河森正治/2011年) ★★ 4.7
●№13 《劇改作》 「マクロスFB7 オレノウタヲキケ!」 (アミノテツロ/2012年)

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 【8】 マクロスΔ (西暦2067年の世界)
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№14 《テレビ》 「マクロスΔ」 (河森正治(総)・安田賢司/全26話/2016年) ★ 4.0
●№15 《劇改作》 「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」 (河森正治/2018年)

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 【9】 超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN- (西暦2090年代の世界)
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№16 《OVA》 「超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-」 (八谷賢一/全6話/1992年) ☆ 3.5

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 【10】 その他 
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№17 《OVA》 「娘クリ Nyan×2 Music Clip」 (/2010年) ★ 4.0 ※『マクロスF』劇場版の映像を流用した音楽劇
●№18 《OVA》 「マクロス超時空ゼミナール!!」 (/2012年)


以上

(TVシリーズ+短編OVA) 5+36+4+52+4+25+26+6=158話
(劇場版) 7本 (愛おぼ/マクプラME/マク7銀呼/マクFB7/マクF虚空/マクF恋離/マクΔ激ワル)
(特殊OVA) 3本 (Flash Back 2012/娘クリ/超時空ゼミ)


◆総評

上記のように、TVシリーズを放送した後に、それをベースとする劇場版アナザー・ストーリーを公開するのが恒例になっています。

・・・で、私の個人的な感想ですが、

(1) 『超時空要塞マクロス』(初代マクロス)に関して

本サイトでは、何故か劇場版の評価が非常に高く、TVシリーズの評価が低めですが、TVシリーズをちゃんと見ていないと劇場版もさほど楽しめないし、マクロスシリーズ全体のコンセプトを誤解してしまう怖れがあると思うので(※私がそうだったので・・・)やはりTVシリーズの方を先に視聴する方が良いと思います。
逆にいうと、劇場版を見てまずまず楽しめた人には、TVシリーズの方も必ず見て欲しい作品です(※劇場版は作画・音楽が良く“楽しめる”作品だけど、TVシリーズは作画の酷さやシナリオのグダグダさという欠点を凌駕する“予想外に大きな感動”のある作品と思うので→マクロスシリーズが現代まで続いている人気の源泉はここ)

(2) 『マクロス7』に関して

私が最初に視聴したマクロスですが、こっちも初代マクロス(TVシリーズ)の方を最後までしっかり見ていないと作品コンセプトが確り理解できないし、作品をいまいち楽しめないと思います。
※ヒロイン(ミレーヌ)の両親が初代マクロスのあの{netabare}子づくりカップル{/netabare}だと知ってビックリ!だったので。
シナリオ自体は、初代マクロスを視聴済みという前提で、前半はまずまず面白いと思います(※個人評価 ★ 4.1 くらい)。
ただし後半は、展開が冗長になりシナリオも焦点が定まらなくなる印象で、全体評価は ☆ 3.7 とマクロスシリーズの中では低めとなりました。

(3) 『マクロスプラス』に関して

全4話と短く作画良好&シナリオもコンパクトに纏まっているので、ここからマクロスを見始める、という手はあると思います。
但し、マクロスシリーズ全体からみると、他作品との関連は薄く、無視しても問題ない作品かも。

(4) 『マクロスゼロ』に関して

初代マクロスの前日譚なので「ゼロ」という作品名なのでしょう。
その初代で活躍するエースパイロット(ロイ・フォッカー少佐)の雄姿が存分に楽しめる作品でもあるので、彼のファンは必見です。
そして、『マクロスF』に引き継がれる伏線も多い作品。

(5) 『マクロスF』に関して

新規ファン開拓を主眼としエンタメ性が大幅に強化されているので、ここからマクロスシリーズを見始めても十分楽しめると思いますが、『超時空要塞マクロス』のTVシリーズを確り見終えたあとに再視聴すると、本作が初代マクロスを巧みに本家取りしていることが分かってきて、楽しみが更に増すと思います。
因みに、『マクロスゼロ』の方も先に視聴しておけば、そちらのエピソードとの関連も発見できて更に楽しめます。
更にいえば、『マクロスF』に関しては、TVシリーズよりも劇場版の完成度の方が圧倒的に高いので、初代と違って劇場版から先に視聴するのもアリだと思います。

(6) 『マクロスΔ』に関して

現在劇場版が公開中の最新シリーズですが、私はTVシリーズしか見ていないので評価は保留します。

(7) 『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』に関して

初代マクロス制作10周年を記念して制作されたOVAということですが、河森正治氏その他の初代マクロスの主要スタッフが制作にあまり関わっておらず、マクロスシリーズの中では完全に浮いた作品となっています(シナリオ&設定も他作品とは整合性が取れていない完全なパラレルワールドもの)。
内容は可もなく不可もなく、といったところか。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 26
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

ミンメイファンが増えました

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。2時間くらいのSFロボットもの。テレビシリーズは未視聴です。
 作画に関しては圧巻の一言。音楽も満足しました。視線の送り方などの表現もとても良かったです。


ゼントラーディとメルトランディ:{netabare}
 男のゼントラーディと女のメルトランディと人類が相互に戦争状態にある、という三つ巴がストーリーの骨子にあります。この異種族であるゼントランディとメルトランディの描き方は面白いなと思いました。
 ゼントランディの戦艦は、自然的で曲線的。
 メルトランディの戦艦は、機械的で直線的。
 一般的なイメージとしては、自然的・曲線的なものが女性で、機械的・直線的なものが男性だと思うのですが、イメージが逆転されています。女性的な戦艦を持つ男のゼントラーディと、男性的な戦艦を持つ女のメルトランディという構造です。

 両種族とも異性を必要としなくなった人類で、相手の種族と敵対しているわけですが、本能的な部分では相手種族を排斥していないのかもしれません。戦艦の中にいることを踏まえれば、異性の特性の庇護下にいるとも言えますし、戦艦として運用していることを踏まえれば、異性の特性を内在化しているとも言えます。

 このような戦艦が描かれることで、<ゼントラーディVSメルトランディVS人類>の戦いは、<男女VS男女VS男女>の均衡された状態になりました。これでは決着つかなくない?と思っていたら、やはり決着は別のところにありました。
 結局、この戦いは、どれかの種族に勝者が生まれたわけではなく、<文化推奨派VS文化否定派>の戦いに展開され、終止符となりました。文化の勝利です。
{/netabare}

ミンメイとミサ①:{netabare}
 今度はヒカルを巡る三角関係に関して。
 象徴として最初に起こったのはヒカルとミンメイは結婚式で、次がヒカルとミサは新婚生活、ということでヒカルがどちらになびくのかはなかなか見えませんでした。結果論から言うと、ミサしかなかったのだと思います。

 新婚生活の前のシーンで、ヒカルの家族が既に他界していることが明らかになります。家族のいないヒカルを「お帰りなさい」と迎えてくれたのがミサであり、ヒカルもこれを「ただいま」と受け入れたことが、ヒカルがミサになびくきっかけとなっていたのだと思われます。

 ミサがヒカルに思いを寄せ始めたのは、新婚生活の前のシーンでしょう。風邪をひいたミサがヒカルに弱音を吐きますが、ヒカルの境遇に触れ反省し、グロイ魚を食べるシーンがあります。これはおそらくプライドを捨てたという描写でしょうから、上官と部下という関係性から離れ、単なる男と女という関係にシフトしたのだと思われます。恋愛のスタートラインが描かれていたのでしょう。

 新婚生活自体はおままごとだったのですが、おままごとではない重要な描写があります。直後にあるミサが制服のジッパーを上げるシーンです。
 ミサはいつも立ち姿がシャンとしています。制服もキチンと着ています。どれくらいキチンとしているかというと、風邪をひいて寝込んでも着崩さないくらいキチンとしています。そんなミサがジッパーを上げるというのは、洋服を着る行為以外ないと思われます。ジッパー上げはヒカルと一緒に外に出てくるタイミングで行われますから、その前は洋服を脱いでいた、つまり、ヒカルとミサの間に肉体関係があったと捉えて良いでしょう(というか、意味がないのにジッパーを上げるシーンを描く理由がないですからね)。

 ヒカルとミサの関係が強固になっていることが分かるシーンがもうひとつあります。修羅場のシーンです。
 このシーンでは、ミサはノックをせずにヒカルの部屋に入ってきています。これは付き合い始めの恋人関係ではありえないでしょうから、通い妻とか同棲に近い感覚で過ごしてきていたのだと思われます。
{/netabare}

ミンメイとミサ②:{netabare}
 ミンメイが帰還してからも、ヒカルがミサに思いを固定できたのは、肉体関係があったからだと思います。
 もちろん現実的には肉体関係があっても他の女性になびく可能性はあるのですが、それはこの作品的には「絶対にありえない」と言い切れます(…たぶん)。
 肉体関係というと少しスケールが小さいですし生々しいので、「子孫を残すこと」とイメージしてください。

 この作品は、ゼントラーディと人類の対比が主題です。そして、人類が引き継いできた文化や愛が、両者の争いを終結させるという構造を持っています。しかし、文化とは何かとか、愛とは何かとかについては一切語られません。ここを語らない代わりに多くの時間を使って説明されているのがゼントラーディとは何か、ということです。

 ゼントラーディは、「子孫を残せず、戦争をする種族」です。これの対比先である人類が「子孫を残し、文化を持つ種族」というのはすぐに分かることです。そして、この背後にあるのが「愛」です。

 ミサとヒカルの肉体関係を示唆した以上、物語の構造上、人類を表現する際の「子孫を残すこと」というポジションは充足されています。物語を完成させるために足りていないのは、「文化を持つ」側です。
 ミンメイはアイドルというキャラクターです。初めから「文化」の側のキャラクターだったわけですから、私たち視聴者の感情はともかくとして、恋のライバルが登場してしまうと分が悪いと言わざるを得ません。
 つまり、「子孫を残し、文化を持つ種族」である人類を描くためには、ミンメイをヒカルとの恋愛が成就する「子孫を残す」側としてミサと重複させるわけにはいかず、愛の歌を歌う「文化を持つ」側でなければならなかった、ということです。

