セカイ系で北海道なおすすめアニメランキング 3

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早速見ていきましょう!

72.0 1 セカイ系で北海道なアニメランキング1位
雲のむこう、約束の場所(アニメ映画)

2004年11月20日
★★★★☆ 3.7 (852)
4706人が棚に入れました
日本が津軽海峡を挟んで南北に分割占領された、別の戦後の世界が舞台。
1996年、北海道は「ユニオン」に占領され、「蝦夷」(えぞ)と名前を変えていた。ユニオンは蝦夷に天高くそびえ立つ、謎の「ユニオンの塔」と呼ばれる塔を建設し、その存在はアメリカとユニオンの間に軍事的緊張をもたらしていた。
青森に住む中学3年生の藤沢浩紀と白川拓也は、津軽海峡の向こうにそびえ立つ塔にあこがれ、「ヴェラシーラ(白い翼の意)」と名づけた真っ白な飛行機を自力で組立て、いつかそれに乗って塔まで飛ぶことを夢見ていた。また2人は同級生の沢渡佐由理に恋心を抱いており、飛行機作りに興味を持った彼女にヴェラシーラを見せ、いつの日にか自分たちの作った飛行機で、佐由理を塔まで連れて行くことを約束する。
しかし、突然佐由理は何の連絡も無いまま2人の前から姿を消してしまう。

声優・キャラクター
吉岡秀隆、萩原聖人、南里侑香、石塚運昇、井上和彦、水野理紗

ジャーファル♪ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

【ネタバレ有】「切なさと物足りなさの両方を感じる、“発展途上の”新海作品!」

 

 新海監督の代表作の一つであり、新海監督の3作目にして、“初の劇場長編作品”である。


 この作品も、「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」同様、主人公とヒロインの“心の距離”と、その
“距離感の変化の速さ”をテーマとしているため―、

 ―今作においても、“主人公・浩紀(ひろき)”、“親友の拓也(たくや)”、“ヒロイン・佐由理(さゆり)”の3人が、“物理的な距離”を置くことで、彼らの“心も”また、以前とは違った距離感へと変わっていく…そんな関係を描いており、今日の新海作品に見られる“絶妙な心の距離感”は、こうして培われてきたんだと思わされる…、そんな“成長途中の未完成さ”を感じる作品となっている―。



 では早速、レビューへと移るが、新海作品(=新海誠監督の作品)の中でも、これほど“評価が二分される”作品は珍しいだろう―。


 (まずは否定的な意見から書かせてもらうと…)

 前述したとおり、この作品は、新海誠が今に至るまでの“軌跡(の一部)”のような作品であり、成長途中であるが故に、まだまだ完成度は低い。

 作画も今の新海作品に比べれば、“風景描写の緻密さや色合い”もまだまだで、欠点が見つからない最近の新海作品とは違い、「監督自身が伝えたいことは何なのか…」を理解することの方が難しい。


 また、全く情報の無いままこの作品を観た人からすれば、(といってもほとんどの人がそうだろうが…)、何かと“理解しづらい設定”で(…複雑なのに、詳しい説明もないため)、頭に何度も疑問符が浮かんだ人も少なくないだろう。


 その中でも、最もピンとこなかったのが、“ユニオンの塔”(=あらゆることの象徴であり、その本質は軍事兵器)に関連する設定だろう―。


 例えば、作中では、ユニオンの塔と関連して“平行宇宙”という言葉が使われるが、これは現実世界でも使われる、いわゆる“パラレルワールド”のことで―、
 ―「自分たちがいるこの世界とは、別の世界が存在している―」という概念であり仮説である…、のだが、そういった知識がないと、作中での会話や内容を理解するのは難しい―。


 また、ユニオンの塔の本当の目的である「平行宇宙との位相変換により、世界を書き換えること―」のくだりでは、その活動能力を抑制しているのが“佐由理”であり、そのせいで佐由理はずっと眠ったままである…、という説明があったが―、

 ―この2つを結びつけるのは、「佐由理の祖父が塔の設計者」ということだけであり、“アバウトに世界観全体を観れる人”には十分納得できる理由かもしれないが、そうでない人には、全く意味の分からない結びつけ方であり、それが尾を引いてしまったかもしれない(…が、そこを掘り下げるのは“野暮”だと感じたりもする…)。


 他にも、作中に登場する“蝦夷(えぞ)”だが、現実世界の“北海道の古称”としての蝦夷ではなく、“現実とは別の世界の”戦後を舞台にしたこの作品内での、北海道のことを指している。

 なので、作中にも1999年などの“西暦”が表れるが、今より以前の日本と同一視してしまうと、話がよく分からなくなってしまう。
 なぜなら、学校の校舎や町の感じを見る限りでは、少し前の日本の風景なのに、“ユニオンの塔”と呼ばれる建造物や、後半の戦闘シーンでは“ステルス機”のようなものが登場しており、明らかに、現実世界の今よりも科学が発達している。

 そのため、この世界は、“現実とは全くの別物”で、かつ“西暦とは全くつながらない”科学の進んだ世界だと認識して、この作品を観ないとついていけない。



 と言ったあたりが、「よく分からなかった」という内容の、よく見かける“否定的な”意見の理由であり、
“現実味がないストーリー”や、“論理的に成り立っていない設定”に辟易(へきえき)した人もいるのだろう―。


 新海作品を崇拝し、個々の作品に対してではなく、“新海誠監督の作品が”好きだ、という人達からすれば、この作品もまた名作なのだろう―。

 自分は、新海誠さんを、宮崎駿さん、細田守さんらと同じく、“今のアニメ映画界の中心的な人物”だと考えている…、が、逆に言えば、あくまでアニメ映画という大きな枠の中の、“一(いち)監督”だとも思っている(新海監督に限らず、宮崎、細田両監督含め)。

 言いたいことは、つまり、同じ新海作品でも「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」は、アニメ映画という枠の中でも、“名作”だが、この作品は“それほど大きなウエイトを占めてはいない”のではないか…、ということである―。

 なので、「とにかく新海作品の世界観(作画含め)が好きだ」という人の、この作品の評価に対して、口をはさむつもりはないが、他のアニメ映画作品と“相対的に”比べれば、この作品はまだまだ“未完成”で、上にあげた2つの作品もしくは、他の名作アニメ映画とは、世辞にも“同格”とは言えない…。



 …と言うのが、この作品を“観終わってすぐ”の感想であった―。

 なので、ここまでの評価を見る限り、どこが評価が二分されているのか、と思うかもしれないが、次に挙げる点こそが、この作品の評価を二分する理由であり、ここまで批判的な事ばかり書いておいてあれだが、これこそがこの作品の“本質”だと確信している―。


 確かに、この作品を“観終わってすぐ”の感想は、SF的設定の内容云々(うんぬん)ではなく、主人公たちの“心情の変化”や“お互いの関係性”から、いろいろと視聴者に感じてほしいのだろうが―、
 ―やはりどうしても今の新海作品と比べると、その描き方も、“発展途上感”を感じずにはいられない、というのが本音であった。

 それでいて、それ以外の要素も、全く“答えを得ることが出来ないまま”終わる訳だから、いかに“完結の仕方”が大切か(例えば、「言の葉の庭」で言えば、最後に2人が進むべき方向へと向かっている様子が描かれている…)を感じさせられる内容になってしまっているな、と感じた。


 現実味がないストーリーや、論理的に成り立っていない設定に、否定的な意見がよく見られ、自分も最初は同じようなことを感じてはいた。

 しかし、こうしてレビューを書きながら、改めてこの作品を振り返ってみると、“視点を変えて”観てみれば、それほど気になることでもないと思わされる。

 つまりは、この作品の最も本質的な、“孤独感”の中を生きる3人の心の有り様や、それを映し出しているかのような、“緻密で美しい風景描写”、“背景色の淡さ”に注目してこの作品を観ることで、この作品の“良さ”というものが見えてくる―。


 この作品が上映されていた頃の自分なら、間違いなく、多くの人が言っている、「意味が分からない」というような感想を持っただろう―。

 しかし今の自分なら…、長い人生の中には、誰しもが必ず、“孤独感を感じる瞬間がある”ことを知っている今の自分なら、まだまだ未完成な部分は感じながらも、上で挙げたようなこの作品の“本質”を、十分に理解することが出来る―。



