2024年度の推理小説おすすめアニメランキング 1

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの2024年度の推理小説成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2025年01月04日の時点で一番の2024年度の推理小説おすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

68.7 1 2024年度の推理小説アニメランキング1位
小市民シリーズ(TVアニメ動画)

2024年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (208)
555人が棚に入れました
“たがいに助け合い、完全な小市民を目指そう。” かつて“知恵働き”と称する推理活動により苦い経験をした小鳩くんは、清く慎ましい小市民を目指そうと決意していた。 同じ志を立てた同級生の小佐内さんとたがいに助け合う“互恵(ごけい)関係”を密かに結び、小市民としての高校デビューを飾り平穏な日々を送るつもりでいたのだ。ところがふたりの学園生活に、なぜか不可解な事件や災難が次々と舞い込んでくる。 はたして小鳩くんと小佐内さんは、小市民としての穏やかな日々を手に入れることができるのだろうか。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

追記 日常の推理では無いと思います。春から変装していた意味は?

追記 この作品はジャンルとして「日常の推理」ではないです。いや日常の推理なんですけど、本当の構造が隠れているといった方がいいです。これが逆転すると日常の推理としては…と言う評価になります。
 そっちではなく、小佐内さんは高校に入る前から「夏」の結末をある程度計画していたはずです。その証拠が変装です。それがこの作品の推理としての「構造」です。

{netabare} あるいは変装をしても危険な食べ歩きの安全保障のための小鳩だったのかもしれません。スイーツは本当は小佐内は一人で楽しむものだったんでしょう。スイーツを食べるとき小鳩にまったく興味を示していません。

 したがって「小市民」は小鳩をうまく巻き込むためのガワだったと思います。小鳩に男としての興味はないです。だから、中学校時代からの宿題が終わった瞬間、解散を申し出たと取れます。
 ですので、私はこの作品は小鳩に語らせた叙述トリック{/netabare}と定義しました。そこを「騙された」と視聴者として喜べるか。それが推理作品の味わいでしょう。


小佐内のキャラ造形が見事な作品。私は奴が大嫌いですけど。

 なんと10話で終わってしまいましたね。ラストの車が燃えるシーンをはじめいろいろについて言っておくとあれは「秋限定栗きんとん事件」です。なんだその中途半端な感じは…と思ったら2期やるみたいですね。25年4月から?なるほど…

 演出についてです。川を使った心象風景の使い方が正しかったのか?ですね。川に象徴するものがあったとしても宗教とか集団的無意識の共通基盤になっていなければ意味がありません。そこは効果的だったのかな?とは思いました。
動きがないアニメにしづらい作品なので動きを入れたのか、ご当地ものとしてそうしなけば風景の使いようが無かったのか。そこはやりすぎ感はありました。ただ、1話ほどの違和感は10話では感じなかったので見直せばそうでもないのかもしれません。

 作画は動きは少ないですけど良かったです。特に小佐内と小鳩の表情の作り方は小説の意図を上手く見せたと思います。キャラデザに関しては小佐内の目が赤いのも悪魔的で良かったです。全体がリアリティがある色彩のキャラデザの中で面白い工夫でした。

 作品の総評です。この「春・夏」までで一番出来が良くなかったのは「春」つまり教習所の事件の小鳩の動きです。小佐内の悪魔性も小鳩が推理する理由も弱すぎました。小佐内がピンチなはずなのに延々と行われた会話劇に違和感が残りました。
 ココア事件で見せた堂島の行為も姉の暴走による結果論ですが、小佐内と表裏になりました。小鳩の自己顕示欲を確認することができましたが、そこも「春」だけですと単発の出来がイマイチなエピソードとなり活きてきませんでした。

「夏」のシャルロット事件で小鳩と小佐内の関係性が明らかになったおかげで、誘拐事件における小佐内のキャラ性とか小鳩のラストの感情とかが非常に鮮やかになったし、推理としての完成度が上がりました。夏祭りのときの伏線の張り方も見事でした。変装の意味も春からの伏線だったことがわかり、なるほど計算はあったんだなとわかります。ですので「夏」があって初めて「春」の意味があるという構造でした。それは推理小説としてはどうよ?という感じはしました。

 アニメ版では当然この前半までの印象は同じですし、さらに冒頭の自転車盗難の時系列や状況を変えたことで不自然になりました。ですので前半の評価はやはり低く感じました。

「夏」は原作の出来が良いのはもちろんなんですけど、これだけの悪魔的なキャラを日常系の推理で出すこと自体が壮大な仕掛けになっています。

 日常系推理の始祖ともいえる北村薫氏はもちろんですが、似鳥鶏氏、坂木司氏、初野晴(ハルチカの原作者)氏などで小佐内に似たキャラはいたでしょうか?この点においてこの作品は評価せざるを得ません。三上延(ビブリア古書堂の事件手帖)のヒロインはちょっと同じ雰囲気はありますけど内面は全然違います。そしてアニメ勢だと米澤穂信氏の「氷菓」の千反田を先に知っているだけに、その衝撃は結構なものだと思います。原作でも「夏限定」は「クドリャフカの順番」の後だったと思います。

 推理の構造は{netabare}騙された小鳩が視聴者の代弁者となる「他人が語る叙述トリック」と私は捉えています。叙述トリックとは1人称の推理物語の語り部が実は犯人でしたというジャンルです。要するに「メタWHOダニット」なんですけどね。 {/netabare}これが見事だと思います。

 ただ、私はキャラ萌え派なんですよね。ポワロとかエラリークイーンとか外国勢はそうではないですけど、御手洗潔とか<私さん>とか、火村とか、有栖川とか、伊神とか、古くは栗本薫とか…そう見たときにこの2人…いや小佐内ですよね。推理の構造故に内面が見せられないという最大の欠点を抱えてしまいました。これはキャラ萌え勢からするといただけません。

 そして何と言っても私は本作をラノベ的に原作を読んでおり、主要キャラは善人であるという前提を欲していたんだと思います。少年のマインドで読んでいたといってもいいでしょう。いや死ぬかと思いましたよ。小佐内=幼いで、これも原作者の仕掛けた名前遊びなんでしょうか?そこに潜在意識的に仕掛けられた気もします。

 それが本作が嫌いな理由でした。あまりに読む気が起きなくて、「秋」を読んだのは買ってから10年以上たってから「巴里」が発売されると聞いてやっと読みました。結構なトラウマだった記憶があります。

 長くなりましたのでこれくらいにしますが、「夏」の出来は出色です。アニメ版も良かったです。ただ、やっぱり小佐内は嫌いです。なお「秋」にはもっと本領を発揮してくれます。







1話 【悲報】小佐内さん≠千反田える 「夏」で切るのは最悪では?

