パラレルワールドで田舎なアニメ映画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のパラレルワールドで田舎な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番のパラレルワールドで田舎なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

68.8 1 パラレルワールドで田舎なアニメランキング1位
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(アニメ映画)

2017年8月18日
★★★★☆ 3.3 (463)
1779人が棚に入れました
物語の舞台は、夏休みのある一日。花火大会をまえに「花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」の答えを求め、町の灯台から花火を見ようと計画する少年たち。一方、クラスのアイドル的存在・なずなに想い寄せる典道は、時間が巻き戻る不思議な体験のなかで、なずなから「かけおち」に誘われることに……。何度も繰り返す一日のなか、なずなと典道を待ち受ける運命は? そして、果たして花火は下から見ても、横から見ても丸いのか?

声優・キャラクター
広瀬すず、菅田将暉、宮野真守、松たか子、花澤香菜、浅沼晋太郎、豊永利行、梶裕貴
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

視聴者をタイムリープさせる映画

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
中学生の恋愛をテーマにしている。青春アニメって感じ。

原作は、1993年にフジテレビで放送されたドラマで、その後1995年に実写映画化。そして本作は、2017年にシャフトによってアニメ映画化。米津玄師さんの作った歌が、かなり耳に残ります。

シャフトらしさは残しながら、一般受けするように演出は控えめにしている印象。作画は流石の劇場版クオリティ。

私は本作の評価を☆3(普通)にしましたが、☆3の中でもやや低評価です。良さもある作品だと思うので、レビューでは、その両面に触れたいと思います。

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
つまり、「可能性はたくさんあり、自分の行動、言葉選び、そういう選択によって変化する可能性があるのが、未来」であることと、「それでもどうしようのないこと、変えられないことはあって、その現実の中でどんなかたちであって前に進んでいくこと」を表現したかったのだろう。

それは、相反することではあるけれど、人生というものは、そういう矛盾を孕んでいる。

それを、少年少女が実感し、体得するための装置が、あの丸い球。

人が、なぜこれほどまでに花火を愛するかというと、花火には華やかさと儚さがあるから。パッと咲いてサッと散る。その美しさが心の中に残るから、また観たい、また感じたいと思う。求める。

でもそれは、完全なかたちでは叶わない。

同じ様な花火はまた見られるけれど、全く同じ花火はもう二度と見られない。それは、青春時代(思春期)にも似ている。

美しくて、儚くて、もどかしい。「あの時ああしていれば、ああしなければ、今、どうなっていただろう」というある種の後悔はつきものである。丸い球が砕け散ったとき、様々な「あったかもしれない未来」を見ることで、ようやく一歩を踏み出した少年少女。ある者は長年伝えられなかった愛を叫び、ある者は海の中でキスをして別れを伝える。

アニメという美しい世界の中で、そんな眩しい青春時代を擬似的に追体験できるのは楽しい。

でも、どんなに美しい花火も、常夜灯のようにそのまま一年中夜空に開きっぱなしなら、逆にウザくなってくる。クソ、眩しいんだよ、と。だから多分、実際は思春期なんて、大人が回顧するほど美しいものではないのだろう。アニメで懐かしむくらいでちょうど良い。

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という印象的なタイトルは、「恋」の捉え方なのだろうか。

美しい「花火」=「恋愛」を、「下から見る(見上げる)」のは、「恋に恋する」状態を指す。ようは、1周目の状態。好きだけど、素直に言えない。好きだ好きだと言いながら、いざ実際に付き合うことになると、ビビって逃げてしまう。駆け落ちとか無謀なことを言う。「横から見る」は、恋を自分の現実として受け止めている状態。最後はみんなこの状態になった。うまくいかないことも含めて、相手との付き合い方を考えられる。

少年少女達は、下から見上げるだけではその正体を掴めなかった花火を、高い位置から見る(自分が成長する)ことで、その全貌を掴んだのだ。

シャフトの幻想的な演出、美しい映像、米津玄師の印象的な歌によって、こういう切なさを表現したかったのだろう。それは、ある程度は成功していて、挑戦的だ。

と、ここまであえて、詩的で難しい言葉を連発しながらも、あまり中身のない、「この作品のような」誉め言葉レビューを書いてみたが、要約すると、「綺麗だけどつまらない」(苦笑)

クオリティ的には悪くなかったが、作品全体を俯瞰すると、やはり失敗している部分が目立つ。

まず第一に、この物語には「ドラマ」がない。

シャフトの演出を抜き、タイムリープという装置を取っ払うと、ただ単に、「好きな人が転校しちゃう」というだけの話だ。中身が空っぽなのを、どれだけ華美に装おうと、かえって虚しく見えてしまうものだ。

中身、というのは例えば、二人がお互いを好きになる過程や理由だ。二人は小学生からの付き合いのようなので、まあ、きっとなんか色々あったのだろう。でも、映画の中だけで分かることは、典道はナズナの「顔」が好きだということくらい(まあ男子中学生なんてそんなものだが)。ナズナに関していえば、典道のどこをそんなに好きなのかが全く分からない。他の男友達に比べ、典道が何か特出しているわけでもないし。あれだと、「母親への反抗」の為に、「好きでもないのに好きになった」感じすらする。(実際は純愛なのだろうが)そう感じさせてしまうこと、視聴者が典道を好きになれないことが、この作品の「無理矢理盛り上げてます感」に繋がっているように感じる。

てか、両思いで、ただ転校するだけなら、LINEでもテレビ電話でも、毎日繋がれる。90年代の中学生なら、転校なんて「永久の別れ」に近いものを感じたかもしれないが、今時の学生なら、「そんなにおおごとか?」と思うのではないだろうか。

また、映画のターゲットが誰なのかも不明。

主役の2人に、旬の若手俳優を使う時点で、我々のようなアニメ好きに照準を合わしたわけではなく、一般受けを狙ったのだろうが、だとしたら世界観が複雑で、演出も(シャフトにしてはシンプルだとしてもまだ)クドすぎる。あれなら、小学生には理解できず、中高生なら中身の空っぽさに気付く。親子で見るにしては、ちょいエロもあって、気まずい。

ちなみに主役の2人は、俳優の中ではマシな方で、特に広瀬すずさんは頑張ってた(菅田将暉さんは微妙)と思うが、当然、プロの声優には及ばない。普通に、花澤香菜さんと宮野真守さん(か、梶 裕貴さん)がやってれば、これだけアニメ好きに叩かれはしなかっただろう。

あと、走って電車に追い付く中学生集団には噴飯し、ちょっと絡まれたくらいでよく知らない中学生に顔面パンチし放置して帰る、ナズナの義父と、それを咎めない母親にはドン引きした。あんなクソ親の下で過ごすなら、そりゃナズナも家出したくなるわな。むしろ、あのクズ義父と暮らすナズナの身を案じてしまう。

本作、私は正直、3回寝落ちして、その都度巻き戻した。もしこれが「視聴者をタイムリープさせる演出」だとしたら、脱帽する(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 26
ネタバレ

YwJje43950 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

打ち上げ花火 ”もしも玉”

{netabare}”もしも玉”というものが時系列的に一番最初に確認されたのは、なずなの、死んだ父が海で手に持っていたところだったと思うんです。
取り敢えず1回観ただけなんだけど、この”もしも玉”とは何だったのか、というのが掴めない。メタファー的な意味でね。
それがあると、最後の方の、歪んだ、されど理想的なあの空間と、その崩壊・消失に意味を持たせられる気がするんだけれど。
頭良い人に何かしら、良い感じのをこじつけて貰いたいところだ。皮肉じゃないよ。
より良い解釈を示して欲しいという、頭の良い他人の頭で感動したいという、楽したいという気持ちです。いちから解釈するには、少々難解な部分の多い作品だからね。

