美しいで恋愛なおすすめアニメランキング 14

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月07日の時点で一番の美しいで恋愛なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

93.9 1 美しいで恋愛なアニメランキング1位
月がきれい(TVアニメ動画)

2017年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (1808)
7621人が棚に入れました
キャッチコピーは「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか……」で、中学3年で初めて同じクラスになって出会った水野茜と安曇小太郎の成長、周囲との関わり、思春期の恋などが描かれる。

声優・キャラクター
千葉翔也、小原好美、田丸篤志、村川梨衣、筆村栄心、金子誠、石見舞菜香、鈴木美園、千菅春香、井上ほの花、広瀬裕也、石井マーク、白石晴香、熊谷健太郎、岩中睦樹、東山奈央、岡和男、井上喜久子、斎藤千和、前川涼子
ネタバレ

明日は明日の風 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

思春期の出来事と恋の話を詰めこんだ作品…多くの人が通りすぎたあの頃を描いた傑作

岸誠二監督というと、瀬戸の花嫁、AB!をお気に入りの作品に入れています。作風が違うのですけど、場面の転換がすごく上手くて、ところどころに入れるホロッとするようなシーンがすごく印象深いなと思います。予告見て絶対に見ようと思っていた作品です。青春のほのかな、そしてグッときそうな予感がします。このような話は大好物なだけに期待します。

1話…出逢い
{netabare}中学3年の新学期。人見知りする茜はクラス替えで緊張していた。友人と戯れる小太郎は教室に入ってきた茜に目が行く。小太郎は小説好きで自分でも書いている少年。一方の茜は陸上部に入っているスポーツ少女だった。
ある日の夕方、家族でファミレスへ行く茜。そのファミレスには小太郎の家族も来ていた。互いに存在に気づいて気まずくなる二人。上手く言葉も交わせず、見栄をはって珈琲を選択してしまう小太郎。帰り際、内緒にしてほしいと茜は小太郎に頼むが、茜は堂々と学校のジャージを着ていた。
体育祭の用具係になる小太郎と茜。係りを集めるにはLINEを使うといいというクラスメイトのアドバイスを受けた茜だったが、小太郎だけは声を掛けられないでいた。
ある日の放課後、小太郎は係りの仕事をサボったことを叱られるが、小太郎には連絡が届いていなかったのだ。居合わせた茜が小太郎に謝り、仕事を手伝う。そしてLINEのことを教え、二人は初めてLINEのやり取りをするのだった。

うんうん、実に青春。あるある、分かる分かるの連続で、見ている方が何故か赤面したくなります。小太郎が茜を目で追いかけるシーンは本当に…懐かしい感情だ。好きになるちょっと手前の感じです。
桜がすごく綺麗です。今期は桜の綺麗な作品が多くて嬉しい限り。背景がとても丁寧なのが良いです。
キャラデザインですが、横顔がどことなくあだち充風に見えましたがどうでしょう。額から鼻のラインが特徴的です。今期の茜は綺麗な茜ということで…。
はっぴいえんどを出すとは渋い。あんな本屋が少なくなってきているだけに、貴重ですね。
始まりがすごく丁寧で、これからの展開が楽しみです。陸上部の彼は必ずや絡んでくるんだろうな…。{/netabare}

2話…体育祭
{netabare}夜遅くまで制作に没頭する小太郎。朝は眠そう。母から体育祭行こうかと聞かれるも断る。父からは好きなことをやれと励まされる。
体育祭当日。200メートル走に出場する茜。緊張を解すために人形をモミモミ。スタートすると圧倒的な速さでぶっちぎり。走る姿に見とれる小太郎。
小太郎が走る、しかしコケる。傷の手当てに行くと茜の友人の千夏がいて、はねてる君のあだ名を聞き、雑ながらも手当てしてもらう。
準備係の作業中に人形を落とす茜。焦って探すものの見つからない。借り物競争の準備物もままならず、小太郎がフォロー。そして締めのリレー。選手だった茜だが、バトンを落とすミス。
落ち込んで帰るところに現れたのは人形を見つけた小太郎だった。茜にそのままでいいと精一杯の励ましを送る小太郎。二人の距離が少しずつ縮まる。小太郎も少しずつ前向きに。それまで誰にも見せなかった小説原稿を見てもらい、アドバイスを受けるのだった。

等身大な話でとても良いです。両親もリアルなデザインでさらに共感できます。茜と小太郎の距離感がスゴく初々しくて、あぁ…始まりってこんな感じだよね、思い出しますね。
この作品見てるとどうしても村下孝蔵の「初恋」が頭に浮かびます。「放課後の校庭で走る君がいた、遠くで僕はいつでも君を見ていた」この世界観なのかな?だとすると儚い…{/netabare}

3話…中間テスト(1学期)と部活動
{netabare}中間テストが始まる。冴えない顔の小太郎。実は応募した小説が選考から漏れていたのだ。勉強に身が入らない小太郎は思いきって茜にLINEする。何気ないやり取りに元気が出る小太郎と明るくなる茜だった。
中間テストが終わり、部活解禁。大会も近い茜は走れることが嬉しそう。部活に行く途中、小太郎を見つけた千夏が声をかける。友達になったという千夏にキョトンとする茜。部活では修学旅行前に付き合い始めた同級生がいるとの話題。比良のことでけしかけられるも、戸惑うばかり。一方、小太郎は茜が気になるが、帰りに千夏たちの会話が聞こえ、さらにやきもき。
小太郎は茜とLINEを続けていた。茜が出場する大会の日は、祭りの太鼓の稽古がある小太郎。神社でお祈りするからと約束。稽古前にお祈りをする小太郎。走る茜。
茜の結果が気になり稽古に身が入らない小太郎。LINEが入ってこないためにさらに身が入らない。茜の携帯は充電切れだった。落ち込んで帰る小太郎の前に現れたのは茜だった。茜は神社に小太郎がいると思って来たのだ。
月夜で会話する二人。LINEだと気軽なのに、直ではぎこちない。思いが募る小太郎、好きを伝えるには「月がきれい」ということをとっさに思いだし、「月が…」で止まる。茜が「月、きれいだね」という言葉に小太郎は「付き合って」と告白したのだった。

最後の3分、なぜかこっちまで緊張してしまいました。よく言った小太郎。
もう二人の互いに目で追うシーンがほんと、胸が締め付けられます。意識しあっているけど、目が合わないようにそらしている風がなんとも言えません。LINEだと気軽なんだけど、直ではなかなか話せないところも初々しくてもう…。時代は違えど、そんなもんだよね、電話や手紙みたいなのだと何でも話せる感覚なんだけど、あったあった。
さて、小太郎の告白、どうなるんでしょ。千夏と比良も絡みそうだし、先が気になります。

初恋、まさかBGMで使うとは…。原曲使ってほしかったけど、あの雰囲気だとバラードっぽい方が良いのかな。それにしても、この作品、余計な説明台詞がないのが良いです。会話と場面だけで情景わかるし、流れる雰囲気がとっても良いです。それと、個人的な感情の台詞を無意味に入れないのも良いです。{/netabare}

4話…修学旅行
{netabare}東京駅、修学旅行への出発。小太郎は茜を、茜は小太郎を見てもどかしくなる。小太郎の告白は保留だったのだ。先生の荷物検査をろまん君の機転ですり抜ける小太郎のスマホ(ポテチの袋ね…どっかで見た気がする…)。
それぞれ友達と旅行を楽しむが、何か気が気でない微妙な二人の距離感。土産物売り場で茜と千夏が部員たちへの土産を選んでいるとひょっこり現れる小太郎。千夏が気づき、土産物はどれが良いと気軽に聞いてくる。茜はそこそこと逃げて、小太郎が気づく。
夜、小太郎が茜にLINEしようと悩む。茜はクラスメイトと恋ばな。茜は気になる人と、告白されたことを話すが、小太郎のこととは知らない。繋がる二人、が、小太郎はろまんたちとのいざこざからスマホを没収されてしまう。しかも、茜に待ち合わせの時間と場所だけ伝えて。
翌日は自由行動だった。小太郎のLINEが中途半端で気になる茜だが、友達と出掛けることに。茜を見つけても話せない小太郎。
時間が気になる茜。友人にも本当のことが話せない。それを悟り、茜を一人にする友人。茜は指定場所で待つが小太郎は来ない。小太郎も雨の中、傘も差さずに向かうがすれ違う。千夏を見つけ、思いきってスマホを借りるが、茜の番号が分からない。千夏が気づき、茜に繋ぐ。ワケわからないといぶかる茜。
改めて二人きりになる。茜は小太郎に今の気持ちを伝える。「もっと安曇くんと話したい」と。それが告白の答えだった。

くぅぅぅぅ~、何で毎回ラスト3分、心が締め付けられるんだよ‼ もう…茜の答えがキュンキュンするんですが‼ ちくしょう、あの日に帰りたくなる。
スマホがあってもすれ違いはこうして起こるんだ、それをうまく描いていたなと思います。それと、京都の景色が綺麗。だからこそ、良い話に見えるんですよね。作画班、素晴らしいです。
今はまだ、二人のことが周りにはバレていない状況の話で、千夏だけが気づきはじめている感じです。これから二人は付き合うことになるのだろうけど、友人やクラスメイトに知られるようになったときにどんなに状況になるのか、気になります。まず間違いなくこの辺りの話が描かれるのでしょうけど、どうなることか。
気になると言えば、茜のスマホはどう検査をすり抜けたのでしょうか。気になります。{/netabare}

5話…日常
{netabare}小太郎と茜が付き合い始める。教室で顔を会わせるも、目線で照れる二人(実に初々しい)。
テストの成績が思わしくない小太郎は先生から呼び出し。その帰りに千夏に呼び止められ会話する。なぜか張り切る千夏。
付き合いということがよく分からない小太郎と茜。それぞれ人に聞いたり、ネットで調べたり。いつもの通りLINEでやり取り。図書室へなにげに誘う小太郎に行くと返事する茜。翌日、図書室で待っている小太郎のもとを訪ねたのは千夏。
急いで図書室に向かう茜が見たのは小太郎と千夏が会話しているところだった。小太郎の通っている塾を紹介してほしいとのことだった。茜は軽く嫉妬した。
競技のタイムが上がらない茜。気持ちが乗っていない。比良に励まされるも、比良も頑張れと言うのが精一杯。小太郎には千夏が塾についてきていた。。
茜の周りでは茜が誰かと付き合っていることは感づいている。なかなか状況が厳しい。古書店に誘われる茜。小太郎と二人きりになれる。お互いが好きなことを確認できる。そのとき、千夏から茜にLINEが。それは千夏が小太郎のことが好きになったという内容だった。

「手~を、繋ごうよ」CHARAで来たか。そのシーンはぎゅううううぅっと来るのよ。もう見てるこっちが恥ずかしくなるのは何故だ!二人ともかわいいのなんのって。
千夏が絡むとは思ったけど、ストレートすぎて。普通(ってなんだと言いたくなるが)だと茜の好きな人を奪いたいという展開なんだろうけど、この物語だと純に好きになっただけだと思うんだよね。要は小太郎と茜が付き合っているのを周りが知らないから起こることだと思います。こそこそ付き合うから小太郎も茜もどうしようにもなくもどかしくなっていると。でも…そこがいい。二人とも純すぎて、周りに付き合っていると言えないタイプだろうし。どうしたら良いか分からないんだよね。でも二人きりになると本当にお互いが意識しあっていることが確認できて、それも燃えるんだよね。
さて、三人の関係はいかに…でも、どろどろにはならないと思うんだよね。この作品には合わないもの。切ない話しにはなると思うけど。{/netabare}

6話…日常その2
{netabare}千夏メールが気が気ではない茜。その事は知らず祭りの稽古をする小太郎。
朝の図書館で会う二人。小太郎は出版社から電話があったことを伝える。小太郎が出版社に行く日は茜の大会がある日で、二人は頑張ろうと指切りした。が、茜は千夏のことを伝えられなかった。
出版社に向かう小太郎。大会に挑む茜。しかし、待っていたのは現実だった。小太郎は担当者から純文学では話しにならない、ラノベ挑戦しろと言われる。茜は最後まで集中できず予選落ち。二人は落ち込んだ。その夜、会いたいというLINEで気持ちを伝える。
翌朝、図書館で結果を伝え会う。茜が好きなことをしているので頑張ると言い、小太郎も気持ちを新たにする。
帰り、茜が千夏に小太郎と付き合っていると告白する。千夏は知っていた。そして、諦めるために小太郎に告白すると宣言した。

「3月9日」はこのバックには違う気がしました。
二人の気持ちが支えになっているのに、その事で新たな悩みも抱えてしまうのはツラいね…。千夏は真っ直ぐなので共感できるけど、展開的には邪魔な存在になってしまうには可哀想な気もします。千夏は告白すると思うのですが、どう答えるんでしょうか、小太郎は。ここ、中盤の見せ所ですよね。
小太郎と茜の近づき方が本当に良いんですよね。今時こんなピュアがあるかい!と突っ込みたくなる人も多いと思いますが、中学生のころの恋って、こんなものじゃないかなと思います。だからこそ、多くの人が共感できる作品なんだと思います。{/netabare}

7話…デート
{netabare}千夏が父親からもらった遊園地のチケット、茜と小太郎を誘う予定が、いつの間にか茜の女子グループや、比良や、ろまんも一緒に行くことに。
千夏以外、小太郎と茜が付き合っているのは知らない。千夏は小太郎と仲良くしたい。そのため、小太郎と茜はチグハグ。比良と茜を仲良くさせようとする女子たち。小太郎は面白くない。逆に千夏と小太郎がいい雰囲気になっているのが気になる茜。
ろまんが熱中症でダウン。小太郎が駆けつけ、話の中で小太郎が茜と付き合っているのを察した。そのとき、LINEで比良と茜が二人きりになっていることを知る。小太郎は茜を探す。
茜を見つけた小太郎は、比良に茜と付き合っていることを告白する。戸惑う比良だった。小太郎は茜を連れて二人で駆けていく。その姿をみた千夏は涙した。
仲間とはぐれ、二人で楽しむデート。二人が付き合っていることを知った周り。それぞれの中で花火がうち上がる。

小太郎は肝心なところで男になる。こういうところがもてちゃうんだろうか。
二人の初々しいデート、見てる方が恥ずかしくなる。見てる方が恥ずかしくなるシーン、何回あるんだ? キスはお預けね。
とうとう周りみんなが付き合っていることを知りました。これまでは序章。二人が付き合っていくことに、周りがどう動くか。節子たちは小太郎とは全く考えてなかったから、茜とどう接するのか。諦めてなさそうな比良、諦めきれなさそうな千夏。それから入試に向けて、特に小太郎は成績が思わしくなく、母親も絡んできそう。けっこう重たくなって来そうな予感。そんな中、二人はちゃんと向き合っていけるのか。後半も楽しみです。{/netabare}

8話…夏休み
{netabare}小太郎と茜が付き合っている話はLINEであっという間に広まった。夏休みの登校日、クラスではその話で持ちきりのようで、小太郎と茜が教室に入ると注目の的になったが、友人たちは普通に接してくれた。
その日、小太郎と茜は部活後に二人で昼食を食べ、小太郎の稽古に茜が同行する。稽古が終わり、二人は風鈴祭りに出掛ける。二人はデートを楽しむ(後略)。

この回は内容云々書いてもしょうがない。それくらい幸せそうな二人の回でした。壁がボコボコになった人多数ではないかと(笑)。このままラブラブで終わっていい…というわけにはいかないんだろうな…。
茜は小太郎の稽古を見て顔を赤らめ、小太郎は茜の浴衣姿に顔を赤らめ、もうね、二人とも純で良いよ。デートでも二人とも思いやりが伝わる行動とるし、これは互いに惚れちゃうでしょう。登校日に茜が節子たちどこが好きか問われて、「分からない」と言っていたのに、休み明けに同じこと問われて今度は「一緒にいると安心する」ですってよ!でだ、最後の場面、分かっていたけど、あれを見せられると、もう勝手に幸せになってくださいというしかありません。(見ててほっこりやら、にやにややらが止まりません)。二人にとって大切な夏休みだったのでしょうね。実に気分が良くなる回でした。
細かいけど、千円を援助してくれたおじさん、本当にGJ。中学生の千円は大きいんですよね。茜が誕生日のプレゼント買うにもお金で躊躇したように、このアニメ、中学生の金銭感覚や金銭事情もきちんと描いているところが好感持てます。{/netabare}

9話…進路
{netabare}進路調査で悩む小太郎。茜とどこへ進むか話す。その夜、茜は父親から転勤になると言われ、戸惑う。小太郎は母親から進路についてキツく言われる。
茜にとって中学最後の大会。小太郎は大会を見に来ないでと言われていたが、こっそり見に行った。茜は自己ベストをマーク。小太郎はそれを見届けて帰る。
小太郎は父親から進路について励まされる。いつものように小太郎と茜はLINEで会話。小太郎は大会を見に行ったことを伝え、茜は引っ越すことになりそうなことを伝える…。

そんなに幸せな時間は続きません。進路、茜の引っ越し、中学生である小太郎にとっては、すごく大きな問題に感じることでしょう。これから卒業までの半年でさらに大きく変わっていくはずです。二人はこのまま付き合っていけるのでしょうか…。
小太郎の両親、父親と母親の対比が実にリアルです。男から見ると父親の励ましかたを見習いたいものですが、現実にはなかなか言えないものです。母親の言っていることも本当のこと。小太郎が進路を本気で考えていないことを見抜いての小言です。でも、これって、子供にとっては本当に「嫌」なんですよね。嫌でも言わなくちゃいけないほど、小太郎が心配なのも気持ちわかります。難しいものです。{/netabare}

10話…祭
{netabare}茜の引っ越し話に動揺する小太郎。茜は三者面談で千葉の高校に進むことを話す。
川越祭の当日。小太郎の晴れ舞台である。茜は陸上部の面々と見物。茜の前を小太郎の山車が通りすぎる。茜は見とれていた。その後、茜は比良と二人になる。比良は茜に告白した。しかし、茜は断った。その様子を見ていた小太郎。
休憩時間に逢う二人。しかし、小太郎の様子がおかしい。茜に対してぶっきらぼうだ。茜は戸惑う。正直に聞かせて欲しいという茜に対して、小太郎は比良と二人きりで話していたのが気に入らなかったのだ。そして茜を突き放すように去っていく。茜は泣いた…。
小太郎は自分自身に苛立っていた。そしてひとつの決意を固める。
茜が塾へ行く茜が目指している高校の本が置いてあった。気づく茜、小太郎を追いかける。小太郎は茜に自分も茜の高校を目指すこと、ずっと一緒にいたいことを伝え、先日のことを謝った。茜は小太郎に抱きついた。

いや~最後のキスは「もうどうにでもなれ、このやろう!」(ニヤニヤ壁ドン!)という感じでした。幸せそうで何より、というか、このまま幸せな形で終わるのだろうかっていう、ラスト2話が怖いです。

小太郎の嫉妬、ものすごく分かるわ…。このくらいの年齢の時の恋愛って、好きな娘が他の男子と話しているだけで嫉妬しちゃうんですよね。しかもそれが彼女だったら気分最悪。ゆとりがないというか、独占欲というか、もしゃもしゃするんですよね。それが彼女に伝わって微妙な空気になると、後は「選択」。どう転ぶかは二人次第。そのままダメになるパターンもあるし、今回の二人のようになる場合もあるし、難しいものです。茜は良すぎる子ですね、小太郎にはもったいない(笑)。いや、小太郎は男子中学生の「理想」かもしれません。いざというとき男になるし、気づかいできるし、やさしいし、一直線だし。どこにでも居そうな男子なんだけど、実はなかなかいない(というより行動できない)。このあたり、実にうまくキャラ設定しているなと感じました。{/netabare}

11話…クリスマス、そして受験へ
{netabare}小太郎の三者面談。勉強しだした小太郎に期待をかけるようになる母親。しかし、小太郎は茜が受験する高校を受験すると言う。家に帰り、母親から叱られ、反抗する小太郎。それでも本気な小太郎は勉強を続けるものの、母親とはしっくり行かない。小太郎の部屋を掃除した母親は小太郎の本気を感じて…。
一方、茜はクリスマスプレゼントに贈るマフラーを編んでいた。姉から小太郎とは別れることになるかもしれないと話されるが、ひかない茜。
クリスマスのデート。家族の応援は大切だと話し合う二人。茜は高校に合格した。
ある日、父親から受験しても良いと伝えられる。そして、母親が小太郎が本気になっているので受験させてあげたいと担任に話したことを教えられる。
さらにがんばる小太郎。母親の話もチキンと聞くようになった。そして受験当日を迎える。


う~ん…「未来へ」はダメだ、泣けと言っているようなものだ。実際泣いたけど…。今回は両親との話、特に母親と子供のすれ違いに、本気の子への両親の思いがすごく良く伝わってきた回でした。そうだよね、本気になっている子供を押し付けるような親では、親ではない(当然、間違った方向でないことが条件だが)。小太郎が反抗する気持ちもよく分かる。が、そこで本気で挑んでいることが大切なんでしょね。中途半端は見抜かれますから。
茜の姉が言っていたことも正論。今の二人には通じない言葉だろうと思いますが、実際はそうなんだよね。このあたりも実にリアルだなと思います。

さて、もう最終回になってしまいます。たぶん、小太郎の受験は失敗すると思います。これまで成績が悪いと散々描いているわけですし、上がった描写もないです。このアニメの作り方を見る限り、二人揃って合格ハッピー!はありえません。あったらかえってがっかりです(超個人的な考えだが)。二人、離れ離れになってどうなるかがこのアニメの最大の評価になる、そんな予感がします。千夏がずっと切ない表情なのも気になるんだよね…。
どんな結末になろうが、お気に入りを変えるつもりはありません。それだけのものを見せてもらいましたし。楽しみだ。って、BS11、放送日変更?少し我慢しろってか!{/netabare}

12話…卒業
{netabare}小太郎の受験は失敗だった。落ち込む小太郎を慰める茜だったが、小太郎と離れるのが不安だった。小太郎は大輔から小説を書くことを勧められる。
市立の合格発表。小太郎は合格。そこに千夏が現れ、千夏も合格したこと、小太郎と一緒なのが嬉しいこと、そして…小太郎が好きだと告白した。小太郎は断った。
千夏が茜に合格と告白したことを報告。茜は動揺する。
卒業式当日の教室では思い出づくりが行われていた。小太郎と茜は友人たちに急かされ、一緒に写真に収まる。ろまんから小説を投稿したらと勧められる。
茜の引っ越しが近づく。小太郎と茜がデートをするものの、茜の気持ちが溢れ出す。小太郎への思いと訳の分からない不安と、ぐちゃぐちゃな心。キスをして走り去る茜。小太郎もどうして良いか分からず立ち尽くすことしかできなかった。
茜が旅立つ日。千夏から小太郎の小説のことを知る。小太郎が投稿した小説は茜との出合いからこれまでの軌跡だった。
小太郎がコメント欄を見て茜が読んでいたことに気づく。終章を読む茜。小太郎の思いを知り泣き出す。小太郎は追いかける。茜の乗った電車に心の底から「大好きだ!」と叫んで。二人の中学での恋は終った。

最後の最後までグッと来る展開で、本当に良かった。茜が不安でどうしようにもない切ない思いと、それを見てもどうすることもできない小太郎の戸惑い、見ていて痛々しいし、互いが本気で好きなんだというのが伝わりました。幼い恋心だと思っていたのが、本物になっていった過程を見たなという感じでした。
EDでの種明かしは薄々気づいていたとしても、絵を乗せられると感動すらします。小太郎が叫んだところで終わっても全然良かったのですが、これは見ていた人へのボーナスだと思いました。中学の頃の恋がそのまま伴侶になる例は多くはありませんし、ましてや遠く離れて別の高校時代を過ごして一緒になるなんて…。でも、この二人ならそうあってほしいなという、どこか願ってしまうくらい、良いものを見せてもらったと思います。
Cパートカップルや主人公のその後も見たかったですね。なにか動きがあればなと思います。
全12話、素晴らしい青春+恋愛ストーリーを堪能させてもらいました。{/netabare}

個人的には今期一番の作品となりました。文句の言いようがありません。中学時代の恋と悩み、友人関係、親子、それを丁寧に丁寧に描いていたと思います。
軸は小太郎と茜の恋模様なんですが、じれったいのとキュンキュンするのと、ワケわからない感情が毎回続いて、最後まで掴んで離しませんでした。

1話ごとのレビュータイトルには話に織り込まれた行事を入れたのですが、見直してみると夏休みが8話なんですね。つまり、二人の出会いから恋心を抱いて、カップルになっていく過程をじっくりと描いたということです。恋ってこの過程がもっとも重要なんだなと改めて思いました。

小太郎と茜の気持ちや行動に心動かされる人が多かったのはそれだけ多くの人が思い当たる過去があったからだろうと思います。もちろん、逆もしかりで全く理解できないという人もいたことでしょう。この作品の最大の見所は「どこにでもありそうな」という話をアニメにしたことだろうと思います。そしてもうひとつ重要な点はどこにでもいそうな人物でありながら実のところそうはいないという点です。
小太郎の行動はまさに「理想」。茜への思いを伝えるシーンや一途で千夏に振り向きもしないところなんかなかなかな男前。そして小太郎の両親も理想過ぎる両親像。こうあれば、こうであったならば、そんな理想像が共感を得たのかもしれません。

難癖つけるとすると東山さんの歌。東山さんの声は大好きなんですが、歌となると別です。川嶋あいの曲、イメージにぴったりですが、一週間フレンズのイメージが強いだけに、ここは歌がとても上手い人を使っても良かったのではないかと思いました。作画もキャラデザインもイメージに合ったものだと思います。それ以外にも書きたいことはヤマほどあれど、もう二周くらいしてから書こうかと思います。まずは素晴らしい作品をありがとうです。

青春の甘酸っぱく、純でピュアな作品が見たいという人にお勧めします。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 70
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

愛とは互いに見つめ合うことではない。ふたりが同じ方向を見つめることである。 ~「恋」が「愛」に育つ物語~

[文量→特盛り・内容→考察系]

【総括】
まず、かなり好評価です。その上でこの作品をアニメにする意味があるかと問われれば、正直微妙なのですが、美しい風景は十分に視聴者を引き付けるし、「響け ユーフォニアム」の「黄前久美子」を彷彿とさせる、「小原好実」さんの押さえた演技は作風にピタリと合っていました。音楽も素晴らしいです。たくさんの言葉や大袈裟な事件を重ねるのではなく、細やかな描写の積み重ねで人物の心象に迫る手法は、まさに小説そのもの。いずれにせよ、純愛モノとしては、過去を見てもかなり高水準な、あるいは新しいタイプの良作だったのではないでしょうか。

もちろん、私はオッサンなので、「キュンとする」というより、「生暖か~い目」で、若人達を見守っていましたが(笑)


【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
不易流行(変わらないもの、変わり続けるもの)がテーマだと思う。

例えば、教科書にも載っている、与謝野晶子の有名な短歌。

「なにとなく 君に待たるる ここちして 出でし花野の 夕月夜かな」

(なんとなく、あなたが待っている気がしたから、外に出てみたら、美しい月明かりに照らされた花畑が広がっていました)

なんて、ロマンチックな経験をすることは、今はもうないのだろう。

スマホでいっぱつ、「今、何してる?」で、事足りるからねw

自分らが中学の時の恋愛も、今よりもっと不便だった。家電(あれ? 死語?)にかけて、親が出るとか、お姉ちゃんが出たのに勘違いしてタメ口きいちゃって、「あっ、妹に替わります」なんて気まずさ、今はないんだろうなw

つまりは、文明の利器(あれ? 死語?)により、いつでも意思の疎通が「可能」になった時代。それが、本作の舞台。

その「時代の変化」が、「流行」。

でもそれは、「can」であって「do」とは限らない。

伝えられても、伝えられない気持ちもある。

そこに漂う、もどかしさや切なさといった人の心は、科学技術の進化にとらわれず、不変で普遍のものである。

という「人間」が、「不易」。

最終話、LINEを止めて、「走って」「大好きだ」と「叫んだ」ところなんて、分かりやすい。「走って大好きだと叫ぶ」なら、平安時代でもできるしねw

男と女、というより、男子と女子の恋愛を徹底して描いた作品だったと思う。綺麗なだけじゃなく、ドロドロも微エロも爽やかも、色んなものがあった。

この作品の上手さは、茜と小太郎に、互いの愛を確信できる「何か」が、ずっとなかったという点だろう。二人は幼馴染でもなければ、世界を救う仲間でもない。部活も違うし、これといって何か重大な事件を乗り越えたわけでもない。ただ、「なんとなく惹かれ」「なんとなく付き合っているだけ」。そんな二人だから、自分達の恋愛に自信が持てず、相手の気持ちや行動を疑ったりもする。実に普通の中学生だ。というか、その「確信」を探し続けている期間を、「恋」と呼ぶのかもしれない。


さて、この作品、「愛を日本語に訳す際に、月が綺麗ですね、と夏目漱石が言った」という話を大事に使っている。

その逸話自体は都市伝説だが、ただ、当時の日本に「I love you」にあたる日本語がまだなく、沢山の翻訳家や学者が苦労して捻り出していたのは事実。つまり日本人は、「愛とは言葉にして伝えるものではなく、自然と伝わるもの」だと考えていたようだ。

つまり「I love you=月が綺麗ですね」は、「同じものを観て、同じことを感じられるのが、愛だ」ということ。それはレビュータイトルのサン=テグジュペリの言葉とも重なる考え方だ。

第3話、神社での告白シーンであり、タイトル回収の重要な場面。両者とも、「月が綺麗」という感想では共通していたものの、茜は空の月を見ていて、小太郎は水面の月を見ている点に、二人の微妙な違い、まだ交わりきっていない心を観ることができた。その伏線が、最終話にしっかりと生きてくる。

最終話、「大好きだ」という小太郎の力強い再告白。(ネット小説も含め)ここで二人は、微かな「確信」を得たのだろう。そこに登るのは、「昼の月」。3話とは違い、二人が同じ月を見ているという点で、「恋」から「愛」に成長している描写にしたのは上手い。しかし、そもそも「昼の月」とは、「見えてはいても存在感の希薄なもの」という意味もある。所詮は、15,6歳の恋愛なんてそんなもんだろう。

だが、それを一気に深めたのが、ED。結婚→出産まで見せちゃう流れは、蛇足か? とも思ったが、LINEの文面までしっかり読んでいくと、実に微笑ましく、「これはこれでアリ」と思えた。小説が大事なテーマだけに、「行間を読め」ということかな。

結局二人には、その後も大きな事件は起きなかった。それでも、共に過ごす「時間」を、「日常」を大切にしていくことで、「自然」と、「恋」を「愛」に変えるような確信がもてたのだろう。

そんな、いわば「普通の恋愛を普通に描いた」作品であるため、ともすれば退屈に思えてしまうのがやや難点ではあるものの、アニオリで12話で破綻なく、ブレずに純愛アニメをやりきった制作に、拍手を送りたい。
{/netabare}


【余談 ~サブタイまとめ(文学部的レビュー)~】
{netabare}
1話目「春と修羅」{netabare}
宮沢賢治が生前に唯一刊行した詩集として有名。表題作である「春と修羅」は、美しい現状(春)についていくことのできない自分(修羅)の心の揺らぎや(特に妹を失った)悲しみを描いていると思うんだけど、この第1話との繋がりは特に見えてこないな。これが自分の読解力の無さ故のものなら良いんだけど、「春」「四月」なんて単語に引っ張られているだけだったら、正直がっかりかな(文学好きな主人公だけに)。{/netabare}

2話目「一握の砂」{netabare}
石川啄木の歌集として有名。「春と修羅」もそうだけど、中には色んな詩や歌が入ってる(し、全部理解している訳でもない)から、もしかしたらなんかぴったりのがあるかもしれない。ただ、個別のタイトルまで示されているわけではないから、表題作を考えるしかないんだけど、確か二首目に「一握の砂」というワードが使われていたはず。その意は「一人一人のちっぽけな人間、一瞬一瞬を大切に生きていこう」みたいなことだったかと。う~ん、まあ、関係あると言えば、関係あるか? 無いと言えば無い。

ところで、なんで賢治と啄木が続いたのかな? 二人の共通点と言えば、「岩手県出身」「売れる前に若くして死んだ」ってことだけど、調べたら監督も構成も関西だから、岩手は関係ないか。まあ、「若くして死んだ」ってことで、「命短し恋せよ乙女」的ななんかなの?{/netabare}

3話目「月に吠える」{netabare}
日本近代詩の父と称される、萩原朔太郎ですね。「月に吠える」は全編を通し、死や絶望といったネガティブな雰囲気満載だけど、まあ確かに新人賞に落ちた話だし、ネガティブと言えばネガティブ。ただ、それを茜に慰められニヤニヤしてるくらいだから、朔太郎の雰囲気は感じられない。

過去3話の共通点、「岩手」「夭逝」は崩れたけど、「その詩人の第1詩集」という共通点は生まれたかな。「若さ」ってこと?

いや、これは、1話「始業式→春」、2話「体育祭→砂」、3話「月」という、なんの深みもないサブタイですな。。。{/netabare}

4話目「通り雨」{netabare}
……誰の作品かな? これまでのパターンだと、近代に活躍した詩人や歌人なのかな? 正直、分からない。なんなら、「雨ニモマケズ」で良かったんじゃ?
→ニャンキチ君さんから、情報提供。宮本百合子さんの小説と判明。短編だったんで、青空文庫で読んでみました♪
→確かに、雨宿りの小説だったんで、これまでで一番作品の内容の繋がりが深い。そして、これまでで一番マイナーな作品。邪推すると、「今までのサブタイはタイトル重視でメジャーな作品を選び、今回はたまたま、小説の内容も知っていたから、本編との内容まで関連させてみた」とも考えられますね。{/netabare}

5話目「こころ」{netabare}
夏目漱石の代表作ですね。まあ、三角関係繋がりで分かりやすい。にしても、じゃあ最後に、茜も千夏は自死を選択することになるのかな、「こころ」展開なら(もちろん、それはないけどw) 「しかし、 君、恋は罪悪ですよ」{/netabare}

6話目「走れメロス」{netabare}
ここでようやく、太宰ですね。有名な短編だからしっている人も多いだろうけど、友の命をかけて走る話で、「信頼」「真の友情」なんかがテーマ(ほんとはもっと深い解釈はあるけど)。まあ、茜が陸上部で「走る」つながり、親友の告白を許容できるかで、「真の友情」と、内容とも少しリンクするサブタイでしたね。{/netabare}

6.5話目「道程」{netabare}
高村光太郎の詩。海外留学を通し、これまでの自分の人生のルーツを考えてきた時に、自らに流れる父親の教えや日本の文化が根底にあったことを自覚し、今後の人生を自らの力で切り開いていこうという、「自立」「決意」の詩。まあ、これは内容には関係なく、(これまでの)「道程」をおさらいするという、タイトルだけで決めた感じですね。{/netabare}

7話目「惜しみなく愛は奪ふ」{netabare}
よく分からんからググったら、有島武郎の評論集? 当然、読んだことないよ(笑) wikiによると、「人を愛するということは、相手の全てを奪って自己のものにする」という思想(エゴイスティックな愛)を表しているらしいけど、なんか、「アイラブユー=月がきれい」と、逆の捉え方じゃない? このタイトルで、良いのか? {/netabare}

8話目「ヰタ・セクスアリス」{netabare}
森鴎外の小説だね。ラテン語で性欲求的生活。まあ、二人とも、芽生えてたしねw{/netabare}

9話目「風立ちぬ」{netabare}
言わずと知れた、堀辰雄さんの小説。ジブリで一気に知名度上がりましたね。愛する男女の別れ。まあ、遠恋にかけてるんだろうね。{/netabare}

10話目「斜陽」{netabare}
またもや太宰。サブタイでの同一作家は初めてですね。つかこれ、没落貴族を題材にした、滅びの美がテーマなのだが、二人の恋愛は崩壊していくってことかい?{/netabare}

11話目「学問のススメ」{netabare}
言わずと知れた、福沢諭吉の名著。まあ、勉強しろってことですねw{/netabare}

12話目「それから」{netabare}
まあ、あんまり深い意味はなく、「それからの二人はどうなった?」だけだと思います。一応、「それから」も恋愛の話で、主人公が結婚を決意する話だけど、もし、「それから」の主人公を小太郎に重ねるのなら、小太郎は無職のロクデナシなのに、茜を嫁にもらったということになるよ(笑){/netabare}

〈結論〉
多分、サブタイは響きやタイトルの言葉の意味だけで使っていて、その小説の中身とアニメの内容まではリンクさせていない。いや、一部リンクはしてるんだけど、まあ、「内容まで合うなら合った方が良いよね~」くらいにしか感じない。途中でそれは分かったんだけど、書き始めたから最終話まで書かなければいけないという、苦行だったw
{/netabare}

【各話感想(アニオリのため、ここも長いw)】
{netabare}
1話目
{netabare}
犬大大募集のクダリは、(大人から見れば)クダラナイことでも楽しんでしまう子供の有り様を表したいんだろうね。鍵の貸し出しBOXとか部活の雰囲気とか、結構リアルです。格好つけてアイスコーヒーね。親同士の挨拶とか、マジ恥ずかしいよね。親に思春期と言われる恥ずかしさw ヒロインの声、棒かリアルか悩むところ。作風には凄く合ってるけどね。男子中学生なんてホントにちょろいから、あの程度のことでもちょい好きになっちゃうよね。
{/netabare}

2話目
{netabare}
中学生があまり太宰に傾倒するのは感心致しませんなw 茜のフォームだけ、ちゃんと陸上部っぽく描いてるのは芸が細かくて○。目線がいちいち男子中学生だなw 女子中学生も、嫌な感じw
{/netabare}

3話目
{netabare}
修学旅行前に付き合う? ドコノセカイノハナシデスカ? うちの学校は海外だったからか、男女別でしたよ(涙)。陸上の大会の雰囲気はかなりリアルだね。作法をやたらしっかり守った参拝。小太郎と拓海、静と動の対比ですな。ここで、「月が綺麗」……なんかこう、痒くなるなw 両者とも、「月が綺麗」では共通してるものの、茜は空の月を見ていて、小太郎は水面の月を見ている点に、二人の微妙な違い、まだ交わりきっていない心を観ることができて、そこは上手かったです。
{/netabare}

4話目
{netabare}
まあ、そこに携帯隠すのは、女子ならすぐに思い付くよね。修学旅行初日に箱菓子買うなんて、旅行初心者だねw 送信だけで、スマホ没収はなかなか良い展開。色んなパターンいけるね。でも、最近の修学旅行でスマホ持ち込み不可とかあり得ないと思うんだけど、安全面考えても。学校も持ち込みOKでしょ、授業中にいじらなければ。そこで不機嫌になる茜、なかなか萌えポイント高し。ここで付き合うということは、この後色々波風がたつのでしょうね。そして、最後に同じ月を見られれば、3話での伏線が生きてくるけど、果たして二人の見る月の違いが伏線だったかは、微妙かな。それはともかく、Cパート、修学旅行で当たり前のようにラブホに行くカップルって、(茜達との対比かもしれないけど)作品の世界観、ぶち壊してない? あそこ、慢喫じゃあダメだったの?
{/netabare}

5話目
{netabare}
誰にも知られずに付き合ってる、思春期特有のあの感じ、良いよね♪ なんか少し、少女漫画展開? 付き合うってなにするの、ね。検索世代めw しかしこの作品、不易流行というか、(スマホを使いこなす)最近の中学生の中にある、昔から変わらない部分(純愛)を徹底して描いてますね。自分が中学生だったら、普通に千夏の方に惹かれるかも。小太郎が千夏と昼休みを過ごすのは嫉妬するのに、自分が拓海と放課後を過ごすのはOKなんて、ホントに女子ですね、茜さん。漱石はまあ、三角関係好きだしねw あと、漱石はアイスクリーム好きです(関係なしw) 最後のは、太宰の「斜陽」の一節ですね。この展開、千夏が「茜が小太郎を、もしくは小太郎が茜を好き」なことを知ってるか知らないかで、小夏の評価って180度変わるよね。
{/netabare}

6話目
{netabare}
アイス一口頂戴って、彼氏はあげないよってことの伏線だね。出版社からの呼び出しが大会当日って、これは、夢か恋か?の展開になるのかな。470円が高いと思うなんて、中学生だな~。なぜ、3月9日? 先にちゃんと言う茜は偉いが、分かった上での行動なのね、千夏さん。千夏の評価は、ややダウン? まあ、確かに純文学は儲からんが、その言い方は、純文学にもラノベにも角川(山)文庫にも失礼じゃ? 渡されたラノベ、「小林さんちの台所事情」って、なぜに異種間交流させようとするかな(笑) 夜に「会いたい」「私も」なのに、あくまで朝早く図書室ってところが、中学生(笑) 小夏、ちょっとやりすぎ暴走しすぎで、中学生らしいけど、評価は下がるだろうな。
{/netabare}

前半抄
{netabare}
ガチの総集編だった。新カットもないし。OP映像だけ変わったけど。Cパートでもなんでも、少しくらいおまけがあっても……。まあ、ここまでかなり作画は頑張っているので、許します(上目線)w 後半もファイトです!
{/netabare}

7話目
{netabare}
東京ドームシティ、大学近かったから、何回行ったか分からんくらい行ったな。千夏さん、(このアニメが好きな層からの)好感度だだ下がりっすね(汗) ここまでプラトニックな恋愛や、中学生ならではの不器用な恋愛を描いてきて、それが好評だった中での、この三角関係展開。吉と出るか凶と出るか。コタ君、格好良いな~。まあ、ヒラ君からすると、「ふざけんなよ~。思わせ振りな態度とりやがって~。」だよな。千夏さんの涙で好感度回復した剣道部は、ちょろいw すごいどうでも良いんだけど、今、たまたまレンタルで観てるのが「私モテ」で、落差がパナイ(笑)
{/netabare}

8話目
{netabare}
いや、よほどの有名人以外は、付き合ってる程度で注目されんでしょ、今日日。まあ、同じクラス内でってのは気まずいし、リスク高いけどね。宿題のワーク(表紙)、超リアルw 両者とも、浮かれてますね。いや、握らせるの千円って、ケチか(笑) アホだな~、中学生の恋愛なんて、金使わずに楽しめることこそ、醍醐味なのにね。大人になったら、金使わずになんて無理だし。いちいち許可制ってのが、中学生だね。先週からキスしか頭にないね。夏祭り、やっぱ良い曲だよね~。
{/netabare}

9話目
{netabare}
進路と恋愛。遠距離になりそうですね~。茜と小太郎、どっちが相手に依存しているのかな? どっちもかな? 女子で13.70は、普通に考えて速いけど、まあ、市ではというレベルで、県には届かない感じですね。千夏さん、ヒラ君、未練ですな~w
{/netabare}

10話目
{netabare}
県外なのに一緒の学校受けるとか、引くわ~。と、ならないところが、中学生だね。中学生通しの寒いノリがリアル。ちなみに、男にとって、純粋な意味での女友達なんていないけど、女性には純粋な意味での男友達がいるというのは、自分の経験則です。小太郎、の心狭~い。中学生の恋愛、暴走中ですね(笑)
{/netabare}

11話目
{netabare}
親が金ださなけりゃ、県外の私立なんて行けないしね。お姉ちゃん、正論w まあ、親が死んでも腹は減る、とも言うしな。まあ、普通は引くよな。親の心、子知らず。まあ、中学生なんてガキんちょだという話。試験に落ちる展開を期待してしまうな、リアル路線できているだけに。
{/netabare}

12話目
{netabare}
やはり落ちたね。まあ、そうだろうね、この作風なら。流石に、受験に落ちた程度で、人間失格はやり過ぎw 千夏さん、もう少し待ったらチャンスくるのに(笑) まあ、そこまで打算的に動けない、ということかな。いや、普通は告られたことなんて、言わないよ(苦笑) 千夏さん、どうやって見つけたの(笑)
{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 70
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

今宵の月はどんな色?

オリジナルアニメ 全12話

漱石の逸話をご存知であれば、文学の香り漂う静の佇まいをタイトルから感じとれるでしょう。
総合9位(2020年11月)。旧採点方式でも一桁台だったような… 名作の誉れ高きラブストーリーの逸品。
とっとと観ればいいのにあにこれ登録ごくごく初期から『観たい』棚に入れたままようやくやっと。心が整った時に…とワケわからん理由で寝かせておりました。例によって期待値コントロールが重要なやつですね。フラットな心持ちで臨まれたし!

結局、心が整ってたわけでもないまま突入。読後…じゃなくて視聴後の感想は『大満足』でした。

 中学三年生の男女の恋物語

はい。太宰読みました。漱石読みました。尾崎豊も聴いてました(違っ)。“なろう”前夜でラノベの始祖スニーカー文庫なんてのも身近にありました。私の中学生時代。
色恋話は無縁だったので、噂になった男女にはやっかみ半分でひやかしたりゲスな問い詰めをしたものです。そんなんでは噂になりたくない気持ちは痛いほどわかります。

 こうしてなにかしら過ぎ去りし日々とピントが重なる瞬間に出くわします

それにビンゴと言いますかあくまで友達の話ですけど…好きな子が陸上部の有力選手だったりして村下孝蔵「初恋」{netabare}(※第3話の挿入歌){/netabare}に自分の心情を重ねていた思春期。目で彼女を追っちゃうんですよね。それに部活違うから同じ部員同士で仲良くしてるのを見かけると無駄に焦っちゃうみたいなところある。えぇ…友達の話(キリッ)

 酸いも甘いもそこらじゅうに仕掛けられたキュン死地雷を踏み抜くと沼確定です


ついつい主人公安曇小太郎(CV千葉翔也)を通してヒロイン水野茜(CV小原好美)に恋をしてしまうおっさんの私。わりと気持ち悪い構図です。正確には中三の自分に戻って恋をしていた…なんでしょうけど。

 あの時こうはできなかったな~
 なんであんなことしたんだろう
 
リアル寄りと言われております。具体的には“見ための再現度”“心情の再現度”作画や脚本部分のアニメーションがまさにそう。そこに“自然体の演技”が加わり作品の世界観を構築している。
だからこそ我々にあの頃を想起させるのです。酸いも甘いもと言いながらほとんど酸っぱめというかほろ苦い記憶と共に。
ハーレムや変な部活は無し。父と母は普通のおじちゃん/おばちゃん。一人だけ髪がピンクなのおりますが特殊な女の子が出てくることもありません。はっきりいって地味です。
そんなリアル寄りの“見ための再現度”“心情の再現度”“自然体の演技”3点について触れとくので、興味を惹いたら是非!


■見ための再現度

冒頭1話。中3男子の制服袖が短い。急激に大きくなる身体。あと1年だから新調したくない親の思惑。
頭身デフォルメや萌え仕様とは一線を画したキャラ造形の地味さは当たり前として、背景・小道具などに作品のこだわりを感じます。


■心情の再現度

同じく冒頭1話。近所のファミレスでばったり鉢合わせた二人のよそよそしさと距離感が物語のツカミとして完璧。
※ストーリーに影響はないけど一応隠します↓
{netabare}・家族といるとこ見られるのが恥ずかしい中学生男子
・ファンタメロンを選びかけてつい見栄張ってコーヒーを入れてしまう
・「お父さん、そういうのやめてあげて頂戴。小太郎も思春期なんですから」むしろ母親それやめて!
・帰宅後にシャワーも浴びずジャージのままって異性を意識する前ならではよね
・「学校では言わないで。恥ずかしい…」中学生女子も恥ずかしいようです{/netabare}

親といるのが恥ずかしがったり異性とのちょっとした接触でドキドキしたりなんてことは、たとえ『LINE』みたいにツールが発達した今も関係ないのでしょう。年相応の心の動きはいつの時代も一緒なのです。そうはいっても
・学校では会話できないのにLINEなら饒舌になる
時代性も踏まえている。実際そういうものらしいですしね。


■自然体の演技

二つあります。ひとつは抑揚と緩急に乏しいアニメアニメしてない発声その他。声演技のプロなんだし演技指導少しすれば早速演出に沿ったものが出てくるのでしょう。そんな“自然体の演技”を演技されてます。気心知れた仲間や家族との会話のテンションに差があることもしっかり表現されてました。
もうひとつはこの作品でのお芝居の要と断言できるコレ↓

 「ん…」「ハァー…」「…うん。」

短いセリフに様々な感情を込めたり、セリフなしの吐息だけで情感を伝える声の演技が秀逸。テクニカルな意味だけではなく

 {netabare}どんな言葉を伝えたらいいのかわからない{/netabare}

この作風には必然だったのではないのでしょうか? 小利口になるのはこれより後、年齢を重ねてからでよいのです。



まとめ

単純にリアルだったら良いわけではありません。この作品を観るとあの時の自分や周りの人に対して抱えていた想いは、振り返れば些細なことで、それでも当時は一大事だったことを思い出します。
そんなリアルな感覚を視聴者に感じさせる演出・脚本は計算されていて素晴らしいものがありました。
その分キャラクターはガチガチに作り上げられたものではなくて、曖昧で感情的な10代の揺らぎが存分に発揮されていました。万能感を感じながらも簡単なことで感情や考えが揺らいで進んだり戻ったりしてましたよね?貴方も私も。

そしてリアルに寄せた物語だからこそなのでしょうか。「まあ普通こうだわな」で終わらずに「こうであったらいいな」おとぎ話ほどではないけれども細い糸を手繰り寄せたかのような結末に感動する1クールです。
{netabare}※ちなみに第1話古本屋の主人が引っ張り出したLPレコード『はっぴいえんど』ですっかり幸せな結末しか信じてませんでしたがかなり不穏だった最終盤の展開でした。{/netabare}

続編は不要ですね。きもちいいくらい「きれい」な物語です。




※ネタバレ所感

■日本人が好きな“好き”

「直接じゃないけどどう考えても“好き”ってことが伝わるほうがよくね?」
「むしろラブソングでまんま“I love you”ってダサいっしょ」

作詞に悩む某氏の言。たしかに『トリセツ』には好きだの愛してるの一言が一切ない。また「ブレーキランプ5回点滅」は未だに語り継がれております。

{netabare}「もっと喋りたい…安曇くんと」

上記のセリフが「付き合いたい」「私も好きよ」に置き換えられるとエモーショナル成分が格段に落ちるのがわかります。それで大事な一言は溜めて溜めて…ドーンでしたからね。{/netabare}

万葉集あたりの恋の歌からしてそうじゃないですか。そのまま字面を追っただけでは歌意を捉えることができません。。ものによっては暗号です。
日本人が…は盛ってるかもしれませんが、自分は「好きだ」「愛してる」を連発するのよりはこっちのほうが好みです。


■30秒の功績

{netabare}Cパートですね。だいたい15秒or30秒のエピソードが毎話2.3本。{/netabare}

{netabare}いわゆる脇役たちのキャラ回に相当するパートをここが担ってましたね。
本編はほぼ二人に焦点を絞っていてどのシーンでも小太郎か茜が登場するのでした。陸上部のイケメン比良君やショートカット千夏ちゃんらキーマンは適度に顔見せしながら、同級生’SはCパートで人となりを説明します。
こうして二人をがっつり掘り下げ、学園群像劇らしく脇役にも視聴者の目を向かせて12話に纏める。春から卒業までの一年の物語を追ったわりには駆け足と感じない構成の妙でした。{/netabare}


■太宰治のビフォアアフター

小太郎のペンネームは「安曇治」。太宰好きの中三と聞くとそれだけでめんどくさそうな子です。

{netabare}「或る実験報告。人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。」
『もの思う葦』に登場する一節。父に「小説書いてるのか?」と聞かれ浮かんだフレーズ。{/netabare}

{netabare}「少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う」
『チャンス』に登場する一節。小太郎が図書館で手にした一冊から引用。{/netabare}

{netabare}「人が人に影響されないなんて、大嘘だと知った」
体育祭でべにっぽを見つけた後のやりとりは示唆に富む。
太宰の否定ではなく太宰からの解放というべきか。
一方で小太郎は自身の恋愛において太宰が言うように勇気を出して意思を示し続けてたと思う。

 実践の無い知識は無用の長物

使える太宰と使えない太宰。初めての恋で手探りしながら頑張ったからこそ手にしたものが血となり肉となる。こうして経験値は溜まっていくのだと思います。{/netabare}


■最終回※未見者開いちゃダメ、絶対!

