クローズドサークルで群像劇なTVアニメ動画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画のクローズドサークルで群像劇な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月04日の時点で一番のクローズドサークルで群像劇なTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

78.0 1 クローズドサークルで群像劇なアニメランキング1位
屍鬼[シキ](TVアニメ動画)

2010年夏アニメ
★★★★☆ 3.7 (1461)
7825人が棚に入れました
人口1300人の小さな集落、外場村。外部とは国道1本でしかつながっていない隔絶された地ゆえ、いまだに土葬の習慣が残されていた。

ある日、村の山入地区で3人の死体が発見された。村で唯一の医者である尾崎敏夫はこの死を不審に思っていたが、事件性はないとされ、通常通りに取り扱われた。しかし、これ以降、村人が一人、また一人と死んでいくことに…。

声優・キャラクター
内山昂輝、大川透、興津和幸、戸松遥、悠木碧、高木渉、GACKT

woa さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

限界集落という場所

2010年放送。全22話+未放送話2話。

三方を死に囲まれた限界集落に謎めいた一家が越してくると同時に、死者がよみがえる「起き上がり」という超常現象が起きるという話。ただしこの際よみがえることが出来るのは、起き上がり=屍鬼に吸血された人間に限る。

尾崎敏夫と結城夏野という二人の主人公がいるが、「小説家」の室井がこの作品に命名したように屍鬼と屍鬼と人間の分かちがたさや神に見放された人間(カインがアベルを殺さざる得なかった理由)がテーマとしてあるため、村人視点の群像劇として見るべきだろう。

この群像劇を通して知るのは、死というのは誰しも平等であるが故に恐ろしく、死をもたらすことで死を超越している存在にはより酷い死を与えたいという普遍的な人間心理なのである。

屍鬼において田舎とは反知性主義、反近代的合理主義の象徴なのだ。

未放送話で描かれた周辺人物の心理描写は、集団狂気以上に現実味があるがゆえに、恐ろしいものである。子育てに加え、舅姑の面倒を見なければならない女性が子育てに絶望した時、家に火を放つというのはこのような世の中だからこそとても生々しいのだ。

それは例えば1話では清水恵視点で「旧弊」な村を脱し、都会に出ていく象徴として夏野が描かれ、彼自身は恵に与えられた主人公としての役割に対し障子を閉めるという形で拒絶の意思を表すのである。

夏野は結果的に屍鬼ではなくその亜種である人狼になることによって、物語の表舞台から退いてしまうし、尾崎は尾崎で自ら率いた屍鬼狩りの結果(屍鬼を駆除することが村を守ることになったのか否か)については何も言わないのである。

尾崎の為したことが必然的に集団狂気(サディズム)に繋がってしまう一方、屍鬼である国広律子が取った餓死いう形での「選択」の方が屍鬼という存在、誰かを殺さねば生きていけないというルールへの批判としては徹が彼女と運命を伴にしたことから分かるように根源的批判であり、有効なアンチテーゼだと思う。

(勿論、彼女自身と彼女の犠牲に供された人物が旧知の看護師だった特殊な事情はあるにせよ)

尾崎によって真実が明らかになって以降、米屋の夫妻が米袋を運ぶように屍鬼の亡骸を運び、血液に塗れた素手で、まかないのおにぎりを食べる描写などには尾崎の嘆いた田舎の思考停止具合がよく表れている。

彼らは伝染病の危険性に対してなんらかの反応も自主的には行わないのだから。

また田舎の人情味の深さに憧れて越してきた人物の末路が示すように、田舎という、特に限界集落のような場所では相互に助け合う=監視しあわなければ生活できないという前提条件がまず最初にあるのである。

たとえば井戸端会議で親しく話しているような間柄でも都会の老人ホームがあけば、生活の不安がある現状など脱して仲間には何も告げずそちらへ行ってしまう。老人ホームとは井戸端会議とは無関係な現象だからである

このような田舎のある意味ドライな人間関係が如実に現れるのも、単純に田舎には人が少ないからに過ぎない。都会ほどの人口密度があれば、ある一つの関係性がどこにつながるかをすべて把握をするのは難しいため、ビジネスライクな形式としての関係を維持するメリットは勝さるのだ。

そして都会に憧れる清水恵が笑われていたのは、彼女が自分たち自身の心情をあまりに滑稽かつ如実に反映する存在だったからに他ならない。

砂子と室井の小説観に関しての会話に表れていることがこうした村の現状から浮世離れしており、それが故に砂子は最後の詰めで失敗するのであるが、その失敗も含めて辰巳がいう滅びの美学なのであり、室井の小説は未完に終わるだ。

最終的に桐敷沙子も求めていたものは、20世紀をさまよい続けた人としての感情の行き着く場所、それは外界から閉鎖されている洋館に表れているような「家」であり、切敷の家族であったのだが、死=滅びの上に成り立つその場所や関係性は、結局のところ滅ぶべくして滅ぶのである。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5
ネタバレ

