スタジオジブリで環境問題なおすすめアニメランキング 2

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番のスタジオジブリで環境問題なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

90.7 1 スタジオジブリで環境問題なアニメランキング1位
風の谷のナウシカ(アニメ映画)

1984年3月11日
★★★★★ 4.2 (1970)
12642人が棚に入れました
極限まで発達した人類文明が「火の七日間」と呼ばれる最終戦争を引き起こし、瘴気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる菌類の森や獰猛な蟲(むし)が発生した。それから千年余り、拡大を続ける腐海に脅かされながら、わずかに残った人類は、古の文明の遺物を発掘して利用しつつ、細々と生きていた。腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国トルメキアの戦乱に巻き込まれる。風の谷の族長ジルの娘であるナウシカは、運命に翻弄されながらさまざまな人々と出会い、自分自身と世界の運命、太古より繰り返されて来た人の営みに向き合い、大国と小国、そして腐海と人類との共生の道を探っていく。

声優・キャラクター
島本須美、納谷悟朗、松田洋治、永井一郎、榊原良子、家弓家正、辻村真人、京田尚子
ネタバレ

Tuna560 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

『風の谷のナウシカ』作品紹介と総評+考察「宮崎駿の自然観①」

言わずと知れた宮崎駿監督の代表作の一つ。
元は漫画作品で、原作の途中までのアニメ化となっています。

(あらすじ)
産業文明を崩壊させた最終戦争から千年後の世界。猛毒の瘴気を放つ「腐海」と呼ばれる樹海が拡がり、人類の末裔が住まう土地は日々失われている。辺境の峡谷にある小国「風の谷」は風向きにより瘴気から守られ、穏やかな農耕生活を営んでいる。族長ジルの娘ナウシカは剣術や飛行術を修めた勇女であり、人々が忌み嫌う腐海の生き物と心を通わせる優しい少女でもあった。
ある夜、風の谷に大国トルメキアの輸送機が墜落する。積荷は工房都市ペジテから略奪した巨大生体兵器「巨神兵」の卵。谷は追っ手のトルメキア軍により占領され、ナウシカは捕虜となる。司令官の皇女クシャナはかつて世界を焼き尽くした巨神兵を現世に復活させ、腐海を焼き払わせようと目論んでいた。(wikipedia参照)

1984年公開の作品というと、もう30年前の作品になるのか…。
いや、決して「古い作品だ」ということを強調したいのではないですよ?
むしろ、”時代を感じさせない作品”の代表ではないかと思います。

まずは何と言っても作画の素晴らしさ。私も昔から何度も観ているのにも関わらず、毎回観るたびに画の綺麗さにビックリしてしまうんですよね。人間の躍動感ある動き、王蟲の触手や体の動き、神秘的だが同時に恐怖と気持ち悪さを感じる腐海の描写、爆発や燃焼の描写などなど…。一度でいいから大スクリーンで観てみたいと思ってしまいます。

ストーリーのテーマとしては”人間と自然の共生”について。宮崎監督と言えばやはりこのテーマだと思います。特に本作で特徴的なのは”人に恐れられる自然”が描かれている点でしょう。自然の脅威に曝され、人類滅亡の恐れがある終末世界で、人と自然の歩むべき道を求めるナウシカの姿にとても感慨深い物を感じます。

もちろん、最初に観たとき(子供の時)は「よくわかんないけどすごい!」という感想しかありませんでした。しかし、色んな知識や教養を身につけた現在では、また違った視点でこの作品を楽しめている自分を発見しました。世代を超えて楽しめる作品は本当に素晴らしいと思います。

さて、ここからは少し考察をしていきたいと思います。先にも述べましたが、宮崎監督の作品にはよく「自然との共生」というテーマが含まれていますが、その本質を探っていきたいと思います。テーマとしては、ずばり「宮崎監督の自然観」についてです。


{netabare}・自然観の形成
まずは「自然観とは?」についてお話ししておきましょう。
自然観とは、”自然への根底的な価値観や共通認識”を意味します。それは文化や風土、生活様式などから形成され、その地域古来から培われているものでもあります。

では、ここでよく比較される自然観について見ていきましょう。「自然観=共通認識」とお話ししましたが、ここではその最も古い共通認識であろう”信仰”をベースに比較していきましょう。

1.キリスト教的自然観(西洋的)
西洋諸国の大多数が信仰する”キリスト教”は、まさしく”西洋社会の精神基盤”と言っても過言ではありません。絶対唯一である”神”が万物を創世し、人間も自然も同じく神によって創られたという信仰です。そして、人間にとって自然は、偉大な神の摂理を紐解く”観察対象”という考え方を持つ様になったのです。つまり、自然は”客観的に観るもの”という自然観が形成されたのです。西洋社会で近代科学が発展したのはこの為ですね。

2.神道的自然観(日本的)
”神道”とは、日本固有の信仰宗教とされています。”八百万の神”と言われるように、数数多の神がいると信じられていました。この信仰の由来は、山や川、草木などの自然や自然現象の中に”自律的な神”がいると信じられていたからです。つまり、自然と神は同義であり、自然は”畏れ敬う対象”という自然観が形成されたのです。

上記のとおり、西洋と日本では全く逆の自然観となっています。この比較は自然観だけでなく、文化や価値観の形成にも大きく関わっている点が面白いのですが…話が長くなってしまうので、またの機会にしたいと思います。

では、本題に戻りましょう。
”人間と自然の共生”を作品テーマに据える宮崎監督はどちらの自然観に近いか?
これは言うまでもなく、”日本的自然観”の方ですよね。


・『風の谷のナウシカ』の中に見られる自然観
実は、上記の比較は本作の中でも登場しています。例えば、トルメキアとナウシカ(風の谷)がそうですね。猛毒の瘴気を放つ”腐海”に対し、トルメキアは巨神兵を用いて焼き払おうとします。人類の危害をもたらす物は排除するというスタンスです。これに対し、ナウシカは”腐海”ないし”蟲”との共生の道を模索します。これは自然に対する”畏敬の念”と取る事が出来ますね。これにより、自然に対し客観的なトルメキア(西洋的)と自然を畏れ敬うナウシカ(日本的)という構図と見て取る事が出来ます。

