オリジナルアニメーションで神社なおすすめアニメランキング 8

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのオリジナルアニメーションで神社な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月23日の時点で一番のオリジナルアニメーションで神社なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

94.0 1 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング1位
月がきれい(TVアニメ動画)

2017年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (1809)
7624人が棚に入れました
キャッチコピーは「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか……」で、中学3年で初めて同じクラスになって出会った水野茜と安曇小太郎の成長、周囲との関わり、思春期の恋などが描かれる。

声優・キャラクター
千葉翔也、小原好美、田丸篤志、村川梨衣、筆村栄心、金子誠、石見舞菜香、鈴木美園、千菅春香、井上ほの花、広瀬裕也、石井マーク、白石晴香、熊谷健太郎、岩中睦樹、東山奈央、岡和男、井上喜久子、斎藤千和、前川涼子
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

初恋と文学

ロラン・バルトの『恋愛のディスクール』。
何ら成算がないにも拘らず、敢えてこの書物のことを仄めかす意図、
それは、本作のあまりにも明け透けな「文学」への言及に対して
テクスト論からのアプローチを思わず誘発されてしまったことへの
一種、自嘲めいた気分を顕さんがためである。

本作の至る所、文学からの「引用」は執拗に、明示的に反復される。
それらはただの趣向やスパイスではなく、記号ともまた異なっている。
「作品とはさまざまなものが引用された織物のような物であり、
 それを解くのは読者である。」(Wikiのバルト解説からそのまま借用。)

自分にとって「解釈」は宿業のようなもので、それが全てだとは勿論思わないが、
ただ、文学を正面切って掲げた上は相応の覚悟は問われて然るべきであり、
こちらも私情でこそあれ、ただでは済ませておけないという妙な義務感がある。
「文学」とはのっぴきならないものだ。そうだろう? 安曇小太郎君。

自分はこう仮定したい。この作品は多分、まるで呼吸をするように自然に
私たちの身近に遍在している、ミニマムな「文学」へのオマージュなのだと。


{netabare}
月夜の晩の神社の境内。小太郎と茜が二人きりで座っている。
序盤のクライマックスとも言える、告白のシーン。

小太郎の脳裏には、恋の文句をめぐる文豪のエピソードが浮かんでいる。

 I love you を、月がきれいですねと訳したのは、
 太宰治だっけ、夏目漱石だっけ・・・

顔を上げられないまま、俯いて水面に映る月の影を見つめている・・・と、
ふと盗み見した茜の横顔は、月よりももっと美しいと感じられた。
そして、口をついて出たのは、tsu-ki の二音。

  つき・・・
  え? 月? ・・・ほんと、月、きれい・・・。

それ、自分が言いたかったことなのに…、と一瞬悔やんだだろうが、
月を見上げている彼女の横顔にますます心を奪われ、ついに
抑え難い初恋の衝動が、文学少年のロマンチックな背伸びを裏切るにいたる。

  つき・・・あって・・・
  え?…

文学的なフレーズからは、まず意味が脱落して音声へと溶解し、
次いで、文学とは程遠い直情的な告白にすり替わってしまう。
このシーンが暗示するものは、通常の文学イメージの奥に潜ませた
本作固有の眼差しによって、初恋を描き出そうという意図ではないだろうか。

水の上にたゆとう、涼やかな月の影。
虚空に照り輝く月よりも、さざ波立つ水面に揺らぐ月影の方が
主人公の心の有り様をより正確に映し出しているようだ。
天空の月が、文豪だけが到達し得る高みの世界だとするならば、
小太郎たちが紡ぐ恋模様はもっと身近な、足元にある月の輝きであっていい。

かなり思い切った深読みには違いないが、
本作が指向する「文学」のユニークな位相がここに定位されているように思う。
多分それは、日常の中に遍在するミニマムな「文学」に向けられている。



象徴的なのが、LINEの存在だ。
今どきの恋愛の基本にして必須のツールであるそれは
作品にリアリティーを付与する重要な舞台装置となっていると同時に、
二人の関係の進展を、臨場感を伴って同時進行的に体験させる媒体でもある。

LINEが、いわばミニマムな文字テクストであるという事実を想起したい。

期待のこもる緊張の中、スマホの画面に現れてくる文字、言葉。
未知を前にした張り詰めた待機状態は、まさしく進行途上の恋愛心理と相似である。
やり取りの画面に高揚し、幸福感に満たされた互いの表情がそこに織り込まれる。
その目撃者である私たちは、今しも紡がれてゆく初恋のテクストの読者でもあるのだ。

LINEのやり取りでは順調に距離を縮められた二人だったが、
直接会って言葉を交わす場面では、ぎこちなさが余計に際立って見える。
この明らかな落差は、あるいは作り手によって計算されたものではないだろうか。

  もっと・・・しゃべりたい・・・安曇くんと…
  それっ…て・・・返事…?
  うん…。

二人の間でポツポツと交わされる言葉の一片一片が
LINEでの一言とほぼ等量、あるいはさらに断片化していることに気づかされる。
LINEで円滑に交換されていたのとほぼ同じ単位の言葉が
面と向かい合った場面では途切れたり、滞ったりする。そのことで
二人の関係の初々しさが強調され、もどかしさもまた増幅される効果を生む。

想いばかりがあふれて、それを伝える言葉が見出せずにいる時、
あるいはためらいによってなかなか口に出せずにいる時、
そこに生まれる沈黙の「間」と、その間合いに差し挟まれる生々しい息遣いとが
言葉以上に雄弁に彼らの心の火照りを描き出す。

ここに、テクストと対をなす、もう一つの言語の位相が認められるように思う。

やっと実現した二人きりのささやかな逢瀬のひと時。
緊張感と闘いながら、舌足らずな言葉を交わしていく古書店内のシーン。
小太郎が口にした間接的な「好き」は、その場の空気を緊迫させ
恋心をうまく表現できないもどかしさのあまり、思わず茜の手に自分の手を重ねる。

この接近・接触を誘発する、濃厚な身体性を孕んだ言語の位相、これを仮に
言語学で個々の発話を指す「パロール」の語で呼んでみたい。

私たちが本作に感じとる比類のないリアリティーはどこから来ているのか?
言うまでもなくリアルとは、現実の単なる忠実な模写を意味してはいない。
初恋の特権性を可能な限り繊細に表出するために練り上げられた、
テクストとパロールの併用によるこの独特のナラティブ(語り方)こそが
作品特有のリアリティーを生み出しているのではないだろうか。

テクストとパロールの双方が相補的に絡み合い、織り成されてゆく中に
本作の目指した初恋のディスクールが実現していると自分は考える。
つまり、初恋は固有の「文学的」ディスクールとしてこの物語の核心を形成しているのである。



初恋のディスクール。そこに最初に刻まれるものは
初めて人を好きになった歓び。そして、想いが通いあった幸福感。
だがやがて、その裏側に潜む苦しみをも知ることになる。

本作が卓越している点は、初恋の歓喜と苦悩とを同一のナラティブによって表現し、
かつ、それらを小太郎と茜とに振り分けていることである。

春から夏へ、秋から冬へと、移ろう季節とともに心に生じてくる翳り。
親友との関係を危うくする三角関係、家の引越し、小太郎の受験失敗。
それらすべてが茜の内面を震撼させ、平和な少女時代に終わりを告げる契機となる。

茜は漠然と別れを予感していて、その不安をどうにも解消できないでいる。

  私…・・・ずっと・・・不安で・・・不安で…・・・
  小太郎くんに・・・迷惑ばっかり…・・・それが・・・
  いちばん・・・つらい…・・・どしたらいいの?

誰かを好きになることによって、同時に抱え込んでしまった未知の感情。
その悲哀が相手への愛おしさに伴う、恋の宿命であることを知りつつも、
そこからの出口が見つからない切なさを彼女は訴えている。

紛れもなくこれも、初恋のディスクールの一片である。
まだ未熟な心が突き当たった限界点をありのままに表出する、この上なく真実なパロール。
初恋が少女の心にもたらした深淵を垣間見て、私たちは胸を打たれるのだ。

想いが溢れて言葉が無効になる瞬間、全身から衝動が迸り出る。
誰もが虚を突かれた、茜の突然の行動・・・それは彼女の苦悩が
二人を隔てる距離への絶望的な恐れによることを痛々しく物語っている。

このあと、小太郎が茜をフォローするシーンは一切ない。
現実に横たわる非情な距離を前に、LINEはもはや役には立たない。
パロールとテクスト、双方の限界が二人の前に立ちはだかった時、
それを突破する力はどこに求められるのか。
初恋は試練を乗り越えられるのか―。

その答えは、ラストへと収斂してゆく展開の中に明瞭に語られる。

距離という障害を克服し、さらには未来をも先取りするような
揺るぎない確かな結びつきを生みだす奇跡の回路、それが「文学」だ。
本作のテーマがここに明示される。

小太郎の小説「13.70」。それは二人が共有してきた時間を凝縮したテクストであり、
同時にメタレベルで追求されてきた「初恋のディスクール」が作中に具体化したものだ。
だからこそ、その「終章」は文字通り、本作の内容の終結を意味するとともに
新たな物語の始まりの宣言でもあるという、両義的な構造を内包し得るのである。

そしてそれは、偶然の助けによって茜のもとに届いた恋文に他ならなかった。
そこにはこんな文句が記されている―。

  ずっと、大好きだ。

はっきりと伝えることができずにいた愛の告白の言葉、
小太郎が漸く見出した、彼自身の I love you であるこの表現―、
あのボソボソした、自信なさげな「つき…あって…」がこの力強い一言に結晶する、
その過程を描いた物語だったとさえ言うことができるだろう。

茜を乗せて走り去る電車に向かって、彼がこの言葉を全身全霊で叫ぶとき、
並行するテクストとパロールがついに重なり合い、初恋のディスクールは完成する。



さて、自分の考えでは、本作における月は「文学」のメタファーである。
虚空に冴えわたる月。水面にたゆとう月の影。その対比については上に触れた。

そして、ラストシーンに映し出される昼の空の月について。

列車を見送ったまま立ち尽くしている小太郎の頭上の空に
ポツンと浮かんでいる、控えめな目立たない昼の月にはおそらく、
本作の最終的なメッセージが込められている。

それは多分、この作品が初恋を通して掬い上げようとした、
私たちの日常に潜む、ありふれてはいるがかけがえのない無数の小さな「文学」、
その存在を象徴しているのだと思う。

ラストシーンに向かって、二人のモノローグが掛け合いを繰り返しながら
一つの心情の表明に結実してゆく。その最後の結びとなる小太郎の言葉、

  好きな人が、自分を好きになってくれるなんて・・・

これに続く、茜の

  奇跡だと思った。・・・

この最後の言葉が、頭上の月の映像とシンクロして重なり合う。
その時、「奇跡」という言葉の深く鮮烈な余韻と響き合い、
こんな祝福のメッセージが私たちにも投げかけられているような気がする。

・・・ささやかな、素晴らしい数々の奇跡を、この世界は秘めているのだ、と。
{/netabare}


初恋というものの特権性について、一言触れておきたい。
初恋を特別に美しく、純粋なものとして聖別しようとする心性は
美しさに憧れそれを希求する、普遍的な人間感情におそらくは根差している。

本作で描かれる初恋も、かなり純化され理想化された像になってはいるが、
観る者が身につまされるような、非常な迫真性がそこに感じられるのは、
私たちの心の中にある憧憬と現実とが巧みに配合された
いわば「願望のリアル」が表現されているためなのだろう。
文学もまた、そうした願望のリアルを追求する営為だと言ってよく、
文学と純愛とが、永遠に親和的である最大の理由はここにあるはずだ。

本作の着想の土台となっている漱石の「月がきれいですね。」にしても
出所不明のいわゆる都市伝説の類であることはすでに知られているが、
むしろその方が、本作の文学観にはマッチする。
有名なアニメでも言われていたように、「都市伝説、それは一種の願望だ。」
人間が存在する限り、常に抱かれる願望が空想を刺激して
私たちの周囲には日々、無数のミニマムな「文学」が発生し続けるのである。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 25
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

心模様と花ごろも

川越の中学校を舞台とした、
思春期を向かえた少年少女の恋物語。

遊園地、お祭り、街の風景、
四季の色彩がとても美しい物語。
機微な心を良くとらえた演出で、
エンディングのLINEの文字まで隙がない。
お互いを意識し始める2人、
丁寧な描写の数々、まだ微妙な距離感、
好きになるってこういうことでしょう。

各話のタイトルが小説や詩集から。
主人公が文学少年なのでいい感じです。
{netabare}そう「月に吠える」が意外でしたが、
最後にそういうことかと納得です。
少年、頑張りましたね。
ここから物語が始まりました。{/netabare}
ひと際、月がきれいです。

初めての恋は知らないことばかりで、
戸惑ってばかりでしょう。
思ったこと感じたことの半分も伝えられない。
結末は大抵上手くいかないわけで、
たくさん泣いて大人になっていくのでしょう。

