モノローグでクラスメイトなおすすめアニメランキング 2

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのモノローグでクラスメイトな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年09月09日の時点で一番のモノローグでクラスメイトなおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

68.2 1 モノローグでクラスメイトなアニメランキング1位
継母の連れ子が元カノだった(TVアニメ動画)

2022年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (210)
660人が棚に入れました
まだお互いに、好き同士。そんな元カップルが――親の再婚できょうだいに!? 第3回カクヨムWeb小説コンテスト大賞受賞の人気ノベルをコミカライズ! 一つ屋根の下で繰り広げられる、ひたすらに甘くて焦れったい悶絶ラブコメ!
ネタバレ

CiRk さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

後半にかけて良くなった

{netabare}
最初の方は個人的今期ワーストだったけど、最終的な印象はかなり良くなりました。

最初の方はとにかく主人公とヒロインの口調がラノベ臭すぎてイキリがきつい、というのと、兄弟と認識したら負けゲームとか、パンツがあーだこーだとか、話もとにかく寒くて不快感が強かった。
サブキャラも思考が気持ち悪くて全然好きになれなかったし。

前半の悪いところは口調とノリがきついという点に集約されているのでこれぐらいにして、後半は口調は変わらないとは言え主人公達に普通の人間らしさが出てきて、話も恋愛物としてかなり真面目な雰囲気になって良くなった。
要はこれ、ヒロインだけでなく主人公もツンデレというか、捻くれた者同士の恋愛物だったというか。
主人公の痛いキャラも、他人に対して不信感を持っていた過去がバックボーンとなっているなら、天然ではなく設定上のものであるし共感ができた。
序盤は主人公の、ゆめに対する冷たさとか、本心が全く見えないところが大嫌いだったけど、最終回付近ではちゃんとゆめへの思いが伝わってくる描写が多く、普段はイキってばかりだった主人公の本心が見えて印象が良かった。
何なら、序盤ずっと感情無いですよみたいな感じだったので、そんな主人公が涙してるシーンは、より映えていたようにも思う。

語り口調での心情描写もはまっていて、最後はラブコメではなく恋愛物としてしっかりとしていたのでかなり好みでした。
祭りの過去回など含め、いかにも年相応な恋愛っぽかったのも良かった。
最終回だけで言うなら個人的今期1位か2位。
最初切るか迷ってたぐらいだけど、最終回付近だけでも見て良かったと思えました。終わり良ければすべて良しを体現したような作品。

↓1話毎メモ
{netabare}
1話 ☆2
ラノベ多すぎ。会話しょーもな…。眠い。カッコウかよ。
会話ラノベ臭すぎ…。主人公のイキりきついわ。
しょうもないゲーム、なにこれ。この茶番面白くないわ。
同じ名前なら普通同じクラスにならないよね。
この何もかも見透かしてる感きついなぁ。
しょうもない胸の話今引っ張ってくんなや。会話と展開の一つ一つが臭い。
誘惑しとるやん。mbs遅いから、寝落ちしそう。
いや何しようとしてんだよw

2話 ☆2
きついわこのヤレヤレ系主人公。会話きっつ…。ノリもきっつ。
スポーツテストしてただけやんけ。言葉回しがいちいちキモイ。
普通に付き合えや。不問にってなんやねんその上から目線。

3話 ☆0
きっつ。ほんとにきもいこのアニメ。皆って誰だ? はぁ…。
これ系のラノベ臭すぎ。
行動何もかも見透かしてますよ感きっつい。
このカッコつけた口調ほんときつい。そもそも展開がきつい。
このパンツとブラの話何時までやっとんねん。
アンタッチャブルとかいちいち言い回しが気持ち悪い。
家族間でなんでそんな変なルール作るんだよ展開がラノベすぎる。
寒。Theラノベ展開。何が仲のいい兄弟を演じるとしようだよ、イキんなks
この茶髪友崎か髭にもいなかったか?
家族でこんなきもい会話すんな。
てかどんな関係ならこんなキモイ会話になるんだよ。
ヒロイン思考やばすぎだろ、他人に干渉すんなや。
同じ家族内なのになんで嫉妬して足引っ張ろうとしてんだよ。
ほんとラノベラブコメって寒いわ。いや変装って何がしたいんだよ。
てか、それなら初対面扱いになるはずで、なんでそんな奴を家に上げた。
ほんと展開が頭おかしい。キャラの行動が全員キツすぎる。
体幹1時間。人倒れたって笑い話じゃねーだろ。
このアニメ倫理観どうなっとんねん。見てたら気分悪なったわ切り。

4話 ☆1
デート自体兄弟感ないだろあほなんか?
デートに変な目的があるのがいかにも臭めのラノベ。
そして謎のストーカーも。
これこの南と川波が付き合いたいから引き離そうとしてるパターン?
てか川波も南も完全に唐突に出てきたし印象ないんだよな。
可愛いなの言い方きっしょ。ラノベってこんなんばっかなの?
心情描写が全員イキリ口調なのがほんときっつい。
たんもしと言いこういうくっさい言い回しラノベオタクには受けるの?
こいつらサイコパスかよ。坂口安吾に謝れ。
もう兄弟云々のしょうもないゲームの存在忘れてるよね。

5話 ☆2
クソラノベ読むな。けどこいつらは好きそうなクソラノベ。
なんで上から目線なんだよ。友人家にでも泊まってろ。
は? クソラノベ特有の隣人設定。
ドリンクバーはちょっと面白かったわ。

6話 ☆2
キミ戦w
たんもしとかキミ戦読んでるやつこういうキャラに憧れてそうだな(偏見)
テスト埋めないの意味不明だろw 首席譲るためなんだよw
ほんとこの何もかもわかってますよ感。
他人のテストの点数予測してわざとミスるっていう展開が超ラノベ的。
痛い。ほんと痛すぎる。
浮気現場。はがないw
ほんと痛めのラノベしか出てこない辺りこの作品の読者層がお察し。
けどこの緑の子は可愛いな。
こいつら兄弟だろ何がしたいねん。お前が名前で呼ばなかっただけだろ。
生理の話を公然と平気でぶっ込んでくんのがいかにもラノベ。
デリカシー無さすぎだろ。

7話 ☆5
男おらんかったらあんまり悪くない説はあるな。
こういう主人公監視みたいな謎な流れが臭すぎるんだよ。
ほんとラノベの臭いところを詰め込んだような作品だな。
まあちゃんと振るのは。比較的見られる回ではある。

8話 ☆0
こいつ諦めたんじゃないんか。ダンタリアの書架なっつ。
ほんと思考キモすぎだろ。
なんで他人の性癖とか知りたいんだよ、なんでそれでラノベを調べようとするんだよ。
リアルな女子じゃなくてラノベオタが好きそうって感じの女しかおらんのがほんときつい。どうせキモイ服着させるんだろ。ほんときつい。
ラノベほんときもいわこれ読んでたらドン引きレベル。
この話何回やるねん。ほんとしょうもないラノベばっか出てくんな。
吐き気しかせんわこのアニメ。変なエロ散ら付かせが不快。

9話 ☆9
けどなんかこのアニメ口調マシになってきたな。
一話みたいに何から何まで不快とかではなくなった。
ずっとこの感じでやってくれや…。嫉妬すんなw 浮気ラインが厳しい。
OPのシーン。今回マジで悪くないな。クズ彼氏さぁ…。
そこは祭りでかっこよく登場しろよw BGMいいな。別れるんかい。
過去話の方が面白いわ。

10話 ☆5
意外と悪くない説が出てきたアニメ。Gさん...。
中々にポンコツで草。評論家さん。
ほんとに不快感薄れたけど、慣れなのか?
こいつアニメしか見てなそうなのに。

11話 ☆7
元カノかな? やっぱりなんか普通に見られるようにはなった。
こいつのルーツラノベじゃないんか。
最近主人公に人間らしさが出てるのがいいわ。
最初の方冷たかったのが。露骨な誘導。ただの勘違いかよ。
最後のセリフいいじゃん。

12話 ☆10
なんやかんや後半結女のことを本気で考えてるのも伝わってきて良かったな。
他人に興味がないというのは現在の性格にも少し影響がみられる。
この痛いキャラも設定上のものならまあ許せる。
こいつ今ラノベしか読んでないのに...。
まともに惚れるまでの過程などの内面描写をちゃんとやってていい。
こういう感情無いですよ系主人公が涙してるシーン結構好き。
これ切らなくてよかった。今の所今期の最終回で一番良かった。

