2021年度の女子高生アニメ映画ランキング 3

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の2021年度の女子高生成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年12月28日の時点で一番の2021年度の女子高生アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

69.7 1 2021年度の女子高生アニメランキング1位
竜とそばかすの姫(アニメ映画)

2021年7月10日
★★★★☆ 3.5 (221)
644人が棚に入れました
高知の自然豊かな村に住む17歳の女子高生・すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずはその死をきっかけに歌うことができなくなっていた。いつの間にか父との関係にも溝が生まれ現実の世界に心を閉ざすようになっていく。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日偶然にも、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というキャラクターで参加することになる。もうひとりの自分。もうひとつの現実。もう、世界はひとりひとつじゃない。<U>では自然と歌うことができたすず(ベル)は自ら作った歌を披露し続けていく内にあっという間に世界中の人気者になっていく。そんな驚きも束の間突如轟音とともにベルの前に現れたのは竜の姿をした謎の存在だった―。
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

いのちの歌

日常の中に浸透した仮想空間を物語の中心に設定する点で、本作はまず
2009年のヒット作『サマーウォーズ』への顕著な回帰が認められる。
ただし今回は、リアルとヴァーチャルとの関係性が明瞭に主題化されており、
構成とテーマの双方で、「二重性」がキー・コンセプトとなっている。
細田監督いわく、「インターネットというものは現実と虚構の部分を併せ持つ
二重性があり、『美女と野獣』もまた二重性を持った作品である」。

この着想に基づいた固有の問題意識が観客に向けて提示されるわけだが、
不幸にもそれが伝わらずに、共感の回路が閉じられていた場合、
本作のストーリーはきわめてつまらないものに感じられるだろう。
臆病な少女がネットで少年と知り合い、勇気を出して彼の窮地を救う。
煎じ詰めればこれだけの話である。陳腐な美談に月並な社会批評を足し加えた
大衆迎合型の商業映画、などといった酷評もやむを得ないところだ。

しかしながら、問題共有の回路は確かに開かれているのである。
本作の秘密は、二重性の下にもう一つの二重性が潜んでいることにある。
ヒロインの日常と仮想世界が連続する、平面的・並列的な二重性とともに、
竜とベルのストーリーに託されて、すずの心の再生のプロセスが進行する
内在的・重層的なもう一つの二重性が構造として認められるのだ。
いわば、表層面と深層面にそれぞれの二重性が存在しているのである。

例えば、仮想空間〈U〉をそっくり、すずの深層心理の世界と捉えてみると、
作品全体の構造がシンプルに一本化されて見通せるようになる。
作品への共感の回路が開かれる場所はまさにそこなのであって、
すずの物語が私たちの時代の問題と重なり合う、本作の核心部なのである。
匿名性の限界を突破する行動と、自らのトラウマを乗り越える勇気。
重層するストーリーから透視的に浮かび上がる一点に照準を合わせて見ていきたい。


Ⅰ 竜とベルの物語
{netabare}
リアルでは不可能な願望を実現できる "もう一つの現実"― 仮想空間〈U〉。
母の死以来、歌えなくなっていたすずはそこで、ふたたび歌えるようになる。
ついに歌姫の座にまで上り詰めた彼女は、竜と出会い、彼のあとを追い始める。
その動機について、作中では十分な説明がなされていないようだ。
なぜベルは、危険を冒してまで竜に接近し、彼と関わろうとするのか?

竜の正体をめぐって無数の人々が声を上げる、― 竜は何者? 彼は誰?
匿名性の空間が内包する地熱のような好奇心は際限なく広がってゆくが、
単に欲望を満たすためだけに情報が求められ、真実はただ消費されて終わる
バーチャル空間の空虚で危うい本質が、この人々の竜探しに露呈している。
その中にあってベルは異質な、孤独な存在である。

薄雪草さんが本作に書かれたレビューから、一節をここに引用させて頂く。

 本作は、すずの心情を捉えることが重要です。
 特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」
「あなたに、逢いたい。」

 どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。

あなたは、誰? あなたに、逢いたい。―
ベルの発する問いは、興味本位の詮索とは全く異なる、切実なものだ。
その言葉には、一個の人格と関わろうとする真剣な意志がこめられている。
彼女の心の真実に少しでも近づくために、補助線を引いてみる感覚で自分は
〈U〉の世界をすずの深層心理と捉える解釈を踏まえて、こんな推論をしてみたい。
竜を探し求めるプロセスは、彼女の深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。

「〈U〉のボディシェアリング技術は
 その人の隠された能力を無理やり引っ張り出す。」

つまり〈U〉にはその人のポテンシャル、いわば内部現実が投影されている。
さらに、抑圧された状況が能力を強化した結果が、ベルの歌であり、竜の強さだった。
ならばもし、その抑圧がさらにもう一つの能力をすずから引きだしたのだとすれば?
歌姫ベルを賞賛する何億もの人々の前で自らをアンベイルし、素顔を曝すシーン。
この自殺行為にも等しい行動を促したものは一体何だったのだろうか?
それこそが、すずの本質に秘められた能力の発現だったのではないか?

薄雪草さんが以前、使っておられて強く印象に残った言葉がある。
「当事者性」。― この言葉で、自分はすずのその能力を言い表せると考える。
恣意的な解釈にならぬよう注意しながら、このキーワードに即して
すずの行動の軌跡をたどり、彼女の内面への接近を試みたい。

まずそれは、他者の痛みへの共感として具体的に現れる。
幾度も拒絶されながら、ベルは竜に近づこうとする。
「來るな!」「見るな!」―竜がベルに言い放つ拒絶の言葉に注意が必要だ。
竜の正体である恵、彼を傷つけたものは父親の暴力だけではなかった。
世間の大人たちの無理解と見せかけの善意。そして何よりも、好奇の視線。
― あんたも人の秘密を覗き見して笑いたい人?