文学の言葉が紹介されていますが、
私からも少年に太宰の言葉を送ります。
「私は何も知りません、
しかし伸びて行く方向に陽が当たるようです」

真っすぐ伸びて下さい。
そのままでありのままで。

どうか末永く愛されますように。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 153
ネタバレ

pio さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

大人も何年に一度か見返したくなるような、間口の広い名作

近年では珍しい、リアル路線の恋愛ものを描いた本作。
派手なアニメが多い中、比較的地味な本作ですが、誰もが過去に一度は経験している
ような「あるある」が多数散りばめられており、強烈なノスタルジーを感じさせます。
それもただ懐かしいだけでなく、忘れてしまった大切な感情を思い起こさせてくれます。

毎話、適度な盛り上がりを見せるため、飽きずに最後まで完走できました。

<良い点>

・舞台選定
 川越に実際に訪れたことはありませんが、本作のリアルな雰囲気を
 つくる上で一役買っていると感じました。
 都会の近郊にある都市は所謂「都心から近い田舎」のため、
 地縁深い家庭、転勤族の家庭の両方が混在します。
 主人公は前者、ヒロインは後者それぞれの家庭の中学生であり、
 その家庭環境の違いが良い対比となっています。家庭内の描写も
 リアルに細かくなされているため、どちらの家庭で育った方も
 共感できる内容になっています。
 
・作画
 背景はとてもきれいです。作品への没入感を高める上で十分すぎるほどです。
 人物の作画は一見シンプルですが、中学生の未熟さ、純粋さを表現するには
 これもアリかな、と。

・音楽
 op,edの川嶋あいをはじめとし、ELTやJITTERIN'JINNなど、20代や30代を
 ターゲットにしている印象を受けました。該当世代の方は特に反応してしまうでしょう。

・声優
 この作品ではアフレコではなくプレスコで収録されていたようです。
 その甲斐あってか、奥手な主人公2人の経験不足からくるもどかしさが
 よく表現されており、とてもリアルです。

・キャラ
 登場人物の性格は基本的に良く、視聴していて非常に気持ちよかったです。
 特に大人たち(主人公の両親やご近所の方々)の主人公2人への愛情が視聴者へも
 伝わるため、 {netabare}主人公2人が純愛を育み、ゴールインまで到達する事への説得力が
 あります{/netabare}。
 
 また現実では同級生の恋愛がバレることで、イジメやハブ、絶縁といった
 ネガティブな現象が生じることがありますが、本作品ではそうした要素は一切
 ありません。
 
 ネタバレになるため詳述は避けますが、いくつかの同級生は2人の恋愛に
 水を刺します。しかし、それはストーリー上のスパイスであり、決して
 ドロドロとした展開にはならず、安心して視聴できます。
 

<悪い点>

・作画
 基本的には高水準でまとまっているものの、いくつか崩壊しているシーンもありました。
 しかしその他の演出水準が高いため、ほとんど気にならないと思います。


<まとめ>

自分自身の何かしらの過去と重ね合わせて共感し、時には涙を誘われ、
大人になって忘れていた感情と向き合う機会を与えてくれた本作。
深夜アニメに対する予備知識などは一切要らず、全12話の中できれいにまとまっており、
万人におすすめできる作品です。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 29

91.2 2 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング2位
君の名は。(アニメ映画)

2016年8月26日
★★★★★ 4.1 (2514)
11512人が棚に入れました
新海誠監督による長編アニメーション。

千年ぶりとなる彗星の来訪を一ヶ月後に控えた日本。
山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。
町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。
小さく狭い街で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会へのあこがれを強くするばかり。

「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」

そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。
見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の町並み。
念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。

一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も奇妙な夢を見た。
言ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。

繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。
二人は気付く。

「私/俺たち、入れ替わってる!?」

いく度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。
残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。
入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。

「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く。」

辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた…。

出会うことのない二人の出逢い。
運命の歯車が、いま動き出す

声優・キャラクター
神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子、悠木碧、島﨑信長、石川界人、成田凌、谷花音
ネタバレ

shino さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

世界はきっと美しい

新海誠監督作品。

希望が持てないとき、漠然と不安なとき、
繰り返し見たくなる前向きで素敵な物語だ。

売上や動員数ばかり話題になりますが、
映像クリエイターからすれば、
思春期というものは創作の大きな源泉です。
初々しくも華やかな青春を、
美麗な風景とともにまとめ上げた手腕は、
評価に値すると思います。
多くの大人達もどこか自分に合わせ、
追体験できたのが大きかったのでしょう。

少年少女は生きる上で、
きっと喜怒哀楽の純度が高い。
強く生きること深く愛すること。
その一瞬をフィルムに収める。
少女の全力疾走はいつだって感動しますね。

糸守町の歴史と組み紐の教え。
宮水神社に伝わる伝統儀礼と御神体。
{netabare}夢の中で入れ替わった2人は、
不思議な体験を通じ心の距離を近づける。{/netabare}
古来より継承されてきたものが引力となる。
素敵な出逢いが訪れますよう願おう。

留めておくのが難しい、
儚くて透明なその美しい一瞬を、
まだ美しいと感じれる自分がいて良かった。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 168
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

夢の儚さを越えて二人は繋がる。

見終わった後、私は夢から覚めて、まどろんだ時ようなな気持ちになりました。

あのシーンの背景が良かったとか、あそこのスピード感が最高だったとか。
でも、その記憶は、強く「覚えていよう」と思い、まるでこれは面白い夢から覚めた時と同じじゃないかと。

でも、人の記憶は曖昧で、全ての良いシーンを覚えておこうと思っても、次第にディテールが失われていきます。
やがて夢の記憶は、「面白い夢をみた」に代わり、そして夢をみた事をも忘れていく。

時間に対して夢の中の記憶はあまりにも儚い。

この作品はそんな弱い繋がりで繋がった瀧君と三葉の物語です。



感想
{netabare}

【演出】
二人の入れ替わり生活が始まるときに曲が入り場面の切り替わりのスピード感は新海監督らしい演出。

二人の入れ替わり生活とは別に強く印象に残っているのは
時間が100倍速になった感じで都会の光や信号が光を放つシーン。
これは時間の経過を示しているのでしょうが
その綺麗さが強烈に印象付けられました。

また、夢の中の出来事という作品の設定のように
幻想的な美しさが視聴者を夢と現実の境界線に引き込んでくれます。

三葉の人生が瀧に見えたときのシーンもグッと来ました。何でだろう?
人の生き死にに涙もろいのかな。
あのシーンは母親との直接的な繋がり(へその緒)や親との別れ、家族の濃い「人と人の繋がり」を感じてしまったからでしょうかね。

【展開】
「瀧君、覚えてない…?」という三葉のシーンは本当に胸が痛くなりました。
3年後の瀧君にとってはずっと前から繋がっていた。三葉にとってはようやく繋がった。
だけど瀧君はこのときはまだ知らない、三葉は不審そうにこちらを警戒する瀧君に思いを伝えられない。
「二人が会えた」「繋がった」という嬉しさと同時に
勇気がでずに思いを伝えられない三葉の姿に自分を重ねてしまいました。



【キャラ考察】
瀧君がクレーターの上で君の名は!と涙ながらに叫んだ気持ちがわかってしまう。
大切な人に会いたいと、思いが募ると、苦しくて、吐き出したいなにかが心のなかにたまってきて、自然と涙が出てくるんですね。

三葉の境遇について
母親を幼い頃に亡くしていて、それをきっかけに父親が神職をやめて離ればなれとなっています。
離れて暮らしながらも、政治というなにかと目立つ仕事をしている父親のせいで
学校で本人の意思とは関係なく少し浮いてしまう三葉。
そんな狭い村社会に嫌気が差してどこかに逃げたい気持ちでいる時に起こる入れ替わり。
三葉にとって入れ替わりは逃避になり得た(まさに夢に逃げる)のですが
突然終わる入れ替わりは、夢の終わりであり、それは自分の逃げ場所がなくなったともいえます。
夢の続きが見たくて。そういう気持ち(逃避)、わかります。
東京にいるはずの瀧君に会いに行き、あの日々の続きがみたい。
でも、せっかく会いに行ったのに瀧君は三葉のことを知らなくて、繋がりの喪失を感じてしまった。
(ですか、ここで過去と未来を繋ぐ糸を渡したシーンの懸命さや、その糸が忘れかけた瀧君と三葉を繋げてくれた意味を持つアイテムであることの重要性が「繋がった!」と嬉しさを感じさせます)

その後の三葉の行為は、瀧君への思いをたちきりたくての髪を切る行為だったのでは。(切るということは思いや繋がりをたちきりたいための行為?)(夢の終わりが夏祭りの近くの日、つまり、一般的には夏の終わり近くです。夏の終わりの儚さと夢の終わりの儚さをかけているのではないでしょうか)

また、三葉が夏祭り前に暗い部屋で涙を流すシーンには、喪失感を感じ、失恋等のなにかを失う出来事を思わせました。


その後の彗星の衝突により、三葉は現実の問題と向き合い乗り越えることができました。
瀧君の残した「すきだ」が現実と向きあう最後の勇気をくれたのかもしれません。

そして、瀧くんにとっては、一生忘れられない体験であり
忘れられない繋がりだったのではないでしょうか。
それが記憶がなくなっても四年後も繋がりを求めていた理由かもしれません。
忘れたくないと思っても忘れてしまう、だけどどこかでおぼえているその繋がりのことを。
だから、これはなくなってほしくないという、繋がりの肯定なのではないかな。
【美術】
新海監督の作品は見たり見なかったりなのですが、背景の綺麗さは今作もすばらしかったです。
田舎のゆったりとした風景にはそこに溶け込めそうな気分にさせてくれました。まるで、その場所が自分の帰る場所のような。

都会の朝の風景はどこか孤独だけどエネルギーを感じます。
夕方の忙しそうな風景には少し寂しさがあって、早く帰りたいな、そんな気持ちにさせてくれます。

季節感も夏に始まり、春に終わるという、季節ごとの綺麗な風景を描いてましたね。

最後に桜さく路地の階段で二人が出会うシーンも、優しさと暖かさをリアルに感じてとてもよかったです。


【記憶が失われる設定について】
多くの人がここについて指摘してきました。
ですが、私はレビューの最初に書きました通り、夢だから、でストンと納得しています。
作中で夢をフォローしているシーンがあるのは覚えていますか?
三葉の祖母が三葉(瀧くん)に「三葉、お前、今夢を見ているな」と言う印象的なシーンです。
また、三葉も「夢の中で見たあの人の名前が思い出せない」と言い、友人を困惑させます。
それはそうでしょう。普通のひとはそんなことを非常時でも平常時でも口に出したりしません。
共通認識として「夢の中の内容は忘れやすい」ということがあるからです。
ですので、スマートフォンの中の日記が消えていくあの表現や、
二人が御神体のクレーターで出会うシーンが、
夢と現実の境界線が曖昧な時間や場所を表現していて
見た人間も、夢と現実の境界線にいるようなそういう作品だと思っています。

【朝、目が覚めるとなぜか泣いている】
印象的な導入のセリフです。
二人の繋がりを失ってしまったことを自分の中のどこかが泣いている。
そして、それにとりつかれているようになってしまっている。
私はそうやってどこかに繋がりを探すような感情を現す言葉は知りませんが
自分のどこかに、よく似た感情があると確信があります。
それが、私の心にズキズキとした胸騒ぎを起こしてくれます。

【総評】
色々書きましたが、瀧君と三葉のような10代の気持ちや考え方を上手く描いています。
君の名は。でとめていますが、これは相手への問ですよね。
相手の名前を知らないからこそ尋ねる(訪ねる)。
そして相手の事を知りたいからこそたずねる。
相手の事を知りたいという感情をエネルギーにして伝えてくる作品でした。

また、人と人の繋がりを感じる、もしくは、心の中のどこかにあるつながりを求める感情を肯定する物語だったとまとめさせていただきます。

【蛇足】
三年前の瀧君と三葉が東京でであったとき、二人の糸はどう繋がったのか、一瞬はまりかけました。
二人の糸は絡みあって大きなわっかを作った。そんな思いです。でも始まりはどこかよりも、今と未来の彼らが気になって(笑)

キービジュアルの瀧と三葉が東京の坂で振り返って見つめる絵って
ラストの5年後の二人を、であった頃の高校生の姿に置き換えているのかも?
これが「出会い」の絵なのか「再会」の絵なのかちょっと気になって面白い。

幻想的で儚さのある二人の奇跡の繋がりと、現実の繋がり。
ラストで二人の繋がりを現実の繋がりにすることで生まれる嬉しさ。
なぜだろうか?多分、二人が求めていたその繋がりは、人間が奇跡を信じたい気持ちの肯定だからでしょうか?

