人生アニメ映画ランキング 3

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の人生成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2025年02月02日の時点で一番の人生アニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

64.2 1 人生アニメランキング1位
カラフル-Colorful(アニメ映画)

2010年8月21日
★★★★☆ 3.5 (413)
1779人が棚に入れました
死んだはずの“ぼく”は、プラプラという天使らしき少年から“おめでとうございます。あなたは抽選に当たりました”と話しかけられる。大きな過ちを犯して死んだ魂のため輪廻のサイクルから外れてしまうはずだったが、再挑戦のチャンスが与えられたというのだ。そして、自殺したばかりの中学生“小林真”の体を借りて、自分の犯した罪を思い出すため下界で修行することに。ところが、父は偽善者で、母は不倫中、そして自分をバカにする兄とは絶縁状態という最悪の家庭環境。おまけに学校でも、友だちがひとりもいない上に、秘かに想いを寄せる後輩ひろかが援助交際をしていた事実を知ってしまうなど、まるで救いのない日々だった。そんな中、真の体に収まった“ぼく”は、真っぽくない振る舞いで周囲を困惑させてしまうのだが…。
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

今立っている位置から見えるものとそうでないもの

「おめでとうございます!あなたは選ばれました!」
「あなたはもう一度人生をやり直せるのです。」

ひとつの人生を終えた魂が今まさに輪廻の輪から外れようとしているときにそう言われた。
なんでもその魂は生きているときに「過ち」を犯したらしい。
その償いだとかなんとかでまあいわば全く知らない家族の中でホームステイをするわけだ。半年ほど。
その魂が入る身体の主はもうすぐ死ぬらしくその交代で入るだとか。
「小林真」その身体を示す名前だった。
小林家の家族構成はこう。
4人家族で人がいいだけが取り柄の父、家庭に不満を抱え、さらにちょっと前まで浮気をしていた母、
大学受験真っ最中で弟とは疎遠な兄、そして自殺した中学3年生の弟小林真。
これから6か月間、その魂はこの家族と一緒に生活し自分の「過ち」を見直さなければならない。
もちろん彼自身もよりにもよってこんな家なのかと辟易した。
学校生活も同じようなものだ。
小林真が自殺を図ったのだから当然白い目でみられてしまう。
居場所は美術部の部屋の特等席だけだった。
そこには話す相手もいた。小林真の恋憧れるあの人も。
小林真が描いた絵を自分の目の前に置き、それを眺めながら思った。
「これから何をすればいいのだろう。」

自分ではない「自分」を生きること。
魂が小林真の身体に入ることで何が見えるのでしょうか。果たしてちゃんと意味があったのでしょうか。


個人的に好きな作品です。
設定が面白いですね。死んだ人間が他人の身体に入ってほんの少し人生をやり直す。
顔も体も声もその存在も他人ですから仮面の心理みたいなもので一種の「自由」が生まれます。
自分じゃないから周囲の人にどう思われてもいいや、みたいな。
個人の生活を俯瞰的に見つめることができるんです。確かに「見直す」にはすごく良い設定です。

作画も綺麗でした。
人は線を少なく、背景は細部まで描き込まれ、そして丁寧に。
不足はなく、過剰な部分もないその作画は、限りなく実写に近づけることで、物語をより現実的に語るためのすべとして良い働きをしていました。

この作品が投げかけてくることは直接的ではありました。
けれど、どこをどう拾い、どう感じるのかは人それぞれであるのが周知の事実。
おそらくこの作品はそれが顕著に表れるのではないかと思います。
魂が入った小林真が「答え」に行き着くまでの過程で描かれる内容は、
シリアスでいて、もっとも「ありそうなこと」なのでいろんな場面で様々なことを想うのではないでしょうか。
そんな気がします。


現実的効用のある映画でした。稀にみる良いアニメ作品です。
自分を見つめ直すということに一つ力を貸してくれると思います。


{netabare}

ひろかが可愛かったです。
たれ目でおっとり系。流行りのゆるふわ女子ですねw
でも真のたったあの一言で本当に救われたのでしょうか?
一度知ってしまった性の快楽と自分を高価なモノで着飾る高揚感と優越感は血肉を貪る強欲と化します。
拭っても取れないあざのようなしみは呪いのようで、その者の心を深くまで浸食し、
そしてそれは決して尽きることはなく、常に渇きに飢え、迷うことなく肉体と精神の破滅へ堕ちていきます。
ひろかが自分の「正しい」道を見つけるまでにはまだまだ時間がかかりそう。
抑えきれない内なる欲望とどう向き合うかなんて中学生にはいささか重き十字架です。
強すぎる性欲と物欲。その度合についてはかつて性欲に親鸞がそうであったようにコントロールできません。
しかし行動する前にそれらとどう向き合いこれから過ごしていくのかを考えること、
また危険な道を歩むというのならそのリスクをちゃんと知った上で行うべきです。
これらを考えることをすっ飛ばした行動を無鉄砲と言い、必ずどこかで馬鹿をみる羽目になります。
真は幸いにも自分で気づくことができたけど、せめてひろかにはひとり導き手がいても良かったのかもしれません。
本作では完全に更生とまではいきませんでしたが、なにかしら掴めたのなら彼女の救いにはなったのかも。
僕個人としては少し、ひろかに関しては解決はせず見放した感が否めませんでした。


ラストに向けて、目標に向かう真の姿は見事でした。
真がどんどん自分自身を掴んでいく姿を観たらそうあって欲しいとも思わずにいられませんでした。
せっかく自分が自分でいられる場所ができて友達もできて目標もあったのだから。


家族の描写は重いものでした。
親の苦しみ、子の苦しみ。
その両方がよく描けていたのではないでしょうか。
必ずしも全ての親が子を愛するわけではないですしその逆もまた然りです。
親や兄弟が自ら骨を折るようなことをしてくれるというのは愛の表れです。
だから結果的には、家族のことを大切に思えた小林一家は幸せだったのだと思います。
ただ彼ら自身も小林真の死を教訓としていますから今までのわだかまりがどちらが悪いというものではありません。
全て解決に向かったのはプラプラのおかげでした。「死」あっての、やっとの理解でした。
解けるべくして解かれたわけではないけれど、教訓として描かれた物語としてとても良い作品であったとは強く思います。