一方で、すずには彼の拒絶の意味を理解することができるのだ。
すず自身がかつて、母の行為をめぐって匿名の人々が無責任に投げつける
心ない非難によって、深く傷つけられた経験を持っているからだ。
だからベルは竜に語りかける、― 本当に傷ついてるのは、ここ、ね?
つまり、ベルが決断したアンベイルの本当の目的とは
痛みをともに分かち合う決意を相手に対して示すことだったのではないか?

彼の傷ついた心に近づくためには、自分もまた致命傷を負う覚悟で
今度は「当事者」として、不特定多数の人々の前に自分を曝さなくてはならない。
・・・「素顔をかくしたままで何が伝わるってゆうの?」
忍のこの言葉には本作のテーマの一つが要約されている。
匿名の安全地帯で傍観したまま、好き放題を言うことは卑怯であるばかりか、
そこには他者の現実に関わるアクションは一切、生まれることはないのだ。

あなたに、逢いたい。―このただ一つの願いを伝えるためには
絶対にベルではなく、素顔のままのすずが歌わなくてはならなかった。
そして彼女は叫ぶ、「光を放て! わたしにその光を放て!」
突き付けられた「おまえ、誰だ?」という問いに対して応えるため、
本当の関わりを求めている「当事者」であることを証しするために―。

  逢いたい もう一度 胸の奥 ふるえてる
  ここにいるよ 届いて はなればなれの 君へ

アンベイル、それは現実が仮想現実を内部から食い破る瞬間である。
そこに生じたすずの "変容" には、やはり二重の意味合いが認められる。
単に表層の "現実" が表れたのみならず、内部に隠れた "真実" が顕在化したのだ。
それは、理想化された自分から元のみすぼらしい自分に戻ることではなく、
虚像に縋る自分の弱さを、真実の自分へと乗り越えていく決定的な変化を意味している。
すなわち、彼女の本質である当事者性が顕現した瞬間なのである。


・・・本稿の推論の出発点はこういう仮定だった、
ベルが竜を探し求めるプロセスは、すずの深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。
そして彼女は求めていた真実の自分に出会う。それが「ベルと竜の物語」の帰結である。
だがおそらく、そのさらなる深部にはもう一つの、さらに痛切な願いがあった。

歌い終えたすずは、地平線から昇りはじめる三日月を凝視している。
その横顔に驚きの表情があらわれ、次第に大きなものになってゆく。
不意にすずは、自分がいま当事者として行動していることをはっきり意識したのだ。
そして、自分がいま立っているこの場所が、あの日母が立っていた同じ場所であることを。
理解できずに苦しみぬいた母の心を知る、決定的な"気づき"の瞬間である。

それこそがすずの心の奥に秘められていた、最大の願いだったのではないか。
自分を探し求める「ベルと竜の物語」の水面下で、彼女は無自覚に母を探していた。
本作の真の二重性は、アンベイルの場面に集約的に予示されているが、
その全容は、急転回の先にあるもう一つのクライマックスによって開示される。
すずの再生のストーリー、「すずと母の物語」がそこで完結するのである。
{/netabare}


Ⅱ すずと母の物語
{netabare}
仮想世界〈U〉で展開される「竜とベルの物語」は、
すずの当事者性の発現をとおして母の心に到達するプロセスとして、
深層部分で進行する「すずと母の物語」に最終的に統合される。
それは、母の死によるトラウマを克服し、世界とのつながりを回復する
ヒロインすずの"再生"の物語であり、そこに本作の核心がある。


すずのトラウマは、歌おうとして嘔吐してしまう痛ましいシーンに集約されている。
母との幸せな思い出につながる「歌」は、喪失の苦痛を再帰させるために拒絶される。
だが、拒絶されているものは本当に歌だけなのだろうか?
あるいはそこには、母に対するすずの心情もまた内包されているのではないか?
母を求めながら同時に、受け容れることを拒んでいるアンビバレンツな心理が
彼女の心の奥底にわだかまっているように思われるのだ。

すずの内面を丁寧に説き明かされた、薄雪草さんの一節を引用させて頂く。

「すずの心的世界は、10年以上にわたって、
 ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。
 どうして私は独りぼっちなのか。」
 お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。
 すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。」

母に「独り」にされたすず。決して答えの見つからない「なぜ?」の呪縛。
ここでふたたび補助線を引いて、孤立するすずの心にさらに接近を試みたい。
おそらく、すずを苛んでいたはずの、もう一つの「なぜ?」があるはずだ。
その心の中にはこんな想いが潜んでいたのではないか―

― お母さんは死んでしまった。もういない。それなのに、
なぜ今も、その女の子だけが生きているのか。・・・なぜ?

すずの孤立の根底にはいわば"いのち"への不信感があったのではないだろうか。
母が救った赤の他人のいのちと、代わりに失われた母のいのちと。
この二つの命の重さがすずにとって、果たして同等であり得るだろうか?
いのちの重さはすべて等しいとする建前論は、当事者にとっては不条理でしかない。
これは、"いのち"の価値をめぐる根源的なアポリアである。
同時に、こうした感情を自分が抱くことに優しいすずは罪悪感を覚えずにいないはずだ。
この心理が無自覚に、彼女を世界から遠ざけていたのではないだろうか?