{/netabare}

ストーリー考察?(繋がりを軸にストーリーを考えてみました。)
{netabare}
三葉の祖母が、糸に例えて人と人の繋がりを話しました。繋がって、絡みあって、離れて、近づいて、また繋がっていく。その繋がることを結びという。

瀧と三葉の関係もまたそうでした。夢で繋がって、入れ替わりを繰り返して二人の糸は絡みあう。
入れ替わりは突然になくなる。突然糸が切れたように。
三葉のいる場所は時間を越えて遠く離れた場所だった。
真実を目にした時、三葉との思い出は一瞬で消えていき、崖から突き落とされたようなスピードで二人の距離は離れていく。(二人の距離が明確に離れていくことに儚さや悲しさを感じました)
でも、瀧は「そこにいかなくちゃいけない」という自分でもわからない使命感に押され御神体のある場所へ
三葉のいるかもしれない場所へ近づいて行く。(確信のない行動です。しかし、そこには記憶という曖昧な繋がりよりも、もっと深いところでの繋がりを感じます)

そしてまた入れ替わり、二人はお互いを自分の体で出会う。
今まで顔を合わせて話したかったことをいいあって、笑う。(ようやく、もがいてもがいた結果、出会えたという喜びを感じます)

互いの姿が見えなくなって、名前を忘れた瀧は叫ぶ。
「君の名前は!」忘れちゃいけない大切な人を思い出せない苦しさで一杯になる。(本気で相手の事を求めるシーン、記憶がなくなっても、もっと深いところからの欲求です)

名前は思い出せない。でも誰かが大切なことは覚えてて
誰かが思ってくれていることが「すきだ」という言葉からわかる。だから三葉はやりとおせた。

そして時が流れ、あの時間の記憶もなく、あるのはかすかな心残り。
どこかに大切な繋がりがあるような。

冬が終わり春が来る。
二人はまた近づく、自分の中の心残りの先にある繋がりを探して。
そして出会い、ずっと探し続けてきた繋がりだと信じて問いかける。「君の名前は」。
(最初のシーンと繋がる。どこかに特別な繋がりがあるという不思議な感覚。ラストはなんとなくわかるという感情の肯定が、とても心地いい)
{/netabare}


2018年1月3日 地上波放送を見て。
{netabare}
本当は追記する予定はありませんでした。
でも、見たら、自分の中に生まれた何かを書きたい衝動を抑えられなくて、
書こうと思いました。

今回の再視聴で感じたのは、
繋がりが消えることの悲しさでしょうか。
どこか身近に感じていた、繋がりの断絶。
私が繋がりの断絶を感じたのは、福島なんですが、
レビューを社会派にする気はないので詳細は伏せます。

それは、人間の営みの断絶であったり、人の関係の断絶。
繋がりが消えてしまうことへの悲しさ、つらさ。
そういったものが多分糸守町の消滅、三葉と瀧の入れ替わりの終わり、
そういった作品世界の出来事から、私はいつも感じていたこと、
繋がりの断絶を感じていました。

繋がりの断絶と同時に、繋がりを求める声も同時に感じました。

三葉が瀧に会いに東京に出た時も、瀧が三葉の名前を忘れて叫んだ時も、
繋がりを求めるその行動、その思いが、私には、
無くした繋がりを取り戻したい気持ちを感じて、
どうしようもなく、泣いてしまいました。
(すこし安っぽい表現ですが、実際少し泣いてます。
多分泣いた理由は、登場人物達と同じ理由で、
繋がりを求めたから、でしょうかね。
多分これが、共感何でしょうね。初めて実感出来たかも)

こんな瀧君のセリフがありました。
「今はもうない街の風景に、何故ここまで胸を締め付けられるのだろう」
心のどこかで糸守に繋がりを感じている瀧君。
私も、どこかで知らない街の知らない人の営みに、
繋がりは感じないまでも、営みの中にある繋がりを見て、
親近感を感じたりするのです。
それは人と人の繋がり、人と土地の繋がり、繋がりの中で生まれた営み、
そういったものを、私は求めているのだろうし、
大切にしたいし、失いたくないと思うのです。

だから、この作品を再視聴して、このレビューは、
完全に私の感想であるのですが、
私が求めていた繋がりを描いてくれているし、
私が恐れている繋がりの断絶も描いてくれている。

だから、私は、この作品が好きなんでしょうね。



{/netabare}

投稿 : 2024/11/23
♥ : 134

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

空前の大ヒットも頷ける完成度を差し置いて劇場で笑い転げるヲタクとはオイラのこと~ぼくらタイムフライヤー_時を駆け上がるクライマー~IMAX観ました

新海誠監督が手掛けた5本目の長篇作品


東京の大都会に住む男子高校生、立花瀧
山深い田舎町に住む女子高校生、宮水三葉
1200年振りに地球を訪れるという巨大彗星の到来を一ヵ月後に控えたある日、瀧が目覚めるとそこには見知らぬ自分と知らない天井、見知らぬ家族と知らない町があった
同じように三葉もまた、想像すら出来ていなかった大都会で朝を迎える
ただ一つ確かなことは、自分の身体が見知らぬ異性のものだということだけ
瀧と三葉は全く原因がわからぬまま不定期にお互いの身体と心が入れ替わってしまうことに気付いた
お互いの生活に干渉しないよう、日記で連絡を取り合うことにした二人
田舎育ちの三葉は憧れの都会に想いを馳せ、自由気ままに過ごす
一方の瀧も他人のそれも異性の身体だということを忘れ好き勝手してしまう
周りからはまるで人が変わったようだ(笑)と思われ少しずつ人間関係に変化も起きる
瀧が好意を抱く先輩との仲を、三葉が瀧に変わって取り持ったことで瀧には良い事尽くめの大団円かに思えたが、次の日の三葉はある決心をしていた
そして彗星到来の10月4日、瀧は記憶から消えていた重大な事実に気付く・・・


『言の葉の庭』が全国東宝系で大きく展開し成功を収めたことから、遂に全国約300館での上映となった新海誠監督にとって最大の大作となった今作
キャラデザはZ会のCMでタッグを組んだ田中将賀
作画監督は元ジブリの安藤雅司
音楽は挿入歌から劇伴に至るまでオイラが中高生の頃に(ごく一部ではあるがw)一世を風靡したバンド、RADWIMPSが担当


声優陣には瀧役に声優経験豊富な若手演技派、神木柳之介
三葉役には『舞妓はレディ』の上白石萌音
その脇を固めるのは長澤まさみ、市原悦子といった豪華俳優
さらに悠木碧、島崎信長、石川界人といった豪華声優
そして『I LOVE スヌーピー』でいい芝居をしてくれた谷花音、とキャスティングにもかなり力が入っているのがわかりますね
身体が入れ替わった時の芝居は聴きどころですb


単純に少しアニメに詳しい人なら、将賀さんのキャラデを見て『あの花。』の絵だ!観に行こう!という気持ちになってくれるでしょうし、本編が始まるとすぐ「夢灯篭」という楽曲に合わせてOPアニメみたいなのも流れる
オイラは初見観た時このOPが「めちゃくちゃダセェ!」と思ってしまったのですがwやはり深夜アニメなどに慣れ親しんだ世代にとっては心を掴む取っ掛かりになっているのでしょう
ああ、ちなみに今は「夢灯篭」もOPも好きですよ?w


そして序盤はそれこそ深夜のラノベアニメのラブコメタッチで物語が進む
キャラの表情もコロコロ変わり、身振り手振りの作画も非常に丁寧
中身が入れ替わった男女の微妙な違いを作画で表現する、言葉にすれば簡単ですがこれを見事にやってのけた作画陣には最大級の賛辞を贈りたい
ジブリが崩壊し、『攻殻機動隊ARISE』と『アニメ(ーター)見本市』が完結した等、作画スタッフの足並みが綺麗に揃ったのが大きかったでしょう
尚且つ、新海作品お得意の美しい光と色と街並みが、このアリエナイ話にリアリティと説得力を醸し出す
制作中は当然完成していなかったバスタ新宿がちゃんと描かれてるのも凄い


後半はミスリードで張ったミステリアスな伏線をスペクタクルと共に回収しつつ、所謂新海節が炸裂する内容なのですが、まあとにかくメジャーかマイナーかで言えばメジャー路線な作品に作ったことです
今日までの大ヒットがソレを裏付けてますね、明らかにこれまで新海のシの字も知らんかった人たちが劇場を訪れているのです
実際オイラが鑑賞オフ会を開いたら半分の参加者は新海作品初体験でした
こうなると昔からのファンは遂に資本主義の犬となったか新海よーとかワケのワカランことを言い出す輩が湧いてくるもんです
まあ、言いたい事はわからんでもない


ただオイラはこう考える
【新海ファンこそ、この映画は10倍楽しく見れる】


そう、今作が初見でもなんも問題無い
でも今作、新海誠がこれまで積み上げてきたものがほぼ全て詰め込まれたいわば集大成なのです


『彼女と彼女の猫』から続くゆっくりとしたモノローグでの幕開け
『ほしのこえ』では恋人達が時間差で引き裂かれていく様を描いていました
『雲の向こう約束の場所』では田舎町と都会に分かれて物語が交錯していましたね
これを同時並行させたのが『クロスロード』
「何も無い」という田舎風景を印象付ける画作りは相変わらず上手い、これは『桜花抄』
2時間に1本しかない電車はまさに『星を追う子ども』
朝食と通学風景から始まるのもそう
真っ二つに裂ける彗星は『コスモナウト』のH2Aロケットの発射ですね、意味合いは逆だけど
挿入歌に合わせて映像を積み上げていくのは『秒速5センチメートル』や『クロスロード』で魅せた技
コミカルなタッチで進む前半は『猫の集会』のお茶目な演出を思い出しました
東京、特に都会の象徴として新宿を描きたがるのは『言の葉の庭』が顕著
同じく、途中での雨描写は秀逸でした
主役二人の生活感の違いを描写する様子は『大成建設』や『だれかのまなざし』の経験が大いに生きてるでしょう
いやしかし瀧くんが面接を受けてるのが大成建設だったのには笑いましたね
宮水神社のご神体がある湿原を見下ろす描写は、さしずめ地下世界アガルタのフィニス・テラですね
瀧くんのお父さんが井上和彦だったのでもしやおまえは森崎なのか?
そもそもファンタジーかSFかと思えば途中からロードムービーになってしまう辺りはまさに『星を追う子ども』のソレ
『ほしのこえ』で膝を抱えるミカコ然り、『雲の向こう、約束の場所』で足の指にてんとう虫がとまるサユリ然り、靴の型取りに足を差し出すユキノ然り、美女の足に拘る新海作品、今作では東京で歩きつかれた三葉に注目したい
思えば新海映画とはずっと男女のすれ違いを描いてきましたが、今作は「顔も名前も身体も私生活すらも知り尽くした二人がまるで会えない」という究極的なすれ違いをしてるのが面白い


ほんとそう、新海映画を知れば知るほどこの作品にのめり込んでいけるのは間違いないでしょう

“花澤香菜が演じる古文の先生”が恐らく別の世界線なんでしょうが「ユキちゃん」という名前だった時、周りが静まり返っている劇場でオイラは一人笑ってましたさーせんw
良い映画か否かという以前に、ある種のネタ映画として最初から最後まで笑いながら(時に笑い泣きしながら)観れましたねb


まあ強いて言うならラストシークエンスはちょっと引っ張りすぎたようにも思いますが、「なんでもないや」という楽曲の持つエピックなキックのリフレインとウィスパーボイスのボーカルに思わず感極まってしまう
なにより『秒速』を知っているとあのすれ違い方は辛いものを思い出させる(笑)
そう、この厨二病全開な内容に対して厨二病をこじらせてしまったバンドの日本代表とも言うべきRADWIMPSの音楽が見事に調和してるのが今作の評価を押し上げてるポイントでもあります
まさにクサイ内容にはクサイ音楽
『ここさけ』でも言いましたが単体では正直目も当てられないような詩の主題歌が、割とすんなり入ってきてしまうまさに映像マジックですねこりゃ


今作を受け入れられない人、良い意味で厨二病を卒業出来たんだと思います
誇らしく思ってください
オイラ?は、駄目ですね
この映画を面白いと思ってしまったのでアラサーになっても心はまだティーンエイジャーのようです(笑)

























~TOHOシネマズ新宿のIMAXデジタル版観ました~
IMAXというのは実にビル三階分ほどの高さと20メートル以上の横幅を持つスクリーンに二台の映写機で投影する現代における最大級規格の映像フィルムです
人間の視覚を上回る大きさのため観る、というより観回す感じになります
さらに劇場によっては12.1chの音響システムもそなえており音の迫力も通常の規格とは異なります


そもそも普通の規格で作られた作品をIMAXにするってことは拡大して引き伸ばす、ってことですからオイラは最初この『君の名は。IMAX版』は反対の立場でした
それにアニメって視覚的情報量が実写より多いので単純に疲れそう、だとも思いましたし


しかし実際鑑賞してみると新海作品特有の美麗背景が大きく引き伸ばされてるにも関わらず全く精細さを欠いてないんですよ
むしろ画面の中に描かれる糸守町や新宿の風景に吸い込まれていくようでした
だから鑑賞、というよりはむしろ体感、に近い感じでした