{netabare} まさかこのシリーズがアニメ化されると思っていなかったので、アニメ化発表のときに驚きました。このシリーズ、春・夏の読後感がちょっとなあ…という感じだからです。

 氷菓の千反田えるのようなキャラを望んでいる人には【悲報】ですが、小佐内さんに萌えられる人はそうはいないと思います。私は、推理小説は大好きですがキャラ萌えとして楽しむところがあるので、本作は「夏」まで読んで「秋」は買うだけ買って積ん読で手が出ませんでした。確か「巴里」が出るタイミングでやっと「秋」を読んだので10年以上放っておいた感じです。

 それくらい心が離れていました。結果的に「秋」を読むと展開に仕掛けがあるのか…と思いましたが、しかし「秋」はこのペースだと多分アニメ化できないでしょう。「夏」までで大丈夫か?と心配です。そこもネタバレになるので言いませんけどね。

 アニメ本編ですが、キャラや雰囲気の再現性は…うーん、ちょっと綺麗に描きすぎというか、無駄に心象表現をしすぎというか、冗長というか…そんな感じです。
 なお、主人公の家は和菓子屋設定なのでしょうか?これは原作ではなかったと思います。小佐内さんって和菓子苦手だっけ?と思いました。もう1回読み返さないと思い出しません。あとは時代的にスマホがあるとラブレターのニュアンスとか20年前と違うよね?など、細かいところは気になりました。

 追記 ああ何か事件の日の2人の動きに違和感があると思ったら、原作読み返したら、当日の目的はクレープ屋さんで、イチゴタルトは違う日なんですね。そこはちょっとアニメ版は行動として無理があったかなあ?{/netabare}


2話 日常系推理のエンタメとしての難しさと不自然さがモロに出ました。

{netabare} いくらなんでも…という回でした。わずか35ページの原作を1話にしましたか…さすがに眠くなるようなテンポの悪さです。

 そもそも、シンクにスプーンの謎かけはいくらなんでも無理があるのは、小説からでした。無理があるというのは、堂島というキャラからいって、その謎を仕掛けるのが不自然だからです。
 ヒントを要素に分解して、謎に気が付くように、解けるように、ただし簡単になりすぎないように難易度の調整をしながら仕掛けるには、常悟朗と同程度以上の頭の使い方が必要です。それは堂島のキャラ造形や言動から言って不自然です。

 そして、日常の中の謎というのはこの無理の連続です。そして、これは本格派推理のジレンマで、パズルを作ろうと思うと、話は不自然になります。ですが、それは本格派小説のマナーみたいなもので、小説ならこういう不自然な話も「そういうものだ」として楽しめます。

 まあ、これは「たまたま堂島のずぼらが作った意図しない謎」という話ととるんでしょう。今度は姉がそこに謎を見出したという不自然さは残ります。堂島のキャラをよく知っているはずですし、一般人にそんな気づきは普通ないでしょう。けど不自然さはマイルドにはなります。

 そして、堂島の意図でないとすると次に別の不自然さが発生します。わざわざ2人を呼び出してココアをふるまった意味がなくなるし、ココアの作り方をレクチャーする意味がメタ的に考えて意味を喪失します。
 推理小説に「無駄はない」の法則から言って、ココアの作り方をわざわざ説明した流れからは謎かけととるべきだと思います。ですので通常なら読み取るならやはり「意図した謎」ととるのが自然でしょう。

 ただ「あんのずぼらが!」のセリフがありますので「意図しない」方にはアニメの解釈は寄せています。そしてそうなるとこの1話が丸々不自然な1話になります。堂島は本当に常悟朗と小佐内を呼んで話がしたかっただけ?


 追記と修正 ここはさっき改めて原作を読んでから件のシーンを見返しました。今回は「ココアの解き方のようなつまらない話を延々と聞かせて反応を見た」という読み方が正解な気がします。ここは私の読み間違いがあった気がします。
 ただ、その行動自体が人間として不自然だし、堂島というキャラの性質上「ココアの入れ方」という話題をチョイスし、反応をうかがうようなことをするのがキャラに合っていない気もしますけど。むしろ単刀直入に聞くでしょう。

 で、これは別の視点なのですが、小学校のころの友人と高校で再会して、キャラが変わった。大きな何かがあったのか?と思う感覚です。普通中学時代の変化は大きいでしょう。変わらない方がおかしな年ごろです。
 むしろ再読してこっちの方が不自然には感じましたが、それだけ常悟朗がインパクトがある少年だったという意味だとは思いますので、この辺は計算があるのでしょう。
 日曜日に家に呼び出して問いただすというのは普通ではありません。つまり「ココアの作り方」の謎を作るためのちょっと無理があるシチュエーションな気はしますが。

 それと小佐内さんを一緒に呼び出す理由は弱い気はします。こういう話をする際、同行者は邪魔なんじゃないかと思います。その点では原作と構成を変えて、小佐内さんが堂島の持ちかけた謎を問いたという話を飛ばした故の不自然さでした。

 いずれにせよ、人間の一般的な言動からは無理があることに間違いはないでしょう。それが日常系推理の不自然さで、今回は見ていて推理のための舞台装置感が非常に強かったです。故にいくら作画が良くても、何を見せられているんだろう?という感覚が強く出ました。

 これは本作に限ったことではありません。ただでさえ日常の謎の推理ものには不自然さがあります。
 ですが、それは小説故に読めるのであって、アニメにしたときのなんと無意味で冗長なこと…その点でやっぱり「氷菓」の出来は良かったんだなあとあらためて思います。

 まあ、小佐内さんの本質が見たいので、そこのポイントはチェックすると思いますが、どうしようかなあ…視聴断念のボーダーライン以下ですが、そこが気になるので、飛ばし飛ばしの視聴継続でしょうか。{/netabare}


3話 制作の解釈と演出は?小佐内さんの本性をちゃんと描けているのか。

{netabare} なるほど、小佐内さんのダークサイドをそう描きましたか…テストの件と連続させたのは、スイーツにかこつけて常悟朗を呼び出す。小佐内さんに推理力はなく常悟朗に推理させる。スイーツをたらふく食べることで自分を押さえる…ということでしょう…か?ここが原作からの疑問でした。

 スマホ(原作だとケータイ)を忘れてきた…というくだりですが、小佐内さんがもし常悟朗に推理をさせようと意図したのだとしたら、ここはちょっと不自然です。常悟朗が学校に戻り現場検証するのが偶然になってしまいます。少し違和感があることろです。

 メールの内容が「話がある」から始まっているなら、小佐内さんの計算ととれるんですけど「ケーキ食べたい」から始まるこのメールの流れだと本当に小佐内さんはやけ食いを意図していたことになります。偶然の流れととるべきか、意図ととるべきかで随分解釈は違います。ただ、2人の約束に縛られて「ケーキ食べたい」がつまり話があるという意味なんでしょうけど。つまり、スマホを忘れて学校に戻る部分はどうやっても不自然にならざるを得ません。

 結局、小佐内さんは常悟朗に対して未必の故意で、推理することをかなりの蓋然性で見込んでいたのでしょう。そうじゃないと、場合によってはテストの件でも復讐するという緊迫感がなくなってしまいますので、そこはいずれにせよ小佐内さんは推理をさせたし、常悟朗は推理をした、ととるのが正解なんだと思います。

 前半でのちょっとした出来事は、小佐内さんは我慢が出来ないことに対しては復讐する、ということですね。

 で、本作のターニングポイント…小佐内さんの笑顔です。いままで無表情だったことの意味を我々はここで知ることになります。もっと素直な笑顔でもよかった気がしますが、そこは解釈ですから少し狂気をはらんだ笑顔というのも理解はできます。

 ただ、ここが大事ですが小佐内さんの本性はむしろ復讐にある、ということが表現できていたかどうかです。あのシーンで一番大事なのはスイーツのときよりも嬉しそうに笑うことではないか、と思ったんですけどどうでしょう?そうなると前半のケーキバイキングのシーンで笑顔が全くないのは演出としていただけません。小佐内さんの狂気が表現できているか?初めての笑顔と、笑顔の違い…演出はどちらが正解なのでしょう?