 また、この作品や前作の「ほしのこえ」でもそうだが、実は新海監督はこういった“SF世界もの”を描くのが好きなのだろうと思う。

 まぁしかし、皮肉にも、新海監督の“才能の開花”は、より“現実的な世界観”を描くことで現れた訳だが…(確かに、新海作品の一番の特徴であり長所である風景描写の美しさは、SF的世界を描くことよりも、現実の“どこにでもある”風景の美しさを、観ている自分たちが“再認識させられる”ところに、その魅力と意味があるように感じる…)。

 実は、新海監督の作品を“逆にたどった”自分としては、この頃の作品に見られるこのSF的要素が、新海監督の違う一面を垣間見ることができ、実に“新鮮だ”と感じて良かった。



 また、この作品は“音楽”が素晴らしい―。

 作中でも主人公たちが“バイオリン”を弾いているからか、主題歌の「きみのこえ」のイントロ部分でもバイオリンが使われ、その“重低音”が心に響く。

 それでいて、歌っている“川嶋あいさん”の声が、とても澄んだ優しい声で、それが歌詞にも重なり、すごく“儚い”気持ちにさせられ、その気持ちのまま、この作品を観終わることが出来る―。



 すでに“成熟した作品”を観てしまうと、どうしてもその監督がもともとこのレベルの作品を作れる人間なんだと“錯覚”してしまうことがあるが―、この作品を観れば、誰しも昔は、まだまだ“手探り状態”みたいな時期があったんだなと、改めて感じさせられる―。


 この作品は、今の新海作品を支える“礎”であり、“粗削りさ”を感じる中にも、今の新海作品に通ずる
“何か”が確かにある―。

 それを感じることが出来た人たちにとっては“名作”であり、自分は運よく、それを感じることが出来たのだろう―。
 なので、この作品も、また一つ心に刻まれた作品となった―。

 (終)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5

. さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

宇宙も夢を見るのだそうでございます。

本作品は語ります。宇宙も夢を見るのだそうでございます。宇宙の見る夢は様々な可能性を表した別世界。これを並行世界と呼ぶのだそうです。そしてその並行世界を人は無意識の内に夢等の形で見ているのかも知れないと・・・。とてもロマンチックなお話でございますね。


本作品は”新海誠”様の3作目の監督作品でございます。4作目が「秒速5センチメートル」になりますので、1作品前と言う事になります。「秒速5センチメートル」がどなたにでもお勧め出来る作品なのに対し、本作品は残念ながら少々人を選ぶ作品かと思われます。それ故、冒頭にて少しだけお断りをさせていただきたいと存じます。

先ずパッケージ絵の印象に反し、舞台はリアルな現代では無く、仮想世界の物語となっております。但し荒唐無稽なSF世界と言う事ではなく、日本を舞台とした別の世界と言う設定でございます。
ワタクシの物語に対する評価は☆3.5。少々厳しめでございます。これは壮大なストーリーで有るが故に、世界設定に対する説明、登場人物の感情の変化、心情の描写が少々足りていないと感じたからでございます。また全体時間も長すぎました。良い作品ではございますが、中だるみ感を感じてしまった点が大変残念でございます。これら残念な点を見事に克服し、そして”新海誠”様の本当に描きたかった主題を描いた作品が「秒速5センチメートル」では無いかとワタクシは”勝手”に思っております。

ワタクシ個人の意見で大変恐縮ではございますが、この作品における最大の問題点はOPでの回想描写かと思われます。小説に忠実であるが故の描写かと思われますが、正直この描写は小説を読んでいない方には混乱を招く要因でしかございません。よって、これが有る故にエンディングの解釈をあやふやにしてしまう可能性があると思われます。この点、本当に残念でございます。少々辛口な事を申し上げましたが、ワタクシはこの作品が大好きでございます。それ故にこの作品が酷評を受ける機会を少しでも少なくいたしたく、先にお断りをさせていただきました次第でございます。


それでは本題に参りましょう。
2004年の作品でございますが、今でも十分にトップレベルの作画クオリティーを持っております。さすがに次作品である「秒速5センチメートル」には一歩及びませんが、それでも息を呑むほどの突出した背景描写の美しさ。正に芸術の域では無いかと思うほどでございます。
「秒速5センチメートル」でも印象的でしたが、本作でも”駅の描写”、”電車の中の風景描写”、”草原と風の描写”等がとても印象深く、そして幻想的に描かれておりました。又、本作では飛行機が空を舞う描写が特に素敵でした。静寂な空間を滑るように飛ぶ浮遊感・・・。本当にお見事と言うしかございません。美しい風景描写の中で、3人の青年の追い求める夢と揺れ動く心情を背景に見事に重ね合わせ、とてもファンタジックな作品に仕上がっております。音楽も素敵でございますね。要所×2で掛かるBGMは大変作画にマッチしており、雰囲気を盛り上げてくれます。ED曲の『きみのこえ』も大変印象的な曲でございました。


冒頭で宇宙の夢についてお話させていただきましたが、本作では3人の青年達の叶えたい夢と、人が眠りの中で見る夢をかけている様でございます。
主人公の”藤沢 浩紀”様と”ヒロインの”沢渡 佐由理”はお互いが惹かれあい、そしてその思いはいつしか恋心へと変わっていきます。しかし無情にも2人は引き裂かれてしまう。”藤沢 浩紀”様が”沢渡 佐由理”様を思い、心を詰まらせていく描写。正に「秒速5センチメートル」の主人公を彷彿とさせます。

離ればなれになった2人はお互いを眠りの中で夢見続けます。現実世界では逢う事が叶わない2人。でもお互いが探し合い、激しく求め合うことでいつしか2人の夢はシンクロしていくのです・・・。
2人が交わしたあの日の約束。叶えることの出来なかった夢。
主人公は決意をします。一度は破れた夢だけど、一度は果たすことが出来なかった約束だけど。夢を現実にしようと。あの日の約束を叶えようと・・・。


「雲の向こうのあの場所にいこう。あの日交わした約束を果たしにいこう」 物語は大きく動き出します。
どうぞ2人の夢を、2人の恋を・・・応援してあげて下さい。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 20
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

その先に約束は存在しているのか

視聴前 どういう

視聴後 おお

この話は北海道がユニゾンに侵略された話
ジャンルは恋愛・飛行機・中学生
新海誠作品の中で一番好きな作品です。私は当時この作品を見ていなかったのですが、秒速5センチメートルを機に見ました。
本作は物語というよりテーマを重視した作品なのかな、という印象です。序盤も中盤も終盤も基本は遅い展開です。内容もあまり濃くなく、「儚い淡い物語」と表現すればよいのですが、お世辞にも正直そうは言えません。が、現時点(2020・6)では満足できる新海誠の作品がないのでテーマがちゃんとしてる本作は一番という感じです。若干消去法感が否めませんが、とりあえず「本作が一番良かった」ということにしときましょう。
さてここまでテーマが良いと言ってきましたが、そのテーマについて述べていきたいと思います。
本作でおそらく一番出てくる単語「夢」とそれの「忘却」です。{netabare}本作のヒロインであるサユリは夢の中に閉じ込められていきます。しかし閉じ込められてもなお体には意志があります。それは今まで過ごしてきた現実の中で交わした約束にすがっているからです。その約束さえなければサユリはとっくに夢の中にすんでいたでしょう。その約束しか無いサユリはその中で出てくる主人公に頼るしかなく、そのまま異様なまでに依存してしまうわけで。そして徐々に夢の中でリンクしていきます。つまり自分も前から好きだった女の子と夢では会えなくなるのです。まぁ本人も「なんか大切なことを忘れている気がする」と夢の内容を忘れてしまっているんですがね。しかし物語が庵 進むに連れサユリを「夢」から救い出す方法がわかります。本人は得体のしれない感覚を持ちながら飛行機を完成させ、飛ばし目的地に飛ばすのですが、ものすごい喪失感を伴うわけです。
さてここで本題です。夢ときくと「寝たときに見るもの」という意味にも捉えることができますが、「私の夢」とも表現されるように「希望」や「願望」という意味も備わっています。本作は前者の方の夢にとらわれていましたが、同時に約束という希望もみていたわけです。夢から覚めるというのは希望を捨てるということになります。若干言葉遊び感がありますが、本作ではその言葉遊びを丁寧に描いたといって差し支えないでしょう。
そして見た夢というのは覚めても絶対覚えているということはありません。絶対に何かしらを忘れます。忘れては行けないこと、忘れたくないことも忘れてしまいます。本作は「「忘れる」という感覚に対し共感をもとめているやべー作品」という意見がありましたが、実際にそうだと思います。忘却という感覚自体忘却されてしまうのですから、頑張ってその感覚に共感しようとしても結局は忘れてしまうのです。無理がありますよねw
さて本当に本題です。主人公はなにかの違和感を感じ取りながらも、その約束を頼りに彼女の夢を壊し、両者にとてつもない喪失感をあたえたように、{/netabare}私達の行動には、自分と他人のリスクが伴うということを自覚しなくてはならなく、そして失うことに恐れてはいけない、ということです。まぁわかりきったおとではありますが、再認識できたかなって。
私の文章能力の低さが目立つ文章になってしまいましたねw