ポール星人/小っさ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

のんのんびよりの後にコレ観るってのも、我ながら悪趣味

 20.5話と21.5話を後追いで視聴しました。
これって意図的に本編から外してたんですかね?
とすれば、作品の流れのテンポを崩さないようにと言う考えだったのでしょうから構成が巧いなと思いましたです。流石ベテラン監督と言うところでしょうか。
話の流れとしては本編で唐突に感じる部分を描いているので、あって然るべきエピソードですが、この作品の終盤の畳みかけるようなカタストロフィの一部としては流れを乱すから外したのかなと個人的には思いましたです。
個人的には20.5話はこの作品のエッセンスを凝縮した話としてとても良い出来だと思いました。
本編の一部として観るべきか、後追いで観るべきかに関しては私的にはですが後追いをお勧めしたいです。
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 予想より遥かに良かったです。
本放送の最終話を実は一部目にはしてたので、屍鬼達の凄惨な末路は知ってはいたんですけどね。
こんな複雑な余韻残すような作品とは思ってませんでした。
個人的には、ほんのちょっぴり遠藤周作の臭いする気がします。
まぁ私が無学であまり本読まないから、ちょっと宗教的な話となると遠藤周作思い出しちゃうだけなんでしょうけどねw
話しも複雑さは無いですし、全22話の中でも無駄回は無いんじゃないかなと。全体の作りもとてもバランスいいと思います。
もしかすると冷静に観ると話の筋として変なところ有るかもしれませんが、私は話にドップリ引き込まれて詮索する気はおきませんでした。

 正直、グロと言う点では近そうなテクノライズが観るのがツラくて視聴がナカナカ進まなかったのと違ってコレはサクサクと観れましたです。
テクノライズのイメージのグロと違って、コレのグロさはストレートに視覚に訴えますけど展開も含め頭で理解しやすいですし。

独自なキャラデザインで毛嫌いする方も居るかもしれませんが、コレだけの登場人物の多さですから、キャラの記号化と言う点で判り易いし結果的には良かったんではないかと。
この作品、絵を楽しむ作品では無いですしね。
まぁグロ描写とか凄惨な殺戮とかに関しては絵面的にも結構な代物でしたが(汗)

{netabare}
 終盤の室井と沙子の燃え落ちる教会での会話と恵の最期の一連の台詞がイイすよねぇ。
人を糧とする生き方しか出来なかった沙子も、神へ救いを求めるという結果的な信仰を持ち続けて生きてきた。でも、屍鬼となった時点で神の加護の範疇を逸脱する存在となってしまったのだから神は答えてくれないよ。
って会話の後で燃える教会の中での二人は死と得て救済されるのかなと思ってからのCパート。賛否両論でしょうね、コレw
私はむしろ残酷と言うか冷たい作品だなと思いましたです。
 恵も古い村社会から抜け出したいと願ってただけの女の子なのに起き上がりにされてしまって、しまいにゃあの殺され方ですしねぇ。
尾崎医師の村の存続の為に手段を選ばなかった姿と対象を為し、なんとも複雑な印象の作品だなと。
 この作品の他の方のレビュー読んでませんが、エルフェンリートでルーシーを気の毒に思えるタイプの人は好きな作品でょうが、嫌いな方はコレも受け入れがたい作品かなとは思います。なんだかんだ言っても屍鬼達は自分たちが生きる為とは言え人を散々殺してますしね。{/netabare}

私はこの作品好きですね。
グロ耐性のある方ならば、賛否は別として観といていいんじゃないかと。
ただ、え~この人もそうなっちゃうの?(汗)みたいな凄惨な作品なので、強くはお勧めは致しませんです。
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本放送時に数話目にしてはいたので、ダークな村社会作品と言うのは知ってたんですが忘れてました。
のんのんびよりで田舎暮らしの美しさにウットリしてたのに(汗)

キャラデザインがクセ強いので若干抵抗ありますけど、数話観た感じはホラーとしてイイ感じですね。
それと何故か出てくる犬が妙にカワイイw

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13

★☆零華☆★ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

死に善も悪もない。

数年ぶりに再視聴、2週目です。
いやー名作でした!そして凄くメッセージ性が強い。
2週目なのに終始集中して楽しんで観れました。
ジャンルはゾンビホラーと思われがちですが、サイコホラー(人の狂気を描いているので)です。

ホラーアニメ大好きな私は、名があるホラーアニメは全制覇しています。
(といってもここ10年で、ホラーアニメ10作品くらいしかないですけどね。笑)
需要あまり無いのかもだけど、もっとやって欲しい。

近い内にホラーアニメベスト10作る予定なのですが
屍鬼は自称ホラーアニメ専門官である、私のベスト10、上位に入れますね。


【あらすじ】
舞台は外場村という小さい村落。
村の周囲はモミの木(卒塔婆に使う木)に囲まれ、外界との交流も少なく
正に田舎の中の田舎って所。
そんな村には起き上がり(死人が蘇る)という古くからの言い伝えがあった。
物語は、こんな死に囲まれた場所で始まります。


【感想】
貴方は人殺しを悪いと思いますか?殺してはいけないと思いますか?
大半の人は悪いこと、いけないことだと言うでしょう。
何故ですか?誰が決めたのですか?
それは昔からの暗黙のルール、人が定めた罪の意識、法律があるからです。
ですが屍鬼では、そんなモノ(ルール、罪、法律)を改めて再認識させてくれる作品でした。


