フリ-クス さんの感想・評価
3.4
大人はわかってくれない。
むかし、絶対音感のあるアメリカのジャズメンと飲んでいて、
ワタシ、日本のブンカは尊重してるんですが、
カラオケにはまず行きません。
音酔いというか、
機械のオンテイが不安定なので気持ち悪くなってしまうんですよ。
いまは世界中どこにでもカラオケがあって困ったものです。
なんてグチっぽい話を聞かせてもらいました。
拙にはゼッタイオンカンなんて大層なものはなく、
そういうご苦労ははかりかねるのですが、
そいじゃま次は女の子のいる店にしましょうかと言うと、えらく喜んでいました。
(おかげで死ぬほど払わされましたが)
もちろんプロミュージシャンにもカラオケ好きはいますし、
そこんところは人それぞれかと。
ただ、むかしザ・バンドとボブ・ディランがセッションしてた時、
ディランのギターがあまりにも気に障るので、
アンプからプラグをロビー・ロバートソンが引っこ抜いた、
なんて話もありましたよね。
気になる方はやっぱどうしようもなく気になるようであります。
なんでこんなこと書いているかというと、
僕はオンガクに関してはけっこう許容できるんですが、
お芝居に関してはダメだからなのであります。
ただ『それっぽく』演っているだけのお芝居
ジブンだったらと考え『役ではなく自分』で演ってるお芝居
気持ちばかり先行して『技術が追いついていない』お芝居
そういう『予選も通らない演劇部』レベルのお芝居って、
学園祭なんかだと微笑ましく見ていられるんですが、
商業作品になるとマジでダメで、ココロがささくれ立ってしまうんです。
で、本作『かがみの孤城』は、
辻村深月さんの同名小説を原作とした長編劇場アニメですね。
原作は未読なんですが脚本がかなりよく、
すぐれた脚本をつたない芝居でブチ壊している『よくある作品』のひとつです。
(少なくとも僕の耳にはそう聞こえます)
制作はみんな大好きA-1ピクチャーズ。
2022年12月の公開で、
興行収入10億円を突破していますから、
日本語でいうところの『スマッシュヒット』作にあたるのかしら。
{netabare}
ちなみに『スマッシュヒット』というのが、
いわゆる『そこそこのヒット』を意味するのはニッポンだけですね。
英語の『smash hit』は『大ヒット』という意味になります。
そこそこのヒットは『moderate hit』。
いわゆる『マンション』と『mansion』の違いみたいなものであります。
{/netabare}
お話は、明確なメッセージ性のあるファンタジーかと。
さまざまな理由で不登校になっている(ひとり違うけど)7人の中学生が、
鏡の向こうにある孤城に集められ、
なんでも願いをかなえてくれる『願いの鍵』を探すという物語です。
少年少女たちは現実世界と鏡の世界をいったりきたりしながら、
ちょっとずつ、お互いに心を通わせていきます。
けっこうリアルで残酷なそれぞれの事情が少しずつ語られ、
無慈悲で理不尽な現実世界に対峙するための『心や勇気』みたいなものが、
そうした交流を通じて芽生えていく。
そんな感じの組み立てが大きな流れになっております。
そう書いてしまうとなにやらセッキョ-くさい作品っぽいですが、
エンタメらしいギミックがあちこちに施されており、
山あり谷ありで飽きさせないまま、ラストまで突っ走っていきます。
丸尾みほさんによる脚本は、
原作の良さ(しつこいですが未読です)もあるのだろうけれど、
秀逸そのもの。
不登校になった原因の『いじめ』の書き方もそうなのですが、
そのことによってトラウマを植えつけられてしまった少年少女たちの、
・正論を絵空事にしか感じられなくなっている心の歪み
・自責・他責にすっぱり線を引けない未成熟さ
・自己憐憫と自己批判が渦巻き、極端に狭くなっている視野
みたいなものが飾らない言葉で切々と描かれています。
そこがきちんと描けているからこそ、
彼らの抱えている問題が
こういうファンタジーが存在しないと解決できなかった
ということに得心できるわけでありまして。
(もちろんそれ自体が
いまの社会に対する強烈なメッセージになっております)
このあたり、さすが辻村深月さんがOK出した脚本だなあ、と。