母の行動は常識的な理解の及ばない、"いのち"の絶対的な地平にある。
その場所に立たない限り、母の行動をすずは永遠に理解できない。
だが、それは現実には不可能であり、彼女の心もまた受け容れることを拒んでいる。
「なぜ?」という問いは深淵のように、母とすずとを隔てつづけるだろう。
現実でも、さらには内面においても、すずは二重に母を喪失しているのである。


この絶望的な断絶を乗り越えて、すずが再び母に出会うためのプロセス。
それが〈U〉のストーリーの本質だと言ってよいだろう。
したがって、アンベイルの意味をこの文脈でもう一度、捉える必要がある。

地平線上に昇りはじめる三日月を凝視したまま、立ち尽くしているすず。
その瞬間、彼女にはいったい何が見えていたのだろうか?
おそらくその時、すずは"いのち"の意味を感得したのではないだろうか?
濁流に飛び込んでいったあの時の母と同じ衝動がいま、自分を突き動かしている。
自分自身が当事者となって、危機に瀕した"いのち"と向き合っているこの瞬間、
すずはあの日、母が立っていた絶対的な"いのち"の領域へと踏み入ったのだ。

「何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、
 視線の先に輝いている三日月なのです。」

自分本位の感情に囚われていたすずが、母の心を経験的に理解する。
それは、母の立っていた"いのち"の地平への「転回」と言ってもよい。
そのとき、すずを苦しめてきた不条理はもはや存在しない。
いま彼女は、救われたその子が生きている現実を受け容れることができる。
なぜならそれこそが、母が命に代えて願ったことの成就に他ならないからだ。
それはそのまま、母の想いが今も現前し、生き続けていることを意味する。
そこに示された母の"いのち"の在り方をすずは受け容れ、自分の中に定着する。
そして、すずの中で再び母が生きはじめる。・・・

アンベイルとはこのような、すずの"再生"の瞬間だったといえる。
自らの行動によって母の行動を理解し、肯定し、受け容れることで
「独り」であることの果てしない苦悶から彼女はようやく解放されたのだ。

「"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。」

本当の"気づき"だけが、救いをもたらす。三日月はこの救済の象徴となる。
あるいはそれはまた、不断に再生する"いのち"の象徴なのかも知れない。


クライマックスに達した物語はその直後、予期せぬ急展開に突入する。
虐待を受けている兄弟のもとに単身で駆けつけたすずが彼らと対面し、
二人を庇って父親と対決する、もう一つのクライマックスとも言うべきシーン。
リアリティーも含め、とりわけ批判にさらされているのが、この唐突過ぎる超展開なのだが、
仮想空間と現実世界を貫く"いのち"の物語の最終的な帰結と捉えることによって、
充分な整合性と必然性が認められると自分は考える。

まず、DVの問題をストーリーに絡めた点については、
脈絡の欠如から、社会派を気取ろうと無理に取ってつけたようにも言われるが、
物語の一貫したベクトルに即してみれば、必ずしも不自然なものとは思われない。
なぜなら、「暴力」とは原理的に「いのち」の対極にある事象だからだ。
そのシェマティックな対立の構図をとおして"いのち"の輝きを示すために、
ヴァーチャル空間のベルも、現実世界のすずも、全力でそれと対決する。

さらにすずの行動が、感情に任せた衝動にしか見えない点。
確かに、彼女の動機の説明となる自然な流れが欠落しているようにも感じられる。
だがここで、〈U〉のパートにさかのぼって想起したいのは、
竜の城にベルが再び潜入するくだりで描かれている、弟が育てた「秘密のバラ」を
竜とベルが分かち合う象徴的な儀式についてだ。

この「バラ」のシンボリズムは明快である。
城の広間に飾られた、顔の部分を損傷した女性の肖像画。彼女が誰なのかは
同じ画像がケイのひび割れたスマホに保存されていることからも明らかだ。
すずが使い続けている欠けたマグカップとも呼応しながら、
彼らの傷ついた心と、"喪われた母"へのひそやかな思慕がほのめかされる。
反復されるイメージをアナロジーによって連結するこのメタファーの技法で
三人の絆を示しつつ、その中で母親としての存在がすずに託される。
それを暗示するのが、肖像画の母と同じ、胸元に飾られるバラの花であり、
最終盤のシーンを予示する、"秘密の"布石となっていると解釈できる。

つまり、たった一人で兄弟のいる場所に向かおうとする、すずの無謀な行動は
一般常識ではなく、作品に内在する非言語的なロジックに裏打ちされているのだ。
母が自分に指し示してくれた"いのち"へ向かうベクトルをひたすら辿ること、
すずの心の中にはそれ以外のどんな顧慮も介在していない。

すずの"再生"の本質はおそらくここに読み取ることができる。
身を挺して彼らを守り、そして、恐れる彼らを優しく抱擁する、
その姿には"いのち"を慈しむ「母なるもの」の原像が鮮やかに結像している。
それは、十年にもわたって抑圧されてきた、母への渇望の極みについに成就した、
母との合一、一体化による、トラウマの超克だった。

怒り狂う相手を無言で見つめるすずの顔には恐れも怒りもない。
その静謐な表情には、ただ一つの揺るぎない信念だけが認められるようだ、
一人の少女の心の極限が定着されたこのシーンに自分は圧倒され、息を呑んだ。
細田守が渾身の力を込めたこのカットを言葉で言い表す必要はないかも知れない。
だが、ここまで掘り起こしてきた文脈に即して、敢えて言いたい思いにも駆られる。
そこに具現しているもの、それはおそらく、"いのちの尊厳"といわれるもの、
そして、"いのち"の価値への無限の信頼なのではないだろうか。・・・
{/netabare}



細田守作品は一貫して、人と人との関係の在り方を問い続けている。
Ⅰ章で「当事者性」、Ⅱ章では「いのち」というモチーフを仮設的に措定し、
複層的な構造に対応するアクチュアルなテーマ性と普遍的なそれとを並置してみた。
最終的にはそれらを「関係性」という固有の枠組みの中に落とし込むことで、
本作のテーマとメッセージは完全に開示されるように思われる。

一言でいえば、それは"人格的なもの"への固有の志向性である。
喩えるなら、ベルが竜に向けた"あなた"という呼びかけの中に響いていたもの。
また、他者の"いのち"に向かう姿勢にはその契機が必然的に内在している。
愛情にもとづく関係は、生物的な自然に根差すがゆえに歪められるがちだが、
それを人格的なものに高める努力によって、関係は真実なものになる。
すずの再生には一面、こうした心の成長が重ねられていると見ることもできる。

