シリアスで組織なアニメ映画ランキング 4

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のシリアスで組織な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年12月25日の時点で一番のシリアスで組織なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

76.0 1 シリアスで組織なアニメランキング1位
イノセンス -INNOCENCE(アニメ映画)

2004年3月6日
★★★★★ 4.1 (770)
4249人が棚に入れました
草薙素子(少佐)がいなくなって3年後の2032年。
少女型の愛玩用アンドロイド(ガイノイド)「ロクス・ソルスType2052 “ハダリ(HADALY)”」が原因不明の暴走をおこし、所有者を惨殺するという事件が発生した。被害者の中に政治家や元公安関係者がいたことから公安9 課で捜査を担当することになり、公安9課のメンバーであるバトーは新しい相棒のトグサとともに捜査に向かう。

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

果てしなく続くイノセントワールド

2004年公開の作品で、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の続編。
士郎正宗氏の原作はあるものの、
監督とシナリオを手掛けた押井守監督が好き勝手アレンジしているので、
押井守監督の作品と言ってしまってもいいでしょうw

視聴前から負け戦は覚悟していましたw
押井守監督フリークの友人の「当時視聴して衝撃を受けた(悪い意味で)」という言葉や、
難解な上、娯楽性は皆無という各方面の評判。
従って、視聴に至るまでの心の準備にかなりの時間を要しましたw

で、視聴したわけなんですけど、視聴直後の私のリアルな感想は
「これ、レビューどうしよう?」でしたw
頭の中が真っ白になる位書くことがないw
気が向いたらレビューを書くというのが私のスタンスなので、
別に無理に書く必要はないんですけど、押井御大の作品ですからね。 
視聴前から書くつもりではいたのですよ。

本作に対して批判的な方の感想を抽出すると以下の様なものになるでしょう。

・CGを駆使した映像美は素晴らしい
・ストーリー性は希薄
・詩や哲学を引用した衒学的な台詞回しにうんざり

映像は確かに圧倒されます。
今敏監督の「パプリカ」を視聴した際も感じましたが、前衛的なアート映像のようです。
でも結局それもストーリー性を伴っていないと、
観終わった時に映像しか印象に残らないんですよね。

本作のテーマは「人間と人形の違い」です。
本作のDVDの特典映像に押井守監督と
ジブリの代表取締役であり、映画プロデューサーの鈴木敏夫氏との対談というのがありますが、
この対談を観た方が本作を観るよりも本作のテーマを理解しやすいと思いますw

この対談で押井守監督が語っていることというのは、
人間の身体は言葉から生まれたのであり、言葉によってしか意識されない。
つまり、身体は言葉であり、名付けられたものでしかない。
言葉で語られることのない人間の外側にこそ本当の身体がある。
人間の外側の身体というのはどこに存在するのかといえば、
それは例えば犬であったり、人形であったりする。
人間は自分が失われた身体の代替物を、あるいは犬に求めている。
そして、人形というのは人間が作り出した観念としての身体である。

押井守監督は病的なまでの愛犬家として有名ですけど、
このようなテーマの着想は愛犬との触れ合いの中から生まれたものなのでしょう。
本作では、その本当の身体を汚すのは人間の醜い欲望ということなのですが、
そのアイディアはおもしろいとは思いますが、正直私にはあまり興味を引かないテーマでした。
いや、これももうちょっとストーリー性を伴っていれば
違った反応になっていたかもしれませんが、
如何せんストーリーがひどい、ひどすぎる!!

私は基本的に娯楽性を重視するタイプですが、
映画に何を求めるのかというのは、人によって千差万別であり、
立脚点の違いによって本作の評価というのも変わってくるものだと思います。

とはいえ、本作だって娯楽性というのを完全に度外視したわけではないと思います。
ただ、作り手のメッセージ性(主張)とストーリー性のバランスが著しく悪いです。
作り手のメッセージ性>>>>>>>ストーリー性では、
例外はあれど、娯楽性なんてまず生まれてこないでしょう。
論語や旧約聖書、哲学者の言葉をこれでもかと引用した
テンポを損なうボソボソとした会話劇も相まって
ひとりよがりの悦に入った作品にしか思えませんでした。

押井守監督フリークの友人曰く
「押井守監督は本当はすべての台詞を引用で済ませたかった」とのことです。
それが本当ならば、「正気か!?」と言いたいところですけど、
思うに、本作の登場人物はいずれも
人間の意識の外側にある本当の身体を持たざる者です。
言い換えると、言葉によって意識される身体の持ち主であり、
言葉に支配されている者たちということになります。
それを際立たせる為の引用ということなのかもしれません。
そして、そうすることによって人間と人形の違い、
つまり人間の意識の外側にある本当の身体というものを、
言葉でなく、感覚で感じて欲しいという狙いがあったのかもしれません。

もうそうなのであれば、おもしろい仕掛けだとは思いますけど、
結局のところ、娯楽性は二の次三の次という作りでは、
「もう自主制作でいいんじゃね?」と言いたくなるのも、むべなるかな、
というのが本作に対する私の印象です。
正直本作に限って言えば、この台詞にはこんな深い意味があるとか、
あの場面に繋がっているとかはどーでもいいです。

鈴木敏夫氏との対談で押井守監督はこのようなことを述べています。
「映画は言葉で語られることによって初めて存在する」

では、私は本作をこう語りましょう。
「莫大な制作費を投じた自主制作的な商業作品です」と。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 52

イシカワ(辻斬り) さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

あなたのハダリにゴーストは宿っているか

 記載されているレビューに対する反論・論戦を行いたい人は、メッセージ欄やメールで送りつけるのではなく、正しいと思う主張を自らのレビューに記載する形で行ってもらいたい。
 なおこれらのレビューは個人的推論に則ったものである。言い切っているような台詞も、独自の解釈の一環であり、一方的な決め付け・断定をしているのではないものだと思ってもらいたい。

『少女型のアンドロイド・ハダリが原因不明の暴走を起こし、所有者を惨殺するという事件が発生した』
 イノセンスのストーリーを非常に大まかにいうとこういう形になる。
 義体化。体の大部分を肉体ではなく、代替品でまかなえるようになったSFの世界の話である。

 ストーリー上、ゴーストという概念が非常に重要性を帯びてくるため、そこだけwikiから文章を拝借した。

ゴースト
 あらゆる生命・物理・複雑系現象に内在する霊的な属性、現象、構造の総称であり、包括的な概念である。作中においては主に人間が本来的に持つ自我や意識、霊性を指して用いている。
 要約すると人間の肉体から生体組織を限りなく取り除く、あるいは機械で代行していった際に自分が、自分自身であるために最低限必要な物、又はその境界に存在する物こそゴーストであり、生命体の根源的な魂とも表現できる。

