アメリカでオリジナルアニメーションなTVアニメ動画ランキング 5

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画のアメリカでオリジナルアニメーションな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年11月05日の時点で一番のアメリカでオリジナルアニメーションなTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

76.8 1 アメリカでオリジナルアニメーションなアニメランキング1位
91Days(ナイティーワンデイズ)(TVアニメ動画)

2016年夏アニメ
★★★★☆ 3.7 (829)
3940人が棚に入れました
ある誕生日の晩、少年の幸せな生活は突然終わりを迎えた。マフィアの抗争により、目の前で両親と弟を殺された少年アヴィリオ。7年後――差出人不明の一通 の手紙を読み、静かに嘲笑うアヴィリオ。その手紙をきっかけに、彼はローレスの街へと舞い戻る。そして幼馴染のコルテオと再会し、ヴァネッティファミリー に密造酒を卸そうと持ちかけるのだった。

声優・キャラクター
近藤隆、江口拓也、小野大輔、斉藤壮馬、津田健次郎、西山宏太朗、中村悠一、櫻井孝宏、山路和弘
ネタバレ

HmFDB75691 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

もっと評価されるべきアニメだけど……

映画でよく扱われてきた題材なので目新しいものができるかどうか。
すでに冒頭部分は某映画とよく似ている。
能力者が出るようなファンタジーにはならないから、その点は期待できそう。


第1話を観て、手紙の差出人を推理してみた
{netabare}
始まり方は「レオン」とよく似ている。
アヴィリオがネロから銃の扱い方を教わったりしたら、この映画を参考にしているのは間違いないだろう。

手紙の差出人について考えてみる。
写真は暖炉(だったかな?)の上に飾られていたもの。
だから、写真を持ち去った人物が差出人になるはず。
それを持ち出せたのは、マフィアの三人のうちの誰かになる。

アヴィリオの写真もあっただろう。普通のマフィアなら、「もう一人子供がいるぞ、探せ」という展開になるはず。
だけど、アヴィリオは無事に生きていた。
写真を見つけた人物は子供に対しては優しい一面を持っている。
逃げるアヴィリオを見逃したのと同一人物。
つまり、

手紙の差出人は、ネロになる。

なぜ、アヴィリオに手紙を送ったのか。
それは写真を持ち去ったときと同じ心境、自責の念から。
ネロはアヴィリオに復讐させるために、手紙を送った。
おまえの弟を撃ったのはネロ、という内容が手紙に書かれていた。

だけど、アヴィリオはネロを狙わず、ネロの周りの人物から消していく。
その結果、ネロも復讐することになり、アヴィリオと対決する……。
第1話の時点では、こんな感じの予想かな。


あとは、帳簿の行方か。見つかってないほうが奪い合いになるから面白くなる。ファミリーを壊滅させる脱税の証拠も含まれていたりとか。
{/netabare}

第2話の最後のシーンを検証してみる
{netabare}
アヴィリオの嘘の証言について考えてみる。
ファンゴの手下がヴァンノの銃を奪い、ヴァンノを撃った。
そのあと、アヴィリオが手下を撃った……。そういう説明だったと思う。

ネロをだますなら、ヴァンノの銃は手下に握らせなければいけない。
現場を見てみると、銃はヴァンノのそばに落ちたまま。
さらに、ヴァンノが受けたのは二発。ヴァンノの銃からは三発。
この食い違いを説明するのに、アヴィリオは困ることになる。

アヴィリオは頭のいいキャラに見えるが、そうでもないようだ。
次回、アヴィリオがネロを言いくるめるという展開はまずない。
では、ラストのシーンのあとどうなるか予想してみる。

まず、ファンゴの手下を運び去ったのは誰か?
力があり、車も用意できる人物と推理できる。
ネロと言いたいが、ここはファンゴと予想。

次回、銃を突きつけられ窮地に陥っているところに、ファンゴが銃をぶっ放しながら乱入。
ファンゴはアヴィリオが撃つところを見ていて、「おまえの復讐を手伝ってやる」と言ってアヴィリオに近づく……という展開を予想しておく。
{/netabare}

第3話~第6話 女性キャラがいないのは夜のアニメとしては致命的だと思う
{netabare}
田舎のほうでアヴィリオに恋人ができる展開を期待したけど、まったく色気のないアニメになってきた。
マフィアものだから仕方ないが、男性キャラもいまいち魅力がない。

ネロが撃たれたのは演技だとわかった。ニワトリかって感じで。
四人目の人物がいるようだが、ミスリードだろう。
この人物がアヴィリオに手紙を送り、ほかの三人をおとしめてファミリーを乗っ取るようにも見える。

だが、それはありえない。
手紙を送ったところで、アヴィリオが復讐するかどうかわからないし、ヒットマンを雇ったほうが確実だからだ。

手紙を送った人物は写真を持ち去った人物だと考えられる。数年後に復讐させるために写真を持ち去ったわけではない。理由は自責の念以外にはありえない。
この人物はネロと推理している。ただし、見逃した子供がアヴィリオだとネロは気づいていない。

では、四人目の人物は誰かということになる。
これはフラテと予想。見ていただけの弟まで手紙に名前を載せる必要はなかったと考えて。
{/netabare}

第7話 主人公がずるがしこいのも致命的だと思う
{netabare}
女性キャラは少なく、主役はやたらと強いとなると、どこを楽しめばいいのやら。
アヴィリオに弱点を持たせたり、警察に追われる展開にでもしないと、強い主役がモブを倒すだけのアニメになってしまいそう。

知恵を絞ってマフィアのドンに成り上がるならアヴィリオは最適だけど、復讐者ではずるがしこいのがマイナスになる。完全犯罪のような手段ではなく、復讐する相手に正体がバレてもやり遂げるのがいい。

手紙の差出人もそろそろ出したほうがいいと思う。新キャラだと拍子抜けだから、すでに登場しているキャラと考えられる。だけど、アヴィリオの脅威になる人物はいないので、先延ばしにする意味がない。

手紙を書いたのはネロと推理しているがアヴィリオの住所を知っているのはコルテオしかいない。だから、何者かに脅されて出したのだろうと予想している。
{/netabare}

第7.5話 ダイジェストだったので、ここまでの不満点を書いてみた
{netabare}
・アメリカの雰囲気がそれほど出ていない
アニメキャラがもともと異国風だからってのもあるが、アメリカ人の声優を起用して字幕にしたら面白かったかも。

・キャラクターについて
アメリカの禁酒時代だからといって、一般人だったアヴィリオが躊躇せずに拳銃をぶっ放すのは違和感があった。弾丸を抜き取るのも簡単にはできないはず。マフィアを手玉に取るような知恵を持っているのも疑問。
アニメの主人公はロボにも平気で乗れちゃうからそれくらいのスキルはあるのかもしれないが、空白の七年間を少し描いたほうがいい。

・ストーリーについて
アヴィリオはマフィアのドンになるようなキャラに見える。だから第1話は終盤にまわすほうがよかった。マフィア映画のようにアヴィリオが成り上がっていく話だと視聴者に思わせておいて、じつは第1話のような動機があったと。

最後に手紙の差出人についてまとめてみたい。
手紙の差出人は写真を持ち去ったのと同一人物と考えられる。
機会があったのはヴァネッティの三人と謎の人物(とりあえずXとしておく)、フィオとコルテオ。

写真は戦利品として持ち去ったのではない。自責の念以外は考えられない。
手紙はアヴィリオに復讐させるためではない。手紙を送ったところで復讐をするとは限らないから。つまり、手紙はアヴィリオに対する好意や贖罪になる。

フィオは写真を持ち去り手紙を書く人物としては一番ふさわしいが、Xではない。拳銃を放ったときに悲鳴くらいは上げるはず。
コルテオはマフィアがまだいるのに写真をとりに行くはずがないので除外できる。ただし、何者かに手紙を渡されアヴィリオに送った可能性はある。

Xはだれか。
視聴者に驚いてもらう意図を感じるので意外な人物、既存の人物になる。そうなると、手紙を送ったのはXではなくなる。アヴィリオに対して好意的な人物がいないから。

以上のことから差出人はヴァネッティの三人のうちのだれかになる。
アヴィリオを見逃したネロが一番可能性が高い。見逃したせいで復讐されてしまうという皮肉もある。ただ、この手の話はすでにあるので目新しくはない。
{/netabare}

第8話 現時点では最終回が面白くなるとは思えない
{netabare}
今回の話は、コルテオの嫉妬だと思うけど、そんな感想を書く人はいないなあ。
コルテオはマフィア嫌いだからファンゴに寝返るはずない。アヴィリオを奪ったネロを消そうとして内通した。前回の最後のシーンを出したのも、嫉妬が動機だと視聴者に思ってもらうため、そう解釈した。
さすがにアヴィリオが仕組んだとは思えないけど。(BLならあるかな)

さて、登場しては退場をくりかえしているこのアニメ。いったい、どうなるのやら。
謎は先延ばしにするほど視聴者の期待は増してくる。
差出人はネロと予想しているが、これも賞味期限が切れかかっている。四人目の人物にいたっては候補者が減ってきている。この二つの謎が明かされても視聴者を驚かせることは難しい。

そもそもこの手の作品は、復讐する相手の正体がわからない、接近するのが難しい、といった要素があって面白くなる。このアニメは正反対。アヴィリオに別の目的や思惑でもない限り、最終回が面白くなるとは思えない。

ただ、気になるのはロウソク。
これとアヴィリオの真意が絡みあったりすると、素直に褒めると思う。
{/netabare}

第9話 現れた謎の人物に不満だったけど、よく考えると納得
{netabare}
最後のシーンを見てるとき名前すら浮かばなかった。キャラ紹介にも出ていないガンゾだったとは……。
まだわからないけど、手紙の送り主で四人目の人物なのだろう。

最初は不満だったけど、よく考えると謎の部分がほとんど解決するかもしれない。
このアニメの全体像を考えてみた。

子供が一人逃げたので捜して消せと命じられ、ガンゾに任される。
写真を持ち去ったのは、アヴィリオを捜すため。どの写真かわからないし、長居もできないのでまとめて持って行った。

数年後、アヴィリオを見つける。だけど、アヴィリオは拳銃を撃つ練習をしていた。復讐を考えているとわかり、ガンゾは利用することを考える……。
これなら、アヴィリオが強いことと、いままで無事だったことが説明できる。

手紙だけで復讐するのはおかしいと思っていたが、すでに準備ができていて名前を教えるだけでアヴィリオが実行に移すとガンゾは見抜いていたのだろう。

ガンゾの動機はドンになること。ネロに奪われて焦って行動に出た。今回、コルテオを逃がして利用しているのもガンゾで間違いないだろう。アヴィリオがガンゾと気づいたのは、同じような偽装工作をヴァンノのときにやっていたからだと思う。

弱小マフィアのドンに固執するのは、動機としては薄い気がする。もう一つの動機、ヴィンセントの前のドンとガンゾは関係があって、復讐も含まれているのではなかろうか。
{/netabare}

91Daysというタイトルの意味がわかったかも
{netabare}
91という数値にしたのだから、どこかで出てくるはず。「復讐を始めて今日で91日だった」みたいなナレーションがあるとは思えない。
数えている人物がいないとおかしい。それはアヴィリオが妥当。
では、なぜ、アヴィリオは日数を数える必要があったのか。
それは、

手紙を受け取ってから91日後が、あの夜と同じ日だったから。

”91Days”というタイトルに、アヴィリオの真意が含まれていて、なりふりかまわずなのも、91日間で終わらせようと考えているから。
アヴィリオも自責の念を抱き続けていて、最後はネロに撃たせようとしているのかも。

こう考えると、アヴィリオというキャラがガラッと変わる。女性キャラが少ないのも納得。愛や恋といったものがあると興ざめしてしまう。
このあたりのことは最終回を見てからじっくり書くと思う。
ただし、1クールアニメだから91日みたいなしょうもない終わり方でない場合だが……。
{/netabare}

第10話 なぜ、ニワトリ作戦を使わなかったのか疑問
{netabare}
アヴィリオは知恵者として描いているのだから、今回の状況も切り抜けなければおかしい。例えばこんな感じ。

赤ワインでもいいから衣服を赤く染めて銃声を立てる。ネロたちがコルテオを検分するとき背中を向けてるから隙だらけになる。そのとき残りの銃弾を使えばいい。ネロがいなくなればガンゾは大喜びでアヴィリオを受け入れる。これも隙だらけ。
手紙が証拠になるからすべてはガンゾが仕組んだこととヴィンセントに報告する。そのとき「復讐者は誰なんだ」と問われ「この俺だ」と言って復讐完了。これならコルテオも助かり復讐も遂げられる。

なにもせずに従ってしまうアヴィリオに違和感があった。そもそもコルテオに対してそこまでの感情があったのか。コルテオが捕まったときも口封じのためにアヴィリオは忍び込んだと思っていたくらいだ。ここにきて急にBLのような兄弟感を出されて変な感じがした。

ほかにもおかしいところはある。
ネロはなぜアヴィリオに銃を渡したのか。反旗を翻して銃口を向ける可能性もあったはず。少なくとも込める弾丸は一発で、アヴィリオが撃つまで後ろで銃を構えて待っていなければおかしい。
ネロの温情で、二人を逃がすためだったなら、それなりに納得できる。

まだいくつかおかしいとこはあるが、短めにして最終話を見てからじっくり書こうと思う。

・アヴィリオはなぜ手紙を信じたのか
スリをして生きてきたのだからそれなりに警戒していたはず。名前も住所も適当な手紙に書かれたことをなぜ信じたのか。
スリを続けられるほど手先が器用かもしれないが、拳銃から弾を抜き出すテクニックには繋がらないと思う。

・ネロは見逃す気があったのか
ネロは子供のときのアヴィリオを見逃して助けたが、そのあと子供が逃げたと報告していることになる。矛盾した行動をとっている。

・ガンゾの動機
手紙を送ったときファミリーは弱体化していた。ドンになったところで甘い汁を吸えるとはとても思えない。
{/netabare}

ロウソクは、やっぱり伏線なのだろう
{netabare}
ロウソクの炎はアヴィリオの復讐を意味していて、その復讐の炎を消そうとしていたのがコルテオだった。
コルテオがロウソクの炎を消せなかった第1話のシーンは、アヴィリオに復讐をやめさせられないという伏線だった、そんな気がする。

さらに深読みすると、
ロウソクの炎(復讐)を消すには、芯(心)をつかむ。コルテオはアヴィリオの心をつかむことができなかった……。

第10話でいろいろ愚痴を書いたけど、こういう伏線が張られているなら評価は変わってくると思う。ロウソクの説明はたぶん最後までないんだろうけど。
{/netabare}

オペラの演目を予想してみる
{netabare}
マフィアものではオペラがつきもの。ちなみに、イタリア人の男性の名前は”O”の母音で終わる。アヴィリオ(アンジェロ)、ネロ、コルテオ……。偶然ではなく意図的だと思う。というわけで、イタリア語のオペラになるだろう。

予想は「リゴレット」か「トスカ」。
前者なら、ガラッシアとの激しい銃撃戦のなかで復讐が行われる。
後者なら、桟敷席にいるヴィンセントに近づき、劇の銃声のとき。接近する方法は手紙。ガンゾはファミリーによって消される気がする。

どのオペラになるか、次回はその点も楽しみでもある。
{/netabare}

第11話 すべてはこの瞬間のためだったのか……
{netabare}
HPのあらすじには、「アヴィリオが待ちに待った瞬間」とある。さらに、ネロたちが生きているのに、アヴィリオは「やったぞ」と言っている。これらのことから考えて、

アヴィリオの標的は、手紙に書かれた人物ではなく、ファミリーだったことがわかる。

標的がファミリーならいままで考えたことも変わってくる。こんな感じだ。
復讐の第一段階は、ヴァネッティに入ること。復讐相手にも関わらずネロと親しくしたのは、ファミリーの一員になるため。油断させて撃つためではない。
この段階のアヴィリオがドン・ガラッシアを撃ってもファミリー同士の抗争は生じない。チンピラがやったこととして処理されるだけ。これでは目的を達成できない。
だから、フィオを利用した。ヴァネッティの者がガラッシアにケンカを吹っかける形をとる必要があったから。

まとめると、第一段階でアヴィリオがしたことは、ヴァネッティに入ること、オルコやガラッシアと戦わせること。裏で画策したのは、ヴァネッティの人間ではないから。

ファミリーに認めてもらったあとが、復讐の第二段階になる。
今度は表立って行動することになる。それが今回の、

ヴァネッティのアヴィリオが、ドン・ガラッシアを撃つ、ことだった。

アヴィリオにとってファミリーにいることが必要なので、コルテオを撃つという悲劇につながってしまった。

よく練られたストーリーだと感心した。深読みかもしれないけど。
{/netabare}

最終回を予想してみる
{netabare}
最終回に必要なのは、ラスボス退治、意外な真実、そして感動(泣き)といったところだろう。これらを考慮して最終回を予想してみる。

まず、アヴィリオはガラッシアに拾われて、ネロは身を隠しているだろう。
新しいガラッシアのドンのところにネロから電話がある。「帳簿が欲しければアヴィリオを寄越せ」と。帳簿はガラッシアの弱点でもあった(脱税の証拠か)
アヴィリオはボロボロになったヴァネッティの屋敷に赴く。アヴィリオとネロが銃を持って向かい合っているあの絵は、ガラッシアに襲撃されてボロボロになったから。

これまでのいきさつを話す。「お、おまえがあのときのガキか」とか言うのは白々しいので、ネロはすでにアヴィリオの正体を知っている。二人の銃撃戦がはじまる。だけど、本当の敵はガラッシアだと気づかされる。

帳簿を警察に渡すため車を走らせるが、ガラッシアが待ち受けている。タイヤをパンクさせられ車が横転するような激しいシーンがつづく。
そして、警察署のまえの路地裏までたどり着く。人の気配がないと思い、ネロが飛び出したとき、アヴィリオが手をつかむ。ガラッシアが撃った銃弾がアヴィリオに。警察署から警官が出てきてネロは連行され、アヴィリオが一人残る。(このあたりからエンディング曲が流れる)子供のころの回想シーンがつづき、ロウソクの火が消えるシーンで終わる。

こんな感じかな。最後くらいはいいシーンがあってほしい。
{/netabare}

最終話 もっと評価されるべきアニメだけど……(感想と総評)
{netabare}
ファンタジーなし、かわいい女の子なし、しかもマフィアなので女子より男が好むストーリーでよくがんばったと思う。傑作とまではいかないが、もっと評価されていい作品である。
リアル世界を舞台にしたアニメは少ない。あってもコメディで、女の子がいっぱい出てきてゲーム制作するアニメのほうが評価が高かったりする。リアルでシリアスな作品をもっと作ってほしいものだ。

