予想外で友達なおすすめアニメランキング 3

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69.2 1 予想外で友達なアニメランキング1位
小市民シリーズ(TVアニメ動画)

2024年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (225)
593人が棚に入れました
“たがいに助け合い、完全な小市民を目指そう。” かつて“知恵働き”と称する推理活動により苦い経験をした小鳩くんは、清く慎ましい小市民を目指そうと決意していた。 同じ志を立てた同級生の小佐内さんとたがいに助け合う“互恵(ごけい)関係”を密かに結び、小市民としての高校デビューを飾り平穏な日々を送るつもりでいたのだ。ところがふたりの学園生活に、なぜか不可解な事件や災難が次々と舞い込んでくる。 はたして小鳩くんと小佐内さんは、小市民としての穏やかな日々を手に入れることができるのだろうか。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

追記 日常の推理では無いと思います。春から変装していた意味は?

追記 この作品はジャンルとして「日常の推理」ではないです。いや日常の推理なんですけど、本当の構造が隠れているといった方がいいです。これが逆転すると日常の推理としては…と言う評価になります。
 そっちではなく、小佐内さんは高校に入る前から「夏」の結末をある程度計画していたはずです。その証拠が変装です。それがこの作品の推理としての「構造」です。

{netabare} あるいは変装をしても危険な食べ歩きの安全保障のための小鳩だったのかもしれません。スイーツは本当は小佐内は一人で楽しむものだったんでしょう。スイーツを食べるとき小鳩にまったく興味を示していません。

 したがって「小市民」は小鳩をうまく巻き込むためのガワだったと思います。小鳩に男としての興味はないです。だから、中学校時代からの宿題が終わった瞬間、解散を申し出たと取れます。
 ですので、私はこの作品は小鳩に語らせた叙述トリック{/netabare}と定義しました。そこを「騙された」と視聴者として喜べるか。それが推理作品の味わいでしょう。


小佐内のキャラ造形が見事な作品。私は奴が大嫌いですけど。

 なんと10話で終わってしまいましたね。ラストの車が燃えるシーンをはじめいろいろについて言っておくとあれは「秋限定栗きんとん事件」です。なんだその中途半端な感じは…と思ったら2期やるみたいですね。25年4月から?なるほど…

 演出についてです。川を使った心象風景の使い方が正しかったのか?ですね。川に象徴するものがあったとしても宗教とか集団的無意識の共通基盤になっていなければ意味がありません。そこは効果的だったのかな?とは思いました。
動きがないアニメにしづらい作品なので動きを入れたのか、ご当地ものとしてそうしなけば風景の使いようが無かったのか。そこはやりすぎ感はありました。ただ、1話ほどの違和感は10話では感じなかったので見直せばそうでもないのかもしれません。

 作画は動きは少ないですけど良かったです。特に小佐内と小鳩の表情の作り方は小説の意図を上手く見せたと思います。キャラデザに関しては小佐内の目が赤いのも悪魔的で良かったです。全体がリアリティがある色彩のキャラデザの中で面白い工夫でした。

 作品の総評です。この「春・夏」までで一番出来が良くなかったのは「春」つまり教習所の事件の小鳩の動きです。小佐内の悪魔性も小鳩が推理する理由も弱すぎました。小佐内がピンチなはずなのに延々と行われた会話劇に違和感が残りました。
 ココア事件で見せた堂島の行為も姉の暴走による結果論ですが、小佐内と表裏になりました。小鳩の自己顕示欲を確認することができましたが、そこも「春」だけですと単発の出来がイマイチなエピソードとなり活きてきませんでした。

「夏」のシャルロット事件で小鳩と小佐内の関係性が明らかになったおかげで、誘拐事件における小佐内のキャラ性とか小鳩のラストの感情とかが非常に鮮やかになったし、推理としての完成度が上がりました。夏祭りのときの伏線の張り方も見事でした。変装の意味も春からの伏線だったことがわかり、なるほど計算はあったんだなとわかります。ですので「夏」があって初めて「春」の意味があるという構造でした。それは推理小説としてはどうよ?という感じはしました。

 アニメ版では当然この前半までの印象は同じですし、さらに冒頭の自転車盗難の時系列や状況を変えたことで不自然になりました。ですので前半の評価はやはり低く感じました。

「夏」は原作の出来が良いのはもちろんなんですけど、これだけの悪魔的なキャラを日常系の推理で出すこと自体が壮大な仕掛けになっています。

 日常系推理の始祖ともいえる北村薫氏はもちろんですが、似鳥鶏氏、坂木司氏、初野晴(ハルチカの原作者)氏などで小佐内に似たキャラはいたでしょうか?この点においてこの作品は評価せざるを得ません。三上延(ビブリア古書堂の事件手帖)のヒロインはちょっと同じ雰囲気はありますけど内面は全然違います。そしてアニメ勢だと米澤穂信氏の「氷菓」の千反田を先に知っているだけに、その衝撃は結構なものだと思います。原作でも「夏限定」は「クドリャフカの順番」の後だったと思います。

 推理の構造は{netabare}騙された小鳩が視聴者の代弁者となる「他人が語る叙述トリック」と私は捉えています。叙述トリックとは1人称の推理物語の語り部が実は犯人でしたというジャンルです。要するに「メタWHOダニット」なんですけどね。 {/netabare}これが見事だと思います。

 ただ、私はキャラ萌え派なんですよね。ポワロとかエラリークイーンとか外国勢はそうではないですけど、御手洗潔とか<私さん>とか、火村とか、有栖川とか、伊神とか、古くは栗本薫とか…そう見たときにこの2人…いや小佐内ですよね。推理の構造故に内面が見せられないという最大の欠点を抱えてしまいました。これはキャラ萌え勢からするといただけません。

 そして何と言っても私は本作をラノベ的に原作を読んでおり、主要キャラは善人であるという前提を欲していたんだと思います。少年のマインドで読んでいたといってもいいでしょう。いや死ぬかと思いましたよ。小佐内=幼いで、これも原作者の仕掛けた名前遊びなんでしょうか?そこに潜在意識的に仕掛けられた気もします。

 それが本作が嫌いな理由でした。あまりに読む気が起きなくて、「秋」を読んだのは買ってから10年以上たってから「巴里」が発売されると聞いてやっと読みました。結構なトラウマだった記憶があります。

 長くなりましたのでこれくらいにしますが、「夏」の出来は出色です。アニメ版も良かったです。ただ、やっぱり小佐内は嫌いです。なお「秋」にはもっと本領を発揮してくれます。







1話 【悲報】小佐内さん≠千反田える 「夏」で切るのは最悪では?

{netabare} まさかこのシリーズがアニメ化されると思っていなかったので、アニメ化発表のときに驚きました。このシリーズ、春・夏の読後感がちょっとなあ…という感じだからです。

 氷菓の千反田えるのようなキャラを望んでいる人には【悲報】ですが、小佐内さんに萌えられる人はそうはいないと思います。私は、推理小説は大好きですがキャラ萌えとして楽しむところがあるので、本作は「夏」まで読んで「秋」は買うだけ買って積ん読で手が出ませんでした。確か「巴里」が出るタイミングでやっと「秋」を読んだので10年以上放っておいた感じです。

 それくらい心が離れていました。結果的に「秋」を読むと展開に仕掛けがあるのか…と思いましたが、しかし「秋」はこのペースだと多分アニメ化できないでしょう。「夏」までで大丈夫か?と心配です。そこもネタバレになるので言いませんけどね。

 アニメ本編ですが、キャラや雰囲気の再現性は…うーん、ちょっと綺麗に描きすぎというか、無駄に心象表現をしすぎというか、冗長というか…そんな感じです。
 なお、主人公の家は和菓子屋設定なのでしょうか?これは原作ではなかったと思います。小佐内さんって和菓子苦手だっけ?と思いました。もう1回読み返さないと思い出しません。あとは時代的にスマホがあるとラブレターのニュアンスとか20年前と違うよね?など、細かいところは気になりました。