 人形と人間の境界線をゴーストで隔てる、そういう考えが攻殻の世界にはあるようだ。
 では人間と人形の差は何なのか。また人が人形に求めているものは何かである。
 筆者はあるハーレムもののアニメを視聴していたとき感じたのだが、まるでキャラクターが生きているようには思えず、まるで人形に見えてしまったのである。なぜ、人形に思ってしまっていたのか。
 まず、女の子特有の、異常なまでの情報伝達の速さがある。人によっては光の速さで噂が伝わるとまで表現している。ハーレム状態で、主人公の男がそのうち特定の誰かと交際関係を始めたら、一挙手一投足、更には太腿や胸元などに視線を一つ向けたことまで、下手をすると一週間も経過しないうちに、見知らぬ女性にまで伝わってしまうことである。驚異的な噂話好きの女性達にとって、その程度は日常茶飯事なのだし、もっといえば生理現象といってもよい本能だと筆者は強烈に感じ、またそう思っている。
《「女」の字を三つ合わせるとやかましい意の「姦」の字になるところから》女はおしゃべりで、 三人集まるとやかましいという意味があるほどだ。
 それが起きるとどのような事態に変化するのか。何かあるたびに噂のネタにされ、ツツき回され、念入りに人間性を審査され、あること無いことまで吹聴され、話に尾ひれをつけられる。日常生活において支障を来たしてしまうのは無理からぬ状態になると容易に推測される。それがないのだ。
 また、ハーレムでも女性はちゃんと一人一人心を持っている。なので、相手にされず放置を続けると、不満が溜まる一方になっていく。そしてあるとき、見境も無く爆発したりすることがあるのだ。出物腫れ物ところ嫌わずという。だからといって、男が特定の女性一人に決めて行動すると、選ばれなかった他の女性の不満が爆発してしまうときがある。それがないと心を持っていないように感じるのだ。
 男性主人公からすると……
 誰にも女性の暴挙に対する愚痴一つ漏らせない。漏洩した瞬間から女性陣の一斉攻撃が始まるだろう。そして、いつ爆発するかもわからない不満を和らげるために、いつも周囲に気を使う仮面をかぶり、常に自制し続け、自らの意見が周囲にどう映っているかを考え、女性にとって都合の悪いことは何一つとして話すこともすることもできない。針のムシロ。恐るべき閉塞感の中で悶々とした生活を送ることになる……というのが筆者の考えだ。しかし、ハーレムものの中心にいる男性キャラクターにそういう経験したというのを見聞きしたことがない。もし誰か一人の女性だけに交際を定めた場合、女性同士の陰湿ないじめ、果ては自殺などに発展する可能性がある。ハーレムアニメの中でそのような事態になったというようなことも、筆者は見聞きしたことがない。

 ある女性アイドルの男性ファンが『○○ちゃんはウンチなんてしないんだ』といったという話がある。それを話題にしたところ、普通の人間なら、花くらい摘みに出かけることもあるはずだという反論も出た。
 アイドル業はファンあってのものなので、事務所側は汚いものは見せない、イメージダウンに繋がることなどさせたがらない。それは、ある女性アイドルの話を偶然仄聞した事項まで連想させた。アイドル自身、その人を演じていた。あの人はこういう人なのだという言い回しをしていたのを思い出す。等身大の人間ではなく、ドラマの中の登場人物のように演じているのだと。アイドルの語源は偶像である。
 ハーレムアニメのキャラクターは生きているようには見えず、単なる人形・マネキンだと自ら表現したことに対して、同じく自ら反証するとしたらどうなるのかと自問した。答えは、お約束によってアニメが成立するため、人形であろうと問題ない。噂話に興じるような女性特有の生理現象と思えるものがなくてもよい。問題ないという結果になった。
 その矛盾点がないとストーリーとして成立しないのならかまわないのである。それはお約束なのだ。
 単なる手抜きであったとするのなら、そういう矛盾点がなくてもストーリーとして支障を来たさないどころか、あるとストーリーが破綻したりする類のものだろう。
 女性的な生理現象としての噂話、光の速さで浸透する情報はなくてもよい。
 そういう思考にたどり着いて以来、筆者は生理現象のない人、極端な話、花も摘むこともない人の形をしたものでも気にしなくてもよくなったのである。
 筆者がなぜマネキンと評してしまったのかは、生理現象が無い=生きていないと感じたからだった。

 涼宮ハルヒの声優さんが、スキャンダルを起こした、起こさないで揉めたという話が出たことは筆者の記憶に新しい。声優さんとキャラクターは別の存在であり、非難するに値しないという解釈は十分成り立つ。しかし、中の人という表現もある。騒ぎになってしまう原因は、声優とキャラクターを同一視するか、それに極めて近い感情を有している人々がいるからだと推察できる。
 こうしてみると、ハーレムもののアニメはメタ的な作りになっていることに気付いた。まず男性視聴者がアニメの女性キャラを求め、アニメの女性キャラたちは一人の男性キャラクターを求める。その男性キャラクターは男性視聴者の分身として製作されているのではないかと思える。男性キャラクターは一人だけだが、男性視聴者は大勢いてかまわない。この特殊な構造を生み出すことによって、男性視聴者を満足させる試みがなされているのではないか? 以前なら、アイドルの恋愛はタブーのような人気業種だろうし、今でもあまり変わり映えがしないように思える。声優さんの例を挙げるまでもなく、恋愛対象などいないことが好ましかった。それをアニメというジャンルによって、アイドルを擬似的に恋愛させる、恋愛対象は男性視聴者の分身という形に変化したのではないだろうか。
 当然例外は存在するものの、基本的にハーレムものの女性キャラクターは男性視聴者を落胆させるような作りにはなっていないように思える。落胆するかどうかの基準についても、視聴者の目線は主観的であるため、確実性があるとはいえない。
ここまでのまとめとして、アニメのキャラクターも、人気女性アイドルも、同じく偶像的という類似点があるといっていいのではないか。
 男性視聴者の嫌がる生理現象を行わないため、結果として生きているように見えず、マネキンと思われてしまうことがある、ということだ。

 偶像化の類似種として登場するハダリ。
 アイドルも、人形・ロボットのハダリも同じように偶像の類似種としてみることはできるのだろう。ハダリそのものは、女性アイドルの代替品として存在しているような感覚を筆者は覚えた。求めるものを具現化する、というやり方はアニメもアイドルも、類似点がある。
 筆者が想起したもの。ハダリの存在理由は、俗に言う嫁ではないかという感想である。アニメの女性キャラクターを指して、自分の嫁だと思うことだ。嫁が画面から出てこないという表記があにこれにもある。あれだ。
 イノセンスの最初の場面を視聴していたとき、筆者の頭の中では、ある想像、いや妄想といってよいものが起きていた。

 以下妄想。
 俗に言う嫁を脳内で愛おしく思っている男性視聴者の学生が、いそいそと塾から戻ってきて、夜食を取りつつ、お気に入りの嫁の映っているアニメの視聴時間が来たのでテレビにスイッチを入れた。
 アニメの主人公の男性はあまり冴えない容貌で、これといった特徴もない人柄。人によってはへたれと呼ばれてしまいそうな性格である。そして、思春期の学生らしく、女性に自意識過剰になってしまいがちで、リビドーを押さえることが難しい感覚を受ける。
 嫁の傍に近寄って、欲情の視線で盗み見た瞬間……
 なぜか嫁は、激しく暴走し、信じられないほどの腕力で主人公の男性を素手で滅多打ちにし、撲殺してしまう。血塗れだ。鮮血が飛び散って文字通り周囲を塗り尽くしている。付近の壁によりかかるようにして斃れた男性主人公の頭蓋骨は陥没し、はみ出た脳が地面に垂れ下がっている。
 溜まりに溜まってきた怒りか、堪忍袋の緒が切れたように爆発したのか。
 周囲にいた人々は怯え、警察を呼ぶ。嫁は路地裏に逃げ込み追い詰められる。路地の突き当たりにまで行き着いた嫁は逃げ場を失っていた。
 そこにやってくる一人の刑事らしき大男。大男と対峙した嫁は叫んだ。
「私は我慢してただけよっ!私は男の奴隷じゃないっ!男のいいなりになんかならないっ!」
 大男は無言で拳を嫁に叩きつける。逃げ場を失った嫁は、どこから持ってきたのかわからない包丁で自分自身の体を切り刻み、自害した。
 凄惨な現場で取り調べが始まる。テレビ画面を見ていた学生の男は呆然として、一言いった。