ほんとこの方から承認とるのは大変なんですが、
それは本筋と外れてくるのでネタバレで。
{netabare}
辻村さんって、NHKから損害賠償の提訴をされたことがあるんですよね。
ことの経緯はこうです。
彼女の『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』という長編をドラマ化しようという話になり、
講談社がNHKに対して2011年11月、制作許諾をしました。
ところが、あがってきた脚本に辻村さんからNGが出ちゃったんですよね。
修正協議を繰り返したのですが、
NHKの『部分修正』案と辻村さんが望む『抜本的な検討』が折り合わず、
ついに2012年2月、撮影開始直前に許諾を取り消すことになったのです。
撮影直前ということでNHKは、
役者の手配はもとより美術制作まで終わっちゃっていたわけで、
キャンセル料だの実費だので大損がでました。
で「いくらなんでもきついっスよ」ということで、
NHKが損害賠償請求をしたわけです。その額、なんと約5980万円。
結論は辻村さん(講談社)側の勝訴。
というか、東京地裁でNHKの訴えが棄却されました。
これ、拙が何度か言ってる著作権のおハナシ、
『映像化の許諾』と『お話に手を加えることの許諾』はべつのもの、
ということの典型事例ですよね。
いくら「映画化してもいいですよ」と言っていたとしても、
脚本や映像に著作権者からの承認がおりなければ公開できないんです。
そういうのって版権ビジネスのイロハの『イ』でありまして、
はっきり言って、NHKの大チョンボかと。
この損失補填はコクミンから徴収した視聴料で賄われております。
でもまあ、法的に担保されている権利とはいえ、
天下のNHK相手に作家ダマシイを貫き通した辻村さんがリッパかと。
なんせこのときは直木賞もとっておらず、
メフィスト賞と吉川の新人賞を取っていただけ、
文壇では『期待の若手作家のひとり』に過ぎなかったわけなんですもの。
(だから「押し切れる」とNHKも思ったんでしょうね)
{/netabare}
というわけで、この『かがみの孤城』は辻村さんのお墨付き、
ふつうに作っていたらたぶん『名作』になっていた作品だと思います。
ところが、ぜんぜん『ふつう』に作ってないんです。
キャスティングがめっちゃくちゃ。
学芸会とまではいいませんが、そのへんの市民劇団レベルではあるまいかと。
実はこの原作、先にオーディオブックが発売されているんですが、
そこからのキャラ替えがハンパありません。
メインどころでいうと、以下みたいな感じですね。
(『声優』という言葉好きくないんですが、あえて使ってます)
こころ 元:花守ゆみりさん 声優歴9年。主演アニメ30本以上。
↓
當真あみさん。女優。
(16歳。演劇経験なし。金ドラでちょい出演しただけ)
アキ 元:伊藤かな恵さん 声優歴16年。主演アニメ30本以上。
↓
吉柳咲良さん。女優。
(18歳。子役出身。アニメは『天気の子』ヒロインの弟役だけ)
スバル 元:西山宏太朗さん 声優歴10年。主演アニメ20本以上。
↓
板垣李光人さん。
(20歳。俳優・モデル。子役出身。アニメ・吹替経験なし)
マサムネ 元:小林裕介さん 声優歴9年。主演アニメ40本以上。
↓
◎高山みなみさん。
(59歳。いわずもがな、アニメ界の大御所)
フウカ 元:大和田仁美さん 声優歴9年。主演アニメ10本以上。
↓
横溝菜帆さん。
(14歳。女優・モデル。子役出身。アニメ経験3本)
リオン 元:島﨑信長さん 声優歴13年。主演アニメ60本以上。
↓
北村匠海さん。
(25歳。俳優・歌手・モデル。子役出身。ドラマ出演多数。アニメ経験3本)
ウレシノ 元:堀江瞬さん 声優歴7年。主演アニメ20本以上。
↓
◎梶裕貴さん。
(37歳。声優歴16年。主演アニメ90本以上)
オオカミ 元:東山奈央さん 声優歴12年。主演アニメ60本以上。
↓
芦田愛菜さん。
(18歳。女優・歌手。子役出身。ドラマ出演多数。アニメ・吹替経験そこそこ)
東条萌元:千本木彩花さん 声優歴9年。主演アニメ20本以上。
↓
池端杏慈さん。