 そして、原作だと「私有財産の保全」のセリフのところで笑顔を消しているんですよね。復讐のネタを見つけたことに喜び笑顔になって、それを止めようとする常悟朗に対して真顔になることで自分の中にある怒りを再度認識して真顔になる、ということだと解釈しました。ですから本作の「私有財産の保全」のときの小佐内さんの心の動きはちょっと解釈が違うんじゃないかな、と思わなくはないです。


 瓶が落ちる話のトリックですけど、確かに原作では氷やドライアイスの可能性に言及していましたが、特にトリックの明示はありませんでした。本作のあのトリックは証拠を残しています。そこで「濡れ衣」という原作にはないキーワードをアニオリでつけました。原作は純粋にカンニングのため、本作は教室内に悪意があることを示唆しました。この違いに意味があるのでしょうか?

 あと細かいところですが、前半の2人がケーキバイキングの店で並んで座っているのを外から見たシーンで、4分15秒くらいのところは2人のつながりが画面的におかしい気がしました。まるで省略があって何メートルも離れているみたいに見えました。それが本作の演出だと心象なのかともとれるのがややこしいですけど。

 今回は省略もあり随分テンポ良く進みましたが、全体的に小佐内さんの心の動きと本性をちゃんと描けていたか?が、非常に気になります。画面は非常に綺麗なのですが、推理小説ではありますが…特に心理…いや小佐内さんの本質が大事なこのシリーズの前半の根幹ですから、そこは監督・シリーズ構成・演出の人たちはどう考えたのでしょう?OPで狼と狐の絵を見せるだけ?

 それと橋…川の演出はどうなんでしょうね?心象で意味を込めるにしても、ちょっと読み取りづらいかなあ。{/netabare}


4話 この作品の最大のトリックは何か?

{netabare} 本格推理的な雰囲気でありながら、すべて状況証拠の積み上げなので推理としてどうなのか?という点については氷菓も一緒です。ただ、その状況の提示の仕方が、すべて小佐内さんの自転車だよりになってしまったので、非常に不自然になりました。タルトの件、空き巣事件で都合よくナンバーを目撃された件(しかも印鑑が盗まれた…といろいろ調べられたりする)、そして教習所が特定できた件です。

 ただ、重ねて言いますが日常系の人が死なない推理小説は、えてしてそんなものです。捜査ができない以上はそうなざるを得ません。ですので、そこは保留でいいでしょう。小佐内さんのヘイトをためるにも必要だったでしょうから。

 ただ「春限定」の最大のトリックは何か?それは小佐内さんの見た目と内面のギャップです。スイーツの題名でふんわり甘いものを想像して小説を手に取ると、常悟朗の推理ものとして見ていると、最後は実はキャラの性格造形でだまされるというのが本作が読者に仕掛けたトリックです。

 そう考えたとき「春」の不自然なのは推理ではありません。常悟朗が「小佐内さんが危機に陥っているかも」と焦るというところが不自然なのです。小佐内さんが狼と言い切れるほど、狐の常悟朗は「本性」を知っているのに、復讐において小佐内さんがドジするという心配をするというのが作品のカタルシスを減らしたなあと思います。

 ここは小佐内さんの怒りや高校という年齢から言って、どれだけ悲惨な復讐が成し遂げられるか、を心配するくらいでちょうどよかったと思います。本来2人は頼られたら何とかする同盟であって、心のつながりが希薄という前提まで崩してしまいます。
 これは堂島を相手に推理を語らせないと推理として成立させられないからだとは思いますけど。

 それと小佐内さんの復讐に「わからせ」がないです。題名に冠したいちごタルトと自転車泥棒の報いだ、というのが坂上は知ることができません。これを復讐の完遂と呼んでいいかどうかです。

 自転車にまつわる事件を連続させた工夫は感じます。が、最終的には「小佐内さんの内面の恐ろしさに驚愕するミステリ」が本作「春」段階ではそこの描写が弱いので出来損ないの「氷菓」に見えるのでしょう。「氷菓」は各事件の解決の下に潜む人間性・隠れた動機が実は最大のトリックで、さらに作品を通じて主人公が覚醒する話です。その氷菓における隠れた動機に対応する「小佐内さんの本性」の描き方が「春」だけですと非常に弱く、故に面白さが中途半端です。

 それをアニメにしたから、まあ、こうグダグダになったのでしょう。特に3話の小佐内さんの描き方が弱すぎるなあと思いました。ただでさえ短い「春」の話を削った影響もあるかもしれません。

「夏」の方がその意味では本番です。1クールで4話しか「春」に使わないのは当然、主軸は「夏」ということです。推理小説ものなので最後まで見ますけど、やっぱりアニメ化に向かない上に、制作が見せ方をちょっと間違えたのかなあ…という気がしなくはないです。{/netabare}


5話 シリーズの中で出来が良い作品。冬服に戸惑わない方がいいです。

{netabare} この「伯林あげぱん」の話は日常系推理としての出来が良く、与えられた素材から推理される内容もその推理が必要で小鳩が巻き込まれる過程も、自然に描けていたかなと思います。「氷菓」の面白さに匹敵するコミカルな感じも良かったと思います。

 そして、小佐内ゆきというキャラの性格というか行動原理が適格に表現されていて、そこの使い方が見事です。話の導入として読者の疑問を掻き立てるのが非常に上手かったです。加えて堂島が新聞部ということも活用できています。

 ただ、少し画面から違和感を感じないでしょうか?5月の設定なのにどう見ても冬の印象を持つ作画、美術、色彩になってませんか?
 直接推理にも話の面白さにも引っ掛からないのでネタバレすると、本話は「巴里マカロンの謎」に収録されていて、時間軸でいえば1年生の冬になります。(追記 さっきまで2年の冬だと思ってましたが、原作確認したら間違っていました)

 この話は本来原作では1年生の年末に近い時期の話で、「春季限定」と「夏季限定」の間の話になります。それがアニメだと小鳩はいきなり2年A組になっています。春と夏の間という時間軸は変わらないのですが、部室のホワイトボードは「5月」と表示されています。つまり、無理やり2年生の5月の話だと改変しています。
(追記 そうそう、なぜ仲良くなさそうな新聞部でこんなことをしたかと言えば、原作では年末の取材の一環でした。ベルリーナー・プファンクーヘンはドイツでは大晦日または2月の謝肉祭に食べられることが多いそうです。それは調べないとわからないのでまあいいでしょう)
 
 話そのものに影響はないのです。ですが、5月なのに画面が寒々しく全員がきっちり制服を着ています。部室の窓もしまっています。午後4時45分なのに夕日になっています。つまり、冬のつもりで作っている人、5月のつもりで作っている人が混在しているような不思議な画面になっています。これは何か事情があるのでしょうか?