Ⅰ章を5月に投稿してから、今回の投稿までに実に3ヶ月を要した。
それにも拘らず、作品内部の脈絡を掘り返す迂遠な作業にのみ終始して
やっとテーマの入口に辿り着いたところで切り上げるのは、何とも間抜けな話だが、
本作を語るべき最適任者が他におられるがゆえの、これは戦略的撤退なのである。
その方は拙稿への引用を快諾して下さった上に、作品の真の理解にまで導いて下さった。
末筆となってしまったが、衷心よりの感謝をここに記すことをお許し願いたい。

投稿 : 2024/12/28
♥ : 22
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

誰かを見守る眼差しの強さ

【物語 4.0点】
一部より、合理的な観点から見てシナリオが不自然だと叩かれて来た細田 守監督。
出る杭を引っ込めるどころか、本作では世間に不合理と非難されても貫き通したい信念がある。
また、こうした想いを理解することで一回り成長する。

『美女と野獣』を下敷きに、ネット上の仮想現実にまで広がる世間体を突破する脚本により、
批判をも呑み込んで主題に掲げるが如きふてぶてしさw

例えば、終盤、{netabare}JKヒロインを単身、子供を虐待する危険人物がいる知人宅に向かうのを容認する
周りの大人の対応の是非。

確かに常識的に考えてフツーではありません。
が、そもそも本作はヒロイン・すずの母が、一部から偽善と叩かれる無謀な水難事故救命により死去した。
すずが母は知らない子を優先して私を捨てた?とトラウマになっていた不合理を理解していく過程。
結果、娘が赤の他人だった子のために非常識な行動に出たとしても、
それは母の行動と対になっており、亡母と親交も深かった合唱隊にとっては忘れ形見の勇姿に感慨すら覚える。{/netabare}
不合理だが筋は通っているし、
{netabare}ヒロインが皆に白眼視される”竜”に手を差し伸べる、”顔バレ”して歌う決意表明と、{/netabare}
見るべき角度から見れば、伏線もちゃんと繋がっている。

世間や自分が納得できぬと作品を叩くのも結構ですが、
こと、この監督に関しては叩けば叩くほど杭どころか槍を出す有様なので、
もういい加減、これが監督の作家性なんだと諦めましょうw


【作画 4.5点】
仮想世界<U>のデザインに英国人建築家エリック・ウォン氏。
ヒロインが迷い込む幻想エリアのコンセプトに世界有数のアニメスタジオのカートゥーン・サルーン。
ヒロインの<U>でのアバター、歌姫・ベルのキャラデザにディズニー関連で実績のあるジン・キム氏。

日本発の作品にて、世界規模でこれだけの才能の結集。
日本アニメのグローバル化という点からも意義深い。

CGと手描きの使い分けは、コスト面からの適材適所ではなく、表現上の意図を優先。
リアルは川面の作画が高カロリーだろうが手描き中心、
仮想現実はキャラやスタッフが泣こうが喚こうが断固CGを貫く意地で魅せる。


真骨頂は登場人物の目線の繊細さ。
誰が誰をどれだけ強く想っているのか?
”竜”の心を開くのも”姫”の歌よりむしろ瞳の力。
目の動きから伝わる心情がセリフ以上に重要な伏線。
そこを拾えれば、すぐに手のひらを返す数万の雄弁なフォロワーより、
黙って見守る人間。
すずは最初から、ひとりぼっちじゃなかった。
EDアニメーションにて、実はここでも見守っていました。
という”答え合わせ”で感動できる。

故に、外面の映像が豪華な大衆向け作品だから、
心情理解はセリフと歌任せで良いだろうと気軽に乗ると取り残されかねない。

鑑賞者が、気軽なエンタメ映像から深い作画表現との段差を乗り越える誘導に関しては、
監督、もうちょいバリアフリーをwというのと、
ワールドワイドなコラボも、次はより狙った効果を確信して選択できるだろう
との伸び代への期待も込めて、5.0点満点までの0.5点は取っておきます。


【キャラ 4.0点】
仮想現実<U>で主人公すずをベルとして”プロデュース”する親友ヒロちゃん。
ベル出現前はトップ歌手だったペギースーの栄光と転落、嫉妬、許容。
頼まれてもないのに仕切るネット自警団団長ジャスティン。
その他”竜”の正体候補などに現代ネット社会の縮図が凝縮。

ネット理解度は高いが、無節操なネット野次馬の動きなど、捉え方は割とネガティブw
ヒロちゃんにネット世論になんて半分理解してもらえれば十分との趣旨の発言を代弁させている?のが何とも(苦笑)


青春物としては重たく息苦しいヒロインすずと”竜”の傍らで
清涼剤となるのがカミシンとルカちゃん。
空気読めない体育会系少年と、ツンツン&ソワソワする吹奏楽少女の、
駅での甘酸っぱいやり取りで息継ぎしましょうw


【声優 4.0点】
すずの母役の島本 須美さん、ジャスティン役・森川 智之さんの正義マンボイス。
など”ちゃんとした声優”も脇を固めるが、メインキャストは俳優、タレント陣が中心。

主役には劇中歌担当ミュージシャンの中村 佳穂さんを起用。
演者と歌い手の一致により、主人公心情と歌詞の連続性を追求。
すずとベルが一つになる、仮想現実とリアル融合のクライマックスを彩る。

吉谷さん役の森山 良子さん率いる合唱隊も、歌声含めて温かい。

あとは娘の力になれないけど、不器用なりに関わろうとする役所 広司さんの父親役とか。


【音楽 4.0点】
劇伴担当は音響監督・岩崎 太整氏の元に多数の作曲家を集める「作曲村」方式。
オーケストラ、ジャズ、テクノとジャンルを横断して音が積み重ねられるゴージャスな”フェス感”

