ラノベ原作で異世界なアニメ映画ランキング 4

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のラノベ原作で異世界な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年12月20日の時点で一番のラノベ原作で異世界なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

89.5 1 ラノベ原作で異世界なアニメランキング1位
ノーゲーム・ノーライフ ゼロ(アニメ映画)

2017年7月15日
★★★★★ 4.1 (864)
5197人が棚に入れました
それは一切の争いが禁じられ、全てがゲームで決まる
《盤上の世界(ディス・ボード)》が
創造されるはるか以前の出来事。
世界を統べる唯一神の座をめぐり、終わりの見えない大戦が続いていた時代。
天を裂き、地を割り、星さえも破壊し尽くさんとする凄惨な戦争は、
戦う力を持たない人間たちに理不尽な死を撒き散らしていた。
強大な力を持つ様々な種族に追いやられ、
存亡の危機に瀕する人間を率いる若きリーダーの名はリク。
一人でも多くの人間が明日を迎えるために心を砕き、
擦り減らす日々が続くある日、リクは打ち捨てられた森霊種(エルフ)の都で
機械仕掛けの少女・シュヴィと出会う。
機械には持ち得ぬ心に興味を持ってしまったことでエラーを起こしてしまい、
仲間たちから廃棄されてしまったシュヴィは、エラーを修正するため、
リクに《人間の心》を教えてほしいと頼むのだが……。
これは六千年以上もの昔に紡がれた
《最も新しい神話》へと至る《最も古き神話》。
記録にも記憶にも残らない、誰にも語られることのない物語が今、幕を開ける——。

声優・キャラクター
松岡禎丞、茅野愛衣、日笠陽子、田村ゆかり、井口裕香、能登麻美子、沢城みゆき、釘宮理恵
ネタバレ

scandalsho さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

もう一つの「空」と「白」の物語!?

原作未読。TVアニメ第1期は視聴済み。

最低でも、TVアニメ第1期は視聴してからの視聴をお勧めします。
そうじゃないと、この作品の魅力が全く理解出来ないと思います。

本当は、原作も読んでからの方が良いのだろうけれど、私にはそれを言う資格がありません(笑)

コメディ要素が豊富なTVアニメ版とは異なり、かなりシリアスな内容でしたが、とても感動的で良かったです。

松岡禎丞さん、茅野愛衣さん、日笠陽子さんの熱演は必見。
TVアニメ版とは異なる役を演じているのですが、TVアニメ版で演じたキャラとの距離感というか、演じ分けが絶妙でとても良かったです。

作画の迫力は劇場版ならでは。

ラストの、{netabare}ステフのブローチに3人の名前が刻まれていたくだりは凄く感動した。
あと、いづながジブリールに向かって呟いた一言、『よく考えたら、大体こいつのせいじゃねえか・・・です』は笑った。{/netabare}

ラストで一気にTVアニメ版の世界観に引き戻されて、ますます、第2期が待ち遠しくなりました。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 48
ネタバレ

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

殺戮の世界に挑んだ二人の愛の物語

2017年公開の劇場版

2014年に放送された「ノーゲーム・ノーライフ」の続編の劇場版

スタッフでキャラデザが大舘康二→田崎聡に変わっているので少しイメージが違います。
原作の6巻「ゲーマー夫婦は世界に挑んだそうです」のアニメ化。
なので、間は空きましたが順調にアニメ化は進んでいるようです。

でも、このストーリーは劇中語りであって、空と白の活躍ではありません。
唯一神テト(釘宮理恵)が獣人初瀬いづな(沢城みゆき)に向かって、
6000年前の出来事を語っている設定。
テトといづなが普通に仲良しであることから、少し飛んでいるっぽい。
5巻の表紙がアズリール(ジブリールの姉)らしいので、そこはまだかも。
6巻の表紙はテト。

テレビ版ノゲノラ時間は最初と最後だけで、テトの語る「神話」が本編。
テト本人が言っているように「信頼できない語り手」の物語となる。

一応あらすじはネタバレとしておきますが、未見の人が見ても問題ない程度です。
{netabare}空に似ているとされる人物「リク・ドーラ」(松岡禎丞)が、
絶滅寸前の人類をいかに救ったか?不可能な賭けにどのように行動したかが描かれる。
リクに利用される悲劇の機凱種の少女「シュヴィ・ドーラ」(茅野愛衣)は、
心を手に入れるためにリクの求婚を受け入れ、愛し合うようになる。
最大の見せ場は空と白と同じ声、似た外見の二人の愛。
テレビ版を見た人であれば、感動しないわけにはいきません。
たぶん、いつか二人の愛のしるしが『空白』の物語の鍵となると思います。

相変わらずふざけているジブリール(6407歳)に向かっていづなが、
「全部お前が悪かったんじゃないか!」と食って掛かるシーンでは、
いづなは人類側に感情移入しているようですね。
ここもいいシーンでした。{/netabare}

テレビ版でも少し語られた過去の物語です。
2期が始まる前までには観ておくことをお勧めします。
単独作品としても素晴らしい作品でした。

テレビ版を見た人は絶対観るべき傑作アニメです。
年齢関係なく涙なしでは見られないでしょう。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 42
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

私の「感動したら負け」クリード(信条)を易々とクリアされてしまった!

この劇場版を見るまでは、異世界ファンタジー/異世界召喚ものジャンルで一番出来の良い作品は、『ソードアート・オンライン』シリーズで、対抗馬は『Re:ゼロから始める異世界生活』、そして『ノーゲーム・ノーライフ』は3番手かな、と何となく思っていたのですが訂正します。

①キャラクター&世界観設定の練り込み具合
②シナリオ自体の面白さ&作品から受ける感動ないし感銘の度合い

・・・を総合して考えると、同ジャンルでは、劇場版までを含めた『ノーゲーム・ノーライフ』が№1と考えます。

なお、上記3シリーズはいずれも原作未完(※アニメももちろん未完)であり、今後の展開次第で私の個人的評価もまた変わってくると思いますが、現時点で制作・放送(ないし配信・上映)されたアニメ作品を視聴した限りでは、個人的には本シリーズの今後に一番のポテンシャルを感じました。
というのも・・・

◆《トンデモ異世界ファンタジー》の顔をした《想定外の感動作》

本作は榎宮祐氏のラノベが原作ですが、アニメ制作スタッフは本年(2018年)の話題作『宇宙よりも遠い場所』(略称『よりもい』)とほぼ同じ方々です(監督・シリーズ構成・アニメーション制作会社が同じ)。
以前レビューした通り、その『よりもい』は“感動する”作品と事前に何度も聞いており、それなりに期待して視聴を始めたのですが、途中から「あれ?これハズレだな・・・」と気づき始めて、結局そのまま視聴し終えてしまいました。

因みに、英語表現だと“楽しむ”は have fun もしくは enjoy と能動態ですが、“感動する”は be moved と受動態となるのが通例で、私の場合も、アニメ作品は確かに大いに「楽しみたい」(※能動態)のだけれども、「はい、ここ泣くところですよ」みたいな制作側の誘導に簡単に引っかかって「感動させられ」(※受動態)たくないな・・・という拘(こだわ)りが以前からずっとあります。

⇒個人的に、これを「感動したら負け」クリード(信条)と呼んでいます笑。

私がアニメを見るときに一番大切にしている信条で、この「感動の壁」を超えるシーンに思いがけず出くわしてしまうと、その作品の個人評価が ★★ 4.5 を超えてきて、私の「お気に入り」作品の座に昇る可能性が出てきます。
(※実際には、この後さらに、その感動が「一時的なもの」に過ぎないのか、それとも「今後も継続的に感動できるもの」なのか、という厳格審査を実行するので、結局 ★ 4.2~4.4 程度の個人評価に留まる作品が大半ですが)

