2005年度の1話完結おすすめアニメランキング 2

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの2005年度の1話完結成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年10月09日の時点で一番の2005年度の1話完結おすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

71.2 1 2005年度の1話完結アニメランキング1位
地獄少女(TVアニメ動画)

2005年秋アニメ
★★★★☆ 3.7 (814)
5085人が棚に入れました
最近、巷に或る都市伝説めいた噂が流れていた…。
深夜0時にだけアクセスできる「地獄通信」に怨みを書き込めば、どこからともなく「地獄少女」が現れて、憎い相手を地獄に堕としてくれる。晴らせぬ怨みや世に不条理はつきもの。納得できない理由や状況に抗えぬままに悲惨な運命を辿る者は多い。
地獄少女=「閻魔あい」は彼らの悲痛な叫びを聞きとげ、依頼主に契約の証である藁人形を渡し、「地獄流し」へ至る方法を語る。ただし、「その代償として自分自身も死後は地獄で永遠に苦しむことになる」とも言う。
地獄少女は全てを見通すかの様な涼やかな瞳を相手に向け、ただ一言告げる。「あとは、あなたが決める事よ」と…。

声優・キャラクター
能登麻美子、松風雅也、本田貴子、菅生隆之
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

人の世は諸行無常

本作はスタジオディーンが3期に亙って手掛けた「地獄送り」をテーマとした作品の1期目である。
序盤6話までは同じような話で進展が全く無いが、パターンアニメではないことを留意して欲しい。6話からは話が進展してゆく。


基本的なコンセプトは『必殺シリーズ』を元に「法で裁けぬ、晴らせぬ怨みを依頼者から引き受け成敗する」というものである。
依頼方法は『ゲゲゲの鬼太郎』を彷彿させるもので、ネット上に深夜0時に怨みを持ったもののみアクセス出来る「地獄通信」に依頼者がアクセスし、
怨んでいる相手の名前を入力すると、即座に地獄少女が現れ、首に赤い糸が結ばれた「藁人形」を渡し、地獄送りの手順を説明するというものである。
本作はただ怨みを晴らして(相手を地獄送りにして)お仕舞いという安易なものでなく、
「依頼人自身も命に匹敵する代償を支払う」という本作独自の設定がある。
そうした作風について、制作側は「“人を呪わば穴二つ”の言葉の様に、依頼者の人の命を奪うという願いには、それ相応のリスクが必要である」と語っている。地獄流しに出来る相手は1人のみで、一生に一回しか使えない。

地獄流しの手順

①怨みを持つ依頼人が地獄通信へアクセス、名前を入力
②地獄少女が現れ「首に赤い糸が結ばれた黒い藁人形」を渡す
③相手は即座に地獄送りにされるが、依頼者も死後地獄へ行く旨を依頼者に伝え、依頼者の判断に任せる
④依頼者が糸を引いた場合、場合により対象者は三藁にパラレルワールドで仕打ちを受け、罪を認めるように促す。
(認めても認めなくても地獄には流される)
⑤対象者は舟で三途の川を越え、地獄へ流される

本作は観ていて不快になる回が非常に多く、怨み(他からの仕打ちを不満に思い、憤り憎むこと)ではなく憎しみ(自分に不利益をもたらすものを嫌うこと)や僻み(歪んだ考えをすること)、妬み(他人が自分より優れた状態を羨み憎むこと)による依頼も進んで引き受けている。また特筆すべきは依頼人に18歳未満が多く(15/22)、判断力に乏しい中、刹那的感情から依頼したり、安易な気持ちで依頼するケースが多く、これは必要悪の限度を越えた由々しきシステムである。
他にも、三藁によるパラレルワールドでの仕打ちが大甘なのが非常に残念。もっと厳しくやって恐怖のどん底に叩き落して欲しい。水木しげるを好んで読む私としては例えば1話のしゃれこうべは眼球の垂れた生首くらいにして欲しい。
また、怨みを晴らされた側も現世で罪を償わせるべき。
こんな事ばかり言ってもそういう作品なので仕方が無いが。
只、8話から本格的に登場し始めた柴田親子により作品に対する考えが若干変わった。地獄少女は自分の正義により依頼を受けているわけでなく(依頼の拒否は出来る)、誰でも良いから地獄送りにしているようで、それに対し柴田親子が間違いを正すべく活躍するという話に傾倒していった。この点は非常に評価できる。

怨みは怨みの連鎖を呼び、留まることを知らない。人の世が続く限り怨みは消えない。只、人を怨むことは楽しいことではないので、進んで行うことはない。よって余程の事が無い限り人を怨むことは無いのだ。本作は遊び感覚で地獄通信にアクセスする描写があるがこれはとんでもないことだ。
例え怨みを晴らしたとしても、傷ついた心が癒えることや、無くなったものがかえってくることは無い。そのことが分かっていながらも溜飲を下げるために、遣る瀬無い気持ちを鎮めるために、人は人を怨むのである。

人を呪わば穴二つ
一つ目の穴は「自責の念」。人を殺したという強い認識は死ぬまで付きまとい身を蝕んでゆく。怨みの元と成った傷が癒えることがあっても、この認識が消えることはない。
二つ目の穴は「怨んだ者の周囲の念」。自分が怨んだ相手が、誰に対しても腐れ外道であることはほぼ無く、相手にも家族が居て、信頼している仲間がいるのだ。その人たちの怨みも消えることは無い。

因みに本当の語源は依頼者と対象者二人とも地獄(穴)行きという意味。

本作はしかも怨みを晴らすことを他人まかせにし、自分では一切手を出さないという汚い手で怨みを晴らす。代償として死後地獄に送られるが、これでは安いものだ。他力本願は時に罪なことである(私は浄土真宗(笑))。
特に本作の場合
①自ら怨む相手を殺害することにより殺人の実感を得る。
(他人に依頼する場合、金銭で埋め合わせが必要。)
②殺人の罪に問われるまでは、逮捕に怯えること、
捕まってからは罪刑法定主義に則った裁きを受ける(刑事面の裁き)
③殺人者の家族、親類は必ずと言って良いほど世間で差別・迫害され、縁者への迷惑など社会的責任を負う(民事面の裁き)
④殺人者は死後、極楽浄土(キリシタンの場合、天国)へ行けず、地獄へ落ちる。

これらの①~④の項目の内、地獄少女に依頼する事により、①~③から免れることが出来るのである。しかも、地獄少女への依頼は、「積年の怨み」のような重い怨嗟でなく、「気に入らない」「嫌い」「邪魔」などの軽い憎悪でも簡単に行うことが出来ることも安易な依頼へ拍車をかけている。


終盤の地獄少女の過去に纏わる話は面白かった。
中盤から柴田一家は完全に地獄少女に目を付けられ、終盤では酷いことになっている。柴田一とつぐみの親子の絆も感じられた。恐らく、柴田一家が登場しなければ視聴を中断していただろう。

・地獄少女の過去について
{netabare}
閻魔あいは安土桃山時代に村のためと称して「七つ送り」の人柱にされた少女、あいである。
家族の意志で密かに人柱を免れ、幼馴染の仙太郎の協力により、山の祠で生きながらえた。しかし、作物の不作を不審に思った村人達によりあいの生存が暴かれ、罰として両親共に地中へ埋められて人柱とされる。その際、仙太郎が村人に強要されてあいへ土を被せてしまったことから、自らは仙太郎と村人達への強い恨みを抱きながら一旦は力尽きるが、その後に蘇って故郷・六道郷(むつみごう)へ火を放って村民を虐殺するという大罪を犯す。この罪はあまりにも重すぎて地獄でも償いきれず、罰として地獄少女として働く責務を課せられる。