曲評価(好み)
OP「デネブとスピカ」☆8
ED「ふたりピノキオ」☆4.5
{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2024/09/07
♥ : 10
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

家に入ることで見えてくる元カレ・元カノの新たな一面

原作小説はweb版、ラノベ版共に未読。

【物語 4.0点】
設定は作品タイトルを読んで字のごとく。

中学で分かれて終わったはずの元カップルが、
高校に入って互いの親の再婚により、ひとつ屋根の下で生活することに。

義兄妹となった元カレ・元カノに弱みをみせてなるものかと、
義兄妹らしからぬ言動をした方が妹、弟になるペナルティを受ける駆け引きゲームを繰り広げたり。
端から見れば、仲の良い“ケンカップル”にしか見えない。
ていうか、とっととよりを戻しちゃいなよとツッコまざるを得ない、
“バカップル”二人の舌戦がメイン。

さらには、元カレ・主人公・伊理戸 水斗(いりとみずと)の恋人候補?初恋のお姉さん?図書室の巨乳な後輩などが随時、出没し、
元カノ・ヒロイン・綾井こと伊理戸結女(ゆめ)の動揺を誘ってみたりと。
昼ドラな作品タイトルの割には、明るめなラブコメ。


恋の波乱の予感に、ドタバタしながらも、元カップル同士が付き合っていた頃には気が付かなかった一面。
学校、デート時とは異なる、家庭内などでの仮面(ペルソナ)に触れ、
互いのことをより深く知り合っていく。
シリーズ構成・赤尾でこ氏は、この設定ならではの意外と深い恋愛論という軸を見失わずに1クールアニメとして構築できています。

特に印象に残ったのが終盤、夏休み、伊理戸家が田舎に帰省し、
元カノが親戚一同と交流する中で、元カレの幼少期の原点を知り、
元カレにとって元カノの自分がどういう存在だったのかを思い直すシナリオ。
親戚付き合いで知る、パートナーの深いルーツとか、
通常は結婚して互いの家に入らない限りは知り得ない特ダネ。

水斗と結女。次、お付き合いする時は結婚大前提ですねw

その他、破局に終わった、恋人にはまだ早すぎた中学時代の2人の“黒歴史”を通じて、
その時々の、男女の適距離についても考えさせられたりと、
恋愛ストーリーとして深イイ話だったと思います。


【作画 3.5点】
アニメーション制作・project No.9

人物作画等は凡庸。

強調する巨乳は強調する。
水着回に、風呂場周りのハプニング、それを受けて目まぐるしく変わるヒロインの表情などの各種ラノベアニメのイベントを、
適宜、東アジア傭兵団の支援も受けながらこなし、1クール無難に乗り切る。

背景美術で目を見張ったのが、元カレVS元カノの本棚。
中学時代の図書室が馴れ初めの2人は本の虫で、
互いの部屋に並ぶ本は物量、守備範囲の広さ共に中々の物。
そんな2人のマウント合戦は、時に文芸、オタ知識方面に飛び火。
さながら重厚な本棚をバックにした“艦隊戦”の様相w

でもなにより迫力があった本棚は、
水斗の読書の原点である、亡き曽祖父の年季の入った書斎の棚。


【キャラ 4.0点】
寡黙でクールな元カレ・水斗(みずと)。
対して元カノ・結女(ゆめ)は感情の起伏が目まぐるしい。
しかも結女は中学時代の根暗な眼鏡っ娘の文学少女から、
陽キャの優等生にイメチェンし高校デビューに成功。

水斗と付き合っていた中学の頃の結女にとっては、
水斗が唯一自分にかまってくれる存在。
高校に入ってカースト上位に成り上がった結女にとっては、水斗は必要不可欠じゃないワンオブゼムになったはず。
その中で元カレが結女にとってどういう男なのかを改めて位置付け直す。
まぁ、これも端から見れば惚れ直す工程にしか見えませんがw
このヒロインの仮面(ペルソナ)の使い分け、その間に見える葛藤と整理も本作ならではでした。


元カレ・水斗の前に現れる恋人候補?の中では、
図書室でエンカウントした後輩・東頭(ひがしら)いさな。
{netabare} ラノベ好きという共通項から親しくなっていく2人。
このまま中学時代の水斗&結女同様、結ばれるのか?いや、でもね……。{/netabare}
水斗にとって、かつての結女が、ただ本好きで話ができるから付き合っただけの元カノだったのか。
水斗といさなの展開もまた、水斗にとっての結女を違う角度から深堀りする好素材でした。


【声優 4.0点】
元カレ・水斗役・下野 紘さんVS元カノ・結女役の日高 里菜さんのマッチアップがメイン。
なまじ読書でウンチクを蓄えている両キャラということもあって、
舌戦は長台詞になりがちw
ですが、デビュー以来、目立った不振の年もなくキャリアを積み重ねて来たお二人は好演。
コロナ禍で分散収録が広まる中、同時収録を敢行した2人の掛け合いにも安定したリズムがありました。

日高 里菜さんは、中学時代はオドオド文学少女で、高校時代は上から目線の優等生というキャラ変にも好対応。


脇では結女のクラスメイト南 暁月役の長谷川 育美さん。
お気に入りの結女ちゃんと義兄妹になれるからという百合方面に不純な動機で、
水斗に結婚を前提とした告白を仕掛ける大胆不敵さで、序盤のドタバタラブコメを牽引。
まさに陽キャテロといったキャラクターを再現。
因みに長谷川さんが『ぼざろ』喜多郁代役でぼっちちゃんに陽キャ光線を照射し溶解させるのは、次クールのこととなります。


【音楽 3.5点】
劇伴担当は水谷 広実氏。
作品名の字面がドロドロなメロドラマだけに、サントラにも各種昼ドラ風BGMが並ぶ本作。
ですが、個人的には修羅場BGMの印象はあまりなく、
むしろ2人の心情理解度が高まった時のピュアなサウンドの方が心に残っています。

OP主題歌は、本作にもクラスメイト役として出演している村上 まなつさんや、守屋 亨香さんも参加する、
女性声優ユニットDIALOGUE+「デネブとスピカ」

ED主題歌はこちらも女性声優ユニット・harmoeの「ふたりピノキオ」

水斗も結女も意地を張り合っていますが、
主題歌は声優脳トロボイスのラブソングが2人の恋仲を煽り、甘々です。


【余談】
私の母方の祖父はシベリア抑留から生還した帰還兵でした。
凍った食物にかじりつきながら生き延びた壮絶な体験談は幼少の私にとってもトラウマであり、思考、歴史観の原点でもあります。

だから、私にとって“あの戦争”とは祖父が参加した日中戦争も含めた、
満洲事変以来の“十五年戦争”として捉えないと納得できませんし、
毎年8月15日に今日は“終戦の日”だと勝手に区切る本邦の慣習に至っては、
そもそもあの日で終わりじゃないし、ソ連軍の侵攻と蛮行、シベリア抑留、大陸からの日本人引き揚げ時の悲惨が見えてない時点で話にならないと憤りすら覚えます。

面倒臭い私の歴史観への脱線はこの辺りにして。
水斗の曽祖父が遺した自作小説「シベリアの舞姫」
抑留時の現地女性との交流を森鴎外「舞姫」も絡めながら綴ったという自伝。
幼少期の水斗の心を揺さぶったという原点の一作。
私も是非一読してみたいものです。

投稿 : 2024/09/07
♥ : 14
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

先行上映会に行ってきました

角川スニーカー文庫のラブコメ作品がアニメ化です
原作未読

角川スニーカーという単語を久々に聞いた気がします
ラノベ界の頂点が電撃文庫なのは言うに及ばず
もう一つの角川系レーベル
富士見ファンタジア文庫にも大きく水をあけられ
GA文庫とかにすら負けているのが
かつて「涼宮ハルヒの憂鬱」で一世を風靡した
角川スニーカー文庫のアニメ事情です

どうやら最近は角川系列の小説投稿サイト「カクヨム」
を使って新人を発掘しているようで
カクヨム→スニーカー→アニメ化
の流れを歩んでいるのは
ひげひろ、スーパーカブに次いで3作品目のようです

先行上映会で1~2話を見た感じは
会話劇が中心の王道ラブコメという感じ
会話に重点が置かれている分
役者の演技力が重要になるわけですが
主人公&ヒロインに
下野紘&日高里菜という安定感のある二人
これは間違いないキャスティングですね!