 追記 ああ何か事件の日の2人の動きに違和感があると思ったら、原作読み返したら、当日の目的はクレープ屋さんで、イチゴタルトは違う日なんですね。そこはちょっとアニメ版は行動として無理があったかなあ?{/netabare}


2話 日常系推理のエンタメとしての難しさと不自然さがモロに出ました。

{netabare} いくらなんでも…という回でした。わずか35ページの原作を1話にしましたか…さすがに眠くなるようなテンポの悪さです。

 そもそも、シンクにスプーンの謎かけはいくらなんでも無理があるのは、小説からでした。無理があるというのは、堂島というキャラからいって、その謎を仕掛けるのが不自然だからです。
 ヒントを要素に分解して、謎に気が付くように、解けるように、ただし簡単になりすぎないように難易度の調整をしながら仕掛けるには、常悟朗と同程度以上の頭の使い方が必要です。それは堂島のキャラ造形や言動から言って不自然です。

 そして、日常の中の謎というのはこの無理の連続です。そして、これは本格派推理のジレンマで、パズルを作ろうと思うと、話は不自然になります。ですが、それは本格派小説のマナーみたいなもので、小説ならこういう不自然な話も「そういうものだ」として楽しめます。

 まあ、これは「たまたま堂島のずぼらが作った意図しない謎」という話ととるんでしょう。今度は姉がそこに謎を見出したという不自然さは残ります。堂島のキャラをよく知っているはずですし、一般人にそんな気づきは普通ないでしょう。けど不自然さはマイルドにはなります。

 そして、堂島の意図でないとすると次に別の不自然さが発生します。わざわざ2人を呼び出してココアをふるまった意味がなくなるし、ココアの作り方をレクチャーする意味がメタ的に考えて意味を喪失します。
 推理小説に「無駄はない」の法則から言って、ココアの作り方をわざわざ説明した流れからは謎かけととるべきだと思います。ですので通常なら読み取るならやはり「意図した謎」ととるのが自然でしょう。

 ただ「あんのずぼらが!」のセリフがありますので「意図しない」方にはアニメの解釈は寄せています。そしてそうなるとこの1話が丸々不自然な1話になります。堂島は本当に常悟朗と小佐内を呼んで話がしたかっただけ?


 追記と修正 ここはさっき改めて原作を読んでから件のシーンを見返しました。今回は「ココアの解き方のようなつまらない話を延々と聞かせて反応を見た」という読み方が正解な気がします。ここは私の読み間違いがあった気がします。
 ただ、その行動自体が人間として不自然だし、堂島というキャラの性質上「ココアの入れ方」という話題をチョイスし、反応をうかがうようなことをするのがキャラに合っていない気もしますけど。むしろ単刀直入に聞くでしょう。

 で、これは別の視点なのですが、小学校のころの友人と高校で再会して、キャラが変わった。大きな何かがあったのか?と思う感覚です。普通中学時代の変化は大きいでしょう。変わらない方がおかしな年ごろです。
 むしろ再読してこっちの方が不自然には感じましたが、それだけ常悟朗がインパクトがある少年だったという意味だとは思いますので、この辺は計算があるのでしょう。
 日曜日に家に呼び出して問いただすというのは普通ではありません。つまり「ココアの作り方」の謎を作るためのちょっと無理があるシチュエーションな気はしますが。

 それと小佐内さんを一緒に呼び出す理由は弱い気はします。こういう話をする際、同行者は邪魔なんじゃないかと思います。その点では原作と構成を変えて、小佐内さんが堂島の持ちかけた謎を問いたという話を飛ばした故の不自然さでした。

 いずれにせよ、人間の一般的な言動からは無理があることに間違いはないでしょう。それが日常系推理の不自然さで、今回は見ていて推理のための舞台装置感が非常に強かったです。故にいくら作画が良くても、何を見せられているんだろう?という感覚が強く出ました。

 これは本作に限ったことではありません。ただでさえ日常の謎の推理ものには不自然さがあります。
 ですが、それは小説故に読めるのであって、アニメにしたときのなんと無意味で冗長なこと…その点でやっぱり「氷菓」の出来は良かったんだなあとあらためて思います。

 まあ、小佐内さんの本質が見たいので、そこのポイントはチェックすると思いますが、どうしようかなあ…視聴断念のボーダーライン以下ですが、そこが気になるので、飛ばし飛ばしの視聴継続でしょうか。{/netabare}


3話 制作の解釈と演出は?小佐内さんの本性をちゃんと描けているのか。

{netabare} なるほど、小佐内さんのダークサイドをそう描きましたか…テストの件と連続させたのは、スイーツにかこつけて常悟朗を呼び出す。小佐内さんに推理力はなく常悟朗に推理させる。スイーツをたらふく食べることで自分を押さえる…ということでしょう…か?ここが原作からの疑問でした。

 スマホ(原作だとケータイ)を忘れてきた…というくだりですが、小佐内さんがもし常悟朗に推理をさせようと意図したのだとしたら、ここはちょっと不自然です。常悟朗が学校に戻り現場検証するのが偶然になってしまいます。少し違和感があることろです。

 メールの内容が「話がある」から始まっているなら、小佐内さんの計算ととれるんですけど「ケーキ食べたい」から始まるこのメールの流れだと本当に小佐内さんはやけ食いを意図していたことになります。偶然の流れととるべきか、意図ととるべきかで随分解釈は違います。ただ、2人の約束に縛られて「ケーキ食べたい」がつまり話があるという意味なんでしょうけど。つまり、スマホを忘れて学校に戻る部分はどうやっても不自然にならざるを得ません。

 結局、小佐内さんは常悟朗に対して未必の故意で、推理することをかなりの蓋然性で見込んでいたのでしょう。そうじゃないと、場合によってはテストの件でも復讐するという緊迫感がなくなってしまいますので、そこはいずれにせよ小佐内さんは推理をさせたし、常悟朗は推理をした、ととるのが正解なんだと思います。

 前半でのちょっとした出来事は、小佐内さんは我慢が出来ないことに対しては復讐する、ということですね。

 で、本作のターニングポイント…小佐内さんの笑顔です。いままで無表情だったことの意味を我々はここで知ることになります。もっと素直な笑顔でもよかった気がしますが、そこは解釈ですから少し狂気をはらんだ笑顔というのも理解はできます。

 ただ、ここが大事ですが小佐内さんの本性はむしろ復讐にある、ということが表現できていたかどうかです。あのシーンで一番大事なのはスイーツのときよりも嬉しそうに笑うことではないか、と思ったんですけどどうでしょう?そうなると前半のケーキバイキングのシーンで笑顔が全くないのは演出としていただけません。小佐内さんの狂気が表現できているか?初めての笑顔と、笑顔の違い…演出はどちらが正解なのでしょう?


 そして、原作だと「私有財産の保全」のセリフのところで笑顔を消しているんですよね。復讐のネタを見つけたことに喜び笑顔になって、それを止めようとする常悟朗に対して真顔になることで自分の中にある怒りを再度認識して真顔になる、ということだと解釈しました。ですから本作の「私有財産の保全」のときの小佐内さんの心の動きはちょっと解釈が違うんじゃないかな、と思わなくはないです。


 瓶が落ちる話のトリックですけど、確かに原作では氷やドライアイスの可能性に言及していましたが、特にトリックの明示はありませんでした。本作のあのトリックは証拠を残しています。そこで「濡れ衣」という原作にはないキーワードをアニオリでつけました。原作は純粋にカンニングのため、本作は教室内に悪意があることを示唆しました。この違いに意味があるのでしょうか?

