オリジナルアニメーションで長崎なTVアニメ動画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画のオリジナルアニメーションで長崎な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年10月05日の時点で一番のオリジナルアニメーションで長崎なTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

87.4 1 オリジナルアニメーションで長崎なアニメランキング1位
色づく世界の明日から(TVアニメ動画)

2018年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (1139)
4868人が棚に入れました
物語の始まりは数⼗後の⻑崎。⽇常の中に⼩さな魔法が残るちょっと不思議な世界。主⼈公の⽉白瞳美は17歳。魔法使い⼀族の末裔。幼い頃に⾊覚を失い、感情の乏しい⼦になった。そんな瞳美の将来を憂えた⼤魔法使いの祖⺟・⽉白琥珀は魔法で瞳美を2018年へ送り出す。突然、⾒知らぬ場所に現れとまどう瞳美の視界に鮮烈な⾊彩が⾶び込んでくる…。

声優・キャラクター
石原夏織、本渡楓、千葉翔也、市ノ瀬加那、東山奈央、前田誠ニ、村瀬歩
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

アズライト

色が見えない少女がタイムスリップするお話。

1話
{netabare}
主人公の月白 瞳美は色覚異常で周囲と馴染めません。
周囲が夢中になれる風景であったりを共有できない。
人と馴染めない分、周囲のイメージと違って、瞳美は純粋。
本作がテーマとして扱っている「色」について、
色が見えないから、哀しい、と言うわけではなく、
哀しいから、色が見えないように感じました。
母親との別離、年数の経過、友人の欠如、そういったことから色が見えないのかな。

瞳美は魔法なんて大嫌いという。魔法使いという自分の家系に対するものか、「一人でも大丈夫」という魔法を使ってしまう、自分の心の弱さに入り込むからだろうか。
葵 唯翔の絵(デジタルで・・・)により、瞳美の世界に色が戻る。

今作が瞳美の色を取り戻すためには、何が必要であるのか、それを追っていくことは必要でしょうね。
その中で、心が純粋で脆い瞳美の、細やかでいじらしい感情の動きを期待しています。

サブのポイントとしては、自分の元々持つ、魔法使いと言う血筋や、一人でも大丈夫となってしまった現状で友人の存在について、どのように肯定していくのか、と言う部分を重視してます。

それにしても、瞳美の髪が銀色なのは外人の血でも入ったのだろうか。琥珀ばあちゃんもしくは瞳美の親は外人と結婚したのかな(笑)
キービジュでは、色はそんなに銀色じゃなかったから、アニメ的表現だろうか。
{/netabare}

2話【モノクロ】
{netabare}
二話で多用された瞳美のモノクロの世界と色のある世界の一瞬の切り替え。

モノクロ写真は、色、という情報が抜け落ちて、過去の事象(写真の中に収めた物)をみています。
その時、私は、写真を取った時の時間の流れよりも、自分の生きている時間の流れが、はやいような気がするのです。
なので、瞳美の世界は、私の生きる時間とは少し時間の流れが違うような、そういう錯覚を覚える印象を受けました。

また、色のある世界から、モノクロの世界に変わるシーンは、私の感じる世界がこう見えて、瞳美の世界がこう見えてしまうのか、そういうショッキングさが感じられて、瞳美の抱える色覚障害というものが、瞳美に与える影響の大きさを納得してしまいましたね。

{/netabare}

3話【暗示】
{netabare}

今回は瞳美に対して暗示によってどうなるか、というアプローチがなされていましたね。
ポッキーを杖代わりにした時も(ポポッキーとかいってたかな?)、
曾祖母である瑠璃が「初心者はこういうものをつかったほうがやりやすい」
という事を言っていましたね。
つまり、魔法使いのオールドなイメージ、大きな帽子に杖を携えたような、そんなイメージで、なりきった気分になったほうが使えるということかもしれません。
それは、私は魔法が使える、という思い込み、自己暗示を掛けやすくなるための一つの手助けでしょうね。

そのほかにも、水色の星砂を撒いたので水の上を歩けると思い込んだ瞳美の思い込み、
人に色が見えないことを隠す理由にある、他人への思い込み、
モノクロ写真なら自分にもできるかもしれないという、希望のような思い込み、自己暗示。

彼女が色が見えないことや魔法が使えないことは、彼女自身が自分にアレができるコレができると思い込めるような自己肯定によって、解決されるのかもしれません1ね。


{/netabare}

【魔法が解けるとき】
{netabare}
二話で瞳美が「魔法なんて大キライ」という言葉を、前篇と後編で使い、その心境の変化を、表情や声色で表しましたね。
この言葉を自己暗示のように繰り返していた瞳美。
「一人でも大丈夫」という言葉の小さな魔法、思い込みのように、この言葉も小さな魔法なのかもしれません。
それが二話の後半で言った「魔法なんて大キライ」という言葉はどこか魔法が解けかけたような…そんな印象になりました。
{/netabare} 

4話【世界】

{netabare}
一人のか弱い少女のお話と見ていましたが、世界との向き合い方、セカイ系っぽいお話をするかもしれません。
「魔法の力を与えてくれたこの世界に恩返しがしたいの」
そういった60年前のババ…(ゲフンゲフン)琥珀は、瞳美からみて、大人に見える、もしくは先を見ているように見えたでしょう。

琥珀が作品中で悩みであったりとかを抱えるかどうかは、作品の最終回に深く関わってくるでしょうね。

琥珀は世界を肯定しており、作品世界の理の一部である「魔法」を肯定しています。
つまり、瞳美は、世界の理である魔法の力を有していながらにして、否定していることが、色が見えない原因になっているのだと、今回感じました。
潜在的な瞳美の魔法の力が琥珀の魔法によって引き出されたことからも、彼女の心によって色が見えないことを、彼女の中に内在する魔法が作り出しているのでしょう。
でもそれって…少しおせっかいな世界かなと、思いもするんですよね。

また、写真部の皆の恋や物語も平行して進んで言っていますが、一つ一つの物語に意義があり、それぞれの物語が最終的に帰結する場所へ意味があることを期待させて頂きます。

{/netabare}

5話【魚】
{netabare}

今週は写真部の女性メンバーのあさぎの恋を回収する話も絡めてましたね。
あさぎの恋が、あさぎを成長させる要因として作用する方向に持っていったのは素晴らしいと思います。
ただ、主人公である瞳美をあさぎの成長の間接的な原因としたポジションにおいたままだったため、瞳美とあさぎの距離は縮まっていないことが気がかりです。

さて、今回は瞳美が葵に渡した星砂(懐かしい思い出の星砂)、それをつかうことによってあおいが金色の魚を見るという展開がありました。
ひとみが魚をみたときは、あおいのデジタル絵を見たときです。
つまり、星砂が魔法の類であるならば、あおいのデジタル絵は、別の魔法がかかっているのかもしれません。それは、あおいが絵に込めた思いが、魔法として絵にかかっているということであってほしいですね。


{/netabare}

6話【写真】

{netabare}
今回は色々転換点になりそうですね。

まずはあさぎの恋ですが、部長との関係を「小学生時代の関係のままで良い」から、変えたいと思ってあのように部長の手を振り払った。あさぎの拙さが残るコミュニケーション方法にとても青春を覚えますね。

次に、あおいの絵の中に瞳美が入ってしまったことについて。
情報が多いので整理しましょう。
①絵の中に入る時、アズライトがモノクロの世界で光っているように見えた
②絵の中の奥には、死んだ金色の小魚、死んだ大きな金色の魚がいた。
③瞳美が絵の中の奥で立っていた場所は瞳美曰く「荒れた場所」
④絵の中には渦まきが中心にあるような湖(もしくは海)があって魚はそこにながれた。
⑤渦巻きの中心に行こうとする魚を、網のような物を持って捕まえようとしていた人がいた。
⑥絵の中の事を聞かされたあおいは、なにか思うことがありそうだった。

では、内容を考えてみましょう。
まず①については、絵に入ったのは瞳美の魔法によるものであるという事の裏づけでしょうね。アズライトは魔法の力を増幅させるような意味合いを持ち、それを描いたものです。
②について、これについての疑問点は誰の心の内を描いたものであるのかという事。
これはあおいの心の内を描いたものであるのか、それとも瞳美の中なのか。
というのも、⑥のようにあおいは自分の絵に対しての迷いを描いているように見えつつ、後半で瞳美に色が見えるようになるとき、彼女の心の変化によって大きい魚の状態が変化することがあることが、この描写の疑問点です。
この疑問点については保留しておきたいですね。④と⑤を理由として解釈すると、小魚はあおいの心のもの、大魚は瞳美の心のものであるかもしれません。

③番についてですが、瞳美があおいに、瞳美のために絵を描くから見てほしいという言葉で、荒れた場所に色がついたことから、瞳美のポジションを表現したように見えます。

さて、絵の中についてはこれくらいにして、瞳美の世界に色がもどったことについて考えます。
あおいの干渉によって瞳美の心が変化したために色が見えるようになった、ということは、誰が見ても間違いないでしょう。
なぜ色が見えるようになったかについては、色が見えるようになったとき魚が登場したため、色の見える見えないは魔法の関係していることは明らかかと思われます。
色が見えるようになったときに死んだ大魚が金色になり蘇った事については、瞳美の心の中での変化をえがいたものでしょう。
あおいの干渉というのが、「君のために絵を描くから、君に完成した絵を見てほしい」というのですが、魔法を作り出しているのは瞳美であるために、瞳美の心の内がいまどうなっているのか、という事が重要なのです。
色が見えないのは瞳美が世界を肯定できないせい、と以前書きましたが、
あおいの干渉で、瞳美が世界に肯定できるものが出来た、と考えると、
おのずと今後の展開が見えて来るような気がします。

それと、魔法写真美術部が仮装をして写真を取りにいったとき、瞳美が道のブロックの写真を取っていることが非常に印象的に見えました。
その残った写真は他の人が見ればただブロックを取っている物にしか見えないかもしれない。ですが、写真を取った瞳美がその写真を見れば、この時どういう思いで写真を取ったのか、他に心躍るような景色はそこにあったのに、ブロックを取った理由。写真という映像を保存する媒体が、人の記憶や感情を呼び出す装置になるというのが、とても面白い描写でした。

{/netabare}

7話【好き】
{netabare}
今回は胡桃回でしたね。個人的には胡桃に共感をもてた良回のだけれど、進路の話と捉えるととたんに面白くないと感じる方もいるかもしれません。
私は今回は、「好き」を強く意識させられる回だったと感じています。
その「好き」とは恋愛感情におけるものではなく、物事に対しての「好き」ということ。

物語を考える前に、少し胡桃の状況を整理しましょう。
①胡桃は人生をかけるほどの好きなものが無いことに悩んでいる。
②胡桃の姉が好きなものを仕事にしたことをすごいと思いつつ、①の自分と比較して、劣等感を感じている。
③劣等感を感じていた胡桃であったが、千草によって自分の好きをあせらずに見つけることを気付かされた。


私が共感を感じたのは、胡桃の姉への感情。姉へ尊敬を見せていると同時に劣等感にさいなまれている彼女に、未発達な高校生としての悩みとして適当であることを感じました。
物語としてのこの悩みへの解決について、千草という部内でも胡桃に近い存在であり、お調子者的な性格である事が、よい解決を迎えた理由だと思います。

