シリアスで戦争なアニメ映画ランキング 5

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のシリアスで戦争な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年12月23日の時点で一番のシリアスで戦争なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

82.8 1 シリアスで戦争なアニメランキング1位
この世界の片隅に(アニメ映画)

2016年11月12日
★★★★★ 4.2 (700)
3106人が棚に入れました
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。

声優・キャラクター
のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外

tao_hiro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

さようなら

<2019年6月13日追記>

12月20日(金)に公開予定の「拡張版」を応援するチームの
募集が始まりました。

応援チームに参加された方は、エンドロールにお名前が掲載
されます。

私はいろいろ考えて、応援チームには参加しないことにしました。
このレビューでの告知もこれを最後にしたいと思います。

2年以上の長きにわたりお付き合いいただき誠にありがとうござい
ました。

<2018年10月19日追記>

「拡張版」の公開が延期されました。

<2018年7月27日追記>

以前から噂となっていた「拡張版」の12月全国公開が発表されました。

「拡張版」とは、諸般の事情により本編から泣く泣くカットされたシーンを追加し、当初構想された形で公開されるものです。

正式タイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」です。

こちらもぜひご期待ください!!


・・・ところで、拡張版の公開を記念して、こぼれ話を一つ披露させていただきたいと思います。

私はクラウドファンディングに参加しました。その特典としてエンドロールに氏名が掲載されました。

ところが・・・なんと誤記されていたのです!

あはは、すずさんのあわてんぼう(笑)

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『人生のひとこま。』

<2017年3月1日追記>

この作品の最大のテーマは、「日常を大切にする」という事だと思います。戦時中であれ、現代であれ、人々は様々な苦難に囲まれています。そのなかから、いかに幸せを見つけ出し、育て育むこと。それの営みが「日常」であることを教えてくれます。

余談ですが、英語で「日常」は「Slice of life」と表現されることがあります。「人生のひとこま。」って、ちょっと洒落てますよね。

さて、この作品を劇場で見終えた後、脳裏に浮かんだ詩を披露させていただくことで、全5回にわたる冗長なレビューをまとめさせていただきます。


「人生のひとこま。」

誰かが 泣く
誰かが 笑う
誰かが 怒る
誰かが 祈る

この世界の片隅に
いつのときでも・・・

ありがとうございました。
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『豊かさとは?』

<2017年2月19日追記>

例えば、「裕福だけど不幸せな生活」と「貧しいけれど幸せな生活」ならば、どちらを選びますか?

ここで「裕福」とは「財産や収入がゆたかで生活に余裕があること」を意味します。「幸せ」とは「不平や不満が無く楽しいこと」を意味します。

私は迷わず「貧しいけれど幸せな生活」を選びます。

人間はモノの不足には耐えられても、ココロの不足には耐えられないように思えます。

この作品は戦時中が描かれています。物資は何でも不足している状態です。しかし主人公は、その物資不足を補うべくあれこれ工夫を凝らします。その工夫を楽しみます。たまにはドジを踏みますが、温かい家族のきずながそれを支えます。同じ貧乏の近所の方々とも支え合います。

それから70年経った現在で、貧困が問題となっています。さまざまな原因分析と対策が議論されています。しかし私はそれらは効果がないと考えています。

『心の豊かさ』とはなにか?を見つめなおす必要を感じています。
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『健全な社会について考えてみた』

<2017年2月13日追記>

例えば、「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」と「毎年の自殺者が2万人で戦死者が0の社会」とでは、どちらが”健全”な社会だと思いますか?(2万人という数字は、昨年の日本の自殺者数を基にしています)

どちらの社会も「平和な状態」とは言えないことは明らかですが、どっちがマシでしょうか?

私は迷わず自殺者0の社会を選びます。

戦死は「敵に殺された」という疑いようのない理由がありますから、ある意味、交通事故と同じでしょう。遺族や友人は心の整理が比較的つけやすいでしょう。(ちなみに昨年の交通事故死者数は3000人です)

しかし、自殺は「自ら死を選ぶ」という禁忌を犯すわけです。遺書や何らかの形で理由を遺す場合もあるでしょうが、なにぶん当人の心の中にしか本当の理由は遺されていないのですから、遺族や友人はやりきれないでしょう。そして、「あのとき助けてあげてたら」といった後悔の念に囚われるでしょう。

自殺者の多い社会は、戦死者の多い社会よりも、世の中に暗い影を落とすと思います。

また、自殺の原因は、当人だけでなく、家庭や職場などの環境にもあることが多いと思います。周囲の環境が当人の危険信号をいち早く察知し、適切な手を打つことが出来れば、自殺を食い止めることが出来たかもしれないケースは多いと思います。

この作品で描かれた家族や地域社会は、それができる社会であったように思えます。

実際、自殺死亡者数の年次推移をみると、昭和11年の15000人までは増加傾向を示していますが、昭和12年から戦時中まで減少傾向となっています(ただし戦時中につき資料に不備有)。

「戦争でいつ死ぬか分からないのに、わざわざ自分で死ぬ必要はない」という考えもあるでしょうが、私は社会が自殺希望者を思いとどまらせたのではないかと考えます。

私は「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」のモデルである戦中の方が現代よりも人の心は「健全」だったと信じます。
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<2017年2月6日追記>

『戦争映画の復興』

色々な気持ちが交差してうまくまとまりませんので小分けにすることにしました。その第一弾です。

この作品、色々な賞を受賞し、各種メディアで取り上げられ、ネットでも多くの賞賛を頂いているのですが、私は「そんなに評価される作品かぁ?」と戸惑っています。クラウドファンディングに参加した人間としてはあるまじき感想ですが正直なものです。

戦争映画というジャンルは、本来、極限の状況における人間の姿を描く一大スペクタクルでした。光と闇、理性と感情、英知と無知、科学と精神、秩序と無秩序、勇気と卑怯、我儘と寛容、傲慢と卑屈、などのありとあらゆるテーマを取り扱う事ができました。

私が子供の頃の1970年代までは、そうしたバラエティーにとんだ作品たちが多く制作され、劇場やテレビで流れていました。この作品は、それらの作品と比べると、アニメ作品であることを覗けば特に目新しいものは見当たりません。もちろん、負けず劣らず良い作品ですが。

ところが、1980年代に入って、戦争映画というジャンルは一気に衰退します。原因は二つあると考えられます。

一つは娯楽の主役の座が映画からテレビに移ったことです。興行収入が減る中、製作費が高い戦争映画は避けられるようになりました。

もう一つは、70年代のムーブメントとして、ベトナム反戦・安保闘争・学園紛争・過激派闘争などを受け社会が左傾化したため、大東亜戦争観が変貌し、「反戦平和」をテーマとした作品が作られるようになったことです。これらの作品は、イデオロギー色が強く、エンターテイメント性に乏しく、興行成績は振るいませんでした。

2000年代に入ってから、若干のエンターテイメント性が感じられる作品が制作されるようになりましたが、「反戦平和」から抜け出すことはできないまま現在に至っています。

このため、若い人にとっては、戦争映画・アニメは「暗くて悲惨」というイメージになっているようです。

この作品は、イデオロギー色を極力排除できているように思えます。「何を訴えたかったのか良くわからなかった」といった感想がときおり見受けられるのがその証拠だと思います。

そして何よりも、劇場に足を運んでいただいたご年配の方やお子様たちが、上映中に何度も笑っていました。そして、すすり泣いていました。これこそエンターテイメントです。これは、80年代以降の戦争映画しか見たことない方々にとっては新鮮だったでしょう。そしてこれがヒットの一因だと思います。

この作品が「戦争映画の復興」への足掛かりとなることを強く期待します。それでこそクラウドファンディングに参加した甲斐があるというものです。

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<2017年1月15日追記>

『Slice of life』

全国公開から遅れる事2ヶ月。やっとやっとやっと見る事が出来ました!
クラウドファンディングに参加した甲斐がある素晴らしい仕上がりでした。

色んな思いが渦巻き合って、納得できるレビューが書けません。
今はこの詩に思いを託したいと思います。


”Slice of life”

Somebody cry
Somebody smile
Somebody angry
Somebody pray
In a corner of this world
At any time.


お粗末さまでしたm(__)m

投稿 : 2024/12/21
♥ : 50
ネタバレ

東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

日常のレトリックに覆われたアンビバレントな交錯

考察、専門用語あり。
難易度中。

本作は初回を劇場で鑑賞。
その後、マスコミで騒がれたからか、妻も観たいという要望がありiTunesストアでビデオを購入した。
つまり、いつでも鑑賞可能な状態にある。

☆制作情報

▼原作者:こうの史代
▼アニメーション制作:MAPPA

▼話数:劇場版129分
{netabare}▼監督:片渕須直
・実績
(監督)
『名犬ラッシー 』『BLACK LAGOON』『この星の上に』『アリーテ姫』ほか
▼脚本:片渕須直
▼キャラクターデザイン/作画監督:松原秀典
・実績
(キャラクターデザイン)
『サクラ大戦TV』『ああっ女神さまっシリーズ』『巌窟王』ほか
▼音楽関係
音楽:コトリンゴ
主題歌「みぎてのうた」(コトリンゴ)
オープニングテーマ「悲しくてやりきれない」(コトリンゴ)
エンディングテーマ「たんぽぽ」(コトリンゴ)
▼CAST(略)
北條すずcvのん
北條周作cv細谷佳正
水原哲cv小野大輔
黒村径子cv尾身美詞
黒村晴美cv稲葉菜月
浦野すみcv潘めぐみ
ほか{/netabare}

【物語】
《反戦とシナリオに潜む唯物史観》
本作はあにこれに限らず、既に多くの場所で様々な評価をがされているが、未だに「反戦」であるとか否かという論争もあるようだ。
本作において「反戦」をメッセージの一つとしていることは、鑑賞をすれば一目瞭然だろう。
メディア作品は「印象」が全てであり、多くの方々が「すず」に共感や同情をしつつも、けっして同じ時代で同じ境遇を送りたいとは思わないだろう。
そう思った時点で本作の「反戦」メッセージはあなたに届いているのだ。

本作が今までの反戦作品と異なっているのは、唯物史観(自虐史観)の教条に満ちたイデオロギーが過去作(はだしのゲンなど)と比して、プロットで日常バイアスをかけることで反戦メッセージの希釈化とエンタメ指向を高め、鑑賞者に対し導入のハードル下げる誘導を行うなど、独特の印象操作により「反戦」がレトリックされている点であろう。

私はここで本作が「反戦」であるか否かのロジックを立ててまで分析をする気はない。
既に左翼は本作を反戦作品と認めているからだ。
左翼ネットメディアの「LITERA(リテラ)」の記事が的を射た左翼の代弁をしているので紹介する。

『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が
https://lite-ra.com/2016/11/post-2722_3.html
(引用)
>「反戦じゃないからいい」とうそぶいている人たちにも、この映画は、確実に戦争への恐怖を刻み込んでいるだろう。

私は理系であるゆえに帰納的に観測される他の方々のレビューに記述されている事後評価と「LITERA」の主張を照合することで、概ねその主張は実態に即していると結論している。

何も難しく考えることはない。
本作が「反戦」であれば、そのように素直に認めればいいのだ。
あとは鑑賞者が「戦争」をどう考えるのかに委ねればよい。
そこで表明された意見こそが、その人の思想の発露なのであり、その意味で本作はリトマス試験紙の役割も兼ねているのだ。