原作・脚本・監督・絵コンテ・演出・撮影・CGワーク・編集・色彩設計・音響監督は新海誠さん。うへぇ。過労死しそう。
キャラデザ・総作監は田澤潮さん。
劇伴は天門さん。
アニメ制作はコミックス・ウェーブさん。

作画はさながら表現や演出も本当に素晴らしかったです
主題歌は新海誠さん作詞、天門作編曲、川嶋あいさん歌唱の「きみのこえ」

総合評価 新海誠作品の中では

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

68.0 2 セカイ系で北海道なアニメランキング2位
ほしのこえThe voice of a distant star(OVA)

2002年2月2日
★★★★☆ 3.4 (588)
2977人が棚に入れました
『ほしのこえ -The voices of a distant star-』 は、新海誠 監督 が制作し2002年に公開されたアニメーション映画。
2039年、人類の調査隊は火星のタルシス台地で異文明の遺跡を発見したが、突然現れた異生命体によって全滅させられてしまう。その異生命体はタルシアンと名づけられ、その脅威に対抗すべく国連宇宙軍が組織された。
2046年、中学三年生の長峰美加子は、国連宇宙軍のロボットのパイロットの選抜メンバーとなり、翌年にはタルシアンの追跡調査のため編成されたリシテア艦隊の一員として、同艦隊旗艦〔リシテア〕に乗艦、地球を発つ。ほのかな恋心を抱く友人寺尾昇を残して。調査艦隊がタルシアンの痕跡を追って、地球から離れてゆくにつれ、ミカコとノボルの距離も光年単位で離れ、二人の携帯電話メールのやりとりにかかる時間も次第に長くなってしまう。
ついにはミカコは地球から8.7光年の距離に位置する惑星アガルタに降り立つ。そこでミカコは、地球に届くのに8年もかかるメールを ノボルに送信する。
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

総論大賛成、各論反対

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。25分ほどのショートストーリーです。
 非常に良い作品でした。特に時間と距離と心の関係を表現した部分は素晴らしかったです。エンディングに至るシーンも、情緒があり、リズミカルで素敵でした。風景の描写もきれいでしたね。新海作品の原点みたいなものは確かに感じることが出来ました。
 テーマの描き方を含め、全体的には素晴らしいのですが、細部の描写はオリジナリティに欠けていて、それが作品を毀損しているようにも思えました。総論部分と各論部分に分けてレビューします。

<総論編>

メール:
 メールは、テーマを担った一番大事な象徴物です。{netabare}
 手紙というのは、送り手と受け手の時間的な乖離が内包されているわけです。送り手の「届いたかなぁ」という心情が伴います。手紙が届かないというのは、物理的にも心情的にも届かないことを意味するので、送り手と受け手において「永遠の乖離」が存在しているわけです。
 メールというのは、「届いたかなぁ」という心情も確かにありますが、原則的には届かないことは想定されていないわけです。「届いているはずだ」という心理が手紙よりも強く働いてしまいます。メールが届かないというのは、実際には遅れているだけです。時間的な遅れはあっても「永遠の乖離」ではないわけです。しかし、時間の遅れが拡大化していくと、手紙と同様に物理的にも心情的にも「永遠の乖離」に近づくのだ、と表現されているわけです。
 つまり、「~=0」の物語ではなく、「~≒0」の物語を描いている。でも決してゼロではないので、確かに存在はしている。つまり「ここにいる」わけです。この辺のロジカルさには驚嘆しました。

 この作品は、「世界」の定義から始まっています。そして、つながりの強固な世界から、つながりの薄い世界へとストーリーが進んでいきます。つまり、メールがすぐに届く世界から、メールの遅延が拡大化した世界への展開です。つながりのない世界(手紙が消失してしまった世界)の説明が省かれているのですが、これは省略されているだけです。構造として確実に存在しているものを、あえて隠すことで、作品が抱える厚みを視聴者にゆだねていました。{/netabare}

雨:
 メールを基礎としたメインテーマを、背景の側から支えていたのが雨です。ここでは、雨の表現が意味するところを考えてみます。{netabare}
 最初の雨は、二人でバス停にいるところでした。雨が降っている最中は、高校生活について話していて、雨が上がった後で宇宙に行くことを告げるという展開です。
 次の雨は、ノボル側のエピソードです。女の子との傘のシーンの前から雨が降っていて、雨はバス停でのメールの受信まで続きます。「8年7か月」というミカコのメッセージとともに雨が上がり、晴れた後は「引き裂かれる恋人みたい」と展開していきました。
 最後の雨は、ミカコ側のエピソードです。雨の最中に「ノボル君に会いたい」と言い、「好き」というメールを送った瞬間に雨は上がります。雨が上がった後の最初のセリフは「届いて」でした。実際には願い空しく「好き」の部分は届きませんでした。

 これらの表現からは、雨降りが理想(希望)で雨上がりが現実(乖離)という表現のようです。一般的な作品では、雨は障害や不吉のイメージが強いですから、逆転させているようです。ミカコは、最後の雨のシーンで「雨にあたりたい」と言っていますから、雨自体は肯定的なもので間違いありません。
 また、雨の前後の表現だけでなく、雨が上がるタイミングにもかなり気を使っているのが感じられました。テーマを盛り上げる機能は十二分に発揮していたと思います。雨の使い方によって、作品の切なさを際立たせていました。{/netabare}

過去とロボットの足跡(雨の続き):{netabare}
 雨のシーンで疑問を抱いたのは、最後の雨の中で描かれる「ロボットの足跡が雨によって埋まる」シーンです。このシーンは非常に混乱してしまいました。
 当初私は、この文脈を、「ロボットの足跡」が「雨」によって埋まると解釈しました。足跡というのは過去を象徴するものです。また、この作品における過去は中学時代を言いますから、「正」のものだと捉えました。雨も前述の通り、「正」の表現ですから、「ロボットの足跡」を「雨」によって埋めるというのは、「正」に「正」を被せた演出であり、違和感を抱いてしまったのです。
 この文脈を、「ロボット」の「足跡」が「雨」によって埋まると解釈することも出来ます。ロボット自体は「負」のイメージを持っています。ミカコが選抜されたことが、自薦か他薦(徴兵)かは語られていませんが、作品の雰囲気から察するに、他薦のほうが近いように思えます。もちろんノボルとの乖離の原因でもありますから、「ロボット」が「負」であることは間違いないでしょう。「足跡」が単なる「過去」であるとすると、「ロボット」の「足跡」が「雨」によって埋まるというのは、「負」の「過去」を「正」によって消したい、と読み替えられます。これは論理性を持ちますから、おそらくこちらが正解です。

