オーケストラで未来なおすすめアニメランキング 2

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのオーケストラで未来な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番のオーケストラで未来なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

71.3 1 オーケストラで未来なアニメランキング1位
takt op.Destiny タクトオーパスデスティニー(TVアニメ動画)

2021年秋アニメ
★★★★☆ 3.5 (324)
921人が棚に入れました
「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ――L.V.ベートーヴェン」音楽は人の心を照らす光――突如として、その『光』が世界から奪われる。空から黒い隕石『黒夜隕鉄』が降った夜、世界は様変わりした。黒い隕石から生み出された異形の怪物『D2』が、大地と人々を蹂躙し始める。D2は人の奏でる旋律に惹かれ、やがて『音楽』そのものが禁忌とされた。だが、その怪物に抗う者達が現れる。音楽を力とする少女達――『ムジカート』彼女達は、人類史に残る偉大な歌劇、楽曲の楽譜(スコア)を身に宿し、D2を撃ち破る力とした。そして、彼女達を指揮し、導く『コンダクター』2047年。D2との抗争によって荒廃したアメリカ。コンダクターの『タクト』は、ムジカート『運命』と共にニューヨークを目指して旅していた。音楽が失われた世界で、音楽を渇望する『タクト』D2の殲滅を望むムジカート『運命』二人の少年と少女が生み出す旋律は、歓喜かそれとも絶望か――
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

途上のポリフォニー

「音楽の危機」と「危機の音楽」。
本作の設定、いわゆる世界観をまずはこんな風に要約できるだろうか。
侵略者により危機に瀕した世界と音楽。そこに出現した
兵器となって闘う音楽、ムジカート。―そのそれぞれが
主人公タクトの物語、ヒロイン運命の物語として展開される。

ところで、本作で「音楽」が指し示す意味は単一ではない。
例えば「音楽は人の心を照らす光」のような、
主語化されたフレーズだけで捉えようとすると逆に不明瞭になる。

本作ではすべてが「音楽」を介して物語られている。
その多様な現れを「―としての音楽」というかたちで析出し、
それらがポリフォニーのように有機的に連関し、ストーリーの展開を推進する
力学的な構造を想定しつつ、物語の意外な厚みを掘り下げてみよう。


{netabare}喪失としての音楽。
タクトの弾くピアノはそう呼べるだろう。

父の非業の死。禁忌となった愛する音楽。やり場のない怒りと無力感。
失われた音楽に執着するタクトは、ピアノとともに世界から孤立する。
そこにまた、新たに生々しい傷を加える、コゼットの喪失。

一途に音楽を愛するだけの青年が成り行きで戦闘に巻き込まれ、
しかもそれが音楽の名のもとに行われる事態は、皮肉と言うほかないだろう。
だから当然、物語のはじまる時点では、彼自身に戦う意志などありはしない。
だが、コンダクターとなり、旅と戦いの中で危機の世界を経験してゆくことで、
やがて闘う目的と、自らの音楽の新たなかたちを見出してゆく。
その内面の変化は音楽に仮託され、物語の中心軸を形成するのである。

タクトの決定的な転機は第6話で描かれる。
旅の途次に立ち寄ったニューオーリンズとおぼしき街で
自らの演奏をとおして人々の中に今も生き続ける音楽への渇望を実感し、
この経験をきっかけとして作曲が開始される。

 今回は戦闘がなかったのですが、お休み回では決してありません。
 むしろ今後につながる非常に重要な回でした。
 人々の過去と現在を丁寧に描くことで、
 何を代表して戦うのかがはっきりと印象付けされました。

福松さんのレビューでもこのように指摘されているように、これは決して
単なるエピソード回ではなく、物語に転回を画す最重要のポイントである。
なぜなら、戦う動機につながっていく彼自身の音楽の発見、すなわち
「希望」というテーマの、最初の兆しがここに印されるからだ。

それはあたかも分光器のように、彼の音楽を三つの位相に分節する。
あるいはここに、弁証法のプロセスを想定するのは大げさに過ぎるだろうか?
ピアノが象徴する失われた平和な過去。ムジカートとともに戦う彼の闘争は
未来の平和を勝ち取るために経過しなければならないアンチテーゼとしての現在。
だとすれば、その先にある、止揚された平和を自身意味する未来の音楽こそは、
やがて生み出されるタクト自身の曲に他ならないだろう。

死の間際のレニーに、タクトは最後にこう告げる、
「これまで出会ったすべてを曲に込めるつもりだ」と。
旅で出会った様々な人生。音楽をとおして回復された世界とのつながり。
おそらく王道の成長ストーリーと呼んでも差し支えない内実がここにはある。
そして、この作品の本質を最も的確に表現する言葉として自分は
「途上の物語」、―このように呼んでみたい想いに駆られる。


闘争としての音楽。
すなわち、ムジカート。

侵略者と戦う力を有した音楽であるそれは、まさしく危機の音楽である。
タクトと運命との絆の深まりもまた、音楽の媒介によって表現される。
そこに、タクトと同様、運命が戦う意味に目覚めてゆく過程が重ねられる。
戦うこと自体が存在意義であるムジカートは、固有の動機をもたないからだ。

