平安時代アニメ映画ランキング 5

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2025年01月05日の時点で一番の平安時代アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

64.9 1 平安時代アニメランキング1位
かぐや姫の物語(アニメ映画)

2013年10月1日
★★★★☆ 3.8 (291)
1196人が棚に入れました
原作:「竹取物語」、原案:高畑勲 監督:高畑勲 製作:氏家齊一郎、脚本:高畑勲/坂口理子、音楽:池辺晋一郎

声優・キャラクター
朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、中村七之助、橋爪功、朝丘雪路、仲代達矢、三宅裕司

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

私訳・竹取物語

姫の犯した罪と罰 。

いささか仰々しいキャッチコピーですが、原典に従えば、地球の男たちを愚弄したことの罪、彼女がしでかした所業への罰。
そんな評定ができようものと思います。

本作品を、原典のトレース、ストーリーの焼き直しと見るなら、底の浅い二番煎じと受け取られても仕方ないでしょう。
でも、高畑氏がそのように銘打ったからには、別の意図が付され、新しい解釈ができるかも知れません。

原作者と高畑氏との間には、どのような共通点と相違点があるのだろう。
かぐや姫と私たちを対比させながら、時代マターに通底する罪と罰を俯瞰してみたいと思います。





1000年も前の物語が伝承されているのは、誰にとっても普遍的な価値が見いだせるからで、体裁としては、私はシンプルに "転生もの+なろう系" と評価しています。

私のアプローチは、次の二つの視点です。
「なぜ天上に住む高貴な女性が、わざわざ地球に下り、ひなびた古老の家を選んだのか。」
「いったい彼女は、どんな暮らしを願い、そして彼女はそれをやりきったのか。」

彼女は、地位や名声、財宝や権威には一切関心を示さず、おもねることもなかった。男たちの求婚には目もくれず、育ての老親への孝行も念頭になかった。
およそ人の幸せに類するものへの無関心なさまは、あらゆる世俗を諸行無常と達観する "解脱者" のようです。

そんな彼女に、高畑氏は、幼馴染への恋ごころを濃密にトッピングし、妻帯者に対して彼女に心火を燃やさせ激情を逸らせました。
解脱と陶酔。このアンバランスさに私は混乱し、一つの疑念をいだくに至りました。

もしかしたら、高畑氏はかぐや姫のイメージを、根底から覆そうとしているのではないかと。





私は、本作(原典)を、転生願望をテーマにした日本文学のフォーマット、なろう願望の裏表を詳らかにしたテンプレートと思っています。

月は精神を、地球は肉体を象徴しています。
ひと気のない宮居から、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ地球に思いふける彼女は、おぼろな霊体としての存在でしょう。

転生&なろうの文脈に落とすなら、地球に憧れる=肉体を得ることが彼女の最初の願望。
ですが、肉体を得た彼女の振る舞いは、1000年も語り継がれる稀代の剛愎ぶりでした。

だから私のかぐや姫の第一印象は、我儘と傲慢を併せ持った桁外れのエゴイストです。
お母さんの子宮ではなく、竹から生まれること自体が、そもそも大きな矛盾(罪と罰の素因)を孕んでいることを暗喩しているのですね。





そこで仮説を立てたのが、一つには、月の世界は、男をかぐわせる魔性の女を閉じ込める "牢獄" 。地球は、己が重罪に気づかせるための "保護観察付きの仮釈放" というシュールです。
そんな切り取りはなんとも悲しすぎますが、転生&なろうの彼女の動機は、牢獄という罰からの逃避とも、そこに収監された罪への慚愧の念から、とも取れそうです。

ですが、もう一つの仮説もあります。
それは、月の世界は、女性の社会的自立を抑制する "ガラスの天井" で、地球は女性性の "解放区" という真逆のシチュエーションです。
その観点でかぐや姫の心情に触れるなら、人恋しさを満喫し自由奔放な恋をエンジョイしたかっただけ、あるいは男を伸(の)してでも女性のジェンダーを周知向上したかったからとも感じ取れます。

平安時代の貴族女性は、親の一存や政略として定められた人生を選択する(押しつけられる)のが "普通" でした。
月の女性はかぐや姫の前世霊でもあるわけですから、それじゃない何か、どうしても選びたかった何かを果たしたかったのではないかと思えるのです。

そう考えると、かぐや姫の振る舞いや生きざまは、表層的な評価にはとどまらない、多重的、多角的、多面的な解釈ができそうです。
言うなら "いかなる因果律にも縛られない超法規的措置" 、"正夢にもすがりたい虚妄、逆夢さえねじ返したい本願" です。
そしてそれは "誰にとっても地平続きである感覚" に驚かされます。

わたし的には、この気づきが、この物語に秘められたアレゴリー(寓意)であり、アイロニー(皮肉)なのかもと思います。
1000年前の彼女の人となりは、今の人間と少しも違わない。
彼女の罪を咎めることも、罰を嗤ったりすることもできない。
そう胸に問い返し、「ではどうすればよかったのか?」を自問自答させるのです。





高畑氏の作風は、エンタメに笑いを見せながら、毒針を暗喩としてチクリと含ませたり、世相を皮肉で捩(もじ)ったりする一面があります。
原典も本作も、そんな矜持を一人の若者(かぐや姫)の境遇に盛り込んでいます。

自分らしく生きることの難しさ、社会が変わらないことの悔しさ。
そこには、男と女の性的格差(ジェンダーとセクシャリティー)。自由奔放とルール社会との衝突。貧富、能力、容姿などの超えがたい相差が見て取れます。

これらのコントラストは、バイアスによる誹謗中傷、それぞれの正義感の押し付け合い、不合理や不条理の支配構造を生み出しています。
そんなバトルが目の前の現実であり、人間に生まれることの由縁と必然です。

だからこそ、安直な転生&流行りのなろう系とは全く異質のシナリオが、1000年変わらぬ土台なのです。
おとぎ話に心を遊ばせても、その主人公を自分のリアルに当てはめるな、と。
現実の世界で懸命に足掻き、その主人公として今生の自分を確立させよ、と。

どんなにかぐわしい人生であっても、どれほど生臭い境遇であっても、いつ知れずお迎えの時期は来るのだと。





私は、高畑氏が描く月の女性は、魂の輪廻のなかに存在していると捉えています。
これは "転生同魂" 的な演出で、昨今の転生&なろう系作品とほぼ同じ構造です。
ですが、原典には、記憶の継続性は少しも設定されていません。

作中、かぐや姫が、わらべ歌に不思議を感じる演出があります。
これは、転生&なろう系のアニメ作品に親しむファンへの歩み寄りでもありますが、同時にアンチテーゼを匂わせているように感じます。

前世、今世、来世に貫通する想いは、地球と月とを行き来したくなるほどの強い焦燥です。
それはおそらく、叶わなかったことの悔恨、叶えられなかったことへの呵責です。
仏教ではそこに輪廻転生を説法し、SFではここでタイムリープを起動させます。
あたかも今の自分の意識と肉体が、一旦は別の次元界に行き、追ってこの世に戻ってくるかのように錯覚させるのです。

しかし、実際は、前世の記憶=自我を保ったままで生まれないことは誰にも分ることです。
また、一つの身体に複数の記憶を持つとか、心と体を時間跳躍させることもあり得ないと分かりきっています。
それが現実なのに、宗教的に "転生同魂" に期待したり、文化的に "転生&なろうアニメ" に親しんだりするのは、言うなら一時的な魂の救済であるのかも知れないし、25分程度の現実への慰めと癒しなのかも知れません。

ただ、それではかぐや姫と同じ穴の狢(むじな)です。
前世と同じ生き方を選択するのなら、俺TUEEE!と変わりません。
今世にノーチャレンジなら、アニメのキャラに何を投影するでしょう。
魂の歓喜と責任を来世にスルーするなら、それはチートすぎるでしょう。

内心を誤魔化すことはとても簡単ですけれど、魂のレベルでは輪廻転生するプロセスに、罪にも罰にもと刻みつけられるのが、この世のしきたりなのですね。





誰にとっても地球にいられる時間は有限で、月に帰ることが予め決められているなら、せっかくの命を何に使うのか、魂をどんなふうに活かしきるのかという問いかけが、本作品への寄り添い方なんだと思います。

