フリ-クス さんの感想・評価
4.1
ゆる系日常ものと円谷式『様式美』の素晴らしい変形合体
はじめに懺悔しておきますが、
僕はロボや怪獣系がけっこう『苦手』です。
合体ロボを「かっこいい」と思ったことは一度もないし、
ガンダム系の作品だって、
モビルスーツ同士のバトルシーンは、たいていよそ見しています。
それは「ロボがよくない」と言っているわけではなく、
あくまでも僕個人の嗜好として、です。
トマトが嫌いと駄々をこねる、がきんちょと同じです。
そんなどうしようもない偏食家のワタクシですが、
本作と前作『SSSS.GRIDMAN』は、最後まで楽しく観ることができました。
というか、かなりお気に入りの作品です。
と言っても、バトルや合体シ-ンはやっぱよそ見してましたが……。
前作の『SSSS.GRIDMAN』は、
合体ものに『萌え』や『ゆるさ』を加味して評判になりましたが、
本作では、さらに一回り二回りネジをゆるめています。
{netabare}
バイトで戦闘訓練サボるわ。
遅刻しそうになってメカで学校行くわ。
敵とわかってて学校で雑談するわ、
一緒にプ-ル行くわ、
お酒おごってもらったりするわ。
一応、怪獣優生思想との対立、みたいな図式はあるのですが、
本気で対立しているのは、
元・怪獣優生思想のガウマのみです。
そのガウマにしても根っこは「姫に会いたい」の一心なわけで、
勧善懲悪みたく立派な概念はありません。
あとのメンバーは、
怪獣が出てきたら周りに迷惑・危険だから戦っているだけで、
それよりも私的なこと、
再婚しそうな母親からの自立だとか、
おねえちゃんの死の真相だとか、
やりたいことが見つからず逃げ回ってばかりいる自分とか、
そういう『日常』の方に、かなり体重かかっています。
また、前作のグリッドマンのときみたいに、
特撮オタでバトル志向の内海くんや、
戦うためにやってきた新世紀中学生みたいなのもいません。
だからまあ、対立構造が曖昧というかやる気がないというか、
主人公が怪獣との戦いを自分の『やるべきこと』と認識していた前作より、
設定そのものが、かなりゆるめになっています。
敵であるムジナにお酒おごってもらって酔っぱらい、
ダイナストライカーおとして盗られちゃうとか、ふつうないから。
お話も時々は怪獣から全く離れ、
ヒロイン(夢芽)の姉の死の原因を調べたり、
人妻になった元同級生とばったり出くわしてお酒飲んだり、
そういう関係ないことをしているうちに怪獣が現れて慌てて倒しに行く、
みたいな緊張感のなさが漂っています。
ただ、その一見関係ないような日常演出も、
怪獣によって『過去』と向き合い『現在』の自分を乗り越えていく、
という後半の物語の伏線になっているわけで、
このあたりの構成は、お見事、の一言であります。
{/netabare}
そういう、ゆるゆるの『日常』を過ごしている主人公たちですが、
怪獣とのバトルという『非日常』と対峙することによって、
少しずつ、日常に向き合う姿勢が変化していきます。
このあたりはいわゆる日常ドラマ系、
ぐだぐだな日常の中で『出会い』や『葛藤』『気づき』を繰り返し、
自分自身と対峙する機会を与えられて
一歩ずつ人間的な成長を遂げていくという構成と全く同じです。
その機会が『怪獣』というのがシュールですが、そこがまたいい。
{netabare}
ヒロインの夢芽なんか、
最初は、死んだ姉との『守られなかった約束』に囚われ、
その姉の心情に近づきたくて自分も『守らない約束』を繰り返すという、
見事に方向性を見失い、
クラスの中でもほぼ孤立した困ったちゃんだったわけです。
それが怪獣バトルという非日常の中にあたりまえの『日常』を見いだし、
(ペタンと座ってダイナウイングを操縦するさま、かわいいです)
最後には主人公(よもぎ君)と付き合い始め、
まがりなりにも学園祭に参加するという、大進歩を遂げます。
これ、ドラマで大切な『振り幅』の典型例ですね。
よもぎ君だって、
最初は入学祝を募金箱に放り込むほど嫌いだった母親の交際相手と、
少なくとも表面的にはふつうに接することができるようになりました。
ダメニートだった暦くんなんか、
髪切ってスーツ着て就職までしてしまいます。
あんた誰? みたいな。
そして、その暦くん家に入り浸っていた中学不登校児、ちせ。
気分一新して左腕にタトゥーを入れ、
逃げではなく自信満々に、やっぱり不登校を続けていきます。
{/netabare}
この『人間的な振り幅』というのは、
前作『グリッドマン』にはほとんど見られなかった要素であり、
日常のドラマ性をパワーアップさせたいという監督の熱意が伝わってきます。
おすすめ度としては、かなり広範囲に向けたAランクです。
前作との関連度がけっこう密なので、
未視聴の方はそっちを先に見た方がいいと思います。
{netabare}
イケメンになったアンチくんとか
ス-ツ着た二代目とか、
僕はけっこううれしかったです。おお、とか声でちゃいました。
{/netabare}
日常パートがまったりしっかり、そしてコミカルに描けているので、
僕みたく「あ~、ロボとか怪獣はちょっと……」という方も、
くすくす笑いながら、ゆるやかに感情移入していけるのでは、と愚考いたします。
ラノベ系妄想アニメみたいなご都合展開や人格破綻もなく、
