ファンタジーで復讐なアニメ映画ランキング 4

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早速見ていきましょう!

74.8 1 ファンタジーで復讐なアニメランキング1位
空の境界 第三章 痛覚残留[ツウカクザンリュウ](アニメ映画)

2008年2月9日
★★★★★ 4.1 (735)
4263人が棚に入れました
1998年7月、複数の捻じ切られたような変死体が見つかるという、人間の仕業とは思えない猟奇殺人事件が発生する。そんな中、“伽藍の堂”の所長である蒼崎橙子に一件の依頼が飛び込んできた。依頼内容は事件の犯人の保護、あるいは殺害。犯人の名前は浅上藤乃。殺された被害者たちに陵辱されていた少女だった。式は藤乃の暴走を止めるために行動を始める。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、能登麻美子
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

自身と似て非なる能力者に式は何を思うのか

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第三章「痛覚残留」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。



第三章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち3番目にあたる作品だ。本作の視聴で第一章での伏線を回収し、第二章のその後を展開する。本章に登場する浅上藤乃は、巫条霧絵や両儀式と同じ能力者であり、彼女も悩みを抱えて生きてきた。彼女の思いや、彼女と両儀式の接触により生じる式の心情の変化、式の信条について知ることが出来る。
第一章俯瞰風景の直前の話であるので、式と幹也の関係を一章と比較してみるのも良い。
本章は一章・二章と比較して話が理解し易く、初めての視聴でも面白く感じられると思う。
本章のメインは浅上藤乃である。彼女の変化に細心の注意を払って観て欲しい。
副題の ever cry never life は直訳すると「いつも叫ぶ、決して命でない」となるが、この場合、「いつも叫んでいる、一度も生きたことは無い」といった訳だろうか。

考察←観る前に見ない様に。
{netabare}

時系列:3/8
1998年7月
両儀式:18歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:18歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:小
原作との尺の比 155P:57min=1:0.53(1分当たり2.72P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)


・「無痛症」について
「無痛症」という病気は実際は無く、「先天的無汗症」という病気が之に該当する。
痛み・熱さ・冷たさなどを始めとした触覚全般に関する感覚が存在せず、体温調節が非常に困難である。
「痛覚」の定義として皮膚・粘膜・骨膜・内臓などに生じる感覚とあり、痛覚が無いということは五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の内、触覚が無いに等しい。
般若心経に「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法」という文言がある。即ち「目・耳・鼻・舌・体・心といった感覚器官は無く、其々の器官に対応する対象[色(=物体)・音・香り・味・触覚・観念]も無い」という意味で、般若心経中では、龍樹(ナーガールジュナ)により完成させられた「空」の思想の説明に用いられている。(般若経自体は龍樹以前から存在する)
注目したいのは、「体が無ければ触覚も無い」という表現である。之即ち「触覚が無ければ体を感じることが出来ない」ということである。
浅上藤乃の場合はデビック症という延髄炎の一種で、感覚の麻痺を起こす病気で、失明の虞さえある。
藤乃は加えて鎮痛剤の一種「インドメタシン」の大量投与により、痛覚を人工的に失った。
彼女は常に自身の体を感じることが出来ず、虚ろな日々を過ごしていた。これは痛覚が「生の実感」を得るのに必要不可欠な要素であり、五感中で最高に重要な感覚であることを証明している。彼女は国語の読解力に欠け、他人の気持ちを「理解」することは出来ても、「実感」することが出来なかった。これも痛覚が無い為である。


・「殺人」と「殺戮」について
「殺人」とは、相手に抱く感情が、自己の容量を超えてしまったとき、それが極端になるとき人を殺してしまうこと。人が互いの尊厳と過去を秤にかけて、どちらかを消去した場合のみ、それは殺人となる。人を殺したという意味も罪も背負う。そして、人を殺すということは自分自身も殺すということである。
また、殺人は殺す側が「人」として相手を殺すことが必要で、死体が肉塊であったり、消し去られてしまったりする場合は、人としての尊厳が無く、「殺人」とは呼べない。
「殺戮」とは、殺された側は人だが、殺した方は人としての尊厳も意味もない。後の意味も罪も無い。自然災害に例えられる。殺戮は殺す相手を特定せず、殺される意味を持たない。
すなわち大義名分の無い殺人と言える。式は彼女の置かれた境遇から人一倍「殺人」に対する意識が強く、殺戮を酷く嫌う。藤乃の五人目以降の殺人は「殺戮」と定義されている。


・「浅上藤乃」について
{netabare}浅上藤乃の起源は「虚無」。荒耶宗蓮は両儀式と相反する能力者をつくる為、彼女の痛覚を復活させ、「死に接触して快楽する存在不適合者」にさせたのだ。
浅神家は混血の大敵である四家系「浅神」「巫浄」「両儀」「七夜」の一つであり、
浅上藤乃は浅神家の没落から母と共に浅上家に引き取られた。
彼女は、両儀式、巫条霧絵と同様に起源に「虚無」を持ち、特別な家系故に、特別な力を発現した。視界内の任意の場所に螺旋を作り、対象の強度に関係なく曲げる(捻る)能力、その名も「歪曲」(要するにサイコキネシス)。
浅神家は両儀家と異なり能力者の発現を忌み嫌う。浅上藤乃は幼少期に能力を発現し、能力の元である「歪曲の魔眼」を封じる為、父親によって強制的に感覚を奪われ、人為的に感覚を喪失してしまう(人工的無痛症)。
彼女は幼い頃「痛覚」を持っており、薬物の過剰投与によって「無痛症」になってしまった。
『第二章殺人考察(前)の考察「式と織」について』で述べた見解として、式は「抑圧」の感情を、織は「解放」の感情を受け持つと記述したが、浅上藤乃の場合は、
「抑圧」の感情により傷を耐え忍び、「解放」することを恐れた。
中学時代に幹也に「傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ」と言われていたが、これを実行出来ていたら、彼女はここまで苦しまずに済んだだろう。能力を取り戻した彼女は「痛み」(ストレス)の「解放」の手段として能力を発動し、他人の痛みを自身の痛みの代償とした。
腹部の虫垂炎が原因で「痛み」が止まず、痛みの発散の為に殺人を繰り替えす。
後に他人を殺すことに快楽を覚え、必要以上の能力の発動を行い、殺戮を始める。精神的苦痛から自身を陵辱した不良に対する復讐を行っていたが、いつの間にか無関係な他人を殺害するようになった。式は彼女が無関係な殺害を始めた時点で、彼女の殺害を決意した。
式に「おまえは血の味を知ったケダモノだ。人殺しを愉しんでいる」と指摘され、
「それは貴女でしょう。わたしは、愉しんでなんか、いない」という言葉は、痛みで思考が麻痺しながらも「まとも」でない自分を認めたくないという心情の表れである。