そんな当たり前のことが、あまりにも当たり前すぎて、気がつかない、気にも留めないのが、かぐや姫の役回りであり、同時に人間のさがというわけなのでしょう。

最終のシーンで屈強な武士らが描かれますが、これもちょっとしたアレゴリーでしょう。
どんなに虎の威を借りようとも、時間の審判には抗うことなどできないとクギを刺す作者のメンタリティーなんですね。

月の住人の立場なら、地球への転生は、言わば「ショートバケーション&ワーカーズビザ」の付与。
あるいは、自分磨きのための「星間留学体験」なんて解釈も面白そうです。
くれぐれも元の木阿弥(前世の焼き直し)にはならぬようにとの注釈付きですけれど。

ただ、その警句は、当人には分かりようもないし、教科書にも説かれていません。
何もやりきっていない私だから、誰でもいいから若竹でつくった警覚策励でシバキ挙げてくれないかしら。
いえ、それも自分から求めないといけないのでしょうね。





月の女性は、"自らの意志" で地球に転生しています。

であるなら、どうして彼女は、自身の顔を可愛らしく、美しいままに転生したのか。
どうして彼女は、平凡な顔立ちを良しとしなかったのか。

無意識、無自覚なその自我は、彼女の罪とは言えまいか。


いいえ、もしかしたら、彼女は譲れなかった、譲らなかったのかもとも疑います。
転生だけでも十分な特赦なのに、そこまで依怙地を通すなら、罰を受けざるを得ない人生になっても仕方ないかなぁとため息がでます。

ですが、神仏が "敢えて許した" と致すなら、話はがらりと変わってきます。


美人薄命。
それは罪をつくるから? それとも罰を負っているから?
なんとも、どうにも難しいものです。





「竹取」は、長けを取ること。
それは、自分の長所に胡坐をかいてばかりではいけないことを示唆しています。

あるいは、長けを獲ること。
それは、自分を竹のように伸ばし、節を乗り越え、節を味方につけて、高みを目指すとも解釈できます。

さらには、丈を取る、でしょうか。
丈は、物の長さを測る単位ですが、支えること、支えあうことの意味もあります。

日本は言霊の国ですから、「竹取」の二文字にそういう精神性を秘め、長く言い伝えようとしてきたとも言えそうです。


仏教では、人は誰でもが、前世の劫を携えて生まれてくると語られます。
そして今世でも、知って犯す罪、知らずに積む業があるとも言われます。
それでも人は良かれと信じて徳を積み、意を尽くして天命を受け容れるしかないのかもしれません。

だから、かぐや姫は、彼女なりの生をやりきったのだと思います。
それなら、次のかぐや姫の役は、あなたです。

原典と高畑氏の作品は、それを後世に伝えていく役割なのだろうと思います。
それはまた、私訳・竹取物語でお伝えしたいことなのです。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 14
ネタバレ

ろき夫 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

かぐや姫の物語に想いを寄せた一人の翁

学校で習ったことはありますが、大昔のことなのでぼんやり。
大方のあらすじを覚えてる程度、詳しくは把握してません。
まぁ、でも大丈夫な作りになっているでしょー。一応、ジブリだしw
てな感じで見に行きました。

けど、十分楽しめました。それで良かったということなのかな?

冒頭、竹取物語お馴染みのフレーズから始まるのが、とても懐かしい気持ちにさせてくれます。
全体的に忠実に再現されていて、見ていく内に原作の内容が頭の中に蘇っていきました。

原作をベースにした刺激的なアレンジなどを期待するような内容ではありませんでしたが、かぐや姫やその周囲の人々の心情を細やかに描くという+αの要素は加わっています。
人々の交流の温かみを、幻想的に心豊かに表現するのが高畑作品の魅力だと思います。
心を解きほぐすかのような墨画テイストの柔らかい絵はそんな雰囲気を出すのにピッタリでした。
でも、斬新さを求めると拍子抜けだし、退屈な部分も多いので万人受けとは言えない気がします。


いきなりですが、高畑勲という人物像に思いを馳せたことはありますか?
高畑作品って苦手な人も多そうなので、どこに魅力を感じているのか自分なりに紹介したいと思います。


割とストレートなメッセージ性を込めて作品を作ってきた人。
という、イメージでしょうか。

説明的な表現が作中に多くあり、宮崎駿作品と比べるとそれが露骨に伝わってくる。
自然を、家族を、心のゆとりを慈しみなさい。そんな言葉が。どの作品にも共通して。
別に意識して尖った見方をしなくても、向こうが意識させてくる。
それを言いたいがためだけに題材選んでるでしょ!そーでしょ!w なんて、言いたくなるような。
言ってることが間違ってるわけじゃないけれど…上澄みだけで底の泥には触れてないような。
少し一方通行な胡散臭さが拭いきれないもんだから、余計鼻についてしまう。
一生懸命そんな考えを振り払おうとするのですがw

けれど、そんな不満を抱えつつも、結局いつも見てしまう。
それはやっぱり映像面・演出面で、良いものを見せられたとき「面白いっ!」
って感じる気持ちの方が強いからなんだろうなぁ、と思う。
もちろん説明的で退屈な部分や、掘り下げたりない部分、ツッコミどころも多い。
でも、ここが見せ場だ!ってなるときの極上の映像にはそんな不満が些細なことのように思えてしまう。
頭の中でごちゃごちゃ考えていたことがすべて吹き飛んで、物語に一気に引き込んでくれる!
それが高畑作品を見る上で快感でもあります。キターッ!ってなるわけですw
(こういうことを書くと、通ぶったヤローだと思われてしまい抵抗があるのですが・・・
気持ちに嘘は付けないから仕方がない!w)


でも、これまでの作品からすると今作の表現は相当控えめだったように感じます。
悪くはなかったはずですが、印象的なシーンが見当たらない。
「うわぁ、すごい良いなぁ」が、けっこう連発するはずなんですが・・・。
もっと挑戦的なものを期待していた分、正直、ちょっとがっかりしました。
高畑監督の年齢を考慮するとだいぶ挑戦的ではあるんですがw

そんな期待はずれな映像に・・・
この作品を、どんな意図があってこのタイミングで映像化したのか?
なんて、心の片隅あった想いが案の定、暴れだしてしまいましたw

「この人がこんな忠実にかぐや姫を映像化するわけないっ!」
「マジかよー、これなら観るの映画館じゃなくても良かったかな?」
「評判良かったから友達も誘ったのに・・・。寝てないかなー?」
「50億もどんな使い方したんだろう・・・。言い訳くせぇ墨画だなぁ」
「これなら…パフィーも出るゾ!ひまわりのかぐや姫だぞ。の方が面白いわっ」
「原作としっかり見比べてみようかなぁー」
・・・
なんて心の声が次第に増えてきて、集中が続かなくなっていくのが分かりました。
高畑作品にこんな感想を抱いてしまったことに自分で驚いてしまいました。

いや、多分いつものことだったんです。
この作品も例外ではありませんでした。

ラスト20分あたりからでしょうか。

{netabare}かぐや姫が、幼い頃に育った故郷を訪ね、そこで捨丸と再会する。
このとき、彼女の思いがグッと溢れ、彼を抱きしめるわけです。
そしてそのまま、二人は宙へと舞い上がり、つかの間の愛を確かめ合う。

この幻想的な映像に、あっという間に引き込まれてしまったのです。
その瞬間・・・
「あ、そうか。これはやっぱり彼女の物語なんだな」
って思わず、ハッとなった。

彼らが宙へと舞い上がったのは、かぐや姫の持つ不思議な力のおかげなんかじゃ決してない。
あれは彼女の強い想いが生んだ幻想だったのだ。
(だから、厳密に言うと捨丸は浮気していないハズw)
実は何度か、そういったシーンが見られる。
彼女が「かぐや姫」という名前を頂いた際に催された宴の席。
そこでも彼女は、現状に不満を募らせ、古里に向かって屋敷を飛び出す。
凄まじい形相で無我夢中に走る彼女。
けれど、馴染みの仲間たちの姿はなく・・・。
「また春が来るよ」その言葉が彼女を安心させた。
目が覚めると、結局屋敷の中。

