パラレルワールドでファンタジーなアニメ映画ランキング 5

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のパラレルワールドでファンタジーな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番のパラレルワールドでファンタジーなアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

72.9 1 パラレルワールドでファンタジーなアニメランキング1位
アリスとテレスのまぼろし工場(アニメ映画)

2023年9月15日
★★★★☆ 3.9 (73)
209人が棚に入れました
変化を禁じられた町で暮らす少年少女の恋する衝動が世界を壊す様を描いた長編アニメーション。原作となる同名小説を、監督を務める『さよならの朝に約束の花をかざろう』の岡田麿里が書き下ろし、「進撃の巨人」のMAPPAとタッグを組んだ。主人公の正宗を「呪術廻戦」の榎木淳弥、謎めく同級生の睦実を「鬼滅の刃」の上田麗奈、謎の少女、五実を「サマータイムレンダ」の久野美咲が担当する。
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

エネルとゲイアのしんおん工場

むかし、ちょっとした知り合いの女性のひとりに、
  わたし、性感帯は頭脳なんです
なんて大マジメに豪語する方がおられました。

早いハナシ、顔とか服装とか体型なんかの『視覚情報』は、
もちろんダイジなことなんだけれど『ナニなトリガー』にはなりえなくて、
コトバで知的にビンカンな部分をクスグられると、
  あはン
とかなんとか思っちゃうんだそうであります。

そういうのって東大とかNASAとかうろちょろしていたら、
しょっちゅうスイッチ入って大変じゃね?
とか思って聞いてみたところ、どうやらそういうことではないようでして。

彼女いわく、
ムズカしい言葉をたくさん知っているだとか、
特定の分野において膨大な知識量をもっているだとか、
そういうのは
  『記憶力がいい』
だけであって、頭脳をクスグられる要素ではないそうです。

つまるところ『知識』というのは『道具』なのであって、
その『使いよう』の部分、
さらにその使い方のスマートさあたりにエモっちゃうんだとか。
(ちなみに英語のsmartは『かしこい』って意味であります)

  まあ確かに、コンサルとか会計人とかでも、
  たいしたことないヤツに限って、
  やたらムズカしい言葉つかってマウントとろうとしますしね。

    で、結局『一般論』を言ってるだけで、話がなんにも進みませぬ。

  これがいわゆる『BIG4』クラスのコンサルになると、
  拙みたいなアタマ悪いヒトにもわかるよう、
  カンタンな日本語を駆使して
  (あいつら、MBAの論文とか原書で読めるんですよ?)
  具体的な課題とリスクをチュ-シュツしていきます。

    んで、カイギが終わるころには、はっきりした一本の道筋が。
    かっけぇ。

だからまあ、
彼女の言わんとすることは、なんとなくわかるようなわかんないような。
ただまあ、拙の知り合いの女性の中には
  オトコは大胸筋、三角筋、上腕二頭筋、以上!
という、かなりきっぱりしたヤツもいて、
そうなってくると、おっぱいフェチとの線引きがムズカしいのですが、
いずれにいたしましても、
フェティシズムの方向性というのはほんと人それぞれであります。


さて、本作『アリスとテレスのまぼろし工場』ですが、
大方の予想を裏切り、アリスさんもテレスくんも出てまいりません。
『アリスとテレス』というのは、
なんかアリストテレスみたい、なんてもんじゃなく、
そのまんまギリシャの哲学者、アリストテレスさんのことであります。

もともとは本作の監督・脚本家である岡田麿里さんが、
ひとりでちくちく書いて『行き詰っていた』小説なんだそうです。
(原題は『狼少女のアリスとテレス』だったそうですね)

ちなみに、そのタイトルについて岡田麿里さんは

 >子供の頃に哲学者のアリストテレスという名前を、
 >アリスとテレスという2人組の名前だと勘違いしていたことを思い出して。
 >自分なりに生きることについて
 >つきつめて考えていきたかったのもあって、
 >『狼少女のアリスとテレス』という仮タイトルで原稿を書き進めていました。
 (『ダ・ヴィンチ』2023年9月号インタビューより)

というように述べておられます。

決して、
勇猛なオオカミ少女が悪の組織に対し、
アリストテレスとかニーチェとかを論理兵器としてふりまわし
無双するお話ではありませぬ。

で、MAPPAの社長である大塚さんから、
  なんかオリジナル作品のカントクやってみませんか
というオファーがきたときに、
イチオ-こんなアイディアあるんですけど、と書きかけを見せたら、
やろうやろうというハナシになり。

で、映画化のため脚本のカタチで執筆を再開。
無事に完成した脚本のタイトルは『まぼろし工場』だったのですが、
周りのスタッフから
  いやいや、アリスとテレス、残した方がゼッタイいいっスよ
とかなんとか言われて本題になったのだとか。


そのタイトルの『難しそうさ』がアダになったのか、
あるいは広告・宣伝担当がズボラかましたのか、
はたまたこういう映画の需要そのものが国内に存在しないのか、
興行収入は、
リクープラインに遠く届かない二億円台半ばあたりで池ポチャ。

  これから配信等でどれだけ投資を回収できるか。
  ビジネス的にはそんな感じの、
  良作だけどマーケットがついてきてくれなかった数ある作品の一本です。



先に『良作』というコトバを使っちゃいましたが、
拙の個人的なおすすめ度は堂々のAランク。
Sにしてもいいぐらい、しっかりしたつくりの作品であります。

ただし、おすすめと言っても人を選ぶ作品でして、
誰にでも自信をもっておすすめできるテイストではありませぬ。

  ・二次元美少女との結婚を真剣に考えておられる方
  ・アニメを現実逃避や自己肯定のために日々鑑賞しておられる方
  ・いたずらに頭脳をクスグられると殴り返したくなる方

  あたりには、まったく、これっぽっちもオススメできません。

  美しい映像と濃密な脚本を心地よく楽しみながら、
  ふと自分のジンセ-と照らし合わせ、
  普段あまり深く考えないことに思索をあそばせるのもいいかしらん。

  というような方にうってつけの作品ではあるまいかと。


誤解なきよう申し上げておきますが、
アリストテレスさんの名前が入っているからと言って、
ギリシャ哲学みたく『難解なこと』を言ってる作品ではありません。

  もちろん『エヴァ』みたいに
    『どっちでもいいことを難解・イミシンに表現している作品』
  ということでもなく、どちらかというと
    『ダイジなことをシンプルに問いかけている作品』
  であると、わっちは思いんす。


んで、結局どういう作品なのかと言いますと、
キャッチコピーの『恋する衝動が世界を壊す』が全てを物語っています。
わかりやすくまとめると

  現実から乖離してしまい、
  成長も変化も未来すらも訪れることのない閉塞した田舎町における、
  衝動的な『恋』のモノガタリ。

みたいな感じですね。『愛』じゃなく『恋』であるところがミソ。
ここのところについて、
岡田麿里カントクはインタビューで

 >理性も利かなくなるし、突然強烈なパワーも湧いてきたりして。
 >そういう得体の知れない「恋の衝動」そのものを
 >アニメとしてビジュアル化できたとしたら、
 >これは他にはない作品になるんじゃないかと思ったんです。
  (『カナブン』2023年09月25日特集インタビューより)

というふうに語っておられます。


舞台は、見伏(みふせ)という架空の、
海と山に囲まれたイナカにある、製鉄所の企業城下町。
ある日、その製鉄所で巨大な爆発が起こります。
それ以来、見伏の町は、
誰も町の外へ出られず、季節も変わらず、ヒトが身体的な成長(老化)もしない、
爆発直前の時間軸に固定されたマチになってしまいます。

寝たきり老人は寝たきり老人のまま、妊婦は妊婦のまま、赤子は赤子のまま。
そんな、なんの変化も未来もない閉塞した環境で、
リアル世界に換算すると10年ちかくの月日が経過していきます。

そんな見伏の町で中学生三年生のまま時を過ごしていた菊入正宗は、
ある日、苦手にしていた同級生の佐上睦実に声を掛けられ、
製鉄所でオオカミ少女みたいな五実(正宗が命名)に引き合わされます。

正宗、睦実、五実。
この三人が交流を始めたことによって、
閉塞完結していたはずの町に少しずつ変化が生じていきます。

見伏の町がおかれた状況とはいったい何なのか、
閉ざされた時間はふたたび動き始めるのか、
そして三人に訪れる未来とはいったい……みたいなおハナシですね。

  ちなみに、
  『パラレルワールド』とか『世界線』みたく、
  またかよ的なオチではありません。

  そのへんに転がっているラノベとは一線を画しておりますので、
  安心してご鑑賞くださいませ。


もちろん、単純な『恋物語』などでは決してなく、
そのウラには『いまを生きる』ということに関しまして、
視聴者一人ひとりに問いかけていく『ウラ主題』みたいなものが走っております。

ここのところが岡田麿里脚本の真骨頂なのですが、
あまりにも物語の核心に触れちゃうため、ネタバレにしておきますね。
(視聴意思のある未視聴の方には、
 閲覧されることはあんまりおススメできませぬ)
{netabare}

作品中にちょろっとラジオから出てきて、
拙もレビュータイトルに使っている『エネルゲイア』というコトバですが、
ムズカしそうに聞こえるだけで、そんなにたいしたもんではありません。

ひらたく言っちゃうと『行為そのものが目的になっている』状態のことです。

もっとわかりやすく言うと『おさんぽ』ですね。
どこに・なにしに行くということもなく、
ただぷらぷらと歩くという『行為』そのものが『目的』になっている状態。

これに対して、徒歩通学みたく、
ガッコ-に行くというはっきりとした『目的』のために
歩くという『行為』をしている状態は『キネーシス』と呼ぶそす。

  変質してしまった見伏の町みたく、
  成長も変化もなくただ同じ毎日を繰り返しているのは、
    『生きる』という行為そのものが『目的』
  と言い換えることもでき、リッパな『エネルゲイア』さんですね。

  一方、リアル世界、
  いろいろ例外はあるにしても(ひょっとしたら例外の方が多い?)
  夢やミライに向かってがんばって生きている状態は、
    『生きる』という行為は未来へのプロセスに過ぎない
  という考え方から『キネーシス』に分類することができまする。

見伏の町は、是も非もなくエネルゲイア世界に取り込まれてしまいます。
だけど考えてみると、
世の中の多くの人は『現状維持』だの『不老不死』を望んでいるわけです。
ですからこの世界は人々の『思い』の総体がカタチを成したもの、
ちょっとコムツカしい言葉であらわすと
  『イデアの具現化』
みたいなもんじゃないかと思ってみたりみなかったり。

  で、こうなってくると若い方々を中心に、

    変化もミライも成長もない世界で、
    ただ『生きる』ことに幸せや意味なんてあるのかや?
    そんなんで『生きている』と言えるのかや?

  というギモンがわいてきます。
  わいてくるんですが、それは裏を返せば、

    変化やミライや成長がなければ、
    ヒトは生きていても幸せにはなれぬのかや?
    変化やミライや成長のためにヒトは生きておるのかや?

  というギモンにも繋がっちゃったりするわけです。
  
作品内でそれぞれの登場人物はそのギモンに対し、
いろいろすったもんだ(←死語?)した末に、
『ジブンのおかれた環境下における、ジブンなりの回答』
みたいなものにたどり着きます。

ただし、
それはこの作品によって示された、
限定された環境における限定された回答であり、選択肢なわけです。

拙たちゲンジツ世界の住人たちには、無限の選択肢があります。
ですから、この作品の結末は結末でおいといて、
ふと我が身に置き換えて考えてみると、

  で、ぬしはどうしたいんじゃ?
  どう生きたいと思うておって、
  実際のところ、どう生きておるのかや?