それと、いくつかのレビューでお見受けしましたが母親の浮気ごときで自殺はおかしいという意見。
これを平気で言える人は、人の気持ちを考えられない、想像力の欠けた人間だと僕は思います。
自殺それ自体を否定するなら話は別です。それは本作でも語られた。
ですが人の思い悩むことを自分のものさしだけで測り、蔑視するのはいかがなものだろう。
所詮、これはアニメの話ですし何を言っても差支えなんてものはありませんが、それによってあなたの人となりは伺えます。
小林真はギスギスとしたという一言には収まらないあまりにも複雑で問題を抱えた家族の中にいて、
学校には悩みを打ち明けられる人もただの1人もいず、美術部では隅に追いやられている始末でした。
状況を鑑みても何がその引き金になろうと決しておかしくはありません。
それに親の失態というのは子どもには、それがたとえ小さなことでもあまりにも大きく響くものです。
人はそれぞれに、それぞれの悩みを抱えます。年齢によっては悩むことが似て、すでに過ぎた者からすれば馬鹿馬鹿しい限りかもしれません。
ですが、当の本人の立場に立って、その苦しみを一生懸命に理解しようと努力し、
ものごとを考えようとしなければ、他人のことなんて絶対分かりっこないし人に優しくなんてできません。
人の弱い部分に寄り添うことができず、ましてやそれを上から目線で、自己中心的な考えで、
一般論を、または偏狭な自論を一方的にかざすようにはなってはいけない。
僕はそう思います。

あと観るポイントとしては設定の器用さではなく(僕は上手いと思ったけれど)、小林真がこれからどうするかだと思います。


{/netabare}

投稿 : 2025/02/01
♥ : 31
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

お、重たい・・・

 初見でした。2時間の社会風刺もの。
 社会風刺と少年の成長を扱った作品としては、比較的良い作品だと思います。

 とはいえ、残念な部分も多いですけどね。一部の声優さんとBGMは今一つでしたし、テーマをセリフでしゃべり過ぎていたような気もしました。脚本に関しては分かりやすさを重視していたのかもしれませんけどね。
 あと、アニメっぽさが希薄なのも気になりました。実写で作っても同じものが作れてしまいそうな感じはあります。アニメ映画ではありますが、日常を切り出したもの、という印象が強かったです。

 どこかで見たことがある作風だなぁ、と思ったら「河童のクゥと夏休み」と同じ監督でした。クレヨンしんちゃんシリーズも手掛けているようです。
 どちらも社会風刺の作品ですが、「河童のクゥ」が子供向けであったのに対し、こちらは中高生向け。少年の成長譚という共通点はありますが、世代にあったテーマを的確に取り入れているので、キチンと棲み分けはできていると感じました。

 この作品に限らず、社会風刺もの全般に言える少しの疑問があります。
 「河童のクゥ」は、人間と自然の対比を大枠として、友人関係における問題を踏まえながら「生」について考える、という小学生向けの作品です。
 一方、「カラフル」は、親子を中心とした家族観を大枠として、友人関係における問題を踏まえながら「生」について考える、という中高生向けの作品です。
 この二つの作品に関わらず、子供から思春期へと作品の対象を変えると、「世界」の描き方がスケールダウンしてしまうように思います。思春期に考えるべきことは、「自然」のような概念的な事柄よりも「コミュニティ」のような具体的な事柄の方が望ましい、ということなのでしょうかね。コミュニティにおける「自己」があやふやなっているときには、「自然」がどうのというよりも、まず「自己実現」すべきだ、ということでしょうか。

 そりゃそうだという思いがありつつも、大人向けの風刺作品も基本的には「自然」に触れずに「自分」を考える、というものが多いですから、一体どこで全体的指向から個人的指向へと転換されるのかな、と少し疑問に思った次第です。世代の問題ではなく、「自然」について考える作品の方が珍しい、という単純な答えなのでしょうかね。

 この作品の社会風刺部分は、非常に重たく感じました。明るくポップな作品でも見ようと思っていたときに、タイトルのみでレンタルしたせいもあるのですが、見ている最中は非常に陰鬱な精神状態で、期待とのギャップもあり少し参ってしまいました。


風刺内容(ネタバレ注意):{netabare}
 いじめを受けていた。好きな子が援助交際していた。お母さんが不倫していた。自殺した。

 環境への嫌悪が生への嫌悪となって、自殺をしてしまった男の子が主人公です。もちろん自殺エンドではなくて、そこからスタートして立ち直るまでが描かれていますので、救いがないわけではありません。
 で、その立ち直り方なんですけど、唯一の友達を見つけて同じ目標に向けて頑張る、というものです。その視野の広がりが、周囲への許容をもたらして「自分の生をがんばろう」になる。

 常々思うのですが、友達ができない、または、できにくい環境にいる子に対して、「友達ができれば大丈夫」というのは解決策として成立しているんですかね? 環境から拒絶されている子に対して、「自発的に目標(受け入れられる環境)を見つければ大丈夫」というのも解決策なんでしょうか? 外部から救いの手を差し伸べることは難しくて、やはり本人の意識に頼らざるを得ないのでしょうか?