 あと細かいところですが、前半の2人がケーキバイキングの店で並んで座っているのを外から見たシーンで、4分15秒くらいのところは2人のつながりが画面的におかしい気がしました。まるで省略があって何メートルも離れているみたいに見えました。それが本作の演出だと心象なのかともとれるのがややこしいですけど。

 今回は省略もあり随分テンポ良く進みましたが、全体的に小佐内さんの心の動きと本性をちゃんと描けていたか?が、非常に気になります。画面は非常に綺麗なのですが、推理小説ではありますが…特に心理…いや小佐内さんの本質が大事なこのシリーズの前半の根幹ですから、そこは監督・シリーズ構成・演出の人たちはどう考えたのでしょう?OPで狼と狐の絵を見せるだけ?

 それと橋…川の演出はどうなんでしょうね?心象で意味を込めるにしても、ちょっと読み取りづらいかなあ。{/netabare}


4話 この作品の最大のトリックは何か?

{netabare} 本格推理的な雰囲気でありながら、すべて状況証拠の積み上げなので推理としてどうなのか?という点については氷菓も一緒です。ただ、その状況の提示の仕方が、すべて小佐内さんの自転車だよりになってしまったので、非常に不自然になりました。タルトの件、空き巣事件で都合よくナンバーを目撃された件(しかも印鑑が盗まれた…といろいろ調べられたりする)、そして教習所が特定できた件です。

 ただ、重ねて言いますが日常系の人が死なない推理小説は、えてしてそんなものです。捜査ができない以上はそうなざるを得ません。ですので、そこは保留でいいでしょう。小佐内さんのヘイトをためるにも必要だったでしょうから。

 ただ「春限定」の最大のトリックは何か?それは小佐内さんの見た目と内面のギャップです。スイーツの題名でふんわり甘いものを想像して小説を手に取ると、常悟朗の推理ものとして見ていると、最後は実はキャラの性格造形でだまされるというのが本作が読者に仕掛けたトリックです。

 そう考えたとき「春」の不自然なのは推理ではありません。常悟朗が「小佐内さんが危機に陥っているかも」と焦るというところが不自然なのです。小佐内さんが狼と言い切れるほど、狐の常悟朗は「本性」を知っているのに、復讐において小佐内さんがドジするという心配をするというのが作品のカタルシスを減らしたなあと思います。

 ここは小佐内さんの怒りや高校という年齢から言って、どれだけ悲惨な復讐が成し遂げられるか、を心配するくらいでちょうどよかったと思います。本来2人は頼られたら何とかする同盟であって、心のつながりが希薄という前提まで崩してしまいます。
 これは堂島を相手に推理を語らせないと推理として成立させられないからだとは思いますけど。

 それと小佐内さんの復讐に「わからせ」がないです。題名に冠したいちごタルトと自転車泥棒の報いだ、というのが坂上は知ることができません。これを復讐の完遂と呼んでいいかどうかです。

 自転車にまつわる事件を連続させた工夫は感じます。が、最終的には「小佐内さんの内面の恐ろしさに驚愕するミステリ」が本作「春」段階ではそこの描写が弱いので出来損ないの「氷菓」に見えるのでしょう。「氷菓」は各事件の解決の下に潜む人間性・隠れた動機が実は最大のトリックで、さらに作品を通じて主人公が覚醒する話です。その氷菓における隠れた動機に対応する「小佐内さんの本性」の描き方が「春」だけですと非常に弱く、故に面白さが中途半端です。

 それをアニメにしたから、まあ、こうグダグダになったのでしょう。特に3話の小佐内さんの描き方が弱すぎるなあと思いました。ただでさえ短い「春」の話を削った影響もあるかもしれません。

「夏」の方がその意味では本番です。1クールで4話しか「春」に使わないのは当然、主軸は「夏」ということです。推理小説ものなので最後まで見ますけど、やっぱりアニメ化に向かない上に、制作が見せ方をちょっと間違えたのかなあ…という気がしなくはないです。{/netabare}


5話 シリーズの中で出来が良い作品。冬服に戸惑わない方がいいです。

{netabare} この「伯林あげぱん」の話は日常系推理としての出来が良く、与えられた素材から推理される内容もその推理が必要で小鳩が巻き込まれる過程も、自然に描けていたかなと思います。「氷菓」の面白さに匹敵するコミカルな感じも良かったと思います。

 そして、小佐内ゆきというキャラの性格というか行動原理が適格に表現されていて、そこの使い方が見事です。話の導入として読者の疑問を掻き立てるのが非常に上手かったです。加えて堂島が新聞部ということも活用できています。

 ただ、少し画面から違和感を感じないでしょうか?5月の設定なのにどう見ても冬の印象を持つ作画、美術、色彩になってませんか?
 直接推理にも話の面白さにも引っ掛からないのでネタバレすると、本話は「巴里マカロンの謎」に収録されていて、時間軸でいえば1年生の冬になります。(追記 さっきまで2年の冬だと思ってましたが、原作確認したら間違っていました)

 この話は本来原作では1年生の年末に近い時期の話で、「春季限定」と「夏季限定」の間の話になります。それがアニメだと小鳩はいきなり2年A組になっています。春と夏の間という時間軸は変わらないのですが、部室のホワイトボードは「5月」と表示されています。つまり、無理やり2年生の5月の話だと改変しています。
(追記 そうそう、なぜ仲良くなさそうな新聞部でこんなことをしたかと言えば、原作では年末の取材の一環でした。ベルリーナー・プファンクーヘンはドイツでは大晦日または2月の謝肉祭に食べられることが多いそうです。それは調べないとわからないのでまあいいでしょう)
 
 話そのものに影響はないのです。ですが、5月なのに画面が寒々しく全員がきっちり制服を着ています。部室の窓もしまっています。午後4時45分なのに夕日になっています。つまり、冬のつもりで作っている人、5月のつもりで作っている人が混在しているような不思議な画面になっています。これは何か事情があるのでしょうか?

 その画面上の不自然さはおいて置いて、これを説明というか何もなくいきなりここに差し込むのは、アニメとして効果的かどうかは疑問です。まあ、これから「夏季限定」が始まるので2年生にいきなりなっていると戸惑うので、無理やりここにいれたのでしょう。ただ、アニメとして説明が不十分すぎます。

 と、アニメの画面の印象と、シリーズとしての説明の工夫にちょっと疑問は感じますが、そうは言ってもこの1話は大変面白い話でした。キャラたちの性格が悪すぎるのは相変わらずですけどね。{/netabare}


6話 この話は面白いですが、単なる小休止のエピソードでしょうか?

{netabare} 冒頭のお祭りのシーンは原作でもわかりづらいというかはっきりとは確定できないのですが、「会いたくない人」に意味深長なものを感じたのですが、その辺は伏線だと思います。あえて自転車で来たと嘘をついたのは{netabare}「自分は見られたくないけど、相手の顔が見たい」 {/netabare}という小佐内さんの事情が原作では小鳩によって推理されますが、アニメではありませんでした。綿あめも本当に食べたいのもあるでしょうが、 {netabare} 顔を隠す {/netabare}という意図もありました。
 ですが、本作アニメではそこをサラリと流しました。推理としてフェアかどうかはアニメ制作者は考えた方がいいと思います。

 それとこの祭りのシーンで「春」では表現しきれなかった、小佐内さんの本質ですね。小悪魔的ではなく悪魔的に、完全に小鳩の内面を翻弄しコントロールしている感じを描くシーンだと思うのですが、そこがちょっと弱かったかなと。

 そして原作で明確でないのがこの時点で小鳩は小佐内さんをどう思っているか?なんですよね。「春」の教習所の件から、互恵関係と言っている割に小鳩は小佐内さんに甘い感じです。そこに恋愛を見出すことはできますが、それはミスリードでしょう。

 このシャルロットで言いたいのは、小鳩の側でも本当は推理を披露する機会が欲しくて、小佐内さんを利用しているということでしょう。小佐内さんがほぼ唯一のその性癖の理解者です。ですが、小佐内さんはそれが分かって小鳩を利用し支配しているというのが、この祭りとシャルロットで描かれたのかな、と。