振り返ってどんな話だったかは小太郎と茜の掛け合うようなモノローグで全て説明がつきます。

{netabare}小太郎<初めての恋だからまだ何も知らなかった>
   <すごい緊張して手の繋ぎ方、キスの仕方、友達にも秘密で、恥ずかしくて>
茜  <いつもどうしていいか分からなくて…だけどあの時勇気を出して伝えてくれたから>
   <ずっと一緒に歩いて行けるって信じられた>
小太郎<好きな人が自分を好きになってくれるなんて>
茜  <奇跡だと思った>{/netabare}

めちゃくちゃ一生懸命な二人の恋を応援した全12話でした。

{netabare}女の気持ちはわからんので小太郎について
A.「なんかうじうじして煮え切らん」
B.「お祭りの日もお前なにキレてんの?」
C.「最終回、泣いてる茜ちゃん追いかけろよ!」
ABCすべからく出来ないのが普通ですよね。小利口になるのは先で良い。
なんなら今でもやりだしかねん既婚俺氏。

最終回一つとっても。。。
まずはお姉ちゃんの煽りがありました。「遠距離なんて無理」と。
⇒どうなるかわからないのだから年長者のもっともらしい一言で揺れます。そんなことあったとは小太郎もつゆ知らず、茜も「お姉にこんなこと言われてさ」と小太郎に話を振ることができない。
その流れで、千夏と小太郎が同じ高校になり、千夏の告白を断ったのは千夏から知らされてたけど、小太郎がその話をしない。
⇒茜にとっては離れている間に千夏と何かあっても内緒にされそうに感じて不安になるし、小太郎にとっては余計な心配かけたくないからだしと擦れ違いが生じる。

それこそどうしたら信頼や愛情を確かめられるかわからなくて、それがキスという形になった。
もうそうするしかなかったんだろうってのが泣ける。
なんというか、べにっぽ(芋)を置いてこうとしたり、二人ベンチに座っているところ川を流れてる重なった落ち葉がすっと二つに分かれるところを見たりしてたので、今生のお別れコースかと思いました。{/netabare}

{netabare}陸上部のイケメン君もショートの親友ちゃんもグッジョブでした。
イケメンが告白のタイミングを逃しまくるのはしょうがない。あの頃言いたくても言えなかったよ。
親友ちゃんの“どうせフラれるんだから筋を通して告るだけしときたい”も責められませんよ。

かませ犬じゃなく千夏の告白時に真正面からのカットを用意するスタッフにも優しさを感じました。
それに主役二人が頑張ったからかな。千夏が告白した橋は小太郎と茜がキスした思い出の場所だったし、胸元に飛び込んでもそこには手編みのマフラーが。魔除け…じゃなかった…しっかりセーフティが働いてるようにも思えた最終回。{/netabare}




※最後に

『徒然草』の月を使った一節にこういうのがある

「花はさかりに 月は隈なきをのみ見るものかは」

桜は満開、月は満月の夜を見るものですか?いや違うでしょうの意です。そこから、雨の夜に見えない月を想い、どこにも出かけず過ぎ去る春を想うのも良し、と続きます。
それだけで終わらず…これは男女関係も同じで、本能の赴くままアレするのが全てではなくて、逢えないつらさを胸にかかえ 果たせなかった逢瀬を想って長い夜を一人で明かす。遠い空のかなた あの人はいる・・・ 

「浅茅(あさじ)が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ」

と荒れ果てた家で懐かしいあの頃を思い出したりする。恋愛の情緒を知っている人とはそういうもんだよ。と締めます。

月は満月・新月・半月・三日月といろんな表情を見せますよね。
今のご時勢だと下弦・上弦なんてのもあります。

重ねた月日の分だけ“今宵の月”はいろんな顔を見せることでしょう。それでも兼好法師が言うところの“恋愛の情緒を知っている人”よろしくどの月も“きれい”だったと振り返ることのできる人生を送りたいものです。

たぶん小太郎と茜はそんな感じ。


長文お読みいただき有難うございました。



視聴時期:2020年11月 

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2021.09.16 追記

緊急事態宣言期間の合間で川越行ってきました。聖地云々抜きにして趣きや良し。
たまたま宿の裏が3話に登場した{netabare}(小太郎が告った){/netabare}神社でした。「月がきれいだね~」と家族に振ったら「そう?半月じゃん」とむべなるかな…



2020.11.22 初稿
2021.09.16 タイトル修正/追記

投稿 : 2024/11/02
♥ : 70

87.5 2 美しいで恋愛なアニメランキング2位
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?(TVアニメ動画)

2017年春アニメ
★★★★☆ 3.7 (1296)
6384人が棚に入れました
《人間》は規格外の《獣》に蹂躙され、滅びた。たったひとり、数百年の眠りから覚めた青年ヴィレムを除いて。《人間》に代わり《獣》を倒しうるのは、《聖剣》(カリヨン)と、それを扱う妖精兵のみ。戦いののち、《聖剣》は再利用されるが、力を使い果たした妖精兵たちは死んでゆく──。死にゆく定めの少女妖精たちと青年教官の、儚くも輝ける日々。

声優・キャラクター
新井良平、田所あずさ、Machico、上原あかり、荒浪和沙、水瀬いのり、水間友美、久保ユリカ、石見舞菜香、木野日菜、小日向茜、井上喜久子、千葉繁、小杉十郎太、佐藤聡美、井上ほの花、佐藤利奈、麦人
ネタバレ

明日は明日の風 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

終末ヒロインの幸せとは何なのかを探し求めた結末…儚さと切なさを感じる作品

このタイトルを見た瞬間、訳がわからない感情がわき、ひかれました。タイトルで視聴を決めてしまいました。

1話…「私のこと忘れてくれると嬉しいな」
{netabare}ある島で出会う青年と少女。島の外れで遠くの島を眺める。少女はこれが最後みたいなことをいう。
青年は知り合いのゴブリンから軍の仕事を斡旋される。武器倉庫の管理だった。倉庫に向かうと、幼女に襲われる。が、そこに現れたのは島で会った少女だった。少女に導かれた先は大きな屋敷で、青年の知り合いのとおぼしき女性(トロル)と会話する。
青年の名前はヴィレム。なにかしら軍に関係した人物のようだ。そして、明るいのに影がある少女の名前はクトリ。青年にひかれているようだった。
この世界はすでに滅んだあとの世界で、青年は最後の戦いを経験した生き残りらしかった。

冒頭でいきなりクライマックスのシーンが出てきて、最後は…とかなり悲しい始まりでした。兵器=人間ということなのでしょうね。この二人がいい感じで、でも最後は辛い別れが待っている…考えただけで切ない。
作画の感じも良いし、展開も笑いあり、グッと来るようなシーンもあるし、これは毎週待ち遠しいです。{/netabare}

2話…幼女たちに信頼されるには
{netabare}武器倉庫とはいったものの、幼い子供たちの施設になっている状況にいまひとつピンと来ないヴィレム。子供たちは大人の男性に慣れていないため、接し方が分からない。そこでヴィレムはプリンを作って子供たちに食べさせる。その結果、ヴィレムはあっという間に人気者に。
ヴィレムが気になるクトリ。アイセア、ネフレンとの会話で「あと10日」というキーワードが嫌な感じ。
ある日、ボール遊びに夢中になっていた子供の一人が崖から転落。大ケガをしているにも拘らず、平然としていることに戸惑うヴィレム。
ナイグラートに武器庫に案内され、真実を知るヴィレム。子供たちは人間の武器が扱える妖精で、世界の驚異となっている獣たちと戦えること。飾られている聖剣は強力で、自らの命と引き換えに大爆発を起こせるということ。つまり、子供たちは命を落とすことが前提で生きていて、死を恐れていないのだった。しかし、ヴィレムには聖剣に見覚えがあった。聖剣は人間族の真の勇者だけが扱えるもので、ヴィレムにも関わりがあったのだった。
クトリとアイセアが数日消えた。獣たちと戦っていたのだった。迎えたヴィレムは疲れ果てていたクトリを介抱する。クトリは心の準備(死への)ができていたが、なにか違う感情が芽生えていた。

2話で「あと5日の命」という展開…。はじめから死しか選択の余地がない子供たちは…切ない。
クトリと同年代のアイセアとネフレンを置いたのは物語的に締まっていいように感じます。性格もバラバラだし、クトリ一人では重すぎだったので。
ヴィレムにも重い過去があって、ちょっとずつ明らかにしていく感じです。{/netabare}

3話…フラグ立てるな
{netabare}ヴィレムはネフレンに手伝ってもらい妖精たちの戦いの記録を調べた。翌朝、クトリが目を覚ますと、ヴィレムがネフレンと寝ていることに嫉妬(ジト目で)。ヴィレムがクトリに朝の運動と称して戦うことに。聖剣の使い方を伝える。クトリは戸惑うばかり。
戦い終え、ヴィレムが倒れる。ナイグラートに処置してもらい、落ち着く。そしてナイグラートは子供たちにヴィレムのことを話す。ヴィレムは人間族の唯一の生き残りだと。子供たちは驚くどころか、ヴィレムに益々興味を持つのだった。一方で、クトリはヴィレムから受けた戦いかたに混乱していた。空を飛び回り、ライムスキンと会話する。そこでクトリは本音を言い、ライムスキンはクトリに自爆せずに生き残ることも選択と伝える。
帰ってきたクトリにヴィレムは聖剣とは何かを話し、クトリは生き残ることもあることを話し、帰ってきたときの約束をする。そして戦場へ…。

濃い回でした。少しずつ明らかになるヴィレムの過去。そしてクトリの変化する心がなんとも言えません。三人娘が戦場に向かいますが、全員生き残ってほしい…。{/netabare}

4話…待つ者
{netabare}クトリたちが出陣してから半月、その結果は伝わってこない。心配するなか、ティアットが夢を見たという。ナイグラート曰く、一人前の妖精兵になる兆しだという。そこで診療所のある島に向かい、検査を受けるため、ヴィレムに一緒に行ってほしいと頼む。これはヴィレムに気晴らしをさせたいナイグラートの気遣いでもあった。
診療所に向かうヴィレムとティアット。飛行挺の中でヴィレムは夢を見る、それは悲しい夢だった。初めて島を出たティアットは検査を受けるためだと思いながらもウキウキ。ティアットが夢中になっている蜥蜴映画の聖地を巡り、あちこち引っ張り回されて検査に向かう。この検査、実は妖精兵になるための調整だった。これについてはティアットも心得ていて、立派な妖精兵になると言うものの、ヴィレムは「本当に良いのか」と問う。
翌日、雨降るなか、建物の雨漏りを見ていると外が慌ただしい。作戦は失敗したとかなんとか言っている。夢の中の描写と一緒になったヴィレムは焦る。そして情報を聞き出し、本当に失敗だったことを知る。愕然として膝から崩れるヴィレム…。そのとき、聞き覚えのある女の子たちの声が聞こえてきた。振り返るヴィレム、そこには三人娘がいた。ヴィレムは能力で瞬時に三人のもとへ飛び、そしてクトリを抱き締める。

先ずは無事に帰ってきて良かったよ…。ヴィレムがところ構わず抱き締めてしまうシーンはグッときたけど、表情がいまいちな気が…。それと、けっこう大雑把な流れになった気がします。もうちょっと丁寧に、じっくりためてからでも良い気がしました。とはいっても、この流れの話は好きなんですけどね。
今回の作戦が失敗だったということはどうなるんだろう? このあたりは次回明らかになるのかな? あと気になったのは噴水の像。確かOPに出ていたような気がするんだが…。{/netabare}

5話…ヴィレムはなんだかんだで
{netabare}三人娘の戦いの様子が語られる。敵は精神攻撃、予測を超えていた。そのための撤退だった。クトリは調子がいまいちである。
フィラのお願いにライムスキンは応えない。それどころか、ヴィレムに押し付けてしまった。かたくなに断るヴィレムだったが、その考え方は正論だった。フィラといつの間にか観光になっていた。しかし、それを狙う輩が。フィラの父親は市長で、反対派が反乱を起こそうとしていたのだ。そのために娘のフィラを誘拐しようと狙っていた。
ヴィレムはわざと狭い場所へ連れ込み、その一団をのしてしまう。なんだかんだ言いながら優しいのである。
島へ帰る直前、軍の一人に呼び止められる。ヴィレムはその名前を聞いて残らざるを得ないと考え、三人娘とティアットを見送った。

クトリに変化が生じてきた感じです。ヴィレムと離れてしまうことにかなり不安なんですけど…。
ヴィレムが残る理由は次週へ持ち越しですが、ヴィレムの過去が明らかになるのでしょうか。どうも転換点に差し掛かっているようで、目が離せません。{/netabare}

6話…良い最終回…じゃないのね
{netabare}ヴィレムが残った先には大賢者が待っていた。賢者はヴィレムの500年前の知り合い、スウォンだった。スウォンはヴィレムが石化した後も戦い続け、一度死んだが呪いをかけ不老不死になっていた。
ヴィレムはさらに意外な人物と接触する。頭蓋骨姿になっていたヴィレムが倒したイーボンキャンドルだった。スウォンとイーボンキャンドルからヴィレムが空白になっていた500年の話と妖精の話が若干される。二人はさらに核心を隠していた。
一方、クトリは苦しんでいた。何者かに精神が乗っ取られようとしていたのだ。これは生き残った妖精の宿命らしかった。ヴィレムが島へ戻って、クトリの状態を知る。ナイグラートと語らう。そのとき、クトリが目覚ます。クトリは先を考えず、ただただヴィレムに会いたい一心で帰ってきたのだ。

やっととというか、世界観が見えてきたような回でした。淡々と進むけど、もう中盤なんだ…。ヴィレムとスウォンの会話の珍妙なこと…。あの声で少年のような話しぶりは違和感より笑ってしまいましたが。
最後、単純な手法なのに、クトリの一声で涙止まらなくなってしまいました。弱いんだな、こういう展開…。これが最終回でもいいよと思うくらいです。{/netabare}

7話…続くのですね…
{netabare}クトリが目を覚まして数日。クトリには微妙な変化が生まれていた。ナイグラートに調べてもらったところ、反応が変わっているという。聖剣に近づかない方がいいと言われる。
ヴィレムは約束のケーキを作っていた。子供たちも大喜びだが、それはクトリとの約束だったケーキだ。クトリはそれを食べ、帰ってきたことの思いをヴィレムに伝えた。
一方、妖精兵はクトリたちの他にもいたのだ。ラーンとノフト、二人は地上の探索隊に加わっていた。そこに獣が襲ってくるが、ノフトが斬ってしまう。

ラーン、見た目がイカちゃん…。獣は某新マンのツインテールだし、ちょっと気になりました。二人のキャラがどう絡んでいくのでしょうか。ED、あれ?っと思って見比べたら、ちゃんと今回からラーンとノフトが加わっていたのにビックリです。細かい。ということは、一応、この回から後半突入ということになるんでしょうね。
クトリが約束だったケーキを食べることができて本当によかった。此のフラグは折ってほしかっただけに。でも、1話冒頭で赤い髪がクトリであることはバレているし、最後は…なんだろうけど、こういうシーン積み重ねていくと、最後は本当につらそうです。{/netabare}

8話…日常からの
{netabare}上官(とても嫌みな)との会話で地上の偵察隊について話を聞くヴィレム。見せてもらった写真はヴィレムのふるさとで、しかも自分がすんでいた家の跡地だった。
ヴィレムについてきたクトリ。もはやデートである。ヴィレムが地上に降りる話を聞き、クトリも一緒に行くことに言ってきかない。上官はなぜか簡単にOKが。どうやらクトリはヴィレムの愛人と思ったらしい。
夜、流星を見る子供たち。そのうちの一人が転落し、クトリが力を使って助ける。そして、クトリは異常が進行し始めた。

クトリとヴィレムの幸せそうな展開で、そのまま進む…分けがないのがこの作品ですね。最後だけでなく、途中にも先を案じる場面が織り込まれて、不穏でしたし。回数考えると、どんどん鬱展開に入っていきそうです…{/netabare}

9話…終わりの始まり
{netabare}クトリの変化に気づいたアイセア。クトリにアイセアの真実を話す。アイセアから励まされたクトリ、日常を明るく生きる。
ヴィレムはクトリの変化に気づいていた。それでもクトリは前を向くことを決意した。
冬の日の夜、壮行会を兼ねた降雪際パーティー。幸せな時間が過ぎる。そして、ヴィレム、クトリ、ネフレンは地上に向けて出発する。

クトリの一人語りが切なく、重いです。もう戻れないであろう、いるべき場所との別れ。最終回終わって見直すとじわじわ来るような作りなのかもしれません。
時折見せていたアイセアの違和感。その伏線の真実にビックリでした。その発想はなかったです。
とうとう地上に降りました。もう残り話数を考えると地上での話を繋いで1話冒頭の場面に行き着くのでしょうね。{/netabare}

10話…地上の日常
{netabare}地上に降りたヴィレム一向。ラーン、ノフトと出会う。地上の探索隊員から蔑みた目で見られたクトリ。クトリは自分のすべきことを行動で示し、隊員たちから信頼されるようになる。
クトリの脳裏に浮かぶ赤い髪の少女。その少女に立ち向かうこれまた赤い髪の少女。
ヴィレムはクトリのための聖剣を探し出す。そしてノフトの聖剣を手入れしている時に真実にたどり着き、愕然とする。

最後へ向かっての序章という回でした。真実を知ったヴィレム、クトリがクトリでなくなる寸前の状況、二人の着地点はどこにあるのでしょうか…。{/netabare}

11話…クトリの魂
{netabare}ヴィレムの求婚に応えたクトリ。二人は照れあい、普段通りとはいかない。ヴィレムの思い出の家に着いた時、地下から衝撃が。そして落下。
地下は空洞になっていたが、クトリの様子がおかしい。クトリが向かった先には氷付けになっていた子供がいた。セニオリスの呪詛によって閉じ込められたのだった。気を失うクトリ。
そのころ、飛行艇の周りは獣たちに襲われ大ピンチ。ラーンとノフトが抑えているが、二人は覚悟を決めた。気を失っているクトリ。クトリは意識のなかで赤い髪の少女と会話する。その子供は神で、過去に勇者のリーリァの一撃によってこの状態になっていたのだ。そして、クトリの存在が何であるかを知る。
飛行艇を襲いはじめた獣。ネフレンが必死に抑える。そしてヴィレムも戦う。

いよいよラストだな…という感じの回でした。重い、重いなぁ…。
せっかく幸せなろうとしたときに起こるピンチ。まぁ、1話冒頭で分かっていたこととはいえ、あれに繋がるのか…。みんな助かって欲しいけど、どう見ても悲しい感じだもんなぁ…。来週はハンカチ用意しておこう。
いままで謎だったクトリの真相、リーリァのこと、赤い髪の理由、とにかく詰め込んだので一回では掴みきれず、結局三回見てようやく納得。もう少し丁寧に描いてほしかったです。1クールだから仕方ないのかな。{/netabare}

12話…クトリの幸せとは
{netabare}飛行艇が獣たちに襲われる。ラーンもノフトもネフレンも限界に近い。ヴィレムは勇者になりきれなかった勇者。聖剣を使わなくても倒してしまうが、体がもたない。ラーンに自分の過去を話す。
限界を越えようとしていたネフレン。飛行艇から落ちそうになる。ヴィレムは救おうと手を伸ばすが、ネフレンは自ら落ちていく。追って落ちていくヴィレム地上に落ちる瞬間、クトリが救う。クトリはヴィレムを救うために自らを犠牲にしようとしていた。ヴィレムとのこれまでが幸せだったとこを強く思い戦う。そして消えた。
日が経つ。ヴィレムとネフレンの消息は分からない。クトリは消えた。そして青い髪の毛の少女が誕生し、大賢者の探査装置には波紋が二つ広がっていた。

1話冒頭で結末分かってはいたが、辛い結末でした。クトリの「誰がなんと言おうと、世界一幸せな女の子なんだ」はいかん…堪えきれません。その前のネフレン落下シーンですでに堪えきれなかったんですけどね。スカボローフェアはキツいなぁ…無理、堪えるのは無理。アイセアがぼろぼろ泣くシーンは泣き返しです。{/netabare}

今期もっとも期待した作品ではありましたが、一番とはいかなかったかなという感じです。それでも十二分に見ごたえあったと思いますし、良い作品でした。
ラストにきて次々と明らかにされていく真実や世界、頭追い付くのが精一杯で、2、3回見直していました。腑に落ちない点があったので、原作のあらすじを確認しましたが、なるほど、あと3話くらいあっても良い感じだったのですね。
ヴィレムが氷付けになる前の話し、リーリァとの繋がり、そういったものがもうちょっと掘り下げてくれたならもっと面白かったでしょうしょうね。

クトリというヒロイン、本当に良くできたヒロイン像だったと思います。ヴィレムとの出会いから信頼を寄せるまで、好きになっていく過程、自分の真実を知り、それでも前を向いて幸せになろうと進むところも良いです。最後のクトリとヴィレムの掛け合い、さすがにツラかった…。

OPの田所さんの曲、今期一番のお気に入りです。すごく心情に迫る感じがとてもよかったです。EDのTRUEさんはあんていしています。歌詞が書き込まれていたのは今どき珍しい。

二期があるとすると、別のヒロインの物語になるとのこと。クトリの物語が良くできていただけに、どんな話になるんだろう。やっぱり原作は読んだ方が良いのかな。

儚く散ってしまう少女の生きた過程を題材としています。こういった切なくなる話が好きだなという人にお勧めします。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 51
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

HE once was a true love of mine

【2016/06/30 誤記訂正】


原作については何も知らないが、いい加減に、マーケティング会議で凡庸なブレーンストーミングの果てに多数決で決めたようなタイトル付けはやめるわけにはいかないのだろうか。
アニメの第一話を見た限りでは、十分にテーマ性も世界観も詰め込まれた物語に見えるのに、出版する側が創作性より市場を優先して目配りしているようでは作者が浮かばれないだろう。


一話の冒頭から、重苦しい展開を予想させるような描写で幕を開けるが、続く『スカボロー フェアー』でオッサンは完全にやられた。

同世代の視聴者であれば、文句なくサイモン&ガーファンクル版の『スカボロー フェアー』を思い浮かべるだろうが、別離を想像させる切ない歌詞が、「彼女」を想うものから「彼」を想うものへ変えられているのは、歌い手の性別だけではなく、先の物語の流れに合わせたのだろうか。
それに加えて、サイモン&ガーファンクル版の、あの不穏な輪唱の歌詞まで想起させて、より物語の行く末を(勝手に)想像させて来る。

名曲と共に登場した物語は、どのように流れていったのだろうか。


{netabare}ラストで再び流れる『スカボロー フェアー』は、やはり、この曲が物語を象徴していたと思わせる。

彼は私の大切なひと「だった」、と語る歌詞は、過去を「振り返って」あの時が「幸せ」だったのだと告げるものだ。
物語を通じて次第に明らかになる希望の無さは、ヒロインから「記憶」が剥落していく描写と並行して、「未来」から希望が次第に「消えてゆく」事態を表現している。

あの、物語の冒頭こそが「幸せ」の頂点であり、そこから滑落していく過程を象徴するものとして、この曲はある。

だが、「運命」に翻弄される悲劇だと一面化しきれないのは、サイモン&ガーファンクル版の、あの輪唱の記憶のせいだ。

>由来も遥かに忘却された いくさ に

>戦え、殺せ、と

>将軍たちは、兵士を駆り立てる

サイモン&ガーファンクル世代の視聴者としては、この詠唱(私的な意訳)を作品外から幻聴してしまう視聴を止めることが出来ない。
製作者の意図を度外視して、この詠唱を二重化する効果を含めて『スカボロー フェアー』を採用したという視聴を、あえて選びたいと思う。

そうであってこそ、ラストの、主人公とヒロインの「死」と「幸せ」が奇跡的に融合されるあの特権的な瞬間が、誕生するだろう。
与えられる「運命」としての「悲劇」であれば、それを「肯定」する事にも深みは生じない。
二人が「将軍」が「兵士」に死を命じるような「やりきれなさ」を受け入れてしまうことが、ラストの割り切れないやりきれなさを生む。


将軍と兵士の「やりきれなさ」は、「世界」の構造として表現されている。

本作の「世界」は、ひどく「堅い」印象があるのだが、これは設定の各要素が、互いに支え合うように配置されていることによる。

破滅的な超兵器によって半ば地獄と化した地上だが、そこから逃れて人々の生存を可能にする「島」は、「超兵器」と同根の「技術」によって「人工的」に維持されている「大地」だ。
人工的な維持機構なしで「大地」=生存は不可能で、やはり「超兵器」と同根である技術によって「生産」される「妖精」の「使い捨て」も、これもまた維持機構の一部であり、島の「生存」の為には不可欠のものとして構造化されている。
「人工島」を成立させるシステムの一切は、「獣」の支配する地上を生み出した技術と同根で、原理的に「システム」は「地上」の脅威を凌駕して浄化することはできない。
浄化できない限界性によって、「人工島」のシステムの停止=妖精の解放もまた、あり得ない。

こうして、「出口」を塞ぐように互いに絡み合う設定が作り出す窒息しそうな「世界」が、それでも作為性が希薄であるのは、この「世界」を構成するパーツが、視聴者には見慣れたものであるからかもしれない。


人工的な「大地」の維持システムの一部として、それ無しではシステムが崩壊してしまうものとして取り込まれている「妖精兵器」は、資本主義システムが必然化する、それ無しで存続が不可能である「相対的過剰人口」と相即的だ。

不景気には真っ先にクビを切られ、好景気でも最後まで安定雇用はされない、貧困との境界上に押し込められる不安定雇用の「相対的過剰人口」は、十分に好況であれば消滅するものではなく、資本主義システムの必然かつ必須のものとして、システム自体に構造化されて一体化している。
決して安定雇用を得られない「層」は、システム維持の「人柱」として、構成員の入れ替わりはあるにせよ「層」としては排除できない。
まさしく、「人工島」の維持システムとして、逃れられない「死」を押し付けられて何処にも行けない「妖精兵器」との相似を見るのは容易だろう。
どちらも、システム自体の崩壊や変質を伴わずに、脱出することが出来ない。

そしてまた、「地上」の敵を一掃し、環境や生態を一変させて「獣」の徘徊する廃墟に変えた「超兵器」と、「獣」を殺戮するために「妖精」の命を要求する「聖剣」が同じ技術から生じていることも、核兵器=原子力の関係を連想させる。

原子力発電所が、核兵器プラントから廃棄される排熱を発電機に接続しただけの、本質的に同じ設備であるのは周知のことだが、その維持がしばしば非正規労働者である現場作業員の(コントロールされているとはいえ)被曝と引き換えであるように、「超兵器」と本質的に等しい「聖剣」が妖精の生命や人格の喪失と引き換えであるのは、これも相似的だ。

別に「現実」を寓意するために、このような「世界」が構想されたとは思わない。

「世界」を、「堅い」強固なものとして構築しようとする意図が、自然に現実的な要素を引き寄せたのだ、ということだろう。


この「堅い」世界を、決して肯定的に描いているわけではないのに、抵抗や破壊に向けては物語は進まない。
破壊は、ある意味で「未来」を指向する。
しかし物語の視線は、一貫して「過去」に向いているようだ。

通常、若者向けの物語では、「過去」は脊髄反射的に劣位に置かれ、「未来」は無批判に優位におかれる。
だが、優劣を疑わない視点からは、「未来」を輝いたものとして希望する「私」は、「過去」によってしか存在し得ないことを自覚することが無い。

本作で、「記憶」の脱落によって深い絶望と恐怖にさらされるヒロインは、アイデンティティ=自己同一性は、「記憶」の連続性によって担保されているということを的確に表現している。
「私が私である」という自己同一性は、昨日の私がここにいたという記憶、1年前の私がここにいたという記憶、3年前の記憶、10年前の……という「連続性」の確信の上に成立する。

記憶の連続性が疑わしくなるとき、「私」の自己「同一性」は揺らぐ。
記憶が全て消滅すれば、「私」も消滅するだろう。私という自意識の消滅は、「私」の「死」だ。

「私」が消え去る「死」への坂を滑り落ちながら、あの時たしかに幸せ「だった」という特権的な「記憶」に支えられるヒロインを追う物語が、過去へ向けた視線に支配されるのも当然だろう。
無批判に「未来」志向の視線を「前向き」だと捉える能天気な気分は、未来を見つめる筈の「主体」=この私についての思考停止を表明しているに過ぎない。

「私」の不安定性に無自覚で「未来」の優位を漠然と信じる「前向きな」視聴からは、ラストの決戦は捉えにくいかもしれない。

あのとき幸せ「だった」、と「過去」を見つめて「未来」を指向しないラストの主人公とヒロインは、「後ろ向き」であるわけではない。

あのとき幸せ「だった」という記憶を持っている「私」は幸せ「である」のだ、と、この「現在」の「私」の一瞬に生きたのだ。

「この一瞬」にすべてが溶解するような作劇は、「絶望」とも「希望」ともレッテル貼りを拒絶する。
視聴者に向けて、レッテルを貼ってパッケージ化して差し出すことをしない製作者の「語り」は、この「堅い」世界を「生きた」キャラクターへの誠実を感じさせるものだ。


キャラクターへの誠実は、その描き方にも表れているようだ。

主人公とヒロインの恋が終幕に至るまで前景化してこないのは、そこに製作者か作者の自制を見たくなる。

保護者的な大人と未成年の恋は、典型的には「教師と生徒」の恋に象徴化できるだろうが、マンガやアニメではありふれている。

大抵は「二人が好きあっていればよい」と肯定的に描かれるが、普通の大人からは抵抗感を感じられる。
「教師と生徒」の大人と子供の関係には、抜きがたく力の上下関係が存在するからだが、「生徒」に近い読者層からは、「教師」という大人と、ある意味で「対等」になれるという力関係の逆転の満足を得たいという欲望から肯定されるのだろう。

しかし大人にとっては、力関係を背景とした恋愛は、一種のマイルドなパワハラかセクハラであって、未成年との「合意」という言い訳では、正当化するに十分であるとは感じられない。
現実に「教師と生徒」の恋を結んでしまった大人が非難されるのは、こうした大人のバランス感覚の欠如が問題視されるからだが、本作の主人公が、ヒロインの恋心を知っても距離を保っている描写は、アニメ的にやせ我慢をしているというよりも、「大人」を表現しているように受け取れる。(なにしろ主人公は500歳を超えている社会人だ)

トカゲ人間の将軍やサルベージ屋の大将が、「妖精兵器」に対してきわめて「まっとう」な公平性をもって接する描写も、ベテラン声優を配した効果を発揮して、いかにも「大人」であるバランス感を表現し得ているようだ。

こうした描き方が、終幕でヒロインの「死」を目前にして社会的な大人の配慮を捨てる二人の恋の成就を、アニメ的展開のご都合に見せない、「世界」を「生きる」キャラクターへの製作者の誠実を示している。


このような、あちこちで一般的な「受け」に逆らうような表現やストーリーラインは、「泣ける」「笑える」といったタグを掲げる大ヒットの手法を無視しているようだ。

しかし、非情で動かしがたい世界に置かれた実存が世界を肯定しようとするならば、「スカッとさせる」展開があるはずはないだろう。

「縫い目のないシャツを縫う」ような不可能な「奇跡」が、もしも起きるのならば彼は恋人に「なるだろう」という「未来」を歌う『スカボロー フェアー』が象徴しているのは、非情な世界では「未来」は「奇跡」を要求するという困難性であり、肯定しようとする実存の困難だ。

ラストシーンで誕生した新たな「妖精」が、転生による希望という「奇跡」であるのか、煉獄に送り込まれた「兵器」が一人増えたという「繰り返し」の絶望であるのか。
説明のない混沌は、視聴者のそれぞれの実存を問うものとして、レッテルなしで投げ出されている。


最後に、これだけの物語を、マーケ屋のでっち上げたタイトル付けで市場に送り出した出版社の安直は、どれだけ非難されても十分ではないと強調しておきたい。



P.S.
ヒロインの人格が浸蝕される悪夢のようなフラッシュバックの描写で、小文字でlilya(リーリア? リリア?)というキャラ名(?)が断片的に表示される。
一瞬、ilya〈イリヤ〉と錯覚させるかのような表示だが、自分の人格が消えて見知らぬ人格が立ち現われる場面で、存在者が消えてなお立ち現われる存在、は、できすぎた気がする。
作者か製作者がレヴィナスを読んでいたのかは分らないが、偶然としても、世界に投げ出された実存の物語にはふさわしいかもしれない。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0

ごった煮にして薄っぺらくした感じ

4話までの感想
{netabare}まず1話で思い切り興味を引いたのは、町をさ迷うシーンでカメラ固定(背景そのまま)でキャラがパッパッとテレポートする…実際にテレポートしてるんじゃなくて途中の時間をカットする演出があるのだけど、
テレポートするたびに微妙にカメラ(つまり背景)がズレる。
実写だったらそうなりがちではあるけど、アニメだとむしろ手間がかかってるワケで、そんなのをワザワザやってることに驚き。
(気付かないだけでそのようなズレる演出は他のアニメでも普通にやってるのかも知れないけど)
スカボローフェアもさることながら、ひょっとしてアニメってより実写映画を意識してるんじゃなかろうか?と思うように。
そして話が進んでいくと…1話での先入観も手伝ってアレを思い出しました。
怪獣映画と謳っておきながら怪獣を一切映さない映画…「大怪獣東京に現わる」。
怪獣が本当に現れたらどのように報道されて、人々はどう行動するだろうかってのを描いた作品、面白いっすよ。
ひょっとして終末は~ってソレ系?
原作未読なので今後の展開は知らないけど、もし最後まで地底?地上?のバケモノとの戦闘を「描かなかったら」かなりの良作になるんじゃなかろうか。
一方で描いちゃったらよくあるラノベ系で終わってしまいそう。
…しかしそんなことやるのかね?派手なアクションのないアニメって評価下がりそうだし。
クライマックスくらいは戦闘あっても、ま、まぁ大丈夫とは思うけど…。

それにしてもタイトルで損してる気がしないでもない。{/netabare}

5話感想
{netabare}あっれー?なんか変な方向に向かってないか??
序盤戦闘シーンがあったことは↑で書いた期待してたモノとはズレるけどそれは別に構わない、こっちが勝手に期待してた部分だしね。
ってか「こうなったらメガンテを使わざるを得ない」って状況までは追い込まれてないので、↑の示す「戦闘シーン」にはまだ至ってないのでセーフセーフ。
問題はそこじゃない。
新型の敵が現れて、対処方法が見付からず、浮島を一つ放棄した、ってことだよね?
う~ん…そんな状況って軍的には戦々恐々で物凄くピリピリしてるものだと思うのだけど、なーんか妙にノンビリしてない?
別部隊がコト(データ集積や検証)に当たっててヒロイン達は休養したまえってことなのかも知れないが、それにしたってなんか変。
ハドソン夫人がトカゲ男に頼み込むシーンにしても、ヴィレムの居る目の前でこれこれこんな事態なのでどうにかしてくれって言った後で「この話はできればおじさま以外の方には…」って…正気か?
あれれ?
でもって過激派がホイホイと軍にケンカ売るとな?制服で軍って分かってるんだよね?
んでもって内政がどうたら正義がなんたら…う~ん、暢気だなぁ。
なんかトータルイクリプス見てる気分になったのだけど、「お前らそれどころじゃないんじゃないの?」感が果てしない。
マンガなんかでたま~に見る「掲載誌が変わった」ってことで雰囲気が一変することはあるけど、ラノベでもそういうことってあるのかな?
いや、これ原作がどうであれアニメとしても脚本ヒドいと思うんだが…。
内政には不干渉だと軍規で決まってるなら向こうから手を出してくれないことにはどうにもならないワケで、囮に使ったことで怒られたり詐欺師呼ばわりされるのは不愉快(じゃあどうすれば軍規背かずに干渉できるのさ、と)。
ラストもウサギを殴ったんだと思うけどそれも意味フ。

とりあえず今回は捨て回と思った方が良さそう。
次回以降マトモに戻ってくれることを切に願う。{/netabare}

全話見ての感想
{netabare}終わってみれば「ありゃー?」って感じに。
今思えばハドソン夫人が出た回辺りからあれれ?だったかと、ってかそこで気付くべきだったか。
↑でも書いたけど、浮島1個沈んだことでじゃあ残った島はどうリアクションする?ってのは描かれない。
軍の活動も具体的に出てきたけど、同時にアラがやたら浮き出る形に。
活動資金は税金なのか接収なのか有志による募金なのか、とかね。

かつての自分の不甲斐なさを悔いて辛い生活に身を置く→わかる
かつて英雄としてスゲー存在だったけど今は知る者は居ない→わかる
この世界を統治する賢者に存在を知られてもそれまでの生活をそのまま→ん?

剣の調整ができるのはヴィレムだけで、もうこれだけでvip待遇待ったなしだと思うんだが…。
妖精が人扱いされないメガンテ要員だとしてもその立場は決戦兵器なワケで、扱いが雑になることはありえないような?
決戦兵器なれど消耗品な妖精の損耗率を下げられるって、ちょっとした革命クラスだと思うんだがかなぁ。
なんか、戦力増強が見込めるハズなのに放置してたり、妖精以外の対抗策全く考えてないっぽかったり、本気で化け物を倒す気は無さそうというか…危機感がなーんも無い。
これでは化け物の正体どうこうも、ふーんって感じにしかならない。

クトリの前世?侵食?もどうでもいいというか。
対決した化け物が侵食能力を持ってたってことではなく、一定以上HPを削ると侵食が始まるってことでいいのかな?
で、アイセアのケースから鑑みるに、前世の候補に挙がるのはヴィレムに縁のある連中(500年前にやらかした奴ら)ばかりってことではないっぽい?
あれ?じゃあクトリの前世が赤髪の少女だったのはただの偶然?
要は前世とやらは、生まれた時から決まってるのか後天的に植えつけられるのかようワカラン。
前者であるならクトリの前世に赤髪の少女が当たったのが都合よすぎ、後者であるなら最終回のオチが台無し。
じわじわと侵食されてく不気味さの描写もイマイチ、というか落第レベルだし(予算か?予算なのか?)。
…。
原作読めって?やだよお(苦笑い)

ところでここ(あにこれ)ではない何処かでプラメモと類似してるという指摘を目にしたことがあります。
う~ん、それはちょっと違う気がする。
プラメモは後半対応を変えたとはいえ、途中まで「そんなことをしても後で辛くなるだけだ」として主人公とヒロインが親睦を深めることに反対するキャラが居ました。
決して悪意があったってことではなく、「優しさ」由来の行動にバリエーションがあったというか。
対するこちらは二人を祝福するばっかりで、キャラに変化が無い。
ぶっちゃけ世界観を掘り下げる気が無いならラーントルクとノフトは要らんかったような…。
そうそう、ラーントルクで思い出したけど、生物兵器と生体兵器はちゃんと分かって使い分けてたのかな?
誤用してるなら誤用してるで構わないのだけど「バケモノの正体は一体何ぞ?」ってところで出た言葉なので、ハッキリさせてくれないと結局ボケボケにしかならないというか。
(敢えてどっちか分からない素振りで得体の知れない感を演出したのかも知れないが)

というかねぇ、同期に放送してたアニメでグラブルってのがありましてん。
浮島世界を舞台にしたファンタジーって共通点があって、どうしてもそれと比較してしまい安っぽく感じてしまう。
(グラブルの話も大概だが)島ごとに特産品があったりで、世界旅行をしてる気分になれた、多少なりとも。
終末も一応映画村とかあったけど…いやいやそうじゃなくて一次産業どうなってんのさ、ってのが説得力に繋がる部分だと思うのだが。
牧歌的な話を描きたいのなら人が社会生活するうえで最も根幹な部分である一次産業(農林水産業)を描くのが一番手っ取り早いと思うんだがのう。{/netabare}


総評
{netabare}浮島世界を楽しみたいならグラブル見た方が良い。
じわじわと侵食される恐怖を見たいならファフナー見た方が良い。
不幸ヒロインのラブコメが見たいならプラメモ(プラスチックメモリーズ)を見た方が良い。
転生ヲチがどれだけガッカリなのかを知りたいならケイオスドラゴンを見ればいい。
あ、大戦の生き残りネタ?う~んそれならガイアース(の1巻だけ)を見れば良いんじゃないかな、古いけど。
(ってか一時期流行ったんですよね、半ポストアポカリプスを舞台に大戦時の残党がどうこうするって話…ナウシカの影響か?)
それらをごった煮にして薄っぺらくしたのを見たければ…この作品!って感じでしょうか。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 8

86.0 3 美しいで恋愛なアニメランキング3位
言の葉の庭(アニメ映画)

2013年5月31日
★★★★★ 4.1 (2002)
9527人が棚に入れました
靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は学校をさぼり、日本庭園で靴のスケッチを描いている。そこで出会った、謎めいた年上の女性・ユキノ。やがて二人は約束もないまま雨の日だけの逢瀬を重ねるようになり、心を通わせていくが、梅雨は明けようとしていた­…。

声優・キャラクター
入野自由、花澤香菜

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

ふたりの号泣は"魔法"なのだ。

 この世界には文字という考えができる前、話し言葉という概念があった。文字を持たなかった時代の日本語は「大和言葉」とも呼ばれ、万葉の時代に日本人は、大陸から渡った漢字を自分達の言葉である大和言葉の発音に当てはめていった。例えば「春」は「波流」と綴り「菫」は「須美礼」としていた。「雨」は「阿米」で、「心」は「許己呂」としていた。現在の「春」「菫」「雨」「心」と文字が固定される以前は、活き活きとした絵画性とも言える情景がその表記に宿っていたのだ。  そして万葉期に「恋愛」という概念は存在しなかった。先の時代に西洋から輸入された言葉である為であり、曾ての日本人は「恋愛」と呼べるほどの相手を愛する自由はなく、相手を想う悲しさを強調したものであった。そこにあるものは「恋」ともつかず、唯「孤悲」であり、孤独な悲しさ、孤独に誰かを”希求”するしかない感情が、遠い祖先の時代に存在したのだ。
 時に、丁寧に大切な言葉を遣うそのとき、私は一本の樹木になった気分になる。枝葉がのびて空の領域を狭め、葉の靄が立ち込め、太陽は遠く葉っぱの縁を煌めかせ、風に唆されて、言葉が舞い降り、心のどこかに落ちる。それがやがて堆積してゆき、時にあふれ、時にこぼれ、時になだれ、時にしゃくられ、時にまかれて、時につたったり、時にうおうさおうしたりして、時に積もったまま下の方から記憶に枯れる。言葉が旅をする。思えば、言葉は「言の葉」と書く。その庭では、匿名のひととひととが交互に木ノ葉を交換している。互いに何かを打ち明けて、後にその何かは互いの”希求”していたものとなる。その何かが、透明な手を差し出して片方の歩く手伝いをしてくれる。そんな「言の葉」のゆき交う「庭」。
 それが新海誠監督のアニメーション映画「言の葉の庭」の惹句、「”愛”よりも昔、”孤悲”の物語」という言葉から思ったことだった。

 六月。「子どもの頃、空はもっと、ずっと近かった。だから空の匂いを連れてきてくれる雨は好きで、雨の朝はよく、地下鉄には乗り換えずに改札を出る」雨音が跳ねる朝。そんな日には午前中だけ高校の授業を休み、秋月孝雄は雨雲の下に身を置いて、都内の自然公園に靴のスケッチを書きに行く。雨の日の公園は人影はなく、一人になるには丁度よかった。その日、いつもそこでスケッチを書く日本庭園のある東屋へ行くと、そこで一人の女性・ユキノと出逢う。彼女の手には文庫本が、傍らにはビールとチョコレートが置いてある。ジャンルが掴めない。孝雄はそう思う。「(朝からビールって)・・」 しかし孝雄はそのどことなく神秘的なユキノの顔に見覚えがあった。「あの、どこかで逢いました?」問うと彼女は一度、いいえと言葉を返して、その後”何か”に気づいて、逢ってるかもと言い、そのままの別れ際に、一篇の短歌を孝雄につぶやいて去っていった。 やがて、ふたりは約束もないまま雨の日の朝の東屋で逢瀬を重ねるようになり、次第に心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノに、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作ろうと願う孝雄。 六月の梅雨空のように物憂げに、揺れうごく互いの想いをよそに梅雨は明けようとしている。

 「天気が悪い」と私たちは雨雲に言葉を投掛ける。しかし秋月孝雄は、或いは雪野由香里はそう想わない。夜、眠る前、朝、瞼を開く瞬間、気がつけば雨を祈っている。外気を隔てたガラス戸の向こうで雨音が聞こえると、「雨だ」と言葉と微笑を零して布団を剥いだ。ふたりは降下する雨雲の下に身を任せるのだ。
 芸術作品である。上映開始とともに、私は客席から身を乗り出してしまった。「デジタル時代の映像文学」とはよく謳ったものだ。どこかで私にアニメの一種の真価というものを定義させたのだ。
 繊細のタッチの細密画がスクリーンから客席へと溢れんばかりに、瞬間的な映像で流れ続けている感覚。鮮烈なビジュアル表現と、独自の感性と選ばれた言葉たちによってあたかも小説を読んでいるような物語に、むきだした心が雨に打たれた。高音のピアニズムが背景にとけこんでゆく。何にしてもスクリーンで絵画が動いているのだから。そしてその絵画の額縁の中には、寂しさや切なさも歓喜の瞬間までもが抽出されている。湿度まで感じるかのような雨は背景と化さずに、地雨、霧雨、夕立、土砂降り、通り雨、と曾てから言い表しも表情も変わってきたそれらが、エピソードとして物語り、例えばふたりを東屋に閉じ込める。煙のように立ちこめる新緑の色彩までもが、人物の陰影を映している。梅雨の色彩が景情や心情を匂い立たせる。その峻烈な光の描写は観る者を取り込んで迷わせる魅力があった。その光を映画館でもう一度、叶うかも分からない小明な夢を言わせる。
 身近にあるものほど、時折、その美しさに人は感嘆する。売店で購入したパンフレットはもはや美しい画集だった。思えば劇中、どの場面を一時停止をしても、それは全て技巧を凝らした絵となっていた。「自然は豊かにして複雑なもので、だからこそ魅力的で美しい」と新海誠は語る。人は誰でも自然観を魅力的に捉える瞳を持っているが、彼の目は一段飛ばして感受の力に満ちている。 ”詩で唄うバラの美しさは、本物のバラの美しさに劣る”そんな言葉がある。風景画家はその風景を美しいと思うから絵を描くのだ。そして描かれた絵は、実際の風景の美しさに劣る。詩ではバラの香りは感じれなく、重さを計ることも、唇の先に置く事もできず、文字の上のバラは私に何かを説くだけである。絵も、実際にその時の風や音や光を身に刻むことはできず、限りなく似せて私に空想をもたらすだけである。「言の葉の庭」は新海監督の目に映る世界を、最新の映像技術の技巧的な表現によって捉えることができる。しかも視聴者からすれば、アニメが美しいのか現実が美しいのか曖昧になって一瞬分らなくなる。
 だからか、作中の品物が異様に欲しくなったりする。鉛筆、マグカップ、トンカチ、アイロン、スプーン、蛇口、ドアノブと鍵、そんな数え切れない些細な品物が欲しくてたまらなくなる。しかし、ホームセンターにそんな美しい蛇口なんて売ってない。「もっと輝くはずだ・・」そう言って自宅の蛇口を磨いてみたりしたが、どうやら蛇口には限度があるらしい。パンフレットで同じことを言っていた加藤新太が語るように、それは理想郷の蛇口なのだ。額縁の中にしか発見できない蛇口なのだ。加えて「言の葉の庭」というタイトルの本を書店で見かけたならば、棚から抜き出して読み始めていただろう。蛇口にもタイトルにもそれだけ惹かれる魅力がある。

 絵画性に富んだ映像に対して、言葉も丁寧に彩られている。梅雨に買った一冊の小説から、翼の骨格のように空想され、翼の羽毛のように連想されたかの物語は、あたかも抒情詩を唄っているかのようで、限りなく美しみを憶える。言葉が物語を展開するなど当たり前だが、その当たり前に深い表現をうみだしている。過去の同監督作「秒速5センチメートル」も同じく抒情的な美しいモノローグであり、タカキがアカリを、アカリがタカキを、強く理解していたからこそ、心の場所を知り、ふたりは事情から距離を置いて別れ、やがて喪失へ向かう――相手の心を知り、それからの――物語だが、「言の葉の庭」の場合、出逢ってから続く、それからの――相手の心を知るまでの時間の――物語なのだ。孝雄には「まるで世界の秘密そのものみたいに見える」どことなく神秘的な雪野がいる。どれだけ近くにいてもその人の世界は、相手に踏み込まないことには――互いに向き合いその関わった時間の中でしか、知ることができない。そんなふたりが、雨の庭という限定された場所で言葉を交えて、孝雄は「世界の秘密」を知らなくてはならなく(雪野は自分のことを話さずに、傘の下で自分の世界を孝雄に隠している)、雪野は一途に靴職人を目指す孝雄を知り、負のサイクルから外れて、歩きだす選択をしなくてはいけない。
 梅雨の雨の朝。晴れの日を囲むふたりの何かが雨によって遮られ、雨の庭にふたりの逢瀬は重なり、同時に言葉も折り重なる。やがてふたりは、「夜、眠る前、朝、瞼を開ける瞬間。気づけば雨を願っている」

~未試聴の方は以下の文がネタバレとなるのでご注意ください~

 雪野由香里が秋月孝雄と出逢った時に呟く短歌。万葉集。飛鳥時代の歌集の二篇。
「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
稲妻が空気を引き裂き、遠い雷鳴に、地面を揺らし、黒く重い雲が垂れ篭め、雨も降りなさい。あなたがうちに泊めるように。 最後の一句まで自然表現で畳み掛けられて、最後に種を明かし、恋歌だという事がわかり、そこまでの情念の迫力に圧倒される。雷神は鳴神と呼称し、元訳では「少し響みて…」は「光とよみて…雨さ降れや…君は留らむ」であった。「とよみて」は「響く」という意味であり、ここで「光が響く」とし、遠い雷鳴と稲妻が想起される。教師と生徒というふたりの立場に雪野が気づき、自分が古典の教師だと感づかせる為の、遊び心が籠る咄嗟の短歌の謎掛けに雪野の知性が垣間見える。恋心の想いを詠い合う相聞歌の短歌なのだが、時間が経つにつれ意味が浸透していくことになる。
 雪野が呟く遠景で、短歌と同じように光が大気を切り裂いて、遠い雷鳴が谺する。孝雄には神秘的に見える。
やがて梅雨の空模様は表情を見せなくなり、雨の庭のふたりの逢瀬はなくなった。”孤悲”が現れる。孝雄は梅雨が明けてから、バイトに忙しくして心を通わせていた場所に行けない。孤独にモノローグに抒情的に相手を希求する想いが、交えない。そんなある時、孝雄は雪野からの謎掛けの短歌の意味を教科書で発見する。恋心を謡い合う相聞歌。雪野が呟いた短歌から生まれる物語には続きがある。それはふたりの続きを示唆する。
「雷神の 少し響みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば」
稲妻が空気を引き裂き、遠い雷鳴に、地面を揺らし、雨が降らなくても、貴女が引き留めるなら、私はここに留まろう。 女性の短歌に対するこの男性の返し歌は、中途まで同じく続け、例え雨が降らなく私が去って行けても、あなたが言えば私は傍にいよう、と綺麗に言葉を返している。 雨でなくとも彼女はそこにいる。モノローグがダイアローグへと移り変わる――。

 秋月孝雄は一五歳にして人間性が大人びて見えるのは何故か。彼は幼い頃に家庭から父親が離れ、兄と共に母子家庭で育った。母親は仕事やら恋人やらで家を留守にすることが多く、いい加減な人なので、彼は家事をこなし年上の女性から可愛がられる性格となった。そして彼は靴職人を目指している。靴を家族団欒の思い出がインサートされていたことから、彼にとって「靴」とは「家族の幸せ」の象徴であるが故、靴職人を目標にする節があった。人は夢を持つと、見えなかった自分の道順が明瞭となってまた一段成長が早くなる。靴職人のバイトを(料理ができるから中華料理店なのか)始めて、大人と会話を交える事で、口調が大人びる。  様々な人生を知ることで、人間性が鋭くなっていく。 こんな所だろうか。ありえる話だ。加えて言うと、人の年齢で大人か子どもかなど判断はできない。社会人でも学生気分で身勝手に混乱を招く人もいるし、小3で既に中学生の勉強を始め哲学的な本に関心を得ている人もいるのですから。「一五歳でこんな奴いない」そう言う人はいるでしょう。恐らく殆どの人が男性と推測(笑)人は経験で成長します。秋月孝雄は経験を早く積んだからこその精神年齢の高さ(恋愛経験除く)だと思います。例えば、overな話で、戦時下の苦労を伴う環境に育った子どもの成長は精神的に早く成長するという。それは脳を発達させないといけない状況下に存在する為で、生物における潜在的な対応意識の本能と言える。戦時中でなくとも、人の成長は状況や経験によって案外簡単に変わるのです。
 脱線して、なぜ恐らく殆どの人を男性と推測したか。例えて、一本道を映しただけの写真集があるとする。霧の獣道、熱帯雨林の途切れた道、砂漠の轍、地平線まで一直線の舗装路。男性は評価する。「このアングルが良い」「この光の差し込む感じが良い」女性は人生と繋ぐ。「この道、私の人生みたいだわ」「こんな道に憧れる」 も一つ例えて、悲しい意味深な終幕の西洋映画がある。男性は関心する。「なるほど、そんなオチか」「納得。良作だ」女性は涙を伝える。男性は物事を思い、考えて、受け取る。女性は物事を思い、そのまま、受け取る。男性は考えて”しまう”節がある。「靴職人を志す一五歳?現実味がない」「ありえない」女性は受け入れる節がある。「・・・」。男性はとある幸福を前に、一度で肯定しちゃったりする節がある。女性はとある幸福を前に、幾度もその幸福を確かめようとする節がある。味のないガムのような日々を、呑み込んで終わりか、吐き出して始めからか。 まあ例外も多数。女みたいな男もいるし、男みたいな女もいる。しかしそれでも、根本的なところでそんな何かが違うのだ。
「バカ野郎、あんな一五歳みたことないぜ。それに雪野が孝雄の高校の教師だったって展開も」「いいじゃないそれぐらい」そんな会話が聞こえてくる・・(笑)  はい脱線終了ぉー。殆ど推敲せずに思った事そのまま書いてるんですみませんね。あっちなみにどうでもいいかもしれないけど俺、男なんではいぃ(笑)
 (アニメーションの見方が変わる作品の一つだ。現代アニメを知らない人は感覚が変わるだろう。「アニメはジブリ」「アニメはヲタク」「アニメは子ども」「いまさら大人がみるもんじゃない」アニメ好きの私達からすれば、それは偏見だぁ!!・・そんな人へどうでしょう(笑) 偏見が固っ苦しい人は、まあ川にでも流しておいてですね^^;)

 秋月孝雄は雨の日、午前1限目の授業を休み学校へ遅刻する。「おまえ何時だと思ってんだよ」遅れて席に着いた途端、馬鹿にした口調でクラスの同級生が孝雄の肩を叩く。「呼び出された理由は分かってるな」職員質で伊藤が生徒の規律を守る目的で告げる。その同級生は孝雄を理解不能と断定する。”何を思って学校を休むのか” ”学校への通学は普通だろ” “高校生活をなめすぎなんだよ”或いはそうとう嫌悪な奴なら”学校を休む奴は社会のクズだ”と、でも思っている(笑)。靴職人は高校でなれません。「晴れの日は酷く子ども地味た場所にいる気がして、ただ焦る」孝雄が、社会人で自立した雪野へ少しでも早く近づこうと、「自分がただの一五のガキであるということ」を認識しつつ、そこから抜け出したい焦る気持ちが分かる。彼は自分が向きたい方角に向いているだけなのだ。高校に求めるものが少ないのである。


 断片的に叙述すれば、この物語は、「秒速5センチメートル」の出逢いから始まり、惹かれ合い、孤独に悲しみ、喜び、歪み、なだれる言葉に号泣して、未完結する。
・・――思わぬ再会を経て、返し歌の短歌を告げて、心で歓喜し、「今が一番幸せかもしれない」とふたりのモノローグが交わって、ふたりは物語の主人公になる。しかし、雪野は、「俺、ユキノさんのことが好きみたいです」と言った十二歳年下の孝雄を、大人として突き放さなくてはならない。同じ言葉を潜めていたであろう彼女。単純に彼の人生を願って。「あの東屋で、ひとりで歩く練習をしていたの。靴がなくても」突き放す言葉には十分だった。「あれから私、嘘ばっかり」ここでまた彼女は嘘をつく。孝雄に自分のことを黙ってはいたけれど、嘘を吐くのは初めてなのか。雪野は来週、四国へ仕事場を移す。孝雄が一生去っていく。自分の言葉に歪む。 結局、嘘は突き通せなかった。
  “この世に魔法があるなら、それはきっと、誰かを理解し、何かを共有しようとする努力の中にある”「ビフォア・サンライズ」という会話劇を思わせる恋愛映画にそんな言葉がある。ラストシーンのふたりの涙は”魔法”なのだ。ふたりの孤独な抒情詩はその人生の大切な断片として物語を彩る。
 そして未完結する。人生の断片の彩りを描写して、続きはハッピーエンドもバットエンドも描かれない。人の空想の思うままに漂わせる。四国に行った雪野と孝雄は文通を交え、途絶えるかもしれない。物理的な距離は心の距離を遠ざけ、電話を途切れさせ手紙がポストに入らなくなるというのは、人間関係に付き物だ。雪野は「梅雨が終わってほしくなかった」「幸せかもしれない」「救われていた」と言っているが、今後、孝雄にはっきり「好き」と言うかはわからない。「もっと遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう」と孝雄は言うが、それも分らない。恋人とはならないかも知れない。逆もあるかもしれない。ハッピー&バットなんて存在しない結末を辿ることもある。魔法も薄れやがてカボチャになるように、喪失するならそれでいいのだ。人生に彩りを与える思い出として心に残しておいてもかまわないだろう。ふたりはそれぞれの人生を生きる。そして何かの偶然で出会ったなら、話し始めればいい。どちらかが幸せを持っているなら、「秒速5センチメートル」になるだけだ。言葉は、時に積もったまま下の方から記憶に枯れるが、ふたりが約束のない雨の庭で交わした言葉は記憶に根付いて生涯を共にするはずだ。美しい記憶は人生を温める。それも結果的には美しいのだ。

 4.11に発売される「小説・言の葉の庭」。想像に任せていた話しが楽しみなところもあり、文章化せず不明瞭のままでもよかったのにと思うところもあります。それでも孝雄と同年の私は、経験薄からか、物語の行方に一縷の望みがあってしまうのです。そしてまた同年であるからこそ、主観的ながら、手が届くかもわからない彼の想いに惹かれ、共感を経て、評価が高ぶったことは否めないのです。


第一段落、公式ホームページ参考、加筆。
あらすじ、空白後 公式のあらすじ文、引用。
2013.8.4「デジタル時代の映像文学って本当共感」レビュー投稿。
2014.3.4「ふたりの号泣は”魔法”なのだ。」レビュー更新。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 36
ネタバレ

Yulily さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

【新海監督の新作予告を観たら、行きたくなってしまいました…聖地訪問の日記追加】

雨が降る日には、空を眺めながら....
ふと、思い出すことがあるの....
二人は逢えているのかな?
なんてね...
それくらい強くわたしの心に残る作品だったということなのでしょうか...

雨の日の庭園での二人の男女のしのび逢い。輝かしい青春のひととき...

まだ何も知らない
仕事も歳も抱えた悩みも
名前さえも....
それなのに、どうしようもなく惹かれてしまう・・

そんな経験、私にもあるかもしれません

都会の喧騒から少しだけ離れ、穏やかに流れる時間を肌で感じられる自然にあふれた場所

こんな青々とした緑の中で深呼吸したらどんなに気持良いことでしょう!!試してみたくはなりませんか?
ここは、二人の秘密の場所 ...

