友達で学園なアニメ映画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の友達で学園な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番の友達で学園なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

78.3 1 友達で学園なアニメランキング1位
グリッドマンユニバース(アニメ映画)

2023年3月24日
★★★★★ 4.2 (107)
406人が棚に入れました
蝉の声が聞こえる中で繰り広げられる日常の風景。そんなツツジ台の静寂は、怪獣グールギラスの声によって破られた。響裕太は内なる声に呼ばれ、ハイパーエージェント・グリッドマンと一体化する。グリッドマンとなった裕太はグールギラスを苦戦しながらも倒すことができた。
裕太のクラスメートの内海将、宝多六花はグリッドマンの誕生に立ち会ったことで、3人はグリッドマン同盟を結成する。しかし、3人は翌日驚くべき現実に直面した。人々から怪獣の記憶が消され、犠牲になった人々はそもそも存在しないことになっていたのだ。
裕太たちはグリッドマンとともに、この世界に迫りくる危機に向かっていくことを決意する。ツツジ台に隠された秘密とは? そして怪獣を操る者の目的は?
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

After festival(祭りのあとで)

日本語で言うところの『後の祭り』って、
ガイジンに英語で”after festival”といっても伝わらないそうであります。
それはほんとに『祭りのあと』のこと、
つまり単純な時系列を表しているだけのコトバなんだとか。
いわゆる『日本人にだけ通じるエイゴ』の一つですね。

英語でそのニュアンスを伝えたい場合には、
” It's too late.”が一番ストレートに伝わるそうです
他の言い方としては
”What's done is done.”(やっちゃったことはやっちゃったこと)
”There's no use crying over spilled milk. ”(覆水盆に返らず)
みたいなのが一般的なんだそうであります。


さて、アニメの世界で『after festival(祭りのあと)』の代表格、
祭りの後でやるお祭りといえば『劇場版』。
(作画崩壊したのをオンエアしちゃうのは『後の祭り』)
おまつり的にもりあがったテレビシリーズ作品を劇場版にして、
狭いファンからがっつり儲けさせていただきましょう、
というのはたいていの製作委員会がやっていることでありまする。


本作はトリガーさん制作の『電光超人グリッドマン』原作シリ-ズで、
  第一弾『SSSS.GRIDMAN』 2018年10月~12月放送
  第二弾『SSSS.DYNAZENON』2021年04月~06月放送
に続く、第三弾ですね。2023年03月に公開された劇場版であります。

  最終的な興行収入はまだ発表されていないんですが、
  中間推移を見る限り、
  八億にチョイ届かないぐらいだったのかな、と。
  深夜枠発の劇場版としては、
  二塁打ぐらいと評価していいヒットを記録いたしております。

第一弾の『グリッドマン』と二弾の『ダイナゼノン』は、
キャラやストーリーのつながりが薄めなので、
なるべくグリッドマンの方から見たらいいんじゃねぐらいなんですが、
本作は前二作のキャラが勢ぞろいたしますし、
ストーリーもこてこてに絡んでいますので、未視聴の方はおいてけぼり。

いや知らんけど、という方は、
まずはテレビシリーズを放送順に見ることをおススメいたします。
どっちも面白いし、見とかないとほんとわけがわかりませぬ。


で、こっからは、
テレビシリーズを視聴済みの方向けのおハナシであります。
まずは製作の経緯について……

もともと第一作の『グリッドマン』を作ったときには、
続編とかシリ-ズ化なんてまるっきり考えていなかったそうです。
それが、けっこうあたったので『ダイナゼノン』を作ることになったんだとか。

で、『ダイナゼノン』をちくちく制作しはじめたころに、
プロデューサーが色気を出して
  キャラがみんな出てくるお祭り映画みたいの作ろ~ぜ
とかなんとか言い出したのが本作の発端なのだとか。

もともとなんも考えていないのに『続編』だの『劇場版』だのが決定し、
ツジツマを合わせるために監督が吐きそうになるのは、
このギョ-カイでは日常茶飯事。

テレビ版から引き続き監督になった雨宮哲さん、
なんとかしようとストーリーの原案を考えたのですが、
『せっかくの劇場版なんだから』といろんな方がちゃちゃ入れたみたいで、
当初考えていたストーリーはボツの憂き目にあったそうです。
(雨宮さん、初の劇場版監督なので強くでられなかったんでしょうね)

というわけで、船頭さんが次々とフネに乗り込み、
先に結論じみたハナシになっちゃいますが、
  前二作的な『らしさ』半分、ナニコレ的な厨二展開が半分
という、かなり中途半端な仕上がりになっています。
いやほんと、面白いっちゃ面白いんですが、ツギハギ感がエグいかと。


