方言で戦争なおすすめアニメランキング 5

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの方言で戦争な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年12月23日の時点で一番の方言で戦争なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

73.8 1 方言で戦争なアニメランキング1位
最終兵器彼女(TVアニメ動画)

2002年夏アニメ
★★★★☆ 3.5 (761)
4695人が棚に入れました
北海道の田舎町で暮らすシュウジとちせ。
ちせは以前から興味を持っていたシュウジに度胸試しとして告白、そのぎこちない交際は交換日記から始まった。
そんなある日、謎の敵に札幌市が空襲される。攻撃から逃げるシュウジが見た物、それは腕を巨大な武器に変え、背から鋼鉄の羽根を生やした兵器と化して敵と戦うちせの姿であった。
国籍不明の軍隊との戦争が激化していくにつれちせは兵器としての性能が向上していくが、故障をきっかけに肉体も精神も人間とは程遠いものとなってしまった。
二人のクラスメイトのアツシは、以前から想いを寄せていたアケミを守る為に自衛隊に入隊。戦場へ赴いていた。
TVアニメオリジナルエピソードで、ちせの親友四人組の一人のゆかりは自警団の白人兵狩りに参加。銃を持ってタケの仇を討つ為、山狩りへ向かう。
そんな中、アケミは大地震に巻き込まれて大怪我をし、シュウジの目の前で死んでしまう。歪んでいく日常。シュウジは再度姿を見せたちせを連れて町を出るが…。

声優・キャラクター
石母田史朗、折笠富美子、三木眞一郎、伊藤美紀

阿紫カービィ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

何もかもが曖昧でも 何もかも 正しい

鬱アニメとして
必ずあがるこの作品。


はるか前に、漫画で読んだのですが、

その頃の私は…心が爛れていたのでしょうか?(笑)
特に何も感じなかった…ので

ずっとスルーしてました。


縁あって視聴。

…びっくりしました。


ファンタジー(AI)、戦争、高校生の恋愛、生死観。


異なる要素が
巧く絡み合って、もうひとつの『現実』を見た気がします。

(某、東京大震災のアニメがありますが、この作品の方がよっぽどリアルだと感じました。)



どんどん兵器化していく、ちせちゃん。

その姿に
恐怖を感じてゆく、シュウジ。

その恐怖から逃れたいためか、他の女性に安息を求め、余計に罪悪を感じる、

誰にでもある、現実からの逃避、負の連鎖。



自分に
何ができるのか、何をしたら良いのか、解らず苦悩するシュウジ。


一方、親友のアツシは、『好きな人を護るため』軍に入ることを志願します。


その時
シュウジがアツシに言った言葉は、とても重く、心に残りました。

戦争は
死にに行くのではない、人を殺しにいく事だ…



恥ずかしながら私にはない考えだったので。



戦争で、震災で、最期をむかえる人達
無念を残して 涙を流しながら…



どうも、ひっかかったのは
ちせちゃんの親友の アケミの行動。

彼女はズルい と思う私は、間違ってるのかな?


私は
拗れた(?)女性の気持ちに鈍感なんですよ…



ラストに向かっての流れはとても好きでした。

最愛の人と
二人だけの生活。。憧れます。

ちせちゃんとシュウジの蜜月は
とても短く…切なくて切なくて。




観て本当に良かった。
一人でも多くの方に観て頂きたい作品です。

きっと何かを得られるはずです





観るきっかけをくれた、貴方に、感謝とお礼を。



ありがとう。



後日

原作読み直しました。
素晴らしい、の一言に尽きる!

ぜひ、原作も読んでください。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 48
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

世界スケールの「主観体験」

原作既読。

バトル……ではなく、恋愛ものです。
世界観は地球規模と、とてつもなく大きいです。

それだけスケールの大きな話なのに、わかるのは、自分の恋人のことだけ。
それも断片的なものです。

何か大変なことが起こっているのはわかる。
いつの間にか、どこか遠く、見えないところで変わっていく恋人。
しかし主人公にできるのは、そんな彼女を見守り、声をかけ続けることだけ。

つまり、主人公が見えている世界≒視聴者が見えている世界、主人公ができること≒視聴者ができること、というわけです。

そういう「主観体験」ができるお話です。
そこが最終兵器彼女の最大の魅力だと思っています。


その魅力を引き出す替わりに捨てたのが、世界観の説明や事件の解決。
よく「セカイ系」とカテゴライズされますが、誰にもどうしようもない、ほとんど選択肢のない状況であるため、主人公や身の回りの人間の行動が世界の運命を左右する「セカイ系」とは少し違う気がします。

残された少ない時間の中で、少しずつはぐくんでいく、「純愛ストーリー」として捉えるのがいいのではないでしょうか。

したがって、大きくストーリーを追ったり謎を解明しようとするのではなく、シュウジ≒自分と、ヒロインちせ、サブキャラクターの感情変化に注目して視聴すると楽しめると思います。

正直、サブキャラクターも出さなくてよかった気がするんですが……そこは、視聴者の分身の一部だと考えましょう。

{netabare}
気になる結末。
最終的にどうなったのか、それは視聴者の想像におまかせといったところ……{netabare}と言いたいのですが、実は世界は滅びていないんです。
生き残った人々の話を描いた「スター★チャイルド」という読み切りの漫画が存在します。
「地球はもうだめ」と言い切ったちせは、最後の最後まで、「かわいいけど……ノロい」だったんですね。{/netabare}
{/netabare}

……あ、実写映画版は正直全然違う話なので、原作やアニメと切り離して考えてください。

趣旨をはき違えている気がします。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 59

blackwolf さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

タイトルなし

作画に少々不満点がありましたが、
見ているうちに気にならなくなりました。
ストーリーは非常に現実離れしていて主題はいまいちよくわかりませんが、内容自体は非常に面白かったです。
特に作品後半、脇役が次から次へと死んでいく描写は非常に写実的で心に響きました。
また、全般的に涙を誘う部分が多くありましたが、そこまで感動した部分はありませんでした。

因みにこの作品は実写映画化されています。
しかし作品が作品なので明らかにアニメより描写力が落ちています。
また、かなり内容が変わってしまっていて最後の大切なクライマックスの部分が大きく変更されていました。
少し残念です。
実写版はおすすめできません。

人の心の温かさ戦争の残酷さと同時に映画にはないアニメの描写力に気付いた作品でした。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 3

82.8 2 方言で戦争なアニメランキング2位
この世界の片隅に(アニメ映画)

2016年11月12日
★★★★★ 4.2 (700)
3106人が棚に入れました
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。

声優・キャラクター
のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外

tao_hiro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

さようなら

<2019年6月13日追記>

12月20日(金)に公開予定の「拡張版」を応援するチームの
募集が始まりました。

応援チームに参加された方は、エンドロールにお名前が掲載
されます。

私はいろいろ考えて、応援チームには参加しないことにしました。
このレビューでの告知もこれを最後にしたいと思います。

2年以上の長きにわたりお付き合いいただき誠にありがとうござい
ました。

<2018年10月19日追記>

「拡張版」の公開が延期されました。

<2018年7月27日追記>

以前から噂となっていた「拡張版」の12月全国公開が発表されました。

「拡張版」とは、諸般の事情により本編から泣く泣くカットされたシーンを追加し、当初構想された形で公開されるものです。

正式タイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」です。

こちらもぜひご期待ください!!


・・・ところで、拡張版の公開を記念して、こぼれ話を一つ披露させていただきたいと思います。

私はクラウドファンディングに参加しました。その特典としてエンドロールに氏名が掲載されました。

ところが・・・なんと誤記されていたのです!

あはは、すずさんのあわてんぼう(笑)

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『人生のひとこま。』

<2017年3月1日追記>

この作品の最大のテーマは、「日常を大切にする」という事だと思います。戦時中であれ、現代であれ、人々は様々な苦難に囲まれています。そのなかから、いかに幸せを見つけ出し、育て育むこと。それの営みが「日常」であることを教えてくれます。

余談ですが、英語で「日常」は「Slice of life」と表現されることがあります。「人生のひとこま。」って、ちょっと洒落てますよね。

さて、この作品を劇場で見終えた後、脳裏に浮かんだ詩を披露させていただくことで、全5回にわたる冗長なレビューをまとめさせていただきます。


「人生のひとこま。」

誰かが 泣く
誰かが 笑う
誰かが 怒る
誰かが 祈る

この世界の片隅に
いつのときでも・・・

ありがとうございました。
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『豊かさとは?』

<2017年2月19日追記>

例えば、「裕福だけど不幸せな生活」と「貧しいけれど幸せな生活」ならば、どちらを選びますか?