1~2話を見た限りでは
絵も非常にきれいで
キャラクターの表情が魅力的でした
お色気シーンも結構ありましたw

この手の作品は途中から崩れだすことも多いので
1~2話だけで判断するのは危険ですが
今のところ非常に感触がいいです
このクオリティが続くなら
ぜひ最後まで視聴したいと思います
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
舞台挨拶レポート(1~2話のネタバレ有)
{netabare}
登壇者は
伊理戸水斗役:下野紘
伊理戸結女役:日高里菜
南暁月役:長谷川育美
川波小暮役:岡本信彦
東頭いさな役:富田美憂

まずは自分の役柄について
(主役級の二人はお互いのキャラについても)

下野:水斗はクールというよりは偏屈
気持ちの表現が得意でないタイプ
結女ちゃんは意地張って強がって
本心を隠し通せてるつもりなのがかわいい

日高:結女はクールなようで
第三者から見たらバレバレ
背伸びしてる感が
守りたくなっちゃう感じ
水斗はクールなので
もっと感情を見せてほしい

2人の意見がほぼ一致してる感じですね

長谷川:こういう小動物系のキャラは初めて演じるので
声のトーンでかわいさを表現していきたい

弱キャラ友崎君(七海みなみ)
86(ヴラディレーナ・ミリーゼ)
恋は世界征服のあとで(禍原デス美)等
最近ぐいぐい伸びてきてる期待の若手ですね
ウマ娘関連のステージで踊ってるのは見たことありましたが
しっかりトークするイベントは今回が初めてだったので
じっくり精査していきたいところ

岡本:自分のことROM専ってリアルでいうやつって・・・
絶対ヤバいやつだよねw

ROM専って言葉自体
もともとねらーしか使わないネットスラングな上に
いまはもうほとんど死語に近い・・・

富田:(1~2話までには)まだ出てきてないですが
かなりの陰の者です
水斗と仲良くなるんだけど
人との距離感がバグってる
あと、何がとは言わないですが・・・大きいです!

大きい!
・・・何が大きいんだろうなぁ(すっとぼけ)

質問:きょうだいがテーマの作品だけど
5人の中で一番兄・姉っぽいのは?

下野:お兄さんっていうよりお母さんっぽいって言われる
日高:あー
岡本:自分もお兄さんって感じじゃないので
長谷川さんとかしっかりしててお兄さんっぽいかもしれない
長谷川:恐縮です
しっかりしてるって意味なら
日高さんがお姉さんっぽいんじゃないですかね
下野:日高は楽屋でお菓子への食いつきがすごかったよ
日高:えー!?楽屋に先に入ってた下野さんが
差し入れのお菓子をおいしそうに食べてて
私にも勧められたんですよ
しかも
「何が入ってるんですか?」
って聞いたら
「わかんないけど美味しい!」
ってw
下野:わかんないものは仕方ないだろ!
日高:だからやっぱり下野さんはお母さんかなw
富田ちゃんはしっかりものだから妹にしたいキャラ
下野:じゃぁ俺がお母さんで岡本がお父さん
残りは三姉妹でいいか

すごい家族が誕生してしまったw

質問:作中のキャラをきょうだいにするならだれがいいですか?

下野:結女を妹にしたいかなぁ
いさなはちょっとアレだしなぁ・・・
富田:え!?・・・え?

日高:消去法だなぁ・・・
小暮が無難かなぁ
水斗は口悪いし

長谷川:消去法で小暮はすごくわかります
あとは私もオタクだったので
いさなが妹ならオタトークで盛り上がれていいかも

富田:私は消去法じゃなく小暮ですね
妹を甘やかしてくれそう
岡本:欲しいのは兄っていうかパシリなんじゃ

岡本:水斗は弟だったらいいかも

下野:正直に言うとね
回想シーンの昔の結女ちゃんが
めっちゃ好みなんですよ
今の結女ちゃんもかわいいんだけど
見た目的には圧倒的に昔!

中学生結女ちゃんがかわいいのは分かるw

ここから配信終了し
上映会で1~2話視聴済みの観客に対して
1話、2話の感想を

1話について

下野:ほぼ二人で話してる
モノローグとナレーションとセリフと
頭いい子たちだから
僕なんかが普段使わないような単語がいっぱい出てくる

日高:頑張ってる結女がカワイイ
お風呂はセクシー
結女だっていさなに負けてないと思う!

2話

長谷川:結女といさなの
「いいもの持ってる」
の会話に参加できないのが残念
日高:でもそういうのも需要はあると思うよ!

富田:二人とも頭いいから
駆け引きみたいなのも見どころの一つ
そのモノローグそのまま口に出せよ!
ってむずむずする

終演の挨拶

富田:いさなは登場したら『やるやん』という活躍を見せてくれる
キュンキュンしながら
時にクスッと笑って
時に切ない気持ちで楽しんでほしい

岡本:モノローグも含めて楽しめる作品
会話のテンポや間が面白さをさらに引き上げている
小暮が主人公2人にちょっかいかけ続ける姿を楽しんでほしい

長谷川:演じていて楽しいキャラクターなので
第3話以降も早く見てほしい

日高:このあとも水斗と結女を中心に濃い会話が続いて楽しかった
少人数で団結して一緒に作品を作っている感も強かった
とにかくかわいくてキュンキュンして切なくもある作品
最後まで応援してほしい

下野:じれったい部分が多いが
そこを楽しむ作品だと思う
若い人だけでなく僕みたいなおじさんも
こんな青春があったらいいなと楽しんでもらえると思う

どうもこのまま会話劇中心のラブコメ
という路線は継続されるようなので
視聴継続していこうかなと思います
{/netabare}

投稿 : 2024/09/07
♥ : 6

90.7 2 モノローグでクラスメイトなアニメランキング2位
新世紀エヴァンゲリオン(TVアニメ動画)

1995年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (6261)
25302人が棚に入れました
西暦2015年。15年前に起こった大災害・セカンドインパクトで総人口の半数近くを失った人類は、使徒と呼ばれる新たな脅威にさらされていた。国連直属の非公開組織である特務機関NERV(ネルフ)は、汎用人型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン (EVA) を極秘に開発し、予測されていた使徒の襲来に備えていた。そのパイロットに選ばれたのは、わずか14歳の少年少女たちだった。
 主人公である「碇シンジ」は、他人との接触を好まない内向的な少年だが、ネルフの総司令である父親ゲンドウによって、EVA初号機のパイロットに突如選任される。こうしてシンジらEVAのパイロットたちは、世界の命運を託され、命をかけて戦う過酷な状況に追い込まれる。セカンドインパクトの真相や襲来する使徒の正体、そして秘密裏に進められる「人類補完計画」など数多くの謎と共に、主人公シンジの成長と挫折を織り交ぜながら物語は進んでいく。

声優・キャラクター
緒方恵美、三石琴乃、山口由里子、林原めぐみ、宮村優子、立木文彦、石田彰、清川元夢、優希比呂、長沢美樹、子安武人、関智一、岩永哲哉、岩男潤子、麦人
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

懐かしのテレビ版(ちょっと改定)

 全26話。このレビューではテレビ版のみを対象とします。(他のレビューとのバランスを取るために、エンディングのみやや改定)

 エヴァの良さはいろいろあると思うのですが、私にはやっぱり見ていて楽しいというのが大きいですね。派手なアクションと演出、先の読めない展開に引き込まれていきます。
 その派手さに目を奪われて、奇抜なことばかり行われているようにも見えてしまうかもしれませんが、その実かなり基本に忠実な作品だと私は思います。その忠実さとは、映像作品における「向きの原理」への忠実さです。構図がはっきりしているということ。
 このレビューでは「向きの原理」に関する概略から入って、エヴァの構図について具体的に見ていきます。


「向きの原理」:{netabare}
 映像作品(アニメ、映画、マンガ、舞台等ひっくるめて)には、作品内における一貫した「向き」があります。この「向き」というのは、その作品が文字通り画面の右に向かって進むのか左に向かって進むのか、という作品としての進行方向を意味します。

 例えば、日本のマンガは、縦書き文字を右から左に読み進めていきます。したがって、ストーリーも左側に向かって進みます。左進行←ですね。これがマンガの基本形です。これはマンガ内の至る所で確認できます。

 主人公が目的地に向かっているときは、<←主>のように左に進行しているはずです。戻りが<主→>。
 主人公が敵と対峙するシーンは<敵→←主>という形になっているはずです。主人公が右配置で左向き。左に進行する主人公の進行を阻むように敵が配置されます。奇襲が<←主←敵>で、ピンチや敗北が<主→←敵>。その時の強者が右にいる、ということでもあります。
 実際にバトルが始まると、カメラ演出や視線誘導の影響を受けてコロコロと向きが変わりますが、始まりや終わりはこの形に収れんすることが多いです。