「俺、殺されてる」

 以上妄想終了。

 ある若手の女性ニュースキャスターが、自分のいいたいことを表現したところ、職場の男性陣からいろいろといわれたという。あいつは生意気だ。人から言われたことをやっていればいいのだ。女が自分の考えをニュースでいうなどおこがましい、と。結局その女性はニュースキャスターを辞めたという。
 男性視聴者の手前、職場からいわれている手前、規制されているような状況と類似した不満。それが爆発したかのような……その記憶との連想を想起させる事件がイノセンスでは起きている。
 筆者のした妄想を、攻殻という形で表現したら、作品としてイノセンスができあがった。そんな感じがしたのだ。事実としてそんなはずはなかった。先に作品はできあがっているのだから。
 筆者が注目したのは、事件を起こしたのが人間ではなく、女性型ロボットのハダリであったことだ。人間型であっても、人ではないはずだ。しかし、どう考えても筆者からみてハダリは「生々しい女」だった。
 ロボットは怒りで人を殺さない、ロボットは逃げたりしない、ロボットは追い詰められたからといって自壊しない、……そのはずだ。それとも前もってプログラムされていたのか?
 男性視聴者の嫌がる生理現象を行わないため、結果として生きているように見えず、マネキンと思われてしまうアニメの女性キャラクターは、飽くまで人という設定だ。生身のはずなのだ。なのにイノセンスでは人形であるにも関わらず、ハダリは生身の女のように思えたのだ。
 それは様々な人々によって意図的に隠蔽されてきた、剥き出しの人間性が露出していたからではないか?

 イノセンスのワンシーンが回想される。
「ああ、俺もよくやるよ、感想」
「あんた出世しないな」

 義体化率が90パーセントを超えてしまう人間が闊歩する世の中で、人と人形の差は縮まり、曖昧なものになっている。それが攻殻の世界にみえる。では人と偶像の明暗をわけられるものがあるとしたら、それは一体なんなのか?
 そもそも、なぜそのような事件が発生してしまったのか、原因は何か?
 それを追っていくのが、筆者から見たイノセンスである。

 もし、嫁が暴走をしはじめたらどうするか?
「カオがよくてお金持ちで性格のいい若い男なら」
「今まで素振りもみせなかったけど、ほんとは冴えない男と付き合いたくないよね」
 人間からみたロボットの立場は、奴隷だという人もいた。ゴーストを持たぬ奴隷。ではその奴隷が人間性・ゴーストを持ってしまったらどうなるのか。
 アニメの女性キャラは決して男性視聴者の奴隷ではない。ゴーストはすべての女性キャラに宿っている。そういう人もいるだろう。しかし、アイドルとアニメの女性キャラを比較すると完全にそういい切れないところも出てくる気がするのだ。アイドルは実際にいるし生きている。アニメのキャラは生きているとはいえない、と言い切る人も出てくるだろうし、意見が分かれてしまうだろう。
 規制されていたものがなくなったとき、男性視聴者の予想外の言動が出てきてしまったらどうするのか。その時、若手の女性ニュースキャスターの職場にいた男たちのように、お前は黙って男の望んだとおりに動いていればいいんだ、といえばいいのだろうか?
 それとも、受け入れてやるのだろうか?
 薄い本が好きな、アニメ好きの男性たちの欲求を商品化するとどんなアンドロイドが作られていくのかと想像する。答えは、アニメのキャラそっくりのセクサロイドが作られるのではないか。キャラクターが描かれた抱き枕の発展版かもしれない。それと極めて類似するハダリ。
 ハダリから感じた……剥き出しに露出した人間性、そうみえたものが、ゴーストのように思えてしまったのである。ご主人様を殺害してしまったハダリにはゴーストが宿っていた。
 やたらと夜のオカズにされたりしているアニメの女性キャラは暴走しない。
 そこに、ゴーストは宿っているといえるのか?
 その話をしたところ、

『まぁ当然ゴーストが宿っていたから暴走したというのは間違いないですw』
『ゴーストがやどっていて大人しくしているとしたら、よほどのマゾですね』

 という意見が返ってきた。
 嫁に殺されるご主人様を題材にしたアニメを作るあたり押井監督はえぐい。しかし、その意図はどこまで一般視聴者に読み取られているのか。いや、筆者の勝手な想像にすぎないのか?

 そのようなことを夢想していた。忘れてもらってもいいのだが、心のどこかで筆者は問いかけてしまうようだ。


 あなたのハダリにゴーストは宿っているか、と。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 26
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

詩のようなアニメって表現がしっくりくる

押井守監督による攻殻機動隊の映画版第2作。
1作目の続きです。

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 → http://www.anikore.jp/anime/1798/

イノセンス -INNOCENCE → http://www.anikore.jp/anime/1864/


前作とよく似た雰囲気です。
オレンジを基調とした美しいグラフィックとBGM。
独特の間が目立ちます。
また、いったん口を開けば高密度な哲学的テーマが飛び出すのも前作と同様です。


正直、かなり難しい内容でした。
次々に出てくる仏典や聖書や偉人の言葉。
そして、映像による数々のトリック。
1回見ただけでは頭がパーン\(^o^)/です。

雰囲気や動きはいいんですけどね。
いかんせんわかりにくい。
何度も見るのを前提にしたほうがいいかもしれません。


今回の主人公はバトー。
ロボットの暴走によって所有者が殺害されるところから話が始まります。
単なる暴走なのか、それとも仕組まれたものなのか?
トグサやイシカワとともに捜査に乗り出します。
それに前作で{netabare}ネットの世界にダイブ{/netabare}した素子(もとこ)への淡い恋心が絡めてあります。

しかし、はっきり言ってストーリーはおまけみたいなもの。
テーマ性と雰囲気が肝ですね。

テーマは、

「人間と人形の違い」

でしょうか。
前作と似た感じかな?

「機械化された人体」と「疑似体験」がカギをにぎっています。
機械化された肉体は、どこまでが「人間」でどこまでが「人形」なのか。
存在する記憶は、どこまでが「現実」でどこまでが「虚構」なのか。
人間を人間たらしめるのは何か。
器なのか、記憶なのか、その両方なのか。
答えは出していませんが、その境界線のあいまいさを説いています。

しかしまあ、難しかったですね(少なくとも私には)。
前作もそうでしたが、それ以上の難解さ。

・難しい言葉をひもとくのが好きな人
・芸術的な雰囲気アニメが好きな人
・攻殻機動隊が好きな人

この3つを満たしている人に向いていると思います。
なんというか、詩を読み解いている感覚になります。
芸術的なのですが、視聴者に優しくない、そんな作品でした。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 53

61.5 2 シリアスで組織なアニメランキング2位
劇場版 BLOOD-C The Last Dark(アニメ映画)

2012年7月7日
★★★★☆ 3.5 (256)
1168人が棚に入れました
古くから湖への信仰が残る風光明美な町にある浮島神社。そんな浮島神社の巫女 更衣小夜(きさらぎ さや)は、神主である父親 更衣唯芳(きさらぎ ただよし)と二人暮らしをしている。小夜は 私立・三荊(さんばら)学園に通う高校2年生で普段はクラスメイト達との学園生活をめいいっぱい楽しんでいるのだが、一方で、父の命を受け ある「務め」を果たしていた。それは、『古きもの』と呼ばれる、人を遥かに凌ぐ力を持ち、人を喰らうモノを狩ること——。『古きもの』を唯一倒すことができる小夜は、人を『古きもの』から守るため、大好きな父親のため、浮島神社に伝わるという御神刀を手に独り、戦う。果たして小夜に待ち受ける運命とは!?
ネタバレ

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

小夜 is back! 「忘れるな、七原文人は私の獲物だ」 そういって彼女が“帰って”きた

先にバシッといっちゃうと、テレビシリーズをご覧になった方ならやはりこのブラシーと言えば真っ先に感じたであろう、あの怪しさを軽く通り越した“得体の知れない気持ち悪さ”が今作にはありません
『テレビシリーズのまんま』あるいは『アレ以上』を期待してる方には残念な作品になってますの;