屍鬼(起き上がり)達は皆に自我があり、生きています。(肉体は死んでいるが)
彼等は生きる為に人を襲います。血を吸わないと死んでしまうから。
忘れがちだとは思いますが、私達ヒト(人間)も何かの命を奪って生きています。
普段は調理され、お店に並んでいる商品として接しているから気づかない。
けれど確実に命を糧として、奪い、殺し、生きています。
そう、屍鬼達も生きる為に襲っているだけなのです。
私達と何が違うのでしょうか?いいえ同じです。
寧ろ、ヒト(人間)の方が、動物、野菜、果物など、ありとあらゆる命を奪っています。
時には、理由もなく殺すこともする。
彼等(屍鬼)を悪と定めるなら、私達ヒト(人間)はそれ以上の悪であるということです。


それに何かしらの理由や、屁理屈をこねているのはヒト(人間)だけです。
ニュースとかで絶滅危惧種が、というニュースが流れれば
やれ可哀想、酷いだの何だのと騒ぎます。
じゃそれがヒト(人間)に危害を加える存在だったら?
やれ殺せ、居なくなれ何だのと騒ぎます。
実に見ていて愚かだと感じます。


【結論】
生きること、生命を全うすることにおいて、善も悪もない。
あるのは弱肉強食、食物連鎖だけです。
立場が変われば、見方が変わる。
そんなことを屍鬼は伝えたかった。
屍鬼からのメッセージだと感じました。



【豆知識・余談】
ヴァンパイア(吸血鬼)のモデルとなったのは、ワラキア公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)という
1431年頃に実在した人物です。
敵国、自国の民共に串刺しにしたことから、串刺し公という異名を持っています。

この方もそうですが、ヴァンパイアの設定によく使われる
日の光に弱いなどの設定は、先天性白皮症(アルビノ)という方達から取ったんだと思います。
髪の毛、皮膚、ありとあらゆる部分の色素がなく、真っ白です。
また紫外線を浴びると、焼け爛れてしまい。目もヴァンパイアみたく赤くなってしまう。
本当に珍しい奇病で希有です。


【PS:追記】
BGMのズンチャ!ズンチャ!ズンチャズンチャッチャッ!が凄く印象に残る(*´艸`*)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 36

82.3 2 クローズドサークルで群像劇なアニメランキング2位
無限のリヴァイアス(TVアニメ動画)

1999年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (962)
5812人が棚に入れました
2137年、大規模な太陽フレアによって出現した高密度のプラズマ雲が黄道面を境に太陽系の南半分を覆いつくし、地球も南半球が壊滅、17億もの人命が失われる被害を受ける。このフレアは「ゲドゥルト・フェノメーン」、プラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と名付けられた。2225年、地球の衛星軌道にあった航宙士養成所リーベ・デルタは何者かの襲撃によって制御不能になり、ゲドゥルトの海へ突入してしまう。しかしその時、リーベ・デルタ内部に隠されていた外洋型航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が起動した。教官たちは全員殉職し、リヴァイアスに避難できたのは少年少女ばかり487人。彼らはなぜか自分たちを救助してくれるはずの軌道保安庁から攻撃を受け、戸惑い、混乱しつつもこれと戦い、そして更には密閉された極限状態にある艦内では、艦の指揮権や物資の配給を巡り少年少女同士が陰惨な争いを繰り広げながら、火星圏から土星圏、天王星圏へと当てのない逃避行を続けていく。

声優・キャラクター
白鳥哲、保志総一朗、関智一、桑島法子、丹下桜、氷上恭子、檜山修之

アラジン♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

【ネタバレ有】 「100人中1人が“100点”をつける名作!」

 
 100人中90人が、80点以上をつける作品は、間違いなく名作と言っていいだろう。

 しかしこの作品は、100人中1人が“100点”をつける名作である!


 (言いたいことが伝わっていないかもしれないが…)、普通は(自分もそうだが)―、物語がしっかりしていて、作画が綺麗で、声優の声が合っていて、音楽が良くて、キャラクターが魅力的で…、そんな作品を高評価にする、そんな作品を名作だと思うのが普通だろう…。
 
 そういう作品が、“大勢の人”から“高い評価を受ける”タイプの名作だと思う―。


 しかしこの作品は、(1999年制作ということもあって)作画には時代を感じ…、声優も、個性と言ってしまえば聞こえはいいが、実際のところ、最近の声優陣との力の差を感じずにはいられない。
 それでいて、物語やキャラクターからは“鬱要素”ばかり感じるのだから、この作品を高評価にする人はそれほど多くはないだろう…。

 けれどもこの作品は、この作品の“本当の魅力”に気付き、キャラクターの“弱さ”に共感し、声優の
“実力不足からくるリアルさ”を感じた人たち…、
 そんな“少しの人達”から“最高の評価を受ける”タイプの名作である―。