また、日本的自然観は人類の恐怖の対象である”腐海”と”蟲”の設定にも表れていると思われます。
”腐海”は猛毒の瘴気を放ちながら拡大し、人々の生活圏を脅かしています。しかし、実は”腐海”の植物は汚染された土壌の毒素を浄化している事がわかりました。そして、凶暴な”蟲”達はその浄化機関である”腐海”を守っていたのです。”凶暴”な側面と”再生”を促す側面の二面性が描かれ、”自然とは畏れ敬う”対象であるということを示唆しているように思われます。


・”森”を描く理由
宮崎監督の作品ではもう一つ、”森”をテーマにした作品が多くあります。本作でも物語のキーとなる”腐海”もそうですね。これについては、宮崎監督が影響を受けた”照葉樹林文化論”の為だと言われています。

”照葉樹林文化論”とは、簡単に言えば”風土による文化の形成”という学説です。
照葉樹林が形成された地域に住む民族の文化要素には、森林や山岳に結びつくものが多く、衣食住から伝承に至るまで共通が多い一つの文化圏と捉えたのです。

宮崎監督はこの学説と出逢い、人間の文化を形成したのが国境や人種ではなく”自然環境”なのかと感じ、”森(照葉樹林)”をテーマとした作品を製作するようになったそうです。この学説が宮崎監督の自然観の原点であり、日本的な自然観へと目を向けさせた原因だと言えるでしょう。

さて、宮崎監督の自然観を読み取れるのは本作だけではありません。
別の作品でもまた自然観について考察していきたいと思います。(続く){/netabare}

(記述:3/2)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 42

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

この40年で本作を超える劇場アニメは作られたのか?

 24年6月。今年で本作の公開1984年3月11日から40年が経ちました。改めて見ましたが、その完成度に今更ながら驚きました。それでふと疑問に思いました。果たして日本のアニメーションはこの作品を超えることができたのでしょうか。

 映像表現はもちろんですが、はじめから終わりまで場面場面にほぼ無駄がありません。
 しかも無駄なセリフがありません。説明がなくても物語世界の理解が進む展開。環境問題や反戦・反大量破壊兵器はわかりやすいテーマですが、2人の姫の生き方の物語でもありました。キャラの作り方も配置もいいです。勧善懲悪から脱し、聖女のヒロインでも悪魔的な敵役でもない、それぞれの理屈の中、世界が崩壊する危機を救うのは理解でした。

 SFとして時間の流れや人類がたどった道が想像できるし、その未来にも思いを馳せることができます。わずか2時間の物語は話そのものも密度が高いですが、その壮大なイメージはちょっと類例がない気がします。

 原作よりもマイルドな終わり方ですが、原作よりも開いた未来が想像できます。宮崎駿氏は不満だったかもしれませんが、私はケガの功名で原作よりも良いと思っています。特に今のいつ災害に見舞われるかもしれない世の中に生きていると、映画版の方が気分的に寄り添うことができます。

 エンタメとしても様々な印象が残るシーンが目白推しです。5分に1度くらいあるんでは?私は特にメーヴェの場面は全部好きです。

 後に「もののけ姫」が多分この作品のリメイクにあたると思います。「もののけ」の方が、キャラの深みやテーマの深堀り、世界観などは進化していると思いますが、しかし、エンタメとしてのアニメーションの出来を考えた場合「もののけ」はあまりに暗く、爽快感がないです。そしてマインドとして「もののけ」のあとは現代につながる自然破壊、神を失っていく我々の衰退が想像できます。日本的なので湿度が高い感じが、作品の内容までべたつかせている感じです。

 本作はSF作品であることで、同じテーマをエンタメに昇華しきれている気がします。その能天気さが宮崎氏は気に入らないのかもしれませんが、私はそこがよかったです。
また、この作品って感情移入の私小説的なテーマの込め方じゃないんですよね。氏のほかの作品では透けて見える氏の思想性がストーリーにうまく変換されていて、かなり西洋的な神話・伝説的な物語構造になっている気がします。

 そして、本作を超える作品があるか?と考えたとき、最近の作品はアニメのテーマや設定、キャラの人物造形などは宮崎作品よりもずっと深いし、リアリティもあるし、内面描写や生き方問題など真面目に考えられていると思います。キャラの相対化や伏線などのテクニックも複雑で面白いです。
 今敏氏や新海誠氏などの作品の優れたものをピックアップすると、映像表現はもちろん、ある意味では大人向け作品としてテーマの選び方描き方などは、宮崎氏の上を行っています。

 ですが、アニメというジャンルを考えたとき、2時間という枠を考えたとき、これほど面白く、テーマが明確で、世界観に広がりがある作品はちょっと他に見当たりません。
 そして、それは宮崎駿氏の作品そのものにも言えます。劇場版アニメ作品で、氏は本作を超えられたか。日本の劇場アニメが実写を超えたハリウッドに肩を並べた瞬間がナウシカだとすると、本作の40年周年を踏まえこの夏ちょっと日本の劇場版アニメ史を考えたいですね。

 そうそう、そしてこの作品に続編がないこともクリエータは意味を考えて見習ってほしいです。まあ、原作は続きがありますし、それはそれで面白いのですが、劇場版ナウシカの続きは個々の視聴者にゆだねられました。それが劇場版映画の意味だし素晴らしいところです。