拙の勝手な思い込みに過ぎないかも知れませんが、
本シリ-ズの雨宮カントクって、
  ドラマをきちんと描く
ことにすごくこだわっている方だと思うんですよね。

  テレビシリーズでは、
  同尺のアニメと比べて二割ぐらいシナリオの文字数をへらし、
  タメと余韻をもってキャラの心情を表現していました。

  お芝居のつけ方も、
  いま評判の『フリ-レン』にも通じるナチュラルな方向を示し、
  視聴者が同じ目線で共感できるように配慮。

  Bパ-トまるまる使ってバトル、みたいな演出もなく、
  むしろその前後の『ヒトのあり方』的なことをきっちり描いて、
  絵空事なのにエソラゴトじゃない世界観を構築しておられました。


本作も、前ハンブンはそんなかんじ。
懐かしいキャラが次々出てきて親近感を抱けるお芝居を展開します。
(全員そろった学校風景とかすっごく楽しかったです)
バトルは見せ場だけを見せてさっくり終了。
さらにはガウマさんほんとよかったね的な再会なんかもあって、
拙的には大マンゾクな内容でした。

ところが、物語のど真ん中、 {netabare}
具体的には『ダイナゼノン』のキャラが消失したところから、 {/netabare}
なんだかな展開にいきなりシフトチェンジいたします。

  メタバ-スがど~したこ~したという、  
  既視感バリバリな厨二的セカイ観の講釈にはじまり、
  そいでもって、
  ラストバトルのいや長げ~こと長げ~こと。
  敵が出てきてからラスボス倒すまで35分ぐらいあるんですよね。

  苦戦したら仲間が出てきて加勢してくれて、
  倒したと思ったらフッカツしたり新たな敵がでてきたり、
  その都度ヘンケイしたり合体したりの繰り返し。

  最後の方の合体なんか、
  元はナニでどこに誰と誰が乗っているのかなんて、
  いちいち考える気もいたしませぬ。

  これ、玩具化案件持ち込んでも断られるだろうなあ、
  バンダイでも立体化ムリだろうなあ、
  そんなこと考えつつ、ためいきつきながら眺めていました。


つまるところ本作っていうのは、
『きちっと人間ドラマを描きたい』タイプの監督と、
『アニメ映画は講釈たれてなんぼ、バトってなんぼ』の旧勢力が、
  尺を半分にすぱっと切って張り合わせた折衷作、
みたいな感じに仕上がっているんです。ほんと、マジで尺の半分のところで。

そこんところを
 「一粒で二度オイシイ」と感じるか、
 「世界観がぐりとぐら」と感じるかは見るヒト次第かと。

拙が物語に『3』というシブい点をつけたのはそこのところです。
いやだって、
  ほんとラストバトルなげ~し、
  この世界の『ナゾ』が宇宙規模とか話デカくし過ぎだし、
  アカネとか二代目とかバトってんのムリありすぎて笑っちゃうし、
  無理くりいっぱい合体させすぎて造形ぐちゃぐちゃだし、
  そもそも『敵』の目的が昔マンガみたいだし、
拙個人としては、サービスがぜんっぜんサービスに感じられないんですよね。

本作に限らず、なぜかテレビシリーズの劇場版化って
  ハナシを『世界のおわり』みたいなデカいものにして、
  出てきたキャラクターはむちゃでもクチャでも全部ぶちこんで、
  ド派手バトルで尺ひっぱって、
  声優にユウジョ-叫ばしときゃなんとかなるなる。
と考えている業界人が少なくないんですよね。

まあ、平たく言えば、アニメ業界の『悪しきテンプレート』。

いまさらそんなものを『お祭り映画』だなんて、
拙的には、ちょっと感性的にアレな気がしないでもありません。
だって、昭和も平成も、とっくに終わっているんですもの。

そういうのって、場末のフーゾク店、
いわゆる『サービス過剰なえっち下着』みたく感じちゃうんですよね。
お好きな方はお好きなんだろうけれど、拙はムリ。
別料金かかっていいから、
もうちょい知性的なおねえさんとチェンジお願いいたします。


ただし、最後まで通しで見ると、
視聴後感はそんなに悪くないんですよね。
ちゃんとTVシリ-ズのテイストを継承していたように感じられます。

なぜかというと、
ラスボス倒してからのエピローグが、
エンドロールをのぞいて12分もあるんですよね。
{netabare}
  そこで、ガウマは長年の姫への思いから解放されます。
  哀しいけれどヨカッタね、的なハナシの括り方がとってもよき。

  さらに、ホンモノの”after festival”、
  学園祭の後の告白シ-ン、
  裕太くんと六花の照れ照れハッピーエンドは、らしさ満開でとってもいい感じ。

  グリッドマンの第一話で、
  記憶喪失になるまえの裕太と六花でなんかあったっぽいんですが、
  同作は最後までそのへんがグダグダに。
  で、本作では六花が
  「時間かかってよかったよ……わたしも裕太を好きになれたから」
  と言ってるから、たぶん、告白→保留コースだったんでせう。

  告白を保留されている男子って、
  毎日が断頭台にのせられているようなものでありますから、
  結果はさておくとして、
  記憶喪失でそのキョーフから逃れられていたこと、
  裕太くんはグリッドマンに全力で感謝いたさねばなりませぬ。