 この作品で提示されている解決策に関しては、「理想的な解決策」であって「現実的な解決策」ではないのではないかと思ってしまいました。上手く言えませんが「思春期の子が見たい、見るべき作品」というよりは、「親や教師が見せたい作品」であるように思えました。

 ただ、これをこの作品についての悪い点として挙げる気にはなりません。おそらくこの作品を見た方は、その方の経験をベースに独自の批判を展開し、独自の感想を述べるのだと思います。結局載せないことにしましたが、私もいろいろと考えさせられました。
 つまり、見た人に検討を促している時点で、社会風刺作品としては成功しているんだと思います。こういう問題に普遍的な解決策を提示することは、なかなか難しいですからね。これで良いんだと思います。
{/netabare}

食事と絵画:{netabare}
 この作品における象徴物です。
 特に難しい描き方はされていませんので、やや意識的に見ればいい、程度のものです。
 どちらかといえば、食事の方が登場回数も多く、メリハリがあったかな。
{/netabare}

プラプラ:{netabare}
 主人公の案内人のような役割です。あまり好きにはなれないキャラクターでした。
 視聴している最中は、主人公が内的に生み出した「イマジナリーフレンド」のようなものかと思っていたのであまり気にしていませんでしたが、エンディングではそれとは別物であることが明かされていました。
 過去に主人公と似た境遇にあったと言う割には、主人公への態度や物言いが理解しがたかったです。
{/netabare}

対象年齢等:
 中高生向けです。
 中高生向けなんですが、その割には少し表現が子供っぽ過ぎるような気もしました。難しい表現はほとんどなく、中高生を子ども扱いしすぎているようにも思えました。個人的には、中高生をあまり子ども扱いせずに、少し背伸びさせるくらいの方が良いと思っています。そこは少し残念かな。

 大人が見る必要性は薄いのかもしれませんが、やはりいろいろと考えさせられるとは思いますよ。そういう意味では、必ずしも中高生向けではないのかもしれません。少なくとも私は見てよかったと思いました。

 正面から社会風刺に取り組んだ作品はあまり多くないですから、まずは「河童のクゥ」か「カラフル」に手を出すのが良いのではないでしょうか。批判的な事柄も書きましたが、見るべき作品だとは思います。

投稿 : 2025/02/01
♥ : 4
ネタバレ

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

世界があまりにもカラフルだからこそ、僕が僕であるために。

 パッピーエンドです、と最初にそう言ってしまう意味があり…。

生前の罪により、輪廻のサイクルから外されたぼくの魂。だが天使業界の抽選にあたり、再挑戦のチャンスを得た。自殺を図った少年、小林真の体にホームステイし、自分の罪を思い出さなくてはならないのだ。真は絵画きが得意で美術部に所属し、中一で虐めを受け、自分の世界に籠り、友達はいない。やがてぼくは、真が父親を軽蔑し、兄に軽蔑されていて、母の不倫を目撃し、想いを寄せる後輩のひろかの援助交際を目撃したことが自殺の原因だとわかる。どうせ真の人生だし、好きで下界へ来たわけじゃないし、と軽く見ていたぼくは、やがて真を取り巻く人たちの欠点や美点が見えてくるようになって、人の様々な彩色の真実へと、またぼくと真の真実に気づいてゆく…。

 ストーリー序盤で、或いはあらすじで大凡の終幕展開を察する人がいるだろう。しかし私は、この作品を察して結構な物語なのではないのかと思っている。それは、自殺という題材が重くのしかかった先の、生前で罪を犯した〈ぼく〉が、或いは自殺を犯した〈真〉が「ぼくは生きてます」と言うまでの主人公の心の変化を、希望を持つ瞬間を期待させるからだ。そして「それ(ぼくが犯した罪を認識すること)」だけが本作の全てではないと確信している。察する通りなら一辺倒だな、という予測は幕切れ方では的中かもしれないが、別の意味合いで見事に裏切ってくれる。
 「おめでとうございます、抽選に当たりました!まさにラッキーソウルです!」軽薄な天使の言葉から始まる本作の日常活写には、小林真が浮動する思春期の世界が発見できる。絵描きが得意で、中一で虐めを受け、自分の世界に籠り、鬱的に嘔吐を繰り返し、美術室と家族が拠り所の中で、母親と想いを寄せていた後輩の酷な真実に遭遇し、無念もないまま自然な心持ちで睡眠薬を多重服用した。生きることなんかよりも、死ぬほうがずっと楽で魅力的に思えた。 ぼくは生前に犯した罪を解釈する為に自殺した小林真の体のホームステイし、(例えてドラえもんのもしもボックスのように)真がもし死んでいなかったらの世界を、そこでは飽くまで真の代役として体験する。そして、真が自殺を図ったという事実がもたらす出来事と、当の本人にぼくという別の人格が入ることから、変貌していく真の・周囲の人の心の、”色”。変化することで物事の角度が変わり、またそこから明かされる色の違う真実。自殺志願者へのメッセージなどではなくて、カラフルという名の日常を、飾らずに伝える。ここにあると思う。

 人生とは、気づいていそうで気づいていないことが、案外たくさんあるものだ。その気づいていない場所で、自分が誰かを救ったり傷つけたりしていることもまた、思っているよりもちょっぴり多めにあるものだ。小林真の数少ない周囲の人の、そんなことが、自殺したという事実と別人格の真(ぼく)という出来事から明るみに出る。そんなことに、ボクが気づいたとき、ぼくから涙が溢れると、プラプラが現れる。「泣いてるのか?」なぜ小林真が聞くべき言葉を(真実を)僕が聞いているんだろう。「ぼくじゃない。真の涙だ」そうして、ボクのなかにあった小林家のイメージの色合いが最初は黒一色だったのが、よく見るといろんな色が含まれていた。黒もあれば白もあり、赤も青も黄色もあって、角度を変えれば青と黄色から緑が生まれたり、明度も変わり、綺麗な色から醜い色まで、どんな色だって見えるようになる。
 感受性の鋭い少年少女を知る平凡さに悩む親世代(母親という存在)も、良心を抱くが故に察しが鈍く心情を捉えにくい陳腐な大人(父親)も、思索もせずにその機械的な学習能力で下方を見下す学生(兄)も、精神の脆さから心の移り変わりがめまぐるしい多彩な思春期の少女(ひろか)も、他人の持つ世界に憧れを持ち自分の世界を見出そうとする若人(唱子)も、非凡の孤独を身に憶えもどかしくも平凡を求める人(ぼく)も、誰もが人並みに変わっていて、傷もので、それが普通なのだ。私は普通でもいいんだと、誰もが自分の色を持っていて、誰もがその自分の彩りを表現している。だからこそ世界は限りなくカラフルで、人混みに惑わされて本当の色を自分の色が分からなくなることも時々ある。
 著者の森絵都さんや、監督の原恵一さんからのメッセージはここらへんにあったのだ。この多彩な世界。あまりにもカラフルすぎて、自分がわからなくなる世界。僕が僕であるために、私の色であるために、色に塗られて生きてゆこう。例えそれが何のためだか分からなくとも、カラフルが何より綺麗なのだ。