柴田一は仙太郎の家系の末裔で、そのことから、娘の柴田つぐみに地獄少女の精神がリンクした。
{/netabare}


本作は観ていて余りに不快だった為、各話毎に私の主観によるコメントと評価を付けた。
{netabare}
あくまで"主観"であるので、一切のクレームには応じない。
また、視聴後で無いと全く理解出来ないので悪しからず。

依頼人=被疑者=疑とする
対象人=被害者=害とする
得点は善:悪とする
話数の脇にある(18)は依頼人が18歳未満の意

1話(18)
疑:橋本真由美 害:黒田亜矢 40:60
金の管理はしっかりすべき。担任の教師や親に相談すべき。
2話(18)
疑:鷹村涼子 害:如月 100:0
この被害者は腐れ外道なのでOK。殺される寸前だったのでこうするより仕方ない。
3話(18)
疑:岩下大輔 害:花笠守 80:20
この被害者も腐れ外道だが、放っておいても警察に捕まった。無駄骨。
4話(18)
疑:菅野純子 害:本條義之 40:60
この被害者も腐れ外道だが、犬が処置が遅れて病死した程度で人を殺すのはいかがなものかと。その医者を選んだ責任もある。助手もわざわざ客にそんなことを教える必要は無い。墓場まで持っていくべき。
5話(18)
疑:田村美沙里 害:海部美穂 70:30
この被害者も腐れ外道だが、こんな簡単に企業経営出来るなら皆やってるよ。ストーリーが稚拙過ぎ。
6話(18)
疑:安田遥 害:戸高奈美子 80:20
この被害者も腐れ外道だが、子供が哀れ。
7話
疑:来島薫子 害:紅彩花 70:30
この被害者も腐れ外道。養子は選べということだ。被害者が哀れ。
8話
疑:田沼千恵 害:石津吾郎 50:50
よくあること。
9話(18)
疑:春日由香 害:森崎伸也 40:60
発表前の菓子をライバル店の店長に見せるな。信用しすぎ。
但し被害者がまたまた腐れ外道。
10話(18)
疑:渋谷みなみ 害:赤坂詩織 10:90
あの程度で人を怨むとは恐ろしい。逆恨み甚だしい。
最終的に怨みでもなんでも無かった。介入すべきでない。
11話
疑:片岡雅也 害:稲垣隆史 40:60
この被害者も腐れ外道。しかし親父の贈賄は事実なので逆恨み?
12話(18)
疑:沢井茜 害:深沢芳樹 0:100
意味が分からない。この程度で受理するのか?先生が哀れ。終盤は説明不足。先生も死にたければ自殺すれば良い。
13話
疑:福本 害:大河内 100:0
こういう完璧なのは良い。
14話(18)
疑:桐野沙樹 害:楠木亮造 10:90
逆恨みだが、町長も部下の管理が甘かった。
15話
疑:湊三奈 害:湊藤江 80:20
関与すべきでなかった。駆け落ちしろよ。
16話(18)
疑:マミ 害:マキ 90:10
これは父親が悪い。父親が虐待する前に精査すべきだった。監督不行き届き。
18話(18)
疑:上川美紀 害:下野芽衣子 90:10
この被害者も腐れ外道。しかし法で裁けた。犬の躾はしかっりしとけ。また判断が稚拙。調べたり相談したりしろよ。
19話(18)
疑:氏家祈里 害:氏家鏡月 90:10
バアさん暫くしたら死ぬのでは?警察に相談しろよ。
20話
疑:エスパー☆ワタナベ 害:ジル・ドゥ・ロンフェール 10:90
ジルは地獄少女に会いたかっただけだろ。
21話(18)
疑:村井優子 害:関根良介 60:40
これは警察に相談のコース。
22話
疑:末次吾郎 害:林紀子 20:80
女を見る目が無かっただけだろ。
23話
疑:男 害:桜木加奈子 0:100
心中したかった気持ちの悪い男。可愛そうに。

26話
関係無いけど七童寺の住職が地獄少女に焼殺された。哀れ。
{/netabare}

観ていると不快になること間違いなし。しかし何処か引き込まれている自分が居る。鬱アニメと言うが私は鬱要素は全然無いと考える。胸糞悪いだけ。良くも悪くも人間は元来業の深い生き物だということだ。複雑な思いが交錯し、綺麗事で終わっていないのが救いである。愛情と怨嗟は表裏一体。
四苦八苦の内、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦が象徴的に現れていた。
2期、3期もあるので是非観てみようと思う。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 27
ネタバレ