雨降る午前。約束を交わさずともこの場所で逢い、心を通わせていく。

限りある時を惜しむかのよう
いけないと分かっていてもそれに心惹かれてしまう

二人の間にそんな少し危険な大人の恋、そんな香りを感じて

言葉のどんな力であっても、とても語りきれない部分で結びつく
人と人は、どうしてそれほどまでに惹かれ合うのでしょう...

いつのまにか想っていて
理由というのはいつも事後の話、人間だからこそ湧き出るこの気持ちは言葉では表現できません。

記憶に焼き付いた「雨」
1つ1つの描写が繊細に描かれています。
雨に濡れた新緑がしっとりした景観を生み出し、雨雫も相まってこの緑が美しい。
雨音はもちろん
葉に落ちる雨の音がとても心地良い
その全てが画面の中で調和して様々な趣きを醸し出しています。
「言の葉の庭」
恋愛や人生を感じさせ感動が胸に押し寄せる50分でした。

※ネタバレは一切ありませんが聖地訪問のため閉じます。
【2015年6月14日(日) 新宿御苑】
{netabare}
こだわりを感じる映像美に誘われ舞台を訪れました。
この日は雨ではなく曇り時々晴れ

新宿門を潜り木々に囲まれた園内の道を歩く
木漏れ日を浴びながらの散策。
そこはまさに映像で見た言の葉の庭が広がる...

二人がいた場所から水のある庭を望む。
まぶしいくらいの緑。床にも緑色が映っているくらいに。
アニメーションで見た景色が現実と重なった瞬間の高揚感がわたしを包む...感動です♡

そして世界観を演出するあのピアノが聴こえてきそうな...
揺れる二人の心模様を表現する素敵な音がね♪

園内で特に目を引いたのは華やかな紫陽花(あじさい)早朝に少しだけ降った雨に濡れた花がとてもきれい。

もし雨が降っていたのなら緑がめぐみの雨を喜んでいるかのようにもっとキラキラと輝いて見えたのかなぁ?

沢山歩いた後の食事は新宿門を出てすぐにある『礼華(らいか)』。(予約していました)
テラス席は笹のグリーンカーテン
心地よい風を感じながら美味しい食事に楽しい会話をして・・・私、こういう過ごし方が大好きです♡

今度は雨が降った時かな。。季節によって様々な顔を見せてくれる新宿御苑。また訪れたいです。{/netabare}

【2016年3月2日(水) 新宿御苑】
{netabare}
あたたかく、やわらかな春の包み込むような陽射しがとても心地よい午後…
うららかな春の陽気に誘われて

仕事の空き時間を利用してなのですが
言の葉の庭の聖地 新宿御苑にお散歩へ来ちゃいました♪

新宿門を潜り、入園券をかざし「ピッ」という音とともにゲートが開き、 言の葉の庭へと足を踏み入れました。
こんな気持ちよい天気だと、考えることは皆さん同じ…でしょ?
園内は沢山のヒトが訪れていました。

春の訪れを告げるように 白、やさしいピンク、濃いピンクなど さまざまな色のウメが咲き、はっとするようなキレイな春色に胸が弾みます。

そして嬉しいサプライズも・・
寒桜という種類のサクラが1~2分咲き程度ですが咲いていたのです。
やっぱりサクラって特別なんです♡

作品の中にも出てくる橋を渡っていると、キラキラ輝く水面を気持ちよさそうにスーッと泳ぐ鴨、鯉も口をパクパク(かわいい~♪)
こんな、心ほぐれる水辺の風景に出会います。

ほどなくして二人がいた秘密のあのベンチの場所に到着。
ベンチから後ろを振り返ると大木があり「染井吉野」の札が付いていました。
もう少しすると、この場所は満開の桜で彩られるのでしょうか…
季節を変えて訪れるたび違った魅力に気づける言の葉の庭は素敵な場所です。

散歩の最中に思わず寄り道したくなる
「サクラクレープ季節限定」の看板
サクラの誘惑には、、勝てませんでした*^^*♪
皆に、桜クーヘンとサクラこんぺいとうも買って…
春のスイーツをおすそわけです♡

季節の花を眺めながらお散歩すると 心があたたかく満たされます。写真におさめたくなる春もいっぱい**
散歩したからこそ感じられた この幸せ…
つい、みなさんに春色との出会いを報告したくなってしまいました

最後に…
ここまで読んでくれたヒト…いつもでっかいありがとうです…♡

・・END
{/netabare}

【2016年4月7日(木) 新宿御苑】
{netabare}
雨の日が舞台となった「新宿御苑」

都心とは思えない広大な庭園、豊かな緑と花を眺めながら清々しい空気を目一杯浴びることが出来る場所

そしてあの二人の笑いや、涙、そんな想いを心で感じることが出来てしまうような…
私は言の葉の庭と呼んでいます。

前回訪問から約1ヶ月がたちました。
映像美に誘われ舞台を訪れるのは3度目となります。
そして雨の日に足を踏み入れるのは今回が初めて…
「どんな景色に出会えるのかな?」と少しだけ心が高鳴ります。

お気に入りの傘とともに散策はスタート♪

お花見もラストシーズンのせい?…なのでしょうか
雨がシトシトと降る中でも傘を差しながら多くの人が訪れていました。

入り口でいただいた園内マップがカラフルで思わず友達が見ているのを覗きこんでしまいました・・・

「マップがね…春色なんです♪」

前回のものとは異なる春バージョン。春を彩るお花の紹介の写真がホントにとっても鮮やかで心が踊ります。
それに夢中になっておしゃべり、ふと気が付くと
目の前にはピンク色に包まれた庭園が広がっていたのです。
枝一杯に咲き誇る花に目を奪われてしまいました…

あの橋からの眺めはまるで絵画を見ているみたいで
春の色彩が水辺を華やかに彩っていました。

そしてようやくたどり着いた秘密のベンチのあの場所
そこには嬉しいビックリが・・

木々の緑の中で、たった一本だけの可憐なピンクの染井吉野
まるで目印のように「ここだよ~♪」と言わんばかりです♡

この場所を覆い しなるように咲いている様…それはまるで桜のカーテン**

桜のカーテン越しに見た言の葉の庭
吹きぬける風に、桜が香ります
花びらが乱れ散り、水面がいっぱいになって揺れていました…
幻想的で神々しく
ため息がこぼれてしまうような美しさ

雨の日の言の葉の庭
木々の隙間からこぼれ落ちてくるしずくさえもなんだか嬉しく思えてしまって…
雨に濡れた緑の美しさ、しずくを沢山に含んだ植物はいつもより彩り鮮やかにそしてきらきらと輝いて心を癒すのです。

「来年は晴れた日に来たいよね…?」

桜の下の芝生で、お弁当を広げたら楽しそうーー♪
売店のお弁当を見ながらそんな会話をしました。

美しく咲き誇る桜のトンネルを歩きながら帰り道へと向かいます

出口の向かいの入り口では警備員さんの手荷物検査

ふと下に目をやると、透明なコンテナに没収されたアルコールの瓶や缶が(あの銘柄かな?)!!…
もしかして言の葉の庭のファンなのかな?
ここは、アルコール類の持ち込みは禁止なのでご注意下さい♪

春の雨を心地よく感じられた、美しい言の葉の庭の中での休日でした♪
覗いてくれた方…ありがとうでした♡
{/netabare}

【新宿御苑がピカチュウの森に…聖地訪問の日記追加】
{netabare}
本日より東京は梅雨明けしましたね!
本格的な夏の到来です。

約4ヶ月ぶりに訪れた新宿御苑の言の葉の庭

私が訪れた時はまだ梅雨明けしていませんでした。

お昼前から少し雨がポツリポツリと降りだしていて

『空の匂いを連れてきてくれる雨は好きだ』
そんな劇中のタカオの言葉をピアノの音と共に思い出していました

新宿門を潜り抜け 言の葉の庭へと足を踏み入れました!

って、それにしても平日なのに この異常な人の多さは..?
実は御苑に訪れていた皆さんの多くのお目当てはポケモンGO。
どうやらここが「ピカチュウの森」 になっている様なのです。
(私はゲーム分からないヒトです)

たまに、ヒトの携帯画面をチラ~見

園内を散策しながら「ピカチュウゲットだぜ~♡?」をしていました♪

雨でも楽しい観光をしたい欲張りさんにはこのスポットオススメですね!

言の葉の庭の聖地を巡れて、おまけにピカチュウまで手に入れることが出来ちゃうのですから…♪

春色から(前回来場)夏バージョンへと変わった園内マップを手にして

緑豊かな園内を気持ちの赴くままに散策

春に訪れたときよりも木々が生い茂り

並木の緑のトンネルが気持ちいいー

「あれ?」
どうやら傘をささなくても ここにいるときは雨粒は落ちてこないみたい♪

都会の真ん中なのに あたりに人工的な音は全くなくて

セミが鳴く声と木々のさざめきに包まれて心地よいのです。

そうですね、
別の世界に迷いこんだ…みたい

そこへ、人懐こいスズメさんが、、
「チュン チュン…」近いーー

どうやらスズメさんの夫婦みたい?
見ているとホントに仲が良さそうで
微笑ましいのです♡
(隠し撮りして…ごめんね)

そして池の前には劇中で何度か映しだされた緑のモミジを発見!

これまでは紅葉したモミジにしか目がいかなかったのですが

雨の雫をいっぱいに含んだ青々としたモミジをこの庭園で見つけた時はそれは嬉しくて
・・心が踊りました


そして到着。
二人の秘密の場所は
相変わらず人気スポットで

常に誰かが あのベンチを狙っているようなので
着席することは諦めました。

ベンチの場所から水面に雨が描き出す輪
ぶつかり合う波紋
「あっ、こんな映像あったなぁ…」なんて思い出していました。

爽やかな風を感じながら散策
その途中にまた気になったのは
「内藤とうがらしクレープ」の看板
売店にて270円(中身はアイス)

春に訪れた時は「桜クレープ」でした

ここでしか味わえない限定にはつい惹かれてしまいます。
最近あにこれのポロムちゃんと変わったアイスのお話で盛り上がっていたので
とうがらし だなんて私、気になります(笑)

迷わず購入!
座れる場所を探して歩いていると
庭園の中央にある3本の巨木に惹かれます。
「ユリノキ」と札がありました。
この庭園でひときわ目を引く存在感。
生命力溢れるその姿は神秘的でパワーをもらえちゃいます。
この木の下のベンチに座って

友人と半分ずつ。
私「んっ、ちょいピリリ…甘~♪」
友人「癖になるかも?」

雨でひんやりとした庭園
涼やかな景色がそこかしこに広がります。

食べたり、休んだり、散歩したりそんな心ほぐれる散策

ゆっくりとした時間の流れで癒してくれます。

いつもと違った時間を過ごせて
何度来ても
また来たくなる場所でした。

~大切な思い出を刻む写真も沢山撮れましたよ~

楽しい1日♪

今回も、覗いてくれた方…
いつもありがとうです…♡
{/netabare}

新【2019年6月22日(土)新宿御苑】
{netabare}
新海監督の新作『天気の子』予告観ました!
美しく繊細な色彩で描かれた空、雲、雨
彩り鮮やかにそしてきらきらと輝く新海ワールド

それを見たら思わず行きたくなってしまったんです…

私が向かったのは、この作品の舞台にもなった新宿御苑。
作中の季節と同じ初夏です。
朝から降り注いだ雨は特有の霞がかったような
空気を作っていました。

雨に濡れた新緑はさらに緑が映えて幻想的
色に深みがました瑞々しい緑の葉
雫をいっぱいに含んだ緑はやっぱり美しい。

ふと目の前の巨木に触れてみた、
森と木の息づかいを肌に感じながら
木と自分の呼吸を合わせる。

心が穏やかになるように感じるの


今日の東京は突然強いザーっと雨が降りましたね。
あちこちに大きな水たまりができてしまうし、
横殴りの雨に行く手を阻まれながらあの場所に
向かうのが本当に大変でした。

そう、そこは二人の秘密の場所、東屋。

言の葉の庭の一番メインの場所なので、
いつも沢山の人で賑わっているのですが、
今日は誰もいないのです。

この特別な空間を独り占めするのは初めてなんです。

主人公たちと同じベンチに座ってみると
特別な気持ちになって心がワクワクしてしまいました♪


その後、園内のあちこちを散策していたら、
水色、紫色、桃色など色とりどりの
かわいらしい紫陽花に出会いました。

咲き始めなのかな…やさしい水色の初々しい花びら。
雨粒の雫がついていてとっても綺麗なんです。

途中にカフェスペースがある
中央休憩所に立ち寄りました。

併設している売店に自然の竹で作ったしおりが並んでいて、
その中に東屋が挿絵になっているしおりを発見しちゃいました
これがなんと『言の葉』のしおりと
名付けられていてとっても嬉しくなりました!

『どうしよう、ちょと欲しいなあ…』なんて


ここのテラスは緑に囲まれた癒しの空間

やさしいママさんの挽きたてのコーヒーが
とても美味しくてホッとあたたまりました♪

季節ならではの花々を楽しめたし、
時々足を運んでしまう理由がいっぱい!
また訪れようと思います。

見て触れて楽しんだ1日の日記ですが
読んでくれた方…ありがとう♡

最後になりますが新海監督の描く新作『天気の子』
息をのむほどに美しい映像に期待が膨らむばかりです。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 183
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

あちらを立てれば、こちらが立たず

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。45分ほどのショートフィルムです。
 新海監督作品は、秒速・星を追う子ども・ほしのこえに続く4作目になります。
 相変わらず背景はきれいなのですが、私の採点基準では、背景は物語評価に影響を与えないので、とりあえず、横に置いておきます。
 結論から言うと、良いところと悪いところが混濁してました。採点してみたら視聴後の印象以上に減点箇所が多い。短編ゆえに、悪いところも目立ってしまいました。

<総論編>

エンディングその後:{netabare}
 エンディングは、やや期待を込めて描かれていましたが、二つの観点からこの恋は実らないのではないのかなぁと思っています。

 一つ目は、未熟さ。
 まずはタカオの未熟さ。高校生という以前に、とても未熟な人物として描かれていたように思います。未熟だからダメということはもちろんないのですが、タカオではこの恋を実らせることが出来ないように思えました。やや感覚的ですかね。人物像は後述にて補完します。
 ユキノの未熟さっていうのも原因に挙がるんですが、こちらも後述。
 未熟な二人だから失恋確定、と言い切るのも少し乱暴ですかね。個人的には結構大きなウエイトを占めているんですけど。まぁ私の感想ということで。

 二つ目は、「行人」。ユキノが読んでいた本ですね。上はおまけでこっちが本命です。ユキノが本をプレゼントするシーンもありますし、、わけもなくこの本を写したと考える方が異常ですので、ちょっとだけその意図を読み取ってみます。で、行人からどのシーンを選ぶかというと、やっぱり雨の描写があるところだと思います。実際に読んでいたシーンは分かりませんけどね。
 「行人」では、主人公のお兄さんが自分のお嫁さんと弟(主人公)の不倫を疑っているわけです。弟は反発しますが、お兄さんはこの二人を、お嫁さんの本音を探るための日帰り旅行に行かせます。その旅行中に突然「嵐」が起こってしまい、仕方なく二人は一泊して帰ることにしました。その後の話は皆さんにお任せします。
 旅行の日に注目すると、「雨」が降って「雨宿り」、そしてそこで起こる「一夜のドラマ」があるわけです。弟と義理のお姉さんの間で恋愛感情はなかったはずですが、義理のお姉さんが心情を吐露するその夜の描写は、悩ましげだったように記憶しています。
 「言の葉の庭」に投影してみると、弟と義理のお姉さんの関係は、タカオとユキノの年齢差や生徒と教師という関係に転換できるように思えるのです。一夜ではなく、ワンシーズンでしたけどね。大雨の日だけをピックアップするなら、「雨宿り」としてユキノの家に行きますし、結構重なります。「行人」と同じように心情を吐露するのだけれど、やっぱり恋愛には至らないのかな、と思いました。

 アイテムを使ったエンディングの示唆というのは、良かったと思います。もう1冊本が出てくるのですが、こちらは確認できずでした。何かあるのかもしれませんが、確認できないレベルなので重要度は下がると思います。{/netabare}

タカオ:{netabare}
 母親が家に居着いていないせいか、母親に執着しているんですよね。靴職人の夢も母親が発端ですし、少年期から引きずっているというのはなかなか際どい感じがあります。母親に関するセリフからは親離れしてそうですが、行動は執着している、と言動に不一致が見られるわけです。そしてそれが無自覚だというのもなかなか…。

 この執着が恋愛に形を変えて母親からユキノに移るわけですが、タカオはユキノに神秘性を見ていたと思うのですよ。謎めいた女性、ミステリアスなどと言ってもいいです。それに輪をかけているのが万葉の歌ですね。分からないものを知りたくなる感覚は、お兄さんとの会話からも窺えます

 バイトや靴作りを通して夢に打ち込む姿も描かれていますが、これは母親とユキノに執着した上での現実逃避に見えました。成績が悪かったり、ケンカしたり。短歌のことをお兄さんには聞けるけど、学校の先生には聞けなかったり。夢に打ち込みたいなら学校を辞めれば済むだけなのに、無駄と言いながら通い続ける。

 マザコンとまで言い切るつもりもないですけど、十分な社会性や行動力はないですね。高校生っぽいと言えばそうなんですが、年上の社会人女性を捕まえられるほどのバイタリティは感じられません。未熟な人だと思います。お兄さんに靴をあげていたら印象も少しは変わったんですけどね。{/netabare}

ユキノ:{netabare}
 未熟な夢追い人タカオに対して、こちらは現実的な未熟な人といった感じです。なんだか良い人に描かれているようにも見えるのですが、描写を拾っていくと必ずしもそうとも思えませんよね。

 ユキノが元彼に電話をしていたタイミングは夜でした。元彼でも同僚なら、緊急でない業務連絡は普通昼間に入れると思うんですよ。それなのにユキノは夜に電話している。別の女性の存在を知らなかったとしても、わざわざ夜に業務連絡をしている時点で、精神的な甘えがあったと思います。つまり、他人への依存度が高い人というイメージ。高校生のタカオにも依存が見えます。

 ユキノに起こった学校でのトラブルっていうのは、虚言によるものなので、確かに非はないんですけどね。教員間の恋愛発覚が騒がれていたなら、つまり、自分が直接的な当事者だったら、非がなくとも被害者面はしていられなかったと思います。彼女の逃避はいくつか描かれていますが、社会性としては薄氷を踏むものだと感じました。精神的なショックを受けるなというのも酷な話なので、そうは言いませんが、一般的な社会人と比べるに、彼女は十分に未熟だと思います。そもそも彼女に十分な社会性が備わっていたら、自分の学校の生徒に思わせぶりな態度を取ることなく、恋愛には発展しなかったわけですし。というわけで、ユキノはタカオよりは社会に生きているけど、まだまだ未熟な人だなと思いました。未熟だからこそかわいく見えるのかもしれませんけどね。

 ちょっと話は変わりますが、食事はユキノの心理状態を表すアイテムとして上手く機能していたと思います。タカオが家を出る前のシーンでは、コーヒーを飲んで伏し目になっていました。。他の映画なら「一息ついて」と形容したくなるところですが、味覚障害を踏まえると「味がしなくて」ということなのでしょうね。{/netabare}


<各論編>
 良かったところも悪かったところも適当に書いていきます。

タカオとユキノの出会い:{netabare}
 出会いのシーンは良かったです。二人とも動きが止まるんですが、動き出しのタイミングがほぼ一致していました。この二人の親和性が、これからドラマが始まるな、という期待感を増してくれました。ほんとはピッタリ一致してると良かったんですけどね。でも、わざとずらしたのかもしれないとも思っています。バッドエンドの布石としてですね。{/netabare}

ユキノの元彼の部屋にいた人:{netabare}
 最有力は、元彼の部屋にいた人が結婚相手で、ユキノが不倫していたというパターン。こちらは結構妥当性があります。飲酒禁止の看板が出てきますが、ユキノはビールを飲んでいます。これはルールの枠の外にいる人物という表現で、不倫と一致するんですね。
 次点で、結婚相手ではなく新恋人のパターン。現実的には自然ですし、行人を踏まえても不倫はなかったと考えることが出来ます。ただ、こちらだと飲酒禁止の看板が何の意味があったか分からなくなりますよね。味覚障害はそもそもビールとチョコレートの組み合わせが必須というわけではないですし、禁止されているところでビールを飲んでいる理由にはなりません。つまり、飲酒禁止とビールという二つのアイテムが浮いてしまうんです。

 いずれにしろ、前者か後者かで描写力への評価が180度変わります。前者なら良いで後者は悪い。
 看板が出てくるのは、オープニングと、ケンカの後のオープニングをなぞったシーンです。つまり、物語の節目となる重要なシーンで2回です。この看板がユキノの人物描写に影響しないとなると、ただあったからそのまま描いただけとなってしまい、描写力としては疑問が残ります。元彼はともかく、その相手というのは、テーマにも世界観にも大した影響を与えませんから、含みを持たせる意味なんて皆無です。味覚障害に関連するビールの方がよほど重要ですよね。元彼に結婚指輪の有無を描いておけば解決する程度の問題なのに、それを描かなかった。
 解釈に幅を持たせたというよりは、描き忘れたような印象を持ってしまいました。結論は分かりませんが、不満だけが残りました。{/netabare}

違和感のある描写:{netabare}
 気持ち悪い描写がいくつかありますよね。
 一つ目は、靴を脱いで素足をさらすところ。夏の?雨の日に?靴を脱いで?他人に触らせる???まったく意味が分かりませんね。触らせる方も触る方も気持ち悪いです。この作品における性的な表現ですからなおさら気を使って欲しかったです。

 二つ目は、ユキノの家のシーン。制服が濡れてしまったタカオは私服を着てますよね。誰の?他人の?まさか元彼の???意味不明です。着る方も着せる方もどうかしてます。
 それとも、ユキノの服のサイズがたまたま合った?ズボンも?あの雨でシャツだけ濡れてズボンは濡れていなかった?好きな人の服を着れて幸せ…?もう何が何やら。

 三つ目は、気持ち悪いのじゃなくて謎の描写。料理ができないユキノが、難易度の高い男性用シャツのアイロンがけをしていました。家事に対する一貫性のない描写がリサーチ不足を感じました。アイロンかけたけど下手でしたって描写も欲しかったかな。乾いてないはこれの表現じゃないしね。
 ストーリーに直接影響はしないかもしれませんが、観察力には欠けていましたね。{/netabare}

<総評>

 独白から始まって、主体が移っていったタイミングで、「まさか秒速と同じ構成?」と不安になりましたが、結果論から言えばその心配は不要でした。きちんと構成はアレンジしてきています。ただ、細部の描写力に不満が残るのは相変わらずでした。テーマも歩き始める人を描くのに靴職人ですからね。正直安易すぎて驚きを隠せません。

 全体的には分かるんだけど、細部に不満という意味では、ほしのこえと同じです。でも、ほしのこえとは大きく違うところがあります。ほしのこえは、ごっそりそぎ落とされたメッセージがあって、それが物語に厚みを加えていました。言の葉では、結構説明しているためにその辺の厚みはなくなったように思います。つまり、全体観が弱まっている。万葉の歌とか行人とか、一部のアイテムは機能していますが、機能していないアイテムや謎の描写も結構多い。雨の技術力は上昇していたと思いましたが、表現力としては減退していたように思えました。

 独白にも困りました。独白で解説するのではなく、映像で表現してほしいですね。このレビューでは人物像に触れていますが、セリフではなく、描写から拾っても十分解釈できるレベルにあると思います。新海監督の人物描写は以前より良くなっていました。でも、そこに過去の作品と同じ独白が入るから蛇足っぽく見えるんですね。人物描写の精度が上がってきているのならば、独白は捨ててもいいのではないでしょうか。心情を描く作品で、独白による心情垂れ流しというのはあまり評価できません。

 ただ、独白を機能させる方向性というのも確かにあるんです。タカオの独白、つまりタカオが見るユキノ像と現実のユキノのギャップを見せている可能性ですね。かわいいユキノに反して、ユキノの部屋は汚かったですしね。ただ、この作品はユキノの説明は厚いんです。汚い部屋もユキノの人物像そのものではなく、精神疾患につながります。消したメッセージを探すための対比の片割れが見えてこない。そのせいで独白の機能が中途半端になって、ちぐはぐ感が出ていました。

 山場はちょっと笑ってしまいました。私の好きな描き方ではないですが、好みに合わないというだけで表現として否定するものではないですね。減点はしていません。

 星を追う子どものレビューで、他の監督作品をオマージュするほどの力量はないというようなことを書いたと思います。この作品では、人物描写は向上してましたが、一つの作品の完成度としてみるとまだまだだったかなと思います。そもそも短編にもかかわらず、突っ込みどころのあるシーンが多すぎました。

対象年齢等:
 思春期以上ですかね。心情部分で気に入る人は多いかもしれません。感情で作品が見れる人は楽しめると思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 24

82.0 4 美しいで恋愛なアニメランキング4位
やがて君になる(TVアニメ動画)

2018年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (676)
2492人が棚に入れました
人に恋する気持ちがわからず悩みを抱える小糸侑は、中学卒業の時に仲の良い男子に告白された返事をできずにいた。そんな折に出会った生徒会役員の七海燈子は、誰に告白されても相手のことを好きになれないという。燈子に共感を覚えた侑は自分の悩みを打ち明けるが、逆に燈子から思わぬ言葉を告げられる──。「私、君のこと好きになりそう」

声優・キャラクター
高田憂希、寿美菜子、茅野愛衣、市川太一、野上翔、寺崎裕香、小原好美、中原麻衣、森なな子、小松未可子
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

真面目な百合アニメ、、、いや、青春群像劇かな。

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
これまで観た百合アニメでは、トップレベルに面白かったです。

私は基本的には「ほら~。女の子同士がいちゃいちゃしてるなんて萌えるだろ~」みたいな百合モノは苦手なんですが、本作は、心理描写がメインであったこともあり、そういう部分で楽しめました。

逆に言えば、ライトなノリの微百合モノや、エロ系の百合モノが好きな方には、あまり合わないかもしれませんね。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
百合というより、同性愛。

それに対して、かなり真面目に描いていると思う。

ただ、そういう「同性愛」という部分とは別の、「闇(病み)」「歪み」がそれぞれのキャラにあって、独特の魅力があった。

侑は「誰も好きになれない」。七海は「誰にも好かれたくない」。槙は「他人の恋路を楽しむ」。紗弥加だけがシンプルに「同性愛の悩み」。

彼ら彼女らは、それぞれが主人公に成り得るだけの魅力が、深みがあるキャラクターだった。だから、本作は青春群像劇なんだと思う。恋愛の悩みの裏にあるのは、アイデンティティの確立。まだ「何者かになりかけている」彼ら彼女らだからこその、輝き。

原作者は百合作品を描く理由として、(Wikiから引用)「{netabare}人を好きになる気持ちがあまりにも当たり前で説明不要なものとして描かれている作品を自然に受け入れられなかったが、同性愛を題材とした恋愛作品には、相手を好きになる理由や葛藤、あるいは理屈をねじ伏せてしまうような強い関係性が描かれていることが多く惹かれていった。{/netabare}」と述べている。

世の中にある大半の作品は、「人は恋愛するもの」「恋愛は正義」という前提に立ち、「どう恋愛するか」「誰と恋愛するか」を中心に描くが、本作は「そもそも恋愛する必要があるのか」という根底部分からの問題提起をしている。この点は特に面白く、本作がただの百合萌えアニメと一線を画している最たる点だろう。

そんな「自分を確立できていない」登場人物達の中でも、アニメで描かれた範囲では七海が魅力的だった。

自分のことが嫌いだから、そんな自分を好きになる相手のことは嫌いになる。でも、自分のことは誰かにさらけ出したい。さらけ出して嫌われたら嫌だし、さらけ出したして好きならたら、それも嫌。

つまり、もし自分のことが好きになれたら、自分を好きになる相手のことも好きになれる。メンドクサイながらも、可愛い女の子。

完璧な姉に憧れ、そんな姉が死に、家族や周囲は沈み、だから姉自身になろうとした。

このあと、七海はどうなるのだろうか? 死者(姉)は成長しない。生者(七海)は成長し続ける。だから、いつか必ず姉に追い付き、追い越さなければならない日がある。その時、初めて七海は「君」になる。つまり、これはある種の「姉殺し」の物語である。

物語は、かなり良いところ(中途半端)で終わる。最後、生徒会劇までやらないのは意外だった。普通なら「放り投げるなよ」と評価を下げたくなるところだけど、本作に関しては「これもアリ」だと思った。

原作連載中のアニメのラストは主に3パターンで、Aアニオリにして完結。B俺達の闘いは続く。Cキリの良いところでキッチリ終わらせる。

Aはうまくいけば好評、下手すれば大バッシング。Bは大抵叩かれる。Cは一番良いが、尺の問題で毎回できる訳じゃない。

本作はBの俺たたエンドだと思うけど、なぜ腹が立たないかというと、①繊細なテーマだけに、下手にいじってほしくない。②最終話までに丁寧に心理描写を重ねてきたから、十分に行間を読める(満足できる)。③最終話の気合いの入った作画や美しい挿入歌といった演出が見事で、単なる日常回にある程度のカタルシスを持たせたアニメスタッフの手腕。 などが、重なったからだと思う。単純に2期を観たいし、2期やらんなら原作読みたい。良いラストだった。
{/netabare}

【視聴終了(要約バージョン小盛りレビュー)】
{netabare}
本作は百合アニメだが、登場人物達は同性愛以外にも悩みを抱えており、同性愛の要素を除いたとしてもなお、魅力があるキャラクター達だった。特に七海はメンドクサイながらも可愛い良ヒロイン。

本作の凄さは「そもそも恋愛ってする必要あるの?」という根底からの問題提起。そして、ある種の「姉殺し」とも言える成長ストーリー。

ラストも深みがある「俺たたエンド」で、2期が楽しみになった。
{/netabare}

【余談~優秀な兄、姉に持つ気持ちの、性差?~】
{netabare}
七海が、「姉になりたい」と言った時、「きっと作者は女性なんだな」と思いました(勿論、他にも女性らしい視点は多々ありましたが)。

私にも優秀な兄がいるので、七海の気持ちは半分理解できます。確かに兄には憧れましたが、どちらかとライバルで、追い越すべき存在でした。これが10歳も違えばただの憧れだけど、1~3歳なら、下手すりゃ勝てるしね。けれど、特に小学生くらいの数年間って、スポーツにしろ勉強にしろ遊びにしろ、絶望的な差があって。周りからは「兄貴と同じ年になったら勝てる」と言われたけど、それじゃあ嫌で。あくまで、「今、対等な条件で」勝ちたかった。それが、男兄弟の一般的な感覚だと思います(多分)。

だから、「姉になりたい(同化)」という欲求は、共感はできないけど、なんか、「女性っぽい」と思いました。女性って、お揃いとか女優が使ってるコスメとか、好きだしね(多分)。

と、ここまで書いて、原作者が男性だったらどうしよう。まあ、だったら「女心が分かる素敵な男性」ということで(笑)
{/netabare}

【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目 ☆2
侑の視点(オウンビュー)が多用されるってことは、侑に感情移入しながら観てほしいってことかな? これは男子君、可哀想だな~。普通にいけるって思っちゃうよな。てか、これでありがとうって、この男子君、人間出来すぎだよな。百合なんだな~。完走できるかな?

2話目 ☆3
沙弥香さん、完全に嫉妬闇落ち要員くさい(笑) ここでキスかあ。意外と展開早いな。侑の性格というか、性根が独特ですね。

3話目 ☆3
アカリの方がちゃんと恋愛っぽい。七海がやけに可愛らしく迫ってくるし、侑の塩対応が男前だな。その演説は、、、悪目立ちしないか(苦笑)

4話目 ☆4
剣道やろうよ(笑) この学校の生徒会役員は、会長の任命なんだな。台本に七海がいたな~。七海はいつも発情してるな~。ソッコーで見られてますやん(笑) 槙くん、実は腹黒い? 槙くん、攻めるな~(笑) 槙くん、サイコパスやな~。

5話目 ☆3
小説で、ひと波瀾? ウチくる? 七海が完全に負けてるな。

6話目 ☆3
ついに、沙弥香の怖さが表に出てきた。なんかこう、難しいな。歪んでる感じだな、お互いに。

7話目 ☆4
沙弥香さんはガチだからな~。現文なんて、やることない、確かに(笑) 歪んでるな~。大人の百合カップルだな~。LGBTのことに、(多分)真面目に踏み込んでいる感じがなんか良いね。

8話目 ☆3
これ、本当に「今」となっては、なんだろうな。紗弥加さんの、怖さよ。七海がまた、怖いな、やっぱり。

9話目 ☆3
喫茶店のお姉さん、素敵だな。あれ? 惚れた?

10話目 ☆3
嫌われない一番の方法は、好かれないことかな。私も遊びでいくつか書いたことあるけど、わりと難しいよね。「なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き」って感じかな。

11話目 ☆4
着替えのシーンが、やけにリアル(いや知らんが)w 姉さん、全然タイプ違うんだな。姉になりたい少女が頑張った結果、似てないとか、酷い話だよな。

12話目 ☆4
この脚本、うまく出来すぎだよな(苦笑) かなりすごく甘えちゃう。これ、男と女なら、批判されてるのかな?

13話目 ☆4
水の表現、良いね。お、踏み込んだ。電車の隙間から景色見えるところとか、めちゃリアル。レズビアンやバイセクシャルじゃなく、女性と付き合うという立ち位置なわけね。劇で終わらせず、放り投げたな。原作連載中で、アニオリラストにするより、行間を読めってことか。タイトル、「やがて君になる」じゃないんだ。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 53
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

それでも、向き合っていくんだ

高校1年生の小糸 侑が、好きという感情に向き合う作品。
{netabare}
本作は百合作品です。それは作品が七海 燈子という人物に、主人公へ告白させたから。
ですが、同時に、本作は百合というジャンルの中にありながら、恋愛対象への「好き」という感情を解き明かしていくことがテーマになっていると感じました。

それは小糸侑という少女が、高校1年生で人を好きになるという感情が「わからない」としたからです。

1話の例を出せば、侑は、卒業式に中学生時代の男子に告白されていた状態から始まります。高校生活が始まっても、彼への返事を出せずにいました。
さて、1話の内容そのまま書いてしまいそうなので、詳細は省きますが、
要は、侑にとって、男性に告白されようが、同性に告白されようが、彼女は好きがわからない、
もしくは、侑いわく、少女マンガやドラマみたいな、きらきらしたものがないと、感じているのです。

彼女にとって、きらきらと、好きと言ってきた相手に感じてしまう心こそが、彼女のイメージしてきた、「好き」なんですが、
現実ではそんな事はなかったことが、彼女の疑問を生むことになります。

また、「好き」というテーマを、燈子という、同性愛の視点から、男女の垣根を越えたテーマとして、扱ってしまっています。
燈子という、「好き」がわかってしまった側の侑へのアプローチによって、侑はどう「好き」を考えていくか?

「好き」を考えることと、燈子を好きになるかは別の事です。
これが好きってことなんだと、燈子の行動をみてわかったと感じるのではなく、
彼女の疑問の初期衝動、好きといわれた人に、その時にきらきらを感じない。その感情を大事にして欲しいなと思い、期待してみさせていただきます。

PS.百合作品はあまり好きではないので、燈子が侑に何かするたび、これは、
友人のやり取りとしてなのか、それとも思い人へのやり取りとして、正しいのか、
困惑しつつ、セーフ、アウト・・・セウトな感じで見ています。

【恋に恋して、人に恋せず】
{netabare}
どこかで侑の気持ちにわかるところがあるなあ、と感じていたんですよね。
彼女、恋に恋してたんですよ(と解釈してみました(我ながらチキンな))。
中学生までの侑は、恋愛に対し、素敵な理想を描いていたのでしょう。
「結婚したいなあ~」という言葉は必要に駆られてる面がありますが、
「恋愛したいなあ~」という言葉は心を満たすものを求めているんじゃないかな。(侑が言ったわけではないので、あしからず)

心が満たされるもの、それって自分の満足感のためにあって、お相手がいない。
恋愛をすれば満たされると思っていた、中学生時代の侑はお相手と関係をつくる事は考えていなかった。

それが、男子に告白されて、恋愛というものが、お相手がいて、自分がお相手をどう思うかがあって、自然とだれかに与えられるものじゃないと気付いた。
そう考えると、かなり身近な事で侑は悩んでいるのかもしれないと思えますね。

{/netabare}



{/netabare}


【2話以降から11話付近までの話】
{netabare}
やはり最初にえ?と来たのは、七海さんによる「好き」の再定義の回からかなあ。
「好き」が暴力的だとしているのに小糸に「好き」を使う七海。つまり、作り手も七海も、暴力的自覚を持ちつつ「好き」を小糸になげかけていること。
作品内での個人の言葉の再定義という、七海の性格の歪みの演出がエグい。そして好きをあえて使う七海がさらにきつい。七海を支配しているのは優しさではなく、暴力的な愛と捉えました。

それに対比するかのように、小糸の七海への感情は優しい。七海が小糸を、優しいと言うのは、ある種
正しいと思います。
七海が嫌がるから、七海に好きと言わない小糸。七海の中では暴力的な言葉で、それを使わない小糸は、確かに暴力的ではないわけです。
その定義を当てはめて見ていくと、小糸は七海を好きになっていくにつれ、暴力的にみえるわけです。
でも、この描写、自分ルールを自分の好きな人、もしくは自分が好きな人におしつけている(特に、小糸が七海の事を軽く好きといっただけで、態度をこわばらせたシーン)ので、七海が自己中、暴力的なことから、好きになれないんですよね。
そういう演出なんだけどね!
そんな暴力的な七海を、小糸が好きになっていくのを見て、小糸が暴力側におちていくようで、見ているのがつらいんですよね。
七海はゆうの優しさを利用しないでよね!プンプン


そして、七海が誰にも譲れないと考えていた、お姉さんになるという思想。この考え方はもう真っ向から嫌いだったのですが、かわいそうともとれます。
七海という人が生徒会活動を通して、どう変わっていくか、それもこの作品の楽しみです。
七海の姉の人物像が揺らぐストーリーが来たとき、やっぱ作り手も全て考えた上だったんだなあと、安堵しました。
{/netabare}


まとめ【12話感想含む】
{netabare}
侑があのスタンスの強い姿を見せることがこの作品のラストであるのは実に良かったと思います。

人物を最終的に整理すると、
見せ掛けの姿が強く、内面が弱い燈子。他人になろうとするのも、好きを侑に言うのも、弱いから。燈子が他人になろうとするという思想を打ち砕く侑という構図にしたことでおのずと作品のメッセージがわかると思います。

好きな人の心の中に自分を置こうとしなかった沙弥香の、性格のささやかな変化。嫉妬心などの醜さを内包しつつ、ささやかな燈子との進展で喜びを感じる描写で少女性をギャップで強調したのかな。

誰も好きになれないと思っていた侑を第三者(槙)的目線で見たときの変化。誰かを好きになることが無い槙君が普通じゃない側の人間として侑がもう好きを知っていると判断した事からも、侑は普通の子であり、侑の好きは普通の恋心を描こうとしていたと思います。
侑と沙弥香で、燈子のすることに対して、否定と肯定によって二人の性格の明確な差別化がされました。また、好きであるから生まれる欲求の差、相手に幸せな方向に代わってほしいと思う侑と、相手のすることを許容し、相手に受け入れられたいと思う沙弥香、燈子が好きであるのは変わらないのに、欲求や行動のベクトルが違う事がはっきりと出ていて、キャラ立ちという意味でよかったと思います。
侑に関しては、最初のきらきらとした恋愛に対する憧れを失っていないような終わり方だったのでそれはよかったと思います。燈子の好きに始まる恋愛に対する考えが、自分を守ったり利益を得るための自分勝手なもので在るとするならば(同時に、相手の変化を許さない事まで含んでいる)、侑の恋愛像はその逆であり、相手に変化を求める最終回はまさに二人の恋愛観が対立しうるものであることを表現していたと感じています。


{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 51
ネタバレ

oneandonly さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

特別への欲求たる青春を百合で描いた作品

世界観:6
ストーリー:8
リアリティ:7
キャラクター:8
情感:7
合計:36

<あらすじ>
人に恋する気持ちがわからず悩みを抱える小糸侑は、
中学卒業の時に仲の良い男子に告白された返事をできずにいた。
そんな折に出会った生徒会役員の七海燈子は、誰に告白されても相手のことを好きになれないという。
燈子に共感を覚えた侑は自分の悩みを打ち明けるが、逆に燈子から思わぬ言葉を告げられる──
「私、君のこと好きになりそう」
(公式サイトより)

今期はシーズン中の作品を、評価が高い噂があるものを積極的に視聴する試みをしており、7話までの時点で引っかかったので視聴を開始した経緯です。
(前情報では百合物(しかもガチなやつ)といったものであり、一般受けはしないだろうに、それでも評価されているようだということで興味がわきました)

先に結論から言うと、とても面白かったです。
私は恋愛物自体あまり得意ではないので、そこにもハードルがあったと思うのですが、それを乗り越えてきました。

{netabare}1話では、主人公の侑が生徒会の手伝いをすることになった経緯で、たまたま、自分と同じく恋愛の感覚がわからないという先輩の燈子に、自分が回答できていない告白の答え(お断り)について相談して、その場で相手に電話することになり、その直後に燈子から「好きになりそう」と告白されるというやや唐突な話で、よくわからない状態のまま、続く2話でキスもしてしまうという展開はとっつきにくく、{/netabare}1話か2話で切ってしまった人もいるのではないかと推測されます。

この、燈子が恋をした理由というのは後ほど説明もできるものとなるのですが、それはそれとして、続く3話あたりまで見ると、この作品の美しさであったりユーモアであったり、私の重視する心情描写やリアリティが結構しっかりしているので継続視聴する気になりました。

キャラデザは正直、そんなに魅力を感じていません(途中、数話で作画崩壊しないか心配になりましたし)。しかし、多くの場面では綺麗に描けていますし、目や表情を多用した心情描写があり、違和感はなくなりました。背景作画は今期の作品の中で上位ではないでしょうか。キャラデザについて、原作者及び原作ファンのために徹したように感じられたのが、(私は原作を知らないので、ネットの画像検索でいくつか見ただけですが)嬉しく思えました。

作画崩壊してしまったりすれば、原作者はもう絶対アニメ化したくない程トラウマになりそうですし、ファンも悲しいですからね。

良かったのは恋愛の機微の部分。{netabare}私は3,6,7,12話を優良回と評価していますが、このあたりは素晴らしかったです。何というか、恋愛の対象は異性である必要があったのだろうかとか、人生のパートナーに選ぶべき、気心が知れて、信頼ができる人物が同性であった場合、その関係を否定するほうが難しいように思いました(もちろん、生物学的に二人の子供ができないという面はありますが)。

学生間の恋愛をテーマとしてリアリティのある綿密なものを作ろうとすると、男性は若すぎてしまうんだろうなとか、精神的な繋がりを求める関係を純化すると、女性カップルというのが自然なんだろうなとか思います。

本作を見て気づいたこととしては、世のアニメの多数は二十にもならない学生を主人公にしていて、その世代の価値観(青春)を描くとすれば、普遍的なテーマのひとつになるのが「特別になること」だと思います(今後、私は「特別欲求」と言おうと思います(笑))。自分が好きな人の特別になること(⇒恋愛)、自分が友達や誰かの特別になること(⇒親友や承認)、自分がなりたい自分になること(⇒自我、自尊心)、自分がやりたいことで自立すること(⇒進路、専門分野での成功)といったように。

6話で燈子が侑の言葉に折れず、「死んでもそんなこと言われたくない」と突っぱねるシーンがあって、個人的に好きなシーンです。燈子には恋愛だけではない、特別欲求があって当然なのです。そして、人物描写としても、燈子はその特別な自分を認められることで、自分を支えている人間だということも見えてきます(人間には、譲れない物があったりします)。

続く7話では、侑と燈子の関係を快く思っていないように見えた沙弥香の回で、彼女の境遇と心情描写が加わることで、大幅に深みが増しました。本作は伏線的なカットや、巧みな心情描写が多く用いられており、このあたりではストーリー評価が9点にまで上がっていました。

情感面。泣ける作品はそれだけでも評価を上げる要素になりますが、化学調味料による泣きではない、なぜ泣いているのか説明がうまくできない涙が流れる作品のほうが好みです。本作は様々な演出が幾重になっていることによるためか、特に泣かせようとしているように見えないシーンでも涙腺を刺激されることがあり、充実感も大きかったです。(これが「尊さ」なのか?)

9話、11話で作画が危うくなって声が浮いているように感じたところがあったり、物語が若干停滞したことで少し評価が下げてしまいましたが、{/netabare}7話時点で今期の覇権だと思ったほど、見応えのある良作でした。

OPも物語の進展につれて良くなり、しばらくはYoutubeで聴いていましたが、その後、デジタル音源を購入しています。

ということで、恋愛物の苦手な私にしては高評価です。百合が苦手な方も、リズ青が好きな人はストライクゾーンに入る可能性が高いと思いますし、3話までは続けて視聴し、判断していただくのが吉かと思います。

<2018.12.30追記>
今期の上位作品を比較してみたところ、やはりこの作品だと思ったので評価を微修正させていただきました。

(参考評価推移:3話4.1→6話4.3→7話4.5→9話4.3→11話4.2→12話4.3→13話4.2→調整4.3)
(視聴2018.10~12)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 36

81.5 5 美しいで恋愛なアニメランキング5位
恋は雨上がりのように(TVアニメ動画)

2018年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (717)
3187人が棚に入れました
ある事件がきっかけで走ることを諦めた元陸上部エースの女子高生・橘あきらと、彼女のバイト先のファミレス店長であるさえない45歳男性・近藤正己の恋物語が描かれる。

声優・キャラクター
渡部紗弓、平田広明、宮島えみ、福原遥
ネタバレ

ostrich さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

恋はことの始まり

「女子高生が中年男性に恋心を抱く」という程度のあらすじだけ流し読みしてから視聴した。

■近藤店長の造形

あらすじを読んだ際、もっとも気になったのは中年(近藤店長)のキャラクターデザインだった。こういう物語は中年がイケメンじゃ絶対にだめだが、最低限、「女性に惚れられる可能性はある」程度の容姿でもなければならない。どういうバランスなのかという関心を持って臨んだのだけど、なるほど後藤隊長(機動警察パトレイバー)か。

もちろん、たまたま本作とデザインが似通った可能性も否定できないが、原作者の年齢的にパトレイバーはギリ引っかかる。加えて後藤隊長は近藤店長とデザインだけでなく、職場での立ち位置や二面性を持ったキャラクター像も似通っているので、ほぼほぼ、元ネタだと思う。

話は若干それるが、私は小学生のころ、パトレイバーに熱中していて、後藤隊長は一番好きなキャラクターだった。私は後藤隊長と同性(つまり男性)なので、彼のキャラクター像は自分が大人になった時の理想像のようなものになったのだが(そして、ある面においてはその通りになってしまったのだが)、異性(女性)からみた場合、恋愛の対象になるのかもしれない。なお、ご存知の方も多いと思うが、原作者は女性だ。

私が小学生のころはパトレイバーを観ている女子なんて周囲にいなかったが、どこかにはいたのだろうし、今でもいるだろう。原作者もそういう女子の一人で、私とは違うベクトルだが、同じキャラクターに魅力を感じていたんじゃないかと想像し、視聴のかなり早い段階から親近感を覚えた。

■自分との約束

パトレイバーあたりを引き合いに出せば、最早、明白なことだが、私自身は近藤店長に親近感を覚える年齢で、それゆえ、彼の諦観や閉塞感は息苦しいほど身近に感じる。特に、「寝かせたままの自分との約束」という言葉は非常に重かった。私にもそういうものは確かにある。

だから、 {netabare}本作が物語の進行とともにそちらのテーマに向かっていったのは、私としては非常にありがたかった。ていうか、すべての「寝かせた約束」を持つ中年を代表して言わせてもらえば、こんなことを描いた挙句、そこに決着をつけずに女子高生とイチャイチャして終わらせ{/netabare}たら、マジ許さん。

われわれ(前述の特定の中年)は生きていくために{netabare}「約束を寝かせている」わけだが、時間の経過とともに自力で「約束を起こす」ことが困難になるし、だからと言って、そこを他人に触れられるのも困る、{/netabare}という状態にある。
だが、本作は{netabare}「約束」に触れてくる。そういう意味では主人公あきらは作品そのものだ。グイグイ来られるのは困るが、だからと言って、拒むこともまた難しい。
私には作中、近藤店長があきらを拒めない理由がよくわかる。それは彼女が女子高生で美人だからとかそんな理由では断じてない。彼の中で「約束」が死んでいないからだ。彼女に触れると「約束」が蠢くからだ。{/netabare}

本作は、正直なところ、原作ものの宿命か、すべてのキャラクターが掘り下げられて、決着がつくシナリオにはなっていない。
でも、少なくとも私にとってもっとも肝要なテーマはきっちり描いて決着をつけてくれた。おじさんは安心したよ。{netabare}私の「約束」が蠢いてちょっと困ってもいるが。{/netabare}

■恋愛

映画評論家の町山智浩さんが「本当に恋愛映画と呼べるのは『恋愛について』の映画だ」というようなことを言っていた。加えて、イケメン男女がイチャイチャするだけの映画は「恋愛ポルノ」だ、とも言っている。

で、本作がどちらに該当するかといえば間違いなく「恋愛映画」だろう。もちろん、映画じゃないから「恋愛アニメ」ということになるが、呼び方はどうでもいい。「恋愛について」の作品であることが肝心なことだ。

本作は当然、恋愛的な状況を何度か描くけれど、かなり控えめ、かつ、店長とあきらには一定の距離感があって、多少の間合いの変化はあるが、{netabare}最後まで消えることはない。何しろ、店長からあきらに何かを持ちかけることはほとんどないのだ。{/netabare}

しかし、主人公2人の中では大きな変化が起きている。この変化が性別と年齢差を超えて相似しており、{netabare}2人とも恋愛を通じて「寝かせていた約束」が蠢き、結果、店長は小説、あきらは陸上に向き合いなおすことになる。
そして、2人は同じ変化を共有した強い「点」で結びつくことになるが、おそらく物理的には離れていくことが{/netabare}暗示されて物語が終わる。

この点の関係を何と呼べばいいのかよくわからないが、私の感覚でいえば、「戦友」が最も近い。語義的にはおかしい部分もあるとは思うが、いわゆる「友達」では括れない、人生の大きな変化や特異な状況を共有したが、今は離れている存在という意味で当たらずとも遠からずかな、とも思う。そういう人は私にも何人かいる。

さて、2人は恋愛を通じて{netabare}変化して、最後は「戦友」{/netabare}になった。

これは恋愛の一つの側面を端的に描いている。恋愛は人を動かし、変化をもたらすものなのだ。たとえば、その帰結として、恋人になり、結婚して家庭を持ったりすることもあるだろう。いわゆる「成就」と呼ばれるものだが、しかし、それらは恋愛がもたらす結果のいくつかに過ぎない。本作のように{netabare}「成就」せずとも、「寝かせていた約束」と向き合うことになったり、「戦友」を得ることもある。{/netabare}
そして、それらの結果よりも肝心なのは、先に書いたとおり、恋愛により衝動と衝突が生まれ、動きが生まれることだ。

主人公2人が出会う前、{netabare}彼らは閉塞的な状況にあった。あきらは怪我により陸上を奪われ淡々とした学校生活を送っていたし、店長は小説家になる夢のために家庭を失い、長く小説をまともに書くことができずにいた。

それがファミレスでの出会いで生じたあきらの恋心によって動き出す。
出会いのシーンの手品が象徴している。恋はマジック。
動かないと思っていたものが、あら不思議、動き出す。
あるいは、雨上がりの晴天のように人を内から外へ突き動かす。{/netabare}

もちろん、恋愛の結果としてひどく傷つくこともあるし、作中のあきらのように{netabare}胸が苦しい{/netabare}こともある。でも、どんな結果になろうとも、動くこと、動けること、それ自体がとても貴重なことなのだ。私は店長寄りなのでよくわかるが、どうしたって、年齢を重ねるごとに動機や衝動を失っていく。
{netabare}そこに衝動を持ったあきらがぶつかって、店長も動き出す。{/netabare}
私自身は正直なところ、恋愛とかもう面倒だなあ、と思ってはいるのだが、それでも、店長の状況はちょっとうらやましいとも思った。
これまた、相手が女子高生だからでも美人だからでもない。自分を突き動かしてくれる、変化をもたらしてくれる存在がいることがうらやましい、ということだ。
もっとも、そういう相手は恋愛じゃなくても存在しうるとは思うけど、恋愛のマジックは強力だから。

もしかしたら、人がいくつになっても、程度の差こそあれ、恋愛を(あるいは恋愛をしていた時代を)忘れないのは、それが何かが動き出す始点だってことを知っているからかもしれない。

本作はこういったことを考えさせてくれる作品で、「ポルノ」じゃない。「恋愛について」の作品だ。


■年齢差

あらすじを読んだときに、ちょっとコメディタッチなのかな、と思った。
年齢に限らないけれど、立場や性別など様々な「差」を使ったコメディは多い。

実際は、たしかに多少、コメディっぽい部分もあるけれど、そこは添え物みたいなもので、年齢差は上記の「恋愛について」の諸々をより明示的に描くために活かされていたと思う。

本作を端的にいえば、{netabare}時間の重みで動けなくなったおじさんと、怪我によって動けない(走れない)女子高生が出会うことで、2人が動き、変化していく{/netabare}物語ということになるのだけれど、実はこの話は「おじさんとおばさん」でも、高校生同士でも全然成立する。
ていうか、恋愛物は一言で言ってしまえば「誰かと誰かが出会って恋をして変化する」フォーマットになるので、それだけに登場人物の設定と関係性にいかに特色を出すかが肝になる。

本作は年齢差を設けることで、{netabare}年齢とは反対に女子高生がけん引役になったり、年齢通り子弟的な関係になったりする状況を生み出していて、もちろん、これらは大きな魅力になってはいるけれど、最終的に2人は「約束を果たす」ことを誓い合った「戦友」として、同列になっている。少し乱暴かもしれないが、「恋愛(と、それがもたらすもの)には年齢差はない」{/netabare}という着地だ。
ちなみに、これは「だから、どんな相手でも恋愛しようぜ」みたいなことではない(もちろん、そう思う人がいてもいいけれど)。
実際、物語の終盤になると{netabare}恋愛色はどんどん薄まって、主人公2人は各々、自分の「約束」のために動き出して、恋愛は{/netabare}ことの始まりに過ぎなくなっている。
つまり、先の言葉をより正確に言うなら、「恋愛がことの始まり」であることに年齢差はないということになる。

年齢差によって様々なシチュエーションを生み出しつつ、最終的には{netabare}それを超えた普遍に至る構成には、ラストで2人が「戦友」となったこととも相まって、{/netabare}とても清々しい印象を持った。
これもひとつの成就のかたちだと思う。

※蛇足

本レビューを書いているうちに思い出した恋愛ものの作品を挙げてみました。
関心があれば、ぜひ、ご覧くださいませ。

・年齢差恋愛

「ハロルドとモード」
アメリカ映画。親子どころではなく、祖母と孫ほどの年齢差の恋愛もの。
本作との共通点はあまりない。というか、部分的には正反対のベクトル。

・「おじさんとおばさん」の恋愛

「恋愛ものはおじさんとおばさんでも成立する」みたいなことを書いているときに思い出した作品。若い人には想像が難しいかもしれないが、自分がおじさんになると、きっちり、おばさんが恋愛対象になってくるから不思議。

「コキーユ」
日本映画。おじさんとおばさんの恋愛もの、かつ、不倫ものでもある。
と書くと嫌悪感を抱く人もいるのかな。
私はそれなりに若い時に当時の彼女と観た。彼女は「浮気、ダメ絶対」な人だったが(まあ、普通はそうだと思うが)、号泣していた。
少なくともそういう作品ではある。とても切ない純愛もの。