(15歳。モデル。演劇経験なし。テレビドラマに一回出ただけ)
高山みなみさん、梶裕貴さんというスゲー方もまじってますが、
基本的には『経験豊富なプロフェッショナル』から、
10代中心で経験値の乏しいキャスティングへと変更されてるんですね。
もちろん『若いから』『経験がないから』ダメというわけではありません。
瀬戸麻沙美さんが『ちはやふる』を演ったのは高校生のときですし、
楠木ともりさんが『GGO』演ったのも18歳。
天才・沢城みゆきさんに至っては、
14歳・演劇経験ほぼゼロで新人オ-ディションに登場し、
僕の知り合いの音監が「いまだに当時のテープを聴いたら鳥肌が立つ」
というぐらい、全ての年代を完璧に演じわけてみせました。
ましてやほとんどのキャストさんが『子役出身』ということで、
花澤香菜さんや悠木碧さんを連想する方も多いかと。
ただ、子役や舞台・実写演劇に求められる表現技術スキルと
アフレコのそれは『似てるようでチガウ』んですよね。
バスケットボールとハンドボールぐらい違う。
球技大会ぐらいなら無双できても、
インタ-ハイレベルになるとごまかせなくなっちゃうんです。
(ここんとこ、一番うしろで『オマケ解説』しておきます)
そこをアジャストするには、
やっぱり『相当真剣な練習』をするしかありません。
基礎があるので習熟は早いですが、
そこんところもやっぱり人それぞれ違いが出てきます。
舞台・実写俳優さんで『アジャストするのがうまい』方はおられます。
アフレコ専業役者さんに遜色ないぐらい仕上げちゃう。
そういう『おそろしく耳・アタマ・心がまえがいい』方ってほんと尊敬いたします。
で、本作の演技品質の話に戻りますが、
正直言って『学生さんが演劇部に頼んでアフレコした自主制作アニメ』
ぐらいの評価が妥当なところかと思います。
決して棒読みではなく、
それなりに『痛みやつらみ』的なものも伝わってきますから、
あの『竜とそばかすの姫』よりは数段マシです。
オンガクで言うなら『カラオケ上手さんの歌』ぐらいのレベルでして、
こだわりのない方ならば、
いちいち目くじら立てなくてもよくなくない?
ぐらいに聴こえると思うんですよね。
ただ……拙にはちょっとキビしかったです。
元の役者さんが演っていたらどういうお芝居・音源になるのか、
おおむねイメージできちゃうんですよね。
そこ違う。もっとはって、背中まで鳴るように大きく。
いまのセリフ、語尾はもっと消え入るように。
長いセリフは『立てる』言葉、もっとはっきりメリハリつけて。
なんてことを視聴中ずっと考えてしまっていて、
モノガタリに集中しきれなく。
ああ、脚本がすごくいいのにスゲーもったいない、
大御所に「真実はいつも一つ」なんて言わせてる場合じゃね~だろこら、
なんてぷんすか怒りながら視聴していました。
なんでこんなキャスティングするかなあ。
オトナってやだわ。
作品としてのおすすめ度は、それでもB+。
声優と音楽、いわゆる『音響系』の評価がひくいので平均点が3.4なんですが、
見る価値のある映画ではあるまいかと。
見る角度や足の置き場によって感じ方が変わってくる作品なんですが、
脚本にしっかりした背骨がとおっているので、
どんな方でもココロに石を投げ込まれるような気持ちになると思います。
もちろん『いじめ』だの『大人の無理解』だのに、
明確な解決策なんかあるはずがありません。
あるはずがないからこそ、
たまにこういう作品を見ることによって、
一人一人が一歩ずつでも足を前にはこぶことがダイジなんじゃないかな。
そんなことを拙は拙なりに愚考いたしました次第です(←日本語おかしい)。
映像は、まあ、きれいかなぐらい。
A-1ピクチャーズだからといって何でもかんでもスゲーわけではありません。
カット割りやアングルは、けっこう実写よりですね。
いいカットは間違いなくいいんだけれど、
クライマックス、言っちゃ悪いけれど、演出がふるくさいかもです。
音楽は、劇伴うるさいです。
かと思えは無伴のシ-ンもけっこうあって、バランス悪すぎ。
ちなみに、
エンディングのクレジットにすら音響監督が明記されてないんだけど、
キャスティング改悪の件といい、なんかあったのかしら?