 これはマンガだけではなく、マンガ原作のアニメや映画でも同じです。アニメは一般的に左進行←で作られている。あくまでも「一般的に」ですから、常に成立しているわけではありませんけどね。

 なお、欧米のマンガは、横書き文字のため左から右へと進行します。右進行→ですね。今は違いますが、昔は日本のマンガを翻訳する際は、絵を反転させて左開きに作っていたそうです。文字の向きに物語の進行方向が合わないためですね。『寄生獣』の右手の寄生人であるミギーが、英訳版ではレフティーと呼ばれていた、というのは有名です。
{/netabare}

エヴァにおける「向きの原理」:
 では、具体的にエヴァで実例を確認してみます。エヴァも左進行←の作品です。バトルと心情表現に分けて要所だけを確認していきます。主人公側の配置や向きとストーリーの展開に注目。

バトル編前半:{netabare}
 第1・2話のサキエル。目がかわいいやつ。サキエル登場時は国連軍とバトル。<国連→←サキエル>の構造で、サキエルが強者のポジション。主人公が乗る初号機とのバトルが始まると<サキエル→←初>になる。初号機が行動不能に陥る攻撃を受けたときは<サキエル→→初号機>となって、初号機は後方に押しやられる。進行方向から遠ざかるのは押されてるパターンの一つ。最後は初号機暴走から<サキエル←←初>で圧勝。

 第3話のシャムシエル戦。虫みたいなやつ。フィニッシュは<シャムシエル→←初>でブスリ。
 第6話のラミエル戦。青い四角いやつ。初戦は初号機が左から右向きで登場して一撃負け。その後は<ラミエル→←初>で撃ち合って勝利。右向きで負け、左向きで勝ち、というのが一番分かりやすい回。
 第7話のジェットアローン。カッコよすぎるロボ。逃げるJAを初号機が追う展開に。<←JA←初>。
 第8話のガギエル。アスカが初登場したときの魚。起動した二号機は左に向かってジャンプ。<←弐>でアスカが主人公ポジション。アスカかっこいい。ガギエルを最初に迎え撃つときは<弐→←ガギエル>。敗北の構図だからそのまま海中に引きずり込まれる。戦艦の協力によって勝利した時は、<ガギエル→←弐>。

 第9話のイスラフェル。分裂するやつ。初戦はどっちつかずの<弐→←敵・敵→←初>の構図で敗北。特訓を経てからの再選では<イスラフェル→←初・弐>でシンクロフィニッシュ。
 第10話のサンダルフォン。マグマのやつ。左上から迫るサンダルフォンを弐号機が右側で迎え撃つ。
 第11話のマトリエル。クモみたいなやつ。ストーリー上の都合で下から上へ攻撃。構図よりもストーリーや場面設定が優先されるのは当たり前。目的地へ向かって通気口内を進んでいるときはちゃんと左進行←してる。
 第12話のサハクィエル。空から落ちてきた目。こちらもストーリー優先で上下の構図。でも落下ポイントに向かって走っているときは、初号機だけ左向き。仲間の全員が左に向けないときは主人公が優先。主人公の特権。

 勝利のシーンでは、上下という特例を除いて、主人公側が右にいるのが分かると思います。左進行←作品において勝者が右側(左向き)という原則に忠実ですね。ここまでは作風が明るい、というのにも注目してください。
{/netabare}

バトル編後半:{netabare}
 第13話のイロウル。コンピューターウイルスみたいなやつ。構図なんか関係ないかと思いきやちゃんとある。マギは左下へと押されていく。<マギ←←イロウル>で大ピンチ。勝利じゃなくて、ピンチの演出が優先されてる回。この回から、<味方→←敵>という左配置(右向き)のパターンが増えてくる。ストーリー的には陰謀と不吉の始まり。
 第16話のレリエル。空に浮かぶ白黒マーブル。ユーアーナンバーワンに調子に乗ったシンジくん。調子に乗りすぎて左から登場しちゃった。<初→←レリエル>の構図を作っちゃう。影に飲み込まれて敗北。
 第17・18話のバルディエル。エヴァ3号機に粘着ストーキング。<バルディエル→←初>でスタートするも、首を掴まれて反転させられる。<初→←バルディエル>になって攻守交代。ダミーシステム起動で首投げの仕返し。同じことをやり返すとかダミーは性格悪い。再度<バルディエル→←初>の構図に戻して勝利確定。攻撃側が右にいて左を向くのというのが一番分かりやすい回。

 第19話のゼルエル。最強の拒絶タイプ。迎え撃つアスカは<弐→←ゼルエル>。構図的には勝てない。敗北。零号機は右から登場するも自爆して敗北。弐号機と同じ構図を続けられないだけかもしれないけど、上げて落とす絶望演出の一部かもしれない。ラストバトルは<ゼルエル→←初>からの暴走で勝利。
 第22話のアラエル。成層圏の鳥。迎え撃つアスカは<弐→←アラエル>。また左から登場しちゃう。敗北。同じ失敗を繰り返すアホの子。かわいい。零号機登場で<零→←アラエル>。目標の位置が固定されていると構図は変えられないという好例。成層圏にいるのに、同じところから登場して逆側に配置はできない、とも言える。
 第23話のアルミサエル。レイに寄生するひも。<零→←アルミサエル>からアルミサエルの侵入開始。最終的に零号機は右向きで自爆。レイの向きについては心情表現の方で補足。
 第24話のタブリス。カヲルくん。初号機はまず弐号機とバトル。<弐→←初>で勝利。そのあとは、逃げるカヲルに追うシンジ。<←カヲル←初>。最後は<カヲル→←初>で沈黙後エンド。

 前半と違って、主人公たちが左配置(右向き)になっていることが多くなっていますね。負けが込んでくるし、謎が前面に出てきて陰鬱なストーリー展開が多くなります。左進行←の特性自体を演出に取り込んでいるのが分かります。ストーリー展開と構図がきちんと連動してるってことです。派手なアクションがあっても基本が崩れないから見やすいわけです。
{/netabare}

心情表現編:{netabare}
 「向き」は心情表現にも大きな影響を与えます。キャラの顔の向きと立ち位置を見ます。
 左進行←の作品では、作品の方向と同じ左向き(右配置)が「肯定・前向き」などのプラスの表現で、反対の右向き(左配置)が「否定・後ろ向き」などのマイナスの表現です。
 エヴァから全シーンを拾うのはキツイので、目についたところだけピックアップします。

 第1話の「逃げちゃダメだ」。本当は逃げたいから右向き。連呼した後、正面向いて「やります」。
 第4話のシンジ逃亡後の連れ戻し。立ち位置は<シンジ―ミサト>で、照明は<影―光>になってる。シンジのネガティブ発言連呼から、ミサトの「嫌なら出ていけ」。駅のホームに残ったシンジは左を向いてミサトに「ただいま」。
 第6話の敗北後の病院。戦いたくないとレイにごねるシンジ。右向き。
 第9話のシンジとアスカの二人きりの一夜。<シンジ―アスカ>で寝てる。シンジは左から右向きでキスを試みるも、「ママ」と「涙」に撃沈。
 第15話。パーティー終了後、ミサトとカジは右方向へ進行。これは心情表現ではなく帰宅だから。二人の会話中は、弱音を吐くミサトが左側にいて右向き。カジの腕に絡むアスカ。右向きから「ラベンダーの香りがする」とボソリ。

 第17話のトウジ四人目選出。決意のシーンはバスケのゴールにシュート。ゴールは左、トウジは右にいて左向き。
 第19話のスイカ畑で<シンジ―カジ>。諭されてるシンジが右向きで、諭すカジが左向き。
 第21話のテーブルでカジの留守電を聞いているミサト。右向き。
 第23話のアルミサエル戦のレイ。レイは、右を向いたり左を向いたりしてる。浸食に抵抗しているときは左向き。涙を流すときは右向き。「イカリくんと一緒になりたい?―ダメ」のときは右向き。本意本音が左向きで、それに気付かない・反するが右向きだと思う。
 第24話。カヲルとの初対面は<カヲル―シンジ>でシンジは左向き。風呂もベッドも一緒。シンジとカヲルの関係は、初号機がカヲルを握るまで同じ構図で描かれる。最後までシンジはカヲルを好きなまま。撃破後は水辺に移って<シンジ―ミサト>でシンジは左側に。「カヲルくんが生き残るべきだった」「冷たいね、ミサトさん」で右向きシンジのアップ。

