バーチャルアイドルで女子高生なおすすめアニメランキング 1

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69.7 1 バーチャルアイドルで女子高生なアニメランキング1位
竜とそばかすの姫(アニメ映画)

2021年7月10日
★★★★☆ 3.5 (221)
636人が棚に入れました
高知の自然豊かな村に住む17歳の女子高生・すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずはその死をきっかけに歌うことができなくなっていた。いつの間にか父との関係にも溝が生まれ現実の世界に心を閉ざすようになっていく。曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日偶然にも、全世界で50億人以上が集う超巨大インターネット空間の仮想世界<U>に「ベル」というキャラクターで参加することになる。もうひとりの自分。もうひとつの現実。もう、世界はひとりひとつじゃない。<U>では自然と歌うことができたすず(ベル)は自ら作った歌を披露し続けていく内にあっという間に世界中の人気者になっていく。そんな驚きも束の間突如轟音とともにベルの前に現れたのは竜の姿をした謎の存在だった―。
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

いのちの歌

日常の中に浸透した仮想空間を物語の中心に設定する点で、本作はまず
2009年のヒット作『サマーウォーズ』への顕著な回帰が認められる。
ただし今回は、リアルとヴァーチャルとの関係性が明瞭に主題化されており、
構成とテーマの双方で、「二重性」がキー・コンセプトとなっている。
細田監督いわく、「インターネットというものは現実と虚構の部分を併せ持つ
二重性があり、『美女と野獣』もまた二重性を持った作品である」。

この着想に基づいた固有の問題意識が観客に向けて提示されるわけだが、
不幸にもそれが伝わらずに、共感の回路が閉じられていた場合、
本作のストーリーはきわめてつまらないものに感じられるだろう。
臆病な少女がネットで少年と知り合い、勇気を出して彼の窮地を救う。
煎じ詰めればこれだけの話である。陳腐な美談に月並な社会批評を足し加えた
大衆迎合型の商業映画、などといった酷評もやむを得ないところだ。

しかしながら、問題共有の回路は確かに開かれているのである。
本作の秘密は、二重性の下にもう一つの二重性が潜んでいることにある。
ヒロインの日常と仮想世界が連続する、平面的・並列的な二重性とともに、
竜とベルのストーリーに託されて、すずの心の再生のプロセスが進行する
内在的・重層的なもう一つの二重性が構造として認められるのだ。
いわば、表層面と深層面にそれぞれの二重性が存在しているのである。

例えば、仮想空間〈U〉をそっくり、すずの深層心理の世界と捉えてみると、
作品全体の構造がシンプルに一本化されて見通せるようになる。
作品への共感の回路が開かれる場所はまさにそこなのであって、
すずの物語が私たちの時代の問題と重なり合う、本作の核心部なのである。
匿名性の限界を突破する行動と、自らのトラウマを乗り越える勇気。
重層するストーリーから透視的に浮かび上がる一点に照準を合わせて見ていきたい。


Ⅰ 竜とベルの物語
{netabare}
リアルでは不可能な願望を実現できる "もう一つの現実"― 仮想空間〈U〉。
母の死以来、歌えなくなっていたすずはそこで、ふたたび歌えるようになる。
ついに歌姫の座にまで上り詰めた彼女は、竜と出会い、彼のあとを追い始める。
その動機について、作中では十分な説明がなされていないようだ。
なぜベルは、危険を冒してまで竜に接近し、彼と関わろうとするのか?

竜の正体をめぐって無数の人々が声を上げる、― 竜は何者? 彼は誰?
匿名性の空間が内包する地熱のような好奇心は際限なく広がってゆくが、
単に欲望を満たすためだけに情報が求められ、真実はただ消費されて終わる
バーチャル空間の空虚で危うい本質が、この人々の竜探しに露呈している。
その中にあってベルは異質な、孤独な存在である。