レビューの最初に目新しいものができるかどうかと書いたが、見たことのない作品と一定の評価はしておく。映画みたいとか、映画化とかいう感想があったが、むしろ、

映画のようなことをアニメならできる。

そう思わせる作品であった。


さて、褒めたたえたので、つぎは不満点を述べてみる。むしろこっちのほうが多い。もっとよくなったと個人的に思うところである。

まず、アヴィリオとネロの撃ち合いがなかった。パケ写にだまされたと言いたくなる。
復讐が復讐を呼ぶといううたい文句もおかしい。まったく呼んでいない。最終話のラストでネロが撃っていれば合っているが。

ラストの場面について気になる人は多いだろうが、あいまいに終わらせるのも古臭い手法。結局は決められなかっただけではないか? それに、このアニメの終わり方としては合わない。
視聴者の大半は”そこまでやる必要はないだろ、アヴィリオ”と思っていたはず。だから、なんらかの償いや代償があると考える。だけどなかった。問題だけ与えて答えを出さずに終わった印象だ。

最終回についての不満はまだある。ガラッシアがアヴィリオを捕まえてからの展開がまったくない。これなら前回の最後で、復讐を終えたアヴィリオをネロが見つけて、最終回につなげるほうがよかった。

最大の不満点は、復讐される側が悪そうに見えないこと。アヴィリオのほうが悪者になってしまっている。
手紙の送り主を謎にせずに、第1話からわかっているようにして、ガンゾが黒幕としてアヴィリオの前に立ちはだかったほうがよかったと思う。

いままで書いた不満点についてもすっきりした答えはほとんどなかった。細かく見ていくとアラがけっこうあると思う。だけど、1クールでこれだけの作品を作ったことに高い評価をつけたい。今後もこの手の作品が増えることを期待して。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 11
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

シンプルな復讐劇を名作に

[文量→大盛り・内容→考察系]

〈2016夏 個人内ランキング 2位〉

【総括】
近年、稀に見る硬派な作品。萌え要素は0。なのに抜群に面白い。グロい描写はあるものの、テーマが復讐劇だけに許せる。評価5にしようか悩むほど面白かった。アニオリで、1期で、ここまでキチッとまとめている作品はそう多くない。ネタバレは絶対になしで見てほしい。

とりあえず、雰囲気に合わせ、「フォア・ローゼス」をラッパ飲みしながら観てましたw アメリカの酒だし、禁酒法時代前からある古い銘柄で、禁酒法時代にも合法的に製造を続けていたレアな酒ということでw


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
復讐劇を描ききるのは難しい。復讐なんて基本的に悪で、「復讐の先には何もない。だから復讐なんてやっちゃダメだよ」「人を呪わば穴二つ(全滅END)」以外に、ほとんどゴール地点がないから。しかし、伏線をしっかり回収し、キャラの心情を丁寧に描くことで、テンプレ以上の、王道とも言える復讐劇になったと思う。

クレバーな奴が上か、イカれている奴が上か。周りのマフィアはそんな戦いをしている。しかし、アヴィリオは、クレバー且つイカれていた。

この作品で一番気になったのは、そんな、復讐に全てを費やしているはずのクールなアヴィリオが、自らの家族を殺された話題になると熱くなり、結構勝負をかけている点だ。例えば、ネロの初仕事の話になった時、「今ならそのガキを撃てるだろ?」と言うように(似たシーンは何度かあった)。

それらの発言はもちろん、相手にバレない絶妙なラインではあるが、無駄口と言えば無駄口だ。リスクしかない。なのになぜ、アヴィリオは、自分が事件の関係者であることを、少しであっても匂わすのだろうか? ただ黙っていれば良いだけなのに。

普通に考えれば、「理屈では押さえきれないアヴィリオの激情」を表しているのだろう。でも、もしかしたらこれはアヴィリオなりの、無意識での「けじめ」や「贖罪」なのかもしれない。つまり、「復讐とはいえ、人殺しをする以上、自分もリスクを犯す(相手に気づくチャンスを与える)ことでの、贖罪」。

それが復讐であっても、人の命を奪うことは悪だ。許されることではない。アヴィリオの深層心理にも、もしかしたらそんな思いが欠片ほどでもあったのかもしれない。と、それはただの考えすぎだろうか?

また、この作品は構成も素晴らしい。例えば、シリアスな作風が続く中でのいきなりのギャグとも言える4話(ゴリアテと戦う話)。最初は「浮いてる」とおもったけれど、それが最終話での無声部分(アヴィリオとネロの奇妙な二人旅)に繋がってくることで、深みを増す構成。

もちろん、小さな部分での裏切りの連続が一番の見所でもある。こういう作品の場合、視聴者は当然、後の展開を予測するわけだけど、何度か予想を裏切られた。例えば、最後のヴァネッティー・ファミリー壊滅の流れ(ガラッシア殺害)のところとか、意外だった。殺す以上の復讐って感じで良かった。

ラストに、復讐後の様子をあそこまで丁寧に描くのも珍しい。空虚になったアヴィリオや、悔恨にうちひしがれるネロ。怒りとも憎しみとも悲しみとも親近感とも、なんともいえない雰囲気が漂う二人。焚き火を挟んでの感情の発露はまさに名シーン。それまで、まるで感情を殺していたようなネロが、ファミリーの死を無意味なものにされた(アヴィリオが復讐に達成感を覚えていないと言った)瞬間に、ぶちギレた。しかし、「だったらあの時殺してくれたら良かったのに」と、ぶちギレ返すアヴィリオ。図星をつかれ(この悲劇の始まりが、自分の弱さ、甘さにあったと気づき)言葉を失うネロ。それは、「復讐を果たすまで弱音を吐くまい」と押さえていた、アヴィリオ7年分の苦しみが爆発した場面であり、実に見応えがあった。

ここで漂う、「因果応報」という事実。殺すから殺されるし、殺されたから殺した。殺さなかったから殺されてしまった。死が連鎖している様子がハッキリと表現されていた。ただまあ、元を正せばアヴィリオの父親もマフィアだったわけで、人を殺してきたわけで、いったいどこから死の連鎖が始まったかは不透明だ(単純な強盗殺人とはここが違う。つまり、アヴィリオにも確かな正統性はない)。

物語のラストは、余韻を残す展開。ネロは、果たして本当にアヴィリオを殺したのだろうか? ネロはその後どうなったのだろうか? 謎を残して終わる。結末に関しては、視聴者が好きに想像すれば良いと思う。私は個人的に、アヴィリオは死んでおらず(ネロがわざと射撃を外し)、ネロは殺されたような気がする。波打ち際に死体がないとか、薄い根拠はあるけど、まあ、基本的にただの想像です。

最後のショートエピソードは、過去の話ではあったけれど、「どこかで何かが違っていれば、こんな関係性が続いていたかもしれない」という、あったかもしれない未来の可能性の話にも感じられた。本編ラストも含め、余韻の残る、悪くない構成だったと思う。

ほとんど誉めるべき点ばかりの本作、強いて難点を挙げるとすれば作画か。時々表情の描写が崩れ、シリアスが薄れる残念さがあったし、うつる度に顔の変わる人物もいた。戦闘シーンの迫力も足りなかった印象。あと、(長所でもあるけど)あまりに地味すぎて、一般の視聴者には取っ付きにくい作品ではあったかな?

でもまあ、そんな難点を飛び越えるくらい、良いアニメです。リアルタイム視聴してい(先の展開を議論でき)なかったことを、後悔する良作でした♪
{/netabare}


【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目
ダークでシリアスな作風。とりあえず、惹き付けるものはあるかな。戸棚の中に隠れ、は定番だけど、「見つからない」ではなく、「攻撃に出る」というのは良かったと思う。

2話目
因果応報って感じ。ラストは意外だった。

3話目
その、仲間に向ける気持ちを、なぜ、殺す相手には向けられないのか、って感じかな。

4話目
復讐したあとに、殺した相手のことを知るのだな。なぜ急にコメディ調にw

5話目
少しずつ目的達成に近づいていってますね。

6話目
ネロも用済みならスパッと捨てる。と、思わせてからの、謀略。信じたら負け、って感じですね。

7話目
オニオンスープのくだり、上手いな。家族愛も冷めてきてしまったということだね。

8話目
刑事の家族を殺さなかったのは、わざとかな。瓶でクビを刺すところはグロかったな~。

9話目
シリアスの中に平和な話をひとつ挟むのは、更なる悲劇への助走。

10話目
オルテヲがラスボスだと思ってた(笑)。

11話目
珍しい形だね。復讐劇の後日談を2話かけて丁寧に。

12話目
焚き火を挟んでの互いの魂の叫び。ここで4話の不自然なコメディ展開が生きてくるわけか。上手い構成だ。最後、ネロはアヴィリオを本当に殺したのかな?

13話目
最後はなんだろう? ifの物語? 過去ではあるが、こういう幸せな未来もあり得たということかな。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 34
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

洋画チックで面白い

1話視聴。
{netabare}
舞台はアメリカ、1920年から1933年までの禁酒法が制定されていた時代。
主人公はアヴィリオ。幼い頃にマフィアとつながりがあった両親、そして妹をマフィアの抗争により亡くす。

1話の印象的なシーンはまず冒頭、とても無愛想なアヴィリオが手紙を大家から受け取るシーン。
後から考えると、家族の復讐のために生きているので、日常の事が見えていない。そんな描写なのかもしれない。アヴィリオの部屋には、何も無い。目的の事以外に興味を持たない性格ということの現われに見えます。

次に幼少期のアヴィリオと友人のコルテオのシーン。このときのろうそくについた火の温度が低いことを確かめようとしている。
ここのアヴィリオとコルテオの会話シーンは面白い。コルテオは恐れも無く蝋の火を指で消したアヴィリオに対して「ろうそくの火を消したことがあったの?」と聞いた。これは、自分が恐怖で消せなかったのに対しアヴィリオが消せたのは経験があったからだという、ある種劣等感を打ち消そうとした発言。その言葉に対しアヴィリオは「いちどもないよ」と何気なく言う。この部分にアヴィリオとコルテオの性格の違いが良く現れていると思う。アヴィリオは好奇心が強く純粋(だった)、そして勇気がある。コルテオは日々生活が苦しいのもあり、臆病で日陰者。そんな根本的な部分が二人の性格の根本にあるではないでしょうか。

では家族を殺害され、再びコルテオの前に現れたアヴィリオはどうか?性格から純粋という言葉が抜けて、友人を利用して復讐を進めるという、ある種の闇をもっている。ネロを自ら語って奇襲をかけた際は冷静なのもあるが、勇気が無ければできないことだろう。根本的に行動力がある事が変わっていない。それは勇気から向こう見ずに変わっているようにも見えます

世界観としては、リアルの過去の異国、ということになるので、その異国らしさを十分に楽しませてほしいです。

{/netabare}

その後の感想をざっくりと↓
{netabare}
【物語】
アヴィリオの行動に目が離せない。いつ、殺るんだ…こんなに仲良くしながら、いつも殺る機会を伺っている。さとられないよう目線だけうごかしたり、意味深な発言をして、内に眠る殺意を視聴者にみせたり。
そしてアヴィリオはネロに殺意以外の感情を抱くようになる。復讐劇は様々な人間を巻き込み、意外な形で幕をとじました。最後のアヴィリオの生死の判断を視聴者に託すのは印象的な幕引きでした。まあ、ネロが最後ニッと笑ったのですから、多分生きているでしょう。(殺したあとに笑うのは異常だと思うので…)
アヴィリオの「俺がお前を殺したくなかったからだ」は印象的でしたね。アヴィリオがネロの全てを奪って、幼き頃のアヴィリオと同じ気持ちを味会わせてやろう、物語が進んでいく内にアヴィリオの目的がそのように見えていたのですが。いつからかアヴィリオのなかには復讐心とネロに対する友情が同居していて、最後には復讐心がなくなっていました。。あの「殺したくなかったからだ」を言うときのアヴィリオの清々しい顔は、自分が今死んでも、その選択に間違いがなかったという表情でした。

【作画】
中盤から人物の顔が面白い感じに歪みます。
【声優】
アヴィリオの「じゃあなんでなぜあのとき俺を殺さなかった!」というセリフが好きですね。家族を失って復讐心を抱かせたのはお前だろという怒りや、多くの人を殺した自分の罪への悲しみのようなものが伝わります。
【音楽】
エンディングはしっとりとした曲で良かったです。
【キャラ】
コルテオがアヴィリオの最後の心の支えでした。コルテオを殺したあとあれほどアヴィリオが病むとは。コルテオが大事だからこそ距離を起きたかったがコルテオは大事だからこそアヴィリオと共にいたかったというすれ違い。
一方で兄弟を自分の手にかけさせたネロを殺したくないというアヴィリオが、どれだけネロを大事に思っているかわかります。
【総評】
禁酒法時代の酒の密造密売をおこなうマフィアの抗争を舞台として描きつつ、復讐のために暗躍するアヴィリオが、コルテオ、ネロといった義兄弟との関係で少しずつ内面の変化をしていくのをよく表現していました。復讐劇として全てを終わらせるのではなく、友情を残した幕引きは悪くない後味であり、オススメです。

{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 34

75.6 2 アメリカでオリジナルアニメーションなアニメランキング2位
キャロル&チューズデイ(TVアニメ動画)

2019年春アニメ
★★★★☆ 3.7 (395)
1295人が棚に入れました
人類が新たなフロンティア、火星に移り住んでから50年になろうという時代。多くのカルチャーはAI によって作られ、人はそれを享楽する側となった時代。ひとりの女の子がいた。首都、アルバシティでタフに生き抜く彼女は、働きながらミュージシャンを目指していた。いつも、何かが足りないと感じていた。彼女の名はキャロル。ひとりの女の子がいた。地方都市、ハーシェルシティの裕福な家に生まれ、ミュージシャンになりたいと思っていたが、誰にも理解されずにいた。世界でいちばん孤独だと思っていた。彼女の名はチューズデイ。ふたりは、偶然出会った。歌わずにいられなかった。音を出さずにいられなかった。ふたりなら、それができる気がした。ふたりは、こんな時代にほんのささやかな波風を立てるだろう。そしてそれは、いつしか大きな波へと変わっていく───

声優・キャラクター
島袋美由利、市ノ瀬加那、大塚明夫、入野自由、上坂すみれ、神谷浩史、宮野真守、堀内賢雄、宮寺智子、櫻井孝宏、坂本真綾、安元洋貴、大塚芳忠、菅生隆之、梶裕貴、蒼井翔太、東山奈央、佐倉綾音、飯塚昭三、白熊寛嗣、浅沼晋太郎、久野美咲、田村聖子、落合弘治、吉野裕行、谷昌樹、岩崎ひろし、諏訪部順一、青山穣、柿原徹也、山寺宏一、沢木郁也、林原めぐみ、木村昴
ネタバレ

るるかん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

最後はいい曲で締めたんじゃないかな♪

総評
音楽のテイストはアメリカンで、ある意味アメリカンドリーム的なサクセスストーリーなのかもしれません。私の趣味ではないけど、音楽スタッフの力を結集して作った作品であることは間違いないし、ミュージシャンとしてのキャロチューの成長も1クールと2クール目の音楽の違いで表している。そう、成長すると安定した聴かせる音楽だけどつまらないんだよね。最初の頃の荒削りな音楽の方が断然よかった。そういう面も踏まえて一般的なミュージシャンの軌跡を描いていたならば佳作と評価するが・・・。
音楽のセンスは標準的な内容でコアな人には向かないし楽しめなかったかもしれません。私としてはアコギを効かせて歌っていたキャロチューの方がずっと良かった。でも、これだけ洋楽をふんだんに盛り込んだ作品としては及第点以上の評価でいいのではないかと思います。
 
24話
まぁ~いい曲で終えることができましたね。

最終話でドン引きになるか、そこそこな作品になるかのラインに来ちゃった感じ。まぁ~それでも、ミュージシャンの側面の一部をなぞった作品だと思うし、意義はあったかもしれません。途中政治を絡めた意図が俺には理解できなかったけどね・・・。
23話まで視聴済み(レビューは書く時間ないので省略)
  
14話 {netabare}
伝説のプロデューサートビ―が登場。ガスのマネージメント能力もかなり試されてますが、なかなかうまくやっていけそうな感じです。曲の一発どりはなかなかレベル高いです。私もレコーディングした時に経験がありますが、やはり3テイク必要でした。ところでダンはキャロルの父親っぽいですね・・・二人の今後の関係性の進展も興味深いですね。
ジャーナリストのカイルはチューズディと母親の関係を知っているようだ。母親の選挙動向とチューズディの関わりなど、どういう話になるのか興味深い。
アンジェラの方は引き続きタオのプロデュースで曲を仕上げていくようだ。しかしタオの考えていることは何か別の所にあるのかもしれない雰囲気を醸し出していた。こちらも興味深いです。
トビーの前で歌った曲はなかなか良かったです。ベースはスキップの人でしたね。最高のクソという評価に足る曲で良かったです。{/netabare}
13話 {netabare}
アンジェラは大手レコード会社ブライテストレコードと契約をしてメディアコネクションを利用してステップアップしていくことを選択し、キャロチューはインディペンデントで有能プロデューサーを採用していく意向のようだ。彼女らのバンド結成の生い立ちや音楽の取り組みを考えたらインディペンデントの選択は得策だ。ちなみにジョージマーティンとはビートルズのほぼ全曲をプロデュースしたイギリスの有名な音楽家。チープトリックやポールマッカトニーなんかも手がけた人です。彼のような人をプロデューサーに迎えられるかどうかは大きなカギとなるので、面白味があるステップとなる2クール目です。OPとEDは1クール目の方が私は好きでしたね。{/netabare}
12話
総集編なので割愛。
11話
優勝はアンジェラ。大会規則にのっとって公正に判断された結果なのでそれはそれで良かった。2クール目はどのようにアンジェラとキャロチューが名をあげていくのかがメインになるのだろう。
10話
タイトルはアイク&ティナターナーの『River Deep -Mountain High』。アメリカの人気青春ドラマGleeの中でも歌われていた曲。題名通り、川のように深く、山のように高く愛してるのよ・・・的な歌詞です。あまり本編との関わりはない感じです。
 