 それとまあ、これはネタバレですから隠しますが、 {netabare} この構造が「夏」の大きな仕掛けになります。この6話は「5話と同じく出来がいいちょっとしたショートストーリー」…では無く「夏」事件のキャラ造形としての伏線になります。{/netabare}
 こういうところが「春」に比べて「夏」の方が話としては進化したかな、という部分です。

 演出について。シャルロットのパートなんですけど「何やってるの、小鳩くん」は、心象風景ですね。こういう演出が分かりやすいかどうかはちょっと考えた方がいいかもしれません。
 あと、ネタバレになるので詳しく書きませんが、箱の中のレイアウトはちょっと原作と違うニュアンスになっています。{/netabare}


7話 小鳩と小佐内の表情をどう読み取ったかを覚えておきましょう。

{netabare} ハンバーガーショップの地図の件は、原作だと謎になっていたんですけど、画面でみると成立してなかったですね。どう描くかをちょっと楽しみにしていたんですけど、演出が付いて行ってなかった気がします。
 一方今回の小佐内さんの変装は笑ってしまいました。ついでに、なぜいつも変装しているのかも明言はされてないですが、そこを考えても面白い気がします。

 1話で小佐内の好みを「和菓子ではなくバターとブランデーが効いた濃厚な甘さ」的なものと言ってしまったが故に、鋭い人は小佐内のスイーツに綿菓子とかリンゴ飴が含まれることに、何かの仕掛けか?というアニメ独自の読み方ができてしまいますね。制作スタッフが意図的に入れたのか、何となく入れたのかが良くわからないセリフでした。

 あと、7話の小鳩の表情はそれでいいのか?という気がしなくはないです。ちょっと私の解釈とは違います。一方で小佐内の表情は私と同じ解釈かな、という気もします。小鳩の表情を本作アニメ版のように捉えると、結末がもっと楽しくなると思うのでそこはなるほどな、と思いました。

 この表情についてはアニメでは意図的にかなり丁寧に作画していたと思います。6話の構造と合わせてしっかりとチェックしておきましょう。そして7話の印象を最後まで忘れないようにしましょう。{/netabare}


8話 さて、前提が終わりました。ここからが最大の山場です。

{netabare} かなりあっさりと誘拐事件を描きましたね。原作からして薄めの本ですので、描き方のテンポとしては悪くない気もします。もうちょっとヒリヒリさせるよう、ここは引き延ばしても面白かったかもしれません。

 で、誘拐事件の本編はこれからです。楽しみに待ちましょう。私はこの作品が大嫌いですが「夏期限定トロピカルパフェ」という作品の出来の良さは認めています。夏祭りとシャルロットの味わいが活きてきて、見事な推理小説的な展開と構成でした。

 トリックの種類は ※ネタバレ注意※ {netabare} 他人(小鳩)が語る(小佐内)さんの叙述トリックという感じです。小鳩が8話で行ったことは、そういうガワで見えているという表面上のものだけで、これに視聴者はだまされます。

 注意。具体的内容。{netabare}事件そのものは犯人が引き起こしたものですが、それを事前に察知しその事件を監禁・暴力事件から営利目的の誘拐事件という非常に重い罪に見せかける復讐を小佐内さんが仕掛けます。
 その仕掛けの片棒を担ぐことを小鳩が誘導されて意図せずに行ってしまいます。最大の犯人が小佐内さんだということです。その意味で「春」事件のときの小佐内の描き方が弱いので夏のカタルシスが弱くなるなあ、と思っていました。

 変装の意味、なぜ夏祭りのとき顔を見られたくない相手の顔を見たかったのか、シャルロットのときの小鳩の事件を解決したい心理を小佐内さんが確認したこと、小佐内さんとの関係性に顔を緩める小鳩の表情、逆にそれを知った小佐内さんの悪魔的な表情、なぜ事前に地図の場所を把握できていたのか、小鳩に地図を事前に見せたのか、なにより最大のトリック「小市民」という単語の我々のこざかしいイメージの回収。

 つまり、本作は小鳩VS小佐内であり、小鳩が小佐内の手のひらの上で踊る話です。さらに言えば小市民という人を馬鹿にしたような自分たちの小賢しい考えに気づき、関係が破綻する話です。ですので、6話で小鳩がまるで小佐内のことが好きなような表情を見せたことが効いてきます。苗字に小が付くのも原作者の悪意を感じます。この辺、本当に素晴らしい仕掛けでした。{/netabare}

{/netabare}

 こういう感じですので、肝心なのは次回です。事件の説明の中に潜むいろんなものを理解してこの作品の「味わい」を拾いましょう。何度も言いますが、私はこの小説が大嫌いです。

 これが、この作品の1話でレビューした小佐内≠千反田えるの意味です。今のペースだと9話か少しじっくりやって10話くらいで終わる感じですが…それともいろいろアニメだと私が本作原作を嫌いになる理由に何かアニオリが付いて意味を変えてくる可能性がある尺ですね。

 以上のような話です。せっかくここまで見た人は、最後まで見ることをお勧めします。 {/netabare}



9話 出来はいいですが、小説の面白さとキャラの魅力のバランス問題。

 というわけで、この展開は素晴らしいと思います。一方で推理小説に関してはキャラ萌え派の私にとっては最大の裏切りでした。だから、この作品の出来の良さは認めても、嫌いな小説ということです。

 今回アニメ化にあったって、小佐内さんの内面が見えないことが最大の面白さになるわけですが、そこは小鳩を語り部にすることで結構うまく機能したかなとは思います。しかし、それゆえに本作の魅力、キャラの魅力という点で物足りない部分になっていました。
 特に「春」においては「それだけ?」という感覚が強いので引きが非常に弱かったです。ただ、この9話までの部分を仕掛けた「夏」は推理というより小説の展開として高く評価したいと思います。

 小鳩常悟朗って結構不自然な名前ですよね…多分結構悪意があると思います。「小さな鳩で、常に悟る」です。「朗」の意味はいろいろですけど、ほがらか、明るい、声が高らか。つまり「さかしい小さな鳩がさえずっている」とも取れますから。

 そして、小説の小佐内は大っ嫌いですけど、今回小鳩の描き方が賢しさとか、にやけた表情とかが上手かったので、小佐内のキャラが結構魅力的に思えました。その点ではアニメ化の意味はあったかなと思います。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 21

Witch さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

『氷菓』や原作を知っているとつい口を挟みたくなるのは申し訳ない

【レビューNo.158】(初回登録:2024/12/15)
小説原作で2024年作品。全10話。
原作についてはアニメ『氷菓』で米澤穂信先生を知って読み漁るようになり、
その際に読了済み。
その当時は漠然と「これもアニメ化されたらいいのになあ」と思っていたら、
このタイミングでまさかのアニメ化ですよ(笑)


(ストーリー)
主人公・小鳩常悟朗は中学時代に問題事を推理したがる性格で苦い経験を持つ。
そして同級生の小佐内ゆきも常吾朗と似た境遇を送っていた。
そんな2人は意気投合、「小市民」を目指すために互恵関係を結ぶことになる。
高校生に進学した2人は平穏を求めながらも、日常の中で発生する事件に巻き
込まれ、結局封印したはずの謎解きに挑むことになる。


(評 価)
上述のように待望のアニメ化だったのですが、率直なところ
「アレ!?思ったほど面白くないなあ」
原作を読んだのも大分前で結構忘れてる部分も多く、思い出補正なんかもあっ
たのかなあと思っていたのですが、最近最終巻(冬期)が図書館から回ってき
たので読んでみると
「おい!やっぱり面白いやんけ!!」
なので、もう一度原作を読み返してみると・・・