薄雪草さんが本作に書かれたレビューから、一節をここに引用させて頂く。

 本作は、すずの心情を捉えることが重要です。
 特に、次のふたつの言葉の動機や背景の掘り下げが、かなり大事です。

「あなたは、誰?」
「あなたに、逢いたい。」

 どうぞ、すずに寄り添うベルのように、思いを深く巡らせてみてください。

あなたは、誰? あなたに、逢いたい。―
ベルの発する問いは、興味本位の詮索とは全く異なる、切実なものだ。
その言葉には、一個の人格と関わろうとする真剣な意志がこめられている。
彼女の心の真実に少しでも近づくために、補助線を引いてみる感覚で自分は
〈U〉の世界をすずの深層心理と捉える解釈を踏まえて、こんな推論をしてみたい。
竜を探し求めるプロセスは、彼女の深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。

「〈U〉のボディシェアリング技術は
 その人の隠された能力を無理やり引っ張り出す。」

つまり〈U〉にはその人のポテンシャル、いわば内部現実が投影されている。
さらに、抑圧された状況が能力を強化した結果が、ベルの歌であり、竜の強さだった。
ならばもし、その抑圧がさらにもう一つの能力をすずから引きだしたのだとすれば?
歌姫ベルを賞賛する何億もの人々の前で自らをアンベイルし、素顔を曝すシーン。
この自殺行為にも等しい行動を促したものは一体何だったのだろうか?
それこそが、すずの本質に秘められた能力の発現だったのではないか?

薄雪草さんが以前、使っておられて強く印象に残った言葉がある。
「当事者性」。― この言葉で、自分はすずのその能力を言い表せると考える。
恣意的な解釈にならぬよう注意しながら、このキーワードに即して
すずの行動の軌跡をたどり、彼女の内面への接近を試みたい。

まずそれは、他者の痛みへの共感として具体的に現れる。
幾度も拒絶されながら、ベルは竜に近づこうとする。
「來るな!」「見るな!」―竜がベルに言い放つ拒絶の言葉に注意が必要だ。
竜の正体である恵、彼を傷つけたものは父親の暴力だけではなかった。
世間の大人たちの無理解と見せかけの善意。そして何よりも、好奇の視線。
― あんたも人の秘密を覗き見して笑いたい人?

一方で、すずには彼の拒絶の意味を理解することができるのだ。
すず自身がかつて、母の行為をめぐって匿名の人々が無責任に投げつける
心ない非難によって、深く傷つけられた経験を持っているからだ。
だからベルは竜に語りかける、― 本当に傷ついてるのは、ここ、ね?
つまり、ベルが決断したアンベイルの本当の目的とは
痛みをともに分かち合う決意を相手に対して示すことだったのではないか?

彼の傷ついた心に近づくためには、自分もまた致命傷を負う覚悟で
今度は「当事者」として、不特定多数の人々の前に自分を曝さなくてはならない。
・・・「素顔をかくしたままで何が伝わるってゆうの?」
忍のこの言葉には本作のテーマの一つが要約されている。
匿名の安全地帯で傍観したまま、好き放題を言うことは卑怯であるばかりか、
そこには他者の現実に関わるアクションは一切、生まれることはないのだ。

あなたに、逢いたい。―このただ一つの願いを伝えるためには
絶対にベルではなく、素顔のままのすずが歌わなくてはならなかった。
そして彼女は叫ぶ、「光を放て! わたしにその光を放て!」
突き付けられた「おまえ、誰だ?」という問いに対して応えるため、
本当の関わりを求めている「当事者」であることを証しするために―。

  逢いたい もう一度 胸の奥 ふるえてる
  ここにいるよ 届いて はなればなれの 君へ

アンベイル、それは現実が仮想現実を内部から食い破る瞬間である。
そこに生じたすずの "変容" には、やはり二重の意味合いが認められる。
単に表層の "現実" が表れたのみならず、内部に隠れた "真実" が顕在化したのだ。
それは、理想化された自分から元のみすぼらしい自分に戻ることではなく、
虚像に縋る自分の弱さを、真実の自分へと乗り越えていく決定的な変化を意味している。
すなわち、彼女の本質である当事者性が顕現した瞬間なのである。


・・・本稿の推論の出発点はこういう仮定だった、
ベルが竜を探し求めるプロセスは、すずの深層に潜む願望の顕れなのではないか、と。
そして彼女は求めていた真実の自分に出会う。それが「ベルと竜の物語」の帰結である。
だがおそらく、そのさらなる深部にはもう一つの、さらに痛切な願いがあった。