劇中歌の中村 佳穂さんのボーカルは、
鬱屈を抱えたまま日々を過ごす焦燥も含んだ湿気が味わい深い。
リアルでは歌えなくなっているヒロインという無茶振りにもまずまずの歌唱表現で対応。

投稿 : 2024/12/28
♥ : 18
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

Uの世界に圧巻のパフォーマンス、響き渡る神秘の歌声 +

 人前で歌うことのできない内気な少女、鈴がヒロちゃんの誘いで、ネットの仮想世界「U」を始めるです。Bell(ベル)として現実とは違う歌う自分を見出していたお話です。Bellって最初見た印象は、どっかの部族の族長の娘みたいに思えたです。

 ある日竜が現れ、コンサートを妨害する形になったです。Bellは竜を気になるようになり、接触を図った先どうなるのか?だったです。

{netabare}  Bellに何故かすんなりUにおける竜の居場所が、特定することができて導かれる不思議があったです。何かに苦しむ竜に寄り添うBellがどこか健気だったです。
 美女と野獣を思わせるシーンもあったです。
 正義を語る怪しい集団によって窮地に追いやられたり、大変だったです。

 ヒロちゃんや鈴の友達たちの助けで、竜の正体がわかるです。住んでいる環境における竜の苦しみを目の辺りにした鈴だったです。竜に信じてもらえるため、友達の助言より、Uで最大の見せ場となるコンサートを披露するです。

 この場面は、私も特に好きなシーンで悪いやつのアイテムより、ベルから自らを白日のもとにさらし、鈴が歌を歌う姿は、Bellの姿以上に美しい映像と歌声を披露してくれたです。感動的です。鯨が出てきて、鈴を載せていくシーンは素晴らしかったです。

 竜の大体の居場所を突き止められたけど、その場所に竜の弟や竜が待っていたところは、出来すぎだったです。これは、奇跡と呼ぶのでしょうか?です。もっと、科捜研の女みたいにヒロちゃんが連絡とって誘導して、かろうじて特定するほうが良かったです。
 一時的に驚異から竜をしのげたかもしれないけど、鈴の行動で彼らを救うことができたか?は、疑問だったです。竜は強くなれたのかなぁ?です。{/netabare}
 鈴が帰ってきて、一件落着な感じだったです。どこか、あっさりした終わり方だったです。

 Uから現実世界に移行して、人と人をつなぐ展開は、面白いと思ったです。Uの世界観、映像が綺麗なのと、Bellの歌声、音楽はすごいと思ったです。このCD是非欲しいと思ったです。
 鈴は、Uで成長し新しい自分になったんだなぁです。

                    【2021/07/16】+

投稿 : 2024/12/28
♥ : 10

74.7 2 2021年度の女子高生アニメランキング2位
アイの歌声を聴かせて(アニメ映画)

2021年10月1日
★★★★☆ 3.9 (118)
385人が棚に入れました
長編オリジナルアニメーション映画『アイの歌声を聴かせて』

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

幸せを呼び寄せる歌声

愉快に笑いながらも、とても感動する物語です。
見終わった後、しばらく席を立ちたくないほど、感動の余韻が沸き起こります。
もしかして、2021年で一番感動したアニメかもしれません。
それほど私のツボに、はまってました。


主人公は天野サトミ。
彼女は以前、上級生の屋上での喫煙を先生に報告したことがきっかけで、教室内で少し浮いた存在でした。
そして彼女の母は、AIロボット・シオンの製作リーダです。
そのシオンが、サトミのいる高校に転入してくるのです。

シオンは美人で明るいAIです。
但しシオンは、いつも変なことをしでかします。ポンコツAIのようです。
転入初日の自己紹介の際に、いきなりサトミに「今、幸せ?」と尋ねたり、教室で歌を歌ったり…、
周りの人たちが驚くようなことばかりです。

でも、それはサトミを幸せにするためにシオンなりに考えてやったこと。
なぜかシオンは、いつもサトミの幸せを願っています。

そしてシオンが変なことをして歌を歌うたびに、
少しずつ幸せになる人が増えてきます。
そして、サトミのまわりには親しい友達が増えてきます。それはシオンのおかげ。

しかし、あることが起こり、物語は急展開します。
そして、シオンがサトミの幸せを願う理由が明らかになります。
それは、とてもとても心温まる理由でした。

土屋太鳳さんが、シオンの声優をされています。
そしてシオンの歌声も土屋太鳳さんの熱唱です。迫力ある美しい歌でした。

最後はハッピーエンドとなりますので、ぜひ劇場へ足を運んでください。
「見てよかった」と、きっと思いますよ。

投稿 : 2024/12/28
♥ : 30
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

幸せ

かなり楽しみにしていたアニメ映画です。
私はこの作品を知りませんが、Sunny boyだったかな?
アニメを見終わって必ずCMが流れてて、AIとか歌とか私の好きな題材のキーポイントが多くて凄く期待したってのが、この作品を見ようと決めたポイントです!

さて、物語は試験中のポンコツAIのシオンが転校してきてから始まります。
5日間の短く長い物語の始まり。

1日目

AIと言えば完璧なイメージがありますが何故AIの彼女はポンコツなのか……

1つは極秘実験なのに力加減を一切しない。

{netabare} プールに潜れば永遠に水面に上がらないし、片手でバスケットボールを受け止めて片手で凄い力とスピードで投げ返したり、完全に自分の正体を隠そうとしなかったりw{/netabare}

2つ目は転校初日にシオンはミサトに「幸せ?」と聞く。
彼女はAIで「幸せ」とは何か解らないけど幸せ?と聞いてくる。
彼女には幸せはわからず、自分で調べた幸せを実行していく。
ミサトに幸せになって貰いたくて。

{netabare} 友達を作らせようとしたり、AIロボを暴走させピンチになれば白馬の王子様が登場すると思い暴走する様にAIにお願いしたりw
王子様を確認しようと、人気の男子ごっちゃんにキスをしようとしてみたりw {/netabare}