くあれ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

一度は聞いたことがあるあのセリフ…「いっぺん○んでみる?」でお馴染みのミステリーホラー作品

あらすじはあにこれを参照。

一話一話メインとなるキャラが変わるので自由な展開が出来ていて退屈しなかった。内容のほとんどは不条理で胸糞悪いと思った。作画や音楽に関しては普通。

【第一話 夕闇の彼方より】
{netabare} 大人気作ということで知ってる人も多いからなのか、いきなり各話のメインとなるキャラの話が始まって理解が追いつかなかった。地獄少女について少し説明が欲しかったかも。作画は普通で音楽は地獄少女と正式に契約した後の終盤のBGMが恐怖感というより騒々しく感じた。 {/netabare}
【第二話 魅入られた少女】
{netabare} 序盤の進め方を観た時に話の結末が分かってしまい、案の定その通りだった。真に迫るとストーカーが誰なのかが分かった。登場キャラも限定的だったなので余計に。 {/netabare}
【第三話 汚れたマウンド】
{netabare} まだ三話目だったけど、一番胸糞悪かった。人を殺してその罪を他人に押し付けて自首してと言われたら何故?と開き直る。コイツは地獄に落ちた方がいいと思った。地獄少女(あいちゃん)ナイス。 {/netabare}
【第四話 聞こえぬ叫び声】
{netabare} 私も犬を飼っていたので自分と話のメインとなる少女(純子)を重ねてしまい、気分が悪くなった。
少女の場合は、実の親子も失っているので、私よりも辛い境遇だと思い、今後は頑張って強く生きてほしいと思った。 {/netabare}
【第五話 高い塔の女】
{netabare} 何故社長にまで上り詰めたのか理解できない。客観的に観ていたらただ無能としか思えない。人の弱みを握って自分の手は汚さない。完璧な悪役の立ち位置。 {/netabare}
【第六話 昼下がりの窓】
{netabare} 奥様の中でもスクールカーストのようなものがあるとテレビで観たことがある。夫が一流企業に勤めている奥様から取り巻き奥様が出来て中小企業に勤めている夫の奥様が下に見られるみたいな。本当に胸糞悪い。夫を支えるのが妻と聞くけど、妻を支えるのは?すごく困っていて今にも病みそうな姿見ていたら頭痛くなってきた。 {/netabare}
【第七話 ひびわれた仮面】
{netabare} あまり響かなかった話だけど養母のやり方は気に入らない。二人の少女がメインで人形も二人が持つという新しいパターン。一人の少女が圧倒的に悪役っぽかったから地獄に落ちる方は予想しやすく、やはりその通りとなった。 {/netabare}
【第八話 静寂の交わり】
{netabare} この話が一期の終盤にも大きく関わっている気がする。二人の親子がね。地獄少女(あいちゃん)の洗礼してるシーンがあって興奮。毎話欲しいね。 {/netabare}
【第九話 甘い罠】
あんまり覚えてないので、機会があったら観直す。
【第十話 トモダチ】
{netabare} サブタイみて思った。「私たち友達だよね?」こういう作品にありがちなセリフだから絶対言うと思ったら本当に言ってたからシリアスなシーンなのに少し笑ってしまった。 {/netabare}
【第十一話 ちぎれた糸】
あんまり覚えてないので、機会があったら観直す。
【第十二話 零れたカケラ達】
{netabare} 担任の先生が心配して家に来るのって普通なのか?私も不登校の時期に先生が家に来てくれたことがあった。この作品の場合は少しやり過ぎ感あったけど、部屋の扉強く叩いて不登校の少女(茜)を呼び出してた。流石に母親も「もうやめてください」って言ってたし。 あんなことされたら余計出たくなくなるよね{/netabare}
【第十三話 煉獄少女】
{netabare} 地獄少女(あいちゃん)の仲間きたこれと思ったら、ただの古本屋の本の作品名だったよ。少し残念。まぁ私は地獄少女(あいちゃん)一筋だけどね。 {/netabare}
【第十四話 袋小路の向こう】
{netabare} メインのキャラの進行と同時に八話から関わっている柴田家が前回に続き登場。地獄少女(あいちゃん)を探していて、理由が地獄に送るのはよくないからやめさせるらしい。けど、それだけ?なにか内に秘めてそう {/netabare}
【第十五話 島の女】
{netabare} 禁断の恋というものだね。恋の力って凄いよね。境遇にもよるけど地獄少女(あいちゃん)を頼るほどだからね。終盤では序盤から絡んでた柴田家が人形の糸を解かないように促してたけど、あえなく失敗。ハッピーエンドいけそうだと思ったんだけどなぁ。 {/netabare}
【第十六話 旅芸人の夜】
{netabare} 観てる中で不自然な動きがあったから引っ掛かってたんだけど、分からなかったなぁ。二人いますパターンだったか。私が表で輝いて私が影で生きる的なの。 {/netabare}
【第十七話 硝子ノ風景】
{netabare} 霧の中の館ほど怖いものはない。
しかもそこに少女(ニナ)がいる。怖いわ。
結論から言うと少女はニナではなくて、ニナが大切にしていた人形だったっていう。なんかありがちな展開だけど、予想出来なかったな。地獄少女(あいちゃん)が「あなたはニナじゃない」って言った時驚いたし。 {/netabare}
【第十八話 縛られた少女】
{netabare} 犬が関わるとこの作品碌な生き方しないから嫌だな。予想通り犬死んじゃったし。少女(美紀)が親か警察に相談してれば丸く収まったと思う。犬が人質みたいに囚われてたけど、芽衣子っていうおばさんが遺産目当てで家族を殺したことを美紀に知られたと思ったみたい。 {/netabare}
【第十九話 花嫁人形】
{netabare} こいつ人間か?と人間性を疑うほどに酷いことしてて胸糞悪い。この話にも柴田家が関わってる。というかほとんどの話に今のところ絡んできてる {/netabare}
【第二十話 地獄少女 対 地獄少年】
{netabare} 後半が進むにつれて地獄少女(あいちゃん)の心情が少しずつ変化しているように思える。
地獄少年についてだけど、地獄少女(あいちゃん)のライバルになるのか?と思ったらあっけなく地獄に流されてた。地獄に行くの2回目みたいだけど、正直なんとも思わなかった {/netabare}
【第二十一話 優しい隣人】
{netabare} 柴田家が大きく絡んでくる話、隣人というのは柴田家の隣人という意味。まさかの人形使わず終わるという珍しい展開。さすがの地獄少女(あいちゃん)の仲間たちも、このままでは邪魔になると意識を改めたみたい。 {/netabare}
【第二十二話 懺根の雨】
{netabare} ようやくたどり着いた。柴田家が地獄少女に関わる理由。母(あゆみ)が他界していて命日なので御墓参りに行くという話。回想が多めの話だったけど、回想がとても胸に刺さる。一生後悔が残ると思えるような内容。でも終盤では救われた気がしなくもない。 {/netabare}
【第二十三話 病棟の光】
{netabare} 納得いかない。すごくいい人だったのにモブキャラっぽいのに地獄送りされて、地獄少女(あいちゃん)と契約した本人は自殺。終盤でまたも胸糞悪いのぶっ込んできたよ。三途の川渡る時に地獄少女(あいちゃん)が少し揺らいでた気がした。 {/netabare}
【第二十四話 夕暮れの里】
{netabare} 柴田親子と地獄少女(あいちゃん)が立ち並ぶのは初めてじゃないか?お互いの因縁も明かされてもう話も終わりそう。 {/netabare}
【第二十五話 地獄少女】
{netabare} 回想みて思ったことは他作品の【黄昏乙女アムネジア】の回想思い出したってこと。村人から生贄にされて怨み、憎しみが生まれるって展開が似てる。本当に悲しい。こういうのって支えてくれていた人が裏切った時がより一層辛くなる。 {/netabare}
【第二十六話 かりぬい】
{netabare} 柴田親子が離れ離れになって地獄少女(あいちゃん)は昔の感情が再び芽生え覚醒して激おこ。能力も惜しみなく発動してて完全に我を失ってると思った。二十二話での回想を引っ張り出してきたな。ここで柴田親子は吹っ切れたみたい。地獄少女(あいちゃん)も間近で柴田親子の様子を見てなにか感じ取って正気に戻ったみたい。柴田親子は救われたみたいだけど、地獄少女(あいちゃん)はどうなんだろう。契約なしで地獄に送ると自身も地獄に行くらしくて、一度そうなりかけたはずだけどね… {/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 3
ネタバレ

石川頼経 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

素直に名作と言える作品群です。

*別のところにも書いた文章ですが、なんだか、地獄少女を最近、四期の影響で見始めた人たちに「長い」とかいう批判が出てきたので反論と考察を長文でつらつらと書きます。

10年近く前のアニメたる地獄少女は三期までは一期につき「2クール×2=26話」が三期(計78話)続いたわけですが、それを今更、自分たちの基準で文句を言うのはどうかと思います。
この作品に限った事ではなく、最近のアニメ全体についてですが、「最近、アニメに対してせっかちな人が多すぎる」と思います。
最近のアニメは季節ごとの1クール作品主流ですが、たかだかそんな短い話しでも「展開が遅い」だの「中だるみする」だの文句を言う人が多すぎます。
そして2クール作品だと「長すぎる、1クールにまとめるべき」みたいな意見が出ます。
昔のアニメは基本的には4クール(一年)でしたし、ヒット作品や原作が長い作品だと二年以上(100話以上)やるなんてザラでした。
最近のアニメ視聴はたかだか一話や二話。たわいない話しや息抜き回があったくらいで騒ぎになり批判の嵐で「切る」とか言い出す人がいますよね?