  そして、なんといってもエンドロール終了後のおまけ15秒が秀逸。

  ヨモギくんの家族にまじってユメが黙々とカニを食べているなか、
  ヨモギの「おいしい?」という問いに対し、
  母親が「ふつう」と答えて物語が閉じるサイコ-の大団円。

  一周回って、
  ちょっとだけニンゲン的な成長とかしたりして、
  そしてまた日常に戻っていく。

  ドラマってそうあるべきなんじゃないのかな、
  そんな感じの監督の控えめだけど強烈なメッセージが、
  わずかな尺に凝縮して詰め込まれています。 {/netabare}

つまるところ、
こうしたアニメ映画でど派手なバトルを『祭り』の部分とするなら、
その『祭りのあと』がしっかりと、
そして、ていねいに描かれているんですよね。

実際、大きな祭りのあとの寂寥感とか、
日常に戻っていく心地よい倦怠感とか、
そういうのってもう、ヒトの心の中でセットになってると思うわけです。

そうしたものをひっくるめて描くことが、
雨宮監督の考える『祭り』の映像化なんじゃないかなあ、と思ってもみたり。
{netabare}
メタファーとしての実写の差し込みは、
『祭りの終わり』というよりも『夢の終わり』みたく感じましたが、
よく考えてみたら、そこ、境界線がけっこう曖昧なんですよね。 {/netabare}

とにもかくにも、
この、ラスボス退治後に見せた監督の意地とコンジョ-によって、
中盤~終盤の油ギトギトな展開が中和され、
さっぱり気持ちよく「ごちそうさま」が言えるコースになっております。
やっぱお会計は笑顔でするのがイチバンかと。



拙的なおススメ度は、テレビシリーズ視聴済みという前提で、

  合体ロボ・ヒ-ロ-・怪獣バトルが好きな方々 →S~A
  そういうのは苦手だけど前作は好きだった方々 →Aマイナス
  そういうのは苦手だし前作もイマイチだった方々→C

みたいな感じです(ゴリゴリの主観ですが)。


映像は、劇場版の名に恥じないクオリティ。
最後のバトルであれやこれやを合体させすぎて、
  なにかよくわかんないモノ
になっちゃったので4.5点という評価なんですが、
おおむね、満点に近いデキではあるまいかと。


お芝居は、安定のナチュラル系。
いい役者さんをずらりとそろえて聴き心地がよく、
カニ売ってた内田(姉)さんもかわいかったです。

  ほんと日常パートだけなら満点あげたいぐらいなんですが、
  バトルで叫ばしすぎちゃったので、こちらも4.5点。
  このへんも劇場版の悪癖だなあと個人的に思ってもみたり。


音楽は、個人的にはイマイチ。
劇伴は鷺巣詩郎さんなんで全くモンダイないんですが、
テ-マ曲がちょっとな……。

  アニメファンに評判のいいオーイシマサヨシさんなんですが、
  拙の耳にはジュニア作品っぽく聞こえちゃうんですよね。
  作品のモチ-フ上、
  仕方ないっちゃ仕方ないんですが、
  本編の劇伴として使うのはカンベンして欲しかったです。

  いやほんと、なんのために鷺巣さん呼んだんだ、みたいな。

  もちろん、そう思わない方もたくさんおられるでしょうし、
  これはあくまでも個人的な、
  100パーセント『好み』のモンダイであります。


とにもかくにも『ファン向けお祭りアニメ』でありますから、
前作ファンなら充分楽しめるデキだと思います。
拙ごときの小者は、
宮本侑芽さんが演る六花をもっかい聴けただけで大マンゾク。

  あ、姫ってこんなヒトだったんだ、とか、
  世の中で守らなきゃイケナイもののみっつめってそれなんだ、とか、
  チセのタトゥー、リスカ痕の上書きじゃなかったんだ、とか、

ちまっとした部分もいい感じに回収されておりまする。

テレビシリーズを超えたか、と問われれば、
そこはちょっとモゴモゴなんですが、
少なくとも「カネかえせ」にはならない楽しい一本ではあるまいかと。



ちなみに、最初に雨宮カントクが考えていた本作の構想って、
単純に前二作のキャラを寄せ集めるのではなく、
三人目のヒロインを登場させて新たなドラマを見せるモノだったそうです。

最終的にできあがった本作は
『グリッドマンⅠ+Ⅱ』あるいは『グリッドマンオ-ルスタ-ズ』みたいな感じですが、
雨宮さんは『グリッドマンⅢ』をやりたかったんですよね。

実際、それでプロットなりシナリオ原案なりが進められていたんですが、
  「人物の掘り下げに尺を取られちゃう」
  「もっとグリッドマン世界のナゾ究明に尺をつかうべきだ」
という声に押し切られるカタチで、
本作の内容に落ち着いたんだそうであります。

  まあ、迂闊にふみこめないジジョ-があったことはお察しいたしますし、
  あくまでも個人の好き嫌いのハナシでしかないのですが、
  拙個人的には、原案バージョンの方が見てみたかったなあと。

  本作は本作でもちろん面白いのですが、
  やっぱ見たいじゃないですか、『グリッドマンⅢ』。
  まあ、いまさらそんなこと言っても

              『後の祭り』なんですけれどね。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 15
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