レーティングは一応『PG12』(小学生には助言・指導が必要)です
これでPG12ならテレビシリーズにはせめて『R-15』ぐらいくれてやってくれw


キャラの設定や用語を瞬時に理解するにはテレビシリーズの視聴が前提としてあるものの、『何もかも全てがフェイクだった』という【夢オチ並な超展開】を見せたテレビシリーズ終盤のせいか、多少『雰囲気違いの裏切り』に遭います
が、もはやあの設定では許容してやるしかないのでしょうw


それに加えて、特にテレビシリーズを観てない人でも楽しめるように作ってあるので、あんまし謎を深く追うことを考えず、頭をまっさらにしてご覧になることをオススメしますね


良くも悪くも今作は<モンスターパニック映画>ですよ


七原文人が小夜に固執する理由も、もはやテレビシリーズ終盤でバレバレだったわけですし
特に「あっ!と驚くドンデン返し」は無いんです


まあ強いて挙げるなら小夜に遠まわし過ぎてイミフな助言を続けていたあの「喋る子犬」の正体が明らかになりますぜ
オイラ観る前はすっかり子犬の存在など忘れてましたがwww


今作が『BLOODシリーズ』の一作というよりも{netabare}『CLAMPワールド』の一作{/netabare}だったことが解ったのにはちょっとびっくらこきました^q^











監督はBLOOD+の3期OPや東京マーヴルチョコレートを手掛けた塩谷直義に交代しましたが、今作ではCGを多用した一人称視点の激しいカメラワークが目立ちます
カメラ酔いには要注意です


作画の点では流石のI.G、さらにはゲストアニメタにもウメンヅ、西尾鉄也、中島敦子、千葉崇洋、かがみん等など、テレビシリーズに引き続き豪華なメンツを揃えてきました
(かがみんはどうせ顔芸担当ですねwわかりますw)


音楽はエウレカセブン1期やテレビシリーズ版BLOOD-Cも手掛けた佐藤直紀が続投
重厚なオーケストラサウンドが再び大いに盛り上げてくれます


「もうブラシーなんて忘れちゃったよ」「どうしてもおさらいしときたい!」って方は公式サイトの【のねのね劇場】をご覧になってくださいなw
本編で笑えない分、どうぞ笑ってやってw










いやはやしかしまあ;
最近の藤咲淳一はなんで『ネットワークを自在に操る子供』っていうキャラクターにあそこまで拘るのか
よく解りませなんだ┐(´~`)┌
なんでそこだけ『ルー・ガルー』から引っ張って来たん?

投稿 : 2024/12/21
♥ : 18

ゆりなさま さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

勝者には褒美を 敗者には罰を・・

劇場版  BLOOD-C The Last Dark(完結) 約120分

アニメでの舞台 浮島から半年。舞台は東京へ。

アニメに比べ、あまりグロイシーンは少なかったです。
悪魔で比べてなので、苦手な人は注意です。

劇場版では新キャラ達が登場。
声優さんもちょっと豪華☆

正直あまりパットしたシーンがなかったように思います。
小夜も本来の自分に戻っているのでアニメの時のような明るい
小夜は劇場版ではもう観れません。

個人的に良かった点は・・
CLAMPの別作品『XXXHOLiC』の主人公 四月一日 君尋(わたぬき きみひろ)
が登場した事。
アニメでも別の形で登場してましたが、劇場版では本人登場。
一時、XXXHOLiCのコミックを読んでいたので、
こうやって別作品に出てくれるってなんだか嬉しいですヽ(*´∪`*)ノ"
この作品ともリンクしてたんだ!と。
いつのまにか読まなくなっていたのでXXXHOLiC本編みたくなりました。

終盤でてきた・・うーん・・青色した・・怪獣!!にしておきます。
この怪獣なんか映像がとてもリアルでしたっw
劇場で観たら結構な迫力だったのでは・・。
ただあっけなかったですね^^;

勝者には褒美を・・敗者には罰を・・は、想像してたのがほぼ当たりました☆

案外静かに完結した劇場版だったな〜って印象です。
でも物語は、やはりよくできていたと思います!!
パットしなかったのは、アニメ版が強烈すぎた・・っていうのも1つの理由かな。
なんにせよグロ苦手な方はオススメできない作品ですので
観るときは注意してください^^
とりあえず無事観終わり、これにてBLOOD-C終了させます。

読んでくださりありがとうございましたヽ(´∀`*)ノ


読んでくださりありがとうございましたヾ(●´□`●)ノ

投稿 : 2024/12/21
♥ : 30
ネタバレ

おなべ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

復讐と愛憎の物語(レビュー超改変版)

スローテンポの内容、やり過ぎなグロ描写、最終回のどんでん返し等に賛否両論(否の方が圧倒的)だった「BLOOD-C」の劇場版作品。あにこれでは劇場版も評判が芳しくないようですね。テレビ版に懲りずに映画館にまで観に行った口ですが、いやはや…またも「BLOOD-C」には楽しませてもらいました。


テレビ版は黒幕を後一歩で取り逃がした所で終了し、劇場版は黒幕と遂に対峙します。舞台は田舎からCLAMPお墨付きの東京に、季節も夏から冬に変わっています。作風だけではなく制作スタッフもテレビ版と異なっています。

脚本はBLOODシリーズにお馴染みの藤咲淳一さん、監督は水島努さんに変わり塩谷直義さん。
名前だけ聞くと「え〜と…」と思いましたが、「このアニメOPがかっこいい」の一例でよく挙げられるBLOOD+の3クール目OP(曲はUVERworld「Colors of the Heart」)の絵コンテや演出を手掛けた方だったそうで。意外とBLOODシリーズに関わり深い若手監督です。これは…きっと今回もシャレオツに仕上がった作品になっているに違いない!!そんな期待をして公開当時ワクワクしていましたね。


以下様々な観点からレビューをしていきます。


・すげぇ作画
まず第一に注目したいのは、作画の質がテレビ版に加えて格段に向上しています。特に背景美術が素晴らしいことこの上なし。東京の冬景色からは寒さまで伝わってきます。初代BLOODのリスペクトとも言える冒頭の地下鉄の描写も緊迫感があります。リアルな東京の町並みが良く再現出来ていました。


・ふつくしいキャラデザ
Production I.Gの最終兵器と言われている(らしい)黄瀬和哉氏の小夜のキャラデザが美し過ぎて惚れ惚れします。眼鏡がないだけでこんなに小夜は違うんだねえ…。
CLAMPのキャラ原案も、テレビ版より比較的リアル頭身に近づけたそうです。本作では肉付きがしっかりしたキャラデザになっていました。これなら刀振り回しても違和感はない、はず。


・一本調子でないカメラワーク
作画云々言いましたが、個人的に劇場版「BLOOD-C」で最も評価したいのはカメラワークです。テレビ版では一歩引いたような客観的視点が非常に多く、臨場感のない戦闘シーンにはヤキモキしたもんでしたが、こちらでは真逆の痺れる戦闘シーン目白押しです。冒頭8分の目紛しい戦闘が良い例でしょう(逆にこの8分が凄過ぎて、後の戦闘は物足りなくなってしまうかも)。縦横無尽に動くので、酔わないようにご注意下さい。
戦闘シーンだけではなく、会話シーンも然り。各キャラが話す度に画面が切り替わる事はあまりなく、カメラの長回しで演技を見せています。最近やたらめったらチャッちさを感じるカット演出が多い作品の中、本作では平面的な演出は一切せず、きっちり丁寧な演出で会話シーンを見せてくれたのが好印象でした。