{netabare}まず、今まで我が国で製作された戦争関連のメディア作品は程度の差こそあれ、ほとんどは「反戦」と考えていい。
実際、1980年代まで監督クラスはマルクス第一世代であり、制作現場には戦争体験者が多くいた。
また、観客にも戦争体験者が多かった時代でもあり、実体験した戦争の正体(残虐、非人道的)をしっかり伝えないと共感が得られない時代でもあった。
おそらく、作り手も観客も戦争体験者であった時代は「思想」の問題ではなく「経験の共感」が大切であったのだろう。
しかし、現代は作り手も観客も大東亜戦争のことは知らない世代であり、戦争を伝えるにはどうしてもイデオロギーを用いざるを得ないのである。
そして、その当時の戦争作品に関する製作の土台が世代交代を経た現在においてもフォーマットとして生きていても不思議ではない。

我が国で製作される戦争映画は史的事実においても、どうしても「反戦」となる運命である。
また、戦時中に製作された『陸軍』(1944 火野葦平原作 木下惠介監督 松竹)でさえ一瞬反戦作品ではないかと紛うほど戦争賛美とはほど遠く、悲壮感を全面に押し出した作風であった。
どのような意図で脚本を書いても、ハリウッド作品のような記号性を強調し実在論に立脚した表現とは真逆な、隠喩、暗喩を多用し露骨な表現を避ける日本映画の様式美は「戦争賛美」とは相性が悪いのではなかろうか。

参考として、戦後、日米両軍をそれぞれの視点で初めて一つの作品とした『トラ・トラ・トラ!』(1970 日米合作 20th Century Fox)を観た当時の観客は熱狂した。
この群衆心理は更に深い考察が必要なのだが、今までの日本映画では見られない圧倒的な戦闘アクションと自虐に走る日本映画の鬱屈した描写に不満を抱いていた大衆が、真珠湾に停泊する米艦船を次々と撃破していくシーンに敗戦で失った自尊心を回復する爽快感に浸ったのではなかろうか。
好戦的作品でも否定をしない、日本人が戦争に想うセンシティブな感情がこの作品の評価に現れていると思う。

また、ハリウッドで米国が負ける作品が製作されたのもこの作品が最初だが、我が国で戦争賛美のメディア作品を製作すれば非難轟々だろうが、その後の『地獄の黙示録』(1980 ゾエトロープ F.コッポラ監督)を始め、米国では様々な価値観のメディア作品の製作がされる懐の深さに驚嘆したとともに、自由主義が地に着いている印象を受けたものだ。

ゆえに、戦時国策映画であっても戦争に懐疑的な姿勢を示す表現手法の伝統を踏まえれば、作品の反戦性を論う批判はさして建設的ではなく、寧ろイデオロギー的な反戦メッセージに無防備に引きずり込まれないよう受け手(鑑賞者)の思想的準備が重要なのである。
そこがしっかりとしていれば、以下で紹介する五味川作品であれ、日本映画の反戦作品としては最高傑作とも評される『軍旗はためく下に』(1972 結城昌治原作、深作欣二監督 東宝)であれメッセージにワンクッション置いて「反戦」とは何かの「哲学」の深化に至るプロセス過程で戦争と向かい合う姿勢が決まるのであろうと思う。
なお、『軍旗はためく下に』は精神的ブラクラを伴うカニバリズム作品でもあり、鑑賞には相当の覚悟を要する。

ここで戦史系の話題を振ればレビューは良い感じに埋まるのだが、今回は公開から時間が経過したこともあり、やめておこう。

さて、本作の場合、前述した『はだしのゲン』(1983 中沢啓治原作 真崎守監督 ゲンプロダクション マッドハウス)(1986 中沢啓治原作 平田敏夫監督 ゲンプロダクション マッドハウス)や『火垂るの墓』(1988 野坂昭如原作 高畑勲監督 スタジオジブリ)に代表される反戦アニメと比較するのは妥当ではない。
『はだしのゲン』は原作者自身が被爆体験者でもあり、原爆の地獄絵図を体験した方の訴求には大きな説得力がある反面、原作者が共産主義に傾倒した刹那、被爆体験から反戦反核《プロパガンダ》へと大きく変節をし、あまつさえ反日にさえ利用された顚末もある。
本作が中国や韓国での評価が芳しくないのは周知の事実であるので、国内の反日左翼のみならず、特アにも反日利用をされた『はだしのゲン』と同じ土俵には出来ない。

『火垂るの墓』は奇しくも左派の宮崎監督の「物足りない」批判が有名であるので批評は割愛するが、それ以前に設定が稚拙であり、精密な考証を為している本作と同じ土俵で論じるのは難がある。

右派の支持が高い『艦隊これくしょん』(TV版)について一言述べる。
左派からは歴史修正だの戦争賛美アニメとも批判されているが、思想以前に英霊を馬鹿にした戦争揶揄アニメと評した方が正確であろう。
この作品を企画した製作委員会の面々は、頭を丸めて靖国神社の社殿に向かって土下座をしろといいたい気持ちだ。

したがって、本作物語における比較対象は映画ないしはドラマとなる。

正直、本作なぜこれほどまで注目を浴びているのか私には理解が出来ない。
戦時中の日常や「すず」の生き方に共感を覚えるのはいいが、他に戦時中の日常を描写したドラマや映画、小説に出会ったことがないのか?とさえ思う。

実際、戦時中の日常と戦争を投射した映画、ドラマ作品は数多く存在する。
特に1970年代のNHK朝の連続テレビ小説でも多く取り上げられているテーマでもあり、現在放送中の『まんぷく』も戦時中の日常と戦争と向き合う作品だ。
かつての『藍より青く』(1972)『鳩子の海』(1974)が本作のコンセプションとかなり近い内容であるが、こういう作品を観てきた私にとって本作は、アニメーションでこれらを焼き直したに過ぎない感覚なのである。

以前『ZEPO』のレビューでも述べたことだが、明確な反戦(反核)プロパガンダでもない限り、テーマが反戦であるなり、発するメッセージがストレートでしっかり伝わる反戦作品については思想信条を問わず作品としてのレベルを評価する旨述べた。
しかし、本作は様々な賞を受賞している経緯もあり、いわゆるプロの評論家から【反戦】ではないとの声に相当捻じ曲げられてもおり、それが※外化して一般のレビュー評価のマクロ的な結果にも影響をしているようである。
※外部からの干渉を自己想念の結果であると錯覚する態様。(哲学・心理学)
※外化の手段はドグマである。

正直、外部評価と私の感覚にこれほどまでに差異が生じるのは珍しいことである。
その理由として考えられることを箇条書きとしてみる。

①私は戦記を含め戦前、戦時中に関する書籍や映像作品を大量に読み、観ていることから、一般の方よりも醒めた目で本作を捉えている。

②両親を含め私が子供の時分の周囲の大人には戦争体験者が多く存命をしており、戦時中の食料衣料の生活事情、艦砲射撃や空襲の恐怖をはじめ前線の武勇伝や玉砕の刹那と捕虜生活、大和特攻の坊ノ岬沖海戦の生き残り(乗務艦「雪風」)まで、相当数の体験談を意図せずともに聞いている。
特に広島の原爆関連は叔父と親交があり、当時、広島に司令部があった第2総軍で被爆した総軍参謀副長(元参謀本部第1部長[作戦]元陸軍省軍務局長)真田穣一郎少将の御遺族から手記やお話しを伺う機会があったが、大東亜戦争の実像を知る参謀本部、陸軍省の要職を経験している高級軍人視点の体験は『戦史叢書』と同等とも言える圧巻であった。
少将御自身が存命で直接語りを聞くことが叶えば、更に感慨が深かったであったろう。(伺った話しは御遺族の意向で一切公表出来ないが、近代史、戦争関連作品の評価には活かしている。)

③日常というバイアスをかけて、反戦メッセージを刷り込んでくるあざとさに抵抗を感じると同時に朝の連続テレビ小説のようなホームドラマ的軽薄さも感じる。

④反戦作品の大御所『人間の条件』(1959-1961 五味川純平原作 小林正樹監督 松竹)や『戦争と人間』(1970 五味川純平原作 山本薩夫監督 日活)から比べて世界観、テーマが稚拙であり中途半端である。
両作品とも群像劇の構成であるが、戦争により日常が破壊されていく描写は重厚かつ心の奥底を抉るプロフィットファクターに満ちており、残念ながら本作はまだ追いついていない。

#1史的唯物論とは
本作のレビューでは「史的唯物論」や「唯物史観」の表現を用いた内容が多いので簡単に説明する。
史的唯物論とは『ドイツ・イデオロギー』(1848 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス共著)で著された共産主義の正当性を示す原理的な考え方だ。
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは、人間の歴史の発展法則を発見した。・・・人間はなによりもまず飲み、食い、住み、着なければならないのっであって、しかるのちに政治や科学や芸術や宗教等々にたずさわることができるのだ。」(1983 マルクスの葬儀におけるエンゲルスの弔辞より)。

『若おかみは小学生!(劇場版)』で高坂監督の公式でコメントでも触れたが、エンゲルスの弔辞で示されているように、マルクスの世界観は「労働(生産活動≒経済活動)[下部構造]が政治、科学、芸術、宗教等の社会活動[上部構造]を規定する。」における二元世界観は発展的に進化する法則に支配されるとした考え方で、共産革命は進化の過程での必然とした【暴力革命】正当化の絶対的根拠である。

また、史的唯物論はマルクスの二元論的世界観と、進化論をイデオロギー化したダーウイニズムとで構成され、その立場で歴史を論じたものである。
古くは『資本論』から日共の活動方針、最近の新左翼や中国共産党の政治理論など、共産主義の全ての領域において基礎となる最重要理論である。
なお、よく勘違いされることだが、史的唯物論は唯物的弁証法で導いた結果ではない。
唯物的弁証法の理論体系は20世紀に入ってからレーニン語録と合わせてソ連で整理されたものであり、今日の学問の一つ社会科学の始祖ともなる。
つまり、史的唯物論に弁証法的根拠を付したのは後付けの理屈であり、共産主義が如何にいい加減で適当なものであるかはここでも分かる。

史的唯物論で重要なことは【革命の為の歴史観を構築】することにあり、全ては反革命的既存概念を「批判」で「倒置」して結論(規定)することにある。
さて『資本論』のサブタイトルは「経済学批判」であることに注目して頂きたい。
マルクスはアダム・スミスから連なる古典資本主義経済学を史的唯物論と弁証法を駆使した「批判的弁証」から「剰余価値説Δd」を導き出して資本主義の正体は「搾取」とし共産革命の必然並びに正当化と、資本主義の崩壊を著したものであるが、吟味をすれば元ネタである古典経済学を延々と屁理屈を並べたてて「倒置」しただけの内容でもある。
なお、史的唯物論をベースに弁証法で倒置するスタイルが、唯物的弁証法の基礎構造でもある。
※哲学における批判と一般で通用される批判は意味が異なるので注意。

上記を踏まえ、「自虐史観」ないしは「東京裁判史観」が「唯物史観」と評されるのは、倒置の元ネタが「皇国史観」であることに由来する。
「皇国史観」とは「天皇機関説」批判から生じた「國體明徴運動」を端とする国史の再定義により『國體の本義』(1937 文部省)で同定された国史解釈の俗称である。
戦前、国史の権威であった平泉澄文学博士を頂点とする国史学派により、他の歴史学派が在野に放逐された経緯がある。
終戦で平泉博士が失脚するとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)におけるGHQの占領方針の下、反平泉派の左派歴史学者や日本共産党が中心となって皇国史観の全否定を行った際に用いられた手法が史的唯物論による倒置であり、これが史観としてイデオロギー化した経緯があることから【自虐史観、東京裁判史観=唯物史観】と評されている。