私なんかは胡桃に対し、自分は自分、他人(姉)と自分を比べるな、と、彼女の好きが見つからないことに対する回答とは別の頓珍漢なことを言いたかったのですが(まあそれは、胡桃の姉に対する劣等感に対しての意見なのですが)、千草は、ひとによって好きの度合いは違う、好きなものはいつか見つかる、あせることはないと、いつもの調子で言い、胡桃を救い上げました。これが胡桃の側にいて、そして高校生であり、お調子者である千草の考え方であり、登場人物の性格の提示がとても上手くいっている回だと思われました。


ちなみに「ヴィーナスの重荷」というタイトルから、荷物を置いて、走りだす胡桃や千草のシーンを考えると、ヴィーナス=胡桃であり、胡桃にとって、好きなものがなければならないというような、足かせのような考え方を重荷と考え、それを置いて走り出すことが、胡桃の悩みの解決シーンとしてさわやかさを演出していましたね。

{/netabare}


8話【光】
{netabare}
さて、いよいよ来ましたね。今まで世界を祝福してきた琥珀のアイデンティティを脅かそうとする展開が。

瞳美の「(未来に)帰りたくないなあ、ここにいたいなあ」という発言が琥珀の気持ちを大きく揺り動かしました。

では、琥珀がなぜその発言で動揺してしまったか。
琥珀は、世界を自分に魔法を与えたことを肯定しており、感謝しており、恩返ししたいと考えています。
その恩返しの手法として、魔法で人を幸せにしたいということで、人の願いを魔法で叶えるために、魔法の勉強にまい進してきたわけです。
瞳美に対しても、いつか帰りたくなるだろうと思い、自分が未来から送ったこともあり、その願いを叶えるために、時間遡行魔法の練習を積み上げていたわけです。
しかし、瞳美の今の思いは異なりました。この時間にいたいという瞳美の願いに対して、モノローグとして「私は魔法で人を幸せにしたい、でも魔法で人を幸せにするのは本当に難しい」と語ります。
琥珀の中に流れた感情を整理しましょう。
①瞳美が幸せだと思うことを叶えてあげたい。
②未来に帰すことは瞳美の幸せだと勝手に思っていた(瞳美は未来に帰りたい?という琥珀の問いは、琥珀自身なら帰りたいと思うエゴイスト的質問だった)
③瞳美のここにいたいという気持ちを、全肯定できない。
④瞳美のこの世界に留まらせることは、瞳美のためになるのか、それとも、幸せになるのか
つまり、琥珀は瞳美は元気になったら帰りたいだろうという、琥珀視点で考えていたのですが、そうではなかったため、瞳美を幸せにする方向性が見えなくなってしまったことが、動揺した理由だと見ています。

この状態に入ったことで、琥珀は瞳美の幸せにすることがどういうことか、自分が魔法で人を幸せにしたいと思っていたがその具体的方法を考えるようになるのはかもしれませんね。
その過程の中で、現状魔法写真美術部のグループの中で誰に支えられることなかった琥珀が、グループの中でのやり取りを通して変化していく展開が見られるんじゃないかと期待しています。

そして、その問いの中に、琥珀が上手くいっていない時間遡行魔法に必要なものが存在しているんじゃないかなと、考えるばかりです。


さて、本筋以外の話から読み解きますが、今回では瞳美の取る写真が雰囲気が変わった事を部内の皆に指摘されていましたね。光の意識が出てきたと。
この作品は色づきを大事にすると共に、光による煌きが重要視されていますが、それを強調するのと同時に、光の当たらない闇の部分を見ることもあるということです。

以前の瞳美は、「光なんていらないという写真が多かった」と部内の人間から言われています。では、瞳美がどこを見ているか、という視点で考えると、部内の人に色が見えないことを告白していない時は、彼女は闇を見ていました。それが告白後は、光を見ている。

つまり、瞳美が今の時間にいることで、色が見えるという希望の光に囚われているならば、光の当たらない闇の部分は、瞳美の目に入っていないもの、魔法写真美術部に依存し、彼女の自立という部分の視点が、瞳美には見えていないという指摘が、琥珀の動揺のシーンにはあるのかもしれません。



追記です。ここからは、琥珀という登場人物について、やはり考えなければだめだろうということを感じています。
私の琥珀に対するイメージは、本音をぶちまければ酷いものですが、
瞳美に対する、私は経験あるからわかるよ感
琥珀の大人びた仕草についているニセモノ感
思春期を経験していないかのような家族との関係
まあ、他にもいろいろ言いたいのですが、それは上記のものと類似事項になりそうなので控えます。
上記のものからもわかるように、琥珀を非常に大人びて見せていますが、素人目にもわかる、うそ臭さ。
この感情を悪いように考えるのではなく、製作者の意図するものだとしたら?
現に8話、あの冒頭で琥珀が「世界にありがとうといいたい、世界に恩返しすることに決めた」なんて、普通の人ならありえないほど世界を最初から肯定するわけです。意図して一般人と乖離、もしくは他の登場人物との差を示しているようにしか見えません。
つまり、この8話から、琥珀の性格が、周りの高校生と乖離しているように見せきったところから、いやいや、彼女にも、弱くて、同年代の子に支えてもらいたい事や変わる事ができるんですよって事を示してくれるんだと、期待しています。
{/netabare}

9話【時間】
{netabare}
今週を告白回と捉えるか、ショウ回と捉えるかそれが問題だ!
はい、ということで、今回はショウ(部長)という人に焦点を向けた回だと思っております。
一番印象深いシーンはあさぎと一緒にショウが撮った写真を見ながら会話するシーンで、ショウが写真で取ったその時間について語っているときです。
日々流れていく人の営みを眺めて、その日常を肯定、愛おしいと思っているのではないかと感じさせてくれます。
同時に、その写真が瞳美と一緒に行きとったものであり、ショウが瞳美を意識していることからも、未来に帰ってしまう瞳美に対する、今一緒にすごしている時間が一瞬かもしれないという辛さを含んでいることも伺えるのかもしれませんね。
{/netabare}


10話【友達】
{netabare}
意外にもあさぎと瞳美のすれ違いはすぐに終わりましたね。
あさぎと瞳美の距離感が埋まっていないことは以前の回に書きましたが、今回の事でかなり近づいた事から、方向性は間違っていません。ただ、物語の構成として、重大なことに見せかけて次の回であっさり解決させてしまうのは、正しいのか、少し疑問です。

さて、今回瞳美の親について、触れられました。
瞳美がショッキングな出来事により色が見えなくなったことは、1話で書いたときにも触れましたし、作品内で瞳美自身が色が見える時期があった事は匂わせていました。
幼少期の瞳美を置いて出て行ってしまった瞳美の母親、ようはネグレクトというものですが、この出来事は母親だけが問題ではないことは、あおいが瞳美を励ます時にいったとおりです。瞳美の母親がネグレクトした原因は、様々な原因に寄るものです。
今回のネグレクトの事案について、琥珀自身はどう考えているでしょうか?
魔法の力を与えてくれた世界に感謝したい琥珀、その琥珀の子供は魔法の力を有さない。という事は、琥珀の子育ては、容易ではなかったはず。
世界に祝福された人間が、祝福されていない人間を育てるようなものです。
どこかで琥珀とその子供の歯車が食い違い、子供の性格に影響を与えたと考えます。瞳美という子供が母親に自分の魔法の力を見てもらい喜んでもらおうとすることに、喜びの感情を得られなかったとするなら、それは瞳美の母親の人格を形成した環境に原因があります。
正しく、いや、100%正しいなんて事象は存在しませんが、もし魔法が使えない母親が、魔法が使える子供が喜んで使う姿を見たときに、その母親が経験してきた、魔法が使えなくて苦しんだ経験を、子供は経験しなくて済むんだと、安堵と喜びを覚えるのが、ゆがんでいない人間です。
そのゆがみがこの瞳美の母親には存在し、周囲の環境、親である琥珀を含め、そういったところからネグレクトの芽は生まれているのだと感じました。
瞳美が色が見えなくなったのが母親のネグレクトだけが原因とするなら、ネグレクトするような母親を作ったのは、琥珀だという事が言えますね。

そしてその話題について、作品内で琥珀に自分の子がネグレクトをする未来が打ち明けられるか?という疑問が出てきます。
シュタインズゲート曰く、世界線の収束により、そのことが伝えられても、琥珀は瞳美へのネグレクトの発生を止めることは出来ないでしょうね。
もしくは、タイムパラドックスの回避のために、そのこと自体が伝えることが出来ないという事になるかもしれません。伝えたらネグレクトが発生しなくなるので、瞳美が過去に来る未来がなくなり、過去にいる瞳美は消滅もしくは帰還するかもしれません。

ラストシーンに瞳美が過去に来た理由を考え始める描写があります。
瞳美は自発的に過去に来ていないという事を含めると、過去の琥珀にその理由を尋ねるところから始まるかもしれません。
しかし、未来の琥珀は「いけばわかるわ」という言葉から、誰かに教えてもらうようなことではないことであるのは明確です。
個人的な考えですが、写真部の人間との会話の中から考えると、この写真の時はこんな事があったよねということを思い出せる、だとか、非常に仲間内での出来事を重要視している事が伺えます。
瞳美が写真部の友達たちと共有した時間の中から、過去に来た答えは瞳美自身により導かれるのではないかな。

それと、今回の見所は、瞳美が泣きじゃくりながら、自分に怒っているシーンですね。ないている内容についてはいいとして、悲しんだり怒ったりする感情の爆発が、瞳美には必要なんだと表現してくれたシーンでした。
つまり様々な感情が彼女の世界の色付きを形成してくれるということなのかもしれませんね。
{/netabare}

11話【琥珀】
{netabare}
他のレビュワーさんのレビューを見る限りでも、良い印象ではない回であることは確かです。
私も、この回について、違和感が感じた事があるのでそれを整理します。

まず、前回までに何も触れていない時間魔法に対する世界の修正力がいきなり出てくる。これは単純にダメですね。
つぎに、前回で過去に来た意味を瞳美が考え始める描写があったが、今回はそれに全く連続性が無い。
これは個人的な感想に入るかもしれませんが、琥珀のおしつけがまさMAX。世界が瞳美を消しちゃうんだからしょうがないといって、グループの意見を納得させることを1話の中で消化するという、急ぎ足で無理やり話をまとめた感を出しています。瞳美の意思と、琥珀の意思がまだ反している演出があるところは、まだ琥珀に期待したいですね。

そして、瞳美とあおいの恋愛については、紙飛行機を追いかけていったら、二人が出会うのはまだわかるけれども(あおいの元へという魔法がかかっているため)、あった瞬間抱き合う、そんな関係まで発展していたっけ?という、物語の急変ぶりにショックを受けました。

この11話で残念なのは、やはり琥珀について、舞台装置化してしまいそうな不安が残ります。
今回の琥珀は、時間魔法が成功させることができるかどうかについてばかり不安にしていて、瞳美の心に気づけていない、瞳美がここに来させた意味を考えていないという描写であればいいのですが。つまりこの回を、琥珀の失敗回と捉えて、来週が琥珀の成長回と期待できなくはないわけです。
もし、本当に琥珀が時間魔法をするだけの存在であり、瞳美の心を考える友達のポジションを持っていないなら、琥珀は物語の舞台装置であるという、残念な役回りしか与えていなかったという評価になってしまうでしょうね。