あんまり誉め称えるだけだと怪しい業者に見えそうなので、そろそろツッコミ所も交えて挙げていきます。


・「さやー(棒」が気になる
アニメに事欠かせない声優さんの話題に切り替えます。本作のオリジナルキャラでもありヒロインでもある「柊真奈」っていうキャラに、何でか分からんけど朝ドラ「あまちゃん」でご存知の方も多い橋本愛をキャスティングしてます。
予告編CMで水樹奈々の演技が気になった方も多々いらっしゃいましたが、橋本愛が結構な大根演技を本編で喰らわせてくれる為、左程気にならなくなっていきます。脇を固めるのが実力派声優さんばかりなので、かなり浮いてしまっています。「さやー(棒」と叫ぶ声が耳にこびり付きました。
ただ、やる気が感じられない棒読みでは決してなく、声質そのものは綺麗だと思ったので、今後の橋本愛の演技力の向上に期待したいです。


・小夜のキャラが変わり過ぎている
いやね、鼻歌口ずさんでばかりいたお気楽天然系キャラが、いきなり無愛想で無口なキャラに変わってたらそりゃ違和感は拭えません。テレビ版の小夜とは正反対のキャラになっているので、テレビ版を見ていた方は本作の小夜の性質を受けいられるか否やで、印象が大きく変わりそうです(キャラが変わった理由はちゃんとあります)。
また、本作では小夜の過去や真相には追求しません。彼女が何を思っているか明確な心理描写も少ないです。小夜の事をもっと知りたかった方には残念だったと思います(ただ、自分のことを多くは口にしないものの微妙な表情の変化から、少なからず心情を読み取れます。)
私は劇場版の小夜の寡黙なキャラが直ぐに好きになれたので、別段違和感はなかったです。水樹奈々の演技もこちらの方が合っている気がしました。


・黒幕との絡みが少ない
一番の欠点がこれかなあと。黒幕の親族が劇中で関わってくるんですが、そいつの話題は別にどーでもいいんです。こっちは小夜とアイツの絡みが早いところ見たいのに、終盤まで真っ向から対峙しないので、無駄なシーンが多く感じてしまいます。
お世辞にもフォロー出来ない最大のツッコミ所は
{netabare}ハリウッド映画級のハッキング万能性能力です。”塔”の本拠地を見つける手立ては、もっと順序立てて出来ないものかと。ハッカー有能過ぎぃ! {/netabare}
小夜とヒロインの交流の方が圧倒的に多いです。この2人の絡みに面白みを感じるか感じないかで、本作を駄作か良作か分離すると思います。
{netabare} しかし、真奈と小夜の掛け合いは中々面白い。小夜は最初ぶっきらぼうで、無視もするんですが、犬みたいに引っ付いて来る真奈に悪い気がしないのか、次第に心を開いていきます。中盤で古きものとの戦闘シーン、今まで真奈のことを「お前」呼ばわりしていた小夜が始めて真奈を名前で呼んで身を犠牲にして守るシーンは燃えた。小夜がツンからデレに変わっていく過程がとてもわかりやすく描かれています。百合?百合だろうがいいものはいいんです。文人よりも真奈との絡みの方が結構楽しめました。{/netabare}
そして黒幕の目的がわかりにくい。明確な動機ではないので、もうほんと何がしたいんだよ、あんた…となってしまう方も多そうです。
{netabare} 小夜を心底愛していたが故の文人の行動理由は、個人的にはアリでした。でも、意味が分からんという意見も納得出来ます。やはり文人と小夜の掛け合いももっと時間を取ってほしかったです。
小夜の心情描写が少ないないですが、復讐の鬼には成り切れず、迷いや情けを時折見せる人間臭いキャラクターは逸脱だったと思います。蔵人さんから「君も文人を殺したいのは同じだろう?」とか言われた後の微妙な表情が特に(水樹奈々さんの「ん…」と唸るような演技も良かったです)。小夜は憎しみを持ちつつも心の何処かでは文人の事を理解しようとしていたのかもしれませんね。
自分の心情をベラベラ喋ることはせずに、表情や行間で感情を読む映画的な要素は大いに評価したいです。{/netabare}


・結局CLAMPじゃねーか!
これを見ると「BLOOD-C」の"C"って結局CLAMPの"C"じゃねーか!という事になります。ファンサービスなのかもしれませんが、個人的には自重してほしかった…。考え直すと黒幕の目的もCLAMPらしい動機です。




・他色々・総評
復讐モノとして名義を立てていますが、クエンティン・タランティーノ監督のようなスカッとするスタンスとは全く異なります。その上脚本は結構荒々しいので、ツッコミ所も目紛しくあります。冒頭8分は非常に引き込まれるのですが、それ以降山場が中々来ないので肩透かしくらっちゃう方もいそうです。そして終盤の辺りの駆け足具合が目に余ります。
そんなやっつけ部分が何ともB級アクション映画っぽいです。滅茶苦茶なカオス描写はないので、テレビ版が好きだった方は物足りないかもしれません。グロ描写もテレビ級を期待するのはやめましょう。

でも、作品からは制作者が何でもいいから印象に残るよう見てもらおうとする意気込みが感じられました。だから多少の荒っぽさもある意味微笑ましいというか、ま、細かい事はいっか〜アクション格好良かったし!と私は思ってしまいました。とても不思議。それは小夜のキャラクターを好きになれたからかもしれません。

「BLOOD-C」はBLOODシリーズの汚名をそそいだ超駄作なんてよく言われていますが、こうして楽しんだもんもいます。世間的には失敗作だったのかもしれませんが、私にとっては大いに楽しめた価値のある作品です。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 17

75.6 3 シリアスで組織なアニメランキング3位
PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3「恩讐の彼方に」(アニメ映画)

2019年3月8日
★★★★☆ 4.0 (163)
976人が棚に入れました
3つの物語の舞台は約100年後の日本とアジア――その現在、過去、未来に起きる事件が語られる。事件に立ち向かうのは、規定値を超えた〈犯罪係数〉を計測された〈執行官〉たちと〈シビュラシステム〉が適性を見出したエリート刑事〈監視官〉たち。犯罪を未然に防ぐために必要なものは、猟犬の本能か、狩人の知性か。事件は思わぬ事実を明らかにし、世界のあり方を映し出す。これまで語られていなかった『PSYCHO-PASS サイコパス』のミッシングリンクがついに紐解かれる。

声優・キャラクター
関智一、諸星すみれ、本田貴子、志村知幸、磯部勉、高木渉、鶴岡聡
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

終わりなき自分探しと居場所探しの果てに……

少し前、世界を旅すれば人生の指針も自分も発見できると言う、
旅万能論に基づいた自分探しの旅がもてはやされた時代がありました。

実際には、サッカー選手が世界を旅して改めてサッカーに関わりたいと思い直す。
くらいの心のリフレッシュ効果があれば良い方で、
旅先で人生前後不覚になり“沈没”するリスクまであると言うのに。
俺は旅で夢を見つけたと自身の半生を伝説化する経営者など、
旅が美化される風潮に私はある種の気色悪さを感じたものでした。


このような捻くれ根性で、本作を劇場鑑賞した私にとって、
狡噛慎也が長い放浪の旅の果てに辿り着いた、
ヒマラヤを望む「チベット=ヒマラヤ同盟王国」
その絶景はシャンバラさながらの理想郷の姿をしながら、
内実は、麓の都市文明同様……いやそれ以上に矛盾を抱えたディストピアそのもの。

因みに現実のヒマラヤ山麓も、麻薬問題、貧困による児童人身売買が横行。
“幸福度世界ナンバーワン”の触れ込みで度々来日してくる某王国も、
足下では内紛の火種を抱えているのです。

この世の果てとも言うべき、“世界の屋根”に至っても尚、
人は、狡噛もまた、己が背負う過去や宿命から解放されることはない。
作品内世界、リアル世界共に、乖離しがちな理想と現実に
私は苦虫を嚙み潰しながら、
復讐に囚われた少女と向き合う狡噛の姿を見ていて、
もう旅もそろそろ終わりで良いのでは?と何度も語りかけたくなりました。