{netabare}本編は、シベールのブタ野郎ぶりにイラッっとしましたが、チューズディの場違いな気遣いにもイラッとしました。コンテスト準決勝前に、ソロならともかく、相方のキャロルのことも考えられないようでは話にならんね・・・。こんな状況でちゃんと歌えるんでしょうか?ステージ上ではライブ前の精神的な動揺は結構ノリに響いてしまうんですよね。
GGK・アンジェラ・ピョートルの3名とも打ち込みのサウンドでアメリカンテーストって感じの曲でした。同じ人が作っているのか分かりませんが、音の使い方が酷似してるし、リズムもノリも割と一辺倒なので、雰囲気を変えても総体的に3人とも変わり映えのない感じなのが残念です。悪い曲と言っているのではなくて、個性が無いってことなんです。女性の打ち込みソロアーティストの個性ってあんな感じのポップな曲ではないんだよ。あれだったら、日本のMALIBU CONVERTIBLEとか八王子Pにでも作らせた方がより良質なポップができただろう。エレクトロポップの分野は日本人のコンポーザーレベルもかなり高いことを忘れてはならない。
あんな中途半端なプロかぶれした曲より、Strawberry Switchbladeの『Since Yesterday』とか、Tracey Ullmanの『Break away』みたいな曲の方が聴いていて楽しいし筋の通ったポップだと私は感じるのです。ほんとに個性的にしたいなら、Kate Bushくらいの曲を作らないとダメだよ。ニナハーゲンまでいくと怖いから止めといた方がいいけどねw タオの作る曲は悪くはないけど期待していたほどではなく、案外普通のアメリカンテーストで残念です。あとはキャロチューがあの状況でうまく歌えるのか・・・ということと、センスの悪そうな審査員の判断だけでしょう。いつも通りのパフォーマンスであればキャロチューの圧勝劇でしょう。私の感覚では音楽的にみてもキャロチューの圧勝で疑いの余地はありませんけど・・・。どうなるんでしょうね?ピョートルがモリッシーくらいの曲を引っ提げてたら面白かったのにね・・・。もうちょっと音楽の引き出しがこの作品には必要だったね~。{/netabare}
9話
タイトルはABBAの『Dancing Queen』。クィーンを目指して羽ばたこうとする女の子の気持ちを歌った有名なポップ。この曲はABBAのメンバー達が自分たちのことを鼓舞するための歌とも読みとれるような詩でもある。
{netabare}
本編は準々決勝の残りの4組。こちらの方が少しレベルが高い内容だった。最初は独特の世界観がある不思議ちゃんのGGKが打ち込みサウンドをバックにウイスパーヴォーカルで柔らかく仕上げた曲。相手はMermaid Sistersで、サウンドやノリ、ハーモニーは上手いし曲としてはこっちの方が断然上だったが、審査員のおばさんの硬い頭には響かなかったようだ。こういうコンテストは私も出たことがあるが、審査員の質で勝ち負けが決まる。こういうサウンドを評価できない審査員に暴動を起こしたくなる気持ちは痛いほど分かる。しかし、fuck'n bullshit sanaba bitti(son of a bitch)が詞だから良い詞ではない。私は笑っちゃったけどね。プロの曲にも含まれるスラングなんだけどね。まぁ~仕方ないか・・・って結果ではあります。
 
次はシベールVSアンジェラ。この二組の優劣はとても難しかった。シベールの曲はフランスではかなりスタンダードなポップ曲。もっと派手な感じの打ち込みサウンドも人気はあるのだが、聴きやすさの方を選んだのだろう。シベールもウィスパーヴォーカルで世界観はありました。一方アンジェラもかなりオーソドックスな打ち込みのアメリカンポップで、インダストリアルなポップシンガーが歌っている初見の印象がよいサウンド。甲乙つけがたいスタンダード対決だが、この作品がアメリカン寄りなこともあってか、アンジェラの勝利。妥当と言えば妥当。
シベールのキャラ設定は好きじゃない。チューズディに擦り寄り、自分の仲間にしようとするあさましい行為は見てて不快だった。もう少し気持ちよく作れなかったのだろうか?
しかし、この準々決勝のサウンドだけで、優勝はキャロチューだろう・・・って思ったのは私だけかな?好みの問題もあるでしょうが・・・。もう少し悩ませるようなサウンドを他のミュージシャンに持たせてもらえたらよかったのに・・・。サンプルはいくらでもあるのに、どれもスタンダードな内容で味気ない。アンジェラとピョートルは典型的なアメリカンポップ。GGKは世界観があるので、曲次第だと思う。キャロチューのサウンドはしっかり作られている印象で、準決勝・決勝で相当いい曲で勝負しないとキャロチューに肉薄できないような気がするが、審査員が悪いってところもミソなのかもしれません。サウンドがアメリカ寄りであることも曲を知っている者には不満なのだ。タイトルに70年代のアメリカンが多めに使われていることから推測すると、斬新さを求めるのはちょっと無理があるのかもしれないけど、せっかく洋楽を聴かせようっていうのなら、もっといいサンプルは山ほどあるのにな・・・。スタッフに加わりたい心境ですよ。バリバリの洋楽マニアを惹きつけるようなサウンドやキャラクターを提供できる自信がありますけど・・・。デスメタル・ハードロック・ポピュラーソングのそれぞれのキャラクターにしても、あんなふざけたミュージシャン設定にしなくても普通に楽しいメンツ設定ができるのに、できないってことは、まだまだ勉強不足だと思う。洋楽の基本がUKやスウェーデンニューウェーヴの方にあるスタッフで作ったなら、絶対にこうはならなかったと断言できるので、その辺が若干、残念に思う所です。一人ごとなのでお気になさらず! {/netabare}
8話
今日のタイトルは70年代グラムロックの代表格Mott The Hoopleの『All The Young Dudes (すべての若き野郎ども)』でした。私自身が好きな時代のバンドではないのでそれほど詳しくないけど、彼らはデヴィッドボウイのアルバムのプロデュースもしており、その後年、Dボウイ自身もこの曲を自分のアルバムでカヴァーしていたので知ってました。詞の内容は比喩や俗語が多く難しいですよ!今回のストーリー内容とは20%ぐらいしか合致してないので詳細は省きます。
{netabare}
本編はマーズブライテストの1回戦。Pyotr対Fire brothersの一戦は、リックアストレイを現代風の音にリミックスしたようなPyotrの勝利。99歳の双子の爺さんが重厚なハードロックを演奏してみせたが、ZZ TOPがモデルとなっているのでしょう。ZZ TOPの方が全然カッコいいと思いますが・・・なんでサウンドはダサイハードロックにしたのか謎。
次はキョロチュー対OGブルドック。音楽を聴けば、キャロチューが楽勝の内容だった。キャロチューの曲はメロディーに♭をきかせたいい曲でした。OGブルドックはオペラとラップの融合らしいが、別に目新しくない。80年代にソフトセル解散後のマークアーモンドが似たようなアプローチをしていたが、もっと斬新でマニアックだった。内容的にもキャロチューの圧勝で間違いない。アンジェラがキャロチューに敵意むき出しの姿勢を表したところで今週は終了。アンジェラの性格が悪すぎて好きになれないが、彼女の歌は来週らしいので楽しみだ。こう言っちゃなんだけど、これって俺みたいに洋楽好きな人には面白い内容だけど、ストーリーを楽しむアニメって感じではないよね。本来はこの舞台に立つまでの軌跡をもっとじっくり詳細にストーリーにしてもらえたなら良かったと思うのだが…。お金と時間のかかることだから製作委員会の都合ってのもあるのでしょう。一応プロミュージシャンも使ってるし、2期、3期までやるのは難しかったのでしょうね。まぁ~それでも、私のような人間にも楽しめるような洋楽アニメにアプローチしてみた心意気は感じます。ただ、キャロチュー以外の曲をもう少しなんとかして欲しい。来週の4人の曲がほんとに興味深いです。{/netabare}
 
7話
Peter Framptonの軽快なロックサウンド『show me the way』がタイトル。70年代はちょっと時代がずれててあまり詳しくないが、KISSや Aerosmithと同時期くらいに活躍してた人達。アコギとエレキで当時としては粋なロックじゃないのかと思います。詞も聞きやすく、簡単な内容は、ダメになっちゃいそうだから、これから先どうすればいいのか教えてくれないかい?って感じの歌詞です。今日の内容にマッチしたタイトルでした♪
 
{netabare}本編は素人参加型のオーディションであるマーズブライテストに参加して、決勝進出の8組に残るまでのストーリー。オーディションの時にキャロルは生い立ちを話し、それを聞いたチューズディは自分にもどかしさを感じ煮詰まるが、自分の生い立ちをキャロルに打ち明ける。チューズディは家出してきた自分に恥じることなく堂々とミュージシャンとしてキャロルとやっていくことを心に決める。まぁ~二人の絆が深まったというお話ですね。{/netabare}
私はロディ君が人として好きだなぁ。キャロチューをミュージシャンとして敬愛し応援する姿勢は真摯で見ていて気持ちがいい。後に彼がキャロチューの舞台で音響効果を担当することになればいいなぁ~って密かに期待しているのです。
6話
タイトルはThe BandのLife is a carnival.このバンドは知ってますが、曲は知りません。曲のタイトル通り、人生はカーニバルってことでしょう。
{netabare} 
本編はキャロチューが10万人のハコで歌う機会がやってくるという設定でした。一流プロアーティストと同じハコで曲の半分は歌えたが、ヨシュアを期待していたファンからは罵声を浴び二人はステージを降りる。しかし、楽屋裏でクリスタルに慰められ、賞賛されて、悲しみが喜びに変わる。悪くないストーリーでした。プロアーティストの曲についてですが・・・私的評価だと、どれもセンスがいいとは思えなくてガッカリでした。
 
アーティガン:ハコを盛り上げるにはいいのかもしれないが、せめてColdplayかNew Orderくらいのクォリティは欲しいね。旋律が典型的なエレクトロポップの亜流でセンスが感じられない。
 
スキップ:『どんなミュージシャンだってこんな音を出したい。そう思って音楽を始めたはずだ。だが大抵の奴らはいつの間にかそれを忘れちまう。色んなもんに目がくらんで、最初に流してた音・・・そいつを思い出せなくなっちまうんだ。お前らはまだそれを持っている。そいつをずっと忘れるな!』とキャロチューへの忠告はミュージシャンへの警鐘だろう。これは真理だ。
しかし、スキップの曲はそんなに良くないw 音からするとおそらく5弦か6弦ベースを持って歌っているのだろうが、ベースラインにセンスが感じられず、バイオリンもただ挿入してるだけ。楽器の使い方はC級レベルの内容だ。バイオリンを使うなら、John&Maryかthe go-betweensくらいは参考にして欲しいものだ。制作者の音楽レベルの低さを露呈している。
 
ヨシュア:こいつらの音楽はただのクソ。聴く価値も無い。(私的意見ですので・・・)
 
クリスタル:典型的なアメリカンポピュラーで、同性にもウケが良いアメリカにはよくいるタイプの曲。無難な曲でプロの中では一番マシだったと思う。
 
キャロル&チューズディの曲が一番良かったよ。プロの楽曲には無い良さを強調するためのストーリー&楽曲構成だったなら、その狙いは充分に伝わった。そう思って制作者を労っておきます。{/netabare}
 
5話
今週はEvery breath you take・・・これはロディの気持ちを表すタイトルでしょうね。そういう歌詞です。有名な曲ですし解説は省略しますが、{netabare} ロディの視点で作られた回でなかなか良い内容でした。
 
ロディは檜舞台で活躍するミキサーだが、アーティガンとの仕事は楽しそうではなかった。仕事としての音楽と、自分が心から愛せる音楽との違いをキャロル&チューズディに会ってから認識したのだろう。ロディの心の中の一人言は好きなものに対する愛情そのものだ。この言葉に100%共感する。

『この記念すべきファーストライブの観客は僕を含めてたったの10人。でもこの10人はきっとこの場に居合わせたことを将来自慢することになる。・・・』
 
この一節だけでロディが彼女らの音楽をどれくらい愛しているのかが分かる。ライブとは、ロディのような本当のファンを掴む最高の機会なのだ。

この話の面白い所は、対極にアンジェラを置いている所。プロモーター兼コンポーザーのタオは莫大な出資金をバックボーンにしてアンジェラの成功を画策する。歌はアカペラだったので案外普通な感じだったが、コンポーズドサウンドは次回以降に聴けるだろうから楽しみです。最後に栄光を勝ち取るのは・・・もう結果が分かってるような感じだけど、アンジェラが失敗すると決まったわけではないので、{/netabare}どうなるのか興味津々である。
4話
今週のタイトルはVideo Killed The Radio Starで、これまた古い1979年のThe Bugglesのヒット曲。題はそのまんま『メディア(テレビ)がラジオスターを殺した』ということで、心の中や車の中でいつも輝いていたラジオスターは音メディア時代から映像メディア時代に移り変わり、それまで輝いていたものが失われてしまった・・・という歌です。
タイトルのVideoは放送メディア全般を表す言葉。この歌の詩の中に日本語のビデオを表すVTRという単語が使われているので、間違いないでしょう。ラジオの時代にみんなが夢中になった番組や楽曲やディスクジョッキーなど、みんながラジオ放送に胸を躍らせていた状況を『the radio star』と表現したのだと思われます。
{netabare} 
本編はインチキAIロボットによるミュージックビデオの制作でしたが、できあがったものは、超笑えました。思わず噴き出すくらい酷いミュージックビデオのパロでよかったです。タイトル通りの内容でしたねw とても面白かった。
ちなみにできあがったミュージックビデオの中には、私が気付いたものとしては、マイケルジャクソンの『Thriller』と『Beat it』、A-haの『Take on me』、マッドネスの『In the city』、Styxの『Mr.Roboto』もあったかな・・・くらいでした。特に、Take on meのパロは傑作でしたw
夜中に涙流すくらい笑わせてもらいました。制作者のセンスが光る回でした!!そういえば、ミュージックビデオに出ていたピンク髪のモヒカンでサングラスの男の人って誰だったかな? {/netabare}

3話
今週のタイトルは「Fire and Rain」。古めのアメリカンフォークっぽい感じの曲でジェイムステイラー自身の苦悩を歌った曲なんだけど、今回のストーリーとの関連性は・・・謎だ。どうでもいいんだけど、このfireは火ではなくて、精神病患者へのショック療法で、rainはその療法後に浴びるシャワーのこと。若い時にバンドで活躍していたジェイムスは薬物中毒に陥り、大失敗をして全てを失ってしまった。その頃の自分を歌にしたのが「Fire and Rain」なのだ。
{netabare} 
しかし今日のストーリーはアーティガンの部屋でチューズディが彼の傲慢な物言いに腹を立てて持ち込んだ楽譜を燃やした。そしてスプリンクラーから水が雨のように降ってきた。恐らく、曲題だけを見て3話のタイトルにしたのだろう。詩の内容は、薬物中毒で何もかも失ってボロボロになった自分の暗い過去を悔いるような詩で、全然今日のストーリーには関連がないのです。もうちょっとタイトルに使う曲の詩も考えようよ。二人のうちのどちらかが薬物に手を出す話で一気に暗転するのかと思うじゃん(笑)。知っている人は少ないと思うけど、知っている人には謎なタイトルだよ。James Taylorと書いてあったので苦言を呈さないわけにはいかないよ。
 
アーティガンは調子に乗ってるね~。売れるとこういう風になる人いるからね。チューズディが怒るのは当然。自分が作ったお気に入りの曲を聴きもしないで馬鹿にされることほど頭にくることはない。バンドマンってそういうもんだ。{/netabare}
アンジーはどんな曲を作ってもらえるのかなぁ・・・そっちの方の出来栄えがとて気になります。ボカロじゃないだろうけど・・・w 変わらず楽しめてます!!
 
2話
今週はブルーススプリングスティーンの『Born to run』をタイトルにしてましたね。日本語だと『走るために生まれたんだ』(邦題は『明日なき暴走』らしいです。)っていう曲名でアメリカンドリームを追いかける為に、どんな困難や危険があっても走りだすんだ~的な歌ですが、毎回誰のどの曲をタイトルにするのか楽しみです。先週のシンディーローパーの『True colors』から一転した内容の曲ですが・・・。
しかし、{netabare}二人の歌が上手すぎてちょっと笑っちゃいましたが、いい曲です。OP曲もとても良いし、曲のクォリティーはとても高い。はやくも二人の歌はプロモーターらしき人の耳に留まり、これからマーズ(火星)ドリーム?に向かって走り出すのでしょう。対比した存在としてアンジェラの声帯チェックをしていたAIサウンドクリエイターが登場しましたが、こちらの方の曲もかなり楽しみです。{/netabare}これくらい本格的なサウンドを挿入してもらえると、なんか私はワクワクします。次週が待ち遠しいです。
 
1話
EDいいですね~♪ ネイブリックス&セレイナアンって組み合わせが新鮮でいいです。歌は、キャロル&チューズディってなってたから、きっとこの二人が本作中の英語の歌を担当するのでしょう。これは楽しみです。
 
{netabare}シンディローパーのエピソードを動機づけにして都会へアコギ一本を抱えてやってきたチューズディは空港でギター以外の荷物を盗まれて途方もなく歩いている時にキャロルに出会う。そして二人はキャロルの家で過ごすことに・・・。サクセスストーリーなのだろうが、本作中の歌はネイブリックスとセレイナアンが担当しそうですね。正しい!!そこで手を抜かないことはよい!!ネイブリックスもセレイナアンも若い期待のアーティストでまだプロっぽさが沁みついてないアーティストだ。チョイスも良い。{/netabare}
 
ちなみにシンディローパーは、小学生のころに最初に習った楽器はギターでそれで歌を作っていた。だから、その影響をチューズディが受けたとしたらアコギを持っていることは至極当然で、そのあたりも手抜きが無いのが素晴らしい。
ちょっと期待していいと思います。私にとっては今期一番楽しみな作品になりそうです。いい作品になるといいな~!!