以下 21年5月のレビュー

日本では、実写<アニメ を決定づけた、歴史の転換点。

 ナウシカが作られた1984年。年表を見る限り、999の1979年というのと、マクロスの1984年が付近にありますが、ハリウッド映画に対抗して同列で比較できるレベルのアニメ映画は、日本ではこの「風の谷のナウシカ」が最初なのではないでしょうか。(もちろん999もマクロスもオーパーツなのですが)
 鬼滅とか君の名は、もちろん、千と千尋の神隠しなど、世界で大ヒットしたアニメが多々ありますが、日本にはアニメがあるじゃないか、アニメならハリウッドに勝てる。そういう道に日本が進んだ原点なのではないでしょうか。そういえばアキラが1988年でした。

 ユパの最初の登場シーンから始まり、ナウシカとの邂逅そして、ナウシカの「気流が乱れてうまく飛べないの」といって、走って崖から飛び去るシーン。もう鳥肌ものです。あのシーンだけで涙が出るくらいです。
 島本須美さんの澄んだ声、メーヴェのデザイン、場面にあったレベルの高い音楽、王蟲の暴れる姿、「怖くない…ほらね」。もう、冒頭の15分だけで見せ場がどれだけあるか。今ですらそうなのです。当時の衝撃はすさまじかったと思います。

 そしてその後のストーリー。無駄なところが全くなく、風の谷の生活を見せ、伝説を聞かせ、クシャナが攻めてきて、森に向かい、アスベルと出会い…この映画が116分というのが信じられません。よくこれだけの話を2時間に収めた、というくらい、壮大な話が展開します。

 また、終盤でペジテの船からメーヴェで雲海に飛び出して、コルベットから逃げ出すシーン。すごかったですね。音楽もですが、雲の質感とか風を感じるんです。アニメ史上もっともカッコいい場面は?と聞かれて、私なら候補にいれるかもしれません。

 そのほかクシャナが攻めてきて、ジルが…となったとき怒りに任せて戦うナウシカ。もちろん巨神兵の攻撃。印象的なシーンが数分に一度あります。

 環境汚染を早くからメッセージとして取り入れながら、ハードなSF設定の上でのファンタジー的な物語。しかも空を飛ぶ聖女のような美少女が大活躍する。
 映像、ストーリー、音楽。どれをとっても、超一級品です。アメリカに見せて誇れる映画は?と聞かれて、確実に入る1本ではないでしょうか。今見てもすごい、というのではなく、いつ見てもすごい、という映画だと思います。

 原作では少々宮崎駿のクリエーター魂がさく裂して、バットエンドになっていますが、映画版の未来への希望を抱かせるラストは素直に受け入れればいいと思います。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

シス子 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

恐怖、「シス子の館(やかた)」に謎の多足生物出現!!

某月吉日(金)

その日はとても暑い日でした

お勤めを終え夜の11時に帰宅
これだけ遅い時間なのに部屋の中はまだ気温が30度を超えていました

すぐにエアコンをつけ火照ったからだを冷却

涼んだところでお着替えでもしようかと
なにげに床においてある洗濯物に目をやると
3センチほどの灰色の塊があるのに気づきました

ホコリかなにか落ちているのかな?

なんて思って手を伸ばすと
なんと
突然その黒い物体が動き出したのです

しかもものすごい速さで
ゴキブリくらいの速さでしょうか

でもあきらかにゴキブリとは違います

なんだかもじゃもじゃと毛のような触覚のようなものがたくさん生えていて
その毛がムカデの足のようにうねって進んでいるみたいです


その得体の知れない
なんとも表現のしがたい不気味な物体を見て
私は思わず悲鳴をあげてしまいました

ギャァァ~~^^
グエェェェ~~(吐いてないよ^^)

そのまま
とるものもとりあえず
お着替えも中途半端に
エアコンも電気もつけっぱなしのまま
部屋を脱出し実家に避難してしまいました

謎の生物の出現を口実に
実家で上げ膳据え膳
3食昼寝付きの贅沢三昧を貪った私は
(※以前にもゴキブリが出たとき非難した経験から
  着替えなどが常時置いてあります)

翌日から仕事に行かなければということで(社畜ゆえの本能です)
家出から二日後に母親同伴で帰宅

恐る恐る部屋に入り
謎の生物がいないことを確認し
すぐさまバルサンを焚き
ベランダや玄関の前に虫除け用の薬剤を散布

一昨日の悲鳴と
私たちのなにやら怪しげな行動が気になったのでしょう
お隣さんが玄関の扉から顔をのぞかせ
心配そうにこちらを眺めています

このままではご近所関係が険悪になる・・・と
懸念した私は
変な宗教活動や
対テロ対策などではない旨を説明し
なんとか納得していただきました


幸いにも
その日以降は
謎の生物は出現していませんが
帰宅後1週間ぐらいは
落ち着いて眠ることが出来ませんでした


ちなみに
この謎の生物の正体
後で調べたところ
「ゲジ(蚰蜒)」というムカデのなかまだそうで
たまに餌(虫など)を求めてお家の中にも進入してくるそうです

なにはともあれ
侵入を防ぐには
お部屋の中はいつも清潔にし
餌となる虫を駆除しておくことが望ましいとのこと








さて
なんで作品レビューに
こんなお話を書いているのかというと


この「ゲジ」を目撃し
実家で避難生活をしている間
改めて思ったのです

私って虫がスゲー苦手なんだな・・・って

そして
虫関連で嫌な思いをしたとき
いつも思い出してしまうのが

この
「風の谷のナウシカ」という作品なのです

巨匠
宮崎駿氏の原作・脚本・監督作品

「火の7日間」と呼ばれる戦争により崩壊した文明
それから1000年
汚染された大地
「蟲」と呼ばれる巨大で不気味な昆虫
人間の体を蝕む毒「瘴気」
その瘴気を放つ植物が群生し拡大し続ける「腐海」
「蟲」「瘴気」「腐海」に怯えながらもたくましく生き抜く人々

そんな荒廃した世界の辺境の地「風の谷」のお姫様「ナウシカ」を描いたお話


私がいままで観てきたアニメ作品のなかで一番たくさん観ている作品ではないでしょうか
10数回くらい?