 というわけで、<←ポジティブ・ネガティブ→>が分かると思います。バトルだけじゃなくて、心情表現でも配置に気を使っているっぽいですよね。適当に作っていたらここまで徹底できないと思います。


 勘違いしてほしくないのですが、否定のときにはいつでも左にいて右を見ているってわけではないです。シチュエーション的に仕方ないときや、飽きさせないカメラワークをする必要があるからです。注目しなければいけないのは、どちらでもいい状況のときにどちらを向いているか、本来左向きのときになぜ右を向いているのか、ということです。

 例えば、恋人同士が向かい合って座っていれば、必然的に<恋人→←主人公>という配置になります。だからといって、恋人が否定的な立ち位置にいるわけではありません。向かい合せというシチュエーションに縛られているだけです。
 一方で、同じ状況でも<主→←恋>の場合は、意味を持たせて配置されている可能性があります。このときは恋人が主体であるとか、恋人に主導権があるとかです。もしかしたら、主人公は乗り気じゃないかもしれません。
{/netabare}

エンディング:{netabare}
 読み直してみたら、こんな話をエヴァでやる必要があるのかな? という素朴過ぎる疑問が生まれてしまったので、エンディングについても申し訳程度に書いておきます。

 エンディングの内容は、「シンジが決めつけていた世界」を崩壊させ、「新たな世界」を創造する、というものです。つまり、この世界に居場所のないと思い込んでいたシンジが自分の居場所を獲得する、という自己実現の話です。
 これを世界そのものから描いたのが旧劇場版ですが、アニメ版は心情内だけで完結させています。これが「心の補完」というやつですね。エヴァという作品は少年シンジの成長譚なんですよ、と明かされました。
 
エヴァのざっくりとした話の流れ:{netabare}
 エンディングまでをシンジの成長譚として整理すると、こんな感じになっています。「エヴァがないときはダメでした」→「エヴァがあれば何とかなりました」→「エヴァがあってもやっぱりダメでした」という流れです。

 そして、エンディング。上記の流れの中で、シンジは「エヴァがあっても無くてもやっぱりダメだった」「ダメなのは僕なんだ」と考えてしまった。これに対して、周囲の人々が「エヴァの有無は関係ないよ」「まずはその考え方を捨てようよ」「エヴァだけが存在意義なんてことはないんだから」と諭し、これによりシンジは「エヴァが無くても僕はここに居ていいんだ」と気付きます。

 シンジはこの気付きを得て、何かに立脚して自分の存在意義を語るのをやめます。だから、自分が拠り所にしていたゲンドウ(父親)とエヴァ(母親)に「ありがとう」と「さようなら」を言い、シンジの自立が達成されるのです。これは、思春期の少年における子供時代との別れと同時に、大人時代の開幕を言います。シンジの「新世紀」が始まったんだ、ということですね。

 さらに、子供から大人へ成長をもって自己実現を達成することは、シンジ特有のものではないですから、「全てのチルドレンにおめでとう」になるのです。
{/netabare}

メタフィクション:{netabare}
 エヴァでは、「シンジが決めつけていた世界」の崩壊と「新たな世界」の創造が、「アニメの世界」の崩壊と「現実の世界」への転換というメタフィクションとして描かれています。

 シンジの思い込みが崩れるに連れ、通常のアニメの絵が、マーカーのような絵になって、線画になります。これが「アニメの世界」の崩壊の過程ですね。そして、「アニメの世界」を「現実の世界」の台本に押し込むことで、その崩壊が決定的になりました。実写を挟んでいるのは、「アニメの世界」から「現実の世界」への転換を描くためですね。

 「新たな世界」が「現実の世界」であることを確定させることで、視聴者へ「居心地のいい世界から脱して、現実へ立ち返れ」というメッセージを送っていました。シンジの自己実現と同じように、「子供から大人になれ」ということです。

 物語の最後をメタフィクションで終える作品は多いですが、エヴァはその中でもかなり露骨な方だと思います。さりげなくメタフィクションをする作品ばかりですから。実写を交えることも含めてエヴァの特殊性に挙がるところだと思います。
{/netabare}

 エヴァは、第24話まではストーリーの中で論理性を積み上げていました。「居場所がない」→「成功体験(ヤシマ作戦)」→「自信の積み上げ」→「過信による失敗(白黒マーブル戦)」→「トウジ・カヲルという大きな挫折」。そして、メタフィクションを通して「居場所の獲得」へとつながります。
 最後の二話は、意外なエンディングであって支離滅裂とは違うと思います。理論の先に理論を積上げたものが順当なエンディングで、理論の先に理論を変えるのが意外なエンディングです。どちらも理論を積上げないと到達できないものです。支離滅裂というのは、最初から最後まで理論がないことです。


 余談ですが、テーマ自体は新劇場版でも今のところ同じだと思います。{netabare}エヴァってなんだよ不安だわー、というのが序。エヴァがあれば何とかなるっぽい気がしてきたのが破。エヴァがあってもダメでしたがQ。Qのラストはエヴァが無い状態での徒歩でしたから、その先の展開はエヴァが無くても大丈夫だ、になると思います。次作でもエヴァ自体には乗るかもしれませんが、心の拠り所じゃなくて、単なるツールとして活用した後に放棄するんじゃないのかな。{/netabare}

 謎にはまっていくのもいいですけど、一人の少年が自立するまでの過程としての、成長譚としてのエヴァという視点を忘れてはいけないようにも思います。庵野監督はそこをテーマに描いていますからね。
 エヴァには中身がないなんて意見もありますが、何をもってそう指摘しているのかは私にはちょっと分かりかねます。一人の少年の成長譚としての構成は、十分すぎるほど確立されていると思います。謎が解き明かされていないことには同意しますが、それ自体はテーマの有無とは関係ないことですからね。
{/netabare}

雑記:{netabare}
 DVDで最後の数話を流しながら、フィルムブック片手にこのレビューを書いていたんですが、ビデオ版(テレビ放映版?)とDVD版は結構変わっているところがあるんですね。知りませんでした。DVDを買っていたのに、ビデオ版しか見たことなかったんだと今更ながら知りました。

 左進行←の特性について散々述べてきましたが、実際に作品を見る際に気にする必要があるかと聞かれたら、あまりないと答えると思います。ほとんどの作品がきちんと作られていますから。エヴァについても、「こんなことやっててすごい」というのではなくて、「奇抜なのではなくて、普通にちゃんと作られてますよ」ってだけですから。そこを気にして見るくらいなら、テーマを探ることに注力した方が断然価値があります。
 私は丸々一部屋をマンガの収納に使っているくらいかなりマンガを読むのですが、面白いマンガなのにどうにも気持ちが乗っていかないという残念な作品があります。そんなときに駄作判定で使ってるくらいですかね。

 既視聴の作品の再周回時に注目する、というのなら賛成です。読み切れなかった作者の意図が、構図として表に出てきていることはありますからね。左右の選択自体を演出として組み込んだ「おおかみこどもの雨と雪」という作品もありますから、知っていて損はないのかな、とも思います。shirobakoのような作品もありますし、作品の作り方を知ることで読み方を知る、というのも少なからずあると思います。{/netabare}

投稿 : 2024/09/07
♥ : 10

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

エヴァは何を救ったのか

(エヴァ評 その1:承認欲求編)

 エヴァについて書くのは恥ずかしいことだ。
 そう思っている。
 間違いなく、これは90年代最大のインパクトを誇った物語だ。それゆえ、包括的に書くことは難しい。どう書いても、誰かに何か言われるだろう。「わたしにとっては、そういうものではなかった」と。
 だから、とりあえず、まずは個人的な雑感を――とりわけ人の承認欲求にかかわるものとしてのエヴァについての話を――すこしまとめておきたい ※1。

■「立派になりたいとすら思わないわたし」の居場所

 当時、内向的な性格だった私自身も、ご他聞にもれず、たいへんハマッた。
 そのこと自体が恥ずかしいといえば、恥ずかしい過去でもある。しかしながら、それは一方で、わたしにとっての大事な過去でもある。
 ハマッた当時、シンジくんに、ベタに感情移入しながら見ていた。
 これは、シンジくんに感情移入できるかどうか、でまったく観方が変わる。
 だから、ここからの記述は15年前にシンジくんに感情移入できた側の人間の書いたものだと思ってもらいたい。
 当時のわたしにとっては、エヴァは「内気なわたし」に何か希望をあたえてくれるもの、でもあった。