注)Nai Br.XX(日本語ではナイブリックスと表記される場合あり)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 33
ネタバレ

HmFDB75691 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

最終話&総評 曲はよかったよ

男女でなくて、女の子二人なんだね……というのが最初に思ったこと。


第1話 歌はよかったのに、で終わらなければいいが
{netabare}
キャラデザも歌もいい。ただ、現代のアメリカでいいのに、火星にしたところが、気になるところで、気に入らないところで、嫌な予感しかしないところ。しかも、未来感まったくない。
火星ではなく、じつは別の場所だったという伏線なら面白いが、設定ならイマイチだと思う。さすがにロボは出ないだろうけど、SF的要素が絡まりそうな気がする。

最終回で、歌はよかったのに、ほかはイマイチだったという感想にならないか、いまから心配な作品。
{/netabare}

第2話 火星ではないと予想しておく
{netabare}
現代的な物が多くて違和感がある。火星に移住してから徐々に技術力が上がって21世紀と同レベルに至った、そんな感じなんだろうけど、10年あればすたれるネット用語まで残っているのは不自然すぎる。

人間が作った曲とAIが作った曲をアニメの中で対決させる、そういうテーマなら火星が舞台で現代的なものが出てもいいとは思う。そうでないなら、伏線を疑ってみたくなる。

AIで管理された地球が舞台で、人類は火星にいると思い込まされている。だけど、キャロルとチューズデイの曲によって目を覚ます。そのため、二人が表舞台に出てこないよう、AIがじゃまをする。二人はAIのシステムを解除するための鍵(遺伝子)を持っている。

序盤はこんな感じで予想しておく。
{/netabare}

第3話 ミュージカルを作りたかったのかな
{netabare}
『ラ・ラ・ランド』に触発されてアニメでミュージカルでも作りたかったのかな、コインランドリーのシーンを見ててそんな印象を受けた。現代のアメリカだとそのまんまだから火星や未来といった設定を加えたのかも。ミュージカル風アニメなら、設定に深い意味はないだろう。

現時点では可もなく不可もないといった感じ。チューズデイは家に戻されるフラグが立ってそう、キャロルは過去になにかありそう、その程度かな。歌を中心に据えているなら、ストーリーはそれほど凝る必要はないと思う。
{/netabare}

第4話、第5話 曲を聴くために見ている
{netabare}
二人の曲を聴くために見ている感じ。ロボとか出てきて、曲のイメージを壊さないか心配……。現代のアメリカのほうがよかったな。アニメだからと言って、SFやファンタジー要素を入れる必要はないと思う。

あと、第5話の曲はチューズデイに関係していて、自分の進む道を見つけたから兄は無言で立ち去ったのだと思った。
{/netabare}

第6話 今後ありそうなサブタイトル(曲名)
{netabare}
客層に合わせて曲を作るようじゃまだまだ、と突っ込まれる展開と思ったけど、褒められていた。第6話は、可もなく不可もないといった内容。キャロル&チューズデイの曲が中途半端だったので物足りないかな。

今後ありそうなサブタイトルは、”Everyday Is A Winding Road”。歌詞のなかに、火曜日の晩に生まれたというフレーズがあるし、毎日紆余曲折ってのも合っているし。次回はキャロルのエピソードっぽいけど。
{/netabare}

第7話、第8話 曲作りの過程を描いてほしい
{netabare}
”マーズ・ブライテスト”は、アメリカの番組を真似しているだけ。日本で紹介されたときも素人がオペラを歌って審査員を驚かせていた。
キャロル&チューズデイの曲にはオリジナリティを感じるけど、ストーリーには感じられない。

ここまで曲を作る過程があまり描かれていない。Aパートでなにか出来事があって、Bパートでそれを歌詞にして歌うのがよかった。友人の結婚式のために作った曲がヒットしたとか、たまにあるけど、そういった感じで、二人の曲もジワジワと広がるほうがよかった。
{/netabare}

第9話~第11話 2クールらしい……
{netabare}
次回が最終回と思ったけど、2クールらしい。第1部がデビューまでで、第2部がデビュー後だったかな。2クールならもっと話を面白くすべきだろう。1クールと思って観てたから耐えきれたのに……。ストーリー以外はいいので、ストーリーだけなんとかしてほしい。

キャロルの生立ちをからめた地球編とかありそう。チューズデイは大統領選に利用されるとか。最終的には出会ったころが一番良かったと思い直して、ストリートライブをして終わり……そんな第2クールを想像してしまう。
{/netabare}

第12話 気になる三つの点
{netabare}
第1クールのラストはよかった。曲がよかったのが大部分だけど。曲が料理なら、ストーリーは器。ありきたりな器に、いい料理が盛られている感じ。歌う場面を盛り上げようとするストーリーは及第点だと思う。

ここまで観てきて、気になる三つの点を挙げみる。

1.未来、火星の設定が生かされていない
曲を作る詐欺ロボの回がなければ、現代のアメリカでもいいくらい。この設定は必要だったのか、ずっと疑問に思っている。

2.曲作りの過程がほとんどない
恋愛経験がなくてもラブソングは作れる。でも、恋愛相手を想像しながら曲を作ると思う。そういった過程がほとんどなく、突然、曲が出来上がっている印象を受ける。

3.AIは必要なのか?
キャロル&チューズデイ以外の曲は、AIで作られている設定だが、じっさいは人が作っている。だから、「アンジェラの曲はよかった」と感想があっても、「AIすげー」とはならない。AIを感じさせるところがない。

日本には桜の曲が多いけど、アメリカはそれほどないだろう。場所が異なれば生まれる曲も変わってくる。ましてや、火星なら現代の地球人では理解できない曲になるのが自然だと思う。
ここまで観てきて、どの曲も、人が作詞作曲した現代アメリカの曲にしか思えない。未来、火星、AIの設定を生かすなら、21世紀の曲がなぜか未来の火星で生まれる、といった謎にするしかない。
{/netabare}

第13話 冒頭シーンの伏線回?
{netabare}
普通にデビューでなくてよかった。ED曲はAIっぽいかな。アンジェラがアンドロイドだったら面白いなあ、とかED観てて思ったりした。

コインランドリーの男はキャロルの父親だろう。伏線としては普通。注目したのは、チューズデイの母親の演説、”不法移民の退去”。たぶん、キャロルに該当する。キャロルの父親がそのリーダー的存在で、キャロルとチューズデイの仲を裂く原因になる……。アンジェラも含めて親子関係がこのアニメのテーマの気がする。

政府側と移民側で争っているときに、キャロル&チューズデイが歌って奇跡を起こす、それが冒頭シーンなのかなって思った。
{/netabare}

第14話 クリスマスだから……
{netabare}
クリスマスに生まれたから、キャロルだったんだね。地球のクリスマスなのだろう。
地球と火星では、一日や一年の長さが違うから、クリスマスとかどうしてるんだろうって、思った。今回の感想は、それくらいかな。

今後の予想では、火星の政治家と移民との対決があって、二人が巻き込まれたり、歌で鎮めたりするんだろうと思っている。
未来の火星にしたのは、現代アメリカにすると政治色が強くなるからかも。現代のものがやたらと出て、アメリカっぽいのは、遠回しのアメリカ批判かなって、ちょっと飛躍して考えてみた。
{/netabare}

第15話~第17話 終盤の展開を予想してみた
{netabare}
ここ数話、レビューする内容でもないし、二人の曲もないので、終盤について予想してみた。

次回、キャロルが地球移民だと、チューズデイがうっかり母親に話してしまう。娘が地球移民と一緒に歌っているなど知られてしまうと大統領選は確実に落選。キャロル&チューズデイは強制的に離れ離れに。キャロルがひどい目に遭うのはほぼ確実だろう。

別れたあと二人はそれぞれ曲を作るのだけど、なんかしっくりこない。チューズデイの兄の助けもあって、キャロルの居所をつきとめ救出←第1クールのラストの逆パターン。

二人が合流し、曲を合わせると、最高の曲が完成。地球と火星でいざこざが起きて、二人の歌が人々の怒りを鎮める……とはならないと思う。あまりにもマクロス的なので。

起きるのはAIの暴走。経済が麻痺して、地球とか火星とか関係なくなる。第17話のコントは伏線。AIの作った曲では鎮められず、キャロル&チューズデイが奇跡を起こす……こんな感じかな。
{/netabare}

第18話 いろいろ考察したくなってきた
{netabare}
恋愛要素は欲しかったけど、あっさりしていた。まともな男キャラがいないから仕方ないんだろうな。

今回はけっこう伏線が張られたような気がしている。
まず、テロは選挙屋が起こしたことだろう。記者がこれを突き止め、逮捕されるという伏線も張られた。

アンジェラの役回りがよくわからない。ハッキングできそうなのはタオだけど、アンジェラよりはアンジェラのデータにしか興味がなさそう。ハッキングできる新キャラが登場するのは不自然だし、既存キャラも同様だと思う。
だから、AIだと考えている。終盤でAIが暴走するとみている。このアニメに出てくるAIは欲望が強い気もする。

地球移民のキャロルが選挙屋にひどい目に遭わされる可能性は高いとみている。大統領選にとって最大のネックになるから。
地球移民に対する強硬策もAIの仕業かも。地球と火星を戦わせるため。人類には任せられないとAIが考えた。人にしかできないことを示すために、キャロル&チューズデイが歌う……そんな感じかな。
{/netabare}

第19話~第23話 アンジェラが主役でもよかった
{netabare}
最終回直前なので、久しぶりにレビューしてみた。
第23話のアンジェラのED曲はよかった。アンジェラサイドだけを見ると、ストーリーもよくなっている気がする。挫折や切ない恋愛とか、主役がやりそうなことをやっている。アンジェラ&キャロチューでもよかったかも。
キャロルとチューズデイは大事に扱われて、それが返って物足りないキャラになってしまっている。

ラストは世界中のアーティストで一つの曲を歌う……って、普通じゃん。奇跡でもなんでもない。しかも、「奇跡」ってキャラに言わせているし。視聴者が口にして、奇跡って言えるんじゃないのか。
たぶん、きっと、予定とは違う展開があって、視聴者を「アッ」と言わせるんだろうな。個人的には、アンジェラが主役の座を奪って締めくくるのが、奇跡的な展開だと思う。
{/netabare}

最終話&総評 曲はよかったよ
{netabare}
ラストは曲に力を入れすぎてストーリーはおざなりだった印象。キャラに奇跡と言わせている時点で、ムリクリな結末だった。

第1クールは、ストーリーも曲もキャロル&チューズデイがよくて、第2クールはアンジェラって感じ。第2クールのキャロル&チューズデイはイマイチ。成長したと言っているけど、成長した過程を見せてもらっていない気がする。


【総評】
曲が中心だからストーリーはこんな感じかな。許せる範囲だと思う。海外の視聴者を意識してアメリカ風にしたのかもしれないが、日本の文化や外国人には理解しにくい日本人の感覚を取り入れたアニメを作るほうがいいと思う。

洋楽に詳しいわけではないが、よく聴く。さいきんよかったのは、「セニョリータ」。サビの部分は中一の英語でも理解できるくらい簡単。このアニメも印象に残っているのは、第1クールのOP曲やファイヤーとか言っていた曲。簡単なフレーズが入ると記憶に残ると思う。あとは、キャロル&チューズデイと男性アーティストが組んで一曲ほしかった。
{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14
ネタバレ

かんぱり さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

女の子デュオの成り上がり物語

火星に移住して50年が経った世界で2人の女の子が出会い、そしてキャロル&チューズデイを結成して人々の心に残るミュージシャンになっていくお話。
最初から通してみて、全体的に無駄な話があるような気がしました。雰囲気は良いものを持ってるんだから、もう少しシナリオを練りこめば、もっと面白くなったのかなと思います。あと個人的には政治的な要素はいらないかな。もっと単純にミュージシャンの成り上がり物語としたほうが楽しめた気がします。
ラストは本当に約7分間でしたが、毎回冒頭で煽られてたのでどんどん期待値が高くなって、え?これが?って感じでした(-_-;)
以下、各話の簡単なレビューです。

前半(1-12話){netabare}1~2話は話も面白そうだし、絵も音楽もいい感じで、今期楽しみな作品だと思ってました。
3話は、あまり印象に残ってない。
4話のプロモを撮る話は別にいらないかも。
5話の小さな会場での初ライブは良かったかな。
6話はいきなり大きな会場で歌うことになるけど、ヤジが凄くて大変ながら頑張って歌って・・って話でまあまあ良かったです。
7話はちょっと残念。オーディション予選の話なんだけど、予選に頑張って勝ち上がった!!というカタルシスが得られない展開。だってほかの出場者がヘタすぎるし。もっと違う見せ方というか表現の仕方があったんじゃないかなと感じました。
8話は予選を勝ち上がった組同士が競う話。できれば、キャロル&チューズデイが勝った理由が、相手の〇〇が原因とかじゃなくて、違う理由だったらよかったかな。この辺もっとシナリオを練って欲しかった。
9話もオーディションの話。出場者がみな個性的だし歌もまあまあなんだけど、私の中でなんか盛り上がらない。。。なぜだろうと考えたけどたぶん、勝ち負けのジャッジがよくわからないからだと思った。歌の勝負だし、仕方がないのかもしれないけど、キャロチューで退屈だなとはっきり感じたのは7話から。いまさらだけど、もっと別の方法でアンジェラと戦わせたほうがよかったんじゃないかな。
そういえば、8話でなくなった冒頭ナレーションが9話で復活してましたね。ちょっとしつこいかも。
10話。今後シベールがどう話に絡んでくるんだろう。前回、オーディションがいまいち盛り上がらないって書いたけど、今回はタオが直前にアンジェラの歌を変えてきたり、チューズデイがシベールを追いかけていくとか、話にアクセントが付いたためか、飽きずに見れました。
しかしチューズデイ、大事な対決前にシベールを探しにいくとか何考えてんの(-.-)そういうところは世間知らずのお嬢様なのかな。
チューズデイが箱を開けたら悲鳴が!次回ちゃんと歌えるようになる?
11話。アンジェラ結構いい子じゃん。もっと意地悪かと思ってた。
キャロチューの曲は女子版サイモン&ガーファンクルって感じのフォークソング。
んー。やっぱりジャッジの基準がよくわからない。
単に審査員の好みで決まるような気がしないでもない。。
オーディションに未来を懸けてるキャロルから見ると、チューズデイの態度はとても不安になるのも分かる。チューにはもっとしっかりして欲しい。。
家に連れ戻されるチューズデイ。それを必死で追うキャロル。キャロルいい子だな。応援したくなる。
決勝間に合うの?どうなるんだろう。
12話。家に連れ戻されるチューズデイ。
あらためてキャロルが自分にとって大切な存在だと感じるチュー。
キャロル達はチューを連れ戻すためにチュー邸へ。
キャロチューの歌を理解してくれた兄の助けもあって、脱出できて会場へ。
前回あたりから思ってたけど、アンジェラいい子だな。歌に対する気持ちもまっすぐだし応援したくなった。
ライバルが魅力的なのは作品としては良いと思う。
キャロチューも2人の気持ちが1つになったような歌。
アンジェラの歌もキャロチューの歌もどっちも良かった。
観客の声援もあってデビューできることになったキャロチュー。
んー。いい最終回でした。。。もちろん嘘です(*^_^*)
でも今回結構盛り返した感ありました。{/netabare}
13話。{netabare} 後半も冒頭の奇跡の7分間をやるのね(-_-;)もういいのに。
OP変わったね。小山田圭吾作曲なんだ・・でも前の方がよかったかな。。
有名になってきて、TVにも出たり取材を受けたりと急に多忙になるキャロチュー。
会見で、新曲を披露するアンジェラ。フォロワーも200万を超えてすごい人気。
コインランドリーで絡まれたキャロチュー。助けてくれた男は後で話に絡むのかな。
アンジェラに彼女らしいクールなエールを贈られ、競争相手だと言われるキャロチュー。
大手レコード会社の契約の誘いを蹴るマネージャーのガス。普通はありえないけど、お話としてはこっちの方が盛り上がるよね!で、伝説のプロデューサーに会いにいくことに。
なんか想像以上にヤバそうな人だけど、大丈夫なのこれ(゜o゜)
今後大手レコード会社のアンジェラと、自主制作のキャロチューのライバル対決が軸になっていくんだろうけど、契約を結ばないんだったら、長々とオーディションパートをやらなくて良かったんじゃないかなと感じました。{/netabare}
14話。{netabare} 斧持ってるし酒もってるし口悪いし。。大丈夫なのこのプロデューサー(-_-;)
前回コインランドリーにいた男ダン。前科持ちなのかな。
キャロルの親を名乗る奴らからまた助けてもらって・・もしかしてこの男ってキャロルの・・
新プロデューサーのトニーに何回もリテイクして、52テイクでやっとOKをもらったキャロチュー。
52テイクて(・_・;)声枯れちゃうでしょ普通。。
地球に帰るというダンを空港まで送るキャロル。その路中のダンの語る物語を聞いて、自分の父親だと悟るキャロル・・次に会えるのは何年後かみたいだけど、いいお父さんでよかったな。{/netabare}
15話。{netabare}ファーストシングルを発売したキャロチュー。
それを聞いたデズモンドっていう有名人に招待されて・・
デズモンドのジャケットって、もろプリンスの「LOVESEXY」みたい。。
本当に伝えたい人に向けて自分の想いを込めて歌うことが、大切だというデズモンド。
そして、自分の想いをつないで欲しいとキャロチューに託して・・・{/netabare}
16話。{netabare} サウスバイサウスウエストっていうイベントに出場することにしたキャロチュー。
道で拾ってきた3人組をバックバンドに採用するけど、もろモブっぽいなこの人たち。でも凄腕っぽい。
1人寂しそうに黄昏てた歌手のフローラ。ガスの昔の知り合いみたいだけど、何か訳ありみたい。
帰るところがないフローラをキャロチューの家に泊めてあげることに。
フローラはキャロルが歌うようになったきっかけを作ってくれた人だったんだね。
そしてステージでフローラの曲を歌うキャロチュー。それを見て歌を口ずさむフローラ。立ち直れたのかな。。{/netabare}
17話。{netabare} アーティガンがAIに仮想通貨持ち逃げされて破産しちゃってロディのとこに世話になることに。
キャロチューはアルバム制作に取り掛かる。プロデューサーはまたあのトニー。
少し聞いただけでアルバムに採用しないとか厳しいけど、そういうプロデューサーも実際いるからなあ。
AIに何十年も頼ってたせいで、アナログな曲作り不安になるアーティガン。でも曲ができて。
アンジェラに曲を提供しにいくけど、なぜキーボード借りたキャロチューに曲提供しないの?{/netabare}
18話。{netabare}アンジェラが謎のストーカーに狙われて。
ストーカーはブラックナイトと名乗って、天気をコントロールしてる施設を爆発させたのはそいつ?
おかげで急に寒くなって雪が降る街。
ジャーナリストのカイルとチューが会って話をするようになって。チューはカイルに好意があるみたいだね。
でもカイルと知らない女性がキスをしてるところを見てしまってショックを受けるチュー・・{/netabare}
19話。{netabare}フェスに向けて準備を頑張るキャロチューたち。
アンジェラもシークレットゲストとして出場するみたい。
タオがブラックナイトを見事に捕まえて、無事フェスで歌うアンジェラ。
そして次がキャロチューのステージ。
派手なアンジェラのステージとは対照的に静かで穏やかな感じで歌うキャロチュー。{/netabare}
20話。{netabare}マーズ・グラミー新人賞にノミネートされたキャロチュー。
同じくアンジェラもノミネート。2人の対決になっていくのかな?
権力者みたいな人への協力を拒んで報復に逮捕されるタオ。タオって実はすごい人?
タオが違法な人体実験?ん?もしかしてそれって・・
お前を引き取って育てた、お前の気持ちなんかどうでもいい、とママから言われるアンジェラ。。{/netabare}
21話。{netabare} 倒れて意識不明になるアンジェラママ。過去の自分の履歴を探すけど、見つからないアンジェラ。
アルバムを締めくくる曲を教会でレコーディングするキャロチュー。そして憧れのクリスタルと共演することに。
一方、精神が不安定になって薬を大量摂取するアンジェラ。友達もいなくてひたすら言われるがまま仕事をしてきたアンジェラがかわいそうすぎ。。
保釈されて、仕返しをしようとするタオにアンジェラからの助けてメールが。{/netabare}
22話。{netabare}クリスタルから闇の中の光になるような曲を、と言われ、曲づくりに悩みながらも頑張るキャロチュー。
一方、アンジェラはすっかりやつれてしまって・・
・・そしてマーズグラミー受賞式の日!でも追い打ちをかけるようにその日にアンジェラママが亡くなって・・
キャロチューはクリスタルと共演し、ステージを盛り上げる。
会場に遅れて現れたアンジェラ。新人賞は見事アンジェラが受賞してなんとか歌い始めるけど・・
何か元気のない歌い方・・あーアンジェラがかわいそうで見てられない。。。
そして歌の途中で倒れてしまうアンジェラ!{/netabare}
23話。{netabare}チューの元を訪ねる兄スペンサー。母親の参謀ジェリーがテロの自作自演をしていて、それを公表しちゃうと母親が大統領に落選してしまう。。悩むスペンサーがチューに相談する。
移民に対する風当たりが強くなってきて、そこでキャロチューが大勢のミュージシャンが一緒に歌うことを提案する。なんかWe are the worldみたい。。次回のタイトルはそれだったりして。
そして「奇跡の7分間」の原動力になる曲を作り始めるキャロチュー。{/netabare}
24話。{netabare}アンジェラに会いに来たタオから驚きの真実が・・
そして自分の歌を歌うようにアンジェラに伝えるタオ。
ついに曲ができたキャロチュー。
オーディションに出てたミュージシャンたちが歌うために集まってくれて。
オーディションいらないかもと言ったけど、このためにあったみたいな感じだね。
そしてアンジェラも。。
そして始まる。大勢のミュージシャンがキャロチューと歌う「奇跡の7分間」が!{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 33

71.4 3 アメリカでオリジナルアニメーションなアニメランキング3位
天晴爛漫!(TVアニメ動画)

2020年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (264)
867人が棚に入れました
19世紀が終わりを告げ、20世紀の幕が上がろうとしている時代・・・天才だが社交性0のエンジニア『空乃天晴』と、凄腕だが臆病な侍『一色小雨』はある事故で日本からアメリカに漂流してしまう。無一文の二人が日本へ帰るために選んだ方法は、「アメリカ大陸横断レース」に参加すること。スタートは西海岸ロサンゼルス、ゴールはニューヨーク。自作の蒸気自動車で荒野を駆け抜け、クレイジーなライバルと競い合い、アウトローや大自然から身を守り・・・果たして二人は過酷なレースに優勝し、賞金を手に入れ故郷へ帰ることができるのか!?