しかも
ほとんど
というか全部「金曜ロードショー」で^^

当然
元手が掛かっていません^^
なんともリーズナブルなアニメ作品です^^


一番最初の視聴は小学校の低学年
もしかしたら保育園のころかも知れません

それから10数年(←ウソつけ)

先に書いた作品の世界観からもわかるように
テーマとなるのは
「戦争」や「自然破壊」などちょっと重めのハズ

なのに
自分自身が印象に残っているシーンはちょっと外れたところが多く
しかも視聴した頃の年代によって色々

幼い頃では

巨神兵の笑い顔ってどんな顔?
アスベルって布切れだけで大丈夫なの?(←ご想像にお任せします♡^^)
アスベルって長靴を食器代わりにするの?
(※アスベル:ペジテ市の王子)

だったのが

最近では

ナウシカってノーパン??
ナウシカがラステルの胸見て「自分のより大きい」ってキレてる^^
でもナウシカも結構大きい^^
(※ラステル:アスベルの双子の妹)

なんて
テメ~なんかにナウシカ観る資格ね~!!
などと「ナウシカファン」の方からお叱りをいただきそうです


でも
そんな他愛のない印象もさることながら
年代に関係なく強く心にのこっているのが
さまざまな「蟲」が出てくるシーン

小さい頃からインドア派
しかも大の虫嫌いの私にとっては

虫・・・

しかも「王蟲(オーム)」みたいな脚のたくさんあるものは
とてもノーサンキューでして
レビュー書いている今も思い出しただけで
体中がかゆくなってくるほどです

アスベルが蟲の大群に追いかけられているところとか
アスベルがなんか平べったい空飛ぶ巨大なムカデみたいなのに食べられそうになったところなんか(なんかさっきから“アスベルネタ”ばっか^^)
見てられなかったけど

それよりも圧巻(?)だったのが

ナウシカが幼い頃に
王蟲の子供を隠して飼っていたお話

そこで
ナウシカが小さい王蟲を抱きかかえるシーン

子犬ほどの大きさの王蟲
でもこれ冷静に見たら

「巨大なダンゴムシ」なんですよ!!

最初みたとき卒倒しました(←大げさに書きました)

とにかく
最近では「~ナウシカ」を視聴するときは
蟲が出てくるシーンは目を閉じて
音だけで楽しんでます^^



余談になりますが(なにがメインだったのか謎ですが^^)

虫が苦手とさんざん書いてますが
一応
普通の昆虫は大丈夫なんですよ・・・一応・・・

小学生の頃には
男の子に触らせてもらったりもしてましたからネ

男の子が
「お、俺の大きいだろ?」って出してくるから
私が先っぽのほうを触ると
ピクッて動いたりして{netabare}(←角(つの)のことですよ(汗){/netabare}
意外とかわいい・・・
なんて思ったりしました^^

{netabare}カブトムシのことですよ(汗{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14

70.7 2 スタジオジブリで環境問題なアニメランキング2位
平成狸合戦ぽんぽこ(アニメ映画)

1994年7月16日
★★★★☆ 3.6 (519)
3333人が棚に入れました
東京・多摩丘陵。のんびりひそかに暮らしていたタヌキたちは、ある時、エサ場をめぐって縄張り争いを起こす。原因は人間による宅地造成のため、エサ場が減ってしまったから。このままでは住む土地さえ失くなってしまうと、タヌキたちは開発阻止を目論み、科学の発達した人間たちに対抗するため先祖伝来の″化け学″を復興させることとなった。化け学の特訓が始まる一方、四国や佐渡に住むという伝説の長老たちへも援軍を頼む使者が向けられた。かくして人間たちが露とも知らぬ所でタヌキたちは勝手に蜂起した。

声優・キャラクター
野々村真、石田ゆり子、三木のり平、清川虹子、泉谷しげる、芦屋雁之助、村田雄浩、林家正蔵
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

第四の壁

 高畑勲監督による子供向けの映画ですね。二時間くらい。

 ストーリーの展開はすごく良かったです。これは、ナレーションのおかげでしょうね。「ぽんぽこ」は、普通に作ったら二時間では到底収まらない分量だと思います。でも、ナレーションを使って場面と場面をつなぐことで、大幅な圧縮が可能になっていました。また、見どころの多いところを中心につないでいくことで、エンタメ性の増大にも寄与していたと思います。落語調のナレーションも、この作品の雰囲気とよく合っていました。
 キャラの動きも良かったですね。たくさんの動物を動かすのは大変だったとは思いますけど、妥協していた箇所は見受けられませんでした。この辺の妥協の無さは高畑勲監督っぽさが出ていますかね。

 あと、高畑勲監督は、人間社会に対抗して敗北していくタヌキたちに、自分たちの学生運動などを重ね合わせていたっぽいですよね。それっぽい描写が、機動隊との対峙シーンなどに見られました。
 個人的には、インタビューやらブログやらツイッターやらで政治的な主張をしている映画監督を見ると、「作品内で語れや、この○○が!」と考えてしまう質なので、作品内で主張している分にはとやかく言う気はありません。映画自体が歴史的にプロパガンダであったり反プロパガンダであったり、ってところもありますからね。「アリス」のレビューで、主人公無双でもハーレムでも現実逃避でも原作者の好きにやったらいいよって書いているんですけど、それと同じです。原作者の趣味嗜好はもちろん、思想だって作品の質を左右しませんから、好きにやったらいいと思います。外観をもって批判するのは、ルパンを見て「泥棒だからダメ」と言うのと同じくらいナンセンスだと考えています。
 ただ、原作者の思想が透けて見えたり前面に出て来ていたりすると、やっぱり説教臭くなるんですよね。また、現実の思想が介入してくるせいで、フィクションとしてのめり込めなくなってしまう。大人向け映画ならまだしも、子供向け映画ならもうちょっとマイルドでも良かったかな、と思います。