 小説の最終頁から先に文字がないのをみとめた時、映画館の退場ゲートを通った時、抱えているもどかしい様々な不安が和らいで解消に向かっていることを理解出来た。
 本作のイメージソングが、尾崎豊「僕が僕であるために」(カバーはmiwa)であることが、少しハマりすぎていると思うのは私だけだろうか。

映画に対する著者のコメントが好印象に載っていたので記載。
《 原監督は魔法のように〈ふとした瞬間〉を掬いとる。
友達同士のじゃれあい。他愛の無い冗談。
気になる誰かの笑顔。なにげない約束。
振り向くといつもそこにある眼差し。
この映画を観た人は、
私たちの日常がそんな〈ふとしたものたち〉に支えられ、
カラフルに彩られていることに気づくだろう。 》


以下、評価に対するメモ。
{netabare}
・BGMが盛り上げない場面で盛り上げる。
・佐野唱子役の声優・宮崎蒼さんが上手。
・キャラが背景にとけこめないシーンあり。
・声優のブレは後々良くなるところあり。{/netabare}


あらすじ、原作小説の紹介文、参考、加筆。
2013.8.4「「世界は君が思っているよりもずっとcolorfulだよ」という「意見」であると感じる」投稿。
2014.3.28「世界があまりにもカラフルだからこそ、僕が僕であるために。」更新。

投稿 : 2025/02/01
♥ : 26

66.7 2 人生アニメランキング2位
つみきのいえ(アニメ映画)

2008年10月4日
★★★★☆ 3.7 (223)
959人が棚に入れました
海面が上昇したことで水没しつつある街に一人残り、まるで「積木」を積んだかのような家に暮らしている老人がいた。彼は海面が上昇するたびに、上へ上へと家を建て増しすることで難をしのぎつつも穏やかに暮らしていた。ある日、彼はお気に入りのパイプを海中へと落としてしまう。パイプを拾うために彼はダイビングスーツを着込んで海の中へと潜っていくが、その内に彼はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく。

声優・キャラクター
長澤まさみ

マスルール♪ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

【ネタバレ有】「セリフが無くても心に染みる、“短編アニメーション”作品!」

 

 この作品は、前々から観たいと思っていた作品で、以前に“アカデミー賞”だか“カンヌ国際映画祭”だかで、賞を受賞していたことを知っていたので、かなり期待して観始めた―。



 では早速、レビューに移るが―、「費用対効果」みたいな感じで、「時間対面白さ」なんてものがあるとしたら、この作品は、間違いなくNo.1の作品だろう―。

 「費用対効果」とは、最近で言う“コスパ”(=コストパフォーマンスの略)のことなのだが…、費用が安く、効果が高いほど、コスパが高い(=良い)…という訳である―。
 なので、「時間対面白さ」なんてものがあるとすれば、時間が短く、より面白いほど、評価が高いということになる―。


 ではなぜ、この作品がNo.1かと言うと、まず何より、分母にあたる“時間”が、わずか“12分”しかないということである―。

 分類としては「短編アニメーション」に分けられるのだろうが、勘違いしないでほしいのは、「時間対面白さ」が高い作品ほど、素晴らしい作品だと言っているのではない―。
 例えば、“上映時間が30分で面白さが100の作品”と、“上映時間が1時間で面白さが200の作品”では、「時間対面白さ」としては同じだが、“後者”の方が傑作に決まっている―。


 なので、この作品の「時間対面白さ」が高いというのは、それは、上映時間が短いのが理由だろう、と思うかもしれない…、が、そうではなく―、
 この作品は、どの作品よりも“時間が短く”(=分母が小さく)、かつ、他の名作・傑作と呼ばれる作品たちと同じくらい“面白い”(=分子が大きい)…、そのため、「時間対面白さ」がNo.1なのである―。



 (ちなみにだが)、さっきから「面白い」という表現を使ってしまったので、ここでも「面白い」と言わざるを得なかったのだが、“愉快”や“笑える”という意味での「面白い」ではない―。

 むしろ逆で、わずか12分のうち半分以上の間、泣いていたような気さえする―。この作品は、観ていて“何故か”涙が流れてくる…そんな表現が相応しい、“心に沁(し)みる作品”である―。



 では少し、“物語”の内容を見ていくが…、この作品の凄いところは、“セリフが無く”、“映像とBGMのみ”によってストーリーが進んでいく…、という表現方法を使っており、それが、これ以上ないほど、“観ている視聴者に委ね、感じさせること”に成功している―。


 物語の舞台は、“水に沈みゆく街”で、そこに住む主人公の“老人”が、“積木を積み上げたかのような家”で暮らしているというお話―。

 “地球温暖化”をモチーフにしているため、“海面上昇”によって、昔住んでいた家や街が、海の下に沈んでいく…、ということに“警鐘を鳴らしている”のだが、この作品(の監督である“加藤久仁生(かとうくにお)”さん)の凄いところは、本作をただの“環境問題を提唱するだけの作品”にしなかったということにある―。



 (ここからは、wikiの説明が非常に良かったので、そのまま抜粋させてもらう…)


 ―加藤は、脚本家の平田研也(ひらたけんや)より、「地球温暖化がモチーフなのだから、もっと環境問題としてアピールすべきだ」というアドバイスを受けたが、加藤は、「そういうことではなく、どんな過酷な環境にあっても、人は生きていかねばならない、ということを描きたかった」と主張を貫いた―。
 