声優・キャラクター
花江夏樹、山下誠一郎、悠木碧、雨宮天、斉藤壮馬、折笠富美子、櫻井孝宏、杉田智和、興津和幸
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

自由への挽歌

【微々修正】


自動車黎明期の破天荒なアメリカ横断レース。

作中に、現代の自動車技術や運転テクニックが当たり前に混入しているように、もちろん現実の自動車史をなぞっているわけではない。
時代劇でも、たとえば『天下御免』や『幕末太陽族』などのように、時代考証を無視してエンターテインメントすることは当たり前なので、エンターテインメントのために技術史や産業史と食い違いが出ることなど気にする必要はない。

ただ、本作が創り出そうとしている時代の空気感は、「自動車の黎明期」というよりも、自動車「産業」の黎明期であるようだ。



「必要は発明の母」とよく言われるが、歴史家や技術史家の研究によると、生活や社会制度を一変させるような画期的な発明は、まず「発明」が先行し、後から「使い道」が模索されて定着することが、実態としては圧倒的に多いらしい。
錦の御旗のように、二言目には「顧客のニーズ」を自慢げに振りかざす企業人はありふれているが、「ニーズ」を先行して発想するようでは、真に革新的な発明など出てきようがないのだろう。

ようするに、顧客の「ニーズに応え」て生み出したと称するものは、何であれ些末で大したものではないと告白しているに等しい。
アニメ作品に対しても、「需要」がある/ない、と賢しげに語りたがる人は多いが、「需要」を念頭に置く作品が真に新しいものを語り得るかは、言うまでもないだろう。
主人公が一般人から理解されない「発明家」である設定は、暗合めいて興味深い。

確かに、若者のクルマ離れと言われて久しい現代では、クルマをモチーフとしたアニメに「需要」があるのかは、大いに怪しい。

が、本作が主題とするクルマもまた、最初期には、「使い道」などないまま、長く金持ちの遊び道具であったことはよく知られている。
クルマの歴史は、この「遊び」=「レース」の道具が、移動や輸送の手段という「使い道」=需要を見出されたことで、「社会的な道具」化する=産業化する方向へと舵を切った。

おそらくは偶然だろうが、「需要」の怪しい「クルマのアニメ」が、自動車「産業」黎明期のレースとして描かれることは、不思議な整合感があって、素直に視聴に引き込まれる。



{netabare}若者には関心を持たれないらしいクルマは、ある年齢以上のオッサンやオバサンには、無条件で好意的にみられる傾向がある。

最近はどうだか知らないが、昭和のポップスでは、ドライブをモチーフとしたり、クルマでデートする情景を歌ったヒット曲がいくつもあった。
特別なクルマ好きの「エンスージアスト」でなくとも、広くクルマに対する好感が共有されていた証拠だろう。

過去に、オートバイやクルマをモチーフとした他アニメの感想で、クルマやオートバイの魅力の核心は、運転者に「力」を与える=自由を拡大する「力」を身に着ける感覚であると、何度か記したことがある。
レースなどの高速走行で、クルマやオートバイを「自在に操る」ことは、クルマの「力」と一体化してこれを取り込む=自己の自由の拡大の欲望として、多くの読者や視聴者に共感されて受け入れられていた。

この欲望が、ドライバーやライダーのみならず、運転をしない少年少女までを含めて広く共有されていたからこそ、これらの作品群やポップ歌謡がヒットしたのだろう。
或る年代の男女にとっては、クルマは単なる実利的な利便性を越えて、力=自由の欲望を表象するエロス的なアウラをまとっていた、と言ってもいいかもしれない。

個性豊かな多数のキャラクターが、それぞれの想い=それぞれの「自由」を求めてレースを戦う本作の物語も、やはりこの「欲望」の表象化に連なっている。

が、自動車「産業」黎明期、という舞台設定が、そこはかとない哀愁感をも呼び込んでいるようだ。


クルマが「産業」化するとは、遊びの道具=「個人」の自由をどこまでも拡大する「力」を与えるモノが、「社会」」化するという事だ。
社会的なネットワークに不可欠の「用材」として組み込まれる「道具」においては、個人の「個人的な」自由の拡大は、相互に制限を設けられざるを得ない。
「社会的」な道具には、無制限の「自由」は許されない。

作中の「レース」で繰り広げられる破天荒な「運転」は、やがて「交通ルール」の名のもとに禁止され、排斥されてゆくだろう。

それを象徴するのが、作中に幾人も登場する「西部劇」的アウトローのキャラクターたちだ。
彼ら「アウトロー」のキャラクターたちは、時代の変化に取り残され=翻弄される存在として描かれる。
あがきつつ、それでも「前進」しようとする彼らの姿は、オッサンの目にはアニメ視聴者好みの「成長」には見えない。

「力」が支配する野放図なウィルダネス=「西部劇」的世界が消滅してゆく時代性が、個人の「力」がどこまでも拡大する「自由」を許さない。
クルマの「自由」が「交通ルール」に馴致されてゆくように、個人を有無を言わせず「社会」化する時代的必然が、これまた(意図しているかどうかは不明だが)自動車「産業」黎明期という舞台設定とシンクロして、奇妙な統一感を感じさせる。

大陸横断レースが、「西部劇」的世界を終焉させる「進歩」のように見えながら、当のクルマの「力」を抑圧する「産業」化の象徴でもあるという逆説。

「西部」開拓=西部劇的世界 の消滅を象徴するような「レース」が、「西」海岸から「東」海岸へと進むものである設定は、これも妙に整合的だ。



既に「交通ルール」に縛られているクルマやオートバイに、かつての少年少女であるオッサンやオバサンが「自由」=「力」のアウラを見ることができたのは、それでもクルマは「自分の思い通りに動かせる」という一点に根拠付けられている。
が、クルマの「社会化」は、運転者の意思にどこまでも従う個人の「自由」を許容できない地点まで進んだようだ。

電子制御化された現代のクルマは、横滑り防止機能や誤発進防止機能が常識となっている。
「運転の補助」と称してはいるが、言い換えると、クルマの許容する範囲でしか運転者の操作を受け付けない、という事でもある。

ペダルの踏み間違いによる誤発進の衝突防止機能を持ったクルマでは、あの印象的な『ルパン三世』第一話の「ガラスを突き破ってクルマが躍り出る」オープニングのような運転は不可能だ。
機関車の暴走を止める本作のクライマックスも、現代のクルマであれば実行不能だ。


別にアニメの真似をするのが目的でなくとも、気象災害が増えつつある現代で、どんな緊急事態で目の前の障害物を蹴散らす緊急避難運転が必要になるか知れたものではない。
もちろん防止機能は一定の手順で解除できるが、解除手続きをとる必要があること自体が、運転者の意思=「自由」をクルマに「許可してもら」わねばならない事を意味する。

そうした「クルマが許可してくれる」範囲でのドライバーの「自由」の先にあるのは、完全自動運転だろう。
移動の為の「社会的」な「用材」としては不足はないかもしれないが、それはパーソナライズされた鉄道のようなものでしかない。
「時刻表」がパーソナライズされたとしても、システム化された「装置」に「運ばれ」ることに「力」を得る実感はあるだろうか。

その時、クルマのエロス的アウラは決定的に喪失するに違いない。{/netabare}


{netabare}若者はクルマに関心が薄いと耳にすることは多いが、クルマが「生活必需品」である地方では相応に関心は持たれている。
が、それは必要な「用材」としてであって、移動の必要を満たせるなら、それこそ自動運転車の方が便利だと言い出すことだろう。

関心がないのは、移動手段=社会的「用材」としての自動車ではなく、個人的な「力」の拡大にまつわるクルマの「アウラ」の方だ。

むしろ、個人の「力」=個人の自由が拡大することそのものに、関心や欲望を抱いていないのではないか。
だとすれば、クルマ好きのオッサンのいう「最近のクルマは魅力がないから若者が関心を持たない」の「クルマの魅力」が「操る」楽しさ=「個人の自由拡大の欲望のアウラ」である限り、若者にとってクルマが魅力的になることはあり得ない。


本作には、「悪」の権化として西部劇的アウトローのなれの果てが登場し、黒幕的な陰謀によって物語のもう一方の側面を駆動する。
何処までも他者を踏みにじり、自分の欲望を追及することに躊躇を覚えない「悪」もまた、「自由」の負の側面ともいえる。
運転者の「自由」を追及する運転が、時に「交通ルール」や「安全」と対立する「負の側面」を持つように、ここでもまたモチーフや舞台設定との整合性が垣間見える。

注目してしまうのは、この「悪」もまた、「個人」の「力」への欲望として描かれることだ。
本作中では、「悪」の人格化として、名前のある「個人」が、この「悪」を引き受ける。


「自分の欲望のためには、他者をどれほど踏みにじってもいい」
「力を持つ自分にはそれが許される」
「力で劣るものに自分を止める資格はない」
などなど

「個人」の口から出る「悪」の論理は、しかし現代では、クルマの運転者が「社会」化された交通システムの匿名の歯車の一つとして「自由」に運転する「個人」性を剥奪されていったように、「悪人」の「個性」という個人性を離れて、社会思想化=システム化されて匿名化して拡散されている。

アウトローの語る「悪」の言葉は、この数年で政治権力の振る舞いとして、はっきりと可視化された。

国民の共有物である税金を、権力者のほしいままに特定のオトモダチや広告代理店に好き勝手に分配し、現に目の前にいる被災者や困窮者を顧みない。

単に「権力者」が「悪人」だというだけではない。
思想化=システム化した「悪」だから、個人としての権力者が交代したところで、「悪」が滅びるわけではない。

思想化=権威主義が定着した結果、「悪」を批判する言葉が上がる度に、「権力者は力があるのだから何をしてもいい」「権力を持たないものに権力者を批判する資格はない」「権力者は現に権力を持っているから正当な権力者だ」という権力擁護の罵言が、現に踏みにじられ利用されている者たちから浴びせられる。

上述した作中の「悪人」の言葉そのものの「擁護」を、「被害者」たちが内面化して疑問を持たずに口にする事態は、「個人」的な「力」としての「悪」が、社会化して匿名化=拡散化した現れだろう。
終幕で、「悪」を倒した「アウトロー」が、「個人」的な意思である「復讐」を放棄し、司法という社会システムに裁きをゆだねる決着が、「悪」が個人性を離れて社会化してゆく必然を象徴する。

「悪」もまた個人性を奪われて非・個人化して拡散するのであれば、そうした中で、「個人」の「力」の拡張に「価値」を見出したり「欲望」したりすることがないのも当然かもしれない。
あるいは「個人」が「力」を持つこと自体が想像外であるのか。

そうであるなら、自動車メーカーがどれほど「魅力的」なクルマを造ろうが、若者の「需要」を捉えることはあり得ない。



こうしてみると、レーサーたちは言うまでもなく、「悪人」すらも「個人」の「自由」と「欲望」に駆動される本作が、ノスタルジックな味わいを感じさせるのも無理はない。

正にこうした「過去」が決定的に転換する、自動車「産業」黎明期に舞台設定したことが、この印象を喚起する。

ラストで、主人公が目指す航空機も月面到達も、現代の視聴者にとっては、振り返る「過去」の出来事だ。

「個人」の「自由」の拡大にまつわる物語が、ことごとく「過去」を指し示しているのが、楽しい活劇の向こうに、ほろ苦さを感じさせる。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 5
ネタバレ

食前酒 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

P.A.WORKSのアニメです

【第十三話】(総評も含みます)
{netabare}最終話です。面白かったですね。AパートはVSギル。前から気にはなってたけど小雨もギルもTJもみんな普通にピストルの弾真正面からよけてるのはどうなんだと思いますが、ギルはディランとTJによって普通にボコられて倒されました。ギルの強さは最後どうやって収めるんだろうと思ってたけどやっぱりあっさり倒されて終わりでしたね。一方、裏では天晴たちが爆弾入りの暴走列車を車で止めるという破格展開で、物理的に可能なのかどうかはさておき、迫力も画力もあってなかなか面白かったです。無事列車も止めてソフィアも救出、ギルも警察に突き出して万事解決。一か月後にレースが再開されみんなお待ちかねのレースシーン。天晴号の急加速からの急カーブ。そのまま全部ごぼう抜きしてなんと一位は天晴号。私はウマ娘みたいに全員同着にするかなと思っていましたが最後にはみんなしっかり順位が付いてましたね。レース後天晴と小雨は引き続きアメリカに残り飛行機作りをすることに。この収めどころもよかったと思います。さて、作品全体的に見るとやはりレースシーンが少ないことは気になったし、SNSの評判もそこが論点になってたのが多かったようですね。でも最後まで見た方なら察してると思いますが、このアニメはレースだけをとり得にはしてないですよ。十一話、十二話あたりの感想でも書きましたが天晴や小雨の生き方だったり他人との向き合い方などある意味人間ドラマチックに変化を感じさせてくれたと思います。あくまでレース事態はそれらを見せるための要素であり、ギルの圧倒的なまでの悪役ぶりもそうです。もちろんホトトやシャーレン、TJ、ディランにもしっかり物語がありました。それらにプラス、レースやアクションシーンのアニメーションや背景の作画のリアルさももちろん抜かりない。私が思っているPA制作の良いところが今作もしっかり感じられました。なので初めからレースアニメだ!と思ってみていた方やそれを期待していた方はイマイチだったかもしれませんね。これから見るという方は是非こんな視点で見てみてください。私は十分楽しめました。{/netabare}