そう、彼女は決して自分勝手に屋敷を飛び出したりはしていなかった。
今まで、ただの一度も。

特別な力など、本当はなにも持っていなかったのだ。

父の言うことをよく聞く、母の言うことをよく聞く、器量の良い、とても良い子。
当時の時代背景もあって、自分の想いを押し殺して生きていた。
そうすればそうするほど自由を願う想いが強くなっていった。
けれど、想うだけで結局何も叶わなかったのだ。

月よりの使者が自分を迎えに来てくれて、きっと自由にしてくれる。
ついにはそう考え、助けを求めるようになった。この世は罰なんだと。
冥土の闇に輝く月が、限りなく眩しく見えたに違いない。
そして身を絶ってしまった。

最後のシーンで、使者が菩薩の姿をしていたのは、そういうことなんだと思う。
悲しい別れにも関わらず、使者たちはそれを気にかける様子もなく楽しげに音楽を鳴り響かせる。
それは、決して待ってはくれないあの世への旅立ちを無情に鳴り響かせているようにも見えた。
かぐや姫の両親が眠りから覚め起き上がり、宙に浮きあがってまで彼女を追いかける姿。
未練を断ち切れずにこの世を去ってしまった彼女の、最期に見た幻想だったのかと思うと悲しすぎて泣けてくる。

つまり、最初から最後まで彼女の精神世界を描いた。「かぐや姫の物語」だったのだ。

しなやかな竹から生まれ、山や野を愛し、身分にとらわれず、一人の男性を想い続けた。
そんな女性像に憧れを抱き、月に想いを寄せた、か弱き少女の描いた儚く悲しい物語。{/netabare}

・・・原作者が不明なのをいい事に色々と想像しまくりなのですがw
大昔に、その想いをこのような美しい作品に仕上げた人がいたのかと思うと感慨深い。
そういった意味で、今作によってこの物語への理解をより一層深められた気がする。

これを映像として完成させた高畑勲はやっぱりすごいなぁーとしみじみとていたら、抱えていた不満もいつの間にか綺麗サッパリなくなっているのでした。
これだよ、これ!なんてw

そんなわけで今回の作品も期待に十分応えてくれているので、
この監督の作品が好きな方にはオススメできるんじゃないかと。
退屈な部分もありましたが、無駄なシーンは無かったように思います。
基本的に、映画館に行くと「時間とお金を無駄にしたくない!」などの思いから、
映画を最大限楽しもうと努力するので、良く見すぎていて客観的じゃない部分もあると思います。
なので、この文章が参考になっている自信はかけらもありませんw

別に上から物言ってるわけではないけれど、高畑作品ってそんなもんだよなぁー、という
心構え?みたいなものを持っておくと怪我せずに済むような気もします。
どっか抜けていて、手放しで絶賛できるようなものではないけれど、魅せるときは魅せる!
そんな振り幅がクセになってしまっているのかもしれません。
ホントは全シーンにわたって、そうあって欲しいのですがw

ただひとつ・・・
{netabare} 「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーには疑問を感じますね。

劇中そこまでそれについて掘り下げられなかったし、強調されていません。
視聴後にこのキャッチコピーを目にしたので、違和感しか感じませんでした。
周囲の情報にとらわれるよりも、素直に受けとって見れた方がより集中できて良いかもしれません。
現に、一緒に見に行った友達は、高畑勲はおろか原作に関しても全然知りませんでした。
けど、期待していたよりも良かった。感動して泣いたと言っていました。

あー、だったら我慢せず自分も泣いときゃ良かったなぁ・・・。チクショウ!w{/netabare}

ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました!

投稿 : 2025/01/04
♥ : 17
ネタバレ

タナボソ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

見方間違ったかな…

とりあえず2ch見にいったら賛なレス目立つのが少し驚きでした。

新しい解釈に期待したせいなのか、
「姫の犯した罪と罰」なるコピーに煽られて真に受けすぎたせいなのか。
正直、肩透かしを食った感じ。

まんま『竹取物語』だし、罪と罰に関しては
{netabare}かぐや姫が地上で生活したいと願ったことが罪で、罰として地球に降ろされた、{/netabare}って別になあ…。

{netabare}かぐや姫にとっては罪で罰にあたるにも関わらず、求めてやまない、
喜怒哀楽に身を焦がして、愛別離苦の情に振り回され、生老病死に苦しめられながらも、
この世界で生きることは尊いのだと言いたいらしいのだけど…。
いや、そりゃ無味乾燥な月世界で生きたいなんて思わないよ。でも…

この世は生きるに値する、ってテーマがどうも。
そのテーマけっこう見る気がするし、うーん…。
そもそも、みんなそんなに生きる価値ないと思ってんの?
或いは作り手は生きる価値ないと感じてる人が多いと思ってるんだろうか?
ピンと来ないおれがズレてるだけなんだろうか。

この手の話に触れるにつけ、もし自分がお話作る立場だったら、
生きる価値云々てより、お前ら夢ばっか見て高望みしすぎじゃね?、
今の現状をありのまま受け入れて楽しみを見出だせよ、
もし気に食わないんだったら努力せいよ、って話にするなあといつも思うんですよね。
とりあえずぼくアニメ観るの楽しいですぅ(゜▽゜)叛逆の物語観に行くの毎回楽しいですぅ{/netabare}


登場人物は生き生きと描かれてたと思います。
すごく良く動いてたし、翁も媼も楽しそうに見えました。
子供がいる方なら楽しく見られるのかもです。
子供を得ることによる喜びの部分で共感できそう。


しかし私的にあまり好ましく映らなかったキャラがいたのもまた事実で。
かぐや姫、ただのわがまま娘じゃないですかね。

予告編に着物脱ぎ捨てながら猛疾走する場面ありましたが、
そんな理由で鬼の形相でダッシュしたんかとツッコミ不可避ですわw

それ以上にアカンと思ったのが捨丸。
{netabare}劇中2回盗みを働くわけですが、肯定的とも取られかねない描写、どうなの。
露見して捕まってもボコボコに殴られただけ。
時代背景、状況がまるで違うことを百も承知で書きますが、
人のモノ奪ったり傷つけたりして、損害を負わせる行為を
自慢する輩が現れて問題になる現状的に、いかがなものかと。

で、突然再開した幼なじみのタケノコ=かぐや姫と愛の逃避行。
妻子をほったらかしにして、ですよ?
いない設定にすれば全く問題ないのに。
空を一緒に飛び回っていったいナニをしてるんですかねえ。{/netabare}


もし竹取物語知らない人なら楽しめる可能性は高まるだろうし、
竹取物語の映像としては決定版と言って良さそうな気がしました。
画は凄いですよね。演技も良いと思いました。
故ちいさんも熱演。「ひーめ、おーいで!」「ひめー!!!」
て実際見たら微笑ましいと同時にうざいだろうけどw
電車で孫と一緒になってアイス持ってはしゃぐ爺さんのエピソードがある町田康の小説思い出した。


映画館で鑑賞して良かったと思えたか:3/5
設定・世界観の好悪:2/5
OP曲の好悪:2/5
ED曲の好悪:2/5(二階堂和美 / いのちの記憶)
(2013/11/25初up)



直接の関係はないのでタグ使って『夢と狂気の王国』の感想
{netabare}
ジブリを題材にした実写ドキュメンタリー映画。
『風立ちぬ』のネタバレがある、と言うか鑑賞してないと
いまいち解らないのはまず注意。


期待値めっちゃ低かったんですが、意外や楽しめました。
だって最速上映イベ行ったら宮崎駿のそっくりさん芸人いるんですよ。色物だったのかよと。
そのイベのチケット取れたのも、自分が開催に気づいた時点で
チケット発売日から丸二日経ってたけど普通に席空いてたからだし。
ニコ生でも配信されたトークセッションでは即完売ムード醸してたけど、半ば嘘ですw

で、その意外や楽しめた本編、
まず、時折差し込まれる風景など映像が綺麗だし、音楽(高木正勝!)が良い。
ドキュメンタリー作品全般あまり観たことないんですが、
表層部分だけでこんなに楽しめるとは、ドキュメントなんて退屈だろ的先入観を壊してくれました。