人類は虚構から宇宙を創造する驚異の生命体

【物語 4.0点】
『SSSS.GRIDMAN』の少し後の世界に『SSSS.DYNAZENON』をクロスオーバーさせるお祭り映画の定番プロット。
多元宇宙(マルチバース)設定でというのも典型的。
だが決してやっつけで総出演させたキャラをごった煮するだけの後夜祭映画ではなかったです。

英断だったのは、当初、シナリオの主軸にと用意していた新キャラを、
脚本を詰める中で、尺が足りないからと、設定ごとバッサリと切り捨てたこと。
これ、中々できることじゃないと尊敬します。
もしも新キャラをゴリ押ししてたらコンテンツ崩壊の危機でした。


ファンなら何とか考察して食らいついて、展開カオスだな~wと笑って楽しめる。
この破綻しそうで崩れない、絶妙な脚本綱渡り感のスリルを、
初稿の未練など整理すべきは整理する、試行錯誤の末に実現。
(因みに六花と内海が、裕太がなくした『SSSS.GRIDMAN』の記憶を再現する学祭作中劇の改稿を重ねる件。
雨宮監督が改稿で受けたストレスの発散でもあるのだとかw)


作中劇制作の展開もあって、『SSSS.GRIDMAN』に引き続き、
虚構を創作する人類の功罪という題材はさらに深化。

人間の創造力が生み出したグリッドマンの可能性と危険性。
『グリッドマン』がネット時代を先取りし過ぎた90年代特撮ドラマとして誕生し、
時代が追いついて再起動(リブート)される。
映画館の鑑賞者を含めた入れ子構造で、テーマもクロスオーバーする爽快感。

『グリッドマン・ユニバース』のタイトル回収も見事でしたが、
『SSSS.DYNAZENON』に円谷の要望で付けられたという“GRIDMAN UNIVERSE"のサブタイも、ある意味、伏線回収された点も綺麗でした。


総じて闇鍋化しやすいオールスター展開を緻密に煮詰めた快作だったと思います。


【作画 4.0点】
アニメーション制作・TRIGGER

日常シーンでは止め絵のっぺらぼうが声を発する底辺レベルまで脱力。
一転バトルシーンでは爆発力のあるリッチな映像で魅せる。
“退屈な日常”と鬱屈を晴らすバトルシーン。
ON-OFFを、作画カロリーで体現する極端なバランスは健在。

返す返すも、作品の枠を越え、複雑合体しても破綻しない、
巨大ロボのデザイン設定には驚かされます。
「フィクションなんて多少カオスな方がおもしろいぜ。」
というのは物によりけり、本作は良きですが……。
巨大ロボ合体はカオスな方が断然面白いですw

ただ最もインパクトがあったのは合体ではなく{netabare} 2代目の巨大化w{/netabare}
何故、宣伝ポスターで敢えて“『シン・ウルトラマン』の円谷”のコピーだったのか。
{netabare} 長澤 まさみさんが巨大化した{/netabare} トラウマも思い出しつつ、一番首肯したシーンでもありましたw


『SSSS.GRIDMAN』ラストで物議を醸した{netabare} 実写映像。{/netabare}
マルチバース演出に寄与した本作のカットを見れば、納得感が増すと思います。


【キャラ 4.0点】
裕太の六花への告白の行方というシナリオ軸。

『SSSS.GRIDMAN』主人公・響裕太とヒロイン・宝多六花より、
恋愛面で一歩先を行く『SSSS.DYNAZENON』主人公・麻中蓬(よもぎ)とヒロイン・南夢芽。
両カップルが邂逅した時、何が引き起こされるのか?
特撮だの、多次元世界の命運だのより、私は鑑賞前から恋バナが気になって仕方がありませんでしたw

蓬くんも裕太に{netabare} 「告白しないんっすか?」{/netabare} って感じで無自覚にマウント取る豹変ぶりw
すっかり明るくなった夢芽ちゃんもそうですが、恋が少年少女に与える活力って恐ろしいですねw

刺激を受けた裕太の行動を待つ形の六花。
六花は裕太との“グリッドマン同盟”の日々の再現劇シナリオを何度も書き直しています。
つまり改稿の度に、裕太くんのことをジックリ考えてアウトプットを繰り返しているということ。

これを踏まえた上で、六花が再びグリッドマンとして戦いに赴く裕太の身を案じる表情。
裕太がどれくらい六花のことが好きなのか探るような表情。
もう、いちいち可愛すぎて悶えます。
六花ちゃんの顔も太ももも眩しすぎて直視できませんw


その他、総登場したキャラたち各々に、時間と経験による成長や変化が感じ取れるのも楽しい要素。
ただ心配なのは{netabare} 再び無職となった山中暦。
蓬もナチュラルに「大丈夫っすか?」って感じで話振る辺り、ホント図太くなりましたw{/netabare}


