井ノ瀬 さんの感想・評価
3.4
膝を砕いただけで技まで滅ぼせたと思うなよデミトリアス 俺の拳は こいつが継いだのだ!!
正しく男の義務教育と呼ぶべき作品であろう。
ザファル先生の言葉に心が奮い立った男子は当時多かったのではないか。
かくいう私も、初めて原作漫画の1巻を読んだ時、溢れる涙を堪えられなかった。BOOKOFFで2巻まで立ち読みした後、残りの巻を全部カウンターに持って行ったのを覚えている。
それくらい、衝撃を受けた漫画だった。芸術と呼んで差し支えない。
40才を過ぎた今でもザファル先生の言葉が脳裏に浮かぶことがある。その度に、すでに彼の年を超えてしまった自分の、人としての至らなさを思う。
名言製造機のザファル先生だが、アニメでは一部または全部が削られてしまっている。以下に、初めの数巻までで当時の私が感銘を受けた言葉をレビュー中にいくつか並べている。
これはほんの一部である。ザファル先生の人間としての熱さ、真摯さ、愛――その全体は底知れない。
……これが拳奴の世界の現実だ 振り返らず死にもの狂いで走り続けるしかないのだ! 悔みも哀しみも 痛みも怒りもッ 全て己の両拳に握り 勝ち進み生き抜け!! セスタス
さて。私が思うことを何点かに分けて述べていく。今回のレビューは、記憶のままに述べると思い出補正がかかってしまうので、先に原作漫画を10巻まで読み返している。
(アニメ化記念で原作漫画が5巻まで無料になっていた。BookWalkerなど)
1. 自由について
作品テーマの一つに「自由とは何か?」というものがある。アニメのキービジュアルの左には、「自由は、苦しい」とある。
結論から言うと、「理想を抱いている限り、自由な人間はこの世に存在しない」が答えである。もし理想を――セスタスであれば、「自由を得たい!」ともがき苦しみたくないのであれば、ロボットになるしかない。『VIVY』に出ているAIのように、電子回路のみでしか思考をしなくなれば、得たいものが手に入らない感傷やもどかしさを味わうこともなくなる。
一瞬話は変わるが、セスタスはVIVYとコラボしてほしい。セスタスとヴィヴィが殴り合ったら、果たしてどちらが強いのだろう。傍にザファル先生がいたら、セスタスの方が気合いで競り勝つかもしれない……。
話を戻そう。例えば、声優になりたい人が夢を叶えたとする。事務所と正式契約し、まともに喋るキャラクターの仕事を当ててもらえるようになったとする。最初は、夢を叶えた自分に満足することだろう。しかし、すぐに物足りなくなる。飽きてしまうのだ。
その世界では、自分よりも才能に恵まれた人間を相手に戦っていく必要がある。歌やダンスや演技のレッスンを受けて、自己研鑽のために作品を研究したり、現場のスタッフと良好な人間関係を築いたり、事務所内の権限ある人間へのアピールも欠かせない――そう、夢は叶えたら終わりではない。死ぬまで一生叶え続ける必要がある。
人間は、どれだけ喜んだり、至福だったり、幸運だったりしても、ありったけ腹に詰め込むことができる。そして、しばらくの間は満ち足りた気分を味わう。だが、それに慣れてしまうと、いままでの満足感などすっかり忘れ、さらなる幸福を求め始めるのである。
なぜなら、人間は――現状よりもいっそう完全でありたい、完全に近づく道筋があると常に思ってしまうからだ。
……セスタス 眼を閉じて拳を胸に当ててみろ 聴こえるか? 戦いの鼓動が 肉体(からだ)が一刻一秒生存を勝ち取る不屈の噭(さけ)びだ!! 心が挫けてどうする!? 何も失ってはいない 経験を得たのだセスタス 悲観などするな!! おまえには明日が在るッ!!
