フリ-クス さんの感想・評価
3.9
After festival(祭りのあとで)
日本語で言うところの『後の祭り』って、
ガイジンに英語で”after festival”といっても伝わらないそうであります。
それはほんとに『祭りのあと』のこと、
つまり単純な時系列を表しているだけのコトバなんだとか。
いわゆる『日本人にだけ通じるエイゴ』の一つですね。
英語でそのニュアンスを伝えたい場合には、
” It's too late.”が一番ストレートに伝わるそうです
他の言い方としては
”What's done is done.”(やっちゃったことはやっちゃったこと)
”There's no use crying over spilled milk. ”(覆水盆に返らず)
みたいなのが一般的なんだそうであります。
さて、アニメの世界で『after festival(祭りのあと)』の代表格、
祭りの後でやるお祭りといえば『劇場版』。
(作画崩壊したのをオンエアしちゃうのは『後の祭り』)
おまつり的にもりあがったテレビシリーズ作品を劇場版にして、
狭いファンからがっつり儲けさせていただきましょう、
というのはたいていの製作委員会がやっていることでありまする。
本作はトリガーさん制作の『電光超人グリッドマン』原作シリ-ズで、
第一弾『SSSS.GRIDMAN』 2018年10月~12月放送
第二弾『SSSS.DYNAZENON』2021年04月~06月放送
に続く、第三弾ですね。2023年03月に公開された劇場版であります。
最終的な興行収入はまだ発表されていないんですが、
中間推移を見る限り、
八億にチョイ届かないぐらいだったのかな、と。
深夜枠発の劇場版としては、
二塁打ぐらいと評価していいヒットを記録いたしております。
第一弾の『グリッドマン』と二弾の『ダイナゼノン』は、
キャラやストーリーのつながりが薄めなので、
なるべくグリッドマンの方から見たらいいんじゃねぐらいなんですが、
本作は前二作のキャラが勢ぞろいたしますし、
ストーリーもこてこてに絡んでいますので、未視聴の方はおいてけぼり。
いや知らんけど、という方は、
まずはテレビシリーズを放送順に見ることをおススメいたします。
どっちも面白いし、見とかないとほんとわけがわかりませぬ。
で、こっからは、
テレビシリーズを視聴済みの方向けのおハナシであります。
まずは製作の経緯について……
もともと第一作の『グリッドマン』を作ったときには、
続編とかシリ-ズ化なんてまるっきり考えていなかったそうです。
それが、けっこうあたったので『ダイナゼノン』を作ることになったんだとか。
で、『ダイナゼノン』をちくちく制作しはじめたころに、
プロデューサーが色気を出して
キャラがみんな出てくるお祭り映画みたいの作ろ~ぜ
とかなんとか言い出したのが本作の発端なのだとか。
もともとなんも考えていないのに『続編』だの『劇場版』だのが決定し、
ツジツマを合わせるために監督が吐きそうになるのは、
このギョ-カイでは日常茶飯事。
テレビ版から引き続き監督になった雨宮哲さん、
なんとかしようとストーリーの原案を考えたのですが、
『せっかくの劇場版なんだから』といろんな方がちゃちゃ入れたみたいで、
当初考えていたストーリーはボツの憂き目にあったそうです。
(雨宮さん、初の劇場版監督なので強くでられなかったんでしょうね)
というわけで、船頭さんが次々とフネに乗り込み、
先に結論じみたハナシになっちゃいますが、
前二作的な『らしさ』半分、ナニコレ的な厨二展開が半分
という、かなり中途半端な仕上がりになっています。
いやほんと、面白いっちゃ面白いんですが、ツギハギ感がエグいかと。
拙の勝手な思い込みに過ぎないかも知れませんが、
本シリ-ズの雨宮カントクって、
ドラマをきちんと描く
ことにすごくこだわっている方だと思うんですよね。
テレビシリーズでは、
同尺のアニメと比べて二割ぐらいシナリオの文字数をへらし、
タメと余韻をもってキャラの心情を表現していました。
お芝居のつけ方も、
いま評判の『フリ-レン』にも通じるナチュラルな方向を示し、
視聴者が同じ目線で共感できるように配慮。
Bパ-トまるまる使ってバトル、みたいな演出もなく、
むしろその前後の『ヒトのあり方』的なことをきっちり描いて、
絵空事なのにエソラゴトじゃない世界観を構築しておられました。
本作も、前ハンブンはそんなかんじ。