「レスラー」
アメリカ映画。落ちぶれたプロレスラーが再起をかける話で、恋愛が中心ではないが、恋愛要素はある。もちろん、おじさんとおばさんの恋愛。
おじさんとはもちろん、再起をかけたプロレスラーなのだが、メンタル的には近藤店長(と後藤隊長と、認めたくはないが私)と共通したものを持っている。
「恋雨」とも「コキーユ」とも違うのはおばさんもまた、似たようなメンタルを持っていることで、そんな2人が出会うとどうなるかが見所といえば見所。想像できると思うが亀よりも遅い発展速度。残念ながら個人的には本レビューに挙げた作品の中でもっともリアリティがあった。
最後にこんなことを言うのもなんだが、あきらのようにグイグイ来てくれるのは、男としては楽だよな、とちょっと思う。こういう場合に「嬉しい」よりも「楽」が先に立つのが(一部の、だが、それなりの数の)おじさんのメンタルである。女子のみなさまは覚えておくといつか役に立つかもしれない。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5
ネタバレ

るるかん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

夢への扉を開く鍵

 女子高生とおっさんがどういう恋愛を展開していくのだろう・・・?という興味からこの作品を見始めたわけですが、最終話に近くなるにつれて、これってそういう話じゃないのか・・・?{netabare}と感じてきたのです。・・・で結局付き合うとか、そういう結末には至ってないと思うのですが・・・。だめだね~俺のような下衆なおじさんはモテないわけですねw
 
 『あきらめかけていた夢の扉』をもう一度開けるための鍵みたいな存在としてアキラと店長の恋(?)が描かれていました。だから当然、恋人同士というわけじゃない終わり方でしたが、二人にとって『夢』の扉を開いてくれた大切な存在として、潜在的な恋が成就したとみるべきなのでしょう。悪くない話でした。{/netabare}
 もちろん、続きがあるのでしょう。原作ファンの方はこの終わり方をどのように捉えているのか、みなさんのレビューを拝見したいと思います。
 
=================================

11話~12話{netabare}
11話のお話を見た後に、これって・・・恋の話が決着する話じゃないのかな?・・・という疑問が湧いて、11話を見た後に最終話を見てからレビューをまとめようと思いました。12話を見て、アキラの恋を通じて、店長とアキラ双方があきらめかけていた自分の夢を追いかける決心をする。お互いの距離が詰まっていくのは、自分がやり遂げたと感じた後になるようですね。その決心をするのに、親友の大切さを11話に加えて、揺らいでいた気持ちに区切りをつけ、12話でお互いの道を進んでいこうと励まし合って終了。原作は続きがあるのでしょう。ここで終わりだったらあまりにも中途半端ですからね!!・・・ってことで、なんともしっくりしないまま終わってしまいましたが、恋が進展したのはユイと吉澤君でしたねw あきらめかけていた夢への扉を開くような恋ってことですね~。悪くない話です。{/netabare}
10話{netabare}
あきらと店長の共通項が、『道半ばで夢をあきらめざるえなかった』ということみたいですね。自分の夢の為に家庭を壊してしまった店長のトラウマをあきらが払拭できるかどうか・・・。
二人は今、同じ土壌に立ち、無意識にお互いの言って欲しい言葉のやり取りを繰り返す。『こんな俺の・・・』に対し、『そんな店長だから・・・』で返す言葉のやりとりは強烈に店長の胸に響いたでしょう。よく分かります。恋が成就するには必要な心理的高揚を促す言葉のやりとりで、とてもいいシナリオでした。これなら店長もあきらのことを好きになるかな・・・って思えるシナリオがやっときたって感じです。いい話でした!!
はるかとの関係はどうするんだろう・・・?このままだと友情より恋の方が重要ってことですが・・・それでも構わないんだけど・・・。今のままだと中途半端すぎると思うのです。{/netabare}
9話{netabare}
退屈でありきたりな『いい話』でした。この回の必然性が今一つ分からないが、最後の店長の一言であきらの気持ちが軽くなり・・・店長ありがとう~大好きよ~的な余韻を残すということなのかな?九条ちひろって男の同級生だったのね。原作読んでないから、てっきり奥さんだと思ってた・・・w話の辻褄は合ってるし、必要っちゃ~必要な話なのかもしれないけど、それほど大切なエピソードには思えなかった。{/netabare}
8話{netabare}
店長とお友達関係になってメアドもゲットしウキウキな感じでしたが、内容としては一頓挫って感じで、恋の進展は一休みって感じでした。
アキラにとって大切な友人はるかを夏祭りに誘い、離れかけていた友情関係を引き戻そうとした行動はアキラのはるかに対する優しさと謝罪の表れでしょう。それほどの内容ではなかった回でした。でもやっぱり、EDはいいよね!{/netabare}
7話{netabare}
『・・・・この感情に名前をつけるのはあまりに軽薄だ。それでも今彼女が抱えている不安を取り払って救ってやりたい。たとえ自分にそんな資格があるとは思えなくても・・・この感情を・・・この感情を・・・この感情を恋と呼ぶにはあまりにも軽薄だ。・・・・・』純文学が好きな店長らしい思いの丈で素敵でした。相手が女子高生だから、『この感情を恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ・・・』と思いたい店長の気持ちも分かる。しかし、店長はもう恋だと意識していることの証しともとれる。ハグの場面と店長の感情を表す心のつぶやきは、なかなかいい場面でした。さて、これからどうなるのか楽しみです。{/netabare}
6話{netabare}
今回の話は後半への繋ぎかな・・・。何らかの意図を感じるストーリーで次回以降にどう繋がりを持たせるのか楽しみです。{/netabare}
5話 {netabare}
好きという気持ちだけで突進してくる女子高生を、離婚して子供と離れて一人暮らしをしている店長がどう受け入れて、自分を納得させていくのか、その辺の心理描写があるかどうかが私の期待する所です。今後のシナリオ・展開がこの作品の質に関わる部分だと思うので楽しみにしたいと思います。{/netabare}
4話{netabare}
加瀬みたいな男は反吐が出るくらい嫌いだ。ぶん殴るくらいして良かったと思うが・・・。店長の『俺が傷付きたくないだけだ・・・』という気持ちは分かるね。デートといっても実感は湧かない感じが出ていてお互いの想いの強さの違いが鮮明に出ていた。あまり見所のない回だった。{/netabare}
3話{netabare}
あきらの告白は直球だが、年齢差を考えると『真剣さ』を伝えるには直球しかないだろう。強引なくらいの押しやリードもあきらくらいじゃないと店長は動かなかっただろう。でもまぁ、あきらにとっては、第1段階突破ってとこですかね?真剣さが伝わればあとは店長次第だし・・・。これからお付き合いが始まるのかな?次回も楽しみです!!{/netabare}
2話{netabare}
女子高生に『好き』って言われたら、店長の年齢なら恋愛ごととは思わないよな。単刀直入に『好きです』って言ってしまうあたりが若さと勢いって感じで初々しくていいと思う。店長を好きになった理由は1話が全てなんでしょうか?まぁ、今後どんどんその想いが膨らんでいくのでしょうね。ただ、この年齢差で女子高生がおっさんを好きになる理由としては1話だけでは重みが無い感じがします。あきらがしっかりして落ち着いた女の子だから尚更不可解に感じます。面白そうなシナリオだし、そこだけちょっと残念ですけど、あまりこだわらず続きを楽しみたいと思います。店長はいつマジになるんだろう・・・。ED曲はいい曲ですね。買いたくなっちゃいます!!{/netabare}
1話{netabare}
あきらの雰囲気は割と好きだな~。女子高生らしい可愛らしさは表現されていると思う。だけど、シャツの匂いまで嗅ぐかな?そのあたりの描写は謎です。女性陣のレビューに書いてもらいたいところですw
バツ1子持ちの店長の哀愁の中にある優しさに惹かれるのでしょうかね?謎です。あきらがどうして店長に惹かれたのか、もう少し説得力のある理由がないとシックリこないなぁ・・・。これから分かることなのかな?
1話目は微妙な感じですが、気になるので見ていこうと思います。謎が多くて逆に面白かったしねw{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 34
ネタバレ

タケ坊 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

演出&構成の妙、ただひたすらに美しい 

☆物語&感想☆

女子高生が45歳の冴えない中年男性に恋をする、ジャンルとしては恋愛になるんでしょうが、
この作品は純粋な恋愛モノかと言われれば、そうとも言えるし少し違うとも言えるかもしれません。
よくある恋愛作品では、その多くが告白をクライマックスに持ってくるものが多いものの、
本作ではそこまでの過程はあまり描かれず、むしろ告白してからの物語。
恋が成就する、しない、と言った結果に重きを置いて本作を観るなら肩透かしを食らうかもしれません。

設定として店長と従業員、女子高生と45歳でバツイチ、子供有りという立場上、
その想いにどう向き合っていくのか、グイグイと来る橘さんに対する店長の行動は、
常に思慮深く理性的でしたが、揺れ動く心情はとても繊細に描かれていて、
本作の象徴的なシーンとして、7話台風の日の場面は最大の魅せ場だったと思います。
まぁ自分だったら絶対抱いてしまうでしょう、犯罪やけど笑

店長に想いを寄せる橘さんの恋、という序盤からの流れでは、
{netabare}7話の店長が橘さんをハグして「友達」として、と伝えたところで一旦落ち着いて、
それ以降橘さんもある程度それを受け入れたのかな、とも思えました。{/netabare}
で、お互いの関わり合いの中で自分の中に仕舞っていた、忘れていた思いを呼び覚まし、
一歩歩き出す。。ラストは少々唐突かなとも感じましたが、
将来的な可能性に含みを持たせた想像の余地を残す終わり方で、タイトルも回収、綺麗でした。
この物語は毎話と言っていいほど雨の描写が有りましたが、
店長と橘さんの関係、二人の胸に押し留めていた想いは、
言ってみれば降り続く雨の中の雨宿りだったんでしょう。

後半の店長と旧友の友情、描かれ方もノスタルジックで味わい深く、
また橘さんとハルカの関係も瑞々しく青臭い青春を感じさせる、こちらも同様に上手く描かれていたので、
純粋な恋愛だけじゃない、もう一つのアナザーストーリーとしても楽しめ、
結果的に上手くまとまっており良かったと思います。

☆声優☆

この作品が成功するかどうかは、ぶっちゃけ店長のキャスティングと演技に掛かっている、
と言えるぐらい重要だったと思いますが、平田広明氏は見事期待に応えてくれましたね。
冴えない間抜けな中年男性の一面と、逆に含みを持たせじっくりと聞かせる演技は圧巻。
最近観た「B:THE BEGINING」では圧倒的な凄みと渋さでしたが、
今回は演じ分けが凄い、またしても名優の演技を堪能させてもらいました。

橘さん役の方もイメージ通りで良かったですが、
それ以上に意外な発見として驚いたのは、西田さん役の福原遥さん。
初めて久野美咲さんの声を聴いた時くらいの、特徴的な萌えボイスが衝撃的でした笑
ノイタミナによくある芸能人のゴリ押しキャスティングながら、
普段女優メインでも子役からやっていて声優経験もあるだけあって演技も全く違和感なく良かったです。
あの声は今の声優界でもなかなかの逸材だと思うので、今後声優としても是非活動してもらいたいですね。

☆キャラ☆

店長の台詞がとにかく平田広明氏の演技によって抜群の説得力を持って響いてきました。
作者は女性ながらヒロインの橘さん以上に、中年男性の店長の描写が優れていたのは驚きました。
橘さんとハルカは店長とは対照的に自身の独白は殆どありませんでしたが、
キャラの思いを汲ませるには充分。
橘さんの店長への想いが一点の曇り無く真っ直ぐで純粋で美しい...ほんま店長裏山過ぎる。。
脇役ながら西田さんが癒しの存在で好印象、彼女の涙には思わずもらい泣き。

☆作画☆

まずキャラデザインが今風のアニメにありがちな感じじゃなく、
どことなく昭和っぽいところに惹かれましたね~橘さん何頭身?...スタイル良すぎ。
WIT STUDIOの安定感は最後まで保たれ、1カット1カットの見せ方が印象的なシーンが随所に見られました。
橘さん、ハルカ、西田さんの表情、横顔が何とも美しかった。

☆音楽☆

OPはそんなに好みでもなかったですが、
底抜けに明るくファンシーかつポップなアニメーションとの相性は良かったと思います。
対照的にしっとりと聴かせるAimerのEDが抜群で毎話素晴らしい余韻を与えてくれました。
そして何と言っても作中BGMが良い仕事してましたね、曲数はそこまで多くはなかったようにも思いますが、
とても印象的で胸に響く良い曲だったと思います。


最後に...物語の展開や出来事だけを見ていくと、
恋愛作品としては単純に劇的さや面白さはそこまで無いかもしれませんが、
この作品は各キャラクターの心の機微の描き方や演出面が見事で美しかった。
雨の背景、表情の見せ方、間の取り方、聴かせるBGM、
そこに重なる平田広明氏の圧倒的な演技と含蓄のある台詞の数々...
情感の豊かさ、趣きは芸術性すら感じさせる、大人の感性に訴えかけるノイタミナらしい秀作だったと思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 21

76.5 6 美しいで恋愛なアニメランキング6位
イエスタデイをうたって(TVアニメ動画)

2020年春アニメ
★★★★☆ 3.6 (481)
1745人が棚に入れました
大学卒業後、定職には就かずにコンビニでアルバイトをしている"リクオ"。特に目標もないまま、将来に対する焦燥感を抱えながら生きるリクオの前に、ある日、カラスを連れたミステリアスな少女―“ハル"が現れる。彼女の破天荒な振る舞いに戸惑う中、リクオはかつて憧れていた同級生“榀子"が東京に戻ってきたことを知る。

声優・キャラクター
小林親弘、宮本侑芽、花澤香菜、花江夏樹、鈴木達央、坂本真綾、寺島拓篤、洲崎綾、名塚佳織、堀江瞬、小野友樹、喜多村英梨、前川涼子、遠藤大智、大塚明夫、小形満、川島得愛、小林千晃、田中宏樹、西山宏太朗、藤原夏海、本田貴子、諸星すみれ、天海由梨奈、村井美里
ネタバレ

フィリップ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

ゆらぎ(※配信限定エピソードを再視聴して)

アニメーション制作:動画工房、
監督・シリーズ構成・脚本:藤原佳幸、
副監督:伊藤良太、脚本:田中仁、
キャラクターデザイン・総作画監督:谷口淳一郎、
総作画監督:吉川真帆、原作:冬目景

作品タイトルと同じ、10話からのED主題歌が印象的だ。
ブルージーなギターからは60~70年代の薫り。
調べてみるとRCサクセションの
初期の曲のカバーだった。
発売はやはり1970年。
『イエスタデイをうたって』は、
ビートルズの『イエスタデイ』を歌って欲しいと
せがむ少女についての曲だ。
ちなみにビートルズの『イエスタデイ』は、
母を失ってしまった今の自分は、
失ってしまう前の昨日の自分とは
全く変わってしまったという深い哀しみの曲。
『イエスタデイをうたって』という作品のタイトルは、
原作の冬目景が最初に考案したものを
編集者にダメ出しされて思いついたものだった。

主人公は、大学を卒業しても自分探しのために、
モラトリアムな状況を続けている魚住陸生。
いかにも、ひと昔前の人物像だ。
ある日、鴉を連れた少女・野中晴(ハル)と
アルバイト先のコンビニで出会ったことで物語が始まる。

1話ずつの完成度がとても高い。
感情の機微を丁寧に掬い上げていく。
まるでオムニバス形式に感じるほど、
序盤は余韻を残しつつ完結し、次の物語へと続いていく。

ひと昔前の年代を感じさせる時代背景。
携帯電話がなく、黒電話やカセットテープなどの
グッズが懐かしい。コンビニに外人がいない。
若者の思考にも時代性を感じさせる。
自分自身が青春時代を過ごしたころなので、
余計に感慨深くなる。
視聴すると昔の感情が呼び覚まされる。

振り返ってみると、舞台となっている02年ごろは、
バブルがはじけたといえど、
経済的にはまだ安定していて生き方の自由度が広がり、
価値観がより多様化した時代だった。
私たちは自分に正直に生きることを望み、
本当に大切なものを手に入れようとあがき続ける。
自身の心に問いかけ続けるあまり、何もできなくなる。
でも、欲しいものが必ず手に入るとは限らない。
人はどこかで、その望みに折り合いをつけて
いかなければいけないが、それをできる人と
できない人にはっきりと分かれていく。
なぜかと言うと、いつまでも追い続けることが
可能なほど自由度が高いから。
だから、動き出しても、またすぐに
立ち止まってしまうことになる。

そんななかでも人は年を取るごとに
何かを得て、何かを失いながら変わっていく。
2度と戻ってこないものもある。
懸命に生きているときはそれに気づかない。
何かが終わっても、ただ寂寥感だけが積もっていく。
でも、私たちは進み続けていくしかない。

主要人物はほぼ4人だけ。
彼らは皆、長い時間をかけた行き場のない心を抱えている。
物語が動かないため、退屈だと感じる人も多いだろう。
しかし、停滞しているようでも
登場人物の心は、いつもゆらいでいる。

空気感の演出が抜群に優れている。
桜の儚い美しさ。一方通行の想い。
「死」を身近に感じる状況。
哀しみがこみ上げる瞬間。
二度とは戻ってこない日々。
そのときのシーンに応じた劇伴も効果的で、
観ている者の心を動かす。
繊細で大切なものが零れ落ちていく。
目や手の動き、仕種、ちょっとした沈黙。
心を映しているような描写だ。

彼ら4人はずっとゆらいでいるが、
周囲の人々は、決意して前に進みだす。
ハルの同級生の湊航一や陸生の元恋人の柚原チカ。
決着をつけて自身のなかに何かを見出す。
陸生自身も少しずつではあるが前進しようとする。

軸は4人のラブストーリー。
とはいえ、この作品の核の部分は、
陸生と榀子の心情のゆらぎにある。
自分の心の在りかをずっと探っている。
似たもの同士、受け身気質のふたりが
歩んでいく方向を見つけるために
真剣に迷い続ける物語といえるだろう。
そう考えると、納得感のあるラストだった。

陸生の気持ちのゆらぎは、
世田谷線の車内での独白に集約されている。
自分で自分の心が分からない。
正直さ、誠実さを突き詰めようとすると、
自分の本質がゆらいでいくように感じる。
それでは、どうしたらいいのか。
物事を論理的に考えるのではなく、
感覚的に捉えることだ。
自分の心がどこにあるのか。
もっとシンプルに考えるべきだ。

{netabare}ひとつ残念だったのは榀子の心の動きを
描き切れていないこと。
2話からずっと榀子の心模様を
繊細な描写で追ってきたのに、
最後の段階では、井の頭公園での陸生の言葉に
全て任せきりになってしまっている。
アニメを観ているだけだと、榀子がどのように
自分自身に決着を付けたのかが理解できない。
もちろん、想像することはできるが描写不足は否めない。
だから榀子だけが身勝手な女性に見えてしまうが、
個人的にはとてもリアリティがあるし、
現実の人物像もひとりふたりは思い浮かぶ。
作者がどのように捉えているのかは関係なく、
情の深いキャラクターだと思う。
原作は未読なので分からないが、
単純に尺が足りなかった可能性もある。
ラストに向けては、2話分くらいかけて
ふたりのやり取りを突っ込んで欲しかった。{/netabare}

タイトル面から作品を考えると、
ハルが主人公のようにも思える。
そもそも作者が最初に考案していたのは
「ハル」というタイトル。
{netabare}ハルは陸生に近づいたことで、
以前よりも臆病になってしまい、
自分が変わってしまったことを自覚する。
これは『イエスタデイをうたって』の詩にもつながる。
だとすると、この作品はハルや浪の変化を
目の当たりにした陸生と榀子が
それに押し出されるようにして
一歩踏み出そうとする物語とも言えるだろう。{/netabare}

原作の量からすると、1クールでは厳しかった感はある。
ショートアニメ&ラジオドラマで補完しているが、
若干の消化不良感は残った。
ただ、作品は全話を通して、とても丁寧な仕上がり。
それぞれの動きや言葉にリアルを感じる。
懸命に生きている人間の息遣いが聞こえる。

4人が歩み出す先にささやかな幸あれ。
(2020年7月4日初投稿)

原作を読了して(2020年8月9日追記)
{netabare}ここのレビュアーさんから、アニメとは大きな違いがあり、
とても良い作品であることを聞いて原作購入。
つい先日、読了した。

漫画を読んで再認識したのは、
アニメの完成度がとても高いことだった。
漫画を読んだ後に自分のレビューを再読したのだが、
この作品に対して感じたことは、
原作読了後も基本的には変わっていないし、
大切な部分は、ほとんどアニメでも
表現しているのではないかと改めて思った。
もちろん、漫画とアニメとは表現方法が違うため、
コマで感じることのできる微妙な「間」や
心情のゆらぎは、圧倒的に漫画のほうが優れている。
11巻も巻数があるので、登場人物も多いし、
人間関係も複雑になっている。
最初のレビューで書いたように榀子の心情について、
アニメでは圧倒的に描写不足。
しかし、それにも関わらず、私のアニメに対する感想は、
漫画を読んだ後でもほとんど変わりはなかった。
それは、凄いことではないだろうか。
アニメでは、漫画で登場する重要なふたりの人物を
完全にカットして物語を短くしているにも関わらずだ。

例えば同じように原作を短くしたアニメを視聴してから、
原作を購入した『はねバド』という作品がある。
放映時には原作が未完だったので、
全く同じ状況ではないが、原作を大幅にカットして
物語を再構築したことは同じだ。
こちらもアニメは、なかなか面白かったが、
作品としては全くの別物といっていいほど
原作とは違ってしまっていた。
再構築とは普通はそういうものだろう。
しかし『イエスタデイをうたって』は、変わっていないのだ。
作品をじっくり咀嚼して大切な部分だけを残して
アニメとして作り上げている。
スタッフの多くは原作のファンという話を
どこかで読んだが、それは原作とアニメを
両方味わってみれば、とても納得できる。

漫画とアニメにおける大きな違いは「時間の流れ」だ。
この物語のひとつの軸は、陸生と榀子が出会って
別れていくまでの話になる。
長年、片思いしていた陸生が榀子を手に入れながら、
そこで葛藤して別れを決意するまでには、
劇的な出来事でもない限り、それなりの時間や葛藤が必要だ。
ところがアニメでは、付き合ってから、
大した理由もないのにすぐに別れてしまう印象。
じっくり物事を考える陸生の性格からすると、
あり得ない展開ともいえる。
それは榀子についても同様だ。
榀子は、自分の感情と理性の間でずっとゆらいでいるわけだが、
アニメを観ていると、それまでのスローな時間が
最後になって急加速して自身も納得するという
どう考えても受け入れがたい流れになっている。
ただ、これは尺の問題であって、
限られた時間のなかで、スタッフは最良の仕事をしたと
漫画を読んで感じた。

それでは漫画はどうなのか。
アニメ同様、繊細な心情描写を
時おりオーバーアクションを挟みながら独特のリズムで
紡いでいく。バックボーンとして私が感じたのは、
冬目景が大ファンだったという高橋留美子だ。
高橋留美子は、80年代に女性漫画家が少年誌に
連載するという画期的な立ち位置を確立した人物。
同じ女性漫画家として目指す人だったようで、
冬目景も当初はギャグ漫画を描いていたそうだ。
だから、この作品でも若い巻数のころは、
ギャグテイストに共通点のようなものを感じさせる。
それと、何人かの人も指摘していたが、
榀子=響子さんというのは、影響しているだろう。
私が感じたのはハル=ラムだった。
作者は意識していないかもしれないが、
やはり自分の好きな作品の影響は
どこかに出てくるものだ。

また、これは私の勝手な想像だが、
高橋留美子が自身を投影していたのは、
しのぶであり、響子さんであり、あかねであり、
かごめであるのだが、『イエスタデイをうたって』でも
自身を投影して、思い入れが深いのは、
榀子ではないだろうか。
作者自身はインタビューで榀子を「毒」と呼んでいるが、
これはある意味、自虐だから言えるコメントであって、
自分のなかにある「面倒臭い」部分を
抽出した人物像ではないかと思っている。

榀子の「純粋な無自覚」が相手を傷つけるのは、
多かれ少なかれ、人間関係のひとつの形だ。
榀子は世話焼き女房のような性格で、
自分の近しい人の部屋を掃除したり、
料理を作ってあげることを全く厭わない。
それが浪の父親にいつまでも頼られる
原因にもなっているが、
無意識に人の世話をすることで、
相手から好意を持たれてしまう。
しかし、その気持ちに最終的に応えることはない。
確かに考えるとなかなか厄介だ。
陸生が榀子を好きになった銀杏のエピソードも
そういう榀子らしさがよく出ている。

漫画とアニメとの最大の違いは、
陸生と榀子が関係を解消することになった
心情描写だ。漫画のほうが積み上げる
エピソードが長いので、
読者の心にも同じように積もっていく。
陸生がハルを想う気持ち。
榀子の場合は、ライバルの莉緒が登場してからだが、
その複雑な心情は繰り返し描かれる。
しかも、その対比として雨宮とみもりという
幼馴染の関係性もクローズアップされる。
徐々に焦点が合ってくる感覚がある。

決定的な出来事は、陸生の兄の結婚祝いに
まつわる部分で、陸生がキスをしようしたとき。
陸生の手が紙切れにふれることで
ハルに対する気持ちのゆらぎが表現される。
榀子は、表情や仕種によって
我慢のようなものが描かれる。
そういう意味では、陸生の決断は納得できるものだった。
そして、リアクションや表情、
自宅に戻った後の描写によって
榀子の気持ちも明らかになる。
このシーンはよくできているが、
時間的な理由でアニメでの表現は難しかっただろう。

ここまで、ハルのことをほとんど書いてこなかったが、
私が思うに、ハルはラムであってファンタジーなのだ。
どちらかと言うと、こういう子がいたら可愛いなと
思わせるキャラクターで、あまり実在感はない。
高橋留美子は最後までラムのことを
自分では理解できないキャラクターだったと語っている。
それは冬目景にとってのハルと
似たようなものではなかっただろうか。

表向きの主人公はハルだが、
やはり真の主人公は榀子だったのだろうというのが
漫画を読了したときの感想だった。
漫画本編のラストは、榀子が桜を眺めながら
穏やかな表情で歩く姿なのだから。{/netabare}

配信限定エピソードを再視聴して(2023年4月16日追記)

{netabare}放映当時にアニメを補完する物語として
配信限定で観ることのできたエピソードが
改めてdアニメストアで再配信された。
それを観ていて感じたことがあったので追記したいと思う。

この作品のアニメ本編は、分かりやすくするために
原作とは違ってほぼ4人の登場人物に絞っており、
いろいろなことを内省することをメインに構成されている。
私は、この作品を観ていて、
時代背景などから懐かしさを感じていたのだが、
別の側面から捉えると、多くの人々が「常識」と考える
男女関係の在り方そのものが
硬直化していた時代でもあったのだと思った。

この作品の時代背景は2002年ごろだと先のレビューで記したが、
それは作者がインタビューで答えていたもので、
実際にこの作品に通底している時代は、
70年代から80年代ごろではないかと感じる。
そもそも『イエスタデイをうたって』という
古い曲をタイトルにしていることだけ考えても
作者の心のなかにある時代が想像できる。

だとすると、この作品に対する見方も少し変わる。
陸生と榀子は、お互いのことが好きだと思って
付き合い始めるのだが、それは陸生がハルという
年下の少女のことを好きだという感情を
封印するためだったと考えることもできる。
榀子の場合は死んだ恋人の弟で、学校の生徒でもある浪に
特別な感情を抱くことは、社会の常識から外れた行為だと思ったために
陸生からの告白を受け入れたともいえる。
ふたりの男女が「時代の常識」に囚われた結果、
最初から「愛」というものを勘違いしていたのかもしれない。
個人的には、これが2002年という年代なら納得ができないが、
70年代~80年代の時代背景なら妙にしっくりくる。

そのことを象徴しているといえる
配信限定エピソード内にある陸生の独白を紹介しよう。

男女の友情は存在するのか。
そんな答えのない永遠の謎に
大人になれないオレは、自分の感情を誤魔化しながら
自分の都合のいいように生きてきた。

これはオレの悪い癖だ。
自分の好きなカメラだって、諦めるわけでもなく、
ただその欲求をずっと抱えていた。
答えを出すのが怖くて、答えが出るのが怖くて、
結末が怖くて、ずっとこのままでいいと、
いつか忘れてしまうことを待っていたんだ。
それは居心地がいいようで、息苦しい空気が漂っていて。

何かに変化を求めていた。
何かに期待していた。
変化を求めながら、自分から変われない自分が情けなくて、
そんな後ろ向きな動機でしか頑張れない自分を変えようとした。
その結果、自分のことしか考えていなかった結果、
傷つけてしまった。

失ってから気づくような愚か者で、
これからも同じような過ちを繰り返すかもしれないけど、
オレにできる限り大事にしますので、
これからもよろしくお願いします。

ハル:60点。
陸生;え!?
ハル:前半、榀子先生とのことじゃん。
言い訳ばっかじゃん。
大事な私と具体的にどうなりたいかが明確じゃない。
やり直し!

先ほどの独白は、陸生のラブレターなわけだが、
アニメオリジナルの部分。
しかし、このアニメをとても上手く表現している。
今さらこんなことをまた書いてしまう私は、
やはり、この作品のことが好きなのだと思う。
これまで、お気に入りの棚に入れるのは、
自分の総合点が4.6点以上の作品と決めていたが、
この作品は、例外としてお気に入り作品にすることにした。 {/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 87
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

(音無響子+関口さとみ)÷2ってどう?

原作未読 18年かけて完結した名作らしい


つくづく携帯電話というツールが青少年の恋愛模様に与えた影響は計り知れないものがあると思う。
コミュニケーションの取り方が今とまるで違う。

 『ポケベルが鳴らなくて』とその主題歌のヒットが93年
 初期費用10万円越えだが携帯電話が小型化したのが94年
 PHSのサービス開始が95年
 それに引きずられて携帯初期費用の下落が起きたのが96年
 契約台数200万台から一気に10倍規模へと拡大した97年
 99年に11桁化へ

私の場合、世の女子はポケベルかピッチ(PHSのこと)かなにも持ってないかみたいな時期に大学入学し卒業年次には皆さんおおかた携帯電話を持ってたかなぁという過渡期に学生生活を送ってます。振り返ってみると移動端末を持ってない女子には独り暮らしでもしてない限りアタックすることは無かったような… 逆もしかりで「携帯持ってない」はひとつの断り文句として通用するようになりもしました。

 “チャンスが失われる”

若者にとっては死活問題。端末が手に入れやすい価格帯になってあっという間に10倍以上の規模となった裏には下心あり。かようにわずかニ、三年で恋愛のルールに大転換が起きたのです。


本作の連載開始が98年1月。構想期間などリアルタイム反映は難しいにしてもすでにNO携帯な恋愛劇はやや時代遅れ感なきにしもあらずなタイミングです。
作者冬目景の生年は1970年。物語の主役が大卒直後のフリーターであって作者とリンクさせるなら92~93年頃と携帯端末勃興前夜の計算になります。原作者が自信をもって世に送り出せる恋愛劇に携帯というガジェットは辞書に載っておりません。単純に消化して落とし込むことができなかったのではないかと思われます。
ディスりではなくて、なんとはなしに肌感覚でNO携帯な恋愛劇を描いた最終世代の作品として貴重なのでは?と思いながらの鑑賞でした。推定'96大卒くらいまでがリアルに感じる恋愛物語と言えましょう。

現在でもやってやれないことはないでしょうが20年も経てば、当時を知る若者は中年/壮年になり恋愛する感覚が追いついていかない部分あるだろうし、リアル若者は取材した上で落とし込む作業が必要なんだろうなあとぼんやり考えてました。
肌感覚でイメージしづらい若人の皆さんでも手っ取り早くどんなものか知る方法はございます。動画とかで『JR東海 X'MAS EXPRESS』のCMをいくつか見てみたらいかがかと。60秒でNO携帯時代の恋愛のクライマックスを垣間見ることができると思います。


時代背景の前フリが長くなりました。作品に戻ります。

 『49%うしろ向き、51%まえ向き』

水前寺○子がニコニコしながら歩いてきそうな大きなテーマがまずはそこにあります。
繰り広げられるのは主要メンバー男2名女2名計4人の恋愛劇で登場人物はこちら↓

魚住陸生(CV小林親弘)
野中晴(CV宮本侑芽)
森ノ目榀子(CV花澤香菜)
早川浪(CV花江夏樹)

主役は大卒フリーター魚住陸生(リクオ)♂。その同級生、新卒で高校教諭の榀子(シナコ)♀。シナコの教え子だったが高校中退した晴(ハル)♀。シナコの実家金沢からの縁、浪(ロウ)♂。で、この狭いコップの中でいろいろやり合うわけでございます。
主役はなんとはなしに“陸に住み生きる魚”よろしく居場所がなく所在もなさげな青年。それでも“野”中や“森”ノ目と陸の上に安住の地を求めてるからなのか苦しんでしまう。そんな印象を受けた序盤です。
{netabare}※早“川”ならラクじゃんと腐女子が鼻血出しそうな展開を想像しかけたがあえてスルーしとく。{/netabare}

作品のキャッチコピーから
主役名からの類推(妄想)から
そして作品タイトル“イエスタディ”から

すっきりせず停滞しそうな物語を約束されたようなものであり、事実そんな感じの全12話でした。12話分を俯瞰するとやや途中の説明不足や強引な終幕を残念に感じる一方で、

{netabare}よくもまぁこの短尺で“恋愛の停滞感”を出せたなぁ…{/netabare}

むしろポジティブに受け止めたい。感心することしきりでした。約束された“停滞”はおそらく原作でも鍵になってるんでしょう。そのへんをアニメスタッフが大事に扱っていることを伺わせるような作り方をされてたと思います。

この褒め言葉としての“停滞”を生んだのは明らかに二点。
7割方は主人公らのパーソナリティ。これはネタバレで各人個別に後述します。こっちがやきもきするような優柔不断な二人が中軸なので話が進みません。
残り3割はツールの不備。先述の携帯端末がないことに起因してます。即時そして直接のやりとりが減るためすれ違いが生じやすくなり、当人らの性格もあいまって話が進みません。


 2%前に進んだ(かもしれない)恋愛群像劇


“即断即決”の2020年代を生き抜く私たちにとって、“すれ違い”や“空白”。行ったと思ったら戻ったりのもどかしさを楽しむタイプの作品です。
現実においてはアニメ作品も放送延期が連発したこの時期。
立ち止まって一呼吸したのは作品や業界だけでなく我々もでした。
奇しくもそんな2020年春クールにて、視覚に頼れず音と想像で空白部分を埋めるラジオという媒体を扱った作品だったり、本作だったりが生き残ったのは偶然ではないのかもしれませんね。
例えば空白部分。画面にも映らなかった会えない時間に彼女らがどんなこと考えてたんだろう?とかを想像しながら、深まってく想いだったり徐々にズレてく想いを堪能できる良作だったと思います。



※ネタバレ所感
以下、当方ゲスモード全開でいきます。Wヒロイン評いってみよー!
不快な表現があるやもなので純粋レビュー止まりならここでブラウザバックすることを推奨します。


■(音無響子+関口さとみ)÷2

誰のことかすぐ頭に浮かんだあなたは立派な大人です。そう榀子センセですね。

{netabare}想い人を亡くしたことが重しになってこじれちゃってるのが共通項。気立てが良くて恋愛経験少ないのも似てるかしら。めんどくさいけどかわいいのが響子さんで鬱陶しいのがシナコさんです。{/netabare}
{netabare}そのかわいいと鬱陶しいを分かつものは関口さとみ成分の有無でしょう。関口さとみ自体の説明は割愛。どうぞ『東京ラブストーリー』をご覧くださいませ。シナコは天然というか自分に素直なだけなんですが、リクオを完全にキープ扱いしてますよね。外形だけみると地雷女以外の形容詞が浮かばない彼女の特徴は以下↓

・過去を引きずり過ぎ
 ⇒まだなにも始まってない相手への一方的な恋心だぜ?
・浪を甘やかしすぎ
 ⇒自分の居場所確保のために彼に言うべきことを言わない
・リクオを都合よく利用し過ぎ
 ⇒そのくせ「私が甘えてるだけなのよ」と本人に言ったりする
・自分からフッたのに怒る
 ⇒そのくせ「私たちそんな関係じゃないから別に」と言わずにいられない
・自分から告ったのに優柔不断
 ⇒なんだかなぁ{/netabare}

この上なく強烈な印象を残すキャラクターさんとなってしまいました。ロクなもんではありません。
…と言いながらかくいう私だったらホイホイついていくと思います。

{netabare}そして、「そんなつもりじゃないの…」とフラれる未来を想像して打ちひしがれるまでがワンセット。
普通の男…と言っても自分基準ですがなんといいますか口説けそうだと勘違いしてアタックしかけるでしょう。作中でも複数回チャンスありました(キリッ)。そこを全く行動を起こさないリクオだから良かったかと思いきやところがどっこい。断言してもいいですが「冗談、ゴメン忘れて」という態度をこちらが取ることができればリセット可能とふんでます。そしてこのテの方々は“まだ脈はある”と匂わせる行動を繰り返します。理由は

 考えてそうでなにも考えてないから

前後の行動の因果関係や会話で投げかけられた言葉の意味を理解できていません。他者への想像力の不足。これまで言い寄ってきた男もいたでしょうが亡者バリアが発動し見切りをつけられたいていの男は彼女の元を去っていって久しい。そのくせ異性の気配がないのはそれはそれで淋しいというのが露骨であり、その感情を整理なり処理できてるようには見えません。バリアをくぐり抜けた親族ロウと優柔仲間リクオくらいしかストックがない。逆にくぐり抜けさえしてしまえば言葉悪いけどちょろいです。あとは「こんなに思われてるんだからしゃーない」と自分を納得させたいだけでしょう。

要は“一線越えて上書きしてしまえばいーじゃん”という思想です。作中でもシナコ本人が自分で決断する怖さから判断をリクオに委ねる意思表示をしてましたがそこに乗ることのできないリクオというのがまた作品の味となってました。

と、これまでボロクソに言いつつされど惹かれてしまうやっかいな女性だと思われます。原作者の方女性と聞いて納得したのですが、シナコは女性のめんどくさい部分を詰め込んだような人。そこが良く描かれてます。このめんどくささってそのまんまめんどくさいんですけど一方でめんどくさいのが好きな人もいるでしょう。私なんかそのうちの一人ですよ。
そんな「いいですよね~めんどくさいの」と言い切れちゃうような某アニメに言わせれば南極向きな性格をしている男性陣はおおいに楽しんだらいいと思います。{/netabare}


■少女漫画に描かれた文脈でしか男を知らない人

誰のことかすぐ頭に浮かんだ人は残念なことに私と思考回路が似通ってるかもしれません。
そう晴ちゃんのことですね。

{netabare}まだJK年代だからいいけど早いうちに軌道修正してねという娘さん。カラスを手籠めにしている女性は古今東西、魔女しか私は知りません。{/netabare}
{netabare}家庭環境から妄想する偏見ですけど男女交際のロールモデルを想像できてないんだと思います。自分の“好き”という感情に直面した時に、まがりなりにも次の段階を想像できているのがシナコだとして、ハルにはそれがありません。
それでいて臆病なシナコとは対極的にハルは行動的です。想像してみてください。イメトレなしで試合に臨んだ時の惨状を。もしくはゴールや落としどころを描けずに商談に臨んだらどうなるかを。ハルのやってるのがまんまこれ。下手に行動力のある分ズレたらズレたであさっての方向に行ったまま帰ってこれない怖さがあります。

 一緒にいるだけで幸せ

彼女の好きになった理由が希薄なこともあるかもしれません。高校中退理由もなんだかよくわかりません。シナコに輪をかけてなにも考えてなさそうなのが彼女の危なさ。地雷臭しかしないでしょ?普通。

と、同じくボロクソに言いつつされどこちらも惹かれてしまうやっかいな女性だと思われます。
ただし理由はしょうもないところ。

 {netabare}好意もたれて嫌いになれるわけねーじゃん{/netabare}

ストレートな愛情表現を“素直”であると好意的な勘違いをしかけますが、彼女と一緒に描く未来が見えません。でも見ため可愛い子に好意もたれたらホイホイついていくスケベ心を私は隠さないですよ。
そんな抗えない下心を是とされる男性陣はおおいに楽しんだらいいと思います。{/netabare}



男二名のめんどくささも書くつもりでしたが息切れしました。野郎二人は中学生です。学校で教師を呼び捨てにしてマウント取ろうなんて高校三年生としては稚拙。黙って○○へ行け! …以上です。

ということでもう一度戻って女子二人。要は二人ともめんどくさくて二人とも魅力的なのです。
出来れば両方ともおつきあいしたいとゲスの極みなことを考えているのは私だけでしょうか。皆さんどの子がいいなぁという視点で観てるんでしょうか。その場合誰が人気あるんだろう?
最後に本作で自分だったらこの娘さんが一番いいなぁと思った人と理由をネタバレで挙げときます。
ズバリ当てたらすごいかも(笑)


{netabare}その子はリクオと4か月付き合ったという同級生の子{/netabare}

{netabare}迷わないですね。キタエリさんが声あてしてた娘です。次点はハルのバイト先のお姉さん。理由は↓

・言い寄られると弱いという自分の弱みを理解している
・そしておそらく経験を踏んで対処の仕方も心得ている(はず)
・育ちが良いので本人が遵守してるかはともかく社会常識の判断基準に世間とのズレはなさそう
・職能を理解しなんだかんだ生活するための目途をつけている
・例えばピアノできるのよ、のドヤ感が一切ない。わきまえてる
・居候先にリクオを選んだ選球眼と行動に移せるメンタリティ
・シナコやハルの様子を瞬時に察してフォローにまわれる観察力
・そしておそらく「一線越えてから考えよう」の割り切りの良さに聡明さを感じる


たぶん付き合ってて退屈しないし、結婚したらしたでしっかりするであろうと思われる。{/netabare}



この物語を鑑賞して思ったのは女のめんどくさいはかわいくて男のそれはどうでもいいということ。
次に主役四人組以外の登場人物はわりとまともだったこと。
あと言い忘れてたけど榀子センセなんかの比じゃないくらいこいつはダメだと思ったキャラがおります。さっき最後と言っといてすみません。断トツでした。

{netabare}そいつは早川父。

「いい加減解放してやれよ」

突き放してあげるのも大人の役割です。

携帯電話のない恋愛劇を懐かしむことのできた方々はこの父親と同年代くらいではないでしょうか。
どこかしら欠落した四人組にあーだこーだとマウントを取ろうとする前に、はたして自分がこんな早川父みたいな大人になってはいないか自省してみるのもよいのかもしれません。{/netabare}



視聴時期:2020年4月~6月 

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2020.07.04 初稿
2021.03.07 修正

投稿 : 2024/11/02
♥ : 68
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな by与謝野晶子

[文量→大盛り・内容→(大きな愛ゆえの)酷評系]

【総括】
ジャンルは恋愛。青春群像劇。

レビュータイトルの短歌は、「何となく、君が待っているような気がして出掛けたら、花畑に夕方の月がかかっていました」という意味で、このアニメの魅力を的確に表していると思います。

この短歌のように、すれ違って、もどかしくて、ふるくさくて、でも、美しくて、切ない。それが、「イエスタデイをうたって」です。

私はこのアニメの原作漫画が大好きで(多分10周くら読んでるw)、原作に評価つけるなら☆5。だから、「原作の魅力をきちんと出せれば」アニメの評価も☆5になるわけです。

ただ、、、最終話がねぇ。原作好きの私的には、「12話は存在しない」が、正解です(苦笑) 私、11話までこの作品を、「☆5お気に入り棚」に入れてたんですよ?

よって、今からこのアニメを観る方には、次のような視聴方法をオススメします。

①アニメの1話~11話までを観る。②原作を読んで完結させる(出来れば1巻から観てほしいけど、9巻くらいからでも良いです)。③アニメの最終回は一生観ない。

マジこれ、オススメです(笑)

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
大事なことなので最初に言いますが、「私は榀子派」です(笑) 地雷女だ全ての元凶だのメンヘラだの言われようが、私は、メンドクサイ榀子が好きですw

でも、だからといってハルには不幸になって欲しくない。最終回、ハルの恋が叶ったことは素直に嬉しい。あのキスシーン(タバコ臭い)は、漫画史に残したくなる名シーンです。

それはつまり、「とてもレベルの高いダブルヒロインもの」ってことです。榀子もハルも悪くない。そう、悪いのはリクオだけですw

というか、私が榀子派なのは多分、「ハルも榀子も幸せになるためには、リクオと榀子がくっつくしかないんじゃないか」って思うからです。

ハルは多分、リクオじゃなくても大丈夫。それこそ、湊ならハルを幸せに出来ると思う(雨宮には無理)。リクオは、ハルでも榀子でも大丈夫。つか、ハルにも榀子にもフラれても、それなりに生きていける。

でも、榀子にはリクオしかいなんじゃないかって思うんですよね。申し訳ないけど、浪くんじゃあ、力不足です。

個人的には、榀子が浪くんと結ばれる未来は全く想像できない(湧くんのことがあるから、逆に浪くんとだけは絶対に無理だと思ってる)。さりとて、どこかの馬の骨にかっさわれるのも納得できない。

ハルにはリクオとくっついてほしい。榀子には幸せになってほしい。そんな矛盾する願いを叶える、私的な解決策は1つ。

「リクオが榀子と一線越えてから、別れて、ハルと付き合う」

これですな。

ハルの幸せは、=リクオと付き合う、なんですが、榀子の幸せは、=前進する、なんですよね。榀子はハルより年上だけど、精神的には、ハルよりずっと幼い。んで、榀子が子供なのはやっぱり、「男性経験がない」ってのも大きいと思うんですよね。変な幻想があるというか、無駄にびびってるっていうか。

かの北方謙三先生は、「童貞は風俗にいけ」という言葉を残しました。かなり乱暴だけど、一部、真理は突いているとも思ってて、「とりあえず榀子は男とちゃんと付き合え」ですよ。心の枷というか、変なプライドみたいなのを捨てた方が、多分うまくいくと思う(現に榀子は、初めての男女交際をリクオとすることで、最終話、少しだけ前進できた)。

ちなみに、この最終話、かなり不評のようで、それはよく分かります。序盤~中盤をかなり丁寧に描いたことで、明らかに尺不足。原作未読組には厳しかったでしょう。

大体、1巻~6巻までの内容を10.5話くらい使っているのに、7巻~11巻をラストの1.5話くらいに押し込むなんて、無理な構成でしょうに。

本来は、(原作ネタバレ){netabare}就職した後のリクオはもっとミルクホールに通い、ハルとの関係も深めていたし、榀子の拒否り具合や二人がギクシャクする感じも、ちゃんと描かれている。その上で、ハルを狙う雨宮という優しい男がいて、リクオにフラれたハルはちょっと流されそうになる。そんな状態が嫌なハルは、岐阜だったに逃げる。それを追いかけるリクオ。{/netabare}

そういう過程を経ての、ラストの駅のシーンに至るわけですよ。しかも、

(原作ネタバレ){netabare} 浪は浪で、莉緒という年上のモデルと頽廃的な逃避行があり、榀子と付き合うなんてことはないです。榀子に関しては、リクオと別れた後、寂しげに笑うカットがあるだけで、その後は不明です。アニメ最終回のように、浪の家に行くなんてシーンはない。{/netabare}

冒頭書いたように、私は榀子の幸せを心から願いますが、アニメの最終回の展開は、絶対にアリエナイ。あの改変はダメでしょ。冬目さんも、榀子の扱いに困ってた(てか、あんまり榀子を好きじゃない)から、許可とれたのかもしれないし、監督の勝手かもしれない(この監督が原作を愛していて、熱量を持って作ってくれているのは感じてて、だから、四人それぞれに結論をだしたかったのだろう)けど、とにかく、「ないわ~」と思った。

私の評価、1話から順に追っていくと、5→5→5→4→5→5→5→5→5→4→5→1ですよ? 最終回でここまで評価下げる作品なんて、過去で一番かもしれません。

いや、実は原作のラストも、自分的には100点ではないんですよ。でも、アニメのラストよりかなりマシ。

アニメ制作陣の皆様、この度は私の好きな「イエスタデイをうたって」という、すでに完結から4年以上経つ作品をアニメ化して下さり、本当に感謝しています。しかも、美しい作画と、素晴らしく原作のイメージに近い声優陣、何の文句もありませんでした。ただ、最終回。色んな思いや事情の上でしょうが、アレはないです。本当に、「画竜点睛を欠く」惜しいアニメだったと思います。
{/netabare}

【余談~ 原作漫画について ~】
{netabare}
本作、「作画」と「声優」に関しては、満点だと思います。

まず作画は、「動画工房、こんなにすげぇんだ」と思いました。原作の冬目先生は、画集を出すほど絵にはこだわる漫画家。ていうか、漫画家というより、絵描きだから、あの人(笑) それを、きらら系や萌えアニメのイメージが強い動画工房が、ここまで描ききるのかと、かなりビックリしました。


声優陣ですが、「自分の中での」イメージは、

リクオ→もう少し低い感じ。
ハル→大体イメージ通り。
木下さん→めっちゃイメージ通り。
福田→もうちょい高い感じ。
榀子→かなりイメージ通り。
浪→もう少し高いイメージ。
杏子さん→イメージ以上。

てな感じ。私はあまり、原作→アニメっていかないんだけど、先に原作を読んだ作品としては、歴代1位の納得感でした。

ストーリーに関しては、11巻を12話だから、そんなに難易度は高くないと思うけど、「原作の空気感」を大切にしているため、「間」をたっぷりとっていました。その分、「ハル×雨宮」「雨宮×みもり」「浪×莉緒」「木ノ下妹×深町」「滝下×葛原」「杏子×クマ」というサブキャラの恋愛(ていうか存在自体)をカットし、メインキャラ四人の恋愛話にしていた。

これも、12話って尺を考えると、英断だったと思う。

これだけ、「間違えずに、原作を表現してきた」のに、なんで最終回で、あんなに間違ったのかなぁ?

本作、2クールでアニメするような作品ではないけど、1クールにまとめられるような作品でもないと思います。許されるのなら、「ReLIFE」のように、「後編」をつけて、15,6話くらいでアニメ化するか、アニメの11話までを12話で描き、「みもりと雨宮、莉緒が登場するところから最後まで」を劇場版でやれれば、名作になったと思います。勿体ない。
{/netabare}


【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目 ☆5
作画、素晴らしいね。声も、概ねハマっている。原作の大ファンなんだけど、めっちゃ良かった。空気感が、原作を上手く表現できてる。ただちょっと、ギャグパートの演出がくどいかな。まあ、原作好きはあの地味で暗く変化の少ない空気感が好きだけど、アニメで入る人にはややハードルが高いから、ちょうど良いのかもしれない。

2話目 ☆5
基本的に、シナコが子供で、ハルが大人だからな。内面的には。

3話目 ☆5
半周遅れのランナー。愛とはなんぞや。印象的な言葉だよか。この回のハル、可愛いよな~。

4話目 ☆4
滝下の声も、概ねイメージ通り。この盛り上がりに欠ける回、原作好き以外は楽しめてるのだろうか?(笑)

5話目 ☆5
リクオのカメラ好きは、ここまでにもう少し推しておいた方が良かったかな。なんか、ちょっと作品のテンポが早くなってきたな、この作品の場合、あまり褒め言葉ではないんだけど。ハル、ビールじゃなくてオレンジジュース飲んでる(笑) エンゲージリングのくだりのハル、可愛いよな(笑) 湊、1話で退場か。結構好きなキャラなんだけどな。

6話目 ☆5
ユズハラ、好きなキャラなんだよな。「文化系の妙な色気」は、結構自分の好みを変えた言葉だな。この回の榀子は可愛いんだよな。この二人、怒り方が対照的なんだよな(笑)

7話目 ☆5
ゆっくり、ゆっくり、皆が進んでいく。この作品の醍醐味。

8話目 ☆5
チャンスをモノにできない男(苦笑) まあこの作品、意図的に携帯を排してるかならな。男は働いて、自信を持つことが大事。ハルの言葉に、魚住の理解度という点で負けていることを悔しく思う榀子。無理してって、リクオはダメだな~。ハル、めっちゃ理解力あって、可哀想。

9話目 ☆5
そう、どうなったって壊れないんだよ。そもそもあの発言が重い女(笑) 京子さんは大人だからな~。ハルサンタ可愛い♪ 鉄壁のシナコ(苦笑)

10話目 ☆4
福田嫁、出来る女だな~。これが本当の女子力(笑) クマさんと京子さんの恋愛話も好きなんだよな~。ムーンストーンは「恋愛成就の石」。石言葉は「純粋な愛」「母性本能」「永遠の愛」で、「恋が叶うまで自分を磨き待つ」という意味ももつ。ぴったりですな。深い意味はないし、何で連絡ないのよ? シナコさん、難しい(笑) いけ、リクオ、チャンスだ! 逃すな(勢いでヤッちまえ)! 、、、って、逃すの知ってるけど(笑) ただこれ、最終話までに、まとまるか?

