フリ-クス さんの感想・評価
4.2
Of Walls and Eggs(壁とタマゴ)
昨年の2月25日に『完全新作制作決定』の報が出てから、
まるっと一年間、放置プレイが続いている『狼と香辛料』であります。
なんかもう、ここまで徹底的にほったらかされると、
ほんとうに作ってくれたらラッキー
みたいな賢者タイムに入っておられるファンもけっこう多いのでは。
二期の放送が終わってから、もうじき14年ですものね。
はいはい、あと一、二年ぐらい待ちますよ。
どうせ権利処理だのなんだのでフリーズしてるんでしょ、
待ってたげるから好きにやったんさい。
と言えるぐらいには、視聴者もみんなオトナになっているわけで。
まあ確かに前作、一期二期のアニメは、
権利処理という観点からも、かなり興味深いものでありました。
僕はこの作品について考察しようとすると、
系統や完成度が真逆なんですが、
ずっと昔に作られた村上春樹さん原作の映画を思い出してしまいます。
はあ? なにいってんだおまえ。
そんなふうに感じられる方が大半でしょうし、
本編の評価にはぜんぜん、まるっきり関係ないことなので、
そこのあたりはネタバレで隠しときますね。
けっこう長いので、
権利処理や製作業務に関心のある方だけ、どうぞ。
{netabare}
いまや日本文壇の重鎮みたくなっている村上春樹さんですが、
デビュー作はかなり古くて1979年、
群像新人賞を受賞した『風の歌を聴け』という中長編であります。
実はこの作品、大森一樹監督の手によって1981年に映画化されておりまして、
なかなかにすさまじい仕上がりになっております。
原作ファンの方も未読の方も唖然ボーゼン、
舌打ちをしつつ上映中にこぞって席を立っちゃいそう、みたいな感じです。
ちなみに村上春樹さんご自身は、この映画に対して
僕がこの映画で個人的に評価するのは、
大森くんが「後先考えず」にとでも言えばいいのか、
とにかくやりたいことを若々しく、自由にやってくれたこと、
そして(中略)個性的な三人の若い俳優を起用し、
生き生きと上手に動かしてくれたこと、その二点だ。
僕がこの映画に関して言いたいことは、そこにつきると思う。
というように述べられています。いやあ、大人そす。
この春樹さんのコメントで注目すべきなのは
『やりたいことを若々しく、自由にやってくれたこと』
を評価している部分だと拙は個人的に思っております。
小説やマンガなどの『版権(原作)モノ』を映像化する場合、
制作者が配慮しなくてはならないポイントは以下の二つです。
① 著作権者監修
② 原作ファンの心理
このうち①は、ほんとに『絶対的』なものでありまして、
原作者が映像について「こんな改変・演出は認めない」と言ったら
上映なりOAなりができないことがホーリツで決まっております。
万が一、制作がやらかしてくれたら、
著作権者との間にハサまれた製作スタッフが、
痛む胃をさすりながら両者間を走り回ることになります。
ですから、春樹さんみたく
自分が書いたものと映像作品は別物だと理解しております。
それを承知で作品をお預けしたのですから、
どうぞ監督さんの思うままご自由になさってください。
という姿勢の原作者さんは、ガチで『神様』みたいなものでありまして。
もちろん、できてきた映像を気に入る・入らないはあります。
だけど、それと『許諾する・しない』は別のハナシ。
そこんところを理解してくれない『不安定な神様』も多数おられます。
だったら最初っから映像化許諾すんじゃね~よ、とか、
てめえで監督しろってんだつったく、なんてのは
製作・制作を問わず、この業界定番のグチなんじゃないかしら。
しかしながら『あきらかに制作がワルい』というトラブルも多々あり、
そこんところはケ-スバイケース。
とにもかくにも、菓子折りがたくさんいることだけは確かであります。
これに対して②の『原作ファンの心理』というのは、
ホーリツ的にはなんの保護もされていない、しかも曖昧なモノでして、
製作サイドとして極論をするならば、
板さえ売れてくれればビジネス的にはどっちでもいい
ファクターであると言うことができます。
