フリ-クス さんの感想・評価
4.5
ヒキコの魂、100話まで
唐突な書き出しではありますが、
『ひらがな』というのは
日本が独自文化を形成する礎となった素晴らしい発明だと思うワタクシです。
なにしろ、昔の日本には『文字』そのものがなかったわけです。
んで、大陸から伝わってきた漢字を「こりゃあ便利だ」と使い始めたのですが
どうにも使い勝手が悪かった。
とにかく、もともと中国語を書き記すためのものなので、
日本にしかない言葉や概念を表現することができなかったのであります。
そこで、表意文字であることをガン無視して『音』だけを拝借、
ようするに当て字まるだしの『万葉仮名』として使い始めてみました。
だけど、これはこれで新たな問題が勃発することに。
なにしろ文字そのものが『難しい』ので覚えるのがたいへん。
おまけに人によって同じ音にあてる漢字が違ったりして、めっちゃ読みづらい。
あたしは読めない。読めなすぎて死にそう。
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
こんなもん初見で読める人、ほとんど神ではあるまいかと。
で、これヤバくね? とみんなが考え始め、
代表的な万葉仮名を崩して発明されたのが『ひらがな』なのであります。
(同じように万葉仮名の一部を抜き出したのが『カタカナ』ですね)
いかにも日本らしく、雅でたおやかな文字(和文体)の登場です。
もしもこの発明がなかったら、
あの『枕草子』や『源氏物語』は生まれていなかったと僕は思っています。
さて、僕がなんでこういうNHK的な話を書いているかというと、
このアニメの原作であるだけでなく、
いまや日本アニメの大きな源泉となっている『ライトノベル』もまた、
ひらがなの成立過程に酷似した、
画期的な発明ではあるまいかと思うからであります。
そもそも日本の中高生の多くは今も昔も、
「先生はなぜ自殺したのか。八十字以内で答えよ」
みたいなコクゴキョーイクのおかげで純ブンガクが苦手です。
めんどくさい、わけわかんない、つまんない、言葉ムズカしい。
興味を抱けない生徒さんたちにとって純ブンガクとは、
それこそ『万葉仮名』みたいなアタマ痛い存在に他ならず。
そうした、権威主義だったり学術主義だったりする日本文学に、
ある意味で『反旗を翻した』のが、
いまでいうライトノベルの起こりであったように僕は考えています。
イロモノ上等、安直文体上等、マンガ思考上等。
料理が「美味いか不味いか」のどっちかであるように、
小説だって「面白いか面白くないか」のどっちかじゃねえか。
そういう『ケンカ上等』姿勢で生まれた新たな小説スタイルは、
『ひらがな』の発明同様、圧倒的に読みやすく、
瞬く間にブンガク的庶民である若者たちに広がっていきました。
中高生の読書離れにストップをかけ、
いまや版元や書店さんの新たなメシのタネになるまで成長を遂げたのです。
ライトノベルという存在がなければ、
『俺ガイル』や『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品も、
この世に出てこなかったわけであります。
もちろん、西尾維新さんも登場しておりません。
有川ひろさんや米澤穂信さんだってラノベからスタートしたわけですし、
まさに出版ギョ-カイの救世主的アレではなかろうかと。
ただし、ですね……このライトノベルの最大の欠点は、
その読みやすさが故に「オレでも書けんじゃね~か」と考える方が多く、
箸にも棒にもかかんない作品が量産されてしまうところにあります。
日本語おかしい、起承転結おかしい、登場人物のアタマおかしい。
おおよそ、まっとうな要素が一つも見当たらない作品が、
タイトル名とモチーフだけでヒット作となりアニメ化までされちゃうのは、
ある種の『諸行無常』を感じさせられるところであります。
そういう残念系ラノベは、そもそも『人のカタチ』をしていません。
清純派設定のクセに、キャパ嬢みたく主人公に言い寄るヒロイン。
やさしくて誠実という設定のクセに、残酷なほど鈍感な主人公。
統合失調症が疑われるぐらい、その都度変わるリアクション。
転生したら、元の性格がすっとんじゃう転生者。
初心者向けビジネス書の目次レベルのことをドヤ顔で振り回す天才児。
純文学、とまでいかなくとも、
ふだんまともな『人のカタチ』をした読書にいそしんでいる方が、
運悪くそういう作品にあたったりしちゃうと、
う~ん……なんかやっぱ……ラノベって……アレなのかしら?