 で、この辺の相乗効果が変な方向に現れてしまったようにも感じました。頻発するナレーションとリアルすぎるほどのリアルさ、そして、全編に漂う説教臭さ。これらのせいで、現代ファンタジーでありながらも、ドキュメンタリーに片足を突っ込んでいるようにも思えました。そこは少し残念なところ。
 でもまぁ、そうは思うものの、子供と大人で作品の解釈が変わるとか、子供にとっては娯楽作品でも大人とっては社会風刺であるとか、そういう二面性を持たせた作品を作るのはジブリのお家芸ですからね。この作品が子供向けに作られているのは確かでしょうし、子供にとって娯楽作品として成立している以上、批判する気はないですけどね。

 で、この作品を見たのは半年くらい前のことで、高畑勲監督作品のレビューを書くなら最初は「かぐや姫」がいいかなぁなんて思い放置していたんですけど、ふと思い出すきっかけがありました。
 先日、友人と食事をしているときに、今年の大河ドラマの「真田丸」が面白いよ、と言われました。私は見ていなかったので話題に乗ってあげられなかったんですけど、三谷幸喜監督が手掛けているらしいですね。
 そんなわけでの「ぽんぽこ」レビューです。


第四の壁:{netabare}
 第四の壁っていう言葉があります。
 もともとは演劇用語で、「舞台と観客を隔てている想像上の透明な壁」という意味で使われます。舞台上のストーリーと客席にいる観客には一切の関係性がありませんから、その間には見えない壁があるよねってことです。今では演劇だけではなくて、映画などでも使われています。平たく言ったら、「フィクションと現実の境界となる壁」ということです。

 ウィキペディアを参照すると、
 第四の壁は、フィクションと観客の間にある不信の停止(※)の一部である(※不信の停止:観客はフィクションを見ている間は「こんなことは実際には起こらない」などという無粋な突っ込みを抑えること)。
 通常、観客は第四の壁の存在を意識することなく受け入れており、あたかも現実の出来事を観察しているかのように劇を楽しんでいる。第四の壁の存在は、フィクションにおいて最も良く確立された約束事の一つである
 と、説明されています。

 私たち視聴者はフィクションを当然のようにフィクションとして見ていますから、この第四の壁は常に存在している、と言えます。ですが、しばしば演出として(意図的に)「ここに第四の壁があるぞ!」と明示されることがあります。
 例えば、舞台上の役者が、観客に見られていることに気づいてしまうとか、観客とコミュニケーションを取ってしまうとかですね。これにより観客は、第四の壁を意識してしまい(フィクションであることに疑いを持ってしまい)、同時にフィクションと現実の境界が破られてしまうのです。このメタ的な演出を「第四の壁を破る」と言います。

 映像で確認したい方はこちら↓をどうぞ。
 <https://www.youtube.com/watch?v=JLAaUvsKljc>
 視聴者とコミュニケーションを取ってしまう演出は、0:15~0:40、2:30~3:15あたり。
 作品世界が映画であることを明示してしまう演出は、4:30~4:54、5:00~5:45あたり。
 第四の壁を破って映画というフィクション性を壊している点ではどちらも一緒です。
{/netabare}

おまけ①アニメにおける「第四の壁を破る」演出:{netabare}
 アニメでも「第四の壁を破る」演出が使われることがあります。

 私が一番印象に残っているのは、「のんのんびより」第一期の最終回ですね。{netabare}
 エンディングテーマが流れ始める、文字通り最後のところです。カメラを背にして遠ざかっていくメインキャラ4名が、突如としてカメラに振り向いて、視聴者に向かって手を振る、という演出が入っています。フィクション内のキャラクターたちが、本来一切の関係性を持たない視聴者に対してアクションを起こしたわけですから、典型的な「第四の壁を破る」演出ですよね。これにはすごく驚きました。

 「のんのんびより」は「日常もの」の作品ではありますけど、私たちは現実の日常としては見ていませんよね。あくまでもフィクションの日常として楽しんでいます。これが、第四の壁の存在を前提とした見方です。
 でも、最後の最後になって、私たちが認識している第四の壁は彼女たちにとっては存在していなかった、ということが明かされてしまいました。「のんのんびより」には終始無言を貫くお兄ちゃんというキャラがいましたけど、私たちの存在はそれに限りなく近かったんですね。話もせず、ストーリーにも影響を与えないけれど、近くでずっと見ている存在。
 彼女たちが第四の壁を破ることで、私たち視聴者とこの作品の在り方が変わってしまいますよね。フィクションの日常であったものが、現実の日常に転換されてしまうんです。あのまま振り向かずに遠ざかってくれれば、それは単なる「アニメのキャラとのお別れ」に過ぎないんですけど、第四の壁がなくなってしまうと「現実の友人とのお別れ」に比肩してしまうんですね。これにより、「もう会えなくなる」という寂しさを増幅させる効果が、とてもよく出ていました。

 ニコニコで見つけた件のシーン。ホントはもう数秒前から欲しかった。
 如何に効果的な演出だったのかが、コメントから伝わってきます、かね?(笑)
 ホントはコメントなしのが欲しかったんですけど、残念ながら見つけられませんでした。
 <http://www.nicovideo.jp/watch/sm22644446>
{/netabare}{/netabare}