実は実験の責任者はサトミの母なので密かに行われた実験でシオンがAIだとバレてはダメなのですが……

{netabare} 初日でバレた……4人のクラスメイトの目の前で、間違えて緊急停止ボタンを押してしまい……お腹から何か飛び出して…… {/netabare}

ミサトは母がどれだけAIに力を入れてきたか知っているから、密かに知ったこの実験を成功させてあげたくて……
そうして、5人の秘密がはじまる。

2日目

ごっちゃんとアヤのすれ違い。
2人は恋人同士なのですが、いつしかすれ違っていた。
この理由がまた学生らしくて、あるよなぁ〜ってなりますww
思春期だから悩みも不安も沢山ある、相手の何でもない言葉や態度に不安になり、どうすればいいのか解らなくなる……

でも。
{netabare} シオンの「ごっちゃんはアヤの者じゃないよ」って言葉で、アヤもやっと自分の気持ちに勇気を振り絞る事が出来た。
「もっと素敵な人がいる」失恋した人にはNGな事をシオンが言っちゃたりもしてたけどw
シオンのおかげで2人は仲直りが出来た{/netabare}


3日目

サンダーの試合の話
試合本番に弱くて負けてばかりのサンダー
{netabare} でも、シオンが練習に付き合ってくれてw
AIでも女の子の素体だからかサンダーは練習しにくそうでww
それに比べて本番は男子相手だからやりやすかったのか初勝利を決める事になりました。{/netabare}


4日目

サンダーの初勝利パーティーとし学校を抜け出す6人
しかし、このパーティーが結果的に……

シオンは新しい幸せの形を見つける。
{netabare} 誰かの幸せは誰かを幸せにする。
シオンが気付いたのです。
トウマがミサトが好きで、ミサトもまたトウマが好きだと言う事実を。
そこで、ミサトを幸せにする為に告白の舞台がまた素敵なのです!

ソーラーパネルの向きを変えて月や夜空を反射させた地面に光のイルミネーションに空に打ち上がる花火にシオンの応援ソング{/netabare}
告白の舞台としては最高です⸜(๑⃙⃘'ᗜ'๑⃙⃘)⸝

そんな告白の最中、シオンを初め全員捉えられてしまう。
{netabare} それはシオンの制作会社の星間エレクトロニクスの大人達だった。
いきなりアンカーみたいなのを撃ち込まれて残酷なシーンでした(*꒪꒫꒪) {/netabare}

5日目

{netabare} シオンは自分の実験結果を改ざんしていたものを送っていたのでした。{/netabare}

彼女にとって実験なんて関係なくてミサトに幸せになってもらいたくて勝手に考え行動した。

{netabare} 確かに、AIが自立して何かを起こすとエラーやバグとして処理されるし、AIが映画みたいに反逆行為を起こして人間を襲うかもしれない。
そうなると取り返しがつかなくかる……だから、処分される結果になる。{/netabare}
危険を考えたらそれは仕方ないかもしれない…………って思うけど……

それは違うって思います。
{netabare} 大人達からみたらAIが自分達の監視外で動いていた。
結果だけみたら怖いですよね。

でも、ミサト達からみたらシオンは沢山の幸せを教えてくれたAIなんです!
すれ違いの恋心を修復してくれたり、初勝利出来る様に練習に付き合ってくれたり、幸せになって欲しい女の子に告白される舞台を整えたりシオンは幸せになって欲しいって気持ちだけなんです! {/netabare}

確かに彼女は間違えた事もありました。
{netabare} ロボの三太夫を暴走させたりもありましたが、あれだって誰も傷付けてないし止めようと組み合ったサンダーも怪我はしてません。{/netabare}

だから、きっと彼女はその辺も解っていた。

彼女達の中でシオンはAIではなく友達なんです!

シオンの本当の正体には涙がボロボロでました。
シオンの試験内容に「誰かを幸せにする」なんて課題もなければ、何故、ミサトと母の1日が始まる前の掛け声を知っていたりした秘密も明かされましたし、シオンが昔からミサトを知っていた様なセリフがありましたが、それも明かされました。

シオンのミサトが大好きな気持ちに私は映画館でボロボロ涙が出てきて鼻水まで出そうになるし、鼻をジュルジュル言わせたら隣の人に「コイツ泣いてんな〜」って思われそうだったので、我慢しました‪(͒ ⸝⸝•̥𖥦•̥⸝⸝)‬
それほどにシオンのミサトへの想いや気持ちの強さが心にグッときました。

シオンの正体を知ったミサト達は……

{netabare} 敵陣本社に乗り込みます!
そこで、寝たきりのシオンに再開する。
必至に呼び掛け目覚めるシオンに呼び掛けると目を覚ました。

でも、大人達にバレてしまいシオンを逃がそうと友達達も時間を稼ぐ為に頑張ってくれたけど……シオンもバッテリーが少なくて稼働時間も時間の問題。
最後の力を振り絞り他のAI達に協力して大人達の足止めしてもらう。

会社を封鎖された中でシオンを逃がす彼らの作成それは……シオンはAIだから器は必要ない。
シオンの心を別の場所に逃がす為に屋上へと出る……
シオンとはもう触れ合う事は出来ないけど……

彼女を宇宙空間の衛生へと移す作業が始まる。{/netabare}

シオンは嬉し涙は知らなくて、最後も嬉し涙を流すミサトの涙の意味はわからなかった。

だって、悲しいから涙がでるって認識なんだもん‪(͒ ⸝⸝•̥𖥦•̥⸝⸝)‬
{netabare} それでも、ミサトは笑顔で笑って感謝を告げる。
そして、ミサトと過した5日間を思い返したシオンも最初の頃とは違い「幸せの意味が解らない」と言っていたけど最後は「私は幸せだったんだね」って幸せの意味を知ることが出来た。{/netabare}

シオンは沢山の幸せを皆に与えたけど、シオンも知らずのうちに幸せを貰っていた事に気が付いた(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)