岩井俊二が脚本の会議段階で提案した”もしも玉”というアイデアは、元々のオムニバステレビドラマにおいて前提とされた『If もしも』という、物語の基礎の説明という役割を担わせるという目的があったようだ。
パンフレット内の”もしも玉”に関しての言及といえば
『いろんな人たちの”もしも”っていう思いが凝縮された何かなんだろうっていうところに固まっていって、玉ということで花火と対極としてひとつのシンボルにもなる...』
というものと、他には劇中のあらゆるキーワードの紹介をしているページ。
私としては、最終的に2人が行き着いた閉鎖されている感のある例の歪んだ世界では、まるで”もしも玉”の中にいるかのようではなかったか?と思ってたんですけど、その【キーワード集】を読むと、制作側もやはり、なずなと典道の行き着いた歪んだ空間のデザインは、”もしも玉”の中に居るようなイメージでコンテを描いたとのことだ。
ただ、『(そうすると)きれいかなと思って、...』という、文脈なんですけど。
花火と対極的な玉の形をもって、”もしも”という思いが凝縮された、”もしも玉”。
なずなの父は、生前使っていたのかな。
それとも、父の思念的なものが生んだのかな。
劇中、これに関してヒントはあったのだろうか。
ここまで書いておいてなんだけど、1回観て分かるほど私は頭よくないよ?


ところで、あの歪んだ空間は、まるで”もしも玉”の中であるかのようだったけど、あの町を囲うドーム状の歪んだ壁は、典道の空想・妄想の限界なのではなかろうか。
言い換えれば、典道の”もしも”の限界だったのではなかろうか。
町の外の事を、子供の彼らはまだ何も知らないからね。
そういうふうに意味付けるとどうだろう。
出来事の順番を忘れたけど、どこかのタイミングでドーム状の歪んだ壁は消失した。
彼は、周りより一歩先に大人に近づいたという事かな?
だから最後のシーン、クラスに典道は居なかったのかもしれない。
追記:海中のシーンで、2人の顔が大人になってるというツイートを見まして、確かめたい気持ちが強まりますよ〜。
あと、コレうろ覚えだったもんで書かなかったんですけど、劇中、電車に乗って、海の上を走って、結果何処へ行きましたっけ?
何処にも行けずに戻ってきたと記憶しているのですけれども...。
これってやはり、上で書いた”もしも”の限界によるものではないかなと思うのです。
”もしも玉”が砕けて、彼らに降り注ぐのは外へ飛び出していった彼らの可能性。
やっぱりあの夜って、彼らが大人になる劇的な瞬間だったのでは?
あぁ、記憶力よ。もどかしい。
追記2:”打ち上げ花火”と同じくシャフトの作品である、”まどかマギカ”の、劇場版、”叛逆の物語”ってあるでしょう?
{netabare}劇中の、ほむらの生んだ魔女空間と、”もしも玉”の空間とは似てるっていうレビューを読んで、正直、あまりピンときてなかったんですけどね、コレの意味が遅ればせながらようやく分かりました。
そういえばアレも、バスに乗って街の外へ行こうと試みて、行けなかったんですよねぇ。
何故なら、ほむらはその行き先の街並みを知らないから、再現のしようもないという。
たしかに、”もしも玉”空間とそこは同じですよね。
{/netabare}

打ち上がった”もしも玉”が花火のように破裂して、その欠片に、選択によってはあり得た”もしも”の世界が映り込む。
その一欠片を手にした事で生じるのは何だったか。
海の中での一連の出来事の意味は?
今作品の最初のほうのシーンで、なずなが玉を拾ったのと、歪んだ空間内のラストとが同じ場所であることは何を意味するか。
あの脱ぎ捨てた服だって、思い返すと最初のほうに伏線があった気がするぞ?
いやぁ、うろ覚えだ!1回観て語れるようなものではないわ!

追記:あにこれのレビューを改めて読んでいたら、ストライクさんの、今作のラスト、典道がクラスに居ない事についての解釈、良いなぁなんて思いました。
”男の典道は、願望の世界に浸るロマンチストなのかもしれない。”
でも、それだとハッピーエンドでは無いよなぁ...
典道のほうはその夏の恋に囚われちゃうって事でしょう?
"秒速5cm"的な関係でしょう?言いたいこと分かります?
やはり私としては、”もしも玉”空間の壁が砕けて外の世界へ飛び出していった彼らの可能性が降り注ぐあの演出を思い出すと...
でもね、いずれにせよ私の中で正直、未だに完全に納得いく解釈は得られてないんですよね〜。
まぁ、このよく分からない感じも好きですけどね、夢見心地で。

グダグダと書きましたが、この作品について簡単な感想としては、
シャフトには向かない題材ではないか、という事。
これは正直観る前から思っていた。
だからある程度、滑る覚悟はしていたりもした。
実際、賞賛するようなものでは、たしかに無かったと思う。
話が難しい以前に、例えば不自然なCG。冒頭の自転車等の動きなんか気になってしまった。
元の作品の人気、アニメとしての粗もところどころ見えてたし、また、分かりやすい感動!の物語を求めていた、脳の動かない人の多さも、大衆に向けた広告があっては仕方なく。
批判の多さも妥当かと思う。
でもね、ネット上のこの作品に対する批判はどうも(この作品に限らないけど)誠実でないものが多い。
後半の展開が原作と違うという点がお気に召さず、ただ叩きたいだけの価値のない批判をしてるブログが、少なくとも今、私がこの文を書いている時は検索上位にあったりして、嘆かわしい限り。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

蠱惑の球面

元ネタである岩井俊二監督のスペシャルテレビドラマは視聴済み。

球とは実に不思議な形をしています。
どの角度から見ても見える形は同じですが、
見えてる面は視点によって全部違う。

その上、光の加減まで考慮すると球はさらに神秘的。
特に例えばガラス玉のような透過性の高い球体ともなれば、
光の屈折まで加味されて見る視点によって輝き方が目まぐるしく変わる……。
そして、その透き通った球体は、あらゆる光を集めると共に、
球の境界を隔てた人々の視線や思念、願望をも惹き付け誘惑するのだ……。


本作は原作にもあった花火の見え方のウンチクによる好奇心刺激に加え、
シャフト作画によって全編に散りばめられた円柱、球形への違和感、興味。
それらが心を浮つかせる夏の空気、ヒロイン少女の魅惑的な美しさ等により加速され、
常識や倫理の壁をも超越して行く、真夏の青春アニメ映画。

主人公少年らと共に気持ちよくジャンプするには、
映像全体が醸すムードに憑かれることが必須で、ハードルはやや高めですが、
私としては夏に劇場鑑賞チャレンジした甲斐があった作品でした。



本作は単純に興味を持って観る。のとは別に色々な動機での鑑賞があり得る作品ですが、
以下、それぞれの立場からの見え方を想定してみると……。


①岩井俊二監督作のリメイクを期待して本作を観る。

……これは正直かなり失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}私が思うに原作ドラマは脚本、シナリオ等により賞賛されているだけでなく、
90年代当時の子供の世界。その再現性によるノスタルジーにより、
年々、思い出としても美化され続けている作品。