2. アニメの質について
2話が終わった時点で、ツイッターやアニメ感想サイトを覗いてみた。想像どおりの内容だった。
・手抜きの2D作画と雑な3DCGが混ざっていて残念クオリティ
・第二のエクスアーム
・セスタス作画ゴミすぎて泣いてる
・カットと改変多過ぎて残念。本当にがっかり
・低予算アニメすぎていまいち。クソアニメだから漫画の方を読んでくれ
おおよそ、こんな内容だった。
私の感想は違う。アニメ化してくれてありがとう――これが私の率直な意見だ。
この、『セスタス』という漫画の質は大変に高い。技来静也が、1998年から幾度かの休載と転載を挟んで描き続けている。
絵は写実的である。格闘漫画なので、迫力を増すための漫画的演出はもちろんあるが、どちらの描写も甘さがまったくない。作り込んでいる。
漫画そのものからは、渋くて気高い、葉巻きを入れる箱のスギの香りのような雰囲気がそこはかとなくしている。それは乾いた香りではない。瑞々しくて、それでいて鼻の奥まで心地よい匂いを届けてくれる――ステンドグラスのような深い色の輝きを発する、みずみずしい新鮮さがきらめいているのだ。
すべてのページが感情で溢れている。人であったり、自然であったり、建築物であったり、日々の食事であったり、奢侈(しゃし)な光景であったり――どんなものが描かれていても、その時代に人が生きていたのを感じる。
それに比べて、このアニメは描写の拙さがひどい。人間はのっぺりしているし、格闘シーンはまるで餅同士が跳ねているようである。あんなにおいしそうだったステーキと魚醤入りのお粥も、ゴム毬のごとき謎構造物が食卓に置かれているだけだったし、お粥に醤油をかけるところはカットされていたし、何より画に迫力がない。アニメの制作スタッフが作り込んでいないからだ。
時間がないのか予算がないのか――おそらく両方だろう。本来であれば、WIT STUDIOやトリガーのような一流アニメ会社が制作すべきであった。そういう次元の作品だと言っていい。
しかし、素晴らしい作品だからといって、放送に耐えられるか? となると別問題だ。セスタスには、もっと早期からアニメ化の話はあっただろう。一流の漫画家が本気で作った作品であり、読者人気もあったからだ。
簡潔に言う。セスタスはテレビで放送できるコンテンツではない。20年前であればできたかもしれないが、現代では到底無理だ。どうしてもやろうと思えば今回のようになる。すなわち、1巻~5巻辺りまでの残虐描写・不道徳描写・性描写は2021年現在の放送基準に耐えられない。丸ごとカットするしかない。無理に作って放送したとして、放送会社にも、アニメーターにも、何より視聴者にとって負担がかかる。
だが。そういった章をまるごと飛ばしてしまうと、作品の面白さを減じてしまう。では、どうすればいいかというと、これがひとつの結論というわけだ。つまり、そのままアニメ化はできないが、かといってしないのはあまりに残念なので、『記念碑』的な意味でアニメを作ってしまう。そういうことだ。
こんな経緯だったとすれば、すべて納得がいく。アニメの企画者にとって、『お金をかけるべきコンテンツ』ではなかったのだ。
でも、私は嬉しい。アニメになってくれたのが嬉しい。動くセスタスやザファル先生を見れただけで嬉しいと思う。はじめに当漫画をアニメ化する案を出してくれた人、ゴーサインを出してくれた人に感謝したい。
『セスタス』を見せてくれてありがとう。
……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力でねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て
3. セスタスの楽しみ方
今このレビューを読んでいるあなたが、これをクソアニメだと感じていて、かつ原作未読だとする。
すぐに原作を読んでみよう。私が述べたことをわかっていただけると思う。あなたにとって合わなかったとしても、本気で作り込んだ作品であることは理解してほしい。
もし、あなたが過去に原作を読まれているのであれば、これを気に最新話まで読んでみるのはどうだろう? 私はそうしている。コンテンツというのは、何歳の時に見るかで感想が違ってくる。
私がセスタスの漫画を初めて読んだのは学生の時で、今はもう中年のおじさんだ。でも、あの時こんな感情を抱いたな、という感触は確かに残っているし、話の流れや台詞を覚えていてもなお、当時と同じ感動が蘇ってくる。
令和の時代に、またセスタスに出会えたことを幸運に思う。重ね重ね、スタッフの皆様に感謝申しあげます。
……勝ったよロッコ!!! 自由への第一歩だ!!