ぽんぽこ:{netabare}
 「ぽんぽこ」でも、「第四の壁を破る」演出が使われています。「のんのんびより」と同じく、エンディングで直接的にコミュニケーションを取る演出方法です。具体的には、ショウキチが「タヌキが消えたって言うけど、確かに姿を消せるタヌキもいるんだけど、ほかの動物はどうなの? 姿を消せるの?」みたいなことを視聴者に語り掛けてきます。視聴者(現実世界の人たち)が殺したんでしょ?という皮肉ですね。
 この視聴者に対する問いかけ(という名の皮肉)というのは、高畑勲監督の基本スタイルですよね。高畑勲監督は主題に対して何らかの意見を持っていて、その主張を混ぜながら、視聴者に対してどう思っているの?と問いかけてくる。これを、作品と視聴者を対比させる構成でやっています。

 「火垂るの墓」がいい例で、オープニングとエンディングは、視聴者に対する語りになっています。{netabare}
 オープニングは「僕は死んだ」というセリフだったかと思います。「死にそう」の場合はその時点での主観的な視点ですけど、「死んだ」の場合は死んだあと、すなわち、未来からの客観的な視点ですよね。
 未来からの客観的な視点というのは、まさしく視聴者の視点と同じですから、視聴者と同じ位置に立って視聴者に対して語る、というのをオープニングでやっているんです。

 エンディングはこれです↓。まずは、この動画の2:20くらいのところからラストまでをじっくり見てください。
 <https://www.youtube.com/watch?v=Dn-saPIsrd0>
 2:34からの数秒間はカメラ目線になっていますよね。目が合っているような気がして、少しドキッとします。第四の壁を破ったかどうかのギリギリのラインですけど、カメラ(視聴者)を意識しているのは確実です。そして、その後はビル立ち並ぶ未来の街(私たちにとっての現実の街)に視線を移します。ここからも、過去のフィクションに存在している主人公が、未来の現実に存在している私たちを意識している、というのが伝わってきます。
 つまり、視聴者に語り掛けるオープニングに始まり、視聴者に語り掛けるエンディングで終わっているんです。
{/netabare}

 「ぽんぽこ」も、この構成を使っています。
 オープニングでは、タヌキは現実の動物としての姿を取っています。このタヌキを丸いレンズで撮るように演出して、そこにタヌキのナレーションを入れています。タヌキを見ている私たちへのタヌキからの語りですね。キャラクターが現実にいる視聴者と同じ位置に立って視聴者に対して語るというのは、「火垂るの墓」と同じです。
 エンディングが、「第四の壁を破る」演出です。上記のショウキチのセリフを入れて、作品の総括をメッセージとして伝えています。また、この後は、タヌキたちの踊る森からビル立ち並ぶ私たちの街へと変わります。私たちにとっての現実の街で作品を締める、というのも「火垂るの墓」と同じです。

 「火垂るの墓」も「ぽんぽこ」も、構成が全く同じだってことは分かりますよね。オープニングとエンディングでは現実世界の視聴者に対する語りをしておいて、その間にフィクションとしての本編を置く、という構成です。フィクションと現実を作品内で対比させることで、主人公たちの境遇と私たちの境遇を対比的に見ているんですね。この対比をもって、両作品では、「あなたたちの繁栄は、私たちの犠牲のもとに成立しているんだよ」という痛烈な皮肉をしています。
 この「フィクションと現実の対比的な関係を作品内に作り出して、視聴者に対する問いかけ(という名の皮肉)を行う」というのが、高畑勲監督の基本スタイルなんだと思います。

 で、「火垂るの墓」と「ぽんぽこ」のエンディングでの演出方法には、ほんの少しですけど違いがありますよね。カメラを見つめるだけで第四の壁を破ったのかどうか微妙な「火垂るの墓」と、カメラに話しかけることで明確に第四の壁を破ることとなった「ぽんぽこ」。この差は、単純に子供への意識の差だと私は思います。

 「火垂るの墓」は、子供向け映画という意識はあまりなかったんだと思います。だから、見つめる程度で終えて、別に分かりにくくても良かった。数秒カメラを見つめる程度の演出では、その意図は子供には伝わらないと思います。それを分かっていて、それでも子供向けではないからいいや、大人にだけ皮肉が伝わればいいや、と判断したのでしょう。上記のエンディングで、{netabare}セイタは見つめてくるけど、セツコは寝たまま、{/netabare}というところにもこれが表れているのかもしれません。

 でも、「ぽんぽこ」は、子供向けの娯楽映画として作ろうっていうのが大前提にあったんだと思います。子供向けの娯楽映画として、何よりも分かりやすさを優先したかった。だから、直接語り掛けるという「第四の壁を破る」演出を選んだんだと思います。直接語り掛けちゃえば、子供にだって分かりますからね。そして、何を優先的に伝えるかを考えたときに、高畑勲監督個人の思想よりは、子供にも身近であろう「自然を守ろうね」にしたのでしょう。

 なお、「ぽんぽこ」が視聴者への問いかけ(という名の皮肉)のために作られていたことが、ナレーションによっても分かるようになっています。最終盤において、ショウキチの語りが途中から古今亭志ん朝のナレーションに代わるところがあるんですけど、これによって、今までのナレーションがすべてショウキチの語りであったことが判明します。最終盤に来て初めて、視聴者はずっとショウキチに語り掛けられていたことを知るのです。


 高畑勲監督の作品は、構成はかなりかっちりしているんですよね。少なくとも私個人は、宮崎駿監督よりはかっちりしていると思っています。ただ、構成はかっちりであるものの、中身は文学的というか文芸的というかそういう感じが強いですよね。説明が迂回的、と言ってもいいです。まぁ、読み取りが難しくて、分かりにくいってことです。直接悪口を言うのではなくて、皮肉として言うところにもそれが表れていますよね。しかも、エンタメ性も高くないですから、見る人をすごく選ぶような気がします。
 でも、「ぽんぽこ」に関しては、子供向けの意識が強く働いたこともあってエンタメ性が高くなっていますし、それでいて構成のかっちり感は失われていないですし、主義思想という作家性も出ています。これらが高い次元でまとまった、すごくいい作品だと思います。子供のころに見ただけだなって人は、ぜひ大人の視点で見直してみてください。
{/netabare}