 加藤は、「主人公である老人の生活を、淡々と描くことで、“人生”というものを“象徴的に”表現しようと思った」と語っており、「観た人たちが、“人生の中で大切にしているもの”や“過ぎ去ってしまったもの”に対して、どのような“姿勢”をとるのか考えるきっかけになる作品にしたかった」と述べている―。


 この説明を聞いただけでも、“加藤監督の能力の高さ”や、この作品の“本質”を理解できるのだが、この加藤監督の“頑なな信念・こだわり”によって、結果としてこの作品は、“アカデミー短編アニメ賞”を受賞した初の邦画作品となった―(他にも、国内外10の映画祭で14の賞を受賞している)。



 ただこの作品を、他の作品たちと“同じように”このサイトで評価するのは、非常に難しいと思う―。


 なぜなら、(前述したとおり)、この作品は、“セリフの無い作品”であり、音楽も主題歌や挿入歌はなく
“BGMのみ”である―。
 なので、セリフが無いのだから“声優”の評価は0、主題歌・挿入歌が無いのだから“音楽”の評価も低い…、とすべきかと言えば、それは少し“短絡的”なようにも思う―。


 声優(セリフ)や音楽とは、あくまで、その作品を良くするための“付属的な価値”なのであって、ただあれば良いというものではない―。
 この作品においては、間違いなく、セリフや挿入歌が“無いこと”によって、“良い意味での付属的価値”が生まれている―。

 なので、このサイトの評価における“声優”や“音楽”も、作品全体を通しての“統一性”という意味で、
“無いことによる高評価”で良いのだと思う―(が、これはあくまで自分の考え方なのであって、声優がいないのだから評価は0としても、それはその人の受け取り方次第だと思う…)。



 時間が短くて面白い…。観る側としてはこれ以上ない“助かる作品”なのだが、環境問題を訴えたかったら、ただ「NO!」というだけでは意味がない―。

 そこに一つの“物語”を作ることによって、本当の意味で、観ている人たちの心に投げかけることが出来る―。
 加藤監督は、そんな人や物事の“本質”をしっかりと理解している―。

 この作品を観て、その経緯を知っただけで、本作だけでなく、“加藤久仁生”という一人の監督に、興味を持っている自分がいることに気付いた―。


 (終)

投稿 : 2025/02/01
♥ : 4
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

豊かな人生とは何かを考えさせられました。

 初めは押しつけがましいCO2の環境問題警鐘のアニメかと思いましたが、ちょっと違いました。そういう要素がなくはないですが、一人の男の人生を振り返る話でした。まあ、鉄拳アニメの巻き戻しバージョンといえるかもしれません。

 温暖化で水面が年々上がってゆくために、もとの家の上に家を重ねてどんどん高くするという設定を上手く使って、男は落ちたパイプを拾うために潜ることで、疑似的に時間旅行をするわけです。この演出というか発想が素晴らしいアニメーションでした。なお、セリフはありませんでした。
 昔見た、核で死んでゆく老夫婦のアニメ…イギリスの…名前わすれましたが、ああいう感じかなあと思っていました(「風が吹くとき」でした)。雰囲気は似てますが、全然内容は違います。

 本作の主人公は、老人で独居しています。寂しく見える単語です。ですが、本作はハッピーエンドでした。 {netabare}生まれ育った村が、初めて奥さんと暮らした家は水没しています。でも、彼は自然の中で奥さんと出会い、愛し合い、結婚し、娘を作り、元気に育ち、娘は結婚し家を出ます。奥さんと2人きりの生活は介護でした。そして死別。でも、最後男は、いなくなった奥さんを偲んで、思い出のワイングラスで乾杯します。 {/netabare}

 人生における最高の終わり方だと思います。配偶者より先に死んだほうが幸せかという議論がありますが、これはそういう問題ではないと教えてくれます。2人で過ごした人生があったから、送る方も送られる方も幸せだということです。

 拝金主義または自分に都合のいい権利だけ主張する人権主義では、おそらくこの幸せはわからないだろうなあ、と思います。彼は家族を持ち人生を送ってきました。ただ、そのことが彼の生まれた意味だったわけです。

 これ以上言うと思想的な話になりますし、もっともっとこのアニメーションについては語れることはありますが、これくらいにしておきます。

 本作はたった12分の話ですが、一人の男の幸せな人生を見せてくれる素晴らしい作品でした。

投稿 : 2025/02/01
♥ : 3

でんでん虫 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

歳月流るる如し

 この話は確か絵本で読んだ記憶がある。高校生の時にだが。テレビかなにかで話題になっていて、学校の図書館に置いてあったから手に取ったのだと思う。他にも『はらぺこあおむし』とか『スイミー』なんかも読んだのだが、もう話は忘れてしまったな。

 住む家が海に沈んでいく中で、家を積み木のように建てて暮らしているおじいさんの話。よほど愛着があるのだろう。
 ある朝起床すると浸水しており、おじいさんは今住んでいる家の上にまた家を建てようとする。しかし荷物を運んでいる最中、大事にしていたパイプを海中に落としてしまう。おじいさんは潜水服を着て潜って取りに行き、以前使っていた家をみて思い出を回想していく。

 潜っていくとピラミッド状に家は拡がっていく。まだおばあさんが元気だった頃、まだ娘が結婚する前の頃、まだ妻と娘3人で暮らしていた頃、そして一番下に着く。だが一番下の家は一番広いわけではない。その頃はまだ妻と二人だけだったので小さな家だ。この家の土台は小さくても二人の男女の出会いから始まった、とても頑丈で大切なもの。だからおじいさんの決意は固い。徐々に狭くなっていく家に一人でずっと暮らし続けることだろう。

 今は核家族化が進んでいるから、じいちゃんばあちゃんと住んでいる世帯はあんまり無いだろう。代々子孫がその家に住んでいけばいいんだろうけど、やはり仕事を得るためにはそうもいかない。田舎に親と家だけが残されていく寂しい時代。
 私の地元も過疎化が進み子供がどんどん減っている。老人の孤独死もざらにある。もう嫌だよそういうの見るのは。都市化ってどうなの?本当にこれでいいのか。