 私が前者のような誤った解釈をしてしまった原因は明白です。そもそも後者の解釈は、他の作品のように、過去自体に正負を持たせていない場合でのみ成立するものです。この作品で描かれる過去は、美化された中学時代が中心ですから、過去の表現を見ると、自動的に「正」を想像してしまうわけです。それゆえに、前者の解釈に至るということです。
 ここを正しく解釈するためには、この作品の特性を理解していなければなりませんでした。この作品は、メールの項で書いたように、「構造として確実に存在しているものをあえて隠している」のです。つまり、作中では過去が美化されていますが、過去が美しいものだけであるはずがない、という前提を抱えているのだと思われます。過去の象徴物である「足跡」は、「正」なのではなく、単なる過去でいいのです。これによって、後者の解釈が正解になるのです。 
 私は、理解するまでに時間が掛かってしまいましたが、一度理解するとこれ以外にないと言い切れるような素晴らしい演出だと思います。ロボットは終始出てきますが、タイミングとしてもあのシーン以外に考えられませんでした。

 話は変わりますが、全方位モニターというのでしょうか、座席のみになるやつです。あれは孤独を表現するいい手段になっていました。ロボット全景からロボット内部、座席のみという段階的な表現も良かったと思います。{/netabare}


<各論編>
 ここからは、否定的な見解を含みますので、読みたくない方は<総括>まで飛ばしてください。

街並み・小物:{netabare}
 なぜ現代(2002年)と同じなのか全く理解できませんでした。殊更に未来的な表現を使うべきだとは思いませんが、テーマの一つに「年月を経ても変わらぬ思いがある」というのはあったはずです。これは言い換えると、「物は変わってしまったが、思いは変わらない」ということではないのでしょうか。
 作中における8年の経過は、物への描写に表れていませんでした。街並みや携帯・バス停などの小物は、ほぼ一貫して現代(2002年)と同じものが描かれています。なぜ、思いと同じ「変わらない」側の表現だったのでしょうか。「変わらない思い」との対比が成立していません。
 思いの普遍性は、作品の中だけでなく、私たちにとっても同じです。私たちの存在も作品の対比構造の中に入れるべきだったと思います。つまり、2002年と2040数年とその8年後、それぞれ「物は変わってしまったが、思いは変わらない」と言えたはずです。変化を描いていないせいでミカコの言う「20世紀のエアメール」の効果が減退しています。

 確かに、作中のミカコとノボルの関係は、非日常と日常の対比であるのは、間違いないことです。しかし、ノボルの日常を2002年に固定するのは拙速です。非日常と日常の対比に、テーマである時間の経過を織り込むと、ミカコが「不変の非日常」であることに対して、ノボルは「変化の中にある日常」になるはずです。ノボルの周囲を変化させないことが、テーマを殺しているように思えました。
 私たちが近未来のSF物を見るときには、現代との違いを機微に捉えることが出来ています。この作品では、そこを捨て置いてしまっていました。トレースやコピーをしたのではない、新海監督の中にある時間の経過・未来の世界を描いて欲しかったと思いました。{/netabare}

ミカコの制服:{netabare}
 こちらもテーマに沿った演出になってないように思えました。別にパイロットスーツを着ろというわけではありません。8年という時間が経過して社会人になるノボルとの対比をする上でも、ミカコに制服を着せておくというのは必要な表現だと思います。
 ただ、中学時代の制服そのままというのはあり得ません。中学時代の制服は、思い出を想起させる重要なアイテムになるべきものです。中学時代の制服とそれ以外の制服で対比構造を作っておくべきだったのではないでしょうか。回想中だけとか、メールを送るシーンだけとか、過去に絡めたシーンでのみ、中学時代の制服を着用すべきだったはずです。もちろんガラッと服装を変える必要はなく、シーンによってネクタイの色だけ中学時代に戻す、という程度で十分だと思います。
 2040数年の制服が、現代と同じ制服であったことも含めて、やや工夫を放棄していたように見えてしまいました。{/netabare}


<総括>
 メールやロボットの足跡の項で述べたように、あえて省略している表現というのがありました。その部分の読み取りを視聴者にゆだねることで、作品の持つ背景に厚みが加えられていたと思います。誤読を誘発する可能性も孕んでいますが、効果は非常に高かったと思います。25分というショートストーリーだからこそ、大幅に省略した表現が成功したのでしょう。
 一方で、各論で述べた項目は、ここでいう省略には該当しません。描写をあきらめてしまったような印象に映りました。または、ただ書きたかったから書いただけというような印象です。オリジナリティも欠如していました。作品のテーマの描き方に成功している分だけ、この部分のミスマッチが気になってしまいました。個人製作ということですので、時間的な制約があったのかもしれませんが。
 SFの部分であるロボットや戦艦もオリジナリティには欠けていました。ただ、この作品はSFをモチーフにしているだけで、SF作品ではないと思うので、そこまで気にはしていませんでした。もちろんオリジナリティがあるに越したことはないのですけどね。

 この作品自体は、際立った良作です。
 むしろ、この作品の後の新海監督の作品に関して、やや不満を持っています。未視聴の方のために詳細は述べませんが、この作品における描写から逸脱できていないのではないでしょうか。別れや乖離を示す電車の表現は秒速でも使われていましたし、トレースとフレアレンズを多用する風景描写にも変化をあまり感じません。原点と言えば聞こえはいいですが、これ以降の作品で新しいものを生み出していないようにも思えてしまいました。
 ただ、私の個人的な愚痴はともかくとして、この作品における主題部分の完成度は、新海作品に限定せずとも高いものだと思います。他の新海作品よりは、まずこの作品を視聴することをお勧めします。

対象年齢:
 思春期世代でしょう。大人も大丈夫だと思います。あまり細部にこだわりすぎず、メインテーマにどっぷり浸かった方が楽しめると思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

最高のSFそしてラブストーリー。「大人になる痛み」という言葉の味わい。

24年8月多分10回目…いや20回目以上の再視聴です。

 私にとってSFの名作中の名作です。そしてラブストーリーとしても最高です。毎年夏になると見たくなる作品です。過去2回ほどレビューしたので詳しくは書きません。

 2人の感情は距離と時間が離れてしまったからこそ、深く強くなったということでしょう。その思いをメールで送った瞬間にタルシアンが少女の形で接触するのもまた意味が深いです。「大人になる痛み」という言葉が人類の成長という意味と、本当の意味で愛情を知るには相手と会えない時間が必要だという意味の2つに取れます。

 以前にも書きましたが、圧倒的科学力のタルシアンとの闘いでリシテア号のみ助かったかを考えると、ちょっとロマンチックですがミカコが想いを伝えるメールを送ったからでは?と思います。つまりミカコの所属艦だから、助かった。ミカコのように痛みが分かる人間がいるなら、人類は大人になってタルシア人のあとに続けると思ったのだろうということです。

 人類が成長するためには、タルシアンと戦争し科学力を身につけなければいけなかったんだと思います。

 そういう解釈はまあ何十回も妄想しているのでいいんですけど、やっぱり素晴らしいのが一緒にいた時間の貴重さです。恋愛は理由ではないです。そのかけがえのない時間が唯一無二だからこそ、その時間を共有した相手が大事なのでしょう。そして日常だった地球のいつもの風景です。「夜中のコンビニの安心する感じ」とういセリフが毎回グッっときてしまいます。

 この作品年齢を重ねるごとに、感動の深さが増して行く気がします。




以下、23年7月のレビューです。

 本作内の季節は夏だけではありませんが、イメージ的に夏の風景こそが2人が過ごした時間じゃないか、と思いますので、やっぱり夏に見たくなります。23年7月に再視聴しましたので、まとめを追記します。


 本作でリシテア号だけが生き残った意味を考えるとSF的考察をしなくてもミカコが生き残ってノボルと再会することが分かると思います。
 なぜかといえば、タルシアンは人類に銀河ネットワークを残したかった。そのために戦争を仕掛けシリウスまで導きました。全滅させては意味がないので、最終的な場面は見せないですが新聞記事等でリシテア号は助かるというのは読み取れます。

 ミカコはとりあえず助かった。リシテア号もいる。リシテア号は意図的にタルシアンが助けた。
 故にミカコも助かるというのもわかります。ノボルが新型の艦で出かける以上、2人は会えるというのは読み取れる結論です。

