renton000 さんの感想・評価
4.2
狭間の物語
あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。
初見でした。100分くらい。実話をもとにした作品。
終戦前の色丹島を舞台として始まり、その後のソ連軍侵攻によって起きた生活の変化を描いた作品です。これを俯瞰的な視点ではなく、一つの家族の視点から見続けます。現在の北方領土問題のきっかけとも呼べるものですが、政治的な主張は脇に外し、あくまでも家族愛や人間愛を描くことに主眼に置いています。
視聴に際して特に基礎知識は必要ありませんが、余裕があれば二つのことを予習しておくといいと思います。
一つ目は、歴史的な背景です。
最初から最後まで一家族からの視点で描かれますから、大局的な視点による解説というのはほとんど入りません。その裏で何が起こっていたのかは、視聴者側の知識に委ねられています。ですから、最低限の歴史的な背景は押さえておくと更に理解が進むものと思います。
二つ目は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(以下、『銀河』)に関する知識です。
タイトルに入っている「ジョバンニ」は『銀河』の主人公の名前ですし、重要なシーンは『銀河』の描写と絡めた演出がされています。この作品自体が『銀河』をモチーフにしていますから、『銀河』に関する知識があれば、より楽しめるでしょう。
誤解してほしくないのですが、基礎知識がなければダメ、というわけではありません。この作品自体はきちんと完結したものとして成立していますし、知らなくても十分楽しめることは間違いありません。ただ、この作品を見た後にこれらの知識を習得しようとする欲求が出てくるものと思います。ならば、後手を打つよりも、先手を打つ方がいいのではないのかな、と思った次第です。
とはいえ、「めんどくさい!」という方も多いでしょうから、このレビューではその補完を目標として位置付けたいと思います。
歴史的背景:{netabare}
1945年2月 ヤルタ協定(全ての元凶のような…)
4月5日 ソビエト、日ソ中立条約の不延長通告(一方的な条約破棄)
8月8日 ソビエト、対日参戦
8月11日 ソビエト、日本の国境侵犯
8月14日 日本、ポツダム宣言受諾(事実上の戦争終結)
8月25日 ソビエト、南樺太占領(日本の武装放棄後の侵攻)
9月2日 日本、降伏文書調印調印(形式上の戦争終結)
8月28日~9月5日 ソビエト、択捉・国後・積丹・歯舞群島占領
1946年2月2日 ソビエト、北方四島の自国領編入
1947年~1949年 日本人の強制帰国
作品内で描かれる期間は、玉音放送前から日本への帰国までです。ソ連軍が侵攻してきたものの、ポツダム宣言受諾後であるため交戦できず…と展開していきます。
{/netabare}
『銀河』のテーマ①:{netabare}
『銀河』は多くの作品に引用されていますが、引用される中心はほぼ決まっています。蝎(サソリ)の話です。「ほんとうの幸」について考える主人公ジョバンニが、「蝎のようになりたい」と願う話。
蝎は虫を殺して食べて生きていた。ある時イタチに見つかって食べられそうになってしまった。一生懸命逃げたけど、いよいよ捕まりそうになってしまった。その時、井戸に落ちて溺れてしまった。
蝎はイタチに食べられなかったことを後悔した。どうせ死ぬのなら、イタチに食べられていたら彼を一日生かすことができたのに。神様お願いします。むなしく死ぬくらいなら、まことのみんなの幸のためにこの体を使ってください。
すると蝎は真っ赤なうつくしい火となって、闇を照らし続けた。
私の他作品のレビューでも『銀河』については触れていますが、今作のレビューとしてはもう少しだけ踏み込みます。
{/netabare}
『銀河』のテーマ②:{netabare}
「蝎は虫を殺して食べて生きていた」というのは、原罪について述べられたものです。「生きるためには、他者を犠牲にしなければいけない」ということ。
これに続く「逃げる蝎」というのは、心情について述べられたものです。「他者を犠牲にすることは厭わないけど、自分が犠牲になるのは嫌だ」ということ。
蝎が井戸に落ちた際に感じたのは、自分が犠牲にならずに死ぬことが、結果として無駄死にになってしまうのではないかということです。「原罪を避け心情を優先したことに価値はあるのだろうか」ということ。
そして、蝎が見せたエゴから自己犠牲への転換が、世界に希望をもたらしました。
ジョバンニは、この「無駄ではない死に方をすること」を「自分の生き方」と捉え、「みんなのほんとうの幸」のために身を捧げようと心に決めます。ですが、「みんなのほんとうの幸」というのが何なのか分かりませんでした。これを探すことがジョバンニの目標となり、同時に私たちに対する問題提起となります。