ここで「裕福」とは「財産や収入がゆたかで生活に余裕があること」を意味します。「幸せ」とは「不平や不満が無く楽しいこと」を意味します。

私は迷わず「貧しいけれど幸せな生活」を選びます。

人間はモノの不足には耐えられても、ココロの不足には耐えられないように思えます。

この作品は戦時中が描かれています。物資は何でも不足している状態です。しかし主人公は、その物資不足を補うべくあれこれ工夫を凝らします。その工夫を楽しみます。たまにはドジを踏みますが、温かい家族のきずながそれを支えます。同じ貧乏の近所の方々とも支え合います。

それから70年経った現在で、貧困が問題となっています。さまざまな原因分析と対策が議論されています。しかし私はそれらは効果がないと考えています。

『心の豊かさ』とはなにか?を見つめなおす必要を感じています。
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『健全な社会について考えてみた』

<2017年2月13日追記>

例えば、「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」と「毎年の自殺者が2万人で戦死者が0の社会」とでは、どちらが”健全”な社会だと思いますか?(2万人という数字は、昨年の日本の自殺者数を基にしています)

どちらの社会も「平和な状態」とは言えないことは明らかですが、どっちがマシでしょうか?

私は迷わず自殺者0の社会を選びます。

戦死は「敵に殺された」という疑いようのない理由がありますから、ある意味、交通事故と同じでしょう。遺族や友人は心の整理が比較的つけやすいでしょう。(ちなみに昨年の交通事故死者数は3000人です)

しかし、自殺は「自ら死を選ぶ」という禁忌を犯すわけです。遺書や何らかの形で理由を遺す場合もあるでしょうが、なにぶん当人の心の中にしか本当の理由は遺されていないのですから、遺族や友人はやりきれないでしょう。そして、「あのとき助けてあげてたら」といった後悔の念に囚われるでしょう。

自殺者の多い社会は、戦死者の多い社会よりも、世の中に暗い影を落とすと思います。

また、自殺の原因は、当人だけでなく、家庭や職場などの環境にもあることが多いと思います。周囲の環境が当人の危険信号をいち早く察知し、適切な手を打つことが出来れば、自殺を食い止めることが出来たかもしれないケースは多いと思います。

この作品で描かれた家族や地域社会は、それができる社会であったように思えます。

実際、自殺死亡者数の年次推移をみると、昭和11年の15000人までは増加傾向を示していますが、昭和12年から戦時中まで減少傾向となっています(ただし戦時中につき資料に不備有)。

「戦争でいつ死ぬか分からないのに、わざわざ自分で死ぬ必要はない」という考えもあるでしょうが、私は社会が自殺希望者を思いとどまらせたのではないかと考えます。

私は「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」のモデルである戦中の方が現代よりも人の心は「健全」だったと信じます。
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<2017年2月6日追記>

『戦争映画の復興』

色々な気持ちが交差してうまくまとまりませんので小分けにすることにしました。その第一弾です。

この作品、色々な賞を受賞し、各種メディアで取り上げられ、ネットでも多くの賞賛を頂いているのですが、私は「そんなに評価される作品かぁ?」と戸惑っています。クラウドファンディングに参加した人間としてはあるまじき感想ですが正直なものです。

戦争映画というジャンルは、本来、極限の状況における人間の姿を描く一大スペクタクルでした。光と闇、理性と感情、英知と無知、科学と精神、秩序と無秩序、勇気と卑怯、我儘と寛容、傲慢と卑屈、などのありとあらゆるテーマを取り扱う事ができました。

私が子供の頃の1970年代までは、そうしたバラエティーにとんだ作品たちが多く制作され、劇場やテレビで流れていました。この作品は、それらの作品と比べると、アニメ作品であることを覗けば特に目新しいものは見当たりません。もちろん、負けず劣らず良い作品ですが。

ところが、1980年代に入って、戦争映画というジャンルは一気に衰退します。原因は二つあると考えられます。

一つは娯楽の主役の座が映画からテレビに移ったことです。興行収入が減る中、製作費が高い戦争映画は避けられるようになりました。

もう一つは、70年代のムーブメントとして、ベトナム反戦・安保闘争・学園紛争・過激派闘争などを受け社会が左傾化したため、大東亜戦争観が変貌し、「反戦平和」をテーマとした作品が作られるようになったことです。これらの作品は、イデオロギー色が強く、エンターテイメント性に乏しく、興行成績は振るいませんでした。

2000年代に入ってから、若干のエンターテイメント性が感じられる作品が制作されるようになりましたが、「反戦平和」から抜け出すことはできないまま現在に至っています。

このため、若い人にとっては、戦争映画・アニメは「暗くて悲惨」というイメージになっているようです。

この作品は、イデオロギー色を極力排除できているように思えます。「何を訴えたかったのか良くわからなかった」といった感想がときおり見受けられるのがその証拠だと思います。

そして何よりも、劇場に足を運んでいただいたご年配の方やお子様たちが、上映中に何度も笑っていました。そして、すすり泣いていました。これこそエンターテイメントです。これは、80年代以降の戦争映画しか見たことない方々にとっては新鮮だったでしょう。そしてこれがヒットの一因だと思います。

この作品が「戦争映画の復興」への足掛かりとなることを強く期待します。それでこそクラウドファンディングに参加した甲斐があるというものです。

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<2017年1月15日追記>

『Slice of life』

全国公開から遅れる事2ヶ月。やっとやっとやっと見る事が出来ました!
クラウドファンディングに参加した甲斐がある素晴らしい仕上がりでした。

色んな思いが渦巻き合って、納得できるレビューが書けません。
今はこの詩に思いを託したいと思います。


”Slice of life”

Somebody cry
Somebody smile
Somebody angry
Somebody pray
In a corner of this world
At any time.


お粗末さまでしたm(__)m

投稿 : 2024/12/21
♥ : 50
ネタバレ

東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

日常のレトリックに覆われたアンビバレントな交錯

考察、専門用語あり。
難易度中。

本作は初回を劇場で鑑賞。
その後、マスコミで騒がれたからか、妻も観たいという要望がありiTunesストアでビデオを購入した。
つまり、いつでも鑑賞可能な状態にある。

☆制作情報

▼原作者:こうの史代
▼アニメーション制作:MAPPA

▼話数:劇場版129分
{netabare}▼監督:片渕須直
・実績
(監督)
『名犬ラッシー 』『BLACK LAGOON』『この星の上に』『アリーテ姫』ほか
▼脚本:片渕須直
▼キャラクターデザイン/作画監督:松原秀典
・実績
(キャラクターデザイン)
『サクラ大戦TV』『ああっ女神さまっシリーズ』『巌窟王』ほか
▼音楽関係
音楽:コトリンゴ
主題歌「みぎてのうた」(コトリンゴ)
オープニングテーマ「悲しくてやりきれない」(コトリンゴ)
エンディングテーマ「たんぽぽ」(コトリンゴ)
▼CAST(略)
北條すずcvのん
北條周作cv細谷佳正
水原哲cv小野大輔
黒村径子cv尾身美詞
黒村晴美cv稲葉菜月
浦野すみcv潘めぐみ
ほか{/netabare}

【物語】
《反戦とシナリオに潜む唯物史観》
本作はあにこれに限らず、既に多くの場所で様々な評価をがされているが、未だに「反戦」であるとか否かという論争もあるようだ。
本作において「反戦」をメッセージの一つとしていることは、鑑賞をすれば一目瞭然だろう。
メディア作品は「印象」が全てであり、多くの方々が「すず」に共感や同情をしつつも、けっして同じ時代で同じ境遇を送りたいとは思わないだろう。
そう思った時点で本作の「反戦」メッセージはあなたに届いているのだ。

本作が今までの反戦作品と異なっているのは、唯物史観(自虐史観)の教条に満ちたイデオロギーが過去作(はだしのゲンなど)と比して、プロットで日常バイアスをかけることで反戦メッセージの希釈化とエンタメ指向を高め、鑑賞者に対し導入のハードル下げる誘導を行うなど、独特の印象操作により「反戦」がレトリックされている点であろう。

私はここで本作が「反戦」であるか否かのロジックを立ててまで分析をする気はない。
既に左翼は本作を反戦作品と認めているからだ。
左翼ネットメディアの「LITERA(リテラ)」の記事が的を射た左翼の代弁をしているので紹介する。

『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が
https://lite-ra.com/2016/11/post-2722_3.html
(引用)
>「反戦じゃないからいい」とうそぶいている人たちにも、この映画は、確実に戦争への恐怖を刻み込んでいるだろう。

私は理系であるゆえに帰納的に観測される他の方々のレビューに記述されている事後評価と「LITERA」の主張を照合することで、概ねその主張は実態に即していると結論している。

何も難しく考えることはない。
本作が「反戦」であれば、そのように素直に認めればいいのだ。
あとは鑑賞者が「戦争」をどう考えるのかに委ねればよい。
そこで表明された意見こそが、その人の思想の発露なのであり、その意味で本作はリトマス試験紙の役割も兼ねているのだ。

