ロボットで差別なおすすめアニメランキング 2

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのロボットで差別な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年07月07日の時点で一番のロボットで差別なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

76.1 1 ロボットで差別なアニメランキング1位
機動戦士ガンダム00 2nd season[ダブルオー セカンドシーズン](TVアニメ動画)

2008年秋アニメ
★★★★☆ 4.0 (1119)
6056人が棚に入れました
4年が経過した西暦2312年。各国家群が地球連邦として統一され、世界は一つになったかに見えた。しかしその裏では、独立治安維持部隊『アロウズ』によって、反政府組織や主義・思想への弾圧や虐殺が行なわれ、世界は歪んだままであった。夢を叶えて宇宙技術者にとなった沙慈はアロウズによる弾圧に否応無く巻き込まれ、国連軍との決戦を生き延びた刹那は歪んだままの世界に立ち上がり再び戦いへと身を投じていた。
ネタバレ

サメロン さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

劇場版へと続く、来るべき対話に備えよ

ガンダムシリーズ最高峰と名高い作品
その完成度と物語の濃厚さは凄まじかった。
二期の作品のテーマは『人類意思の統一』
キャッチコピーは『その再生を破壊する』


◆◇二期はイオリア計画『第ニ段階』のお話◇◆
打倒ソレスタルビーイングで世界が協調した国連をベースに、地球連邦政府の樹立と
その治安を維持する為の地球連邦軍及び治安維持部隊アロウズを結成。
世界各国が個別に軍事力を保有して各々の国を防衛していた時代からの脱却を図るという「人類意思の統一」も狙いでもありました。


◆◇ルイス遂に憎きネーナへの復讐果たす◇◆
前期までのルイスは、本当に愛らしくて明るい女子学生でした。
四字熟語で表すとすれば、まさに『天真爛漫』と言葉が実に相応しかった。
ガンダムシリーズという作品全体が、戦争をテーマにしているだけに、どうしても暗い部分が多い中
ガンダムOOにおいて、ルイスの明るさがとても光って見えたものです。
彼女が今尚、恋人だった沙慈と共に幸せな人生を送ることができたら、どんなに良かっただろうか……

しかし、そうした彼女の人生はガンダムによって、大きく変えられてしまいます。
{netabare}ガンダム(ネーナ・トリニティ)に両親を殺され、自らも左手を失い、それが大きな切っ掛けとなって、大好きな恋人(沙慈)とも別れてしまうのです。{/netabare}
その結果、彼女は、ガンダムに対する憎悪をエネルギーに変えて、軍人として生きていくことを決めます。
そういう意味で、後期のルイスは、前期とは全くの別人です。


ルイスが仇を討つ場面
{netabare}脱出ポッドで逃げようとする王留美を撃ち殺し高笑いしているネーナ
そう思っていた矢先に一本の通信が入る。
リボンズ「君を裁く者が現れるよ」
ネーナ「裁く者ですって?」

~アリー・アル・サーシェスを想像し、頭を過ぎるネーナ~

ネーナ「まさか…あいつが……面白い!ニーニーズ(兄2人)の仇よ」
リボンズ「そうだね。ある意味仇ではある」

~突如銃撃されるネーナ~

ネーナ「なっ、何!?」
ルイス「あれだ…あのガンダムだ!……ママと…パパを殺した…あのときのガンダムゥーー!!!!」

~再び銃撃をするルイス~

刹那「あの機体、スローネ!」
沙慈「ルイスの家族を…」
刹那「止めろ!ルイス・ハレヴィ!!」
沙慈「ルイス?」
刹那「そんな復讐が…」
沙慈「ルイス!!」

~止めようと向かう刹那と沙慈が乗るダブルーガンダム、そしてそれを阻止するミスター・ブシドー(グラハム)~

ネーナ「家族の仇?私にだっているわよ!自分だけ不幸ぶって!!」

~反撃しようとするがルイスに手も足も出ないネーナ~

ネーナ「私は作られて…戦わされて…こんなところで…死ねるかぁーーーー!!」
ルイス「そうね…死にたくないね…でも…ママとパパは…そんな言葉すら言えなかったぁぁああーー!!」

~機体を鷲掴みされ潰されるネーナ~

ネーナ「畜生ぉぉおおーー!!」{/netabare}
私{ザマァみろ}とそれだけの事をお前はやったんだと爽快な気分になりましたね。

ただ{netabare}そんな復讐をしても、仇を討っても、ルイスの家族は戻る訳もなく
張り詰めていた糸が切れ、精神がおかしくなったルイスはママァ、パパァと笑い涙し
ガンダムを倒したことをよくやったと、{/netabare}褒めてよと泣き叫ぶだけでした。


私は憎悪に支配された生き方を、まったく否定するつもりはありません。
そもそも、人の命を弄ぶかのように振舞ったガンダムが許されて良いはずがありません。
正直、ガンダムのパイロットであるネーナが、{netabare}ルイスの両親を殺したときのシーン{/netabare}は酷かったです。
それこそ無意味に、{netabare}『面白くないから殺してみた』{/netabare}と言わんばかりの酷い殺し方でした。


◆◇対立を越えたライルとアニューの愛◇◆
{netabare}実はアニューは人ではなく、人類の覚醒を促す為の存在として生み出された『イノベイド』でした。
しかし彼女にはその自覚はなかったが、同じ遺伝子ベースから生み出されたリヴァイヴの脳量子波を受けたことで
イノベイターとしての使命に覚醒し、ソレスタルビーイングから離反しました。
ライルのケルディムと死闘の末、ライルの必死の説得に心を動かされましたが
それを許さないリボンズの脳量子波によって意識を完全に乗っ取られてしまい攻撃を再開。
ケルディムを撃墜寸前にまで追い込んだが、あらかじめ「もしもの時は自分が撃つ」と宣言していた
刹那のダブルオーライザーによって撃墜され戦死しました。
最期の瞬間には、ダブルオーライザーによる意識共有領域にて、ライルとアニューお互いが分かり合っていたことを確かめ
このような形であれライルと巡り合えた運命に感謝して消えてゆくシーンに{/netabare}

私は敵、味方という対立を越えた『本当の愛』というものの素晴らしさが分かったような気がします。


◆◇それぞれの思考が渦巻く群青劇が見所◇◆
【刹那考察】
最初、自分がガンダムになろうと気負い、他のメンバーと揉めたりしますが
一期から二期へと話と年齢が進む中で自分自身にも大きく変革をもたらして
一人の人間として成長して行きます。人間味を帯びてゆくと言うのでしょうか。
二期での彼は自分自身を「俺が、ガンダムだ!」とは言わなくなります。
そんな彼の心の支えには亡きニールがいて、いつも元気付けてくれていました。