歌い終えたすずは、地平線から昇りはじめる三日月を凝視している。
その横顔に驚きの表情があらわれ、次第に大きなものになってゆく。
不意にすずは、自分がいま当事者として行動していることをはっきり意識したのだ。
そして、自分がいま立っているこの場所が、あの日母が立っていた同じ場所であることを。
理解できずに苦しみぬいた母の心を知る、決定的な"気づき"の瞬間である。

それこそがすずの心の奥に秘められていた、最大の願いだったのではないか。
自分を探し求める「ベルと竜の物語」の水面下で、彼女は無自覚に母を探していた。
本作の真の二重性は、アンベイルの場面に集約的に予示されているが、
その全容は、急転回の先にあるもう一つのクライマックスによって開示される。
すずの再生のストーリー、「すずと母の物語」がそこで完結するのである。
{/netabare}


Ⅱ すずと母の物語
{netabare}
仮想世界〈U〉で展開される「竜とベルの物語」は、
すずの当事者性の発現をとおして母の心に到達するプロセスとして、
深層部分で進行する「すずと母の物語」に最終的に統合される。
それは、母の死によるトラウマを克服し、世界とのつながりを回復する
ヒロインすずの"再生"の物語であり、そこに本作の核心がある。


すずのトラウマは、歌おうとして嘔吐してしまう痛ましいシーンに集約されている。
母との幸せな思い出につながる「歌」は、喪失の苦痛を再帰させるために拒絶される。
だが、拒絶されているものは本当に歌だけなのだろうか?
あるいはそこには、母に対するすずの心情もまた内包されているのではないか?
母を求めながら同時に、受け容れることを拒んでいるアンビバレンツな心理が
彼女の心の奥底にわだかまっているように思われるのだ。

すずの内面を丁寧に説き明かされた、薄雪草さんの一節を引用させて頂く。

「すずの心的世界は、10年以上にわたって、
 ひとつの思いに憑りつかれ、縛られ、閉ざされています。
「お母さんは、なぜ赤の他人の女の子を選んだのか。
 どうして私は独りぼっちなのか。」
 お父さん、幼馴染の忍くんやヒロちゃん。誰にも明かせない深い胸の疼きです。
 すずにとって「独り」とはそういう意味なのです。」

母に「独り」にされたすず。決して答えの見つからない「なぜ?」の呪縛。
ここでふたたび補助線を引いて、孤立するすずの心にさらに接近を試みたい。
おそらく、すずを苛んでいたはずの、もう一つの「なぜ?」があるはずだ。
その心の中にはこんな想いが潜んでいたのではないか―

― お母さんは死んでしまった。もういない。それなのに、
なぜ今も、その女の子だけが生きているのか。・・・なぜ?

すずの孤立の根底にはいわば"いのち"への不信感があったのではないだろうか。
母が救った赤の他人のいのちと、代わりに失われた母のいのちと。
この二つの命の重さがすずにとって、果たして同等であり得るだろうか?
いのちの重さはすべて等しいとする建前論は、当事者にとっては不条理でしかない。
これは、"いのち"の価値をめぐる根源的なアポリアである。
同時に、こうした感情を自分が抱くことに優しいすずは罪悪感を覚えずにいないはずだ。
この心理が無自覚に、彼女を世界から遠ざけていたのではないだろうか?

母の行動は常識的な理解の及ばない、"いのち"の絶対的な地平にある。
その場所に立たない限り、母の行動をすずは永遠に理解できない。
だが、それは現実には不可能であり、彼女の心もまた受け容れることを拒んでいる。
「なぜ?」という問いは深淵のように、母とすずとを隔てつづけるだろう。
現実でも、さらには内面においても、すずは二重に母を喪失しているのである。


この絶望的な断絶を乗り越えて、すずが再び母に出会うためのプロセス。
それが〈U〉のストーリーの本質だと言ってよいだろう。
したがって、アンベイルの意味をこの文脈でもう一度、捉える必要がある。