音響の方ですが意図的に音圧を上げてるようでしたがどちらかと言うと山びことかそういった反響音がクリアに聴こえるようになったという印象です
挿入歌がやたらデカイ音で、それもどっか独立した別chから出てるっぽくてやたら大きく感じたのですが、肝心の挿入歌より手前にいるはずのセリフが少々聴き取り辛くなった気がしましたので、これはちょっと好み分かれそうです


初見の方にはあんまりオススメしません
先にも言ったとおり、情報量に加え目で追う作業が加わるのでストーリーに集中し辛くなります
ただリピーターには一見の価値があることでしょう
アニメにIMAX不要、と言いたいところですが新海作品のIMAX化に関しては歓迎できますねb

投稿 : 2024/11/23
♥ : 43

69.1 3 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング3位
夏色キセキ(TVアニメ動画)

2012年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (1003)
4417人が棚に入れました
人気声優の4人組ユニット「スフィア」が、12年放送予定のオリジナルテレビアニメ「夏色キセキ」で主演を務めることが明らかになった。メンバー4人全員で主演を務めるのは初めてといい、監督は「機動戦士ガンダム00」の水島精二さんが務める。 スフィアは、寿美菜子さん、高垣彩陽さん、戸松遙さん、豊崎愛生さんの4人で09年2月に結成されたユニット。10年11月に日本武道館、今年4月に幕張メッセで単独ライブを行うなどパフォーマンスにも定評があり、7月には日本テレビで初の冠番組「スフィアクラブ」をスタートさせた。今回の「夏色キセキ」で、高垣さんは紗季(さき)役、寿さんが夏海(なつみ)役、戸松さんは優香(ゆか)役、豊崎さんは凛子(りんこ)役をそれぞれ演じる。

声優・キャラクター
高垣彩陽、寿美菜子、戸松遥、豊崎愛生、沢城みゆき、真堂圭、三木眞一郎、山崎和佳奈、長沢美樹、名塚佳織、子安武人、恒松あゆみ、宮野真守、鈴村健一、MAKO、斎藤千和、沼倉愛美、五十嵐裕美

nk225 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

デキるオタクはここで判断している?

”四人だけの秘密は、夏色の空に溶けたキセキ”

朝起きて、学校に行き、放課後は友達と過ごす。
楽しいことも、悲しいことも、4人一緒に体験する。
ずっと続くと思っていたあたりまえの毎日。

そんな彼女たちに、ひと夏のキセキが舞い降りる。
これは、下田の町で育った4人の少女の物語。

暑くてさわやかな夏色キセキがきっとあなたを包み込む・・・。

夏色キセキ 第1巻
サンライズ制作による、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第1巻。
中学2年生の紗季、夏海、優香、凛子の仲良し4人組が、夏休みに体験した不思議な出来事を綴る。
人気声優ユニット・スフィアが声を担当。
オーディオコメンタリー
第1話「11回目のナツヤスミ」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生、
水島精二、浦畑達彦

夏色キセキ 第2巻
サンライズ制作による、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第2巻。
中学2年生の紗季、夏海、優香、凛子の仲良し4人組が、夏休みに体験した不思議な出来事を綴る。
オーディオコメンタリー
第2話「ココロかさねて」水島精二、菊田浩巳、宮本朋律
第3話「下田ではトキドキ少女は空をとぶ」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生

夏色キセキ 第3巻
下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第3巻。
花木屋旅館に酒を届けに来た憧れの先輩・貴史に紗季のことを尋ねられた優香は、貴史が紗季に想いを寄せているのだと悟る。
オーディオコメンタリー
第4話「ユカまっしぐら」戸松遥、木村隆一、水島精二
第5話「夏風邪とクジラ」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生

夏色キセキ 第4巻
サンライズ制作による、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第4巻。
紗季とのペアでの最後の試合が決まり、気合が入る夏海。
一方で、母親が仕事で出張のため家事もこなさなければならなくなり…。
オーディオコメンタリー
第6話「夏海のダブルス」寿美菜子、高橋龍也、水島精二
第7話「雨にオネガイ」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生

夏色キセキ 第5巻
サンライズ制作による、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第5巻。
夏休みも半ばを過ぎたある日、引越しを控える紗季は、夏海から「4人で旅行に行こう」と誘われる。
オーディオコメンタリー
第8話「ゆううつフォートリップス」高垣彩陽、綾奈ゆにこ、水島精二
第9話「旅のソラのさきのさき」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生

夏色キセキ 第6巻
サンライズ制作による、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第6巻。
台風が来るというニュースを聞き、4年前の台風に関する出来事を思い出そうとする夏海たち。
だが4人の記憶がどこか曖昧で…。
オーディオコメンタリー
第10話「たいふうゆうれい、今日のオモイデ」豊崎愛生、村井さだゆき、水島精二
第11話「当たって砕けろ! 東京シンデレラツアー」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生

夏色キセキ 第7巻
サンライズ制作、下田の町で育った少女たちのかけがえのない時間を描く青春ストーリー第7巻。
夏海が目を覚ますと、そこは東京のホテルではなく下田の自分の部屋だった。
そこへ優香から「今日が昨日になっている」と電話が入る。
オーディオコメンタリー
第12話「終わらないナツヤスミ」寿美菜子、高垣彩陽、戸松遥、豊崎愛生、
水島精二、浦畑達彦

デキるオタクはここで判断している?
2015年秋アニメも出そろいましたね。しかし、度胆を抜かれたというか……想像していた方向とまったく異なっていたのが「おそ松さん」ではないだろうか。初回の放送がスタートしてからカオスなネタと相次ぐパロディの連続に、ネット界隈を中心に「なんなのこれww(褒め言葉)」状態に。

その一方で「銀魂の監督とスタッフなのか。だったら納得」「監督の過去の作品からすると当然の展開」といった声も。うーむ……どうやらコアなアニメファンは監督などからも事前に情報を得て、放送開始前から内容を想定しているようだ。

【水島精二氏】
2015年秋放送:「コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」
過去に関わった作品(例):「夏色キセキ」(監)/「UN-GO」(監)/「機動戦士ガンダム00」(監)/「鋼の錬金術師」(監)

さまざまな良アニメに関わる監督としてネット界でも度々話題にのぼるほど。ちなみに同業で同姓の水島努氏とは血縁関係はないそうだ。

テレビアニメの他にも昨年ヒットした劇場作品「楽園追放 -Expelled from Paradise-」でも監督を務めている。

2012年4月から同年6月まで毎日放送ほかで放送された。全12話。

声優ユニット・スフィアの4人が主要担当声優を務めており、それぞれの特徴を踏まえたキャラクターデザインとなっている。2011年9月17、18日に国立代々木競技場第一体育館にて開催されたライブにて初めて発表された。

元々、スフィア結成時に4人を主役にしたアニメを作る構想があり、それが3年の時を経て形となった作品である。

内容は静岡県下田市を舞台として、同地域で育った女子中学生の日常が描かれている(下田海中水族館など市内の各所風景も登場)。また、8話と9話では伊豆諸島の八丈島が登場している。

また、コンビニエンスストアのローソンが制作協力しており、作中にも実名で登場するほか、同チェーンとのコラボレーションも実施された。その他にも、いくつかの実在する企業・店舗・車両などが作中に実名(あるいは看板・ロゴなど商標類、カラースキームなども改変なし)でそのまま登場している。

オープニングテーマ
「Non stop road」
エンディングテーマ
「明日への帰り道」

投稿 : 2024/11/23
♥ : 42

ato00 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

女子中学生が真昼間から裸で街中をうろついてはいけません。

古今東西のありとあらゆるSF設定をぶち込んだ萌アニメ。
すなわち、四人の女子中学生によるひと夏の友情不思議体験ツアーといったところでしょうか。

願い事がお石様に届いたとき、思いがけずいろいろな超常現象が発生し、しばらくするともとにもどるというライトなドタバタ劇です。

私の好きなストーリーはタイプスリップ物語。
この手の話が苦手な私ですが、なるほどと納得してしまいました。

スフィアのプロモーションアニメと言われようとも、ローソンのコマーシャルアニメと言われようとも、好きなものは好きなんです。
夏のまぶしい風景の中での個性豊かな四人組をさわやかに満喫できました。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 42
ネタバレ

かんぱり さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

夏らしいさわやかでちょっぴりせつない名作。

責任感が強くてまじめで熱いところがある逢沢夏海(あいざわなつみ)。
大人びててどこか冷めた感じで人付き合いが不器用な水越紗季(みずこしさき)。
明るくてお調子者でアイドル好きな花木優香(はなきゆか)
静かで天然ぽくてちょっと不思議な感じの環凛子(たまきりんこ)。

この中学生4人組が夏に体験するちょっと不思議な物語です。

凛子の実家の神社にある、願いをすると叶うという「御石様」。
これに願い事をすることでちょっとしたキセキが起こったりします。

4人の中では一生懸命頑張る夏海が一番好きかな。でも紗季の不器用なとこもなんかわかるし、優香の猪突猛進なとことか凛子のほわんとしてるとこもいいな。

コンビニのローソンとタイアップしてたようで、出てくるコンビニはすべてローソンです(笑

良いお話が多いですが、4人で{netabare} 紗季の引越し先へ{/netabare}「ミニ修学旅行」に出かけるお話が好きでした。
たぶん、彼女たちにとって決して忘れることのない、大事な想い出になったことでしょう。
最後に4年後の彼女たちが見られる短編もあり、満足です。

あとOP、EDともなかなか良かったです!これ声優さんたちが歌ってるんですね。

見終わって。これめっちゃ良作じゃないですかー!夏っぽいタイトルで日常系っぽいから見たんですが、大当たりでした。これは良作・・いや名作です!
夏らしいさわやかでちょっぴりせつない物語でした。
なんとなく、宇宙よりも遠い場所とか好きな方は合うかも。おすすめです!

投稿 : 2024/11/23
♥ : 18

65.7 4 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング4位
グラスリップ(TVアニメ動画)

2014年夏アニメ
★★★★☆ 3.2 (1165)
5337人が棚に入れました
ガラス工房を営む一家の娘・深水透子は、友人の家にあるカフェ「カゼミチ」を友人たちとの憩いの場所にしている。高校3年の夏休み、彼女たちの前に現れた転校生の少年・沖倉 駆は、透子に、自分には未来の声が聴こえると語りかける。もし、あらかじめ未来を知ることができるのなら、自分は何を望むのだろう? 感じたことのない動揺を覚えながらも、透子は胸の中に、放っておけない感情が生まれていることに気が付く...。

声優・キャラクター
深川芹亜、早見沙織、種田梨沙、逢坂良太、島﨑信長、山下大輝、東山奈央、茅野愛衣
ネタバレ

アガパンサス さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

グラスリップ解説最新版・分かりました

ネット上では「分からない」としか言われていない本作品。
いくつかの話をピックアップして見ていこう。ただし最終回の伏線になっているところは途中でも解説してしまうので、一通り観てからこのレビューを読んでくださいです・・・

