tao_hiro さんの感想・評価
3.6
さようなら
<2019年6月13日追記>
12月20日(金)に公開予定の「拡張版」を応援するチームの
募集が始まりました。
応援チームに参加された方は、エンドロールにお名前が掲載
されます。
私はいろいろ考えて、応援チームには参加しないことにしました。
このレビューでの告知もこれを最後にしたいと思います。
2年以上の長きにわたりお付き合いいただき誠にありがとうござい
ました。
<2018年10月19日追記>
「拡張版」の公開が延期されました。
<2018年7月27日追記>
以前から噂となっていた「拡張版」の12月全国公開が発表されました。
「拡張版」とは、諸般の事情により本編から泣く泣くカットされたシーンを追加し、当初構想された形で公開されるものです。
正式タイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」です。
こちらもぜひご期待ください!!
・・・ところで、拡張版の公開を記念して、こぼれ話を一つ披露させていただきたいと思います。
私はクラウドファンディングに参加しました。その特典としてエンドロールに氏名が掲載されました。
ところが・・・なんと誤記されていたのです!
あはは、すずさんのあわてんぼう(笑)
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『人生のひとこま。』
<2017年3月1日追記>
この作品の最大のテーマは、「日常を大切にする」という事だと思います。戦時中であれ、現代であれ、人々は様々な苦難に囲まれています。そのなかから、いかに幸せを見つけ出し、育て育むこと。それの営みが「日常」であることを教えてくれます。
余談ですが、英語で「日常」は「Slice of life」と表現されることがあります。「人生のひとこま。」って、ちょっと洒落てますよね。
さて、この作品を劇場で見終えた後、脳裏に浮かんだ詩を披露させていただくことで、全5回にわたる冗長なレビューをまとめさせていただきます。
「人生のひとこま。」
誰かが 泣く
誰かが 笑う
誰かが 怒る
誰かが 祈る
この世界の片隅に
いつのときでも・・・
ありがとうございました。
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『豊かさとは?』
<2017年2月19日追記>
例えば、「裕福だけど不幸せな生活」と「貧しいけれど幸せな生活」ならば、どちらを選びますか?
ここで「裕福」とは「財産や収入がゆたかで生活に余裕があること」を意味します。「幸せ」とは「不平や不満が無く楽しいこと」を意味します。
私は迷わず「貧しいけれど幸せな生活」を選びます。
人間はモノの不足には耐えられても、ココロの不足には耐えられないように思えます。
この作品は戦時中が描かれています。物資は何でも不足している状態です。しかし主人公は、その物資不足を補うべくあれこれ工夫を凝らします。その工夫を楽しみます。たまにはドジを踏みますが、温かい家族のきずながそれを支えます。同じ貧乏の近所の方々とも支え合います。
それから70年経った現在で、貧困が問題となっています。さまざまな原因分析と対策が議論されています。しかし私はそれらは効果がないと考えています。
『心の豊かさ』とはなにか?を見つめなおす必要を感じています。
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『健全な社会について考えてみた』
<2017年2月13日追記>
例えば、「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」と「毎年の自殺者が2万人で戦死者が0の社会」とでは、どちらが”健全”な社会だと思いますか?(2万人という数字は、昨年の日本の自殺者数を基にしています)
どちらの社会も「平和な状態」とは言えないことは明らかですが、どっちがマシでしょうか?