猫の牛子がドアの向こうで半身を見せて覗き込んでいるように見せる描写を
挟み込むユーモア、ほっこり感も良くて、いや、実際この猫、人の話聞いてるらしいのですけど。
押しつけがましさがあまり無くて、スタジオジブリの空気感を捉えることに
注力してるのも好印象でした。

スタジオジブリってヘンみたいです。
一見普通のおじさんおばさんなスタッフが沢山出てくるけど、少なくとも精神年齢はみな年齢不詳。
パンフ掲載の高木正勝によれば学校、ってことになるけど、
それだけじゃなくて。
例えこの映画の中だけの作りごとだとしても、すげえなと思いました。


文字通りジブリの夢と狂気を描いているわけですが、狂気成分は少なめ。
例えば宮崎吾朗のシ-ンが狂気だったらしいけど、取って付けた感ありありだし。
前触れもなく唐突に出てきてプロデューサーにキレて狂気でござい、ってそれはうーん。
詳細解らなくてもどんな話してるかはまあ判るけども別になくていいような。
もっと金の話すればよかったのに。鈴木Pが暗躍するドロドロのマネートーク。
宮崎駿が語るところの創る自由には金が必要なんだし。

しかし同時に金の話はこの映画には必要ないとも思うんですよね。
上映前、鈴木Pが0時予定時刻を押してまで語るところに、
この映画に真実はない、とのことだけど、まあキレイゴトが多すぎではありながら、
それで良いと思えてしまいました。
少なくとも宮崎駿が自分のために映画を作ってるのではない、人のために作っているのだ
と信じていることには真実味を感じました。

興味深いネタも色々ありました。
↓『夢と狂気の王国』以外に『風立ちぬ』のネタバレもありm(_ _)m
{netabare}
『風立ちぬ』は宮崎駿自身の自叙伝でもあった、とこの映画では描いてる。
「生きて」は反戦派でありながら兵器を愛してやまず、
呪われた仕事とした映画作りに従事するなど様々な矛盾を抱えながら
「生きねば」で、鑑賞会で自身観て泣くのかとも思うわけですがw

一方、鈴木Pと庵野秀明との車中での会話では、
庵野自身にとってもっと生きて、もっと良い作品を作らなければ、
とのエールとして受け取ったと思しきやりとりもありました。

最初思いついたラストと真逆のラストにしたってエピソードには驚き。
当初は菜穂子にこちらに来て、と言われて天国に導かれる結末だったらしい。


高畑勲は謎。
私が知らないだけとは言え宮崎駿が良くも悪くもよく話題にする。
もの凄く影響を与えた人物として語られる割に
結局、本人登場は実際の唐突な出現時を捉えたシーンのみって言う。

あと駿、身内映像ぽい中宴会かなんかで浪々と歌い上げてたけど、
やっぱサービス精神あるんだなあとか。

つうか、引退会見の直前、ホテルの窓から外を眺めて、
建物の屋上を渡ってあるく空想から作品創りに繋がるような話をするとか
ホント引退する気あるんか?って感じ。
{/netabare}

映画館で鑑賞して良かったと思えたか:3/5
設定・世界観の好悪:3/5
OP・ED曲の好悪:記憶に薄く判断出来ず
{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 5

62.6 2 平安時代アニメランキング2位
マイマイ新子と千年の魔法(アニメ映画)

2009年11月21日
★★★★☆ 3.6 (136)
391人が棚に入れました
小学3年生の新子は、山口県の片田舎に住む普通の女の子。友だちや家族に囲まれ、この町にあった平安時代の地方の国の都「国衙」について空想することが好きだった。そんなある日、東京から貴伊子という生徒が転校してくる。貴伊子が気になった新子は、次第に親しくなっていくが……。

声優・キャラクター
福田麻由子、水沢奈子、森迫永依、本上まなみ
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

大満足!

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。95分ほどの作品です。非常に満足しました。どれくらい満足したかをうまく説明することができませんが、最近見たアニメ映画の中では随一の満足度です。ジブリの初期作品が好きだけど、見尽くしてしまったという方は、これにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。主人公である二人の女の子もとてもかわいく、好感が持てました。

 全年齢向け映画に必要なのは、ややこしい象徴物に気付かなくても楽しめることと、大人も楽しめる普遍性だと思います。この作品はどちらも充足されていました。
 悪かった点は二つ。一つ目は、方言に慣れるまでに少しだけ時間が掛かってしまったことです。私自身が方言にあまり免疫がないため仕方のないことですが、もう少しマイルドな方が見やすかったです。二つ目は、これを子供のころに見れなかったことですね。


対象年齢等:
 「となりのトトロ」以上「魔女の宅急便」以下から視聴できる、全年齢向け作品です。
 主人公は小学3年生ですが、トトロやネコバスのようなマスコットが出てくるわけではないので、マスコットに頼らなくても見れる小学生以上でないと厳しいでしょう。
 この作品ではテーマに関連して様々な「別れ」や「死」が描かれます。子供向けですので強烈な描き方はされていませんが、「トトロ」で匂わせるだけだった死に切り込んだことは評価されるべきだと思いました。考えすぎかもしれませんが、迷子になった妹があっさり見つかるなど、「トトロじゃないよ」というメッセージを少し感じました。何がどう死を迎えるかは、実際に視聴して確認してください。


テーマ:
 テーマはバトンタッチです。千年前から現代へ、祖父から孫へ、親から子へ、先輩から後輩へ、そして同年代の生徒間で。さまざまなバトンタッチが描かれます。必ずしも具体的な物が承継されるわけではないですが、確かに「何か」が伝わっていったのだと自然と思える作品でした。「別れ」や「死」に重要性があるのではなくて、そこで何かを伝わえることができたのか、というテーマです。

 舞台はおそらく昭和30年代の山口県だと思われます。こういう舞台設定の場合、感想としてノスタルジーが強調される傾向がありますが、あまりそこを気にしない方がいいと思います。およそ私たちに共感できる時代ではないですし、時代劇や「となりのトトロ」と同様に「そういう時代があったんだ」程度に考えれば良いでしょう。


考察ポイント:
 考察自体不要な作品だとは思うのですが、象徴物が多い作品ですので、私が注目した部分に限定して簡単に考察していきます。
{netabare}
①鏡・水面・ガラス
 この作品は、鏡に映ったシンコから始まります。鏡というのは、人間の中にある二面性や背反性を象徴するものとして使われますので、「夢と現実」「大人と子供」など定番のものは想定しながら見ると良いでしょう。水面やガラスなど顔が映るものも同様の効果を持ちます。映ったタイミングで「現状はこうですよ」または「これから変わりますよ」というメッセージが込められることが多いので、注目しましょう。

②足
 前半は足の描写がかなり多いです。これはキイコが裸足になるまで、つまり、心を開くまでの推移を表したものだと思います。後半はあまり意識していなかったので分かりません。

③色鉛筆・香水
 キイコは、転校2日目にトラブルを起こしてしまったわけですが、初日が描かれていません。おそらくですが、初日に馴染めなかったため、母親の象徴である色鉛筆と香水をお守りとして持参したんだと思います。香水はもう一度使われますが、使用動機は見守っていてほしいという純粋なものでした。

④木刀・タツヨシ
 木刀は英雄譚や父性の象徴です。タツヨシは父から暴力を受けていたことが災いして、あのような性格となっていましたが、父の死に際して、人間としての父に触れることになりました。彼は、父からバトンタッチを受けていなかったことを嘆きますが、キイコの(千年前の)鬼払いの儀を経て、バトンタッチをする側になることを誓い、シンコに木刀を譲ります。

⑤ヒヅルちゃん(金魚)
 ヒヅルちゃんは、かなり重たいものを背負っていました。
 ナギコからは、友達が欲しいという願い(色紙)を託されています。これはキイコにおいて成就され、キイコは友達を得ることができました。シンコのおかげと言っていたと思いますが、直接にはナギコの願いです。
 男の子からは処女性を、キイコからは母性を託されています。処女性と母性は併せて聖母マリアにつながるもので、理想像となります。聖母マリアは、処女受胎です。したがって、何かを生み出すという未来への希望を担います。
 シンコは、明日への希望を託しています。上記と関連しますが、これをシンコに代弁させたのだとも思われます。