「太極図」で式が一つの肉体に二つの人格を持つ二重存在者なのに対し、彼女は万物の移り変わりを現す螺旋の方向性を視認出来る存在不適合者である。
荒耶宗蓮による恢復によって、バットで殴られた際の脊髄の炎症は治療され、不定期に痛覚が復活するようになった。
幼少期に封印されていた能力が復活したことに依り、その能力の威力は凄まじく、式を凌駕するものだった。更に後には透視能力(千里眼)をも発動出来るようになった。
彼女も巫条霧絵と同様に荒耶宗蓮の「根源の渦」、『 』への到達という最終目標の為に両儀式と接触する駒となった。
一章では述べなかったが、この似て非なる式・霧絵・藤乃の三者の共通点として、
「虚無」を起源とし、「根源の渦」、『 』への到達の鍵であること。三者とも「生」の実感が得られず、「今」を生きることに全力を注ぎ、快楽への傾倒が何時起きても可笑しくない不安定な存在であること。黒桐幹也という存在に、三者とも一種の憧れを抱いており、自分を受け入れてくれる唯一無二の存在として、彼を欲していることなどが挙げられる。この点に関しては五章矛盾螺旋や終章空の境界で改めて記述する。{/netabare}


・ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」について
{netabare}第六章「黒桐幹也」についてで述べるが、彼は「どこまでも普通で、誰よりも人を傷つけない」という起源を持っている。中立かつ博愛である彼は誰かを特別視することが出来ない。自分の親類と赤の他人とを同等に扱わなければならない。式が幹也に人殺しについての一般論を期待した(というか幹也には一般論しか言えないのを分かっていた為、自分を否定して欲しかったのである。)のは、この起源に起因する彼の性格によるものである。
社会的に罪を背負うことがなくとも、自責の念だけは残り、それは償うことの出来ない罪の意識として、当人を苦しめることになる。式が罪の意識は常識によるものだから、常識のない自分を野放しにしてよいのかと幹也に問うたとき、彼は「式の罪は、僕が代わりに背負ってやるよ」と回答した。
式の「かわりに一つだけ分かった。自分の生き方、自分が欲しいものが。とてもあやふやで危なっかしい物だけど、今はそれにすがっていくしかない。そのすがっていくものが、自分が思っているほど酷いものじゃなかったんだ。それが少しだけ嬉しい」という台詞は、式が生の実感を得る上で必要不可欠な殺人衝動が、浅上藤乃との戦闘で式の殺人衝動が思ったほど酷くなく、浅上藤乃を許せるものであったことから、一般論を期待していたけれど、人間味のあることを言ってくれた幹也に向けて、幹也の期待に応えられる殺人衝動という意味で言ったものである。式は織の消滅によって空いた伽藍洞の心を幹也で埋めることを決意し、織の幹也と幸せに生きるという夢を叶えるため、幹也と共に生きることを決意し、自分の生の実感を得る手段としての殺人衝動を幹也に認めてもらえるようなものにすることを決意した。因みにこの会話は第三章の最重要場面である。ここでの約束が七章で果たされることになる。
{/netabare}
・「傷跡」について
浅上藤乃をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。中学時代に浅上藤乃は黒桐幹也と出会い、今回再び助けられた。
「ねえ、生きていると分かるほど抱きしめて」という歌詞や他の歌詞から、彼女の「生の実感」への渇望と、憧れの混じった恋について上手く纏められている。



・「痛覚残留」という作品について
幼い頃に「歪曲」という能力を発現し、封印されてしまった浅上藤乃。彼女は能力の封印の代償として「痛覚」を失ってしまう。痛覚を失うことで外部からの刺激・自らの身体の感覚を失い、「生の実感」をも失ってしまう。彼女は痛みを知らず、感情の抑揚も乏しく、鮮花に「誰にも憎まれない娘」と評されるほど温和で穏やかな性格となった。
無痛症の為、自身の身体の異常が検地出来ず、外出に厳しい礼園女学院生ながら、主治医に定期的に診て貰う為に外出をしていたところを不良に絡まれ、半年間に亙って性的暴行を受けたが、感覚が無く、感情に乏しい為ほとんど抵抗はしなかった。
しかし、金属バットで背中を強打されたことで脊髄に損傷を受け、不定期に感覚を取り戻すようになる。ある日感覚を取り戻している時間に不良のリーダーに腹部を刺され、自己を防衛する為に「歪曲」により湊啓太以外の4名を殺害してしまう。
実際には腹部を刺されるよりも能力の発動の方が早く、彼女は刺されていなかった。
彼女は腹部に虫垂炎(後に腹膜炎)を患い、その痛みは腹部の傷として彼女に認識される。
彼女は陵辱されたという精神的苦痛から、不良への復讐を行い、湊啓太を捜索する。他人の痛む様子を見ることで「生の実感」を得ることを覚え、他人の痛みで自身の痛みを補完しようとした。しかし、手段と目的が入れ替わり、殺人に快楽を覚えるようになり、殺すことで「生の実感」を得る為、殺戮を始めた。痛むが為に人を傷つけるのではなく、人を傷つける為に痛む傷。傷は人を殺す理由の為に永遠に消えない。
式は能力を発現している時の彼女を酷く嫌い、之を殺すことで排除しようとした。藤乃の能力「歪曲」により左腕を失うが、「直死の魔眼」の力により、「歪曲」の描く螺旋を殺すことに成功し、藤乃に勝った。
しかし、彼女が無痛症に戻ってしまったので式は殺害を止め、彼女に巣食う盲腸を殺すことで幕を閉じた。