前回の感想で、タイムパラドックス回避のために、瞳美が消滅・もしくは帰還するかもしれないということは書いたけど、今回とは全く文脈が違います。琥珀がネグレクトを発生させないようにしたら、瞳美が過去にくるか?という文脈で話しました。

今回出てきた世界の修正力は、二つの発生の理由が考えられます。(作り手のご都合というものを排除した場合)

まず、琥珀が過去に行かなくて済む未来になったから働いた、というのが物語を良心的に見た場合の感想になります。

次に、琥珀の言ったとおり、本当に世界が元通りの世界にしようと修正するために発生したという理由。こちらが本当になると、魔法という力に向き合って、変化してきた瞳美の成長を描いてきた物語が、なかったことにすべきという力であるわけですが、この方向で本当に物語を進めるか不安ですね。
好意的に見れば、瞳美の取り巻く世界は瞳美を祝福しているようには見えないわけです。しかし、琥珀は自分に力を与えた世界を感謝しており、瞳美に対してあまりにも残酷な運命を突きつける世界に対して、世界を愛する琥珀が、世界に何を思うのか、それが気になりますね。


{/netabare}

【幸せ】
{netabare}

瞳美の色が戻った時、母親と見たときの花火や、過去に行く直前に見た花火を思い起こさせて、とても色彩のあるシーンでした。

琥珀については魔法の神様に瞳美がもう少しこの時間にいることを神頼みしたり、未来に変える直前に瞳美に謝っていたりと、琥珀の無力感が際立ったいました。
同時に、瞳美の心に生まれた気持ちを、「それって幸せってことなんじゃない?」と、言い当ててしまう辺り、琥珀は大人なのか、それとも若者なのか、微妙なポジションに立っています。

今回、「幸せ」が宿ることで、瞳美は色が見えるようになったような、そういう印象を受けました。母親と一緒に見た花火の時は、瞳美のなかに幸せがあったのでしょう。1話に瞳美が「誰かと見ても楽しめない」といった沈んだ気持ちを吐露する場面を拾ってきたのが幸せを強調していました。
その為、やはりストーリーの中で、瞳美の変化を出した表現というのは、作品を見る人に大きな感動を与えてくれたと思います。

最終回への次回予告が「私の色は何色なんだろう」という一言で、アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」を思い出して、空気も読めずクスリとしてしまいました。

それと、先週から引き続いた瞳美とあおいのハグについて、今週見ればわかるとおり、まだ瞳美もあおいも自分の好意を伝え切れていないように見えました。あのような熱いハグをしておいて恋人関係まで発展しない所が、この二人らしいですね。

最終回を前に少しおさらいといいますか、拾われているかわからなかった描写について。
あおいについて。最初に瞳美があおいの絵の中に入った時、大きな渦の中心に導かれる魚と、それを捕まえようとする影。この描写はあおいの悩みを含んでいたと考えるのが良いでしょうね。あおいの悩みが解決されたと同時に、この描写が示していたことは提示されたのだと思います。
あの金色の魚は、あおいが幼い頃に書いた絵ですが、瞳美との関係は、最終回、明らかにされるのでしょうか?楽しみですね。

それと私がずっとイメージしてきたこの作品の作品像について。
OPの映像で、魔法写真美術部のメンバーが揃って同じ方向を見て並んでいるシーンがあります。同じ時間を共有し、様々な悩みや青春を共に助け合い語り合い経験し、そして繋がりが強くなった友達を得ることが、この作品に求めていたことでした。
だから、琥珀だけが、その輪の中に入りきれていないのが、はがゆかった。
私は、琥珀がもっと魔法写真美術部に、精神的に心をおいてほしかったのだと思います。魔法がうまくいくように、部の皆の協力を得る、ではなく、琥珀自身のメンタルに仲間の存在があって欲しいと思い続けていました。

最終回、どのような物語になっても、私はこの作品を好きでいられると思います。

{/netabare}

13話 【色】
{netabare}
ほぼすべての伏線の回収回なので、非常にすっきりした部分が多いですね。
まず、色について。今作品は陰影による表現を活かしていましたね。光によって照らし出される明るい色と、その光によって生まれる暗い色。明るい色も暗い色も、どちらも併せ持って自分を好きになってほしいと、あおいは瞳美に言い残しました。それは、色とは、瞳美の持つ様々な感情の部分であり、それを肯定することで、瞳美は自分を好きになれる、もしくは母との離別に対する後悔や自責の念に向き合うことができるのだと感じました。

次ですが、未来の琥珀が人生の後悔について語ります。彼女が近くの人を幸せに出来なかったこと、このことについては、琥珀の娘について、魔法が使えないことについて、親族からの目から守ることが出来なかったことや、そして瞳美についてもそれによって色を見えなくしてしまったこと、その後悔が含まれていましたね。
つまり、作品内で17歳の琥珀という人間が成長しない理由は、
60年後にようやく過去の後悔を吐露する未来が決まっていたからでしょうね。
つまり、琥珀が家族に対して省みる力は、60年前の琥珀にはなかった。琥珀が60年前の時点でただの青年であった事を示したのではないでしょうか。

以下、最終話で気になった事。
魔法写真美術のお別れの言葉を言い合うシーンがリアルすぎる。
あおいの絵だけ色が見えることの理由。ずっと好きだった絵本だから、ということなのかな。世界を肯定しているか、の話と絡めると、あおいの絵、または絵本の中の世界が瞳美は幼い頃から好きだったから、色が見えたのかな。

色が見えるようになった理由。これは瞳美の気持ち、世界に色が溢れているという、世界に対して好きになれること、この辺りの問題提起を解決してくれたと思う。
60年後の琥珀が仕掛けた魔法が、琥珀の気持ちを汲み取る魔法であった事。今の琥珀には気持ちを汲み取る力が欠けているので技術的に無理というより人間的に無理なのだろう(ちょっと琥珀に厳しすぎる見方かな?)。



{/netabare}

まとめ
{netabare}
技術的なことや芸術的なことはわかりません。わかりませんというのは、人によって美しいと感じるものは人それぞれだと考えているためです。
特定の色に弱い色覚障害を持った人に、その色を美しいよねといっても、共感が得られない疑問にぶつかってきました。華やかだよね、という言葉ひとつとっても、それぞれの華やかへの定義が違う事に悩んでいました。

この作品において私は、モノクロによって強調された世界であったり、日の当たり方、世界の時間の流れによって作り出された美しいワンシーンであったり、人の感情が抑えきれない時の姿を、直感的に美しいと感じることは出来たと思います。(ただ、私は作品内で色鮮やか、といわれるシーンの一部が、何が素晴らしいのか、よくわかりませんでした。それが人と私の違いだと思います。)
どうやったらこの作品の作画を述べることができるのか、ずっと考えてきました。
ですが、私はアニメの技術的なことは素人であり、直感的に感じた事を、何かしらの言葉にするしかないという考えになりました。それは、美しいと感じた時の感情、喜び、ときめき、わくわく、そういった私の中から生まれる1次的な感情を、性格の違う他人にロスなく伝え、共有したいと考えました。それらの感情を得た時に初めて、作画が良いと、言うことができるのだと私の中での定義ができました。時には、感情が異なりぶつかり合うこともあるけれども、その事象ですら、私はこの作品では悪いものだとは思わなかったです。それは押し付け合いではなく、相互の感情への理解によって生まれるのだと感じています。

この作品は、仲間と共有する時間、時間そのものは世界にある物として、その時間の中で共有した感情の愛おしさを、感じさせてくれる作品でした。

{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 60
ネタバレ

HmFDB75691 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

最終話&総評 瞳美の魔法についての考察

タイトルからはどんな話なのかわからない。作画がきれい、というのが第一印象。

第1話 あの男子は……
{netabare}
瞳美が飛ばされた家の男子は、祖父じゃないかな。
結ばれるために瞳美が必要とか、ベタな展開を考えてしまった。

ただ、瞳美が恋愛すると、パラドックスが起きてしまう。
瞳美がもともと2018年にいたとかなら恋愛もできるか。

色々予想したくなる作品。
きっと花火のシーンはまた出てくるだろう。
{/netabare}

第2話 今後の展開を予想してみた
{netabare}
瞳美の視点で話が進むから、景色はすべて白黒なのが正しいんだろうな。

”唯翔=瞳美のじっちゃん”はありそう。琥珀よりも瞳美のほうが好きになるおいしい展開もあるし。

瞳美は、子供のころまでは色が見えていたけど、魔法でじっちゃんの絵を焼いてしまい、魔法が嫌いになって、色も見えなくなったとか。唯翔の絵だけは色が見えるのはじっちゃんだから。
記憶を取り戻したあと、琥珀に話して、琥珀が魔力を溜めることになる……。

現時点ではこんな感じで予想してみた。
{/netabare}

第3話 よくある入部物語
{netabare}
写真部に入部するパターンってよくある。話も作りやすくて無難な部なんだろう。体育会系でもいいと思うんだけど。

次回は琥珀が登場するから、謎の部分も明らかになるだろう。
予想としては、唯翔と琥珀は仲が悪くて、そのうち瞳美がじっちゃんたちだと気づいて、仲を取り持つ。でも、唯翔は瞳美のほうを好きになっている……。

瞳美が飛ばされたのが唯翔の部屋っていうのが、琥珀と唯翔の関係を示す伏線になっていると思う。

この時点で、瞳美が過去に来た経緯を、琥珀が知っているかどうかが、次回のポイントだと思う。
{/netabare}

第4話 瞳美は恋愛しないのか?
{netabare}
瞳美が未来からきたことを話したの意外。恋愛要素がなくなってしまった。琥珀の恋愛を導く役になるのか。主役が恋愛しないのもどうかと思うけど。

瞳美が色が見えないのは、幼いころにすごい魔法を使ってまわりに迷惑をかけたからかな。唯翔が危ない目にあったときにその魔法が現れて、幼いときの記憶を取り戻すとか。あの魚が伏線なんだろうけど、よくわからん。唯翔が関係している可能性は高いと思う。
{/netabare}

第5話 予想を考え直してみた
{netabare}
よく考えたら、唯翔が瞳美のじっちゃんなら、名前くらい憶えているはず。つまり、メインキャラのなかに、琥珀の相手はいないことになる。古本屋のお兄さんがちょっとあやしいかな。本を買うのが目的でないとか、ベタな感じで。

予想を考え直してみる。
色が見えなくなったのは、瞳美が幼いときで、未来の唯翔となんか関係がある。瞳美が未来からきたのを唯翔は知っているので、幼い瞳美と再会しても気づくはず。この再会したときに、なにかがあって、色が見えなくなった。

あの魚は未来の唯翔が描いたものだとパラドックスが起きてしまう。高校時代に見せられた魚をモチーフにして描いたことになるから。幼い瞳美が魔法で出したと考えられる。

色が見えなくなったのは、なんかすごい魔法を使ったから。それをまた学校で出したときに、(未来の)唯翔も思い出す……そんな感じで予想しておく。
{/netabare}

第6話 絵筆に変えるんじゃないか
{netabare}
瞳美が色が見えなくなった要因が、唯翔にもあるのがほぼ確定したと思う。

気になるのは、唯翔が教えるまえから、瞳美は金の魚を知っていたのか、という点。
瞳美が魔法で見たのは、絵がうまく描けない唯翔の心理描写だから、金色の魚も唯翔の心理面から出たのかもしれない。

金色の魚については、二つ考えられる。
・幼いころに見せてもらった記憶が呼びさまされて魔法で出てきた
・唯翔の心の中にあるものを魔法で出した

いまのところ、瞳美が色が見えなくなったのは、未来の唯翔の絵(金色の魚?)を台無しにしたのが原因と予想している。タブレットだから微妙と思ったけど、金の魚を描いたころを思い出して、筆に変えるかもしれない。
{/netabare}

ここまでの予想と考察
{netabare}
1クールなら半分なので、これまでの予想と考察をまとめてみた。

・瞳美が色が見えなくなった原因は、未来の唯翔と関係がある
唯翔の部屋に飛ばされたのは意味があるはず。
唯翔が絵を描く気になったのをきっかけに色が見えたから(一時的か)。
有名な画家になった唯翔の絵を魔法で台無しにしたのか?