 (この作品を観たことがない人にも分かりやすいように、順を追って説明すると)、まず最初に、この作品には、他の作品とは絶対的に違う魅力が“2つ”ある。


 1つは、(この作品を観たことがない人でも知っているかもしれないが)、ここまでキャラを…、観ている視聴者を追い込むか…、と言わんばかりの、究極的なまでの“鬱展開”である―。


 (以下、簡単なあらすじ) ―主人公・“コウジ”たちは、航宙士(こうちゅうし)の資格を取るために、宇宙空間内の航宙士養成所:“リーベ・デルタ”で訓練に励んでいたわけだが―、目的不明のテロリストの襲撃により、養成所内の教官たち(=大人たち)は全員死亡し、残された訓練兵(=子供たち)487名だけが宇宙空間を(何か月もの間)漂流することになる…、という物語―。


 とまぁ、ここまで書いただけでも、察しの良い人なら分かると思うが―、
 ―大人たちのいない世界で…、救助はいっこうに来ず(というか、救助が来るのかどうかさえも分からず)…、確実に食料は減っていき…、長い集団生活でのストレスや不安…、そして理由もわからないまま敵の攻撃にさらされていく日々―。

 そんな追い詰められていく少年少女たちの精神状態に比例して、乱れていく“リヴァイアス”(=子供たちが乗っている宇宙船)内の秩序―。

 そうしてあらわになる極限状態での“人間の本性”や、ただ生きるために必死で、汚い人間、自分勝手な人間になっていく子供たちの“人間的な生々しさ”が描かれ―、そこに究極的なまでの“鬱要素”を感じるのだろう…。


 とにもかくにも、観ていてこんなに気分が悪くなったことはない。
 (後述もするが)、この作品に登場するキャラクターの中には当然、普通の環境下においては、頼りになる人、観ていて好感が持てる人など、多少の困難なら乗り越えていけそうなメンツがそろっている―。

 それでも、この絶望的なまでの困難な状況下においては、誰一人としてまともではいられない―。
 
 そうして一人一人が、徐々に壊れていく姿は、とにかく生々しくて…、リアルすぎて…、そこに、どうしようもない絶望感が感じられ、途中、観ているこっちもおかしくなりそうな“鬱展開”へと、ただひたすら進んでいくのである…(この気分の悪さは、観てみないと伝わらないと思う…)。



 また2つ目の魅力であり、この作品の一番の魅力が、何といっても主人公たち、キャラクターの“心の成長”である。

 まず何より―、ここまで深く、人々の“心理描写”を掘り下げて描いた作品は他にないだろう…(少なくとも自分が今まで観てきた作品にはない…)


 リヴァイアス内に閉じ込められ、宇宙を何ヵ月もの間漂流する間に、様々な困難に立ち向かいながら、信じられないほど一人一人が成長していく…、わけだが―、
 ―この作品の良いところは(というか、むしろ観ているこっちとしては、それが逆に、メンタル的にきつかった理由なのだが…)、
 全てが終わる(=全ての困難が解決する)のが最終話の一つ前の25話であり、その25話までは(本当は、一人一人が徐々に成長しているのだけれど)、主人公たちが成長しているかどうかが観ていて分からない、ところにある。


 それほどまでに、リヴァイアス内の状態は最悪で、一人一人が壊れる寸前(もはや壊れていたと言っても過言ではないが…)だったということなのだが…、
 最終回を観てみると、いかに一人一人が精神的に成長したのか(特に“コウジ”と“ルクスン”)を痛いほど感じる。


 最後まで観た人は分かると思うが、この作品のキャラクターの中に“正解”はいない。誰一人として“完璧”ではない。
 そこからくる(なんというか)“アニメっぽくなさ”、より現実の人間に近い“リアルさ”が、この作品のキャラクターからは感じ、そこに今までのアニメ作品にないタイプの、キャラクター達の魅力を感じる―。


 主要キャラだけでも20人以上おり、準主要キャラも合わせると、何十人ものキャラクターが物語に関わってくる、“超キャラ重視”の作品なのだが―、

 ―その一人一人が、必ずどこかで観ていてイライラする行動や考え方をする。そして彼らのする試みの、大半が上手くいかない…(観ている途中で、何度好きなキャラが変わったことか…、何度そのキャラに辟易(へきえき)し、見損ない、イライラしたことか…)。

 なのでこの作品を、“作品やキャラのことを好きなまま”観終えるには、とんでもない“労力”というか
“精神力”がいる…(つまり、ほとんどの場合、必ずどこかでこの作品そのものや、登場するキャラが嫌いになる…)。


 それでも最後まで観て、振り返ってみれば―、好きになっているキャラクターが数えきれないほどいることに気付く―。

 この作品もいわゆる、“一人最高のキャラがいる”というタイプのアニメ作品ではなく、その作品内の
“キャラクターそれぞれにファンがいる”というタイプのアニメ作品である。  

 現にこの作品は、他の作品とは比にならないほど、主要なキャラが多い。
 そして最終的には、そのキャラ一人一人が、最高に素晴らしい、“限りなくリアルに近い”アニメキャラだということに気付くだろう。