■その他
・家族他にもいたかも。
・海面上昇=時間の経過?
・孝行のしたい時分に親はなし
・絵だけで人は感動できるものだな

投稿 : 2025/02/01
♥ : 5

68.3 3 人生アニメランキング3位
しわ(アニメ映画)

2013年6月22日
★★★★☆ 4.0 (20)
266人が棚に入れました
かつて銀行に勤めていたエミリオは、認知症の症状が見られるようになり、養護老人施設へと預けられる。同室のミゲルは、お金にうるさく抜け目がない。食事の時のテーブルには、面会に来る孫のためにバターや紅茶を貯めている女性アントニアや、アルツハイマーの夫モデストの世話を焼く妻ドローレスらがいる。施設には様々な行動をとり、様々な思い出を持つ老人達が、日々の暮らしを送っている。そして重症の老人は2階の部屋へと入れられることがわかる。エミリオはある日、モデストと薬を間違えられたことで、自分もアルツハイマーであることに気づいてしまう。ショックで症状が進行したエミリオは2階へ送られる日も遠くない。そんなエミリオのことを思い、ついにミゲルはある行動に出るのだった...
ネタバレ

大滝政人 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

Arrugas

いやぁ、おそれいりました。
お見事としか言い様がありません。
観よう観ようと思いつつも、
ずっと後回しにしていた私のアホウ。

私の様に若者と呼ぶには苦しい年齢の人は、
いずれ観ておきたい作品ですね。

自分の親や自分自身が体験するかもしれません。

とは言え本作から老後の対策指南を…
という感じではないです。

登場人物の一人が老人ホームの事を、
悪く言ったりもしていて、
あながち間違いではないのだろうが、
施設側の人に悪意はない訳でして、
施設に入居した者ゆえの考えなのでしょう。
ただ、何かしらの娯楽は持ち込んだ方が良さそうです。

私も老後は人に迷惑をかけない為に~
なんてカッコつけて施設に入りますが、
本作の様な二階には行きたくないと思うだろう。

これまでの人生で強く残る記憶の断片が、
重度の症状が来た時の糧として、
吉とも凶とも出るのかもしれません。
それをどちらか決定づけるものは、
やはり人の支えと支えられる心の有無かと。

本作の様な老後は重くのしかかりますが、
重いと言ってもクドすぎずアッサリしすぎずの、
絶妙な加減の作品なので比較的、観やすいでしょう。

BD版だけの特典とかは、なさそうなので、
購入の際はDVDでも問題ないとは思います。

色々と書きましたが一番、重要なのはココ。
耳が遠いジジイは最高である…コレだぁ!
このジジイが本作の全てなの!
他のオマケ要素はネタバレにでも追い払っておきますね。

{netabare}
本作を観ていくと考えるであろう窃盗の件ですが、
靴下ごときが盗まれたと騒ぎ出すのには、やられます。
靴下の中にブツが入ってますけど、
時計を隠す時には財布を発見しているはず。
エミリオは病魔に蝕まれ、そして結果的に、
人は思いたい様に思う悲しい生き物なのか…

靴下ってところがサンタクロースを強調してる様で、
ミゲルの身になると、なんとも切ない。
エミリオが口にしていた「落第」って言葉が頭をよぎる。

一応、言っておきますけど、この靴下…
前にミゲルの靴下がタンスから出てきますが、
これだけでは彼の物だったと判断できないですし、
エミリオは水泳の時しばし靴下を履いています。
はっきりと見れるのはミゲルの靴下の方で、
ベッド下の靴下とはデザインが違います。
黒い靴下なんて言われても他にも持ってるかもしれませんが、
ミゲルの靴下であるという伏線は張られてないと思うので、
エミリオの靴下である可能性の方が高いです。

ちなみにエミリオはミゲルの事を、
マヌエルと呼ぶ時がありますが、
この件についてはブックレットに書いてあります。

あと本作の音声はスペイン語のみなので、
字幕について書いてみよう。
日本語以外さぱーりな私にも分かりやすく、
適切な翻訳をしているのだろうと感じました。
しかし「長いお別れ」と「インチキね」は少々気になります。
より適切な言葉が日本語にはあると思いますが、
あえて、そのまま翻訳したのかもしれませんね。
各々の脳内で変換する事としましょう。

それにしても表現の自由とは言え、
フェリックスのチェーンソーの様なイビキとやらが、
実際に回想シーンとして、ない…だと!? 残念だ。

----追記----

やっぱり書いときますね。
靴下についてです。

財布と時計を隠す理由はミゲルに盗られない為。
エミリオは隠した事を忘れている。
ミゲルが発見した黒い靴下はエミリオの物。

そして盗まれたとエミリオが騒ぐ順番は…

財布がない。
 ↓
時計がない。
 ↓
靴下がない。

です。これらを踏まえた上で…

エミリオは最初に財布を隠す時から、
靴下を使用して隠していたと考えてみます。

財布がない、と騒いでから時計を隠すまで、
それなりの日数が経過します。

つまり何が言いたいかと申しますと、
時計を隠す前に靴下がない、と騒いでしまうのでは?
という問題が出てくるからです。

経過する日数の数がエミリオが所持している、
靴下の数より少なければ問題なかったりします。

財布を隠した次の日に財布がない、と騒ぐ。
 ↓
財布がない、と騒いだこの日に時計を隠す。
または数日、経過後に時計を隠す。
 ↓
時計を隠した次の日がクリスマス。
 ↓
クリスマスの日に時計がない、と騒ぐ。
 ↓
その後、所持している靴下を履く事が1サイクルし、
黒い靴下がない事に気づき靴下がない、と騒ぐ。
 ↓
問題なさげ。