なんだか、最近は「1クールアニメが基本」になってる人も多いようで、それを前提に批評している人も多すぎですね。
私は好きなキャラや作品が少しでも長く続くのは好きなので、長期アニメ肯定派です。
それに長期アニメなら多少、出来の駄作・凡作回、遊び回があっても、それはそれで「まあ、こんな回があっても良いか」と許容できる利点もありますしね。

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さて、作品の論評です。

個人的にはテレビシリーズのアニメとしては最高峰ともいえますし、
一部の作品は何度でも繰り返して見られます。
能登麻美子をはじめとした声優さんたちの怪演も良かったです。

強いて難を挙げると全ての回が傑作というわけではなく
「イマイチな回」が幾分あったというのが欠点ですか

まあ、それも2クール×3期という長丁場なので
イマイチ回があるのは仕方ないと言えない事もないです。

一期で個人的ベストは「硝子の風景」ですね。ただしいつもの地獄少女の構成を崩した異色回です。そういうのに良い話しがあるってのは実は結構よくある事だったりします。
他に「高い塔の女」「トモダチ」「袋小路の向こう」「縛られた少女」「病棟の光」なども好きです。
逆に一番、つまらないと思った話しは「優しい隣人」です。今更の盛り上がらない話しでしたね。

個人的には四期以降も作って欲しいですが、
それは難しいですね。と思ったら2017年7月から新シリーズが放映されるようです。

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特報です。
>「アニメ小冊子つき 地獄少女 傑作選 ~花鳥風月~
2017年7月より『地獄少女』新アニメシリーズが放送スタート!この新アニ>メの設定資料が入った小冊子を付け、『地獄少女』コミカライズシリーズの>人気ストーリーを集めたオムニバスを刊行。」

いやー、実に八年ぶりに新シリーズ実現とは・・・・
能登さんの声も大分変っただろうけど(悪く言えば劣化(?))、
幸い、閻魔あいはキャビキャピしたキャラではないので
能登さんが40になろうと50になろうと比較的。問題は少ないかもです

公式サイトでも発表されました。
http://www.jigokushoujo.com/

ただし、我々が期待していたようなものとはちょっと違っていて、
既成作の総集編六話+新作六話の一クールという事で、新作部分はわずか六話の短編ですね・・・
うーん、これでは早くも五期期待ですね。
とはいえ、これを応援しないと「本格的な地獄少女シリーズ」も始まらないので応援したいです。

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蛇足の考察
{netabare}「異色回ですが、そういうのに良い話しがある」について

全く関係ない知識披露ですが、
そうなんですよね。例えば推理小説などでシリーズ探偵が出てこない話しが代表作と言われるのはよくあるケースなんですよ(もしくは処女作=最高傑作になるケース)。
例えば探偵ポワロや老婦人探偵ミスマープルで有名なアガサ・クリスティですが、最高傑作はこの二人が出てこない「そして誰もいなかった」だったりします。
エラリ・クイーンも一番多く書いた「エラリー・クイーン探偵もの」ではなく四作しか出さなかったYの悲劇など悲劇シリーズが有名になってしまった。
ディクスン・カーもクロフツも同じ、シリーズ探偵ものが代表作とはならなかった。
名探偵シャーロック・ホームズで有名なコナン・ドイルは推理小説自体を「文学とも言えない低次の娯楽作品」とみなして、自分が「シャーロック・ホームズもので有名な推理小説家」と言われるのを非常に嫌ってた。
江戸川乱歩の場合、肝心の本格推理小説はあまり評価されず、子供向きに書いた「二十面相もの」が一番有名になってしまったという皮肉ぶり。
こういうケースって結構多いのです。
一生をかけた探求してきたものよりもちょっと目先を変えた番外的なものが評価されるのは作り手としてはさぞや不本意な気がします。
原因を考察すると「ノンシリーズものは構成に縛られず話しが自由に作れる」からかもしれません。{/netabare}

余談
普通、声優のキャスティングはオーディションで決めますが、閻魔あい役に関しては原案者のわたなべひろしさんが「この役は能登麻美子さん以外、考えられない」とオファーを出したそうです」

投稿 : 2024/10/05
♥ : 23

87.9 2 2005年度の1話完結アニメランキング2位
蟲師(TVアニメ動画)

2005年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (1964)
10547人が棚に入れました
「蟲」(むし)は作者の創作であり、我々が一般的に知っている「虫」いわゆる「昆虫」ではない。「蟲」とは、我々の世界でいえば幽霊や妖怪のような存在がそれにあたり、霊能力者を「蟲師」(むしし)という「蟲」専門の医者、かつ研究者、退治者としている。
時代設定については「鎖国を続けた日本」、もしくは「江戸期と明治期の間にある架空の時代」といった所との事。ゆえに作中においては、登場人物は主人公を除いて全員和装をしており、登場する風景も日本の原風景を思い起こさせるようなノスタルジックなものとなっている。
本作は、「蟲師」である主人公ギンコが「蟲」により引き起こされる様々な謎を解き明かしていく物語であり、基本的に一話完結で物語が構成されている。

声優・キャラクター
中野裕斗、うえだゆうじ、土井美加
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

独特の世界観って何さ?

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 おもしろいですよね、『蟲師』。成分タグに「独特の世界観」というのが付いていました。私も同感ですね。色彩とかだけじゃなくて、世界観が独特なんですよね。

 『蟲師』を見るたびに思い出すことがあります。我が家にホームステイしていた、アメリカ人の大学生のこと。
 彼は『蟲師』を題材にレポートを書いていました。彼に頼まれて、そのレポートの日本語チェックをしてあげたんですが、文法以上にいろいろ気になったんです。私たちが感覚的に分かっている『蟲師』の世界観を把握できていないように感じました。彼も『蟲師』が「独特の世界観」であると主張していました。
 果たして私(たち)と同じ意味で使っているのか…。これがこのレビューの主題です。

↓畳んでるけど、ネタバレはないよ。

<彼の世界と私の世界>{netabare}
 彼は、とある一神教の教徒です。比較的敬虔な。まぁそれはいいのですが、「まず神様がいて、神様に模して造られた人間がいて、その他」みたいな序列を、傾向として持っている。そのせいかどうかは分かりませんが、彼は勝敗やランクを付けるのがとても好き。支配と管理と序列の世界。これが「彼の世界」です。

 一方、私は神様が何かなんて気にもしない。あえて言うなら、コントロールの出来ない不可侵なもの。つまり、よく分からないもの。環境みたいなものです。世界を「神様→人間→自然」という序列じゃなくって「人間と人間を取り囲む環境」という比較的フラットな関係で見れる。これが「私の世界」です。
{/netabare}

<蟲師の世界>{netabare}
 「蟲師の世界」には、2種類の人間います。一部の例外を除けば、蟲師である蟲が見える人間と、一般人である蟲が見えない人間に分けられます。「蟲師の世界」を考えるには、特別な存在である蟲師の視点で見てはいけませんよね。まずは作中の一般人の視点で見る必要があります。主人公のギンコが蟲師であったり、私たち視聴者にも蟲が見えていたりするために、ややもすると忘れがちですが、「蟲の見えない世界」が基本にあるんです。