彼女の転機は第8話で語られる。
すでに人間的な心が芽生えていた彼女の中に、未知の感情が現れる。
傷を負い倒れたタクトを見て不安と恐れに駆られ、戦いを放棄する。
物質的な存在ではない彼女は死というものを知らない。だからその時訪れたのは、
タクトと一緒にいられなくなる、彼のピアノを二度と聴けなくなる、
そのような生々しい予感だった。

二人の心の接近が描写不足だと、批判する向きもありそうだが、
音楽とは本来言葉によらず、直接心から心へ真実を伝える力を持つものである。
彼女がタクトのピアノを愛している事実は第6話ではっきり表明されている。
音楽の化身である運命ならば、タクトの音楽の中に流れている
純粋で一途な情熱を直接理解し、愛するようになるのは自然である。

そしてここにドラマが生まれる。運命の中に生じた葛藤である。
タクトが愛する音楽と、ムジカートである自分が具現する闘争の音楽との相克。
平和の中でこそ奏でられるべき彼の音楽は、自らの存在理由とは背反する。
タクトと自分の存在がすでに、相容れないものだと彼女は悟る。
タクトを残して単身、地獄に対して無謀な戦いを挑んだ彼女の言葉には
この苦悩と覚悟とが同時に表れている。

―マエストロは本来なら、こんな戦場に立つべき人じゃなかった・・・
 ただ音楽が好きで、ピアノを弾いているだけで良かったんです。
―音を力とするのがコンダクターとムジカートよ。むしろ戦いに相応しいと思うけど。
―あなたにはわからないでしょう・・・

運命が自らを投げ出してまでも彼を守り抜こうと決意した理由は何か?
そして、この葛藤が乗り越えられるべき契機はどこに求められるか?
・・・ここに、この物語の核心はある。
この前夜、逃げ込んだ洞窟で二人は心の内を明かしあっていた。
コゼットを失ったことで、作曲を続ける意欲を喪失したタクトに、運命は
彼の音楽に寄せる真実な気持ちをありのままに打ち明ける。

「それでもマエストロは曲を作るべきだと思います。
 その音を待っている人が、必要としている人がいます、この世界には。」

この時、彼女の言葉がタクトの曲に新しい意味を与えたのだ、―希望である。


希望としての音楽。
新たに見出されたタクトの、いや、タクトと運命の音楽のかたち。

この世界から希望を絶やしてはならない。希望の音楽を未来につなぎたい。
ムジカートにアプリオリに備わった闘争本能ではなく、
彼女の目覚めた心が獲得した、戦うべき新たな目的がここにあった。
一足早く新しい地平に到達した運命に、タクトがあらためて問いかける。

―この世界には僕の曲を必要としてる人がいる、お前はそう言ったな。
 なら、お前はどうなんだ?
―私も・・・いえ、私は、マエストロの曲が聴きたいです。
―遠慮なく僕の命を使え。僕とお前の二人でやるんだ。・・・

タクトの曲。希望としての音楽。それをいま、二人は共有する。
未来へ希望をつなぐために戦う、この同じ動機の中で二人の心が一つになる。
葛藤を乗り越えて生まれた絆。ここにもまた、弁証法的な過程が認められそうだ。
平和の音楽(タクト)と闘争の音楽(運命)が、希望の音楽として止揚される。
本作の音楽がさらなる高みへの志向を内在させているのだとすれば、
間違いなく、ここがその頂点である。そして同時に、
タクトと運命がたどってきた心の旅の終着点でもあるのだろう。

ここに本作の最終的なテーマを認めて間違いはないだろう。
最終話のザーガンとの闘いに決着をつける、一対一での対峙の場面、
絶望と犠牲による痛みの音楽を讃えるザーガンに、タクトが決然と言い放つ言葉、
そこにはタクトが獲得した信念がさらに強められ、揺るぎなく表明されている。

「だって、この世界には音楽があるじゃないか。
 D2だって僕たちの音楽の力があるから倒せるんじゃないか。
 どこに絶望する必要がある?・・・」

微妙なニュアンスを読み取っていきたい。この言葉はまず「音楽の力」、
すなわち闘争の音楽であるムジカートの存在を肯定するものだ。
同時に、この「力」の中に、新たな意味を読み取ることができるのではないか。
戦闘のための物理的な力であることを越えて、すべての人間にとっての
「絶望と闘う力」、すなわち希望の力へとそれは昇華されているのである。

「音楽はいつだって人を救ってる。
 僕も音楽があったから今ここに立っている。
 いつだって僕は音楽に救われてきた。
 音楽がつないでいく希望と歓びを、二度と誰にも止めさせはしない。」

この「音楽」にもまた、倍音のようにもう一つのニュアンスが響く。
おそらくそれは、今この瞬間、自分と並んで立っている運命を指しているのだ。
並び立つ二人を正面から収めたカットは、互いの存在を受け容れ合い、
ついに同じ地平に到達したタクトと運命の現在を端的に表しているようだ。

「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ。」 ベートーヴェン


最後に、愛としての音楽。

哀切な訣別の時は確実に二人に訪れる。
なぜなら、本作は「途上の物語」だからだ。

全ての生命力を枯渇させたタクトは永い眠りにつき、彼の作曲は途絶える。
だが眠る直前、完成した曲の旋律だけを口ずさんで運命に聴かせる。
その彼の、運命との契約によって失われた右腕・・・
自分とタクトをつなぐ絆だったその存在しない右手を最後まで握り続け、
眠っているタクトに愛を告白し、運命は消えてゆく。このとき初めて彼女は
マエストロではなく、「タクト」と呼んでいたようだ。・・・

さて、タクトの隣には運命に代わって、今度はコゼットがいる。
彼の復活した右手に、彼女がドックタグのようなものを握らせる。
このラストシーンが暗示する意味はほぼ想像できるが、それよりも明瞭に、
すでに第2話で、コゼット自身が予告していることに気づかれただろうか?