⑥キイコ
 ストーリーの重要性からは、こちらが主人公だと思います。空想と現実という観点からは、シンコと真逆の存在として描かれています。
 シンコがナギコに友達を願い、ナギコの願いはキイコに届きます。記憶に遠い母の死が、ヒヅルちゃんの死によって鮮度を増し、落ち込むことになります。シンコが現実に触れて空想の力を失っている間に、キイコは一人反省をし、空想の力を増していきます。母親の子供のころの写真を見つけ、理想の母親から現実の母親へと意識を転換することで一気に空想の力が開花します。タツヨシが父親の子供のころの映像を見るのはこのタイミングだと思われます(キイコが子供のころの母の写真を見たとき)。
 シンコに代わってキイコがナギコのストーリーを描き、ナギコの鬼払いの儀が子供たちを病から笑顔へと変えます。これが現代へと届き、死という現実に塞ぐシンコとタツヨシを救うことになりました。彼らよりも早くに現実を見ていたキイコにしかできないことでした。
 テーマに挙げたバトンタッチとは、再生(?)したヒヅルちゃんを見るために、キイコがシンコを追い抜くリレーのようなシーンから着想を得たものです。

⑦おじいちゃんの死・シンコの転校
 おじいちゃんの死はあっさり描かれていますが、シンコ・キイコという二人の子供にバトンタッチが済んでいたために、悲劇ではなかったということです。シンコの転校も同様です。{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 9

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

マジでゲスな言い方を許していただけるのなら『ALWAYS 三丁目の夕日』+『耳をすませば』or『今敏監督作品』≒『おもひでぽろぽろ』

昭和30年代の山口県防府を舞台に、芥川賞作家の髙樹のぶ子が自らの子供時代をモデルにした自伝的小説が原作


当時の防府は1000年前の平安時代の遺跡が出土することが話題となっていたため、主人公の新子は平安時代の人々がこの地でどんな生活をしていたのか?
そんな空想に耽る日々を過ごしていた


新子の通う小学校にやってくる東京からの転校生、貴伊子や男子生徒達のリーダー格、タツヨシらとの忙しない子供時代が語られます


ひょんなことから揺らいだり、また元通りに結ばれたりする友情の話だったり
大人の都合に振り回され、子供だけでは如何ともし難い状況に立たされる無力感の話だったり
いくつものジュブナイルストーリーに時折“新子の空想の平安時代”がオーバーラップしつつ美しい映像で紡がれていきます
作画面はホント凄い


この作品が持ってる価値の半分はコレが2009年制作だってことでしょう
現代においてこんな作品が生まれるってのがなんとも希有なことです
セル時代のジブリ作品を髣髴とさせる温かみと懐かしさを感じる映像が、かつてジブリ作品にも関った片淵須直監督を中心としたスタッフの技術力で見事に作り出されていることに感銘
良い意味で既視感のある映像とお話


既にこのことをご指摘のレビューも多数見受けられるようですが、昭和30年代のノスタルジーにすんなり浸れる方に一番オススメ


正直にお話自体はそれほど後味の良いものではありませんw
良くも悪くも気恥ずかしくなるような話や、エグい内容のクライマックスがリアリティをかきたてる


『おもひでぽろぽろ』のように“あえて今、過去を振り返っているんだ”という自覚的な演出は特別ないです
完全に昭和30年代へのタイムトリップ状態
ノスタルジー以外に昭和への【浪漫】みたいのを求めてご覧になるのであれば『コクリコ坂から』の方が全然良い作品ですよ(キリッ


興味深いのがこの作品、公開当時は興行的にあまりにも振るわなかったため、片渕須直監督が「このままだとDVD化も難しいかも・・・」と苦言を発する状態にまで追い込まれたものの、「この作品を子供と見たい!」というお母さん層を中心とした口コミで一気に火が付いて、公開劇場を増やそうと署名活動まで起こる騒ぎになり、結果的に1年以上のロングラン公開となった逸話があること



こんなにもアニメファン、一般層の両面から愛された映画も昨今珍しいです
逆に子供と一緒に見ることを強要するのはちょっと微妙な気がしますがw
先述の映像面や村井秀清さんの軽快な音楽とか、何気見所もイッパイなんで「ハッピーエンドじゃなきゃやーよー」ってお方以外は率直にオススメします
いやまあwハッピーの定義なんて知りませんけどねwww

投稿 : 2025/01/04
♥ : 28

二足歩行したくない さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

昭和30年 山口県防府市の農村を舞台にした、千年の時を超える少女達の物語

片渕須直さんが"この世界の片隅に"の前に監督した劇場用アニメーション作品。
昭和30年の山口県防府市を舞台にした作品で、防府市出身の小説家"髙樹のぶ子"さんの自伝的小説が原作です。
戦後復興中の山口を舞台に、想像力が盛んな女の子を中心とした、少年少女の物語となっています。

主役は防府市国衙で生まれ育った3年生の女の子「青木新子」。
彼女は祖父から、防府市の街は千年前から存在していて、四角く区切られた土地や清流はその名残であることを聞かされます。
新子は祖父の話から、千年前の防府市を想像し、文献に存在する、そこに渡ってきた女の子「諾子」のことを夢想します。
以降は、物語は新子と諾子のそれぞれが流れます。
そんな折、東京から「島津貴伊子」という女の子が越してきて、二人は仲良くなります。
「シゲル」や「タツヨシ」ら友人たちと仲良くなり、平和な日々を暮らすのですが、ある事件が発生し、場面は急転します。

絵柄は素朴で、アニメ好き受けするようなデザインではないと思います。
ジブリや細田守的であるといえばそうなのですが、とにかく地味で、またストーリー展開も正直目新しいものではなく、特筆すべきセールスポイントに乏しい作品であったはずでした。
劇場用作品ですが公開劇場も少なく、観客動員数も低迷していたのですが、劇場で視聴した人の称賛の声から評判になり、上映期間が伸びるなど話題になったという経緯があります。
視聴してもやっぱり地味な作品なのですが、美術はキレイで、なにより、戦後の農村という広くて自由な世界で、走り回って、泥にまみれながらダムを作り、探検をして、ウシガエルのなくあぜ道を歩く風景は、プロットの練られた物語や美しい美術以上にワクワクさせるものを感じさせてくれます。
見てよかったと思わせてくれる作品だと思いました。

舞台は防府市ということで、防府市の名所がいくつか紹介されます。
周防国衙跡や建物の建造跡などの描写があり、新子の想像した諾子も、父の国司赴任により周防国にやってきた幼年期の清少納言であり、そういった山口県の歴史を知る意味でも興味深い作品と思いました。
ただ、この諾子が、マイマイ(つむじ)を通して新子と通じ合うような描写があるのですが、ラスト近辺で貴伊子が関わってくるシーンは、なぜそうなるのかよくわからなかったです。

楽しい映画でした。
ただ、田舎の子供の遊びや古い家電にノスタルジーを感じられない場合、面白さは半減だと思います。
ビジュアルの割には子供向けではないのかなと思いました。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 3

62.8 3 平安時代アニメランキング3位
アシュラ(アニメ映画)

2012年9月29日
★★★★☆ 3.6 (156)
577人が棚に入れました
15世紀中期、相次ぐ洪水、旱魃(かんばつ)、飢饉で荒野と化した京都。
それに追い打ちをかけるように始まった日本史上最大の内戦・応仁の乱。その死者数・行方不明者はあまりに膨大で、歴史のページには刻むこともできなかった。こんな時代に産み落とされたアシュラは、ケダモノとしてサバイバルを続けながら生き抜いていく。
 そんな時一人の少女・若狭の優しさと愛、そして法師の教えに触れ、アシュラは次第に人間性を備えていく。
言葉を覚え、笑い、喜ぶ日々。しかしそれは苦しみと悲しみの始まりでもあった。やがて天災と貧困が起こり、人間性を失っていく人々。ついには若狭さえも……。
果たしてアシュラの運命は?