・・・で、本作なのですが、TVシリーズの時の視聴経験から、「はっちゃけた面白さには十分期待できると思うけど、感動できるタイプの作品ではないだろう・・・」と、さほど期待せずに見始めたところ、全体の2/3くらいを見終えたところで、思いもかけない《こころの震え》を覚えてしまい、「え?こんな作品に感動しちゃっていいの?」とビックリして、見終えて直ぐに、それが果たして正当な感動なのか、更に数回繰り返し視聴して自分に問いただしてみました。

結論からいうと、やっぱり本作は、

<1> よくあるような、音楽や演出などの技巧を凝らして視聴者の一時的な感動を喚起するタイプの作品(=一過性の感動しかない作品)ではなくて、
<2> 一見フザケた装いにも拘わらず、視聴者の感動が一時的なものでは決してない(=繰り返し見てもやはり確りと感動出来るくらいに)緻密に計算された設定&シナリオを備えた作品である、

・・・と思いました。

※なお、この「感動」には、前作であるTVシリーズ『ノーゲーム・ノーライフ』(※但し時系列的には劇場版の6.000年前の話)の事前視聴が、絶対必要とはいわないまでも、やはりある方がずっと良いと思うので、以下、併せて同TVシリーズの各話も再評価します。

《まとめ》
とにかく本作については、前作となるTVシリーズの、とくに第2-3話で、主人公たちの悪フザケに閉口して視聴を打ち切ってしまう方が多く発生している感じですが、そのTVシリーズが急に面白くなるのが第6話(ジブリール回)で、そのあとは最終話まで休みなしに駆け抜ける痛快さをもった《面白作》、そしてこの劇場版までくれば、視聴前は思ってもみなかった心の震えに出遭える《感動作》と思うので、これから初めて本シリーズを見始められる方は、何とか我慢してこの劇場版迄たどり着いて欲しいです。


◆制作情報
{netabare}
原作ラノベ      榎宮祐(『MA文庫J』2012年4月-刊行中)
監督         いしづかあつこ
シリーズ構成     花田十輝
脚本         花田十輝、あおしまたかし、下山健人、榎宮祐
キャラクターデザイン 榎宮祐(原案)、大舘康二(TVシリーズ)、田﨑聡(劇場版)
音楽         SUPER SWEEP(TVシリーズ)、藤澤慶昌(劇場版)
アニメーション制作  MADHOUSE{/netabare}


◆作品別評価

(1) 『ノーゲーム・ノーライフ』(TVシリーズ)  ★ 4.4   (2014年) ※計12話
(2) 『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』(劇場版) ★★ 4.7  (2017年) ※約1時間45分(4~5話相当)
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  総合                    ★★ 4.5         ※計16~17話相当


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

============= ノーゲーム・ノーライフ (2014年4-6月) ==============
{netabare}
第1話 素人《ビギナー》 ★ 対テト戦(チェス)
第2話 挑戦者《チャレンジャー》 ☆
第3話 熟練者《エキスパート》 ☆ 対クラミー戦1(チェス)
第4話 国王《グランドマスター》 ☆ 続き
第5話 駒並べ《ウィークスクエア》 ☆
第6話 一手《インタレスティング》 ★★ 対ジブリール戦(具象化しりとり)
第7話 死に手《サクリファイス》 ★ 希望の鍵
第8話 起死回生《フェイクエンド》 ★★ 種の駒、※特殊ED
第9話 解離法《スカイ・ウォーク》 ★ 対クラミー戦2(オセロ)
第10話 指向法《ブルー・ローズ》 ★★ 対いづな戦(テレビゲーム)
第11話 誘導法《キリング・ジャイアント》 ★★ 続き ※OP「おねがい☆すにゃいぱー」
第12話 収束法《ルール・ナンバー・10》 ★★ 続き、対巫女戦(コイン・トス){/netabare}
--------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)5、★(良回)3、☆(並回)4、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.4

OP 「This game」
ED 「オラシオン」


============= ノーゲーム・ノーライフ ゼロ (2017年7月) ===========

全1話 ★★ 4.7 {netabare}TVシリーズより6,000年前に星杯(スーニアスター)を巡る古き神々&15種族の戦争を終結させた人類(イマニティ)の少年(リク)と機械種族(エクスマキナ)の少女型個体(シュビ)の物語{/netabare} ※1時間45分

主題歌 「THERE IS A REASON」

投稿 : 2024/12/14
♥ : 29

86.1 2 ラノベ原作で異世界なアニメランキング2位
劇場版「幼女戦記」(アニメ映画)

2019年2月8日
★★★★★ 4.1 (479)
2517人が棚に入れました
統一暦1926年。ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐率いる、帝国軍第二〇三航空魔導大隊は、南方大陸にて共和国軍残党を相手取る戦役を征す。凱旋休暇を期待していた彼らだが、本国で待ち受けていたのは、参謀本部の特命であった。曰く、『連邦国境付近にて、大規模動員の兆しあり』。新たな巨人の目覚めを前に、なりふり構わぬ帝国軍は、自ずと戦果を拡大してゆく……時を同じく、連邦内部に連合王国主導の多国籍義勇軍が足を踏み入れる。敵の敵は、親愛なる友。国家理性に導かれ、数奇な運命をたどる彼らの中には、一人の少女がいた。メアリー・スー准尉。父を殺した帝国に対する正義を求め、彼女は銃を取る。

声優・キャラクター
悠木碧、早見沙織、三木眞一郎、玄田哲章、大塚芳忠、飛田展男、濱野大輝、笠間淳、林大地、小林裕介、土師孝也、小柳良寛、高岡瓶々、森川智之、福島潤、田村睦心、戸松遥、チョー、稲垣隆史
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

今さらタイトルで敬遠もなかろうて

原作未読 TV版視聴済み


“存在X”とか説明なしに語られてるためTV版を視聴済みであることはお作法といってよいでしょう。
あいかわらず主人公が幼女である意味がわからない『幼女戦記』の劇場版となります。

たいしたこと書いてないけどミリタリ的見解はTV版のレビューに載せとります。
俺たたENDなTV版の最後覚えてます?※一応隠しときます。

{netabare}砂漠みたいな南方戦線に飛ばされて「どうしてこうなったー!?」ENDでした。
存在Xに対峙するには、信仰にすがるのではなくあくまで合理性で勝負する路線を突き進むのかどうなのか?と続編の注目ポイントをわたくしレビューで書いてますね。このモノの見方はブレてないです。{/netabare}

続きが気になる終わり方だったのでおおむね劇場版に期待するのはこんなところ↓
Q
1.答え出るん?
2.戦闘は派手になる? ※そこはホラ、、、映画だし(^^)

ざっくり回答は↓
A
1.出ません。
2.派手になります。市街戦闘ではぬるぬる変態的な動きをしてます。

スタッフや声優を引き継いで制作してるので大外しはありえません。安定して面白かったです。
ついでに、“信仰心と合理性”なのか“感情と理性”なのか?
“存在X”とターニャが対峙しての二項対立のような図式に見えてたけっこう重要な部分。
ターニャの対立軸として、この“信仰心”ないし“感情”を体現する存在が登場したこともファインプレー。もちろん{netabare}ターニャとの死闘の末戦死したアンソニーの娘。メアリー・スー(CV戸松遥){/netabare}のことです。

これで見やすくなりました。神VS人間よりも対立する両極端な人間同士のほうが物語が破綻しにくい。
己が正義とのぶつかり合いになって譲れない争いになりますし、元はといえば存在Xという同じ親から生まれた相反する二つの概念であるという深みとコクも出てきます。

【作品テーマ】

 存在Xとの落とし前をどうつけるのか?