みたいなイタい問いかけにぶちあたってしまいます。

もちろん、それに対する答えは人それぞれなわけです。
ほんと人それぞれなんですが、
ここのところが本作品のウラ主題になっていたりもするわけです。

だからといって、
そういうことを考えるも考えないも視聴者の自由なんですが、
このあたり、いかにも岡田脚本らしい奥行きかと。
  しかし、
  さっきから賢狼がコムズカしい質問ばっかしてくるのはなぜか。

ちなみに『エネルゲイア』も『キネーシス』も、
アリストテレスさんがごちゃごちゃ言っているハナシです。
ですからこの作品につけられたタイトル、
 『アリスとテレスのまぼろし工場』
って、実はけっこう的を射ていたりもするんですよね。
{/netabare}


映像は、さすがMAPPAさんだけあって、かなりよきです。
静、動、いずれのシ-ンにもクリエイティビティが発揮されており、
その場の空気感みたいなものまでがビシビシ伝わってきます。

  先に紹介した岡田麿里カントクの言葉みたく、
    閉塞した世界をぶちこわす、
    わけのわかんない恋のパワー
  みたいなのも見事に表現されています。
  さらに、中間部からラストにかけての映像による迫力と説得力は、
  カネ払う価値が充分にあるとわっちは思いんす。
   {netabare}
  ちなみに『荒ぶる季節の乙女どもよ』でもやってましたが、
  トンネルを女性の胎道に見立てる演出、
  岡田カントク好きですよね。

  ただしこれ、
  女性カントクがやるから素直に受け止めてもらえるのであって、
  拙なんかがこういう比喩を使ったりすると
    フリさん……なんかあった?
  とかなんとか心配されてしまいそうでコワいです。
  ジェンダー差別、ダメ、ゼッタイ。
  {/netabare}

キャラは、拙的には、まあこんなもんかな、みたいな感じかと。
言ったりやったりしてることはわかるんですが、
感情移入して手に汗握る、ということはありませんでした。

正宗くんとかリアルで自分の身近にいたら
  あ~、なんかめんどくせぇなコイツ
とか思っちゃうかもです。
あとキスシーン、ごちゃごちゃしゃべりすぎ。黙ってせいよ。

ただし、そこは拙との相性とか私的なスキキライのおハナシで、
決して良し悪しのモンダイではありません。
キャラ造形そのものは、
一人ひとりが細部まできっちり練り込まれ、
しっかりと『人のカタチ』をいたしております。

  あと、オオカミ少女の五実は、
  狼ではなくニンゲンが面倒見ているんだから、
  もうちょいきちんとまともに育ててあげたんさいよ、と。
  {netabare}
  睦実のキモチはわからなくもないのですが、
  一応、ムスメなわけですしね。
  こういうの、世間では『ネグレクト』とか呼びます。あかんやつや。
   {/netabare}

役者さんのお芝居は、
アフレコを主戦場にしている方(=声優)ばかりのキャスティングで、
ハイレベルで安定しています。

オオカミ少女五実を演じる久野美咲さんについては、
岡田監督のあて書き(演者を先に想定して脚本をかくこと)だったそうです。
こういうキャラが好きかキライかは置いといて、
たしかに、このキャラ造形は久野さんにしかできないなあ、と。
(ちなみに『あて書き』って慣れてくるとラクです。てか、楽しいそす)

で、大変エラそうな言い方になってしまうのですが、

久野さんに限らず、
作品全体を通したお芝居の方向づけは、拙の好きな感じではなかったです。
これは役者の技量のモンダイではなく、
音監の明田川仁さんがカントクの意を組んで、
イト的にそっちの方向へ誘導していったものと思われます。
(仁さん、どんな方向にも誘導できますしね)

  なんというのか、
  『ヒトとしての葛藤』の前に『ヒトとしての弱さ』が出すぎちゃってる、
  というように感じちゃうんですよね。

  もちろん、そういう方向のお芝居が好きな方を否定はいたしません。

  いたしませんが、
  拙としては、ヒトが弱いのは『あたりまえ』だと思っているので、
  わざわざ前に出すことはないんじないかと感じるわけで……もごもご。


  そんななか、拙が個人的に気に入ったのは、
  上田麗奈さん(睦実)の、クライマックスにおけるお芝居です。
  {netabare}
  リアル世界に向かう列車の中で、五実に向けてのセリフ。
   「だから、せめてひとつくらい。私にちょうだい。
    正宗の心は、私がもらう。
    この世界が終わる最後の瞬間に、正宗が思い出すのは、私だよ」

  これ、すっごくムズカしいお芝居なんですよね。
  というのもコトバの奥に、
  いろんな感情が綾のように折り重なっているからなんです。

   ・まぼろし世界に五美が心を残さないようにとの、深い愛情と配慮。
   ・本能的な独占欲・オンナとしてのプライド。
   ・ミライに向けて進んでいける五実に対する羨望・嫉妬。
   ・五実を『心から愛しあった二人の娘』にしてあげたいという願望。
   ・自分はこの子と離れ、まぼろし世界で生きていくんだ、という決意。

  そういう、きれいだったり汚かったりムジュンしていたり、
  いろんな感情がぐちゃぐちゃに折り重なったセリフであるわけです。
  いやほんと、アリストテレスよりムズカしいかもです。

  このあたり、上田さん、すっごくいい処理をされています。
  そこにいたるまでの睦実とは、言葉の硬度がチガウ。
  既視聴者で、ここが突き刺さった方、けっこう多いんじゃないかしら。

  上田さんって、最近ゆるふわ系の役どころを控えめにして、
  重め・イタめのお芝居に挑戦される機会がおおいように感じるんですが、
  その心意気がビシビシ伝わってくる好演でした(←何様発言)。
   {/netabare}


音楽は、劇伴ふくめ、いい感じ。
作品世界に違和感なく自然に溶け込み、
映像や脚本のよさをうまくブ-ストさせています。

で、ラスト、中島みゆきさんの『心音(しんおん)』はナミダちょちょぎれ。

  アニメ映画への楽曲提供なんかしたことなかった中島さんに、
  岡田カントクがダメもとで制作を依頼。
  で、脚本を読んだ中島さんがびっくり仰天、
    逆に岡田カントク推しになる
  みたいな感じでジツゲンした奇跡のコラボレーションであります。

  作品世界の楽曲化、
  という点ではYOASOBIさんが超有名ですが、
  この曲は、それに勝るとも劣らない出来かと。

  拙がここまで駄文を並べてぐちゃぐちゃ書いてきたことが、
  この数分間の楽曲に全て凝縮されています。
  いやまいった。こんなん、拙のク〇レビューなんかいらないじゃん。
  {netabare}
    ちなみにラスト、
    成長した五実が工場跡で正宗の描いた絵を見つけることで、
    まぼろしだった見伏町が消失してしまったことが暗示されています。
    (だからこそ、正宗が現実世界に干渉できたわけで)

    オトナになった五実は、そのことをおだやかに受け止めます。

    これは悲劇なんかじゃない。
    それはほんとうに大切で、かけがえのない思い出だけれど、
    いつか消え去る『まぼろし』だったのだから。

    この、あるイミ残酷で、圧倒的で、抗いようのないゲンジツ。
    そして、ただ一人ミライへ進んだ五実が立ち去り、
    誰もいない『からっぽになった』工場が、静かに暮れていきます。

    ここに『心音』とか、
    いやもう、演出すごすぎ、完全にゲージュツですやん。
  {/netabare}


というような感じでありまして、
ホント興行的にはパッとしなかった本作なのですが、
見どころはけっこう満載なんじゃあるまいかと。

王道美少女が一人も出てこないので、
そっち系の方々にとっては『邪道』な作品であるのですが、
たまには邪の道を歩んでみるのも一興では。

  ひょっとしたら、

  ジブンでは気づいていなかった自分のセーカンタイが、
  いい感じにシゲキされるかもしれませんしね。
  (いや、コジン的なアレは知りませんけど)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 17
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

ウエルメイドだけど綺麗に作りすぎて、行間が狭い気がします。

 機会があってノベライズ版読みました。多少映画では表現が分かりづらいところが補足される文章になっていました。しかし、残念ながら原作ではなくノベライズですのでほぼ映画の通りです。つまり大して変わりません。だったら、映画で表現しろよと言いたいです。

 映像よりも文章派の私としては、少し想像力を働かせられたかなと思いました。
 ただ、本当にノベライズ=映画です。つまり、映画の脚本で、思いついたことをいっぱいいっぱいに作ってしまっているという証拠でもあると思います。こぼれ落ちたものがないという言い方ができるかもしれません。
 岡田氏のスケール感の無さは、表現したいことが10倍あってそれを泣く泣く削ったように見えないことなんですよね。ウエルメイドではあると思いますが、視聴者の想像力の広がりを喚起しません。

 もしかしたら、いや、映画の脚本の段階でそんな作業はやったということかもしれませんが、だったら、それをノベライズしてほしいです。もっと難解になっても、設定が変わってもいいです。そう、富野由悠季氏くらい本編と乖離して構いません。

 ノベライズは置いておくにしても、映画本編において、もっと完全に好き勝手に作家性を出して、つじつまが合ってなくてもご都合主義でも、行間の方が広いくらいの映画を作ってもらえないかなと思います。岡田監督の映画は批評が無さすぎて、とりあえず褒めるしかない的な作品しかないのが問題です。ウエルメイドで72点から78点くらいの作品ばかりになってしまいそうです。テレビアニメならそれが高い評価に結びついたのでしょうけど、映画だとはっきり物足りないです。「マヨイガ」でできたのだから監督作品ならもっとできるはずです。「あの花」が足かせになって似たような発想しかできなくなっていないでしょうか。

 改めて本作映画をまとめると、変化、痛み、生きている実感が1991年以降希薄になった。その象徴が変化しない町です。つまり、バブル以降の失われた30年問題がベースにあります。

 そして、痛みを知り生きるという実感を得た人間がきえてゆくというのがポイントなのでしょう。ただ、この痛みが想像よりも恋愛重視だったのかなあという気がしなくはないです。五実の失恋とかなんとか、そういう表現とリンクはしてくれます。が、そうなると工場という意味がどんどん希薄になります。
 そして、どうせなら五実と正宗の間の恋心をもっと濃厚に描いても良かったと思います。この作品の演出では庇護者2人に見捨てられた子供の描き方でした。睦美の葛藤も睦美の母親と睦美の親子関係の描写が弱いので、五実との関係性の深さが足りないです。

 外部での睦美、正宗の時間も止まったわけですが、その意味が読みとりづらいです。2人の恋愛が近場で済ませたという意味で、幻側では上手くいって、現実ではサキが戻って別れるとか、割れ目の向こうに見える景色ですでに別れているとかならわかりますけど、ラストシーンでそこは否定されますよね。だとすると、現実世界の2人の苦しみは何の贖罪だったのでしょうか?そこが良くわかりませんでした。

 ラストシーンは読み取れないものがあるかとも思いましたが、想像の通りでした。つまり、視聴者を作品が上回っていない気がします。わかりやすくていいとも取れますけど。

 ノベライズを読んで一番感心したのは「獣臭い甘ったるい臭い」という表現がありました。これが、我々現実の人間の匂いの事だとわかると幻の世界の素性が分かります。それに生きているとはそう言うことだという意味でもいい表現でした。
 このレベルで幻工場にもう少し分厚い裏設定があることを読みとらせてくれれば、深さが増したのかなという気がします。


 いろいろ批判はしましたが、映像の方も改めて見直しましたが、面白い映画ではあると思います。3,4回目なので飽きるかなともおもいましたが、結構初めから面白かったです。なんどもいいますがウエルメイドな作品ではあります。もうちょっと作家性を出してもらえればなあと思います。





以下 2024年1月のレビューです。

変化を望め、人を愛せ、1991年を引きずるな、でしょうか。

 何日かかけて考察しましたが、話の構造としての仕掛けを全部読み解くのは無理だったのでわかったことをメモしておきます。テーマは「すずめの戸締り」と同様に、過ぎ去った時代を早く葬ってあげて変化して行こうよ、という話だったと思います。ただ、個人的な内面から湧き上がる変化したいという衝動を殺さないで、というメッセージは明確にあったと思います。

 そこが「アリストテレス」の意味で、哲学的な話というより「変化」を象徴しているのが「エネルゲイア」ということでしょう。

考察メモですが、ほどほどです。

{netabare} 現実世界では工場は爆発したが、幻の世界だと健在だった(祖父の見解。ボケた老人は真実を語るの法則)。つまり、最後の工場が普通に閉鎖された世界線と五美が帰った世界は違う世界である。

 睦実が最後に痛みを感じたことと、工場にあった絵は正宗が閉じ込められた結果上手くなった絵なので、最後の場面は幻の世界が現実になることが読み取れる。
 ただ、五美が帰った世界と幻の世界が連続つながって、幻の世界の未来が現実の世界になった…という読み取り方はできるが、それは多分設定上無理がある気がする。

 アリストテレスの哲学の内「エネルゲイア」がマンガの必殺ワザとして語られる。資料の形相を実現していないのがディミナスで実現したのがエネルゲイア(作中にでていました)である。形相が「変化を望むことで」資料=モノが本質へと生まれ変わる。
 また、イデア界=理想の世界というのはない、というのがアリストテレスなので、その点も暗示されている。

 ただ、変化を望みいなくなった人間はどうなったのかは不明だが、ひょっとしたら五美が帰ったあとの幻の世界にいるのかもしれないがそこは全くわからない。
 五美のインナースペースだったとするには、2005年から1991年に戻ったことに無理があるかも。神の存在を肯定するのはアリストテレス的ではないがそれを前提としないと、幻世界の存在そのものがよくわからない。

 睦実がなぜ五美を好きになりたくないと思ったかは読み取りずらい。いろいろ解釈できるが確定は出来ない。ただ、睦実の生い立ちが親で苦労したこと、ヤキモチ焼きであることが描かれるので愛情に関しての障害がありそう。わざわざ睦実をそう描いたのは元の世界の睦実が同じ性格だからだとは思います。

 罪が1つ減って五美のところは、考えれば何かあるかもしれませんが今のところ保留します。7つの大罪からの引用だとは思う。

 痛み、匂い、味などの五感はつまり生きている実感であり、現代のアナロジーでもある気がします。

 正宗の親たちの昔話が正宗のアナロジーだとすると、現実世界で何もせずに見伏に残った正宗は睦実と結婚して五美を生む。が、父親同様に心が死んでいる状態になっていたのかもしれない。
 つまり現実の世界では工場が爆発することで工場勤務の人は本来的な意味で死に、街の人の心は死んでいる状態だったという事かもしれません。
{/netabare}

 というような感じでした。

 で、テーマとしては変化しようとするのが人間である。1991年のバブル崩壊で止まってしまった時間を日本人は動かさないといけない、でしょう。消えた人たちがどうなったのかと、神の描かれ方がアリストテレスと矛盾するので、ちょっと読み取れませんでした。
 そして、陰のテーマとして母と子の愛着障害的なものが描かれていると思います。


 映画としての評価は、エンタメ性とテーマの深さがちょっと物足りないかも。ただ、考察は楽しませてもらったのでストーリーは当初2と思いましたが、3.5にします。SFというよりファンタジー的なスタイルなので理論展開云々はいいんですけど、物語としての組み立てが分かりずらい気がします。そのおかげで1回目の視聴では、最後の30分くらいがかなり退屈でした。

 作画は奇麗でしたが、もう見飽きた作画のスタイルなので3.5とします。




追記 なぜ岡田麿里監督の話は面白さに欠けるのか?