特ア(中国、韓国、北朝鮮)や左派、左翼が金切り声を上げて批判する「歴史修正主義」(左翼造語)とは「自虐、東京裁判史観」のイデオロギーからの脱却を目指す行為なのだが、そもそも「史観」とは史的事実の解釈であり、史的事実そのものは変更のしようがない。
特アや左派、左翼にとって日本国民が「自虐、東京裁判史観」に束縛されている方が都合が良いから「史観」の見直しを進める我々保守派に対しての警戒が、造語まで用いて連中を必死にさせるのであろう。

なお、史観歴史とは東南アジアの一部と東アジアで用いられる歴史教育だが、欧米では事実関係を重視した史学が一般的な歴史教育である。
自由主義国の我が国において、かつて日教組主導で進められた小学生からイデオロギーを刷り込む史観歴史教育は百害あって一理なしであり、政府は一刻も早く改めるべきだろう。

#2本作における唯物史観に関する考察
#1を踏まえ、五味川作品は唯物史観で描写される世界だが、本作も思想鑑別を進めれば「すず」という一つの観念体が戦争という一種の生産活動(唯物)へ概念の外化が図られ倒置的に描かれる世界観を構築している。
ゆえに、史的唯物論の応用であることが浮き出てくる
考察全文を掲載すると文字数オーバーのペナルティを受けるため、ポイントのみ記す。
本作での戦争=生産は呉軍港に停泊する各種軍艦の存在と「すず目線の観測」が唯物メタファーの一つとなる。
また、物議を醸している太極旗の描写だが、この話は長くなるのでメタファーの意味のみとする。
本作の太極旗は戦前日本が歩んできた道程(左派、左翼が主張するところの侵略)に対する批判メタファーと捉えられるだろう。
8月15日に実際に呉市内で太極旗が掲揚された事実はないようであり、原作者の想いから察するに太極旗=プロレタリアート(抑圧の対象)の解放のメタファーとして考える方が道筋として整合する。

戦争がある観念(本作の場合はすずの目を通した戦時中の日常とすずの思考傾向)と密接な関係にある場合、戦争(生産と支配層たるブルジョアジーの暗喩)と人間(被支配層、プロレタリアート的立ち位置)の関係を異状と正常のアシトノメタイジア(換称)に写像させて唯物と観念の二項対立の構図を連立することで、テーゼ(平和な日常)アンチテーゼ(戦争と破壊)ジンテーゼ(過去の過ちと再生)からなる弁証構造と、玉音は天皇陛下(左翼が認識するところのブルジョアジーの代表)を隠喩し、8月15日を境に太極旗を用いた弁証を繰り返すことで倒置させる【批判弁証】の流れが観測される。

大きな観測点として、時限爆弾で右腕と姪のを失った後、やさぐれて行く「すず」を克明に描写しつつ、玉音放送後の「すず」の豹変を導きくことでアウフヘーベンに到達する。
「すず」が自分の右手の歴史を自問自答描写こそが、平和な日常と戦争の悲惨を対話で定立する弁証過程である。
玉音放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」(・・茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク)は形式的には天皇大権に基づく臣民(国民)に対する命令である。
「すず」の怒りの心理描写は他のレビュアーさんが行っているのでお任せして、政治的な意味に着眼すると天皇陛下の命令に抗っている態度となる。
この表現を考察すると原作者(戦争を推進した)権力を妄信してはいけないと「すず」を通して訴えている政治的メッセージが読み取れるだろう。

物語は唯物化された戦争という大きなうねりのなかで「すず」の精神性が左右されるという構図であることからも、史的唯物論に立脚した弁証構造であることは明白である。
本作で展開される唯物的弁証は玉音放送から隠喩を導くことで、歴史の運動性が根底にあることも読解出来ることから、紛うことなく史的唯物論が基軸であると結論づけられる。
更に史的唯物論がセリフと視覚を通して外化し、唯物史観(イデオロギー)のドグマが形成されメッセージへと変幻する。
ゆえに、戦争が唯物とブルジョアジーの二重構造であり、プロレタリアート解放という階級闘争の動態とセットである五味川作品との比較対象を満足する。{/netabare}

《物語まとめ》
{netabare}五味川作品と本作の相違店
・五味川作品(20世紀の反戦作品の代表として)
→満洲、ノモンハンでソ連軍に敗北する帝国陸軍を象徴的に描写。
デストピア(戦前戦中の日本)→解放→ユートピア(共産主義社会)
・本作(21世紀の反戦作品)
→原爆投下、呉空襲など帝国海軍の衰退と非戦闘員にも及ぶ米軍の攻撃を象徴的に描写。
デストピア(戦中の日本)→解放→ユートピア(自虐、東京裁判史観を是とする現代の日本社会の維持)

20世紀の反戦作品は理想を共産主義に求めているが故に、1945年以前の日本を全否定しているが、共産主義(マルクス=レーニン主義)が廃れた21世紀の本作における否定の対象は戦中の日本(戦争状態)であり、理想はひたすら軍事を否定する9条を信じる現代日本とそれを支持する国民感情の維持である。
空襲で犠牲となるのは社会的弱者である子供(晴美)であることを強調、軍港内を模写した「すず」をスパイ行為であると咎めにきた憲兵からは戦中は自由が制限された暗黒の時代であるとのメッセージから9条の廃止、変更は戦中に戻るという左派、左翼の主張への同調が読み取れ、暗に憲法改正を牽制をしていることから社会風刺の目的も含まれる作品といえる。
※「すず」が憲兵に詰問された根拠法令は「要塞地帯法」及び「軍機保護法」であり、戦時平時を問わずに適用される。解説等の一部で「治安維持法」と錯誤しているケースが多いので明確にしておく。

在野では片渕監督の言質から反戦を炙りだそうとしている試みも散見されるが、作品において唯物史観が成立している以上その必要はないだろう。{/netabare}

以上、本作を手放しで評価はできない理由は上記に集約される。
反原発の『みつあみの神様』のように、反戦アニメでも是非私を唸らせる作品に巡り会いたいと思う。
映画で出来ることはアニメでも可能なはずだ。
したがって、評価の分母が時代とその背景をより精密に描写し、隙がない反戦メッセージを発している五味川作品であるので、低評価となることは悪く思わないでいただきたい。

なお、五味川作品も本作も敵視をしているのは「ある時代の日本」である点が共通である。
本作が従前の反戦作品のフレームに囚われず、自分達の生命を狙った「米国」を批判対象としたなら、最大限の賛辞を捧げたであろう。

『トラ・トラ・トラ!』でも述べたが映像メディアは政治ではないのだから自由なのだ。
言論、表現は旧弊や政治に囚われず自由闊達に行うべきであり、原爆も空襲も本来怒りをぶつける相手は「米国」ではなかろうか。

我が国では「ポツダム宣言」に基づき戦争犯罪者を「平和に対する罪(A級戦犯)」(事後法遡及適用)、「通常の戦争犯罪(B級戦犯)」戦時国際法違反、「人道に対する罪(C級戦犯)」(事後法遡及適用)を処罰の対象とされた経緯がある。
なお、極東国際軍事裁判ではC級戦犯の訴追事実はない。
「人道に対する罪」はニュルンベルク裁判においてナチスによるユダヤ人絶滅(ジュノサイド)を裁く目的で設けられた事後法である。

大日本帝国時代をことさら悪のように強調する目的で朝日、毎日等の左派の報道そして日共のプロパガンダではBC級戦犯という表現を使用し、悪意あるミスリードで自虐史観の刷り込みを誘う作為的な誤りであり、C級戦犯判決の事実は存在しないことを強調しておく。
極東国際軍事裁判の話しをすれば長くなるので、ここでは必要なことだけを記す。

まず、裁かれたのは全て第二次世界大戦の敗戦国であり、裁いたのは戦勝国であることを再認識して頂きたい。
要するに、戦勝国の戦争犯罪は裁きたくても裁けない状況下にあったのである。
ここで問題にするのは、米軍による原爆投下を含む日本本土空襲である。
我が国が受けた空襲は全て軍事目標だけであったのだろうか。
否である。

1945年3月10日の下町一帯を目標とした東京空襲をはじめ、原爆投下を含めほとんどの空襲は軍事目標とはいえない地域を対象に行われた。
これは、大東亜戦争時に有効であった「ハーグ陸戦条約(陸戦の法規慣例に関する条約)」違反であり、米国も本来裁かれるべき行為であるのだ。
----------------------------------
条約附属書(陸戦の法規慣例に関する規則)
第二五条
防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス
----------------------------------
我々はそのことをけっして忘れてはいけないし、戦争とは勝てば官軍であり、勝利者の論理が正義となる不条理な状況を生むのだ。
自虐史観は誰にとって都合が良いものなのか、賢明な閲覧者の皆様はここに答えを記述しなくても分かっていただけるだろう。

原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」には主語がない。
「過ちを繰り返しませぬ」は「米国」に向けてのコンプライアンスでもあるのだ。

少し物足りないないが『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007 新城卓監督 東映)は大東亜戦争のもう一つの主役である名も無き兵士達が、特攻で死地に赴く際の本音から、間接的に米国批判を行っている稀有な作品であり、この作品のベクトルを担う作品こそがポスト反戦なのだろう。
そろそろ勝利者側の論理、東京裁判史観の自虐から脱皮し、本音をぶつける反戦作品が出て来ても良い頃ではなかろうか。

テーマとメッセージ
★★★★★☆☆☆☆☆2.5(五味川二作品を5とした場合の評価点)

※エンタメ性と表裏一体する参考評価
思想の刷り込みなどマインドコントロール技法
(評価が高いほど悪質である。)
★★★★★★☆☆☆☆3.0(五味川二作品を4.5とした場合の評価点)
5-3=2

プロパガンダ性
(評価が高いほど悪質である。)
★★☆☆☆☆☆☆☆☆1.0(五味川二作品を3.5とした場合の評価点)
5-1=4

エンタメ性
五味川二作品は重厚である分、エンタメ性には難がある。
その点本作は、前半部分では親しみ易い日常光景からキャラへの共感を誘導する。
{netabare}後半はしだいに戦争の牙が向いてくるシリアスな展開だが、キャラへの共感度が高ければ高いほど、戦争の悲惨さ不条理さが強調される巧みな構成となっている。
本作では人さらいのエピソードなど、展開に興味を抱かせる様々なメタファーがあるが、長くなるのでレビューでは割愛する。
次に特筆をすべきは、背景美術の精密描写と「すず」の天然なキャラ設定だ。
呉軍港の背景を時系列で見ると帝国海軍の衰退がよく分かる。
実に考えられた描写だ。
また、当時の生活の細かい描写など特筆すべき点はいくつもあるが、すべて観客に「観せる」ことを意識した心憎い演出といえよう。
広島の街の情景、戦時の平和な街から総力戦の戦場の街へに至る推移で艦載機による軍港攻撃、非人道的な時限爆弾の爆発、M69焼夷弾や12.7mmブローニング機銃掃射シーンなど、迫力ある効果音と相乗し{/netabare}高クオリティな描写を演出している。

★★★★★★★★☆☆4.0(五味川二作品を2とした場合の評価点)

(2.5+2+4+4)/4=3.125≒3.0(物語)

(★は一個0.5点)
物語★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価点)
作画★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)
声優★★★★★★★★★☆4.5(評価点)
音楽★★★★★★★☆☆☆3.5(評価点)
キャラ★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)

平成30年(皇紀2678年)12月8日大詔奉戴日初稿

投稿 : 2024/12/21
♥ : 62
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

本作自体は良作と思いますが、本当に考えるべきことは別にあるのでは?

