2024年度の大学アニメ映画ランキング 1

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の2024年度の大学成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2025年01月04日の時点で一番の2024年度の大学アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

78.1 1 2024年度の大学アニメランキング1位
ルックバック(アニメ映画)

2024年6月28日
★★★★★ 4.2 (89)
361人が棚に入れました
漫画へのひたむきな思いによって出会った2人の少女の姿と運命を描いた、藤本タツキの同名読み切り漫画を劇場アニメ化。
小学4年生の藤野は、学年新聞で4コマ漫画を連載している。そんなある日、学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生、京本の4コマ漫画の画力の高さに衝撃を受ける。ひたすら漫画を描き続けるも、京本との画力差に打ちひしがれた藤野は漫画を描くことを諦めてしまう。しかし小学校卒業の日、京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで京本から「ずっとファンだった」と告げられる。
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

しっかりと狂っている鋭利な漫画創作物

多才で学級新聞の4コマ連載も器用にこなす小学4年生・藤野。
引きこもりでありながら背景画4コマで藤野を凌ぐ絵を出してくる京本。
少女2人の運命が交錯していく半生を描いた藤本 タツキ氏の同名読み切り長編コミック(未読)の劇場アニメ化作品(58分)

【物語 4.5点】
成果=才能✕投入時間

以前どこぞのビジネス系動画で耳に挟んだ公式が思い浮かんでずっと離れない。
余韻を引きずる創作青春物語でした。

舞台モデルとなったのは原作者出身地の秋田県にかほ市。
雪国の田舎町でクラスで1、2番くらい絵が上手かったくらいで、画家になれるわと褒められ舞い上がった少女が、
京本の圧倒的な才能に直面して狂わされる。

天才に追い付こうと藤野は青春全てを漫画に捧げようとする。
友人とお付き合いする時間、武芸に励む時間など、
社交性が高い陽キャ人間属性を全てかなぐり捨ててまで絵に没頭する。
が、引きこもりの京本は、それ以上の時間を投入して、さらに先を行ってしまう。
元々自分より画力がある人間が、学校に行くのをやめたというハンデを生かして、自分以上に絵を描く努力をするのだから当然だ。

漫画家を目指すのもまた、全うな人生のレールから外れる狂気。
持てる才能を、どれだけ人間やめて育めるかの勝負。

幼い頃は絵が上手いともてはやされるけど、成長して、やがて社会に出る現実が迫って来ると、
絵なんていい加減卒業しなきゃと白眼視される。
挙げ句、友人には「オタクだと思われてキモがられちゃうよ」と言われる藤野。
因みにこのセリフ、原作者が実際に言われた言葉とのことで。


こうした作家志望の狂った部分が序盤から容赦なく描かれている。
だから終盤、才能への嫉妬ゆえの(※核心的ネタバレ){netabare} 絵をパクられたと京アニ放火事件さながらに襲撃事件を起こす男の狂気も、{/netabare}
本作の文脈から、作家志望なら嫉妬の処理を一歩間違えばこうなるのかな?くらいには納得でき恐怖しました。

本年は、短尺ながら鑑賞消耗度が高いODS(非映画デジタルコンテンツ)のアニメ作品興行が多い印象ですが、
本作は、その中でも特に心を削って来る内容。

海外サイトではドラマだけではなく、ホラー、サイコスリラーにも分類されている『ルックバック』
これをG(全年齢対象)に区分した映倫。
やっぱり冒頭10分くらいしか審査してないのでは?という私の疑念がますます深まりますw


【作画 4.5点】
アニメーション制作・スタジオドリアン

絵描きたちへの賛歌を志向し、手描き感を残した映像を追求。
押山監督は脚本、キャラデザ、作画監督と兼務を重ね、
監督自身も最後の1週間に原画1000枚を量産するなど、
まぁまぁ人間やめてる少人数制作の狂気で応える。

原画のラフな線を動画に残すため“原動画”なるポジションも設定。
妙に生々しい本作のアニメーションの質感を支える。


創作シーンについても、普通は絵を紙に描き込んでいる様子などが思い浮かびますが、こうした描写は本作では割と少なめ。
むしろ、貧乏ゆすりする藤野の後ろ姿。
その後ろ姿のバックの四季が次々に切り替わる光景。
デッサン鍛錬で積み上がるスケッチブックの山。
など創作の狂気に囚われた人間が、膨大な時間を投入する有り様を強調する表現が際立ちます。