 例えば、最終回において、「コウジとアオイ」、「コウジとイクミ」、「アオイとイズミ」、「ツヴァイの面々」、「ユウキとブルー」など、リヴァイアス事件のその後を、ほとんど描いていない(ブルーに至っては本人が登場すらしていない)にもかかわらず―、
 ―皆が再会したときの少しのやり取りですら、心にグッとくるものがある…(それくらい、初めは嫌いだったキャラが最終的に好きになってしまっている…)。



 だが、(ここまで書いてきて、急な方向転換だが)、勘違いしないでほしいのは、この作品は決して“鬱作品”ではない(“鬱要素”は感じるのに“鬱作品”ではない…、というのは矛盾していると思うかもしれないが、そうではない(理由後述↓))。

 むしろ、我慢して最後まで観れば、最高に気分が晴れた状態で、この作品を観終わることが出来るのである。


 最終的にそう感じる理由には、“普通のハッピーエンド”が、“今までで最高のハッピーエンド”に感じるほど―、
 ―物語の途中で、(キャラだけでなく、観ている自分の)心理状態が、深すぎる“底辺のメンタル状態”を経験するからだろう…
 (今から振り返れば、あの頃(=20話あたり)は地獄だった…。早く観終わりたいという気持ちと、もう観るのをやめようかという気持ちが入り混じっていた…)。
 
 だからこそ、観終わったとき、その“振り幅”で、“最高のハッピーエンド”だったと感じる―。


 つまりは、(これは自論だが)、この作品は決して、“アニメ鬱作品”ではない(現実に、病気としての
“鬱”で苦しんでいる人がいる以上、あえて“アニメ鬱”と言わせてもらう…)。

 この作品は事実、このサイトの成分としての“鬱アニメ”でも上位に来ている作品であり、作品内のリヴァイアス内の空気感や状況は、物語内の“キャラからすれば”鬱状態、鬱環境であったと言えるだろう。
 
 しかし、それが本当に“アニメ鬱”だと言えるのか…(と疑問を感じずにはいられない)。


 あくまで、(自分の中での)“アニメ鬱状態”とは―、その作品を観終わった後も、その作品が…、キャラが…、そのシーンが…頭から離れない―。観終わった後、他のことがやる気にならないほど、アパシー的なもの(=無気力さ)を感じてしまう―。

 それこそが“アニメ鬱状態”であり、そうなる作品が“鬱作品”だと思う。しかし、この作品にはそんなことはなく、むしろ観終わった後の気持ちとしては、全くの逆である。

 なのでこの作品が“鬱作品”かと言われると、ただ作中内の空気感がそうなだけであって、決して観終わった後、“アニメ鬱状態”にはならない…。つまり自分が思う“アニメ鬱作品”とは違うのである。



 …とまぁ、ここまでかなり高評価をしてきたつもりなのだが…、正直なところ、今まで観てきたアニメ作品とは全く違うタイプの―、自分の中の価値観や世界観を変えてくれた、“名作”だと思う…。

 総括としては―、
 ―1つの“大きな経験”が、一人一人の心を強くする、成長させる―。
 逆に言えば、口で何を言ようと、頭で何を考えようと、“経験”しなくては何も成長しない、強くはならない―。
 
 この作品は、そんなことを痛いほど感じさせてくれる、まさに人の心が成長するための“人生のバイブル”のような作品だと感じた…。

 (終)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13
ネタバレ

manabu3 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

『無限のリヴァイアス』にみる「鬱作品」と「秩序と現実」と「フランス史」についての考察

人間がもし秩序の無い閉鎖的空間に取り残されてしまったらどうのような行動を取るのだろうか。本作ではいつ終わるか分からない旅の中で織り成される人間模様の現実的な恐ろしさと残酷さを毅然と描写している。始めは穏やかだった人々の心境の変動は本作の醍醐味の一つであろう。群衆の狂気ともいえる情緒の移り変わりや主要人物達の葛藤を、二十六話をかけてじっくりと描き出している。艦内の秩序と統治方法の変遷は、まるで歴史の流れを見ているかのようだった。
また、本作は様々な人物が登場し活躍する群集劇である。登場人物の多様さと優柔不断の主人公が理由で、始めは余り感情移入することが出来なかったが、それぞれの人物の特異な背景を顧みると、少し遠くから眺め見る、客観的な鑑賞の楽しさがあった。

このアニメはもっと早くに見るべきだったと感じた。今まで私が敬遠してた理由は「作画の特性」と「子供が活躍するロボットアニメ」の二点なのだが、それらの苦手要素を凌駕する面白さであった。もしも同じような理由でこのアニメの視聴を避けている方がいたら、是非再検討を。「トラウマ」を考慮して、子供ではなく「大人」にオススメのアニメ。

■無限に続く秩序なき闘争状態
タイトルの「無限のリヴァイアス」は、ホッブズの「リヴァイアサン」が由来なのではないだろうか。ホッブズは人間が自然権を行使する自然状態は「万人の万人に対する闘争」の場であると表現し、平和と安全を達成するために人間は社会契約によって自然権を国家に移譲するべきだと説いた。そうしなければ、人々は永続的な危険と恐怖に苛まれると。そして権力の集合体である国家を指して、(怪獣)リヴァイアサンと呼んだ。タイトルの「無限のリヴァイアス」とは、「無限に続く秩序なき闘争状態」を言い表したかったのだろうか。