(例えば{netabare}本アニメ映画だと少年宅でプレイされるゲームは『キラキラスターナイトDX』という
2016年発売のファミコン用新作レトロゲームという恐ろしく懐古狙いなマニアックぶりですがw
原作ドラマではスーパーファミコンの『スーパーマリオワールド』という大衆向け定番作 {/netabare})

それら当時の流行も取り込みつつ、しょーもない冗談や下ネタを言い合うw
ガキの会話あるあるな掛け合いが醸す、子供の世界にリアリティや説得力があります。
こうした子供の世界に背伸びしてる感を纏わせつつ、
大人の都合と対峙させることにより、物語の推進力と共感度をアップ。
さらに当時15歳の美少女だったヒロイン役・奥菜恵さんを画面に閉じ込めた希少性と相まって、
今なおタイムカプセルのような輝きを放ち続けている原作ドラマだと思います。

対して本作は後世、思い出となり得るような同時代性の強調は控えめ。
(例えば{netabare} スマホが出て来ない時点でタイムカプセルにはなり辛いですし、
松田聖子さんだの観月ありささんだの叫んでいる時点で
原作の時代に対するオマージュの方が勝っています{/netabare})

むしろ本作は花火の見え方というSFファンタジー世界展開の着火点により注目し、
そこからオリジナル要素も広げていくシャフト作品。

加えて本作では何故か主人公少年らを原作ドラマの小6から中1に設定変更していますが、
原作の掛け合いの流れも引きずっているためでしょうか?
少年少女たちの言動が今風でない感じがするだけでなく、
微妙に小学校卒業してない感じが、
原作ドラマ視聴後だと目につきやすく、それらがストレス要素になりかねません。{/netabare}

いずれにせよ、リメイク期待組とのキャッチボールは波乱含みのようです。

もしも原作ドラマ未見で、ドラマ観てから本作観に行こうと検討されている方がおられたら、
私としては是非、そのまま、よそ見をせずに映画館に直行することをオススメします。


②『君の名は。』川村元気氏のプロデュース作として、前年の感動再現を期待して観る。

……これも大分、失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}特に『君の名は。』を気軽なエンタメ作品として楽しんだ方は、
それを期待して本作を観ると事故る可能性がいっそう高まると思われます。

『君の名は。』は何となく観ていても状況は説明してくれるライトな作品でありつつも、
深読みしても得るものがあるコアな作品でもあった、
間口の広いヒット作だったと私は考えていますが、

本作の場合は作画や表情、ちょっとした台詞の違いなどを深読みしに行かないと、
状況すらも把握し難く、物語の迷宮入りと共に、失意の途中下車に追い込まれかねません。

逆に些細な違和感から考察を巡らすことができる方なら価値を見出せると思います。{/netabare}


③シャフト、新房昭之監督のファンとして本作を観る。

……これはまだ割と期待できそうです。

{netabare} そもそも背景絵等が醸すムードが作品を牽引する構造である以上、
まず本作でも相変わらず癖がある作画、構図等に興味を持って鑑賞し続けることが、
作品と折り合うための必須条件。

何じゃ!?このワケわからん絵は~~wとなるか、
あっこれやっぱりシャフトだ(笑)イヌカレーだ(笑)とニヤニヤできるかは、
本作でも満足度を左右する重要な分岐点になると思われます。

但し作画レベルは背景画等については良好ですが、
人物描写、特にキャラ造形の安定度等については標準レベルなので、
至高の劇場版作画を求める等の過度なハードル上げはオススメできないと思います。{/netabare}



以上、色んな角度から長々と書いてしまいましたがw

簡潔にまとめると本作は普段あまりアニメを観ない層にはあまりオススメできませんが、
コアなアニメファンや、あにこれユーザ等には、
合う合わない、好き嫌いも含めて、是非、感想、考察を聞いてみたい作品だと思います。

例えば核心部分について、私見を述べると……

{netabare}あの夏、最後、典道は平行世界に飛翔したまま戻って来なくなった。
なずなは元の世界に戻って転校し、典道を待ち続けている……。
というのが私の解釈と言うより願望?ですが、如何でしょうか?

典道も平行世界から一応、戻っては来たけど……という見解が多そうかつ、
妥当性も高そうなラストではあったのですが……。
「もしも玉」と平行世界の妖しさに取り憑かれた私としては、
あっさり元の世界に戻って来るのは何か勿体ない感じもするんですよね……。{/netabare}

みなさんの評価、感想……お待ちしております♪

投稿 : 2024/11/02
♥ : 41

72.9 2 パラレルワールドで田舎なアニメランキング2位
アリスとテレスのまぼろし工場(アニメ映画)

2023年9月15日
★★★★☆ 3.9 (73)
209人が棚に入れました
変化を禁じられた町で暮らす少年少女の恋する衝動が世界を壊す様を描いた長編アニメーション。原作となる同名小説を、監督を務める『さよならの朝に約束の花をかざろう』の岡田麿里が書き下ろし、「進撃の巨人」のMAPPAとタッグを組んだ。主人公の正宗を「呪術廻戦」の榎木淳弥、謎めく同級生の睦実を「鬼滅の刃」の上田麗奈、謎の少女、五実を「サマータイムレンダ」の久野美咲が担当する。
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

エネルとゲイアのしんおん工場

むかし、ちょっとした知り合いの女性のひとりに、
  わたし、性感帯は頭脳なんです
なんて大マジメに豪語する方がおられました。

早いハナシ、顔とか服装とか体型なんかの『視覚情報』は、
もちろんダイジなことなんだけれど『ナニなトリガー』にはなりえなくて、
コトバで知的にビンカンな部分をクスグられると、
  あはン
とかなんとか思っちゃうんだそうであります。

そういうのって東大とかNASAとかうろちょろしていたら、
しょっちゅうスイッチ入って大変じゃね?
とか思って聞いてみたところ、どうやらそういうことではないようでして。

彼女いわく、
ムズカしい言葉をたくさん知っているだとか、
特定の分野において膨大な知識量をもっているだとか、
そういうのは
  『記憶力がいい』
だけであって、頭脳をクスグられる要素ではないそうです。

つまるところ『知識』というのは『道具』なのであって、
その『使いよう』の部分、
さらにその使い方のスマートさあたりにエモっちゃうんだとか。
(ちなみに英語のsmartは『かしこい』って意味であります)

  まあ確かに、コンサルとか会計人とかでも、
  たいしたことないヤツに限って、
  やたらムズカしい言葉つかってマウントとろうとしますしね。

    で、結局『一般論』を言ってるだけで、話がなんにも進みませぬ。

  これがいわゆる『BIG4』クラスのコンサルになると、
  拙みたいなアタマ悪いヒトにもわかるよう、
  カンタンな日本語を駆使して
  (あいつら、MBAの論文とか原書で読めるんですよ?)
  具体的な課題とリスクをチュ-シュツしていきます。

    んで、カイギが終わるころには、はっきりした一本の道筋が。
    かっけぇ。

だからまあ、
彼女の言わんとすることは、なんとなくわかるようなわかんないような。
ただまあ、拙の知り合いの女性の中には
  オトコは大胸筋、三角筋、上腕二頭筋、以上!
という、かなりきっぱりしたヤツもいて、
そうなってくると、おっぱいフェチとの線引きがムズカしいのですが、
いずれにいたしましても、
フェティシズムの方向性というのはほんと人それぞれであります。