・1,2話でやらかしている
 1話を視聴して感じたのが
 「アレ!?こんな不自然なストーリーだっけ?」
 という強い違和感だったんですよね。
 原作を確認すると、やはり「ポシェット事件」と「いちごタルト事件」は
 本来別エピソードでアニメ化で改変されたようですね。
 まあ1話で視聴者を引き付けるために上述構成にした意図は理解できます。
 でもここに問題が発生したんですよね。

 小佐内さんは本来「スイーツ」については異常ともいえるこだわりや執着
 を持っている、個性的なキャラだったんですよね。
 それが本作だと
 ・「春期限定いちごタルト」に強い執着を持ち、絶対ゲットしたい
  しかも今日までという期限付き
 ・そして(2個ゲットするため)小鳩君に同行の約束を取り付けるも
 ・ここで事件に巻き込まれ小鳩君が友人から呼び出される
  → 小佐内さんおとなしく待機
 って、こんなの私の知ってる小佐内さんじゃない!
 売り切れるかどうかの瀬戸際で、呑気に待機してる場合じゃねーだろ!!
 個人的には彼女の強烈な個性は吹っ飛び「普通のスイーツ好き女子」に成
 り下がったなと。
 (この辺はその後のエピソード含め(説明セリフ頼りとか)演出が弱かっ
  たかなっと)
 これだけなら些細なことかもしれませんが、本作は一事が万事こういう感
 じなんですよね。

 例えば続けて2話ですが、今回は「おいしいココアの入れ方」です。
 これはミステリーのオチが斜め上過ぎて酷評の嵐でしたが、原作を読むと
 本編のポイントはここではなく、小鳩君と友人堂島健吾の間で交わされる
 「お前中学で何かあったのか?雰囲気が違い過ぎる。」
 という会話劇なんですよね。
 
 これも
 ・原作だと知恵働きをやめ「小市民」を目指すようになったきっかけが語
  られるのは一番最初のプロローグ(夢の中という設定)
  → それを受けての上述会話劇になるので重さを増す
 ・本作だとこの辺りが語られるのはラスト付近
  → 上述会話劇が唐突な昔話になり伏線めいた扱いに
 制作側としては最後の見せ場にとっておいたようなフシがあるのですが、
 そのせいで
 ・会話劇の重みが薄らぎ「ココアの入れ方」の不出来が悪目立ち
 ・「小市民」という言葉もどこかひとり歩きしているような状態に
  (また後述の2人のキャラの描き方にも影響したような)
 と、やはり違和感を覚えたのは正しかったようです。

 1,2話で「??」となった視聴者も多かったんじゃないですかね。
 (制作側のやろうしていることは分かりますが、序盤からこれだけ違和感
  を覚えるとなあ・・・という感じですね。)


・3話以降は原作の出来に助けられたが・・・
 3話以降は原作者の調子も上がってきた感じで、ミステリー的なストーリー
 は楽しめたように思います。
 しかし「魅せ方」については比較するのは適切でないかもしれませんが
 ・『氷菓』は
  ・「何故この作品をアニメでみせるのか」を考え抜いた上で
  ・それに従い全体像も練り上げて、そこからエピソードに落とし込む
  という意図が感じられ、アニメは原作越えの面白さがあった
 ・しかし本作は
  ・このシーンはどう見映えするか的な”点”で終わってしまってる印象
 という感じで連続性のある積み重ねという部分が弱い感じがしましたね。

 その辺はキャラにしわ寄せがきてる感じで、例えば小山内さんなんかは
 ・普段はスイーツ好きで小動物的にかわいく描いておいて
 ・ここぞの場面で作画のインパクト等で「実はどす黒い女子です」アピール
  しときゃいいやろ的な
 他のレビューで書きましたが、キャラ造形って
 >・作り手が「彼はどういう人間か?」というのを考え抜いた上で、それを
 > 作中の言動に地道に落とし込んていく
 >・その積み重ねを経て、視聴者側がどう受け取るか
 ということだと思うのですが、そういう点では物足りなさを感じたかなっと。
 (全体的にキャラの捉え方が平面的というか、他のレビュアーさんのご指摘
  通り行間を読み取れていないというか・・・)

 それに伴って、小鳩君との「小市民」を目指すための互恵関係という設定も
 作品の面白さに繋がっていない感じですし。


・作画もレベルは高いが・・・
 作画は綺麗でかなりレベルが高いです。
 しかしここでも引っ掛かるところが・・・
 ミステリーだと会話劇が冗長的になりやすいので、飽きさせないようイメージ
 映像を挟んだりするのですが
 ・『氷菓』だとメインの会話がよりわかりやすくなるように等会話劇を面白く
  引き立てる名サポート役的に描かれている
 ・本作は目先の変化だけが目的というか、川辺のシーンなんかむしろ本筋より
  作画がきれいだったりとこっちを強く主張してどうすんねん!
  (会話劇を面白くする方向に機能していない)
 こういう感性が合わなかったところも1話から違和感を覚えたひとつですかね。
 (作画も全体的にアニメとして面白くみせることより、作画自体の凄さを見せ
  つける方向に神経がいっていないかと?)


『氷菓』や原作を知らなければまた評価も違っていたかもですが、なまじ知識
があるとつい口を挟みたくなる点はちょっと申し訳ないですね。
期待値が高かった分辛口気味なレビューになりましたが、標準レベルはクリア
されているとは思います。
(正直なところ1,2話で負のバイアスがかかったのが影響してる感じ)
決して『氷菓』を目指して欲しいわけではありませんが、『氷菓』の真骨頂は
ある意味
「原作へのリスペクトと圧倒的な理解度の高さ」
にあると思っているので、そういう点は見習って2期では
「この原作のどの部分が琴線に触れアニメ化に至ったのか」
が見えるような作品を期待したいですね。
2期分の原作エピソードもより面白いものになっているので。


(追 記1)
>このタイミングでまさかのアニメ化ですよ(笑)
これは2024/4に最終巻が発刊され、完結まで描ける目途がたったのが大きかっ
たのでしょうね。
個人的には、2022/2の米澤先生の「✕」での発表
「KADOKAWAさんから出る新刊は、〈古典部〉シリーズの長篇にしようとご相談
 しています。」
以降『氷菓』の続編どうなっとんねん?が気がかりなんですが。
『小市民シリーズ』も無事完走したことですし、こちらの方もよろしくお願い
します m(_ _)m
(『氷菓』のレビューでも書きましたが、これが完成すればギリ1クール分の
 ストックは確保できるかなっと。
 アニメ化してくれるかは知らんけどw)

(追 記2)
あと堂島健吾のことを彼女が「ケンケン」と呼んでいたが、やっぱアニオリだ
ったんだな。
そこはちょっと面白かった。小鳩君の間とか後でちゃんといじってたしw
(改変が”点”で終わらず、きちんと”線”になっていた。)

ただこの回では堂島が「名前は言えないんだが」といいつつ、次の会話であっ
さり名前を言ってしまう”大雑把さ”に小鳩君が心の中でツッコミを入れると
いう(原作の)流れなんですが、本作ではそこはスルーかよっと。
また最終話の小鳩君が最後のパフェを食べた際の心理描写不足とか・・・
こういうキャラの魅せ方とか細かい感性のズレが原作のよさを活かしきれず、
イマイチ合わないなあっと感じてしまった。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 20
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

小市民の星

ラパントラック制作。

清く慎ましい小市民を目指す小鳩と小佐内、
平穏な高校生活を望むも、推理の得意な、
小鳩の元には様々な事件や災難が舞い込んでくる。

涼やかで綺麗な映像描写とちょっとした推理劇、
実写ドラマを意識しているそんな印象も受けますが、
静かなメインキャラは疲れないので良いです。

少年と少女、不思議な関係ですね。
{netabare}穏やかな時間を享受し、互いに助け合い、
完全な小市民を目指そうって!?
ここらあたりは、善意に解釈しましょう。{/netabare}

季節感溢れる青春×学園ミステリー、
素敵な作品になればと期待しています。

5話視聴追記。
新聞部部室での伯林あげぱんの謎解き、
{netabare}冒頭の小佐内の描写に見事に落ちもついて、
良くまとまった楽しめる回となっています。{/netabare}
 