・名言(原作より抜粋)

藤乃「――はい。とても・・・・・・とても痛いです。わたし、泣いてしまいそうで――泣いて、いいですか」

藤乃(お腹が痛い。見えない手に、私の中身が鷲摑みにされる不快感が。吐き気がする――いつもはそんなものはしない。めまいがする。――いつもは唐突に意識が落ちる。腕がしびれる。――いつもは目で見て確認する。 とても、痛い。――ああ、生きている。)

藤乃「・・・凶れ」

橙子「黒桐は間に合わなかったか。さて。嵐が来るのが先か、嵐が起こるのが先か。式ひとりでは返り討ちにあうかもしれないぞ。両儀」

幹也「馬鹿だな、君は。いいかい、傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ、藤乃ちゃん」

式「万物には全て綻びがある。人間は言うにおよばず、大気にも意志にも、時間にだってだ。始まりがあるのなら終わりがあるもの当然。オレの目はね、モノの死が視えるんだ。おまえと同じ特別製でさ。だから――生きているのなら、神様だって殺してみせる」

藤乃(やっと手に入れた痛覚なのに、今はこんなにも憎い。でも――ほんとうだ。痛いから――とても痛いから、死にたくないと渇望する。このまま消えるのはイヤ。もっと、生きて何かをしなくちゃいけないんだ。)

藤乃(もっと生きて、いたい。もっと話して、いたい。もっと思って、いたい。 もっと ここに いたい。)

式「痛かったら、痛いっていえばよかったんだ、おまえは」

幹也「・・・罰っていうのは、その人が勝手に背負うものなんだと思うんだ。その人が犯した罪に応じて、その人の価値観が自らに負わせる重荷。それが罰だ。
良識があればあるほど自身にかける罰は重くなる。常識の中に生きれば生きるほど、その罰は重くなる。浅上藤乃の罰はね、彼女が幸福に生きれば生きるほど重くて辛いものになる」

幹也「そっか。じゃあ仕方ない。式の罰は、僕が代わりに背負ってやるよ」

式「もうひとつ白状するとさ。・・・・・・オレも、今回ので罪を背負ったと思う。けど、かわりに一つだけ分かった。自分の生き方、自分が欲しいものが。とてもあやふやで危なっかしい物だけど、今はそれにすがっていくしかない。そのすがっていくものが、自分が思っているほど酷いものじゃなかったんだ。それが少しだけ嬉しい。ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」
{/netabare}

感想

本作は一章,二章と比較して分かり易い作品で、世界観がだんだんと理解出来てきた中で、式と似た境遇の人間・浅上藤乃と式を絡ませ、両者の違いや、式の信条などを視聴者に刻銘に印象付けさせ、五章矛盾螺旋への繋ぎとしての役割が十分に果たせている。
一章に比肩する式の戦闘シーンや空の境界随一のグロテスクな描写の多さが特徴的だった。
本章は幹也から式への想いの表現が多かったが、式から幹也への想いの表現が少なく、式が何を想っているのか想像することが出来た。もしかしたら藤乃の幹也への想いに嫉妬していたのかもしれない。
「努力してみる」などツンデレ気味の発言も含まれている。
ほんの少し――ほんの少しだけ、おまえよりの殺人衝動――」と言った式の覚醒後初めての笑顔は大変可愛い。
{netabare}
「凶れ(まがれ)」という言葉が式に向けて何度も発せられたが、あれは殺戮が彼女に「生の実感」を与える唯一の痛みへと変貌してしまったことを示しているのと同時に、自分の存在を否定するものの排除という「殺人考察(前)」における式に似た心情であると考える。
藤乃は可哀想な人生を歩んできたが、その中での幹也への恋と、「普通でありたい」と思う心が彼女の心の糧となったと思う。最期に式によって殺されなかったことは、彼女にとっても、式にとっても良いことだった。無痛症は治らないだろうが、盲腸が治って良かった。
最初と最後に出てきた「とても・・・とても痛いです。わたし泣いてしまいそうで――泣いて、いいですか」という言葉が藤乃の本音だろう。
最後に痛覚がある状態で盲腸の痛みを実感し、「痛い」から「死にたくない」と「渇望」する。という強い思いが湧き出てきた。
もっと生きて、いたい。
もっと話して、いたい。
もっと思って、いたい。
もっと ここに いたい。
という「痛い」=「居たい」という強い意志が「痛覚」があることで具現した。
同時に自分が愉しんでいたモノの正体に対する痛み、自分が犯した罪、自分が流した血の意味を「実感」した。
藤乃「痛みは耐えるものじゃなくて。誰かに愛してと訴えるものなんだって、あのひとは教えてくれたんだ」
とあり、「痛み」の正体を知るに至った。
式が言った「痛かったら、痛いっていえばよかったんだ、おまえは」という言葉のとおり、もっとはやく「痛い」と言えていればと思う。
{/netabare}

この三章は、一章,二章を視聴した上で「両儀式」という人物について考えさせる作品だった。
浅上藤乃という式に似た殺人鬼の登場。彼女も特別な家系の生まれで、それ故に不幸な人生を歩んでしまう。本章は藤乃への同情を誘うとともに、式の心の揺らぎが見られる。
一章と二章を繋ぐ三章。そして二章と三章を繋ぐ四章へと話は進んでゆく。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 48
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

痛みと無痛 生きている実感の境界線

1998年7月、この第3章は時系列でも3番目のエピソード。
鑑識官に「人間の仕業とは思えない」と言わせるほどの猟奇殺人事件が次々発生。
しかも被害者は複数の若い男性ばかり。
第3章でのゲスト的な主人公は浅上藤乃。
このページの「あらすじ」欄に犯人の名前まで書かれているが
彼女が数人の男性に取り囲まれ陵辱されているシーンからスタートするため
猟奇殺人事件の犯人が誰かすぐに見当はつくし、これは犯人探しの話ではない。