11話目 ☆5
知らない天井(笑) ハルは本当は、謎料理が得意だけどね(笑) 榀子は、男をダメにするな~。小学生だよな(笑) 荷物を落としそうになって、握り直す描写、好きだな。ハルの本音と正論。完全に榀子が悪者なんだよな(苦笑) まあ、カットされてるけど、リクオも結構ミルクホール行ってたからな~。リクオ、ダメだな~。そういうことじゃない。シナコをちゃんと叱らないと。

12話目 ☆1
いや、やって良い改変と、ダメな改変があるでしょ。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 39

82.1 7 美しいで恋愛なアニメランキング7位
アルドノア・ゼロ(第2期)(TVアニメ動画)

2015年冬アニメ
★★★★☆ 3.9 (1693)
9754人が棚に入れました
西暦2016年、アセイラム姫暗殺事件から約1年半後。地球生まれでありながら火星騎士の地位を得たスレインは、専属の部下を従えて、地球軍との戦闘に参加していた。一方、新たな戦地へ赴くべく、修理を終えるデューカリオン。そこに続々と、かつてのクルーたちが戻って来る。

声優・キャラクター
花江夏樹、小野賢章、雨宮天、三澤紗千香、小松未可子、村田太志、加隈亜衣、大原さやか、中井和哉、鳥海浩輔、茅野愛衣、嶋村侑、水瀬いのり、大川透、平川大輔、夏川椎菜、興津和幸、千葉進歩、竹内良太、豊永利行、生天目仁美、三宅健太、木島隆一、逢坂良太
ネタバレ

かしろん さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

なんだかんだで楽しめました

ヴァース皇帝レイレガリア・ヴァース・レイヴァース役、小川真司さんの冥福をお祈りして。
【最終話まで見て、を追加】

【13話を見て、アルドノア・ゼロ、分割の後期スタート。】
{netabare}分割モノの後期スタートは、「あぁ、あのアニメが帰って来た」と思わせなければならない。
アルドノア・ゼロは極短的に言ってしまうと
超傲慢で超慢心な火星の人が極端な方向に性能特化したカタフラクトに乗って襲撃してきて、それをイナホが超冷静な分析力と超大胆かつ超的確な行動力を以って撃沈する
という話だ。
そこに科学的用語や澤野BGM(時にヴォーカル入り)、あおきえい監督らしい演出をエッセンスとして加えて構成している。
後期1話としてその全てを詰め込んだ、見事な始まりだった。

最初っからの宇宙戦。スレイン操るタルシスの圧倒的戦闘力。
登場する前期主要メンバー達。
火星カタフラクトエリシウムのとんでも能力とその攻略法。そこにBGMとして流れるKeep on Keeping on。
OP無しにして、EDにOP曲を流し、映画よろしく黒背景のセンターに上からのスクロールでスタッフロールを出す前期1話と同じ構成。
そして、前期感想で書いた「なんで屈折を利用した話を書かないの?」の疑問を一気に晴らしてくれた種明かし。
うんうん。
完璧に「あぁ、あのアニメが帰って来た」と思わせてくれた。

ちょっと細かく
・死んでないのかいっ
これは当たり前。殺すわけが無い。どう辻褄を合わせてくるか、が見所。
結果としてはまあまあ。
イナホの片目が義眼化してた。前期でどう繋げるか予想したが、ちゃんと頭を撃ってたのね、スレイン。
玉に瑕は姫様の状態。配信された予告のサブタイトル「眠れる月の少女」で、姫様影武者で本物寝てるのか、とネタバレされるとは。

・地球側も情報を握りだしたのか
新登場機エリシウム。これと対峙したインコが
「エリシウム。搭乗者はヤーコイムで、アルドノアドライブの能力はエントロピーリデューサー・・・」
とつぶやくシーンが入っている。
19ヶ月の戦いの中で、地球側も色々と敵の情報を入手してるのか、と分かる場面。それを活用しているのがイナホだけ、って情けない状況なのは相変わらず。

・屈折、そして、レイリー散乱
前期感想に
レイリー散乱と屈折の話は、その後にちゃんと屈折を利用して敵を倒す云々みたいな伏線にしろよ
と書いたが、ちゃんとここで活かしてくるとは。
あそこでイナホが「違う」と呟く訳だが、周りはレイリー散乱と屈折の間違いとしか取らない。だが、イナホの違うは「アレは彼女とは違う」の違う。
こういう台詞の言い回しは好きだ。確かに「二人だけの秘密」だしね。
はてさて、ちょっとだけ考えてみよう。
あの演説の中にわざわざこの屈折話を盛り込んだ、ということは、姫に化けた新キャラのレムリナもスレインに同じ質問をして、同じく間違った答えを教わった、ということだ。
また、演説終了後にスレインが「堂々としたお言葉。軌道騎士達も感銘を受けたはず」とレムリナに声をかける。
ここから推測されるのは、火星の人から見れば、大量の空気に大量の水という地球にいれば当たり前に享受できるそれが、非常に希少で羨望なものだということ。
地球にいれば、空が青いのは当たり前で、水が青いのも当たり前。だから別に疑問を抱かない。
火星にいれば、その当たり前がない。だから空や水が青く見える現象に疑問を抱く。
無いものを欲する羨望は、何故自分達にそれはないのだという憎悪を生み出す。
争い事ってのは、得てしてそういうものなんかもね。

・レムリナ
新キャラレムリナ姫の登場で、主要3人の関係性に一加わり。
イナホ ←→ アセイラム ← スレイン ← レムリナ
になるんだろう。
ってことは、前期OPの最後に銃を向けていたアセイラム姫。
実は、あれはレムリナ姫で、
「貴方が私の物にならないならっ!」
みたいな感じでスレインに銃口向けてるシーンなのかなぁ、とか、思えてきたよ。{/netabare}

【14話を見て。対比も邂逅もベタだが良い。】
{netabare}運命の2人。
後期2話で描かれるのは、有りがちだが巧い対比と、その邂逅。そして、認識。

義眼となったイナホ。その義眼には情報を収集する能力がある。
その義眼能力を使ってのインコとの会話。イナホの心がアセイラムに向いているのはインコも頭では理解済み。
そして、出て行くインコの様子を見たライエから「あなた、本当はバカなのね」。

タルシス操縦者となったスレイン。出撃のために起動しようとするも動かない。
アルドノアドライブを起動するようにレムリナに頼むスレイン。スレインの心がアセイラムに向いていることにレムリナは嫉妬。身の上話を持ち出し、レムリナから口吻を貰いタルシス起動。
そして、その様子を見ていたハークライトから「感服しました」。

前期OPからイナホとスレインの対比描写はやられているが、こういう対比はベッタベタにやってくれたほうが、見ているコチラは心地良い。


そして、戦闘。宿命の2人の邂逅。互いを認識しあい、名前をつぶやきあう。

こういうライバル関係の描写もベタだが、ベッタベタにやってくれたほうが、見ているコチラは心地良い。


ちょいと細かく
・イナホの能力と義眼
上の感想でもちょいと触れたが、イナホの突出した能力は”超冷静な分析力と超大胆かつ超的確な行動力”だ。
そこに、義眼の超情報収集能力が加わり、スーパーイナホくんへのクラスアップした。
これもイナホの分析力があるから活かせているが、あんな大量の情報を普通の人が受け取ったらかえって大混乱をおこしそう。
だが、物語的には、このままだとイナホが突出しすぎるので、イナホが収集、分析したデータを的確に活用できるサポートメンバーがいりそう。そこで、イナホが来るまで学業トップでカタフラクトの操縦にも秀でるインコの出番になるのかな。

・アルドノアドライブの起動
タルシスのアルドノアドライブが停止し、スレインが出撃出来ない。
で、レムリナを口説き落として口吻を貰い、タルシスの起動をする。
この時にレムリナは「これで1回ね」みたいなことを言っている。
うーん・・・アルドノアドライブの起動条件がイマイチ掴みきれないなぁ。
テレビでいうところの、本体についてる主電源のオンオフを握ってるのが皇帝の血筋。
スレインが持っているのはリモコンについてる電源オンオフ、みたいな感じなのかな?

・風
13話から戦闘シーンで出てくる”風”という表現。
成層圏を越えたところでの戦闘なので、地球上で大気が動く風とは違う。
壊れた月の破片が微弱な重力場となって弾丸に干渉。弾道が乱気流に巻き込まれたように直進しないことから”風”と呼んでるのかな。
これも、大気が大量にある地球側ならではの表現。

・副艦長
モテない理由会話を艦長としてる彼女。
頼むからモテる行動をしないでくれ。
モテる行動した途端に死にそうだ。{/netabare}

【15話を見て、引き続きのベタな描き方。だが、良い】
{netabare}後期は1話から徹底的にベタな描き方をしている。それが巧く良さに繋がっている。
今回ベタに描かれたのはスレインの心情変化。
驚き、戸惑い、迷い、感謝、そして、決意。
アセイラム第一主義なスレインがやろうとしていることは極単純。
意識不明なアセイラムを確実に保護していくために、いかなる手段を使おうとも、自分が権力を握らなければならない。ということ。
だけど、基本的にスレインは良い子ちゃんな甘ちゃんなので、15話でもグラグラしっぱなし。

ザーツバルムの後釜狙ってたとはいえ、すんなりかつ突然に「息子にする」と言われて驚きと戸惑い。ハークライトに「夢に近づきましたね」と言われても「夢なんかない」と言っちゃう。自分の進もうとしている道が”夢”というような明るいものでは無いと分かっているから。

戦闘。
わざと軽ダメージを受けてザーツバルムを前面に出させる。
そこで、もう用無しとばかりに、イナホ対策に張っていた罠をザーツバルムに対して仕掛ける。
ここで取るスレインの行動は、無線を使って「姫に銃を向けた貴方を許すと思ったのか」という告白。これは、本当にザーツバルムを裏切って良いのか、殺して良いのかとグラグラする自分の心を落ち着かせ、迷いを断ち切り、自分を正当化するための行動。悪く言えば言い訳。昔の作品では、ガンダムでもシャアがガルマを裏切る時に「生まれの不幸を呪うがいい」って無線で話してましたな。
そして、「お父さん」。最大級の感謝の言葉。
婚約者を失い、スレインを養子にするってことは、結局、新しい人を無つけることはしなかったんだろう。そんなザーツバルムにとって、この時にかけられた「お父さん」は人生で初めてかけられた言葉だ。お父さん、という響きに感じる少しだけくすぐったいような心の動き。それを受けての「悪くない」。

戦闘後。
赤い爵位服をハークライトより受け取るスレイン。
これまでの丁寧語を捨て、「いくぞ、ハークライト」。
スレイン・トロイヤードを捨て、スレイン・ザーツバルム・トロイヤードとして新しく生きていく決意。
そして、ザーツバルムを暗殺までして選んだ、後戻りの出来ない茨の道を進む決意。


ここまで綺麗にベッタベタに描いてくれると心地良い。心地良すぎる。
罠にかけてからディオスクリアが爆散するまでスレインの眼をフレーム外にやりつづけ、やっと画面に入ってきたスレインの眼は爆散するディオスクリアを見つめながら揺れているって演出。これもベタだが良い。


それ以外で2点ほど難癖を
・イナホの義眼
眼は脳への直結器官、とは言ったもので、イナホの義眼は脳のお休み部分を使って分析レベルの深化をさせることが出来るそうな。
それは良いんだが、自問自答モードの時に
ピューイ、キュイ
とか、変な効果音を入れるの辞めて欲しい。クソ安っぽい。
・戦闘BGM
Keep on Keeping onを多様しすぎ。ここぞ、って場面にのみ使って欲しい。
折角の良曲がダレる。{/netabare}

【16話を見て、スレインの立ち位置確立】
{netabare}イナホのライバル位置としてはちょいと弱いなぁ、と思っていたスレイン。
主人公のライバルとして、その立ち位置を確立した回。

15話での決意を受けて、非常に良い顔になった。
ザーツバルム。自分が罠にはめて殺した父。その人の言葉を元に行動する彼。そんな彼が自嘲的に浮かべた笑み。

総力戦で堕ちなかったトライデント基地をたった一人で強襲。陥落。シャアザクやシナンジュを彷彿とさせるあの動き。

そして、イナホの「仕方ない」。
トライデント基地陥落の報を受けたイナホは、この強襲が弾薬他補給物資搬送のタイミングを狙われたと推測。ただ力任せに来るだけではなく、情報の収集分析の上に襲ってきたのだ、と。
強襲場面の映像を見て、それをしたのがタルシス、スレインだと確認したイナホ。
左目を押さえて、自問自答する。
 この強襲を予想できたのではないか。
 補給物資搬送のタイミングを狙われると推測出来たのではないか。
 いや、今までの火星のやり方から、こちら側の動きや暗号、情報操作を
 分析解読するようなやり方で来るとは思えなかった。
 このトライデント基地強襲を予想出来なくても「仕方がない」じゃないか。
そう。スレインはイナホを出し抜いたのである。

これで、イナホの対スレイン警戒レベルが一段階上がった。
ここからが本当のライバル対決の始まりである。


話変わって。
16話でもベタをやってくれた。
重力発生ボールをグルグル回してストーム野郎と化す火星カタフラクト。
見てる全員が思うはず。
「いや、頭上がガラ空きだろう・・・」
ベタな技にはベタな対処法。
地球人憎しタイプでは無い騎士さんらしく、降り立った時の表情の戸惑い加減もいい感じ。


話変わって2。
トラウマさん。19ヶ月の戦闘でトラウマは解消されたようだ。
ユキ姉が勧められたカルヴァドスを入れた大人なアップルティーをゴクゴクと飲み干すのに対して、トラウマさんはストレートでちょびっと口をつける。
この辺は前期1話で酒飲みながら教官やるトラウマさんと真面目に教官やるユキ姉シーンの対象として楽しい。
そして、最後、トラウマさんはトラウマ解消記念に祝杯。
アルコールに口を付けない話をアルコールを飲む話で終えるのは綺麗な流れ。
だから、もうちょい、トラウマさんがアルコールを飲むシーンは綺麗に書いて欲しかった。コップから口に流れていく液体が雑過ぎる。{/netabare}

【17話を見て、十人十色な「籠から出る」】
{netabare}繰り返しになるが、2期になってから、各話にそれぞれに主題を置いてそれをベタにやる、ってのが綺麗にやられている。
この話でやられたのは「籠から出る」。
「籠の中」は自由を奪われた状態。だが、安全が保障されている。
「籠の外」は自由を謳歌出来る状態。だが、危険に晒されている。
はたして、どちらが良いのか。

イナホ
ユキ姉という籠の中から飛び出す。惚れた女を救うために。
「セラムさん」は、お姫様云々は関係無い。一人の女性としての彼女を助けたいという思い。
「僕をかばって」は言い訳。好きだから、と言えないのは、らしさ。

スレイン
ザーツバルムの籠を破壊して独り立ち。牙を剥かせぬようにトライデント基地を単独攻略するも、地球人、という出自が彼に危険をもたらす。

アセイラム
スレインの籠の中。眠っているのか、眠らされているのか。

レムリナ
スレインの作ったアセイラムの影武者という籠の中。ただの操り人形ではなくヴァースの皇族として生きたいという思いが芽生え始めている。

ライエ
自分は火星人、という出自の籠に囚われっぱなし。
だが、ラストにイナホから「あの時の君とは違う」と言われ、籠のカギは開けられた。飛び出せるかどうかはライエ自身の問題。

マズゥールカ
物理的に囚人。イナホから伝えられた話を確認すべく、イナホのスパイとしての立場を受け入れる代わりに脱走。

マリルシャン
地球人憎し、の籠に囚われっぱなし。先を見れていない感半端ない。
バルークルスのほうは、まだ常識人っぽい。

トラウマさん・マグバレッジ
囚われた過去から脱し、新しい関係構築。


見てての疑問
・後継のスレイン
マリルシャンが難癖つけてきているが、ザーツバルムが死に、スレインが後継となった時に皇帝の信任を受けてないものだろうか?しかも、姫の近衛騎士という重責、それ無しに後継ってだけでなれるもんじゃないだろう。
・皇族の前での行動
アセイラムの前に来たマリルシャンとバルークルス。カタフラクトの格納庫でお出迎えだが、下に降りてこずに、カタフラクトの上に跪く。上から見下ろす形になるけどそれで良いの?
・決闘
次回に説明があるんだろうけど、負けた場合ってどうなるんだろうか。決闘、と言い出した時にバルークルスが異常な驚き方してたけど、負けた場合は死、爵位剥奪ほか、何でも相手の要求を飲む、とかなのか?


決闘、するかなぁ・・・パターンは3つくらいか。

1.レムリナが止める。が、スレインが受ける
スレインはザーツバルムから爵位を受け継いだ時に正式に近衛騎士として任命しているからお門違いも甚だしい。下れ、とマリルシャンを一喝するレムリナ。
このままだとマリルシャンの鬱憤も晴れないだろう。禍根を残さぬためにも、決闘を受けます。但し、これで終わりにしてくれ、とスレイン。
で、決闘。
2.スレインがキレる。レムリナが立会人になる。
マリルシャンの姫の御前での言動にキレるスレイン。マリルシャンと言い合いになるも、ハークライトとバルークルスに止められる。
レムリナが決闘を認め、その立会人となる。
で、決闘。
3.決闘しない
レムリナが、争ってる場合かバカども、と一喝。
スレイン、マリルシャン共々、禍根を残す

レムリナとしては、その正体を知るスレインと同等の立場になっての共同戦線を張るのが一番と理解しているはず。
まぁ、1だろうなぁ。



ダイエット話。ライエの「ダイエットしない」を受けてのインコの「あ゛あ゛~っ」は良い演技でした。やるねぇ、みかこし。{/netabare}

【18話を見て、物語のオチはここかな、と思ってました】
{netabare}前話17話まで見た時点でしてた、スレインがまともだとして、やろうとしてることの想像。
・アセイラムの保全
・最小与ダメにて、地球上の自然がいっぱいなところにヴァース帝国アセイラム領をつくり、なるべく有利な条件で地球側と和平交渉
・アセイラムが目覚めた時には平和になっており、興味津々な自然をアセイラムに渡せられる

このことから、オチを考える。
・政治に対する才能やその姿勢ではアセイラムより上なレムリナが、アセイラムの姿のまま、皇帝の座につく。側にはスレイン。
・アセイラムは傷ついたイナホと共に居たいと願う。山里外れた場所でイナホと身分を隠したアセイラムが隠居生活

うーむ。
ターンAと08小隊を混ぜたような終わり方するのかなぁ。
と、思っていた。


まさか、折り返しとなるであろう18話でここまで一気に話を進めてこようとは。
これで、オチが読みにくくなってきたなぁ・・・


青い薔薇の花言葉。不可能、ではなく、奇跡、のほうに転んだか。

スレインのアセイラムに対する思いは、一女性として、というより、女神に対する崇拝や敬虔に近い感じ。
レムリナが一女性として愛情をドンとぶつけてやれば、コロッと堕ちそうな気がしないでもない。

それに対してインコ・・・
綺麗にフラレちゃったのう・・・
本当に知りたいことは見えないんだ、とか言われたら、手も足も出ないねぇ・・・{/netabare}

【19話を見て、ここまでの積み重ねから、動き出した物語へ】
{netabare}スレインに一つの奇跡が訪れる。
アセイラムの目覚め。
だが、起きた奇跡は彼に様々な代償をもたらす。

レムリナとの関係
アセイラムに扮したレムリナとの婚約、権限委譲。
他に身寄りのないものとしての共感で絆を繋ぐ2人。
だが、レムリナの抱くアセイラムへの感情を危険視したスレインは、アセイラムが危険な状態になったと嘘をつき、アセイラムの身柄を保護する。
嘘は信頼関係を崩すカギ。それが、アセイラム関係、となれば、その大きさは計り知れず。

自身の心持ち
そもそも野心や闘争欲が弱いスレインにとって、その第一だったアセイラムの回復は、逆に心の支えを失ったも同然。
だが、そんな心とは関係なく、自らの手で動かした歯車は止まらずに、自らも動かされていく。その動きに翻弄されないように、全てを知るハークライトと共に戦略を立てていく。
そんなスレインが次に心の支えとするのは、打倒イナホ。
目覚めたアセイラムが鳥の映像を見ながら「あの方」と呼んだ男。奇跡の青いバラをアセイラムに手渡すこと無く、次の行動へと移っていく。

目覚めそのもの
目覚めずにいてくれれば、綺麗な鳥は籠の中に居続けてくれた。だが、目覚めた鳥は籠から出ることを望むかもしれない。


この回のスレインの表情が良い。
本来の自分と、歯車を回してしまった演じている自分。
この間でグラグラ揺れまくり。葛藤から壁にまで当たる始末。
イナホがカッチリしてる分、スレインは色々揺れている時こそ、らしいなぁ、と感じさせる。



複数の揚陸城、複数のカタフラクトによる同時侵攻。
イナホの「動き出したんだ、あいつが」。
16話で「仕方ないか」の言葉とともに、スレインへの警戒レベルを一段上げたことを受けての言葉。


取り敢えずは・・・撤退戦だろうなぁ・・・
マズゥールカのカタフラクトが地球側に接収されているとすると、これをイナホスペシャルに改造。
このくらいせんと、まともにやれば厳しいわなぁ、地球側。{/netabare}

【20話を見て、ハークライトが読めないなぁ】
{netabare}何度も書くが、本来のスレインは野心や闘争欲が弱い。
よって、権謀術数張り巡らせる、というのはあまり得意ではない。まして、人の心を利用して、となると尚更。
本当なら、スレインがやらなければならないことは、自分の後ろ盾であるレムリナを確実に自分のものとし、どんな事実があろうともスレインの為に身を差し出す覚悟、くらいまで彼女をタラシ込むということだ。
だが、アセイラムの目覚めにより、そちらへの傾倒が増している状態。
事実を知らないものの、スレインの心が離れつつあること感じるレムリナの不安はドンドン大きくなっている。
この状況を全て理解し、危惧している人間がいる。
側近、ハークライトだ。
だが、彼がスレインにそのことを諌言している風がない。
なんでだろか。

ハークライトが野心家の場合
揺れるレムリナをスレインから寝とり、マズゥールカ、バルークルスとともに反スレイン連盟結成。
事実を公表し、レムリナを正式にトップに据えて新火星帝国とする。

ハークライトがスレインの忠臣の場合
アセイラムが救命水槽にいないのは彼女が本当に死の間際にあり、スレインの態度が可怪しいのはそのことで動揺しているからだ、とレムリナに嘘をつく。
その上で、スレインに、レムリナの手綱が緩んでるのはマズい、と諌言。

どう転ぶか、読みにくいなぁ、ハークライト。


イナホ、眼、キツそうだな・・・
初めてインコに対して「何が?」と苛ついたような態度。
脳の過剰利用で感情コントロールが怪しくなってる?{/netabare}

【21話を見て、スレイン、どこまで腹をくくってるんだか】
{netabare}レムリナの懐柔に失敗したスレイン。アセイラム、レムリナ姉妹連合に反抗されました。
・・・どうにも腹のくくり方が弱いなぁ、スレイン。
火星騎士がスレインに忠誠を誓うその一端は
アルドノアドライブの起動停止権を握ってるから
で、起動停止能力が無いスレインは絶対にレムリナを墜とさなければならなかった。
が、失敗して身柄の拘束。
今からでも遅くない。スレイン。レムリナに泣きつけ。

スレインの計画告白
アセイラム姫は平和を望んでる。
敵がいるからいけない。
敵をなくせば平和になる。
今はその浄化作業中。この身を汚してでも美しい平和な世界を築いてみせる。
ザーツバルムの言葉を忘れたのか、スレイン。牙を見せれぬほどの力を見せつけて服従させ、その後にアルドノアドライブというアメを与えることで領地の統治をすれば必要最低限の与ダメで平和は築けるだろうに。
まぁ、この場合、結局アルドノアドライブの起動権を持つ人間が上に立つ社会はそのまま残る訳だけど。

火星騎士
同時に攻めろ、だけじゃダメだろ、スレイン。
どうにも火星は戦略家はいても戦術家がいない。通信網破壊とか戦略はたててくる割にねぇ。
連携とった上で、リーダー決めて、進軍撤退の状況判断をちゃんとさせないと。
味方がやられて「なにくそ、敵討だっ!」って、そりゃ負けるわ。

もっともっとスレインがゲスなら計画は順調に行ったのに。
どこまで腹をくくって計画に邁進出来ますやら。
腹のくくり方が弱まっていることをハークライトも感じているだろうに。


イナホとインコ、会話が噛み合わないなぁ・・・
インコが体を気遣って「また眼を使うの?」って聞いてるのに、
イナホは「処理能力上がってるから計算可能」って答えちゃう。
インコ、失意で下を向く。
その様子を見るライエ。
心の中ではイナホに対して「あなた、本当にバカなのね」なんだろうなぁ。

1期OP回収
してない気がする。OP見かえしてないけど、1期OPってアセイラム、涙流してなかったっけか。若しくは涙目か。
もう一度、アセイラムが銃を構える場面がありそうな。{/netabare}

【22話を見て、やっぱオチはここなのかな、とか思いながら】
{netabare}ここまで来ると、もう、流れのままに。

イナホの告白
気を失ったイナホくん。気を失った時の為に、義眼に状況対応機能をつけてたようです。
その状況対応機能くん。シレッとアセイラムに告白しちゃいました。
状況としては
「私が知らないうちに私じゃない私がスレインと婚約してました」
なアセイラムと似てて
「私が知らないうちに私じゃない私がセラムさんに告白してました」
というもの。
まぁ、イナホの場合は、告白したのが自分の脳であり、それも記憶に残ってるんでしょうが。
そして、アセイラムはそれをしっかりと受け止めました。
アセイラムはレムリナに「想い人はいないのか?」と聞かれて「私が思うのはヴァースとその住人」と答えてますが、目線を外して答えてます。嘘、とまでは言いませんが、偽りの答えですね。
このままイナホくん退場とはならないと思うので、2人でささやかな幸せを掴みとってほしいものです。

クランカイン
クルーテオの息子、クランカインが登場。忠義心は父のそのままに、物腰を柔らかにした感じ。また、父の愛機タルシスを他の人間が乗っている現状を快くは思ってはいないようです。「博士の息子はどんな方なんだろうねぇ」と言ってた割にはスレインに対しても好意的ではなさ気。
なんだかんだあって、アセイラムを救出しちゃいました。え、マズゥールカの役割は・・・?
地球側、というか、デューカリオンに逃げようとする姫様に彼はどんな行動をするんでしょうか。
なんといっても、彼の父クルーテオは、地球生まれのスレインのことを「犬が」「下賤が」とやってた張本人。地球側のデューカリオンに行くことを簡単に許すでしょうか?


うーん・・・。話のオチとしては、18話を見て、で書いたようなところで落ち着きそうな気がしてきた。やっぱ。{/netabare}

【23話を見て、肝っ玉姫様】
{netabare}皇帝一族として育てられてるから、いざとなった時の肝は座ってるなぁ、アセイラム。

アセイラム結婚宣言&停戦申し入れ
狙いはなんだろうね。
まずは、台詞のまんま、クランカインことクルーテオ伯爵の人脈。
クランカインがスレインを訪問しに来る時に、スレインとハークライトで
「なんとか取り込めないかなぁ。そうすりゃ親皇帝派を一気に飲み込めるのに」
とか話してたことだし、先代から引き継いだ親皇帝派の人脈は結構なものなんだろう。
これを行うことで、クルーテオ、マズゥールカ中心の親皇帝派はアセイラムに付く。
状況を確固たるものにするためにクルーテオ家との婚姻関係を築く。
また、スレイン旗下を快く思わないバルークルスなどの派閥もアセイラムに流れる。
それに、姫が車椅子から立ち上がったことにより
「地球帰りとはいえ、最近の姫様はいくらなんでも変わりすぎじゃね?」
と疑念を抱いていた火星騎士はスレインに対して不信感を抱くことになる。
これで、火星は 親皇帝派&反スレイン派 vs 何が何でも地球憎悪派 に2分される。
ヘタすれば、スレインの孤立を狙える。
次に戦局の混乱。
一方的とはいえ、地球側も停戦申し入れをガン無視って訳にはいかないだろう。
一時的にでも休戦状態をつくれる。

はてさて、姫様、どうするかなぁ。
台詞が気になるんだよね。
「クランカイン。貴方の地位と人脈の全てを、私に預けて頂きます」
なんで「預けて」なのか。

イナホの気持ちをイナホじゃないイナホから聞き、
変わってしまったと嘆いたスレインの気持ちも「姫様一途で何も変わらない」とエルデリッゾから聞き。
全てが丸く収まる、って訳にはいかんのだろうなぁ・・・


スレイン
このまま行くと、地球攻撃を続けるスレインと、それを阻止したいアセイラム陣営&地球陣営の連合軍という構図になる。
図らずも、共通の敵ができる事により、姫の望む地球と火星の協力関係が出来上がるわけだ。物語としては良くある展開だが、全てが計画通りじゃないところが、スレインらしい。
どう転んだところで、彼は平凡な一少年に過ぎないのだから。

イナホ
最終決戦仕様スレイプニール。
月でのスレインとマリルシャンの決闘を見て、タルシスは同時に多方向から攻められると捌き切れないと判断。
大量のワイヤーロープを装備して、同時展開。一つ引っかかれば、それを使って超接近戦。
みたいな判断なんだろう。
左目使いまくっての戦闘になるだろうから・・・{/netabare}

【最終話まで見て、総括しながら】
{netabare}イナホはユキねぇと。
スレインは孤独で囚われの身に。
アセイラムは和平のために地球訪問。
色々あったけれど、元に、ZEROに戻った話でした。
空を舞う3羽のウミネコ。こんな風に自由にはなれないんですね。


正直、後半は息切れ感あるなぁ、とは思ってた。

姫様関係
OPにも出てこない。1期にもその存在の欠片も示されない。
そんな、クルーテオ伯爵の息子がポッと出てきて姫様掻っ攫っちゃうという、このトンビに油揚げ展開。
そりゃ、姫様が結婚云々言ったら恋愛結婚ってわけにゃいかんだろうが、物語の中くらいはねぇ、こんなリアルに則したような展開にせんでも。姫様と一高校生、一敵軍兵士の恋愛を描いても良いじゃん、と。
王道とかベタとか言われてもいいじゃん。
マズゥールカが姫様助けてデューカリオンと合流。
イナホ、アセイラムと再会し感情爆発。
姫様、火星騎士に停戦呼びかけてスレイン孤立。
スレイン対イナホ。
みたいなガッツリ展開で良いじゃん、と。
で、前期OP思い出すわけですよ。
姫様、2筋の飛行機雲に手を伸ばすんだけど、手が届かず。姫様を貫くように平行にはしる飛行機雲。
あぁ、そうか。既に、ここで明示されてたわ。

人の描かれ方
主要キャラは良い。2期の主人公とも言えるスレインのグダグダ具合も良い。彼の徹し切れなさ、非道になれ無さは今まで散々書いてきたとおり。
が、サブがイマイチ。特に火星。
クランカインとマズゥールカ。キャラの住み分けが微妙。
バルークルス。ラストが?過ぎた。仲間思いなキャラだとは示されていたが、ラストで心中に付き合うような浪花節キャラだったか?



ラストまで100点でした、とか、
カタルシスを感じる、とか、
グッと感動する、とか、
そういうのは無いけど、まぁまぁ楽しめる作品でした。
最終話も、2回目見たら、納得でしたよ。

にしても、例えばアセイラムの最後の台詞
「美しい思い出です」
と共に頬を流す涙一筋、くらいのサービスはあっても良かったんじゃ、とかね。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 24
ネタバレ

Etzali さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

「アセイラム姫の為なら、僕はどんな非難も受け入れる覚悟はできています」 byスレイン

(2015.1/15 13話)
遂に2クール目が始まりました!どれだけこの時を待ち望んだか!! {netabare}が、死んだと思っていたキャラがそうではなかったり(現実味に欠けるなぁ^^;)、新キャラのレムリナ姫(レムリナ・ヴァース・エンヴァース)はアセイラムの虚像なのかと勘ぐったり…

また、地球に降りたいという意思さえ感じるレムリナ姫。アセイラムがザーツバルム卿の言いなりにならなかったのを観ると、アセイラムの悲願をレムリナ姫が達成したいという想いがある!?

レムリナ姫が、「また、地球について教えてくださいます?」との問いはアセイラムの肉体と意思が別々にある事を意味していたりして…

ここで、レムリナ姫の名前について思った事を…最初、エンヴァース(en-vers)をアンヴァース(un-vers)と聞き間違えたのでun(アン)とen(エン)ではどう異なるのか調べてみました。
en:特定の状態にする エンヴァースだと、ヴァースのみの状態にする(ヴァース側の視点)
un:除去・解放、ある行為の逆 アンヴァースでは、ヴァースの解放もしくは除去(地球連合あるいは反ヴァース側からの視点)
という見方もできます。

そんな腹違いの姉妹ですが父親の存在がまったく描かれていないのも気になります。もしかして、ザーツバルム卿が…!?



また、ライエが「平和的解決に絶望したのかも…」と言っていましたが絶望したのではなく地球に居ては自身の声はかき消される事を知り、あくまで和平を実現する為ヴァースへと帰還したのかも。

敵のアルドノアの性能も前作と比べてチート過ぎないか?(ダンゴムシ、もとい二ロケラス以来の性能)伊奈帆が居たら弱点の糸口を見つけ出せるにしても、今のメンツじゃあね^^;
そんな状況の中、やっぱり生きてたのね。左目が義眼(一眼レフカメラでも入ってるのかな?www)になっているけど冷静な性格に、さらに拍車を掛けている印象です。(輸血が必要な状態だった。でも、誰の血を輸血したのかが気になりますね。)


まさか、起動因子を分け与えられていたなんて…そんな簡単に起動因子が他者に渡っていいものなのかは疑問に思いますね。

スレイン、「志が決まりました。」と言ったのはアセイラムを、どんな形であろう守る為であり、ザーツバルムに忠誠を誓ったわけではない。

所でスレインが火星で要職に就いたという事はアセイラムは、やはり死んだのか?
だとしたら、戦争に利用され続けた彼女の人生は悲惨そのもの。と思ったら、スレインのアセイラムへの忠義(溺愛)もここまで来ると異常。
未だ知らず知らずの内に、利用され続けているアセイラムの本当の想いはスレインには届かない…{/netabare}


(2015.1/22 14話)
{netabare}冒頭、「私、ここは大好き。だって、自分の足で歩けるんですもの。」と言ったセリフの後に、カタフラクトが多数映し出されたのには、やはりレムリナ姫はアセイラムの虚像である証拠。ヴァース繁栄の為に地球と交戦したがっているのだろうか。
もしくは、ヴァース皇族である自身の血を憎んでいる様子から地球側へと寝返る!?

OPヤバいです!!楽曲もさることながら何と言っても映像が良いですね。
特に、ポーカーフェイスである伊奈帆とアセイラムが向かい合っているシーンでの伊奈帆の表情が新鮮。その後のスレインに対してのアセイラムの涙の切なさ…

あと、レムリナ姫が出てくるシーンで舞い上がる花はクチナシかな?
文字通り、レムリナ姫はアルドノアの起動因子を宿しているから存在理由があるわけで自身からはヴァースへ何か口に出して言える状況ではない。そのクチナシの花言葉は優雅、皇族である(第2皇女)レムリナ姫にとっては皮肉でしかないでしょうね。

クチナシの花、モノ言わぬから優雅ではなくモノすら言えない儚さすら感じる優雅さはレムリナ姫そのもの。
レムリナ姫がアルドノアに起動因子を与える時、「ヴァースの血を引く者の名において…」と言っていましたが、アセイラムは「ヴァース第一皇女の名において…」だったような^^;

また、アセイラムが今までの姿からスレインと出会った頃の姿なったのと伊奈帆とスレインが手を伸ばしあうシーン、アセイラムはアルドノアを動かす起動因子を宿しているだけではなく、その生い立ちに何かしらの関連がある!?

伊奈帆の義眼、彼同様にハイスペック過ぎるだろ^^; 「韻子は分かりやすいな。って」いやいや、伊奈帆が分かりづら過ぎるだけ。
スレインが「アルドノアを持つ者が全てを握る。それこそが、問題の全て。」と言った。

私は1クール目のレビューで「アルドノアの無い世界へ変えていく展開に!?」と書きましたが、正しくは、アルドノアの力で世界を無に帰すという意味になるのでしょうか?

何か、皮肉ですね。伊奈帆がアセイラムによって起動因子を与えられたのに対して、スレインはアセイラムの事を想っているのに自身と似た境遇のレムリナ姫から起動因子を分け与えられるなんて…(1回限りではありますがレムリナ姫、結構強かだな^^;)

また、レムリナ姫が「そんなに、アルドノアが大事?」と言ったのは問題の根幹に気づいている上での発言か!?

相も変わらず、伊奈帆は天才<チートですね^^; スレインvs伊奈帆の戦闘、まるでニュータイプ同士の戦闘かと思いましたよ。

互いに互いを認識した両者ですがこれから、さらなる戦火へと突き進んでいくのか!?{/netabare}


(2015.1/29 15話)
{netabare}OPで涙したスレインの後ろ姿に写ったペンダントは、かつてスレインがアセイラムに無事に地球に降下できるように、とお守りとして渡したもの?だとしたら、それを今は伊奈帆が所持しているのをスレインが知った時が恐いです^^;

艦長と伊奈帆、会話しながらチェスとか器用ですねwww 
いやいや、「使っていない脳細胞にタスクを掛けて」それが脳の力を他の人より引き出せる事だとしたら…ヒトとしての領域を超えているだろ。

起動因子についてですが、それを持つ者の血液を輸血したとしてもアルドノアを起動できるわけではないという事は遺伝子が関係している!?
伊奈帆の遺伝子がヴァースと関わりがあるとするなら、伊奈帆の父親が鍵を握っていそう。また、アセイラムとレムリナの母親は腹違いなので、その点も含めると…

―――妄想―――――――――――――――――――――――――――――

{netabare}伊奈帆とアセイラムが兄妹(伊奈帆の父親とアセイラムの母親との子)でスレインとレムリナが義理の兄妹(スレインの父親とレムリナ姫の母親の子)とか!?
スレインの父親は科学者だった。スレインは、その後ろ盾を失う事で虐げられてきた(そうなる事を悟った上でスレインの父親はレムリナ姫の母親にスレインを養子に迎えるよう頼んだとしたら?)
もしくは、スレインの父親は伊奈帆の父親と同一人物!?(2人は兄弟か双子!?) だとするなら、2人の対峙は運命と言うにはあまりにも酷…{/netabare}

――――――――――――――――――――――――――――――――――


ハァ!?( ゚д゚) 何言ってんの!?ザーツバルム卿!? 
その真意は、スレインが12話(1クール最終話)で持ちかけた「取引」に関係しているからなのか?
もしくは、単に15年前に亡くなった妻・オルレインとの間に子供がいたらスレインぐらいの歳。そう思うと母性ならぬ父性が芽生えたのかも…

ハークライトが「また一歩、夢にお近づきになりましたね」と言ったのに対してスレインは「ぼくに夢なんてありませんよ…」と述べた。
けど、スレインの夢はアセイラムが安心して笑っていられる世界とするならアセイラムの夢は人類みんなが幸せに過ごせる世界(スレイン、伊奈帆たちが笑顔でいられる世界)。その想いのズレが、切なすぎますね。

14話で伊奈帆がスレインに対して「ウミネコにクラスチェンジか。」と言ったのはアセイラムと見た鳥がウミネコだったからなんですね。
また、カームが述べた北欧神話(オーディン)に関して、伊奈帆がオーディンとするならスレインはフェンリルになる。

ええええええええっ!? 思わず、「さよなら、お父さん…」には声を出さずにはいられませんでしたが、OP映像のラスボス感はどこへやら^^;
スレインの演説ですが12話のレビューで述べた、スレイン・トロイヤード皇帝への道が大きく前進しましたね。{/netabare}


(2015.2/5 16話)
{netabare}鞠戸大尉、トラウマを克服できたようで何よりです。伊奈帆たちが今回の戦争で変わったように…
カルヴァトスを飲む貝塚准尉(ユキ姉)とそれを断る鞠戸大尉のシーンが、大尉の成長を物語ってますね。
と思ったら、「無駄に古傷を思い出すんで…あの船にいると。」との言葉から未だ戦い続けている!?

また、ユキ姉は伊奈帆をこれ以上危険な目に合わせたくないと思ってるのだろう。それもそうでしょう、瀕死の重傷を負ってもなお最前線で戦い続ける事を選んだのは不安以外の何ものでもない。
所で何で伊奈帆なのに、ユキ姉は「なおくん」と呼んでいるのか?
まぁ、ユキ姉の事だから伊奈帆を稲穂に置き換えて穂(ほ)を別読みの穂(お)として呼んでいるだけかも^^;


初めてアセイラムとレムリナ姫の父親の名が明かされましたが、2代目皇帝ギルゼリアの犯した過ちが…浮気!?それは置いといてヘブンズ・フォールを引き起こしたのがギルゼリアなのは分かりましたが天災ではなく人災ならば何か事情がありそう…

ザーツバルム卿に、そんな特権{netabare}アセイラムの後見人{/netabare}があったなんて…
それを知った上でザーツバルムに取引を持ちかけていたとしたらスレイン、したたか者です。だがレムリナ姫はそれ以上に強かですね。(アセイラムの全てを乗っ取り、自身が第1皇女になる気か!?となると、アセイラムの暗殺を企てた真の黒幕は義理の妹であるレムリナ姫?)

マズゥールカ卿、軌道騎士にしては清らかな印象。まるで、かつてのスレインのよう…
今のスレインは狡猾さを兼ね備えたライオンとでも言うべきか。

そのマズゥールカ卿が「無意味だ、何故そんな事をする。その行為に何の価値がある!?」と言っていましたが、そっくりそのままヴァースにお返ししますよww
さらに、マズゥールカ卿を利用したマリルシャン卿・バルークルス卿の両人がザーツバルム卿亡きいま、クーデターを起こそうとしている!?(だとしたら6話で予想した事はあながち間違いではないのか?)


スレイン、爵位を得た事と実力も相まってヴァースでも徐々に認められつつあります。が、タルシスの回避運動を担っているハークライトは何か信念がありそう。(スレインの事を自身の野心の為に利用しているとか?)
伊奈帆の発した「仕方ないか…」という言葉の裏に、アナリティカル・エンジンの更なる性能が!?もしくは、アセイラムの事を想って今まで手加減してた?{/netabare}


(2015.2/14 17話)
{netabare}スレイン、爵位は得たものの軌道騎士内部での「地球人」という偏見までは払拭できずにいる。
そんな中、マズゥールカ卿が生け捕りにされている可能性が浮上。それを騎士たちはどうしても「地球人」のせいにして軌道騎士がヴァースを治める為に優位に立とうと画策している様子…
伊奈帆が「アセイラム姫を助けたい」ではなく「セラムさんを助けたい」と言ったのは、地球人としてのセラムに言い換える事で皇女としてではなく一人の人間として助け出してあげたいと言う気持ちの表れからか?

伊奈帆を想う親心なんでしょうけど、ユキ姉が思っている以上に伊奈帆は子どもから大人へと変わりつつあるのかも。
ですが、ユキ姉が伊奈帆を呼び止めようとした時の手の動きが、OPで伊奈帆がアセイラムに手を伸ばしたシーンと似ているのは何だか切ないですね。その想いは届かない…とでも表現しているようで^^;

また、スレインが1クール目で述べていた「アセイラム姫に忠誠を誓っていますか?」との言葉を伊奈帆が軌道騎士に対して問うたのはヴァース軌道騎士にアセイラムへの真の忠誠心を確かめると同時に、隙あらばヴァース内部からアセイラム救出に関する情報を得ようとしている?

それに、ライエは1クール目と違って地球連合とはすっかり馴染めている感じなのは良いですが未だ自己嫌悪(私が生まれてこなければ父はこんな事にはならなかったのにとでも言っているよう…)に陥っているのは父親を愛していたからなのだろう。

スレイン、マリルシャン卿に決闘を申し込まれた訳だがマリルシャン卿に負けるような事があってはせっかく得た爵位も水の泡…

もし万が一負けたとしたら!?
(逃げている内に伊奈帆が乗るデューカリオンに見つかり、そしてアセイラムの情報を聞き出そうと伊奈帆が出撃。そして伊奈帆がスレインとの通信でアセイラムの居場所を聞き出す、その見返りにスレインを追うカタフラクトを共闘で撃破するとか!?)

ヴァース内部でのクーデターが勃発しそう。ですが、このクーデターは協調派をも巻き込み帝政に終焉をもたらす革命となるのかも気になる所。
だとしたら、アセイラムにこれ以上危害が加わらない為に地球連合と共戦する展開になる?{/netabare}


(2015.2/19 18話)
{netabare}スレインが軌道騎士に対して今の自分(騎士)たちの状態を分からせたのは、今後スレインの思想に仇なす者がでてきた時に自分自身を擁護してくれる軌道騎士の存在(ザーツバルム卿の代わり)を得ようとしているのだろう。もしくは、スレインが不利な状況に追い込まれた時に身代わりとしての影武者が欲しいだけか?
また、アセイラムのように利用される者の心情を騎士たちに気づかせる事でアセイラムを37家紋の軌道騎士が認めるようになってくれればヴァースを統治・崩壊しやすくなると考えている?

スレイン、2度目の「僕に夢なんてありませんよ…」発言。それは夢で終わらせるつもりではない強い野心を隠す為。

伊奈帆、アルドノアドライブなんか無くてもアナリティカル・エンジンがあれば十分戦えますね^^;
今回の戦闘ですがハラハラさせられましたね。まさかユキ姉か鞠戸大尉、それか韻子が死ぬのでは…と思ってしまいました。
その、韻子の中では疑念が広がっていくばかり…伊奈帆とライエがヴァースに寝返るのではないか?また、伊奈帆はライエの事が好きなのか?とか

青いバラの花言葉、「奇跡」と「不可能」。遂に、スレインとマリルシャン卿の決闘が始まりましたがタルシスにはさらに隠された性能があると思いたいですね。
「儚い、儚い、儚いなぁぁぁぁ!」人の夢と書いて実現の可能性が難しいと解いた場合、スレイン死ぬ!?
スレインの死と同時に昏睡状態のアセイラムが目覚めるかと思いましたけど、そうなってもアセイラムかレムリナ姫のどちらかが殺されるだけか。

と思いきやスレインとレムリナ姫が{netabare}結婚だと{/netabare}…!?  
でも何かパフォーマンスっぽい気もしますけど^^; そんな折、アセイラムの容体に変化が…
この流れからいくと、アセイラムは伊奈帆とくっつきそう。

ヴァースと地球との戦争がスレイン率いる新たな国の建国により、戦火は激しさを増しそれぞれの思惑も交錯していく事に!?{/netabare}


(2015.2/26 19話)
{netabare}2クール目に入って何かと衝撃的な展開が多いですが、終盤になると主要キャラがバンバン死んでいくような感じも否めませんね。戦争モノだからしょうがない事なのかもしれませんが…

ともあれ、地球から無事にヴァースへと帰還したマズゥールカ卿。伊奈帆の思惑通り、スレインの目的を探れるのか?
そのスレインの目的の過程はザーツバルム卿が成そうとしていた事とそっくりなのにアセイラムを生きたまま利用するか・殺して権力を得るか、で軌道騎士の士気にここまでの影響が出るという事は「皇女」でありアルドノアの起動権を持つから。

だとしたら、レムリナ姫はアセイラムの為にスレインによって利用され最後は殺される!?
「もう、この手に掴めるものが力以外に無いのなら…」やはり、アセイラムの想いを受け継ぎ戦力・権力を持ってヴァースを統治するつもりなのか?

地球連合本部は、デューカリオンを遊撃隊とする事で敗戦した時の責任を全て押し付けようとしている雰囲気がありますね。けど相変わらずの戦力差があるわけで、いくら伊奈帆が居るからと言っても余裕があり過ぎな気もします^^;

スレインが涙を流せなかったのに対して、レムリナ姫が涙した対比の演出がそれぞれの抱える欲と葛藤を表しているようで…切ない
それに、本当の「クチナシ」はレムリナ姫でなくアセイラムになってしまった要因がスレイン自身にある事を自覚しているのか?
もしそうだとしたら、スレインの目的は達せられているんじゃ…

「恐ろしくもある」と述べたスレインの心情は、今のスレインをアセイラムが認めてくれるかどうか不安なんでしょう。拒絶されれば今までスレインがアセイラムの為に行ってきた事は全て無意味になってしまうから。

伊奈帆たちに襲い掛かるカタフラクトが今までの単機ではなく複数で挑んできましたが、この窮地を伊奈帆はどう切り抜けるのか!?{/netabare}


(2015.3/9 20話)
{netabare}火星カタフラクトは機体によってそれぞれ特性がありますが、光学迷彩や雷撃マダワカル(゜д゜)(._.) ゥンゥン。いや、分身とか( ゚д゚)!?
00ライザーもビックリの粒子放出量ですねwww 

所変わって、あの日のスレインの涙の叫びはアセイラムの力になりたいと常日頃から思っていただけに、植物状態の彼女の姿はスレインにとっては信じたくない事実であり、その事実を変える為に力を手に入れるという決意の涙なのかも…

またスレインが権力を得たように伊奈帆もアナリティカル・エンジンという力を手に入れていますが、それも無敵ではなく何かしらのリスクが伴う様子。徐々に記憶を蝕んでいくのか、それとも身体的なものか…
ともあれ、2人は何かを失いながらも守りたいモノがある。
スレインの火星騎士を用いた策略と伊奈帆たちの計略は、どちらが戦争を終わらせるキッカケを作る事が出来るのか!?
もしくは、戦争を終戦へと導くのはやはりアセイラムなのか?
そのアセイラムの記憶が戻った時、スレインはどのような行動にでるのか?
アセイラムの幸せを願う想いは変わらない。という事は、自身を責め続け最後には自ら命を絶つ!?{/netabare}


(2015.3/18 21話)
{netabare}火星騎士は今の今まで自らの慢心に溺れて伊奈帆に敗北してきましたが、ようやく勝利を手に掴む時が!?
それにスレインの大義・目的がハッキリしましたが、そんな事をして得た地球をアセイラムは喜ぶでしょうか?そうではないと彼自身が一番分かっている。
それにアセイラムの為を想って自分の意思で進んできた道が、結果として彼女を悲しませる事になってしまった。

また、地球連合のデューカリオンですが連合本部に良いように利用され戦況が危うくなったらデューカリオンを切り捨て全てをヴァースの責任とするつもりなのでしょうか?
だとしたら、ヴァースとの戦争を地球連合は終わらせる気がないのかと思ってしまうが…

分身が可能なカタフラクト、オルテュギアのコックピットは機体内部ではなく上空などの離れた所にある?そうじゃないと分身が撃破された時に出てくる分身体が動いているのが説明つかないかと^^;

遂に、アセイラムとレムリナ姫が対面!こりゃ、スレインはアセイラムかレムリナ姫のどちらかに撃たれそう…

伊奈帆のアナリティカル・エンジンの凄さは異常ですね!だが、今後ヴァースが更なる連携をとって戦闘を仕掛けてきた時に今回のように勝利する事ができるのか?

ここにきて新キャラのクランカイン・クルーテオ伯爵登場。亡き父クルーテオを殺害したザーツバルムの名をスレインが受け継いでいると知った時、クランカインはアセイラムとレムリナ姫を救いだしスレインを粛清する展開に!?{/netabare}


(2015.3/25 22話)
{netabare}スレイン、利用できるモノは何でも利用するといった感じですが、かつて伊奈帆とスレインが初めて対峙した時に伊奈帆が発した「利用されると困るのか?」という言葉を思い出しましたね。

レムリナ姫、「あなたが、あのまま眠っていれば全ては丸く収まっていた…」それでもスレインの意志は変わらないと思うけどな。
アセイラムが死んだら死んだで、何としてでも地球に報復してやる!とでも言わんばかりの復讐心で爵位を得ていただろうし。

復讐心といえば、父親を殺されたクランカインもといクルーテオ卿もスレインに対して内心穏やかではなさそうだが…
スレイン、地球に帝国を築く事に関して「それがアセイラム姫の望みでしたから」何故に過去形!? 本当にアセイラムの事を慕っているのなら「それがアセイラム姫の望みですから」で良いのでは?
そうでは無い所をみると、スレインもまたアセイラムを利用し自らの目的をアセイラムの目的とする事でスレイン自身の野心(かつてはアセイラムの為を想っての事だったが、いつしか自身の野望へと移り変わっていった)を隠そうとしている?

いやはや、アセイラムは戦争に利用され戦争で死んでいく運命という何ともいたたまれないですね^^;
ところでバルークルス卿、「超電磁ボビンに巻かれた超超電磁ワイヤー」ってコンバトラーですかwww

スレイン、伊奈帆との銃撃戦でカスるのではなく撃たれれば少しは緊張感があったと思います。
しかし、アセイラムが誰を想っているのかがハッキリしましたね。スレイン、泣くなよ…(ノД`)・゜・。

また、1期でアセイラムが「もう軌道騎士の愚行を止める者はいないのですか。」と言いましたがスレインではなかったのですね^^;
スレイン、とことん悪役・ラスボスっぽくなってきてますが最後はどういう結末を迎えるのか?

①スレインが死に、伊奈帆とアセイラムが生き残る
②伊奈帆が死にスレインとアセイラムが生き残る
③伊奈帆・スレイン共に死にアセイラムだけが生き残る
④伊奈帆・スレイン、アセイラム共々死ぬ
⑤上記の3人とも生き残る

個人的にはスレインはクランカインに殺され、伊奈帆はアナリティカル・エンジンの副作用により行動不能となりアセイラムだけが生き残り、ヴァースと地球の和平の実現に向けて新たなヴァースを築く事になるかと思ってます。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 17
ネタバレ

かげきよ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

止まらぬ侵攻再び!?

地球人VS火星開拓移民の戦いを描いた物語。
あれから19ヶ月後、再び戦争の足音が近づいて来る…。


1期は気になる所で幕切られましたので待ってましたの続編です。

※13話感想{netabare}
19ヶ月が経ち主人公達のあれからを紹介する2期のスタートとなりました。

まずはスレインですがパイロットとしての能力も上がり出世もし
火星側の主人公として立派な立ち位置を確立。
アルドノアの力はやはりアセイラム姫とのキスで覚醒したようです。
博士や血筋が絡んだりもするのかも?
などと色々と予見も頭を巡っていましたがシンプルな解答でした。
ただ姫の平和への願いを継承していない所を見ると他人への不信感が伺えます。
伊奈帆やザーツバルムに痛い目に遭わされている訳ですし、
もう自分しか信じられないのかも…もしかしたら自分すらも。
根っこの所で「愚かな人類は要らない」と言う気持ちがあるのかも知れません。
彼の言動が後半のシナリオのメインになって行きそうです。

そのスレインにかなりの銃弾を浴びせられたザーツバルムも健在。
これにはかなり驚きましたが悪役ながら好きなキャラでもあったので嬉しい驚きです。
皇家への憎しみが完全に払拭されたのかは分かりませんが
彼の性格上スレインを裏切る事は無さそうです。少なくとも借りを返すまでは。
誇りある彼の言動を今後も期待しています。
またザーツバルムの生存により姫や伊奈帆の無事にも期待できる見せ方になっていて
さりげなく上手い構成だなとも感心してしまいました。

そして1期では紛れもない主人公だった伊奈帆。
ラストの被弾シーンは何度見ても致命傷なので正直無理かなと思っていましたが
彼もアセイラム姫とキス(人工呼吸)を交わしていた為デューカリオンが再起動し
一命を取り留めました。
ただ、助かる可能性があるとしたら火星側の医療技術しかない…と思っていたので
地球の施設に緊急搬送出来たくらいで助かっちゃう(&後遺症もなく戦線復帰)のは
ご都合主義だなと感じてしまいます。
それでも緒戦から相変わらずの閃きと技能を見せ
左目に新たな輝きを宿した伊奈帆の活躍は楽しみではあります。

ラストは人が変わってしまったかの様なアセイラム姫。
開始直後の演説にはやはり違和感があり、替え玉か記憶障害による洗脳かな?
と思っていましたがレムリア登場で替え玉と判明。…って、レムリアって誰!?
姫って一人っ子では無かったのかな?
侍女が付いてるって事は正当な血筋っぽいけど正当なら替え玉の必要はないわけだし…。
この当たりの謎はスレインやザーツバルムのビジョンと重なって
大きな見所になりそうで楽しみです。
平和の鍵を握る眠り姫の目覚めは如何に!?

総じて期待感の高まる再スタートでしたが、
この1話で気になっていた主人公達の安否やキスによるアルドノア継承の手の内等を
早々にほとんど明かしています。
前期からのあれだけ強烈な引きなら、もう少し引っ張り謎深い仕掛けも出来たのでは?
(逆に言えば1期ラストはやりすぎで煽るための演出の意図だったのでは?)
と言う気もして、勿体無さや多少の不安も感じています。
しかし明かした事により更に深いシナリオになっていれば
称賛を越え絶賛に値しますので期待して続きを観たいと思います。
{/netabare}

※14話感想{netabare}
ヴァース皇帝に老いが見え後継者問題がゆっくりと首を擡げつつあるなか
地球と火星の宇宙での激突は必死の状況。
前哨戦となる小競り合いの中、伊奈帆とスレインは互いの存在を確認しあう。

前回謎だったレムリアの出自が判明。腹違い、どうやら妾の子。
自身の存在価値に不安も見えアセイラム姫が目覚めた時、
この嘘の代償が高く付きそうな予感がしてきました。

伊奈帆は機械の左目を獲得しアップグレード!
彼の長所が益々伸び、これなら無双にも説得力が出てきました。
この技術、スカウター形式にして一般兵にも普及できたら互角に戦えそうな気がしますが…。
クラスチェンジしたスレインとの戦いはやはり面白く、この先も期待大。
宇宙での戦闘シーンも迫力ある描き方が出来ています。

そのスレインはザーツバルムと革命の大志を共有し起つようですが
心の一番はやはりアセイラム姫の様な気がして、
これに関してはザーツバルムの方が純粋な感じはします。
二人の行く道が太く広がるのか、何処かでズレるのか、心の動きにも注視しています。
{/netabare}

※15話感想{netabare}
地球側、火星側それぞれの異邦人に差別がありながらの開戦。
ザーツバルムと絆を深めたかに思われたスレインであったが
その融和な表情の奥に隠されていた牙が光る。

前話で「心の動きにも注視」なんて悠長なこと言ってたらいきなりこの展開。
ザーツバルムは好きだったのでもう少し観たかったけど
想像を超える展開の早さで楽しませてくれます。
どうやら狙い通り爵位を継いだスレイン。
【予想】{netabare}更に登りレムリアと婚姻して皇子、行く行くは玉座も狙っているのかも。{/netabare}
「姫の平和への志を継いでいない」と思われましたが
立身出世すれば見えてくる世界もあるのかも知れません。
彼の本心が何処にあるのか探りながら観る必要がありそうです。

タルシスの能力はちょっとした未来予知。(その種は周囲スローモーション化かも知れませんが)
分析の鬼となった伊奈帆との先読みの頭脳戦も非常に楽しみです。
{/netabare}

※16話感想{netabare}
援軍の使命が一段落しデューカリオンは地球へ。
スレインは名実ともに爵位に見合う活躍を見せ、その存在を確固たる物にしつつある。

久々の鞠戸さん。
どうやら不安がありつつもカタフラクトを動かせる状態にはなった様ですね。
1期は活躍しそうでしない微妙な存在でしたが2期での覚醒を楽しみにしています。

微妙と言えば今回のマズゥールカ卿のカタフラクトもあの玉で派手な攻撃するのかと思えば
意外と地味…そしてちょうど上空に伊奈帆がいたのが運の尽きでした…。
(あの玉ランダムに回転させる工夫出来なかったのか!?…とツッコミつつ)
多分、鞠戸さん殺してないと思うので捕虜にしてますね。打開の鍵になるかな?