⇒これは道半ばです。

【劇場版の面白いとこ】

 ◎ ターニャ VS メアリー・スー
 ○ 市街戦闘

きわめて劇場版らしい。劇場版に期待するところを満たした『劇場版幼女戦記』でありました。



※ネタバレ(もある)雑感

■世界観の意図

既視感のある国・人・軍事パーツを素直に楽しめる一方で、WWⅠとⅡをごっちゃにして~の史実との乖離や魔導部隊なる設定。純歴ヲタだとアレルギー出そうなのもわからなくもない。なんせ空飛ぶ人間が銃剣で戦闘機の翼をたたっ斬ることができちゃう世界ですから。これには一家言あって、


 これ外国でも流すんですよね?


アニメ大好きフランス・イタリアやアメリカ。ドイツも例外ではありません。それらの国を配慮して…なんてアホなことは言いませんよ。

 {netabare}ガチ史実ベースの世界作ってアナザーストーリー{/netabare} 

それに欧米人が耐えられるか?って無理だからちょっと外した世界観なのだと劇場版観て思いました。

選挙で選び渦中は熱狂した事実に蓋をして全部ナチスに罪を被せて、ニュルンベルク裁判の前と後とで分断を図り逃げ切ったドイツ。
反省したドイツを見倣え!って彼ら反省なんて微塵もしてませんけどね。「我々とは別のナチスなるもの」を作っておっかぶせただけです。もちろん賠償には応じてません。

次にアメリカ。原爆投下を正当化するストーリーは皆さん耳タコでしょう。自らの罪に向き合ってない点ではドイツと一緒。

イデオロギーにしちゃうのはどうぞご自由に!彼らの意見に乗ろうがかまいませんが、少なくとも私は日本国籍を有する者なら「違うだろ」と指摘し続けることがお作法であるとの考えです。

何が言いたいかっていうと、彼らのン百倍は反省している、なんなら反省しなくてもいいことまで、それにおかわりで“俺たちの反省はこれからだ”の勢いで反省している我々からすれば、

 {netabare}正当化だらけのお前らの豆腐メンタルじゃ受け止めるのは無理!{/netabare}

と思っちゃうんですよね。世界広しといえどもドイツ第三帝国を茶化せるくらいの表現の自由が認められてるのは我が国くらいなもんです。
ぶっちゃけ仮想ナ○スが活躍する作品なんてリアルに寄せすぎると×。これくらいのファンタジーっぷりでちょうどよいと思えるのです。そのうえでやや無理筋な作品設定については流れてる哲学が荒唐無稽でなければ無問題と考えます。


其の一:{netabare}「コミー(commie)」と共産主義者を忌避/軽蔑する単語をターニャ筆頭にガンガン発してます。

「なんでお前らソ連と組んでんねん?」みたいな。
日本に視点移せば、大日本帝国が必死でソ連食い止めてんのに何してくれてんだ?の心境です。レイトカマーのアメリカがアジア利権にちょっかい出すために日本を外そうとして失敗。中華人民共和国成立など共産国家の台頭を許し、朝鮮戦争からのベトナム戦争と余計な結果になったよな、と。
やや盛ってこれくらい言ったうえで、「でも今は仲いいよな」とするくらいでちょうどよいのです。{/netabare}


其の二:{netabare}義勇軍?メアリー・スーも狂気を帯びたちょっと危ない人設定です。

「正義を振りかざしてどんだけ無茶してきてん?」みたいな。
仮想連合国の象徴みたいな存在にメアリーを持ってきた意図。合わせ鏡と思いなさい!{/netabare}



■ドキッとくる至言

トンデモ設定もあるにはあるけど底流がしゃんとしてると私は思います。
たまにグサリとくる高速ストレートありませんでしたか?

・{netabare}「無能な働き者か…やっかいだな」

序盤。メアリー・スーの上官がメアリーを指しての一言。

 1.有能でやる気のある
 2.有能でやる気のない
 3.無能でやる気のある
 4.無能でやる気のない

リアルの現場でも3.が最も厄介であり、組織を破綻に導く存在として心にとどめて置かねばなりません。覚醒するまではひどかったですからね、彼女。{/netabare}


・{netabare}「まずもって勝つことが大事 正しく勝たねばなりません」
 「でなければいずれ歴史に笑われます」

参謀本部にて後方勤務の希望を伝えた時のターニャ。
勝ったほうが歴史を作るのはまさにまざまざと見せつけられているのが我々現代日本人でしょう。つまり転生前のおっさんターニャの知ってる歴史。賢者は歴史に学ぶ。よって、次は勝たねばなりません。
「思考放棄した俺の勝ちね」くらいの程度の低さを露わにしてるのが我が国です。軍事研究なぞしませんとドヤ顔で発表してる横で北朝鮮の核開発のために亡命する教授を輩出した某帝国大学とかなんのブラックジョークでしょう。「勝つために考えること」と「行使すること」は違います。

ガラスを拳で叩き息巻くお偉いさんに戦の収め方のプランはあるか?と問うたターニャさん。正しく勝たねばなりません。先述、日本を叩き潰したことでソ連の増長や朝鮮戦争ベトナム戦争へと発展した結果を見るにアメリカにとって正しい勝利だったのでしょうか?

リアルではこれがなかったのが大日本帝国の最大のやらかしです。正確には正しい勝利ならぬ正しい敗北のプランニング。戦闘で敗北しても戦争目的を果たす困難な作業をです。ぎりぎりで國體が守れたものの結果オーライ。次は結果オーライにならないように真剣に考えましょう。

でなければいずれ歴史に笑われます。
令和初頭の日本人が未来の日本史の教科書でどう書かれているかみものですね。{/netabare}



■(オマケ)主題歌について

{netabare}TV版の主題歌をアレンジ加えてもってくる演出にしびれます。
ターニャ役悠木さんが歌う「Los! Los! Los!」。このへん「トラ!トラ!トラ!」をなんかしら意識したのだろうと、“LOS”を調べてみましたが、スタジアムの名前だったりタイ王国の愛称だったりビンゴそうなのはなく、そのまま“LOST(喪失)”くらいの意味合いで受け取りました。

注)他のレビュアーさんからの指摘でLOSはドイツ語で別の意味があるらしいです。{/netabare}



これ2期ないと詐欺ですよ。待ってます!



視聴時期:2020年2月 

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2020.02.26 初稿
2020.09.21 修正

投稿 : 2024/12/14
♥ : 59

でこぽん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

戦争が無ければ誰からも愛されて皆に愛情を与えていた少女…

この劇場版は、テレビ版の続きです。
そして、この映画では深く考えさせられたことがあります。
それは…


今まではターニャの魔力に匹敵する敵はいませんでした。
そのため、面白みに欠けていましたが、今回は違います。
ついにターニャの力量に匹敵する好敵手(ライバル)が現れます。

その名はメアリー・スー。
彼女は、ターニャが倒したアンソン・スーの娘。
メアリーが父に贈った銃をターニャが持っていることから、ターニャを父の仇と確信します。

メアリーは信仰心が深く家族思いの優しい娘です。
戦争さえなければ、彼女は銃で人を撃つことも拳で相手を殴ることもなかったでしょう。
誰からも愛され、多くの人に愛情を与えていたはずです。

しかし、今の彼女の生きる目的は父の仇を討つこと。そのためならば彼女は何でもします。

市街地でメアリーはターニャを見つけます。するとメアリーはターニャを追いかけ、銃を連射します。
もちろんターニャは銃弾をよけるので、メアリーが放った銃弾は民家に当たり、民家が壊れます。延焼します。

当然のごとくメアリーの銃弾で多くの市民が家を失ったり傷を負ったり亡くなったりしているはずです。
だけどメアリーは気づきません。自分が不幸にしている人がいることを…
今のメアリーには、復讐心しかありませんでした。

メアリーはターニャを追い詰めます。
拳で何度もターニャの頬を殴ります。ひと思いに殺せば良いのに、メアリーはそうしません。
散々殴った後、教会の礼拝堂へターニャを引きずります。
そこで恨みを言って殺すはずだった。

だけど、すぐに殺さなかったその甘さがメアリーの命とりでした。

おそらく、ターニャならば、相手が殺せるときを見つけたら、ためらいなく殺します。なぶり殺しにはしません。だって隙を見せることになるから…
それにターニャならば、そもそも仇を討つという発想すらありえません。

だってこれは戦争だから。国同士が認め合った人と人とが殺し合う戦いだから。
仇という概念を持つと、戦争は果てしなく永遠に続くことをターニャは知っています。
彼女の考えは、いつも合理的です。

家族思いで心の優しいメアリーと合理的で冷血なターニャ。
あなたは、どちらが多くの一般市民を殺傷していると思いますか?