【声優 4.0点】
主人公・響裕太役の広瀬 裕也さん。
記憶喪失設定もこじれて複雑化したキャラにも好対応。
宇宙の一大事に対しては割りと即断即決でハキハキして頼もしいヒーローなのに、
六花に対しては相変わらずモジモジとw
この落差を演じることで、世界平和や期末試験より重大な恋の難しさを好表現していました。

六花役の宮本 侑芽さんVS夢芽役の若山 詩音さん。
両アンニュイ・ヒロインボイスが共鳴したらどんだけ気だるげになるのか戦々恐々でしたがw
TVアニメ版でのキャラ成長もあってか意外とシャキシャキとガールズトークを繰り広げていました。
{netabare} マックス{/netabare} の横槍が無念ですw


TVシリーズでED主題歌を担当していた内田 真礼さんに今作では割りと出番があって良かったです。
賞味期限は本当に重要です。
食中毒防止の面でも、人間関係進展の面でも、趣味の面でも。
アニメ映画は劇場公開期間が一番の食べ頃。鑑賞したい衝動は抑えてはいけません。


【音楽 4.0点】
劇伴担当はTV版と同じく鷺巣 詩郎氏。
“退屈な日常”では無音やピアノ曲で潜伏→バトルではお馴染みの金管と混声コーラスの雨あられ。
ここも極端なバランスで押し通す。
本作ではエレクトロミュージックへのチャレンジも目立ちました。

ファイナルバトルでは鷺巣氏のBGMだけでは火力が足りぬとばかりに?
ボーカル・大石昌良さんによるTVアニメ版OPを相次いで投入するお祭り騒ぎ。

そのオーイシマサヨシさん主題歌「uni-verse」は歌詞には青春を織り込むが、
曲調はショータイム感のある陽気な一曲。

クライマックスでは内田 真礼さんの過去のシングル曲「ハートビートシティ」が挿入。
ポップな告白ソングで胸が高鳴ります♪

投稿 : 2024/11/02
♥ : 16
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

創作論、作品という宇宙、ファンサービス。面白かったです。

 単なるファンムービー、ファンサービスかなと思ってたら、ガッツリと含意がある感じでした。1度見たところだと、創作行為というのは一つ読み取れます。
 もちろん、六花、あかね、夢芽の3人のヒロインが再び見られるというゴージャスさはファンとしては喜ばしいことに間違いありません。

 そして、この見方ですね。制作者が込めた含意と面白いファンムービーの要素というこの映画の内容と、意味的にリンクしているメタ構造が感心ポイントになります。
 つまり、六花→アカネ→本作原作というそれぞれの創作活動が映画の内容的にも、メタ的な視点でも入れ子構造になっていることです。

 六花が創作についていろいろ悩んでいるので分かりやすいところです。この六花の話が最後の方のセリフにつながってくる感じです。「伝わったかな?」「面白かったんだからいいんじゃない?」とかそう言う感じでした。
 つまり、作者は言いたい事を作品に懸命に悩んで込めるけど、誰も受け取ってくれないのは残念。でも、面白がってもらえるならそれはそれでいいのかも、というのがありました。

 これは新条あかねが作った世界であるグリッドマンの世界で起こっているのが面白いところですね。{netabare}実写を出したのは、もちろんこの構造を改めて見せるためでしょう。グリッドマンという作品世界が忘れられて消滅するかもという話。あるいは他の宇宙と一緒になってしまうというのは、ちょっと「作品世界」という単語に連動する気がします。つまり一つ一つの作品とは宇宙だ、ということでしょう。

 つまり円谷ですからいろんなヒーローが過去いたわけで、その一つ一つの世界に携わった人が込めた思いが、忘れられて融合してしまう感じでしょうか。作品は忘れられてジャンルとして統合されてしまうという事だと思います。いろんな世界で作られた怪獣を創り出した行為が概念として形を持つ、というのもそのアナロジーでしょう。 {/netabare}

 話は変わりますが、最近宇宙論がホットです。量子論的な多元宇宙という概念だけでなく、我々の宇宙は実態のある宇宙の投射された映像のようなものであるとか、上位存在のシミュレートだという証拠があるとか、ビッグバンは実はなくてアインシュタインの宇宙項は正しかった、とかいろいろですね。
 それを見聞きして思うのは、宇宙の定義って結局人間の作り出した物理方式や数式で記述しているので、自分の描きたい宇宙に結論が収束して行くのではないか?ということです。

 この作品をみて、創作論と同時に「グリッドマンユニバース」の名に恥じない、ちょっと哲学的なものにも思いをはせてしまいます。と同時に人間の脳の活動つまり「創作という行為」は宇宙を創ることだ、という意味も強く感じました。
 ひょっとしたら物理的に宇宙は上位存在の創作活動から生まれたのかもしれないですね。この辺の世界観はSSSSグリッドマンを引き継いでいますが、アカネのパーソナルな問題の少し内省的な同作の内容に比べ、本作はもっと普遍性を感じました。


 2つの作品のクロスオーバーではありましたが、ダイナゼノンはちょっと弱かったですね。TVでちょっと気になってたことを見せてはくれましたけど。そして、映画のエンドロールのあとのカニ鍋です。あれの意味はちょっと考え中です。画面に映っていたTVの画面はなにかエルフがかば焼きに驚いているような感じでしたけど、意味はあるんでしょうか?あるいは本作で言っているところの創作論について主張でしょうか?
(追記 ああ…トリガーの制作の「ダンジョン飯」の場面かな?)