 仮に、ミサとヒカルの肉体関係が描かれていなければ、ミンメイにも可能性はあるのですが、そうなるとミンメイ自体が「子孫を残す」側であり、かつ、「文化を持つ」側でもあるわけですから、人類の全てを体現したキャラクターになってしまいます。人類の女神さま状態になりますから、象徴化が過ぎると思います。

 この作品のふたりのヒロインは、「愛」を「子孫を残す」側に特化させたミサと、「文化を残す」側に特化させたミンメイという役割を担っていたのだと考えられます。ふたり合わせて人類を描いていたのでしょう。ゼントラーディと対比をする上で、人類が持つ機能を「子孫」と「文化」に分けてしまったために、ふたりのヒロインはそれぞれの機能を体現するしかなかった、ということなのだと思われます。
 つまり、物語の作りから言えば、ヒカルが選ぶのはミサしかなかった、ということです。
{/netabare}


 マックスのサイドストーリーはもっと見たかったかな。尺が全然足りてないけど。
 2時間のミュージックビデオなんて聞いてましたけど、音楽だけの作品ではなかったと思います。文化とか愛とかっていうのが何かっていうのを描いて欲しかったというのはありますが、それを差し引いても、相当面白かったです。ロジックはしっかりありますしね。
 まぁ文化や愛が何なのかが語れなかったというのは、裏側を書くから表側は自分で考えてね、という構造になっている以上、仕方のないことかもしれませんけどね。ゼントラーディという異種族を使うことで、人間について考える、という作品でした。

対象年齢等:
 やや男性向けですかね。ミンメイの歌を好きになれれば性別は関係なさそうですけど。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 8
ネタバレ

sekimayori さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

「滑り台ヒロイン」とか作画とか。 【67点】

マクロスシリーズ第一作を映画化、歌と三角関係とロボットの物語。


■ヒロインの勝敗の付け方のお手本
複数存在するヒロインから最終的に一人が選ばれる場合、その選択に明確な意図がないと、いわゆる「滑り台ヒロイン」派閥は納得しづらいのです。
なのに滑り台ヒロインばっか好きになる私……。
なんてことを考えてたらいまさら思い出した、マクロスの原点。
ミンメイとミサ、主人公ヒカルに出会い恋に落ちた二人から、片方が選ばれる。
本作は物語構造的に、そこにうまく説得力を持たせられていたなぁと。
{netabare}
ミンメイは歌手です。
本作での歌の位置づけは、文化の象徴。
ゼントラーディという敵に対し、人類は
 ミンメイの歌を届け(かの有名なミンメイ・アタック)
→「ヤックデカルチャー」した大きなお友達との対立が解消され
→文化を排除する共通の敵を倒す、というのがプロット。

ミサにはそういう武器はない。
でも女として、ヒカルの愛を手に入れる。
男女が隔絶し敵対するゼントラーディ・メルトランディに対して、男女間の愛・性愛を持つ人類。
その領域での人類の勝利の象徴として、(肉体関係を随所で匂わせる)ヒカリとミサのカップルが成立するのです。

繰り返しになるけど、マクロスのテーマは、歌と愛とロボット。
その中で、歌(文化)を担うのがミンメイ、愛を担うのがミサ。
もしミサがアイドルだったり、ミンメイがヒカルに選ばれたら、負けたヒロインのファンとしてはあまりにやるせないですよね。
複数ヒロインがいても一人の総取りは許さず、各々が物語上の重要な役割をしっかり持ってる。
愛を手に入れられなかったミンメイについても、EDで歌手としての成功=新たな道での輝きが示され、ファン心理的には「よかったよかった」になるし。
テーマから逆算したキャラ配置上では当然の帰結だけど、キャラから入った人でも自然に納得できるというのは大きいです。
一方に偏らないキャラ描写(上映時間的に偏りようもないけれど)にも脚本のバランス感覚が見受けられ、長く続くシリーズの原点らしい基盤の強固さを感じました。{/netabare}


■一応作品全体の話とか
さすが原点、マクロスらしさ全開の作品で、ダイジェスト臭や古臭さに目をつぶれば、私のようにFから入った人でも楽しめるエンタメです。
歌と愛が地球を救うというプロットの勢い、アイドル歌謡、美樹元キャラデから醸し出される「古き良きアニメ」感が、80年代を体現しているようでテンション上がる。

でもやっぱり特筆すべきは、テーマの最後の一つ・ロボットを描き出す、圧倒的な作画。
にわかから見ても劇場版攻殻やAKIRAと並びセル画最高峰の一角だとわかる、異常な書き込み。
最終決戦、ミンメイ・アタック時の板野サーカスは凄すぎて思わず声が出ました(タコハイが飛びますよ)。
EDスタッフロールの原画クレジットの豪華さは、作画に興味のある方ならチビるのでは。

雑談だけど、古めの作品に共通して(劇パトとかでも)、DVD映像特典の予告の作りが時代を感じさせます。
映像の取捨選択、切り替え、楽曲とのシンクロ、文字フォント(重要)etc.、意識が変化したんですね。
実写含めた映画予告編やMAD等の持つインパクト・情報量は、だいぶ来るとこまで来ちゃった感じ。
とは言いつつ、さらに時代が進めば現代の想像力なんか軽々跳躍しちゃって、「2010年代のセンス古すぎ」なんて認識になるんだとは思うけど。
今を生きる者としては悲しくもあり、楽しみでもあり。


【個人的指標】 67点

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

75.1 2 歌手アニメランキング2位
空の青さを知る人よ(アニメ映画)

2019年10月11日
★★★★☆ 3.8 (233)
1072人が棚に入れました
山に囲まれた町に住む、17歳の高校二年生・相生あおい。将来の進路を決める大事な時期なのに、受験勉強もせず、暇さえあれば大好きなベースを弾いて音楽漬けの毎日。そんなあおいが心配でしょうがない姉・あかね。2人は、13年前に事故で両親を失った。当時高校三年生だったあかねは恋人との上京を断念して、地元で就職。それ以来、あおいの親代わりになり、2人きりで暮らしてきたのだ。あおいは自分を育てるために、恋愛もせず色んなことをあきらめて生きてきた姉に、負い目を感じていた。姉の人生から自由を奪ってしまったと…。そんなある日。町で開催される音楽祭のゲストに、大物歌手・新渡戸団吉が決定。そのバックミュージシャンとして金室慎之介の名があがる。あかねのかつての恋人であり、高校卒業後、東京に出て行ったきり音信不通になっていた慎之介が町に帰ってくる…。時を同じくして、あおいの前に、突然“彼"が現れた。“彼"は、しんの。まだあかねと別れる前の、高校時代の姿のままで、13年前の過去から時間を超えてやって来た18歳の金室慎之介。思わぬ再会をきっかけに、次第に、しんのに恋心を抱いていくあおい。一方、13年ぶりに再会を果たすあかねと慎之介。せつなくてふしぎな四角関係…過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」が始まる。

声優・キャラクター
吉沢亮、吉岡里帆、若山詩音、松平健、落合福嗣、大地葉、種﨑敦美
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

魂と時間

秩父三部作と通称される長編アニメシリーズの完結編。
先行する「あの花」「ここさけ」で描かれた鮮烈な青春群像劇を受けて、
青春の「その先」にあるもの、選択と迷い、行き詰まりや停滞など、
より広汎な人生の諸相を包括した物語となっている。

東京での成功を夢見る高校生のあおい。かつての輝きを失って帰郷した慎之介。
二人が歌うそれぞれの「ガンダーラ」に込められた、対照的な「夢」の姿。
自分の可能性を信じるあおいのアグレッシブな歌いっぷりと、
ギターを爪弾きながら慎之介が絞り出す、うらぶれたひとり歌。
青春ドラマに人生の苦みを足し加えた、独特の渋さが本作の個性である。

少し前に投稿したレビューを今回、ほぼ全面的に書き直した。
自分の関心は相変わらず、しんのというキャラクターの本質、そして、
三部作を一貫する主題の探求にあるのだが、前二作との比較をより鮮明にしつつ、
主題の一貫性を内在的な発展過程として捉える、思い切った試みをした。
それによって、出発点の素朴な疑問、しんのとは本当は何者なのか?
という問いをめぐる解釈に、多少の説得力が加わったか、どうか…。

(プロローグ)
{netabare}
物語の出発点を要約する導入部は、
短いカットやシーンをモンタージュ風につなげた凝った趣向で、
まずは主要なキャラクターを登場させ、さらにはその前史をも先取りする。

その中に断片的に挿入される、薄暗い、不明瞭なカット。
押し入れから何かを取り出しているらしい、無精髭を生やした男。
取り出されたものは、ガムテープで封印されたギターケース。

この部屋とは別にもう一つ、納戸のような場所も映し出される。
これらの場所が意味するものは物語の進行とともに徐々に明らかになる。
一方は、慎之介が現在暮らしている都会の一室。
もう一つは彼の故郷の、お堂と呼ばれている神社の拝殿の中。
そこには今も一本のギターが残されたままになっている。

暗示めいたこの冒頭の一連のカットには、わざと目立たないように
最も重要なメタファーが潜められている、というのが自分の推測である。
つまり、観ている者が後から気づくことになる決定的な事態とは、
これこそが「しんの」がお堂の中で目覚めた瞬間だったこと、
さらに、その目覚めとギターケースの封印が解かれるのが同時であったこと。

このメタファーの意味は踏み込んで考えるまでもなく、至って明解なものだ。
一方には空っぽのケース。そして、遠くに残されてきた本体のギター。
この両者が、しんのと慎之介との関係、即ちしんのの正体を説明している。
空虚な抜け殻になってしまっている現在の慎之介。
それはまさしく、中身の入っていない空っぽのギターケースだ。
だとすれば、周囲からは生霊とか地縛霊とか言われ、
慎之介の方が「本体」扱いされているのとは逆に、実はお堂にいるしんのの方が
置き去りにされた中身であり本体、いわば慎之介の「魂」と呼べるものなのだ。

ギターケースの中には、当時の記念の品々と、一枚の写真がしまわれている。
空っぽの心の中に過去の思い出だけを抱える現在の慎之介を象徴するようだ。
だから、これから始まろうとするものは、過去に残してきた自らの本体、
真実の自分、すなわちおのれの「魂」と再会するための旅であり、これは
しんの=魂という視点によって、物語の全体を読み解いてゆく試みである。
{/netabare}