地平線上に昇りはじめる三日月を凝視したまま、立ち尽くしているすず。
その瞬間、彼女にはいったい何が見えていたのだろうか?
おそらくその時、すずは"いのち"の意味を感得したのではないだろうか?
濁流に飛び込んでいったあの時の母と同じ衝動がいま、自分を突き動かしている。
自分自身が当事者となって、危機に瀕した"いのち"と向き合っているこの瞬間、
すずはあの日、母が立っていた絶対的な"いのち"の領域へと踏み入ったのだ。

「何度も自問し、何度も反駁しただろう先に、ひとつの気づきを得るのが、
 視線の先に輝いている三日月なのです。」

自分本位の感情に囚われていたすずが、母の心を経験的に理解する。
それは、母の立っていた"いのち"の地平への「転回」と言ってもよい。
そのとき、すずを苦しめてきた不条理はもはや存在しない。
いま彼女は、救われたその子が生きている現実を受け容れることができる。
なぜならそれこそが、母が命に代えて願ったことの成就に他ならないからだ。
それはそのまま、母の想いが今も現前し、生き続けていることを意味する。
そこに示された母の"いのち"の在り方をすずは受け容れ、自分の中に定着する。
そして、すずの中で再び母が生きはじめる。・・・

アンベイルとはこのような、すずの"再生"の瞬間だったといえる。
自らの行動によって母の行動を理解し、肯定し、受け容れることで
「独り」であることの果てしない苦悶から彼女はようやく解放されたのだ。

「"三日月" は、ネットの海に漂い浮かぶ "救いの舟" 。」

本当の"気づき"だけが、救いをもたらす。三日月はこの救済の象徴となる。
あるいはそれはまた、不断に再生する"いのち"の象徴なのかも知れない。


クライマックスに達した物語はその直後、予期せぬ急展開に突入する。
虐待を受けている兄弟のもとに単身で駆けつけたすずが彼らと対面し、
二人を庇って父親と対決する、もう一つのクライマックスとも言うべきシーン。
リアリティーも含め、とりわけ批判にさらされているのが、この唐突過ぎる超展開なのだが、
仮想空間と現実世界を貫く"いのち"の物語の最終的な帰結と捉えることによって、
充分な整合性と必然性が認められると自分は考える。

まず、DVの問題をストーリーに絡めた点については、
脈絡の欠如から、社会派を気取ろうと無理に取ってつけたようにも言われるが、
物語の一貫したベクトルに即してみれば、必ずしも不自然なものとは思われない。
なぜなら、「暴力」とは原理的に「いのち」の対極にある事象だからだ。
そのシェマティックな対立の構図をとおして"いのち"の輝きを示すために、
ヴァーチャル空間のベルも、現実世界のすずも、全力でそれと対決する。

さらにすずの行動が、感情に任せた衝動にしか見えない点。
確かに、彼女の動機の説明となる自然な流れが欠落しているようにも感じられる。
だがここで、〈U〉のパートにさかのぼって想起したいのは、
竜の城にベルが再び潜入するくだりで描かれている、弟が育てた「秘密のバラ」を
竜とベルが分かち合う象徴的な儀式についてだ。

この「バラ」のシンボリズムは明快である。
城の広間に飾られた、顔の部分を損傷した女性の肖像画。彼女が誰なのかは
同じ画像がケイのひび割れたスマホに保存されていることからも明らかだ。
すずが使い続けている欠けたマグカップとも呼応しながら、
彼らの傷ついた心と、"喪われた母"へのひそやかな思慕がほのめかされる。
反復されるイメージをアナロジーによって連結するこのメタファーの技法で
三人の絆を示しつつ、その中で母親としての存在がすずに託される。
それを暗示するのが、肖像画の母と同じ、胸元に飾られるバラの花であり、
最終盤のシーンを予示する、"秘密の"布石となっていると解釈できる。

つまり、たった一人で兄弟のいる場所に向かおうとする、すずの無謀な行動は
一般常識ではなく、作品に内在する非言語的なロジックに裏打ちされているのだ。
母が自分に指し示してくれた"いのち"へ向かうベクトルをひたすら辿ること、
すずの心の中にはそれ以外のどんな顧慮も介在していない。

すずの"再生"の本質はおそらくここに読み取ることができる。
身を挺して彼らを守り、そして、恐れる彼らを優しく抱擁する、
その姿には"いのち"を慈しむ「母なるもの」の原像が鮮やかに結像している。
それは、十年にもわたって抑圧されてきた、母への渇望の極みについに成就した、
母との合一、一体化による、トラウマの超克だった。