投稿 : 2024/12/14
♥ : 48

ninin さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

なんでこーなった!

原作未読 1時間45分

TV版の「幼女戦記」の続きです。先にTV版を観ることをオススメします。

次々と最前線の戦場を駆け巡る(駆け巡らされる)異世界から転生させられた少女ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐率いる帝国軍第二〇三航空魔導大隊のお話。

今回は、TV版で因縁が出来たある少女とのお話がメインとなっています。

TV版と同じく調子に乗ったところもあり、夢の後方勤務とはならず大部分が戦場でのお話でバトルシーン満載でした。

バトルシーンは大画面と音響で映画ならではの大迫力です。

ターニャの禍々しい顔芸も健在ですw 観ていると幼女という感じは全然しなくなりますねw

まだまだ続きがありそうです。次回があるのならばTVに戻ってほしいですね。

EDは、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐役の悠木碧さんが歌う「Los! Los! Los!」とTV版のOPを歌うMYTH & ROIDさんの新曲でした。

最後に、TV版と同じで自業自得な面が多かったですねw

投稿 : 2024/12/14
♥ : 41

72.2 3 ラノベ原作で異世界なアニメランキング3位
劇場版 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか -オリオンの矢-(アニメ映画)

2019年2月15日
★★★★☆ 3.6 (245)
1262人が棚に入れました
神時代以前より受け継がれている【神月祭】に沸き立つ迷宮都市(オラリオ)――【リトル・ルーキー】として都市を賑わせた冒険者ベル・クラネルと、彼の主神ヘスティアも、その喧騒の只中に身を置いていた。夜の闇を照らし出す、色とりどりの屋台や催し、都市全体を淡く包み込む月光。都市の喧騒の遙か上空で、月は静かに佇み、ただ待っている。英雄の誕生を、そして新たな冒険譚の始まりを――

声優・キャラクター
松岡禎丞、水瀬いのり、坂本真綾、内田真礼、細谷佳正、斉藤壮馬、早見沙織、茅野愛衣、大西沙織、木村珠莉、石上静香、戸松遥、久保ユリカ、日笠陽子
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

切ない片想い あなたは気づかない

劇場版

私の場合こんな感じの視聴順です。

1.ダンまち1期(2019年1月~3月・再放送)
2.ダンまち外伝(2019年7月)
3.ダンまち2期(2019年7月~9月・リアタイ)
4.オリオンの矢(2019年10月)←今回はこれ

リリース順でしたら1→2→4→3ですし、時系列も(1=2)と(3)の間の話なので、順当にリリース順で追ったほうが自然かと思います。
また、1期を土台に2期に向けての地ならしネタがいくつかある劇場版ではありますが、単体での鑑賞でも構わないと思います。気に入ったらTV版に回帰してもよろしいかと。

本編とはやや毛色の違う82分のまさにこれぞ劇場版と言えるスピンオフ作品となっておりました。


みどころは2つ

・紐女神さまのプライベートが覗けます
・坂本真綾さん ※私が好きなだけ

ヘスティアって紐と胸と水瀬さんの声が魅力だってだけじゃないんですよ。
ベルくんと一緒の時に見せるデレ具合でもありません。

ベルくんと一緒でない時に裏で駆けずり回っている健気な姿。締めるところは締める凛としたお姿。
恋愛ポンコツ一辺倒でない多様な魅力が私には刺さるわけであります。ここは強く訴えたいっ!

これまで小出しでしか語られなかったヘスティア天界時代の様子が、親友アルテミスを通して露わになってきます。
ヘスティアについてこれまで影日向に描かれてきたのはほぼほぼ全てベクトルがベルくんに向いてるお姿。それがベルくんと切り離してのヘスティア個人の考えや思いに本作では切り込んでいきます。

2期でもヘスティア個人の考えや思いに触れる場面があるのは承知してます。ただこっちのほうが色濃いですよ。ヘスティアファンで劇場版未鑑賞の方はこの一点だけでもマストでしょう。


その親友アルテミス。劇場版オリジナルキャラで演者は坂本真綾さん。2つめのみどころです。
○○さんが出るなら観る! 推しのCVさんがいらっしゃる方も多かろうと思いますが、私にとってのその一人が坂本真綾さん。評価も甘くなるのでたぶんこのレビューは参考になりませんw

さて物語に戻って真面目なお話。
謎めいたアルテミスの登場から始まり、ベルくんやヘスティアとのやり取りを通じて徐々に明らかになっていく事の真相は『ダンまち』らしからぬ重さでした。
シリアス展開のキーとなる重要な役どころに真綾さん。うってつけの配役といってよいでしょう。


82分なのでさくっとどーぞ!
世界観の説明や奥行きを拡げる役割のあった『ソードオラトリア』や『2期』はシリーズものとして重要な位置づけではありますが、物語としての面白みの点では、『1期』に次いでるのがこの『オリオンの矢』でした。




※ネタバレ?

■ふんわりとギリシャ神話

本作の設定やエピソードのあれやこれやはギリシャ神話からの伝承を匂わせるものでした。
欧米人がニヤッとしそうなネタですね。

例えばこんな設定↓
{netabare}・処女神と呼ばれているのははアテナ、アルテミス、ヘスティア
⇒だから二人は仲良し
・太陽の神アポロンと月の女神アルテミスは兄妹
⇒月ですよ月!そしてアポロンと絡めた2期の考察もできそう
・アルテミスは狩猟の神でもある
⇒炉や窯の神様ヘスティアとは戦闘力が段違いです
・オリオンはポセイドンの血を引いていて狩りの名人
⇒そしてアルテミスとは恋仲だったりもしてね{/netabare}

そしてこんな話も↓
{netabare}・オリオン座はアルテミスとオリオンの悲しい恋の結末からできた星座でした。
・別史で、威張り腐ったオリオンを射止めた(殺した)さそりが論功行賞で星座になったともあります。

だからオリオン座(冬)とさそり座(夏)は同じ時期に眺めることができないとかなんとか。
プラネタリウムの学芸員さんからだったり林間学校の星の授業の時に聞くような有名な逸話ですよね。
アルテミスはこの悲しみから、二度と恋をすることはなかったといいます。処女神といわれる由縁です。{/netabare}


■オリオンって名曲多くね?

なかばこじつけなので軽めに ※歌詞からの引用

{netabare}・Another Orion(藤井フミヤ)
 君のために僕は強くなる
 たとえどんなに離れていても
 あの星を見上げてる いつでも{/netabare}

{netabare}・ORION(中島美嘉)
 泣いたのは僕だった
 弱さを見せないことが そう
 強いわけじゃないって君が
 言っていたからだよ{/netabare}

{netabare}・orion(米津玄師)
 神様 どうか 声を聞かせて
 ほんのちょっとでいいから
 もう二度と離れないように{/netabare}

ベルくんの気持ちを代弁してるかのようです ※ファンの方ごめんよ


■見どころ2つと言ってましたが・・・

・ベルくんが何故に神様たちに人気なのか?