最終話視聴追記。
娯楽性は乏しいのかも知れませんが、
文学的な会話劇、最後はお見事でした。

{netabare}水面下で遂行される過去の因縁への報復、
誘拐されることにより相手を罰し社会的に葬る、
用意周到なおそるべし少女の思惑が完遂する。

これで2人の関係は解消されたのでしょうか、
小鳩が選んだポップコーンの味は甘くない塩味。{/netabare}

続編を楽しみに待ちたいと思います。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 35

81.7 2 予想外で友達なアニメランキング2位
のんのんびより のんすとっぷ(TVアニメ動画)

2021年冬アニメ
★★★★☆ 4.0 (471)
1791人が棚に入れました
「旭丘分校」の生徒はたった5人。学年も性格も違うけれど、野菜を作ったり、虫捕りをしたり、楽器を練習してみたり・・・春夏秋冬の変わりゆく田舎生活はワクワクが止まりません。のどかでいつも通りだけど、くすっときて、ちょっぴり沁みて、心がほっこりする。まったりゆるゆるなメンバーが送る日常が、またまたはじまります。

声優・キャラクター
小岩井ことり、村川梨衣、佐倉綾音、阿澄佳奈、名塚佳織、佐藤利奈、福圓美里、新谷良子

takato さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

数ある「のんのん」の中でも「のんすとっぷ」こそ至高。3期かけて積み上げてきたものが活きている。

 「ゆるキャン」と同じく、すでに充分完成された日常系ギャグとしてもはや進化の余地はありない、そんな風に考えていた時期が私にもありました…。


 全てのクオリティーがアップしているが、キャラと声優のマッチングがアップしてギャグの冴えが格段に上がっている。正直個人的には今までは寒い瞬間が多少あったけど、今期は本当に笑わせて頂きました。


 なっつんとひか姉、特に後者の出るだけで笑える女と化した感がある。台詞をいかに喋るかだけでここまで面白くなるもんなんだなぁ〜。メカコマぐるみの狂気も素晴らしい。


 あと、今期も魅力はここまで積み上げてきたものがあるからこその喜びと感動がある。駄菓子屋とほのかちゃんの件では涙せずにはいられなかった…。


 シンプルで純粋だからこそ胸に沁み入る救いこそ日常系の行き着く極地だと思う。プロ幼女な久野ちゃまが加わったことも大きいねぇ〜。そんなしおりちゃんに対してお姉ちゃんであろうとするれんちょんの姿には思わず…。


「いつも同じ道じゃないのん。いつもちょっと違うお天気日和なのん。」

投稿 : 2025/02/15
♥ : 48

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

完璧なsuspend/resume(サスペンド/レジューム)→ ほぼ原作通りの最終回

== [下記は第1話視聴終了時のレビュー: 以下、追記あり。] ==
れんちょんのリコーダー、nano.RIPEのOP主題歌、メインキャラクター4人でのED主題歌、居間のテレビ画面で次回予告と完璧な前作からのフォーマット踏襲でした。背景美術は相変わらず美しいというか、もしかしたら作画はグレードアップかも?

でも1、2期目を観てなくても何となく大丈夫そうな感じ。これぞ『のんのんびより』ですね。あ、新キャラは出ますよ。
== [第1話視聴終了時のレビュー、ここまで。] ==

2021.2.1追記:
第4話まで視聴終了。

なっつんと駄菓子屋が、それぞれ自分が一方的に有利な状況で相手が過去にやったことをあげつらう場面がありました。

スキーで無理矢理駄菓子屋に突き落とされて滑らされたとか、雪下ろしのために屋根に上がっているときになっつんに梯子を外されたとか、1、2期目から観ていると視聴者も「なるほど」と頷くけど良く考えたら作中で学年は同じなのにまだ冬は来ていないのです。「サザエさん時空」のパラドックス(笑)。

2021.3.29追記:
第12話(最終話)まで視聴終了。

実は「月刊コミックアライブ」4月号で原作は終了していて最終話も読んじゃっていたんですけど、概ね原作最終回通りの最終話という感じでした。ということでOVAとかはあり得ても本編が作られるのは本作で最後だと思います。

2期目の「りぴーと」では「サザエさん時空」のパラドックスはあまり目立たないように巧みなシリーズ構成がされていたのですが、「のんすとっぷ」はあまりそこには気を遣っていなかったようには感じています。

まあ、新キャラを出してしまったせいで仕方がなかったところもあるとは思いますけどね。

ここまでのシリーズの遺産みたいなものに頼ったきらいはありましたが、ちゃんとシリーズを終わらせたという点と、「年上としてふるまうれんちょん」を見せてくれたという点は高く評価できますね。

制作側も、つきあった視聴者もお疲れさまでした。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 48
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

小さな音楽隊

SILVER LINK制作。

都会の喧騒を離れると、
ここまで小鳥や虫の声が聞こえてくる。
美しさを増した町の風景に、
さりげなく写る牛横断注意の立て看板。
豊かな自然の中で子供たちは、
スローライフな日常を生きている。

全くもって心配はいらない。
ゆるキャン△同様に強みを良く知っている。

登校時に歩きながら縦笛を吹く、
何気ないれんげの絵に衝撃が走った。
もう随分と忘れていた感覚である。
意味もなく登下校時は横に並び演奏する、
小さな音楽隊である。
大して楽しくもないのにずっと吹いていた。

ひぐらしの声、茜色の夕暮れ、
擦りむいた膝の思い出とともだち。

最終話視聴追記。
後半に並ぶ吉田玲子脚本回が印象に残る。
{netabare}正月休み、れんげとほのかの小さな友情は、
きっと大人になっても覚えているでしょう。{/netabare}
通いなれた通学路、同じような毎日でも、
れんげには違って見えている。

素敵な時間が流れています。
こんな平和な日常が今でもどこかで。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 47

65.8 3 予想外で友達なアニメランキング3位
妻、小学生になる。(TVアニメ動画)

2024年秋アニメ
★★★★☆ 3.3 (96)
262人が棚に入れました
累計部数300万部突破の村田椰融が描く家族再生の物語。10年前、妻を亡くした愛妻家の新島圭介はずっと失意の中にいた。だがある日、小学生の女の子、白石万理華が、自分は他界した妻、貴恵だと言ってやってくる。こうして、小学生の姿をした妻との人生が再び動き始める…2022年にTBSにて堤真一主演、石田ゆり子共演で実写ドラマ化もされた本作。2024年、TVアニメとして再び日本中を愛で包む――。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

夫婦論や幸福論は秀逸ですが、アニメとしてはどうよ?という気はします。

 これは辛い話ですねえ。もちろん、救済でもあります。別離の前準備をして覚悟を決めて自分が妻の死をどう受け入れるのかを納得できる時間があるのだから。

 最後の嘘をどう見るかですが、あれは夢の貴恵の感じだとばれていると考えればいいのでしょうか。まあ、その辺はみんなの優しさの結果ですから、個々人が読みとればいいと思います。

 そして、最後の言葉に時間の話がありました。これが大事ですよね。一緒にいる時間が長ければ幸せなのか。違いますよね。短くても確かにそこに愛情があって結婚生活があって娘を授かった幸せがあった。その幸せは時間の長さに関係しないよ。だから、今は別離を受け入れようということですね。

 このメッセージは素晴らしいですね。拝金主義の言う幸せとは次元が違う精神性です。他人同士が結婚することの意味、子供を作ることの意味…いや、それだけでも狭いですね。確かにそこにあった幸せの瞬間があれば、それは長くても短くても価値は変わらないということでしょうか。

 ちょっと「クラナドアフターストーリー」の後半を思い出すメッセージでした。また「じいさんばあさん若返る」の長い時間を一緒に過ごした夫婦の味わいとは逆の様で本質的には同じことを言っていると思います。