{netabare}まず、今まで我が国で製作された戦争関連のメディア作品は程度の差こそあれ、ほとんどは「反戦」と考えていい。
実際、1980年代まで監督クラスはマルクス第一世代であり、制作現場には戦争体験者が多くいた。
また、観客にも戦争体験者が多かった時代でもあり、実体験した戦争の正体(残虐、非人道的)をしっかり伝えないと共感が得られない時代でもあった。
おそらく、作り手も観客も戦争体験者であった時代は「思想」の問題ではなく「経験の共感」が大切であったのだろう。
しかし、現代は作り手も観客も大東亜戦争のことは知らない世代であり、戦争を伝えるにはどうしてもイデオロギーを用いざるを得ないのである。
そして、その当時の戦争作品に関する製作の土台が世代交代を経た現在においてもフォーマットとして生きていても不思議ではない。

我が国で製作される戦争映画は史的事実においても、どうしても「反戦」となる運命である。
また、戦時中に製作された『陸軍』(1944 火野葦平原作 木下惠介監督 松竹)でさえ一瞬反戦作品ではないかと紛うほど戦争賛美とはほど遠く、悲壮感を全面に押し出した作風であった。
どのような意図で脚本を書いても、ハリウッド作品のような記号性を強調し実在論に立脚した表現とは真逆な、隠喩、暗喩を多用し露骨な表現を避ける日本映画の様式美は「戦争賛美」とは相性が悪いのではなかろうか。

参考として、戦後、日米両軍をそれぞれの視点で初めて一つの作品とした『トラ・トラ・トラ!』(1970 日米合作 20th Century Fox)を観た当時の観客は熱狂した。
この群衆心理は更に深い考察が必要なのだが、今までの日本映画では見られない圧倒的な戦闘アクションと自虐に走る日本映画の鬱屈した描写に不満を抱いていた大衆が、真珠湾に停泊する米艦船を次々と撃破していくシーンに敗戦で失った自尊心を回復する爽快感に浸ったのではなかろうか。
好戦的作品でも否定をしない、日本人が戦争に想うセンシティブな感情がこの作品の評価に現れていると思う。

また、ハリウッドで米国が負ける作品が製作されたのもこの作品が最初だが、我が国で戦争賛美のメディア作品を製作すれば非難轟々だろうが、その後の『地獄の黙示録』(1980 ゾエトロープ F.コッポラ監督)を始め、米国では様々な価値観のメディア作品の製作がされる懐の深さに驚嘆したとともに、自由主義が地に着いている印象を受けたものだ。

ゆえに、戦時国策映画であっても戦争に懐疑的な姿勢を示す表現手法の伝統を踏まえれば、作品の反戦性を論う批判はさして建設的ではなく、寧ろイデオロギー的な反戦メッセージに無防備に引きずり込まれないよう受け手(鑑賞者)の思想的準備が重要なのである。
そこがしっかりとしていれば、以下で紹介する五味川作品であれ、日本映画の反戦作品としては最高傑作とも評される『軍旗はためく下に』(1972 結城昌治原作、深作欣二監督 東宝)であれメッセージにワンクッション置いて「反戦」とは何かの「哲学」の深化に至るプロセス過程で戦争と向かい合う姿勢が決まるのであろうと思う。
なお、『軍旗はためく下に』は精神的ブラクラを伴うカニバリズム作品でもあり、鑑賞には相当の覚悟を要する。

ここで戦史系の話題を振ればレビューは良い感じに埋まるのだが、今回は公開から時間が経過したこともあり、やめておこう。

さて、本作の場合、前述した『はだしのゲン』(1983 中沢啓治原作 真崎守監督 ゲンプロダクション マッドハウス)(1986 中沢啓治原作 平田敏夫監督 ゲンプロダクション マッドハウス)や『火垂るの墓』(1988 野坂昭如原作 高畑勲監督 スタジオジブリ)に代表される反戦アニメと比較するのは妥当ではない。
『はだしのゲン』は原作者自身が被爆体験者でもあり、原爆の地獄絵図を体験した方の訴求には大きな説得力がある反面、原作者が共産主義に傾倒した刹那、被爆体験から反戦反核《プロパガンダ》へと大きく変節をし、あまつさえ反日にさえ利用された顚末もある。
本作が中国や韓国での評価が芳しくないのは周知の事実であるので、国内の反日左翼のみならず、特アにも反日利用をされた『はだしのゲン』と同じ土俵には出来ない。

『火垂るの墓』は奇しくも左派の宮崎監督の「物足りない」批判が有名であるので批評は割愛するが、それ以前に設定が稚拙であり、精密な考証を為している本作と同じ土俵で論じるのは難がある。

右派の支持が高い『艦隊これくしょん』(TV版)について一言述べる。
左派からは歴史修正だの戦争賛美アニメとも批判されているが、思想以前に英霊を馬鹿にした戦争揶揄アニメと評した方が正確であろう。
この作品を企画した製作委員会の面々は、頭を丸めて靖国神社の社殿に向かって土下座をしろといいたい気持ちだ。

したがって、本作物語における比較対象は映画ないしはドラマとなる。

正直、本作なぜこれほどまで注目を浴びているのか私には理解が出来ない。
戦時中の日常や「すず」の生き方に共感を覚えるのはいいが、他に戦時中の日常を描写したドラマや映画、小説に出会ったことがないのか?とさえ思う。

実際、戦時中の日常と戦争を投射した映画、ドラマ作品は数多く存在する。
特に1970年代のNHK朝の連続テレビ小説でも多く取り上げられているテーマでもあり、現在放送中の『まんぷく』も戦時中の日常と戦争と向き合う作品だ。
かつての『藍より青く』(1972)『鳩子の海』(1974)が本作のコンセプションとかなり近い内容であるが、こういう作品を観てきた私にとって本作は、アニメーションでこれらを焼き直したに過ぎない感覚なのである。

以前『ZEPO』のレビューでも述べたことだが、明確な反戦(反核)プロパガンダでもない限り、テーマが反戦であるなり、発するメッセージがストレートでしっかり伝わる反戦作品については思想信条を問わず作品としてのレベルを評価する旨述べた。
しかし、本作は様々な賞を受賞している経緯もあり、いわゆるプロの評論家から【反戦】ではないとの声に相当捻じ曲げられてもおり、それが※外化して一般のレビュー評価のマクロ的な結果にも影響をしているようである。
※外部からの干渉を自己想念の結果であると錯覚する態様。(哲学・心理学)
※外化の手段はドグマである。

正直、外部評価と私の感覚にこれほどまでに差異が生じるのは珍しいことである。
その理由として考えられることを箇条書きとしてみる。

①私は戦記を含め戦前、戦時中に関する書籍や映像作品を大量に読み、観ていることから、一般の方よりも醒めた目で本作を捉えている。

②両親を含め私が子供の時分の周囲の大人には戦争体験者が多く存命をしており、戦時中の食料衣料の生活事情、艦砲射撃や空襲の恐怖をはじめ前線の武勇伝や玉砕の刹那と捕虜生活、大和特攻の坊ノ岬沖海戦の生き残り(乗務艦「雪風」)まで、相当数の体験談を意図せずともに聞いている。
特に広島の原爆関連は叔父と親交があり、当時、広島に司令部があった第2総軍で被爆した総軍参謀副長(元参謀本部第1部長[作戦]元陸軍省軍務局長)真田穣一郎少将の御遺族から手記やお話しを伺う機会があったが、大東亜戦争の実像を知る参謀本部、陸軍省の要職を経験している高級軍人視点の体験は『戦史叢書』と同等とも言える圧巻であった。
少将御自身が存命で直接語りを聞くことが叶えば、更に感慨が深かったであったろう。(伺った話しは御遺族の意向で一切公表出来ないが、近代史、戦争関連作品の評価には活かしている。)

③日常というバイアスをかけて、反戦メッセージを刷り込んでくるあざとさに抵抗を感じると同時に朝の連続テレビ小説のようなホームドラマ的軽薄さも感じる。

④反戦作品の大御所『人間の条件』(1959-1961 五味川純平原作 小林正樹監督 松竹)や『戦争と人間』(1970 五味川純平原作 山本薩夫監督 日活)から比べて世界観、テーマが稚拙であり中途半端である。
両作品とも群像劇の構成であるが、戦争により日常が破壊されていく描写は重厚かつ心の奥底を抉るプロフィットファクターに満ちており、残念ながら本作はまだ追いついていない。

#1史的唯物論とは
本作のレビューでは「史的唯物論」や「唯物史観」の表現を用いた内容が多いので簡単に説明する。
史的唯物論とは『ドイツ・イデオロギー』(1848 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス共著)で著された共産主義の正当性を示す原理的な考え方だ。
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは、人間の歴史の発展法則を発見した。・・・人間はなによりもまず飲み、食い、住み、着なければならないのっであって、しかるのちに政治や科学や芸術や宗教等々にたずさわることができるのだ。」(1983 マルクスの葬儀におけるエンゲルスの弔辞より)。