数日と書きましたが、たとえ1~2日ほどの経過でも、
毎日、靴下を履き替える事まで考慮しますと、
エミリオの靴下の所持数は多いと考える事になります。

実際はミゲルの伸びた髭が決定打となり、
かなりの日数が経過している事が分かります。
その結果、この説のままでは問題を回避できません。

そんな訳で深く病魔を吟味して解釈します。
アルツハイマーの説明は省きますが…
エミリオは同じ靴下を何度も履いたりして、
隠すのに使用した靴下を履こうとするまでに、
なかなか辿り着けなかったという事です。
靴下のサイクルが正常にできていない。
したがって最後に黒い靴下がない、
と騒ぐ事になるのは特に問題ありません。
(以下この説を「サイクルの説」と書きます)

大滝のアホウは、いったい何を言ってるんだ?
とか思われそうですが、その通りである。
フハハハハハ! 自爆してやったぜ!?
とかノってもみましたが、まぁ最後まで読んで下さい。

エミリオは少し前の事すらも忘れたりしてます。
忘れる事柄を選ぶ事もできはしないのです。
たとえエミリオ自身が靴下を洗濯していたとしても。
この病魔は日に日に悪化していきますが、
そもそも本作が開始した時から、
すでに軽い症状とは言えない状態です。
エミリオは老人ホームに入居してからも、
銀行の支店長を演じている事でしょう。
あの手この手で本作はエミリオの病魔を描きます。
単にテンポが良い作品ではないのです。

補足しますと…

財布と時計を隠す時に1組の靴下の、
片方づつを使用した場合は問題が出ます。
財布を隠した時点で、もう片方が残ってしまいます。
時計を隠す時に片方だけ残った靴下を使用する為には、
分かるところに避けておく必要があります。
なぜなら忘れてしまうのに使用するからです。
その後、財布を隠した事を忘れたエミリオは、
この片方だけの靴下の存在に気づいたが、
時計を隠す前に靴下がない、と騒がないどころか、
不思議に思いながらも片方だけの靴下を使用して、
時計を隠そうとする…という行為(思考)は、
いくらなんでも不可解です。

この奇妙な問題を回避する解釈は…
エミリオはブツを隠した事は憶えているが、
それをどこに隠したかは忘れてしまった、
という内容に変化させるしかありません。
しかしこれだとミゲルとのケンカの件を、
行き場のない自分への怒りをミゲルにぶつけてしまったと、
やや強引に説明ができても、この説明のせいで、
ミゲルの持ち物を調べる事までは、
説明できなくなって詰んでしまいます。

よってエミリオは1組の靴下を使用して財布を隠し、
他の1組の靴下を使用して時計を隠そうとした時に、
財布と1組の靴下を発見したので、
(この時、自分で財布を隠したであろう事を、
理解しますが時計を隠した後ほどなく忘れる)
1組の黒い靴下の方に財布と時計を入れ、
もう1組の黒い靴下じゃない方(どんな靴下かは知らんが)は、
回収した事になります。

それと単純にブツを隠した次の日にはブツがない、
と騒ぐはずなのに少なくとも時計を隠す前に靴下がない、
と騒がないのは、おかしい…とは考えない事とします。
隠すのに使用した靴下は履こうとするまで気づかないかと。

そう…履こうとするまで気づかない…
時計を隠す前にエミリオが突然、
「あの靴下でキメるぜ?」とか思ってしまったら、
この「サイクルの説」も崩壊します。

レアケースとは言え、これすらも回避したい場合、
または靴下を履くサイクルを何週もさせたい場合は、
エミリオのボールの件を主張する事です。
隠すのに使用した靴下の存在そのものを忘れた後に、
その靴下を都合よく最後に思い出して靴下がない、
と騒いだという、ただの運に頼った回避になりますが。
(以下この説を「ボールの説」と書きます)

「サイクルの説」に「ボールの説」…
どちらもスッキリしないので、
「靴下を隠す説」に移行します。

財布を隠す(単品)
 ↓
時計を隠す(財布と一緒)
 ↓
靴下を隠す(さらに財布と時計を靴下に入れる)

これなら全ての問題を回避可能です。
ただ、サンタ要素は薄まります。
靴下を使用するのがクリスマスすぎちゃってますから。
まぁイベントがあったからこそ、
隠す物がなくなったエミリオは、
靴下ごときに目が留まる訳ですけど。
エミリオの衣類は、それなりに高価な物でしょうが、
その中で、あえて靴下が選ばれる。

靴下を隠す理由はミゲルに盗られない為ではなく、
エミリオ自身のテスト(トレーニング)となります。

ついでに言っておきますと、
黒い靴下はミゲルの物であると解釈する場合。
ミゲルの持ち物を調べるのは、
時計がない、の後であり、
靴下を盗むのは靴下を隠す当日です。
(隠す直前が望ましい)
ブツを単品で隠したのではなく、
エミリオの靴下内にあったとした場合は、
結局は「サイクルの説」か「ボールの説」と、
ミックスする事になります。
ミゲルの靴下を隠す時にエミリオの靴下を、
回収するという事です。

エミリオがミゲルの靴下を盗む理由は、
盗まない時(要は隠す理由)と変わりませんが、
盗んだ方が意味あいは強くなります。
誠実なエミリオにとって窃盗なんて行為は、
脳裏に強く刻まれる事と理解しているからです。

では、そろそろ屁理屈はやめて、
真面目な説を書きますね。
ここまでくれば私の答えは出てるも同然です。

財布だけを単品で隠した次の日に財布がない、と騒ぐ。
 ↓
かなりの日数が経過した後に時計を隠す。
この時に発見した財布もエミリオの黒い靴下に入れる。
靴下を使用する事を思いつく理由は、
次の日がクリスマスであり、
隠すべきブツが2つになったからです。
 ↓
時計を隠した次の日がクリスマス。
 ↓
クリスマスの日に時計がない、と騒ぐ。
 ↓
その後、所持している靴下を履く事が1サイクルし、
またはエミリオ自身が靴下を洗濯しようとし、
もしくは黒い靴下でキメたくなり、
黒い靴下がない事に気づき靴下がない、と騒ぐ。
 ↓
問題なし。