というふうに感じちゃうのではと愚考いたします。
はじめてマンガを読む人に公園のゴミ箱で拾ったエロマンガを読ませた的な
……いやちょっと違うか。あ、でも似てるか。
そんな意味からすると、この『無職転生』は極めてまっとうな作品です。
(ここまでマクラです。ほんと長くてごめんなさい)
ふだん純文学を愛好している方にもおすすめできるんじゃないかしら。
とにもかくにも、転生前の『人のカタチ』を貫いているところが良き。
そういうのって『リゼロ』や『幼女戦記』など、
転生ものの良作におおむね共通した傾向ではあるまいかと。
三つ子の魂なんちゃらとか言いますが、
僕は経験上「人間、ある程度は変わることができる」と思っています。
ただし、腐りきった性根というものは、そうそう簡単に変わるわけもなく。
{netabare}
金髪美少年である主人公ルーデウスの転生前、原人格は、
三十四歳、無職のキモデブヲタDT引きニート。
ネガティブ要素だけでもハネ満確定、ウラがのったら三倍満。
ヒッキ-になった原因である凄惨ないじめ事件には、
確かに同情の余地がありますが、
何の罪もない両親に寄生して十何年も床ドンでメシ生活を続けた挙句、
その両親の葬儀にすら参列せず、
兄弟に叩きだされて交通事故死したクソ野郎であります。
人間としての成長や経験値は高校生の時点でストップ。
あとはひたすらゲーム&食っちゃねで余生を過ごした人物で、
家族や親戚筋にしたらたまったもんじゃありません。
{/netabare}
そんな主人公ではありますが、金髪美少年として、
しかも牧歌的な美しい異世界に生まれ変わったのですから、
さすがに今度はまっとうに生きてみようと思っています。
ただし、いったん歪んだ性格とか腐った性根、
さらには高校生以降の人生経験がゲームの中だけという欠落は、
そんなカンタンに矯正できるものでもなく。
第一ク-ルでは{netabare}母親のパンツをかぶってみたり、
あるいはロキシーの自慰を隠れ見たりパンツを盗んだり。{/netabare}
これ、ビジュアルが年端もいかない金髪美少年だから
ギリのギリで作品として成立しているものの、
リアルの四十男が同じことやってると、ガチで気持ち悪いです。
まあそれでも本人的には新しい人生を、
真面目に楽しく、ちょっとぐらい苦労しても前向きにがんばろう、
という気持ちなり姿勢なりがありました。
その姿勢とか気持ちは本ク-ルにも引き継がれています。
ただし、人間的な未熟さというか、
・もともとは、単なる無職キモデブヲタDT引きニートである。
・転生してからの人生経験なんか、なんぼもない。
という点もしっかり引き継がれており、
本ク-ルでは、その『未熟さ』が二つ、イタい形で露見します。
ひとつめは、父親のパウロと再会したときのこと。
{netabare}
必死になって家族の消息を探していたパウロの事情も知らず、
ルーデウスは自分の冒険譚を楽しく語り続けます。
その間、他の家族は無事だったのかを確かめようともしません。
そして、ついにブチ切れたパウロに咎められ、
僕だって苦労してきたんだ、と反発して大げんかになってしまいます。
このケンカ、最初に手を出したんだから、パウロが悪ものです。
ですが、それ以外はルーデウスがぜんぶ悪い。
そもそも『自分たち以外はみんな無事』なんて保証はどこにもありません。
実際、故郷の村は壊滅状態、家族も行方不明だったわけです。
そのことにまったく思い至らず冒険の旅を続けていたというのは、
まさにゲーム感覚で生きていたとしか言いようがなく。
(ここ、視聴者の多くも「やられた」と思わされたのでは)
よしんば自分のことでいっぱいいっぱいで気づかなかったとしても、
パウロから現実を知らされた段階で、
すみませんでした、と頭を下げるのが道理です。
それなのに、ただショックを受け一人で宿に帰るとかね、もうね。
ケンカは翌日、ルーデウスがわだかまりを残したまま形式的に謝り、
その後、ルーデウスがパウロを許す形で決着します。
だけどそれは、この異世界だけの年齢関係、