ただし、大枚をはたいて映像化するということは、
その原作ファンが『劇場に来てくれる・板を買ってくれる』
ということを当て込んでいるわけであります。
ですから製作的には、なるべくなら原作のテイストにそったカタチで、
言っちゃえば『無難』なモノづくりをして欲しいのですが、
そうそう思い通りに動いてくれないのがクリエイターという生き物でありまして。
もちろん、尺や話数のカンケイで、
プロットを足したり引いたりするのは『あたりまえ』のことです。
(それでも『約ネバ』みたく大ブ-イングになることもあり)
それ以外にも、監督がアクの強い方で、
・この作品はこうした方がゼッタイ面白くなる。
・ファンが何を言おうが、オレはこの作品をこう解釈する。
みたいに突っ走ったりした日にゃあ、
それが原作ファンに受け入れられることを祈るしかありません。
{/netabare}
相変わらずマクラが長くて恐縮ですが、
僕がどうしてこんな狭い内輪話を書いているかというと、
本作『狼と香辛料』が、
原作とはまるっきりイメージの違うモノ
であり、それがファンに受け入れられた好事例だからであります。
(村上春樹さんの映画とは真逆の事例ですね)
物語の舞台は、中世ヨ-ロッパ風の架空世界。
架空と言っても、魔法使いだの悪魔だの妖精さんだのがいるわけでなく、
国名などがオリジナルなだけで、
かなり現実世界に近い設定になっております。
その世界で、旅の行商人クラフト・ロレンスが、
何百年と生きていて少女に姿を変えられる賢狼、ホロと出会います。
ロレンスは、故郷の村に帰りたいというホロの願いを聞きいれ、
二人で行商の旅をつづけながら、
その故郷の村『ヨイツ』を探すこととなります。
旅の途中で魔物を討伐するとか巨悪組織と敵対するとかは全くなくて、
お話の中心は平たくいうと『行商よもやま話』、
ロレンスが巻き込まれる商売トラブルのあれやこれやがメインになります。
通貨変動だの為替だの相場だの関税だの信用取引だの、
いわゆる『ケーザイ』のイロハ、
商取引の仕組みを物語にうまく取り入れた、かなり斬新な作品ですね。
内容的には初級レベルなんですが、
時代性、法整備や通信技術が未発達な世相がうまく組み込まれており、
けっこう興味深く楽しめる仕上がりになっております。
原作は支倉凍砂さんのライトノベル。
本アニメの元となった『狼と香辛料』シリ-ズは17巻で完結し、
いまは『新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙』というのをやっているそうです。
(ごめんなさい、読んでません)
大本となる『狼と香辛料』シリ-ズも何冊か読んだだけなのですが、
支倉さんは14歳から小説を書きはじめ、
16歳からいろんな文学賞に応募していたというキャリアの方だけあって、
ヘタベタ表現やこっぱずかしい直喩、ムダ長文などがなく、
わかりやすくてサクサク読める、楽しい作品だったと記憶しています。
特徴的だと思ったのは『心理描写』がすごく多いということ。
二人称で書かれているにもかかわらず、
たとえばロレンスが何をどのように、どのぐらい強く思ったのか、
みたいなことがストレートに表現されており、
行間を読むスキルがほとんどいらない書き方だなあ、と。
(もちろん読者層に合わせてるんだと思いますが)
そして同文庫のイラストは、文倉十さん。
ちょっとジュニアっぽい印象の、
少しメルヘンっぽい、かわいらしい絵を描く方です。
この支倉さんの書き方と文倉さんのイラストを組み合わせた印象は、
可愛らしいキャラクターが、
わちゃわちゃと楽しい会話をしながら旅をして、
おカネに絡むいろんな事件に遭遇したり巻き込まれたりする物語
みたいな感じではあるまいかと(もちろん拙的な主観ですが)。
で、アニメの方はどうかと言いますと、
しっとりとした情感のある、メリハリが効いた大人のビジネス寓話
みたいな感じに仕上がっております(いや、これも拙的な主観ですが)。
それぞれが面白い作品ではあるのですが、
そのテイストというか、受ける印象がまるで違うんですよね。
そのように印象が異なる要因は、大きく分けて三つあると僕は思っています。