【第一話】
天晴のからくりオタク感、それに翻弄される小雨の今後の展開に期待せざるを得ないですね。
【第二話】
一話から変わらす背景すみずみまで丁寧でした。ほかにもPAらしさは随所に感じましたが何よりエンドロールがかっこよかった!
【第三話】
私が思うPAの良いところはいくつかありますが、そのうちの一つキャラ一人一人の「設定」に手を抜かないところがこの作品にも感じます。今のこの3~5話あたりの振りがこの後うまいこと効いてくるんでしょう。役者がそろってきて今後のレースが楽しみです。
【第四話】
4月コロナ事情で延期から再開。女性レーサーのお話で良くも悪くも普通な展開だと思いました。はやく本番の大陸横断レースがみたいですが、キャラクターも出揃って無いようですし、天晴もマイカー鋭意製作中なのでまだまだ仕込みの段階が続きそうです。
【第五話】
{netabare}途中のドレスコードいざこざやポールポジション争奪戦やら終始このアニメ独特の雰囲気出してます。次回からようやく本格的なレースが楽しめそうです。第1話でスタートシーンを描写することで5回分積み重ねられてきた分、今回の5話で見る同じシーンでもキャラ関係の深みが増します。PAの気合の入った構成作りを感じますね。{/netabare}
【第六話】
{netabare}序盤から熱いレース展開でした。荒野を走る電車に道を阻まれ他のレーサーたちは止まっている中、天晴は追いつきながら猛スピードで脳内計算。(ドクストの千空みたいですごかった(笑))からの通過する電車に車をかすらせて速攻方向転換!結果的に中間地点ではいい順位ではなかったものの天晴のレース展開は見てて飽きません。スピードもパワーも勝る敵レーサーと張り合っていくうえで、天晴のもつ知識でいかにして相手を打ち負かすかがカギ。天晴号もまだまだ変形していくようなのでそこも併せて楽しみです。{/netabare}
【第七話】
天晴のような絶対合理主義者が自分ないし他人の非合理的な考えに理解できないというあるいみ典型的な流れ。しかし、過酷なレース場面でみんなでキャンプをやったり夜空の星を見ながら語らうところもあり且つここまで作画も安定していて普通にいいアニメになってる。あとは今回の落ちからこの後のストーリーをどう作っていくのかがアニオリとして見どころだと思う。
【第八話】
{netabare}今回は小雨回。良かったところもあったけど惜しい感じがした。Bパートの小雨はかっこよかったしホトトとの兼ね合いもまぁ良し。で気になったのは脚本面かな。まずAパートで先頭集団が何者かに襲われ車も壊されレーサーたちも惨死。そこにで運よく生き延びたとか言ってる津田さんボイスの男。あの時点で100:0でこいつが犯人ってわかったし小雨の母親の殺され方も適当に感じた。そりゃ時代が違えば命の落とし方は違うだろうけど突然家から出てきた覆面男に切られてそして小雨だけ何故か生き残ったってちょっと説明不足では。どれもそこまで大きな汚点ではないけど、思ったより浅いシナリオになりそうでちょっと期待は下がった。まぁこの後のレース展開も白熱してくるでしょうからそこは楽しみにしてます。{/netabare}
【第九話】
{netabare}う~ん面白い!レースしてなくてもこれだけ面白い。今回はPAらしさの詰まった私好みの回でしたね。いったんレースは中断され残るレーサーたちでとある村に滞在するんですが今までほぼ関わり合いのなかったキャラクターたちが交わって一人一人個性が良い感じに出てました。シャーレンと小雨、ホトトとチェイスとトリスタン兄弟など。特に面白かったのはアルとTJの酒飲み対決とディランが髪切ってるところ(笑)。アルとTJの飲み対決は一杯で倒れたアルの代わりにソフィアが飲みまくって勝ちました。ディランの知人に髪の毛切ってるところをバレないように隠れる気持ちも良くわかる(笑)。そうしてみんなわいわいしてる間にも天晴は村中を歩きながら車の開発研究。ディランの散髪中にも乱入しました。そして最後は出ましたPAのお風呂シーン!レーサーみんな大集合してカットが変わるたびに皆変なことしてました(笑)。キャラクター一人一人にしっかり焦点を当ててアニメ映えのためだけにキャラクターを量産するのではなくこのアニメのストーリー展開において誰一人欠かせない存在にする。PAの好きなところです。でも今回の内容でだいたい今後の展開もわかるし最終回の落ちもなんとなく予想できてしまうのでそこは…。相変わらギルの動きもわかりやすすぎるし(笑)。{/netabare}
【第十話】
{netabare}予想以上に衝撃的な話。いよいよレース再開のAパート。天晴号はハイブリットエンジンを導入してさてさてどんなレース展開になるかと思いきやギルが動きます。というかこのギルが思った以上にたちが悪かった。覚醒したギルは命令に従わない奴はバンバン撃ち殺して、あっという間に列車をハイジャック。レースも中断されてここでようやくギルの正体が分かったレーサーたちも動揺。このギルがめちゃくちゃつおいし性格もまさにアウトロー中のアウトロー。ディランもTJも倒されて挙句の果てにレーサーの車まで破壊。天晴号にも火を放たれて激昂の天晴。次の瞬間乾いた銃声とともに目の前で倒れる小雨の姿が…。なんだろう予想以上に残酷なシーンもあってレース関係ないところで過酷だなと思った。{/netabare}
【第十一話】
{netabare}良く言えばPAらしいキャラクター一人一人に焦点を当てた丁寧な作り込み。悪く言えば展開が王道過ぎて唆られない。天晴の落ち込みからの復活具合とかアルの動揺っぷりなんか絵に描いたようなもの。小雨も危険な状態から無事生還。復活した小雨が輸血に例えて話していた場面はギルという人類の進歩をさげすむ存在と天晴という人類の先端を行くものの存在が対極で表されてていいと思ったけど今回強いて良かったところを挙げるならそこだけだったので残念。{/netabare}
【第十二話】
{netabare}今回もレースシーンは微塵もありませんが面白かったです。ギルにさらわれたソフィアを救うべく復活した小雨や大会進行役の男もつれて総勢十人で適地に乗り込みます。戦闘アクションや作画はとても良かったです。背景作画ももちろんですがアクションでは特に小雨の必殺技やシャーレンの戦闘シーンはかなり動いてたので引き込まれました。他方でいいなと思ったのは天晴。最近また序盤の話を見直してきましたが天晴はここまでの12話で変わりましたね。見た目は変わってないですが中身は見違えるぐら変わってます。一話のあのムスッとしたからくりオタの天晴が人助けをするなんて考えられない。二言目には「合理的じゃない」って突っぱねますから(笑)。それが今回のOP前の10秒セリフではソフィアを助けるみたいなことも言ってたし、仲間とも進んで協力する。そしてなにより人にありがとうを言えるようになったこと。人として当たり前のことなんですが天晴のこの人間性の変化は私は成長だと思っているので良い話だなと思いました。私もレースシーンが見たいのはそうなんですがやっぱりそこはPA作品ということで今回の天晴のようなキャラクターの関わり合いや成長物語を楽しむべきとも思います。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 8

キャポックちゃん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

マイノリティへの優しい眼差し

【総合評価☆☆☆☆】
 ここ数年、不出来な脚本のせいで残念アニメの多かったP.A.Worksが久々に放った快作。開拓者精神の残る資本主義黎明期のアメリカを舞台に、さまざまな思いを胸に大陸横断自動車レースに参加する人々の姿を描き出す。
 何よりも、この時代のアメリカが持つパワーと危うさを的確に表現した点が素晴らしい。経済が過激なまでに急成長するさなか、文字通り何でもありの状況。一昔前の中国を思い出させるが、国家が強権的でない分、よりカオティックである。
 金儲けのためなら違法行為にも手を染める強欲資本家、ヨーロッパに対する文化的ひがみを隠せない上級市民、経済発展から取り残され爪弾きされるアウトロー、そして、弱肉強食の社会で迫害されるマイノリティ。そうした人々が織りなすゴッタ煮的な情勢を背景に、銃と刀と拳が交錯するアクションにスチームパンクの味わいが絡み、濃密な人間ドラマが繰り広げられる。

【マイノリティへの視線】
 私が特に注目するのが、マイノリティに投げかけられる優しい眼差しである。
 最も好きなキャラはジン・シャーレン。レースに参加する紅一点の中国人女性である。近年のアニメにしばしば登場する、胸だけ大きな幼女体型のヒロインとは異なり、腕や胴回りが太く、華奢な天晴よりも遥かに立派ながたいの持ち主だ。これは、中国人で女性という二重の弱みを跳ね返すために、強い意志をもって体を鍛え技術を磨いた結果だろう。
 この時代には、清朝末期の混乱から逃れようと、大量の中国人移民がアメリカに渡っていた。彼らは、拉致されてきた黒人よりも前向きに社会に入り込み、過酷な労働を低賃金で引き受けた。アメリカでは、どんな田舎町にもなぜか中華料理店があり、チャプスイなる謎メニューが提供されているが、これは、調理経験のないド素人にもアメリカ産素材を使って作れる「なんちゃって中華料理」として考案されたものらしい。シャーレンは、中国人である故に、また、女性でありながらカーレーサーに憧れる故に、厳しい差別にさらされながら、なお希望を失わずに前進していく。
 インディアン(*)の少年・ホトトも興味深い。白人に父親を殺された恨みを抱いても、復讐の対象を無差別に拡大せず、手がかりを元に犯人を追求する。その理性的な態度に感心させられる。気候や動植物に詳しく、子供でありながら、レースでは的確なアドバイザーとしての役割を果たす。
 (*)「インディアン」は、北米中緯度地域の先住民を指す一般的な呼称(本アニメでは使用されない)。これは蔑称だとして「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」と言い換える人もいる。ただし、インディアン自身は必ずしも否定的ではなく、彼らを対象としたアンケートでは、「ネイティブ・アメリカン」よりも「インディアン」を支持する割合が高いそうだ。
 メキシコ系とおぼしきアウトローのバッド兄弟は、いかつい外見とは裏腹に決して悪人ではない。こうしたメキシコ系アウトローは、国家間の領土争いに翻弄された住民の子孫かもしれない。19世紀半ば、アメリカは政情が不安定なメキシコに戦争を仕掛け、南カリフォルニアなどの領土を強奪した(米墨戦争)。アメリカ人は黒歴史として封印しているが、領土の3割を失ったメキシコの人々は忘れていない。

【最先端技術としてのガソリン自動車】
 本作のメインプロットとなるのがアメリカ大陸横断自動車レースで、多くの史実を織り込んでいる。
 1894年にフランスのパリ-ルーアン間で開催された世界初の自動車レースで1着になったのは蒸気自動車だったが、ガソリン自動車を売り込みたいメーカーの企みが奏功したのか失格にされた。翌95年のレースでは、ガソリン、蒸気、電気を利用する自動車が参加し、結果的には、完走した車両の大半がガソリン車だった。1900年前後、町中ではまだ蒸気自動車が多く走っていたものの、レースではガソリン自動車の優位が確実になったという(もっとも、当時の最高速度はせいぜい時速20~30キロ程度だったが)。
 アメリカでは、95年に初の自動車レースが開催され、フォードモーターズが設立された1903年頃から自動車産業が飛躍的に発展した。アニメで描かれたのは、この頃の状況である。アメリカから(グレートモーターズを略した)GMやアイアンモーターズが、ヨーロッパから(BMWならぬ)BNWがレースに参加し、大手自動車メーカーの威信をかけて争った。
 時代遅れになりつつある蒸気自動車で参戦するのが、日本の天才技術者・天晴だという設定にも心惹かれる。時代の波に乗って突っ走ろうとするアメリカを、旧式の技術を最高度に磨き上げることで日本が追い上げる。欧米の後追いに終始した過去百年の軌道を修正し、職人芸を重んじる本来の日本らしさを取り戻そうとする心意気が、時代設定を超越して見る者の心に訴えかける。
 天晴が設計・製造した天晴号は、いかにも無骨でスマートさはないが、ジュール・ヴェルヌの天真爛漫な技術賛歌を感じさせて楽しい。堂々たるスチームパンクの美学だ。『屍者の帝国』や『甲鉄城のカバネリ』などのメカと比較してみたくなる。ちなみに、作中で示される天晴の愛読書は、ヴェルヌの『月世界旅行』。
 天晴号が豊かな想像力の産物なのに対して、エンジニアたちによる整備のシーンでは、自負心に貫かれた内面がきちんと描写される。第3話でシャーレンがレーサーへの夢をかけて勝負を挑んだエピソードのラスト、彼らが示したエンジニア魂に胸が熱くなった。

【主役コンビのキャラクター】
 主人公の天晴は、いつも技術のことで頭がいっぱいで、人付き合いは壊滅的に下手。難問を解く際に数式のイメージが現れるところは、福山雅治が主役を演じたテレビドラマ『ガリレオ』を思い出させる。天才性を象徴する顔の隈取りや背中の綱は、キャラクター原案を担当したアントンシクのアイデアだそうで、見事に効いている。
 一方、明治の世になっても侍の気概を失わない小雨は、外見に似合わず気配りできる常識人だが、時に異常なまでのひたむきさを見せる。天晴と小雨のような天才と常識人の組み合わせは、ホームズとワトソンをはじめ、さまざまなドラマを彩ってきた最高のコンビであり、二人の友情は、恋愛模様がほとんど描かれない本作にあって、数少ない華となる(BLではありません。念のため)。

【企画の変遷】
 ほとんど信じがたいことだが、橋本昌和(監督・シリーズ構成・ストーリー原案)によると、当初の企画では「近未来の大陸横断ゴルフ大会」という実につまらなさそうな話だったとか(dアニメストア 「橋本昌和 監督 dアニメストア独占インタビュー」より)。アニメでゴルフを取り上げても、人間によるショットと最終的にボールが停止する状況を、明瞭な因果関係で結びつけて描き出すことができない。結果的に、視聴者のエモーションを掻き立てることのない、平板な映像になってしまう。幸い、ストーリーを詰める段階でスタッフを集めてゴルフの打ちっぱなしに行ったとき、「この楽しさをアニメで伝えられるだろうか?」と感じプロットを変更したそうだ。ただし、「アメリカ大陸を横断する競技」という設定を残すことで、多民族が混在するワイルドで広大なアメリカのイメージが巧みに生かされた。
 このインタビューでは触れられていないが、おそらく、初期の自動車レースで蒸気自動車が活躍したという話をどこかで耳にし、作品のベースとして取り入れたのだろう。
 こうしたアニメを見ると、作品を成功させる鍵が、中心的な作家のイマジネーションにあることが明らかになる。橋本昌和によって「アメリカ+自動車+天才と常識人」という明確なラインが示され、スタッフ全員が同じ方向を目指して前向きに作業している。アニメとは共同作業を通じて作り上げる芸術であり、それだけに中心線がきっちりと示されることが重要なのである。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 7

65.2 4 アメリカでオリジナルアニメーションなアニメランキング4位
コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~ THE LAST SONG(TVアニメ動画)

2016年春アニメ
★★★★☆ 3.6 (137)
832人が棚に入れました
「神化」という架空の年代、高度成長によって発展する戦後20余年の日本が舞台である。これまで数々のフィクションで描かれてきた、数々の超人たちが、もしすべて同時に実在していたとしたら?2015年10月よりTOKYO MXほかにて放送された第1期の続編“THE LAST SONG"が4月より放送開始!!モザイクのように散りばめられた無数の要素が新たに語られる超人や秘匿されてきた歴史の真実と化合してスパークを放つ。「もうひとつの日本」で展開する多彩な超人たちの饗宴はいまクライマックスへと高まる!

声優・キャラクター
石川界人、上坂すみれ、豊崎愛生、中村繪里子、川島得愛、金尾哲夫、鈴村健一、大川透、三木眞一郎
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

自分自身が変わったら再視聴したい

2016年4月~7月放送。分割2クールの2クール目。第14話から第24話までの11話。オリジナルです。
全話見て、頭の中が整理できずしばらくは何を書けば良いのかと思っていました。(ジョーカー・ゲームに浮気もしてましたがw)
癖が強く自分の頭で考えなければならない作品で、最後まで本当に素晴らしかったです。

最終2話が詰め込み気味なのがもったいなかったのと、赤光さんの活躍がなかったのが心残りなのと、南君が姿を消していた間何をしてたかという疑問はありますが、作中で約10年という長いスパンで描かれた要素がほぼ全て結末に集約し、希望のあるラストになりました。
部分的に見ると難解ですが、全体の流れをシンプルに考えればむしろスマートにさえ感じます。

以下大まかな感想と総括です。

【機械超人たちについて】{netabare}
来人はもちろんですが、アースちゃんとメガッシンも随分描写が増えましたね。
彼らの正義と現実に対する向き合い方は人間にも通じています。
来人は自身の正義に対する矛盾を解消できず、極端から極端に走りましたが、矛盾を抱えるのが当たり前の人間の人格をそのまま機械の体に移植したことに無理があるということでしょうか…
来人が生き生きしていたのは第1期ラストで爾朗を助ける時、最終決戦前にメガッシンと一緒に行動していた時ですが、どちらも単純で純粋な正義を他者と共有し行動した時なのかなと思います。
アースちゃんは現実との矛盾に夢を見ること(嘘を体験すること)で折り合いをつけ、外見が変わってからは人間の子どもが成長したかのように頭が柔らかくなっていますし、薫と美枝子は明確な正義と二つの視点(他者の視点)を持つことで多角的に状況判断することが出来ています。

人間たちが葛藤して時に考えることをやめてしまう中で、彼らの姿はむしろ人間的に感じられます。人は逃げ道を探せるけれど、機械はインプットされたものからは逃げられない。だからこそ学習しながらも愚直に正義を追い求めていると感じました。
{/netabare}

【ゲスト脚本家回について】{netabare}
図らずも皆神様回にw
いずれも人ならぬ存在との関係性を三者三様に描きました。
どれも素晴らしく、個性も顕著でしたしきちんと本編にリンクしています。

中島かずきさん回は人間と超人の能力的な垣根の無意味さ、土着の神が人との「繋がり」を望む姿とそれに応える人間を描きました。
個人的に原始信仰に近い神様との距離感の描き方に一日本人として共感しましたし、人ならざる存在が人にとって重要なものであることも再認識させられます。

辻先生回のデビラとデビロは人に干渉しようとせず、なにものにも垣根を認識しない思考の持ち主です。9話は時間的な無限、17話は空間的な無限が印象的でした。
デビラとデビロは、神とデーモンと人間の関係性を冷静に考えられなかった漫画版デビルマンのサタンをオマージュしているのでしょうか?デビロが中性的であることもサタンを思い出しましたが、男性と女性の外見的特徴を全てそぎ落としたようなデザインである点は対照的ですね。

虚渕玄さんの回はストーリーの本筋に組み込む形になっていました。垣根を頑強に作ったことで破滅に向かう米軍の姿は恐ろしいものでした。米軍の正義は古き存在のみならず同じ人間さえ考え方が違えば排除していくのでしょう。{/netabare}


【正義と自由と平和をいかに実現するか】{netabare}
爾朗は正義が見つからなくとも追い求めることに意味があると結論を出しました。
自分の正義を見つけたいという意味でもあり、他者の正義を尊重するという意味でもあり、正義を持たないことを悪いとも思わないという意味でもあるのかなと思います。
これは13話で神が爾朗にぶつけた「僕の自由を守れば平和が乱れる。君の正義を貫けば僕の自由が侵される。たった一つの答えなんてない」という言葉への爾朗なりの回答です。
機械超人たちにも感じたことですが、正義を独りよがりのものにしないためには、他者との共有と柔軟性は必要なのだと思います。

「正義は1つじゃない」と言うと投げやりにも聞こえ、大鉄君が反発するのはよくわかります。
でも実は逆で、正義がいくつもあることは否定されてはいけないんです。超人は無数にいて、普通の人間も超人と呼ばれることもあります。超人にはそれに対する悪が存在すると語られているわけですが、それはつまり正義がいくつあっても許されるということなのでしょう。
それに対して唯一の正義と定義したものを他者に強要し、正義がエゴへと姿を変えた米軍の姿は象徴的です。

笑美が「家族、友人、愛のために戦う時、私たちはもっと強くなれる」と語れば、爾朗はそれが恐いと言います。
特定の何かを守ろうとすれば、つまり誰かを敵と認識すれば、自身が破壊者になる危険性がある事を爾朗はわかっているからです。

里見は超人を否定し消し去ろうとしています。超人「だけ」を消そうとすることは、線引きできないものを線引きしようとしているということです。
13話で秋田課長が改定綺能秘密法案を無理にでも否決に持って行ったのは、法による線引きが超人への攻撃に繋がるとわかっていたからで、里美のしようとしているのはやり方こそ違いますが似たようなものでした。

線引きすることで可能性を奪い取るこのやり方は、爾朗にとっては到底認められないものだったと思います。

しかし、爾朗自身も実は間違えかけていました。
自分を悪に仕立てて超人たちに居場所を作るということは、その時には良くても、その後にはまた同じように敵を見つけ出して争うことになるでしょうから。
そうならなくて良かった…里見さんある意味GJ!w
{/netabare}

【大人になるということ】{netabare}
本作において「大人になる」とは、常に自分の頭で考え、多様性を受け入れ、矛盾とも折り合いをつけて生きて行くこと…だと感じましたが、まだよくわかってないかも知れません。

私個人としては、里見さんの言う「大人」は大人だとはどうしても思えません。人間は多様性を否定して特定の正義を与えられれば思考停止に陥るものです。

超人を信じる子どもの自由な視点はある意味では確かに無知から来るものです。社会に出てさまざまな価値観を学び矛盾を認識すれば、子どものままの価値観ではいられません。
ですが、子どもの視点を否定したからといって大人になれるわけではないはずです。

爾朗にとって良かったのは、超人課に守られ、社会経験を積み自分で考えることが出来たこと。悩みながらも自分から超人課を離れたのは、雛鳥が巣立つのと同じように必然でした。
誰も守ってくれなかった神は悲しい最期を迎え、上から正義を押し付けられた大鉄君は自分で考えることができず、大人ぶっていても心の中では子どものまま泣いている。
新宿の事件で神を助けられず、むしろその場にいた超人たちに救われた爾朗が、最終回では大鉄君を助けることが出来たのは、爾朗自身が成長したことの証明でしょう。

また、爾朗の成長には輝子と風朗太が超人課に入ったことが大きく影響しています。
ずっと変わらない風朗太は純粋でシンプルな視点を思い出させ、輝子は知らぬ間に爾朗を追い抜き、超人課の矛盾をわかっていても超人たちを守るために残留するまでに大人になっている。
二人とも爾朗が人間として成長する上で大きな存在だったと思います。
{/netabare}


13話と最終話は様々な意味で対比されていて特に素晴らしかったです。
特に13話の神化20年のシーンは、元ネタ的に衝撃と不安と悲しみばかりだったのですが、最終話ではこんなにも希望に満ちたものに見えるとは思いませんでした。
何年か経ったら自分の見方も変わっているでしょうから、是非再視聴したいですね。(2016.7.18)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14
ネタバレ

血風連あにこれ支部 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

昭和ヒーロー達は大人になっても戦い続ける。彼らの正義はどこに向かう?