Ⅰ 魂の顕現
{netabare}
「封印された過去」。これがしんのの一応の設定である。
岡田作品通有のモチーフであり、とりわけ「あの花」との関連は明らかだろう。
トラウマとして封印された過去の記憶の中から突如、実体となって現れる懐かしい異人。
めんまはそんな存在であり、しんのもまたその分身のように見える。
つまり本作の基本設定は「あの花」の延長線上にあると言ってよいだろう。

目覚めたしんのは、お堂に閉じ込められたまま一歩も外に出ることができない。
一切の活動を奪われた彼の状態は、文字通りの「封印」である。
その結果、外界から隔絶された閉鎖空間の中で
自分の存在をずっと自問自答する苦行を課せられることになる。

 なあ、俺どうしてここにいるんかな?・・・どうして、か・・・

封印された過去が自意識を所有して、自らの存在理由を問い続けている。
例えばめんまも自分の正体がわからず、その追求のプロセスが周囲を巻き込み、
やがて一人一人を自分の内面と向かい合わせる契機となった。
それが結果的に周囲の人々を苦悩から解放し、自らの救済にまでつながった。

しんのの場合も同じように、彼と関わる人々の心に徐々に変化をもたらしてゆく。
その変化のメカニズムを、物語の水面下で持続しているはずの彼の自省と関連させてみたい。
すなわち、あおいやツグに向けられる彼の率直な、全面的な肯定は
自身が完全に無力であるという苦い認識の裏返しなのではないか。
自らへのネガティブな反省が、他者へのポジティブな肯定に反転する。
ネガティブなものがポジティブな作用を及ぼすことは常識的には逆説に見える。
だが、魂の背理な力は常識の眼には、一個の逆説と映るものなのである。
自分はこれを魂の作用、働きかけと捉えたい。

ストーリーの軸となる、しんのとあおいとの関係をこの視点から見た時、
本当の力点は恋愛とは別のところにあるように思われる。
しんのへの想いを本物の恋愛と呼ぶには、あおいの心はあまりにも未熟に感じられる。
例えば、やさぐれた慎之介に失望し、さらに周囲の大人への反発が重なって
衝動的にあかねの生き方を全否定してしまうような幼さ。
しんのは、そんな突っ張ったり背伸びしたりする部分も含めて
等身大の、ありのままの自分を受け容れてくれる、心の支えのような存在である。

しんのへの淡い恋心は、あおいの内部に葛藤を生じさせる。
あかねの幸せを願う気持ちと、しんのが消えてしまうことを恐れる気持ち。
あかねへの愛情ゆえに揺れ動く、そのアンビバレントな感情の縺れは
心の奥底にある、最も素直な感情に立ち還ることによって解きほぐされる。
その役割を担ったのがしんのの存在であったように思われる。

ヒロインのあおいと主人公の慎之介は共に、心に抱えた屈折を
しんのの働きかけによって解消される。そこには本来の純粋な自分への復帰、
いわば「魂への回帰」が生じている。これが本作の固有のテーマではないだろうか。
本作が危機からの救済をめぐる「魂の劇」であるという事実を
「魂」そのものの顕示によって明らかにするものではないだろうか。
{/netabare}

Ⅱ 時間の肯定
{netabare}
秩父三部作を巨視的に通観する時、全作品に共通する
危機の救済のプロセスが、純化されていく方向性が認められるように思う。
つまり、前二作に潜在していた本質的なものが明確に顕現した結果、
「あの花」の心理ドラマが本作において「魂の劇」に昇華したと自分は捉える。
その過程で転回点になったのが、中間に位置する「ここさけ」の
あの極度に張り詰めた対話劇だったのではないか。そんな仮説が思い浮かぶ。

以前書いたレビューの中で指摘したことだが、「ここさけ」の終盤、
順と拓実が「本当の言葉」をぶつけ合う対話の場面には
相互の働きかけによる同時的な救済が実現している。
ここにおそらく、岡田作品に特有の救済の位相が認められると思われ、
漠然とだが、そこには魂への省察が予感されていたような気がするのだ。

本作にも山場となる二つの対話がある。
まずはしんのと慎之介。自分と自分、過去と現在とのドラマチックな対決。
もう一つはラストの、しんのとあかねとの再会の場面である。

しんのと慎之介の間では、否定と肯定が弁証法のように交錯する。
しんのは当然、現在の慎之介を非難するが、それが否定ではないことに注意したい。
しんのの否定は自らに向かっている。その否定の中に実は、
慎之介を肯定する契機が内在しているのだ。それはおそらく「時間」である。
具体的には、慎之介が耐えてきた13年という重たい歳月。
停まったままの自分には持ちえなかった時間。
それが、今も所在なく無為に存在している自分の現実と鋭く対比される。

この場所に留まってしまったしんのと、歯を食いしばって踏み出した慎之介。
尖鋭に向かい合う二人の姿に「いま」が顕現し、「時間」が可視化される。
そして今、過去を回収し、決着をつけてふたたび前に進むためにこの場所に来た
慎之介の覚悟は、しんのによって自分が存在した理由として理解された。

 俺さ、あの写真見ていろいろわかっちまった。
 あいつはさ、あん時、閉じ込めることでしか前に進めなかったもんに
 もっかい向き合おうとしたんだ、って。
 俺の中にもあるこの想いを、後悔になんてしないように、
 だから俺はあそこにいたんだ、って・・・

しんのとは、慎之介が向き合うべき「過去」の具現化だった。
そのような自分と向き合うために来た13年後の自分。その決意が彼に救いをもたらす。
しんのの方からの肯定によって、慎之介もまた過去の呪縛から解放される。
救済は一方通行ではなく、双方向的・相互的に成就する。
これが、三部作を通じて深められてきたテーマの真髄ではないだろうか。

そして、完結編となる本作ではさらに多方向的な展開を見せる。
クライマックスとなる、しんのとあかねが再会して交わす対話の中では
あおいを中心として、次々に肯定の連鎖が生じていく。

真っ直ぐに成長したあおい。その彼女のために地元に残ったあかね。
あかねの選択をしんのは今、心から肯定することができた。
そしてその肯定は、あかねを愛した彼自身にも及んでいく。
13年前のあかねの選択をしんのが肯定し、それによって自らを肯定する。
あかねへの断ち切れない想いが実体化した、凝固してしまった時間の象徴である
ネガティブな存在が肯定され、彼は安らかに消えていく。

そしてここでも、肯定されるものは「時間」である。
それはあおいと共に生きることを選んだあかねにとっての時間であり、
物理的な時間とは異なる、一人一人によって「生きられた時間」である。
成長した今のあおいはその結晶、具現化だと言ってよい。
ここに込められた本作のメッセージを自分は以下のように読み取った。

時間とは残酷なものだが、それが救いをもたらす場合もある。
本作はその両面を描きつつ、後の一面を支持していることは言うまでもない。
過去の意味は一概に判断できるものでなく、時間をかけて明らかになる真実もある。
「生きられた時間」を持てなかったしんのが結果的には
周囲の人々が新たな一歩を踏み出すための契機となったように
人生に無意味な時間というものは実は存在しないのではないだろうか。
「無用の用」という奥深い逆説的真理を体現したしんのの存在の奥に、
魂というものの本質が潜んでいるように感じられるのは自分だけだろうか…。
{/netabare}

Ⅲ 魂への回帰
{netabare}
過去の自分、現在の自分、未来の自分。
それらを貫いているものとは一体何だろうか―?

私たちはそれぞれに自前の判断基準=「ものさし」を持っている。
いつかは消え去る多くの夢、偶然の事柄に左右される日々の生活。
それら曖昧で不確かなものに基づいて私たちは往々、自らの現実を評価していないだろうか。
だが、もっと確かな、定点となるべき固有の実体が存在するはずだ。
それがその人の「魂」と呼ばれるものなのではないか。
過酷な現実の中で魂と折り合いをつけながら進むこと。魂を保って生きること。
そのような魂の所在こそが人生の本質的な課題となるのではないか。

その尺度に照らした時、夢とか現実とかいう区分は解消されるだろう。
魂にとってはただ為すべきことだけがあり、その進行の経過が現実というものだからだ。
だから当然、挫折などというものもない。
慎之介があかねに語ったように、すべてはまだ実現の途上でしかない。

 俺さあ、俺、ちゃんと前に進んでんだと。
 けど、まだ全部途中なんだ。途中だったって思い出した。
 だから、あきらめたくねえんだ、俺も・・・。

「思い出した」という表現が特に意味深く感じられる。
それは単に、忘れていた初心に帰るといったこととは違うだろう。
停滞とは多分、虚像にとらわれて本当の現実を見失ってしまうことだ。だからこれは
見失われていた自分の魂との再会による、本当の自分の回復を言い表すものであって、
魂を尺度として生きる人生への転換を意味する言葉なのだ。

——そして、慎之介の時間が再び流れはじめる。傍らのあかねと共に。


魂への回帰——。

それは個々人の人生の転換点において生じる事態である一方で、
人間の生存の条件をめぐる根本問題としての広大な射程をも有している。
本作の主題も実は、その地平にまで及んでいるのではないだろうか。

封印からついに解き放たれたしんのがあおいを連れて、広大な空を駆け回る、
全編のクライマックスとなる「魂の解放」を描いた場面。
魂の自由な躍動をヴィジュアルに描き切ったこのシーンは決して
単なる派手な映像的見せ場などではなく、ここまでの省察を踏まえれば
その内包するメッセージ性に気づかされるのである。

しんの=魂に導かれて、初めてあおいは、この空の本当の青さを発見する。

 空、青いね。・・・
 出たい出たいって思ってたけど、こんなにきれいだったんだね。

自分が今生きている「場所」の再発見、そしてその肯定を表明する言葉である。
「魂への回帰」とは、人が真に根差すべき場所をあらためて確認することなのだ。
しんのに抱かれたあおいがまるで、あやされる赤ん坊のように描かれるシーンがあるが、
ここにもおそらく、それぞれの固有の風土に抱かれて育まれる
人間存在の本来の在り方への暗示が含まれていると自分は解釈する。