「さよならの朝…」「空の青さ…」と本作に共通するのは壮大さが無い事、キャラのバックグラウンドの説明不足な気がします。

 本作に関して壮大さを感じない理由は「工場」が理解できるとっかかりがないことです。一応神が云々などの説明はありますがよくわかりません。別に設定としてどういう理由で発生したとかそういうのが分からなくてもいいんです。何を意図しているのかがまるで分かりません。
 なので畏怖も理解も無くただそこにあるだけです。そういう存在として置いたのかもしれませんが、作品理解、テーマ性において効果を発揮できていない気がします。

 例えば新海誠氏であればの3部作を初め、巨大な塔、宇宙人のようなものは正体はわからなくても意図は分かります。だから、メッセージ性が浮き立ってきます。
「フリクリ」の工場の様な象徴としての工場はありますけど、その割には本作の工場には機能があります。

 一方で、バブル期の少年少女としては随分地味な感じでした。もちろんその後閉じ込められた結果気力を失くしたのだとは思います。計算上は20年近くになるのでしょうか?2005年に五美が来たみたいで、5歳として14歳までそだてば2013年。1991年から2013年で22年間でしょうか。

 で、彼らのバブル期の思惑が語られない、どんなマインドでいたのが閉じ込められてどう変わったかという描写がないので、彼らがまるで現代人の少年少女に見えてしまいます。それを狙ったのかもしれませんが、変化が出来ないのは彼らの責任ではないと思われます。もちろん少年少女が変化を望まなくなったのは、社会の責任だという意味だとは思います。その彼らが20年以上たって、なぜ急に恋愛を始めたのか。そこが五美と正宗の出会いということ?

 そう…キャラのバックボーンや性格が理解できるヒントが少ないので言動に心が動かされないというのもあるかもしれません。特に睦実は最後語ってましたが彼女の何に乗っかればいいのか。
 そもそも正宗が主役だったのに結末の主役がねじれてしまっていました。

 こうやって分解して行くと自分の「勝手な解釈」はできるのですが、これが行間なのか妄想なのかが全く理解できません。つまり映画から伝わってこないので、見ているときにポカーンとなってしまいます。

 なんでしょう。大きなことを描いているようで「パーソナル」な「現在」の問題にしか焦点が当たらないので、仕掛けとストーリーが遊離してしまっている感じです。メッセージを語るための必然性を世界観から感じないと言えばいいでしょうか。そのせいで「裏」「過去」を世界観やキャラから感じないから広がりも深みもないということでしょうか。

「さよならの…」「空の青さ…」本作の共通する不満点がこれですね。例えば「さよならの…」でイオルフの過去や未来に想いを馳せられたでしょうか?あの舞台になった国の歴史が妄想できたでしょうか?本作はそれと同じですね。
 文学というには意味がありすぎますし、その割に語り切れていないのか受け取り切れていないもどかしさを感じます。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

停滞のむきだし

1991年冬。製鉄所の爆発以来、外界から隔絶され、時の流れが止まった見伏(みふせ)市。
何年も中学3年生を繰り返している少年少女らの間で巻き起こる思春期の恋の衝動が、
停止した街の秩序を揺るがしていく劇場アニメ作品。

【物語 3.5点】
監督・脚本・岡田 麿里氏。
同氏の未完の小説『狼少女のアリスとテレス』を本作向けに再編し映像化。

見伏市は時間が停滞していることで安定しているが、最近は空にヒビ割れが多発。
製鉄所の煙から生成される“神機狼”で修復する頻度も高くなって来ている。
ヒビ割れを作り閉鎖世界の崩壊を招くのは人々の心の変化。
町は“自分確認票”などの掟により人々の異変を厳重に監視規制している。


本作もまた斜陽に向かう日本社会の停滞感を描き、次代に未来を託す、
近年トレンドの作品群の中では後発のタイミングでの公開。
が、既視感を上書きする勢いで、岡田麿里氏ならではのオブラートに包まない描写が鮮烈な印象を残す野心作。

大人たちの停滞を押し付ける同調圧力が、子供たちの心を蝕む。
(※核心的ネタバレ){netabare} 見伏の住民はまぼろし故に、{/netabare} 痛みを感じなくなった少年たちは生の実感を得るために危険な遊びに興じる。
時間の止まった町で成長し続ける異端の“狼少女”五実から香る生の匂い。
主人公・菊入 正宗と佐上 睦実、五実との間に吹き荒れる痛切な恋の衝動こそが生の実感を与え、世界を壊す暴力となる。

展開も概ね予想の範ちゅうで、シナリオ自体の衝撃で驚かせると言うより、
エッジの効いた表現で、鑑賞者の心にも傷痕を刻む感じ。

ただその傷痕はトラウマにはならず、むしろ停滞した社会の中でも価値を見出す希望や、
痛みを伴ってでも未来へ進む勇気といった、ポジティブな痛みとなって残る。
事前PVが醸す危険な印象や、作中私が喰らったダメージを思えば、やはりガード必須な岡田麿里作品ですが、
鑑賞後の後遺症は意外と残らない前向きな作品となっています。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・MAPPA

背景美術にも積極的に作画を入れて登場人物の心情を反映する世界の潮流。
この最先端を走る海外アニメ映画などを観ていると、日本アニメはちょっと敵わないのではないか?と悲観してしまいますが、
本作の少年少女の恋心の痛みなどに呼応して裂ける空などを眺めていると、
MAPPAや『さよ朝』チームならばJAPANもまだまだ食らいついていけるのでは?と希望がわいて来ます。

“狼少女”五実の{netabare} おまる洗浄シーン{/netabare} など匂いを意識させる作画もまたオブラートに包まず、
痛覚と並ぶ生の実感を体現。

その他、冬と夏を活用した心情表現。
(※核心的ネタバレ){netabare} ずっと冬が続く見伏市のまぼろしは、裂け目から覗く現実世界の夏の盆祭りに魂を呼ばれるように霧散して行く。{/netabare}
(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と睦実のキスシーンの熱を表すように、裂け目から降り注ぐ夕立が雪を溶かす天候描写がエモ過ぎます。{/netabare}

正宗が描き続けている作中イラストの上達ぶりは、
停滞した町でも、人間は成長できる好例としてテーマ深化のスパイスとなる。


90年代で止まった街ということで、小物デザインも花柄ティノポットなどが当時を再現。
もっとも私は萌えアニメキャラの装備品たるブルマとは異なる、
リアルに存在した女子中学生の生々しいブルマの揺れ動きの再現カットに、
作中の中学生男子共と一緒に鼻の下を伸ばしていたわけですがw


【キャラ 4.0点】
主人公少年・菊入正宗と同級生・佐上睦実。身体は思春期、心を凍りつかせたままで大人になっていく同級生。
二人の間に心は幼気で無邪気なまま身体が成長していく奔放な五実が入っていくことで、
震源のトライアングルが活発化していくメインキャラ相関。
(※核心的ネタバレ){netabare} 外の現実世界では夫婦になる正宗と陸実の娘が五実。{/netabare}
五実は正宗と陸実にとって諦めていた未来を垣間見せる存在でもある。

停滞を強いる大人の同調圧力に対し、イラストを書き、自分確認票提出をサボって抵抗する正宗。
それでも停滞は少年の心を確実に蝕んで行く。
その苛立ちを自分確認票をペンで書き破ってぶつける描写が痛切でした。


心の変化を禁じている見伏市ですが、街を回すためのスキル習得には意外と寛容。
正宗たち中学生も運転免許を取得して老祖父の送迎などに車を活用。
終盤“合法的”な中学生によるカーアクションも実現し盛り上げに一役買う。
(これなら二次元世界でも学生の違法行為の取り締まりを叫ぶ真面目なネット警察諸君も、ぐぅの音も出まいw)
運転スキル習得のキャラ設定もまた停滞していても人間は成長できる一例を示す。


【声優 4.5点】
主人公・正宗役の榎木 淳弥さん。
陽気なボイスが特徴的な声優さんですが、本作では少年の葛藤をぶつける鬱モード。

ヒロイン・陸実役の上田 麗奈さん。
妖艶なボイスで、えのじゅんを挑発し、“謎の同級生”を構築。

そして“狼少女”五実役には、痛みにのたうつロリボイスに定評がある久野 美咲を指名。
“暴力的にピュアにして欲しい”との監督のディレクションに応える。

メインキャスト3人は実際にトライアングルを囲んで収録を行う異例の体制で、
コロナ禍で広がった分散収録の流れに一石を投じる。

この成果が一番出たのがやはり(※核心的ネタバレ){netabare} 正宗と陸実の濃厚キス現場を五実が目撃し心に激痛が走るシーン。{/netabare}
分散収録か否かなど聞いても分からない私ですが、
あのシーンからは同時収録ならではの生々しい三角関係が確かに伝わって来ました。
何より上田 麗奈さんの妙演がたまらなくエロティックでした。


正宗の失踪中の父・昭宗役に瀬戸 康史さん。
残された母・美里を見守ると称して恋心を打ち明けられない叔父・時宗役に林 遣都さん。
中堅俳優に年輪を刻んだ煮え切らない大人のトライアングルを託す。
俳優タレントの劇場アニメ起用への文句も多い私ですが、
このポジションへの俳優キャスティングには納得感がありました。

見伏市の体制側にカルト要素を注入した神官・佐上 衛役の佐藤 せつじさんも、
映画吹替経験も生かした明快な狂人ヒールぶりで機能していました。


【音楽 4.5点】
劇伴担当は横山 克氏。
音響彫刻シデロイホスの神秘的な金属音によるヒビ割れる空の演出強化。
退廃のバックグラウンドに響く高校生コーラスによる思春期の絶望表現。
未来の希望を象徴する海羽さんの歌声。
私は本作を横山氏が新機軸で、さらにもう一つ殻を突き破った作品としても記憶に留めたいです。

ED主題歌は中島 みゆきさんの「心音」
起用の一報を耳にした時は、歌手の世界観が強烈過ぎるのでは?との懸念もありましたが杞憂でした。
歌詞世界と作品のシンクロ率では本年のアニソンの中でも屈指だと思います。



【余談】長いひとり語りになるので読まなくても結構ですw

見伏市が停止した1991年は奇しくもバブル崩壊による不景気が始まった時期。
私にとって本作は“失われた30年”の日本社会の停滞から若者が受けた影響を否応なしに想起させられる。
作品そのものから感じる痛みより、私の内面に封印していた古傷が疼いてのたうち回った劇場鑑賞でもありました。

この30年変革も多々ありましたが、基本的にバブル後に日本が取った施策は変わらないことによる安定確保。
こうして停滞した社会というのは、極度に変化や異物を恐れる。
過剰なまでの無菌無臭の追求。公園の砂場にまで除菌した砂を敷き詰める狂気。
地毛の茶髪まで黒に染めさせる校則というのは今にして思えば事なかれ主義をこじらせた、とんでもない差別行為でした。

ゼロ年代。ロスジェネの若者たちの間で、布団を日向で干した匂いがするアロマがちょっとしたブームになった事も。
同時期に社会問題になったリストカット。理由は個々人により様々でしょうが、
本作みたいに停滞の中で、生の実感を渇望し痛みを求める少年たちを抽象化された物を直に喰らうと、
停滞は人の心を確実に殺すことを痛感します。


私の中学時代はブルマがハーフパンツに切り替わった時期。
同時に体育での水泳復活も協議されましたが、ここも事なかれの校長の強硬な反対により廃案に。
私にとって中学生のスクール水着女子というのは完全に二次元世界の幻想に過ぎません。

高校時代には修学旅行にて女子生徒たちが共同浴場を使用せず客室シャワーで入浴を済ませるという事案が問題視。
教師が裸の付き合いをする意義を説教したわけですが、
私は、中学時代に水泳など同性同士の着替えやボディーラインを見る機会すら徹底排除しておいて、
何を今更と呆れて聞いていました。

かと思えば恋愛禁止論をぶち上げて受験戦争に立ち向かうよう発破をかける先生方もおられて。


そんなこんなで大人になった我々の世代は、今の若者は草食系などと揶揄されたわけですが、
殺菌消毒された草ばかり食わせておいてそりゃないよ~と恨めしく思ったわけです。


本作は岡田麿里作品の中ではマイルドな部類かもしれませんが、
私の抱えた諸々のイタい思い出がむき出しにされてしまう辺り、やはり劇物に指定される作品なのだと思いますw

投稿 : 2024/11/02
♥ : 27

76.0 2 パラレルワールドでファンタジーなアニメランキング2位
続・終物語(アニメ映画)

2018年11月10日
★★★★☆ 3.8 (343)
1905人が棚に入れました
高校の卒業式の翌朝。顔を洗おうと洗面台の鏡に向かい合った暦は、そこに映った自分自身に見つめられている感覚に陥る。思わず鏡に手を触れると、そのまま指先が沈み込んでいき……。気がついたとき、暦はあらゆることが反転した世界にいた。

2018/11/10より全国劇場にてイベント上映開始!