・唯翔は絵筆で描く
タブレットだとデータが残るので、瞳美が未来の唯翔の絵を台無しにする展開にできないため。
キャンバスに向かってるほうが絵になる。


・琥珀の相手、瞳美のじっちゃんは、メインキャラにはいない
名前くらい憶えているはず。
琥珀が会っていて、瞳美が会っていない男性。古本屋のお兄さんが有望。


・瞳美の魔法は、記憶のなかにあるものを表示させるのか?
琥珀の汽車と唯翔の魚から。
なにかとトラブルになりそうな魔法でもある。


・未来に戻ってから(花火はまだ続いている)、あさぎと将の孫と出会う
さらに、唯翔によく似た男子が現れて……。


・パラドックス
過去に飛ばされた経緯を瞳美から聞いて、未来の琥珀が魔法を使ったとすると、パラドックスが起きる。
魔法を使う動機が生まれたのが、魔法を使ったあとにあるからだ。
{/netabare}

第7話 なにを話すのか予想してみた
{netabare}
瞳美が気になることを言って終わっているけど、伏線っぽいのがないのでそれほど重要とは思えない。こんな感じかな。

「わたし、そろそろ未来に帰ろうと思うの」

馴染み過ぎて視聴者も忘れてそうだから。
ほかに思いつかない。瞳美は主人公なんだけど、色が見えない以外はそれほどの存在感がない気もする。
{/netabare}

第8話 伏線回か
{netabare}
予想して観てる者には伏線回にしか思えなかった。
色が見えなくなった要因に唯翔が関係しているのは予想済み。

琥珀の相手と考えている古本屋のお兄さんがふたたび登場。かなり有力になったと思う。
さらに、琥珀が初めて魔法を使って、襖に穴をあけた点。これと同じことを瞳美がやってしまったのではないか。穴をあけたのは、未来の唯翔の絵かな。
絵本という新たな伏線が出てきた。現時点ではイラストを唯翔が担当してたと想像するくらい。

何十年もかけて瞳美を過去に送ったんだから、戻すときも何十年もかかると考えられる。だけど、そうならないはず。瞳美が未来に戻りたいと思った瞬間に戻れる気はする。

瞳美のセリフも伏線のような気がしてならない。

部員といるほうがいいと思う心情の変化がわかりにくい。瞳美がいた未来では、冷たい人間ばかりなのか?
問題なのは瞳美の心の内なんだと思う。
瞳美が未来に戻ろうとする心の変化がどう描かれるか、そこが重要な気がする。
{/netabare}

第9話 恋愛要素は伏線なのか?
{netabare}
未来からやってきた人と結ばれる映画はあったけど、その場合、生まれた子供が未来を救うという伏線になっていた。
瞳美と唯翔の恋愛は伏線なのか?

ちなみに、琥珀の場合はこう予想している。
瞳美のために魔法を勉強する→本屋に通う回数が増える→店員のお兄さんと結ばれる

瞳美が現れたことによって、琥珀もあさぎも恋愛感情が大きく変わった、そういう流れなのか。生まれていない瞳美が変化を及ぼすとパラドックスだと思うけど。

瞳美と唯翔の恋愛要素は、別れの切なさを演出するためか。
それなら、別れる以上の未来に帰る理由がないといけない。

第1話を少し見直した。
たぶん、母親とのエピソードがあるだろう。母親が読んだ絵本のなかに唯翔の絵が出てきたのかも。
あと、瞳美に声をかけてきた二人の女子生徒の髪の色は、あさぎと胡桃と同じ気がする。孫じゃないか。
{/netabare}

第10話 ある程度予想できる展開
{netabare}
第1話を見ていたら、今回の話はある程度予想できる。
ただ、こういったエピソードを入れると、ストーリーのバランスが悪くなると考えていた。
なぜなら、

琥珀は魔力を溜めるより、生まれてくる娘の教育方針を考えたり、色が見えなくなる孫の症状を未然に防ぐほうがいいからだ。
運命は変えられない(既定路線)とするなら、あさぎの運命を変えているのが不自然になる。


瞳美を過去に送ったのは、唯翔に会わせるため、と考えるのが自然。
過去を変えるためとは考えにくい。それなら、琥珀が行くほうがいい。

ただし、瞳美が飛ばされた過去で、瞳美を過去に行かせる理由を作ったら、パラドックスになる。
だから、琥珀は理由を知らないと考えられる。

パラドックスを回避するところに、理由があるのかもしれない。
未来に戻る理由は母親に会うため、というのが有望になったと思う。
{/netabare}

パラドックス回避についての考察
{netabare}
問題なのは、時間魔法を使った琥珀の動機。
いまのところ、

瞳美を過去に送ったのは、瞳美が未来から送られてきたから

となっているため、原因(動機)と結果が同じになっている。
瞳美が未来からきたという記憶があるかぎり、パラドックスは起きる。
だから、琥珀(その他大勢)の記憶消去。これがパラドックス回避の必須条件となる。

記憶がなければ動機も消える。さらに、娘や孫の変化に対応していない琥珀の不自然さも解消される。
写真は残るので、瞳美は謎の美少女として語り継がれる。

動機が消えたので、新たに作る必要がある。
書き置きが定番だろう。ただし、

高校時代に瞳美が現れたことを、いっさい書いてはいけない

瞳美に関する情報を与えた時点で、パラドックスが起きるからだ。
60年後に孫が大変なことになるから魔力溜めといて、といったメッセージにするしかない。

未来改変でも回避できるが、このアニメはそういった雰囲気はない。
回避せずにそのままいく可能性はある。
{/netabare}

第11話 そんな魔法を、孫にかけるなよ
{netabare}
レビューを読むと、あまり評判がよくないようだ。
急展開とはあまり思わなかった。
将の前フリがあるから、唯翔の告白はあるだろうし、瞳美もそろそろ帰るだろうから、この二つが同時に進んでもおかしくない。
唯翔が告白した瞬間に、瞳美が未来に帰って、60年後に返事すると予想している。

ただ、時のあわいは唐突。

そんな危険な魔法を、孫にかけるなよッ!

って突っ込んだ。

無事に戻るのだろうけど、瞳美がどの時間帯に戻るかで、少し変わってくる。

1.琥珀が時間魔法を使うまえ
この場合、瞳美は二人いて、一人は花火に行っている。
無事に未来に戻ったので、琥珀は時間魔法を使う決意をする。

2.琥珀が時間魔法を使ったあと
この場合、瞳美は一人だから、問題ない。
だけど、無事に戻ってくるかわからずに、琥珀は時間魔法を使ったことになる。

安全を確認してから過去に送りそうなので、1の可能性が高そう。
ただし、視聴者に突っ込まれる可能性も高くなる。
{/netabare}

パラドックス回避についての考察 2
{netabare}
このアニメのパラドックスを説明するには、瞳美と琥珀にこんな会話をさせるといい。

「どうして、琥珀が高校生のときだったの?」
「だって、瞳美が高校二年のときに現れたから」
「そうじゃなくて、どうして高校二年を選んだの?」
「だからあ、わたしが高校二年生のときに瞳美が現れたからだって」
「そうじゃなくて、ああ、もう、琥珀のばかあ」

琥珀が高校二年を選んだ動機があいまいなのがわかる。
唯翔と恋愛し、瞳美の症状が改善したから、という理由ができても、パラドックスは回避できない。
「高校二年のときに、瞳美が唯翔と恋愛したから、高校二年を選んだ」となるからだ。


・なぜ、瞳美は、あさぎを知らないのか

瞳美が生まれたら、あさぎは会いに行くはず。うさぎのぬいぐるみを持って。
唯翔には魔法を封印した理由も話している。それなのに、幼い瞳美に関わっている様子はない。

歴史の修正力で、記憶が消えていると推測できる。魔法使いにも働くので、瞳美と琥珀からも記憶が消える。

記憶が消えたことで、瞳美を過去に送る動機も消え、パラドックスを回避できる。ただし、時間魔法を学ぶ動機も消え、留学先から帰ってきた理由も変わることになる。
{/netabare}

第12話 なぜ、琥珀に聞かないのか?
{netabare}
高校生=文化祭は定番すぎる。瞳美と唯翔にもっと特別な時間を設けたほうがよかった。
最終回直前なのに、とくに盛り上がりそうな前フリもない。
告白されて色が見えて終わる気がする。

琥珀の"お相手"が貸本屋(古本屋だと思ってた)のお兄さんなのは、ほぼ確定かな。瞳美が首をかしげたのは、ちょっと露骨な演出だった。

幼い瞳美に見せるために、唯翔が絵を描きそうな前フリも見られた。
絵本の伏線があるから、それの回収だろう。だけど、絵本を見せても、瞳美は色が見えるわけではない。都合のいいところだけ未来改変するかもしれないが。

瞳美は過去にきた意味を考えている。なぜ、琥珀に聞かないのか。自然現象ではなく、琥珀が送ったのだから、琥珀に聞けばいいだけ。なんの前フリなのかわからない。

色々疑問点が残っているので、最終回のまえに、考察してみる予定。
・なぜ、高校生の唯翔なのか。未来の唯翔ではダメな理由とは
・未来の病院では治療できないのか
・未来の高校生には、あさぎのようないい子はいないのか
{/netabare}

最終回を予想してみた
{netabare}
1.唯翔が告白した瞬間、瞳美は返事をする間もなく、未来に戻される

2.60年後、家のなかに、瞳美が現れる

3.無事に戻ってきたので、琥珀は、花火を観に行っているもう一人の瞳美のもとに駆けつける

4.過去から戻ってきた瞳美は、金色の魚が描かれた絵本を見つける

5.唯翔からのメッセージとわかり、さらに母親に読んでもらったときの幸せな時間を思い出し、絵本を懐に抱きながら涙する→視聴者も涙

6."時間魔法を使ったあと"の琥珀のもとに、瞳美が駆けつける

7.第1話で声をかけられた女の子たちが、あさぎと胡桃の孫だと気づく

8.花火を見ながら絵を描く高校生男子を見つける

9.唯翔の孫だとすぐにわかり、告白の返事(声をかけるだけかも)をする

10.すべての色が見える→視聴者感動


疑問点を考察したけど、残り1話では解決しないと結論に至った。
だから、シンプルなラストを考えてみた。

あさぎと胡桃の孫を見つけて、意外と近くに『幸せ』はあって、それに気づかせるために、瞳美は過去に行ったのだった……そんな最終回を予想しておく。
{/netabare}