寝食も忘れて創作に没頭する人間って、やっぱりトイレで座ったまま寝ちゃうんだなw
何かにここまで人生を捧げた経験がない私には、
こうした創作アルアル?表現が興味深く、刺激的でした。


{netabare} 藤野が京本に自分の漫画を褒められて舞い上がるシーンの雨天。{/netabare}
{netabare} 中学時代、藤野と京本が応募漫画作品が初めて入選した雪深いコンビニの一夜。{/netabare}
漫画の道が開けていく場面の荒天。
ここも才能と努力で、陽の当たる“普通の”人生から外れていく方向性も想起させられ心に残りました。


【キャラ 4.0点】
主人公・藤野。
“みんな”にキモい、案外、絵が普通だったと手のひら返された自分の4コマ漫画を、
誰よりも、ちゃんと見てくれていた引きこもり超絶背景マンの京本。
{netabare} 自分よりも才能がある奴と思って嫉妬していた人間から自分を認められる。
こんな劇薬ぶっこまれたら、退路を絶って人間やめて漫画家の道を猛進するしかありません。{/netabare}

京本にとっても藤野は憧れの“先生”であり、外の世界の光をもたらしてくれる救世主。
ある種の共依存にも結ばれた名コンビ。
その関係性の変化も本作を痛切にしているスパイスです。


【声優 4.0点】
作画に手描きの生っぽさを求めるならば、演技にも記号化されない天然素材の生っぽさを求める。
こうした方針の元、キャスト陣には、
主演の藤野役に河合 優実さん、京本役に吉田 美月喜(みづき)さんと、
俳優陣をオーディション選出。
一方で記号化されたキャラ作りを求めたい作中4コマシーンには、
森川 智之さん、坂本 真綾さんと声優陣を起用。

筋は通っていますし、実際メインお二方の演技は上々でした。
あと、メインお二人は顔立ちも、どことなく藤野&京本に似ている気がしますしw

河合さんは接する人間によって仮面(ペルソナ)を起用に使い分ける、
藤野の社交性を好表現できていましたし。

吉田さんも引きこもり成分が天然配合された京本のボイスがハマっていました。

音響も良質な天然素材を確保したと慢心せず、
例えば京本の秋田弁訛(なま)りが、藤野に連れられ外の世界を知る内に徐々に訛りが取れて明るくなっていく。
その変遷を表現してもらうため“訛り変化一覧表”を用意するなど、
細部に渡るディレクションで素材を引き出す好采配。


が、昨今のアニメと実写の中間領域で求められがちな“ナチュラルな演技”とやらも、
今のアニメ声優ならば十分できると思っている私の強固な価値観を揺るがすまでは行かず。
ここもベターであってもベストではない。4.0点が上限ということで。


【音楽 4.5点】
劇伴担当は青森出身の音楽家・haruka nakamura氏。

雪国から、ギターの才能の自己実現を求めて上京したという同氏。
同氏のアーティストとしての原点は、秋田などがモデルの本作の世界観と親和性があります。
純度の高いピアノ、ストリングスに時に聖歌隊の歌声もアレンジした歪なくらい美しい楽曲群は、
ここも、さながら才能に殉じて人生を捧げる絵描きたちへの賛美歌の様相。

そして、こうした創作への“殉教精神”は同氏が作編曲したEDの女性ボーカルバラード「Light song」で極致に達します。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

京アニ事件の消化か、実存主義的責任論か、アシへの未練か。

 原作既読で、私の原作の読み取り方って、京アニ事件への鎮魂かなと思っていました。例の事件が2019年で本作が2021年発表ですのでそれが正解かどうか時期で判断するのは微妙です。ただ、本作を読んだときに、あの事件で才能ある人たちが亡くなられたことについて、違う道に進んでいた方が良かったのか?創作に携わる事が不幸だったのか?という疑問が少し解決したからです。

 ただ、そう考えると鎮魂という生易しいことではなくクリエータとしてあの事件を自分で消化したかったのかなとも思いました。つまり、悼む気持ちよりも自分事と捉えたのかもしれません。