1話のポイント
{netabare}
1話は最終話への伏線が沢山あるので重要。
・ヤナが「先のことは分からない」と言うが、透子は「ずっと友達でいたい」と言う。
→ヤナの「不吉な」セリフが、話数の進行に伴い、従来の友達関係が壊れていくことの伏線になっている。
・透子は「何があっても全部未来の自分が解決してくれますように」と言う。
→このとき、目をつぶって手を合わせている点に注目。最終話で同じセリフが言われるが、その時は手を合わせないし目をつぶることもない。より前向きになっていることが分かる。つまり、1話の時点で、透子は未来を他人任せというか「なんとなく」しか意識していなかったが、最終話で「はっきりと」意識して「自分で切り開く」ことを決心したのだと言えるだろう。
・ジョナサンが浮いている。残りの名前にフッサールとか出てくる
→間違いなく、「浮いている」ジョナサンとカケルが対応している。
→最終話でユキが「ジョナサンは冒険者だが、残りの名前はみんな哲学者だよな」と言うのに注目。
・透子は「放し飼いがいい」と言うが、カケルは「猫に襲われるだろ」と言う
→自由がいいか、守られているけれど不自由なのがいいか?とも解釈できる。カケルが自分自身の殻にこもっている証拠ともいえる。これを補足するものとして、透子の家でジョナサンが暴れまわるが、これは自由への欲求とも受け取れる。
{/netabare}
2話のポイント
{netabare}
・カケルは透子と会って、初めて映像と声の両方が合わさった欠片を見た。
→カケルは音の欠片を聞き、透子は映像の欠片を見ている
・透子が4人の友達から離れて電車がドン!な欠片
→これは、4人が死ぬという意味ではない。この時点でも想像はできるが、12話で透子が「私がみんなと過ごした忘れられない場所をもっていない」と言うことによって、はっきりと伏線が回収される。つまり透子は4人と親しい友達でいるつもりだったが、それは表面的なもので、実は透子自身は浮いた存在であり、次第にそれが明らかになっていく、ということ。今後の話で、まさにこの映像のようなストーリー展開がなされていく。
・ユキとヤナの恋愛感情が露呈して、5人の友達関係が崩れていく
→カケルは5人にとって「部外者」。しかし部外者の登場によって5人の表面的な関係が崩れていくのである。
{/netabare}
3~6話は、あまり重要ではない。未来の欠片をめぐって視聴者はじらされる。その中で、次第に5人の中の恋愛感情が育っていく回だとみておけば、大きな間違いではないだろう。一応5、6話だけ少し。
5話のポイント
{netabare}
・ヒロの恋愛感情がサチに向いている
・ヤナがユキに棒読みな告白をする
→これで5人の友達関係は完全に崩れてしまった。5人の人間関係はヤナが1話で予言したように「変わって」しまったのである。
{/netabare}
6話のポイント
血なまぐさいケンカがあるが、それ自体はあまり重要ではない
{netabare}
・透子がカケルとのキスシーンの欠片を見る
・カケルが「透子に味方してほしかったのかな」と言う
→透子とダビデの心理的な距離は近づきつつある
{/netabare}
7話のポイント
未来の欠片の正体が判明したり、カケルの今までの人生がどういうものだったかが明確になる非常に重要な回である。
{netabare}
・3人のカケル
→カケルは常に自分を冷めた目、つまり第三者的な目で見ている。これはすべてのことについてもそうである。
・テント暮らしの象徴するもの
→カケルは常に世界の「外」にいる。透子達5人に対しても、輪に入ることはなく「外側」にいようとする。
・透子が「高いところに登っちゃダメ」と言うが、カケルは「少しでも落ちる可能性のある所には登れない」と言う
→カケルは「挫折に対する恐怖」を感じている。だから何事も夢中になることがなく、冷めた目で外から見つめている。このことが、1話で透子に「そんなのお前の価値観でしかないだろ」というセリフにつながる。つまりカケルにとって「価値観」はすべて相対化されており、「カケル自身が何をしたいのか」という部分が気持ちの中に全くないのである。
・最後の砂浜でのシーン。ヤナの後ろ姿から鳥(後にトビと判明する)が沢山飛び出してきて「お似合いカップル」と憎らしくつぶやく「映像と声があわさった欠片」を透子が見る
→「未来の欠片」は、タイムマシン的なイメージで捉えた未来の予測ではなく、その人が抱えていたり自分が遭遇している現実に隠された「本質的なもの」と考えられる。これは最終話で透子が「未来ではなく、まだ起こっていない、でもきっとこれからおきること」という言い方もしている。「未来の欠片をみる力」というのは、「現実に表面的に存在しているわけではないが、そこに潜む本物をみる」能力と言ってもよい。「本当の想いや本音、隠しているもの、隠されているものを見る力」と言ってもよい。少なくとも、「ふつうの意味での未来」とは別の意味が「未来」に隠されていると考えないと、このアニメのストーリーが意味不明になってしまう。透子とカケルは未来予知能力者では全くない。
・9話の伏線として、サチが透子への好意をヒロに打ち明けるシーンがある。その打ち明け方がドロドロしているためか、ヒロはサチと一定の心理的な距離を置くようになった。これを、「ヒロはサチの友達でしかないと悟った」と解釈する人がいる。そうも読めるが、後で二人は登山デートをして、ついにヒロがサチを背負うところまで仲が発展していくのだから、「単なる友達」ではない。10話でヒロがサチへ読書感想をメールで伝えるというシーンからも、やはり二人の関係は特別なものになっているのである。ヒロがサチから一度心理的な距離を置いて冷静になったからこそ逆に本物の愛につながっていくのではないか。
{/netabare}
8話のポイント
カケルと透子の関係が重要な段階に入る。
{netabare}
・透子の欠片:二人の女性の会話中に窓ガラスが割れる→表面的な二人の関係を見破ったということではないのか。
・雪が透子の欠片の中で降り始める
→欠片の中に透子とカケルがキスをするシーンがあり、「やはり二人は両想いであることがはっきりしていくのかな?」と予想することは簡単である。では、雪の正体とはいったい何だろうか?これは、12話で透子が見るカケルの「唐突な当たり前の孤独」のシーンにつながる。つまり、キスをするだけでなく、カケルが抱える本当に重大な問題を透子が理解することによって、二人の関係は単なる肉体関係としての恋愛ではなく「本物の関係」になるのである。
{/netabare}
9話のポイント
{netabare}
・サチが透子とヒロの二人に告白する。
・透子がスケッチに描いた鳥を消している→これがトビの姿なので、7話でヤナから飛び出した鳥はカラスではなくトビではないかと思われる。あまり本質的ではないが・・・
・サチの言う重要なセリフ:「明日のために」→最終話への伏線。明日のために今日を一生懸命生きよう、ということ。
{/netabare}
10話
{netabare}
・ヒロが読書感想メールをサチへ送る。ようやく気持ちが通じ合ったかなと言う感じがする。
・カケルが欠片を見ることができなくなった
→次第に自分自身の「外」から「内側」へカケルの気持ちが移ってきていることの証。平たく言えば、カケルの「自分自身」が「覚悟を持って生きる」決心がつき始めている、ということ。
・「唐突な当たり前の孤独」
→「自分に友達が出来ても、自分が引っ越しなどでいなくなったらその友達は自分のことを忘れてしまう」経験のこと
{/netabare}
11話
{netabare}
・透子とカケルが一夜を過ごすが、カケルは「一緒にいるのが怖い」と言う。カケルは転校しようとしていたが、母に「一緒に世界を回らないか?」と誘われてしまう。だから、せっかく透子と仲良くなったのにまた別れる羽目になってしまい、やがて透子に自分が忘れられてしまうのではないか。また唐突な当たり前の孤独を味わってしまうのではないか。だったらやっぱり透子との仲は無かったことにしよう・・・というカケルの気持ちが読み取れる。
・サチがヒロに「また山に歩いて登りたい」と言う
→そういえば3話では車で登っただけだった。より二人の仲は親密になっている。
・サチが「近くにいるのに相手が見えないって不思議じゃない?」とヒロに言う
→二人の仲はまだ本物になっていないことを想起させる。雪はその象徴であると考えれば、透子の欠片がどういう意味かも説明できる。つまり、カケルがこの孤独についての問題を解消できない限りは、カケルと透子が本物の関係になることはできない、ということ。ただしカケルと透子は二人で花火の欠片を見ることができているので、二人の世界を共有し始めているのは確かであり、本物の関係になっていくと期待できる。もしかしたら、サチも「唐突な当たり前の孤独」を感じていたのかもしれない。病弱で学校にあまり行かないから友達が出来なくて・・・そうした中で透子は大切な存在だったと・・・
・カケルの母のピアノ演奏が始まり、カケルと透子は手をつないで聴き始める。
{/netabare}
12話のポイント
2話の重要な伏線が回収される回である。
{netabare}
これは並行世界でも未来の世界でもない。カケルの感じていた「唐突な当たり前の孤独」を透子が感じるシーンが大半を占めている。透子が「私がみんなと一緒に過ごした忘れられない場所をもっていない」と言うことで、2話の欠片についての説明がなされ、伏線が回収される。最後に、透子は現実の世界に引き戻される。

※補足
「これは単純に透子が友達を失う苦しみじゃないか」という意見がある。そうではない。冒頭のシーンで透子は4人に喫茶店で会っている。でも4人はいまひとつ透子のことを見てくれていないし、花火大会で挨拶しても「覚えていない」。たぶん、カケルもこういう感覚を味わっていたのだろうなと想像できるのだ。さらに、前述したように、このシーンは透子と4人の関係が露呈するという二重の意味もある。失うのではなく、「元々本当は」友達ではないのだ。

※補足2
したがってこれは透子が4人に対して感じた疎外感でもある。その中でカケルだけは「本物」だった。カケルが透子にとって本当に大切な人になった瞬間である。

{/netabare}
13話のポイント
この回ですべての重要な伏線が回収されると言ってよい。
{netabare}
・4人が喫茶店に集まる。ヤナが「偶然5人集まること、前はよくあったよね。」と言う
→やはり2話で透子が見た欠片につながっている。やはり5人の関係は変わってしまい、透子は4人から離れてしまった。これは見方を変えれば、5人の仲は「本当は友達ではなかった」と露呈したともいえる。残る4人の関係も変化しているためヒロが言うように「何かキンチョーする感じ」である。
・カケルが山歩きをしていたのは父の影響と判明する
・透子の母も欠片を見ていたと判明。しかし「思いもしなかったことばかり起きた」と言う
→「未来の欠片」は、やはり普通の意味での未来ではないことは明らか。母は「今、精いっぱいやらないと」とも言う。これが、このアニメで最も重要なテーマと言ってもよい。
・流星には「星に願いを」と言うように、「願い事」の意味が隠されていると言える。将来への希望である。
・「ジョナサンは強いて言えば冒険者」とユキが言う
→カケルは「放浪」ではなく「冒険」を始めた、と読み取れる。前向きに生き始めた、ということ。
・透子は「何があっても全部未来の自分が解決してくれますように」と言う。
→1話の花火大会で言った時よりもかなり前向きな言い方になっていることに注目。すでに解説済み。
・テントはもうない。だからカケルはもういない。しかし一人で登校する透子には「透子」と呼びかけるカケルの声が聞こえる。
→カケルと透子は別れてしまった。二度と二人が会うことはないのかもしれない。しかしカケルのことを透子は覚えているし、二人の想いは通じ合っているのである。だから、「友達ができても自分はやがて忘れられる」ということはもうない。カケルは「唐突な当たり前の孤独」を感じて苦しむことはもうなく、人生の意味を見出して前向きに進み始めているのである。そして、二人をつなげているのが、山で投げたビー玉?のうち、拾い忘れた一粒(最後に出てくる青い玉)、ということになっている。さらに、この山が二人にとっての「一緒に過ごした忘れられない場所」なのだ。また、透子は4人から離れて一人になってしまった(やがて4人からは忘れ去られるかもしれない)が、それは「唐突な当たり前の孤独」ではなくもっと力強い孤独である、という意味も込められている。
{/netabare}
<まとめ>
グラスリップは、要約すれば「カケルが透子と出会うことによって人生の意味を見出した」アニメと言えるだろう。
<感想>
ここまでメモを取りながら「読む」アニメは初めてだった。何度一時停止をしたか分からない。でも「分かった」時の感動はすごいものがある。いやー感動しますよ。TARITARIをはるかに超える、爽やかな美しい感動ですよ。

<補足>
OPで少し幼い透子たちが描かれている意味
→この時点でヒロがサチに好意を抱いている。つまりこのころから5人の関係は変わり始めていたが、表面的には今まで通りのつもりだった・・・と解釈できる。ちなみに、サチと透子が親しかったらしいこともわかる。
ジョナサンがカケルならニワトリが5羽しかいないのは何故?
→ジョナサンはカケルだけでなく透子も象徴しているのではないか?二人とも最後は唐突な当たり前の孤独を共有し、最後はそれを振り切って前へ進んでいくという共通点がある・・・トビはもちろん、カケルのように「世界を外から見る冷めた視点」のようなものを表している。
「グラスリップ」の意味
→グラスとトリップ(旅)と西山監督が言っている。個人的にはこちらの方が好みですね。透子がガラスのようにキラキラしたものの向こうに「未来の欠片」を見る。これを「未来へ飛ぶ=トリップ」と捉えたイメージ。しかしそれではスペルがGlassripにならなければならない。
→Glass+slipで「ガラスが滑る」という意味もある。ガラスが滑ると割れる=5人の人間関係が壊れる、ということ

<日本アニメの終焉について>
 こういう難解なアニメが受けなかったということは、もう日本のアニメは終わりに来たのかなと思えてくる。
 ざっくりと日本のアニメ史を分けるとするならば、昭和世代と平成世代に分けることができるだろう。昭和時代の作品は「何かが起きて」物語の進行とともに大きな山「クライマックス」ができる、という素直で爽快な「格好いい」ストーリー性があった。
 しかしこうしたストーリー性のネタが次第に切れてきた。それが平成時代である。ここで登場したのが「何ですかこれ」的な作品である。それは例えばセーラームーン(ただしTV版、原作は根本的にテーマが異なる)のようなパロディ性のあるものであったり、エヴァンゲリオンや少女革命ウテナのようにストーリーの軸を視聴者の予想を「あえて」裏切る形で完結させようとする作品であった。これは、ネタ自体の新しさを追求するのに限界が生じたために、その構成の仕方について新しい手法を提案したためである。これは、ストーリーにいくつかの解釈の可能性をもたせるものであるため、「考察厨」の間で論争が起き、「話題」になることによって作品が売れる、というビジネスモデルであった。しかし視聴者はすぐにこのモデルに順応してしまい「慣れて」しまった。こういう作品を苦労して作っても、「要するにいろいろな解釈をすればいいのだな」「考えるのではなく感じろ」という風に「冷静な」感想しか出てこない。
 視聴者にインパクトを与えるにはどうしたらいいのか?昨今のマンガ作品は「どれも似たようなもの」や「既に観たことがあるもの」になってしまっている。萌えに走るとただのエロアニメとして批判され、ギャグはネタが古いorひねりすぎとして批判される。SFは既に科学の世界で実現しつつあるものか、既に実現したもののデフォルメでしかない。「技術」に走ってグラスリップのような作品を作ると、「どう解釈することもできない」意味不明な作品と受け取られてしまう。だから、新しいものを作っても新しさが今一つだし、ウケないのだ。
 どこの世界でも、最近「イノベーションの重要性」が叫ばれつつあるが、これはイノベーションが困難になってきている証拠だと思われる。
 ホント、これからのアニメ界、どうしたらいいのでしょうね。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 57
ネタバレ