黒桐 幹也も働いている人形工房「伽藍の堂」の所長である蒼崎橙子(あおざき とうこ)に
「事件の犯人・浅上藤乃の保護、あるいは殺害」という依頼が舞い込み
藤乃の暴走を止めるため、両儀式が活躍する・・というのがこの第3章の内容。

痛みを感じない無痛症である藤乃が初めて感じた、生きている実感というものに
おそらく自分と似たものと反発を感じた式の気持ち。
相変わらずのお人良しぶりで優しい幹也が偶然出会った藤乃の人間像。
痛々しくてとても悲しい話ではあるのだけれど、
藤乃が感じていた痛みの本当の原因がわかったとき、あぁなるほどなと。
外部から受ける痛みと内部からの痛みは、同じ痛みでも違いがあって
それは外部から受ける傷と内面で傷つくのとの違いにも似ている。
傷というものは大抵痛みを与えるものなわけだけれど、
同時に、その痛みを知ることで生きている実感が持てるし、
人間らしさを保てるというもの。
果てはそれが生きていく理由にも繋がるのだよね。

しかし藤乃の場合・・・
{netabare}
自分が痛みを覚えた時に殺戮を繰り返しているので
生きている自分の実感と相手の痛みとの相互関係に少々疑問が残る。
彼女を陵辱した青年たちへの復讐心だけだったら納得がいくものの
それだけに留まらなかったということは、殺人による快楽をも覚えてしまったことになり
だからこそ式はそんな彼女を許せなかったのだろう。
というわけで、式の持つポリシーのようなものも感じ取れた。
{/netabare}

それだけでなく、これまで幹也からの式への想いはかなり伝わったものの
式から幹也に対しての想いはあまりハッキリ描かれていなかったので
この3章での幹也に好意を抱く藤乃の存在が、
式の嫌悪感を増幅していたようにも感じることができたのは良かった。
第1章で、式の腕があんなだった理由もわかるしね。
とにかく今回は藤乃がやたら強くて、バトルシーンも見応えがあり
「痛覚残留」というタイトルの文字通り、観ているこちらも痛覚を刺激される映像が多く
全体的に悲しみに彩られたストーリー同様、音楽のほうも雰囲気があって
単体で観てもわかりやすくまとまった回だったと思う。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 41
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

強制された抑圧と、境界を越えた解放

原作未読。
全8章からなる物語の3章目。約60分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

1章より前、2章より後の話。
ストーリーは比較的独立しており、この話だけ観てもわかりやすい構成になっています。

この回では少し笑いの要素が入ってきます。
また、黒桐幹也の妹、黒桐鮮花の出番があります。
彼女は清涼剤みたいな存在で、話に柔らかみをもたせてくれています。

ただし、残虐性にも拍車がかかっています。
人間の負の面を強く表現している印象です。
残酷な話と軽いテンポの会話、その組み合わせで、他の章との重みのバランスを取っているのでしょう。

映像面の見所は、嵐の中での戦い。
水を切るように動く表現は、実にスタイリッシュです。

EDテーマは「傷跡」。


【3章「痛覚残留」の考察】
{netabare}
過去に、黒桐幹也と浅神藤乃は出会っています。

幹也「いいかい?傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ」

これは、私たちの日常生活にも繋がってくる発言です。
「抑圧」=「傷を耐える」という行為は、周りに危害を加えないと同時に、自分の中にストレスどんどんため込んでしまいます。
そして、たまりにたまったストレスは、ふとしたきっかけで爆発してしまう。
それを防ぐためには、ストレスを定期的に「解放」=「痛みを訴えることを」してやらなければならない。

浅神藤乃は、精神的にはごく普通の人間です。
しかし、痛みを訴える方法が「能力の発動」という特殊なケースだったため、「人工的に感覚を抑える」という方法で、強制的に抑圧され続けてきたわけです。


そして、金属バット殴られた衝撃で、一時的に復活した痛み。
むりやりイスに縛り付けられ、勉強させられ続けてきた人のロープが、ふいにほどけたと考えると分かりやすいと思います。

自分のやりたいようにできない、つまり「生」を実感できない「空っぽの」状態から解放される。
やっとストレスの発散が可能になりました。
ただし藤乃は、痛みを感じている間はストレスの解放が終わっていない、つまり、痛みを訴え続けなければならないと解釈しています。
だから、殺しに対して「私は楽しんでなんかいません!」と藤乃は言ったんでしょう。

しかし、抑圧が解放されることに、徐々に喜びを覚え始めた藤乃。
必要最小限の解放ではなく、必要以上の解放へと、その「境界」をまたいでしまった。
それが、「殺人」という行為を超え、無関係な人々を巻き込む「殺戮」へと移行し、式の怒りを買ってしまうことになったわけですね。

しかも、実際はナイフで刺された痛みではなく、もともと持っていた病気による痛みだった。
そのため、永遠にストレスの発散が終わることがないわけです。

さんざんたまっていた「ストレス」が一気に解放されたわけですから、藤乃はあれだけの力を発揮しました。
そして同時に、余命いくばくもない藤乃。

この状況を打開する方法が、式にしかできない「病気を殺す」という行為だったのでしょう。

この浅神藤乃が、2章のラストで語られた「死に接触して快楽する存在不適合者」に相当します。


【全て見終わった人へ】
{netabare}
4章で分かりますが、痛覚が戻ったのは、バットで殴られたのがきっかけではないんですね。
荒耶宗蓮の仕業だった。


7章でも触れられていますが、

殺人=相手に抱く感情が、自己の容量を超えてしまったとき、それが極端になるとき人を殺す。人が互いの尊厳と過去を秤にかけて、どちらかを消去した場合のみ、それは殺人となる。人を殺したという意味も罪も背負う。そして、人を殺すということは自分自身も殺すということ。
殺戮=殺された側は人だが、殺した方は人としての尊厳も意味もない。自然災害に例えられる。