最終話&総評 瞳美の魔法についての考察
{netabare}
色が見える瞬間はもう少し華やさが欲しかった。
モノクロの世界で『幸せ』を見つけたのに、モノクロの世界が瓦解する描き方は違和感があった。
瞳美が瞳を閉じて、ひらいた瞬間、色づけばよかった。ひ・と・みだけに。


【総評】
・作画について
キャラデザも含めて、星5をあげられるレベル。
作画の評価が、そのまま作品の評価につながるのは当然のこと。ストーリーにツッコミどころがなければ、傑作として歴史に残っただろう。

・パラドックスについて
結局回避はなかった。
色が見えたのが先か、時間魔法が先か、考えても答えは出ない。その結果、なぜ過去に送る必要があったのか、というテーマと言えるものが疑問のままになった。
時間のあわいよりは、パラドックスを回避してほしかった

・瞳美の魔法について
人を色で表したシーンがいくつかあった。色=心としていいだろう。いっぽう、瞳美の魔法は、記憶や心のなかのものを具象化(抽象化?)させるものと考えられる。これらのことから

瞳美にとって、色を見ることと、魔法を使うことは同等、なのではなかろうか。

瞳美は、魔法を使えない魔法使いになろうとして、自分に魔法をかけた。その結果、色が見えなくなった。モノクロの世界が瓦解したシーンは、色が見えた瞬間というより、自分にかけた魔法が解けた瞬間と考えれば、また違った感想が出てきそうだ。
{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 17
ネタバレ

やぎゃあ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

素敵な物語でした

(物語の感想は長いので最後に後回し。「P.S.」以降の文章で少しネタバレに触れますので、そこだけセクションで隠しています)

【作画】ーーーーーーーーーーーーーーー

P.A.Worksらしく、とても美しい作画でした。

特に「色」をテーマにしていること、芸術を嗜む少年少女たちの物語だったこともあり、作中では様々な色彩、画風を取り入れており、物語抜きで評価しても「美しい作品だな」と感じました。


【キャラ・声優】ーーーーーーーーーーー

キャラデザはこれまたP.A.Worksらしく、出てくるキャラはみんな美男美女でした。モブキャラですら美少女なあたり、P.A.Worksの力の入れ様は恐ろしいw

声優さんは、各々キャラクターの雰囲気と完全にマッチしていましたし、演技力も申し分なかったので、しっかり物語に没入できました。

本作は「クセの強すぎるキャラ」は出てこず、物語を無駄にかき乱すこともないので、綺麗にまとまってました。たぶんこの作品はそれで良かったと思います。


【音楽】ーーーーーーーーーーーーーーー

OP/EDともに良かったですが、特にOPの雰囲気が物語の世界観に合っていて、最高に良かったです。Aメロのアルペジオから希望と不安と儚さを感じ、サビでは明るさもありつつ、切なさを感じるコード進行で・・・とにかく美しいと感じました。

映像自体も、サビに合わせて主人公が駆け出すだけでもう・・・期待が膨らんじゃいます(定番ですけどw)。それら全てまとめて「青春だなぁ」と感じられるOPでした。

EDも流石のやなぎなぎさんです。「凪のあすから」の時もEDと挿入歌がやなぎなぎさんでしたが、やなぎなぎさんのバラードとP.A.Works作品の相性は抜群だなって。物語に漂う「切なさ」の面をぐっと引き立ててくれます。


【物語】ーーーーーーーーーーーーーーー

完全に事前情報なしで観初めて、タイトルや イメージデザインからは想像してなかった「ファンタジーもの」で少し驚きましたw 正確には『ファンタジー + 青春』といったところですかね。

イメージデザインでは、制服姿の女子2人(瞳美と琥珀)が描かれているだけなので「よくある青春学園もの」かとは予想していましたが・・・そう単純な話ではありませんでした。物語の導入で「時間逆行」という要素を知り、 俄然 期待が膨らみました。

(追記:順序が逆ですが、最終話を観終えてからPV第1〜3弾を観たら、大事な設定はだいたい説明されてたんですねw)

第一話の冒頭で主人公が抱えている問題(障害)に触れ、この作品タイトルの意味を察してみると、中々に秀逸なタイトルだなと感心しました。「色づく世界」・・・なるほど魅力的なテーマでした。

また、第一話の冒頭、魔法使いの家系である月白 瞳美(主人公)と祖母の琥珀の会話、『高校二年生の私(60年前の祖母)に会いに行きなさい』という導入からしてもう秀逸だな、と。だとすると、現に今こうして相対している瞳美と祖母の関係はいったい・・・と、期待せずにはいられませんでした。

「時間逆行」という導入からして、「結末の展開」はほぼ運命づけられてしまうものの、その過程をどのように描くのかという点で、期待を大きく上回る物語を用意してくれていました。

時間逆行や魔法使いといったファンタジー要素に、部活動の青春や恋愛模様、そして主人公が抱える障害などなど、様々な要素が混じりあう作品でしたが・・・観終わってみれば、それらすべての要素が効果的に機能していたな、無駄な要素は一つも無かったな、という感想に至りました。

物語が目まぐるしく展開したり、劇的な展開があるわけではないので(クライマックスを除く)、人によって本作の評価は分かれるかもしれませんが・・・

私は「登場人物たちの心がどのように動くのか」という点を大事にしており、本作は主要人物たちの心が大事に描かれていると感じられたので、私はとても満足できました。久々に温かい気持ちになれる作品に出会えました。



[P.S.] ここからは視聴済みの方へ

この作品を最後まで好きでいられた方は、最終話を迎えたのち、もう一度 物語冒頭を振り返ってみて欲しいです。なんだったら、もう一度 第1話を視聴するのもオススメです。私はそうしました。

祖母「やっと準備が整ったわ」
瞳美「星砂時計・・・」
祖母「そう。時間魔法の必需品。今日のために60年分、満月の光を浴びさせ続けてきたのよ」

祖母「あなたは今から、高校2年生の私に会いに行きなさい」
祖母「いきなり言われて戸惑うのも無理はないけど、これは決められたことなのよ」
瞳美「どうして?」
祖母「あっそれは・・・行けばわかる♪(満面の笑み)」

祖母「まぁ友達や恋人と別れたくはないとか、そういうのはあるだろうけどw」
瞳美「別に・・・そういうの・・・どうでもいい」
祖母「・・・あなたの悪いクセよ(両頬に手を添えて目を合わすように促す)」
祖母「(抱きしめながら)瞳をそらさないこと。せっかく行くんだから、楽しんでらっしゃい」

少なくとも第1話の時点では、物語の導入のための会話でしかありませんでした。祖母はいたって明るい口調で・・・「時間旅行だと思って楽しんできなさいな♪」くらいの気軽さで話しかけているようにも思えました。

しかし物語の全てに触れた上で、もう一度 冒頭の祖母との会話を思い返すと、全く違う印象を受けるはずです。

冒頭で {netabare}祖母がしたためている手紙、瞳美を送り出すために待ち合わせ場所に向かう祖母の心境、祖母が言った「準備」が指す意味、祖母が過ごした「60年」の日々、そして瞳美を送り届けた場所{/netabare}・・・などなど。祖母の言葉の1つ1つ、祖母の一挙手一投足に、どれだけの想いが込められていたかを想像してみて欲しいです。

琥珀(祖母)が最終話で自分は何者だと自覚し、60年後のその日を迎えるまでにどれだけの「準備」をしてきたのか・・・明確に描かなくたって、明確に言葉にしなくたって、想像に難くないですからね。私はそこがこの作品の一番素敵な点だと感じました。

ちなみに「60年」という時の流れの意味について、作中で触れていましたっけ?触れていれば私の聞き逃しになりますが・・・、とりあえず私なりに妄想してみました。

{netabare}60年とは、単純に「満月の光の “充填期間” としてそれだけの歳月が必要だった」というだけの話なのでしょうか?

私はそうではなく「琥珀が常に時間魔法と向き合い続けても、完成に至るまでに60年という歳月がかかってしまった」ということなんじゃないかと解釈しました。

それは、最終話の琥珀の心の声が裏付けていると思います。

『瞳美を未来に返したのは、私の時間魔法じゃない・・・。そのことは私だけが知っている。瞳美の無意識の魔法が解けることが、旅のリミットだったんだ。未来の私がかけた大きな魔法は・・・今はまだ、届かない。けど・・・いつか、きっと・・・』と。

また、この心の声より前にも「本当にすごいのは、私じゃなくて瞳美の方だった」とも言っていたはずですし。つまり「自分はまだ、何者でもない」ということを自覚しているんですよね。

その『いつか』にたどり着くために、まだ何者でもない自分が、時間魔法を操る『大魔法使い』と呼ばれる域に達するまでに、『60年』という歳月が流れてしまったのではないでしょうか。

ちゃんと時の流れも追ってみましょう。

祖母としての琥珀は、できることならすぐにだって瞳美の問題を解決してあげたかったはずです。もっと言えば『瞳美が問題を抱えることになる原因』を突き止められれば、問題を抱える前にそれ自体をどうにかしたかったはずです。

ただ・・・その原因を突き止めることは叶わず、瞳美が問題を抱えてしまう様を指をくわえて見ていることしかできなかった・・・。また、今すぐどうにかしてやれる手立てもない。史実を知っていながら、何も成す術がなかった。それでもいつかは瞳美の問題をどうにかしてあげたいと、時間魔法を求め続けた。そうやって何度も悔しい想いをしながら、ようやく『いつか』の日を迎えられた・・・。これが琥珀の辿った「60年」の日々なんじゃないかと想像しました。

だからこそ、最終話の現代で再開した際の言葉に繋がるのでしょうね。

『私の願いは、魔法で人を幸せにすること・・・。でも、一番近しい人たちを幸せにすることはできなかった。許してちょうだい・・・』と、涙を流しながら。

そして瞳美からも「ううん。私の方こそ・・・琥珀がどれだけ私のことを思ってくれていたか・・・気づかなくてごめんなさい。私、もう大丈夫よ」と言ってもらえて、そこでようやく琥珀が辿った60年の日々は報われたのでしょうね。

なんかもう・・・素敵すぎです。

それに、祖母は瞳美のことを「単なる孫娘」とは思ってはいなかったってことですもんね。『かつての親友』であり『これから親友になる』という、とても不思議な関係なのだから。

瞳美が生まれてからの17年間、この特別な想いをずっと抑えながら、瞳美の成長を見守ってきたんですよね・・・そんなことを説明されたって瞳美が混乱するだけだから。改めてOP主題歌の『17才』というタイトルも深いなぁ・・・って感じました。

こんなふうに、琥珀はいろんな想いを抱えながら、60年間、時間魔法と向き合ってきたんですよね。琥珀の人生を想像すると、いろんな感情で胸が締め付けられます。

もちろん琥珀は結婚もし、子も孫も生まれ、幸せなことはたくさんあったでしょう。ただ琥珀の過ごした60年、背負っていたものの重みは、常人のそれとは違うものだったでしょうね。{/netabare}