 その理由は主に二つある。
 一つには、「どこにでもいるしょぼい私が、一足とびに世界の救済にかかわる」はなし、だったことだ(※2)。
 シンジくんが世界の救済にかかわりえた要因ははっきりといえば偶然に与えられていた資質でしかない(※3)。だが、「偶然」ではなく、多くのスポーツマンガにあるような「能力もある人間が努力によって、世界をすくうヒーロー」の話よりも、偶然によって世界を救う、という話は多くの凡庸な人々に希望をあたえる。たいした能力もなければ、努力をすることもできない。そういう人間に希望を与える話だ。
 もっとも、「どこにでもいる凡庸なわたし」が見出され、肯定される話は、少年少女向けの話ではよくある。
 「クラス一の人気者の彼に、ワタシなんかが告白されるだなんて…!」的な少女マンガのお約束展開でもある。肯定されるべき本人の自己評価の低さ、の種類はいろいろとある。少女漫画の場合は、多くの場合「ドジなわたし」「普通のわたし」だ(※4)。だけれども、多くのマンガやアニメでは、最初はドジで凡庸なわたし、が次第に精神的に成長し、努力家になったり、こころに余裕が出てきて周囲に配慮のできる人間になっていったりする。
 「努力」や「成長」によって、ヒーローになる話というのは「立派な人物」を称える話だ(※5)。
 「立派で善良な人物」を褒め称える話では、わたしは救われない。
 そういうことを思う人は、たくさんいただろう。全く立派ではないわたし、が生きていくしるべがあるのなら。それを見てみたい。立派ではないわたしが「いけない」ものではない、ということ。それをどうにかして肯定することができるのならば、その形を見たい。
 そう思っている立派ではない少年少女。そもそも「立派になりたい」とすら思うことのできない少年少女は、全国に何万、何十万といただろう。
 立派ではないわたし、が何がしか、世界にいていいのだ、と思わせてくれる。そういう物語がある。そして、その「立派ではない」わたしの、立派でなさ加減たるや、だいぶ徹底して救いがたい。そういう人間に救いがあるような世界観を提示してみせたこと。それだけで、エヴァは救いだったと思う。

■人を肯定してみせることの「闇」

 「あなたは、何も恥じることはない」
 そのことを強く感じさせてくれる経験は、強い力をもっている。
 だからこそ、実は、この経験は危うい力としても用いられる。
 うがった言い方をすれば、エヴァの熱狂は新興宗教の教義があたえる熱狂と同類のものである、というように言ってみせるひともいた。それもそうだと思う。当時で言えば、「オウム真理教にハマる若者」と、「エヴァへの熱狂」が同類のものだ、という評論家は、決して少なくなかった。
 自分なんて生きていていいのだろうか、という自分への自信のなさ。
 同時に、世界の役に立ちたいという底なしにピュアな善意。
 その二つを同時に兼ね備えた若者というのは、そこらじゅうに転がっている。そうして、どうやって世界と関わっていけばいいのか、その関わり方がわからなくなる。それは「若い」ということのもっているそもそもの性質なのだ、とわたしは思う。※6

 そういう若さ。
 それは「<しょぼいわたし>が、いきなり<世界の革命>に関わることができる」というストーリーに惹かれやすい。
 オウムが信者向けに用意していた話も、そういうものだった。
 オウムの信者と、シンジくんとほとんど同じじゃないか。そういう批判は、実際あった。※7

 こういう話は、いつしか定番のパターンとなり、二〇〇〇年代にはセカイ系、と呼ばれるようになった。
 こうしたお話、が新興宗教と類似の性質をもっていること。それはそのとおりだと、わたしも思う。
 だから、「エヴァなんて駄目だ」という人は、たとえば次のようなことを言う。
 「こんな浮世離れした話をみていないで、仕事で成功して、自分の自信をつけなさい」
 「こんなウジウジしたものを見て救われてないで、地元に親しい友達を見つけて、友達から認めてもらいなさい」
 と。

 それは、それで、そのとおりだということは、ある。
 その説教も、意味がある、と思う。この作品のラスト自体をそういうメッセージだと見て取るひともいる。
 
 一方で、その説教によってはやはり救われない人もいる。それもまた、もう一つの事実だ。
 仕事にも、友人にも、勉強にも、どう頑張れば、自らの居場所を得ることができるのかわからない。
 そういう少年少女は、溢れかえっている。そういう気分になっている人に、「あなたを肯定する物語」を与えることは、決して意味のないことではない、とわたしは思う。「新興宗教と同類の欲望を与えているのが事実だとしても、アニメという代理のもので欲望を昇華しえているのだから、問題はない」と、そう言うこともできる。

 一方で、
 「おまえらはみんな乱暴なんだ!おまえらは、ぼくのことなんか、ぜんぜんわかってないんだ!!」
 そう言い続ける人は、いる。
 そう言い続けたい人のための、免罪符として、エヴァのような物語があることにすがる人もいる。
 「ダメな自分」をいつまでも肯定し続けるためだけの装置になってしまっていたことも、もちろんあっただろう。
 そういうことの道具としてエヴァのような物語が使われたら、それはやっぱり不幸なことだと思う。

 エヴァはその意味で、危険な物語である。

■危険であり、重要な承認でもあるということ

 そういう、危険な物語。そういう未熟な人間のための物語に、ハマったということ。
 それは、今の視点でどう考えるにせよ、十代中盤の中学生のときのわたしが、どハマリした事実は、恥ずかしながら、素直に書けば承認欲求の問題だ。
 それは恥ずかしいとも思っているし、それは大事な「思い出」だとも思っている。
 この手の、そういう承認欲求の問題は、
 未熟なものとして否定してもいいし、
 しかしながら普遍的な悩みとしてもちあげてもいい。
 その二面性をもっている。

 未熟者を釣り上げるだけの話だといえば、「コンプレックス商法乙」という批判もでてくる。センチメンタルな表現による無内容な自己肯定とも言っていい。悩める日々を美しく描くことで、未熟さにとりあえず「青春」とか「思春期」とかいう名前をつけて肯定してみせる。そいういうやり方で、それは一部の新興宗教の与える物語とも実は近しい。
 普遍的な悩みなのだと言えば、「少年少女の繊細で、重要な問題の表現」になる。それは、実際、どこにでも転がっている凡庸な悩みでありながら、どこにでも転がっている凡庸んな悩みだからこそ、きちんと取り扱われることを要求する問題だ。


 わたしは、ダメで苦しい自分でしかいられないのか。もっと、立派でラクな自分になれるのか。
 そういうことは、人生のいつまで経ってもわからないけれども、
 若ければ、若いほどにそういうことは全くわからない。

 人生を少し生きていくと、「ああ、わたしはこういう自分でもありえたのか」と納得することもあれば
 「ああ、わたしにはこれが限界なんだなあ」ということをしみじみと思うこともある。
 若いということは、その範囲がまったくわからない。
 「自分」についての不安が、とても、とても大きい。

 だからこそ、「立派なわたしになる」ためのヒーローものや、成長物語が希望を与え、
 同時に、エヴァのような「立派ではないわたし」の抱える不安の物語も、一種の安堵を与える。

 どちらかの視点だけを強力に打ち出してくるようなタイプの考えは、わたしは非力だと思っている。
 どちらかが、完全に消去されることはない。
 そこのところのややこしさはある。
 立派であることを諦めるばかりでは、未成熟なまますぎるし、
 立派になれないことがある、ということを理解できないのも阿呆すぎる。
 自分ではなく、他人に対して「おまえも、もっと立派になれよ」としか言わない人間だったりすれば、それは無神経すぎる。
 何かに「立ち向かうこと」と、何かから「逃げること」との価値は紙一重だ。
 そのバランスが難しい。
 どうしても傷が深い人間には立ち向かえないことはあるし,
 だからといって逃げてばかりいてはいけない。
 そのバランスが難しいからこそ、いつまでも、人は脳天気に悩みから解放されない。
 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!」
 というシンジくんのテンプレートは、まさしく、そのバランスの難しさに直面した人間のそれだ。

 エヴァは、何かから「逃げるかどうかを迷う」話である。
 立ち向かってばかりいる人には「逃げる」ことの感覚を思い出す話は、それはそれで貴重なものだし、
 「逃げている人」には、世の中に数少ない(※8)何かから「逃げるかどうかを迷う話」は貴重だろう。
 迷っていい。

