2020年度のカルト教団アニメ映画ランキング 1

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64.3 1 2020年度のカルト教団アニメランキング1位
映画 えんとつ町のプペル(アニメ映画)

2020年12月25日
★★★★☆ 3.2 (50)
162人が棚に入れました
煙突だらけの『えんとつ町』では、そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。 黒い煙でモックモク。 黒い煙に覆われた『えんとつ町』の住人は、青い空を知りやしない。輝く星を知りやしない。そんな町に生きる親を亡くした少年ルビッチのもとにハロウィンの夜に現れたゴミ人間プペル。2人に起こる奇跡の物語…。

Dkn さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

い・ち・ぷ・ぺ

何かと賛否の有るタイトル「えんとつ町のプペル」

何故こんなに“鼻につく”という意見があるのかも含めレビューという名の感想を書いていきたいのですが、まず世間で多い意見として作者とされるタレントの西野亮廣さんが個人の力だけで制作した絵本では無いというものが散見されます。本来、絵本やイラストへの評価は個人が描いたものを指すもので、複数のクリエイターが西野さんの案を元に制作した本作は邪道であるというもの。

複数の企業に出資してもらう“制作委員会方式”が近年だと主流になってきましたが、この方式とも違う「クラウドファンディングサービス」による金策や「オンラインサロン」という自身の支持者を募る、ファンクラブや、ともすれば宗教にも映るような活動にも批判は有るようです。

これらを踏まえた上でその批判に対して妥当だと思う部分と、そこに引っかかるのかと思う意見を自分なりに分類していこうかと思っています。

批判する人の意見として、大学での講演やYouTube、オンラインサロンでビジネスモデルや生き方を提唱する彼の言葉を聞いて感銘を受けた人達が映画の終わりに毎回スタンディングオベーションで拍手し、繰り返し映画を見ることを「私は◯プペ(単位)目~」などと言い足繁く映画館に通うファンの姿を見れば、そりゃあカルトじみていると感じるでしょう。

様々な活動をする西野亮廣に付加価値があるから起こるもので、有名ブランドのロゴがついた品質的にはそこまで高くならない鞄や、局と代理店に御輿を担がれスターへとのし上げられたタレントを有難がるような、傍から見て滑稽な現象そのものです。コ◯ンや鬼◯にも映画館へ何度も足を運ぶキャラクターの熱心なファンである「~の女」と自称・他称される方々がいますが、一緒にされたくないと同族嫌悪を起こすかもしれません。

西野さんは度々“ウォルト・ディズニーを超えたい”と言っています。ディズニーを超えるという目標を掲げた作者の作ったものが「ディズニーっぽい」と揶揄された皮肉に対して、むしろ私は純粋さゆえだと捉えていました。

以前に書いたダーリン・イン・ザ・フランキスのレビューで業界に憧憬を抱いたクリエイターの作ったものに既視感を覚えることについて、人の心を大きく動かす経験なんて短い人生の中で何度もあるものでなく、ましてや人生の半分を捧げる「仕事」にするまでの熱量なのですから、そりゃあアニメーション業界に憧れた人の作品は似通うだろうと書いたのですが、

これを当てはめると
「あぁ…ホントにディズニーを意識しているのだな」という一つの見え方があります。

世界最高峰のクリエイターはこいつだ!と定め、自分なりに傾向やビジネスモデルを研究し大まじめに良さを取り入れたものを作る。ある種のピュアさとバカバカしさに少し引きながらも、タレントの影響力でもって最速の実現が出来る金策と、本来であれば数を打ち出せない絵本制作にスタッフを募り時間と労力を短縮しクオリティを上げ、何度も足を運ばせるほどのブランド力を自分が生きている間に実現するのはお見事としか言いようがありません。

ウォルト・ディズニーという個のクリエイターではなく、ディズニー社がここまで培った功績をもってして「世界のディズニー」と称される巨大な壁に対し、挑んでいるように見せかけて大リスペクトをもって模倣する。まさに詐欺師…いや、優秀なビジネスマンであると言えます

クリエイターとしての格や挟持を疑問視する声も聞き及びます。芸術性と、脳内に有る構想を形にするための実現力、コンテンツ力のバランスは常に話題に上がるものでしょう。

ウォルト・ディズニーが存命の時代に彼の手も含め作られた作品群を見て下さい。とても実験的で革新的ではあるものの完成度はあまり高くないものが見られます。

ディズニー社が記念すべき第一作目のキャラクターである「オズワルド」の権利を契約先にほとんど持って行かれた話は有名ですが、だからこそ生まれたのがキャラクター戦略やブランド力を高め多角化させたビジネスモデルでした。東洋のディズニーと呼ばれる「ポケットモンスター」の成功例や、先ほど触れた探偵に鬼殺隊、もうすぐ完結編が公開されるエヴァンゲリオン、ネット発の初音ミクやVtuberなど例を挙げればキリがないですが、日本でも様々なケースやブームによってキャラクター産業は展開をしています。