 その画面上の不自然さはおいて置いて、これを説明というか何もなくいきなりここに差し込むのは、アニメとして効果的かどうかは疑問です。まあ、これから「夏季限定」が始まるので2年生にいきなりなっていると戸惑うので、無理やりここにいれたのでしょう。ただ、アニメとして説明が不十分すぎます。

 と、アニメの画面の印象と、シリーズとしての説明の工夫にちょっと疑問は感じますが、そうは言ってもこの1話は大変面白い話でした。キャラたちの性格が悪すぎるのは相変わらずですけどね。{/netabare}


6話 この話は面白いですが、単なる小休止のエピソードでしょうか?

{netabare} 冒頭のお祭りのシーンは原作でもわかりづらいというかはっきりとは確定できないのですが、「会いたくない人」に意味深長なものを感じたのですが、その辺は伏線だと思います。あえて自転車で来たと嘘をついたのは{netabare}「自分は見られたくないけど、相手の顔が見たい」 {/netabare}という小佐内さんの事情が原作では小鳩によって推理されますが、アニメではありませんでした。綿あめも本当に食べたいのもあるでしょうが、 {netabare} 顔を隠す {/netabare}という意図もありました。
 ですが、本作アニメではそこをサラリと流しました。推理としてフェアかどうかはアニメ制作者は考えた方がいいと思います。

 それとこの祭りのシーンで「春」では表現しきれなかった、小佐内さんの本質ですね。小悪魔的ではなく悪魔的に、完全に小鳩の内面を翻弄しコントロールしている感じを描くシーンだと思うのですが、そこがちょっと弱かったかなと。

 そして原作で明確でないのがこの時点で小鳩は小佐内さんをどう思っているか?なんですよね。「春」の教習所の件から、互恵関係と言っている割に小鳩は小佐内さんに甘い感じです。そこに恋愛を見出すことはできますが、それはミスリードでしょう。

 このシャルロットで言いたいのは、小鳩の側でも本当は推理を披露する機会が欲しくて、小佐内さんを利用しているということでしょう。小佐内さんがほぼ唯一のその性癖の理解者です。ですが、小佐内さんはそれが分かって小鳩を利用し支配しているというのが、この祭りとシャルロットで描かれたのかな、と。

 それとまあ、これはネタバレですから隠しますが、 {netabare} この構造が「夏」の大きな仕掛けになります。この6話は「5話と同じく出来がいいちょっとしたショートストーリー」…では無く「夏」事件のキャラ造形としての伏線になります。{/netabare}
 こういうところが「春」に比べて「夏」の方が話としては進化したかな、という部分です。

 演出について。シャルロットのパートなんですけど「何やってるの、小鳩くん」は、心象風景ですね。こういう演出が分かりやすいかどうかはちょっと考えた方がいいかもしれません。
 あと、ネタバレになるので詳しく書きませんが、箱の中のレイアウトはちょっと原作と違うニュアンスになっています。{/netabare}


7話 小鳩と小佐内の表情をどう読み取ったかを覚えておきましょう。

{netabare} ハンバーガーショップの地図の件は、原作だと謎になっていたんですけど、画面でみると成立してなかったですね。どう描くかをちょっと楽しみにしていたんですけど、演出が付いて行ってなかった気がします。
 一方今回の小佐内さんの変装は笑ってしまいました。ついでに、なぜいつも変装しているのかも明言はされてないですが、そこを考えても面白い気がします。

 1話で小佐内の好みを「和菓子ではなくバターとブランデーが効いた濃厚な甘さ」的なものと言ってしまったが故に、鋭い人は小佐内のスイーツに綿菓子とかリンゴ飴が含まれることに、何かの仕掛けか?というアニメ独自の読み方ができてしまいますね。制作スタッフが意図的に入れたのか、何となく入れたのかが良くわからないセリフでした。

 あと、7話の小鳩の表情はそれでいいのか?という気がしなくはないです。ちょっと私の解釈とは違います。一方で小佐内の表情は私と同じ解釈かな、という気もします。小鳩の表情を本作アニメ版のように捉えると、結末がもっと楽しくなると思うのでそこはなるほどな、と思いました。

 この表情についてはアニメでは意図的にかなり丁寧に作画していたと思います。6話の構造と合わせてしっかりとチェックしておきましょう。そして7話の印象を最後まで忘れないようにしましょう。{/netabare}


8話 さて、前提が終わりました。ここからが最大の山場です。

{netabare} かなりあっさりと誘拐事件を描きましたね。原作からして薄めの本ですので、描き方のテンポとしては悪くない気もします。もうちょっとヒリヒリさせるよう、ここは引き延ばしても面白かったかもしれません。

 で、誘拐事件の本編はこれからです。楽しみに待ちましょう。私はこの作品が大嫌いですが「夏期限定トロピカルパフェ」という作品の出来の良さは認めています。夏祭りとシャルロットの味わいが活きてきて、見事な推理小説的な展開と構成でした。

 トリックの種類は ※ネタバレ注意※ {netabare} 他人(小鳩)が語る(小佐内)さんの叙述トリックという感じです。小鳩が8話で行ったことは、そういうガワで見えているという表面上のものだけで、これに視聴者はだまされます。

 注意。具体的内容。{netabare}事件そのものは犯人が引き起こしたものですが、それを事前に察知しその事件を監禁・暴力事件から営利目的の誘拐事件という非常に重い罪に見せかける復讐を小佐内さんが仕掛けます。
 その仕掛けの片棒を担ぐことを小鳩が誘導されて意図せずに行ってしまいます。最大の犯人が小佐内さんだということです。その意味で「春」事件のときの小佐内の描き方が弱いので夏のカタルシスが弱くなるなあ、と思っていました。

 変装の意味、なぜ夏祭りのとき顔を見られたくない相手の顔を見たかったのか、シャルロットのときの小鳩の事件を解決したい心理を小佐内さんが確認したこと、小佐内さんとの関係性に顔を緩める小鳩の表情、逆にそれを知った小佐内さんの悪魔的な表情、なぜ事前に地図の場所を把握できていたのか、小鳩に地図を事前に見せたのか、なにより最大のトリック「小市民」という単語の我々のこざかしいイメージの回収。

 つまり、本作は小鳩VS小佐内であり、小鳩が小佐内の手のひらの上で踊る話です。さらに言えば小市民という人を馬鹿にしたような自分たちの小賢しい考えに気づき、関係が破綻する話です。ですので、6話で小鳩がまるで小佐内のことが好きなような表情を見せたことが効いてきます。苗字に小が付くのも原作者の悪意を感じます。この辺、本当に素晴らしい仕掛けでした。{/netabare}

{/netabare}

 こういう感じですので、肝心なのは次回です。事件の説明の中に潜むいろんなものを理解してこの作品の「味わい」を拾いましょう。何度も言いますが、私はこの小説が大嫌いです。

 これが、この作品の1話でレビューした小佐内≠千反田えるの意味です。今のペースだと9話か少しじっくりやって10話くらいで終わる感じですが…それともいろいろアニメだと私が本作原作を嫌いになる理由に何かアニオリが付いて意味を変えてくる可能性がある尺ですね。