 結果として、ショックを受けてもヒロイン藤野はマンガ家であることはやめませんでした。つまり、漫画家でも画家でも結果がどうあれそうしなければ生きていけない人種だととりました。京アニ事件のショックを創作者の視点でとらえたという意味です。つまり意味付けも幸不幸もなく、創作者としてしか生きられなかった被害者と自分の生き方を消化したかったのかな、と。


 一方で、運命論を否定した実存主義的な人間の選択と結末についての自己責任論と捉えることもできます。もしあの時と考えたところで、進む道を選択したのは自分自身です。途中の妄想の中でifを考えたところで結論は変わりません。ただ、それレベルであればかなりの凡作に見えてきます。普通過ぎるくらい普通の話になってしまいます。

 そうしたときに、事件を単純にモチーフにしたととるだけだと、悼む気持ち、自分事と捉えていないなら、扱い方がかなり下品かなという気がしてきます。
 友情論もあることはあります。が「京本が死んだのが私のせい」と捉えている限りにおいて、ちょっと違うかなと思います。人生がクロスしなければというifはよくある話ですし、そこに注目しすぎると感動ポルノになりますし、創作論とも相容れません。味付け程度でしょう。

 創作論で言えば、2人を比較した場合、藤野は話を作る才能があった。京本は絵を描く才能が有ったあるいは、絵を上手く描く才能と漫画を描く才能と別物である、という話程度のことではないでしょう…ないと捉えたいです。

 やっぱり焦点は人生がクロスする場面の話ですよね。そこをしつこく書いていました。その出会いがなければ藤野は漫画家をあきらめていたわけで、ifを使ってそこに焦点を当てています。つまり、藤野にとって漫画を描かざる負えないということにつながります。そして、それを鎮魂ととるのか、責任ととるのかと考えられると思います。最後の数分、漫画の数ページですね。ここをじっくり考えると面白いと思います。


 で、実は現在「ダンダダン」が放映中です。「チェンソーマン2部」について、藤本タツキ氏の元アシスタントで「ダンダダン」の作者である龍幸伸氏の事を知ったわけです。「ダンダダン」の連載が2021年です。ちょうど本作の掲載時期です。

 龍幸伸氏の絵が素晴らしくて、彼がアシスタントを抜けてから「チェンソーマン」の作画がひどくなったという話があります。作中の2人の関係に非常に近しいものを感じます。ですので、藤本タツキ氏の龍幸伸への未練を断ち切る作品だったのかな、という気もします。

 そうなると完全な自慰行為じゃんと思わなくはないです。まして、殺される結論とそのモチーフとして京アニ事件を出すなら最低だと思わなくはないです。

 で、本作の劇場アニメ版ですが、私は演出過剰で冒頭の空から住宅にズームするシーンからちょっとイラッとしました。それは本作の中身を味わうのに必要なのか?という気もします。そして、机の上に鏡があってヒロイン藤野の顔を映していましたが、余計な演出です。背中で魅せるのが良かったのにと思います。

 と上げてゆくときりがないですが、原作はわずか140ページ程度の短編なので余白、行間があった作品です。無駄な演出で水膨れになっただけじゃんという気がします。
 そして今回、上のどの解釈が正しいのか、新しい視点はないのかと思い見ました。が、原作でいいじゃん、という内容でした。60分足らずの作品にわざわざアニメ化する意味があったのか疑問が残ります。

 評価3なのは上の解釈の答えがわからないので、評価できずにします。そして、原作が2021年だから京アニ事件の鎮魂・消化の意味があるのかなともとれましたが、2024年に見ると、自己責任論・運命論かアシスタントへの未練かどちらかに見えてしまいます。


追記 評価した部分を書いていなかったので追記します。

 創作論、云々よりやっぱり人生における分岐点の話、そういう人がいたという話の方が本質に近いのかなという気もします。どっちの才能が上という話ではないし、お互いが依存していた話でもないし。
 内容は、人の死に意味があるとすれば、人との交わりである…うーん、やっぱり実存主義的な話なのかなあ。原作版そのものはまだまだ色あせていない気もします。