■沈黙のわからなくなってしまったわたしにとっての価値

 シンジくんは、基本、とってもウジウジとしていて煮え切らない。
 「凡庸」というよりも、もっといえば、自己評価が低すぎる人間、だといったほうがいいだろう。

 「自分など、生まれなかった方がよかったのではないか」
 そういうことを、思春期のときは何度も思った。
 自己評価の低さにあえぐ日々を送る人間にとっては、この人物描写はやっぱり深刻なものがあった。
 エレベータのなかで訪れる長い沈黙など、どうしようもなく、ささった。
 エレベータの「沈黙」や、綾波が雑巾を絞っているのを遠くから見つめている風景や、カヲルくんをエヴァから握り締めてながく沈黙する、あの沈黙の間の表現は、ひどく印象にのこっている。
 わたしは、この場にいて、何をすればいいのだろうか?
 そうやって、うろたえることが、わたしの昔の日常だった。

 わたしは大人になってから、
 「何をやっている人間なのか」を宣言することができる何者か、になった。
 何かの専門家であったり、何かの職業の人間だったり、会社の人間だったり、
 そういうものになった、ということだ。
 それはそれで辛いことは、もちろんあるけれども、
 行く先々で、わたしが何を期待されているのかが、だいたいは、わかるようになった。
 会議があれば、会議の時間で、わたしがひっそりと沈黙しなければいけないことはなくなった
 そうすると、不思議とこういった少しの沈黙や、人の微妙な言葉遣いなどがほとんど気にならなくなった。
 今はこういう沈黙の「重さ」がほとんど感覚的にはわからない。
 
 だけれども、かつてのわたしにとっては、こういう「沈黙」の重みこそが、切実な日常だった。
 こうした、きわめて自己評価の低い人間であっても、なにがしかの形で肯定されえたり、とんでもなく重要な問題の中心に置かれたりすることを描く。
 それだけで、これは、わたしにとっては、これがとても重要な物語たりえた。
 

 三〇を過ぎて、
 今になってみると、シンジくんに感情移入ができるかどうかは不安だ。
 いま、見たら、まったく違う感覚で見るしかないだろう、と思う。
 エヴァを見ることは、今のわたしにとっては、そのときの感覚を思い出すことになるかもしれない。
 それならば、それはそれで、今のわたしにとって貴重な物語だ。


 むろん、エヴァの全体のこうしたエポックメイキングな方向性は、描写の細やかさや、作話、作画の水準などの高さに支えられているのはいうまでもない。


 

■■■■注■■■■■

※1 なお、別途、エヴァの「解釈論」にかかわる感想を、「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」のほうのレビューで書きました。「エヴァの「難解さ」ははっきり言って、ただのフェイクである」という一般に言われていることを全面的に肯定しますが、そのフェイクがどうして、機能したのか、ということのほうについての話です。

※2 いわゆる「セカイ系」
※3 シンジくんが、乗ったのは「必然」だったんじゃないか、というツッコミをいただきましたが、物語の受容のされ方によっては、そう感じられる、というのは確かにそうだと思います。なので、はじめの書き方だと、言葉遣いが適切でなかったかも…と思い、少し言い方を変えました。
 わたしがここで案に前提としている対比は次のようなものですたい
A:努力によって能力を得た人が必然的に選ばれる物語
B:たまたまの才能や、ほんとにただの偶然によって選ばれる物語
 との対比です。

 その人の自己評価などをめぐるさる社会調査で、努力・才能・運を分けて議論している話がありましたが、この三つは、それぞれ
・努力:後天的で、コントロール・選択可能なもの
・才能:先天的で、コントロール・選択不可能
・運:後天的だが、コントロール・選択不可能
 という分け方になります。(シンジ君は、デザイナーベビー的な側面がありますから、先天的にコントロールされた存在…とも言えますが)。要するに、ここでわたしが書いた「偶然」というのは、「運」という意味ではなく、本人によってコントロール・選択不可能な要因によって、エヴァにのるわけで、その意味で「偶然」と申し上げました。
 まあ、「努力する才能をどう考えるか」とか突っ込まれると、話がさらに混沌としていくというか、ディフェンスをするためにもってまわった言い方が必要になってくるわけですが、そこまで配慮した書き方をしようとすると、言葉の定義や選択をゼロから述べていく学術論文みたいな記述になってくるので、この程度の説明で許してつかぁさい。

※4 さらに言えば、シンジくんと、当時のわたしは、他のマンガなどで表現されている人格なんかよりも、だいぶ性格的にも近しかった。あそこまでいじけていたかどうかは、さておき、人の多い場所が慣れなかったり、会話に入れなかったりするコミュニケーションに対する自信のなさ、というのはだいぶ似ていたように思う。

※5 こういうものは、いまや誰もが古臭いと認める高度成長期的な価値観を、再強化するものでもある。その意味で、ヒーローの話しか存在しない世界と比べれば、こういう偶然性によって個々の人間の固有性を肯定する、という話の存在は、相対的には歓迎してもいいものだろう。(このような擁護の論理自体、ふるくさい)。こうした「高度成長期」の価値観への批判というのは、もう何週もしてしまって、賞味期限切れではあるけれども、一応、定番ものとしては見田宗介の時代区分「理想」の時代→「夢」の時代→「虚構」の時代あたりは、なんのかんのいいつつ何度も参照されるので、まあ一応、前提として確認しておきます、ということで。現代においても、「理想」を前提とする価値観こそを高尚なものと考える素朴な議論はあとをたたないですし。

※6 2012年現在においては、こういう「高度成長経済のメンタリティ」とからめてセカイ系を論じるという議論設定そのものがもはやきわめて古臭いわけだ。…が、いずれにせよ、こうした「高度成長」「バブル」の物語のあとにくる承認欲求物語はまったく空白だった、ということを論じていたのが、80年代後半~90年代の論壇だった。
 ある種の論壇人とかは、こういうタイプの「高度成長」「バブル」後の空白を埋める物語として、エヴァが機能した、というようなことをよく言っていて、それはまあ、確かにそうだといえばそうだろうということは、わたしも思っている。

※7 少年少女が、どのように世界と関わっていけばわからなくなる瞬間というのは、何度も訪れる
 青少年にむけて、こういった公共的な物語の空白というのは、90年代においてはじめて現れたものではなく、戦後1950年代~60年ぐらいの間にも存在していたものでもある、わけで。戦争のあとの空白感たるや、それはすごいに違いない。
 そういうのは繰り返す。
 最近だと、いまさらハルヒがそういう欲望を代替していた、と論じる人がけっこういっぱいいるけれども、こういうのは繰り返すものだから今だと確かにハルヒなのかもね。わたしがハルヒを見たときは、もうすでに承認欲求をめぐる問題からは、ほとんど自由だったので、ハルヒの中のそういう要素に対してはまったく反応できなくなっていたのだけれども。

※8 正確には、ジュヴィナイル小説だとか、青少年向けコンテンツに数が少ないだけで、純文学系だと腐るほどあって、それはそれでうんざりするような気分になることすらあるのだけれども…

投稿 : 2024/09/07
♥ : 44
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

改めてじっくり視聴してみると、思っていた以上に個々のキャラの《感情描写》が確りしている点に驚きました

※2019.2.11 制作情報を追記&各話評価を更新。

◆《感動》は余りしないが、《物凄く面白い》ことは認めざるを得ない、今も色褪せない名作

『フルーツバスケット』という少し古い作品を視聴していて、その終盤で作品から軽い「精神攻撃」を受けてしまい、そういえば、『エヴァンゲリオン』(TV版および旧劇場版)の衝撃ってこの比ではなかったな、と思って、同作のTV版の方を、飛び飛びですが久し振りに視聴してみました。

やっぱり本作は、見始めると惹き込まれてしまいますね。
タイトルに書いたように、私個人は本作には余り感動するということはありませんが、何度見ても物凄く面白い、と感じてしまうことは認めざるを得ません。
(※因みに私は、自分が思いがけず“深く感動させられた”作品には、総合点数に4.6以上を付けることにしています)

それで、本作(エヴァンゲリオンTV版)の総合点数をどう付けようか?と少し迷いましたが、私が本作と同じく「余り感動しないが、面白さは認めざるを得ない」と評価している『化物語』よりも明らかに面白いと思うので、とりあえず同作と同様の4.5としました。

※以下、TV版を各話毎に評価し、併せて旧劇場版&新劇場版も評価します。
(ただし、TV版の総集編+第25話途中までの内容の『新世紀エヴェンゲリオン劇場版 シト新生』は省略)


◆制作情報
{netabare}
原作         GAINAX
監督         庵野秀明
副監督        摩砂雪、鶴巻和哉
脚本         庵野秀明、榎戸洋司、薩川昭夫、磯光雄、山口宏、樋口真嗣
キャラクターデザイン 貞本義行
メカニックデザイン  山下いくと、庵野秀明
音楽         鷺巣詩郎
アニメーション制作  タツノコプロ、GAINAX{/netabare}