 以上のような話です。せっかくここまで見た人は、最後まで見ることをお勧めします。 {/netabare}



9話 出来はいいですが、小説の面白さとキャラの魅力のバランス問題。

 というわけで、この展開は素晴らしいと思います。一方で推理小説に関してはキャラ萌え派の私にとっては最大の裏切りでした。だから、この作品の出来の良さは認めても、嫌いな小説ということです。

 今回アニメ化にあったって、小佐内さんの内面が見えないことが最大の面白さになるわけですが、そこは小鳩を語り部にすることで結構うまく機能したかなとは思います。しかし、それゆえに本作の魅力、キャラの魅力という点で物足りない部分になっていました。
 特に「春」においては「それだけ?」という感覚が強いので引きが非常に弱かったです。ただ、この9話までの部分を仕掛けた「夏」は推理というより小説の展開として高く評価したいと思います。

 小鳩常悟朗って結構不自然な名前ですよね…多分結構悪意があると思います。「小さな鳩で、常に悟る」です。「朗」の意味はいろいろですけど、ほがらか、明るい、声が高らか。つまり「さかしい小さな鳩がさえずっている」とも取れますから。

 そして、小説の小佐内は大っ嫌いですけど、今回小鳩の描き方が賢しさとか、にやけた表情とかが上手かったので、小佐内のキャラが結構魅力的に思えました。その点ではアニメ化の意味はあったかなと思います。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

プロ小市民が多すぎる

いきなりですが、本作でいうところの『小市民』とは、
マルクス主義の用語である『小市民(プチブル)』ではありませぬ。
嘉門達夫さんの楽曲『小市民』的なるヒト、つまり、
  
  どこにでもいるふつうの、つましくささやかに暮らしている市井の人々

のことを指しております。

ちなみに嘉門達夫さんが1988年に同曲を発表する以前には、
ふつうの人々を『小市民』と称する言語慣習は日本にありませんでした。
(あったかも知れないけど、メジャーじゃなかったです)
イッパン的にはヒダリにおおきく傾いた方々が、
ジブンたちの主義主張に賛同してくれない中産階級者に逆ギレし、
ブベツするような意味合いで使っていたコトバかと。

そこんとこを逆手にとって、
なかば自虐的に「わしら小市民だもんね」と開き直り、
市井の方々の暮らしをコミカルに歌い上げた嘉門達夫さん、着想がとってもよき。

おかげで日本人が抱く共通の言語感まて変わっちゃいましたしね。
いまの若い人はマルクス的な意味など知らず、
  いや~ジブンなんかたいしたことないっスよ、ほんと小市民っスから
なんて感じで使ってるんじゃないかしら。
とてもよいことだと思います。共同幻想は終わったんだ、小市民バンザイ。


で、本作なのですが、原作は米澤穂信さんの小説(完結済み)で、
  目立つこと・イキったこと・倍返しなこと、
  そういうアレな言動を封印して小市民になろうとしているけれど、
  ついつい血が騒いでナニしちゃう高校生の男女ペア
を主人公にした、
中高生向けのラノベミステリ-ですね。

この原作小説は、
最初に出した『春期限定いちごタルト事件』だけで終わらせるつもりが、
そこそこ売れたのとタイトルに『春期』とつけちゃったので、
  こりゃあ春夏秋冬やんないとダメかなあ
みたいな感じでシリ-ズ刊行することになった作品群であります。
(ちなみに拙は、珍しいことに既読です)

今ク-ルは本編四作+短編集の中から、
  『春期限定いちごタルト事件』
  『夏期限定トロピカルパフェ事件』
と、短編集の中から時系列をいじった一話をアニメ化したもの。

残る『秋』『冬』は来年四月からオンエアということです。
  続きは原作買ってねえ♪
みたく残尿感たっぷりの畳み方はしておりませんので、
原作未読の方も安心してご賞味くださいませ。


さて、米澤穂信さんの中高生向けラノベミステリ-原作アニメというと、
やはり京アニさんが制作した名作『氷菓』が思いだされます。
(あちらの原作は『古典部シリーズ』と呼ばれております)

ここからちょっと原作本に関わるよもやま話。
『氷菓』を見ておられない方や、
  アニメは作品が全て・原作なんか関係ありませんやん
という方にはつまんない内容なので、
まるっとネタバレでかくしておきますね。アニメ本編にあんまり関係ないし。
{netabare}

古典部シリーズは、もともと角川スニーカー文庫で出ていたのですが、
シリーズ完結編のつもりで書いた『さよなら妖精』が、
  テイストがチガウ、
という理由で同文庫からのリリースを拒否られてしまったんですよね。
より厳密に言うと、
サブレーベルのスニーカー・ミステリ倶楽部をやんぺすることになったんだそう。
そういうのは書くまえに言いなさいよ、書くまえに。

ただ、お話自体のデキが素晴らしくよかったので、
先輩作家(笠井潔さん)のすすめもあり、
古典部の要素を排除するように書き直したうえで、
版元を創元社に移し、一般文芸として単行本化されることになりました。
(もちろん、文庫版も創元推理文庫から)

ですが、一般文芸の単行本ってお高いじゃないですか。

で、米澤さんが、
スニーカー文庫で『古典部』を続けられるメドか立たず、
デビューから応援してくれていた中高生ファンに申し訳ないなと思い、
より安価に楽しめるよう創元推理文庫からリリースしたのが、
この『小市民シリーズ』なのであります。

ちなみに創元社から出た『さよなら妖精』単行本の評判がよかったらしく、
それを横目で見ていた角川書店の連中の間で、
  米澤けっこう売れるやん
  『古典部』続けさせなあかんやん
  単行本売れるんやったらスニーカー文庫に置いとくのもったいないやん
というハナシになったようで、
それ以降も古典部シリーズを継続することになりました。節操ありません。
そして出版形態は『さよなら妖精』まるパクリ、
新刊を単行本で出版し、後に角川文庫で文庫化する流れになったんだなう。


その後『古典部』『小市民』シリーズは並行して出版され続けます。
時系列で言うと、こんな感じ。
(ちなみに〇が古典部で●が小市民シリーズであります)

  〇2001年11月 『氷菓』(角川スニーカー文庫)*デビュー作
  〇2002年08月 『愚者のエンドロール』(角川スニーカー文庫)
  *2004年02月 『さよなら妖精(元:氷菓完結編)』(東京創元社)
  ●2004年12月 『春期限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)
  〇2005年06月 『クドリャフカの順番』(角川書店→角川文庫)
  ●2006年04月 『夏期限定トロピカルパフェ事件』(創元推理文庫)
  〇2007年10月 『遠回りする雛』(角川書店→角川文庫)
  ●2009年03月 『秋期限定栗きんとん事件上・下』(創元推理文庫)
  〇2010年06月 『ふたりの距離の概算』(角川書店→角川文庫)
  *2012年04月 アニメ『氷菓』放送
  〇2016年11月 『いまさら翼と言われても』(角川書店→角川文庫)
  ●2020年01月 『巴里マカロンの謎(短編集)』(創元推理文庫)
  ●2024年04月 『冬期限定ボンボンショコラ事件』(創元推理文庫)

正直、ドル箱作家を半分さらわれたみたいで、
角川書店の連中は面白く思っていないでしょうが、
そんなん読者・視聴者は知らんがな。
てか、
文句言うまえに社内の人間教育ちゃんとしなさいよというハナシです。
{/netabare}