最初の頃の彼は戦争根絶=ガンダムと思っていたが故に
自分自身がガンダムになろうとし、「俺が、ガンダムだ!」と言っていたんだと思います。

【ロックンオン考察】
兄ニールが一期で{netabare}サーシェスを討ち(実際には生きていたが)最後の言葉を残して死にましたが{/netabare}
二期では兄ニールに代わり、弟であったライルがガンダムマイスターとして兄ニールの後を継ぎ
ソレスタルビーイングのメンバーとして加わります。
彼は最初は反連邦組織カタロンの構成員としてカタロンにソレスタルビーイングの情報を流す為でしたが
物語を経て、徐々に仲間達とも打ち解け、兄ニールと違い家族を奪ったテロに対しては達観しているところがありました。
ですが恋人だったアニューとの{netabare}死別を{/netabare}切っ掛けとなり、それまでの達観していた考え方から一変して
兄や家族を奪い、仲間達を悲しませたサーシェスや、アニューの死の切っ掛けを作ったイノベイド達に対する怒りを感じるようになります。

彼はニールに嫉妬と尊敬の気持ちがあったのでしょうが
物語を経るに連れいつの間にか嫉妬の方は消えて、尊敬の気持ちだけになった風に見えました。

【アレルヤ(ハレルヤ)考察】
戦争孤児で幼少期から人類革新連盟の『超人機関』に拉致され実験体とされいた記憶を失っていました。
そのときに出会った少女がマリーで彼女から神に感謝する言葉としてアレルヤという名前を授かります。
実はこのマリーという人物は一期から出てくるソーマ・ピーリスの別人格(正確に言えばソーマ・ピーリスが別人格)
二期で{netabare}ソーマの中で眠っていたマリーの人格と記憶を取り戻します。{/netabare}
そしてアレルヤ、マリー、ソーマ、セルゲイ4人が深く係わり合うストーリーに魅了されていました。

正直彼は感情の起伏が余りなく、個人的には好きではないのですが
名前を与えてくれたマリーには愛情以上のものを感じていたに違いないと思いました。

【ティエリア考察】
一期の登場時、彼は自分の意思を持たず、全てはヴェーダ(演算処理システム)の意思を至上のものと絶対信じ
それを曲げない人物でしたが、物語を経るに連れ、ヴェーダの意思ではなく
自分の意思で考えで動くようになって行きます。
そして彼は敵と同じイノベイドで人間ではありませんでしたが、亡きニールの意思を継ぎ
敵側に勧誘されるもそれを拒否し、ニールを心の支えにして自分の信じた道を進むと宣言して対立を選びました。

最初は前期において自分のせいで{netabare}ニールの利き目を奪った{/netabare}罪滅ぼしの風にも見えましたが
最後の方はニールは心の支えではあるが、完全に自分の意思で考え動いていましたね。

【沙慈考察】
彼はガンダムOOにおけるもう一人の主人公です。
一期では視聴者の目線でソレスタルビーイングと世界との戦いを傍観していましたが
二期では刹那のダブルオーガンダムのオーライザーのパイロットとして同乗し一緒に戦闘に出ることとなります。
最初は{netabare}ルイスを苦しめ、姉である絹江{/netabare}を奪ったのがソレスタルビーイングだと思い込んでいたけど
真実を知り、誤解は晴れるものの、戦うことから逃げ
それによって沢山の人命を失う惨劇を招いた。
以降は人命を助けることに繋がるならと決意を固め、ソレスタルビーイングのメンバーとも打ち解け
ソレスタルビーイング徐々に認めていく。

実際には違かったが、{netabare}恋人ルイス{/netabare}を奪われたと思っていたときの沙慈は相当な気持ちだったと思います。
敵の中に自分がいるわけですからね。

【ルイス考察】
一期ではスペイン(AEU)からの留学生で恋人である沙慈と日本での生活を謳歌していましたが
ネーナの気まぐれによって人生を変えられてしまいます。
二期ではその出来事から軍人になり、打倒ソレスタルビーイングと動くのですが
ダブルオーガンダムの作り出した量子空間でソレスタルビーイングは敵でない真実を知るも
{netabare}家族を奪ったネーナ{/netabare}を許せず、苦悩しているところをリボンズによって洗脳されてしまうのでした。
そして上記で書いた様に{netabare}そんな復讐をしても、仇を討っても、ルイスの家族は戻る訳もなく
張り詰めていた糸が切れ、精神がおかしくなったルイスはママァ、パパァと笑い涙し
ガンダムを倒したことをよくやったと、{/netabare}褒めてよと泣き叫ぶだけでした。

正直、彼女は惨劇のど真ん中にいたと言えるでしょうか。
愛していた両親を奪われ、自らの左手も失う訳ですからね。
真実を知ったところで復讐の気持ちは消せない。そんな真実と復讐との間で葛藤をしたんだと思いました。

【マリナ考察】
ガンダムOOにおけるヒロインで中東の新興国アザディスタン王国の第1皇女だが
彼女は戦いでは何も解決することは出来ないという強い信念を持っており
戦うことしか自分には出来ないと考える刹那と対比される人物として作中で描かれます。
そして彼女が子供達の言葉を集めて作った歌は、やがて平和を求める世界中の人々の間に広がっていくこととなります。

正直彼女は余り目立つ人物ではなかったですが
戦いでは何も解決することは出来ないという考えは確かにと思う部分もありました。
彼女は歌を通して、幸せを共有し、戦わずして平和な世界になればいいなと考えていたに違いないと思います。


他にもちゃんと群青劇があるのに書いていないキャラが沢山います。
それは本編で是非見て下さい。


◆◇あらゆる場所で格好良いネタとして『トランザム!!』が今尚、色褪せず使われている◇◆
トランザムとはソレスタルビーイングの創設者イオリア・シュヘンベルグが
オリジナルの太陽炉のブラックボックスに隠していたシステムで
機体に蓄積した高濃度圧縮粒子を全面開放し、一定時間スペックの3倍に相当する性能を得られるというものである。
システム使用中は機体が赤く発光し驚異的な性能を得られる。
それが『トランザムシステム』

限界を超える力や出来事ネタとして『トランザム!!』という台詞が使われていると思います。


◆◇豪華声優陣によるガンダムシリーズきっての名台詞が飛び交う◇◆
刹那・F・セイエイ(本名:ソラン・イブラヒム)
声優:宮野真守
本作の2人いる主人公の一人でダブルオーガンダムのマイスター
名言{netabare}「これが俺達の、ガンダムだ!」
  
   「ソレスタルビーイングに入るまでは俺もそう思っていたが、破壊の中から生みだせるものはある。
    世界の歪みをガンダムで断ち切る、未来の為に。
    それが、俺とガンダムのたたかう理由だ」

   「分かっている、ロックオン…。ここで俺は変わる…。俺自身を、変革させる…」

   「戦いは破壊するだけじゃない。作り出すことだって出来る。俺は信じている。
    俺達のガンダムならそれが出来ると。後は、お前次第だ」

   「兵器ではなく、破壊者でもなく、俺と、ガンダムは変わる!」

   「ガンダム・エクシア。刹那・F・セイエイ、未来を切り開く!」{/netabare}

刹那は一期の頃と比べ「俺が、ガンダムだ!」と自分自身がガンダムにはなろうとしてはいないですね。
彼の中で戦争根絶=ガンダムではなくなったのでしょう。

ロックオン・ストラトス(本名:ライル・ディランディ)
声優:三木眞一郎
ニールの双子の弟でケルディムガンダムのマイスター
名言{netabare}「違うな。俺の名はロックオン・ストラトス。ソレスタルビーイングのガンダムマイスターだ」