ジローさん、年食っていい感じにやさぐれてますね。
以前は人ん家に上がり込んで飯食って「いいじゃん友達なんだからー」とか絶対言わない性格だったのに。

さてこの作品は1期がそれぞれの正義を描写していたのに対して、2期は時間が経った後各々の正義がどう変化したのかに着目していけそうですね。
みんなカッコよくなってるし、期待できそうです。

14話。芝刑事の回
{netabare}新宿動乱の回で超人の危険さが知れ渡った今、力を持っている事自体が悪で超人は排除される危険な存在となった。
この時点で超人を排除する超人課って存在自体が矛盾してるわけですけど、その矛盾に耐えられなくなった芝刑事の良心回路が熱暴走。
この話は良心回路を与えられたことで苦悩するキカイダーを思い出しましたね。

それにしても相変わらず輝子ちゃんは、ジローに恋心を利用されたばかりなのに大事な人ですって。相変わらずのジロー信者ですね。
時間が経って正義がどうのこうのってさっき言いましたけど、この娘は変わりようがないみたいである意味安心しましたw{/netabare}

16話。スキージャンパーの話。ダメかも
{netabare}締めそのものは爽やかでいいんだけど、スポーツに出場するのに改造手術が必須って…。
これ、ドーピングを公式に認めてやりたい放題ズルしろって事なんですよね。しかも国の為とか…。
いやいや、スポーツマンシップって言葉は一体どこに行ったのかと。
今回はハズレですね。作画が悪いとか、選手の性格が悪いとか色々あったけど話も色々とおかしい。
前期は、機能秘密法で超人の存在は公にされてなかったのにこの話だと超人がやたらと優遇されまくりですし…。このチグハグさは、回ごとに脚本家が違うからって事なんでしょうか。ちょっと残念ですね。{/netabare}

20話。虚淵脚本回
{netabare}今回はベトナム戦争に参加していたアメリカ軍人の話。
期待していた虚淵脚本ですが、残念ながら爆上げという程の印象にも感じず。
今更だけど国を敵に設定してしまった事で主人公が自由に動かせなくなっている印象がありますね。
まあ、下手に主人公を動かせば国が敵なだけに悪のテロリストに認定されるので脚本としてはそれを避けたいんでしょうね。
009や仮面ライダーは悪の組織が敵だったので主人公をヒーローにしやすかったんでしょうが、この作品は下手な政治主張をやりたがっていた脚本家のせいで縛りが発生してしまっている印象です。
1期でジローを離反させて以降、彼と言う人物の主体性がイマイチぼやけてしまっている印象は否めませんね。{/netabare}

21話。やっと本題に入ったみたいですね。遅えよって感じですが。
{netabare}メガッシンと倫子の回。複雑な1期の伏線を結構回収してましたね。
後、ジローの主体性のなさは意図的にやってたのか(笑)
一体何故だ! それは、坊やだからさァってな感じですか。
終盤の爆上げの為に低迷しているジロー株は、この辺で買い時なのだと思いたいですね。

しかし、ストーリーの評価はまだ保留ですね。
里見が何をしたいのかよくわからんので。
EDで日の丸をバックにしてる男なのに「原子爆弾爆発の歴史が正しかったとしたら?」とか
嘘でも言って欲しくないです。まともな日本人の発想とは思えませんね。
むしろテロリストかスパイのどちらかって言われた方が納得します。{/netabare}

最終話見ました。ラスト4話辺りは当初から計算されていた構成なのか、結構濃密な話でしたね。
{netabare}マスターウルティマのあの扱いだけは絶対に納得がいかないけど。
ラストバトルでのメインキャラ達の活躍は、速足ながらもおおむね満足できました。BL団の面々が再会したのも地味に嬉しかったですし、伏線の回収も見事だと思います。

ただアレっすねー。
最後の最後になって、里見がヒーローに倒される怪獣的な都合のいい悪役になってたのが何とも不満ですね。
悪役は悪であってこそ栄えるんですが、ヒーロー達の幼稚さをディスってる割には彼の目的も超人を追い出したいだの、原爆が爆発した時代に改変したいだのどこか薄っぺらい思想で納得はできなかったです。
超人を憎んでるって割に、里見自身が超人な事も棚に上げてるし。
最後は世界改変かと思いきや、並行世界に追い出すオチですか…。
まあ、独立宣言やら宣戦布告までしてたので火種がくすぶる前に処理したって感じではありますが。
ちょっと世界を広げすぎましたかねー。今更な物言いではありますが。

最後のEDは009リスペクトなんすね。神々の戦い的なw
最終回に関しては概ね満足なんですが、やっぱ漂う政治臭の胡散臭さとスリーバードメン回の出来の悪さ、話の取っつきづらさはあると思います。
1期の評価も併せてやや下降修正しましたが、昭和ヒーローものが好きな人には結構おすすめできる作品ではあると思います。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

異能の力を持つ超人や妖怪と人類・・・それぞれが生きるための物語でした。

この作品は、「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」の分割後期に相当します。
物語の内容に繋がりがあるので、前期を未視聴の方はそちらからの視聴をお薦めします。

1期を視聴した感想は、善悪を含めたくさんの超人が登場する中、超人を保護する「超人課」が日々奮闘しているのですが、物語の構成が時系列では無かったので難解な作品・・・でも、主要登場人物のキャラ立ちはしっかりしていたので、展開についていけなくてもそれなりに楽しめた・・・というのが正直な感想です。

そしてタイトルに「THE LAST SONG」が付加された後期が放送されましたが・・・今回も同じくらい難解だったように思います。

まずビックリするのは、超人を取り囲む周囲の状況が一変してしまっていた事です。
確かに善良な超人ばかりではありませんでしたので、人間との間にイザコザが無かった訳ではありません。
ですが、中には人々の希望の象徴とも言える超人達が活躍していたのも事実で、そんな超人がいるから人類と超人との共存の均衡が保たれていたんだと思います。

でも後期では超人は十把一絡げ・・・善良な超人もすっかり影を潜めてしまっているのです。
これからの物語への布石である事は認識しているものの、人類と超人が共存するという、どんなに我々が願っても辿り着けない世界の存在が眩しかっただけに、この展開には少し寂しさを感じちゃいました。

そしてこれらに輪をかけてビックリするのが超人課の皆さんです。
何がどうなっちゃったんだろう・・・と考える余裕も無いくらい次々と色んな事件が起こっていくのですが、その物語の先にあるのは超人課の皆さんに対する違和感でした。

特にビックリだったのが主人公である人吉爾朗の言動です。
彼の根底に根付いているモノ・・・それは何も変わっていないのかもしれません。
でも・・・そうだったらもう少し違う態度が取れたようにも思えるんです。

・・・と、レビューを書いていて思ったんですが、違和感を感じたのは超人課の皆さんの「正義の質」が理由だったのかもしれません。

例えばとある事象で正義を全うした行動を取ったとします。
でも、それは一つの側面から見た正義であって、別の切り口からみた時にその行動が必ずしも正義になるとは限らないんですよね。

極端な例が、悪と称される超人をやっつけたとします。
その超人を悪と称した人達からみたらそれは正義の行動になると思います。
でもその超人を悪と思わない人達からみたら、それは単なる虐殺でありそこに正義は存在しないんです。

超人に対する思い・・・これは超人課の皆さんの根底に流れる思いは変わらないのだと思います。
でも、何を背負うか・・・これが異なれば導き出される答えに違いがあってもおかしくはありません。

きっと最初の差はごく僅かだったんだと思います。
でもその差を埋めないまま歩みを進めてしまった結果、気付いたら離れていた・・・
こんな感じだったのではないでしょうか。

離れてしまったその先に何が待ち受けているのか・・・気になる方は是非本編でご確認願います。
あっと驚く展開が待っていてくれると思います。

そして今回の一推しキャラは・・・前期に引き続き星野輝子ちゃんでした(//∇//)
前期では自分自身にも色々ありましたが、今期はしっかり職責を全うしていたと思います。
一連の騒動の幕が引いた後も変わらない優しさを見せてくれた彼女・・・何より彼女の直向きさと信じる心が私にとってストライクでした^^

オープニングテーマは、前期に引き続きZAQさんの「割レル慟哭」
エンディングテーマは、山本陽介 feat. 玉置成実さんの「ALL-WAYS」
第24話のみ歌い手は同じですが、ZAQさんが楽曲を提供した「THE LAST SONG」でした。
ZAQさんの楽曲は相変わらず凝っていて格好良いです。聞いている分には最高なんですが、カラオケでチャレンジしてみると、ちゃんと歌うのが難しいんです・・・
ZAQさんの曲がカラオケで歌えたらいいのに・・・^^;
エンディングもアニメと合っていて格好良いです。今度カラオケでチャレンジしてみたいと思います。

後期は尺が短いと思ったら11話でした。前期が13話だったので全部で24話の物語になりました。
ラストの展開は衝撃的でしたが、後味は悪くありませんでした。
そして物語の終盤に往年の名作が流れてきましたが・・・まさかタイトルに付けられた「THE LAST SONG」のオチはそれだけじゃないですよね・・・と思いたいです^^;?
でも物語の最後に輝子ちゃんと風郎太が交わしていた会話は、この作品の全てを物語っているように感じました。
難しい作品でしたが、時間を作ってもう一巡してみたいと思えた作品でした。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 15

64.5 5 アメリカでオリジナルアニメーションなアニメランキング5位
BEM(TVアニメ動画)

2019年夏アニメ
★★★★☆ 3.3 (125)
404人が棚に入れました
湾港都市「リブラシティ」。政治・経済・文化の中心であり、街の“富"が結集した「アッパータウン」と、汚職や犯罪に溢れ、人々がお互いを疑い合わざるを得ない「アウドサイド」、その両エリアを分かつ巨大な運河と、一本の「橋」。これらにより構成される、まさに人間の“差別意識"が顕在化した様な街である。そんな「アッパー」から「アウドサイド」に赴任してきた、若き女性刑事・ソニアは、数々の事件を追う中で、人間を守るために戦う、醜い姿の3人と出会う。彼らは一体何者なのか・・・?妖怪人間3人は、それぞれの思いを抱えながら、正体を隠し生きていた。人間に仇為す悪を倒すことで、人間になろうとする「ベム」、人間に憧れ、人間と同じ学校に通い、人間を理解することで、人間になることを目指す「ベラ」、人間や世間に達観し、冷めた様子でゲームの世界に没頭する「ベロ」。彼らはいくつもの事件や、人間たちとの触れ合いの中で、傷つき、悩む。人間のために戦っても、その醜い姿から、決して人間に受け入れられることはない…。そんな3人を探す1人の存在がいる。リブラシティを裏で牛耳る「見えざる議会」を操り、ベムたちを確保しようとする彼女の目的は果たして?

声優・キャラクター
小西克幸、M・A・O、小野賢章、内田真礼、乃村健次、西山宏太朗、斉藤壮馬、諏訪部順一、小野大輔、坂本真綾
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

9話は良かったけど、全体としては中途半端な所も〈最終話まで視聴・追記あり〉

2019年夏アニメ。
「妖怪人間ベム(1968年版)」の最新のリメイク作品。
これまでに製作されたどのリメイクともずらした要素を入れてきた印象。


【1968年版(初代)、2006年版、実写ドラマ版について】
何かの参考になるかな?と思うので、簡単にまとめてみます。
このシリーズには「人間とは何か」という命題は常についてまわります。ベム達が人間になる方法を見つけることもあるけど……。
気になる作品があれば是非見て欲しい。作品の狙いに共感できるとどれも面白いものですよ。
{netabare}
・1968年版(初代)
壮年の大男、苛烈な性格のグラマーな女、浅黒い肌の子どもの3人組。出生不明。指は皆3本。
子ども向けなので主人公は天真爛漫なベロ。

3人の妖怪人間は妖怪や怪異から人間を守り戦い、最後にはその街を去るというのが基本フォーマット。
「正しい行いをすれば人間になれる」と考え行動しますが、その理由は語られません。人間たちには時に迫害を受けたり、彼らと心が通じたりしますが、正体を知られると恐れられるため一カ所に滞在しません。

国籍や時代は意図的にわからなくしてあるそう。
一話完結で子ども向けですが、古い作品なので胸の痛くなるような話も。妖怪や怪異は人間の敵であり、人の手により闇に葬られたりもする。差別がテーマの一つだと思う人もいるようですね。
ホラー演出もこだわっています。
ラストはバッド寄りのビターエンド。リメイクされてほんとに良かった。


・2006年版
3人の姿はほぼ同じですが少し優しい印象になり、指が5本に。
これも出生不明…だけどもしかしたら?という描写があります。

子ども向けなので主人公はベロ。子ども達とは仲良くなれるけど大人には不審がられ、出没する妖怪を倒したりしてもなかなか報われない。
天真爛漫なベロを丁寧に描き、ベロがベムとベラを精神的に支えることも少なくありませんでした。
「正しい心を持ち続ければいつか人間になれる」という言葉は昔3人を助けてくれた恩人の言葉とされていて、これは独自の要素。
舞台は日本の架空の港町で、高級住宅街と治安の悪い所があり社会の縮図のような感じ。

後半からメインストーリーを展開し、前半の一話完結回の描写を拾っていくのが見物。初代に比べ人間の美醜もかなり強調され、妖怪も人間も善人悪人両方描かれます。
最終盤では胸を抉る話が続きますが、最終回はビター寄りのハッピーエンド。


・実写ドラマ版
若い男性、若い女性、子どもの姿の三人組。
大人向け寄りで、主人公はベム。この実写版はキャスティングが見事で、特に悩める青年のようなベムは意外だけどテーマに合致していて納得させられました。

舞台は日本のある街で、そこに住む人達と交流し、正体が知られると街を去っていきます。数十年ぶりに偶然再会した老人と不老不死のベム達とのエピソードが好き。

この作品でベム達が戦うのは妖怪ではなく、別の存在。人間の持つ「正義の心」と「悪の心」を丁寧に描き、全編通して胸を抉ってきます。
そしてこの作品では独自の設定として妖怪人間の出生の真実が描かれ、物語の核心となりました。
ラストは爽やかなビターエンド。
その後作られた映画版も良い作品でした。
{/netabare}


【今作】
{netabare}
ベムのイメージはそんなに変わらないけど、ベラは女子高校生になり、ベロがやさぐれました。ベロが天真爛漫じゃなくなったのが私は一番驚いたw

物語の舞台(街)も固定され、新キャラクターもかなり多い。敵妖怪もなかなか奇抜といいますか…(汗)妖怪というより人造怪人なのでホラーにならない。
だから結構古参ファンを振り落とす要素が多いかも。

何をしたいのかは、設定の変更などからある程度理解しているつもりではあります。
ただコンテ・演出で画的に伏線を張るのがちょっと苦手っぽい?話数を跨いでの伏線はもう少し印象強くしておかないと全体像が見え難くなるから、世界観の渋さもあって結構致命的。ドラマパートの演出は好きなんだけどホラー的な魅力は少ないしなあ…。
私は結構好きになれそうなだけに色々もったいない。{/netabare}

【9話視聴時点での感想】
{netabare}
舞台となるリブラシティのアッパーサイド・アウトサイドですが、どちらに住む人間も結構ろくでもない…
アウトサイドはスラム化しているし、アッパーサイドは都合の悪い存在をアウトサイドに押し込めてしまう。しかも人間を辞めて生き生きしている敵もベムたちも、人間にとっては怪物扱いなのは同じ。
そしてこの街の在り方に一石を投じるのがソニア、カーヴァー、ギャビンだったわけですね。

第9話は、ギャビンは良い人すぎてかえって胡散臭い人物として演出されていて、ベロの友達も視聴者の想いを代弁します。そして肝心のベムも差し出されたギャビンの手を取れなかった。ベムには最後まで信じるべきかどうか葛藤があったということなのでしょう。
けれどもベムたちはギャビンを守りきれず、信じるに値する人間であったことがその死によって証明されます。

リブラシティで疑問も持たず暮らしている人々にとって、アウトサイド出身でありながらアッパーで成功し、しかも清濁併せ呑める理想家なんてにわかには信じられないと思うんですよね。
アッパーで普通に安全に暮らしてる人にとっては、理解できない・信じられない存在という意味ではギャビンのような人間も妖怪とあまり変わらないのかも。

で、人間て何?という問題は「妖怪人間ベム」の作品群では必ず何かしら答えを示してくるけど、さらに今作は人間として生きるってどういうこと?という問い掛けに繋がってくるんじゃないかって気がしてます。
少なくとも見た目とか体のつくりは答えにならないですよね。だからこそ、ほぼ完全に人間に擬態できているのにも関わらず、ベムたちは人間になることを切望する。
寿命があるからこそ人間は懸命に生きるというのは、その問いに対して大きなヒントになりそう。

「見えざる議会」はリブラシティの在り方に波紋を投じる存在を許さない。もしかしたら他にも目的があるのかもしれませんが、彼らとベムたちが対立していくのは明白。しかも不確定要素となりうるキャラクターが結構いるので最後まで注目したいと思います。{/netabare}

最後に、ソニアの潔癖さと愚直さが超可愛い!と言っておきますw(2019.9.27)


【最終話まで視聴したので追記】
作品が作品なのでラストはこうなりますわな。


【良かった点】
{netabare}
ベム・ベラ・ベロの関係がとても良かったです。周りの人間たちとの関係も好きでした。
ベガはキャラクターもデザインも素晴らしいラスボスだったと思います。もっと描写して欲しかったなあ。

「人間とは何か」ということを「生きる上での行為」と捉えたのは今作の独自性だと思います。
人間は寿命があるからこそ、次世代を残すからこそ懸命に生きる。人間の行為を模倣すること、すべてを経験することがベガにとっては人間になること。大切な人達と共に普通にひっそりと生きることがベムの考える人間の生き方。二人の対比はきちんと出来ていて、孤独で超然としたベガの存在は良かったと思います。
ベガがダリルを後継者にし、ハラジーを引き取ったのは育児の代替行為なのかもしれませんが、二人の幸福な未来を望んでいるわけではないため、最後までベガは孤独でした。

最終話は人間同士・妖怪人間同士が対決し、それぞれの問題とその先の希望をあぶりだす構成なのかなと思いました。
ベム達は人間を信じてリブラシティを去ったのだと思うし、ダリルがリブラシティを良くしていく可能性があるというラストだと思う。
アッパーサイドとアウトサイドを繋ぐ橋は分断の象徴であり、これまでの間違った関わり方の象徴でもあったのだと思います。最終話で橋は落ち、人間の手でアッパーとアウトの断絶を埋める新しい方法を模索していかなくてはならない。

ダリルがベロを信じ尊敬していたカーヴァー議員の意志を継ぐことが出来れば、リブラシティの今後は変わるでしょう。ただ、まだ幼いダリルにとって議会内の人間も味方とは言えないし、リブラシティの在り方に関しては困難な終わり方のような気もします。カーヴァーやギャビンと交流があったソニアと、ダリルが出会っていれば希望が持てるラストと言えたかもしれません。
{/netabare}

【気になった点】
全体的に中途半端な要素が多かった気がします。
{netabare}
人間キャラが物語の本筋に深く関与しないのは良くないと思う。
人間の心の美しさと醜さをバランス良く描いてくれたら、ベムが人間になりたい心理に寄り添えたと思います。いっそ、人間を辞めたヴィランの過去を掘り下げて人間の醜さを、ベム達の周りの人間を掘り下げて人間の美しさを描くとかした方がわかりやすかったかも?