懐かしいキャラが次々出てきて親近感を抱けるお芝居を展開します。
(全員そろった学校風景とかすっごく楽しかったです)
バトルは見せ場だけを見せてさっくり終了。
さらにはガウマさんほんとよかったね的な再会なんかもあって、
拙的には大マンゾクな内容でした。
ところが、物語のど真ん中、 {netabare}
具体的には『ダイナゼノン』のキャラが消失したところから、 {/netabare}
なんだかな展開にいきなりシフトチェンジいたします。
メタバ-スがど~したこ~したという、
既視感バリバリな厨二的セカイ観の講釈にはじまり、
そいでもって、
ラストバトルのいや長げ~こと長げ~こと。
敵が出てきてからラスボス倒すまで35分ぐらいあるんですよね。
苦戦したら仲間が出てきて加勢してくれて、
倒したと思ったらフッカツしたり新たな敵がでてきたり、
その都度ヘンケイしたり合体したりの繰り返し。
最後の方の合体なんか、
元はナニでどこに誰と誰が乗っているのかなんて、
いちいち考える気もいたしませぬ。
これ、玩具化案件持ち込んでも断られるだろうなあ、
バンダイでも立体化ムリだろうなあ、
そんなこと考えつつ、ためいきつきながら眺めていました。
つまるところ本作っていうのは、
『きちっと人間ドラマを描きたい』タイプの監督と、
『アニメ映画は講釈たれてなんぼ、バトってなんぼ』の旧勢力が、
尺を半分にすぱっと切って張り合わせた折衷作、
みたいな感じに仕上がっているんです。ほんと、マジで尺の半分のところで。
そこんところを
「一粒で二度オイシイ」と感じるか、
「世界観がぐりとぐら」と感じるかは見るヒト次第かと。
拙が物語に『3』というシブい点をつけたのはそこのところです。
いやだって、
ほんとラストバトルなげ~し、
この世界の『ナゾ』が宇宙規模とか話デカくし過ぎだし、
アカネとか二代目とかバトってんのムリありすぎて笑っちゃうし、
無理くりいっぱい合体させすぎて造形ぐちゃぐちゃだし、
そもそも『敵』の目的が昔マンガみたいだし、
拙個人としては、サービスがぜんっぜんサービスに感じられないんですよね。
本作に限らず、なぜかテレビシリーズの劇場版化って
ハナシを『世界のおわり』みたいなデカいものにして、
出てきたキャラクターはむちゃでもクチャでも全部ぶちこんで、
ド派手バトルで尺ひっぱって、
声優にユウジョ-叫ばしときゃなんとかなるなる。
と考えている業界人が少なくないんですよね。
まあ、平たく言えば、アニメ業界の『悪しきテンプレート』。
いまさらそんなものを『お祭り映画』だなんて、
拙的には、ちょっと感性的にアレな気がしないでもありません。
だって、昭和も平成も、とっくに終わっているんですもの。
そういうのって、場末のフーゾク店、
いわゆる『サービス過剰なえっち下着』みたく感じちゃうんですよね。
お好きな方はお好きなんだろうけれど、拙はムリ。
別料金かかっていいから、
もうちょい知性的なおねえさんとチェンジお願いいたします。
ただし、最後まで通しで見ると、
視聴後感はそんなに悪くないんですよね。
ちゃんとTVシリ-ズのテイストを継承していたように感じられます。
なぜかというと、
ラスボス倒してからのエピローグが、
エンドロールをのぞいて12分もあるんですよね。
{netabare}
そこで、ガウマは長年の姫への思いから解放されます。
哀しいけれどヨカッタね、的なハナシの括り方がとってもよき。
さらに、ホンモノの”after festival”、
学園祭の後の告白シ-ン、
裕太くんと六花の照れ照れハッピーエンドは、らしさ満開でとってもいい感じ。
グリッドマンの第一話で、
記憶喪失になるまえの裕太と六花でなんかあったっぽいんですが、
同作は最後までそのへんがグダグダに。
で、本作では六花が
「時間かかってよかったよ……わたしも裕太を好きになれたから」
と言ってるから、たぶん、告白→保留コースだったんでせう。
告白を保留されている男子って、
毎日が断頭台にのせられているようなものでありますから、
結果はさておくとして、
記憶喪失でそのキョーフから逃れられていたこと、
裕太くんはグリッドマンに全力で感謝いたさねばなりませぬ。
そして、なんといってもエンドロール終了後のおまけ15秒が秀逸。
ヨモギくんの家族にまじってユメが黙々とカニを食べているなか、
ヨモギの「おいしい?」という問いに対し、
母親が「ふつう」と答えて物語が閉じるサイコ-の大団円。
一周回って、
ちょっとだけニンゲン的な成長とかしたりして、