『若おかみは小学生!(劇場版)』で高坂監督の公式でコメントでも触れたが、エンゲルスの弔辞で示されているように、マルクスの世界観は「労働(生産活動≒経済活動)[下部構造]が政治、科学、芸術、宗教等の社会活動[上部構造]を規定する。」における二元世界観は発展的に進化する法則に支配されるとした考え方で、共産革命は進化の過程での必然とした【暴力革命】正当化の絶対的根拠である。

また、史的唯物論はマルクスの二元論的世界観と、進化論をイデオロギー化したダーウイニズムとで構成され、その立場で歴史を論じたものである。
古くは『資本論』から日共の活動方針、最近の新左翼や中国共産党の政治理論など、共産主義の全ての領域において基礎となる最重要理論である。
なお、よく勘違いされることだが、史的唯物論は唯物的弁証法で導いた結果ではない。
唯物的弁証法の理論体系は20世紀に入ってからレーニン語録と合わせてソ連で整理されたものであり、今日の学問の一つ社会科学の始祖ともなる。
つまり、史的唯物論に弁証法的根拠を付したのは後付けの理屈であり、共産主義が如何にいい加減で適当なものであるかはここでも分かる。

史的唯物論で重要なことは【革命の為の歴史観を構築】することにあり、全ては反革命的既存概念を「批判」で「倒置」して結論(規定)することにある。
さて『資本論』のサブタイトルは「経済学批判」であることに注目して頂きたい。
マルクスはアダム・スミスから連なる古典資本主義経済学を史的唯物論と弁証法を駆使した「批判的弁証」から「剰余価値説Δd」を導き出して資本主義の正体は「搾取」とし共産革命の必然並びに正当化と、資本主義の崩壊を著したものであるが、吟味をすれば元ネタである古典経済学を延々と屁理屈を並べたてて「倒置」しただけの内容でもある。
なお、史的唯物論をベースに弁証法で倒置するスタイルが、唯物的弁証法の基礎構造でもある。
※哲学における批判と一般で通用される批判は意味が異なるので注意。

上記を踏まえ、「自虐史観」ないしは「東京裁判史観」が「唯物史観」と評されるのは、倒置の元ネタが「皇国史観」であることに由来する。
「皇国史観」とは「天皇機関説」批判から生じた「國體明徴運動」を端とする国史の再定義により『國體の本義』(1937 文部省)で同定された国史解釈の俗称である。
戦前、国史の権威であった平泉澄文学博士を頂点とする国史学派により、他の歴史学派が在野に放逐された経緯がある。
終戦で平泉博士が失脚するとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)におけるGHQの占領方針の下、反平泉派の左派歴史学者や日本共産党が中心となって皇国史観の全否定を行った際に用いられた手法が史的唯物論による倒置であり、これが史観としてイデオロギー化した経緯があることから【自虐史観、東京裁判史観=唯物史観】と評されている。

特ア(中国、韓国、北朝鮮)や左派、左翼が金切り声を上げて批判する「歴史修正主義」(左翼造語)とは「自虐、東京裁判史観」のイデオロギーからの脱却を目指す行為なのだが、そもそも「史観」とは史的事実の解釈であり、史的事実そのものは変更のしようがない。
特アや左派、左翼にとって日本国民が「自虐、東京裁判史観」に束縛されている方が都合が良いから「史観」の見直しを進める我々保守派に対しての警戒が、造語まで用いて連中を必死にさせるのであろう。

なお、史観歴史とは東南アジアの一部と東アジアで用いられる歴史教育だが、欧米では事実関係を重視した史学が一般的な歴史教育である。
自由主義国の我が国において、かつて日教組主導で進められた小学生からイデオロギーを刷り込む史観歴史教育は百害あって一理なしであり、政府は一刻も早く改めるべきだろう。

#2本作における唯物史観に関する考察
#1を踏まえ、五味川作品は唯物史観で描写される世界だが、本作も思想鑑別を進めれば「すず」という一つの観念体が戦争という一種の生産活動(唯物)へ概念の外化が図られ倒置的に描かれる世界観を構築している。
ゆえに、史的唯物論の応用であることが浮き出てくる
考察全文を掲載すると文字数オーバーのペナルティを受けるため、ポイントのみ記す。
本作での戦争=生産は呉軍港に停泊する各種軍艦の存在と「すず目線の観測」が唯物メタファーの一つとなる。
また、物議を醸している太極旗の描写だが、この話は長くなるのでメタファーの意味のみとする。
本作の太極旗は戦前日本が歩んできた道程(左派、左翼が主張するところの侵略)に対する批判メタファーと捉えられるだろう。
8月15日に実際に呉市内で太極旗が掲揚された事実はないようであり、原作者の想いから察するに太極旗=プロレタリアート(抑圧の対象)の解放のメタファーとして考える方が道筋として整合する。

戦争がある観念(本作の場合はすずの目を通した戦時中の日常とすずの思考傾向)と密接な関係にある場合、戦争(生産と支配層たるブルジョアジーの暗喩)と人間(被支配層、プロレタリアート的立ち位置)の関係を異状と正常のアシトノメタイジア(換称)に写像させて唯物と観念の二項対立の構図を連立することで、テーゼ(平和な日常)アンチテーゼ(戦争と破壊)ジンテーゼ(過去の過ちと再生)からなる弁証構造と、玉音は天皇陛下(左翼が認識するところのブルジョアジーの代表)を隠喩し、8月15日を境に太極旗を用いた弁証を繰り返すことで倒置させる【批判弁証】の流れが観測される。

大きな観測点として、時限爆弾で右腕と姪のを失った後、やさぐれて行く「すず」を克明に描写しつつ、玉音放送後の「すず」の豹変を導きくことでアウフヘーベンに到達する。
「すず」が自分の右手の歴史を自問自答描写こそが、平和な日常と戦争の悲惨を対話で定立する弁証過程である。
玉音放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」(・・茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク)は形式的には天皇大権に基づく臣民(国民)に対する命令である。
「すず」の怒りの心理描写は他のレビュアーさんが行っているのでお任せして、政治的な意味に着眼すると天皇陛下の命令に抗っている態度となる。
この表現を考察すると原作者(戦争を推進した)権力を妄信してはいけないと「すず」を通して訴えている政治的メッセージが読み取れるだろう。

物語は唯物化された戦争という大きなうねりのなかで「すず」の精神性が左右されるという構図であることからも、史的唯物論に立脚した弁証構造であることは明白である。
本作で展開される唯物的弁証は玉音放送から隠喩を導くことで、歴史の運動性が根底にあることも読解出来ることから、紛うことなく史的唯物論が基軸であると結論づけられる。
更に史的唯物論がセリフと視覚を通して外化し、唯物史観(イデオロギー)のドグマが形成されメッセージへと変幻する。
ゆえに、戦争が唯物とブルジョアジーの二重構造であり、プロレタリアート解放という階級闘争の動態とセットである五味川作品との比較対象を満足する。{/netabare}

《物語まとめ》
{netabare}五味川作品と本作の相違店
・五味川作品(20世紀の反戦作品の代表として)
→満洲、ノモンハンでソ連軍に敗北する帝国陸軍を象徴的に描写。
デストピア(戦前戦中の日本)→解放→ユートピア(共産主義社会)
・本作(21世紀の反戦作品)
→原爆投下、呉空襲など帝国海軍の衰退と非戦闘員にも及ぶ米軍の攻撃を象徴的に描写。
デストピア(戦中の日本)→解放→ユートピア(自虐、東京裁判史観を是とする現代の日本社会の維持)

20世紀の反戦作品は理想を共産主義に求めているが故に、1945年以前の日本を全否定しているが、共産主義(マルクス=レーニン主義)が廃れた21世紀の本作における否定の対象は戦中の日本(戦争状態)であり、理想はひたすら軍事を否定する9条を信じる現代日本とそれを支持する国民感情の維持である。
空襲で犠牲となるのは社会的弱者である子供(晴美)であることを強調、軍港内を模写した「すず」をスパイ行為であると咎めにきた憲兵からは戦中は自由が制限された暗黒の時代であるとのメッセージから9条の廃止、変更は戦中に戻るという左派、左翼の主張への同調が読み取れ、暗に憲法改正を牽制をしていることから社会風刺の目的も含まれる作品といえる。
※「すず」が憲兵に詰問された根拠法令は「要塞地帯法」及び「軍機保護法」であり、戦時平時を問わずに適用される。解説等の一部で「治安維持法」と錯誤しているケースが多いので明確にしておく。

在野では片渕監督の言質から反戦を炙りだそうとしている試みも散見されるが、作品において唯物史観が成立している以上その必要はないだろう。{/netabare}

以上、本作を手放しで評価はできない理由は上記に集約される。
反原発の『みつあみの神様』のように、反戦アニメでも是非私を唸らせる作品に巡り会いたいと思う。
映画で出来ることはアニメでも可能なはずだ。
したがって、評価の分母が時代とその背景をより精密に描写し、隙がない反戦メッセージを発している五味川作品であるので、低評価となることは悪く思わないでいただきたい。