ベートーヴェンのピアノソナタに託して、
コゼットがタクトに語ったこんな言葉があった―、

「悲愴の第一楽章は絶望の今。
 かすかな希望の明日を見いだす、第三楽章。
 その間をつなぐ第二楽章は・・・愛なの。」

このフレーズに、物語のすべてが集約されているのは明らかだろう。
本作の本質はやはり、絶望から希望へと至る「途上の物語」なのである。
そして、そこには確かに、ひそやかな「愛の音楽」も鳴り響いている。
なぜなら、絶望の今、すなわち音楽が失われかけた危機の世界の只中で、
自ら戦いに身を投じる音楽とは、「愛」そのものだとは言えないだろうか?

それはまた、「かすかな希望の明日を見出す、第三楽章」へと、
音楽の未来を託されたタクトを導き、ともに戦い、守り抜き、
絶望を希望へとつなぐ使命を果たして、消えていった運命とコゼットの
ひたむきな愛の物語でもあった。
彼らの想いを未来につなぐために、アンナもまた戦いに身を投じてゆく。
闘う音楽、ムジカートとは、希望への途上にある音楽の現在に他ならないのだ。

「途上の物語」―。彼らの旅はまだ終わっていない。{/netabare}


毎期の終わりに、デジャヴのように繰り返される、
ソシャゲ原作アニメへの定番化した評価は本作にも及んでいる。
曰く、作画凄い、キャラ可愛い、ストーリーは薄っぺら・・・等々。
勿論、出色のバトルシーンこそが本作の華であることは言うまでもないが、
バトルに十分な尺を割けば、しわ寄せがストーリーにいくのは当然で、
ドラマメインの場合とは異なった描出法が必要になってくるだろう。
音楽。闘争。愛。主要なモチーフを巧みに組み合わせた緊密な構成と、
細部まで緻密に練られたシナリオによって、そこはクリアされていたように思う。

{netabare}例えば、アンナが死んだ娘と混同されるエピソードは、
彼女自身がコゼットの死を受け容れ、運命と向き合う決心につなげられていく。
また、割り振られた僅かな尺の中でもザーガンの人間像は定着できていた。
戦場で兵士を鼓舞するザーガンの言葉にすでに自己犠牲への賛美が見られ、
歪んだヒロイズムの暴走に至る心理に一貫した整合性が付与されている。
世界を救う使命感と現実との狭間で、重圧に押しつぶされていく彼の苦悩も
二人のムジカートの視点を介して効果的に表出されていたと思う。{/netabare}

ただ、惜しいことには、通常の説明的な描写に慣れた耳には繊細過ぎ、
十分に聴き取れずに終わるかも知れない。自分もそうだったのだが、
再視聴してみるとかなり印象が変わる作品である。

(2022.1.1 初投稿)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 22
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

いい意味で裏切られました。話の畳み方はかなり秀逸だと思います。

 え、何ですかこれは?いいじゃないですか。7話以降尻上がりに良くなって行って、10話~12話はかなりいい出来だったと思います。

 どうせ話が畳めないで続きはゲームで…かなあ、と思っていたのが思いっきりいい意味で裏切られました。
 謎は残りました。敵の正体とムジカ―トとは何ぞや?ですね。ただ、この辺は昔の世界系と同じと割り切ればいいでしょう。

 初めの数話の話が弱い感じなのが欠点といえば欠点なのですが、2回目視聴したら印象が変わるかも、という可能性を感じます。再視聴の機会があれば追記するかもしれません。

 使命のための命がけの戦いという話に、消えた人格の中に新しく生まれた愛情というなかなか良く練られたストーリーでした。過去の因縁もありましたし。それに主要登場人物のキャラの造形がきちんと表現されていたのも物語が楽しめた要素だと思います。

{netabare} タクトが次第に心を開いて運命への気持ちを自覚し、また音楽への情熱が作曲に向かわせたのはとても良かったです。ここから音楽へ殉ずる覚悟へと向かうプロセスで運命の命を天秤にかける苦悩があればもっと良かったと思うのですが、そこが無かったですね。

 ラブストーリーとして非常に良くできていましたし、エンタメとして綺麗だし面白いしきちんと完結していたので良かったと思うのですが、エンタメ極振りか、といえば何かテーマがあるような無いような歯がゆさがありました。

 なぜ「音楽」だったか、ですよね。もちろん「音楽」をモチーフにしたのは演出というか世界観としていいのですが、例えば表現の自由みたいな「言いたい事」があるか、でしょうね。ここの主張が弱かったからテーマ性が見えなかったですね。