 アニメの出来は非常に良かったです。六花のふとももがまた太くなった感じもしますが、ヒロインたちも良かったです。
 ロボットシーンは実はあんまり興味はないですけど、エフェクトをたっぷり使って動きも構図もさすがという感じでした。

 1度見ただけなので、これくらいです。また、見たら追記か書き直します。

 評価は、そうですね。ただ、TVのグリッドマンと比べると物足りなさは残ります。そして映画で有料ということも加味すると、ストーリーは4、キャラは5。作画は4、声優・音楽は3.5(調整の意味も込めて)とします。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 10

74.7 2 友達で学園なアニメランキング2位
劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト(アニメ映画)

2021年6月4日
★★★★★ 4.1 (68)
235人が棚に入れました
「スタァライト」――それは遠い星の、ずっと昔の、遙か未来のお話。この戯曲で舞台のキラめきを浴びた二人の少女は、運命を交換しました。「二人でスタァに」「舞台で待ってる」普通の楽しみ、喜びを焼き尽くして、運命を果たすために。わずか5歳で運命を溶鉱炉に。――危険、ですねぇ。やがて二人は再会します。一人は悲劇の舞台に立ち続け、もう一人は飛び入り、引き離され、飛び入り、二人の運命を書き換えて……キラめきに満ちた新章を生みだしたのでした。もう目を焼かれて塔から落ちた少女も、幽閉されていた少女もいません。ならば……その新章の結末は?「スタァライト」は作者不詳の物語。キラめきはどこから来て、どこに向かうのか。そして、この物語の『主演』は誰か。私は、それが観たいのです。ねぇ――聖翔音楽学園三年生、愛城華恋さん?

声優・キャラクター
小山百代、三森すずこ、富田麻帆、佐藤日向、岩田陽葵、小泉萌香、相羽あいな、生田輝、伊藤彩沙
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

凄惨なる青春の滅却処分

【物語 4.0点】
心情説明を非日常的な口上、台詞で表現する様式が確立された歌劇の延長線上にある
“舞台少女”たちが剣戟等も交えて演じる“レヴュー”
その特性を生かして並の青春物では斟酌しきれない思春期心理まですくい上げて、
荒々しいけど、何か見逃せない独特のムードを提供してきた『レヴュースタァライト』

完結編となる本劇場版が題材とするのは卒業前、進路決定に悩む乙女心。
ただでさえ波乱が巻き起こる青春のターニングポイント。
これをレヴューの論理で表現となれば火力は最大化。

卒業までに決着を付けたい、アイツとの心のわだかまりがある。
舞台少女の輝きをもたらした、あの娘との親愛でさえも、
舞台人として次のステージに進むには捨てねばならない枷となる。

構成は前半は各種青春の葛藤の燻り。
愛城華恋と神楽ひかり。メイン二人の幼少期の馴れ初めから運命を再提示し場を暖めた上で、
後半は“ワイルドスクリーンバロック”と称したレヴューの連戦により、
各カップリングのぶちまけられた本音が、熱戦と化す怒涛の展開。

舞台も舞台少女も、
嫉妬も、羨望も、依存も、執心も、
熟れた青春の果実たるトマトも、
約束と運命の象徴たる東京タワーも、

爆  発  だ  !!

精算対象は舞台少女を観劇し続編を欲求する鑑賞者のメタファーたるキリンにまで及ぶ。
もはや鑑賞者も傍観者ではいられず、燃え盛る舞台上に引きずり出される。

そして完全燃焼の先にある新生。

圧巻の青春エネルギーに焼き尽くされる至福。

わかります。

【作画 4.5点】
アニメーション制作はキネマシトラスでシリーズ完投。

延焼する青春パワーはもはや学園地下に潜むレヴューの舞台空間に収まらず市中にまで漏出。
“場外乱闘”となった開幕レヴューでは、{netabare}電車上の激闘で、苛烈な殺戮表現に踏み込むだけでなく、
「私たちはもう 舞台の上」「舞台少女の生と死」「列車は必ず次の駅へ では舞台は」{/netabare}
といったキーワードを舞台演出で暗喩する映像で刻みつける強烈な先制パンチ。

後半のレヴュー連戦では、各カップリングの心象世界が突き抜け、
{netabare}清水の舞台から飛び降りるデコトラ伝説だわ、オリンピックが開幕するわ、{/netabare}
まさに百花繚乱。デザインは複雑化し、作画も高カロリー化するが、
{netabare}10年破られないデコトラを!{/netabare}と意気込む3DCGスタッフなど謎の執念wにより全受け。

盤石な土台の上に“メイン興行”たる華恋VSひかりの王道レヴューが、
{netabare}ぶった切られた東京タワー上部が頭からポジションゼロに突き刺さる{/netabare}
エネルギー有り過ぎな映像で浴びせられる力強い構成。