そしてまた日常に戻っていく。
ドラマってそうあるべきなんじゃないのかな、
そんな感じの監督の控えめだけど強烈なメッセージが、
わずかな尺に凝縮して詰め込まれています。 {/netabare}
つまるところ、
こうしたアニメ映画でど派手なバトルを『祭り』の部分とするなら、
その『祭りのあと』がしっかりと、
そして、ていねいに描かれているんですよね。
実際、大きな祭りのあとの寂寥感とか、
日常に戻っていく心地よい倦怠感とか、
そういうのってもう、ヒトの心の中でセットになってると思うわけです。
そうしたものをひっくるめて描くことが、
雨宮監督の考える『祭り』の映像化なんじゃないかなあ、と思ってもみたり。
{netabare}
メタファーとしての実写の差し込みは、
『祭りの終わり』というよりも『夢の終わり』みたく感じましたが、
よく考えてみたら、そこ、境界線がけっこう曖昧なんですよね。 {/netabare}
とにもかくにも、
この、ラスボス退治後に見せた監督の意地とコンジョ-によって、
中盤~終盤の油ギトギトな展開が中和され、
さっぱり気持ちよく「ごちそうさま」が言えるコースになっております。
やっぱお会計は笑顔でするのがイチバンかと。
拙的なおススメ度は、テレビシリーズ視聴済みという前提で、
合体ロボ・ヒ-ロ-・怪獣バトルが好きな方々 →S~A
そういうのは苦手だけど前作は好きだった方々 →Aマイナス
そういうのは苦手だし前作もイマイチだった方々→C
みたいな感じです(ゴリゴリの主観ですが)。
映像は、劇場版の名に恥じないクオリティ。
最後のバトルであれやこれやを合体させすぎて、
なにかよくわかんないモノ
になっちゃったので4.5点という評価なんですが、
おおむね、満点に近いデキではあるまいかと。
お芝居は、安定のナチュラル系。
いい役者さんをずらりとそろえて聴き心地がよく、
カニ売ってた内田(姉)さんもかわいかったです。
ほんと日常パートだけなら満点あげたいぐらいなんですが、
バトルで叫ばしすぎちゃったので、こちらも4.5点。
このへんも劇場版の悪癖だなあと個人的に思ってもみたり。
音楽は、個人的にはイマイチ。
劇伴は鷺巣詩郎さんなんで全くモンダイないんですが、
テ-マ曲がちょっとな……。
アニメファンに評判のいいオーイシマサヨシさんなんですが、
拙の耳にはジュニア作品っぽく聞こえちゃうんですよね。
作品のモチ-フ上、
仕方ないっちゃ仕方ないんですが、
本編の劇伴として使うのはカンベンして欲しかったです。
いやほんと、なんのために鷺巣さん呼んだんだ、みたいな。
もちろん、そう思わない方もたくさんおられるでしょうし、
これはあくまでも個人的な、
100パーセント『好み』のモンダイであります。
とにもかくにも『ファン向けお祭りアニメ』でありますから、
前作ファンなら充分楽しめるデキだと思います。
拙ごときの小者は、
宮本侑芽さんが演る六花をもっかい聴けただけで大マンゾク。
あ、姫ってこんなヒトだったんだ、とか、
世の中で守らなきゃイケナイもののみっつめってそれなんだ、とか、
チセのタトゥー、リスカ痕の上書きじゃなかったんだ、とか、
ちまっとした部分もいい感じに回収されておりまする。
テレビシリーズを超えたか、と問われれば、
そこはちょっとモゴモゴなんですが、
少なくとも「カネかえせ」にはならない楽しい一本ではあるまいかと。
ちなみに、最初に雨宮カントクが考えていた本作の構想って、
単純に前二作のキャラを寄せ集めるのではなく、
三人目のヒロインを登場させて新たなドラマを見せるモノだったそうです。
最終的にできあがった本作は
『グリッドマンⅠ+Ⅱ』あるいは『グリッドマンオ-ルスタ-ズ』みたいな感じですが、
雨宮さんは『グリッドマンⅢ』をやりたかったんですよね。
実際、それでプロットなりシナリオ原案なりが進められていたんですが、
「人物の掘り下げに尺を取られちゃう」
「もっとグリッドマン世界のナゾ究明に尺をつかうべきだ」
という声に押し切られるカタチで、
本作の内容に落ち着いたんだそうであります。
まあ、迂闊にふみこめないジジョ-があったことはお察しいたしますし、
あくまでも個人の好き嫌いのハナシでしかないのですが、
拙個人的には、原案バージョンの方が見てみたかったなあと。
本作は本作でもちろん面白いのですが、
やっぱ見たいじゃないですか、『グリッドマンⅢ』。
まあ、いまさらそんなこと言っても
『後の祭り』なんですけれどね。