 ひょっとしたら、クリエータの中にはどこか表現の不自由みたいな閉塞感があるのでしょうか。逆転電池少女が同時期にあるのは偶然のような気がしません。法規制にポリコレ…そういった暗い影を創作に携わる人は感じてこういう話が増えてきているのでしょうか。
 それをテーマにしているかと言われると、最終話の敵の思想やタクトを守ったレニーの動機なんかがぴったりと重なる感じではないですね。

 最後の薔薇の花びらになって散るシーン、良かったですね。握っていた手が消えて…涙が流れて…あれはコゼットに戻った?それとも運命の中に生まれた人間性?後者なんでしょう…と私はとりましたが、区別する必要はないかもしれません。
 いろいろ言いましたがひょっとしたら、このシーンから逆算して物語を作ったの?というくらいタクト-運命の関係についての話は素晴らしかったと思います。{/netabare}

 アニメは綺麗だったし、バトルシーン、3Dの出来、華やかさ、音楽がとても良かったです。
 あの2Dだと横顔のとき口の位置が歪む不自然な作画じゃなかったので横顔の時の唇の動きが楽しめました。



以下視聴時のレビューです。

7話{netabare}  7話それ自体は運命の成長とか、描かれていなかったコゼットに対する気持ちとか、タクト自身やニューヨーク側の展開があって面白かったと思います。
 ただ、運命の成長要因って今までの話で見せてましたっけ?人格を失ったコゼットが運命の内面のどこかにいるという展開でもいいと思います。ただ、いままでそういう描写が弱かったですよね。

 今回、望んでいたストーリー性がより出てきましたので、いいと思うんですけど、ちょっと唐突感がありました。{/netabare}

6話{netabare} ニューオリンズなんでしょうね。なんで地名を出さないんでしょう?ちょっと不思議でした。

 で、今回はラプソディーインブルーでした。キャラ紹介ではなかったのが良かったですね。やっと父が音楽家であったことが話に結びついてきました。それに、音楽にまつわる話と高齢化でさびれてゆく街の話がミックスされていて、なかなか味がある話でした。
 
 ラプソディインブルーはのだめのEDだった曲ですね。アレンジが違うしピアノだけなので雰囲気は随分違いますが。

 バトルがないのも息抜きで良い構成だと思います。今回は素直に面白かったです。 {/netabare}


5話 {netabare}ストーリーどんどん面白くなってくるし、ワルキューレちゃん、いいですね。是非ワルキューレの騎行(GATE1期で街をヘリで攻撃したときの曲です)をバックに戦ってほしいところです。

 それにしても、なぜセリフとか演出とかが陳腐なんでしょう。「僕の名前はキサマではない…」とか「気に入ったわ…」とか手プルプルして「その名前、覚えたぞ…」とか…いやいや…ワザと?ギャグ?こういうところをちゃんと作り込めばもっと評価高くなると思うんですけど。
 ワルキューレちゃんも、エライさんも、地獄もなんかキャラとしてはテンプレですし…

 マンガの記号論というのもありますから、記号論をアニメに応用して、受け手側が話を理解しやすい様に、ベタなキャラや演出セリフは記号的なパーツの組み合わせにしていると割り切ればいいのでしょうか。

 それにしてもなあ…話にも興味持てるし、絵が奇麗だし、音楽も良くなってきてるので、勿体ないなあと思います。

 ちなみに地獄ってダンテの神曲の地獄編?{/netabare}

4話 見ました。
{netabare}  来ましたね。運命。第4楽章の序盤と中盤の盛り上がるところをつないだんですね。やっぱりクラッシックをバックに戦うとカッコイイですね。なるほど調和が取れてくると、音楽が響くという演出ですね。これでこそコゼットの衣装の美しさが映えます。
 段々面白くなってきました。期待してなかった分、素直にうれしいです。もう少し本質的な謎に近づいてくれると、さらに興味がもてます。

 ところで、アマプラの時間でですが11分29秒くらいのコゼット。膝から下の長さとそれより上の作画のバランスがおかしくなかったですか?短足すぎません?3DCGじゃあ?{/netabare}

3話見ました。
{netabare} タイタンって、マーラーの巨人ですよね?で、ベートーベンの運命と。クラッシックをモチーフにしているのに曲がかからないのはどういう意図なんでしょうか?

 いや、批判ではなくて、普通の感覚ではないので何か設定があるのかなあと。
 マーラーの巨人の第4楽章とかをバックに戦ったらものすごくカッコイイ絵になると思うのですが、なぜそれをやらない?シリアスシーン用にとってあるのでしょうか。ものすごく不思議です。

 手順…というのが気になるところです。ただ、2話で2人の連弾って、シングシングシングとかだったですよね?コゼットは悲愴だし…運命は主人公が主題をワンフレーズ弾いていましたが…

 タクトはそのまま指揮棒ですから、クラッシックに注目していそうで…コゼットって、レ・ミゼラブルの印象しかないのですが他にありましたっけ?