あと、エンディング主題歌、狙い過ぎて逆にあざといかも。
しっかりしろ、アニプレ。
というわけで、音響系はアイタタなんですが、
何度も言うように物語・脚本がすごくよく練られているので、
作品としての価値はけっこうあるんじゃないかと愚考いたします。
ラスト、人によっては『予定調和』みたく感じるかもですが、
すでに述べたように『ファンタジー』だからこそ、
それなりの調和にもちこめたんですよね。
じゃあ、このファンタジーがなかったら彼らはどうなっていたのか、
それこそがこの作品のウラ主題みたいなものでありまして、
政府だのキョーイク機関だのに押しつけてシャンシャンなテ-マじゃないわけであります。
ただまあ、アニメに『いやし』や『もえ』を求める方には不向きな作品ですし、
人によっては虎馬えぐられるかもです。
ココロに余裕があるときに、チャレンジしてみておくんなまし。
なお、拙と同じくキャスティングにモンダイを感じる方には、
オーディオブックという選択肢もございます。
ただ……全部で19時間越えちゃってるんですよね、マジで。
拙は時間もおカネも集中力もないので、
すっごく興味あるんですが、サンプルのみ試聴しております。
評判そのものはイイので、よろしかったら、ぜひど~ぞ♪
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ここからは純然たる『オマケ』です。
拙がおのれを顧みずエラそうに言っている
『実写』『舞台』『アフレコ』
のお芝居は、具体的にどう違うのか、というおハナシですね。
本編にはほとんど関係ないので、
いつもどおりまるっとネタバレで隠しておきます。
ご興味のある方だけ、どうぞ。
(はっきり言って、スゲー『長い』です。心して読んでね♪)
{netabare}
[設定]
男子Aと女子Bは、文芸部に所属する高校二年生。
わりとなんでも言い合える仲だけれど、付き合ってはいない。
男子Aは草食系、女子Bはやや勝ち気ではっきりモノをいうタイプ。
部活の買い出しで制服のまま商店街にいってベンチで休んでいたとき、
まえを横切った女子大生風のふたりが以下のような会話をしているのが耳に入った。
「あたし、またムネおおきくなっちゃってさ~。Cだときっついんだよね」
「わかる~。あたしもこないだDにしたし」
それを聞いて、なにげなく女子Bの胸元に目をやる男子A。
その視線に気づいた女子Bが次のセリフを言う。
「そうよ、Aカップよ。笑えば? あたしが代わりに笑ってあげようか?
あは、あはあはあは」
[解説]
このセリフ、特に難しいお芝居ではありませんが、
ウケをとるためには『実写』『舞台』『アフレコ』それぞれで、
ハイリョすべきポイントが変わってきます。
まず『実写』ですが、
これは(たいてい)カメラがバストアップ以上に寄ってくるので、
おおむね『顔芸』がダイジになってきます。
露骨にいかりを顔に出して目をむくのか、
いわゆる『ジト目』で、冷ややかに言い放つのか、
自虐・やけくそ気味に、視線を外し正面を向いて言うのか。
セリフそのものは、自分が選んだ芝居に合致していればよし、です。
感情が自然と言葉に乗るので、
発声自体に特別な技術をほどこす必要はキホン的にありません。
(感情の乗っていない『口だけ芝居』は論外です)
次に『舞台』ですが、
これは観客との距離が遠くて細かな『顔芸』が伝わりにくいため、
カラダ全体を使って感情を表現する必要があります。
いくつかパターンをご紹介いたしますと、
・自分の胸に手を当てる(役者によっては立ち上がる)。
・セリフのまえに、ドン、と足を踏み鳴らす。
・「あは、あはあはあは」に合わせて肩や首をリズミカルに動かす。
・笑い終わったあと、ストップモーションみたく相手をにらみつける。
こういうお芝居って、
実写で演ると『オ-バ-アクション』に見えることが多いですよね。
セリフの発声には『いきおい』がダイジになってきます。
早口にならないようテンポに気をつけがら、大きく、元気よく、そして強く。
(*同じ発声を実写で演ると『うるさい』です)
最後に『アフレコ』ですが、
これは役者が顔やカラダで関与できる余地がないため、
言葉の立て方や発声に細心の注意をはらいます。
コトバの立て方というのは、以下のような感じですね。
「『そうよ』、Aカップよ。笑えば?」
「そうよ、『Aカップ』よ。笑えば?」
「そうよ、Aカップよ。『笑えば?』」
これ、どこにセリフの『山』をもってくるかで印象がガラっと変わります。
最初のは『ふつう』、二番目は『コミカル』、最後のは『ケンカ腰』。
続く「あたしが代わりに笑ってあげようか?」でも、
さいごの「か」の『a音』をはっきりと発声するかしないか、
語尾を『スパッときる』のか『尻をあげる』のか、
全体を『フラットにいう』のか『嚙んで含めるように』いうのか、
そんなところで耳に届く印象がガラリと変わってきます。
そして最後の「あは、あはあはあは」が個性の出しどころです。
