キャポックちゃん さんの感想・評価
5.0
テレビアニメの1頂点
第1期・第2期とも全話視聴済み、原作全巻既読。
日本のマンガやアニメにしばしば登場するメガネっ娘メイド--メイドの本場である19世紀後半のイギリスではお目にかかれそうもないキャラだが、「もし、そんなメイドが実際にいるとすれば」という設定で描かれたのが、主人公のエマである。
当時のイギリスでは、鉱工業の発展に伴って都市化が進行しており、農村に基盤を持つ世襲貴族が没落する一方で、富を蓄えた資本家の中には、貴族風の生活を楽しむ者も現れた。例えば、第2期に登場するドイツ出身の富豪は、世襲貴族でないにもかかわらず、郊外に構えた広壮な館で数十人の使用人を雇い、実質的な貴族生活を送っている。エマが生きたのは、こうした末期的兆候を示す階級社会である。
貴族の館における使用人の実態は、『図説メイドと執事の文化誌』(エヴァンズ著、原書房)に詳しい。それによると、使用人社会の中にも階級があり、執事・ハウスキーパー(メイドたちを管理する)・コック・ナニーら専門職からなる上級使用人に比べると、メイドやフットマンなどの下級使用人の生活は、かなり苦しかった。メイドのトップは、女主人の身の回りの世話をするレディス・メイドで、彼女だけが主人と会話することが許される(アニメには、エマがいきなり女主人に意見を述べて、ハウスキーパーを慌てさせるシーンがある)。その下に、清掃などの家事を行うハウスメイド(上下水道が整備されておらず、屋内便器の始末や階上への水運びもしなければならないので、かなりの重労働だった)、コックの補佐役であるキッチン・メイド、子供の世話をするナース・メイド、洗濯担当のランドリー・メイドらがいた。その姿は、第2期第1話で活写される。
下層階級出身であるメイドたちは、一通りのマナーを教えられただけで、大部分はかろうじて読み書きができる程度だった。レディス・メイドやコックに出世し、小金のある男と結婚するか自分の店を持つのが夢だが、それが叶うのはほんの一部にすぎない。男を連れ込んだり盗みを働いたりして解雇され、身を持ち崩すメイドも少なくなかった。メイドたちを見る貴族の目は冷たく、生まれつき卑しい人間だという差別意識も根強かった。
そうした中、ミドルクラス(貴族と庶民の間の階層で庶民よりは裕福)の出身で、若くして未亡人となり良家の家庭教師を勤めていたストウナー夫人は、人格を形成するのは教育だという信念を持っていた。彼女は、身よりのない孤児だった少女を引き取り、オールワークス(家事全般)のメイドとして自宅に住まわせながら、上流階級の子弟と同等の教育を施した。少女が近視だと気づくと、高価で庶民には手が届かなかったメガネも買い与えた。こうして、シェークスピアを諳んじフランス語も読める、教養と淑やかさを備えたメガネのメイド・エマが誕生する。
アニメが始まってすぐ、かつての教え子・ウィリアムが近況伺いにストウナー夫人のもとを訪ねたときのことである。主人の客であるにもかかわらず、エマは、ごく自然にウィリアムと会話を始める。「ああ、この人は、身分や財産で差別しないのだ」とわかる素晴らしいシーンである。裕福な実業家であるウィリアムの父親は、成り上がりとの陰口を払拭すべく、息子を子爵令嬢と結婚させて貴族の仲間入りをしようと画策する毎日だった。そうした階級のしがらみに嫌気がさしていたウィリアムは、エマの真情に心を打たれ、恋に落ちる。
原作となる森薫のマンガは、偶然と策謀が織りなす韓流ドラマばりの大メロドラマ(ただし傑作)だが、アニメ化に当たって不自然なストーリーが整理され、かわって、周囲の人々の人間性が積極的に描き込まれている。例えば、第2期には、レディス・メイドでありながら、恋人の士官にたぶらかされて盗みを働くナネットという女性(アニメのオリジナルキャラ)が登場するが、こうした脇の人物が生き生きと描かれているため、「階級を越えた恋」といういかにも型にはまったプロットでありながら、古くささが感じられない。逆に、階級制度と人間性の問題を直視する重厚な傑作となった。
冬馬由美が担当するエマの声は、大人びた淑やかさを感じさせて、心地よい。梁邦彦の音楽も、作品にマッチしている。
【補記】
「上質なアニメ」という評言の規範となり得る作品。私は、好きなエピソードを中心に5回以上繰り返し鑑賞したが、何度見ても涙ぐみほど感動できる傑作である。第1期が原作連載中に制作された後、2年の間を措いて第2期が(制作会社・法則曲を変更した上で)発表された。人気作でないにもかかわらず、ラストまできちんと描かれたのは、実にありがたい。
以下、ポイントごとに長所を説明しよう。
脚本:森薫の原作漫画もきわめて優れた作品だが、ストーリー展開でやや無理のある点が散見された(エマが誘拐される箇所など)。脚本を担当した池田眞美子は、こうした部分を削除して、ストーリーラインが明確な力強い物語を紡ぎ出した。原作では必ずしも描かれなかった重要人物のその後にも触れており、第2期まで見終わった後は、優れた大河小説を読んだときのような充足感に包まれるだろう。
作画:本作の大きな見所は、ビクトリア朝の風俗を、原作以上に丹念に描出した点である。掃除や料理のシーンで手順が具体的にわかるように描いており、血肉を持つ人間の生活感が匂い立つ。それぞれのキャラの心理描写も素晴らしい。首の傾げ方や手の配置などにその人物らしさが滲み出ており、台詞に頼らずに心理を浮き彫りにする。アニメーターがいかに心を込めて描いているかがわかる。私が好きなのは、第2話のラスト近くでエレノアが日傘について誤解するシーンで、あえて滑稽さを表立たせず彼女に寄り添うに描いており、見ているうちに共感が深まり気がつくと涙が出ている。
音楽:最近のアニメは、OPとEDに有名アーティストの楽曲が起用されることが多いが、コラボで儲けようとする魂胆が透けて見えて私は嫌いだ。本作では、あえて梁邦彦によるインストゥルメンタル曲を使い、本編と共通する上品で涼やかな興趣を盛り上げる。劇伴も素晴らしい。
声優:冬馬由美の声は、エマという自己抑制の効いた人物像を見事に表現する。そのほかのキャラも、声優が出しゃばることなく生き生きしている。
それにしても、本作と『十二国記』という偉大な傑作を作った監督の小林常夫が、2015年に50歳そこそこで亡くなったことは、日本のアニメ界にとって大きな損失と言わざるを得ない。
(本作は、長らく見るのが困難な作品だったが、dアニメなどで配信が始まったので、2013年に公表したレビューを改めて投稿し、補記を加えました)