   「その名の通り、狙い撃つぜェー!」

   「欲しいもんは奪う。例えお前が、イノベイターだとしても」{/netabare}

兄ニール
名言{netabare}「刹那、過去によって変えられるものは、今の自分の気持ちだけだ。他は何も変わらねえ。
    他人の気持ちや…ましてや命は。刹那、お前は変われ。変わらなかった俺の代わりに」{/netabare}

このニールの台詞は私の中で印象深く残っています。
  
アレルヤ・ハプティズム(別人格:ハレルヤ・ハプティズム)
声優:吉野裕行
アリオスガンダムのマイスター
名言{netabare}「この世界は矛盾に満ちていて、僕自身も矛盾していて…
    でも、それを変えていかなくちゃいけない。見つけるんだ。僕達が生きる意味を。その答えを」

   「この加速粒子…!俺等の脳量子波にビンビンくるぜー!そうだろォー!?アレルヤァ-------!!(ハレルヤ)」{/netabare}

余り面白い台詞は言いませんが、アレルヤの言ってる言葉は正しい。

ティエリア・アーデ
声優:神谷浩史
セラヴィーガンダム(セラフィムガンダム)のマイスター
名言{netabare}「君は現実を知らなすぎる。自分のいる世界ぐらい、自分の眼で見たらどうだ」

   「自分は違う、自分には関係ない、違う世界の出来事だ。そういう現実から目を背ける行為が
    無自覚な悪意となり、このような結果を招く」

   「僕は自分の信じた道を進む!愚かだと言われようが、がむしゃらなまでに!」

   「ナドレの時とは違い、自らの意志で、その姿を晒そう…!セラフィム、ガンダム!」{/netabare}

ティエリアも一期のときと比べ、ヴェーダの意思で動くのではなく、自らの意思で考え、行動しているのが台詞から見て取れますね。

ミスター・ブシドー(グラハム・エーカー)
一期のときとは取って代わり、顔の傷跡を覆い隠すように仮面を被り
陣羽織風の特殊な軍服を着用する。
まるで時代がかった格好や言葉遣いに変化
声優:中村悠一
アロウズに所属に所属するMSパイロット(サキガケ/マスラオ/スサノオ)
名言{netabare}「そうだとも…もはや愛を超え、憎しみも超越し…宿命となった!」

   「マスラオ改めスサノオ!いざ、尋常に!勝負!」

   「私は司令部より独自行動の免許を与えられている。つまりはワンマンアーミー、たった一人の軍隊なのだよ」

   「生きてきた…私はこの為に生きてきた…たとえイノベイターの傀儡に成り果てようとも……この武士道だけはぁー!!」

   「戦え…少年。私を斬り裂き、その手に勝利を掴んでみせろォッ!!」

   「私は純粋に闘いを望む!ガンダムとの戦いを!そしてガンダムを超える!それが私の……生きる証だ!」

   「武士道とは…死ぬことと見つけたり」{/netabare}

やっぱり彼はガンダムOOにおける名言メーカーですww

アリー・アル・サーシェス
声優:藤原啓治
リボンズの私兵で専用機のアルケーガンダムパイロット
名言{netabare}「さあ!始めようじゃねえか!ガンダム同士によるとんでもねえ戦争ってやつをよお!」

   「おうよ!けどな、お前らのせいで体の半分が消し炭だ!野郎の命だけじゃ物足りねえんだよぉ!!
    再生治療のツケを払え!テメエの命でなぁ!」

   「止めときな。せっかく拾ったその命、散らすことになるぜ」

   「俺は俺だー!!」

   「まとめてお陀仏!!!!」{/netabare}

藤原啓治のドスの聞いた声だからこそ再現できたキャラクターですね。笑


◆◇最後の地上アナログ放送作品のガンダム◇◆


正直、私は個人的にSEEDシリーズには勝てないだろうと甘く見ていましたが、ところがぎっちょん!でしたね~
一期から引き続き主人公達のしてる行動に意味があり、更には劇場版まで繋がっています。
正直とても深い話です。全部観て一つの作品と思って下さい。
ただの名言だけのガンダムじゃなかった!ガンダム好きなら是非観るべき作品です。
勿論ガンダムに興味ない方にもお勧め出来ますよ!

※ちなみに今作は2014年の8月頃に視聴

投稿 : 2024/07/06
♥ : 8

アレックス・ディノ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

さすが1stの続きとしてかみんな大人ぽかった!!

【あらすじ】(セカンドシーズン)
西暦2312年

国連軍とソレスタルビーイングの決戦から4年。(活動開始からは5年)
地球連邦政府を樹立した人類は、さらなる国家の統合、人類の意思統一を目指すべく、連邦正規軍とは別に、独立治安維持部隊『アロウズ』を組織する。
しかし、その実態は、統一に名をかりた反政府勢力や主義、思想等への非人道的な弾圧であった。

夢を叶え、ルイスとの約束を守るべく宇宙技術者の道に進んだ沙慈・クロスロードは、コロニー開発現場で一条の光を見る、それは擬似太陽炉が放つオレンジの粒子ではなく、オリジナルの太陽炉、すなわちガンダムが発する光であった。
しかしある日、カタロンの構成員である友人を(知らずに)庇った結果、謂れの無い濡れ衣を着せられコロニー・プラウドに連行、高重力下での強制労働を課せられる。
一方、4年前の最終決戦で生き延びた刹那・F・セイエイは、ソレスタルビーイングによって変革した世界の行く末を見つめていた。
アレハンドロ・コーナーを倒し争いのない平和な世界になることを夢見て。
しかし、彼が目の当たりにしたものは『アロウズ』の弾圧よって作られた偽りの平和、歪み続ける現実であった。
潜入先の収容所コロニーでは反連邦組織による収容者救出作戦とアロウズによる阻止作戦という名の対人用自律行動型無人兵器「オートマトン」による虐殺が始まり、その過程で沙慈と再会した刹那は自ら修復したガンダムエクシアを駆り再び戦う決意をする。

時を同じく再結成したソレスタルビーイングのメンバーも、4年間の沈黙を破り再び活動を始める。

世界を変えるため・・・。

歪んだ再生、その再生を破壊するために、西暦のガンダム、今 再び !!