一つめは『余分なモノローグの排除』。
二つめは『キャラデの大胆な変更』。
三つめは『役者さんのお芝居』。
まず一つめの『余分なモノローグの排除』ですが、
これは文章作品を映像化するときに、多く見られる傾向ですね。
表情、仕草、明暗、背景、アングル、SEなど、
映像作品には心理を描写する方法がいくらでもあるわけですから、
いちいち心情解説的なモノローグを挟む必然性はありません。
本作におきましても、
ストーリーの進行上でどうしても必要な場合を除き、
蛇足と呼べそうなモノローグが可能な限り排除されています。
それが適切な『間』と『タメ』をつくり、
手とり足とり何でも解説で少しジュニアっぽかった原作とくらべ、
オトナ向けの映像作品にシフトさせているんです。よき。
もちろん、ひたすらモノローグを削除すればいいというわけではなく、
本作とは真逆の『涼宮ハルヒの憂鬱』みたいな成功例もあり、
あくまでも作品の総合的なチュ-ニングのおハナシなのでありますが。
二つめの『キャラデの大胆な変更』は、正直、すごいです。
文倉十さんのタッチを踏襲してアレンジするのではなく、
『ヴァンドレッド』『怪物王女』などで有名な黒田和也さんに、
ほとんど一からキャラデを依頼して、
全く別モノと言っていいキャラビジュアルを立ち上げました。
これ、口で言うのはカンタンなんですが、
版権サイドにキャラデ変更を通すのってホント大変なんです。
なんせ『原作を売るために』アニメ化をしているわけですからね。
ましてや、版元が悪名高いカ〇カワですから。
いやほんと、よくもまあ通したもんだみのもんたよしのり(←死語)。
さすがに文倉さんに気を使ってか、
EDは画も音楽も、原作のイメージそのまんま。
逆に言うと、
キャラデ変更してなかったら本編もあのイメージになっていたわけであります。
もちろん『そっちの方がすき』な方を否定はいたしません。
いたしませんが、あくまでも拙的には、
変更したからこそ、このしっとりした世界観が出せた、
アニメ作品として成功する大きな要因になった、と愚考する次第であります。
(文倉さんファンの方々、ほんとごめんなさい)
三つめの『役者さんのお芝居』は、小清水亜美さんと福山潤さんが無双しております。
そもそもヒロインのホロは何百年と生きている賢狼ですから、
役作りがきゃぴきゃぴ少女じゃ『おかしい』んですよね。
それなりの落ち着きと見識を兼ね備えたキャラじゃなきゃイケナイわけです。
だからといって『熟女・おばはん』に振るのは、アニメ的にアレ。
ヒロインというのはあくまでも魅力的で、
視聴者を惹きつけるキャラじゃないといけません。
このジレンマをものの見事に解決したのが、小清水さんの役作りですね。
ソプラノボイスで語られる「わっち」「主さま」「ありんす」などの廓言葉は、
かわいらしいんだけど、その奥にはっきりと『艶』が感じられてよき。
この『かわいいくせに艶がある』お芝居って、ほんとに難しいんですよね。
理屈じゃなく感性的な領域で役を深くとらえていかないと、
なかなかこういった役作りに辿りつけません。
そして、単に『感性任せ』で押し切るのではなく、
それをきちんとカタチにしていく『技術』があるところがハラショーかと。
シ-ンや感情に合わせて緩急をつかいわけ、
冒頭と末尾の音の強弱によって微細な心の波を表現するなど、
ものっそい丁寧なお芝居が、ホロというキャラを際立たたせています。
そして、そのホロを受け止めるロレンス、福山さんの役作りも実によき。
原作設定では20代後半ということになっていますし、
エラそうなこと言うわりにミスったり日和ったりするキャラですから、
もっと若々しく演ってもよかったんです。
だけどそうすると、物語が軽くなる。
そして、ホンモノの若造をホロが『若造呼ばわり』したところで、
ホロの『何百年と生きている賢狼』っぽさがちっともでません。
中世で20代後半なら、子供が三人いてもおかしくない『おっさん』です。
その『おっさん』を口先で煙に巻き、手玉に取るからこそ、
ホロの賢狼っぽさというものが浮き上がってくるわけでありまして。