ウォルト・ディズニーや彼らが作ったもので最大の功績は、キャラクター戦略や多角的な戦略により自社で完結させる金策をして最高峰のクリエイターをかき集めることで作品のクオリティを上げていく、先に挙げた複数の他企業から出資してもらう“製作委員会方式”とは真逆のシステムでした。


最後に総括すると、
否定的な意見を言う方々に何の異論もありませんし薄気味悪いと感じるのも正常な反応です。

私は自主制作や世界のコンペディションに提出されるアートアニメーションまで追いかけるようなアニメ好きですので、クリエイターの肩を持ち過ぎなのだと自覚はしています。そして、集金能力のない、才能やクリエイター気質にこだわって一部のコアなファンにだけ密かに支持される作家やタイトルが有る事も知っています。

多くの人が思うほど、クリエイティブな世界に夢や希望は溢れてはいないかもしれません
だからこそ存在する、携わる人々のリアルや熱量、そして野望があります。

最大公約数を狙ったような映画にあまり感動はしませんでしたが、面白い事をするクリエイターが出てきたのだと興味深い気持ちはありました。西野さんの次回作やこれからがどうなるかは全くの未知数ですが、Netflixなどの集金方や制作形式、本作のような形、もしくは全く新しい方法で日の目を見る才能や作品が増えることを期待しながら、これからも成り行きを見守りたいと思っています。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 19
ネタバレ

ostrich さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8

最後にぶっちゃけてしまうと…

西野のオンラインサロンの参加者であろう知人女性から招待券をもらって鑑賞した。

    *    *    *

冒頭、「制作:吉本興業」と表示されたところで不安にならざるを得なかった。
私は映画制作会社としての吉本興業はまったく信頼していない。彼らがオフィス北野になれないただ一つの理由は、吉本興業には北野武という異能がいない、というただそれだけのことなのだが、それをわかっているのだろうかと疑問を感じる。

それでも、西野が北野武になれないと言い切ることはできないし、アニメ制作は4℃だ。組み合わせだけで言えば、「マインドゲーム」という好例もある。何より、知人の厚意は無碍にはできない。結局、もろもろ、飲み込んで鑑賞を開始することになった。

    *    *    *

鑑賞前に多少の下調べをしたときは、ピクサーの「ウォーリー」がやりたいのか、という印象を持ったのだが、どうやら「ウォーリー」というよりも、ピクサーそのものを目指したんだろうと思った。冒頭のダンスシーンとか、ハンドシェイクとかは、終わってみれば作劇的には無意味だったり、うまく作品に溶け込んでいなかったりするが、確かに、ピクサーっぽい。

さらに成分を分析すると

・天空の城ラピュタ/父子間の継承というテーマ
・風の谷のナウシカ(漫画版)/失楽園的なストーリー展開
・鉄コン筋クリート/舞台の雰囲気。まあ、これは、4℃の十八番だけれど。
・ミヒャエル・エンデ的な思想/消滅する通貨の設定

といったところだろうか。
なんとも、私の好物ばかりだ。

しかし、それゆえに、鑑賞後、はっきりとわかったのは、西野は宮崎駿にも松本大洋にもミヒャエル・エンデにも、そして、北野武にもピクサーにも及んでいないということだけだった。

    *    *    *

一例を挙げてみる。ラスト付近の展開だ。
{netabare}
なんだか、煙が晴れてめでたしめでたしとなっているが、主人公の行為は功罪相半ばする行為のはずだ。
煙は「消滅する通貨」によるユートピアを守っていたのだから、それを除去する行為は、外部からの侵略の可能性を生じさせることになる。それを主人公はラスト直前になって知ったうえで、たいした逡巡もなく煙を晴らす。「上を見る」ことに何の疑いもない。

この辺は矛盾というより、思想的なものかもしれないが、思想と呼ぶなら「『上』とはなんだ?」という問いかけがあって然るべきで、それがない以上は、西野自身の欲望なのだろう。
まあ、欲望ならしょうがない。が、上記した作家たちなら、絶対にその辺りのことは思索した上で展開を考えるはずだ。

また、少々些末な話になるが、そもそも、舞台となる街が成立して以来、250年も煙の下で暮らしてきているのなら、今の住人が急に青空なんか見たら目をやられるだろう。宮崎駿なら間違いなく、そこまで描く。漫画版のナウシカが名作なのは、宮崎駿が自ら掲げたテーマを掘り下げに掘り下げた結果、最後の最後でナウシカが汚れ、恐ろしいまでの業を背負うからだ。
{/netabare}
    *    *    *