この空の青さが魂の宿りだからこそ、どこまでも高く高く、跳ぼうとする。
この場所が魂の故郷だからこそ、どこまでも遠く遠く、駆け巡ろうとする。
このシーンは秩父への、そしてすべての「魂の故郷」に捧げられたオマージュである、
そのように捉えていいのではないだろうか。

デラシネ=故郷喪失。かつてアクチュアルな思想課題として熱く論じられた
あのテーマが、今再びここに喚び起こされているのだろうか——。
アニメ史に残るであろう記念碑的な連作・秩父三部作を締めくくるものは、
魂の「根差し(enracinement)」をめぐる新たな思索の可能性への
いまだかすかな予感なのかも知れない。
{/netabare}

(エピローグ)
{netabare}
エンディングに織り込まれた趣向は、エピローグと呼ぶのが相応しいものだ。
あおいたちのその後の歩みが、何枚かの写真によって伝えられる。その中の、
華やいだ記念写真に混じって、部屋の中だけを写した異質な一枚が注意を引く。

おそらく、ひとり暮らしを始めたあおいの部屋の中なのだろう。
愛用のベースの隣にはあの「あかねスペシャル」が仲良く並べられている。
慎之介とあかねが結ばれた後も、魂のしんのはずっとあおいと共にいる・・・
あおいのエア彼氏として(笑)。どうやらそんな感じの結末のようだ。
{/netabare}

総評:(主に前二作との比較を、旧レビューから再掲。)
{netabare}
「あの花」「ここさけ」に見られた求心性と緊迫感は
物語の固有の磁場を形成する、オリジナルな原初の「事件」に由来する。
原罪とも呼び得るトラウマからの解放に向け、極限的な感情と言葉とがぶつかり合い、
それらが思春期の心の揺らぎと共振し、作品は独特の屈折と陰翳を帯びる。
そうした内発的な展開の契機が、今作ではいわば外部化されている。
両親の死亡によるあかねの東京行の断念は、一般的な人生の有為転変に属しており、
そこにはあの私小説風の、特異で尖鋭な端緒が見られなくなっている。

また、説明的な描写、外的要因に頼る展開などに、一種の省エネ志向が認められる。
例えば、慎之介とあかねが会場の裏手で偶然出会う重要なシーン。
ここは再会した二人の心の揺らぎをもっとじっくり描くべき所ではないか?
目撃したあおいが姉の知らない一面を再認識し、一方でしんのの消滅を恐れて
板挟みの苦悩を深めるという方向につなげるのは、確かに無駄がなく効率的だが、
その分、キャラクターの心情への共感的な没入が妨げられる。
予期せぬ偶発事の発生で急転直下、物語に決着がつく終盤も展開本位だ。
視聴者は作品の中に入り込むよりも、外から筋の流れを追っていく感じになり、
映画的な感興がそがれ、テレビドラマ風な平板な印象が残ってしまう結果になった。

発展と見なせるのは、過去に関わる葛藤の乗り越えを描くのに際して、
思春期の心の「成長」から、人生の「成熟」へと視野が拡大し、さらに
それを促す要件としての「魂」の存在が、暗示的に主題化された点だろうか。

視点を多重化した本作の試みは功罪両面で評価できそうだ。
複層化に対応した構成は、前二作よりも明らかに緊密になっているが、
それにもかかわらず、逆に弛緩したような印象を受けることは上記の通りであり、
作品としての感銘度では、前二作には及ばないというのが自分の結論である。

蛇足になるが「井の中の蛙~空の青さを知る」というこの格言を
「魂」の方向に徹底させた言葉があるので、引用しておきたい。
沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷が座右の銘とした、ニーチェの言だそうである。
曰く、
   ― 汝の足元を掘れ。そこに泉はある。 {/netabare}


(初投稿 : 2021/06/01)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 22
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

タイトルなし

かの高名な超平和バスターズということで長井龍雪監督作品。
岡田磨里は青春作品を作るの上手だなと思ってしまう。多感な思春期の感情描写とかね。
ただ、前の作品のほうが僕にはインパクトが強くて、爽快な感じは良いのだが少々あっさり系に感じた。見ていたときの年齢も関係ありそうだが。

最初は高校生の姉とその彼氏しんのと妹あおいとのやり取り。
あおいが当時の姉と同じ歳になったとき元彼であるしんのが当時の年齢で生霊として現れる。
若さ故の尖った感じや矛盾した気持ちとか10年以上の経過で性格が様変わりしてしまった大人の諸行無常な感じと見せかけて本質自体は全然変わっていない様子とか描かれている。
キャッチコピーの通り、これは、せつなくてふしぎな、二度目の初恋の物語。


ゴダイゴのガンダーラかあ。若者というかバンドマンはそれを求めてるということだろうか?東京をガンダーラに見立てているのかな。選曲理由知りたい。

井の中の蛙大海を知らずされど空の深さ(青さ)を知る
後になって「されど空の深さを知る」という続きが作られたらしい。狭い世界で一つのことを突き詰めたからこそ、世界の深いところまで知ることができたということらしい。ガンダーラじゃなくても幸せはある。
お姉さんは十分幸せなんです。

{netabare}最後は結婚してるんすね。幸せになって良かった。{/netabare}


主題歌
空の青さを知る人よ あいみょん
葵 あいみょん
売れっ子あいみょんを起用するとは中々。


wikiに凄まじいネタバレがあった。備忘録として載せておく。
{netabare}
高校二年生の相生あおいは、秩父市の山あいに31歳の姉のあかねと二人暮らし。二人の両親は13年前に交通事故でそろって他界した。当時高校三年生だったあかねは、同じ高校でバンドのギター担当だった金室慎之介と交際していたが、一緒に東京に出るという約束を断念して地元の市役所に就職し、あおいを育てる傍ら独身を貫いていた。あおいは高校を卒業したら東京に出て働きながらバンドをすると決めており、放課後は一人でベースの練習に明け暮れる日常だった。

相生姉妹の住む地区で大物演歌歌手の新渡戸団吉を呼んで音楽祭が開く話が持ち上がる。仕掛け人は、あかねと幼馴染で同じ市役所に務める中村正道。正道は慎之介のバンド仲間でドラム担当でもあった。離婚歴のある正道はあかねに気があり、あおいにもそれをほのめかしていた。正道は、別の部署にいるあかねを「ヘルプ」として音楽祭の要員に加えてしまう。

月曜日、あおいが近所のお堂でベースの練習をしていると、13年前のしんののような高校生が突然現れる。あおいは幼い頃、このお堂でしんののバンドの練習を姉と眺めた記憶があった。あおいが驚いて姉のいる自宅に帰ったところに正道が訪れ、姉妹は団吉の到着を歓迎する手伝いをさせられる。団吉は西武秩父駅前にステージトラックで歌いながら現れ、そのバックバンドでは31歳の慎之介がギターを弾いていた。先に帰宅したあおいは、正道の息子・正嗣とともに再度お堂に向かう。高校生は13年前、あかねに東京に行かないと言われてそのままお堂にとどまり目覚めたしんのだと話す。なぜかしんのはお堂から外に出ることができなかった。正嗣はこのしんのは慎之介の「生霊」ではないかという。今の状況をあおいから聞いたしんのは、あかねと今の慎之介がくっつけば生霊の自分は慎之介の中に戻るから、二人を一緒にしてやりたいとあおいに頼む。一方、慎之介は歓迎会で酔いつぶれ、あかねにホテルまで送られる。飲みなおそうと絡む慎之介をあかねはいなし、「がっかりさせないで」と言い残して帰宅した。

翌日、あおいが高校の図書室であかねや慎之介の卒業アルバムを見ると、あかねは「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」と寄せ書きに記していた。団吉のバックバンドではドラムとベースが火を通さずに食べた鹿肉が原因で食中毒に倒れ入院。あかねの提案で正道とあおいが代役を務めることになるが、慎之介は「遊びと一緒にされたくない」と不快感を示し、あおいは意地になり演奏を披露。周囲は好評だったが、慎之介だけは厳しい表情をする。

次の日、練習で正道とあおいの演奏に慎之介は容赦なく厳しい言葉を浴びせ、高校生の頃の優しい姿との違いにあおいは怒りを覚える。そこへキャバクラ嬢がバンドメンバーを誘いに訪れ、練習は解散。その模様をあおいが貸したスマホを通じてしんのは目にした。未来の「自分」の姿にしんのは憤るも、プロのギタリストになっていたことには素直に感動し、戻ってきたあおいを励まして練習に付き合った。

翌日、慎之介は素人と練習すると腕が鈍るという理由で練習に来なかった。夜、お堂であおいは、自分は卒業後に東京に出てバンドをやるとしんのに打ち明けた。自分の意志を継ぐ者がいたと喜ぶしんのに、あおいはあかねに自由に生きてもらいたいから自分が地元を離れるという邪な理由だと話す。それでもあおいをほめるしんのにあおいはデコピンをねだり、逃げるように自宅に戻った。

金曜日、同級生の大滝千佳が前夜慎之介と一緒にいたと知ったあおいは、帰宅したあかねに「一緒についていけば慎之介はクズにならなかった」「自分はあかねのようになりたくない」となじる言葉を投げつけ、正嗣の家に行ってしまう。正道に、あかねと結婚してもいいと話すあおいだったが、正道が団吉を呼んだ真意が慎之介をあかねに引き合わせるためだったと知って、大人は汚いと非難した。

土曜日、新渡戸団吉一座とあおいやあかね、千佳は音楽祭の準備のためにホールに集まる。千佳は慎之介は真面目で何もなかったとあおいに話す。ホールの裏で一人ギターを爪弾く慎之介のもとにあかねが現れ、慎之介の唯一のソロ曲をねだった。慎之介はいろんな声帯模写を織り交ぜて歌い、あかねは笑い転げる。その場面をあおいは遠くから目撃し、高校生の頃と同じだと気づく。慎之介がその場を去ったあと、あかねが一人静かに泣いているのをあおいは目にした。帰宅後、偶然あおいは、あかねが高校生の時自分の養育のための工夫をつづったノートを見つけ、涙をこぼした。あおいは雨の中お堂に向かい、しんのが好きだがあかねも同じくらい好きであることをしんのに打ち明けた。