ユキ姉さんの複雑な気持ちも良く判ります。
…どんなに有名になろうとも地球の鍵となる人物になろうとも可愛い弟ですもんね。
こういうちょっとした描写もちょくちょく丁寧入れて気持ちを積み重ねて、
感情ゲージを貯めて最後の方に繋げていくこの雰囲気、やはり良作になりそうだなと感じます。
{/netabare}

※17話感想{netabare}
伊奈帆は捕虜にしていたマズゥールカ卿を心を理解し真実を告げ協力者とする。
スレインはレムリナの心を理解しきれずマリルシャン卿からの決闘を招くことになる。

伊奈帆の分析眼は人の領域越えてますからね…生けるウソ発見機ぶりがスゴい。(笑)
でも軍規違反の独断が過ぎているので内紛の種になりそう…。

スレインは傀儡としたレムリナの心を軽視してしまいました。
戦闘技能はクラスチェンジしましたがコミュニケーションは不器用のままです。
今回の決闘はとりあえず力でねじ伏せられると思うけど
籠の中の鳥だと気付いてしまった者の羽ばたきは止められないかも…こちらも内紛含みです。
{/netabare}

※18話感想{netabare}
地上では伊奈帆が戦場で、月ではスレインが決闘で非凡な才能を見せ勝利する…。

伊奈帆に関してはいつも通りという感じでしたが、
スレインは技能だけでなく戦術眼にも大分成長が見られ、
いずれ始まるこのハイレベルな二人の対決の時への期待が高まります。

そして、やはりの婚姻。
青い薔薇の『不可能』はアセイラム姫目覚めへの諦め…
諦めて道を唯独りで進む決意をしたように思えます。
でも『不可能』を覆す事こそが『奇跡』と呼ばれるもの。
彼女が目覚めた時、スレインは何処まで行ってしまうのでしょうか。
{/netabare}

※19話感想{netabare}
スレインの進行の手は止まらず。姫が目覚めても…。

一度回り出した重い歯車はスレイン自身でも姫でももう止めようがない様です。
火星騎士達は単独での功名を捨て団結しての地球進行を開始。
複数のカタフラクトの連携で更に激しい戦いとなり、慢心した地球側の苦戦は必至となりそうです。
この状況を知ったアセイラム姫の心情や
目覚めた姫の事を知ったレムリナ姫の存在意義への葛藤、
それら全てを背負ったスレインの胸中も気になるところです。
{/netabare}

※20話感想{netabare}
連携した火星騎士の活躍により戦いの形勢は火星が話に傾く。
そんな中、伊奈帆が解放したマズゥールカという埋伏の劇薬も効果を現す。

埋伏の毒というより回復薬かな…ついに記憶を戻したアセイラム姫。
レムリナ姫の方の心も悲鳴を上げちゃってますし…。

17話感想と被るけどスレインは人の心を軽視しちゃってます。
戦闘技術や戦術眼は伊奈帆に引けを取らないけど
孤軍奮闘しちゃってる分、仲間に囲まれた伊奈帆とはこの辺りが差になってるかな。
本人も覚悟しているだろうけど近々犯した罪への報いがやって来そうです。
{/netabare}

※21話感想{netabare}
伊奈帆達の活躍により連携する火星カタフラクト隊を撃破。
スレインは記憶を戻したアセイラム姫にも臆さず政治・軍事を掌握し続ける。

伊奈帆は流石の奮闘ぶりでしたがあの左目は負担も大きい様子。
どのくらいの負担なのか不明だけど結構重そうで
今後、戦局と自分の命を天秤に掛けながらの戦いになっていきそうです。

スレインは戦争のない統一世界へ向け強行している様子。
皇家を抑えて火星側を統率しまるでクーデターの様な状態。
次回はそこへ皇族派クルーテオ伯の子息が訪問するようなので波乱がありそうです。
{/netabare}

※22話感想{netabare}
ついに月及び近接揚陸城への攻撃が開始され、その陰でアセイラム姫暗殺部隊も動き出す。
その作戦を察知した伊奈帆は姫の救出に向かう…。

何か…地球側の巻き返し具合が凄まじい…もう本営攻撃かなんて思いつつ、
激化する戦闘の中、それぞれの思惑を抱えた者達がそれぞれの思考で動き出しました。
アセイラム姫は助かりそうな気配ですけど、レムリナ姫は何やらヤバそうな雰囲気が…
戦争も大詰めで次回がまた気になります。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 33

72.0 8 美しいで恋愛なアニメランキング8位
雲のむこう、約束の場所(アニメ映画)

2004年11月20日
★★★★☆ 3.7 (852)
4706人が棚に入れました
日本が津軽海峡を挟んで南北に分割占領された、別の戦後の世界が舞台。
1996年、北海道は「ユニオン」に占領され、「蝦夷」(えぞ)と名前を変えていた。ユニオンは蝦夷に天高くそびえ立つ、謎の「ユニオンの塔」と呼ばれる塔を建設し、その存在はアメリカとユニオンの間に軍事的緊張をもたらしていた。
青森に住む中学3年生の藤沢浩紀と白川拓也は、津軽海峡の向こうにそびえ立つ塔にあこがれ、「ヴェラシーラ(白い翼の意)」と名づけた真っ白な飛行機を自力で組立て、いつかそれに乗って塔まで飛ぶことを夢見ていた。また2人は同級生の沢渡佐由理に恋心を抱いており、飛行機作りに興味を持った彼女にヴェラシーラを見せ、いつの日にか自分たちの作った飛行機で、佐由理を塔まで連れて行くことを約束する。
しかし、突然佐由理は何の連絡も無いまま2人の前から姿を消してしまう。

声優・キャラクター
吉岡秀隆、萩原聖人、南里侑香、石塚運昇、井上和彦、水野理紗

ジャーファル♪ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

【ネタバレ有】「切なさと物足りなさの両方を感じる、“発展途上の”新海作品!」

 

 新海監督の代表作の一つであり、新海監督の3作目にして、“初の劇場長編作品”である。


 この作品も、「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」同様、主人公とヒロインの“心の距離”と、その
“距離感の変化の速さ”をテーマとしているため―、

 ―今作においても、“主人公・浩紀(ひろき)”、“親友の拓也(たくや)”、“ヒロイン・佐由理(さゆり)”の3人が、“物理的な距離”を置くことで、彼らの“心も”また、以前とは違った距離感へと変わっていく…そんな関係を描いており、今日の新海作品に見られる“絶妙な心の距離感”は、こうして培われてきたんだと思わされる…、そんな“成長途中の未完成さ”を感じる作品となっている―。



 では早速、レビューへと移るが、新海作品(=新海誠監督の作品)の中でも、これほど“評価が二分される”作品は珍しいだろう―。


 (まずは否定的な意見から書かせてもらうと…)

 前述したとおり、この作品は、新海誠が今に至るまでの“軌跡(の一部)”のような作品であり、成長途中であるが故に、まだまだ完成度は低い。

 作画も今の新海作品に比べれば、“風景描写の緻密さや色合い”もまだまだで、欠点が見つからない最近の新海作品とは違い、「監督自身が伝えたいことは何なのか…」を理解することの方が難しい。


 また、全く情報の無いままこの作品を観た人からすれば、(といってもほとんどの人がそうだろうが…)、何かと“理解しづらい設定”で(…複雑なのに、詳しい説明もないため)、頭に何度も疑問符が浮かんだ人も少なくないだろう。


 その中でも、最もピンとこなかったのが、“ユニオンの塔”(=あらゆることの象徴であり、その本質は軍事兵器)に関連する設定だろう―。


 例えば、作中では、ユニオンの塔と関連して“平行宇宙”という言葉が使われるが、これは現実世界でも使われる、いわゆる“パラレルワールド”のことで―、
 ―「自分たちがいるこの世界とは、別の世界が存在している―」という概念であり仮説である…、のだが、そういった知識がないと、作中での会話や内容を理解するのは難しい―。


 また、ユニオンの塔の本当の目的である「平行宇宙との位相変換により、世界を書き換えること―」のくだりでは、その活動能力を抑制しているのが“佐由理”であり、そのせいで佐由理はずっと眠ったままである…、という説明があったが―、

 ―この2つを結びつけるのは、「佐由理の祖父が塔の設計者」ということだけであり、“アバウトに世界観全体を観れる人”には十分納得できる理由かもしれないが、そうでない人には、全く意味の分からない結びつけ方であり、それが尾を引いてしまったかもしれない(…が、そこを掘り下げるのは“野暮”だと感じたりもする…)。


 他にも、作中に登場する“蝦夷(えぞ)”だが、現実世界の“北海道の古称”としての蝦夷ではなく、“現実とは別の世界の”戦後を舞台にしたこの作品内での、北海道のことを指している。

 なので、作中にも1999年などの“西暦”が表れるが、今より以前の日本と同一視してしまうと、話がよく分からなくなってしまう。
 なぜなら、学校の校舎や町の感じを見る限りでは、少し前の日本の風景なのに、“ユニオンの塔”と呼ばれる建造物や、後半の戦闘シーンでは“ステルス機”のようなものが登場しており、明らかに、現実世界の今よりも科学が発達している。

 そのため、この世界は、“現実とは全くの別物”で、かつ“西暦とは全くつながらない”科学の進んだ世界だと認識して、この作品を観ないとついていけない。



 と言ったあたりが、「よく分からなかった」という内容の、よく見かける“否定的な”意見の理由であり、
“現実味がないストーリー”や、“論理的に成り立っていない設定”に辟易(へきえき)した人もいるのだろう―。


 新海作品を崇拝し、個々の作品に対してではなく、“新海誠監督の作品が”好きだ、という人達からすれば、この作品もまた名作なのだろう―。

 自分は、新海誠さんを、宮崎駿さん、細田守さんらと同じく、“今のアニメ映画界の中心的な人物”だと考えている…、が、逆に言えば、あくまでアニメ映画という大きな枠の中の、“一(いち)監督”だとも思っている(新海監督に限らず、宮崎、細田両監督含め)。

 言いたいことは、つまり、同じ新海作品でも「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」は、アニメ映画という枠の中でも、“名作”だが、この作品は“それほど大きなウエイトを占めてはいない”のではないか…、ということである―。

 なので、「とにかく新海作品の世界観(作画含め)が好きだ」という人の、この作品の評価に対して、口をはさむつもりはないが、他のアニメ映画作品と“相対的に”比べれば、この作品はまだまだ“未完成”で、上にあげた2つの作品もしくは、他の名作アニメ映画とは、世辞にも“同格”とは言えない…。



 …と言うのが、この作品を“観終わってすぐ”の感想であった―。

 なので、ここまでの評価を見る限り、どこが評価が二分されているのか、と思うかもしれないが、次に挙げる点こそが、この作品の評価を二分する理由であり、ここまで批判的な事ばかり書いておいてあれだが、これこそがこの作品の“本質”だと確信している―。


 確かに、この作品を“観終わってすぐ”の感想は、SF的設定の内容云々(うんぬん)ではなく、主人公たちの“心情の変化”や“お互いの関係性”から、いろいろと視聴者に感じてほしいのだろうが―、
 ―やはりどうしても今の新海作品と比べると、その描き方も、“発展途上感”を感じずにはいられない、というのが本音であった。

 それでいて、それ以外の要素も、全く“答えを得ることが出来ないまま”終わる訳だから、いかに“完結の仕方”が大切か(例えば、「言の葉の庭」で言えば、最後に2人が進むべき方向へと向かっている様子が描かれている…)を感じさせられる内容になってしまっているな、と感じた。


 現実味がないストーリーや、論理的に成り立っていない設定に、否定的な意見がよく見られ、自分も最初は同じようなことを感じてはいた。

 しかし、こうしてレビューを書きながら、改めてこの作品を振り返ってみると、“視点を変えて”観てみれば、それほど気になることでもないと思わされる。

 つまりは、この作品の最も本質的な、“孤独感”の中を生きる3人の心の有り様や、それを映し出しているかのような、“緻密で美しい風景描写”、“背景色の淡さ”に注目してこの作品を観ることで、この作品の“良さ”というものが見えてくる―。


 この作品が上映されていた頃の自分なら、間違いなく、多くの人が言っている、「意味が分からない」というような感想を持っただろう―。

 しかし今の自分なら…、長い人生の中には、誰しもが必ず、“孤独感を感じる瞬間がある”ことを知っている今の自分なら、まだまだ未完成な部分は感じながらも、上で挙げたようなこの作品の“本質”を、十分に理解することが出来る―。



 また、この作品や前作の「ほしのこえ」でもそうだが、実は新海監督はこういった“SF世界もの”を描くのが好きなのだろうと思う。

 まぁしかし、皮肉にも、新海監督の“才能の開花”は、より“現実的な世界観”を描くことで現れた訳だが…(確かに、新海作品の一番の特徴であり長所である風景描写の美しさは、SF的世界を描くことよりも、現実の“どこにでもある”風景の美しさを、観ている自分たちが“再認識させられる”ところに、その魅力と意味があるように感じる…)。

 実は、新海監督の作品を“逆にたどった”自分としては、この頃の作品に見られるこのSF的要素が、新海監督の違う一面を垣間見ることができ、実に“新鮮だ”と感じて良かった。



 また、この作品は“音楽”が素晴らしい―。

 作中でも主人公たちが“バイオリン”を弾いているからか、主題歌の「きみのこえ」のイントロ部分でもバイオリンが使われ、その“重低音”が心に響く。

 それでいて、歌っている“川嶋あいさん”の声が、とても澄んだ優しい声で、それが歌詞にも重なり、すごく“儚い”気持ちにさせられ、その気持ちのまま、この作品を観終わることが出来る―。



 すでに“成熟した作品”を観てしまうと、どうしてもその監督がもともとこのレベルの作品を作れる人間なんだと“錯覚”してしまうことがあるが―、この作品を観れば、誰しも昔は、まだまだ“手探り状態”みたいな時期があったんだなと、改めて感じさせられる―。


 この作品は、今の新海作品を支える“礎”であり、“粗削りさ”を感じる中にも、今の新海作品に通ずる
“何か”が確かにある―。

 それを感じることが出来た人たちにとっては“名作”であり、自分は運よく、それを感じることが出来たのだろう―。
 なので、この作品も、また一つ心に刻まれた作品となった―。

 (終)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5

. さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

宇宙も夢を見るのだそうでございます。

本作品は語ります。宇宙も夢を見るのだそうでございます。宇宙の見る夢は様々な可能性を表した別世界。これを並行世界と呼ぶのだそうです。そしてその並行世界を人は無意識の内に夢等の形で見ているのかも知れないと・・・。とてもロマンチックなお話でございますね。


本作品は”新海誠”様の3作目の監督作品でございます。4作目が「秒速5センチメートル」になりますので、1作品前と言う事になります。「秒速5センチメートル」がどなたにでもお勧め出来る作品なのに対し、本作品は残念ながら少々人を選ぶ作品かと思われます。それ故、冒頭にて少しだけお断りをさせていただきたいと存じます。

先ずパッケージ絵の印象に反し、舞台はリアルな現代では無く、仮想世界の物語となっております。但し荒唐無稽なSF世界と言う事ではなく、日本を舞台とした別の世界と言う設定でございます。
ワタクシの物語に対する評価は☆3.5。少々厳しめでございます。これは壮大なストーリーで有るが故に、世界設定に対する説明、登場人物の感情の変化、心情の描写が少々足りていないと感じたからでございます。また全体時間も長すぎました。良い作品ではございますが、中だるみ感を感じてしまった点が大変残念でございます。これら残念な点を見事に克服し、そして”新海誠”様の本当に描きたかった主題を描いた作品が「秒速5センチメートル」では無いかとワタクシは”勝手”に思っております。

ワタクシ個人の意見で大変恐縮ではございますが、この作品における最大の問題点はOPでの回想描写かと思われます。小説に忠実であるが故の描写かと思われますが、正直この描写は小説を読んでいない方には混乱を招く要因でしかございません。よって、これが有る故にエンディングの解釈をあやふやにしてしまう可能性があると思われます。この点、本当に残念でございます。少々辛口な事を申し上げましたが、ワタクシはこの作品が大好きでございます。それ故にこの作品が酷評を受ける機会を少しでも少なくいたしたく、先にお断りをさせていただきました次第でございます。


それでは本題に参りましょう。
2004年の作品でございますが、今でも十分にトップレベルの作画クオリティーを持っております。さすがに次作品である「秒速5センチメートル」には一歩及びませんが、それでも息を呑むほどの突出した背景描写の美しさ。正に芸術の域では無いかと思うほどでございます。
「秒速5センチメートル」でも印象的でしたが、本作でも”駅の描写”、”電車の中の風景描写”、”草原と風の描写”等がとても印象深く、そして幻想的に描かれておりました。又、本作では飛行機が空を舞う描写が特に素敵でした。静寂な空間を滑るように飛ぶ浮遊感・・・。本当にお見事と言うしかございません。美しい風景描写の中で、3人の青年の追い求める夢と揺れ動く心情を背景に見事に重ね合わせ、とてもファンタジックな作品に仕上がっております。音楽も素敵でございますね。要所×2で掛かるBGMは大変作画にマッチしており、雰囲気を盛り上げてくれます。ED曲の『きみのこえ』も大変印象的な曲でございました。


冒頭で宇宙の夢についてお話させていただきましたが、本作では3人の青年達の叶えたい夢と、人が眠りの中で見る夢をかけている様でございます。
主人公の”藤沢 浩紀”様と”ヒロインの”沢渡 佐由理”はお互いが惹かれあい、そしてその思いはいつしか恋心へと変わっていきます。しかし無情にも2人は引き裂かれてしまう。”藤沢 浩紀”様が”沢渡 佐由理”様を思い、心を詰まらせていく描写。正に「秒速5センチメートル」の主人公を彷彿とさせます。

離ればなれになった2人はお互いを眠りの中で夢見続けます。現実世界では逢う事が叶わない2人。でもお互いが探し合い、激しく求め合うことでいつしか2人の夢はシンクロしていくのです・・・。
2人が交わしたあの日の約束。叶えることの出来なかった夢。
主人公は決意をします。一度は破れた夢だけど、一度は果たすことが出来なかった約束だけど。夢を現実にしようと。あの日の約束を叶えようと・・・。


「雲の向こうのあの場所にいこう。あの日交わした約束を果たしにいこう」 物語は大きく動き出します。
どうぞ2人の夢を、2人の恋を・・・応援してあげて下さい。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 20
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

その先に約束は存在しているのか

視聴前 どういう

視聴後 おお

この話は北海道がユニゾンに侵略された話
ジャンルは恋愛・飛行機・中学生
新海誠作品の中で一番好きな作品です。私は当時この作品を見ていなかったのですが、秒速5センチメートルを機に見ました。
本作は物語というよりテーマを重視した作品なのかな、という印象です。序盤も中盤も終盤も基本は遅い展開です。内容もあまり濃くなく、「儚い淡い物語」と表現すればよいのですが、お世辞にも正直そうは言えません。が、現時点(2020・6)では満足できる新海誠の作品がないのでテーマがちゃんとしてる本作は一番という感じです。若干消去法感が否めませんが、とりあえず「本作が一番良かった」ということにしときましょう。
さてここまでテーマが良いと言ってきましたが、そのテーマについて述べていきたいと思います。
本作でおそらく一番出てくる単語「夢」とそれの「忘却」です。{netabare}本作のヒロインであるサユリは夢の中に閉じ込められていきます。しかし閉じ込められてもなお体には意志があります。それは今まで過ごしてきた現実の中で交わした約束にすがっているからです。その約束さえなければサユリはとっくに夢の中にすんでいたでしょう。その約束しか無いサユリはその中で出てくる主人公に頼るしかなく、そのまま異様なまでに依存してしまうわけで。そして徐々に夢の中でリンクしていきます。つまり自分も前から好きだった女の子と夢では会えなくなるのです。まぁ本人も「なんか大切なことを忘れている気がする」と夢の内容を忘れてしまっているんですがね。しかし物語が庵 進むに連れサユリを「夢」から救い出す方法がわかります。本人は得体のしれない感覚を持ちながら飛行機を完成させ、飛ばし目的地に飛ばすのですが、ものすごい喪失感を伴うわけです。
さてここで本題です。夢ときくと「寝たときに見るもの」という意味にも捉えることができますが、「私の夢」とも表現されるように「希望」や「願望」という意味も備わっています。本作は前者の方の夢にとらわれていましたが、同時に約束という希望もみていたわけです。夢から覚めるというのは希望を捨てるということになります。若干言葉遊び感がありますが、本作ではその言葉遊びを丁寧に描いたといって差し支えないでしょう。
そして見た夢というのは覚めても絶対覚えているということはありません。絶対に何かしらを忘れます。忘れては行けないこと、忘れたくないことも忘れてしまいます。本作は「「忘れる」という感覚に対し共感をもとめているやべー作品」という意見がありましたが、実際にそうだと思います。忘却という感覚自体忘却されてしまうのですから、頑張ってその感覚に共感しようとしても結局は忘れてしまうのです。無理がありますよねw
さて本当に本題です。主人公はなにかの違和感を感じ取りながらも、その約束を頼りに彼女の夢を壊し、両者にとてつもない喪失感をあたえたように、{/netabare}私達の行動には、自分と他人のリスクが伴うということを自覚しなくてはならなく、そして失うことに恐れてはいけない、ということです。まぁわかりきったおとではありますが、再認識できたかなって。
私の文章能力の低さが目立つ文章になってしまいましたねw

原作・脚本・監督・絵コンテ・演出・撮影・CGワーク・編集・色彩設計・音響監督は新海誠さん。うへぇ。過労死しそう。
キャラデザ・総作監は田澤潮さん。
劇伴は天門さん。
アニメ制作はコミックス・ウェーブさん。

作画はさながら表現や演出も本当に素晴らしかったです
主題歌は新海誠さん作詞、天門作編曲、川嶋あいさん歌唱の「きみのこえ」

総合評価 新海誠作品の中では

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

72.6 9 美しいで恋愛なアニメランキング9位
泣きたい私は猫をかぶる(アニメ映画)

2020年6月5日
★★★★☆ 3.7 (139)
661人が棚に入れました
見つけた、君に会える魔法――自由奔放、ちょっと変わった中学2年生、笹木美代(ささき・みよ)。クラスメイトから「ムゲ(無限大謎人間)」というあだ名で呼ばれ、学校でも家でもいつも明るく元気いっぱい。ムゲ熱烈に想いを寄せるクラスメイトの日之出賢人(ひので・けんと)に毎日果敢にアタックを続けるが全く相手にされない。めげずにアピールし続ける彼女には誰にも言えないとっておきの秘密があった・・・。大好きな日之出のそばにいられる唯一の方法、それは猫になって会いにいくこと。≪人間≫のときには距離を取られてしまうが、≪猫≫のときには日之出に近づける日々。猫として長く過ごすほど、いつしか猫と自分の境界があいまいになっていく。このままずっと、彼のそばにいたい。でも、《私》に戻ることができなくなる――「猫」の世界を通して繰り広げられる、私をみつける青春ファンタジー。

声優・キャラクター
志田未来、花江夏樹、寿美菜子、小野賢章、千葉進歩、川澄綾子、大原さやか、浪川大輔、小木博明、山寺宏一
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

猫になりたいし人間になりたい!でも、やっぱり……本当は

主人公、笹木美代ことムゲはネコに変身出来る女の子。
ネコの国のお面屋と言う仮面売りのネコから貰った仮面でネコになる。

彼女は家庭環境が少し複雑
{netabare} と小学生の頃に母が出て行ってしまい学校で虐められてしまう。
家庭では父と再婚した母である薫に気を使いながら生活する日々に嫌気が刺していた。{/netabare}

しかし、そんな日常を支える存在が居ました。
恋をしていた同級生の日之出君。
しかし、彼女のアタックはストレートで行き過ぎた愛情表現。
日之出君にはウザがられてしまう。

居るよね……こう言う冗談か本気か解らない愛情表現してくる人……
本気かジョークか解らないから適当にあしらったら傷ついたとか言う人ww
まっ、私は愛情表現とか苦手なので正直凄いとは思いました。

しかし、彼女の本気が伝わるシーンが…
{netabare} 日之出の悪口を聞いた時に校舎の三階くらいから飛び降りて悪口を言う男子に向かっていく所ですね。
誰かの為に怒られる事は本当にその人を理解して大切に思っているからです。 {/netabare}

しかし、私は一方で心配にもなりました。
{netabare} その悪口の中にムゲの悪口もありましたが自分の悪口は「どうでもいい」そうです。

多分、その理由は……
気にしないとか、ウザイから相手にしないのとか、そうした事ならいいのですが……

ムゲの場合は他人に関心がなくなってる。
理由としては傷つき過ぎているのではないでしょうか?
多分、小学生の頃から母の件で虐められて……心無い言葉を言われてきたのです。

解りやすく言えば、傷つき慣れてる。
でも、痛み、悲しみ、苦しみ、辛さ、これらの事に慣れるなんて事は絶対に有りません。
何千何万と繰り返そうと慣れはしません。
それでも、慣れたように振る舞えるのは、自分の幸せを諦めてしまっているから……何も感じないし悪意を流せるのは傷ついている事に気づかないくらい傷ついてしまっている。

だから、私は傷つき慣れてるって言葉は少し違う気がしています。
傷つき過ぎてるのです……だから、どうでもよくなっている……自分も他人も全て……諦めている。
人間として生きる事に…… {/netabare}

彼女はネコになります!
ネコは可愛いです。
私はネコの身体能力が欲しいです。

自分よりも何倍もある壁をひとっ飛び!
屋根から屋根へ飛び移る!
高いところから飛び降りても平気!

きっと、あんなに自由自在に身体を動かしたら気持ちいいですよꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ
それにきっと私がネコになれば可愛いのでチヤホヤもされます(*^^*)

え?誰ですか?お前がネコになったら山奥の廃村に捨てられそうと思った人は?(*꒪꒫꒪)

さて、話を戻して。

ネコになったムゲは日之出に可愛いがられます(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)
人間としてアピールしても冷たい日之出もムゲネコにはデレデレ(///ω///)

人としては周りに必要とされてないと感じたムゲはネコだと必要に思ってくれる人がいる。
しかも、想い人です。

{netabare} そんな中、家庭で揉めてしまいます。
義母の薫さん。
父の再婚相手で、ムゲを娘の様に接してくれるし気にかけてくれる優しい人……

でも、ムゲの立場だと中々受け入れられません。
薫さんの立場からしたら早く仲良くなりたいとか、お母さんって呼んで欲しいし、自分の母だと思って我儘を言って欲しいし甘えて欲しいと思います。{/netabare}

でも、ムゲからすれば……やっぱり心の準備が必要です。
{netabare} 思春期だし、仲良く出来る人もいるけど、やっぱり中々認められなくて、気遣いや優しさがウザかったり……自分の居場所がなくなるんじゃないかな?とか考えてしまうかも知れません……

だから、ムゲは気持ちを吐き出して家を飛び出した。
ムゲの言葉にはビックリしたと思う。{/netabare}
けど、私は薫さんは嬉しかったのかな?とも思いました。

確かに言葉は酷かった……普段の態度から薄々は気づいていたと思うけど……
{netabare} でも、初めて向き合ってくれた気がしたんです。
ムゲは薫さんの話しの質問を無視しなかったけど返事は適当だったり弄れたり……
でも、この時は向き合って気持ちを伝えてくれた。
それが嬉しかったんじゃないかな?って思う。
自分の気持ちを伝えてくれるってやっぱり最初の1歩だと思うので。

ムゲは家出します。
もぅ、人間なんていやだ……そんな気持ちが……彼女の顔から……人の仮面が剥がれ落とさせた。
仮面屋が言うには、人間を嫌になったら人の仮面が剥がれ時間が立てば完全にネコになるそうなんですが、この仮面屋に人の仮面を奪われてしまいます…… {/netabare}


一方、ネコも人間になりたいと思っています。
薫さんの飼い猫……キナコ

キナコは薫さんが子供の頃から大切にしているネコです。
彼女は言います。
{netabare} ネコと人は寿命が違う……
でも、人になれば薫さんと一緒にずっと長く暮らしていける。
だから、人間になりたい!

そうして、キナコはムゲの仮面を手に入れてムゲに成り代わり人間ムゲとして暮らし始めます………… {/netabare}

話を戻して……
{netabare} ムゲが家出した後に父と薫さんや友達の皆が必至にムゲを探してくれます。
ムゲは日之出君に好かれたい、他の人はどうでもいい、そう考えていたけど……実は居たんです。
ムゲを必要としてくれる人達がこんなにも居たんです。

そうして、ネコムゲは日之出君に自分の気持ちを伝えたいと思います。
だから、人間に戻るために……伝える為に身体を取り戻す為に動き出す。{/netabare}


キナコはムゲにすり変わり薫さんの傍にいるけど……
{netabare} 薫さんはキナコを捜してます。
張り紙をしてドアを開けて餌を置いて、晴れの日も雨の日も探しています。
キナコはムゲの身体で気持ちを伝えますが、伝わりません。
ムゲの姿の言葉はムゲでしかなくキナコだとは気づいて貰えないからです。

人間になれば一緒に居る時間過ごせると思った。
けど、薫さんにはネコのキナコも大切でキナコの捜索で中々一緒にいられないし、心配そうな顔をしてるし……
キナコもネコとして大切にされていた事に気づく。 {/netabare}

1人と1匹を見て感じたのは。

世の中には、自分なんて必要ない、居なくなりたい、誰かに何かになりたい、とか考えてる人も少なくないと思うんです。

生きてると楽しい事なんて毎日はないし大変な事ばかりだったりする世の中です。
お仕事や学校、日常生活に人付き合い……色々な悩みを抱えてる人が殆どかな?

でも、人1人にしてもネコ1匹にしても必要ない者とかはなくて……
やっぱり周りには心配してくれる人や居なくなると悲しんでくれる人も絶対にいるわけで……
それは多分、頑張って必至に生きてるうちは見えずらい存在かもしれない。
ムゲもキナコも自分が居なくなって気づいた訳ですし。

例え、見えなくても、気づけなくても、実は自分にはそうした人達が居てくれている。
それは救いであり希望ではないでしょうか?

{netabare} ムゲとキナコが身体を取り戻した後に、ムゲは人と向き合う事を頑張る事にしたみたいです。
自身を1度失う事で、そう思い直せるくらい成長したんだなぁ〜と思いました。 {/netabare}

この作品を見て……

1番感じたのは「他人を思いやる事」と同じくらい「自分を思いやる事」の大切さを感じた気がします。

{netabare} ムゲは自分よりネコに……キナコは自分より人間になりたかった。
だから、自分を捨てたし、捨ててしまった。

けど、ムゲはムゲだから日之出君はネコ世界まで助けにきてくれたし最後は告白してくれた。

キナコはキナコだから薫さんが必至探してくれた。 {/netabare}

他人が実はこんなに思ってくれてる訳です。
それなら、やっぱり自分自身が自分を大切にしないと、誰かを悲しませちゃうかもしれませんし、何より頑張っているのだから自分自身も自分の味方であってあげて欲しいなぁ〜と思いました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12
ネタバレ

waon.n さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

タイトルが良かったって話

「マヤ、仮面をかぶるのよ」とはドラマにもなるほど有名な原作は少女漫画のガラス仮面に出てくる名台詞です。
猫をかぶるとはちょっと違ったニュアンスですが、自分を演じるという意味では同じかなと。
さて今回はネタバレ割とある感じ何で全体的に隠しちゃいます。
{netabare}
そう、最初は私は猫をかぶるってこういう意味だと思っていました。
ところが、始まって数分もすれば、ああ、なんだ違ったのかなんて少し残念になりつつも主人公ムゲを見守るわけです。
話が進むにつれ、ムゲの正体が明かされていき中盤になったころには猫をかぶるというタイトルの意味も理解できるようになってくる。別に何となくそうだと思ってたんだからね! などと言いたくなるほど、分かりやすいストーリー展開だ。猫をかぶらず正直に言うと、外連味がない。
猫ネタは使い古されているし、過去のトラウマや高校生の惚れた腫れたはこういったものの常套句。
猫ネタが出たあたりからストーリー展開は何となく想像できてしまって、いい意味で裏切ってくれることを期待して見ていたのにそうでもなかった。あくまでも分かりやすく物語は展開されていく。
それゆえだろうか、ムゲの感情の揺れを感じ、同じく揺さぶられるおじさん一匹が画面の前。あろうことか涙を流す。感動したわけじゃない、思わず同情してしまったんだ。これに関してはやはり岡田磨里の脚本だなって感じになる。自分の中に閉じ込めてしまっている思いをキャラに語らせたら右に出るものはいないんじゃないか? ストーリ展開というより内面を見せて感動させる系のアニメになっている。そしてそれに見合った力を持った絵だった。
やっぱり母親同士が喧嘩するシーンなんかは彼女の脚本らしいななんてスタッフロールをみて思い返したりする。それでもやっぱりちょっと猫ネタは使い古されていて差別化に失敗している感は拭えず、物語全体としては今までの彼女の作品群からすると物足りない。ファンだけに!

この作品の最大の魅力は絵です。
背景はメチャクチャ良い。自然で美しい。そして不思議な使い方をしている場面がチラホラあった。何だこの演出の仕方は! と通してみた後に見返したりして。奥を固定して手前を動かしている?なんか立体的に見えるような不思議な感覚は新しかった。
何と言っても猫の絵がスゴイ! メッチャ可愛いし、動きもなかなか良い。こういった動物の動きや造形ってリアルにすればするほど気持ち悪く見えたりするので、どれくらいアニメの絵として見せるのかがカギだと思います。猫にも表情を与える事に挑戦しているので人間の表情の動きを合わせてしまうとこれが本当に気持ち悪く見えるんですが、これが上手く書かれている。原画の人超絶猫好きなのでは?

音楽がなんか挿入歌というより、PVみたいになってる。これは「君の名は」現象と言っても良いかもしれませんが、正直効果的になっておりません。なんか流行りに乗っかっただけなのでは?
歌が主張しすぎていて、物語の超絶大事な場面で内容を希薄にしてしまっている。ヨルシカさんは個人的に好きなアーティストだったので期待していたし、期待した通り良い歌なんですが、今回は残念ながら悪い方に効果が生じていると思われます。悲しい。
そのほかのBGM場面の雰囲気を上手に演出していたんじゃないだろうか。特に気にならなかったし。

志田未来、いやぁ懐かしいなこの名前。
あまりTVを見なくなってしまったのでこの方はどういう活躍をしているのか近況が分からないですが、女王の教室は好きだった。全体的には良かったんだけれど、端々に少し違和感があったりもするけれど、一人二役みたいな感じになってるのでそのの使い分け自体は上手いななんて思う。対話は良いんだけどそれ以外で言葉の始めが弱めに入る時があるんだけど、ドラマとかではきっと自然なんだけれど、アニメのように意識的に作りこまれているものに対してだと少しズレて感じるんだよね。だからといって舞台のように発声を一言目から大きくしすぎてもそれはそれで違和感出るだろうし。
自然ん演技はそれで良いんだけれど、アニメは自然ではないからそこのギャップを埋めるのは一朝一夕では難しいのかもね。それも上手くできるアクターの人達も一定数いるから才能ってやつなのかもしれないけれど。
決して志田未来がダメという訳じゃなくて、アニメとドラマの違いについての考察なんで独り言みたいなものだという事で許されたい。

他にはちょい役で出た三木眞一郎さんの声がやっぱり好きで演技も好きだ。それとこれはウィキで知ったんですが、おぎやはぎの小木が出てたらしい。気づかなかったぜ。まだ見てないでここまで読んだ方は見つけてみてもらいたい。見たうえで読んだ方は思い出してもらってどれだったか当ててみてほしい。{/netabare}

おススメできるラインを超えているかちょっと微妙だけれど、岡田磨里好きなら良いだろうし、猫好きなら見ても良い。
何かしら琴線に触れるものがあるならって感じかな。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 8
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

言葉通り猫を被る

常滑市が舞台

中学2年の笹木美代は、その奔放な行動・言動で周囲から「無限大謎人間」略して「ムゲ」と呼ばれていた。美代は好意を抱いているクラスメイトの日之出賢人に連日話しかけていたが、素っ気ない反応しかなく、親友の深瀬頼子に心配されるほどだった。だが、美代には秘密があった。夏祭りの夜に言葉を話す猫の妖怪(猫店主)からもらった「猫になれる仮面」で、白猫になり、その姿で賢人の元に出向いて、私生活を見聞していたのだ。その白猫を賢人は「太郎」と名付けてかわいがり、美代はそこで見知った賢人の姿にさらに恋慕を募らせていた。というあらすじ。


志田未来演じる美代は思春期も相まって主に家庭環境に対して泣きたいほど辛いけど、弱音を吐けない性格で猫を被った生活を送る。あえて空気が読めない性格を装っているんだ。無理していてそら、きついなと。
自分の思春期近辺のことを思い出して面倒くさかったなあ恥ずかしいなあと思い出して共感するやら恥ずかしいやら複雑な感情が…。
そして、文字通り猫も被って猫になる。猫になれば楽だけど人間をやめれば想いを伝えることができなくなってしまう。

賢人は賢人で女の子を泣かすなんて酷いこと言うもんだ。
寿美菜子演じる小学生時代からの美代の親友である深瀬頼子が両親の離婚が原因で美代がいじめられていたときも寄り添ったのは中々のファインプレー。
最後は猫さんにたちに助けられて無事解決で良かったんでない?

賢人の姉がしれっと可愛い。
川澄綾子演じる水谷薫と大原さやか演じる実母の斎藤美紀がキャットファイトは見ていて面白かった。実母が悪そうにしか見えんな。


主題歌
花に亡霊
挿入歌
夜行
ED
嘘月
いずれもヨルシカ。流れるような楽曲たちだった。違和感なさすぎであんまり印象に残っていない。泣


備忘録・ストーリーの流れ
以下は完全なネタバレ
{netabare}
母は美代の小学生時代に離婚して家を離れ、父と暮らす自宅には家事の手伝いとして薫という女性が住む。再婚ではないところがなんか複雑。再婚で妹か弟がいたらより複雑になったのだろうか??自宅に居場所がないと感じる美代は、賢人と一緒になって家を出たいと考えていた。
ある日、賢人を悪く言う同級生の坂内に、美代は食ってかかり、弁当を落としてしまう。見かねた賢人から手作り弁当を分けてもらう。賢人の笑顔をもっと見たいと、美代は放課後に猫になって賢人の家に赴くが、陶芸職人である賢人の祖父が陶芸工房を閉めることになると会話が交わされて賢人は落ち込んでいた。帰宅してからもう一度猫の姿で賢人に会う。そのとき賢人は「(美代のように)思っていることをはっきり言えればいいのに」と。美代は、賢人の力になりたいと、家に戻って手紙を書く。

翌日、手紙を坂内が奪って勝手に読み上げる。手紙は賢人が取り返すが、「俺とおまえは違う。それにそういうの押しつけてくる奴は嫌いなんだ」と手紙を握り潰す。美代は落ち込んで帰宅する。そこに薫から同居していることへの感想を聞かれ、美代は「気にしていない」と愛想笑いで返すも、いつもそうした態度を示すことに疑問を呈されて、「大人は勝手すぎる」と両親や薫への憤懣をぶちまけた。

家を飛び出し、猫になって賢人の家で夜を明かし、翌朝「猫なら学校に行かなくてもいい」「もう美代はいいや」と思ったとき、人間の仮面が転がり落ち、猫店主が出現。完全に猫になる前に人間の仮面を付ければ元に戻れると言いながら、人間の仮面を持って消えてしまう。

美代が失踪して、美代の父と薫は学校に相談に行く。そこに賢人と頼子も呼ばれ、美代が消えたことを知る。賢人は帰宅後に美代を探しに出かけ、猫の美代もそれに同行した。その場で賢人は美代のことを何も知らなかった、謝らないととつぶやくが美代にはその声が切れ切れに聞こえた。完全な猫になりつつあると美代は気づく。

ところが美代が猫になったままの間に、学校に美代が登校する。行動や言動が以前の美代とは違うと周囲は訝る。偽物の正体は薫の飼い猫であるきなこだった。きなこは、薫への恩返しとして長く一緒にいるために仮面を手に入れて人間になったと美代に話し、美代の寿命を猫店主と自分で折半することになっているのだと言う。ようやく見つけた猫店主から次の夏祭りに美代が完全な猫になると聞かされ、その後を追って空の上にある、猫だけにしか見えない「猫島」に美代は足を進めた。

次の夏祭りの日、きなこは「猫のきなこ」を案じる薫を見て人間のままよりも猫に戻ったほうが良いことを悟る。きなこは賢人の家に出向いて自分の正体を明かし、本物の美代がどうなっているのかも話した。きなこは誰からも愛されていないと感じている美代を助けられるのは賢人だけだと話す。賢人はきなことともに「猫島」に向かう。

たくさんの猫に助けられ、一旦は失敗したが、人間に戻ることができて最後は手繋ぎハッピーエンド。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12

76.2 10 美しいで恋愛なアニメランキング10位
ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 2nd(TVアニメ動画)

2020年夏アニメ
★★★★☆ 3.6 (506)
2339人が棚に入れました
「最終負荷実験」という名の、アンダーワールド全土を巻き込んだ「人界」軍と闇の軍勢の戦争。戦局は、「光の巫女」アリスの奪取をもくろむ「ダークテリトリー」軍ガブリエル一派と、アンダーワールドを守ろうとする「人界」軍アスナたちとの戦いへと様相を変えつつあった。未だキリトが精神世界の奥深くで眠り続ける中、「闇神ベクタ」ことガブリエルは、現実世界から幾万もの米国プレイヤーたちをログインさせ、「人界」軍の一挙殲滅を狙う。対するアスナたちは、アンダーワールド創世の神の名を冠する3つのスーパーアカウントで抗戦する。この大戦の行く末は、今は深く眠る一人の少年――「黒の剣士」が握っている。「アリシゼーション」編 、ここに完結!

声優・キャラクター
松岡禎丞、戸松遥、茅野愛衣

テナ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

眠り姫キリトは再び黒の剣士として剣を手に取る

さて、盛り上がりをみせる後半
キリトとアスナを助けて欲しいとユイが繋いでくれた希望で集まるキリト勢力がバンバン集まる総力戦が始まります。

クラインの「待たせたな」から始まる反撃への狼煙にアスナだけではなく視聴者も上がる⤴︎ ⤴︎
見せ場としてはやはり多い。

ベクターvsベルクーリ
この戦いはね……人界人のスーパーアカウントベクターに英雄ベルクーリは引き分けます。
正直、ここまで健闘するとは思いませんでした。
背負うものや護りたい人や助けたい人がいる人は強いですね。

シノンの説得も良かったですね。
アリスの気持ちも解るか……ユージオを失い、アドミニストレータに利用された事を知り、キリトが精神崩壊、戦場で失われる命、自分がこの戦争の1つの引金になっている。
沢山の気持ちを抱えて精一杯だった。
そして、師匠ベルクーリの死が彼女の気持ちを爆発させた。
ベルクーリは生き返らないのに、ベクターは再び舞い戻るなんてね……理不尽だよ。

けど、シノンの言う事はもっともだよね
ベルクーリの作ってくれた時間を無駄にしちゃいけないし、アリスは「茶番ではないですか」と言うけど、シノンの言うアスナを含めキリトが傷ついてまで守ろうとした世界、彼がそこまでする理由に「なんで?」って気持ちを持ってるのも解る。

例えばアスナはキリトを救い、アリスを目的地まで送り届けるだけが目的だった。
けど、相手が自分と同じでリアルワールドの世界の人間である事や、ここで生きようとする人の気持ちやキリトが守りたかったものが本物だと感じたから力を貸してくれたんじゃない?かな。
キリトの気持ちもアスナが感じた気持ちが本物だから沢山の人も駆けつけてくれた。

リーファをみた時に私は「まったくこの兄妹はw」と思いましたwww
そう言えばキリトもフェアリーダンスでログインしてきた時に着地に失敗してたなぁーってw

ただ、リーファだけ恥ずかしめられたり、グロい傷を追ったりと可哀想になるんだけどリーファの扱い可哀想じゃない?
この世界ってリズの想定では「痛覚はダイレクトに感知する」って話してませんでしたか?
眼が痛々しい( ᵕ̩̩ ᵕ )

ただ、リーファのこの世界の事情を解るまで、この世界の人を傷つけないって気持ちは優しいね。
キリトも優しいけどやっぱり似た者兄妹ですよ。


アスナはクラインを軽くディスってるw
アスナの「いつものクラインさんのくだらないギャグ」のセリフが笑ってしまうけど気を張っていたからこうしたクスッと笑えるシーンいいよね。

中韓国プレイヤーが意外に理解者で話が解る人達だった。
結構冷静だし偽動画や情報にも違和感を持ったり、しっかりシュウメイの声が届く人が居て良かったです。

プウが無抵抗なキリトを痛ぶるシーンは最低だね……何も出来ない無抵抗な人への暴力程反吐が出るものはないよね。


エイジ&ユナ登場
これは当時も私は気分が上がりました。
オーディナルスケールのオリジナルキャラクターの2人なんですが、劇場版を知っている人は敵だったエイジがあの戦いを得て何を感じ何を思ったのかその答えになっている気がします。

劇場版では関係ない人を自分勝手に傷つけていた彼が今作は守側につく。
前の垢はチートだから次は新しく作りレベルを上げた垢なんでしょうね。
次は守側として彼はだ立ち上がる。


アスナvsプウはアスナの演出は良かったですね。
戦闘の臨場や迫力よりも演出が素敵でユウキと共に戦う演出は良かったですね。
しっかりユウキの意思が証明としてアスナとの会話で演出されたりとかっこよかったですね。
このSAOの命を失われてもキリトとアスナの相棒のユウキやユージオが2人に寄り添う描写にキャラ愛を感じる


キリトの復活は、これは痛々しい。
自分の心臓抉っていくのはね…………
まぁ、キリトも沢山の事があったからね……
けど、最後は「俺が死ねば良かったんだ」って結論になるんだね。
結構、ネガティブだったキリト君。

私はこのエピソードを見て気付いた事がありました。
それはキリトは英雄なんて呼ばれたりするけれど本当は…英雄ではなく…本当は…

それはキリトの精神世界お話。
恐らく彼が一番悔やんで悲しんで永遠に忘れる事の出来ない少女「サチ」キリトがSAO時代に彼女を失ってクリスマスイベントのボスサンタを倒すまでに原作にひたすらレベルを上げると言う話がありました。
サチを救いたい一心で力を付けたキリト、彼の強さには誰かを救いたい気持ちやら罪悪感などが入り乱れている。

そして失われて行く命を思い出す、自分がしてきた戦いの中で奪われ奪った命
そんな中で彼は涙を流し苦しむ……
そして、自分が死ぬべきだと自分を傷付け始める…目の前にアスナ達が現れても先に進めないキリト…それだけに自分が許せなくて許されなくて…

このシーンを見て私はキリトは英雄なんて言われてるけど、ただの高校生の男の子なんだと感じました。
どれだけ強くても、どれだけ救えても彼は英雄である前に普通の少年なのです。
だから、誰かを失うたびに傷ついてそれでも必至に踏ん張って仲間に支えられてここまで歩いてきたんだと感じました。

でも、そこに彼の親友とも呼べるパートナー…ユージオ…彼がキリトを救い出してくれる。
思い出と気持ちは永遠に繋がり続けるから。
そして、彼は歩き出す。
次に進む為に…彼は目覚める。
キリトの原動力は周りの支えだと思います。
1人だと心が壊れてしまう。
それでも歩み出せたのはやっぱりユージオやアスナを始めとする仲間達。
そして彼は守る為に剣を取る。

ロニエがキリトの元に訪れる人達をみて「女の人ばかり……」ってセリフがありますが、ユージオ先輩もいるよ。って教えてあげたくなるシーンですw


キリトvsプー

これはね。
キリトの勝利と言うよりキリトとユージオですね。
キリトもユージオもホントにいい所だけ持っていくよねww
クラインにも言われてましたけどww
後、キリト君の垢ってスーパーアカウントじゃないのにめちゃくちゃ強いよねww

キリトvsガブリエル

コレはあまり盛り上がらなかった気がするww
思ったよりもかなりかなり呆気ない気がしましたね。
ゲームも最新作でボスとして登場するんだけど余裕で倒せちゃいました。
アニメでもアドミニストレータの方がまだいい戦いしてた気がしますww
あっ、アドミニストレータ……最後にキリトに力を貸したみたいな感じで居たけどさ……最後の最後までキリトと敵対してたのにwww

アンダーワールドで200年暮らすキリトとアスナですが、アスナが泣くキリトの前でサプライズで登場する。
誰も居ないと見せかけて隠れていたアスナは演出に拘ってますね。
物陰から泣くキリトを観察していたのかと妄想したらアスナさん策士www
キリトの好感度が限界突破しますね。

「君と一緒なら200年なんてあっという間にだよ」
ってセリフがあるけど何か解る。
時間って普通に早く進む気がします。
私は中二くらいまで1年間はすごく長いと感じていて中二の大晦日の日の「365日が1年間って事は365回寝たらまた年末がくるんだなぁ〜」って考え初めてから1年間が物凄く早く感じてしまって……
……この事実に気づいた事に後悔しましたね。

けど、普通に1年間も早いし、大切な人といる数時間って早いじゃないですか。
充実した時間ですね。
友達や恋人や家族とかだからアスナとキリトは更に早く感じる気がしますね。

で、やっぱり凄いなぁ〜と感じるのがアスナとキリトの愛ですよ。
200年……200年経っても変わらぬ愛ですよ!
200年も一緒にいたらマンネリ化してお互いに気持ちも落ち着いて下手したら覚めると思うけど冷めないのなら本物の愛ですよね。

キリト「アンダーワールドでの200年の記憶を消してくれ」にアスナと不仲になったとかリアルな事情があったら嫌だなぁwwww
この2人はずっと仲良くして欲しいよねw

アリス、リアルワールドに登場する話は2026年8月1日なんですよね。
つまり、私達の世界でも3年後にアリスが来ると思っていたのですが2022年の11月6日にナーヴギアが出来てるはずなのに私達の世界にナーヴギアすらないので無理ですねww

2023年はやっとPS5が店舗販売が当たり前になったレベルの私達の世界ではまだキリト達の世界に追いつけませんねww

昔、噂で二十二世紀までにドラえもんを作るのを目標にしてるとか聞いた気がします。
その話が生きているのか、そもそも本当なのか解らないけどww

なら、2026年までにアリス誕生も目指して欲しいですねww
Vivyならどうかな?2056年でしたっけ?

話がそれてきました……ごめんなさい

キリトの200年生きた人格のコピーは何か怖いなぁ……キリトだから悪いことにならないとは思うけど声のトーンが怖いし、アンダーワールドの為に生きる事を選んだキリトの決意が逆を言えばアンダーワールドの為なら何だってするって取り方も出来るから少し怖くも感じるんですよね。


キリトのユージオとの記憶を消してもらわなかった事を後悔してましたが、多分消さなくて良かったよね。
確かに、忘れるってのは便利だと思う。
嫌な事は忘れたいし、忘れたら悲しまなくていいとは思うけど、忘れるってのは自分の心の中から、その人の存在を消しちゃう事になるし、そんな事をしても死者の死はなくならない。
辛くても悲しくても……それを無かった事にしちゃいけないし、もしかしたら消した事を後悔する日がくるかもしれないから。

コレは生きてる側の勝手な気持ちの押し付けなんだけど、誰かの死を忘れたくて記憶を消してたら悲しいと思う。
だって、その人と過した時間も気持ちも忘れて無かった事にしちゃったらユージオが可哀想だよ。
その苦しみもきっと自分とその人が生きた証だと思う。
それが解っているからキリトは消さなかったんじゃないかな?と思います。

アリスがあるメールを受信しキリトがアリスを連れてアンダーワールドに戻る手がかりを掴みます。
キリトの「その時はアスナも一緒にいいかな?」と質問するとアリスは怪訝な顔をするも許可をします。

アスナに黙ってアンダーワールドに行くと後々アスナが怖いからねww
これ以上、アスナに心配掛けたら黒の剣士を一撃で貫くマザーズロザリオがクリティカルヒットする勢いですからね。
ユージオも助けてくれなさそうww

私がアスナの立場なら多分置いていったらブチ切れるし、キリトの立場なら怖くて黙っては行けないwww

再び戻ったアンダーワールドはSF世界です。
宇宙空間で飛行船が出てきてモンスターを撃破するよく解らない世界ww
若干、ゴッドイーターとかのイメージが浮かんだけど……SAOって元々こんなのよね。
対人戦が続いてたから忘れがちになりましたが……
……


さて、久々に見返したSAOは面白かったです。
SAOのラストの最後は最後の様な締め方をされて居ましたね。
でも、昔何かで書いてあったけどSAOは原作のラストまでアニメさせたいって監督が話してたって聞いたのですが、どうなのでしょうか?
割と、シャナ、とらドラ、ストブラ、俺妹、など電撃文庫作品ってラストまで描かれるくらい人気作品は多いし、SAOも電撃文庫が誇る人気作品ですからね。
SAO、86、禁書目録の3作品は私は電撃文庫では大好きな作品だから是非、続編をして欲しい。

SAOに関しては……ね?
こんな意味深な終わり方をしちゃって、まぁ〜
まぁ〜まぁ〜こんな視聴者を生殺しにさせちゃってww罪な終わり方ですよww

原作を読めよと思われるかもしれませんが、文字だけの本を読むのは苦手なんですww
え?www

投稿 : 2024/11/02
♥ : 20
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

Underworldの開発目的は何処へ?

 「てめぇらの血は何色だーーっ」 

今は亡き塩沢兼人さんの名演から早30年

 「魂の色は何色ですか?」

生まれたところや皮膚や目の色ではなく、はたまた人間か人工フラクトライトも関係なく、個々人の在り方が大事だろうよ!と普遍的なテーマを投げかける…はずだった名作になり損ねた大作。寸評だとそうなっちゃいますね。
放送開始前の期待はこういったところでした。↓

・あのSAOの集大成
・アリシゼーション壮大だぜ!の原作既読組の声
・4クールと力の入れようがすごいな
・むしろその尺で収まるのか?