{netabare} シオンの居なくなった学校で彼らは集まって、告白もしたトウマとミサトはまだ少しウダウダしてて、それを衛生からみたシオンが2人に声を掛ける。
彼女は、ずっと見守ってくれるのでしょうね。{/netabare}

さて、最後の三太夫の顔に貼られて居た物が凄かったですねw
劇場では笑いが漏れてたけど私は感極まって涙を拭うのが必死でしたw

サンダーは愛は重いなぁ〜
愛を拗らせるタイプですねww
{netabare}一応、サンダーの告白が成功してたけど柔道の練習相手としてOK貰えたなんて思ってないんだろなぁww

でも、サンダーの恋の形って素敵だと思います。
恋って誰が誰を好きになってもいいものだし例え相手がAIでも好きって気持ちに代わりはないと思いますし、それを否定する事は誰にも出来なくて否定しちゃダメだと思うからです。
だから、サンダーの片思いって面白いなぁ〜って思います。{/netabare}
恋の形って人の数あって全然違う形をしてる気がしますꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ

全体的な感想としては……

物語に無駄がなくテンポも凄く良かったと思います。
歌も演出が少しミュージカル風な感じで、普通に飽きることなく楽しめました。
凄く面白い作品ですし時間ある人は是非見てもらいたい作品です(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)

投稿 : 2024/12/28
♥ : 21
ネタバレ

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

あの素晴らしい「愛」をもう一度

2021年11月16日記載

まずは最初に、僕が予告編を初めて観た時、端的に思い浮かんだ印象を、此処に述べておくと致しましょう。

『ポンコツAIと苦労人少女の百合アニメ』

正直『そういうジャンル』に全く興味が湧かない僕としては「別に観なくてもいいかなあ……?」程度の印象に留めて、思考を終わらせてしまっていました。
しかし、その認識自体が実はとんでもない錯誤であるのに気付いた上映時の事。
そんな程度の低いイチャイチャ次元物語では全然無かった事を痛感してからは、思わず当時の自身を殴りたくなった次第。そんな自分が本作に満足出来たのは、最早言うまでもありません。

この映画はミュージカル映画です。しかしそこらの有名作品よりも「歌う理由」と言うのがしっかり物語の中で構築されており、突然出てきた歌唄いAIの登場に周囲のキャラクターが戸惑う序盤から、段々移ろっていく心境の変移がとても滑らかで堪りません。
また、この物語は受け取る側の志向によって、どんな印象にも移り変わります。
色々な見方を与えてくれると言うのは、ただそれだけで価値を齎す『傑作』の特徴ですが、本作はその盤上に見事乗っかっていた次第。ある人は素晴らしい青春SF群像劇と思うだろうし、ある人は恐ろしいSFホラーだと思うかもしれない。これはAIに触れていく過程を、登場人物と共に追体験していく展開であれば当然の事象でしょうが、ただ1つ揺るがないのは「サトミはこれで救われた」と言う事です。不変の想いが形を変えて、最高に素晴らしき友情と純愛を齎した……この物語はそれで充分『幸せな終わり』なんだと、僕は強く思っています。


{netabare}
さて、僕は本作を『[AI]と[I]と[愛]が見事に上手く絡み合った、友情と純愛のロマンティックSF群像劇』と解釈した次第。
ええ、これは最高の友情映画であり、最高の純愛映画なんですよ。「AI」が物語に絡んでくる中で「愛」の形を知っていき、それぞれが「I」を込めて歌う事で、自らの想いを届けていく。その過程が確かな『幸せ』となりて息衝いていく様を、見事な展開で魅せ付けられました。
その心は、決して後悔しない為。好きだと思える大切な人に、大事な想いを吐露する行為。
その素直さを教えられたのはシオンの起こした行動が全てであり。そんな彼女が教えられた行動経緯の起因には、本作の最重要人物、トウマがいます。
少年の頃から抱いていた、たった1人の少女に対する彼の願いが。今でも心の中では思いつつ、形に出せなかった無垢なる想いが。シオンと言う体現者に「愛の形」を託した上で、その不変を色濃く示した訳で。
それはシオン本来の「疑問」でありつつ、トウマ本来の「願い」でもあり。その軌跡全てが「サトミを幸せにした」んです。トウマの為に独りぼっちとなったサトミを「もう1度幸せにした」んですよ。


この『AI』を通した関係の中で紡がれる『人間の想い』の両立が余りに綺麗で眩しくて、どうしようもなく愛おしくて。どうにも胸がいっぱいになって、抑え切れなくなってしまいました。
ただ正直な所、シオンに明確な自立精神があったかどうか。命令に囚われないで得た心があったかどうか。作中では堅実な確証で以って断言する事は出来ません。
彼女自身がしていた事は、全てトウマの願いに従って起こした従属なのは確かな事。
「シオンは今、幸せ?」と言う疑問に肯定出来たのも「人間を幸せにする」AIの原理に従った結果に過ぎないかもしれません。
しかし、シオンもこれまでの過程で多種多様なそれぞれの『幸せ』と『愛』の形を学習し、記憶し、応用し、確かに関わった時間があります。だからこそ、最後のトウマの台詞が心に強く響くのです。

「シオンにも、心はあったんじゃないかと思うんだ」

そう、結局は「受け取る者次第」
『人間』として『AI』に対する想いとどう接していくか。人間のみが持つその機微が、大切な関係と成り得るのです。
それ故本作は、青少年達の変わり行く心理の行方を描いた友情映画でもあるし、幼少期より抱いてきた想いが見事形を変えて体現した最高の純愛映画でもある。
そしてアンドロイドのシオンが加わった事で、新たな関係で再度彩られた、良質なSF映画と断言出来ます。
だから僕はこの作品が好きなんでしょう。色々な見方を与えてくれて、観る度に気付かなかった発見を魅せてくれる。このアニメ映画が好きなんでしょう。