(2018.12.8 戦争名称と戦争原因について補足説明を追記)

登場人物の手が顔と同じくらいの大きさに描かれていて、明らかに作画ミスってると思われるシーン等、ちょくちょく作画・演出が乱れている箇所があった他は、概(おおむ)ね丁寧に作られていると思いました。
シナリオも、{netabare}玉音放送のあとヒロインが悔しい気持ちをぶちまけるシーン{/netabare}で思いがけない感動を覚えるなど、最初から最後まで飽きずに楽しめました。
ということで、まず良作認定しておきます。

・・・でも、個人的に本作を鑑賞していて改めて強く感じたのは、

戦争の悲惨さ残酷さを確り描き出して、視聴者に「二度と戦争を起こしてはならない」という"メッセージ"を繰り返し喚起するのは、それはそれで意味のあることなのだろうけれども、

責任ある大人が本当に考えるべきは、そういう戦争の「結果」の方ではなくて、

「そういう誰も望まないはずの戦争がなぜ起きてしまったのか?」
「なぜそういう悲惨で残酷な戦争に我が国が巻き込まれてしまったのか?」

という戦争の「原因」の方を、史実に即して冷静に見極めていく、ということなのではないか?ということでした。

とくにここで「巻き込まれてしまった」という私の受動表現に抵抗を感じてしまった方は要注意です。

・戦前の日本は暗愚で粗暴な軍国主義のファシズム国家だった。
・中国や朝鮮半島やアジア各地に醜い侵略を仕掛けた果てがあの悲惨な戦争だ。

↑みたいな話をNHK夏の恒例の「太平洋戦争(*3)」特集番組では今も延々とやってるそうですが(※これって終戦後にGHQ進駐軍にそういう番組を作るように命令されて以来ずっとやってるそうです)、こんな話を今でも信じ込んでいる人ってどれくらいいるのでしょうか?(まだまだ沢山いそうな気もしますけど)

但し、上に書いた「誰も望まないはずの戦争」という表現には例外があって、実は「日本とアメリカが全面戦争に突入し、その結果として、国力の大幅に劣る日本が壊滅的な敗戦を迎える」というシナリオを事前に描いて、そのシナリオが実現すべく画策した人々ないし組織が(日本側にもアメリカ側にも、そしてこの両国の外側にも)いた、という話は一度検証してみる価値があります。

◆戦争「原因」の一考察

社会科の教科書には、第一次世界大戦の混乱のさなかに誕生したソ連の指導者が、ソ連一国だけの革命ではなく“世界革命”を目指した、ということまでは書かれていますが、その“世界革命”が具体的には“敗戦革命”という戦略プランに基づいて、各国に思想的共鳴者や工作員を扶植・養成し、ことに政府部内や報道関係者に内通者・協力者を獲得ないし送り込むことにより、時間をかけて実際に着々と遂行されていった(*1)、ということまでは書かれていません(※なぜ書かれていないか?は(*4)へ)。

もう少し詳しく説明すると、この“敗戦革命”というのは、

(1) かってソ連が、帝政ロシアが第一次世界大戦でドイツに敗戦を重ねて国内に生じた混乱(既存支配層の権威失墜と国民各層の窮乏・社会不安の増大)に乗じて、まんまと革命を成功させ発足したこと、をモデルとして、
(2) 革命対象国を何らかの形で悲惨な敗戦に追い込み、その混乱に乗じて革命を成功させる、とする冷酷な戦略で、
(3) 具体例として、第二次世界大戦での枢軸国側の敗戦に乗じて枢軸参加国であったハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・チェコ等で共産主義/社会主義政権が成立、敗戦国ドイツも東半分が共産化、また東アジアでは敗戦国日本に協力していた満州国や南モンゴルの自治政府が倒れ、また日本と戦って消耗していた蒋介石率いる国民党政府がその後の国共内戦に敗れて共産主義中国が成立、日本と合邦していた朝鮮半島でも北半分で労働党政権が成立しています。

そうした、日本の「誰も望んでいなかったはず」の戦争突入とその必然的な敗戦、そしてその結果としての戦後の東アジアの激変という状況証拠から見て、

<1> 戦前は「ソ連を盟主とする共産主義勢力の東アジア浸透の防波堤」になっていた日本をアメリカとの全面戦争に追い込み、
<2> この防共の防波堤を決壊させるとともに、あわよくば日本にまで“敗戦革命”を引き起こそう、と策動する勢力が、
<3> 我が国の内外に(※日本だけでなくアメリカや蒋介石の国民政府の側にも、また政治指導者だけでなくマスコミ・言論人にも)浸透していて、
<4> そうした策動に免疫のない我が国の政府や国民が相手の仕掛けに右往左往するうちに「誰も望んでいなかった戦争」にまんまと引きずりこまれていってしまった、

・・・と考えると色々と辻褄が合う所があります。

→つまり、先の戦争で結局誰が一番得をしたのか?という観点から逆算して、その原因を作った者を考える、という視点を持つ。
→あるいは、先の戦争の「成果」を現在、誰が一番固守しようとしているのか?という観点から逆算して、その黒幕を考える、という視点を持つ。

・・・ということで、この辺の話は興味があればネットや書籍で色々と調べて検討していただきたいのですが、要は、

「戦争は悲惨で残酷だ、二度と戦争を起こしてはならない」

とせっかく思うのならば、上で指摘したように

「では何故戦争が起きてしまったのか?」

というところまで、真剣に考えるのでないと片手落ちですよ、ということです。

※そうした視点の欠落を考慮して本作の評価点数を少し低く付けています。
※本作のような話は今までも色々と作られてきたと思うし、今後も作られてマスコミの陰/日向のバックアップ(*2)もあってヒットもすると思いますが、もうこういう「戦争は悲惨で残酷だ。二度と戦争はしてはいけない」と何となく思う段階で思考停止するのは止めませんか?

※レビュー本文ここまで。

///////////////////////////////////////////////////////////////
※以下、補足説明。
{netabare}
(*1)“世界革命“(※そして、その手段としての“敗戦革命”)を遂行するための謀略組織としてモスクワに「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が設置され、その指導下に日本/中国/イタリア/フランス等各国の支部組織(=各国の共産党)が設立された。

※なおコミンテルンの日本での具体的な活動成果として、日本の大東亜戦争突入直前に発覚した「ゾルゲ事件」(1941年9月発覚、ドイツ国籍のソ連工作員ゾルゲの逮捕を切っ掛けとする朝日新聞や近衛内閣周辺の工作員・協力者の検挙事件)が有名。

(*2)本作はクラウドファンデング(群衆の資金拠出)によって製作されたことを謳っていますが、実は某大手マスコミが色々とバックアップしているそうです(エンドクレジットにも登場)。

※参考→http://yaraon-blog.com/archives/96560

(*3)戦争名称について、ここでカッコ書きで「太平洋戦争」としているのは、それが実は、今でも決して日本政府の公式の用語ではないからです(※あくまで、マスコミおよび教科書執筆者が好んで使用する俗称でしかない、ということ)。
こう書くと驚かれる方も多いと思いますが、例えば、下記の

◎戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉全文(2018/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34167800V10C18A8000000/

・・・を謹んで拝読すればわかるように、政府の公式の表現は「さきの大戦」で一貫しています。
なぜそうなるのか?
一番簡単な説明は「戦没者の方々は決して先の大戦のことを“太平洋戦争”などと呼ばれなかったから」になると思います(※戦没者の方々、また実際に当時の戦争を経験された方々は、先の戦争のことを、開戦直後に日本政府が命名した“大東亜戦争”と呼んでいたはず)。

ところが、進駐軍は“東亜を解放する”という戦争当時日本が掲げた大義を連想させるこの用語を使用禁止とし、代わりに自分たちの用語である、“Pacific War”をそのまま翻訳した“太平洋戦争”という用語を使用するよう、日本政府・マスコミ・教育界に強要し、この方針に従わない者は職を解く(※いわゆる「公職追放」「教職追放」)という強硬手段に出たため、選挙の洗礼を受ける政治家はともかく、マスコミ・教育界の方は、その当時保身のため、あるいは自分の主義として積極的に進駐軍の方針を受け入れた“太平洋戦争派(つまり“東京裁判肯定派”=“自虐史観派”)”が今でも強く、頑なにこの用語を使い続けているのが実情です。

私個人の意見を言えば、上に書いたように“先の大戦”は、敗戦革命を目論む旧ソ連&コミンテルン(国際共産党)の各国(日・米・中華民国)・各方面(政界・官界・言論界)の策動に、我が国の政府や国民がまんまと嵌められてしまった(※我が国だけでなく、F.D.ルーズベルト政権下の米国や蒋介石執政下の中華民国も同様)結果として勃発した“愚行”であって、これを当時の政府が後付けで“大東亜聖戦”(※英米列強の支配する東亜植民地を解放するための聖戦)と壮語して、その真の勃発原因を糊塗してしまったことは評価したくないし、かといって、自虐に塗(まみ)れた“太平洋戦争”という用語も極力使いたくないので、結局、日本政府ではありませんが、“先の大戦”と表現するのが一番無難かと思っています。
但し、それでは私のスタンスがはっきりしない、という場合は、前記の“東亜解放の聖戦”というイデオロギー的含意を外して、専ら戦争範囲の地理的名称を明確に示す用語として“大東亜戦争”という用語を使用する方が、より妥当だと思っています(※米軍は専ら太平洋で戦ったので“Pacific War”が適切。一方、我が軍は太平洋だけでなくインド洋・支那大陸・満州・南モンゴル・東南アジア各地・さらにインパール作戦では英領インド領内まで戦闘を行ったので、それらを地理的に包含する名称として、“大東亜戦争”の語がより適切という意味)。

因みに以上の用語(戦争名称)の区別は、政治家・言論人・その他様々な立場の人たちの“先の大戦”に関する意識を推測するのに非常に有効です(※マスコミの報道にとらわれず、本人の直接の発言内容やTwitter/Blogなどでの発信内容を確認すれば、その人の意識がほぼ確実に推測できる、ということ)。

(*4)“敗戦革命”がなぜ社会科教科書には書かれないのか?
ひと言でいえば、執筆者の側が、かってそれを目指した(今も目指している?)側の立場だから。
上記のように、進駐軍の占領政策の結果、マスコミ・教育界に“太平洋戦争派”が強固な根を張ってしまい、それが今に至るまで続いている。
たまにそれに反発して『新しい教科書を作る会』のような組織が出てきても、ギルド化した既存の教科書執筆者/選定者の壁を打ち破れない。

※因みに、下記の動画にある「近衛上奏文」(※ゾルゲ指導下の工作員である尾崎秀実やその影響下にあった昭和研究会を政策ブレインとして重用し日本が対米戦争に引き釣り込まれるに至る最大の引責者となった近衛元首相が、戦争末期の1945年2月に昭和天皇に上奏した戦争原因と国内情勢を分析した文章)には“敗戦革命”が割と分かりやすく説明されています(※音楽が扇情的な点が鼻に付きますが)。

https://www.youtube.com/watch?v=73T4WDDkWfE

◎近衛上奏文(解説)

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。

1. 「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、
2. 一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること、
3. 「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞(ことば)であること、
4. 米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること、

近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 55

91.3 2 シリアスで戦争なアニメランキング2位
劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(アニメ映画)

2020年9月18日
★★★★★ 4.4 (576)
2740人が棚に入れました
――あいしてるってなんですか?かつて自分に愛を教え、与えようとしてくれた、大切な人。会いたくても会えない。永遠に。手を離してしまった、大切な大切なあの人。代筆業に従事する彼女の名は、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。人々に深い、深い傷を負わせた戦争が終結して数年が経った。世界が少しずつ平穏を取り戻し、新しい技術の開発によって生活は変わり、人々が前を向いて進んでいこうとしているとき。ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、大切な人への想いを抱えながら、その人がいない、この世界で生きていこうとしていた。そんなある日、一通の手紙が見つかる……。

声優・キャラクター
石川由依、浪川大輔
ネタバレ

シン☆ジ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

最後の手紙(2回目感想を追記)

下手な言葉を使うとネタバレしそうなので、ポスターのキャッチコピーを一部引用しました^^;

 TV版本編の初放送は2018年で初視聴も同時期でした。。

===劇場版:初見での感想===
 2020年9月19日(土)、劇場版本編を観覧。
 (★舞台挨拶ライブビューイング付き)

全国の劇場で舞台挨拶が見られるとのことで、
予定を繰り上げて、あわてて劇場に行きました。

でも、TV版本編を少しでも復習してから、行くべきでした。。
2年の月日は自分にはちょっと長かった。。
ヴァイオレットへの愛情は忘れようがない。
そんな変な自信を持っていましたが、いかんせん物語の詳細をとどめておけるほどの記憶力は、現在の自分には持ち合わせていない事を突き付けられました。。トホホ

いよいよ物語の主人公、ヴァイオレット本人のストーリーが幕を開けます・・

■{netabare}
 ヴァイオレットには幸せになってもらわないと・・
 ひょっとして、社長とくっつくのかなぁ・・

なんて思ってたら、

 まさかと思うけど、少佐の兄?