さらに極めつけだったのは黒幕の所業。
(※重大なネタバレ有)
{netabare}傭兵ガルシアに至っては、平和維持活動による世界平和という理想郷を演出するため、
鎮圧すべき紛争を自作自演して、己の存在意義をでっち上げるマッチポンプぶりを披露。
過去の自分の理想像に囚われ、シャンバラを汚す人間の姿はどこまでも哀しいです。{/netabare}

よって……(※ラストの重大なネタバレ有)
{netabare}日本帰国の決断に至った狡噛の心情は筋が通っていると感じました。
狡噛が行った復讐とそれにより生じた諸々の葛藤のモヤモヤを晴す
万能薬は世界の何処にもなくて、
やはり、狡噛自身が、発端となった日本で解決する以外にないのだと納得しました。{/netabare}

結局、己の運命を決めるのは、旅先の壮大な自然風景ではなく、
自分自身の心の風景次第。
私の中の旅万能論への懐疑が一層、強まる(苦笑)
苦味が利いた有意義な映画鑑賞となりました。



主人公らを一新して迎えるTVアニメ3期は、本劇場三部作でも描かれた
シビュラが社会を統制するシステムとしての地歩を固めるため、
繰り広げて来た、霞ヶ関内での暗闘が引き続き背景になるものと思われます。

これまで厚労省のシビュラVS他省庁については、
本三部作第二部では、{netabare} 国防省{/netabare}の威信を失墜させる陰謀が明らかとなり、
TVアニメ2期では、{netabare}「パノプティコン」で社会基盤の座を争う経済省{/netabare}の野望粉砕の過去が明かされ、
他にも、政官の中枢にまでシステム末端を食い込ませる策士ぶりを見せています。

そして、今回、前作劇場版&本三部作を通じて次なるライバルとして
{netabare}外務省{/netabare}の暗躍が強調されました。
旧世紀、伏魔殿と恐れられた難敵。シビュラも相手にとって不足はないでしょうw
伏魔殿の手先たるフレデリカさんも金髪美人だし、巨乳だし、
スナイパーだし、雑賀流・心理学の使い手みたいだし、
何より“棄民”とかシビュラの痛~い所をネチネチと突いてくるし、
排除するにも一筋縄ではいかないでしょう。


ただ、本劇場三部作は2期、劇場版1作目と3期をつなぐ上で事前に予習必須なのか?
と言うと何とも微妙なところと思っていて。

3期を視聴していて、例えば、新主人公コンビの脇に回された旧作メンバー等を見ていて、
おや?こんな人間関係あったっけ?と気になった時なんかに、
或いは、黒幕が過去何をしていたのか知りたくなった時なんかに、
フラリと本三部作に舞い戻る感じでも遅くはないのかなと私は思っています。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 21
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

正義は歪んだ世界を照らす

シリーズ原案、虚淵玄。

人間の心理状態を数値化し管理する近未来、
犯罪係数を基に潜在犯を追う刑事のSF活劇。

[1]罪と罰
[2]FIRST GUARDIAN
[3]恩讐の彼方に

新劇場版はかつての物語の補完として、
テレビシリーズ直前直後の事件を描いている。
2112年~2117年が舞台である。

霜月と執行官となった宜野座の物語では、
経済省特別行政区からの女の逃走劇から始まる。
その犯罪者隔離施設サンクチュアリでは、
潜在犯たちを鉱山労働に従事させている。
{netabare}事件の背後で見え隠れする各省庁の動き、
そして秘密裏に任務を遂行するシビュラ。{/netabare}

続く第2部の物語では、
国防軍所属時代の須郷と征陸の邂逅、
外務省花城フレデリカの色艶に興奮する。

物語を締めくくる第3部は、
日本を脱出しアジアでゲリラ活動を続ける、
狡噛の新たな旅路の物語である。
{netabare}このまま現世を彷徨う悪霊となるのか、
自問自答の果てに日本へ帰還することを誓う、{/netabare}
彼に興味は尽きない。ここは沸きましたね。

新たな敵と遭遇し信念を基に行動する。
また正義と向き合い躊躇うのでしょう。
これが正しい道なのか!?と。

新劇場版が躍動する起爆剤になって欲しい。
そう願いを込めて待っています。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 19
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

執行モード、無いほうがいいかも!

  狡噛慎也の滞在地域でのお話だったです。今までのサイコパスにない派手さはなく、悪くない出来だったかなぁです。狡噛と出てきた少女のふれあいは、人間味があったです。

 訪れた先で、絡まれる狡噛がいたです。{netabare}そこで、ガルシアというオッサンに命を助けられることにです。ガルシアを通し、次の目的地へです。

 武装ゲリラに襲われる難民バスを助けたことによって、その中にいた少女テイジンから家族の敵を討つため、戦う方法を教える先生になってほしいといわれるです。
 でも、狡噛はそんなテイジンを突き返すことなく、身を守る手段だけを教えることするです。

 そこから、展開が突然やってきて、話は進むのです。

 仇を偶然見つけるテイジン、仇を追った先で見たものは!です。復讐をするのか?どうするのか?事態は、思わぬ方向へだったです。

 その前からテイジンに復讐をすることはどういうことなのか?、一度人を殺してしまった先はどうなるのか?を説いていた狡噛だったです。テイジンに復讐をさせない事を願う、狡噛を見たです。その結果が、このシーンに関係するかもしれないです。

 いいと思っていた人が、実は・・・・・です。

 最後に狡噛が、選んだ行動は、テイジンに大きなものを残す結末だったです。{/netabare}

 不器用な狡噛の性格、人間性をを描いた展開だったと思うです。R12指定だったのは、あまりよくわからなかったけど、。{netabare}普通の入浴シーン{/netabare}だったのかなぁ???です。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 5

76.5 4 シリアスで組織なアニメランキング4位
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(アニメ映画)

2021年6月11日
★★★★☆ 4.0 (181)
737人が棚に入れました
第二次ネオ・ジオン戦争(シャアの反乱)から12年。U.C.0105——。地球連邦政府の腐敗は地球の汚染を加速させ、強制的に民間人を宇宙へと連行する非人道的な政策「人狩り」も行っていた。そんな連邦政府高官を暗殺するという苛烈な行為で抵抗を開始したのが、反地球連邦政府組織「マフティー」だ。リーダーの名は「マフティー・ナビーユ・エリン」。その正体は、一年戦争も戦った連邦軍大佐ブライト・ノアの息子「ハサウェイ」であった。アムロ・レイとシャア・アズナブルの理念と理想、意志を宿した戦士として道を切り拓こうとするハサウェイだが、連邦軍大佐ケネス・スレッグと謎の美少女ギギ・アンダルシアとの出会いがその運命を大きく変えていく。

声優・キャラクター
小野賢章、上田麗奈、諏訪部順一
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

シャア・アズナブルの亡霊

サンライズ制作。

第二次ネオ・ジオン戦争より12年、
地球連邦政府の腐敗した政治に抵抗すべく、
ハサウェイは反地球連邦組織マフティーに参加。
アムロ、シャアの理想と理念を宿し道を切り拓く。

戦争ではなくテロとの抗争が描かれるようだ。
ブライトの息子、ハサウェイ・ノアは、
組織を率いるほどの青年に成長している。
反政府組織の急先鋒としてのマフティー、
マフティー殲滅を任務・遂行する連邦軍大佐、
そしてシャトルに乗り合わせた美女アンダルシア。

あまり難しく考える必要もないでしょう。
{netabare}物語の主要メンバーが搭乗便の襲撃を受け、
立ち位置を明確にし、それぞれが活躍する。{/netabare}
物語の導入部としては素晴らしいものがあります。