翌日、ホールでのリハの前に団吉が肌身離さずつけているペンダントがないと言い出した。スマホの写真から割り出された紛失場所(トンネル)に、あかねは自分の車で探しに出かけた。しばらくして弱い地震があり、あかねの向かった方面で土砂崩れが起きたという知らせが入る。あかねのスマホが不通で不安に駆られたあおいはお堂へと足を向けた。お堂では先に来た慎之介が、しんのと対面していた。しんのはあかねを探しに行こうとしない慎之介を罵倒する言葉をぶつけ、自分と違って外に出たのだから将来お前になってもいいと思わせてくれと叫ぶ。しんのは見えない壁を押し始め、それを見たあおいも全力でしんのの手を引くと、しんのはお堂から外に出ることができた。しんのはあおいの手を引いて飛び跳ね、二人は空高く舞い上がり、あかねのいる場所に向かった。一方慎之介はタクシーであかねのいる場所をめざし、通行止めの場所からは歩いて現場のトンネルに駆け付ける。トンネルの入口は土砂崩れで埋まり、あおいが先に来ていた。

そのころ、トンネルの中でペンダントを見つけたあかねは、反対の入口にいたしんのに出会う。しんのは、あおいという妹を大切にできるあかねを好きになれてよかったと話す。しんのはあかねを救出してあおいと慎之介に合流した。あおいは「3人で行って」とあかねの車に乗らなかった。しんのが眠る車中で、慎之介はあかねへの思いを口にし、あかねがそれに応じると、しんのは姿を消した。一人残ったあおいは田舎道を走り、急に立ち止まって涙をこぼしてから「あー、空、クッソ青い」とつぶやくのだった。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 9

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2

柳の下のどじょう狙い丸出し。「空の青さ」が描けてない。

 正直いって題名と連動したテーマ性が見えない話でした。

「空の青さを知る」は「井の中の蛙大海を知らず」につながるフレーズです。盆地を強調していましたので、秩父盆地の田舎の暮らしの閉塞感を表していることだと思います。その中でどんな「空の青さ」つまり「深さ」を知るのかというのが題名から読み取れるテーマです。

「スーパーカブ」の準ヒロインのレイと同じマインドだし「進撃の巨人」のマインドにも通じます。そこは良いでしょう。現代日本のアナロジーにもなるし、秩父という土地の特徴でもあります。

「ガンダーラ」という古の曲が使われましたが、この曲の歌詞を確認すると、夢がかなうと言われれている土地で、それは到達不可能なほどはるかな土地という意味にとれます。つまり夢がかなう土地は幻で、何のために生きるかが重要ということだと思います。

 でまあ、そこまでは分かりますが、ツナマヨと昆布のアナロジーはかなり分かりやすく慎之介とあおいの対比という感じで描かれていました。そうなると、肝心の空の青さを知る人=あかねのやりたい事は子育てだということ?
 ですが、親が死ぬ前から昆布しか握らなかったと思いますので、それでは矛盾があります。妹が好きすぎる?が理由なら作品として「空の青さ」の意味不明です。新しいものと古いものの対比とも取れますが、ツナマヨが新しい?都会?のアナロジーはさすがに無理があります。

 演歌歌手を出してきたので、その新旧という点で何か言いたい事があるのかもしれませんが、読み取れません。そもそもあの大御所キャラが全く役に立っていません。

 となると「空の青さ」の深さ=子育てとなります。これは良く分かりません。東京では駄目なんでしょうか?途中あかねはここ=秩父でやりたい事があるようなセリフを言いましたが、それが子育てということ?だとすれば慎之介への愛情がかなり浅くないでしょうか。ミュージシャンとして独り立ちしたこともあかねは知っていなすたし。
 地元の市役所の町おこしの仕事の手伝いも結構イヤイヤでしたよね?あかねって、地元愛が深いように見えないんですよね。

 しかも、ラスト…EDの様子を見ると結局あかねに秩父の地で成し遂げたい何かがあるのかわかりません。慎之介が夢をかなえて迎えにくるのを待っていた、では成立しない気がします。
 それは「空の青さを知る人」という言葉と合っていないからです。要するに苦労してあかねを育てた、立派だねという話にしか見えないです。

「すずめの戸締り」を見た人はわかると思いますが、その数歩先まで描けていた環さんと比較すると何とも言えない綺麗ごとの気がします。

 で肝心の慎之介の幽霊ですけど、彼は何のために出てきたかイマイチはっきりしません。残留思念なんでしょうけど…そして、あかねとの恋愛は何がしたかったんでしょう?

 あのビッチっぽい子とやったやらないの辺りも良く分かりませんでした。あのやったかどうかがこのビッチキャラを配した理由?あかねは襲って、あの子には手を出さないということでピュア性を言っていた?うーん。31歳のミュージシャンが?それにそもそも秩父に戻ってきたのも偶然だしなあ。

 そう…キャラの背景が薄いんでしょうよね。どうしてそういう行動をしたのか、というキャラの作り込みが薄いです。緻密さが感じられません。

 それとアニメですが、ご当地ものですから写真をそのままアニメ化したい気持ちはわかりますが、だったら実写でやればいいじゃん、と思います。人物が浮いてしまい、画面がメタ視点になってしまいます。アニメ作品なんだから人物ありきじゃないと駄目でしょう。

 あと肝心な「空の青さを知る人よ」の歌詞内容ですけど、歌詞を何度確認しても映画のテーマ性と重なってきません。あおい=青、あかね=赤で、歌詞と重なるかどうか何度もチェックしましたが、分かりません。
 映画の内容を理解して作った曲ではないでしょう?それがメインテーマで使われているので、非常にノイジーです。これは音楽をモチーフにした作品なのに最悪でしょう。

 全体的に話の構造は分かりやすいし、エモい話に仕立ててますが、夢、生き方、恋愛、秩父という閉塞した土地で暮らすということ…つまり「空の青さ」のどれもが全く描けていなかったと思います。

 私にはまったく評価できない映画でした。柳の下のどじょうはやはり作品の質を低下させると思います。作家性として描きたい内容、連作全体で何かが見えてくるような構想がないシリーズ化はやめた方がいいでしょう。


追記)今回、これが本当に「あの花」と同じスタッフが作ったのか?という出来だったので、自分の見落としがないか皆さんのレビューを少し多目にじっくり読ませていただきました。

 皆さん、点数も高いし、コメントもいいコメントが多いですが、気が付くのは、泣けなかった、後もう少しこうしていれば、あそこがなあ、キャラが余計だった、みたいなコメントがかなりの頻度でありました。

 まあ、私は悪いところ中心に拾ってしまって過小評価なのかもしれませんが、微妙で中途半端な印象がある映画なのは確かな気がします。



再追記)例えば、慎之介にとっても、あおいにとっても、井戸とは「東京に出てやりたい音楽をやる」という意味だとしたら、どうかなあとも考えます。つまり視野が狭い=井戸ということです。そうなるとあおいのキャラと成人した慎之介のキャラが頑ななことは説明が付きます。目の中の星の設定も、目が同じ特徴がある=同じ見方・同じ視点を持っているとも読めます。

 どこでやっても音楽は音楽で、夢を追うのは理想の環境・外形だけじゃない、とも解釈はできます。そうなれば演歌のバックバンドである意味は理解できます。
 残留思念の慎之介が「閉じ込められる」状態から、青い空を飛ぶところにカタルシスがあるとは思います。思いますけど、それが「空の青さ」を知るということ?

 どうでしょう?行間を解釈すれば整合性は取れてきますが…強引な気がします。映画を見ているときには、キャラが上滑してここまで到達できませんでしたし、それだと、肝心な「閉鎖した環境で自分を知る=自分の理解」という部分があおいにも慎之介にも見えてきません。

 なんとなくですが、テーマ性というか題名に引っ張られて脚本がよれている気がします。といいますか、キャラの不自然さとか、感動の薄さがやっぱり気になります。

 少し深掘りすると評価点が低い気がしなくもないですが、今のところ第一印象通りの点にしておきます。気分の問題かもしれないので機会があれば再評価するかもしれません。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

79.5 3 歌手アニメランキング3位
劇場版 とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟(アニメ映画)

2013年2月23日
★★★★☆ 3.8 (1473)
8727人が棚に入れました
学園都市製宇宙エレベータ『エンデュミオン』。
その完成を目前に控えたある日、上条とインデックスは無能力者(レベル0)の少女・鳴護アリサと出会う。
路上ライブで素晴らしい歌声を披露していた彼女と意気投合し、放課後を楽しんでいたところ、
アリサにオーディション合格の知らせが舞い込む。
エンデュミオン開通キャンペーンのイメージソングに、彼女の曲が大抜擢されたのだ。
そんな幸せもつかの間、魔術師を引き連れたステイルが突如襲いかかってくる。
ターゲットは、アリサ。なぜ科学サイドの人間である彼女が魔術サイドに狙われるのか?
魔術サイドの強襲を受け、学園都市側は女リーダー・シャットアウラ率いる秩序維持部隊『黒鴉部隊』を展開する。
上条とインデックス、そしてアリサを取り巻く状況が混迷を極める中、ステイルは、こう言った。
「そこの彼女は、魔術サイドと科学サイドの間で戦争を引き起こしかねない」と――。

科学と魔術、そして、歌と奇蹟が交差するとき、『エンデュミオン』を舞台に物語がはじまる――!