と思ってしまうような展開でした。。

でもその上を行く、まさか・・・
少佐が生きていたとは、ね。
TV版完走時は死んだと思ってたから、
外伝も感動したんだけど。。

途中辺りから、

 え。ひょっとして生きてる?

てな展開。
ぶっちゃけ、ダマされた、という思いもw

いや・・・でも・・
これで、よかった。

思えばTV版を観ている時、実は少佐は生きていたというストーリーを妄想していたんでした。ちょっと忘れてました。
ヴァイオレットが幸せになる道は、それしかないですよね。

でもでも・・
少佐の生存がわかるシーンの感動が薄いせいか、
その分、ラストに至るまで延ばす延ばすw

 なんだよ、少佐・・
 ナニ自虐的になってんだ、そういうキャラ?
 てめ、ヴァイオレットを泣かすんじゃねーw
 身元を引き受けた責任と、
 何より「愛してる」と言った責任、
 男ならキッチリとりやがれw

てな展開は、個人的にはストレス展開でした。
いやわかりますよ。
その後の感動のための前フリだろうってことは。

でも、それならそれなりの想いの爆発に共感したかった。。
少佐が走り出した時って、なんか自分的には動機づけが弱かったんですよね。。
ドア越しにしゃべった時以上の動機が感じられなかったというか。。
だから、ラストの感動シーンも、ちょっとモヤモヤして感情移入しきれなかった。

さすがに、ラストシーンは感動的でした。
ただ、あんな遠い岸からのあんな掠れたような声が聞こえるのか、とか
ヴァイオレットは義手重いはずなのに泳げるの、とか
細かいところが気になって、これまた感動ボルテージ上昇の阻害要因となってしまいました。。トホホ

躊躇なく海に飛び込んだヴァイオレット、男っぽい。
惚れ直しそうw

そんな彼女も、ようやく・・本当にようやく、たどり着いた少佐の胸では・・ただただ・・泣き崩れるしかなく・・


さて・・
ここで触れずにはおけませんね。
ツイッターにも出ています。
舞台挨拶での石立監督の言葉。

 ~{netabare}
  ヴァイオレットが書いた手紙には、
  セリフに出なかった一文がある。
  これが、少佐をヴァイオレットの元に
  駈け出させた。。

  というもの。

  なんでしょうね。。
  気になる。。
  「あいしてる」かな。
  でもそれはドア越しに言ってたような。

  てかこれ、セリフにしてくれれば
  もっともっと感動できただろうに。。
 {/netabare}~

にしても、ポスター、いい絵ですね♪
ネタバレしそうですがw

でも・・

ああ・・完結してしまった><
(ホントはこれをタイトルに書きたかった)

もっと引き延ばして何作か出してくれてから、こういう結末になるんだと思ってました・・
原作はどうなんでしょう・・

未来からヴァイオレットを過去の人物として振り返る作りは、個人的にはあまり好きとは言えず、どうせなら子孫も見せて欲しかったけど・・

エンドロール後の1ショットは、救われました。
これで、よしとしましょう。

過去だからお幸せに、と言えないのはもどかしい。

ならば・・

良かったね、ヴァイオレット。

{/netabare}■

そう、エンドロールは最後まで、観ないとですね♪

ちなみに劇場で配布された、入場者プレゼントは
~{netabare}「ヴァイオレット・エヴァーガーデン if」{/netabare}~でした。

あ、3種類の短編小説ランダム配布って公式に書いてた。。
急いては事を仕損じる。
ゆっくり読もう。。


===劇場版:二回目の感想===

京アニはご存知のとおり寄付金を受け取ってくれません。
感謝の心、支援の心を込めて、再度劇場へ行きました。
TV版を観直した後、今度は目線を変えて。

その目線とは、ヴァイオレットであり、ギルベルト。
初見ではどうしてもホッジンズ社長というか保護者目線になってしまいましたが、この物語は、二人の物語であり、その目線で観るのは必定かと。

~{netabare}
まずは、1期を再視聴したことで1期を思い出させるシーンがとても胸に響きました。手紙が空を舞うシーンとか主要エピソードとか。
特にアンのエピソードは一番涙を堪えるのが大変だったかも。

感激は初見ほどではありませんでしたが、ギルベルトの気持ちが何となく理解できました。
愛するが故、自分はヴァイオレットにふさわしくない、と。
これは初見でもわかってはいましたが、わかって1期を観なおすと、彼はヴァイオレットを預かり戦場に送ったことをとても後悔していて、結果ヴァイオレットの両腕を失わせ、たとえ自分が生き永らえたとしても、自分の愛を貫くことは資格がないと考えても仕方がないかもしれない、と思えました。
彼がヴァイオレットに会えないと言ったのも、会ってしまえばその信念も揺らぎかねないからで、つまりそれだけヴァイオレットを愛しているからに他なりません。

ヴァイオレット目線で観ると・・・
心からの願いが叶えられないと知り、本当に切なくつらい日々を過ごして。
それが会えるかも知れないとわかり、本当にうれしくて。
でもやはり会えないことになり、とても悲しくて。
それでも生きていてくれたことが、やはりうれしくて。
最後に追いかけてきてくれたことが、最高にうれしくて。
この目線で観るのはとても切ない・・・

むしろ、ラブコメ風に・・・
「このまま会えないまま、どっちか結婚して、その後に会うことになってたらどうするのよ!ギルベルトおおおー!!」
と罵ってあげても良かったのにww

でも、やはりこれは二人の愛のストーリー。
これで、良かった・・

最後に、手紙の一文の考察を。
~{netabare}
映画の冒頭では、sincerelyの文字が出ます。
意味は「心から」かと。

また本シリーズは物語の最後にタイトルが出ます。
本劇場版では「あいしてる」。
つまり・・・
『心から 愛しています』
これが、ヴァイオレットからの、愛する人への最後の手紙の、最後の一文だったのではないでしょうか。

振り返ってみると、ヴァイオレットはドア越しでは「愛してる」は言っていません。彼はその事実を知らず、ただ父親のように慕っているものと勘違いしていたのかも知れません。
だから、この一言が、彼をヴァイオレットの元へ駆け出させたのだと、私は思っています。
{/netabare}~

いつか、ネタ明かしがされる事を期待します。


蛇足ではありますが・・
病院で亡くなる男の子のシーン・・
音がデカ過ぎて感情移入の邪魔になる思いでした。
もっと静かな曲か、むしろセリフのみでも良かったかと。
{/netabare}~

はぁ・・切なくて息が詰まりそう。
この劇場版と、1期・Extra・外伝で無限ループに陥りそうです・・

 制作:京都アニメーション
 監督:石立太一
 脚本:吉田玲子

 2020/09/19 閉館直前のMOVIX利府にて初視聴。
 2020/10/05 同じ映画館にて二回目視聴。


■余談
劇場内で完全新作ARIAの予告編が流れてました・・脚本が同じく吉田さんかな?と思ったら・・

 総監督・脚本:佐藤順一
 監督:名取孝浩
 アニメーション制作:J.C.STAFF

ほへ・・
ストレスフリーの世界でホッとしたい・・
違う作品の話ですみません^^;

投稿 : 2024/12/21
♥ : 57

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

上映してくれてありがとう 感動を与えてくれてありがとう

この劇場版は、世界の多くの人たちが待ち望んでいました。
様々な困難にもめげずに、この劇場版を完成された監督、スタッフ、関係者の皆様、ありがとうございます。


この映画は現代と過去の二つで物語が進行します。

現代での物語の主人公は、デイジー・マグノリア。どこかで聞いたことのある名前が含まれていると思いませんか?
そうです。デイジーは、テレビアニメの第十話で登場したあの少女の孫娘。

お婆さんが亡くなった後、デイジーはおばあさんが最も大切にしていた宝物(ひいばあさんからの手紙)を知り、その手紙を代筆したヴァイオレットに興味を持ちます。
ヴァイオレットのことを調べるうちに、デイジーは彼女の不思議な魅力に魅かれていきます。
やがてデイジーはライデンに行き、愛してるを知るようになったヴァイオレットのその後の足跡をたどるのです。

それと同時に、過去の物語が始まります。もちろん主役はヴァイオレットです。
とても感動する内容です。涙が出てきます。
ぜひとも劇場へ足を運んでください。「見て良かった」と、きっと思いますよ。

デイジーの声の役を諸星すみれさんがやってられました。諸星すみれさんは第十話でもあの少女の声の役をされた方です。
それだけで私は感動しました。


科学技術が進歩し、今では電話やEメール、LINEで遠くの人と気軽に話せるようになりました。
でも、心がこもった話を私たちはしているでしょうか? 相手の気持ちに寄り添った話をしているでしょうか?
特にEメールやLINEは気軽に発信できるので、つい相手の心を傷つけたりすることがあります。

手紙は不便だからこそ、時間をかけて相手の心に寄り添う内容を書けるのかもしれません。
そして手紙は、受け取った人が宝物として大切に保存しておくことができます。

もちろん、EメールやLINEも保存が可能ですが、いつの間にか削除されることが多いような気がします。
大切なEメールやLINEは、特別な場所に格納して一生の宝物にしたいですね。


この映画は、本来は2020年1月に公開されるはずでした。
しかし、2019年7月に、不幸な出来事が発生し、多くの社員の方々が亡くなり、京都アニメーションは存続の危機に立たされました。
それでも京都アニメーションの方々の努力と沢山の人たちの支援により、2020年4月を目指して製作が続けられました。
すると今度は新型コロナウィルスの影響で、またしても製作が困難になり、上映が延期となりました。

でも、なんとしてでも完成させるという信念を持ち続けた京都アニメーションさんのたゆまぬ努力により、2020年9月、ようやく上映されることになったのです。

上映してくれてありがとう。感動を与えてくれてありがとう。
これが私の今の気持ちです。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 75
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

心と時代の火傷が癒やされていく……(ドルビーシネマ版・体験談追記)

【ドルビーシネマ版・体験記】

先日、京都MOVIXにてドルビーシネマ版で再鑑賞。
(大河ドラマ史跡探訪の寄り道)