誤解をされたくないが、私は本作に対して、漫画版ナウシカのようなエンディングがふさわしかったなどと考えているわけではない。もちろん、口当たりの良いエンディングだっていいし、たとえば、本作の到達目標であろうピクサーなら、その方向で考えるだろう。そんなことが問題なのではない。

実は私は西野に対してはそれほど悪い印象は持っていないのだけど、少なくとも本作の脚本については思慮の深度的にも技術的にも評価できない、ということだ。

そもそも、本作は作劇以前に、テーマが作家本人の手に余っている。だから、これだけリッチな画がついているのに、思想のようなものを最初から最後まで繰り返し語る展開になる。

あるいは、それを、思いが溢れていると好意的に捉えることもできなくはないのかもしれないが、私はオンラインサロンの外の人間だ。同じようなことを劇中で何度も言われると辟易するしかない。

ついでに言うと、最初から最後まで主人公が同じ思想、同じ行動をし続けるのも、オンラインサロン内では、望まれる態度なのかもしれないが、童話アニメの主人公としてはいかがなものだろうか。この主人公は、何も受け入れず、人を巻き込むだけ巻き込んで、危機の種を残し、反省もなければ、業を背負うこともない。すべてが自己完結で、まったく成長していない。

これはもう、西野本人の投影だと考えるしかなく、彼が製作総指揮をしている時点で、本作は閉じた物語にならざるを得なかったのだろう。
結果、私は、「海獣の子供」の4℃作品にも関わらず、スクリーンの中の星空や青空を観ても、閉塞感しか感じなかった。

    *    *    *

余計なお世話であることは百も承知で言うが、西野が映画作家として成功したいなら、吉本で制作することも、オンラインサロンも弊害にしかならないと思う。

確かに、閉じて煮詰めることで初めて表現できるものもあるから、それ自体は良くも悪くもない。作家のスタイルとか資質の問題だ。
だが、閉じることを是とするならば、少なくとも、ピクサーを目指すのはやめたほうがいい。
本作の最大の弱点である脚本についていえば、ピクサーの脚本開発は基本的に共同作業だ。多様な価値観のクリエイターが、それぞれの意見を持ち寄り、脚本をたたく。開かれた思想の先にあの方向性、あのクオリティがあるのだ。

私は本作の志は高く買いたいと思ってはいるが、今回の制作体制(西野が製作総指揮、原作、脚本)では、彼が意図していることは絶対に実現しないと断言する。

まあ、本人の資質・気質と目指す方向性が一致しないなんてことはよくあることで、そこの帳尻を合わせていくことも立派な成長だと私は思っているのだけど、西野はどうなのだろうね。負け組の発想とでもいうのかな。

だったら、私も言いたい。上を目指すことと成長は、重なる部分はあるにせよ、本質的には別の話だ。この作品自体がそれを逆説的に証明している。世界一良質な成長譚を制作するピクサーを目指しても、主人公が自己完結したまま終わる物語は絶対に成長譚にはならないのだ。

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追記[1] 知人女性の話
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私に招待券をくれた知人がこの話を持ち掛けてきたとき、しれっと「一緒に観に行こうか?」と言いかけたのだけど、今となっては、心底、止めておいてよかったと思っている。
一緒に鑑賞した場合、その後の会話で、作品のデキについての話をすることになるのは必然で、そうなれば、私は上記のようなことを言っただろう。

それで気まずくなったりするかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
それよりも、私が本作を通じて「彼女が抱えているであろう、あまり他人に触れられたくない何か」に気づいてしまったことが問題だ。そして、その何かは作品のデキとも大いに関わりがある。

私はその「何か」を直接的に言語化することはないだろうが、勘の良い彼女ならデキについての会話の中で、読み取ってくる可能性は大いにある。
どうあれ、人間関係に与える影響は少なくなさそうだ。

おそらく、素で金を払って本作を鑑賞したなら、こんな思いはしなかっただろうが、紹介された経緯も含めると、妙なざわめきだけは残ってしまった。

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追記[2] 作画について
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上記の通り、西野脚本にはまったく感心しなかったのだけど、作画は感心した。
「モデルデザインやモーションはピクサーふうでありながら、セルルック」という方向性はかなり可能性があるんじゃないだろうか。
もし、西野がこの方向性を提示したのであれば、彼のセンスも全然悪くないと思う。

ただなあ。幸福の科学のアニメ映画も作画のクオリティは高いんだよなあ。

あー、人の厚意で観た手前、回りくどく書いてきたけれど、最後にぶっちゃけてしまうと、本作はそっち系の作品だと思う。だから、成長も業を背負うことも要らないんだよね。啓蒙と身内同士の確認だけがあればいいのだろう。

きっと、本作を真に楽しみたいなら、オンラインサロンに入ってからが良いのだろうね。

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追記[3] 原作について 2021/1/20追記
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原作を読むつもりはまったくなかったのだけど、たまたま、仕事先に置いてあったので、昼休みに読んでみた。
※映画を観て、本レビューの前項までを書いた後に原作を読んだ、ということ。