怒り狂う相手を無言で見つめるすずの顔には恐れも怒りもない。
その静謐な表情には、ただ一つの揺るぎない信念だけが認められるようだ、
一人の少女の心の極限が定着されたこのシーンに自分は圧倒され、息を呑んだ。
細田守が渾身の力を込めたこのカットを言葉で言い表す必要はないかも知れない。
だが、ここまで掘り起こしてきた文脈に即して、敢えて言いたい思いにも駆られる。
そこに具現しているもの、それはおそらく、"いのちの尊厳"といわれるもの、
そして、"いのち"の価値への無限の信頼なのではないだろうか。・・・
{/netabare}



細田守作品は一貫して、人と人との関係の在り方を問い続けている。
Ⅰ章で「当事者性」、Ⅱ章では「いのち」というモチーフを仮設的に措定し、
複層的な構造に対応するアクチュアルなテーマ性と普遍的なそれとを並置してみた。
最終的にはそれらを「関係性」という固有の枠組みの中に落とし込むことで、
本作のテーマとメッセージは完全に開示されるように思われる。

一言でいえば、それは"人格的なもの"への固有の志向性である。
喩えるなら、ベルが竜に向けた"あなた"という呼びかけの中に響いていたもの。
また、他者の"いのち"に向かう姿勢にはその契機が必然的に内在している。
愛情にもとづく関係は、生物的な自然に根差すがゆえに歪められるがちだが、
それを人格的なものに高める努力によって、関係は真実なものになる。
すずの再生には一面、こうした心の成長が重ねられていると見ることもできる。

Ⅰ章を5月に投稿してから、今回の投稿までに実に3ヶ月を要した。
それにも拘らず、作品内部の脈絡を掘り返す迂遠な作業にのみ終始して
やっとテーマの入口に辿り着いたところで切り上げるのは、何とも間抜けな話だが、
本作を語るべき最適任者が他におられるがゆえの、これは戦略的撤退なのである。
その方は拙稿への引用を快諾して下さった上に、作品の真の理解にまで導いて下さった。
末筆となってしまったが、衷心よりの感謝をここに記すことをお許し願いたい。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 22
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

内容はあまり評価できないが、すず=ベルだけは歌を含め最高。

 24年6月再レビュー。なぜか毎年見てしまう作品の1つになりそうです。

 まずこの作品の嫌いなところです。演出がディズニーすぎます。「美女と野獣」はもちろんですが、作画も雰囲気もエフェクトも全部ディズニーなので、オリジナリティというか表現者としてのアート感覚に疑問は持ちます。

 それと、ジャスティンが余計です。自己顕示欲とか権力とかいろんな象徴かもしれませんがテーマにとってはノイズでした。竜は強いものの象徴ですから、引きこもりと重なりません。醜いもの?なんでしょうね?

 竜との出会いが唐突で、なぜ引き寄せられたかが不明です。これは天使(クリオネ)が一番初めの理解者だったことと関係があるかもしれませんけど。このジャスティンと竜の関係性が、のちに出てくる引きこもり設定や父親とうまく合わさってこないので、ノイズになったと思います。あるいは父親が権威主義ということなのかなあ?

 登場人物が多すぎて整理がついていないと思います。いたずらにキャラを増やしたのは、案件として声優の数を増やしたかったんだろうな、という気がします。
 しのぶとの恋愛云々が余計とか、ほかにいろいろありますが、大きくは、ディズニー、竜とジャスティン、引きこもりと竜のアンマッチ、しのぶ、キャラ多すぎなどが不満点でした。要するに余計な要素を入れすぎて全体にごちゃごちゃしてしまいました。

 一方で、なぜ毎年見たくなるかといえば、やはり歌のシーンです。ユーチューブで結構な頻度で歌だけ聞きますが、映画のシーンとしてみる感動を味わいたくなります。

 そして、なんといってもヒロインすず、ベルですね。この子のキャラは本当に良かった。コンプレックスと母親の件が、すずのキャラに深みを与えています。それゆえに、自分の素顔を公開するシーンが非常に胸を打ちます。母親の人を助けた意味を理解し、行動に移したのが素晴らしかったと思います。
 