おまけ②カメラを使った「第四の壁を破る」演出:{netabare}
 「第四の壁を破る」演出が、カメラによって行われることもあります。本来意識されていないはずのカメラの存在を視聴者に認識される、という手法です。カメラの存在が認識されると、そこにカメラが置いてある(=そこに撮影者がいる)となりますから、第四の壁は自然と破られてしまいます。
 「クロスロード」のレビューで、「この作品はカメラで撮影しているよ!」演出について書いたんですけど、あれも「第四の壁を破る」演出の一つです。レンズ効果によって、性能的なカメラの存在がアピールされています。
 新海監督はメタ的にこの演出を使っているわけではないですけどね。レンズ効果を使って画面内のキラキラ感を最大化しているだけだと思います。

 ここではその話ではなくて、物理的に干渉されたカメラの存在アピールの話をします。例えば、落ちてきた雨粒がカメラのレンズに当たるとか、跳ね返った泥がカメラのレンズに当たるとかですね。何かがレンズに付着することで、透明なはずの第四の壁を目視できるようになってしまいます。

 アニメでも、こういう演出は多いですよね。一番最近見たものだと、「甲鉄城のカバネリ」の第9話です。
 詳しい内容はここでは述べず、カバネリのレビューに譲ります。
{/netabare}


雑記:{netabare}
 また横断的な書き方になってしまいましたね。申し訳ないです。
 なんとこのレビューで登場したアニメ作品は、ぽんぽこ!火垂るの墓!のんのんびより!カバネリ!の4作品。このアニメ4作品に加えて、実写映画にまでリンクを貼る始末! 単発映画のレビューのはずなのに、目も当てられません。すみっこでこっそりやるシリーズへの並列すらためらわれるレベルです。

 一応、第四の壁じゃなくてぽんぽこが話題の中心なんだよって偽装するために、ぽんぽこをど真ん中に配置するという構成に変えてみたんですけど、うまく機能しましたかね? 微妙かな?
 カバネリを別レビューに飛ばしたのは、短くするためっていうのもあるんですけど、「ぽんぽこ!火垂るの墓!のんのんびより!カバネリ!を使ってレビューを書きました」だと意味が分からなくても、ここからカバネリさえ除外しちゃえば意外と通じるかもしれないな、と思ったからでもあります。

 まぁ、裏話はともかくとして、冒頭述べた三谷幸喜監督について。
 三谷幸喜監督はいろいろと手掛けていますですけど、彼が脚本を務めた「古畑任三郎」という作品があります。映画じゃなくて、ドラマですけどね。今見ても面白い作品だと思います。
 この作品では、視聴者が犯行の一部始終を目撃できるようにストーリーが進行していきます。「名探偵コナン」のような「刑事側も視聴者側も犯人を知らない」というスタイルではなくて、「刑事側は犯人を知らないけれど、視聴者側は犯人を知っている」というスタイルです。視聴者が主人公である刑事に自己投影するのではなくて、視聴者が刑事の捜査をあくまでも客観的に見ていくように作られているってことです。
 で、この作品の謎解きパートの直前に、「第四の壁を破る」演出が使われているんです。いきなりドラマが停止して、背景も暗転して、この中で主人公の古畑任三郎にだけスポットライトが当たって、それで視聴者に話しかけてくる。客観的に進行するストーリーと「第四の壁を破る」演出は、とてもマッチしていますよね。

 酔っぱらった頭で三谷幸喜監督の作品を考えていて、それでこの「古畑任三郎」にたどり着いたんですけど、アニメで第四の壁を破っている作品はなんだろ?と気になったんです。そこで、のんのんびよりに白羽の矢を立てたはいいものの、もう枠を使っちゃってたんですね。それならってことで、ぽんぽこを引っ張り出すことにしました。第四の壁やのんのんびよりありきのぽんぽこだったってことですね。
 で、第四の壁を度外視して高畑勲監督論をやるなら、大人しく火垂るの墓から入るべきだとは思います。構成を中心に書けますからね。それを分かってはいるんですけど、どうにも見返す気が起きないんですよね。年の離れた妹が、というシチュエーションが個人的になかなか辛くてね。それゆえのぽんぽこってのもあったりします。

 気が向いたらカバネリの方もどうぞ。
 うっかり迷い込む人を避けるために、ネタバレありタイトルなしで投稿しますけど、内容は動画を使って演出を見ていくだけです。ストーリーには触れませんので、ネタバレ嫌いや未視聴の方でも大丈夫です。たぶん。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 10
ネタバレ

とまときんぎょ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

ちゃんと娯楽

映画館で観て以来通して観た事はありませんでした。
「ぽんぽこ」や「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」…力がある作品だけれど、何度も観てはいませんでした。
田舎や自然は大好きですが。この社会的メッセージが含まれる作品たちに愛着を持ってしまったとして、「コレは説教くさい、だから自然派は…」というザックリした見方をされた時に、自分は反論出来ない気がして。

「アイツ正しいこと言ってるのはわかるけど、説教くさくね?」と囁かれる優等生のクラスメイトを「そうかな…」とチラ見して「まあ私と特に親しい訳じゃないし…」と深く関わらないが如くでした。



久しぶりに通して観てみました。
狸達がどうなってゆくのかがあらかじめわかっているので、途中途中のぬか喜びや空騒ぎが、とても胸に痛く、ドキドキしながら観ていました。
しかし。
相変わらず人間は自然を壊し続けて酷い。地形のもつ質や循環を無視した開発、森林の適切な活用が出来ていないための荒廃、だから未曾有の災害も尽きないのだろうか。
…等々という真面目な視点は勿論再確認できたのですが、