 で、ここから先はすみません。妄想ですが、タルシアンはミカコが気持ちをケータイでノボルに伝えているのを知っていた(だから、タルシアンはそのイメージを再現できた)。なのでミカコは距離を越えて気持ちを伝えられる人物だからこそ、タルシアンはミカコの機体は破壊せずに未来を託したくなった、と読み取れる気がします。そもそも未来のミカコは指輪してましたしね。

 つまり、ご都合主義でミカコが選ばれて助かったわけではなく、ケータイでメッセージを送っていたからだ、ということになるのでは?と思います。ここで、銀河を越えたコミュニケーションという2つの主題、異星人との交流と、ミカコとノボルという個人の恋愛が重なってきます。逆に言えば、人類もミカコも助かるということを暗に言っています。

そして、恋愛の部分ですが、2人は会えないけどお互いのことを考えている時間が8年…以上あったわけで。その想いが募るからこそ、2人は他に変わりようがない存在になります。現時点でミカコにとってはまだ時間は経ってませんが、これからミカコは会えない日々に苦しむはずです。
 安易に付き合うことがゴールではなく、この時間と空間の隔たりがあるのが大切なのでしょう。この代替が不可能な状況もまた、本作の最大の特徴でしょう。


 だから、本作はSFとしても、恋愛としても深さを感じる作品だなと思います。

 アニメの中のポエムというのは、野暮というか恥ずかしいというか、そういう作品は多いです。が、地球とノボルと過ごした日々を思うミカコを表現した
本作の詩は本当に素晴らしかった。

 えてして、最高傑作の種というのは、デビュー作にあるものです。稚拙なところもあるでしょうが、表現したいという熱意が伝わってくる作品です。新海誠氏の作品は最近の3作も素晴らしいし完成度は本作とは違いますが、SFと恋愛という2つの側面だけ切り取ると、本作が一番感動します。

 そして、短いからこそ言葉足らずになって、想像を働かせられる優れた効果がでています。これが後の3部作につながる「言葉足らず=想像が必要」というのが新海誠らしさではないか、と思います。




以下 以前のレビューです。上と同じようなことを言ってますが、少し詳細に書いています。


 距離と時間で離れているからこそ深まる気持ちの描写が素晴らしい。

 SF短編の最高傑作ですよね。映像も素人が、ということを抜きにして、非常に感情を揺さぶられる素晴らしいできでした。

 短編なだけに、省略が多くてそれがSF的な深みを出すと同時に、こちらが想像で補う分で深く深く感情移入できます。また、思春期の思い出が一緒にすごした放課後の天気の記憶とかコンビニとか踏切とか…もう最後だけでいつも胸が苦しくなります。

 SFアニメ作品のナンバーワン候補は沢山ありますが、本作はいつも迷います。恋愛ものとしてのクオリティと詩情ですね。これが良すぎて、SFとしての評価ではない気がしたからです。
 いや、言い方が違いますね。距離と時間についてはSFと恋愛の融合としてそこはいいんですけど、タルシアンとミカコのコミュニケーションにちょっとご都合主義を感じていたからです。

 ただ、ケータイについて考えると「あれ、結びつくかも?」と思いました。なぜミカコにタルシアンがコンタクトしようとしたか、ですね。

 初めはトレーサーの乗組員全員に対してと思っていました。が…これミカコが携帯でノボルとコミュニケーションをとっていたから?ミカコも攻撃を受けていたし全力で戦っていたのでなんとも言えませんが…しかし、冥王星で戦っているときにミカコへ攻撃せずに覗き込んでましたね。包み込んで調べようとしたんでしょうか。携帯に興味をもったのか、誰かに気持ちを伝えようというミカコに何かを感じたんでしょうか。

 つまり、ミカコの誰かに想いを伝えたいというタルシアンに伝わったということかなあ、と。だから、ミカコならつながりたいという思い=タルシアンの想い、ネットワークを残す意味合いを理解できる、と。それでリシテア号だけ生き残ったんでしょうか。
 考え過ぎかなあ。ただ、そう解釈するとよりSF,恋愛の両方が深まる気がしました。

 離れているからこそ相手を想う。だから、気持ちが深まる。ノボルは恋愛の機会もあったみたいですが、ミカコが忘れられなかったのもよくわかります。秒速5センチメートルと同じです。
 同じですが「5センチ」と違い本作は新聞記事やタルシアンの言葉が見せた映像や言葉から考察してノボルがミカコに追いつくだろうという考察できます。そこがいいですね。
 ただ、今回再視聴して思ったのが、考察しなくてもそもそもノボルが艦隊勤務を志願して旅立つ描写があるってことは、ハッピーエンドに決まっているじゃんと思います。

 物語は8年前のミカコと現在のノボルのシーンで終わったので、8歳差な気がしますが、メールが届いたときにはミカコ側でも8年歳をとっています。そこにノボルが迎えに行くとなると、ワームホール(巨視的量子トンネル効果って書いてありました)を使えば一瞬です。つまりお互い25、6歳くらいで再会できるということでしょう。

 「ここにいるよ」というメッセージが初めは別離なのかと初め思いましたが、自分が「今後どうなろうとノボルも共有した時間も好きだった自分が確かにここにいた」ということでしょう。

 すずめの戸締りの余韻で再視聴。で、なんか以前見たときよりももっともっと深い作品の気がしました。新海誠監督の中で「すずめ」「君の名は」と本作、どれがナンバー1か迷いますねえ。

 評価上げました。決して安易に5点満点にしたいから、ということではなく女性の声優さんのモノローグに気持ちが乗っかって素晴らしかったし、音楽にも気持ちが揺さぶられました。作画は背景美術の評価です。


 以前のレビューは、ウラシマ効果とワームホールなどの考察でしたが、本作の大切な部分ではないので削除しました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

その愛は、時間も距離も、飛び越える……

新海誠作品第1弾『ほしのこえ』

25分のアニメを作るうえで必要な要素である監督・脚本・演出・作画・美術・編集を全て1人で行ったと言う伝説的作品です(オリジナル版なら声優も)

今から14年前に作られたこのアニメ作品はSF要素を組み入れた物でこそありながらも、その本質は人間が持つ「想い」に焦点を当てていました。

誰かが誰かを想う気持ち

心の距離と、身体の距離の対比関係

離れていても、メールが届いた事によって感じる喜び

離れているからこそ、メールが届かない事に感じる寂しさ

次第に遠くなる一方でも、変わらない、いや、次第に近くなっている物も確かにあって、それは普遍に色濃く輝いている…

決して古臭く感じさせない……
現代の私達にでさえ、語りかけて来る物があると自然に感じられた作品でした。
いえ、寧ろ、今の電子機器が跋扈する時代だからこそ感じる物が今作にはあるのかもしれません。
今だったらメールではなく、LINEに取って変えられるんですかね…
既読が付くかつかないかで悩む描写がきっと出ますよ、多分(笑)


しかし、『ほしのこえ』で描かれた落ち着かない感覚、「不安」「じれったさ」と言う感情
これらを「誰しも心の中に持っている!!」と断言する事は私には出来ません。
しかし、少しでも他者と関わった事があるならば、こういった挙措の失いは多くの人が抱いた事のある「想い」です。
一般的に考えれば、殆どの方が持っている代物
彼らのように壮大では無いにしろ、私達の周りにそういった存在は確かにあって、生きている物語のように着実に、知らない所で紡がれていました。

それは、今は昔のボトルメール
海に流して返事を待ち、他者との交流を図ろうとする宛ても無き媒体
無事に陸地に着くか分からない、着いても誰が拾うか分からない、拾っても連絡してくれるか分からない……
「分からない」と言う「不安」ばかりで埋め尽くされた感覚には、しかし、どこか「期待」と言う感情が見え隠れしています。

それは、離れ離れになった人との文通
久しぶりに送る過去への手紙
書きたい事は沢山あるのに何を書けばいいか分からなくなるあの感じ
それはその瞬間だけに訪れる、たった1つの宝物です。