インパクト大なのは{netabare}アルチンボルド風の静物{/netabare}と化したキリンの風貌。
舞台少女たちが次のステージへ進む糧となる覚悟を作画でも表現し、
燃焼する舞台にさらに薪をくべる。


【キャラ 4.5点】
舞台の夢を追いかける優等生の心理を改めて掘り下げる。

中学時代の華恋に向けられた同級生の評判が象徴的。
舞台少女たちの経歴を表層だけ字面にすれば、
大抵の同年代が進学先すら決められない中、
若くして目標に向けて励む彼女たちは眩しすぎるスタァ。
が、その深層には、ひかりちゃんとの約束だけを支えに舞台に上がり続ける華恋など、
案外子供じみた脆さが混在していたりする。

冒頭、{netabare}ひかりと離別した寂しさが溢れた華恋の演技が、
クラスメイトの胸を打つ{/netabare}場面も、
舞台少女としての輝きの喪失が、新たな舞台人としての輝きを生むという意味で皮肉かつ示唆的。

この青春心理の表層深層がより高解像度で描き分けられたキャラクター造形が、
華恋&ひかりだけでなく、各舞台少女、カップリングまで徹底している。


各レヴューは互いに死力を出し尽くしたシーソーゲーム後に決着する王道バトル。
連れて舞台少女が心の奥底に残った澱(おり)まで出し尽くし、
これが得も言えぬ清々しさに繋がっている。


私の推し・星見純那も、より尊くなり嬉しいです。
有名作家の引用という表層がレヴューで指弾され吹き飛ばされた後に口にした
{netabare}「殺してみせろよ 大場なな」{/netabare}
全く知性も理性もあったもんじゃありませんがw
心の底から吐き出された自分の言葉にはどんな名言よりもゾクゾクさせられます。

【声優 4.0点】
TVアニメ版では、一部キャストらに日常会話の固さ等が散見されましたが、
本作では大分馴染んで来たのか、歌や口上と会話劇(痴話喧嘩?)との往復もスムーズで、
レヴューの完成度向上に貢献。

そんな中、ひかる役の最年長声優・三森 すずこさんの若々しさには返す返す驚かされます。
本作では、華恋役の小山 百代さんとの幼稚園時代の掛け合いも上々。
みもりん、幼女役、あと10年はいけます♪

【音楽 4.5点】
複数の作曲者が劇伴にて舞台を金管で砲撃しつつ、大作揃いのレヴュー曲も構築。
レヴュー曲はシンフォニック・ロックを軸に、
民族音楽風、人情(任侠)歌謡曲まで幅広くカバー。
曲中でも転調、緩急を交え、二転三転するレヴュー展開に好対応。
一応、加藤 達也氏は“爆発”、藤澤 慶昌氏は“燃やし”と分担された感じだったそうですが、
いずれにせよ可燃性危険物であることに変わりはありませんw

ED主題歌はスタァライト九九組「私たちはもう舞台の上」
ドロドロが除去された後に、舞台少女の未来を高らかに歌い上げる千秋楽・卒業ソング。
しかし、EDアニメ担当めばちさん。『虹ヶ咲~』でもそうですが、
素朴なイラストで波乱の青春を締め括るストッパー能力には安定感があります。

あと、音楽とは少し違いますが、
華恋&ひかりの馴れ初めで、{netabare}園児たちがカスタネットで同じリズムを取る遊戯をきっかけに、
二人も友情のリズムを掴んでいく。{/netabare}
こんな演出よく思いつくなと感心しつつ、幼女も堪能したw思い出のシーンです。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 4

芝生まじりの丘 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

レヴュースターライト(映画)について

[感想]
それなりに面白かった。
あれこれ演出で遊んでいるが、個人的には神楽ひかりの変身シーン的なアレを作ってくれたりとか、もっと演出を面白くできるような気もした。


[蛇足]
レヴュースタァライト(映画)はテレビ本編に対するファンサービスの付録である。これは映画自体が目的となるような映画オリジナル作品と異なる点である。ファンサービスの付録であることそのものは一つの主題となっている。
ファンサービス、付録としての特色を生かし次のような試みがなされる。
* 各登場人物の見せ場を作ること
* 作品のファンは多くの場合キャラクタのファンであるのでキャラクタに見せ場を作ることで喜ぶし、逆に一度も好きなキャラクタに見せ場がなければ損をした気分になる。ファンサービスという都合上、人気なキャラクタに見せ場を作るのが一つの目的になる
* レヴュースタァライトでは各キャラクタの未来やレヴューが描かれることでこの目的が達成される。
* テレビ本編で描きたりなかった事柄を補填すること
* テレビ本編で設定やテーマについて描きたかった部分が尺の都合や構成上カットされてしまうことがある。これを補填する役割を果たす。つまりディレクターズカットとしての役割
* レヴュースタァライトでは愛城 華恋の過去編がこれにあたる。ひかりと二人の思い出がテレビ本編で十分描けていなかったのを補填する役割を果たしている。
* テレビ本編で描かれたものに対するアンチテーゼ、対照するもの、ifとしてのもの
* テレビ本編では全体の構成上の統一感を持つために主題から離れたり、ifに時間を割いたり、筋が撹乱されることは避ける。一方で付録においてはこのようなしがらみがなく、自由に展開することができる。また本編に対する返報として見ることができる。
* レヴュースタァライトではたとえば皆殺しのレヴューがこれに当たる。これは一切の血が描かれないテレビ本編に対するアンチテーゼとしての現実を示す。あるいは、各レヴューにおいて勝敗がテレビ本編と反対になっていることもそうである。それにテレビ本編で構築されていた様式美、ルールがいくつか破壊されている。たとえばバッジの破壊が敗北を意味しないことがそれである。
* 物語は劇の後も続くというテーマ
* これは作中明言されているものなので割愛するが本編の続きならではのテーマといえる。