 つまり、すず=ベルを見る、歌を聴くだけでも、この作品は再視聴する価値があると思っています。それ故にもったいない感も大きいですけどね。

 批判もあるラストのすずの単身の行動です。私は初見ではそれほど不自然でもなかったですが、2回目以降はやはり不自然に感じています。それは今回再視聴してもかわらないのですが、ただ、母親の行動と重ね合わせる必要があったので「無茶」をさせる必要があったんだろうな、と思います。

 ということで、やっぱりストーリーとしてはあまり評価できないし、作画はいいですけど演出のディズニー臭、キャラの案件臭さに金の匂いを感じてしまい、映画自体は好きだとは言えません。といいますか、時を超えて残る作品だと思えません。ずっと古い「サマーウォーズ」の方が鮮烈です。

 キャラはすずの評価で3.5→5にしたうえで、他のキャラの不自然さをマイナスして4.5にします。ストーリーはやっぱり3ではなく2.5ですね。作画を5からディズニー臭の分を引いて4.5にします。

 音楽映像としてなら、アニメ映画の中でNO1グループの1つでしょう。

 




23年7月レビューです。

 一番初め本作は若干盛り込みすぎという情報だけはありましたが、ほぼ前情報なしで見ました。
 通しは、多分3回目…いや4回目くらいです。ただ、音楽はユーチューブでかなりの回数聞いてます。

 1回目のレビューは映画見ながらその場で感想を打ち込んだんですけど、あまりに長くて文書も見苦しいのでカットしました。追記も多いので要約しています。で、今回23年7月にまとめました。悪口はかなりマイルドにしました。前回見た印象よりは良かった気がしたので。

 本作はまあ「ポンポさん」理論を実践していれば、というポテンシャルは感じました。
 最高に面白くするために90分に抑えろ。「必要な部分」を残すために倒れるまで編集しろ…そのまま言いたいですね。
 それとこれもポンポさんであったと思いますが、キャラの作り込みですね。その人の人生を全部考えるくらいキャラ造形を作りこめと言いたいです。ヒロイン以外が甘すぎます。
 美少女は…まあ、出してほしい気もしますが、本作はどうかなあ?そばかす姫を劣等感の表れとして…あの子…美少女の方が、最後のカタルシスにはなったのかも。


で、レビューです。

 1回目は結構面白く感じました。というのは、ヒロインすずのキャラ造形がとても良くて、母を失った音楽を愛する独りぼっちの少女という描写が出来ていたと思います。キャラデザがちゃんと普通っぽいそばかす少女なのも非常に良かったです。
 今回再視聴したら設定は、リアル「ぼっち・ざ・ろっく」という気がしなくもないです。

 冬の川辺で泣いてしまうシーンとか心情が良かったです。可哀想でしたけど。

{netabare}  もちろん歌とその映像は最高でした。幼馴染との関係もいいし、るかの恋愛話は最高でした、と結構中盤まではいいんですけど…

 やっぱり「美女と野獣」オマージュからは「ん?」となりましたし、モブたちが急にご都合主義の様に活躍しだすのは「え?ストーリ-になってる?」だし、結末も「何それ?」感はありました。
 が、すずは頑張ったということで、視聴後感はそんなに悪くなかったです。


 ただ、2回目見たとき、やっぱり恋愛っぽい幼馴染の話と、ケイの話が錯綜して、時間ばかり長い映画になってしまいました。幼馴染は「お母さんみたい」なら出番はそんなになくても良かったんじゃね?と思います。
 それとすずが音楽、歌に惹かれてゆくプロセスの描かれかたが不十分だったかなあ。

 むしろ、なぜ竜がコンサート会場に飛び込んできたのか?に歌ならケイに何かが届くという展開があってよかったのでは?竜を守る子たちがいるのかもよくわからないし。つまり、一番肝心の心を惹かれて行くシーンがほぼ無いも同然でした。孤独同士だから…というより竜が孤独だから一方的にすずが惹かれた?
 竜の強さは闇墜ちだから?孤独のダークエネルギーかな?あの独自警察の意味もちょっと…スポンサーがいっぱいいるから運営よりも強いってことかな?よくわかりませんでした。