■「鬱作品」について ―「鬱と希望」と「秩序と現実」―
本作は「鬱作品」として周知されているが、本作には「鬱」に優る「希望」が包含されていると私は思う。それはこの作品の題材の一つでもあろう人々の成長物語に感化され共感を得たからだ。特に最終話の存在は鬱というより希望だと思う。寧ろ本作のモチーフであると言われる小説『蝿の王』の方が、悲惨な結末であったと私は記憶している。

この作品が鬱作品ではないと思う由縁はもう一つあり、私は今の現実の世界も「無限のリヴァイアスのようなもの」だと思う。
例えば日本。確かに日本は秩序ある安全な国だと評判だ。因みに「国」の存続に重要なのは「秩序」と「個人」の平衡だが、「力」がないと秩序は守れない。国内社会においては力は警察や裁判所などが有している。米国のように「個人」が銃を所持して自分の身を守る方法もあるけど、それは時には「秩序」を乱すこともある。そういった意味も踏まえれば、日本は世界の中でも「秩序」と「個人」のバランスが上手くいっている国だと思う。しかし日本でも殺人や暴行事件が全く無い訳ではない。それ故個々の事象に嘱目すれば、本作の人間模様も一概には「非現実的」だとは言えないのではないか。

また、国際社会においても同様なことが言える。殊に世界は「無秩序」だ。ヘドリー・ブルという人物が「主権国家から成る社会」の成立によって世界には一定の秩序が存在すると論じたが、世界には単一の中心的な権威が存在しないことは無視できない点である。それ故国際法を強制する主体は国際社会に存在しないし、国際司法裁判所の法的拘束力は「強制管轄権」を受諾した国にしか適用されない。世界の警察はいない。世界は未だ国家間の「力の体系」である。他国で不合理な出来事があったとしても内政不干渉の原則で我々は何も出来ないし現に何もしていない。国際連合は非民主主義的で、常任理事国は拒否権というあこぎな特権を有している。紛争、貧困、飢餓、テロなど、様々な悲劇もなくなる気配はない。世界は無秩序で暴力的で不条理だ。

所謂「発展途上国」でも同じだ。私は発展途上国で沢山の貧困者を見てきた。開発が原因で土地を追われ、物乞いをしながらも些細なモノを売って生活する人々。親に捨てられ住む家も靴すらもない子供たち、そんな子供たちも生きるために必死でなにか出来ることをして行動している。そんな世界では、鬱は死だ。鬱でゴロリと横になってる間に飢えで死ぬだろう。世界には彼らのような困窮な生活を過ごしている人が大勢いる。世界は不平等で残酷だ。

現実を見れば、世界なんてそんなものだ。世界は暴力と欲望と利己と不平等と言葉では言い表せないほどの卑しさで溢れている。そんな世界の中で、何かしらの「共通性」と「暴力」に拠って秩序は辛うじて保たれている。世界は「リヴァイアス」だ。この作品は鬱かもしれないけど、この作品の中の世界には鬱に優る希望がある。この作品を鬱だと思うことができるのは、相当幸せな生活を営んでいて、相当美しい世界を見ているのだろう。それを否定しないけど、この作品は現実に「当たり前に存在していること」を描いているにすぎない、ということだけは主張したい。

■フランス史との関連性と、統制する側の問題点
自学のために、無理やり「フランス史」を絡ませてもう少し考察
{netabare}
■【ルクスン政権】貴族制
ルクスン政権は貴族制だろう。成績をモニターに公表したのは能力主義、そしてエリートを集め、有能な少数の人たちで統制するのは貴族制。まさに合理的だった。(チャーリーへのハニートラップと、ルクスン政権の隠ぺい行為を口実にしたブルーの反乱が誤算だった)

■【ブルー政権】ルイ16世
ブルー政権は王政だ。ポイント制(貨幣制度)と監視制度は秩序をもたらした素晴らしい制度だと思う。ポイント制が資本主義でないのは、供給側が一元的だから。(社会主義的)
※戦況の悪化。そして、ハイぺリオンへ逃走しようとして失敗したブルーは、フランス革命の際にパリから脱出しようとして失敗したルイ16世さながらだ。

■【ユイリィ政権】フランス革命
民衆の反乱、王政の廃止、ブルー一派への集団暴行。まさにフランス革命だ。
(ブルーが逃げ切れたのは容姿が端麗だったからだろう)
政権については、「皆で決めたんだから」と、ユイリィが否応なしにリーダーにされた。この言葉から恐らく製作者側にとっては民主制(民主的決定)のつもりだったのだろうか。
しかし「無限のリヴァイアス」の元凶はここにあったと思う。
社会では、闇市場が出来、ポイント制は腐敗し、秩序も悪化する。結果は衆愚制(民主制の堕落形態)。民主主義が絶対の体制でないことがうかがえる。というより、民衆(残りの400人以上の大衆)の意見をないがしろにしたのだから、実際は寡頭制(貴族制の堕落形態)。民衆は醜い争いを見せるための脇役でしかなかった。ユイリィは総合的な決断力を求められるリーダーに適さなかったため辞任。リーダーがいない社会は混沌へ。