声優・キャラクター
神谷浩史、斎藤千和、加藤英美里、沢城みゆき、花澤香菜、堀江由衣、喜多村英梨、井口裕香、早見沙織、井上麻里奈
ネタバレ

♡Sallie♡☆彡 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8

僕達と,育ち続ける物語。

こちらは「こよみリバース」。
高校の卒業式の翌朝から始まる物語です。
終わりの,続きの物語ということらしいです。
今回もあらすじに沿ってレビューしていきたいと思います。

阿良々木くんが朝,顔を洗って洗面台の鏡を見ると,鏡の中の阿良々木くんが動いていないことに気付きます。
鏡に手をのばすと彼は鏡に引きずられるように入っていってしまったのでした。
{netabare}気がつくと,そこは洗面所でした。
鏡の中の反転した世界です。
そこに現れたのはお風呂から上がった背の低い火憐ちゃん。
いや。お兄ちゃんの前で裸で平気ってなんなのこの妹。いつものことだけど…。
女としては地味にブラの着け方が気になる。。
これじゃ綾波レイの二の舞じゃないか!!
それより気になったのはパンツよりブラの方を先に着けるの!?
まぁ,火憐ちゃんの好きだけどさ。
「って言うか兄ちゃん,出てけよ。妹が下着姿なんだよ。」って。
あのぉ。裸は良いのに下着姿はダメなのですか??
なにそのダブルスタンダード。
その後月火ちゃんに会うのだけど,彼女の浴衣が左前になってることに阿良々木くんは気付きます。
そして斧乃木ちゃんにも会います。
いつも無表情な彼女がいつもと違う。
そしていつものひらひらスカートじゃなくてパンツスタイル。
八九寺に会おうと北白蛇神社まで来た阿良々木くんはお賽銭を投げて八九寺を召喚しようとします。
ここで内心「オリジナリティーあふれるアイディアが出てくるかどうかがあいつと僕を分ける壁だと言えよう。」とか言って貝木をディスってるけど,恋物語観た視聴者さんはみんな「(o-∀-)σオマエ…」ってなってるよね(笑)。
投げ入れる金額も違い過ぎるし。。
なんとか八九寺は現れます。でも21歳の八九寺お姉さん!!
「阿良々木くふぅん♡」って(笑)。
それで八九寺お姉さんに相談にのってもらいます。
そして阿良々木くんは思いつきます。
暦物語「こよみウォーター」での出来事を思い出したんですね。
神原の家のお風呂が元の世界との通話口になるのではないかと。
でもそこでレイニー・デヴィルに出会ってしまうのです。
「憎い」を連呼して追いかけてくるレイニー・デヴィルだったけど,ブラック羽川に救われます。
羽川の乳房の左右差まで把握してたとか,変態すぎるんだけど阿良々木くん!!
確かに右胸の方が大きいのは珍しいけど!!
家に帰ると,女の子が居ました。
どうやらこの世界の阿良々木くんは老倉育と一緒に暮らしてるらしい。
この世界の老倉さんは幸せそうだなぁ。
現実がこうだったら良いのにな。
真宵お姉さんが召喚したのは先代神様のクチナワさんこと千石でした。
口調がクチナワの兄貴っぽくなってる(;´・ω・)
千石との会話の中で阿良々木くんは鏡は左右逆に反転するのではなく裏返っているのだと気付くのです。
そして,元の世界に代わりに行った阿良々木くんは扇ちゃんではないかと考えるのでした。
寝ようとした阿良々木くんのところに斧乃木ちゃんが来ます。
いつもの無表情の斧乃木ちゃんです。
うん。こっちの方が落ち着くなぁ。
「深淵を覗く者は,また深淵からも覗かれている」
有名なニーチェの言葉ですね。
阿良々木くんが斧乃木ちゃんのパンツを脱がさずに去ったことを訝しんでの行動だったようです(笑)。
“パンツ”がパンティーの方のパンツなのかトラウザーズの方のパンツなのか聞く阿良々木くんだったけど,「さあね。自分の胸に聞いてみたら?」って教えてくれない斧乃木ちゃん…好きです。
それに加えて「僕の胸を使ってやるいつものやつ」とかいうパワーワードまで飛び出します。
大事なことなので2回訊ねる阿良々木くんだったけど,それは華麗にスルーされます。
斧乃木ちゃんはブラック羽川に阿良々木くんを助けるように依頼した人が居ると考えます。
そして,学習塾跡に向かいます。
でもそこにあったのは廃ビルではなく豪華絢爛なお城でした。
そして,そのお城に住んでいたのは人間のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだったのです。
姫様に謁見している阿良々木くんは,その余りの高貴さに自然と自殺したくなってきてしまいます。なにその謎設定(笑)。
阿良々木くんはこの世界に長く居続けちゃいけないらしい。
翌朝,月火ちゃんに顔を洗われます。
その水が流れていく瞬間,その水に映ったのはにやりと笑う阿良々木くんの顔でした。
自分とは違うその表情に驚く阿良々木くん。
どうでも良いけど,阿良々木くんの妹たちは何でいっつも裸で登場するのよ!?
神原の家に向かう阿良々木くんと斧乃木ちゃん。
レイニー・デヴィルは斧乃木ちゃんが何とかしてくれるらしい。
結局,お風呂につかる阿良々木くん。
そこに現れたのは神原駿河のお母さん,臥煙遠江でした。
何故か一緒にお風呂に入って話します。
いや。どんだけ裸の女が登場するの!?このアニメ。
臥煙遠江は何でも知っちゃう人らしい。
彼女から背中にスティグマという名のヒントをもらう阿良々木くん。
そのヒント通りに直江津高校に行くことにしました。
制服を着て行こうとしたけど,制服が男子用から女子用になっていました。
女子用の制服を着て高校に向かう阿良々木くん。
いくら鏡の中の世界だからってメンタル強すぎるよ,阿良々木くん。
扇ちゃんが北白蛇神社に行くと真宵お姉さんと千石と羽川が酒盛りをしていました。
羽川は幼女バージョン。
羽川は何でも知っているなぁ。
阿良々木くんが直江津高校のかつての一年三組の教室に向かうとそこに待ち受けていたのは扇ちゃんでした。
洗面台に見えた顔が笑ったように見せたのは扇ちゃんでした。
扇ちゃんは鏡の世界の住人ではなく,阿良々木くんの扇ちゃんらしい。
扇ちゃんは阿良々木くんに,阿良々木くんが鏡の世界に来たのではなく,鏡の世界には削られているはずの20%を引っ張ってきたと教えます。
ん~。何だか分かったようで分からない。。
斧乃木ちゃんは懐から吸収率100%の鏡を取り出します。
それを北白蛇神社に奉納すればいいのだそう。
そうすれば残りの2割を吸収してくれるらしい。
結局,阿良々木くんの心残りが今回の事件を引き起こしたってことらしいです。
元通りになった世界に現れたのはピッグテールの戦場ヶ原さん。
阿良々木くんは今回の事件について彼女に話します。
心残りは何だったのか彼自身にも分からないらしい。
最後は戦場ヶ原さんといちゃいちゃして終わり☆{/netabare}

全体的になんか退屈でした。
今までのヒロイン達総動員だったし,会話で面白いと思った所はもちろんあったけど,相変わらず無意味な会話やだらだらとした説明がとにかく長くて,途中で観るのがしんどくなっちゃいました。
こちらはテレビアニメとして6話に分割して放送されたらしいので,それならまぁ観れるかなと思うけど,一気見は集中力がもちません。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

僕達と、育ち続ける物語。

この作品の原作は未読です。
化物語から始まる一連の「物語シリーズ」ですが、物語の難易度が段々上がっている気がするのは私だけでしょうか?

元々は、私立直江津高校三年生の阿良々木 暦が春休みに吸血鬼であるキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと出会て吸血鬼の眷属となります。
そして、暦の周囲の友達や家族に取り憑いた「怪異」に纏わる物語でした。
この頃は話が分かりやすかったんですけどね…
個人的には「終物語」くらいから、物語の構成や登場人物の設定が複雑で難しくなった感があります。

だから恥ずかしながら本作では怪異は微塵も登場しなかったと思っていました。
高校を卒業したから…?
それとも暦の周囲の怪異は出尽くしちゃったからとか…?
などと考えていましたが、結論から言うと私が忘れていただけでしっかり怪異は登場していたんです。
でも、その怪異に関しては全てがシークレットなんでしょう。
重要なキーパーソンである筈なのに、公式HPのどこにも見当たらないのですから…
もちろん、ストーリーには出てきますけれど…
つまり物語が放送されるまで、そのキーパーソンに関する情報が皆無だったんです。


阿良々木暦の物語は終わった。
地獄のような春休みから始まり、
いくつものめぐり合わせを経て、
阿良々木暦の高校生活最後の一年間は終わった
…かに思えた。

だが卒業式を終えた翌朝、思いがけない事態が起こる。
暦は、鏡の世界に迷い込んでしまっていた。

これは、高校生でもない、大学生でもない、
そんな時期に阿良々木暦が体験した
終わりの、続きの物語。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

「阿良々木暦の物語は終わった」と書かれていますが、見た時にどうしてなんだろうと率直に思いました。
何故なら、原作ではまだ阿良々木暦のの物語は大学生編として続いているから…

確かに高校生としての阿良々木暦の物語は終わったかもしれません。
ですが、阿良々木暦自身の物語は終わっていませんので…
でも、物語を完走して理解しました。
この物語を成立させるには、ここで一旦を終わらせる必要があったんです。

でもこの伏線は正直分り辛いです。
最後の最後までチンプンカンプンでしたから…

でも、難しいながらも視聴を進めていくと、この鏡の世界の設定は実に面白いです。
特に化物語から欠かさず視聴してきたファンの方には堪らなかったのではないでしょうか。
かく言う私もその一人ですけど…

この鏡の中の世界…文字は裏返り右と左が逆になるんですが、これは見た目の話だけで本質ではありません。
この世界の面白さの本質は、設定そのものが裏返ることなんです。
設定が裏返ることの面白さは、登場人物のこれまで見れなかった一面が見れることに尽きると思います。

例えば八九寺 真宵は永遠の小学5年という設定でした。
ですが本作では「傾物語 第閑話 まよいキョンシー」でお目見えした真宵お姉さんになっていたり…
この設定で色々持っていかれたのは、やっぱり余接ちゃんで決まりでしょう。
普段無表情の余接ちゃんが裏返ると…気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

人生には進学、就職、結婚など様々な節目がありますが、節目を迎える時にはこれまでを振り返る大切さを、この作品に教えて貰った様な気がします。
今回暦も高校を卒業するという節目を迎えた訳ですが、節目を迎えた人ならではの物語だったのではないでしょうか。
だから物語を終わらせて節目を迎える必要があったんです。

きっと優れた人は節目を迎える前に自分自身を振り返るんでしょうね。
だから第2、第3の暦になる可能性は格段に低いのでしょう。
まぁ、それが出来たら苦労しないんですけどね^^;

物語はちょっぴり切なくて…やっぱり戦場ヶ原ひたぎは可愛くて…
〈物語〉シリーズ・ファイナルシーズン最終巻をアニメ化したこの作品…
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングテーマは、阿良々木暦の「07734」
エンディングテーマは、TrySailさんの「azure」
オープニングは不思議な感じの曲でした。
TrySailさんの「azure」は安定感抜群の曲だったと思います。

0.5クール全6話の物語でした。
多少、難しさを感じましたが気合いと根性で乗り切りました。
もちろん堪能させて貰いましたし、視聴して良かったと思っています。

でも、この〈物語〉シリーズの終着点ってどこになるんでしょうね。
終わらない作品は決してありませんが、この作品にはまだまだ広がりを見せて欲しいと思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 18
ネタバレ

ninin さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

不思議な世界

原作未読 上映時間 約150分

テレビアニメ放送(未定)に先駆けて6話分を劇場版としてひとつに纏めて公開した作品です。

阿良々木 暦が私立直江津高校を卒業して、大学入試の合格発表前の出来事を描いています。朝、洗面所の鏡に映る自分を不思議に思ったあと、その鏡の中に引き込まれたお話です。