それ以上に…
あー!この狸達みたいに!!
思いっきり何かに打ち込みたい!!
謳歌したい!!
むくわれなくったって、乗せられたって、やり切りたーい!!
時にアホみたいに喜怒哀楽に乗って騒ぎ、そして呑気にやっぱり踊り騒ぎたい!!
という、「思いっきり」の変幻自在な心地良いエネルギーをタンマリ浴びた気持ちになりました。ちゃんと娯楽でした。
狸いいなあ。

そして、人間社会で生き抜くようになった化け狸のように、それらしくいるために疲れている人や、何とかかんとかうまくやってるよ〜って人もいるんだろうな…なんて考えたりして。


優等生だけど、作品中に叩き込まれた“みんなで全力投球しようぜ!”って勢い(と狸独特の間抜けさ呑気さ)は中々観てて気持ちがいいものでした。

狸の敗因は、人間を楽しませてしまったことな気がします。狸自身も化けることが好きで楽しくて、プロジェクトに夢中になって。
{netabare}人間を怖がらせて出ていかせるためなら、あんなに楽しいバリェーションは要らなかったのでは…^^;
狸には食物連鎖の頂点にいる人間の「恐怖」がイマイチ理解できなかったのかな。
途中出てきた団地のパレード中の、大波に団地が飲まれる幻想が一番怖いような。
前半に作品中で人間がチラホラ死亡してますが、後半の狸の死亡数と比べたら極小だからいいのかなんなのか。{/netabare}
そんな狸達は仲間の弔い中も、真剣にシンミリしようしとてても、喪の形式自体になんだか浮かれてきてしまうのが、スゲーなと思いました。打たれない。やはりシリアスになり切れない狸らの恐怖の薄さが敗因かなー。


人間の自然や動物に対する愚かさが突き刺さる点では「河童のクゥと夏休み」が勝りますね。
私は自然好きなので、もっとみんな自然好きになってしまえばいいのに(特に田舎の人ほどもっと)、とは常々思いますが。
別に茅葺屋根の家に住んでかまどでご飯炊くべきとは言わないけど、ゴミをポイ捨てしないとか、日常生活で使うものが何から出来ているのか考えてみるとか、除草剤撒かないとか…いかん説教くさくなっちまう…

夏も終わりだけど、狸気分で秋はじめの生活に入ろうと思えました。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 35
ネタバレ

ヲリノコトリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

ジブリベスト10のためのレビュー

【あらすじ】
多摩ニュータウン計画の推進とともに住む場所を失っていく狸たち。ぽんぽこ31年秋からぽんぽこ34年にかけての狸たちの奮闘を描く。

【成分表】
笑い★★★☆☆ ゆる★★★☆☆
恋愛★☆☆☆☆ 感動★★★☆☆
頭脳★☆☆☆☆ 深い★★★☆☆

【ジャンル】
ジブリ9作目(1994)、狸、都市開発、笑い

【こういう人におすすめ】
私イチオシ。「観たことない」と言っても割とびっくりされないジブリ作品。

【あにこれ評価(おおよそ)】
69.4点。あにこれ点数順では第13位。

【個人的評価】
何回考えなおしてもこれが私の中でジブリ1位になってしまう。不思議。
『自分のお気に入り』『おすすめしたい作品』

【他なんか書きたかったこと】
 ルパンベスト10を作った流れでジブリベスト10とコナン映画ベスト10に挑戦中。一般人でも分かるアニメ映画シリーズのベスト10があれば、私自身を理解してもらいやすいかなあと。

 ジブリ作品に共通するテーマとして「水の表現」と「対立」と「内包」があるというのをどっかで聞いた気がします。まあ水なんて2時間分のお話作ったらどっかで絶対出てくるし、対立と内包なんて曖昧な言い方したらなにかしら無理やりこじつけることは可能だと思いますが、その辺を踏まえてみてみるといいかもしれません。

 ↓以下一言くらいの感想
{netabare}
 おそらく、ジブリ黄金時代中盤の中だるみと認識されている作品。
 監督も宮崎駿監督ではなく高畑勲監督で、これ(1994)と、同じく宮崎駿監督が加わっていない「海がきこえる(1993)」の2作品が、「紅の豚(1992)」と「耳をすませば(1995)」という大作に挟まれている。
 ジブリとしても実験の時期だったことが推測される。

 この作品の内容にも「会話しているかのようなナレーション」、「ファミコン画面に似せたビット絵の説明シーン」、「神様の街づくりや巨大なショベルカーが山を削るなどの比喩的なシーン」など、随所に実験的なシーンが見られる。

 が、そんなことはどうでもよく、私の中のベストジブリ。

 何度も「マイノリティー気取ってんじゃねえぞ俺!」と自問しましたが、「紅の豚」と「もののけ姫」がどうしてもこれに勝てなかった(笑) そしてストーリーを振り返ってみて、私が好きな要素の集合体であることに気づく。

 ジブリ作品の中では例外的にゆるく、笑いに頼ったストーリー展開、そして真面目を装いながら笑いを誘うナレーション、全体から流れる実験的な空気、ジブリ品質の作画、ファンタジーでありながら妙に現実に即した展開、しかし最終的に「来るべくして来るバッドエンド」。
 「四畳半神話大系」や「秒速5センチメートル」をお気に入りの代表に挙げ、主食が「きらら枠」な私は、好きになるべくしてこの作品を好きになったわけです。

 これもレンタルで小学校上がるか上がらないかの頃に見た気がするので、九九も知らないガキンチョの頃から、今と同じような趣味嗜好だったようです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 15
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