声優・キャラクター
野沢雅子、北大路欣也、林原めぐみ、玄田哲章、平田広明、島田敏、山像かおり、山口勝平、水島裕

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

ダークな情景とカニバリズムの中に確かに感じる“生きること”へのメッセージ・・・今こそ『まどマギ』以上の絶望へと目を向けよ

原作は1970年の週間少年マガジンにて連載されていたジョージ秋山先生のマンガ
その残酷な描写から有害図書指定され、当時は社会問題にまで発展したそうな曰く付きの問題作


というのも、物語のプロローグとなるのは大飢饉に見舞われた平安時代の京都
腹に子を宿しながらも貧困に喘ぐ妊婦が一人・・・
妊婦の周りでは飢えへの苦しみから、人を殺してその肉を食すことを覚えてしまった狂者が出る程の始末
いつしか妊婦も辺りに平然と転がる死体を喰らうことを意識しはじめる
やがて子は産み落とされ、一時は母性を目覚めさせるものの、飢えはすぐに女の理性を歪ませる
そしてとうとう我が子の肉を食さんと、焚き火の中に赤ん坊を投げつけてしまう・・・


このショッキングな幕開け、そりゃ問題作にもなるわな;


やがて顔の焼け爛れたその赤ん坊は、親の手も無しに育ち、人語も解さず、人を襲ってはその肉を喰らう、、、というまさに【ケダモノ】として生きていた・・・


さてさて、この物語の魅力はいよいよここからなんです
だいぶ原作とは異なる部分も多いようですが、この作品には強く“生きろ”というメッセージが込められているんです


【ケモノのような子】はある日に一人の屈強な法師と出会い命を救われ、『アシュラ』と名付けられます
しかしまだ満足に言葉も話せず、暴力を振るうことでしか感情を表現出来ないアシュラ
怒りに任せた結果、偶然にも地頭の息子を殺してしまうのです
追われる身となったアシュラを匿ったのは、貧しいながらにも慈愛に満ちた『若狭』という少女でした
法師から教わった道徳、若狭と触れて学んだ優しさ、、、やがて人間として感情豊かになっていくアシュラ
しかしそんなアシュラの成長とは裏腹に、天災と貧困が人々を徐々に追い詰めていくのです・・・










一見すると『ノートルダムの鐘』にも似た構図を持つ作品
ですが比較にならないほどあまりに過酷な世界観、過激な描写、そして終盤に押し迫る哀愁
どれをとっても一級品のシリアスドラマ


監督の『さとうけいいち』と言えばテレビシリーズ『タイガー&バニー』の監督でもありましたが、今年度のタイバニ劇場版の制作を、彼はあえて別の監督に託し、今作の制作に打ち込んだようです


昨年度の東日本大震災の影響からか、過激な描写をあえて避ける映画も多々あった傾向の中で、今作はあえてダークな世界観、シリアスなストーリー、過激な描写に挑戦し、最高潮の緊張感の中で改めて【命あっての物種】という言葉を思い出させようという明白な方向性が見て取れます


なにより、カニバリズムという非人道的な行為の裏に「食べなければ生きていけない」という切なくも力強いメッセージを打ち出していることに拍手したいです
特に「食べなければ・・・」のキーワードを全く偶然にも同時期に扱った映画『伏』と比較するとその差は歴然としていて、今作の説得力の強さに感服しますm(__)m
(そしてこの「食べなければ・・・」がラストシーンの悲劇を生む・・・)
また、『まどマギ』においての魔法少女の宿命の一つでもある「戦わなければ生きていけない体」と比較をしても、今作はより身近で深刻な問題として捉えることが出来ます










さとうけいいち監督作品らしく、全編はCGで描かれていますが、日本ならではの2D(作画)アニメの手法を欧米主流のCGアニメへと転用するべく、様々な新手法が今作のために発明されたのも見どころ


日本画のような毛筆タッチの背景画をパーツ化、立体化して動かす(細田守の『おおかみこども』でも近いことをやってました)
キャラの影にハッチング(斜線)を自動生成するソフトの新規開発
いわゆるアニメパース(遠近法のデフォルメ。近くの物を極端に大きく、遠くの物を極端に小さく描いて迫力を出す)をCGで作り出すために、カット毎に異なるキャラモデルを作成


これらに加え、CGアニメならではのカメラワークとエフェクトの自由度が駆使され、度々挿入されるアクションシーンを盛り上げています










そしてオイラが最も注目してほしいポイントなのが声優
今作の主人公、アシュラを演じるのは大ベテラン『野沢雅子』
物語の序盤でアシュラは人語もままならないというだけあって、前半のセリフが全て“雄叫びのみ”なのです
この難しい役どころを演じきれるのはやはり大ベテラン、全く持って御見逸れいたします;


さらに中盤から登場のヒロイン、若狭にはめぐさんこと『林原めぐみ』
実は中盤以降、ほとんどがこのアシュラと若狭の二人だけの会話で進むという昨今珍しい狭いやり取り
まさにこの二人のベテラン役者だからこそ成り立ったであろうレベルの高い演技は、アニメのみならず邦洋実写を問わずしても屈指の【魅せる演技】であったと思います!
とにかく凄いんです、是非ともチェックしていただきたい!


最後になりましたが、音楽はタイバニに引き続き『池頼広』さん
この劇伴がまた最高に素晴らしい!
ですが小南泰葉さんが歌うEDテーマにはちょっと疑問です;
キュートな魅力とダークネスな妖艶さを兼ね備えた小南さんのロックな楽曲は、実は個人的にもファンではあるのですが、今作の重すぎるテーマに対して少し前向き過ぎるし可愛過ぎたかな?と感じました;

投稿 : 2025/01/04
♥ : 30

野菜炒め帝国950円 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

悟空ーっ! こっち来ないでくれーっ!

70分程度 フルCG 超シリアス 


確かにシリアス物を好むとは言いました。
言ったがまさかここまでのもんとは正直なところ多少舐めてた。

あらすじはあにこれのあらすじが完璧にあらすじしてるんでそちらでどうぞ。

このあらすじを見る限り中々興味を抱かせてくれます。


出だしから結構ハードモード全開なんで人によって合う合わないがはっきりするかもしれません。
絵柄も手伝ってか気味が悪いというか気持ち悪いというか。

なにより序盤を見る限りコレが主人公であることに軽い抵抗を示してしまうのです。
 
アシュラさんってさぁ・・・なんかそこら辺の連中と匂い違いますよね・・・・・・
危険というかアウトローっていうか・・・ もっとはっきり言うと・・・人喰いの匂いがするっていうか・・・・・・
(カイジ5巻 佐原AA省略)

そう。この主人公アシュラ君は時代背景や状況で止む無し?とは言え人間を食してしまう系男子なわけです。
「ちょっと男子ぃー人食べないでよねー!」


これにはさすがの星野氏も「アシュラはわし育ててない」(AA省略)と言うに違いありません。

人斬り抜刀斎は許されても人喰い抜刀斎だったなら間違いなくあそこまで人気にはなってなかったでしょう。

なんて言うか色んな意味で生々しい作品なんだと思います。


でもこの作品はそういうグロ系だけで終わるようなチンケな作品では当然ありません。

例えどのような状況でもどんなに苦しくても人は生きていかねばならない。
こういうことがこの作品の最大のテーマになっているのだと思います。
なんてドヤ顔で分かったふうに言っちゃってますが多分見れば誰でもそこらへんは理解出来るかと。

序盤こそ軽く引くような展開が続きましたが中盤そして後半に至る頃にはすっかり物語に入り込んでしまうのです。

只、アシュラの声があの有名な孫悟空の人なのでそのイメージが余りに強すぎて目を閉じればそこに悟空がいるかのようです。
しかも私、毎週リアルタイムでドラゴンボール超見てるもんだから尚更。

声だけ聞くとチチも「悟空さ、おめえ働きもしねえでこんなとこでなにしてるだ!」と耳の痛いお小言言いそうです。

つくづく思うけど余りに特定のキャラのイメージが強すぎる声優の人も大変そうだなあと。

例えばの話、シリアスな恋愛物があったとしてイケ面主人公がフリーザ様の人だったらもはやフリーザにしか見えないわけで。
あーでもそれはそれでアリなのか?なんか見たくなってきた。

そんなこんなで最初こそ悟空にしか聴こえないので軽く笑ってしまってた自分がいたんですが中盤?いや終盤?辺りのアシュラ君の叫びを聴くと「ああ、これはこの人で正解だわ」と思ってしまうのであります。
演技の影響もあるんでしょうがジワッと泣きかけるような一連の流れ。さすがなのです。


纏めますと非常に重いテーマを扱った極めて硬派な作品だと思います。
グロ描写も少なくはないのでどうしてもそこに目が行ってしまいますが全体的に見ると結構良作ではないかと。

色んな意味で人間と言うものの描写が良く出来てるように感じます。

平安とは名ばかりの荒んだ時代で生き抜いてきたアシュラ君。
強い影響を及ぼすことになる2人の人間との出会いで果たしてどのような結末を辿るのでしょうか?