さて、本作『アリスとテレスのまぼろし工場』ですが、
大方の予想を裏切り、アリスさんもテレスくんも出てまいりません。
『アリスとテレス』というのは、
なんかアリストテレスみたい、なんてもんじゃなく、
そのまんまギリシャの哲学者、アリストテレスさんのことであります。

もともとは本作の監督・脚本家である岡田麿里さんが、
ひとりでちくちく書いて『行き詰っていた』小説なんだそうです。
(原題は『狼少女のアリスとテレス』だったそうですね)

ちなみに、そのタイトルについて岡田麿里さんは

 >子供の頃に哲学者のアリストテレスという名前を、
 >アリスとテレスという2人組の名前だと勘違いしていたことを思い出して。
 >自分なりに生きることについて
 >つきつめて考えていきたかったのもあって、
 >『狼少女のアリスとテレス』という仮タイトルで原稿を書き進めていました。
 (『ダ・ヴィンチ』2023年9月号インタビューより)

というように述べておられます。

決して、
勇猛なオオカミ少女が悪の組織に対し、
アリストテレスとかニーチェとかを論理兵器としてふりまわし
無双するお話ではありませぬ。

で、MAPPAの社長である大塚さんから、
  なんかオリジナル作品のカントクやってみませんか
というオファーがきたときに、
イチオ-こんなアイディアあるんですけど、と書きかけを見せたら、
やろうやろうというハナシになり。

で、映画化のため脚本のカタチで執筆を再開。
無事に完成した脚本のタイトルは『まぼろし工場』だったのですが、
周りのスタッフから
  いやいや、アリスとテレス、残した方がゼッタイいいっスよ
とかなんとか言われて本題になったのだとか。


そのタイトルの『難しそうさ』がアダになったのか、
あるいは広告・宣伝担当がズボラかましたのか、
はたまたこういう映画の需要そのものが国内に存在しないのか、
興行収入は、
リクープラインに遠く届かない二億円台半ばあたりで池ポチャ。

  これから配信等でどれだけ投資を回収できるか。
  ビジネス的にはそんな感じの、
  良作だけどマーケットがついてきてくれなかった数ある作品の一本です。



先に『良作』というコトバを使っちゃいましたが、
拙の個人的なおすすめ度は堂々のAランク。
Sにしてもいいぐらい、しっかりしたつくりの作品であります。

ただし、おすすめと言っても人を選ぶ作品でして、
誰にでも自信をもっておすすめできるテイストではありませぬ。

  ・二次元美少女との結婚を真剣に考えておられる方
  ・アニメを現実逃避や自己肯定のために日々鑑賞しておられる方
  ・いたずらに頭脳をクスグられると殴り返したくなる方

  あたりには、まったく、これっぽっちもオススメできません。

  美しい映像と濃密な脚本を心地よく楽しみながら、
  ふと自分のジンセ-と照らし合わせ、
  普段あまり深く考えないことに思索をあそばせるのもいいかしらん。

  というような方にうってつけの作品ではあるまいかと。


誤解なきよう申し上げておきますが、
アリストテレスさんの名前が入っているからと言って、
ギリシャ哲学みたく『難解なこと』を言ってる作品ではありません。

  もちろん『エヴァ』みたいに
    『どっちでもいいことを難解・イミシンに表現している作品』
  ということでもなく、どちらかというと
    『ダイジなことをシンプルに問いかけている作品』
  であると、わっちは思いんす。


んで、結局どういう作品なのかと言いますと、
キャッチコピーの『恋する衝動が世界を壊す』が全てを物語っています。
わかりやすくまとめると

  現実から乖離してしまい、
  成長も変化も未来すらも訪れることのない閉塞した田舎町における、
  衝動的な『恋』のモノガタリ。

みたいな感じですね。『愛』じゃなく『恋』であるところがミソ。
ここのところについて、
岡田麿里カントクはインタビューで

 >理性も利かなくなるし、突然強烈なパワーも湧いてきたりして。
 >そういう得体の知れない「恋の衝動」そのものを
 >アニメとしてビジュアル化できたとしたら、
 >これは他にはない作品になるんじゃないかと思ったんです。
  (『カナブン』2023年09月25日特集インタビューより)

というふうに語っておられます。


舞台は、見伏(みふせ)という架空の、
海と山に囲まれたイナカにある、製鉄所の企業城下町。
ある日、その製鉄所で巨大な爆発が起こります。
それ以来、見伏の町は、
誰も町の外へ出られず、季節も変わらず、ヒトが身体的な成長(老化)もしない、
爆発直前の時間軸に固定されたマチになってしまいます。

寝たきり老人は寝たきり老人のまま、妊婦は妊婦のまま、赤子は赤子のまま。
そんな、なんの変化も未来もない閉塞した環境で、
リアル世界に換算すると10年ちかくの月日が経過していきます。

そんな見伏の町で中学生三年生のまま時を過ごしていた菊入正宗は、
ある日、苦手にしていた同級生の佐上睦実に声を掛けられ、
製鉄所でオオカミ少女みたいな五実(正宗が命名)に引き合わされます。

正宗、睦実、五実。
この三人が交流を始めたことによって、
閉塞完結していたはずの町に少しずつ変化が生じていきます。

見伏の町がおかれた状況とはいったい何なのか、
閉ざされた時間はふたたび動き始めるのか、
そして三人に訪れる未来とはいったい……みたいなおハナシですね。

  ちなみに、
  『パラレルワールド』とか『世界線』みたく、
  またかよ的なオチではありません。

  そのへんに転がっているラノベとは一線を画しておりますので、
  安心してご鑑賞くださいませ。


もちろん、単純な『恋物語』などでは決してなく、
そのウラには『いまを生きる』ということに関しまして、
視聴者一人ひとりに問いかけていく『ウラ主題』みたいなものが走っております。

ここのところが岡田麿里脚本の真骨頂なのですが、
あまりにも物語の核心に触れちゃうため、ネタバレにしておきますね。
(視聴意思のある未視聴の方には、
 閲覧されることはあんまりおススメできませぬ)
{netabare}

作品中にちょろっとラジオから出てきて、
拙もレビュータイトルに使っている『エネルゲイア』というコトバですが、
ムズカしそうに聞こえるだけで、そんなにたいしたもんではありません。

ひらたく言っちゃうと『行為そのものが目的になっている』状態のことです。

もっとわかりやすく言うと『おさんぽ』ですね。
どこに・なにしに行くということもなく、
ただぷらぷらと歩くという『行為』そのものが『目的』になっている状態。

これに対して、徒歩通学みたく、
ガッコ-に行くというはっきりとした『目的』のために
歩くという『行為』をしている状態は『キネーシス』と呼ぶそす。

  変質してしまった見伏の町みたく、
  成長も変化もなくただ同じ毎日を繰り返しているのは、
    『生きる』という行為そのものが『目的』
  と言い換えることもでき、リッパな『エネルゲイア』さんですね。

  一方、リアル世界、
  いろいろ例外はあるにしても(ひょっとしたら例外の方が多い?)
  夢やミライに向かってがんばって生きている状態は、
    『生きる』という行為は未来へのプロセスに過ぎない
  という考え方から『キネーシス』に分類することができまする。

見伏の町は、是も非もなくエネルゲイア世界に取り込まれてしまいます。
だけど考えてみると、
世の中の多くの人は『現状維持』だの『不老不死』を望んでいるわけです。
ですからこの世界は人々の『思い』の総体がカタチを成したもの、
ちょっとコムツカしい言葉であらわすと
  『イデアの具現化』
みたいなもんじゃないかと思ってみたりみなかったり。

  で、こうなってくると若い方々を中心に、

    変化もミライも成長もない世界で、
    ただ『生きる』ことに幸せや意味なんてあるのかや?
    そんなんで『生きている』と言えるのかや?