一つ一つの言葉にちゃんと『体温』がありますし。
そしてバトルパートは、がっつりしっかり。
尺が短いので、僕みたくバトルが苦手な方でも大丈夫です。
というか、これがあるから、ゆる日常とのメリハリがついてる、みたいな。
戦いの描写・演出はかなりの迫力です(たぶん)。
円谷演出も、しっかりと踏襲しています(たぶん)。
次々と変形合体してシャキ-ンと見栄を切る、
というお約束もちゃんと果たしております(これは確か)。
戦いながらの会話もどこか力が抜けていて楽しく、
夢芽の「なんとかビームっ!」なんて小ネタも随所にはさまっています。
もちろん、会話時だの合体時だのには攻撃しないという、
こうした作品になくてはなない『様式美』も、
怪獣くんたちがきっちり守っています。いやあ、所作が美しい。
ていうか、そもそも合体シ-ンというのは、
ロボファンが喜ぶ
尺と動画枚数が稼げて制作も喜ぶ
というウインウインの関係なので、さすがに崩せないかと。
というわけで、日常好きでもロボ怪獣好きでもどんとこい、
両方好きなら一粒で二度おいしい、
という守備範囲のかなり広い作品となっております。
ただし、前作の新条アカネみたいに、
まったりかわいいくせに強烈な『毒』を持つような、
キレッキレのキャラがいないので、
女の子目当ての方にはちょっと物足りないかも知れません。
{netabare}
本作のヒロインである夢芽は、
いささか人づきあいが苦手な「ふつうかわいい」女の子で、
基本、男子なんか「どっちでもいい」ヒトです。
プ-ルで黙々とチュロスを食べるところなんか僕的に大好きなのですが、
萌えオタの方々よりは、
同性から共感を得やすいタイプではないかと思われます。
中のヒト、若山詩音さんのナチュラルな芝居は、好感度大。
前作で六花を演った宮本侑芽さんみたく、ブレイクしそうな感じです。
ちなみにお二人とも劇団ひまわり所属ですね。ひまわり、侮るなかれ。
無駄にナイスバディなムジナにも特別なフックはなく、
基本はやる気がなくて、早く帰りたい系。
ただし、5000年前のヒトにしては水着のセンスなかなかです。
僕的に中の人とキャラがどハマりしていたのが、
安済知佳さん演じる飛鳥川ちせ。
三十路過ぎても中学生演れるっていうの、アニメの美徳です。
彼女の『ス言葉』とだるだるの喋り方、かなり好きでした。
第五話Aパ-トの「無職の休みたい日ってどういうアレなの?」という台詞、
何回聞き直してもめっちゃいいです。
ちなみに、ちせのアームカバ-、
Wikiでは「ボディペイントまたはタトゥー」と書かれてましたが、
ふつうに考えるとリスカの跡だろうな、と。
その上からゴルドバ-ンのタトゥーいれてカバーを捨てた、の方が、
お話としてもつながりますしね。
{/netabare}
いずれにいたしましても見て損はない、おすすめの一本です。
人生における大切な何か、
みたいものはまるっきり見当たりませんが、
退屈しのぎにはもってこいの逸品です。
最終回のラスト、
いかにも『次』がありそうな演出でしたので、
ほんとうにあったらすごくうれしいですよね。
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ええと、あとは製作・制作目線のつぶやきです。
本編の評価にはほとんど関係ありませんから、
ネタバレで隠しておきます。
ご興味のある方、おひまつぶしにどうぞ♪
{netabare}
僕としては、本作を見ていて一番気になったのは、
脚本、何枚(文字)ぐらいでやっているんだろう?
ということです。
たぶん、一般的な作品と比べると、一~二割減ぐらい。
『オカルティック・ナイン』あたりと比べると、
ひょっとしたら半分ぐらいであるかも知れません。
今回、音監の郷文裕貴さんがものっすごくいい仕事してますが、
それもやっぱり、
尺に余裕のある脚本だからできたことだと思うわけです。
だいたいのアニメ監督は、
どういう系統の作品で何分尺ならだいたい何枚ぐらい、
という自分なりの目安をもっています。
ただ、本作の雨宮哲さんは、前作のグリッドマンが初監督作品。
自分のモノづくりにおける縛りがない分、
思い切った方向付けができたのでないかと愚考しております。
その方向付けと音監さんの技量がマッチし、
さらに、そのディレクションに役者さんたちが応えた、
というのが本作の絶妙な空気感の源泉ではないかと思うわけです。
これ、『ゆるキャン△』の京極監督にも通じる話ですね。
ゆる系だとか癒し系だとか言いながら、
実はヤマがないだけでただの萌えアニメじゃん、
という作品が少なくありません。
ノー、コレは『Laid-Back』ではアリマセン、みたいな。
そういうの、個人的にはもうこりごりなんです。
本当の意味での『Laid-Back』系を確立するためにも、
一度、尺と字数の関係を見直してもいいんじゃないか
本作や『ゆるキャン△』が、その好事例になるんじゃないか
そんなことをついつい考えてしまいました。
実際のところで言うと、
脚本を一割削ると演出プランや『間』がガラリと変わってしまうので、
実績のある監督ほど大変だと思うんですけどね。
いや~、外野って好き勝手なことが言えて、ほんとラクチンです♪
{/netabare}