a.発声練習みたく、腹筋だけで、何の感情もこめない。
b.「あは、アハあはAHA」みたく『音をバラけさせる』。
c.最初かわいく、だんだん怒気をふくめる。
もちろん『発声のスピード』によっても印象が変わりますし、
役者さんによっては、
最初の「あは」に小さな「っ」をつけ、間を多くとったりもします。
動画などで役者(声優)さんの台本が映されたとき、
独自のマークなどが色ペンなどでびっしり書き込まれている、
というのを見たことがある方がおられると思います。
それは、そういう自分で考えた指示(実際はもっと細かい)を、
楽譜みたいに書き込んでいるからなんです。
総じて『役を読み解き、気持ちをつくる』というまでのプロセスは、
実写も舞台もアフレコも、大きく違いません。
ただ『作った気持ちを表現する』ときの力点が違うんですよね。
じゃあ、アフレコ役者さんの芝居が一番いいのか、というと、
それは一概に言えません。
アフレコ役者さんのお芝居をそのまんま実写にあてはめてしまうと、
どこかしら『作った』感じになっちゃうんですよね。
舞台のお芝居を実写でやるみたく『オ-バ-アクト』に聴こえてしまうんです。
それってやっぱり『視覚効果』の問題なんですよね。
舞台では、すでに述べたように、
リアルではありえないような『大きな動きや声』の方が、しっくりきます。
生身の人間が演じていますから、
まあ『リアル』っちゃリアルなんですが、
視覚・聴覚的には『セミリアル』なお芝居が求められることになるんです。
(逆に、舞台で実写ふうにやると『芝居が小さい』と怒られます)
これに対し、アニメは視覚的に『リアル』なものじゃないんですよね。
顔の四分の一とか三分の一が目なんて人間はいませんし、
ピンクとか緑色の髪の毛なんて、コスプレ以外の何なんだというハナシです。
背景が闇になったりカミナリが走ったりするエフェクトも独自のもの。
キャラの顔に斜線入ったり、いきなりポンチ画になったり、
とにかく『アニメ独自の表現手法』というものがカクリツしているんです。
そういう『非リアルな映像』だからこそ、
アフレコ役者さん独特のお芝居が生きるというのがあります。
ディ〇ニーランドの中を歩いていると、
おなかの出たおじさんが大きなミミつけて歩いてても違和感ないですよね。
あれ、区役所のカウンターに座ってたらタイヘンじゃないですか。
それじゃあ、アニメの演出やキャラデを限りなく実写に寄せたらどうなの、
というと、やっぱり『大丈夫』じゃないんですよね。
なぜかというと、
多くの人は『視覚体験』と『聴覚体験』がアタマの中で結びついている、
いわば『パブロフのわんこ』みたいな状態にあるからです。
たとえば、グランドピアノそっくりのシンセサイザーを作ったとして、
それでパイプオルガンの音色で演奏したら、
見ていてめっちゃ違和感を覚える人が少なくないと思うんです。
それって『グランドピアノ』という視覚から想起される音色が、
体験的にアタマの中にインプットされているからなんですよね。
同じように『実写』でアニメ声・お芝居というのも、
または『アニメ』で実写の声・お芝居というのも、
視覚と聴覚のギャップに違和感を覚えてしまう現象が生じてしまうんです。
つまるところ結論としては、
実写・舞台・アニメそれぞれ『求められるお芝居』が違っているため、
そこにアジャストしていく必要がある、ということになります。
もちろん作品によってその『求められ方』は違いますし、
実写の『演出』として舞台風・アニメ風のお芝居を取り入れることもあります。
僕が述べていることは、あくまでも『原則・基本論』にすぎません。
ですが『セイユウの芝居は作った感じがする』なんていって、
アニメに実写系の俳優を起用するぐらいなら、
最初っから実写で撮れよ、というおハナシにはなると思います。
視覚情報がコンポン的に違うんだもの。
テレビ俳優さんも舞台俳優さんもアテレコ役者さんも、
みんなお芝居の『プロ』に違いありません。
それぞれが、それぞれのフィールドで、
視聴・観劇者に『届ける・伝える』ためのお芝居というものを、
日々、身を削るような精進を繰り返して追及しています。
まず、そこにリスペクトがないと、おハナシになりません。
少なくとも『話題作り・マーケティングのため』などと称して、
Jリーグの選手をプロ野球の公式戦に出したり、
アイドル歌手をまともなオペラの舞台に上げたり、
小説家に連載マンガ描かせたり、
そんなおバカなこと、ふつうはしないじゃないですか。
それを『鉄火場』であるべき制作現場で実際にやっている、
バラエティやスポットじゃなく主演級にキャスティングしてるのって、
ほんとアニメだけなんですよね。
こういうのって『いじめ』と同じようなもので、
正論はなんぼでも言えるんですが、
すべてが丸く収まる解決策なんてファンタジーでしかありえません。
キホン『大人はわかってくれない』ので、
いっぽいっぽ、
地道に声をあげていくしかないんですよね。
{/netabare}