  というギモンがわいてきます。
  わいてくるんですが、それは裏を返せば、

    変化やミライや成長がなければ、
    ヒトは生きていても幸せにはなれぬのかや?
    変化やミライや成長のためにヒトは生きておるのかや?

  というギモンにも繋がっちゃったりするわけです。
  
作品内でそれぞれの登場人物はそのギモンに対し、
いろいろすったもんだ(←死語?)した末に、
『ジブンのおかれた環境下における、ジブンなりの回答』
みたいなものにたどり着きます。

ただし、
それはこの作品によって示された、
限定された環境における限定された回答であり、選択肢なわけです。

拙たちゲンジツ世界の住人たちには、無限の選択肢があります。
ですから、この作品の結末は結末でおいといて、
ふと我が身に置き換えて考えてみると、

  で、ぬしはどうしたいんじゃ?
  どう生きたいと思うておって、
  実際のところ、どう生きておるのかや?

みたいなイタい問いかけにぶちあたってしまいます。

もちろん、それに対する答えは人それぞれなわけです。
ほんと人それぞれなんですが、
ここのところが本作品のウラ主題になっていたりもするわけです。

だからといって、
そういうことを考えるも考えないも視聴者の自由なんですが、
このあたり、いかにも岡田脚本らしい奥行きかと。
  しかし、
  さっきから賢狼がコムズカしい質問ばっかしてくるのはなぜか。

ちなみに『エネルゲイア』も『キネーシス』も、
アリストテレスさんがごちゃごちゃ言っているハナシです。
ですからこの作品につけられたタイトル、
 『アリスとテレスのまぼろし工場』
って、実はけっこう的を射ていたりもするんですよね。
{/netabare}


映像は、さすがMAPPAさんだけあって、かなりよきです。
静、動、いずれのシ-ンにもクリエイティビティが発揮されており、
その場の空気感みたいなものまでがビシビシ伝わってきます。

  先に紹介した岡田麿里カントクの言葉みたく、
    閉塞した世界をぶちこわす、
    わけのわかんない恋のパワー
  みたいなのも見事に表現されています。
  さらに、中間部からラストにかけての映像による迫力と説得力は、
  カネ払う価値が充分にあるとわっちは思いんす。
   {netabare}
  ちなみに『荒ぶる季節の乙女どもよ』でもやってましたが、
  トンネルを女性の胎道に見立てる演出、
  岡田カントク好きですよね。

  ただしこれ、
  女性カントクがやるから素直に受け止めてもらえるのであって、
  拙なんかがこういう比喩を使ったりすると
    フリさん……なんかあった?
  とかなんとか心配されてしまいそうでコワいです。
  ジェンダー差別、ダメ、ゼッタイ。
  {/netabare}

キャラは、拙的には、まあこんなもんかな、みたいな感じかと。
言ったりやったりしてることはわかるんですが、
感情移入して手に汗握る、ということはありませんでした。

正宗くんとかリアルで自分の身近にいたら
  あ~、なんかめんどくせぇなコイツ
とか思っちゃうかもです。
あとキスシーン、ごちゃごちゃしゃべりすぎ。黙ってせいよ。

ただし、そこは拙との相性とか私的なスキキライのおハナシで、
決して良し悪しのモンダイではありません。
キャラ造形そのものは、
一人ひとりが細部まできっちり練り込まれ、
しっかりと『人のカタチ』をいたしております。

  あと、オオカミ少女の五実は、
  狼ではなくニンゲンが面倒見ているんだから、
  もうちょいきちんとまともに育ててあげたんさいよ、と。
  {netabare}
  睦実のキモチはわからなくもないのですが、
  一応、ムスメなわけですしね。
  こういうの、世間では『ネグレクト』とか呼びます。あかんやつや。
   {/netabare}

役者さんのお芝居は、
アフレコを主戦場にしている方(=声優)ばかりのキャスティングで、
ハイレベルで安定しています。

オオカミ少女五実を演じる久野美咲さんについては、
岡田監督のあて書き(演者を先に想定して脚本をかくこと)だったそうです。
こういうキャラが好きかキライかは置いといて、
たしかに、このキャラ造形は久野さんにしかできないなあ、と。
(ちなみに『あて書き』って慣れてくるとラクです。てか、楽しいそす)

で、大変エラそうな言い方になってしまうのですが、

久野さんに限らず、
作品全体を通したお芝居の方向づけは、拙の好きな感じではなかったです。
これは役者の技量のモンダイではなく、
音監の明田川仁さんがカントクの意を組んで、
イト的にそっちの方向へ誘導していったものと思われます。
(仁さん、どんな方向にも誘導できますしね)

  なんというのか、
  『ヒトとしての葛藤』の前に『ヒトとしての弱さ』が出すぎちゃってる、
  というように感じちゃうんですよね。

  もちろん、そういう方向のお芝居が好きな方を否定はいたしません。

  いたしませんが、
  拙としては、ヒトが弱いのは『あたりまえ』だと思っているので、
  わざわざ前に出すことはないんじないかと感じるわけで……もごもご。


  そんななか、拙が個人的に気に入ったのは、
  上田麗奈さん(睦実)の、クライマックスにおけるお芝居です。
  {netabare}
  リアル世界に向かう列車の中で、五実に向けてのセリフ。
   「だから、せめてひとつくらい。私にちょうだい。
    正宗の心は、私がもらう。
    この世界が終わる最後の瞬間に、正宗が思い出すのは、私だよ」

  これ、すっごくムズカしいお芝居なんですよね。
  というのもコトバの奥に、
  いろんな感情が綾のように折り重なっているからなんです。

   ・まぼろし世界に五美が心を残さないようにとの、深い愛情と配慮。
   ・本能的な独占欲・オンナとしてのプライド。
   ・ミライに向けて進んでいける五実に対する羨望・嫉妬。
   ・五実を『心から愛しあった二人の娘』にしてあげたいという願望。
   ・自分はこの子と離れ、まぼろし世界で生きていくんだ、という決意。

  そういう、きれいだったり汚かったりムジュンしていたり、
  いろんな感情がぐちゃぐちゃに折り重なったセリフであるわけです。
  いやほんと、アリストテレスよりムズカしいかもです。

  このあたり、上田さん、すっごくいい処理をされています。
  そこにいたるまでの睦実とは、言葉の硬度がチガウ。
  既視聴者で、ここが突き刺さった方、けっこう多いんじゃないかしら。

  上田さんって、最近ゆるふわ系の役どころを控えめにして、
  重め・イタめのお芝居に挑戦される機会がおおいように感じるんですが、
  その心意気がビシビシ伝わってくる好演でした(←何様発言)。
   {/netabare}


音楽は、劇伴ふくめ、いい感じ。
作品世界に違和感なく自然に溶け込み、
映像や脚本のよさをうまくブ-ストさせています。

で、ラスト、中島みゆきさんの『心音(しんおん)』はナミダちょちょぎれ。

  アニメ映画への楽曲提供なんかしたことなかった中島さんに、
  岡田カントクがダメもとで制作を依頼。
  で、脚本を読んだ中島さんがびっくり仰天、
    逆に岡田カントク推しになる
  みたいな感じでジツゲンした奇跡のコラボレーションであります。