と区別されています。
この違いを強調しているため、藤乃に危害を及ぼした人以外への殺害行為を「殺戮」と呼んで、式は嫌っていたわけですね。


なお、劇中で橙子が式に渡したカードキーの名義は「荒耶宗蓮」となっています。
橙子「名義は古い知人のものを拝借したがね」
ここで、初めて名前が出てきています。

また、カードキーの色は、蒼、橙、ピンクの3色。
「式、織、両儀式」の着ている3種類の着物の色と被ります。
また、
橙子「式一人では返り討ちに遭うかもしれんぞ、両儀」
すでに橙子は、式の2種類の人格に加え、3つ目の人格に気付いていたんですね。

{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 34

74.9 2 ファンタジーで復讐なアニメランキング2位
銀河鉄道999-The Galaxy Express 999(アニメ映画)

1979年8月1日
★★★★☆ 4.0 (179)
925人が棚に入れました
身体を機械にかえて、人間は死なないですむようになった。そんな時代にも、やはり貧しい人々は存在する。彼らにとって、機械の身体は高価なものであり、買うことができなかった。そんな中、一つの噂が流れる。銀河鉄道999に乗れば、タダで機械の身体を貰える星に行けるというのだ。少年・星野鉄郎は母と二人、噂をたよりに銀河鉄道の停車駅、メガロポリスに向かう。その途中、二人は機械伯爵による人間狩りに遭い、母は殺されてしまう。メガロポリスのスラムに居着いた鉄郎は、銀河鉄道のパスを手に入れる機会を伺い、実行に移すも失敗に終わる。しかし、そのとき知り合った謎の美女メーテルから、鉄郎は銀河超特急999号のパスをもらい受けて、メーテルとともに地球を旅立つのだった。

声優・キャラクター
野沢雅子、池田昌子、一龍斎春水、肝付兼太、井上真樹夫、田島令子、富山敬、小原乃梨子、柴田秀勝、藤田淑子、槐柳二、坪井章子、納谷悟朗
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

少年期の終わり

松本零士、不朽の名作。

身体を機械に変えることで、
人が永遠の命を手にした未来。
貧しい環境で育った少年鉄郎は、
謎の美女メーテルと共に銀河鉄道に乗り込み、
機械の身体をただでくれる惑星へと旅立つ。

劇場版の制約のため惑星での滞在時間も短く、
哲学的な物語は省力され駆け足な印象を受けますが、
少年の冒険を軸に優れた青春活劇になっている。

テーマは限りある生命の在り方でしょう。
鉄郎は下を向いて人生を見つめ続ける。
意に反して生き方を決められた貧しき人々、
自分が歩む、歩まざるを得なかった道を考える、
だが失われたものを生きる力に変える方法を知らない。
{netabare}内省的な物語は旅を通じ、人や文化と出会い、
少年は世界をやがて自分の目で見つめ始める。{/netabare}

大人になってもわからないことだらけだ。
それが人生に於いて何か重要な意味を持つのか、
記憶と経験を頼りに手探りで生きていく。

少年期との別れを告げ、
汽笛が新しい時代へと若者を歩ませる。
たとえ跡形もなく消え去っても、
それは希望に満ち溢れた冒険なのだろう。

泣けてしょうがない。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 69

ろき夫 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

世代じゃないけど楽しめた!

名作とは知っていながら、世代じゃないのでスルーしていた作品の1つ。
おススメされたこともあり観てみることに。

1979年の劇場公開作品。30年以上も前の作品です。
古いですね~w まだ私が生まれてもない時代ですよーw

さすがにここまでギャップがあると腰が引けちゃいますよね。
でもでも、実際見てみると物凄く楽しめました!
この作品に関しては殆ど情報を入手せずにピュアな状態で挑みましたw
なんで、名作だからといって変に贔屓目でみているとか、そんな事は無いですよ?断っておきますがw

で、銀河鉄道といったら宮沢賢治が先に思い浮かんじゃうですよねー。
なんで、哲学的で芸術的な印象をこの作品にも勝手に抱いていました。
でも、観てみると全然イメージと違っていてびっくり!
第一級SF超大作といった感じですw
なんだろ、スターウォーズ?みたいな。(この例えもちょっと古いんですけどw)
ストーリーは簡単にいうと、
主人公「星野鉄郎」が「機械伯爵」に母を殺され、その復讐を誓う。そのために永遠の命と圧倒的な力を持つ≪機械の体≫を手に入れるため、謎に包まれた女性「メーテル」の導きのもと、機械化母星の存在するアンドロメダを目指し‘銀河鉄道999’に乗り旅をする…というお話。

…なんですが、ここから話が二転、三転しますw衝撃のラストですww
ある程度先は読めても、ラストまではなかなかw
話が巧く練られており非常に楽しめました!
ただの派手なアクションものとも違い、しっかりと奥深さもあるんですよね~。
哲学的要素も散りばめられてはいるんですが、とても解り易く表現されており、
「子供にも伝わる」…そういう素敵な工夫がなされています。
映像で、鉄郎の台詞で、それを囲む大人達の台詞で、そして時には歌に乗せて…。
特に、酒場での女性の弾き語りの歌!…染みましたw疲れた大人にはゴダイゴの歌よりこっちの方が効くんじゃないかな?w
アニメという、表現媒体をフルに活用した素晴らしい演出でした。もちろん絵も綺麗。
特に女性の描き方が特徴的ですよね~。
人間離れしてるというか…完全に理想化されたモデルです。
あのカラダのラインは芸術的に見えさえしますね。
建造物の崩壊シーンには目を見張るものがあります(崩壊シーン萌えな方必見!…少なくとも私は萌えましたw)
松本零士、りんたろう、金田伊功、野沢雅子…などなど、今となっては伝説級のスタッフのアツい共演。
あの時代で、このクオリティで二時間超の作品を作るのって…どれだけの労力を要したんですかね~。驚嘆しますよ。
テンポも速すぎるwというくらいスピーディーで、視聴者を退屈にさせません!