キャラデザは、テレビアニメ版と同じなので違和感なく観れました。

いつもの阿良々木暦の一人語りがメインで、色々なキャラとの会話劇もたくさんありましたね。{netabare}(まさか神原 遠江(臥煙)さんまで出てくるとは思いませんでしたw){/netabare}

女性キャラがほぼ登場しますが、いつもと違った面が観れました。
{netabare}
成人になった八九寺真宵、レイニー・デヴィル姿の神原駿河、クチナワ口調の千石撫子、ブラック羽川や少女姿の羽川翼、背が低くなった阿良々木火憐、人間の時の忍野忍、ツインテールの戦場ヶ原ひたぎ、表情や仕草が豊かな斧乃木余接、学ランを着た(男性?)忍野扇、そして老倉育さんだけは最初誰だか分からないくらい容姿や性格が変わっていましたねw
阿良々木暦の女子制服姿で真剣に語っているところは、ちょっと笑ってしまいました。
{/netabare}
PG12作品ということで、やたらと下着姿や裸のシーンが多かったですw

化物語の世界を満喫しました。この作品の特徴として、アクションシーンが少なく会話する時間が長く、150分もあるので退屈するかもしれませんね。

テレビ放送はいつになるのでしょうか? 早く観たい方で、化物語シリーズが好きな方は観てもいいのではないかと思います。

ED TrySailさんが歌っています。

最後に、原作の物語シリーズはまだ続いているにゃ~。またTVアニメか劇場で続きを観たいシャシャシャ~。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 28

68.8 3 パラレルワールドでファンタジーなアニメランキング3位
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(アニメ映画)

2017年8月18日
★★★★☆ 3.3 (463)
1779人が棚に入れました
物語の舞台は、夏休みのある一日。花火大会をまえに「花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」の答えを求め、町の灯台から花火を見ようと計画する少年たち。一方、クラスのアイドル的存在・なずなに想い寄せる典道は、時間が巻き戻る不思議な体験のなかで、なずなから「かけおち」に誘われることに……。何度も繰り返す一日のなか、なずなと典道を待ち受ける運命は? そして、果たして花火は下から見ても、横から見ても丸いのか?

声優・キャラクター
広瀬すず、菅田将暉、宮野真守、松たか子、花澤香菜、浅沼晋太郎、豊永利行、梶裕貴
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

視聴者をタイムリープさせる映画

[文量→大盛り・内容→考察系]

【総括】
中学生の恋愛をテーマにしている。青春アニメって感じ。

原作は、1993年にフジテレビで放送されたドラマで、その後1995年に実写映画化。そして本作は、2017年にシャフトによってアニメ映画化。米津玄師さんの作った歌が、かなり耳に残ります。

シャフトらしさは残しながら、一般受けするように演出は控えめにしている印象。作画は流石の劇場版クオリティ。

私は本作の評価を☆3(普通)にしましたが、☆3の中でもやや低評価です。良さもある作品だと思うので、レビューでは、その両面に触れたいと思います。

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
つまり、「可能性はたくさんあり、自分の行動、言葉選び、そういう選択によって変化する可能性があるのが、未来」であることと、「それでもどうしようのないこと、変えられないことはあって、その現実の中でどんなかたちであって前に進んでいくこと」を表現したかったのだろう。

それは、相反することではあるけれど、人生というものは、そういう矛盾を孕んでいる。

それを、少年少女が実感し、体得するための装置が、あの丸い球。

人が、なぜこれほどまでに花火を愛するかというと、花火には華やかさと儚さがあるから。パッと咲いてサッと散る。その美しさが心の中に残るから、また観たい、また感じたいと思う。求める。

でもそれは、完全なかたちでは叶わない。

同じ様な花火はまた見られるけれど、全く同じ花火はもう二度と見られない。それは、青春時代(思春期)にも似ている。

美しくて、儚くて、もどかしい。「あの時ああしていれば、ああしなければ、今、どうなっていただろう」というある種の後悔はつきものである。丸い球が砕け散ったとき、様々な「あったかもしれない未来」を見ることで、ようやく一歩を踏み出した少年少女。ある者は長年伝えられなかった愛を叫び、ある者は海の中でキスをして別れを伝える。

アニメという美しい世界の中で、そんな眩しい青春時代を擬似的に追体験できるのは楽しい。

でも、どんなに美しい花火も、常夜灯のようにそのまま一年中夜空に開きっぱなしなら、逆にウザくなってくる。クソ、眩しいんだよ、と。だから多分、実際は思春期なんて、大人が回顧するほど美しいものではないのだろう。アニメで懐かしむくらいでちょうど良い。

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という印象的なタイトルは、「恋」の捉え方なのだろうか。

美しい「花火」=「恋愛」を、「下から見る(見上げる)」のは、「恋に恋する」状態を指す。ようは、1周目の状態。好きだけど、素直に言えない。好きだ好きだと言いながら、いざ実際に付き合うことになると、ビビって逃げてしまう。駆け落ちとか無謀なことを言う。「横から見る」は、恋を自分の現実として受け止めている状態。最後はみんなこの状態になった。うまくいかないことも含めて、相手との付き合い方を考えられる。

少年少女達は、下から見上げるだけではその正体を掴めなかった花火を、高い位置から見る(自分が成長する)ことで、その全貌を掴んだのだ。

シャフトの幻想的な演出、美しい映像、米津玄師の印象的な歌によって、こういう切なさを表現したかったのだろう。それは、ある程度は成功していて、挑戦的だ。

と、ここまであえて、詩的で難しい言葉を連発しながらも、あまり中身のない、「この作品のような」誉め言葉レビューを書いてみたが、要約すると、「綺麗だけどつまらない」(苦笑)

クオリティ的には悪くなかったが、作品全体を俯瞰すると、やはり失敗している部分が目立つ。

まず第一に、この物語には「ドラマ」がない。

シャフトの演出を抜き、タイムリープという装置を取っ払うと、ただ単に、「好きな人が転校しちゃう」というだけの話だ。中身が空っぽなのを、どれだけ華美に装おうと、かえって虚しく見えてしまうものだ。

中身、というのは例えば、二人がお互いを好きになる過程や理由だ。二人は小学生からの付き合いのようなので、まあ、きっとなんか色々あったのだろう。でも、映画の中だけで分かることは、典道はナズナの「顔」が好きだということくらい(まあ男子中学生なんてそんなものだが)。ナズナに関していえば、典道のどこをそんなに好きなのかが全く分からない。他の男友達に比べ、典道が何か特出しているわけでもないし。あれだと、「母親への反抗」の為に、「好きでもないのに好きになった」感じすらする。(実際は純愛なのだろうが)そう感じさせてしまうこと、視聴者が典道を好きになれないことが、この作品の「無理矢理盛り上げてます感」に繋がっているように感じる。

てか、両思いで、ただ転校するだけなら、LINEでもテレビ電話でも、毎日繋がれる。90年代の中学生なら、転校なんて「永久の別れ」に近いものを感じたかもしれないが、今時の学生なら、「そんなにおおごとか?」と思うのではないだろうか。

また、映画のターゲットが誰なのかも不明。

主役の2人に、旬の若手俳優を使う時点で、我々のようなアニメ好きに照準を合わしたわけではなく、一般受けを狙ったのだろうが、だとしたら世界観が複雑で、演出も(シャフトにしてはシンプルだとしてもまだ)クドすぎる。あれなら、小学生には理解できず、中高生なら中身の空っぽさに気付く。親子で見るにしては、ちょいエロもあって、気まずい。

ちなみに主役の2人は、俳優の中ではマシな方で、特に広瀬すずさんは頑張ってた(菅田将暉さんは微妙)と思うが、当然、プロの声優には及ばない。普通に、花澤香菜さんと宮野真守さん(か、梶 裕貴さん)がやってれば、これだけアニメ好きに叩かれはしなかっただろう。

あと、走って電車に追い付く中学生集団には噴飯し、ちょっと絡まれたくらいでよく知らない中学生に顔面パンチし放置して帰る、ナズナの義父と、それを咎めない母親にはドン引きした。あんなクソ親の下で過ごすなら、そりゃナズナも家出したくなるわな。むしろ、あのクズ義父と暮らすナズナの身を案じてしまう。

本作、私は正直、3回寝落ちして、その都度巻き戻した。もしこれが「視聴者をタイムリープさせる演出」だとしたら、脱帽する(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 26
ネタバレ

YwJje43950 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

打ち上げ花火 ”もしも玉”

{netabare}”もしも玉”というものが時系列的に一番最初に確認されたのは、なずなの、死んだ父が海で手に持っていたところだったと思うんです。
取り敢えず1回観ただけなんだけど、この”もしも玉”とは何だったのか、というのが掴めない。メタファー的な意味でね。
それがあると、最後の方の、歪んだ、されど理想的なあの空間と、その崩壊・消失に意味を持たせられる気がするんだけれど。
頭良い人に何かしら、良い感じのをこじつけて貰いたいところだ。皮肉じゃないよ。
より良い解釈を示して欲しいという、頭の良い他人の頭で感動したいという、楽したいという気持ちです。いちから解釈するには、少々難解な部分の多い作品だからね。

岩井俊二が脚本の会議段階で提案した”もしも玉”というアイデアは、元々のオムニバステレビドラマにおいて前提とされた『If もしも』という、物語の基礎の説明という役割を担わせるという目的があったようだ。
パンフレット内の”もしも玉”に関しての言及といえば
『いろんな人たちの”もしも”っていう思いが凝縮された何かなんだろうっていうところに固まっていって、玉ということで花火と対極としてひとつのシンボルにもなる...』
というものと、他には劇中のあらゆるキーワードの紹介をしているページ。
私としては、最終的に2人が行き着いた閉鎖されている感のある例の歪んだ世界では、まるで”もしも玉”の中にいるかのようではなかったか?と思ってたんですけど、その【キーワード集】を読むと、制作側もやはり、なずなと典道の行き着いた歪んだ空間のデザインは、”もしも玉”の中に居るようなイメージでコンテを描いたとのことだ。
ただ、『(そうすると)きれいかなと思って、...』という、文脈なんですけど。
花火と対極的な玉の形をもって、”もしも”という思いが凝縮された、”もしも玉”。
なずなの父は、生前使っていたのかな。
それとも、父の思念的なものが生んだのかな。
劇中、これに関してヒントはあったのだろうか。
ここまで書いておいてなんだけど、1回観て分かるほど私は頭よくないよ?


ところで、あの歪んだ空間は、まるで”もしも玉”の中であるかのようだったけど、あの町を囲うドーム状の歪んだ壁は、典道の空想・妄想の限界なのではなかろうか。
言い換えれば、典道の”もしも”の限界だったのではなかろうか。
町の外の事を、子供の彼らはまだ何も知らないからね。
そういうふうに意味付けるとどうだろう。
出来事の順番を忘れたけど、どこかのタイミングでドーム状の歪んだ壁は消失した。
彼は、周りより一歩先に大人に近づいたという事かな?
だから最後のシーン、クラスに典道は居なかったのかもしれない。
追記:海中のシーンで、2人の顔が大人になってるというツイートを見まして、確かめたい気持ちが強まりますよ〜。
あと、コレうろ覚えだったもんで書かなかったんですけど、劇中、電車に乗って、海の上を走って、結果何処へ行きましたっけ?
何処にも行けずに戻ってきたと記憶しているのですけれども...。
これってやはり、上で書いた”もしも”の限界によるものではないかなと思うのです。
”もしも玉”が砕けて、彼らに降り注ぐのは外へ飛び出していった彼らの可能性。
やっぱりあの夜って、彼らが大人になる劇的な瞬間だったのでは?
あぁ、記憶力よ。もどかしい。
追記2:”打ち上げ花火”と同じくシャフトの作品である、”まどかマギカ”の、劇場版、”叛逆の物語”ってあるでしょう?
{netabare}劇中の、ほむらの生んだ魔女空間と、”もしも玉”の空間とは似てるっていうレビューを読んで、正直、あまりピンときてなかったんですけどね、コレの意味が遅ればせながらようやく分かりました。
そういえばアレも、バスに乗って街の外へ行こうと試みて、行けなかったんですよねぇ。
何故なら、ほむらはその行き先の街並みを知らないから、再現のしようもないという。
たしかに、”もしも玉”空間とそこは同じですよね。
{/netabare}

打ち上がった”もしも玉”が花火のように破裂して、その欠片に、選択によってはあり得た”もしも”の世界が映り込む。
その一欠片を手にした事で生じるのは何だったか。
海の中での一連の出来事の意味は?
今作品の最初のほうのシーンで、なずなが玉を拾ったのと、歪んだ空間内のラストとが同じ場所であることは何を意味するか。
あの脱ぎ捨てた服だって、思い返すと最初のほうに伏線があった気がするぞ?
いやぁ、うろ覚えだ!1回観て語れるようなものではないわ!