これが私の本当の解釈である。
前置きが長くて、すみません。
先に他の説の分析を書いた方が、
納得してもらえるかなと思い書きました。

エミリオが水泳をするエピソードは、
監督さんの手腕によるオリジナルのものですが、
履いていた靴下は水中だから詳細に描きはしない…
という事で同じデザイン(同じ黒い靴下)とは決定できません。
まったく違う靴下を見せても仕方ないですし。
なんとも憎らしい演出ではないか。

なんにせよ時に人は同じ行動を繰り返し、
その結果も同じ事になりえるのです。悲しいですが。

なんだか靴下ごときで熱く語ってしまいましたが、
もちろん私は靴下フェチではありません。

以上です。
{/netabare}

投稿 : 2025/02/01
♥ : 3

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

【人生が】この物語から目を背けてはいけない【オーバーラップするとき】

物語の主人公、老人エミリオは認知症の症状悪化を理由に息子夫婦の元から養護老人ホームへ送られてしまう
自分にとって唯一無二の真実だと思っていることを語っても、虚言と思われたり若かりし頃の記憶と区別が付いていなのだと周りから相手にされない
かろうじて正気を保っているエミリオは、厄介者の目で見られることに苛立ちを感じつつも、他人に迷惑を掛けたいわけではないのに・・・と寂しさも感じていた


仕方なしに現実を受け入れようとするエミリオだが、老人ホームの実態は・・・

人の話をひたすらオウム返しするだけで会話の出来ないひと

家族に「自分は完治したから迎えに来てくれ」と電話するために1日中電話を探して彷徨うひと

火星人に怯えるひと

部屋の窓をオリエント急行の車窓だと思い込んでいるひと

そして、重度のアルツハイマー(あえて作中の言葉を用いるのであれば、それはもう人ではなく「物体」)


娯楽など皆無
老人達の家族にまるでホテルの様だと装うためだけで一度も使われたことのない「お飾りのプール」が鎮座する施設は、むしろ刑務所のようでした
まともな会話やゲームの相手も出来ない老人達に囲まれて、不安になっていくエミリオだったがルームメイトのミゲルとは友人になる
金にはガメツイが面倒見はいいミゲル
ミゲル曰く、病状の重い人は施設の「2階」へ送られるのだという
徐々に悪化する病状に、自分はアルツハイマーなんだと自覚したエミリオは「2階行き」に怯える日々を過ごす
そんなエミリオを見兼ねたミゲルは、エミリオを連れて施設からの脱走を図るのだったが・・・・










老い、とは誰にも避けられるものではありません
そしていつかもしかしたら、オイラもアナタも認知症やアルツハイマーに人としての生きる力や大切な思い出を蝕まれてしまうかもしれない
そういった意味で今作は全世界、全人類にとって共通のテーマを描いていると言えます
人生とは?老いていくとは?
この、出来ることなら目を逸らして通りたい難しいテーマを、今作は実に堂々と正面から描いているのが凄いところです
ですからこの作品に少しでも興味が湧いた方は絶対に目を背けてはいけない、是非最後まで観ていただきたいです


原作はスペインのコミック
この映画版も原作と同じくヨーロッパ圏のアニメ独特の柔らかいタッチのキャラデザ、それとアースカラーが主体の配色で一見すると『ぞうのババール』みたいな子供向け作品を髣髴とさせます


その優しい絵柄で、シリアスな話を淡々とやっていくのだからシビれますね
さらにアニメならではの演出と言いますか、『今敏作品』等にも通じる“妄想と思い出と現実”が一緒くたに同時展開されるシーンが見所ですね
認知症患者の“曖昧な現実感”を表現すべく、現実の風景と時空を超えた風景がオーバーラップしていく様はちょっと怖さもありますが、ミステリアスな魅力やファンタジックな興奮も同時に掻き立てられるところであります


特にアルツハイマーの症状がかなり進行しているはずのモデスト、彼が時々微笑む理由を妻ドローレスが語る回想シークエンスを挟んでくる部分は涙モノです


シークエンスによってはセリフも少ないため、そんな場面で生きてくるラテンの劇伴も大変素晴らしいです










今作は観た人に元気やパワーを与えるような作品ではありません
ですが悲観や絶望に満ちた作品というわけでもないのです
最後にもう一度、「この物語から目を背けてはいけない」


ちなみにラストシーンに関しては「Anotherなら死んでたw」と言わざるを得ないショッキングなもので、そこだけは凍りつきましたw

投稿 : 2025/02/01
♥ : 18

camuson さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

印象度:75

原作漫画は未読です。

アルツハイマーを患った元銀行員のお爺さんが主人公。
銀行員らしく堅物で、顧客に対して融資を断るシーンから始まりますが、
これが、実はお爺さんの頭の中の在りし日の幻影。
ハッとさせられました。つかみはOKです。

その後、息子夫婦は、主人公を老人介護施設に預けることを選択し、
主人公と老人介護施設の住人たちとの、
いかにもありそうな日常生活が描かれていきます。

老人施設を否定しているわけではなく、
誰かを批判しているわけではなく、
老いの現実を描くことで、老いを考えさせるという作品ですね。

テーマが前に出すぎない、静かに染み渡る感じがいいです。
しばしば老人たちの過去の思い出が映像化され、
人一人の人生、時の流れにしんみり、じんわりとします。
特に、完全にボケてしまった爺さんと、
その付き添いで施設に入ったお婆さんとの馴れ初めのエピソードが好きです。


キャラクターデザインは少し昔のアメリカのカートゥーンを思わせる、
日本アニメ的ではないデフォルメ手法です。
(原作漫画のデザインをなるべく生かしているようです。)
背景は丁寧で、全体的に明るいトーンで、
ややもすると暗くなりがちなテーマに対して、
上手くバランスを取っていると思います。


特典映像の監督インタビューも良かったです。
スペイン人というといい加減なイメージがありましたが、
すべての質問に真面目に誠実に答えていて、目が光っているんですよね。



追伸
ふと、鉄拳のパラパラマンガ「振り子」を思い出しました。

投稿 : 2025/02/01
♥ : 0
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