だからといって、ホンモノの『おっさん』みたく演じるのはホビロン。
それなりの知識と経験を蓄えいっぱしの商人面をするも、
ときおり『若気』が顔を出してしまうビミョーなお年頃であるわけです。
このあたり、
福山さんがほんとうまくチュ-ニングしているなあ、と。
いまでこそ原作を読み返してみると、
小清水さんと福山さんの声がアタマのなかに蘇ってきますが、
ゼロから読むイメージは、
文倉十さんのイラストに引っ張られることもあり、
二人とも、もっと若々しくてわちゃわちゃしている感じなんですね。
ここのところのイメージ変換、
小清水さんと福山さんが創造した『若さと渋さが同居するオトナ』の造形が、
物語に絶妙な深みとコクを与えていると思う拙であります。
僕的なおすすめ度は堂々のAランク。
全てのアニメにきらら的なアレを求めている方々にはちょっとナニですが、
そのへんもホロのケモ耳とふさふさ尻尾で、ぎりフォロー。
さすがオオカミというか、
平気でばっぱか脱いですぐまっぱになるところなんか、
手塚〇虫的なサービスカットと言えなくもなく。
ホロがロレンスを会話のキャッチボールで手玉に取るところは、
なんというか『からかい上手のケモ耳さん』みたいな感じで、
一定の需要は満たしてるんじゃないかしら。
ただ、見どころは『剣も魔法もないファンタジー』の謳い文句どおり、
中世のしっとりとした空気感や、
ホロとロレンスの、こじゃれたふうベタ甘会話、
よく練り込まれたビジネストラブルにおける知略勝負のドキハラ感、
みたいなところではあるまいか、と愚考いたします。
全13話の物語は、大きく分けて三部構成。
出会い編で二話、オオカミバレ編四話、羊編七話みたくわかれておりんす。
ただ、それぞれにテ-マときっちりした起承転結があり、
ショ-トプロットがうまく差し込まれているので、
長いという印象ではなく『ていねいに描かれている』という感じかと。
{netabare}
最後の羊編は、さらに大きく分けてみっつ。
・武具を手にいれてドヤ顔編
・相場大暴落で崖っぷち編
・羊飼いを巻き込んでの金塊密輸編
という感じにわけられるので、七話あってもぜんぜん長く感じません。
ちなみに金塊の密輸というのはれっきとした『犯罪編』でして、
内容的にもチカラワザ。商売どうこうの『知恵』はカンケイありません。
ロレンスが、自分を裏切った商会の手下に向かって
おまえたちと一緒にするな
なんて言ってましたが、基本、同じ穴のムジナでありんす。おまゆう。
{/netabare}
制作は、これが四年ぶりの元請けとなるイマジン。
作画に関しては、超美麗、とまではとても言えませんが、
15年前のアニメとしてはかなり頑張ってます。
全体的にしっとりとした雰囲気がほどよく漂っていて、
違和感なく楽しめる良作レベルかと。
ただ、何があったのか知りませんが、
本作を最後にアニメ制作から撤退しちゃうんですよね、イマジンさん。
(二期は、制作会社が変わっております)
その後、子会社でエロゲやエロアニメなんかをつくっており、
なんかよくわかんない感じに迷走されております。
役者さんのお芝居は、既述どおりハイレベル。
小清水さんと福山さんのメイン二人はもちろんスゴいんですが、
わきを固めるキャストもみんな水準以上。
{netabare}
個人的に好きなのは、羊飼いのノーラを演じた中原麻衣さん。
ノ-ラって、気弱そうな外見や物言いとはうらはらに、
けっこう計算高くてしたたかですし、やることもエグいんですよね。
オンナの強さの体現というか、
まさに『羊の皮をかぶったオオカミ』でありんす。
中原さんって何を演らせてもうまいんですが、
とりわけこういう役どころ演らせたら、めっちゃハマりますよね。
いやほんと、オンナは怖いです(←差別発言)。
{/netabare}
音楽は、清浦夏実さんが歌うOP曲『旅の途中』が絶品です。
本編で描こうとする世界観とカンペキにリンク、
このOPなくして本作の成功はなかった、なんて強弁してもいいレベルかと。
楽曲のできのよさもそうなんだけど、
ゼロから曲作りをスタートして、
あの原作からこんなにしっとりとした美しい楽曲を作れるって、
なんかすごくないですか?