追記:あにこれのレビューを改めて読んでいたら、ストライクさんの、今作のラスト、典道がクラスに居ない事についての解釈、良いなぁなんて思いました。
”男の典道は、願望の世界に浸るロマンチストなのかもしれない。”
でも、それだとハッピーエンドでは無いよなぁ...
典道のほうはその夏の恋に囚われちゃうって事でしょう?
"秒速5cm"的な関係でしょう?言いたいこと分かります?
やはり私としては、”もしも玉”空間の壁が砕けて外の世界へ飛び出していった彼らの可能性が降り注ぐあの演出を思い出すと...
でもね、いずれにせよ私の中で正直、未だに完全に納得いく解釈は得られてないんですよね〜。
まぁ、このよく分からない感じも好きですけどね、夢見心地で。

グダグダと書きましたが、この作品について簡単な感想としては、
シャフトには向かない題材ではないか、という事。
これは正直観る前から思っていた。
だからある程度、滑る覚悟はしていたりもした。
実際、賞賛するようなものでは、たしかに無かったと思う。
話が難しい以前に、例えば不自然なCG。冒頭の自転車等の動きなんか気になってしまった。
元の作品の人気、アニメとしての粗もところどころ見えてたし、また、分かりやすい感動!の物語を求めていた、脳の動かない人の多さも、大衆に向けた広告があっては仕方なく。
批判の多さも妥当かと思う。
でもね、ネット上のこの作品に対する批判はどうも(この作品に限らないけど)誠実でないものが多い。
後半の展開が原作と違うという点がお気に召さず、ただ叩きたいだけの価値のない批判をしてるブログが、少なくとも今、私がこの文を書いている時は検索上位にあったりして、嘆かわしい限り。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

蠱惑の球面

元ネタである岩井俊二監督のスペシャルテレビドラマは視聴済み。

球とは実に不思議な形をしています。
どの角度から見ても見える形は同じですが、
見えてる面は視点によって全部違う。

その上、光の加減まで考慮すると球はさらに神秘的。
特に例えばガラス玉のような透過性の高い球体ともなれば、
光の屈折まで加味されて見る視点によって輝き方が目まぐるしく変わる……。
そして、その透き通った球体は、あらゆる光を集めると共に、
球の境界を隔てた人々の視線や思念、願望をも惹き付け誘惑するのだ……。


本作は原作にもあった花火の見え方のウンチクによる好奇心刺激に加え、
シャフト作画によって全編に散りばめられた円柱、球形への違和感、興味。
それらが心を浮つかせる夏の空気、ヒロイン少女の魅惑的な美しさ等により加速され、
常識や倫理の壁をも超越して行く、真夏の青春アニメ映画。

主人公少年らと共に気持ちよくジャンプするには、
映像全体が醸すムードに憑かれることが必須で、ハードルはやや高めですが、
私としては夏に劇場鑑賞チャレンジした甲斐があった作品でした。



本作は単純に興味を持って観る。のとは別に色々な動機での鑑賞があり得る作品ですが、
以下、それぞれの立場からの見え方を想定してみると……。


①岩井俊二監督作のリメイクを期待して本作を観る。

……これは正直かなり失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}私が思うに原作ドラマは脚本、シナリオ等により賞賛されているだけでなく、
90年代当時の子供の世界。その再現性によるノスタルジーにより、
年々、思い出としても美化され続けている作品。

(例えば{netabare}本アニメ映画だと少年宅でプレイされるゲームは『キラキラスターナイトDX』という
2016年発売のファミコン用新作レトロゲームという恐ろしく懐古狙いなマニアックぶりですがw
原作ドラマではスーパーファミコンの『スーパーマリオワールド』という大衆向け定番作 {/netabare})

それら当時の流行も取り込みつつ、しょーもない冗談や下ネタを言い合うw
ガキの会話あるあるな掛け合いが醸す、子供の世界にリアリティや説得力があります。
こうした子供の世界に背伸びしてる感を纏わせつつ、
大人の都合と対峙させることにより、物語の推進力と共感度をアップ。
さらに当時15歳の美少女だったヒロイン役・奥菜恵さんを画面に閉じ込めた希少性と相まって、
今なおタイムカプセルのような輝きを放ち続けている原作ドラマだと思います。

対して本作は後世、思い出となり得るような同時代性の強調は控えめ。
(例えば{netabare} スマホが出て来ない時点でタイムカプセルにはなり辛いですし、
松田聖子さんだの観月ありささんだの叫んでいる時点で
原作の時代に対するオマージュの方が勝っています{/netabare})

むしろ本作は花火の見え方というSFファンタジー世界展開の着火点により注目し、
そこからオリジナル要素も広げていくシャフト作品。

加えて本作では何故か主人公少年らを原作ドラマの小6から中1に設定変更していますが、
原作の掛け合いの流れも引きずっているためでしょうか?
少年少女たちの言動が今風でない感じがするだけでなく、
微妙に小学校卒業してない感じが、
原作ドラマ視聴後だと目につきやすく、それらがストレス要素になりかねません。{/netabare}

いずれにせよ、リメイク期待組とのキャッチボールは波乱含みのようです。

もしも原作ドラマ未見で、ドラマ観てから本作観に行こうと検討されている方がおられたら、
私としては是非、そのまま、よそ見をせずに映画館に直行することをオススメします。


②『君の名は。』川村元気氏のプロデュース作として、前年の感動再現を期待して観る。

……これも大分、失敗するリスクが高いと思われます(苦笑)

{netabare}特に『君の名は。』を気軽なエンタメ作品として楽しんだ方は、
それを期待して本作を観ると事故る可能性がいっそう高まると思われます。

『君の名は。』は何となく観ていても状況は説明してくれるライトな作品でありつつも、
深読みしても得るものがあるコアな作品でもあった、
間口の広いヒット作だったと私は考えていますが、

本作の場合は作画や表情、ちょっとした台詞の違いなどを深読みしに行かないと、
状況すらも把握し難く、物語の迷宮入りと共に、失意の途中下車に追い込まれかねません。

逆に些細な違和感から考察を巡らすことができる方なら価値を見出せると思います。{/netabare}


③シャフト、新房昭之監督のファンとして本作を観る。

……これはまだ割と期待できそうです。

{netabare} そもそも背景絵等が醸すムードが作品を牽引する構造である以上、
まず本作でも相変わらず癖がある作画、構図等に興味を持って鑑賞し続けることが、
作品と折り合うための必須条件。

何じゃ!?このワケわからん絵は~~wとなるか、
あっこれやっぱりシャフトだ(笑)イヌカレーだ(笑)とニヤニヤできるかは、
本作でも満足度を左右する重要な分岐点になると思われます。

但し作画レベルは背景画等については良好ですが、
人物描写、特にキャラ造形の安定度等については標準レベルなので、
至高の劇場版作画を求める等の過度なハードル上げはオススメできないと思います。{/netabare}



以上、色んな角度から長々と書いてしまいましたがw

簡潔にまとめると本作は普段あまりアニメを観ない層にはあまりオススメできませんが、
コアなアニメファンや、あにこれユーザ等には、
合う合わない、好き嫌いも含めて、是非、感想、考察を聞いてみたい作品だと思います。

例えば核心部分について、私見を述べると……

{netabare}あの夏、最後、典道は平行世界に飛翔したまま戻って来なくなった。
なずなは元の世界に戻って転校し、典道を待ち続けている……。
というのが私の解釈と言うより願望?ですが、如何でしょうか?

典道も平行世界から一応、戻っては来たけど……という見解が多そうかつ、
妥当性も高そうなラストではあったのですが……。
「もしも玉」と平行世界の妖しさに取り憑かれた私としては、
あっさり元の世界に戻って来るのは何か勿体ない感じもするんですよね……。{/netabare}

みなさんの評価、感想……お待ちしております♪

投稿 : 2024/11/02
♥ : 41

62.8 4 パラレルワールドでファンタジーなアニメランキング4位
ポッピンQ(アニメ映画)

2016年12月23日
★★★★☆ 3.6 (81)
570人が棚に入れました
通過点でしか無いと思っていた卒業式を目前に控え、中学3年製の伊純は前に進めずにいた。
そんな時、海で、美しく輝く"時のカケラ"を拾った伊純は、不思議な世界"時の谷"へと迷い込む。
そこで、同い年の、蒼、小夏、あさひ、"時の谷"に住み、"世界の時間"運営を司るポッピン族と出会う。
"時の谷"と"世界の時間"が今まさに崩壊の危機に瀕していた。
危機を脱するには、伊純たちの持つ"時のカケラ"を集め、心技体を一致させたダンスを踊るしかないという。
迫り来る危機と、ポッピン族の厳しいダンス指導に戸惑う伊純たち。
そんな中、ダンス経験者の沙紀が現れるが…。
"時のカケラ"に導かれた5人はダンスで世界を救えるのか?
そして、無事に卒業できるのか?

声優・キャラクター
瀬戸麻沙美、井澤詩織、種﨑敦美、小澤亜李、黒沢ともよ、田上真里奈、石原夏織、本渡楓、M・A・O、新井里美、石塚運昇、山崎エリイ、田所あずさ、戸田めぐみ
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

興行的には散々みたいだけど思いのほか悪くなかった

新春!開運!ポッピンの集いに行ってきました
2017年初アニメ映画
2017年初声優イベントになりました

黒星紅白原案のキャラをプリキュアチームが動かすと聞いたら
これは見ないわけにはいかないな
という気ではいたのですが
封切り初日舞台挨拶が金曜日だったため見に行けず
今回のイベント付き上映に行く運びとなりました

しかしなんだかずいぶんと興行が芳しくないようで・・・
でも駄作だとかつまらないという話が聞こえてくるわけではない様子
そもそも誰も見に行ってないから口コミが少なく
見た人の感想も絶賛も酷評もしていない感じですね

ストーリー全体としてはそんなに悪くなかったと思うのですが
全体的に詰め込み過ぎて展開が急すぎたり
いろいろ説明が足りなかったり
まるで見たことのない作品の総集編映画を見に来たかのような
はっきり言うと雑な印象を受けました

いろいろな要素をぎゅっと詰め込んで
ジェットコースターのように勢いだけで押し切るのも
映像制作においては一つの手法ではあるのですが
メインテーマが思春期の心理的葛藤なので
急ぎ足の展開とは素材の相性が悪かったように思います

主人公の伊澄だけはある程度尺を取って描写されてたわけですが
他のメンバーに関しては大した描写もなく
いつの間にか問題が解決していたような印象
TVシリーズか何かでもっと丁寧に時間をかけてやった方が
もっと面白くなったように思います

ED後のアニメーションに関しては
まさに予告編といったような感じで
全編通して一番ワクワクする映像でした
続編があるならぜひ見たいと思わされた反面
そこが一番魅力的っていうのは
一本の映画としてどうなんだ?という気もします

映像面は十分に満足のいくものだったと思います
キノの頃からの黒星紅白ファンとしては
郵便屋さんや秘密結社のアニメより
ずっと黒星紅白の魅力を引き出せていたと思いますし
ダンスシーンもなかなかよくできていました
もともとその方面には定評のあるプリキュアチームですから
そこがダメならどこを見るんだ?って感じではありますが

音楽もなかなか悪くなかったです
先週までSHOWBYROCKとコラボしてて
アプリ内でED以外の3つのヴォーカル曲が叩けました
その時は特に思い入れもなかったのですが
映画を見て楽曲に親しみを覚えたときには
もうコラボが終わってて叩けない悲しみ・・・

声優は若手の有望株を中心に
かなりいいチョイスだったと思います
ポコン役の田上真里奈だけは聞いたことがありませんでしたが
チェンクロのイメージソング歌ってたTrefleの一人だったようです
割と聞きやすい少年役だったので
今後要注目かもしれません

さて、この映画はいったいどこに問題があったのでしょうか?
ファミリー向けをベースにして
そこに大友向けの要素をいろいろぶち込んだ結果
どちらの層に対しても訴求力が足りなくなってしまった印象
そしてどんな層に対して発信しているのか
いまいちわかりにくいタイトルやCM等
マーケティング面での失敗が大きいように思います

ハリウッド映画などでは予告編の試写会のようなものを設けて
何通りかの予告編を作ってどういう層にどういう広告が受けるのか
実際にテストして流す広告を決めるそうです
予告編だけでなく本編も試写会の評価を見て
ラストを作り直すことさえあると聞きます

それに対して日本の試写会はただの先行上映会です
様々なメディアが双方向化し
発信者と受信者の境界があいまいになっている現代社会において
旧態依然としたプロデューサーの直感に頼った広告戦略というのは
もはや限界に達しているということに気が付くのはいつなんでしょうか?
作品自体のクオリティはそこまで低くないのに
興行がまったく振るわないのは
作り手ではなく売り手に責任があるように思います

映画館がガラガラみたいな情報ばかりはいってきますが
決して駄作ではないと思いますので
ぜひ劇場に足を運んでいただければと思います
ED後が本編なんて言われている程に
可能性を感じる予告編だったので
あれが企画倒れになるのだけは阻止したいところです

おまけ(終演後トークイベントでの監督質疑応答)
{netabare}

Q:ポッピン族は楽器とかを使わないの?
  ダンスシーンでかかってる音楽とかはどうなってるの?