スタァライトとは何か。
## 作中劇の名前としてのスタァライト
無論スタァライトとは作中で登場する劇の名前である。
星を掴もうとして戦い、傷つく物語は無論アニメ本編の物語を象徴的に語っている。
この象徴的隠喩をもう少し深く語ることができる。

## 悲劇の象徴としてのスタァライト
スタァライトという作中劇は悲劇である。ゆえに、スタァライトとは悲劇の象徴である。
スタァライトすることを目指し愛城は努力を重ねたわけだが、その目標であるスタァライトとは始めから「悲劇」であることが予告され、明言されていたのだ。

## 遠くに光る星としてのスタァライト
スタァライトという名は星の光を表す。幼少の頃に見た遠くに見える美しい光、それがスタァライトという劇だった。
子供の愛城は「青空の向こうへ」を演じながら、青空の先にある星の明かりに向かって走るのだ。
星=「遠くにある光」、というモチーフはそのまま外国(=遠く)にいる神楽"ひかり"のことを隠喩するモチーフでもある。

## 「スターの煌めき」としてのスタァライト
もっと直接的にスタァライトとは「スターの煌めき」である。
「スタァライトする」とはスターとして他者を眩しく思わせることである。

## メタフィクションとしてのスタァライト
特に映画においてはメタフィクションとしての要素が強く出る。
「スタァライトする」とは劇中劇としての「スタァライト」を演じるという意味であると同時に、アニメーション作品としての「レヴュースタァライト」を劇中劇として自覚的に演じることである。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 0

もやし さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

異彩を放つメディアミックスコンテンツの最終章と新たな物語の行方

今やアニメコンテンツはアニメ単体ではなく「ゲーム」・「ライブ」・「舞台」など、メディアミックスと呼ばれるコンテンツは当たり前となっている。

ただ、このタイプ作品のアニメは良い意味でも悪い意味でも平凡な作品に終わってしまうことが多い。どこかで見たような当たり障りのないアニメ。メディアミックスのアニメと聞くとそんな印象を持って第1話を見る機会が多い。

だが、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」はそんなメディアミックスコンテンツの中でも異彩を放つ作品という事はTVアニメ1話を見れば誰もが知ることだろう。本作の監督の古川知宏さんは「輪るピングドラム」や「ユリ熊嵐」など、幾原さんの作品に携わる機会が多かった事もあってか、スタァライトは幾原節を感じる壮大なスケールで描かれるバトルシーンだ。キービジュアルだけ見て軽い気持ちで見たら度肝を抜かすことになるだろう。制作会社は「メイドインアビス」なども手がけたキネマシトラスだ。

先程も言ったが、メディアミックスの話は比較的平凡な物になりがちだと私は偏見で思っている。それはスタァライトも同じだ。本作の舞台はトップスタァを目指す高校を舞台にしており、劇場版では3年生となったメインキャラクター9人が卒業に向けて足を踏み出すという内容だ。

どんな未来に進めばいいか?悩むという設定は100万回見てきたかもしれない。ただ、この平凡な物語でもアクション・背景・演出を壮大にするだけでここまで見応えのあるものになり、圧倒されてしまう。劇場版という事もあってか、バトルシーンのスケールはTVアニメの頃よりも格段に上がっていた。

バトルシーン以外にもキャラクター同士の魂を込めた掛け合いや、それを彩る挿入歌の出来も素晴らしい。声優陣はTVアニメの頃と比べると見違えるほどに成長している。そんな所が垣間見えるはメディアミックスという形態の良い所かもしれない。

非常に情報量が多く、見終わった後は頭がパンクしそうになるかもしれない。家に帰り落ち着いてパンフレットを読むと頭の整理されるだろう。

恐らくスタァライト…少なくともアニメはこれで終わりだ。メディアミックスという形態の中でここまで力の入った作品は稀有な例であり、私はスタァライトはもっと評価しても良いと思うのだ。時代は変わりメディアミックス作品は今後も沢山出てくるだろう、こんな意欲的な作品がまた見れる事を私は願っている。

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」 TVアニメに続いて、劇場版も大変素晴らしい作品だった。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 1
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