それは、ミカコとノボルのような人達
何かを媒体として育まれる交流は、何らかの関係を無くさないが為の応急処置
互いに違う環境、違う関係、違う人生で進めば、違ってくる未来の路
しかし、どこか必死さをも感じさせる交流には、道のりが違っても維持していこうとするいじらしさを感じて堪らなくなります…

このような物語は知っていても知らなくとも確かにこの世界にあったのです。
同じように、作中で進んでいくストーリーも「ウラシマ効果による弊害」と言ってしまえばそれまででしょう。
しかし、今作の伝えたい事は何もSF的要素、切ない雰囲気だけではありません。
「誰かを想うなら、心は、時間も距離も飛び越えて、その胸の温もりさえも、運んでくれる」
人間の想いが開花する過程を私達に見せつける事で生まれる物
それはノボルが心を硬く、冷たく、強くしたあの時から唯一持ち続けた感情を武器にして生まれた代物
読めないメールを理解した彼が必死に体現しようとした結果が最後には描かれていたのです。

「さよならだけが人生だ」というフレーズを聞いた事があるでしょうか?
人生、出会いと別れの繰り返し…だから、くよくよせずに新しい一歩を、次の出会いを探そうじゃないか!!
中国で生まれた1つの詩をとある文豪が訳した時に生まれた言葉です。
過去は過去と振り切って前に進むのは、想像する余地を脳から排除し、考えないようにすると言う点において確かに楽でしょう(フラッシュバックしない限り)
作中でもノボルは1度、他の人と付き合う事でそれを実行しようとしましたからね…
彼もまた、ミカコのいない事に耐えられなくなってしまった悲しき被害者
しかし、ノボルは結局、被害者のままでいる事を止めました。
元の鞘に収まる事、つまり、ミカコを待ち続ける事、いえ、彼女を追いかける事を選んだ…
心を硬く、冷たく、強くした1人ぼっちの大人になる決意を内に秘めて…
そんな彼らのように遠く宇宙の彼方まで離れても、時間が2人を分かつとも「さよなら」したくない関係と言うのは確かにある。
割り切って前に進む事の出来ない繋がりと言う物が現代でも確かに生き続けている。
願わくば、そんなこってこての「理想」が現実のどこかで存在していてほしい…
視聴後にこんな風な戯言を自然と想像してしまう程、心に沁みた良作でした……

さあ、あなたの周りに私の想う「理想」は果たしてあるのでしょうか?
ノボルとミカコのような「確かな関係」を育んでいる人は果たしているのでしょうか?
自分の辿ってきた人生と合わせて、振り返りたい方は是非ご視聴をお勧めします……

「ここにいるよ。」

PS.
視聴後は漫画家の佐原ミズ氏によるコミカライズ版『ほしのこえ』を読んでおくことをお勧めします。
これを読んで真の意味で『ほしのこえ』は完結です…

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11

73.7 3 セカイ系で北海道なアニメランキング3位
最終兵器彼女(TVアニメ動画)

2002年夏アニメ
★★★★☆ 3.5 (761)
4692人が棚に入れました
北海道の田舎町で暮らすシュウジとちせ。
ちせは以前から興味を持っていたシュウジに度胸試しとして告白、そのぎこちない交際は交換日記から始まった。
そんなある日、謎の敵に札幌市が空襲される。攻撃から逃げるシュウジが見た物、それは腕を巨大な武器に変え、背から鋼鉄の羽根を生やした兵器と化して敵と戦うちせの姿であった。
国籍不明の軍隊との戦争が激化していくにつれちせは兵器としての性能が向上していくが、故障をきっかけに肉体も精神も人間とは程遠いものとなってしまった。
二人のクラスメイトのアツシは、以前から想いを寄せていたアケミを守る為に自衛隊に入隊。戦場へ赴いていた。
TVアニメオリジナルエピソードで、ちせの親友四人組の一人のゆかりは自警団の白人兵狩りに参加。銃を持ってタケの仇を討つ為、山狩りへ向かう。
そんな中、アケミは大地震に巻き込まれて大怪我をし、シュウジの目の前で死んでしまう。歪んでいく日常。シュウジは再度姿を見せたちせを連れて町を出るが…。

声優・キャラクター
石母田史朗、折笠富美子、三木眞一郎、伊藤美紀
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

愛について語るときに僕たちの語るべきこと

本作が公開されたのは2002年の7月だから、もう20年前の作品なんですね。
それでもいまなお『鬱アニメ』の代表格として語られる、
ある意味、大名作な『サイカノ』こと『最終兵器彼女』であります。

ちなみに僕はこの作品の本質が『鬱アニメ』だと思ってないのですが、
作品の捉え方は人それぞれ。
人さまの感想に文句言うつもりは毛頭ありません。


原作は『いいひと』などでおなじみ、高橋しんさん。
この方なんと、山梨学院大で箱根駅伝の最終区を走った人なんだとか。
もちろん『ただの頑張り屋さん』程度でハコネ出場はムリです。
  極限まで自分を追い込む。
  自分の弱さから目を逸らさず、その先にある自分に挑み続ける。
  結果を出すためのプロセスを徹底的に考え、貫きとおす。
そういうことが『あたりまえ』にできる方なんでしょうね、たぶん。
だからこそ、この作品が描けたのでは、と僕は思っています。


ちなみに、お話自体は至ってシンプルで、
アタマ痛くなるような細かい設定はありません。
どちらかと言うと、なさすぎ。

彼氏(シュウジ)の知らない間に、
軍(自衛隊)によって『最終兵器』に改造されていた彼女(ちせ)。
二人は北海道で平和な高校生活を過ごしていたのですが、
ある日突然に『最終戦争的な何か』が起こり、
ちせは高校生でありながらも有事の都度、戦場に駆り出されていきます。

  刻々と悪化していく戦況。
  次々と死んでいく友人・仲間。
  彷徨い、すれ違い、間違っていく二人。
  壊れていくちせの心。
  束の間の平穏、残酷な選択、終わる世界。

最後まで『なにと、なぜ』戦っているのかは開示されません。
おおよそ『種明かし要素』がほとんどないまま、物語は終焉を迎えます。
その間、シュウジとちせを中心に、
戦禍に巻き込まれた罪なき人々の心模様と死にざまが、
物悲しくもリアルなタッチで描かれていきます。

ただし、戦闘シ-ンの『リアルさ』はいまいちです。

爆撃機が「セスナかよ」と言いたくなる高度で飛んでいたり、
大規模侵略なのに歩兵が防衛線も敷かずわちゃわちゃ市街戦していたり、
正直「なんですか、これ?」的なアレが目白押しです。

そういうところに引っかかる方々にとっては、
なんのリアリティもないちゃちなだぼら、に見えてしまうかも知れません。

ですが、本作のキモは、そういうところにはありません。
少なくとも僕のごときノンポリ小市民には、
登場人物それぞれの生きざまが圧倒的リアリティをもって迫ってきます。

  生きることの意味、死ぬことの意味。
  殺すことの意味、殺されることの意味。
  愛することの意味、愛されることの意味。

そんなことを喉元にナイフの切っ先を突きつけながら問うように物語は進行していきます。
やがてそのナイフは地面に叩きつけられ、
   あとは自分で考えろ、
と、すべての解答を留保したまま真っ白な幕が降ろされて、
いたずらな心象風景に過ぎない大団円に至ります。

その問いに真摯に向き合えなかった方にとっては、
本作はやっばり『何の救いもない鬱アニメ』ではなかろうかと思います。

もちろん高橋しんさんはそんな作品を描いたつもりはないのだろうけれど、
伝わらないものは伝わりません。
世の中の『思い』と呼ばれるものの多くがそうであるように。

そうではない人たち、この作品にきちんと向き合おうと決めた人たちは、
見たくもない自分と向き合い、
思い出したくもない自分を思い出し、
あえてうやむやにしてきた自分を現実的な言葉に置き換えることによって、
  「しんさん、きついっスよ」と、
自嘲的な笑みを浮かべながら言うことになると思います。

  もちろんその「きつさ」は鬱的なきつさではなく、
  人生という長距離区間を『前を向いて』走り続けるにあたって、
  避けては通れない上り坂みたいなものなのですが。