なお、五味川作品も本作も敵視をしているのは「ある時代の日本」である点が共通である。
本作が従前の反戦作品のフレームに囚われず、自分達の生命を狙った「米国」を批判対象としたなら、最大限の賛辞を捧げたであろう。

『トラ・トラ・トラ!』でも述べたが映像メディアは政治ではないのだから自由なのだ。
言論、表現は旧弊や政治に囚われず自由闊達に行うべきであり、原爆も空襲も本来怒りをぶつける相手は「米国」ではなかろうか。

我が国では「ポツダム宣言」に基づき戦争犯罪者を「平和に対する罪(A級戦犯)」(事後法遡及適用)、「通常の戦争犯罪(B級戦犯)」戦時国際法違反、「人道に対する罪(C級戦犯)」(事後法遡及適用)を処罰の対象とされた経緯がある。
なお、極東国際軍事裁判ではC級戦犯の訴追事実はない。
「人道に対する罪」はニュルンベルク裁判においてナチスによるユダヤ人絶滅(ジュノサイド)を裁く目的で設けられた事後法である。

大日本帝国時代をことさら悪のように強調する目的で朝日、毎日等の左派の報道そして日共のプロパガンダではBC級戦犯という表現を使用し、悪意あるミスリードで自虐史観の刷り込みを誘う作為的な誤りであり、C級戦犯判決の事実は存在しないことを強調しておく。
極東国際軍事裁判の話しをすれば長くなるので、ここでは必要なことだけを記す。

まず、裁かれたのは全て第二次世界大戦の敗戦国であり、裁いたのは戦勝国であることを再認識して頂きたい。
要するに、戦勝国の戦争犯罪は裁きたくても裁けない状況下にあったのである。
ここで問題にするのは、米軍による原爆投下を含む日本本土空襲である。
我が国が受けた空襲は全て軍事目標だけであったのだろうか。
否である。

1945年3月10日の下町一帯を目標とした東京空襲をはじめ、原爆投下を含めほとんどの空襲は軍事目標とはいえない地域を対象に行われた。
これは、大東亜戦争時に有効であった「ハーグ陸戦条約(陸戦の法規慣例に関する条約)」違反であり、米国も本来裁かれるべき行為であるのだ。
----------------------------------
条約附属書(陸戦の法規慣例に関する規則)
第二五条
防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス
----------------------------------
我々はそのことをけっして忘れてはいけないし、戦争とは勝てば官軍であり、勝利者の論理が正義となる不条理な状況を生むのだ。
自虐史観は誰にとって都合が良いものなのか、賢明な閲覧者の皆様はここに答えを記述しなくても分かっていただけるだろう。

原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」には主語がない。
「過ちを繰り返しませぬ」は「米国」に向けてのコンプライアンスでもあるのだ。

少し物足りないないが『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007 新城卓監督 東映)は大東亜戦争のもう一つの主役である名も無き兵士達が、特攻で死地に赴く際の本音から、間接的に米国批判を行っている稀有な作品であり、この作品のベクトルを担う作品こそがポスト反戦なのだろう。
そろそろ勝利者側の論理、東京裁判史観の自虐から脱皮し、本音をぶつける反戦作品が出て来ても良い頃ではなかろうか。

テーマとメッセージ
★★★★★☆☆☆☆☆2.5(五味川二作品を5とした場合の評価点)

※エンタメ性と表裏一体する参考評価
思想の刷り込みなどマインドコントロール技法
(評価が高いほど悪質である。)
★★★★★★☆☆☆☆3.0(五味川二作品を4.5とした場合の評価点)
5-3=2

プロパガンダ性
(評価が高いほど悪質である。)
★★☆☆☆☆☆☆☆☆1.0(五味川二作品を3.5とした場合の評価点)
5-1=4

エンタメ性
五味川二作品は重厚である分、エンタメ性には難がある。
その点本作は、前半部分では親しみ易い日常光景からキャラへの共感を誘導する。
{netabare}後半はしだいに戦争の牙が向いてくるシリアスな展開だが、キャラへの共感度が高ければ高いほど、戦争の悲惨さ不条理さが強調される巧みな構成となっている。
本作では人さらいのエピソードなど、展開に興味を抱かせる様々なメタファーがあるが、長くなるのでレビューでは割愛する。
次に特筆をすべきは、背景美術の精密描写と「すず」の天然なキャラ設定だ。
呉軍港の背景を時系列で見ると帝国海軍の衰退がよく分かる。
実に考えられた描写だ。
また、当時の生活の細かい描写など特筆すべき点はいくつもあるが、すべて観客に「観せる」ことを意識した心憎い演出といえよう。
広島の街の情景、戦時の平和な街から総力戦の戦場の街へに至る推移で艦載機による軍港攻撃、非人道的な時限爆弾の爆発、M69焼夷弾や12.7mmブローニング機銃掃射シーンなど、迫力ある効果音と相乗し{/netabare}高クオリティな描写を演出している。

★★★★★★★★☆☆4.0(五味川二作品を2とした場合の評価点)

(2.5+2+4+4)/4=3.125≒3.0(物語)

(★は一個0.5点)
物語★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価点)
作画★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)
声優★★★★★★★★★☆4.5(評価点)
音楽★★★★★★★☆☆☆3.5(評価点)
キャラ★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)

平成30年(皇紀2678年)12月8日大詔奉戴日初稿

投稿 : 2024/12/21
♥ : 62
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

本作自体は良作と思いますが、本当に考えるべきことは別にあるのでは?

(2018.12.8 戦争名称と戦争原因について補足説明を追記)

登場人物の手が顔と同じくらいの大きさに描かれていて、明らかに作画ミスってると思われるシーン等、ちょくちょく作画・演出が乱れている箇所があった他は、概(おおむ)ね丁寧に作られていると思いました。
シナリオも、{netabare}玉音放送のあとヒロインが悔しい気持ちをぶちまけるシーン{/netabare}で思いがけない感動を覚えるなど、最初から最後まで飽きずに楽しめました。
ということで、まず良作認定しておきます。

・・・でも、個人的に本作を鑑賞していて改めて強く感じたのは、

戦争の悲惨さ残酷さを確り描き出して、視聴者に「二度と戦争を起こしてはならない」という"メッセージ"を繰り返し喚起するのは、それはそれで意味のあることなのだろうけれども、

責任ある大人が本当に考えるべきは、そういう戦争の「結果」の方ではなくて、

「そういう誰も望まないはずの戦争がなぜ起きてしまったのか?」
「なぜそういう悲惨で残酷な戦争に我が国が巻き込まれてしまったのか?」

という戦争の「原因」の方を、史実に即して冷静に見極めていく、ということなのではないか?ということでした。

とくにここで「巻き込まれてしまった」という私の受動表現に抵抗を感じてしまった方は要注意です。

・戦前の日本は暗愚で粗暴な軍国主義のファシズム国家だった。
・中国や朝鮮半島やアジア各地に醜い侵略を仕掛けた果てがあの悲惨な戦争だ。

↑みたいな話をNHK夏の恒例の「太平洋戦争(*3)」特集番組では今も延々とやってるそうですが(※これって終戦後にGHQ進駐軍にそういう番組を作るように命令されて以来ずっとやってるそうです)、こんな話を今でも信じ込んでいる人ってどれくらいいるのでしょうか?(まだまだ沢山いそうな気もしますけど)

但し、上に書いた「誰も望まないはずの戦争」という表現には例外があって、実は「日本とアメリカが全面戦争に突入し、その結果として、国力の大幅に劣る日本が壊滅的な敗戦を迎える」というシナリオを事前に描いて、そのシナリオが実現すべく画策した人々ないし組織が(日本側にもアメリカ側にも、そしてこの両国の外側にも)いた、という話は一度検証してみる価値があります。

◆戦争「原因」の一考察

社会科の教科書には、第一次世界大戦の混乱のさなかに誕生したソ連の指導者が、ソ連一国だけの革命ではなく“世界革命”を目指した、ということまでは書かれていますが、その“世界革命”が具体的には“敗戦革命”という戦略プランに基づいて、各国に思想的共鳴者や工作員を扶植・養成し、ことに政府部内や報道関係者に内通者・協力者を獲得ないし送り込むことにより、時間をかけて実際に着々と遂行されていった(*1)、ということまでは書かれていません(※なぜ書かれていないか?は(*4)へ)。

もう少し詳しく説明すると、この“敗戦革命”というのは、

(1) かってソ連が、帝政ロシアが第一次世界大戦でドイツに敗戦を重ねて国内に生じた混乱(既存支配層の権威失墜と国民各層の窮乏・社会不安の増大)に乗じて、まんまと革命を成功させ発足したこと、をモデルとして、
(2) 革命対象国を何らかの形で悲惨な敗戦に追い込み、その混乱に乗じて革命を成功させる、とする冷酷な戦略で、
(3) 具体例として、第二次世界大戦での枢軸国側の敗戦に乗じて枢軸参加国であったハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・チェコ等で共産主義/社会主義政権が成立、敗戦国ドイツも東半分が共産化、また東アジアでは敗戦国日本に協力していた満州国や南モンゴルの自治政府が倒れ、また日本と戦って消耗していた蒋介石率いる国民党政府がその後の国共内戦に敗れて共産主義中国が成立、日本と合邦していた朝鮮半島でも北半分で労働党政権が成立しています。