 とにかく「意味」をばらまいているような、ギミックだけのような…良くわかりません。

 なお、ちょっと面白くなってきました。感情または人格は取り戻せるのでしょうか。ベタでもいいのでハッピーエンドだといいですね。{/netabare}


2話見ました。EDの絵の雰囲気が良かったですね。

{netabare}  さて、音楽がストーリーに入ってきました。音楽と戦うこととの関連とか、なぜ敵が音楽を目の敵にするのかみたいなテーマ性に行き着いていないので、そこにどうやってたどり着くかがちょっと楽しみです。
 疑問に思ったのが人ってそんなに簡単に音楽を捨てるだろうか?防音室とかじゃ駄目なのかなあ、ヘッドホンでは?とか思ってしまいました。


1話見ました。CGはいいですね。非常に自然な仕上がりでした。ここ数ヶ月でまたレベルが上がった気がします。今後はこういう絵が増えて行くのでしょう。

 ただ、魅力および肉感、現実感、個性という意味では全然だめです。キャラ萌えができる3DCGがモデリングできるかはこれからのアニメ業界の課題でしょう。日本のアニメ、コミックという2次元コンテンツを支えてきた大きな要素はキャラ萌えです。
 が、すくなくとも今の3DCGレベルではキャラ萌えからの2次創作は厳しいでしょうね。このレベルの3DCGが続くとアニメの衰退期に入る気がします。近い未来に無くなるのは音楽じゃなくてアニメでした、というオチにならなければ良いのですが。

 テーマの音楽。マンガがこの世から消えるというマンガもありましたが、こっちは音楽ですね。そのテーマ自体は面白い試みだと思います。
 ただ、クラッシックがやりたいのか、独自曲を売り込みたいのか、良くわかりませんでした。戦闘と音楽が全然リンクしてませんし。音楽が盛り上がってくると能力が上がるとか、強力な技が出せるとかなかったですね。戦闘のきっかけにしか見えません。
 2回目以降で何か作品を象徴する音楽は出てくるのでしょうか。Supercellがクレジットされていましたが、どうせ3DCGでやるならボーカロイドでやればいいのにと思うのですが、声優優先なんでしょうね。

 ストーリーはこれからなので何とも言えませんが、コミカル感がちょっと痛い感じです。
 また、勢いだけの雰囲気もします。トレーラーの映像とか初期設定は興味もてるんですけど、なんか設定をやり散らかして好きなように話を進めるアニメが多いですね。なんか今期はこういうアニメが多いのでしょうか。本作もそうなるような予感がしてならないので、いい意味で裏切って欲しいです。

 もちろん、荒唐無稽でも設定に矛盾があっても、話が面白くて感情移入できればいいのですが、感情移入が3DCGでつらい以上は良い評価になるためにはよほど頑張らないと厳しいでしょう。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 30
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

to end the "all" , to begin the "you"

またまた中二病タイトル。くー!イタイ!!!

この話は音楽を自粛した世界での話

主人公は内山昂輝さんです!!!よろしくお願いいたします!!!!
ということで神作品確定演出がきたので帰ります。

Q 面白かったんですか
A 面白かったです。だが惜しい!!!

要素としては本作はかなり良い出来だと思いますが、全体として繋げた時の違和感、そして細かい所に対する疑問(ツッコミ?)の存在、が本作を手放しに褒めることが出来ない理由です。

{netabare}初めて意識した異性の事実上の死に加え、その体は実在している状況{/netabare}に{netabare}「あなたが悲しい時、アタシが笑うわ」{/netabare}に{netabare}「あなたが救いたいのは世界じゃないんでしょ?」{/netabare}!!本来ならばかなり私の好みにぶっ刺さっている作品なはずです。しかし、いざ繋げてみると不自然。おそらく{netabare}ラストに詰め込み過ぎた結果{/netabare}ですかね。
そして疑問の存在。{netabare}あの火の精霊(仮称)はタクトとコゼットちゃんの契約によってどういうメリットで生まれたのか。そもそも火の精霊は何者なのか。レニーはなぜ直接ニューヨークでザーガンと相対しなかったのか。準備があったのだとしても彼らの行く先は組織内の腐敗した人だったのか。勝算がない状態で挑んで負けたら余計タクトが危ないというのは嫌でも理解してたはずなのになぜ勝負をしかけたのか。黒夜隕鉄とは結局なんであり、ムジカートとは結局なんなのか。{/netabare}まぁ答えがない、というのがオチでしょう。あ、私が見逃してるという可能性もあるのか…ワンチャン…ゲームですべてわかる系…?

とりあえず。今こうして振り返ると要素要素がピックアップされ「ああ。あのシーン超好きだなぁ」とはなりますが、決して「ああ。この作品超好きだなぁ」とはならないということです。いやなる人もいるでしょうけど。

{netabare}
名指揮者の息子である主人公(タクト)は幼馴染み(コゼット)を失ったと同時にムジカートという謎の生物型兵器(運命)を得る。旅をする中で、オカマ(レニー)とショットガン(タイタン)の二人組と知り合い、指導をしてもらう。途中分かれ、いざこざが合ったが、ニューヨークにて大企業のCEO(ザーガン)がやばいことを実行しようとしている所をレニーとタイタンが阻止しようとするもレニー死亡。主人公の父を殺したザーガンの目論見を叩くためにザーガンのムジカート(『天国』と『地獄』が合わさった『地獄のオルフェ』)と戦闘し勝利するも発動を中止するために主人公超瀕死故に冷凍睡眠。主人公のエネルギーに頼っていた運命はコゼットの姉(アンナ)と一体化(?まじで謎)