 そして、アイデンティティの問題ですね。変わり者といわれてもその道を行くのか。平凡に生きるのか。いばらの道に行くのがマンガ家であるというのも大きな話の幹ですね。

 その選択のきっかけとして承認があったわけで、その承認をしてくれて自分を漫画家まで持ち上げてくれた人物の死の話がありました。

 だから、その人の死を悼むには漫画を描くしかないということがもっとも中心となる話の構造でしょう。もちろん、この部分があるから私も評価しています。

 

投稿 : 2025/01/04
♥ : 6

takato さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

名付けて逆「スラムダンク現象」。『さよなら絵梨』の映像化には期待したい。

 今年は「ハイキュー!!」に「マッドマックス」に本作と並の傑作どころやない、大傑作かも…な期待作が揃っていたのですが…。


 「スラムダンク」を熱愛して山王戦なんか穴が開くほどに読み込んできた私としては、もう一昨年?の新作映画は正直物足りない出来でした。リョーちんの蛇足なエピソードが足されてより短くなった尺に、最高の物語のあらすじ、上っ面をなぞっただけのような薄まった原液を注入した、テンポアップし過ぎな作品。CGによるリアルスポーツのような感覚に挑戦したかったのかもだが…という評価でした。


 何故「スラムダンク」を引き合いに出したかというと、本作は逆なようで同じ事態に陥ってしまったように思えました。あちらはテンポアップし過ぎて薄まった、こちらは膨らませようとしてテンポダウンしてやはり薄まった。どちらも内的要因だけでなく外的要因もあってか。原作を読んでいた時のテンポ感、ドライブ感を踏み外してしまったように思えてなりません。


 「スラムダンク」或いは「ハイキュー!!」の場合は、長い物語を短い一本の映画にしなくちゃならなかった。こちらは短い物語でなんとか映画一本にしなければならなかった(私としてはビックリ二本立てを仕掛けてくるくらいいしても良かったような気もしますが)。


 といってもやはり元々の物語が映像にしてもせいぜい30分、長くても45分くらいのものだから一本の映画としての満足感は薄い…。「デジモン ぼくらのウォーゲーム」や「プリキュア オールスターズメモリーズ」のような短い尺を有効に使い切っ大傑作たちも存在するわけで、尺やサイズに合わせた物語作りは思っていた以上に大切なことなんじゃないでしょうか?。


 私としては、「原作通りにしろ厨」はナンセンスだと思います。映像化する以上は変更はやむを得ない、むしろ+に転じさせることだってできるように思います。しかし、漫画を映像化する場合は、細部ではなくその物語の本質である構成やテンポ感に手を加えるのは危険なように思えます。やはり物語のサイズ感にピッタリな形態を選ぶべきでしょう。商売上の色々はあるのかもですが、商売人でもない私はそこまで忖度してあげる必要は感じません。


 こんなこと言うのはアレかもですが、どちらもこれなら家に帰って原作漫画を読み返した方が良かった…。あとで時間をおいて予告を見直したら変わらずグッときた。やはりもっと短くして、二本立てにするべきだった!。「さよなら絵梨」は映画の話なので、みんな大好き映画についての映画になるから映画化した際の伸びしろに期待。内容も正直本作より濃密ですし。

 

 (後記)


 配信で改めて見たが、こんなに引き伸ばしてたか…と初見のとき以上に感じてしまった。クライマックスなんて原作では3,4カットで畳み掛ける感じなのに、こっちでは体感3分くらいない?ってくらい長い。


 アニメーターの方としては、アニメーションは「動き」だろ!ってのはわかるのだが、やはりアニメはそれだけじゃなくて演出の方が重要に私は思う。予算とかの兼ね合いもあったろうが、出崎さんや庵野さんが枚数使えなくても魅せる演出で効果的なシーンを作っていた例もある。


 本作に限ないが、タツキさんの作風はドライに突き放したところが持ち味で、映画的に翻訳すると細かいカットをパンパンと積み重ねタイプの方が良かったんじゃないかなぁ〜。本作の場合はそれでも根底に強烈にエモがあるから、かえってそれが浮き上がってくる構造になってるし。その点、予告やpvだとそれこそ短いカットがポンポンと切り替わっていくスタイルにならざるをえないから、かえって本作の魅力を拾えてるように改めて思いました。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 11
ページの先頭へ