 『蟲師』の各エピソードを見たときに、蟲が全く見えないことを想像してみてください。何が起こっているか分からなくて、ちょっと怖い。でも、ただそれを受け入れるしかないですよね。これが作中の一般人が見ている「蟲師の世界」です。つまり、蟲が神様だとは言えないまでも、「コントロールの出来ない不可侵なもの」という人間を囲む環境として描かれているってことです。これは「私の世界」に酷似していますよね。

 『蟲師』を見たときに感じる日本っぽさというのは、着物を着ているから、というのではなくて、その題材となっている迷信を含めて、精神世界が私(たち)になじみやすいからのような気がします。
{/netabare}

<独特の世界観①>{netabare}
 『蟲師』は「私の世界」と近いものであるはずなのに、「独特の世界観」を感じてしまう。この感覚はどこから来るのでしょうか。

 見えないはずのものが見えてしまう、というのは理由にならないでしょう。
 このような作品は、たくさんあります。例えば「妖怪もの」がそうですよね。妖怪も本来は見えないため、一般人にとっては「環境」みたいなものです。つまり、「妖怪もの」も「私の世界」が根底にあるわけで、「蟲師の世界」と基本構造は同じと言えます。でも、「妖怪もの」に「独特の世界観」があるって言われることって、あまりないですよね。見えないはずのものが見えてしまうことは、重要ではないように思われます。

 蟲が特殊でしょうか? そう思っていたのですが、これは誤解のようです。
 蟲も妖怪も、自然現象・生物・病など様々な概念を持っています。つまり、概念的には違いがない。姿かたちが特殊だというのなら、いびつな妖怪が出てくる作品には全てに「独特の世界観」タグが付くことになってしまいます。でも、これは少し乱暴ですよね。
 仮にですが、蟲は妖怪ですって作中で説明されていたとしても、『蟲師』に「独特の世界観」タグはついていたと思うんです。つまり、蟲っていう存在が「独特の世界観」を作っているわけではなさそうなんです。


 『蟲師』を「独特の世界観」にしている原因は、おそらくギンコです。ギンコという主人公が特殊なんです。
 「妖怪もの」では、主人公が妖怪を「環境」として見るのではなく、まず友人や敵として相対します。意思疎通ができなかったとしても、妖怪との対話が前提としてあるんです。そういう世界観が作品としての魅力になっている。
 でも、『蟲師』では蟲との対話をせずに、蟲という環境を介して、人間と相対することが主題となっているんです。

 もし仮に、ギンコが蟲とバトルを始めたら、これはもう「妖怪もの」ですよね。つまり、「私の世界」を起点に「妖怪もの」ではなくて「独特の世界観」にしているのは、蟲ではなくてギンコなんです。ギンコが蟲という異形のものに見せる態度が「独特の世界感」を作っているんです。
{/netabare}

<独特の世界観②>{netabare}
 『蟲師』にも、「彼の世界」の住人がいます。環境である蟲をコントロールしようとする人々です。彼らは、基本的には不幸になっちゃいますよね。作者はこっちじゃないよって言っている。
 「私の世界」の住人は、一般人ですね。蟲という環境に翻弄され、耐えるだけです。現実世界の私たちと同じで、目に見えないものを環境として受け入れることしかできません。
 「独特の世界観」の住人は、ギンコとギンコというフィルターを通したときの私たち視聴者です。

 ギンコは、蟲と対話をしません。話しかけることはありますが、あれは独り言みたいなもので、対話が成立しているわけではありませんよね。でも彼は、意思疎通のできない蟲に対してとことんやさしいわけです。どんな悲劇が蟲によって引き起こされても、絶対に蟲を責めたりしません。蟲っていうのはバトルの相手じゃなくって、環境だから。人の業を嘆くことはあっても、蟲に怒りをぶつけたりしないんです。

 視聴者も同じです。『蟲師』の各エピソードは、人の業に蟲の影響が絡んで、嬉しかったり、悲しかったり、切なかったりするわけですが、蟲が起こすことだから、そういう世界だから、視聴者は「しょうがない」と割り切っちゃえるんですね。何人かのレビューを拝見しましたが、誰も蟲を責めてはいませんでした。ギンコと同様に蟲を環境として受け入れているから、蟲に対してやさしくなろうしなくても、無自覚にやさしいレビューが書けるんだと思います。

 これって実はすごいことですよね。もし現実世界で蟲みたいな存在が目に見えていたら、私はそれを受け入れられる自信はありません。実際、虫の一匹にもあたふたしているわけですから。そんな蟲を無条件で受け入れられるギンコは、とても異常な存在なんです。
 でも、視聴者はギンコを介して蟲を見ることで、その世界に自身を投影し、蟲を受け入れてしまっているのです。ギンコにも視聴者にも、異形な「環境」が見えている。見えているのに、バトルの相手にせずに、なお環境のまま「しょうがない」と受け入れている。この異形のものを受け入れる姿勢が「独特の世界観」の正体なのだと思います。
{/netabare}

<独特の世界観③>{netabare}
 意外かもしれませんが、この「しょうがない」って感覚、留学生にはなかなか伝わらないんですよ。「it can't be helped」や「i have no choice」なんていったら「あきらめるな!」なんて返されたりもする。「that's life」や「whatever will be will be」もなんか違う。英語にぴったりの訳語がないんです。

 私たちが「しょうがない」って思うとき、あきらめと同時に受け入れていると思うんですよ。あきらめなきゃいけない状況で、怒るでも耐えるでもなくて、許容してる。この「環境を許容する」「許す」って感覚が英語には入っていないんです。

 ギンコっていうのは、蟲という存在を「許し」てしまっているんです。まさに究極の「しょうがない」の体現者であるわけです。蟲が起こす全ての結果を受け入れる度量がある。だから人にも気遣えるし、やさしくもできるんです。それが私たちの琴線を揺さぶるんだと思います。

 これは『蟲師』の面白さに関連していると思います。この作品てどこが面白いの、と聞かれても答えるのはなかなか難しい。私は、一つの話が完了したタイミングで「面白い」と感じています。面白いシーンがあるのではなくて、一つの話が全体として面白い。ギンコが蟲を受け入れて、私がその世界を受け入れる。その調和する一点が、この作品に感動を生んでいるように思えます。
{/netabare}

<まとめ>{netabare}
 彼にとっては、この辺を整理するのがとても難しい。
 彼も『蟲師』は面白いって言っていました。この辺の感覚は私と大差ないと思います。純粋に人間の物語を楽しめている。でも世界観を説明するとなると難しいんですね。不都合な蟲を屈服したくなってしまう。私が無視してしまう蟲の定義とかにもこだわってしまう。感想文ではなく、レポートを書こうとすると瓦解してしまうわけです。

 私が言う「独特の世界観」っていうのは、ひねられた世界です。「私の世界」を「妖怪もの」とは別方向にひねっただけで、根本は変わらないんです。「蟲って何?」って聞かれたら「よく分からないもの」って答えておけば、もう「私の世界」に入れることが出来るんです。その上で「蟲だからしょうがないね」って言っておけば、ギンコが作る「独特の世界観」を充足することができるんです。

 でも、彼が言う「独特の世界観」というのは、「彼の世界」とは別世界って意味なんです。「彼の世界」をひねっただけでは到達できない世界なんです。一度「彼の世界」から乖離して「私の世界」に到達しなければいけない。その上で「しょうがない」って感覚を学ばなければいけないんですね。