 娘を配置して、最後に結婚させたことは物語としてはいい構成だったと思いますし、連綿と続く人類の結婚、出産の意味を感じさせてくれます。少子化、結婚離れ、そしてコスパ、タイパの世の中で幸福について明確なメッセージがあると思います。

 途中の虐待のところが、活かせていたかなという疑問はあります。それでも子供を持ったことが母としての救済にはなりましたが、子供の立場からするとどうなんだろう?という気がしなくはないです。

 全体として、アニメとしてはエンタメとしては決して優れてはいません。実写版があったそうで本作はひょっとしたらその方が描写としてリアリティがでるのかもしれません。ただ、小学生になった妻の演技という点ではアニメ版が活きていたと思います。

 決してとびぬけてすごいアニメだとは思いませんし、メッセージに独自性があるわけでもないですが、人間の幸福…特に夫婦が死別の辛さと向き合ったときに忘れてしまう幸福を見事にすくいあげたと思います。

 ちょっと最後の方が辛くて正視できなかったので、過小評価している可能性はあります。2回目が見られたら評価が変わるかもしれません。



1話 荒唐無稽な設定は、言いたいことがある場合に有効な手段。

{netabare} 妻が小学生に転生して戻ってくる話と言えば東野圭吾氏の「秘密」があまりにも有名ですよね。あっちは娘になるのでもっと複雑でしたけど。ネタバレは価値がゼロになるので、そっちはそっちで名作なので「秘密」に悶えてください。読み切るのに精神力が必要ですけど。

 で、本作はまあ、オマージュはしているでしょうね。発想も雰囲気もやろうとしている(だろう)ことも非常によく似ています。それをどうやって本作の独自性を出して、換骨奪胎しているのでしょうか。

 小学生と中年の夫婦生活の歪みと新しい生活をどう考えるか。そこが焦点とならざるをえません。アダルトのロリペド作品ならどうか知りませんけど、真面目に描くなら夫婦である以上は性の問題は描かざるを得ないでしょう。なぜかといえば夫婦の関係性の物語だからです。
 2人がセックス出来なければ新しい恋愛がどうしても必要になるはずですが、過去の夫婦関係にしがみつくのが本当に2人にとって正しいのか。だからこそ理屈では破綻せざるを得ないのですが、本作がどうまとめるかです。新しい関係性の提案になるのかもしれません。
 週刊漫画TIMES連載だったということで、それならかなり深いところまで描けるはずです。そして「本当に妻なのか?」問題も描かれるのかもしれません。娘との関係性も必要でしょう。

 題材的には大好物です。荒唐無稽な設定というのは言いたいことの本質をデフォルメして、何を描きたいかをフォーカスし、クローズアップする効果があります。この設定で何を描きたいのか。夫婦か、愛か、思いやりか、再生か、破滅か。いろいろ考えられますが、真面目に描くなら見てみたいです。

 で、結構話、進めましたね。ここまでが導入だとするとかなりのテンポですが今後どうなりますか楽しみです。感動ポルノにとどまらないようにお願いします。{/netabare}


2話 こういうストレスがあるアニメがやっぱり面白いなあ…

{netabare} こういう話ですから障害があると思っていましたが、思っていたよりもハードなのが来ましたね。こういう困難を乗り越えるのか、それとも挫折するのか。そこにどんなドラマを見せてくれるのか。

 妻が小学生になるってアニメ(マンガ)ならではですよね。実写の小学生だと演技が付いてこないでしょう。そこがシラケる原因になりそうです。実際作られたそうですけど、どうだったんでしょうね?

 2話はひどい状況のストレスで見ていて胸が苦しくなりますが、こういう作品はやっぱり必要だし、私は好きです。そしてハッピーエンドでなくても構わないと思います。そこに本当の夫婦を描ければ。キービジュアルでベンチの両端に座っている2人が意味深ですよね。

 本作の解決はどうするんでしょうね?壮大なドラマなら10年間は我慢するとか、別の人生を歩んで死の間際にとか考えられますけど(最近そんなSFアニメがありましたけど)、そこまでじゃなさそうですね。

 面白いにもいろいろありますが、本作は最近のアニメにはない面白さがあると思います。面白さの種類は「コタローは1人暮らし」を少し思い出します。決して爽快な面白さではないです。{/netabare}


3話 ありえない設定だからこそ家族とは何かを考えることができそう

{netabare} 配偶者がもし死んだら時間は止まるでしょう…その一方で高校生の娘の時間を止めることは許されないでしょう。ただ、それもしょうがないかな、という気もします。愛情が深ければ深いほど立ち直るまでに時間は必要でしょう。

 本当に愛していたなら前を向けるというのは綺麗ごとでしょう。本作の場合、おそらく転生したことに関してはトリックはなさそうですから前提として本当に妻があの子に乗り移っているから(考えようによっては悪霊ですけど)立ち直るきっかけはできるのでしょう。この父親と娘には救済がありましたが、実際はこの救済がないわけで。それを考えるともしこのIFがないと切ないですね。

 それと再婚あるいは恋愛ですよね。そこは描かざるを得ないと思いますが、もっと深掘りしても良かったかも。もうちょっと何かあるのかな?でもあの書類が出てきたなら、一旦はこれでその話は決着なのかなあ…性欲の話も本当は描いてほしいんですけどね。

 家族を描くのにこの設定って実は向いているのかもしれません。ありえないからこそ家族を深く考えるきっかけになるし、想像が膨らみます。それと原作を知らないので、あの母親が登場すると思うとすごいストレスですね。その恐怖があるからこそ気持ちに乗っかれていいです。{/netabare}


4話 テンポがかなり速いけど展開が気になります。リアリティが有るのか無いのか…

{netabare} 人間関係がゴチャゴチャしてきましたが、ある意味ではリアリティがあるし、ある意味ではないのかな、という感じですね。展開が急ですが、アニメの情報量の密度の薄さを補うにはこれくらいのテンポの方がいい気もします。

 上司を好きになるきっかけにかばってくれたから…というのは多分フィクションでしょうし、あのタイプの上司を好きになるタイプはかなり特殊な感覚の人だと思います。無理やり作った人間の配置に見えてちょっと記号的かなという気はします。

 一方で生きていれば、出会いがあって好意があって憎悪があって別離があって、いろいろです。そのあたりを単純化した話も多いので本作のようなみんなに人間関係のいろいろがあるのは、自然な気がします。

 2つの家族、娘のデート、そして会社の部下、再婚話に虐待。一体どう展開してどう収束するのか。あるいは発散するのか。

 人間関係の上手くいかないところと、再生とどうなってくるのかわかりませんけど、アニメとしては珍しく深刻な人間のドラマがありそうです。展開が気になります。{/netabare}


6話 虐待が不自然でドラマの要素でしかない。圭介のエゴが不快な気がする。

{netabare} 再婚話が消えて、生まれ変わりの事実が娘から伝えられて、虐待が解決したかわかりませんが一応なんとかなって…これでいいんでしょうか?何か圭介のエゴが前面に出て本当にそれでいいのか?と思ってしまいます。

 何か貴恵/万理華の母親に同情してしまいます。あの状態なら娘を問い詰めても当然の気もします。
 もちろん虐待は許される行為ではないですが虐待の連鎖は病気とも言えます。そして虐待は治らないケースが多いと見る方がいいと思います。彼女に救済があるとしれば、子供と別れる事のような気もします。
 カウンセリング療法みたいのはありますけどね。それとこういうケースの場合、虐待後に反省して子供を抱きしめたりするらしいです。その辺の虐待の現実はちょっと取材不足かなという気はしました。

 一方で、その状態の貴恵/万理華の母親に、圭介の言葉、6話最後の「あなたを信用していない」はいいんでしょうか?言葉というのは呪いの様に人間を縛ります。カウンセリングなどでしか治療方法がない虐待の当事者に対して、その言葉は毒針です。あなたは出来ないと言われるから出来なくなるケースも多いです。言いたいこと言ってお終いの気がしました。