融合したのか二面性になったのか非常にわからない

今回の内山昂輝さんは「全てを達観し諦めたフリをする」タイプでしたね。個人的には「ラッキースケベで赤面し愚直に正義を信じる」タイプの内山さんより好きなので、安心しました。
まぁゲームでも主人公ということでぜひとも私が内山昂輝となり、運命ちゃんや月光ちゃんと仲良くなりたいものですね。

そしてなんと言ってもレニーの最後。ずっと笑っていろ!どんなときでも君は笑え!てものすごく「境界線上のホライゾン」の里見義頼を思い出して泣きそう。
それに対するタイタンちゃんも超好き。ずっと泣きながら笑ってほしい。
あとタクトくんが死にそうになっていたときの運命ちゃんも好き。目の前の死と自身の喪失が同意義なのに、なぜか嫌ではないという感覚。かなり好き。他にも名シーンはあるのですが、特に好きなのはここらへんですのでぜひとも三回ぐらい見てください(体験談)
{/netabare}

監督は伊藤祐毅さん。グラブルの方ですね
シリーズ構成は吉村清子さん。ヴァンガードの方ですね
キャラデザは長澤礼子さん。
劇伴は池頼広さん。SDガンダムの方ですね
アニメ制作はMAPPAさんとMADHOUSEさん。呪術廻戦の所とオーバーロードの所ですね。

作画は良く戦闘シーンも含め丁寧に描かれていたと思います。キャラ原案も良く、非常に満足できる作画でした。
声優さんはとても豪華で非常に素晴らしい演技でした。

何を得たのだろう。何を失ったのだろう。
ということで

投稿 : 2024/11/02
♥ : 6

66.9 2 オーケストラで未来なアニメランキング2位
クラッシャージョウ(アニメ映画)

1983年3月12日
★★★★☆ 3.7 (55)
211人が棚に入れました
 宇宙のなんでも屋“クラッシャー”であるジョウとその仲間たちの活躍を描いた、SF冒険アクション。原作は高千穂遥の同名小説。本作の脚本も同氏が執筆。キャラクターデザイン・脚本・監督を、原作小説の挿絵を担当している、安彦良和が手掛けた。時は未来。人類は宇宙へと進出し、他惑星への移住を開始していた。クラッシャーを生業としているジョウたちは、休暇中に飛び込みで依頼された仕事を“クラッシャー評議会”を通さずに引き受けてしまう。仕事の依頼人はバレンスチノフという男性。依頼内容は、病気の治療のために冷凍保存されている大企業の令嬢・エレナを、手術のできる医師が待つ星へと送り届けて欲しいというもの。だが、航行中に機体が原因不明の事故に遭い、全員が気絶している間に、エレナとバレンスチノフが消えてしまう。実はこれら一連の事件はすべてバレンスチノフが仕組んだ芝居だった。依頼人バレンスチノフは本当は海賊の一味で、エレナも彼が誘拐していたのだ。しかも、彼女はエレナという女性ですらなく…。果たして事件の真相は? ジョウたちは汚名をすすぐことができるのか?

声優・キャラクター
竹村拓、佐々木るん、小林清志、小原乃梨子、二又一成、武藤礼子、大塚周夫、納谷悟朗、小林修、久米明

イムラ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

宇宙が、熱い

<2021/6/13 追記>
CSで放送されてたので久しぶりに見ました
あらためて面白いですね。

アニメとして、そしてSFとしての出来が良い。
クラッシャーという稼業がカッコよい。

ただ一つ残念なところとして
本作(映画版)は原作に比べ少しストーリーが薄い感じがするのです。
原作の複数のストーリーの面白いシーンをつなぎ合わせたような気もする。
なんかぎこちないんですよね。
トラブルに巻き込まれていく必然性や
ゲストヒロインとの関係性や
キーとなるテクノロジーのヤバさや
そこら辺の掘り下げが物足らないからラストのカタルシスが物足らない

原作はそこら辺が丁寧によくできてる印象があって。
同じく宇宙海賊を敵に回す原作第2巻「撃滅!宇宙海賊の罠」なんかは物語にズンズン引き込まれました。

他にも第3巻「銀河系最後の秘宝」、第6巻「人面魔獣の挑戦」、そして第4巻「暗黒邪神教」と第7巻「美しき魔王」の話なんかは大好物でした。
タイトル安っぽいけど笑

でも総じて面白いですよ。
今のアニメにはなかなかない「スペースオペラ」としての面白さがあります。。

<2017/12/12初投稿>
昔映画館で観ました。
原作が好きで。
映画も好きでした。

そんな好きだった作品をうろ覚えでレビューしてみます。

ワープ航法が開発され普及し人類が地球から銀河の各地へ飛び出して数十年後。
極端なガス状のものを除くあらゆる惑星がテラフォーミングされ、いろんな恒星系の惑星に人は移り住み、無数の太陽系国家が形成された時代。
そこには犯罪以外のあらゆる荒事を生業とするクラッシャーと呼ばれる猛者達がいました。
元々はテラフォーミング作業を主業としていたクラッシャーは時代が移るに連れ、宇宙空間の巨大デブリの除去から要人警護、重要物の搬送、人探しなど仕事は多方面に広がり、比例して軍には及ばないものの強力な武力と高度な戦闘力を得ていきます。