(作品解説)
他の作品が架空の暦(『宇宙世紀(U.C)』、『正暦』……etc)を使用しているが、当作品は『西暦』であり、上記の通り現在の世界情勢が色濃く反映された世界観の下、物語は始まり、刹那・F・セイエイが何度も口にする“ガンダム(戦争を根絶する力)”という概念が主軸となって様々な観点からそれが描き出されてゆく。
よく勘違いされがちだが、当時系列と宇宙世紀のそれには一切関連性がない。が、今後スーパーロボット大戦シリーズ等でUC勢との面白い掛け合いが期待できるのではないだろうか。

「GN粒子」、そしてそれを永久に生み出す「GNドライヴ」の存在など、ガンダムと他の機体との戦力差を具体的な理由付けと共に見直されており、ミリタリー的なカラーも強い。また、「少数精鋭のソレスタルビーイングvsそれに対抗する国連軍」という構図は一貫しており、アクションシーンのみならず作戦における指揮官(戦術予報士)同士の駆け引きという点もクローズアップされて描かれている。
とかく戦闘シーンへの入れ込みは髄一で、後発のスペシャルエディションでは既存シーンに書き増しが施されているほど(演出さん曰く「気に入らなかったところは手直しした」)

メカニックデザインには今までガンダムに関わったことのない海老川兼武氏・寺岡賢司氏といった中堅・若手デザイナーを起用、各陣営ごとに担当のデザイナーを分けることで他のガンダム作品に比べて類を見ない特徴的なモビルスーツのデザインとなっている。

人体的な曲線的フォルムはガンダムが横並びする当シリーズでも分かるとおり、趣を異にしていることから好みが分かれる。
ちなみにガンダムシリーズのデザイナーでお馴染みの大河原邦男氏は、金ジムことアルヴァアロンと、00世界のファーストガンダムである0ガンダムのデザインを手がけている。

製作曰く「21世紀のスタンダードガンダムを目指して作った」と語っている。ちなみに「機動戦士ガンダムSEED」でも似たような(こちらは21世紀のファーストガンダム)の発言がその製作側からなされている。

0ガンダムの容姿を初めとする宇宙世紀ガンダムのオマージュもこの作品の華であるが、前作SEED DESTINYが露骨であったのに対し、00では0ガンダムを除けばセリフや設定の一部、演出など細かな部分に散りばめられている。
特に1stに登場したフラッグファイター「アラスカのジョシュア」君は容姿と名前と出身地がどう考えてもあの作品に対する皮肉が込められているのと彼の死に方からよくネタにされる。

よく間違えられやすいが、作品のタイトルは数字の00と書いてダブルオーと読むためアルファベットでOOと書くのは誤りである。
作中に登場する0ガンダム(シリーズ未登場)も0と書いてオーと読む、外伝に1と書いてアイと読む1(アイ)ガンダム、1.5(アイズ)ガンダムが登場する。

2ndシーズン終了後、2010年秋に劇場版の制作が発表された。

(感想)
個人的にはスサノオに搭乗したミスター・ブシドー良かったですね!!またに武士道だ!!まさか正体がグラハム・エーカーとはね!!っていうか何で刹那に対して少年なんだかーー刹那21歳なのにーーそして愛ってーー
ちなみに中の人である中村悠一を知ったきっかけになったのがミスター・ブシドーでした!!そしてスサノオかっけえ!!
というか2ndシーズンに入って左慈、ルイス、リボンズ、ロックオン(ライル)目立ってきたね!!特にルイスはまるで別人ですし!!鬼神のごとくでしたね!!
しかし最終がちょっと微妙の終わり方がちょっと残念だった!!

投稿 : 2024/07/06
♥ : 3
ネタバレ

Robbie さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

キャラの無駄遣いに崩壊...さらにはビジネス臭ぷんぷん

いやー、2期に関しては個人的に観ない方が良いレベル。
1期のあの終わり方だと続き気になるがこれは酷い。
まず、ガンダムシリーズは終盤にキャラが沢山死ぬのはよくあることだ。
ただ、大半は意味のある死だったり呆気ない最期のキャラでも視聴者には印象に残るキャラばかりだ。
しかしこの作品、はっきり言って1期からの続投キャラを無駄遣いしている。
まずキャラの無駄遣いだが王留美、紅龍、ネーナが代表だよう。
留美に関しては{netabare}1期は頭良かったのに2期の最期はどうした?w世界が変わって欲しい理由がちんけなのは良いと思う。そこは頭脳と関係なくあくまでも動機だから。しかし、そのために様々な組織や人間を利用してきて何でネーナに狙われてるのに刹那の救助を受け入れないの?wあんなシャトルで出たら撃墜されるの決まってるでしょw{/netabare}
紅龍は{netabare}ラスト以外見せ場無くて可哀想。1期では有能だったのに..{/netabare}
ネーナは{netabare}本当に勿体ない。こんな雑な扱いなら1期で兄ィ兄ィズと一緒に退場の方がマシ。だって、そうすればルイスはもう死んだ人間を恨んで勘違いで人生狂ったことになるからそっちの方が面白いと思う。現に沙慈も最初は勘違いしてたし。それにせっかく生き残らせたならもっと活躍させれば絶対面白くなった。沙慈との掛け合いとかも興味深いし更生してソレスタルビーイングに協力したりとか王留美の陰謀をソレスタルビーイングにばらしたりだとか...色々と想像が膨らむだけにあのありがちな因果応報的な最期は非常につまらない。{/netabare}
そして、次はキャラ崩壊。
取り敢えず筆頭に挙がるのは{netabare}グラハムであるミスターブシドー(笑)。何をトチ狂ったのか...グラハムは普段は普通にカッコいいけどガンダムの前では興奮してくさい台詞言うところ(1期後半から)魅力的なのに普段から狂ってるキャラにしてもう意味分からない。あと何?あの名前w武士道なんてキャラじゃなかったろ。こんなんなら1期で退場で良かった。劇場版では見せ場あってカッコいいけど2期でこんな醜態観せられるなら1期で退場の方がマシ。順を追って観てくとキャラがブレ過ぎているのがよく分かる。{/netabare}
また、崩壊ではないが{netabare}前作で退場したニールの弟のライルが新たにソレスタルビーイングに入るのだがこれまたビジネス臭ぷんぷん。兄貴との内面以外の違いは身長1cmだけ。つまり、外見と声は一緒である。ニールファンや三木眞一郎さんのファンが離れないようにするためなのか...正直あざとい。ライルのキャラ自体は好感が持てるが最低限見た目くらいはもっと違いをつけろ。{/netabare}
ストーリーも前作の雰囲気ぶち壊しもいいところ。
前作は様々な組織のキャラが様々な視点から世界に向き合っていたが今作ではアロウズが悪役もいいところ。
アロウズが内部で考えが割れるのは良いが組織そのものがおかしな方向にいっていた。
これでは{netabare}終盤イノベイターと戦うためにアロウズと組んでも結局は勧善懲悪→勧善懲悪の流れで展開がつまらない。{/netabare}
作画のクオリティーは1期と変わらずだが遊び心のある細かい作り込みが無くなってしまった。
キャラの服のバリエーションはずっと同じで何よりも王留美は服装固定の髪型固定(1回だけ髪を束ねてたかな)と視覚的な面白さが減ってしまって残念。
声優面、音楽面は1期と変わらず良好。
最後になるが正直2期の評判がそこまで悪くないのはMSのデザインありきだと思う。
MSよりシナリオ重視の自分としてはとても観られたものじゃない。