  作品世界の楽曲化、
  という点ではYOASOBIさんが超有名ですが、
  この曲は、それに勝るとも劣らない出来かと。

  拙がここまで駄文を並べてぐちゃぐちゃ書いてきたことが、
  この数分間の楽曲に全て凝縮されています。
  いやまいった。こんなん、拙のク〇レビューなんかいらないじゃん。
  {netabare}
    ちなみにラスト、
    成長した五実が工場跡で正宗の描いた絵を見つけることで、
    まぼろしだった見伏町が消失してしまったことが暗示されています。
    (だからこそ、正宗が現実世界に干渉できたわけで)

    オトナになった五実は、そのことをおだやかに受け止めます。

    これは悲劇なんかじゃない。
    それはほんとうに大切で、かけがえのない思い出だけれど、
    いつか消え去る『まぼろし』だったのだから。

    この、あるイミ残酷で、圧倒的で、抗いようのないゲンジツ。
    そして、ただ一人ミライへ進んだ五実が立ち去り、
    誰もいない『からっぽになった』工場が、静かに暮れていきます。

    ここに『心音』とか、
    いやもう、演出すごすぎ、完全にゲージュツですやん。
  {/netabare}


というような感じでありまして、
ホント興行的にはパッとしなかった本作なのですが、
見どころはけっこう満載なんじゃあるまいかと。

王道美少女が一人も出てこないので、
そっち系の方々にとっては『邪道』な作品であるのですが、
たまには邪の道を歩んでみるのも一興では。

  ひょっとしたら、

  ジブンでは気づいていなかった自分のセーカンタイが、
  いい感じにシゲキされるかもしれませんしね。
  (いや、コジン的なアレは知りませんけど)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 17
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

ウエルメイドだけど綺麗に作りすぎて、行間が狭い気がします。

 機会があってノベライズ版読みました。多少映画では表現が分かりづらいところが補足される文章になっていました。しかし、残念ながら原作ではなくノベライズですのでほぼ映画の通りです。つまり大して変わりません。だったら、映画で表現しろよと言いたいです。

 映像よりも文章派の私としては、少し想像力を働かせられたかなと思いました。
 ただ、本当にノベライズ=映画です。つまり、映画の脚本で、思いついたことをいっぱいいっぱいに作ってしまっているという証拠でもあると思います。こぼれ落ちたものがないという言い方ができるかもしれません。
 岡田氏のスケール感の無さは、表現したいことが10倍あってそれを泣く泣く削ったように見えないことなんですよね。ウエルメイドではあると思いますが、視聴者の想像力の広がりを喚起しません。

 もしかしたら、いや、映画の脚本の段階でそんな作業はやったということかもしれませんが、だったら、それをノベライズしてほしいです。もっと難解になっても、設定が変わってもいいです。そう、富野由悠季氏くらい本編と乖離して構いません。

 ノベライズは置いておくにしても、映画本編において、もっと完全に好き勝手に作家性を出して、つじつまが合ってなくてもご都合主義でも、行間の方が広いくらいの映画を作ってもらえないかなと思います。岡田監督の映画は批評が無さすぎて、とりあえず褒めるしかない的な作品しかないのが問題です。ウエルメイドで72点から78点くらいの作品ばかりになってしまいそうです。テレビアニメならそれが高い評価に結びついたのでしょうけど、映画だとはっきり物足りないです。「マヨイガ」でできたのだから監督作品ならもっとできるはずです。「あの花」が足かせになって似たような発想しかできなくなっていないでしょうか。

 改めて本作映画をまとめると、変化、痛み、生きている実感が1991年以降希薄になった。その象徴が変化しない町です。つまり、バブル以降の失われた30年問題がベースにあります。

 そして、痛みを知り生きるという実感を得た人間がきえてゆくというのがポイントなのでしょう。ただ、この痛みが想像よりも恋愛重視だったのかなあという気がしなくはないです。五実の失恋とかなんとか、そういう表現とリンクはしてくれます。が、そうなると工場という意味がどんどん希薄になります。
 そして、どうせなら五実と正宗の間の恋心をもっと濃厚に描いても良かったと思います。この作品の演出では庇護者2人に見捨てられた子供の描き方でした。睦美の葛藤も睦美の母親と睦美の親子関係の描写が弱いので、五実との関係性の深さが足りないです。

 外部での睦美、正宗の時間も止まったわけですが、その意味が読みとりづらいです。2人の恋愛が近場で済ませたという意味で、幻側では上手くいって、現実ではサキが戻って別れるとか、割れ目の向こうに見える景色ですでに別れているとかならわかりますけど、ラストシーンでそこは否定されますよね。だとすると、現実世界の2人の苦しみは何の贖罪だったのでしょうか?そこが良くわかりませんでした。

 ラストシーンは読み取れないものがあるかとも思いましたが、想像の通りでした。つまり、視聴者を作品が上回っていない気がします。わかりやすくていいとも取れますけど。

 ノベライズを読んで一番感心したのは「獣臭い甘ったるい臭い」という表現がありました。これが、我々現実の人間の匂いの事だとわかると幻の世界の素性が分かります。それに生きているとはそう言うことだという意味でもいい表現でした。
 このレベルで幻工場にもう少し分厚い裏設定があることを読みとらせてくれれば、深さが増したのかなという気がします。


 いろいろ批判はしましたが、映像の方も改めて見直しましたが、面白い映画ではあると思います。3,4回目なので飽きるかなともおもいましたが、結構初めから面白かったです。なんどもいいますがウエルメイドな作品ではあります。もうちょっと作家性を出してもらえればなあと思います。





以下 2024年1月のレビューです。

変化を望め、人を愛せ、1991年を引きずるな、でしょうか。

 何日かかけて考察しましたが、話の構造としての仕掛けを全部読み解くのは無理だったのでわかったことをメモしておきます。テーマは「すずめの戸締り」と同様に、過ぎ去った時代を早く葬ってあげて変化して行こうよ、という話だったと思います。ただ、個人的な内面から湧き上がる変化したいという衝動を殺さないで、というメッセージは明確にあったと思います。

 そこが「アリストテレス」の意味で、哲学的な話というより「変化」を象徴しているのが「エネルゲイア」ということでしょう。

考察メモですが、ほどほどです。

{netabare} 現実世界では工場は爆発したが、幻の世界だと健在だった(祖父の見解。ボケた老人は真実を語るの法則)。つまり、最後の工場が普通に閉鎖された世界線と五美が帰った世界は違う世界である。

 睦実が最後に痛みを感じたことと、工場にあった絵は正宗が閉じ込められた結果上手くなった絵なので、最後の場面は幻の世界が現実になることが読み取れる。
 ただ、五美が帰った世界と幻の世界が連続つながって、幻の世界の未来が現実の世界になった…という読み取り方はできるが、それは多分設定上無理がある気がする。

 アリストテレスの哲学の内「エネルゲイア」がマンガの必殺ワザとして語られる。資料の形相を実現していないのがディミナスで実現したのがエネルゲイア(作中にでていました)である。形相が「変化を望むことで」資料=モノが本質へと生まれ変わる。
 また、イデア界=理想の世界というのはない、というのがアリストテレスなので、その点も暗示されている。