そうした、日本の「誰も望んでいなかったはず」の戦争突入とその必然的な敗戦、そしてその結果としての戦後の東アジアの激変という状況証拠から見て、

<1> 戦前は「ソ連を盟主とする共産主義勢力の東アジア浸透の防波堤」になっていた日本をアメリカとの全面戦争に追い込み、
<2> この防共の防波堤を決壊させるとともに、あわよくば日本にまで“敗戦革命”を引き起こそう、と策動する勢力が、
<3> 我が国の内外に(※日本だけでなくアメリカや蒋介石の国民政府の側にも、また政治指導者だけでなくマスコミ・言論人にも)浸透していて、
<4> そうした策動に免疫のない我が国の政府や国民が相手の仕掛けに右往左往するうちに「誰も望んでいなかった戦争」にまんまと引きずりこまれていってしまった、

・・・と考えると色々と辻褄が合う所があります。

→つまり、先の戦争で結局誰が一番得をしたのか?という観点から逆算して、その原因を作った者を考える、という視点を持つ。
→あるいは、先の戦争の「成果」を現在、誰が一番固守しようとしているのか?という観点から逆算して、その黒幕を考える、という視点を持つ。

・・・ということで、この辺の話は興味があればネットや書籍で色々と調べて検討していただきたいのですが、要は、

「戦争は悲惨で残酷だ、二度と戦争を起こしてはならない」

とせっかく思うのならば、上で指摘したように

「では何故戦争が起きてしまったのか?」

というところまで、真剣に考えるのでないと片手落ちですよ、ということです。

※そうした視点の欠落を考慮して本作の評価点数を少し低く付けています。
※本作のような話は今までも色々と作られてきたと思うし、今後も作られてマスコミの陰/日向のバックアップ(*2)もあってヒットもすると思いますが、もうこういう「戦争は悲惨で残酷だ。二度と戦争はしてはいけない」と何となく思う段階で思考停止するのは止めませんか?

※レビュー本文ここまで。

///////////////////////////////////////////////////////////////
※以下、補足説明。
{netabare}
(*1)“世界革命“(※そして、その手段としての“敗戦革命”)を遂行するための謀略組織としてモスクワに「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が設置され、その指導下に日本/中国/イタリア/フランス等各国の支部組織(=各国の共産党)が設立された。

※なおコミンテルンの日本での具体的な活動成果として、日本の大東亜戦争突入直前に発覚した「ゾルゲ事件」(1941年9月発覚、ドイツ国籍のソ連工作員ゾルゲの逮捕を切っ掛けとする朝日新聞や近衛内閣周辺の工作員・協力者の検挙事件)が有名。

(*2)本作はクラウドファンデング(群衆の資金拠出)によって製作されたことを謳っていますが、実は某大手マスコミが色々とバックアップしているそうです(エンドクレジットにも登場)。

※参考→http://yaraon-blog.com/archives/96560

(*3)戦争名称について、ここでカッコ書きで「太平洋戦争」としているのは、それが実は、今でも決して日本政府の公式の用語ではないからです(※あくまで、マスコミおよび教科書執筆者が好んで使用する俗称でしかない、ということ)。
こう書くと驚かれる方も多いと思いますが、例えば、下記の

◎戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉全文(2018/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34167800V10C18A8000000/

・・・を謹んで拝読すればわかるように、政府の公式の表現は「さきの大戦」で一貫しています。
なぜそうなるのか?
一番簡単な説明は「戦没者の方々は決して先の大戦のことを“太平洋戦争”などと呼ばれなかったから」になると思います(※戦没者の方々、また実際に当時の戦争を経験された方々は、先の戦争のことを、開戦直後に日本政府が命名した“大東亜戦争”と呼んでいたはず)。

ところが、進駐軍は“東亜を解放する”という戦争当時日本が掲げた大義を連想させるこの用語を使用禁止とし、代わりに自分たちの用語である、“Pacific War”をそのまま翻訳した“太平洋戦争”という用語を使用するよう、日本政府・マスコミ・教育界に強要し、この方針に従わない者は職を解く(※いわゆる「公職追放」「教職追放」)という強硬手段に出たため、選挙の洗礼を受ける政治家はともかく、マスコミ・教育界の方は、その当時保身のため、あるいは自分の主義として積極的に進駐軍の方針を受け入れた“太平洋戦争派(つまり“東京裁判肯定派”=“自虐史観派”)”が今でも強く、頑なにこの用語を使い続けているのが実情です。

私個人の意見を言えば、上に書いたように“先の大戦”は、敗戦革命を目論む旧ソ連&コミンテルン(国際共産党)の各国(日・米・中華民国)・各方面(政界・官界・言論界)の策動に、我が国の政府や国民がまんまと嵌められてしまった(※我が国だけでなく、F.D.ルーズベルト政権下の米国や蒋介石執政下の中華民国も同様)結果として勃発した“愚行”であって、これを当時の政府が後付けで“大東亜聖戦”(※英米列強の支配する東亜植民地を解放するための聖戦)と壮語して、その真の勃発原因を糊塗してしまったことは評価したくないし、かといって、自虐に塗(まみ)れた“太平洋戦争”という用語も極力使いたくないので、結局、日本政府ではありませんが、“先の大戦”と表現するのが一番無難かと思っています。
但し、それでは私のスタンスがはっきりしない、という場合は、前記の“東亜解放の聖戦”というイデオロギー的含意を外して、専ら戦争範囲の地理的名称を明確に示す用語として“大東亜戦争”という用語を使用する方が、より妥当だと思っています(※米軍は専ら太平洋で戦ったので“Pacific War”が適切。一方、我が軍は太平洋だけでなくインド洋・支那大陸・満州・南モンゴル・東南アジア各地・さらにインパール作戦では英領インド領内まで戦闘を行ったので、それらを地理的に包含する名称として、“大東亜戦争”の語がより適切という意味)。

因みに以上の用語(戦争名称)の区別は、政治家・言論人・その他様々な立場の人たちの“先の大戦”に関する意識を推測するのに非常に有効です(※マスコミの報道にとらわれず、本人の直接の発言内容やTwitter/Blogなどでの発信内容を確認すれば、その人の意識がほぼ確実に推測できる、ということ)。

(*4)“敗戦革命”がなぜ社会科教科書には書かれないのか?
ひと言でいえば、執筆者の側が、かってそれを目指した(今も目指している?)側の立場だから。
上記のように、進駐軍の占領政策の結果、マスコミ・教育界に“太平洋戦争派”が強固な根を張ってしまい、それが今に至るまで続いている。
たまにそれに反発して『新しい教科書を作る会』のような組織が出てきても、ギルド化した既存の教科書執筆者/選定者の壁を打ち破れない。

※因みに、下記の動画にある「近衛上奏文」(※ゾルゲ指導下の工作員である尾崎秀実やその影響下にあった昭和研究会を政策ブレインとして重用し日本が対米戦争に引き釣り込まれるに至る最大の引責者となった近衛元首相が、戦争末期の1945年2月に昭和天皇に上奏した戦争原因と国内情勢を分析した文章)には“敗戦革命”が割と分かりやすく説明されています(※音楽が扇情的な点が鼻に付きますが)。

https://www.youtube.com/watch?v=73T4WDDkWfE

◎近衛上奏文(解説)

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。

1. 「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、
2. 一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること、
3. 「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞(ことば)であること、
4. 米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること、

近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 55

72.4 3 方言で戦争なアニメランキング3位
ドリフターズ(TVアニメ動画)

2016年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (579)
2894人が棚に入れました
西暦1600年 天下分け目の大戦、関ヶ原の戦い――薩摩、島津家の武将、島津豊久は身を挺した撤退戦の後、死地から抜け出し一人山中をさまよっていた。降りしきる雨の中、たどり着いたのは無数の扉のある廊下のような部屋――豊久はそこにいた謎の男、『紫』を問いただす間もなく石扉の向こう側へと送り込まれてしまう。――そこはオルテと呼ばれる国家が支配する世界、人間とデミ・ヒューマンと呼ばれる「人ならざる」ものが暮らす異世界だった。異なる時代から先に流れ着いていた織田信長、那須与一ら歴戦の英雄とともに豊久は揺らぐことのない武士(さぶらい)の思想で異世界の戦場を疾り駆ける!