声優・キャラクター
阿部敦、井口裕香、佐藤利奈、三澤紗千香、日笠陽子、佐倉綾音、新井里美、豊崎愛生、伊藤かな恵、伊藤静、谷山紀章、能登麻美子、勝杏里、岡本信彦、ささきのぞみ、川原慶久、こやまきみこ

田中タイキック さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

ファン的には85点くらいあげたいけどー…

2013年2月23日公開 上映時間90分
アスキー・メディアワークス創立20周年記念作品

とある~シリーズ初の劇場作品であり原作者、鎌池和馬原案のオリジナルストーリー
また、電撃文庫に関わっているイラストレーター(いとうのいぢ、凪良、ゆーげん)が衣装デザインをしていたり
漫画家の星野リリィが一部キャラクターデザインをしていたりと劇場版ならではのコラボも

時系列はとある魔術の禁書目録II(2期)の第7話と第8話の間なんだけど
視聴の際は最低限、とある魔術の禁書目録の1期だけ見てればOK
ついでにとある科学の超電磁砲の1期を知っていればなお良しな感じで
長いシリーズだけどそんなに敷居は高くないよってことは言っておきたいです


加えて劇場用に用意された新キャラクターの主要3人

・鳴護 アリサ(めいご ありさ)
・シャットアウラ=セクウェンツィア
・レディリー=タングルロード

この3人を覚えておけば後は流れでなんとなく見れちゃうよって作品です


鳴護アリサ(CV:三澤紗千香)
本作のヒロイン。レベル0の無能力者であるが歌でみんなを幸せにしたいという夢を持つ
日々、路上ライブやネットでの楽曲配信をしながら夢を追いかける普通の女の子
しかしその歌声には「奇蹟」にも似た不思議な力を発しており
その力のせいで様々な事件に巻き込まれていく…
鳴る=歌うに護ると書いて鳴護と「神のご加護を」という意味のMay God be with youを掛けた
シャレオツな名前をしており、キャラデザもシリーズ1、2を争うほど可愛い(と個人的に思ってる)
パンチラ・お風呂シーンなんかのサービスもあるよ!!


シャットアウラ=セクウェンツィア(CV:日笠陽子)
「黒鴉部隊」という組織の隊長。レベル4の能力者。
光学迷彩を備えたタチコマのような多脚兵器に搭乗し部隊を指揮する少女
物語冒頭のある事件に深く関わっている人物
エロいピチピチスーツを身にまといやたらとケツを強調しているカメラワークが多いよ!!


レディリー=タングルロード(CV:佐倉綾音)
宇宙エレベーターのエンデュミオンを建設した「オービット・ポータル社」の社長
年齢は10歳とされておりゴスロリファッションに身を包んでいる
しかしその正体は魔術サイドの人物で不老不死の体を持ち1000年以上生きている
エンデュミオンを使って何か悪さをしようとしてる
貴重なロリババア枠だよ!!


今回の映画の特徴として作画や背景がとても美麗
失礼を承知で言っちゃうと本当にあのJ.C.STAFFか!?って感じ
J.C.STAFFの劇場作品といったら灼眼のシャナ以来?
あれは総集編的な内容だったし、それ以上遡ったらウテナとかスレイヤーズの90年台の作品になってしまう
とにかくJ.C.STAFF作品では間違いなく一番いい作画になってます
見所としてはシャットアウラ率いる黒鴉部隊とステイルと弟子たちのカーチェイスシーンかな
イギリス清教ってけっこうシブい車乗るのね


あと音楽面
鳴護アリサはヒロインであると同時に歌姫でもあるので
彼女のために書き下ろされた楽曲が5、6曲あり
そのどれもが結構良かった
BGM担当の井内舞子も作曲に関わっていてI'veサウンド特有の電子的な曲もありつつ
爽やかな4つ打ち系のピアノハウスな曲もあったりで全体的に好印象
劇中歌を収録したミニアルバム「ポラリス」はとあるシリーズ好きや声優さん好きはもちろんだけど
こういう電子音楽好きにも"聴き"な一枚でした


【総評】
たしかな映像美に効果的な演出と音楽を乗せて
劇場版の名を冠するにふさわしい出来栄え
お祭り的にいろんなキャラを出したことでそれぞれの描写が薄味になったことは否めないけど
やっぱりファン心理としては映画という晴れ舞台に出れて嬉しい
(佐天さんやっと魔術に出れたね!やったぜ。)

しかし物語はというと少し小奇麗にまとまりすぎた印象
もともと突っ込みどころ満載なのはシリーズ共通だからいいんだけど
ぶっ飛んだ思考や歪んだ正義を上条さんの説教とそげぶでぶっ飛ばす痛快さが売りだったのに
それが薄かった感じ
宇宙まで広げたスケールの大きい話をしたわりには
敵側の描写不足でイマイチ話を広げられなかったなぁ
最後はとりあえずハッピーエンドで悪い余韻を残す感じじゃなかったけど
ちょっと含みのある終わり方をしていました
じゃあ考察でもしてみるか!っていう感じでもないし
もっと王道な話でもよかったかもしれないです

アクション・アイドル・お色気など受ける要素をふんだんに盛り込みつつ
キャラオールスター出演で確かなとある魔術の映画だったので
ファン満足度はすげー高い作品になってます
鳴護アリサは映画で使い捨てるには惜しいキャラだったなー


ちなみにガチで宇宙エレベーターを作るには
18年の年月と170兆円の予算が必要だそうですよ

宇宙エレベーター協会に聞いてきた
劇場版とある魔術の禁書目録の舞台・エンデュミオンとは
http://ascii.jp/elem/000/000/770/770258/

投稿 : 2024/06/01
♥ : 34
ネタバレ

ほむほむ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

奇蹟も魔術もあるんだよ

とても楽しみですね^^

鎌池さんによるオリジナルストーリーみたいですが、気になるストーリーはと言うと、
{netabare}
学園都市製宇宙エレベーター『エンデュミオン』。その完成を目前に控えたある日、上条とインデックスは『無能力者(レベル0)』の少女、鳴護アリサ(三澤紗千香)と出会う。インデックスとアリサが『旺盛な食欲』という謎の繋がりで意気投合し、三人で放課後を楽しんでいた時、魔術師を引き連れたステイルが突如襲いかかってくる。魔術サイドの強襲を受け、学園都市側は女リーダー・シャットアウラ(日笠陽子)率いる秩序維持部隊『黒鴉部隊』で対抗する。上条とインデックス、アリサを取り巻く状況が混迷を極める中、ステイルはアリサを指し、魔術サイドと科学サイドの間で戦争を引き起こしかねないと告げる。魔術サイド、科学サイドから狙われるアリサの秘密とは……?


PVを見る限りで、作中での時期を適当に予想すると。
黒子が怪我をして車いすに乗っていて、美琴と初春が普通に制服姿なので、9月15日~9月18日(残骸編翌日~大覇星祭前日)ではないでしょうか。
それ以降も考えましたが、大覇星祭初日から上条さんも、美琴もそれぞれ事件に巻き込まれているのでまずないかと思います。
まぁ、そんなことどうでもいいんですけどね(笑
{/netabare}


公式ページに映画関連の情報が来ていますね。

◆劇場来場者特典として「電撃劇場文庫」を10万3000人に無料配布!
『とある魔術の禁書目録 ―ロード トゥ エンデュミオン―』
著/鎌池和馬 イラスト/はいむらきよたか
ページ数:224ページ
発行部数:10万3000 部

すごく欲しいですね!10万3000人とかすぐに無くなちゃいそうだ…


◆劇場版のコミカライズが決定。
2013年3月号(2月12日発売)より連載開始。
原案: 鎌池和馬
原作: PROJECT-INDEX
構成: 西野リュウ
作画: 朝倉亮介
キャラクター原案:はいむらきよたか

流石に全部は無理だろうけど、さわりくらいの予習はできそうですね^^


◆『劇場版 とある魔術の禁書目録 ―エンデュミオンの奇蹟―』の前日譚を描くPSP®用ゲーム「とある魔術と科学の群奏活劇」発売決定!

発売時期:2013年2月21日

映画の前日譚ってことは、映画の2日前に買ってやっておけとそういうことですか!

<gameストーリー>
{netabare}
超能力を研究する、学園都市。230万人の学生が生活を営むこの都市で、今、複数の事件が同時多発の動きを見せようとしていた…。
「学園都市SNS ロンドネット」で開催される、「金星探査プロジェクトレース」。この参加型企画に一喜一憂する上条当麻とそのかたわらのインデックス、御坂美琴。
その頃、「ロンドネット」のクーポンを利用し、街中のスイーツ店を訪れる白井黒子、初春飾利、『佐天涙子』の3人。一方で、秘密裏に行動を開始するステイル、神裂、そして、土御門。
───そしてまだ見ぬ新勢力が、この学園都市の片隅で静かに動き出す。

佐天さんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
映画では出番あるかどうか不安だけど、ゲームでは登場するみたいですよ!
{/netabare}

◆劇場版エンディングテーマ、楽曲タイトル決定!
楽曲タイトルは「FIXED STAR」で歌うのは川田まみ。
2月20日発売

映画を観る前に是非聞いておきたいですね^^


そのほか、詳しい情報は公式ページにて、
http://www.project-index.net/

投稿 : 2024/06/01
♥ : 3
ネタバレ

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

オールスターズファンムービー★そして神裂さん最強ヒャッフゥーd(゜∀゜)b

ジャッジメントですの!
かまちーの協力の下、完全オリジナルストーリーでの映画化となった『と禁』の最新作ですの


学園都市を象徴するシンボルとして、劇中の背景内でも鎮座している姿が度々確認出来ていながら特に深く語られることのなかった「宇宙エレベーター エンデュミオン」
この宇宙エレベーターを舞台にし、劇場版らしいビックスケールの物語が展開されるのが目を引く作品となっていますのよ


物語は宇宙エレベーター建造のキッカケとなる過去のスペースプレーン墜落事故から始まり、この事故に浅からぬ因縁を持つレベル0のストリートミュージシャン「鳴護アリサ」
なぜかアリサをつけ狙う「シャットアウラ=セクウェンツィア」
そしてシャットアウラの背後に立つ「レディリー=タングルロード」
と、いったオリジナルキャラクター達を軸にして動いていきますの


とにかく見所はバトルシーンであるのですが、わずか90分の作品にも関わらず片っ端から出て来る『とあるシリーズ』の名キャラクターのオンパレード!


上条さんが!
御琴が!
ステイルが!
神裂さんが!
土御門が!
黄泉川先生が!
初春が!
佐天さんが!
そして黒子が!(というか新井里美さんがw)
ホントもうよく揃えましたわねこのキャストw
よくもまあ出しましたわよこんだけのキャラw


神裂さんの強さはなんかよくわからない┐(´_`)┌オテアゲ{netabare}あの人、成層圏外でも戦えるのですね・・・原作通りらしいですけど;{/netabare}
まさか一方さんまで出すのは無理だろぉ流石に・・・とか残念に思っていたらばラストぉぉぉぉ!!!???