{netabare}とりわけ美貌の女神フレイヤがご執心なのが気になります。ラスボス感もハンパない(いや、違うんだろうけど・・・)。

 穢れ無き純真な魂=矢を持つ資格

本作ではこうでした。なんとなく神様たちの中でも“英雄待望”の機運を感じられる2期までの流れですが、あらゆる男を手玉に取ってきたフレイヤにとっては男どもの打算や欲望などいくらでも目の当たりにしてきたことでしょう。
そこからちょっと外れた“穢れなき純真な魂”を持つベルくんは特異な存在であり執着する理由になってるのでは?と思います。そんな描写が『1期』でもあった気がします。{/netabare}


・ベルくんの成長第二ステージ※重度ネタバレ

{netabare}これに尽きます。

 「神様、ぼく強くなりたいです」

ヘスティアファミリア加入時の印象的なセリフです。が、明らかに意味合いが違うことはこの作品を観た人全員がわかるもの。意味合いもそうですが、重みも違います。頑張れ!ベルくん!
そしてそのベルくんに対するヘスティアの返しがとてつもなく良い。

 {netabare}「うん」

ただこの一言だけ。全てを分かって受け止めるヘスティアでした。
あのベルくんと一緒の時は恋愛ポンコツ暴走女神がですよ。これはその前段の語りかけとコンボでグッときました。そういえば2期のラストもそんな空気でした。{/netabare}

次は3期が控えているわけで、シリアス展開きそうな気配です。{/netabare}



最後にどこか食えないヘルメス♂さん
みんな好きですよね?私も好きです。

 {netabare}「恥を知れこの豚ども」(アルテミス)

 「ありがとうございまーす」(ヘルメス他){/netabare}

このままブレずにいってほしいものです。



視聴時期:2019年10月

------


2019.10.20 初稿
2020.04.18 タイトル修正/修正
2021.10.10 修正

投稿 : 2024/12/14
♥ : 45
ネタバレ

ninin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

ヘスティア祭りw

原作未読 約80分

TV版「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」「ソード・オラトリア ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝」を事前に観るとキャラの関係性が分かります。

今回は、新キャラの神様に纏わるお話で、ヘスティア・ファミリアのベルやヘスティアたち、他のファミリアたちも巻き込まれます。

本編の続きというより、本編とはあまり関係ないエピソードって感じでしたね。

最後は感動的なシーンがありましたが、私には今ひとつ感情移入できませんでした。
{netabare}
それは新キャラであるアルテミスのお話だったからです。キャラが悪いのではなく本編に絡んでいないキャラなので、感情移入するには時間が短すぎました。
ヘスティアが主に関わるお話だったら、良かったのにと観ていて思いましたね。
{/netabare}
お話はきちんと終わっています。

ただ、TV版に出ていたキャラがほとんど出てきます。特にヘスティアちゃんはたくさん出てきますので、ヘスティアファンの方は観てもいいかもしれませんね。

ED 井口裕香さんが歌っています。

最後に、2期が決まりましたね〜(2019年夏TV)楽しみです^^

投稿 : 2024/12/14
♥ : 25
ネタバレ

いしゆう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

女神アルテミスとベルの冒険譚 あっという間の82分でした○o。.。

あらすじはあにこれを参照ください。
放映時期:2019年2月~
時間:82分 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

〇物語
内容は劇場版オリジナル 時系列では先にⅠ期を観てください。

女神アルテミスと出会い
オラリオからはるか離れた大陸の果て
大樹海の秘境に存在するエルソスの遺跡での
冒険依頼を受けるベルたちの物語です。

〇キャラ
いつものベルたち以外にヘルメスファミリアが登場
アスフィ以外のメンバーも出ています。

〇音楽
井口裕香が歌う”おなじ空の下で”
作品の内容に合ってる感じがイイです。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

〇観終わって
Ⅰ期で登場した面々が登場するし 
オラリオの外といういつもと違う舞台も新鮮でした♪

劇場版って通常よりスケールが大きくて
何かお祭りみたいな感じがあると嬉しかったりしませんか?

今作は これらが82分にぎゅっと詰まった作品!!

女神アルテミスとベルの物語は
子供の頃読んだ 神々の冒険譚のようでした。
{netabare}
”これは女神を殺す物語じゃない
これは 君が泣いてる女の子を救ってあげる物語”

まさにそうです♪ ヘルメスもたまには良いこと言いますね○o。.

他にも
アルテミスと仲が良いからこそ異変に気付き
変えられない未来に苦悩するヘスティア 切ないですよね

そして これまで不可能を可能にしてきたベルくん
今回ははじめて苦い経験をします

決着の後 
周囲を憚らず泣きじゃくるベルくんは観ていて胸が痛かったです

最後ベルくんが

”神様 ぼく 強くなりたいです!”

この場面 わたしの目には 
彼がいつもより少し逞しくなったように感じました。{/netabare}

最後 この先の彼の成長を見守っていきたくなる終わり方!
Ⅱ期も楽しみ♪ 期待に胸が膨らみます○o。.。 

以上 最後までお読み下さりありがとうございます。








 



 

投稿 : 2024/12/14
♥ : 23

76.7 4 ラノベ原作で異世界なアニメランキング4位
空の境界 第一章 俯瞰風景[フカンフウケイ](アニメ映画)

2007年12月1日
★★★★★ 4.1 (1106)
6364人が棚に入れました
落下する少女の夢、俯瞰を断つ直死の眼 連続する少女たちの飛び降り自殺。現場はすべて、かつては街のシンボルタワー、今では廃墟と化した巫条ビル。屋上には浮遊する「霧絵」がいた…。\nそして事件が5件を数えた頃、万物の生の綻びと死線を視る能力「直死の魔眼」を持つ両儀式が謎に挑む。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、田中理恵
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

圧倒的なクオリティの映像と音楽で描くポエム

原作未読。
全8章からなる物語の1章目。約50分。

まずは「空の境界(からのきょうかい)」シリーズに共通することを紹介します。

圧倒的な映像美と、ダイナミックな動き。
映画的なカメラワークが使われ、画面全体に立体感が溢れています。

その中に隠れる、独特な色使い。
蒼に対する橙、赤に対する緑。
色で言うと正反対、補色関係にある光の使い方が特徴。

この表現は「相反する二つのもの」というメッセージを表しています。
これに加えて「生と死」「殺人」という非日常なテーマを扱っている作品です。

そして、バトルシーンもありますが、どれも圧巻。
作画・演出を担当しているのは、Fate/Zeroを作ったufotable。
その会社が、映画用に力の入ったクオリティで描いています。

また、梶浦由記が作曲し、Kalafinaが歌うエンディングテーマはどれも素晴らしく、内容にも深くリンクしています。
まったくハズレがないと言ってもいいほどです。

キャラクターたちも魅力的です。
メインキャラクターは以下。

・両儀式(りょうぎしき)
・黒桐幹也(こくとうみきや)
・黒桐鮮花(こくとうあざか)
・蒼崎橙子(あおざきとうこ)

この名前にも実は意味があるのですが、それは内容を追っていくと分かってきます。


なお、「空の境界」は、時系列が特殊です。

正しい時系列では、
2章→4章→3章→1章→5章→6章→7章→8章

詳しくは、
{netabare}
2章(1995年9月)
4章(1998年6月)
3章(1998年7月)
1章(1998年9月)
5章(1998年11月)
6章(1999年1月)
7章(1999年2月)
8章(1999年3月)
{/netabare}

そのため、1章だけを観ても状況が掴めません。
それに加えて、難解で抽象的なストーリーや台詞。
同じ言葉をさまざまな別の言葉で言い換えていたり、辞書に載っている意味とは違う意味で用いたりしています。
一つ一つ紐解いていく必要がある、「言葉のあやとり」のような会話です。