声優・キャラクター
中村悠一、内田直哉、斎賀みつき、鈴木達央、青山穣、家中宏、小野大輔、高木渉、櫻井孝宏、古城門志帆、西田雅一、楠大典、皆川純子、乃村健次、北西純子、田中正彦、安元洋貴、石田彰、宮本充、伊藤かな恵、間島淳司、続木友子、石塚さより、仲野裕、杉田智和、福田賢二、遊佐浩二

scandalsho さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

次いってみよ~!

原作未読。最終話まで視聴。

異世界ファンタジーバトル系かな?
エルフとか出てくるけど、魔法とか出てこないし、ファンタジー要素は少なめだけど。

一言でいえば『歴史上の人物が異世界転生して敵味方になって戦う』という物語。
私は日本史も世界史も苦手だったけど、それなりに楽しめた。

作画は特徴的。だけど、見やすい。ただし、グロ注意で。

シリアスパートとコメディパートのメリハリが半端ない。
おそらく特徴的な作画のせいだと思う。

原作未読の自分が悪いんだけど、敵味方が分かりづらいのが少々難点。

後半少しずつ面白くなってきたので、第2期を楽しみにしています。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 31

08261216 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

最高!

8時だよ!と思いきや。
超絶カッコイイ。5回見ちゃいました。

OP等原画風なのも素晴らしい★

信長生存説
(脱出・逃亡、異世界・未来・過去等々を望んでる私からすると最高に燃えます。)
個人的には...光秀が本能寺に襲ったかどうかは不確かな歴史だと思ったりしてますが・・・。

ストーリー展開も面白いし
豊久がカッコイイ。

効果音等も最高です。よーおー!!歌舞伎風です。

一見、渋い展開になるかと思ったんですが、ギャグとかCパート。
次回予告が面白いです。

作者さんは凄いですね、色んな偉人に精通・研究してるのかな?
歴史好きにも偏りが出るものですが、勉強になります。

2期やOVAを気長に待ってます。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 14

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

今期では楽しみにしている方でした。面白かったです。

漫画原作は未読です。

ドリフターズといえば「8時だよ!全員集合」のコントが終わって舞台セットを解体して片付けるときのBGMを真っ先に頭に思い浮かべてしまうおっさんですが、歴史上の登場人物が出てくるということで楽しんで観ておりました…。

ちなみに作画は3.5としていますが、決してダメとは思っておりません。時に止め絵を使うとかモブの兵士の格好を同じにするなどして省力化が図られていますが、話を追うのには十分なクオリティで必要なところはバッチリやっているので特に問題はないと思います。

ざっくり書いてしまえば、エルフとかドワーフとかコボルドとかがいる異世界に歴史上の偉人が「漂流者(ドリフターズ)」側と「廃棄物(エンズ)」側に分かれてとばされて、勢力争いに加担することでそれぞれの陣営が覇権を争う異世界での戦争モノです。

「漂流者」サイドの島津豊久が主人公で、織田信長、那須与一が準主人公格といえます。歴史的にどうやって死んだかが良くわからない人物により構成されています。「廃棄物」サイドでは正体不明の「黒王」が指揮を執っており、ラスプーチンやジャンヌ・ダルク、土方歳三などが属しています。こちらは非業の死を遂げたり、世の中を恨んで死んだ感じの人物により構成されています。

話が進むにつれて登場人物はどんどん増えていき、誰が登場するかは本作の一つの楽しみです。

「廃棄物」サイドが物語早期に組織化されているのに対して、「漂流者」サイドは各自の意図でバラバラに動いており、それをまとめようと画策する「十月機関(オクト)」や「漂流者」の何名かによって建国されたオルテ帝国などさまざまな勢力が出てきます。

また、異世界の文明がほぼ中世レベル以前で武器としては剣や弓、油による放火などしかないのですが、「漂流者」や「廃棄物」の中にはもっと後の文明レベルの人物がいるので武器や戦術の近代化が作中で図られていくのも面白いところです。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 39

69.3 4 方言で戦争なアニメランキング4位
宇宙戦艦ティラミス(TVアニメ動画)

2018年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (216)
791人が棚に入れました
人類が生活領域と欲望を宇宙まで拡大した時代、
自由を求めた人々が宇宙へ流れ住むようになり、彼らの叡智は文明を育み、
いつしか地球を脅かす存在へと変貌していった。

宇宙暦0156年、地球連邦政府が祖母星グランマースから
史上4度目のコンタクト(4th note)を受けたその年、
【メトゥスの民】との抗争は本格化していた。
終わらない戦い、増え続ける犠牲……。

そんな戦況を打開する為、颯爽と一人の青年が戦場に降り立った。
彼の名は、スバル・イチノセ。
宇宙戦艦【ティラミス】の眉目秀麗・成績優秀な若き天才エースパイロットである。

全人類の希望は、彼に託された。

――だが彼の真の姿は、ティラミス艦内の集団生活に馴染めず、
いつも専用機デュランダルのコックピットにひきこもってばかりいる青年で……。


声優・キャラクター
石川界人、櫻井孝宏、諏訪部順一、江口拓也、大塚明夫、新井里美、中田譲治、桃井はるこ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「パロディギャグ」とはこうあるべき

短編アニメながら発想勝ちだろう。

ロボットアニメのあるあるネタをここまで下らなく、アホ臭く、そして中学生並みの頭の悪さをギャグにできる素晴らしさ。

きちんと下ネタで通す辺りが筋が通っていて面白いです。

銀魂とおそ松さんあたりの流れだと思いますが、見ていて腹抱えるほどアニメで久々に笑いました。

あとナレーションの大塚明夫は「ガンダムオリジン」のパロディとしては面白い。ほかにもガンダムネタ満載。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 18

haiga さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

最高のスタッフによる最高のおふざけアニメ

今観終わりました。なんてお馬鹿なアニメなんでしょう('A`)

ノリッノリの石川界人さんの歌声から(良い意味で)イヤな予感がしていましたが、映像はリアルロボットとライバルぽいキャラのかっこいいバトルで動きまくるオープニングから~の冒頭から全裸頻発のぶっ飛んだ内容にズコー_(┐「ε:)_

キャラと声優に4.5付けましたが石川界人さんと中田譲治さんに捧げたいと思います。見事な演技に爆笑しました。準レギュラーが⚪毛ってスゴすぎるなw
脇役声優もめっちゃ豪華なんですね(^_^;)

特に盾の勇者の鬱回の合間に観るのをオススメします。尚文と同じ声(髪型も前髪がそっくり)でおバカな事ばっかしてるから癒されますw

残念イケメンが出まくりますが、どっちかと言うと男性にオススメです。あるあるネタで爆笑必死です。なんも考えずに気楽に観れるギャグアニメとしてオススメです。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 19
ネタバレ

dbman さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

クソ笑った超絶ギャグアニメ

原作:漫画/放送期間:2018年4月-6月/全13話/制作:GONZO

キービジュアルやタイトルからしてロボ系かと思い込んで敬遠していたけれど、ちょっと調べたらショートアニメ&ギャグ作品ということで視聴したところ、ロボ系苦手とかそんなもんまったく関係なしに楽しめる超絶ギャグアニメでした。

あらすじをちらっと見るには、宇宙戦争やロボ系かと思ってしまうので、私のように端から敬遠されている方も多いと思われますが、約7分ほどのショートアニメなので、とりあえずご覧になって頂きたい。(もちろんギャグには合う合わないがありますが)

視聴開始したらすぐさま毛色が違うことが解かります。正直、第1話は微妙だと思っていたけれど第2話からハマってしまいそのまま一気に観てしまい全13話があっという間に終了。寒いネタのハズレ回もあったけれど私としてはほとんどがツボってしまうアタリ回だらけでした。

ちなみに涙が出るほどクッソ笑ったのは {netabare}「すぐ絶対って言うな」のくだりw くだらなすぎるけど、{/netabare}こういう奴ホントいますわなw

登場するキャラクターも主人公のスバルをはじめ、イカしたキャラばかり。紅一点の爆乳美女・リージュ(声:遠藤綾)も捨てがたいけれど、{netabare}やはりスバルの兄・イスズ・イチノセの残念なイケメンキャラが最高すぎる。{/netabare}

声優さんもナレーションの大塚明夫さんなどそれぞれがいい味を出し作品を盛り上げており、なかでも中田譲治さんと能登麻美子さんがよくこんな役どころを引き受けたものと感服してしまった。

この第一期を逃していたことで先日放映を終えたばかりの続編となる『宇宙戦艦ティラミスⅡ』もノーマークだっただけに遅ればせながら面白い作品に出会えて嬉しい限り。続けて第二期も視聴したいと思っております。


▼キャスト
スバル・イチノセ:石川界人
イスズ・イチノセ:櫻井孝宏
ヴォルガー・ハマー:諏訪部順一
ヴェンチュリー・ルロワ:土師孝也
リージュ・ルロワ:遠藤綾
シゲルコ・ホンダ:新井里美
パッカー(PAC2-AR):桃井はるこ
ナレーション:大塚明夫