悲しいことに前半のギャグが寒いとかツッコミたいこともイッパイあるのですけどねw


歌がキーポイントになるお話なのにアリサってシンガーソングライター出身にも関わらずライブでは思いっきりアイドルポップ調なのが萎えますわ
地下駐車場で血塗れになった上条さんの頭部が次のカットでは完治?
シャットアウラの乗ってる多脚戦車あれタチコマに似てね?
ステイルの弟子達(?)が出てきますけど「霧雨魔理沙」に似てるぅ(星野リリィ先生の仕業?)・・・とか、まぁ別の一人が言ったステイルのタバコに関するくだりが面白かったのでその辺はチャラってことでw
あと『009』から引き継いだであろうコマ抜きしたキャラCG、アレ単純にショボく見えましたわ(爆


ラストのオチに関しては悪くないと思うのですが、タイミングの悪いことに先週わたくし『スタードライバー』を観てしまいましたの・・・アレに比べたら説得力も演出力も悪いですわよね
もうちょっとキャラデザとかキャスティングを近くしてあげた方が・・・;


レディリーに関しても原作や今後の展開に繋がるのか否か、原作未読者のわたくしには曖昧にされた印象を受けましたわ


まあこまけぇことは無粋かもしれません、とにかく『とあるファン』必視ですわ!


ちなみに背景描写が丁寧になった反面、聖地「立川」のシネマツーで観ると劇場を出た際に強烈なデジャブを感じますわよw
わたくし、アリサの背後のミスド(劇中ではマイクロドーナツ)でさっきまでコーヒー飲んでましたわ

投稿 : 2024/06/01
♥ : 22

71.1 4 歌手アニメランキング4位
SING/シング(アニメ映画)

2017年3月17日
★★★★☆ 3.9 (51)
348人が棚に入れました
人間世界とよく似た、動物だけが暮らす世界。コアラのバスターが劇場支配人を務める劇場は、かつての栄光は過去のものとなり、取り壊し寸前の状況にあった。バスターは劇場の再起を賭け、世界最高の歌のオーディションの開催を企画する。極度のアガリ症のゾウ、ギャングの世界から足を洗い歌手を夢見るゴリラ、我が道を貫くパンクロックなハリネズミなどなど、個性的なメンバーが人生を変えるチャンスをつかむため、5つの候補枠をめぐってオーディションに参加する。

声優・キャラクター
内村光良、MISIA、長澤まさみ、大橋卓弥、斎藤司、山寺宏一、坂本真綾、田中真弓、宮野真守、谷山紀章、水樹奈々、大地真央

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

『LA LA LAND』でも『MOANA』でもなく『SING』という選択肢 今回“も”吹替がアツイ!!!

『ミニオンズ』『ペット』と世界的ヒットを続けざまに出しているユニバーサル発イルミネーション制作の3DCG長篇映画の最新作
コメディ映画や洋楽PVを多く手掛けるガース・ジェニングスが監督
擬人化された動物キャラクター達が暮らすアメリカ西海岸風の街を舞台に落ちぶれた劇場の再建をかけて素人の集まりが歌謡ショウを繰り広げるという音楽映画
途中、物凄くリアルな“洪水”の描写があり、それが見どころの1つなのですがあらかじめ断っておいた方が良さそうです
ちなみに既に続編の製作も決定しています


オンボロの劇場を運営するコアラの支配人、バスター・ムーン
彼は劇場の再建を掛けて一世一代の大博打を打つ
それは、誰も観たことのないショウ
一般の参加者から選び抜いたまだ見ぬ才能を持つ素人歌手を発掘し、ショウで発表するというものだった
賞金を誤魔化し、電気を盗電し、強引な買収まで行い彼は計画を実行に移す
オーディションでバスター・ムーンに選ばれたのは5組
家事と育児に追われる日々で疲弊しきっていた豚の主婦、ロジータ&彼女とペアを組むこととなったまるで正反対の性格のコミカルな豚のダンサー、グンター
ギャングのボスである父親にしごかれながらも、胸の内には歌手になることへの憧れを秘めた心優しいゴリラの青年、ジョニー
彼氏にコキ使われながらも、共に売れないパンクロッカーとしての巡業を繰り返すヤマアラシの少女、アッシュ
経験者であることを鼻に掛けてお高く留まる欲張りなネズミのジャズミュージシャン、マイク
音楽一家の長女で美声を持ちながらも内気で極度のあがり症の為に実力を発揮出来ずくすぶり続けているゾウ、ミーナ
そしてショウの成功を信じる楽観主義だが、ショウへの情熱だけは人一倍なバスター・ムーン自身を含めた6組の主人公達が織り成す音楽エンターティメント!


動物擬人化コメディということで『ズートピア』みたいなノリを想像していただけると分かりやすいかと思います
そして『LA LA LAND』や『モアナ』という風になぜか同時期にミュージカル映画が集中してしまった中で、今作は明白に音楽映画、しかも群像劇というジャンルを貫いているので他作品との差別化はちゃんと出来ています


つまり『天使にラブソングを』や『スウィングガールズ』や『フラガール』と同じです
ぶっちゃねこの手の映画の構成はほとんど完成されてしまっています
この半世紀ぐらいほぼテンプレート化されていて、今作も例に漏れず“特に物珍しさを感じる映画では無い”ことは断っておきます


具体的には
人生の低空飛行を続けてい主人公らが

音楽の楽しさに目覚め上昇志向で目標を目指す

だが思いがけない大トラブルに巻き込まれ一時はドン底に落ちる

最後のチャンスをモノにすべく全力で大舞台に挑む

ハッピーエンド
正直ネタバレでも何でもないので、今作もこーゆー映画の類と思っていただくのが正解でしょう


さて、では何が今作の魅力なのでしょうか?
まずひとつは劇中で流れるBGMや実際にキャラ達が歌う楽曲が、一部のオリジナル曲を除き世界的ヒットを飛ばした人気洋楽の原曲やカバーや日本語訳で、ソレが実に64曲も流れるということです
古いところではフランク・シナトラやビートルズ
懐かしいところではシンディ・ローパーやワム!
新しいところではレディー・ガガやケイティ・ペリーやカーリー・レイ・ジェプセンやテイラー・スウィフト
あとネタ的な役どころとしてきゃりーぱみゅぱみゅが3曲ほどかかかります(笑)
これだけで豪華なサントラが出来上がることが容易に想像出来ると思います
洋楽ファンなら高揚のあまり劇場でジッとしてるのが辛いぐらいです
しかもこれを動物キャラが真顔で歌っているのが笑いどころw


そして、歌う映画ということで本家アメリカのキャストも豪華
楽天家なバスター・ムーンはコメディもシリアスもこなす名優として数々の受賞暦を持つマシュー・マコノヒー
豚の主婦、ロジータ役に妖艶な魅力のリース・ウィザースプーン
傲慢なネズミのマイク役は『テッド』の監督とテッド役を兼任したセス・マクファーレン
悩めるティーンエイジャー、ネズミのアッシュ役は少佐、またはブラック・ウィドウことスカーレット・ヨハンソン
ゴリラのジョニー役には名門演劇学校出身の若手イギリス人で『キングスマン』で注目を浴びた、タロン・エガートン
ゾウのミーナ役にはyoutubeやオーディション番組で注目を集めた話題のシンガーソングライター、トリー・ケリー
コメディアンなグンターには、同じくコメディアン、そして声優としても人気なニック・クロール


『モアナ』のモアナ役には日米共に疑問が残った中、今作はなんとも気合の入ったキャスティングで申し分ないですね
ちなみにガース監督自身はカメレオンの受付嬢(200歳)ミス・クローリー役で出ている


で!ユニバーサル発イルミネーション制作の映画といえばやはり吹替版の出来が素晴らしいことはもはや周知の事実ですよね!?
昨年の『ペット』の吹替は今年度の「声優アワード」を受賞したことも記憶に新しい
今回もその大きな期待に応えてくれています!


バスター・ムーン役がコメディもシリアスも出来るマシュー・マコノヒーなら、日本ではウッチャンこと内村光良だ!


内気が故ほとんどセリフをまともに喋れないミーナ役
誰だ?このヘンテコな声の主は?
しかし歌いだすとすぐ分かる圧倒的声量、ってまさかのMISIAじゃねぇか!w


アッシュ役には東宝シンデレラ、長澤まさみ
昨年の『君の名は。』でもいい仕事してました!
ラストに彼女が歌うオリジナルソングは日本語詞に翻訳され、本編の彼女の心境とマッチしていて思わず泣いちゃいましたね;;


大きな体に優しい心と柔らかい歌声、ジョニー役にはスキマスイッチの大橋卓弥
ゴリラの姿と美声とのギャップが溜まりません


グンターさんには歌うま芸人として一躍有名になったトレンディエンジェルの斉藤さん!


おおっと???何も芸能人だけが主役じゃないぜ!本業のプロ声優も豪華な顔ぶれです


家弓さん亡き今の世、マイクが歌うフランク・シナトラの曲を物真似出来る声優・・・といえばやっぱり山ちゃんこと山寺宏一
彼がいるのに劇中で『バックトゥザフューチャー』のオマージュを入れたのは偶然が生んだ奇跡なのか、思わず笑いました
(山ちゃんは『BTTF』の吹替でマーティーもドクも演じたことがあります)
また、このマイクというキャラが「実力はあるが性格は最悪」という美味しいキャラで、彼の問題児っぷりは恐らく次回作に引き継がれることでしょう


ロジータは歌が上手い人妻!(だが豚だ!)
ソコにまさかの坂本真綾を連れてくるとは恐れ入ったwww
まさか真綾が豚を演じる日が来るとはwww
真綾が歌うテイラー・スウィフトの大ヒット曲「シェイク イット オフ」は聴き逃せない!
しかもデュエット相手が斉藤さんなのがまたなんともwww


その他にも田中真弓、宮野真守もおいしい役どころで登場
物語の鍵を握る引退した伝説の歌手、ナナ・ヌードルマン役として大地真央を起用するのはニクい


ちなみに『ペット』でもやってくれましたが水樹奈々、柿原徹也、村瀬歩、木村昴、佐倉綾音がネタ的に一瞬出てくる(ホントどうでもいい役w)ので探してみてほしいです


あと藤原文太こと石塚運昇さんが息子にドラテクを指南してるのも狙ってやってるとしか思えないw


『モアナ』の場合、いつものディズニーらしさを残しつつ意外性のある物語で中盤以降引っ張っていったのに対し、今作は純粋な意味で【可愛いキャラが!豪華なキャストで!!楽しい歌を歌う!!!元気の出る映画!!!!】というところに重きを置いていることを評価したいと思います


音楽映画って先にも言った通りもはや新鮮味に欠けるジャンルではありますが、“これぞ王道”と呼べる映画が毎年一本ぐらいあってもいい
そう感じさせてくれるパワフルな作品でした

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10
ネタバレ

❣ユリア❣ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

なにこの歌唱力の素晴らしさ!!まるでコンサートを見に来たみたい!!