劇伴も、古楽や民族音楽ベースの吉野裕司さんに依頼し、
アコースティック主体で、
映像にも作品の時代背景にもうまく溶け込んでいて、よきです。
唯一の例外がEDなんですが、
これは前述のとおり、原作者・ファンへのエクスキューズかと。
そのよしあしについては、
皆さまそれぞれ一言あるかと存じますが、
権利処理とは、かくも妥協点さがしの繰り返しなのであります。
とにもかくにも一風変わった、
そして見ごたえのあるオトナのファンタジー作品であります。
なろう系ご都合ファンタジーに食傷気味の方も、
そうなんだよなあ、
物語って、ホンライはこういうものなんだよなあ、
なんて感じていただける逸品ではあるまいかと。
そして、あの『リコリコ』ではじめて小清水亜美さんを知った方にも、
ぜひに、とおススメしたい、彼女の代表作の一つでもあります。
12歳から劇団若草に所属していたとはいえ、
本作公開時は、まだ23歳だったわけであります。
それでこの表現力というのは、さすが小清水さんとしか言いようがなく。
基本が完璧にできているうえに、
役柄を『皮膚感覚的にとらえる』感性がスゴい方なんですよね。
ほんとうに三期があるのか、
あるとしても、一期・二期と同じテイストになるのか、
そこのあたりは、現段階(23年4月06日)ではちょっとわかりません。
わかりませんが、単体作品としてもすごく出来がいいので、
未視聴の方はもちろんのこと、
既に視聴された方も、もっかい見ても損のない作品ではあるまいかと。
え~~、でもケモ耳なんでしょ?
なんて思われる方がおられるかも知れませんが、
そういうアレなご心配は無用です。
ケモ耳とハサミは使いよう。こっちは正しいほうの使い方ですね。
決してナニな作品ではありませんので、
安心してお試しください。
全国のクリエイターを目指すみなさまも、
ケモ耳は用量・用法を守って正しくお使いくださいませ。
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ここからは、原作とアニメについての個人的な意見です。
本作にはまるっきり関係ありませんし、
あくまでも拙個人の主義主張みたいなものですから、
まるっとネタバレで隠しておきますね。
{netabare}
本作『狼と香辛料』は、原作とのイメージ変換が、
原作ファンにも好意的に受け取られて相乗効果を発揮したという、
けっこう珍しいタイプの成功事例であると拙は思います。
原作に対して大きなアレンジをした場合、
たいていは『ちげ~だろ』とか『わかってね~な』とか言われて、
ネット上でフクロにされる場合が多いんですよね、現実は。
この点に関してはいろんな意見があると思いますが、
僕個人としては、原作という『壁』に向かって果敢に挑んでいくという、
監督のクリエイティヴィティ
というものをリスペクトしたいと考えています。
冒頭にご紹介した村上春樹さんの言葉をお借りするなら、
もしここに硬い大きな壁があり、
そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、
私は常に卵の側に立ちます。
みたいな感じですね(おいこら、なにさまだ、僕)。
ただしそれは『なんでも擁護』という、
バカ親まるだし的な意味で言っているのではありません。
プロの評価はできあがった作品がすべて。
作品が原作と比較してあきらかに『つまらない』ものであれば、
フクロにされるのは当然のことであると思います。
一部の原作厨の方を除き、原作ファンが怒っているのは
『原作をかえた』ことではなく、
『原作のおもしろさを損なった・つまらなくした』
ことに対してであると僕は思っています。
より面白くした・付加価値をつけたのなら、ふつうは怒りませんって。
実際のところ『改悪』と呼べる作品が存在しているのは『事実』です。
そこはもう、フクロ、フルボッコでいいんじゃないのかな、と。
それを擁護するつもりも、擁護すべき必然性もありません。
だけど、それにビビッてガチガチのモノづくりしかできないようならば、
それはもう『文化』と呼べるものじゃない、とも拙は考えています。
『原作を大事にする』ことと
『原作に媚びへつらう』ことは違うだろ、と。
サカナをブツ切りにしてお皿の上に並べただけのものを出され、
これが『素材をダイジにした料理』です、とか言われても困っちゃうわけですから。
(せめてウロコぐらいとろ~よ、ウロコぐらい)
これからも版権モノのアニメというのは
「おお、その手できたか」と原作ファンを唸らせるものや、
「文章やマンガをただ動かした」だけのもの、
「てめえコラ、ちょっとこっちこいっ」と原作ファンを激怒させるもの、
いろんなものが出てくることかと存じます。
僕個人といたしましては、
粉々に砕け散ったタマゴの破片をせっせとホウキで掃きあつめながら、
まあ、しゃあないよな。
次、がんばればいいんだから、
顔だけは、あげとけ。
なんて声をかけてあげたいと、秘かに思っている次第なのであります。
{/netabare}