 ただ、変化を望みいなくなった人間はどうなったのかは不明だが、ひょっとしたら五美が帰ったあとの幻の世界にいるのかもしれないがそこは全くわからない。
 五美のインナースペースだったとするには、2005年から1991年に戻ったことに無理があるかも。神の存在を肯定するのはアリストテレス的ではないがそれを前提としないと、幻世界の存在そのものがよくわからない。

 睦実がなぜ五美を好きになりたくないと思ったかは読み取りずらい。いろいろ解釈できるが確定は出来ない。ただ、睦実の生い立ちが親で苦労したこと、ヤキモチ焼きであることが描かれるので愛情に関しての障害がありそう。わざわざ睦実をそう描いたのは元の世界の睦実が同じ性格だからだとは思います。

 罪が1つ減って五美のところは、考えれば何かあるかもしれませんが今のところ保留します。7つの大罪からの引用だとは思う。

 痛み、匂い、味などの五感はつまり生きている実感であり、現代のアナロジーでもある気がします。

 正宗の親たちの昔話が正宗のアナロジーだとすると、現実世界で何もせずに見伏に残った正宗は睦実と結婚して五美を生む。が、父親同様に心が死んでいる状態になっていたのかもしれない。
 つまり現実の世界では工場が爆発することで工場勤務の人は本来的な意味で死に、街の人の心は死んでいる状態だったという事かもしれません。
{/netabare}

 というような感じでした。

 で、テーマとしては変化しようとするのが人間である。1991年のバブル崩壊で止まってしまった時間を日本人は動かさないといけない、でしょう。消えた人たちがどうなったのかと、神の描かれ方がアリストテレスと矛盾するので、ちょっと読み取れませんでした。
 そして、陰のテーマとして母と子の愛着障害的なものが描かれていると思います。


 映画としての評価は、エンタメ性とテーマの深さがちょっと物足りないかも。ただ、考察は楽しませてもらったのでストーリーは当初2と思いましたが、3.5にします。SFというよりファンタジー的なスタイルなので理論展開云々はいいんですけど、物語としての組み立てが分かりずらい気がします。そのおかげで1回目の視聴では、最後の30分くらいがかなり退屈でした。

 作画は奇麗でしたが、もう見飽きた作画のスタイルなので3.5とします。




追記 なぜ岡田麿里監督の話は面白さに欠けるのか?

「さよならの朝…」「空の青さ…」と本作に共通するのは壮大さが無い事、キャラのバックグラウンドの説明不足な気がします。

 本作に関して壮大さを感じない理由は「工場」が理解できるとっかかりがないことです。一応神が云々などの説明はありますがよくわかりません。別に設定としてどういう理由で発生したとかそういうのが分からなくてもいいんです。何を意図しているのかがまるで分かりません。
 なので畏怖も理解も無くただそこにあるだけです。そういう存在として置いたのかもしれませんが、作品理解、テーマ性において効果を発揮できていない気がします。

 例えば新海誠氏であればの3部作を初め、巨大な塔、宇宙人のようなものは正体はわからなくても意図は分かります。だから、メッセージ性が浮き立ってきます。
「フリクリ」の工場の様な象徴としての工場はありますけど、その割には本作の工場には機能があります。

 一方で、バブル期の少年少女としては随分地味な感じでした。もちろんその後閉じ込められた結果気力を失くしたのだとは思います。計算上は20年近くになるのでしょうか?2005年に五美が来たみたいで、5歳として14歳までそだてば2013年。1991年から2013年で22年間でしょうか。

 で、彼らのバブル期の思惑が語られない、どんなマインドでいたのが閉じ込められてどう変わったかという描写がないので、彼らがまるで現代人の少年少女に見えてしまいます。それを狙ったのかもしれませんが、変化が出来ないのは彼らの責任ではないと思われます。もちろん少年少女が変化を望まなくなったのは、社会の責任だという意味だとは思います。その彼らが20年以上たって、なぜ急に恋愛を始めたのか。そこが五美と正宗の出会いということ?

 そう…キャラのバックボーンや性格が理解できるヒントが少ないので言動に心が動かされないというのもあるかもしれません。特に睦実は最後語ってましたが彼女の何に乗っかればいいのか。
 そもそも正宗が主役だったのに結末の主役がねじれてしまっていました。

 こうやって分解して行くと自分の「勝手な解釈」はできるのですが、これが行間なのか妄想なのかが全く理解できません。つまり映画から伝わってこないので、見ているときにポカーンとなってしまいます。

 なんでしょう。大きなことを描いているようで「パーソナル」な「現在」の問題にしか焦点が当たらないので、仕掛けとストーリーが遊離してしまっている感じです。メッセージを語るための必然性を世界観から感じないと言えばいいでしょうか。そのせいで「裏」「過去」を世界観やキャラから感じないから広がりも深みもないということでしょうか。

「さよならの…」「空の青さ…」本作の共通する不満点がこれですね。例えば「さよならの…」でイオルフの過去や未来に想いを馳せられたでしょうか?あの舞台になった国の歴史が妄想できたでしょうか?本作はそれと同じですね。
 文学というには意味がありすぎますし、その割に語り切れていないのか受け取り切れていないもどかしさを感じます。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14
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101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

停滞のむきだし

1991年冬。製鉄所の爆発以来、外界から隔絶され、時の流れが止まった見伏(みふせ)市。
何年も中学3年生を繰り返している少年少女らの間で巻き起こる思春期の恋の衝動が、
停止した街の秩序を揺るがしていく劇場アニメ作品。

【物語 3.5点】
監督・脚本・岡田 麿里氏。
同氏の未完の小説『狼少女のアリスとテレス』を本作向けに再編し映像化。

見伏市は時間が停滞していることで安定しているが、最近は空にヒビ割れが多発。
製鉄所の煙から生成される“神機狼”で修復する頻度も高くなって来ている。
ヒビ割れを作り閉鎖世界の崩壊を招くのは人々の心の変化。
町は“自分確認票”などの掟により人々の異変を厳重に監視規制している。


本作もまた斜陽に向かう日本社会の停滞感を描き、次代に未来を託す、
近年トレンドの作品群の中では後発のタイミングでの公開。
が、既視感を上書きする勢いで、岡田麿里氏ならではのオブラートに包まない描写が鮮烈な印象を残す野心作。

大人たちの停滞を押し付ける同調圧力が、子供たちの心を蝕む。
(※核心的ネタバレ){netabare} 見伏の住民はまぼろし故に、{/netabare} 痛みを感じなくなった少年たちは生の実感を得るために危険な遊びに興じる。
時間の止まった町で成長し続ける異端の“狼少女”五実から香る生の匂い。
主人公・菊入 正宗と佐上 睦実、五実との間に吹き荒れる痛切な恋の衝動こそが生の実感を与え、世界を壊す暴力となる。

展開も概ね予想の範ちゅうで、シナリオ自体の衝撃で驚かせると言うより、
エッジの効いた表現で、鑑賞者の心にも傷痕を刻む感じ。

ただその傷痕はトラウマにはならず、むしろ停滞した社会の中でも価値を見出す希望や、
痛みを伴ってでも未来へ進む勇気といった、ポジティブな痛みとなって残る。
事前PVが醸す危険な印象や、作中私が喰らったダメージを思えば、やはりガード必須な岡田麿里作品ですが、
鑑賞後の後遺症は意外と残らない前向きな作品となっています。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・MAPPA