そんなこんなでアニメとしての本作は、
アニメ『氷菓』と原作者が同じというだけでなく、
 ・主人公の年代(高校生)
 ・物語の舞台(岐阜。ただし本作は岐阜市、氷菓は高山市でロケハン)
 ・対象年齢・テイスト(中高生向けライトミステリ-)
 ・原作の執筆時期
までまるかぶり、性格がちょっと違うふたごみたいなものなのであります。

というわけでアニメ『氷菓』の大ファンである拙は、
本作の製作が発表された時から、
期待ハンブン・心配ハンブンで楽しみにしておりました。
(心配はもちろん『氷菓の劣化版』にならないか、ということですね)

  最初っから京アニ『氷菓』と比較されるのがまるわかりの本作。
  この荒行に挑戦したカントクは、
   『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『すべてがFになる』『約束のネバーランド』
  などで比較的若めのファンにも名が知られており、
   『約束のネバーランド第2ク-ル』
  の改変でボッコボコに叩かれた記憶が新しい、ベテランの神戸守さん。

  制作は、2014年設立でそんなに有名な会社じゃないけれど、
   『アンデッドガール・マーダーファルス』
  で「おお、けっこうやるじゃん」と思わせたラパントラックさん。

  この期待できるようなできないようなタッグで、
  京アニさんだけでなく日本アニメ史においてもエポックメイキングな作品、
  故・武本康弘氏監督の『氷菓』の姉妹作に挑むことになりました。


でもって、第一ク-ル完走後の印象というのは、
  けっこう頑張った・楽しく見られた
というものであります(いやいや、どんだけ上から目線なんだ、僕)。

極私的なおすすめ度は堂々のAクラス。

ただし、萌え的な観点で申し上げると、
登場する主要女子キャラがヒロインの小山内ゆきただ一人であり、
見かけはともかく中身がアレなヒトなので、
草食系ダンシの方々にはなかなかハードルが高い作品になっております。
(女子高生あるあるも『ない』ですしね)

  そこんところで振り落とされず、
  なおかつ「これは『氷菓』とは別モノなんだ」と割り切れた方のみが、
  ゆったりと作品を楽しめる仕様になっております。


まず、映像がキレイ。というか叙情的。
ロケハンがんばったであろう岐阜市内の風景を巧みに使ってまして、
静かな、そしてパっとしない地方都市の、
『日常生活の緊迫感のなさ』とか『起伏や面白みに欠ける青春』みたいなものが、
いい感じに伝わってまいります。

キャラデ・作画もけっこうなお点前。
デッサンがリアル寄せでおまけにローアクション演出のため、
ジュニア向け作品よりもワンランク大人な物語、という印象になっています。

こんなところにまでこんな手ェ入れるかなあ、
という職人ダマシイはまったくなく、
手抜きなところはけっこうあからさまに手抜きなのですが、
(かなり中国つかってますしね)
それでも全体的には高評価。
デッサンぐちゃぐちゃの量産型なろう系とは一線を画しております。
{netabare}
  ちなみに拙が個人的にとってもお気に入りなのは、
  ヒロイン小山内ゆきの『おかあさん』のキャラデです。
  DNAってすごい、とか思っちゃいました。 {/netabare}


物語や謎解き的なものは、すごくもしょぼくもなく、まあこんなもんかなと。
ただ、推理とは呼べないような日常の知恵働きから、
がっつりと刑法に抵触する、地方あるある的な悪ガキとの対峙に至るまで、
それなりに起伏のあるコース設定なので、
ダレることなく快適に完走できるんじゃないかしら。

あと「なんでこんなプロットに尺とるかなあ」と思ってたら、
それが後の展開でピースとしてぴしっとハマるのは、けっこう快感かもです。
(ただし、ほんとムダに尺とってるプロットもそこそこあります)


キャラクターの魅力度は、
ヒロイン小山内ゆきの独走状態、他を周回遅れにするほどのぶっちぎりかと。
他の方のレビューを拝読していると、
最後のアレがナニなのでけっこうパリィされているようですが、
拙的には『ほどよいクロさ』がお気に入り。

逆に男子主人公の小鳩常悟朗くんは、
拙的には、あんまり感情移入できなかったかもです。
{netabare}
  中学のときにDQN系中二病を発症し、
  イチビって名探偵を気取っていたらウザくてハブられた。
  そんなしょうもない黒歴史をスティグマみたくご大層に抱え込んでいて、
  そんなジブンに酔ってるフシもあり、
  なんかいろいろ完治してないメンドくさいやつだなあ、と。

  お友だちである堂島健吾の小鳩くん評は、まさに正論。
  あとは最終話、
  小山内ゆきを負けインにしてしまった度量の狭さもなんだかな。

  アレって『面白がって罪に陥れた』のではなく、
  一日でも長く『恐怖の対象』を自分から遠ざけるための方策ですしね。
  しかも相手は薬物常用・凶器所持・暴力常套というアレなヒト。
  そこのところを情状酌量せず、
  正論でもってパリィしちゃった『青くささ』が妙にリアルでやだわ。
{/netabare}


音楽は、EveさんのOPと小畑貴裕さんの劇伴だけなら、
満点つけてもいいぐらいの高水準。
とりわけOP映像、
狼とキツネが楽しそうに大空をぴょんぴょん飛び回ってるところが実によき。
(本作の根底に流れているものを楽しく象徴していますよね)

  で、それらを台無しにしているのが、ammoさんのエンディング。
  べちょっとした歌い方もアレなんですが、
  それはスキキライの問題だからよこっちょに置いておくとしても、
    おまえホントに原作読んだ?
  と言いたくなるほど作品と乖離している世界観が壊滅的かと。

    小鳩くんと小山内さんの間柄はレンアイ関係などでは決してなく、
      お互い相手をそこそこ気に入ってる互助関係
    なんですよね。共依存、みたく大層なものじゃない『ほどほど関係』。
    (で、小鳩くんよりも小山内さんの方が、もたれかかり気味)

    ただしニンゲンの感情なんてゼロイチで割り切れるものじゃありません。
    この二人の微妙でふしぎな関係や距離感、
    そしてそれらが事件ごとに変化していく『揺らぎ』を、
    繊細なタッチで美しく描いているところが本作最大の見せ場である、
    そんなふうに思うんですわたし。

  その観点からすると、このベタ甘ED曲は歌詞も曲調もダメダメかと。
  最後にこれが流れることで、
  なにがやりたいアニメなのかまるでわかんなくなってしまっています。

  ammoさんファンの方々にはほんと申し訳ないんですが、
  楽曲単体にケチをつけているわけではありません。
  アニメのED曲ってなんのためにあるんだ、というおハナシなのです。


役者さんのお芝居は、上々の出来かと。

どうやら神戸カントクの方向性として
  狙い過ぎない感じを狙う
みたいなものがあるらしく、そこがきっちり表現できています。

とりわけ小山内さん役の羊宮妃那さん、
ちっこくてかわいらしい外観のうちに秘める『ヤバさ』みたいなものが、
ちょいホラーっぽく楽しく表現できていました。

小鳩くんを演じた梅田修一朗さんは、
雰囲気が若干イタキャラになってしまいましたが、
これはカントクの方向付けなのかな。
(ちなみに『負けイン』の温水くん演ってた方ですね)