本作に登場する子供達は、AIとこれから密接に関わっていく事が増えるかもしれない世界の中で、物語が導き出した理想像です。
この『物語』をどのように捉えるかは人それぞれでしょうが、少なくとも僕は本作を観た後、確かな「愛と希望と未来の笑顔」を信じたくなってしまいました。
シオン(AI)と関わった子供達の未来が『幸せ』で溢れますように。
「手を繋ぐ事の出来た」2人の未来が、もっと『幸せ』で溢れますように。
『アイの歌声を聴かせて』はそんな願いを観客にも抱かせてくれる、正しく『愛の物語』でした。
{/netabare}

最高の友情と純愛を魅せ付けてくれた本作に、大きな愛の感謝を込めて。
サンダー、ゴッちゃん、アヤ、シオン、そしてサトミとトウマの皆が大好きです。
この幸福の輪が更に広がっていく事へ『人間』としての願いを込めて。締めの運びと致しましょう。

ああ、最高に幸せだ。


P.S.
本作が気に入った人は、ロバート・F・ヤングの時を越えしロマンSFや山本弘のアンドロイドSF小説『アイの物語』が気に入るでしょう。
特に後者は、吉浦康裕監督も確実に意識していると思いますので、鑑賞前でも鑑賞後でも、読んでみる事を薦めます。リスペクトオマージュ盛り盛りで、中々面白いですよ。


2021年11月18日追記
{netabare}
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吉浦康裕
@yoshiura_rikka

#アイの歌声を聴かせて
サトミとトウマのフルネームはそれぞれ、天野悟美(あまのさとみ)、素崎十真(すざきとうま)です。この二人の名前はペアで考えました。どういった意味合いでペアになっているのか、分かった人は相当マニアックです。

午後0:00 · 2021年10月31日·Twitter Web App
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ついさっき、この名前の由来に気付きました。裏設定でこんなに感動したのは、久し振りの事だと思います。
素崎十「真」と天野「悟」美。取り敢えず分からない人は、もう1つのアイの物語『わたしは真悟』を読んで下さい。

そうか、シオンは真悟でもあったのか……鳥肌止まらないですよこれは。
{/netabare}

投稿 : 2024/12/28
♥ : 8

67.9 3 2021年度の女子高生アニメランキング3位
岬のマヨイガ(アニメ映画)

2021年8月27日
★★★★☆ 3.5 (40)
138人が棚に入れました
居場所を失った17歳の少女。彼女が辿り着いたのは、どこか懐かしさと共に温かみを感じさせる、海の見える古民家“マヨイガ"だった。それは、“訪れた人をもてなす家"という、岩手県に伝わるふしぎな伝説。血のつながりがない新しい家族たちとの、ふしぎだけどあたたかい共同生活が、新しい居場所“岬のマヨイガ"でいま始まる――。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

心がざわつく優れた映画だと思います。青少年へのメッセージかな?

 他人が集まることで家族となる疑似家族ものの一種ではあります。東日本大震災の後の復興の一面を切り取ったような話でもあります。さらに、あらすじ通りではない部分もあるので、ネタバレとしておきますが、{netabare} 妖怪大戦争もの{/netabare}でもあります。

 これらがご都合主義的に組み合わさって、比較的派手な絵もなく音楽の無い場面も多く淡々と話が進みますので、退屈する人はするでしょう。

 ですが、この2人の少女が不幸を背負った原因を考えたときに、果たしてそんな単純な話なのか?と気が付きます。震災という大きな大きな不幸と、家族に起こった世間から見たら個人的な不幸。そのどちらも人々にとっては逃げ出したい現実になります。

 その中で自分は誰といたい、どうしたいという気持ちと向き合いましょうと。そして、誰を守りたい、どこで暮らしたいと言えるようになると、不幸から脱するきっかけと新しい何かがみえてくるよ、という風に見えました。

 この3人を助けてくれるのはなんといっても {netabare} 土着の妖怪 {/netabare}たちです。つまり、土地であり共同体です。これは人間も一緒でした。人間は弱いので、辛いもう離れたいと思う気持ちが出てきます。それが地域を滅ぼすことになるという事だと思います。

 本作については、見て欲しい対象年齢を少し低めにしていると思います。それは不幸な現実とどう向き合うか、ということを分かりやすく伝えたいからなのかなあ、と思います。
 震災の不幸も初めは少々デオドランドして、見やすくしすぎでは?と思いました。が、震災の不幸をクローズアップしすぎないように、そしてそこの嫌悪感恐怖感で映画が伝えたい「不幸」の本質を見失わないようにするためかなあと思いました。
 そして、なぜそうしたのかを考えると、逃げる=自殺とか考えてしまう少年青年に対する何かなのかなあ、という気がしました。

 とはいえ、大の大人が見ても、見ている途中で心がざわめく映画ですし、視聴後感はハッピーエンドではありますがこれからもいろんな不幸が起きるけど、戻るべき場所、共同体があるから頑張れるんだ、という風に見えました。

 なお、初めの狛犬のシーンはここでは述べませんが2つの見方ができますね。
 そして、飼われるのが三毛猫です。必ずメスですからあの家には女性しかいません。つまり巫女という風にも取れましたね。

 アニメーションとしての技術的なところは、超一流ではないかもしれません。評価点が平凡なのもそのせいです。が、作品としては、脚本とメッセージ、演出などで良くここまで仕上げたなあという印象でした。青少年向けという前提でいえば、100点中88点くらいつけてもいいかもしれません。

 ということで、隠れた名作だと思います。1回しか見ていないので、もうちょっといろいろあるかもしれませんが、1回集中して見たのでかなり疲労感があります。つまり、出来が良いということです。
 刺激とキャラ萌えを期待すると退屈かもしれませんが、視聴中そして見終わったあと、心が動く映画です。いい映画でした。

投稿 : 2024/12/28
♥ : 8
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