 おそらくですが、彼が蟲師を理解するためには、『もののけ姫』をきちんと解釈できるレベルが必要になると思われます。
 『もののけ姫』というのは、人間が自然に対抗しようという対立から始まります。そして、両者が共存へと導かれる物語です。ここでの話に合わせるなら、「彼の世界」から始まり、「私の世界」に至る物語です。
 一方で、『蟲師』というのは、自然や環境との対立を必要とせずに、初めから受け入れ、その上でどうやって折り合いをつけて行こうかって物語なんです。『もののけ姫』の先にある、「私の世界」だけを舞台とした物語です。
{/netabare}

<おわりに>
 多文化主義ってよく言われますけど、言葉でいうほど簡単じゃないですよね。毎年留学生が来る頃になるといつも思います。表面的な感情の部分は共感できても、根の深いところで価値観の違いを感じます。

 もちろん彼に「私の世界」について考える素養がない、というのではありません。「彼の世界」と「私の世界」について考えるときに、10-0でどちらに振れるか、ではなくて、7-3とか6-4とかのバランスの話です。個人的なものなのか、社会的なものなのか、宗教的なものなのか、それは分かりませんが、人の持つ思考のクセみたいなものがどちらに向いているのか、という話です。
 これはもちろん私にも当てはまることです。私も海外の映画とかを見ても、宗教的な象徴物になんてなかなか気付けないですからね。それでも楽しいと言ってしまう。まぁ理解できないのはお互い様ってことです。

 ちなみにですが、日本人とアメリカ人とか、東洋と西洋とか、そんな大層なことをいうつもりはないですからね。あくまでも私と彼の個人的な「独特の世界観」に関する話です。みなさんが考えている「独特の世界観」とも違うかもしれませんしね。あしからず。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 23
ネタバレ

小歌 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

幻想的な和風奇譚

 全26話 ※原作未読
世界観、エピソード、声優、作画や背景美術、音楽…
全てが素晴らしかった。
どこを切り取っても高クオリティで感嘆する。
1話完結型なので、毎話、短編映画を観たかのような余韻に浸れます。
日本の民間伝承や民俗学的な雰囲気が好きな人には本当オススメ。
私的に特に魅せられたのは音響効果。
山に棲む動物の鳴き声、雨風、葉擦れ、衣擦れ、木床の軋み、
土や雪を踏む音など…ヒーリング効果がハンパない。
あと、中野さんの淡々とした演じ方が
ギンコが醸し出す異質さと合ってて、とてもクセになります。
お気に入りの話は「柔らかい角」と「筆の海」。

 * * *

 ■第1~10話■
{netabare}第1話 緑の座
 {netabare} 動植物よりも生命そのものに近い存在・蟲。蟲師のギンコは、描いたものが具現化する“神の筆(ひだりて)”を持つ少年・しんらを訪ねる。そして彼の家にいる、元は人間だった蟲の少女・廉子(れんず)。彼女の正体は、蟲の宴で光酒(こうき)を飲み蟲になった、しんらの祖母だった。実に日本的な、自然と人が調和した世界観。良いねぇ。 {/netabare}

第2話 瞼の光
 {netabare} 光に当たると目が痛む病に罹った少女・スイと、彼女を倉に預かり世話をする少年・ビキ。彼女の瞼に棲まう蟲を取り除いたギンコは、闇を見過ぎて使い物にならなくなった彼女の左目に自身の義眼を与える。スイに見えていた、1話でも登場した光酒が流れる川・光脈(こうみゃく)は、シシ神様的な存在意義があるのかな。 {/netabare}

第3話 柔らかい角
 {netabare} 静かな冬の人里で片耳が聞こえなくなる症状が相次ぐと、村長の白沢から依頼を受けたギンコ。原因は蟲の“吽(うん)”によって音を食われていたためだった。しかし白沢の孫・真火(まほ)だけは、蟲“阿(あ)”によって額から生えてきた角から聞こえてくる大量の音に悩まされていた。音響効果が素晴らしい仕事をしていた。 {/netabare}

第4話 枕小路
 {netabare} 予知夢を見るという男・ジンに夢を見なくなる薬を渡したギンコ。1年も経たぬうちに再び訪れたその村は荒れ果てていた。ジンに棲みついていたのは予知夢を見せる蟲ではなく、見た夢を現実にする蟲“夢野間(いめののあわい)”であった…。ギンコも判断を見誤ることがあるんだなぁ。初めて平和的な結末じゃなかったね。 {/netabare}

第5話 旅をする沼
 {netabare} 透明な水のような蟲“水蠱(すいこ)”は、死に場所を求めて海へ向かうため“生き沼”となる。そんな生き沼と旅する緑髪の少女・いお。海に辿り着けば沼もろとも彼女も溶けて消えてしまう…ギンコはいおを救うため、海辺の街医者で収集家でもある知人・化野(あだしの)の手を借りる。旅費は蟲関連の珍品売って稼いでたのね。 {/netabare}

第6話 露を吸う群れ
 {netabare} 昼顔の花のように1日だけの命を毎日繰り返す少女・あこやは、“生き神”として島の住人に崇められていた。彼女を救うため、幼馴染の少年・ナギに呼び寄せられたギンコは、昼顔を巣とする蟲を発見する。生き物によって寿命は違っても、生涯脈打つ回数は同じ…ほへー。人生観について考えさせられる話。 {/netabare}

第7話 雨がくる虹がたつ
 {netabare} ギンコは虹を捕まえるため旅をする男・虹郎(こうろう)と出会い、しばしその旅に付き合うことに。前回が命の時間について考えさせられる話なら、今回は生き方について考えさせられる話ってとこか。蟲“虹蛇(こうだ)”に魅せられた虹郎の父が、病床で詫びながら彼に新しい名前をあげようとする回想場面で泣きそうになった。 {/netabare}

第8話 海境より
 {netabare} 海蛇のような群れに舟を囲まれ靄の向こうに消えた妻を、浜辺で2年半ものあいだ待ち続けていたシロウ。ギンコの言葉をきっかけに新たな自分の人生を歩み始めたが、再びあの時のような靄があらわれ…。なんだろう、前向きな結末なんだけど、なんかモヤッとするのは。奥さんだけが浮かばれないからかな。 {/netabare}

第9話 重い実
 {netabare} 天災の年に豊作となる代わりに、1番弱い者が贄として死ぬという村を訪れたギンコ。犠牲となる人間に生えてくる“瑞歯(みずは)”が、豊穣をもたらす次の“ナラズの実”になることを村で唯一知る祭主は、自らが犠牲になることでこの連鎖を断ち切ろうとしていた。ギンコが不老不死を解決策としたのは意外だった。 {/netabare}

第10話 硯に棲む白
 {netabare} 化野が所蔵していた硯を使った子供たちが、体温が下がり続けるという症状に見舞われる。解決策を探るため、ギンコはその硯を作った職人・たがねのもとを訪ねる。化野先生、再登場。硯から蟲を追い出せば霰が降ることは分かってたんだったら、もっと場所考えた方が良かったんじゃ…と思ってしまった。 {/netabare}{/netabare}