その他、レギュラーではなく単話のみの出演になってしまうのですが、
  堂島健吾のお姉さん役に安済知佳さん、
  新聞部であげパン食べてた女子部員役に瀬戸麻沙美さん、
  小山内さんのおかあさん役に早見沙織さん、
おそらくは『オ-ディションの負けイン組さん』がチョイ役で出ておりまして、
地味に豪華なキャスティングとなっております。
(こういうの、オ-ディションあるあるなんですよね)


あと『氷菓』との比較なんですが……
{netabare}
あれこれ述べる前に大前提として知っておいて欲しいのですが、
  制作費がぜんぜんチガウ
んですよね。もちろん『氷菓』の方が三~四割高くて、
ぱっと見、一話あたり400万、ひょっとしたら500万円以上チガウかも知れません。

  イッパン的に深夜アニメの制作費は一話1100~1500万円ぐらいなんです。
  そして本作は、その枠内でもシブめな方なのかな、と。
  かたや『氷菓』は、その枠内に収まらない、数少ない特例作品のひとつ。

  その二作の出来栄えを単純比較するっていうのは、
  いくらなんでもさすがにセッショ-なんじゃないかなあ、と
  元カンケ-者の拙なんかは思うわけです。

  もちろん純粋な視聴者さんからしたら
    そんなのカンケ-ねえ
  というハナシにしかならないと思います。
  そこはまったくそのとおり。
  ほんとそのとおりなんですが……けどさ、でもね、はい、おっぱっぴ~。

演出面を単純比較するなら『氷菓』の圧勝なわけです。
メリハリが利き、わかりやすく、視覚的に楽しく、しかもグリグリ動く。
心象風景もただ美しいだけでなく、いちいち象徴的な意味が込められています。
モブの人数もリアル寄せで豊富、
おまけに作画に手抜きがなく画面バランスがまったく崩れません。

  こういうのってただ予算が多かったからではなく、
  それを物語を紡ぐため効果的に配分して作品クオリティをあげた、
  故・武本監督や京アニスタッフの才能であり手柄なんです。

かたや『小市民』の方は、明らかな枚数不足。
背景や原画・動画合わせると、
一話あたり1000枚あるいはそれ以上、制作枚数が少ないんです。

  モブはがらがらで過疎地域みたいだし、
  心象風景の表現だってムリのある『背景の使い回し』が散見されます。
  写真使ったり背景のズームや色彩変更で枚数稼ぎ。
  ココアのくだりなんか現実と脳内の描写線引きが甘くてわかりづらいですし、
  廃体育館でのバトルなんか枚数節約のため全カットですもん。

  もちろんそれは、予算のモンダイ。

  拙は最初に本作を『叙情的』『大人な物語』と称しましたが、
  そうなるだけのジジョ-があったわけで、
  これを無理に『氷菓』に近づけようとすると劣化版にしかなりません。

そうした観点から鑑みて、神戸守監督、ほんとにいい仕事されたなあ、と。

原作を損なわない範囲で、
キャラクターのニンゲン性や心情を掘り下げていく方向にシフト。
知恵と工夫で枚数を節約し、見せたいカットをきっちり動かし仕上げていく。
動きの少ないぶん役者の芝居品質が大切になるので、
半プレスコみたいな感じで収録し、荒行まがいのMAで品質を維持。

  小山内ゆきが「私有財産の保全」とか言い出すカットとか、
    おお、この手があったか
  と思うぐらい、おカネをかけないのにスゴ味のあるいい演出でしたしね。

ただまあ、そこまでしても1クールで10話しか作れなかったわけです。
いやほんと総額いくらで予算組んでたんだ。
もう一社ぐらい製作委員会に巻き込めなかったんかい、つったく。
   {/netabare}


そんなこんなで、やはり本作と『氷菓』は別モノ。
限りある予算をやりくりし、
精一杯の知恵と努力で『視聴に値する作品』を創り上げています。

派手さはありませんが、じっくり叙情的に物語を紡ぎ、
中高生向けライトミステリ-原作なのに、
しっとりと情感が伝わる本格的な青春譚みたくなっています。

アラを探せばいくらでも発見できるでしょうし、
作品のト-ン上、小鳩くんがいささかイタキャラ気味ではありますが、
それでも充分に楽しめる一本に仕上がっておりまする。

  ただまあ、ジミはジミなんですよね。
  ミステリ-的にはせせこましいし、
  テンポゆっくりだし、動かないし、女の子すくないし。

    殴るける斬る、銃や魔法を打ちまくる。
    とびっきりの美少女とナニがアレして胸がきゅんきゅん。
    歌って踊って泣いて笑って、あたしゼッタイ夢を叶えるんだぁ。

  そういう作品と比べると、圧倒的に『ジミ』です。
  いやもうほんと、
  あんなやつクラスにいたっけレベルのすさまじいジミさです。

  ですが、ジミ子にはジミ子なりの良さがあります。

    とりわけこの子は、
    経済的に恵まれない家庭環境にもイジケたりひがんだりせず、
    ヒトの気持ちを深いところまできちんと考え、
    ナミダぐましいやりくりを続けながらも、
    前向きな努力を惜しもうとしない『よいジミ子』なんです。

  ただ、残念ながら世の中はおおむね、
  そういう子がワリ食うようにできています。

  リアル世界でももちろんその傾向は強いですが、
  とりわけエンタメの世界では、
  小市民の多くが求めているのは、こういうアレじゃないんです。

  いやほんと、
  世の中ってそういうものではあるんですが、
  一人でもふたりでもこの子の良さをわかってあげてくれたらウレしいな。

    そんな思いでつらつら書いていたら、
    またまた長いレビューになってしまいました。

           話の長いオトコって、やだわ。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21

Witch さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

『氷菓』や原作を知っているとつい口を挟みたくなるのは申し訳ない

【レビューNo.158】(初回登録:2024/12/15)
小説原作で2024年作品。全10話。
原作についてはアニメ『氷菓』で米澤穂信先生を知って読み漁るようになり、
その際に読了済み。
その当時は漠然と「これもアニメ化されたらいいのになあ」と思っていたら、
このタイミングでまさかのアニメ化ですよ(笑)


(ストーリー)
主人公・小鳩常悟朗は中学時代に問題事を推理したがる性格で苦い経験を持つ。
そして同級生の小佐内ゆきも常吾朗と似た境遇を送っていた。
そんな2人は意気投合、「小市民」を目指すために互恵関係を結ぶことになる。
高校生に進学した2人は平穏を求めながらも、日常の中で発生する事件に巻き
込まれ、結局封印したはずの謎解きに挑むことになる。


(評 価)
上述のように待望のアニメ化だったのですが、率直なところ
「アレ!?思ったほど面白くないなあ」
原作を読んだのも大分前で結構忘れてる部分も多く、思い出補正なんかもあっ
たのかなあと思っていたのですが、最近最終巻(冬期)が図書館から回ってき
たので読んでみると
「おい!やっぱり面白いやんけ!!」
なので、もう一度原作を読み返してみると・・・