Baal さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

確かに理解しがたい作品ではあった。

P.A.WORKSによるオリジナル作品です。

期待していたのにとか意味わからんとかいう

意見が多かったように思います。

そんなことより内容的なことを考えると

確かにわかりにくいのは事実であるのでは

ないかと思います。

ですがそのままにしても意味ないので自分なりの

考察を加えて見ました。(私の勝手な解釈で

出来たところだけなので気にしないでください。)

{netabare}まず、最初から何度も出てきた

未来のかけらと呼ばれたものについては

話数を追うごとに私は未来のかけら⇒世界のかけら

⇒心のかけらと解釈が変わって行きました。

最後の心のかけらですがこの心の欠片は

その名の通りの意味です。心の中に引っかかる

出来事が起きることで見えていた(正確には

感じ取っていたというところかな)ことで

心の埋め合わせ等の役割を出していたように

思います。つまり駆と透子には心の中に穴と

ひび割れがあったという描写の一種であると

思います。駆の欠片が見えなくなったのは

透子に会うことによって共有することで未来の欠片が

見える原因の心の穴とひび割れが修正されて

突然、見えなくなったということです。透子の欠片が

消えなかったのは心の欠片の原因が駆によって

だけでなく、おそらく幼馴染やニワトリにも

あるからだろうと思います。透子の心の欠片の

駆が落ちたり、やなぎが危ない目に

あったりの未来を予兆させるような欠片は

自分の中の分からない苦しみが目の前の対象に

添加された形で見えたからではないかと思います。

さらに雪景色のかけらの描写は上で言った自分の中

の欠片の原因が見えていないときの描写で

12話の雪景色の中の花火大会の様子の欠片は

ほかの幼馴染が透子のことをおいて行ってしまって

いる描写は心の欠片の原因がうっすらと暗示して

いる形だと思います。おそらく、幼馴染の関係が

変わり始めていることで自分の見られ方が変わって

いく事がわからなくなっていまうことを

示しているのではないかと思います。

ここまでの描写から13話の母親との会話を

考えるとあの短い会話ですが透子の心の欠片の

埋め合わせに必要なことを暗示しているかの

ようであると思います。単純に妄想だったという

結論だけではないと思います。これだけでは詳しいことを

考えるのは少しばかり難しく、わかりません。


次にニワトリについての考察ですが、まず5羽しか

いないのはこれも透子の心の欠片の一部であることを

示していると思います。ジョナサンが駆と例えられるの

はおそらく間違いないと思います。

それが駆と会うことによって心の穴の埋め合わせ

にならないことの理由の一つだと思います。

残りの4匹と名前の由来が違うのも駆≒ジョナサン

っていうことを示していると思います。


総称して考察すると欠片は実体がないが存在は

するものである。つまり心理描写の一種であり

そうではないということ。

未来と過去とのつながりを欠片が保っている

ということも考えられます。だから実体がないが

存在する、心理描写であってそうではない

ということにもつながると思います。伏線回収が

されているのかされていないのかはわかりにくく、

どっちの解釈でもつながりは途切れていない

と思います。(分かりやすく回収して欲しかった

ですけど。)

長々と書きましたが私個人の解釈なので

色々と思うことがあるかもしれません。

{/netabare}
まあ、難しかった作品だし、私の解釈は

個人の一つの意見でしかないものです。

私はいろいろ考えられた、わりとよかった作品だと思います。

(伏線の回収をあんまりしてるのかいないのかと思える

展開に見えたのはあんまり良くないとは思いますが・・・)

いろんな解釈で考えてみる一種の文学的な

思考で見てみると面白い作品なのかなと

思います。

10/17 星評価変更、追記

個人的点数評価 75.19点

余談(気にしなくていいです。)
{netabare}
この考察は13話視聴後2時間ちょっとかかって

過去のメモ等をまとめてできました。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/23
♥ : 85

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

揺れ動く現実 思春期の幻想というマイナージャンルの佳作

2014年放送のテレビアニメ 全13話

原作 カゼミチ 監督構成 西村純一 構成 佐藤梨香 キャラデザ 竹下美紀
制作 P.A.WORKS

この監督さんはプロゴルファー猿(1985年の初監督)からすでに大車輪の活躍をしている大ベテランです。
封神演義など見事な失敗作も多いんですが、信頼度が高い人ではあります。

カゼミチというのは物語内の喫茶店の名称なので、
原作はほぼ西村純一さんで間違いないと思います。

キャラデ 目が大きすぎないですか?綺麗なんですが目は常軌を逸してます。
作画はP.Aにしては普通以下かも知れません。
特に後半は背景はともかく人物画に粗さが目立ちます。

感想はタイトルの通りで、特に考察など必要ないという考えです。、
もしかしたら、重大な展開を打ち切った可能性もありますので断言できないんですが、
観たままで判断すれば、「揺れ動く思春期の幻想」としか理解できません。

それで大満足ですよ。P.Aキャラで相当エロいシーンが観れるのは至福ですし。
女子中学生がスクール水着でうろうろしてても平気な町です。
などのエロ要素も含めて評価すれば意外な良作。
気持ちよく観れる青春劇です。

グラスリップのタイトルの意味は分かりませんでしたが、
そのまま分解すると、グラスとスリップになります。
ガラス工芸と幻覚によるタイムスリップでしょうか?
ガラス玉と流星、ただの印象風景ですね。


舞台の福井県坂井市は2006年に4町合併で出来た市で、
歴史的には、現在の天皇家の直接の祖先と言われる継体天皇の出身地です。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 29

84.2 5 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング5位
天気の子(アニメ映画)

2019年7月19日
★★★★☆ 3.9 (714)
3104人が棚に入れました
「あの光の中に、行ってみたかった」高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らす少女・陽菜。彼女には、不思議な能力があった。「ねぇ、今から晴れるよ」少しずつ雨が止み、美しく光り出す街並み。それは祈るだけで、空を晴れに出来る力だった――

声優・キャラクター
醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子、小栗旬
ネタバレ

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

人の命は何事にも代えられない尊いものであると言い切った映画

この映画を一言で言い表すのは、とても難しいです。
しいていうならば、人の命は何事にも代えられない尊いものであると言いきった映画だと感じました。
ここまで言い切る新海監督は凄いです。尊敬しました。

物語は、
あるきっかけで、雨天を晴れに変える能力を身につけた少女、陽菜(ひな)。
離島から飛び出し、都会へとやって来た少年、帆高(ほだか)。
この二人が、都会で雨の日に出会います。
そして、帆高と陽菜は、雨天を晴天に変えるための仕事を始めます。

世の中には晴天を望む人が沢山いることを、二人は知ります。
そして、晴天を望む理由も、人それぞれで違うことを知ります。
その理由は、それぞれの依頼人にとって、とても大切なことなのです。
だから、空が晴れ渡ると、依頼人の顔が皆、笑顔になる。
二人は、依頼人の笑顔を見るのが好きでした。

仕事は一見、順調に進みますが、無理をして天気を変えると、それなりの『みかえり』があります。
そのみかえりとは・・・


作画はこの上なく美しい。
但し雨のシーンが多いので、美しさを感じる場面が少ないですが、だからこそ、晴れたときの青空は格別に綺麗に見えます。
音楽も大変すばらしい。
そして、帆高が陽菜をとても大切にしているのがわかるので、思わず応援したくなります。

ぜひ、映画館で鑑賞してください。良い思い出となります。

{netabare}
ところで、
陽菜(ひな)は、子供なのに、弟と二人で暮らしています。
都会で、子供だけで生きるのは、とてもつらいことです。
帆高も、都会で暮らし始めて、子供が一人で生きることの厳しさを知りました。

皆さんは、毎日三食を食べていると思います。
でも、子供が都会で一人で生活をすると、仕事にありつけず、食事もまともに食べられません。

おそらく、皆さんの中には、将来都会で暮らすことを計画されている人がいると思います。
都会は、お金を持っている人であれば、快適な生活が送れます。
但し、都会でお金を稼ぐためには、とても厳しい現実があることも、覚えておいてください。
そして、安易にお金を稼げる悪の道に入ることが無いように、切に願います。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/23
♥ : 69
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

作品<商品の視点はそれなりに重要

オリジナルアニメ劇場版 114分


興収250億円。日本歴代4位の記録を打ち立てた『君の名は。』から3年。新海誠監督2019年の新作。
良くも悪くも『君の名は。』以前と以後で語られてしまうのはしかたないでしょう。
立ち位置もこの大作を起点にして、

 1.変わらず好き
 2.以前よりもっと好き
 3.昔のほうが良かった
 4.これを機に新海誠を知った
 5.一貫してネガティブ評価

ニワカな私は4.です。『君の名は。』で知って、『秒速…』や『言の葉…』に流れていった人。
余計なお世話は承知の上で放言しますけど、3.のスタンスの方、ヲタ村から一歩出た実社会では注意が必要です。メガヒット作品だと普段アニメを観ない一般国民の関心が低くありません。しかも好意的に作品を捉えたケースが当然ながら多い。それを事情を聞かずぶった切ってる方の多いこと多いこと。私はドトールで実際に遭遇しました。本人の狙いはともかく地下アイドル好きのキモオタ扱いされ撃沈するのが関の山です。5.も似たようなもんですが「一貫してるのね」と傷は少ない。
『けもフレ』の前と後がどうだ!とか、○○(制作会社)の新作があーだこーだとかは一般人にはどうでもいいことなんで彼らも他人事として聞いてられるのですがこのテの作品はその一般人のテリトリーに入ってることを十分意識しておきましょう。

声優を例にすると分かりやすいかもしれません。先日、民放ゴールデンタイムでの『聾の形』放送に際し、知り合いの非ヲタ一般人に出演声優を説明するにあたってはこうでした。

 主役→『千と千尋』のアシタカ役
 永束→ハリーポッターの中の人
 妹→『君の名は。』のさやちん役

彼らがイメージ湧くのはここまで。ヒロイン役の早見さんは残念ながら「誰?知らん」です。興行収入の多さと一般認知度は比例します。ハリポタは違いますが基本的にはディズニーかジブリ強し!という勢力図の中に割って入ってきた新海さんは凄いと思いますよ。

一般人と共有できるアニメ作品は貴重であると思うので、いつも以上に盛大に脱線しました。
作品単品での評価も気になりますが、マーケティング視点も少しばかり導入しつつ興収含めた一般社会での受け入れられ方も気になるそんな作品という前提で以下。

メガヒットの次に何をもってくるか?

『CROSS ROAD』でミリオン達成。シーンに認知されたMr.Childrenは次に年間チャート1位となる『innocent world』、その次にバンド史上最も売れた『Tomorrow never knows』をリリースしました。答えは簡単。名曲を出し続ければ良いという結論です。もちろんおいそれと真似は出来ません。
次にやらかしがちなパターン、特にここ最近顕著なのがヒットしたものをそのままなぞらえた模倣品を作ること。短期間に消費されること前提であり飽きられるのも早いのでクリエイターには不評。こればかりは会社だったりプロデュース側の方針に依ります。
というわけで最後。目先を変えてくパターン。すなわち王道な売り方。成功事例だとX JAPANが分かりやすい。『紅』でシーンに躍り出てからの次回作が『Endless rain』。前曲の激しい曲から一転してピアノのイントロが美しいバラードです。振り幅で勝負!人気を定着させました。
なお現在の音楽シーンはメディアミックスが複雑すぎて音楽単体評価が難しく該当事例ナシです。


そしてやっとこ作品そのものについての言及になるわけですが、
本作はだいぶ模倣品リリースに傾いてたと思われます。パッと見た感じは「模倣品」。中身は「異物」なんですけどおおむねパッと見た感じで判断しますもんね。別に「俺たちの新海戻っておいで」でもいいのですがせっかくドがつくほどのメジャーに踊り出たんでしばらくは居座っていて欲しいです。、
私は『秒速…』以降しか知りませんが、少なくとも全てボーイミーツガールです。お家芸となってる過去作品のキャラ登壇は本作に限らず伝統芸能といって差し支えないでしょう。実写より美しいともされる作画やモノローグを多用する心情描写は作家の色なので模倣品とまで言うのは酷ですが既視感あることは致し方なし。RADWIMPSの再起用はやり過ぎな感もあり。といったところでしょうか。

『ナウシカ』『ラビュタ』と連発。『未来少年コナン』以降の監督の得意分野である冒険活劇あるいはファンタジーを2本続けてから第3弾では2本立てにトライ。『火垂るの墓』で原作有り&別監督と目先を変えてきたジブリを無条件に賛美する意図はありませんが、早くチームか会社設立しちゃったほうが良い気がします。需要に対しての供給力が足りてないというか今のままでは監督への負担が大きいのではないかと思われます。
ボーイミーツガールの完成系を目指して試行錯誤しているクリエイター!? 技術的には積み重ねを感じる。例えば『言の葉の庭』で培った雨の表現をトレースしてたり違うものを見せたりと。そんな持ち味を楽しみにしているファンも大勢いるためガラッと変えるのは実際難しいところなんでしょうね。


して映画の肝心の中身は?