後半はMSによる、戦闘がありますが、
操縦室のモニター、造形、音響に感動するも、
{netabare}そもそも、ガンダムの外装に違和感がある。
そんな複雑な印象を受けつつも、{/netabare}
もしかすれば群像劇として「人」を描くのかなと、
それはそれで、期待しております。

好感が持てる、新劇の開幕でしょう。

ぜひ配信で観て下さい。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 25
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

モビルスーツの場違い感が醸す破滅の予兆

原作小説は未読。

【物語 4.0点】
三部作の一作目。

構成は序盤~中盤3分の2が人間ドラマ。派手なバトルシーンは終盤に集中。
だからと言って、終盤の見せ場にソースを集中すべく、前半を捨てているわけではない。

むしろ前半のハサウェイと出会う人々との濃密なやり取りの方が、
武装蜂起を前にした、ハサウェイ自身によるアイデンティティが不安定な現状を自己分析するパートとして重要なのではないか?
それくらい人物描写が繊細で惹き付けられます。

ハサウェイ率いる反地球政府運動「マフティー」
相次ぐ戦乱で疲弊した地球に特権階級だけを残すべく、
市民を拿捕して宇宙へ強制移住させる「マンハント」。こうした腐敗に鉄槌を下す。
大義としては申し分ないが、過去の武力行使を正当化する名分と比べるとかなり弱い動機。
戦乱で敗れ去っていった者へ思い入れるハサウェイの私心ありやなしや?

マンハント糾弾という点では、地球に残りたい市民とマフティーの利害は一致するが、
最終的に人類は全員宇宙に移住すべしとのマフティーの理想とは齟齬を来す。

何より今や、宇宙世紀(U.C.)0105年。
もはや武力だの、モビルスーツだの、ニュータイプ理論だので現状を変更する時代でもない。
マフティーが人々から“テロリスト”と揶揄されるのは時代の空気を読めていないからだ。

そんなことはハサウェイも百も承知。
その上で彼はシャアら先人たちが歩んだ破滅の未来を回避するには?或いは破滅を織り込むのか?
自己の立ち位置を再確認するために、ネクタイを締め市井に紛れ、自分を模索し続けるのだ。


この観点から心に刺さっているのが{netabare}タクシードライバーとの会話シーン。
その日暮らしの市民には1000年後の地球環境を憂うマフティーの理想になど構っていられない。
だって周りには結構、自然は残っているし。

この活動家が日常生活から乖離して孤立する状況。
世の浮いてる活動家の方々には、テロに手を染めないためにも、耳をかっぽじって傾聴して頂きたいと願います。{/netabare}


ハサウェイが思索の果に迎えるガンダム発進シーン。
綺麗に自己を総括できていますが、高揚感は少な目です。
曇天への発進は、地に足が付かない、五里霧中な行く末を暗示しているかのようです。


以上の通り、物語を愉しむには、
『逆シャア』までのサーガをテーマまで咀嚼することが必須な、マニアックな作品であることは言うまでもありません。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・サンライズ

背景美術と人物作画の一体感を出す昨今のトレンドに逆行する本作。
写実的な海面などの背景に割り込んでくるモビルスーツなど浮きまくっています。
戦闘シーンでよくある街中でモビルスーツが煙を巻き上げるカットはメカを魅せるための演出。
ですが、本作の場合は、何もそこまでスクリーンいっぱいに煙やら火花やら噴かなくてもいいじゃないか(笑)
ってくらいの迷惑行為として処理。

宇宙世紀を動かすのはモビルスーツに乗ったニュータイプなどではなく、
メンズスーツを着たオールドタイプである。
モビルスーツなんてお呼びじゃない。
メッセージ性が作画構成でも徹底しています。


とは言え、オールビューモニター搭載が標準化したモビルスーツ同士の戦闘は迫力満点。
私は一作目は通常のシアターで鑑賞しましたが、
次作は360°没入感を最大化できる巨大スクリーン等での鑑賞にこだわりたいです。

【キャラ 4.5点】
主人公ハサウェイ・ノア。
顔立ちや対人関係のぎこちなさはアムロ・レイ。
二つの名を使い分ける暗躍ぶりはシャア・アズナブル。
アムロかシャアか。ハサウェイ自身が葛藤する際の引き出しにもなる。

ハサウェイの秘密を見抜き絡んでくる謎の美少女ギギ・アンダルシア。
大人の色気で、ハサウェイのライバルともなるケネス大佐とのトライアングルを仕掛けたかと思えば、
戦場では幼女の如く動揺を露わにする情緒不安定ぶり。

ギギとの交流の中で、クェス・パラヤを破滅へと攫っていったシャアの一件が重なるハサウェイ。
大義より、過去のトラウマという感情で言動を左右されるハサウェイ自己分析の一助ともなる。

総じて各サブキャラとも、ハサウェイ自身が掴めていない自分探しにヒントを与える献身ぶり。

【声優 4.0点】
ハサウェイ役の小野 賢章さん。
幼さと凛々しさが混在する青年ボイスで、村瀬監督からの“感情と思想に引き裂かれたキャラクター”という難題に応える好演。
このハサウェイ危ないことするよ。

ギギ役の上田 麗奈さん。ボイスを高嶺にコントロールして正体を掴ませない妙演。
これは周りの男どもも取り扱い方法に困ります。


公開前、劇場版『逆シャア』の少年時代以来、
長らくハサウェイに声を当ててきた佐々木 望さんからの“声優交代”が物議を醸しました。
ただこれも『ガンダム』以外のコンテンツではよくあること。
アニメ化よりも先にゲーム等でキャスティングされた声優が、アニメでは変更になるのは割りと普通。
ただハサウェイの場合はアニメ映画化以前にゲーム等で活躍する期間があまりにも長すぎましたw

また、このキャスティングについては、アニメ映画化後もゲームのハサウェイは佐々木さんが担当していることなどから、
①小説版『逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』→『閃光のハサウェイ』原作小説のハサウェイは佐々木 望さん。
②劇場版『逆襲のシャア』→本劇場版三部作のハサウェイは小野 賢章さん。
①②はパラレルワールドの別系統作品であると示唆しているとの見方もあるそうですね。

劇場版三部作見ながら原作小説読んだら①②の異なる要素が混ざり合って困惑してしまうかも。
この辺りが、私が劇場三部作展開中は、小説購読は『~ベルトーチカ・チルドレン』までで止めておこうと決心している理由です。

【音楽 4.0点】
劇伴担当は澤野 弘之氏。
エッジの効いたテクノ等をアレンジした戦闘曲及びボーカル曲で魅せる。
「TRACER」は特にぶち上がります♪

気になるのが『UC』の澤野氏が『ハサウェイ』でも音楽担当している事。
『UC』は原作『ハサウェイ』完結後に、『逆シャア』~U.C.0100の間に闇に葬られた史実があったと後付けされたエピソード。
よもや本シリーズで『UC』を絡めてくることもないとは思いますが、
パラレルだとしたら何でもありですし。
もしくは『UC』同様、『ハサウェイ』も戦乱の亡霊を退治する物語として同一視すれば良いのか。
考え出すと落ち着きません。


ED主題歌は[Alexandros]「閃光」
過去を振り払って未来へ驀進する快作ロック。
ですが、今のハサウェイにはちとまぶしすぎる感もw
Netflix海外配信に合わせて英語版もリリース。
MVは英語版の方がAMVになっており作品のシーンを振り返るのにも最適。


【付記】
分割2クールの『水星の魔女』の幕間に、本作のTV編集版が1/15~全4話で放送されるそうで。
制作中の第2部への予習復習としてハサウェイを分析してみるのも一興かと。

投稿 : 2024/12/21
♥ : 19
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

宇宙世紀ものとの決別か。(じっくり見られたので追記です)