僕的な作品のおすすめ度は、けっこう限定的なAランクです。

限定的な、というのはかなり古い作品であることが最大の要因です。
映像、演出、芝居、音楽、脚本、
全てにおいて現在のアニメと比べると古くさく、
アスペクト比がワイドになっているのが唯一の救い、みたいな感じです。

根底に流れているのは普遍的な人間哲学みたいなものなんですが、
そこにたどり着く前、
二、三話ぐらいで表層的な古さにやられちゃう方、けっこういるかもです。

もちろん、萌え的なナニを期待している方にはおすすめできません。
かなりストレートな性描写もありますが、
あれで萌えられる人、感性が尖りすぎではあるまいかと。
あと、現実から逃避したくてアニメを見まくっている方にとっては、
まるっきり鬼門ではなかろうかと愚考いたします。

そうじゃない、そんなんじゃない、
オレは愛だの死だの戦争だので高橋しんと正面からぶつかりたいんだ、
そういう方は、夕日をバックに高橋さんとがっちり握手ができそうです。


映像は、いいカットはもちろんすごくいいのだけれど、
やっぱいかんせん古いかなあ、と。
人物作画も安定しておらず「えっと……誰?」的カットが少なくありません。
ただし、戦争の悲惨さを伝える、目を背けたくなるようなカットには、
アニメータ-の魂、宿っています。


キャラクターは、デザイン的にアクが強いので好みがわかれるかと。
僕はというと、キツネ目男子、好きくありません。
女子のビジュアルも、萌えるには難易度けっこう高めかも。

あと、ほとんどの登場人物が胸くそ悪い『間違い』を犯すので、
戦時という特殊状況下にあることを意識し続けないと、
いろんなところでいろんなことを見誤ってしまいそうです。
{netabare}
  『愛』と『自己愛』の狭間で間違え続けるシュウジ。
  『罪悪感・自己否定』の中で自分を肯定しようとし壊れていくちせ。
  『愛』と『性愛』の境界線からあえて目を逸らすふゆみ先輩。
  『自己犠牲』の奥に、ありもしない自己救済を求めるアケミ、アツシ。
  『投影・代替』によって恐怖や寂しさを紛らわそうとするテツ。
{/netabare}
彼らを否定・糾弾することはすごく簡単ですし、
あるいは人によってそのことに愉悦を感じるかもしれませんが、
僕にはちょっとできそうにありません。
彼らが『鏡に映った自分自身』ではないと言える根拠みたいなものが、
どこをどう探しても、一つも出てこないんです。


お芝居は……う~ん……微妙、かなあ。
折笠さんの演じるちせはかなり凄味があると思うんですが、
シュウジ役の石母田史朗さんのお芝居が変にふわふわして接地感がなく、
素朴さの奥に『あざとさ』みたいなものを感じてしまいます。

三木眞一郎さんや伊藤美紀さんは「さすが」なんですが、
アケミ役の杉本ゆうさんも、実力のわりにピリッとしない感じですし。

北海道弁が演りにくかったのかも知れませんが、
『銀の匙』とか『僕だけがいない街』では誰もおかしくなかったし、
う~ん……演った本人に聞いてみないと、なんとも言えないです。


音楽は、OP・EDともに『まあまあ』としか言いようがなく。
両方ともきれいで聞きやすい曲なんですが、
作品の世界観をきっちり表現できているかというと、けっこう微妙。
挿入歌の『夢見るために』は、個人的に好きなんですが。
著名ア-ティストが歌ってたら大ヒットしてたかも的な名曲であります。


とにもかくにも、精神的消費カロリーの大きな作品です。
あまりココロに余裕のない時や、
どうせあたしなんて的な気分のときには視聴を控えた方が無難かと。

そうは言っても最初の数話は比較的軽めの展開になっております。
二、三話ぐらいまでを流し見て、
  はあ? ぜんぜんたいしたことないじゃん。
  フリ-クスってひょっとしてヤキ回ってんの? ばっかみたい。
みたく感じる方も少なくないと思います。

精神の奥底にアレなものを抱えておられる方は、
そのへんで引き返すのも一つの見識ではなかろうかと。

その先、真っ白でなにもないエンディングにまでたどり着いたとき、
  「ああ、きつかったけれど観てよかった」と思えるか、
  「間違った。失敗した。あたしは失敗した」と思ってしまうか。
その答えはあなたの内側にしか存在しておりません。

大丈夫、たとえ間違ったところで、
失うものはちょっとした時間とちょっとした精神エネルギーだけです。
濃い目のココアでも淹れて時間をかけて飲み、
気分転換に『リコリコ』とか『異世界おじさん』とかを見たりして、
ゆっくりとこっち側に帰ってきてください。


ほんとうに、僕たちはいろいろなことを間違えます。

  愛を語るときに『主語』や『目的語』を間違え、
  自分を大切にしましょう、という言葉の『意味』をはき違え、
  ありもしない『代償』を探して彷徨い、
  まるっきり違うものを宝物のように思い込んで後生大事に抱えこみ、
  放してはならないはずの手を放し
  涙する資格すらないことに、涙してしまいます。

そういう意味で僕は、

  本作のシュウジは僕たちであり、
  ちせもまた、僕たちであり、
  テツも、ふゆみも、アケミも、アツシも、ゆかりも、
  ちせに撃墜された名もなきパイロットですらも、
  鏡の向こう側にいる僕たち自身の姿ではなかろうかと思うわけです。


そうやって間違え続けながら走り切ったとき、
そこに何が待っているのか。
そんなことは誰にもわかりません。

なにも待っていないことの方が、ひょっとしたら多いのかも知れません。

ただ、道端にへたり込んで滴る汗をタオルで拭いながら、
空になったペットボトルを傍らにおき、
顔をあげて眩しそうな目で真っ青な空を見上げ、

  まあ、いろいろ間違えたけど、がんばったよな僕。

そんなふうに独りごとを言って、
誰に見せるでもなくにっかりと笑えたなら、
つらい思いをしながら走った甲斐はあるんじゃないかと思うのですが。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 18
ネタバレ

シン☆ジ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

名作だよ。。自分のパートナーを大事にしなきゃと思える、なまら切ない戦時下のラブストーリー(原作購読後の感想追加)

マンガ原作。略称はサイカノ。
2002年:GONZO制作でテレビアニメ化。
2003年:ゲーム化。
2005年:OVA化。
2006年:実写映画化。

~初見にて~
視聴の「☆はじめて記念☆」は2020年5月。
いつしか目にしたタイトル。結構有名な方じゃないかな。
でもロボット的な物語と思い込み手を伸ばしませんでした。。
こんな切ないラブストーリーだったとは。
(あまりジャンルで毛嫌いしない方がいいかもw)

■キャラについて。
原作に寄せているんだな、とは思ったものの、
最初、ヒロインのデザインはいかがなものかと思った。
でも、作画が安定したのか、自分が慣れたのか、観る内にどんどん可愛く見えてきた。
自分のツボである、応援したくなる美少女には合致。
というか、ちせの場合は応援したくなると言うよりも、かまってあげたくなるタイプ。これは応援したくなるよりも刺さったw

声は、心もとない感じや、たどたどしさが、とてもキャラにしっくりきて、まるでアニメキャラではなく、実際に存在する等身大の17歳の女子高生に思えて感情移入できた。
方言を使った演出も演技も良かった。
他のキャラがどうだろうと、ちせだけの出来で満点w

■設定やストーリーについて
シチュエーション、演出がけっこう刺さったw

~{netabare}
高校生活で初めてできたかわいい彼女。
(あ、自分の中では「センパイ」は彼女とは認識してないのでw
 まぁそうだとしても中学の話だし)
しかも、ドジっ娘で守ってあげたくなるタイプ。
「ごめんね」などのイントネーションも自分の地元に近いもので、キュンとくる。
その彼女が、自分で制御しきれない大量殺りく兵器だったなんて。。
自分ならどうするだろう。。
きっと、彼女を抱きしめ、励まし、「世界のみんなが敵になっても俺だけはおまえの味方だ」とか・・・
いや、高校生じゃ言えなかったかなw
そんな風に感情移入ができ、それが大きかったかな。作品の世界に浸ることができました。