1クールにしてはキャラクター数が多く、持て余してしまった印象はありました。
ソニアをもっと能動的に動かしても良かったと思います。ウッズさんはソニアに足りない部分を補う立ち位置だと思うけど、活躍が少なかった気もするし。
シルクハットの人物が死体を回収する役なのかな?と思っていたけど何してたんだろうね。
全体的に色々と勿体なかったなあと思います。
{/netabare}

【雑感】
そういえばお約束の{netabare}人間に火をかけられるシーン{/netabare}が今作はなかったですね。
京アニの一件に配慮したから(4話も2週遅らせましたし)だと思いますが、少し珍しい一作になったかも。
{netabare}
……あまり言いたくはないけど、2006年版も実写ドラマ版も狙いがはっきりしていたし、ターゲット層を明確化した作品作りが出来ていましたよ。
特に2006年版はあまり評価されていませんが私はとても好きです。監督の原田浩さんは「地下幻燈劇画 少女椿」を作った方で、一度作品を観てみたいなあと思うのですが自主製作なのでなかなか…。
{/netabare}
(2019.12.8)

投稿 : 2024/11/02
♥ : 23
ネタバレ

かんぱり さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

正義の妖怪三人組

昔のアニメのリメイクみたいですね。オリジナルってどんなのかとネットで画像を見てみたんですが、結構おどろおどろしい感じで、キャラも良く言えば一度見たら忘れられない濃いキャラでした(゜o゜)
なんか夢に出てきそうな感じです(-_-;)それと比べるとこの「BEM」はスタイリッシュというか、だいぶおしゃれな感じになってます。これを見ても夢に出てこないので安心ですね(*^_^*)でも昔のが好きな人はコレジャナイって感じなんでしょうか?
最終話まで見ました。人間の悪さ、愚かさを知っていてもなお人間が好きで人間になりたいと願うベムたち。そんなベムたちを嘲笑うかのように卑劣な人間たちの行為が繰り返されます。
ベムたちのように思えなくて孤独で人間を憎むベガとの対比も良かったですが、もっとベガについて深く掘り下げて欲しかったです。
個人的にはマッド博士の改造人間たちの話じゃなくて、普通の人間の犯罪者たちとベムたちを絡ませたほうがヒューマンドラマとして良くなった気がします。
以下、各話のレビューです。

1話。{netabare}警官の汚職が蔓延しているダウンタウンみたいなところに転任してきた女性刑事のソニア。
先輩刑事にここでうまく生きるには汚職に手を染めることだと言われるけど、自分の信念を曲げずに自分の正義を貫くソニア。それを影から見ている謎の帽子の男。これがベムみたいだね。
ベムの仲間として、女の子のベラと男の子のベロがいるけど、それぞれ人間に対する考え方が違うみたい。
水男とかいう妖怪みたいなのが出てきて人を襲うんだけど、誰かに作られたっぽい。
せっかく水男から助けてくれたベムを、化物の仲間だと思って銃を撃ちまくるソニア。
ベムに同情するけど、いきなりあんなの出てきたら私も気が動転するなきっと(>_<)
ベムを欲しそうに見つめる謎の女。この女と水男に何か関係があるのかな?{/netabare}
2話。{netabare} 今回はベラの話かな?学校いってるの?アニーって偽名?ちょっとびっくりした。
妖怪だから昼間とか洋館とかに隠れ住んでるイメージだったので。。友達とかいるし。
ベロも友達とゲーセン行ってるし、普段は普通に暮らしてるのかな?でもベムはどうしてるんだろ?
10年前に失踪して死んだ子とベラがそっくり?姿を借りたってこと?・・って思いながら見てたら。。
え?ちょ、敵キャラデザイン間違えてない?ちょっとこのアニメの雰囲気に合わないと思う。
次回はベロメインの話になるのかな?{/netabare}
3話。{netabare}今回はベロの話かな。ベロは人間の身でもベロって呼ばれてるんだね。
ゲーム対決するベロ。相手の子は結果に納得しなくてアッパーの相手の子の家に呼ばれて行くことに。
そこは議員秘書の家で、議員が刺客に襲われるところをベロが助けるけど・・結局後で殺されてしまって・・
実は議員秘書が自分が上に行くために殺したんだね。。でも秘書も忍者みたいな刺客に殺されて・・
ベロが忍者刺客を倒すけど、秘書の息子からベロが殺したと勘違いされて・・
最後、妖怪たちの仲間?が出てきたけど、彼らとベムたちの関係って?
今回は殺され→殺され→殺されみたいな話でごちゃごちゃした話でした。{/netabare}
4話。{netabare} 今度は電気男が現れて複数の若い女性たちが被害にあって。
裏ではそんな改造人間を造り出しているマッドっぽい博士が登場。
博士はベムたちを作ったわけじゃなくて、自分では作れないベムたちの能力にとても興味を持ってるみたい。
でんぷんくんも出てきたけど、足ひっぱっただけで退場(-_-;)
1話で出てきた謎の女がまた登場。ラスボス?ベムたちを妖怪人間と呼ぶし、何か知ってるっぽいけど・・{/netabare}
5話。 {netabare}今回は掃除機男が登場。相変わらずギャグっぽいキャラ造形だなあ(-_-)
新しい捜査官が赴任したけど、なんかヤな感じの男。
でもこの男の目的は、改造人間じゃなくてベムたちみたい。
なんとなくだけど、あのベムを欲しがってる女とつながってる気がする。。{/netabare}
6話。{netabare}サーカスを見に行くベラと同級生の男の子。
そこには、重力男と言われてる男とハラジーという女の子の団員がいて。
重力男の悪い噂をわざと流されて、ハラジーと逃げるけど、包囲されてしまって。。
撃たれて死ぬ重力男。そして力を使ったハラジーは意識を失い、捕まってしまう。
今回後味が悪い話でした。{/netabare}
7話。{netabare} 今回の話は・・・なんていうか・・・夢に出そうなとても嫌な話でした(-_-;)
○と○を合体させたりしてるし、元友達を助けたのに死ね死ね言われて銃撃たれるし・・
ベロの友達が無事だったのが救いかな。。こういう話は嫌いだな。{/netabare}
8話。{netabare} 新入生アルバートのパーティに誘われて舞い上がるベラ。
アルバートの母親はオペラ歌手らしいけど、今回の怪人ってもしかして・・
ベラの声に興味を持ったアルベートママにベラが襲われて・・
ベラは倒すけど、アルバートに怪物だと言われてしまう。でもメガネくんには美しいと言われて(-_-;)
次回、あのマッド博士が傑作だと言ってた怪人が現れる?{/netabare}
9話。{netabare}妖怪人間を病気として治療する財団の代表者がベムと接触してきて。
いい人そうだけど、どうなんだろ。見えざる議会のせいで迫害されてるっていうけど。
以前出てきた忍者怪人の改造版みたいなのが出てきてベロたちを襲ってきて。
結局、財団の人は忍者怪人に殺されてしまって。なんだか救われない話で嫌になるなあ。。{/netabare}
10話。{netabare}最近の事件すべてを妖怪人間、ベムたちのせいにされて報道されてしまう。
何度もベムに助けられたソニアはベムの味方になることを決意する。
無実の人々を殺してすべて妖怪人間のせいにするフェルト捜査官ってクズすぎる。。
ラスボスっぽいあの女は500年以上も生きている妖怪人間だと自ら名乗る。ベムたちと同じ?
ついにベムたちと対面するベガと名乗る女。すごい能力でベムは身動きが取れなくなって。
そこにすっかりベガに懐いてしまったハラジーに倒されて捕まってしまうベム。。{/netabare}
11話。{netabare} 裁判にかけられるベム。帽子脱いだベム初めてみた。
これ、裁判じゃなくて公開処刑じゃん(-_-メ)
ソニアが自ら証言台に立ってベムたちを擁護するけど、出来レースみたいで結果ありきみたい。
案の定、判決は死刑。。
ベラも友達に裏切られ、ベロも親切なおじさんが撃たれて重傷。。救いがなさすぎるよ。。 {/netabare}
12話。{netabare} ベムの処刑の日。
ベロは友達を助けにダリルのところに。
そしてベラはハラジーに会いに。
処刑場にベガが現れ、ベムとベガの細胞が合わさると街を吹き飛ばす大爆発が起きるというけど。
ベロは友達、そしてダリルを忍者から助ける。
ハラジーはベラに連れ出されて、幸せになってほしいとソニアに預けられる。
友達がかっこいいといってくれたからとベラの姿のままで。
ベム、ベラ、ベロの3人が揃い、ベガも本性を現し、決戦が始まる。
ベガはずっと孤独で、ずっと人間に蔑まれてきたけど、死ぬこともできず、ベムたちの登場を待っていたのかな。
最後、ベガはベムたちの、俺たちは守るものがあるという言葉を聞きながら、海の底へ・・・
そしてベムたちは姿を消してしまう。そしてどこかで今も生きている。。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 19
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

ベムベムハンターとは関係ない

1話感想{netabare}
「今回のベラは女子高生だぞゲラゲラww」って情報は友人から聞いてました。
鬼太郎6期といい素晴らしい時代になったなwと思ったり思わなかったり。
ひょっとして鬼太郎の影響?にしてはまだ1年ちょっとだし、考えることは一緒ってことなんかな?
ところでえーっと2000年代入ってリメイク一回ありましたよね?
これか。
https://www.anikore.jp/anime/849/
確かMXとアニマックスのみの放送で、MXの方が途中で打ち切りになって「続き見たけりゃアニマックスでどうぞ」ってことになって「ざっけんなよオイ」とガックリした記憶。
見てる人殆ど居なかったけどさ…だから打ち切りになったんだけどね。
(その後地上波放送が打ち切りになった“R.O.D -THE TV-”がMXで全話放送されて「ベムん時と正反対だなw」と思ったのは強く覚えている)
“俺たちゃ妖怪人間”は全然見てないけど2006年版が散々だったのを見てた自分としては「またベムやるんだ、懲りないねぇ」って感じ。
いや果敢に挑戦するのは評価しますよ。

それにしても…へーまた村田蓮爾なんだ、“コップクラフト”に比べると蓮爾っぽさは弱い?
公式でキャラ紹介見る限りは良さそうなのに、実際本編見てみると…敵モンスターのデザイン?演出?ダッサくない?
モンスターだけじゃなくて作画全体が…う、うーん。
もっとこうフィルムっぽいというか、ホラータッチにした方が「らしい」と思うんだけどなぁ、妙にマンガチック、おどろおどろしさが無い。
それと水男のセリフよく聞き取れない、一応「博士」だけ聞けりゃ他はノイズ扱いで良いっぽいけど。

妖怪3人とソニアの性格は大体分かった…気がする。
舞台も(治安的に)どんなところなのかも分かったし、何やら黒幕が居るっぽいという匂わせ方も悪くない。
シナリオは決して悪くないと思うのだけど、な~んかパっとしないのはやっぱり作画だか演出なのかなぁ?{/netabare}

2話感想{netabare}
やりたいことは分かるんだ、「醜いバケモノ言ったお前の方がよっぽど(心が)醜いじゃないか」をやりたいのは、分かる。
「そんなヤツも居れば裏表の無いヤツも居たり、人間ってオモロイなー」ってこともりたいんでしょう。
ストーリー?シナリオ?は悪くないと思うんだ、多分。
だけどボーリング男のデザインだけは…これだけは…なんじゃこりゃ?
こういったフザけたデザインが逆に深い意味を持つ展開とかあるのか?大丈夫か?{/netabare}

3話感想{netabare}
個人の趣味でレトロゲーミュージアムみたいなのって実際にあるみたいね。
ってかアウトサイドのゲーセンの外観がトロンレガシーのFLYNN'S(ゲーセン)に似てるような?
ガンシュー、メンテナンス悪そう。
「殺人現場に居合わせて犯人だと勘違いされてしまう」って…こ、古典すぎて吹いたw
敵モンスターのデザインからして、意図的に古臭くしてるのかも?

…。
と思ってたら次回の4話は例の事件の影響で放送延期だって。
再放送で間を稼いでその間に4話の問題シーンを変更するっぽい。
これ言うと不謹慎かもだけど、すごいベムらしいと思ってしまった。
しっかしこうなると最終回が放送されるのはいつになるんだろ?{/netabare}

6話までの感想{netabare}
暫くは変人を出してベム達がそれを撃退する話が続くのかなー?と思ったら大体その通りで、6話で話が動き始めた…のか?
人間になりたがってるベム達・人間を辞めたがってる連中・それ以外のただの人間、の3勢力だけでなく「人間を辞めたくなかったのに辞めてしまった人」という立場が登場。
ほほう、勢力増えるのは構わんが…これはレギュラー?1話限りのゲスト?
次元の狭間に飲まれて~とか、それまでの作品世界からぶっ飛んでる気がしないでもないけど「元々ぶっ飛んでたじゃん」と言われればその通りの気もするしまぁいっか。
ってかこのノリは見覚えがあるなぁ、と思ったら…思い…出した!(思い出したくなかった)
“セイントオクトーバー”ってアニメがかつてありまして、どんな内容かはいちいち書かないけどあれと同じようなオチにならないことを祈る。{/netabare}

最終回感想・総評(これだけ見ればいいかも){netabare}
ラスボスのベガの目的は「死ねない存在で、唯一死ねる存在を見つけたので、自分を殺してくれるように仕向けた」ということで良いのかな?
その目的に至った動機は「もうこの世に飽き飽き」「人間に失望」それでいて人間の真似事は何でもしてきたけど未だ出来ずに居たこと=生と死、それの実行って感じか?
最後のほうはベムを懐柔するための方便に聞こえなくもないけど、結局は大規模で大迷惑な自殺をしようとした、という展開。
非常にベタでどこかで見たような…どちらかというとゲームでこの手の設定ってよく見た気がするけど、そうはいってもちゃんとラスボスが登場してそれを退治(殺すことは出来ないので封印って形だけど)したのは久々に感じてしまう。
なんか最近はラスボス倒さないどころかラスボス(or黒幕)が姿を見せずに目的すらあやふやなまま最終回迎える作品が多い感じだったのでねぇ…。
ラスボスの目的の提示→主人公との意見の相違・対立→対決・決着までを1クールで収めるとなると、やっぱ色々と難しいのかな?

余韻に関しては──
ベム達も一歩間違えれば、もしくは長年生き続ければそのうちウンザリしてベガのようになりかねない。
人間の方も人間の方で、ベガによって作られた(ベガがトップだったのでそうだよね?)議会のトップの後釜に人間を就任させて、今まで通りが続くとは限らないみたいなところを見せてエンド。
ハラジーもホントに今後安泰かどうかは不明。
博士は…これは、元々ベガを誕生させた太古の錬金術師の現代版になりかねない、ってことなのかなー?と思ってたり。
ベム達も錬金術師だか科学者だか知らんけど誕生させた存在ってのは居るハズで、そういうのが人類の歴史の中ではどの時代にも居るってことなのかも(そう感じたのは自分が“Dr.STONE”見た影響かも?)。
この手の作品の鉄則「化け物コワイコワイ言うけど、それを生み出せる人間の方がよっぽどコワイ」ってテーマも一応は描けているんじゃないかな?
もし妖怪人間が妖怪人間を生み出すことができたら、とっくにベガは自殺済ませてるだろうし。

と、テーマを表現できてたか?という目線では概ね合格なんだけど、細かい部分が…ちょっとね。
なんといっても改造人間のデザイン、なんでこんなプリキュアの怪人みたいにしちゃったんだろう?昭和っぽさを演出した?
そうはいっても子供向け作品はぶっ殺さないで浄化するのが大半で(そうでないなら“セイントオクトーバー”の二度殺しみたいな話は作られない)、元が人間で生き死にに係わる作品ででんぷんくんとか「ニン」とか言われてもちょっと…。
最後ハムスターが映画“スピーシーズ”のオチみたいになったらホラー作品として成立したけど、そんなことは無かった。
そもそもベム達はあの町を去る必要はあったんだろうか。
余韻との兼ね合いになるけど博士を追って姿を消すでも良かったような…。

現代風アレンジを目指したのか懐古路線だったのか、両方やろうとして結局どっちつかずになってしまった印象。
どっちか特化しろってことじゃなくて、もうちょい上手く融合できなかったのかなぁって感じ。{/netabare}

投稿 : 2024/11/02
♥ : 14
ページの先頭へ