投稿 : 2024/07/06
♥ : 3

82.3 2 ロボットで差別なアニメランキング2位
無限のリヴァイアス(TVアニメ動画)

1999年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (960)
5797人が棚に入れました
2137年、大規模な太陽フレアによって出現した高密度のプラズマ雲が黄道面を境に太陽系の南半分を覆いつくし、地球も南半球が壊滅、17億もの人命が失われる被害を受ける。このフレアは「ゲドゥルト・フェノメーン」、プラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と名付けられた。2225年、地球の衛星軌道にあった航宙士養成所リーベ・デルタは何者かの襲撃によって制御不能になり、ゲドゥルトの海へ突入してしまう。しかしその時、リーベ・デルタ内部に隠されていた外洋型航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が起動した。教官たちは全員殉職し、リヴァイアスに避難できたのは少年少女ばかり487人。彼らはなぜか自分たちを救助してくれるはずの軌道保安庁から攻撃を受け、戸惑い、混乱しつつもこれと戦い、そして更には密閉された極限状態にある艦内では、艦の指揮権や物資の配給を巡り少年少女同士が陰惨な争いを繰り広げながら、火星圏から土星圏、天王星圏へと当てのない逃避行を続けていく。

声優・キャラクター
白鳥哲、保志総一朗、関智一、桑島法子、丹下桜、氷上恭子、檜山修之

アラジン♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

【ネタバレ有】 「100人中1人が“100点”をつける名作!」

 
 100人中90人が、80点以上をつける作品は、間違いなく名作と言っていいだろう。

 しかしこの作品は、100人中1人が“100点”をつける名作である!


 (言いたいことが伝わっていないかもしれないが…)、普通は(自分もそうだが)―、物語がしっかりしていて、作画が綺麗で、声優の声が合っていて、音楽が良くて、キャラクターが魅力的で…、そんな作品を高評価にする、そんな作品を名作だと思うのが普通だろう…。
 
 そういう作品が、“大勢の人”から“高い評価を受ける”タイプの名作だと思う―。


 しかしこの作品は、(1999年制作ということもあって)作画には時代を感じ…、声優も、個性と言ってしまえば聞こえはいいが、実際のところ、最近の声優陣との力の差を感じずにはいられない。
 それでいて、物語やキャラクターからは“鬱要素”ばかり感じるのだから、この作品を高評価にする人はそれほど多くはないだろう…。

 けれどもこの作品は、この作品の“本当の魅力”に気付き、キャラクターの“弱さ”に共感し、声優の
“実力不足からくるリアルさ”を感じた人たち…、
 そんな“少しの人達”から“最高の評価を受ける”タイプの名作である―。



 (この作品を観たことがない人にも分かりやすいように、順を追って説明すると)、まず最初に、この作品には、他の作品とは絶対的に違う魅力が“2つ”ある。


 1つは、(この作品を観たことがない人でも知っているかもしれないが)、ここまでキャラを…、観ている視聴者を追い込むか…、と言わんばかりの、究極的なまでの“鬱展開”である―。


 (以下、簡単なあらすじ) ―主人公・“コウジ”たちは、航宙士(こうちゅうし)の資格を取るために、宇宙空間内の航宙士養成所:“リーベ・デルタ”で訓練に励んでいたわけだが―、目的不明のテロリストの襲撃により、養成所内の教官たち(=大人たち)は全員死亡し、残された訓練兵(=子供たち)487名だけが宇宙空間を(何か月もの間)漂流することになる…、という物語―。


 とまぁ、ここまで書いただけでも、察しの良い人なら分かると思うが―、
 ―大人たちのいない世界で…、救助はいっこうに来ず(というか、救助が来るのかどうかさえも分からず)…、確実に食料は減っていき…、長い集団生活でのストレスや不安…、そして理由もわからないまま敵の攻撃にさらされていく日々―。

 そんな追い詰められていく少年少女たちの精神状態に比例して、乱れていく“リヴァイアス”(=子供たちが乗っている宇宙船)内の秩序―。

 そうしてあらわになる極限状態での“人間の本性”や、ただ生きるために必死で、汚い人間、自分勝手な人間になっていく子供たちの“人間的な生々しさ”が描かれ―、そこに究極的なまでの“鬱要素”を感じるのだろう…。


 とにもかくにも、観ていてこんなに気分が悪くなったことはない。
 (後述もするが)、この作品に登場するキャラクターの中には当然、普通の環境下においては、頼りになる人、観ていて好感が持てる人など、多少の困難なら乗り越えていけそうなメンツがそろっている―。

 それでも、この絶望的なまでの困難な状況下においては、誰一人としてまともではいられない―。
 
 そうして一人一人が、徐々に壊れていく姿は、とにかく生々しくて…、リアルすぎて…、そこに、どうしようもない絶望感が感じられ、途中、観ているこっちもおかしくなりそうな“鬱展開”へと、ただひたすら進んでいくのである…(この気分の悪さは、観てみないと伝わらないと思う…)。



 また2つ目の魅力であり、この作品の一番の魅力が、何といっても主人公たち、キャラクターの“心の成長”である。

 まず何より―、ここまで深く、人々の“心理描写”を掘り下げて描いた作品は他にないだろう…(少なくとも自分が今まで観てきた作品にはない…)


 リヴァイアス内に閉じ込められ、宇宙を何ヵ月もの間漂流する間に、様々な困難に立ち向かいながら、信じられないほど一人一人が成長していく…、わけだが―、
 ―この作品の良いところは(というか、むしろ観ているこっちとしては、それが逆に、メンタル的にきつかった理由なのだが…)、
 全てが終わる(=全ての困難が解決する)のが最終話の一つ前の25話であり、その25話までは(本当は、一人一人が徐々に成長しているのだけれど)、主人公たちが成長しているかどうかが観ていて分からない、ところにある。


 それほどまでに、リヴァイアス内の状態は最悪で、一人一人が壊れる寸前(もはや壊れていたと言っても過言ではないが…)だったということなのだが…、
 最終回を観てみると、いかに一人一人が精神的に成長したのか(特に“コウジ”と“ルクスン”)を痛いほど感じる。


 最後まで観た人は分かると思うが、この作品のキャラクターの中に“正解”はいない。誰一人として“完璧”ではない。
 そこからくる(なんというか)“アニメっぽくなさ”、より現実の人間に近い“リアルさ”が、この作品のキャラクターからは感じ、そこに今までのアニメ作品にないタイプの、キャラクター達の魅力を感じる―。


 主要キャラだけでも20人以上おり、準主要キャラも合わせると、何十人ものキャラクターが物語に関わってくる、“超キャラ重視”の作品なのだが―、

 ―その一人一人が、必ずどこかで観ていてイライラする行動や考え方をする。そして彼らのする試みの、大半が上手くいかない…(観ている途中で、何度好きなキャラが変わったことか…、何度そのキャラに辟易(へきえき)し、見損ない、イライラしたことか…)。

 なのでこの作品を、“作品やキャラのことを好きなまま”観終えるには、とんでもない“労力”というか
“精神力”がいる…(つまり、ほとんどの場合、必ずどこかでこの作品そのものや、登場するキャラが嫌いになる…)。