 ■第11~20話■
{netabare}第11話 やまねむる
 {netabare} とある霊峰近くの村人達からの尊敬を集める蟲師・ムジカは、人でありながらその山の主(ヌシ)を務めている。しかし密かにクチナワを呼び寄せ、自分の命と引き替えに主の座を明け渡そうとしていた…。今までで1番ジブリっぽかったな。旧山の主の大猪とか特に。ムジカが主になった経緯はある意味悲劇だと思う。 {/netabare}

第12話 眇の魚
 {netabare} 土砂崩れに巻き込まれ母親を亡くした少年・ヨキは、白髪隻眼の女蟲師・ぬいの世話になる。近くの沼には“トコヤミ”という闇の姿をした蟲と、その中で光を放つ蟲“銀蠱(ぎんこ)”がいた。ギンコの過去話キタ。彼の特殊な容姿の謎などが明らかに。ギンコにはもうぬいとの記憶がないんだと思うと、切なさが増す。 {/netabare}

第13話 一夜橋
 {netabare} ゼンと駆け落ちの途中で橋板が崩れ、谷底へ落ちたにも関わらず生還したが精神は抜け殻なハナ。彼女には蟲“ニセカズラ”が憑いているため、今も生きた状態なのだった。蟲が離れて彼女は死に、ゼンはギンコと共にニセカズラの群れによる“一夜橋(ひとよばし)”を渡り村を出ようとするが…。ハッピーエンドも観たい… {/netabare}

第14話 籠のなか
 {netabare} ギンコが出会ったのは竹林から抜け出せないという男・キスケ。真っ白な竹の姿をした蟲“間借り竹(まがりだけ)”と人間の間に生まれた子・セツと夫婦になり子をもうけ竹林の中で暮らす彼だが、家族で里に戻りたいと言う。安堵はしたけど少し異様にも感じるラストだった。蟲と人間のハーフは“鬼子(おにこ)”と呼ぶそうな。 {/netabare}

第15話 春と嘯く
 {netabare} すずとミハルの姉弟に、雪の夜に世話になったギンコ。弟のミハルは蟲が見え、冬のある日を境に春まで目覚めないという。しかし1年後に再びギンコが訪れた時も未だにミハルは眠り続けており…。冬仕様ギンコの色っぽさよ。彼が土地を早く離れたがるのは蟲のせいだけじゃないんだろうと思うと切ない。 {/netabare}

第16話 暁の蛇
 {netabare} 渡し守の少年カジから、母のさよが日毎に記憶を失くし、夜も眠らずにいるという相談を受けたギンコ。彼女は“影魂(かげだま)”という蟲に記憶を食われていた。食い尽されないために記憶を増やすようギンコから助言を受けた親子は、行商から戻らぬ夫を探しに旅へ出るが…。傍目から見て幸せなのか気の毒なのか…。 {/netabare}

第17話 虚繭取り
 {netabare} 蟲師が伝達に使用しているのは蟲“虚(むろ)”を閉じ込めた1対の虚繭(むろまゆ)。片方は蟲師が持ち、もう片方を管理し文を虚繭に送る役目を担うのは綺(あや)という少女。彼女は5年前に虚穴(むろあな)に飲み込まれた双子の姉・緒(いと)の帰りを待ち続けていた。蟲師の伝達手段が明らかに。ギンコの予想に反して綺の願いが報われて良かった。 {/netabare}

第18話 山抱く衣
 {netabare} 絵師を志して里山を出た塊(かい)。姉が持たせた着物の羽裏に故郷の山を描いたことをきっかけに頭角を現し、10年後には有名絵師として名を馳せる。そうして里帰りした塊を待っていたのは…。とても希望のある終わり方。故郷は大切にしなきゃね。ギンコが蟲ついてない着物を化野に売りつけてるのには笑った。 {/netabare}

第19話 天辺の糸
 {netabare} 人と蟲の境にいる状態の娘・吹(ふき)を保護したギンコ。彼女は蟲“天辺草(てんぺんぐさ)”に触れたため蟲寄りの存在になり普通の人には見えないでいたが、ギンコの介抱によりほぼ回復する。まだ不安定な状態の吹を人として繋ぎとめておくよう、恋人の清志朗(せいじろう)へ注意を促すが…。愛の力だねぇ。穏やかな話が続くと反動が怖い。 {/netabare}

第20話 筆の海
 {netabare} 禁種の蟲を体内に宿して生まれてくる者がある狩房(かりぶさ)家。蟲がいる右足には墨色の痣があり、その蟲を封じるため蟲師から伝え聞いた“蟲を屠(ほふ)った”話を書き記す“筆記者”となる。四代目筆記者・淡幽(たんゆう)は、蟲に侵されながら蟲を愛し、文字の海に溺れるように生きていた。淡幽さん素敵。ギンコとの関係も良い。 {/netabare}{/netabare}

 ■第21~最終話■
{netabare}第21話 綿胞子
 {netabare} 奇病に侵された我が子を助けてほしいと依頼されたギンコ。ワタヒコというその子や他の兄弟は実は人ではなく、蟲“綿吐(わたはき)”の一部であった。衰弱しているのは寿命がきたからで、胞子を飛ばす前に殺さなくてはならない。長男の時はその対処に同意した夫婦だが…。今までで1番物騒で不気味な絵面だったな。 {/netabare}

第22話 沖つ宮
 {netabare} 死にかけた者を“竜宮”と呼ばれる海淵に沈めると、同じ姿で再び生を受ける…“生みなおし”という現象が起こる島を訪ねたギンコ。そこで世話になった澪という女性も自身の母を生みなおし、娘として育てていた。死生観を問われる内容。でも「露を吸う群れ」ほどの暗欝さはなく、前向きな感じで良いね。 {/netabare}

第23話 錆の鳴く聲
 {netabare} 住民を含めあらゆるモノが赤い錆に覆われた村。この症状の原因は、しげという少女が発する声に含まれる特殊な層の音に魅かれて来た蟲“野錆(やさび)”であった。周囲から病の元と敬遠され、声を出さぬよう暮らすしげに、ギンコは解決策があると告げ…。真面目なシーンで男女の機微に茶々入れるギンコに笑った。 {/netabare}

第24話 篝野行
 {netabare} 蟲師・野萩(やはぎ)が暮らす里の付近で、謎の草が大量に生えてくる。作物に影響が出るのを恐れた野萩たち住民は草を根絶するため、ギンコの制止に構わず山を焼く。しかしその焼け跡から蟲“ヒダネ”が陰火(かげび)となって放出され、却って住民たちは危険に晒されることに…。自業自得というか、ビターな展開だった。 {/netabare}

第25話 眼福眼禍
 {netabare} 蟲を弾き語る琵琶師・周(あまね)。生まれつき盲目だった彼女は、蟲師の父が持ち帰った蟲“眼福(がんぷく)”を目に宿したことで視力を得た。しかし次第に見えないはずのものまで見える千里眼となったその両目を、周は葬ろうと決めていた。目玉が抜け落ちるシーンは4話を思い起こさせる。真綾さんの語りは耳心地が良いね。 {/netabare}

第26話(最終話) 草を踏む音
 {netabare} 沢(たく)の家は光脈筋にある山一帯を代々守ってきた。その山に梅雨の時期だけ滞在する不思議な一団“ワタリ”は、光脈筋を辿って移動し、蟲の情報を蟲師に売るのを生業としていた。その中で年頃の近い少年イサザと、沢は交流を持つようになる。ちびギンコ再登場。淡々としつつ穏やかで良い終わり方だと思う。 {/netabare}{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 12