この作品のテーマは「少年の旅立ちと成長」です。
序盤で、999号に乗り、Taking Off Over the Galaxy(歌:ゴダイゴ)の「誰も行かない未来へ~♪」
な歌詞に乗せて広大な宇宙へと旅立つわけです。
ロマンを感じずにはいられませんよねw
若者の抱く‘無限の可能性’というヤツを夢いっぱいに表現しています。
義務教育を終える3年くらい前までなら純粋な気持ちで観れた気がしますw
今となっては~…切ないっ!!ちょっと捻くれて観ちゃうかな?w
あと、やっぱり時代を感じました。
宇宙を舞台にした作品って今も昔もたくさんありますが、最近は割と現実的なテーマに触れた作品が多い気がします。
あの頃って若い世代だけではなくある程度の年齢の大人にも今よりは夢があったんじゃないですかね?
日本がイケイケな時代だったというのもありますが、機械分野の技術的な進歩が目覚ましく、未来に対する大きな期待があったのだと思います。
そういった意味では、伸びしろの期待できない現代の世の中ってどことなく寂しいものがありますよねー。夢を見れなくなったというか…。
まあ、どんな時代であっても努力なしには夢は実現できないものですよね~。
その努力を惜しんでアニメを観ちゃうからダメなのかなw
ああ…だんだん鬱に…。(´;ω;`)

最後に一つだけ言わせてほしいのが、鉄郎がまさか15歳とは思いませんでした!w
しぐさ、行動が少し幼い気がします。あとメーテルとの身長差が…。
劇中、その設定に気付かず観ていたので、二人の恋愛に始終違和感を感じてしまいました。
感動するエンディングでさえもそのせいで若干ついていけませんでした。
なんで、これから視聴する方はその年齢を知っておいた方がいいのかもしれませんw

でも、そんな細かいことなんてどうでも良くなるようなエネルギッシュで爽やかな素晴らしい作品で、
数多くのファンがいるのも納得できました^^
子供ができたら観せたい作品の1つになりました。良い子に育ちそうw

世代じゃないからといって敬遠するものじゃないですね~。
私もこの銀河鉄道999のおかげで、過去の名作巡りの旅に駆り出されることになりそうですw

投稿 : 2024/12/21
♥ : 29
ネタバレ

ぶらっくもあ(^^U さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

さらば少年の日よ

昭和期劇場公開されたアニメ作品の中で、
私的お勧め感トップクラス、
シナリオ、音楽、サービス精神、見事という他はない、
よくぞこれだけのものを2時間弱にまとめたものだなと、

銀河鉄道999という事で主人公は当然星野鉄郎、
何をアタリマエな事をと思われるかも知れないが、
キャプテンハーロックやエメラルダス始め、
松本零士氏作品オールスター的キャラ複数登場し、
其々単なるゲストキャラではなくキャラ立ちも半端ない、
{netabare}
特にキャプテンハーロック等登場シーンからカッコいい、
ハーロックはTVアニメ版も大好きだったが、
本作でのハーロックはアルカディア号デザインと共に格別、
トチローも登場しアルカディア号心臓部含む根幹的物語も内包、
もうゲストどころの騒ぎではない、
{/netabare}
ヘタすれば物語統一性単一性欠きかねないが、
徹底した主人公視点駆使し原作999エピソード主軸に、
旅の過程で全てのキャラエピソードや出会いを、
主人公の成長物語として鉄郎中心に必然性保ちつつ、
自然に語られてるのが素晴らしい、

ヤマト革命から端発した70年代後半アニメブームにより、
様々なアニメが劇場にて公開される事になったが、
当初はTVアニメ使用フィルムの再編集的作品も多かった、
999は同時期TVでも原作本沿った形で毎週放送されてたが、
この劇場版999はTV流用無しのオリジナルで、
主人公鉄郎のキャラ画も原作或いはTV版より、
(5歳程)青年的に描かれている、
当初この鉄郎デザイン若干違和感もあったが、
本作フィナーレ迎える頃は、
自然気にならなくなったと言うより成程なと、
というのも、
{netabare}
序盤当初鉄郎にとってメーテルは母親の幻影、
道中冥王星付近で寒がる鉄郎メーテルに抱衣され、
思い出すのは母親の温もり、
{/netabare}
少年が、
{netabare}
様々な出会いや物語初期主人公目的であった、
母の仇打ち成し遂げ。
いつしか人間の機械化そのものに疑問持ち、
目的は終着駅である機械化惑星破壊へ、
真摯さが顕著になってゆく鉄郎の目、

鉄郎が辿りついた終着駅機械化惑星の名前はメーテル、
(ここからのラストまでの一連のBGMは神がかってる)
崩壊する惑星メーテルからの脱出シーンは今観ても圧巻、
戦火の中轟進するアルカディア号
999脱出路の盾となるエメラルダス号
一貫して流れる(BGM惑星メーテル)
メーテルの手を引き999目指し駆ける鉄郎は、
{/netabare}
いつしか大切な人を守るひとりの男になり、
{netabare}
原作上悲しいキャラだったガラスのクレア、
劇場版では助かったと思ったんだけどな、
思い出してしまった、、、
(BGMガラスのクレアフルオーケストラバージョン)

旅のおわり、
メーテルの別れの言葉
「私はあなたの心の中の幻影」
メーテルを乗せ走り出す999を追い駆けだす鉄郎、
(BGM別離そして旅立ち)

さらばメーテル、さらば銀河鉄道999
{/netabare}
さらば 少年の日よ、

というのが、
機械化人間等に象徴される人間性欠如への警鐘と共に、
本作のテーマな故、

放映当時の事だけど本作が凄かったのは、
TV版勿論原作においても表記されない物語クライマックスが、
見事なかたちで描かれ切っていた事、
原作先んじて或いは離れて物語構築し、
ともすれば台無しになった作品も多いが、
本作の場合は、
この劇場版一作こそ正道と言わしめるくらい完成されてた事、
TV版宇宙海賊キャプテンハーロックや同銀河鉄道999通し、
制作会社として関わってきた東映動画の本気度が窺える、