 それでも最後まで観て、振り返ってみれば―、好きになっているキャラクターが数えきれないほどいることに気付く―。

 この作品もいわゆる、“一人最高のキャラがいる”というタイプのアニメ作品ではなく、その作品内の
“キャラクターそれぞれにファンがいる”というタイプのアニメ作品である。  

 現にこの作品は、他の作品とは比にならないほど、主要なキャラが多い。
 そして最終的には、そのキャラ一人一人が、最高に素晴らしい、“限りなくリアルに近い”アニメキャラだということに気付くだろう。

 例えば、最終回において、「コウジとアオイ」、「コウジとイクミ」、「アオイとイズミ」、「ツヴァイの面々」、「ユウキとブルー」など、リヴァイアス事件のその後を、ほとんど描いていない(ブルーに至っては本人が登場すらしていない)にもかかわらず―、
 ―皆が再会したときの少しのやり取りですら、心にグッとくるものがある…(それくらい、初めは嫌いだったキャラが最終的に好きになってしまっている…)。



 だが、(ここまで書いてきて、急な方向転換だが)、勘違いしないでほしいのは、この作品は決して“鬱作品”ではない(“鬱要素”は感じるのに“鬱作品”ではない…、というのは矛盾していると思うかもしれないが、そうではない(理由後述↓))。

 むしろ、我慢して最後まで観れば、最高に気分が晴れた状態で、この作品を観終わることが出来るのである。


 最終的にそう感じる理由には、“普通のハッピーエンド”が、“今までで最高のハッピーエンド”に感じるほど―、
 ―物語の途中で、(キャラだけでなく、観ている自分の)心理状態が、深すぎる“底辺のメンタル状態”を経験するからだろう…
 (今から振り返れば、あの頃(=20話あたり)は地獄だった…。早く観終わりたいという気持ちと、もう観るのをやめようかという気持ちが入り混じっていた…)。
 
 だからこそ、観終わったとき、その“振り幅”で、“最高のハッピーエンド”だったと感じる―。


 つまりは、(これは自論だが)、この作品は決して、“アニメ鬱作品”ではない(現実に、病気としての
“鬱”で苦しんでいる人がいる以上、あえて“アニメ鬱”と言わせてもらう…)。

 この作品は事実、このサイトの成分としての“鬱アニメ”でも上位に来ている作品であり、作品内のリヴァイアス内の空気感や状況は、物語内の“キャラからすれば”鬱状態、鬱環境であったと言えるだろう。
 
 しかし、それが本当に“アニメ鬱”だと言えるのか…(と疑問を感じずにはいられない)。


 あくまで、(自分の中での)“アニメ鬱状態”とは―、その作品を観終わった後も、その作品が…、キャラが…、そのシーンが…頭から離れない―。観終わった後、他のことがやる気にならないほど、アパシー的なもの(=無気力さ)を感じてしまう―。

 それこそが“アニメ鬱状態”であり、そうなる作品が“鬱作品”だと思う。しかし、この作品にはそんなことはなく、むしろ観終わった後の気持ちとしては、全くの逆である。

 なのでこの作品が“鬱作品”かと言われると、ただ作中内の空気感がそうなだけであって、決して観終わった後、“アニメ鬱状態”にはならない…。つまり自分が思う“アニメ鬱作品”とは違うのである。



 …とまぁ、ここまでかなり高評価をしてきたつもりなのだが…、正直なところ、今まで観てきたアニメ作品とは全く違うタイプの―、自分の中の価値観や世界観を変えてくれた、“名作”だと思う…。

 総括としては―、
 ―1つの“大きな経験”が、一人一人の心を強くする、成長させる―。
 逆に言えば、口で何を言ようと、頭で何を考えようと、“経験”しなくては何も成長しない、強くはならない―。
 
 この作品は、そんなことを痛いほど感じさせてくれる、まさに人の心が成長するための“人生のバイブル”のような作品だと感じた…。

 (終)

投稿 : 2024/07/06
♥ : 13
ネタバレ

manabu3 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

『無限のリヴァイアス』にみる「鬱作品」と「秩序と現実」と「フランス史」についての考察

人間がもし秩序の無い閉鎖的空間に取り残されてしまったらどうのような行動を取るのだろうか。本作ではいつ終わるか分からない旅の中で織り成される人間模様の現実的な恐ろしさと残酷さを毅然と描写している。始めは穏やかだった人々の心境の変動は本作の醍醐味の一つであろう。群衆の狂気ともいえる情緒の移り変わりや主要人物達の葛藤を、二十六話をかけてじっくりと描き出している。艦内の秩序と統治方法の変遷は、まるで歴史の流れを見ているかのようだった。
また、本作は様々な人物が登場し活躍する群集劇である。登場人物の多様さと優柔不断の主人公が理由で、始めは余り感情移入することが出来なかったが、それぞれの人物の特異な背景を顧みると、少し遠くから眺め見る、客観的な鑑賞の楽しさがあった。

このアニメはもっと早くに見るべきだったと感じた。今まで私が敬遠してた理由は「作画の特性」と「子供が活躍するロボットアニメ」の二点なのだが、それらの苦手要素を凌駕する面白さであった。もしも同じような理由でこのアニメの視聴を避けている方がいたら、是非再検討を。「トラウマ」を考慮して、子供ではなく「大人」にオススメのアニメ。

■無限に続く秩序なき闘争状態
タイトルの「無限のリヴァイアス」は、ホッブズの「リヴァイアサン」が由来なのではないだろうか。ホッブズは人間が自然権を行使する自然状態は「万人の万人に対する闘争」の場であると表現し、平和と安全を達成するために人間は社会契約によって自然権を国家に移譲するべきだと説いた。そうしなければ、人々は永続的な危険と恐怖に苛まれると。そして権力の集合体である国家を指して、(怪獣)リヴァイアサンと呼んだ。タイトルの「無限のリヴァイアス」とは、「無限に続く秩序なき闘争状態」を言い表したかったのだろうか。

■「鬱作品」について ―「鬱と希望」と「秩序と現実」―
本作は「鬱作品」として周知されているが、本作には「鬱」に優る「希望」が包含されていると私は思う。それはこの作品の題材の一つでもあろう人々の成長物語に感化され共感を得たからだ。特に最終話の存在は鬱というより希望だと思う。寧ろ本作のモチーフであると言われる小説『蝿の王』の方が、悲惨な結末であったと私は記憶している。

この作品が鬱作品ではないと思う由縁はもう一つあり、私は今の現実の世界も「無限のリヴァイアスのようなもの」だと思う。
例えば日本。確かに日本は秩序ある安全な国だと評判だ。因みに「国」の存続に重要なのは「秩序」と「個人」の平衡だが、「力」がないと秩序は守れない。国内社会においては力は警察や裁判所などが有している。米国のように「個人」が銃を所持して自分の身を守る方法もあるけど、それは時には「秩序」を乱すこともある。そういった意味も踏まえれば、日本は世界の中でも「秩序」と「個人」のバランスが上手くいっている国だと思う。しかし日本でも殺人や暴行事件が全く無い訳ではない。それ故個々の事象に嘱目すれば、本作の人間模様も一概には「非現実的」だとは言えないのではないか。