また、その映像美がある意味「壁」を作っています。
「死」や「殺人」を扱っているため、死体や血しぶきの表現がリアルで、グロテスクです。
苦手な人には辛いかもしれません。

この1章が、このシリーズ全体を観られるかどうかの「境界線」になっていると思います。
その境界線をまたぐことができたなら、終章まで楽しめると思います。


ここからは考察です。

俯瞰風景 → ココ
殺人考察(前) → http://www.anikore.jp/review/450923/
痛覚残留 → http://www.anikore.jp/review/452086/
伽藍の洞 → http://www.anikore.jp/review/452849/
矛盾螺旋 → http://www.anikore.jp/review/456943/
忘却録音 → http://www.anikore.jp/review/466298/
殺人考察(後) → http://www.anikore.jp/review/491929/
空の境界 → http://www.anikore.jp/review/491992/


【1章「俯瞰風景」の考察】
{netabare}
1998年9月の話。

EDテーマは「oblivious」
「~に気付かないで」という意味。


「狭い空間」とは「現実」を表しており、「広い空間」とは「理想」を表しています。

「俯瞰」、つまり、客観的な視点で見たときに、理想と現実の間の距離を感じてしまう。
それが「遠い」という感情を呼び起こし、「逃げ出したい」という気持ちに繋がっていきます。

ビルから投身自殺した少女たち。
橙子「彼女たちは、本当は死ぬつもりはなかった」
「逃走」していた彼女たち。
「浮遊」していたが、暗示をかけられ「境界」を乗り越えて、「飛行」という手段を選んでしまった。

では、「逃走」「浮遊」「飛行」とは何か?

式「地に足が付いていない。飛んでいるのか?浮いているのか?」
橙子「逃走には2種類ある」
幹也「トンボを追いかける蝶々の夢を見た」

この3つのセリフにヒントが隠されています。
「逃走」は2つに分けられます。

1つは「浮遊」
・目的のない逃走
・永久に続けなければいけない勇気

浮遊するように羽ばたく蝶々に例えられています。
目の前の辛い現実から目を背けず、現状に耐え続けること。


もう1つは「飛行」
・目的のある逃走
・一時の勇気

トンボを一生懸命に追いかける蝶々に例えられています。
自分の弱さに耐えきれなくなったとき、人は「飛行」を選ぶ。
つまり「死」という、幹也に言わせれば「極論だけど甘え。けれど、否定できないし、反論もできない」選択肢です。
トンボを追いかけた蝶々がやがて力尽き、地上に墜落してしまうように。

これには、
トンボ=黒桐幹也
蝶々=巫条霧絵
という現実の関係を表す、もう1つの意味も含まれています。

橙子「我々は、背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道によって罪を背負うべきだ」
橙子はそう言いましたが、巫条霧絵は、自らの罪に耐えきれず、また、1度経験した「死」に魅了されたこともあり、ビルからの飛び降り自殺という「飛行」を選びました。

空(そら)に浮かぶ、空(そら)を飛ぶ、その2つの境界線。
それを上から眺めた俯瞰風景を知ってしまったがゆえの行動。

「飛行」という方法に気付かなければ、選ばなかったはずなのに……。


なぜこのようなことになったのかは、後の章で分かってきます。
{/netabare}

投稿 : 2024/12/14
♥ : 56
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

空の境界の序章 空の境界の作風を実感! 俯瞰の視界、浮遊と飛行とは・・・

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第一章「俯瞰風景」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。

劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第一章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち4番目にあたる作品だ。本作の視聴だけでは、物語の全体像はおろか基本設定すら見えてこない。なぜならこの第一章は、奈須作品を視聴する視聴者の「ふるい」としての機能を有しているからである。その為、独特の世界観・台詞回し・時間軸を十二分に表現した作品に仕上がっている。よって一章を視聴して視聴を断念する方もいることだろう。しかし、私は五章の矛盾螺旋が一番好きなので、一章で断念されるのは残念。
副題のThanatosについて、Thanatoは精神医学用語で死亡恐怖症という意味。

考察←観る前に見ない様に。
{netabare}

時系列:4/8
1998年9月
両儀式:18歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:中(原作の補填による尺の増量が主)
原作との尺の比 73P:50min=1:1(1分当たり1.46P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)

・「俯瞰」について
私達の認識出来る世界は肌で感じ取れる程度のものでしかなく、人間は自身の周りにあるものでしか安心出来ない。地図で自分の位置を知っていても、それは単なる知識に過ぎない。
高所から世界を俯瞰したとき、自身は狭い世界しか認識できないが、実際は狭い世界は、俯瞰の視界から展望出来る広い世界の一部である。
この時に、認識の内に、世界の隔たりが出来、ズレが生じて、「遠い」という衝動(突然襲い掛かる暴力のような認識)を得る。
自分が体感できる狭い世界より、自分が見ている広い世界のほうを「住んでいる世界」と認識することが出来ず、知識としての理性と経験としての実感が摩擦し、意識の混乱が起こる。しかしそれは一時的なもので、まともな認識のプロテクト(理性や知識)があれば、無意識下で制御出来て、地上に戻れば正常に戻る。だが不安定な状態にあるとき、意識の混乱から逃げ出したいという気持ち(或いは世界の同一性を実感する為に落ちてみたいという気持ち)へ向かってしまうのだ。(谷に行って底を覗きたくなる感じにも共通する意識かもしれない)

橙子「視界とは眼球が捉える映像でなく、脳が理解する映像だ。私達の視界は私達の常識によって守られているから・・・」
という台詞は、カントの認識論を彷彿させた。
認識は感性(受動的な知覚を担う)と悟性(感性と共同して認識を行う。概念把握)のア・プリオリ(経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念)により成り立つ、という哲学である。
眼球が捉えた映像は、私達の脳内で、常識に合致した「モノ」として認識される(常識に合致しないモノは、お化けや幽霊などの怪奇現象として処理されたりする)。

「俯瞰」については情報化社会のメタファーと認識すると分かり易い。
私は震度6強の地震を経験し、被災者として日々を送ったことがある。自身の周りも被災し、認識出来る世界で災害が起こった。しかし、2011年の東日本大震災での津波の映像を見たとき、私はそれが現実に起こっているんだと知識ではわかっているものの、それを実感することは不可能であった。
「遠い」東北の地で起こったことを自分の住む世界と同じ世界であると認識することは困難だ。そこで無意識下で自身の住む世界と被災地を別の世界と認識してしまうのだ。

・「浮遊と飛行」について
自身と世界、理想と現実のズレを認識した人間は、その乖離に苦悩し、生きる目的を失ったときに、それから逃れようとする。これが「逃走」だ。
浮遊と飛行は「逃走」するための手段である。
目的のない逃走を浮遊、目的のある逃走を飛行と呼ぶ。
「浮遊」(例え:羽ばたかない蝶)は、自己の現在置かれた不遇の状態を甘んじて受け入れ、受動的であることである。
今回の霧絵の場合は、理想と現実の乖離に耐え、生きる目的も無いままに、受動的に死を受け入れることである(詰まるところ、自然死、病死)。
此れには、生きる目的が無いにも関わらず、死ぬまで生きるという無意味さを受け入れる勇気、死ぬまでの毎日を生き抜き、刻一刻と迫る死を待つ勇気が必要だ。
「飛行」(例え:羽ばたく蝶)は、自己の現在置かれた不遇の状態を打破する、或いは暫定的に打ち消す(紛らわせる)、或いは解放される為に、”能動的”であることである。
今回の霧絵の場合は、その乖離に耐えず、生きる目的が無いから、能動的に死を受け入れる。(詰まるところ、自殺(しかも他人に自己の死を強調))
人間は、無意識下で、日々のストレスから逃れる為に、夢を介して、この飛行を行っている場合があるらしい(夢とは欲求の捌け口である為)。