自分としては特にシュウジが、ヒロインの相手役にありがちな、じれったさが少なかったのも良かった。そこで彼女を抱きしてあげようよ、とか、いっそ二人で逃げようよ、とか、結構思い通りの行動をとってくれたかと。
まぁセンパイとの絡みは、ちせとテツのそれに比べれば軽い方かと。

途中、二人が離れ、「クズの本懐」的な展開もあって、正直、感受性の強い時期にこれを観ていたら、自分も闇落ちしていたかも、と思うところもありました。
その辺がキツいと思う人もいるみたいですね。
でも結果的には、そのエピソードがあったからこそ、後半の二人の同棲や再会が、超盛り上がったので、大事なエピソードだったと思います。

救いのない物語とも思いません。
AIRとかに比べたら二人でいられるんだから救われすぎw
サイカノは結局世界は救い得なかったんだから、ちせが消えたり、ちせだけ残る物語よりは、受け入れられるかと。世界が救われる結末も、この作品ではちょっと違うと想うし。
(そういえば3話あたりでの「僕たちは手を話さなかった」とのセリフ、AIRに絡めたものではと思ったのは自分だけでしょうか。。)

でも終末後の世界でシュウジが生き続けるのか、死ぬとしたらちせはその後どうなるのかはちょっと気になる。。でもそれを想像する事も楽しめれば良いかと(^_^;
そういえばマンガで後日譚があったそうですが観てみたいですね。

ちなみにちせの声優、折笠富美子さん、「灰羽連盟」ではヒカリ(メガネっ娘)でしたw

さらにちなみに、唐突な設定を自分はどう捉えたか。。
・なんで、ちせなの?
→OVAで触れてて一応納得しました。
ここではネタバレになるのでそちらで(^_^;

・どんな兵器技術?
→昨今気にしてたら楽しめないので、気にしませんw
どっかで見つかったオーバーテクノロジーかなんかかとw
{/netabare}~

展開としては今や定番かも知れないけど、音楽や言葉の一つひとつが、ズンズン胸に響いて響いて。。
観終わって「君の名は。」の時と同じようなことを思った。。
自分のパートナーとの時間を大事にしなきゃ。

ちょっと重い部分もあるけどオススメしたい。
二話まで観ればどんな感じかわかるかと。

~原作購読後~
したっけ、ちょっとロス感があったしょや。
ブックオフオンラインを覗いたら、みっけたべさ。
「大人買い」ボタンをポチっとしてみたわけさ。
愛蔵版と外伝集をw

アニメは漫画と比べると、性描写がおとなし目だけど、ストーリーはほぼほぼ原作どおり。
やっぱ、ちさの声が聴けるのはかなりのアドバンテージだけど、漫画はデフォルメのちせが、めちゃカワイイw

(以下、アニメと漫画のネタバレ含みます)
~{netabare}
ちせ達が駆け落ちしてもHしなかった理由が何となくですが分かりました。それは、ちせが兵器に侵食され過ぎて、感じなくなっていたから。
これまで腑に落ちなかった点がスッキリしました。
ラスト近くで成し遂げる経緯は、やはりアニメで表現するのは色んな意味で難しかったんでしょうね。

別冊の外伝集にアフターストーリーがあったものの、求めていた内容ではありませんでした。
なので、自分としてはアナザーストーリーとして処理することにしましたw
{/netabare}~

原作を読んで良かったと思う反面、結局のところロス感が深まったのは気付かなかった事にしよう。。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 21
ネタバレ

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

ある意味「恐怖アニメ」でしょう。

2024.2.3(土)、なんで見ちまったかなぁ・・・。


原作は一部観ていた程度、内容はそこはかとなく認知していたレベル。
巷では「鬱アニメ」、「泣きアニメ」、いや「純愛アニメだ」などなど意見も分かれる作品ということも承知していました。

正直、原作者さまの他のマンガも別に好きとか得意とか言う訳でもなく、特に今作は心がザワザワしそうな気配をプンプン感じ、また自身としてもそれを強く自覚していたので見ないでいたはずなのですが・・・。


ついつい、観てしまいました。


ご存じのように、2024年1月1日、石川県能登地方を震央とする「令和6年能登半島地震」が発生いたしました。
さまざまな被害を受けられた皆様にお見舞いを申し上げ、再び日常を取り戻せるよう祈念いたします。

私の住まいする地域でも、経験したことのない揺れを体験し、軽微なものではありましたが家にも被害が出ました。また、日常生活をおくっているエリア、職場でも多くの被害があり、復旧作業で正月気分が吹っ飛ばされた思いでした。
能登地方の核心エリアほどでは無いですが、ニュースネタになる様な被害も散見されていました。

そして、能登地方。
さすがに、能登半島の先の方へは数回しか訪問したことは無いのですが、被災状況を報道等で拝見し、衝撃を受けたものです。
良く遊びに行っている能登島周辺あたりも、かなりの被害の様です。
もちろん、現地に足を踏み入られる状況ではないので、実際の状況は解らないのですが、なじみ深い風景がどうなっているのか、そこに住まいする皆様がご苦労なさっている事に思いをいたすと、本当に心が苦しくなります。



もしかすると、こういった状況にも影響を受けて、作品に引き寄せられてしまったのかもしれません。

なんでもかんでも、レビューのネタにするのはよろしくはないと思うのですが、何故だか、そのように思ってしまいました。

さて、なに呑気にレビュー書いているんだ、とお叱りをいただくかもしれませんが、短く、書くだけは書いておきます。


今作は、レビュータイトルに書いたとおり、ある意味「恐怖アニメ」だと私は感じました。

もちろん、主人公のシュウジ、ちせを初めとして何人かの恋愛エピソードも描かれています。そして、それは実に人間らしく、思いか交差し入り乱れます。
極限状況の中での恋愛模様ももちろん大きなテーマの一つではあると思うのですが、私が感じたのは日常が徐々に浸食されていく恐怖です。

これは、今現在の私の心持ちも影響しているのだとは思うのですが、どうしようもない≒避けようがない≒「仕方ない」状況って本当に突然起こって、容赦ないという事実を突きつけていたと思います。

この当たり前の、本来、忘れたい≒忘れたふりをしていたい≒「考えたくない」を許さない不快感と恐怖は恐ろしいと思いました。

大切な人を失いたくない、大好きな人とずっといたい、ずっと平和に日常を過ごしていたい ⇒ 事実として無理だけど、それを突きつける人って嫌われますよね。
それを、この作品は容赦なくやっています。

作品中で何度も発せられる、

「仕方がない」
「ごめんなさい」

どうしようもない時に出てくるセリフです。
このセリフを発して、なお戦い、もがき続ける人間の強さを描く作品も多く、本作も何とか抗ってはいるのですが、諸行無常感が常に漂っています。
その作品の中で、何を描き、何を伝え、受け手はどう感じるのか。
なかなかに試される作品です。

こういう作品も、あってもいいでしょう。
唯一無二のメッセージと雰囲気をもっている作品だと思います。
でも見るのキッツいですよねぇ。
{netabare} (キャラ絵が苦手、得意じゃない、可愛くないwという個人の感想のせいもありますw){/netabare}
ここでそれを言うか。



最後に、報道映像ではありますが、いわゆるアニメ化された作品に登場する石川県内の舞台も酷い状況になっているのを見ました。
本当に、心が痛みます。
もちろん、作品舞台だけではなく、被災した皆様全ての復興、日常への回帰を今一度お祈りいたします。

皆さま、どうぞ、余裕がありましたら、復興、被災者のフォローアクションにお力添えをお願いいたします。


・・・私のエリアでは震度5強を体験いたしました。
ほんとうに、ほんとうにシャレにならん揺れでした。
自宅で、PCの前にいたのですが、モニタが飛びます、家がつぶれると思いました、一応、ダメなら仕方ないくらいの覚悟もしました。

どう気をつけてよいかもわからないかと思いますが、お気をつけて、備えることがあれば、備えておいてください。
私の日常は今のところ、かろうじて踏みとどまってくれましたが、一瞬でぶっ壊れる危機を感じました。

投稿 : 2024/11/02
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