つまりパウロが父親でルーデウスが十代前半の子どもという、
どちらがオトナなのかはっきりした関係でのみ成り立つ決着です。
中の人は、前世から通算すると四十半ばのおっさんなんですから、
「すみません、ゲーム気分で調子に乗っておりました」
と、パウロに対し手をつき泣いて謝るのが本来の筋ではあるまいかと。
それなのにこのおっさん、この決着を自画自賛し、
「僕もとうさまも一人の人間、お互い失敗ぐらいしますよ」
なんてドヤ顔で言っちゃってるわけです。
{/netabare}
こういうのって、気がきかず大ポカをやらかした仕事を上司に叱責され、
ボクだって一所懸命やってんだから、
そこまできつく言うことないじゃないっスか。
ボクにも非があったことは認めますが、
そっちも言い過ぎたことをきちんと謝ってくださいよ。
なんて口を尖らす『ゆとり(=ガキ)新入社員』と基本同じなんですよね。
こういう『人としての甘さ・未熟さ』って、
近くに守ったり引っ張ったりしてくれる人がいないと
いずれイタいめ見るのが世の常であります。
そんなことを思っていたら、ラスト二話でやっぱりそうなりました。
それが、アイタタタのふたつめ『エリス失踪事件』であります。
{netabare}
エリスがルーデウスを置いて出ていったのって、
一つの選択として認めてあげるべきことなんですよね。
少なくとも「ふられた」「捨てられた」なんて悲観するようなことじゃありません。
ちゃんと理由を書いた置き手紙もあるし、
そもそも、ふったり捨てたりする相手に『はじめて』をあげるわけもなく。
そんな簡単なことが、ルーデウスにはわかんないんです。
誰かを本気で愛したり、誰かから本気で愛されたり、
そういう経験がまるっきり、一つもないわけですから、さもありなん。
カラダの関係になれたことに有頂天になって相手を慮る気持ちも持てず
「本気で好きならいっつも一緒にいたいと思うべき」
なんて、ガキんちょ男子の『ジブンおしつけ』そのまんまでありんす。
そんなこんなで難民テントでプチ引きこもり状態に。
最終的には母親を探すために一人で旅立つわけなんですが、
ココロは最後まで『捨てられた気分』のまま。
心象風景として
前世の引きこもり部屋から一歩を踏み出す姿とオ-バ-ラップしてるけど、
いやいやいやいや、全然ちがうじゃんかと。
{/netabare}
つまるところこの主人公ルーデウスくんは、
前世よりは心がけ的なものが『マシ』になっているだけなんですね。
心がけが変わっても『心』が変わっていない。
通算年齢相応の『人間的な成長』みたいなものは、
全然、まるっきり、これっぽっちも、できていないわけであります。
だから、難局にブチあたったとき周囲を慮ることができず、
視線が自分の内側へ内側へと収束してしまいます。
それがゆえに、周りがまるで見えない『自己憐憫野郎』になっちゃうわけで。
ただし、ですね。
前世と比較すると『行動』はまるっきり違い、成長しております。
そしてもちろん『行動』が変われば『結果』が変わる。
そのあたり、最終話にはっきりと多くの『実り(結果)』が描かれております。
{netabare}
ただの暴力お嬢さまだったのが『守るための強さ』を求めて歩き始めたエリス。
長年の呪縛から解放され、村人と会話までできるようになったルイジェルド。
ルーデウスを親身に思い続けるロキシーやシルフィ、家族。
旅で出会い、助けたり助けられたりした人々。
みんな、この異世界での『行動』でちくちく築き上げてきた、
かけがえのない『人の輪』なのであります。
{/netabare}
つまるところ彼は、
前世とはまるっきり違う、実りある人生を歩んでいるわけなんです。
しかし、その『実り』の質や量と比較して、
本人の人間的な成長が、まるっきし追いついていないんですよね。
だから、その『実り』をうまく認識できないわけでありまして。
そんなところが、本ク-ルで描かれたルーデウスくんの姿ではあるまいかと。
母親を探すため一人でしょぼしょぼ旅立つ姿は、
彼の『人生やりなおしはこれからだ』的なアレエンドに他なりません。