配信サイトでじっくり見られましたので。追記です。

 宇宙世紀ものとの決別という第1印象は変りません。

 驚異的な映像すぎて、ガンダム感がないというのも初見と一緒でした。ハリウッドが作るゴジラが面白くない…と同じにならなければいいのですが。

 内容もガンダムのテーマとして兵器としての運用、兵站なにより禍々しさというリアリティが無くなっていました。その分、戦闘時の周囲への影響を描いたのでしょうか。3DCGとしてのロボット描写としてのリアリティはありました。ただ、画面が暗いのでガンダムの決めポーズが見られませんでした。2作目に向けての焦らしでしょうか。

 組織そして人の描写には力をいれてました。ハサウェイ、ケネス、ギギのキャラは良く描けていました。つまり、ヒューマンドラマになったということでしょう。
 そして、テロリズムに堕すことでパーソナルな個人の悩み…シャアのような確信犯ではなく、何かをやらなければならないという焦りからシャアをマネてという甘えをハサウェイからは感じます。

{netabare} シャトルがダバオに降りたのは偶然ではなく、自分がイニシアティブをとるためにケネスがそう段取りをしたということですね。で、ハサウェイは自分のホテルへの襲撃を自分で段取りしたんですね。
 で、ギギといっしょにいたので段取りが狂って危険な目にあったと。まあ、コントみたいに逃げる先逃げる先全部危険で、ちょっとやりすぎましたけど。

 逆襲のシャアの時点で思想に走りすぎて、訳の分からないストーリーになっていました。そして最後はアムロがツンばっかりでデレないのでシャアが切れたみたいな感じで、ギャグにも見えるような結末でした。
 物語でもシャアは思想になっていましたが、環境、特権、宇宙移民、ニュータイプ。本作はなにかテーマがあるようで、その思想に内容が伴わない滑稽さが感じられました。

 マフティの行動と民衆の期待にズレがあるのもそういうところでしょう。1000年先と暮らし。ハサウェイが何をしたいのかわからないので、今のところギギという少女にしか興味が向かいません。この描写がそのままハサウェイの迷いだとしたら、訳の分からない感じが脚本の意図通りということで、非常にうまいストーリーだと思います。
 
 ギギについてはニュータイプの娼婦という設定?はララァの再現なのは間違いないでしょう。ガンダムシリーズを通じてララァという少女が結局のところ消化しきれず、歴代の主人公周辺の女性ニュータイプ、強化人間を経て、クエスそしてギギにまで引きずっています。
 つまり、ハサウェイとケネスはシャアとアムロの関係の焼き直しでしょう。ただ、不思議なことにギギに悲劇の予感はしません。というか奇異に見えて非常にまともなキャラでした。この少女を起点に、シンエヴァのようにガンダムを卒業…という訳にもいかないでしょうけど(大人の事情的に)

 ギギは性的な匂いを漂わせていますが、道徳的にはピュアな雰囲気。自らを汚いと感じる感性。恋する少女になっていまいた。この少女の迷いというか、悩みというか難しい状況が示唆されますが、これからでしょう。
 ハサウェイがギギに手を出せないのも、ギギが結局ハサウェイを押し倒さないのも、こういった子供の部分なのかもしれません。

 ハサウェイは、ガウマンというパイロットの救出などにまったく頭が回っていなかった、ということはこの時点でマフティへの興味が薄れているということでしょうか。ハサウェイも自分の甘さを自覚していましたが。

 アムロまたはそれ以前から始まる壮大な宇宙世紀もののガンダムクロニクルは、最後は個人の…それも女への迷いで幕を閉じる?のでしょうか。

 最後、ハサウェイに気があるっぽい女が出てきて、一方でギギがハサウェイが残していった時計のおもちゃに電池を入れるのは上手い心理描写でした。時が動き出しましたし。{/netabare}

 あと、注目ポイントはホテルのエレベーターの内部の液晶パネルです。アニメーターが貧乏で「高級」「豪華」が苦手だといわれていた日本アニメで、感心するほど高級感がありました。

 すごいアニメなのは間違いありませんが、映像美だけでは歴史的なアニメにはなれません。さて、続きはどうでしょう。



以下 1回目の視聴時の感想です。良く見ていなかったのか話を追えていませんでした。

{netabare}
 宇宙世紀もの、ですが、問題のスケールはテロリストにまで落ちています。前作までで、ララァに対してクエスの存在感があまりにも薄く、ハサウェイの抱えている心の陰もあまり見えてきません。地球の特権階級を憎んでいるらしいですが、そこの動機が弱い感じがします。シャアを形だけまねているのでしょうか。(追記;シャアって、逆シャアで最期でどういう結論にしたのか映画ではわからなかったです。環境の問題だといいながらアムロへの執着だった気がするんですが。サイコフレームがどうのこうので終わってよくわかりませんでした)

 ハサウェイのパーソナルな問題をギギとの関係で解決してゆく物語なんでしょうか(追記;それとも本気で環境のことで悩んでいるんですかね?だとするとギギが登場する意味がちょっと分かりづらいですね。ヒロインが欲しかっただけ?どうも環境について人の意見を聞いたりして、環境問題は単なる言い訳に見えたんですけど)。彼がなぜ今の状態にあるのかは本作からはあまり深くは読み取れなかった気がします。しかも、続きものっぽいので消化不良で終わっています。
 まあ、3部作と明示してるんですかね。であれば次作が楽しみな終わり方でした。

 ギギというのは、ララァと同じく娼婦または愛人なんでしょうね。ガンダムにおけるこの女性の扱いというのに、どんな意味があるんだろう、といつも考えてしまいます。魔性ということなんですかね。男を理解できる母は優れた娼婦である?

 ストーリーは面白くはありますが、かなり都合のいい展開と言えるでしょう。
 ハサウェイがあの特別なシャトルに乗っていた必然性があまりなく、そこにハサウェイの組織の偽物のハイジャックが来てます。しかも航路を外れた緊急着陸したダバオには敵の親玉のケネスが赴任してきた基地があり、ハサウェイの組織の拠点もそこにある。
 ホテルに泊まっていたら、ハサウェイの組織に襲われる。要人がかたまっているからなんでしょうが、緊急着陸して偶然そこにいたはずなのに、襲撃の準備はいつできたんでしょうか(追記;ここ偽装工作ということなんですね。でも32Fから上を攻撃するんじゃなかったのでは?)。
 しかも、モビルスーツ戦がハサウェイの真上で始まってしまう。
 うーん、この部分をもう少し丁寧に必然にしてほしかったですね。またはギギによる不思議な力?のせいなんでしょうか。
 大人向けに作っている雰囲気の割にはストーリー展開が子供向けという感じでチグハグ感はあります。少年向け小説が原作みたいなので止むをえませんか。

 本作がガンダムか、といえば、もはやモビルスーツものですらなく、それは単なる戦いの象徴になっています。極端なことを言えば現代兵器でドンパチやっていても、物語に破綻は出ないでしょう。

 アニメは、金はかけたのでしょう。ものすごい出来でした。しかし、実写に近づきすぎたといえばいいのでしょうか。ガンダムらしい迫力が感じられません。ハリウッド特撮的な迫力になってしまっています。
 冒頭のシャトル内の人の動きが気持ち悪かったです。ある種不気味の谷を感じました。

 ギギの造形、キャラだけは素晴らしかったので、それだけでも見る価値はあります。

 あえて、スケールを小さくしてパーソナルな問題に置き換え、ガンダムが不要になってゆく。ニュータイプもあまり意味がなくなってゆく。宇宙世紀もののガンダムとの決別なんでしょうか。

追記;ちょっと集中して見れてなかったみたいですね。一回しかみてなかったのでいろいろ変なレビューでした。また、2作目があるときに見返します。 {/netabare}

投稿 : 2024/12/21
♥ : 11
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