A:楽器はちゃんとあって設定とかもあったんですけど・・・
  襲撃されて移動中だから持ってこれなかったんですよ

(プロデューサーから補足があって、時間と予算の関係で入れられなかったそうですw)

Q:ポッピン族には年齢とかあるのですか?

A:年齢のようなものはありますが
  見た目の変化とかはありません

Q:でも長老とかは・・・

A:あれは衣装です
  そういう服に入ってるだけです

Q:レミィには同位体はいないの?

A:もちろんいます

Q:それは作中に出てきていますか?

A:それはまだお答えできません

Q:ED後映像の金髪少女はだれ?新キャラ?

(濁そうとしたところをキャストから質問攻めにあった結果白状)

A:はい・・・レミィです

Q:ED後映像の舞台は原宿ですよね?ロケハンとかいったんですか?
  行列のできる人気店っぽいものが映ってましたが並んだんですか?

A:はい、原宿です
  原宿らしいおしゃれな感じを出そうとして
  某有名店に行きついてたんですが
  自分は行列を遠巻きに眺めるしかできませんでした
  結局、開店前に女性スタッフに撮影してきてもらいました

こういうのをいろいろ聞けるのがトークイベント付き上映の醍醐味ですw{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 26
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

実は卒業後も時を進め生き長らえていた東映アニメ60周年記念映画

あらすじ

{netabare}卒業を間近に控えた中三少女5人。
各々、葛藤を抱え、前向きに時を進められずにいる。

そんな折、異世界「時の谷」に召喚された5人。
時間がつつがなく流れるよう管理する役割を担っていた「ポッピン族」が暮らす「時の谷」は、
時を進めたくない邪悪な意志に脅かされていた。

彼女たちは「時のカケラ」を集め、「ダンス」を踊ることで、
世界と時間の危機を救おうと、ポッピン族のダンスレッスンを受け始めるが……。{/netabare}


【物語 2.5点】
欲張り過ぎ。

映画一本に中三少女5人の青春の一頁を描くだけでも忙しいのに、
本作はさらに異世界トラベル物でもあり、
変身バトルヒロイン物でもあり、美少女ダンスアニメでもあり……。

到底、収まり切るはずもなく、説明不足、掘り下げ不足が多発。

極め付けは、最後、{netabare}この中三編はプロローグに過ぎない!高校生編こそが本編!
と言わんばかりに予告編風の映像で締めくくったこと。
中学卒業で締めくくれば、まだ割と綺麗にまとまったものを……。
俺たちの戦いはこれからだENDも華麗に決まり困惑が拡大。{/netabare}

ただ、5人の中で主人公格であるヒロインについては、
女の子が異世界の旅を経て、青春の時を前に進める勇気を獲得し、
いつの間にか急成長する。
などジュブナイルとして要点は押さえており、筋は通っている。


【作画 4.0点】
キャラクター原案・黒星紅白氏といえば大抵、
可愛い顔して、嘘つきはスパイの始まりとか、
眠たそうな瞳で、無慈悲に狙撃とか、ギャップを狙った起用が印象的。

その点、本作の世界観とそれに合わせた作画構成は
可愛らしい氏のキャラデザにベストマッチ。
(但し、そこに必ずしも需要があるとは限らない)


本作監督は劇場版『プリキュア』シリーズ等でCGを担当して来た宮原 直樹氏。
本作のダンスシーンには、東映CG作画の成果が体現。

特にヒロインたちの変身前のダンスレッスン衣装は、
露出もない着ぐるみ同然のフワフワ、モフモフであり、
ダブダブズボンがダンシングして揺らめくCG動画はかなりのハイレベル。
(但し、そこに必ずしも需要があるとは限らない)


【キャラ 3.5点】
良質な素材を提供するも、料理は生煮え。

ただ、5人のヒロインは主人公格の陸上短距離走を始め、特技により性格付けがされており、
そのキャラクター性は歴代のプリキュア等と比較しても遜色がなく、可能性は十分。

各ヒロインのエピソードをもっと掘り下げれば、
彼女たちのその後を描けば、『ポッピンQ』は化けるはず。
と願望する鑑賞者も少数ながら獲得。

そのことが後のコンテンツ展開へ繋がっていく。


【声優 4.0点】
豪華。例えばヒロイン役の5人だけ見ても、
瀬戸麻 沙美さん、井澤 詩織さん、種﨑 敦美さん、小澤 亜季さん、黒沢ともよさん。
各々のマスコットポジションのポッピン族の「同位体」役にも、
実力派や若手のホープを起用。

さらに、ラスボス役には{netabare}斎藤千和さん。
時間の法則という世界の理の改変を企むには打って付けの配役。{/netabare}

いきなり感情を振り切る無茶振りも散見された本作だが、
この布陣なら対応した上、見所のあるシーンも演出可能。


【音楽 4.0点】
上記の豪華声優陣が二次元ダンスユニットをやる!
これだけでも注目に値したはずだが、5人のヒロイン役が歌ったのはEDだけ。

ダンスシーンでは他のユニットの歌に合わせて踊るだけ。
どうせならヒロインにも中の人にも歌ってもらって、2.5次元ライブまでやってよ~。
(ここでも需要と供給のミスマッチ要素がw)

楽曲や劇伴自体は良好。EDも{netabare}卒業ソング{/netabare}として優良。


【感想】
もしも、日本で深夜アニメが発展せず、萌えもエログロもなく、
『プリキュア』のような女児向けテイストのアニメが発達して、
ティーン以上の年齢層向けでも主流になったら、
こういう作品が数多く生み出されたのかも?との感想がまず残りました。

そういう点からも、本作は本来、
東映CG作画の『プリキュア』以外での活用模索も含めて、
トレンドからは外れた所で、実験的なことを色々やってみる映画。
理解のある方だけに口コミで語り継がれる類の作品だったのだと思います。


だから、2016年末。『君の名は。』などアニメ作品が映画界を席巻した伝説の年を、
『ポッピンQ』が締めくくる!とばかりに、東映アニメ―ションが60周年記念と銘打って
本作を年末年始興行の目玉に祭り上げ、
ミスマッチな宣伝、大規模上映を繰り広げた挙げ句、大コケした件は、
作品云々以上に、プロデュースの失敗だったのだと思います。

(大体、『ポッピンQ』という作品名の映画が興行収入・ウン億円の大ヒット!とか、
普通は想像すらできませんってw)


年末公開の本作でしたが、作中設定は中学卒業式前とのことで、
私も冬休みシーズンが終わって、卒業ムードも漂い始めた頃に、
骨でも拾いにいってみるか……とか思っていましたが、
近所の映画館では三週間で上映終了したため劇場鑑賞は叶いませんでしたw


そのまま私は本作の存在自体を忘れていたのですが、
昨年暮れ、『ポッピンQ』が続編小説制作のためのクラウドファンディング“project19"
を目標金額の五倍を集めて成功させたというニュースで
『ポッピンQ』未だ健在を知り驚愕し、レンタル鑑賞するに至りました。

次のプロジェクト“project20”では映像作品も含めた計画も検討されているとか……。
内容次第で、私もクラウドファンディング出資してみようかな。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 29

二足歩行したくない さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

残念なところもあるのですが、それを差し引いてもとても楽しい作品でした

東映アニメーション60周年記念として作られたオリジナル劇場アニメ。
自分を取り巻く環境と自分の思いに歪みを感じる5人の少女たちが集められ、世界崩壊の危機を救うためにダンスを踊るストーリーです。

ヒロインは5人いて、全員卒業式を間近に控えた中学3年生です。
「小湊 伊純」は陸上の大会で納得の行く結果が出せず、レース直後周囲に言い訳をしてしまう。
心残りのまま東京へ引っ越すことなり、両親にも反発していたのですが、ある日、"時のカケラ"を拾い、"時の谷"に飛ばされてしまう。
「日岡 蒼」は成績優秀だがいつも学業を最優先にしており、友人がおらず、心のどこかに孤独を抱えている。
「友立 小夏」はピアノの演奏が怖くなり、演奏会から逃げ出してしまう。
「大道 あさひ」は父から柔道を、母から合気道を教えられているが、高校に進む上でどちらを選択するか、両親に迫られているが、本人は女の子らしい格好をしたいと思っている。
彼女たちは伊純同様に、"時のカケラ"によって"時の谷"に集められる。
"時の谷"では時間を管理していて、世界の時間が崩壊の危機にあるという、世界を救うためには"時のカケラ"を集めて、みんなでダンスを踊るしかない、という展開です。

"時の谷"にはポッピン族という生命体が住んでいて、ダンスをすることで時間の運行を保守しています。
ヒロインにはそれぞれナビゲートキャラクターとして、各々の心が読めるポッピン族が割り当てられています。
世界の崩壊と、それに立ち向かう少女達、マスコットキャラクターの存在と、東映ということもあり、とてもプリキュアっぽいと感じました。
ご都合主義的な展開に、5人目のヒロインの存在、マスコットキャラの住む世界を舞台に力を合わせて敵を倒す(ダンスで!)等、どこかで見たような展開が続きます。
ただ、お約束のような展開が多いですが、女の子たちはかわいく、中だるみだったり飽きのようなものは感じませんでした。
ストーリーのテンポも良く、楽しい作品だと思います。

ただ、ストーリー展開は説明不足な感じがちらほらとありました。
"心にもやもやを抱えた少女たちが本作の冒険を通してどう折り合いをつけることができかのか"という心の動きがわかりづらく、結局のところ、異世界から強制的に飛ばされ、世界の命運を世話され、ダンスを踊らされる物語になってしまった感じがします。
最終的には大団円となるのですが、そのプロセスがぼやけているのがちょっと残念に思いました。
また、例えばこの5人が選ばれた理由がよくわからなかったり、ラスボスが伏線がなく到達に登場したり、説明が不足していると感じる場面がありました。
内容の濃度を考えると仕方ない気もしていて、むしろ一時間半強の尺でよくこれだけ盛り込めたなとも思いますが、どこか総集編のような感じを受けます。

残念なところもあるのですが、それを差し引いてもとても楽しい作品で、見てよかったと思います。
特にラストに至る展開は神がかっていて、普通に感動して涙が出てきました。
色々意見がありますが、私個人的にはすごく好きな作品です。
単純にアニメが好きな人、芸術や文化としての表現方法ではなく、ただ楽しいからアニメが好きな人に見てほしいと思います。

最後は続編を匂わせる終わり方になっています。
興行収入的に続編は難しいのかなと思いましたが、2021年1月にクラウドファンディングで目標金額に到達し、続編映像化に向けて動き出しましたね。
5人の活躍を映画館で見れる日を楽しみにしています。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 2

60.2 5 パラレルワールドでファンタジーなアニメランキング5位
二ノ国(アニメ映画)

2019年8月23日
★★★★☆ 3.1 (81)
198人が棚に入れました
冷静沈着で車いすのユウ、バスケ部の人気者のハル、ハルの恋人コトナは幼なじみの親友同士。ある日、事件に巻き込まれたコトナを助けようとした二人は突然、「二ノ国」に引き込まれる。そこは現実世界と並行する魔法の世界。そこで二人はもう一人のコトナ、アーシャ姫に出会う。次第にアーシャ姫に惹かれていくユウ。しかしコトナの危機を救うには、アーシャの命を奪わなければいけないことを知る。大事な人の“命"をかけた究極の選択に果たして 2 人の決断は―。

声優・キャラクター
山﨑賢人、宮野真守、坂本真綾、梶裕貴、津田健次郎、山寺宏一、伊武雅刀、新田真剣佑、永野芽郁、ムロツヨシ
ネタバレ

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2

2019年のワースト映画

巷でヤバイヤバイ言われてるDQは華麗にスルー
この作品も観に行く予定はありませんでした
どちらも予告編からして地雷臭ぷんぷんですし
見えてる地雷をわざわざ踏み抜きに行くほど物好きでもありません

しかし、連れの見たい作品と自分の見たい作品で時間を調整した結果
この作品が自分の見たい作品の間に挟まる形になり
わざわざその時間だけ抜けて頑なに鑑賞を拒むほどの理由もなかったため
あくまでついでに観に行くことになりました

悪い予感が的中!
とかそういうレベルではなく酷い
たくさんの作品を見ればどうしてもハズレが混じってきます
そういったハズレの作品に関しては
貴重な余暇を割いて酷評レビューを書くのもばからしいので
さっさと忘れて次に行くのが一番だと思っていますが
この映画は今年見た36本の映画の中でぶっちぎりでワースト
(追記:結局2019年に見た54本で群を抜いて最低でした
金返せ!って言いたくなるものは他にもありましたが
金貰っても見たくないレベルはこれだけです)
あまりにひどかったのでここに全部吐き出して禊としたいと思います

この作品につけられたキャッチコピーは

命を選べ。

公式のあらすじを引用しておきますと

頭脳明晰で心優しい秀才のユウ。
バスケ部のエースのハル。
そしてハルの恋人のコトナ。
同じ高校に通う幼なじみの3人は、かけがえのない親友だった。突然の事件が起きるまでは―。
ある日突如ユウとハルが迷い込んだ見知らぬ場所、そこは想像を超えた魔法の世界「二ノ国」。
現実(一ノ国)と隣り合わせにある、この美しく不思議な世界で、
2人はコトナにそっくりなアーシャ姫と出会う。
どうやら二ノ国には、一ノ国と命がつながっているもう一人の自分がいるらしい。
アーシャ姫に死の呪いがかけられたことをきっかけに、ユウとハルは二つの世界に残酷なルールがあることを知る。二ノ国で尽きるはずの命を救えば、一ノ国の人間がその代償を払うことになるというのだ。
そして二ノ国ではアーシャ姫が、一ノ国ではコトナが死の呪いに掛けられていた―。
ふたりの彼女、救えるのは一人の命―
明るく健気なアーシャ姫を守りたいユウと、コトナを助けたいハルに突き付けられた残酷なルール、
ふたりが下した〈究極の選択〉とは―。

「愛する人を救うために〈命〉を選べ」

というあらすじに対して実際の内容は
{netabare}まず片方の命を救うと片方の命が尽きるというルールは
ハルがかなり唐突に根拠も薄い中で主張し始めた仮説です
ユウが二つの世界のルールがはっきりしないから
短絡的に結論を出すべきでないと諫めるにもかかわらず
ハルはアーシャ姫を殺せばコトナは助かるはずだと論理を飛躍させ
コトナを助けるためなら自分は何でもすると
安っぽいヒロイズムに浸ります

いやちょっと待て・・・
さっき二ノ国でアーシャ姫を助けようとした呪い師が
一ノ国でも死んでなかったか?
アーシャ姫を殺せばコトナが助かるって理屈はいったいどこから来るんだ?