星野氏もドヤ顔で「アシュラはわしが育てた」(AA省略)と言えるようになるのでしょうか?

それは実際に視聴してからのお楽しみです。
出来れば絵柄等で敬遠せずにもっと多くの人に見て頂きたい作品だと思います。



密かにAAが使えるか実験したけどあかんかった・・悔しい(´・ω・`)

投稿 : 2025/01/04
♥ : 22
ネタバレ

るぅるぅ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

人として生まれた命の重み

人であって獣の本能を剥き出し生へ執着するアシュラ。
法師・少女の若狭から人としての在り方を学んでゆくが・・・
獣と変わらない心に人の心を宿せるのか。
荒んだ世界において人間の根底にある生きようとする性が、またアシュラを苦しめる。

素直にレビューを書くとネタバレばかりになり、簡単な内容説明しか書けないですね。
内容を少し知る程度で観た私の感想は、今の時代に生まれたことを喜べました。
同時に人として生きれるのかと問われているようなメッセージが余韻として忘れられないですね。

冒頭アシュラの出生から始まり、衝撃的な映像が流れ生々しい
グロシーン漫画を再現したような作画が荒々しさをさらに誇張し陰鬱な作品です。
人の温もりに優しさ、醜さから悲しみ・絶望を知り否応無しに生への執着する姿から命の尊さが伝わってきます。

人間とは、知識を有し他の生物より優れ理性で制御し内なる獣という本能を抑えつけて生きてます。
それは生まれた環境・時代が大きく影響し、誰もこの時代の生きる強さを否定することは出来ないと思います。

作品の性質上グロ描写が多くありますが、75分に詰められた深いテーマを感じて欲しいですね。

【視聴された方向け感想】{netabare}
アシュラの人の肉を食するシーンは、怖さもありますが生への執着・生きる強さを伝わり衝撃的な絵に魅了されましたね。

そんな獣の本能に若狭の優しさ母親に似た温かさがあり救われたのもつかの間で・・・アシュラの心が人へ近づくなか、七郎への恋路がアシュラにとって妬ましさ挙句、人でなしと罵声を浴び裏切りと想う中で人の心の苦しさを法師が左腕を切断し人であるか獣であるか諭すシーンは優しさと愛情ですね。
落ち着くことの無い心もがく心情が本当に素晴らしかったです。

最後に思わず泣いてしまったシーンは馬の肉を差し出すアシュラそれを拒む若狭。
生きて欲しいと想う心に触れるべきか・・・
人の肉かもという疑心が犬畜生となって生きるべかの葛藤。
人として生まれた為に理性が邪魔し苦悩する苦しさが痛々しく
観ていて辛かったですね。
誇りを選んだ若狭もまた人であり、アシュラは人として間違っているが人を食べても生きたいと想う心は人の性であって誰も咎めることは出来ないだろう。
私は若狭と同じ判断をしたいが、この時代の飢える苦しみの中で生まれた私ならきっと食べるだろう。
あなたは、どちらでしょうか?

コンビニに行けば食べ物が身近にある今の時代に本当に感謝ですね。
人の糧となった命あるモノへの感謝を忘れずには、いられない気持ちでいっぱいです。{/netabare}

投稿 : 2025/01/04
♥ : 20

53.3 4 平安時代アニメランキング4位
鬼神伝(アニメ映画)

2011年4月29日
★★★☆☆ 3.0 (61)
228人が棚に入れました
京都に住む中学生の天童純はある日、謎の魔物に追いかけられ、僧侶の源雲に助けられる。そして、そのまま時空を超えて1200年前の平安時代にタイムスリップさせられてしまう。彼はそこで、貴族から“鬼”と呼ばれる者たちの話を聞く。彼らは妖術を使い、人々の生活を脅かしていた。そして純こそが、封印された幻のオロチを目覚めさせ、戦いを終結させることのできる“救いの御子”だというのだった。ところが、鬼族の少女・水葉と出会った純は、彼女が語る衝撃の事実に、果たして貴族の側に正義があるのか分からなくなってしまう。 高田崇史の同名ノベルスを「劇場版 NARUTO-ナルト- 大激突!幻の地底遺跡だってばよ」の川崎博嗣監督で長編アニメ化した伝奇ファンタジー・アクション。ひょんなことから平安時代にタイムスリップした中学生の少年が、そこで繰り広げられる鬼と人との対立に巻き込まれていく中で、歴史の裏に秘められた意外な真実を目の当たりにしていく姿を描く。

声優・キャラクター
小野賢章、石原さとみ、中村獅童、近藤隆、森久保祥太郎、伊藤健太郎、加瀬康之、小森創介、咲野俊介、東條加那子、相ヶ瀬龍史、野島昭生、塚田正昭

横浜ゆう さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

そんなに昔のアニメじゃなかったのね~

初めは80年代くらいの作品化と思いきや・・・
2011年の劇場版だったですね~

作品は平安時代へタイムスリップした主人公。
そこは鬼と人が戦う時代だった。

主人公は鬼と戦うよう僧侶源雲に言われるが
鬼と戦うことに疑問を持ち始める主人公純は葛藤する。

キャラデザや映像等が古臭く感じたので数年前とはつゆ知らずwww
キャラデザは攻機とかNARUTOの人ね~
髪の毛の表現とかそれっぽいでしょ?www

出来は悪くなかったですよ。設定とかも悪くない。
レンタルしてまで見るかと言われれば悩むなぁ~
再放送してたら録画して暇なとき見てもいいんじゃね?的なwww

荒削りだけど不思議に引き込む作品でしたね~

投稿 : 2025/01/04
♥ : 0

シワーる さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

うーん

背景は美しいし、よく作りこんである印象です。しかし、不満足な点が上回りました。
声優:棒読みに聞こえます。
音楽:最初の和太鼓を基調とした劇中曲は良かったのですが、以降の曲はエレキが入ったりで統一感がなく、しかも盛り上がりに欠ける。
物語:不完全燃焼な気がしました。勇気の大切さを伝えたいのはわかるのですが、なんとも説明的な会話。
作画:綺麗なのですが、躍動感の感じられないこともしばしば。
設定は面白かったんです。大和朝廷と広い意味での「えみし」の対立を表現していたのだろうと理解しました。期待して見始めて、それがだんだんとしぼんでく。そんな感じでした。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 0

そあら さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

なんかすごい

う~ん世界観は僕好みで大好きなんですが残念なところが多々あります。
まず物語は駆け足過ぎていまいちわからないまま淡々と進んでいくところが残念ですね、二倍くらいの時間があれば丁寧に描ける気がします。

次に声優がたぶん俳優さんを何人か起用してると思うのですが気にならないと言ったらウソになってしまいますね(・_・;)
駆け足の物語と声優のことが気になって世界観に浸れないのが痛いところです。


説明不足や掘り下げがないのでなんかわからんがすげーというのが正直な感想です。世界観が好みなだけにおしいです。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 3

61.1 5 平安時代アニメランキング5位
わすれなぐも(アニメ映画)

2012年3月24日
★★★★☆ 3.5 (98)
455人が棚に入れました
かつて上代に手練れの陰陽師が大蜘蛛を封印したと言われる一冊の本。それを入手した古書店の硯とビルのオーナーの孫娘・瑞紀の前に、身の丈20センチほどの小さな娘蜘蛛が現れた。寂しげに母を求める娘蜘蛛のいたいけな姿に、硯は自分の師匠からヒントをもらって、あるべき場所へ物の怪を返そうと試みる。だが行動をともにする瑞紀からは、硯はすでに娘蜘蛛に取りつかれたようにしか見えなかった……

声優・キャラクター
土田大、下田麻美、金田朋子、星野充昭

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

「なんと!めごい、これはめごい!あろうことか、愛らしい幼女ではないか!」 這いよる幼女とシュールなラストの作画アニメ

アニメミライというプロジェクトがあります

文化庁が年間2億円かけて国内アニメ業界に働く若手アニメーターの育成環境を整えるという計画でして、選抜された制作会社には30分のアニメ作品を一本作るだけの予算として3800万円が与えられます

このプロジェクトの趣旨の大事なところは国の金を使ってアニメを作ろう、っていうことではないです
ソコが重要!