解釈が正しいかどうかなんてわかりませんが、私はこのように「物語の中で明確には描かれなかった背景や心情」に想いを馳せるのが好きです(ちゃんと説明が必要な部分を省かれるのは好きじゃないですが)。登場人物たちの心を、描かれなかった部分まで含めてちゃんと追いかけたいなぁ、と。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 8

84.8 2 オリジナルアニメーションで長崎なアニメランキング2位
サムライチャンプルー(TVアニメ動画)

2004年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (1653)
8903人が棚に入れました
天涯孤独のフウはだんご屋でバイトをしながらもいつか向日葵の匂いのする侍を探すために旅に出ようと考えていた。
そんな中、フウはムゲンとジンに出会い、だんご屋が燃えてしまったことを契機に、その2人を用心棒に旅立つ決心をする。物語はそんな三人の道中を描いたものである。


声優・キャラクター
中井和哉、川澄綾子、佐藤銀平
ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

アニメ×JAZZY HIPHOPの是非を問う

この作品は観る人がNujabes(ヌジャベス)にどこまで入れ込んでいるかで評価が変わるようだ。彼は00年代で活躍した伝説的な音楽プロデューサーで音楽マニアならその名を知らぬ者はいない、といった感じの超有名人らしい。あのテニスプレイヤーの錦織圭選手が好きな音楽家として彼の名を出したこともある。音楽もスポーツも興味がない私は調べるまで聴いたこともなかったが……(汗
そんな有名人が本作の劇伴に起用されているからか、支持するファン層も通常のアニオタとはちょっと気質が違うようである。ちなみに他にもTsutchie、fat jon、FORCE OF NATUREというユニットが携わっているそうな。

【ココが面白い?:時代劇とヒップホップの超融合!(1)】
さてNujabes──後の瀬葉淳(せば じゅん)──氏が扱ったジャンルは彼自身の音楽活動の中で確立したという「JAZZY HIPHOP(ジャジーヒップホップ)」だ。
これは字面のまま「ジャズ」のようなメロディーを基盤(ベース)に「ヒップホップ」の細かい曲の早回しや巻き戻し(DJがレコードをキュッキュッと動かすアレ。スクラッチとも)等の要素を取り入れたもの。出だしがヒップホップで、そこから徐々にサックスやピアノの音を重ねていく、といったパターンもある。
OP『battlecry』を聴いてみると確かに「ヒップホップなんだけどジャズのようなメロディーもあるなぁ」という小学生並みの感想を抱く。もっとちゃんと踏み込むならば通常のアニソンのような気分を盛り上げるものではなく「適度に下げてリラックスさせる」効果が期待でき、ジャズのそこそこ上品なイメージをヒップホップで打ち消して聴きやすくしたかのような印象を受ける。カラオケには全く向かないが作業用BGMには最適解かも知れない。
そんな画期的でもあり定期的に流行もするジャズラップ(略称)が飽くまでも「時代劇」という体である本作の主題歌やBGMに使われている。故に『サムライチャンプルー』は「時代劇×HIPHOP」と紹介されることが多い。

【ココが面白い?:時代劇とヒップホップの超融合!(2)】
ではこのジャズラップだの“Lo-fi Hip Hop(ローファイ・ヒップホップ)”だのと呼ばれている音楽と本作がどのくらいマッチしているかというと、正直あまり合ってないんじゃないかな、と思ってしまった。
この作品、確かに殺陣などの映像面は素晴らしい。無駄に鍔迫り合いすることはなく、青白い直線が太刀の軌跡だとわかった時には「何かが斬れている」というスピード感、その一閃を目でしっかりと捉えて最小限の動きで躱しては反撃し、互いに攻防を入れ替え続けるという殺陣の細かさが良い。とくに主人公の1人であるムゲンはとても侍とは呼べない戦い方をする。戦う場所が茶屋であれば粗茶をぶちまけたり団子串を刺したりして隙を作り、三角跳びで上空から斬撃や蹴りをお見舞いする。極めつけにはブレイクダンスの回し蹴りの勢いで多対一の状況を切り抜けてしまうなど、まるで現代のダンサーが江戸にタイムスリップしてそのまま十数年を生き抜いたかのような時代劇に染まりきらない戦い方が素直にカッコいいと評せる。
ただ、そんな映像の迫力に対してBGMが“負けている”ようにもまた感じるのだ。
上記にも記したがジャズラップは気分を盛り上げるものではなく適度に下げてリラックスさせるような曲────つまり「落ち着いた」曲調であることが多い。それを戦闘BGMに起用した場合、優れた映像に合う激しい効果音や怒号を入れれば入れるほど基本静かなBGMはかき消えて印象が薄くなってしまうのが自明の理ではないだろうか。
実際に本作のサウンドトラックのレビューには「何故かどの場面の曲なのか思い出せないことが多い」と評している人もいる。これは思い出せないのではなくその場面の曲がその人にも“ちゃんと聴こえていなかった”ということが伺えるのである。

【ココがつまらない:弱すぎるストーリー】
最大の問題はこの作品が時代劇の「ロードムービー」である点だ。
ロードムービーとは主役が旅を行い、その道中で起こる様々な出来事で物語を構成しているジャンル。アニメで類似作品を挙げるなら『狼と香辛料』や『魔女の旅々』、そして『夜ノヤッターマン』といったところか。主だった物語は旅の道中で起こり、 その過程の描写がメインであるこのジャンルはストーリーの発起や結末自体は曖昧な作りになっているものが多い。
本作も一応、話の本筋としてヒロイン・フウの「向日葵の匂いのする侍を探す」ことが目的として挙げられているが、3話・4話・5話と観てもこの侍探しが進展することは全くない。第5話に至っては渡し舟で先に進むために路銀(お金)を稼ぐだけの話である。
まあ、第2話の時点でこれは危惧していた(笑) 何故そう思ったか3人の会話を振り返ってみせよう。
{netabare}フウ「向日葵の匂いのするお侍さんが見つかるまで、斬り合いは禁止です」
ジン「それは何者だ?」
フウ「それは……」
ムゲン「そもそもヒマワリって何だよ?」
ジン「知らんのか」
フウ「花よ花!」
ムゲン「どんな匂いなんだ?」
ジン「他に手がかりはないのか?」
ムゲン「似顔絵とかよ」
ジン「ここに来た根拠は?」
フウ「ああああああもう!!」{/netabare}
────以上である。
いかがだろうか。捲し立てられたとはいえ、人探しにおいて重要かつ尤もな疑問や指摘をヒロインがキレ散らかすことで全て誤魔化し、そのまま話を進めてしまう。手がかりなんて何もない。そんなものはアテのない旅の中で見つければいい。それがいつ見つかるかどうかは今後の脚本次第、という本作のスタイルや制作事情が伺えるのである。
「ヒマワリってどんな匂いなんだ?」という質問も実は良い質問だ。「向日葵の匂い」なんて物も現代ではそういうシャンプーを使っている人でないとピンと来ないのではないだろうか。そういった“嗅覚的”な情報を加えてしまった本作の主目的は視聴者がいまいち共感できないものになっている。見た目に特徴があれば映像で、印象的な音色があれば音響で伝えられるのがアニメないしテレビジョンだが、こと“匂い”をダイレクトに伝えることは現代の技術でも実用化には至っていない。本作の放映年では尚更、不可能だった。

【ココがひどい?:時代情景がデタラメ】
ここからは細かい粗探し。まあ1話冒頭で「ガタガタ言うな。黙って見やがれ」と予防線を張られている以上、『ツッコんだら負け』の類いかも知れないが、構わずやります。
本作は江戸時代の日本を舞台としているものの『サムライチャンプルー』の名前通りか、随所に現代文化がミックスされた独特の世界観が特徴である。外来語や若者言葉を話し金髪やリーゼント、ピアスを付けた侍がいたり、刀にケータイのようなジャラ付けがされているなど毎話、時代情景を軽視した時代劇を展開している。
悪大官は「ここは拷問の“デパート”だ」なんて表現をするし、侍が何故か髷(まげ)をバカにされた時は「こういう“ヘアスタイル”なんだよ!!」と言い返したりする。完全に視聴者のツッコミ待ちだ(笑)
やはりこれは監督の、作品に面白味と新鮮味を出すための演出であり、観る人が寛容であればあるほど本作をより楽しめる一要素として活きてはいる。
ただ、ややそれが過剰だ。刀をマイク代わりにボイス・パーカッションを披露するヒューマンビートボックス侍など、然り気無いものではなくしっかりと尺を奪っている演出もあり、ここがスベってしまうと一気に話がつまらなくなる「諸刃の剣」も持ち合わせてしまっている。

【キャラクター評価】
ムゲン
確実に善人ではないが悪人とも言い切れない、個人的に2番目くらいに感情移入が難しいタイプ。「このキャラを通して『自由のカッコ良さ』を伝えたいのかな?」と思うくらい権力や支配を嫌い、自分から喧嘩を売ることも多い粗暴で好戦的な性格で描かれている。
自由も「いい加減」だと惹かれないんですけどね。「自由だから何?今日の飯にも困ってるじゃん(笑)」みたいな。
CVは中井和哉さんで某三刀流の人と同じだけど、正直彼より、又は彼とは違った魅力が備わっているとは言い難い。

ジン
「仏の顔も────二度までだ!」
知的そうに見えてアホですね(笑) 生真面目で剣術も正道など、ムゲンとは色々と対極な位置づけだけども「斬るしかない能無し」という点で共通してて意気投合も多いのが魅力的に映る部分もあったかな、と。
中の人は本職俳優でアニメ用の声が用意出来なかった模様。まあ無口なキャラなのでさほど気にはならなかったが。

フウ
彼女自身について特に語ることはありませんね。普通のメインヒロイン。勝ち気。大食い。貧乳etc.
ムゲンもジンもこの娘が気に入らなければ斬り捨てるのはやり過ぎでも暴力や威圧で黙らせることは出来る筈なのだが、特に理由もなく彼女の人探しの旅に付き合っているのが不思議────穿った見方をすればきちんと設定されてないな、と思うところ。まさか第1話の不必要な助太刀に恩を感じてたり、最後のコイントスの結果に律儀に従ってるわけじゃあるまいし…………まあ2人とも自由人だから「暇つぶし」が一番しっくり来るかな(笑)