こういうのってアニメ的にはやや辛口な人間観にも思えますが、
本来『人のカタチ』とはそういうものであります。
ましてや、四十過ぎたおっさんが性根を入れ替えるなんて、ほんと難しい。
そこのところをきちんと踏まえ、
夢いっぱい仲間いっぱいのきゃほほい転生ライフ、
みたくしていないところが実に良き。
ダメ人間の再生・成長譚の中間段階としては、
きわめてまっとうな軌跡になっております。
だからこそ、本作は面白く、見ごたえがあるのだと僕は愚考いたします。
きちんと『人のカタチ』を踏襲しているぶん、
『ハリポタ』にも通ずるような『リアリティ』がありますし。
純文系の方々にもお楽しみいただけるようなファンタジー作品として、
立派に成立していると拙は思うわけであります。
おすすめ度としては、前ク-ル視聴済みという前提で、堂々Sランクです。
異世界転生ものの中ではハイエンドモデル、
はあ? なろう系? 転生もの? いらんいらん。
そんなふうにおっしゃる方にも是非にとお薦めしたい逸品かと。
ただし、前ク-ル未視聴の方はまるごと置いてけぼり、
わけわかめ(←死語)状態に陥ってしまうので、
まずはそちらをチェキいただきたく(こっちもかなり良くできてます)。
萌え担当のロキシーもちょこちょこ顔を出し、
アニメにアレなものを求める層にもそれなりに応えてはおりますし。
(実年齢は、ちょとまあナニですが)
その他、冒険、バトル、家族愛、お笑い、人間ドラマなど、
いろんな成分がほどよく配合された『完全食』的な一本に仕上がっております。
ちなみに性的なことに関しては第一ク-ル同様、
ラッキースケベみたくヌルいものではなく、
セックスはあくまでも『セックス』として描かれています。
そういうのが『嫌い』な方がいるかもですが、
人間の営みを描こうとするならある種当然のことではないかと。
そのモンダイを避けて通れるほど世間は甘くありません。
映像、音楽、脚本、キャラ、お芝居は、どれも高レベルで安定。
欠点らしい欠点が見つかりません。
杉田さんのモノローグに時々キョン入っちゃうのはご愛嬌。
OP・ED楽曲は、全て大原ゆい子さんの手によるもの。
EDはそれぞれのク-ルで固定ですが、
OPは各話ごとの内容でころころ入れ替わり、
第一ク-ルと合わせた24話でなんと六曲もあるんですよね。
こういう繊細な演出、きゅんです。
ちなみに原作は全26巻(最終巻は11月発売予定)もありまして、
本ク-ルではそのうち六巻、少年期の内容までしか描かれておりません。
ル-デウスくんが未熟者なのも当然かと。
ていうか、今の段階でリッパに成長とかしちゃってたら、
この後の物語どうやって回すんだという話です。
すでに二期の制作・公開は決定しておりますが、
原作の残量から考え、それで完結するわけもなく。
いまみたくしっかり作り込んだレベルを維持するならば、
完結まであと三年、百話越えの超大作になりそうな感じであります。
(あの『進撃の巨人』みたく、
終わる終わる詐欺にならないかが心配になってもみたり)
その壮大な物語の中でル-デウスくんがどのように成長し、
そのさまがどのように描かれていくのか、
僕的にはすっごい楽しみです。楽しみすぎて死にそう。
そんな言うなら原作読んだらいいじゃんか、
そういう声が聞こえてきそうですが、
実は僕……ラノベってほとんど読まないんですよね。
まったく、というわけではないんですが、ほんの一部だけちょこっと。
むかしはたまに手に取ることもあったのですが、
最近は食傷気味というか何というか……ごにょごにょ。
てめえこら、言ってることと読んでるもん全然違うじゃねえか、
そういうお叱りはもっともですが、
だってほら、
時間ないしネタバレいやだし変な作品にあたると文章酔いしちゃうし……
ビジネス的な価値は認めてるからそれでいいじゃないですか。
とまあ、ル-デウスくんばりに全力で言い訳をする、
お見苦しいワタクシなのでありました。
(こっちは、たいした成長見込めません。ほんとごめんしておくんなまし)