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

生きる苦しみ、辛さ、哀しさ

陰から生まれ、陰と陽を行き来するもの、蟲。
話すことも思考することもない、彼らと人との関わりを描いた作品。

場所はおそらく日本で、時代はけっこうむかしのこと。
まだ人々の生活が農業を主体とした、ほとんどその日暮らしのような生活をし、藁葺の家に貧しく住んでいた頃だ。
周りで聞いたことも見たこともない奇妙で奇怪なことが起こるところに不思議と彼はやってくる。
やや長めの真っ白な髪に細身で長身。大きな木箱を猫背に背負い、煙草を飲みながら歩き回る。
片目はその白髪に隠れて、もう片方の目は緑色ににぶく光る。見るからに怪しい男。
口を開くと意外にも話のできる者だった。
だが、一度気になることに食いつくとその口調は幾分鋭くなり、物事のまたは人のこころの核心を軽々と突く。
そいつの名はギンコといった。忘れもしないさ。生業は、そう、蟲師だ。


 独自の世界観を持つ本作。それは日本的で、というよりむしろ日本人でないとなかなか理解できないよう内容が多い。
 物語は1話完結で淡々と進んでいく。話の雰囲気は基本落ち着いている。登場人物たちの動きや話す言葉はとてもゆっくりで、バックにかかる音楽もその静寂とした空気を包みこむ。よく聴いていると、彼らの動きと話す言葉のテンポは一定に保たれており、水平的リズムが重んじられていることに気がつく。間であり、空白である部分は―それは絵においても―作品の細部でありながら、根幹にもなっている。それらが幾重にも重なり、一本の大樹となるのように細部が集まることで1話が成っている。
 話の構成はほとんど変わらない。脚本家によって多少の差異はあってもこの作品の構造上、あまり変えようがないのでプロットもほぼ似たようなものである。
 この作品が、「唯一無二の独特な雰囲気を持った、人を惹き込む高度な仕掛けのされた作品」なのか、「内容とテーマに即して無駄を一切省いたことで表すことができた、侘・寂に自然と惹かれる作品」なのか。それとも「無駄とできるだけのことを削ぎ落として作られただけの作品」か。僕にはその判断はできない。しかし音楽や絵、それらを上手く回した演出の良いもの、数ある話数の中でもとりわけ出来の良い話では、内容と完全に同化するところまでいっているので流石である。となると、その面白さは内容に左右されるのかもしれない。そうなるともう好みの問題だから他人の立ち入るところではない。これは示唆だ。

 全体がテンポの良い進行ではあるが、それぞれの話は違う。蟲の影響を受けた人々をギンコが助けていくという単純な話に落ち着かないのが本作の醍醐味である。話の終わりはハッピーエンドもあれば、手の施しようがなくやるせないままに終わることも少なくない。それぞれの、いわば短編の中で感じられることは実にさまざまであり、どこの誰の行動、言葉に感動するのかも人それぞれだ。また、ひとつの話の解釈も人それぞれなのかもしれない。なぜならば、1話1話から受け取ることのできるものは、そこに表面化していること以上にあるからだ。筆者は話の「答え」を書いていない。ただ、小説を書くように仮説を積み上げて終わっている。正義を語るものがいる訳でもなければ、きちんとした「正しさ」もない。そこでは登場人物たちの様々なエゴや、モラル、価値観などが、ほとんど手放しの状態である。共同体はあっても体制のない割と自由な環境であるために彼らの採る決断の幅は広い。だからこそ、この「哀しみを含んだショートショート」は自由な解釈ができ、僕らはそこに人の持つ本来の温かさと、ある瞬間に人が向けるものすごく冷たい残酷さを感じることができる。そして、必ずそこには哀しみが死霊のように付きまとう。


 『蟲師』が描こうとしたものが一体何であったのか。さっきも言ったように受け取り方は人それぞれなので、その一例として聞いてほしい。
 改めて言うとこの話は、ある昔の、おそらく日本という時間も場所も不特定なかたちで描かれ、蟲という異形なモノを登場させて語られている。話の主人公はギンコというこれまた異形な男である。彼の異形性はおそらく、人と蟲の中間的存在であることのメタファーであると僕は思う。そしてそれが示すもの、または彼の役割というのは、「なにも憎まない」「すべてはあるがままに」である。人も蟲もただ生きているだけであって、何か影響を及ぼしてしまったとしてもそこに意志がなければ悪意もない。ベトナム戦争や地下鉄サリン事件のような、見るに絶えない人の醜さ、悪、悲しみはそこにはない。互いはそこに存在しているだけであるということをギンコは主張し、彼もまたそれを受け入れている。それはニュートラルな彼が言うからこそ、説得力が増す大事なことである。「なにも憎まない」「すべてはあるがままに」
 ちなみに、ここだけでなくそれぞれの話に色んなメタファーを見ることもできるかもしれないが、僕はそんなに深く潜る必要もないのではないかと思う。話の事実だけでも僕らにとって、それらは新しい感触のものであり、教訓や誰かに深く共感し感じ取れるものがたくさんあるからである。僕はそれだけでお腹いっぱいです。だからメタファーの話はこれでおしまい。
 本題は蟲のこと。蟲というもの登場させて何をしたか。
 ひとつには、謎です。ミステリー。話の中になんだかよくわからないものを登場させることで観る人の気を引きます。それが非現実的で神秘的なものほど興味を注がれることで、探究心に近いものが生まれます。視聴者が、その存在との距離をもっと近づけるべくそれについて自然と考えるようになれば、作品としては喜ばれることであり、人気の証であり、世界観の創造に成功したことになります。実際に惹かれますよね、蟲って。
 そして、蟲を話の中に登場させることにより、作者が最も描きたかったものは何か。それは「人が生きること」。
 この作品を観て、単なる蟲の話ではないことが多くの人にも伝わったように、蟲の奇怪さ、不思議さを描く一方で、それぞれの話に出てくる様々なものの考え方を持った人達がいて、異なった環境に住む人々が主人公となる。主題はこちらにある。彼らは1人として同じ人ではいない。だから身の回りで起こった理解できない不思議なことの原因が蟲だと知らされてからの反応もさまざまである。受け入れる人、拒む人、喜ぶ人、嘆く人、利用する人、求める人。ただでさえ生きるのに必死な時代であって僕らの生活から比べれば、もし何かが起きて、”どうにかできること”というのはまったく少ないはず。そこにさえ蟲の影響が地の底から手を伸ばしてくる。理不尽な運命が日常を暴力的に奪っていく。まるで天災か何かのように。まさにそのとき、世界の縁に立たされた自分はどうすればいいのだろうと考える。本作の言いたいことというのはここにあると僕は思う。外から防ぎようのない力が自分または愛するものにその矛先を向けたとき、たくさんのことを考える。それは実際的なことであり、形而上の愛や倫理についてである。そして決断し、行動に移る。このプロセスで思い悩む人間の姿こそが、この作品の表現として秀でているところであり、「蟲」を通すことでよりドラマチックに、また悲劇的に描かれるのである。


とても好きな作品です。
まだ見たことない人であれば、どこでもいいので試しに1話観てみれば好き嫌いが分かると思います。
もし気に入ったのであれば、ぜひ心ゆくまでお楽しみあれ。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 28
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