色域の広さ、コントラストの幅を最大化した映像。
128個の音源により実現したサウンドの360°空間移動による臨場感溢れる音響。
が特徴の映像規格。

嵐の後のエカルテ島の朝焼けは、よりグラデーションが美しく、
光源処理も眩しく鮮やかに。
ライデンの夜景と花火は、通常は同じ黒に見える暗闇の中に、
描き分けられた家屋や夜空の明度の違いがハッキリと伝わり、より味わい深く。
紅葉シーズンの京都に匹敵する絶景が巨大スクリーンいっぱいに広がり、
私も景色で泣いているのか、物語で泣いているのか分らない状態にw


鳥や虫の音、床が軋む音も含む多彩な足音。
など環境音も芸が細かい本作ですが、立体音響により一層リアルに。
今回は空気が流れる微かな音までシッカリ聞こえて驚愕しました。

音が繊細なだけじゃなく、単純に音を振動として人体に伝えるパワーも強く、
心臓の奥まで突き動かされるような音響で、
私は終始、心拍のリズムがおかしかったですw

主題歌「WILL」等も生オーケストラ演奏級の大迫力でした♪

何より恐れ入るのが、誤魔化しの効かないこの規格で
むしろ本領を発揮するだけの手間とコストを京アニがかけていたという事実。

ひょっとすると本作の映像ソフト化では
Ultra HDブルーレイ版の展開等もあるのかもしれません。

私も音響までは無理でも、再生プレイヤーくらいは検討してみましょうか……。



以下、2020.9.21初回投稿


【物語 4.5点】
シリーズ集大成となる本作。メインシナリオ自体は単純。

だが、このシンプルな愛の話が成就するまで
主人公ヴァイオレットや周囲の人々の揺れ動いて来た心の曲折を、
最後まで丹念に描き切ることで“【不変】で【普遍】の愛の物語”が花開く。

時系列前後、TVアニメ版エピソードの延長線導入など、
脇にトリッキーなプロットも組んで来るが、

彼女とその想いは時代を越えて確かに存在していたこと。
手紙じゃなきゃ伝えられない事もあるが、大切なのは想いを伝える意志。

といった王道を整備、補強する材料として的確にシナリオがチョイスされ機能している。


【作画 5.0点】
元々、心情を気象現象等に投影する背景美術、アニメーション表現を追求してきた本シリーズ。

いよいよヴァイオレットの感情も開花し猛威を振るう本作では、
天候描写等も、何もここまで作画カロリーMAXにしなくても良いのに
という位の極致に到達。


京都アニメーションはさらにえげつなくなって帰って来ました♪


手元の描写に、顔に出さない心情を吐露させる表現も目立った本作。
ヴァイオレットの義手も、序盤でネジを締め直して調節する描写が入り、
来る感情表現に向けて準備万端。

失われた後で補った偽りの手でも、手紙をタイプすることはできるし、
{netabare}指切りやサムズアップ{/netabare}だってできちゃうんです👍


何より成長したヴァイオレットの笑顔が本当に素敵です。


通常の泣きアニメでは、
外部から露骨に泣かせに来る涙腺攻撃だけ警戒していれば良いのですが、
本作の場合は、心情から背景まで一体となった
ハイレベルな表現に琴線を触れられた心の奥底から
溢れ出て来る感情により、涙腺が内部から崩壊させられる感じ。

ふとしたシーンの何気ない風景や表情にすら、グラッと来るから油断できません。
このパターンで涙腺決壊したら、
以降はずっと涙が氾濫しっぱなしになると思われます。

ファンの間ではハンカチより大型タオルの持参が推奨されていますが、
決して大げさではないと思います。
自身の涙腺耐久度等に応じて備えましょう。


【キャラ 4.5点】
すっかり喜怒哀楽が豊かになったヴァイオレット。
「あいしてる」や、ギャグも少しは分るようになった模様。
但しギャグセンスは『ターミネーター2』のT-800(演:シュワちゃん)レベルでしょうか?w
今後の成長を温かく見守りましょう♪

消息が気になる少佐については、{netabare}心を閉ざしてしまった青年として、
兄・ディートフリートとの関係も含めて掘り下げられる。
それにしても本作のディートフリート兄さんは汚名返上して、
さらに高性能なツンデレとして
ハートを全部持って行きそうな勢いを感じますw{/netabare}


人々との出会いがヴァイオレットの感情を育む。
シリーズのキャラ作りの基本線は本作でも踏襲され、
ヴァイオレットの背中に最後の一押し。

今回は新たな依頼主として{netabare}病気療養中の少年・ユリスが登場。
TVアニメ版のアンのエピソードの、死んでも想いが残る手紙という美談に対して、
生きているうちに想いを伝えなくても良いのか?{/netabare}
という反証材料を提供し、物語の洗練に寄与。


戦乱の時代に武器として傷つけ傷付いて来た少女を、
平和になった時代が恋する乙女として再生させた。

本作は世界が「あいしてる」を取り戻す物語でもあるのです。

【声優 4.5点】
ヴァイオレット役の石川 由依さんが感情を振り切った熱演をする傍ら。

ディートフリート役の木内 秀信さん。
それと{netabare} ギルベルト役の浪川 大輔さんに、ユリス役の水橋 かおりさん。{/netabare}
この辺りの男性役が、憎まれ口で本音を包み隠してしまう素直になれない男共を好演。


誰かさんは女の子を持ったら身が持たない。いや男の子も……。
などと愚痴っておりますがw

本作については、男の私から見ても、男の方が断然、面倒臭いですw


【音楽 4.5点】
足音だけで何種類あるんだろう?と感心させられる、
多彩かつ繊細な効果音、環境音は健在。


私は田舎で選択肢がありませんでしたが、
これから鑑賞される方は、音響にはこだわって欲しいと思います。


劇伴はEvan Call氏の続投。吹き荒れる感情の大嵐に寄り添うべく、
ドイツの映画音楽専用スタジオで収録した音源を提供する本気度。

主題歌はTRUE「WILL」こちらも作曲・Evan Call氏。
相変わらず壮大なオーケストラにも押し負けないパワフルなボーカルで、
作品のキーワードを押さえた歌詞を歌い上げる。
「帰ろ~うか♪ 帰~ろうよ♪」帰宅ソングの新定番が誕生♪
TRUEさんは他に{netabare}本シリーズのボーカルアルバムより
「未来のひとへ」がオーケストラVerでED曲に起用。{/netabare}

また、同じく{netabare}茅原 実里さんの「みちしるべ」もEvan Call氏の劇伴と、
歌詞にマッチしたクライマックスシーンと化学反応し輝きを放つ。{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 61

76.5 3 シリアスで戦争なアニメランキング3位
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(アニメ映画)

2021年6月11日
★★★★☆ 4.0 (181)
737人が棚に入れました
第二次ネオ・ジオン戦争(シャアの反乱)から12年。U.C.0105——。地球連邦政府の腐敗は地球の汚染を加速させ、強制的に民間人を宇宙へと連行する非人道的な政策「人狩り」も行っていた。そんな連邦政府高官を暗殺するという苛烈な行為で抵抗を開始したのが、反地球連邦政府組織「マフティー」だ。リーダーの名は「マフティー・ナビーユ・エリン」。その正体は、一年戦争も戦った連邦軍大佐ブライト・ノアの息子「ハサウェイ」であった。アムロ・レイとシャア・アズナブルの理念と理想、意志を宿した戦士として道を切り拓こうとするハサウェイだが、連邦軍大佐ケネス・スレッグと謎の美少女ギギ・アンダルシアとの出会いがその運命を大きく変えていく。

声優・キャラクター
小野賢章、上田麗奈、諏訪部順一
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

シャア・アズナブルの亡霊

サンライズ制作。

第二次ネオ・ジオン戦争より12年、
地球連邦政府の腐敗した政治に抵抗すべく、
ハサウェイは反地球連邦組織マフティーに参加。
アムロ、シャアの理想と理念を宿し道を切り拓く。

戦争ではなくテロとの抗争が描かれるようだ。
ブライトの息子、ハサウェイ・ノアは、
組織を率いるほどの青年に成長している。
反政府組織の急先鋒としてのマフティー、
マフティー殲滅を任務・遂行する連邦軍大佐、
そしてシャトルに乗り合わせた美女アンダルシア。

あまり難しく考える必要もないでしょう。
{netabare}物語の主要メンバーが搭乗便の襲撃を受け、
立ち位置を明確にし、それぞれが活躍する。{/netabare}
物語の導入部としては素晴らしいものがあります。

後半はMSによる、戦闘がありますが、
操縦室のモニター、造形、音響に感動するも、
{netabare}そもそも、ガンダムの外装に違和感がある。
そんな複雑な印象を受けつつも、{/netabare}
もしかすれば群像劇として「人」を描くのかなと、
それはそれで、期待しております。

好感が持てる、新劇の開幕でしょう。

ぜひ配信で観て下さい。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 25
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

モビルスーツの場違い感が醸す破滅の予兆

原作小説は未読。

【物語 4.0点】
三部作の一作目。

構成は序盤~中盤3分の2が人間ドラマ。派手なバトルシーンは終盤に集中。
だからと言って、終盤の見せ場にソースを集中すべく、前半を捨てているわけではない。

むしろ前半のハサウェイと出会う人々との濃密なやり取りの方が、
武装蜂起を前にした、ハサウェイ自身によるアイデンティティが不安定な現状を自己分析するパートとして重要なのではないか?
それくらい人物描写が繊細で惹き付けられます。

ハサウェイ率いる反地球政府運動「マフティー」
相次ぐ戦乱で疲弊した地球に特権階級だけを残すべく、
市民を拿捕して宇宙へ強制移住させる「マンハント」。こうした腐敗に鉄槌を下す。
大義としては申し分ないが、過去の武力行使を正当化する名分と比べるとかなり弱い動機。
戦乱で敗れ去っていった者へ思い入れるハサウェイの私心ありやなしや?

マンハント糾弾という点では、地球に残りたい市民とマフティーの利害は一致するが、
最終的に人類は全員宇宙に移住すべしとのマフティーの理想とは齟齬を来す。

何より今や、宇宙世紀(U.C.)0105年。
もはや武力だの、モビルスーツだの、ニュータイプ理論だので現状を変更する時代でもない。
マフティーが人々から“テロリスト”と揶揄されるのは時代の空気を読めていないからだ。

そんなことはハサウェイも百も承知。
その上で彼はシャアら先人たちが歩んだ破滅の未来を回避するには?或いは破滅を織り込むのか?
自己の立ち位置を再確認するために、ネクタイを締め市井に紛れ、自分を模索し続けるのだ。


この観点から心に刺さっているのが{netabare}タクシードライバーとの会話シーン。
その日暮らしの市民には1000年後の地球環境を憂うマフティーの理想になど構っていられない。
だって周りには結構、自然は残っているし。

この活動家が日常生活から乖離して孤立する状況。
世の浮いてる活動家の方々には、テロに手を染めないためにも、耳をかっぽじって傾聴して頂きたいと願います。{/netabare}


ハサウェイが思索の果に迎えるガンダム発進シーン。
綺麗に自己を総括できていますが、高揚感は少な目です。
曇天への発進は、地に足が付かない、五里霧中な行く末を暗示しているかのようです。


以上の通り、物語を愉しむには、
『逆シャア』までのサーガをテーマまで咀嚼することが必須な、マニアックな作品であることは言うまでもありません。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・サンライズ

背景美術と人物作画の一体感を出す昨今のトレンドに逆行する本作。
写実的な海面などの背景に割り込んでくるモビルスーツなど浮きまくっています。
戦闘シーンでよくある街中でモビルスーツが煙を巻き上げるカットはメカを魅せるための演出。
ですが、本作の場合は、何もそこまでスクリーンいっぱいに煙やら火花やら噴かなくてもいいじゃないか(笑)
ってくらいの迷惑行為として処理。