■【無政府状態】混沌
リーダーの不在により社会はほぼアナーキーとなり、治安は劣悪状態に。
実際のフランスでも革命後は恐怖政治などで、国内情勢は疲弊し不安定に。

■【イクミ政権】ナポレオン・ボナパルト
ここでナポレオンこと、イクミ登場。英雄兼、独裁者。イクミカッコイイ(?)
ナポレオンはフランス革命の理念を各地に「輸出」しようとした。
イクミも暴力によってイクミの思想を「輸出」して、社会に再び秩序が訪れた。
ナポレオンは、日本の旧民法の参考にもなったナポレオン法典を作った。
イクミも秩序のための公言をした。
「過ちを犯すな!もめるな!争うな!なじるな! 傷付けるな! 普通でいろ!」

イクミは頑張ったと思う。

■投降
イクミとリヴァイアスは投降し、リヴァイアス政権とフランス史の関連性は終り。

■【ルクスン・北条政権】
新たな船出のリーダーは、ルクスンに決まったけど、あまりにも適当な統帥の決め方に驚愕した。多分また暴動が起るだろう。でも結局、彼の政権が一番マシだったとも思う。

リヴァイアスを統制する側の権力の移り変わりは、まるで歴史の流れ(フランス史)を見ているかのようだった。そして、それぞれの「政権」がそれぞれの良さを持っていた。しかし、私はこの作品を見て「大衆の愚かさ」よりも「支配する側の愚かさ(統制の大切さと難しさ)」を感じた。支配する側は明らかに大衆を軽視していた。つまり、「リヴァイアス」はなるべくしてなったのだと思う。
とはいえ、私はどの政権も否定したくない。何故ならどの政権も前の政権を乗り越えて、より良い環境を築くために出来たものだからだ。既存の体制も法律も伝統も、そういった先人たちの積み重ねによって出来たものだから、何に対しても、その存在自体を悪だとは思いたくない。過去は捌け口にするためにあるのではなく、糧にして、その先を生きていくためにあるのだから。{/netabare}

{netabare}この作品の最後は、ゲドゥルトの海に覆われてしまった地球から、リヴァイアスが脱出するシーンで終わる。もっと未来の世界だ。その時代はきっと、昂治も祐希もアオイもカレンもブルーも、みんな死んでしまった世界なのだろう。それが何だか悲しいけど、彼らの希望が未来に繋がった事が嬉しかった。
私も、昂治が最後に言ったように、いつか滅びるこの世界と人類の未来のために、微力ながら何か力になって死ねれば本望だと思う。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 24
ネタバレ

らしたー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

登場人物の中から1人を新入社員として採用するとしたら

途中からずっとそんなことを考えながら観ていました。
リヴァイアス艦内における、各人の行動を前提に、「総合職:採用1名」と仮定した場合、自分だったら誰を採用するだろうか、と。
つくづくイヤな視聴者だと思う。

結果は、ルクスン・北条の一択ですね。
正直スキルは足りないし、プライドだけは高い。それでも、誰かひとりを採用するとしたら、彼が群を抜いて高評価なのです。

足りないスキルは習得させればいいし、高すぎるプライドは打ち砕けばいい。教育でどうにかなる部分なんてどうにでもなる。

彼の長所は、そのずば抜けたストレス耐性です。
あそこまで完膚なきままに打ちのめされ、なお自分というものを見失わず、心が腐らず、折れず、目先のTodoに専心できる、あの鋼のマインド。
これは訓練だけでどうにかなるものではなく、ある種の、長年の環境によって培われた楽天家気質がなければ不可能なことです。
ポテンシャル採用させていただきます。

足を動かせない頭でっかちの参謀クンや、お勉強は出来るけどストレスに弱いユイリィ・バハナさんは採用見送り。生きるか死ぬかの状況で胸キュンを優先させちゃうほとんどの女性陣もアウト。弊社が求める基準には達していません。ましてや相葉ユウキなど論外。旅人でもやっててください。

途中までは、コミュニケーション能力に抜きん出たものをもつ尾瀬イクミも候補に上がってたんだがなあ。結局、セルフコントロールに難があることを露呈してしまいました。
次点は、ツヴァイの女性クルーのランかな。リーダー候補としては厳しいけど、ルクスンが他社に決まってしまったら、彼女を採ります。


という雑談はさておき。
本作は、あまりにも多くの示唆を含んだ歴史的名作といえるでしょう。漂流モノを扱ったアニメの金字塔と呼ぶにふさわしい出来。


●これは『蝿の王』か?