【総評】
「クセの強いアニメだ」と他の人が言うような評価に私もせざるを得ない。
剣戟アクションは20年代の現在で観ても十分素晴らしいものばかりであるし元来、硬派な時代劇に現代文化を取り入れて笑い・ツッコミを誘うというのは実はアニメでは『銀魂』に先駆けて作られた当時の斬新な手法でもあるなど良点は確かに多い。
しかし公式や紹介記事が1・2番に推している音楽の部分でまさか「印象が薄い」「映像に負けている」「洒落た部分が鼻につく」などの不満点を抱いてしまうとは思わなんだ。ここを肯定できるのは「JAZZY HIPHOP(ジャジーヒップホップ)」という音楽が好きで、Nujabesこと故・瀬葉淳氏を尊ぶ、あまりアニメを観ない人に限られるのではないだろうか。後は当人の思い出補正かな。少なくとも「現代アニメとは違った選曲をしているからこの作品は素晴らしい!」という理屈を通すまでには至っていない。そもそも聞こえないことが多かったし(笑)
そしてストーリーが弱過ぎる。単発話の中には良回(ファンの中では神回)と言っていい物もあるが、基本的には食事や旅の資金に困る一行から切り出してそこから一騒動に巻き込むという御決まりかつありきたりな話が大半を占める。
そもそも旅の目的がロードムービーというジャンルから観て浅く、その上で主目的と関係無い話を続けるので「今の話必要あったか?」とずっとずーっと思ってしまうわけで、いかにその疑問・不満・ストレスと切り離して観れるかがムダに2クールもある本作を完走できる秘訣と言えるだろう。
主役が旅をすることで色々な景色を写し、様々な人物との出会いや別れを経験させて、訪れた場所の文化や価値観に触れながら定めた目的に行く中で一行が成長し、掌中の珠を取得していく。それがロードムービーの醍醐味であるのだが、本作にはそれらの条件があまり当てはまらない。
とくに「成長」という観点ではムゲンが最初から自身の生き方────“信念”を確立させているのであまり伸び代がない。「言い訳しながら生きるんじゃねえ」「その刃、人に向けたら殺すか殺されるかそれだけだろうが」と逆に出会った者にお説教をかますくらいである。
なら実は『水戸黄門』のような世直し旅の要素を含んでいるのかな?と思いきや、ムゲンらと関わった者は善人悪人すべからく命を落とすという救いのない話ばかりでもあり……もう少し人情味を入れた展開を増やしてもよかったのではないかとも思う次第である。そういう意味では第11話「堕落天使」や第15話「徹頭徹尾」が良回と言える。
まあ、ストーリー性の薄さは10年代以降のアニオタの感性から見て割と致命的だけれども、奇抜な演出や疾走感溢るる殺陣シーンなど映像面ではとても良くできている作品なので、もし視聴するならばシナリオよりもそちらを重視して評価するといいだろう。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 6
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

備忘録と感想

テレビ放送では放送枠の都合上、1~17話まで放送されていたようだ。チャンプルーが示すようにごちゃ混ぜというより、カオスな印象を受けた。ところどころに謎なギャグを入れつつ、シリアスな雰囲気で切る。そして人探し。1~2話で完結するので、適当なところからも見ることができる。伏線とか考察する要素はそんなにないので、気楽に見られる分、面白みに少し欠けるかなと思われる。
ヒップホップな感じのbattlecryは雰囲気に合っていると言えるが、自分の好みとは少し言い難い。EDの四季ノ唄はあんまり好きでないと感じていたが、アニメを見終わるころにはもうちょっと聞いていたいと思う程度になった。フウの幼少期が描かれており、梅干しを食べたときの顔がリアルで印象的。

以下はアマゾンプライムビデオにて掲載されていたあらすじと見終わった感想↓

{netabare}1話 疾風怒濤
茶屋でアルバイトしていたフウは、ムゲン・ジンの2人に会う。2人は茶屋で大暴れした挙句、代官に捕らえられ処刑されようとしていた。フウは助けるかわりに、ある約束を2人にさせる。それは「ひまわりの匂いのする侍」を探しにフウと一緒に旅をするというものだった。

まずは3人の出会いのお話し。見るからにガラの悪そうなムゲン。クールでどこかミステリアスなジン。物語の始まりとしては典型的でこんなものかという感じ。


2話 百鬼夜行
ムゲンに片腕を斬られた竜二郎は、復讐に燃え二人に刺客を送り込む。ジンには小物に見えて実は恐ろしく腕の立つ男を。ムゲンには鬼の形相をした怪力の大男を。フウは竜二郎にさらわれ、ムゲン・ジンはそれぞれ彼らと戦う事になる。

1話で茶屋を燃やした竜二郎登場。怪力の大男は容姿の醜さから虐められてきたが、フウにだけは少し心を許したようで、竜二郎に反抗し、戦いは収束。見ていた自分もフウの心優しさに心動かされた感じ。


3話 以心伝心 其之壱
フウのあまりの口やかましさに嫌気がさしたムゲンとジンは、フウを置き去りにし別々に同じ宿場町にやって来る。そこの町を仕切っている二つの組、永富組、瓦組にムゲン・ジンがそれぞれ用心棒として雇われる事になった。一方、遅れて同じ町にフウもやって来る。

ジンを雇った側の娘がムゲンを雇った側が運営する遊郭に連行され、弟が助けに行く。別々に雇われているムゲンとジンがめちゃくちゃに切りあう。さらに、占いで壺に気を付けろと言われたそばから壺を持った人にぶつかり、代償として遊郭に連れていかれるはめになったのは、笑えるシーンだった。なんでやねん。


4話 以心伝心 其之弐
それぞれが違う立場で再会するムゲン・ジン・フウ。ジンを雇った組の息子、宗介の過ちにより、二つの組の抗争も激化しそれを収める為、丁半博打で勝負をつける事になる。だがそこに現れた壺振りはフウだった。

フウは壺のことだけを何故か思い出し、遊郭に来た客を壺で殴り、逃走。賭場に行こうと道を聞いただけなのに、壺振りと勘違いされる。一方で姉を助けに行った弟君が相手の組の者を刺してしまった責任を取って父である組長が相手の組長と博打するわけだが、ムゲンを雇った側の組長はいかさまをしようとしていたところ、まさかのフウ登場で台無しに。結果として、両方の組長死んじゃってなんとも切ない気持ちに。


5話 馬耳東風
渡し舟の金が払えず立ち往生する三人。渡し賃を稼ぐ為、各自町に散っていく。フウは浮世絵師のナンパ男に誘われ浮世絵師のモデルになり、渡し賃稼ぎに精を出す。だがそのモデルの仕事は罠だった。

結構好きな話。のこぎり万蔵初登場。浮世絵師を追っているようだが、隠れているときに刀の代わりにびよんびよんするダイエット器具を持ってカロリー消費を心掛けるというギャグっぷり。しかも変なタイミングで樽から出てくる。フウが売られそうになっているのに、ジンはなんか将棋指してるだけ。ムゲンは探していたけど。色々あったが、乳を大きめに描いてもらえて嬉しかったというオチ。


6話 赤毛異人
いよいよ舞台は大江戸だ。息巻く3人、江戸に来た。腹がへっては侍探せぬ。大食い大会出る事に。そこで知ったフウの食欲。そこで知り合う変な侍。全く知らない江戸の町。出てくる謎の虚無僧チーム。始まるキケンな江戸観光。

大食い大会で急に蠅が飛び出したなと思ったら、フウがそれを捕ったことでご馳走様をしてしまったと勘違いされ、まさかの優勝逃し。そして、大量に食事したことで風船みたいになってる。優勝した侍はどう見ても怪しい。しかし、刀を返してもらわないといけないから、観光に連れて行く。結構、お偉いさんだったようで、フウが持つひまわりの匂いのお侍さんに関する手掛かりについて知ってるようだった。どうやら長崎にいるらしい。ということで、江戸編終了。


7話 四面楚歌
しぶりの飯にありつこうとしたムゲン達、だが一瞬の隙をつかれスリの新輔に大事な財布を掏られてしまう。町中駆けずり回り新輔を探すムゲン達。だが、ムゲン達以外にもヤクザの小五郎達が、印籠を取り返す為新輔を探していた。町中で出会う新輔・フウ・小五郎達、咄嗟に新輔はフウを人質に取り油問屋の中に逃げ込む。偶然そこに同心達も加わり大騒動になってしまう。フウ達の熱く長い一日が始まろうとしていた。

なんとも切ない話。病気の母を助けたいがためにスリをして金を稼ぐ息子。何か悪いことしてるのではないかと疑いつつも息子を信じる息子。スリをしていくうちにヤクザから非常にヤバい物を盗んでしまう。大騒動の末、殺されてしまうのだが、フウは母親に伝えられない。伝えられないまま、息子の帰りを待つのを想像すると本当に切ない。


8話 唯我独尊
自称・将軍になる男、ばっちり髪型をリーゼントに決めた永光はなぜかメガネをかけた侍ばかり襲う。ある飯屋でフウ達三人に出会う永光。ピンときた永光は、早速フウをナンパ。無理矢理デートに連れ出されてしまう。そこで永光の口から驚くべき事を聞かされるフウ。永光はある男を探しているという、伝説的な剣豪「真理屋円四郎」を卑怯な手を使い殺したとされる男を。その男はメガネをかけた侍で名前を「ジン」というのだった。

手下を従えてジンを探す永光はヒューマンビートボックス?をさせながら、謎のラップを歌いつつ、自己紹介する。大袈裟な紹介の割には弱い。というより、手下の一人のほうが強くて、そっちもジンを探していたようだ。というより、永光、嫁も子供もおったんかーい。何だったんだこの話。


9話 魑魅魍魎
ダフ屋からニセの手形を掴まされ箱根の関所で捕まってしまうムゲン達。このまま3人磔処刑か?と思われたところ、奉行の衣笠から、山を越えて罪人の首を届け日没までにこの関所に戻ってこられたら、命を助けてやると言われる。人質として残されるジンとフウ。首を持ち駆け出していくムゲン。だが、その場所まで行くには天狗が住むと言う魔の山を抜けなければならないのだった。

魔の山にいたのは天狗じゃなくて僧兵で戦国時代の遺物。ムゲンと箱根の関所から付いてきた監視役も捕まってしまうが、なんか変な植物のせいで僧兵も含め、全員ラリッてしまう。そのせいで、ジンとフウは処刑されそうになってしまう。なんだかんだ楽しそうな話。


10話 以毒制毒
ある宿場町で侍ばかりを狙った辻斬り事件が頻繁に起こっていた。その事件の遺体には外傷は無く、体中から血を噴きだして死んでいた。たまたまその町の寺でアルバイトしていたフウ達は、事件の犯人を捕まえた者に賞金が出る事を聞き、アルバイトそっちのけで犯人探しを始める。

自分を最強だと思っている辻斬りを倒す話。特に感想なし。ぼーっと見てた。


11話 堕落天使
雨が止まず、町に立ち往生するフウ達。宿代を稼ぐ為、それぞれアルバイトをする事に。ムゲンは賭場の用心棒。フウは茶屋のホールスタッフ。ジンはうなぎ屋台の売り子に。うなぎに戸惑うジンに一人の女性が、さばき方を教えてくれる。名前を紫乃と言い、明日から遊郭で働くのだという。

旦那に虐げられている紫乃にジンが惚れて逃がすわけだが、ジンの意外な一面が見られた印象的な話だった。


12話 温故知新
久しぶりに宿に泊まる事になった3人。フウが風呂に入っている間にジン・ムゲンの二人は、フウが書き綴った日記を見つけ勝手に盗み見る。その日記には、男・食べ物・旅の事などが、赤裸々に書かれてあった。

言わば、総集編。話の区切りだったこともあり、EDも違う。


13話 暗夜行路 其之壱
山沿いの道を、迷いながらぶらぶら歩いていたムゲン達。ふいに、道が開け、ついに、海まで出てしまう。そこでムゲンは、昔の幼なじみの少女コザと偶然再会する。喜ぶコザに対し、ムゲンの表情は険しい。そこに現れる一人の男。それは昔のムゲンの仲間で、今は海賊のボスとなっていたムクロであった。