『銀河』における銀河鉄道とは、この世からあの世へと向かう鉄道です。そこにジョバンニとカンパネルラの二人が乗り合わせることで、死に方と生き方を考える話、これが『銀河』なんだと思います。
おそらく、『ジョバンニの島』を見た方は、私が何を言わんとしているのかは分かると思います。
「生きるために犯す罪とは何なのか」「自己犠牲を厭わないほどのほんとうの幸いとは何なのか」「なぜ銀河鉄道に乗れないのか」「なぜ銀河鉄道に乗れてしまうのか」、この『銀河』と関連したテーマが作中で描かれていきます。
蛇足ですが、私は他のレビューでも『銀河』の話を書いていますが、特別この作品が好きなわけではありません。ただ、多くの作品に引用されていることを考えると、教養としては成立しているんだろうな、とは思います。
{/netabare}
基礎知識は以上で終わりです。次項は単なる感想です。
国の狭間、人種の狭間、親子の狭間など様々な狭間が描かれているこの作品。私が視聴後に感じた時間の狭間と共感の狭間について述べてみたいと思います。
時間の狭間と共感の狭間:{netabare}
時間には二つの概念があります。クロノスとカイロス。
クロノスというのは、刻一刻と流れる客観的な時間の流れを指します。実時間とも訳されます。「時刻」や「スケジュール」や「タイム」をいうときの時間の概念に相当します。
カイロスというのは、体感時間とも訳される主観的な時間の概念です。「集中しているときは時間の進みが早い」というときの「時間」はカイロスに含まれます。また、ある書籍によれば、カイロスは「その出来事が起きる前と後で、人間に質的変化が起きる時間」であると書かれていました。つまり、「タイミング」の概念です。
例えば、「私が誕生した日」は、私の家族には質的変化をもたらしたでしょうから、私の家族にとってのカイロスに該当します。ですが、その他の人々にとっては「いつもと変わらぬ日」でしょうから、単なるクロノスに過ぎません。つまり、同じ時間に対しても、立場の違いによって認識の相違は当然生まれ得るということです。
このカイロスによる共感というのは、個人的なものだけには留まりません。多くの日本人にとってのカイロスというものも存在しています。カイロスの質的変化に着目するのなら、現代の日本人にとってのカイロスは二つあると思います。一つ目が1945年8月15日の終戦の日、二つ目が2011年3月11日の東日本大震災の日です。
もちろんここで俎上に載せたいのは、前者の方です。
1945年8月15日が私たち日本人のカイロスになっているからといって、それが世界的な共通観念となっているわけではありません。英米ソなどにとっての終戦のカイロスは、おそらく1945年9月2日だと思います。なぜなら、これらの国々は、日本が降伏文書に調印した日をもって対日戦勝記念日としているからです。
現在の日ロ間における北方領土問題は、政治的または法的に解決することは出来ると思います。ですが、どのような解決策が図られたとしても、両国民間におけるカイロスの差は埋まらないように思えます。おそらく、その差は感情の差として表出することでしょう。フォークランド紛争によってイギリスとアルゼンチンの領土問題が解決したとしても、両国民間の不和が拡大したように、です。個人的なカイロスに差があるように、集団的なカイロスにもまた差がある。
この作品のエンディングがあのような形になったのは、国や人種の差はあれど、同じ時間を過ごしたという個人的なカイロスの共有が出来ていたからだろうな、と感じました。これは、国や人種が違えども個人的なカイロスなら共有できるという希望の形の一つだと思います。
ですが、この延長線上に集団的なカイロスの共有があるのかは、私には分かりません。延長線上なのかもしれないし、別次元なのかもしれない。クロノスをカイロスにすることができるのかも、個人的なカイロスが集団的なカイロスになるのかも、別のカイロスを持つ集団同士が歩み寄れるのかも分かりません。端的に言えば、どこまで共感を育むことができるのか分からない、ということです。
私は合理主義的な性格も強いですから、どのような問題にも「白黒はっきり解決させろ」という意見を持つことが多いことは自覚しています。ですが、何を持って解決とするのかという問題解決のスタート、やはりここが一番難しいようにも思えます。
{/netabare}
対象年齢等:
家族愛と人間愛が主題ですから、全年齢が対象で良いと思います。戦争ものではありますが、凄惨な場面というのも描かれませんからね。
ここに関しては「凄惨でない戦争があるか!」との批判もあるかもしれませんが、私はこの作品に関してその批判をするのはやや的外れなような気もしています。この物語はあくまでも主観で進行しているため、凄惨な場面に出会わなければ凄惨さは描きようもないでしょうからね。実際にそうだったのかは分かりませんけれど。
私の感想はともかくとして、視聴後のすっきり感もいいですし、素直に見てよかったなと思える作品でした。何を見ようか迷っている方はこの作品に手を出してみてはいかがでしょうか。