そんなクラッシャーの一つ、チーム・クラッシャージョウが大暴れする痛快アクション・スペースオペラです。

クラッシャージョウは最高のSランクを誇る凄腕チーム。
若干18歳にしてリーダー、超腕っこきで技術も根性もある、ぶっきらぼうなイケメンの「ジョウ」。
パイロット兼リーダーの補佐兼後見人、全身の90%をサイボーグ化しているクラッシャー経験値∞の大男「タロス」。
紅一点で元王女とは思えないようなやりたい放題の「アルフィン」。
元浮浪児で15歳と経験は浅いがすばしっこいムードメーカーの「リッキー」。

こんな凸凹チームがとある大きな依頼を受けるところから物語は始まります。

ジョウのチームは受けた依頼を淡々とこなそうとしますが、そこには巨大な陰謀を背景とする巧妙な罠が。
彼らは騙され、窮地に陥っていきます。
そして、そこからの・・・!
あとは観てのお楽しみですが、とにかくハラハラ、ドキドキしたのを覚えています。

クラッシャーはそのルーツからならず者と見られがちですが、実は厳しい掟に縛られ、犯罪に加担したとみなされるとクラッシャー業界から追放されてしまう。(と言いながら裏社会から巧妙に情報を入手したりなんだりするんですけど 笑)
そんな縛りがあるせいで追い込まれ感がさらに増していきます。

そして、クラッシャー達が使う装備などがまた子供心をくすぐる♪
・同サイズの宇宙船では銀河中でも最高性能を誇るミネルバ
・ミネルバに搭載された複座型戦闘機のファイター1とファイター2
・おなじくミネルバ搭載の汎用型戦車ガレオン
・防弾耐熱で、あらゆる物質を燃え上がらせるアートフラッシュを胸のボタンにあしらった多機能スペーススーツのクラッシュジャケット
・小型の小惑星を一瞬で消滅させる分子爆弾
・宇宙空間でも発砲できる無反動ライフル
・ライトセーバーやビームサーベルを思い起こさせる電磁メス
・口径により破壊力が異なる戦艦兵器のブラスター砲
・通常航行の加速によるGを無効化していく慣性中和機構

などなど。

声優も覚えてます。
ジョウは竹村拓、アルフィンは佐々木るん(他にどんな作品出演されてたかはすみません。知りません)
タロスは次元大介の人。リッキーは元祖のび太。

スピード感あふれるアクションとダイナミックな宇宙での戦闘が安彦良和クォリティで楽しめます。

書き忘れてました。
安彦良和の初監督作品です。

うろ覚えなので雑な感じになってしまいましたが、数年前に映画館でリマスター・リバイバル上映してたようです。

こういうの好きな方は是非お試しくださいませ。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 31
ネタバレ

kororin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

旅に終わりはない~Oh! Our trip would never end♪

昨今はGA文庫・MF文庫J・角川スニーカー文庫等々ラノベ繁盛で人気が出るとすぐアニメ化されてますね。
かくいう本作も朝日ソノラマ文庫(現在は解散)で人気が出てアニメ映画になったようです。

原作は高千穂遙先生。クラッシャージョウシリーズ第1作目「連帯惑星ピザンの危機(1977年)」がデビュー作らしいです。
シリーズ全編の挿絵を安彦良和先生(もう漫画家だから)が担当されておられます。
時おりしも第1次アニメブームの真っ只中、特にSFに飢えていた青少年たちは文庫本「連帯惑星ピザンの危機」の表紙のカッコ良さそうな雰囲気に思わずジャケ買いした人も多いはず。
SF活劇でイラストカッコよくて創造と妄想を夢見ていたアニメファン(この頃はまだオタクという言葉はなかった)は「アニメになんねーかなー・・・」と思ってたら6年後に劇場映画に!
監督・キャラデザは安彦先生。メカデザインは「スタジオぬえ」。戦艦コルドバをデザインした(マクロスの)河森正治さんは自慢してましたが動画はマンはかなり泣かされたというのは有名な逸話。
ゲストキャラに当時の注目されてた漫画家のデザイン協力もあり、かなり期待されてたんですが・・・・・受けは今一つだったようです。
私もあまり見る機会というか縁が無かったので公開から三十余年たちますが「1度」しか見ていません。偉そうに言うつもりは無いのですが感想として・・・なんか盛り上がらなかった感じが。
安彦先生も後年、制作にはあまり乗り気じゃなくてスペオペの面白さがよくわからなっかったとおっしゃってました。
でも作画は全然手を抜いてないのでプロ作品としては尊敬に値します。

舞台は宇宙開拓が進んだ未来。そこで「クラッシャー」という職業で活躍するジョウのチームの物語。

【クラッシャー】
報酬さえ払えば何でも引き受ける宇宙の何でも屋。但し犯罪は絶対引き受けなない。ボディガードや用心棒・災害事故のある管轄行政が出来ない人命救助や危険物処理など様々。
スパイミッションとかもあるので身を守るための武装は自前の特注品。しかし地元治安組織(警察・軍隊)とソリが合わないのが悩みのタネ。(「他所モンが偉そうにするなっ!」ってゆうアレ)
特に連合宇宙軍とは犬猿の仲。