『Ⅱ』も『GGO』も楽しんだ私は期待しかありませんでしたが、『アインクラッド』を頂点に下り坂と捉える一定数のファンですら軒並み期待をもって迎えられた『アリシゼーション』でした。
どうでもいい細かいこと言っとくと、今回のUW第2部期間のCMで新章「ユナイタルリング」の存在を知り「え!?アリシゼーション最後じゃなかったっけ?」とやや興ざめした情報弱者の私です。
“これが最後”のプレミアム感が消えた瞬間でした。

『アリシゼーション』24話と『Underworld』第1部12話を通じて大絶賛とはいかず、様子見でこの最終章全11話に突入した視聴者が多い情勢でもありました。

技術的なのはようわからんので他の方の読んでください。
自分の考えるSAOの魅力は以下2つ。その予実がどうだったかを残しときます。


【SAOの魅力①】様式美と化したキャラクター

“ハーレム”“俺TUEEE”の代名詞的なところがあって、純粋に楽しむファンはもちろんのこと、「またかよ」と苦笑しながら楽しんじゃう“文句言いながらワイドショー観てる”ようなニーズも相当数いる作品。私個人はあまり重きを置いてないですけど、この文脈で語られることが多いため“お約束”の出来が作品評価に直結するといっても過言ではありません。
脇役も脇役然としておらず、脇役で複数話回せるくらいの実力者揃いだったりもしますね。リーファちゃんをAパートの4分の1くらいだけ見せ場を作って次に移るみたいな贅沢な使い方ができてしまう。

⇒結果

やることやるってこと以上に大盤振る舞いしてたと思う。リソースを過剰投入していて、おかげで後述の“魅力②”に割く時間がなくなった。もしくは中途半端にせずにバッサリ切ってバトルに全フリしたとも考えられる。これは逆効果で途中から飽きちゃいました。

{netabare}スターバーストストリームは一回こっきり。譲れない線みたいなのはあるらしい。{/netabare}

困った時の○○を連発したら、ありがたみがなくなるよねって至極真っ当な感覚だと思われ、
キリト→{netabare}ピンチでユージオ。そして撃破の繰り返し。もはや正妻としての安定感すらあるほど。{/netabare}
アスナ→{netabare}2回以上ユウキ使うのはちょっと。しかも得意の連撃ではなく一撃必殺的な締めだったような…{/netabare}

集大成らしく過去キャラ絡ませる展開は劇場版のようでもありました。胸アツなやつも1つありましたよ。でもどうなんでしょうね。メインストーリーに絡むキャラじゃないとこういうのってカンフル剤以上の効果を期待できないものです。せいぜい離したところでスポット投入。どうしても本作は劇薬を複数回投与して本体が弱っちゃった感が否めません。

{netabare}それでも1か所。#17エイジとユナ降臨は胸アツでした。SAOサーバーからのアクセスだからこそできた共演。なによりチートな悪手だった『オーディナルスケール』の彼ではなく、しがない“血盟騎士団のノーチラス”として勇気を振り絞ったのがエライ。そこで想い人ユナからのパフ(バイキルトみたいなもの)サポートがかかっての生前果たせなかった共同作業。まさに魂の色はなにか?の問いに胸を張って答えられるだろう彼の立ち居振る舞いに心が震えました。{/netabare}


【SAOの魅力②】ありえそうな科学技術

後述の魅力②です。私にとっての本丸。
“VRMMO”って面白そうだしありえそう。そんな近未来を想像できるSF設定が良いです。『Ⅰ』『Ⅱ』そして『アリシゼーション』と都度かたちを変えながら、といいますか茅場晶彦の残した“種”をベースに毎回違ったテーマを我々に提供してくれることを楽しみにしてた感じです。茅場が大量殺人を犯した狂人というのも設定に深みをもたらしてますしね。

そしてこの『アリシゼーション』です。これまで以上に仮想と現実の垣根が取り払われてきたこと。そのことで現実国家の関係にも影響を及ぼしてきたこと。一気に風呂敷を拡げてきたことにワクワクしました。詳細は過去の『アリシ24話』『UW第1部12話』のレビューに書いてるので余力あればそちらまで。このシリーズを捉える基本的な考え方になるので迷子になった時はそこに立ち返ることにしてます。
そんな楽しみしていた風呂敷の畳み方についてほぼゼロ回答。うーん…正直しんどい。

⇒結果

↓一応回答らしきもの
{netabare}人間も人工フラクトライトも一緒だよ…です。{/netabare}

{netabare}米軍の特殊部隊?に急襲作戦すらさせておいて、軍事利用はおろか民生利用に関する未来予想図の回答がゼロ。私が先のレビューで危惧していた世界線“無かったことにエンド”でした。魂の色が濁らなければOKというのだけだと物足りなさが残ります。浅い。{/netabare}



とどのつまり、楽しみにしていた【魅力②】はゼロ回答。それほど重きを置いてない【魅力①】は過剰サービスだったということです。
尺が足りないって意見が出てきそうな締め方ではあったのですが自分はバランスの問題かなと捉えてます。シリーズものの強みは作品のなにがウケていたか強みをあらかじめ分かっていることが挙げられるでしょう。目の前に原作があって、予算やら製作側の供給能力その他を考慮しながら決められた尺で視聴者が喜びそうなポイントをおさえた取捨選択をしていく。それが下手くそでした。
パワプロのサクセスモードで広島菊池選手みたいな守備職人を作成しようとして守備にパラメータ全フリしたものの、肩が弱くてゲッツーできなかったり足が遅くてかえって守備範囲狭くなったりと

 結局何したかったんだろうね~

と突っ込み待ち作品と化しました。画や音は低水準ではないし、オールドファンが喜びそうな仕掛けもあるためポッと出の凡庸な作品よりはマシ。でもほんとそれだけ。誠に残念です。




※ネタバレ所感

■【魅力②】作品からの回答

ゼロ回答としたのは先述の通りです。

{netabare}作品用語“ボトムアップ型AI”すなわち“自身で考える意思を持った人工知能”は軍用/民生用問わず用途は無限です。一例で軍事だったら無人機に搭載するすることを真っ先に考えるでしょう。民生用だったら小規模なUnderworldを作ってテストマーケティングに代わるシミュレーション利用でしょうか。地域限定させ卸や流通に頭下げて試作品置いてもらうコストを考えれば時間/費用どちらも短縮できそうです。クラウド利用して各国の企業にSaaSでサービス提供すれば独占状態ぼろ儲けでしょう。

しかし物語ではこれらの可能性には触れず。最後は“Underworldを守る”と手段が目的化しちゃいます。たしかにUWに住まう者は人間と遜色ない存在として全編通して描かれてきました。そしてそこに生きる人たちの環境そのものが消されようとしている。それはUWの中で生きてる人工フラクトライト達の死を意味してます。そうはさせじと彼らを消す理由を取り除くために考案されたのが“人権を認める”ということでした。そうなると消去は非人道的行為になりますからね。

申し訳程度に抑止力への言及もあるにはありました。“ウォーポテンシャル”そのまんま戦争を遂行出来る能力の意味を指しますが、“世界で唯一AIを軍事転用できる可能性のある”国のポジションを得たとのこと。たしかに間違ってはいませんね。


 アリスも人間と変わらんからみんなで仲良く生きていこうよ


これで納得できるならOKってことです。{/netabare}
ただこれだと全俺からのツッコミ必至で

{netabare}軍事利用も産業利用もしないんだったらなんのために?
税金使ってまで維持運用する必要ある?
原発あるから核抑止力働いてると強弁するのに近いよ?{/netabare}

という至極真っ当なものから

{netabare}重村教授(劇場版)、茅場(アインクラッド)、須郷(フェアリーダンス)と問題ばかり起こしてる研究室の一員だった神代凛子で記者会見するのは逆効果じゃないか?
世間一般の人にとっては新手のバーチャルアイドルデビュー会見となんら変わらんと思われる。{/netabare}

いらぬ心配まで焼きたくなります。やや整合性なんぞ怪しくてもワクワクする未来が見たかった。


■別れた世界線

2012年~2016年。4年越しで原作は刊行されてるようですね。
時代背景の写し鏡みたいなところは強く感じました。

A儲かるし中国との関係大事。いざとなったらドル締めりゃいいので楽勝
B韓国もセットで考えればいいし浮上の芽なさそうな日本はスルーでよくね?
C厳罰ないからどんどん機密情報持ってきな
D沖縄は国内分断の震源として使えるし北海道もいい感じ
E日本人同士やりあわせときゃコントロールしやすい

主語は米国だったり中国だったり、今は違ったりそのままだったりしますがAtoEは当時の情勢です。
米国にとって日本は対中国の防波堤ぐらいになればいいやというのが特に第1期オバマ政権(2009年~2013年)の頃は顕著でした。

{netabare}米中韓3か国同盟で日本を攻撃(AとB)し、柳井がさくっと機密を米NSCに持っていき(C)、PoHヴァサゴが手を下さずとも同士討ちさせときゃいいや(DとE){/netabare}

冗談でもなくこんな世界でしたよ。ご存知2020年の日本を取り巻く環境は違います。AとBは劇的に変化したところかも。基軸通貨握ってるからと高をくくってたのが本格的にヤバいと気づいたのが2015年。あちらさんの基本政策が変わりました。日本も賛否はあれどCにメスいれたり、DとEはそのままだったりと変わるものは変わってきてます。

“今”だけをみると見落としますが、時系列での積み上げで見えてくる部分はあるのです。


作品自体の評価は低くしましたけど、たった10年もしない少し前の日本の置かれた情勢が色濃く出てたなぁと時代の切り取り加減のリアリティという意味では価値あるのかもしれません。
裏を返せばこうしている間も時代は変化してるわけですしね。


昭和日本の「血は何色だ?」と令和日本の「魂は何色ですか?」の本質の部分は一緒です。
それでも微妙に変化しているものがある。

{netabare}もしかすると、茅場憑依のニエモンが“我が人生に一片の悔いなし”ポーズで事切れてたのもそんなことが言いたかったのかもしれませんね(遠い目){/netabare}



視聴時期:2020年7月~9月 

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2020.09.20 初稿
2020.11.12 タイトル修正
2021.08.04 修正

投稿 : 2024/11/02
♥ : 61
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

やっと復活キリト君

復活までが長かった~。
それまでキリト君のお友達が続々とゲームに入場して奮闘するも負けそうな状態が続く。

復活して早々にチート級の能力発揮とはさすがです。
あんなに苦戦してたのに、一気に解決しちゃって今までのは何だったんだ?という気持ちに。
正直、惰性で見ていた感は否めない。
{netabare}いきなり茅場晶彦の思考というか意識がインプットされたロボットが出るし、ゲーム内に侵略してきた相手がいつの間にか無残な死に方してるし、もう分からない。{/netabare}

ラスト2話に現実世界に戻るもアンダーワールドに戻っていきなり宇宙空間で繰り広げられる謎のバトルに参戦。
あれは記憶のコピーだから一応一段落ついているということだろうか。
正直、現実世界でもないし、隔絶されたアンダーワールドを守る必要ってあるのかなあ?
原作を読んでいないので、知らないです。アリスはもう出ないのかな?4クールかけた壮大な物語だっただけに少し切ない感じもする。


OP
ANIMA ReoNa
ED
I will... 藍井エイル
挿入歌
longing ユナ(神田沙也加)
ANIMAって魂って意味らしい。ReoNaさんの歌声って独特で凄みがある。
藍井エイルさんはSAOに欠かせない存在。今回も素敵な楽曲をありがとう。


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ
#12.5 レミニセンス
最高司祭・アドミニストレータとの激戦の後、言葉と感情を失ったキリトを連れて故郷のルーリッド村に身を寄せるアリス。戦う目的を見失い、思い悩みながら暮らす日々の中で、彼女がなした決意とは……。そして、始まる《ダークテリトリー》軍との大戦。アスナはキリトを救うためスーパーアカウント《創世神ステイシア》としてログインし、《人界》軍と共に戦うことに。しかし、その戦いは熾烈を極め、身も心も消耗し絶体絶命のピンチに陥る。そんな彼女を救ったものとは……。

#13 アンダーワールド大戦
スーパーアカウント《太陽神ソルス》でログインしたシノン。彼女は、米国人プレイヤー軍に包囲されたアスナたちを間一髪で救援した。ソルス・アカウントの固有アビリティ《無制限飛行》を使い、ベクタにさらわれたアリスを追う。一方、《地神テラリア》のスーパーアカウントでログインしたリーファも《アンダーワールド》へと降り立つ。

#14 無限の果て
押し寄せる米国人プレイヤー軍に対し、少数ながらも勇猛に戦う《人界》軍とアスナ。だが絶望的な戦力差を覆すことは叶わず、《人界》軍の兵士たちは次々と倒れていく。満身創痍となったアスナもいつ倒れてもおかしくない状況だった。アスナが状況の打破を狙い、決死の覚悟をしたそのとき、《ALO》からの援軍を率いてログインしてくるリズベットの姿を目撃する。

#15 扇動
アリスを連れ去ったベクタを追うベルクーリ。そして長い死闘の末、ベルクーリは秘剣・裏斬を繰り出し、ついにベクタを討ち倒す。だが、深手を負っていたベルクーリもまた、アリスの胸の中で息絶えてしまう。アリスは彼の死に胸を痛めつつも、《果ての祭壇》へと向かうことを決意する。

#16 コード871
《ラース》の中の裏切り者は、柳井という研究員だった。かつて須郷伸幸の元で働いていた彼は《ラース》に潜入し、アメリカ国家安全保障局に情報を流していたのだった。柳井はキリト復活を試みる比嘉に銃を突きつけ、覚醒オペレーションを妨害しようとする。一方《アンダーワールド》では、《ソルス》シノンが、再ログインしたベクタことガブリエルと対峙していた……。

#17 悪魔の子
《ALO》増援軍による攻勢も息切れし、ついにアスナたちはヴァサゴと中国人・韓国人プレイヤー軍に敗北してしまう。廃人状態のキリトを見つけ出したヴァサゴは、車いすを蹴り倒して挑発するが、キリトの意識は戻らない。その状況に激怒したクラインはヴァサゴにつかみかかるが、敵プレイヤーに押さえつけられてしまう。クラインをせせら笑いながら《友切包丁》を振り下ろそうとするヴァサゴ。そのとき、思わぬ人物が現れる。

#18 記憶
かつてのキリトの仇敵だったエイジの善戦も虚しく、ヴァサゴに敗れる。《アンダーワールド》のはるか南では、シノンがガブリエルに重傷を負わせはしたものの、力尽きる。《アンダーワールド》中央部で死闘を繰り広げるリーファは、米国人プレイヤー軍を全滅させたあと倒れてしまう。そしてアスナは絶望的な状況下で、地面に横たわるキリトを見つめ……。誰もが彼に最後の望みを託す。しかし《黒の剣士》は、いまだ夢の中を彷徨い続けていた。

#19 覚醒
《アインクラッド》の悪夢から抜け出し、ついにキリトが意識を取り戻す。右手に《夜空の剣》、左手に折れた《青薔薇の剣》を握るキリトは、死者のリソースを吸収し巨大化した《友切包丁》を持つヴァサゴと対峙する。憎悪の心意を増幅させるヴァサゴの剣撃に、キリトはじりじりと押し込まれていく。そして《友切包丁》がキリトの身体を両断しようと迫ったそのとき、金色に輝く手が《夜空の剣》に添えられる。

#20 夜空の剣
アリスとともに、フラクトライトをイジェクトするためのコンソール《ワールド・エンド・オールター》--《果ての祭壇》へと向かうアスナ。キリトは2人がその場所へたどり着くまでの時間を稼ぐため、虚無と漆黒の化身となったガブリエルと対峙する。限界加速フェーズが始まるまでにガブリエルを倒し現実世界に戻らなければ、キリトはその後200年もの間を《アンダーワールド》で過ごすことになる。焦る気持ちを抑えながら、奇怪な姿へと変貌したガブリエルと剣を交える。

#21 時の彼方
ついに限界加速フェーズが始まった。アリスは《アンダーワールド》からのログアウトに成功する。しかし、キリトはガブリエルを倒したものの、ログアウトには間に合わず、《アンダーワールド》に取り残される。絶望するキリトの前に、自らの意思でここに残ることを選択したアスナが現れた。現実世界では比嘉と菊岡が緊急加速フェーズを解除するため、ケーブルダクト下層に赴きSTLをシャットダウンしようとするが……。

#22 アリス
アメリカ国家安全保障局が裏で糸を引く、《ラース襲撃事件》は終わりを告げた。新たに発足した海洋資源探査研究機構の代表に就任した凛子は、アリスを真正人工汎用知能として世間へ公表する。集まった記者たちの質問に答えていくアリス。そして、シノンやリーファたちはダイシーカフェでその映像を見ていたが、しかしそこにはキリトとアスナの姿はなかった……。

#23 ニューワールド
凛子から和人へ、アリスが失踪したと連絡が入る。焦る和人はラース六本木支部へと向かおうとするが、家を出ようとした矢先に玄関のインターホンが鳴る。慌ててドアを開けると、ひとつの大きな段ボールをもった配達員。段ボールの送り状には「海洋資源探査研究機構」と明朝体でタイプされ、宛先欄には和人の住所と氏名がぎこちない筆跡で記されていた。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 15

68.0 11 美しいで恋愛なアニメランキング11位
ほしのこえThe voice of a distant star(OVA)

2002年2月2日
★★★★☆ 3.4 (588)
2977人が棚に入れました
『ほしのこえ -The voices of a distant star-』 は、新海誠 監督 が制作し2002年に公開されたアニメーション映画。
2039年、人類の調査隊は火星のタルシス台地で異文明の遺跡を発見したが、突然現れた異生命体によって全滅させられてしまう。その異生命体はタルシアンと名づけられ、その脅威に対抗すべく国連宇宙軍が組織された。
2046年、中学三年生の長峰美加子は、国連宇宙軍のロボットのパイロットの選抜メンバーとなり、翌年にはタルシアンの追跡調査のため編成されたリシテア艦隊の一員として、同艦隊旗艦〔リシテア〕に乗艦、地球を発つ。ほのかな恋心を抱く友人寺尾昇を残して。調査艦隊がタルシアンの痕跡を追って、地球から離れてゆくにつれ、ミカコとノボルの距離も光年単位で離れ、二人の携帯電話メールのやりとりにかかる時間も次第に長くなってしまう。
ついにはミカコは地球から8.7光年の距離に位置する惑星アガルタに降り立つ。そこでミカコは、地球に届くのに8年もかかるメールを ノボルに送信する。
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

総論大賛成、各論反対

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。25分ほどのショートストーリーです。
 非常に良い作品でした。特に時間と距離と心の関係を表現した部分は素晴らしかったです。エンディングに至るシーンも、情緒があり、リズミカルで素敵でした。風景の描写もきれいでしたね。新海作品の原点みたいなものは確かに感じることが出来ました。
 テーマの描き方を含め、全体的には素晴らしいのですが、細部の描写はオリジナリティに欠けていて、それが作品を毀損しているようにも思えました。総論部分と各論部分に分けてレビューします。

<総論編>

メール:
 メールは、テーマを担った一番大事な象徴物です。{netabare}
 手紙というのは、送り手と受け手の時間的な乖離が内包されているわけです。送り手の「届いたかなぁ」という心情が伴います。手紙が届かないというのは、物理的にも心情的にも届かないことを意味するので、送り手と受け手において「永遠の乖離」が存在しているわけです。
 メールというのは、「届いたかなぁ」という心情も確かにありますが、原則的には届かないことは想定されていないわけです。「届いているはずだ」という心理が手紙よりも強く働いてしまいます。メールが届かないというのは、実際には遅れているだけです。時間的な遅れはあっても「永遠の乖離」ではないわけです。しかし、時間の遅れが拡大化していくと、手紙と同様に物理的にも心情的にも「永遠の乖離」に近づくのだ、と表現されているわけです。
 つまり、「~=0」の物語ではなく、「~≒0」の物語を描いている。でも決してゼロではないので、確かに存在はしている。つまり「ここにいる」わけです。この辺のロジカルさには驚嘆しました。

 この作品は、「世界」の定義から始まっています。そして、つながりの強固な世界から、つながりの薄い世界へとストーリーが進んでいきます。つまり、メールがすぐに届く世界から、メールの遅延が拡大化した世界への展開です。つながりのない世界(手紙が消失してしまった世界)の説明が省かれているのですが、これは省略されているだけです。構造として確実に存在しているものを、あえて隠すことで、作品が抱える厚みを視聴者にゆだねていました。{/netabare}

雨:
 メールを基礎としたメインテーマを、背景の側から支えていたのが雨です。ここでは、雨の表現が意味するところを考えてみます。{netabare}
 最初の雨は、二人でバス停にいるところでした。雨が降っている最中は、高校生活について話していて、雨が上がった後で宇宙に行くことを告げるという展開です。
 次の雨は、ノボル側のエピソードです。女の子との傘のシーンの前から雨が降っていて、雨はバス停でのメールの受信まで続きます。「8年7か月」というミカコのメッセージとともに雨が上がり、晴れた後は「引き裂かれる恋人みたい」と展開していきました。
 最後の雨は、ミカコ側のエピソードです。雨の最中に「ノボル君に会いたい」と言い、「好き」というメールを送った瞬間に雨は上がります。雨が上がった後の最初のセリフは「届いて」でした。実際には願い空しく「好き」の部分は届きませんでした。

 これらの表現からは、雨降りが理想(希望)で雨上がりが現実(乖離)という表現のようです。一般的な作品では、雨は障害や不吉のイメージが強いですから、逆転させているようです。ミカコは、最後の雨のシーンで「雨にあたりたい」と言っていますから、雨自体は肯定的なもので間違いありません。
 また、雨の前後の表現だけでなく、雨が上がるタイミングにもかなり気を使っているのが感じられました。テーマを盛り上げる機能は十二分に発揮していたと思います。雨の使い方によって、作品の切なさを際立たせていました。{/netabare}

過去とロボットの足跡(雨の続き):{netabare}
 雨のシーンで疑問を抱いたのは、最後の雨の中で描かれる「ロボットの足跡が雨によって埋まる」シーンです。このシーンは非常に混乱してしまいました。
 当初私は、この文脈を、「ロボットの足跡」が「雨」によって埋まると解釈しました。足跡というのは過去を象徴するものです。また、この作品における過去は中学時代を言いますから、「正」のものだと捉えました。雨も前述の通り、「正」の表現ですから、「ロボットの足跡」を「雨」によって埋めるというのは、「正」に「正」を被せた演出であり、違和感を抱いてしまったのです。
 この文脈を、「ロボット」の「足跡」が「雨」によって埋まると解釈することも出来ます。ロボット自体は「負」のイメージを持っています。ミカコが選抜されたことが、自薦か他薦(徴兵)かは語られていませんが、作品の雰囲気から察するに、他薦のほうが近いように思えます。もちろんノボルとの乖離の原因でもありますから、「ロボット」が「負」であることは間違いないでしょう。「足跡」が単なる「過去」であるとすると、「ロボット」の「足跡」が「雨」によって埋まるというのは、「負」の「過去」を「正」によって消したい、と読み替えられます。これは論理性を持ちますから、おそらくこちらが正解です。

 私が前者のような誤った解釈をしてしまった原因は明白です。そもそも後者の解釈は、他の作品のように、過去自体に正負を持たせていない場合でのみ成立するものです。この作品で描かれる過去は、美化された中学時代が中心ですから、過去の表現を見ると、自動的に「正」を想像してしまうわけです。それゆえに、前者の解釈に至るということです。
 ここを正しく解釈するためには、この作品の特性を理解していなければなりませんでした。この作品は、メールの項で書いたように、「構造として確実に存在しているものをあえて隠している」のです。つまり、作中では過去が美化されていますが、過去が美しいものだけであるはずがない、という前提を抱えているのだと思われます。過去の象徴物である「足跡」は、「正」なのではなく、単なる過去でいいのです。これによって、後者の解釈が正解になるのです。 
 私は、理解するまでに時間が掛かってしまいましたが、一度理解するとこれ以外にないと言い切れるような素晴らしい演出だと思います。ロボットは終始出てきますが、タイミングとしてもあのシーン以外に考えられませんでした。

 話は変わりますが、全方位モニターというのでしょうか、座席のみになるやつです。あれは孤独を表現するいい手段になっていました。ロボット全景からロボット内部、座席のみという段階的な表現も良かったと思います。{/netabare}


<各論編>
 ここからは、否定的な見解を含みますので、読みたくない方は<総括>まで飛ばしてください。

街並み・小物:{netabare}
 なぜ現代(2002年)と同じなのか全く理解できませんでした。殊更に未来的な表現を使うべきだとは思いませんが、テーマの一つに「年月を経ても変わらぬ思いがある」というのはあったはずです。これは言い換えると、「物は変わってしまったが、思いは変わらない」ということではないのでしょうか。
 作中における8年の経過は、物への描写に表れていませんでした。街並みや携帯・バス停などの小物は、ほぼ一貫して現代(2002年)と同じものが描かれています。なぜ、思いと同じ「変わらない」側の表現だったのでしょうか。「変わらない思い」との対比が成立していません。
 思いの普遍性は、作品の中だけでなく、私たちにとっても同じです。私たちの存在も作品の対比構造の中に入れるべきだったと思います。つまり、2002年と2040数年とその8年後、それぞれ「物は変わってしまったが、思いは変わらない」と言えたはずです。変化を描いていないせいでミカコの言う「20世紀のエアメール」の効果が減退しています。

 確かに、作中のミカコとノボルの関係は、非日常と日常の対比であるのは、間違いないことです。しかし、ノボルの日常を2002年に固定するのは拙速です。非日常と日常の対比に、テーマである時間の経過を織り込むと、ミカコが「不変の非日常」であることに対して、ノボルは「変化の中にある日常」になるはずです。ノボルの周囲を変化させないことが、テーマを殺しているように思えました。
 私たちが近未来のSF物を見るときには、現代との違いを機微に捉えることが出来ています。この作品では、そこを捨て置いてしまっていました。トレースやコピーをしたのではない、新海監督の中にある時間の経過・未来の世界を描いて欲しかったと思いました。{/netabare}

ミカコの制服:{netabare}
 こちらもテーマに沿った演出になってないように思えました。別にパイロットスーツを着ろというわけではありません。8年という時間が経過して社会人になるノボルとの対比をする上でも、ミカコに制服を着せておくというのは必要な表現だと思います。
 ただ、中学時代の制服そのままというのはあり得ません。中学時代の制服は、思い出を想起させる重要なアイテムになるべきものです。中学時代の制服とそれ以外の制服で対比構造を作っておくべきだったのではないでしょうか。回想中だけとか、メールを送るシーンだけとか、過去に絡めたシーンでのみ、中学時代の制服を着用すべきだったはずです。もちろんガラッと服装を変える必要はなく、シーンによってネクタイの色だけ中学時代に戻す、という程度で十分だと思います。
 2040数年の制服が、現代と同じ制服であったことも含めて、やや工夫を放棄していたように見えてしまいました。{/netabare}


<総括>
 メールやロボットの足跡の項で述べたように、あえて省略している表現というのがありました。その部分の読み取りを視聴者にゆだねることで、作品の持つ背景に厚みが加えられていたと思います。誤読を誘発する可能性も孕んでいますが、効果は非常に高かったと思います。25分というショートストーリーだからこそ、大幅に省略した表現が成功したのでしょう。
 一方で、各論で述べた項目は、ここでいう省略には該当しません。描写をあきらめてしまったような印象に映りました。または、ただ書きたかったから書いただけというような印象です。オリジナリティも欠如していました。作品のテーマの描き方に成功している分だけ、この部分のミスマッチが気になってしまいました。個人製作ということですので、時間的な制約があったのかもしれませんが。
 SFの部分であるロボットや戦艦もオリジナリティには欠けていました。ただ、この作品はSFをモチーフにしているだけで、SF作品ではないと思うので、そこまで気にはしていませんでした。もちろんオリジナリティがあるに越したことはないのですけどね。

 この作品自体は、際立った良作です。
 むしろ、この作品の後の新海監督の作品に関して、やや不満を持っています。未視聴の方のために詳細は述べませんが、この作品における描写から逸脱できていないのではないでしょうか。別れや乖離を示す電車の表現は秒速でも使われていましたし、トレースとフレアレンズを多用する風景描写にも変化をあまり感じません。原点と言えば聞こえはいいですが、これ以降の作品で新しいものを生み出していないようにも思えてしまいました。
 ただ、私の個人的な愚痴はともかくとして、この作品における主題部分の完成度は、新海作品に限定せずとも高いものだと思います。他の新海作品よりは、まずこの作品を視聴することをお勧めします。

対象年齢:
 思春期世代でしょう。大人も大丈夫だと思います。あまり細部にこだわりすぎず、メインテーマにどっぷり浸かった方が楽しめると思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

最高のSFそしてラブストーリー。「大人になる痛み」という言葉の味わい。

24年8月多分10回目…いや20回目以上の再視聴です。

 私にとってSFの名作中の名作です。そしてラブストーリーとしても最高です。毎年夏になると見たくなる作品です。過去2回ほどレビューしたので詳しくは書きません。

 2人の感情は距離と時間が離れてしまったからこそ、深く強くなったということでしょう。その思いをメールで送った瞬間にタルシアンが少女の形で接触するのもまた意味が深いです。「大人になる痛み」という言葉が人類の成長という意味と、本当の意味で愛情を知るには相手と会えない時間が必要だという意味の2つに取れます。

 以前にも書きましたが、圧倒的科学力のタルシアンとの闘いでリシテア号のみ助かったかを考えると、ちょっとロマンチックですがミカコが想いを伝えるメールを送ったからでは?と思います。つまりミカコの所属艦だから、助かった。ミカコのように痛みが分かる人間がいるなら、人類は大人になってタルシア人のあとに続けると思ったのだろうということです。

 人類が成長するためには、タルシアンと戦争し科学力を身につけなければいけなかったんだと思います。

 そういう解釈はまあ何十回も妄想しているのでいいんですけど、やっぱり素晴らしいのが一緒にいた時間の貴重さです。恋愛は理由ではないです。そのかけがえのない時間が唯一無二だからこそ、その時間を共有した相手が大事なのでしょう。そして日常だった地球のいつもの風景です。「夜中のコンビニの安心する感じ」とういセリフが毎回グッっときてしまいます。

 この作品年齢を重ねるごとに、感動の深さが増して行く気がします。




以下、23年7月のレビューです。

 本作内の季節は夏だけではありませんが、イメージ的に夏の風景こそが2人が過ごした時間じゃないか、と思いますので、やっぱり夏に見たくなります。23年7月に再視聴しましたので、まとめを追記します。


 本作でリシテア号だけが生き残った意味を考えるとSF的考察をしなくてもミカコが生き残ってノボルと再会することが分かると思います。
 なぜかといえば、タルシアンは人類に銀河ネットワークを残したかった。そのために戦争を仕掛けシリウスまで導きました。全滅させては意味がないので、最終的な場面は見せないですが新聞記事等でリシテア号は助かるというのは読み取れます。

 ミカコはとりあえず助かった。リシテア号もいる。リシテア号は意図的にタルシアンが助けた。
 故にミカコも助かるというのもわかります。ノボルが新型の艦で出かける以上、2人は会えるというのは読み取れる結論です。

 で、ここから先はすみません。妄想ですが、タルシアンはミカコが気持ちをケータイでノボルに伝えているのを知っていた(だから、タルシアンはそのイメージを再現できた)。なのでミカコは距離を越えて気持ちを伝えられる人物だからこそ、タルシアンはミカコの機体は破壊せずに未来を託したくなった、と読み取れる気がします。そもそも未来のミカコは指輪してましたしね。

 つまり、ご都合主義でミカコが選ばれて助かったわけではなく、ケータイでメッセージを送っていたからだ、ということになるのでは?と思います。ここで、銀河を越えたコミュニケーションという2つの主題、異星人との交流と、ミカコとノボルという個人の恋愛が重なってきます。逆に言えば、人類もミカコも助かるということを暗に言っています。

そして、恋愛の部分ですが、2人は会えないけどお互いのことを考えている時間が8年…以上あったわけで。その想いが募るからこそ、2人は他に変わりようがない存在になります。現時点でミカコにとってはまだ時間は経ってませんが、これからミカコは会えない日々に苦しむはずです。
 安易に付き合うことがゴールではなく、この時間と空間の隔たりがあるのが大切なのでしょう。この代替が不可能な状況もまた、本作の最大の特徴でしょう。


 だから、本作はSFとしても、恋愛としても深さを感じる作品だなと思います。

 アニメの中のポエムというのは、野暮というか恥ずかしいというか、そういう作品は多いです。が、地球とノボルと過ごした日々を思うミカコを表現した
本作の詩は本当に素晴らしかった。

 えてして、最高傑作の種というのは、デビュー作にあるものです。稚拙なところもあるでしょうが、表現したいという熱意が伝わってくる作品です。新海誠氏の作品は最近の3作も素晴らしいし完成度は本作とは違いますが、SFと恋愛という2つの側面だけ切り取ると、本作が一番感動します。

 そして、短いからこそ言葉足らずになって、想像を働かせられる優れた効果がでています。これが後の3部作につながる「言葉足らず=想像が必要」というのが新海誠らしさではないか、と思います。




以下 以前のレビューです。上と同じようなことを言ってますが、少し詳細に書いています。


 距離と時間で離れているからこそ深まる気持ちの描写が素晴らしい。

 SF短編の最高傑作ですよね。映像も素人が、ということを抜きにして、非常に感情を揺さぶられる素晴らしいできでした。

 短編なだけに、省略が多くてそれがSF的な深みを出すと同時に、こちらが想像で補う分で深く深く感情移入できます。また、思春期の思い出が一緒にすごした放課後の天気の記憶とかコンビニとか踏切とか…もう最後だけでいつも胸が苦しくなります。

 SFアニメ作品のナンバーワン候補は沢山ありますが、本作はいつも迷います。恋愛ものとしてのクオリティと詩情ですね。これが良すぎて、SFとしての評価ではない気がしたからです。
 いや、言い方が違いますね。距離と時間についてはSFと恋愛の融合としてそこはいいんですけど、タルシアンとミカコのコミュニケーションにちょっとご都合主義を感じていたからです。

 ただ、ケータイについて考えると「あれ、結びつくかも?」と思いました。なぜミカコにタルシアンがコンタクトしようとしたか、ですね。

 初めはトレーサーの乗組員全員に対してと思っていました。が…これミカコが携帯でノボルとコミュニケーションをとっていたから?ミカコも攻撃を受けていたし全力で戦っていたのでなんとも言えませんが…しかし、冥王星で戦っているときにミカコへ攻撃せずに覗き込んでましたね。包み込んで調べようとしたんでしょうか。携帯に興味をもったのか、誰かに気持ちを伝えようというミカコに何かを感じたんでしょうか。

 つまり、ミカコの誰かに想いを伝えたいというタルシアンに伝わったということかなあ、と。だから、ミカコならつながりたいという思い=タルシアンの想い、ネットワークを残す意味合いを理解できる、と。それでリシテア号だけ生き残ったんでしょうか。
 考え過ぎかなあ。ただ、そう解釈するとよりSF,恋愛の両方が深まる気がしました。

 離れているからこそ相手を想う。だから、気持ちが深まる。ノボルは恋愛の機会もあったみたいですが、ミカコが忘れられなかったのもよくわかります。秒速5センチメートルと同じです。
 同じですが「5センチ」と違い本作は新聞記事やタルシアンの言葉が見せた映像や言葉から考察してノボルがミカコに追いつくだろうという考察できます。そこがいいですね。
 ただ、今回再視聴して思ったのが、考察しなくてもそもそもノボルが艦隊勤務を志願して旅立つ描写があるってことは、ハッピーエンドに決まっているじゃんと思います。

 物語は8年前のミカコと現在のノボルのシーンで終わったので、8歳差な気がしますが、メールが届いたときにはミカコ側でも8年歳をとっています。そこにノボルが迎えに行くとなると、ワームホール(巨視的量子トンネル効果って書いてありました)を使えば一瞬です。つまりお互い25、6歳くらいで再会できるということでしょう。

 「ここにいるよ」というメッセージが初めは別離なのかと初め思いましたが、自分が「今後どうなろうとノボルも共有した時間も好きだった自分が確かにここにいた」ということでしょう。

 すずめの戸締りの余韻で再視聴。で、なんか以前見たときよりももっともっと深い作品の気がしました。新海誠監督の中で「すずめ」「君の名は」と本作、どれがナンバー1か迷いますねえ。

 評価上げました。決して安易に5点満点にしたいから、ということではなく女性の声優さんのモノローグに気持ちが乗っかって素晴らしかったし、音楽にも気持ちが揺さぶられました。作画は背景美術の評価です。


 以前のレビューは、ウラシマ効果とワームホールなどの考察でしたが、本作の大切な部分ではないので削除しました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

その愛は、時間も距離も、飛び越える……

新海誠作品第1弾『ほしのこえ』

25分のアニメを作るうえで必要な要素である監督・脚本・演出・作画・美術・編集を全て1人で行ったと言う伝説的作品です(オリジナル版なら声優も)

今から14年前に作られたこのアニメ作品はSF要素を組み入れた物でこそありながらも、その本質は人間が持つ「想い」に焦点を当てていました。

誰かが誰かを想う気持ち

心の距離と、身体の距離の対比関係

離れていても、メールが届いた事によって感じる喜び

離れているからこそ、メールが届かない事に感じる寂しさ

次第に遠くなる一方でも、変わらない、いや、次第に近くなっている物も確かにあって、それは普遍に色濃く輝いている…

決して古臭く感じさせない……
現代の私達にでさえ、語りかけて来る物があると自然に感じられた作品でした。
いえ、寧ろ、今の電子機器が跋扈する時代だからこそ感じる物が今作にはあるのかもしれません。
今だったらメールではなく、LINEに取って変えられるんですかね…
既読が付くかつかないかで悩む描写がきっと出ますよ、多分(笑)


しかし、『ほしのこえ』で描かれた落ち着かない感覚、「不安」「じれったさ」と言う感情
これらを「誰しも心の中に持っている!!」と断言する事は私には出来ません。
しかし、少しでも他者と関わった事があるならば、こういった挙措の失いは多くの人が抱いた事のある「想い」です。
一般的に考えれば、殆どの方が持っている代物
彼らのように壮大では無いにしろ、私達の周りにそういった存在は確かにあって、生きている物語のように着実に、知らない所で紡がれていました。

それは、今は昔のボトルメール
海に流して返事を待ち、他者との交流を図ろうとする宛ても無き媒体
無事に陸地に着くか分からない、着いても誰が拾うか分からない、拾っても連絡してくれるか分からない……
「分からない」と言う「不安」ばかりで埋め尽くされた感覚には、しかし、どこか「期待」と言う感情が見え隠れしています。

それは、離れ離れになった人との文通
久しぶりに送る過去への手紙
書きたい事は沢山あるのに何を書けばいいか分からなくなるあの感じ
それはその瞬間だけに訪れる、たった1つの宝物です。

それは、ミカコとノボルのような人達
何かを媒体として育まれる交流は、何らかの関係を無くさないが為の応急処置
互いに違う環境、違う関係、違う人生で進めば、違ってくる未来の路
しかし、どこか必死さをも感じさせる交流には、道のりが違っても維持していこうとするいじらしさを感じて堪らなくなります…

このような物語は知っていても知らなくとも確かにこの世界にあったのです。
同じように、作中で進んでいくストーリーも「ウラシマ効果による弊害」と言ってしまえばそれまででしょう。
しかし、今作の伝えたい事は何もSF的要素、切ない雰囲気だけではありません。
「誰かを想うなら、心は、時間も距離も飛び越えて、その胸の温もりさえも、運んでくれる」
人間の想いが開花する過程を私達に見せつける事で生まれる物
それはノボルが心を硬く、冷たく、強くしたあの時から唯一持ち続けた感情を武器にして生まれた代物
読めないメールを理解した彼が必死に体現しようとした結果が最後には描かれていたのです。

「さよならだけが人生だ」というフレーズを聞いた事があるでしょうか?
人生、出会いと別れの繰り返し…だから、くよくよせずに新しい一歩を、次の出会いを探そうじゃないか!!
中国で生まれた1つの詩をとある文豪が訳した時に生まれた言葉です。
過去は過去と振り切って前に進むのは、想像する余地を脳から排除し、考えないようにすると言う点において確かに楽でしょう(フラッシュバックしない限り)
作中でもノボルは1度、他の人と付き合う事でそれを実行しようとしましたからね…
彼もまた、ミカコのいない事に耐えられなくなってしまった悲しき被害者
しかし、ノボルは結局、被害者のままでいる事を止めました。
元の鞘に収まる事、つまり、ミカコを待ち続ける事、いえ、彼女を追いかける事を選んだ…
心を硬く、冷たく、強くした1人ぼっちの大人になる決意を内に秘めて…
そんな彼らのように遠く宇宙の彼方まで離れても、時間が2人を分かつとも「さよなら」したくない関係と言うのは確かにある。
割り切って前に進む事の出来ない繋がりと言う物が現代でも確かに生き続けている。
願わくば、そんなこってこての「理想」が現実のどこかで存在していてほしい…
視聴後にこんな風な戯言を自然と想像してしまう程、心に沁みた良作でした……

さあ、あなたの周りに私の想う「理想」は果たしてあるのでしょうか?
ノボルとミカコのような「確かな関係」を育んでいる人は果たしているのでしょうか?
自分の辿ってきた人生と合わせて、振り返りたい方は是非ご視聴をお勧めします……

「ここにいるよ。」

PS.
視聴後は漫画家の佐原ミズ氏によるコミカライズ版『ほしのこえ』を読んでおくことをお勧めします。
これを読んで真の意味で『ほしのこえ』は完結です…

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

72.0 12 美しいで恋愛なアニメランキング12位
千年女優(アニメ映画)

2002年9月14日
★★★★☆ 3.9 (447)
2163人が棚に入れました
芸能界を引退して久しい伝説の大女優・藤原千代子は、自分の所属していた映画会社「銀映」の古い撮影所が老朽化によって取り壊されることについてのインタビューの依頼を承諾し、それまで一切受けなかった取材に30年ぶりに応じた。千代子のファンだった立花源也は、カメラマンの井田恭二と共にインタビュアーとして千代子の家を訪れるが、立花はインタビューの前に千代子に小さな箱を渡す。その中に入っていたのは、古めかしい鍵だった。そして鍵を手に取った千代子は、鍵を見つめながら小声で呟いた。「一番大切なものを開ける鍵…」
少しずつ自分の過去を語りだす千代子。しかし千代子の話が進むにつれて、彼女の半生の記憶と映画の世界が段々と混じりあっていく…。

声優・キャラクター
荘司美代子、小山茉美、折笠富美子、飯塚昭三、津田匠子、鈴置洋孝、京田尚子、徳丸完、片岡富枝、石森達幸、佐藤政道、小野坂昌也、小形満、麻生智久、遊佐浩二、肥後誠、坂口候一、志村知幸、木村亜希子、サエキトモ、野島裕史、浅野るり、大中寛子、園部好德、大黒優美子、山寺宏一、津嘉山正種
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

千代に八千代に千変万化

オリジナルアニメ劇場版


『東京ゴッドファーザーズ』に端を発しての今敏監督作品3本目の視聴。『PERFECT BLUE』を挟んで本作です。

氏の作品については、“虚構”と“現実”入り乱れる作風が特徴との交流あるレビュアーさんの言及があり、まさにその通りなんだろうと思います。
前作『PERFECT BLUE』でも、本作『千年女優』でも物語の主役は“女優”です。作り手が発信したいメッセージを表現するには、虚構を演じる職業柄“女優”という属性は語り部にふさわしいのかもしれません。

両作品とも現在進行形の今(現実)があって、そこに撮影シーンいわゆる劇中劇(虚構)が挿入されて次第に溶け合っていくのを基本構成としてました。
基本構成のみが前作とすれば、本作では女優藤原千代子の過去語り(回想)も加わることでより一層カオス度合いが増した印象。それでいて最後はきっちり収束するので観てて心地よかったです。
“女優”を扱った同氏の作品を続けて鑑賞したのはよい対比となりました。視聴順の推奨というほどでもありませんが、これからご覧なられる方は片隅にでも留意いただけるとよいかもです。


隠居した往年の名女優のインタビューをとりに女優宅を映像制作会社の社長さんが訪れるところから物語はスタート。
女優の名は藤原千代子。千代子の大ファンでもある社長さんは立花源也。千代子の半生を辿るドキュメンタリー製作が口実での訪問だったが、その半生がどういったものかもそしてインタビューを千代子が受けようとした理由も、鍵を握るのは立花が持参したあるおみやげでした、と。
以後、千代子が女優になったきっかけからの回想が始まり、出演映画のシーンも織り交ぜながら想い人である絵描きの青年を追いかけるストーリーが展開されていきます。はたして想いは成就されるのされないの?に視点を置いての鑑賞になるでしょう。


以下2点の両立がなされているところは高く評価したいです。

 1.上っ面だけかすめても面白い
 2.小難しく考えても面白い

どっちかに特化しても良いんですけどね。


1.上っ面だけかすめても面白い

映画の大半を占める千代子の半生語りの回想は、劇中劇と合わせて独特の空気を醸し出してます。普通は回想と現在との2本立てなところを、“回想”“劇中劇”“現在”3本立てで構成されているのは先述の通りです。それが溶け合ってチャンプルーしてるのが特徴となります。
複数場面が溶け合ってることのみならず、そこに登場するキャラにも捻りを加えてきます。過去の千代子、役を演じてる千代子、現在の千代子とその場面に合わせた登場人物たち。加えてインタビュアーたる立花と同行のアシスタントくんが回想と劇中劇にも顔を出してくるのです。なかなかお目にかかれない演出です。視聴者が??となりそうな箇所ではアシスタントくんが適度なツッコミを入れてくれるので置き去りにならない設計になってるとも思いました。
ここまででも新鮮味がある作品設計という強みがあるのですが、なによりテンポがよいのです。そして美しいのです。そんなお金かけてる気はしないんですが。。。
{netabare}馬賊に襲われているところからの戦国への転調シーンなど本来なら不自然なはずなのにカット割りが自然で気にならない。{/netabare}
{netabare}町娘が追いかけてる時の背景が浮世絵絵巻物風で、美しいと思える背景美術となっている。{/netabare}
{netabare}映画全盛期の昭和30年代。街並みから映画チラシ。家の中の家具調度品などの郷愁感。すなわち『三丁目の夕日』感っていうやつです。もしくは『新横浜ラーメン博物館』感のどちらでも。{/netabare}
{netabare}印象深いのは雪景色。絵描きの青年との出会い/別離のシーンであったり、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」的なシーンもありました。そのまんまでも綺麗なのですが、{netabare}絵描きの青年(役名は鍵の男)の郷土北海道の暗喩だったんでしょうね。{/netabare}{/netabare}

そもそもの話で、おばあちゃん千代子さんの佇まいの品の良さとたまに見せる少女のかわいらしさには触れておきたいかも。ヒロインへの感情移入の土台となるのは、往年の名女優の現在の立ち居振る舞いだったと感じます。
めくるめく場面展開の独創性が面白さの源泉であり、本流である想い人を追いかけるエモさは古今東西受け入れやすかろう物語でした。締めの一言がラブストーリーとして見立てた本作の評価に直結するくらいでしょうが、賛否両論あるくらいがこの作品にスパイスが利いていた証左です。


2.小難しく考えても面白い

やはり幕の降ろし方が気になります。
頭を使いそうな作品に遭遇した時、理解の手助けの一つとして冒頭シーンの意味をよく考えたりします。作品の開幕に監督がどのような意図をもって何を用意したかが表れているから、が理由。
その視点で本作を眺めた場合、※以下視聴済の方向けネタバレ

{netabare}千代子にとって想い人を追いかけることを止めて女優も引退したという人生の分岐点があの宇宙飛行士役の一幕でした。
“鍵”“地震”“老婆”“鍵の男”なにかしら示唆する暗喩めいたものは数多く配置されてるのが本作です。この宇宙飛行のシーンは冒頭と中間そしてラストと都合3回出てきますが、中間部分で二度目の鍵の紛失という事態に見舞われます。
一度目の紛失の際、千代子は結婚し家庭に入ってしまいます。劇中劇は「もう顔も思いだせない」と咽び泣いた教員役の1カットのみ。触れられてませんが、鍵が見つかるまで教員役以外の“女優”藤原千代子の描写がありません。
二度目の紛失の際には女優を引退し鎌倉だか葉山に引っ込んでしまい今日に至るといった具合です。
鍵とはどういった意味を持つものか?について鍵の男は言いました。

 {netabare}一番大切なものを開ける鍵{/netabare}

鍵を無くした時期に失っていたもの = 一番大切なもの ということなのでしょう。振り返れば劇中劇の多くは想い人を追っている描写で埋められてました。
どこかに辿りついて鍵を開けるのがゴールだと見えてたのはミスリードで、鍵が手元にあるから一番大切なものを開放できていたのです。こちらも振り返れば、千代子は鍵をネックレスにして首からかけてました。宝箱は千代子自身だったのでしょう。
となると、回想でも劇中劇でも想い人である“鍵の男”を追っている時に女優藤原千代子の人生が輝いていたと言えます。恋に恋してという陳腐さではありません。

{netabare}想い人を追う現実の自分{/netabare}
{netabare}想い人を追う演技をしている役の自分{/netabare}

“現実”と“虚構”が溶け合いました。導き出される答えは女優という職業に人生を捧げた一人の女性の凄味です。そして女優という職業の業の深さでしょうか。
そもそも“鍵の男”がちょんまげ姿で登場した時点で気づくべきでした。想い人は何かしらの象徴的な意味合いを持ち、好きな男を追いかけるシンプルな話ではなくなっていたのです。

人生は舞台であると言ったのはシェイクスピア。
浮世は舞台でメケメケの世界と言ったのは桑田佳祐。
本作を通じて、人生という舞台を演じ切るのが大事なのでは?との問いが投げられたと受け止めることができます。

{netabare}空襲後に「いつかきっと」の石版絵{/netabare}

完成することはきっとないのだと思います。だからこその「尊き哉人生」です。{/netabare}


小難しく考えると、ラストがストンと腑に落ちるのでした。
人生を愛した一人の女性の物語です。名作と言って差し支えありません。

{netabare}みたび鍵を手にすることができた千代子は、半生を振り返るインタビューの中で久方ぶりに女優となるわけです。
病床のベッドの上で立花からの「また追いかけられますね?」との励ましに「どっちでもいいのかもしれない。」と答えた千代子。

“わが人生に一片の悔いなし”{/netabare}



最後に余談。

■どこが千年?
千年とは物理的な時間の意味に非ず?
「千代に八千代に」ずっと
「千変万化」いくらでも
で使われる“千”の意味合いが強いと思う。


■声優“荘司美代子”のお仕事
藤原千代子役には年代に合わせて三名の役者さんが声を当てられてます。

荘司美代子:70代
小山菜美:30~40代
折笠富美子:10~20代

そのうちの荘司美代子さんのお声が凛として気品がありました。調べてみたら「ちはやふる(2期)」の山城今日子専任読手の声の方だったんですね。声の仕事はあまりない方ですが印象に残る演技です。



2019.02.17 初稿
2019.08.04 修正

投稿 : 2024/11/02
♥ : 34
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

考察多めです

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。90分ほどの作品です。2002年の作品なので少し古いのかなと心配しましたが、そんなことはありませんでした。「猫の恩返し」と同年ですので、まだ見ていない方にとっても無用の心配かもしれません。ただ、昭和感を重視しているためか、ポップで明るい要素は乏しいので、そこを踏まえてから視聴した方がいいでしょう。

 完成度の高い作品ですが、好みは分かれると思います。謎解きのような要素が強く、考察対象が多いのが特徴です。考察好きに好まれるかもしれませんが、頭を空っぽにして楽しめるというわけではなく、90分という時間以上に疲れてしまいました。エンターテイメントよりは文学です。アニメを楽しみたいというより、映画を楽しみたいときに見た方が良いでしょう。
 称賛されるべき作品ではありますが、残念ながら私の好みには合いませんでした(評価に好みは反映させていません)。私自身が、あまりワクワクできなかったことが原因かもしれません。終盤の山場でも盛り上がれませんでした。


ジャンル:
 形容しがたいのですが、謎解きでいいと思います。「一番大切なものを開けるカギ」というのが何なのかを探っていきます。この問いに対する答えをより積み上げられるとエンディングでのカタルシスが増すのだと思います。
 語りべである元女優が、各年代での出演映画に自分の人生を投影し、徐々に映画と現実が邂逅していく、という展開です。やや難解に感じるかもしれませんが、解説役がいますので迷子になることはないでしょう。序盤では同じようなシーンが続きますが、少しずつ変化していきます。個別の循環構造ではなく、全体としてのスパイラル構造として描かれます。


テーマ:
 初恋から始まりますが、元女優の人生観を描いたという方がよいでしょう。


一番大切なものを開けるカギ:{netabare}
 絵具箱のカギなのか画材箱のカギなのか分からなかったのですが、「七色の女優」とチヨコが表現されていたので絵具箱が正しいのだと思います。
 まぁ、大事なのはもちろんそこじゃないですね。。。

 チヨコは、各年代で様々なジャンルの作品に出演しています。この点からは「七色の女優」と呼ばれるのは正しいのでしょう。ですが、キャラクター的には常に男性を追う役であり、多様性には疑問が残ります。逆に言うと、「七色の女優」と称されるほど様々な役を演じていたのに、その全てに自己投影できてしまったということです。チヨコにとって女優という職業が人生と同じ重みを持っていたということなのだと思います。
 カギは、初恋の象徴でもありますが、女優になるきっかけを与えてくれたものでもあります。つまり、カギは女優としての象徴でもあるのです。事実、カギを失ったチヨコは「主婦」であり、書斎からカギを見つけた途端に演技を始める「女優」となります。
 以上から、カギ=女優=人生であるといえます。初恋の男の絵具箱を開けるとか初恋の男に渡すとかは、強調されるほどは重要な意味を持っていないのではないでしょうか。チヨコがカギを持っているときだけ「一番大切なもの」が開く、すなわち、チヨコの人生が色彩鮮やかになるのだと思われます。{/netabare}


初恋の男:{netabare}
 初恋の男に会えないことと初恋の男が死亡することは、予測がついてしまいました。むしろ、予想できるように作っていたのだと思います。月の表現と、男が反体制派(反主流派)であることによるものです。
 月の表現は暗喩です。男は「十四夜の月」が好きだと言っています。「十四夜の月」は、どんな作品に使われたとしても、一般的に次の二つをイメージさせます。一つ目は「満ちることがない」ということ。二つ目は「満ちたときに何かが起こる」ということです。この作品では、両方が描かれます。
 老婆の「未来永劫恋の炎に身を焼く」というセリフは、初恋の男について「満ちることがない」、つまり、会えないことを示します。初恋の男が反体制派として描かれるときには、常に死の匂いが漂っていたため、死亡は不可避のように思えました。これも会えないことを補強しています。なお、終盤での拷問による死亡という告白は、死亡自体を伝えたというより、死亡時期を伝えたという印象を持ちました。
 そして、月が満ちるとチヨコは男の死を確信します。{/netabare}


千年の呪いとエンディング:{netabare}
 あの老婆はチヨコ自身だと思われます。何も説明がないのですが、説明が多いこの作品で何も説明がないことが逆に強烈な特徴になっています。他と関連しないからこそ、チヨコ以外あり得ないのだと思います。
 老婆はチヨコに千年の呪いを与えます。千年の呪いは、いとぐるま・ロータス(蓮)・出演映画と関連付けられて、輪廻観を示します。蓮といとぐるまで輪廻転生です(※)。女優としては、確かに1000年分の役を演じてました。そのどれもが男を追う役だったというのは前述の通りです。チヨコは役を通して1000年分の輪廻転生を繰り返していました。
 ところで、チヨコの女の幸せについて述べておかなければなりません。序盤で「国のために尽くすこと」「結婚して子を産むこと」が提示されます。いずれに対しても、チヨコは許容を示しませんでした。中盤では「結婚して子を産むこと」だけが残ります。このとき、チヨコは強い拒絶を示していました。

 輪廻転生と女の幸せへの答えがエンディングです。地震は生(再生)と死を意味していたようです。地震とともに、チヨコは「明日になれば思い出せない」といい、次の転生を否定します。チヨコに実際の死が訪れます。
 最後のセリフは「あの人を追いかけている私が好き」です。「あの人を追いかけている私」というのは、「カギを持っているチヨコ」を言い換えたものです。カギ=女優=人生ですので、初恋ではなく、女優人生への賛美です。「国」や「結婚出産」ではなく、女優として生きたことに一人の女性として満足したのだと私は思いました。宇宙飛行士という最後の役を演じることで、1000年目が終わり、呪いからの解放、輪廻からの解脱となりました。
 また、地球と月(宇宙)が対比されていたように感じました。月は男であり死、地球はチヨコであり生で、彼岸と此岸の関係です。月に降り立ったチヨコが見るのは男との別れであり、チヨコの死(解脱)も地球からの離脱として描かれます。だから、最後の役が宇宙飛行士だったのでしょう。

 実は視聴後、オープニングでなぜ未完成のはずの宇宙映画を見ていたのか、しこりのように残っていました。ですが、このレビューを書きながら分かったような気がします。
 あれは、現実と映画の邂逅の始まりであり、チヨコの最後の映画の開幕(カギを得て最後の転生をすること)を告げたのではないでしょうか。地震が起きてましたし、大きく外れた解釈ではないと思います。
{/netabare}


※千年の呪いへの補足(蛇足):{netabare}
蓮単独では、象徴されるのは「清浄」が基本となります。
蓮+円環(ループ構造)で「輪廻転生」。
蓮+食で「現世苦難からの解放」です(Lotus Eater)。
 上二つは、ヒンドゥー教・仏教から来るもので、三つ目はギリシャ神話から来るものです。老婆のいとぐるまは必須のアイテムでした。食が強調されたシーンは(多分)なかったので、エンディングで3つ目の要素を意識する必要はないと思います。テーマ的にもミスリードする可能性は少ないですが、念のため言及しておきました。{/netabare}