◆視聴メモ
{netabare}
・第6話視聴終了時点
序盤の山場であり、初の★★(優秀回)。
・第12話視聴終了時点
冒頭でセカンドインパクト当時のミサト(NERV戦闘指揮官)の記憶が描出される点に注目。
・第13話視聴終了時点
前話のミサトに続いて、同僚のNERV技術部主任リツコの心情が描出される回
・第16話視聴終了時点
シンジの内面世界の動揺が初めて描かれると共に彼の亡母(ユイ)とレイの類似が暗示される注目回。
・第19話視聴終了時点
エヴァ初号機覚醒を描いた★★★(神回)であり、本作が本格的に面白くなるのはここから。
・第24話視聴終了時点
コマ数は明らかに少ないのだが、心に迫ってくるものがあるカヲル回(2度目の★★★(神回))。
そして次回予告が「第25話 Air」になっている点にも注目。{/netabare}



◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得のいかなかった疑問回

========= 新世紀エヴェンゲリオン (1995年10月-1996年3月) ========
{netabare}
第1話 使徒、襲来 ★ 15年ぶりの使徒出現、碇シンジNERV召喚、エヴァ初号機出撃
第2話 見知らぬ、天井 ★ 続き、葛城ミサトとの共同生活開始、初号機暴走・第3使徒自爆
第3話 鳴らない、電話 ☆ 転入先の学園生活、クラスメートとの交流、第4使徒撃滅
第4話 雨、逃げ出した後 ★ シンジ家出・保護・パイロット登録抹消、思いとどまり ※戦闘なしの日常回
第5話 レイ、心のむこうに ★ 零号機暴走事故、レイ宅へのお遣い、第5使徒襲来
第6話 決戦、第3新東京市 ★★ NERV本部の危機、ヤシマ作戦(レイと初のコンビ戦闘、第5使徒撃滅)
第7話 人の造りしもの ☆ 日本重化学工業開発メカ暴走、ミサトの決死行、反応炉停止(加持暗躍)
第8話 アスカ、来日 ★ UN太平洋艦隊訪問、アスカ登場、エヴァ弐号機出撃、第6使徒撃滅、アダム到着
第9話 瞬間、心、重ねて ★ 初号機(シンジ)&弐号機(アスカ)ユニゾン作戦、第7使徒撃滅
第10話 マグマダイバー ☆ 浅間噴火口突入(弐号機)、第8使徒撃滅、シンジのアスカ救助
第11話 静止した闇の中で ☆ 第3新東京市電源喪失、3機同時出撃、第9使徒撃滅
第12話 奇跡の価値は ★ ミサト三佐昇進、巨大使徒落下(3機共同作戦)、第10使徒撃滅、父の誉め言葉
第13話 使徒、侵入 ☆ 自己進化型使徒の人工知能MAGI侵入、第11使徒撃滅(リツコ奮闘)
第14話 ゼーレ、魂の座 ☆ 人類補完計画進行とそれぞれの思惑 ※前半は登場キャラ達の回想による総集編・後半も使いまわしシーン多い点は×
第15話 嘘と沈黙 ★ それぞれの休日(知人の結婚披露宴、シンジの墓参、ミサト不在の晩)、大深度地下の秘密(第1使徒アダム?)
第16話 死に至る病、そして ★ ディラックの海、初号機サルベージ作戦とエヴァ暴走(第12使徒撃滅)
第17話 四人目の適格者 ☆ 在米NERV第2支部消滅、4人目のパイロット決定(鈴原トウジ)
第18話 命の選択を ★ 使徒のエヴァ3号機乗っ取り、松代爆発事故、シンジ戦闘拒絶・ダミープラグ機動、第13使徒撃滅・トウジ重傷
第19話 男の戰い ★★★ シンジの暴走未遂・エヴァ搭乗拒絶、最強の使徒襲来、サードインパクトの危機、初号機覚醒・第14使徒撃滅
第20話 心のかたち 人のかたち ☆ シンジ・サルベージ作戦
第21話 ネルフ、誕生  ★ ※西暦1999年以降の出来事が述べられる回(南極事故、碇司令&冬月副司令の過去、エヴァ開発とユイ消失、NERV発足etc.)、加持抹殺
第22話 せめて、人間らしく ★ アスカの過去・使徒の精神攻撃、第15使徒撃滅(ロンギヌスの槍)
第23話 涙 ★★ 使徒のレイ浸食、零号機自爆(第16使徒撃滅)、3人のレイ(レイの秘密・素体破壊)
第24話 最後のシ者 ★★★ ゼーレからの使者(5th C.渚カヲル)、第2使徒リリスとの接触回避、第17使徒扼殺
第25話 終わる世界 × ※シンジ他の精神世界を描出する異色回だが脚本散漫で残念
第26話 世界の中心でアイを叫んだけもの × ※同上{/netabare}
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★★★(神回)2、★★(優秀回)2、★(良回)12、☆(並回)8、×(疑問回)2 ※個人評価 ★★ 4.5

OP「残酷な天使のテーゼ」
ED「FLY ME TO THE MOON」


※このように第17話までは割とよくあるメカ系バトルもの(エヴァはメカではありませんが)に見えますが、そこまでに実は綿密に貼られていた伏線が、第18-19話を境にして終盤どんどん回収されていき、ストーリーは第23-24話に向けて急上昇していきます(ただしそこがピークでラスト2話で急下降してしまう)。
※TV版ラスト2話(第25-26話)が何故こんなガッカリする内容になってしまったのか、は諸説ありますが、制作スケジュールが苦しくなって当初の脚本(下記の旧劇場版に近いもの)を、より制作が楽なものに差し替えた、という説が信憑性が高いと思います。
※いずれにせよ、このラスト2話は下記の旧劇場版で完全に補完されているので、本作に興味を持った方は旧劇場版は必見です。


===== 新世紀エヴェンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に (1997年7月) ====

第25話 Air ★★ {netabare}ゼーレのNERV強襲(戦略自衛隊侵攻・撃退、アスカ復活・奮闘、S2機関搭載ダミータイプ投入){/netabare} ※約46分
第26話 まごころを、君に ★ {netabare}人類補完計画発動(初号機依り代化、アダムとリリスの融合、黒き月出現・サードインパクト、残された二人){/netabare} ※約40分、ラスト15分前(実写パート)以降は残念な出来×
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★★★(神回)0、★★(優秀回)1、★(良回)1、☆(並回)0、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.2


※以下は、2000年代後半から制作・公開が続いているアナザー・ストーリー(並行世界、または、どこかの時点からループしている設定らしい。※『Q』のカヲル君のセリフから)


===== ヱヴェンゲリヲン新劇場版 ====================================

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (2007年9月) ★ {netabare}第1~6話を新規作画で再構成、一部新規シーン{/netabare} ※約98分
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 (2009年6月) ★★ {netabare}第8~19話を下敷きとしたアナザーストーリー、なお新パイロット(真希波・マリ・イラストリアス)登場{/netabare} ※約108分
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (2012年11月) ★ {netabare}「破」から14年後の完全新規シナリオだが、第24話の展開を最大のモチーフとしている。{/netabare} ※約95分
シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| (未定)
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★★★(神回)0、★★(優秀回)1、★(良回)2、☆(並回)0、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.3


◆総評

エヴァンゲリオンは、2000年代後半から制作・公開が続いている新劇場版も十分に面白いと思うのですが、それでも、やはり旧作の方の、TV版のラスト少し前の第24話({netabare}カヲル回{/netabare})が、私は素晴らしい《神回》だと思っていますし、そこに至るまでの流れ(特に第19話から後の流れ)が、実に説得力に富んでいて見事だと思っています。

新劇場版第2作『破』の面白さも、TV版第19話({netabare}最強の使徒ゼルエル回{/netabare})を視聴者が予(あらかじ)め知っているからこそ生まれる部分が多いのではないか、と思いますし、第3作『Q』などは、前記のTV版第24話をベースにして、様々なエピソードを付け加えて、90分を超える1本の映画に引き延ばした感さえあるくらいです。

要するに、新劇場版は、当然ながら、旧作(TV版+旧劇場版)を「本家取り」しており、本家との違いを楽しむ部分が大きい、と私個人は思っていて、そういう意味で「本家」を未視聴の方には是非とも一度視聴をお勧めしたいです。

投稿 : 2024/09/07
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