・1,2話でやらかしている
 1話を視聴して感じたのが
 「アレ!?こんな不自然なストーリーだっけ?」
 という強い違和感だったんですよね。
 原作を確認すると、やはり「ポシェット事件」と「いちごタルト事件」は
 本来別エピソードでアニメ化で改変されたようですね。
 まあ1話で視聴者を引き付けるために上述構成にした意図は理解できます。
 でもここに問題が発生したんですよね。

 小佐内さんは本来「スイーツ」については異常ともいえるこだわりや執着
 を持っている、個性的なキャラだったんですよね。
 それが本作だと
 ・「春期限定いちごタルト」に強い執着を持ち、絶対ゲットしたい
  しかも今日までという期限付き
 ・そして(2個ゲットするため)小鳩君に同行の約束を取り付けるも
 ・ここで事件に巻き込まれ小鳩君が友人から呼び出される
  → 小佐内さんおとなしく待機
 って、こんなの私の知ってる小佐内さんじゃない!
 売り切れるかどうかの瀬戸際で、呑気に待機してる場合じゃねーだろ!!
 個人的には彼女の強烈な個性は吹っ飛び「普通のスイーツ好き女子」に成
 り下がったなと。
 (この辺はその後のエピソード含め(説明セリフ頼りとか)演出が弱かっ
  たかなっと)
 これだけなら些細なことかもしれませんが、本作は一事が万事こういう感
 じなんですよね。

 例えば続けて2話ですが、今回は「おいしいココアの入れ方」です。
 これはミステリーのオチが斜め上過ぎて酷評の嵐でしたが、原作を読むと
 本編のポイントはここではなく、小鳩君と友人堂島健吾の間で交わされる
 「お前中学で何かあったのか?雰囲気が違い過ぎる。」
 という会話劇なんですよね。
 
 これも
 ・原作だと知恵働きをやめ「小市民」を目指すようになったきっかけが語
  られるのは一番最初のプロローグ(夢の中という設定)
  → それを受けての上述会話劇になるので重さを増す
 ・本作だとこの辺りが語られるのはラスト付近
  → 上述会話劇が唐突な昔話になり伏線めいた扱いに
 制作側としては最後の見せ場にとっておいたようなフシがあるのですが、
 そのせいで
 ・会話劇の重みが薄らぎ「ココアの入れ方」の不出来が悪目立ち
 ・「小市民」という言葉もどこかひとり歩きしているような状態に
  (また後述の2人のキャラの描き方にも影響したような)
 と、やはり違和感を覚えたのは正しかったようです。

 1,2話で「??」となった視聴者も多かったんじゃないですかね。
 (制作側のやろうしていることは分かりますが、序盤からこれだけ違和感
  を覚えるとなあ・・・という感じですね。)


・3話以降は原作の出来に助けられたが・・・
 3話以降は原作者の調子も上がってきた感じで、ミステリー的なストーリー
 は楽しめたように思います。
 しかし「魅せ方」については比較するのは適切でないかもしれませんが
 ・『氷菓』は
  ・「何故この作品をアニメでみせるのか」を考え抜いた上で
  ・それに従い全体像も練り上げて、そこからエピソードに落とし込む
  という意図が感じられ、アニメは原作越えの面白さがあった
 ・しかし本作は
  ・このシーンはどう見映えするか的な”点”で終わってしまってる印象
 という感じで連続性のある積み重ねという部分が弱い感じがしましたね。

 その辺はキャラにしわ寄せがきてる感じで、例えば小山内さんなんかは
 ・普段はスイーツ好きで小動物的にかわいく描いておいて
 ・ここぞの場面で作画のインパクト等で「実はどす黒い女子です」アピール
  しときゃいいやろ的な
 他のレビューで書きましたが、キャラ造形って
 >・作り手が「彼はどういう人間か?」というのを考え抜いた上で、それを
 > 作中の言動に地道に落とし込んていく
 >・その積み重ねを経て、視聴者側がどう受け取るか
 ということだと思うのですが、そういう点では物足りなさを感じたかなっと。
 (全体的にキャラの捉え方が平面的というか、他のレビュアーさんのご指摘
  通り行間を読み取れていないというか・・・)

 それに伴って、小鳩君との「小市民」を目指すための互恵関係という設定も
 作品の面白さに繋がっていない感じですし。


・作画もレベルは高いが・・・
 作画は綺麗でかなりレベルが高いです。
 しかしここでも引っ掛かるところが・・・
 ミステリーだと会話劇が冗長的になりやすいので、飽きさせないようイメージ
 映像を挟んだりするのですが
 ・『氷菓』だとメインの会話がよりわかりやすくなるように等会話劇を面白く
  引き立てる名サポート役的に描かれている
 ・本作は目先の変化だけが目的というか、川辺のシーンなんかむしろ本筋より
  作画がきれいだったりとこっちを強く主張してどうすんねん!
  (会話劇を面白くする方向に機能していない)
 こういう感性が合わなかったところも1話から違和感を覚えたひとつですかね。
 (作画も全体的にアニメとして面白くみせることより、作画自体の凄さを見せ
  つける方向に神経がいっていないかと?)


『氷菓』や原作を知らなければまた評価も違っていたかもですが、なまじ知識
があるとつい口を挟みたくなる点はちょっと申し訳ないですね。
期待値が高かった分辛口気味なレビューになりましたが、標準レベルはクリア
されているとは思います。
(正直なところ1,2話で負のバイアスがかかったのが影響してる感じ)
決して『氷菓』を目指して欲しいわけではありませんが、『氷菓』の真骨頂は
ある意味
「原作へのリスペクトと圧倒的な理解度の高さ」
にあると思っているので、そういう点は見習って2期では
「この原作のどの部分が琴線に触れアニメ化に至ったのか」
が見えるような作品を期待したいですね。
2期分の原作エピソードもより面白いものになっているので。


(追 記1)
>このタイミングでまさかのアニメ化ですよ(笑)
これは2024/4に最終巻が発刊され、完結まで描ける目途がたったのが大きかっ
たのでしょうね。
個人的には、2022/2の米澤先生の「✕」での発表
「KADOKAWAさんから出る新刊は、〈古典部〉シリーズの長篇にしようとご相談
 しています。」
以降『氷菓』の続編どうなっとんねん?が気がかりなんですが。
『小市民シリーズ』も無事完走したことですし、こちらの方もよろしくお願い
します m(_ _)m
(『氷菓』のレビューでも書きましたが、これが完成すればギリ1クール分の
 ストックは確保できるかなっと。
 アニメ化してくれるかは知らんけどw)

(追 記2)
あと堂島健吾のことを彼女が「ケンケン」と呼んでいたが、やっぱアニオリだ
ったんだな。
そこはちょっと面白かった。小鳩君の間とか後でちゃんといじってたしw
(改変が”点”で終わらず、きちんと”線”になっていた。)

ただこの回では堂島が「名前は言えないんだが」といいつつ、次の会話であっ
さり名前を言ってしまう”大雑把さ”に小鳩君が心の中でツッコミを入れると
いう(原作の)流れなんですが、本作ではそこはスルーかよっと。
また最終話の小鳩君が最後のパフェを食べた際の心理描写不足とか・・・
こういうキャラの魅せ方とか細かい感性のズレが原作のよさを活かしきれず、
イマイチ合わないなあっと感じてしまった。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 19
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