2022年度の伝統芸能アニメ映画ランキング 1

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70.9 1 2022年度の伝統芸能アニメランキング1位
犬王(アニメ映画)

2022年5月28日
★★★★☆ 3.8 (71)
172人が棚に入れました
後世日本の文学や演劇などに大きな影響を与えた軍記物の名作「平家物語」。

その現代語訳を手掛けた古川日出男により「平家物語」に連なる物語として、南北朝~室町期に活躍し、世阿弥と人気を二分した能楽師・犬王の実話をもとに新たに生まれた「平家物語 犬王の巻」が、ミュージカル・アニメーションとして描かれます。
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

平家怨念ロックの狂騒に花の都が呑み込まれていく……

古川 日出男氏の原作小説『平家物語 犬王の巻』は未読。

【物語 3.0点】
室町時代・京を舞台にしたライブビデオ風。

観阿弥が開いた“正統な”能楽の系統確立時に
異端と排除された田楽その他の芸能文化。
その中で史料に名前だけ残された芸風不明の犬王。

琵琶法師が語り継いで来た平家物語。
“覚一本”以外が禁止され封じられた諸本。

メインストリームにかき消された歴史の傍流。
そこに自由な表現の可能性を見出した湯浅 政明監督が、
壇ノ浦の海中で呪具と化した草薙の剣も飛び道具にして、
失われた犬王の芸を現代ロックスター風に昇華させエンタメ化を目論む。


構成は序盤は犬王と、盲(めしい)の琵琶法師・友魚(ともな)のバディ結成エピソードで土台固め。
中盤~終盤にかけては、スターダムにのし上がって行く、彼らのライブパフォーマンスに尺の大部分が制圧される。
この間、普通の台詞など幕間MCくらいの尺しかない。

いい映画観たというより、何か得体の知れないエネルギー弾を食らった後みたいな放心状態。


【作画 5.0点】
アニメーション制作・サイエンスSARU

一応ミュージカル要素もあるが、本作はアニメーションの後に音楽が制作される。
アニメーションが音楽に従属するのではなく、メインはあくまでアニメーション。

ライブシーン。室町時代にロックンロールというだけで既にぶっ飛んでますが、
{netabare}プロジェクション・マッピングで泳ぐ、でっかいくじら♪{/netabare}など
こんな凄い仕掛けこの時代に実現可能なの?(苦笑)という驚愕シーンが目白押し。

これは過去のものほど劣っていて、現代になるにつれどんどん進歩しているという歴史解釈に違和感を抱く監督方針によるもの。
何が起こってもおかしくない犬王の舞台を映像が好演出。


奇形に生まれた犬王の面から覗く街並み。
盲(めしい)の友魚から見た、音とぼやけた色彩だけの世界。
普通の人間が体感できない感覚の映像化も独特。
それらがスムーズに切り替わることで、諸々の境界が希薄化し、
犬王や友魚に平家の怨念が実体として認識される超常も受容できてしまう。

五感さらにはそれ以上の感覚をも自在に視覚映像化してしまうアニメーションの真髄。
但し規制の境界をも無効化してしまうので部位欠損、出血多量などグロには注意。


【キャラ 4.5点】
{netabare}父の過剰な芸への執着が草薙の剣に宿った怨念を引き込んだこと{/netabare}により、
奇形、醜い顔に生まれた犬王。
が、彼は自身の人生に対して驚くほど楽観的で、それが周囲を巻き込むエネルギッシュな芸風に現れる。
さらには{netabare}平家の怨念の声に応えて演じることで異常な身体が一つずつ健常になるという{/netabare}設定により、
彼のステージは文字通り一期一会。
芸に全身全霊をかける彼の生き様が最大化。

バディとなった琵琶法師・友魚(ともな)。
自身を不幸にした足利一味への恨みも滲んだ音色で犬王と共にのし上がり、
やがて足利義満に対峙する。
友一、友有(あり)と改名し、その名に執着していく様に、彼の執念がこもっています。

美醜は表裏一体。地位や名声、肉体の満足は必ずしも精神の満足に直結しない。
ある種の悟りの境地も感じる圧巻の生き様。

ラスト……{netabare}犬王は五体満足となり仮面も外したが、義満の要求を飲み、芸と本心を封じた素顔の“仮面”。

改名により600年見つけられなかった友魚と、ようやく再会する犬王。
その姿が敢えて売れっ子になる前の友魚&元の醜く不自由な肉体の犬王だったこと。{/netabare}
この対比は象徴的。


【声優 3.5点】
犬王役にはロックバンド・女王蜂のボーカル・アヴちゃん。
ご本人が声優としてというよりモンスターとして呼ばれたのではと述懐する通り、
こまごまとオーダーし、声優業の常識で縛り上げるより、
彼のアーティストとしての生き様を熱源として歌と台詞でぶつけてもらうことに注力。

この破天荒な起用は友魚役の俳優・ダンサー・森山 未來さんに対しても同様で、
ライブビデオ感に拍車をかける。

“ちゃんとした声優”への執着など諦めるしかありませんw


そんな中、犬王の父役で声優の存在感を見せるのが津田 健次郎さん。
芸人としての名声にしがみつき全てを差し出してしまう狂気を熱演。


【音楽 4.5点】
劇伴担当・大友良英氏。
適宜ピアノやギターもアレンジし時代性だけでなく普遍性も重視。

大友氏作曲による劇中歌・主題歌。
作詞に湯浅監督やアヴちゃんも参加し、平家や歌い手自身の生き様が混在した、
混沌とした和風ロックを、音域の広いボーカルが歌い上げる。
(手拍子!)などライブ感を煽る文言も盛り込まれた楽曲群はパフォーマンス映像と一体で、単体で聞いても味気ない。
切り売りには不向きな構成にもアニメをMVにしてなるものかと言わんばかりの反骨精神を感じますw