 という理屈での不満があるほか、話の展開としてこの家族の前に困難をまき散らして、ドラマを無理に作っているような気もします。母親との関係で親権の取り合いを虐待を絡めてやったほうが、リアリティもあるし大人の視点で虐待を描くことにもなります。

 あるいは恋愛にもっとクローズアップして、周囲からの目とか小学生との妻の性行為はどうするんだ?という事を描くなどした方がいいと思います。

 ということで、最後まで見ますけどせっかく面白い視点の話ですが、キーとなる貴恵/万理華の母親と圭介にキャラとしての不自然さ、エゴなどが見えて不快感を結構感じています。後半どう巻き返すんでしょうか?{/netabare}


7話 展開が平和すぎてなんだかな、と思ったらそう来ましたか。

{netabare} なるほど、最後にそれをやりますか。7話終盤まで娘の件で普通にいい話になってしまって少しがっかりしました。毒親とか離婚問題というハードな問題がサラリとかたづいてしまいました。貴恵/万理華の母親との関係性がその人格ならかなり不自然だし、内容は平凡で平和な展開かなと。想いが継続する時間とか未練とかそういう問題にはつなげられるかなとは思いましたけど。

 で、突然の展開ですね。これはちょっと興味があります。ありますけど、ただ、夫婦の問題から逃げている展開に見えなくはないので、今後どうなるかですね。ただ、自然な形に落ち着くにはそれしかないかなという気もしますが…{/netabare}


8話 転生ブームを逆手にとった上手い物語。辛いくしんどいですが良いと思います。

 これはしんどすぎますね。辛い結末しか想像できません。万理華の人生を想えば、貴恵としては何とかするしかないでしょう。彼女の性格から言って受け入れざるを得ないと思います。転生というブームを逆手にとって、上手いストーリーを考えましたね。転生を上手く使い切るのは本当に難しいと思いますので、嫌でも評価があがります。

 もうこれは結末での選択肢は1つしかありません。他の誰かに…という甘いものではないでしょう。他作品のネタバレなので伏せますが{netabare}「うる星やつら」のリメイクの33話後半の「最後のデート」{/netabare}を思い出します。あれは相当胸にくる話でした。

 それを1クールかけてやるのか…と思うと、辛いですが最愛の人間の死を受け入れるという意味で中年男が再生する話に繋がります。その意味では「秒速5センチメートル」とかもそうですが、別れが必要な場合はあります。それがあるから前を向けるという事かもしれません。

 これを真摯に真剣に描き切るなら物語が生まれます。ぜひ、妥協しない結末を見せてほしいです。


 

投稿 : 2025/02/15
♥ : 10
ネタバレ

け~・える・い~ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.3

貴恵ファーストが過ぎる

タイトル変更と、全話見ての感想を追記しました。

{netabare}
10年前に事故で死んだ妻が小学生に生まれ変わって、目の前に現れる。プロットだけを見ればお涙頂戴の感動もののようだが、6話まで見て気持ち悪さしか感じられない。

{netabare}序盤は妻と再会できたことに浮かれてはしゃぎまくるばかりの圭介が気持ち悪い。親族でもない小学生と中年が一緒いることがどうみられるかということを気にしなさすぎ。

中盤は、子供を虐待していた万理華の母親を説教する圭介が気持ち悪い。自分も妻が死んでから10年間麻衣を放置していたのに、なにを偉そうに。

そして一番気持ち悪いのは、貴恵の記憶が戻る前の白石万理華の人格がほぼ消失してしまっていることを誰も気にしていないこと。貴恵とは別の万理華という小学生の人格がいたはずなのに、その人格がどこに行ったかを誰も心配していない。貴恵が蘇ってよかったという気持ちばかりがみえてくる。本来は死んでいる貴恵よりも現在の人格である万理華のほうが大事なように私には思えるのですが、作中の人物にはそういう考えはないようです。

アニメの演出のせいなのかもしれませんが、人物描写が雑で誰にも感情移入できない。

追記:7話の終わりでやっと万理華らしき人格がでてきた。ここまで作中時間で半年(2話が7月で7話が新年会)もたってる。ここまで万理華の存在無視・・・。作中人物の態度も、創作物としてのキャラクターの取り扱いとしてもひどいと思います。

[追記]8話視聴
万理華の人格が戻っても相変わらずの貴恵ファーストの新島親子。貴恵がいなくなったことを悲しむばかり。再び万理華が消えて貴恵が戻ってきたときも「よかった」とは。
まずは、万理華は千嘉の娘であって圭介の妻ではない。たとえ生まれ変わりであったとしても、貴恵ではなく万理華としての人生が今まであったことを軽視しすぎ。1年もたってやっとその問題に気付くとは・・・・

[全話見ての感想というか勝手な考察] 

全話とおして貴恵ファーストが過ぎるのが私が素直に楽しめなかった原因かと。
確かに圭介、麻衣にとって貴恵は大事な人ではあるのだけど、同様に千嘉と万理華もお互い大事な人のはず。それなのにそこに対する配慮というものが作中人物からも作品からも感じられない。もっと両者を平等に扱っての葛藤があればよかったのだけど、貴恵の消滅に関する葛藤はあるものの万理華の存在に対する葛藤はあまり描かれていない。
如実なのは貴恵を成仏させるための圭介の結婚話を聞いた11話の麻衣の反応。貴恵の存在が万理華の人格を抑え込んでいる可能性を聞かされたうえでのあの言動。幼い子供、せめて中学生くらいまでだったら納得できるけど結婚しようかという成人女性としてはあまりにも自分本位で幼稚。

勝手な考察でいうと、麻衣の結婚をストーリーに絡ませたかったがために全体的に不自然になってしまったのではないかと思います。麻衣が結婚適齢期なことから貴恵が死んだ時点で中学生または高校生くらいだったはず。それであの母親への依存は異常に感じられる。貴恵の死亡時にまだ母親へ甘え足りなかった幼児で、現在がまだ思春期にある子供ならもっと素直に受け入れられたと思います。
{/netabare}

投稿 : 2025/02/15
♥ : 4

tomledoru さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

10年位前からの漫画作品ですよね。読みました。後半感動します。

テレビドラマにもなって。今度アニメーションになって。

漫画をタブレットでダウンロードして読んだのを覚えてます。

もう十年くらい前じゃないですか?仏教で言う輪廻転生というのがあるのかどうかわかりません。

結局は生まれ変わりではなくて,憑〇現象だったというオチなんですが。

まあ、そんなことはどっちでもいいです。

登場人物の心理描写や葛藤や愛情や家族のあり方など,考えるべきところは沢山あると思います。

この漫画を読んだときの印象は発想の転換が面白い+

発想やアイディアが新鮮だなと思ったんです。

しかし,それは十年前の話なんですから,

今アニメーションをやる意味は大方薄れてきているかもしれません。

でも,はじめてみる人にとっては結構面白い番組だと思いますよ。

「村井の恋」とBS放送でまるっきり,かぶっているというところが、なんとも憎たらしいですね。

幸い我が家はダブルチューナーで複数のハードディスクを持ってるので。同時録画してますが,ライバル意識があるんでしょうか?

私は「妻,小学生になる」の方が断然面白いと思ってます。

上級者向けアニメととして、人生・家族の絆・人とのつながりや恋というのは一体なんなのだろうと,もう一度真剣に考えさせられる素晴らしい作品だと私は思っています。

はっきり言うと、どちらかというと大人向けの作品でしょうか?

年齢が高い人ほど。共感する部分がたくさんあると思います。個人的にも,もっと評価されてよい作品だと思っています。

逆に,裏番組の「村井の恋」は年齢が下がるほど評価が高くなるように作られた作品のように思います。

投稿 : 2025/02/15
♥ : 3
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