うん、悪くはない。

これで泣く大人がどれほどいるのか知らないし、私は泣かなかったのだが、少なくとも、映画よりは全然良い。

うるさい説教(説得?)も、落としどころがまったくない設定もなく、ほどほどにまとまっている。映画同様、作画も良い。

※少し意地悪なことを言うが、作画は10~20人程度のスタッフがクレジットされており、どの程度までが西野自身の功績なのかはよくわからない。初期作品の絵は一人で書いており、そちらを画像検索で見たところ、結構、タッチは違う。

※ちなみに、初期作品はいかにも「松本大洋」フォロワーで、本作(映画)の制作を4℃が担った理由がよく分かった。4℃だから、この雰囲気というわけではなく、松本大洋(の「鉄コン筋クリート」)を好きな人が、「鉄コン筋クリート」的なものを4℃にオーダーしたということなのかな。

だが、こちらも成長譚ではなかった。というか、物語の軸になるようなものが何かあったかな?

それっぽい展開や構造はあるけど、魂がない。余白っぽいものは多いけれど、余白を想像する気にはならない(少なくとも物語に豊饒さをもたらす余白では決してない)。そんな感じだ。ただ、先述のとおり、余計な説教や設定等のノイズがないので、ストレスなく読むことはできる。

どうしても、多少の皮肉が混じってしまうが、この原作を映画脚本にするのは、なかなか、大変だっただろう。薄い物語に何かを足し続ける作業だっただろうから。正直なところ、読んでも読まなくてもいい物語ではあったが、本作の余計なノイズの出所は確認できた気がする。

これもまた、余計なお世話だろうが、大仰に映画なんてものにせず、原作に忠実な小ぶりの映像作品にして、足りない余白は4℃の画力にゆだねた方がよかったんじゃなかろうか。
そうすれば、何もバレなかっただろうし、私も知人女性を思い起こしてざわざわしなくて済んだのに。

投稿 : 2024/12/14
♥ : 16
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

大人も泣ける?

視聴前 確か絵本で有名だった気が…

視聴後 ええ

この話は見上げることが禁止された街での話
ジャンルは友情・童話
キングコングというお笑いコンビの西野さんが書いたそうですね。私はお笑い系の(というよりアニメ以外の)テレビを見ないので、あまり知りません。キングコングといえば1933年のあれしか知りませんでしたが(実際見たこと或るのはキングコング2とキング・コングしか見たことありません)、一応本作の題名は効いたことあります。「大人も泣ける絵本」と巷の噂で聞いたことがあるので、相当有名なのでしょう。映画劇場を見てもその人気さは伺えました。

さて内容ですが、面白いかと問われば「つまらない」というものが率直な感想となります。前評判(絵本の評判)や制作スタジオなどで期待していた分非常にがっかりしました。全くと言ってよいほど泣けない展開に大分意味不明なテーマを扱っており、絵本らしい、といってはなんですが、幼稚な展開のように思えました。もちろん絵本という要素はマイナスばかりではありません。
テーマが簡潔、キャラの主張がはっきりしている、といったわかりやすさが重視されていました。まぁその分内容の濃さが犠牲となっていますが。

基本的につまらない、の一言ですんでしまいます。単調な展開と予想できる結末を永遠と見せられるのですから、退屈極まりなくあくびがすごかったです。
さらに本作が評価されている理由の一つとしてテーマの深さだと言われていますが、全然深くありません。そこらへんの童話と同じほどのメッセージ性です。いや、童話を馬鹿にしてるわけでは無いのですが。
「夢や主張」に対してのテーマが主でした。
要は{netabare}「夢を最初から諦めるな」「夢を否定するな笑うな」「仲間を傷つけるな」「隠し事は良くない」{/netabare}うん。知らん。どれも中途半端な脚本のせいで一つひとつのテーマの濃さは薄く、何一つ身にしみません。ありふれたテーマの浅い内容なんぞ誰が聞きたいんだか。

まぁ俳優さんを声優としてるくせに、というとなんですが、イライラはせず、退屈で終わったので、そういう映画にしては面白いのかもしれません。絶対的な評価としては下の方ですが。

原作・脚本は西野亮廣さん。
監督は廣田裕介さん。
キャラデザは福島敦子さん。
劇伴は小島裕規さんと坂東祐大さん。
アニメ制作はSTUDIO 4℃さん。鉄コン筋クリートなどですね

作画は良かったです。キャラデザは好きじゃありませんが。
opはHYDEさんの「HALLOWEEN PARTY」
edはロザリーナさんの「えんとつ町のプペル」

総合評価 見なくて良い

投稿 : 2024/12/14
♥ : 14
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