また、国際社会においても同様なことが言える。殊に世界は「無秩序」だ。ヘドリー・ブルという人物が「主権国家から成る社会」の成立によって世界には一定の秩序が存在すると論じたが、世界には単一の中心的な権威が存在しないことは無視できない点である。それ故国際法を強制する主体は国際社会に存在しないし、国際司法裁判所の法的拘束力は「強制管轄権」を受諾した国にしか適用されない。世界の警察はいない。世界は未だ国家間の「力の体系」である。他国で不合理な出来事があったとしても内政不干渉の原則で我々は何も出来ないし現に何もしていない。国際連合は非民主主義的で、常任理事国は拒否権というあこぎな特権を有している。紛争、貧困、飢餓、テロなど、様々な悲劇もなくなる気配はない。世界は無秩序で暴力的で不条理だ。

所謂「発展途上国」でも同じだ。私は発展途上国で沢山の貧困者を見てきた。開発が原因で土地を追われ、物乞いをしながらも些細なモノを売って生活する人々。親に捨てられ住む家も靴すらもない子供たち、そんな子供たちも生きるために必死でなにか出来ることをして行動している。そんな世界では、鬱は死だ。鬱でゴロリと横になってる間に飢えで死ぬだろう。世界には彼らのような困窮な生活を過ごしている人が大勢いる。世界は不平等で残酷だ。

現実を見れば、世界なんてそんなものだ。世界は暴力と欲望と利己と不平等と言葉では言い表せないほどの卑しさで溢れている。そんな世界の中で、何かしらの「共通性」と「暴力」に拠って秩序は辛うじて保たれている。世界は「リヴァイアス」だ。この作品は鬱かもしれないけど、この作品の中の世界には鬱に優る希望がある。この作品を鬱だと思うことができるのは、相当幸せな生活を営んでいて、相当美しい世界を見ているのだろう。それを否定しないけど、この作品は現実に「当たり前に存在していること」を描いているにすぎない、ということだけは主張したい。

■フランス史との関連性と、統制する側の問題点
自学のために、無理やり「フランス史」を絡ませてもう少し考察
{netabare}
■【ルクスン政権】貴族制
ルクスン政権は貴族制だろう。成績をモニターに公表したのは能力主義、そしてエリートを集め、有能な少数の人たちで統制するのは貴族制。まさに合理的だった。(チャーリーへのハニートラップと、ルクスン政権の隠ぺい行為を口実にしたブルーの反乱が誤算だった)

■【ブルー政権】ルイ16世
ブルー政権は王政だ。ポイント制(貨幣制度)と監視制度は秩序をもたらした素晴らしい制度だと思う。ポイント制が資本主義でないのは、供給側が一元的だから。(社会主義的)
※戦況の悪化。そして、ハイぺリオンへ逃走しようとして失敗したブルーは、フランス革命の際にパリから脱出しようとして失敗したルイ16世さながらだ。

■【ユイリィ政権】フランス革命
民衆の反乱、王政の廃止、ブルー一派への集団暴行。まさにフランス革命だ。
(ブルーが逃げ切れたのは容姿が端麗だったからだろう)
政権については、「皆で決めたんだから」と、ユイリィが否応なしにリーダーにされた。この言葉から恐らく製作者側にとっては民主制(民主的決定)のつもりだったのだろうか。
しかし「無限のリヴァイアス」の元凶はここにあったと思う。
社会では、闇市場が出来、ポイント制は腐敗し、秩序も悪化する。結果は衆愚制(民主制の堕落形態)。民主主義が絶対の体制でないことがうかがえる。というより、民衆(残りの400人以上の大衆)の意見をないがしろにしたのだから、実際は寡頭制(貴族制の堕落形態)。民衆は醜い争いを見せるための脇役でしかなかった。ユイリィは総合的な決断力を求められるリーダーに適さなかったため辞任。リーダーがいない社会は混沌へ。

■【無政府状態】混沌
リーダーの不在により社会はほぼアナーキーとなり、治安は劣悪状態に。
実際のフランスでも革命後は恐怖政治などで、国内情勢は疲弊し不安定に。

■【イクミ政権】ナポレオン・ボナパルト
ここでナポレオンこと、イクミ登場。英雄兼、独裁者。イクミカッコイイ(?)
ナポレオンはフランス革命の理念を各地に「輸出」しようとした。
イクミも暴力によってイクミの思想を「輸出」して、社会に再び秩序が訪れた。
ナポレオンは、日本の旧民法の参考にもなったナポレオン法典を作った。
イクミも秩序のための公言をした。
「過ちを犯すな!もめるな!争うな!なじるな! 傷付けるな! 普通でいろ!」

イクミは頑張ったと思う。

■投降
イクミとリヴァイアスは投降し、リヴァイアス政権とフランス史の関連性は終り。

■【ルクスン・北条政権】
新たな船出のリーダーは、ルクスンに決まったけど、あまりにも適当な統帥の決め方に驚愕した。多分また暴動が起るだろう。でも結局、彼の政権が一番マシだったとも思う。

リヴァイアスを統制する側の権力の移り変わりは、まるで歴史の流れ(フランス史)を見ているかのようだった。そして、それぞれの「政権」がそれぞれの良さを持っていた。しかし、私はこの作品を見て「大衆の愚かさ」よりも「支配する側の愚かさ(統制の大切さと難しさ)」を感じた。支配する側は明らかに大衆を軽視していた。つまり、「リヴァイアス」はなるべくしてなったのだと思う。
とはいえ、私はどの政権も否定したくない。何故ならどの政権も前の政権を乗り越えて、より良い環境を築くために出来たものだからだ。既存の体制も法律も伝統も、そういった先人たちの積み重ねによって出来たものだから、何に対しても、その存在自体を悪だとは思いたくない。過去は捌け口にするためにあるのではなく、糧にして、その先を生きていくためにあるのだから。{/netabare}

{netabare}この作品の最後は、ゲドゥルトの海に覆われてしまった地球から、リヴァイアスが脱出するシーンで終わる。もっと未来の世界だ。その時代はきっと、昂治も祐希もアオイもカレンもブルーも、みんな死んでしまった世界なのだろう。それが何だか悲しいけど、彼らの希望が未来に繋がった事が嬉しかった。
私も、昂治が最後に言ったように、いつか滅びるこの世界と人類の未来のために、微力ながら何か力になって死ねれば本望だと思う。{/netabare}

投稿 : 2024/07/06
♥ : 24
ネタバレ

らしたー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

登場人物の中から1人を新入社員として採用するとしたら

途中からずっとそんなことを考えながら観ていました。
リヴァイアス艦内における、各人の行動を前提に、「総合職:採用1名」と仮定した場合、自分だったら誰を採用するだろうか、と。
つくづくイヤな視聴者だと思う。