背景美術にも積極的に作画を入れて登場人物の心情を反映する世界の潮流。
この最先端を走る海外アニメ映画などを観ていると、日本アニメはちょっと敵わないのではないか?と悲観してしまいますが、
本作の少年少女の恋心の痛みなどに呼応して裂ける空などを眺めていると、
MAPPAや『さよ朝』チームならばJAPANもまだまだ食らいついていけるのでは?と希望がわいて来ます。

“狼少女”五実の{netabare} おまる洗浄シーン{/netabare} など匂いを意識させる作画もまたオブラートに包まず、
痛覚と並ぶ生の実感を体現。

その他、冬と夏を活用した心情表現。
(※核心的ネタバレ){netabare} ずっと冬が続く見伏市のまぼろしは、裂け目から覗く現実世界の夏の盆祭りに魂を呼ばれるように霧散して行く。{/netabare}
(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と睦実のキスシーンの熱を表すように、裂け目から降り注ぐ夕立が雪を溶かす天候描写がエモ過ぎます。{/netabare}

正宗が描き続けている作中イラストの上達ぶりは、
停滞した町でも、人間は成長できる好例としてテーマ深化のスパイスとなる。


90年代で止まった街ということで、小物デザインも花柄ティノポットなどが当時を再現。
もっとも私は萌えアニメキャラの装備品たるブルマとは異なる、
リアルに存在した女子中学生の生々しいブルマの揺れ動きの再現カットに、
作中の中学生男子共と一緒に鼻の下を伸ばしていたわけですがw


【キャラ 4.0点】
主人公少年・菊入正宗と同級生・佐上睦実。身体は思春期、心を凍りつかせたままで大人になっていく同級生。
二人の間に心は幼気で無邪気なまま身体が成長していく奔放な五実が入っていくことで、
震源のトライアングルが活発化していくメインキャラ相関。
(※核心的ネタバレ){netabare} 外の現実世界では夫婦になる正宗と陸実の娘が五実。{/netabare}
五実は正宗と陸実にとって諦めていた未来を垣間見せる存在でもある。

停滞を強いる大人の同調圧力に対し、イラストを書き、自分確認票提出をサボって抵抗する正宗。
それでも停滞は少年の心を確実に蝕んで行く。
その苛立ちを自分確認票をペンで書き破ってぶつける描写が痛切でした。


心の変化を禁じている見伏市ですが、街を回すためのスキル習得には意外と寛容。
正宗たち中学生も運転免許を取得して老祖父の送迎などに車を活用。
終盤“合法的”な中学生によるカーアクションも実現し盛り上げに一役買う。
(これなら二次元世界でも学生の違法行為の取り締まりを叫ぶ真面目なネット警察諸君も、ぐぅの音も出まいw)
運転スキル習得のキャラ設定もまた停滞していても人間は成長できる一例を示す。


【声優 4.5点】
主人公・正宗役の榎木 淳弥さん。
陽気なボイスが特徴的な声優さんですが、本作では少年の葛藤をぶつける鬱モード。

ヒロイン・陸実役の上田 麗奈さん。
妖艶なボイスで、えのじゅんを挑発し、“謎の同級生”を構築。

そして“狼少女”五実役には、痛みにのたうつロリボイスに定評がある久野 美咲を指名。
“暴力的にピュアにして欲しい”との監督のディレクションに応える。

メインキャスト3人は実際にトライアングルを囲んで収録を行う異例の体制で、
コロナ禍で広がった分散収録の流れに一石を投じる。

この成果が一番出たのがやはり(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と陸実の濃厚キス現場を五実が目撃し心に激痛が走るシーン。{/netabare}
分散収録か否かなど聞いても分からない私ですが、
あのシーンからは同時収録ならではの生々しい三角関係が確かに伝わって来ました。
何より上田 麗奈さんの妙演がたまらなくエロティックでした。


正宗の失踪中の父・昭宗役に瀬戸 康史さん。
残された母・美里を見守ると称して恋心を打ち明けられない叔父・時宗役に林 遣都さん。
中堅俳優に年輪を刻んだ煮え切らない大人のトライアングルを託す。
俳優タレントの劇場アニメ起用への文句も多い私ですが、
このポジションへの俳優キャスティングには納得感がありました。

見伏市の体制側にカルト要素を注入した神官・佐上 衛役の佐藤 せつじさんも、
映画吹替経験も生かした明快な狂人ヒールぶりで機能していました。


【音楽 4.5点】
劇伴担当は横山 克氏。
音響彫刻シデロイホスの神秘的な金属音によるヒビ割れる空の演出強化。
退廃のバックグラウンドに響く高校生コーラスによる思春期の絶望表現。
未来の希望を象徴する海羽さんの歌声。
私は本作を横山氏が新機軸で、さらにもう一つ殻を突き破った作品としても記憶に留めたいです。

ED主題歌は中島 みゆきさんの「心音」
起用の一報を耳にした時は、歌手の世界観が強烈過ぎるのでは?との懸念もありましたが杞憂でした。
歌詞世界と作品のシンクロ率では本年のアニソンの中でも屈指だと思います。



【余談】長いひとり語りになるので読まなくても結構ですw

見伏市が停止した1991年は奇しくもバブル崩壊による不景気が始まった時期。
私にとって本作は“失われた30年”の日本社会の停滞から若者が受けた影響を否応なしに想起させられる。
作品そのものから感じる痛みより、私の内面に封印していた古傷が疼いてのたうち回った劇場鑑賞でもありました。

この30年変革も多々ありましたが、基本的にバブル後に日本が取った施策は変わらないことによる安定確保。
こうして停滞した社会というのは、極度に変化や異物を恐れる。
過剰なまでの無菌無臭の追求。公園の砂場にまで除菌した砂を敷き詰める狂気。
地毛の茶髪まで黒に染めさせる校則というのは今にして思えば事なかれ主義をこじらせた、とんでもない差別行為でした。

ゼロ年代。ロスジェネの若者たちの間で、布団を日向で干した匂いがするアロマがちょっとしたブームになった事も。
同時期に社会問題になったリストカット。理由は個々人により様々でしょうが、
本作みたいに停滞の中で、生の実感を渇望し痛みを求める少年たちを抽象化された物を直に喰らうと、
停滞は人の心を確実に殺すことを痛感します。


私の中学時代はブルマがハーフパンツに切り替わった時期。
同時に体育での水泳復活も協議されましたが、ここも事なかれの校長の強硬な反対により廃案に。
私にとって中学生のスクール水着女子というのは完全に二次元世界の幻想に過ぎません。

高校時代には修学旅行にて女子生徒たちが共同浴場を使用せず客室シャワーで入浴を済ませるという事案が問題視。
教師が裸の付き合いをする意義を説教したわけですが、
私は、中学時代に水泳など同性同士の着替えやボディーラインを見る機会すら徹底排除しておいて、
何を今更と呆れて聞いていました。

かと思えば恋愛禁止論をぶち上げて受験戦争に立ち向かうよう発破をかける先生方もおられて。


そんなこんなで大人になった我々の世代は、今の若者は草食系などと揶揄されたわけですが、
殺菌消毒された草ばかり食わせておいてそりゃないよ~と恨めしく思ったわけです。


本作は岡田麿里作品の中ではマイルドな部類かもしれませんが、
私の抱えた諸々のイタい思い出がむき出しにされてしまう辺り、やはり劇物に指定される作品なのだと思いますw

投稿 : 2024/11/02
♥ : 27
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