 考察として、どのシーンを取り上げるかは個人差があるかもしれませんが、説明が多い分、多様な解釈を許す作品ではないと感じました。「千年の呪い」に関連して、「明日」とか「若さ」とか、時間の表現に注目するのも面白いと思います。1回の視聴ですべての要素を掴むのはおそらく困難なので、少しずつ視点を変えて周回していくと、より楽しめるのかもしれないと思いました。念のためにもう一度述べておきますが、私の好みはともかくとして、名作ですよ。


対象年齢:
 高校生以上が望ましいと思います。重要なアイテムに気付ける力とそれを読み取る力が必要となります。これらがなくても楽しめることを否定はしませんが、この作品の持つ魅力が半減してしまうとは思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12
ネタバレ

大滝政人 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

映画の映画

お気に入りの棚に入れてるのに、
いつまでもレビューを書かないのは、
どうかと思ったものなので書いてみますかね。

私的に今敏監督作の中で最高作でありますが、
根本的に面白くはない(観る人によるかな?)ので、
私は何度も観たいとは思いません。
レビューを書く為に今一度、視聴しましたが、
おそらくもう観ないでしょう。

一度でも良いので観てもらいたい作品ではあります。

例えば貴方が日曜の午前中にTVを点け、
何かのヒーロー物を観たとしましょう。
ヒーロー達は色分けされており、
リーダーのレッドを初めとして、
他にブルーやイエロー、グリーン等がいます。
ヒーロー達は、それぞれ得意な分野がありますが、
主人公のレッドには得意な事がありません。
しかしレッドは恐るべき素質を秘めていて、
それを見抜いた博士にスカウトされ今に至るのだった。
なにしろレッドは条件さえ満たせば、
どんな敵をも必ず一撃で打ち砕くスゲー技が使えるのです。
その条件とは悪に対する怒りが頂点に達した時である。

とまぁネタバレを避け微妙な話をしましたが、
予備知識ゼロから本作を観るよりは、
マシではないかと思い書いてみました。

本作の内容の半分は、こんな感じでありますが、
これを、そのままやってしまったら、
とてもじゃないが大人が観る作品とは言いがたい。
それに本作が描いている事は、もっと深い意味を持つ。

以下、ネタバレ。
{netabare}
では早速、言ってみます。

開始早々に元大女優は鍵の意味を口にしてくれます。
本来は何の鍵であるかは、すぐ後で出てくるし、
絵描きですから中身も予想がつくでしょう。
それを特別な物の様に言う質問に対し、
恥ずかしがり屋な少女の自然と出た勇気が微笑ましい。
もちろん鍵の君にとって大切の物であるのはウソではない。
仮にも招待するのだし、もう少し自分と、
好きな世界の事を話したいのだろう。
そんな鍵が彼女にとっても特別な物になるのです。

これまでの人生において、
貴方にも憧れのあの人に位置する人物が、
一人くらいはいただろう。
本作は愛よりも恋の割合の方が多い。
愛の力…と言うよりも恋に焦がれる無限の可能性、
つまりはその無敵さを描いています。

しかし、どんな偉人であっても人である以上、
老いからは逃れられません。
人は自分の欠点や認めたくない何かを、
自己防衛の為か目を背ける事が出来ますが、
彼女の場合は、どうでしょう。
彼女の身から鍵が離れていく時、恐怖が訪れます。

最後のセリフは「PERFECT BLUE」と同じく、
不評な方もいるでしょうが、
私は本作の場合は素直に良かったですね。
彼女は自分自身を認め答えを出すのです。
かくして大女優は大女優として幕を閉じるのである。
終盤の彼女のセリフは鍵の君に会う為のものだと思います。

要点だけ整理してみます。

まずは老婆について。
「あやかしの城」以降も彼女を苦しめる老婆の正体…
それは…なんと俺だぁ! (ウソです、ごめんなさい)
真面目に答えるとセリフの内容からして、
未来の彼女でありましょう。
そして彼女は「いずれ分かる時」が来て隠居する。

次は鍵について。
彼女にとって何を開ける鍵なのかだが、
それは俺の…もとい、
純真な少女たる心を開く物でして、
過去の彼女でありましょう。
少女時代の時は元々、少女ですから、
純真な少女たる心を保つ鍵であり、
開ける物ではなく閉める物となります。
彼女は少女のまま大人になれたのではなく、
大人になっても少女の強みを振るっていたのですから。
大人の彼女が外から鍵を開く度に、
少女の彼女が内から大切に閉めてくれるのです。

最後は本作において私が最も重要視している、
教えて先生!について。
ここでは鍵を所持していないので、
なんだか棒読みと言いますか抜け殻の様ですが、
映画の時とは違う「演技」になっていきます。
現代の彼女は鍵を所持しているからである。
「好きだった」と過去形なのが痛々しい。
彼女は隠居したとはいえ、
あやかしの老婆に近い存在なのは変わりはない。
だから彼女は忘れる様に努力した。その後悔。

まとめます。

これまでの彼女の演技は演技ではないはず。
ですが彼女は最後に本当に演技をするのです。
鍵の君の事が好きだからこそ、
「その想いの先は鍵の君ではない」という演技を。
そこには、あやかしの老婆の姿はありません。
老婆の千年の運命(さだめ)から解放され、
鍵の君に会えるのです。
これまでの彼女の映画は、どうでしたか?
演技ではない演技を続けていては、
千年の運命からは逃れられません。
いくら追いかけても鍵の君には会えない事を意味します。
約束を守る為の愛の意志が終盤のセリフなのです。

一応、最後のセリフを言葉通りに受け止めてやるとだ…
時は満ちた。いざ行かん境界の向こうへ。
少女の心を吸収しパワーアップした老婆は、
死後も生き続けるクリーチャー千代子となり、
「神演技をさせろ!理由?輝きたいからに決まってんだろ!?」
という悦楽の為だけに鍵の君は、この怪物に追われ続ける事となる。
そして彼女の恋が実る日は今後も来はしない。
まさに千年女優…どこまでも行け。
なんて解釈を貴方はしたいですか?
私はしたくありません。

正直、私の解釈は外れです。
なぜなら私的な願望なので…
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 3

67.3 13 美しいで恋愛なアニメランキング13位
義妹生活(TVアニメ動画)

2024年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (139)
388人が棚に入れました
高校生・浅村悠太は父・太一の再婚をきっかけに、同い年の少女・綾瀬沙季とその母・亜季子と一つ屋根の下で暮らしていくこととなる。 互いに両親の不仲と離婚を経験しているがゆえに、男女関係に慎重な価値観の二人は、義理の兄妹として適切な距離感を保とうと約束する。 「私はあなたに何も期待しないから、あなたも私に何も期待しないでほしいの」 考えを述べあい、すり合わせを重ねることで、互いを理解していく悠太と沙季。 新たな生活に居心地の良さを感じはじめた時、二人の関係はゆっくりと、しかし確実に、変化をはじめて………… これは、いつか恋に至るかもしれない物語。 “他人”が“家族”へ、そしてその先へ。 少しずつ変わりゆく日々を映す、恋愛生活物語。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4

キャラ全員が同じ人みたいな印象。終わってみれば演出が不快です。

 最後まで見られたのでその点は評価してもいいかなと思います。で、評価ですが本作で気になったのは2点。演出に内容(心理)が伴っていない気がしたのと、1人の独白をずっと聞いているような印象です。特に演出については作品を正確に読み取らせようという姿勢ではなく、ミステリアスなイメージ作りでしかなく正直これはどうよ?と思います。

 あのサイコロの目というか点字みたいなサインが何だったのかも私は読みとれていませんでした。沙季は音楽を聴いている=心を閉ざしている、現国が分からない=人の心が読めないという自閉症的な感じはしたものの、それがストーリーとリンクしているだろうか、突然悠太と同じアルバイトに面接に行ったり髪を切る衝動と結びつくだろうか、完璧主義と行動は言行不一致ではないだろうかなどと考えてしまいました。
 また、ジェンダー云々の発言も彼女の何を意図していれたセリフなのかはわかりますが、彼女を形作っている情報とか知識とはそぐわない気もしました。まして母親の水商売を旧父に対して論理的に擁護する立場ですからね。

 で、最後にギブアンドテイクかあ…人に聞くのが正しい勉強法でもないし、この辺はまだ沙季が幼く何もわかっていないと言いたいのか、物語としての主張なのかもよくわかりませんでした。

 最後の悠太の語りで結末はまとまった気もしますが、悠太と沙季がなぜ惹かれあったのかがやっぱり読み取れませんでした。同じ時間同じ空間を過ごしたからというには短すぎる気もするし、同類の親近感なのか、ルッキズムなのか、相手の弱さが愛おしいのか、家族という障壁が燃え上がらせたのか。その辺がよくわからない…というか、沙季も悠太も口で説明しかしてない気がしました。言葉と内面の不一致があってこそのラブストーリーだと思うのですが。そこがこの後、破局する物語ならわかるんですけど現状では保留という感じですね。

 一番気になったのが、この作品ってキャラの価値観の相対化ができていない気がします。やっぱり1人の人間が考えた道徳や恋愛観、社会、家族、男女などの一つの視点で見た世界観の中で、男女を配置して原作者の代弁あるいはコマとしてキャラが説明しているだけに見えました。大人の意見が大人に聞こえない、変わった人間設定の人間が変わっていない。准教授のところが顕著でしたが、やっぱり全部1人の口から出たセリフをキャラだけ変えて説明されているような印象が、特に後半では感じました。

 恋愛ものとしては「隣の〇〇」的なものの一種かな、という印象です。これは「都合の良く美少女と突然同居したら?」という作品です。原作をある程度読んだのでその印象は間違っていないと思います。演出の妙で心理劇のような印象を作ったのは、制作陣の上手さでしょうね。この作品をよくここまでもったいぶって作ったと思います。ただ、それは視聴者を裏切ったことにもなる気がします。

 テーマとして家族とは何か?も全く描けておらず、障害と義務としてしか機能していませんでした。そして障害としても低すぎるでしょう。それは父母を全く描けていないからだと思います。演出で重い感じを出していますが、雰囲気だけの演出はストーリーの邪魔にしかなりませんので、その点は一番頭にきています。

 なお、最終回の作画って結構崩れてました?別の作品かなと思うようなところがありましたが。

 点数はストーリーとキャラは2.0。演出はだましに近い気がするので作画に入れて1.5…ですが前半の作画は良かったので2.5にします。無音を使ったのはよかったので音楽は3.5にします。





11話までと原作4巻まで読んでのレビュー

 この原作の評価は、1人が考えた想像上の会話を聞かされている…という感じでした。「ゆっくり動画」の魔理沙と霊夢と言えばいいんでしょうか。情報や主義主張を語るだけでなく、一応プレゼンテーションとして会話劇にするという感じです。スマホでアフェリエイト狙いの冗長なブログとかとも共通しています。

 つまり、キャラが活き活きしていない気がします…というと情緒的すぎますかね。キャラが「ゆっくり」と同じように作者1人の言いたいことを代弁している様子が透けて見えるといえばいいんでしょうか。
 その印象の証拠として准教授が分かりやすかったですね。准教授と女子高生の会話への流れ、出会いすべて不自然です。なにか説明の場面を無理無理つくるために、ぽっと登場させたキャラであることが見え見えというべきでしょうか。
 で、准教授との会話が特に顕著なんですけど、知識人である大人と高校生の会話に見えないんですよね。「ちょっと勉強したんですけど聞いてもらえますか?」という説明を会話風にされている気分です。驚きも感動もない一般人の主義主張です。
 それを単に問答形式に2つの人間に分けただけで、会話にキャラ造形が透けてきません。言葉にバックグラウンドが感じられません。つまり作品のキャラがキャラ化できていないといえばいいんでしょうか。

 で、アニメなんですけど、恐らく監督か演出かわかりませんが、そこはちゃんと見抜いたんでしょう。軽くなりすぎる。キャラが活きない。だから、悠太の方の1人称を3人称の視点にして、意味深長な演出で心情がある風な演出にしたんだと思います。そうすると「深いかも?」という錯覚になるんだと思います。私もそうでした。

 義理の妹、兄を好きになる。それだけならアダルトコミックと変わりません。どんなテーマが入れられるか?ですが、うーん…ちょっと父母の言動といい、准教授といい「私の考えた主義主張」的な浅さがあるかなあ…やっぱり家族を解体させて、改めて付き合うとか何かが無いとなあという気がしました。原作評に近くなってしまいましたが、こんな感じでしょうか。

 一応もう1話でしょうから、12話を見て修正点があれば追記します。









1話 見てると息苦しくなりますが、それが2人の気分なんでしょう。

{netabare}  見てるだけで息苦しくなりますね。それが2人の気分を表していて、つまり演出意図だと思いますので、その点ではうまく描けていると思います。ちょっと主人公・ヒロインの言動が理に走りすぎかも、と思わなくはないです。今のところまだまだ原作者がキャラに乗り切れてないかな、という部分でしょう。

 ヒロインの目の中が賑やかすぎるのがちょっと違和感を感じますし、キャラデザは可愛いし作画もいいですが、正直「最近のラブコメヒロイン」のバリエーションでしかありません。その点で言っても記号的です。
 ここから感情が表現されて、作者の描きたいことが見えてきて、キャラの裏がみえてくるかどうかですね。そう…思いっきりドロドロして欲しいです。

 この時間競合する作品がないので、ちょっと見てみようかなと思います。作品がどう展開するか気になるので、3話までは確認して継続するかどうかでしょう。{/netabare}


2話 え、これは考察しろって言ってる?最後の方のあのシーンは何?

{netabare} あれ、何か超能力的なものがあるの?最後の方は何?雨が降るのが分かるというのと何か意味がかかっている?という感じでの最後でしたね。

 正直言えば全部セリフで説明してくれるので、せっかくいい雰囲気なのにちょっともったいないかなと思います。2人の距離がいきなり近すぎるのも若干不自然です。

 まあ、売りがどうのこうのというのは作品を重くする常套手段なので、うまく描かないとチープになるなあ、とは思います。見た目の問題も完璧に綺麗にするというのは、女性心理としては創作の中では意外性はありません。独立志向、家庭が嫌で独り立ちを急ぐ少女に普通にありそうです。

 が、何か仕掛けがあるならそこは作品の本質じゃないのでしょうか。あの壊れたイヤホンについて何か考察しろ?ということでOK?まあ、気になりますね。これは見ちゃう奴かな?{/netabare}


3話 面白いし雰囲気いいですが、全部セリフで説明しちゃった?それはどうなの?

{netabare} 2話の最後のトラックのシーンの意味がつかみかねていますが、タイムリープ的なものでなく、心ここにあらずだったのか、周囲が見えていないというアナロジーなのか。完璧であろうとしても実は隙があるとも読み取れます。

 通常、日付が丁寧に表示される作品は、推理ものかタイムリープものが多いので、その線で見てみましたが、3話の後半だと追想のためのタイムスタンプでしかないということみたいですね?

 会話のとき音声にエコーがかかったときは、ちょっとSF的なものを妄想しましたが、道路橋の下のシーンということだけでしょうか。印象的にはなりました。
 
 そして、その後半の追想の内容なんですけど、私は全く反対にとらえていたので意外でした。息苦しい家族生活とわかりすぎるほど自分のことがわかる義理の兄。拒絶のためのいい子だと思ってしまいました。それがジェンダー論と完璧な行動と容姿を保つ沙季のハリネズミのトゲ(つまりATイールド)だと思っていましたので。

 ですが、逆でした。想像よりも浅い方に行ったかなと思わなくはないです。ただ、ジェンダー論とかミソジニーとかその辺をどう使ってくるかです。ステレオタイプ的な見方で申し訳ないんですけど、この性格造形って、元父となんかあった?と思わなくはないです。そこまで鎧をまとうための完璧主義になるって…何かあったんじゃない?ということです。

 一方で、ジェンダーで男女の決めつけを嫌がるのに、母親の水商売を職業として受け入れるし、容姿を「女として」完璧にするところに矛盾は感じますけど。

 結構面白いし、雰囲気も独特のものを作っているし、方向性が分かるようでわからないのもなかなか良いですが、ヒロインの内面をあの形で見せるのはあまりよくないなあ…いわゆる「創作物」で一番大事なのはそこ…内面や感情の動きを説明しないで感じ取らせることではないかな、と。

 もうちょっとストーリーと演出で見せてほしいかも…ただ、ちょっとズルイですけど、沙季の叙述トリックかも…ちょっといくらなんでも説明しすぎですよね?もう1段奥に何かあることを期待して視聴継続ですね。

 そうそう、悠太の性格の裏にあるものがもっとドロドロしてそうですけどね。でも、やっぱり男にはあんまり興味がないかな。実はゲイでしたとか?むしろ女でした…もあり得そうですけど小説じゃないからそれはズルイか。 {/netabare}


4話 気になるのは音とイヤホン。なぜ、沙季のシーンだとBGMが消える?

{netabare} ヒロインのアウトラインが見えてこないです。思ったことを言うという性格でしたっけ?他人の気持ちが分からないということでアスペルガーなんでしょうか。イヤホンは音に過敏なのでしょうか?だから、トラックに気が付かないほどイヤホンから音楽を鳴らしていた?

 にしては悠太に対する距離の詰め方が急だなあというのと、新生活への適応力が高いなあということです。友人を連れてきたり、自分から裸で押し倒しかけるようなのってキャラがぶれている気がします。

 2重人格…ということではないと思いますが、結構不自然な感覚が強いです。沙季のシーンだとBGMが消えるので聴覚障害なのかな?とも思いましたが、横を向いて会話しているシーンがあるのでちょっと違います。先輩からもらった曲は多分意味が違うのでしょう。ここを見ると共感覚とかサヴァン症候群とかの可能性も考えてしまいますが、まあ、答えはわかりませんがやっぱり気になるのは音とイヤホンですよね。

 それと悠太が高額バイトを探しているという状況がイマイチ納得がいきません。自分でも探さないのはなぜでしたっけ?1か月も放置していたの?

 なお、現国のテストの点の取り方は気持ちが分かるかどうかじゃあありません。気持ちが分からないという状況に対して、あくまで読解力だしテスト上の技術だという指導が必要な気がします。沙季は人の気持ちがわからない、とエピソードで説明したいのはわかりますけどね。

 演出で気になったのが、冒頭に近い部分でソファに座っていた沙季が立ち上が手ふらふらと悠太に近づいてゼロ距離で「現代文を教えて」という行動がちょっと性格造形的にも良くわかりません。そういう娘でしたっけ?また、完璧主義なのに事前に対策をとっていない理由もわかりませんでした。

 一見、深い内面を描いているように見えますが、どうも全体…というよりヒロイン沙季の性格造形がチグハグしている気がします。やっぱりここが2重人格とか、何か別のものがあると「おお」となるのですが。

 文句ばっかりいってますが、沙季をどう描きたいのか?という点に興味があります。OPなどを見ると「子供のころ」というのも何かのキーになってそうですし。一体どんな物語にしたいのかが気になりますし、ちょっと楽しみです。{/netabare}


5話 なんか変なフラグが立ちました?あまり方向性が見えませんねえ…

{netabare} 先輩の告白については、偶然映画と自分の置かれた状況が一致したととる取り方と、どこかに連れて行ってほしいというおねだりの両方が考えられます。演出から判断すると不穏な方な気もしますが、この作品は辛気臭い演出が多いのでわかりません。そこは保留しますがいずれにせよなんらかのフラグが立ちましたね。

 それから悠太って、父親と同じように女性恐怖症だった…というか父親は克服したから結婚したんでしょうけど。わざわざ3話のあのシーンを入れたってことは彼は女性嫌悪か少なくとも女性が苦手という意味でとっていました。

 それなのに女性の先輩とレイトショー=デートに行くんだ…というのが意外でした。矛盾にも見えますが、どう理解すればいいのでしょうか?

 話の方向性が見えないですね。どうなって行くのでしょう?

 それと追試の対策には新しい参考書もましてや本も必要ありません。学校の教科書と参考書と小テスト・配布物を見直しましょう。{/netabare}


6話 最後の点字みたいなの何?もともと沙季は正常な人に見えませんが…

{netabare} 距離を近づけるだけだとイマイチかなという気はします。やはり沙季にもう1段何かの秘密がないと話としては成立しません。

 兄悠太の心の移りとか変化が少々急で不自然なように見えるのは、沙季の描写が少々作りすぎな気がするからかな、とも思います。

 幼少のころの思い出らしきものの心象風景と音・イヤホンの使い方から何か読み解けないかとは思ったりしますが、別にこのまま見てればいいかなとも思います。
 と、思ったら、最後の瞬間の点字のようなのは何?一応点字表をみると「め」が六個の点で「っ」が左中央に1個の点(付け焼刃で調べました)なので、「めっ」に読めますが本当でしょうか?

 目が見えない、耳が聞こえない…どちらも描写から判断するとちょっと不自然なんですけど、沙季がどうも視聴覚あるいは心理的に何かの異常がないとちょっと不自然な描写なんですよね。その辺どうなんでしょう。

 もうここまできたら、このままダラダライメージだけで終わらせても作品になるような気がしますけどね。文学的に作りすぎましたね。文学ということは、正直この作品は恋愛が成就するとお話にならないと思います。義理の兄妹故に悲恋で終わらないと正直今までの積み上げが無駄になると思います。折り返しにきましたので今後ですね。{/netabare}


7話 一番いやな予感がする話の展開になってきました。だとしたら馬鹿にされた気分。

{netabare} 前半の沙季のモノローグは全カットでいいです。本屋のバイトの面接のシーンその他でそんなのは読み取れます。それと最後の一言も。

 正直、義妹と結ばれるだけの話なら、もういいかなと思ってきました。なぜ、高額バイトを欲したのか?人の心がなぜ読み取れないのか?意味深な演出や記号はなんなのか。そういうのが、単なる「雰囲気づくり」の可能性がでてきました。

 だとしたら、こんなに馬鹿にした話はありません。思わせぶりな心象風景やらエピソードやら入れておいて、意味がないというのはあってはいけません。それは視聴者に対する裏切りです。
 さらに、全部説明してしかも「嫉妬」まで単語にするってなんなんでしょう?本屋の先輩の話はどうするの?

 うーん、あと1話チェックします。もし、義妹と結ばれてチャンチャンならこんなバカにした話はありません。最後「妹」をとるならドラマですけど。{/netabare}


8話 悠太の気持ちが見えないのが結論に活かされるかですけど…なんかなあ…

{netabare} うーん…1話の「相手に期待しない」を今更持ち出しますか。なんていうんでしょう雰囲気は作っているんですけど…
 すでに沙季は2回にわたり心情を日記で吐露する場面があったので、視聴者視点としては、悠太の戸惑いというか四苦八苦に乗れないんですけど、その辺物語としてどうなんでしょう?

 沙季が頑張りすぎている…ように見えないのもちょっと何が描きたいのかわかりづらいポイントです。視聴者からは悠太が頑張りすぎているようにしか見えないと思うのですが。

 沙季がヤキモチを隠すために反発しているだけなら、こんなダラダラ場面を見せることはないです。ビーフシチュー=悠太ってことを言いたいために1話かけたということ?
 演出や言動で内面を推し量る描きかたを沙季についてはしていないので8話は本当に茶番に見えてしまいます。
 一方で、言葉ではなく、過去の沙季から今の沙季につながる心情の変化が読み取れないんですよね。

 考えられるのは、悠太が沙季をどう見ているかだけは視聴者に隠しているポイントです。沙季の気持ちに反して悠太にとってはやっぱり家族だ、という物語なら今描いているのが目くらましとして機能するのでわからなくはないですけど。

 どうする気なんでしょう?本屋の先輩はどうするの?栞を拾ってくれた女の子は何?物語ならそういうところを放置してはいけません。それが悠太を描くのに役立たなければ物語になりません。

 結末をどう描くかは気になりますが、最後がっかりさせないでほしい。沙季の気持ちに反して悲恋なら成立すると思います。お願いですから安っぽいハッピーエンドだけは勘弁してください。

 そうそう、白河三兎氏の『私を知らないで』が……以下この小説のネタバレなのでを気を付けを。結構ストーリーの根幹です…{netabare}義理の姉弟になる悲恋です。恋愛感情がなかった幼さで、不幸だった女の子を救うために義理の姉弟になる話です。あとから恋愛感情に気が付きますがその女の子は主人公の友人と結婚します。 {/netabare}この結末が素晴らしかったのでどうしても比較してしまいます。{/netabare}


9話 居心地の悪い家族ゲームと恋愛に似た醜悪な何かを見せられている気分。

{netabare} 沙季が悠太に恋愛感情を抱いているという風に見えますが、私には理解できません。作品を通じてその描写をしている感じがまったくありません。あるとすれば、日記ポエムです。もちろん説明的な表現はありますけどね。それは心情の変化の描写ではありません。昔の家族から今の家族に移って、沙季は何が変化したのか?何故変化したのかさっぱりわかりません。

 それが悠太の行動とかやさしさだとしたら、笑ってしまいます。悠太は家族を演じているにすぎないように表現しているからです。偽物の悠太に惚れた気持ちが本物であっては恋愛物語にはなりません。

 まあ、何となく途中から演出と雰囲気は凝っている風ですけどありきたりな話になるのかな、と思っていたらやっぱりそうなんでしょうか。だとすれば昭和の少女漫画でしかありません。演出や場面が、心情の変化とリンクしていないならそれは不要な尺のばしでしかありません。高額バイトはなんだったの?

 居心地の悪い家族ゲームも何のために描いたのか。人間関係が崩壊する場面を描かなくていいのか。義理の母親に裏の顔はないのか。このままではキャラが全員、記号どころかコマに見えます。

 悠太からみた義理の母の気持ち悪さが感じられるので形だけの家族ゲームの総括をするか、父親のせいで男を信じられない沙季の恋愛感情が偽物であるとか、そういうものを期待しているのですが、どうもそういう感じじゃない感じです。

 正直このままくっつくなら「俺ガイル」で陽乃が言っていた醜悪な何かでしかない気がします。徹底的な破壊がどこかにないと、偽物の恋愛感情になるというところまで行きつかなければ、男女の性欲を否定した冒頭の話が単に純愛風味にするための言い訳になってしまいます。だったら、あそこで1回やってしまった方がまだ自然なストーリーでした。

 性的なものも描かない、家族ゲームも総括しない、悠太の裏も見せない、沙季の依存というか幼さ故の完璧主義の果ての身近ですませる恋愛で終わるのでしょうか?

 うーん、なんというか…だらだらずっと日記ポエムで恋愛感情を描写しているつもりなら、もういいかなという気がしてきました。9話ですから微妙ですけど、あと3、4話ですよね?うーん…思っていた100分の1くらい浅いなあ…

 まあ、すこし1話から振り返ってみて私の考え違いがないかチェックすべきかもしれませんが…あのかったるい演出に似たものが単なる雰囲気づくりなら時間の無駄ですからね。何とも… {/netabare}



9話まで中断時レビュー
「意味深長っぽい演出に騙された気分です。「義妹がいることとは?」の心情描写が薄すぎ」

原作1巻を読みました。本作を見ていて感じた違和感、主人公の視点はどう考えればいいのかがわからない理由がわかりました。1人称の小説を(神の視点ではなく悠太カメラの)3人称にしたんですね。そこが謎めいた演出につながって独特の雰囲気になったと。

 原作を読んだ印象は、キャラに実在感がなく、理屈をずっとしゃべっているだけに見えました。1巻が短くて夜這い的なところまででした。その先も入手してしまっているので読むかもしれませんが、今のところどうしようかなという感じです。

「お互い期待しない」のに「高額バイトを探して」と沙季が依頼する部分が代表ですが、いきなりお互いが干渉しあうんですよね。「期待しない」と「金で済ませる」をつなげれば、ドライな関係でいようということかもしれませんけど。

 ただ、完璧主義な人間がこういう言動をするのかなという違和感がやっぱり特に沙季側にあります。身体を売るなら売るで割り切って一人でさっさとやるでしょう。母がバーテンダーとはいえ夜職に理解があるなら「期待しない」義理兄に相談はしないし、まして身内に身体を売るなどという発想にはならないでしょう。
 ジェンダー論を勉強してそこにも完璧であろうとするなら、家父長制に反対すると思います。そして、母の再婚に抵抗しないところでジェンダー・フェミニズムの勉強も中途半端なんだと思います。英語の勉強=自立の準備という思考が安易です。悠太の身売り反対の理屈なんて正直言えばガキのたわごとで、童貞の妄想でしかないです。

 結果、自立というのが甘えにしか見えないです。単純に考えればあとわずかで18歳です。そこから独立するのに高額バイトで準備とか必要ないです。その沙季の甘えが描きたい部分かもしれませんが、それは読み手の妄想で表現されている部分からは読み取れません。沙季がどうやって変化していくのかが日記だけです。3人称にするならそこを丁寧に描いてほしいし、原作の弱いところなので補強しても良かったと思います。

 そして、じゃあ、本作が悠太のことが描けているかといえば、やっぱり聖人というか「僕の考えた理想のすごいキャラを形にしました」的な存在な気がします。この点は原作の方が義妹がいる戸惑いは描けていると思います。そう、義妹がいる戸惑い…どうやってふるまうかの思考ですね。これは1人称ならではです。
 これがあるので原作はまあまあ読めます。会話は説明くさいですけどね。本作は「義妹生活」のテーマであるだろう肝心な「義妹がいることとは?」がぽかっと欠落している気がします。ですので、原作勢は楽しめてもアニメ勢だと何が描きたいのかわからなくなっています。

 また、両親も本作よりかなりライトなノリでこの2人については家族問題の視点はほぼないといっていいでしょう。あとででるかもしれませんけど。

 いずれにせよ、本作に興味をもった演出のやり方ですけどそこに意味性はなく、意味深長に描いていますが単なる雰囲気だと判断しました。沙季の心情を丁寧にすくって音楽や場面が考えられているかと言えば、私はそうなっていないと思います。

 後付けで原作を読んだので余計頭にくるんだと思います。逆なら評価は変わるかもしれませんけど。
 たぶん買ってしまった原作を読んでしまいますのでレビューはこれくらいにして、結末後に追記するかもしれませんが、9話までですと正直期待外れもいいところでした。全部説明してしまっているラノベ故に、文学っぽい演出で心情を表現したいという意図はわからなくはないですが、演出意図に込められているものがほとんど読み取れません。その薄さ故に終わったときに1クールのアニメ作品として成立するかは微妙な気がします。結末は確認します。

 ただ、これは私の印象ですが、悪くとれば原作の1巻1巻の短さをカバーするために演出で引き延ばしたようにも見えました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12
ネタバレ

青龍 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

「幸せな家族のやり直し」と「兄弟姉妹の恋愛」

三河ごーすとによる原作小説は、『MF文庫』(KADOKAWA)で刊行中(既刊11巻、原作未読)。
アニメは全12話(2024年)。監督は上野壮大。制作は、『ログ・ホライズン』シリーズ、『この素晴らしい世界に祝福を!(1、2期)』などのスタジオディーン。
(2024.10.23 投稿)

完全にタイトルからスルーしていた作品。どうせ親の再婚で年頃の連れ子同士が突然一つ屋根の下、お決まりのラッキースケベ展開なんでしょう?と思っていた時期が私にもありました(笑)
各レビュアーさんから、そうじゃないらしいとの情報を得て、さっそく視聴を開始することに。

予め確認しておきますが、血のつながりのある兄弟姉妹の結婚は、日本ではできませんが(※片親のみ血のつながりがある場合は、スウェーデンだけOKのよう)、連れ子同士の義理の兄弟姉妹の結婚は、血のつながりがないので、法律上、何の問題もありません(なお、血のつながりがある場合も、法律上の婚姻ができないだけで事実婚や恋愛まで禁止するものではありません)。

なので、個人的には、義理の兄弟姉妹が恋愛関係になるのはインセスト・タブーでも何でもないと思っているので、世間体があるとしても、「禁忌」というほどの忌避感はないんですよね(※本作に登場する奈良坂真綾(CV.鈴木愛唯)も、「3か月前まで他人で、兄弟姉妹だからといっても「義理」なんだから、恋愛関係を避けることもない」と言っていたので、私だけ変ということではないと信じたい(笑))。

もっとも、本作は、インセスト・タブーを理由として、お年頃の男女が自分たちの恋愛感情を押し殺そうとしているというお話でもないと感じたので、私の感想を書いていこうと思います。


【「幸せな家族のやり直し」と「兄弟姉妹の恋愛」(※ネタバレありの感想)】
{netabare}離婚の際、向こうに離婚の主な原因があるにもかかわらず自分勝手に幼い子供の養育を押し付けられても、それを快く引き受けてしまう人の好い親である浅村太一と綾瀬亜季子。
(※「人のいい人畜無害な男性役」(例えば、『イエスタデイをうたって』魚住陸生役)において私の中で定評のある小林親弘さんと、「幸の薄い女性役」(例えば、『わたしの幸せな結婚』斎森美世役)において私の中で「殿堂入り」を果たしている上田麗奈さんは、はまり役でした。)

もっとも、だからこそ、本作の主人公である浅村悠太(CV.天﨑滉平)と綾瀬沙季(CV.中島由貴)は、親という存在一般に絶望し期待しなくなると同時に、人の好い親の方にはついていこう、そして、こっちの親には、これから幸せになって欲しいと心底思ったことでしょう。

そんな親たちが再婚すると言ったとき、前回の結婚であんなにつらい想いをしたのに、また結婚するの?でも、こっちの親には感謝もしているし、幸せになって欲しい、私のせいで幸せになれないのは嫌だから早く家を出ようとは思ってた。それが少し早くなるだけ。と子供たちは思ったことでしょう。

しかし、初対面での太一の思いやりを感じるさりげない行動(※姓を別にした表札の準備、結婚指輪をしていないなど)に父親を期待してしまった沙季。息子も優しそう。諦めていた幸せな理想の家族が手に入るかも…
だけど、期待して裏切られるのは、もう嫌だという予防線から、悠太に「私はあなたに何も期待しないから、あなたも私に何も期待しないでほしいの」と言い放ってしまう沙季。

色々こじらせた結果、とても「面倒くさい女」になってしまった沙季(笑)。自らの美貌を過剰に周囲にアピールしなければ、確実にクラスカースト最底辺。

そして、沙季のさらなる誤算は、全く期待していなかったはずの義理の兄である悠太が「沙季のことを理解しすぎる」というところ…


本作は、一度幸せな家族を作ることに失敗した親子同士が出会って、前回の家族生活では手に入らなかった幸せな理想の家族を今度こそ手に入れられると期待したのだけれど、あろうことか幸せな理想の家族ならあってはならない兄弟姉妹が恋愛関係になってしまった。

そうすると、幸せな理想の家族を手に入れるためには、例え義理であっても兄弟姉妹が恋愛関係になってはいけないということになる。

もっとも、これは、前回の失敗した家族を初めからなかったことにして、今の家族で家族をやり直すのだという「虚構」を「現実」にしようとすることからくる「禁忌」(縛り)なのだとも思うわけです。
(※私がそう考えるのは、オープニングで悠太と沙季が実際に在りえないはずの一緒にバスに乗って、どこかへ行くシーンを描いていたこと。そして、沙季が幼いころの浅村親子の海での会話を録音したテープを聞きながら、自分もそこにいるような妄想をしていたことなどから。)

沙季があんなにこじらせてしまった原因は、前の不幸な「家族」なのですから、年相応の本来の素の彼女を取り戻そうとするなら、幸せな「家族」をやり直す必要がある。そして、それは育ててくれた親が望む幸福でもあります。

したがって、「理屈」で考えるなら、今までの過去を全てありのままに受け入れてしまえるのならば悠太と沙季は恋愛関係になることはできるでしょう。
しかしながら、手に入らなかった理想の家族、そして、本来の自分という虚構をあくまで追い求めるとするなら、二人が恋愛関係になることは許されないということになるでしょうか。

本人の気持ちは本人が一番わかっていると同時に、一番わかっていないのも本人なんてことはよくあること。二人は、これから上手く自分たちの気持ちを整理できるんでしょうか。2期に期待したいと思います。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5
ネタバレ

Witch さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

タイパ重視のこのご時世に・・・ある意味挑戦的な作品

【レビューNo.148】(初回登録:2024/10/20)
YouTube漫画原作で2024年作品。全12話。
ここのレビューでも散見されますが、タイトルからすると
「コメディ色の強いご都合主義のいつものやつ」
って思いますよね(笑)
リアタイで視聴していた時は「切るほどでもないが・・・」でダラダラ完走
したって感じでしたが、見返すと意外と悪くない作品だったかも。


(ストーリー)
「”義理の兄(妹)”はただの他人だ」
高校2年生・浅村悠太は父親の突然の再婚により、義妹となった派手な見た目
の同学年の綾瀬沙季と出会う。
2人は
・前の両親の不仲を見てきたために共に男女関係に慎重になっている
・今の両親に心配をかけて家庭を壊したくない
という思いから、都度”擦り合わせ”を行い、「適切な距離感」を保つことを
約束しあうのだった。


(評 価)
・タイパ重視のこのご時世に・・・ある意味挑戦的な作品
 同クールに70本程度放映されるのが当たり前となったこのご時世、それこそ
 3話切りどころか1話切りされる恐れもある訳で
 ・序盤からテンポよく畳みかけたり、キャッチーな展開をブチ込む
 ・目を見張る映像美やヌルヌル動く作画など
 最後まで視聴してもらうために各作品も頑張っているようで。
 しかし本作はこのタイパ重視の今の風潮に逆行したような、ある意味挑戦的
 な作品だったのかなっと。

 特徴的なのは作画のカメラアングルですね。
 本作の悠太と沙季の会話劇(擦り合わせ等)なのですが、同じような引きの
 画がメインになっているんですよね。
 イメージ的には家に仕掛けられた隠しカメラで覗き見や観察するみたいな。
 この定点的な視点で、2人のやりとりから距離感等が変わっていく様を淡々
 と積み重ねていくという何とも地味な作品ではあります。
 色調も抑え気味ではありますし。

 その辺りの制作陣の意図に気付けば面白みもでてくるのですが、私もリアタ
 イ時は半分脳死で観てたので微妙な作品だなっと。
 たまたま見返す機会があったので、再視聴したらそういうことかと評価を改
 めたのですが、このご時世になかなか思い切ったことやってるよなっと。


・セリフ回しのセンスがちょっと合わなかった
 個人的に初見で没入できなかったのは、沙季に好印象を抱けなかったのが大
 きいと思います。
 最初の悠太との会話が
 {netabare}「そのユーモア、話し方、表情どれにも強い熱を感じない。~(中略)~
  私はあなたには何も期待しないから~(中略)~この意味あなたなら正確
  に理解できるよね。」{/netabare}
 これがラブコメ感あるツンデレなら可愛げもありますが、初っ端から地雷臭
 のする女だなっと。
 その後も
 {netabare}「こういう”擦り合わせ”ができるの地味に助かる。」{/netabare}
 とか何かと「面倒臭い女」という印象が序盤で定着しちゃったんですよね。
 この辺りは悠太のセリフ回しにも引っ掛かるところがあり、どうも原作者と
 の相性が悪いみたいですね。

 また作品の性格上モノローグが多いのも、「面倒臭い女」と感じる一因の
 ように思いますね。
 あとギャルの恰好をしているのは「社会を渡っていくための武装モード」
 とかいう謎理論も何なんだと。


・義兄妹の恋愛模様は・・・
 こういう題材を扱っていれば当然「義兄妹の恋愛」というのは避けて通れず、
 というかそれがメインだったりするわけで・・・
 本作も上述のように地味な積み重ねから、現時点での2人の”擦り合わせ”を
 描いて終わります。
 作品を通じて感じたのは、「2人の温度感」的なもの描きたかったのではと。
 はじめはぎこちなさがあり低温だったものが、徐々に温度が上がっていき、
 最後は触れ合って2人の体温で終わるみたいな。
 感覚的には「ピュアラブストーリー」というより
 ・「俺は本物が欲しい!」(by比企谷八幡/俺ガイル)
 という人の関係性の根源的なものを描きたかったのかなとも感じましたね。

 ただ総じて理屈っぽさが鼻につき、個人的にはあまり好みな描き方ではなかっ
 たかな。


率直なところ初見ではあまり刺さらなかったものの、腰を据えて見返してみれば
いろいろ気づきのある作品だったかなっと。
ただこれだけアニメが大量に制作される時代ですからね。
序盤からしっかり視聴者の心を掴む工夫がないと、せっかくのよさも伝わらない
のでは?とも思いました。
あと2人の会話劇以外のエピソードとか全体的に弱いのかなあ。


OP『天使たちの歌/fhána』
・OPから作品への期待感を高めるfhánaのこの安定感よ!
ED『水槽のブランコ/Kitri』
・これは作品の余韻をきれいに昇華してくれる良曲

 
(追 記)
これを言っちゃうと身も蓋もないのですが、両親も子供が高2なんだからこんな
微妙な時期に再婚せずに、高校卒業まで待てなかったんかいっと。
コメディ強めの作品ならそのドタバタ劇も笑って許せますが、シリアス度が高い
本作だと、その辺が引っ掛かってきたかな。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12

75.0 14 美しいで恋愛なアニメランキング14位
きみの色(アニメ映画)

2024年8月30日
★★★★★ 4.1 (30)
99人が棚に入れました
高校生のトツ子は、人が「色」で見える。
嬉しい色、楽しい色、穏やかな色。
そして、自分の好きな色。

そんなトツ子は、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみと、
街の片隅にある古書店で出会った
音楽好きの少年・ルイとバンドを組むことに。

学校に行かなくなってしまったことを、家族に打ち明けられていないきみ。
母親に医者になることを期待され、隠れて音楽活動をしているルイ。
トツ子をはじめ、それぞれが誰にも言えない悩みを抱えていた。

バンドの練習場所は離島の古教会。
音楽で心を通わせていく三人のあいだに、友情とほのかな恋のような感情が生まれ始める。 周りに合わせ過ぎたり、ひとりで傷ついたり、自分を偽ったり― やがて訪れる学園祭、そして初めてのライブ。 会場に集まった観客の前で見せた三人の「色」とは。
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

大人が意外と分かってくれる温かいバンド作品

ミッション系スクールなどを舞台に、
バンド活動を始めた女子2人、男子1人の葛藤と青春などを描いた、
山田尚子監督のオリジナル劇場アニメ(100分)

【物語 4.0点】
近年の山田監督作品としては優しい世界。

教会系ならではの厳格な校則などで圧迫された若者の鬱屈が、
音楽として噴出して、鑑賞者のハートを突き刺してくる作品なのだろうか?
山田監督ならではの、痛切で叫びたくなるような心情、青春表現等を警戒して、
私はガチガチにガードを固めて挑みましたが、
今回はストレスを除いていくという監督方針で紡がれた本作は、
案外、穏やかで、鑑賞直後は、正直、拍子抜け感すらありましたw


盟友、脚本・吉田 玲子氏とのタッグ作でもありますが、
主人公の一人・日暮トツ子のゆるふわなキャラクターの躍動などを見ていると、
『リズと青い鳥』『平家物語』よりはむしろアニメ『けいおん!』くらいのムードで、
肩に力を抜いて楽しむスタンスで行ったほうが上手く折り合えるのかもしれません。

が、穏やかな中にも、祖母に{netabare} 退学{/netabare} を秘密にしている作永きみだったり、
家業の医者を継ぐという期待に反するように陰で音楽をやってる影平ルイだったり、
大切な人に嘘を付いているという後ろめたさなど、青春アニメとしてちゃんと痛みは取り扱われています。

ただ、多くのささくれだったバンドアニメとは異なるのが、
登場する大人たちの多くが、少年少女が悩んで音楽に走ってしまう気持ちを理解している所。
大人として社会のルールなど筋を通さねばならない建前は取り繕いつつも、
子供の葛藤を罰で押し潰さないよう配慮する。
青少年が呼吸できる余白がこの青春映画にはまだあるので救われます。
特にシスター日吉子の規則破りに対する采配は、迷える子羊たる少女たちの気持ちを汲んでいて絶妙でした。

クライマックスは主役3人のライブシーン。
ここも分かってくれない大人にトゲを刺して思い知らせてやろうという痛快さよりも、
大人だけど、君たちの気持ちは若い頃心当たりがあるから分かりますよという温かい積み重ねの上に歓待される、多幸感が胸を打つ感じ。

ライブ後、{netabare} トツ子が花畑で踊るシーンが印象的ですが、
私はそれ以上に、生徒にバレないように淡々と退場した後に、
踊り始めるシスター日吉子にホッコリさせられます。
(※核心的ネタバレ){netabare} 元ロックバンドGod Almightyメンバーとして、ライブ中ノリノリになるのずっと我慢してたんだなとw{/netabare} {/netabare}


【作画 4.5点】
アニメーション制作・サイエンスSARU

周囲の人間を“色”として認識できるトツ子。
憧れの作永キミの色は青など。でも自分の“色”はまだ分からない。
他人には中々理解してもらえないトツ子から見る世界を、
色を知覚する人体の原理から解きほぐして、
鑑賞者の“ピント調節”をしてくる冒頭映像から、表現に意欲的な作画・背景。

色彩設計の小針 裕子氏。
過去作では、個人的に特に『GREAT PRETENDER』のカラフルな背景、建物の色使いが好み。
本作でもキミのブルーに合わせて、背景を海の青などで合わせてくるなど、
色彩にも統一感がありました。

トツ子の色は何色か?が一つの焦点ですが、
映像見ていれば、あぁやっぱりその色だよねと納得できます。


ライブシーンは手描き重視。
私はどちらかというとライブはCG派ですが、
クールなテクノサウンドで敢えて、奏者の汗が滴る繊細な手描き表現などを見せられると、
まだまだ手描きで表現できるライブの醍醐味はあるぞと唸らされます。


トツ子に作詞のインスピレーションを与えた授業での太陽系の自転・公転運動の資料映像。
座標が固定された太陽の周りを惑星が公転するイメージ映像ではなく、
銀河系の周りを約2億5000万年かけて公転する太陽に追随するように絡んでいく惑星というリアリティ重視の方の映像を私は久しぶりに見ました。
{netabare} 猛進する太陽が、青のキミからトツ子の顔面に投じられたドッジボールとリンクしたトツ子の妄想には吹き出してしまいましたがw{/netabare}


【キャラ 4.0点】
日暮トツ子。ミッションスクールの寄宿生。楽器ド素人なのに憧れの作永きみと親密になりたい欲求から3人でバンドにやろうと言い出す。他人が色として見える共感覚だけじゃない不思議ちゃん。乗り物酔いに弱い。バレエ経験者。

作永きみ。聖歌隊メンバーとして他の生徒からも慕われるも、期待される自分を捨てるようにギターに惹かれていく。{netabare} その末に退学。{/netabare}

影平ルイ。離島の医師の息子。シンセなどの中古楽器をかき集めて、密かに音楽に没頭している。

以上の3人がメインキャラのバンドメンバー。
トツ子からきみへの想いは、ある種の百合含み。
きみとルイの間には恋愛の波動もあり、トライアングルの波乱も予感させますが、
この3人の関係性は恋愛と一言で片付けられない物があり、
私は今も的確な答えを導き出せていません。


【声優 4.0点】
トツ子役の鈴川 紗由さん。きみ役の髙石 あかりさん。ルイ役の木戸 大聖さん。
メインキャストは約1600人の中から若手俳優陣をオーディション選出。
鈴川さんにはアニメ声優願望があり、髙石さんには舞台経験しかも2.5次元舞台でキャラ声での歌唱経験もある。

トツ子はゆるふわ属性のキャラ声での対応が求められ、
きみには歌唱に加えラスト{netabare} 「頑張ってっ~!」{/netabare} の絶叫シーンもありましたが、
3人とも声でキャラを作り、声を張ることができていたと思います。

指名よりはオーディション。舞台など声に力を込められるだけの素地があること。
良好な俳優キャストの条件は揃っている布陣だとは感じました。


が、私はそれでもアニメ声優の経験豊富な方がメインやったらどう良化しただろう?との欲は捨てきれませんでした。
トツ子のルームメイト“森の三姉妹”というモブキャラポジに、
『平家物語』主演の悠木 碧さん、『けいおん!』紬(つむぎ)役の寿 美菜子さん。
山田監督作の出演経験者も配されていただけに、
例えば、この実力者2人がメインだったらとか邪念が入ってしまいます。


【音楽 4.0点】
劇伴担当はこちらも山田監督とは腐れ縁の牛尾 憲輔氏。
シンプルなピアノとストリングスのミニマル・ミュージックでキャラの青春の掛け合いを下支えするお馴染みの仕事ぶり。

一方で、テクノ志向なバンド・しろねこ堂の楽曲群では、
牛尾サウンドのもう一つの特色であるシンセ和音が際立ちます。
さらには、最古の電子楽器テルミンまで登場し、楽曲にアレンジ。
(アンテナに手をかざしてプオォ~ンなどとSFチックなサウンドを発生させるやつ。マニアック過ぎますw)

教会で鳴らすには突飛な曲風でしたが、
シスター日吉子に言わせれば、感情や気持ちが表れていれば、
しろねこ堂のサウンドもまた聖歌なのです。

「水金地火木土天アーメン」
山田監督自らが発したワードから構想されたというこのライブ曲。
私も思わず踊り出したくなる謎の中毒性がありますw


ED主題歌はMr.Childrenが「in the pocket」で、
2009年の劇場版『ONE PIECE~』以来のアニソン提供。
歌詞世界も、牛尾氏参加のアレンジも、まずまず作品に寄せて来てはいましたし、ミスチルは好きなバンドではありますし、
従来の山田作品ファンとは違う層への訴求力もあるのでしょうが……。

私はエンドロール後に{netabare} 「水金地火木土天アーメン」のダンス映像入れる{/netabare} くらいだったら、
最初からEDも、しろねこ堂で良かったのではないか?
とこれまた邪念が入ってしまいました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 17
ネタバレ

とまと子 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

かさなる光

 
もしかしたらですが、主張や想いを言葉で綴ってぐいぐいと進んでいく物語を期待して観たら、この映画は大きな盛り上がりもないテンプレな青春ものに見えてしまうかもしれないです。
でも、動く絵と流れる音が主役で、さらにそこに言葉が乗って詩になっていく… 光がうたい影がささやき、音がこころを揺さぶってくれる…そういう映画の素晴らしさという意味では、この「きみの色」は他に類をみないほどの宝石のように貴重な傑作だと思います。
もし興味がおありなら、ぜひ劇場でご覧になることをおすすめします!


「リズと青い鳥」でも少し使われていた”重なり合い混じり合う色”の表現が、この映画ではもっと何度も使われています。
トツ子ときみとルイの3人はそれぞれの色を持っていて、ある時はトツ子が先に、ある時はルイやきみが先に、互いの色を出し合い、重ね合わることで、まるで一段づつ階段を作りながら昇っていくように、あたらしい色・あたらしい物語を作っていきます。


映画の冒頭で「色」についてのちょっと科学的な説明がありますけれど、色はものが光を受けて反射して現れるものです。決してもの自体が発しているものではありません。
でも、光はそれだけでは色にはなりません。

この映画では何度も何度もトツ子の瞳が映し出され、この映画自体が、この映画の世界自体がトツ子が見た光と色でできているのだと思わせくれます。
わたしの個人的な推察…というより妄想ですが、山田監督はもしかしたら、神様が七日間で世界をお創りになったのはもちろん「創造」だけれど、でもその世界はわたしたちが受け止めて感じて、初めて完成するものなのだ…という思いがあるのではないでしょうか?
能動的で積極的な何かを作りだそうとすることはもちろん大事だけれど、受動的で消極的に見えるかもしれないけれど、何事も成し遂げていないように見えるかもしれないけれど、この世界を、その色を、光を、美しさを受け止めて、感じ取って、読み解くことがもう半分の大きな「創造」なのだと…この映画を見ていてそういう感じがしてしかたありませんでした。

トツ子は映画の中でずっとくるくると踊りながら動いている印象ですが、ふわふわと漂う指先にはまるで見えない魔法の杖があって周囲に色と光を咲かせ世界をつくり出しているように見えるのです。


色の三原色=青・赤・黄を重ね合わせていくとだんだんと彩度を失って黒に近い色になっていくけれど、光の三原色=青・緑・赤は、重なりあうと白い光となって一番輝きます。
山田尚子監督は「物語を最終的に光に収束させていきたかった」とおっしゃっていて、その想いは間違いなく成功していて、わたしは心のなかに「光」をいっぱいに感じながら劇場をあとにしました。
(…♪どってんあーめん♫って脳内リフレインさせながらw)


いちばんの見所は、やはり3人のバンド=しろねこ堂のライブシーンだと思います。
ゴリゴリの音楽マニアの山田監督と牛尾憲輔さんが作ったこのシーンはかなり攻めていてw 耳を聾する爆音で終わったあとしばらくウワンウワンしちゃうライブハウスを再現しようとしたみたいです。
でもとっても美しくて、とっても楽しい!♫

物語としては、わたしは最後の {netabare} きみの声を枯らしてルイへのエール…これはライブですら声を張ることもなかったきみの熱烈な告白だと思うんですけれど…からの切れてしまっていて最後にはルイの手から離れてしまう紙テープ…という普通なら永遠の別れを象徴するようなシーンが、何本もの「色」が空の光に溶けていって、同じ空を通じてこころがつながるイメージを思い起こさせていく… こういうハッピー{/netabare}エンディングっていいな、と思いました♡


ずっと、とにかく美しい色で映画を作ってこられた山田監督と、音の魔術師・牛尾憲輔さん、言葉の達人・吉田玲子さん…この3ピースはきっとこれからも美しくて楽しい映画を作り続けてくれる、ほんとうのリアルしろねこ堂かも知れません♡

投稿 : 2024/11/02
♥ : 7
ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

キャラの印象が・・。

・・・薄い・・・?

鑑賞直後に、作品から感じとったイメージです。

でも、それこそが、本作に強みを与えている "一番の理由" と読み取っています。



きみの色。

表向きは、作中のキャラを語るだろうテーマですが、裏返せば、作品を鑑賞する人にむけて射影されていると感じました。

山田監督が描こうとする「きみ」は、鑑賞する「わたし」の想い、「あなた」の気持ちに、なにかのハレーションを起こすような気がします。

そう思うと、キャラが薄いのにも納得できます。

「あなた」自身を、3人の主人公に投影し、そのポジションに立つためのシナリオなのですから。



観ていて感じたのは、ストレスが全くないということでした。

そのあたりは「登場するキャラに、いい人しかいない。」とも言えるのかもしれませんが、私はそれは大事なことのように思います。

今、私たちの社会は混とんとしていて、学校の集団にせよ、進路に向かうにせよ、自分の身の置き所が、とにかく不安定な世の中です。

そんな時代にあって、本当に大事なことは、自分の土台作りなんじゃないかなって思うのです。

本作では、3人のメンバーが、バンドを組み、演奏をするなかで、自分の存在意義だったり、社会との距離感だったりを、お互いに問いかけ、答えを見つけ出そうとするストーリーになっています。

だから、彼らが見つけた何かを、見つけようとした何かを感じ取ることができるなら、それはテーマに触れたことになるんじゃないかなって思います。



お話としては、3人の色がそれぞれに提示されます。

最後に束の間、{netabare} 3人目の色が演出されますが、{/netabare} そのとたん、私はみるみる心がぬくもり、胸に沁みこむものがありました。

思いどおりにできなかった過去も、平凡に流されている毎日であっても、自分が自分らしくあっていいと思える感覚は、思いがけなく尊いものだと思います。

本作が問いかけている「きみの色」は、視聴者自身の色、あなたらしい色のこと。

その色は、年齢とか境遇とかには関係なく、今の自分の深いところに問い返すことのできるものなんだろうと思いました。



小ぶりな作品と言えば、確かにそうなのかもと思います。
でも、私はこうも思います。

山椒は小粒でピリリとからい、と。
真っ白なパレットとキャンバスは、自分の手の中にある、と。

たとえ、世間から埋没し、目立たなくいたとしても、自分の可能性だけは誰にはばかることはない、と。

きみの色は・・・、わたしの色は・・・。

あなたの色に、やわらかなエールを送ってくれる、ステキな作品だったと思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
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