結果は、ルクスン・北条の一択ですね。
正直スキルは足りないし、プライドだけは高い。それでも、誰かひとりを採用するとしたら、彼が群を抜いて高評価なのです。

足りないスキルは習得させればいいし、高すぎるプライドは打ち砕けばいい。教育でどうにかなる部分なんてどうにでもなる。

彼の長所は、そのずば抜けたストレス耐性です。
あそこまで完膚なきままに打ちのめされ、なお自分というものを見失わず、心が腐らず、折れず、目先のTodoに専心できる、あの鋼のマインド。
これは訓練だけでどうにかなるものではなく、ある種の、長年の環境によって培われた楽天家気質がなければ不可能なことです。
ポテンシャル採用させていただきます。

足を動かせない頭でっかちの参謀クンや、お勉強は出来るけどストレスに弱いユイリィ・バハナさんは採用見送り。生きるか死ぬかの状況で胸キュンを優先させちゃうほとんどの女性陣もアウト。弊社が求める基準には達していません。ましてや相葉ユウキなど論外。旅人でもやっててください。

途中までは、コミュニケーション能力に抜きん出たものをもつ尾瀬イクミも候補に上がってたんだがなあ。結局、セルフコントロールに難があることを露呈してしまいました。
次点は、ツヴァイの女性クルーのランかな。リーダー候補としては厳しいけど、ルクスンが他社に決まってしまったら、彼女を採ります。


という雑談はさておき。
本作は、あまりにも多くの示唆を含んだ歴史的名作といえるでしょう。漂流モノを扱ったアニメの金字塔と呼ぶにふさわしい出来。


●これは『蝿の王』か?

この手の「漂流物」で思い出すのは、なんといっても『ロビンソン漂流記』。日本では子供向けの印象がありますが、もともとは完全な大人向け作品です。そして、馴染みの『十五少年漂流記』。極めつけは、世界的な評価を受けたゴールディングの『蠅の王』でしょう。

では、『無限のリヴァイアス』は『蠅の王』なのか。

違うと思う。
というか、違うからこそ価値があると思ってます。

『蠅の王』における人間の暗部は、「無垢」というキーワードと結びついてはじめてその残酷さに表現力を持ちうる類のもので、本作のように、就職を視野に資格試験を受けるような、一定程度成熟した若者たちによる極限の人間行動とはだいぶ趣が違います。
本作には『蠅の王』におけるサイモンのような、無垢を武器に暗黒と対峙できる人物はでてきません。あえて言うならコウジがそれですが、彼は無能でも無垢でもありません。弟のユウキから無能となじられますが、わかってねーなー、て話です。

大事なのは、皆それぞれ、ある程度「オトナ」であり、人が打算で動く生き物ということを、少なくとも頭では理解しているということです。ポイント制が導入されたあとの乗組員の行動を見れば明らかでしょう。
であるからこそ、本作では、その前提の上での「秩序の立ち上がり方」という、より実践社会学的なアプローチに、その照準を定めることに成功しているのです。
もちろん、社会的動物としての人間の在り方と、それに対する極限状況下での例外、という点では『蠅の王』と共通していますが、その手のテーマはけっこうありふれてるからなあ…。特に新鮮味もないわけで。

どちらかというと、『カイジ』の地下施設のアレが、実はいちばんこの作品との接点が多いのではないかと思っています。
むしろ、キーワードは「囚人のジレンマ」じゃないかなと。それも、いわゆる「無限回繰り返し型」のジレンマ。宇宙空間をまるで囚われ人のように流されいく主人公たちを思うと、なおさらそう思えてくるのです。


●統治の根拠
{netabare}
操船課ツヴァイによる一望監視的官僚支配。
エアーズ・ブルーによる独裁支配。
ユイリィ・バハナによる啓蒙路線の合議制支配。
尾瀬イクミ及びその憲兵による武力統治。

さまざまな体制が立ち現れます。

そのどれもに、長所と短所はあるけれども、前体制の至らなさを克服しようとする意気が感じられ、何よりも、「体制を立て直す」という若者たちの苦難と、工夫を凝らして秩序の運営を試みる描写が、本作品の素晴らしい見せ場となっています。もうこれだけで、このアニメには価値があるといっていいくらい。

正直、権力の分立やデュー・プロセスなんて戯言を、あの状況下で担保するのは物理的に困難だとは思います。主要スタッフに更迭がないのも、人材面での制約があるので仕方がないでしょう。
時間をかけて成熟した社会を作るより、当面の混沌を回避することに重きを置く判断は支持します。秩序が完全に失われてからではすべてが遅いですから。尾瀬イクミのような存在は遅かれ早かれ出てくるものです。

むしろ、この作品でいちばんゾッとしたのは、ユイリィ・バハナによる統治の機序。厳密には艦長就任に至る政権樹立のプロセスです。

ツヴァイの女がこんなこと言うんです。

「ツヴァイのみんなも納得してるし、生徒のほとんどが賛同してるわ」
「もう多数決で決まったことだし…」

これ。
これをさらっと言っちゃう感覚が怖すぎなんです。

・「ほとんど」って何?
・ちゃんと生徒全員が投票したの?
・ていうか、その「多数決」は誰が投票したの?
・ツヴァイだけじゃないの?
・その投票権は誰から付託されたものなの?

「多数決で決まった」で思考停止してるんです。その投票権が乗組員から付託された権利ではないにも関わらず。密室での多数決を、さも民主主義のように語る、あのセリフが一番怖いし、まさに子供だなあと。

どんな統治体制を採るにせよ、決定された事項が万人を満足させるなんてことは不可能なんです。絶対無理。そのときに重要なのは、満足できなかった人を納得させる仕組み、あるいは心理的な擬制があるかどうか、なんです(その仕組みに「武力」を選んじゃったのがイクミです)。

美女コンテストで乗組員の直接投票をやっていたでしょう。てことは、その気になれば、統治に対して直接投票ができるんですよ。でもしなかった。する気配がなかった。
直接投票が危険であれば、各部屋に班長をさだめて、彼らを集めて投票行動をとらせることだって出来た。乗組員の意思の抽出をする手段はいくらでもあったんです。

そこでの投票行動はぶっちゃけ形式的なものでも全然構わないんですよ。それでいいんです。大切なのは「プロセスを踏んで決定しました」ってことを明示すること。そうすることによって、もし決まった事項を遵守しない者が出た場合、「秩序に対する敵」として、乗組員の意思を根拠に糾弾できるのだから。

なんていうか、やれる努力をしないまま、早々に「イクミの変革」に至ってしまったことが残念であり、同時に若さゆえの想像力のなさであり、社会経験の無さなのかな、と。
{/netabare}

などと、いろいろ考えながら興味深く観ておりました。


●総評

自分の居場所の確保とかカインコンプレックスとか、情報管理とか、もろもろヘビーなトピックがたくさんあって、切り取りだしたらきりがないですね。おそろしく濃密な作品です。

とりあえず観る価値のある作品でしょう。

投稿 : 2024/07/06
♥ : 12
ページの先頭へ