宇宙世紀を動かすのはモビルスーツに乗ったニュータイプなどではなく、
メンズスーツを着たオールドタイプである。
モビルスーツなんてお呼びじゃない。
メッセージ性が作画構成でも徹底しています。


とは言え、オールビューモニター搭載が標準化したモビルスーツ同士の戦闘は迫力満点。
私は一作目は通常のシアターで鑑賞しましたが、
次作は360°没入感を最大化できる巨大スクリーン等での鑑賞にこだわりたいです。

【キャラ 4.5点】
主人公ハサウェイ・ノア。
顔立ちや対人関係のぎこちなさはアムロ・レイ。
二つの名を使い分ける暗躍ぶりはシャア・アズナブル。
アムロかシャアか。ハサウェイ自身が葛藤する際の引き出しにもなる。

ハサウェイの秘密を見抜き絡んでくる謎の美少女ギギ・アンダルシア。
大人の色気で、ハサウェイのライバルともなるケネス大佐とのトライアングルを仕掛けたかと思えば、
戦場では幼女の如く動揺を露わにする情緒不安定ぶり。

ギギとの交流の中で、クェス・パラヤを破滅へと攫っていったシャアの一件が重なるハサウェイ。
大義より、過去のトラウマという感情で言動を左右されるハサウェイ自己分析の一助ともなる。

総じて各サブキャラとも、ハサウェイ自身が掴めていない自分探しにヒントを与える献身ぶり。

【声優 4.0点】
ハサウェイ役の小野 賢章さん。
幼さと凛々しさが混在する青年ボイスで、村瀬監督からの“感情と思想に引き裂かれたキャラクター”という難題に応える好演。
このハサウェイ危ないことするよ。

ギギ役の上田 麗奈さん。ボイスを高嶺にコントロールして正体を掴ませない妙演。
これは周りの男どもも取り扱い方法に困ります。


公開前、劇場版『逆シャア』の少年時代以来、
長らくハサウェイに声を当ててきた佐々木 望さんからの“声優交代”が物議を醸しました。
ただこれも『ガンダム』以外のコンテンツではよくあること。
アニメ化よりも先にゲーム等でキャスティングされた声優が、アニメでは変更になるのは割りと普通。
ただハサウェイの場合はアニメ映画化以前にゲーム等で活躍する期間があまりにも長すぎましたw

また、このキャスティングについては、アニメ映画化後もゲームのハサウェイは佐々木さんが担当していることなどから、
①小説版『逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』→『閃光のハサウェイ』原作小説のハサウェイは佐々木 望さん。
②劇場版『逆襲のシャア』→本劇場版三部作のハサウェイは小野 賢章さん。
①②はパラレルワールドの別系統作品であると示唆しているとの見方もあるそうですね。

劇場版三部作見ながら原作小説読んだら①②の異なる要素が混ざり合って困惑してしまうかも。
この辺りが、私が劇場三部作展開中は、小説購読は『~ベルトーチカ・チルドレン』までで止めておこうと決心している理由です。

【音楽 4.0点】
劇伴担当は澤野 弘之氏。
エッジの効いたテクノ等をアレンジした戦闘曲及びボーカル曲で魅せる。
「TRACER」は特にぶち上がります♪

気になるのが『UC』の澤野氏が『ハサウェイ』でも音楽担当している事。
『UC』は原作『ハサウェイ』完結後に、『逆シャア』~U.C.0100の間に闇に葬られた史実があったと後付けされたエピソード。
よもや本シリーズで『UC』を絡めてくることもないとは思いますが、
パラレルだとしたら何でもありですし。
もしくは『UC』同様、『ハサウェイ』も戦乱の亡霊を退治する物語として同一視すれば良いのか。
考え出すと落ち着きません。


ED主題歌は[Alexandros]「閃光」
過去を振り払って未来へ驀進する快作ロック。
ですが、今のハサウェイにはちとまぶしすぎる感もw
Netflix海外配信に合わせて英語版もリリース。
MVは英語版の方がAMVになっており作品のシーンを振り返るのにも最適。


【付記】
分割2クールの『水星の魔女』の幕間に、本作のTV編集版が1/15~全4話で放送されるそうで。
制作中の第2部への予習復習としてハサウェイを分析してみるのも一興かと。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 19
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

宇宙世紀ものとの決別か。(じっくり見られたので追記です)

配信サイトでじっくり見られましたので。追記です。

 宇宙世紀ものとの決別という第1印象は変りません。

 驚異的な映像すぎて、ガンダム感がないというのも初見と一緒でした。ハリウッドが作るゴジラが面白くない…と同じにならなければいいのですが。

 内容もガンダムのテーマとして兵器としての運用、兵站なにより禍々しさというリアリティが無くなっていました。その分、戦闘時の周囲への影響を描いたのでしょうか。3DCGとしてのロボット描写としてのリアリティはありました。ただ、画面が暗いのでガンダムの決めポーズが見られませんでした。2作目に向けての焦らしでしょうか。

 組織そして人の描写には力をいれてました。ハサウェイ、ケネス、ギギのキャラは良く描けていました。つまり、ヒューマンドラマになったということでしょう。
 そして、テロリズムに堕すことでパーソナルな個人の悩み…シャアのような確信犯ではなく、何かをやらなければならないという焦りからシャアをマネてという甘えをハサウェイからは感じます。

{netabare} シャトルがダバオに降りたのは偶然ではなく、自分がイニシアティブをとるためにケネスがそう段取りをしたということですね。で、ハサウェイは自分のホテルへの襲撃を自分で段取りしたんですね。
 で、ギギといっしょにいたので段取りが狂って危険な目にあったと。まあ、コントみたいに逃げる先逃げる先全部危険で、ちょっとやりすぎましたけど。

 逆襲のシャアの時点で思想に走りすぎて、訳の分からないストーリーになっていました。そして最後はアムロがツンばっかりでデレないのでシャアが切れたみたいな感じで、ギャグにも見えるような結末でした。
 物語でもシャアは思想になっていましたが、環境、特権、宇宙移民、ニュータイプ。本作はなにかテーマがあるようで、その思想に内容が伴わない滑稽さが感じられました。

 マフティの行動と民衆の期待にズレがあるのもそういうところでしょう。1000年先と暮らし。ハサウェイが何をしたいのかわからないので、今のところギギという少女にしか興味が向かいません。この描写がそのままハサウェイの迷いだとしたら、訳の分からない感じが脚本の意図通りということで、非常にうまいストーリーだと思います。
 
 ギギについてはニュータイプの娼婦という設定?はララァの再現なのは間違いないでしょう。ガンダムシリーズを通じてララァという少女が結局のところ消化しきれず、歴代の主人公周辺の女性ニュータイプ、強化人間を経て、クエスそしてギギにまで引きずっています。
 つまり、ハサウェイとケネスはシャアとアムロの関係の焼き直しでしょう。ただ、不思議なことにギギに悲劇の予感はしません。というか奇異に見えて非常にまともなキャラでした。この少女を起点に、シンエヴァのようにガンダムを卒業…という訳にもいかないでしょうけど(大人の事情的に)

 ギギは性的な匂いを漂わせていますが、道徳的にはピュアな雰囲気。自らを汚いと感じる感性。恋する少女になっていまいた。この少女の迷いというか、悩みというか難しい状況が示唆されますが、これからでしょう。
 ハサウェイがギギに手を出せないのも、ギギが結局ハサウェイを押し倒さないのも、こういった子供の部分なのかもしれません。

 ハサウェイは、ガウマンというパイロットの救出などにまったく頭が回っていなかった、ということはこの時点でマフティへの興味が薄れているということでしょうか。ハサウェイも自分の甘さを自覚していましたが。

 アムロまたはそれ以前から始まる壮大な宇宙世紀もののガンダムクロニクルは、最後は個人の…それも女への迷いで幕を閉じる?のでしょうか。

 最後、ハサウェイに気があるっぽい女が出てきて、一方でギギがハサウェイが残していった時計のおもちゃに電池を入れるのは上手い心理描写でした。時が動き出しましたし。{/netabare}

 あと、注目ポイントはホテルのエレベーターの内部の液晶パネルです。アニメーターが貧乏で「高級」「豪華」が苦手だといわれていた日本アニメで、感心するほど高級感がありました。

 すごいアニメなのは間違いありませんが、映像美だけでは歴史的なアニメにはなれません。さて、続きはどうでしょう。



以下 1回目の視聴時の感想です。良く見ていなかったのか話を追えていませんでした。

{netabare}
 宇宙世紀もの、ですが、問題のスケールはテロリストにまで落ちています。前作までで、ララァに対してクエスの存在感があまりにも薄く、ハサウェイの抱えている心の陰もあまり見えてきません。地球の特権階級を憎んでいるらしいですが、そこの動機が弱い感じがします。シャアを形だけまねているのでしょうか。(追記;シャアって、逆シャアで最期でどういう結論にしたのか映画ではわからなかったです。環境の問題だといいながらアムロへの執着だった気がするんですが。サイコフレームがどうのこうので終わってよくわかりませんでした)

 ハサウェイのパーソナルな問題をギギとの関係で解決してゆく物語なんでしょうか(追記;それとも本気で環境のことで悩んでいるんですかね?だとするとギギが登場する意味がちょっと分かりづらいですね。ヒロインが欲しかっただけ?どうも環境について人の意見を聞いたりして、環境問題は単なる言い訳に見えたんですけど)。彼がなぜ今の状態にあるのかは本作からはあまり深くは読み取れなかった気がします。しかも、続きものっぽいので消化不良で終わっています。
 まあ、3部作と明示してるんですかね。であれば次作が楽しみな終わり方でした。

 ギギというのは、ララァと同じく娼婦または愛人なんでしょうね。ガンダムにおけるこの女性の扱いというのに、どんな意味があるんだろう、といつも考えてしまいます。魔性ということなんですかね。男を理解できる母は優れた娼婦である?

 ストーリーは面白くはありますが、かなり都合のいい展開と言えるでしょう。
 ハサウェイがあの特別なシャトルに乗っていた必然性があまりなく、そこにハサウェイの組織の偽物のハイジャックが来てます。しかも航路を外れた緊急着陸したダバオには敵の親玉のケネスが赴任してきた基地があり、ハサウェイの組織の拠点もそこにある。
 ホテルに泊まっていたら、ハサウェイの組織に襲われる。要人がかたまっているからなんでしょうが、緊急着陸して偶然そこにいたはずなのに、襲撃の準備はいつできたんでしょうか(追記;ここ偽装工作ということなんですね。でも32Fから上を攻撃するんじゃなかったのでは?)。
 しかも、モビルスーツ戦がハサウェイの真上で始まってしまう。
 うーん、この部分をもう少し丁寧に必然にしてほしかったですね。またはギギによる不思議な力?のせいなんでしょうか。
 大人向けに作っている雰囲気の割にはストーリー展開が子供向けという感じでチグハグ感はあります。少年向け小説が原作みたいなので止むをえませんか。

 本作がガンダムか、といえば、もはやモビルスーツものですらなく、それは単なる戦いの象徴になっています。極端なことを言えば現代兵器でドンパチやっていても、物語に破綻は出ないでしょう。

 アニメは、金はかけたのでしょう。ものすごい出来でした。しかし、実写に近づきすぎたといえばいいのでしょうか。ガンダムらしい迫力が感じられません。ハリウッド特撮的な迫力になってしまっています。
 冒頭のシャトル内の人の動きが気持ち悪かったです。ある種不気味の谷を感じました。

 ギギの造形、キャラだけは素晴らしかったので、それだけでも見る価値はあります。

 あえて、スケールを小さくしてパーソナルな問題に置き換え、ガンダムが不要になってゆく。ニュータイプもあまり意味がなくなってゆく。宇宙世紀もののガンダムとの決別なんでしょうか。