 アイデンティティを隠す問題と、カミングアウト=勇気というのはいいと思うんですけど、竜とすずの心のつながりに説得力がないので、最後の救出にカタルシスがありませんでした。
 で、物理的に助けに行くのもいいんですけど、まあ、無理がありますよね。話的には。

 重要なことですが、おそらくここで母の死が生きてくるんでしょう。これも初回はよく考えたなあと感心した部分です。「知らない子を命がけで助ける」という部分です。母の様子を見ているとそういう孤独に苦しんだ性格じゃない風にも見えますけど。
 要するにそれを描きたいなら、そういう話にしてほしいです。すずの覚悟に重なってこない気がしました。
 母親のキャラの背景があいまい過ぎるでしょう。父は何のためにいるの?それを語らせる(かならずしも説明しなくていいけど背中で語って欲しい)必要があるでしょ?と思います。


{/netabare}


 要するにヒロインのキャラ造形は非常に良かったです。そばかす姫というキャラ設定にマッチしていました。まあ、これは上でもいいましたが、コンプレックスなら普通は美少女ですよね。なにかに配慮しちゃったのかなあ?

 しかし、竜に説得力がなかったです。そう、ほぼすべてと言っていいでしょう。
 それと、実社会における協力とか犯人捜しみたいなあの辺はもっと省略していいかなあ。

 Uを一番初めにもってきたのはどうかなあ、盛り上がりがないなあ…と思ったり、演出というかキャラの演技がディズニーそのままだし、全体的に構成・演出等々にまあ嫌いな言葉なんですけど「意識高い系」を感じました。

 そして、幼馴染は全く機能してなかったです。細田作品全体に言えますけど、代理店の要望か知りませんが俳優の声優を増やすための案件臭キャラが多すぎです。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 22
ネタバレ

oneandonly さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

仮想世界がひとつの現実になるとき

世界観:5
ストーリー:5
リアリティ:4
キャラクター:5
情感:7
合計:26

<あらすじ>
青春、家族の絆、親子愛、種族を超えた友情、命の連鎖…。
様々な作品テーマで日本のみならず世界中の観客を魅了し続けるアニメーション映画監督・細田守。
最新作『竜とそばかすの姫』では、かつて『サマーウォーズ』で描いたインターネット世界を舞台に、『時をかける少女』以来となる10代の女子高校生をヒロインに迎えた。
そこで紡ぎ出すのは、母親の死により心に大きな傷を抱えた主人公が、もうひとつの現実と呼ばれる50億人が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>で大切な存在を見つけ、悩み葛藤しながらも懸命に未来へ歩いていこうとする勇気と希望の物語だ。
(公式サイトより抜粋)

年末の休みで映画を見る時間ができて、録り溜めていた金曜ロードショーの中から本作を見つけたのが視聴経緯です。

細田守監督作品では、「おおかみこどもの雨と雪」を劇場で観たと思います。泣けたシーンがあったかもしれませんが、ほとんど記憶に残っておらず。「時をかける少女」は世間の評価から乖離して低い点をつけています。
今回の作品を見ると、作者がアニメには現実のようなリアリティを求める必要がないと考えているようにも思われ、そこで折り合えない人には合わない、ということになるかと思いました。
私は合わないほうに含まれているのですが、今後のメタ世界がどうなっていくのかについて考えてみたいと思ったのでレビューを書いていることを前提にご覧下さい。

{netabare}本作視聴時にわからなかったのは、しのぶくんがなぜ、すずがベルであることを見破ったのかでしたが、調べてみるとこれは仮想世界<U>での声が現実世界と同じという理由が有力でした。
すずとベルは確かに同一人物が演じています。歌は別人を起用するのが当たり前と思っていたので、すずの声優が歌も歌っている(シンガーソングライターの中村佳穂さんなので正確には逆だが)ことは凄いのですが、匿名性が当然と思われる仮想世界で地声のままというのはありえるのか疑問に思います。
特徴的な声質を持つ人は世の中に少なくないと思われ、そういった方は利用できないでしょうし、特徴的と言えなくとも普通に身バレ回避のため敬遠され、50億人も集まるとは考え難く、マーケット調査段階で地声を採用する仮想世界は作られないでしょう。