「飛行」による自殺について、幹也曰く「極論だけど甘えなんだと思う。当事者にはどうしようもなく逃げたい時もあるだろう。それは否定できないし、反論もできない。だって僕も弱い人間だから」。


・なぜ彼女ら8人の自殺が「事故」と表現出来るのかについて
巫条霧絵は手に入れた霊体で、自分と同じように逃避行動をしている仲間を見つけて、友達になろうとした。「生きる目的」や「生の実感」がきちんと有るものの、夢の中で「飛行」(前項参照)をしていた少女は、霊体の巫条霧絵に介入され、夢の中の無意識下の飛行を、霧絵の能力である強い「暗示」に依って意識するに至った。
彼女達は夢の中だからこそ、飛行出来て、尚且つ、無意識下の為、自身が飛行出来たことには気付かない。しかし、一端意識してしまうと、理性が利かなくなるほどの強い衝動を得てしまうのだ。自分は現実に飛行出来たのだから、当然次も飛行出来る筈だと。
ここでの飛行には、逃避行動に於ける「飛行」と、俯瞰の視界から展望する世界を自己の居住する世界と同一視する為の飛行という二つの意味が含まれているのではないか。
そして、彼女達は、霧絵と同質の存在(つまり霊体)となった。
巫条ビルは時空が捻れており、本来死んでいない少女の幽霊も確認出来た。これは巫条ビルの上空は、巫条霧絵の現出した俯瞰風景の内部だからだろう。少女達は霧絵の暗示により精神に異常を来たし(具体的には、現実に人間単体での飛行(=能動的な現実逃避)が可能であるという脅迫のような逃れられない衝動)少女達は自己の意思とは表現出来ない自殺をすることになった。
よって、彼女達は夢の下での「飛行」中に精神に干渉され、「ボディジャック」状態で自殺したことになる。よってこれは彼女達の意志による故意の自殺に該当しない。より事故と表現出来る。


・黒桐幹也が寝ていた理由について
幹也は独自に一連の自殺を調査しており、結果として霧絵にたどり着いた。しかし、霧絵の幹也を死ぬまでの付き添いとしたい、「浮遊」から逃れる手段として、彼が欲しいという強い想い(暗示)から、昏睡状態に陥ってしまう。式が固定電話に録音された幹也のメッセージを恋しがっていたことや、ふいに巫条ビルに赴き、落下してきた少女に「幹也!」と叫んだのも、幹也が霧絵に魅入られた少女の様に「飛行」、つまり霧絵の下で自殺したものと勘違いした為である。橙子の延命努力により数週間昏睡していながら、リハビリもせずに復活した。


・式が巫条ビルに駆けて行って自殺した少女に「黒桐」と叫んだ理由について
前項での説明通り、幹也は霧絵による昏睡状態に陥っていた。自殺した少女は霧絵の暗示によって意識下での飛行が可能であるとの強迫観念より跳んでおり、また、これは霧絵の人恋しさによるものである為、黒桐も同様に跳ぶ可能性があった。式は電話で幹也の声を聴き、胸騒ぎがして巫条ビルに赴いた為、少女を黒桐と勘違いした。


・式の義手について
式の義手については第三章痛覚残留で明らかになり、何故式が巫条ビルの幽霊に操られた義手を止められたのかは、第四章伽藍の洞で分かる。式がビルからの跳躍の後に、片手で着地出来たのもこの義手のお陰であり、式の義手は霊体を掴むことが出来るので、巫条ビルの幽霊の首を掴むことが出来た。


・巫条霧絵の俯瞰風景について
巫条霧絵は{netabare}荒耶宗蓮によって{/netabare}、病院の外が見晴らせる階の窓のある病室で、家族も居らず、一人で何年間も、不治の病によって不自由な生活を強いられていた。彼女は病室から展望出来る外の世界をずっと憎んでいた。自分は不自由なのと対照的に外の世界の住人は自由だからだ。彼女は外をずっと眺めている内に、外界への憎悪と羨望による呪詛から、病室周辺の風景を脳内に取り込み、同時に盲いることに依って、強力な能力を得た。
彼女の視界は空中にあり、彼女の精神・肉体が存在する器とは別に、彼女の視界の存在する場所に、荒耶宗蓮によって二つ目の器・巫条ビルの幽霊を与えられた。

空を飛ぶという行為は、空の果てを目指す行為である。空の果てには、自分が逃避しなくて住むような世界(=生の実感や生きる目的のある世界、或いは死への恐怖が無い世界)があるのかもしれない。霧絵は黒桐の首尾一貫とした揺るぎ無い人間性に憧れ、また、「生の実感」を他者に供給する人物として、空の果てに自分を導いてくれることを望んだ。
(この空自体も隠喩と解釈することも十二分に可能だ)

霧絵「わたしは生に執着していて、生きたまま飛びたかったの。彼とならそれが出来たはずだから」

霧絵「あの人、子供なのよ。いつでも空をみてる。いつでもまっすぐにしている。だからその気になれば、どこへだって飛んでいけるんだわ。そう――わたしは、彼に連れて行ってほしかった」

巫条ビルの幽霊は、巫条霧絵の二つ目の身体だったので、彼女は一度死を経験しながらも、生きながらえるに至った。病室の霧絵を見限って出来た、巫条ビルの幽霊と病室の巫条霧絵との間の境界は空(ソラ)の境界とも呼べるかもしれない。


・巫条霧絵について
{netabare}巫条霧絵の起源は「虚無」。荒耶宗蓮は両儀式と相反する能力者をつくる為、彼女に長年の夢と悪夢を同時に与え続け、「死に依存して浮遊する二重身体者」にさせたのだ。
前述の通り、式の入院していた病院に霧絵も入院していたのだが、式が橙子に会う前、橙子の前任医師は荒耶宗蓮だった。霧絵の病室の病室代や管理費は荒耶が払っており、身寄りの無くなった彼女をずっと保護していた。{/netabare}
巫条家は混血の大敵である四家系「浅神」「巫浄」「両儀」「七夜」の一つである「巫浄」の傍系であり、盲いることにより特別な力(呪詛)を手にいれる。巫浄家の人間は強力な暗示能力も持っており、暗示によって相手を支配することが出来る。式の右手が勝手に動いたのも、「堕ちろ」という暗示も、これで説明出来る。
{netabare}彼女は、両儀式、浅上藤乃と同様に起源に「虚無」を持ち、特別な家系故に、特別な力を発現した。
「陰陽太極図」で式が一つの肉体に二つの人格を持つ二重存在者なのに対し、彼女は二つの肉体に一つの人格を持つ二重身体者である。
彼女も浅上藤乃と同様に荒耶宗蓮の「根源の渦」である「 」への到達という最終目標の為に両儀式と接触する駒となった。{/netabare}
幹也(そして、僕はさっきまでの夢を思い出した。蝶は最後には墜落してしまった。彼女は、僕についてこようとしなければ、もっと優雅に飛べたのではないか。そう、浮遊するようにはばたくのなら、もっと長く飛べていたはずだ。けれど飛ぶという事をしっていた蝶は、浮遊する自身の軽さに耐えられなかった。だから飛んだ。浮くのをやめて)