松本零士著作品という事であればその代表作は各人様々であろうが、
映像化された松本零士作品という事であれば、
本作は間違いなく代表格だと感じる。

1979年度劇場公開作品
原作 松本零士 監督 りんたろう 監修 市川 昆 
音楽 青木望 作画監督 小松原一男 制作 東映動画

投稿 : 2024/12/21
♥ : 36

70.9 3 ファンタジーで復讐なアニメランキング3位
ゴブリンスレイヤー GOBLIN’S CROWN(アニメ映画)

2020年2月1日
★★★★☆ 3.6 (181)
835人が棚に入れました
ゴブリン退治に出向いて消息を絶った令嬢剣士を探して欲しい。剣の乙女からの依頼を受け、北方の雪山に向かうゴブリンスレイヤーたち一行。襲撃される寒村、謎の礼拝堂と、今回のゴブリンの群れの行動に違和感を覚えるゴブリンスレイヤー。「取り戻す…、失った物、全てを! 」囚われの令嬢剣士を救うため、雪に囲まれた古代の砦を舞台に、圧倒的な強さを誇る“何者"かに統率されたゴブリンたちとゴブリンスレイヤーたちが激突する! !

声優・キャラクター
梅原裕一郎、小倉唯、東山奈央、井口裕香、内田真礼、中村悠一、杉田智和、日笠陽子、松岡禎丞
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

ゴブスレのコスプレ

称号は

{netabare}“慎重勇者”でよくね?{/netabare}

60分一本勝負。劇場版と言いつつTV版の延長でワンエピソード追加したくらいのボリューム。COCO壱のちょいがけソースかラーメン屋の替玉みたいなもんと思えばいいかもしれません。というわけでしてご新規の皆さまは元ネタのTV版を視聴後にぜひまたお越しくださいませ。

やや短めの尺。OVA1話分に合わせたかのような軽めの脚本。映画館に足を運ぶ必要性は感じません。今(2020年11月)からですとレンタルor配信ですので、そうなれば敷居自体は低いですから元ネタのファンなら気軽に手に取ってよいでしょう。私は映画やってるのすら知りませんでしたので内容の如何を問わずなんかラッキー!って感じ。

だから基本的には文句はないのだけどごめんなさいね。違和感が少しばかりある。

{netabare}・令嬢剣士の帯同はプラスにはなってませんでした
・以前だったら帯同させるにももっとメリデメを冷徹に計算してたと思う
・妖精弓手の矢じり摘出の時に周囲の警戒怠ってたよね{/netabare}

肝心の慎重さ足りなくなってません?
ゴブリン相手に慢心せず愚直にPDCAを回す偏屈者。主人公ゴブスレさんの従前の人物評です。
敵さんを先回りした策がハマった時も、知恵の蓄積だったり可能性を一つ一つ潰していった形跡など“らしさ”を感じたものでしたが今回はそんな職人気質のゴブスレさんに“ご都合”の匂いがしてました。
{netabare}※酸素摂取できる指輪を配布したり稲妻魔法の使用制限を要請するなど伏線として利いてるとの見方もできましょうがなんか違うんだよなぁ。{/netabare}


ゴブスレっぽいものという結論になりますでしょうか。
それでややネガティブ評にはなりますが評価気にしないでくださいね。
所詮60分ですからまずはご自身の目で確かめていただいてという作品でしょう。



※ネタバレ所感

■策士策に溺れる?

{netabare}雪上決戦。事前戦闘でボスに発信器(剣回収用)みたいなのをつけて下準備。追撃戦でゴブリン達が門から出てきたら誰かが囮になるかもしくはデコイみたいなのを魔法で出して敵に追わせる。それで門から出きったら上から雪崩起こすので良かったんじゃね?とどうしても思ってしまう。雪崩を戦略に組み込むなら後面が崖と敵さんより下り斜面(谷側)に陣取るのがどうも腑に落ちませんでした。{/netabare}

{netabare}だから雪崩にわんさか巻き込まれるクライマックスは不謹慎ながら大規模コントのオチみたいな見え方をしてました。
ドリフのオチのテーマ(『盆回り』というらしい…)を脳内で流すとしっくりきましたね。{/netabare}



視聴時期:2020年10月 

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2020.10.23 初稿
2021.08.20 修正

投稿 : 2024/12/21
♥ : 38
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

あなたが落としたのは、金のゴブスレですか? 銀のゴブスレですか? そうですか、じゃあ正直者なあなたに、キレイなゴブリンスレイヤーをあげましょう。という違和感。

[文量→中盛り・内容→酷評系]

【総括】
ゴブリンスレイヤーのOVA。60分。

テレビシリーズは☆4をつけている、好きな作品なのですが、本作はイマイチでした。多分、本編を観ていなければ感じない違和感なんでしょうけど、それがどうにも。クオリティ自体は低くないし、ツマンナイわけではないんですけど。

ていう部分をレビューで書きたいと思います。

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
本作の良さといえば、ゴブリンに対してはどこまでも冷徹で、執念深さをもって滅するところにあると思うけど、城攻めの時のゴブリンスレイヤーは、あまりにも無謀且つ雑。

ある意味で、ゴブリンを最も高く評価しているはずのゴブリンスレイヤーなのに、ゴブリンを侮っていたように思う。敵に弓があったら死んでいるシーンが何回もあった(てか、あるのに撃たない)。それに、プロテクション+雪崩は先制攻撃に使うべきだろう。剣なんかにとらわれず、先ずは敵の殲滅。剣は後から回収できればラッキーくらいのスタンスのはずでしょう。

ゴブリンスレイヤーは勿論優しい男ですが、あくまで第一優先はゴブリンの撃滅にある。だからこそ、(テレビ版の最後の)唯一のワガママを言った(そして仲間が協力してくれた)「牧場防衛戦」には、彼の人間らしさが見えて感動したのである。

それが、いくらゴブリンにリベンジしたい気持ちに共感できるとしても、ちょっとあの女騎士に肩入れし過ぎ。なんか、「キレイなゴブリンスレイヤー」って感じの違和感があった。もっと「汚ない、でも純粋なゴブリンスレイヤー」が好きなんだけどな。

これなら、「ゴブリンスレイヤーの日常、(鎧)ポロリもあるよ!」の方が、まだ観たかったかも(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 24
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