この手の「漂流物」で思い出すのは、なんといっても『ロビンソン漂流記』。日本では子供向けの印象がありますが、もともとは完全な大人向け作品です。そして、馴染みの『十五少年漂流記』。極めつけは、世界的な評価を受けたゴールディングの『蠅の王』でしょう。

では、『無限のリヴァイアス』は『蠅の王』なのか。

違うと思う。
というか、違うからこそ価値があると思ってます。

『蠅の王』における人間の暗部は、「無垢」というキーワードと結びついてはじめてその残酷さに表現力を持ちうる類のもので、本作のように、就職を視野に資格試験を受けるような、一定程度成熟した若者たちによる極限の人間行動とはだいぶ趣が違います。
本作には『蠅の王』におけるサイモンのような、無垢を武器に暗黒と対峙できる人物はでてきません。あえて言うならコウジがそれですが、彼は無能でも無垢でもありません。弟のユウキから無能となじられますが、わかってねーなー、て話です。

大事なのは、皆それぞれ、ある程度「オトナ」であり、人が打算で動く生き物ということを、少なくとも頭では理解しているということです。ポイント制が導入されたあとの乗組員の行動を見れば明らかでしょう。
であるからこそ、本作では、その前提の上での「秩序の立ち上がり方」という、より実践社会学的なアプローチに、その照準を定めることに成功しているのです。
もちろん、社会的動物としての人間の在り方と、それに対する極限状況下での例外、という点では『蠅の王』と共通していますが、その手のテーマはけっこうありふれてるからなあ…。特に新鮮味もないわけで。

どちらかというと、『カイジ』の地下施設のアレが、実はいちばんこの作品との接点が多いのではないかと思っています。
むしろ、キーワードは「囚人のジレンマ」じゃないかなと。それも、いわゆる「無限回繰り返し型」のジレンマ。宇宙空間をまるで囚われ人のように流されいく主人公たちを思うと、なおさらそう思えてくるのです。


●統治の根拠
{netabare}
操船課ツヴァイによる一望監視的官僚支配。
エアーズ・ブルーによる独裁支配。
ユイリィ・バハナによる啓蒙路線の合議制支配。
尾瀬イクミ及びその憲兵による武力統治。

さまざまな体制が立ち現れます。

そのどれもに、長所と短所はあるけれども、前体制の至らなさを克服しようとする意気が感じられ、何よりも、「体制を立て直す」という若者たちの苦難と、工夫を凝らして秩序の運営を試みる描写が、本作品の素晴らしい見せ場となっています。もうこれだけで、このアニメには価値があるといっていいくらい。

正直、権力の分立やデュー・プロセスなんて戯言を、あの状況下で担保するのは物理的に困難だとは思います。主要スタッフに更迭がないのも、人材面での制約があるので仕方がないでしょう。
時間をかけて成熟した社会を作るより、当面の混沌を回避することに重きを置く判断は支持します。秩序が完全に失われてからではすべてが遅いですから。尾瀬イクミのような存在は遅かれ早かれ出てくるものです。

むしろ、この作品でいちばんゾッとしたのは、ユイリィ・バハナによる統治の機序。厳密には艦長就任に至る政権樹立のプロセスです。

ツヴァイの女がこんなこと言うんです。

「ツヴァイのみんなも納得してるし、生徒のほとんどが賛同してるわ」
「もう多数決で決まったことだし…」

これ。
これをさらっと言っちゃう感覚が怖すぎなんです。

・「ほとんど」って何?
・ちゃんと生徒全員が投票したの?
・ていうか、その「多数決」は誰が投票したの?
・ツヴァイだけじゃないの?
・その投票権は誰から付託されたものなの?

「多数決で決まった」で思考停止してるんです。その投票権が乗組員から付託された権利ではないにも関わらず。密室での多数決を、さも民主主義のように語る、あのセリフが一番怖いし、まさに子供だなあと。

どんな統治体制を採るにせよ、決定された事項が万人を満足させるなんてことは不可能なんです。絶対無理。そのときに重要なのは、満足できなかった人を納得させる仕組み、あるいは心理的な擬制があるかどうか、なんです(その仕組みに「武力」を選んじゃったのがイクミです)。

美女コンテストで乗組員の直接投票をやっていたでしょう。てことは、その気になれば、統治に対して直接投票ができるんですよ。でもしなかった。する気配がなかった。
直接投票が危険であれば、各部屋に班長をさだめて、彼らを集めて投票行動をとらせることだって出来た。乗組員の意思の抽出をする手段はいくらでもあったんです。

そこでの投票行動はぶっちゃけ形式的なものでも全然構わないんですよ。それでいいんです。大切なのは「プロセスを踏んで決定しました」ってことを明示すること。そうすることによって、もし決まった事項を遵守しない者が出た場合、「秩序に対する敵」として、乗組員の意思を根拠に糾弾できるのだから。

なんていうか、やれる努力をしないまま、早々に「イクミの変革」に至ってしまったことが残念であり、同時に若さゆえの想像力のなさであり、社会経験の無さなのかな、と。
{/netabare}

などと、いろいろ考えながら興味深く観ておりました。


●総評

自分の居場所の確保とかカインコンプレックスとか、情報管理とか、もろもろヘビーなトピックがたくさんあって、切り取りだしたらきりがないですね。おそろしく濃密な作品です。

とりあえず観る価値のある作品でしょう。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 12
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