不穏な雰囲気の始まり。


14話 暗夜行路 其之弐
ムクロとの賭けに負け、御用船の金を奪う計画に加わるムゲン。フウやコザが心配する中、ついに計画が動き出し、嵐の海に船を漕ぎ出すムゲン。順調に計画は進行していく。だが、その計画と同時に別の計画が動き出している事は、唯1人以外、誰も知る由は無かった。

ムクロは仲間も騙して内通している奴と盗った物を山分けしようとしていたが、その内通者に騙される。内通者はコザとも通じており、2人でどこかに行こうとしていたが、ボロボロのムゲンに切られてしまう。しかし、コザはあえて切らなかった。あえて、無視した感じ。後味悪い終わり方。


15話 徹頭徹尾
山深い森の中、追われている一人の男。追っているのは忍装束に身を包んだ、影の軍団。男、逃げながら胸元から袋を取り出し、近くの池目がけ力一杯ブン投げる、沈んでいく袋。次の日、その池で釣りをしているムゲン一行。そこでジンが一つの奇妙な袋を見つける。それは昨日男が、投げた袋だった。

釣り上げた袋を持って、たくさん飲み食いした後はまた風船みたいになったフウの目を盗んで遊郭に行った2人。遊郭に潜り込んでいる女忍者にいいように使われるムゲン。遊郭でたくさんの微妙な遊女を相手にするジン。なんやかんやで事件解決。男の哀しい性が明らかになってしまう辛いお話し。


16話 酔生夢死 ひと夢
ちょっとした口喧嘩によって、3人別々の道を行くことになったムゲン達。ふいにムゲン目掛けて矢が放たれる。「誰だ!」咄嗟に避け、矢を放った人物を追いかけるムゲン。そして同時時刻ジンは無住真剣道場からの刺客、雪丸を相手に戦っていた。激しく展開する刀と刀の攻防。その頃フウは足を滑らせ川に落ちていたがある男に助けられる。名前をオクルといい、弓矢の達人であった。

導入は物語の結末から。燃えている男の姿。気になる展開ですな。


17話 酔生夢死 ふた夢
勘違いにより男達に襲われるムゲン。男達はオクルと言う名の男を探していた。北のある村を焼き滅ぼしたのだと言う。「あいつは俺が倒す。てめぇらは手をだすな!。」月光の夜、オクルが奏でる楽器の音色が山に響く。その音色に誘われるようにやってくるムゲン。刀を抜くムゲン、弓を引くオクル。満月の月の下、二人だけの闘いが始まろうとしていた。

ジンは雪丸に切られにきている節があって、理由が分からないので、ちょっともやもや。燃やされている男はオクルで、ムゲンは彼が生きていると確信している。哀愁漂う終わり方。まさに、侍を題材にしている作品という感じ。{/netabare}

投稿 : 2024/10/05
♥ : 2
ネタバレ

青龍 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

「ガタガタ言うな。黙って見やがれ」!

『マクロスプラス』、『カウボーイビバップ』、『残響のテロル』の渡辺信一郎監督によるオリジナルテレビアニメシリーズ(※原作は、今はなきマングローブ)。
アニメは全26話(2004年※1期17話+2期9話)。制作は、『Ergo Proxy』、『さらい屋 五葉』などのマングローブ。放送はフジテレビ。
(2024.8.1投稿 8.23推敲)

ちょうど20年前の作品。久々に見直しましたが今観ても内容に古さは感じませんでした。
ということは、時代を先取りしたが故の賛否両論が当時あったであろうことは想像に難くないところ。

案の定、冒頭で「この物語はフィクションです。実際の歴史とは異なる部分がありますが、ガタガタ言うな。黙って見やがれ」というエクスキューズが入ります(笑)


【あらすじ】
作中では、島原の乱(1637年)の残党、井原西鶴の『男色大鑑』(1687年)、向日葵(の日本伝来は1660年以降)が出てくるので、これが全て重なるのは、17世紀後半。したがって、本作は江戸時代中頃の横浜が舞台。

母子家庭で母親と死に別れた少女・フウ(CV.川澄綾子)は、「向日葵の匂いのする侍」の情報を求め「バイト」を渡り歩いていた。そんなある日、彼女は、バイト先で喧嘩をおっぱじめたムゲン(CV.中井和哉)とジン(CV.佐藤銀平)を仲裁する形で、二人を用心棒として「向日葵の匂いのする侍」を探す旅に出るのだった…

三人で旅をしながら、基本的に1話完結のオムニバス形式。
内容は、人情ものあり、緊張感ある戦闘シーンメインの回あり、お遊び回(第22話のホラー回、第23話の野球回など)ありといったバラエティに富んだ構成。


【時代劇なの?】
本作は、登場人物が普通に「バイト」、「ヘアスタイル」言うし、通行人が突然ラップ始めるし、ウォールアートはするし、小刀の鞘にジャラジャラ小物をつけたりと、「時代考証どうなっとんじゃあああ」とか「時代劇なめとんのかあああ」といったお怒りの声が続出しそうな内容です(笑)

さて、時代劇とは、「主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品」(Wikipedia)をいいます。上で書いたように、本作は一応時代が特定できます。

もっとも、特定できるから時代劇というつもりはないですが、きっちり時代考証したものだけが時代劇かといえば、そうでもないと思うわけです。
例えば、そもそも言葉が当時と違うし、馬はサラブレッドじゃないんで、多くの人に時代劇と認知されている作品であっても一部にフィクションが含まれています。

また、アニメは、そもそも我々現代人の娯楽なので、過去の再現度をいくら高めてみたところで、多くの現代人が共感できないものを作っても意味がない。

そうだとすると、時代劇アニメには、「時代劇として認められるためのリアリティ」と「エンタメとしてのフィクション」とのバランスが大事になる。そして、そのバランスは、その作品がなんで時代劇という設定を選んだのかという理由に影響されてくる。

例えば、本作では、江戸時代の中頃という戦国時代の乱世が終わり、諸国を旅できる程度の治安はあるものの、それでも依然として、常に腹が減っているくらいには人が満たされておらず、借金のカタに女房が売られてしまうくらには理不尽で、刀下げた奴らがいきなり刀抜いて喧嘩をおっぱじめてもおかしくない程度の「カオス」が残っているという設定が欲しかったんだと思うわけです。

だから、本作は、そういった雰囲気づくりに必要な部分に関してだけ他の時代劇アニメと見比べても、かなりリアルに作りこまれている(例えば、ヤクザや身売りの描写)。その一方で、それとあまり関係ないところでは、エンタメ重視・時代考証無視でかなり遊んでいる。

色々と時代劇アニメを観てきましたが、この方向性自体は、最近の『逃げ上手の若君』が受けていることを考えても、衰退傾向のジャンルである時代劇が生き残るための1つの戦略だと考えています。

というわけで、所詮、アニメは娯楽なんだから、「ガタガタ言うな。黙って見やがれ」!


【フウは「レイア姫」!?】
『カウボーイビバップ』で有名な渡辺信一郎監督ですが、上にあげた作品含めて「男2×女1の三角関係」が多く、本作も御多分に漏れずその組み合わせ。

上で書いた理不尽でカオスな時代を好きなように生きたいと思った場合は、めちゃくちゃ強くないといけない。だから、ムゲンとジンは、規格外に強い。

そんな大の男二人が、「向日葵の匂いのする侍」というあまりに漠然としすぎた手がかりで実在すら怪しい人物の捜索を理由も聞かず、まだ大人の魅力も感じさせない15歳の小娘にただ黙ってついて行く。

その理由は、彼らにとって、フウが映画『スター・ウォーズ』の「レイア姫」だったからだと思うんですよ。

レイアって強くないけれど「気位が高く」、かわいいけれど「絶世の美女ではなく」、ジャバ・ザ・ハットの前でビキニ姿になっても「大人の魅力に溢れるというわけでもない」(※故キャリー・フィッシャーがジョディ・フォスターを押しのけて同役に選ばれた理由は、「有名人の娘で、他人に命令することに慣れている」のをジョージ・ルーカスが気に入ったから(※Wikipediaのキャリー・フィッシャー参照))。

でも、ルークやハン・ソロがレイアについていったのは、そんなレイアが「お姫様」で、彼女を護る騎士が必要だと思ったからだと思うんです。そして、フウにも川澄綾子さんの声と相まって「姫」のような気品がある。

例えば、{netabare}フウは、自分の財布を盗んだスリの病気がちな母親に対して、その体を気遣って息子が母親に黙ってスリをやっていたことも、彼が死んだことも言わなかった。
母親の薬代を稼ぐためのスリであったことに理解を示す「罪を憎んで人を憎まず」といったところや、安っぽい同情に意味がないことを知っているので、若いのにその辺だけやけに達観している。
そこに支配する側の覚悟や気高さを感じて、やっぱり彼女も「武家の娘」(姫)なんだなと。

もっとも、フウは、まだまだ若く、過酷な現実を目の当たりにしても何とか気丈に振る舞おうとしていることが見て取れて、その弱さが垣間見えるギャップから庇護欲が掻き立てられるんでしょうね(男ってチョロい(笑))。

また、ジンは、ラスボスで江戸幕府最強の剣客である刈谷景時(CV.菅生隆之)に対して、「命をかけるだけの主君がいるのか。今や形骸化した名誉ばかり重んじ自己保身しか考えていないような主君ばかりだ。この命を捨てるに値するものなど…」と言っています。

そうすると、ジンはフウを救うために命を賭して幕府の刺客である刈谷や沙羅(CV.玉川紗己子)と戦っているので、フウはジンにとって命をかけるに値する主君だったということになると思うんですよ。

もっとも、ジンは、物語の最後でフウとムゲンが人生ではじめての「仲間」だと言っている。
そうすると、ジンは、今回の旅を通じて、武士として主君に仕えるという既存の価値観から解放されて、護るべき人を自ら選ぶ「自由」を手に入れたということなんでしょうね(※ジンはずっと「自由とは何か?」を模索していた。)。{/netabare}


【声優】
ジン役の声優・佐藤銀平さんは、俳優の佐藤B作さんの御子息で、主に俳優として活動されています。銀平さんに限らず、アニメで俳優を起用すると賛否両論出てきますよね。

これは、極端な例で考えるとわかりやすいと思っていて、例えば、「ドラえもん」の歴代の声優さんは、普段、変わった声と言われるのに、アニメだとピッタリと言われる。

どういうことかというと、アニメは、絵という表現がフィクションなので、そこから出て来る音がリアルすぎる自然な声だとかえって違和感がある。だから、アニメは声もフィクションっぽい方が合うのだと思うのです。

なので、私は、アニメの見た目がフィクションである以上、声優もファイクションっぽい方が合うと思ってます。


【音楽】
本作は、オムニバス形式なのですが、各話の物語のラストを最後まできっちり描いていない、わざと余韻のある余白を残した終わり方になってるんですよね。
そこにMINMIが歌うエンディングの「四季ノ唄」のスローバラードが静かに流れてくる。それが最高なんです。

また、本作がヒップホップを採用したことについては賛否あるところ。もっとも、作中でヒップホップが自己主張していなかったのだとすれば、それは時代劇でもヒップホップが気にならなかったということだと思うんです(※特に海外では、違和感なく受け入れられているようです。)。
そうだとすれば、本作は、日本的な音だけでなく、ヒップホップであっても時代劇に合うということを示す先見の明のある作品だったと思っています。

投稿 : 2024/10/05
♥ : 7
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