追記;ちょっと集中して見れてなかったみたいですね。一回しかみてなかったのでいろいろ変なレビューでした。また、2作目があるときに見返します。 {/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 11

63.7 4 シリアスで戦争なアニメランキング4位
アップルシード APPLESEED(アニメ映画)

2004年4月17日
★★★★☆ 3.5 (178)
960人が棚に入れました
公安警察組織に所属しているデュナンとブリアレオスの活躍を描いた近未来サイエンスフィクション作品。
22世紀。世界は第五次世界大戦を経て荒廃し、北大西洋(アリゾナ州とカナリアの間)の人工島オリュンポスに設置された総合管理局が台頭、世界をその影響下に置いている。主人公である女性隊員デュナンと戦闘サイボーグであるブリアレオスは総合管理局の内務省部隊、ESWAT(ESpesialy Weapon And Tactics)に所属して対テロ作戦などに加わる。その中で巨大な計画、旧大国の策謀が明らかになっていく。

HIRO さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

荒牧伸志さんの監督デビュー作品。

2004年劇場映画アニメ

原作は士郎正宗さんのマンガ作品です。
アップルシード APPLESEEDは荒牧伸志さん監督デビュー作品です。
フル3Dライブアニメという表現手法によって映像化された作品です。

(フル3Dライブアニメ:3DCGをセルアニメのような画風に変換するトゥーンシェーダーと、登場人物のリアルな動きを可能とするモーションキャプチャ技術を融合させた手法を示す造語である。セルアニメに近い画風でありながら、従来のアニメーションと比べ、自由なカメラワークやよりリアルな動きが表現できる。)

まず驚いたのは2004年作品での画像クォリティーの高さ。2014年にアップルシード アルファを発表していますが、さらに進化しています。

難を言えば、3DCG作品全般に見られる機械の描き方や動きの速さに人の顔の表情がついてこれず主人公、ヒロインが人形のように感じてしまうところです。
そうはいえど2014年製作のアップルシード アルファにおいてはアバターやタイタニックの監督のジェームズ・キャメロン氏が「もはや新次元の領域だ」と言わしめているように次の時代を担っている荒牧伸志監督デビュー作は観ておいて損はないと思います。

あらすじ
世界大戦後の廃墟で生き延びていた女性兵士デュナンは、人類への奉仕者として肉体・感情を制御されたクローン人間バイオロイドの管理する理想都市オリュンポスに連行され、そこで全身サイボーグ化していた恋人ブリアレオスと再会する。彼の所属する元老院ESWATの一員となったデュナンは、やがてバイオロイドの開発とオリュンポス計画に自分の両親が関わっていた事実を知り、自身もバイオロイドの軛を解き放つ鍵「アップルシード」をめぐる陰謀に巻き込まれていく。

・スタッフ
監督 : 荒牧伸志
脚本:半田はるか、上代務
絵コンテ-:秋山勝仁、九市、吉田英俊、荒巻伸志
製作 - アップルシード・パートナーズ(ミコット・エンド・バサラ、TBS、ジェネオン・エンタテインメント、やまと、東宝、TYO、デジタル・フロンティア、MBS)

キャスト
デュナン : 小林愛
ブリアレオス :小杉十郎太
ヒトミ :松岡由貴
ウラノス将軍 :藤本譲
ハデス :子安武人
アテナ :小山茉美
ニケ :山田美穂
義経 :森川智之
ほか

投稿 : 2024/12/21
♥ : 13

che さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

MVA

核大戦後の荒廃した世界を舞台にした、SFガンアクションアニメです。
3DCGと表情までキャプチャーした、モーションキャプチャーを使用した、当時最先端の技術を使ったアニメでもあります。

大まかな内容としては、
大戦を経て荒廃した世界で、理想郷とも呼べる、文明を維持した都市に保護された主人公二人が、都市の治安維持機構に所属しテロ組織と戦う
というのが大まかな流れでしょうか?

アクションシーンはかなりのものです、アクションだけ取れは僕の中で10、いや5本の指に入るんじゃないでしょうか?

内容はないこともないですが、まあアクションアニメなんでそれほど濃い内容ということもないです。

楽しみ方は人それぞれかと思いますが、僕はミュージックビデオとしてみると楽しめるんじゃないかと思いますw
実際結構すきなアーティストが楽曲してて、よかったです。
Basement JaxxとかBOOM BOOM SATELLITESとか。
特にBasement JaxxのGood Luckは流れるシーンとセットでいい演出だったともいます!

あまり内容を気にせず、アクション、音楽、演出を楽しめば楽しめる作品だと思います。

タイトルは、Music Video Animationです。
そんなジャンルはないですよw、ただの僕の感想です。

こんな人におススメ

SFの人
ミリの人
ロボの人
アクションの人
エレクトロの人

投稿 : 2024/12/21
♥ : 8

らびえぬす さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

士郎正宗作品では一番好きです

攻殻機動隊も勿論好きなのですが、アップルシードの世界感・倫理観が一番好きです。

ヒトの幸福の追求・理想社会を目指した結果、バイオロイドを創造し全てがほぼ解決した社会を構築したつもりが・・・・

ヒトはやはり、争うことをやめることができず乱れる。

形は全然異なりますが、現実の人類社会を痛切に風刺しているのが本作品の源流だと思います。

そういった意味で、攻殻をより根源的に追求したアップルシードが私は好きです。

ただ、アニメ化にあたっては、かなり圧縮する必要があることから原作のそういった部分が、少し抑制されています。
また3D化については、人により善し悪しの判断が異なるため、ここも評価が分かれるポイントでしょう。

どちらを先にしても良いですが、原作も併せて観るとより世界感が理解できて楽しめるのではないでしょうか。

評価は本作品(アニメ)についてとして評価しています。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 5

69.4 5 シリアスで戦争なアニメランキング5位
人狼 JIN-ROH(アニメ映画)

2000年6月3日
★★★★☆ 3.8 (274)
1326人が棚に入れました
『人狼 JIN-ROH』(じんろう)はProduction I.G制作の日本のアニメ映画。押井守の代表作である「ケルベロス・サーガ」の一作。\n強引な経済政策によって失業者と凶悪犯罪が急増した首都・東京。政府は反政府勢力掌握の為、“首都警”と呼ばれる治安部隊を設置する。その首都警の一員である青年・伏一貴は、闘争本能のみで生きる一匹の“狼”の様に一切の感情を切り捨て、自分を律してきたが、一人の女性・雨宮圭と出会い、運命のように惹かれ合っていくが…。

ソーカー さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

これぞ隠れた名作

セクトと呼ばれる過激派集団が社会問題となっている時代、
治安維持のために首都警と呼ばれる武装組織が作られ、衝突を繰り返していた・・・

時代は架空設定ではありますが、世界大戦後の日本を描いています。
昭和の安保闘争をモデルにしてると思われるので、世代によっては難しいかも。
組織の対立の中で、二人の男女の切ない物語を描いた作品。

押井守脚本(監督は沖浦啓之)ということで難解な内容と思いきやそうでもありません。
世界観の細かい設定については、いくらか分かりにくい部分もありましたが
ストーリー自体は割とシンプルで非常に面白かったですね。
主人公と少女の心情が移り変わっていく様子は、とてもリアルで見事にメロドラマを演出しています。
全体的に暗い展開で、万人におすすめできるものではないかもしれませんが
それでも是非見て欲しい名作の一つで、ラストの切なさには心打たれました。

組織の対立における謀略戦もひとつの見所で
視聴者の予想を裏切る素晴らしい展開を見せてくれます。
とくに終盤からラストまでにかかる流れは「衝撃的」で素晴らしかった。
リアル絵のキャラデザで少々好みが分かれそうな気もしますが、作画自体は非常に綺麗。
良い意味で時代を感じる、もっと評価されてほしいアニメ映画ですね。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 17
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

狼と赤ずきんの寓話

沖浦啓之監督、脚本押井守。
IGの豪華スタッフ結集で送る、
ケルベロスサーガ、もう一つの戦後史。

敗戦から数十年が経ち、占領軍の統治から、
国際社会への復帰を目指すわけですが、
急激な経済再編政策の失敗により、
大量の失業者の群れと凶悪犯罪を生んだ。
{netabare}やがて反政府勢力や過激なセクトが台頭し、
それに対抗すべく生まれたのが首都警である。{/netabare}

原案・脚本のみでの参加となりますが、
安保闘争や全共闘運動の時代に青春を送った、
押井守の原風景がここにあるのでしょう。
国の行く末を暗示するかのような、
全編に渉り曇天の空と陽の当たらない地下道、
風情ある古い東京の街並みも、
セクトとの激しい市街地戦で血に染まっていく。

首都警の伏一貴と赤ずきんの少女。
{netabare}人も街も国も多くの病根を抱えているのだ。
追放された伏は狼と人との境界線で苦悩し街を彷徨う、
2人の邂逅は安らぎのひと時であったと信じたい。
余韻を残す、魂の軌跡だと思います。{/netabare}

狼として己に覚醒した悲しい男の物語である。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 37

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

狼は所詮狼、人にはなれないのか? それとも・・・

2000年公開のアニメ映画。上映時間98分。一部残虐な描写があり、PG-12指定。
原作・脚本は押井守氏、監督に沖浦啓之氏(初監督)、
演出は神山健治氏と錚々たる顔ぶれです。

簡単な舞台説明(知っている方は飛ばしてください)
終戦から十数年後、強引な経済政策により
街には失業者が溢れ凶悪犯罪が多発していた。
中でも「セクト」と呼ばれる過激派集団の反政府運動が社会問題となっており、
政府もそれに対応すべく「首都圏治安警察機構」通称「首都警」を設置。
武装闘争は泥沼化していく中、
行き過ぎた首都警に対して世論から非難する声も大きくなっていった。

※本作では戦勝国はドイツとなっており、
これは架空の世界ということを強調しているのでしょう。

どうでしょうか?
制作スタッフと舞台説明からも分かる通り
本作は重厚謹厳な雰囲気を終始纏っています。
アニメ映画というよりも邦画を観たという印象でしたw
気楽に観れるタイプの映画ではない為、心の準備が必要かもしれませんw

絵は今敏監督作品のような感じですね。
本作の主人公、
首都警の戦闘部隊である特機隊の一員の伏一貴(ふせかずき)巡査は
朴念仁とも形容できるようなソルジャーです。

薄暗さを感じる曇天模様の昭和を舞台に
ボソボソっと必要最低限の会話しかしない伏一貴は
哀愁という言葉が嵌まり過ぎる程嵌っています。
まさにハードボイルドな世界観です。

タイトルから分かる通り本作のテーマは
「人の皮を被った狼」ということになるでしょう。
ダースベイダーを彷彿とさせる強化装甲服が印象的でした。

特機隊と公安部の警察内部闘争に発展していく中
伏一貴の前に突如表れる少女雨宮圭。

この恋は徒花?
狼は所詮狼、人にはなれないのか?
それとも・・・

イデオロギー色も極力控えられていますし、
ストーリー自体も結構シンプルです。
押井作品が嫌い、政治や社会を絡めてくる重厚な作品は観たくない
ということでなければ視聴してみる価値はあると思います。
ラストシーンが印象的で様々な感情が湧き上がってきました。

それにしてもこれ程レビューが書き辛い作品もそうはないですw
時代背景や取り巻く環境、キャラに対しての感情移入という点でも
視聴者はひたすら傍観者であることを強いられるという感覚を覚えました。
視聴者が口を挟む余地がほとんどない作品というか・・・
換言すればそれだけ完成度の高い作品ということなのかもしれません。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 38
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