制作会社や参加アニメーターには様々な制約が課せられます
○監督他メインスタッフが主導となれるよう、オリジナル作品であること
○作画には積極的に若手アニメーターを起用すること
○参加アニメーターには一定以上の報酬を支払うこと
○海外制作会社への作業発注を禁止すること
○参加アニメーターが今作の制作に集中できるよう、作品の掛け持ちを禁止すること
などなどです

これらは全て若手のアニメーターにOJTの場を与えるための工夫となっています

また単にお金だけ渡すのではなく、参加者に向けて現在の業界ではあまり取り入れられていない、アニメーター向けの講習会が開かれたりもします

このプロジェクトの意義とはコレをきっかけにアニメ業界の教育環境が整備され、やがて制作会社が自主的に若手教育に力をいれるようになってくれることにあるのです









さてさて、今作はそんなアニメミライの平成23年度分に選ばれたものの1作です
実制作スタジオはプロダクションI.G

かつて名のある陰陽師が退治した大蜘蛛の妖怪が産み落とした幼い娘の姿をした子蜘蛛
その娘蜘蛛は書の中に封印され、時を経て現代の古書店にひょんなことから顕現する

古書店の店主の硯(すずり)は、次第に娘蜘蛛に取り憑かれたように惹かれていく・・・
それを懸念した古書店の常連、瑞紀は娘蜘蛛を親蜘蛛の元に返すことを手伝うのですが・・・



アニメタ育成を課題にしているだけあって、作画クオリティは本当に凄いです!
序盤の陰陽師と大蜘蛛のバトルシーン
前半の縦横無尽に暴れまわる娘蜘蛛の愛くるしい動きと瑞紀ちゃんのコミカルな表情
後半のロトスコ(ロトスコープ)と思しき丁寧な動きと巧みなレイアウトの追跡シーン
とにかくどれも凄いですよ!

ただこのお話のオチは・・・;
いわゆる「妖怪との共存系」のゆったりアニメではないし、「妖怪とのガチバトル系」のアツイアニメでもありません
とにかく笑えないし、泣けもしない、ちょっとゾッとするシュールなラストが待ってますよ;

投稿 : 2025/01/04
♥ : 21
ネタバレ

まりす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

心を絡め捕られる男(と私)

文化庁が主導する若手アニメーター育成プロジェクト
「アニメミライ2012」の参加作品4つの内、Production I.Gが制作を
担当した作品。

アニメーター育成事業だけあって、時間は30分程度と短いながらも
色んなシーンを仕込んでいます。
戦闘シーン、ホラー的な構図、ヒーロー番組等々…
場面も古都→現代の街並み→廃村 と、趣の違ったフィールドでキャラを動かしている。
音楽が抑え目な分、作画をじっくり観られた点も良かったと思います。

ストーリーはほのぼの系…かと思いきや後半のシリアスっぷりも面白い。
また、物語の中心に居る「娘蜘蛛」役である金田朋子の演技は見物です。
「蜘蛛を擬人化して幼女にするとこんな声かなぁ」みたいのをドンピシャで
やってくる。やっぱり役者って凄いや。

ネタバレで3点考察しときます。
{netabare}
①娘蜘蛛は瑞紀の頭に牙を突きたてたり、顔を脚で刺したりして
 ましたが、最初から獲物として見ていたような印象を受けました。
 そう考えると娘蜘蛛の行動は一貫してましたね。

②廃墟で硯が蜘蛛の糸にまみれながら 何かに誘われていくシーン。
 あれは糸に物理的に引っ張られてるのではなく、糸そのものが
 「存在をからめ捕る」存在だったのでしょう。
 ラストの月吠庵のシーンでは、硯に操られている素振りが見られません。
 (目の下にクマがない)
 瑞紀が死んでいるにも関わらず平然としている。
 からめ捕られたのは理性です。
 硯は最早、蜘蛛に贄を捧げるのにも躊躇わないでしょう。怖い、怖い。

③萩原朔太郎の「月に吠える」という詩集で、吠えているのは犬です。
 何で吠えてるかと言うと、自分の影に怪しみ恐れて吠えている。
 月吠庵の店主は過去の自分と同じく怪異に片足を突っ込んだ硯の状況を
 怪しみ、恐れて 瑞紀に「硯を取り戻せ」と耳打ちする。
 結局硯は怪異にからめ捕られてしまいますが、店主にとっては
 自分の過去(≒影)を見ているに等しい。
 不吉な月を怪しみ、影を恐れても、所詮影は自分を離れることがない。
 お前も逃れられぬ定めだったかとため息をつきつつ、硯の状況を
 割かし簡単に受け入れてしまう店主は結構重要キャラだと思います。
{/netabare}

それにしても娘蜘蛛めごい。めごいぞ。
一匹家に欲しいです・・・(おっと目の下にクマが)

機会あれば鳥山石燕の画にも触れてみたいと思います。
お目汚し失礼いたしました。

投稿 : 2025/01/04
♥ : 8

maruo さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

ラストがストーリーの肝 B+

アニメミライプロジェクトの作品です。
アニメミライとは、正式には「若手アニメーター育成プロジェクト」といい、文化庁が主導し、2010年から実施しているアニメーターの人材育成事業のことです。
労働環境の悪化、過度の海外委託、低収入・長時間労働が、人材の使い捨て、喪失につながっているということが背景としてあり、日本の将来を担うアニメーターを育成するということを主な目的で行われるのが本事業です。
その他副次的目的もあるようですが、詳細はWikiでご覧になってください。

私たちの見ているアニメは、アニメーターの劣悪な労働環境の上に成り立っているもので、製作現場はいつも危機的状況にあるようです。
この企画の恩恵が及ぶのはごく一部だとしても、お役所にしては良い仕事だと思います。

さて、アニメミライばかり語ってしまいましたので、そろそろ本題に入ります。

物語の最初、古の陰陽師が登場し、大蜘蛛を一冊の本に封印します。
そして現代、古書店を営む硯とビルのオーナーの孫娘・瑞紀が、ひょんなことからその本を発見してしまいます。
本から現れたのは20センチ程の小さな娘蜘蛛でした。
瑞紀は蜘蛛を物の怪として非常に怖がりますが、硯はそんな素振りは見せません。
むしろ、寂しそうに親蜘蛛を求める娘蜘蛛を見て、親蜘蛛の元へ返そうとします。
そんな硯に瑞紀もついて行くのですが・・・。

この作品に登場する娘蜘蛛は、ロリというには小さすぎますが、見た目は人型なので、可愛い物好き+ロリの方は要注意です。
表情や仕草を追うだけで満足してしまう人もいるかもしれません。
私としてはそれよりも、娘蜘蛛を怖がる瑞紀という女の子の方がツボなんですけどね。

まあ、それは良いとして・・・。

物語自体は特段思いがけない展開がある訳でもなく、淡々と進んでいる感がありますが、ラストは思わず「え、そうなったの?」と言いたくなるような結末が待っています。
良い意味で想像外のラストでしたが、本当にあの最後で良かったのだろうか。
これは絶対にネタバレせずに見るべき作品です!

気になった方はぜひ見てみてください。
といっても、これDVDとか出てるのかな?

投稿 : 2025/01/04
♥ : 13
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