黒桐が霧絵に眠らされている間に見た「ゆっくりと浮遊する蝶が一羽あり、そこに蜻蛉が現れ、蝶は蜻蛉に追いつく為に羽ばたいたが、遂には堕ちた」という夢は、身体中に腫瘍があり、余命幾ばくも無い霧絵(=蝶)が「浮遊」している所に、生きる望みである幹也(=蜻蛉)が現れて、霧絵は幹也に「気付いて欲しい」と、後を追うも、結局気付いてもらえず、「飛行」してしまったという隠喩であろう。
{netabare}尚、四章伽藍の洞で両儀式が入院していた病院に巫条霧絵も入院しており、霧絵は、式の元に何年も通い詰めていた幹也を目撃していた。{/netabare}彼女は恋人という生きる目的、死ぬまで付き添ってくれる人が居ないことを悔やみ、同時に幹也を、自分を救ってくれる人物として望むようになる。式に「落ちろ」と暗示として連呼したのは、彼女が幹也という依り所を持っていて、羨望していたからだろう。彼女は式に殺された時に感じた「生の実感」を、もう一度味わう為に、「飛行」という逃避行動を一度採ってしまったことによる開放感をもう一度味わう為に、自分が死に至らしめてしまった少女達への自責の念から逃れる為に、巫条ビルからの転落死を選択した。


・「oblivious」について
obliviousは英語で「~を忘れて」「(没頭して)~に気付かないで」という意味の形容詞。名詞はoblivionで忘却という意味。巫条霧絵をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。4章を視聴すると分かるが{netabare}巫条霧絵は両儀式の入院する病院に入院していた経験があり、そこに小まめに見舞いに来ていた黒桐幹也と出会うのである。{/netabare}「本当は空を飛べると知っていたから 羽ばたくときが怖くて風を忘れた」という歌詞も、本作を視聴すれば意味がわかるだろう。巫条霧絵の静かな恋について上手く纏められている。


・「俯瞰風景」という作品について
巫条霧絵は祈祷(本性は呪詛)を生業とした古い家系の末裔で、重い病気に掛かり何年も病室から地上を俯瞰し、空を見上げていた。彼女は意識が途絶えるくらいまで外を見つめ、外を憎み、恐れた。彼女は継続して世界を「俯瞰」することにより、周辺の風景を脳内に取り込み、二つ目の器である巫条ビルの幽霊を手に入れた。{netabare}与えたのは荒耶宗蓮。{/netabare}巫条ビルの幽霊、巫条霧絵の意識体は、夢の中で「飛行」を行っていた少女達に近づき、「飛行」が可能なことを意識させた。そして彼女達は飛び、当然の如く落ちたのだ。巫条霧絵は、黒桐幹也を拠り所とし、生きたまま「飛行」することを望んだ。しかし、黒桐幹也を拠り所として必要としていた両義式により巫条ビルの幽霊は殺されてしまう。彼女は、罪の無い少女達を殺してしまった自責の念と、幽霊である自身(二つ目の器)の心臓を貫かれた時に感じた圧倒的なまでの死への奔流と生への鼓動をもう一度味わう為に、
あらんかぎりの死をぶつけて生の喜びを感じる為に、巫条ビルの俯瞰から転落死するのだった。
巫条霧絵は「浮遊」することが出来ていたのだが、黒桐幹也に追いつこうとすることで「飛行」という手段を選んでしまったのだ。しかし飛行を選んだ彼女は死んだ後も雲の上を目指し空に落ちるように飛行するはめになる。


・名言(原作より抜粋)

橙子「君の俯瞰風景がどちらであるかは、君自身が決めることだ。だがもし君が罪の意識でどちらかを選ぶのなら、それは間違いだぞ。我々は背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道で罪を背負うべきだからだ」

幹也(いくら正しくて立派でも、死を選ぶのは愚かなんだ。僕らは、たぶん、どんなに無様で間違っていても、その過ちを正す為に生き抜かないといけない。生き抜いて自分の行いの結末を受け入れなくてはいけない。)

式「幹也、今日は泊まれ」

橙子「自殺に理由はない。たんに、今日は飛べなかったんだろう」
{/netabare}

感想

最後の式の「幹也、今日は泊まれ」は良かった。式のクーデレっぷりが最高である。また、私も昔、高いところから高速で落下する夢をよく見た。あれは無意識下の飛行だったのだろうか・・・



この一章は、視聴者に世界観を何と無く掴ませながら、しっかり今後の伏線を十分に張って終わっている。原作の長々とした文を簡潔に短く纏め、視聴者に分かり易く(全部観た後二回目観ると分かる)展開している。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 55

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

俯瞰した風景世界とこちら側の境界線

事故により2年間昏睡状態であった少女・両儀式(りょうぎ しき)と、
その周辺の人物を巡る伝奇的物語。

一般的な一言で言ってしまえば中二的世界観ではある。
でも自分は過去を振り返ってみて、主人公たちと同じような時期に
同じような悩みを抱えたり考え込んだりしていたし、同じようなことを言っていたので、
共感できる部分は多く、この作品がとても愛しいし大切にしたかったりする。

劇場版である全7章のほか、終章としての30分ほどの作品があるのだが
時系列はバラバラで1章から順を追う形ではないため、初観の方は最初
面食らってしまうかもしれない。
どうしてわざわざ時間通りに並べなかったのかはおそらく、伏線回収をする時の
感動がより大きくなるように作られているってことなのだと思う。

ということを踏まえてまずはこの第1章 
俯瞰風景は全7章+終章のうちの1作目ではあるが、
1998年8月の4番目のエピソードになる。

舞台となるのは観布子市(架空の都市)
取り壊しの決まった同じ高層ビルから、少女が飛び降り自殺する事件が多発。
友人である黒桐幹也(こくとう みきや)がこの事件に巻き込まれ
昏睡状態に陥ってしまったため、彼を助けるべく式が活躍するお話。

宙をゆっくり舞い飛ぶ蝶々の映像が幻想的で美しかった。
そして、屋上などの高い位置から広い世界を観る俯瞰というものが
自分を孤独にさせてしまう心理が痛々しくもあり、
もっと成長していけば別の俯瞰の仕方ができるのになぁと思ったり。

ちなみにこの1章だけでは登場人物の細かな設定や事情、関係などもわかりづらく
説明不足に感じる方が圧倒的に多いと思う。
世界観も全貌はまだまだ語られていないので、雰囲気の紹介として観るしかないだろう。
でも終章まで観終えたあと、もう一度この1章を観てみると
驚くような細かなところにまで伏線が張ってあり、実際はとても緻密に
作り上げられていたことがわかる。
なのでもし、この1章の雰囲気に何らかの興味が沸いたならぜひ
終章まで進んで欲しいと思うし、逆にこの世界観が気に入らなければ
1章でやめておいたほうがいいかもしれないが、
できれば・・次の2章まで進んでいただくと式と幹也の関係がわかる、
ということだけはお伝えしておこうと思う。

個人的に気に入っているのは、まず音楽。
あとひたひたと近づいてくるダークな雰囲気と作画。
殺風景で冷たい景色と荒んだ心理。そして何より主人公である両儀式。
他人とは思えないものを感じて興味が湧き数年前に視聴したのが懐かしい。
今回、レビューを書くにあたって忘れていそうな細かな部分を拾うべく
再度視聴してみて、印象は変わらないものの、以前観た時より理解が深まった。

そんな感じで何度か観直すとまた新たに気づく点が出てくるかもしれない。
冷静に観ればもちろん、ツッコミどころはかなり多いけれどね(笑)

参考までに、時系列どおりに並べると以下の通り。

*1995年9月=第2章 殺人考察(前)(58分)

*1998年6月=第4章 伽藍の洞(50分)

*1998年7月=第3章 痛覚残留(56分)

*1998年9月=第1章 俯瞰風景(49分)

*1998年11月=第5章 矛盾螺旋(112分)

*1999年1月=第6章 忘却録音(60分)

*1999年2月=第7章 殺人考察(後)(119分)

*1999年3月=終章 空の境界(30分)

ちなみに各章それぞれ、監督をはじめスタッフの一部が違うので
作画や演出などに関して、違いを観ていくのも面白い。
個人的には第5章、7章が時間も長い分、全体的に見応えあった。
細かな展開と感想については今後随時、各章ごとにレビューを更新します。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 45
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