また、この仮想世界<U>では、アバター(As)が自動生成されるシステムですが、ベルや竜のデザインと他のキャラとの違いが明確で、もう一つの現実であるアバターがいかにもなモブや非人型の場合、広く受け入れられることはないでしょう。

仮想世界で有名な歌手になりたいと思う人も50億人もいれば相当な数いることが想定され、歌唱力があっても皆から知られるほどの存在になることは困難だと思います。そういう道が現実世界のように確立されていくでしょう。

これまでもインターネットにより、いわゆるネトゲ廃人を生み出し、近年はスマホゲームの普及により、ゲームに貴重な時間を搾取されるということは依存症として問題化しつつありますが、仮想世界もまずはこの延長戦上に登場すると思われます。

私はVRゲームを未経験であるものの、視覚が別の空間に入り込むことは既にできているようなものなので、他の感覚も取り込むことができれば、簡単な仮想世界はほとんど既に現実となっています。

そこにどれだけの価値を与え、人の時間を割けるものになるかはクリエイター次第ですが、その人の満足によるので、モブとしか存在できないような仮想世界は廃れるでしょう。

人がある程度以上の承認欲求や自己実現を求め、仮想世界で満たされるとすれば、50億人も参加するところでの成功は現実味がないと思われます。

なお、本作で言葉が自動で翻訳されるようなシーンがあって、これは翻訳こんにゃくが仮想世界内で実現できる可能性はあるのかもしれないと思いました。言葉の壁なしにビジネスを展開できるとしたら、これをチャンスと考える企業もいるでしょう。

もちろん市民権を得て、情報収集や教育などを仮想世界で行うほうが良いと考えられる未来もあるかもしれません。しかしそれならそれで、本作のような学校は役目を終えていると考えます。

ネトゲのアイテム売買のように、仮想世界が現実のお金に繋がる可能性があります。本作のすずは地声ですので、すぐにでも世界的なメジャーデビューのオファーが来て不思議はありません。

仮想世界が一つの現実と受け入れられ、大多数の人間が2つ(以上の)世界を渡り歩くようになったら、どうなるのか。割合で言えば、理想的な容姿で、承認や自己実現が手に入るなら、現実世界よりも仮想世界に生きる人は増えるでしょう。そうなれば現実世界は肉体を維持できればよいので、現実世界の生命維持コントロールビジネスが幅をきかせていたりして。
それもロボット化すれば、マトリックスの世界ですね。

ということで、色々と書いてみましたが、仮想世界<U>の設定は、物語としての設定であり、わかりやすさを重視していることは理解しつつも、主人公や主要キャラ以外のモブが現実感を出せないため、世界の説得力を保てません。

他にも、下記のところは気になりました。
なぜすずの母親は増水した川にライフジャケットのみで入ったのか?(ロープとか必須では?)
なぜ竜の居場所を短時間で特定できたのか?(住所を特定できずに、偶然路地でっていうのはあまりにも非現実的)。
なぜ合唱団の人たち(大人)がいながら、すずを一人で東京に向かわせたのか?(兄弟が虐待を受けていたとはいえ、命に関わるとの状況ではない。まずは父親に連絡させるべき)。
なぜ思春期の男女が(人前で)抱き合うか?(動じないしのぶくんは年不相応に男前すぎる。竜のオリジンもだが)

こういった気になる要素がありつつも、素顔を晒して、人のために大勢の観客を前に熱唱するシーンは感動できました。歌の力、音楽の力はやはり凄いと思います。

書き忘れました。本作を調べる中で、しのぶくんがすずと付き合うか?といった問いがありましたが、しのぶくんにその気があるなら東京に付いていくし、抱きつかれた様子から少なくともこの時点で恋愛感情はないでしょう。
すずの気持ちを知りつつ、素顔で歌わせて莫大な金を儲けさせ利用しようと考えていたらそれはそれで面白いのですが、この手の作品ではないか(笑)
{/netabare}

ということで、合う合わないあるかと思いますが、雰囲気で感動できる方は満足できる作品のように思います。

(参考評価:3.3)
(視聴2022.12)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12
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