良いです。ボーイミーツガールは好物だしこの監督の演出する男女の営みも自分には合います。
特にツボにハマったのが新宿の繁華街の裏通りの雰囲気。終電逃してさあこれからって空気や、朝を迎えた時点での気だるさを感じさせるあの雰囲気がよく出ています。

これが家出少年の目にはどう映ったか?

宿無しの不安とおそらく束縛からの解放がないまぜになった心理状態。そんな者すら受け入れる街。“ここではないどこかへ”来た感がこれでもかと出ております。
ウチの中学生の倅が劇場で鑑賞し「面白かった」と感想を言ってましたが、メインストーリーとは別にこのちょっとした淫靡な空気に吸い寄せられたのかもしれないなぁ、と実際の作品を観て思いました。朝オープンしたてのカフェに昨晩オールした若もんがぐったりしてるでしょう?そういうところです。

そして不穏な街には不穏な物語が良く似合う。
当人たちの問題がそのまま世界の危機に直結する“セカイ系”に分類されそうな物語でした。


 “ボーイミーツガール”

 “怪しい街新宿”

 “セカイの危機”


難点はキャラの行動原理がわかりづらいところ。その点はけっこう狙っていたらしく、例えば主人公穂高の家出理由はわざとぼかしているとのこと。自分はあまり好きではないです。
総じて“良い”と感じてますが、行動原理に納得感がないからか主人公らがやや低年齢だったからかは定かではありませんが、結局キュンキュンしなかったので評価爆上がりには至らずでした。

マーケ視点としては合格。メガヒットの次という超絶難易度をクリアしてます。「あー結局アノ作品だけの監督だったんじゃん?」という声がない。充分でしょう。
これで次回作も一般人巻き込んでみんなで楽しめますね。ぜひデートの誘いに新海映画を!
ボーイミーツガールは不滅です。



※閑話休題

■人身御供

ちょいちょい日本文化のわりとコアな部分を突っついてくる作風は今回も。
本質的には巫女さんの役割のお話なんだと思います。

{netabare}現代版の卑弥呼{/netabare}

僕らの血肉に息づいてる感覚をモチーフにしているので賛否はともかくイメージはしやすい。
{netabare}※自然の怒りを収めるための人身御供という概念のことです。
相方が人身御供となることを良しとするか否とするか?本作での結論は観ての通りでしたがあの結論はアリだと思います。{/netabare}

↓ネタバレ
{netabare}今のこの時代に社会正義を捨ててヒロインを取ったる!とやったのは痛快でした。
公の精神は大切です。ただしポリコレ棒をぶん回しての昨今コロナ禍での自粛警察みたいなのとは似て非なるもの。{/netabare}



■東京

{netabare}「街の風景を自分の手で・・・」
「東京だっていつ消えてしまうかわからないと思うんです」{/netabare}

建設会社希望の某就活生の志望動機をふと思い出しました。
もしやこの伏線回収か!?と思いきやところがどっこい消えずにたくましく東京の人達は生きている。
むしろ「埋め立てる前はもともと海だったしね」のセリフにお台場はもちろん江東区あたりもイメージしてそりゃそうだと膝を打ちました。

{netabare}「東京だっていつ新しいものが生まれてくるかわからないと思うんです」にバージョンアップ{/netabare}

自然災害を無視できない風土。だからこそ生まれた“もののあはれ”なる概念。そんな諦観だけに留まらず対となる進取の気性との両輪でここまで続いてきた国なのにどうやら後者の気概が最近弱まっている模様。もう一度取り戻して前を向いて歩いてく。
なんだかんだそんな前向きさを感じるのはエンタメの良い部分が出てるのかもしれません。



視聴時期:2020年7月

-----

2020.08.22 初稿
2020.10.25 タイトル修正
2021.05.30 修正

投稿 : 2024/11/23
♥ : 64
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

もう少し器用な賛否の割り方があるのでは?と思ってしまいました……。

主人公に共感できない人もいるかもしれない……。
もっと叱られる作品を目指す……。

事前にこうした新海監督の決意表明も拝見していた私にとっては、
賛否が分かれる内容も評判も想定内。

むしろ、国民的な大ヒットとなった『君の名は。』の次という
王道大衆娯楽作への期待と、
前作から制作スタッフが倍増し、工程がさらに大規模化し、
監督の個性を出し辛い体制が続く中、
よく怯まずに作家性を発揮して下さった。

ウリとなった天候の描写も、
人々の都合など知らずに天の気分でゲリラ豪雨を浴びせる、
監督らしい狂気も戻って来たように感じ、何だか嬉しくなりました。

ですが、それでも鑑賞していて、私は、
にしたって、もう少し一般大衆との折り合いも考えても良いんじゃないか?
などモヤモヤした感情が沸いてきてしまいました。


以下、ストーリーの重大なネタバレを含む辛口コメント
{netabare}
結局、主人公少年は東京や文明社会の安定より、少女を選択した本作。

そもそも新海作品においては大抵、
人間社会とは残酷で、大人たちは頑固で分からず屋で、
こんな人間たちや世界なんて知らない!と登場人物たちが青臭く思ったとしても許される。
こうしたムードが一つの形……と言うより前提であることが多い印象ですが、

今回の人間社会。すなわち東京は、
少女か皆かの天秤にかけるにはリアルで生々しかった印象。
SoftBankに、日清食品に、マクドナルドに、ヤフー知恵袋
とスポンサーの物量が凄まじく、
目に付く物の多くが実名で他人事とは思えませんでした。

だからこそ、東京に対する大した弁護もなく、ほぼ少年少女だけの秘密の内に、
東京を劇的に変えてしまう決断が成された点には、
審理不足の裁判を見せ付けられたような不条理さも感じてしまいました。

加えて、東京があんな風になってしまったら、
例え直接、被災して死ななくても、経済的損失等で、
きっと万単位の死者や自殺者が出てしまうと思うんですよ。
その辺りの描写が飛ばされたのもアンフェアだと感じました。

こうした不公正な刺々しさも新海作品らしいと言えばらしいのですが、
本作における圧倒的な東京の存在感故なのか、
私の嗜好が擦れたオッサン化してきているからなのか……。
今回はスルーしきれませんでした。

それでも、天への感謝も、天と交信する伝統も忘れ、世界の仕組みを知ろうともせず、
ちょっとした気候変動を“異常気象”と大騒ぎするのは
人間たちの身勝手と言えば身勝手と言うことなのでしょうが、
それにしたって世界の理を二人だけの秘密にされちゃ分らないでしょう。
与えられた常識に従って職務を遂行する警官たちが、
分ってない大人の代表格にされているようで少し可哀想に思えました。

一応、主人公少年は晴れ女ビジネス……晴れを願う東京都民への利他などを通じて、
捨てたもんじゃない人間社会の一端も知りはしますが、
家出少年らに審判を委ねたら、そりゃ人間社会の安定より大切なあの娘を取るでしょう。


少女か人間社会か世界か……これほど大きな決断を、
一人の主人公少年に背負わせ自己完結の内に結論を迫る。
このプロット構造にも、そろそろ限界を感じます。

これだと、主人公の拒絶が、作品の否定に直結しかねません。

私は代案として、少女に与する少年主人公に敵対する、
人間社会や“天気の巫女”の伝統を背負った側に
ラスボス役、ライバル役のキャラクターを確立し、
アンチの心情を代弁させ溜飲を下げさせる。
こんなパターンもあっても良いのかなとも思いました。

これなら、例え主人公に反感を覚えたとしても、
対立軸は作品の可否ではなく、主人公派かライバル派かに帰結し、
作品への支持は保たれると思われます。

いやいや、青臭い少年の心に諸々のジレンマを混在させてこそ新海作品。
心の葛藤を他のキャラクターとして外部化させるなど、
それこそ、大衆迎合による新海監督らしさの喪失だろうとお叱りも受けるかもしれませんが、
私は制作が大規模化しても個性を失わなかった新海監督には、
人物相関のパターンを変えても尖った表現ができる引き出しはあると思っています。{/netabare}


プロモーションについて……

スポンサーの物量に比例してコラボCMも盛りだくさんな本作。
これも、作品だけでなく、宣伝も評価も自分が完璧にコントロールしたい!
と言う新海監督の強烈な意志の賜物なのでしょうが、
今回、私は流石にしつこいと感じてしまいました。
私も危うく、みんなが観るゴリ押し作品は観たくないと言う天邪鬼が発症する所でしたよ。

特に本作みたいに賛否を割りに行く尖った作品では、
事前のメディアへの露出を敢えて控えて、
観たい欲求を煽ってみるのも有効な宣伝方法だと思います。

新海監督はもう既に黙って作品出しても観に来て貰える存在でしょうから。


色々と批判的な感想を書き連ねてしまいましたが、
作画、音楽などクオリティは高い本作。
劇場で体感する価値は十分にある映画だと思います。

今回、擦れた大人である私なんかはモヤモヤしてしまいましたが、
大人は分ってくれないとささくれ立っている青少年なんかには、
スッキリと背中を押してくれる勇気を与えてくれる作品になるのかもしれません。

是非、色んな人に体験してもらって、賛否を聞いてみたい一本です。


最後に、そう言えば、昨年の盆、墓参りをサボってしまった私……。
天や、先祖の方々にお叱りを受けないように、
今年は線香を上げて、行き帰りの道を確保して差し上げようと思い直しました。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 45

65.9 6 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング6位
装神少女まとい(TVアニメ動画)

2016年秋アニメ
★★★★☆ 3.5 (276)
1163人が棚に入れました
西暦2016年――。釜谷市にある「天万神社」で、巫女のアルバイトをしていた中学2年生、皇(すめらぎ)まとい。幼少の頃に母と生き別れになった彼女は、父方の祖父母の家に長年預けられており、三ヶ月前からようやく父である伸吾とふたりで暮らし始めた。そんな境遇からか、まといは平凡で穏やかな日常に憧れていた。

まといの親友で、バイト仲間である草薙(くさなぎ)ゆまは、「天神社」の神主一族に生まれた次期巫女候補であった。彼女は、一族が悪霊を払うための「退魔行」を先祖代々行っていたことを知り、まといを誘って「退魔行」にまつわる儀式「神懸りの儀」にチャレンジしようとする。

学校が終わり、いつものように神社へと向かったふたりであったが、そこで荒らされた境内と、傷つき倒れたゆまの両親に遭遇する。さらに、刑事である伸吾が捜査を行っていた怪事件の重要参考人で、どこか正気でない雰囲気を纏った男の姿もあった。暴れる男を抑えようと、ゆまは咄嗟に「神懸りの儀」を執り行ったのだが、異変が生じたのはゆまの方ではなく――。

平凡で普通の生活を求めていた少女に与えられたのは、神を纏って悪霊を払う能力!? 皇まとい、誰にも邪魔されない穏やかな日々を取り戻すため、退魔活動(タイカツ)に励みます!