ゴブリンを殺す、一匹二匹三匹、そうか、そうか

 ゴブリン退治にパーティを組んで旅立ったお嬢さんを、ゴブリンスレイヤーに救出の依頼があり、その一行の活躍のお話だったです。

 TV放送あったのは知っていたけど見たことはなかったですが、上映があったので見たです。

 ゴブリンスレイヤーというのが、竜宮院聖哉の声で、「ゴブリンを殺す!」「そうか」という言葉の多かった印象です。
 ゴブリン退治も何か生々しく、過激な気がしたです。
 ここでのゴブリンは少し賢く、儀式的なこともするです。

{netabare}  一行の活躍によりお嬢さんを救出するけど、仲間の仇討ち、お嬢さんの聖剣の奪還に話は変わるです。
 ゴブリン砦まで出てきて、潜入、場外戦にまで発展し、やや危機的になりながらも平然と目的は達成されるです。

 ゴブリン退治に10年?だかになるとか言っていたけど、年が明けてもそうするようで{/netabare} 大変だなぁと思ったです。
 ゴブリンスレイヤー仮面甲冑姿のまま、食事をする光景を見て、食べるさまがよくわからなかったです。
 TV放送も見れたら見てみるか?です。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 10

66.0 4 ファンタジーで復讐なアニメランキング4位
アリオン(アニメ映画)

1986年3月15日
★★★★☆ 3.7 (64)
224人が棚に入れました
超人と言って良い力を持ち、幾多の地を支配するティタン神族は、かつてウラノスを王として戴いていた。しかしウラノスはその子クロノスによって殺され、クロノスはまたその息子であるゼウスによって殺害されてその地位を奪われる。ゼウスはクロノスを殺した事で地上の王位を手に入れはしたものの、一族の勇者であるプロメテウスによって成された「祖父や父と同様、あなたも自らの子供の手によって殺されるだろう」との予言に怯え、病的なまでに猜疑心に満ちた生活を送っていた。そんな頃、とある辺境の地にデメテルという女性が住んでいた。彼女は、かつてゼウスの兄であり海上の王でもあるポセイドンとの間に設けた子供、アリオンと二人で穏やかな生活をしていた。ある日、ゼウスとポセイドンの兄であるハデスが彼女の元を尋ねて来た。それはアリオンを攫って刺客と成し、自らを陰鬱な冥府の王へと追いやった弟たちに復讐するためだった。

声優・キャラクター
中原茂、高橋美紀、田中真弓、鈴置洋孝、勝生真沙子、大塚周夫、小林清志、永井一郎、武藤礼子、田中秀幸、小宮和枝、来宮良子、西尾徳、郷里大輔、島田敏、太田貴子、宮内幸平、京田尚子、西村知道、大久保正信

Zel さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

ほざけアリオン!!人の子の分際で・・・ッ!!!

1986年劇場上映作品

小学生の頃劇場で鑑賞
最近観直したらすごく完成度の高い作品だった事がわかった
音楽も素晴らしいと思ったら久石譲氏なのね

神話を元にした冒険活劇
観てない人には是非観て欲しい
心に残る古き良き作品

主人公アリオン役の中原茂さん
古い声優さんだけあって、懐かしい作品に多数出演されてます
キャプテン翼の井沢くん
六三四の剣の日高
ドラゴンボールの人造人間17号
などなど

ヒロインレスフィーナ役の高橋美紀さん
こちらもベテランです
奇面組の河川唯などをやられてました

投稿 : 2024/12/21
♥ : 16
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

幼少期の思い出

安彦良和監督脚本、音楽久石譲。
古代ギリシア神話時代を舞台に、
少年の冒険と成長を描く戦記ファンタジー。

神と人がまだ分かたれる以前、
{netabare}ティターン王家の三兄弟は父王クロノスの死後、
その領土を三つに分断した。
ポセイドンは海を制し地上への進出を目論み、
ゼウスは長女アテナを総大将とし、
その野望を打ち砕こうとしていた。{/netabare}
盲目の母デメテルと暮らすアリオンは、
ハデスに冥府世界へと連れ去られ月日が経った。
時は戦乱の只中にあった。

ギリシア悲劇の最高傑作「オイディプス王」が、
大人になって観ると下敷きにあるのでしょうか。
有名なテーゼ「母と交わり父を殺す」、
ギリシアの神々は性に奔放で近親交配も盛んです。
ティターン族の覇権争いに翻弄されながらも、
アリオンは自らの運命を知り立ち向かうのです。

記憶の底にいつまでも残り、
大人になっても何らかの形で、
拘り続けることになる幼少期の体験。
アニメ原体験としての「アリオン」、
色褪せない懐かしき遠い日の思い出です。

皆さんも、素敵な出会いを。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 38

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

知名度は良くわかんないけど良い作品ですよ…!

♪あ~い~た~くて~ いまわた~しは~ あお~ぞらた~かく~ ま~い~あ~が~るの~…

…というわけで、『アリオン』です。劇場版アニメですが、何度かテレビ放映はされたことがあった気がします。

マンガ原作(全4巻)を描いていた安彦良和氏自身が監督でアニメ化したという、夢のような劇場公開作品。そして氏の「アニメーター」としてのキャリアの最期を飾る作品でもあります。

そのため当然のようにキャラクターデザインも作画監督も安彦氏自身という、今ではジブリ作品以外ではちょっと考えられない体制でアニメ化されています。

『クラッシャージョウ』や『風の谷のナウシカ』も手掛けてたこの頃の徳間書店、凄いな…。

もう30年前(1986年公開)の作品ですが、劇場版であるせいなのか安彦氏自身のこだわりのせいなのか、作画は今観ても綺麗と感じられる激賞レベルです。

話のベースはギリシャ神話で、神話時代が終焉を迎え人の世に移り変わる時代を描いています。そこに重なる主人公アリオンの成長やヒロインであるレスフィーナを始めとする周囲の人たち(&神)の織りなすドラマは、ベタといえばベタですがなかなかの見応えです。

劇場版なので約2時間で観終わりますし、機会があれば是非ご覧になってみてください。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 27
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