【ジョウのチーム】
ジョウ:若くして特Aクラスのクラッシャー。クラッシャー創設者ダンの実子。度胸のいい行動と判断力は絵に描いたようなヒーロー像。ガッチャマンでいうところのケンとジョーがミックスした感じ。
タロス:見た目がドズル・ザビ。かつてダンの右腕だったベテランクラッシャー。チーム専用機ミネルバの操縦士。ガッチャマンでいうところのリュウ。
アルフィン:惑星ピザンの元王女。ピザン事件でジョウに一目惚れ。ミネルバに密航してまでついてきてクルーになったお転婆娘。ガッチャマンでいうところのジュン。
リッキー:チーム最年少でお調子者のムードメーカー。アルフィンとは姉弟みたいな仲でタロスとは喧嘩仲間。ガッチャマンでいうところのジンペイ。
ドンゴ:サポートロボット。リッキーをよくからかったりする人間クサイところがある。ヤマトでいうところのアナライザー。
{netabare}
物語は1度しか見ていないので記憶があやふやなんですが、ジョウが謎の積み荷をミネルバで運搬中、船が勝手にワープして気を失うことに。
気が付いた時には積み荷が消えており、納得がいかないジョウは独自に調べると宇宙海賊マーフィーパーレーツが「宇宙船を外部からワープコントロールする装置」を手に入れたけど未完成で、完成のカギを握る女性、ドクター・マチュアをめぐっての大活劇。
ラストでマーフィーパーレーツを掃討し装置を破壊した今回の事件はジョウは何も知らされず仕向けられたことにプンスカ怒り、エアカーでアルフィンと共にハイウエイを猛スピードですっ飛ばすシーンでは背景がフル動画でスゴかったような記憶が・・・{/netabare}

機会があればもう一度見直してみたいものです。

日東・タカラが出してたプラモ。ミネルバ・ファイター1・コルドバ・ガレオン・パワードスーツetc、欲しかったなあ・・・・

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

対象はスペースオペラ好き、SFアニメ史に興味がある人…くらいですね

 最近の背景が精密で人物が簡素な画面ではなく、背景が簡素でメカに気合いが入っている感じなのが古さを感じます。人物とメカは丁寧ですけど、当時の日本はアニメにまだ金をかけられなかったのか、動きは単調でした。だからでしょうか。瞳の動きで演技をさせていましたね。

 安彦良和氏がキャラデザ、作画なのでガンダムっぽいのはもちろんですが、スタッフに河森正治氏とか板野一郎氏が入っているせいか、メカはマクロス感があります。キャラの鼻の下の影もマクロスっぽいです。そういう優秀なスタッフが集まったので、画面は綺麗でした…画面の止め絵だけは。というより妙に色が綺麗でしたね。宇宙もちゃんと黒かったし。

 ストーリーはジュブナイルですから極めて単純です。宇宙空間や様々な星で主人公たちが陰謀に巻き込まれ窮地に立たされますが、大活躍で勝利ということです。小学生の時、原作が好きでよく読んでいたので、レンタㇽ屋で借りてみたら、内容の浅さに驚いたものでした、というレベルの内容です。ナウシカ以降でアニメ映画の意義が変わりましたからね。本作は旧時代の遺物でしょう。
 スペースオペラって、宇宙を舞台にしたソープオペラ(安っぽいメロドラマの事)っていう意味ですので、その浅さが大事なんですけどね(今は違う意味とされています)。要は活劇です。

 裸も出てきますのでターゲットはミドルティーンでしょう。今のラノベよりキャラ達は背伸びして大人の世界感はありますし、物語の組み立てもしっかりしていますが、その「大人の世界への憧れ」の単純さに違った意味での幼さがある感じです。

 アルフィンの造形も非常にティーン受けするだろう非常に可愛い造形です。ただ、マスコットというかなんというか、彼女じゃなくても置き換え可能なキャラですよね。お姫様設定が全然活かせていません。ここも子供向け感がある原因です。ただ、アルフィンのデザインはいいですね。今見てもときめきます。ガンダムのメンバーにいたら大人気だったでしょう。

 設定の説明不足も感じます。私は原作を何度も読んでいたので困りませんでしたが、要するにファン向けなんでしょうね。だから話の作りもジュブナイルの読者層であるミドルティーン向けなのでしょう。
 せめて設定の緻密さの説明があればもう少し奥深さがあるんですけど。原作よりも更に子供っぽい原因はこの辺りでしょうか。
 
 アニメ史的な位置付けとしては、当時のアニメの状況や著名なスタッフをエンドロールで楽しむとか、声優さんに歴史を感じるとかくらいしかないですね。当時としてはかなり出来がいい作品だと思いますけど。

 私にとっては思い出深い作品ですが、本作を名作・秀作と強弁する気はありませんし、面白いかと言えばスペースオペラ好きならまあまあ面白いかもしれません、という感じです。

 2022年2月現在、アマプだとレンタル料が発生します。DアニメにもネトフリにもUNEXTにもないみたいです。まあ、そういう作品です。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 9
ページの先頭へ