声優・キャラクター
諏訪彩花、大空直美、戸松遥、東地宏樹、川澄綾子、檜山修之、阿部敦

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

装神→全裸じゃもう服がないよ。服を買いに行く時に着る服も無い。

2016年放送のテレビアニメ 全12話 ほかにOVAあり

監督 迫井政行 構成脚本 黒田洋介 キャラデザ 戸田麻衣
制作 WHITE FOX

新興会社でありながら矢継ぎ早に名作を生みだしたWHITE FOXの初の完全オリジナル作品。
ゼロから始める異世界生活に続く形で放送され、まさに絶好調の時期です。

神奈川県内にある架空の市を舞台に描かれる和風魔法少女アニメ。

皇まとい CV諏訪彩花 中学2年生の少女 父と二人暮らし 巫女のバイト
草薙ゆま CV大空直美 中学1年生の少女 天万神社の娘 まといのいとこ
クラルス・トニトルス CV戸松遥 15歳の少女 ファティマに所属

えーこれも全裸系魔法少女アニメです。
巫女風魔法少女に変身すると、着ていた服は消滅して元の姿に戻ると全裸という設定。
なので、主人公まといは嫌がっているのですが、後半は少し慣れてきます。
「魔法少女なんてもういいですから」と違って目的があると慣れるし工夫も考えるのです。

オリジナルなのできれいに完結していますから安心して見れます。
3人の魔法少女はもちろん、他キャラも非常に魅力的でレベルの高い魔法少女アニメです。
巫女服の退魔少女という設定もありがちですが、可愛くてかっこいいし面白いです。
戦闘シーンは今一つ印象に残りませんが全裸シーンでカバーしてるんでしょうね。

ただ、ストーリーはひねりがなく一直線で驚くような場面はありません。
分かりやすいと感じるか、つまらないと感じるかは体調次第かもしれないですね。
テーマとなる家族愛ですが、いまひとつ表現しきれていないような気がします。

最後のほうはともかく全体的にコメディ系が前面に出ていて、
コメディとしてみれば笑えるシーンも多く、満足できる作品でしょう。
実際、コメディアニメのラストに急展開を入れただけという見方のほうがいいような気がします。

大風呂敷を広げたように見せかけた適当魔法少女コメディアニメとしてなら文句なしに楽しめる良作です。
服が無くなってもみんなのために装神し続けるまといになんかいじらしさを感じて・・・

おそらく原作の中心人物であろう黒田洋介さんのベテランの味が最大の見どころかと思います。

もちろん、三人の退魔少女は可愛くて面白いので軽い気持ちで見れる作品かと思いました。
ランキング低すぎと思いましたが、レンタルしにくく(人気あるのか?)
ほかに見る方法があまりないのが原因かもしれません。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 32
ネタバレ

〇ojima さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

実は・・・・毎週楽しみました

キャラクターからして今でも観るジャンルではありませんが、
つい1話観たらなかなか面白く視聴できました。
親子の関係と友情の話。3人のヒロインで話が進みまして毎回ちゃんと物語してました。
特に6話の装神少女ゆまちんはおもしろかった!

7話はサービス水着回でしたが、他の回の方が刺激(サービス)が強いですね。不思議。

最終回まで観終わりました。
正直、もう一話あったらなぁ・・・
{netabare} 24次元の厳しさを知りたかった。
そしてお母さんと一緒に敵を倒して大団円して欲しかった。
(母親の愛情は無敵です)みたいな!
普通が良いといっても退魔少女の非日常が続いてゆくところは
本アニメの一貫性のある楽しい一場面です。{/netabare}

まとい、ゆまちん、クラリス3人の友情を通して最後まで楽しい物語してました。

この類OVAが面白そうですよね。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 50

星々 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

お約束のブラッシュアップ

さすが良作ばっかのホワイトフォックス。
どこか昭和アニメなノリなのにいわゆるアニメのお約束がきちんと今時にブラッシュアップされていて面白い。マジ物のOP乗っ取りは、まといが初めてではなかろうか。てきとーさ、緩さの加減が絶妙だった。

ただ普通を願った主人公のまとい
イケイケな友達想いのゆまちん
辛い過去を持った情の深いクラルス

1クールの中できちんと見せ場ができてました。最終話のクラルスかっこよかったな。

個人的に制作の脚本のギャグが俺に合っていた。
最終話のオチも好きです。

後BGMがいいね
早くサントラ発売しないかな。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 12

67.2 7 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング7位
戦姫絶唱シンフォギアAXZ (第4期)(TVアニメ動画)

2017年夏アニメ
★★★★☆ 3.6 (155)
830人が棚に入れました
後日、「魔法少女事変」と称される、
錬金術師キャロルの世界解剖計画を阻止してから数週間後。

立花 響は最大最強の敵を相手に格闘し、為すがままに組み伏せられようとしていた。

対する脅威――その名は「夏休みの宿題」。

学生の本分という、避けられない運命はどうしようもなく過酷であり、
抗いようもなく無慈悲である。

どうして、こうなったのか?

押し潰されそうな心のままに振り返ってみる響。

海にも行った。
山にも行った。

新しくできた友達との約束だからと理由をつけて、
あちこちの夏祭りを満喫し、夜はバカみたいに口を開けて花火を見上げた。

お盆には学生寮を出て、千葉の実家に戻った。
久しぶりの家族水いらず。

「家族が揃ったら、やっぱり鍋だろうッ!」

真夏だというのに、
何年かぶりに顔を合わせた父親は、
何年か前と変わらず浅薄・短慮を惜しげもなく披露し、
そして響もまた、そんな父親のC調に同調して、
母親と祖母の眉毛の形を見事なくらい「ハ」の字に変えさせた。

少し前に――
シンフォギアを身に纏わなければならない超常の事件も発生したが、
結果、ちょっぴり世界史に詳しくなったような気になる響。
担任から、自分の書く字はまるでヒエログラフと言われ続けてきたが、
それがどんなものかようやく知り、さすがにそれはないとも理解した。

かつてないほどに満ち足りた日々。

クラスメイトのひとりは、
「あんたの日常も、ようやく深夜のアニメみたいになってきたわね」と評してくれた。
言ってることはよくわからなかったが、
口ぶりからそれが悪い事ではないと伝わって嬉しかった。

こんな毎日が、永遠に続けば……と願う響。

――そう……
あんなにもきらびやかな毎日を続けてしまったがためのツケは、
いつか払わなければならない。

夏休み後半、登校日。

立花 響の新たな戦いの幕は、ここに切って落とされるのであった。

声優・キャラクター
悠木碧、水樹奈々、高垣彩陽、日笠陽子、南條愛乃、茅野愛衣、井口裕香、久野美咲、石川英郎、保志総一朗、赤羽根健治、瀬戸麻沙美、寿美菜子、蒼井翔太、日高里菜

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

アダム:「マンネリなのだよ、シンフォギアは!」 響:「…だとしても!」

ということで、シンフォギアです。これまでのシンフォギアを観ていないで観るには向いていない作品です。全部とはいいませんが、せめてGXは観てから本作を観ることをお勧めします。

第4期だった本作に続いて、もう第5期がアナウンスされています。ということで今期の構成は事実上「分割2クール」という感じなのでしょうか。

2017年夏アニメ7月末終了時点で私的ランキングトップ10入りさせなかった本作ですが、結局毎週楽しく観てしまいました。ということで、私はたぶんシンフォギアというシリーズが好きなのでしょう。

第3期目のGXから「錬金術」という要素が加わり、今回はG(第2期)で名前のみ出てきていた「パヴァリア光明結社」が実体のある敵として登場しました。

GXのキャロル同様に「ファウストローブ」を纏う結社の錬金術師3人と結社の統制局長アダム、そしてオートスコアラー(自動人形)であるティキが本作での新キャラクターでした。

敵となる新キャラと戦う→敵の戦う目的が見えてくる→神レベル超パワーで大災害に→ビッキー闇落ち→未来(みく)さんのおかげで復活→ビッキーの「つなぐ力」で大勝利!

…いつものシンフォギアでした。本当にありがとうございました(笑)。

ですが、そんなシンフォギアが私は好きです。今回はいろんな作品の歴代サンジェルマン(あるいはサンジェルミ)さんの中でも好きだった本作のサンジェルマンさんとか、巨大けん玉で戦うプレラーティさんとか、「女の勘」って言いたいだけだろなカリオストロさんとか錬金術師3人組がとても良かったです。

アダムさんが敵側のヘイトをまとめて引き受けてくれたおかげもあるかもしれませんが。あ、ティキはネタ要員でしたね。

…ところで4期目まで観てきて改めて思いますが、フィーネさんって強かったですよね(笑)。

シンフォギアシリーズをテレビで観ていると毎回Blu-ray&DVDのCMが本編内容と絡んでいて面白いのですが、それは本作でも健在。こちらも面白かったです。

いやあ、最終回のCMは第5期に向けてメッチャ不穏だったなあ(笑)。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 19

37111 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

観る前から分かる!ついてこられる奴だけついて来い!!

1話視聴後感想と今後の期待度
一言コメント:ついに来た!待望の4期!1話目から突っ込みどころ満載で更に熱い!
期待度:★★★★★

いやー、やっぱいいっすね。待望の4期。
もうノリは1期からずっと変わらない。
とにかく熱い!熱男ですわ。
シンフォギアに細かいこと突っ込むのはそりゃ無粋ってもんです。
雰囲気を楽しむのです。
碧ちゃんを愛でるのです。
奈々様を慈しむのです。
あやひーを尊ぶのです。

マリアがもっとヘタレってくれたらもっと最高だったんだけどね。

5期まで決定しているようなので次も楽しみです。

ミクがどうなることやら。

投稿 : 2024/11/23
♥ : 8
ネタバレ

アムハ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

「一にして全なるモノが死を灯す」

{netabare}
この作品も3期に続いてなのですが、1番注目してほしい所は敵側である3人の錬金術師でしょう。まず、状況を整理します。3人の目的は月遺跡によってもたらされるバラルの呪詛から人類を解放して、支配のくびきから解き放つことでした。そしてその方法として用いたのがサブタイトルにも出てきます、「一にして全なるモノ」つまりは「賢者の石」でした。
つまり錬金術師たちは人類を救いたい。しかしその方法で使う賢者の石には多くの犠牲を必要としてしまう…
だとしても!未来を人の手にするために!支配された世界にしないために! と自分の正義を握りしめて貫く。そんな多くの命を救うためにいくらかの命を代償にする。というあり方が錬金術師らしくてとても良いと思うのです。

そして、そんなやり方は間違っているとシンフォギアが立ちはだかり、響も自分の正義を握りしめて戦います。
戦いの末、響はサンジェルマンに勝利しますがその際に「私もずっと自分の正義を握りしめて戦ってきた。だけど、拳ばかりでは変えられないことがある事も知っている。だから、握った拳を開くのを恐れない…人は人のまま変わっていかなければならないんです。」と言い手を差し伸べます。
それに対しサンジェルマンは「だとしても。いつだって何かを変えていく力は、”だとしても”という不倒不屈の想いなのかもしれない」と手を伸ばします。
このやり取りがとても良かった。ついに歌と錬金術が分かり合う。には至らなかったかもしれないけど。GXでキャロルと分かり合えなかった事を悔やんでいた響がようやく少し報われることができて本当に良かった。

わかり合えたと思ったのもつかの間、米国の核兵器が奏者たちを襲います。
ただ爆発させるだけでは放射能により辺一帯焦土と化してしまう。それを食い止めるべく立ち向かう錬金術師たち。賢者の石だけでなく、自分たちの命すらエネルギーに変換して核兵器を食い止めました。
また、その際に歌う曲「死灯 -エイヴィヒカイト-」は命を賢者の石に変換する歌なのですが、今回は自分の命を賢者の石に変換しました。その生命を犠牲にしてというのが、錬金術師版の絶唱のようで最高に熱かった!
また、この際サンジェルマンのスペルキャスターは本来肉体の消滅とともに消えるはずでしたが、3人の意思の力がしばしこの世に引き止めました。

そしてアダム戦にてスペルキャスターのエネルギーを響の思いつきでF2CAにて力へ変換しようとしますが、歌の力ではなかったためダインズレイフを焼却することで無理やり力へと変換します。ここで熱いのがエクスドライブにならなかったこと。あくまで抜剣。そして最期の抜剣、ラストイグニッション。出力はエクスドライブに届かないかもしれないけれど、歌と錬金術が始めて力を合わせた集積体。それだけで本当に熱い。

また、ここで新たに発動する響のアームドギア。みんなの力を自分の物とする力。今までありそうでなかった力ですが今回出したのはタイミング的に完璧でした。何故ならここに来てようやく錬金術の力を紡ぐことができたから。
そして完成する黄金のシンフォギア 。アダムは黄金錬成と言いましたが、この力はアダムが行った物理的な黄金錬成とは違います。賢者の石には不浄を焼き尽くす以外にも不完全を完全に昇華する力がありました。この時の響は一時的にですが、かつて融合症例と言われた1期、2期の(適合率が超高い)状態になりました。そしてそこから繰り出されるオラオラ!これには本当に痺れましたw
ちなみにカリオストロの局長に一発ぶち込みたかったという願いは最後に響と同化して一発どころかたくさん打ち込めてるので良かったねというところw

最後に。
ここまで神殺しの力でぶん殴り続けてきた響ですがアダム曰く、2,000年の思いが呪いと積増した哲学兵装であり使えば呪いを背負うという言葉を無視したしっぺ返しは来るのか。またバラルの呪詛が解かれた響と未来はどうなるのか。(主に未来)そして、創造主である神(アヌンナキ)に対抗する手段を失ってどう立ち向かうのか!
色々気になる第5期は2019年春公開!
{/netabare}

投稿 : 2024/11/23
♥ : 2

67.4 8 オリジナルアニメーションで神社なアニメランキング8位
ちちぶでぶちち(Webアニメ)

2018年3月30日
★★★★☆ 3.6 (13)
52人が棚に入れました
西武鉄道オリジナルアニメーション

彼女には忘れられない人がいた。
見合いをすることになった薫子。しかし、彼女には忘れられない人がいた。
幼い頃、秩父で出会った名前も知らない少年……。
一緒に歩いた秩父神社、羊山公園の芝桜、長瀞の渓流、三峯神社から見た雲海は、
かけがえのない思い出となり、今も薫子の胸を焦がしていた。
「秩父に行けば、また会えるかもしれない……」
淡い期待と遠い日の思い出が、彼女を秩父へと走らせる。
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