あと、足利義満へのパフォーマンスついでに、
{netabare}建武新政期の乱れた世を皮肉った二条河原の落書を歌詞に取り込んで
足利(こっち)に矛先を向けるのはアブナイのでおよしなさいw{/netabare}


【感想】
ビートルズが世界を席巻し、権威や体制が脅かされた。
ロックが不良の音楽であった時代も想起させる危険なロックオペラでした。

いや~マジでヤバかったです。
源頼朝公以来3代で途絶えた源氏将軍同様、
足利幕府も、民衆を熱狂させる平家の怨念に呑まれて、3代義満で滅亡か?と一瞬覚悟しましたw


同じサイエンスSARU制作『平家物語』履修の必須度については、

壇ノ浦の悲劇の共有→ヘイケカニの“顔”にまで現れる怨念を実感。
テクノ、ロックをアレンジするフリーダムな劇伴→犬王パフォーマンス受容への助走。
主人公びわを通じた語り継ぐことの重要性→語り継がれた平家物語が時代を揺るがす脅威。

など事前視聴しておけばメリット大なので是非といった感じです。

投稿 : 2024/11/30
♥ : 27
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

花と亡霊

サイエンスSARU制作。

南北朝の時代、世阿弥と人気を二分した、
能楽師犬王と、盲目の琵琶法師友魚の物語。

犬王につられて踊る、手拍子し、客も舞う、
異形の存在たる犬王が躍動する様が描かれる。
盲目の友魚は、琵琶の音色で舞台を盛り上げる。

聴き取れない小さな声に反応すること、
歴史を学ぶとはそういうことかも知れない。

{netabare}彼らは全国を歩き、その土地の物語を拾う、
過去の亡霊の無念の声を聴き、音楽にして舞う。
自分たちがそこにいたことの証明である。
その物語を伝えることが弔いなのでしょう。{/netabare}

平家物語とは鎮魂の物語でもあるのだ。

やがて生き様が、文化・芸術となり、
表に裏にと、その物語も継承されていく。
留まり続けることなく変化を続けていく。

犬王、彼はある時代、民を熱狂させたのだ。

投稿 : 2024/11/30
♥ : 22

ひろたん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

この作品は、まったくもって「能」そのもの

「能」と言うのは、結構面白いと思います。
以前、解説付きで「隅田川」と言う演目を観ました。
話が分かった後にもう一度その演目を見るとあることに驚きます。
「能」は、「能面」をつけて演じます。
「能面」と言えば、無表情の代表のようなものですが・・・、
実は、話がわかると、場面によって、笑っていたり、泣いていたり・・・。
ぜんぜん無表情なんかではなく、とても表情豊かなのです。これにはびっくり。

能面をつけるのは、基本的に「人ならざるもの」を演じる主役(シテ)です。
観客は、この人ならざるものを通じて世界を見るのが能です。

また、能の主題は、人ならざるものが主役であることから悲しみや恨み等で暗いです。
そのネガティブな感情をベースにクライマックスに向けて盛り上げていきます。
そこに「囃子方」が奏でる音楽と「地謡」の合唱が次々に重なりそれを引き立てます。
能とは、ある意味「高揚感」を楽しむものです。
そして、最後には、なんとも言えない切なさで終わります。


実は、この犬王は、まったくもって、「能」そのものでした。

主人公の犬王は、異形として生まれ、ひょうたんでできた「面」をつけています。
そして、序盤では、その「面」越しに見える世界を表現する演出がありました。
そうです、「能」と同様、観客を主役(シテ)が見ている世界へといざなったのです。

また、この物語では、途中からはひたすら舞と謡と音楽です。
「能」と同様、クライマックスにむけてひたすら「高揚感」を演出します。

若干、「謡(うたい)」が単調かなと思わなくもありません。
でも、これは、「能」。
そう思うとなぜか許せてしまいます。
むしろ、聴きやすい今風な「歌」ではだめなのです。
なぜなら、「能」へのリスペクトが無くなってしまうからです。
あくまもで「歌」ではなく、「せりふ」を兼ねた「謡(うたい)」なのです。


また、「能」で一番大切な考えがあります。
それは、「全ての舞台は一度きりの出会い」と言うことです。
つまり、観客もその舞台に出会えるのは、一度きりなのです。
これを、『一期一会』と言います。
それは、まるで本当の出来事がそこで起こっているように演出するためだそうです。
ですので、つける面もその日に決めますし、同じ演目も連日では行いません。

この物語でも犬王の各演目は、ある理由で一度きりしかできませんでした。
やはり、この作品は、「能」なのです。


■まとめ

「能面」とは、「人ならざるもの」の象徴です。
最後、「面」をつけた主人公の犬王は、どうなってしまうのでしょうか?
観てのお楽しみです。

この作品に興味がわいた方は、一度、「能」にも触れてみてください。
すると、この作品は、「能」の大切なものがすべて入っていることに気づくはずです。
そして、もっとこの作品を楽しめると思います。

投稿 : 2024/11/30
♥ : 22
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