▼制作
原作:宮川サトシ/漫画:既刊7巻
作画:伊藤亰
監督:博史池畠
シリーズ構成・脚本:佐藤裕
キャラクターデザイン・総作画監督:横山愛
アニメーション制作:GONZO

▼主題歌
オープニングテーマ「Breakthrough」歌:スバル・イチノセ(石川界人)
エンディングテーマ「DURANDAL」歌:スバル・イチノセ(石川界人)

投稿 : 2024/12/21
♥ : 27

64.4 5 方言で戦争なアニメランキング5位
はだしのゲン(アニメ映画)

1983年7月21日
★★★★☆ 3.4 (32)
175人が棚に入れました
世代を超えて読み継がれる、中沢啓治の反戦漫画の劇場アニメ化。1945年4月の広島。国民学校(戦時中の小学校)2年生の中岡ゲンは、父親の大吉が戦争を批判したことから非国民の子といわれていた。だが苦渋の生活に耐える一家の前で8月6日、広島にピカ(原子爆弾)が投下。ゲンは父、姉、弟を一瞬のうちに失った。このショックで早産した母・君江と、生まれた赤ん坊の妹・友子の面倒を見ながら、他の被災者とともに必死に生きるゲン。彼は死んだ弟・進次にそっくりな戦災孤児・近藤隆太を家族に加え、そして原爆のため全身に大火傷を負った画学生の青年・吉田政二の看病をしながら戦後の世を生きていくが。制作はマッドハウス。監督は真先守。原作・脚本ではゲンの2人の兄が登場しているが、完成した本作のアニメ版では整理された。また原作では政二青年は死亡するが本作では最後まで生存するなど、いくつかの改訂が図られている。なおゲン役のCV・宮崎一哉はオーディションで選ばれた、広島県出身の当時小学生だったが、この作品で好評を博し、以降、本格的にボイスアクターの道を歩むことになった。

ろき夫 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

これはぜひ観ていただきたい作品です。

はだしのゲンとは
原作者自身の原爆の被爆体験を元にした作品で、これはそのアニメ映画です。
小学生の時、平和教育の時間に御覧になられた方もいるのではないのでしょうか?

最近、YouTubeでこの作品のとあるワンシーンをたまたま見つけまして。
それは丁度、広島の町に原爆が投下されるシーンでした。

凄まじい轟音と閃光。
あらゆる生命が失われたその瞬間が生々しく、途方もない恐ろしさをもって表現されます。
幾重にも重なった荒い線で描かれた絵。その中に、この作品に携わった方たちの感情をひしひしと感じ溢れる涙を抑え切れませんでした。

でも、こんな言葉なんかじゃ伝えられない。そんな焼けつくような映像でした。


これがきっかけではだしのゲンを視聴することにしました。
この作品には1と2があるのですが、1は原爆投下前後のエピソード。
2は戦後、少し成長したゲンのエピソードです。
両作品、話が続いているので一気に観たほうが良いかと思います。
ゲンやその仲間たち、彼らを見守る大人。必死に生きる彼らの姿は私にとって生涯忘れえぬ程の感動を与えてくれました。

小学校の頃図書館で読んだ原作とは全く違う印象を受けました。
この作品に込められているのは説教くさいメッセージなんかじゃ決してない。人間である彼らの生き様なんです。


現在、平和教育のためにこのアニメを児童に鑑賞させることはほとんど無いそうです。
表現の過激さが原因ということもありますが、時代考証に多少誤りがあるそうで。
致し方ないですが、実に残念なことだと思います。


またこの作品は当時の時代背景・人間の様子を考察するきっかけを私に与えてくれました。
あれから、関連する本をいろいろ読むようになりました。

最近読んだモノでおすすめなのが
『原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」』(著:古川愛哲)
という著書です。
原子爆弾投下時の政府の対応と福島原発事故時の政府の対応にみられる共通性について言及しています。

タイトルからも分かるように、この著者の観点には政府批判への極端な偏りが見られるので
内容を鵜呑みにするのも危険ですが、的を射た部分もありとても考えさせる内容に違いは無いです。

原爆と原発。日本人はどうやら原子力と腐れ縁なようです。

ついこの間まで、原発についてそんな真剣に考えたことなんてありませんでした。
自分が考えてもどうしようもない問題だとスルーしていたので。
でも、はだしのゲンや数々の著書に触れて、少しずつ考えるようになりました。
やっぱり政府の役人たちだけに丸投げしていい問題でもないですよね。
私と同じようにあまり原発に対して意識したことのない方には是非触れて頂きたいです。


■最後に

はだしのゲンという作品をきっかけに
こういう風にまだ自分が変わっていけることを嬉しく思いました。
この出会いを大切にしたいです。

読んでいただきありがとうございます。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 13

野菜炒め帝国950円 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

1度は見ようぜ

戦争もの。
80分くらい。
そういう時期なんで。
お姉さんが意外と可愛い。
泣ける。

かなり有名な作品なんで、レビューもさぞ多いんだろうと思ってたらまさかの7件。
7・・・阪神の和田監督じゃないんだから、この数字は少し寂しい。
意外と言えば意外だったが、テーマがテーマだけに今までみたいに好き勝手書くわけにもいかず正直難しい。言葉も慎重に選んで書く必要がある気がする。こういうところもレビューの少なさに影響してるんだろうか。

知らない人のほうが少ないだろうけど舞台は第二次世界大戦後期の広島。
原爆投下後も逞しく生きていく主人公の姿を描くお話。

原作本が割りと小学生とかにも広く読まれていた(今は知らん)から、このアニメもおそらく下は小学生からと幅広い層に向けて作られたものだろうと思うが、特に原爆投下のシーンでは、そこまでやるんだってなくらい力を入れて作られてるように感じる。
このシーンだけ抜き出した動画とか見れるけどどうせなら全部見ましょう。
これはお子様が見てもガクブルもので恐怖しか残らんだろう。勿論それも狙いの1つなんだろうが。

ある程度大人になって見てみると恐怖より怒りのが勝ってくる。
原爆投下からの一連の展開を見ると、くたばれアメリカ人と思うし、てめーらは比較的安全なとこにいて勝てもしない戦争をグダグダ引き伸ばしたボケ共にも腹が立ってくる。
言葉が悪いのは百も承知だが、見てる時はそう思ってしまう。
日頃チワワのように温厚と噂される自分ですらこう感じるのだ。
多分、大勢の人が怒りまたは悲しいという感情を抱くのではないだろうか。


戦争もので思い出すのは、ほたるの墓だがこちらも短いながらも良作。
ストーリーも80分ちょいの中によくぞここまで詰め込めたなと思うくらい濃い目の内容。
只、ガキの頃見るよりもある程度大人になってからこそ見るべき作品だと個人的には思う。

でもま、機会があるならこっちより原作本のが明らかにいいから出来たらそっちで。
いやこっち先に見て興味沸いたら原作本でもいいかもしれない。
どっちにせよお勧め。














    

投稿 : 2024/12/21
♥ : 32

keylove さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

素晴らしいとは言わないけど、きっと日本人が忘れてはいけない問題

思う出しレビューになりますが、ある意味では大切な作品だと思いますので、書いておきます。


舞台は1945年、終戦間近の広島市。ゲンの父で下駄の絵付け職人大吉は、反戦思想の持ち主。こうしたことから、中岡家の家族は町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、様々な嫌がらせを受けた。

以上wikiからの引用です。


現代のアニメを観てる人からすれば(自分もですけど)これはつまらない作品かもしれません。
でも、この問題定義というか、テーマはすごいと思います。

まさに終戦間近の広島。
つまり誰もが知っている原爆投下直前のお話です。

これは週間少年ジャンプで1972年に掲載されたらしいですが、アニメとか映画とかいう次元を超えていますね。

火垂るの墓もそうだけど、これは日本の歴史。
そして、世界の歴史ですよね。

たしか、文部科学省推薦だった気がするのですが、うなずけますね。


世界で原子爆弾(核爆弾)を投下されたのは日本だけです。
それは今の時代でも塗り替えられることなく、唯一の被爆国です。

そのことを忘れている、もしくは気にしない日本人が多数いる時代だからこそ、こういう作品と言うのは受け継がれるべきだと思います。
これが泣けるからだとか、描写がリアルだからとかそういうのじゃなくて、あくまできちんとした歴史を認識しておくという意味で必要だと思います。
戦争のことを否定したりするのは、こういう場にはふさわしくないと思いますが、このアニメ作品を観れば、そういう気持ちが湧くのはたしかです。
こんなに悲惨なことがつい数十年前に現実に日本で起きたということを、本当にリアルに描いている作品です。

ただ単にグロだとか作画が古いとか声優さんやキャラなど、今のアニメ作品と比べることなく、日本人として、心に刻むためにも、観ておいて損はないと思います。

ですので、ストーリーには高得点をつけました。
これはノンフィクションとも言えますから。

興味がある人はぜひ観てください。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 17
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