とまぁここまでは全く受け入れ難い!
というほどのことでもありません
恋人を失うかもしれない恐怖から冷静さを失っている
と考えればまだ高校生ですしそれほど不自然でもありません

しかし板挟みになって苦悩するユウに対して
アーシャ姫の口から
「ハルには決断できてあなたにできないのは
あなたの覚悟が足りないからではないか」
という言葉が飛び出したところで
もう完全にキャラのセリフとして受け止めることができなくなりました

愛する人を守るためならほかのだれかを殺すことも厭わない
どうも制作側はそれを崇高な愛のカタチとして描きたかったようですが
愛するものを手に入れるために何の罪もない他人を殺めるというのは
崇高どころかおぞましい我執に囚われているとしか思えません

それをハルの若さゆえの過ちとして捉えることができた間はともかく
命を狙われる側のアーシャの口から肯定した瞬間から
彼らが血肉の通った人間ではなく
制作者のプロパガンダのための腹話術人形にしか見えなくなりました

もう一度言っておきましょう
この作品につけられたキャッチコピーは

命を選べ。

です

愛するものを守り幸せをつかみ取るためには
他人を蹴落とすことを躊躇してはいけない
誰かの幸せを奪ってでも愛を貫き通す覚悟を持て

というのがこの映画の伝えたいメッセージなのだと私は受け取りました

そこから先の物語はあんまり覚えていません
真の黒幕が現れて
どちらかが必ず死ぬというのが
ハルの勘違いだったことが分かり
協力して打倒してめでたしめでたしみたいな
まぁそんなどこにでもあるお約束展開が
ろくに伏線も張られずに雑に展開されていたのは覚えています

この日はコレ含めて5本の映画を鑑賞したのですが
この映画を見終わった後すぐに観たのが

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない(8回目)

でした

奇しくも命の選択というものがテーマになった作品を二つ続けて観て
あまりのクォリティの違いに愕然としました
(注:劇場版青ブタの軽いネタバレあり)
{netabare}
劇場版青ブタもこの作品同様
命の選択がテーマになってはいますが
方向性は全くの逆

自分の大好きな人に幸せになってほしい
そのためならば自分が隣にいられなくても構わない
大好きな人を幸せにするために
自分の命を投げ出そうとする人たちによる
SF版賢者の贈り物とでも言うべき物語

実はこの作品にも
キャラクターの口を介した
作者からのメッセージと思われる部分があり
それが劇場版以外も含めた作品全体のテーマにもなっています

中学生の咲太が高校生の翔子に教えられ
中学生の翔子は高校生の咲太に教えられた
つまりは出自のはっきりしない言葉

『ありがとう』
『がんばったね』
『大好き』を大切にして生きていく
いつかやさしい人になりたいです

私の心に響いたのは

命を選べ。

ではなくこちらの方でした

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
{/netabare}{/netabare}
書きたいことはすべて書き終わりましたが
申し訳程度にそれ以外の要素についても確認しておくと

声優は

ユウ:山﨑賢人
ハル:新田真剣佑
コトナ / アーシャ:永野芽郁

のメイン3人の芸能人キャストと
周りのベテラン声優との噛み合わなさがまぁ酷い
この3人はうまくはないものの
それだけならば聞けないほどでもないのですが
起用されてる職業声優の面々
とくに宮野・梶の演技にかなり癖があるので
掛け合いになるとあまりにちぐはぐで
会話が頭に入ってきません
素人の演技を変えることが難しいのであれば
プロの側がバランスをとるべきなのではないでしょうかね?

そして音楽

つい先日映画海獣の子のレビューで久石譲を絶賛したばかりですが
その久石譲の劇伴が今回はあまりにもひどかった
簡単に言うと画面と演技でいまいち盛り上がっていないところに
劇伴だけがガンガン鳴り響くので
ただただ耳障りなだけなんですね
むしろ劇伴が邪魔で物語が入ってこない

これは、曲が悪いとか久石譲が悪いというよりは
作曲する側と映像を作る側とで
意思疎通がうまくいっておらず
せっかくの久石楽曲をちっとも使いこなせていない
ということなのではないかと思います

そう考えるとシナリオ的に一番怪しいあたりを
音楽の力で誤魔化してなぁなぁにしつつも
それなりにいいものが見れたような気にさせてくれた
天気の子の音楽の使い方は見事だったんだなぁと
あらためて痛感しました

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

一緒に観に行った連れに
今年ワースト候補だと告げたところ
「DQのクソ加減ははこんなもんじゃねぇ!」
と言われて戦慄してます
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
クソだとわかってるものをお金出して観に行く趣味は無いですが
両方見た方がいたらどちらがひどかったか
ちょっと意見を聞いてみたいところです

投稿 : 2024/11/02
♥ : 30

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2

【※酷評注意】脚本を捨てる!技術の重要性

レベルファイブの原作ゲームは未プレイ。

初代ゲーム『二ノ国』の外国風の現実世界である“一ノ国”とファンタジー異世界の“二ノ国”
互いに影響し合う世界を行き来すると言う世界観やコンセプトには興味があって……。
特にPS3版については、何より久石譲氏のBGMに乗って、
動かせるリアルなジブリ絵という魅力もあり、
購入プレイも検討して情報は集めてはいました。
ただ、戦闘などシステム周りがどうしても納得できずスルー……。

ゲームの続編『~Ⅱ レヴァナントキングダム』(PS4)では
二つの世界を行き来する主要素が消滅したそうで……。

この流れで、映画化?どうなんだろう?と訝しんでいたところ、
本作公開前、次のネット記事が目に入りました。


 「二ノ国」生みの親 久石譲氏の指摘でシナリオ変更したと明かす

 https://news.livedoor.com/article/detail/16930273/


要は、レベルファイブ社長で『二ノ国』コンテンツの生みの親・日野晃博氏が、
またぞろ自ら、二つの世界を行き来すると言う『二ノ国』の骨格を無視して、
宮廷ミステリー風のシナリオでアニメ映画版制作に邁進していた所、
劇伴担当の久石譲氏に「これは“二ノ国”である必要があるのか?」と問われ、
現代日本風の“一ノ国”とファンタジー世界の“二ノ国”を行き来する方向に、
シナリオを大幅修正したと言う制作裏話を語った記事。


これを拝見して私は、ゲームとはキャラも物語も違う、
昨今の異世界転生のトレンドも意識した風味の凡作かもしれないけれど、
これなら『二ノ国』の主要素である異世界トラベルくらいは
にわかに摘まみ食いできるかもしれない。久石譲さんナイス♪
と映画館に向かいましたが……。


甘かったです。そこは心躍る異世界ではなく、この夏、最大級の地雷原でした。
あまりにも酷くて、鑑賞後は、怒りや呆れを通り越して、
申し訳ありませんが、何だか笑えてきましたよ。いや~~酷い!


これは私の仮説ですが、
恐らく本作は元々書いていた宮廷ミステリー風の脚本やその影響を残したまま、
現実世界と異世界を行き来するファンタジーを重ねてしまったことで、
作品破綻という惨事を引き起こしたのだと思います。

制作途中で、大幅に方向転換したのなら、
最初に書いていた脚本は作風も含めて綺麗さっぱり捨てなきゃダメでしょう。
もしかしたら日野氏はミステリー風の脚本にも未練があって、
これも生かせば異世界トラベルモノでも役に立つ、シナリオが重厚化する。
そう期待して残したのかは分りませんが、これは絶対にやってはいけない悪手でしょう。

ミステリーと異世界トラベルファンタジーが共鳴しあうどころか、
トリックといったリアリティを突き詰めるミステリー属性と、
チマチマしたリアリティは気にせず夢を見せるファンタジー属性が、
互いの良さを打ち消し合い、鑑賞者の没入を妨げるカオスな異臭を放っています。

ミステリー風脚本も、異世界トラベル脚本も、垣間見える発想自体は悪くはなく、
各々単体ならばきっと良作以上に作品を高められるポテンシャルはあったのだと思います。
けれど新旧のアイデアをない混ぜにして良くなるなんて奇跡は滅多に起こりません。
混ぜるな危険!です。

100分の映画に収めるには大きすぎる話だった?
と言うフォロー?もあるようですが、私は決してそうは思いません。
障害物になってしまっているミステリー要素を撤去し、整地して、
相互に影響し合う二つの世界に焦点を絞って、キチンと伏線を張って行けば、
100分でも十分に良作への道は開けたのにと悔恨します。


キャスティングは俳優・タレントを配したメインキャストの話題作り感を、
脇の“ちゃんとした声優”でなだめる布陣。

ヒロイン役の永野芽郁さんの演技も
声優慣れしていない俳優キャストとしては普通レベルの下手さ加減でしたが、
伏線のつながりが劣悪な脚本、セリフで、
感情を込めた一言でシナリオ混乱の打開を求められる、
ベテラン声優級の仕事をこなすには荷が重すぎ、ますます傷口を広げていた印象。


私の場合は、この流れは本作がミステリーだった頃の名残かな?
ここでいきなりファンタジーになるのか?じゃあ細かい辻褄は一旦、忘れなければアブナイな。
といった感じで崩れゆく脚本から、適度に距離を取りながら教訓として眺めたので、
まだ致命傷を負わずに済みましたが、
制作背景も知らずに、ジブリ絵に釣られて安易に踏み込めば、大ダメージは必至。
生きて“二ノ国”から帰る保証は出来かねますので、
私には鑑賞はまったくオススメできません。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 36

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8

最後の三分間はとても有意義な時間となった

視聴理由 須田景凪さん

視聴前 正直内容期待してないんだよなぁ

視聴後 んーと、えーコレは…

この話は平行世界に接触してしまった主人公達の話
ジャンルは…そうだなぁ…平行世界かな?
まぁ端的に言ってしまいましょう。クソでしたね。はい。もう何なん?あれを私たちに見してどうしたかったの?
正直この原作者と監督のしたいことが全くわかりません。まず声優さんです。私は全くドラマや実写映画は見ませんが、別に俳優さんや女優さんを否定しているわけではありません。しかし、この作品に関して言うとすれば「なぜ選んだ」オーディションか指名かは分かりませんがオーディションであるならば採用した人の耳を疑いますね。指名なら「そういうのは自主制作でしろ」別に原作者や監督の趣味は一切否定するわけではありません。ましてや俳優さんや女優さんを叩いているわけでもありません。山崎賢人さんや新田真剣佑さんや永野芽郁さんが声優に向いていない、ということです。しかし、それを選んだ理由が全くわかりません。
声優を本職としているプロの方もたくさんいましたが、どれもキャラとあってませんでした。人気だから呼ばれた。みたな感じなのでしょうね
まぁ声優さんの問題に関してはまぁいいでしょう。良くないけど
内容です。問題は。対象年齢がわからない。稚拙な展開やわけわからない謎理論。そしてガバガバな設定。おもわずテキトーな展開・設定・理論に笑ってしまいました「アホ草」と。
そしてラストのオチにもかなりデカい落とし穴が。ラストの展開はきっと原作者が「どやっ」と言ってそうなですね。設定無視してるけど。自分の考えた設定に違反してるラストシーンでなんなのよ...

まぁとにもかくにもクソみたいな内容だったことは事実
作画はジブリっぽいなぁと思ったらジブリでした。あははは...同じ顔
さらには戦闘シーン手抜き。まぁジブリ戦闘シーンあまり書かないもんね。3.5かな。残念
主題歌は須田景凪さんの「MOIL」神曲。本当に


総評 最後の三分間(主題歌が流れるエンドロール)はとても有意義な時間となった

投稿 : 2024/11/02
♥ : 25
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