☆映画館の吹き替え版にて見ました☆

〜あらすじ〜
動物たちの住む街を舞台した昔は栄えてた劇場を再建するため、オーナーのコアラが奮闘する物語

コアラのバスター・ムーンは自分が持つ劇場にすっかり客が減り没落していた
しかし心から劇場を愛するバスターは、劇場を守るため、世界最高の歌唱コンテストを開催し最後のチャンスに賭けようと決意する
さまざまな事情を抱える動物たちが、歌に夢をかけて活躍するミュージカル・コメディ。



CMで見て、歌がよかったから

外国の歌聞けるし?楽しそうだし?よし見よう!
と、映画館へ
しかし、そんな軽い気持ちで見た「SING!」は
ただの、ミュージカル映画ではありませんでした…!

{netabare}
まずはなんと言っても声優さんの歌唱力!!
なんですか!?いや、正式には声優さんじゃない人もいます
とにかくすごすぎ!
プロ顔負け!?って言えるほどでした!(日本語版)
しかも、何ヶ国でも上映しているSINGですが、歌を変えたり日本語にしたのは日本だけなんです!!
日本…すごすぎるっ!


〜今回のSING 歌について〜
歌はざっくり言って最初と最後の2回にあるわけですが、どちらも本当に引き込まれます!

特に最後!屋外でみんなと協力して作った劇場
そして成長した動物達が歌った歌…
本当に最高でした…
動物達それぞれに思いが込められていて…
ライブに行った後の余韻を感じた気分でした…

{netabare}
☆ゴリラ(ジョニー)
最初は父ともどもと悪党の手下で、仕方なく手伝っていたわけですが、こっそり抜け出してコンテストをしている間に父達が捕まってしまい、父に見捨てられてしまいます…

しかし!!
最後の歌を歌った時!父もその歌を聞き、惚れて、脱獄します!

「ジョニーだ…!俺の息子ジョニーだ!!」

そう言って、牢屋の格子?を手で(笑)壊し、ジョニーの元へ!
そして無事?に再会!
あのゴリラとゴリラの再会には感動しました(T_T)
ゴリラ〜(;∀;)
しかも、父は歌声に惚れて、ジョニーを息子だと認め、仲直り?したのです!!
本当によかったです〜(T_T)


☆ゾウ(ミーナ)
最初はおとなしくて人前では歌えなかったミーナ
コンテストでは歌えなく、照明係でパシられたわけですが(照明係うまかったです、いやほんとに!)なんと2回目の時にはみんなと一緒の劇場に出て歌えるように!!

しかも歌い出したらこの上ない素晴らしさ!
フィナーレだったこともあり、とても盛り上がりました!!

ゾウがジャンプした時は舞台が崩れるかと思いましたが、なんとか保ち、無事終わることができました!!!いやぁほんとにすごかったです!


☆ハリネズミ(アッシュ)
恋人とロックなギターをやっていたわけですが、アッシュだけ、コンテストで選ばれた為、恋人はショックかやけになりアッシュを降ってしまいました…

最初は落ち込んでいたアッシュでしたが、最後の歌には思いを込めて、そして吹っ切れた感じだったので見ててとってもじーんとしました!

そして、その歌を聞いていた元彼もカッコいいと気にいり再び惚れ直していた…!?
アッシュの服もかわいかった…ですよ笑


☆ブタ(ロジータ)
超超ちょ〜子沢山なわけですが、(なんと25匹も!?!?)とっても家庭思いの良いお母さんなんだと思います♪

家族多めの家庭でコンテストに行くため子ども達の面倒が見られなくなってしまう…
そこで考えた発明がいつもやっている事を機械化すること!

1日でその機械を作るなんてすごすぎでした!(詳しくは劇場で…m(_ _)m)
あんな事が出来るものなんだと!
見てて感心しましたいやすごすぎでしょっ!!

そして最初は乗り気じゃなかったオス(斎藤さんだぞの人)ブタさんとも最後はノリノリに歌っていてとても感動しました!一瞬夫を諦めて浮気したかと…笑
でももちろんちゃんと夫とも仲良しですよ♡

私の中では1番と言ってもいいほどのお気に入り、(すごすぎる機械作ったから)尊敬できるキャラでした♪

長々とキャラについて書いてしまいましたが…
{/netabare}内容ももちろん良かったんですがもう一つ!すごいなと思ったことが!
絵の使い方!背景転換などの演出法がとっても上手くキレイで「はわわ〜」って見惚れるほどでした!
ほんとにすごすぎです!!!

などなど、話したいこと書きたいことはたくさんあるのですが…

とにかく!{/netabare}この歌の上手さ!絵の使い方!もちろん内容も!
笑いあり涙あり歌あり!の最高の映画だと思います!
歌の余韻も…!

まだ見てないよーって人は見ることをオススメしますよ♪
私は今回日本語版を見たわけですが、英語版もぜひぜひ見てみたいなと思いました♪

そして!!なんとなんと!
続編!
がやるんです!!!!(日にちは未定)
映画の最後に発表されてとっても驚きましたが、ぜひまた映画を見て、そして出来たらまたレビューに書いて出したいなと思いました♪

5/12のMステにも出てるんですよ…|*゚ω゚)ノ"
何度も歌が聞きたくなる♪そんなオススメ映画です♪

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10
ネタバレ

オフ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

音楽の素晴らしさはもとより表現の奥深さに感服

話題のSING/シング、字幕版で観賞してきた。

物語序盤から中盤にかけてはなかなか乗り切れずに、少し退屈さを感じてしまった。これは群像劇の宿命とも云えるもので仕方ないのだが、「この先本当に面白くなるのだろうか」と心配してしまう程であった。

だが、クライマックスに差し掛かれば、そんな心配は杞憂に過ぎなかったと分かる。

最後のライブは感動で常に涙腺が緩んでしまい、その迫力とノリの良さで身体が自然に動き、足踏みを近くの客に迷惑を掛けないよう抑えるのに苦労したぐらいだ。

さて、この映画1番の見所である音楽に関しては私があれこれ語るより、たから さんの素晴らしいレビューを見てもらえれば良いと思う。

https://www.anikore.jp/review/1631218/

その楽曲、選曲のセンス、表現力は云うまでもないが、それ以外にも演出の奥深さに私は参ってしまった。
{netabare}
1つには「月」の表現である。
主人公はバスター・ムーン。彼が劇場の支配人を目指す最初のきっかけ、ナナ・ヌードルマンの公演で映る美しい満月。
しかし、その後ムーンが舞台で使い続ける月は三日月である。これは欠けている何かを表している通り、ムーンのやる事なす事は全て上手く行かない。
しかし一旦どん底に落ちた後、生まれ変わったムーンと仲間たちで行う最後のライブで、ムーンが憧れていた、夢に見ていた、目指していた真の公演が叶い、最高潮に達した時に…象のミーナが歌うバックにハプニングの末に現れる満月…!

ようやく、欠けた月が満ちたのだ。

これは素晴らしい演出だった。

また、そのクライマックスに入る前のどん底のシーン。劇場が崩壊し、失意のうちに去って行くムーンが持って行くのはお金や楽器ではなくお父さんのバケツと1番輝いていた頃の想い出の写真だ。
彼がやってきたことは全てゼロになった。プライドも何もかも打ち砕かれた。
一旦腐るムーンだが、奮起して行う仕事はなんと、水をかけられ泡まみれになった身体を使った車洗いだった。
根拠の無いプライドが邪魔をして自己中心的だった彼が、父親の仕事であった車洗いを、毅然と、誇りをもって行うのだ。
財産に甘えたニートな友達もその姿に心打たれ、一緒に車洗いの仕事を手伝う。

なんという素晴らしいドラマだろうか!

{/netabare}
軽いギャグの中に深みがあるストーリーに音楽がばっちりハマった構成は見事であり、感動の嵐が吹く事は間違いない。

ただ、登場人物(動物)の中には本当に悪い奴も居るので、その辺りで乗れない、白ける人達も居るかも知れない。
だが、そのいけすかないキャラも、現実にこういう人間居るよねと納得せざるを得ない。人間性を排したが故に技能を高めることが出来た人の存在も、社会の縮図と云えよう。

そして、そういった冴えないヤツや悪いヤツ、野望を持つヤツや落伍者が集まって努力して成功するというチャーリー・シーンのメジャーリーグ的な古典的なサクセス・ストーリーも土台にあるので、最後の展開に大きな感動が生まれるのだ。

ディズニーやピクサーの作品も殆ど観ているが、あれは観ている間は面白いのだが、あまりの完成度の高さに満足してしまって、後に余韻が残らないのが残念である。隙が無いというか…とにかく語りたくはならない。

その点イルミネーション作品、特に今回のシングはその2社と比べれば圧倒的に不完全な故に余韻があり、色々と考えたり話し合ったり、「思い出し感動」をしてしまう。
その意味では優れた邦画と同じく文学性が高いとも云える。

今回、スカーレット・ヨハンソンの歌を聴きたかったので字幕版で観たが、吹き替え版も遜色無い出来らしいので、吹き替え版も時間があれば観賞してみたいと思う。
まぁまだ今年は始まったばかりだが、私的にはサバイバルファミリーに次ぐ暫定2位、な映画になった。

子供向けというより、大人が観てこそ味わい深いこの作品、映画館の大音量で楽しまなければ損な大作である。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 6
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