私は迷わず自殺者0の社会を選びます。
戦死は「敵に殺された」という疑いようのない理由がありますから、ある意味、交通事故と同じでしょう。遺族や友人は心の整理が比較的つけやすいでしょう。(ちなみに昨年の交通事故死者数は3000人です)
しかし、自殺は「自ら死を選ぶ」という禁忌を犯すわけです。遺書や何らかの形で理由を遺す場合もあるでしょうが、なにぶん当人の心の中にしか本当の理由は遺されていないのですから、遺族や友人はやりきれないでしょう。そして、「あのとき助けてあげてたら」といった後悔の念に囚われるでしょう。
自殺者の多い社会は、戦死者の多い社会よりも、世の中に暗い影を落とすと思います。
また、自殺の原因は、当人だけでなく、家庭や職場などの環境にもあることが多いと思います。周囲の環境が当人の危険信号をいち早く察知し、適切な手を打つことが出来れば、自殺を食い止めることが出来たかもしれないケースは多いと思います。
この作品で描かれた家族や地域社会は、それができる社会であったように思えます。
実際、自殺死亡者数の年次推移をみると、昭和11年の15000人までは増加傾向を示していますが、昭和12年から戦時中まで減少傾向となっています(ただし戦時中につき資料に不備有)。
「戦争でいつ死ぬか分からないのに、わざわざ自分で死ぬ必要はない」という考えもあるでしょうが、私は社会が自殺希望者を思いとどまらせたのではないかと考えます。
私は「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」のモデルである戦中の方が現代よりも人の心は「健全」だったと信じます。
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<2017年2月6日追記>
『戦争映画の復興』
色々な気持ちが交差してうまくまとまりませんので小分けにすることにしました。その第一弾です。
この作品、色々な賞を受賞し、各種メディアで取り上げられ、ネットでも多くの賞賛を頂いているのですが、私は「そんなに評価される作品かぁ?」と戸惑っています。クラウドファンディングに参加した人間としてはあるまじき感想ですが正直なものです。
戦争映画というジャンルは、本来、極限の状況における人間の姿を描く一大スペクタクルでした。光と闇、理性と感情、英知と無知、科学と精神、秩序と無秩序、勇気と卑怯、我儘と寛容、傲慢と卑屈、などのありとあらゆるテーマを取り扱う事ができました。
私が子供の頃の1970年代までは、そうしたバラエティーにとんだ作品たちが多く制作され、劇場やテレビで流れていました。この作品は、それらの作品と比べると、アニメ作品であることを覗けば特に目新しいものは見当たりません。もちろん、負けず劣らず良い作品ですが。
ところが、1980年代に入って、戦争映画というジャンルは一気に衰退します。原因は二つあると考えられます。
一つは娯楽の主役の座が映画からテレビに移ったことです。興行収入が減る中、製作費が高い戦争映画は避けられるようになりました。
もう一つは、70年代のムーブメントとして、ベトナム反戦・安保闘争・学園紛争・過激派闘争などを受け社会が左傾化したため、大東亜戦争観が変貌し、「反戦平和」をテーマとした作品が作られるようになったことです。これらの作品は、イデオロギー色が強く、エンターテイメント性に乏しく、興行成績は振るいませんでした。
2000年代に入ってから、若干のエンターテイメント性が感じられる作品が制作されるようになりましたが、「反戦平和」から抜け出すことはできないまま現在に至っています。
このため、若い人にとっては、戦争映画・アニメは「暗くて悲惨」というイメージになっているようです。
この作品は、イデオロギー色を極力排除できているように思えます。「何を訴えたかったのか良くわからなかった」といった感想がときおり見受けられるのがその証拠だと思います。
そして何よりも、劇場に足を運んでいただいたご年配の方やお子様たちが、上映中に何度も笑っていました。そして、すすり泣いていました。これこそエンターテイメントです。これは、80年代以降の戦争映画しか見たことない方々にとっては新鮮だったでしょう。そしてこれがヒットの一因だと思います。
この作品が「戦争映画の復興」への足掛かりとなることを強く期待します。それでこそクラウドファンディングに参加した甲斐があるというものです。
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<2017年1月15日追記>
『Slice of life』
全国公開から遅れる事2ヶ月。やっとやっとやっと見る事が出来ました!
クラウドファンディングに参加した甲斐がある素晴らしい仕上がりでした。
色んな思いが渦巻き合って、納得できるレビューが書けません。
今はこの詩に思いを託したいと思います。
”Slice of life”
Somebody cry
Somebody smile
Somebody angry
Somebody pray
In a corner of this world
At any time.
お粗末さまでしたm(__)m